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ネオ・リーマン理論とシェンカー理論

─ 解釈と方法をめぐって ─
西田 紘子
の﹃ 一 般 化 さ れ た 音 程 と 変 形 Generalized Musical Intervals and
一 ネオ・リーマン理論とシェンカー理論 ﹄︵一九八七年︶で提唱された変形理論に由来し、ブ
Transformation
ライアン・ハイアー︵ Brian Hyer︶やヘンリー・クランペンハウアー
 二〇世紀後半以降のアメリカでは様々な音楽理論が発展してきた。
︵ Henr y Klumpenhouwer
︶、 リ チ ャ ー ド・ コ ー ン︵ Richard Cohn

これに伴い、アメリカ音楽理論学界の動向と変遷を論じる研究が発 による一連の論考を中心とする、一九八〇年代以降の音楽理論の一
表されている︵ Ex. Rahn 1980, McCreless 1998, Christensen 2002
︶。 派である。現在では変形理論とネオ・リーマン理論の両語はほぼ同
美学 . 第 68 巻 1 号(250 号)2017 年 6 月 30 日刊行 .

こうした議論を可能にしたのは、一九七〇年代以降、音楽理論学会 義のものとして扱われている ︵ 。
︶ 本 稿 で い う﹁ 既 存 理 論 ﹂ は、 そ

1
︵ Society for Music Theory
︶が設立され、各機関から多くの専門誌 れまで一大勢力を築いてきた﹁シェンカー理論 ﹂
Schenkerian theory
が出版され始めたこと、それによって方法の多様化が進んだことで を指すものとする。
ある。そのような状況の中、種々の理論の方法同士は互いにいかな
 シェンカー理論が調性音楽を主たる対象としたのに対し、ネオ・
る関係にあるのだろうかという問題意識が生じる。 リーマン理論は、ポスト調性音楽や半音階的な後期ロマン主義音楽
  そ こ で 本 稿 は、 拡 散 す る 理 論 の う ち、 昨 今 の 主 流 の 一 つ を な す
のための分析理論である。このように対象設定の点から見ても、ネ
﹁ ネ オ・ リ ー マ ン 理 論 Neo-Riemannian theory
﹂ を 対 象 と し、﹁ 既 存 オ・リーマン理論とシェンカー理論は、同一の地平上には比較され
理論﹂との互助関係や競合関係を明らかにすることによって、既存 えない。しかしながら、例えばジュリアン・フック︵ Julian Hook

理論に対して新しい理論が提唱されて以後の方法論上の議論がいか がネオ・リーマン理論とシェンカー理論の根本的な違いを強調しつ
な る 効 用 を 生 じ さ せ て い る の か を、 事 例 研 究 と し て 検 討 す る。
﹁ネ つ も﹁︿ 変 形 ﹀ と︿ 延 長 Prolongation
﹀を対立概念とみなすことは
オ・リーマン理論﹂とは、デイヴィッド・ルーウィン︵ David Lewin
︶ 誤り﹂
︵ ︶と述べるように、一部の研究において、境
Hook 2007, 168

121
122
界的作品を例に、両理論の統合や差別化が図られてきた ︵ 。
 リーマンに由来するこれらの概念や、変形関係にある和音同士を

2

本稿は、両者の関係性を扱ったこれらの研究に着目し、その主張 ﹂︵ ︵
網目状に一覧化した﹁音の網 Tonnetz ︶
cf. Klumpenhouwer 1994;

5
を読解することを通して、既存理論に対して新しい理論が提唱され ︶といったその他の概念、そして各理論家独自の概念を
Cohn 1998
て以後の方法論的議論が、学問領域を発展させる上でいかなる効用 導入することで ︵ 、 ︶ ネ オ・ リ ー マ ン 理 論 は 発 展 し て き た。 こ れ ら

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を生じさせているのかを事例研究として検討する。 の概念の種類やその使用法は理論家によって異なるため、ネオ・リー
 ネオ・リーマン理論とは、どのような理論なのか。リーマンの名 マン理論はシェンカー理論ほど明白に体系化されているわけでは
を冠しているのは、ドイツの音楽理論家フーゴー・リーマン︵ Hugo ない。
一八四九│一九一九︶の和声理論で示された諸概念に依
Riemann  
一方のシェンカー理論は、その名が冠されている通り、オースト
拠 し て い る た め で あ る︵ cf. Riemann 1880 & ︶。 そ の 主 た る 概
1916 リ ア の 音 楽 理 論 家 ハ イ ン リ ヒ・ シ ェ ン カ ー︵ Heinrich Schenker
念 は﹁ 同 主 調 parallel

