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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2023年4月1日第168号(第四版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通
けの って
番地
に届
きま
す Elias Canetti

Lewis Carrol

Edgar Allan Poe

Garcia MarquezGarcia
Fyodor Dostoevsky Franz Kafka

安部公房の広場|s.karma@molecom.org|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(53):夜々に:アイヒェンドルフ…page11

3 コーボー・ベーシックスkobo basics(14):無名詩集……page14
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(1):......page31
5 安部公房の箱根の仕事場を訪ねる企画ツアー……page 43
6 日本一極国家論(続 ):GAMECHANGE理論(16):4.1.7 日本国家核ミサイル保有
論7:4.1.7.3 核戦争回避のための核戦争惹起論.....page
7 SFで思考するための本棚(12):火星人は何故SFに必要か.....page
8 ネット・モナド論(38):民主主義の政治とは何か3:キリスト教と民主主義およびキ
リスト教の民主主義......page
9 ネット・モナド論(39):貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義とは
そもそもバブルである∼……pager
9 ネット・モナド論(40):日本人の資本主義のモデル……pager
10 私の本棚(51):和田誠著『お楽しみはこれからだ』……page44
11 初期小林秀雄論(4):11。小林秀雄とヴァレリー.....page48
12 散文思索塾(4):3といふ数を活かせ(2):4。《ミル》コトについて:三つのミル
.....page
13 カフカの箴言(15): 鳥籠と鳥の関係.....page69
14 ショーペンハウアーの箴言(9): 天才と狂気......pag70
15 糞尿と性愛の文学 生殖器・排泄器同一社会論仮説 (3):1。古事記の中の糞尿と性愛
/1.1神武初代天皇の皇后(きさき)の出生譚(2):待て次号:岩田英哉…page
16 サンチョ・パンサを求めて(26):一石.....page
17 サンチョ・パンサを求めて(27):糞とは何か(2):古典的な糞について.....page
18 高天原便り(14): ●……page
19 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(39):5.40 八咫烏出現五度目の出
現をする/5.41 日高見建設工業/5.42 祭頭祭と云ふ出陣式/5.43 高天が原は此処に
ある/5.44 息栖神社…..page74
20 東 イツ回想記(7):●…page

・本誌の収蔵機関…page91
・編集方針…page91
ド
もぐら通信
もぐら通信 3
ページ

ニュース&記録&掲示板

The best tweets10 of the month

kengochiba@kemichemi0620·Apr 22
安部公房の声を聴きながら…
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ePri
en Mol
Gold
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◂Ⓘ▸ ひとり読書会 ◂Ⓘ▸@yomiasaru_hito·Apr 25


わかる人にはわかる場所で安部公房を読んだ。
本も買った。

rize
oleP
erM
Silv Sei@seiastro·Apr 28
ところで安部公房をつぶやくと昔からなぜか
一部から熱い反応があるので安部公房の記事も
そのうち再掲します。やっと来るのか、公房の時代が…

今月の安部公房礼賛
椎名 由太佳@shiinayutaka777·Apr 28
もう少し
長生きしてたら
ノーベル賞間違いなしだった
作家、安部公房

安部公房は
眠る間際に、ふと
小説のアイデア
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
言葉が浮かび
そのまま眠ってしまうと
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もぐら通信 4
ページ

朝、起きて忘れてしまうので
録音機をいつもそばに置いて
声で記録
わざわざ起きて書くよりも
簡単だからね

今はスマホがあるから
便利な時代

幻想系古本屋 古書ドリス@info_doris·Apr 28
安部公房の本。

書 防破堤@bouhateibooks・Apr 30
安部公房の古い文庫がたくさん入荷しています。
お手頃価格ですので是非

今月の旭川安部公房の会
柴田望🌈 詩誌「フラジャイル」創刊5周年✨
誠にありがとうございます。@NOGUCHIS7·Apr 24
こちらが日本で初めて一冊の本として出版された、
安部公房の評論集であります。著者は「はっ」と閃き、
2週間くらいで書いたとのこと。「安部公房さんが泣い
て喜んでいたよ」と 井喬さんが仰ったそうです。
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Quote Tweet
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もぐら通信 5
ページ

東條慎生@後藤論刊行@inthewall81·Apr 20
高野斗志美の安部公房論ってサンリオから出てたんだ。
Show this thread

今月のカンガルー・ノート
高橋|往来堂書店@frog_goes_home·Apr 26
下のツイートがきっかけで『カンガルー・ノート』が重版
され、新たに帯が巻かれました。昨日くらいから店頭に出
現し始めているようです。令和の時代に安部公房が「大バ
ズり」なんて、それこそ嘘みたいな話だ。

有閑無是@AlkanMuze·Apr 26
ひと眠りして読書。『カンガルー・
ノート』(安部公房著)は読了。やはり傑作だと思う。素晴らしい。数学みたい。

iorugo@読書@iorugo_reader·Apr 24
【#読了】
カンガルー・ノート/安部公房
安部公房はお誕生日が一緒なので、勝手な親近感を持っている。
テンポが良くノリツッコミの様なスピード感で、急に行き着くところのない不穏な
感じがあった。理解しようと思うと何も掴めず丸ごと飲
み込む様に読了。脛でカイワレが新旧交換する様を観察
したい

伊國屋書店 梅田本店@KinoUmeda·Apr 27
【文庫再入荷】📣

「嘘みたいなあらすじ」と紹介されSNSで大バズり🙌
あの #安部公房『カンガール・ノート』(#新潮文庫 )
が重版・新帯で追加入荷しました📚 ✨

ん🤔 脛🤔 に〈かいわれ大根🌱 〉⁉
著者の最期の長編であり、独特な世界がこの令和にささ
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
る‼ M.S
もぐら通信
もぐら通信 6
ページ

谷根千黒猫@yanesenblackcat·Apr 29
安部公房の「カンガルー・ノート」を
読了。往来堂書店の高橋さんのTwitter
がバズって重版になったんだって。
SNSってすごい!

わだ@hirofumi·Apr 26
安部公房、バズって重版かよ

今月の無名詩集
福士文浩@2316poeming·Apr 29
Replying to
@asaimichiru1220
詩と小説の二刀流では、 井喬こと堤清二です。

今月の他人の顔
ヒロ.HIRO@setu1452·Apr 24
Replying to
@YurukZekeriya
他人の顔 1966
Dir 勅使河原宏
原作 安部公房

今月の読書会
彗星読書倶楽部@suiseibookclub·16h
最近の彗星読書倶楽部は、単発読書会よりも、メンバーシップ内で私やメンバーが
企画する読書会が活発です。
5/28には安部公房『砂の女』読書会。
これも白熱しそうですね

今月のガタリ
Χαιατο Ιοσιντα
@hashida_toyoya·Apr 29
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今日F.ガタリの誕生日なんでふと思い
出したけど、ガタリと安部公房がパリ
もぐら通信
もぐら通信 7
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のカフェで会ったとき、通訳が突然来られなくなって、お互いに英会話があんまり
できないので(特に公房)ひたすら人名を挙げてアリかナシか反応し合うという子
供みたいなことして過ごしたけど結構楽しかったらしいよ

今月の山中剛史(三島由紀夫研究者)
山中剛史@ymnktakeshi·Apr 23
前から言われていたけど、モラスキー氏の本で、『日本の貞操』編集者に連絡して
編者の創作と確認しているのを不覚にも知らなかった。
ただなぜ正編の帯探さなかったんだろ。らいてうや神近市子の推薦文、推薦者とし
て安部公房や野間宏、水木洋子らの名前も挙がっている。

今月の壁
@Pocky1123·23h
考えてみると安部公房の単行本には、
ほぼ全て帯がつく。その変遷を追う
だけでも楽しそう。

古書 書肆田髙@shoshitakou·
Apr 25
「壁 初帯 」安部公房 桂川寛挿画
勅使河原宏装 1951 ( 昭和26年 )
月曜書房 を入荷しました

今月のひげの生えたパイプ
菅野和明@Tw1tSLgaaWzK2Qv
·Apr 24
#読了
#安部公房 全集 第10巻
#ひげの生えたパイプ
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全部が子供向けラジオドラマのシナリオ!?
もぐら通信
もぐら通信 8
ページ

スパッ スパッ フウ
赤いしっぽに 煙の目玉
スパッ フウ
テーマソングは、
作詞安部公房、
作曲芥川也寸志、
歌唱は黒柳徹子、世良明芳。
パイプの声・熊倉一雄

井上ひさしも聴いてた

今月の対談
🐟 おさかなさんが出てしまうとは。@iaiiaiaiai·Apr 23
https://www.youtube.com/watch?v=XMJPaCPLRbI
【養老孟司 × 安部公房】この世界で1番の恐怖について養老先生と安部先生が対談
します。

今月の笑う月
さぶらう@cocolothion·Apr 22
#笑う月
安部公房が、夢で見た事を綴ったエッセイ?集
ある意味著者の体験談とも言えるかもしれない。

私が夢で見た内容を説明しようとすると、聞くに
堪えない支離滅裂な話になってしまうが、この本
におさめられてる話は滅茶苦茶な中にも奇妙な面
白さがあった。

今月の砂の女
山葵🌿 @1173_wasabi·Apr 23
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
今回は所用あっての「お呼ばれ」旅でした
バタバタの一泊二日でしたが、安部公房「砂の女」のモデルとなった地で、暴風の
もぐら通信
もぐら通信 9
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中、本の世界観を味わいました…🌀

今月のミリタリイ・ルック
Yos Nakano@nkaknown·Apr 26
安部公房著のナチスドイツの軍服とアメリカの軍服に垣間見える指導者の国家観み
たいな話めちゃくちゃ面白い

今月の箱男
いちご俳句会@ichigohaikukai·Apr 29
これは箱男についての記録である。

『箱男』 安部公房
#好きな小説の書き出し

今月の高野斗志美

安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信
もぐら通信 10
ページ

https://shorturl.at/LRSU3

今月の居島一平
【砂の女】居島一平・坂本頼光の暗黒迷画座 第50回【映画紹介】
苦肉祭チャンネル
チャンネル登録者数 1.64万人
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
https://www.youtube.com/watch?v=6i3qwTIDDPU
もぐら通信
もぐら通信 11
ページ

箱男と壁について語つてゐる安部公房の読者のチャンネルを見つけましたの
で、紹介します。

文学系マジシャン 生 チャンネル登録者数 1590人

【安部公房】覗き覗かれる匿名の男たち『箱男』紹介
https://www.youtube.com/watch?v=MPNsmQojCfM

【安部公房】名前をなくした男の末路 『壁』【日本版アリス?】
https://www.youtube.com/watch?v=-n2fzwLlqCA

いすらすと
チャンネル登録者数 1070人
高橋源一郎の飛ぶ教室 安部公房 砂の女 にいま学ぶこと ゲスト:ヤマザキマ

https://www.youtube.com/watch?v=9quDp4FZcOs

プープーテレビ(デイリーポータルZの動画チャンネル)
チャンネル登録者数 3.03万人
今こそ! 安部公房『砂の女』を読むべき4つの理由
https://www.youtube.com/watch?v=Es1ag9-PaCc

潤のまったり文学チャンネル
チャンネル登録者数 9870人
「壁-S・カルマ氏の犯罪」のあらすじ紹介&物語の意味を解説【安部公房】
https://www.youtube.com/watch?v=sePvt6yz-tw

にしがや 康平 ブログ
吹田 市議選 プロフィール 市議会 議員 選挙 最年少 早稲田 NHK N党
https://go2senkyo.com/seijika/185666/posts/657675

好きな文学
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
小説: 夢野久作,安部公房,フィッツ ェラル 随筆:
寺山修司,米原万里,仏教系
ジ
ド
もぐら通信
もぐら通信 12
ページ

巻頭詩
(53)
Nachts
(夜々に)

アイヒェンドルフ
翻訳 岩田英哉

【原文】

Nachts

Ich wandre durch die stille Nacht,


Da schleicht der Mond so heimlich sacht
Oft aus der dunklen Wolkenhülle,
Und hin und her imi Tal
Erwacht die Nachtigall,
Dann wieder alles grau und stille.

O wunderbarer Nachtgesang:
Von fern im Land der Stroeme Gang,
Leis Schauern in den dunklen Baeumen -
Wirrst die Gedanken mir,
Mein irres Singen hier
Ist wie ein Rufen nur aus Träumen.

【散文訳】

夜々に

わたしは、静かな夜を通って遍歴する
すると、月が、かくも密やかに穏やかに忍び足で
出て来る
しばしば、暗い雲の包みの中から
そして、谷のあちこちでは
夜啼き鴬が目覚め
と、すると、再び、全てが灰色に、そして静かに
なる。
もぐら通信
もぐら通信 13
ページ

おお、素晴らしい夜の歌よ
幾本もの河の流れる奥地の遠い所から来る事
暗い木々の中の微かに身震いする事
お前がわたしの思想を混乱させる
わたしの狂った歌が、ここでは
呼び声のように、ただ夢の中から出て来るのだ。

【解釈と鑑賞】

この舞台も、夜、月、雲、谷、夜啼き鴬、歌、森
(木々)、奥、河、思想、夢という言葉で織られ
ています。

第2連の2行目と3行目、あるいは更に4行目
は、一寸そのドイツ語の言い表し方が異様なよう
に思われます。

一寸、普通ではない感じがします。

これらは、実際にアイヒェンドルフが経験した現
実なのでしょう。

これは単に一度きりの夜の経験ではなく、繰り返
し夜に詩人が経験した夜であるが故に、夜々に、
と題を訳しました。それがNachtsの語尾-sの意味
です。夜が繰り返されるのです。語尾の-sは英語
と違つて複数形ではなく、ドイツ語で副詞をつく
る二格と呼ばれて副詞の機能を創造する格変化の
二つ目のものです。この格は、定例的な繰り返し
を表してゐます。だから、たとへば、夜になると
いつも、といふ訳も説明的ですが、あり得るでせ
う。
もぐら通信
もぐら通信 ページ14

コー ー・ ーシックス kobobasics
(14)
無名詩集
岩田英哉

『無名詩集』は安部公房の自費出版した、それも唯一の詩集である。その前に『没
我の地平』といふ詩集を纏(まと)めて手元に置いてゐます。この二つの関係は後
述します。以下『初期安部公房新発見書簡三通と其の解説 』の第1章「1 初期安部
公房の住所の変遷について 」より引用します(もぐら通信第105号)。ダウン
ロードは:https://www.scribd.com/document/642084946/
%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%95%E5%8F%B7

1。『無名詩集』の出版時期はいつか
(A)1947年(昭和22年):安部公房23歳:「近代文学」の埴谷雄高に紹介さ
れた中田耕治と二人で世紀の会結成(春)。『無名詩集』を自費出 版(5月)。
(『初期安部公房新発見書簡三通と其の解説 』の第1章「1 初期安部公房の住所の
変遷について 」もぐら通信第105号より)

2。この詩集の意義は何か
この詩集の意義は、あるいは価値といつても良いが、安部公房が此の時期詩人から
小説家といふ散文家になるために全身全霊をあげての《転身》を図ることに集中し
てゐる時期にあたつてゐて、この当時問題と考へてゐた事柄につき、これを先づ
「定立」することに成功したことに、この詩集の意義があります。

当時の成城高校にて親しき哲学の友中埜肇(はじむ)宛に対して書簡あり、それま
での10代での「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し得た様に思つ
て居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ページ) と述べてゐま
す。次の問ひに進みます。

3。定立し得た今後の問題とは何か
安部公房が此の詩集を完成させることで定立した問題は三つあります。
この時の鍵語・キーワードは、「転身」といふリルケの『オルフェウスへのソネッ
ト』の主題でもあり動機でもある用語です。この詩と用語は同じリルケの此の詩を
読んで耽読してゐた三島由紀夫と共有してゐます。仏教用語を使へば、これは転生
輪廻の長編詩です。転身とは次のものにみづからを変形し変身して更に転生を繰り
返すことです。以下、『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について
(2)』の「III 「転身」といふ語のある詩を読む 」の「転身についての論考
(1)」より引用します(もぐら通信第56号)。ダウンロードは:https://
ボ
ベ
もぐら通信
もぐら通信 ページ 15

ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/355066935/第56号-第六

「この問題の定立とは「この時には、既に安部公房は詩文から散文に移行すること
を考へてゐたことの証左だと私は考へます。即ち散文、特に小説の中で、この転身
といふ概念を生かさうとした。これが定立した問題のうちの一つでせう。以下に
『無名詩集』で安部公房が定立しようとし、定立した問題を列挙します。[註1]

[註1]
「[註3]
(略)
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より抜粋します:

「詩については、『第一の手紙∼第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ペー
ジ下段)。この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危
機と転機の時期が訪れていたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した
翌年のことです。このときの危機は、詩人としての危機でした。

この危機をこのように『第一の手紙∼第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ
歳に出版したということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、
今後の問題を定立し得た様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ペー
ジ)と10代の哲学談義をした親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生にとっ
ての素晴らしい価値であり、安部公房の人生に持つ『無名詩集』の意義なのです。」

これを読むと、『第一の手紙∼第四の手紙』もまた、エッセイ『様々な光を巡って』と同じ1947
年1月に書かれた、小説としての中間項であることがわかります。」(「『デンドロカカリヤ』論(前
篇)」(もぐら通信第53号、61ページ)中間項については後述する。

まとめますと三つの定立せる問題は次の通り。

(1)詩の世界での問題下降を実現すると云ふ問題

『没我の地平』と云ふ謂はば「概念詩集」または「問題上昇詩集」を問題下降して、
(見かけ上)日常の言葉で書かれた、即ち理論篇『詩と詩人(意識と無意識)』で
用ゐた哲学用語を文字として消して、『無名詩集』と云ふ詩集を編むこと。そし
て、この詩集が下記(3)のやうに詩文から散文の連続的な移行を実現すること。
即ち、詩人のままに小説家になること。これが第一の問題。

(2)余白と沈黙の中に存在(exist:Sein)して、現実の時間の中を未分化の実存
(existential:Dasein)として生きると云ふ問題
もぐら通信
もぐら通信 ページ16

『没我の地平』の「実存ー幼き日」と『無名詩集』の「それ故か」を比較して明ら
かなやうに、前者の第三連を後者の第三連では余白と沈黙の中に置いて、大人とし
て現実の時間の中を存在のままに、即ち時間の中では未分化の実存として生きるこ
との決心といふ問題。通俗的な世間では、子供から大人になることと云はれてゐる
ことの問題、大人であること即ち沈黙に堪えて生きること、即ち安部公房の言葉で
云へば、消しゴムで書くこと。この問題については「2。空白の論理といふ毒(詩
の毒)」(『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』もぐ
ら通信第55号の25∼27ページ)を参照下さい。ダウンロードは:https://
www.scribd.com/document/340995635/第55号-第三版

(3)「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」に則つて、転身といふ概念と関連用
語一式を詩文から散文に展開すると云ふ問題

転身といふ概念を、詩文から散文(小説)に移植すること、または移植といふやう
に非連続的に土壌を変へるのではなく、前者から後者へと「シャーマン安部公房の
秘儀の式次第」に則つて、詩文散文の同質を実現して、これを連続的に展開するこ
と。即ち、詩人のままに小説家になること。「シャーマン安部公房の秘儀の式次
第」については後述する。

