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c-システム侵入の倫理的間題

越智貢、水谷雅彦、土屋俊編、『情報倫理:電子ネットワーク時代のエチ

0 ごロ 耳公 じ
本 論で は、シ ス テ ム侵 入( クラ ッキ ソグ )に か か わ る 倫 理的 問 題 を取 り扱 う 。 こ れ に 関 し て は、
「クラ ッキ ソグ は常 に 非倫 理的 で ある 」と いう 主張 と 、「 ジス テ ムに 重大 な 害 を及ぼ さな い限 り、 クラ
カ』、ナカニシヤ出版、2000

ッキ ソグ は倫 理的 に 不 正で はな く 、 それ ど ころ か時 に は倫 理的 で ある と 見 な され る ぺき 場合 もある 」
システム侵入の倫理的問題

と いう 主張 と が 存在 する 。 こ こで は特 に 、「 明白 な 実 害 がな く て もシ ス テ ム佼 入は常 に 非倫 理的 で あ
る 」と する E ・ス パフ ォー ド の有 名 な 論文 "
A r
eComput
erHac
kerBr
eak-I
nsEt
hica―
●こを 検討 し
つ つ 、 新し い倫 理的 問 題に 対 する 倫 理学的 考染 の方 法を 見る こと に する 。
特 に その際 のわた し の間題 意識 は、(l) いかな る 倫理的 問 題が生じ て いる のか、(2) その解決に
至る 推 論や論証 が論理的 に 正し い仕 方 で 行な われ て いる のか、 そし て ( 3
) そこで の解決はど のよう
®

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な 倫 理的 理論に 基づ く もので あ る のか(特 に 義務 論的 な 枠 組 みに よる 正当 化 が 行な われ て いる のか、
あ るいは、 帰結 主義 的な 正 当化 によ るもの な の か ) と いう三 点であ る。もち ろ んわ たし自身 は、 必ず

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しも当の 分野 につ いて 十 分な 知識 を持っ て いるわ け ではな い。し たがっ て 常に問 題 への 解決や結 論 を
直 接 に下 すこ と ができ るわ け ではな い。 むし ろわ たしの 閲心 は、 その 論 点の 整 理 にあ る。 そこ で行な
わ れて いる議 論 では、 事 実 と 価値 と の 混同 が行な わ れて いな いか 、 不適 切な ア ナ ロジ ーによ って 蔽 諭
が 進 め ら れ て い な い か 、 論 者 の 単な る 氾 徳 的 直 観 に よ っ て 問 題 が 歪 め ら れ て い な いか 、 誤っ た倫 理 学
説 理 解が 含 まれ て い な い か 、 論 争相手 の 主張 を誤解し て いる箇 所 はな い か 等々 と いっ た点を注謡深 く
検 討 し たい 。
「ハ ッ ク 」と 「ク ラ ッ ク 」
「 ハッ ク」 や「 クラ ッ ク」 が何 を指 すの か と いう問 題 で
さて、 まず触 れて お か ね ば な ら な いの は、
な る事 実の 記 述と 価値 評
あ る 。わ たし が 倫理 的議 論 を検討 するに当たっ て 特 にと りあ げ たい の は、 Jli
な る 記 述 であ る よ う な も の と 、
価の 分別 であ る 。 わ れ わ れ が 倫理 的 議 論 にお い て 川 い る 言 語 に は、 lji
記 述に加 え て な ん ら か の 評 価を含 むもの があ る 。 こ の 両者 を混同 して しまうこ と が、誰論 を混乱 させ
る原 因と な るこ と が少 な く な い。
一般 に、「 ハッカ ー」 はシ ステ ムの 習熟 に荘 び を感 じ る人々 を指 し 、 悪慈 によ っ て シ ステ ムに佼 入
(
2)
する「 クラ ッカ ー」 と は峻 別 される。
わたし も 一応 の と こ ろ、 こ の 峻別 は 妥 当 なも の と 認 める も の であ る が 、「 ハ ッカ ー 」が価 値 評 価 語
であ る こと を見 逃 し て し ま う と 、 問題 を 混 乱 さ せ る こ と になる 。実 際 の と ころ、「 ハ ッカ ー 」は 「 勇
者 」や「 やさ し い」といっ た言 葉が単 にあ る 性 質を記 述する も の では な いの と同じ よう に、優れ た特
団 に対 する 肯 定 的な価 値評 価 を含 む も の で あ り 、その 意 味 で 確 定 し た 「 定 義 」を拒 む 側 面 が存 在 す
る 。 私 見 によれ ば 、「 ハ ック 」や その 技術 を 伴 う 人 を 指す 「 ハ ッカ ー 」 は 、それ ぞ れ 「 {
砂度 な( 炭敬
すべ き )技術 」や その 技術 を身 につけ てい る 人々 を指し ており 、 だから こそ軍話機 を改 造し て長距離
虚話をクダ でかけ る 邸度 な技術 を手 に入 れ て い る 人 を 、そ れ に価 値 を 見 い だす人は ハ ッカ ー と 呼 び 、
それ に価 値 を見 出さ ない 人は 彼( 彼女 )は ハ ッカ ーでは ない と 言 い う る 可 能性があ る の だ。 こ の よう
な川 法をiliに「 定 義」や記 述の 間違 い と し て退け てし まう こと が 、 これ ら の 語の m法に関する 混乱 を
呼 んでいる の であ る 。
蛇足 だが、 同じ よう な混乱 が、ハ ッカ ー 倫理 の 文脈 で聞かれ る 「 フリ ー 」という 多 義的な語 にも あ
システム侵入の倫理的問題

