Professional Documents
Culture Documents
高慢と偏見(上)
オースティン
おび 芙佐 やく
小尾芙佐訳
Title: PRIDE AND PREJUDICE
1813
Author: Jane Austen
め じ
目 次
2
たず れんちゅう たず き
ミスタ・ベネットは、はやばやとミスタ・ビングリーを訪ねた連中のひとりだった。もともと訪ねる気はあったけ
おくがた さいご い は ほうもん
れども、奥方には最後までわたしは行かんぞと言い張っていたのである。だからミスタ・ビングリーを訪問したその
ひ ゆうがた おくがた ぞん じじつ つぎ かたち あ じじょ
日の夕方まで、奥方はそのことをまったくご存じなかった。その事実は次のような形で明かされた。次女のエリザベ
ぼうし かざ み い
スが帽子にせっせと飾りをつけているのを見て、ミスタ・ベネットはだしぬけにこう言ったのである。
し ぼうし き い
「ビングリー氏がその帽子を気に入ってくれるといいがねえ、リジー」
せんぽう この し ははおや はらだ い たず
「先方のお好みなんて、知りようがないじゃありませんか」リジーの母親は腹立たしげに言った。「どうせお訪ねす
ることもないんですから」
かあ わす い ぶとう かい あ
「でもお母さま、お忘れじゃない」とエリザベスが言った。「舞踏会ではお会いするでしょ。ロングのおばさまが、
しょうかい
紹介してくださるっておっしゃったもの」
めい ご
しょうかい しん めい お てまえがって
「あのひとが紹介するなんて信じられないわ。あちらには 姪 御がふたりもいるのよ。あんなに手前勝手で、うわっつ
あ
らばかりのひと、当てにはしていませんよ」
おも い たよ
「わたしもそう思うよ」とミスタ・ベネットが言った。「あのひとを頼りにしないのはなによりだ」
こた がまん むすめ こごと い
ミセス・ベネットは、お答えあそばさなかった。だが我慢しきれずに娘のひとりに小言を言いはじめた。
ねが せき しんけい きづか しんけい
「お願いだから、その咳はやめてちょうだい! わたしの神経をすこしは気遣ってくれたらどうなの。神経がずたず
たになるわ」
ま
せき えんりょ ちちおや い ま わる で
「キティ(キャサリン)の咳は遠慮がないからね」とキティの父親が言う。「しかも間の悪いときに出るときてい
る」
おもしろ せき いらだ い
「面白くて咳してるわけじゃないわよ」とキティが苛立たしそうに言う。
ぶとう かい よてい
「つぎの舞踏会の予定はいつかね、リジー?」
に しゅうかん ご
「あしたから二週間後」
ははおや さけ おく ぜんじつ かえ しょうかい
「そう、そうだわよ」と母親は叫んだ。「ロングの奥さまは、その前日まで帰ってこないのよ。だから、紹介するな
じぶん ちか
んて、あのひとにできるはずないじゃありませんか、だってご自分がまだお近づきになってもいないのに」
せんて ぶ し おくがた しょうかい
「それじゃあ、あなたのほうが先手を打てばいい、ビングリー氏をロングの奥方に紹介したらどうだ」
だんな ほう し あ
「めっそうもない、旦那さま、めっそうもございませんよ、こちらはまだあの方とお知り合いになってもいないの
しょうかい じょうだん
に、ご紹介できるわけがないじゃありませんか。ご冗談はよしてくださいな」
しんちょう けいふく に しゅうかん し あ し に しゅうかん ひと
「あなたの慎重さには敬服するね。たしかに二週間ばかりのお知り合いじゃ知れたものだ。二週間ぐらいで、その人
ぶつ み しょうかい しょうかい
物を見きわめるのはむりだろうな。しかしこちらが紹介しなくても、どうせほかのだれかが紹介するさ。そうす
おくがた めい ご みこ しょうかい ろう と
りゃ、ロングの奥方とその姪御たちにも見込みはあるというものだ。したがってだよ、あなたが紹介の労を取らない
と しんせつ かんしゃ
というなら、このわたしが取ろうかね、きっとご親切にと感謝してもらえるだろう」
むすめ ちちおや み い
娘たちは父親をまじまじと見つめた。ミセス・ベネットは、こう言っただけである。「ばかばかしい、ばかばかし
いったら!」
りき こわだか い しょうかい れいぎ さほう
「なにをそう力んでいるんです?」とミスタ・ベネットは声高に言った。「つまりあなたは、紹介という礼儀作法
おも しゃかい つうねん い さんどう 思
を、それを重んじる社会通念をばかばかしいと言うのかね? そいつはまったく賛同できませんな。きみはどう思
た ち
ものごと ふか かんが せいしつ ぶあつ しょもつ よ ぬ が じょう つく
う、メアリ? なにしろきみは、物事を深く考える性質だし、分厚い書物も読んで、抜き書き帖など作っているよう
だから」
さと
さい さと い い
メアリは、この際おおいに 聡 いことを言いたかったが、さて、どう言えばよいものやらわからなかった。
かんが し はなし
「ではメアリが考えをまとめているあいだに、ビングリー氏の話にもどろうか」
し おおごえ は あ
「ビングリー氏なんぞ、もうけっこうです」とミセス・ベネットは大声を張り上げた。
はや い
「そりゃすまなかったね。それならそうと、どうしてもっと早く言ってくれなかったのかね? けさそれがわかって
たず たず 以
いたら、あそこを訪ねることもなかったのに。まったくあいにくなことだったね。しかしじっさい訪ねてしまった以
じょう ちか
上は、近づきになったわけだしなあ」
ふじん おどろ ねら どお おくがた おどろ た お かんき
ご婦人たちの驚きたるや、まさにミスタ・ベネットの狙い通り。奥方の驚きは、おそらく他を圧していた。歓喜の
だい あらし おも い
大嵐がおさまると、ミセス・ベネットは、わたしははなからこうなると思っていたなどと言いだした。
おも だんな さいご と ふ おも
「まあなんて思いやりがおありなんでしょう、旦那さま! でも最後にはあなたを説き伏せられると思っていました
むすめ こころ あい ちか きかい
わ。だって娘たちを心から愛していらっしゃるのに、こんなお近づきの機会をおろそかにするはずがありませんもの
い
い ひとこと
ね。まあ、なんてうれしいんでしょう! でもおふざけがすぎますわ、きょうお出でになったのに、いままで一言も
おっしゃらなかったなんてねえ」
おも せき い い おくがた うちょうてん
「さあ、キティ、思うぞんぶん咳をおし」とミスタ・ベネットは言った。そう言いながら、奥方の有頂天ぶりにどっ
つか おぼ へや で
と疲れを覚えて部屋を出た。
ちち とびら し い ちち
「なんてすばらしいお父さまなんでしょうねえ」扉が閉まると、ミセス・ベネットは言った。「どうやってお父さま
おん むく い おん とし まいにち あたら ちか
のご恩に報いることができるやら、それを言うなら、わたしのご恩にもよ。この年になるとね、毎日新しいお近づき
いと
らく かた くろう いや
をこしらえるのは、そう楽じゃないのよ。でもあなた方のためなら、どんな苦労も 厭 いませんよ。リディアや、あな
としした つぎ ぶとう かい おど
たはいちばん年下だけれど、次の舞踏会でビングリーさまはきっとあなたと踊ってくださるわ」
じしん い しんぱい とし か
「あのさ!」リディアは自信たっぷりに言いはなった。「あたし、心配なんかしてないわよ。年はいちばん下だけ
せ たか
ど、背はいちばん高いんだもの」
よる ほうもん かえ よそう あ ごさん まね
その夜は、ミスタ・ビングリーがいったいいつ訪問のお返しをなさるかしらと予想し合ったり、午餐にお招きする
ひ き す
日をいつにするか決めたりして過ごしたのであった。
3
4
に にん ほ ひか
ジェインとエリザベスが二人きりになったとき、いままでミスタ・ビングリーを褒めるのは控えていたジェイン
けいあい じぶん きもち いもうと かた
は、ビングリーを敬愛してやまない自分の気持を妹に語ったのである。
わか とのがた ほう い かしこ き かいかつ
「若い殿方はこうあるべきという、そのままの方ね」とジェインは言った。「賢くて、気さくで、快活でいらっしゃ
ものごし み ほう あ れいぎ ただ
るの。あれほどすばらしい物腰が身についた方にお会いしたことはないわ──とてもおおらかで、礼儀正しくていらっ
しゃる!」
びなん こ おう わか だんせい びなん こ じんぶつ かんぺき
「それに美男子」とエリザベスが応じる。「若い男性は美男子にこしたことはないわね。それでその人物は完璧とい
うことになるのよ」
ほう に どめ もう こ き い おも
「あの方に二度目を申し込まれたときは、ほんとうにうれしかったわ。それほど気に入っていただけるなんて思いも
よらなかったもの」
おも あね おお ちが
「ほんとう? わたしは、そうなるだろうって思っていたけどな。そこがわたしとお姉さまの大きな違い。あなたは
ほ おどろ ほう あね いちど さる
ひとに褒められると、いつもびっくりするけれど。わたしはぜんぜん驚かないわよ。あの方がお姉さまにもう一度申
こ とうぜん じょせい ご ばい うつく み き に
し込むのはしごく当然でしょ? あそこにいた女性のだれより、あなたが五倍も美しく見えたに決まってるもの。二
ど もう こ かん す
度も申し込まれたからといって、ありがたがることないわよ。まあ、たしかにとても感じのいいひとだから、好きに
ゆる す あね
なっても許してあげる。もっとおばかなひとたちだって好きになっていたお姉さまだもの」
「リジーちゃんたら!」
す けってん め
「あらら! あなたというひとは、だれでもすぐ好きになっちゃうじゃないの。ひとの欠点というものがまったく目
はい よ この わるぐち い
に入らないんだから。この世のものはすべてよきもの、好ましいものなのよ。あなたがひとの悪口を言うの、わた
き
し、聞いたことがないもの」
かるがる わる い おも くち
「どんなひとでも軽々しく悪く言うのはいやなの。でもいつも思ったままを口にしているだけなのよ」
ふんべつ
ふしぎ りっぱ ぶん べつ も おろ
「そうなのよねえ。そこがとっても不思議なのよ。立派な 分 別 をお持ちなのに、ひとの愚かしさやくだらなさは、
み かんだい
まったく見えなくなっちゃうんだもの! 寛大なふりをするひとは、そこらじゅうにいるわ──そんなひとなら、ざら
め したごころ こうへい むし
にお目にかかれる。でもなんの下心もなく、ひけらかすつもりもなく、ひたすら公平無私なひとなんてめったにいな
たにん せいかく み わる くち
いわよ──他人の性格のよいところだけを見て、なんでもよいほうによいほうにとって、悪いところはぜったい口にし
かた いもうと す
ないなんて──あなたぐらいのものだわね。だからあのお方の妹たちまで、あなたは好きなんじゃない? あのひとた
たいど かた だい ちが
ちの態度ときたら、あのお方とは大違いだけど」
み はな かた いもうと
「そりゃそう見えるでしょうね。はじめのうちは。でもお話ししてみれば、とてもいい方たちなのよ。妹さんのミ
あに す かじ き ほう
ス・ビングリーは、お兄さまとごいっしょにお住まいになって、家事の切りまわしをなさるんですって。あの方、ご
きんじょ とも おも
近所になったら、きっとすばらしいお友だちになれると思うわ」
おも き ぶとう かい かのじょ ふ ま
エリザベスにはとてもそうは思えなかったけれども、だまって聞いていた。舞踏会での彼女たちの振る舞いときた
こうかん きもち あね するど かんさつ りょく しん つよ しょうしょう
ら、そもそもひとに好感をあたえたいという気持がなかった。姉のジェインより鋭い観察力があり、芯が強く、少々
せじ さゆう はんだん りょく も あね ことば みと き
のお世辞などにぜったい左右されない判断力を持つエリザベスは、姉の言葉を認める気はさらさらなかった。ビング
しまい はな しゅくじょ きげん あいそ き かいかつ ふ
リー姉妹はたしかに華やかな淑女たちである。ご機嫌なときには愛想もないではないし、その気になれば快活に振る
うぬぼ
ま こうまん うぬぼ つよ きりょう ぜんりょう せい じょがっこう きょういく
舞うこともできるのだが。なんとも高慢で自惚れが強い。まあまあ器量もよいし、ロンドンの全寮制の女学校で教育
う に まん しさん ぶん ふそうおう ぜいたく みぶん たか
も受け、それぞれに二万ポンドの資産があり、いささか分不相応な贅沢もし、身分の高いひとびととのおつきあいも
てん みずか たか ひょうか たにん みくだ しかく ほくぶ な
ある。したがってあらゆる点で自らを高く評価し、他人を見下す資格はあるわけだった。なにしろ北部では名だたる
いちぞく あに じぶん う つ とみ あきな じじつ わす さ げんざい きょうぐう
一族である。兄や自分たちが受け継いだ富は商いによってもたらされたという事実は忘れ去られ、現在の境遇のほう
ふか かれ きおく きざ
がより深く彼らの記憶に刻みつけられていた。
じゅう まん ちか しさん ちちおや せいしき そうぞく ちちおや かおく しき か もと
ミスタ・ビングリーは、十万ポンド近い資産を父親から正式に相続していた。父親は、いずれは家屋敷を買い求め
こころ せいぜん かな おな いこう ち さだ
る心づもりであったが、生前にはそれが叶わなかった。ミスタ・ビングリーも同じ意向で、いずれの地に定めようか
かんが ごうそう かおく しき じしょ ない しゅりょう けん か い
と、あれこれ考えることもあった。だがいまこうして豪壮な家屋敷とその地所内の狩猟権を借り入れたとなれば、そ
のんき きしつ し とうしゅ かおく しき もんだい つぎ だい さきおく
の呑気な気質をよく知るひとたちは、このご当主は、家屋敷の問題は次の代に先送りして、おそらくネザーフィール
のこ じんせい す かんが
ドで残りの人生を過ごすのではあるまいかと考えた。
いもうと あに かおく しき しょゆう ねが やしき
ミスタ・ビングリーの妹たちは、兄にぜひとも家屋敷を所有してもらいたいと願ってはいた。だがこうして屋敷を
か み お つ いもうと しょくたく しゅじん やく
借りて身を落ち着けることになったにしても、妹のミス・ビングリーは、食卓で主人役をつとめることにやぶさかで
しさん じょうりゅう かいきゅう しんし けっこん あね か い やしき じぶん
はなかったし、また資産はないが上流階級である紳士と結婚した姉のミセス・ハーストは、借り入れた屋敷が自分の
み な
い じっか み 做 おも すす
意にかなうものであれば、実家と見做してもよいとは思っていた。ミスタ・ビングリーがたまたまひとに薦められ
やしき み き せいねん たっ に ねん た やしき ないがい はん じかん
て、ネザーフィールド屋敷を見る気になったときは、成年に達して二年も経っていなかった。屋敷の内外を半時間ほ
なが りっち じょうけん おも ひろま き い しょゆう しゃ ほ まんぞく
ど眺めたあげく、立地条件や主だった広間がたいそう気に入り、所有者が褒めあげるところにすっかり満足し、その
ば か そっけつ
場で借りたいと即決してしまったのである。
せいかく たいしょう てき とも かた ゆうじょう むす めいろう 闊
ビングリーとダーシーは、性格はまったく対照的だが、共に堅い友情で結ばれていた。ビングリーは、その明朗闊
たち すなお した せいしつ せいかく せいはんたい
達で素直なひととなりからダーシーに慕われていた。こうした性質はダーシーそのひとの性格とは正反対だが、ダー
おのれ せいかく まんぞく ゆうじょう ぜったい しん
シーは己の性格についてはどうやら満足しているようだった。ダーシーのゆるぎない友情に、ビングリーは絶対の信
よりゆき はんだん ひょうか はんだん りょく はんだん
頼をおき、その判断をおおいに評価していた。判断力においてはダーシーのほうがまさっていた。ビングリーの判断
りょく おと ずのう めいせき ごうまん ひか め
力が劣っているわけではないが、ダーシーのほうが頭脳は明晰だった。ダーシーは傲慢ではあるが、控え目、そして
きむずか ものごし れいぎ ただ ひや てん ゆうじん
気難しかった。その物腰は、礼儀正しいとはいえ、冷やかで、よそよそしかった。その点では、友人のビングリーの
ぶ
ぶん す ふかい かん
ほうにおおいに分があった。ビングリーはどこにあらわれても、ひとから好かれ、ダーシーはたえずひとに不快感を
あたえていた。
ぶとう かい か ことば せいかく
メリトンの舞踏会について、ビングリーとダーシーが交わした言葉には、それぞれの性格がよくあらわれている。
たの うつく じょせい あ い
ビングリーは、あれほど楽しいひとびとや美しい女性たちに会ったことはいまだかつてないと言った。だれもがとて
しんせつ きづか しめ かくしき かたくる した 思
も親切に気遣いを示し、格式ばったところや堅苦しさもなく、あそこにいただれともすぐに親しくなれたように思
てんし うつく およ い
う。ミス・ジェイン・ベネットについては、天使といえどもあの美しさには及ばないだろうと言った。ダーシーはと
め うば うつく ゆうが れんちゅう あつ い き かんきょう じんぶつ
いうと、目を奪われるような美しさも優雅さもない連中の集まりだと言い切った。感興のわく人物はひとりとしてお
きくば たの かん じんぶつ うつく おも え
らず、まただれひとり気配りや楽しさを感じさせる人物はいない。ミス・ベネットはたしかに美しいと思うが、笑み
い
をふりまくばかりだと言った。
いもうと とお ほ き い
ミセス・ハーストとその妹は、まったくその通りとうなずいたものの──それでもミス・ベネットを褒め、気に入っ
い こころ じょう ふふく い
たと言い、心やさしいお嬢さまだからおつきあいをしても不服はないと言った。こうしてミス・ベネットは、ビング
しまい こころ じょう みと あに き さきざき
リー姉妹に心やさしいお嬢さまであると認められたので、兄のビングリーはそれを聞きながら、これで先々ミス・ベ
おも した こうにん おも
ネットを思いのままに慕うことは公認されたと思ったのである。
5
すこ ある か かくべつ した いっか す
ロングボーンから少し歩いたところに、ベネット家のひとびとが格別親しくしている一家が住んでいた。それは
いぜん す しょうばいにん しんだい きず しちょう しょく 就
サー・ウィリアム・ルーカス、以前はメリトンに住み、商売人としてかなりの身代を築いたが、のちに市長職に就
ナ イ ト
こくおう ささ おん しゃ じ くんしゃく し くらい さづ みぶん さい み
き、国王に捧げた恩謝の辞により勲爵士の位を授けられた。そのためこれまでの身分との差異を、おそらく身にしみ
かん しょうばい ちい しじょう まち じゅうらい す いやけ しょうばい み ひ す
て感じたのであろう。商売にも、小さな市場町にある従来の住まいにも嫌気がさしたため、商売から身を引き、住ま
ひ はら いち はん やしき かぞく うつ やしき ご
いも引き払い、メリトンから一キロ半ほどはなれたさる屋敷に家族とともに移ったのである。屋敷は、その後ルーカ
そう な じぶん ちい おも こころ たの じぎょう かいほう
ス荘と名づけられ、そこでは自分の地位の重みを心ゆくまで楽しむことができた。事業からも解放されたサー・ルー
せけん せんねん しゃくい え いきようよう けっ み
カスは、世間のひとびととのつきあいに専念するようになった。爵位を得て意気揚々としていたが、決してひとを見
ねんご
くだ こん こころづか しめ せいらい き
下すことはなかった。それどころかだれにでもいっそう 懇 ろな心遣いを示した。生来のひとあたりのよさ、気さく
しんせつ せいかく きゅうでん しゃくい じゅよ しき のち ものごし ゆうが
で親切な性格にくわえ、セント・ジェームズ宮殿における爵位授与式の後は、その物腰はいっそう優雅になった。
ふじん ひとよ あたま きちょう
夫人のレディ・ルーカスはたいそうなお人好しで、頭がよすぎるということもなく、ミセス・ベネットには貴重な
りんじん しじょ すう にん ちょうじょ しりょ ふか そうめい に じゅう なな れいじょう した とも
隣人である。子女も数人いる。長女は思慮深く聡明な、二十七になるかという令嬢で、エリザベスの親しい友だっ
た。
か しまい か しまい あ ぶとう かい はなし おも か
ルーカス家の姉妹とベネット家の姉妹は、ぜひとも会って舞踏会の話をしなければと思った。そこでルーカス家の
しまい ぶとう かい よくじつ いけん こうかん おとず
姉妹は舞踏会の翌日、意見の交換をするためさっそくロングボーンを訪れたのである。
さいさき
こう さき こころ せじ い
「ゆうべは、 幸 先 のよかったことね、シャーロット」とミセス・ベネットが心にもないお世辞を言った。「ビング
あいて
リーさまがまっさきにあなたのお相手をなさいましたもの」
に ばんめ あいて き め
「ええ。でもどうやら二番目のお相手のほうがお気に召したようでしたわ」
ほう に ど おど き
「ああ! ジェインのことね──なにしろあの方、二度もジェインと踊られましたものね。これはもうジェインがお気
め おも こみみ
に召したとしか思えないわね──たしかにそうですとも──それについてちょっと小耳にはさんだのだけれど──でもよ
くわからないの──ロビンソンさまがどうしたとか」
ほう はな き
「あの方とロビンソンさまが話していらしたことを、わたくしが聞いてしまいましたの、たぶんそのことでしょう。
はな ぶとう かい き い
わたくし、お話ししませんでしたかしら。ロビンソンさまが、このメリトンの舞踏会は気に入りましたか、とビング
たず びじん たいせい おも
リーさまにお尋ねになったんですの。それから、ここには美人が大勢いると思いませんか、さてこのなかでだれがい
びじん き しつもん こた
ちばんの美人でしょうかとお訊きになりましたの。その質問に、ビングリーさまはすかさずお答えになりましたわ──
いろん
ああ、それはなんといってもミス・ベネットですよって、それについては異論はないでしょうって」
「これはこれは! ずいぶんとはっきりおっしゃったものね──まるでいまにも──でもまあ、そうおっしゃったから
といって、どうということはないのかもしれないけれど」
みみ みみ
「わたしが耳にしたことは、あなたが耳にしたことよりずっとまともだったわ、イライザ(エリザベス)」とシャー
い い みみ か ねう だい ちが
ロットが言った。「ダーシーさまが言ったことなど、耳を貸す値打ちもないわよ。ビングリーさまとは大違い──かわ
いそうな、イライザ!──まあまあかな、だなんて」
い ふ ふんがい いや
「どうかリジーにそんなことを言わないでちょうだい。あれほど踏みつけにされたら、憤慨するだけよ。あんな嫌み
す めいわく おく さくや はな はん じかん
なひとに好きになられたら、とんだ迷惑だわね。ロングの奥さまが昨夜話してくださったけど、あのひと、半時間も
ひとこと くち
そばにすわっていたのに一言も口をきかなかったそうなの」
かあ おも ちが い
「ほんとうなの、お母さま? なにかの思い違いじゃなくて?」とジェインが言った。「ダーシーさまが、おばさま
はな み
に話しかけていらっしゃるのを、わたし、はっきりと見ましたもの」
おく がまん やしき き め
「ええ──それはね、ロングの奥さまがとうとう我慢しきれなくなって、ネザーフィールド屋敷はお気に召しましたか
たず こた はな めいわく
とお尋ねになったからなのよ、だからあちらも答えないわけにはいかなかった──でも話しかけられてしごく迷惑とい
かお
う顔をしていたらしいわ」
いもうと い い した かた
「ビングリーさまの妹さんが言ってらしたけど」とジェインが言った。「親しい方たちのあいだでなければ、あまり
はなし した かた き はな
お話しなさらないんですって。親しい方たちとは、とても気さくにお話しなさるそうよ」
しん き ほう おく はな
「そんなこと、とても信じられませんよ。ほんとうにそんなに気さくな方なら、ロングの奥さまにだって話しかけた
さっ かれ じそんしん くち い
はずだわ。でもそこのところは、察しはつくわね。彼は自尊心ではちきれそうだって、だれもが口をそろえて言って
おく じかよう よん りん ばしゃ も かし ばしゃ ぶとう かい
いるもの。つまりね、ロングの奥さまが自家用の四輪馬車をお持ちでなくて、貸馬車で舞踏会にいらしたのを、きっ
き
とだれかに聞いたんだわね」
はな い
「ダーシーさまが、ロングのおばさまに話しかけなくてもいいじゃありませんの」とシャーロットが言った。「でも
おど
イライザとは踊っていただきたかったわ」
いちど きかい ははおや い おど
「もう一度機会があってもね、リジー」と母親は言った。「わたしだったら、あんなひととは踊らないわね」
ははうえ おど やくそく おも
「あのねえ、お母上、あのひととはぜったい踊らないって、お約束できると思うわ」
ほう こうまん き い ほう き
「あの方の高慢は、わたくし、ちっとも気になりませんわ」とシャーロットが言った。「ほかの方なら気になること
ほう ばあい りゆう めいもん いえがら しさん
はありますけど、あの方の場合はそれなりの理由がおありですもの。名門のお家柄、資産もおありになるし、いいこ
りっぱ わか しんし じぶん たか ひょうか とうぜん くち い
とずくめのご立派な若い紳士が、ご自分を高く評価なさるのは当然ですわ。わたくしの口から言うのもおこがましい
ほう こうまん しかく
んですけれど、あの方は、高慢であっていい資格がおありです」
おう こうまん ゆる じそんしん きず
「たしかにそうよね」とエリザベスが応じた。「あのひとが高慢なのはいくらでも許せるわ、わたしの自尊心を傷つ
けないかぎり」
こうまん じぶん こうさつ ただ つねづね じふ くち だ じゃくてん 思
「高慢というのはね」と自分の考察は正しいと常々自負しているメアリが口を出した。「だれにでもある弱点だと思
た ち
よ いろいろ しょもつ じゃくてん にんげん こうまん せいしつ
うの。わたしがこれまで読んだ色々な書物によると、たしかにだれにでもある弱点で、人間は高慢になりやすい性質
とくべつ ししつ ほんもの おも こ
なのね。なにか特別な資質のようなものがあるとすると、それが本物だろうと思い込みだろうと、そのためにたいて
うぬぼ かんじょう こころ はぐく きょえい しん じそんしん ちが おな いみ つか
いのひとが自惚れという感情を心に育んでしまうのね。虚栄心と自尊心は違うものなのよ、よく同じ意味に使われて
きょえい しん じそんしん たか じそんしん じぶん み
いるけど。虚栄心はなくとも自尊心の高いひとはいるわ。自尊心というのは、わたしたちが自分をどう見るかという
きょえい しん たにん じぶん み
ことだし、虚栄心というのは他人に自分をどう見てもらいたいかということでしょ」
だい かねもち あね しょうねん さけ だい
「ぼくがダーシーさんみたいな大金持なら」と姉たちについてきたルーカス少年が叫んだ。「大いばりだけどなあ。
フォックスハウンド
りょうけん か ぶどう しゅ まいにち いち ほん の
猟犬 をいっぱい飼うし、葡萄酒も毎日一本は飲んでやるな」
だい さけの い み
「それじゃ、大酒飲みになってしまいますよ」とミセス・ベネットが言った。「そんなところを、このわたしが見つ
びん
びん と あ
けたら、すぐに 壜 を取り上げますからね」
しょうねん こうぎ は しまい
少年は、そんなことはしないでくださいと抗議した。いいえやりますよとミセス・ベネットは言い張り、姉妹たち
ひ あ あ
が引き上げるまで言い合いはつづいた。
6
ふじん かた ふじん かた あいさつ さんじょう たい せんぽう
ロングボーンのご婦人方はほどなく、ネザーフィールドのご婦人方のもとにご挨拶に参上した。これに対して先方
さほう どお とうれい ほうもん あね いもうと か
からも作法通りの答礼のご訪問があった。姉のミセス・ハーストと妹のミス・ビングリーは、ベネット家のジェイン
かん おうたい こうかん ははおや はなも じんぶつ いもうと はな あいて
の感じのよい応対に好感をおぼえるようになった。母親は鼻持ちならぬ人物だし、妹たちのほうは話し相手にもなら
した いこう つた こうい だいぎ
ないが、ジェインとエリザベスには親しくおつきあいしたいという意向が伝えられた。このご好意をジェインは大喜
う い に にん たい たかびしゃ たいど き あね
びで受け入れた。だがエリザベスは、この二人がだれに対しても高飛車な態度をとるのに気づいており、姉のジェイ
れいがい おも に にん す しめ
ンもその例外ではないだろうと思ったので、どうしてもこの二人を好きにはなれなかった。もっともジェインに示さ
こうい ていど あに しょうさん えいきょう てん いみ
れた好意はその程度のものだが、おそらく兄の称賛の影響だろうという点に意味があった。ミスタ・ビングリーが、
み と
がお あ みほ め あき しょたいめん
顔を合わせるたびにジェインに見惚れているのは、だれの目にも明らかだった。そして初対面のときからミスタ・ビ
だ こうい こいごころ か め
ングリーに抱いていたジェインの好意が、どうやら恋心のようなものに変わってきているのは、エリザベスの目には
あき せけん し ないしん
明らかだった。だがそれが世間に知られることはなさそうだと、エリザベスは内心ほっとしていた。なにしろジェイ
せんさく
も きもち ちんちゃく ものごし ほが ふ ま と 鑿 す め
ンは、燃えあがる気持を、沈着な物腰といつもながらの朗らかな振る舞いに溶けこませて、 穿 鑿 好きなひとびとの目
じぶん まも しんゆう はな
から自分を守っていた。エリザベスは、親友のミス・シャーロット・ルーカスにこのことを話した。
くら
ゆかい こた せけん め まばゆ ようじん
「それは愉快だわねえ」とシャーロットは答えた。「そんなふうに世間の目を 眩 ませるなんて。でもあまり用心しす
じょせい じぶん あいじょう こうみょう あいて かく あいて
ぎると、かえってまずいこともあるんじゃないかしら。女性が、自分の愛情を巧妙に相手にも隠そうとすれば、相手
こころ いと きかい のが せけん し なぐさ
の心を射止める機会を逃してしまうかもしれない。そして世間に知られていないことが、せめてもの慰めということ
うぬぼ
こいごころ かんしゃ きもち うぬぼ 危
になりかねないわ。そもそも恋心には、感謝の気持や自惚れといったものがあるのよ。それをないがしろにしては危
けん ひ あいて こた
険ね。きっかけはひとさまざまよ──ちょっと惹かれるというのもよくあることだし、でも相手が応えてくれなけれ
こい おも じょせい じゅっちゅうはっく じぶん かん いじょう あいじょう あいて み
ば、恋におちるひとなんてそうはいないと思うわ。女性は、十中八九は、自分が感じている以上の愛情を相手に見せ
あね す いじょう きもち
るほうがいいのよ。ビングリーさまは、ぜったいあなたのお姉さまが好きよ。でもそれ以上の気持にはならないかも
あね ほう きもち あとお
しれない、お姉さまがあの方の気持を後押しなさらないかぎりは」
せいしつ たい きもち
「でもジェインの性質としてできるかぎりのことはしているわよ。ビングリーさまに対するジェインの気持がわたし
かれ まぬ
にはわかるのに、彼にそれがわからないとしたら、よほど間抜けなのよ」
せいしつ ぞん
「いいこと、イライザ、ビングリーさまは、ジェインの性質をあなたほどにはご存じないのよ」
じょせい だんせい す きもち かく あいて き
「でも女性が男性をとても好きになって、その気持を隠そうとしなければ、相手は気づくはずだわ」
き あ なん ど あ
「たぶん気づくわよ、ジェインとたびたび会っていればね。でもビングリーさまとジェインは、何度も会っているけ
に にん なん じかん す たいせい あつ ぶとう かい あ に にん
れど、二人だけで何時間も過ごすわけじゃないでしょ。それもいつも大勢集まる舞踏会で会うわけだから、二人だけ
はな ほう かんしん ひ さん じゅう ふん じかん
でずっと話しているわけにはいかないのよ。だからジェインは、あの方の関心を惹きつけられる三十分という時間を
じょうず つか さいだい こうか ほう いと 思
上手に使って最大の効果をあげなければいけないわ。そうやってあの方をしっかり射止めたら、あとはゆっくりと思
こい
うように恋におちればいいのよ」
かた こた りょうえん え
「そういうやり方もなかなかけっこうね」とエリザベスは答えた。「良縁を得たいというただそれだけのためなら、
かねもち おっと おっと て い おも
それでもいいわよ。もしわたしが、お金持の夫を、まあどんな夫でもいいけど、ぜったい手に入れようと思うなら、
かた はいしゃく きもち ちが したごころ うご
きっとそのやり方を拝借するわよ。でもそれはジェインの気持とは違うわねえ。あのひとは、下心があって動くひと
じぶん きもち ふか かくしん きもち むり
じゃないの。それにまだ、自分の気持の深さにも確信があるわけじゃないし、その気持が無理のないものかどうかと
じしん し あ に しゅうかん ぶとう かい よん かい おど やしき ひる
いう自信もない。知り合ってからほんの二週間よ。メリトンの舞踏会で四回踊って。ビングリーさまのお屋敷では昼
かん いち ど あ かれ よん ど しょくじ あね かれ ひとがら
間に一度だけ会って、だから彼とは四度お食事をごいっしょしただけでしょ。これだけじゃ、お姉さまに彼の人柄が
わかるわけないじゃないの」
ちが ほう しょくじ あいて しょくよく おうせい
「それは違うわよ。そりゃジェインがあの方とただお食事しただけなら、相手の食欲が旺盛かどうかわかるだけかも
よん ばん す よん ばん おも
しれない。でも四晩もごいっしょに過ごしたのよ──四晩もあればじゅうぶんにわかると思うわ」
よん ばん す
「そうね。あの四晩で、ふたりともトランプはコマースよりヴァンタンのほうが好きだということがわかったのはた
かんじん ひとがら おも
しかね。でも肝心な人柄が、よくわかったとは思えないな」
い せいこう こころ いの けっこん
「とにかく」とシャーロットが言った。「ジェインの成功を心からお祈りしていてよ。もしあした結婚なさるとして
しあわ おも じゅう に かげつ あいて せいかく し うえ けっこん
も、きっとじゅうぶんにお幸せになると思うわ、十二カ月かけてお相手の性格を知りつくした上で結婚したってそれ
おな けっこん しあわ うん あいて せいかく せいかく
は同じことよ。結婚の幸せなんてまったく運ですもの。おたがい相手の性格がよくわかっていても、もともと性格が
に こうふく けっこん せい
よく似ていたとしても、それでいっそう幸福になるなんてことはぜったいないわよ。結婚したあとに、だんだんに性
かく ちが で いっしょう とも あいて けってん し
格の違いが出てきて、おたがいにいがみあうものなのよ。一生を共にするひとなら、相手の欠点はできるだけ知らな
いほうがいいわね」
おもしろ い ただ い ただ
「面白いこと言うのね、シャーロット。でもそれは正しいとは言えないわ。あなただって、正しくないことはわかっ
じぶん
ているんでしょ、自分じゃぜったいそんなことはしないくせに」
あね かんしん かんさつ いそが じぶん じしん
エリザベスは、ミスタ・ビングリーが姉にどれほど関心があるのか観察するのに忙しく、自分自身がビングリーの
ゆうじん きょうみ たいしょう つゆ し うつく
友人の興味の対象になっているとは露ほども知らなかった。ミスタ・ダーシーは、はじめのうちはエリザベスが美し
みと ぶとう かい み め しょうさん いろ つぎ あ
いと認めようとはしなかった。舞踏会でエリザベスを見るその目に称賛の色はなかった。次に会ったときは、エリザ
じょせい きりょう い おのれ ゆうじん めいげん
ベスのあらさがしをするだけだった。だが、あの女性はとても器量よしとは言えないと己や友人たちに明言したその
くろ ひとみ み うつく ひょうじょう かお なみ ちせい てき き
すぐあとに、エリザベスの黒い瞳が見せる美しい表情から、その顔が並はずれて知性的であることに気づいたのであ
い かん
のこ 憾 はっけん びてん み すがた かんぜん きんせい
る。遺 憾 ながら、この発見につづいて、ほかにもいくつかの美点が見つかった。エリザベスの姿は完全に均整がとれ
きび め み い ようし みりょく てき
ているかというと、ダーシーの厳しい目で見ればそうは言えないものの、そのすらりとした容姿が魅力的であるのは
みと ものごし じょうりゅう しゃかい だんげん ようき かいかつ ふ ま
認めざるをえない。そして物腰は上流社会のものではないと断言したにもかかわらず、その陽気で快活な振る舞いに
み し よし あいて こうかん
はすっかり魅せられていた。こんなことをエリザベスは知る由もない。なにしろどこにいようと相手に好感をあたえ
だんせい じぶん おど びじん おも だんせい め
ないようにしている男性、そして自分を踊ってみたいほどの美人ではないと思っている男性としか、エリザベスの目
うつ
には映らなかった。
し おも はなし れんちゅう はなし
ダーシーはエリザベスのことをもっと知りたいと思いはじめ、話のきっかけをつかむために、ほかの連中と話をし
よ うご ちゅうい ひ
ているエリザベスのそばに寄っていった。その動きはエリザベスの注意を惹いた。それはサー・ウィリアム・ルーカ
やしき まね たいせい きゃく あつ
スの屋敷に招かれたときのことで、そこには大勢の客が集まっていた。
い たいさ
「ダーシーさまって、いったいどういうつもりかしら?」とエリザベスはシャーロットに言った。「フォスター大佐
はなし みみ た
とわたしの話に聞き耳を立てているなんて」
しつもん こた
「その質問はダーシーさましか答えられないわ」
いちど こんたん い す
「もう一度あんなことをしたら、あなたの魂胆はわかっているって言ってやるわ。あのひと、あらさがしが好きそう
め ずうずう で こわ
な目つきしてるでしょ。こっちが図々しく出ないと、あのひとがだんだん怖くなりそう」
ちか はな ようす
そのあとすぐにダーシーが近づいてきたが、いっこうに話しかける様子もないので、シャーロットは、さっきのよ
そそのか
い 唆 ちょうはつ
うに言っておやりなさいよとエリザベスを 唆 した。エリザベスはたちまち挑発されて、くるりとダーシーのほうに
む なお
向き直った。
ねが しかた じょうず おも
「ねえ、ダーシーさま、さっきのわたくしのお願いの仕方、とても上手だったとお思いになりませんでしたか? メ
ぶとう かい ひら たいさ
リトンで舞踏会を開いてくださいませとフォスター大佐におねだりしていたんですけど」
いき ふじん はなし は き
「たいそうな意気ごみでしたね。しかしご婦人はそういう話になると、おおいに張り切りますからね」
てきび
「わたくしたちに手厳しいんですのね」
ばん い ようい
「こんどはこのひとがおねだりされる番ですわ」とシャーロットが言った。「わたくし、ピアノの用意をしてくる
ねが
わ、イライザ、あとはお願いね」
うた
とも へん まえ ひ 唱 おと
「あなたって、友だちのくせに変なひと! だってだれの前でもかまわずにわたしに弾かせて 唱 わせるんだもの。音
らく さいのう うぬぼ とも み い
楽の才能があるとわたしが自惚れていれば、あなたはかけがえのないお友だちでしょうけど、実を言えばこのわた
めいしゅ えんそう ひ き な かた まえ
し、どちらかといえば、名手の演奏を日ごろから聞き馴れていらっしゃる方たちの前にはすわりたくないのよ」だが
あいて ひ さ けはい い
相手はいっこうに引き下がる気配がないので、エリザベスはこう言った。「いいわ。どうしてもやれというならやり
ことわざ
まがお み ふる ことわざ そん
ますわよ」それから真顔になってダーシーをちらりと見た。「古い 諺 がありますの、ここのみなさんはようくご存
かゆ
ぐち かゆ ことわざ ぐち は き
じなんですけれど──『むだ口たたかず 粥 ふいてさませ』という諺ですの──わたくしもむだ口たたかず、張り切って
うた
唱いましょう」
うた みごと い たの に きょく うた
エリザベスのピアノと歌は、お見事とは言いかねるものの、けっこう楽しめた。二曲ほど唱いおわると、もっと
うた
唱ってというひとたちの求めに応じる間もなく、妹のメアリがさっさとピアノの前にすわった。メアリは家族のなか
ぶきりょう
ではただひとり不器量な娘だったので、学問や芸事に精進して、いつもその成果を披露したがっていた。
ひぼん さいのう
メアリは非凡な才能も美的感性も持ち合わせてはいなかった。褒めてもらいたい一心で稽古に励んではいるが、技
りょう
がぶちこわしになるだろう。のんびりとしていて気どらないエリザベスは、腕のほどはメアリの半分にも及ばない
ちょうしゅう たの
が、聴衆をおおいに楽しませることができた。長い協奏曲を弾きおわったメアリは、妹たちの求めに応じてスコット
ランドとアイルランドの歌曲を弾き、称賛と感謝の拍手を浴びて満足していた。その妹たちは、部屋のあちら側で
か
ルーカス家の姉妹や数人の士官とともに夢中で踊っていた。
しまい すう にん
ミスタ・ダーシーは、会話というものをいっさい排除したこうした夕べの過ごし方におかんむりの様子で、むっつ
た
りと立ったままなにやら考えこんでおり、サー・ウィリアム・ルーカスが近くにいるのも、サー・ウィリアムのほう
こえ
から声をかけられるまでは気づかなかった。
わか れんちゅう
「若い連中にはまことに楽しい集まりですなあ、ダーシー君! 舞踏ほどいいものはない。上品な上流社会のもっと
せんれん
も洗練された趣向と言えましょうな」
しゅこう い
もと
むすめ
おも あ
量をひけらかすような思い上がった態度が目につき、これからいくら高度な技量を身につけようと、これではすべて
びてき
かきょく
かいわ
かんが
たの
しかん
き
かんせい
おう
はじ
あつ
たいど
ま
も あ
しょうさん
がくもん
むちゅう
め
かんしゃ
げいごと
なが
おど
いもうと
はくしゅ
はいじょ
しょうじん
きょうそうきょく
くん
はじ
ほ
まんぞく
ぶとう
こうど
ゆう
ちか
せいか
ぎりょう
うで
す
まえ
ひろう
いっしん
かた
いもうと
いもうと
けいこ
もと
じょうひん
はげ
はんぶん
へや
おう
ようす
じょうりゅう しゃかい
かぞく
およ
がわ
わざ
じょうひん い しゃかい たの つよ
「たしかにそうですね──それにあまり上品とは言えない社会でもおおいに楽しめるという強みがありますね。どんな
やばん じん おど
野蛮人でも踊れますから」
びしょう ゆうじん たの おど おど
サー・ウィリアムは微笑するだけである。「ご友人は楽しく踊っておられるようだ」ビングリーが踊りにくわわる
ま
み ま ことば みち たつじん
のを見て、ちょっと間をおいてから言葉をついだ。「あなたもさぞやこの道の達人でおられるのでしょうな、ダー
くん
シー君」
おど おも
「メリトンで踊ったわたしをごらんになったと思いますが」
はいけん たの きゅうでん ぶとう かい おど
「ええ、むろん、拝見しましたが、おおいに楽しみましたよ。セント・ジェームズ宮殿の舞踏会でもよく踊られるの
でしょうな?」
いち ど
「一度たりとも」
あらわ
おど ば けいい ひょう かた かんが
「踊るのは、あの場にふさわしい敬意の 表 し方だとはお考えにならんのですか?」
けいい はら
「そういう敬意は、払わずにすむならごめんこうむります」
す
「ロンドンにお住まいがおありだそうだが」
えしゃく どうい しめ
ダーシーは会釈して同意を示す。
きょ かま かんが じょうりゅう しゃかい こころ ひ
「わたしもロンドンに居を構えようかと考えたこともありましたよ──上流社会には心が惹かれますからな。だがロン
くうき かない けんこう ふあん
ドンの空気が家内の健康によいものか不安でしてね」
へんとう きたい くち あいて へんとう き
サー・ウィリアムは返答を期待して口をつぐんだが、この相手には返答する気がなかった。ちょうどそのときエリ
ちか き に にん と も おも
ザベスがこちらに近づいてくるのに気づいたサー・ウィリアムは、この二人のあいだを取り持つことを思いつき、エ
こえ くん おど くん わか しゅくじょ
リザベスに声をかけた。「おや、イライザ君、どうして踊らないのかな? ダーシー君、この若い淑女をあなたにふ
あいて しょうかい ことわ びじょ め まえ い
さわしいお相手としてご紹介しましょう。よもやお断りにはなりますまいな、こんな美女を目の前にして」そう言う
て と て あいて おどろ て
とエリザベスの手を取り、その手をミスタ・ダーシーにあずけようとした。相手はたいそう驚いたものの、その手を
いな
と いな み ひ ろうばい ようす い
取ることに 否 やはなかったが、エリザベスのほうがさっと身を引き、狼狽した様子でサー・ウィリアムに言った。
おど あいて ねが
「だっておじさま、わたくし、踊るつもりはまったくございませんの。お相手をお願いするためにこちらにまいった
おも
なんてお思いにならないでくださいませね」
て と こうえい よく ていちょう もう で むな けっ
ミスタ・ダーシーは、お手を取る光栄に浴したいといとも丁重に申し出たが、それも空しかった。エリザベスの決
しん せっとく けつい ゆ
心はかたかった。サー・ウィリアムの説得にもエリザベスの決意はいささかも揺るがなかった。
おど たくみ くん おど すがた たの ことわ
「きみはたいそう踊りが巧いじゃないか、イライザ君、きみの踊る姿を楽しみにしておるこのわたしに断るとはひど
