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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊 もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2024年7月15日第184号(初版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
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迷路
を通

けの って
番地
に届
きま

eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(68):澁民小学校校歌:石川啄木…page 8
3 コーボー・ベーシックスkobobasics(28):ユダヤ人(2)……page 9
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(17):コレクター……page 16
5 日本一極国家論(続 )(21):古代帝國論 XI:三種の神器とは何か(1)および
(2)……page26
6 カフカの箴言(32)鶴が天を飛翔することの意味は何か…..page50
7 ショーペンハウアーの箴言(27):人間より動物への愛が…page52
8 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(41):5.60猿田彦(2)/5.61星座
とトポロジーの関係(2)/5.61⚪ ……page

・本誌の収蔵機関…lastpage
・編集方針…lastpage
もぐら通信

NRB:ニュース&記録&掲示板
(NRB:News・Records・Bulletin)
The best tweets of the month
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もぐら通信 ページ 8
巻頭詩
(68)
澁民小学校校歌

作詞 石川啄木

【解釈と鑑賞】
いふこと、なし。

石川啄木の歌の美しさと、このやうな美しい日本語でふるさとを歌ふことのできた詩人
を産んだ渋民村のことを思つて下さい。渋民小学校は、いふまでもなく、啄木の母校で
す。
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もぐら通信 9
ページ

コー ー・ ーシックスkobobasics
(27)
ユダヤ人(1)
岩田英哉

今、全集全30巻の編年体形式のままに『ユダヤ人について』といふジョン・ ネーサ
ンとの対談を読むと(全集第22巻188ページ)、同じ巻に収録 されてゐる次の作品は『内
なる辺境』といふ本格的なユダヤ人論であるので、この『ユダヤ人について』といふ
対談は、いはば『内なる辺境』の前触れか前 戦といふ、時系列で作品を並べた場合
の位置付けになつてゐる。『内なる辺境』はまた別に此の評論を読み解くための連載
を考へてゐるので、ここではコーボー・ベイシックスといふ小さな主題を連続的に並
べて論ずる範囲の中に留めたいので、この本格ユダヤ人論のことは後日の段としま
す。さて、『ユダヤ人について』で安部公房はユダヤ人について何を語つてゐるか
(本質論)、どのやうに語つてゐるか(方法論)を見てみよう。
後者の方法論については、安部公房の方法はいつも両極端の二項を否定して第三項
を否定論理積または否定の積算値として求めるといふ、二元論でもなく一元論ではま
してやないといふ超越論ですから、一筆書きといふトポロジー、即ちメビウスの環で
ある一捻りも(一つ目の次元の結び目)ふた捻りも(二つ目の次元の結び目)ある論
だと、まづ覚悟をして措いてから以下本題に入ります。何故か此の対談の原稿記録は
前半が紛失してゐるとの断り書きがある。

今対談の全体を読み通して、何が二人の主題となつたかといふことを以下に箇条書き
に列挙して、そのあとに一つ一つの主題および主題同士の関係をまとめます。

1。国家
2。特殊の中の普遍
3。時代性と空間性:二十世紀と二十一世紀:時間文化と空間文化
4。現代性と時代性:modern timesとcontemporary spaces
5。文学の普遍性と時代精神
6。グローバリズム
7。 われわれ と私:国家と個人
8。国家と貨幣経済と民族偏見
9。ユダヤ文化と日本文化
10。藝術の独自性と自由
11。オペラは空間藝術である
12。ジプシーに文学はない、ユダヤ人に文学はあるのは何故か:定着と移動の関係
13。ドイツと日本が近代国家としての共同体の共通性およびウルトラ右翼出現の必然
的な関係
ボ
ベ
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もぐら通信 ページ10

14。ユダヤ人みたいな安部公房:ユダヤ人の父親浅吉と息子安部公房
15。「アメリカ人の匂いは全くしないユダヤ人」:ニューヨークの下町
16。近代国家の軍隊の徴兵制度とユダヤ人の進出:ドレフェス裁判
17。民族国家の強化のプロセスと民族偏見の発生:ヨーロッパと日本の近代

【結論】
1。このユダヤ人像は、実は安部公房自身の姿である。といふことは、安部公房の論
ずるユダヤ人は存在としてのユダヤ人であり、存在としての人間の現実を生きる人間
の姿である。この理解は、メタSF作家荒巻義雄氏に御示唆戴きました。感謝申し上げ
ます。
2。安部公房は自分の父・浅吉を、「ユダヤ人」と括弧付きで書かずに、地の文の中
にベタで、ユダヤ人、と書いてゐるので、この呼び名が少年時に父親をさう呼んだも
のか、それとも年をとつて後年さう父親を回想してさう呼んだのかはわからないが、
多分後者であらうけれども、共産主義を超越するために日本共産党員になつてからも
その後に除名処分を受けてからも(1961年)、ユダヤ人の迫害がヨーロッパで起きて
ゐることを知つて考察を深めたといふことは当然あるにしても、しかし子供時代の目
で見た自分の父親をベタでユダヤ人と後年呼んだといふことは、あるいは奉天にはユ
ダヤ人がゐたのかも知れない。とすると、これは前者の場合といふことになります。
即ち、
ユダヤ人像としてであれば、この父子、即ち父親と長男は共通の像を共有して縁が
繋がつてゐるのです。奇妙な親子です。私が何故こんな書き方をするかといへば、子
供時代の安部公房の孤独感・孤児感覚は、普通の家庭のことを考へても、想像も理解
もできないからである。これは、三島由紀夫の子供時代と父・梓の関係にどこか、質
は異なるが、家長と後継者としての長男といふ関係では、通じるものがあるのかも知
れない。
話が逸れるが、安部公房側の資料によれば三島由紀夫は安部公房に自分の子供の頃
父親に受けた酷い仕打ちを後者に打ち明けてゐる。間違ひなく其の場所は前者が人を
選んで招じ入れてゐた大森邸の三階の部屋のことで、ここで前者は後者に自分が子供
時代から手作りでつくつてきた十代の詩集を安部公房に見せてゐる。その証拠は『方
舟さくら丸』(1984年11月15日発行)の冒頭の段落に両方の読者には知られぬやう
に記録されてゐる。何故私に判るかといへば、三島由紀夫の十代の詩集を読まねば知
ることのない形象の名前が其処には書かれてゐるからです。その発行日とともに、こ
の長編小説には三島由紀夫の鎮魂と追悼のこころが底に流れてゐる。実際に舞台は地
下の夜の世界です。
後年三島由紀夫との親しい交流を回想して安部公房のいふ、三島君とはすべての接
点ー英語ならばcontacts・コンタクトといふところですー、これを問題意識と言ひ換
へてもよい其の接点を共有してゐたが、方向は正反対だつたといふ此の言葉に結果す
る原因が、このやうなそれぞれの父子関係にあるのかも知れない。そんなことを思つ
てしまふ。平凡な結論だが、家庭・家族の中での孤独感である。安部公房の場合には
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もぐら通信 ページ 11

其れが孤児感覚といふべき感覚にまでなつてゐる。実の親がゐるのに、本当の親がゐ
ないのである。この実感が既に小学生時代にあつたといふことが、普通ではない。
このやうに考へて来ると、この作家が子供時代、多分一桁の年齢の時に奉天の小学
校時代に書いた二行の詩を思ひ出す。焼き栗売りの声が家の外に聞こえるので季節は
秋か冬で、夜に自分の勉強部屋に一人ゐると、家の外の何処かから満州族かだれか、
異人の焼き栗売りの行商の声が聞こえて来る。すると、この子供は灯りを消して、そ
して白いカーテンに映る月の影を見てゐる。この詩を読むと、もはや此の男の子はS・
カルマ氏であり箱男であると見える。この子供の魂は月明かりに直接誘はれるのでは
なく、何かに投影された月の影をみてーここに早や安部公房の数学的な能力の萌芽が
あるー、恰も窓から夜の中へと彷徨ひ漂ひ出すかの如くである。安部公房の部屋は二
階にあつた。この子供は闇の中に身を潜めてゐて、視覚と聴覚に集中する。かうなる
と、この子供は1973年に立ち上げた安部公房スタジオの演技指導者の姿である。

「クリヌクイ ∼ 」
カーテンにうつる月のかげ

さて、この対談で語られてゐる主題を敢へて二項対立の図式で列挙すると次のやうな
な七つになります。しかし、安部公房は超越論ですから、特殊の中の普遍を求めると
いふ考へ方ですから、二項は対立せず二項両極端を否定して、それによつて一つに融
合して一次元上の第三項の結論となるかまたはその方向へと話題は進むのです。
以下に挙げた主題は二十一世紀の現在世界中で起きてゐる戦争と紛争を先取りして
ゐる。いや、あるいは、地球上でやつてゐる西欧米の愚行はずつと此の間何も変はら
ないと見るべきなのです。日本の学者と呼ばれる此れらの領域の専門家は、この間、
これらの問題に解決策を提案したのか、日本の政治家は其の提案を受けて何か国際的
な解決策を国際政治の場で施したのか、さうしなかつた無策・無能の国家だつたの
か。

A. 時間と空間[これは哲学または形而上学・meta-physicaの問題である]
B. 流行と時代精神[これは文学と哲学の問題である]
C. 藝術の自由と国家の自由[これは藝術および国家または政治の問題である]
D. 日本人とユダヤ人[これは民族と人種と宗教の問題である]
E. 民族国家と民族偏見[これは民族と国家と宗教と集団的偏見の問題である]
F. ドイツ国家と日本国家[これは近代化後進国の問題である]
G. 国家と貨幣経済[これは貨幣経済と国家経営の問題である]
H. ナショナリズムとグローバリズム[これこそ正に現下二十一世紀第一四半期現在の
問題である]
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もぐら通信 ページ12

このやうに二人の対話は現下の国際的な問題の全てに亘つてゐる。

1。国家
前半の原稿が逸失してゐるので推理する以外にはないが、ここで始まる主題即ち国家
と作家または文学の関係を論ずるのに、二人は作家の「自負」といふ言葉を持ち出し
てゐるので、そのあとの対談を読むと、これはアメリカにゐて小説を書いてゐるユダ
ヤ人の作家の数が増えてきてゐることと、その作家たちはアメリカといふ国家に属し
てはゐるが、そもそも流浪の民であるユダヤ人であるので、その自負とは何かといふ
こと、何に拠る自負なのかといふことが話題となつてゐます。

ジョン・ネーサンの主張よりも安部公房の主張を軸にしてネーサンの主張を反対意見
として其処に付け加へて一つづつ安部公房の主題ごとの考へを要約して行きたい。
この対談を読んでゐると、ジョン・ネーサンといふ日本文学研究者が実は日本国籍
のアメリカ人であり、安部公房はユダヤ人であつて実はアメリカ国籍のユダヤ系アメ
リカ人ではないかと錯覚しても、その錯覚は正しい錯覚なのではないかと錯覚するほ
どである。私の此の錯覚の錯覚の錯覚は正しいと思ふ。

ここでの問題は、国家を持たぬユダヤ人がアメリカであれその他の国々であれ、その
国の一つの時代の時代性を表す作品を描くことで、何を書いてゐることになるのか?
といふ問に安部公房は次のやうに答へてゐる。ここで出て来るのは、安部公房のいつ
もの主題である「特殊の中に普遍」を求めるといふ主題です。この営為によつて、作
家は一つの時代を一つの国の上で表現することができるといふのが安部公房の主張で
す。曰く、「つまりユダヤ人意識という問題も、自分の 藤してきた問題をどのよう
にして一般化さしていくかは、文学の問題でしょうけれどもね。」この特殊性の普遍
化または一般化を文学の世界で実践するかが文学作品の世界普遍性に関はつてゐると
いふのです。だから、「その普遍性というのは、文学の場合は、たとえば数学の公式
で自然科学の普遍性とは違って、やはりこの時代の人間という、時代性でしょう。」
といふのです。といふことは、安部公房は、ここで、

ー時代ー人間ー文学ー

といふ概念連鎖を、コトのタマの緒を、考へてゐることになります。抽象化していへ
ば、安部公房のいふ通りに、

ー時代性ー人間性ー文学性ー

といふことになります。
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もぐら通信 13
ページ

この三者の関係といふ文脈に於いて、安部公房はいはば「箱男論」といふ論を国家と
人間の関係で、あるいは国家性と人間性の関係で、といふことは文学とは何かといふ
問に対する文学性即ち文学の持ち・持たざるを得ない性質即ち性格について次のやう
にいひます。この場合、安部公房のいふユダヤ人もユダヤ人問題といふ政治的な問題
も、もつと普遍性を持つた人間の問題となつてゐます。ユダヤ人を人間といふ言葉に
置き換へて読んで下さい。

「ユダヤ人が意識していようといまいと、ユダヤ人というものは国家というスタンプ
の外側におかれて、裏返しスタンプ捺されているということが、同時代性をつくって
いると思うんだ。」

