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学苑 No.

769 (66)�(77) (2004·11)

日本語の語用
一話者が直接関与する事柄の表現について 一

徳 永 美 暁

1. はじめに
日本語の語用規則として最も基本となるのは, 話者自身について語る時「私」を明示しないという
ことである。「頭が痛い」と言えば, 話者の頭痛を指し,「疲 れた」と言えば話者自身の体調について
述べているという事は, 日本語話者であれば暗黙の了解事項として理解する。 つまり, 日本語表現に
おいて話者は明示されなくても, すでにそこに存在があるということである。 このことは, 言い換え
れば,「私」が関与する事柄の表現に「私」を明示すると, 下記の例(1)のような問題が起こると
いうことになる。 英語母語話者で日本語の学習者に, 下記の例文(1 a)の英文を日本語に訳させる
と, ほとんど例外なく(b)のような日本語にしてしまう。(1 )
b のような日本語は, 英語の直訳と
しては問題がないものの, 日本語としては何か不自然だと感じる。 従って, 教師は(1 C)のように
赤ペンで補助動詞「くれる」を補い返却するが, なぜ(1 a)の「私」が非主語の位置にきた文は語
用的に不自然で,(1 b)の「くれる」を補った文は自然だと感じるのかについての明確な理由は明
らかになっていないと思われる。(?:語用の不適格文を示し,その数が不適格性の度合を示す。)

(1)a. Tom so ld me theT-shirt.


b ??トムは私にT — シャツを売りました。
.
C.トムは私にT —シャツを売ってくれました。

(1)の例は, 話者が買い手として関与した事柄の表現である。 そして,(1 a)の英文は適格文であ


るにも拘わらず,(1 b)の日本語が不自然な表現である理由は, 動詞がその意味特徴として示す
「話者の視点の位置」と「語用的制約」が, 英語と日本語では異なるからである。(1 a)の英文と
(1 b)の日本語訳では, 行為者「トム」が主語で「私」が非主語であるということ, そして, トム
が売り手で「私」が買い手という関係も同じであるにも拘わらず, 日本語文は語用的に不自然な印象
を与える。 ここで, 英語では「me私」が間接目的語の位置にあっても「sell売る」という動詞が単
独で自然な英文となるのに対して, 何故日本語では「くれる」を補助動詞として付加しなければなら
ないのかということが疑問として湧いてくる。
その理由は, 筆者の分析によると, 日本語の動詞一般に見られる意味特徴と, 話者が他者の行為の
受け手になった場合の文化的要因による語用的制約によるというものである。 例えば,(1)の動詞
「売る」の間接目的語が「私」以外であれば,(1 )
d のように事実を伝達する文として適格文とな
る。

(1) d.トムは洋子さんにTシャツを売りました。

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