る 。 おそら く 、 言業 の 正 し い意 味 で 第 一級 の「 ハ ッカ ー 」で あ る リ チ ャ ー ド ・スト ー ル マソ に よれ
ば 、 プ ログ ラム は 「 フリ ー 」であ る ぺ き なの だが 、 そこでい う 「 フリ ー 」と は 、無料 であ り 、制 限 な
く改 変でき 、 また制 限なく配布され る べ き であ る と い う こと を意 味 す る 。 この よう なプログ ラム の 無
料で自由 な配布は コ ソビ ュー クや寵 子 通信 の 文化 の 中 で非 常 に大 き な役 割 を果たし てき た。ただし 、
この 「 フリ ー 」と いう 語 は 非常 に強 い価 値評 価 語 であ り、われ われ は そ の 語 で示さ れ たも の に好惑を
6

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(
3)
抱 い て し まう 碩向 があ る 。 この こと が直 ち に混 乱 を引 き 起こすわけ では ない が、 少なくとも 、われ わ
れはこ のよ うな 価 値 評 価 語が 混乱 のク ネ に な り うる こ とに 注 邸しておく 必要が あ る だ ろう。

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二つの倫理的 Ill
心 考
も う一 っ 、 実 買的 な 規 範に 関 す る 厳論 を行な う場 合に 注 意し な け れば な らな い のは、わ れわ れはど
のレペル で の倫 理的 思 考 を行な っ てい る のか に 注 邸し ておく ぺ きだ とい うこ とであ る。現代 イギ リ ス
(
1)
の有力 な 倫 理学 者 R .
M ・ ヘア に よ れば 、 わ れわ れの倫 理的 思 考 に は二つ のレペル が 存在す る 。 ひと
つ は直 観的 レベル の思 考 と呼 ば れ、 そこ で は あ らか じ め 受 け 入 れられた一群 の倫 理的 原 則 を 、 個 々の
事例 に 当 ては め る こ とに よ っ て判 断 が 行な わ れる 。単純 な 例 を挙 げ よ う。今 こ こ に 他 人 の傘 が あ り 、
雨が 降 っ てきたとし よ う。傘 を持 ち合わ せ てい な い わ たしは 、 その傘を使って自分 の家 まで仰 ってよ
い だ ろ うか ? こ の場 合、 わ たしは「 他 人 のも のを勝手に 使 っ てはな らな い 」とい う一般 的 な 倫 理的
原則が こ の場 合に 適 用さ れる こ とを発 見 し 、 傘 を使 うこ とを控 える こ とにな る だ ろう。 日常 的 な 事例
に おい てわ れわ れはこ のよ うな レペル の道 徳的 思 考 を行な っ てい る 。
しかし、 こ のよ うな 直観的 レペル の思 考 に よ っては倫 理的 問 題 が 解 決できな い よ うな 場 合も 存 在す
る 。 ひとつ は特 別な 場 合に おい て、 わ れわ れの受 け 入 れてい る 複数 の倫 理的 原 則や 倫 理的 直 観が 葛藤
し てし ま う楊 合で あ る 。 例 えば 、「咄 をつ く ぺ きで はな い 」とい う倫 理的 bit
則と、「他 人 の成邸旧を低つ
け る ぺ きで はな い 」とい う倫 理的 原 則が ぶ つ か っ てし ま う楊 合が あ り うる 。 ガソ告 知 の例 を考 えてみ
れ ば よい だろ う 。 この楊合 は 、ど ち ら の原則 に従う べき かを決 め るには 、 一
段 上の批 判的 レベル から
状況 を見 直し、 この特 定の状況 では ど ちら の 原則 が優先 すべき であ るかを決 定し なけ れば なら ない の
であ る 。 これま で従っ てい た 直糾 が疑 わ れた 楊合 にそのIE当化 を行 なう のも、附 観に訴え ない 批 判的
レペル の思 考 であ る。
批 判的 レベル の倫 理的 思考 が 必嬰 と さ れるもう ひ と つ誼 要 な場 合 があ る 。わ れ わ れ の追 徳的 直糾
は 、 従来 の11常生活 で川い るた め に教脊 や経 験 によっ て築 き 上げ ら れた ものであ る。した がっ て、 こ
れま でと は違 っ た 新し い 状況 に 、 そのま ま 適 用 すること ができ ない こと があ る。先 端的 な医 僚 の現場
での倫 理的 な問 題 につい て、 従来 の倫 理的 感梢 や誼 徳的 直親 がもは や信頼 するに値し ない ものと なっ
てい る こと は 、 七0 年 代以降 の生命 倫 理学 が明 ら かにした こと であ る。 同じ よう なこと が、 コソビ ュ
ー タと ネ ット ワー クによっ て新た な複 雑 な問 題 が生じ てい る情報 倫 理学 の分 野でも言え るだろ う 。 こ
のよう な新し い 問 題 を、 従来 のFl常的 な道 徳的 直観と のア ナ ロジ ー によっ て語 ること は、問 題 を髭乱
システム侵入の倫理的問題