︵ 以 下 と 略 記 ︶、﹁ 平 行 調 relative ﹂
︵以下 一八六八│一九三五︶が創始した理論に由来する、第二次世界大戦

R
P

と略記︶、
﹁ 導 音 に よ る 交 換 Leittonwechsel
﹂ ︵以 ︵ ︶ 後、アメリカを中心に応用されてきた理論を指す。楽曲のうち構造
3

譜例一 ネオ・リーマン理論における三種類の変形(Mason 2013, 7)
下 と略記︶という三種類の変形である。例えば以 の 上 で 重 要 な 音 を 段 階 的 に 抽 出 し て い き、 最 終 的 に﹁ 根 源 的 構 造
L

下の譜例一に沿って説明すると、 の変形は、第三 ﹂と呼ばれる原型へと還元していく分析法を指す。したがっ


Ursatz
P

音を半音分動かすことで、長三和音を短三和音に、 てシェンカー理論は、ネオ・リーマン理論よりも半世紀ほど長い歴
短三和音を長三和音に変える。 の変形は、第五音 史をもつ。
R
を全音上げることで長三和音を短三和音に変え、根
 ネオ・リーマン理論やシェンカー理論については、分析対象の拡
音を全音下げることで短三和音を長三和音に変える。 大や、方法の洗練や応用といった形で、ともに個別的な議論が盛ん
の変形は、根音を半音下げることで長三和音を短 に行われてきた。特にシェンカー理論より後発のネオ・リーマン理
L

三和音に変え、第五音を半音上げて次の和音の根音 論 は、 一 九 九 八 年 に ネ オ・ リ ー マ ン 理 論 を 特 集 し た﹃ 音 楽 理 論 誌
にすることで短三和音を長三和音に変える。 ﹄第四二巻二号が、二〇一一年には﹃ネオ・
Journal of Music Theory
 これらの概念は、一九世紀後半以降の音楽にみら リーマン音楽理論のオックスフォード便覧 The Oxford Handbook of
れる半音階的進行や 度近親関係に基づく進行など、 ﹄が出版されるなど、まさに最盛期
Neo-Riemannian Music Theories


伝統的な機能和声では捉えきれない進行、さらには を迎えており、各理論の歴史的位置づけも考察されてきている︵ Ex.
無調音楽を分析するための方法の基盤として用いら [ ed.
Christensen ] 2002
︶。
れてきた ︵ 。
 個別研究が進展する中、両理論の関係を問う研究も散発的に現れ

4
ている。その最たる例が、
二〇〇七年に﹁シェンカーの方法とネオ・ 二─一 方法を統合しない研究
 
リーマンの方法の特別号﹂と題されて発表された﹃シェンカー研究 まず、方法の点で両理論の棲み分けを図ろうとする研究として、

誌 Journal of Schenkerian Studies
﹄ 第 二 号 で あ る。 本 稿 は、 関 係 を フックによる二〇〇七年の論文を採り上げる。これらの論考は、両
問うたこれらの研究に見られる、理論の方法をめぐる議論の特徴を 理論は分析対象とする作品の性質や分析の方法がそもそも異なるた
読み解く。 め、互いに比較することはできないという立場をとる。この立場は、
両理論の違いを前提に議論を始めるため、そもそも両理論の統合を
二 ネオ・リーマン理論とシェンカー理論をめぐる議論 企図しない。
ネオ・リーマン理論の理論家であるフックの議論における論点は、

三つある。一つ目は、両理論の性質の違いである。
 では、両理論をめぐる議論の詳細に立ち入っていく。両理論の関
係を論じた研究には、両理論の比較が明示的に行われていない研究
もあるため、明示的に主題化している研究︵ Cohn 1999, Samarotto   変形理論は、大規模で多様な道具箱である。これらの道具を使
︶を本節
2003, Hook 2007, Goldenberg 2007, Rings 2007, Baker 2008 うための指示は最小限しかなく、それらをもって何を作れるか
の対象とする ︵ 。 ︶これらの議論は、 ネオ・リーマン理論がシェンカー に関するデザインはない。対照的にシェンカー理論の道具箱は、
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理論よりも後発の理論であるため、ネオ・リーマン理論の理論家の より小規模かつ専門的であるが、指示は多く、時には設計図さ
側から行われることが多い ︵ 。
︶ あ る 理 論 が 形 作 ら れ る 際 に は、 そ えある。ある楽曲を授業で与えて﹁シェンカー分析をしなさい﹂
8
の正当性を獲得するために、既存理論との違いが当然ながら強調さ と指示すれば、学生たち皆が同一の︵等しくよい︶図を生み出
れるからである。 すわけではないものの、やり遂げるための諸段階や得られるだ
ろう結果に関する合理的なアイディアがあらかじめある。皆が
 本稿では諸議論を次の二つの立場に分類する。
同じ道具を使い、同じ平面から読み始めるからだ。代わりに﹁変
 ︵一︶両理論の方法の統合は不可能とする研究︵第二節一項︶。
①方法の点で両理論の棲み分けを図ろうとし、︵具体的分析を 形分析をしなさい﹂と指示しても、そのような予備的概念はな
  
