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滑稽な思考を拓くために

メルロ=ポンティによる観念論批判の理論的・実践的射程

令和四年度 修士論文

京都大学大学院 文学研究科

宗教学専修

学籍番号:0130-33-9005

鳥居 千朗
目次

はじめに —— 1 頁
メルロ=ポンティ思想の「転回説」の是非について —— 4 頁

第一章 『知覚の現象学』における不幸な意識 —— 5 頁
第一節 抑圧、終わりなき懐疑 —— 6 頁
第二節 懐疑主義と合理主義、経験論と主知主義の共謀的二者択一 —— 8 頁
第三節 不幸な意識を締め出す試み ——13 頁

第二章 不死身の哲学への洞察 ——19 頁


第一節 『見えるものと見えないもの』におけるサルトル批判 ——20 頁
第二節 『知覚の現象学』の主知主義批判を再解釈する ——24 頁
第三節 問いかけの消滅と端緒の無知 ——29 頁
第四節 哲学と思考の死 ——32 頁

終章 思考することは滑稽である ——37 頁

結論 ——43 頁

参考文献 ——46 頁
凡例

・《》は、意味上のまとまりを明確化するために用いられ、引用符と区別される
・〔〕は、引用文中に引用者の補足を加える際に用いられる
、、、、 ...
・ゴマ傍点は引用原文内の、丸傍点は引用者による強調を意味する
・訳書からの引用は、引用者の判断で適宜訳語を変更している場合がある
「(原書の巻数: )頁数=(訳書の巻数: )頁数」
・訳書への参照指示は、原書も参照される場合、
等の形で記される
・著者名と年数が直接併記されたものは、参考文献表に記載の該当文献を指示する

・略号は以下の通り

ParcI Parcours 1935–1951


(ChRe) Christianisme et ressentiment
SC La structure du comportement
PhP Phénoménologie de la perception
Primat Le primat de la perception et ses conséquences philosophiques
ParcII Parcours deux: 1951–1961
(LetRup) Sartre, Merleau-Ponty: Les lettres d'une rupture
AD Les aventures de la dialectique
S Signes
(LecMon) Lecture de Montaigne
(PhOmb) Le philosophe et son ombre
VI Le Visible et l’invisible

SGW Max Scheler Gesammelte Werke


太陽を求めて、遠くへ遠くへと私は歩いていった。
太陽は、最後にはたしかに見つかった。
だがそれは、私に敵意を持つ太陽だった。
断崖のてっぺんから身を投げようか。
松や、岩や、波に眼をやりながら、
暗くなりがちな想念を追っているうち、
にわかに私は、
〔……〕

エミール・シオラン『告白と呪詛』
はじめに

本稿は哲学論文である。であるからには、哲学を始めることができるということが前提さ
れなければならない。これに加えて本稿は、或る意味での宗教哲学の論文である。であるか
らには、当の哲学は、この世界や自然、そしてそれとの関わりで生きる人間存在そのものの
......
根底に潜む問題を、諸々の文化的形象や、情動的事象や、道徳的次元といった具体的な現実
....
を通して語らなければならない。しかしそれは、自然・社会に対する科学技術的アプローチ
や、人間の精神に対する経験心理学的アプローチ、そしてこれらと連動した、自己責任論的
メンタルヘルス1が(新自由主義政策のもと)現在進行形で肥大化していくなかで、極めて
困難になっているはずだ。そうした世界観に規定された人間が、多様な象徴、形象、情動、
或いは修辞と共に記述される世界を、単なる空想や抽象的思弁、
「現実逃避」ではなく、
(勝
義の)
「リアリティ」2あるものとして受け取るためには、何よりもまず、今日共有され再生
産され続けているこの世俗・操作主義的な世界観を除去しなければならない。さもなければ、
宗教哲学は真理の開示であるどころか、ひたすら駄弁を弄し続けるだけの高尚な気晴らし
に尽きてしまうだろう。
「それは本当は真理の開示であるのに、高尚な気晴らしだと思われ
てしまう」と言うことさえままならない。そのような言い方は、既にそれが真理の開示であ
ることを知っている者にしかできない——少なくとも権利上はそうなっている——からだ。
そうかと言って、我々の手持ちの世俗的世界観によって宗教的世界を分析・説明してしまう
「下からの宗教哲学」3は、結局は当初の世俗的尺度を強化することに舞い戻ってしまうだ
ろう。我々は宗教哲学の権利を問わなければならない(宗教哲学の権利問題)。しかし同時
に、この問いかけ、即ち具体的で深みのある人間的・宗教的世界に触れることが禁じられて
いる者の置かれている境位そのものが、世界の内に生きることから疎外された、絶望的な人
間の姿でもある(権利問題の宗教哲学)
。従って、この境位に立ちつつこの境位を問題にす
ることは、恐らく古来から宗教哲学がそうであったように、宗教哲学の手前から宗教哲学を
始める権利を問いただすものであり、また同時にこれ自体が宗教哲学的な問いかけである。
この問いに対して、メルロ=ポンティ〔1908–1961〕の哲学は一つの応答となる。彼は自ら
の哲学の成果によって、
「我々の実存の糧」たる諸々の情動や「宗教的感情」に満ちた世界
を奪還することができると自認している。「人間的世界はもはや一つの隠喩であることをや
、、
めて、それが現にある通りのもの、つまりわれわれの諸々の思惟の環境、いわばその故郷の
ごときものと再びなるであろう」
(PhP32=I61 頁以下)。彼の仕事に対する一般的なイメージ

1
M. フィッシャー『資本主義リアリズム』第五章, 木澤佐登志『失われた未来を求めて』第三
章.
2
西谷啓治『ニヒリズム』
,氣多雅子『ニヒリズムの思索』

3
佐藤啓介

1
は、知覚や身体、芸術といった主題を扱う思想といったところだろう。しかし他方で、本稿
が改めてこの場で検証してみせるまでもなく、クワント(1966)やジェラーツ(1971)、マ
ディソン(1973)といった最も古い研究から、スミス(2014)、佐野(2019)といった最新
...
の研究まで、メルロ=ポンティ思想の価値をその哲学の方法論に求める研究が成されてきた
伝統がある4。彼の著作の中には、我々の生きる具体的現実を記述できる哲学の基礎づけと
言えるような議論が豊富に含まれているのである。知覚や身体や芸術といった諸々の主題
も、この基礎づけに寄与するものとして注視されていると言える5。また同時に、この方法
論的思索は彼の黎明期の実存主義的関心に根差したものである。彼の著作はパスカル的な
「懐疑主義とペシミズム」
(Primat59=34 頁)に対する救済として仕上げられているが、その
背景には、若きメルロ=ポンティ自身が「極めてパスカル主義的な気質」6を持って生きてい
たという事情がある。しかし彼にとって実存主義的哲学は、単なる個人的な思索に尽きては
ならず、20 世紀前葉当時の「知の動揺」7、即ち実在論的な実証科学と主知主義的な講壇哲
学による二極的支配と正面から対決し、これを乗り越えるだけの理論的武装を備えていな
ければならないと考えられたのである8。これこそがメルロ=ポンティの諸著作を突き動かす
課題であった。

4
クワント 1966: 第二章第二節, Geraets1971, Madison1973: p.327n12, Smyth2014, 佐野 2019.

5
鳥居 2023.

6
Geraets/MADISON1981: p.268, Sartre1961: p.305=159 頁以下.1974 年にジェラーツとマディソン
の間で交わされた対論の記録が翌年、ケベック哲学協会 Société de philosophie du Québec 刊行の
Philosophiques 誌に収録され、次いでマディソンの著作(1973)の英訳版(1981)に付録として
収録された。しかし議論の後半部分は後者の英訳版にしか収録されていないため、以下、出典は
こちらに一本化する。

7
Bimbenet2004: p.16. バンブネの議論の概要については川崎 2014 を参照。
8
Geraets/MADISON1981: pp.268–271. ジェラーツはこの課題を(フィンクを通した)フッサー
ルとの出会いによって『知覚の現象学』以降解決されたものと見ているが、本稿第二章で具体的
に見るように、同書における主知主義批判が徹底的なものになっていることは一見して分かる
ようには書かれていない。マディソンはここから、同書になおフッサール由来の観念論的性格が
残っていると結論している。こうした事情を踏まえて、佐野は『知覚の現象学』が既にフッサー
ルの枠組みにも、フィンクの枠組みにも収まらない独自の実践論的路線を進んでいたと解釈す
ることで、同書をマディソンの批判から救い出そうとした(佐野 2019: 166–168 頁)
。しかしそう
すると今度は再び理論的基礎づけの面が弱くなり、当初の問題意識が果たして解決されたのか、
疑問が浮上する。その場合には、
《『知覚の現象学』は超越論哲学を真に理解せず、経験論に留ま
っている》というブレイエ以来の批判(Primat61–69=37–46 頁)が的中してしまうことになろう。
これと対照的に川崎は、
『知覚の現象学』を『行動の構造』からの連続性の内で捉えるバンブネ
2
本稿はこうした視点から彼の著作の読解を行うものであるが、とりわけ今回はこの両極
端に引き裂かれ、世界から疎外された実存の在り方と、そこから脱却する理論的・実践的方
途9という点に絞って考察を行う。哲学の方法論という側面からその内実を具体的に論じる
ためにはフッサール以来の現象学に取り組まなければならないが、これは次の機会に譲ら
れる。しかしそうかといって、本稿の議論に方法論的意義が無いということにはならない。
むしろ、最終的にこの疎外された実存から脱却する道のりとして示されるのは、
「問いかけ
としての思考」という新たな哲学の方法である。本論を通して、メルロ=ポンティの著述が
様々の哲学的立場を通り抜け、新たな哲学の方法論を萌え出させる様が見られるだろう。
第一章では、主著『知覚の現象学』
(1945)においてメルロ=ポンティが疎外された実存を
豊かに記述していることを取り上げ、それがいかにして克服されると考えられているかを
追跡する。従来は、主体的行為の決断に賭ける実践論的解釈と、主体と世界の分離の基層に
大なる交流があることを確認する超越論的解釈がなされてきたが、そのいずれも不十分で
あることが露呈する。
第二章では、メルロ=ポンティが従来の解決法を退けていることを証示するために、
『見え
るものと見えないもの』
(1959–1961)のサルトル批判の議論を参照する。超越論的論証は一
見したところ完全無欠の「不死身の哲学」であるが、しかしその根本において隠蔽された観
念論であり、当初の疎外をむしろ強めたものでしかないことが指摘される。そしてこうした
批判は『知覚の現象学』にも見られるものであり、メルロ=ポンティが元より超越論的解決
を採用してはいないということが裏付けられる。
終章では、この不死身の哲学の欠陥が、我々の問いかけと思考を消滅させてしまうという
点に特定され、これを打破するものとしてメルロ=ポンティが「問いかけとしての思考」を
提出していることを明らかにする。ここでも、その問いかけとしての思考の根拠が『見える
ものと見えないもの』、
『知覚の現象学』の両方に渡って参照されることで、これをより多面
的に理解すると共に、こうした思考の道筋が終生一貫していたことが示される。隠蔽され冪
を高めた疎外を打破する問いかけとしての思考こそが、具体的世界との交通路となるので
ある。