しんし ぶとう この はん じかん め たの
いねえ。ここにおられる紳士は、ふだんは舞踏を好まれぬようだが、半時間ぐらいなら、われわれの目を楽しませて
いぞん
くれることにご異存はないはずだよ」
れいぎ ただ わら
「ダーシーさまって、ほんとうに礼儀正しくていらっしゃいますのね」とエリザベスはにっこり笑ってみせた。
さそ あいて かんが くん しんし の き ふしぎ
「そうとも──だが誘いの相手を考えればだね、イライザ君、この紳士が乗り気になるのも不思議はない。これほどの
あいて ことわ もの
相手を断る者がいるだろうか?」
ひょうじょう せ む ば た さ て ていこう
エリザベスは、いたずらっぽい表情をして、くるりと背を向けその場を立ち去った。こんな手ごわい抵抗にあって
たい ひょうか さ み おも かんが
も、エリザベスに対するダーシーの評価は下がらなかった。いささか満ちたりた思いでエリザベスのことを考えてい
ちか こえ
ると、近づいてきたミス・ビングリーに声をかけられた。
かんが
「あなたが考えていらっしゃることぐらいわかってよ」
むり
「それは無理でしょう」
たま
かんが く ひ く ひ れんちゅう よる す たま
「きっとこう考えていらしたのよ、来る日も来る日もこんなふうに──こんな連中と──夜を過ごすんじゃ 堪 らないっ
どうかん おもしろ おおさわ
て。あたくしもまったく同感。こんなにうんざりしたことってないわ! 面白くもないのに、この大騒ぎ。つまらな
れんちゅう たか れんちゅう こくひょう うかが
い連中のくせにお高くとまっているのよ! この連中を酷評してくださるなら、よろこんで伺いますわよ!」
そうぼう
すいりょう こころ たの うるわ きみ うつく そう ひとみ ゆえつ
「その推量はおおはずれだな。ぼくは心ゆくまで楽しんでいる。麗しの君の美しき 双 眸 がもたらす愉悦にひたってい
たんですから」
おもて
め あいて めん そそ おも じょせい
ミス・ビングリーはすぐさまその目を相手の 面 にひたと注ぎ、そのような想いをかきたてたその女性はいったい
き い おそ こた
どなたか、ぜひともお聞かせあそばせと言った。ミスタ・ダーシーは、恐れげもなく答えた。
「ミス・エリザベス・ベネット」
がえ い
「ミス・エリザベス・ベネット!」ミス・ビングリーはおうむ返しに言った。「これはびっくりだわ。いったいいつ
かのじょ き め いわ もう あ
から彼女がお気に召しましたの? それで、いつお祝いを申し上げればいいのかしら?」
たず おも じょせい くうそう と さんび こい こい しゅんじ けっこん
「きっとそうお尋ねがあると思っていた。女性の空想はまっしぐらに飛ぶ。賛美から恋へ、恋から瞬時に結婚へ。あ
いわ い おも
なたがお祝いを言ってくれるだろうと思っていましたよ」
か あ
しんけん かんが き ぎぼ
「あらあら、それほど真剣に考えていらっしゃるなら、これはもうすっかり決まりですのね。すばらしいお義母さま
ぎぼ す
がおできになるわけだし、そのお義母さまももちろんペンバリーにお住まいになるのね」
へいぜん なが たいぜん たいど
ミス・ビングリーがこうやっていくらからかおうと、ダーシーは平然と聞き流していた。その泰然とした態度に、
や ゆ
い やゆ ことば つづ
ミス・ビングリーはこれならなにを言ってもかまうまいと、揶揄の言葉はえんえんと続いたのである。
7
『ジェインさま
あなた
きじょ きょう わたし しょくじ きもち わたし いち
もし貴女が、今日私とルイザとごいっしょにお食事してくださるお気持がなかったら、ルイザと私はこのさき一
いさかい
せい にく なか おんな いち にち がお いさかい
生、憎みあう仲になるかもしれませんの。女ふたりが一日じゅう顔をつきあわせていたら、しまいにはきっと 諍 に
ふみ
ぶん よ しだい あに とのがた しょうこう
なりますもの。この 文 をお読みになり次第、すぐにいらしてくださいませ。兄と殿方は、将校さんたちとごいっしょ
しょくじ よてい
にお食事の予定です。
かしこ
キャロライン・ビングリー』
『リジーちゃん
お きぶん わる きのう あめ しんせつ とも
けさ起きてみたらとても気分が悪いの、昨日の雨でずぶぬれになったせいでしょう。親切なわたしのお友だちは、
いえ かえ せんせい み
ちゃんとよくなるまで家に帰ってはいけないとおっしゃいます。それにジョーンズ先生に診てもらうようにともおっ
せんせい おうしん きた みみ はい おどろ のど いた ずつう
しゃるの──ですから、先生が往診に来られたことがそちらの耳に入っても驚かないようにね──喉が痛むのと頭痛が
しんぱい
するほかは、かくべつ心配することはありません。
かしこ』
よ ま い むすめ びょうき おも
「やれやれ」とミスタ・ベネットは、エリザベスが読みおわるのを待ってこう言った。「たとえ娘の病気が重くな
し さしず くん き ひ ほんもう
り、あげくに死んだとしてもだ、あなたの指図で、ビングリー君の気を惹こうとしたのだから、本望だろう」
こ し にんげん かぜ ひ し
「まっ! あの子が死ぬわけがないじゃありませんか。人間、ちょっとばかり風邪を引いたぐらいで死にゃしませ
ねんご
こん せわ やっかい じょうでき ばしゃ
ん。きっと 懇 ろにお世話していただけますわ。あちらにずっとご厄介になれれば上出来ですわよ。馬車があれば、
みま
見舞いにいってやりますのに」
しんぱい ばしゃ あね あ い けっしん じょうば ふえて ある
エリザベスはひどく心配で、馬車がなくとも姉に会いに行こうと決心した。乗馬は不得手なので、歩いていくほか
せんげん
はない。そしてそうすることを宣言した。
もの し ははおや さけ どろ どう ある
「あなたときたら、なんて物知らずなの」と母親が叫んだ。「あんな泥んこ道を歩いていくなんて! あちらにたど
み
りついたときにはきっと見られたものじゃないわ」
あ へいき あ
「ジェインに会うためなら平気ですったら──ジェインに会えればそれでいいの」
い ちちおや い うま
「きみはこう言いたいのかい、リジー」と父親は言った。「馬をまわしてくれないかと?」
ちが ある いや い もくてき きょり もんだい ご あし
「違いますってば。歩くのが嫌だとは言っていません。目的があれば、距離なんか問題じゃないわ。ほんの五キロ足
ゆうしょく かえ
らずですもの。お夕食までには帰ってきます」
あね しんせつ かんしん い い かんじょう う しょうどう り
「お姉さまのご親切には感心するわ」とメアリが言った。「でもわたしに言わせれば、感情から生まれる衝動は、理
せい みちび ほね お ひつよう み
性に導かれるべきよ。どうせ骨を折るなら、それがどれだけ必要とされているか、ちゃんと見きわめなくちゃだめ
よ」
い い いもうと
「あたしたち、メリトンまでいっしょに行くわよ」とキティとリディアが言った。エリザベスは妹たちがついてくる
しょうち さん にん むすめ そろ いえ しゅっぱつ
ことを承知し、こうして三人の娘は揃って家を出発した。
いそ ある い たいい い あ
「うんと急げば」と歩きながら、リディアが言った。「カーター大尉がどっかに行かないうちにちょっと会えるかも
しれない」
わか いもうと しかん ふじん と やど む ある
メリトンで別れたふたりの妹は、ある士官夫人が泊まっている宿に向かった。エリザベスはそのままひとり歩きつ
あし はや ぼくそう ち つぎつぎ よこぎ しがらみ ふ だん の こ みず と えつ
づけ、足どりを早めて牧草地を次々に横切り、柵にそなえられた踏み段を乗り越え、水たまりをひょいひょい跳び越
くるぶし
やしき み くるぶし いた くつした どろ ある
え、屋敷が見えるところまでようやくたどりついたときには、 踝 は痛むし、靴下は泥まみれ、せっせと歩いてきた
かお こうちょう
ために顔は紅潮していた。
ま
ちょうさん ま とお みな かお そろ すがた
エリザベスは朝餐の間に通されたが、そこにはジェインのほかは皆が顔を揃えていた。あらわれたエリザベスの姿
み おどろ ようす はや ご どろ どう ある
を見ると、みんなたいそう驚いた様子だった。こんな早くに五キロもの泥んこ道をたったひとりで歩いてきたとは、
しん じぶん けいべつ
ミセス・ハーストとミス・ビングリーにとってはほとんど信じがたいことだった。こんな自分をさぞや軽蔑している
おも ていちょう むか しまい あに くん たいど たん
だろうとエリザベスは思った。だがいとも丁重に迎えてはいただいた。そしてビングリー姉妹の兄君の態度には、単
ぎれい かん かいかつ くち ひら
なる儀礼ではないものが感じられた。快活でやさしかった。ミスタ・ダーシーはほとんど口を開かず、ミスタ・ハー
ほ て
ひとこと くち とお みち ある あか ほて かお いろ
ストは一言も口をきかなかった。ダーシーは、遠い道のりを歩いてきたために赤く火照っているエリザベスの顔の色
み と
みほ いっぽう とお ある は けんめい き いっぽう
に見惚れる一方で、これほど遠くまでひとりで歩いてきたことが果たして賢明だったのか気になった。一方ハースト
もくぜん ちょうしょく かんが
は、目前の朝食のことしか考えていなかった。
あね ようだい たず へんじ よる ねむ
姉の容態についてエリザベスはあれこれ尋ねたが、返事ははかばかしくなかった。ミス・ベネットは、夜はよく眠
お こうねつ へや で あね あんない
れず、起きていても高熱のために部屋から出るのはむりだというのである。エリザベスはすぐに姉のところに案内し
いっぽう かぞく おどろ めいわく おそ き
てもらえたのでうれしかった。一方ジェインは、家族を驚かせて迷惑をかけるのを恐れ、だれかにぜひ来てほしいと
ぶん か さ ひか すがた み ばなし
文に書くのは差し控えていただけに、エリザベスの姿を見るとたいそうよろこんだ。だが、いまはまだあまり話ので
じょうたい で しんせつ かん
きる状態ではなく、ミス・ビングリーがふたりをおいて出ていったあとも、とても親切にしていただいているのと感
しゃ ことば い つ そ
謝の言葉をつぶやいただけだった。エリザベスはなにも言わず、そばに付き添っていた。
ちょうしょく しまい へや きづか しめ み
朝食がすむとビングリー姉妹が部屋にやってきた。そしてジェインにやさしい気遣いを示してくれるのを見ると、
あん じょう
かのじょ す おうしん いし びょうにん しんさつ あん じょう かぜ ひ
エリザベスもなんだか彼女たちが好きになった。往診の医師が病人を診察してくれたが、 案 の 定 ひどい風邪を引い
ようじょう い びょうにん ねどこ あんせい い みずぐすり
たということで、せいぜい養生させるようにと言った。それから病人には寝床で安静にしているように言い、水薬を
ちょうざい やくそく かえ ねつ あ ずつう はげ いし ちゅうこく
調剤しましょうと約束して帰っていった。熱が上がって頭痛も烈しくなったために、ジェインは医師の忠告におとな
したが かたとき しまい かお み
しく従った。エリザベスは片時もジェインのそばをはなれなかったし、ビングリー姉妹も、ちょくちょく顔を見せ
とのがた ふざい
た。殿方がみなご不在とあって、じつはほかになにもすることがなかったのである。
とけい さん じ う かえ おも こころ つ ばしゃ
時計が三時を打ったとき、エリザベスはもう帰らねばと思い、心ならずもそう告げた。ミス・ビングリーが、馬車
だ い こうい あま おも いもうと かえ
を出しましょうと言ったので、エリザベスはせっかくのご好意に甘んじようと思った。ところが妹が帰ってしまうと
し こころぼそ ようす み ばしゃ おも とど
知ったジェインがたいそう心細がっている様子を見たミス・ビングリーは、馬車をすすめるのを思い止まり、もうし
と え だい よろこ もう で おう
ばらくネザーフィールドに留まってはいかがとすすめざるを得なかった。エリザベスは、大喜びでその申し出に応じ
じゅうぼく つか むね つた きが いふく も かえ
た。従僕がさっそくロングボーンに遣わされてその旨を伝え、着替えの衣服を持ち帰ったのであった。
8
9
よる つ そ あさ ようだい たず
エリザベスはその夜はほとんどジェインに付き添っていたが、朝になると、ミスタ・ビングリーが容態を尋ねるた
じょちゅう しまい じょうひん こま づか あね ようだい かいほう
めによこした女中や、しばらくあとにやってきた姉妹づきの上品なふたりの小間使いのそれぞれに、姉の容態が快方
む きっぽう つた はは ようす み さき
に向かっているという吉報を伝えることができた。そうはいうものの、母にジェインの様子を見てもらい、この先ど
ふみ
はんだん おも ぶん とど たの ぶん とどけ
うすればよいか判断してもらいたいと思ったのでロングボーンに 文 を届けてくれるよう頼んだ。ただちに文は届けら
ねが かな した むすめ ひ つ ちょうさん
れ、エリザベスの願いはすぐさま叶えられた。ミセス・ベネットは、さっそく下のふたりの娘を引き連れて、朝餐が
やしき
すんだばかりのネザーフィールド屋敷にやってきたのである。
びょうじょう おも ひたん ちが ゆうりょ ようだい
ジェインの病状が重いとあれば、ミセス・ベネットも悲嘆にくれたに違いないが、憂慮するほどの容態ではないと
み あんど かいふく おも かいふく
見るや、すっかり安堵し、いっそすぐに回復しないほうがよいとさえ思った。回復すれば、おそらくすぐにもネザー
た さ いえ つ かえ たの
フィールドを立ち去らなければならない。だからジェインが家に連れて帰ってといくら頼んでも、ミセス・ベネット
みみ か おな いし うご いけん
は耳を貸そうとはしなかった。同じころにやってきた医師も、すぐに動かさぬほうがよいという意見だった。みなは
ま
まくら はは さん にん むすめ ちょうさん ま あんない
ジェインの枕もとにしばらくすわっていたが、ミス・ビングリーがあらわれ、母と三人の娘を朝餐の間に案内した。
むか じょう あん
ミスタ・ビングリーがみなを迎え、お嬢さまはお案じなさったほどのことはなかったでしょうとミセス・ベネットに
い
言った。
あん とお こた ぐあい わる
「それが案じておりました通りでございまして」というのがミセス・ベネットの答えだった。「だいぶ具合が悪うご
うご せんせい うご
ざいますので、動かすのはむりでございましょう。ジョーンズ先生もいまは動かしてはいけないとおっしゃいまし
こうい あま
て。いましばらく、こちらさまのご好意に甘んじなければならないのでございますよ」
うご さけ いもうと だん みみ か
「動かすなどとは!」とビングリーが叫んだ。「めっそうもありません。妹も断じて耳を貸しますまい」
あんしん おく ひや ていねい い
「ご安心あそばして、奥さま」とミス・ビングリーは、冷やかながら丁寧に言った。「あたくしどもにいらっしゃる
せわ
あいだは、できるかぎりのお世話をさせていただきますわ」
お れい の
ミセス・ベネットは、惜しみなく礼を述べた。
しんせつ とも
「ほんとうにねえ」とミセス・ベネットはつけくわえた。「こんなにご親切なお友だちがおいでにならなかったら、
むすめ かぜ つら わが
娘はどうなっておりましたことやら。だってひどい風邪でございましてねえ、たいそう辛いはずですのに、じっと我
慢 きもち むすめ
慢しておりますの。ふだんからあんなふうでございましてね、気持もいつもそりゃやさしいんですの。ほかの娘たち
もう あし およ きれい へや
にもしじゅう申しておりますのよ、あなたたちはジェインの足もとにも及ばないって。こちら、綺麗なお部屋ですわ
じゃり どう なが やしき
ねえ、ビングリーさま、あの砂利道のあたりの眺めのよろしいこと。このネザーフィールドのようなお屋敷は、この
ひ はら かんが ねが ちんたい けいやく みじか
あたりにはほかにございませんのよ。すぐに引き払うなんてお考えにならないよう願いますわ、賃貸の契約は短いの
でしょうが」
い ひ うえ
「ぼくはなにをやるにもせっかちなんです」とミスタ・ビングリーは言った。「ですからネザーフィールドを引き上
き ごぶ で とうぶん こし す
げようと決めたら、五分で出ていきますよ。しかし当分はここに腰を据えるつもりでいます」
ほう おも い
「そういう方だろうと思っていましたわ」とエリザベスが言った。
せいかく おおごえ い む
「ぼくの性格がもうわかるのですか?」とビングリーは大声で言いながら、エリザベスのほうを向いた。
「ええ! そう──ようくわかりますわ」
ほ ことば う と みぬ なさ
「それはお褒めの言葉と受け取っていいのかな。しかしそうやすやすと見抜かれるとは、情けないなあ」
ふくざつ おくふか せいかく せいかく りっぱ
「たまたまですけれどね。もっと複雑で奥深い性格のほうが、あなたのような性格よりご立派ということではありま
せんけど」
の ほう ず
ははおや さけ ばしょ がら の ほう ず ものい いえ ゆる もと
「リジー」と母親が叫んだ。「場所柄をわきまえなさい。そんな野 放 図な物言いは家では許されてもよそさまでは許
されませんよ」
し ことば にんげん せいかく けんきゅう か
「知らなかったなあ」とビングリーがすかさず言葉をついだ。「あなたが、人間の性格の研究家だったとは。さぞや
おもしろ けんきゅう
面白い研究でしょう」
ふくざつ せいかく おもしろ ふくざつ せいかく すく りてん
「はい。でも複雑な性格がいちばん面白いんです。複雑な性格には少なくともそういう利点がありますわ」
いなか くち けんきゅう たいしょう すく いなか
「田舎では」とダーシーが口をはさむ。「だいたいそういう研究の対象は少ないでしょう。このあたりの田舎では、
こうさい あいて ひじょう かぎ か
交際する相手も非常に限られているし、変わりばえもしない」
にんげん じたい か にんげん あたら み
「でも人間自体がどんどん変わっていくんです、つまりひとりひとりの人間のなかに、いつもなにか新しいものが見
つかるんです」
いなか ことば
「ええ、そうなんでございますよ」このあたりの田舎では、というダーシーの言葉にいきりたったミセス・ベネット
さけ いなか おな へんか
が叫んだ。「田舎でも、ロンドンと同じように、変化というものはあるんでございますよ」
いちざ もの おどろ み むごん かお あいて
一座の者たちは驚いた。ダーシーはミセス・ベネットをちらりと見てから、無言で顔をそむけた。ぜったいに相手
い ま おも ず の
を言い負かしたと思いこんだミセス・ベネットは、ますます図に乗った。
げ
い いなか りべん ほぐ みせ おおやけ
「言わせていただけるなら、ロンドンが田舎よりもおおいに利便があるというのは解せませんわ、そりゃお店だの公
ども たてもの いなか す ごこち
共の建物などはたくさんございましょうけどね。田舎のほうがずっと住み心地がよろしいんじゃございませんこと、
ビングリーさま?」
いなか い おも こた どう
「田舎におりますと、どこへも行きたくないと思いますが」とビングリーは答えた。「ロンドンにおりましても、同
きもち ちょうしょ しあわ
じような気持になりますね。それぞれに長所がありますから。どちらにいても幸せでいられます」
せいかく ほう み
「はいはい──それはつまりあなたさまが、まともなご性格の方だからですわ。でもあちらさまは」とダーシーを見
いなか と た おも
て、「田舎など取るに足りないとお思いのようですわね」
かあ おも ちが ははおや ことば かお あか
「あらいやだ、それはお母さまの思い違いよ」とエリザベスは母親の言葉に顔を赤らめた。「ダーシーさまをまった
ごかい いなか しゅるい にんげん であ きかい
く誤解しているわ。田舎ではロンドンのように、いろいろな種類の人間に出会う機会がないとおっしゃっただけじゃ
ないの、それはたしかなことでしょ」
いなか にんげん い きんじょ たいせい
「そりゃそうよ、だれも、田舎にもいろいろな人間がいるとは言っていませんよ。でも、このご近所で大勢のひとと
であ きかい きんじょ ひろ に じゅう よん
出会う機会がないというのはどうかしら、これほどご近所づきあいの広いところはほかにはありませんよ。二十四も
かぞく しょくじ
のご家族とお食事をごいっしょするようなおつきあいをしていますもの」
きもち おも わら いもうと おも
エリザベスの気持をひとえに思いやって、ビングリーは笑いをこらえた。妹のほうはそれほどの思いやりはなく、
いみ え う み ははおや きもち
意味ありげな笑みを浮かべてダーシーをじっと見つめた。エリザベスは、母親の気持をなんとかそらすことはできま
かんが じぶん るす なかよ こ たず
いかと考え、自分の留守のあいだに仲良しのシャーロット・ルーカスがロングボーンに来なかったかと尋ねてみた。
ちち み きもち ほう
「ええ、きのう、お父さまとごいっしょに見えたわよ。サー・ウィリアム・ルーカスは、気持のいい方ですわね、ビ
じょうりゅう しゃかい かた しな き
ングリーさま──そうじゃありません? まさに上流社会のお方ですわ! そりゃお品がよろしくて、気さくでいらし
じょさい
如 さい はな れいぎ ただ
て! だれとでも 如 才 なくお話しになる。あれこそ、礼儀正しいというものですわね。ふんぞりかえって、ぜったい
くち ほう
お口もきかないような方は、ものごとをはきちがえておいでなんですわ」
しょくじ
「シャーロットはうちでお食事していったのかしら?」
かえ は つく てつだ たく
「いいえ、どうしても帰ると言い張って。ミンス・パイを作るお手伝いでもあったんじゃないの。宅ではね、ビング
ようじ めしつかい むすめ そだ
リーさま、そんな用事はいつも召使がいたしますわ。うちの娘は、そんなふうには育ててはおりませんから。でもみ
かんが か じょう かた きだ
なさん、それぞれにお考えがおありですものね。それにルーカス家のお嬢さま方は、みなさんとても気立てのよいお
じょう びじん き どく べつ ぶきりょう おも
嬢さまなんですよ。美人じゃないのがちょっとお気の毒! 別にシャーロットがたいそう不器量だなんて思ってはお
こ
むすめ なか
りませんけど。でもうちの娘たちとはかくべつ仲がよろしいんですの」
きだ じょう い
「とても気立てのよさそうなお嬢さんですね」とビングリーが言った。
きりょう わる みと じ
「ええ、ええ! そりゃもう。でもご器量が悪いのは認めないわけにはいきませんわねえ。レディ・ルーカスがご自
ぶん くち びじん うらや こ じまん
分の口からしじゅうそうおっしゃって、うちのジェインが美人だと羨ましがっていますもの。わが子の自慢はしたく
きりょう
ないんですけど、でもジェインはたしかに──あれほどの器量よしはそうざらにはいませんわ。みなさんがそうおっ
おや よくめ じゅう ご おとうと
しゃいます。親の欲目でしょうかしら。ジェインがほんの十五のときですが、ロンドンにおりますわたくしの弟の
たく しんし あ ほう
ガーディナーの宅で、さる紳士にお会いしたことがございましてね、その方がジェインにすっかりのぼせておしまい
かえ まえ ほう けっこん もう こ おとうと つ あ もう
になって。わたくしどもが帰る前には、きっとその方から結婚の申し込みがあるはずだなんて、弟の連れ合いが申し
おさな おも し
ましてね。でもありませんでしたけど。きっと幼すぎるとお思いになったんですよ。それでもジェインのことを詩に
うつく し
なさいましてね、そりゃ美しい詩でしたの」
た
こい い おも ことわ だい
「それでその恋もおしまいでした」とエリザベスがこらえきれずに言った。「そうやって想いを断ってきたひとは大
いきお こいごころ た き しさく さいしょ はっけん
勢いたんでしょうね。恋心を断ち切るには詩作がいいと最初に発見したのはだれだったかしら?」
かて
し こい かて い
「詩は『恋の 糧 』とやら、じゃありませんでしたかね」とダーシーが言った。
し かて こい つよ けんこう こい つよ ようぶん
「詩が糧になるような恋は、きっと強くて、健康なすばらしい恋なんですわ。もともと強いものは、なんでも養分に
ソ ネ ッ ト
よわ じゅう よん こう し か
してしまいますもの。でもそれがもともとか弱いものなら、どんなにすばらしい十四行詩でも、それを枯らしてしま
いますわ」
びしょう う つづ いちざ ちんもく ははおや おろ
ダーシーは微笑を浮かべただけだった。そしてそのあとに続いた一座の沈黙に、エリザベスは、母親がさらに愚か
くちばし き き はな おも おも みじか ちんもく
しいことを口走るのではないかと気が気ではなかった。なにか話そうと思うのになにも思いつかない。だが短い沈黙
しんせつ れい の
のあとに、ミセス・ベネットが、ジェインに親切にしてくださったお礼をミスタ・ビングリーにくどくどと述べはじ
ねんご
めいわく わ い こん おうたい いもうと
め、リジーまでご迷惑をおかけしてと詫びを言った。ミスタ・ビングリーはたいそう 懇 ろに応対し、妹のミス・ビ
ば あいさつ しむ やく もと き
ングリーにも、その場にふさわしい挨拶をさせようと仕向けた。ミス・ビングリーはその役を素気なくこなしたが、
まんぞく ばしゃ ようい めい すえ むすめ
ミセス・ベネットはそれで満足し、それからすぐに馬車の用意を命じた。するとこれをきっかけに、末娘のリディア
した むすめ き はな あ ゆい
がしゃしゃりでた。下のふたりの娘は、ここに来たときからずっとなにやらひそひそ話し合っていたのだが、その結
はて ぶとう かい ひら あ やくそく
果、こんどはネザーフィールドでぜひ舞踏会を開きましょうとはじめて会ったとき約束したミスタ・ビングリーに、
もんく い
リディアが文句を言うことになったのである。
じゅう ご さい の ざか けんこう むすめ はだ いろ あいきょう かお ははおや だい き
リディアは十五歳、伸び盛りの健康な娘で、肌の色つやもよく、愛嬌のある顔つきをしている。母親の大のお気に
はい かわい としは ひとまえ だ てんば うぬぼ つよ おじ いえ
入りで、可愛いがるあまり年端のゆかぬころから人前に出していた。お転婆でもともと自惚れも強いが、叔父の家の
おい ゆうしょく じしん くったく ものごし ひ あつ しかん にんき しゃ
美味しい夕食やリディア自身の屈託のない物腰に惹かれて集まってくる士官たちの人気者になり、ますますつけあが
ぶとう かい けん も だ やくそく おも
るばかりだった。したがってリディアは、ミスタ・ビングリーにいきなり舞踏会の件を持ち出して、その約束を思い
だ やく やくそく まも てんか はじ
出させる役にはうってつけだった。お約束を守らなかったら、天下に恥をさらすことになりますわ、とリディアはつ
わす ふいう たい こた ははおや みみ こころよ
けくわえることも忘れなかった。この不意打ちに対するビングリーの答えは、母親の耳にも快いかぎりだった。
やくそく かなら まも あね じょう かいふく ぶとう かい ひ き あね じょう
「約束は必ず守りますとも。あなたの姉上がすっかり快復なさったら、あなたが舞踏会の日を決めてください。姉上
びょうき ぶとう かい
がご病気のあいだは、あなたも舞踏会どころではないでしょうからね」
けっこう こた ま
リディアはそれで結構ですと答えた。「ええ、そうね!──ジェインがよくなるまで待つほうがいいわ、そのころに
たいい く ぶとう かい ひら まい
は、カーター大尉もまたメリトンに来るし。あなたが舞踏会を開いてくださったら、こんどは、あのひとたちにも舞
踏会 ひら い ひら わら しゃ たいさ い
踏会を開くように言ってやるわ。開かなかったら笑い者ですよって、フォスター大佐にも言ってやるわね」
むすめ かえ ま じぶん
こうしてミセス・ベネットとその娘たちは帰っていった。エリザベスはすぐにジェインのもとに舞いもどり、自分
ひょうじょう
みうち ふ ま ひょう じょう ふじん
とその身内の振る舞いについての 評 定 は、ふたりのご婦人とミスタ・ダーシーにまかせることにした。しかしな
そうぼう
うつく そう ひとみ ひ
がら、ミス・ビングリーに、〈美しき 双 眸 〉についてさんざん冷やかされたにもかかわらず、ダーシーは、エリザベ
がわ
スをこきおろす側になんとしてもくわわろうとはしなかった。
10
「ぜひとも頼むよ」とビングリーが叫んだ。「たがいの身の 丈 や体格を忘れずに、こういう話は聞こうじゃないか。
き
あなたは気づいていないでしょうが、ミス・ベネット、議論には、身の丈と体格というものがおおいに影響するんで
す。もしダーシーが、これほどの長身でなかったら、ぼくはいまの敬意の半分も払いはしませんよ。はっきり言いま
いるときの、それから手持ち無沙汰の日曜日の夜の彼ときたらなあ」
いあつ
すが、ダーシーほど威圧感をおぼえる人間はいませんね、まあ、時と場合にもよりけりですが。ことに自分の屋敷に
びしょう
ミスタ・ダーシーは微笑したけれども、エリザベスには、彼が不機嫌なのが感じられた。だから笑いを抑えた。ミ
ス・ビングリーは、ダーシーが受けた侮辱にいきりたち、こんな馬鹿げたことを言う兄を 詰 った。
いと
「きみの意図はわかっているよ、ビングリー」ダーシーは言った。「議論が嫌いだから、これで打ち切りにしたいと
いうんだね」
ぎろん
かん
たの
ても ぶさた
たの
う
おう
ちょうしん
さけ
じゅうよう せい
にんげん
にちようび
ぶじょく
くちげんか
どあ
よる かれ
どうよう
ぎろん
い
たけ
たけ
かれ
ゆうじん
たいかく
とき
ふきげん
ばか
み たけ
けいい
ばあい
ぎろん
わす
おも
しんみつ
たいかく
はんぶん
きら
かん
はら
い
どあ
あに
なじ
つめ
はなし き
わら
う き
えいきょう
じぶん
み
おさ
へや
い
やしき
で
「たぶんそうさ。議論といったって、口喧嘩みたいなものだもの。きみもミス・ベネットも、ぼくがこの部屋から出
ぎろん あづ かんしゃ ぎろん
ていくまで議論はお預けということにしてくれれば、おおいに感謝するよ。ぼくのことはそのあとでおおいに議論し
てくれたまえ」
い てがみ か
「わたくしはそれでかまいませんわ」とエリザベスは言った。「ダーシーさまはお手紙を書いておしまいになったほ
うがよろしいわ」
じょげん したが てがみ か
ミスタ・ダーシーはその助言に従って手紙を書きおえることにした。
てがみ か おんがく き い
手紙を書きおえたダーシーは、ミス・ビングリーとエリザベスに、なにか音楽を聞かせてほしいと言った。ミス・
ちか さき ごえ あいて ていちょう
ビングリーは、つかつかとピアノに近づき、どうぞお先にとエリザベスにひとまず声をかけ、相手が丁重に、かつ
じたい まえ
きっぱり辞退するとさっさとピアノの前にすわった。
うた
いもうと 唱 うた うえ
ミセス・ハーストが、妹といっしょに 唱 った。ふたりが唱っているあいだ、エリザベスは、ピアノの上にのってい
がくふ ひら み め じぶん そそ き
る楽譜をあれこれ開いて見ていたが、ミスタ・ダーシーの目がしばしば自分に注がれるのに気づかぬわけにはいかな
じぶん みぶん たか しょうさん まと おも じぶん きら
かった。自分がこれほど身分の高いひとの称賛の的になるとは思いもよらない。かといって自分のことを嫌っている
み きみょう はなし み かれ はんだん きじゅん
から見ているというのもさらに奇妙な話である。それでもこうしてちらちら見られているのは、彼の判断の規準によ
ふ らち
じぶん ふ らち にんげん おも こう
ると、ここにいるだれよりも自分におかしなところがあり、不 埒 な人間だと思われているからかもしれない。そう考
こころ いた す みと
えても心は痛まなかった。どうせ好きでもないひとだから、認めていただかなくてもけっこうだった。
かきょく うた ようき みんよう きぶん か
ミス・ビングリーは、イタリアの歌曲をいくつか唱いおえたあと、陽気なスコットランド民謡で気分を変えた。す
い
るとミスタ・ダーシーがエリザベスのそばにやってきてこう言った。
おど おど きかい
「ひとつ踊ってみませんか、ミス・ベネット、リールを踊るせっかくの機会ですから」
ほほえ こた だま
エリザベスは微笑むばかりで答えなかった。ダーシーはエリザベスが黙っているので、ちょっとびっくりしたよう
しつもん
に質問をくりかえした。
き こた まよ
「あら! 聞こえていましたわ。でもどうお答えしようかと迷っていましたの。きっとあなたは、わたくしから〈は
へんじ ひ だ この けいべつ たの
い〉という返事を引き出して、わたくしの好みを軽蔑なさって楽しむおつもりだったんでしょう。でもわたくしはい
たの けいべつ て ひ ほう
つもそういったもくろみをひっくりかえしてやるのが楽しみなんですの。軽蔑しようと手ぐすね引いている方をから
たの もう あ おど
かうのがなによりの楽しみなんです。ですから、わたくし、こう申し上げましょう、リールなんてちっとも踊りたく
けいべつ
ありません──さあ、軽蔑なさるならなさいませ」
もう
「むろん、むりにとは申しません」
あいて はら た おも かれ ていねい へんとう とうわく ふ ま
相手が腹を立てるだろうと思っていたエリザベスは、彼の丁寧な返答に当惑した。だがエリザベスの振る舞いには
あい ちゃめ け あいて おこ むずか み
愛らしさと茶目っ気がいりまじっているので、どんな相手でも怒らせるのは難しい。ましてダーシーはこれほど魅せ
さら
じょせい であ かのじょ みぶん ひく えんじゃ じぶん きけん さらし
られた女性に出会ったことがなかった。彼女に身分の低い縁者さえいなければ、自分はまさに危険に 晒 されていると
ほんき おも
ダーシーは本気で思っていた。
なか あや しっと しん しんゆう
ミス・ビングリーは、どうやらふたりの仲が怪しいとにらんだらしく、嫉妬心をかきたてられていた。親友である
かいふく いっしん ねが きもち お はら きもち はくしゃ
ジェインの快復を一心に願う気持に、エリザベスを追い払いたいという気持が拍車をかけたのである。
けっこん しあわ せいかつ かんが かのじょ
もしおふたりが結婚なさったらとか、そうなったらお幸せな生活を考えなくてはとか、彼女はダーシーをしきりに
あお
あふ きら しむ
煽 ってエリザベスを嫌わせようと仕向けた。
よくじつ はやし さんぽ い はなし はれ
翌日、林のなかをダーシーといっしょに散歩しながらミス・ビングリーはこう言った。「このけっこうなお話が晴
か あ
じつげん ぎぼ ほう くち つつし
れて実現するときには、あなたのお義母さまになられる方に、お口をお慎みになるほうがおためですよと、それとな
しょうこう お もと むすめ みも ただ
くおっしゃることね。それがうまくいったら、将校たちを追いまわしている下の娘たちの身持ちも正してさしあげて
うぬぼ
びみょう もんだい い おく ほう うぬぼ なま い
くださいね。それからとても微妙な問題で言いにくいんですけれど、あなたの奥さまになる方の自惚れというか生意
き ちゅうい
気というか、そのあたりを注意してさしあげるようになさいませ」
かてい こうふく かん じょげん
「ぼくの家庭の幸福に関して、ほかになにか助言はありますか?」
おじ おば ふさい しょうぞう が かいが しつ
「ええ、ありますとも!──あのひとの叔父さま叔母さまにあたるフィリップスご夫妻の肖像画をペンバリーの絵画室
かざ はんじ おおおじ とな おな しょくしゅ
にお飾りになったらいかが。判事でいらっしゃるあなたの大伯父さまのお隣りに。おふたりは同じ職種でいらっしゃ
う も しごと かく ちが しょうぞう が えが うつく
るし、ただ受け持つお仕事の格がお違いになるだけ。エリザベスの肖像画は描かせてはだめよ、だって、あの美しき
そうぼう えが がか
双眸をちゃんと描ける画家なんていませんでしょ?」
ひょうじょう とら ようい いろ かたち まつげ うつく うつ
「たしかにあの表情を捉えるのは容易ではないな、だがあの色と形、それから睫毛はひときわ美しい、あれを写すこ
とならできるかもしれない」
べつ こみち であ
ちょうどそのとき、ふたりは別の小道からやってきたミセス・ハーストとエリザベスにばったり出会った。
さんぽ し はなし き
「あなたたちもお散歩なさるなんて知らなかったわ」とミス・ビングリーは、話が聞こえはしなかったかと、いささ
あわ い
か慌てて言った。
いじわる こた さんぽ で い
「あなたときたら、ほんとうに意地悪だわねえ」とミセス・ハーストが答えた。「お散歩に出るとも言わずにいなく
なってしまうんですもの」
あ うで のこ ある だ こみち
それからミスタ・ダーシーの空いているほうの腕をとると、エリザベスをひとりあとに残して歩き出した。小道の
ぶ しつけ
はば さん にん なら ふ しつけ ふ ま き い
幅は三人が並ぶといっぱいだった。ミスタ・ダーシーは、ふたりの不 躾 な振る舞いに気づき、すかさずこう言っ
た。
みち ある せま なみきみち い
「この道は、みんなで歩くには狭いですね。並木道のほうに行きましょう」
すこ おも ほが こた
だがエリザベスは、みなといっしょにいたいとは少しも思わなかったので、朗らかに答えた。
さん にん そろ こうず よん にん め
「いえいえ、どうぞそのままで。三人お揃いのところはとてもすてき、めったにない構図ですもの。四人目がくわ
びがく ちょうわ そこ
わっては、『ピクチャレスク美学』の調和が損なわれますわ。ではごきげんよう」
げんき か いち にち に にち いえ かえ おも
そうしてエリザベスは元気よく駈けだした。あと一日か二日で家に帰れるかもしれないと思うとうれしくてたまら
ある ゆうがた に じかん じぶん へや で い かいふく
ず、そこらじゅうを歩きまわった。ジェインは、夕方の二時間ほどは自分の部屋から出てみたいと言うほどの快復ぶ
りだった。
11
の
あいさつ
浮かべ、真情をこめて挨拶したのはビングリーだった。心の底からよろこび、こまやかな気配りを示した。部屋が変
からだ
さわ
さわ
わったために体に 障 ってはいけないと、最初の三十分というものは、暖炉にせっせと薪を積み上げていた。そして彼
きぼう とびら
の希望でジェインは、扉からいちばんはなれた暖炉のわきに席を移した。ビングリーはジェインのかたわらにすわ
り、ほかのだれともほとんど話をしなかった。エリザベスは、向かいの隅のほうで刺繡の手を動かしながら、そうし
じょうけい
お茶を飲みおわると、ミスタ・ハーストが義妹にカード・テーブルを出すようそれとなく合図したが──無駄だっ
た。ミス・ビングリーはダーシーがトランプを好まぬということを内々に聞いていたのである。だからミスタ・ハー
ようせい
ストのあからさまな要請も撥ねつけられてしまった。トランプをやりたいひとはだれもいませんものと、ミス・ビン
い
グリーは言った。これについてだれもが口を閉ざしているのは、ミス・ビングリーの言葉を容認しているようだっ
た。したがってハーストはなにもすることがなく、ソファに寝そべって眠るほかはなかった。ダーシーは書物を取り
あ
上げた。ミス・ビングリーもそれに 倣 った。ミセス・ハーストは、腕輪や指輪をしきりにいじりまわしながら、とき
あに
どき兄とジェインの会話にくちばしをはさんだ。
かいわ
なが
は
は
う
はなし
なら
倣
さいしょ
くち
ぎまい
と
さん じゅう ふん
だんろ
この
こころ そこ
せき
ね
む
うつ
ないない
うでわ
だんろ
すみ
ねむ
き
ゆびわ
とげ
たきぎ
ことば
きくば
て
つ あ
あいず
ようにん
うご
しめ
しょもつ
むだ
へや
と
へん
かれ
ほん よ ちゅうい ほん すす ぐあい む
ミス・ビングリーは本を読んでいるとはいうものの、注意はもっぱらミスタ・ダーシーの本の進み具合に向けられ
しつもん よ ほん はなし ひ こみ
ていて、たえず質問をしたり、ダーシーが読んでいる本をのぞきこんだりした。だがあいにくダーシーを話に引き込
あいて しつもん こた ほん よ よ
むことができない。相手は質問に答えると、さっさと本を読みつづける。ミス・ビングリーは、ダーシーが読んでい
あくび
ほん だい に かん ほん えら よ み はい おお あくび
る本の第二巻だからとその本を選んだにすぎないから、それを読もうにも身が入らず、もううんざりして大きな欠伸
よる す たの どくしょ たの
をした。「こうして夜を過ごすのは楽しいこと! 読書ほど楽しいものはぜったいないわねえ。ほかのものじゃすぐ
たいくつ じぶん いえ も りっぱ としょ しつ ふこう
に退屈してしまうもの! 自分の家を持てても、立派な図書室がなかったら不幸よねえ」
こた もの あくび ほん おもしろ
だれも答える者はいなかった。そこでミス・ビングリーはもうひとつ欠伸をして本をほうりだすと、なにか面白い
へや み あに ぶとう かい はなし き こう
ことはないかと部屋を見まわした。兄が、ジェインに舞踏会の話をしているのを聞きつけると、やにわにそちらに向
きなおった。
あに ほんき ぶとう かい ひら ちゅうい もう あ けっ
「あのねえ、お兄さま、本気でネザーフィールドで舞踏会を開くおつもり? ご注意申し上げておくけど、それを決
まえ いこう うかが ほう おも ちが
める前に、みなさまのご意向を伺ったほうがよくってよ。ここにおいでの方のなかには、あたくしの思い違いかもし
ぶとう かい たの ごうもん おも ほう
れないけれど、舞踏会は楽しいどころか拷問だとお思いの方がいらっしゃるらしいから」
い おおごえ い まえ ね
「ダーシーのことを言っているのなら」とビングリーは大声で言った。「はじまる前にさっさと寝ていただいてけっ
ぶとう かい き ようい
こう。舞踏会のことはもうほとんど決めたんだよ。ニコルズがホワイト・スープをたっぷり用意してくれたら、さっ
しょうたい じょう おく
そく招待状を送るつもりなんだ」
ぶとう かい しゅこう か たの こた
「舞踏会もいろいろと趣向を変えたら、もっと楽しくなるでしょうに」とミス・ビングリーは答えた。「たいていの
ぶとう かい すす かた たいくつ おど かいわ ちゅうしん あつ
舞踏会の進め方ときたら、うんざりするほど退屈だわ。踊るかわりに会話を中心にしたら、もっとまともなお集まり
になるでしょうね」
ぶとう かい い
「おおいにまともになるだろうがね、キャロライン、それじゃ舞踏会とは言えないだろう」
こた た あ へや ある すがた ふ
ミス・ビングリーは答えず、やおら立ち上がると部屋のなかをぐるぐると歩きはじめた。その姿はたおやかで、歩
かた ゆうが めあ どくしょ ぼっとう おも
き方も優雅だった。だがお目当てのダーシーは、もっぱら読書に没頭している。思うようにならぬミス・ビングリー
けっしん む い
は、もうひとふんばりと決心し、エリザベスのほうを向いてこう言った。
なら へや ある なが おな しせい
「ミス・イライザ・ベネット、さあ、あたくしに倣ってお部屋をまわって歩きましょう。長いこと同じ姿勢ですわっ
きぶん
ていたあとには、きっと気分がせいせいしてよ」
おどろ ことば おう しんせつ ほんらい もくてき
エリザベスは驚いたが、すぐさまその言葉に応じた。そこでミス・ビングリーのこうしたご親切の本来の目的がか
かお あ かれ おな
なった。ミスタ・ダーシーが顔を上げたのである。彼もエリザベスと同じように、ミス・ビングリーのあたりでなに
き ひ けはい き むいしき ほん と
やらこちらの気を惹くような気配があるのに気づいて無意識に本を閉じたのだ。ごいっしょにいかがというミス・ビ
さそ へや ある
ングリーのお誘いがすかさずあったが、ダーシーは、おふたりがいっしょに部屋を歩きまわるについては、ふたつの
どうき おも じぶん じゃま い じたい
動機があると思われるし、そのどちらも、自分がくわわれば邪魔になるだけだからと言って辞退した。「いったいど
かのじょ いみ し ほう いみ
ういうことかしら?」彼女はその意味をぜひとも知りたかったので、あなたにはあの方のおっしゃる意味がおわかり
たず
かしらとエリザベスに尋ねた。
こた てきび
「いっこうに」というのがエリザベスの答えだった。「でもきっと、わたくしたちに手厳しいことをおっしゃるおつ
くじ
ほう ねら 挫 たず
もりよ、だからあの方の狙いを 挫 くには、なにもお尋ねしないのがいちばんだわ」
らくたん こま ふた どうき
ところがミス・ビングリーは、なんであれミスタ・ダーシーを落胆させては困るので、二つの動機とはなにかぜひ
せつめい せま
説明していただきましょうと迫った。
せつめい え い かた
「説明するにやぶさかではありませんよ」とダーシーは、きっかけを得るとすぐに言った。「あなた方おふたりは、
こよい す ほうほう えら しんらい なか はな あ
今宵を過ごすのにこのような方法を選んだ、なぜならおふたりはおたがいに信頼しあう仲、ふたりだけで話し合わな
ひみつ かた ようし ある ほんりょう はっき ひと め どうき
ければならない秘密がある、またあなた方の容姿は、歩くことによってその本領を発揮する──一つ目の動機なら、ぼ
じゃま しゃ ふた め どうき だんろ かた かんしょう
くはまったく邪魔者だし、二つ目の動機なら、ぼくは暖炉のそばにすわっているほうが、あなた方をたっぷりと観賞
できるというものです」
さけ き
「まあ! ひどい!」とミス・ビングリーが叫んだ。「こんなひどいこと、はじめて聞いたわ。こんなことおっしゃ
こ
ほう こ
る方を、どうやって懲らしめようかしら?」
いじ
しお かんたん い 苛
「ほんとうにお仕置きしたいというなら、こんな簡単なことはないわ」とエリザベスは言った。「だれだって 苛 めた
こ かんたん わら した
り、懲らしめたりするのは簡単よ。からかうのよ──笑ってやるのよ。お親しいのだから、どうすればよいかおわかり
