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哲学の門:大学院生研究論集

メ ル ロ =ポ ン テ ィ の ペ シ ミ ズ ム 論 ——現 象 学 は 人 を 救 う か
京都大学大学院 文学研究科 宗教学専修 鳥居 千朗

凡例
、、、、 、、 ... ...
・ゴマ傍点は引用原文での強調を、丸傍点は引用者による強調を示す

はじめに
メ ル ロ =ポ ン テ ィ〔 1908–1961〕の 思 想 は 通 例 、身 体 や 知 覚 の 現 象 学 と し て
理解されている。しかしそもそもなぜ彼は身体や知覚について語る必要があ
り、それも現象学を用いて語る必要があったのか、といった動機や背景につ
いては十分に明らかにされてこなかった。本稿は、その背景の一つとしてペ
シミズムという実存的問題圏が存在したと考える。実際、主著『知覚の現象
学 』( 1945 ) の 成 果 は 「 懐 疑 論 と ペ シ ミ ズ ム に 対 す る 救 済 な の で す 」
( Primat59=34 頁 ) と は メ ル ロ =ポ ン テ ィ 自 身 の 言 葉 で あ る 。 こ の 言 葉 の 存
在自体は研究者の間でもよく知られている 1 が 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ が 主 要 な 著
作の中で直接「ペシミズム」にまとまった独自の記述を与えていないことも
あり、その意味を解明する作業は未だ蓄積していない。しかし、本稿が注目
( 1935)に は 、間 接 的 に
す る 最 初 期 の 書 評 論 文「 キ リ ス ト 教 と ル サ ン チ マ ン 」
メ ル ロ =ポ ン テ ィ の ペ シ ミ ズ ム 観 を 捉 え る 手 掛 か り が あ る 。同 論 文 で メ ル ロ =
ポンティはニーチェのペシミズム論に解釈を加えつつ、ペシミズムからの脱
却についての独自の思考を展開しているのである。以下本稿が同論文を詳細
に 読 解 す る こ と に よ っ て 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ が「 ペ シ ミ ズ ム 」と 言 う と き に ど
のようなものを想定しているのか、またその「ペシミズム」を脱却する上で
なぜ彼の後年の哲学が重要であるのか、という問題に答える端緒が得られる
だ ろ う 。特 に 今 回 は 、同 論 文 の 議 論 に 密 着 す る た め 、こ の 問 題 を メ ル ロ =ポ ン
ティの現象学理解という観点から解明する。
最初に、
「 キ リ ス ト 教 と ル サ ン チ マ ン 」に 関 す る 基 本 的 な 事 実 を 確 認 し て お
( 1915)
こ う 。同 論 文 は 、シ ェ ー ラ ー の「 道 徳 の 構 造 に お け る ル サ ン チ マ ン 」
に対する短い書評である。シェーラーは現象学の立場からニーチェの『道徳
の系譜』を批判し、キリスト教をルサンチマンの嫌疑から救い出した。メル
ロ =ポ ン テ ィ は そ う し た 護 教 的 な 議 論 を フ ラ ン ス の ク リ ス チ ャ ン ・ 知 識 人 層
に紹介したのである。そうした周縁的な性格故か、これまで同論文がそれ以
降 の メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 哲 学 思 想 を 理 解 す る 上 で も 重 要 な も の と し て 正 面 か
ら扱われることはなかった 2。 し か し 同 論 文 は 、 単 に シ ェ ー ラ ー の 議 論 の 解

説に終始するものではない。実際、全 5 節の内、シェーラーの議論をなぞっ

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て い る の は I、 II、 IV 節 で あ り 、 残 る III、 V 節 で は 、 ニ ー チ ェ / シ ェ ー ラ ー
の 議 論 を 構 成 し て い る 方 法 と 態 度 に 対 す る メ ル ロ =ポ ン テ ィ 独 自 の メ タ 的 で
理論的な考察が展開されているのである。その内容を紐解くことで、本稿で
( 1)メ ル ロ =ポ ン テ ィ に と っ て 、特 定 の 学 問 の
は以下のことが明らかになる。
方法には特定の実存的態度が対応しており、シェーラーのように現象学を採
用 す る こ と は 、そ れ 自 体 が ル サ ン チ マ ン・ペ シ ミ ズ ム の 克 服 を 意 味 す る こ と 、
( 2)し か し 同 時 に こ の 克 服 は 一 躍 し て 完 遂 さ れ る よ う な も の で は な く 、む し
ろ現象学による克服とその克服以前との絡み合いこそが重要であると考えら
れていること。
以下では(第 1 節)まず前提となるシェーラーのルサンチマン論を要約す
る 。( 第 2 節 ) そ の 後 、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ が こ の 議 論 を 学 問 の 方 法 と 態 度 の 観
点から読解していることを指摘し、
《 シ ェ ー ラ ー / ニ ー チ ェ 》の 対 が《 現 象 学
( 第 3 節 )さ ら に は《 ペ シ ミ
/ 現 象 学 以 前 》の 対 に 対 応 さ せ ら れ て い る こ と 、
(第 4 節)
ズ ム の 克 服 / 克 服 以 前 》の 対 に も 対 応 さ せ ら れ て い る こ と を 示 す 。
最 後 に 、 以 上 を 踏 ま え た う え で メ ル ロ =ポ ン テ ィ が シ ェ ー ラ ー に も 批 判 を 向
けていることを指摘し、そこから《克服/克服以前》の両岸の絡み合いとい
う彼独自の思想を取り出す。