さ せ てしま う 可 能性 があ る。 そ こで新た な倫 理的 問題 が生 じた と き 、 従来 の道徳的 原則 がもはや侶頼


する に値し ない と 思わ れる 楊合 には 、 わ れわ れは 直観的 レペル では なく 、 批 判的 なレベル で新た な倫
理的 原則 を作 り ださ ねば なら ない のであ る 。 もちろ ん、い っ た ん妥当 な倫 理的 原則 を作 り出 すこと が
でき れば、 次 に は それ を直観的 レベル で使 用 でき るよう に制度化 ・内 面化 する必要 があ るのは言う ま
で も ない 。

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3 スパフ ォー ドの倫理学的立場
で は、ス パフ ォー ド の 多 く の 点で 示唆 的な 論文の 謡 論を 紹介 しな がら、 コソピ ュ ータ シス テムク ラ
ッキ ソグ と ハ ッ カー倫 理 の 問 題 を考 える こ とにする 。
ま ずス バフ ォー ド の 倫 理 学的立 場 を 確 認 して お こ う。 彼 の 倫 理 学上 の 立 場 は 次 の よ うな も の で あ
る。
「 わ れわ れは ある 行 為の 倫 理 的な 性 烈 を、 義務 論的な 評 価 を 適 用 す る こ と によ って 判 断 す る こ と
がで き る 。 結 果 は別 として 、 そ の 行 為そ の もの は 倫 理 的な の か ? 皆がそ れを す る と 仮定 したら、そ
の 行 為を 分 別 が あ り 正 当 な も の で あ る と 見 な す こ と が で き る だ ろ う か ? (
中略)正 しさ は 行 為によ
って 決 ま り 、そ の 結 果 によ っ て 決 ま る の で は な い 。結 果 が手 段 を 正当 化 す る と 考 える 倫 理 学者 も い
る 。そ の よ うな 考 えか ら行 動す る 個人 も存 在す る が、わ れわ れの 社 会は そ の よ うな 哲 学によ って 動い
て い る わ けで は な い 。( 中略) 結 果 に関 わ らず、 過 程 が重 要 な の で ある 。
も っ と も、 二つの ほ とん ど
同じよ うな 行 為の 問の 選 択 を す る 楊合 に、 仰結 が役 に立 つこ と もある だろ う」。
通常 、「 義務 論的de
ont
ologi
cal
」な 倫 理 学理 論と は 、 行 為や 規則 が生 み出す 価伯 (効用 、幸福)以
外の 、 行 為そ の もの の 特 徴によ っ て倫 理 的な 価値が決 ま る とす る 立 場 で ある 。 例えば 、 傘泥棒が倫 理
的に非 難さ れる べき で ある の は 、そ れがもたらす 婦 結 が悪 い もの で ある (たと えば 本来 の 持 ち主 が雨
に油 れて 悲し い 思い を す る )か らで は な く、そ の 行 為が「 他 人 の もの を 盗む こ と 」と い う特 徴を もっ
か ら であ る 。し ばし ば殺 務論 と対 比さ れ る の は 帰 結主義 c o
nsequent
iai
sm と呼 ばれ る 理論 であ る 。
I
これ は 、なに が 追徳的 に 正 し く なに が 不正 であ る か を評 価す る 基郎 は 、究極的 には その行為によっ て
)以 外には な い とす る 立楊 で あ る 。 中でも 代表的 な 立 楊は 、行為や
生み 出さ れ る 結果 のも つ将 (効 JIJ
ルー ルは 、それ が 関係者 全且 に蚊大 のJ ・幸 術 をもた ら す も の が 正し いと する 功利 主義 で
mの 抑 •効 JIJ
あ る。
倫 理学 的 に 見 て、 おそら く スバフ ォ ードの加 結主投 の理解 に ばなん ら か の誤解 が 存在 す る 。彼は 帰
「 現に 生 じ た 結 果 に よ っ て 、行 為 の 価 値 が 判 断さ れ る 」 と誤解 し て い る よ うだ が 、
結 主 義 の 立場 を 、
さ れ る べき な の は 、 現に 生じ た 結 果 だけ でな く 、あ る 行為か ら 見 込まれ る 結果
加 結 主毅 の 立場 で考 lO
であ っ てよ い。つ まり 、あ る 行為に よ っ て悪い 結 果 が 生じ る 見 込み が 高いとさ れ る な らば、その 行為
は 不正 な 行為とさ れ る の であ り 、偶然 その 結 果 が 悪い も の で な か っ た とし ても 、 不正 な行為とさ れ る
ことも あ る 。わ たし は この 功利 主義 的 な 立楊 に 立っ て、 スパフ ォー ドの議論 を検討 す る ことに す る 。
システム侵入の倫理的問題

