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2024 年 3 月 23 日

日仏哲学会 春季大会

メルロ=ポンティ政治哲学の航跡
『ヒューマニズムとテロル』の超克不可能性について

京都大学大学院 文学研究科
宗教学専修 博士課程一年
鳥居 千朗

凡例

・《》は、意味上のまとまりを明確化するために用いられ、引用符と区別される
、、、、 ...
・ゴマ傍点は引用原文内の、丸傍点は引用者による強調を意味する
・訳書からの引用は、引用者の判断で適宜訳語を変更している場合がある

はじめに

本発表は、メルロ=ポンティ政治哲学の代表的著作『ヒューマニズムとテロル』
(1947)に
おける彼独自の「マルクス主義」像を明らかにすることで、これが決して単純に乗り越えた
り破棄したりすることのできない論理を具えていることを示すものである。
しばしば、彼の政治哲学は『ヒューマニズムとテロル』のマルクス主義の立場から、『弁
証法の冒険』
(1955)の「新しい自由主義」の立場へと「転回」ないし「深化」したのだと、
ひいては『シーニュ』序文(1960)に至っては哲学と政治の共存不可能性が告白されたのだ
とさえ言われる。研究史上、この政治の分野での転回の由来を、哲学の分野での構造主義的
ないし言語/表現論的転回と結び付けようとする向き1や、歴史哲学そのものの理論的欠陥
に求める向き2もある。しかし、そもそも『ヒューマニズムとテロル』の政治/歴史哲学は、
そのような単純な「転回」を許すものだったのだろうか。中後期メルロ=ポンティは好んで
過去の自らの立場を自己批判するが、この自己批判がしばしば過去の立場を過小評価して

1
Kruks1989, 川崎 2022 : 278–284 頁
2
金田 1996,田中 2019
1
いるように見えることもよく知られている3。即ち、彼自身の自己批判的文言は、立場の転
回の論拠となるよりも、《批判し得ないものをなぜ批判するのか》という謎を呼び起こすも
のである。
本論では、この謎に答え得る論理が『ヒューマニズムとテロル』の内に見いだされる。即
ち、
《超克不可能なものが超克される》という論理である。同書の「マルクス主義」は、
《歴
史を認識することから分析的に演繹される超越論的条件の記述》という反証不可能な側面
...
と、《特定の仮説的歴史観に基づいた経験的事実の説明》という反証可能な側面を、分離不
.....
可能な形で併せ持っているのである。
第一・二節では、
『ヒューマニズムとテロル』の「マルクス主義」が、歴史についての思
考に必然的に含まれている事柄——道徳的価値の下部構造としての暴力的事実、独自の全
体性と合理性を持つものとしての人間社会、その合理性が実現している状態としての相互
承認の世界——を言語化したものに過ぎない、ということを示す。ここに同書の第一の超克
不可能性、超越論的超克不可能性がある。第三節では、その中核を成すプロレタリアート理
論が、特定の歴史観に基づきつつも、原理上どこまでも実践的修正に開かれている、一種の
操作的概念4であることを示す。これが第二の超克不可能性、実践論的超克不可能性である。
第四節では、まさにこの具体性の故にこそ、これらの正当性は究極的には大衆による理解と
...
いう審級に委ねられていることを示す。ここでまさしく超克不可能なものの超克が既に内
...
在的に語られているのだから、これが第三の超克不可能性、超克可能性と同義である超克不
可能性である。最終的に、後年の「自己批判」もこの視点から位置づけなおされねばならな
い。

第一節 超越論的マルクス主義(1):道徳から政治へ

メルロ=ポンティの「マルクス主義」はまず、
「歴史」認識を可能にする超越論的条件を言
明したものである。即ち、歴史を考えるとき、我々は何を考えているのか、
「歴史」概念に
はどのような事柄が分析的に含まれているのか、これを言い当てることである。メルロ=ポ
ンティにおける歴史の第一の要件は、それが道徳から区別されるという点である。
『ヒュー
マニズムとテロル』は、1947 年当時に共産主義陣営を一方的に非難していた自由主義陣営
を批判することから始まる(HT : préface)が、これは自由主義が、道徳と法を盾にして、マ
ルクス主義の暴力革命の思想を攻撃するからである。もし仮に、個人の自由意志と人格だけ
が重要であり、人間社会はいつでもそれらを尊重することができるというのであれば、カン
ト的な道徳哲学で十分だろう。しかし現実世界には複数の人間がおり、各々が自らの限定的