第 1節 愛 徳 の 解 体 と 復 権 ( I, II, IV 節 )
ま ず は 、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ が 最 終 的 に 批 判 的 読 解 を 加 え る こ と に な る シ ェ
ーラーの議論を確認しておこう。
( 1887)に お い て 、利 他 主 義 や 節 制 、寛 容 と い っ
ニ ー チ ェ が『 道 徳 の 系 譜 』
た 、近 現 代 の 道 徳 的 な 善 の 由 来 を 、貴 族・戦 士 階 級 と 僧 侶 階 級 の 反 目 に 置 き 、
生物・心理学的に解体したことは有名である。即ち、僧侶階級の人間は肉体
的に貧弱であり、強靭で溌剌とした戦士階級への直接的な対抗ができないた
め、戦士的な動物性の発露を悪へ、僧侶的な倹約を善へ転倒させるという、
想像上の復讐を繰り返してきた。そうして深められた憎悪感情、ルサンチマ
ンが、戦争や舞踏を楽しむような生の本来積極的な活動性を抑圧し、地上の
世界を呪い、無為に倦怠していくペシミスティックな感覚を跋扈させていっ
た 。そ の 結 果 が 近 現 代 道 徳 で あ り 、キ リ ス ト 教 で あ る 、と い う こ と だ( GM1.1–
17 3 )。
この主張に対し、シェーラーがキリスト教擁護の立場から批判と改訂を加
えたのが「道徳の構造におけるルサンチマン」である。その中で彼は、キリ
スト教道徳をルサンチマンに由来するのではないものとして提示しなおし、
しかもニーチェの称揚するような貴族・戦士的な道徳ともまた異なるものと

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して位置づける。ペシミズムを脱しつつ、粗暴や放埓ともまた質を異にする
自己愛の原理が描き出されるのである。以下、この内容を確認しよう。
まず、シェーラーはニーチェのルサンチマン記述自体は高く評価する。両
者に言わせれば、ルサンチマンに飲まれた人間の特徴は、自他の価値をその
他の者の価値との比較においてしか理解できないという点にある。これは、
貴族・戦士階級が「勝ち誇った自己肯定」を直接感得しているのと対照的で
あ る( GM1.10, SGW3:37seq.=4:54 頁 , CR11=26 頁 )。そ れ 故 、貴 族 ・ 戦 士 的
な健康の価値に与れない弱者が価値を転倒させ、むしろ貧困や苦悩や死とい
ったものを善とすることで自らの劣等感から逃れるとき、それは或る種の自
..
己治癒とは言えるが、あくまで他者の価値を否定することを旨としたもので
あって、自らの内に積極的な価値を見出し肯定できているわけではない。従
って、真にルサンチマン・ペシミズムから自由であるためには、自己の生や
自己が生きる世界の内に自体的な価値を見出し、それを他者との比較によら
ず に 肯 定 で き る よ う な 態 度 を 獲 得 す る 必 要 が あ る ( CR10seq.=24–26 頁 )。
ニーチェからすれば、そのような自己肯定に満ちた態度とは、粗暴さや放
埓さを享受する貴族・戦士的な態度にほかならなかった。しかしシェーラー
はこうした二者択一を拒否し、ここでニーチェと袂を分かつ。シェーラーは
むしろ、ニーチェが批判したようなキリスト教道徳を独自の仕方で語り直す
ことで、他者への慈愛を含んだ新たな自己愛を描き出し、これをこそルサン
チマンの彼岸と捉えるのである。

ルサンチマンを抱く者が真に治癒するために欠けているものは、勝ち誇
っ た 自 己 肯 定 で は な く て —— こ れ も ま た 一 つ の 錯 覚 で あ ろ う か ら —— 、
自分自身に耐えることであり、自分の内にある欠陥を引き受けることで
あり、侮辱された場合には本当に赦すことである。これらはまた、他の
人々の価値を傷つけることなく、彼らがもっているすべての偉大な事柄
に わ れ わ れ を 快 く 参 与 さ せ て く れ る 行 為 な の で あ る 。( CR11seq.=26 頁
以下)

貴族・戦士的な放埓の自己肯定の裏には、自らが肉体的に衰えてその力を失
うことへの不安が常に張り付いている。彼らは周囲の肉体的弱者を軽蔑しな
がら、自らがそちら側へ降下することへの恐れに目を塞ぐ欺瞞の内にあるの
だ ( SGW3:72=4:111 頁 )。 従 っ て 、 こ う し た 貴 族 ・ 戦 士 的 な 自 己 肯 定 と は 別
種の自己肯定として、自らの欠陥を認め、他者へも手を差し伸べるような、

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赦しと犠牲のキリスト教的自他愛を、しかも生の衰弱態ではないものとして
肯定しなければならない。
アガペー
キ リ ス ト 教 的 な 愛 は 、健 康 な 者 や 富 め る 者 な ど 高 み に あ る 者 が 、病 め る 者
や貧しい者へと身を屈め自己を喪失することにおいて遂行されるような下降
的 な 愛 で あ る ( SGW3:71–73=4:108–111 頁 )。 し か し ニ ー チ ェ に 抗 し て シ ェ
ーラーが言うには、これは健康さや高貴さを憎み、その反動で病や苦しみと
いった生命力の低いものを倒錯的に愛好しているのではない。むしろ自己の
生命力への深い信頼が過剰なまでに横溢しているからこそ、感性的な次元の
生を喜んで捨て去ることもできるのである。