4 ハッカ ー 倫 理
次に 、 「 ハッ カ
「 ハッ カー 倫 理」 と呼 ばれ る 倫 理的 規範 あ る い は 価値 観 を見 てみ る ことに す る 。 ー倫
理」 と呼 ばれ る ぺき 倫 理的 規範 が 、 現実に 固 定し た も の とし て存 在し た ことは いまだな いと思われ る
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が 、次のよ うな主張 が し ばし ば「 ハッ カ ー 倫 理」 と呼 ばれ る 。す な わち 、
「 盗ん だり 破壊 した り 機密
を犯 さ な い限 り、 遊 びや 探求 のた めにシ ス テム侵 入 をして も倫 理的 に問 閣が な い とす る信念 」が それ
(
5)

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であ る。そして 、こ のよ う な 信念 の背 尿 には 次 のよ う な 論 点が 存在 す ると主 張 さ れ る。(1) す べ て
の梢 報は フリ ーであ るべ き であ り、も し俯 報が フ リ ーであ るな らば 知 的 所有 権や セキ ュリ ティの必 要
性は 存在 しな い。(2) シ ス テムヘ の佼 入 は 、 セキ ュリ ティ ホ ール を明 らか にす る効 用が あ り、 むし
ろシ ス テムに対 す る功 絞 と見 な さ れ るべ き 場 合 もあ る。(3)ハ ッカ ーは 害 を与 えるこ とは な く、 ま
た な にも変更 しな い 。 彼 らは単 にコ ソビ ュータ シス テムが ど のよ う に動 くのか を学ぽ う として いるだ
けであ る。(4) 使 われ て いな い探 源 を有 効 に利 用す るため には 、 シス テム佼 入 をして もか まわな い。
(5)ハ ッカ ーは 梢 報の悪 用 を 防 ぎ、(ジョー ジ・オ ーウ ェル の小説 「1
984
J で現 れ るよ う な )「 ピッ
グ ・プ ラ ザー 」が 暗 躍す るこ とを防 ぐ。本論 では 、こ れ らの特 徴 によ って 示さ れ る価値判 断を「 ハッ
カ ー倫 理」 として 捉 え るこ とにす る。それ では 、 ス バフォ ードが 学 げて いるシ ス テム佼 入 を弁 殺す る
謡論 と、それ に対 す る彼 の反論 を取 り上 げよ う 。