でしょ」
した ものしず せいかく ちんちゃく
「そんなことわかるわけないわ。いくらお親しくしていても、そんなこと、わからないわよ。物静かな性格や、沈着
れいせい たいど わら
冷静な態度をからかえとおっしゃるの! だめ、だめ──そんなことをしてもびくともなさらないわよ。それに笑うと
わ け
りゆう わら わら だいぎ
いったって、理由もなく笑ったりして、かえってこちらが笑われるのはごめんだわ。ダーシーさまはきっと大喜びな
さるでしょうけど」
おおごえ は あ
「ダーシーさまには、からかうところがないんですって!」とエリザベスは大声を張り上げた。「それはまたたいそ
つよ いの し あ
うな強みですこと。でもそんなひと、めったにいないように祈ります。だってそんなお知り合いばかりだったら、
わら だいす
がっくりしちゃうわ。わたくし、ひとをからかって笑うのが大好きなんですもの」
い か りっぱ かしこ にんげん
「ミス・ビングリーは」とダーシーは言った。「ぼくを買いかぶりすぎている。どれほど立派な賢い人間でも、い
りっぱ かしこ ふ ま い がい にんげん
や、どれほど立派な賢い振る舞いでも、からかうのがなによりの生き甲斐だという人間にかかっては、いくらでもか
ざいりょう
らかう材料になりますよ」
こた じぶん おも りっぱ
「たしかに」とエリザベスは答えた。「そういうひとはいますわね、でも自分がそうだとは思いません。立派なこと
かしこ けっ わら おろ き むじゅん で
や賢いことは決して笑いものにはしませんから。愚かしいこと、くだらないこと、気まぐれな矛盾だらけのことに出
あ たの わら
会うと楽しくなるのはたしかですけど。そういうものならいつだって笑ってやります。でもそういうものは、あなた
むえん
とはまったく無縁ですわ」
むえん にんげん たくばつ ちせい ちょうしょう まと よわ
「いやだれでも無縁ではありえない。しかし人間だれしも、卓抜な知性でさえ嘲笑の的にされかねない弱さがある、
き
ぼくはそうならないように気をつけてきたつもりです」
きょえい しん じそんしん
「虚栄心とか自尊心とかいうような」
きょえい しん よわ じそんしん たくえつ ししつ も ぬし つね とうぎょ
「そう、虚栄心はたしかに弱さですね。しかし自尊心は──ほんとうに卓越した資質の持ち主なら、常に統御できるも
のでしょう」
え かく かお
エリザベスは笑みを隠すために顔をそむけた。
じんぶつ しけん お い けっか
「ダーシーさまの人物試験は終わったのね」とミス・ビングリーが言った。「それで結果のほうはいかが?」
けってん じぶん みと
「ダーシーさまには欠点がおありになりません。ご自分でもはっきりそうお認めになっていますもの」
い い けってん ちせい けつじょ
「いや」とダーシーは言った。「そんなことは言っていない。ぼくにだって欠点はいくつもあるが、知性の欠如によ
おも きしょう う あ じゅうじゅん か せけん わた
るものではないと思いたいですね。気性のほうはとうてい請け合えませんが。いささか従順さに欠ける、世間を渡る
うえ しょうしょう ふつごう たにん おろ ふどうとく こうい わす い わす じしん よく
上では少々不都合です。他人の愚かさや不道徳な行為は、忘れろと言われてもすぐには忘れられない、ぼく自身に浴
ぶじょく わす きもち ゆ
びせられた侮辱も忘れられない。ぼくの気持は、はたからいくら揺さぶられようと、むやみにふらつきはしません。
きしょう いか たにん たい ひょうか うしな ひさし
ぼくの気性は、おそらく、いわゆる怒りっぽいというやつですね。他人に対するよい評価もいったん失われたら、永
ひさ うしな
久に失われるんです」
かげ
けってん おおごえ い しゅうねんぶか いか せいかく かげ
「それはたしかに欠点ですわね」とエリザベスが大声で言った。「執念深い怒りというものは、性格の 翳 りですね。
けってん えら けってん わら しんぱい
でもよい欠点をお選びになったわ。そういう欠点はわたくしも笑えませんもの。ご心配なく」
にんげん きしょう とくしゅ あく なが けいこう さいこう きょういく う こくふく なま
「人間の気性というものには、ある特殊な悪に流れる傾向がある、最高の教育を受けても克服することのできない生
らい けってん おも
来の欠点というものがあると、ぼくは思いますね」
けってん にんげん にく けいこう
「そしてあなたの欠点は、あらゆる人間を憎む傾向があるということですのね」
けってん にんげん ごかい けいこう ほほえ
「そしてあなたの欠点は、あらゆる人間をわざと誤解する傾向があるということですね」とダーシーは微笑みながら
い
言った。
おんがく じぶん かいわ あ あ おおごえ は あ
「さあ、音楽にしましょうよ」自分にはどうでもいい会話に飽き飽きしたミス・ビングリーが、大声を張り上げた。
だんな お
「ルイザ、旦那さまを起こしてもいいわよね」
あね いぞん ふた あ かんが おも
姉はまったく異存はなく、ピアノの蓋が開けられた。ダーシーは、しばし考えたのち、それもよろしかろうと思っ
かんしん も きけん かん
た。エリザベスに関心を持ちすぎている危険を感じはじめていたのである。
12
ふみ したた
あね はな あ すえ はは あ ぶん 認 ひ ばしゃ たよ
姉と話し合った末に、エリザベスはよくあさ母宛てに 文 を 認 め、その日のうちに馬車をさしむけてくれるよう頼
せわ いち しゅうかん つぎ かようび
んだ。だがミセス・ベネットは、ジェインがお世話になってからちょうど一週間になる次の火曜日まで、ふたりとも
やしき たいざい あ まえ いさ むか
ネザーフィールド屋敷に滞在するものと当てこんでいたので、その前となると、どうも勇んでふたりを迎えるという
かんば
き へんじ かおる すく いっこく はや いえ かえ ねが
気になれなかった。したがって返事は 芳 しくなく、少なくとも一刻も早く家に帰りたいエリザベスの願いもすぐに
かな かようび ばしゃ か
は叶えられそうになかった。火曜日までは馬車をまわすことはたぶんできないと、ミセス・ベネットは書いてきた。
ついしん いもうと たいざい の しょ
そして追伸として、もしビングリーさまとお妹さまが、滞在を延ばすようにとおっしゃるなら、ぜひそうなさいと書
そ いじょう たいざい の もうとう だい いち さそ う きづか
き添えてあった。だがエリザベスは、これ以上滞在を延ばすつもりは毛頭ないし、第一そんな誘いを受ける気遣いは
たま
おも ぎゃく ずうずう ちょう とうりゅう おも たま ばしゃ
まずあるまいと思った。逆に図々しく長逗留をしていると思われては 堪 らないと、ミスタ・ビングリーの馬車をすぐ
か せ た ひ さ とうしょ けいかく つた ばしゃ
にでも借りるようにジェインを急き立てた。そしてこの日ネザーフィールドを去るという当初の計画を伝えて馬車の
けん たの
件を頼んだのである。
つた しんぱい こえ あ あした ま
このことが伝えられると、ひとしきりほうぼうから心配の声が上がり、せめて明日まで待ってはどうかとしきりに
きもち うご しゅっぱつ よくじつ の しゅったつ の
すすめるので、ジェインの気持も動き、出発は翌日まで延ばされた。ところがミス・ビングリーは、出立を延ばすよ
く いもうと しっと きら きもち よ あいじょう
うにすすめたことをすぐに悔やんだ。ジェインの妹を嫉妬し嫌う気持が、ジェインに寄せる愛情をもしのいでいたか
らである。
しまい はや かえ き かな かいふく
ミスタ・ビングリーは、姉妹がこれほど早く帰ってしまうのを聞いてひどく悲しみ、じゅうぶんに快復していない
しゅったつ からだ こた せっとく おも
のに出立するのはまだ体に応えるだろうと説得をくりかえしたけれども、ジェインは、いったんこうと思ったら、
いし ま
ぜったい意志を曲げなかった。
し なが
ミスタ・ダーシーにとって、これはよろこばしい知らせだった──エリザベスは、ネザーフィールドに長くいすぎ
よそう いじょう かのじょ みりょく ひ うえ ぶれい たい
た。そのため予想以上に彼女の魅力に惹きつけられてしまった──その上ミス・ビングリーが、エリザベスに無礼な態
ど かれ たい つね みょう しんちょう ふ ま けんめい
度をとるばかりか、彼に対しても常になく妙にからんでくる。そこでダーシーは、ここは慎重に振る舞おうと賢明に
おもて
かんが さん び じょう めん けっこん きたい いだ
も考えた。エリザベスへの讃美の情が 面 にあらわれぬように、エリザベスに結婚の期待を抱かせぬようにしなけれ
かんが すこ さいご ひ かれ げんどう あいて きたい つよ
ばならない。そんな考えが少しでもあれば、最後の日の彼の言動は、相手の期待をいよいよ強めさせるか、あるいは
う くだ さゆう おも おも どようび しゅうじつ
打ち砕くか、それを左右する重みをもつことになるだろうと思っていた。したがってダーシーは、土曜日は終日エリ
くち はん じかん しょもつ
ザベスとはろくに口をきかず、半時間ほどふたりきりになったときも、ひたすら書物にかじりついて、エリザベスの
かお み
顔を見ようともしなかった。
にちようび あさ れいはい おおかた もの わか
日曜日の朝の礼拝のあと、大方の者にとってはよろこばしい別れのときがやってきた。ミス・ビングリーは、ジェ
あいじょう しめ わか
インにはあふれんばかりの愛情を示し、エリザベスにもがぜんやさしくなった。そして別れるとき、ジェインには、
あ たの い かのじょ ほうよう
ロングボーンでもネザーフィールドでも、お会いするのが楽しみだわと言って、たいそうやさしく彼女を抱擁し、エ
あくしゅ はればれ かお わか あいさつ
リザベスとは握手さえした。エリザベスは、晴々とした顔でみなに別れの挨拶をした。
きたく ははおや かんげい むすめ かえ
帰宅してみると、母親はそれほど歓迎してくれなかった。ミセス・ベネットは、娘たちがはやばやと帰ってきたの
おどろ めいわく ちが あん かぜ
に驚き、あちらにたいそうなご迷惑をおかけしたに違いないと案じ、ジェインの風邪はきっとまたぶりかえすだろう
い ちちおや きしょく う きたく こころ かぞく
と言った。だが父親は、喜色こそ浮かべなかったものの、ふたりの帰宅を心からよろこんでいた。このふたりが家族
だんらん
そんざい かん かぞく かお あ よる だん 欒
のなかではかけがえのない存在だとつくづく感じていたのである。家族が顔を合わせる夜の 団 欒 は、ジェインとエリ
か かっき むいみ
ザベスを欠いてはまるで活気がなく、ほとんど無意味だった。
あいか わせい がく べんきょう にんげん せい けんきゅう ぼっとう さいきん こころ のこ あたら ぶんしょう ぬ が
メアリは相変わらず、和声学の勉強や人間性の研究に没頭していた。そして最近心に残った新しい文章の抜き書き
ふるくさ どうとく ろん かん あたら こうさつ ひろう べつ
だの、古臭い道徳論に関する新しい考察などをご披露してくれた。キャサリンとリディアは、それとはまったく別の
わだい ていきょう まえ すいようび れんたい できごと うわさ
話題を提供してくれた。この前の水曜日からこちら、連隊ではいろいろな出来事があり、さまざまな噂がささやかれ
むち
おじ さいきん しかん すう にん しょくじ まね にとうへい むち う けい しょ たいさ
ている。フィリップス叔父が最近、士官を数人食事に招いた、二等兵が 笞 打ちの刑に処せられた、フォスター大佐が
けっこん うわさ
いよいよ結婚するという噂はどうもほんとうらしいなどなど。
13
しゅう こうがい
『ケント州ウェスタハム郊外ハンスフォード
じゅうがつ じゅう ご にち
十月十五日
はいけい
拝啓
かくしつ
あなた さま けいあい な ちち 確 と わたし た こころ いた ちち うしな ふこう
貴方様と敬愛する亡き父のあいだの 確 執 につきましては、私は絶えず心を痛めてまいりました。父を失う不幸に
あ かくしつ かいしょう ねが わたし じしん ぎしん か
遭ってからはこの確執をばなんとか解消したいと願うことしきりでありましたが、ここしばらくは私自身疑心に駆ら
きもち おさ もう なが ぼうふ ふわ じんぶつ
れるところもあり、その気持を抑えてまいりました。と申しますのは、長らく亡父と不和であった人物と、それがだ
しんこう むす こじん れい たい ふけい はたら おそ
れであろうと、親交を結ぶというのは、故人の霊に対して不敬を働くことになるのではあるまいかと恐れたからであ
おくがた ことば もんだい たい わたし き
ります──「ほうらごらん、奥方」とミスタ・ベネットは言葉をはさんだ──しかしながら、この問題に対する私の気
じ かた もう ふっかつ さい せいしょく ろく じゅにん こううん
持はようやくいま固まったのであります。と申しますのも、復活祭に聖職禄を受任し、幸運にもルイス・ド・バーグ
きょう みぼうじん れいふじん かっか ご えんじょ たまわ めいよ よく
卿の未亡人であらせられるキャサリン・ド・バーグ令夫人閣下の御援助を賜るという名誉に浴したのでございます。
お じひ わたし ほん きょうく ぼくし じゅうしょく にんめい
その惜しみないお慈悲をもちまして、私めは、本教区の牧師という重職に任命されたのであります。まずはド・バー
れいふじん たい しんじん けいい み しょ えいこく こっきょう かい さだ かずかず てんれい ぎしき とどこお
グ令夫人に対し、深甚なる敬意をもって身を処し、ついで英国国教会により定められました数々の典礼、儀式を滞り
すいこう わたし つと こころえ せいしょく しゃ ちから およ かぎ かてい へいわ めぐみ
なく遂行するのが私の務めと心得ております。さらに聖職者といたしまして力の及ぶ限りのすべての家庭に平和の恵
い しんとう わたし ぎむ こころえ しだい りゆう よ わたし
みを行きわたらせ、浸透させるのが私めの義務と心得ている次第でございます。これらの理由に拠り、私めがかかる
ぜんい もう で しゅしょう こころが じふ わたし
善意の申し出をなすことは、まことに殊勝なる心掛けとひそかに自負するものであります。さすれば、私めがロング
かおく しき つぎ きり 嗣 そうぞく しゃ じじょう あなた さま おおめ み
ボーンの家屋敷の次なる限嗣相続者であるという事情は、貴方様におかれましては大目に見てくだされたく、そして
えだ
オ リ ー ブ の 枝
わかい こば ぞん き かたさま あい ご れいじょう かた きもち わたし きず
また和解のしるしをば拒まれることはあるまいと存じております。貴方様の愛すべき御令嬢方のお気持を私めが傷つ
ゆうりょ しゃざい きかい あた ぞん さきざき
けること、ただただ憂慮するほかなく、それにつきまして謝罪の機会をお与えいただきたく存じます。先々のことと
あい な しか
あい な ご れいじょう かた しか つぐな ようい かた やくそく もう あ
は 相 成りますが、御令嬢方に 然 るべき償いをさせていただく用意があることをここに堅くお約束申し上げるものであ
きた
わたし ご そんか むか ご いぞん き じゅういちがつ じゅう はち にち げつようび ごご よん じ ご みこと たく さんじょう
ります。私めを御尊家にお迎えくださることに御異存なくば、 来 る十一月十八日月曜日午後四時に御尊宅に参上つか
ご かぞく みなみなさま はいび さかえ よく じしゅう どようび ご そんか ご こうい あま たいざい
まつり、御家族の皆々様に拝眉の栄に浴したく、なお次週の土曜日まで、御尊家の御好意に甘んじ滞在することかな
むじょう よろこ ぞん にってい わたし ふつごう れいふじん
わば無上の喜びと存じます。この日程につきましては、私めにはなんらの不都合はなく、またキャサリン令夫人にお
だいり ぼくし にちようび れいはい は わたし ときおり にちようび るす
かれましても、代理の牧師をばたて日曜日の礼拝を果たさせるとなれば、私めが時折日曜日に留守をいたしまして
なにとぞ
ご いぞん なに そつ ご おくさま ご れいじょう かた みなみなさま つた
も、なんらの御異存はないのでございます。 何 卒 、御奥様、御令嬢方の皆々様にくれぐれもよろしくお伝えくださり
ねが あ
まするよう願い上げます。
ご そんか こう おお いの とも
御尊家に幸多かれと祈る友
ウィリアム・コリンズ』
14
15
しりょ ふんべつ と にんげん せいらい けっかん きょういく せけん ほせい
ミスタ・コリンズは、思慮分別に富む人間ではなく、この生来の欠陥は、教育や世間とのつきあいによって補正さ
りんしょく
じんせい たいはん むがく しわ 嗇 ちちおや す だいがく せき お
れることもなかった。人生の大半を、無学で 吝 嗇 な父親のもとで過ごしてきた。大学のひとつに籍を置いてはいた
ひつよう ねんげん しゅうりょう そつぎょう ご たす こうゆう かんけい きず ちちおや
が、必要とされる年限をぶじ修了したにすぎず、卒業後に助けとなる交友関係を築くこともなかった。父親はひたす
うぬぼ
ふくじゅう し そだ おさな ひくつ たいど み ぐどん あたま う だ うぬぼ よ
ら服従を強いて育てたため、幼いころから卑屈な態度が身についてしまったが、愚鈍な頭が生み出した自惚れと、世
おご
かん ぼっこうしょう く とし わか おも て ゆた おご ひくつ うしな
間と没交渉の暮らしと、年若くして思いがけず手にした豊かさがもたらした 驕 りとがあいまって卑屈さは失われて
せいしょく ろく くうせき こううん ちぐう え
いった。ハンスフォードの聖職禄が空席となったとき、幸運にもレディ・キャサリン・ド・バーグの知遇を得たので
パトロネス
こうき みぶん たい けいい おのれ ひご しゃ あが まつ きもち おのれ たい かだい ひょうか
ある。レディ・キャサリンの高貴な身分に対する敬意、己の 庇護者として崇め奉る気持に、己に対する過大評価と、
つい
せいしょく しゃ いしん きょうく ぼくし けんげん じかく ま あ こうまん つい
聖職者としての威信と教区牧師としての権限の自覚などといったものが混じり合い、いまのコリンズを、高慢と 追
じゅう
従 そんだい けんきょ こんこう じんぶつ した あ
従 と尊大と謙虚とが混淆する人物に仕立て上げていた。
りっぱ じゅうきょ しゅうにゅう み つぎ けっこん かんが いっか
立派な住居もあり、たっぷりした収入もある身となって、次は結婚を考えるようになった。ロングボーンの一家と
わかい もと み い はなよめ めあ か むすめ せけん ひょうばん どお きだ
の和解を求めたのも、実を言えば花嫁目当てのことだった。ベネット家の娘たちが、世間の評判通りの気立てのよい
びじん つま むか かんが むすめ ちちおや しさん
美人ならば、そのうちのひとりを妻に迎えたいと考えたのである。コリンズとしてはこれが──娘たちの父親の資産を
しょくざい
そうぞく たい つみ 贖 ざい つみ じぶん
相続することに対する罪ほろぼし── 贖 罪 のつもりだった。これこそ、罪ほろぼしにはまことにうってつけの、自分
よくとく かんよう めいあん おも
としては、欲得なしのたいそう寛容な名案であると思っていた。
けいかく むすめ あ か ちょうじょ びぼう み かくしん つよ
この計画は、娘たちに会ったのちも変わらなかった。長女のミス・ベネットの美貌を見て確信は強まり、なんであ
ちょうよう じょ まも かれ かた しんねん ゆ さいしょ よる つま
れ長幼の序を守るべきだという彼の堅い信念を揺るぎないものにした。最初の夜にミス・ベネットを妻とすることに
き よくあさ けいかく か ちょうしょく まえ じゅう ご ふん さ む はなし
決めた。だが翌朝にはその計画を変えることになった。朝食前の十五分ほど、ミセス・ベネットと差し向かいで話を
ぼくし かん はなし ぼくし かん じょ しゅじん み きぼう も だ
した。牧師館の話からはじまり、牧師館の女主人はロングボーンで見つけたいという希望がとうぜん持ち出される
まんめん え う かれ ちから かれ こころ き ひとこと ちゅう
と、ミセス・ベネットは満面の笑みを浮かべて彼を力づけたものの、彼が心に決めていたジェインについては一言注
い した むすめ じぶん くち い へんじ
意をあたえた──下の娘たちについては、自分の口からはなんとも言えないし──はっきりしたお返事はできないが──
せんやく はなし き ちょうじょ ことわ すじ おも
先約があるという話は聞いていない──ただ長女のジェインについてはちょっとお断りしておくのが筋だと思うが、ど
ちかぢか こんやく
うやら近々婚約することになるかもしれない。
たん か こころ き
ミスタ・コリンズとしては、単にジェインをエリザベスに替えればよいだけで──すぐさま心は決まった──ミセ
だんろ ひ ねんれい びぼう つぎ
ス・ベネットが暖炉の火をかきたてているあいだにそうなった。エリザベスは、年齢も美貌もジェインの次だったの
ひ つ とうぜん
で、そのあとを引き継いで当然だった。
ほの
仄 ことば う と むすめ そうばん けっこん
ミセス・ベネットは、それとなく 仄 めかされたコリンズの言葉をありがたく受け止め、娘ふたりが早晩結婚するこ
かくしん ぜんじつ くち い おも おとこ だい き い
とになると確信した。前日には口にするのも忌まわしいと思われた男が、いまやミセス・ベネットの大のお気に入り
となったのである。
い わす のぞ しまい い
リディアは、メリトンへ行くことを忘れてはいなかった。メアリを除いたほかの姉妹たちも、いっしょに行くこと
ぜ ひ いえ お だ しょさい ひと じ ねが
にした。そこでコリンズを是が非でも家から追い出して書斎を独り占めしたいと願っていたミスタ・ベネットは、メ
むすめ つ そ たの ちょうしょく しょ
リトンまで娘たちに付き添っていってくれるようコリンズに頼んだのである。なにしろコリンズは朝食がすむと、書
とき おもてむ ぞうしょ こうか おおばん に お ほん と く
斎までのこのことついてきて、表向きは蔵書のなかでも高価な大判の二つ折り本と取り組むはずだったが、じつのと
や ていえん あいて はな
ころは、ハンスフォードのわが家や庭園のことなど、ミスタ・ベネットを相手にえんえんと話しつづけた。おかげで
せいひつ
せい 謐 みだ はめ ほんらい しょさい つね あんのん せいひつ ほしょう
ミスタ・ベネットはおおいに 静 謐 を乱される羽目となった。本来は書斎にいれば常に安穏と静謐が保証されていた。
やしき へや ぐれつ き であ かくご しょさい のが
この屋敷のほかの部屋で愚劣さや気まぐれに出会うのは覚悟しているが、書斎だけはそういうものから逃れていられ
つねづね い さんぽ で むすめ どうこう
るからね、とエリザベスには常々そう言っていた。したがってミスタ・ベネットは、散歩に出る娘たちに同行してい
ていちょう ねが もう あ しょもつ よ ある
ただきたいとさっそくコリンズに丁重にお願い申し上げたのである。コリンズにしても、書物を読むより歩くほうが
とくい おおばん しょもつ きき と しょさい で
はるかに得意であったので、大判の書物を嬉々として閉じると書斎を出ていった。
い と こ あんばい
どう たいど はなし いとこ れいぎ ただ こた 按 はい
道々コリンズはもったいぶった態度でつまらぬ話をつづけ、従姉妹たちはそれに礼儀正しく応えるという 按 配 で、
いっこう はい した むすめ かんしん め
そうこうするうちに一行はメリトンに入った。下のふたりの娘たちの関心は、もはやコリンズにはなかった。その目
しかん すがた さが とお みせ かざ まど なら しゃれ ぼうし しんちゃく ち
は、たちまち士官たちの姿を探して通りをさまよい、店の飾り窓に並んだ洒落た帽子か、新着のモスリン地でもなけ
むすめ しせん と もど
れば、娘たちの視線を取り戻すことはできなかった。
しまい め み せいねん ひ しんし しか せいねん つう
だがやがて姉妹たちの目は、はじめて見かけるひとりの青年に惹きつけられた。いかにも紳士然とした青年で、通
む がわ しかん つ だ ある しかん きちゃく
りの向こう側をひとりの士官と連れ立って歩いていた。士官というのは、ロンドンから帰着したかどうかリディアが
たし かれ とお む しまい む えしゃく しまい
わざわざ確かめにやってきたミスタ・ディニーで、彼は通りの向こうから姉妹に向かって会釈をした。姉妹たちはみ
みし じんぶつ いき ふうさい み おも たし
な、見知らぬ人物の粋な風采に魅せられ、いったいどこのどなただろうと思い、キティとリディアが、確かめてくる
い む みせ ほ とお わた ほどう うん ひ
と言いだし、向かいの店に欲しいものがあるようなふりをして通りを渡り、歩道にたどりついたところで運よく引き
かえ しんし であ しまい こえ ゆる え
返してきたふたりの紳士にばったり出会うことになった。ミスタ・ディニーのほうから姉妹に声をかけ、お許しを得
ゆうじん しょうかい い ぜんじつ とも た もど さいわ おな れんたい ちゃくにん
れば友人のミスタ・ウイッカムを紹介したいと言った。前日ロンドンより共に立ち戻ったが、幸い同じ連隊に着任し
かれ か い ぐんぷく き うえ
たのだという。彼ならそうあってしかるべきだろう。欠けているものと言えば軍服だけ、それを着せればこの上なく
みりょく てき せいねん しあ ちが ようし もんく びなん よう
魅力的な青年に仕上がるに違いなかった。その容姿は文句のつけようがない。美男というもののほとんどあらゆる要
そな
もと ぐ 凜 ようぼう きんせい すがた がた じつ こころよ はな かた しょうかい しんし き
素を 具 えていた。凜々しい容貌、均整のとれた姿形、実に快い話し方。紹介がすむと、その紳士のほうから気さくに
はな き れいぎ ただ ひか め ば た はなし ばてい
話しかけてきた──気さくとはいえ礼儀正しく、控え目だった。その場に立ったまま話がはずんでいると、馬蹄のひび
き み うま の とお か しんし しまい すがた き
きが聞こえ、見ると、馬に乗ったダーシーとビングリーが通りを駈けてきた。ふたりの紳士は姉妹たちの姿に気づ
ちか ていちょう あいさつ おも はなし あいて おも
き、まっすぐ近づいてくると、いつものように丁重に挨拶をした。ビングリーが主に話をしたが、相手は主にジェイ
みま うかが い い
ンだった。そしてこれからあなたのお見舞いに伺うつもりでロングボーンへ行くところでしたと言う。ミスタ・ダー
かる あたま さ はなし うら め そそ つと かれ め み ち
シーは、軽く頭を下げてその話を裏づけ、目はエリザベスに注がぬよう努めていたが、そのとき彼の目が、かの見知
しんし くぎ かお みあ ひょうじょう み
らぬ紳士にふいに釘づけになった。エリザベスは、そのふたりが顔を見合わせたときの表情をたまたま見てしまい、
はんのう おどろ かおいろ か いっぽう ま さお いっぽう ま か
そのときのふたりの反応にはたいそう驚いた。ふたりともさっと顔色が変わり、一方は真っ青に、一方は真っ赤に
ま
ま ぼうし えん て こた
なったのである。ミスタ・ウイッカムはちょっと間をおいてから帽子の縁に手をやった──それに応えてミスタ・ダー
み かが けんとう
シーはわずかに身を屈めた。いったいこれはどういうことだろう? まったく見当もつかない。エリザベスはこのわ
し おも
けをぜひとも知りたいと思った。
ば じょうけい き ようす み わか つ ゆうじん はし
やがてミスタ・ビングリーは、その場の情景に気づいた様子も見せず、すぐに別れを告げると、友人とともに走り
さ
去った。
わか ふじん かた か げんかん まえ ある
ミスタ・ディニーとミスタ・ウイッカムは、若いご婦人方といっしょにフィリップス家の玄関の前まで歩いてくる
えしゃく よ こんがん きゃくま まど 押
と、そこで会釈をした。ミス・リディアがぜひ寄ってくださいと懇願しても、ミセス・フィリップスが客間の窓を押
あ おおごえ おうえん い
し上げて、大声でリディアの応援をしても、ふたりはそのまま行ってしまった。
だい よろこ めい むか うえ いえ るす
ミセス・フィリップスはいつも大喜びで姪たちを迎えた。上のふたりはこのところ家を留守にしていたので、こと
だい かんげい かえ い
のほか大歓迎だった。あなたたちがとつぜん帰ってきたのにはほんとうにびっくりしたわ、としきりに言った。それ
か ばしゃ むか おこな であ せんせい やっきょく こぞう か
もベネット家の馬車は迎えにも行っていないし、たまたま出会ったジョーンズ先生の薬局の小僧から、ベネット家の
しまい かえ みずぐすり とど ひつよう はなし き
ご姉妹はもうお帰りになったので、ネザーフィールドへはもう水薬を届けにいく必要はないという話を聞かなかった
かえ し しょうかい
ら、帰ってきたのを知らずにいるところだったとまくしたてた。ここでジェインにミスタ・コリンズを紹介され、ミ
かれ あいさつ ていちょう むか
セス・フィリップスもようやく彼に挨拶をした。ミセス・フィリップスは、それはそれは丁重にコリンズを迎えた
ていちょう ものごし あいさつ かえ めんしき とつぜん じゃま しつれい じゅうじゅう わ
が、コリンズは、それをもしのぐ丁重な物腰で挨拶を返し、面識もないのに突然お邪魔する失礼を重々詫びたもの
しょうかい ろう れいじょう えんせき しつれい ゆる こころ
の、いま紹介の労をとってくれた令嬢とは縁戚になるので、その失礼もお許しいただけるのではないかと心ひそかに
おも い たび れいぎ さほう いた
思っていたと言った。ミセス・フィリップスは、こうした度はずれた礼儀作法にすっかり痛みいっていたものの、あ
じんぶつ こうふん ぎみ しつもん あ しょたいめん じんぶつ いじょう
の人物、つまりミスタ・ウイッカムについて興奮気味の質問が浴びせられたために、初対面のこの人物をこれ以上
かんさつ じんぶつ めい し
じっくり観察するひまがなかった。もっともあの人物については、姪たちがすでに知っていること、つまりミスタ・
つ しゅう れんたい ちゅうい ふにん し
ディニーがロンドンから連れてきたひとで、××州の連隊に中尉として赴任したということぐらいしか知らなかった。
いち じかん とお おこな き すがた なが すがた とお
この一時間ほど、通りを行ったり来たりしているウイッカムの姿を眺めていたそうだが、いままたその姿が通りにあ
おば おな なが ざんねん まど そと とお
らわれたら、キティとリディアも叔母と同じようにそれを眺めたことだろう。残念ながら、窓の外を通っていくのは
しかん まぬ き い れんちゅう なん
わずかな士官ばかり、ウイッカムにくらべれば、「間抜けで気に入らない連中」ということになった。そのうちの何
にん よくじつ か しょくじ とも いっか よる き
人かは翌日フィリップス家で食事を共にすることになっているそうだが、ロングボーンの一家があすの夜こちらに来
おじ
だい ねが
るなら、叔父さまにお願いしてミスタ・ウイッカムを訪ねてもらい、食事に招待しましょうと言った。これにはみな
たず しょくじ しょうたい い
さんせい たの さつ あ ぬる
大賛成だったので、ミセス・フィリップスは、それじゃあ楽しくにぎやかに札当てゲームでもやって、そのあとは温
いとま
やしょく い たの ていあん だい よろこ おば ひま つ
かなお夜食にしましょうと言った。こうした楽しい提案にみんな大喜びして、うきうきしながら叔母に 暇 を告げ
へや で わ ことば の き づか およ
た。ミスタ・コリンズが、部屋を出るときにくどくどとお詫びの言葉を述べると、そんなお気遣いには及びません
ばか ていねい あいさつ かえ
わ、とこれまた馬鹿丁寧なご挨拶が返ってきた。
いえじ しんし み ふ ま はな
家路をたどりながら、エリザベスはジェインに、さっきのふたりの紳士のあいだに見られた振る舞いについて話し
わる そうほう べんご
てみた。だがどちらかが悪いということなら、ジェインもどちらかを、あるいは双方を弁護したかもしれないが、そ
ふ ま いみ いもうと どうよう せつめい
のような振る舞いの意味は、妹同様に説明することはできなかった。
いえ もど たいど れいぎ さほう ほ あ
ミスタ・コリンズは家に戻ると、ミセス・フィリップスの態度や礼儀作法を褒め上げてミセス・ベネットをおおい
れいじょう べつ じょうひん ふじん め
によろこばせた。レディ・キャサリンとそのご令嬢を別とすれば、あれほど上品なご婦人にお目にかかったことはな
ていちょう むか めんしき じぶん あした しょうたい ふく
い。まことに丁重にお迎えくださったばかりか、これまで面識すらなかった自分までも明日のご招待にちゃんと含め
えんせき じんせい はいりょ
てくださった。まあ縁戚ということもありましょうが、それにしても、これまでの人生にこれほどのご配慮にあず
い
かったことはございませんとミスタ・コリンズは言った。
16
逗留するつもりなんでしょうか」
ぞん
しゅう
「さあ、存じません。でも、ネザーフィールドでは、お帰りになるという話は聞かなかったわ。あなたがせっかく××
かえ はなし き
えら ほう ちか きもち か ねが
州をお選びになったのに、あの方が近くにいるからと、お気持が変わることがないように願いますわ」
し お はら あ さ かれ
「いや! とんでもない──ぼくがダーシー氏に追い払われてたまるものですか。ぼくに会うのを避けたいなら、彼が
で なか よ かれ かお あ くつう
出ていくべきだな。ぼくらは、仲が好いわけじゃなく、彼と顔を合わせるのはいつもどうも苦痛ですが、こちらに
かれ さ りゆう せけん む い ふとう あつか う
は、彼を避ける理由はまったくない、それは世間に向かってはっきりと言えますよ。きわめて不当な扱いを受けたと
おも かれ にんげん むねん ちちうえ せんだい し
いう思いはありますし、彼がああいう人間であるということは、なんとも無念ですね。父上である先代のダーシー氏
りっぱ ほう しんらい みかた とうしゅ し かお あ
はね、ミス・ベネット、たいそう立派な方で、もっとも信頼のおける味方でした。当主のダーシー氏と顔を合わせれ
こじん かずかず あたた おも で よみがえ こころ いた たい かれ しう
ば、故人の数々の温かい思い出がまざまざと甦って心が痛むばかりです。ぼくに対する彼の仕打ちときたらけしから
かれ ゆる おも かれ な ちちうえ きたい そむ ちちうえ めいせい
んものだった。ですが、彼のことはなにもかも許せると思っています。ただ彼が亡き父上の期待に背き、父上の名声
けが
きたな ゆる
を 汚 したことだけは許せませんよ」
はなし きょうみ いっしん みみ かたむ びみょう
エリザベスはこの話にいよいよ興味をかきたてられ、一心に耳を傾けていたけれど、なにしろことが微妙なので、
しつもん
さらなる質問ははばかられた。
きんりん しゃこう かい せけん ばなし わだい てん
ミスタ・ウイッカムは、メリトンのこと、その近隣のこと、社交界のことなどの世間話に話題を転じた。これまで
いんぎん
みき き い ようす しゃこう かい おだ 慇 懃 くちょう
に見聞きしたことはおおいに気に入った様子で、とりわけ社交界については、穏やかながら、いかにも 慇 懃 な口調で
い
こう言った。
えら つね こうりゅう しゃこう かい じょうりゅう しゃこう かい
「ぼくにここを選ばせたのは、常に交流のある社交界、上流の社交界があることでした」とウイッカムはつけくわえ
しゅう れんたい ふにん おも どうき ゆうめい は ほま たか れんたい
た。「××州の連隊に赴任したのも、それが主な動機でしたね。ここはもっとも勇名を馳せた誉れ高き連隊ですから。
ゆうじん げんざい しゅくしゃ え りっぱ ちじん ねつれつ かんげい き
友人のディニーから、現在の宿舎のことや、メリトンで得た立派な知人たちやその熱烈な歓迎ぶりなど聞いていたの
はや
きもち いっ しゃこう かい ひつよう しつい
で、いよいよ気持が 逸 りましてね。社交界は、ぼくにとってぜひとも必要なものなんですよ。なにしろぼくは失意の
にんげん こどく た しょく しゃこう かい ぐんたい せいかつ のぞ
人間ですから、孤独には耐えられない。ぼくにとって職と社交界はなくてはならぬものです。軍隊生活は望むところ
げんざい じょうきょう おも てきとう せんたく せいしょく てん
ではありませんが、現在の情況を思えば、それが適当な選択だろうということになったんです。聖職こそがぼくの天
ぎょ い
しょく そだ わだい しんし ご い
職のはずでした──そうなるべく育てられましたからね、もしいま話題にしていた紳士の 御 意にかないさえすれば、
りっぱ せいしょく ろく
いまごろは、立派な聖職禄をいただいていたはずなんですよ」
「ほんとうに!」
せんだい し さいこう せいしょく ろく じゅよ けん も じき せいしょく ろく いぞう
「そうなんです──先代のダーシー氏は、最高の聖職禄授与権を持っておられて、次期の聖職禄をぼくに遺贈してくだ
な おや かわい しんせつ かんしゃ
さったのですよ。ぼくの名づけ親でして、ぼくをたいそう可愛がってくださいました。そのご親切には感謝しきれま
のこ じじつ おも せいしょく ろく そら
せん。ぼくにじゅうぶんなものを遺してくださるおつもりで、事実そうしたと思っておられたのに、いざ聖職禄が空
い にんげん
位になると、それはよその人間にあたえられてしまったんですよ」
おおごえ あ せんだい のこ
「なんてこと!」とエリザベスは大声を上げた。「どうしてそんなことになったんですの? なんでまた先代のご遺
げん むし ほう うった きゅうさい もと
言が無視されたのですか? なぜ法に訴えて救済をお求めにならなかったのですか?」
もんごん
ゆいごん しょ ぶん げん あいまい ひょうげん ほう うった か みこ しんぎ おも にんげん
「遺言書の 文 言 に曖昧な表現がありましてね、法に訴えてもとうてい勝つ見込みがなかった。信義を重んじる人間な
ゆいごん しんい うたが し うたが たん じょうけん すいきょ
ら、遺言の真意を疑うことはできなかったでしょうが、ダーシー氏は疑ったんです──つまり単に条件つきの推挙とし
あつか ろうひ か むふんべつ にんげん い せいしょく ろく ようきゅう
て扱うこととして、ぼくが、浪費家で無分別な人間だからと、まあ、なんとでも言えますがね、聖職禄を要求するす
けんり うしな しゅちょう せいしょく ろく に ねん まえ くうい じゅにん ねんれい
べての権利を失ったと主張したんです。じっさい聖職禄は二年前に空位になって、ぼくもそれを受任できる年齢に
にんげん けんり うしな しかた
なっていたんですが、けっきょくほかの人間にあたえられてしまいました。権利を失っても仕方がないようなことを
た ち
おぼ ぜんご みさかい せいしつ かれ
しでかした覚えはありません。ぼくは、かっとなりやすく、前後の見境がなくなる性質なので、おそらく彼のことを
い ほんにん めん む えんりょ い
とやかく言ったかもしれない、本人に面と向かって遠慮なくものを言ったかもしれない。でもそれよりひどいことを
おぼ
にく
した覚えはまったくないんですよ。要するに、ぼくらはまったく違う種類の人間なんですね。そしてあの男はぼくを
よう ちが しゅるい にんげん おとこ
憎んでいるんです」
おおやけ
おおやけ きゅうだん
「なんてひどい── 公 に糾弾してしかるべきだわ」
き ちちうえ おも で しょう
「まあいつかは、そういうことになるでしょう──しかしぼくのほうからそうする気はありません。父上の思い出が消
かれ こうぜん はんこう しょうたい ばくろ
えないかぎり、彼に公然と反抗して、その正体を暴露することなどできませんよ」
きもち かんぷく い き 凜 み
エリザベスはそのような気持に感服し、そう言い切ったウイッカムがますます凜々しく見えたのである。
ま
どうき ま い
「でもその動機というのはなんだったのかしら?」としばし間をおいてからエリザベスは言った。「どうしてそんな
ざんこく きもち
残酷なことをする気持になれたんでしょう?」
たい ぞうお たしょう たい しっと ま ちちうえ し
「ぼくに対するあくなき憎悪ですね──まあ多少はぼくに対する嫉妬も混じっていたでしょう。父上のダーシー氏がぼ
かわい むすこ おおめ み ちちうえ なみなみ あいじょう
くをあれほど可愛がらなかったら、息子もぼくを大目に見たかもしれない。ところが父上は並々ならぬ愛情をぼくに
さわ
そそ おさな かれ き さわ おも は あ 耐
注いでくださったので、それが幼いころから彼の気に 障 っていたのだと思いますよ。ああいう張り合いにはとても耐
ひい き
む ちちうえ 贔 屓 た
えられなかった──つまりぼくにしばしば向けられる父上のご 贔 屓といいますかね、そういうものに耐えられなかっ
たんですね」
かれ おも す あく
「彼がそれほどひどいひとだとは思いもよらなかったわ──どうしても好きになれませんでしたけど、そこまで悪いひ
さげす
おも おも ふく
ととは思いませんでした──ふだんからまわりのひとたちを 蔑 んでいるとは思っていましたけど、そんなあくどい復
讐 ふとう しう はくじょう おも
讐、そんな不当な仕打ちをするひとだなんて、それほど薄情なひとだなんて思いもよらなかったわ!」
かんが ことば い
とはいうものの、しばし考えこんでから、エリザベスはこう言葉をついだ。「そう言えば、いつかネザーフィール
ほう とくとく い おも だ にく にく とお しゅうねんぶか きしょう
ドで、あの方が得々と言ってらしたのを思い出すわ。いったん憎んだら憎み通す、とても執念深い気性だとか。さぞ
おそ せいかく
や恐ろしい性格なんでしょうね」
くち い こた こうへい め み
「それは、ぼくの口からは言えませんね」とウイッカムは答えた。「とても公平な目で見ることはできませんから」
ものおも しず おおごえ い な こ みうち どうぜん ちちおや
エリザベスはふたたび物思いに沈み、しばらくしてから大声で言った。「名づけ子を、身内同然のひとを、父親の
き い め あ わか ほう
お気に入りをそんなひどい目に遭わせるなんて!」──できるならこうつけくわえたかった。「あなたのような若い方
かお み きだ いちもく ほう い おさな
を、そのお顔つきを見れば気立てのよさは一目でわかるような方を」──だがこう言うだけにとどめた──「幼いころ
とも ほう みぢか ほう
からお友だちだった方を、そしてあなたのおっしゃるように、いちばん身近だった方を!」
おな きょうく おな やしき う おさな す
「ぼくたちは同じ教区の同じ屋敷うちで生まれたんですよ、幼いころからほとんどいつもいっしょに過ごしました。
いつく
おな やしき す あそ おな おや 慈 う ちち おじ じょう
同じ屋敷に住み、いっしょに遊び、同じように親の 慈 しみを受けました。ぼくの父もはじめは、あなたの叔父上の
りっぱ せいこう しょくぎょう せんだい し やく りつ
ミスタ・フィリップスが立派に成功をおさめておられるような職業についたんですが、先代のダーシー氏のお役に立
なげう
擲 ざいさん かんり しょうがい ささ みぢか しんらい
ちたいとすべてを 擲 ってペンバリーの財産管理に生涯を捧げたんですよ。そしてもっとも身近な、もっとも信頼の
とも せんだい きわ たか ひょうか せんだい ちち いよく てき ざいさん かんり
おける友として先代から極めて高い評価をいただいておりました。先代は、ぼくの父の意欲的な財産管理にはたいそ
かんしゃ ちち し ちょくぜん ぼくし すいせん やくそく かわい
う感謝されて、父が死ぬ直前に、ぼくを牧師に推薦すると約束なさったんです。ぼくが可愛かったからでしょうが、
ちち たい かんしゃ きもち
父に対する感謝の気持もあったんでしょうね」
へん はなし さけ ごんごどうだん じそんしん
「変な話だわ!」とエリザベスは叫んだ。「ほんとうに言語道断よ──ダーシーさまにはあれほどの自尊心がおありな
りふじん しう ふしぎ りゆう
のに、あなたにそんな理不尽な仕打ちをなさったなんて不思議だわ! たとえもっともな理由があったとしても、そ
ひれつ まね じそんしん つよ ひれつ こうい い
んな卑劣な真似をするほど自尊心が強すぎなければよかったんですね。まったく卑劣な行為としか言えませんもの
ね」
あき こた おとこ こうどう じそんしん い
「まったく呆れかえるばかりです」とウイッカムは答えた。「なにしろあの男の行動はすべて自尊心に行きつきます
おとこ じそんしん さいりょう とも じそんしん かんじょう おとこ ぜんこう
からね。あの男にとって自尊心はほとんど最良の友なんですよ。自尊心がほかのどんな感情よりも、あの男を善行に
ちか げんこう しゅび いっかん にんげん たい ふ ま じそん
近づけるわけですよ。だけど言行が首尾一貫している人間なんていませんよ。それにぼくに対する振る舞いは、自尊
しん つよ しょうどう はっ
心をしのぐ強い衝動から発していましたからね」
い じそんしん じぶん やく た
「そんな忌まわしい自尊心が、ご自分の役に立ったことがあるのかしら?」
かんだい ふと ぱら きん お かんたい こさく じん
「ええ。そのおかげで、しばしば寛大になり、太っ腹になり、金を惜しげもなくあたえ、ひとびとを歓待し、小作人
えんじょ ひんみん きゅうさい いちもん ほこ こ ほこ
たちに援助をし、貧民を救済することもあるわけですよ。一門の誇り、子としての誇りがそれをさせてきた、なにし