、、、、、、、、、、、、、、、、 、、
わ れ わ れ は 犠 牲 に な る の を 熱 望 す る ——〔 … … 〕 外 的 な 生 活 手 段 ( 飲 食
物や衣類など)に対するこの種の無関心さは、イエスの場合、生とその
、、、、 、
価値に対する無関心さを示す徴表ではなく、生そのものの固有の力に対
す る 根 本 的 に し て ひ そ か な 信 頼 〔 … … 〕 を 示 す 徴 表 で あ る 。
( SGW3:76=4:116 頁 以 下 )

ニーチェは生を自己保存の体系と捉えたが故に、自己放棄を善しとする道徳
はただ自己保存能力を欠いた者の慰めでしかない、ということになった。し
かしシェーラーのように、他者のために喜んで自己を犠牲にしようとする衝
動こそが生の本来の姿だと考えることもできる。そのときには、自らの生命
活動の維持に汲々とする態度の方こそ退行現象であり、弱さだということに
なる。生が最大限に発揮された自己犠牲とは、自己よりも他者を優先すべき
だ と い う 自 傷 的 な 利 他 主 義 の 思 想 で は な く ( CR28=48 頁 以 下 )、 む し ろ 自 己
の生と世界に対する深い信頼と愛があるからこそ、自然に他者へと身体や命
を差し出すようなものなのだから、弱者のルサンチマンからは自由なのであ
《 利 他 / 利 己 》と《 愛 / 憎 》が 全 く 別 の も の で あ る( SGW3:82=4:127 頁 )
る。
ことを理解することで、自己愛と他者への愛が両立する地点を思考できるよ
うになる。ルサンチマンに毒されたペシミズムを乗り越えながら、かといっ
て単に自己充足と暴力を享受するだけの動物性に回帰するのではない第三の
道が、シェーラーのキリスト教道徳の記述によって開かれたわけである
( SGW3:76=4:118 頁 , CR12=28 頁 , 27=47 頁 )。
以 上 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 要 約 に 従 い な が ら 、シ ェ ー ラ ー が ニ ー チ ェ の ル サ
ンチマン論からキリスト教道徳を奪還している様を確認した。さて、メルロ
....
=ポ ン テ ィ は 以 上 の 議 論 に 対 す る メ タ 的 な 考 察 を 通 し て 、 独 自 の 方 法 論 的 読

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解を展開していく。次節からこの内実を見ていこう。

第 2節 事 象 の 多 様 性 に 開 か れ る た め の 現 象 学 ( III 節 )
メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 以 上 の 議 論 を 紹 介 し た 上 で 、 シ ェ ー ラ ー が 用 い る 現 象
学という方法こそが、
《 動 物 的 な 粗 野 か 、さ も な け れ ば ル サ ン チ マ ン か 》と い
う二者択一を逃れた自他愛を取り出す可能性を開いたのだと語る。それを示
すために、まずシェーラーの議論に対して想定され得る疑問が代弁される。

..
〔ニーチェからすれば〕このような〔キリスト教道徳の〕外見を信用し
ていては、まさにルサンチマンの術策に陥るばかりだろうというのであ
、、、
〔 … … 〕人 間 の 心 理 =生 理 学 を 越 え る 価 値 の 肯 定 が 、
る。 〔 … … 〕実 際 に 、
生の付帯現象以外のものでありうるかどうか、すなわち、生の退化によ
る異常な産物以外のものでありうるかどうか、まさにこれが問題なので
ある。
〔 … … 〕こ の 問 題 に 答 え る た め に は 、彼 の 現 象 学 と 認 識 論 と を 思 い
起 こ す 必 要 が あ る ( CR17seq.=34 頁 以 下 )

....... ....
ニーチェは、それまで善と見做されてきた諸価値を、実際には生物学的弱者
に よ る 価 値 転 倒 と そ の 習 慣 化 の 産 物 で あ る も の と し て 暴 く 。そ う で あ る 以 上 、
...
もしもシェーラーによるキリスト教道徳の記述が単にその見かけを詳細に表
現しているだけなのだとしたら、シェーラーの議論は全くニーチェに対する
. .
反駁になっていないことになる。彼はただニーチェの生命観とは別の生命観
を提示する水掛論を行なっただけであり、それどころかニーチェはそうした
護教的な思考の由来を生物・心理学的な原因によって説明づけているのだか
ら、ニーチェにこそ軍配が上がるのではないか。こうした疑問は出てきて然
る べ き も の で あ る 。そ し て こ れ を 解 決 す る も の と し て 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 現
象学の名を挙げているのである。このことの意味を以下で明らかにしよう。
現 象 学 は 周 知 の よ う に 20 世 紀 初 頭 に フ ッ サ ー ル が 提 唱 し 、 シ ェ ー ラ ー も
自らの哲学の方法として受け継いだ認識論・方法論である。その中核にある
のは、外界の実在性についての判断を中止し括弧に入れる「現象学的還元」
である。但しこれは、主観的意識が外的実在に触れられるか否かを不可知と
見做し、表象の分析に徹する観念論を意味するものではない。むしろ現象学
的還元とは、そのような《外的客観/内的主観》といった二分法の拒否であ
る( CR18=36 頁 )。カ ン ト は 主 観 の 経 験 を 超 え た 領 域 に 物 自 体 を 想 定 し た が 、
フ ッ サ ー ル は そ の よ う な 想 定 の 独 断 性 を 告 発 す る( HuaI§41)。と い う の も 、