上の3つの問題をもつと簡略にすると、次のやうになります。

(1)詩の世界での問題下降(これから世に出て現実に対するに際しての、詩の世
界の統一):その次に詩文と散文の統合を図り、実際にさうした。
(2)未分化の実存として生きると云ふこと(存在を体現して時間の中を生きるこ
と)。これを後年1970年代の安部公房スタジオで若い俳優たちにニュートラル
と名付けて、演技の中核概念として指導した。
(3)詩文散文の連続性を保持すると云ふこと(「シャーマン安部公房の秘儀の式
次第」に則つて、詩人のままに散文家になること)

これらの問題の解決は、次のやうな変遷を見ると、よくわかります。

理論篇:『詩と詩人(意識と無意識)』(安部公房のOS(Operating System))
実践篇:
詩文→ (詩的散文=散文詩)→ 散文
『没我の地平』以前 散文詩:「ユアキントゥス」 (エッセイはない)
詩集『没我の地平』 (散文詩はない) (エッセイはない)
詩集『無名詩集』 散文詩:「ソドムの死」 エッセイ「詩の運命」
もぐら通信
もぐら通信 ページ17

順序が前後しますが、上の引用の理解のために、「問題下降」といふ安部公房用語
の定義を「『デンドロカカリヤ』論 (前篇) 」(もぐら通信第53号)より引用して
再掲します。この前編のダウンロードは:https://www.scribd.com/document/
335406196/第53号-2017-01-01

「2。「問題下降」とは何か
「問題下降」といふ18歳の時に名付けてゐた此の概念は、安部公房を理解するた
めに、実に重要な概念でした。

問題下降といふ概念を一番解り易く言へば、次の通りになります。

問題下降の定義:
問題下降とは、哲学用語を使つて書いた認識の世界を、日常生活の中で普通に理解
できる用語 で垂直方向に書き直す行為、即ち其のやうに下方に向かつて下ろして行
く行為である。

前者の認識の世界は、全集第1巻の最初に収録されてゐる、安部公房が18歳の時に
書いた『問 題下降に拠る肯定の批判』の中で「遊歩場」と呼ばれる、安部公房独特
のtopology(位相幾何学)の道といふ線(一次元)又は帯(二次元)によつて描か
れる(後者ならば特に視覚的には メビウスの環)である、交易または等価交換のた
めの道であり、三次元ならばクラインの壺の結び面である位相幾何学的な一筆書き
の世界なのです (全集第1巻、12ページ下段から13ページ 上段)。[註1]

[註1]
以下に『株の道と安部公房の道』(もぐら通信第24号)より引用して、この位相幾何
学的な道をお伝へします。

「安部公房の道は、既に18歳の時に書いた『問題下降に拠る肯定の批判』に、遊歩
場と呼ばれる道として出て参 ります(全集第1巻、12ページ下段から13ページ 上
段)。遊歩場という18歳の少年の命名は、そのまま後年の安 部公房の文学の世界の
本質をそのまま言い当てています。(略)

この安部公房の道は、「他の道とははっきりと区別されて居なければいけない」 の
であり、この「遊歩場は二次的に結果として生じたもの」であり(晩年のクレオー
ル論を読んでいるような気持ちがします。同じ発想です。既 にこのとき安部公房の
クレオール論は完成していたのです。)、「第一に此の遊歩場はその沿傍に総ての 建
物を持っていなければならぬ。つまり一定の巾とか、長さ等があってはいけない の
だ。それは一つの具体的な形を持つと 同時に或る混沌たる抽象概念でなければな
もぐら通信
もぐら通信 ページ18

らぬ。第二に、郊外地区を通らずに直接市外の森や湖に出る事が出来 る事が必要
だ。 或る場合には、森や湖の畔に住まう人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。
遊歩 場は、都会に 住む人々の休息所となると同時に、或種の交易場ともなるの
だ。」と いう道なのですが、この文章を読むと、こ のとき既に、安部公房は
topology(位相 幾何学)という数学を知っていたのだと言う事が判ります。
この道は、幾何学的な道であって、そこには時間がありません。」

4。『没我の地平』と『無名詩集』の関係
『没我の地平』を問題下降して書いた詩の集成が『無名詩集』です。以下、引用し
て、二つの詩集の詩の題名を比較して下さい。二つの詩の性格は一目瞭然です。同
じ「『デンドロカカリヤ』論 (前篇) 」より「3。1. 3回の問題下降 」から引用し
ます。

「(1)詩集『没我の地平』を問題下降したのが、詩集『無名詩集』であること。
中間項は、エッセイ『様々な光を巡って』。[註5]

二つの詩集の詩の題名を以下に引用して比較をすれば、一目瞭然、前者は哲学的な
主題を正面 から取り扱つてゐること、後者は其れを次元を落として易しくしてゐる
ことがわかります。

『没我の地平の目次
詩人
理性の倦怠
没落
実存―幼き日
人間
迷ひ
夢と夢
主観と客観
言葉の孤独
時間と空間
実存
思念の黄昏
森番
仮眠 謎 別離 誓ひ 光と影

『無名詩集』の目次
笑ひ
もぐら通信
もぐら通信 ページ19


祈り
マスク
防波堤
孤独より(十一章)
リンゴの実
嘆き(六章)
その故か
別れ
倦怠
感傷
詩の運命(エッセイ)

『リルケの『形象詩集』を読む(連載第2回):『Aus einem April』(四月の中か


ら(外へ))』(もぐら通信 第31号)[註3]より引用して、安部公房が、どのやうな当時
の状況の元に、『没我の地平』を問題下降して 『無名詩集』を編んだかを、重複を
厭はず、お伝へします。

「[註3]
(略)
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より抜粋します:

「詩については、『第一の手紙 第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ページ
下段)。 この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危機
と転機の時期が訪れていたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した翌
年のことです。このときの危機は、 詩人としての危機でした。

この危機をこのように『第一の手紙∼第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ
歳に出版したということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、
今後の問題を定立し 得た様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ペー
ジ)と10代の哲学談義をした 親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生に
とっての素晴らしい価値であり、安部公房の人 生に持つ『無名詩集』の意義なのです。」

これを読むと、『第一の手紙 第四の手紙』もまた、エッセイ『様々な光を巡って』と同じ1947
年1月に書 かれた、小説としての中間項であることがわかります。
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詩集『没我の地平』は、問題下降して詩集『無名詩集』に至るための上位の謂はば
「概念詩集」として大変重要な詩集だといふ事になる。

(2)処女作『終りし道の標べに』を問題下降したのが、短編小説『デンドロカカ
リヤA』であること。中間項は、『名もなき夜のために』。それ故に、後者は前者
の、後述する「結末継承」をしてゐる。即ち、前者の結末を、後者の冒頭が継承し
てゐる。

『名もなき夜のために』の中に安部公房は、詩集『無名詩集』を(リルケの『マル
テの手記』 を主題として)其のまま取り込み、且つ小説『終りし道の標べに』を問
題下降して、詩と小説 の二つを融合して『名もなき夜のために』を『デンドロカカ
リヤA』の中間項となしたこと。
それ故に、『デンドロカカリヤA』は、冒頭からリルケに倣つた叙情的な文章に
なつてゐること、これは間違ひなく、安部公房が上記の理由で明瞭に意識し、明確
に意図したことであること。

このリルケ風の要素を取り去ったのが、『S・カルマ氏の犯罪』の後に、同じ文体
で書き直した『デンドロカカリヤB』であること。これは、垂直方向の問題下降で
はなく、水平方向の書き直しであること。

(3)『デンドロカカリヤA』を問題下降したのが、『赤い繭』と『魔法のチョー
ク』であること。特に後者は、後述する「結末継承」によつて、『S・カルマ氏の
犯罪』へ直接接続し、 後者によつて「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」が継承
される作品となつてゐること。

このあと、この図の最後にある1953年といふ安部公房の藝術家人生最悪の年
に、小説はや つと『R62号の発明』だけを書くことができて、以後日本共産党に
距離を置きます。[註6]

[註6]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より引用して、この事情の前後をお伝へします。詳細は
『安部 公房と共産主義』をお読み下さい。ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/
253560708/もぐら通信-第29号

「1955年2月25日の『猛獣の心に計算機の手を』を書いたあと、このエッ セイでの確信はほ
ぼ揺らぐことなく、 1958年10月1日の柾木恭介との対談「詩人には義務教育が必要である」(全
集8巻、178ページ)では、「詩という ジャンルはすでに死滅し たジャンルだね」と断言していて、
既にこのときには、完全にマルクス主義の影響から 脱して いることがわかります。 」
(略)
「そして、この1950年代の後半の志向は、ドキュメンタリー(記録藝術)とミュージカルに向か
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もぐら通信 ページ 21

います。この志向は、明らかにそのまま1970年代の安部公房スタジオの活動につながっていま
す。それは、安部公房のドキュメンタリー(記録藝術)の考えを読みますと、そのこと が判ります
(『ドキュメンタリー - 現在の眼』参照、全集第7巻、110 ページ。1957年)。

このドキュメンタリー(記録藝術)という言葉との関係で、1955年の前と後の違いを一言 でい
えば、これ以前には、 現実に対して法則的な必然を求めたのに対して、その夢から覚めた後には、
終生、現実に対して偶然を、現実的な偶然とその偶然的な相矛盾する諸要素の互いに 自律的で且つ
総合的な表現を求めたと簡潔に言い切ることができます。[註3]

[註3]
1950年代後半の、当時のドキュメンタリズムの思潮と安部公房のドキュメンタリーについての考
えは、信州大 学友田義行先生の『文学と映画の《偶然性》論 花田清輝・安部公房を基点に』に詳し
い(『フェンスレス』オ ン ライン版創刊号(2013/03/20発行)占領開拓期文化研究会)。: http://
senryokaitakuki.com/fenceless001/ fenceless001_07tomoda.pdf」
(略)
「実際に、1953年は『R62号の発明』という短編小説以外の小説を書いておりません。しかし、
『壁あつき部屋』 という映画のシナリオを書いていて、ドラマ(drama)を構築すると いうこと
が、当時の安部公房のこころを救っ ていたということを想像することができます。全集を読みます
と、この日本共産党員であった時期の前半の5年間は勿論ですが(戯曲『制服』 『奴隷狩り』等)、
しかし特に後半の5年間は、その量の多さから言って、戯曲(『幽 霊はこ こにいる』等)と、それ
からラジオ・ドラマ(『棒になった男』や子供向けの『キッチュ・クッ チュ・ケッ チュ』等)やTV
ドラマ(『日本の日蝕』等)という、即ちシナリオ(drama)を執 筆するということが、やはり安
部公房のこころを救っていたのです。[註6]

[註6]
1955年6月9日付で『戯曲をなぜ書くか』という座談会があります(全集第5巻、90ページ上
段)。ここでの安部公房の次の発言を読みますと、やはり、シナリオが、戯曲(舞台)と小説の間を
繋ぐ、双方をひとつにまとめることのできるものとして、安部公房の作家生活を支えていたことがわ
かります。傍線筆者。

「安部 映画と戯曲の相違点では、時間よりもむしろ、空間の処理の仕方だね。時間的には戯曲とシ
ナリオが近い、空間的に見れば小説とシナリオが近い。戯曲の空間的特徴としては、第一にむろんあ
の舞台の制約だけど、 もう一つ、そこに現されている対象が、完全に意識的に再構成されてたもの
以外はないという点ですね、全部一 応人間の手がかかている......。反対に、映画や小説の場合は偶
然が自由に入り込んでかまわない、というよりそ れが特徴だ。芝居を書く面白さは、この相違点の
自覚ということもありますね。芝居で役者がもっているあの 独特の意味は、あれもこの空間の特徴
に根ざしているんじゃないか......。」

安部公房はシナリオ(劇-drama-の脚本)を書くことによって、戯曲と小説の均衡を図り、二つの藝
術領域の接続を図って我が身を持し、その過程を経験し抜くことによって、後述するように、純情な
詩人から辛辣な散文家に変容したということになります。劇(drama)とシナリオは、それほど安部公
房の人生にとって重要な意義を持っ て おります。安部公房は、10代の時から世界を劇場と観てい
ました。劇が安部公房の人生にとってどれほど重要であるかは[註21]をお読み下さい。

さて、これら二つの作品以外には、『少女と魚』という戯曲があり、この三作だけが、この歳の成果
ということになります。『少女と魚』は、シュールレアリズムの作品で、1955年以降安部公房が
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手を染める児童向けラジオドラマをここで既に先取りしております。

この無残な歳の成果をまとめますと、次のようになります。勿論、これらの作品が無残なので はあ
りません。これらの作品を構築する本来の安部公房の言葉と、現実に対したときの安部公 房の言葉
が、かくも分裂しているということが、安部公房の苦しみの原因であり、その藝術活 動を貧しくし
た原因なのです。

(1)小説:『R62号の発明』。SF小説、即ち仮設設定の文学、自分独自の小説観に基づ いた小

(2)映画のシナリオ:『壁あつき部屋』(3)シュールレアリズムの戯曲:『少女と魚』。『壁』
以来のルイス・キャロ ルに学ん だ、言葉の意味を捨象したnon-senseの文体の継続的な維持

安部公房は、この最も苦しい1年の間にも、自分にとって大切な、この3つの領域は死守した ので
す。[註7]

[註7]
安部公房は、この1953年という無残な歳の前後について4年後、次のように言っています(『抽
象的小説の問題』。 全集第7巻、154ページ)。1957年。安部公房33歳。傍線は筆者。

「安部 特に人間の心理とかということについて専門的に知りすぎてるわけですよ。ただ知識として
知って るというよりもね、心理学の理論について学問的興味があり過ぎるんですよ。 もう一つは、
コミュニズムとの接触だな。 外面的な自由さを獲得すると同時に今までの内側の自由さとどう対応
するかという衝突だな。「R62号の発明」(筆者註:1956年、山内書店刊の短編集)はだいたい
一昨年ぐらいから今年にかけての全部を集めたわけです。一応そういう変化がこれには出てると思う
んですよ。これが終わると次は相当変わった姿勢に入る。これは「壁」から 「闖入 者」(筆者註:共
に1951年)までの時期の後なんですよ。一番悩んでた時期だな。
佐伯 僕ら読者として読むと、作者が非常に楽しんで書いたものという感じだな。いろんなものを並
べて 見せてもらったという感じが強いね。
安部 そうじゃないんですよ。悪戦苦闘の時期でね。もっと勝手なことをやりたかった。」

この悪戦苦闘の時期の安部公房の此の詩と散文の統合の時期をここでまとめます。
この「詩人から小説家へー詩人のまま小説家へ」のダウンロードは:https://
www.scribd.com/document/348350137/詩人から小説家へ-v9

1。『問題下降に依る肯定の批判』から『デンドロカカリヤB』までの間は次の3
つの時期に分けることができること

(1)散文形式による創作理論(『問題下降』論)の確立:1942年∼1944
年:18歳∼20歳:緑色の枠で示してゐます。

(2)詩と散文の統合:詩形式による「今後の問題の定立」(『無名詩集』):1
946年∼1949年:22歳∼25歳:青い色の枠で示してゐます。
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(3)散文形式(小説形式)の確立:1949年∼1952年:25歳∼28歳:
赤い色の枠で示してゐます。

上記(1)と(3)の間に『デンドロカカリヤA』が位置してゐる作品であるこ
と。即ち、『デンドロカカリヤA』は、詩と散文の統合を図つた中間期の作品であ
ること。この作品の有する意義は、これであること。

6。問題下降再度
同じデンドロカカリヤ論(前篇)からの引用で再度、詩集ではなく小説の領域での
問題下降について解説をしたい。

「2。問題下降
18歳の時に成城高校の校友会雑『城』に投稿した『問題下降に依る肯定の批判』
は、非常に重要な作品であることが判りました。この思想が一生の安部公房の基礎
になる思想です。

この論文のキーワードは、題辞が示す通り、問題下降です。問題下降とは何かにつ
いては後述します。

上記に書いたやうに、安部公房は、上記1(2)の時期に2回問題下降をしてゐま
す。一つは、 詩集『没我の地平』を問題下降して、詩集『無名詩集』に、もう一つ
は『終りし道の標べに』 を問題下降して『デンドロカカリヤA』に変形させてゐま
す。 」

以上二つの問題下降の説明を前提に、中間項といふ言葉に焦点を絞つて解説します
と、次のやうになります。

7。中間項とは何か
中間項といふ言葉も文学の世界の読者にとつては馴染みのない用語でせうが、これ
は安部公房らしく数学用語です。安部公房がこの用語を使つて文字にしたといふ形
跡はありませんが、実際に此の詩文と散文の統合をして、自分が詩人のままに小説
家になるに際して、その過程で直面する問題の一度での解決が難しい場合には中間
的な作品(これが中間項)を書いて、次の本式に狙つた作品の土台としてゐます。
中間項は私が名付けたものです。上記6の引用の後に続く、更に引用を続けます。

「安部公房は、この3つの時期に計3回問題下降をしています。詳細は後述しま
す。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 24

3。『デンドロカカリヤA』から『赤い繭』へ
上記1(3)の散文形式(小説形式)の確立の時期に、安部公房は、『デンドロカ
カリヤA』 を問題下降して、『赤い繭』に変形させてゐます。これは成功した小説
となりました。これが、 安部公房の最初の成功した、詩に拠らない散文形式(小説
形式)となりました。

4。中間項の導入
安部公房らしいことに、問題下降が容易ではないときには、数学的な中間項を導入
してゐます。

上記1の(2。1)の詩の世界での問題下降では『様々な光を巡って』が、上記1の
(2。2) の詩と散文統合の為の時期には『名もなき夜のために』が、上記1の
(3)の散文の世界での 問題下降では『牧神の笛』が、それぞれ中間項になつてゐ
ます。委細後述。 」

その委細後述の箇所の引用です:

「3。1 3回の問題下降
下記にいふ「この図」をみてもらふために再度其のリンクを示します。ダウンロー
ドは:https://www.scribd.com/document/389811555/詩人から小説家へ-v9

「問題下降を中心に、この図を眺めると次のことがわかります。勿論、この図は、
私が考へを纏めてから図にしたものですから理解しながらの作図の順序(作図者の順
序)と、この図を読む 順序(読者の順序)では、その方向が反対になることをご留意下
さい。この図は果実です。

安部公房は、シャーマン安部公房の秘儀の式次第を、図の1から3の3つの問題下
降の結果、詩の世界のみならず、小説の世界でも確立した。これで、この創作の様
式を厳守する限り、一 生詩人のまま小説家になることができた。これが最大の結論
です。さて、以下列挙すると、

安部公房は、

(1)二つの詩集の間で問題下降をしたこと。
(2)詩と小説を統合するために問題下降をしたこと。この場合、
(3)二つの異質のものの統合が問題下降によって難しいと判断した場合には、そ
の間に中間 項の作品を置いて、これを成し遂げたこと。(中間項を挿入するといふ
発想は全く数学的で、 安部公房らしい。)このとき、問題下降の持つ目的と其の性
格から言つて、どうしても抽象的 な用語を使用しなければならないので、中間項に
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もぐら通信 ページ25