「国家というスタンプ」といふ言葉の意味は、この発言が箱男論だといふ所以で、国
家の管理する台帳に登録されてゐる人間といふ意味であり、対して箱男はさうではな
い。即ち、名前がつけられて其の名前が登録されてゐてそのひとの自己同一性証明、
むつかしくいへばアイデンティティ・identityが保証されるそのやうな人間といふ意味
が「国家というスタンプ」といふ言葉の意味です。つまり、《S・カルマ氏》ではない
人といふ意味です。《箱男》ではない人といふ意味です。

この発言に対してネーサンは、「国家というスタンプ」を捺されて満足してゐる読者
が相手ではないアメリカの作家フィリップ・ロスの『レッティング・ゴー』といふ作
品を持ち出して、この作家がアメリカ人のユダヤ系作家として「裏返しスタンプ捺さ
れている」作家の一人だと発言したのに対して、安部公房は今度はヨーロッパの例と
してカフカの名前を挙げて話の続きを促します。次のやりとりで安部公房はカフカを
時代の、ではなく、現代の作家だと考へてゐることが判ります。といふことは、安部
公房のいふ時代性を普遍的に表現できる作家といふ人間の創造した世界は時代を超え
てゐるといふこと、即ち普遍的な、といふ意味は、一向に古くならない時代性を表現
した作家のことだと考へてゐることになります。

「安部 [フィリップ・ロスではなく今度はヨーロッパの]フランツ・カフカの場合
をあげたらどうなの。
ジョン カフカの場合は、彼の時代というよりも……。
安部 彼の時代でなくて、現代の。」

このことを安部公房は次のやうに言ひ換へてまとめる。

2。特殊の中の普遍
「安部 つまりぼくは今後はね、時代性というものが普遍性をもってくる時代だと思
うんです。しかし、従来は必ずしもそうはいえなかったと思う。」
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もぐら通信 14
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国家の管理台帳によつて未登録で管理されず、時代が普遍性をもったそのやうな時代
といへば、経済的には正しく今世界中に此の三十年間猖獗を極めて来た通称グローバ
リズムといふ看板の共産主義に言及してゐて見事に予言をしたゐるわけですが、しか
し他方、文学的にはどうなのかといへば、作家みづからがいふやうに自分は日本語の
作家であるといふやうに経済の世界とは異なり、精神の世界での歯止めを日本語とい
ふ個別言語に求めてゐて、この考へは正しいと私も思ひますが、安部公房は此の特殊
性に普遍性を求めるといふ其の姿勢の元は日本語にあるといふことなのです。即ち、
日本語といふ特殊な個別言語に上記のやうな普遍性を求めるといふこと、これが安部
公房の主張です。

このあとには、フィリップ・ロスとカフカと同じ議論と論旨の延長で、ヨーロッパの
ブリテン島の今度はシェークスピアが俎上にのぼり同じやりとりがなされますが、
ネーサンと安部公房の議論の噛み合はないところがあつて、それは時代性と普遍性と
読者の理解といふことに関する考への違ひであることが明らかになります。即ち、時
代性を普遍化した作品に共鳴する読者がゐるかゐないかで作品の古典的な価値が後世
に決まるわけであるが、それはその時代が同時代性があり且つ普遍性があつて理解さ
れる場合と理解されない場合がある、ここが文学作品の価値の微妙なところで、この
機微を作家は次のやうにいつてゐる。これは、松尾芭蕉が不易と流行といふ一見二項
対立でいはむとしたことと同じです。この議論は俳句といふ形式も含めてドナルド・
キーンさんとの長編対談『反劇的人間』でも述べられてゐます(全集第24巻、24
5ページ)。実に平凡な言ひ方ですが、ここでは其れをかう凝縮して述べてゐる。

「安部 古典でも、たとえばその時代にものすごくアクチュアリティがあって、もの
すごく意味深いものであっても、その時代が過ぎたら全然なんでもなくなるものがあ
る。そういうものを、あれはだめなものだったということはできないと思うんだ。」

ここでいふ確かに日本文学史上の「戦後」の古典には、当時ベストセラーになつた石
坂洋次郎による「戦後」民主主義の開放感と明るさを背景にした一連の作品がありま
すが、しかし、多分今は読まれてゐないでせう。何故ならば現代は其の作品を支へる
時代意識の先へと時代の意識は進み、作品自体の魅力が同時代の外へと出て生き生き
としてゐるといふ感じが感じられなくなつたからです。其の世界は現代日本人には当
たり前すぎるものになつてしまつた。しかし、これもまた古典です。しかし他方、兼
好法師の『徒然草』のやうな現代に生きてゐる古典もあります。

3。時代性と空間性:二十世紀と二十一世紀:時間文化と空間文化
安部公房は此の時代性の限界内で書かれた作品と時代性の限界を超えて生きる古典の
違ひを説明するのに、時間性に対するに空間性といふ用語を使つて次のやうに、ネー
サンの言葉に対して、説明を続けます。さうして、今までの百年間は空間性の優先し
た時代であつたが、これからは今も含めて時間性の時代、即ち時代性の時代になると
もぐら通信
もぐら通信 15
ページ

いつてゐて、ユダヤ人の文学との関係で時代性を捉へてゐる理由はユダヤ人の自負で
はなくといふ前提で、次のやうに発言する。

「安部 [時代性に関して]いまから百年前だったら、空間性の基準のほうがはるか
に強かったと思うんだ。どこの国でも、それがいま、時代性の基準というものがはる
かに強くなっている。(略)いま非常にユダヤ人作家の作品が大きな比重を占めてい
るでしょう。これは偶然じゃないと思うんだよ、ぼくは。やっぱり時代が求めている
ものを、ユダヤ人が一番敏感にとらえ得たということなんだよ。そこにユダヤ人の、
あるいは自負があるかもしれない。しかし、それは大したものじゃないと思う。そう
じゃなくて、やはり時代性というものんをキャッチするアンテナをもっていたという
ことだ。」

ここから議論は、安部公房の此の発言を受けてネーサンのいふ、だからアメリカ人の
作家もまたユダヤ人の作家と同様に、それぞれの人種や民族的な歴史的制約によつて
生まれる自負を離れて、それとは別に作家の置かれてゐる場所がアメリカといふ「国
家の外におかれている」という点では同じなのだといふことに、安部公房は同意した
上で、次の概念連鎖について語るのです。

ー時代性ー国家ー伝統ー

これに今までの連鎖を追加すると、

ー[時代・時代性]ー人間ー文学ー国家ー伝統ー

ここで、わたしたちは過去の連載で知つた安部公房の伝統概念を思ひ出して次の発言
を理解することになる。ここに共産主義者のトロツキーといふユダヤ人の名前が出て
来るのは、ソ連といふ共産主義国家もまたアメリカといふ資本主義国家の典型と比較
対照して、共産主義もまた同じ俎上に載せて論ずるためであり、安部公房の上の概念
連鎖を同じ平面で第二次世界大戦後の世界を、作家個人を基軸にして論ずることがで
きるからである。

4。現代性と時代性:modern timesとcontemporary spaces

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 16
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(17)
コレクション

岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 ページ 17

このコレクションといふ題名の元に書かれてゐるものは、カタログについてです。

図録と日本語でいふべきものですが、しかし図録ではなくコレクションと、横文字か
ら来たカタカナで書きたかつたのには、やはり理由があることでせう。図録では何か
既にあるものの再録であり、既に分類され整理されたものを写したといふ感じがあり
ますが、安部公房のコレクションはもつと生理的に、その都度その瞬間瞬間に「飢え
や渇きの衝動に似たところがあり、本人にははっきりとは説明できないことが珍しく
ないよう」である欲求なのです。
そして「カタログのマニヤは必ずしも」「実用的な動機をもっているとは限らな
い」のだ。安部公房は其の類の例として、

1。まったく泳げないくせに潜水具の仕様書を集めてみるコレクター
2。世界の拷問具の図鑑の蒐集に熱中する銀行員であるコレクター

この二例を挙げてゐる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ18

なぜ私が安部公房そつくりな論理で変な人間をよく想像するのかは、これは若い時か
らのことで、だから私は、そして多分安部公房の読者であるあなたも、次のやうな理
屈のある人間の実在を思つてみるのであつた。

3。聖書を一度も読んだことのない信仰篤きキリスト教徒、とか、
4。安部公房全集を持つてゐながら一度も其の中の作品を一度も読んだことのない安
部公房の愛読者、とか、
5。いつも一番ビリなのに自分が一番だと信じこんでゐるマラソン・ランナー、と
か、
6。自動車が大好きで運転免許証を手にしたのに全然自動車に乗らないで歩いてばか
りゐる男、とか、

特に上記6の場合ならば世間では、ペーパー・ドライバーと呼ばれてゐるわけだが、要
するに上記の3から6まであるやうな論理でカタログを蒐集する人間を、安部公房は
ペーパー・コレクターと呼んでゐて、自分は「毎月三冊もカメラ雑誌に目をとおす」、
実用をすつかり離れたペーパー・コレクターだといつてゐる。トーマス・マンは小説
を書く銀行員といふ例を挙げてゐる。これはペーパー銀行員なのかペーパー作家なの
か。

なぜカメラが好きかといふと、いや、カメラ自体よりも「本当に関心をもつのはもっ
ぱら新製品のテストや紹介記事と広告のページなのだ。ぼくにとってカメラ雑誌も一
種のカタログ雑誌らしい」のであるといふことなので、安部公房のいふ此のカタロ
グ・コレクターとは、実用から離陸した、空中に浮いてゐるーといふと何だか「飛ぶ
男」を想像するのと同じ形象であるがー、その同じ形象の現物を実際に買つて所有す
るのではなく、だから所有欲なのでは全然なく、変なことばだが、ペーパー所有する
ことによつて対象に「飢えや渇きの衝動に似た」ものを覚ゑる蒐集家のこと、または
「飢えや渇きの衝動に似た」ものを覚ゑることがペーパー・所有にある蒐集家のこと
をカタログ・コレクターといふのである。

安部公房は自動車が好きであつた。だから、いや、自動車の所有が目的なのではな
く、自分はカタログ・コレクターだから、ジープといふ型の自動車のカタログをみる
のが好きなだけなのだといふのが、本来の此の作家の非所有且つ形象蒐集のマニアッ
クな精神である筈なのに、最後の段落で、安部公房は自分で実際にジープを買つてし
まつたことと買つてしまつたジープの関係を正当化するために、かういふ理屈に安部
公房の少年の心が現れてゐると思ふし、男の子はみなかういふところがあるから、次
のやうに弁解じみた文章を書いてゐます。世間の大人はこれを本末転倒といふのです
が、トポロジーの作家安部公房ですから、それも赦されるのであります。

「執筆中の小説の主人公がジープに乗っているので、その辺りの感覚をつかむため
もぐら通信
もぐら通信 19
ページ

に、ぼくもジープを購入してみたわけだ。ジープにはそれ自体になにやらカタログめ
いたものがある。」

「執筆中の小説の主人公」とは『方舟さくら丸』の主人公のことで、小説の最初の方
に、東京新宿の百貨店の屋上と思しき場所から主人公が屋上で出あつて昆虫屋と仇名
を付けた男と一緒に郊外の主人公の造つた地下にある方舟へと高速道路をジープです
つ飛ばすところがある、その場面のことをいつてゐるのです。

安部公房の乗つてゐたジープはクライスラーのラングラーかチェロキーでした(全集
第29巻附録「贋月報29」、白石省吾氏(元讀賣新聞記者)へのインタ
ヴュー)」)。写真を掲げます。

安部公房は、このやうなペーパー・コレクターまたはカタログ・コレクターの或る種
の空想か想像に駆られた情熱を、フェティシズムと呼んでゐます。

「ジープにはそれ自体になにやらカタログめいたものがある」とは何をいつてゐるの
でせうか。ここにも安部公房らしいトポロジカルな内部と外部の等価交換の契機のあ
ることが、あなたには知られるでせう。ジープのカタログを蒐集し、一冊のカタログ
に複数のジープを見ることから、今度は一台のジープの中に複数のジープがあつて、
「ジープにはそれ自体になにやらカタログめいたものがある」といふからです。

安部公房のフェティシズムはどこに集中するかといふと、それは接続部で、女性なら
ば膝小僧(例:戯曲『友達』)で、その両膝の奥に両脚の接続部が闇に隠れてゐるか
らでせうし、物理的な此のジープの場合には前面の縦にあるヒダヒダのやうな 間の
縦縞の格子戸、といふか格子板の奥に闇を抱く 間が、作家の意識の集中する場所な
のです。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 20

ですから、既に論じた『都市を盗る』連作のうちの11番の「昨日のような今日」の
放熱・冷却施設の水平方向にヒダヒダの 間、12番の「自由時間」の写真にある駅構
内の手すりの縦の格子、13番の「分解された日常」の垂直にぶら下がつてゐる道路工
事器具専門店の幾つもある紐にぶら下がつた名札の並びなどが、このフェティシズム
のよくわかる例だといふことになります。安部公房の写真はみなフェティシズムであ
る。