ちちうえ ほこ かめい よご せけん しんぼう そむ かん けんせい うしな
ろ父上を誇りとしていますからね。家名を汚さぬこと、世間の信望に背かぬこと、ペンバリー館の権勢を失わぬこ
いち ず
かれ いち と もくひょう あに じふ あに あいじょう いもうと しん
と、それが彼の 一 途な目標なんですね。それにまた兄としての自負もありましてね、兄らしい愛情をもって、妹の親
み こうけんにん つと いもうとおも あに せけん ほ みみ はい
身な後見人を務めています。たいそう妹思いの兄だと世間から褒めそやされているのが、そのうちにお耳に入るで
しょう」
いもうと じょう
「妹さんのミス・ダーシーは、どんなお嬢さまですか?」
ふ きだ じょう い か もの わる
ウイッカムはかぶりを振った。「そう、気立てのよいお嬢さんだと言いたいのですがねえ。ダーシー家の者を悪く
い こころぐる あに に じょう きぐらい たか こ
言うのはどうも心苦しい。ですが、兄にたいそうよく似たお嬢さんで、それはそれは気位が高くていらっしゃる。子
きょう じぶん きだ こ あそ あいて
供の時分は気立てのよいやさしい子で、ぼくにもそりゃなついてくれまして、しじゅう遊び相手になったものです
じゅう ご じゅう ろく うつく れいじょう ゆた きょうよう
よ。しかしいまじゃ、どうということもありません。たしか十五か十六か、美しいご令嬢ですよ、それに豊かな教養
み ちちうえ な す ふじん つ そ きょういく
も身についているし、お父上が亡くなられてからはずっとロンドン住まいです。さるご婦人が付き添って教育にあ
たっておられますよ」
なん ど だま わだい も だ わだい もど
何度も黙りこんだり、ほかの話題を持ち出したりしてみたものの、けっきょくエリザベスははじめの話題に戻らず
にはいられなかった。
ほう した ひとがら
「あの方が、ビングリーさまと親しくしていらっしゃるなんてびっくりですわね! お人柄のよさそうなビングリー
ほう
さまが、そしてほんとうにおやさしいビングリーさまが、そんな方とよくおつきあいになっていらっしゃるわ。いっ
き あ ぞん
たいどこが気が合うのかしら? ビングリーさまをご存じでしょう?」
「いっこうに」
かん すてき ほう じんぶつ ぞん
「それはおやさしくて感じのよい素敵な方ですわ。ダーシーさまがどんな人物かご存じないはずはないでしょうに」
し し かお み あいて かお み あたま わる
「おそらく知らないんでしょう。ダーシー氏は、いい顔を見せたい相手には、いい顔を見せる。頭は悪くありません
かち あいて おも き はな あいて しゃかい てき ちい どうとう れん
からね。そうする価値のある相手だと思えば、気さくな話し相手にもなれる。社会的な地位がまったく同等である連
ちゅう はい ちい おと れんちゅう せっ にんげん じそんしん
中のなかに入れば、地位の劣った連中に接するときとはうってかわった人間になるんですよ。自尊心はどこまでもつ
かねもち れんちゅう あいて かんよう こうせい せいじつ どうり しそう ただ
いてまわりますがね。だが金持連中を相手にするときは、寛容で、公正で、誠実で、道理をわきまえ、志操正しく、
あいそ にんげん ざいさん しゃかい てき ちい たしょう しんしゃく
おそらく愛想もいい人間になるんです、財産や社会的地位を多少斟酌するというわけですよ」
ご ひら あつ
その後まもなくホイストのゲームもお開きとなり、みながこちらのテーブルのまわりに集まってきた。ミスタ・コ
じゅうまい わ しゅび
リンズは、従妹のエリザベスとミセス・フィリップスのあいだに割りこんだ。ゲームの首尾についてミセス・フィ
しつもん しょうぶ だい ま こた
リップスからコリンズに質問があった。勝負はおもわしくなく、大負けでしたとコリンズは答えた。ミセス・フィ
き どく きづか しめ きん
リップスがそれはお気の毒にと気遣いを示すと、コリンズは、いやいや、たいしたことではありませんよ、金などく
き づか むよう こた
だらぬものですから、お気遣いはご無用でございますよ、といかにもしかつめらしく答えた。
こころえ おく い うん
「よく心得ておりますですよ、奥さま」とコリンズは言った。「カード・テーブルにつきますときは、だれしも運に
か き うしな ご き も
まかせて勝ってやろうという気になるものでございますよ。さいわいわたくしめは、失った五シリングに気を揉むよ
きょうぐう さる もの おお おも
うな境遇にはございません。このようなことを申せる者はそう多くはあるまいと思いますが、これもひとえにレ
ひつよう
ディ・キャサリン・ド・バーグのおかげでございまして、つまらぬことにくよくよする必要がまったくないのでござ
いますよ」
ことば みみ む かんさつ
その言葉を耳にしたミスタ・ウイッカムがはっとしたようにそちらを向いた。ミスタ・コリンズをしばし観察した
こごえ しんせき か した き
のち、小声でエリザベスに、あなたのご親戚はド・バーグ家とお親しいのですかと訊いた。
こた さいきん せいしょく ろく
「レディ・キャサリン・ド・バーグは」とエリザベスは答えた。「ごく最近、あのひとに聖職禄をおあたえになった
ほう め し なが
んです。ミスタ・コリンズが、どうやってその方に目をかけられるようになったかは知りませんけど、長いおつきあ
いというわけではないんですよ」
しまい ぞん
「レディ・キャサリン・ド・バーグとレディ・アン・ダーシーがご姉妹だということは、むろんご存じなんでしょう
とうしゅ し おば じょう
ね。したがってレディ・キャサリンは、当主のダーシー氏の叔母上にあたるわけです」
ぞん しんせき し ほう な
「いいえ、まったく存じませんでした。レディ・キャサリンのご親戚のことなんかなにも知りません。その方のお名
まえ おととい き
前も一昨日まで聞いたことがありませんでしたもの」
じょう ばくだい ざいさん そうぞく じょう じゅうけい し
「お嬢さまのミス・ド・バーグは、莫大な財産を相続なさるはずですが、このお嬢さまとその従兄であるダーシー氏
そうほう りょうち ひと うわさ
とは、いずれ双方の領地を一つにするというもっぱらの噂ですよ」
き かお おも き どく あたま う
これを聞いたエリザベスの顔が思わずほころんだ。お気の毒なミス・ビングリーのことが頭に浮かんだからであ
み ふ ま かずかず むな いもうと 示
る。ミスタ・ダーシーに見せたあのおやさしい振る舞いの数々も空しかったというわけか。妹のミス・ダーシーに示
あいじょう ささ さんじ かれ じょせい あいて き
してみせた愛情や、ミスタ・ダーシーに捧げた賛辞も、彼がすでにほかの女性を相手に決めているのであれば、すべ
むな とろう かえ
ては空しく、徒労に帰したというわけである。
じょう ほ ばなし き
「ミスタ・コリンズは、レディ・キャサリンとお嬢さまをべた褒めでしたのよ。でもあれこれ話を聞いてみると、あ
かんしゃ かんげき ほう おも ちが だい おんじん
のひと、感謝感激のあまり、どうやらその方を思い違いしているんじゃないかしら。そりゃ大恩人でしょうけど、と
きぐらい たか ごうまん ほう
ても気位の高い傲慢な方ですわよね」
きぐらい たか ごうまん そうとう おも こた なん ねん あ
「たしかに気位の高さも傲慢ぶりも相当なものだと思いますよ」とウイッカムは答えた。「もう何年もお会いしてい
す たいど たかびしゃ ごうまん 思
ませんが、ぜったい好きにはなれなかったなあ、その態度ときたら高飛車で傲慢そのものでしたからね。たいそう思
おもんばか
ふか かしこ せけん ひょうばん おも たか みぶん ざいさん
慮深く賢いひとだという世間の評判ですが。そう思わせるのも、ひとつには高い身分と財産のおかげ、ひとつにはそ
けんぺい わざ
けん え たいど おい こうまん ぎょう かれ じぶん しんるい えんじゃ そろ だい いち きゅう ちのう
の 権 柄 ずくな態度のおかげ、あとは甥の高慢のなせる 業 かな。なにしろ彼は自分の親類縁者は揃って第一級の知能
も ぬし おも にんげん
の持ち主だと思いこんでいる人間ですからね」
やしょく あいて
エリザベスは、相手がしごくもっともな解釈をしたことを認め、たがいに心ゆくまで話をつづけたが、そのうちに
かいしゃく みと こころ はなし
で ひら かんしん ふじん かた
夜食が出てトランプはお開きとなり、ミスタ・ウイッカムの関心をほかのご婦人方にもおすそわけすることにした。
しょくじ かい そうぞう はなし たいど こうかん
ミセス・フィリップスの食事会の騒々しさのなかでは話もろくにできないが、ウイッカムの態度はだれからも好感を
はなし たく みみ かたむ じょうひん きと あたま
もたれた。話は巧みでだれの耳も傾けさせた。なにをやるにも上品だった。帰途についたエリザベスの頭のなかはウ
いえ かれ はな
イッカムのことでいっぱいだった。家にたどりつくまで、ミスタ・ウイッカムのことや、彼が話してくれたことのほ
かんが みち なまえ も だ きかい
かはなにも考えられなかった。しかし道々ウイッカムの名前を持ち出す機会はまったくなかった。リディアとミス
だま さつ あ じぶん
タ・コリンズがいっときも黙ってはいなかったからである。リディアは、もう札当てゲームのことばかり、自分が
うしな か しゃべ ふさい じつ れいぎ ただ ほう
失ったチップと勝ちとったチップのことを喋りつづけ、ミスタ・コリンズは、フィリップス夫妻は実に礼儀正しい方
の じぶん ま おも う あ やしょく たく なら りょうり かぞ あ
だと述べ、自分はホイストで負けたことなどなんとも思っていないと請け合い、夜食の卓に並んだ料理を数え上げた
じぶん いとこ わ もう わ しゃべ ばしゃ
り、自分が従姉妹たちのあいだに割りこんで申しわけないとくりかえし詫びたりとえんえん喋りつづけたが、馬車が
やしき まえ とま はな
ロングボーン屋敷の前に停まるまでにはとうてい話しきれるものではなかった。
17
かぞく みむ さ
尋ねた。だがほかの家族にはほとんど見向きもせず、ミセス・ベネットはできるかぎり避けるようにして、エリザベ
はな もの こえ さん にん た さ ふじん あに くん おどろ
スにもあまり話しかけず、ほかの者には声もかけなかった。三人はすぐに立ち去った。ご婦人ふたりは兄君を驚かす
いきお た あ ていねい あいさつ い かえ
ほどの勢いで立ち上がり、ミセス・ベネットのご丁寧なご挨拶などまっぴらだと言わんばかりのあわただしさで帰っ
ていった。
やしき ぶとう かい ひら か じょせい だい
ネザーフィールド屋敷でいよいよ舞踏会が開かれるとあって、ベネット家の女性たちは大はりきりである。ミセ
ひょう
ぶとう かい ちょうじょ けいい ひょう ひら う と けいしき てき しょうたい じょう とどけ
ス・ベネットは、この舞踏会は長女ジェインに敬意を 表 して開かれるものと受け取り、それも形式的な招待状が届
こ しょうたい まんえつ
けられたのではなく、ミスタ・ビングリーがじきじきお越しになってのご招待であったから、たいそうご満悦だっ
とも す よる あに くん こころづか う しあわ いちや こころ えが
た。ジェインは、ふたりの友といっしょに過ごせる夜を、その兄君のやさしい心遣いを受ける幸せな一夜を心に描い
こころ おど ひょうじょう ふ ま かんさつ うら
た。エリザベスはミスタ・ウイッカムと心ゆくまで踊り、ミスタ・ダーシーの表情や振る舞いをとっくり観察して裏
え たの きたい たの できごと かぎ とくてい
づけを得ようと楽しみにしていた。キティとリディアが期待する楽しみは、ひとつの出来事に限らず、また特定のひ
かぎ いちや はんぶん おど
ととも限らなかった。というのも、ふたりともエリザベスのように、一夜の半分はミスタ・ウイッカムと踊るつもり
まんぞく あいて かぎ ぶとう かい ぶとう かい
でいるが、ふたりを満足させてくれる相手はなにもミスタ・ウイッカムに限らない。舞踏会はとにもかくにも舞踏会
ぶとう かい いや かぞく い しまつ
なのだ。そしてメアリまでが、舞踏会は嫌ではない、などと家族にきっぱり言う始末だった。
にち ちゅう じかん じゆう い ゆう あつ
「わたし、日中の時間が自由になれば」とメアリは言った。「それでじゅうぶん。夕べのお集まりにときどきくわわ
ぎせい てき こうい おも しゃこう ぎむ あ
るのが、犠牲的な行為だとは思わないわ。ご社交は、わたしたちみんなの義務ですもの。わたしだって、空いている
じかん きば あそ のぞ おも
時間は、だれしも気晴らしをしたり遊んだりするのが望ましいと思っているわ」
たかぶ
きもち のぼる むだぐち
このときエリザベスの気持はたいそう 昂 っていたから、ミスタ・コリンズにはなるべく無駄口はきくまいとして
しょうたい う う よる ぶとう
いたのに、ついつい、ミスタ・ビングリーの招待をお受けするおつもりですかとか、もしお受けするなら、夜の舞踏
かんが き あいて おんな
にくわわってもよいとお考えですかなどと訊いてしまったのである。ところが、相手はまったくためらいもせず、女
せい あいて おど だいしきょう ふきょう か けねん い
性を相手に踊っても、大司教やレディ・キャサリン・ド・バーグのご不興を買う懸念はまったくないと言ったので、
おどろ
エリザベスはいささか驚いた。
ことわ い しんぼう あつ せいねん みぶん たか かたがた まね もよお
「お断りしておきますが」とミスタ・コリンズは言った。「信望厚い青年が身分の高い方々をお招きして催すこのよ
ぶとう かい がい おも みずか おど いぞん
うな舞踏会が害あるものだとは、わたくしは思っておりません。さらにわたくし自ら踊ることにはまったく異存はあ
い と こ
ふし うるわ いとこ て えいよ
りませんので、その節はわが麗しの従姉妹たちの手をとる栄誉にあずからせていただきましょう。そして、ミス・エ
きかい もう さいしょ に きょく あいて もう
リザベス、この機会に申しますが、最初の二曲はぜひともあなたのお相手をさせていただきますよ。こう申したから
いとこ
じゅうまい なっとく おも けっ れい か
といって、わが従妹ジェインはじゅうぶん納得されると思いますので、決して礼を欠くことにはならぬでしょう」
き き さいしょ に きょく あいて
エリザベスはこれを聞いてまんまとしてやられたような気がした。最初の二曲は、ウイッカムにお相手をしてもら
じぶん はんぶん しつもん うらめ で
うつもりだったのだ。それがこともあろうにミスタ・コリンズとは! 自分のからかい半分の質問がとんだ裏目に出
たの じぶん たの しょうしょう さき の
てしまった。だがもういたしかたなしである。ミスタ・ウイッカムの楽しみと自分の楽しみが、少々先に延びるのは
いんぎん
しかた もう で こころよ しょうち 慇 懃 もう で うら
仕方ないとして、エリザベスはミスタ・コリンズの申し出をなんとか快く承知した。だがこうした 慇 懃 な申し出の裏
き きぶん あたま う きぐ
にはなにかありそうな気がして、とてもよろこぶ気分にはなれなかった。まず頭に浮かんだのはこんな危惧である。
ぼくし かん じょ しゅじん じょせい きゃくじん かん
ハンスフォードの牧師館の女主人にふさわしい女性として、そしてしかるべき客人がいないときの、ロージングズ館
かこ あいて じょせい じぶん しまい えら だ
のカドリールのテーブルを囲むお相手にふさわしい女性として、この自分が姉妹のなかから選び出されたのではなか
きぐ じぶん たい いんぎん ふ ま み およ じょうだん
ろうかという危惧である。ミスタ・コリンズが自分に対してますます慇懃に振る舞うさまを見るに及び、そして冗談
じょうず ようき せじ き およ きぐ かくしん か
がお上手だとか陽気だとかしきりにお世辞をふりまくのを聞くに及んで、この危惧はたちまち確信に変わった。そし
じぶん みりょく けっか う まんぞく おどろ あき ははおや
て自分の魅力がこのような結果を生んだことに、満足するどころか驚き呆れているところに、やがて母親から、ふた
ほの
けっこん 仄
りの結婚ということにでもなれば、これほどめでたいことはないというようなことを 仄 めかされた。だがエリザベス
はげ
い れつ こうろん しょうち ほの そし
は、ここでなにか言えば、 烈 しい口論がはじまることはじゅうぶん承知していたので、そんな仄めかしには素知らぬ
かお もう こ かぎ もう こ
顔をすることにした。ミスタ・コリンズがそんな申し込みをするとは限らないのだし、まあそんな申し込みがじっさ
おや あらそ せん
いにあるまでは、いたずらに親と争っても詮ないことである。
やしき ひら ぶとう かい はなし したく か した むすめ
ネザーフィールド屋敷で開かれる舞踏会の話だの、そのための支度だのがなかったら、ベネット家の下の娘たち
みじ まいにち す ちが しょうたい ひ ぶとう かい とうじつ あめ お
は、きっと惨めな毎日を過ごしたに違いない。ご招待のあった日から舞踏会当日まで雨が降りつづき、メリトンまで
いち ど さんぽ で おば しかん あ うわさばなし き ぶとう かい は くつ
一度も散歩に出かけられなかった。叔母にも士官たちにも会えず、噂話も聞けなかった。舞踏会に履く靴のリボンを
か ひとで しまつ てんこう にんたい りょく ため き
買うのも人手をわずらわせる始末だった。エリザベスでさえこの天候には忍耐力を試されているような気がしていた
ちが ふか きかい あづ かようび ひらく
に違いない。なにしろミスタ・ウイッカムとおつきあいを深める機会がお預けになっていたからである。火曜日に開
ぶとう かい きんようび どようび にちようび げつようび た
かれる舞踏会がなければ、キティやリディアはこんな金曜日、土曜日、日曜日、月曜日を耐えられなかったであろ
う。
18
「なにかお話ししていたわけではありませんわ。サー・ウィリアムだって、別に話すこともないふたりの邪魔はでき
ませんものね。おたがいに、話題を二、三、持ち出してみましたけれど、長続きしませんでしたし、これからなにを
はな
お話しすればよいか見当もつきません」
しょもつ はなし
けんとう
む
しょうげき
わだい
う
に さん
ようす
びしょう
はな
め
も だ
き
くん
かいわ
い
さまた
わす
じつげん
しんけん
と なお
ねが
もう
ひょうじょう
じぶん
ながつづ
べつ
とも
はな
おど
かん
む なお
いじょう
かがや め
じゃま
じゃま
「書物の話はいかがです?」とダーシーは微笑しながら言った。
しょもつ おな ほん よ おも かんそう ちが おも
「書物──ああ! だめだめ。わたくしたち、同じ本はぜったい読んでいないと思うし、感想だって違うと思うわ」
ざんねん すく わだい こと いけん だ
「それは残念ですね。しかしかりにそうだとしても、少なくとも話題はあるじゃありませんか。異なる意見を出しあ
えばいい」
ぶとう かい ほん はなし あたま
「いいえ──舞踏会でご本の話なんてできません。いつも頭のなかはほかのことでいっぱいですもの」
ば め まえ かんが うたが い
「こういう場では、いつも目の前のことしか考えられない──というわけですか?」とダーシーは、疑わしそうに言っ
た。
じぶん い こた おも わだい とお
「ええ、いつも」エリザベスは自分がなにを言っているかわからずにそう答えた。思いはこの話題から遠くはなれた
おも ひょう さけ
ところにさまよいだしていたのである。だがほどなくその思いが表におどりだし、エリザベスはいきなり叫んだ。
おぼ じぶん けっ ゆる いちど しょう
「あなたがいつかこうおっしゃったのを覚えていますわ、ダーシーさま、自分は決してひとを許さない、一度生じた
てきい け てきい しょう ようじん
敵意は、どうしても消すことができないと。ですからあなたは、敵意が生じないようとても用心していらっしゃるん
ですわね」
い
「そうです」とダーシーはきっぱりと言った。
へんけん め くも けっ
「そして偏見で目を曇らせるようなことは決してなさいませんわね」
「そうありたいものです」
じぶん いけん ま ほう てきせつ はんだん くだ ひつよう ふかけつ
「ご自分の意見をぜったい曲げようとしない方は、まずはじめに適切な判断を下すことが必要不可欠ですわ」
たず しつもん
「お尋ねしますが、どういうおつもりでこんな質問をなさるのですか?」
せいかく せつめい い せつめい
「ただあなたのご性格を説明するためですわ」とエリザベスは、ことさらさりげなく言った。「なんとか説明しよう
としていますの」
「それでうまくいきましたか?」
ふ すこ ちが はなし き
エリザベスはかぶりを振った。「それが少しもうまくいきません。あなたについて、いろいろと違う話を聞かされ
まよ
るので、ますます迷ってしまいます」
おもおも い かん ふうひょう
「そうでしょうとも」とダーシーは重々しく言った。「ぼくに関する風評はほんとうにさまざまでしょうから。でき
せいかく せつめい と
ればですね、ミス・ベネット、いまぼくの性格を説明なさるのは止めていただきたいですね。どちらにとっても、
めいよ
きっと名誉なことにはなりませんから」
せいかく み にど きかい
「でもいまここであなたの性格をはっきり見きわめないと、二度とそんな機会はないかもしれませんもの」
たの さまた ひや こた いじょう
「ぼくはあなたの楽しみを妨げるつもりはありません」とダーシーは冷やかに答えた。エリザベスはそれ以上なにも
い に きょく め おど むごん わか み おも どあ
言わず、ふたりは二曲目を踊りおわると、無言のまま別れた。満たされぬ思いはどちらにもあったが、その度合いは
おな むね つよ ひ おも
同じではなかった。ダーシーの胸のうちには、エリザベスにかなり強く惹かれる思いがあったので、エリザベスをす
ゆる いか じんぶつ む
ぐに許してしまい、怒りはすべてもうひとりの人物に向けられたのである。
わか ちか いんぎんぶれい ひょうじょう う
ミスタ・ダーシーと別れてまもなく、ミス・ビングリーが近づいてきた。そして慇懃無礼な表情を浮かべてエリザ
はな
ベスに話しかけた。
ねつ あ
「ねえ、ミス・イライザ、あなた、ジョージ・ウイッカムにたいそうお熱を上げていらっしゃるそうね! あなたの
あね はな しつもん
お姉さまがウイッカムのことをいろいろ話してくださって、さんざん質問されてしまったわ。それでね、あのひと
しゃべ かんじん い わす き せんだい
が、あなたにいろいろと喋ったくせに肝心なことを言い忘れているのに気づいたの。あのひと、先代のダーシーさま
しつじ むすこ とも ちゅうこく い
の執事だったウイッカムの息子なのよ。でもお友だちとして忠告しておきますけど、あのひとの言うことをそっくり
しんよう れいこく しう
信用なさってはだめよ。だってダーシーさまがあのひとに冷酷な仕打ちをなさったなんて、まったくのでたらめです
じじつ ぎゃく
もの。事実はその逆、ダーシーさまはいつもジョージ・ウイッカムによくしてあげたのに、あのひとは、ダーシーさ
い しう くわ し ひなん
まにそりゃ忌まわしい仕打ちをしたのよ。詳しいことは知らないけれど、ダーシーさまには非難されるいわれはまっ
し ほう なまえ みみ
たくないの。それは、あたくし、ようく知っていてよ、それにあの方が、ジョージ・ウイッカムという名前は耳にす
た あに しかん しょうたい のぞ
るのも耐えられないということもね。それで兄は、士官たちをご招待するのに、ウイッカムを除くわけにもいかなく
こま かお み だい たす とち ちか
て困っていたの。あちらが顔を見せなかったので大助かりだったわ。そもそもあのひとがこの土地に近づくなんて
ずうずう あつ きた き どく だいす かた ざいじょう
図々しいのよ、よくも厚かましく来られたものだわ。お気の毒にね、ミス・イライザ、あなたが大好きなお方の罪状
うじ す じょう
き し もと せい かんが
をお聞かせしてしまって。でもあのひとの 氏 素 性 を考えれば、せいぜいこんなところだわね」
はなし つみ うじすじょう ふんぜん い
「あなたのお話だと、あのひとの罪は氏素性ということになるようね」とエリザベスは憤然と言った。「だってあな
ひなん せんだい しつじ むすこ
たが非難しているのはあのひとが先代のダーシーさまの執事の息子だという、ただそれだけのことですもの。でもそ
じぶん はな
のことなら、あのひとはご自分から話してくださったわ」
しつれい もう あ せっかい しんせつ
「これは失礼申し上げましたわ。お節介なことをしてごめんあそばせ。ご親切のつもりでしたのに」ミス・ビング
すすき わら う
リーは薄ら笑いを浮かべてはなれていった。
ひ ぼう
しつれい じょ おも ひれつ そし そし どうよう けんとう ちが
「失礼な女!」とエリザベスは思った。「こんな卑劣きわまる誹 謗 でわたしを動揺させようなんて見当違いよ。これ
じじつ し あくい あね すがた さぐ
でようくわかったわ、あなたはあえて事実を知ろうとしない、そしてダーシーの悪意もね」エリザベスは姉の姿を探
おな しつもん み た えがお かがや しあわ
した。ジェインも、同じことをビングリーにあれこれと質問したはずだった。満ち足りた笑顔に輝くばかりの幸せそ
ひょうじょう う むか こよい な ゆ こころ まんぞく ようす
うな表情を浮かべてエリザベスを迎えたジェインは、今宵の成り行きに心から満足している様子だった。エリザベス
あね きもち く しあわ おも しゅんかん
はそんな姉の気持をすぐに汲みとり、ジェインがいまにも幸せをつかもうとしているのだと思うと、その瞬間ウイッ
たい けねん かれ てき たい いきどお た き う
カムに対する懸念も、彼の敵どもに対する憤りも、その他のもろもろがたちどころに消え失せてしまった。
はや おし あね ま えがお
「ミスタ・ウイッカムのことでなにかわかったことがあったら早く教えて」とエリザベスは、姉に負けない笑顔で訊
ひ と
たの たにん おも だ ゆる
いた。「でもたぶんあまり楽しくて、他人のことなど思い出すどころじゃなかったでしょ。それだったら許してあげ
てもいいわ」
こた わす うかが
「ううん」とジェインは答えた。「忘れるものですか。でもたいしたことはなにも伺えなかったの。ビングリーさま
なかたが いきさつ
み うえ ぞん なか 違 けい ぬき
は、あのひとの身の上をすっかりご存じではないし。それにダーシーさまと 仲 違 いするようになった 経 緯 について
ぞん ゆうじん おこな ほうせい せいじつ しんぎ あつ ほしょう
はなにもご存じないのよ。でも友人の行いの方正なこと、誠実で信義に厚いことは保証なさるでしょうね。ミスタ・
あたい
はいりょ あたい おとこ ざんねん
ウイッカムはダーシーさまの配慮にはまったく 価 しない男だとおっしゃったわ。残念ながら、ビングリーさまやお
いもうと はなし けっ そんけい りっぱ せいねん
妹さんのお話によると、ミスタ・ウイッカムは決して尊敬できるような立派な青年ではないようね。どうやらとても
うと
むふんべつ うと しかた
無分別なひとで、ダーシーさまから 疎 まれても仕方のないひとらしいわ」
ちょくせつ ぞん
「ビングリーさまはミスタ・ウイッカムのことは直接ご存じなの?」
あ いち ど あ
「いいえ、このあいだメリトンで会うまでは、一度もお会いになったことがないんですって」
せつめい う う なっとく せいしょく ろく
「それじゃビングリーさまの説明は、ダーシーさまの受け売りね。それで納得よ。でも、聖職禄について、なにか
おっしゃらなかった?」
いち ど はなし き くわ じじょう おも だ
「ダーシーさまから一度ならずそのお話は聞いたそうだけれど、詳しい事情についてはよく思い出せないんですっ
じょうけん おく
て。とにかくあれは、条件つきで贈られることになっていたそうよ」
せいじつ ほう うたが こころ い ほう ほしょう
「ビングリーさまが誠実な方なのは疑わないけれど」とエリザベスは心から言った。「でもあの方の保証だけではど
なっとく ゆうじん べんめい りっぱ はなし
うしても納得できないのよ。ビングリーさまが友人のためになさった弁明はとてもご立派だけれど、とにかくこの話
ぶぶん ぞん くち き
のある部分についてまったくご存じないし、そのほかのことも、ダーシーさまの口から聞かされたことですもの、こ
しんし かんが か
のふたりの紳士については、これまでのわたしの考えは変わらないわ」
たの わだい か いけん そうい
それからエリザベスは、おたがいにとって楽しい話題に変えることにした。それなら意見の相違はないだろうから
こうい ひか め しあわ きたい
だ。ミスタ・ビングリーが好意をもっていてくださるらしいという、ジェインの控え目ながら幸せそうな期待をとて
おも はなし みみ かたむ じしん ふか い せい 励
もうれしく思いながらジェインの話に耳を傾け、ジェインがますます自信を深めるようなことを言って精いっぱい励
とう なかま ざ
ました。そこに当のミスタ・ビングリーがあらわれて仲間にくわわったので、エリザベスは座をはずしてミス・ルー
い あいて たの かのじょ しつもん こた
カスのところへ行った。さっきのお相手とは楽しかったかという彼女の質問に答えるいとまもないうちに、ミスタ・
ちか こううん じゅうだい はっけん おお はな
コリンズが近づいてきて、幸運にもたったいまたいそう重大な発見をしましたと、大はしゃぎで話しだした。
パトロネス
ぐうぜん い へや ひご しゃ
「ほんの偶然なのですが」とコリンズは言った。「この部屋に、わたくしの 庇護者であられるレディ・キャサリンの
きんしん ほう はっけん しんし やしき じょ しゅじん やく つと れいじょう む
近親の方がおいでになるのを発見しましてね。その紳士が、このお屋敷の女主人役を務めておられるご令嬢に向かっ
いとこ
じゅうまい ははうえ なまえ くち
て、お従妹にあたるミス・ド・バーグとその母上であるレディ・キャサリンのお名前を口になさっているのをたまた
こみみ おどろ ぐうぜん ぶとう かい
ま小耳にはさんだのです。なんと驚くべき偶然でありましょうか! この舞踏会で、レディ・キャサリン・ド・バー
おい ご ひょう
おい ご ほう あ おも ほう けいい ひょう きかい
グのたぶん 甥 御さまにあたる方とお会いするなどと、だれが思いますでしょうか! その方に敬意を 表 する機会を
いっ はっけん かんしゃ きわ あいさつ さん
逸せぬうちに、かかる発見がなされたことは感謝の極みでございますよ。これからご挨拶に参じるつもりですが、ご
あいさつ おく ゆる おも えんせき し さる
挨拶が遅れたことはお許しいただけるものと思っておりますよ。ご縁戚であられることをまったく知らなかったと申
あ わ
し上げてお詫びせねばなりません」
しょうかい あいさつ
「まさかどなたのご紹介もなくダーシーさまにじきじきご挨拶なさるおつもりではないでしょうね?」
はや あいさつ もう あ わ おも
「そのつもりです。もっと早くにご挨拶申し上げなかったことをお詫びしようと思っているのです。たしかにレ
おい ご きのう なな にち まえ よる げんき
ディ・キャサリンの甥御さまでいらっしゃいますよ。昨日から七日前の夜は、レディ・キャサリンはたいそうお元気
つた
であらせられたとお伝えいたしましょう」
と けんめい せっとく しょうかい あいさつ
エリザベスはそのようなことはお止めなさいと懸命に説得しようとした。ミスタ・ダーシーは、ご紹介もなく挨拶
にんげん おば じょう たい けいい う と な な ぶれい おも
するような人間は、叔母上に対する敬意と受け取るどころか、馴れ馴れしい無礼なやつだとお思いになるはず、おた
あいさつ ひつよう ひつよう みぶん たか こえ
がいここで挨拶する必要などさらさらないが、必要とあれば、まず身分の高いミスタ・ダーシーのほうから声をかけ
すじ みみ かたむ じぶん いし ま もうとう
るのが筋なのだと。ミスタ・コリンズは耳を傾けていたものの、自分の意志を曲げるつもりは毛頭なく、エリザベス
はな ま こた
が話しおえるのを待ってこう答えた。
じぶん りかい はんい はんだん りょく も
「ミス・エリザベスよ、あなたは、ご自分の理解できる範囲なら、すべてについてすぐれた判断力をお持ちですが、
へいしん と れいぎ さほう せいしょく しゃ りっ れいぎ さほう おお ちが おし おも
平信徒のあいだの礼儀作法と聖職者を律する礼儀作法のあいだには大きな違いがあることをお教えしたいと思いま
もう あ せいしょく もの そんげん てん くに こうい ほう
す。あえて申し上げるならば、聖職にたずさわる者は、尊厳という点におきましては、この国のもっとも高位な方に
ひけん かんが けんきょ たいど まも さい
比肩するものと考えております──ただしそれにふさわしい謙虚な態度が守られねばなりませんが。それゆえこの際わ
りょうしん めい したが ゆる ぎむ こころえ は
たくしが良心の命ずるところに従うことはお許しください。それが、わたくしの義務と心得るものを果たすことにな
ないがし
きちょう じょげん ようしゃ ねが ばあい
るのです。あなたの貴重なる助言を 蔑 ろにすることをなにとぞご容赦願いますよ。ほかの場合でありますれば、あ
じょげん みちび とうめん もんだい せいひ はんだん わか ふじん
なたの助言はわたくしのよき導きとなりましょうが、当面の問題の正否を判断するのは、あなたのような若いご婦人
う きょういく にちじょう けいけん かんが てきにん おも い こし お
より、受けた教育と日常の経験とを考えれば、わたくしのほうが適任だと思いますね」そう言いおわると、腰を折っ
いちれい た む ば じゅうけい でかた う と
て一礼し、ミスタ・ダーシーに立ち向かうべくその場をはなれていった。従兄の出方がどう受け取られるか、エリザ
うやうや
みまも はな おどろ ようす れきぜん じゅうけい きょう あたま さ
ベスはじっと見守っていたが、話しかけられたダーシーの驚く様子は歴然としていた。従兄は、 恭 しく頭を下げた
はな ことば き き き じゅうけい くちびる うご わ
のち話しはじめた。言葉こそ聞こえなかったものの、ぜんぶ聞こえたような気がした。従兄の唇の動きで〈お詫び〉
ことば よ じゅうけい ひと
とか〈ハンスフォード〉とか〈レディ・キャサリン・ド・バーグ〉などという言葉が読みとれた。従兄がああいう人
たま
ぶつ おのれ ばか かげん み たま ふしん
物に己の馬鹿さ加減をさらけだしているのを見るのは 堪 らない。ミスタ・ダーシーは、いかにも不審げにコリンズを
なが くち ひら きかい ひや たいど う こた
眺め、ようやく口を開く機会をあたえられると、冷やかな態度で受け答えをしていた。だがミスタ・コリンズはひる
けはい はな さいど ながなが べんぜつ けいべつ ひょうじょう ろこつ
む気配もなくふたたび話しだし、その再度の長々しい弁舌に、ミスタ・ダーシーの軽蔑の表情はいよいよ露骨になっ
み あいて はな かる えしゃく ば
たように見えた。相手が話しおわると、ミスタ・ダーシーは軽く会釈するなり、さっさとその場をはなれていった。
もど
そこでミスタ・コリンズはエリザベスのもとに戻ってきた。
おうたい ふまん い あいさつ もう あ
「あちらさまのご応対に不満などあろうはずがございませんよ」とコリンズは言った。「ご挨拶申し上げたことをた
よろこ ようす ていちょう あいさつ たまわ ほ ことば ちょうだい
いそうお喜びのご様子でした。それは丁重なご挨拶を賜りました。しかもこんなお褒めのお言葉まで頂戴しました
みぬ ちから も ふそうおう もの おんこ たまわ ほう
よ、レディ・キャサリンはひとを見抜く力をお持ちで、不相応な者に恩顧を賜るようなことはぜったいなさらぬ方で
おお
おっしゃ りっぱ かんが めんぼく
あると 仰 せになりました。まことにご立派なお考えをおもちです。まあわたくしとしてはおおいに面目をほどこしま
した」
うえ おもしろ あね ちゅうい
エリザベスは、この上面白いこともなさそうだったので、姉とミスタ・ビングリーのほうにもっぱら注意をもどし
かんさつ つぎつぎ たの おも う おな しあわ きもち
た。ふたりを観察していると次々に楽しい思いが浮かび、たぶんジェインと同じくらい幸せな気持になれた。そして
あいじょう むす けっこん しあわ つつ やしき く すがた め まえ う
まことの愛情で結ばれた結婚だけがもたらす幸せに包まれてこの屋敷で暮らすジェインの姿が目の前に浮かんだ。い
いもうと す ははおや おな かんが
ざそうなれば、ビングリーのあの妹たちでも好きになれそうだった。母親もどうやら同じことを考えているようなの
しゃべ き たま ちか やしょく せき
で、とめどないお喋りを聞かされては堪らないと、なるべく近づかないようにした。ところがお夜食の席についてみ
ははおや とな せき ふうん うら ははおや とな
ると、母親とはひとりおいて隣りの席だったので、なんという不運かと恨めしかった。母親が、隣りのおひと(レ
あいて けっこん さか
ディ・ルーカス)を相手に、ジェインはもうすぐビングリーさまと結婚することになるかもしれないなどと盛んにま
き おも わだい かっき
くしたてているのを聞くと、エリザベスはいたたまれぬ思いだった。ミセス・ベネットはこの話題にすっかり活気づ
つか し こんいん りてん かぞ あいて みりょく わか とのがた
き、疲れも知らぬげにその婚姻のもたらす利点を数えあげている。お相手はあのような魅力ある若い殿方、しかもた
ゆえん
かねもち うえ ご す まんえつ ゆえん
いそうなお金持、その上わずか五キロのところにお住まいがあるということが、まずはご満悦である所以。さらには
いもうと き い あんしん けっこん ま のぞ
ふたりのお妹さんがジェインを気に入っているのもひと安心、あちらさまだってきっとこの結婚を待ち望んでいるに
そうい みぶん たか ほう けっこん した いもうと かねもち とのがた
相違ない。さらにジェインがこのような身分の高い方と結婚することになれば、下の妹たちも、お金持の殿方にめぐ
きかい さいご じぶん とし どくしん むすめ あね て ゆだ
りあえる機会もあるはず。最後にもうひとつ、自分もこの歳で独身の娘たちをその姉の手に委ねることができるのは
しゃこう かい でい ひつよう きょうぐう
ありがたい、そうなれば社交界にしげしげと出入りする必要もなくなるだろう。こういう境遇になったことはよろこ
ばあい れいぎ
ぶべきで、こういう場合そうするのが礼儀というものだ。そうはいってもこのミセス・ベネット、いくつになろうと
いえ あんのん たく おな こううん ま
家にひきこもって安穏としていられるようなおひとではないのである。お宅さまにもじきに同じような幸運が舞いこ
はげ はなし きかい
みますよと、レディ・ルーカスを励まして、ミセス・ベネットは話をしめくくったけれども、そんな機会などあるは
たか くく
ないしん こう くく
ずはないと内心は 高 を 括 っていた。
ふいちょう
ははおや はなし どりょく むな じぶん しあわ 吹 聴
エリザベスは母親のとめどない話をさえぎろうとしたが、その努力も空しく、自分の幸せを 吹 聴 するなら、ひと
き こごえ き はなし む みみ はい
さまに聞こえぬよう小声でと言い聞かせてもむだだった。おおよその話が向かいのミスタ・ダーシーの耳に入ってい
き き ははおや い ぎゃく むすめ しか
るのがわかるので、エリザベスは気が気ではなかった。母親は、くだらないことをお言いでないと逆に娘を叱りつけ
るだけだった。
きが き 召
「ダーシーさまがなんだというの、ねえ、どうしてあのひとに気兼ねしなくちゃならないの? あのひとのお気に召
い ぎり
さないことは言わないなんて義理は、これっぽっちもありませんよ」
さわ
ねが ははうえ こごえ はな き さわ い とく
「お願いだから、お母上、もっと小声で話して。ダーシーさまの気に 障 るようなことを言って、なんの得があるとい
ともだち き わる
うの? そんなことをすれば、お友達のビングリーさまだって気を悪くなさるわよ」
とうとう
い め ははおや あいか き じぶん きたい 滔
だがなにを言っても効き目はなかった。母親は、相変わらず聞こえよがしに自分の期待を 滔 々 とまくしたてた。エ
は はらだ かお あか め
リザベスは恥ずかしさと腹立たしさのあまり、顔はますます赤くなった。目はどうしてもちらちらとダーシーのほう
み けねん かくしん か かなら ははおや み ちゅう
にいってしまうが、見るたびに懸念は確信に変わるのだ。ダーシーは、必ずしも母親のほうを見てはいないのに、注
おもて
い ははおや そそ あき めん はらだ けいべつ ひょうじょう おも ま
意はいつも母親に注がれているのは明らかだった。その 面 は、腹立たしげな軽蔑の表情から、思いつめたような真
けん ひょうじょう じょじょ か
剣な表情へと徐々に変わっていった。
はなし たね つ すそわ
だがミセス・ベネットも、ようよう話の種が尽きた。レディ・ルーカスは、お裾分けにあずかれそうもないめでた
あくび
はなし き あくび なま ひや せい ちそう こころ しょうみ
い話をさんざん聞かされ欠伸ばかりしていたのが、これでようやく生ハムと冷製チキンのご馳走を心ゆくまで賞味で
いき へいあん なが つづ しょくじ うた はなし
きることになった。エリザベスもほっとひと息ついた。だがその平安も長くは続かなかった。食事がすむと歌の話に
うた さいな
たの まえ うた き め はい くつじょく かん 苛
なり、頼まれもしないのにみなの前で 唱 う気になっているメアリが目に入り、エリザベスはまたもや屈辱感に 苛 ま
めくば めがお こんがん あいきょう いち きょく はば ひっし むな
れた。しきりに目配せをしたり、目顔で懇願したりして、ご愛嬌の一曲を阻もうと必死になった──だがそれも空し
あね ゆうりょ き じぶん うた ひろう
かった。メアリには姉の憂慮をわかろうとする気がなかった。自分の歌をご披露できるのがただうれしく、さっさと
うた そそ め くつう さいな しんぼう すう せつ うた み
唱いだした。メアリに注がれたエリザベスの目は、苦痛に苛まれていた。辛抱しながら数節を唱いつづけるのを見
まも うた お しんぼう むく いちざ かんしゃ ことば いち
守っていたが、歌が終わってもその辛抱は報われなかった。一座のひとびとの感謝の言葉に、ひょっとするともう一
しょもう ま
きょく しょ もち おも さん じゅうびょう ま うた
曲 所 望 されているのではないかと思いこんだメアリは、三十秒ほど間をおいてから、またもや唱いだしたのである。
りきりょう ば ひろう せいりょう うた かた
メアリの力量はこのような場でご披露するほどのものではない。声量もなく、唱い方もわざとらしい。エリザベスは
たま た み はな
堪らなかった。ジェインはいかに耐えているかと見てみると、なにごともないようにビングリーと話しこんでいる。
しまい み あざけ めくば か み ゆうりょ いろ めん う
ビングリー姉妹を見ると、嘲るような目配せを交わしている。ダーシーはと見ると、なぜか憂慮の色を面に浮かべた
ちちおや み いち ばん うた と めがお
ままだった。エリザベスは父親のほうを見て、メアリが一晩じゅう唱いつづけないようにどうか止めてやってと目顔
こんがん ちちおや いみ き に きょく め うた こえ
で懇願した。父親はその意味に気づき、二曲目を唱いおわったメアリに声をかけた。
ながなが たの ふじん かた ねが
「それでもうじゅうぶん。長々と楽しませてもらったよ。こんどはほかのご婦人方にお願いしようじゃないか」
き どうよう いろ み ちち
メアリは聞こえないふりをしていたが、いささか動揺の色が見えた。エリザベスはメアリがかわいそうになり、父
おや こころ かた ざんねん おも きづか うらめ で く ふじん
親の心ない言い方を残念に思い、せっかくの気遣いが裏目に出てしまったのが悔やまれた。ともあれほかのご婦人の
うた しょもう
歌が所望された。
うた い しょもう おう いち きょく ひろう
「わたくし、唱うことができますれば」とミスタ・コリンズが言った。「ご所望に応じよろこんで一曲ご披露いたし
おんがく じゅんけつ ごらく かんが ぼくし しょく りょうりつ
ますのですが。音楽というものは、まことに純潔なる娯楽と考えておりますから、牧師という職とは両立しうるもの
かんが おお じかん おんがく ささ
と考えます。だからといって、多くの時間を音楽に捧げてよろしいというわけではございません。なすべきことはほ
きょうく ぼくし しごと じゅう ぶん いち ぜい
かにもいろいろございます。教区牧師の仕事はたくさんありまして。なによりもまず十分の一税のとりきめがござい
きょうかい えき ひご しゃ ふまん のこ きょう くみん ごうい せっきょう
ます、教会に益となるよう、そして庇護者にご不満を残さぬよう教区民との合意をとりつけねばなりません。説教の
そうこう か のこ じかん きょうく かずかず ぎむ は もう
草稿も書かねばなりません。そういたしますと残る時間は、教区での数々の義務を果たすにはじゅうぶんとは申せま
ぼくし かん つね かいてき ひごろ てい しゅうぜん ふかけつ
せん。また牧師館を常に快適なものにしておくためには、日頃の手入れや修繕も不可欠でございます。そしてまた、
ぼくし たい しゅうにん あ おん かたがた たい ていちょう ゆうわ てき
牧師たるもの、すべてのひとびとに対して、ことに就任に当たりご恩をこうむった方々に対しては、丁重に宥和的な
おろそ