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一 切 の 先 入 見 を 棄 て て 認 識 の 第 一 根 拠 を 問 う た な ら ば 、《 即 自 的 な 実 体 / 派
生的な見かけ》という観念は全く自明でないからである。むしろあらゆる認
識が必ず前提している第一根拠は、ものが現に現れ見えているということ、
.. ..
そしてその現れ、即ち現象であり、それをその明証のままに受け取っている
..
我 々 の 直 観 で あ る ( CR19=36 頁 以 下 )。 い か な る 認 識 ・ 命 題 も 、 最 初 の 根 拠
は必ず何かしらの《私にはそう思われた》という直観であり、この直観と現
象 の 有 様 を あ り の ま ま に 記 述 す る の が 現 象 学 の 課 題 で あ る 。 メ ル ロ =ポ ン テ
ィ が 当 該 箇 所 で 参 照 し て い る『 イ デ ー ン 』I の 第 19 節 で は こ う し た 議 論 が 提
示 さ れ て い る ( HuaIII/1:42=103 頁 以 下 )。
つ ま り メ ル ロ =ポ ン テ ィ は こ こ で 、 前 述 の 疑 問 が 前 提 し て い る 《 実 在 / 仮
象》という枠組み自体を拒否すべきだと言っているのである。ニーチェ的な
懐疑は、道徳的価値を無反省に肯定することを拒み、これを生物・心理学的
な要因へと還元することで、ラディカルな反省的態度をとろうとしたもので
ある。しかし、そうした生物学的な概念も、或る種の道徳的価値も、いずれ
も特定の直観に由来するものであるのに、前者のみを「実際に」存在するも
のとして特権化し、後者にはそれを認めないというのは一つの恣意的な選択
で あ る ( CR18=36 頁 )。 む し ろ 徹 底 的 に 反 省 す る な ら ば 、 こ の 選 択 を 自 明 視
する前に、問題となっているその道徳的諸価値が、まずどのような構造を持
つのかを現れるがままに記述し理解することから出発しなければならない。
その上で、本当にその価値を生物学的概念に還元すべきなのかを判断しなけ
ればならない。こうした権利上優先すべき作業を怠らないことが哲学の「基
本 的 な 義 務 」( CR33=56 頁 ) だ と メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 考 え て い る 。
このことが理解されるならば、最早キリスト教道徳の「見かけ」を注意深
く記述することと、その「実際」の姿を明らかにすることとの区別は存在し
ない。或いは言い換えれば、ニーチェのように生を自己保存の体系としての
み理解し、キリスト教道徳を生の異常形態として説明するのも、シェーラー
のように生そのものが犠牲への衝動を持つことさえあることを理解すること
で 、キ リ ス ト 教 道 徳 も そ れ 独 自 の 価 値 を 持 つ も の と し て 認 め て 記 述 す る の も 、
ど ち ら も 特 定 の 直 観 に 基 づ い た 判 断 で あ る が 、《 ど ち ら が よ り 現 実 の 多 様 性
を理解できているか》という観点から見れば、むしろニーチェの方が包括性
を 欠 い た 視 野 狭 窄 と い う こ と に な る の で あ る ( CR21seq.=40 頁 )。
か く し て メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 、 シ ェ ー ラ ー の ニ ー チ ェ 批 判 に お い て 現 象 学
が果たしている役割を析出することで、シェーラーの議論の根拠を補強して
いるのである。シェーラーの現象学は単なる水掛論ではなく、学問的な観点
か ら み て も 、ニ ー チ ェ の 前 -現 象 学 的 な 還 元 主 義 よ り 一 層 徹 底 し た 立 場 に あ る

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ということだ。次に、この両者の対比が今度はそれ自体が世界への愛と憎悪
の対比、即ちペシミズムの彼岸と此岸の対比にも重ねられることを示す。

第 3節 世 界 を 肯 定 す る た め の 現 象 学 ( III 節 )
以上のようなニーチェとシェーラーの方法論上の対比を踏まえて、メルロ
=ポ ン テ ィ は 各 方 法 の 根 本 に 潜 む 実 存 的 態 度 を 暴 き 出 す 。彼 に よ れ ば 、ニ ー チ
ェがここでとっている方法の本旨は、道徳的諸価値など、経験に与えられた
..
事象の実在性を、まず否定することから出発し、他方でその否定を受け付け
..
な い も の と し て 、 様 々 な 対 照 的 な 実 験 の 結 果 抽 出 さ れ た 、《 自 己 保 存 の 衝 動 》
や《心理的機制の習慣化》といった生物・心理学的概念のみを承認すること
で あ る( CR23=42 頁 , SGW3:58=4:86 頁 )。こ う し た 還 元 主 義 的 方 法 に よ っ て
ニーチェは、多様な現象を、可能な限り少ない前提と既知のものへと「切り
下 げ 」( CR22=40 頁 ) る 。 こ れ に 対 し て シ ェ ー ラ ー の 現 象 学 的 方 法 は 、 そ の
都度明証的に得られた所与の事象を、他のものへ還元することなく各々それ
自 体 で 承 認 し て 詳 ら か に 記 述 す る 態 度 ( CR19=37 頁 )、 一 言 で 言 え ば 事 象 の
豊かな多様性に付き添う態度であった。
このようにニーチェとシェーラーの各々の方法がもつ態度を解明すること
で 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 両 者 を ル サ ン チ マ ン と そ の 克 服 に 対 応 さ せ る( CR21–
23=40–42 頁 )。 即 ち 、 還 元 主 義 的 態 度 自 体 が 、 本 稿 第 1 節 で み た よ う な 、 他
の価値を否定しそれと比較することでしか自らを承認できないルサンチマン
に相応する態度であり、他方の現象学的態度自体が、自らの価値と世界をそ
れ 自 体 で 積 極 的 な も の と し て 受 け 止 め て 肯 定 す る 愛 徳 の 「 豊 穣 plénitude」
( CR11=26 頁 ) に 相 応 す る 態 度 だ と さ れ る の で あ る 。