の系譜にあり、意識的に「現象学」という問題系を二次的な地位へ脱落させている(川崎 2014:
90 頁以下,川崎 2022: 46–59 頁)
。しかしそのようにして超越論的現象学を素通りしようとする
と、実は無自覚に超越論哲学を再演してしまう危険性があるといえる。これらに対する具体的な
批判は本稿第一章第三節以下で行われる。
9
嶋田義仁はメルロ=ポンティにおける世界と実存の関係のドラマが宗教的次元の問いを提起す
ることを指摘している(嶋田 1990: 22–27 頁)

3
メルロ=ポンティ思想の「転回説」の是非について

以上で見られたように、本稿は前期の主著『知覚の現象学』
(1945)に対する従来の解釈
を、『見えるものと見えないもの』(1959–1961)の参照によって批判するものである。する
と、本稿の立場は、前期の不十分で観念論的な立場が後期の存在論によって乗り越えられた
とする「転回説」10を採用しているのだろうか。実際、後期メルロ=ポンティがサルトルを批
判する際、同時に前期の自らの思想をも批判していることは有名である11。しかし本稿が見
る限り、この事実は、メルロ=ポンティの立場が前期から後期で大きく転換したということ
を証明するものではない。特に本稿が扱う「不死身の哲学」批判という論理は、
『知覚の現
象学』の内に確かに伏在しており、当時のメルロ=ポンティが不死身の哲学を批判していな
かった、或いは彼自身が不死身の哲学に留まっていた、という理解は全く正当ではない。確
かにこの論理は、同書の内では一見して明確に同定できる形にはなっておらず、これが顕示

10
従来の研究事情について言えば、メルロ=ポンティ思想を発展図式的に捉える「転回説」には、
大きく言って、存在論的転回説と政治論的転回説がある。研究史上、しばしば取り沙汰されてき
たのは前者であったが、後者の論点が存在していることも指摘に値する。中期以降のメルロ=ポ
ンティが摂取したソシュールや言語学の影響等を強くとり、前期の不十分な哲学が後期の存在
論的思索によって乗り越えられたとするのが前者である。他方、前期メルロ=ポンティがマルク
ス主義に傾倒し、1950 年以降、後期はこれから離れていったことはよく知られている(木田 1984:
284–290 頁, ParcII(LetRup))
。こうしたことも踏まえて、
『ヒューマニズムとテロル』
(1947)に代
表されるような或る意味で楽観的・人間主義的な前期の歴史・政治論が、マルクス主義革命の挫
折体験を経て、より歴史の惰性・偶然性を直視するような後期の立場に転じられたとするのが後
者の政治論的転回説である。存在論的転回説を巡る諸々の論点は井原 1997 に簡潔にまとめられ
ており、この説を採るものとしては Madison1973: p.327n12, Barbaras1991: Intro.が代表的である。
一方、こうした解釈が一面的であることを示した研究は数多く、今日彼らの立場を採用すること
はできないことは論を俟たない(ティリエット 1970: 119–123 頁, GERAETS/Madison1981:
pp.277seq., 実川 2000: 第一章第五節, 田中 2018b,佐野 2019: 93 頁以下,153–200 頁)。また
HIROSE2004: pp.78–85 は、通常は自己批判と解釈されている文言を違う角度から解釈したもの
であり、一考に値する。政治論的転回説を採っているものとしてはスィシェル 1982: 109–120 頁
が代表的である。その中でも、存在論的転回説を政治論的転回説の問題領域に接続させる議論が
存在し、これを整理したものとして田中 2018a がある。シュミット, ホワイトサイド, 金田、田
中は表現論の変化に伴って政治論も変化したと考えている一方、ランデスはどちらも表面的な
変化にすぎないとして一貫性を強調している。円谷 2014 もまた前者の立場に属するだろう。し
かし、メルロ=ポンティ個人の政治的立場の変化と、その政治哲学の深まりとは、幾分連動した
ものでありながらも別の問題であって、それぞれの論理を直接同一視することは不可能である。
11
暗黙のコギト批判とサルトル批判の結びつきについては Dupont2004: p.160.を参照。

4
的に自覚され打ち出されるのは『見えるものと見えないもの』においてである。そのことも
考慮に入れるならば、前期から後期へは立場の転換があるのではなく、同一の立場における
自己認識の深まりがあるのだと考えるのが妥当であろう。メルロ=ポンティは当初から徹底
的に観念論を打破する論理を提示していた。本稿の成果を以て、副次的にではあるが、いわ
ゆる「転回説」は否定されるだろう。

第一章 『知覚の現象学』における不幸な意識

近年、佐野(2019)が最も包括的な形で示したように、メルロ=ポンティの主著『知覚の
現象学』は、自然的・人間的世界と分断され、無為に閉じ込められた主体が、自らの具体的
な身体性と行為を取り戻し、自らの未来を創造していくに至るまでの実存的ドラマによっ
て貫かれている12。このように世界から疎外され、自らの行為や認識を信頼できなくなった
無為の主体を、以下本稿では「不幸な意識」13という表現で要約しておこう。
『知覚の現象学』の当のドラマ全体からすれば、不幸な意識についての記述は、やがて抽
象的・観念論的な生の捉え方に過ぎないことが示され、これと対比して我々の生きている具
体的実存の姿を描き出すための、否定的対照項として位置づけられるだろう。しかし、単に
これを通り掛けのものとして片付けるには、同書における記述はあまりにも豊穣かつ多様
である14。またメルロ=ポンティの思想自体が、本当に「不幸な意識」の轍を抜け出ているの
かという研究者からの問題提起もなされている15。以下本稿第一章では、まず『知覚の現象
学』における不幸な意識の記述に注目し、さしあたりこれが乗り越えられることを前提にし
たものとしては扱わないようにする(第一節)。次に、こうした実存の姿が哲学的な議論の
俎上に載せられるに際して、どのように整理されるのかを確認する(第二節)。最後にそれ
らを踏まえて、従来の解釈はメルロ=ポンティがこの状況をどのように乗り越えたと主張し
ているのかを取り上げ、その論理が不十分であることを指摘する(第三節)

12
佐野 2019,Smyth2014.
13
G. W. F. ヘーゲル『精神現象学』4-B.同表現はメルロ=ポンティ自身によるものではなく、
マディソンに依る。マディソンは、メルロ=ポンティにおいて知への志向とその知の獲得の不
可能性が極限的な拮抗状態にあるような主体が記述されている事実を強調し、これがちょうど
ヘーゲルに対するキルケゴールと同等の位置にあるのではないか、という批判的指摘を行って
いる(Geraets/MADISON1981: p.336n3)

14
メルロ=ポンティにおける病理的事例の記述の意義については澤田 2012: 19–23 頁を参照。
15
Madison1973: p.165.

5
第一節 抑圧、終わりなき懐疑

まずは、メルロ=ポンティが『知覚の現象学』において不幸な意識をどのように描出して
いるのかを見ていこう。同書では、不幸な意識の名の元に同定できるような事態が多面的・
散逸的に記述されているため、これらを集めて不幸な意識の像を再構成する必要がある。第
一に目につき、またその具体的様相からも接近しやすい記述は、抑圧やコンプレックスとい
トラウマ
った精神分析的・病理学的観点からの記述である。そこでは、過去の外傷的経験が元となっ
て、それ以降、世界に対して自己を閉ざしてしまい、自分の未来を具体的に建設していく希
望を見出すこともできずに倦怠している主体の姿が描かれている。

ある道——情事とか栄達とか仕事とか——のなかに身を投じて、その道の途上で一つ
の障害にぶつかり、しかもその障害物をとびこえる力も企てを放棄する力ももち合わ
せず、この試みのなかにうずくまったなりになって、その試みを心のなかだけで更新す
ることに自分の力を無際限に消費している〔……〕
。患者はその顕在的な思惟において
ではないにしても、すくなくともその実際の存在において、依然としていつも同じ不可
能な未来へと開かれたままでいるのだ。
(PhP98=I149 頁)

このような状態にあるとき、主体はかつての悪夢に常に怯えているということではない。
たとえそれがある個別具体的な出来事に由来するものであったとしても、今やそのトラウ
、、
マは明確な表象として意識されているのではなく、
「実体性を喪失して」
、漠然とした「或る
、、、、
種の不安 」とでも言うべき在り方で、主体の存在仕方そのものにまで一般化している
(PhP98seq.=I150 頁)
。どれほど時が流れてもこれが癒されることはなく、主体は半永久的
にこの不安に固定されたまま、世界との交流に手ごたえを感じられず、「悲歎と苦しみに打
ちひしがれている」
(PhP100=I151 頁)。またこのように世界や他者との交流に開かれていな
い主体の在り方の例として、「患者が死のなかに身を置き、そこへいわば自分の家を設ける
メランコリック
といった最も重篤な 憂 鬱 状態」
(PhP339=II132 頁)といったものも挙げられている。
また、メルロ=ポンティは『知覚の現象学』を出版する 10 年前にもこうした分裂した実存
の在り方を心理学的知見から照射しており、ここに一定の持続的関心があったことが分か
る。初期論文「キリスト教とルサンチマン」
(1935)においては、ニーチェがかつてキリス
ト教や近現代道徳の下に暴き出したような厭世的ルサンチマンが、トラウマ経験やコンプ
レックスと比較されている(ParcI(ChRe)9=23 頁)

復讐心・憎悪・妬みなどは、それらがうまく発散されなかったり表現されなかったりす
る場合にのみ、またそれらが無力感という抑制力に直面する場合にのみ、ルサンチマン
を生み出す。(ibid.)