通した︶両理論の統合は試みない研究、 い。 結 果 は 学 生 の 想 像 力 に よ っ て 異 な る だ ろ う。
︵ Hook 2007,
   ②具体的分析を通して両理論の統合を試みた上で、両理論が ︶
166
方法論的に両立不可能であることを示すに至る研究、
 ︵二︶具体的分析を通して両理論の方法を統合した研究︵第二節 理論という道具箱の性質やそれを用いるための指示の量が異なるた
二項︶
。 め、変形理論を用いた場合、分析結果は個人に大きく左右されると

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いう。さらにフックによれば、両理論の違いは、一方が事前の厳格 て徴づけるのに対して、ト│ト音のスラーは、二番目のハ音を
な指針に基づくのに対して、他方ではそのような厳格な指針があら 下位のものとして徴づけるからである。いずれのスラーもそれ
かじめ定められているわけではないという点に起因する。 自体は可能であるが、二つは両立しない。変形分析ではこのよ
うな結びつけ方は完全に許される。有意味になるかを決めるの
は分析者である。このように、少なくとも変形分析は、シェン
  シェンカーの分析者が、必要な決定をするのに︵かなり︶厳格
な指針と研ぎ澄まされた直観を有しているのに対して、変形の カー分析より柔軟であり、規定的ではない。変形的アプローチ
分析者はそうではないだろう。そのような指針や直観に達する は、厳格なシェンカー的アプローチには見えない読みを示唆す
ことはできないが、どんな種類のオブジェクトや変形がネット る。単一の分析内で多様な解釈を収容する可能性に開かれてい
ワークで用いられているかについてより基本的な決定がいくら るのは確かである。
︵ Hook 2007, 167

か な さ れ た 後、 ま た お そ ら く こ れ ら の オ ブ ジ ェ ク ト や 変 形 を
様々な状況で扱い、体験をいくらか積んだ後でなら可能であろ シェンカー理論では音の階層を論理的に一

譜例二 変形図の疑似シェンカー・グラフへの
う。それぞれの分析がそれ自身の規則をもつ分析的アプローチ 貫させなければならないのに対し、変形理
は不充分に思われるが︹⋮︺実際この種のアプローチは、ポス 論は和音同士の階層的関係、いいかえれば
ト調性音楽の広範なレパートリーには必要不可欠にちがいない。 文脈に依存しないという。変形理論が重視
それぞれの楽曲がそれ自身の規則を打ち立てているように思わ するのは、階層の一貫性ではなく、分析者

置き換え(Hook 2007, 167)


れるからだ。
︵ ︶
Hook 2007, 166 が見出す有意味性である。変形理論のほう
が多様な解釈を収容する可能性に開かれて
両理論の性質の違いから、引用の最後では、両理論の分析対象の違 いるという言明は、再び性質の違いの論点
いが二つ目の論点として言語化されているのが分かる。 ︵フックの一つ目の論点︶に分類される。
 このように両理論を差別化した上でフックは、ベートーヴェンの  次に、具体的な分析を試みた上で両理論
交響曲第一番第一楽章および第三楽章冒頭の変形図をあえて﹁擬似 が方法の点で両立不可能であることを示そ
シェンカー・グラフ﹂に置き直し、その両立不可能性を指摘する。 うとする研究として、リチャード・コーンに
よる一九九九年の論文と、フランク・サマロット︵ Frank Samarotto