3
Cf. ティリエット 1970 : 119–123 頁
4
E. フィンクの「操作的概念」とメルロ=ポンティの関わりについては、例えば佐野 2019 :
36–39 頁を参照
2
な視界から互いを見合っている。即ち我々の行為には、自身の意図という主観的意味に加え
て、それが他者の眼には実際どう映るかという客観的意味が必然的に伴うのである。これが
剥き出しになるのが戦争状態である(SNS(guerre), HT39–47=80–89 頁)
。第二次大戦中ナチ
ス=ドイツ軍に占領されたパリでは、フランス人が普遍的道徳の立場を取って、ドイツ人を
も同じ人間として平等に扱うようなことは、ドイツ軍の侵攻に加担し、他の人間が殺される
ことを容認するという客観的意味を持たざるを得ない。本人の意図にかかわらず、である。
このように、行為の意図よりも効果、相手の人格よりも肩書、普遍主義的な主観的道徳より
も状況に即した客観的責任が第一の問題となるような状態は、いわば道徳的理念の下部構
造が露呈した状態である。即ち、合理主義的な純粋道徳を信じ遂行することができるのは、
安全で安定した生活が保障されている限りにおいてのことであり、反対に、そのような生活
が確保されていない地域や階級においては、合理主義的な道徳など現実を遊離した空文句
でしかない。それどころか、それは現実に存在する格差や搾取、強制、要するに「暴力」を
隠蔽するのだから、欺瞞的なイデオロギーにさえなる。つまるところ、道徳的理念を真に尊
重すればこそ、それを現実のものとするためには、ただ個人の主観の内部での意図や合理性
を盾にして自己正当化を図るのではなく、そのような態度が他者にとって事実上どのよう
な意味を持ってしまうのかを自覚し、むしろ「柔軟な道徳」
(HTxxxix=38)
、即ち現実にあら
ゆる人々が自由で平等に生きられるような生活の実態を整備するという具体的責任を負わ
なければならないのである。
一人の人間の行為の格率を考えるだけならば普遍主義的道徳で十分だろうが、複数の人
間が共同で生活していることを考慮に入れた瞬間から、政治的思考、即ち「諸価値を事実の
次元へと翻訳」(HTxxx=27 頁)しようとする思考を始めなければいけなくなる。このよう
に、人間社会は既に基礎づけられている道徳的価値を、上から現実に当てはめるという形で
成立・進展しているわけではない。むしろ道徳的価値は事実的な物質や制度——経済的条件
や生産体制に限らず、文化的・政治的・宗教的・情動的な側面も含めた各個人の生活の具体
相5——の形で実現されていなければならない。もしも両次元の間に齟齬があれば、前者が
どれほど論理的に基礎づけられていたとしても、後者の次元によって告発されざるを得な
い。この前道徳的な暴力の次元をアプリオリに封じ込めることはできず、むしろその暴力を
避けられない中で上手く身動きをとることが問題なのである。歴史の進み方はこの偶然性
に開かれている。道徳や合理主義的目的論は、歴史概念以前的な観念6なのである。歴史を
考えるとは第一に、合理的理念を下支えする事実と暴力の次元を否認せずに考えるという
ことであり、これこそマルクス主義の教訓だ、というのがメルロ=ポンティの主張である。

5
(HTx=3 頁)。注 7 も参照。
「労働の諸形態や、愛し、生き、死ぬ仕方」
6
草稿「個人と歴史——」(1946)では、歴史が歴史として思考されるようになったのは、
即ち現在の歴史概念が誕生したのは 18 世紀である、という通説の元での思考が展開されて
いる(InéditsI193–199)。
3
第二節 超越論的マルクス主義(2):全体性と均衡状態

しかしこの思考は、決して歴史の合理性そのものを放棄し、そこに無秩序な事実の戯れし
か認めない、というものではない(HT101–105=144–148 頁)
。そのような相対主義的な態度
はやはり歴史を捉えるのではなく、逆向きの宿命論に後退しているだけである。否、より厳
密に言えば、歴史に対してそのような傍観的態度をとることもまた、
《(現在)人々の意見は
分裂しており、それらを外部から見ることが必要である》という一つの歴史的展望を採用し、
歴史の展開に一つの意味=方向 sens を付与することである。歴史や政治的状況を「中立的」
に分析しようとする者も、まさにそのような学者的立場を、一定の歴史的・政治的情勢認識
に基づいて選んでいるのである。従って、この次元を欺瞞的に否認しない限り、我々は常に、
歴史に対して特定の物語、特定の合理性を見出し、特定の歴史哲学を抱いているのである。

非合理主義を支持できないのは、誰も、それを講じる者さえもこの非合理主義を生きて
いないという決定的な理由による。〔……〕自分が真理と思っている意味を付与された
歴史的状況を人間が知覚するという単純な事実、それが、いかなる懐疑主義によっても
説明できない真理の現象を導き入れ、結論を回避することを我々に禁じるのだ。
(HT102=144 頁以下)