は哲学的な小説とエッセイの二つがあること。 そして、

(4)同じ小説の領域でも、処女作(『終りし道の標べに』)と其の次の小説(『デン
ドロカ カリヤA』)の間で、再度の問題下降によつて、これを徹底し、後者の叙情性
を「蒸溜」(『世紀の歌』)[註4]して、『赤い繭』や『魔法のチョーク』の持ってゐ
る乾いた文体を自分のも のとしたこと。
(5)『S・カルマ氏の犯罪』は、『魔法のチョーク』からの、後述する「結末継
承」による 直接の作品であるといふこと。そのあとに芥川賞を受賞し、そのあと
に、
(6)『S・カルマ氏の犯罪』と同じ、しかし上記(4)に言及した蒸溜法により、
シャーマ ン安部公房の秘儀の式次第によつて、『デンドロカカリヤA』を『デンド
ロカカリヤB』に書き直したこと。
(7) 上記(4)と(6)が、二つのデンドロカカリヤの関係についての説明であ
り、何故安部公房は同じ作品を書き直したのかの説明です。

上記(7)の考へ方は其のまま、何故安部公房は『終りし道の標べに』を後年書き
直したかの 説明になってゐます。

『終りし道の標べに』でも、真善美社版では頻出する哲学用語が、冬樹社版ではすっ
かり消えてをり、ここでも問題下降によつて冬樹社版を書いてゐることがわかりま
す。普通の作家の不満足が原因の書き直しとは、その動機が、全く異なつてゐて、
論理的であり、数学的です。

[註4]
『世紀の歌』は、次の詩です。安部公房が詩人から小説家にならうと努力してゐる極く初期の、中田
耕治さんと 二人で立ち上げた「世紀の会」のために書いた詩です。『デンドロカカリヤA』を書いた
1949年4月20日の ほぼ一月前の詩です。
「ぼくらの日々を乾かして 涙の壺を蒸溜しよう ミイラにならう 火を消すものがやつてきたら ぼく
ら自身が火となるために!」 (全集第2巻、230ページ)
詩の中にある『涙の壺』とは、若き安部公房が愛唱したリルケの詩です。
この詩については既に「『魔法のチョーク』論」で詳細な註釈を付しましたが、煩を厭はずに、また
読者の手間 を省くためにも、さうして安部公房を理解することの方が大切ですから、再度ここに引
用して長い註釈とします。 ご記憶であれば飛ばしてくださるか、あとで読んでくださつても結構で
す。 」(原文ではこの後リルケの『涙の壺』の原詩と和訳と解釈・鑑賞が続きますが、長いのでこ
こでは省略します。

上記(3)の中間項の説明を定義に仕立てると次の定義になる。

8。中間項再度:中間項の定義
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もぐら通信 ページ 26

中間項の定義:
中間項とは、二つの異質のものの統合が問題下降によって難しいと判断した場合に
は、その間に中間的の作品を置いて、これを成し遂げることである。
このとき、問題下降の持つ目的と其の性格から言つて、どうしても抽象的な用語
を使用しなければならないので、中間項には哲学的な小説とエッセイの二つがあ
る。

さて、この問題下降による詩文と散文の統合のために、それ以前から安部公房の確
立してゐた独自の様式・style・スタイルを、私が「シャーマン安部公房の秘儀の式
次第」と名付けた其の用語の定義を再掲します。

9。「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」の定義

シャーマン安部公房の秘儀の式次第とは、

『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について∼』(も
ぐら通信第32号および第33号)、『赤い繭』論(もぐら通信第51号)、『魔
法のチョーク』論(もぐら通信第52号)および「『箱男』論∼奉天の窓から8枚
の写真を読み解く∼」(もぐら通信第34号)をお読み下さい。特に最前者の前篇
後篇に於いて、この結論に至る思考過程をそのままに詳述しました。シャーマン安
部公房の秘儀の式次第は、次のようなものでした。それぞれの順序で挙げた論考の
ダウンロードは、

『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について∼』(も
ぐら通信第32号および第33号):
(1)第32号:https://www.scribd.com/doc/265476871/第32号-第三版-PDF
(2)第33号:https://www.scribd.com/doc/267063607/第33号

『赤い繭』論(もぐら通信第51号): https://www.scribd.com/document/
330892090/第51号-pdf
『魔法のチョーク』論(もぐら通信第52号): https://www.scribd.com/
document/341019960/第52号-第二版
「『箱男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く∼」(もぐら通信第34号):
https://www.scribd.com/document/269859440/第34号-第二版

「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」は次の結構または様式のことをいひます。
安部公房の総ての小説の構造といつても良い。
もぐら通信
もぐら通信 27
ページ

1。差異(十字路)という神聖な場所を設けて、
2。その差異に向かって、また其の差異で呪文を唱えて、
3。その差異に、存在を招来し、
4。主人公と読者のために、存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を存在
の十字路(差異)に立て、または案内人か案内書を配し、
5。存在を褒め称え、荘厳(しょうごん)して、
6。最後に、次の存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を立てる。

という、このような、安部公房の秘儀の式次第でありました。

安部公房の読者が、安部公房の作品を読むための便覧として役立つように、もう少
し簡略にしてお伝えすると、

1。差異を設ける。
2。呪文を唱える。
3。存在を招来する。
4。存在への立て札を立てる。
5。存在を荘厳(しょうごん)する。
6。次の存在への立て札を立てる。

ということになります。」

『カンガルー・ノート』の6つのプロセスを見て見ましょう。『赤い繭』や『魔法
のチョーク』などと、同じプロセスを踏んで作品は成つてゐる筈です。先づ『魔法
のチョーク』のプロセス分解をします。

簡単に6つのプロセスを要約すれば、次のやうになります。

1。差異を設ける。:冒頭の場所(便所)と時間(夕食が近づく)
2。呪文を唱える。:名前の列挙と3度立て続けにする欠伸
3。存在を招来する。:記憶喪失、自己喪失と引き換えに存在の部屋が現れる。部
屋が存在の部屋になる。夜の部屋である。詩と詩人の部屋であり、もつと遡れば小
学生の時の奉天の「クリヌクイ」の詩に歌われた部屋である。
4。存在への立て札を立てる。:「明日の新聞」
5。存在を荘厳(しょうごん)する。:「ポケットの中でカサっと鳴る」「最初の晩、
買ったまま忘れていた」「明日の新聞」=超越論的な新聞=時間が存在しない空間
を創造する=存在を荘厳する事。
もぐら通信
もぐら通信 28
ページ

6。次の存在への立て札を立てる。:壁→この壁はそのまま『S・カルマ氏の犯罪』
の最後の壁になる。果てしなく(時間のない)垂直方向に成長する壁である。

一つ一つのプロセスをみてみませう。

1。差異を設ける。:冒頭の場所(便所)と時間(夕食が近づく)

冒頭の一行は次のやうに始まります。

(1)空間
(2)時間
(3)安部公房の家と存在の部屋

2。呪文を唱える。:名前の列挙と3度立て続けにする欠伸

3。存在を招来する。:記憶喪失、自己喪失と引き換えに存在の部屋が現れる。部
屋が存在の部屋になる。夜の部屋である。詩と詩人の部屋であり、もつと遡れば小
学生の時の奉天の「クリヌクイ」の詩に歌われた部屋である。

4。存在への立て札を立てる。:「明日の新聞」

5。存在を荘厳(しょうごん)する。:「ポケットの中でカサっと鳴る」「最初の晩、
買ったまま忘れていた」「明日の新聞」=超越論的な新聞=時間が存在しない空間
を創造する=存在を荘厳する事

6。次の存在への立て札を立てる。:壁→この壁はそのまま『S・カルマ氏の犯罪』
の最後の壁になる。果てしなく(時間の無い)垂直方向に成長する壁である。

10。初期安部公房の定義
この定義を知らなければ、どうやつてどんな理由で安部公房が詩人から小説家に転
身したかを理解することができず、転身後の作品の質を知ることができない。一言
で結論をいふと、

『無名詩集』でそれまでの哲学的な詩を問題下降して平易な語彙を使つた詩に変形
させて、しかし詩そのものが理解に容易かどうかといふ問題はまた別のこととし
て、その次に詩と散文の統合を図つた。その成功例が芥川受賞作の『S・カルマ氏
の犯罪』である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ29

といふことです。

この二つの、即ち『無名詩集』と『S・カルマ氏の犯罪』の間に全く驚くべき自己自
身に課した《転身》の辛苦については、上記にリンクを示したもぐら通信第53号
の「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」と、それがどのやうな話法によつて成し遂
げられたのかは、同論の後篇を読んで、安部公房の存在の文学の全体を知つて下さ
い。後篇のダウンロードは:https://www.scribd.com/document/346133602/第5
4号-第三版

初期安部公房の定義です。

「『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について(1)』の中の「I
安部公房の自筆年譜と『形象詩集』の関係について」(もぐら通信第56号)よ
り:

初期安部公房の定義:

『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』といふ題でお話を致
しますが、ここでいふ安部公房文学の「初期」といふ言葉の定義について最初に簡
単に説明をして読者のご理解を得てから本題に入ります。

この場合の「初期」とは、既に「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」(もぐら通信
第53号)にて明らかに致しました「詩人から小説家へ、しかし詩人のままに」の
チャート図に基づいて定義をすると、次のやうになります。

1。狭義の定義
狭義には、3つの問題下降の時期、即ち詩人から小説家への変身に3回の問題下降
によつて美事に成功する時期、即ち全集によれば詩集『没我の地平』を著した西暦
1946年(昭和21年)安部公房22歳から『デンドロカカリヤB』 [註1]を
著した西暦1952年(昭和27年)安部公房28歳までの期間を言ひ、

2。広義の定義
広義には、3つの問題下降以前の時期、即ち西暦1942年(昭和17年)安部公
房18歳から西暦1944年(昭和19年)安部公房20歳までの問題下降論確立
の時期及び、西暦1945年(昭和20年)安部公房21歳までの1年間を含んだ
時期を併せた全体の時間を言ひます。

[註1]
「『デンドロカカリヤ』には二種類あります。一つは、全集によれば「雑誌「表現」版」と呼ばれ
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

てゐるもの、 もう一つは、「書肆ユリイカ版」と呼ばれてゐるもの、この二つです。便宜上、前者を
『デンドロカカリヤA』と呼び、後者を『デンドロカカリヤB』と呼ぶことにします。前者の発行は
1948年8月1日、安部公房25歳の時、後者の発行は1952年12月31日、安部公房28歳
の時です。この二つの作品の間に、『S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞を受賞してゐます。」(「『デ
ンドロカカリヤ』論(前篇)」もぐら通信第53号)

無名詩集に関して語ることは、安部公房文学の全体について語ることに等しい。余
りに多くの情報量を此の見出しのもとに詰め込み過ぎたかも知れませんが、これは
已むを得なかつた。急にここで色々な言葉が出てきましたので、理解するのに大変
かも知れませんが、それぞれにリンクを貼付して案内した論考をお読み戴ければと
思ひます。初期安部公房、即ち安部公房文学の全体像を知ることができます。
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もぐら通信 31
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(1)

岩田英哉

安部公房の都市はドイツ哲学用語を使へば現存在の都市ではなく、存在の都市である。
時間を捨象した位相幾何学的な、トポロジーの都市である。そして、その都市の内部
に、都市の外部から、至るには「都市への回路」があることは、この論題の前に既に
「『都市への回路』を読む』と題して読んだところです。この場合、十八歳の安部公房
の論文『問題下降に依る肯定の批判』を読むことが、安部公房文学の理解のために重要
なのでした。何故なら此処に位相幾何学によつて生まれた存在としての都市が記述され
てゐるからです。

安部公房が此の連載を始めたのは『藝術新潮』(1980年1月号)での一年間の、1
981年12月号までの連載です。全集ならば第26巻433ページから481ページ
までに当たります。最初の連載の始まつた号の表紙と目次を転載します。目次を見る
と、当時の錚々たる名前の人たちが書いてゐることが判ります。
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都市を盗る、といふ題名から判ることは、安部公房はこの連載を存在である《箱男》と
して写真を盗むやうに撮影し、そして同時に(同時にとは何か?ですがーこれはアイン
シュタインの問です)、散文家として小説家としてその都市の写真に感想を述べる。と
いふ体裁の連載が、『都市を盗る』なのだと云ふことです。《存在》をカメラの目、即
ち《窓》を通じて撮り盗るといふ連載です。だから、安部公房の汎神論的存在論の記号
で書けば、この都市は都市ではなく、《都市》なのである。以下、その、編集部に提供
された同誌の見開き2ページを掲載します。全集に再録されてゐるのは、この三枚の写
真のうち、新潮社文庫版の『方舟さくら丸』の表紙に使はれてゐる左のページの大谷石
の採石場の写真一枚です。
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この写真について、安部公房の永遠の恋人、即ち存在の恋人山口果林はかう書いてゐ
る。『安部公房とわたし』の一章「「方舟さくら丸」の舞台探し」の最初のところを引
用する(同書123ページ)。

「一九八一年から一九八二年にかけて、採石場や鍾乳洞を巡るドライブ旅行にたびたび
出かける。小説のイメージを膨らませるためである。日原(につぱら)鍾乳洞をはじ
め、富士山周辺の採石場だったり、ある時は、浜名湖周辺の鍾乳洞から天竜川へのドラ
イブだった。天竜下りの船着き場のスピーカーから流れる、大音響の民謡に辟易した。
こういう押しつけにふたりとも我慢ならないのだ。最終的には、萩原延壽の紹介で出か
けた大谷(おおやいし)採石場跡地が、「方舟さくら丸」のイメージにもっとも近いだ
ろう。宇都宮に住んでいた萩原延壽が同行した。のちに私も仕事で訪ねた。採石場全体
の地図がないことを、安部公房は特に面白がっていた。新聞にときおり崩落事故の記事
が載ったりするが、採石業者が勝手に掘り進めた結果らしい。 入り口付近の雰囲気
は、小田原・早川の河口や海岸線あたりをイメージしたと言っていた。
文庫本「方舟さくら丸」の表紙を飾る石切り場の、カラー写真を私も写しているのだ
が、撮影場所が思い出せない。」

「採石場全体の地図がないことを、安部公房は特に面白がっていた。」とあるやうに、
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この廃墟は確かに《廃墟》なのであり、従ひ「「採石場全体の地図」はないのである。
この《廃墟》である《都市》の形象・イメージは、地図の生まれる「以前に」既に燃え
尽きて此の世には存在してゐない『燃えつきた地図』、幕の上がる前に劇の終はつてし
まつてゐる超越論の舞台劇なのである。

(以下このページは余白)
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さて、全集の見開きの右側のページを占める安部公房の文章を読んで、一読私の思つた
ことは、一体どうやつて此の文章が何であるのかを人に伝へやうかといふことであつ
た。余りにも内容が豊富であり、纏(まと)めようとすると言葉にならないのです。そ
れで、段落ごとに一つづつ、私の感想を述べて、何が書いてあるのか其の全体を語つて
みよう、それも再帰的に安部公房の作品との関係で語つてみようと云ふ趣向とした次第
です。全部で五つの段落から、この初回の文章は成つてゐます。段落ごとに安部公房の
作品を見出しとして、読者の理解の便宜を図りたい。

1。第一段落:『問題下降に依る肯定の批判』(全集第1巻12ページ下段から13
ページ上段)

此処に云ふ採石場跡地といふ廃墟は、次のやうな安部公房の幾何学的な分析・統合能力
によつて《都市》の形象に変容する。

「空間に左右と奥行きをあたえる水平方向の線のまじわり。それを支えるための垂直の
線。人工的な立方体の積み重ね。不規則に配置された石壁。その壁面にこまかく平行に
刻まれた無数のひっかき傷。傷ににじんだかさぶたのような蔓草。」

これが第一段落の全文です。これが、安部公房によつて抽象化された左の写真です。こ
れをもつと抽象化すると次のやうになります。

「この廃墟の空間と対象物の関係は水平線と垂直線との交はりからなつてゐて。この複
数の幾つもある交差点から生まれる座標の上には、石壁が不規則に配置され、その壁面
には細かく平行に無数の傷のやうな凹のがあり、この凹から生え出た瘡蓋(かさぶた)
のやうな蔓草がある。」

かうして見ると、上記の安部公房の第一段落にある安部公房の文学の要素・エレメン
ト、即ち動機としての形象・イメージには次のもののあることが判る。

(1)存在の多次元的な交差点[これだけでもあなたは沢山ゐる箱男を連想するだら
う]
この交差点は、この連載の中にこれから読むことになる写真に、文字通りの交差点の写
真、便所(これも安部公房にとつては交差点である)の写真、其のほかにこの交差点を
形成する水平線と垂直線の交差の集合としての景色や廃棄場として現れてゐます。この
ことは2回目以降に更に吟味したい。

(2)これらの次元の上にある無数の凹・窪み[この窪みといふ凹のイメージは安部公
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房の全ての作品に名前を変へて出てきます。『様々な光を巡つて』といふ窪み論をお読
みください(全集第1巻202ページ)。]

1947年・昭和22年、23歳の安部公房の言葉を『様々な光を巡つて』から二つ引
用して、あなたの安部公房理解の一助としたい。

「或る作家が偉大であり永遠であると言われる為には、やはりその作品があの窪みの中
への落とし物でなければならぬ。〈物〉の在り方、存在の嘆きに、何処かしら一致した
振動数を持っていなくてはならぬ。」
(『様々な光を巡つて』全集第1巻204ページ上段)

「それは、時間と空間、個体と全体、生命と生活、有と無、……
さう云った対立が最初に意識されたのは十九世紀であり、その動機はやはりあの窪み
につまずいて落として了った自我だった。(略)
(略)
畢竟これは同じ一点に向って流れそそぐ、二本の主流だ。解決を追求した永い歴史の
最後の成果として、何よりも遠く、又同時に近い〈物〉を自分の傾斜に取り入れた急流
だ。」
(『様々な光を巡つて』全集第1巻204ページ下段)

この二つ目の引用には、リルケ曰く、最も遠いものは最も近く、最も近いものは最も遠
いといふリルケの言葉が生きてゐる。「何よりも遠く、又同時に近い物とは〈物〉即ち
この存在論の記号で示されてゐるやうに、存在としての物である。それが、「何よりも
遠く、又同時に近い〈物〉を自分の傾斜に取り入れた急流だ。」といふ言葉の意味であ
る。安部公房の存在の形象とは窪みであり凹なのであり、写真のフィルムのネガなので
あり、昼間の風景の反転した世界、黒白写真の世界なのである。窪みである凹とは差異
であり、安部公房の世界認識は、世界は差異であるといふ認識なのです。この差異から
貝殻草は生えて来る。陸地の反転たる存在の海の中で、そのイメージは次のやうなもの
である。これが安部公房の存在論の世界です。