  例四︹譜例二︺はシェンカー・グラフとしては不適格である。 による二〇〇三年の口頭研究発表を採り上げる ︵ 。

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ハ│ハ音のスラーが、介在するト音を構造的に下位のものとし  ルーウィンが変形理論を提唱したのちネオ・リーマン理論を大き
く発展させた立役者であるコーンは、シューベルトのピアノ・ソナ 景の延長との間に、構造的に﹁挟まれて﹂いることである︹⋮︺。
タ変ロ長調第一楽章の提示部を対象として、変形分析をシェンカー・ このようなイメージは、一連のレヴェルを継ぎ目なく移行する
グラフにより示しながら、その不充分さを次のように指摘する。 という、全てが一連の画一的な原理によって統一されるという
有機体論者の幻想によって条件づけられた構造的期待とは協和
しない。
︵ Cohn 1999, 232
  シェンカー的モデルは、和声を分類するものなので、全音階的 ︶
な範囲で根音同士の距離を測るにすぎない。それはここ︹シュー
ベ ル ト の ソ ナ タ ︺ で は 問 題 が あ ろ う。
︹ ⋮︺ 提 示 部 は 全 音 階 的 シェンカー理論を用いる有機体論者とは異なり、ネオ・リーマン理
に 逆 説 的 で あ る か ら だ。
︹ ⋮ ネ オ・ リ ー マ ン 理 論 に よ る ︺ あ ま 論の使用者コーンは、階層レヴェル間の統一性を前提にしないとい
り解釈されていない分類によって、三和音は、特定の全音階的 う。このようなコーンの態度は、楽曲を統一性には回収させないネ
文脈への関与から解放されている。
︵ ︶
Cohn 1999, 220 オ・リーマン理論の特徴の一つに数えられる。これがコーンの三つ
目の論点である。
シェンカー理論は、和声分析を全音階的な枠組み内で遂行するため、 シェンカー理論の研究者であるサマロットは、コーンの論︵ Cohn

全音階的矛盾をはらむ楽曲の分析には適さず、逆にネオ・リーマン ︶を引き継いで、変形的アプローチと延長的アプローチが衝突
1998
理論は、全音階的文脈化の必要がないため、この種の楽曲を分析す する事例に踏み込む。
るのに適するとコーンは主張する。これは、﹁文脈依存性﹂に関わ
るフックの三点目の論点と同一のものである。この違いから、適切 変形理論と延長理論が根本的に異なる種類の生成構造を例証し
  
な分析対象が両理論では異なるという第二の論点が生じる。この点 ているために衝突が生じることは明らかである。変形理論は、
は、フックが二つ目の論点として指摘したのと同様である。 諸和音︹ ︺に適用される一連の操作として概念化されて
Klänge
 さらに、論の結びでコーンは、シェンカー理論における前景・中 おり、これらの和音は、全体と関連した一つの和音︹ Klang
︺や
景・後景の各階層が、有機体的に統一されているという﹁有機体論 調的中心に支配される必要なく生じる。
︵ ︶
Samarotto 2003, 1-2
者の幻想﹂を解体する。
サマロットが論点化しているのは、コーンの三つ目の論点と同じく、
  シューベルトのほとんどの音楽に特徴的なのは、中景の効果的 曲中の複数の和音が、全体と関連した単一の和音に支配されるわけ
な声部進行に支配された、全音階的に明瞭ではない進行が、後 ではない、つまり変形理論は統一性を前提にしないという点である。
景の単調性的延長と、カデンツとして表明される全音階的な前
 変形プロセスが全音階的全体に回収されない事例として、ブラー

125
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ムスの作品が対象として採り上げられる。その理由をサマロットは、 く分析行為としては成立せず、当該曲の文脈を考慮して初めて可能
次のように説明する。 であると条件づけられている点である。
 最後にサマロットは、ネオ・リーマン理論のこのような発見的な
第一に、これらの楽曲に対しては、より慣習的なシェンカー的 性質を、シェンカー理論の頑強さと対比させる。
  
