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クスノキの番人を読んで 森恵太朗

今回、私は東野圭吾さんの「クスノキの番人」という本を読みました。私は、東野圭吾の
ミステリーが好きで、書店で手に取ってみたのがきっかけです。
物語は、両親がいない不幸な生い立ちの主人公の怜斗が、ふとしたことから罪を犯し
てしまうが、そこに伯母と名乗る人物が現れ、その木に祈れば願いが叶うという不思議
な言い伝えのあるクスノキの番人を引き受けることを条件に刑務所行きから救われ、そ
こで祈念に来た人々や、恩人である叔母の千舟との関わりを通じて、クスノキについて
の謎を解き、怜斗が成長していく物語です。

クスノキには、「祈念」をすることができます。「祈念」とは、クスノキに心の中にある思い
である「念」を預け、預けられた「念」を別の人が受け取ること。念を預けることを「預
念」、受け取ることを「受念」と言います。祈念では心の中にある思いを全て受け渡しで
きますが、本当は知られたくない思いなども伝わってしまうのが難点です。
今回の作品を読んで一番印象に残った場面は、玲斗がクスノキの謎を解き明かし、大
場荘貴の祈念を成功させた場面です。受念は、実際に血が繋がっていないとできませ
ん。その結果、玲斗は藤一郎とは血が繋がっていない荘貴に、藤一郎の念が伝わらな
いという状況に陥ってしまいます。しかし、藤一郎が受念できない荘貴をあえて受念の
相手として指名したのは、荘貴なら年が伝わらずとも意思を継いでくれると信じていた
からだと考え、そして見事に藤一郎の念は生前に荘貴に伝えられていて、荘貴の祈念
が成功したのです。

この場面を読んで、僕はクスノキの祈念には血の繋がりとか人の念とか、オカルト的な
要素もあると思うけれど、人と人の繋がりはどんな形であっても真剣に向き合うことで
どうにかなると思いました。また、相手の思いがクスノキを通してなくとも伝わるくらい、
誰かのことを大切に思えたらあたたかい世界になると思いました。
また、一見、全く隙のない千舟にも、人生において大きな後悔があったり、自分をごまか
しながら生きてきた過去があったと思います。ましてや、あれほどまでに強く玲斗に「こ
の世に生まれるべきでなかった人間などいません」と言ったのに、自らが認知症だから
と言って死を選ぼうとした千舟は、本当は全然強くないし、むしろ脆い人だと感じまし
た。対して「もともと何も持ってない」と、生きることにあまり積極的ではない玲斗は、自
分が思っているほど無能ではないし、ポテンシャルは高く、案外打たれ強いです。大場
荘貴もそうですが、ダメダメに見える人の方が、花開くと大輪だったりすることが多々あ
ると思います。また、誰からも才能があると思われていた佐治喜久夫などは、平凡な人
生を送っている弟を妬み、羨ましいとさえ思っていました。
そこで、私に「人の幸せとは何なのか?」という疑問が浮かびました。与えられた才能や
能力だけでは、絶対に決まらないということは確かです。人は生きていると必ず壁にぶ
ち当たることがあります。でも、例えば玲斗は逮捕されたことが運気を好転させること
につながりました。ここで間違えてはいけないのは、投げやりに生きることを正当化しろ
という話ではないということです。玲斗の運気が本当に好転し始めたのは、クスノキの
番人とは何なのか?を自分で考え、千舟に感謝したところがスタート地点だというとこ
ろが、見逃せないポイントだと思います。幸せと思うか、不幸だと思うかは、自分で決め
るもの。また、自分を幸福だと思っている人と付き合うと、幸福度は高まっていきます。
誰でも、嫌なことや都合の悪いことが起きれば落ち込む時があります。でも、その時に
お互いを励まし合える人間関係があれば、きっとその人はまた幸福の道を歩けるはず。
その事を『クスノキの番人』は教えてくれた気がしました。

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