「《それから何度かぼくは居眠りをした》

ところで君は、貝殻草の話を聞いたことがあるだろうか。いまぼくが腰を下ろしてい
る、この石積みの斜面の、 間という 間を、線香花火のような棘だらけの葉で埋めて
いるのが、どうやらその草らしい。
貝殻草のにおいを嗅ぐと、魚になった夢をみるという。」
(『箱男』全集第24巻35ページ)
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(3)この窪みといふ 間から生まれ出てくる蔓草[あなたは此処で『箱男』の中に登
場する、貝殻草を思ひ出すだらう]

貝殻草の匂ひを嗅いで魚になつた夢を見るあなたは、逆墜落します。さうして空気の中
で窒息する(同巻36ページ下段から37ページ上段)。この逆墜落の発想の論理は、
いふまでもなく正と負の反転し、内部が外部に外部が内部に入れ替はつて結ばれるクラ
インの壺であります。このことが、安部公房の逆進化の論理にも水平展開して、なつて
ゐることが、あなたにも理解されることと思ひます。この数学者であつて医学学士の作
家の根底にあるのは、かうしてトポロジーといふ数学から生まれる等価交換によつて生
まれる形象の世界、従ひ形象である以上は、詩的な世界なのです。この安部公房の反転
した、夜のイメージの一行一行に私たちは惹かれてゐる。この反転するメビウスの環の
ムスビの等価交換の場所である遊歩場は、18歳の安部公房によれば次のやうな交易の
場所である。「遊歩場」といふ道即ち、

「此の道は他の道とははっきりと区別されて居なければいけない。第一に此の遊歩場は
その沿傍に総ての建物を持っていなければならぬ。つまり一定の巾とか、長さ等があっ
てはいけないのだ。それは一つの具体的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念でな
ければならぬ。第二に、郊外地区を通らずに直接市外の森や湖に出る事が出来る事が必
要だ。或る場合には、森や湖の湖畔に住まう人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。
遊歩場は、都会に住む人々の休息所となると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」

2。第二段落:『方舟さくら丸』

この段落の次の言葉は、『方舟さくら丸』についての、作者自身による簡潔な解釈と読
むことができる。主人公のもぐらは確かに透明な街の中へと脱皮して、といふことは此
の方舟は抜け殻となつてゐて、方舟脱出後に自分の掌も透明になる。透明になるとは存
在になつたといふことです。遺作『さまざまな父』の父親は薬を飲んで透明になつたと
は、存在になつたといふことです。

「廃墟に似ている。似てはいるが、廃墟ではない。廃墟とは使用されなくなった建造物
のことである。ここは一度として建造物になつたことのない場所。どこかべつの場所で
建造物になるための材料として搬び出されていったものの抜け殻なのだ。白と黒が逆に
なった都市の反転像。セミの抜け殻が似ているように、建造物のおもかげを宿している
にすぎないのである。」(原文は傍線は傍点)

この引用で安部公房は傍線を付してある もの とは、記号を使へば《もの》だといつ
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もぐら通信 ページ38

つてゐるのです。読み手には知られない安部公房の存在論の記号です。といふことは、
これから私たちの見る安部公房の都市の内部の写真は、存在の交差点にあつて其のまま
白と黒が反転して、だから安部公房の写真は皆白黒写真なわけですが、「白と黒が逆に
なった都市の反転像」だと此処で言つてゐるわけです。これが、安部公房の写真です。
抜け殻としての都市です。それは廃墟であり、抽象画のやうな線の集合であり、そのや
うな面の、多次元的座標の、交差点の集合であり、「《そして開幕のベルも聞かずに劇
は終つた》」劇の(『箱男』の最後から二つ目の章の見出し)、存在しない劇「以前」
の場所の、従ひ超越論の、時間の無い、存在の都市である。箱男の棲む世界です。

『方舟さくら丸』はかくして、もぐらの棲息する存在の、夜の世界である、《方舟さく
ら丸》だといふことが判ります。

3。第三段落:『カンガルー・ノート』

この廃墟に夜が来ると、野犬の群れが 徊して、その鳴き声が木霊するといふことが書
いてある。次の文章を読むと『カンガルー・ノート』の第6章「風の長歌」を思ひ出す。
野犬の鳴き声といい、風の音といい、この詩人にして散文家といふ此の作家の世界の構
成要素です。

この風の音は、それならば、芥川受賞作『S・カルマ氏の犯罪』にも吹いて鳴つてゐる
筈だと思つて本を開くと、ありました。冒頭に次のやうなサイレンの風の音が鳴つてゐ
る。

「さて、七時半を知らせるパルプ工場のサイレンが鳴り、出勤の時間なので、出掛けよ
うとして がないのに気づきました。」

S・カルマ氏は を存在の窪みに落として失つてしまつたのです。この音のは、《そして
開幕のベルも聞かずに劇は終つた》其のベルの音と同じ意義を持つてゐる。

さうすると、サイレンの音もまた舞台劇の開幕「以前」の風の音であり、『箱男』の最
後と次の作品『方舟さくら丸』の冒頭にも救急車のサイレンの音として鳴つて、私の名
付けた「結末継承」になつてゐることを私たちは思ひ出します。この救急車のサイレン
の音は、存在の窪みに落ちて世の人に忘れられる入り口です。さういへば、『砂の女』
の仁木順平も砂の穴といふ凹に落ちて世間からすつかり忘れられてしまつた存在になつ
た。さう思つて『砂の女』の第二章で、主人公が穴に入る前の砂漠といふべき砂丘の上
には風が強く吹いてゐて、「マッチはなかなかつかなかった。十本すったのが、十本と
もぐら通信
もぐら通信 ページ 39

も駄目だった」のである。

安部公房の主要な作品の結末継承については一度もぐら通信第53号に「6。結末継承
から見る安部公房の作品の系譜」と題して書きましたが、記憶を新しくするために再掲
します。これによつて、安部公房の作品の全てが一つの存在となつたのです。

「デンドロカカリヤ論(前篇)」(もぐら通信第53号)の「6。結末継承から見る安
部公房の作品の系譜」より再掲します。

「6。結末継承から見る安部公房の作品の系譜

これは、時間の中での時系列的な投影体同士の結末継承関係といふことになる。これは
当然topologyといふことから、連続の非連続、非連続の連続といふ継承関係である。以
下に主要な作品の例を挙げて、この結末継承について述べることにします。

(1)『砂の女』→『他人の顔』:凹(砂の穴の窪地)→凹(顔の穴の窪地)
(2)『他人の顔』→『燃えつきた地図』:部屋(ノートを書く部屋)→部屋(依頼人
の部屋)
(3)『燃えつきた地図』→『箱男』:箱(電話ボックス)→箱(ダンボール箱)
(4)『箱男』→『密会』:救急車のサイレンの音→救急車のサイレンの音
(5)『密会』→『方舟さくら丸』:箱(地下の密室)→箱(黒い色の(従ひ陰画とし
ての)市庁舎の箱型の建物)
(6)『方舟さくら丸』→『飛ぶ男』:朝(「夜があけていた」早朝)→朝(「ある夏
の朝」)
(7)『飛ぶ男』→『カンガルー・ノート』:この二つの作品の結末継承は、差異を有
する形態を備へた植物または植物園であつた筈。何故ならば、『カンガルー・ノート』
が、カイワレ大根で始まるから。そして、全集第29巻、69ページの『飛ぶ男』に関
するメモ書きの最後の一行が、「試験農園」とあるから。

このメモは『デンドロカカリヤ』を思はせますし、そして何よりも樹木や花は、リルケ
の純粋空間、即ち存在に生きる植物です。デンドロカカリヤは、その植物の一つなので
す。それ故に、最後に存在の方向への立て札を体に留められて名付けられて
「Dendrocacalia cre difolia」といふ、間に一文字分の余白、即ち存在への通路である
隙間が置かれて、コモン君は、この世を離れるのです。 [註9]

[註9]
「Dendrocacalia cre difolia」といふ立て札も含め、安部公房が小説の中で立てて、存在への方向を示す
立て札については、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について(後篇)』
fi
fi
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もぐら通信 40
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(もぐら通信第33号)で詳細に論じましたので、これをお読みください。

(8)『カンガルー・ノート』→『さまざまな父』:郵便受けの窓(「郵便受けほどの、
切り穴」:箱の穴)→郵便受けの窓(「玄関で郵便受けのバネが鳴った。」)この郵便
箱と窓もまた、箱男の世界です。」

4。第四段落:『方舟さくら丸』またはこの作品に完成する前の「志願囚人」

次の一と段落が『方舟さくら丸』の解説になつてゐます。

「ここにはもう単なる地面としての価値もない。湿った石の臭いと闇があるだけだ。と
ころがぼくの登場人物(たぶんいま書下し中の「志願囚人」の主人公)は、その抜け殻
に目をつけた。すでに売手もいなくなったような価値の残骸を手に入れるのは容易なこ
とである。多少の手を加え、私設の刑務所にしようと思い立ったのだ。」

「すでに売手もいなくなったような価値の残骸を手に入れるのは容易なことである。」
などといふ一行を読むと、私は『箱男』の或る章で、主人公の箱男が看護が橋の上から
落とした手紙を手にした手紙に書いてあつた、箱男が箱男となるための箱を5万円で買
ふといふ逸話を思ひ出た。橋の下も存在の交差点である。川に架かつて二つの土地を接
続する上位接続の、存在の交差点です。安部公房はこの交差点を、言語とは何かといふ
説明をするときにいつも積分値として説明をしてゐる。この章の見出しは、《約束は履
行され、箱の代金五万円といっしょに、一つの手紙が橋の上から投げ落された。つい五
分ほど前のことである。その手紙をここに貼付しておく》です。

ここでも、「一つの手紙が橋の上から投げ落された」のは、「つい五分ほど前のことで
ある」ならば、読者が此の章を読む前に《そして開幕のベルも聞かずに劇は終つた》こ
となのではないでせうか。だから、かうして、私たちは存在の小説を読むことになる。
迷路の中を彷徨ふ、私たちはS・カルマ氏になるのです。この手紙も橋の下といふ存在
の凹に投げ「落され」て失はれ世に忘れられた手紙です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ41

5。第五段落:『S・カルマ氏の犯罪』『砂の女』

『砂の女』のエピグラフは「罰がなければ、逃げるたのしみもない」です。ここでも、S・
カルマ氏の運命を思ひ出て下さい。何故、さうなるのか、ここに其の解説があります。
いや、ここではS・カルマ氏は仁木順平である。

「誰か憎む相手の不法監禁がねらいではない。目的は刑罰についての研究だった。彼が
刑罰のもつ意味に並々ならぬ関心をいだいていたのは、もっぱら泥棒を稼業にしていた
という理由による。前科のない成功した泥棒にとって、刑罰ほど気がかりなものはな
い。刑罰ワクチンの発見を夢見るのには、たしかにかっこうの場所だろう。」

この文脈で、今世に世界的規模で流行した武漢発の人工的な疫病の、自作自演といふア
ングロサクソン族の典型的なやり口で流行らせた金 けのための大手薬物製造メーカー
のワクチンのことを、その人種的・民族的な心理の根底にあるものとして、この説明を
読めば、非常に卓越したユダヤ人批判、キリスト教批判になります。問題は後者の教徒
が前者の教徒を憎み弾圧し続けた歴史があり、それ故に前者の教徒は後者の教徒をこれ
また憎んでゐるといふ宗教関係に問題がある。憎しみによる世界支配などできるわけが
ないし、続くわけもないのである。私たち日本人に限らぬ有色人種の発明すべきは、こ
れでよくわかりますが、彼らに対する刑罰ワクチンなのである。

最後に脱線しましたが、しかし、安部公房の慧眼と明察は人間とは何かといふ場所を離
れることがないので、二十一世紀の今にまで及んでゐる。このことを確かめて、初回の
終はりをメビウスの環で《結び』、《結び』といふ祓ひをした上で、次回へと繋げるこ
とにします。勿論、私は筆者として《結び』といふ祓ひをするわけですが、それは安部
公房の生前の最後の作品『カンガルー・ノート』に出てくる全ての呪文が、この祓言葉
だといふことを思ひ出して下さい。このtopologyの祓言葉である呪文については下記の
『カンガルー・ノート』論をお読み下さい。ダウンロードは以下の通り:

第66号の『カン ルー・ノート』論( 1):


「2。『カン ルー・ノート』の呪文論/ 2。1 呪文とtopologyと変形の関係」:https://
www.scribd.com/document/356983615/第66号-第二版-pdf

第75号の『カン ルー・ノート』論(9):
「5。1。4 『カン ルー・ノート』の形象論/(22)呪文/(22.1)呪文の分類/(22.2)
章別・呪文解説/(22.3)何故ローリン 族は象の皮の太鼓を叩いて踏切を渡るの
か? 」:https://www.scribd.com/document/370748271/第75号-第四版
ガ
ガ
ガ
ガ
グ
もぐら通信
もぐら通信 ページ 42

第79号の『カンガルー・ノート』論(14):
「5。2 呪文を唱える:第2章 緑面の詩人 」:https://www.scribd.com/document/
374148657/第79号
もぐら通信
もぐら通信 ページ 43

安部公房の箱根の仕事場を訪ねる企画ツアー

編集部

もぐら通信第49号にて、この時安部公房の仕事場にしてゐた箱根の別荘を訪ねる企画
を立てて、編集子と読者二人の計三人で、さう安部ねりさんに別荘の住所を教へてもら
つて、また安部公房御用達のレストラン・ブライトも教へてもらつて、このやうにして
箱根を尋ねた其の報告「安部公房の箱根の仕事場と御贔屓のレストラン「ブライト」を
尋ねる 存在の部屋と『もぐら日記』の中のレストラン 」を掲載しました。第49号の
ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/325701554/第49号-第二版

この時私たちが巡つた経路を、曽我兄弟の墓は除いて、バスを使ひ つて見ようといふ
企画です。箱根の仕事場を尋ねた後は山を下つて、 ノ湖畔にあるブライトで食事をす
る。其のあとは箱根の山を下つて、安部公房と山口果林が食事をした店の幾つかの一つ
でお茶を飲むか食事をして、小田原駅にて解散としたい。詳細は、企画ができてから御
披露します。乞ふ御期待。この時の目次は次の通りです。二度目に今回尋ねてみて、安
部公房の山荘が人手に渡つてゐないことを祈ります。事前に編集部で下見をします。

1。安部公房の仕事場を尋ねる
(1)Google Mapで見た仕事場の写真
(2)安部公房の山荘へ向かう
(3)山荘にたどり着く
(4)安部公房が中にいる?
(5)山荘から眺めた景色
(6)あのチェニジーを発明させた急坂
(7)何故安部公房はこの場所に別荘を建てたか?
(8)空想安部公房文学館を建てる

2。ブライトを尋ねる
(1)ブライトの位置
(2)安部公房のいつも座ったテーブル
(3)安部公房の定席から眺めた外の景色
(4)1985年8月23日のもぐら日記で書いた安部公房の食事
(5)店長松井さんにお話を伺う
(6)安部公房 いつも自動車を駐車した場所
3。曽我兄弟の碑を尋ねる
4。小田原に戻る
が
もぐら通信
もぐら通信 ページ 44

私の本棚
(49)
和田誠著『お楽しみはこれからだ』

岩田英哉

この本は、第一巻と第二巻と二冊からなつてゐる。私は映画自体のファンとかマニ
アとか、新しい映画がかかると必ず映画館に行くとかといつたやうな人間ではない
が、この二冊の映画の解説本を二十代で購入してから何度も当時読み返し、今に至
るまで何十年もそばに置いてある本の一つになつてしまつた本である。

それは何故かといふと、和田誠の絵と文章が素晴らしいからです。この一言に尽き
ます。さうして、この本の題名がさうであるやうに、作中の映画評論でもあり映画感
想でもあり、監督批評、俳優批評の見出しが、そこでこれから語られる映画の中で
の、和田誠が気に入つた名台詞といふ訳で、私にはこたへられない本なのである。
私は何故か子供の頃から格言に惹かれて、中学校に上がつた英語を習ひ始めると、
町の本屋さんで見かけた英語格言集の類の豆本を買つて、何度読んでも飽きないと
いふ此の子供時代の性癖は今でも変はらない。覆水盆にかへらず〔It is no
use crying over spilt milk]とか、Every dog has his day〔誰にだつていい日は来
るもんだ]とか、そのほかに今でも覚えてゐる慣用句が幾つもある。

この和田誠の本は、多分その手の本の一つとして私に訴へかけて来たのである。そ
の最初の、今でいふなら決めゼリフが、『サンセット大通り』の主役グロリア・ス
ワンソンの口にする科白、We didn t need dialogue. We had faces〔セリフなんか
要らないわ。わたしたちには顔があつたのよ]である。この女優の演じる若き日の
大女優時代は無声映画であつて、みづからの復活を けた台本を今のハリウッドに
受け容れさせるために努力をする其の時の、今もハリウッドで活躍する当時組んで
仕事をした映画監督にいふ科白です。映画は倒叙もので、最初に殺人事件が起き
て、其処から話が始まり最初の人殺しの一点に劇が進行とともに収斂して行く。上
の括弧の中の和訳は著者が当時見覚えた字幕の科白です。和田誠は映画のマニアと
いつても良いイラストレーターで、記憶力も、本を読むと抜群です。勿論映画を製作
した監督や俳優やらが脇役も含めて、どの映画で一緒に仕事をしてどんな名作をつく
つたかまで、私の目には、隅から隅までズイーっとよく知つてゐる。表紙を掲げま
す。
もぐら通信
もぐら通信 45
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二つ目の同じ題名の本には、一作目と違つて日本映画も取り上げてゐます。その二
つ目の科白:

「日本映画で最初に思い出すセリフは何か。と言われれば、僕は、

「おばはん、頼りにしてまつせ」

ということになる。映画は「夫婦善哉」。森繁久彌が淡路千景に言う。大阪弁とし
ては何でもない日常の言葉であるが、このセリフには物語の中の男の性格、女の性
格、背景となる世界の情感が れているようで好きなセリフである。森繁の表現も
見事だったが、大阪弁でなければ出せないニュアンスであろう。」
(『お楽しみはこれからだ PART 2』6ページ)

取り上げるどの作品にも見開きの右のページにある感想の隣の左のページに、和田
誠によるイラストが載つてゐて、この大変な才人の絵を通じて、そのセリフのある
シーンを読者はイキイキと目にすることができる。

私は映画をみる人間ではないが、それでも心に残る好きな映画といふものは幾つか
あるのです、刑事コロンボとかシャーロック・ホームズ(勿論ジェレミー・ブレッ
ト演ずるホームズです)のほかに。ひよつとしたら、映画通は、この二つは映画で
はないといふかも知れないが。私の見聞きするところ、映画好きの人は映画館で映
画を見なければ映画を観たとは言はないのである。どの人に聞いてもさうで、そし
もぐら通信
もぐら通信 46
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て何故かと いても答へられないのである。これが映画の魅力といふものなのでせ
う。