説明もありうるということを強調しておこう。しかし、これら
︹階層同士の︺の衝突が顕在化される際のきわめて鮮やかな道   文脈から外れた短いパッセージを一般化しても仕方ない。シェ
筋が、シェンカー的な説明と相反する。ただしこれは、個々の ンカーの理論が頑強なのは、調的レパートリーを詳細に分析す
作品を精読した上での議論であって、起こるべきものについて ることに何十年も費やしてようやく、理論史の標識たる諸概念
ア・ プ リ オ リ に 仮 定 し て い る の で は な い。
︹ ⋮︺ 和 音 進 行 の 型 を打ち出したからである。
︵ Samarotto 2003, ︶
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を見つけることが大事なのではなく︹⋮︺、取り巻く文脈に慎
重に注意を払うことが大事なのである。第三に︹変形的アプロー 特定の文脈下にある特定のパッセージにのみ機能する理論を一般化
チは︺ポスト調性理論という概念の重荷を負う必要は必ずしも できないというこの指摘は、フックが一つ目の論点として述べた、
なく、一九世紀音楽に特有の特徴を論じる新たな方法を見つけ 両理論の性質の違いに関する論点と同種のものとみなされよう。
ることには価値があるはずだ。
︵ Samarotto 2003, ︶
10
二─二 方法を統合した研究
同一楽曲に対してシェンカー的説明も変形的説明もありうるとはい  最後に、具体的分析を通して両理論の方法を統合した研究として、
え、全音階モデルと変形和音との間にある衝突は、シェンカー理論 ヨセフ・ゴールデンベルグ︵ Yosef Goldenberg
︶による二〇〇七年
の枠組みだけでは説明できないという。この第二の論点は、コーン の論文、スティーヴン・リングズ︵ Steven Rings
︶による二〇〇七
の一点目の論点と重なる。他方でサマロットは、分析対象の違いを 年の論文、サマロットの上記発表に対する反論として書かれたマイ
言挙げしたフック︵二つ目の論点︶やコーン︵二つ目の論点︶とは ケル・ベイカー︵ ︶による二〇〇八年の論文を採り
Michael Baker
異なり、ポスト調性音楽ではなく、一九世紀音楽のうちにこそネオ・ 上げる ︵ 。

10
リーマン理論が有意義となる文脈があると述べている。つまり、両
 まず、シェンカー理論とネオ・リーマン理論の双方を専門とする
理論は同じ対象を扱いうるというのが、サマロットに独自の主張で ゴールデンベルグは、ネオ・リーマン理論とシェンカー理論の最大
ある。また、この点に付随する第三の論点も見逃せない。一九世紀 の違いを半音階に対するアプローチのうちに見ながら、しかし両者
音楽へのネオ・リーマン理論の適用は、ア・プリオリの仮定に基づ の﹁分類は絶対的なものではない﹂
︵ ︶と述
Goldenberg 2007, 65-66
べる。その上で、三度関係に関する両理論のアプローチを手がかり そこで提示される両理論の方法の統合は、競合や協働によってでは
に、ネオ・リーマン的変形とシェンカー的声部進行を同一グラフ内 なく﹁対話 ﹂によって行われる。
dialogue
に融合させた分析を展開する。さらには、シェンカー自身の﹁エロ
イ カ ﹂ 交 響 曲 第 一 楽 章 の 分 析 グ ラ フ︵ Schenker 1935, Fig.62
︶ に、 シェンカー的言説と変形的言説の関係を最も生産的に理解する
  
ネオ・リーマン理論による分析を書き加えてこう結んでいる。 方法は、競合ではなく対話による。二つの方法を対話にもち込
めば、件の音楽の豊かな像が現れるだろう。それぞれの分析言
シェンカー的声部進行の手順とネオ・リーマン的操作の分析上 説が作用し合い、分化する様を観察できるからである。
︵ Rings
  
の 統 合 は、 生 産 的 で あ ろ う。
︹ ⋮︺ だ が、 両 方 の 分 析 を 適 用 し 2007, ︶
45
たからといって、両方のツールが、単一の理論的方法へと仲裁
され統合されたわけではない。
︵ ︶
Goldenberg 2007, 84 では、
﹁対話﹂の具体例はどのようなものなのか。第一五四∼一六九
小節に関してそれぞれの理論で分析した図一と譜例三とともにリン
ここでゴールデンベルグは、理論と分析とを区別し、両理論の分析 グズの見解を引用する。
手順を統合することは生産的であるが、それは必ずしも新しい理論
を構築することと同義ではない、と警告している。 特にここで目立つのは、譜例一六︹図一︺でモデル化された、
  
 変形理論の研究者であるリングズは、変形理論とシェンカー理論 和声的・調的領域におけるジェスチャーの暴力性と、
︹⋮︺一八
の方法を、あくまで変形理論の枠内で統合しようと試みる。検討材 ︹譜例三︺でスケッチされたような、声部進行に関する滑らか
料は、シューベルトの﹁四つの即興曲﹂ 八九九の第二番変ホ長調 さとの間にあるコントラストである。概してこれが、二つの分