たいど せっ だいじ かんが ぎむ うと いちぞく
態度で接することが大事と考えております。こうした義務は 疎 かにしてはなりませんのです。また、そのご一族に
かたがた たい けいい あらわ おこた む いちれい
つながる方々に対しても、敬意を表すことを怠るようではいけません」コリンズはミスタ・ダーシーに向かって一礼
えんぜつ へや たいはん き だい おんせい は あ たいせい
し、演説のしめくくりとしたが、部屋の大半のひとたちに聞こえるような大音声を張り上げていたので、大勢のひと
め みは たいせい くちもと くしょう おもしろ もの
びとが目を見張った。大勢のひとびとが口元をゆがめて苦笑した。だがミスタ・ベネットほど面白がっていた者はい
いっぽう おくがた りっぱ い ほんき ほ わか
なかったであろう。一方奥方のほうは、ご立派なことをお言いだことと本気でコリンズを褒め、若いのによくできた
かしこ みみ
ひとね、なかなか賢いひとだわねとレディ・ルーカスの耳もとでささやいた。
ほんしょう
いっか もう あ こよい じぶん ほん せい いきご
一家が申し合わせて、今宵こそ自分の 本 性 をさらけだしてみせようと意気込んでいたとしても、これほどいきい
やくがら えん みごと えん おも
きとそれぞれの役柄を演じ、しかもこれほど見事に演じきることはありえないだろうと、エリザベスには思われた。
えん み みお かれ
ミスタ・ビングリーが、こうして演じられた見もののいくつかを見落としたのは、彼にとってもジェインにとっても
さいわ ぐこう もくげき よ きもち ゆ
幸いだった。そしてビングリーが、たとえこうした愚行を目撃したとしても、ジェインに寄せる気持が揺らぐような
しあわ おも いもうと じぶん きんしん ぐろう きかい
ひとではないことも幸せだと思った。だがその妹たちとミスタ・ダーシーに、自分の近親を愚弄させる機会をあたえ
むねん あんもく ぶべつ しまい ぶれい ちょうしょう
てしまったのはかえすがえすも無念だった。ミスタ・ダーシーの暗黙の侮蔑か、あの姉妹の無礼きわまる嘲笑か、ど
た き
ちらが耐えがたいか、エリザベスは決めかねていた。
たの 閉
このあとはエリザベスにとって楽しいことはなにひとつなかった。しつこくまとわりつくミスタ・コリンズには閉
ぐち かれ おど と ふ かのじょ
口した。彼はふたたび踊ってくれるようエリザベスを説き伏せることはできなかったが、彼女のほうはこれでもうほ
とのがた おど ふじん おど こんがん
かの殿方と踊ることもできなくなった。ほかのご婦人と踊ってはいかがですかとミスタ・コリンズに懇願し、なんな
へや わか ふじん しょうかい むだ じぶん おど かんしん
らこの部屋にいる若いご婦人をご紹介しましょうとすすめても無駄だった。自分は踊ることにはまったく関心がな
じぶん おも もくてき き い こま きくば こよい
い、自分の主な目的は、あなたに気に入られるよう細やかな気配りをすることにある、したがって今宵はずっとあな
かんじん い い いぎ とな しんゆう
たのおそばにいることが肝心だと言うのである。そう言われては異議の唱えようがない。親友のミス・ルーカスが、
しんせつ はな あいて たす
ちょくちょくそばにやってきて、親切にコリンズの話し相手をしてくれたので、エリザベスはおおいに助かった。
いと
ちゅうもく あ いや すく まぬか かれ
ミスタ・ダーシーからさらなる注目を浴びるという 厭 わしさは少なくとも免れることができた。もっとも彼はまっ
しょざい た はなし ちか よ
たく所在なげにエリザベスのすぐそばに立っていることはあったが、話をするほど近くに寄ってはこなかった。これ
も だ おも つうかい
はおそらくミスタ・ウイッカムのことを持ち出したせいだろうと思うと痛快だった。
いっこう じきょ さいご かくさく た さ うま
ロングボーンの一行が辞去したのはいちばん最後だった。ミセス・ベネットの画策で、みなが立ち去ったあと、馬
しゃ とうちゃく じゅう ご ふん ま いっこう か じぶん
車の到着を十五分ほど待つことになったのである。そのおかげで、一行はビングリー家のあるひとたちが自分たちに
はや かえ こころ ねが み はめ いもうと つか
早く帰ってほしいと心から願っているさまを見る羽目になった。つまりミセス・ハーストとその妹は、たいそう疲れ
ぐち くち ひら いっこく じぶん ねが ようす
たと愚痴をこぼすほかには口を開こうとせず、一刻もはやく自分たちだけになりたいと願っている様子がありありと
は
み はなし つく は いちざ おもくる くうき なが
見えた。話のきっかけを作ろうとするミセス・ベネットを撥ねつけ、そのために一座に重苦しい空気が流れ、ミス
いもうと ゆうが ていちょう きゃく ほ ながなが
タ・ビングリーとその妹たちの優雅なおもてなしや、いとも丁重なる客のあしらいなどを褒めそやすコリンズの長々
べんぜつ おもくる お はら むごん おな
しい弁舌もその重苦しさを追い払うことはできなかった。ダーシーはまったく無言だった。ミスタ・ベネットも同じ
ちんもく まも じょうけい こころ たの
く沈黙を守り、この情景を心ゆくまで楽しんでいた。ミスタ・ビングリーとジェインは、みなとはちょっとはなれた
なら
た はな 倣 ちんもく
ところに立ってなにやら話しこんでいた。エリザベスも、ミセス・ハーストやミス・ビングリーに 倣 ってじっと沈黙
おお あくび
まも つか つか さけ だい あくび
を守っていた。リディアでさえ疲れきっていて、ときおり、「ほんとに疲れちゃったあ!」と叫んでは 大 欠伸をする
ばかりだった。
じきょ た あ ちかぢか そろ
ようやく辞去するときがきて、みなが立ち上がると、ミセス・ベネットは、近々みなさまお揃いでぜひロングボー
こ ていねい とく しょうたい じょう さ あ
ンへお越しくださいましとご丁寧にくりかえした。そして特にミスタ・ビングリーには、招待状など差し上げるよう
ぎょうぎょう や しょくたく こ かぞく いちどう しあわ ぞん
な仰々しいことはいたしませんが、いつでもわが家の食卓にお越しいただければ、家族一同たいそう幸せに存じます
い あした で もど
と言った。ビングリーはたいそうよろこび、明日はちょっとロンドンまで出かけねばなりませんが、戻りましたなら
たず ふた へんじ やくそく
ば、さっそくお訪ねいたしましょうと二つ返事で約束した。
こころ まんぞく はなよめ ぞうよ ざいさん やくじょう あたら ばしゃ こんれい いしょう じゅんび じかん こう
ミセス・ベネットは心から満足した。そして花嫁の贈与財産の約定や新しい馬車や婚礼衣裳などの準備の時間を考
こし い
さん よん かげつ むすめ かなら やしき こし い
えても、三、四カ月のあいだには、娘は、必ずこのネザーフィールド屋敷に 輿 入れしているはずだと、よろこばしい
かくしん むね だ じきょ むすめ けっこん おな 確
確信を胸に抱いて辞去したのである。もうひとりの娘をミスタ・コリンズと結婚させることについても同じように確
しん けっこん よろこ かん こども
信があり、ジェインの結婚ほどではないが、まずまずの喜びを感じていた。エリザベスはほかの子供たちにくらべる
かわい こ あいて えんぐみ こ
と、いちばん可愛げのない子だった。このお相手も縁組もあの子にはもったいないぐらいのものだが、ミスタ・ビン
やしき くら せいさい か
グリーとネザーフィールド屋敷に比べれば生彩を欠いていた。
19
20
ま
きゅうこん じょうしゅび こころ あじ げんかん ま ある
ミスタ・コリンズは、求婚が上首尾にいったことを心ゆくまで味わうひまはなかった。玄関の間をぶらぶら歩きま
はなし お ま とびら あ で じ
わりながら、ふたりの話が終わるのを待ちかまえていたミセス・ベネットは、扉を開けて出てきたエリザベスが、自
ぶん とお に かい あ みとど ちょうしょく しつ はい いじょう
分のわきをさっさと通りすぎて二階へ上がっていくのを見届けるや、すぐさま朝食室に入っていき、これまで以上に
ちか あいだがら ひ く じぶん こころ いわ
近しい間柄になれる日がちかぢか来ることを、コリンズと自分のために心から祝ったのである。ミスタ・コリンズも
おな だい よろこ いわ ことば かえ はな あ しょうさい かた けっか まんぞく
同じように大喜びで、祝いの言葉を返し、話し合いの詳細について語りはじめ、この結果についてはじゅうぶん満足
いとこ
じゅうまい きょぜつ ことば せいらい つつ わ で い
している、従妹のきっぱりとした拒絶の言葉も、はにかみやら生来の慎ましさから湧いて出たものだろうと言った。
き ぎょうてん むすめ けっこん もう こ こば あいて き
しかしこれを聞いたミセス・ベネットはびっくり仰天した。娘が結婚の申し込みを拒んだのは、相手の気をそそる
おな まんぞく しん
ためだというなら、ミスタ・コリンズと同じように満足しただろうが、そんなことはとうてい信じられないので、ど
い
うしてもこう言わずにはいられなかった。
い い
「でもね、コリンズさん」とミセス・ベネットは言った。「リジーにはきつく言ってきかせますよ。わたしからさっ
い ごうじょう おろ むすめ じぶん りがい
そく言ってやります。あれはほんとうに強情で愚かな娘ですの、自分の利害というものがわからないんですから。で
もわたしがきっとわからせてやります」
くち もう おく おおごえ い じょう きょう
「口をはさんで申しわけありませんが、奥さま」とミスタ・コリンズが大声で言った。「もしお嬢さまが、まこと強
じょう おろ ちい つま は
情で愚かだといたしますと、わたくしのような地位にあるものの妻に果たしてふさわしいものでしょうか。わたくし
けっこん せいかつ とうぜん こうふく もと じょう きゅうこん
といたしましては、結婚生活には当然幸福を求めますので。したがいましてお嬢さまがわたくしの求婚をほんとうに
じたい う い むりじ
辞退したいとおっしゃるのであれば、わたくしを受け入れるように無理強いなさらぬほうがよいでしょう。そのよう
せいかく けっかん こうふく こうけん
な性格の欠陥がおありなら、わたくしの幸福に貢献してはいただけないでしょうから」
ごかい おどろ い もんだい
「まあ、それはとんだ誤解というものですわ」と驚いたミセス・ベネットは言った。「リジーは、こうした問題につ
こ
ごうじょう せいかく むすめ だんな い
いて強情なだけです。ほかのことでしたら、ごくごく性格のよい娘なんですのよ。いますぐ旦那さまのところに行っ
むすめ せっとく
てまいりますわ、そうすればすぐにもあの娘を説得できますとも」
こた ふくん は さん おおごえ あ しょさい
ミセス・ベネットはコリンズに答えるひまもあたえず、すぐさま夫君のもとへ馳せ参じ、大声を上げながら書斎に
はい
入っていった。
だんな き けっこん
「ああ! 旦那さま、すぐに来ていただかないと。たいへんなことになっちゃって。コリンズさんと結婚するように
せっとく こ ほう けっこん は
リジーを説得してくださいましな、だってあの子ったら、ぜったいあの方と結婚しないと言い張っているんですよ。
はや
早くいらしてくださらないと、あちらの気が変わって、あの子をもらっていただけなくなるわ」
おくがた
ミスタ・ベネットは奥方が入ってくるのを見て、読んでいた書物から目を上げ、その目を平然と奥方の顔に注いだ
はなし き
が、話を聞いても表情はまったく変わらなかった。
ひょうじょう
い
「どうもあなたの言っていることが理解しかねるんだよ」奥方の話が終わるとミスタ・ベネットはそう言った。
「いったいなんの話かね?」
はなし
「コリンズさんとリジーのことですよ。リジーったら、コリンズさんと結婚するつもりはないときっぱりお断りした
んですよ、あげくにコリンズさんまで、リジーとは結婚しないと言いだす始末で」
「それでこのわたしにどうしろというのかね? どう見ても見込みはなさそうだが」
こ
「あの子をここに呼ぼうじゃないか。わたしの意見を聞かせてやろう」
ミセス・ベネットは鈴を鳴らし、エリザベスが書斎に呼ばれた。
い
「どうぞリジーに言ってやってくださいましな。コリンズさんと結婚せよと、言ってきかせてくださいまし」
よ
すず
「ここにおいで」とあらわれた娘に向かってミスタ・ベネットは大声を張り上げた。「大事な用事があって呼んだの
くん
な
けっこん
はい
むすめ
か
りかい
もう こ
き か
いけん
しょさい
よ
けっこん
よ
おくがた
こ
みこ
しょもつ
はなし
けっこん
おおごえ
お
め
けっこん
しまつ
は あ
あ
い
め
だいじ
へいぜん
ようじ
おくがた
こた
かお
ことわ
よ
そそ
だよ。コリンズ君がきみに結婚の申し込みをしたそうだが。ほんとうかい?」エリザベスはそうですと答えた。「な
けっこん もう こ ことわ
るほど──それでその結婚の申し込みを、きみは断ったそうだね?」
「そうです」
もんだい はは くん う い おくがた
「なるほど。さあ、そこで問題だ。きみの母君は、きみがそれを受けるようにと言っている。そうなんだね、奥方」
う にど こ あ
「ええ、お受けしなければ、わたしは二度とこの子には会いません」
ふこう きろ た きょう にち りょうしん いっぽう あか
「きみは不幸な岐路に立っているわけだな、エリザベス。今日という日から、きみは、両親のどちらか一方とは赤の
たにん くん けっこん はは くん にど あ
他人にならなければならないわけだ。きみがコリンズ君と結婚しなければ、母君は二度ときみには会わないそうだ。
くん けっこん にど あ
そしてわたしは、きみがコリンズ君と結婚したら、きみには二度と会わないからね」
けつろん で おも え も とい
エリザベスは、のっけからこのような結論が出たことに思わず笑みを洩らした。だがミセス・ベネットは、この問
だい ふくん じぶん さんせい おも ろうばい
題については夫君も自分に賛成するものと思いこんでいたから、ひどく狼狽した。
けっこん こ せっとく
「そんなことをおっしゃって、いったいどういうおつもりですの? あのひとと結婚せよとこの子をかならず説得す
やくそく
るとお約束してくださったじゃありませんか」
ふくん こた ねが ふた とうめん もんだい はん
「いいかい」と夫君は答えた。「ささやかな願いが二つほどあるんだがね。まず当面の問題については、わたしに判
だん じゆう だい に しょさい すみ あか
断の自由をあたえてもらいたい。第二に、わたしの書斎についてなんだがね。できるだけ速やかにここをわたしに明
けわたしてもらえるとありがたい」
ふくん しつぼう かんじん
だが、夫君には失望させられたとはいえ、ミセス・ベネットは肝心なところはまだあきらめてはいなかった。なだ
おど せ みかた
めすかしたり、脅したりと、エリザベスをくりかえし攻めたてた。ジェインをなんとか味方につけようとしてみた
くちだ ひか ことわ とう ははおや こうせい ま
が、ジェインは、口出しは控えたいと、やんわりと断った。そして当のエリザベスは、母親の攻勢に、ときには真っ
むこう はんぶん おう たいど か けっしん ゆ
向から、ときにはふざけ半分に応じた。だが態度はそのときどきに変わっても、決心が揺らぐことはなかった。
な ゆ ひと ものおも じぶん たちば じしん
いっぽうミスタ・コリンズは、この成り行きについて独り物思いにふけっていた。自分の立場には自信があったの
げ
じゅうまい じぶん こば ほぐ じそんしん きず つうよう かん
で、従妹がどうして自分を拒んだのか解せなかった。だから自尊心は傷ついてもほかにはなんら痛痒を感じなかっ
たい あいじょう くうそう ごうじょう おろ むすめ ははおや ひなん むすめ 思
た。エリザベスに対する愛情などまったくの空想にすぎない。強情で愚かな娘だと母親に非難されるような娘だと思
みれん
えば、なんの未練もなかった。
ま
かぞく おおさわ あそ げんかん ま
こうして家族が大騒ぎをしているところへ、シャーロット・ルーカスが遊びにやってきた。玄関の間でリディアに
であ と こえ はな おもしろ き
ばったりと出会うと、リディアは飛びついてきて、声をひそめるようにして話しかけた。「面白いところに来たわ
おおさわ おも けっこん もう
よ、だってうちは大騒ぎなんだから! けさ、いったいなにがあったと思う? コリンズさんがリジーに結婚の申し
こ き
込みをしたんだけど、リジーにその気はないんだって」
こた おな はな さん にん
シャーロットがほとんど答えるいとまもないうちに、こんどはキティがやってきて、同じことを話した。三人が
そろ ちょうしょく しつ はい ひと おな はなし も だ かのじょ どうじょう もと
揃って朝食室に入っていくと、独りでいたミセス・ベネットが同じようにその話を持ち出して、彼女の同情を求め、
しんゆう かぞく きぼう そ せっとく こんがん ねが
あなたの親友のリジーを、家族の希望に沿うように説得してちょうだいと懇願した。「どうぞお願い、ミス・ルーカ
あいせつ くちょう みかた ちから か
ス」ミセス・ベネットは哀切な口調でこうつけくわえた。「だれもわたしの味方をしてくれない、だれも力を貸して
ひど
ひど しう う あわ しんけい きづか
くれないの、こんなに 酷 い仕打ちを受けているのに、わたしの哀れな神経のことなど、だれも気遣ってはくれないの
よ」
はい こた
そこにジェインとエリザベスが入ってきたので、シャーロットはそれに答えずにすんだ。
ほんにん き ことば じぶん つう
「ほら、ご本人が来ましたよ」とミセス・ベネットは言葉をつぐ。「あんなにけろりとして、自分のわがままさえ通
とお し かお い
れば、わたしたちが遠いヨークにいるとでもいうように知らん顔してるんだから。でも言っておきますけどね、ミ
けっこん もう こ ことわ しょうがい けっこん
ス・リジー、こんなふうに結婚の申し込みをかたっぱしからお断りするようじゃ、生涯結婚なんてできませんからね
ちち な やしな やしな
──お父さまが亡くなったあと、あなたをいったいだれが養ってくれるというの。このわたしが養うわけにはいかない
い きょう にち おやこ えん き しょさい い
のよ、だから言っておきますよ。今日という日からあなたとは親子の縁を切ります。さいぜんお書斎でそう言ったわ
くち い じっこう おやふこう こ はなし
よね。もうこんりんざいあなたとは口をききません。言ったことはちゃんと実行しますからね。親不孝な子と話をし
たの はなし たの おも
ても、楽しいことなんかありゃしませんよ。わたしはね、だれと話をしても楽しいと思ったことなんかないんです。
しんけい や にんげん じぶん はなし き にが
わたしみたいに神経を病んでいる人間は、自分から話をしたいという気にはなれないものなの。わたしがどんなに苦
くる ぐち もの どうじょう
しんでいるかだれにもわかりゃしない。いつだってひとりで苦しんでいる。愚痴をこぼさない者は、だれにも同情し
てもらえないのよ」
つの
むすめ ははおや かんじょう ほんりゅう だま き せっとく こころ ははおや いらだ つの
娘たちは母親の感情の奔流を黙って聞いていた。説得を試みても、なだめてみても、母親の苛立ちは 募 るばかりだ
こころえ ば
と心得ていたからである。それゆえミセス・ベネットは、ミスタ・コリンズがその場にくわわるまでは、だれにもさ
はな どうどう たいど へや はい
えぎられることなく話しつづけた。ミスタ・コリンズはいつになく堂々とした態度で部屋に入ってきた。ミセス・ベ
き むすめ い
ネットはそれに気づくと娘たちに言った。
くち と はなし
「さあ、いいこと、みんな、しっかり口を閉じていなさい。コリンズさんとちょっとお話がありますからね」
へや で き 聞
エリザベスはおとなしく部屋から出ていき、ジェインとキティがそのあとにつづいたが、リディアは聞けるだけ聞
ば ふ ていちょう あいさつ ひ と じ
いてやろうと、その場に踏みとどまった。シャーロットは、まずミスタ・コリンズの丁重な挨拶で引き止められ、自
ぶん かぞく しさい たず ば と しょうしょう こうき しん わ まどべ
分のことや家族のことなど仔細に尋ねられたので、ひとまずその場に留まった。そのあとは少々好奇心が湧き、窓辺
あゆ き た あわ こえ き はなし せつ
まで歩みより、聞こえぬようなふりをして立っていた。哀れっぽい声で、ミセス・ベネットが聞こえよがしに話を切
だ
り出した。「ああ! コリンズさん!」
おく こた はなし う き
「これはこれは、奥さま」とコリンズは答え、「このお話は、これでもう打ち切りといたしましょう。だからといっ
あき ふきょう ことば じょう ふ ま はら た
てわたくしは」とコリンズは明らかに不興げに言葉をつづける。「お嬢さまの振る舞いに腹を立てているわけではご
さ うんめい かんじゅ ぼくし つと わか ばってき
ざいませんよ。避けえぬ運命を甘受するのは、われら牧師の務めであります。若くして抜擢されたわたくしのように
ひじょう こううん ぼくし とくべつ ぎむ あきら おも うるわ じゅうまい て
非常に幸運な牧師の特別の義務であります。わたくしは諦めようと思います。たとえわが麗しの従妹がその手をわた
ゆだ しょうらい こうふく うたが かげ かん いじょう あきら え 拒
くしに委ねてくださろうと、わたくしの将来の幸福に疑いの影がさしたと感じる以上諦めざるを得ないでしょう。拒
こうふく ねう み さ あきら さいぜん
まれた幸福の値打ちが、われわれの見るところ、下がりはじめたときこそ、諦めることが最善であると、わたくしは
かん おく しゅじん いこう
かねがね感じておりました。どうか、奥さま、わたくしめになりかわりあなたさまやご主人さまのご威光をもちまし
じょう せっとく ねが じょう きゅうこん と さ かぞく かる
てお嬢さまを説得していただくようお願いもせず、こうしてお嬢さまへの求婚を取り下げましたことを、ご家族を軽
ねが もう あ くち じょう くち
んじたというふうにおとりになりませんようにお願い申し上げます。あなたさまのお口からではなくお嬢さまのお口
きゃっか ことば うかが ふ ま この きょうしゅく
からじかに却下とのお言葉をお伺いするようなわたくしの振る舞いは好ましからざるものであったと恐縮しておりま
にんげん あやま おか おも
す。しかしわれわれ人間は、だれしも過ちを犯すものでございます。このたびのことは、すべてはよかれと思いいた
もくてき み きだ はんりょ え
したことです。わたくしめの目的は、わが身のために気立てのよい伴侶を得ることでございましたが、それもあなた
ふ らち
いっか たい はいりょ ふ ま ふ らち おも
さまご一家に対するしかるべき配慮があったればこそでございます。もしわたくしの振る舞いを不 埒 であるとお思い
じゅうじゅう わ もう あ
でしたら、ここで重々お詫び申し上げます」
21
22
か か しょくじ まね ひ
ベネット家のひとびとは、ルーカス家に食事に招かれていた。その日もほとんどミス・シャーロット・ルーカス
しんせつ はなし みみ かたむ お れい い
が、ご親切にもミスタ・コリンズの話に耳を傾けてくれていた。エリザベスは、折りをみてお礼を言った。「おかげ
きげん かんしゃ やく た
で、あのひと、それはご機嫌がいいの。ほんとうに感謝しきれないくらいよ」シャーロットは、お役に立ててうれし
すこ じかん さ え こた こうい てき へんじ
いわ、少しばかり時間を割いただけなのに、たくさん得るものもあったのよと答えた。それはたいそう好意的な返事
しんせつ ふ ま おも およ
だったが、シャーロットの親切な振る舞いは、じつはエリザベスが思いもよらぬところにまで及んでいた。それは、
きゅうこん ねら じぶん む かれ さいど もう こ
なんと、ミスタ・コリンズの求婚の狙いを自分に向けさせ、彼がエリザベスに再度の申し込みをしないようにするた
もくさん よる わか けいせい ゆうぼう み
めだった。それがシャーロットの目算だったのである。その夜コリンズと別れたときは、形勢はかなり有望に見えた
さ せいこう まちが
ので、これでコリンズがハートフォードシャーをすぐに去りさえしなければ、成功はほぼ間違いなしとシャーロット
ふ じょうねつ いこじ きしつ おも いた よくあさ しゅび
は踏んでいた。ところがコリンズの情熱と意固地な気質までには思い至らなかった。翌朝コリンズは首尾よくロング
い と こ
やしき ぬ だ あしもと み な だ か はし いとこ き
ボーンの屋敷を抜け出し、シャーロットの足元に身を投げ出すべくルーカス家へと走ったのである。従姉妹たちに気
かれ ひっし で み じぶん ちが せいこう あき
づかれまいと彼は必死だった。出ていくところを見られれば、自分のもくろみはばれるに違いない。成功が明らかに
し じぶん き ひ み だいじょうぶ
なるまでは、このもくろみを知られたくない。自分の気を惹くようなシャーロットのそぶりも見えたし、大丈夫だと
おも すいようび よき じたい けいけん じしん そうしつ む
は思っていたものの、水曜日のあの予期せぬ事態を経験したあとでは、かなり自信を喪失していた。ところが向かっ
さき かれ おも むか う に かい まど む
た先で彼は思いもかけぬお迎えを受けたのである。シャーロットは二階の窓から、こちらに向かってやってくるコリ
すがた み こみち ぐうぜん であ そと と だ
ンズの姿を見つけると、小道で偶然出会ったふりをしようと、すぐさま外に飛び出した。よもやそこにあふれるよう
あい こくはく ま よそう
な愛の告白が待ちかまえていようとは、シャーロットも予想だにしなかったが。
とうとう
滔 べんぜつ お のぞ かたち き
ミスタ・コリンズの 滔 々 たる弁舌が終わるまでのしばしのあいだに、すべてがふたりの望みにかなう形で決まった
いえ はい じぶん せかいいち しあわ しゃ ひ き
のである。家のなかに入ると、コリンズは、自分が世界一の幸せ者になれる日をすぐにも決めてほしいとシャーロッ
しりぞ
こんがん もう で て ふ 斥 なら あいて きもち
トに懇願した。こうした申し出は、ひとまず手を振って 斥 けるのが習わしだが、シャーロットは、相手の気持をい
もてあそ
ろう き かれ せいらい ぐどん きゅうあい じょせい
たずらに 弄 ぶ気にもなれなかった。なにしろ彼の生来の愚鈍さのおかげで、その求愛は、女性ならいついつまでも
つづ おも みりょく かん しょたい も
続いてほしいと思わせるような魅力を感じさせなかったからである。シャーロットは、ただ所帯を持ちたいという
たんたん がんぼう う い はや じつげん
淡々とした願望からコリンズを受け入れたのであり、それがいくら早く実現しようが、いっこうにかまわなかった。
どうい もと かいだく
サー・ウィリアム・ルーカスとレディ・ルーカスはさっそく同意を求められ、すぐさま快諾をあたえた。ミスタ・
げんざい きょうぐう おも ざいさん わ むすめ ねが えんぐみ
コリンズの現在の境遇を思えば、わずかな財産しか分けてやれないわが娘にはまことに願ってもない縁組であり、そ
うえ ざいさん なん ねん
の上コリンズの財産もゆくゆくはかなりのものになるはずであった。レディ・ルーカスはすぐさまあと何年ミスタ・
い ねっしん むなざんよう
ベネットが生きているだろうかと、たいそう熱心に胸算用をはじめた。そしてサー・ウィリアムも、ミスタ・コリン
ざいさん そうぞく きゅうでん しこう かくげん
ズがロングボーンの財産を相続したあかつきには、ふたりをさっそくセント・ジェームズ宮殿に伺候させようと確言
よう かずや けいじ きんき いもうと よそう いち に ねん はや しゃ
した。要するにルーカス一家はこぞってこの慶事に欣喜したのである。妹たちは、予想していたより一、二年早く社
交界 で きたい おとうと し どくしん ふあん かいほう
交界に出られるだろうと期待し、弟たちは、シャーロットが死ぬまで独身でいるのではないかという不安から解放さ
じしん れいせい もくてき たっ かんが じかん かんが けっか まんぞく
れた。シャーロット自身はかなり冷静だった。すでに目的は達し、考える時間もあった。考えた結果、おおむね満足
こた で かしこ この じんぶつ かれ たいくつ
のゆく答えが出た。ミスタ・コリンズはたしかに賢くもなく好ましい人物でもない。彼とのつきあいは退屈きわまり
じぶん よ あいじょう げんそう そうい かれ じぶん おっと だんせい けっこん せいかつ あこが
ないし、自分に寄せる愛情も幻想に相違ない。だがそれでも彼は自分の夫になる。男性や結婚生活に憧れているわけ
けっこん もくひょう きょうよう ゆた ざいさん わか じょせい
ではないけれど、結婚こそがシャーロットの目標だった。教養は豊かでもわずかな財産しかもたぬ若い女性にとっ
かて
けっこん ゆいいつ は せいかつ かて しあわ ふたし う まぬか
て、結婚は唯一ひとに恥じることのない生活の 糧 であり、幸せになれるかどうかは不確かにしても、飢えを免れる
この しゅだん しゅだん て い に じゅう なな とし けっ うつく
もっとも好ましい手段なのである。その手段をいまシャーロットは手に入れた。二十七という歳になり、決して美し
い こううん み かん けん き おも
いとは言えないシャーロットは、その幸運を身にしみて感じていた。この件について、もっとも気が重いのは、エリ
いぶか
おどろ かのじょ ゆうじょう だいじ いぶか
ザベス・ベネットを驚かせることだった。彼女の友情はなによりも大事なものだった。エリザベスは 訝 るだろう
なじ
つめ ちが なじ じぶん けつい ゆ はんたい き
し、おそらく 詰 るに違いない。たとえ詰られても自分の決意は揺るがないけれども、エリザベスの反対にあえば、気
じ きず じぶん つた こころ き ごさん
持は傷つくだろう。このことは自分からエリザベスに伝えようと心に決め、それゆえコリンズには、午餐にロング
もど けいい かぞく も ねん お ひみつ
ボーンに戻っても、この経緯については家族のだれにも洩らさないようにと念を押した。コリンズは、むろん秘密は
まも かた やくそく まも くろう なが か あ
守りますと堅く約束したものの、これを守るにはひと苦労した。コリンズが長いあいだ家を空けていたので、みなの
こうき しん
好奇心ははちきれそうになり、家に戻るや、待っていたとばかり、あからさまな質問を四方から浴びせられ、それを
はぐらかすにはかなりの手管を要した。おまけに首尾よくいった自分の恋をみなに公表したくてうずうずしていたか
まことにうれしいと述べた。
きもち
ら、その気持を抑えるのも並大抵ではなかった。
よくじつ そうちょう
おさ
しゅったつ
翌日は早朝に出立するためどなたにもお会いできないというわけで、ご婦人方が寝室に引きとる前に別れの挨拶が
か
交わされた。ミセス・ベネットは、いとも丁重にご用の向きがあればいつなりとロングボーンにお越しいただければ
おく
言っていただけるよう願っておりましたのです。できるだけ早くお言葉に甘えるつもりでございますよ」
おどろ
の
「これはこれは、奥さま」とコリンズは答えた。「そのようにお招きいただくとはありがたいことで、なにしろそう
い
これにはみなが驚いた。そうすぐに戻ってきてもらいたくないミスタ・ベネットは、すかさずこう言った。
「しかしそんなことをしてはレディ・キャサリンに反対される危険がありはしませんかね? 親類などはほうってお
くがよろしい、あなたの 庇護者のご機嫌を損じては一大事ですぞ」
「これはこれは」とミスタ・コリンズは答えた。「そのようなご親切なご忠告、ありがたき幸せですが、わたくしめ
おくがた どうい
ねが
てくだ
パトロネス
ひご
なみたいてい
しゃ
じゅう
いえ
よう
だいじ
もど
きげん
もど
き
こた
こた
あ
ていちょう
そん
ま
しゅび
よう
はんたい
いち だいじ
む
はや
きけん
じぶん
まね
しんせつ
ことば
こい
ふじん
あま
ちゅうこく
あんど
かた
しつもん
こうひょう
しんしつ
しほう
しあわ
あ
しんるい
まえ
い
わか あいさつ
は、奥方さまのご同意なしに重大事を決めはいたしませんので、どうぞご安堵ください」
ようじん ふきょう か まね
「用心するにこしたことはありませんぞ。レディ・キャサリンのご不興を買うような真似はあえてなさらぬがよい。
きくん や おとず きげん そこ
貴君がわが家をふたたび訪れることが、レディ・キャサリンのご機嫌を損ねるようであれば、まあ、それはおおいに
いえ きぶん がい かんが
ありうることだが、家でおとなしくしておられるがいいでしょう。それでこちらが気分を害するなどと考えるのはご
むよう
無用ですな」
ねんご
こん はいりょ いた たいざい ちゅう
「いやはや、そのような 懇 ろなるご配慮、まことに痛みいります。ハートフォードシャー滞在中のあなたさまのお
したた
こころづか かずかず なら ことば たい かんしゃ きもち さっそく しょじょう 認 おく もう あ
心遣いの数々、並びにこのお言葉に対しましてのわたくしめの感謝の気持をば早速書状に 認 めお送り申し上げま
うるわ いとこ ちか あ あいさつ
す。わが麗しの従姉妹たちには、近いうちにまたお会いできることでもあり、ご挨拶をするまでもありますまいが、
いとこ
じゅうまい けんこう しあわ きねん
従妹エリザベスはもとよりのこと、みなさまのご健康とお幸せをいまここに祈念するものでございます」
ふじん かた れいぎ ただ あいさつ たいしゅつ もど し おどろ
ご婦人方は、礼儀正しく挨拶をして退出したが、コリンズがすぐに戻ってくるつもりだと知ってみんな驚いた。ミ
した むすめ きゅうこん きたい くど
セス・ベネットは、コリンズが、下の娘のだれかに求婚するつもりなのだと期待した。メアリなら、口説かれればそ
き のうりょく たか ひょうか けんじつ かんが
の気になっていたかもしれない。メアリはほかのだれよりもコリンズの能力を高く評価していたし、その堅実な考え
なら
ほう かんめい う じぶん かしこ い じぶん 倣 しょもつ よ じこ けんさん はげ こう
方にしばしば感銘も受けた。自分ほど賢いとは言えないけれども、自分に 倣 って書物を読み、自己研鑽に励めば、好
おっと おも よくあさ のぞ う くだ ちょうしょく ご
ましい夫になるだろうと思っていた。だが翌朝になると、こうした望みはすべて打ち砕かれてしまった。朝食後すぐ
あいて ぜんじつ できごと かた
にミス・ルーカスがやってきて、エリザベスを相手に前日の出来事を語ったのである。
こい おも ぎねん
ミスタ・コリンズはひょっとしたらシャーロットに恋をしていると思いこんでいるのではないかという疑念が、こ
に にち むね う き ひ まね
の二日のあいだにエリザベスの胸に浮かんだことはあったが、シャーロットにはコリンズの気を惹くような真似は、
たしな
じぶん どうよう おも おどろ たいへん 嗜 け ひ
自分同様できるはずはないと思っていた。だからエリザベスの驚きようといったら大変なもので、 嗜 みなど消し飛
おも おおごえ さけ こんやく
んでしまうほど、思わず大声で叫んでいた。「コリンズさんと婚約したって! ああ、シャーロット、まさか、そん
なことありえない!」
ごと しだい はな へいせい おもも たも ひなん あ
事の次第を話すあいだ、平静な面持ちを保っていたシャーロットだが、これほどあからさまな非難を浴びせられる
かお いっしゅん どうよう はし かくご うえ き と なお しず こた
と、その顔に一瞬動揺が走った。だがそれも覚悟の上のことだったので、すぐに気を取り直して静かに答えた。
おどろ き どく ふ じょせい こう
「どうしてそんなに驚くの、イライザ? コリンズさんが、お気の毒に、あなたに振られたからといって、女性に好
い い
意をもたれることなどありえないと言うの?」
れいせい けんめい きもち お つ しんせき どうし
だがエリザベスもようやく冷静になり、懸命に気持を落ち着かせ、わたしたちが親戚同士になるのは、たいそうよ
こころ しあわ いの くちょう い
ろこばしい、心からお幸せを祈るわとかなりしっかりした口調で言うことができた。
きもち こた おどろ あ まえ おどろ
「あなたの気持はわかるわ」とシャーロットは答えた。「あなたが驚くのは当たり前よ、そりゃ驚くわよね。だって
さいきん けっこん ねが かんが
つい最近、コリンズさんは、あなたとの結婚を願っていたんですものね。でもあとでこのことをじっくり考えてくれ
さんせい おも ゆめみ おとめ
れば、わたしがしたことに賛成してくれると思うわ。わたしって、夢見る乙女じゃないのよ。ぜったいそうじゃない
もと いごこち かてい せいかく えんせき みぶん かんが かれ
の。わたしが求めているのは居心地のいい家庭だけなの。コリンズさんの性格や縁戚や身分などを考えると、彼とで
ふいちょう
けっこん せいかつ 吹 聴 ていど しあわ みこ おも
も、たいていのひとが結婚生活について 吹 聴 する程度には、幸せになれる見込みはあると思うの」
しず まちが こた ちんもく
エリザベスは静かに「間違いなしよ」と答えた。しばらくぎごちない沈黙があり、それからふたりはみなのところ
もど ながい かえ き かんが
に戻った。シャーロットは長居はせずに帰っていき、エリザベスはひとりになっていま聞いたことをじっくり考え
ふ にあ けっこん ばなし う い なが じかん さん にち ふた きゅうこん
た。まったく不似合いなこの結婚話を受け入れるまでには長い時間がかかった。たった三日のあいだに、二つの求婚
きじん きゅうこん う い じじつ
をしたというミスタ・コリンズの奇人ぶりも、その求婚が受け入れられたという事実にくらべればさほどのことでは
けっこん たい かんが かた じぶん ちが まえまえ かん
なかった。シャーロットの結婚に対する考え方が、自分とはまったく違うということは前々から感じてはいたけれど
なげう
げんじつ せぞく てき りえき ゆうせん じぶん ほんい 擲 おも
も、いざ現実のこととなったとき、シャーロットが世俗的な利益を優先し、自分の本意を 擲 ってしまうとは思いも
し つま くつじょく てき すがた とも みずか はずかし ひんかく
よらなかった。コリンズ氏の妻シャーロットとは、なんという屈辱的な姿であろうか! 友が自らを辱め、その品格
おとし
貶 くつう とも みずか えら うんめい しあわ え
を 貶 めたという苦痛にくわえて、友は自ら選んだ運命のもとでは、ほどほどの幸せすら得られるはずはないという
せつ かくしん こころ わ
切ない確信がエリザベスの心に湧いたのである。
23
24
しゅし つた ふんまん おも き
手紙のおおよその趣旨をジェインから伝えられたエリザベスは、憤懣やるかたない思いでそれを聞いていた。その
こころ あね たい けねん れんちゅう たい いか こうさく あに した
心には、姉に対する懸念と、ほかの連中に対する怒りが交錯していた。兄はミス・ダーシーを慕っているというミ
しゅちょう あたま しんよう す
ス・ビングリーの主張は頭から信用しなかった。ミスタ・ビングリーはほんとうにジェインが好きなのだということ
しん うたが おも きらく いし はくじゃく
は、いまも信じて疑わなかった。ミスタ・ビングリーはいいひとだと思ってきたが、こうもお気楽で意志薄弱なとこ
み いか おぼ けいべつ はらぐろ みうち い
ろを見せられると、怒りを覚えずにはいられないし、軽蔑もしたくなる。いまや、そのために腹黒い身内どもの言い
れんちゅう き じしん しあわ ぎせい じしん しあわ ぎせい
なりになって、連中の気まぐれのために自身の幸せを犠牲にしている。まあビングリー自身の幸せを犠牲にするだけ
す あね ま ぞ かれ
なら、どうとでも好きなようにすればいい。だが姉のジェインまでが巻き添えにされている、それぐらいのことは彼
き よう かんが しかた もんだい けっきょく かんが むだ
も気づいているはずなのだ。要するにこれはいくら考えても仕方のない問題で、結局考えるのは無駄ということであ
かんが あいじょう さ
る。でもほかのことはなにも考えられない。ビングリーの愛情はほんとうに冷めてしまったのか、それともダーシー
かんしょう おさ しぼ き みす
の干渉によって抑えつけられているのか、そもそもジェインの思慕に気づいているのか、それとも見過ごしてしまっ
たい みかた か
たのか、そのいずれかによって、ビングリーに対するエリザベスの見方はおおいに変わってくるが、それでジェイン
じょうきょう か じぶん こころ へいわ むしば か
のおかれた情況が変わるわけではないし、自分の心の平和が蝕まれたことにも変わりはなかった。
いち にち に にち た じぶん きもち おも き う あ
一日、二日と経つうちに、ジェインも自分の気持を思い切ってエリザベスに打ち明けることができるようになっ
あるじ
ははおや やしき おも ながなが で
た。だが母親のミセス・ベネットが、ネザーフィールド屋敷とその 主 について長々とかきくどいて出ていったあと
い
は、さすがのジェインもこう言わずにはいられなかった。
かあ じぶん おさ ほう ひなん
「ああ! お母さまも、もっとご自分を抑えてくださればいいのに。あの方のことを非難なさるたびに、わたしがど
つら おも なげ
んなに辛い思いをするか、ちっともわかってくださらない。でも嘆くのはよしましょう。こんなことがいつまでもつ
ほう わす もとどお
づくわけはないもの。あの方のこともそのうちに忘れられるし、そうしたら、みんな元通りになるわね」
きづか うたが め あね む い
エリザベスは、気遣わしそうに疑いの目を姉に向けたが、なにも言わなかった。
うたが 頰 じょうき さけ うたが
「疑っているのね」とジェインはかすかに頰を上気させて叫んだ。「疑うなんておかしいわ。ビングリーさまはわた
し あ ほう おも で のこ まれ
しのお知り合いのなかでいちばんやさしい方だった、そんな思い出は残るかもしれない、でもそれだけのことよ。希
もち ふあん ほう せ りゆう くる
望ももたないし、不安もないの、あの方を責める理由はなにもない。ああ、ありがたいことね! その苦しみだけは
すこ じかん た た なお
ないんですもの。だから少し時間が経てば、かならず立ち直ってみせるわ」
ごき つよ ひと
さらに語気を強めてジェインはつけくわえた。「でもよかった、だってこれはわたしの独りよがりだったんだし、
きず じぶん きず
傷ついたのは自分だけ、だれも傷つけてはいないんですもの」
おおごえ あ むしん
「ああ、ジェインったら!」とエリザベスは大声を上げた。「あなたって、ひとがよすぎるのよ。やさしくて無心な
てんし い ねう ち
ところは、ほんとうに天使みたい。ああ、なんて言ったらいいのかしら。いままで、あなたのほんとうの値打ちを知
き ふか あい き
らなかったような気がする、そこまで深くあなたを愛していなかったような気がする」
じぶん ねう やっき は いもうと あたた おも ぎゃく ほ
ジェインは、自分にはそんなすばらしい値打ちはないと躍起になって言い張り、妹の温かな思いやりを逆に褒めあ
げたのである。
い あね せけん りっぱ
「やめてよ」とエリザベスは言った。「そんなのおかしい。お姉さまというひとはね、世間のひとたちはみんな立派
おも たにん わる い きず かんぺき おも
だと思いたいのよ、わたしが他人を悪く言うと傷つくのよ。わたしはね、あなたこそ完璧だと思いたいだけ、ところ
ひてい で まね だいじょうぶ ばんぶつ じひ とっけん 侵
があなたはそれを否定する。わたしは、出すぎた真似はしないから大丈夫よ、万物に慈悲をたれるあなたの特権を侵
しんぱい だいじょうぶ あい たつ
したりしないから、どうぞご心配なく。大丈夫よ。わたしがほんとうに愛しているひとはほんのひとにぎりなの、立
つの
は おも すく せけん し し ふまん つの にんげん せいかく むじゅん
派だと思えるひとはもっと少ない。世間を知れば知るほど不満が 募 るばかりよ。人間の性格なんて矛盾だらけという
おも ひ お つよ いっけん びてん りょうしき おも しんよう さいきん
思いが日を追うごとに強まるの、一見して美点や良識だと思えるものだって、ほとんど信用ならない。最近、そのい
れい ふた であ ひと い ひと けっこん りかい かんが
い例に二つ出会ったわ。一つは言わないでおく。もう一つはシャーロットの結婚よ。あれは理解できない。どう考え
りかい
ても理解できないわよ!」
きもち かんが じぶん ふこう
「ねえ、リジーちゃん、そんな気持になってはだめよ。そんなふうに考えていたら、自分を不幸にしてしまうだけだ
たちば せいかく ちが おも しゃかい てき ちい
わ。あなたは、ひとそれぞれの立場や性格の違いを思いやってあげないんだもの。コリンズさんの社会的な地位をお
かんが しんちょう けんじつ せいかく かんが だい かぞく
考えなさいな、それからシャーロットの慎重で堅実な性格を考えてごらんなさい。あのひとのところは大家族なの
ざいさん かんが えんぐみ
よ、財産のことを考えれば、これはシャーロットにふさわしい縁組じゃないかしら。あのひとはきっと、わたしたち
いとこ
じゅうけい こうい そんけい かん しん
の従兄に好意や尊敬といったものを感じているのかもしれない、みんなのためにそう信じてあげましょうよ」
あね まんぞく しん しん
「お姉さまが満足なさるなら、なんでも信じましてよ。でも信じたからといって、だれのためにもならないわよ。
じゅうけい そんけい い かのじょ はんだん りょく にぶ おも
シャーロットがあの従兄をほんとうに尊敬していると言われても、わたしは彼女の判断力が鈍ったと思うだけだし、
うぬぼ