それでは、「コレクター」と題した此の写真の場合には、一体何がジープの前面の縦
格子に相当するものがあるのかといへば、縦にではなく横になつた格子が垂直の棒の
やうになつて上から多分ぶら下がつてゐるものが、それに当たるのでせう。

山口果林著『安部公房とわたし』に次のイギリス製で紙で出来た、女優がボーニー
ちゃんと名付けた骸骨のモデルがある。

全集第30巻の表紙の裏にある安部公房による骨格の写真

蛇足ながら、コレクションと呼ばれる蒐集熱とフェティシズムの関係には、郵便切手
の例に典型的なやうに、何か遥か遠くにゐるものとの通信と意思疎通と、だからコ
ミュニケーションに関する確実な安心感と、そのコミュニケンーションを支へる基盤
となるシステム・体系に対する全き信頼がある。
コミュニケーションであるからには当然に等価交換がなされるわけで、作家によつ
て「新交通体系の提唱」がなされて(『カンガルー・ノート』)、軌道を切り替へら
れて支線から本線へと移動し、かうして主人公は最後には死の世界といふべき透明な
る世界へと、自分自身も透明人間になつて脱出する(『方舟さくら丸』の結末)。
もぐら通信
もぐら通信 ページ21
日本一極国家論(続篇)
古代帝國論 XI

岩田英哉

古代帝國論 XI:三種の神器とは何か(1)

三種の神器の由来は太平洋の三つのネシアに住んでゐる日本人の遠津祖、即ち遠い
港にゐるオヤまたは祖先である海洋民族との交流・行き来を前提にしてゐる。

三つのネシアの定義
三つのネシアとは、ポリネシア・ミクロネシア・メラネシアのことである。

三種の神器の定義
三種の神器は、日本列島の上で行はれた地・ツチの民と海の民との太古、即ち岩石
文明である石の文明と海洋文明の習合の産物である。
結局縄文時代とはアメとツチの民の習合の時代の総称である。この習合は、日本
列島の歴史の上で、悠久の時間の中で考へれば、同時に生まれたものであると考へ
ても差し支へがないと考へることができる。

[補足説明]
青森の三内丸山遺跡の古さと勾玉といふ習合の産物の出土が実証する通りに、一万
六千五百年前以前に最初の習合が行はれた。

天津神とは、三つのネシアから来日した海の民のことであり、国津神とは、天津神
の来日の前から日本列島の上に既に住んでゐたヌシと呼ばれる地・ツチの民のこと
である(例:フツ・ヌシのカミ)。この先住民であり既に土着の民は、三万年前に
日本列島の北と南が海退によつて海が引いて陸続きになつてゐた時代に列島にやつ
て来た人たちだと考へられる。ともに、日本列島の上では、いはゆる縄文人であ
る。このやうに、縄文人といふ概念が既に習合された人たちのことであり、縄文人
は習合された以上一つのまとまりある文化・cultureと文明・civilizationを持つてゐ
た。この文化・文明の本質は、日本語といふ言語の個別言語構造または文法構造に
従つて二重性・両義性・冗長性を備へてゐて、二十一世紀の今日に至る。ここまで
の私の考察によると、日本語は日本列島の上で、これらの習合の進 する過程で生
まれた日本人固有の言語であつて、海外に祖型を求めても無駄であると考へるもの
である。もし祖型があるとしたら、日本語と文法構造の同じである三つのネシアの
多数のー多分1000を超えるであらうー一つの島の言葉(これを以後「島言語」と呼
もぐら通信
もぐら通信 22
ページ

ぶことにする)の数ある中に、あるまとまりのある部族間ネットワークーこれは
島々を跨いで共有されてゐる考へられる其のー言語(これを「島嶼言語」と呼ぶこ
とにする)が日本語の祖型である蓋然性が非常に高いと私は考へる。島嶼言語に対
して更に、一次元上の島嶼間のネットワークに亘る言語(これを「島嶼間言語」と
以後呼ぶことにする)もあることだらう。

天津神即ち海の民の宇宙観は、古事記の冒頭にある三階層の高・天の原の世界、即
ち海の夜(第一層)と海の昼(第二層)の世界と象徴化された日本列島の世界(第
三層)である。これらの三階層の下に国津の世界、即ち時間の中にある私たちの日
常・現実の世界がある。これが日本人の世界観の全体の姿である。この国津の世界
に実際にあるのが、高・天が原であり、今も常陸国鹿嶋市にある高天が原が此れで
ある。これに対して、高・天の原の夜と昼の世界は、既に十八世紀に本居宣長がそ
の『古事記伝』で喝破したやうに時間が存在しない順序で、時間とは無関係に、神々
の立ち現れる世界である。既述のやうな習合といふ文脈で考へれば、時間の存在し
ない此の天津世界の三階層および時間の存在する現実の日本列島上の国津世界とい
ふ古事記冒頭に由来する此の由緒ある宇宙観または世界観は、アメとツチの民の文
明および文化の習合のために必要とし、また必要としたのみならず、さうではな
く、新しい文明・文化の創造のために最初の習合があつたといふべきです。それ以
降日本人には、縄文人ー既に縄文人自身が習合人ーであらうがなからうが、その後
日本列島に来る人種・民族・異言語話者は此の習合にみづから倣ふことになつた。

この習合といふ概念こそが、今に至るまでの日本人の根本的な性格であり固有の性
格である。この日本人といふ人種また民族の日本人らしさは、二重性・両義性・冗
長性といふ日本語の根本的な性格によりまた固有の性格によることは、『安部公房
とチョムスキー』『散文思索塾』および既述既論の『縄文紀元論』にて詳細に論じ
た通りです。この日本語の性格は、水陸の習合によつて成り立つたものである。こ
の習合の美しい姿は池坊の華道に生きてゐて今に至つてゐる。陸の花と水辺の花を
二つながら並べて活ける水陸といふ華道の様式があるのです。
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もぐら通信 ページ23

このやうな生花をみるとよくわかるやうに、習合とは、やまと言葉でいへば、見立
て、のことです。従ひ、次の実に平易な習合の定義を得る。

習合の定義1
習合とは、見立てのことである。

以上これまでの考察に基づき、天皇家の三種の神器の意味は次のやうなものとな
る。一言でいへば、三種の神器とは海の民(天・アメの民)と地・ツチの民の太古
の習合の証・あかしであり、明石である。アカシとはアカ・石ですから、石を磐座
と思つてくださつてもよいし、象徴的な私たち日本人の歴史の道の道標としての石
と思つてゐてもよい。明(あか)き心があれば、明き石もあるのです。八咫鏡も八
尺瓊の勾玉も草薙の剣もすべて、海と陸の民の習合のアカシである。アカシとは、
明石であり証である。そのやうな見立てをして一見相反する二項対立を一つにする
こと、それが、私たちの、やまとこころだ。

1。八咫の鏡とは何か
八咫鏡は、海洋を船で正しい目的地に到達するために海の民、即ち海洋民族が使つ
てゐる、緯度を計測するための羅針盤である神器です。これがツチのタミを習合し
て鏡となつた。カカ・見と漢字の意味をやまとことばに分解すれば、星の中の星を
見るための道具といふ意味です。

2。八尺瓊の勾玉とは何か
八尺瓊の勾玉とは、遠津祖である三つのネシアで今も一人一人を首飾つて来たロア
と呼ばれる鎮魂と祈りのタマの習合神器である。

[補足説明]
ロアもまた二つのロアで一対であるコト・タマであるかもしれないが、ロアの働き
については研究を要する。

3。草薙の剣とは何か
草薙の剣は、海の民が漁労に使ふタモが鉄器の刀身に変じて、地・ツチの民の文化
との融合を表した、自然の波風や火事や嵐などの猛威・脅威を鎮める神器である。

[補足説明]
これも既述の通り、竿のついてゐるタモは同時に北斗七星を目当てにして船の位置
を測定する神器であつた。あるいは、月に向けて月を目当てに夜の海上を航行する
lunar navigationの神器であつたかも知れない。神器である由縁は、船の上に月読
みの命または月読みのカミが同乗してゐたからです。それは水子・カコが兼務した
ゐたことでせう。単なるカコなのではなく、今風にいふならば有資格者としてのカ
コ即ち船乗りです。だから、月読みのカミの任務または使命は、気象をみることの
もぐら通信
もぐら通信 24
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ほかに、安全な航路を選ぶこともあつたのです。

三種の神器のお互ひの関係について
このやうに、三種の神器は、たとへば3の草薙剣は1の八咫の鏡と深い関係があり、
さうであれば、2の八尺瓊の勾玉もまた船の上にまで身につけて首飾りとし、何故な
らさうすれば作業の邪魔にならないからであり、海の上にあつて常に海で死んだ友
人・知己・家族の一員を弔ひ、従ひ鎮魂し、また己の海路の平安をも、ともに祈る
神器であつたし、今も三つのネシアでさうである。とふことになります。

私の親戚に漁師の一族がゐた。子供の時に母に手を引かれて其の家を訪ねると赤銅
色をした男の四人兄弟たちのうち最初に長兄があるときゐなくなり、次に尋ねると
弟の一人が、次に尋ねると三人目の死者がゐて、家の中に姿が見えないのであつ
た。四人目の末つ子は、やはり赤銅色の顔をしたまま陸・オカに上がつてタクシー
の運転手に職を転じたので死なずに済んだ。もつとも天寿を全うするとは何か?で
あるが。朝まだ暗いうちに出港して、帰還が予定通りでなければ、死んだといふこ
とを、家を訪ねるといつも長椅子の上にゐた赤銅色の顔をした小さな母親と口数の
少ないこれも真つ黒な父親も共に息子たちの死を、誰が告げるともなく了解しなけ
ればならないのである。遺体も戻つては来ない。こんな、生死を毎日通過するやう
な生活は陸・オカの人間には理解ができないであらう。武士以外には。武士が関東
から生まれたといふことには此のやうな出生があるだらう。
それでも人間は漁労に出たい漁(すなど)りしたいと水平線の果てにまで存在し
て生きて動いて止まぬ海と寄せ来る波を前にして砂浜に立つと、水平線の果てまで
行つてみたいと、水平線の向かうまで行つてみたいと、さう思ふものなのである。
私が此処に余計な話を挟むのは、私の親族のみならず、平時であれ戦時であれ、数
えきれない海で死んだ者たちへの鎮魂と祈りの思ひからである。

安部公房の最後の長編小説『カンガルー・ノート』には縄文人と呼ばれる男が、ベ
タの地の文の中に出てきて、特別な括弧書きなどなく普通の男として主人公と会話
をしてゐる。この男は、自分の先祖は大和民族「以前」から日本列島にゐる家系
で、俺はその末裔だと自称してゐる男である。縄文人である男はいふ、

「どうだい、この脛毛、おれの先祖はたぶん縄文人なんだよ。万葉集にも出てくる
毛人ってやつさ。大和族なんかよりもずっと古くから日本に住み着いている、名門
の出なんだよ。」(全集29巻、163ページ上段)

安部公房といふ作家の興味と関心の範囲が余りに広いので、到頭こんなところまで
来てしまつた。わたしはかういふことの全くの素人であり、門外漢であるといふの
に。そんなことを言つたら、安部公房も門外漢、安部公房用語でいへば、異端であ
る。
もぐら通信
もぐら通信 ページ25

安部公房の数あるエッセイのうちの言語論を読み、また最晩年の箱根の仕事場の山
荘に引き籠つて、多分死後読まれることを念頭に置いて書き連ねた『もぐら日記』
の言語論を読むと、どうも安部公房は日本語は日本列島の上で生まれた全く独自の
孤立した言語であるクレオール語だといひたいのだと察せられる。さうは明言はし
てゐないが。

わたしもクレオール語について調べてみたが、このクレオールといふ言葉はやはり
植民地主義による収奪下でカリブ海や太平洋の島々の人間たちが自分の命を守るた
めに創造した言語であつて、決して前向きに肯定的に何かと何かの異文化同士が接
触し交流したことから自然に生まれた言語ではない。確かに自然に生まれたが其の
環境条件が苛烈を極める。外部から其の島に奴隷として連れてこられた黒人だとか
他の人種が混つて、あるいは黒人同士でもまた部族が違ひ言葉が違つてゐたといふ
ことがあるだらう。だから、土着の土地を奪われて、生きるために植民地主義の苛
烈な坩堝の中で生まれた言葉である。安部公房が着目し又は手段としたのは、クレ
オール語をめぐつての次の二つのことです。