梢 報 は フ リ ー で あ る べ き 」と い う 議 論
あ る「 ハッ カ ー」や 「 クラ ッカ ー」た ち の 主 張 に よ れ ば 、す ぺ て の梢 報は フ リ ー で あ るべ き で あ
り 、 知 的 所有権や セキ ュリ ティ の必 要性は 存在 しな い とさ れ るとい う 。 これ に対 して ス バフ ォードは
次 のよ う に反論 す る。(l) す べ て の梢 報が フ リ ーで あ るな らば 、 もは や プラ イバ シ ーは 存在 しな い
こ とにな る 。さら に、( 2) 梢報 の所有 権 が存在 し な い な ら ば、 誰 も が 梢報 を 改立 す る こ とが可 能に
な る 。銀行 やクレ ジ ット 会社や病 院な ど のデ ー ク が勝手 に改 似され る こ とにな って し まう 。 誰か が梢
報 をコント ロ ー ルする な ら ば、そ の情報 はフ リー ではな くな って し まう が、 コント ロ ー ルされ て いな
けれ ばわれ われ は梢報 の正 確 さを 期待 す る こ とができな くな って し まう。
さて、 まず こ こ でスパ フ ォー ド が「 ハッカ ー 倫理」 をあまりに拡 大 し て 解 釈し て いる こ とは明 ら か
であろう。 い か に過 激な 「 ハ ッカー 」であれ 、 プ ライ バシ ー の狙要性 を否 定し たり、 社会 的に爪 要な
か いざ ん
梢報 の改政 を容認 し たり す る とは考 えに く い 。 前述 のスト ー ルマ ソも、 機 密 にする ぺき俯報 が存在 す
る こ とは認 め て いる し 、 ま た、 少な く とも 、 スパフ ォー ド がこ のような 「 ハ ッカー 倫理 」観 の典拠に
し て いる GNu 宜 言 にお いて も、 す べ て の梢報 がフ リー である べきだ という主 張は見 当たら な い。G
Nu の主張 は、 せいぜ い、 有 用な プロ グ ラム は自 由に使 え、 無料 で配布 できる ようにな る ぺきである
とい うも のであり 、 クレ ジ ット 会社や、 国防 上狙 要な 機 密 やわたし の個 人 的な 梢報 が皆によって ア ク
システム佼入の倫理的問題

セス可 能にな る ぺきである とは主 張され て い な い 。こ のような 誤解 はネ ット ワー ク上 で配布 され て い


る " jar l
gonfie" に も 存在 する 。
また、 スバフ ォー ド が( 故意に? )「フ リー 」とい う 語 を多 義 的に川 い て い る こ とにも注 意し て お
く必 嬰がある 。確 か に梢報 の 正確 さ の ため には、 梢報 のコソトロ ー ルが 必 要であり、 コソトロ ー ルさ
れ て いる 梢報 はそ の意味 では( つまり 、 コソ ト ロ ー ルされ て い る とい う慈 味 では)「 フ リ ー 」ではな
6

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い 。 しかし、 こ の音心味 が、「 ある 種 の情報 やプ ロ グ ラム はフ リー である ぺきだ 」と主 張し て い る 人 々
の意見 だ ろう か ? GNu の究同 者 にし ても 、 オリ ジナ ル のデ ーク を 勝手に改徴し てよい とはと ても

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言い そう にな い 。 ス バフ ォー ド等 「 ハッカ ー倫 理 」の 批判 者 は、 論 争相手の謡論 を法外なも のにし て
(
6)
し まっ てい る と 言わ なく てはなら ない 。
6 セキ ュリ テ ィの議 論

シ ス テ ム 佼 入 には、 コソ ピ ュー ク の セ キ ュリ テ ィ ホ ー ル を 明 ら か にす る と い う 甜 極的 役 割 があ
る」
。 この議論 は有 名なワー ム プログ ラム がネ ット ワー ク シ ス テム に大 き な被 害 を も たら し た事 件 が
生じ たと き に提 出 された議論 であ り 、 今なお 少なか ら ぬ支 持者 たち が存在す る と思わ れる 。イ ソ ター
ネ ット ワーム の作者 は、 自分はセ キ ュリ ティホ ール を 指摘す る ため に当のプログ ラム を 作成し たと 述
ぺた 。こ のよう なセ キ ュリ ティ破 り は決 し て悪 判な慈 図 による も のではなく 、 むし ろセキ ュリ ティの
穴を明ら か にす る と い う密 意 にも と づ くも のであ り 、し たが っ て、 こ のようなセキ ュリ ティ破 り は楊
合によっ て は推 奨 す ら される ぺき であ る と い う こと になる 。 ス パフ ォー ドはこの脳論 につい て次 のよ
う に述 べ る 。(l)現 状ではベ ソ ダ ーや シ ス テム 管理 者 たち はセ キ ュリ ティ の問 題 に十 分配 廊 し てい
る ので、わ ざわ ざセ キ ュリ ティ破 り を す る 必 要 はない 。そうす る こ と は、防火 の用意 ができてい ない
こ と を 知 ら せ る ため に故慈 に火 ホ を 起 こ す のと 同 様 であ る 。(2)多 くのサイ ト はセ キ ュリ ティ ホ ー
ル を防ぐ ため の技術的 ・経 済的 な余 裕 がな い 。そ の ようなシ ス テム に佼 入す る こと は、 直接 の害 の布
無 にか か わ らず、 業務 を妨 祁 して い る こと にな る 。(3)ソ フト ウェ ア ・ハー ド ウェ ア ペ ソダ ー には、
す べて の セキ ュ リテ ィホ ール を修 正す る 買任 があ る わ けで は な い 。 と いう の ぱ、多 くの サイ ト では固
布 の 業務 の ため にソ フト ウェ ア をカ スク マイズ して お り、 ベソ。
クー がセキ ュリティ ホー ル を即 座に修
正 でき る よ う にして お く ため にはあ ま りにも多 くの 役用 と 労力 がか か る か らであ る 。
スバフ ォード の ( l
) での ア ナ ロジ ー は怪 しい 。 火事 は明 らか に実 害 と 言 える だろ う が、 セキ ュリ
テ ィホー ル を発 見す る ため の クラッ キ ソグ その もの にはま だ実 祁 が存在 しな い 。 ワー ムプ ログ ラムの
勘合 には 、多 くの シ ステムに負 荷 をか け、 システム管 理 者の 手 を煩 わ せる 結果 にな っ たと いう 意味で
実 害 が あ っ た の は た し か だが 、 す べ て の クラ ッキ ソグ に同 様 の 実 害 があ る と は 言 え な い。( 2
)と
(3) の 謡論は布 効 であ る と 思 わ れる が、 明 確に仰 結主 義 的 であ る こと に注 意を促 したい 。
7 使 わ れ て いな い莉 源 の布 効 利 用
システム侵入の倫理的問題