D
である。 │
析 声部進行の構造に関して詳しく説明してくれるシェン
カー的読みと、調に関する目立った逍遥をモデル化してくれる
  ︹本論の︺第三部では、シューベルトの即興曲に関する第三の ︹本論の︺第四部のネットワーク分析 │ の相互作用を考える
分析的見方に対する基礎づくりを行う。すなわち、ネオ・リー 際の生産的な方法であろう。
︵ Rings 2007, ︶
62
マン的操作を、より伝統的な調的・機能的文脈へと統合する見
方である。この統合は変形理論内で生じるが、シェンカー的方 つまり、両理論による並列的分析を通して﹁コントラスト﹂が明ら
法とネオ・リーマン的方法を協働させて統合させるわけではな かになる場合にのみ、対話は有意義になる。両理論の統合の意義は、
い︵ 。


Rings 2007, ︶
33 分析解釈の結果に左右されるということになる。

11

127
128
形の統合を試みたのである。
譜例三 シェンカー理論による声部進行の分析
図一 変形理論による和声のネットワーク分析

 また、リングズは二〇〇六年の著作で、﹁よりプラグマティックな
立場﹂から様々な分析法を用いることで解釈が生産的になると述べる。
  我々の目的がよりプラグマティックであれば︹⋮︺この︹ネオ・
リーマン理論とシェンカー理論の︺方法の多様性は、嘆くべき
(Rings 2007, 62)
(Rings 2007, 59)

ことではなく、利用すべきものである。このような融和的な結
論は、弁証法論者や専門分野の衝突を楽しむ者にとっては失望
させるようなつまらないものだろう。とはいえ、解釈の上で生
産的だという美徳もある。
︵ [ 2011
Rings 2006 ] , 40

 留意すべきは、このような統合が両理論の両立不可能性を前提と この立場は、次のベイカーの態度と部分的に重なる。
している点である。
 彼と同じくシェンカー理論の研究者であるベイカーは、ブラーム
スの作品を対象として両理論の方法の両立不可能性を例示したサマ
単一の分析構造の中で和声的パラメータと対位法的パラメータを ロットとは逆に、ブラームスの歌曲﹁異国にて In der Fremde
﹂を対象
  
協働させるシェンカー的な構造的読みは、決定的な点でルーウィ として両理論の要素の総合を図る。それは﹁共通音の延長 common-
ンのアプローチがもつ感受の複数主義︹ esthesic pluralism
︺とは ﹂という新概念によって成し遂げられる。
tone prolongation
異なる。︹⋮︺区分の根底にあるのは、分析行為だけでなく、音楽
体 験 の 特 性 を 理 解 す る 際 の 根 本 的 な 違 い で あ る。︵ Rings 2007, 和音から和音の連続的な連結ではなく、単一の三和音と、三種
  

39n 類の典型的なネオ・リーマン的変形︹ ・ ・ ︺によってそ

R
P

L
れと最も密接に関連した和声のつながりが強調される場合、変
構造的読みと感受の複数主義というこの区分は、両理論の性質の違 形 理 論 と 延 長 理 論 の 興 味 深 い 総 合 が 生 じ る だ ろ う。 特 定 の ト
いに関わるものである。
この論点は、
フックの一つ目およびサマロッ ニックの和音とその関連和音の間にある二つの共通音は、与え
トの三つ目の論点と同じ種類のものだ。いいかえればリングズは、 られた音楽的状況の中でこれらの和声の両方から和声的に支持
第三の新しい理論を構築するのではなく、両理論を並列するという さ れ る。
︹ ⋮︺ そ の よ う な 音 楽 的 状 況 は、 延 長 の 概 念 に 酷 似 し
ている。特に、延長された存在︵この場合はトニック和音︶が、
与えられた音楽的状況のどの瞬間にも文字通りには現前してい 三 解釈と方法をめぐって
ないという概念と酷似している。その和音の構成音のうち二音
は現前していても。この音楽的効果を﹁共通音の延長﹂と叙述
 以上、ネオ・リーマン理論とシェンカー理論をめぐる議論を立場
してもよいだろう。
︵ Baker 2008, ︶
72 の違いごとに読解してきた。ここで両理論の違いをめぐる論者たち
の論点をまとめる。
ここでは単一和音の延長というシェンカー理論の骨子が放棄されて
いるが、その放棄は、延長される和音が現前していない状況が頻繁   フック論点①   理論の性質の違い
に起こるというシェンカー理論の実態によって相殺されている。   
フック論点②
   
分析対象の違い
ベイカーの試みは、ネオ・リーマン理論の概念を導入することで   フック論点③   階層的一貫性︵=文脈性︶を前提にするか

シェンカー理論を修正するという形での両理論の方法の統合である。 否か
統合された理論は、以下の叙述から分かるように、第三の﹁発見的
  コーン論点①   全音階的枠組みに収まるか否か
方法﹂である。
  コーン論点②   分析対象の違い
  コーン論点③   統一性を前提にするか否か
  本論で私は、二つの理論的アプローチの関係を考察することで   サマロット論点① 統一性を前提にするか否か
得られるものが多々あることを主張した。共通音保持に見られ   サマロット論点② 全音階的枠組みに収まるか否か
る類似性や延長という概念が、音楽を説明する際の発見的方法 サマロット論点③ 理論の性質の違い
    