1。親たちの元々の母国・祖国の言葉とは違ふ文法構造を備へた言葉を共有してそれ
ぞれの二代目の子供達は新しい言語を自然に生み出してゐること。これがクレオー
ル語と安部公房の呼ぶものである。しかし安部公房のクレオール語といふ言葉から
は苛烈な民地主義の色は脱色されてゐて、もつと議論の俎上にニュートラルに公正
に載せられる準備がしてある。
2。チョムスキーの変形生成文法、ローレンツの動物行動学、そして若い時からの関
心事であるパブロフの条件反射説、この三つの学術的・科学的知識に基づいて言語
の本質を考察し、その実現例としてクレオール語を考へること。そして、一言もさ
うだといつてゐないが、密かに日本語はクレオール語だと考へてゐたこと。

クレオールといふ言葉は、その植民地主義の臭ひから、私たち日本列島の島の住民
には相応しくないので、習合といふ言葉を使つて、日本語は「習合言語」だと以後
いふことにします。そこで位相幾何学的な定義を書いてをく。

習合の定義2
習合とは、両端の接続関係を一捻りしてメビウスの環を結ぶことである。

結びの定義
結びとはメビウスの環をつくることである。
もぐら通信
もぐら通信 ページ26

古代帝國論 XI:三種の神器とは何か(2)

岩田英哉

既に三種の神器とは何かといふことを一つ一つの神器について解説をしました
が、ロア・勾玉仮説を立ててみると、ここまでの考察に至つてもう少し其の箇所
よりも具体的な解説ができるやうになつたので、標記の論を最初に置いて、また
これまでの考察にも依拠しながら、三種の神器といふ概念を定義したい。

三種の神器とは何か

【結論】
三種の神器とは、いづれも海の民と地・ツチの民の集合の産物であり象徴であ
る。これが三種の神器の概念である。個別の定義は以下の通り。

三種の神器の由来は、太平洋の三つのネシアに住んでゐる日本人の遠津祖である
縄文日本人といはうか、要するに遠津祖と、それから海の民が最初に来日した太
古・往古に既に早ければ三万年前から日本列島に住んでゐたので海の民がヌシと
呼ぶ以外にはなかつた先住民(例:フツ・ヌシ・の・カミ、その後は其の土地・
Land・国に行つてみたら既にそこにゐた大国・ヌシ・の・カミなどなど)との交
流・行き来を前提にしてゐる。重複を厭はず定義を再掲する。

三種の神器の定義
三種の神器は、日本列島の上で行はれた地・ツチの民と海の民の太古、縄文時代
の習合の産物である。この習合、日本列島の歴史の上で、悠久の時間の中で考へ
れば、同時に生まれたものであると考へられる。

[補足説明]
青森の三内丸山遺跡の古さと勾玉の出土が実証する通りに、一万六千五百年前以
前に最初の習合が行はれた。
神武天皇の御言葉によれば、自分の前の海の民たる遠津親の皇位継承の歴史即
ちスメラ・ミコトの代々の歴史の時間の長さは、日本書紀によれば海亀暦による
計算によると「自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲」といふこと
ですので、今のカトリック教会によるグレゴーリウス暦の計算で896,235年の歳が
神武「以前」に神武天皇はあると言つてゐるので、一万六千五百年前以前に日本
列島と三つのネシアの間に交流があつても少しも不思議ではない。
もぐら通信
もぐら通信 ページ27

また、天津神とは、三つのネシアから来日した海の民のことであり、国津神と
は、天津神の来日の前から日本列島の上に住んでゐたヌシと呼ばれる者の治めて
ゐた地・ツチの民のことである。ともに、日本列島の上では、いはゆる今私たち
のいふ縄文人である。縄文人自身が習合の産物であり、ですから縄文人もまた習
合人なのです。つまり、今の二十一世紀に生きる私たち日本人は、その後の歴史
の示す通りの様々な習合も含めて、習合人なのであり、今の私たちが習合人であ
るならば、私たちは依然として縄文人なのである。

この縄文人の海外との交流即ち行き来の範囲は、既に示したマレー語が公用語と
して使はれてゐる適用範囲をも考慮に入れて、三つのネシアの他に、この三つのネ
シアの西隣、即ちメラネシアの西端のニューギニアを含めて此の重複する島から
西側の島々を総称し(例:フィリピン群島・ボルネオ島・スマトラ島・ジャワ島・
台湾など)、マレー半島といふ半島までも含めて、この論考では「第四のネシ
ア」と便宜上呼ぶことにします。あるいは、「西のネシア」と呼んでも良いかも
しれない。
ここで蛇足ながら、私のいつも怪 に思ふことは、いつも文物は大陸から日本
列島に入つて来るといふ論だけが横行してゐることです。論理的に考へれば、入
るならば出てゆくわけで、このことは物理的な世界に限らない。従ひ、日本列島
から出ていく文物も当然輸入の価値と比較して等価であるわけです。山田長政と
いふ名前が象徴的なやうに、習合人である縄文人が海外に出てゆくことは、海の
民である以上は当然に考察の根拠の重要な一つの柱であるべきものです。

さて、第四のネシアはマレー語を公用語とするといふこと、即ち西欧米の人間た
ちが入つて来る前の時代に西欧米の言葉ではなく、現地マレー半島の人々も含
み、このマレー語の適用範囲に、何か一つの文明圏があつたし今もあると想定す
ることができます。言語が其の範囲に普及して共通語となつてゐるのですから、
古代ローマ帝國のラテン語が帝國が共通語として、多神教の宗教の基礎の上に、
其のあとはキリスト教といふ一神教の上に、帝國を築いたやうに、海陸を問は
ず、これは人間の問題ですから、この海域に於いてもマレー語による古代帝國が
あつたと仮定して論を進めることはおかしなことではない。何か論理上の矛盾が
生じるまで此の仮定で論を進めます。そして、このマレー語の適用範囲は、ニュー
ギニアを共有の島として、その東に広がる三つのネシアとは明らかに分かれてゐ
た。即ち、マレー語の帝國の領域と三つのネシアは文化が異なつてゐた。もし三
つのネシアに共通の宗教があつて島嶼国家があり其処にCentral Islandがあれば、
その領域は文明と呼ぶことができ、この場合、三つのネシアがさうなのか、二つ
のネシアがさうなのか、一つのネシアだけがさうなのかは検討に値します。理屈
の上ではどの場合もあり得る。

さて、しかし、いづれにせよ、日本列島にやつて来た天津神即ち海の民の宇宙観
もぐら通信
もぐら通信 ページ28

は、古事記の冒頭にある三階層の高・天の原の世界、即ち海の夜(第一層)と海
の昼(第二層)の世界と、象徴化され仏教用語でいふなら荘厳された、やまとこ
とばでいふなら褒め称へられた日本列島の世界(第三層)である。これらの下の
階層に国津の世界、即ち時間の中にある私たちの日常・現実の世界がある。これ
が日本人の世界観の全体の姿である。

さうして、私がこれらのことを考察してゐてフト気づいたことは、神話の生まれる
世界のことです。それは、

神話は、無文字世界で生まれたものだ

といふことです。

神話は文字を無用とした世界で生まれた御話しである

といふことです。即ち、

神話は文字を無用とした世界で生まれた御話しであるので、話されれば今其の時
只今の此処で起きてゐる話として話を聴く聴衆は聴いてゐたといふことであり、
もし同じ神話を現代の今聴くならば、その事情は日本語の話法・mode・モードの
言語規則によつて同じである

といふことなのです。

だから、文明には文字との関係では、

(1)無文字文明
(2)有文字文明

この二つの文明があるといふことです。

文字のある世界で神話が生まれたのではない。順序は逆で、今の私たちは活字と
文字に慣れすぎてゐて本来の文字と人間と無文字の関係を忘れてゐる。
日本の歴史上このことに意識的に着目した最初の、いや、二人目の日本人が本
居宣長であり、三人目の日本人が『本居宣長』を著した小林秀雄である。それで
は、一人目の日本人は誰であつたかといふと、いふまでもなく太安麻呂です。し
かし太安麻呂と無文字世界を深く共有してゐた者がもう一人ゐて、それが 田阿
礼である。それでは 田阿礼とは如何なる者であつたかを篠遠嘉彦・荒俣宏著
もぐら通信
もぐら通信 ページ29

『楽園考古学』(平凡社ライブラリー)より引用します。
この著作の論の対象は、三つのネシアのうちのポリネシアです。篠遠(しの
と)さんといふ此のポリネシアの専門家、それも指標としての釣針を分類して釣
針の柄の形で製作された時代を編年体で特定することを発見した此の方面での世
界的な研究者は、今私が問題にしてゐるやうな日本とポリネシアとの関係といふ
ことは全く念頭にないことから逆に先入観がなく、専ら釣り針を発掘して探し出
すといふポリネシアに関する経験談をしてくれる余談といふべき話の中に私の関
心に応へてくれる情報と知識が隠れてゐたり現れたりしてゐます。つまり、無文字
世界と 田阿礼の関係に関する経験談は次の如きものです。これが引用の前半。
後半には、わたしの述べて来た、なぜ古事記の冒頭の神々の名前が二重構造にな
つてゐるのか其の実際の姿、姿といふのは部族社会としてさうなつてゐるといふ
ことの実例を体験談として語つてゐます。篠遠さんといふ方のいつてゐる首長とい
ふ言葉は、複数の部族長の上位者であると私は考へます。
そして、この首長の元に治められる部族長たちの言葉と其の下にゐる各部族の
普通の人々の言葉の異なるといふ関係が此のまま日本語の文法構造の、チョムス
キーの不思議に思つた日本語の冗長性・redundancyの生まれたことの回答になつ
てゐる。
このポリネシア人の部族の例をみると、やはり少しも日本語に和訳した冗長性
などでは全然なく、部族の人々が生きるために必要とした部族の、といふより
も、世界の仕組みであると考へるべきです。なぜなら言語は其の言語を共有する
人々の宇宙観であるからです。
私は此の文章を書いてゐる時点でポリネシア諸語を知りませんので、もしポリ
ネシア諸語に日本語と同じ冗長性、といふよりも、一つのことに二重の意味がか
けられてゐて、一つの物事が二つに呼ばれてゐるならば、先に挙げた文明の伝搬の
五つの指標、即ち、

1。言語
2。ヒト
3。文物
4。地勢および地形図◎
5。経度・緯度◎

このうちの1の言語の問題が解決するので、2のヒトの問題は遺伝子調査によつ
て、3の文物は生活様式をみることによつて、日本との関係を明らかにすることが
できます。
同じ方法をミクロネシアとメラネシアおよび第四のネシアにも適用することが
できる。あとは、4の地勢および地形図を読み其処に火山と火口があるかカルデラ
があるか勾配の急な川があるかをみるとよい。すべては縄文人である日本人の遠
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

津祖を探すためです。
ここで中臣の大祓への第一行の「高・天の原に神留(かみづま)りまします、
皇(スメラ)が親(ムツ)、カムロギ・カムロミのミコトもちて」とありますの
で、遠津祖または遠津親といふ文字を当てがつた本来のやまとことばの読みには
二つあることが此処でも判ります。一つはオヤと呼ばれる祖であり、二つはムツ
と呼ばれる親である。即ち、後者のムツは前者のオヤに比較して、祖の中でも一
層にムツまじき親であるといふことが、現代日本語の語感でも知ることができ
る。即ち、ムツといふ親は、直接今の天皇といふ御存在の直接の祖先の親のこと
であり、その周囲にさぶらふ遠津祖が祖といふ文字で表示されてオヤと呼ばれる
祖先である。だから、遠津祖と表記したのは、高・天の原の遠い港にゐる祖先の
集合を言ひあらわしてゐるのに対して、もし遠津親と書くならば、スメラ・ミコ
トの直系の血縁の祖先のムツといふムツまじいといふ睦でもある親といふ意味な
のです。ですから、この日本で最も最古の祝詞は、日本列島に到着する以前の海
の民の世界の由来を述べてをり、その古さは神武天皇の御言葉通りに、海亀歴で
は、「自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲」といふことになる。

5の経度・緯度については海流と日本列島までの距離および島嶼連鎖をみることに
よつて既に日本列島への伝播の問題は、三つのネシアと第四のネシア(これらを
総称して以後「四つのネシア」と呼ぶことにします)の赤道の緯度0と其の赤道線
の北と南の経度および水平方向の緯度をみることで解決してゐます。(以下傍線
は引用者)

「荒俣 [ポリネシアでは]文字がない生活をずっと続けていたから、人びとは
記憶力がいいといわれますが、そういうことについてはどうですか。」
篠遠 たしかに記憶力はじつにいいです。さきほどのお話のように、私がマルケサ
スに二十何年ぶりに帰ったときにもみんなが覚えていたし、それからポリネシア
人というのは、雄弁家というか、とにかくしゃべるのがうまいですよ。
荒俣 ジョークをはじめとして。
篠遠 教会の説教を聞いても、演説を聞いても、じつにうまいですね。そのう
え、天才的にすべてを頭に入れることができるような子どもを選んで、自分たち
の伝承を教えていたんですからね。日本にも語り部というのがありましたが。
荒俣 ハワイの伝説にしても、かなりくっきりと伝わっていたんでしょうね。
篠遠 そうとう伝わっていたと思います。今でも、なるほど文字のなかったポリ
ネシア人はまだその伝統を持っているなという気がします。
荒俣 一〇〇〇年ぐらい経っても、なおかつ自分たちがどこから来たかというの
がちゃんとわかっているのは、たいへんなものですよね。逆に、文字がはいって
きて使うようになってから、新しく出てきた問題のようなものはないでしょう
か。
篠遠 問題かどうかはわかりませんけれど、ポリネシアには首長の話す言葉、首
もぐら通信
もぐら通信 ページ31

