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ホフマン(池内紀訳)

その際、口せわしなくしゃべっている。(とりわけ食事中にめだったことだが)、話の内
容がやつぎばやに変化するかとおもうと、こんどはのべつ同じ話題にたちもどるというあ
んばいで、こうなると何か別のことが頭におもい浮かばないかぎり、自分でも見通しの立
たない迷路に入りこんでいくらしかった。
さて、そのアントニエの顔かたちだが、はじめて見た瞬間はそれほど印象深いものでは
なかった。だがまもなく、そのやさしい顔と、青い瞳と、薔薇色の唇に魅惑されないでは
いられないのだった。色は抜けるように白いのだが、おもしろおかしい話題ともなると、
紅をさしたように両頬が赤らんだ。ついで色あせてほんのりと赤味がかってくる。
恋人の窓辺に立って胸の想いを訴えたりするには、アントニエはあまりのも尊い人だっ
た。あえていえば、あまりにも気高い人だった。千々に乱れる心を抱いたまま私はしおし
おとH町をあとにした。いかに輝かしいものも時とともに色褪せるのは世のならいだが、
アントニエの歌ばかりは自分で実際に聴いたわけでもないのに、やさしく慰めてくれる花
の香のように私の心の底に残っていた。
ともに話のできる人がいてこそこの世に花も実もあるというのに、その点、小さな町と
いうものは少人数でひっそりと演奏している楽団のようなものであって、お得意の曲は上
手にやるが、ちょっとでもよその音がまじりこむとやにわに耳をそばだて、即座に演奏を
中止してしまうのである。
ヴァルター教授は友人から聞いていたとおりの人物で、話し好きでもあれば世なれても
おり、この点、よくできた聖職者におなじみのところだが知識や学問にとらわれることな
く、聖務日課とは別の目で人の世や人生そのものを見つめられる人だった。
「君の心は沈んでいる。その君のそばにいて励ましてやることができないのが残念でな
らない。どうか信じておくれ。才能を疑い出すのがまさしく才能のあかしなんだよ。自分
の能力に一点の疑いもいれず、たえず自信満々でいられるのは単なるばかであって、当人
が錯覚しているだけのことだ。その者には努力のための本来の契機が欠けている。努力は
ただ自分の足らなさを知ったときにはじまるのだから。我慢して頑張っておくれ!-
そうすれば力がつく。力がつけば友人の言葉にあれこれ疑うこともない。友人たちにはお
そらく君が少しもわかってはいないのだ。自分の本性にもっともふさわしいと思う道を歩

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むべきであり、風景画家になるか歴史画で試みてみるか、それはおのずから定まることだ。
一本の木の枝にいかなる優劣があるだろう」
自然のより深い意味をより高度な意味においてとらえることであり、その意味において
こそ生きものが応分の生命を獲得するのであって、これがすべての芸術に共通する聖務と
いったものだ。自然をひたすら克明になぞっているだけで何がどうなる?
老人は不思議の園を歩くかのようにして坑道をめぐり歩いた。やがて岩が息づき化石が
生をうけ、鉄鉱石や柘榴(ざくろ)石がランプの明かりに照りはえてきた- 水晶が玄
妙な輝きを放ちはじめるようだった-
綿のように疲れたからだをベッドに横たえたとたん、夢が翼をひろげたようだった。鏡
のようになめらかな海面いっぱいに帆を張って美しい船が走っていく。見上げると黒い雲
が空を覆っている。波間をみつめているうちにエーリスは気がついた。海だとばかり思っ
ていたが実はそうではなく、ある透きとおった光り輝く物体であって、その輝きの中に船
がまるごと吸われるように呑みこまれた。気がつくといまや自分は水晶の床に立っていた。
頭上には黒光りした岩盤がそびえている。その岩盤こそ、さきほど黒い雲と見まちがえた
ものであるらしかった。何か不思議な力に惹かれるようにして前にすすむと、不意にあた
りがいっせいにゆらぎはじめた。とおもう間もなくめくれ上がる波のように足もとからキ
ラキラと輝く金属の草花がはえ出てきた。次々と根方から葉をのばし花をつけ、なよなよ
とからみ合う。地面は一転のくもりなく透きとおっていて、草花の根が手にとるようには
っきり見えた。なおも目をこらしているとはるか下に- 数知れない白い女体がひしめ
いているのに気がついた。女たちは白々とした腕をからませ合い、その心臓から草花がは
え出て葉をのばし花をつけているのだった。女たちが笑うと、笑い声が広大な地下の穴に
甘美な音となってひびきわたり、それにつれて金属の花々が身をよじるようにしてなおも
高々とのびていくのである。
こんなわけで心のイメージを伝えるのにぴったりの書き出しが一つとしてみつからな
い。ほとほと思案にくれたあげく書き出しは一切はぶくことにして、読者のみなさまがす
でにごらんになったとおり、わが友ロタールから拝借した三通の手紙を先にかかげた次第
である。これはいわば下絵とおぼしめせ。腕によりをかけ、これから色を塗りこめていく
つもりである。上手な肖像画家の手になると、実物を知らずとも肖像をみただけで本物そ
っくりと思ったりするものだが、願わくばそうなってほしいものではないか。そのあかつ
きには読者のみなさまは、現実の生活ほど不思議で途方もないものはないことにお気づき