私の好きな映画を挙げると、一番に推すのは、『Sleuth』(スルース・探偵)とい
ふ二人芝居で、これはブロードウエイで長期興行の成功を収めた殺人事件に至る俗
にいふシチュエーション劇で、イギリスにある老探偵小説作家の館の中でのみ息詰
まる劇が進行して最後に老作家の妻を寝とつたマイケル・ケイン演ずる若い美容師が
老作家ローレンス・オリヴィエに拳銃で殺されるまでの顛末の劇で、この二人の主
役をマイケル・ケインとローレンス・オリヴィエだけで演じてゐる。科白劇である。
あまりに面白いし、何よりも素晴らしい劇であつたので、英語の脚本の原本までも
取り寄せてしまつたほどです。

次に繰り返してみてゐる作品は『What s up, Do c?』


である。邦題は『おかしなおかしな大追跡』となつて
ゐる。主演はバーブラ・ストライサンドとライアン・
オニールによるサンフランシスコを舞台にしたドタバタ
喜劇です。それに『サウンド・オヴ・ミュージック』。

トーマス・マンの小説を映画化したヴィスコンティの
『ヴェニスに死す』やその他『ブッデンブローク家の
人々』(何度も映画化されてゐる)や『魔の山』や
『トニオ・クレガー』や『詐欺師フェリックス・クル
ル』などは別格なので、ここでは格付けから外れます。

最後に最近YouTubeで見つけた映画解説チャンネルをご
紹介します。余りにこの馬場さんといふ監督もなさつた
方の話し方が秀逸且つ精細なので、到頭ネット上にある
もぐら通信
もぐら通信 47
ページ

動画を全部みてしまつた。お前は暇だなあ?ええ、さうです、かうして書いてゐる時
以外には。一応見かけ上は暇人である。漱石ならば高等遊民と云ふだらう。否、私
は高等貧民である。武士は食はねど高楊枝。

漱石:そんな貧乏を自慢するんぢやない。
私:はい、済みません。

このチャンネルです。『ホイチョイ的映画生活∼この一本∼』です。

https://www.youtube.com/@hoichoi_movielife

日本の映画史も今の映画の現状のことも非常によくわかります。映画の好きな人に
はお薦めのチャンネルです。何?もう知つてゐる?それでは他の人に勧めて下さい。
いつも説明してくれる白板の上に描いてある映画の登場人物の人物絵が非常に上手
いのは、一体誰の手になるものか。上のやうな漫画絵です。和田誠でないことは確
かだ。

かうして映画の解説を馬場さんといふ巧みな解説者であり映画の良き理解者の言葉
を通して聴いてゐると、やはり舞台もさうですが、台本・脚本・シナリオが全てだ
と思ふのである。さうして、シナリオはプロットを含んで其の上に成り立つてゐて、
更に其の上に役者の配役があり、監督が其の上にゐるといふ構図ではないのであら
うか。いふまでもなく、もの書きとしては、プロットをシナリオが含んでゐるとい
ふ部分に最も興味があるわけですが。ここは小説と全く同じ領域です。

そして最後に、私のご贔屓、居島一平の、映画
チャンネル『苦肉祭チャンネル』を是非:
https://www.youtube.com/@user-vj3qg1je1b
もぐら通信
もぐら通信 ページ 48

初期小林秀雄論
(5)

岩田英哉

目次
1。初期と云ふ言葉の意味
2。骨董
3。ラン オ「以前」
4。初期小林秀雄の作品
5。『本居宣長』以後
6。小林秀雄と正宗白鳥
7。小林秀雄の文学を俯瞰する
8。小林秀雄と歌舞伎
9。源氏物語と万葉集と壺
10。『飢餓の祝祭』
11。小林秀雄とヴァレリー
12。小林秀雄と泉鏡花
13。小林秀雄と鏡
***

11。小林秀雄とヴァレリー
ヴァレリーの『ポエジー』を読む前に、一つ発見があつたので、何故小林秀雄は最初
の文藝時評の連載の題名を『アシルと龜の子』と題したのか、その心について簡単に
論じてから11.2の本題に入りたい。

11.1 ヴァレリーの散文詩『海辺の墓』と小林秀雄の文藝時評『アシルと龜の子』
結論を最初に言へば、アシルと亀の子の話がヴァレリーの散文詩『海辺の墓』に出て
くるからであり、後年のヴァレリーの詩に対する距離を置いた述懐とは別にして、
ヴァレリーを読んでゐて当時は共感を覚えてゐたことの確かな証が、この文藝時評の
題名なのです。『海辺の墓』の当該箇所を引用します。訳は菱山修三。

この詩の主題は、次のやうな語彙と形象からなつてゐる。これらの事を背景に下記の
引用をお読み下さい。

海・母


光・真昼
ボ
もぐら通信
もぐら通信 49
ページ

影・夜
生者
死者
眠り


沈黙

以下、引用はみな此の詩の菱山修三による訳である。

「ゼノン!残酷なゼノン!エレアのゼノンよ!この翼ある征矢でお前は私を射抜いた
のか。矢は震へて、翔び、翔ばずに停止する!その音が私を生み、その矢が私を殺
す!あはれ!太陽よ……この魂になんといふ亀の影、素速く走りながら動くこともで
きないアシル!」

これが『アシルと龜の子』といふ題名の由来である。

小林秀雄の「海辺の墓」は、あの伊豆大島の断崖絶壁にある。海は母であり、母とは、
いふまでもなく、女性であり、この母なるものにして且つ女性なるものは、最後の段
落で話者たる男は其の海へと身を投げて死ぬとヴァレリーの『海辺の墓』では暗示さ
れてゐるのであるが、これは、これから論ずる『ポエジー』と同じ結末である。身を
海に投ずるのは、男が生きるためである。かく、生と死は海といふメビウスの環であ
り、この全ての相反する二つのものを一つにする蛇である海は、みづからの尾を
(は)んでゐる「不死身の七つの頭ある蛇」である、永遠に循環するものである。

「しかり!その性よりして激しやすい大海よ、 の皮よ、また太陽の、千のまた千の
映像に穴を たれた軍用のマントよ、しづけさに似た騒擾のなかで自らの煌めく尾を
噛んで、その青い肉に酔ふ、不死身の七つの頭のある蛇よ、」とある海であり、これ
がヴァレリーの、地中海の、海に関する形象です。

かくして、この引用の次の連の、そして最後の連である此の連の段落の最初の一行
が、堀辰雄の小説の題名になつて有名な一行、即ち、風立ちぬ、いざ生きめやも、で
ある。菱山修三の訳のままに引用する。

「かぜが起る……いまこそ強く生きなければならぬ!大気は私の書物を開き、それを
閉ざす、繽紛(ひんぷん)と散る波はいさましく岩々のあひだから迸る!翔べ、まぶ
しいばかりの本の頁!破れ、波よ!打ち破れ、躍る水で、すなどりの帆舟の行きかふ
もぐら通信
もぐら通信 ページ50

このしづかな夢を!」

「翔べ、まぶしいばかりの本の頁!」と心のうちで静かな叫び声を叫んで断崖から身
を躍らせる此の男は「まぶしいばかりの本の頁」である。まぶしいばかり、といふ形
容は若さを意味してゐるだらう。だから、次のやうな『Xへの手紙』の一行二行三行が
生まれる、さうして一つの段落が。これは、安部公房流にいふならば存在《X》に宛て
た小林秀雄30歳の時の手紙である。Xとは何かについては既述した。

「女は俺の成熟する場所だつた。書物に傍點を施してはこの世を理解して行かうとし
た俺の小癪な夢を一挙に破つてくれた。と言つても何も人よりましな恋愛をしたとは
思つてゐない。何も彼も尋常な事をやつて来た。」(『Xへの手紙』全集第2巻88
ページ)

「書物に傍點を施してはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢」に、上記の
ヴァレリーの詩の引用の「翔べ、まぶしいばかりの本の頁!破れ、波よ!打ち破れ、
躍る水で、」があるかも知れないと思ふことは間違ひではない。この小林秀雄は単な
る文学青年ではない。父を失ひ、一家を支へて実際に生活しなければならない文学青
年である。といふことを、どの小林秀雄の論者も忘れてゐる。

さて、しかし、to be or not to beと問ひ続けることが、果たして「何も彼も尋常な事


をやつて来た。」といふことになるであらうか。付言すれば、ランボオの詩の主題
の、飢餓の他の主題の二つ目は、オフィーリアである。That is the question。正しく
問ひを立てることである、正しい問ひを問ひなさい、さうすれば正しい答へを得るで
あらうといふ正しい答へはずつと後年になつてからも変はらぬ、その講演の音声記録
に傾聴すると、小林秀雄の若い学生たちへの心からの、そして尋常なる、助言であ
る。問ひは尋常、行為は異常と世の人の目に見えるといふことは一体どういふことで
あらうか。ソクラテスの問ひは尋常、行為は異常と権力濫用者の目に映つたので、こ
の石工にして哲学者は獄中で毒杯を仰いだのではなかつたか。この手紙の最後の箇所
の引用をしよう。これが、この書簡体小説の最後にあるメビウスの環の《ムスビ》で
ある。このメビウスの環の《ムスビ》の歌ひ方は、フランスの隣国のドイツの言葉で
詩を書いたリルケの詩の根底にあるトポロジー・位相幾何学の論理と同じです。とい
ふことは、リルケは1875年生まれですから、フランスの象徴詩と俗に呼ばれてゐ
る詩の影響を、受けてゐるといふよりは、ヨーロッパに生きる言語藝術家の一人とし
てやはり同じ時代の空気を吸つてゐたといふことなのである。誰も日本のドイツ文学
者はリルケを此のやうには論じないが。ランボオとリルケの詩の様式は、同時代の数
学の潮流に歩調があつてゐる。十代に耽 して読みリルケを共有してゐた三島由紀夫
と安部公房は、二人とも、転生輪 の小説を書いた。前者は小説家人生の初めと終り
にロマン主義の名の下に、後者は一生涯、存在の名の下に。存在《X》に宛てた小林
もぐら通信
もぐら通信 ページ51

秀雄の手紙は次のやうに終はつてゐる。

「 ではさやうなら。君が旅から歸る日に第一番に溜まりで俺と面会しよう。俺は早
くから行つて君を待つてゐる。だが僕が相變らず約束をうまく守れない男である事を
忘れてくれるな。俺は大概約束を破つて了ふ様な事になるだらうと心配してゐる。だ
けど君はどうしても来てくれなくてはいけない。俺は君の来てくれる事を信じてゐる
のだから。
ではさよなら、――最後に一番君に言ひたい事、どうか身體を大事にしたまへ。」
(全集第2巻102ページ)

これは事実としては、俺といふ男が約束の場所へ遅れたのではなく、存在《X》が遅れ
たといふ事を小林秀雄の読者は知つてゐるであらう。しかし約束を破つた存在《X》
は、飢餓に苛まれ続けた男の前に、次々と手を変へ品を変へて姿を現したのだと私は
思つてゐる。存在《X》とは、ヴァレリーならば海辺の墓地にゐて眼前に広がる海に
見える自然の全てである。小林秀雄ならば「人間の意識を規定するものは全自然であ
る。」と『アシルと龜の子 II』の最後の箇所に書いた通りです(全集第1巻48ペー
ジ)。

しかし、小林秀雄は年と共に何故ヴァレリーが読めなくなつてしまつたのか、この問
に対する答は『ポエジー』といふ詩の最後の一行にあるのです。小林秀雄はヴァレ
リーとは自然を共有してゐる。ここはランボオの場合と同じです。しかし、次の詩を
読むとわかりますが、人と自然および言葉と自然の関係を、即ち、人と言葉と自然の
関係について考へると、この三者関係に関する考へがヴァレリーとは異なるからで
す。この三者関係の三者を此の順に当て嵌めて、秀雄・中也・泰子と置き換へても良
い。

そして、この三者関係の均衡をとるやうにポエジー、即ち詩の精神が働いてゐるか
を、ヴァレリーは詩の様式に求めたことが『ポエジー』といふ詩のフランス語を読め
ばわかる筈です。日本語訳にフランス語の詩の韻律を再現することは不可能です。
『ポエジー』といふ詩の原詩を私は読めませんので、ドイツ語の訳で読むことにしま
す。菱山修三訳の『海辺の墓』の前書きに、「ヴァレリーは、この「海辺の墓
(LeCimetièremarin)」で、当時十二音綴(アレクサンドラン)に比べて人気の下
がっていた「十綴音(デカシラーブ)」を用いたり、各節六行という詩型を用いたり
しています。」と書いてあるのが、ヴァレリーの其の様式に関する試みになるのです。
これは、うまく理解することが難しい。何故なら、その詩人と様式と言葉による表現
といふ三つの間の非常に微妙な、生命に関する問題が其処にあるからです。生命に関
する事を言葉によつて表すといふことは、同時にそれを隠すといふことでもあります
から、この均衡を如何に保つかといふ詩人の問題があるのです。ランボオはそれを文
もぐら通信
もぐら通信 ページ 52

字にしなかつた。せずに、アフリカ大陸の過酷な自然の中へと、商人として、旅立つ
た。ヴァレリーはそれを文字にして次の詩の最後の一行とした。ここに『テスト氏』
といふ散文の書かれた同じ由来があるでせう。そして、小林秀雄は若い時には共感し
たが、自身の成熟と共にテスト氏にはついて行けなくなつた。それは何故か。それ
は、若さ故に思ふ思想であり詩想であるからであつて、文字にしたことが自分の人生
よりも尊いといふ考へは、後年の小林秀雄は『本居宣長』を書くに至る道程ではつい
ていけないものになつたからでせう。宣長の世界は小林秀雄の世界と同じで、文字に
は置き換へ得ない文字「以前」の世界だからです。qualitas occulta.これが二人にとつ
ての詩の世界である。しかし、ヴァレリーにとつてはさうではない。

ヴァレリーに『テスト氏』といふ散文があつて、これを小林秀雄は翻訳してゐる。こ
のテスト氏とは、ヴァレリーが創造した「この架空の人物」であつて、「僕は正確と
いふ烈しい病に悩んでゐた」と冒頭に書き始める男である。このテスト氏をめぐる一
連の翻訳の最初に置かれた「序」を読むと、テスト氏は「正確といふ烈しい病に悩ん
でゐた」といふ「かういふ状態の生ま生ましい思ひ出から、或る日生まれ出たのであ
る。」このテスト氏は、従ひ、徹底した散文家であつて、それ故に「僕は文学を信用
してゐなかつた。詩となると随分正確な作業だが、これにも信を置かなかつた」ので
ある。このテスト氏の言葉と、初期小林秀雄が『アシルと龜の子』に特に顕著なやう
に、即ち顕著とは文字ではつきりとさう書くといふ意味であるが、感傷の文学は徹底
的に否定してゐる態度と、このテスト氏は、此処で同じ散文に対する考へを共有して
ゐる。だから、初期小林秀雄が文壇に登場した時の文藝時評『アシルと龜の子」のあ
の言葉の調子、あのトーン、あの文体と論理展開は、確かにテスト氏が恰も書いたか
の如き日本語の文章です。即ち、当時は小林秀雄も「正確といふ病に悩んでゐた」か
らです。

この序文を読んで、私は、ああ、ヴァレリーはデカルトの読者だなと感じたが、それ
は「序」の次に配置された「テスト氏との一夜」の最初のページを開くとエピグラフ
があつて、しかし此れがヴァレリーといふ男の話法に関する深謀遠慮なのであるが、
デカルトの言葉を直接引用するのではなく、誰かがデカルトについてラテン語で書い
た批評の言葉を引用してエピグラフとしてゐる。此れが実はヴァレリーに対するにテ
スト氏の諸事万端に対する態度なのである。そのエピグラフはデカルトについて、即
ちテスト氏についてかう言つてゐる。

「Vita Cartesii res est Simplicissima……(デカルトの生涯は最も簡単な物であ


る……)」

後年この批評家の書いたデカルトに関する論である『常識』には、ヴァレリーの名前
は一つも出てこないが、小林秀雄との関係では、この批評文はヴァレリー批判だと理
もぐら通信
もぐら通信 ページ53

解することができる。何故ならば、ヴァレリーの創造したテスト氏とは、若き小林秀
雄と同じく「正確といふ病に悩んでゐた」が、その創出せる人間像は「異常なもの」
であり、テスト氏は此の世には「存在し得ない」ものであるからであり、この「怪物
観念」は「可能事と不可能事以外を認めない」のであるからだ。この二項対立を超越
したところに小林秀雄の超越論による批評の真髄があることは既に論じた通りです。
同じ17世紀のフランスの哲学者から懐疑の道を進んでも、ヴァレリーは怪物観念の
創造へ、他方小林秀雄は常識人の創造へと道は極端に分かれた。「宣長のやり方でい
くと歴史の鏡に映つてくるのは、結局は自分自身の顔だと合点する、さういふ道だと
いつていい。現にかうして生きてゐる自分に還つてくる道です。」 (『江藤淳 小林秀
雄全体話』(中公文庫159ページ) といふ小林秀雄であれば、小林秀雄にあつてヴァレ
リーにないものは歴史だと判ります。歴史といふ時間に関する考察がないが故に、
ヴァレリーのテスト氏は「怪物観念」と化して、テスト氏は世間から乖離する。対して
小林秀雄は分野を問はず領域を問はず、職人の努力と技と「製作物」(これは小林秀
雄の和訳したテスト氏の言葉)を敬愛し、作品を賞 する。この二人の分岐点に、高
校生の時代に読み始めたと云ふベルグソンが、この哲学者には歴史といふ時間に関す
る考察あるが故に、ゐる。

「小林 ヴァレリイは随分苦心してあの詩をこしらへたんでせうけれどもね。それ
は、とてもランボオ、ヴェルレーヌにはかなふもんぢやないですよ。これは詩人と、詩
心を持つてゐる人と、それから詩を作つた人の違ひでせうね。マラルメの詩といふの
はぼくも昔は随分読んだものですが、結局散文詩にひかれてしまつたわけですわ。
[マラルメの]詩は初期のがいいんです。」(『江藤淳 小林秀雄全体話』(中公文庫159
ページ) (傍線は引用者)

もつといへば、小林秀雄はヴァレリーは詩人ではない、とすら言ひたいのである。自
分の詩人像からかけ離れてゐる。否、ランボオとマラルメこそが天性の詩人である。
あるいは、自然の詩人といひ、天然の詩人であるといつてもよい。

定式を適用すると、ランボオには自然があるが、ボードレールの場合と同様に、ヴァ
レリイには自然がないといふことになるであらうか。ヴァレリイは地中海の人なの
で、海のないわけがない。といふことは、小林秀雄のいふ『テスト氏』のやうな「も
うああいふ考へ方には、ついて行けないと痛感した」といふ意味は、自然の対極にあ
る人工的とか人造的な散文には、といふ意味であらうか。いづれにせよ、この批評家
は詩にいつも惹かれるといふことがわかります。上の疑問も『テスト氏』といふ散文
と『ポエジー』といふ詩を読めばわかります。『ポエジー』といふ詩を読んでみませ
う。

此れが、私が最初に掲げた問であつたが、その答は、小林秀雄のいふ『テスト氏』の
やうな「もうああいふ考へ方には、ついて行けないと痛感した」といふ意味は、自然
もぐら通信
もぐら通信 54
ページ