著 名な ハッ カ ーであ る リチ ャ ー ド ・スト ー ル マソは、 Ne


~us
wee
ltに当 て た手 紙の 中で次 の よう に述
べ ている 。
、) わ たしは絶 対 的な 所布 権 と い っ たもの を侶 じて い な い 。 つま り、所有 者は所布 物 を妨 げ られずに

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使う 権 利 を持 っ て い る が、 そ れを慈 図的 に無 駄にす る 権利 は持 っ て いな い。所有 権の 佼害 は、そ
れが も たら す 損害に よって の み不 正なの で あ って、 単に 所有 者 だけで なく 、 関係 者 全 員の利害が
7)
(

182
考 應 さ れ ね ば なら ない 。
ス ト ール マソの主張 は 叫確 に 功 利主義 的 なも の で あ る 。 ス バフ ォー ド は こ の よう な見 解に 対し て‘
(l) こ れら の シ ス テム は 一般 的 な 利 川 の た め に 提 供 さ れ て い る も の で は なく 、商 業 、 医 学、 同防、
研究 、行 政 などの ため に 使わ れているの で あ り、仙 わ れて い ない 能 力は 、将来 の必 要性 や一時 的 な大
址のデ ー ク処理 のため に 用意 さ れてい るも のだと主張 す る。 彼 に よれば、こ れは 例え ば使わ れてい な
い 自動 車 を 所有 者 に 断りなしに 使用 す るのが不 正で あ るこ と と 似 てい る。
だが 、 こ の ス バフ ォード の アナ ロジ ーも また危う い 。確 か に わ れわ れの近徳 的 直観 で は 、 使われて
い ない 自動 申を 勝手 に 使う こ と は 倫理 的 に 非難 さ れるぺ き こ と なの だが 、自動 車 の 利川 と シス テム の
利 用 と は ま っ た く 迎 っ た 事 態 で あ る と い う 指 摘 も 可 能 で あ る よう に 思 わ れ る 。 勝 手 に 自 動 車 を 使え
ば 、 その 所有 者 は それを 使用で きず不 利益 を 被るこ と に なる が 、 使 われてい ない コ ソビ ュ ーク探椋を
使う こ と が同 じ よう に 所布 者 に 古を 及ぽ す か どう か は 定 か で は ない 。 例え ばス ト ール マソは ( 別の発
言で は あ るが) コソピ ュ ー クとタ イプラ イタ ー を 類比 し て 、空 い てい るクイプラ イ クーを 無断使用す
るこ と を わ れわ れは 倫理 的 に 非難 す るこ と は ない と 主張 し てい る。 こ こ で は 少なく とも スバフ ォード
の 直 観 と ス ト ール マソの 附 観 と が 食い 迎ってし まってい るの は 叫ら かだろ う。ス ト ー ル マソの祁げた
例に は 同慈 し ない 人が 多 い か も しれないが 、さ ら に アナ ロジ ーを 変更 し て、他人 のコ ソピュ ーク探源
を使 う こ とは 、 有刺 鉄線 な どが 張 り巡 らされ て いる 私有 の空 き地で 野球をす る よう な ものだと 言わ れ
る と どう だろう か 。こ の例 には 肯 定的 に答 え る よう な 直 観 を持 っ て いる 人 も少な く な いと 思わ れ る 。
先 に述 べ た よう に、 こ の よう な 楊合 には 批 判的 な レペ ル で さらに正 当 化 を行 な う 必 淡がある 。こ のよ
う な 再 反 論に対 して スバフォー ド は 、(2) もしコ ソビ ュー クを持 た な い多 く の人 が 、使 われて いな
いコ ソビ ュー クを使 用す る と な れば、 プ ロセ ッサ に過 大な 負荷 が かかり目的 と され た業務 に悪 い影秤
を与 え る こ と にな る だろ う と 言う 。しか しこ こで もま た 、 このスパフ ォー ド の( 2) の謡論は 、彼 の
言 う 義務 論的 な 厳論で は な く、 WJ
白 に帰 結主 義的 な 議論( 特に功 利主 義的 一般 化 ut
ilit
ari
angene
ral
,
i
zat
ion と 呼ばれる 説5論) で ある こ と に注 意しよ う 。 さ ら に、こ の蔵 論 には 前 大な 問 題 が あ る 。す な
わ ち 、「もし多 く のひ と が そう す れ ば」悪 い結果 にな る と いう こ と が 叫 らかだと いう こ と が 、「現にま
だ多 く の人 が そう して いな い」状 況につ いて 慈味 を持 つ のは な ぜな のかを説 明しな ければな らな いの
で あ る 。ま た そもそも、「使 わ れ て いな い」衣 椋 を使 う と いう 前提 のもと で の 議論で ある は ずな のに、
システム侵入の倫理的問題