を与えてくれる。この発見的方法は、各アプローチの分析装置   リングズ論点①  理論の性質の違い
の隙間にあって見過ごされている。
︵ Baker 2008, ︶
81
これらを論点ごとに並べ替えると、以下のような、互いに関連し合
リングズと比較するならば、リングズは、両理論の両立不可能性を う四つの論点に集約される。
前提にした上で、両者の方法を対話させることによる解釈の生産性
を指摘したのに対し、ベイカーは、両方法を統合させた第三の方法 ︵一︶統一性を前提にするか否か
  
の発見性を論の収穫とみなしている。 ︵二︶
︵階層的あるいは全音階的︶文脈に依存するか否か
  
  ︵三︶理論の性質の違い

129
130
法としての頑強さと解釈の多様性とが天秤にかけられているのである。
  ︵四︶分析対象の違い
 一方、両理論の方法の統合を試みた論者のアプローチをまとめる
そのうち、
︵一︶
︵二︶
︵四︶は、理論としての価値観の違いに関わるの と、ゴールデンベルグの場合、両理論の違いを保持しつつ両理論の
に対して、
︵三︶は、両理論をそのように同列に比較するのではなく、 分析ツールを共用したが、それは新しい理論の提示と同義ではない。
両理論の方法を同列に比較することに対する疑義として捉えられる。 リングズも、両理論の両立不可能性を保持しつつ両理論の方法を対
フックにとって、シェンカー理論に基づく分析が厳格な指針に基づく 話させることによる擬似的統合を試みた。他方でベイカーは、ネオ・
のに対して、ネオ・リーマン理論による分析にはそのような厳格な指 リーマン理論の概念を導入することでシェンカー理論を修正すると
針があらかじめ用意されているわけではない。サマロットにとって、 いう形で両理論の方法を統合し、第三の方法を提示した。
ネオ・リーマン理論はア・プリオリの仮定には基づかない発見的なも これら種々の方法モデルを前にして生じる今後の課題は、二つの

のであり、シェンカー理論は多くの楽曲を分析することで体系化さ 方法を統合・共存させた場合の分析理論としての体系性や発展可能
れた頑強な性質のものである。リングズにとって、シェンカー理論の 性に関する議論である。同時に、シェンカー理論をはじめとする諸
内在性とネオ・リーマン理論の感受の複数主義は、分析行為として 理論が目指してきた体系性それ自体の効用を顧み、解釈の現場にお
の違い以上に、音楽体験という点で根本的に異なるものである。す ける理論の生産的活用法を問い直す必要もあると考えられる。また、
なわち、
︵三︶の論点だけは、
﹁理論の方法とは何なのか﹂
、﹁いかなる 方法の統合モデルを通して、多様な解釈を収容するという利点だけ
態度で理論の方法を扱うべきか﹂という﹁方法のあり方﹂をめぐる でなく、方法論的整合性を問うメタ・レヴェルでの議論や、多くの
議論を呼び起こしうる点で、他の論点とは異なる。このような議論 事例を積み重ねることによる新たな理論の構築、ないし理論の併用
の背後には、シェンカー理論の頑強さと比べた時の、ネオ・リーマン モデルの精緻化へと発展させていくことが、音楽理論という学問領
理論の体系的方法としての脆弱さが、論者に共有されているという 域全体に求められていくだろう。それによって、単一の理論を超え
実態が読み取れる。しかしこの脆弱さは、解釈の複数性や発見的解 た議論の活性化が期待される。
釈を可能にするという利点により埋め合わせられている。つまり、方
参照文献                              Western Music Theor y. Edited by T. Christensen. Cambridge
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Musician. Master’s Thesis, University of Tennessee. Neo-Riemannian Methodologies ︶ .