6
ルサンチマンは一つの怒りや嫌悪感ではなく、今や一つの生き方にまで浸透した憎悪で
ある。その特徴は、それが「明晰な意識からしめ出され」ているということにあり、当初の
憎悪ももはや明確な「自己の存在理由を忘れ」た「不安な状態」
、個別具体的ないかなる出
来事もそれを癒すことができないような「自己目的」と化しているということにある
(ParcI(ChRe)9seq.=23 頁以下)
。いわば、慢性化した憎悪である。しかし同時にそれは、ほ
とんど反射的な常時の努力によって維持される「常同症」(SC219=303 頁, PhP100=I152 頁)
でもある。一般的憎悪は、自らの端緒となった具体的憎悪が前面に露呈してしまいそうにな
るきっかけを用心深く遠ざけ、それによって自らを保つからである。それは、
「ただ病者が、
自分の行為が持つ一見したところの首尾一貫性が崩れてしまいそうな状況を全て遠ざける
ことによって設えられた環境、選別された環境においてしか維持され得ない」(SC219=303
頁)。このような状態に生きる主体は、明確な怒りや悲しみを発することはない代わりに、
現実世界の全てを、そしてその中で自らが生きていること自体を嫌悪し否定し続けている。

彼の価値観は、あらゆる手を尽くして〈これらすべてはつまらぬものだ〉と断言するに
至り、人間の救いに必要なものは現実とは全く逆の側面、すなわち貧困・苦痛・死のみ
なのだとする(SGW3: S.60=100 頁, ParcI(ChRe)10=25 頁)

今や、世界から分断された主体を救済する和解の境地は彼岸にのみある。死こそが救済で
ある。
以上、いずれの記述においても、それが単なる特殊な症状の病理学的診断に収まらない射
程を有しているということが重要である。抑圧もルサンチマンも、たとえ最初は或る一つの
《いやなこと》に始まったのだとしても、今やそれは一つの生き方の構造にまで深化してお
り、決して対処療法的に処理すべきものでもなくなっている。こうした一般性を通して、こ
れらの事象が一定の学問的・哲学的表現を得る16。それは何よりもまず、懐疑主義である17。
その世界観は、道徳や愛といった人間的諸価値を生物学的法則に還元する懐疑的思考
(ParcI(ChRe)21–23=40–42 頁)や、或いはデカルトに典型的なように、日常的に素朴に遂行
されてきた生活を全く信用に値しない疎遠なものと見なし、「打ち克ちがたい懐疑」
(PhP438=II263 頁)によって全てを覆い尽くす徹底的な懐疑主義にまで至る。私が認識し

16
最初期以来、シェーラーの影響下で、メルロ=ポンティはしばしば人間や社会の実存的構造が、
そこから生じる哲学的・学問的表現やその方法的態度に反映される、という観点を導入している
(e.g. PhP332n=II124 頁注 10)

17
抑圧の症状、他者の愛を信じられず死に救いを求める遺棄神経症(酒井 2020 第三部第一章第
三節)、懐疑主義、そしてヴァレリー的実存が全て重ねられることは佐野 2019: 177 頁に指摘され
ている。また井原 1995 が指摘する通り、自分の背後に世界が存在するか不安になる子供のヒス
テリーなどもここに含まれる。

7
ているこの紙片も実在する保証は無く、あらゆる記憶も虚偽であるかもしれず、どれだけ不
可疑に思われる論理的真理も、幻想であるかもしれない。私の愛も、私の信念も、私の好み
(ibid.)
も、すべてが「いつもまやかしで非現実的で出来損ないのもののようにみえてくる」 。
最終的に主体は、
「もはや疑っていることの確信にゆきつくことさえもできない」
(ibid.)と
いう始末になる。人間の愛を全て欺瞞と見做し(PhP433seq.=II256 頁)、また唯一の救いを死
後に賭ける(S47=I51 頁)ような態度を、メルロ=ポンティは(パスカル的な)
「懐疑主義と
ペシミズム」
(Primat59=34 頁)と呼んでいる。デカルトであればこのような懐疑は学問の範
疇に収めておくべきで、普段の生活にまで及ぼすべきではない、と警告するであろう18が、
むしろこの際限のない懐疑に忠実になるならば、ピュロンの逸話を引用して、絶えず死の危
険に身を晒しながら生きるか、いっそのこと死を選ぶべきであろう。
以上が『知覚の現象学』で記述されている不幸な意識の姿である。それはトラウマや憎悪
の中に閉じ込められ、それを自らの存在仕方の一般性にまで浸透させた、生きられる懐疑主
義であった。このような不条理な実存はいかにして脱却されうるのだろうか19。しかし既に
予示されたように、この実存の危機は、個人的で特殊な気質や症状に還元され得ず、一定の
哲学的主張へと開かれている。それによって不幸な意識は、少なくとも哲学的・論理的な領
域において、ある程度整理することができるものにもなっている。まず次節では、メルロ=
ポンティがこれをどのように整理し、哲学的言説の中に位置づけているのかを見ていこう。

第二節 懐疑主義と合理主義、経験論と主知主義の共謀的二者択一

前節では、不幸な意識の生きられた様相、その具体的情動などが確認された。本節では、
これが哲学的立場として表現された際にメルロ=ポンティによってどのように位置づけら
れるかを見ていく。すると、不幸な意識は懐疑主義と合理主義、経験論と主知主義(=観念
論)20という一見正反対の立場が結託した状態として整理されることが分かるだろう。バン
ブネ(2004)が要約しているように、主体と世界との分離というデカルト的な「二つの実体」

18
デカルト『方法序説』第三部.
19
この問いに対し「キリスト教とルサンチマン」は、ニーチェの答えと、それを批判的に乗り越
えたシェーラーの答えを紹介しているが、メルロ=ポンティ自身はそのどちらをも完全に承認し
ているわけではなく、かといって同論文の中で具体的なオルタナティブを提示しているわけで
もない(鳥居 2023)

20
メルロ=ポンティは同種の哲学的立場を「批判主義」
「主知主義」
「観念論」といった様々な用
語で呼んでいる。当座、メルロ=ポンティによる明確な使い分けの意図は見られないため、これ
らの表現は基本的に同じものを指すと理解する。

8
の(一つの哲学の内での)対立は、
「二つの二者択一的な視点」の対立、即ち二つの哲学の
対立へと「悪化」した地点で捉え直される21。
世界と疎遠になった不幸な意識は懐疑主義を生きている。そこでは全ての認識が錯覚で
ある可能性に憑りつかれており、どれも確かなものには思われず、常に暫定的で、真正なも
のと信じることができない(PhP437seq.=II262 頁)
。このような在り方は、メルロ=ポンティ
が「不条理な哲学」
(PhP341=II136 頁)と呼ぶものである。不条理な哲学は、アルキメデス
の点到達以前のデカルトのように、意識への現われを真の実在から区別することに出発し、
個人をその主観にとっての世界の内に閉じ込められたものと理解することで、実在の世界
への接近はもちろん、他の主観との交流も不可能にし、「無為で孤独な主観性の不安」
(PhP338=II131 頁)を帰結させる。幻覚や夢の世界に閉じ込められている人がいることを
考えれば、いかなる人間も自分が正当な知覚世界に生きているという保証は無く、自分がど
れほど疑い得ないと思っている事柄も、全くの妄想であるかもしれないというわけである
(PhP333–338=II124–131 頁)。
しかし注意すべきは、この《全ての認識が不確かである》という哲学は、その実《全てを
確かに認識できる》という哲学と同値だと指摘されていることである。後者の哲学は、メル
ロ=ポンティによって「合理主義」
(PhP341=II135 頁)と呼ばれる。合理主義は、アルキメデ
スの点到達以後のデカルトのように、冷静に知性的・論理的に物事を認識する限り、その認
識の正当性は完全に保証されており、これは錯覚ではないか等と疑う余地は無いと考える。
どんな幻覚も、その正当性や根拠を検討することによって取り払われ、誰もがその下にある
同一の客観的認識に帰着するというのである(PhP333–335=II124–128 頁)。これは一見、世
界から離脱する不条理な哲学と正反対に、世界に密着することに成功した哲学のようだが、
実際は二つの立場は、その表面上の自己規定において異なっているだけで、実態においては
同一の生の態度から生じたものである。というのも、一方は全てが偽であるかもしれないか
らという理由で世界や他者との交流から厭離するものであり、他方は純粋な静観状態での
認識のみが正当なのだからという理由で、常に曖昧さや可謬性に曝されている素朴な断定
や行為から厭離するものであるからだ。不条理の暗闇にせよ、理神的な光の充溢にせよ、い
ずれも活動的な生を忌み嫌う無為の態度が表現されたものなのだ。
「けっきょくわれわれは、
絶対的な意識かそれともとめどない懐疑かという、選択のまえに立たされているのではな
いか」
(PhP438=II262 頁)というのが、不幸な意識の合言葉なのである。

21
Bimbenet2004: p.13. 但し、バンブネの設定する対立軸が本稿の設定するそれと完全に一致す
るわけではない。バンブネは哲学者の主知主義的主体と科学者の唯物論的世界を対立させたう
えで、これがメルロ=ポンティによって編みなおされたものとして人称的実存と非人称的自然と
の対立を対応させているが、本稿第一章第三節で見るように、本稿はこの二つの対立軸はむしろ
垂直に交差させられるべき別次元のものであると考えている。

9
不条理の経験と絶対的明証の経験はたがいに他を包含し合い、見分けることもできな
い。世界が不条理なものとしてあらわれるのは、絶対的意識の要請が世界にひしめいて
いる意味を一瞬一瞬解体してしまい、それに応じて今度はこの要請の方もそういうも
ろもろの意味の葛藤によって動機づけられている、といった場合だけなのである。絶対
的明証と不条理は、哲学的主張としてだけではなく、経験としても等価なのである。
(PhP342=II137 頁)