多 く の人 が それ を使 い大 きな 負荷 が かかる だろう と 推 論す る のは 奇 妙で あ る 。
8 学生 ハッカ ーの議 論
蚊 後 に学 げ る 議論は 、 学生 ハッカー の蔵 論( TheSt
udentHackerAr
gument
) と 呼ばれる もので
6

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あ る 。つ まり、 シ ステ ム伎 入者は な にも中 を
I 与 え ず 、 な にも 変更 しな い||出平にコ ソビ ュー クシ ステ
ムがど のよ う に 動 い て い る のか を 学んで い る だ けで あ る とい う 主張 で あ る 。 コソ ビュー ク は高 価で あ

18・i
る ので 、効率 のよ い や り方 で そ れを 研究 して い る だ けで あ る とい う わ けで あ る 。これも、前 述 のスト
ー ル マソ がN ew s
week に あ て た手紙 のな か で 主張 して い る議 論で あ る 。スパ フ ォー ド の分 析 に よ れ
ば 、こ の誂 論に は次 の よう な 問題点 があ る 。( l
) システ ムに 佼 入しフ ァイ ルを 覗 い たりす る ことは、
コソ ビュー ク 教育 とはほ とんど 関 係 がな い 。 アナ ロジ ー を 用い れば 、車を 盗む こ とは、 車のメカ ニズ
ムを 知る こ と に はな らな い 。 さ らに ( 2
) シ ス テ ム に つ い て 「 学んで い る 」学 生たち は 、も ち ろ ん 、
システ ムに つ い て す べ て を 知っ て い る わ けで はな い 。 したがっ て 、 慈 図 せずして システ ムを 破製 して
しま う こ ともあ りえ る とい う 。 さらに ( 3
) セ キ ュリ テ ィ管 理者 に とっ て は、 単な る学生ハ ッカ ーと
悪 意のあ る 佼入者 とを 見分 ける こ とは難 しく 、 佼入 があ る たび に システ ムの整 合 性を チェ ック しな け
れば な らず、こ れは非 常 に 労 力 を 嬰 す る こ と で あ る と い う 。 こ こ で も、
(2) と( 3
) の主張 は確 か
に 有 効で あ るよう に 思 わ れる が、 明 らか に 焔 結 主義 的 な 主張 で あ り、 また( l
) はク ラッキ ソ グの教
脊 的 効果 とい う 帰結 主義 的 な 主張 を 否定 して い る に す ぎず 、 い ずれに して も、 帰結 主義 の土 俵 の上 で
の議 論と言え る 。
他に スパ フォ ー ド は、 ハッカ ー は政府 や企業 に よ る デー ク の悪 川か ら社会を 守 る 守護 者で あ る とい
う 議 論( TheSoc
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e gument) を 検 討 して い る が、こ れに つ い て は本 論で は省略 す る。
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9 結 論
11
システ ム応 入は 明' i 布無 に か か わ ら ず 常 に非 倫理 的だ とす るス パ フ ォード の 議 論を 検討 し
な 史山 の
て きたが 、 彼 の 謡 論は 、倫 理 学的な 観点 か ら 見 て 問 題が 多 いと言 わね ばな ら ない。ス パフ ォード の自
称 す る倫理 学的 立場 ( 義務 論的 立場)に 反 して 、われ われ が受 け入 れ るこ との できる 議論は 、 システ
ム知 入を 弁護 す るも の で あれ 、それ に反 対す るも の で あれ 、す べ て 広 い意 味 で帰結 主殺 •功 利主義 の
をもた
則 が 、 どの よう な 益 と山り
立肋 に 立つ も の で あるよう に 思 わ れ る。 われ われ は 、「 当の 行為 やbit
ら す と見 込ま れ る か 」 という 帰結 主義 の 立場 か ら倫 理的原 則を 決定 す る課 題に取り 組 む の が 重要で あ
る よう に思 われ る。 この 立場を 採用 す るな ら ば、ス ト ール マソに よ る賀 源 の 有効利用 の 誤 論も 十 分に
検討 の 余地 が ある 。 も っとも 、 コソビ ュー ク預 源 が 安価に な った 視 代 で は 、 その 邸 義は 蔀れ て いるか
システム侵入の倫理的問題