即ち、複数の人間からなる社会を生き、そのことを誠実に認識しようとする限り、我々は暴
力を逃れることもできないし、特定の合理的展開を信じることから逃れることもできない。
そもそも暴力とは、自らの限定的視界から見られた合理性に基づく生活へと他者を巻き込
むことと定義される(HT81–98=123–140 頁)。暴力か非暴力かではなく、どの暴力か。合理
性か非合理性かではなく、どの合理性か、という選択しか可能ではない。人々は互いの意図
を直接共有しておらず、偶然性こそが基礎であるにもかかわらず、その中で特定の意味=方
向が見出されてしまう。メルロ=ポンティが「歴史」と呼ぶのはこのような思考圏域のこと
なのである。
このように歴史哲学の中に必然的に含まれる合理性への信の構造も、マルクス主義によ
って「全体性」と「均衡状態」という観念の元に究明されている。メルロ=ポンティは様々
ある歴史哲学についてのメタ的な構造分析としてマルクス主義を描き出しているのである
(HT165–168=207–211 頁)。それに従えばまず、人間社会が個々の独立した要素から成るに
もかかわらず、その中に一つの状況が見出されるということは、人間社会とその歴史が、或
... ホーリスティック
る独特な全体性のもとに捉えられているということである。この全体論的な歴史/社会観

4
を、メルロ=ポンティは独自の意味で「史的唯物論」7と呼んでいる。

即ち、道徳、法と世界についての考え方、生産と労働の様式は互いに内面的に繋がって
いて、互いが互いを表現しているとの考えである。人間の全ての活動が或る一つの体系
を形成していて、そこでは、どの瞬間にも他と絶対的に分離されうるような問題は存在
せず、経済的諸問題と他の諸問題は一つの大問題を形成しており、最後に、イデオロギ
ーが経済に影響するのと同じく、経済の生産力は文化的意味を有しているとするなら、
...... ...............
その場合には、歴史哲学が存在することになろう。(HT166=208 頁)

もし特権的な主体が居て、これが他の領域と歴史を意のままに操作しているのだと考える
ならば、それは歴史を個人の意図と手段の図式に抽象し、再び道徳の問題へ後退してしまう。
そうではなく歴史を歴史として捉えるということは、明に暗に、互いに個人として存在する
はずの人間たちが、不思議と一つの問題と状況を間接的に共有しており、それをあたかも全
員が同じように意識しているかのように、社会全体が連動してこれに対処していると感じ
ることである。例えば《……の時代》というようなことが想定されるときには、この相互鏡
映的な全体性が前提されているのだと言える。
そしてこのように一つの共通状況を見出すということは、そこで共有されている問題、即
ちその状況が人々に各々応答を求めている行動の促しを漠然と看取し、同時にそれが解決
.... .........
された均衡状態を予感しているということである。 「歴史哲学なるものは〔……〕この全体
.........
性が総体の意味をもたらすような特権的状態へ向けて運動しつつあるということを想定し
...
ている」(ibid.)。個々の歴史哲学は、それぞれに均衡的社会像を想定している。ところでも
しその思考が内的矛盾を抱えているとしたら、その像が実現することはない。就中、既に見
た、全体論的共通状況の想定と、特定の合理的展望への信と矛盾するならば、それは歴史哲
学として成立し得ない。つまり、人間社会の全体論は、各々の主体が没交渉ではあり得ない
ということを含意する。これに加えて、ひとが特定の展望を持つとき、それは自他が共に織
りなしている歴史的現在状況についての認識に或る程度根拠づけられているのだから、当
人は《この展望はしっかりと説明すれば他者にも理解してもらえる》ということを否応なく
想定している(HT204–206=247–249 頁)。それが合理性の定義だからである。要するに、歴
史哲学は全て、人間相互が承認し理解し合っている状態を暗に前提しているのである。従っ
て、この状態と矛盾した展望を持つ歴史哲学は破綻しており、この矛盾を欺瞞的に否認する
ことによってのみ保持され得るものなのである。即ち、

ホーリスティック
7
メルロ=ポンティの「史的唯物論」がソ連型の経済決定論ではなく、全体論的な、言わば
人の顔をした史的唯物論であることについては、西村 2004 が適切にまとめている。
5
ある人間集団が一つの歴史的使命——歴史を完成させ、人間性を作り上げるという使
命——を授かり得るのは、これらの人々が他の人間たちを他の人間たちとして承認す
ることができ、彼ら自身これらの人々によって承認される場合だけだろう。しかるに、
君主であれ老人であれ賢者であれ国家官吏であれ、更には聖人であれ、これらの人間た
ちもしくは人間集団の歴史的役割は、力または優しさによって他の人間たちを統御す
ることに尽きる。しかし、諸権力の賢明なる均衡によって文明が定義されるのだとして
...
も、この文明は依然として闘争、暴力であって相互性ではない。(HT167=209 頁)