このように、不幸な意識は懐疑主義的だったが、或る意味では合理主義でもある。その二つ
はほとんど区別不可能であり、どちらも世界や他者との具体的交流や、諸々の断定、実践的
.....
行為から身を退いた、ムシュー・テスト的な厭離と無為の主体の哲学的表現になっている22。
そして、このように懐疑主義と合理主義の共謀的二者択一として表現される不幸な意識
の前提には、もう一つの共謀的二者択一がある。即ち、意識や知覚に対する経験論的理解と
主知主義的理解とのそれである23。世界に対して具体的行為の手掛かりを見出すことができ
ない実存の問題と、かたや知覚の問題とは一見隔たっているように思われるが、むしろ人間
的次元を感覚的次元からの創発的連続性において捉えることこそ『行動の構造』以来のメル
ロ=ポンティ哲学全体の特徴である。実存の次元の問題構成と知覚の次元の問題構成は、互
いに反復し合っているのである24。不幸な意識を脱却するための争点をより具体的に理解す
るために、この次元も明らかにしなければならない。以下、経験論と主知主義がどのような
問題を抱えているのかを確認する。
我々はいかにして世界を知覚しているのだろうか。この問いに対して経験論は、経験的心
理学における「恒常性仮説」を前提に答えを与える。即ち、我々の感覚器官には外的世界か
ら諸々の点的刺激が与えられており、それと一対一対応の関係にある知覚像が意識に生じ
る、ということである(PhP34seq.=I64 頁以下)。このような理解は現代、半ば常識的な見方
として広く共有されているが、ここには一つの理論的欠陥がある。それは、
《主体がこれま
で気付いていなかった新しいことに気付く》という事態を一種の幻想として切り捨ててし
まう点である。というのも件の恒常性仮説に則るならば、我々には常に感覚器官が受容した
通りの知覚像が与えられているはずなのだから、その中で或る部分に気付き、或る部分に気
付かないということの要因は、言わばその知覚像全体に対する部分的なサーチライト機能
の振舞に求められることになる。しかし受容器によって一義的に与えられた知覚像は一様
な印象の集合体なのだから、サーチライトがどこを照らしどこを照らさないかということ

22
ここまで述べてきた不幸な意識の卓越した例がヴァレリーの実存であることについては、佐
野 2019: 第五章を参照。
23
佐野 2019: 109–115 頁.
24
川崎 2022: 119 頁以下.

10
を促す要素は何もなく、各現在の知覚範囲の選択は全く恣意的であり、相互に無関係である。
従って、あるとき何らかの新たな事実に気付くとか、それをこれまでの認識と結びつけると
....
かといったことは、「一つの自然的奇蹟」
(PhP34=I65 頁)
、全くのたまたまの偶然だという
ことになる(PhP20–22=I45–48 頁)
。或る一つの事実に注視している能力、そしてそこから
離れ別の事実に注意を向ける能力は、
「一般的で無条件」
(PhP34=I65 頁)で自動的な力だと
いうことになり、ひたすら相互に「内的連関」(PhP36=I67 頁)を持たないランダムな経験
の流れだけがあることになる。 「それはいつでも非生産的なものなのだから、どんな場合に
、、、、、 、
も相手に惹きこまれる intéressé ということはあり得ぬだろう」(PhP34=I65 頁)。
他方で、主知主義は知覚の決定権を内的意識の側に与えることによって、元々の認識と新
たに気付かれた認識との間に内的連関を確保しようとする。即ち、注意を向けることによっ
て獲得された新たな知は、元々の雑駁な知を自身の内に包含したより深い知である、という
理由で、それを選択する必然性がある、と考える(PhP35=I65 頁以下)
。例えば、直観的には

地平線付近の月は南中の月よりも大きく見えるが、それは五円玉等を用いて検証すれば単
.....
なる不注意であったことが分かる。意識は月の大きさが一定であるという認識こそが本当
の知だと知っているが故に、膨張する月を破棄して一定の月を採用する必然性があるのだ
(PhP35=I66 頁)
。しかしこのような理論も、結局は注意の現象を取り逃がしてしまうとメ
ルロ=ポンティは指摘する。というのもこの説明に則るならば、意識は最初から月の大きさ
が一定であることを実は知っていたのであり、そのことに気付いていないのは単なる「放心」
(ibid.)状態、つまり意識が意識自身になっていない状態、
「もともと何ものでもない混沌」
(PhP36=I66 頁)でしかないことになる。主知主義は当初、真の知を最初から意識によって
必然的に求められていたものとすることで、注意による新たな事実の発見を有意味なもの
にしようとしたが、その反面、今度は意識を全知の状態に置いてしまい、新たな認識を獲得
するということの意義を消滅させてしまう。主知主義には、主体の有限性や不透明さが欠け
ているのである。従って、結局は主知主義においても、新たな事実の発見という事態に際し
て「何らの新しい関係も始められはしない」、
「自分の照らし出す対象につれて多様化してい
くことがない」(ibid.)ことになってしまう。経験論も主知主義も、最終的には同じ欠陥を
抱えているのである。

前者の場合には意識があまりに貧弱すぎ、後者の場合には意識があまりに豊かすぎて、
、、、、、、 、
いずれの場合でも、どんな現象も意識に訴えかけること solliciter ができないのだ。わ
れわれは自分の探求するものをあらかじめ知っている必要があり、そうでなければわ
れわれはそれを探求しもしないわけだが、そうしたことが経験論にはわからない。一方、
われわれは自分の探求するものをまえもっては知らない必要があり、そうでなければ
われわれはあらためてそれを探求するはずもないわけだが、そうしたことが主知主義
、、、、、、
にはわからないのである。双方とも、学びつつある意識 la conscience en train d'apprendre
というものを捉えない(PhP36=I67 頁)

11
我々の生きる現実はこのメノン的アポリア(PhP425=II244 頁)の内にこそあるのだが、経
験論も主知主義もこれを理解せず、我々の現実を一つの理論の内に還元して破壊してしま
.........
う。この二つの立場はどちらも我々の注意は「何ものも創造しない」(PhP37=I68 頁)とい
う世界をもたらすものであり、実質的に共謀関係にあるのだ(PhP40seq.=I72 頁以下)

以上が経験論と主知主義の共謀的二者択一であるが、これが不幸な意識の前提になって
いることを考えれば、ここに見られた欠陥は単なる理論的欠陥に収まらないことが分かる。
即ち、
《我々の注意、我々の発見は何も新たなものをもたらしはしない》という命題は、主
体の営みと世界の在り方とを互いに没交渉にし、主体の営為から一切の意義を剥奪するも
のであり、単なる事実の確認ではなく、絶望の表明にもなると言えよう。メルロ=ポンティ
にとって、知覚や思惟が創造的に前進するという事態は、一人の人間が自らの過去を引き受
け捉え直して未来へ歩んでいくという事態の基礎になっているのである25。

〔本当ならば〕注意作用は意識の生のなかに根差しているのであり、最終的に意識の生
は自らに一つの現勢的 actuel な対象を与えるために自らの無関心な自由から脱出する
のだ、ということがわかるだろう。未決定なものから決定されたものへのこうした移行、
そのつど自分自身の歴史を新たな意味の統一のなかに組み入れてゆくこうした行為、
これが思惟そのものなのだ。(PhP39=I71 頁)26

以上、不幸な意識を哲学的・理論的に考察するならば、それは或る種の共謀的二者択一を
境位としていることが明らかになった。不幸な意識は懐疑主義的ないし合理主義的な実存
であり、経験論的ないし主知主義的な認識論である。懐疑主義と経験論は同一ではなく、従
って二つの対立軸が明確に同一視され得るわけではない。しかし少なくとも合理主義と主
知主義は互いに類比的であり、またどちらも懐疑主義や経験論といった、全てを無意味と偶
然性に委ねてしまう立場に対する解決策を装いつつも、結局は同じ穴の狢であるというこ
.. ....
とが理解されただろう。いずれにしてもそこでは、無為と非創造性が支配しているのである
27。経験論にも主知主義にも尽きない「学びつつある意識」や、懐疑主義にも合理主義にも

25
末次 1999: 6 頁,67 頁.少なくとも 40 年代のメルロ=ポンティの思想が常に道徳論的射程を
有していたことについては、加國 2012,川崎 2022: 10–27 頁に詳しい。

26
メルロ=ポンティはこれに続いてヴァレリーの「精神の作品は、行為においてしか存在しない」
という句を引用している。佐野が明らかにしているように、メルロ=ポンティ思想においてこの
句やヴァレリーが有する位置価は、無為と精神の危機に陥った実存が自らの創造的営為に出て
自己の矛盾を克服するという事態の象徴である(佐野 2019: 第五章)

27
この共謀的両面性は、シュナイダー症例(PhP119–130=I179–194 頁)に典型的なものであり、
「無為」という語の両義性から理解することができる。外的世界から完全に離脱して自己の内に
留まるのも無為であるが、外的世界が要求するものを全て自動的に受け入れこれと密着しきっ
12
回収されない具体的行為・表現の手掛かりを獲得しない限り、我々は不幸な意識を脱するこ
とはできない。それでは、
『知覚の現象学』におけるメルロ=ポンティの答えはどのようなも
のだろうか。次節では、同書に対する従来の解釈を取り上げ、一見したところ欠陥のないよ
うに見える解決法を見ておこう。しかしこれはやがて第二章で転覆されることになる。

第三節 不幸な意識を締め出す試み

自らが生きている世界に意味を見出せず、そこから隔絶されて自己の内に閉じ込められ、
自発的な行為への希望も失い、ただ唯一の救いは死のみであるような、無為で非創造的な実
存。そこから抜け出すことができるような議論が『知覚の現象学』には展開されているよう
に思われるし、実際、これまでもそのような解釈がなされてきた。以下で見るようにその解
釈方法には実践論的なものと超越論的なものの二通りがあるが、いずれにしても重要なの
は、主体を無為に留めずに世界へと開く役割を持った何らかの媒介者である。まずは、引き
続きメルロ=ポンティの記述を追って、この媒介者がどのようなものであるのかを確認して
おこう。
まず、学びつつある意識を不可能にしてしまう経験論と主知主義は、共通の誤った前提に
基づいているとされる。それは、受容器に与えられた刺激にせよ、意識の全面的な知にせよ、
「正確で完全に決定された世界がまず初めに措定されてしまっている」(PhP39=I71 頁)と
.....
いう前提である。既に見たように、主体が何かを学び取るためには、ある事柄を知りつつ知
...
らないという両義的な状態にあるのでなければならない。従って、不幸な意識から抜け出す
ためには、こうした曖昧で「未決定であるような世界」
(PhP38=I69 頁)を理解できなけれ
ばならないという。
この曖昧な世界なるものは、懐疑主義と合理主義のアポリアにおいて、「曖昧な生」とい
う形で延長される。懐疑主義も合理主義も、自らの断定や行為が錯覚によるものかもしれな
いという観点から、曖昧さに満ちた世界から身を引き、純粋な状態に留まろうとする。しか
し、そのような立場をとること自体が、自らが否定しようとしている曖昧さによって密かに
支えられており、この汚点から目を反らしているだけだとしたらどうだろうか。