彼〔 シ ェ ー ラ ー 〕の 哲 学 的 態 度 は 、
〔 … … 〕ル サ ン チ マ ン が 意 識 か ら 排 除
してしまっていた多様な志向性を取り戻させるための努力として定義さ
れ る ( CR22=40 頁 )

つまり、シェーラーは《ニーチェはキリスト教の内にルサンチマンしか見
出せなかったが、本当はむしろルサンチマンを超えたものこそがあるのだ》
と 主 張 し た が 、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ は こ れ を 一 段 階 メ タ 的 に 観 察 し 、《 ニ ー チ ェ
がルサンチマンしか認識できなかったのは、彼自身がルサンチマンの内にあ
る還元主義的態度をとっていたからであり、シェーラーがルサンチマンを超
えたものを認識できたのは、彼自身がルサンチマンを超えた現象学的態度を

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と っ て い た か ら こ そ で あ る 》と 主 張 し て い る の だ 4 。彼 に 従 え ば 、ニ ー チ ェ と
シェーラーの衝突は、単にキリスト教についての立場の相違ではなく、方法
論上の認識根拠を巡る哲学的論争でもあり、さらに、ルサンチマンに絡めと
ら れ た 「「 悲 壮 な 」 哲 学 」( CR22=41 頁 5 ) と 「 直 接 に 与 え ら れ て い る す べ て
の も の へ の 深 い 信 頼 」( CR23=42 頁 ) に 基 づ く 豊 か な 哲 学 と の 実 存 的 な 対 決
でもあるのだ。
以 上 の 作 業 で 、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ が シ ェ ー ラ ー の 解 釈 を 通 じ て 、《 現 象 学 の
採用はペシミズムの克服を意味する》という発想を彫琢していることが明ら
かになった。これ自体が彼独自の思想として意義深いものではあるが、しか
し こ れ が 彼 の 最 終 的 な 結 論 と い う わ け で は な い 。「 キ リ ス ト 教 と ル サ ン チ マ
ン」の最終節では、こうしたシェーラーの用意した対立図式自体への批判が
提 示 さ れ 、 ペ シ ミ ズ ム の 克 服 と 現 象 学 の 採 用 を 巡 る メ ル ロ =ポ ン テ ィ 自 身 の
立場が示唆されるのである。以下でその内実を明らかにしよう。

第 4節 両岸の絡み合い(V 節)
シェーラーの現象学は、生を肯定する態度で以て多様な価値を、しかも学
問 的 な 誠 実 さ の 元 で 扱 う こ と が で き る 。し か し メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 、こ の よ う
なシェーラーの積極性を評価しつつも、そこに或る種の閉鎖性が回帰してく
る 可 能 性 を 警 戒 す る 。つ ま り 、今 度 は 現 象 学 が 前 -現 象 学 的 方 法 か ら 分 断 さ れ
る形で正当化されたり、現象学の記述した愛の生という価値が、有機体の生
死に拘泥する生物学的な次元から分断される形で肯定されたりするような事
態が問題視されるのである。これが具体的に何を意味するのか、以下で明ら
かにしよう。
まず、シェーラーにおいて愛の生が有機体の生から分断される危険性とは
ど の よ う な も の だ ろ う か 。本 稿 第 1 節 で 見 た よ う に 、シ ェ ー ラ ー は《 愛 / 憎 》
を《利他/利己》とは全く別のものとすることによって、自己愛と他者のた
めの犠牲を両立させた。人は自己や世界を愛しながら、自らの有機体の死を
選 ぶ こ と が で き る 。し か し メ ル ロ =ポ ン テ ィ が 注 意 を 向 け る よ う に 、シ ェ ー ラ
...
ーはこの同じ根拠から、他者の有機体の死を選ぶこともまた、他者や世界へ
の 愛 と 両 立 し 得 る と 結 論 す る ( SGW3:92=4:144 頁 )。 こ れ は 当 然 の 帰 結 で あ
る。シェーラーのキリスト教的愛は、自他の生命活動の保全が問題になるよ
う な 利 他 主 義 で は な い 。従 っ て 、
《 よ り 多 く の 人 間 の よ り 長 い 生 命 活 動 》と い
った盲目的な量の原理に固執することでかえって自他や世界への憎悪がもた
らされてしまうくらいならば、愛のために喜んで自己の生命を犠牲にできる
のと同じように、自ら意志して相手を「騎士道的」に殺害することも要請さ

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れ 得 る の だ ( SGW3:100–102=4:156–158 頁 , CR31=53 頁 )。 こ の よ う な 地 点
に ま で シ ェ ー ラ ー の 議 論 が 徹 底 さ れ る と き 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 立 ち 止 ま る 。
確かにキリスト教的な愛は生命維持という次元を超越することでルサンチマ
ン・ペシミズムから自由になった。しかしだからといって、精神的な次元に
安住して感性的・身体的な殺人を容認するのではなく、そうした有機体の次
( ibid.)の 可 能
元 で も 世 界 平 和 を 志 向 で き る よ う な「 キ リ ス ト 教 的 平 和 主 義 」
性 を 探 れ な い か 。 こ れ が メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 問 題 提 起 で あ る 。