特定の階級を特権視してこれに支配を任せ、被支配階級には忍従を強いることで社会全体
の均衡を保つのは、コミュニケーションの非対称性と不透明性を核にして社会を形成する
ことである。歴史哲学自体が相互理解を前提しているにもかかわらず、社会の在り方が人間
集団を恣意的に分割しているのだから、そのような状態は未解決の課題であり、不安定で不
均衡な状態であることになる。それ故、言わば「無階級社会」が唯一の均衡状態として存立
し得るのである(HT139=182 頁)
。注意しておくが、これは「歴史のテロスに具体的内容を
与える」8ようなユートピア的な目的論ではない。これは歴史認識の内に超越論的に含まれ
ている条件から矛盾のないように演繹された結果に過ぎない9のであって、実際に無階級社
.....
会がどれほど実現できそうなものなのか、という問題とはさしあたり関係が無い。それ故、
次の一節に見られる語り方にも注意を払わなければならない。

〔被支配階級の極点としての〕プロレタリアートが存在するところには人間性は存在
しないと述べること、それは、物理学の法則を証明するときのように、提起するや否や
.............
証明しなければならないような仮説を提起することではなく、自然ならびに他人たち
..............
に対して定位された存在としての人間についての直観を単に言明することである
(HT168=210 頁)

プ ロ レ タ リ ア ー ト
無産労働者階級については次節以降詳述するが、ここでは、一つの仮構された概念ではなく、
あくまで人間の条件に本質的に含まれているものを取り出して言語化したに過ぎないもの
として提示されている。第一節で見たように、歴史的に思考する限り、人間的道徳の諸価値
は具体的生活の実態によって裏付けられて初めて意味を持つ。このとき、人々が食べて生き
るための労働部門を委託されているが故に、その労働生活によって自らの存在がほぼ全面
..
的に規定されている者と定義されたプロレタリアートは、まさに、生存のために労働を強制
賦課されるという暴力によって、他の人間を「人格」や「目的」として扱う道徳的生活を営
アナロゴン
むだけの余裕を奪われている状態の謂いであり、占領下のパリの類比物なのである。他の諸

8
金田 1996 : 171 頁,cf. 田中 2019 : 34 頁
9
Smyth2014 : pp.60, 64
6
階級は、生存のための労働を外注しているが故に、生活そのものからは遊離した他の諸活動
によってアイデンティティを形成しており、労働という条件を十分に織り込んだ社会的利
害関係を持つことができない。そしてこの労働は人間社会から取り除くことができない本
質的条件である10。この限りにおいてプロレタリアートは、具体的生活の実情を体現するも
のなのだから、人間同士の相互理解という超越論的道徳的理念がここから遊離している程
度を測定する指標であり、また自らの利害関係の追求がそのまま均衡的社会の形成である
ような存在なのである11。
以上、ここまでの議論は全て「歴史」認識ということから演繹される。このように、メル
ロ=ポンティの「マルクス主義」とはまず、歴史哲学の超越論的条件を言い表したものなの
である。
「マルクス主義は一つの歴史哲学ではなく、歴史哲学そのものである」
(HT165=207
頁以下)。それは信奉したり放棄したりできるような一つの仮説的歴史観ではなく、我々が
歴史を考えるときに何を考えているのかを記述したメタ歴史哲学なのである。それを放棄
するということは、歴史を放棄し、歴史について考えることを放棄し、自らが常に歴史的に
考えていることを欺瞞的に否認することを選択するということである。これが『ヒューマニ
ズムとテロル』のマルクス主義の第一の超克不可能性である。

第三節 実践論的マルクス主義:プロレタリアートの階級意識

しかしもちろん、この権利上の妥当性ということだけでマルクス主義が存在しているわ
けではない。もしそうだとしたら、理念を支える事実の次元をわざわざ「プロレタリアート」
という具体的名辞で呼ぶ必要もないだろう。理念と事実の連動性を考えることこそマルク
ス主義の最大の教訓なのだから、以上の歴史哲学を現実に作り上げていくことが問題とな
る。即ち今度は、先ほど定義されたプロレタリアートが現実の歴史の内にどれほど存在する
のか、という特定の具体的歴史観が問われるのである。
メルロ=ポンティはマルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
(1846)とルカーチ『歴
史と階級意識』
(1923)12に則ってプロレタリアート理論を叙述している(HT122–127=163–
169 頁)。簡単に要約すれば、マルクスとエンゲルスは、歴史学的・経済史学的研究の成果
として、純粋な資本主義体制が整備されていく運動としての世界史を描き出した 13。即ち、
農村と都市の対立を機縁とした分業の進展と、従来の生産手段の商業的な囲い込みと収奪、