かのじょ あたま おも うぬぼ
いまじゃ彼女の頭がどうかしちゃったと思っているけど。あのねえ、ジェイン、コリンズさんというひとは、自惚れ
つよ そんだい どりょう せま おろ もの だんせい
が強くて尊大で、度量の狭い愚か者よ。あなたにも、わたしにもそれはわかっているじゃないの。それにあんな男性
けっこん じょせい かんが かた にんげん かん あいて
と結婚するような女性は、まともな考え方をする人間じゃないって、あなただって感じているはずだわ。たとえ相手
べんご にんげん せっそう せいれん ことば
がシャーロット・ルーカスでも弁護することはないのよ。たったひとりの人間のために、節操とか清廉という言葉の
いみ ま じこ ほんい しりょ ふんべつ きけん どんかん こうふく
意味を曲げてしまってはだめ、自己本位なことが思慮分別で、危険に鈍感であれば幸福がつかめるなんて、あなた
おも
だって、わたしだって、思ってはならないのよ」
ことば きび こた しあわ み
「あのふたりに、あなたの言葉は厳しすぎるわね」とジェインは答えた。「ふたりがともに幸せになるのを見れば、
ほの
はなし 仄 ふた
あなたにもわかるでしょう。でももうこの話はたくさん。あなた、いまさっきなにやら 仄 めかしていたわね。二つの
じつれい であ い さ ねが
実例に出会ったとか言ったでしょ。あなたがなにを指しているのかわかるけれど、でもお願いだから、リジーちゃ
ほう ひなん みそこ い くる じょせい こい きず
ん、あの方を非難したり、見損なったなどと言って、わたしを苦しめないでね。わたしたち女性は、故意に傷つけら
かんが げんき わか ようじんぶか しゅうい き くば
れたなんてあさはかなことを考えてはいけないわ。元気な若いひとが、いつもとても用心深く周囲に気を配るなんて
かんが じぶん うぬぼ おも ちが おんな ほ
考えちゃいけないのよ。たいていは自分たちの自惚れのせいでとんだ思い違いをするんだわ。女って、褒められれば
き
すぐにいい気になってしまうものだから」
おとこ おんな き しむ
「そして男は、女がいい気になるように仕向けるわけね」
しむ ゆる そうぞう したごころ せけん
「わざと仕向けるとすれば、とても許せない。でもみんながあれこれ想像するような下心なんて世間にそうざらにあ
おも
るものじゃないと思うわ」
こうどう したごころ い い
「ミスタ・ビングリーの行動のどこかに、そんな下心がひそんでいたとは言っていないわよ」とエリザベスは言っ
わる たにん ふこう おも まちが お たにん
た。「でも悪いことをしようとか、他人を不幸にしようとか思わなくても、間違いは起こるかもしれないし、他人を
ふこう しりょ たにん きもち たい おも けつだん りょく
不幸にするかもしれない。思慮のなさ、他人の気持に対する思いやりのなさ、決断力のなさというものが、そういう
ひ お
ことを引き起こすんだわ」
「それであなたは、このことをそのうちのどれかのせいにするわけね?」
さわ
さいご けつだん りょく いじょう い き さわ
「ええ、そう。この最後の決断力のなさのせいにするわ。でもこれ以上言うと、きっとあなたの気に 障 るわ、あなた
そんけい わるぐち い いじょう い
が尊敬しているひとたちの悪口を言うことになるから。わたしにもうこれ以上言わせないで」
しまい ほう こうどう さゆう い
「すると、あのご姉妹があの方の行動を左右していると、どうしても言いたいのね」
ほう とも ちから あ
「そう、あの方のお友だちと力を合わせて」
しん しまい きもち うご あに
「そんなこと、信じられないわ。どうしてあのご姉妹が、ビングリーさまの気持を動かそうとするの? お兄さまの
しあわ ねが こころ よ じょせい ほう しあわ
幸せをひたすら願っているだけだわ。ビングリーさまがわたしに心を寄せているのなら、ほかの女性があの方を幸せ
にはできないでしょう」
あね みかた まちが かれ しあわ ねが
「お姉さまのそもそもの見方が間違っているのよ。あのひとたちは、彼の幸せのほかに、願っていることがたくさん
かれ とみ ふ しゃかい てき ちい たか のぞ りっぱ しんぞく
あるのかもしれないわ。彼が富を増やし、社会的な地位を高めることを望んでいるのかもしれない。ご立派な親族
かね じそんしん じょう けっこん
や、お金も自尊心もあるお嬢さまと結婚してもらいたいのかもしれないのよ」
しまい あに けっこん のぞ こた
「あのご姉妹が、お兄さまとミス・ダーシーの結婚を望んでいるのはたしかだわ」とジェインは答えた。「でもそれ
かんが きもち う
は、あなたが考えているより、もっとやさしい気持から生まれたものじゃないかしら。だってミス・ダーシーのこと
とも いぜん し す
は、わたしとお友だちになるずっと以前からよく知っていらっしゃるんだし、ミス・ダーシーのほうが好きだといっ
ふしぎ のぞ あに のぞ さか おも
ても不思議はないわ。でもあのひとたちの望みがどうであろうと、お兄さまの望みに逆らうなんてとても思えない。
はんたい りゆう きょうだい かって まね おも あに
よほど反対すべき理由がないかぎり、いくら兄妹でもそんな勝手な真似をしようとは思わないでしょう? お兄さま
あいじょう しん なか さ まね
がわたしに愛情をもっていると、あのひとたちがほんとうに信じていたら、わたしたちの仲を裂くような真似はする
きもち
はずないわ。ビングリーさまのお気持がほんとうにそうなら、そんなことうまくいくはずないもの。あなたは、そん
あいじょう かって そうぞう みち まちが い くる
な愛情があると勝手に想像して、だれしもが道にはずれた間違ったことをすると言ってわたしを苦しめるのね。そん
かんが くる きもち ごかい は
なことを考えてわたしを苦しめないでちょうだい。わたしはビングリーさまのお気持を誤解していたことを恥ずかし
おも と た ほう いもうと わる おも くら
いとは思っていないの。そんなことは取るに足りないこと、あの方や妹さんたちを悪く思うことに比べたらなんでも
ほう かんが じぶん なっとく
ないことよ。とにかくわたしは、いい方に考えたいの、自分に納得がいくように」
ねが さか いご な くち
エリザベスも、ジェインのこうした願いには逆らえなかった。以後ふたりのあいだでミスタ・ビングリーの名が口
にされることはめったになくなった。
もど ふしん おも ぐち もど りゆう
ミセス・ベネットはいまだにビングリーが戻ってこないのを不審に思い、愚痴をこぼしていた。戻らない理由につ
ふ
まいにち せつめい き ふ お
いては、エリザベスが毎日のようにはっきり説明し、言い聞かせているのに、なかなか腑に落ちないらしい。エリザ
じぶん しん ははおや なっとく くろう ひ
ベスは自分でも信じていないことを、母親に納得させるのに苦労した。つまりミスタ・ビングリーがジェインに惹か
つか ま こいごころ あ
れたのは、よくある束の間の恋心のようなもの、ジェインと会わなければ、それでおしまいというわけだと。そうか
とうざ ははおや なっとく けっきょく まいにち おな はなし はめ
もしれないわねえと、当座は母親も納得するものの、結局エリザベスは毎日同じ話をくりかえす羽目になる。ミセ
さいこう なぐさ なつ こ きたい
ス・ベネットの最高の慰めは、夏になればミスタ・ビングリーはきっとお越しになるはずという期待だった。
もんだい べつ とら かた ひ
ミスタ・ベネットはというと、この問題は別の捕え方をしていた。「どうやら、リジー」とある日ミスタ・ベネッ
い あね じょう こいじ じゃま はい い わか むすめ けっこん つぎ
トは言った。「きみの姉上の恋路に邪魔が入ったようだね。おめでとうと言っておこう。若い娘が結婚の次にうれし
しつれん かんが たね なかま めいよ
がるのは、ときどき失恋することらしいからね。まあ、考えごとの種にはなるし、仲間うちでは名誉のしるしのよう
ばん く ぬ つら
なものがあたえられるわけか。きみの番はいつ来るんだね? いつまでもジェインに抜かれっぱなしじゃ辛いだろう
ばん しかん たいせい とち れいじょう かた しつれん
に。いまこそきみの番だぞ。メリトンには士官どのが大勢いるじゃないか、土地のご令嬢方をぜんぶ失恋させてくれ
あいて こう せいねん みごと ふ
るほどね。ウイッカムをきみのお相手にしたらどうだ。好青年だし、見事に振ってくれるだろう」
ちち この だんせい
「ありがとうございます、お父さま。でもわたしは、それほど好ましい男性でなくてもけっこうなの。みんながジェ
こううん
インの幸運にあやかれるわけじゃありませんもの」
い お ははうえ
「ごもっとも」とミスタ・ベネットは言った。「だがなにが起ころうと、きみにはおやさしい母上がついていて、ど
しんぱい むよう
うにかしてくださるから心配はご無用だ」
ふこう できごと いっか な くら かげ お 払
ミスタ・ウイッカムとのつきあいは、このたびの不幸な出来事がロングボーンの一家に投げかけた暗い影を追い払
やくだ ひんぱん あ かずかず びてん はら
うのに、おおいに役立った。みなが頻繁に会うようになると、ウイッカムのこれまでの数々の美点に、だれにでも腹
くら せっ びてん き はなし
蔵なく接するという美点がさらにくわわった。エリザベスがこれまでに聞かされた話、つまりミスタ・ダーシーから
う せいしょく ろく けんり けんり かれ きょひ けいい し と
受けるべき聖職禄の権利、その権利を彼に拒否された経緯は、いまやだれもが知るところとなり、おおっぴらに取り
さた い まえまえ むし す おとこ とく
沙汰されるようになった。そしてそう言えば、ミスタ・ダーシーは前々から虫が好かない男だったと、だれしもが得
しん
心したのである。
はなし し しゃくりょう
ジェインだけが、この話にはきっと、ハートフォードシャーのひとびとには知られていない、なんらかの酌量すべ
じじょう かんが つね めん み おんわ せいかく
き事情があるのではないかと考えていた。常にひとのよい面を見ようとするジェインの温和な性格が、これにはきっ
じじょう さいこう うなが はなし い ちが い
と事情があるのだとそのたびに再考を促し、その話にはおそらくなにか行き違いがあったのだろうとしきりに言うの
ごく あくにん き
だが──ほかのだれもが、ミスタ・ダーシーこそ極悪人だと決めつけたのである。
25
いと
あい こくはく けいじ けいかく いち しゅうかん つい どようび あい
ミスタ・コリンズは、愛の告白と慶事の計画に一週間を費やし、土曜日になると、 愛 しいシャーロットのもとをい
さ べつり つら はなよめ むか じゅんび お やわ
よいよ去ることになった。しかしながら別離の辛さも花嫁を迎える準備に追われることになれば和らぐことだろう、
おとず じぶん せかいいち しあわ しゃ ひ き
なにしろこんどハートフォードシャーを訪れるときには、自分を世界一の幸せ者にしてくれる日がすぐにも決まると
うやうや いとま ご い と こ
きたい こんきょ しんぞく そう か きょう ひま ご うるわ いとこ
期待できる根拠があったからである。ロングボーンの親族には相も変わらぬ 恭 しさで 暇 乞いをし、麗しい従姉妹
けんこう あんたい ねが ちちうえ ごじつ れいじょう おく やくそく
たちの健康と安泰を願い、その父上には後日礼状を送ると約束した。
げつようび す こうれい おとうと ふうふ むか だい
ミセス・ベネットは月曜日には、クリスマスをロングボーンで過ごすことが恒例になっている弟夫婦を迎えて、大
よろこ おとうと しりょ ふか しんし しか じんぶつ せいかく きょうよう あね
喜びであった。弟のミスタ・ガーディナーは思慮深い、いかにも紳士然とした人物で、その性格も教養も姉のミセ
まさ なりわい
ゆう しょうばい なま ぎょう じぶん てんぽ み す じんぶつ
ス・ベネットよりはるかに 優 っていた。商売を 生 業 とし、自分の店舗が見えるところに住んでいるような人物が、
れいぎ ただ そうかい じんぶつ やしき ふじん かた しん そうい
これほど礼儀正しく爽快な人物であろうとは、ネザーフィールド屋敷のご婦人方には信じがたいに相違ない。ミセ
としした そうめい きひん
ス・ガーディナーは、ミセス・ベネットやミセス・フィリップスよりいくつか年下だが、やさしく、聡明で気品もあ
めい した うえ めい とくべつ あいじょう むす
り、ロングボーンの姪たちからたいそう慕われていた。ことに上のふたりの姪とは特別な愛情で結ばれていた。ふた
おば いえ と
りともロンドンにある叔母の家によく泊まりにいった。
か つ おく もの くば さいきん りゅうこう いふく かた はな
ベネット家に着いたミセス・ガーディナーはさっそく贈り物をみなに配り、最近流行している衣服の型など話して
き お わきやく はなし き ばん うった
聞かせた。これが終わると、こんどは脇役にまわった。みなの話を聞く番だった。ミセス・ベネットには、訴えねば
ふへい ふまん やま まえ あ め あ むすめ
ならない不平不満が山とある。あなたにこの前会ってからこちら、みんな、とてもひどい目に遭わされた。娘ふたり
けっこん みの
は、せっかく結婚するところまでいったのに、けっきょくなにも実らなかった。
せ ことば
「ジェインは責められないわ」とミセス・ベネットは言葉をついだ。「だってジェインは、できることならビング
かんが
リーさまをものにしてたわよ。ところが、リジーときたら! ああ、あなた! まったく考えられない、いまごろは
ふじん こ ま へや
コリンズ夫人になっていたかもしれないのよ、あの子があんなにつむじ曲がりじゃなかったら。このお部屋でせっか
けっこん もう こ こ ことわ
く結婚の申し込みをしてくれたのに、あの子ったら、なんと、断ったのよ。そのおかげでレディ・ルーカスが、わた
じょう けっこん かおく しき げん 嗣 そうぞく ほう
しをさしおいてお嬢さんを結婚させることになって、このロングボーンの家屋敷は、けっきょく限嗣相続法のおかげ
しまつ か
でそっくりあちらさんのものになってしまう始末よ。ルーカス家のひとたちときたら、そりゃずるがしこいのよ、あ
て はい い
なた。手に入るものならなんでもいただくというんだから。こんなふうには言いたくはないんだけれど、じつはそう
さか むすめ きんじょ じぶん かんが しんけい
なのよ。うちのなかには、やたらに逆らう娘がいるし、ご近所はまず自分たちのことしか考えないし、おかげで神経
さわ
さわ みじ おも き りゅうこう なが
に 障 って惨めな思いをさせられているわ。こんなときにあなたたちが来てくれて、ほんとにありがたいわ。流行の長
そで はなし き
いお袖の話も聞かせてもらって、ほんとうによかった」
けん か てがみ し めい
この件については、ジェインやエリザベスと交わした手紙ですでに知らされていたミセス・ガーディナーは、姪の
きもち おも ぎし はなし かる わだい てん
気持を思いやって、義姉の話は軽くあしらい、さっさと話題を転じた。
もんだい はな あ
あとでエリザベスとふたりきりになると、ミセス・ガーディナーはこの問題をさらに話し合った。「ジェインには
にあ あいて い ざんねん
お似合いのお相手だったらしいわね」とミセス・ガーディナーは言った。「だめになって残念だわ。でもこういうこ
せいねん うつく じょう こい
とはよくあるのよ! そのビングリーさんのような青年は、美しいお嬢さんとほんのしばらく恋におちる、でもたま
あいて わす き こい
たまはなればなれになると、相手のことなどけろりと忘れてしまうのね。こういう気まぐれな恋はよくあることよ」
かんが なぐさ い なぐさ
「そう考えれば慰めになるのかもしれないけれど」とエリザベスは言った。「わたしたちの慰めにはならないわ。わ
どくりつ らく く ざいさん わか
たしたち、たまたまはなればなれになってるわけじゃないのよ。独立して楽に暮らせるだけの財産をもっている若い
だんせい すう にち まえ はげ こい じょせい わす みうち ゆうじん と ふ
男性が、ほんの数日前まで激しい恋におちていた女性を忘れなさいと、身内のひとや友人に説き伏せられるなんて、
そうしじゅうあることじゃないでしょ」
はげ こい つきなみ あいまい あ ひょうげん
「でもその〈激しい恋におちた〉というのがね、いかにも月並、いかにも曖昧、およそ当てにならない表現で、どう
さん じゅう ふん しょう かんじょう ひょうげん しんじつ ねつれつ あいじょう ひょうげん
もよくわからないわねえ。三十分のおつきあいで生じた感情を表現することもあるし、真実の熱烈な愛情を表現する
こいごころ はげ
こともあるし。ねえ、ビングリーさんの恋心はどれほど激しいものだったの?」
ねつ あ み め むちゅう
「あんなお熱の上げっぷりは見たことがないわ。まわりのひとたちには目もくれないで、ジェインに夢中だったの
あ めだ じぶん ひら ぶとう かい わか ふじん なん にん
よ。ふたりが会うたびに、それがますます目立っていったわ。ご自分が開いた舞踏会でも、若いご婦人たちを何人も
おこ いち ど おど さそ に ど はな へんじ
怒らせてしまったのよ、一度も踊りに誘わなかったんですもの。わたしだって、二度も話しかけたのにお返事もして
りっぱ ちょうこう れいぎ か こい
もらえなかったわ。これほど立派な徴候はないでしょ? まわりのものに礼儀を欠くのは、これこそ恋というもの
じゃなくて?」
ほう こいごころ ほんもの こま こ
「ええ、そうよね! その方の恋心は本物だったのね。かわいそうなジェイン! 困ったわね、あの子は、そういう
た ち
こくふく せいしつ わら
ことをすぐには克服できない性質だから。これがあなただったらよかったのにね、リジー。あなたなら、笑いとばし
つ せっとく かんきょう か
て、はい、おしまいだもの。いっしょにロンドンに連れていきたいけど、説得できるかしら? 環境が変わればいい
おも いえ すこ
かもしれないと思うの──家から少しはなれてみるのもいいかもしれない」
もう で しょうち おも
エリザベスはこの申し出をたいそうよろこび、ジェインもよろこんで承知するのではないかと思った。
い わか とのがた おも
「そうねえ」とミセス・ガーディナーが言った。「その若い殿方のことを思うあまり、ジェインがためらわなければ
す べつ ちいき はんい
いいけれど。わたしたちの住んでいるところは、ロンドンでもまったく別の地域だし、おつきあいの範囲もまったく
ちが し
違うし、あなたも知っての通り、外出もあまりしないから、その方とばったり出会うようなことは恐らくないと思う
のよ、あちらからジェインに会いにこないかぎりはね」
「それはまったくありえないわ。いまは、お友達に監督されているんですもの。まさかあのダーシーさまが、ロンド
ンのあんなところにいるジェインを訪ねていくのをビングリーさまに許すはずがないわ! ねえ、叔母さまはどうお
おも かれ
思いになる? 彼だってグレイスチャーチ街のような場所はたぶん知っているでしょうけど、そこに一歩足を踏み入
さいご よご からだ
れたら最後、汚れた体をひと月かけて洗っても清めることはできないと思うんじゃないかしら。第一ビングリーさま
かれ
は、彼といっしょでなければぜったい腰を上げないわ」
「それならいいけれど。ふたりが出会わないですむといいわね。でもジェインは、妹さんとは文通しているんでしょ
う? だからジェインは妹さんを訪ねずにはいられないんじゃないかしら」
「あちらはおつきあいをいっさいやめると思うわ」
いもうと
だがエリザベスは、こうした点や、ビングリーがジェインと会うことを止められているというさらに重大な点に確
しん ふあん
信はあったものの、不安になった。よく考えてみると、自分はふたりの関係はまったく望みがないとは思っていな
とお
つき
てん
がいしゅつ
たず
であ
たず
あら
こし
かんが
がい
おも
ともだち
きよ
かんとく
ばしょ
じぶん
あ
ほう
し
ゆる
おも
かんけい
と
であ
いもうと
のぞ
ぶんつう
だい いち
おそ
おば
いち ほ
じゅうだい
おも
あし
てん
おも
ふ い
26
ねんご
はな あ きかい とら こん ちゅうい
ミセス・ガーディナーは、エリザベスとふたりで話し合える機会を捉えると、さっそく 懇 ろな注意をあたえた。
じぶん おも しょうじき つた ことば
自分の思うところを正直に伝え、さらにこう言葉をつづけた。
かしこ こ はんたい いじ こい まね
「あなたはとても賢い子ですものね、リジー、反対されたからといって、意地で恋をするような真似はしないわよ
い ようじん むちゅう
ね。だからはっきり言いますよ。あなたにはくれぐれも用心してほしいの。ウイッカムに夢中になったり、あのひと
むちゅう ざいさん かる
を夢中にさせたりするようなことはしないでね。おたがいに財産がなければ、それは軽はずみというものよ。あのひ
わる い かん せいねん も も もう ぶん
とを悪く言うつもりはないわ。とても感じのいい青年ですもの。持つべきものを持ってさえいれば、申し分のないお
ふんべつ
あいて おも げんじつ かんが ゆめ ぶん べつ
相手だと思うわ。でも現実を考えれば、夢にひたっていてはだめよ。あなたには 分 別 というものがあるのだから、そ
したが きたい ちち はんだん りょく りょうしき こうどう しん
れに従うことをみんなが期待していますよ。お父さまだって、あなたの判断力と良識ある行動を信じていらっしゃる
ちち しんらい うらぎ
はずだわ。お父さまの信頼を裏切らないようにね」
おば まじめ
「叔母さまったら、いやに真面目なのね」
まじめ き
「そうよ、あなたもちゃんと真面目に聞いてちょうだい」
おば しんぱい じぶん き ようじん
「それなら、叔母さま、ご心配なさらないで。自分のことはちゃんと気をつけるし、ウイッカムさんのことも用心し
こい と ちから
ます。わたしに恋なんかさせませんよ、わたしに止める力があるならばだけど」
「エリザベス、あなた、もうふざけているわね」
いちど なお こい
「ごめんなさい。もう一度言い直します。いまのところ、わたしはウイッカムさんに恋なんかしていません。ええ、
かれ あ かん
ほんとうよ。でもね、彼って、いままで会ったひとのなかでも、ほんとうにいちばん感じのいいひとなの。だからも
す むふんべつ
しわたしをほんとうに好きになったら──いいえ、そうならないほうがいいのよね。それが無分別だということはよく
ちち しんらい
わかるわ。ああ! それにしてもあのにっくきダーシー! お父さまがわたしを信頼してくださるなんて、こんなに
ほこ うらぎ は ちち き
誇らしいことはないわ。それを裏切ったりしたら、恥ずかしいわね。でもお父さまは、ウイッカムさんがとてもお気
はい おば かな もう
に入りなの。とにかく、わたしのために叔母さまたちを悲しませるようなことがあったら、ほんとうに申しわけあり
わか こい ざいさん けっこん 突
ませんものね。でもいまどきの若いひとたちは、恋をすると、たとえおたがいに財産がなくとも、どんどん結婚に突
すす き かしこ ふ ま あや
き進んでいくのよ。わたしだって、その気にさせられれば、ほかのひとたちより賢く振る舞えるかどうか怪しいもの
きもち さか は けんめい おば やくそく
だわ。そういう気持に逆らうのが果たして賢明なのかどうかわからないな。だから、いま叔母さまにお約束できるの
けっ あせ じぶん あいて めあ はやがてん
は、決して焦らないということね。自分が相手のいちばんのお目当てだなんて、早合点しないようにするわ。あのひ
あ ものほ かお さいぜん
とと会うときも、物欲しそうな顔はしないつもり。とにかく、最善をつくします」
こ かあ 招
「あのひとが、ちょくちょくここに来ないようにするほうがいいかもしれないわね。まずお母さまに、あのひとを招
まち き お
待する気を起こさせてはだめよ」
こころえがお わら つつし けん
「このあいだは、うっかりやっちゃったけど」とエリザベスは、心得顔に笑った。「そうね、それは慎んだほうが賢
あか き こんしゅう しょうたい 叔
明ね。でも、あのひとはそうしじゅううちに来ているわけじゃないわ。今週、あのひとをたびたび招待したのは、叔
はは きゃく あいて ひつよう かあ おも ぞん
母さまのためなのよ。お客さまにはいつもお相手が必要だというお母さまの思いこみはご存じでしょ。でもこれから
めいよ しりょ ふんべつ こうどう おば やす
はほんとうに、わたしの名誉にかけても、じゅうぶんな思慮分別をもって行動します。さあ、叔母さま、これでご安
しん
心でしょ」
おば あんしん い ちゅうこく れい い わか
叔母は安心したと言った。エリザベスは、いろいろご忠告くださってありがとうと礼を言い、ふたりは別れた。こ
しゅ
たね ちゅうこく あいて はら た けう れい
の 種 の忠告をして、相手が腹を立てなかったという、これは稀有な例である。
ふさい しゅったつ もど
ミスタ・コリンズは、ガーディナー夫妻とジェインが出立してからまもなくハートフォードシャーに戻ってきた。
か とうりゅう めいわく けっこん さこ
だがこのたびはルーカス家に逗留したので、ミセス・ベネットもさほど迷惑はこうむらなかった。結婚もまぢかに迫
さ きょうち たっ しあわ
り、ミセス・ベネットも、これはもう避けえぬものとようやくあきらめの境地に達し、「おふたりが幸せになるよう
いの とげ くちょう もくようび こんれい ひ すいようび
祈っている」と棘のある口調でくりかえした。木曜日が婚礼の日となり、水曜日にミス・シャーロット・ルーカスが
ぶ しつけ
わか あいさつ あいさつ た あ ははおや ふしょうぶしょう ふ しつけ
お別れの挨拶にやってきた。挨拶がすんでシャーロットが立ち上がったとき、エリザベスは母親の不承不承の不 躾
あいさつ は おも じぶん こころ うご へや で お
な挨拶を恥ずかしく思いながら、自分はひどく心を動かされ、部屋を出ていくシャーロットのあとを追った。いっ
かいだん お い
しょに階段を下りながら、シャーロットが言った。
たよ
「たびたびお便りちょうだいね、イライザ」
「まかせておいて」
ねが あ
「それからもうひとつお願いがあるの。会いにきてくださる?」
あ
「ハートフォードシャーでちょくちょく会えるじゃないの」
はな おも く やくそく
「しばらくはケントを離れられないと思うの。だから、ハンスフォードに来るって約束して」
たず たの おも ことわ
あちらを訪ねても楽しいことはあるまいと思ったものの、エリザベスは断れなかった。
ちち さんがつ く
「お父さまとマライアが、三月に来ることになっているの」とシャーロットはつけくわえた。「そのときあなたも
き ちち かんげい だい かんげい
いっしょに来てほしいの。ほんとよ、イライザ、父やマライアも歓迎だけど、あなたは大歓迎だわ」
けっこんしき と おこな はなむこ はなよめ きょうかい む しゅったつ れい れい
結婚式が執り行われた。花婿と花嫁は、教会からまっすぐケントに向けて出立し、そのあとは例によって例のごと
けっこん たね はなし はな さ とも たよ う と ぶんつう おな
く、みながこの結婚を種に話に花を咲かせた。エリザベスはさっそく友の便りを受け取った。文通はこれまでと同じ
ひんぱん きそくただ つづ こころ か
ように頻繁に規則正しく続けられた。ただし、いままでのように心おきなく書くことはできなかった。エリザベスは
したた
てがみ 認 こころ しんみつ かんけい お かん てがみ げん
手紙を 認 めるたびに、あの心やすらぐ親密な関係は終わってしまったのだとしみじみ感じた。手紙のやりとりを減
こころ てがみ か げんざい かこ ゆうじょう
らさぬよう心がけてはいたけれど、手紙を書くのは、いま現在のためではなく、過去の友情のためだった。だが
てがみ なん つう きょうみ よ かのじょ あたら かてい か
シャーロットのはじめの手紙の何通かはおおいに興味をそそられて読んだ。彼女が新しい家庭についてどう書いてく
き め かのじょ じしん しあわ い
るだろうか、レディ・キャサリンはお気に召しただろうか、彼女自身がいまはどれほど幸せだと言うだろうか、そう
こうき しん なん つう てがみ よ
したもろもろに好奇心をかきたてられずにはいられなかった。だが何通かの手紙を読みおわってみると、シャーロッ
かのじょ じしん よそう か おも せいかつ かいてき かこ
トは、彼女自身があらかじめ予想していたことをそのまま書いているように思われた。生活を快適にするものに囲ま
ようす たの か かのじょ じしん ほ か
れている様子が、いかにも楽しそうに書いてあった。彼女自身が褒めようがないことはなにひとつ書かれていなかっ
いえ かぐ ちょうど きんりん どうろ かのじょ この き
た。家も家具調度も近隣も道路も、すべてが彼女の好みにかなっていた。レディ・キャサリンはとてもおやさしい気
かた おおぎょう えが かん すがた りせい め わ
さくな方らしい。ミスタ・コリンズが大仰に描いてみせたハンスフォードとロージングズ館の姿が、理性の目で和ら
か し じぶん たず おも
げて書いてあった。このほかのことを知るには、自分があちらを訪ねるよりほかはあるまいと、エリザベスは思っ
た。
ぶじ つ みじか たよ とど つぎ たよ か しょうそく
ジェインから、無事ロンドンに着いたという短い便りが届いた。次の便りには、ビングリー家のひとたちの消息が
か きたい
書いてあるだろうとエリザベスは期待した。
に つう め てがみ おも ま おも むく き てがみ
二通目の手紙をじりじりする思いで待ったが、そうした思いは報われないものと決まっている。その手紙によれば
いち しゅうかん あ てがみ
ジェインは一週間ロンドンにいたのだが、そのあいだキャロラインに会うこともなく、手紙をもらうこともなかった
だ あ さいご てがみ てちが ゆくえ し
という。どうやらロングボーンから出したキャロライン宛ての最後の手紙が、なにかの手違いで行方知れずになった
かんが
ようだとジェインは考えていた。
おば か わたし きかい
『叔母さまは』とジェインは書いている。『あす、ロンドンのあちらのあたりにおでかけになります。私はこの機会
がい たず
にグロヴナー街をお訪ねするつもりです』
がい おとず あ ようす し
ジェインは、グロヴナー街を訪れ、ミス・ビングリーに会ったときの様子をふたたび知らせてきた。『キャロライ
げんき み わたし あ く
ンはお元気そうには見えませんでした。でも私に会えてよかったと、たいそうよろこんで、ロンドンに来るのをなぜ
なじ
し つま わたし おも とお わたし さいご てがみ とどけ
知らせてくれなかったのかと 詰 られてしまいました。やっぱり私の思った通りでした。私の最後の手紙が、届かな
あに げんき たず げんき
かったのです。むろんお兄さまがお元気かどうかお尋ねしました。お元気だそうですが、ダーシーさまとごいっしょ
いそが あ いもうと うま
で、いろいろとお忙しいらしいの、だからほとんど会っていらっしゃらないそうです。ダーシーさまのお妹さまが午
い わたし あ
餐にお出でになるということでした。私もお会いしたかったのですが。キャロラインもミセス・ハーストもちょうど
いとま
で ひま ちか で
お出かけになるところだったので、すぐにお 暇 しました。いずれ近いうちにこちらにお出かけくださるでしょう』
てがみ よ ふ ぐうぜん
エリザベスは、この手紙を読んでかぶりを振った。これではジェインがロンドンにいることは、偶然でもなけれ
みみ はい
ば、ミスタ・ビングリーの耳に入ることはないだろう。
よん しゅうかん た あ あ く
四週間経っても、ジェインはまだミスタ・ビングリーに会えなかった。会えなくとも悔やんではいないとジェイン
じぶん き つめ き
は自分に言い聞かせていた。だが、ミス・ビングリーの冷たいあしらいには、さすがのジェインも気づかずにはいら
おば いえ にち かのじょ ま く よる こ りゆう かのじょ かんが
れなかった。叔母の家で日ごと彼女を待ちわびて暮らし、夜になれば来られない理由を彼女にかわって考えるという
に しゅうかん す ま つか ま た よ たいど
二週間が過ぎたところで、ようよう待ちびとがあらわれたが、それもほんの束の間立ち寄っただけ、しかも態度まで
か じぶん あざむ ようす つて
すっかり変わっていたので、ジェインもいつまでも自分を欺いているわけにはいかなくなった。このときの様子を伝
てがみ きもち
えてきたジェインの手紙には、その気持がよくあらわれている。
わたし あい わたし こうい あざむ こくはく
『私の愛するリジーは、私がミス・キャロライン・ビングリーのみせかけの好意にまんまと欺かれていたと告白して
わたし はんだん ただ むね は あい いもうと
も、ほうら、ごらん、やっぱり私の判断は正しかったと胸を張ったりするひとではありませんよね。でも愛する妹
な ゆ ただ しょうめい たいど こう
よ、この成り行きは、たしかにあなたが正しかったことを証明しています。でもキャロラインのこれまでの態度を考
わたし しん うたが おな とうぜん き
えると、私があのひとを信じたのは、あなたがあのひとを疑ったのと同じように当然だった気がします、どうかこん
わたし ごうじょ おも わたし した りゆう けんとう
な私を強情っぱりめと思わないでくださいね。キャロラインが私と親しくしようとした理由は見当もつきませんが、
おな じょうきょう わたし まど きのう 訪
もしまた同じような情況になれば、私はきっとまた惑わされるでしょう。キャロラインは、昨日になってようやく訪
とい かえ き みじか はし が いち まい とど み ほんい
問のお返しに来ました。それまでのあいだ、短い走り書きの一枚も届けてはくれませんでした。見えたときも、本意
いちもく こ かたち あやま かい
でないことは一目でわかりました。これまで来られなかったことを、形だけちょっと謝っただけで、ぜひまた会いま
ひとこと い いぜん ひと か かえ
しょうとは一言も言わなかったし、以前とはまったく人が変わったようでしたから、あのひとが帰ったあと、もうこ
と けっしん せ き どく おも
れでおつきあいは止めようときっぱり決心しました。あのひとを責めずにはいられませんが、でも気の毒に思いま
わたし とも えら まちが した もと
す。そもそも私をお友だちに選んだのが間違いだったのです。はじめに親しいおつきあいを求めてきたのは、あちら
まちが き どく おも
だったということ、これは間違いありません。でもお気の毒です、だってすまないことをしたと思っていらっしゃる
あに み あん ちが いじょう
でしょうから。それもお兄さまの身を案ずるあまり、こういうことになったに違いありませんもの。これ以上くどく
せつめい ひつよう しんぱい ひつよう わたし
ど説明する必要はないわね。あちらがそんな心配をなさる必要はまったくなかったのは、私たちにはよくわかってい
しんぱい わたし たい ふ ま ようい なっとく あに
ますものね。でも、あちらがまだ心配しているとしたら、私に対する振る舞いも容易に納得できます。たいそうお兄
おも いもうと あに み あん とうぜん きもち
さま思いの妹さんが、なんであれ、お兄さまの身を案ずるのは当然ですし、やさしいお気持のあらわれですものね。
しんぱい ふしぎ わたし すこ かんしん
でもまだそんな心配をなさっているのが不思議でたまりません、だってビングリーさまが、私に少しでも関心がおあ
まえ あ ことば さっ
りになるなら、もうずっとずっと前にお会いできているはずです。キャロラインの言葉のはしばしから察すると、ビ
わたし ぞん あに いもうと
ングリーさまは、私がロンドンにいることはご存じのはずですもの。お兄さまはダーシーさまのお妹さん、ミス・
おも よ かのじょ じしん しん き わたし りかい
ダーシーに思いを寄せていると、どうやら彼女自身が信じたがっているような気がします。そこが私には理解できま
きび みかた き むね
せん。あえて厳しい見方をするならば、これには、なにかまやかしがあるような気がしてなりません。でもこんな胸
いた かんが お はら つと わたし しあわ あいじょう あい おじ おば
の痛むような考えはみんな追い払うよう努め、私を幸せにしてくれるもの、あなたの愛情と愛する叔父さまと叔母さ
か しんせつ かんが つと へんじ
まのいつに変わらぬご親切だけを考えるよう努めます。どうかすぐにお返事くださいね。キャロラインによると、ビ
にど もど やしき ひ はら はなし 確
ングリーさまはもう二度とネザーフィールドにはお戻りにならず、あのお屋敷は引き払うようなお話ですけれど、確
ふ とも
かなことはわかりません。このことについてはおたがいにもう触れないほうがよいでしょう。ハンスフォードのお友
たの しら
だちからとても楽しい報せがあったとか、ほんとうによかったですね。サー・ウィリアムとマライアとごいっしょ
たず たの す
に、ぜひあちらをお訪ねなさいね。あちらではきっと楽しく過ごせるはずです。
かしこ』
じぶん
けいざい
いさん
一万ポンドという遺産だったからである。だがウイッカムに対しては、シャーロットのときと比べると、いささか見
かた あま てき
方が甘くなり、経済的な自立を望んだウイッカムを非難する気はなかった。逆に、こうなるのはごく自然なことだと
おも
思われた。自分をあきらめるについて多少の葛藤があったに違いないと思えば、どちらにとっても妥当で賢明な行動
であったとすなおに認める気にもなり、心からウイッカムの幸せを望む気持にもなれた。
けいい
みと
こうした経緯はすべて、ミセス・ガーディナーに伝えられた。そしていまの情況をことこまかに説明したのち、エ
リザベスはさらにこう綴った。
はげ じょうねつ
つづ
『いまにしてよくわかりますが、叔母さま、私は、それほど深い恋をしていたわけではなかったのです。もしほんと
じゅんすい
うに純粋で激しい情熱に身を焦がしていたのなら、いまはあのひとの名前を口にするのもいやでしょうし、あのひと
み わざわ
の身にありとあらゆる災いが降りかかるように祈るでしょう。でも私はあのひとに対してとてもやさしい気持になっ
あいて
ていますし、お相手のミス・キングにも温かな気持を感じています。憎しみなどどこにもありませんし、むしろとて
じょう
もいいお嬢さんだとさえ思っています。これでは、恋をしていたとは言えません。私の用心深さが効を奏したのです
み
じりつ
おも
き
ふ
のぞ
おば
たしょう
こころ
あたた
かっとう
わたし
いの
きもち
つた
こい
ひなん
かん
たい
ちが
しあわ
ふか こい
のぞ
わたし
なまえ
にく
い
おも
きもち
ぎゃく
くち
じょうきょう
たい
わたし ようじんぶか
くら
だとう
せつめい
こう
しぜん
そう
けんめい
きもち
み
こうどう
27
よん じゅう た
たった四十キロ足らずの旅であり、おまけに早朝に出立したので、 午 ごろにはもうグレイスチャーチ街に到着し
おじ
た。ガーディナー叔父の屋敷の玄関に向かうと、ジェインが客間の窓から身を乗り出して馬車の到着を待ちかまえて
げんかん はい
いた。玄関を入ると、ジェインはもうそこにいてみんなを出迎えた。その顔を見つめたエリザベスは、ジェインがこ
か うつく
れまでと変わらず美しく血色もよいので安心した。階段の上には、小さな坊やや嬢やたちが集まっている。従姉に会
いっしん きゃくま
いたい一心で、客間で迎えるまで待ちきれないのだが、はにかみやさんの上に、十二カ月ぶりで会うものだから、階
か ゆうき
たび
むか
やしき
けっしょく
みちづ
しこう
たび
げんかん
はなし
ま
ナ イ ト
くんしゃく
む
し
あんしん
はなし
じゅよ
そうちょう
しき
よろこ
みりょく
だいす
かいだん
れいじょう
のぞ
しゅったつ
でむか
うえ
しんせつ
さい
きゃくま
に
こころづか
とう
まど
ちい
た
ひる
うま
わす
ようき
きょう く
おそれ
シ ェ イ ズ
よん りん
かお
ぼう
うえ
み
懼
むすめ
み
ばしゃ
の だ
じょう
じゅう に かげつ
はなし
はなし
ばしゃ
あつ
ちちおや
いち にち
とうちゃく
あ
どうよう
しゃりん
ばか
がい
ま
あたま
おと
ていねい
とうちゃく
いとこ
じゅうし
ゆかい
き
もの
かい
かい
下におりてくる勇気もなかったのだ。あたりには喜びと、親切な心遣いが満ちあふれていた。一日がたいそう愉快に
す にち ちゅう ある か もの よる しばい けんぶつ い
過ぎていった。日中はせわしく歩きまわってお買い物、夜は芝居見物に行った。
おば とな せき いちばん き しつもん こた おば くち
エリザベスは叔母の隣りに席をとった。ジェインが一番の気がかりだった。こまかい質問に答えてくれる叔母の口
げんき ふ ま つと しず き おどろ
から、ジェインはいつも元気に振る舞うように努めてはいたけれど、沈みこんでいるときもあったと聞くと、驚くよ
こころ いた じょうたい なが つづ ねが とうぜん おば
りも心が痛んだ。そんな状態が長くは続かないようにと願うのは当然だった。ガーディナー叔母はまた、ミス・ビン
がい たず ようす かた なん ど はなし か
グリーがグレイスチャーチ街に訪ねてきたときの様子をつぶさに語り、そのあと何度かジェインと話を交わしたが、
ほんき こうさい い
どうやらジェインは本気でミス・ビングリーとの交際をあきらめたようだと言った。
おば こころが しんぼう ほ
それからガーディナー叔母は、ウイッカムの心変わりにあったエリザベスをからかい、よく辛抱したわねえと褒め
てやった。
おば じょう
「でもねえ、エリザベス」と叔母はつけくわえた。「ミス・キングっていったいどんなお嬢さんなの? ウイッカム
かね めあ おも ざんねん
さんがお金目当てだと思うと、残念だわね」
おば かね めあ けっこん ふんべつ けっこん ちが
「まあ、叔母さまったら、お金目当ての結婚と、分別ある結婚と、そこにどんな違いがあるというの? どこまでが
ふんべつ かね めあ きょねん おば けっこん しんぱい
分別で、どこからがお金目当てなの? 去年のクリスマスには、叔母さまは、あのひとがわたしと結婚するのを心配
けっこん むふんべつ いち まん じさん きん
していらしたわ、そんな結婚は無分別だからって。それなのにいまは、ウイッカムさんがたった一万ポンドの持参金
じょう けっこん かね めあ かんが
つきのお嬢さんと結婚するのは、お金目当てだとお考えになりたいのね」
じょう おし かんが
「そのミス・キングがどういうお嬢さんか教えてくれれば、考えようもあるんだけど」
きだ じょう おも わる みあ
「とても気立てのいいお嬢さんだと思う。悪いところは見当たらないわね」
じょう そふ いさん う つ め
「でもそのお嬢さんがお祖父さまの遺産を受け継ぐまでは、ウイッカムさんは目もくれなかったんでしょ」
かね あいじょう もと
「そうよ──あたりまえでしょ? わたしにお金がないから、あのひとはわたしに愛情を求めてはならないというな
あい うえ おな まず じょせい よ
ら、愛してもいない上に、わたしと同じように貧しい女性に言い寄るわけがないわ」
いさん そうぞく じょう よ ふきんしん おも
「でも、遺産相続のすぐあとに、そのお嬢さんに言い寄るなんて不謹慎だと思うけど」
まず きょうぐう だんせい れいせつ よゆう かのじょ いや
「貧しい境遇におかれた男性は、礼節などにこだわっている余裕はないのよ。彼女が嫌がっているわけでもないの
いぎ とな ひつよう
に、なんでわたしたちが異議を唱える必要があって?」
じょう いや こうどう ただ
「そのお嬢さんが嫌がっていないからといって、ウイッカムさんの行動が正しいことにはならないのよ。それはその
じょう なに か じょうしき かんじょう
お嬢さんに何か欠けているものがあるということよ──常識とか感情とか」
おおごえ い よくば じょう
「まあ」とエリザベスは大声で言った。「なんとでもおっしゃってくださいな。ウイッカムは欲張りで、あのお嬢さ
ばか
んはお馬鹿さんだって」
おも なが す
「そうじゃないのよ、リジーちゃん、わたしはそんなふうには思いたくないの。ダービシャーに長いこと住んでいた
せいねん わる おも
青年を悪く思うのはいやなのよ」
す せいねん おも
「ああ! そういうことだったら、わたしはダービシャーに住んでいる青年なんかよくは思っていないし、ハート
す した とも に おも れんちゅう
フォードシャーに住んでいるその親しいお友だちだって、似たようなものだと思うわ。あの連中はみんなむかむかす
い れいぎ し じょうしき
るわ。ああ、やれやれね! わたしがあした行くところにも、いいところなんかまるでない、礼儀知らずで常識はず
だんせい あいて ばか おとこ
れの男性がいるのよ。つまりおつきあいできるお相手は、お馬鹿な男ばかりというわけだわ」
くち
しばい
つつし
「口を慎みなさい、リジー。その言い草は、まるで失恋したお嬢さんみたいだわ」
ぐさ しつれん じょう
お きと まえ おも しあわ ま おじ おば なつ けいかく
芝居が終わって帰途につく前に、エリザベスには思いがけない幸せが舞いこんだ。叔父と叔母がこの夏に計画して
たの たび い さそ
いる楽しい旅にいっしょに行かないかと誘われたのである。
い き い こすい ちほう
「どこまで行くかまだ決めてはいないのだけれど」とミセス・ガーディナーは言った。「でもたぶん湖水地方までは
い おも
行くと思うの」
さそ いち に おう
エリザベスにとってこれほどうれしい誘いはなかった。だから一も二もなくよろこんで応じた。
おば うちょうてん さけ しあわ
「まあ、おやさしい叔母さま」エリザベスは有頂天になって叫んだ。「なんてうれしい。なんて幸せなんでしょう!