やはりキリスト教の本義は、
「 精 神 的 人 格 」が 世 間 か ら 離 れ て 存 在 し て い
..............
るような時でさえ、それに影響を及ぼす行為があるということを認める
こ と 〔 … … 〕、「 精 神 的 人 格 」 と 感 性 的 意 識 と の 実 質 的 共 謀 を 認 め る こ と
なのである。こうした意味でキリスト教は、その全き純粋さにおいて、
貧 者 を 悲 惨 な 状 態 か ら 救 う た め に 闘 う よ う に 、 殺 人 に も 「 反 対 す る 」。
( CR31=53 頁 ) 6

メ ル ロ =ポ ン テ ィ が 言 う に は 、 愛 と い う 精 神 的 な 高 次 の 価 値 を 実 現 す る に し
ても、その次元は決して地上の身体的暴力の多寡という問題から切り離され
( CR31=53 頁 )な「 形 而 上 学 的 な 救 い 」
て「 無 疵 」 ( ibid.)に 落 ち 着 い て い る
ことはできない。むしろそうした感性的次元での平和や生存といった問題が
その土台として幅を利かせてくるのである。
メ ル ロ =ポ ン テ ィ は こ う し た 意 味 で 、 シ ェ ー ラ ー の 議 論 に 潜 む 分 断 の 契 機
を批判する。彼に言わせれば、現象学的に記述された積極的な価値は他の次
............
元 か ら 切 り 離 さ れ る べ き で は な く 7、 む し ろ そ の 現 象 学 に よ っ て 開 か れ た 領
. .......
野 と 、そ れ 以 前 の 領 野 と の 両 者 が 分 か ち 難 く 絡 み 合 い 、
「 実 質 的 共 謀 」の 関 係
にあるような事態こそが重要なのである。だがそれは具体的にはどのような
ことを意味するのだろうか。以下、この批判を本稿のこれまでの議論と照ら
し 合 わ せ る こ と で 、 こ こ に 秘 め ら れ た メ ル ロ =ポ ン テ ィ 独 自 の 方 法 論 と ペ シ
ミズム論を読み取る。
シェーラーにおいて、道徳的価値を把握する人間の志向的な能力は、自己
保存や感性的快を求める単なる感情的な傾向には還元できず、それ自体とし
て 現 象 学 的 に 記 述 さ れ な け れ ば な ら な か っ た ( CR20seq.=39 頁 )。 そ れ 故 、
本 稿 第 2 節 で 見 ら れ た メ ル ロ =ポ ン テ ィ の メ タ 的 な 視 点 も 踏 ま え る な ら ば 、
シェーラーを批判してこの 2 つの価値次元の絡み合いを思考するということ
は、そのまま《自体的な価値の次元を開く現象学と、それ以前の盲目的な次

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哲学の門:大学院生研究論集

元に閉じている還元主義との絡み合い》という、哲学の方法論上の問題を考
えることを意味していると言える。さきほど見た「キリスト教的平和主義」
の議論は、一見、単に戦争と宗教という特殊な題材を巡る立場の問題に思わ
れ る が 、し か し 実 際 は 、現 象 学 的 態 度 と 前 -現 象 学 的 態 度 の 共 謀 と い う 、よ り
一般的な哲学的問題を示唆しているのである。

................................
志向的なものと感情的なものとの関係が哲学的な問題を提起するのと同
..
様に、「 精 神 的 人 格 」と 感 性 的 意 識 と の 具 体 的 な 関 係 は 、明 ら か に 宗 教 的
次 元 の 問 題 を 提 起 す る の で あ る 。( CR31=54 頁 )

現 象 学 が そ れ 自 身 の 内 に 自 足・安 住 せ ず に 、絶 え ず 前 -現 象 学 的 な 態 度 と 共 謀
す る こ と 、そ れ が 具 体 的 に ど の よ う な 事 態 で あ る か は 論 文 内 で 語 ら れ な い が 、
実 際 、そ の 後 の メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 思 索 が こ の 事 態 を 語 り 出 し 、ま た 自 ら 遂 行
す る 方 向 へ 向 か っ た こ と は 確 か で あ る 。『 行 動 の 構 造 』( 1939) や 『 知 覚 の 現
( 1945)で は 生 理 学 や 心 理 学 の 成 果 が 丹 念 に 辿 ら れ 、そ の 検 討 作 業 が そ
象学』
の ま ま 現 象 学 に な る と 言 わ れ る ( PhP72–77=I114–121) し 、「 哲 学 者 と そ の
影 」( 1959) で は ま さ に 現 象 学 と 非 -現 象 学 と の 循 環 的 媒 介 の 解 明 が 「 最 後 の
( PhOm225=II33 頁 )だ と 言 わ れ る 8 。こ れ が 彼 の 終 生 変 わ ら ぬ 問 い で
仕事」
あったことを考えれば、同じモチーフがこの時点で抱懐されていたとしても
不思議はない。
最 後 に 、 本 稿 第 3 節 で 取 り 上 げ た メ ル ロ =ポ ン テ ィ の ペ シ ミ ズ ム 診 断 を 踏
ま え れ ば 、精 神 的 救 い と 感 性 的 生 死 の 絡 み 合 い と は 、現 象 学 と 前 -現 象 学 と の
絡み合いでもあり、さらに、ペシミズムの克服と克服以前との絡みあいでも
あると理解されうるのでなければならないだろう。彼自身が当該箇所でペシ
ミズム論を打ち出しているわけではないが、既に見てきたように、3 つの問
題 系 の 対 応 関 係 は 彼 自 身 が 明 確 に 表 現 し て い る ( 本 稿 第 2・ 3 節 )。 シ ェ ー ラ
ーのままではあたかも現象学への転向によって一躍「形而上学的な救い」に
与 っ て し ま う 危 険 が あ っ た 。言 い 換 え れ ば 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ は そ の よ う な も
の を 真 の 救 い と は 考 え て い な か っ た 。こ こ ま で の 議 論 か ら 伺 わ れ る の は 、
《む
しろペシミズムを真に克服するためには、克服以後の領域に尚も克服以前の
問題がまとわりついてくることを積極的に捉えなければならない》という発
( 1947)の
想 で あ る 。実 際 、そ の 後 の『 知 覚 の 現 象 学 』や「 小 説 と 形 而 上 学 」
主題が《人間が完全に救われてしまうことは無い》というものであった
( PhP199=I282 頁 , RoMet65seq.=65 頁 ) こ と を 考 え れ ば 、 こ う し た 議 論 の