の対極にある人工的とか人造的な散文には、といふ意味である、といふことになりま
す。ヴァレリーに自然はあつたが、歴史がなかつたのだ。歴史がないとは言葉がない
ことだ、といふ小林秀雄の考へのことは既述ですが、この延長にいへば、言葉がなけ
れば文化のないことであり、それ故にヴァレリーの創造したテスト氏はこれら三つの
生き生きとした関係を喪失してゐるが故に、「怪物観念」になつてしまふのです。「常
なるものを見失つたからである。」と昭和17年の小林秀雄ならば、此処で、いふこ
とでせう(『無常と云ふ事』最後の一行)。あなたが小林秀雄の読者であらうとなか
らうと『無常と云ふ事』をご一読されては如何か。

6.2 小林秀雄とヴァレリーの『ポエジー』
この和訳はフランス語の韻律の和訳は無理だといふことは自明である上に、調子を写
すとか、ニュアンスを同じくする日本語の語彙を選択するなどといふことに全く頓着
してゐない、といふ事を前提に翻訳したといふことを最初にご了解下さい。ヴァレ
リーの論理展開だけを追ひました。何故なら、それがフランス語の原詩の生まれた論
理を知る道だからであり、二つ目には外国人であり異国人である私たちが最速で先づ
は理屈でヴァレリーの詩を頭で理解する近道だからです。文法は解釈の武器であり、
私たちには常に必要な個別言語規則である。原音によらずに、先づ頭以外にどうやつ
て外国人である私たちが詩を味読できる道があらうか。

【ドイツ語訳原文】 【散文訳】
もぐら通信
もぐら通信 ページ55

最後の連の最後から二行前の訳で赤字にした訳は、ドイツ語ではmidiとなつてゐて、これはドイツ
語ではないので、私には理解ができなかつたが、仏語・仏文学の碩学(泰斗といふべきかも知れな
い)鈴木信太郎訳では 強く と副詞で訳してあるので、これをそのまま採つた。

【解釈と鑑賞】
第一連:
不意の心の塞がりを意識して、といふ出だしが、この不意にとか突然にとかいふ心
の塞ぎ、塞ぐ心理を意識したといふ出だしから、この詩は超越論の詩であることが
わかる。即ち何か計画的にまた予定的に歴史的に時系列でこの事が起きたのではな
いからだ。この突然に、不意に、不図といふ時系列の並びの 間から飛び出た形容
詞は、第7連の第二行目にあるauf einmal、一気にとか、一息にとか、あつといふ
間にとか、一息でとか、一度機にとか、いふ副詞に連絡してゐて詩想が繋がつてゐ
る。この超越論の感覚と論理は、小林秀雄の世界に直接響いたに違ひない。だか
ら、青年はヴァレリーの世界に、しかも詩文も散文もものする此のフランスの文人
に共感を覚えた。

この話者の呼びかけてゐる相手は、海である。その海を前にして話者の、さう詩人
のといつても良いが、その唇は立ち上がり詩の言葉が れ出すのである。さうして
その作品は、人の心の騒ぎを鎮める働きをする、その胸が海である。この胸といふ
言葉には、女性の胸であることから両の乳房を連想する事ができる。これはヴァレ
リーの言葉と詩想・ポエジーに関係するerosであるが、これもまた若者に何か豊か
なものを与へたことであらうと察する。
もぐら通信
もぐら通信 ページ56

第二連:
この海を、此処では言ひ換へて、精神の内部の母と呼んでゐる。海は母であり、母は
精神の内部にある。といふことは、目の前の海は精神の内部にある海であるといふこ
とになる。そして、何故か、この母親は話者に甘いものではなく、逆に若者の期待す
る其の甘さを遠ざけるやうに働く。何か私は間違ひをして、誤解をしてしまつたので
あらうか。海とは果たして其のやうなものであつたらうか。しかし、私が海の潮の流
れに乗つて行くのではなく、航海に抗ふやうにして、多くの流れが向きを変へて、自
分の方にやつて来る。7つの海と敢へて数字を入れて訳したのは、海といふ名詞が複
数形であるからです。とにかく、海といふ自然が反対の作用をするとは。海といふ胸
のもたらす作用は鎮静作用ではなかつたのか。

第三連:
白い色の重さの下で、といふ意味は、海でありますから白い色といへば雲の白か波の
波濤の白といふことになりますが、此処では下でとありますので、雲の白さととるこ
とにします。その白い色が重いとは何かと問へば、海の上、空高くある雲が厚いから
なのか、さうでなければ雲に何か、雲の下にあるものとの対比で重さを思はせる何か
が雲にあるといふことになります。それは何か。

あなたの胸・海に植ゑ付けられて、といふからには、この白い色の重さとは、それな
らば海の波濤の、白波の白さだといふ解釈も成り立つ。この話者は海に投じられてゐ
る状態にある、とさう理解してみませう。さうすると、7つの海の大波によつて、身
を投じてゐる母の胸なる心臓は完璧であるので、男である私、息子たる私を感動させ
ずにはゐないのだ。といふ理解になります。何故完璧かといへば、それは母の心臓・
心だからであり、何故母の心臓・心であれば完璧なのかといへば、欠けたるところが
ないといふことでありませうから、話者の男は海に信を置く事ができてゐる。完璧と
は何かとは、かうしてみると、海が我が身を受け容れやうが、拒まうが、いづれにし
ても私が構はないほどに、この海といふ自然に身を任せて動かされるほどになつてゐ
るのだ。といふことは、白い重さが白波ならば、此処で早や、私は海の中の死者とな
り死体となつて動いてゐるのであらうか。感動させられると訳しましたが、ドイツ語
では単に動かすといふ意味で、この動詞を名詞化した動詞には、日本人は運動といふ
和訳を与へた動詞です。音楽には感動し、政治的には運動を起こすといつたやうに、
二つの領域で此のドイツ語の動詞は使用が可能です。

大事なことは、この連全体が意味するところがさうなるや否や、すぐさま何かが起き
るといふ予感と未来の事実を前提に書かれてゐることです。これは次の第四連も同じ
です。この二つの連は論理上は二つの連の前の精神の内部の母で始まる第二連にも掛
かるし、其の後に来る次の次の第五連にも掛かり得ますが、此処では第五連に掛かる
とみて次に進みます。
もぐら通信
もぐら通信 ページ57

第四連:
母たる海の胸に抱かれてと第二行目にあるのを読むと、どうも此の海は天と、大空と
接してゐて、その天も空も暗いと詠まれてゐる。そこには白い雲はないので、上記の第
三連の白い色は波濤の、海の白い色と理解して間違ひがないやうである。その黒い空
の中に私は沈んで行くといふのだ。単に浅く沈むのではなく、何かかう本格的に海の
底へと沈んで行くのである。さうして、当然に海に呑み込まれるといふ表現が自然に
なるわけであるが、これをヴァレリーはあの影たちに呑まれるといつてゐる。海の底
に沈み行くといふのに、この私を呑み込む影たちは全てを輝かせる影であるといふの
だ。この輝かせるといふドイツ語の動詞には宗教的な意味も含み、神々しくすると訳
しても良い動詞です。ここに、天が暗ければ、この暗い影たちが、対する海の中では
何か神々しいものとして全てを明らかにし照らすものであるといふ事が歌はれてゐる
事が判る。しかも、この神々しさは、この時、私の内部にあるのだ。といふことは、
普通に考へれば、海に身を投げ入れて、死者となつたことによつて海の中で見る景色
は、かくも神聖に明るいものだといふのである。ヴァレリーは海に身を投げたことは
なく、投げようとしたこともないのだといふ事が、此処で判るのは、最後の連の最後
の行に至つて、次の行に至つて、次の一行があるからである。

私の心臓はもはや脈打たないのである。

言葉の上で身を投げて死んでも、それは虚しい文字ではないかといふのが、小林秀雄
の後年の感想ではあるまいかと私は思ふ。さて、

第五連:
最初に、海が母が神だと呼ばれ、呼びかけられてゐる。当然に唯一絶対神であるGod
だ。しかし、ヴァレリーはさうはいひたくないのであるし、キリスト教会の宗教的な
臭みを嫌つて、不定冠詞をつけて、Ein Gott、英語でいふならばA Godと呼んでゐ
る。

さうして、このA Godとあるからには、これは複数のGodsの中の一つの、話者が任意
に選んだ一つのGodだといふ意味であるので、まさしく海といふ汎神論的存在を詠む
のには相応しい不定冠詞の付いた主語であるし、ヴァレリーは地中海の人であります
から、大陸のフランス人、敬 なカソリックとは此処が異なることはよくわかりま
す。この海の感覚と形而上学的な論理と形象が、間違ひなく日本人が此の詩人を受け
容れるところなのです。

そのやうな「一つの神は、その本性に従つて移ろひ易く」と訳した最初の一行は、和
訳の上で言葉を以つて説明するのが微妙なところなのですが、これは直訳すると、A
Godが其の本性または本質の中へと入つて行つて行く様が移ろいやすいのか、あるい
は其の本性または本質の中に入つて行くと其れが移ろいやすいといふ姿になるのかと
もぐら通信
もぐら通信 ページ58

いふ二種類の解釈が、ドイツ語訳ではあり得るのです。ですから、此処では此の両者
の意味があるとして理解をします。両方の事が、両義のままに一つの句として表されて
ゐるといふ理解です。さて、その様は、魅了して止まぬ最高の魅了の方法である。そ
の目的と裨益となるのは、柔らかな、そつとした満ち足りることのためである。日本
語としては熟してゐないが、さう書いてある。その充 と訳した満足な完結した状態
は、その完璧な充 を受胎するためである。そして、この充 はみづからを無限に、
限界なく、開示し啓示するといふのである。この受胎すると敢へて訳した形容詞は、
話者である男との性交を思はせる。いはば、女性の神と男の人間との交はりである。
文字にそのものを書かぬが、さういふ暗示を用語の使用法で表現する。これがヴァレ
リーの詩の言葉なのでありませう。これにも、ボードレールやランボオに親しんだ、
特に後者には耽 したといふべき小林秀雄には、此処でも、ヴァレリーに共感する素
地があるといふ事ができます。

特筆すべきは、この一つの神を巡る連は、文になつてゐずに、A Godに掛かる言葉だ
けでできてゐるので、ただ、A Godといつただけで、次の第六連が始まるといふこと
である。即ち、敢へて訳せば、女神がかういふ神であるのだから、といふのがこの連
の総体としての意味です。

第六連:
[海といふ母なる女神がかういふ神であるのだから]といつて続く、この連は、今度
は今までとは逆に少しも明るいものではなく、暗いものです。何故なら、第一行目に
夜の中の最も純粋な夜に私は触れるとあるからです。夜の中の最も純粋な夜とは、意
味が正反対に変じて、これは真昼のことかも知れないが、しかし夜なのである。何故
真昼といひたくなつたかといふと、此処では此の最高に純粋なる夜の純粋性が、以後
死を意味のないものにしてしまふからである。といふことは、ヴァレリーは死に意味
を見てゐたといふことになります。この一行を書くまでは。さて、そのヴァレリーの
死とは何か。この死が最後の連の最後の一行に現れます。文字で現れる。果たしてこ
れを文字にして良いものかどうか、此処で小林秀雄の言語感覚と衝突する。私にはさ
う思はれる。

さうして、ところが、此処でヴァレリーの上記の逆流した流れの一つが、我が身を貫
通するといふのです。さう私には見えるといふのです。これが可能なのは、最も純粋
な夜に、上記の理由で私が触れる時です。この夜ならば、私は流れを受け容れる事が
できる、全身で。これが話者には、この母なる神なる海の譲歩と見えるのだといふの
です。それが次の連です。この譲歩が母なる海の強さだといふ、強靭性であるとい
ふ。

第七連:
もぐら通信
もぐら通信 ページ59

それ故に、この連は、この海といふ強さへの呼びかけの名前で始まる。この海は次の
ことを私に示してくれると、私に次に示される其れを既に其の前に予感してゐる其れ
とは何かと云へば、私が私の魂の気に入らなかつたといふこと、この過去形で起きて
ゐた事実である。ここに、私といふ私と、その私の抱く魂との乖離・分裂・違和感が
あり、これがそれまでの話者の私の本当の姿であつた。この私は既に小林秀雄の話法
を複数回論じたやうに、安部公房の話法と同じ話法を適用して理解する事ができるの
は、最初の私が表向きの、人の見、人に見られる私、即ち「私の中の「私」」の前者
の括弧無しの私であるのに対して、ヴァレリーのいふ私の魂とは、後者の括弧付きの
「私」即ち、名前のない無名の、誰にも、私にさへも知られぬし仲々言葉にはならぬ
がしかし私は身体の問題として生理的にもよく知つてゐる其のやうな私である。図式
的に云へば、前者の私は表層の私、名付けられてゐる私、後者の「私」は深層の私、
名付けやうのない無名の私、即ち存在としての私、それ故に 括弧が付されてゐる
私、即ち私の魂といふことである。平たく云へば、自分自身に対する違和感を前者の
私が覚えてゐたといふことです。

だから、もはや水面の私の姿と水面下の水を掻いてゐる私が調和しては、白鳥が水の
上に自然のままに浮いてゐるやうには、ゐられないのだといふのです。

第八連:
前の第七連の冒頭で、おお、強さよ、強いものよと呼びかけられてゐるもの、海が、
この連では、おお、不死なるものよと呼びかけられて、同様に始まるのは一つの様式
の創造といふ事ができる。

この不滅のもの、海は、私が目を遣つて幾たびも見るのか、それとも海が詩の話者で
ある私を幾たびも見るのか、さうして見ると、海は、不滅なるものであるが故に、私
の宝物、財宝を、あるいは最も大切なものを私から引いて行く。ヴァレリーが、奪ふ
とか、取るといつて動詞を選択しなかつたのは、これが海だからで、潮の退(ひ)く
ことも念頭にあるからだと思はれる。退いて行くこと、即ち引いて行くことにその行
く様に連続性があつて、急激な喪失はないからである。ドイツ語の動詞はentziehen・
エントツィーエンと云ひます。

かうして、私の財宝と呼ぶに値する何か、それは以上の文脈からは、私の魂といふべ
きであらうが、更に続けて詠まれるべきは、あなたの其の体もまた厚くなつて、太つ
て行くやうに見えるといふことである。この体と和訳したドイツ語はLeib・ライプ
(体1とします)といふ体であつて、これは魂・Seele・ゼーレと、ドイツ語の世界で
は対語であり対概念になつてゐることを此処で知つてもらひたい。同じ体と訳すドイ
ツ語にKoerper・ケルパー・肉体といふ名詞がありますが(これを体2とします)、
これはGeist・ガイスト・精神との対語であり対概念です。さうして、GeistとSeele、
即ち精神と魂は、これはこれで対語であり対概念なのです。これはこのままキリスト
もぐら通信
もぐら通信 60
ページ

教の用語ですが、その下の階層にゐて言語活動をする作家や詩人も此の連想連語の内
にまた上で仕事をしてゐるのです。

これは日本語も同じで、言語である以上、私たちも無意識にであれ、このやうな言葉
の使ひ方をしてゐます。これをコト・タマのあり方と言ひ、本居宣長が玉の緒と呼ん
だものがこれです。アリストテレスならば、association・アソシエーションと云ひ、
まあ、これは英語での言ひ方で、日本語では西欧米から取り入れた当の学者の専門分
野によつて連想・連合・協会などと幾つにも訳し分けられて、私たちを混乱させてゐ
るわけですが、この明治維新以来の思想的混乱の原因である訳語の問題についてはこ
れ以上述べることは控へます。さて、本題に戻ると以上の用語の関係は次のやうにな
る。

[(精神、魂)、(体1、魂)、(体2、精神)]

ヴァレリーは上記の函数関係のうちの赤い色にした言葉同士の関係を此処では詠んで
ゐるわけです。ですから、青い文字にした言葉同士の関係は伏されてゐるか隠れてゐ
るか。あるいはヴァレリーの強い意志によつて棄却されてゐるかと問へば、『テスト
氏』を書いたヴァレリーなれば、それはあり得ない。

私の宝物を海が海へと引いて行くので、海よ、あなたの体1もまた、知らぬことであ
つたし初めて目の当たりにするわけであるが、だから不思議なことに、あなたは私の
富を我が物として太つて行く。さうして、それは人にとつて石のやうな堅い確かな場
所を作ることになるのだ。と、さうヴァレリーは書いてゐる。上記の函数関係で見る
と、話者の男の魂が海と一つになると、体1もさうなるといふことになります。体1
の意味は、確かに日本語ではカラダですが、その外延・extensiveの意味の一つは死体
といふ意味があるのです。英語ならばbodyです。ですから、最後の連で男は死んでし
まふといふ結末になる。これは、小林秀雄には、あの伊豆大島の断崖絶壁から身投げ
をする未遂事件の因をなした長谷川泰子との二年間を思ひ出すことになつて、余りに
生々しく、それ故に自選の際に翻訳全集に採録することをしなかつた。しかも、此処
からの二つの連は、後年の小林秀雄には、たとへ言葉の、文字の上であらうとも、理
解が難しくなり、受け容れる事が難(かた)くなつた二つの連であると思はれる。

再掲すれば、

歴史といふ時間に関する考察がないが故に、ヴァレリーのテスト氏は「怪物観念」と
化して、テスト氏は世間から乖離する。対して小林秀雄は分野を問はず領域を問はず、
職人の努力と技と「製作物」(これは小林秀雄の和訳したテスト氏の言葉)を敬愛
し、作品を賞 する。
もぐら通信
もぐら通信 ページ61

といふことなれば、この海は、テスト氏の「怪物観念」のための海だといふことにな
ります。何故ならば、

第九連:
この海は、男である者からの口づけも必要としないし、従ひ、愛情といふものもない
存在であるから。しかし、それが一体母であらうか?男を産みながら、愛情のない女
性であるとは。この不滅の存在は、母性であるべきものを、男が天に触れることをさ
せない、海の上に遥かに広がる大空に触れることをさせない。これをヴァレリーは、
この飛躍は一体なんだ?と問ひかけてゐるが、つまりは、最も純粋な夜に触ることが
できれば、死は無意味となると第六連にあつたが、これに対して雲を浮かべる空に触
れさせないとは、見ることをさせないとは、昼のことだからであらうか。この飛躍と
書いた此の飛躍は、すると、何か良き方向への飛躍ではなく、片端の、何か一方的な、
海を不滅の母性として求める男の性愛の性と性・サガを否定する飛躍である。それな
らば、私は遂には愛の無いものになつてしまふではないか。と、話者は海に問ひかけ
て此の連は終はり、最後の連に続く。第十連は、この問ひに対する答へである。しか
し、果たしてこれがPoesie・詩想であり詩情であり、詩の精神であらうか?それとも、
これは詩の魂なのであらうか?男の詩の魂は一体どうなるのだ?たとへ詩の精神が海
の側にあるとしても。魂を失へば、体1も死ぬ。海の精神が生きてゐれば、体2は厚
みを増す。私たち普通の日本人が常にさうであるやうに、キリスト教の世界にあるこ
の二項対立が耐え難いのは、小林秀雄だけの問題ではないのです。普段のあなたの生
活を内省してご覧なさい。小林秀雄流に云へば、上手に思ひ出してご覧なさい。「上
手に思ひ出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向つて の様に延び
た時間と云ふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれる)から
逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思へる。成功の期はあるのだ。」(『無常と
云ふ事』最後の段落の始まり)