長たちに話す言葉と一般の人の話す言葉との二通りの言葉があったんです。一般
人が首長にしゃべる言葉は、日本の敬語と同じで別だったんですね。それが宣教
師がはいってきて社会組織が変わり、宗教が変わっていく間に、そのシステムが
崩れていったんです。ですから一つのことに関する単語が、だいたい二つずつ
あった。それが今、みんなごちゃごちゃになっちゃっているんです。」(同書230
ページ)

西欧の白人種もカトリックといふ宗教も宣教師も、日本にやつて来た時もさうで
あつたが、この話を聞くと実に罪深い人種であり宗教であり坊主どもである。
しかし、日本の場合には漢字といふ文字の輸入と其の使用法の原則を太安麻呂
が定めたことで、このポリネシアの部族世界と同じく言語上は二重世界であつた
日本語の古代語の世界が暗号化され封印されて白人種・キリスト教・宣教師とい
ふ外来種の人種・宗教・教義といふ毒ある外気に触れて汚染されることなく一千
年間いはば浦島太郎の玉手箱の中に手付かずに保管・保存されてゐて、十八世紀
になつて本居宣長によつて解読された、その確たる端緒が日本人自身に向かつて
開かれたといふ歴史的事実に私たちは感謝すべきではないのだらうか。これが天
武天皇治世下で成し遂げた太安麻呂と 田阿礼の偉業です。 田阿礼の年齢は子
どもの年齢から成人した大人までの年齢の幅を想像することがゆるされる。ポリ
ネシアの例にならつて、日本でもそのやうな天才的な記憶力を有する子どもを選
抜し育てる制度があつたと考へるべきです。
そして、お日様をお日様と呼ぶのが一般の人々であるのに対して、これを別の
名前即ちカミの名前で(例:アマテラス・オオ・ミ・カミなどなど)お互ひに者
の名前も物の名前も呼ぶのが首長たち族長の層の言葉での互ひの呼びかたであつ
たと以上の引用から私は推理します。カミはヒトなのです。篠遠さんみづからい
ふ通りに、

「篠遠 ですから私なんかは語学はぜんぜんだめだけれども、それでも首長の言
葉のいいまわしというのをお年寄りに習っていたからそれを使うと、島の老人が
「おまえ、なんでそんな言い方を知っているんだ」と聞くんです。
荒俣 タヒチでもそうですか、やっぱり。
篠遠 サモアやトンガなどでは、今でも昔の言い方が残っているようですが。
荒俣 サモアやトンガというのは、いろんな儀式が残っているというお話をうか
がいましたけれども、儀式だけじゃなくて、言葉の使い分けもまだあるんです
ね。ということはサモア、トンガというのはそういうことを研究するためには、
まだいいフィールドだということですね。
篠遠 そうですね。今はどんどん変わっているらしいですけれども、それでもま
だそういったしきたりと伝統は残っていますね。」(同書231ページ)

課題
もぐら通信
もぐら通信 ページ32

ポリネシア諸語と日本語の文法構造を比較すること。もしポリネシア語が日本語
の文法と同じ構造を持つてゐるとしたら、日本語がさうであるやうに、過去と現
在を識別することのない話法を持つてゐる筈です。即ち神話の無文字の世界の話
が 田阿礼の口から話されると神話の話が現在の話となり只今此の現在この時こ
の場所に生きてゐるといふ話法を持つてゐる筈です。西欧型の語族のやうには動
詞の過去形の音を変音させて非現実話法・conjunctive・接続法をの形式の話法を
持つてゐないといふことです。といふことなれば、逆に日本語からポリネシア諸
語を日本語の基準・規準で測ることができて、複数の祖語の範囲を特定できるこ
とになる。祖語といふオヤの言葉のみならず、ムツといふ親語も特定できるかも
しれない。

以上を今後の課題とします。

さて、この推論が正しいと仮定・仮説すると、日本語の文法構造は、このやうな
海の民の二階層の構造と部族生活を当然ながらそのまま日本列島に持ち込んで、
地・ツチの民と習合を果たしたといふことになる。この場合の習合とは、従ひ、
このやうに言語の習合と部族社会の習俗の習合と併せて一つになつて行はれたと
いふことである。といふことは、日本語とふ言語はやはり日本列島の上で誕生し
た。だから、海外に日本語の単一の原型・祖語を求めても無駄であり、虚しきこ
とである。日本人は日本語に再帰的にみづからに帰属する日本語族なのです。

日本語の世界に外から来る外来種の文物は言語も含めてすべて、従ひ、日本語の
固有性である習合といふ二重性を備へた言語特性によつて変形されてしまふ。上
記の習合の定義1によれば、外から来たものはみな見立てとなる。即ち和魂洋才式
に二重になつて、今風にいへば日本人の身につけるコスプレになつてしまふ。だ
から、時間が遥か縄文時代に り、更に空間がポリネシアに降つても、首長たち
のカミ・カミの世界は変はらず、普通の民のヒト・ヒトの世界も変はらない。

それではミコトとは何かといふことになるが、中臣の大祓への冒頭の数行を読む
と、ミコトとは高・天の原から降つて国津である日本列島にやつて来るスメラが
ムツ(親といふ文字を当ててゐる)であるカムロ・岐およびカムロ・美のミコト
を以ちて、とあるので、カムロ・岐およびカムロ・美が天皇の親である。といふ
ことになり、岐・キは男子、美・ミは女子であるがカムロとはおかつぱ頭の性の
未分化の分化以前のこども二人といふ意味であり、ともに此の時には男女を問わ
ずに性未分化の童子・童女はおかっぱ頭をする習俗があつたと考へることができ
るので、かういふ習俗・風習のある島がポリネシアにあれば、そこは遠津親・と
ほつムツの島の一つであるといふことになる。遠津祖をトホツ・オヤと読んでみ
て、皇(すめら)がムツのムツが親の文字で当たるのであれば、これはトホツ・
ムツと読めば、遠い港にゐる天皇陛下の親・ムツ、即ち直系の血縁の一族の先祖
といふ意味になります。ここでも親の文字はオヤと読めば広義の祖先・先祖、ム
もぐら通信
もぐら通信 ページ33

ツと読めば祖先・先祖の中でも血縁である天皇の世襲の親といふ意味になつてゐ
る。太安麻呂は、親といふ漢字と祖といふ漢字の字義を、やまとことばとの関係
で使ひわけたといふことになります。古事記は実に慎重に意味を切り分けて、即
ち分類されて書かれてゐる。

篠遠氏によれば、首長の地位は世襲であり、その補佐する立場にゐる人について
は族長の一員であらうが普通の人であらうが、次のやうにいつてゐる。私は社
会・societyといふ用語を意図的に使用を避けて来たが、このやうな海の民の島嶼
の世界では此の資本主義・民主主義用語、即ち近代・現代西欧型近代国家諸国を
説明する用語は通用しないし、使用が害をもたらして、ものごとを公平・公正に
虚心坦懐にみることの邪魔になるからである。

さて、遠津なる親と書くとして親の漢字の読み方が、中臣の大祓への冒頭にある
通りにムツと読むとの指定があれば、これは広義のオヤなのではなく、直系とい
ふ意味の狭義のムツなのであれば、この大祓への祝詞自体が、天皇家の一族が三
つのネシアでも、これまで見て来たポリネシアの文化的性格を共有する島々から
有力な首長の氏族を従へて日本列島に天降つたといふことを意味することになり
ます。確かに文字として残つてゐる最古の資料が中臣氏の此の大祓へである。

さて、それならば、その冒頭一行目にある、

『岐・キは男子、美・ミは女子であるがカムロとはおかつぱ頭の性の未分化の分
化以前のこども二人」の「ミコトを以ちて」

とは、如何なる、それでは意味になるかといへば、

(1)この二人の中性のわらべから儀式上、高・天の原の御言を発令して「八百万
の神等」(やほよろづのかみたち)を集会させて「神集(かむつど)へ集へ賜ひ
神議(かむはか)り議り賜ひて」神々の衆議一決して、「我皇御孫」(わがすめ
みま)の命・ミコトは、豊葦原瑞穂の國へと天降る。…………【A】
この場合、「我皇御孫」(わがすめみま)といつてゐるので、発話者は天照大
神である。だから、この中臣の大祓へを唱へる神職の方はみづからが天照大神に
なつて発声してゐるといふことになります。
これに対してもう一つの解釈は、上記のミコトが二人の童子・童女の御言であ
つて且つ御事、即ちこのやうな事をしなさいといふ神々の集議の命令であるとい
ふ理解であるのに対して、

(2)このミコトが「我皇御孫」(わがすめみま)の命・ミコト、即ち瓊瓊杵尊に
係るといふ解釈も有り得るので、さうであれば、直接高・天の原の詔勅であるミ
もぐら通信
もぐら通信 34
ページ

コト・御言・御事を手にして瓊瓊杵尊は國津の世界に天降つたといふことになりま
す。…………【B】

この場合も、神職の方は、天照大神に御成りになつて祝詞を朗誦する。これによつて
【A】の場合も【B】の場合もともに、高・天の原での・からのコトの次第を國津の世界
で再現し、ここに高・天の原の式次第と実際の様を、毎度毎度大祓へを朗詠するごとに、
現出せしめてゐることになります。既に述べた通り、日本語には過去と現在の識別・区
別がないので、常に高・天の原は現在のコト、即ち《中今》として再現されます。

この篠遠さんといふ学者は釣針の専門家なので、言語や生活様式自体の研究家ではあり
ませんので、上述のやうな類推を働かせて、日本の古式も古式、太古式を想像する以外
には此の著作にはなかなかないのですが、それでも話の端々に非常に興味深い、現代の
私たちの意識と生活にも直接響くやうな島嶼ポリネシアのことが出て来ます。これらの
話を総合すると、ポリネシアに限らず、三つのネシアまたは四つのネシアを日本との関
係で探究するには、次の四つの指標を以て共通の指標として共通項を探り、日本文化・
日本文明との比較をして遠津親(遠津ムツ)と遠津祖(遠津オヤ)の特定をするのがよ
いし、正攻法だといふことになります。この遠津オヤと遠津ムツの分類を平安時代に編
纂された『新 姓氏録』の分類と併せてみれば、奈良での神武天皇のやまと朝廷のあり
方と関東にある大倭日高見国の分類と、更にはポリネシアの首長・氏族長の分類を詳し
くすれば、これら三つの関係を首尾一貫性をもつて二十一世紀の今に理解することがで
きます。

(1)土器
(2)釣針
(3)カヌー
(4)言語

以下、上記四つの指標に関して、読んで該当するところを引用して示します。環太平洋
造山帯火山帯文明帯で上記に代表される指標を研究する学問を著者は「太平洋考古学」
と呼んでゐます。日本の縄文土器・縄文土偶その他の発掘遺物の研究は、太平洋考古学
の一部だといふことになります。太平洋考古学、これが縄文研究の見晴らしの良い全体
の眺望の名前です。わたしならば、Land Rimも対象となるので「環太平洋考古学」と呼
びたいところです。

1。土偶と土器
1.1 土偶
この項目には日本列島を念頭に措くと土器と一緒に土偶も含まれます。といひますの
は、日本列島に見つかる土偶のうちの刺青のある土偶は、そのままポリネシア人の刺青
の姿そのものではないかと考へられるからです。ポリネシア人に限らず、もし刺青が第
四のネシアにもあるならば第四のネシアを入れて、四つのネシアを対象にして其の人た
もぐら通信
もぐら通信 ページ35

ちを対象にして其の人たちの由来を絞り込むことが大事だらうと思ふわけです。
たとへば、遮光器土偶などといふいい加減な名前をつけられて多分大いに迷惑
してゐる土偶などは、あの目の周囲の隈・クマにしても、あれは刺青なのではな
いかと此の写真をみて私などは思ふのである。私の出 つた酷い命名に消火器型
土器などといふ名前があつて、私は腰を抜かした。縄文時代に消火器があるわけ
がないではないか。縄文時代の遺跡から遮光メガネや消化器が出て来たならば、
さういふ名前もゆるされるであらう。しかし、その形の意味が不明であるなら
ば、記号を暫定的につけてをくか、仮の名前であるといふ意味で一重鉤括弧で括
るのがよからうと思ふのである。そのための分類の体系は別に事前に用意してを
く。本格的な分類が完成したら其の準備のための補助的分類は捨てる。わたしな
らさうする。形象の意味を問ふべきです。さて、「遮光器」土偶の話です。
このやうな比定論・類似論の、特に三木成夫の用語「根原の類似」ので異領域
での間の比定・類比の適用に典型的なやうに、私の確信は類似に関する次の二つ
のことによつてゐます。