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になり、作家がすることといえば、この世のおぼろげな鏡像をなぞるぐらいの程度だとお
わかりになるであろう。
だが、思考というものが紙の上にちゃんとした姿をとってあらわれるためには、一定の
道筋をたどらなくてはならない。
作家修業の第一課はなにか。- つまり、ものを見る目を養うことだね。
ねえ、君、二人してこんなにながらく窓から眺めていたが、唯一の喧嘩ざたがあれだし、
それも人々が自分たちで解決しただろう。もっと手ひどい喧嘩の場合でも同じだね。みん
ながみんなして争っているやつを分けてしまう。
「この広場はまるきり人生の縮図じゃないか。店じまいのさまがまたそうだ。あわただ
しい生の営みがあり、刻々と時をきざんで群衆がさんざめいていたかかとおもうと、にわ
かにあたりはひとけない。にぎやかにとびかっていた声はとだえ、あとに残された荒寥た
る風景が時の経過を告げるのみだ」
「タトエ今ハ酷イトシテモ、イツマデモ酷イママニ続キハシナイ」(ホフマン・池内紀
訳)
ホフマンにはしばしば鏡や望遠鏡が重要な小道具として登場する。
しかし、異常とは何だろう?おさだまりのこの世の秩序に従って、変わりばえのしない
幸せを手に入れるのが正常であるのだろうか。幻想の中に踏みこんだ大学生にとっては自
動人形のオリンピアこそ理想の恋人であって、処世たくみで常識あるクララが自動人形に
すぎなくなった。彼は現実の世界は失ったかもしれないがもう一つの世界、第二の人生と
いうべき夢の世界は確実に手に入れた。そして夢がそうであるようにこの世界もまた浮世
とは別の秩序のもとにある。現実の世界を失って別の秩序に踏みこむとき、一般にそれは
狂気とよばれるが、それというのもほかに適当な言葉を知らないせいかもしれないのであ
る。
ホフマンにおいては望遠鏡が重要な役割をはたしているだけではなく、叙述そのものが
すこぶる望遠鏡的とはいえないか。視点がめまぐるしく変化する。
四肢が次第に麻痺をはじめ、手がきかなくなってからは口述筆記した。「隅の窓」は口
述筆記の産物である。
つまり外観上のちょっとした特徴を手がかりに連想や想像を働かせて現実の背後に押し
入り、「永年に変わらない人生の縮図」を読みとることは、ホフマン自身、たえず自分に
言いきかせていた生活原理であり、また創作原理であったにちがいない。

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訳注は省いてなるたけ文中に訳しこんだ。開業その他、原文に従わなかった個所がある。
とりわけ文章のテンポといったものを心がけて訳した。(池内紀)

ゴシック様式の建築家を導かなければならぬもの、それはロマン主義的なものがわかる
稀有の感覚ということになる。
恋しい人が着飾っているのをはじめて眼にしたとき、説明しがたい感情が神経繊維とい
わず血管といわず体内くまなく駆けめぐってぞくぞくした経験がおありではなかろうか。
- 裁判官の姿が明滅し、百枚もの複製画となって一枚また一枚とずれながら、暗く
朧な霧の空間を抜けていくと、後はすべてが真っ暗闇の中に消え失せてしまった。
アウレーリエは、処女らしく愛くるしい羞じらいを見せながら迎えてくれた。(ホフマ
ン)

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