131
132
は半音進行を “Wechsel”
“Leitton” は長・短調の交換を指す。なお、
註                                
と は、それぞれリーマンの “Variante” と “Parallele”
に該当する
R
P

︵ ︶﹁ 変 形 ﹂ と い う 語 が 最 初 に 用 い ら れ た の は、 ル ー ウ ィ ン に よ る ︶。
︵ Riemann 1880
1

一九八七年の著作﹃一般化された音程と変形﹄においてである。
﹁ネ ︵ ︶ 例えば、 第二節に掲載した図一
﹁変形理論における和声のネットワー
4
オ・ リ ー マ ン ﹂ と い う 語 が 初 め て 用 い ら れ た の は、 コ ー ン に よ る ク分析﹂のうち﹁矢印一 第一五四∼一五九小節︵ ︶﹂と書かれ

P
L
︶においてである︵すでにルーウィ
一九九六年の論文︵ Cohn 1996 た箇所に注目されたい。英語音名で表記された は、ロ│ニ│嬰ヘ

b
ンの﹃一般化された音程と変形﹄第八章でリーマンの概念は導入さ のことである。その は、ロ│嬰ニ│嬰ヘである。さらにその は、

L
れている︶。変形理論は、近年ではネオ・リーマン理論と呼ばれる 変ロ│嬰ニ│嬰ヘであり、異名同音で読み替えると変ロ│変ホ│変
ことも多く、﹁変形的・リーマン理論 Transformational Riemannian トとなり、図中では英語音名で ♭ と表されている。

e
theor﹂
y︵ ︶ や﹁ リ ー マ ン 的 変 形
Cf. Klumpenhouwer 2002, 473 ︵ ︶ 単に﹁ネットワーク﹂ともいわれる。

5
﹂︵ Cf. Klumpenhouwer 1994
Riemann transformation ︶のように組み ︵ ︶ ハイアーやルーウィンによるリーマンの誤読や、クランペンハウアー

6
合わせられて用いられてもいる。多くの場合、ネオ・リーマン理論 を参照。
による応用や概念説明については、 Klumpenhouwer 1994
は、変形理論のうち特定の音楽理論家たちの論として、つまり下位 ︵ ︶ 比較が前景化されていないウォレン・ダースィによる研究︵ Darcy

7
︶。他方、ネオ・リー
区分として名指されている︵ Cf. Nolan 2002, 296 ︶、
2005ハイアーによる研究︵ ︶ならびにデイヴィッド・コッ
Hyer 1995
﹄第四二
マン理論を特集した﹃音楽理論誌 Journal of Music Theory プの研究︵ Kopp ︶は除く。スティーヴン・リングズによる博
2002
巻二号︵一九九八年︶でコーンは、﹁この号に所収された論文は、〝ネ 士論文︵ [ 2011
Rings 2006 ]︶は、同氏による二〇〇七年の研究︵ Rings
オ・リーマン〟という呼び名とともに示される、新たに出現してき ︶の補足として用いる。
2007
た様々な種類の変形理論を説明している﹂ ︶と述
︵ Cohn 1998, 167 ︵ ︶ 本稿で採り上げる一連の研究のうち、シェンカー研究者といえるの

8
べている。ここからは、コーンが両語をほとんど区別せずに用いて ︶とマイケル・ベイカー
は、フランク・サマロット︵ Frank Samarotto
いること が 分 か る 。 ︶である。ただし、他の論者も、シェンカー理論の
︵ Michael Baker
本稿では原則として﹁ネオ・リーマン理論﹂の語を用いるが、文脈 基礎的知識と分析実践能力を備えているとみなされる。
や各理論家の用語法に応じてネオ・リーマン理論と変形理論の両方 ︵ ︶ 配布資料と原稿を快く送付してくださったサマロット氏にこの場を

9
を使用す る 。 借りて感謝申し上げる。
︵ ︶ フックのこの一節や本稿第二節における引用にみられるように、ネオ・ ︵ ︶ ただしすでに、変形理論のネットワーク図式とシェンカー理論のグ

10
2

リーマン理論とシェンカー理論は、﹁変形﹂と﹁延長﹂という二項によっ ラフとは統合しうるとルーウィン自身が述べている︵ Lewin 1987,


て対比される傾向がある。ただし、シェンカー理論は、延長という ︶。
216-218
概念のみをその特徴としているのではない。両理論が対比される過 ︵ ︶ リングズは﹁両者を表面的に和解させる﹂試みには警鐘を鳴らして

11
程でシェンカー理論が単純化されていることに留意すべきである。 いる︵ ︶。
Rings 2007, 39n
ないし “leading-tone change”
︵ ︶ “leading-tone exchange” と英訳されて
3
い る が、 ド イ ツ 語 で の 表 記 も 多 い た め、 ド イ ツ 語 の ま ま と し た。 *本研究は 科研費 の助成を受けたものです。
JP16K16718

P
S
S
J

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