(1)藝術の領域にあつては人は写実を第一義として、後代・後世の人の目にはど
んなに奇妙なものに映つても、決して嘘をつかない。
(2)自然は嘘をつかない。自然を正直に虚心坦懐にみることによつて上記(1)
の写実に至る。

二つの類似を掲げます。

この類比が正しければ、ポリネシアのヌクヒバ島か其の島の近傍の島から宮城県
にヒトが来たといふことになるが如何か。下記の記述によれば、この島はマルケ
もぐら通信
もぐら通信 ページ36

サス諸島といふ島嶼の中の、わたしの命名による用語であるCentral Islandに当た
る島で、この島は火山島であり、滝があるので急峻な川もあるといふことにな
る。日本列島の自然によく類似の自然がある島です。

「ヌク・ヒバ島(Nuku Hiva)は、フランス領ポリネシアに属する島。マルケサ
ス諸島に属し、マルケサス諸島北部の主島であり、北部のみならずマルケサス諸
島全域の主島でもある。と同時に、火山島です。島の地図によれば、

概要
中心都市は南岸のタイオハエ。人口は2,660人(2007年)、面積は339平方キロ
メートルである。ヌク・ヒバ島はフランス領ポリネシアではタヒチ島に次いで2番
目に広い島である。ヌク・ヒバ島はマルケサス諸島の他島と同じく、周辺を寒流
が流れているためにサンゴ礁が存在せず、また火山島であることから地形が険し
くて標高が高く、最高峰は標高1,224メートルに達する。」(https://
ja.wikipedia.org/wiki/ヌク・ヒバ島)

「遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)は、縄文時代につくられた土偶の一タイ
プ。」といふのであれば(https://ja.wikipedia.org/wiki/遮光器土偶)、この土偶
もまたポリネシアのヌク・ヒバ島を含むマルケサス諸島の海の民が縄文後期に来
日して、今この土偶の発掘されて来た青森や岩手や宮城の遺跡の地で習合したと
考へることができる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ37

1.2 土器
さて、縄文土器については土偶と正反対の方向を考へねばならない。といふの
も、この著者によれば、縄文土器は日本列島に固有と断言して良いほどに年代の
古く ることのできるものであるので、日本列島の外で発見されたら、それは縄
文人が船で其の島々へと航海してゐたといふ明らかな証拠ではないかと考へられ
るからだとのことだからです。一番の問題は日本の考古学者が此の環太平洋造山
帯火山帯文明帯にある考古学的事実の一致に無関心で何の反応も示さないといふ
ことです。篠遠さんはさういつてゐる。「縄文土器は日本列島に固有と断言して
良いほどに年代の古く ることのできるものである」といふ事実について、日本
国内の考古学者は海外の動向に全く無知なのであらうか。似たものが海外で出た
ら比較するだらうに。これが私には理解できない。わたしなら即座に国際的な縄
文土器および土偶その他の出土品に関する国際協力機構を設立します。名前は、
国際環太平洋縄文文明研究協力機構。これは其のまま日本の文化を基礎にした国
際的な日本の政治・経済の活動を支援する日本国力強化組織になるでせう、結果
として「日本列島強靭化」に役立つでありませう。さて、一体ここで何が問題か
といふことの全般を知つてもらふために、以下に対談の少し長い引用をします。

「荒俣 おもしろいですね。そうすると日本もスペインも含めて、あのあたりを
航海していた人びとが偶発的にどういうふうにぶつかって、足跡を残したのかと
いうことの追跡が、今までにない形でやられれば、また世界のつながりの歴史と
いうのは違う形で見えてきますし、これはここがルーツだったのかという以外な
発見も出てくるかもしれませんね。
篠遠 それは、今新しくおこりつつある学問の方向なんです。三年くらい前に私
が京都の国際日本文化研究センターのセミナーに呼ばれたときに話したのです
が、じつは縄文のついた土器片がバヌアツ諸島で見つかったんですよ。土器の模
様には羽状文や絡縄文があり、私の部屋を訪ねられた芹沢長介先生は、円筒下層
C、D式に極似していると後に発表しています。円筒式は東北の縄文早期の土器で
すから、そんなものがバヌアツから出てきたことになったら、いったいこれはど
う考えたらよいのか、太平洋考古学はたいへんなことになります。
荒俣 まったくたいへんなことですね。それは発掘で出てきたんですか。
篠遠 残念ながら、地表からです。耕しているところから出てきたんです。私の友
人で、フランス人のジョゼ・ガランジェ教授が採集したのです。この人のバヌア
ツの考古学調査についての博士論文の図版を見て、私はびっくりしちゃったんで
す。これはバヌアツのエファテという島のメレ村での表面採集による土器で、ガ
ランジェはバヌアツから出土した土器には含まれていない縄の押擦文をもった土
器というんです。右縒りと左縒りを合わせて転がしたものなんですから。
荒俣 環状文様ですね。
篠遠 ですから、これはまちがいなく転がしてできた縄文ですよ。ところが芹沢
もぐら通信
もぐら通信 ページ38

氏の発表した論文に、日本の考古学者はだれ一人、反応しなかったんです。
荒俣 そんなおもしろいことに、可能性だけでもたいへんなものですね。
篠遠 それで、私はどうしてもそれが忘れられないんですね。今、縄文人がずっと
南方に出た形跡があるなんて人類学者が言っているころだからいいだろうと思っ
て、京都でこれを報告したんです。リチャード・シャトラーというカナダのサイモ
ン・フレイジャー大学の先生でラピタ土器を見つけた人と、彼といっしょにやっ
ているウィリアム・ディキンソンという太平洋の土器の分析を二〇年以上やってい
る世界的な権威が目をつけまして、分析をはじめたんです。ディキンソン博士の分
析結果では、ほかのバヌアツから出ている土器とはぜんぜんちがう、ルーツはど
うも日本らしいというんですよ。これはたいへんなことなんですよね。日本の考
古学者かだれかが土器を持っていって捨てたとは、ちょっと考えにくい。また、
たとえば皮剥という日本にだけある石器がアラスカで見つかっていると芹沢先生
が言っておられますが、縄文時代においても、そういう無意図的な漂流があった
んじゃないかと思われます。日本の船というのは、かならずしも黒潮に乗って北
米方面に行くだけではなく、ミクロネシアにもずいぶん漂っていますから、さら
に南に下るということがあったかもしれませんね。考えるだけでもじつに雄大で
はないですか。
荒俣 バヌアツというのはすごいな。これはしかし、ほんとうに追跡してもらい
たいものですね、ぜひ。
篠遠 これはぜひやりたい。
荒俣 その後は出て来てないんですか。
篠遠 だれもやってないですから。シャトラー博士は再調査をしたいと言ってい
ます。
荒俣 じゃあ、まさに発掘調査にもう一回繰り出すといいんですね。
篠遠 もし日本から調査団を出すことになったら、ガランジェさんには協力をと
りつけてあるんです。まず予備調査ということなら、これは大した金はいらな
い。旅費と、宿泊費などがあればいいと思うんです。
荒俣 大したことはないですね。
篠遠 もしさらに見つかれば、今度は本格的にやればいいんです。国際研究チー
ムでやったらいいですよ。
荒俣 何点か出てきたということは、まだまだいける可能性がありますよ。
篠遠 あります。日本の縄文時代、つまり土器の発生は日本にあったと考えても
いいくらいに古いものでしょう。日本の考古学者はなかなかそうだとは言わない
らしいんですが、もっと目を外に向けて、このあたりの環境をずっと見てもいい
んじゃないかと思うんです。
荒俣 ほんとうですね。このケースなんかはまさにいちばん明快におもしろい事
情がパッと出てくる問題ですからね。縄文のこういう文様というのは、今のお話
のとおり、日本以外にはほとんどないと考えていいんですか。
もぐら通信
もぐら通信 ページ39

篠遠 ほとんどないし、このバヌアツ出土のものの特徴は、東北日本の、円筒土
器の一部と同じですから。
荒俣 文様なんかもだいたいそうだと考えられるわけですね。とにかくこれはい
ちばんおもしろい問題です。十分探検に値しますね。こんな大事件、なんで放っ
ておくのかな。いろんな定説がまた覆ってしまうという可能性もあるんでしょ
う。
篠遠 今、縄文人はどうもポリネシアのほうまで行ったんじゃないかなんて言い
出している学者もいますからね。
荒俣 それだけにバヌアツの縄文土器については、日本でももっと興味を持って
いいんじゃないかというような気がしますが。
篠遠 そうですね。じつは、最近よく日本とポリネシアが関係があったんじゃな
いかと聞かれますが、直接結びつけるようなものはないんだけれども、釣針の研
究を東ポリネシアだけに限らず、ずっと広げて見ますと、まずスウェーデンの学者
でベングト・アネルという人がいますが、この人が一九五五年ごろですが、『南
海における漁法』という本を出したんです。この人は、日本の縄文文化の釣針と
ハワイの釣針は、偶然以上に似ていると言ってます。彼は主として民族品つまり博
物館の収集品を使って調査したんですが。
荒俣 そうですか。やっぱり五〇年代というのは新しい研究が出てきますね。
篠遠 結論として、環太平洋、つまりアメリカ大陸と日本、それから中国大陸な
んかの漁法、つまり太平洋だけじゃなくてその対岸にも影響を与えた漁法という
ものの源は、ユーラシアにあるということ。そしてユーラシアから二つの流れが
あって、一つは南からに西にインド沿岸まで言って、その一部が逆行してメラネシ
アにはいったらしい。もう一つはシベリアからずっとアリューシャン、アラスカを
経て南米までアメリカ大陸を下っていったという流れです。その一つの支流とし
て、シベリアあたりから日本へもはいってきた。そして、ミクロネシアを経てポ
リネシアまで影響を及ぼしたというんです。これが彼の民族学的資料による解析
と解釈なんですね。そのうえでメラネシアの漁法というものは、ポリネシアには
いっさい関係ないと、えらいことを言い出したわけです。
荒俣 関係ないと言い切ったわけ。
篠遠 そう。そのころ、今でも同じですけれども、ポリネシア文化を形成した人
はメラネシアを経てきているといわれているわけでしょう。しかもポリネシアン
の遠い祖先たちがマレーシアあるいはインドネシアあたりから来たといわれてい
たのに、なぜ漁法がそれとは関係なくて、日本、ミクロネシアを通ってポリネシ
アにはいってきたかということ。
荒俣 これはまったくちがいますね、今までのながれからいえば。
篠遠 それを今度、私は考古学的に発見された釣針を使って、彼の言う学説とど
う関連するか見てみようと思ったんです。
荒俣 それはひじょうに興味ぶかいですね。
もぐら通信
もぐら通信 ページ40

篠遠 そのためには、日本の縄文時代、それから沖縄、台湾、あの付近の釣針が、
いったいどうなっているかです。アネルは、さきほども言いましたが、日本の縄
文期の釣針とポリネシア、ことにハワイの釣針は偶然以上に似ていると言うんで
す。これはどこかにつながりがあるはずだということを、ひじょうにはっきり
言っています。彼は、全体の形もそうだけどいわゆるシャンク、つまり柄の頭の形
がひじょうに似ている、突起がついたものは、ハワイの考古学の編年では後期に
ならなければ出てこないのです。
荒俣 ひょうに新しいですね。
篠遠 その新しいものと縄文期のものとが結びつく可能性は、まあないと思われ
ますね。しかしタコ釣り用擬 針にはバリエーションはありますが基本的には同
じで、日本を含めオセアニアに分布していました。それとカツオ釣り用の擬 針
も同様の分布ですが、なぜか縄文や弥生文化にはないらしいんですね。似た型式
のものが出てくるのはずっと後になってからです。とにかく掘るという考古学調査
のおこなわれていないところが多くて、まだ本格的に古い時代の釣針の研究がで
きない状態です。ついでにお話すると、これとはまったく反対に、同じ魚を釣る
のにも、ぜんぜんちがった型式の釣針を使ったということがあるんですね。」
(同書200ページから206ページ)

この後も前も議論は尽きないのですが、あなたにはこの引用で太平洋考古学とい
ふものが大体どんな感じのものかは伝はつたと思ひますので、上記引用の最後の
ところで話題になつてゐる釣針に話を移します。