10
以上の要約はルカーチ 1923 : 第三章に基づく。
11
「プロレタリアートにとっての有用なものが歴史のなかで作動しつつある正当なもので
ある」(HT137=179 頁)
12
ルカーチからメルロ=ポンティへの議論の継承は、Smyth2014 : ch.3 で詳細に論じられて
いる。
13
マルクス/エンゲルス 1846 : 65–105 頁
7
それによる流動的な日雇い労働者の発生、大工業の発展に伴う世界的交通手段の発達——
こうした産業形態の歴史が、世界全体を資本の運動の元に流動化させ、あらゆる地域的分断、
、、、、
文化的分断を漂白させた世界市場と、その元に依存させられた世界中の「無一文の労働者大
プ ロ レ タ リ ア ー ト
衆」14とを生み出した。このとき、遂に世界中の旧来の身分の区別は、無産労働者階級から
ブ ル ジ ョ ワ ジ ー
資本家階級までの経済格差のバロメータに理念的に一元化される。人類の分断の究極的根
拠が露呈するのである。このような歴史的条件の研究に基づいてマルクス主義は、
《人類の
分断の具体的原因も、また自らと同じ境遇にある世界中の人間との連帯可能性をも、抽象的
観念ではなく実地の生活を通して実感しているような存在》が、即ち「自らの労働や給与を
通じてこの種の依存を直接的に感じ取る限り、かかる依存を「疎外」ないし「外化」の如き
ものとして感じる機会を、他の誰よりも多く有している」(HT123=164 頁)ようなプロレタ
.......
リアートが、現に今存在すると主張する。周知の通り、このプロレタリアートに権力を移し
ていくことによって、前節までで見たような均衡状態の実現が実際に目指されるのである。
この主張は明らかに、特定の歴史学的研究に基づいた一つの仮説的歴史観である。それが
どれほど説得的に根拠づけられていようとも、それを再検討したり放棄したりする可能性
がアプリオリに閉ざされているわけではない。人間社会の均衡状態が超越論的に想定され
ざるを得ないとしても、その実現可能性を現実に存在するプロレタリアートという勢力の
内にどこまで見出すことができるか、という点は一つの歴史観に依存しているし、歴史の展
開次第によって変動するものであると言える。
しかし、このようなプロレタリアートの現存に関する科学的で相対的な主張は、ルカーチ
の「階級意識論」を補われることで、言わば柔軟性を持ったものとなる。即ち、以上のよう
な「客観的条件」があるからと言って、知識人や共産党員が現在の社会を観察して、この条
件を満たすプロレタリアートを数え上げられるわけではなく、プロレタリアートは、その当
人が自らの階級的条件を自覚して初めてプロレタリアートになるのである。「マルクス主義
の視覚においてさえ、世界のプロレタリアートは、それが客観的にしか、経済学者の分析の
なかにしか存在しない限りは、革命の因子とはならない」
(SNS(guerre)265=219 頁以下)。
『知
覚の現象学』
(1945)の階級意識論(PhP505–520=II355–376 頁)が精緻に語っているように、
プロレタリアートの客観的生活状況は、プロレタリアートを自認する意識を因果的に生み
出すような機械的原因ではなく、あくまでそのように自己を捉えなおすよう「動機づける」
だけである。しかも、ここで言う「階級意識の自覚」とは、
《私はプロレタリアートである》
という命題を掲げることではなく、自らの生活を圧迫している搾取が恣意的なものである
ことに気付き、さらにその同じ搾取を受けている人々を外部にも見出すことで、それまで感
得されていなかった連帯性を、諸領域を横断して築き上げていく過程のことなのである。

14
Op. cit. 46 頁
8
工場労働者は、他の職種の他の労働者がストライキの後で賃金の引き上げを獲得した
ことを知り、それに次いで彼自身の工場でも賃金が引き上げられることに気付く。彼が
戦ってきた運命 fatum なるものが、はっきりしはじめるのである。それほど頻繁に工場
労働者たちが会うこともなく、彼らと似てもいなければ、彼らを少しも好んでいない日
雇労働者は、工場生産物の値段や生活費が上昇するのを見て、もう暮らしてゆけないこ
とを認める。このとき、日雇労働者が都市の工場労働者を非難するということもありう
るし、そうなれば階級意識は生まれてこない。たとえ階級意識が生まれるとしても、そ
れは、日雇労働者が革命的になろうと決意し、それに応じて己れの現実の身分に価値付
........ ......
与するからではなく、彼が己れの生活と工場労働者の生活の同周期性と、彼らの運命の
..............
共通性とを具体的に感じとったからなのである。小農は、日雇労働者や、ましてや工場
労働者とは一緒にされることがないし、彼らとは習慣や価値判断の世界が違うのだが、
その小農にしてもやはり、自分が日雇労働者に不十分な賃金しか払えないときには、自
..........
分が日雇労働者と同じ側にいると感じるし、また多くの工場企業の重役会を主宰して
いるのが地主であることを知るときには、自分が都市の工場労働者とさえ連帯関係に
............
あると感じるものである。つまり、社会空間が集極化しはじめ、被搾取者の層が姿を現
すのが見られる。(PhP507seq.=II357 頁以下)