も しれ ず 、そう だ とす れ ば 、他 のス パ フ ォード の ( 帰結 に 訴え た)数 々の 反 論は 説得力 が あり 、 おそ


般 的に は クラ ッキ ング は 不正 で あり 、 個 々の ケース に 剥し て も 倫理 的である と見 なさ れる勘
らく 、 一
合は 極端に 少 な いだ ろう と 、 おおざ っ ばに は 推論 され る。
おそら く 、 スパフ ォード が 術結 主義 を 採 用 す るこ とをた めら っ て い るの は 、 ひとつ には 、 帰結 主義
に 必要な 結 果の 予 測 が 非 常に 困難 で あるか ら だ ろう 。前述 の ヘ アも 、 完 全な 批判的 思 考は 、 十 分な俯
6

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報を知 り、 人間 的な弱 さを 持たな い 理 想的 な 近徳 的 思 考者 に しか 不 可能 で あることを 認 めて いる。 し
か し 、 わ れ わ れ は 、 完 全 な 批 判 的 思 考 の近 似で あ る に せ よ 、 そ の困 難 な 課 題 に 取 り 組 み 、 わ れ わ れ が

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従 う べき 倫理 的 原 則 を 作 り 出 し て い か ね ば な ら ず 、 そ のた め に は た ゆ ま ぬ批 判 的 議 論 が必 要 と さ れ る
9)
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ので あ る 。
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ntceHall,1995.

2) 山根 信ニ ・小 笹裕晶 「真のハ ッカーがクラッキ ソグ をし ない 理由」(「阻子 梢報 通信学 会技術研 究報
(
告」九六 ( 、 一九九六 年) や白 田秀彩 「ハッカー倫理と情報 公開 ・プラ イバシ ー」(「サ
四四0) 回度梢報化の
法体系と社 会制度」科 学研究股 補助金 ・頂 点領域研究報 告柑、 一九九五 年)な どを参照のこと。
3) この指摘は今 世紀半ば のアメリカのメク倫理学者 C.L.St
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94�の「 品得 的定 殺」 に関する議論に屈 つく。
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、 一九九一 年。
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R .M ・ヘ ア、内井惣七 •山内友 三郎監訳 「逍徳的に考えること」勁 路"11
5) ハッカー倫理には 「梢報 の共布が実際にとて も役 に立 つ善 であ ると考え、フリーのソフトウェアをかI
(
い たり桁報 や計 符預椋 へのアクセスを実現することによ って 自分の技術を分け与え るのがハッカーの倫理
的義務であ るとする信 念」 とい う別 の意味もあ る。詳しく は上述の山根 •小 笹論文を参照のこと。
6) ほとん ど同じ滴論が、De
( borah G.J ohnson,C o J
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Hal 9
95な どに も見られる。
(7このストールマソがN e
) wsweekに当てた手紙 はK述のC o 111
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8) DuncanLangf
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l, 1995 p
l .65.
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(
9) 本論 は、「祖子 梢報通 信 学 会技 術研 究報告 FACE 97-22J 一九 九 七 年 、 に掲 載 され た江 口聡 「クラ ッ
キングと 「ハッカ ー倫 理」」を 加侑 修正 したも ので ある。
システム侵入の倫理的問題

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