その前にひとつだけ。

「そういう無意図的な漂流があった」と篠遠さんは述べてゐましたが、漂流もし
ませうが、大陸と同じで、人間はあそこに行きたいとおもつたら其の意志の発動
によつて遠い旅を厭はずに長距離を踏破しまたは航海するものです。この篠遠さ
んの発言はまた別のところでいつてゐる、海洋の民が遠い海洋の彼方へと大陸や
陸地の方へと航海するのは、科学的ではないとおもはれるでせうが、私は季節ご
とに大陸から飛来する渡り鳥の姿を目にして、浜辺に飛来しまた帰還する其の方
向へ行つてみたいから遠洋航海をしたのではないかといふ仮説を立ててゐて、こ
の仮説と「そういう無意図的な漂流があった」は明らかに矛盾してゐます。この
学者の語る此の仮説の島民と飛来する渡り鳥の交流には、引用しませんが、実に
詩的な美しさがあります。

2。釣針
ここでは、以上のところで言及された縄文の釣り針とポリネシアの釣り針との
「根原の類似」の範囲に記述をとどめ、日本の縄文時代の考古学者は四つのネシ
もぐら通信
もぐら通信 41
ページ

アアにも目を向けるべきだといふことを書いて、次の指標に移ります。

メモ:釣針の分布:
篠遠氏曰く、釣り針は珊瑚礁のパス・pathに多く見つかるといつてゐる。これは
日本ならば、海幸彦の世界である。海の民、海幸彦の世界。これに対して島の山
と火山とカルデラのそばに住む山幸彦がゐる筈なので、さうすると山幸彦は島の
山の方の、だから火山の噴煙と美しいカルデラをみることのできる島の内陸に住
んでゐるといふ共に兄弟であつた。兄弟といふのは、二つで一つといふ習合の姿
を表したもので、何故なら無文字世界であるから伝承するためには其の方がよい
からでせうが此処に嘘はない。さうすると、習合とはやはり好対照の一対である
といふことが此処でも判ります。これをコト・タマの精神といふならいつてもよ
い。

3。カヌー
カヌーについて対談から引用して、この無文字島嶼国家の血縁による世襲の階
層、即ち古事記にいふカミ・カミーこの神々といふ音の重ねが既に言語上の「根
原の類似」ですーの階層と有力氏族たち(以上第一層)、および更に其の下にあ
る技術的な能力を有する実用の民の層(以上第二層)の関係の判る発言が篠遠さ
んといふ方にあるので、そのまま引用します。この第一層と第二層の関係は古事
記にいふ、[カミ(といふ実はヒト)とミコト(といふ実はヒト)]およびヒト
との二層関係を表してゐると私は考へる。あるいは其のやうに比定することがで
きる。この二階層関係はカミとヒトといふ二層関係でもよい。この場合のミコト
とは何かについては別途論ずる。
この二層関係をそのまま日本列島上で先住民たるヌシを首長として配下に有力
氏族を要する土地土地の集団との間にそのまま階層を垂直方向にズラして首長は
カミまたはミコトと呼ばれ(例:大国・ヌシ・の・ミコト)、その首長の下の実
用の民の階層はミコトと呼ばれた。といふことにも理屈上はなりますが、これが
正しいかどうかは先々にいつてから再度検証することにします。ここで述べたか
つたのは、習合といふことも様々な側面で行はれた筈だといふことの推論の一例
を述べたに過ぎません。これが実際に当たつてゐるかは後日の検証課題としま
す。

カミ>ミコト>ヒト>>ヌシ>ミコト>ヒト
カミ>ミコト>ヒト

このやうに書いてみると、

カミ>ミコト>ヒト
もぐら通信
もぐら通信 ページ42

これで一式の連なり。また、

ヌシ>ミコト>ヒト

これで一式の階層化された連なりである。

以上の階層連鎖を元に次の三つの対応関係の分類が成り立つ。そして、[カミ>
ミコト]の関係はそのまま[ミコト>ヒト]の関係にズレて被さつてゐる。とい
ふことは、[古事記>日本書記]の関係はズレて[日本書紀>風土記]に被さつ
てゐる。古事記・日本書紀・風土記に目を通すとさうなつてゐるやうに見える。
如何。
その結果どうなるかといへば、レヴィ・ストロースが驚きとともにいつた通り
に、日本列島の上では神話の世界が其のまま地続きで割れ目なく人の世界へと円
滑に、今に至るまで連続してゐる。如何。
その結果どうなるかといへば、レヴィ・ストロースが驚きとともにいつた通り
に、日本列島の上では神話の世界が其のまま地続きで割れ目なく日本語の話法と
ともに《中今》のまま、今に至るまで連続してゐる。如何。かうして縦のものが
横になり、垂直のものが水平になる。私の言ひ方をすれば、重箱が日本列島の上
で幕内弁当になるわけである。以上をまとめると、

古事記>日本書紀>風土記……【A】
カミ >ミコト >ヒト……【B】
ヌシ >ミコト >ヒト……【C】

と、このやうな三つの関係になるでせう。ですから、別に漢字を使つたからと言
つて、何も支那向けに日本書記を書いたわけでもはない。日本列島の内部にだけ
ゐて外部を等閑に付して大陸ばかりに目をやるとさうなつて、これが俗にいふ自
虐史観の始まりとなる。
自分自身を知るためには、言語論理の原理に従ひ、要するにトポロジーです
が、自分の外部に出なければならない。日本列島の外部は大陸では全くなく、海
である。定義された用語でいへば、日本列島の外部は、海洋である。初心を失へ
ば道を失ふ。

【B】と【C】の此の二つの階層はヌシであれカミであれ同じ階層に属してゐて地
位上の優劣はない(例:フツ・ヌシ・の・カミとタケ・ミカツチ・の・カミ)。
これが、私のよくいふ、日本人は楽々と縦のものを横にするといふことの、始ま
りといふなら始まり、原点といふなら原点です。わたしたちの思考論理にとつて
は当たり前すぎて、名前のつけやうのないほどに当たり前のことである。
もぐら通信
もぐら通信 ページ43

さて、このカミの階層にゐて其の下の普通の島民たちと異なる世界(例:古事記
の神々の世界)に住んでゐた首長と有力族長たちの言葉の世界では、ハワイ島の
例で示したレロ・勾玉仮説に少し戻ると、篠遠氏によれば「タヒチでもハワイで
もあの[クジラの]歯を使って作ったペンダントを使える人は、やはり首長クラ
スなんです。一般の人たちは使えなかった。同じ形のペンダントにしても、石や
貝、それにサンゴを使ったりしていたんですね。形は、フィジーではこの歯にそ
のまま穴をあけて首から吊るすものもあります。サモアに行きますと、歯を細く
縦切りにして、丸くて細長いものをたくさんつけた首飾りがあります。」(同書
243ページから244ページ)といふことですので、日本列島の縄文遺跡から勾玉の
出てくる遺跡にも、古事記と同じく二階層・二種類の人々が住んでゐて、やはり
上の首長の階層のひとたちだけが此のレロ・勾玉を首から下げることができてゐ
たと考へることができるので、さうなると、このやうな首長を中心にした複数の
部族からなる集団があつた又は村落があつたと考へることができます。
当然に此のレロは首長階層の人たちの祭司の能力に関係した鎮魂と祈りの文物
ですから、この首飾りの持つ権能に応じて枢要な職務は世襲であつたので、日本
列島の上で、たとへ習合によつて階層をズラしても、さうであつたと考へること
ができる。篠遠氏曰く「祭祀を司るカフナは世襲ですが、カヌー作りのカフナな
ど手工芸や農業関係のカフナはそういう規定はなかったようです。むしろ徒弟制
度で、優秀であればなれたのです。」(同書270ページ)

カフナとは、カヌーを造る際の司祭であり、

「篠遠 カヌーを作るということはたいへんなことだったんですよ。木を伐り出
すところから、いろんなセレモニーがあったんです。それを司るのは、ハワイ語
でカフナ、タヒチ語ではタフアという長老だったんです。」(同書268ページ)

「荒俣 カフナとか、タフアというのは、どういう階級に属しているんですか。
篠遠 チーフの次にあたります。
荒俣 じゃあ。かなりのハイレベルですね。やっぱり世襲で、息子からあるい
は娘から孫へというような血縁で通っているんですか。
篠遠 ハワイなどでは、祭祀を司るカフナは世襲ですが、カヌー作りのカフナ
など手工芸や農業関係のカフナにはそういう規定はなかったようです。むしろ徒
弟制度で、優秀であればなれたのです。」(同書270ページ)

これは同書からの挿絵の一枚で、キャプテン・クックが帰国後に著した第二回目
の航海で見たタヒチの島民の作つたダブル・カヌーです。双胴船の上には家まで
が建てられてゐる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ44

もつと壮麗で大きいカヌーは、第三回目の航海でオアフ島の王様テレオポーの繰
り出した船団といふべき船です。

このやうな船を造船する際の祭祀たる首長の生活についての解説があるので、引
用します。これで首長にも複数の首長がゐて、一つのまとまりある集団の上層を構
成してゐることが判ります。これを仮に、仮にです、古事記と今の私たちの生活に
適用して応用 を考へてみると、太古・古代の生活様式その他の、信仰と宗教も
含めた文化のことがよりよく想像できて理解の糧になるかも知れません。

「篠遠 フアヒネ島のマエバ村は、島の八人の全首長が家族とともに住んでいた
んです。これはポリネシアではまったく珍しく、首長の家族ばかりが住んで、自分
たちの祖先心をまつった場所。そこはタブーで、一般人のはいれないところだっ
たんです。」(同書274ページ)
もぐら通信
もぐら通信 ページ45

ここで言はれてゐることは、特殊な例とはいへ、普通には、この八人の首長は一
つの島の中に八つの地域に分かれてそれぞれの地域を治めてゐるのが普通であ
り、それぞれの地域には、上記の知見からいつて、首長階級の一族の墓があり、
これは、多分同じ階級に属するものの首長ではない他の族長たちも立ち入ること
ができず、またましてや二層目の普通の層民も足を踏み入れることはなかつたとい
ふ事実を反映してゐると考へることができる。

この章の最後に、双胴船に関する発言を引用します。この発言から陸の民には想
像もできない海の民の船の巨きさを心の中で思ひ描きながら読んで下さい。

「篠遠 [ファヒネ島のバイトウティア遺跡は]のちに「ポリネシアン・ポンペ
イ」といわれるように、そこはおそらく村が津波か大波で埋まった跡なのだろう
と思います。
荒俣 ポリネシアン・ポンペイというのはいいですね、ネーミングが。それで
この遺跡から出てきたものでわかったのは、どんなことなんですか。
篠遠 やがて七メートルもあるカヌーの側板が二枚も出てきたんです。今まで
はポリネシア人がタヒチからハワイに来たとか、タヒチからニュージーランドに
行ったとかいっても、いったいどんなカヌーを使って、それがどのくらいの大きさ
のものだったのかというのは、キャプテン・クックに同行したが形の記録した大
型カヌーの絵以外ぜんぜんわあからなかったんです。けれども、やっとその一部が
出てきた。しかも、ソサエティ諸島では今まででいちばん古い遺跡から出てきた
のです。今から一〇〇〇年も前に、あれだけの大型カヌーを作っていたというこ
とは、これはたいへんな発見なんですよ。
(略)
篠遠 だって、このカヌーは約二五メートルにもなるんです。ホクレア号が約二
〇メートルですからね。
荒俣 ホクレアより大きいんですか。
篠遠 舵取り用の櫂が四メートルもあるんですから。それからカヌー・ブレー
ス(内枠)といいまして、カヌーをくりぬいて、両側をしっかり抑えるために差し
渡したU字型をした木があるんですが、その幅が一メートルもあるんです。つまり
胴体の幅が一メートルはあるということ。でも、カヌーの胴体の下が丸いのか、
尖っているのか、四角いのか、残念ながらそれはみつからなかったんですが。
きっと洪水で名があされて海にでちゃったんですね。
荒俣 なるほどね。でも私が博物館で見たものより大きいというとほとんど巨
船ですね、当時としては。あれが海に乗り出すときは、帆を張ったんですよね。
篠遠 約一二メートルの帆柱が出ましたから。とにかく、そのとき私は一メー
トルの幅で二メートルの長さの試掘坑を掘りましたら、そこへ対角線上にその長
い棒が出てきたんです。これえはいったいなんだろうと、そっちへ広げて、こっち
もぐら通信
もぐら通信 ページ46