要するに、プロレタリアートがプロレタリアートになるのは、理論家が用意した定義に観
察上当てはまるときでも、当人がその理論を耳に挟むか何かして《私はプロレタリアートで
ある》と思考するときでもなく、当人としては自分を「プロレタリアート」という名で呼ぶ
わけでも、「革命」という歴史上の大転換をもたらすつもりでいるわけでもないが、ただ生
活上の身に迫った要求に従ったときに、諸領域の分化を超えた《我々》が自然と見出され、
その我々の人間的生活を不可能にしている恣意的な社会構造が捉えられたときなのである。
従ってプロレタリアートは、しばしば「プロレタリアート」という名前では呼ばれていない
のはもちろん、そのときの情勢と地域的な特殊性によっては、「ナショナリスト」等の別の
名前で呼ばれていることさえある(cf. SNS(guerre)263seq.=218 頁以下)
。重要なのは、その
都度の状況に応じて理論と現実を往還し、均衡的社会の実現が当人自身の生活上の利害関
心であるような主体の自覚を促しつつ、現状を反映して理論の方も修正することである。マ
ルクス主義とは何よりまず、現実に理論を投影するユートピア思想ではなく、現実の具体的
問題に対処しながら、そのことが持つ歴史哲学的意味を理解しようとする営みなのだから。
つまるところプロレタリアート理論は、当の「客観的条件」を明確に満たす集団が見つか
らないからと言って破棄されるものでもないし、むしろ、大衆とのコミュニケーションを通
じて階級意識の自覚を促しつつ自らの政策も修正していくことを本旨としているのである。
これによって、同理論は再び、それの真偽が経験的に判定されるような決定的規準を持たな
いものとなる。具体的検討と実践に開かれているからこそ、プロレタリアート理論そのもの

9
の放棄は問題にならず、その中身の修正だけが必要だからである。実地にもたらされた同理
論は超越論的ではないが、実践的であるが故に超克不可能なのである。

第四節 歴史理論の債務期限

..
それにもかかわらず、以上の超克不可能性にもかかわらず、メルロ=ポンティはこの超克
...............
不可能なものが超克されてしまう、というあり得ないはずの可能性まで視野に入れている。
...
それは、「プロレタリアート」と「マルクス主義」の名が共々に説得力を失ってしまうとい
う形の没落の可能性である。そもそも、当のメタ歴史哲学はなぜ「プロレタリアート」や「マ
ルクス主義」という特殊な名前を持ち、メルロ=ポンティもこの名前を用いつづけるのか。
それは、その哲学の説得力が、19 世紀の革命運動との同時代的連動や、1917 年のロシア革
....
命への結実(cf. SNS(vérité)276=228 頁以下)といった範例的な個別の出来事によって養われ
ているからである。これは理論の欠陥ではなく、少なくともメルロ=ポンティは、ある思想
の超越論的で超歴史的な正当性は、具体的な歴史的潮流と連動すればこそ成就し獲得され
るのだと考えている。即ち、ここまで見て来た、歴史認識のアプリオリを言い表す哲学が初
めにあったのではなく、それは歴史の具体的な動きを見事に捉えたからこそアプリオリに
なったのである15。

個別的事実を解明できるのは、ただ想像力によってそれをさまざまに変様させ、この精
神的経験のなかの不変因子を思惟によって定着せしめることによってだけであり、ま
、、
た、我々が個別的なものに浸透できるのは、ただ範例 exemple という〔個別と普遍との〕
雑種的な手続きを介して、つまり個別的なものからその事実性を剥離することによっ
てだけである。したがって、果たして思惟がいつかは完全に帰納的であることをやめる
ことができて、或る何らかの経験を同化してついにその骨組み全体を取り込み、所有す
るまでになることができるかどうかは、一つの疑問である。(PhP76=I120 頁)

いかなる思想の演繹的合理性も、究極的には経験的事例からの帰納という現実との接点を
根拠にしている。ましてそれが歴史哲学ならなおさらである。ロシア革命以後、西欧各国で
の革命は失敗に終わり、30 年代後半からのスターリン独裁体制下のソ連では貧窮と粛清と
強制収容所が幅を利かせ、1947 年の時点で、もはや世界のプロレタリアートが勃興する見
込みはほとんど無い、ということが認められていた(HT168=210 頁)。「マルクス主義が結合
...........
した二つのもの——ヒューマニズム的観念と集団的生産——を、歴史が切り離してしまっ

た」(HT164=206 頁)のである。ここにはもちろん、ナチス=ドイツによる圧迫やイギリス/

15
この論理は 50 年代には言語と記号の問題として、そして「制度化」として論じられるよ
うになるだろう。
10
アメリカの反共的強硬姿勢を受けたソ連の孤立、といった外的要因を指摘することができ、
この緊張が緩和されさえすれば、再び共産党とプロレタリアートの透明な連帯が復活し得
るのだ(HT65–67=108 頁以下,200seq.=242 頁以下)
、と理路整然と述べることができる。と
ころが、現に大多数の人間がそのことを理解せず、この窮状を打破できないままある程度の
時間が経ってしまったという素朴で経験的で形而下の事実だけで、歴史哲学としては不当
であると判決されることが可能なのである。