合理主義と懐疑主義とは、それらがいずれも偽善的にも口に出さないでいる事実的
effective な意識生活によって身を養っているのであり、これなくしては両者は思惟され
ることも、さらには体験されることもできない(PhP342=II137 頁)

てしまうのも無為である。バンブネは『知覚の現象学』においてはこの離脱と密着の契機が矛盾
をきたしていると考えている(Bimbenet2004: pp.192–204)が、このように両契機は病的状態でも
その極点において一致しており、また次節で見るように、日常的状態においても一致しているの
である(川崎 2022: 76–79 頁)

13
全ての認識が確実であると主張する合理主義は、まさにそうしてわざわざ主張するという
行為において、その主張を他者による判断に委ね、ともすればそれが誤っているかもしれな
いという可能性に身を晒す。「或る真理を明白に承認することは、異論の余地ない或る理念
がわれわれのうちにただ存在するという以上のことであり、〔……〕つまり、それは疑問、
懐疑、直接的なるものとの断絶を前提にしているのだし、それはおこりうる誤謬の訂正なの
である」
(PhP341=II136 頁)。他方で、全てが疑わしいと主張する懐疑主義は、まさにその主
張を確信をもって主張している。従って、合理主義にせよ懐疑主義にせよ、それを表明する
行為において、その自己規定を裏切っているのである。メルロ=ポンティの考えるところで
は、我々の生は、現に与えられているものや、現に自らがそうであるところのものを絶えず
超出しながら進んでいく。それによって生は無言の即自態を超え、自らをもっともらしい哲
学的な表現にもたらしもするのだが、同時にその本性的な横溢ゆえに、その自己規定は必ず
しも生の実態と一致してはいないのである(PhP342–344=II137–140 頁)
。かくして、懐疑主
義と合理主義は自らの正当性を失うことになる。
しかし、それはあくまで主張としての正当性を失っただけではないのか。懐疑主義や合理
主義を主張し表明するという行為においてそれらが毀損されるのであれば、沈黙の中でそ
れらの生と一致し続けるべきなのではないか。このように問いを進めるとき、今や示される
べきことは、この最後の砦となる孤独な心的生活さえもが、曖昧さに満たされており、決し
て懐疑主義や合理主義の自己に閉じた生を生きることはできないということ、即ち「内的人
間などおらず、人間は世界においてあり、人間が己を認識するのは世界の中でだ」
(PhPv=I7
頁)ということである。不幸な意識の不可能性ともいうべきこの論点は、従来どのように解
釈されてきたか28。
まず、沈黙において不幸な意識を生きることが「不可能」だというのは、「極度に困難」
......
という意味だ、という解釈がある。これを実践論的解釈29と呼ぶことにしよう。不幸な意識
の生は、過去のトラウマの内に閉じ込められており、その障害を乗り越えることも捨て去る
こともできずに、その不安を一つの存在仕方となるまで一般化してしまっている。その生の
流れは抑圧され、停滞させられていると言えよう。しかしメルロ=ポンティは、まさにそう
して不安が漠然とした雰囲気にまで希釈されていくのに伴って、主体は当初と同じ強度で
絶望し続けていることもできなくなっていき、その本意にかかわらず、ある自然的・身体的・
有機体的な生、
「非人称的な時間」(PhP98=I150 頁)が再び流れ始めると言う。

28
以下、佐野と川崎の研究を主に参照することになるが、いずれの研究もメルロ=ポンティ哲学
をある方面(文学者の実践論、倫理学)から照らし直し、新たな可能性を開示している点で他に
還元できない価値がある。以下の批判はそれぞれの研究の一部を取り上げたものであり、それに
よってこれらの研究の全体が汲み尽くされているわけではない。
29
この解釈をとる代表的な論者は、Smyth2014, 佐野 2019 等である。

14
大抵の場合には、人称的実存が有機体を抑圧しつつもこれを超出することも自分の方
を放棄することもできず、これを自分に還元することも自分をこれに還元することも
できないでいるのだ。私が悲歎と苦しみに打ちひしがれているあいだにも、すでに私の
まなざしは前方をまさぐり、ぬかりなく何か輝いた物をめざしており、こうして自分の
自立した生存を再開している。
(PhP99seq.=I151 頁)

私がどれほど世界から厭離し、不幸な意識に留まり続けようと意志しても、私の身体はそれ
を横目に、世界の中での生活を始める。主体的な実存は常にこの非人称的な次元によって取
り囲まれており、これが、ある時点での自己規定の内に永遠に留まろうとする情熱を絶え間
なく「洗い流していく」
(PhP100=I152 頁)。世界からの懐疑主義的な離脱にせよ、世界への
合理主義的な密着にせよ、私自身が主体的に生きようとする実存は、「潮が退いて」(ibid.)
いき、この非人称的な実存という地に対して「点滅性」(ibid.)でしかないことが露呈する
のである。このようなメルロ=ポンティの診断に基づけば、不幸な意識とは自らの疑いや確
信を永遠に保持しここに閉じこもり続けようとするところに生じるのだが、身体的・感性的
次元では常にこれを裏切るような世界との交流が始まっており、そこから無為と非創造性
が瓦解する糸口が作られていくのだということになろう。我々の生は、遍く曖昧であり、一
つの規定の内に留まり続けることができない。佐野(2019)の要約に従うならば、「徹底し
..
た懐疑主義者でさえ、目の前にあるコップの水を飲み、自分の見解を他人に向けて開陳する
.....
ものである」30。長年の沈黙を破って著作を世に問うたヴァレリーと同じく、「弱さ故に」
(PhP414seq.=II230 頁)31。生きるとはこの曖昧さを生きるということである。従って、こ
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
の曖昧さは「必然的に引き受けなければならない曖昧さである」32。
しかしこのような議論に問題があることは容易に見て取れる。つまるところこれは、生活
を人質にとる決断主義である。しかし「徹底した懐疑主義者」であれば、生活を犠牲にする
ことなど容易いはずだ。従って実践論的解釈は、最終的に《不幸な意識を抜け出したければ、
不幸な意識を抜け出せ》という論理に行きつかざるを得ない。メルロ=ポンティは包括的な
論証を与えようとはしていなかったのだ、ということで処理してもよいが、そうしない解釈
の余地もある。即ち、不幸な意識は「不可能」だというのを、「原理的に不可能」だという
意味で捉える解釈である。生そのものの原理的可能性の条件が、外的世界に巻き込まれずに
沈黙の内で自己に合致している主体の在り方をアプリオリに排除しているということであ
......
る。これを超越論的解釈33と呼ぶことにしよう。

30
佐野 2019: 17 頁.
31
佐野 2019: 第五章.
32
佐野 2019: 174 頁.
33
この解釈をとる代表的な論者は、Geraets1971, 川崎 2022 等である。

15
メルロ=ポンティが言うには、主体を己の内に留め置かない曖昧な生こそがそもそも我々
の意識や経験を可能にしている。これを彼は、「真理と誤謬との手前にあるがゆえに、どち
、、、
らをも可能にする」、
「真のコギト」 、即ち「暗黙のコギト cogito tacite」
(PhP342seq.=II137 頁)
(PhP461=II294 頁)と呼ぶ。但しこれは、不可疑の実体として措定された主体像ではない34。
むしろ、そのような不可疑に思われるようなものを明証的に直観している最中にも、そこか
ら距離を取り疑い直す余地を確保しているような、常に既に働いている経験の運動的構造、
..
「超越論的領野」(PhP413=II228 頁)のことである。

どんな特定の思惟も、われわれの思惟の中核でわれわれを掴んでしまうものではなく、
それは己れの証人となる別の思惟を想定することなしには考えられない。しかも、これ
はなにも不完全さのせいではなく、そもそも、そういう不完全さをまぬがれた意識なぞ、
想像することもできないのだ。いやしくも意識というものが存在せねばならぬとする
ならば、もしも或る物が或る人にあらわれねばならぬとするならば、われわれの一切の
特定思惟の背後に、非=存在の隠れ家が、ひとつの〈自己〉が秘められてあることが必
要である。
(PhP458=II290 頁)

懐疑主義も合理主義も、曖昧なものから離れ、純粋な懐疑や純粋な明証性に留まり続けよ
うとするものであった。しかし、そもそも純粋な懐疑や純粋な明証性などというものは意識
や経験の定義に反するのだ、とメルロ=ポンティは言う。特定の経験が全く明証的に経験さ
れるからといって、それによって私の意識が完全に満たされてしまって、他の可能性を想定
する一切の自由を失うということは事実上も権利上もあり得ない。もしそのようなことが
あるとすれば、それは最早意識の消滅であり、経験にすらならないからである。「意識は絶
対者に触れた時に死ぬ」35。逆に、あらゆる特定の経験から自由になろうとすれば、今度は

34
この暗黙のコギトという悪名高き概念は、古典的には『知覚の現象学』の身体の哲学の中に尚
み ら れ る 観 念 論 的 な 残 滓 で あ る と 考 え ら れ て き た ( Madison1973, Barbaras1991: p.32,
HIROSE2004: p.84)が、近年ではそのような理解から暗黙のコギトを救い出し、むしろこれを主
体と世界との有機的交流の原理として捉え直す解釈が一般的になってきている(実川 2000: 234–
248 頁,Dupont2004: Intro., 川崎 2022: 88–98 頁)
。一方、箱石 1987,檜垣 1992,佐野 2019: 190 頁
以下は暗黙のコギトからまずは実体的・特権的性格を剥ぎ取ることに成功しているが、これその
ものを積極的な交流の原理として位置づけているわけではない。とはいえ、本稿第二章で見てい
くように、このように二元論を超えた位置に暗黙のコギトを定置する解釈もまた高次の観念論
に陥ってしまい、バルバラスの批判を免れない可能性がある。これに対し本稿は、
『知覚の現象
学』を再解釈することによって、この高次の観念論をも脱却したものをメルロ=ポンティの記述
の内に見出すものである。
35
クワント 1966: 220 頁.