おば い かえ げんき しつぼう ゆううつ こすい ちほう いわやま くら おとこ
叔母さまのおかげで生き返ったように元気になれるわ。さらば、失望よ、憂鬱よ。湖水地方の岩山に比べたら、男
ゆめ じかん す りょこう しゃ ちが
なんてなんでしょう? わあ! 夢のようなわくわくする時間が過ごせるのね! でもふつうの旅行者とは違って、
せいかく こた い み
なんでも正確に答えられるようにしましょうね。どこへ行ってきたか、ちゃんとわかるように──なにを見てきたか、
おも だ みずうみ やま かわ あたま ふうけい せつめい
ちゃんと思い出せるように。湖や山や川が、頭のなかでごっちゃにならないように。風景の説明をするときには、そ
ちほう あらそ りょこう しゃ じぶん
れがその地方のどのあたりだったかということで言い争ったりしないように。たいていの旅行者がそうだけど、自分
かんどう むちゅう て
たちの感動を夢中になってまくしたてて、聞き手をうんざりさせることのないようにしましょうね」
28
29
パトロネス
かん しょうたい たまわ こうよう かん ぜっちょう たっ おのれ ひご しゃ いこう
ロージングズ館からご招待を賜ったことで、ミスタ・コリンズの昂揚感も絶頂に達した。己の 庇護者のご威光を、
いんぎん
きょうたん きゃくじん し じぶん ふうふ たい ひご しゃ 慇 懃 ふ ま おのれ いりょく しめ
驚嘆する客人たちに知らしめ、自分たち夫婦に対する庇護者の 慇 懃 なる振る舞いをごらんいただき己の威力を示すの
ねが きかい はや しょうさん
は、コリンズが願ってやまなかったことであり、その機会がこうも早くあたえられたのは、いくら称賛してもしきれ
けんじょう びとく たまもの
ないレディ・キャサリンの謙譲の美徳の賜ものであった。
しょうじき もう あ い おくがた にちようび かん ちゃ
「正直申し上げますと」とミスタ・コリンズは言った。「奥方さまが、日曜日にロージングズ館でお茶をいただきな
おお
いち ゆう す おっしゃ おどろ おくがた こころづか し
がら一夕を過ごすようにと 仰 せでしたら、これほど驚きはいたしません。奥方さまのおやさしいお心遣いを知ってお
さそ おも はいりょ
りますわたくしとしましては、いずれはお誘いがあるものと思っておりましたのでね。しかし、このようなご配慮は
よそう かた とうちゃく ご ごさん しょうたい かた ふく ぜんいん
だれが予想できましょうか? みなさま方がご到着後すぐに、午餐のご招待とは(しかもみなさま方も含めて全員を
そうぞう
でございますよ)だれが想像いたしますでしょうか!」
おどろ こた こうき かたがた さほう みぶん
「このようなことは、さほど驚きませんな」とサー・ウィリアムが答えた。「高貴な方々のお作法は、わたしも身分
がら きゅうてい こうき かたがた こうい めずら
柄よくわきまえておりますのでね。宮廷では、高貴な方々のこのようなご厚意は珍しいことではございませんよ」
ひ いち にち つぎ ひ かん ほうもん わだい にぎ
その日一日、そして次の日も、もっぱらロージングズ館ご訪問の話題で賑わった。ミスタ・コリンズはみなにその
こころがま と ひろま めしつかい たいせい ぜい つ ちそう
心構えなどをくどくどと説き、あちらにはかくかくしかじかの広間があり、召使も大勢、その贅を尽くしたご馳走に
けっ おどろ ねんい ちゅうい
は決して驚かぬようにと念入りな注意をあたえた。
ふじん かた きが へや ひ あ い
ご婦人方がお着替えのためそれぞれの部屋に引き上げるとき、コリンズはエリザベスにこう言った。
めし ぶつ しんぱい およ じしん れいじょう にあ ゆうが めし
「お召物のことは心配には及びません。レディ・キャサリンは、ご自身やご令嬢にお似合いになるような優雅なお召
ぶつ もと ても じょうとう めし
物をわたくしどもにはお求めにはなりません。お手持ちのなかでいちばん上等のものをお召しになればよろしい。そ
いじょう しんぱい およ めし ぶつ しっそ みくだ
れ以上のご心配には及びますまい。レディ・キャサリンは、お召物が質素だからとひとを見下したりはなさいませ
みぶん ちが この
ん。むしろ身分の違いをはっきりさせることをお好みになられます」
みじたく に ど さん ど へや はや はや
みなが身支度するあいだ、ミスタ・コリンズは、二度も三度もそれぞれの部屋にやってきて、早く早くとせきたて
いと
ま いや おくがた
た。なにしろレディ・キャサリンは、待たされることをたいそうお 厭 いあそばすというのである。奥方さまについて
おそ してき かずかず く き しゃこう ふな
のこのような恐ろしい指摘の数々、そのごたいそうなお暮らしぶりなどを聞かされて、このようなご社交に不馴れな
おび
怯 かん うかが たの ちちおや
マライア・ルーカスはすっかり 怯 えてしまい、ロージングズ館に伺うのを楽しみにしてはいたものの、父親がセン
きゅうでん しこう おと ふあん
ト・ジェームズ宮殿に伺候したときにも劣らぬ不安でいっぱいになっていた。
てんき こうだい ていえん いち ここち ある ていえん うつく
天気がよかったので、広大な庭園を一キロばかり心地よく歩いた。どこの庭園もそれなりの美しさがあり、それな
ちょうぼう あ うつく なが たの かんげき
りの眺望が開けているものである。エリザベスは、美しい眺めをたっぷり楽しんだものの、さぞや感激するだろうと
きたい こた かん ぜんめん なら まど かぞ
いうミスタ・コリンズの期待に応えるほどではなかった。館の前面に並ぶおびただしい窓をミスタ・コリンズが数え
ガラス
かん た さい がらす しゅっぴ
あげ、館が建てられた際にそこにはめこまれた硝子にはサー・ルイス・ド・バーグがたいそうな出費をなさったとい
はなし かんしん
う話をしてくれても、ちょっぴり感心したにすぎない。
げんかん かいだん のぼ ふあん つの へいせい み
玄関の階段を上るとき、マライアの不安はいよいよ募るばかり、サー・ウィリアムでさえ、まったく平静とは見え
くじ そな
きりょく 挫 さいのう まれ み びとく ぐ
なかった。しかしエリザベスの気力は 挫 けなかった。レディ・キャサリンが、ずばぬけた才能と稀に見る美徳を 具 え
いけい じんぶつ き たん ざいさん ちい いげん そな じんぶつ
た畏敬すべき人物であるとは聞いていないし、単に財産と地位がもたらす威厳を具えただけの人物であるなら、かく
のぞ
おそ ば 臨 おも
べつ恐れおののくこともなくその場に 臨 めるだろうと思っていた。
ま
むちゅう さ め せんれん そうしょく うつく ちょうわ み げんかん ま いちどう めしつかい
ミスタ・コリンズが夢中になって指し示す洗練された装飾や美しい調和を見せる玄関の間から、一同は召使たちに
ま
みちび ひか ま とお れいじょう ま ひろま はい
導かれて控えの間を通り、レディ・キャサリンとそのご令嬢、そしてミセス・ジェンキンソンが待つ広間へと入って
きゃく むか れいふじん た あ おっと はな あ
いった。客を迎えるため令夫人がおもむろに立ち上がられる。ミセス・コリンズはあらかじめ夫と話し合い、みなを
しょうかい やく じぶん ひ う き おっと い おも わ かんしゃ ことば
紹介する役は自分が引き受けると決めておいたので、夫ならぜひとも言わねばと思うお詫びやら感謝の言葉などは
はぶ かたどお しょうかい おこな
いっさい省かれ、型通りの紹介が行われた。
きょう
きゅうでん しこう けいけん そうれい ふんいき おそれ
サー・ウィリアムは、セント・ジェームズ宮殿に伺候した経験があるにもかかわらず、その壮麗なる雰囲気に 恐
く
懼 ふか あたま さ むごん ちゃくせき れいじょう しっしん おび
懼し、ただただ深く頭を下げるばかりで無言のまま着席した。その令嬢マライアは、失神せんばかりに脅えきって、
み いす こし ば ふんいき おく
どこを見てよいやらわからず、椅子のはしにおずおずと腰をおろした。エリザベスはこの場の雰囲気に臆することも
がんぜん さん にん ふじん れいせい かんさつ ちょうしん おおがら ふじん ほ ふか
なく、眼前の三人のご婦人を冷静に観察することができた。レディ・キャサリンは、長身の大柄な婦人で、彫りの深
かおだ びぼう おも ふんいき う と きゃく むか
いきりりとした顔立ちはさぞや美貌であったろうと思われた。その雰囲気に打ち解けたところはなく、客を迎えたと
きゃく みぶん ひく わす むごん あいて いあつ ものい
きも、客に身分の低さを忘れさせてはくれなかった。無言で相手を威圧するというのではないが、物言いはどこまで
たかびしゃ そんだい ことば おも だ ひ かんさつ
も高飛車、いかにも尊大で、ミスタ・ウイッカムの言葉がすぐに思い出された。この日観察しただけで、ミスタ・ウ
ことば どお じんぶつ かくしん
イッカムの言葉通りの人物だと確信した。
おも だ
かんさつ めん た た い ふ ま に
レディ・キャサリンをつぶさに観察するとその 面 立ちと立ち居振る舞いが、どこかミスタ・ダーシーに似ているこ
きゃしゃ
き れいじょう め うつ はな おご こがら すがた どうよう おどろ
とにすぐ気づいたが、令嬢に目を移してみると、たいそう 華 奢 で小柄なその姿には、マライア同様エリザベスも驚い
すがた かお ははうえ に かお あおじろ びょうにん かおだ ぶきりょう
てしまった。姿も顔も母上に似たところはまったくなかった。顔は青白く病人のようだった。顔立ちは不器量という
きわ
さい こごえ はな
わけではないけれども、とりたてて 際 だったところもない。小声でミセス・ジェンキンソンに話しかけるほかは、ほ
くち ひら へいぼん ようす じんぶつ い
とんど口を開かなかった。ミセス・ジェンキンソンは、ごくごく平凡な様子の人物で、ミス・ド・バーグの言うこと
ついたて
みみ かたむ だんろ ひ め はい まえ 衝 りつ いち なお
に耳を傾けながら、暖炉の火が目に入らぬようにとミス・ド・バーグの前におかれた 衝 立 の位置を直したりしてい
る。
こし すう ふん た いちどう けいかん め まど ひと あんない
腰をおろしてからほんの数分も経たぬうちに、一同、景観を愛でるために窓の一つに案内され、そこでミスタ・コ
ちょうぼう うつく ゆび おし けいかん め なつ
リンズが、眺望の美しさをいちいち指さしては教え、レディ・キャサリンからは、この景観を愛でるには夏のほうが
しんせつ してき
よろしいのですよというご親切なご指摘があった。
ごさん みごと い たいせい めしつかい ぎんき かずかず
午餐はまことに見事なもので、ミスタ・コリンズが言っていたように、大勢の召使や銀器の数々があらわれた。ま
しょもう テーブル
どうよう よこく どお かれ おくがた ところ のぞむ ほんらい とうしゅ しょくたく げざ
た同様にミスタ・コリンズの予告通り、彼は、奥方さまのご 所 望 により、本来はご当主がすわるべき 食卓 の下座に
じんせい しふく かお にく き くち い りょうり 褒
すわり、わが人生にこれほどの至福はなしという顔をしていた。肉を切りわけ、口に入れ、さもうれしげに料理を褒
で りょうり ほ つ ほ
める。出てくる料理はどれもまずコリンズが褒め、次いでサー・ウィリアムが褒める。このころになるとさすがに
ごんじょう
き と なお むこ ことば げん じょう
サー・ウィリアムも気を取り直し、婿どのの言葉をそっくりそのまま 言 上 するものだから、レディ・キャサリンは
がまん かんしん れいふじん おお さんじ
よく我慢なさっていらっしゃるものだとエリザベスは感心した。ところが、令夫人はふたりのこの大げさな賛辞にど
まんえつ ようす めあたら りょうり たんせい しな びしょう しょくじ
うやらご満悦のご様子で、目新しい料理にふたりが嘆声をあげると、なんとも品よく微笑されるのである。食事のあ
かいわ はな ま せき
いだ、会話はまったくはずまなかった。エリザベスはきっかけがあれば話そうと待ちかまえていたが、席がシャー
きかい はなし みみ
ロットとミス・ド・バーグのあいだではその機会もなかった──シャーロットは、レディ・キャサリンの話にじっと耳
かたむ しょくじ はな
を傾けているし、ミス・ド・バーグは、食事のあいだエリザベスにはひとことも話しかけなかった。ミセス・ジェン
た みまも くち はい しんぱい りょうり め うえ
キンソンは、ミス・ド・バーグを絶えず見守り、わずかばかりしかお口に入らぬのが心配で、ほかのお料理も召し上
かげん わる あん はなし ようす
がれとしきりにすすめ、お加減が悪いのではと案じている。マライアは話をするなどとんでもないという様子だし、
とのがた た ほ いそが
殿方たちはせっせと食べては褒めるのに忙しかった。
きゃくま もど ふじん かた はなし うかが はこ
客間に戻ったご婦人方は、レディ・キャサリンのお話を伺うほかにすることもなかった。コーヒーが運ばれてくる
れいふじん た ま はな いけん の さっ
まで、令夫人は絶え間なく話しつづけ、なにごとにもきっぱりとした意見を述べられ、察するところ、ふだんからご
じぶん はんだん ろんばく な ようす かてい ない もんだい つぎ つぎ
自分の判断が論駁されることには慣れていないご様子だった。シャーロットの家庭内のさまざまな問題を次から次へ
えんりょ だ しょり お じょげん か しょう よ
と遠慮なく聞き出し、そのひとつひとつをいかに処理すべきか、惜しみなく助言をあたえ、コリンズ家のような小世
か きん
たい ひ し と か うし いえ 禽 せわ しかた おし
帯では、すべてにわたりいかに引き締めていくべきか説き、飼っている牛や家 禽 の世話の仕方まで教えてくださる。
さしず きかい きふじん め ささい みのが さと
ひとに指図する機会とあらばこの貴婦人の目はどんな些細なことも見逃さないのだとエリザベスは悟った。ミセス・
せっきょう あいま み かもん あいて おも
コリンズに説教する合間を見ては、マライアとエリザベスにもさまざまなご下問があったが、相手は主にエリザベス
かぞく し れいぎ ただ じょう
だった。エリザベスの家族のことはよく知らないが、たいそう礼儀正しいきれいなお嬢さまだと、ミセス・コリンズ
い お み む しつもん しまい なん にん あね
に言った。そして折りを見てはエリザベスに向かってこまごまと質問なさる。ご姉妹は何人なの、それはお姉さまな
いもうと しまい えんだん しまい きょういく う
の、それとも妹さん、ご姉妹のうちにご縁談はあるの、ご姉妹はおきれいかしら、教育はどちらでお受けになった
ちち ばしゃ も かあ きゅうせい しつれい しつもん
の、お父さまはどんな馬車をお持ちなの、お母さまの旧姓はなんとおっしゃるの。エリザベスは、なんて失礼な質問
おも お つ しつもん こた もう
だろうと思いながら、それでも落ち着いてその質問に答えた。するとレディ・キャサリンはこう申された。
ちちうえ ざいさん きり 嗣 そうぞく む
「お父上の財産は、コリンズさんが限嗣相続なさるのでしたね。あなたのためには」とシャーロットのほうを向い
だんし そうぞく じん ばあい ざいさん じょけい そうぞく りゆう
て、「よろしかったわね。それにしても、男子の相続人がいない場合、財産は女系が相続できないという理由がわた
いちもん ひつよう かんが
くしにはわかりませんね。サー・ルイス・ド・バーグ一門では、それが必要とは考えられませんでしたね。ところで
うた
ピアノやお歌はなさるの、ミス・ベネット?」
しょうしょう
「少々は」
き
「まあ! それでは──いつか聞かせていただきましょうね。わたくしどものピアノは、すばらしいものですよ、おそ
かくだん ひ しまい かた うた
らくそちらとは格段の──いつか弾いてごらんになるといいわ。ご姉妹方もピアノやお歌をなさるの?」
「ひとりだけは」
けいこ か じょう かた
「なぜみなさんがおやりにならないの? みなさん、お稽古なさらなくてはだめよ。ウェブ家のお嬢さま方はみなさ
おやご しゅうにゅう たく すく え えが
んおやりになっているわ、親御さんの収入は、お宅より少ないはずだけど。絵はお描きになるの?」
「いいえ、まるきり」
「まあ、どなたも?」
「だれひとり」
か きかい かあ まいとし はる かた れん
「変わっていらっしゃるのね。きっと機会がなかったのでしょう。お母さまが、毎年春にあなた方をロンドンにお連
せんせい
れになって、よい先生におつけになればよろしかったのに」
はは いぞん ちち きら
「母は異存はないでしょうが、父がロンドンを嫌いまして」
かてい きょうし
「家庭教師はもういないのね?」
かてい きょうし やと
「家庭教師は雇ったことがございません」
かてい きょうし ご にん じょう かてい きょうし たく いく
「まあ、家庭教師がいなかったの! よくまあそんなことが? 五人ものお嬢さんを家庭教師もつけずにお宅でお育
はなし き かた きょういく かあ
てになったなんて! そんなお話、聞いたこともありませんよ。あなた方の教育をなさるのに、お母さまはさだめし
くろう
ご苦労なすったでしょう」
こた ははおや おも くしょう
そんなことはございませんときっぱり答えながら、エリザベスはあの母親を思い、苦笑せずにはいられなかった。
おし かた せわ かてい きょうし ほうにん
「それでは、だれが教えたの? だれがあなた方のお世話をしたの? 家庭教師がいないとなると、きっと放任され
ていたのね」
かてい べんきょう きもち ほうほう
「よそのご家庭とくらべれば、そうだったかもしれません。でも勉強したい気持があれば、その方法はいろいろとあ
ほん よ い ひつよう せんせい き
りました。まずふだんから本を読むようにと言われていましたし、どうしても必要な先生には来ていただいておりま
なま もの なま
した。でも怠けたい者は、いくらでも怠けられましたけど」
かてい きょうし つと かあ ぞん あ
「ああ、そりゃそうね。そうはさせないのが、家庭教師の務めですからね。お母さまを存じ上げていたら、ぜひとも
やと きょういく きりつ ただ こうか
お雇いなさいとおすすめしたのに。教育というものは、規律正しくやらないと効果があがらないというのが、わたく
じろん かてい きょうし かてい かてい きょうし
しの持論です。それができるのは家庭教師をおいてほかにはいませんよ。どれだけたくさんのご家庭に家庭教師をお
せわ おどろ わか かた じょうけん しごと せわ
世話したことか、驚くばかりですね。若い方たちによい条件のお仕事をお世話するのはうれしいことね。ミセス・
よん にん めい ご つと さき しょうかい せんじつ はなし で わか
ジェンキンソンの四人の姪御さんには、それはすばらしい勤め先をご紹介したのよ。先日も、たまたまお話に出た若
ほう たく しょうかい せんぽう き い きのう
い方をあるお宅にご紹介したら、先方にたいそう気に入っていただけたの。ねえ、ミセス・コリンズ、昨日レディ・
れい み はな たから
メトカーフがわざわざお礼に見えられたのよ、お話ししたかしら? ミス・ポープを宝ものだとおっしゃるの。『レ
ほう たから さづ
ディ・キャサリン』とあの方おっしゃったわ。『あなたはわたくしに宝ものをお授けくださいました』ですって。あ
いもうと かた しゃこう かい しゅつ
なたの妹さん方はもう社交界にお出になったの、ミス・ベネット?」
おくがた
「はい、奥方さま、みなが」
ご にん そろ に ばんめ じょう ゆい
「みなですって! 五人ともお揃いで? それはおかしいわねえ! あなたは二番目なんでしょう。いちばん上が結
こん した ほう で いもうと かた わか
婚しないうちに、下の方が出るなんて! 妹さん方は、ずいぶんお若いでしょうに?」
まつ いもうと じゅう ろく しゃこう かい で おさな いもうと つら
「はい、いちばん末の妹は十六になっておりません。社交界に出るには幼いかもしれませんね。でも妹たちには辛い
あね はや けっこん き けっこん みこ いもうと しゃこう かい たの
ことではないでしょうか、姉が早く結婚する気もなく、結婚の見込みもないからといって、妹たちに社交界の楽しみ
あじ すえ いもうと ちょうし おな わか たの けんり おも りゆう
を味わってはならぬというのは。末の妹にも、長姉と同じように、若さを楽しむ権利はあると思います。そんな理由
しゃこう かい で しまい どうし あいじょう こま こころづか う
で社交界に出られないなんておかしいですわ! そんなことでは姉妹同士の愛情や細やかな心遣いも生まれてはこな
おも
いと思います」
れいふじん もう わか とし
「これはこれは」と令夫人は申された。「お若いのに、はっきりとものをおっしゃること。あなた、お歳は?」
おお いもうと さん にん ほほえ い くち もう あ
「大きくなった妹が三人おりますので」とエリザベスは微笑みながら言った。「まさかわたくしの口から申し上げる
おも
とはお思いになりませんでしょう」
へんじ こば あっけ みくだ れいふじん たいど
レディ・キャサリンは、返事を拒まれて呆気にとられたようだった。ひとを見下した令夫人の態度を、このように
かる にんげん じぶん おも
軽くあしらった人間は自分がはじめてではないかとエリザベスは思った。
に じゅう こ かく
「二十を超えてはいませんね──それなら隠すことはないでしょう」
に じゅう いち
「二十一にはなっておりません」
しんし かた いちざ ちゃ の も だ
紳士方が一座にくわわり、お茶を飲みおわると、カード・テーブルが持ち出された。レディ・キャサリン、サー・
ふさい かこ
ウィリアム、そしてコリンズ夫妻がテーブルを囲んでカドリールをはじめた。ミス・ド・バーグがカシーノをやりた
い あいて こうえい よく
いと言うので、エリザベスとマライアは、ミセス・ジェンキンソンとともにそのお相手をする光栄に浴した。この
たいくつ かか ことば ひとこと はっ
テーブルは退屈きわまりなかった。ゲームに関わる言葉のほかは一言も発せられなかった。ミセス・ジェンキンソン
あつ さむ あか くら
が、お暑くはございませんか、お寒くはございませんか、明るすぎはしませんか、暗すぎはしませんかなどとミス・
しんぱい たず いっぽう にぎ
ド・バーグに心配そうに尋ねるのがせいぜいだった。もう一方のテーブルは、たいそう賑やかなことだった。レ
はなし あいて さん にん まちが してき じしん そうわ はな
ディ・キャサリンがもっぱら話をしている──お相手の三人の間違いを指摘したり、ご自身にまつわる挿話など話して
おお ひょう
おくがた おお さんい ひょう か おれい もう
おられる。ミスタ・コリンズは、奥方さまの 仰 せにはことごとく賛意を 表 し、チップを勝ちとるたびに御礼を申し
あ じぶん か おも きょうく わ もう あ くち
上げ、自分が勝ちすぎたと思うと恐懼してお詫びを申し上げる。サー・ウィリアムはあまり口をきかなかった。レ
はな そうわ かずかず こうき かたがた なまえ きおく たくわ
ディ・キャサリンが話してくださった挿話の数々と高貴な方々のお名前とをせっせと記憶に蓄えていたのである。
れいじょう たんのう ひら ばしゃ だ
レディ・キャサリンとご令嬢がじゅうぶん堪能あそばされると、カード・ゲームはお開きとなり、馬車を出しま
おお もう で う ばしゃ ようい めい
しょうとミセス・コリンズに仰せがあり、お申し出をありがたく受けると、ただちに馬車の用意が命じられた。それ
いちどう だんろ かこ あつ あした てんき もよう き ことば はいちょう
から一同は、暖炉を囲むように集まって、明日の天気模様を決めるレディ・キャサリンのお言葉を拝聴した。こうし
うけたまわ コ ー チ
さしず うけたまわ おおがた よん りん ばしゃ とうちゃく つ かんしゃ じ ぞんぶん の
たお指図を 承 っているうちに、大型四輪馬車の到着が告げられ、ミスタ・コリンズからは感謝の辞が存分に述べ
ふかぶか こし お いちどう たいしゅつ ばしゃ はし だ
られ、サー・ウィリアムはいくたびも深々と腰を折り、かくして一同は退出したのである。馬車が走り出すやいな
じゅうけい こえ かん みき かんそう もと
や、エリザベスは従兄から声をかけられ、ロージングズ館で見聞きしたものについて感想を求められたが、シャー
え かんそう こうい てき かんそう の くろう ほ
ロットのために、エリザベスは、じっさいに得た感想よりやや好意的な感想を述べた。だがせっかく苦労して褒めた
まんぞく れいふじん らいさん いち て ひ う
つもりなのに、ミスタ・コリンズはいっこうに満足せず、令夫人礼賛をすぐさま一手に引き受けたのである。
30
こ
たいざい いち しゅうかん むすめ あんらく なま
サー・ウィリアムがハンスフォードに滞在したのはわずか一週間であった。それでも、わが娘がきわめて安楽な生
かつ おく え ふくん りんじん めぐ かくしん
活を送り、なかなか得がたい夫君や隣人に恵まれていることを確信するにはじゅうぶんであった。サー・ウィリアム
ギ グ
たいざい ちゅう いち にち じぶん いち とう た に りん ばしゃ ぎふ の とち み
の滞在中、ミスタ・コリンズは、ほとんど一日じゅう自分の一頭立て二輪馬車に義父を乗せて、この土地を見せてま
いとこ
かえ いっか せいかつ もど かげ じゅうけい
わった。だがサー・ウィリアムが帰ってしまうと、一家はまたふだんの生活に戻り、お陰で、従兄ともこれまでのよ
かお あ ちょうしょく うま
うにたびたび顔を合わせずにすむようになったのが、エリザベスにはなによりだった。ミスタ・コリンズは朝食と午
にわ しごと みち めん じぶん しょさい どくしょ か もの まど そと なが じょせい
餐のあいだは、庭仕事をするか、道に面した自分の書斎で読書や書き物をしたり、窓の外を眺めたりしていた。女性
じんど へや いえ うらて めん しょくじ しつ いま つか
たちが陣取っている部屋は家の裏手に面している。シャーロットが食事室を居間として使わないのが、エリザベスに
ふしぎ ひろ なが おく へや つか ふか
は不思議だった。そちらのほうがほどよい広さだし、眺めもよかった。だがシャーロットが奥の部屋を使うのには深
りゆう き じぶん いごこち へや じんど
い理由があることにエリザベスはすぐ気づいた。もし自分たちが居心地のよい部屋に陣取っていたら、ミスタ・コリ
きょしつ かご すく まちが よ てがら
ンズが居室に籠もることははるかに少なくなるのは間違いない。この読みはシャーロットのお手柄だと、エリザベス
おも
は思った。
いえ うらて おく きゃくま こみち い み ばしゃ とお
家の裏手にあたる奥の客間からは、小道を行き来するものはなにも見えないので、どちらの馬車が通ったか、こと
フ ェ ー ト ン
こがた けい よん りん ばしゃ なん ど とお
にミス・ド・バーグの小型の軽四輪馬車が何度通ったかというようなことがわかるのは、すべてミスタ・コリンズの
ばしゃ まいにち とお ちゅうしん
おかげだった。馬車はほとんど毎日のように通るのに、ミスタ・コリンズはそのたびにご注進にやってくる。ミス・
ぼくし かん まえ ばしゃ と すう ぶん ばなし ばしゃ くだ
ド・バーグは、牧師館の前でよく馬車を停めたが、シャーロットと数分のあいだ話をするばかりで、馬車をお下りに
さそ おう
なりませんかという誘いに応じることはめったになかった。
かん おとず ひ かれ つま おっと どうはん ぎむ おも
ミスタ・コリンズがロージングズ館を訪れない日はまずなかったし、彼の妻が、夫に同伴するのが義務と思わない
ひ おお じかん ぎせい
日はまずなかった。なぜそれほど多くの時間を犠牲にするのかエリザベスにはわからなかったが、レディ・キャサリ
じゆう さいりょう せいしょく ろく おも だ なっとく れいふじん こうらい
ンが自由に裁量できる聖職禄がほかにもあるらしいことを思い出して納得した。ときおり令夫人じきじきのご光来に
よく お れいふじん め へや くば ふさい く
浴することもあるが、そうした折りには、令夫人の目は部屋のすみずみにいたるまで配られた。夫妻の暮らしぶりを
しら はりしごと でき じょげん かぐ はいち
調べ、針仕事の出来ばえをごらんになり、こうしたほうがよいのではないかという助言があたえられた。家具の配置
しかた してき じょちゅう たいまん み だ かる しょくじ おう
の仕方がまずいと指摘され、女中の怠慢を見つけ出される。また軽い食事に応じられることがあっても、どうやらそ
あぶ
ようい ほね あぶ にく いえ おお してき
れは、ミセス・コリンズが用意した骨つきの 炙 り肉が、この家にしては大きすぎることをご指摘なさるためのようで
あった。
き みぶん とうと れいふじん しゅう ちあん はんじ はいめい
エリザベスがほどなく気づいたのは、この身分の貴い令夫人は、州の治安判事を拝命しているわけではないのに、
じぶん きょうく かつどう てき ちあん はんじ きょうく ない できごと さいだい も
自分の教区ではたいそう活動的な治安判事であらせられ、教区内の出来事は細大漏らさずミスタ・コリンズによって
れいふじん も けんか むらびと ふまん むらびと びんぼう ぞこ むらびと
令夫人のもとに持ちこまれていることだった。喧嘩ばかりしている村人や不満をもつ村人、貧乏のどん底にある村人
き むら で あらそ かいけつ ふまん しず しか
がいると聞くと、レディ・キャサリンはわざわざ村までお出ましになり、争いを解決し、不満を鎮め、叱りつけて、
むら ゆうわ はんえい
村に融和と繁栄をもたらすのである。
かん まね しゅう に ど
ロージングズ館のお招きは、週に二度ほどあった。サー・ウィリアムがいないことと、カード・テーブルがひとつ
のぞ まね さいしょ か たけ まね
になったことを除けば、こうしたお招きも最初のときとまったく変わらなかった。他家からのお招きはほとんどな
きんりん じゅうにん せいかつ すいじゅん そう か て とど
かった。近隣の住人の生活水準は総じて、コリンズ家には手の届かぬものだったからである。だがそのおかげでエリ
ふまん かいてき じかん す みず はん じかん たの
ザベスは、不満どころか、むしろ快適な時間を過ごすことができた。シャーロットと水いらずで半時間ほど楽しいお
しゃべ じき てんこう こがい さんさく たの ふさい
喋りもできるし、この時期にしては天候もよかったので、戸外の散策がじゅうぶん楽しめた。コリンズ夫妻がレ
しこう おこな かん ていえん わき えん と しょう
ディ・キャサリンのもとに伺候しているあいだ、たびたび行ったのは、ロージングズ館の庭園の脇を縁取っている小
もり こだち しょうけい き い
さな森で、そこには木立におおわれたすばらしい小径があり、ここがお気に入りなのはどうやらエリザベスぐらいの
せんさく
鑿 およ おも
ものらしく、レディ・キャサリンの 穿 鑿 のまなこもここまでは及ばないように思われた。
せいおん ひび さいしょ に しゅうかん す ふっかつ さい ちか まえ しゅう
このような静穏な日々のうちに、最初の二週間はまたたくまに過ぎた。復活祭が近づき、その前の週には、ロージ
かん みうち たけ すく か おお できごと
ングズ館のお身内がくわわることになっており、他家とのおつきあいの少ないド・バーグ家ではこれも大きな出来事
ちが すう しゅうかん ご つ
に違いなかった。ミスタ・ダーシーが数週間後にここにやってくるということは、ここに着いてまもなくエリザベス
みみ はい ちき す おお かれ
の耳にも入っていた。エリザベスの知己のなかでも好きになれないひとはそう多くはないが、ともあれ彼があらわれ
かん あつ しんせん かんさつ たいしょう い
れば、ロージングズ館の集まりに、かなり新鮮な観察の対象がくわわるというものだし、レディ・キャサリンのご意
いとこ
むこう むす じゅうまい せっ ようす み
向で結ばれることになっている従妹ミス・ド・バーグにダーシーが接する様子を見れば、ミス・ビングリーのダー
めあ むな たの
シーお目当てのもくろみがいかに空しいものかよくわかるという楽しみもあるかもしれない。レディ・キャサリン
じょうきげん らいほう かた ひとがら ほ
は、しごく上機嫌でダーシーの来訪について語り、その人柄を褒めたたえたが、ダーシーがすでにミス・ルーカスと
あ し ふきげん ようす
もエリザベスともしばしば会っていたと知ると、たいそう不機嫌なご様子だった。
とうちゃく ぼくし かん し とうちゃく ま さき かくにん
ミスタ・ダーシーの到着は、牧師館にもすぐに知れた。なにしろミスタ・コリンズは、その到着を真っ先に確認す
つう もんばん こや み あさ ある ばしゃ
るべく、ハンスフォード・レインに通じる門番小屋が見えるあたりを朝からずっと歩きまわっていたのである。馬車
ふかぶか
かん ていえん はい み ふか いちれい じゅうだい し とど
がロージングズ館の庭園に入っていくのを見るや 深 々 と一礼し、それからこの重大な知らせをいちはやく届けようと
や か よくあさ かん しこう あいさつ
わが家へ駈けもどった。翌朝コリンズははやばやとロージングズ館に伺候した。そこにはご挨拶しなければならない
おい ご ぼう
おい お おじ ぼう はくしゃく じなん
レディ・キャサリンのふたりの 甥 御がおられた。ミスタ・ダーシーは、叔父である 某 伯爵の次男であるフィッツウィ
たいさ ともな しんし つ かえ
リアム大佐を伴ってきたのである。ミスタ・コリンズが、このふたりの紳士をお連れして帰ってきたものだから、コ
か いちどう おどろ おっと しょさい みち よこぎ み
リンズ家の一同はたいそう驚いた。夫の書斎にいたシャーロットは、そのふたりが道を横切ってくるのを見るなり、
へや はし こうえい つ
みなのいる部屋に走っていき、なんとまあ光栄なことだわと告げて、こうつけくわえた。
れい い ほうもん
「あなたにお礼を言うべきかもしれないわね、イライザ、さっそくご訪問いただいたなんて。あなたがいなければ、
はや あいさつ み
ダーシーさまがこんなに早くご挨拶にお見えになるはずはないもの」
しりぞ ま
さんじ 斥 ま げんかん すず とうちゃく つ さん にん しんし へや
エリザベスがこんな賛辞を 斥 ける間もないうちに、玄関の鈴がふたりの到着を告げ、ほどなく三人の紳士が部屋
はい さき た たいさ とし さん じゅう びなん こ ふうさい
に入ってきた。先に立ってあらわれたのはフィッツウィリアム大佐、歳のころは三十、美男子ではないが、風采とい
はな しんし み か
い話しぶりといい、まさしく紳士である。ミスタ・ダーシーは、ハートフォードシャーで見たときと変わらない。い
ひか め くちょう あいさつ おも はか お
つもどおりの控え目な口調でミセス・コリンズに挨拶をした。エリザベスをどう思っているかは測りかねたが、落ち
つ たいど いちれい むごん ひざ お えしゃく
着きはらった態度で一礼した。エリザベスは無言のまま、膝を折って会釈しただけである。
たいさ れいぎ ただ しんし き う と はなし たの はな
フィッツウィリアム大佐は礼儀正しい紳士だが、とても気さくに打ち解けて話をはじめ、楽しそうにみなと話し
いとこ
かれ じゅうてい いえ にわ すこ かんそう の こし
た。だが彼の従弟は、この家と庭についてミセス・コリンズに少しばかり感想を述べたあとは、腰をおろしたまま、
はな じぶん ぶさほう き かぞく げんき
しばらくだれにも話しかけなかった。しばらくすると、自分の無作法に気づいたのか、家族のみなさんはお元気です
と ちょうし こた だま
かとエリザベスに問いかけた。エリザベスはふだんの調子でそれに答え、ちょっと黙りこんでからこうつけくわえ
た。
あね さん かげつ たいざい あ
「姉がここ三カ月ほどロンドンに滞在しておりますの。あちらでお会いにはなりませんでしたか?」
あ しょうち かれ ご な ゆ し
会っていないことはじゅうぶん承知していたものの、彼がビングリーとジェインのその後の成り行きを知っていれ
おもて
めん きたい うん わる いち ど あ
ば、それが 面 にあらわれるのではないかと期待したのである。ミス・ベネットには運悪く一度もお会いしませんで
け しき
こた あいて ろうばい き しょく み おも はなし しんし
したよ、と答えた相手が、ちょっと狼狽の気 色 を見せたように思われた。だがこの話はそれでとぎれ、ふたりの紳士
かえ
はまもなく帰っていった。
31
いもうと
まえ
は叔母の前をはなれ、ふだんのようにゆっくりとピアノのほうに近づき、美しい演奏者の顔がよく見える位置に腰を
おろした。エリザベスには彼の動きがよく見えたので、曲の区切りのいいところがくると、いたずらっぽい笑みを浮
かべてダーシーのほうを向いた。
こわ
「わたくしを怖がらせるおつもりですのね、ダーシーさま、そんなふうにもったいぶっていらっしゃるなんて。で
も、お妹さまがいくらお上手でも、わたくしはいっこうに平気です。もともと意地っ張りな性質なので、ひとさまに
おびや がまん
脅かされるなんて我慢なりません。威嚇なさればなさるほど、勇気が凜々とわいてきますわ」
おも ちが
「それはあなたの思い違いだとは言いませんよ」とダーシーは答えた。「ぼくがあなたを脅かそうとしていると、あ
じぶん
おも
なたが思っているはずはありませんからね。あなたと親しくおつきあいしているうちにわかったことがあるんです。
こころ
あなたは心にもないことを口にしては楽しんでいますね」
自分のことをこんなふうに言われたエリザベスは思わず笑いだし、フィッツウィリアム大佐に向かってこう言っ
いとこ
む
じょうず
うた
かれ
くち
い
い
なか
うご
い
いかく
たの
まえ
おも
した
きょく
へいき
わら
くぎ
こた
ちか
ゆうき 凜
うつく
たいさ
はな
えんそう
いじ ぱ
しゃ かお
おびや
たいさ
た ち
せいしつ
む
いす
み
ひ
いち
い
こし
じゅうてい い しん おし
た。「お従弟さまは、こんなひどいことをおっしゃって、わたくしの言うことはなにも信じるなとあなたに教えてい
ほんしょう
ほん せい あば ほう あ
らっしゃいますわ。わたくしの 本 性 をこれほどはっきり暴いてしまう方とこんなところでお会いするなんて、よほ
うん しんよう じんぶつ おも
ど運がありませんわね。だってここでは、まあまあ信用できる人物になりすまそうと思っていましたのに。ねえ、
き けってん はな
ダーシーさま、ハートフォードシャーで気づかれたわたくしの欠点を話しておしまいになるなんて、ほんとうにひど
かた い とくさく しかえ
い方──でも言わせていただきますけれど、これは得策ではありませんわね──なぜって、わたくし、だんぜん仕返し
き しんせき かた き はな
しようという気になって、ご親戚の方たちがお聞きになったらたまげるようなこと、お話ししてしまうかもしれませ
んわよ」
こわ えがお い
「怖くはありませんよ」ダーシーは笑顔で言った。
かれ せ き たいさ おおごえ い
「彼がどんなことで責められているのかぜひとも聞きたいものですね」とフィッツウィリアム大佐が大声で言った。
し おとこ ふ ま し
「知らないひとのあいだで、この男がどんなふうに振る舞うのか、ぜひ知りたいものだ」
はな おそ かくご
「それではお話ししますわ──でもとても恐ろしいことですから、お覚悟なさってくださいね。ハートフォードシャー
あ ぞん ぶとう かい ぶとう かい ほう
ではじめてお会いしたのは、ご存じでしょうけれど、舞踏会でしたわ──その舞踏会で、この方がなにをなさったとお
おも よん ど おど もう あ
思いになります? たった四度しか踊られませんでした! こんなことを申し上げてごめんなさい──でもほんとうな
ほう よん ど おど とのがた かず ふそく み なにびと
んです。この方は四度しか踊られませんでした、殿方の数が不足していたのに。わたくしの見たところでも、何人も
わか ふじん あいて ひてい
の若いご婦人がお相手がいなくてすわったままでした。ダーシーさま、このことは否定なさいませんでしょ?」
あつ ふじん つ めんしき ふじん
「あのときあそこに集まっていたご婦人のなかに、ぼくの連れのほかは、面識のあるご婦人がひとりもいませんでし
たからね」
ぶとう じょう しょうかい たいさ
「そうですわねえ。舞踏場では、どなたも紹介してはいただけませんものねえ。ええと、フィッツウィリアム大佐、
はじ ゆび さしず ま
つぎはなにを弾きましょうか? 指がお指図を待っております」
い しょうかい かんが か し
「たぶん」とダーシーが言った。「紹介していただいていれば、ぼくの考えも変わっていたかもしれませんね。知ら
ちか ふえて
ぬひとにこちらからお近づきになるのはどうも不得手です」
じゅうてい りゆう たず たいさ む はなし
「お従弟さまにその理由をお尋ねしませんこと?」とエリザベスはまたもや、フィッツウィリアム大佐に向かって話
しりょ ふか きょうよう とのがた じょうりゅう しゃかい とのがた し ちか
しかけた。「思慮深く教養もある殿方が、上流社会にいらっしゃる殿方が、知らないひとにこちらからお近づきにな
ふえて
るのは不得手だなどとなぜおっしゃるのでしょう?」
しつもん たいさ い かれ き こた かれ めんどう
「その質問なら」とフィッツウィリアム大佐は言った。「彼に訊かずともぼくに答えられる。彼はそういう面倒なこ
おとこ
とはしたがらない男です」
たね のうりょく か い めんしき きがる はなし
「ぼくにある種の能力が欠けているのはたしかですよ」とダーシーが言った。「面識のないひとと気軽に話をすると
のうりょく あいて はなし ちょうし あ あいて かんしん きょうみ
いう能力がね。相手の話に調子を合わせることができないし、相手の関心に興味があるようなふりもできない。そん
れんちゅう み
なふりをしている連中をよく見かけますが」
ゆび ふじん しょたいめん がっき うえ じょうず うご
「わたくしの指は、たいていのご婦人のように、初対面のこの楽器の上では上手に動きませんの」とエリザベスは
言った。「ふだんのような力強さも速さもありませんし、表現力も乏しいし。でもこれは自分の怠慢のせいだと思っ
ています──だってふだんから面倒なお稽古はしませんもの。自分の指が、ほかのお上手な方の指のように動かないと
おも
は思っていませんわ」
も、はじめてのものは苦手ということですね」
びしょう
ダーシーは微笑した。「まったくあなたの言うとおりですね。あなたはぼくより時間の使い方が上手というわけ
えんそう き
だ。あなたの演奏を聞く光栄に浴した者は、あなたの演奏に不足があるとはだれも思わないでしょう。要はふたりと
にがて
ここで、レディ・キャサリンの邪魔が入った。いったいなんのお話をしているのとお声がかかったのである。エリ
ザベスはすぐにまたピアノを弾きはじめた。レディ・キャサリンは近づいてきて、ほんのしばらく耳を傾けてから、
ダーシーに言った。
い
「ミス・ベネットは、ロンドンの先生についてもっとお稽古なされば、それなりに弾けるようになるわ。指の運びは
できて、すばらしい演奏ができるのに」
じょうず
じゅうまい
かんせい
とてもお上手、ただ感性となると、うちのアンにはかなわないわね。アンも体の具合さえよければ、もっとお稽古が
えんそう
エリザベスは、従妹に対するこの賛辞にダーシーが心から同意するかどうか、その顔をじっと見つめていた。だが
こうえい
たい
ちからづよ
いめんどう
はじ
よく
じゃま
せんせい
はや
さんじ
もの
けいこ
はい
い
えんそう
こころ
けいこ
ひょうげん りょく
ふそく
どうい
じぶん
とぼ
ゆび
はなし
ちか
からだ ぐあい
じょうず
じかん
おも
はじ
かお
こえ
じぶん
ほう
つか かた
ゆび
たいまん
み
じょうず
みみ
よう
かたむ
うご
ゆび はこ
けいこ
おも
かお こい きざ みと たい
そのときも、そのあとにも、ダーシーの顔に恋の兆しらしきものは認められなかった。そしてミス・ド・バーグに対
ふ ま お ちから
するダーシーのこうした振る舞いから推して、これはミス・ビングリーを力づけることになりかねないとエリザベス
おも あに けっこん しんせき
は思った。もし兄がミス・ダーシーと結婚して、ダーシーと親戚ということになれば、ダーシーがミス・ビングリー
けっこん
とほんとうに結婚することもありうるのだ。
えんそう いけん の えんそう かんせい
レディ・キャサリンは、エリザベスの演奏についてなおも意見を述べ、その演奏ぶりや感性についてあれこれとご
うけたまわ
きょうし たまわ しつれい つつし うけたまわ いえ おく れいふじん よん
教示を賜った。エリザベスは失礼にならぬよう慎んで 承 っていた。みなを家まで送りとどけるために令夫人の四
りん ばしゃ ようい しんし かた のぞ まえ
輪馬車の用意ができるまで、紳士方に望まれてエリザベスはピアノの前にすわっていた。
32
よくあさ ようじ むら で へや のこ
翌朝、ミセス・コリンズとマライアが用事で村へ出かけているあいだ、エリザベスはひとり部屋に残ってジェイン
てがみ か らいきゃく つ げんかん すず おと ばしゃ おと き
に手紙を書いていたが、来客を告げる玄関の鈴の音がして、はっとした。馬車の音は聞こえなかったものの、レ
おも せっかい しつもん あ か てがみ かた
ディ・キャサリンかもしれないと思い、お節介な質問を浴びせられてはかなわないと、書きかけの手紙をあわてて片
へや とびら ひら おどろ へや はい
づけていると、部屋の扉がふいに開き、なんと驚いたことにミスタ・ダーシーが、しかもたったひとりで部屋に入っ
てきたのである。
かれ み ようす ざいたく き べんかい ひれい 詫
彼もエリザベスがひとりでいるのを見てびっくりした様子で、みなさんご在宅だと聞いたのでと弁解し、非礼を詫
びた。
こし かん かたがた ようす うかが そうほう ちんもく
それからふたりは腰をおろし、エリザベスがロージングズ館の方々のご様子を伺ったあとは、そのまま双方が沈黙
さら しょう び
きけん さら わだい み あせ まゆ きゅう まえ
におちこむ危険に 晒 されそうだった。なんとか話題を見つけるのが 焦 眉の急となったが、さいわい、この前ハート
あ おも だ やしき ひ はら けいい
フォードシャーでダーシーに会ったときのことを思い出し、あのあとあわただしく屋敷を引き払った経緯について、
かれ い き おも
彼がなんと言うかぜひとも聞いてやろうと思った。
さくねん じゅういちがつ ひ はら
「昨年の十一月には、ほんとうにとつぜんネザーフィールドを引き払っておしまいになりましたわね、ダーシーさ
はや お さき た
ま! みなさんがあんなに早くあとを追っていらしたから、先にお発ちになったビングリーさまはさぞやびっくりな
きおく ただ まえ
さったりよろこばれたりしたんじゃないかしら。わたくしの記憶が正しければ、ビングリーさまは、たしかほんの前
び しゅっぱつ た いもうと かた げんき
日にご出発なさったばかりでしたものね。このたびロンドンをお発ちのときは、ビングリーさまも妹さん方もお元気
でいらっしゃいましたか」
げんき
「たいそう元気です──おかげさまで」
ま
いじょう こた ま
それ以上の答えはもらえないらしいことが、エリザベスにもわかった──だからちょっと間をおいてから、こうつけ
くわえた。
もど かんが
「ビングリーさまはもうネザーフィールドにお戻りになるお考えはないのですね?」
はなし き す じかん すく
「そういう話は聞いておりませんが、さきざきあそこで過ごす時間はずっと少なくなるかもしれませんね。ロンドン
ゆうじん たいせい ゆうじん ふ じき
には友人も大勢いますし、友人もつきあいもどんどん増えていく時期ですから」
い
い ひ はら きんりん もの
「ネザーフィールドにお出でになるおつもりがあまりないのでしたら、あそこは引き払われるのが、近隣の者にはあ
お つ かぞく す
りがたいかもしれません、そうすればあそこにずっと落ち着かれるご家族に住んでいただけますもの。でもビング
きんりん もの じぶん やしき か も
リーさまは近隣の者のためというより、ご自分のためにあのお屋敷をお借りになったんですものね。そのままお持ち
ひ はら ほう じゆう
になるか、引き払われるかは、あの方のご自由ですわね」
た ぶっけん ひ はら かれ い べつ おどろ
「他にいい物件があれば、あそこはすぐにでも引き払うと彼が言っても、別に驚きませんね」
へんじ いじょう はな あ ふあん はなし
エリザベスは返事をしなかった。ミスタ・ビングリーについてこれ以上話し合うのが不安になったのだ。ほかに話
ゆだ
わだい み めんどう い
すことがなくなったので、話題を見つける面倒はダーシーに 委 ねることにした。
さっ はな だ いごこち す し
ダーシーはそれを察すると、すぐに話し出した。「こちらはたいそう居心地のよいお住まいですね。コリンズ氏が
ふにん て い
ハンスフォードに赴任するにあたって、レディ・キャサリンが、だいぶ手を入れたんでしょう」
おも れいふじん こころづか たまわ あいて おも
「そうだと思います。令夫人からお心遣いを賜る相手としては、あれほどありがたがるひとはいないと思いますわ」
し おくがた めぐ
「コリンズ氏は、よい奥方に恵まれたようですね」
ともだち かれ ひ う きとく おんな
「ええ、たしかに。コリンズさんのお友達はきっとよろこんでいますわよ。彼を引き受けようというそりゃ奇特な女
せい ひ う しあわ ともだち
性にめぐりあったんですもの、しかも引き受けたばかりか幸せにしてあげたんですもの。わたくしのお友達はたいそ
かしこ けっこん かしこ せんたく かくしん
う賢いひとですの──でもコリンズさんと結婚したことがもっとも賢い選択だったかどうかは、確信がありませんわ。
しあわ かんが えんぐみ
でもいまのところはとても幸せそうですし、ようく考えてみると、とてもよい縁組だったのかもしれません」
かぞく ゆうじん らく い お つ
「ご家族やご友人と楽に行き来できるところに落ち着かれたのはよかったでしょうね」
らく い はち じゅう
「ここが楽に行き来できるところだっておっしゃるんですか? 八十キロもありますわよ」
みち はち じゅう もんだい はんにち たび らく くだり
「よい道であれば八十キロぐらい問題ないでしょう? ほんの半日かそこらの旅ですもの。ええ、ぼくなら、楽に行
き い
き来できると言いますね」
きょり けっこん りてん かんが おおごえ あ
「その距離が結婚の利点のひとつになるなんて考えたこともありません」とエリザベスは大声を上げた。「ミセス・
とつ
よめ さき じっか ちか い
コリンズの 嫁 ぎ先が、実家に近いなんて、わたくしならぜったい言いません」
あいちゃく しょうこ すこ はな とお
「それはあなたがハートフォードシャーに愛着がある証拠ですよ。ロングボーンから少しでも離れたら、どこでも遠
み
くに見えるんでしょう」
はな かお え う え いみ き
話しているダーシーの顔に笑みのようなものが浮かんだが、その笑みの意味がエリザベスにはわかるような気がし
かんが おも かのじょ かお あか こた
た。おそらくジェインとネザーフィールドのことを考えていると思ったのだろう、彼女は顔を赤らめてこう答えた。
おんな じっか ちか とつ い とお ちか そうたい てき
「女は実家から近いところに嫁ぐほうがいいと言っているんじゃありません。遠いとか近いとかいうのは相対的なも
じじょう さゆう たび ひよう しんぱい ざいさん きょり
ので、ひとそれぞれの事情に左右されるものですから。旅の費用など心配せずにすむほどの財産があれば、距離など
さわ
さわ いえ ばあい ふさい しゅうにゅう
なんの 障 りにもなりません。でもこの家の場合はそうじゃありませんわ。コリンズ夫妻にはかなりの収入があります
たび よゆう ゆうじん はんぶん みじか きょり じっか ちか
けれど、しじゅう旅ができるほどの余裕はありません──わたくしの友人は、いまの半分より短い距離でも、実家が近