歴史についてのプロレタリア的哲学は、当の歴史によって受け入れられるのかどうか
を決定するべき時を無限に延期することはできない。我々が生きている〔40 年代の〕
世界はこの点に関しては曖昧である。しかし、二粒——三粒でも四粒でも同じだが——
の砂では砂山はできないにもかかわらず、ある時間が過ぎると砂山がそこにあり、誰も
それを疑うことはできない。
〔……〕迂路が迂路であることを、弁証法が弁証法である
ことをやめる16とき、マルクスのプロレタリア哲学とは何の共通点もない歴史の新たな
体制に踏み込むときがやってくる。(HT162seq.=204 頁)

これは、論理的な検証の末に当の理論が間違っていることが証明されるという形の失効で
はない。実践的に許容されているはずの現実的な誤差が、やがて誤差と呼ぶことも許されな
い程度——この境界も原理的に定まってはいない——を迎えてしまったが故に、当の理論
そのものをまるごと間違っていることにせざるを得ない状況に追い込まれるということな
................
のである。それは「認識された事象の総体を日毎にカヴァーできなくなっていく」という仕
.................
方での没落であり、その理論は「人間たちがそれに同意するのをやめる日にのみ、歴史的因
子としての価値を喪失し、この意味で真なるものたることをやめる」
(HT172=214 頁)ので
ある。マルクス主義は、客観的責任と生活的事実という具体性を拠点とする歴史哲学である
からこそ、自らの正当性を持つだけでなく、それを人々に理解させなければならないし、理
解されて初めて正当なものになるのである。というのも、一定以上の人々がそれを理解し共
鳴しているのか否かということ自体も、れっきとした社会的事実なのだから。
かくして、超越論的なメタ歴史哲学であり、また具体的実践の哲学であるからこそ超克不
、、、、、、、
可能だったマルクス主義は、同じ理由で、自らの正当性に「期限を設定する」 (HT163=205
頁)ことを必然的に義務づけられる。実際メルロ=ポンティは、ソ連が先制攻撃を仕掛けな
い内は、という期限を設け(HT202=244 頁)、この期限が 1950 年に朝鮮戦争という形で到
来したときには政治的沈黙に陥った。
『弁証法の冒険』
(1955)では同じ一節を引きながら、
明確に「マルクス主義」の立場が批判されるようになる。ということはつまり、この立場変
更の論理が『ヒューマニズムとテロル』(1947)の「マルクス主義」の内に既に書き込まれ

16
本節の問題は、
『見えるものと見えないもの』
(1959–1961)の「悪しき弁証法」の議論に
まで流れ込んでいるだろう。注 19 も参照。
11
ていたのだから、この立場変更という行為自体が、かつての立場からの連続性を証示してい
ることになる。どれほど超克不可能な立場も、状況の経過によっては、総括し清算すること
を余儀なくされる17。ここまで視野に入れているメルロ=ポンティ流の「マルクス主義」は、
実際に超克されることによって、むしろ自らを成就したのである。

結論

以上、『ヒューマニズムとテロル』の「マルクス主義」的政治哲学は、第一に、暴力論か
ら全体論的史的唯物論、無階級社会論に至るまで、
「歴史」概念から演繹的に導出される必
然的帰結だった。それは超克されたり破棄されたりすることが本性上不合理であるような
超越論的な議論だった。第二に、プロレタリアート理論は純粋に超越論的な主張ではなく、
特定の歴史観や一定の経験的事実に基づいたものだが、しかしまさにその具体性、実践的性
格の故にこそ、かえって単純な反証を不可能にするものだった。しかし第三に、最後の審級
として、一定の人々が当の理論の正当性を理解しこれと連動するか否か、という歴史と大衆
の裁きが存在し、超克不可能だったマルクス主義もこれによって超克されてしまうことが
可能だった。これはまさに、形而下・事実上の経過が形而上・権利上の正当性を告発し、単
なる量的差異が厳然たる質的差異へと繰り上がるという事態である。歴史に取り組む哲学
にはここまでの帰結が含まれている。これは「何らかの政治的理念に拠るか/拠らないかと
いう二元論を超えて、むしろ政治哲学そのものを哲学するという、言わばメタ政治哲学」18
なのである。この全てのことを『ヒューマニズムとテロル』は語っていたのだから、メルロ
=ポンティの後期著作が(ソ連ではなく)
「マルクス主義」そのものを批判するようになると
しても、それは単純にマルクス主義の外部に出たのだと言うことはできない。かといって、
前期のマルクス主義がそっくりそのまま維持されたのだと言うこともできない 19。むしろ、