第十連:
しかし、妨げの内部の源泉は、とある此の最後の連の書き出しは、第一連の「ふと、
心の塞がるのを覚えるや」の心の塞ぎ・塞がりに照応してゐる。妨げとは何かといへ
ば、前の第九連の問の事です。母である海に対するに躊躇するものが、男にはある。
しかし、この心理的な塞がりの中にこそ解答のための源泉があるのだといふのです。
この心理的な突然の気持ちの塞ぎに気づいて、それが何故かを書いたのが其れ以降の
第九連までの連であるといふことに、この照応関係を考へると、なります。この妨げ
の、この迷いの行きつ戻りつの源泉、即ち海の授ける解答とは一体何かといへば、そ
れが、

だから、そのやうに野生的に、お前はmidiに/強く噛んだので、私の心臓はもはや脈打
たないのである。
もぐら通信
もぐら通信 ページ62

といふ最後の一行である。

この一行で終はるといふのは、余りに技巧的に過ぎると小林秀雄は思つたのです。若
い時は、この極端な一行に共感を覚えてヴァレリーを読んだ。その詩も散文も読ん
だ。しかし、ヴァレリーのテスト氏といふ「怪物観念」の持つあの煩瑣・複雑な執拗
な推論の迷路は、遂に小林秀雄の採るところではなかつた。私はかういふ小林秀雄に
共感する。日本人として共感する。

最後に、鈴木信太郎の日本語による文学的な訳と、私のドイツ語訳からの【散文訳】
を並べて比較をして、その違ひを見てみませう。この趣旨は、アングロサクソン語の
言語藝術の、それも粋である詩の和訳が如何に難しいかといふことと、そこからヨー
ロッパを動かした詩想と思想を読み看(と)る事が此れもまた如何に難しいかといふ
ことを知つてもらひたいがためです。最初と最後を並べます。鈴木訳は岩波文庫の
「鈴木信太郎譯『ヴァレリー詩集』」より。小林秀雄は新潮文庫版の『地獄の季節』
の「訳者後記」に「鈴木信太郎先生から改訳のすすめを受け」て「先生の御教示に従
つ」たことを記してゐます。

鈴木信太郎訳 【散文訳】

第一連:

忽然、驚異に襲われて、
「詩(うた)」の乳房に 滴(したた)りを
啜(すす)れる口は 乳房より
毳(にこげ)の髭を 離したり。

第十連:

さはれ「泉」は 湧き歇(や)みて
苛(いら)らぐ氣色(けしき)もなく 答ふ、
̶̶きみの齒 強く噛みたれば
わが心臓の打ち息(や)みしなり。

私が訳しあぐねたmidiといふ副詞は、噛むといふ動詞との関係で特別な文脈が詩・ポ
エジーと詩人を巡つてあることを鈴木信太郎は 記してゐるので引用する。 記を読
んでもヴァレリーの詩観と小林秀雄の詩観の違ひがわかります。

「一九二二年 『ポール・ヴァレリー、魅惑即ち詩 』、以下、三〇四頁、 、参照。


ヴァレリーが、幾度も繰り返して述べてゐるやうに、詩は叡智による作品であつ
もぐら通信
もぐら通信 ページ63

て、霊感、即ち、自己以外から来る一時的な衝動、乃至、痙攣によつて生ずるもので
はない。マラルメの言ふやうに、假令、詩法は厳正であらうとも、詩は言語以外の何
物でもないのである。アランは して言ふ、熱情家le panssione は少しも藝術家
artiste では無い。それを屢々反対に考へてゐる。あらゆる痙攣的のことは、醜い。決
して噛んではならない。」(同文庫版314ページ下段)

このマラルメの言葉から、最後の連のmidiの掛かる噛むといふ動詞の意味は、同書の
記にある通りに、「(三) 詩法の厳密に詩人が負けて、一時の衝動に駆られて、
強く噛んだから……」(同文庫版315ページ上段)、詩人は死んだのであるといふ
理解になる。

といふことは、またと云ふことから、ドイツ語訳もフランス語原文も目的語としての
海の乳房がないといふ些か変則的な書記となつてゐます。詩人の噛むのは海である女
性といふ存在の乳房である。と、かう書いてみて、女性といふ存在なのか、存在の乳
房なのか、といふことに思ひを致したが、この意味を二つ掛け合はせたままに、海で
ある女性といふ存在の乳房と解することにします。この女性と、海といふ存在との関
係は、安部公房が十代で耽 したリルケの世界の成り立ちと全く同じです。既述の如
く、1975年生まれのリルケはフランスの象徴詩と文学史上いはれるフランスの詩
と共鳴してゐる。これが文学からみた19世紀後半のヨーロッパの姿です。リルケと
同じ生年のトーマス・マンも18歳の時に既に、全く同じ世界観を持つてゐる。その
世界観を表したのが、18歳の時に書いた散文詩といふべき『Vision』です。

しかし、小林秀雄は結婚後の大きな失恋によつて、そのerosの喪失は其の儘横滑りを
して骨董に向かつた。さうして、青山二郎の薫陶を受けて、いはば青山二郎の胸を借
りて骨董の賞玩を徹底して遂に、といふべきか、万葉集も源氏物語もクラインの壺で
あるといふ認識に至つた。ここに、女性の常なるものは自己完結した美となつて、一
個の独立した、男の意志を超越した永遠の生き物でありながら、男を拒まぬ生命とな
つてゐた。そのやうな自己を、この批評家は発見したのである。それはランボオのこ
とをいふならば、ランボオの延長を共有する自己であり「私の中の「私」」であり、
ランボオが十九歳の時に詩と訣別して過酷な現実の中へと砂漠の中へと行商に旅立つ
たやうに、さうしたやうに、小林秀雄も文学と訣別して、やはり過酷な生活するとい
ふ現実の中へと旅立つたといふべきである。さう、私は思ふ。さうして、異分野・異
領域での数多くの作品が生まれた。男は絶えず、初めて観る海の前に立つべきなので
あり、ヴァレリーの禁を犯して、女の乳房をmidi・強く吸ひ、齧るべきなのである。
たとへ、to be or not to be、足下の海に断崖から身を投げやうとも。That is the
question. ドイツ語ならば、Dies ist eben die Frage!といふところであらう。
ディース・イスト・エーベン・ディー・フラーゲ!まさにこれこそが、男の女といふ海、
母なる海といふ存在Xに対して立てるべき問であるのだ。ヴァレリーの禁欲は小林秀雄
には、ない。ランボオの飢餓が遥かに優つてゐるのだ。
もぐら通信
もぐら通信 ページ64

話が少し逸脱するやうだが、ハンザ同盟の有力な都市であつたリューベックといふ港
町で生まれ育つたトーマス・マンの海、バルト海の海に対する思ひは、小林秀雄の海
と同じである。しかし、キリスト教が邪魔をしてゐるのである。この一神教から離れ
て、唯一絶対神を信じてゐるにも拘らず、独自に自分の宇宙を創造しようといふ者
は、いつも棄教者であり、無神論者として、故郷を離れた後も、親しかつた土地の人々
からも厳しい非難を浴びることになる。この宗教といふ一点に於いて、マンの海に対
する態度は、ヴァレリーの海に対する態度に同じである。実吉捷夫訳の『トニオ・ク
レーゲル』の中から、幾つも此の態度に関係する一節のうちの一つを此処で引用す
る。ここで、あなたは女形の話法と私の名付けた小林秀雄の言語を駆使した『オ
フィーリア遺文』のあのオフィーリアの文体を想起してほしい。

「藝術家といふものは、そもそも男でせうか。それは『女』にきくがいい。僕はどう
もわれわれ藝術家は、みんなあの法王庁のわざと仕立てた歌ひ手と、いささか運命を
同じゆうしてゐるやうな気がする……われわれは実にいぢらしいほどいい声で歌ふか
らな。でも̶̶」

「あの法王庁のわざと仕立てた歌ひ手」とは、ボーイ・ソプラノの声を大人になつて
からも維持できるやうにと男性器を切断された歌ひ続けねばならぬキリスト教会のカ
ストラートと呼ばれるーといふことはイタリア語である以上はカソリックのローマの
バチカンのー見かけは成人した男たちのソプラノの教会付きの歌ひ手のことである。
生殖能力を喪失した、従ひ、男ではないボーイ・ソプラノ歌手のことである。これが、
「決して噛んではならない」男の姿である。イエス・キリストが、ではなく、キリス
ト教会は、本当に酷いことを男に強ひるものである。歌舞伎の女形は、男のままに
ボーイ・ソプラノで歌ふことができる。

ランボオの海、ヴァレリーの海、小林秀雄の海、トーマス・マンの海、リルケの海、
そしてリルケを共有した安部公房と三島由紀夫のそれぞれの海、と並べて、この章を
終はりにします。あなたは海の前に立つてゐるか?断崖絶壁に立つてゐるか?To be
or not to be. 三島由紀夫ならば二等航海士として船の高いマストの上にゐて海を双眼
鏡で眺めるのである。何故一等航海士ではないかといふと、この仕事は二等航海士の
仕事だからです。安部公房の海は『方舟さくら丸』に見ることができる。私の海はマ
ンの海であり、リルケの海であり、しかし、小林秀雄の、日本人の、海原/ウナ・ハラ
と当て海の腹と呼んだ、生命の生まれる多産なる「豊穣の海」である。「豊穣の海」
とは、これも三島由紀夫の愛唱してやまなかつたヘルダーリンの詩『追想』 の中に詠
まれた海である。三島由紀夫は其の永遠に循環する豊穣の海に還つて行つた。『絹と
明察』といふ小説の題名は、この詩からとられた。この二人に影響を及ぼし続けたリ
ルケの詩は『オルフェウスへのソネット』である。

11。小林秀雄と泉鏡花
(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ 65

日本一極国家論(続篇):GAMECHANGE理論
(16)
4.1.7 日本国家核ミサイル保有論7
4.1.7.3 核戦争回避のための核戦争惹起論

岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 66
ページ

ネット・モナド論
(38)

民主主義の政治とは何か3
キリスト教と民主主義とキリスト教の民主主義

岩田英哉

キリスト教と民主主義とキリスト教の民主主義
もぐら通信

もぐら通信 ページ67
ネット・モナド論
(39)
貨幣とは何か4
金本位制と資本主義の関係
∼資本主義はそもそもバブルである∼

岩田英哉

貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義はそもそもバブルである∼
もぐら通信

もぐら通信 68
ページ

散文思索塾

(4)

3といふ数を活かせ(2)

岩田英哉

4。《ミル》コトについて:三つのミル

今私たちは三つの《ミル》といふ動詞を持つてゐる。函数形式で表せば次のやうに
なる。まだ看護するなどの看るも、診察する診るもあるが、ここでは物を《ミル》
といふ意味のミルに話題を限定して話します。

《ミル》(見る、視る、観る)
もぐら通信

もぐら通信 69
ページ

カフカの箴言

(15)

鳥籠と鳥の関係

岩田英哉

【原文】

Ein Kä g ging einen Vogel suchen.

【和訳】

一つの鳥籠が、一羽の鳥を探しに行った。

【解釈と鑑賞】

たった一行の箴言です。

自由に空を飛ぶ鳥が、ではなく、その鳥を、鳥籠が探しに出たというのです。

先入見で持っている主語と述語の関係をひっくり返したら、どうなるかという一行
の、見本です。

曰く、監獄、牢獄が、一人の人間を探しに行った。

人間が自由であれば(鳥のように)、監獄は求めないでせう。しかし、実体はどう
でありませうか。

といふことを考へさせる一行です。
fi
もぐら通信

もぐら通信 70
ページ

ショーペンハウアーの箴言

(9)

天才と狂気

岩田英哉

【原文】

Das Genie wohnt nur eine Etage höher als der Wahnsinn.

【和訳】

天才とは、狂気よりもただ一階分だけ上に住んでいる人間のことである。

【解釈と鑑賞】

これも、ショーペンハウアーらしい箴言です。

日本語ならば、天才と気違いは紙一重というところでせうが、日本語のように並
列、並置の表裏一体の姿としてではなく、垂直方向に立てて、天才と狂気の関係を
述べてゐます。これはドイツ人らしい。原文にあるEtage・エタージェといふ言葉
は何階にもある建物の一つの床、一つの階層の其の空間、one oorのことです。

この一行の意味は、天才は狂気をそのうちに抱いてゐる者だという意味でもありま
せう。それは、ショーペンハウアー自身のことでもあるといふことができます。天
才に対するに凡人といふ言葉があります。これでわかるのは、狂気のない人を凡人
といふのだといふことです。これが凡人の定義。

凡人とは、狂気よりもただ一階分だけ下に住んでいる人間のことである。

狂気の一階下の住人たちは多数決原理で決める政治制度を民主主義といひ、一階上
の住人は量的に生きてはゐないので孤独のうちに正気である。一階下はお金を求め
て貧乏になり、一階上は求めないので富といふ余剰を手にする。

意志と表象としての世界全4巻を最後 読んで、一番最後にただ一言、一本の横棒
の線を引いて、それまで延々と叙述して来たすべてをただ一言に要約して、Nichts
と書き付けたショーペンハウアーに驚いたわたしは、この人間が何故この浩瀚な体
fl
もぐら通信

もぐら通信 ページ71
系的な書物を書いたのか、その理由が解りました。たったこのNichts、無とい
う言葉を最後において、それまで叙述して来た宇宙も、その森羅万象もすべて
は無だと言いたいがために、書いて来たのだということなのです。

これは、普通のひとにはなかなかできないことでしょう。全4巻の最後の段落
はかう終はつてゐます:

「むしろわれわれはとらわれなしにこう告白しよう。意志を完全なまでになく
してしまった後に残るところのものは、まだ意志に満たされているすべての
人々にとっては、いうまでもなく無である。しかし、これを逆にして考えれ
ば、すでに意志を否定し、意志を転換し終えている人々にとっては、これほど
にも現実的にみえるこのわれわれの世界が、そのあらゆる太陽や銀河をふくめ
て̶̶無なのである。」
(西尾幹二訳『意志と表象としての世界』中央公論社刊「世界の名著 続10」711
ページ)

また、Der Wahnsinn/デア・ヴァーンジンを、狂気と訳しましたが、それを譬
喩(ひゆ)ととって、狂人と訳しても、いいと思います。しかし、狂気の方
が、更に生々しい感じが致します。
もぐら通信

もぐら通信 72
ページ

サンチョ・パンサを求めて

(27)

一つ石

岩田英哉
もぐら通信

もぐら通信 73
ページ

高天原便り

(15)

岩田英哉
もぐら通信

もぐら通信 ページ74
縄文紀元論
Topology
(39)
5.40 八咫烏/5.41 日高見建設工業//5.42 祭頭祭と云ふ出陣式/5.43
高天が原は此処にある/5.44 息栖神社

岩田英哉
5.40 八咫烏出現五度目の出現をする
先週4月16日に安部公房の読者と読書会を鹿嶋で開きましたが、18時過ぎに
街道筋に出る枝道を歩いてゐると、四度目の時とおなじあたりに八咫烏が現れま
した。私ではなく、他の二人がはつきりと見て、普通のそこいらに居る ではな
く、非常に大きな だと証言してくれてゐます。

なあんだ、あいつはまだ居たのか。

まだ、鹿嶋に居て、伊勢に帰らずに鹿嶋に居て、私のそばに居るのです。やは
り、私は伊勢にお参りに行かねばならない。きっとまた伊勢で会へることでせ
う。

5.41 日高見建設工業
車で走つてゐて、稲敷市の市域を出るかでないかといふ辺りの会社に日高見建設
工業といふ看板が、その会社の建屋の前に立てられてゐるのを見た。走りなが
ら、この日高見といふ名前が此の会社の経営者のものか、それとも地名であらう
かと思案してゐて、思ひを巡らすと、どうもこれれは地名であるといふ結論に至
つた。帰宅後ネットで調べると、この会社の経営者の方は別の名前で、日高見さ
んではなかつた。

同様に、カスミといふ名前の会社の看板をみたが、これは明らかに地名であつ
て、その土地のそばにあつて生活に親しい湖の名前が霞ヶ浦といふのです。地域
に展開してゐるスーパーマーケットのチェーン店に、Kasumiといふチェーン店
があります。
其のほかにも、この日気づいたことは、京都や東北にある地名が、ここ常陸の国
にあることで、たとへば加茂とか平泉とか、まだもう一つ京都にある地名が此処
にもありました。これは歴史的には日高見国から此の国の民が船か陸上かで、こ
れらの地に行つて土着した証ではないかと思はれる。船で、天降つた証拠となる
お祭りが先日鹿島神宮にて執り行はれたので、もう少し話を続けたい。

5.42 祭頭祭と云ふ出陣式
この祭の名前は祭頭祭といふのです。音読みです。これは鹿島神宮か鹿嶋市の観
光協会で作成したパンフレットだと思はれる。
で
もぐら通信

もぐら通信 一つ目の資料パンフレット 75
ページ

② ③
もぐら通信
二つ目の資料パンフレット
もぐら通信 76
ページ

② ③
もぐら通信

もぐら通信 ページ77
これは上の「一つ目の資料パンフレット」の表紙①にあるやうに出陣式です。土
地の人のいひ伝へによれば、此の出陣式の後、一隊は九州に向かつたさうですか
ら、田中英道氏の定型句を引用すれば、確かに「鹿嶋から鹿児島へ」といふ歴史
的事実の証明が、この祭だといふことになります。
もう一つ配布されてゐた一枚もので見開きの計4ページの資料(二つ目の資料
パンフレット)の②を読むと、やはり縄文原理である左優位右劣位に従ひ、左右
二つの陣地があり、其の上で表に出てくるのは左方に配された沼尾郷を代表す
る、これが子供で大総督といふ最高指揮官の地位を与へられてゐる。右方も同じ
位の大総督に粟生郷から同年齢の子供が出て此の大任をになつてゐます。

子供であるといふことが大切で、これは大祓ひの最初にある通りに高天原に詰め
ることのできるのは幼いまだ性の分化してゐないおかつぱ頭のカムロの髪型の男
の子か女の子でありますから(例:大祓への冒頭「皇・スメラが親・ムツ、カム
ロギ・カムロミのミコト以ちて」)中性・neutral・ニュートラルの存在である
といふことに通じて此れを今に継承してゐます。ニュートラルな性差のない未分
化の子供といふ存在ですから、この子供は高天の原の第一層から天降つたか、こ
の出陣式の場所が高天の原とふ見立てなのでせう。この出陣式の後、二代目の瓊
瓊杵尊が九州に向けて出立した(例:大祓へ「我が皇孫・スメミマのミコトは、
豊葦原の瑞穂の国を、安国と平けくしろしめせと事依さし奉りき」)。この九州
に向けての二代目天孫瓊瓊杵尊の出立を鹿嶋立ちといふのだといふことも、これ
でよくわかります。