16
それらを疑うという具体的行為を実際に遂行しそれに身を沈める必要がある。意識する主
体なしに意識される内容を肯定することも、意識される内容なしに意識する主体を肯定す
ることもできないのである(PhP456–458=II288–291 頁)。このような《特定の経験》と《そ
れが私によって経験されているという事実》との関係は、川崎(2022)も言うように、図と
地の関係である36。たとえば白い紙とその上の黒い活字のように、一方が成立する要件とし
て他方が不可避的に含まれており、互いの定義の内に互いを前提しあっているのである。も
し黒い活字のみが存在するとすれば、それは読むことができないどころか、一つの形をとる
ことさえない。その活字にとって余白となるような面が背後に広がっていて初めてそれは
輪郭を獲得し、一つの文字として現れるのである。白い紙の方もまた、それしか存在しない
ときには何も認識されない。それと区別されるある図形があって初めて、白い紙は当の図形
を浮かび上がらせるために背景に退く地としての機能を果たすのである。そしてこのよう
な図–地構造は経験・現象というものが偶々有している性格ではなく、「現象の定義そのも
、、、、、
の」(PhP10=I30 頁)、この世に生れ落ちて以来の「状況可能性」(PhP466=II301 頁)その
ものである。従って、意識や経験が成立している以上、それは決して完全に充足した経験で
もなければ、あらゆる個別の経験を離れた空虚でもなく、或る個別の経験に自らを投じなが
ら、同時にそこから身をもぎ離す、常に既に脱自的な参与なのである。ここでは最早、懐疑
と確信、即ち経験や状況に対する離脱と密着の区別が無意味なものとなる。両者は「ただ一
つの運動」(PhP340=II134 頁)の二側面を取り出したものであり37、その一つの運動とはま
さに、主体や経験や生の定義を成す、世界への交流である。
ここに至って、世界から分断された無為と非創造性の実存たる不幸な意識は、その成立の
超越論的条件として、世界への脱自的構造に下支えされることになる。これは或る意味で、
欠陥の無い完全な論証である。どれほど経験を懐疑し、世界から厭離し、沈黙の内に生きよ
うとする主体でも、まさにそのことによって、暗黙のコギトを追認することになる。暗黙の
コギトは、確信であり懐疑だからである。そしてそもそも、暗黙のコギトから脱出しようと
する必要も意味も無いことになる。暗黙のコギトは、確信であり懐疑だからである。これこ
そ、疑おうとしても定義上疑い得ない根底的な交流だということになるだろう。「私は存在
を逃れたとしても存在のうちにしか逃げ込めない」(PhP413=II229 頁)。ヴァレリー的な交
流の拒否でさえも、
「拒否さるべき何ものか、主観が距離をとろうとする何ものかを予想し
ている」
(PhP414=II229 頁)38。自らの生を否定しようにも、その行為自体によって、自らが

36
川崎 2015: 127 頁以下.

37
川崎 2022: 78 頁.

八幡 2011.ところで八幡はこのようなメルロ=ポンティの議論に「隔靴搔痒」の感を与える「ア
38
、、、、、、、
プリオリの濫用」 (八幡 2011: 56 頁)があり、
「論証」が「素朴」である(八幡 2011: 58 頁)とい
う問題を指摘している。しかしそもそも素朴な論証ということの何が問題なのか、素朴に端的に
示されていることはむしろ論証が成功している証なのではないか、そこに問題が潜んでいるこ
17
生誕したこと、そしてそれを利用していることを否定することは禁じられる。
「交流の外部」
というのは語義矛盾なのである39。
「内的人間などいない」
(PhPv=I7 頁)。主体と世界の分離・
対立を超えて包む超越論的なものを基層に据えることで懐疑主義を論駁するのは、近代以
降の哲学史上の常套手段であった。カントにおける超越論的観念論と経験的実在論の一致、
シェリングにおける低次の対立を包む高次の無差別、ハイデガーにおける実存範疇の欠如
態という論法、等々である40。不幸な意識が抱える分裂や懐疑が、決して端的な分裂ではあ
り得ず、それ自体がより基礎的な次元での交流を前提にしていることを指摘することで、懐
疑論の懐疑そのものに正面から答えるわけではないにしても、その問いの立て方を解体し、
「武装解除」41することができる。古典的にはこの超越論的論証は意識の絶対性を示すもの
として用いられてきたが、とりわけメルロ=ポンティの場合は、そのような一つの経験を十
全に認識し尽す合理主義的な意識をもこの超越論的条件に対して二次的なものとすること
で、懐疑主義と共に合理主義も乗り越えている。第一にあるのは主観ではなく、世界との交
流と個々の具体的経験であり、これを経験論的な原因にも主知主義的な全知にも還元せず
にそのまま扱う権利が保障されるというわけだ。今や、不幸な意識を棄却する必然性が示さ
れ、我々の生きるリアルな現実の経験を語ることが可能になったように思われる。
しかし、この解釈で本当に問題は解決したのだろうか。むしろ、問題を超越論的次元に移
.. ..
すことは、問題を解消し、抹消するだけなのではないか。というのも、主体と世界との分断
や懐疑の根底に交流があることがいま通達されたとて、一体何がどうなると言うのだろう
か。事態は一切変化しておらず、ただ《不幸な意識なるものは有意味には存在しない》と宣
告されるのみではないか。それとも結局のところ、どれほどこのような問いかけをぶつけよ
うとも、この超越論的論証こそがメルロ=ポンティの哲学なのだろうか。このような議論に
対し「それでいいのか」と問いかけることはアプリオリに封じられているのだろうか。本稿
が見る限り、そうではない。少なくとも本稿は続く第二章で、次のことを示すことができる。
........
即ち、むしろこのような完全無欠で論駁不可能な不死身の論証から脱却することこそ、メル
ロ=ポンティが言わんとしていたものである。これからこの論旨をメルロ=ポンティ自身の

とは原理的に指摘不可能なのではないか、ということが問われなければならないだろう。本稿は
八幡のこのような問題意識を否定するものではない。第二章以下で、この点がメルロ=ポンティ
の記述に即して取り組まれる。
39
川崎はこの構造が誕生という「原初的契約」の出来事によってもたらされることを示してい
る。同時にこれは白紙の契約であり、契約破棄ができるようなものではない。全てはこの一般的
契約の中で行われるからである(川崎 2022: 76–80 頁,小倉拓也との議論を参照)

40
この要約は基本的に筆者の責任によるものだが、少なくともカントの同論点についてはメル
ロ=ポンティ自身が引証している(SC213=292 頁以下)

41
Stroud2000: p.212.ストラウドの議論の解釈については土屋 2003 に負っている。

18
記述から読み取ることによって、従来の解釈を転覆させよう。レヴィナスやショーペンハウ
アーの言葉を借りて、「懐疑論は無数の「論駁不可能な」反論にさらされながらも蘇生しつ
づける」のではないか42、と問えるとしたらどうだろうか。

第二章 不死身の哲学への洞察

ここまで、『知覚の現象学』に記述されている不幸な意識がどのようなものであるのか、
それが哲学的にはどのように整理されるのか、そして従来はそれがどのように克服される
と解釈されてきたのか、を見てきた。従来の解釈は超越論的論証による無為と非創造性の克
服というところに帰着したが、このような議論は、一見すると完全無欠でありながらも、或
る欠陥を抱えているように思われる。それは、まさにその完全無欠さ故にこそ、自らが完全
無欠ではない可能性や、この理路を獲得するまで完全無欠ではなかったことを問題化でき
ないという欠陥である。このように、超越論的論証は自らの外部を正面から受け止めること
ができないということが理解されるとき、それは、当初は無為と非創造性を乗り越えるため
の論理であったはずが、かえって自己の正当性の内に閉合し、一切の具体的思考を停止させ
てしまうという、二階の不幸な意識であることが露わになるだろう。しかもそれは自らに対
して隠蔽された不幸な意識であり、一層自覚化が困難になった深刻な状態だと言える。
以下本章で、この旨が証示される。そうして冪を高めた不幸な意識が露呈すると同時に、
そこからの脱却の糸口も目撃されるだろう。まず、以上のような問題意識をメルロ=ポンテ
ィの中に求める根拠として、『見えるものと見えないもの』(1959–1961)におけるサルトル
批判を提示する。超越論的論証による解決の試みは、サルトル哲学と一致するものである
(第一節)
。続いて、その批判の意味を理解するために再び『知覚の現象学』における主知
主義批判の議論へ立ち返り、そこで既に超越論的論証への批判が語られていたことを指摘
する。そのことによって、超越論的論証は主知主義・合理主義に再び回収されることが明ら
かになる(第二節)
。そして『知覚の現象学』の記述を読解することによって、不死身の哲
学の理論的欠陥が、自らの端緒にある無知や素朴さを直視することができない点にあるこ
とが示される(第三節)。最後に、この理論的欠陥が、その具体的・実践的相においては、
思考の停止とシニシズムという姿をとるものであり、結局は無為と非創造性に没している
ことが露になる(第四節)

42
レヴィナス『存在の彼方へ』合田正人訳,32 頁.
「外界の実在性をめぐるこの問題に、もし仮
に、まるで真の内容がないのだとしたら、そして問題の一番深いところでなにかまっとうな思想
や意味が本当の起源としてひそんでいるのでなかったとしたら、およそこの問題が哲学者たち
の心をあれほどしつこく占領するようなことはあり得なかったろう」
(ショーペンハウアー『意
志と表象としての世界』第五節)。