い おも
いとは言わないと思います」
いす すこ ひ う とち しゅうちゃく
ミスタ・ダーシーは、エリザベスのほうに椅子を少し引きよせた。「あなたは、生まれた土地にいつまでも執着す
るわけにはいきませんよ。あなただって、いつまでもロングボーンにいられるわけじゃありませんもの」
ことば おどろ かお ば くうき か き 椅
その言葉にエリザベスは驚いたような顔をした。ミスタ・ダーシーはその場の空気が変わったことに気づいた。椅
こ しんぶん と あ め はし まえ れいせい い
子をうしろにずらせ、テーブルから新聞を取り上げ、ちらりと目を走らせ、前より冷静にこう言った。
き め
「ケントはお気に召しましたか?」
とち みじか れいせい もと き がいしゅつ もど
それからこの土地について短いやりとりがあったが、どちらも冷静で素気なかった──そこへ外出から戻ったシャー
はい はなし お はな み
ロットとマライアが入ってきたので、話はそこで終わった。さしむかいで話していたふたりを見て、シャーロットた
おどろ じゃま べんかい すう ふん
ちは驚いた。ミスタ・ダーシーは、うっかりミス・ベネットのお邪魔をしてしまったと弁解し、さらに数分ほどす
ぐち かえ
わっていたが、だれにもあまり口をきかぬまま帰っていった。
かえ い
「これはいったいどういうことでしょう!」ダーシーが帰るとすぐにシャーロットが言った。「ねえ、イライザ、あ
ほう こい した たず
の方、きっとあなたに恋をしていらっしゃるのよ。さもなければ、こんなふうに親しく訪ねていらっしゃるはずがな
いわ」
かれ だま い きたい むな
でも彼はほとんど黙りこんでいたわよとエリザベスが言ったので、シャーロットの期待も空しく、やはりそうでは
い
けつろん すいそく い
ないだろうという結論になった。あれやこれやみんなで推測したあげく、きっとなにもすることがないからお出でに
きせつ かんが かのう せい たか しゅりょう たの きせつ お
なったのだろう、いまの季節を考えるとその可能性が高いということになった。狩猟を楽しむ季節はもう終わってい
やかた
かん うち しょもつ だい しんし かた おくない
た。 館 の内にはレディ・キャサリンがおられ、書物とビリヤード台はあっても、紳士方はそうそう屋内にひきこ
ぼくし かん ちか さんさく かいてき じゅうにん たの
もっていられるものではない。牧師館が近くにあり、そこまでの散策は快適だし、そこの住人もなかなか楽しいひと
い と こ
いとこ さんぽ で まいにち あし む にち ちゅう
たちとあって、ふたりの従兄弟は散歩に出れば、ほとんど毎日のようについこちらに足が向いた。日中のさまざまな
じかん つ だ おば じょう とも
時間に、あるときはひとりで、あるときは連れ立って、またあるときは叔母上のお供をしてやってきた。フィッツ
たいさ じゅうにん たの め あき かれ
ウィリアム大佐が、ここの住人たちとのつきあいを楽しみにしているのは、だれの目にも明らかで、そのために彼の
にんき たか み おも き
人気はいっそう高まった。エリザベスは、フィッツウィリアムといっしょにいるときの満たされた思いに気づくと
じぶん よ さんじ き き い おも だ
き、自分に寄せられる賛辞を聞かされるとき、かつてのお気に入りであったジョージ・ウイッカムをいつも思い出し
たいさ ものごし こころ みりょう
ていた。もっともふたりをくらべると、フィッツウィリアム大佐の物腰にはウイッカムのようにひとの心を魅了する
たいさ はくしき うたが
やさしさこそなかったが、大佐がたいそう博識であることは疑いなかった。
ぼくし かん おとず りかい くる じゅうにん
だがなぜミスタ・ダーシーがこれほどしげしげ牧師館を訪れるのか、だれしもが理解に苦しんだ。住人とのつきあ
たの おも じゅう ふんかん ひとこと くち くち ひら
いを楽しむためとは思われない、十分間、一言も口をきかず、ただすわっていることもしばしばである。口を開くと
はな はな ひつよう せま はなし たの れいぎ じょう くち ひらき
きは、話したいから話すのではなく、必要に迫られて話をする──楽しいからではなく、礼儀上やむをえぬから口を開
ひょうじょう み かんが
くのである。いきいきとした表情はめったに見られない。シャーロットは、ダーシーのことをどう考えればよいのか
たいさ ようす
わからなかった。フィッツウィリアム大佐がときどき、ぼんやりしているダーシーをからかうのは、ふだんとは様子
ちが しょうこ し ちが かれ
が違っているという証拠だが、ダーシーのことをよく知らないシャーロットにはどう違っているのかわからない。彼
わざ
か こい ぎょう こい あいて おも
の変わりようを恋のなせる 業 だと、その恋の相手はエリザベスだとどうしても思いたいシャーロットは、それをはっ
しんけん と く けっしん かん うかが おとず
きりさせることに真剣に取り組む決心をした。ロージングズ館に伺ったときも、ハンスフォードをダーシーが訪れた
かんさつ どりょく むく
ときも、いつもじっと観察したが、その努力はたいして報われなかった。たしかにミスタ・ダーシーはエリザベスを
み め う ひょうじょう さだ しんけん
しじゅう見てはいるのだが、その目に浮かぶ表情は定かではなかった。ひたむきで真剣なまなざしではあるが、そこ
しぼ じょう おも ほうしん み
に思慕の情があるようには思われなかったし、ときにはただ放心しているようにも見えた。
ほの
に ど す 仄
二度ほどエリザベスに、ダーシーさまはきっとあなたがお好きなのよと 仄 めかしてみたが、エリザベスはそのたび
わら と あ しつぼう お きたい いだ 危
に笑って取り合わなかった。シャーロットは、けっきょくは失望に終わるかもしれない期待をいたずらに抱かせる危
けん さ わだい し だんねん いけん じぶん こい
険は避けようと、この話題を強いることは断念した。シャーロットの意見としては、ダーシーは自分に恋していると
おも かのじょ きら きもち き ぎもん よち
エリザベスが思えるなら、彼女のダーシーを嫌う気持も消えるだろうということに疑問の余地はなかったのである。
やくだ おも たいさ けっこん おも
エリザベスのために役立とうと思うシャーロットは、いっそフィッツウィリアム大佐と結婚させたらと思うことも
たいさ きだ しんぷく たし しゃかい てき ちい けっこん
あった。大佐ほど気立てのよいひとはほかにいない。エリザベスに心服しているのは確かだし、社会的な地位も結婚
あいて のぞ りてん ちょうけ かずおお せいしょく
の相手としては望ましいものである。ただしこうした利点を帳消しにするのは、ミスタ・ダーシーには数多くの聖職
いとこ
ろく じゅよ けん じゅうけい
禄授与権があるのに、従兄のほうにはそれがないということだった。
33
おも
自分の思いのままにおできになるわけだわ」
たいさ い はんぶん けんり
「いや」とフィッツウィリアム大佐は言った。「ミス・ダーシーのことなら、ぼくにも半分はその権利があるな。な
こうけん やく ひ う
にしろこのぼくも後見役を引き受けていますのでね」
まも
こうけん やく もり じょう せわ
「あら、ほんとうに? 後見役って、どんなことをなさるんですの? お 守 りしているお嬢さまがお世話をやかせる
とし じょう あつか むずか じょう
ようなことはありませんか? あのお年ごろのお嬢さまは、なかなか扱いが難しいものですし、しかもそのお嬢さま
はな か きしつ
が、ダーシー家の気質をお持ちだとすると、なんでもご自分の思いどおりになさりたいでしょうしね」
も じぶん おも
34
で いか
みなが出かけてしまうと、エリザベスは、ミスタ・ダーシーへの怒りをいよいよかきたてようというつもりか、こ
き てがみ ねんい よ かえ しごと と ぶんめん ふまん
こケントにいるあいだにジェインから来た手紙をすべて念入りに読み返すという仕事に取りかかった。文面には不満
の かこ できごと む かえ なや うった
が述べられているわけではなく、過去の出来事を蒸し返すようなくだりもなく、いまの悩みを訴えているくだりもな
てがみ ぎょうかん も まえ あか やす こころ お つ なま
かった。しかしどの手紙にも、どの行間にも、ジェインの持ち前の明るさがなかった。安らかな心の落ち着きから生
そそ くも あか さいしょ よ
みだされ、すべてのひとたちにやさしく注がれてめったに曇ったことのないあの明るさがなかった。最初に読んだと
よ かえ ぶんしょう いっこう いち こう ふあん ふこう
きにはわからなかったが、こうしてじっくり読み返してみると文章の一行一行に不安がにじみでている。ひとを不幸
ふ らち
ぞこ とくとく ふ らち ふ ま おも あね くのう
のどん底におとしいれながら得々としているミスタ・ダーシーの不 埒 な振る舞いを思うにつけ、姉の苦悩がいっそう
かん かれ かん たいざい みょうごにち おも こころ なぐさ
ひしひしと感じられた。ただ彼がロージングズ館に滞在するのも明後日までと思うと、いささか心は慰められ、それ
ま に しゅうかん あ あね きぶん は おも
にも増してうれしいのは、あと二週間もたたぬうちにジェインに会えること、姉の気分が晴れるように、思いのたけ
そそ あね はげ
を注いで姉を励ませることだった。
いとこ
さ じゅうけい さ かんが
ダーシーがケントを去るときは、その従兄もいっしょに去ってしまうのだと、エリザベスは考えた。でもフィッツ
たいさ ざいさん じょせい けっこん めいげん こうかん せいねん
ウィリアム大佐は、財産のない女性と結婚するつもりはないと明言していた。好感のもてる青年ではあっても、いな
しん いた
くなったあと心を痛めるほどではなかった。
もんだい げんかん すず な たいさ
この問題にもけりがついたところで玄関の鈴が鳴り、エリザベスははっとして、もしやフィッツウィリアム大佐で
こころ さわ まえ ゆうがた おそ たず きぶん わる きづか
はないかとちょっと心が騒いだ。前にも夕方遅く訪ねてきたことがあり、こんどは気分の悪いわたしを気遣ってわざ
ようす み き おも きたい け きぶん ぎゃく しず おどろ
わざ様子を見に来たのではないかと思ったのだ。だがそんな期待はすぐに消しとび、気分は逆に沈みこんだ。驚いた
へや はい ようす みま ことば
ことになんとミスタ・ダーシーが部屋に入ってきたのである。なにやらそわそわした様子で、さっそく見舞いの言葉
の かげん たず い ていちょう ひや おうたい
を述べ、お加減がよくなられたかどうかお訪ねしてみたのだと言った。エリザベスは丁重だが冷やかに応対した。ミ
こし た あ へや ある
スタ・ダーシーはしばらく腰をおろしていたが、また立ち上がると部屋のなかをぐるぐると歩きはじめた。エリザベ
おどろ くち すう ぶん ちんもく こうふん ようす
スは驚いたが、ひとことも口はきかなかった。数分の沈黙がつづいたあと、ミスタ・ダーシーが興奮した様子で、や
あゆ かた
おらつかつかとエリザベスに歩みより、こう語りだした。
くる きもち おさ もう あ ゆる
「いたずらに苦しみました。でもだめでした。この気持はもう抑えられない。こう申し上げることを許してくださ
はげ おも あい
い、ぼくがどれほど激しくあなたを想い、愛しているかということを」
きょうがく め みは かお あか みみ うたが くち かのじょ
エリザベスの驚愕はたとえようもなかった。目を見張り、顔を赤らめ、耳を疑い、口もきけなかった。その彼女の
ようす じしん え いだ かのじょ おも の
様子に自信を得たミスタ・ダーシーは、これまでずっと抱きつづけていた彼女への思いのたけをすぐさま述べはじめ
はな しぼ べつ つた きもち あいじょう もんだい
た。よどみなく話しはしたものの、こうした思慕とは別に、きちんと伝えておかねばならぬ気持があり、愛情の問題
きょう じ
かた おのれ 矜 じ かた ゆうべん みぶん ひく
について語るより、己の 矜 持について語るときはいっそう雄弁になった。エリザベスの身分の低さということ──そ
かもん ふめいよ かのじょ かてい じぶん きもち あいい もんだい かれ くる げん
れが家門の不名誉となること──彼女の家庭に自分の気持とは相入れない問題があることなど、それが彼の苦しみの原
いん きゅうこん はげ かた
因であったとはいえ、求婚にはふさわしからぬ激しさで語りつづけたのである。
むね ふか ね けんお かん じんぶつ あい こくはく こころ うご
胸に深く根ざしている嫌悪感はあったが、このような人物の愛の告白にエリザベスも心を動かされずにはいられな
じぶん いし ゆ きょぜつ う あいて くつう おも
かった。自分の意志はいっときでも揺らいだわけではないが、こちらの拒絶によって受ける相手の苦痛を思いやる
き どく つづ みぶん うんぬん ことば はげ いか どうじょう
と、はじめは気の毒にもなった。しかし、そのあとに続いた身分云々の言葉には激しい怒りをかきたてられ、同情な
き う かれ はなし お じぶん おさ こた おも きもち しず かれ さい
どたちまち消え失せた。だが彼の話が終わったときには、自分を抑えて答えようと思い、気持を鎮めていた。彼は最
ご おさ おさ れんじょう はげ せつせつ の はなし お て う い こころ
後に、抑えようにも抑えきれぬ恋情の激しさを切々と述べて話を終えた。そしてどうかわが手を受け入れ、わが心に
むく い そ かれ い しょうだく しん め あき ふあん
報いたまえと言い添えた。彼がこう言ったとき、承諾をもらえるものと信じているのは目にも明らかだった。不安や
おもて
くのう かた めん じしん み いか
苦悩を語っていたのに、 面 には自信がみなぎっていた。そうしたさまを見るにつけ、エリザベスの怒りはいよいよ
つの あいて はな 頰 こうちょう い
募り、相手が話しおわると、頰を紅潮させてこう言った。
ばあい いろ へんじ いただ きもち かんしゃ よ なら
「このような場合には、たとえ色よいお返事ができませんでも、頂きましたお気持に感謝するのが世の習いでござい
おも とうぜん かんしゃ きもち れい もう あ
ましょうね。ありがたく思うのが当然ですわ。わたくしに感謝の気持がございますなら、いまお礼を申し上げるで
きもち たか ひょうか おも
しょう。でもそんな気持にはなれません──あなたに高い評価をいただこうと思ったことはありませんし、あなたも、
ひょうか くる
いやいやながらそんな評価をおあたえくださったのでしょう。わたくしがどなたにせよ苦しみをおあたえしていたな
しんがい し くる なが つづ ねが
んて心外です。でもこちらは知らずにしたことです。そんな苦しみが長く続かないよう願っていますわ。わたくしへ
あい みと はば かんじょう きもち
の愛を認めることをずっと阻んできたとおっしゃるそんな感情がおありなんですもの、わたくしがこうして気持をお
つた あい さ
伝えしたからには、わたくしへの愛なんてすぐに冷めてしまいますわ」
め そそ おどろ どうじ いか
マントルピースによりかかり、その目をエリザベスに注いでいたミスタ・ダーシーは、驚きと同時に怒りをおぼえ
かのじょ ことば き がんめん そうはく こころ どうよう めん
ながら彼女の言葉を聞いたようだった。顔面は蒼白になり、心の動揺がその面のすみずみにまであらわれた。なんと
へいせい たも だいじょうぶ かくしん くち ひら ちんもく
か平静を保とうとあがき、もう大丈夫と確信がもてるまでは口を開こうとしなかった。その沈黙はエリザベスにとっ
た かれ れいせい くち き
ては耐えがたいものだった。彼はどうにか冷静になり、ようやく口を切った。
ぶ しつけ
いただ おも へんじ ふ しつけ きょぜつ きょう
「それが、ぼくが頂けるものと思っていたお返事なのですか! なにゆえに、これほど不 躾 に拒絶されるのか、教
えていただきたいものですね。いや、そんなことはどうでもいい」
たず こた じぶん いし そむ りせい そむ とくせい せ
「わたくしもお尋ねしたいことがあります」とエリザベスは答えた。「ご自分の意志に背き、理性に背き、徳性に背
す はな こころ きず はずかし
いてわたくしを好きになったなどと、わざわざお話しになったのは、わたくしの心を傷つけ辱めるためですわね。そ
ぶれい りゆう ぶれい りゆう
れはいったいなぜですか? これは、わたくしがご無礼をする理由にはなりませんか? でもご無礼をする理由なら
きら きょうみ まん いち
ほかにもあります。おわかりでしょう。わたくしがあなたを嫌いでないにしても、興味がないにしても、万が一あな
こうい よ あい あね こうふく えいきゅう うば
たに好意をよせているにしても、わたくしがこの世でいちばん愛している姉の幸福を、おそらく永久に奪ってしまっ
じんぶつ う い おも
た人物を、わたくしが受け入れるとでもお思いですか?」
ことば はっ かおいろ か かんじょう みだ き はなし
エリザベスがこうした言葉を発すると、ミスタ・ダーシーの顔色が変わったが、感情の乱れはすぐさま消え、話を
みみ かたむ
さえぎろうともせず耳を傾けた。
うと
うと おも りゆう は やくわり どうき
「あなたを 疎 ましく思う理由はいくらでもありますわ。あのことであなたが果たした役割は、動機がなんであろう
ひれつ きょうりょう まぬか おも ひ さ ゆいいつ しゅだん
と、卑劣、狭量のそしりは免れないと思います。あれがふたりを引き裂く唯一の手段ではなかったとしても、あなた
しゅぼう しゃ ひてい ひてい なか さ かたほう うわき
が首謀者であったことは否定なさいませんわよね、否定できるはずがないわ。あのふたりの仲を裂き、片方は、浮気
しゃ き や うし ゆび いっぽう しつれん き どく せけん ものわら ひさん
者、気まぐれ屋と後ろ指をさされ、もう一方は、失恋してお気の毒にと世間の物笑いになり、ふたりともそれは悲惨
きょうぐう
な境遇におとされたんですものね」
ひといき あいて かいこん じょう うご へいぜん みみ かたむ ようす み すく いきどお
エリザベスは一息つき、相手が悔恨の情に動かされることもなく平然と耳を傾けている様子を見て少なからぬ憤り
おぼ かれ おも はんろん おどろ え う かのじょ なが
を覚えた。彼のほうは、エリザベスの思わぬ反論に驚いて、笑みさえ浮かべて彼女を眺めていたのである。
じぶん ひてい いちど と つ
「ご自分のなさったことを否定できますか?」エリザベスはもう一度問い詰めた。
かれ へいせい よそお こた ゆうじん あね じょう ひ はな ちから つ
すると彼は平静を装ってこう答えた。「友人をあなたの姉上から引き離そうと力を尽くしたことも、そしてそれが
じょうじゅ ひてい おも かれ じぶん いじょう しんみ かんが
成就したことをよろこんだのも、否定しようとは思いません。彼のことはいつも自分のこと以上に親身になって考え
ていますから」
ししん かれ ことば みみ か き ことば いみ めいはく かれ
エリザベスは、私心はないという彼の言葉に耳を貸す気もなかったが、その言葉の意味はきわめて明白であり、彼
おんな いか
女の怒りはとてもおさまりそうになかった。
ことば きら りゆう
「でもこのことだけじゃありません」とエリザベスは言葉をついだ。「あなたが嫌いになった理由は。これよりだい
いぜん き たい みかた き なん かげつ まえ くわ
ぶ以前に聞いたことですが、あなたに対する見方はそれで決まりました。何カ月も前にウイッカムさんから詳しいお
はなし うかが ひとがら み もう ひら
話を伺って、あなたのお人柄が見えてきました。これについては、どう申し開きをなさいますか? ここでもそらぞ
ゆうじょう も だ じぶん べんご きょぎ ちんじゅつ
らしい友情を持ち出して、ご自分の弁護をなさるおつもりですか? それともどのような虚偽の陳述をして、ひとを
あざむ
欺くおつもりですか?」
しんし かんしん かお こうちょう へいせい か くちょう い
「あの紳士にいやに関心がおありなんですね」ダーシーは顔を紅潮させ、やや平静を欠いた口調でこう言った。
ほう ふこう し かんしん
「あの方のご不幸を知れば、どうして関心をもたずにいられましょう?」
ほう ふこう は す い かれ ふこう
「あの方のご不幸か!」ダーシーは吐き捨てるように言った。「そう、彼の不幸はたしかにたいそうなものだ」
しう いきお い かげ ほう びんぼう
「そしてあなたのひどい仕打ちも」とエリザベスは勢いこんで言った。「あなたのお陰で、あの方は貧乏になってし
びんぼう ほう ほんらい う と かずかず とっけん あた
まったんです、かなりの貧乏に。あなたは、あの方が本来受け取るべき数々の特権をお与えにならなかったんですも
しょうち うえ ほう じんせい さいりょう うば ほう どうぎ てき ほうてき
のね、なにもかもご承知の上で。あの方の人生の最良のときを奪っておしまいになった、あの方が道義的にも法的に
え じりつ きばん うば
も得られたはずの自立の基盤まで奪っておしまいになった。すべてはあなたのなさったことです! それなのにあな
ほう う ふとう しう き けいべつ ちょうしょう むく
たはあの方の受けた不当な仕打ちのことをお聞きになっても、軽蔑と嘲笑で報いるのですね」
さけ へや よこぎ たい みかた
「これが」とダーシーは叫びながら、部屋をつかつかと横切ってくる。「ぼくに対するあなたの見方なんですね。こ
くだ ひょうか せつめい すいそく したが
れがぼくに下したあなたの評価なんですね! きちんと説明してくださってありがとう。あなたの推測に従えば、ぼ
つみ おも かれ ことば た ど む なお しんけん さる
くの罪はたしかに重い。おそらくは」と彼は言葉をつぎ、立ち止まってエリザベスのほうに向き直った。「真剣な申
こ なが ちゅうちょ はんもん そっちょく う あ じそんしん きず
し込みをすることを長いあいだ躊躇させていたぼくの煩悶を率直に打ち明けて、あなたの自尊心を傷つけさえしなけ
つみ みのが はんもん お かく むじょうけん じゅんすい あいじょう りせい じゅくりょ
れば、その罪も見逃されていたでしょう。もしぼくがこの煩悶を押し隠し、無条件の純粋な愛情と理性と熟慮をもっ
たくみ こと はこ しんらい てきび ひなん う
て巧く事を運び、あなたの信頼をかちえていれば、このような手厳しい非難も受けずにすんだかもしれない。だがな
じぶん いつわ い はな きもち は
んによらず自分を偽るのは忌むべきことだ。それにさっきお話ししたぼくの気持に恥じるところはまったくありませ
しぜん きもち みうち しゃかい てき ちい ひく
ん。ごく自然なまっとうな気持です。あなたの身内の社会的な地位の低さを、ぼくがよろこべるだろうか? ぼくよ
みぶん おと みうち ふ
りずっと身分の劣った身内が増えるのをぼくがよろこべるだろうか?」
いか わ かん ひっし れいせい はな つと
エリザベスはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。それでも必死に冷静になって話そうと努めた。
こくはく きもち どうよう おも おも ちが
「あなたのこのような告白がわたしの気持を動揺させたとお思いでしたら、それは思い違いですわ、ダーシーさま。
しんし ふ ま ことわ こころぐる おも
ただ、あなたがもっと紳士らしく振る舞われたら、こちらはお断りするのを心苦しく思ったでしょうに」
ことば くち ことば
ミスタ・ダーシーはこの言葉にぎくりとしたようだが、そのまま口をつぐんでいたので、エリザベスは言葉をつい
だ。
かれ
「どのようになさっても、さしだされたあなたの手を快くお受けする気にはなれません」
て こころよ う き
35
もん て てがみ
進んだ。ミスタ・ダーシーもすでに門のところまでたどりついており、手にした手紙をさしだしたので、エリザベス
う と お つ こうまん ひょうじょう い あ おも
がついそれを受け取ると、落ち着きはらった高慢な表情でこう言った。「あなたにお会いできるかもしれないと思い
もり ある てがみ よ かる えしゃく
ながら、森のなかをずっと歩いていました。その手紙をお読みいただければありがたいのですが」──そして軽く会釈
きたい
をすると、ふたたび木立の中に入っていき、やがてその姿は見えなくなった。
こだち なか はい すがた み
あなた
しょじょう う と しんぱい むよう さくや きじょ ふかい おも しんじょう
『このような書状を受け取られたからといって心配はご無用です。昨夜貴女に不快な思いをさせたこちらの心情や、
したた
けっこん もう こ む きぐ 認
結婚の申し込みなどを蒸しかえされるのではないかと危惧されることはありません。これを 認 めるにあたって、あ
おとし
くつう もうとう わたし がんぼう の じぶん 貶
なたに苦痛をあたえるつもりは毛頭なく、また私の願望をくどくど述べたてて自分を 貶 めるつもりもありません。
たが しあわ いち けん いっこく はや わす こ しょじょう みと
お互いの幸せのためには、この一件は一刻も早く忘れるに越したことはありません。このような書状をあえて認め、
きじょ よ し わたし しんよう かいよう したが なに
貴女に読んでいただくというわずらわしさを強いるのは、私の信用にかかわることゆえとご海容ください。従って何
そつ いちどく たまわ せつ ねが きもち すす おも きじょ こうへい はんだん ゆだ
卒ご一読賜りますよう切に願うものであります。お気持は進まぬとは思いますが、ぜひとも貴女の公平な判断に委ね
たいのです。
あいこと
あい こと せいしつ じゅうよう せい み けっ あい ひと い ふた もんだい さくや きじょ わたし せめ
まったく 相 異 なる性質の、重要性から見れば決して相等しいとは言えない二つの問題について、昨夜貴女は私の責
にん ついきゅう げんきゅう もんだい くん きじょ あね じょう かんじょう むし りょうしゃ なか ひ さ
任を追及されました。はじめに言及された問題は、ビングリー君と貴女の姉上の感情を無視し、両者の仲を引き裂い
わたし けんり ようきゅう むし めいよ にんじょう むし くん め
たということ──そしてもうひとつは、私がさまざまな権利の要求を無視し、名誉や人情を無視し、ウイッカム君の目
まえ こううん つぶ ゆうい ぜんと はめつ ようじ とも ちち め もの とうけ ひご
前の幸運を潰し、有為なる前途を破滅させたということです。わが幼時の友、わが父が目をかけた者、当家の庇護な
き まま
たよ もの せいねん ひご ねが せいちょう せいねん かって き 儘 ぜつえん ひどう つかまつ
くしては頼る者もない青年、ひたすら庇護を願いつつ成長した青年を勝手気 儘 に絶縁するなどはまことに非道なる仕
う つみ おも すう しゅうかん あい はぐく わか なか さ つみ どうじつ ろん
打ち、その罪の重さたるや、ほんの数週間の愛を育んだ若いふたりの仲を裂いた罪とは同日の論ではありません。し
けんせき
わたし どうき せつめい よ さくや おも ぞんぶん たまわ きび 譴 せめ こんご まぬか きたい
かし私の動機についての説明をお読みいただければ、昨夜思う存分賜った厳しい 譴 責 を、今後は免れるものと期待し
わたし じしん せきにん かんが しょうじゅつ きじょ ふかい ねん お し とうほう こころ
ております。私自身の責任と考えるところを詳述するにあたり、貴女にご不快の念を起こさせるやも知れぬ当方の心
じょう かた ゆる こ い い 以
情も語らねばなりませんが、それについてはひとえにお許しを乞うばかりです。言わねばならぬことは言う──これ以
じょう べんめい ぐ さんじょう とち わか ふじん
上の弁明は愚であります。ハートフォードシャーに参上してまもなく、ビングリーが、あの土地の若いご婦人のだれ
きじょ あね じょう こころ うば どうよう わたし き かれ あいじょう しんけん
よりも貴女の姉上に心を奪われていることは、ほかのひとびとと同様に私も気づきました。彼の愛情が真剣なもので
わたし きぐ ぶとう かい よる わたし こい かれ
はないかと私が危惧するようになったのは、ネザーフィールドの舞踏会の夜でした。それまでにも私は恋におちる彼
み きじょ あいて こうえい よく ぶとう かい くち
をたびたび見ています。貴女のお相手をする光栄に浴したあの舞踏会で、サー・ウィリアム・ルーカスがたまたま口
ことば あね じょう あいじょう ふか よ けっこん きたい
にされた言葉から、姉上によせるビングリーの愛情の深さは、世のひとびとにふたりの結婚を期待させるほどだとい
し きょう くち けっこん き はなし ひど みてい
うことをはじめて知ったのです。卿の口ぶりでは、結婚はすでに決まった話で、日取りだけが未定であるということ
わたし ゆうじん こうどう ちゅういぶか かんさつ けっか
でした。そのときから私は、友人の行動を注意深く観察するようになったのです。その結果、ビングリーがミス・ベ
よ れんじょう み ふか き わたし きじょ あね じょう ちゅういぶか
ネットに寄せる恋情は、これまで見たこともないほど深いものであるのに気づきました。私は貴女の姉上も注意深く
み ひょうじょう たいど くったく ほが あいそ ふ ま とく
見ておりました。その表情も態度も屈託がなく、いつも朗らかに愛想よく振る舞われていましたが、ビングリーに特
べつ こうい きざ いっこう み よる かんさつ けっか あね じょう
別な好意をよせているような兆しは一向に見えませんでした。あの夜じっくりと観察した結果、姉上は、ビングリー
あいじょう こころよ う い みずか きもち しめ あいじょう とも ふか
の愛情を快く受け入れてはおいでだが、自らの気持も示して、その愛情を共に深めようというおつもりはないのだと
かくしん いた あやま わたし あやま あね じょう
いう確信に至りました。これについてあなたが誤っていなければ、私が誤っていたのです。姉上のことはだれよりも
し きじょ わたし おも ちが きじょ ただ わたし たん おも こ はん
知っておられる貴女ですから、これは私の思い違いだったのでしょう。もし貴女が正しく、私が単なる思い込みで判
だん あやま けっか あね じょう くる きじょ いか あね じょう
断を誤り、その結果姉上が苦しまれることになったのであれば、貴女のお怒りはごもっともです。しかしながら姉上
おだ ひょうじょう きょし み きだ こころ ようい うご
のあくまでも穏やかな表情や挙止を見れば、気立てはいくらやさしくても、その心は容易に動かしがたいものだと、
するど め かんさつ しゃ かくしん そうい わたし だんげん あね じょう む かんしん しん きもち
鋭い目をもつ観察者もそう確信したに相違ないと私はためらわず断言します。姉上が無関心であると信じたい気持は
わたし おのれ がんぼう けねん かんさつ め けつだん りょく にぶ あね じょう
ありましたが、ふだんの私は、己の願望や懸念ゆえに観察する目や決断力が鈍ることはぜったいありません。姉上が
む かんしん み わたし のぞ おも かくしん わたし しん
無関心に見えたのは、私がそう望んでいたからだとは思いません。なにものにもとらわれぬ確信をもって私はそう信
りせい て あね じょう む かんしん のぞ しんじつ しんじつ さくや わたし ばあい しょうがい
じた、理性に照らして姉上の無関心を望んだのが真実であるように、これもまた真実です。昨夜、私の場合、障害を
どがいし はげ れんじょう ちから ひつよう みと わたし けっこん はんたい りゆう たん
度外視するには激しい恋情の力が必要であったと認めましたが、私がふたりの結婚に反対だった理由は単にそれだけ
ゆうりょく えんせき わたし おお しょうがい
ではありません。有力な縁戚がいないということは、私にとってもビングリーにとってもさほど大きな障害ではあり
つよ はんぱつ おぼ げんいん そんざい わたし りょうにん おな
ませんでした。ただ強い反発を覚える原因がほかにありました──それはいまなお存在し、私たち両人にとっては同じ
ていど じゅうよう わたし ばあい もくぜん もんだい わす つと
程度に重要なことですが、私の場合は、目前の問題というわけではありませんでしたので、忘れようと努めていたの
りゆう てみじか つた きじょ ははかた みうち しゃかい てき
です。それらの理由については、手短かにではありますが、お伝えせねばなりません。貴女の母方のお身内の社会的
ちい この ははうえ れいせつ か ふ ま くら と
地位は、好ましくないにしても、母上のまったく礼節を欠いたお振る舞いに比べれば、取るにたらぬものです。そし
ははうえ きじょ さん にん いもうとかた おな ふ ま ちちうえ
て母上のみならず、貴女の三人の妹方にもほとんど同じような振る舞いが、そしてときとするとお父上にまで、それ
みう ゆる きじょ きもち きず こころ いた きじょ じしん みうち かたがた れい
が見受けられました。どうか許したまえ。貴女の気持を傷つけるのは心が痛みます。貴女ご自身、身内の方々の礼を
はた
しっ ふ ま きづか はじ き ふかい さっ みうち
失した振る舞いを気遣っておられるのに、このようなことを 端 から聞かされるご不快はさぞやと察しますが、お身内
お
おな ひなん う ふ ま きじょ あね じょう りょうしょ りょうしき きしょう そんけい お しょう
と同じ非難を受けぬよう振る舞っておられる貴女と姉上ご両所の良識と気性は尊敬措くあたわざるもの、まことに称
さん つた きじょ こころ やす ねが しょうしょう もう あ
賛さるべきものであるとお伝えして、貴女が心を安んじられるよう願っております。あと少々申し上げましょう。あ
さだ
ぶとう かい よる できごと かぞく たい わたし みかた てい ふこう むす こう
の舞踏会の夜の出来事から、ご家族のみなさんに対する私の見方は 定 まり、もっとも不幸な結びつきであると考えら
じたい とも すく いぜん かくさく こうどう いき わたし つよ
れる事態からわが友を救うために、以前から画策していた行動をとろうという意気ごみが私のなかでいよいよ強まっ
きおく おも よくじつ もど はつ
ていったのです。ご記憶のことと思いますが、ビングリーは、あの翌日、すぐに戻るつもりでネザーフィールドを発
む わたし えん やくわり せつめい いもうと ふあん わたし どうよう
ちロンドンに向かいました。私が演じた役割をここで説明いたします。ビングリーのふたりの妹の不安も、私同様ま
つの わたし きもち おな かれ
すます募っておりました。私たちの気持がたまたま同じだったことは、たがいにすぐわかりました。彼をあそこから
ひ はな いっこく ゆうよ きもち おな わたし かれ い
引き離すには一刻の猶予もならないという気持も同じでしたから、私たちは、すぐさまロンドンの彼のもとに行くこ
わざわい
き い わたし せんたく わざわい とも ちょくげん やくめ 躊
とを決めました。そしてロンドンへ行き、そこで私は、このような選択は 禍 のもとだとわが友に直言する役目を躊
躇 ひ う わたし けんめい かれ せっとく わたし ちゅうこく かれ けっしん にぶ おく
躇なく引き受けました。私は懸命に彼を説得しました。こうした私の忠告が、彼の決心を鈍らせた、あるいは遅らせ
きじょ あね じょう きもち わたし してき けっこん
たかもしれない、しかし、貴女の姉上にその気持がないことを私がためらうことなく指摘しなければ、この結婚を
さまた かれ きじょ あね じょう あいじょう ふか さ じぶん
けっきょく妨げることはできなかったでしょう。彼はそれまで、貴女の姉上が、その愛情の深さに差こそあれ、自分
た ち
あいじょう しんけん こた しん せいらい うちき せいしつ じ
の愛情には真剣に応えてくれるものと信じきっていましたから。だがビングリーは、生来まことに内気な性質で、自
ぶん はんだん わたし はんだん したが きみ おも ちが なっとく むずか
分の判断より私の判断をよしとしていた。従って、君は思い違いをしていると納得させるのはそれほど難しいことで
なっとく もど せっとく
はありませんでした。それを納得させたとなると、ハートフォードシャーに戻るなと説得するのはわけのないことで
み せ けん かん じぶん こうどう いち てん ゆる
した。そうまでしたわが身を責めることはできません。ただこの件に関する自分の行動について、一点だけ許しがた
きじょ あね じょう たいざい かれ かく ひれつ こうい およ
いことがあります。それは、貴女の姉上がロンドンに滞在していることを彼に隠しとおすという卑劣な行為に及んだ
わたし じじつ し じしん し
ことです。私もミス・ビングリーも、その事実は知っていたのですが、ビングリー自身はいまもって知りません。ふ
であ わる けっか かれ こいごころ さ み
たりが出会っていても悪い結果にはならなかったのかもしれません。しかし彼の恋心が冷めきっていたようにも見え
あね じょう あ きけん しょう あや いんぺい
なかったので、姉上と会えばそこになんらかの危険が生じるのではないかと危ぶんだわけです。おそらくこの隠蔽、
ぎそう さくぼう わたし げんじつ おも
この偽装の策謀は、私としては、してはならぬことでした。だが現実にそうしてしまった、ただそれはよかれと思っ
けん いじょう い いじょう べんめい きじょ あね じょう
てしたことです。この件についてはもうこれ以上言うべきことはなく、これ以上弁明もいたしません。貴女の姉上の
きもち きず し わたし こうどう はし どうき きじょ
お気持を傷つけたにせよ、あくまでも知らずにしたことでした。私をそのような行動に走らせた動機は、貴女にはと
しょうふく ひ みと わたし し いち けん くん
うてい承服しがたいものでしょうが、いまもってその非を認めるすべを私は知りません。もう一件、ウイッカム君の
けんせき つまび
じんせい ふ ゆゆ けんせき かれ わたし いちぞく かんけい 詳 はんろん
人生を踏みにじったという由々しきご 譴 責 についてですが、彼と私一族との関係を 詳 らかにして反論とするのみで
かれ わたし いちじる ひなん わたし し
あります。彼が私を著しく非難していることについては、私のまったくあずかり知らぬところです。しかしこれから
の じじつ うたが よち しんらい た しょうにん よ あつ
述べようとする事実については、疑う余地のないまったく信頼に足る証人をひとりならず呼び集めることができま
くん じんかく こうけつ じんぶつ しそく じんぶつ ながねん かおく しき
す。ウイッカム君は、まことに人格高潔な人物の子息であります。その人物は、長年にわたりペンバリーの家屋敷と
もろ しょ りょうち かんり あ もの せきにん りっぱ は とうぜん ちち ろう むく
諸所にある領地の管理に当たってきた者ですが、その責任を立派に果たしてくれたために当然わが父はその労に報い
かんが ちち もの むすこ な おや め
たいと考えました、そして父はその者の息子、ジョージ・ウイッカムの名づけ親となり、たいそう目をかけてやった
ちち がくし ご けんぶりっじだいがく にゅうがく ちちおや つま ろうひ へき つね
のです。父は学資をあたえ、後にはケンブリッジ大学に入学させました。ウイッカムの父親は、妻の浪費癖のため常
まず むすこ しんし きょういく ほどこ ふかのう ようい えんじょ ちち
に貧しく、息子に紳士としての教育を施すことは不可能でしたから、これは容易ならぬ援助だったでしょう。父は、
ひとあ せいねん つ あ この ひじょう たか ひょうか せいしょく つ
この人当たりのよい青年との付き合いを好んだばかりか、非常に高く評価して、ゆくゆくは聖職に就かせようと、そ
ざいせい てき えんじょ かんが わたし じしん かれ たい いぜん べつ みかた じだらく
のための財政的な援助も考えていました。私自身は、彼に対してはずっと以前から別の見方をしていました。自堕落
せいこう せっそう けつじょ かれ さいあい とも わたし ちち さと ようじん おな とし
な性向──節操の欠如、そういったものを彼は最愛の友というべき私の父に悟らせまいと用心していましたが、同じ年
わかもの どうし むぼうび かれ み きかい たた ちち め わたし め のが
ごろの若者同士であれば、無防備の彼を見る機会は多々あり、父の目はごまかせても、私の目を逃れることはできま
きじょ くつう くつう わたし し よし
せんでした。ここでまた貴女に苦痛をあたえることになるでしょう──その苦痛がどれほどのものか、私は知る由もあ
ほんしょう
くん きじょ こころ めば かんじょう かれ ほん せい あき
りませんが。しかしウイッカム君が貴女の心に芽生えさせた感情がいかなるものであろうとも、彼の 本 性 を明らか
わたし きもち お あき え ぜんりょう
にしたい私の気持を押しとどめることはできません。むしろそれゆえにこそ明らかにせざるを得ないのです。善良な
わたし ちち ご ねん まえ たかい くん たい ちち あいじょう さいご か いしょ かれ
る私の父は、五年前に他界しました。ウイッカム君に対する父の愛情は最後まで変わらず、その遺書に彼のことはよ
たの わたし か ぼくし ゆる しょうしん はか せいしょく
ろしく頼むと私に書きのこしました。つまり牧師として許されるかぎりの昇進ができるよう計らってほしい、聖職に
つ か じゅよ けん かち せいしょく ろく くうせき しだい けんり かれ
就いたあかつきにはダーシー家が授与権をもつ価値ある聖職禄が空席になり次第、その権利を彼にあたえてやってほ
ないよう うえ いち せん いぞう かれ ちちおや わたし ちち しご たかい
しいという内容でした。その上一千ポンドが遺贈されました。彼の父親は、私の父の死後まもなく他界しました。こ
できごと はんとし くん しょじょう とど けっきょく せいしょく つ だんねん
うした出来事があってから半年もたたぬうちに、ウイッカム君から書状が届きました。結局聖職に就くことは断念し
りえき せいしょく ろく けんり い そうきゅう きんせん じょう えんじょ え おも
た、たいして利益にもならない聖職禄の権利は要らない、ただし早急に金銭上の援助を得たいと思っているが、どう
りふじん おも か おく ほうてい べんごし べんきょう ひよう
か理不尽だと思わないでほしいと書き送ってきました。法廷弁護士になる勉強をするつもりでいるが、その費用には
いち せん りそく た し か そ かれ しんけん しん
一千ポンドの利息ではとうてい足りないことを知ってほしいと書き添えてありました。彼が真剣であると信じるとい
ねが もう で おう
うより、そうあれかしと願っていましたが、いずれにせよ、その申し出にはよろこんで応じるつもりでした。ウイッ
くん せいしょく つ じんぶつ わたし し したが はなし へん かれ
カム君が聖職に就くべきではない人物であることを私は知っていたからです。従って話はすぐに片がつきました。彼
せいしょく ろく けんり え けんり ほうき さん せん きん 受
は、聖職禄の権利を得られるようになっても、その権利はすべて放棄することとし、かわりに、三千ポンドの金を受
と かんけい かいしょう み ふとど おとこ おも
け取ったのです。われわれの関係はこれですっぱり解消されたかに見えました。まったく不届きな男だと思っていた
まね でい ゆる かれ く
ので、ペンバリーへ招くこともなく、ロンドンでも出入りは許しませんでした。彼はだいたいロンドンで暮らしてい
くびき
おも ほうりつ まな たん こうじつ くびき と はな のち たいだ ほうらつ なま
たと思いますが、法律を学ぶというのは単なる口実にすぎず、あらゆる 軛 から解き放たれた後は、怠惰で放埒な生
かつ おく おも さん ねん しょうそく とだ かれ
活を送っていたと思います。ほぼ三年のあいだ消息はほとんど途絶えていました。しかしかつて彼にあたえられるは
ひっ
せいしょく ろく え ぼくし よ さ かれ せいしょく ろく じゅよ たの しょじょう く む
ずだった聖職禄を得た牧師が世を去ると、彼はその聖職禄の授与を頼むという書状をよこしました。暮らし向きが 逼
ぱく
さこ い おも ほうりつ もう がくもん とい
迫 していると言うのですが、さもありなんと思いました。法律はまったく儲からない学問であることがわかった、問
しか
だい せいしょく ろく ぼくし けっしん かた しか こうほ しゃ
題の聖職禄をあたえてくれるなら、牧師となる決心はしっかり固まっているというのです──ほかに 然 るべき候補者
お
じゅうじゅう しょうち きくん そんけい お ちちうえ いし わす もう
はいないことは重々承知だし、貴君の尊敬措くあたわざる父上の遺志をよもやお忘れではあるまいと申してきまし
しりぞ
わたし こんがん 斥 しつよう たんがん きょぜつ い きじょ わたし ひなん
た。私がこの懇願を 斥 け、執拗にくりかえされる嘆願をきっぱり拒絶したからと言って、貴女は私を非難はなさい
ひ ぼう
せいかつ お つ かれ いか すさ せけん たい わたし そし そし
ますまい。生活に追い詰められていた彼の怒りは凄まじいものでした──そのために世間に対し私を誹 謗 したであろ
うたが わたし めん む つうれつ ひなん あ いらい い とだ
うことは疑いなく、私にも面と向かって痛烈な非難を浴びせたのです。それ以来、行き来はぷっつり途絶えました。
く わたし し さくなつ かれ かだい ようきゅう お
どんな暮らしをしていたか、私は知りません。ですが昨夏のこと、彼はふたたびわたしに過大な要求を押しつけてき
わたし じしん わす おも できごと ふ じょうきょう
ました。私自身忘れたいと思っているあの出来事にも、ここでは触れねばならぬでしょう。このような状況でなけれ
じじつ もう きじょ ひみつ まも しん じゅう さい としした
ば、だれにもさらけだしたくない事実です。かく申せば、貴女もきっと秘密を守ってくださると信じます。十歳年下
わたし いもうと はは おい あ たいさ わたし こうけん やく まか いち ねん まえ いもうと がっこう
の私の妹は、母の甥に当たるフィッツウィリアム大佐と私が後見役を任されていました。一年前に、妹は学校をはな
いもうと す かま さくなつ いもうと やしき と しき ふじん
れ、ロンドンに妹のための住まいが構えられました。そして昨夏、妹は屋敷を取り仕切る婦人、つまりミセス・ヤン
おもむ したごころ
グとともにラムズゲイトに赴きました。そしてそこにウイッカムがあらわれたのです、むろん下心があってのことで
かれ まえまえ し あ かのじょ ひとがら わたし
す。彼とミセス・ヤングは、前々から知り合いだったことがそこでわかりましたが、彼女の人柄には私たちもまんま
だま かのじょ もくにん ちからぞ いもうと と い いもうと あい
と騙されていたのです。彼女の黙認と力添えによって、ウイッカムは、妹のジョージアナに取り入った。妹の愛らし
むね こども かれ かわい きおく きざ じぶん こい おも
い胸には、子供のころ彼に可愛がってもらった記憶がしっかり刻まれていたために、自分が恋をしていると思いこま
か お やくそく じゅう ご さい いもうと
され、駆け落ちまで約束してしまったのです。わずか十五歳では、それもやむをえなかったということでしょう。妹
けいそつ こうい はな いもうと くち じじつ き つた さいわ か
の軽率な行為をお話ししましたが、妹の口からじかにその事実を聞いたということをお伝えできるのは幸いです。駆
お に にち まえ わたし おとず ちちおや そんけい
け落ちをするというその二日ほど前に、私はたまたまそこを訪れたのですが、ジョージアナは、父親のように尊敬し
あに かな おこ ふあん むね わたし う あ
ている兄を悲しませ、怒らせるのではないかという不安を胸にしまっておくことができず、すべてを私に打ち明けま
わたし きもち こうどう で さっ ねが いもうと めいよ きもち かんが せけん し
した。私がどのような気持で、いかなる行動に出たかお察し願います。妹の名誉と気持を考え、世間には知られぬよ
したた
くん しょじょう 認 ただ ち さ もう かい
うにしましたが、ウイッカム君には書状を 認 め、直ちにこの地を去るよう申しわたし、ミセス・ヤングもむろん解
やとい くん ねら さん まん いもうと ざいさん うたが わたし ふくしゅう
雇しました。ウイッカム君の狙いが三万ポンドある妹の財産であることは疑いようはありませんが、私に復讐したい
いな
がんぼう つよ どうき すいそく いな せいこう ふくしゅう かんぺき
という願望が強い動機になっていたのではないかという推測も 否 めません。これが成功していれば復讐は完璧だった
りょうにん かか ことがら ちゅうじつ の きじょ きょぎ しりぞ
でしょう。われわれ両人が関わった事柄のすべてをここに忠実に述べました。貴女がこれをすべて虚偽であると斥け
べつ くん かこく しう うんぬん こんご むざい ほうめん
るなら別ですが、そうでなければ、ウイッカム君にあたえた苛酷な仕打ち云々については、今後は無罪放免としてく
ねが かれ かたち きょげん きじょ みみ ふ し きじょ わたし
ださるよう願います。彼がいかなる形で、いかなる虚言を貴女の耳に吹きこんだか知りませんが、貴女は私たちのこ
ぞん かれ いと せいこう ふしぎ かれ ほんしょう み 抜
とをなにもご存じなかったわけですから、彼の意図がまんまと成功したのも不思議ではありません。彼の本性を見抜
きじょ ちから およ うたが き いっさい さくや はな
くのは、貴女の力も及ばないことでしょうし、疑う気にはならなかったでしょう。こうした一切をなぜ昨夜話してく
ふしぎ おも あ あ
れなかったのかとさだめし不思議に思われるでしょう。しかしあのときは、なにを明かせるか、明かすべきかという
はんだん きもち よゆう の しんじつ
ことを判断するだけの気持の余裕がありませんでした。これまで述べてきたすべてが真実であることは、フィッツ
たいさ しょうげん おも かれ きんしん した ちち ゆいごん
ウィリアム大佐に証言してもらいたいと思います。彼は近親であり、親しくつきあってもおり、いまもって父の遺言
しっこう しゃ けいい とうぜん くわ し わたし たい にく
の執行者のひとりでもありますから、これらの経緯についても当然詳しく知っています。私に対する憎しみのため、
わたし しゅちょう むいみ かんが わたし じゅうけい たいさ おな りゆう しんらい
私のこうした主張も無意味だとお考えだとしても、私の従兄であるフィッツウィリアム大佐まで同じ理由で信頼しな
かれ そうだん かのう せい おも しょじょう あさ
いというわけにはいかないでしょう。そして彼に相談なさる可能性もあるやと思い、この書状を朝のうちになんとし
きじょ て わた ねが
ても貴女の手にお渡ししたいと願っております。
さいご きじょ かみ しゅくふく
最後にただひとこと、貴女に神の祝福がありますように。
はい
フィッツウィリアム・ダーシー拝』
げかん
(下巻へ)
せいさく こうぶんしゃ でんし しょてん ねん つき にち
制作/光文社電子書店 2013年4月30日
ほんぶん ちゅう きょう しゃかい じょうせい こと じじつ ひょうげん さべつ てき う と ひょうげん ばあい
◎本文中、今日の社会情勢と異なる事実や表現、あるいは差別的と受け取られかねない表現がある場合もあります
ちょしゃ さべつ てき いと さくひん か じだい てき はいけい こうりょ おおむ はっぴょう じ
が、著者に差別的意図のないこと、および作品が書かれた時代的背景を考慮し、概ね発表時のままといたしました。
どくしゃ みなさま りかい ねが
読者の皆様にご理解いただきますようお願いいたします。
こうぶんしゃ でんし しょてん
(光文社電子書店)