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哲学の門:大学院生研究論集

萌芽がここにあると考えることも、十分に根拠のあることであろう。メルロ
=ポ ン テ ィ が シ ェ ー ラ ー に 宛 て た さ さ や か な 疑 念 は 、 こ の よ う な 射 程 を 有 し
ているのである。

結論
「 キ リ ス ト 教 と ル サ ン チ マ ン 」に お け る メ ル ロ =ポ ン テ ィ の ニ ー チ ェ・
以上、
シェーラー批判を詳細に読解し、その射程を解明した。それにより、メルロ
=ポ ン テ ィ 思 想 の 根 幹 に お い て 、 現 象 学 の 問 題 と ペ シ ミ ズ ム の 問 題 が 連 動 し
ていることが示された。同論文の中では、自らの生や世界にそれ自体として
の価値を見出すことができずに、生の活力を失って倦怠してしまう悲観的な
存 在 仕 方 と し て の ル サ ン チ マ ン・ペ シ ミ ズ ム が 問 題 に さ れ て い た 。そ の 上 で 、
高次の価値をそれ自体で承認する現象学によってルサンチマンを脱しつつ、
同時にその克服が完成されてしまうのを妨げるような仕方で感性的な次元や
前 -現 象 学 的 な 態 度 が 回 帰 す る こ と を 認 め る こ と が 重 要 と さ れ た 。同 論 文 は こ
こで手短に終えられており、以上の指摘が意味するところは十分に明らかに
さ れ な い 。し か し 、ペ シ ミ ズ ム の 彼 岸 に 固 執 す る こ と へ の 批 判 と い う 理 路 は 、
その後の諸著作において、下部構造を遊離した上部構造への閉合、所謂「上
空飛行」に対する批判として展開されていくことになる。我々の生を肯定す
るための論理であったものが、かえって生の現実から離れてしまうこと、こ
う し た 事 態 を メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 終 生 、注 視 し て い く の で あ る 。こ の 様 子 を 具
体的に解明する作業が、今後の課題として残されている。

注釈
(1)この文言自体は実川や川崎も参照している。しかし、川崎はあくま
で 議 論 を 愛 と 倫 理 と い う 題 材 に 限 定 し て お り( 川 崎 [2022] 209–213)、実 川 は
存 在 論 的 で 抽 象 的 な 次 元 で こ の 文 言 を 扱 っ て い る ( 実 川 [2000] 33)。 本 稿 は
メ ル ロ =ポ ン テ ィ の ペ シ ミ ズ ム 論 を 方 法 論 と 結 び つ け る こ と で 、 川 崎 ほ ど 限
定 的 で な く 、実 川 ほ ど 抽 象 的 で な い 地 点 で 捉 え る 。メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 現 象 学
が 彼 自 身 の 実 存 主 義 的 関 心 に 淵 源 す る こ と に つ い て は 、
Geraets/MADISON1981: p.268–271 に 詳 し い 。
( 2 )多 く の 場 合 、同 論 文 は 20 代 の メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 信 仰 を 伝 え る も の
と し て 伝 記 的 に 言 及 さ れ る ( Geraets[1971] 13–17, 木 田 [1984] 21–24) か 、
その後の思想との内的連関について大まかな指摘のみがなされる
( Wening[1968], 加 賀 野 井 [1988] 143–145, Saint-Aubert[2005] 121) か 、
で あ っ た 。 唯 一 、 佐 藤 [2008]は キ リ ス ト 教 論 と い う 観 点 か ら 同 論 文 を 詳 細 に