19
第一節 『見えるものと見えないもの』におけるサルトル批判

前章で解決法として提出された暗黙のコギトの超越論的論証は、我々の経験一般を成立
させる条件として、観念論的な超越論的「主観」ではなく超越論的「領野」
、即ち経験とそ
の受容の相互前提的な図–地構造を描くものであった。そのことによって、主体が経験から
離脱することは或る経験に密着することから不可分であること、即ち不幸な意識に見られ
る世界からの厭離も、世界との「交流」を前提としてのみ成立するものであり、アプリオリ
に相対化されているということを示すものであった。しかし本稿の見る限り、これはメルロ
=ポンティ自身の考えと一致しない。むしろ以上のような問題の処理方法は、
『見えるものと
見えないもの』において痛烈に批判されるサルトルの立場と等しいものである。メルロ=ポ
ンティが終始サルトルに対して批判的であったことはよく知られている。しばしばサルト
ルは抽象的な二元論であり、メルロ=ポンティはこれに身体という具体的媒介を対置したの
だと言われる43。しかしその「具体的媒介」がどのような質のものなのかを注意深く観察し
なければ、問題を見誤ることになるだろう。とりわけ本稿は、前章で提出された或る種の交
流の媒介を、むしろサルトルに帰そうとしているのだから、サルトル的な「二元論」が或る
観点からはむしろ具体的媒介の仮面を被るということを理解しなければならない。近年の
研究が、メルロ=ポンティの最も重要な概念はサルトル哲学に対する或る種の内在的批判を
通して彫琢されたものであるということを示している44ように、メルロ=ポンティにおける
不幸な意識からの脱却の論理を理解する上でも、これを一度サルトルとの対比にくぐらせ
なければならない。以下本節で、まずはメルロ=ポンティがサルトル流の「交流」をどのよ
うに受容し批判しているかを示そう。
『見えるものと見えないもの』において、サルトルの哲学はまず、観念論的哲学を乗り越
え、主体と世界との原的交流・開在を捉え、具体的哲学を可能にするように思われるものと
して導入される。これは、件の超越論的解釈が主知主義の克服として登場したのと同じ論理
と言える。

反省の以前には、また反省を可能にするためにも、世界との素朴な交渉がなければなら
、、
ず、そしてわれわれの立ち返りゆくべき〈自己〉には、既に〈存在〉のうちに疎外され
ている〈自己〉あるいは脱自的にある〈自己〉が先行しているのだ、と。
〔……〕この
開在が起こり、われわれがきっぱりとわれわれの思考から脱出し、何ものもわれわれと
存在との間に介在しないようになるためには、それと相関して、
〈主観存在〉から、哲
学がそれに詰めこんできたあらゆる亡霊を追放しなければならぬ、ということにもな
ろう。もし私が世界と物のうちに脱自的にあるはずだとすれば、何ものも——それが

43
De Waelhens1949, 加國 2015: 207 頁.
44
Saint-Aubert2008, 加國 2015: 214–217 頁,佐野 2019: 223–229 頁.

20
「表象」であれ、「思考」であれ、「心象」であれ、さらには「主観」「精神」あるいは
「自我」という呼称であれ——、私を、物から隔たった私自身のうちに引きとめておく
べきではないであろう。
(VI76seq.=77 頁)

ここで念頭に置かれているのは、サルトルの初期論文「自我の超越」
(1936)でなされたよ
うな作業であろう。そこでサルトルは、我々の生きる具体的な世界の経験を記述するために
は、従来「主観性」と呼ばれてきたものから実体的な性格を徹底的に剥奪すべきであること
を主張している。即ち、主観と客観、主体と対象、内的意識と外的世界などが互いに実体的
に区別されるものとして理解される限りは、《主体は如何にして外界の実在を証明する
か?》や《何が真の認識で、何が取るに足らない仮初の認識であるか?》といった懐疑主義
的・合理主義的な問いが生じざるを得ない。しかし、そのように主体を何か世界から遊離し
た存在として措定すること自体が一つの先入見であるとすれば、この先入見を遮断するこ
とで見えてくるのは、そのように認識の構造が二極化される以前の、
《現にこのものが経験
されている》という原初的事実である。世界とは私が見ている当のものである。即ち、経験
=現象の相関者として必然的に導出されるのは現象性、即ち《経験が経験されるというこ
と》のみであって、それを受けとる主体を想定するのは独断であるどころか、端的な誤解で
ある45。こうした観点からサルトルは、主観性をそれ自体では何ものでもないもの、現象性
でしかないものとして定義し直すことで主観性の哲学を解体し、現象するものと現象する
ことの哲学、存在と無の哲学を代置する。ここでは、世界の現象という一つのみがあるので
あって、意識の外部の客観的物体と内側に閉じこもった主観的意識とがあるのではない。こ
こでは最早、外界の実在性や知と対象の合致といった類の懐疑主義的・合理主義的問いは無
意味になる(VI81seq.=82 頁以下)。かくしてサルトルは経験の事実から理路整然と、主観
と客観に抽象化される以前の根源的な出会いの構造を導出し、いかなる経験もそれを前提
してのみ思考可能であることを示すのである46。
「自我の超越」で端的に示されたこの現象と現象性の超越論的論証は、
『存在と無』
(1943)
において、《存在が存在であるためには、無において存在する必要があり47、無は何もので

45
Sartre1937: pp.19–26=182–187 頁.

46
Sartre1937: p.86=242 頁以下. ところでこれは当然、フッサールの現象学的還元のサルトル流
のバリエーションである。サルトルは、以上のような思考を獲得したことこそフッサールの功績
であるとし、ただこの経験の構造を「意識」という古典的な名前で呼んでいることを批判してい
るのである。メルロ=ポンティにとっては或る種の超越論的現象学がサルトルと共に批判対象に
なることについては、注 61 を参照。
47
Sartre1943: p.15= I20 頁, pp.23–25=I36–40 頁.

21
もないのだから常に存在によって埋められている48》という形で再定式化されることになる。
現象と現象性の相互前提、存在と無の相互前提の哲学である。こうして、決して特異な論理
や矛盾した概念を導入することなく、あくまで存在を無媒介に存在するものとして、無を何
ものでもないものとして理解し、その必然的帰結を導出するという仕方で、主体が世界を不
必要に懐疑したり過信したりせずに、具体的経験を認識し直接記述する権利の保証が、獲得
されるのである。もはや観念論と実在論、懐疑主義と合理主義の区別は無意味となり、それ
らの問いは消滅する。サルトルの哲学はどの観点から見ても論駁することができない、「不
死身」(VI94seq.=96 頁)49である。今や「自己への還帰は、自己からの離脱と同一なのであ
る。否定的なものを純粋なままに考える人〔=サルトル〕にとっては、世界への自己放棄と
反省的な捉え直しという二つの運動があるのではない」(VI93seq.=95 頁)。
以上が、メルロ=ポンティの要約に従ったサルトル哲学の構造である50。そしてこれが前
章で見た、
『知覚の現象学』の超越論的解釈と一致することも明らかだろう。その解釈によ
れば、世界から遊離しこれを俯瞰する絶対的な主観に対して、主観と世界とを常に既に交流
させている中立的構造を代置すれば、即ち「超越論的意識に代えて超越論的領野を採用」51
すれば、懐疑主義も主知主義も克服されると考えられていた52。それはちょうど、サルトル
が具体的経験の超越論的条件から主観という性格を徹底的に剥奪し、存在と無の相関関係
にまで中立化したのと同じである。
『見えるものと見えないもの』のこの箇所で、メルロ=ポ
ンティはこのような哲学的立場を取り上げているのだと思われる。
しかし、最初に述べたように、この立場はメルロ=ポンティが採用するものではない。観
念論を乗り越え、具体的経験への眼差しを可能にするはずのこの難攻不落の哲学は、しかし
実は最も巧妙に偽装された「観念論」(VI107=109 頁)の罠であるとして批判されていく。
「世界への遍在的現前である——その視覚には、惰性も不透明さもないのだ」
(VI106seq.=109 頁)、
「おのれの厚みと重みを除いた限りで、一切を保持しているにすぎな
い」(VI120=124 頁)というように、本来ならば観念論を克服しているはずのサルトルの哲

48
Sartre1943: pp.50seq.=I88–90 頁

49
Stroud2000: p.212.

50
より詳しくは、鳥居 2021 を参照。
51
川崎 2018: 92 頁

52
このような理解はジェラーツと川崎に共有されているように思われる。その典型的な議論が
GERAETS/Madison1981: pp.279seq.に見られる。川崎は『知覚の現象学』における「超越論的」探
究という言葉の意味について、國領と議論を交わしている(川崎 2018: 89 頁)
。國領はこれを経
....
験一般の可能性の条件を解明する作業と理解し、川崎は「あらゆる超越を主体との相関関係にお
いて捉える態度での探求」(ibid.)と理解しているということだが、ここまでの議論を踏まえれ
ば、この二つの区別はほとんど消失してしまう。

22
学は、奇妙にも、メルロ=ポンティがこれまで主知主義を批判してきたのと同じ言葉遣いで
批判されているのである。
この批判の根拠の一つとなるのは、主体と世界のサルトル流の「結合」はまやかしでしか
ない、という論点である。このことの意味は、サルトルにおいては主体と世界は真に結合さ
れているのではなく、実は「ただ思考の前でより速く相次いで生起するというにすぎない」
(VI98=99 頁)、ただ見分けがつかなくなっているだけだということである。というのも、
《存在が存在であるためには、無において存在する必要があり、無は何ものでもないのだか
ら常に存在によって埋められている》という「結合」の定式は、よく考えれば当然なように、
...
《無は決して存在ではなく無でしかない》という同一律から出発し、この両項相互の離反を
最後まで徹底的に固持することによって導出されているからである。それは、存在と無、客
体と主体の結合や和解であるどころか、むしろ最初に定立された絶対的な分離を極限化し
た結果としての識別不可能性でしかない(VI93–98=94–99 頁)。サルトルの哲学は、世界と
の交流を捉えようとするメルロ=ポンティの課題を解決するかに見えて、本当のところは抽
象的な論理を一方的に激化させたものであり、経験に密着する素振りと同じ強度で上空へ
.........
離脱していき世界を俯瞰してしまうような、隠蔽された上空飛行だった、というのである
(VI120seq.=123 頁以下)。第一章で見たように、主体と世界との間に離脱と密着が同義で
あるような超越論的脱自の構造を見て取る論証は、あらゆる懐疑を退け不幸な意識を解決
するように思われた。しかしそれは実際の所、あらゆる懐疑、あらゆる問いかけの入る余地
を無くし、これらを抹消しているだけだったのである。

否定性と存在との間にはもはや、懐疑を吊り下げるための余地さえもないであろう。
〔……〕そして哲学は問いであることを止めて、二つの顔をもったこの現実態の意識、
諾であるような否、否であるような諾の意識となるであろう。〔……〕この最後の転身
は、観念論を超えるというよりもむしろそれを過補償 surcompenser するものであって、
何ものでもないものと存在するものとの無限な距離によって作り上げられると同時に
破壊されもする〔……〕直接的現前は、解決であるよりは、実在論から観念論への往復
運動であるようにわれわれには思われたのである。哲学は、世界との訣別でも世界との
合致でもないが、しかしまた訣別と合致との交代でもない。
(VI138 頁以下)