17
ここに我々は、メルロ=ポンティ自身の「アイロニー」(HT51=93 頁)を認めることがで
きるかもしれない。川崎 2022 : 第十一章も参照。
18
山下 2011 : 116 頁。但し、Westphal1990 に対する山下の理解は一面的であるように思われ
る。ウェストファルのメルロ=ポンティ批判は、正当な「懐疑の解釈学」であるような彼の
政治哲学は、彼の両義性の哲学では十分に基礎づけることができない、という点にあるので
はないか。
19
「何をしても真理でありつづけ、証明と検証なしで済ますこのマルクス主義は、歴史哲学
ではなかった。それは偽装したカントだったのである」
(AD339=318 頁)という有名な「自
己批判」的文言について一言添えておこう。これはかつての立場がそれ自体で「偽装したカ
ント」だったという意味ではなく、そのまま放置すれば「偽装したカント」になってしまう
ような地点で、自己批判の責任を履行できたからこそ、「何をしても真理でありつづけ」る

12
そのような内部と外部の区別が、そして哲学と政治の区別もが、全く意味を失ってしまう地
点が迎えられたのだと見るべきではないか。このようなメルロ=ポンティ政治哲学の航跡と
境位を的確に表現したものとして、『シーニュ』序文(1960)の次の一節を読解するような
方向が、今後の研究として求められる。

あなたはマルクス主義について、その内部から語っているのか、外部から語っているの
か? この問いは、マルクス主義が分解しているのかもしれない今日、いずれにしても
外に身を開いている今日、もうほとんど意味をもたない。できるときには内部から、も
うその手立てがないときには外部から語るのである。それに、誰がそれ以上のことをな
しえよう?〔……〕既に言われた事柄を繰り返して言うかわりに、その言われた事柄を
通して自らを理解し、存在する事柄を理解しようと努めるとき、我々は既に外部にいる
のである。(S18=I14 頁)20

※本研究は JSPS 科研費 JP 23KJ1340 の助成を受けたものである。

ような事態を免れたのだという意味で理解すべきではないか。実際、二つの著作の政治的方
針は実質的には何も変化していない(AD329–331=309 頁以下,HTxxi=15 頁,xl–xliii=39–42
..
頁,195–206=237–249 頁)し、後期政治哲学の確かな深化(金田 1996 : 第五章)も、前期の
議論と矛盾するのではなく、その内部をより具体化したものとして読むことが可能である。
20
J. ブーヴレスが自著『哲学の自食症候群』の冒頭に掲げたムージルからの引用も参照。

地面に寝かせた両手でしばらくのあいだ雌鶏を抱え、あらかじめその雌鶏のまわりに
チョークで円を描いておくと、雌鶏は立ち上がってその円を越えることができない、と
いうことがわかった。このきわめて注目すべき事柄を説明するために実に多くの仮説
が出された。しかしながら、ある時、雌鶏が立ち上がって円を出てしまうということも
時々起こることにひとは気付いたのである。
13
参考文献
※各項末尾の()内は、特に断りが無い限り原書の出版年

M. Westphal, “Situation and Suspicion in the Thought of Merleau-Ponty: The Question of


Phenomenology and Politics”, Ontology and Alterity in Merleau-Ponty, ed. by J. M. Edie and J.
McCumber et al., Northwestern Univ. Press, 1990.
金田耕一『メルロ=ポンティの政治哲学』早稲田大学出版局,1996.
川崎唯史『メルロ=ポンティの倫理学』ナカニシヤ出版,2022.
S. Kruks, “Communication and Conflict in Merleau-Ponty’s Political Philosophy”, Merleau-Ponty:
Critical Essays, ed. by H. Pietersma, Univ. Press of America, 1989.
佐野泰之『身体の黒魔術、言語の白魔術』ナカニシヤ出版,2019.
B. A. Smyth, Merleau-Ponty's Existential Phenomenology and the Realization of Philosophy,
Bloomsbury, 2014.
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(博士論文)岡山大学大学院,社会
文化科学研究科,2019.
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(1970)
西村高宏「「下からの説明」を超えて:メルロ=ポンティと「ある種の史的唯物論」」
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ュシカ』35,大阪大学大学院文学研究科哲学講座,2004.
J. ブーヴレス『哲学の自食症候群』大平具彦訳,法政大学出版局,1991.(1984)
松葉祥一『哲学的なものと政治的なもの』青土社,2010.
K. マルクス/F. エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』服部文男監訳,新日本出版社,1996.
(1846:執筆年)
(PhP)M. Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception, Gallimard, 1945.
=『知覚の現象学』Ⅰ, Ⅱ, 竹内芳郎, 小木貞孝訳, みすず書房, 1967, 1974.
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1947. =『ヒューマニズムとテロル』合田正人訳,みすず書房,2002.
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=『弁証法の冒険』滝浦静雄ほか訳,みすず書房,1972.
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山下通「非-政治的なものとしての政治哲学 : メルロ=ポンティの政治哲学的転回をめぐっ
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G. ルカーチ『歴史と階級意識』城塚登・古田光訳,白水社,1991.(1923)
14

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