も広げてと掘っていったら、まだどんどん続いている。それが一二メートルの帆
柱でした。その木はマラといって、タヒチの人たちが帆を張ったカヌーを作ると
きに使う、海の水にひじょうに強いという木なんですよ。
荒俣 それだけ大きいと、海に浮かんでいたらかなり目立ちますよね。
篠遠 キャプテン・クックがタヒチに行ったときに、ものすごく大きい船が
あったというけど、あれはラグーンの中を走るものだったんですね。
荒俣 あれはラグーンの中の専用ですか。
篠遠 だから伝説でいわれていた島から島へとわたあったカヌーというのは、
やっぱりこういうものであったろうと思います。その一部が見つかったんですよ。
荒俣 伝説のロノがの乗ってくる帆柱のある船というのは、きっとものすごく
大きかったから、だからこそキャプテン・クックの船が来たときに、あれがロノ
だと思ったのかもしれませんね。
篠遠 ハワイの連中は、あれは島だ、島がやってきたと思ったんですよ。あん
な大きな船があるとはおもわないから。おまけに帆を張っているから、言い伝え
できっとロノの神がやってくるといわれていたのが、現実にロノが来たと思ったの
ですね。
荒俣 逆に言うと、昔のカヌーも島が浮いていたのと、対して変わりないとい
うぐらいの大きさですね。
篠遠 今でもツアモツ諸島に行きますと、座礁した船がたくさんあります。遠
くから見るとほんとうに大きな船が浮いているみたいなんですよ。だから、あん
な船が来たら、やっぱり島が動いたと思うでしょう。
荒俣 昔のトンガなどの船の絵を見ると、木を渡して、二階建てになってますよ
ね。
篠遠 おそらく双胴船、ダブル・カヌーであったろうとは思いますけれども、
そのあたりのところはまだ残念ながらわかりません。とにかく、本物のカヌーが
出てきたということと、もうひとつは水没遺跡であったために有機物の遺物が
残っていたことが重要でした。今までの発掘じゃ、まったく見つからなかったも
のが残っていたんです。だから柄に石器の が装填された状態の手 が、完全な
形で見つかったんです。
荒俣 しゃんと完成品が見つかっちゃったんですね。これもだいたい一〇〇〇
年ぐらい前のものですか。
篠遠 そう。それがもう少し後の時代になってくると、もっと木の柄が装飾的
になってきます。
荒俣 でも用途として、機能としてはもう完璧な形ですね。それから、クジラ
の骨もまたずいぶん出たということでしたが。
篠遠 ポリネシアの人たちはクジラ漁ってことはしいんです。だからシャチに
追われてリーフや海岸に打ち上げられたクジラを見つけたときに利用したんで
しょう。(略)」(同書251ページから254ページ)
もぐら通信
もぐら通信 ページ 47

また、もつと具体的な船の様子の説明もある。

「篠遠 当時のポリネシア人を考えると、まずあの双胴船、つまり大きな遠洋航
海用のカヌーを作る技術を持っていた。それから公開術の知識を持っていた。そ
して保存食料とか、生きた豚や鶏を運んでいくだけの、経験と技術を持っていっ
たんです。」(同書261ページから262ページ)

ポリネシア人の移動は意図的なものであり計画的なものであつたといふことにつ
いて。

「荒俣 第一、遠洋航海用の船がしっかりとあるということは、その必要があっ
たんでしょうからね。
篠遠 あれは一人や二人で操船できるものじゃないくらいの大きさですから。
私がフアヒネ島で掘り出したカヌーの部品からみても、長さは二七、八メートル
はあったと思われます。
荒俣 一族郎党みんなを乗せられる船ですからね。 それはもう倭寇の船と同
じようなもので、一家ぜんぶがのっていく船ですからね。」(同書267ページ)

もう一つ海洋文明・文化を考察するために必要な指標同士の関係について、カ
ヌーの分布と言語の分布の関係について。

「篠遠 オーストロネシア語の分布を見ますと、やっぱりマダガスカルまでいっ
ています。ですから、台湾、フィリピンからニューギニア北方の島々、それからソ
ロモン群島からフィジーもずっと含めて、ポリネシア全域に広がっているのです。
とんでもない広範囲に広がる一つの言語群なんです。さらにそれを細かくみて、タ
ヒチとかハワイとか、マルケサスあるいはマオリとか、そういう言葉、いわゆる
方言がどういうふうに分かれていったかと言語学者たちがいろいろ研究している
わけです。
荒俣 そうでうか。じゃあ、たとえば、ワイキキの「ワイ(水)」という言葉
もマダガスカルまでいってるんですね。
篠遠 そうですネ。それともう一つおもしろいことは、その言語の分布とアウ
トリガー・カヌーの分布が一致しているんですね。」(同書211ページ)

日本列島の縄文遺跡のうち海辺に当時あつた遺跡を発掘してアウトリガー・カ
ヌーは出土しないものであらうか。調べるといつも出てくる丸木船で外洋の航海
は不可能である。私が此の引用で伝へたいことは、要するに日本は海洋型国家で
あるから環太平洋地域との交流を考へることなくして、日本文明も日本文化も其
の太古・古代の習俗の原型を、日本語も含めて、理解できないといふことです。
もぐら通信
もぐら通信 ページ48

それから三つのネシアの区分について次のやうに述べてゐる。ここでも篠遠氏は
漂流といつてゐるが、私は航海と呼びたい。

「篠遠 話を少し戻してみますが、縄文文化の南限というのは、八丈島と、北琉
球。それ以南はありませんけれど、さきほどの漂流と同じで、つまりカヌーに
乗って流れ出すと人間が死んでも釣り道具は船に残っているということ。それか
らマグロは太平洋を回遊しますから、ハリをつけたまま泳いでいく。だから人間
以外の手段で釣針が伝播される可能性はあるんですね。
荒俣 釣針はとくに、魚が運んでいく可能性が大ですね。
篠遠 そういう見地から見ると、日本と広い太平洋地域との関係というのを切
ることはできないんです。

太平洋の広大な文化圏

荒俣 それではそういうことも含めて、太平洋をまたいだ文化圏というのは、実
際にどういうふうに考えておけばいいんでしょうか。普通、メラネシア、ポリネシ
ア、ミクロネシアが三大文化圏といわれていますけれど。
篠遠 基本的には、ひじょうに人為的な区分、つまり言語とか、そこに住んでい
る人たちがひじょうによく似ているということなどから定められたわけです。た
とえばフィジーはメラネシアにはいって、サモア、トンガはポリネシアにはいって
いるけれども、三者の間には古くから交流があったと考えていいでしょうね。三
大文化圏のほかにオーストラリアやインドネシアがありますね。ハワイキ伝説も
含めて、ポリネシア人の祖先というのはインドネシアから来たんだという説があ
ります。(略)」(同書210ページ)

この三つのネシアの諸言語の総称であるオーストロネシア後の分布は広く、西は
アフリカ大陸の隣にあるマダガスカル島まで及ぶといふことを念頭に置いて研究
すべきだといふことになります。

この章の最後に、カヌーついでに海洋の島に特有の分岐島と呼ぶべき島の機能に
ついて説明をして措きたい。といふのは、これは大陸ならば分岐国といふべき国
にあたり、いつてみれば其の機能の一部は緩衝帯としての国ですが(例:今のウ
クライナまたは東欧諸国全体の持つヨーロッパ地域での機能)、大陸の緩衝国な
らばそこに外部から複数の国家勢力が侵入して再度其の先の外部へと出てゆけ
ば、これは戦争であり侵略であつて、その分岐点となつた国は滅びる宿命にある
でせう。しかし、海洋の島の場合にはさうはならないのです。これは海洋の文
明・文化の伝播に欠かせない用語であり概念ですので、篠遠氏の発言を以下に引
いて読者の理解に供したい。やはり、島々にとつて海は緩衝帯であるといふ私の
もぐら通信
もぐら通信 ページ49

論理は正しいものと思はれる。
著者は此の分岐点の島の一つである島を「マルケサス分岐点」と呼んでゐる。
私はこれを以後「分岐島」とも呼ぶことにします。この島の機能・働きは次の通
りです。この分岐島は篠遠氏の、此処では仮説ですが、その発言から有力な仮説
と理解してよいでせう。

「荒俣 篠遠先生が発見された、二つの大きな水没遺跡の関係についてはどうで
すか。
篠遠 バイトウティアとファヒアは、地続きであって、それぞれの遺跡名がつい
てえはいますが、文化も時代も同一のものと考えてよいでしょう。ここには木製
品その他の有機物の遺物が残っていたこと、伝説に出てくる遠洋航海の大型カ
ヌーの一部と付属品が見つかったことは重要なことでした。同時にこれら物質文
化はマルケサスのハネ遺跡のものと極似しており、深く関係のあったことを示して
いるのです。年代的には約五〇〇年新しいのですが、文化の流れを示唆する遺
跡、つまり私の主張するマルケサス分岐点という仮説を、さらに裏付けしてくれ
る遺跡として私にとってはじつに貴重なものでした。私は将来の考古学者のため
に、首長の家と思われる大型の柱の根元がならんでいる場所を、手をつけずに残
しました。またホテルのバンガローの下にはどんなものが埋まっているのか、こ
れも将来の考古学者に委ねることにしたんです。」(同書260ページ)

4。言語
母音と子音の数についても、ポリネシア語の母音数が日本語と同じあ・い・う・
え・おの五音であるといふ発言も篠遠氏にありますが、この章は私の既述の日本
語論を以て替へることにします。四つのネシアの言語と日本語との言語比較論は
機会があればまた別途詳細に論じたい。

このほかにもまだ以下のことについて論ずべきことがありますが、先を急いで三
種の神器の話に参ります。

子安貝
真珠貝(真珠湾といふ名前は真珠を採つて宗教的な意味のある装身具にするため
の真珠貝のとれる湾といふ意味)
稲作と芋の食生活(鹿嶋を含む常陸国と鹿児島に何故芋の栽培が盛んなのか)
少なくとも三名はゐた瓊瓊杵尊
ポリネシアの島にある石像

さて、その上で、このやうな背景を念頭に措いて考察すると、天皇家の三種の神
器の意味は次のやうなものとなる。
(つづく)
もぐら通信

もぐら通信 ページ 50
カフカの箴言

(32)

鶴が天を飛翔することの意味は何か

岩田英哉

【原文】

Die Krähen behaupten, eine einzige Krähe könnte den Himmel zerstören. Das
ist zweifellos, beweist aber nichts gegen den Himmel, denn Himmel bedeuten
eben: Unmöglichkeit von Krähen.

【和訳】

鶴たちは、かう主張する。唯一の、比類なき鶴であれば、天を破壊することが
できるかも知れないと。これは、疑いないことだが、しかし、天に対して何も
証明するものではない。といふのも、天とはまさしく次のことを意味するから
である:鶴たちの持つ不可能性

【解釈と鑑賞】

カフカの住んだ土地にも、鶴がゐたのだらうか。

或いは、ゐなかったとしても、鶴をどのやうに考へてゐたかを考へることはで
きる。

わたしにとつての鶴の形象(イメージ)は、美しい鳥であるといふもので、破
壊とは無縁の鳥だが、カフカにとつては、どうも少し違ふやうである。

天を、或いは天国を破壊すると考へる鶴なのだ。

ここで、わかることは、カフカの鶴とは、

1。天高く飛べるといふこと
2。破壊する能力を持つてゐること

このふたつが、鶴といふ言葉の中にあるといふことだ。
もぐら通信

もぐら通信 ページ51
カフカがここで言つてゐることは、何か働きかけようといふその対象に対し
て、その働きかける者は、それが正しいことだと証明しなければならないとい
ふことである。

鶴にはそれができない。何故ならば、天高く飛ぶといふこと、その能力そのも
のが、鶴たちのその能力の無さ、鶴達の不可能性を意味してゐるからだ。

これは、地上のわたしたちに、翻つて、この考へを適用することができる。

地上に人間がゐようとすることそのことが、既にさうしてゐることの無意味、
不可能性を示しているのだといふことになるだらう。

カフカといふひとのものの考え方の好適な例が、この箴言だと思ふ。
もぐら通信

もぐら通信 52
ページ
ショーペンハウアーの箴言

(27)

人間より動物への愛が

岩田英哉

【原文】

Seitdem ich die Menschen kenne, liebe ich die Tire.

【和訳】

人間たちを知って以来、わたしは動物たちを愛してゐる。

【解釈と鑑賞】

これも、ショーペンハウアーらしい、辛辣な箴言です。

説明不要であると思ひます。

暗に、人間を軽 してゐると言ってゐるのです。

わたしならば、上野動物園の日本猿たちは、日本人の祖先であるから嘘を付かな
い、といふところです。見よ、あの猿山の頂点にゐるボス猿の悠然たる様を、そ
の上に広がる空以外の何ものにも帰属してゐないといふあの自由なる姿の素晴ら
しさを。しかし、待てよ、国会議事堂のてつぺんにも大空があつたな。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 53
縄文紀元論
Topology
(40)
5.55息栖神社(2)/

岩田英哉

5.55息栖神社(2)
5.55.1猿田彦大神について(2)

書きたいことが一杯あつて筆が追いつかない。しばし待たれよ。次号まで。
で
もぐら通信

もぐら通信 54
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1.も ら通信は、安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働きを
することを通して、そこに喜 を見出すもの す。

2.も ら通信は、安部公房という人間とその思想及 その作品の意義と価値を広く


知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3.も ら通信は、安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、そ
の共有を喜 とするもの す。

4.編集子自身 楽しん 、遊 心を以て、も ら通信の編集及 発行を行うもの す。


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