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哲学の門:大学院生研究論集

扱 っ て い る( 注 6 も 参 照 )。ま た 、シ ェ ー ラ ー と の 比 較 研 究 の 観 点 か ら 同 論 文
に 触 れ た 横 山 [2019]に 対 し て は 、 本 稿 が 一 つ の 応 答 に な る と も 言 え る 。
( 3 )『 道 徳 の 系 譜 』 第 1 論 文 第 1 節 か ら 第 17 節
(4)ニーチェの思想自身をルサンチマンと判定する解釈はシェーラーに
は 見 ら れ ず ( cf. SGW3:58=4:86 頁 以 下 )、 方 法 論 の 次 元 と 実 存 的 態 度 の 次 元
と を 重 ね る メ ル ロ =ポ ン テ ィ 独 自 の 解 釈 と し て 意 義 深 い と 思 わ れ る 。
( 5 )加 賀 野 井 は「 悲 壮 な pathétique」と い う 表 現 が シ ェ ー ラ ー の 原 文 に
は 見 当 た ら な い 、 と し て い る ( 加 賀 野 井 [1988] 123) が 、 こ れ は 正 確 で は な
い 。 こ の 語 は シ ェ ー ラ ー の 「 近 代 の 人 間 愛 の パ ト ス das Pathos 」
( SGW3:98=4:152 頁 )と い う 文 言 を 仏 訳 者 が「 近 代 の 人 道 主 義 が も つ 悲 壮 的
な も の le pathétique」( Scheler[1958] 114) と 訳 し 変 え た も の で あ り 、 こ れ
がそのまま引用されたのである。
( 6 )本 稿 は こ の 一 節 を シ ェ ー ラ ー 批 判 と 解 釈 す る が 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ は
こ れ を ど う い っ た 意 図 で 書 い た の か を 明 示 し て お ら ず 、《 キ リ ス ト 教 は 殺 人
に反対する》という主張の論拠も不明である。この箇所がシェーラー批判で
あ る 可 能 性 に 触 れ た 先 行 研 究 は 殆 ど 無 い が 、 唯 一 、 佐 藤 [2008]が そ の 方 向 で
解釈している。しかし佐藤はこの「キリスト教的平和主義」をシェーラーに
帰 し て お り( 佐 藤 [2008] 123 以 下 )、本 稿 の 解 釈 と 異 な る 。だ が こ の 箇 所 の 直
前で引かれている「人間性の名において、人々は少しずつ世界平和を称える
ようになる」というシェーラーの文言は明らかに近現代道徳を揶揄するもの
で あ り ( SGW3:100seq.=4:157 頁 )、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ が シ ェ ー ラ ー の 立 場 と
し て 紹 介 し て い る と い う こ と は あ り 得 な い 。従 っ て 、
「キリスト教的平和主義」
と は 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 持 論 で あ る か 、さ も な け れ ば シ ェ ー ラ ー の 文 章 の 誤
読 か ら 生 ま れ た も の で あ る こ と に な る が 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ 自 身 、シ ェ ー ラ ー
に 倣 っ て「 人 道 主 義 humanitarisme」の 語 を 例 外 な く 批 判 対 象 に 帰 し て い る
こ と( CR27=47)か ら も 、後 者 は 考 え に く い 。ま た 1935 年 当 時 の メ ル ロ =ポ
ン テ ィ は 、社 会 的 正 義 と キ リ ス ト 教 信 仰 を 巡 る 迷 い の 最 中 に あ っ た 。1934 年 、
オーストリアのドルフース・キリスト教派政権がウィーン郊外に軍事展開し
ていることに対し、フランスのカトリック修道士達は沈黙していた
( Geraets[1971] 24–26, 木 田 [1984] 29 以 下 , FoiB305seq.=287 頁 以 下 )。 そ
の態度に落胆した彼の警戒心が、シェーラーの掲げるキリスト教の理念にも
向 け ら れ て い る と 考 え ら れ な い だ ろ う か 。 佐 藤 は メ ル ロ =ポ ン テ ィ が キ リ ス
ト教そのものに距離を取っていたと理解しているが、むしろ、シェーラーと
の間で真のキリスト教を巡る争奪戦を繰り広げていたと理解する方が妥当で
はないだろうか。

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哲学の門:大学院生研究論集

( 7 )も ち ろ ん 、メ ル ロ =ポ ン テ ィ 自 身 が 認 め る よ う に 、シ ェ ー ラ ー は 宗 教
的 な 救 い を 現 世 的 な も の か ら 単 純 に 切 り 離 し た わ け で は な い( CR25=44 頁 以
下 )。 し か し 、 終 生 メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 批 判 対 象 は 、 そ の 出 発 点 に お い て 正 当
だった各々の直観が、自己を体系化するに伴って欺瞞と化していくことであ
っ た( PhP64–77=I103–121 頁 )し 、後 年「 人 間 の 科 学 と 現 象 学 」講 義( 1950–
1951)や 1960 年 12 月 の 研 究 ノ ー ト で は 、こ の 批 判 が 改 め て 正 面 か ら シ ェ ー
ラ ー に ぶ つ け ら れ る こ と に な る ( ScHoPh97seq.=59 頁 以 下 , VInote324=400
頁 )。
(8)また、シェーラーがヤスパースの記述的・現象学的方法を評価する
( SGW3:35=4:49–51 頁 ) の に 対 し 、 メ ル ロ =ポ ン テ ィ は 「 存 在 と 所 有 」 書 評
( EA43seq.=68 頁 )や『 知 覚 の 現 象 学 』
( PhP13n=I40 頁 )で 彼 を 記 述 に 偏 っ
たものとして批判し、発生論的方法の重要性にも注意を促している。

文献表

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木 田 元 , 1984,『 メ ル ロ =ポ ン テ ィ の 思 想 』 岩 波 書 店 .

「 メ ル ロ =ポ ン テ ィ に お け る 真 の キ リ ス ト 教 と 無 神 論 」
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=『 シ ェ ー ラ ー 著 作 集 』 白 水 社 .

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T. F. Geraets, 1971, Vers une nouvelle philosophie transcendantale: La


genèse de la philosophie de Maurice Merleau-Ponty jusqu’ à la
Phénoménologie de la perception , Martinus Nijhoff.

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哲学の門:大学院生研究論集

T. F. Geraets/G. B. Madison, 1981, "Concerning Merleau -Ponty: Two


Readings of His Work", G. B. Madison, The Phenomenology of Merleau-
Ponty: A Search for the Limits of Consciousness , Ohio Univ. Press.

※ 同 文 献 の 内 、 ジ ェ ラ ー ツ に よ る 部 分 を 引 用 す る 際 は
「 GERAETS/Madison1981 」、 マ デ ィ ソ ン に よ る 部 分 を 引 用 す る 際 は
「 Geraets/MADISON1981」 と 表 記 す る 。

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