この出陣式の祭はどうやら二十年ごとに、伊勢神宮と同じ遷宮の周期で、それに
もともと鹿嶋・香取の神宮も二十年ごとの遷宮が執り行はれてゐるのに応じてゐ
るのでせう、同じ年期で周期的に行はれる様子です。といふのも、左方沼尾郷の
祭頭祭奉納は二十二年ぶりとなるとあり、右方粟生郷の方は二十六年ぶりと「二
つ目の資料パンフレット」の②下段には書いてあるからです。いふまでもないこ
とですが、左優位右劣位といふ表現は左と右の優劣をいふものではない。二つは
等価であり等価交換のできるお互ひに地位の値を持つてゐる。その上での私の言
挙げである。それぞれの出発地点に構へる本陣も、右方本陣と左方本陣とがあり
ます。この左右といふ方角が等価である証拠には、同じ二つ目の資料の②の上段
に描かれてゐる二つの神宮門前の街を練り歩く道筋は、本陣の位置は違へども重
複して同じ方向同じ順路をとつてゐて、二つながら鹿島神宮の本殿に接続されて
ゐて、この本殿に於いて二つの陣営は等価です。これが私たち日本人の均衡感
覚、バランス感覚であり、武 の神といふ縄文時代に最初に東の一の鳥居に有
力な氏族を引き連れて上陸したスメラ・ミコトの前では対立はないといふことで
す。その御子孫である今上陛下の御前でも其の縄文原理は変はらずに生きてゐ
る。これが歴代々の天皇陛下と国民の関係です。四民平等なり。その心で「我が
皇孫・スメミマのミコトは、豊葦原の瑞穂の国を、安国と平けくしろしめせと事
依さし奉り」ける心にしたがつて二回目の天降りをしたのです。最初の天降りと
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もぐら通信 ページ78
は、いふまでもなく、箱根の神山の、当時は噴煙を上げて火も立つてゐた美しい
カルデラ凹の形象への天降りです。高千穂峰に降り立つたのは事実でせうが、そ
れは箱根の神山と同じ其の峰に開いてゐる活火山に出来た美しいカルデラに降り
立つたのです。勿論、実際に降りることはできませんから、そのカルデラの縁
(へり)で儀式を執り行ひ、祝詞を奉納したのだと私は想像します。海の民のや
つて来た当の出発した古郷にも美しいカルデラがあつたに違ひなく、私たちの遠
い祖先が太平洋にある島々のカルデラを持つ火山のある島からやつて来たといふ
ことを推察させる。どのやうな自然環境のある島かと云ふ島の環境要件について
は此れも既に述べた通りです。そして火山帯には縄文土器を製作するための粘土
質の土を得ることができる。この天降りを今の世に描いた優れた短編小説があり
ます。それは梅崎春生が書いた『幻化』です。この男の結末の、噴火口のへりを
ふらふらと彷徨ふ姿は私には今の瓊瓊杵尊の姿に見えた。辛い瓊瓊杵尊である。
勿論、この作品を激賞した江藤淳はそんなことは言つてゐないが。

さて、しかし、この祭頭祭を巡つて私たちの思ひ出す此れらの話が、果たしてこ
れが神話と云ふべき話でありませうか?遠くは北中南米の太平洋岸で、海亀の産
卵地も島々と同じく、遠津親の古郷であると云ふこと、この広い海の範囲が、高
天の原であることは既に述べた通りです。それでは、高天が原は一体どこにある
のか?と云ふ問に対する答を以前言及した塚原卜伝の墓の前に鹿嶋市の立てた地
図の看板に其の答へが書いてありましたので、もう少し高天が原と鹿島神宮の表
参道の位置についてお話をしたい。

5.43 高天が原は此処にある
最初に塚原卜伝の墓の入り口に鹿嶋市の立てた鹿島神宮を中心にした周囲の地図
を掲げます。まづ地図の全体の写真、次に鹿島神宮の表参道に焦点を当てた近影
を掲げます。
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この地図の中から、高天が原と往古といつても太古と云ふべきかも知れない縄文
時代に鳥居のあつた場所を特定します。

この地図で赤丸の中に数字のある9番と6番の間が往古の今の参道ではない更に
古い表参道です。この道を海から来て、水の中に立つてゐる鳥居を潜り、船を降
りて(そこが水奈門・ミナト)陸(おか)に上がつて参道を行くわけですが、こ
の道の途中神宮に向かつて左側が、高天が原です。

今もある下津と漢字で書かれてゐるこの地図の文字は、実はシモツではなく、鹿
嶋の土地ではオリツと呼ばれてゐます。土地の人はオリツと呼んでゐるのです。
箱根神社の ノ湖の水辺にある下津はシモツと呼んでゐました。ですから、実際
にこのシモツの ノ湖のウミ辺には鳥居が立つてゐて、ここで海の民は船を降り
て、箱根では目の前の駒ヶ岳か神山の急斜面の山の上・中・下といふ分類のうち
(この分類は奈良の三輪山も同じです。これについては既述の通り)のシタを採
用して下のミナ・トといふ意味でシモツと呼んだのです。だから、鹿島 に面し
た此の海辺では、東西南北に建てられた一の鳥居とは別にもう一つの鳥居が時代
を置いて立つてゐたといふことがわかります。

普通に論理立てて考へると、この地図にある明石の浜辺にある東の一の鳥居が最
初に建てられた。さうして、この地図の示すやうに神向寺の前を通つて神宮へ行
く太い道が表参道であつた。さうすると、本来の神物は今にある要石といふこと
になり、今も人の呼ぶ奥の院が其の名前の示す通りに本来の道は此処に通じてゐ
た。
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もう一つの推論は、明石といふ土地の海辺にある東の一の鳥居は、方位学による
天地の間に関わる一義的に重要な設計上の位置であつて、東西軸と南北軸の交差
点に鹿島神宮を置くために必要としたものであり、もう一つ後代に地図にあるオ
リツの浜に鳥居をもう一つ設けたのだ。といふ推論です。今この下津は交差点が
あつて、その写真を示します。

左手の森が鹿島神宮の森です。さうして右手から交差点に接続して、更に左手の
森に沿つて斜めになつてゐる道が下津の浜から通じてゐる表参道です。私は市内
に用事があるといつもこの交差点を通つてゐます。

さて、さうして此の下津から通じてゐる道の左に高天が原があるのです。私は地
図の底辺にある鹿嶋市役所に歩いて行かうとして高天が原に迷ひ込んだ話は一度
書きました。左優位右劣位といふ縄文原理からいへば、高天が原は進行方向の左
にあることがわかります。しかし左と右は等価ですから、道の右に同じ名前があ
つてもおかしくはない、あるいは別の名前で高天が原の値を隠してゐる。この隠
見・顕隠を、縄文びとは片葉・片葉といつてをりますことは何度も此の用語を用
ひて、その心をtopology・位相幾何学といふ数学の心としてお話した通りです。
大祓ひと常陸国風土記に片葉といふ言葉が、前者にては否定形で、後者にては肯
定形を伴つて出てゐます。ほかにもまだ同じ用例はある筈です。勾玉があれば、
必ずもう片方の勾玉があつて心を互ひに通はせてゐるといふ目に見えない様式・
style・スタイルです。即ち、私たちのコト・タマのスタイルです。完璧な形象・
イメージは円であり(二次元)球体(三次元)ですが、マガ・玉と呼ばれるのは
片葉だけだからでせう。一対があつてコト・タマは完成する。言と事もコト・タ
マの一対であり、片葉・片葉・である。私たちにとつては事も言も同じ概念なの
です。それ故に存在論の記号を使つて、《コト》(事、言)と分類することがで
きます。

さて、明石の浜から船を降りて最古の表参道を此の地図の通りに来るのが顕、他
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方、要石の前の坂道を下つて下に降りる道がありますが、これが裏参道といふべ
き、やはり要石に通じてゐて、坂道を登つて来ると目の前に神物があるといふこ
とになる。ここが最も古い本来の鹿島神宮であつたと私は推測します。石が御神
体でありますから、この時既に天・アメの民即ち海の民と地・ツチの民即ち岩石
文明の石器時代の文明を創造した二つの民の習合は完成してゐた。

そして、話は最前の土地の名前の話に戻りますが、明石といふ地名は兵庫県にも
ある明石と同じですから、瀬戸内海にも此の地・ツチの海の民が、国産みの後東
進したといふことでありませう。如何か。最初は淡路島に上陸し、続いて瀬戸内
海を航行して西日本を治めた。国産み神話に東日本が出てこないのは、既に日高
見国が統治してゐたからです。此れも西日本と東日本の関係を言として事として
表すのには、片葉を表に文字にして、他方もう一つの片葉を行間に置いて沈黙し
た。これがわたしたちの美的感覚の起源であり、論理的根拠である。均衡感覚の
論理です。古事記に何故富士山への言及が文字としてないか、何故和歌の世界だ
けに富士山は詠まれ得るのか。この の答への出発点です。だから、小林秀雄の
喝破した通り、縄文土器で日本の美は完成してゐる。私のみるところ、この美質
は私たちの日常の所作の隅々にまで及んでゐます。

また、この地図の鹿嶋スタジアムの左横に猿田といふ土地の名前がありますが、
私の此れも推理では伊勢にある猿田彦神社と関係のある地名であり、この場合は
日高見や霞とは異なり、一族の姓であると考へることができます。何故なら、東
国三社のうちの三つ目の息栖神社の表参道の鳥居の前に広大な敷地を有してゐる
一家の名前が猿田といふからです。この一族が今のスタジアムのこの左の辺りに
住んでゐた。あるいは今も猿田姓の人たちが住んでゐるのではないでせうか。

5.44 息栖神社
といふことで、息栖神社を最近お参りしたので、この猿田さんといふ名前の家と
敷地の広さを門前の写真からご覧下さい。この表参道は、大変短く無きに等し
い。参道は水路であり船溜りである。この鳥居までは昔はやはり船で入つたと想
像されます。鳥居のすぐ前に船の溜まりがあつて、その水は利根川と通じて同じ
水を共有してゐる。息栖神社のウエッブサイトから写真を拝借します。
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小さな神社ですが、人が少なく、大袈裟なところがなく、静かでいい。この上の
二つの写真のうち右の写真が境内です。

この息栖神社の船溜りから鳥居に向かつて左にあるのが、この猿田家の敷地であ
り、広壮な家屋の建築物です。鳥居から見て右手直ぐに隣にある猿田氏の大邸宅
です。私の推論の論理の筋を通すと、この猿田氏が、猿田彦の子孫であれば、高
天原の言語規則によつて、彦・猿田か彦・田猿かといふ文字の並びになりますが、
今猿田彦神社のウエッブサイトから此の大神に関する説明を引用しますと、

「猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ おみちびき
になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行
(みちひらき)になられた」と伝えられています。
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(にに
ぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に
本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を
始め全国の開拓にあたられました。」(https://www.sarutahikojinja.or.jp/)と
ありますので、猿田彦なる神は瓊瓊杵尊とともに道先案内をしたわけであり、そ
の大神の家が間違ひなく、この一族でありませう。この広大な敷地を有すること
からいつても。この猿田氏が本家でありませう。息栖神社の本当に文字通りに隣
接して神社の境内にはないが、しかし明らかにこの距離の無さは息栖神社の神域
の中に今も存在してゐる。猿田彦の発祥した土地の子孫の今の屋敷をご覧下さ
い。鹿嶋スタジアムの近くの猿田氏は、やはりその一族でありませう。
また、猿田といふ姓に戻ると、猿は卑字、田は褒める文字といふ理解ならば、
「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」といふ説明と
「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開
拓にあたられました。」といふ説明を合はせて考へますと、猿田一族は鹿嶋の地
の稲作の技術に長けた一族といふことになります。それは、もし彦・猿田または
彦・田猿といふ命名が成立するならば、この一族は高天の原の第一層の神であ
り、それ故に大神と呼ばれ得て、しかも海の民として稲作の技術を持つてゐたと
いふことになります。あるいは鹿嶋に限らず常陸国は芋がよくとれますので、芋
やまたそのほかのの栽培技術も持つてゐたでせう。「全国の開拓にあたられまし
た。」とは、この意味かと考へます。太平洋の島々で稲作と鹿嶋でとれるのと同
じ種類の芋の栽培をする人々のゐる島があれば、そこが私たち日本人の遠津親の
ふるさとといふことです。猿田家の邸宅の門構へから、私の撮影した写真を掲げ
ます。
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猿田家の門構へ
猿田といふ表札

広大な敷地は利根川に
沿つてゐる

敷地沿いの前の道路の
右側に船溜りがある。
道路の突き当たりは
息栖神社の森
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もぐら通信 ページ84
「「猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ おみちび
き になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓
行(みちひらき)になられた」と伝えられています。」とある、伊勢猿田彦神社
のウエッブサイトにある猿田彦の役割と任務についての説明に戻ると、息栖神社
は天津鳥を育てた場所でありますから、当然に航海術にも操舵にも長けてゐて
「古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひら
き)になられた」とある通りの仕事をしたものと考へられる。天津鳥は猿田家一
族が此処で育てたものであらう。この引用の前にある「「猿田彦大神は、ものご
との最初に御出現になり万事最も良い方へ おみちびき になる大神で」とある意
味も、これで理解できることになつて、天津鳥の水先案内によつて確かに「万事
最も良い方へ おみちびき になる大神で」ある。私が八咫烏と話ができるやう
に、かくなれば、猿田彦の神は鴎と話ができたのです。神武天皇の故事に習へ
ば、烏は陸路の案内人、鴎は海路の案内人といふことでありませうか。

この働きをした猿田家本家の門前の船溜りの写真がこれです。本当に息栖神社の
鳥居の前にあります。これが他の東国三社のうちの二社である二十年毎の遷宮を
おこなふ神宮格の神社との、同じ東国三社とはいへ、その違ひです。神社の役割
が、といふことは目的が異なるといふことです。しかし、祭頭祭の出陣式で判る
通りに、息栖神社は他の東国二社にとつて必須の神社です。

写真の繋ぎが拙いが御容赦。右
手に利根川があります。私はこ
れを船溜りと呼んだが、本当は
何と呼ぶものか。ここで天津鳥
を育てたのでせう。
息栖神社のウエッブサイトに書かれてゐる此の神社の由緒は次のものです:

「息栖神社は
牧歌的な水郷情緒あふれるところ
古く寂かな森の中に鎮まります。
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息栖神社のウエッブサイトに書かれてゐる此の神社の由緒は次のものです:

「息栖神社は
牧歌的な水郷情緒あふれるところ
古く寂かな森の中に鎮まります。

鹿島神宮( 城県鹿嶋市)
香取神宮(千葉県香取市)とともに
東国三社(とうごくさんじゃ)と呼ばれ
古くから信仰を集めてきました。
関東以北の人は伊勢に参宮したのち
禊ぎの「下三宮巡り」と称して
この三社を参拝したといいます。

久那斗神(くなどのかみ)を主神とし
相殿に天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)
住吉三神を祀っております。」
(https://ikisujinja.com/about/)

以下のWikipediaの解説によれば、やはり大いに猿田彦に関係のある神と考へら
れる。この説明の検証は必要であるにせよ。

「神話では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊
をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。こ
の神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、
『古事記伝』では『延喜式』「道 祭祝詞(みちあえのまつりのりと[1])」の八
衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。
『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザ
ナギが「これ以上は来るな」と言って投げた から来名戸祖神(くなとのさえの
かみ)が化生したとしている。これは『古事記』では、最初に投げた から化生
した神を衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)としている。」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/岐の神#: :text=岐の神)(傍線は引用者)

私の理解では、かくなれば、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)の船戸とは、
この息栖神社のやうに、ふなどのドは門のトであり、ミナ・トのト、ヤマ・トの
トですから、このやうな水辺に鳥居が直面してゐる様式と構への神社の神といふ
ことです。この直面といふことを、衝立(つきたつ)と修飾してゐる。また
「『古事記伝』では『延喜式』「道 祭祝詞(みちあえのまつりのりと[1])」の
もぐら通信

もぐら通信 ページ86
八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしてい
る。」とあるのも、道案内の神だからです。古代ギリシャ神話ならばヘルメス・
Hermesですが、この神は道案内の神、日本流にいへば道祖神ですが、トーマ
ス・マンは此の月に深い縁のあるヘルメスを媒介者・媒体として小説家の仕事の
使命に関係して深い理解を、そのエッセイの中で、示してゐます。何故ならば、
月といふ天体は太陽のやうにみづから光を発せず、日の光を受けて夜に輝き夜の
導き手となる媒体であり媒介者であるからです。

猿田彦神で代表される此れらの神もまた、月の満ち欠けを読んで出帆に最適の潮
時を読み、海上にあつても月を読んでゐたことでせうから、ここに夜に隠れてゐ
るのはやはり月讀みのミコトといふことになります。此れも此の論考の最初の頃
に書きましたやうに、水手・かこの優れたるものが資格を有して、船の上で船の
緯度を読みなどし、かくなれば天津鳥の世話もして、海路平安を祈りながら月読
みの儀式または祭りを執り行つたものでせう。

最後に現在の猿田家の会社のと其の商品の写真を掲げます。神話は、もしこれが
神話だといふならば、今も生きてゐて誠にこれは事実である。新井白石も本居宣
長もカミはヒトだと喝破しましたが、その通りなのではないでせうか。猿田彦は
確かに海の民である。

猿田氏が島根県・出雲の国と魚介類を通じて
港・港で繋がつてゐることがわかります。左
手にあの広壮な邸宅が隣接してゐます。息栖
神社の古文書や言ひ伝へ、それに此の猿田家
の蔵にある古文書や家伝といふべき言ひ伝へ
を収集すれば、相当の事実が明らかになるこ
とでせう。出雲国との関係も判るのではない
かと私は思つてゐます。もし関係があるなら
ば。
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もぐら通信 ページ87
私が船溜りと呼んだ「鳥栖の津」の説明です。この名前から、これは単なに船を係留す
る船溜りではなく、ミナ・トであることが判ります。そのト・門が古い時代に撮影され
た此の鳥居の姿です。これがミナ・トであり、対して三輪山のやうに内陸に入つて地
(つち)の民との習合を果たして立てた鳥居がヤマ・トです。神武天皇が今の大和に入
つて、この山門といふ普通名詞が固有名詞になつた経緯は既述の通りです。対して、ミ
ナトの方は、別途本来のトである鳥居といふ言葉があるので、今でも普通名詞でゐら
れるといふことになります。鳥居といふ名前も天津鳥が止まつてゐる場所といふ意味で
す。最初に全体を示し、次に部分を示します。
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もぐら通信 88
ページ
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もぐら通信 89
ページ

東 イツ回想記

(7)

吾輩は熊である

岩田英哉
ド
もぐら通信

もぐら通信 90
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館 、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1. も ら通信は、安部公房ファンの参集 と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜 を見出す もの す。

2. も ら通信は、安部公房という人間と その思想及 その作品の意義と価値を広く


知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3. も ら通信は、安部公房に関する新し い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
その共有を喜 とするもの す。

4. 編集子自身 楽しん 、遊 心を以 て、も ら通信の編集及 発行を行うもの


す。
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