かくして、サルトル流の交流や結合が実は抽象的な論理によって我々の経験を裁断してい
る見掛け倒しのものでしかないことが理解された。しかしこれだけではサルトルが観念論
であるということを理解するには不十分であろう。というのも、たとえ抽象的であったとし
ても、当の超越論的論証は懐疑主義や主知主義を乗り越えているはずだということに変わ
りはないからである。メルロ=ポンティは何故このような哲学を退けようとしたのか。この
問いは、次の究極的かつ逆説的な批判を踏まえると、一層深まるものである。

23
或る意味では、
〔サルトルの〕否定的なものについての思考は、われわれの求めていた
.........
ものをわれわれにもたらし、われわれの探究に終止符を打ち、哲学を死に追いやる。
(VI93=94 頁)

サルトル・超越論主義の不死身の哲学が、哲学の死を帰結する。これはどういうことだろう
か。これらの批判の意味を理解するためには、やはりメルロ=ポンティの中でサルトルと観
念論が結び付けられているという事実を手掛かりにするのがよいだろう。従って、次節では
この『見えるものと見えないもの』におけるサルトル批判を、『知覚の現象学』における主
知主義・観念論批判の理路と照らし合わせ、メルロ=ポンティがこれらの批判を通して最終
的にどのような立場を退けようとしているのかを明らかにしていこう。

第二節 『知覚の現象学』の主知主義批判を再解釈する

『知覚の現象学』における主知主義批判は、本稿第一章でも既に扱われている。主知主義
とは、我々の認識や知覚経験を知性的作用によって構築されたものと見做し、主体は本来、
知性的で合理的な対象と対面している明晰な意識であると考える立場、一言で言えば全て
を意識の知的作用に還元する観念論であった。そして従来の研究も主知主義をそのように
理解してきた53。しかし実のところ、これは主知主義の初歩的な段階でしかない。メルロ=
ポンティはこれに続いて、徹底された主知主義として超越論哲学を取り上げているのであ
る(PhP46–51=I80–87 頁, 340seq.=II134 頁以下)54。初歩的な主知主義を乗り越えたものであ
った超越論的論証やサルトルの哲学は、しかし未だ高次の主知主義に留まっているのであ
る。このことを証明するために、以下本稿では、先ほど見たサルトル批判が『知覚の現象学』
における主知主義批判と一致することを示す。
サルトルは、《無は何ものでもない》という抽象的規定を最後まで徹底的に維持すること
によって、無と存在が合致しているかのような外見、即ち主体が世界をありのまま受け止め
その中で交流することができるかのようなうわべだけの契約を生み出した。こうした批判
は実のところ、『知覚の現象学』が主知主義を批判する際にも行われていたことである。

53
川崎 2022: 78 頁,91 頁,94–98 頁,246 頁.

54
小熊の言うように、『行動の構造』の時点からメルロ=ポンティは主知主義を簡単に退けられ
るようなものとは考えずに、異様なほど慎重に扱っている(小熊 2003)
。小熊と佐野は『行動の
構造』の曖昧な論旨をそれぞれの仕方で分析しようと試みている(小熊 2003: 4–7 頁,佐野 2019:
94–98 頁)が、いずれもメルロ=ポンティの錯綜した書きぶりに包括的な理解を与えるものには
なっていない。この意味では、当時のメルロ=ポンティには一種の「ためらい」があったという
ジェラーツ流の処理(Geraets1971: p.2, 31–2, 39)に分があるようである。

24
主知主義の不断の手口であるこうした定立〔=対象の外的実在性〕から反定立〔=それを
構成する作用〕への移行、こうした正から反への逆転によって、分析の出発点は何の変
化も受けずに存続する。
〔……〕世界は相変わらず諸部分の絶対的外面性によって定義
づけられており、ただ、いまではその全延長にわたって、自分を支えてくれる思惟によ
って二重化されただけである。こうして、一つの絶対的客観性から一つの絶対的主観性
へと移行するわけだが、しかしこの第二の観念も、第一の観念とまったく等価値のもの
である(PhP49=I84 頁)

主知主義は、主体が経験する世界を全て意識によって予め構成されるものと考えること
で、その世界が虚偽であるかもしれないという不安や、主体は実在の世界から隔離されてい
るのではないかという懐疑を解消する。今や世界は意識の外部にあるのではなく、意識の内
部にあって、主体と直接結びついているからである。この論証が見せかけの交流でしかない
こと、即ち論証以前と以後で事態が何も変化していないことは、ここでは、結局どちらにし
ても「学びつつある意識」が奪還されていないという点から理解される。ただ主体を離れて
自己完結した世界が外部から内部へ移動しただけであり、主体は未だ無為と非創造性の内
に取り残されているのだ。主知主義がこのような陥穽に嵌ってしまうのは、サルトルと同様
に、 (PhP55n=I92
「無は何ものでもないという神学のもつあの疑似-明証性によって誘惑され」
頁)、即ち主観的意識を純粋で「透明」な眼差しと見做しているからである。
しかし、次のような反論が提出されるかもしれない。即ち、主知主義とサルトル・超越論
..
的論証は違う。何故なら前者の立場は、経験される世界を知的意識による推論や構成といっ
た作用に還元するものであり、主観は全面的に世界を知解している神的なものだと考える
立場だからである。これに対し後者の立場は、まさにそのような主体像を徹底的に取り除い
て具体的経験に定位し、そこにある曖昧さや主体の有限性の経験といったものを理解する
からである、と。ところがこのような捉え方は、本稿の見る限り、主知主義を過小評価して
いる。というのも、徹底的な主知主義であれば、むしろ具体的経験の曖昧さや主体の有限性
といったものを全て理解できるということ、裏を返せば、「脱知性化」された主知主義が存
...... .. . .. . .. ......... .
在する55ということ、たとえそれが「知的」な「主観」や「意識」でなかったとしても、超
..................
越論的論証そのものが主知主義的であるということが、『知覚の現象学』の中で実際に語ら
れているからである。このことを以下で見ていこう。
本稿第一章で見た限りでは、主知主義の哲学は、最初からあらゆる知識を「全面的」に「透
...........
明」に「所有」し構成しているが故に、我々は未だ知らない知識をこそ学ぶのだということ
が理解できない、ということであった。従来の解釈も、主知主義の欠陥はこのように主体の

55
Madison1973: pp.209seq., Geraets/MADISON1981: p.287. マディソンは『知覚の現象学』がこの
立場に終始していると批判している(Madison1973: p.146)のだが、本稿はこれと異なり、むしろ
この批判自体は同書の時点でメルロ=ポンティ自身によって暗示されていると考える。

25
「有限性」や「受動性」や「事実性」や「弱さ」を理解できない点にあると考えてきた56。
しかし、本当にそうだろうか。認識を意識による意味構成と理解する主知主義は、本当に新
たな知と出会うことを説明できないのだろうか。というのも、新たな知なら《新たな知》と
いう意味を、未知のことなら《未知のこと》という意味を意識が構成してしまえばよいだけ
なのだから。「意識の構成作用」と言っても、推測や計測といった文字通りの知的な諸作用
ばかりではない(PhP46=I80 頁)。あらゆる感性的所与、あらゆる観念をも全て、つまりは
認識されているもの全てを意識の意味構成の相関者と捉える徹底的な主知主義、即ち超越
論的観念論の元では、全てが可能であるということが、メルロ=ポンティ自身によって認め
られている。ここでは例えば、《私は紛れもないただ一つの意識であるのに、それが他の事
物や他の意識に取り囲まれた一個人の身体においてあるのはいかにしてか》といった「有限
性」や「他者」への問いも、全く無意味なものとして解消されるだろう。

よく反省してみると、これらの言葉のどれもが意味を失い、したがってどんな問題も提
起しはしないのだ。
〔……〕もしも私が本当に世界のなかにとり込まれ、状況づけられ
たきりになってしまっていたならば、一体私は自分が世界のなかにとり込まれ、状況づ
けられていることを知り得るであろうか。(PhP47=I81 頁)

構成されたものはただ構成するものにとってしか決して存在せぬのだから、同一主観
が世界の一部であると同時に世界の原理でもあるのはどうしてであるかは、一度も問
う必要はなかったのである。(PhP51=I87 頁)

自らの有限性や局所性、受動性、知の欠如といったことをそのまま持ち出しても、徹底的
な主知主義に対する批判には決してなり得ない。この洞察は、『知覚の現象学』の一部分か
ら推測されるだけの不安定なアイデアなどでは決してなく、『行動の構造』(1939)の頃か
ら既に明瞭に示されてきたものである。「いったい受動性の経験は、われわれが実際に受動

的なのだからと言ってみても、説明されたことにはならず、それは一つの意味をもち、〈理
、 、、
解〉されうるものでなければならない。実在論は、哲学として見れば、一つの誤謬である」
(SC233=322 頁)。有限性を理解するには、その「可能性の条件」(PhPiv=I5 頁)として、
有限性という意味現象の相関者たる私によって認識されるということがなければならない。
従って、《有限性》という現象と超越論的主観性は両立する。これは、サルトルにおける現
象と現象性の相互前提、存在と無の合致と同様、論駁不可能な議論なのである57。従って、

56
川崎 2014: 91 頁以下,川崎 2022: 78 頁,91 頁,94–98 頁,246 頁.

57
「もしも観念論とは、精神の同化の努力をけっして外部の抵抗に出会わしめず、苦悩・飢餓・
戦争を諸観念の統一化の緩慢な過程のなかで薄めるような哲学だとするならば、現象学者〔=超
越論的観念論〕を観念論者と呼ぶことほど不当なことはない。それどころか、幾世紀もこのかた、
26
徹底的な主知主義の語る主観性は、一般に言われるように、時間的・空間的制約を受けてい
..........
ないという意味で「不死身」(PhPiv=I6 頁)とも言えるが、そもそも超越論的主観性とは何
.....
者でもないのだから、それが時間的・空間的制約を受けているなどというのは端的な無意味
であり、言葉の誤用であるという意味でも、不死身で「難攻不落」(PhP75=I118 頁)58の超
越論的論証なのである59。徹底された主知主義は、懐疑主義を乗り越え、我々の現実の具体
的経験を語る哲学を可能にするものとして現れさえするのだ60。そしてこの意味での超越論

哲学において、これほどまでに現実主義的な思潮が感知されたことはなかったのである。現象学
者は、人間を世界のなかに沈めもどし、人間の不安に、人間の苦悩に、また人間の反抗にも、そ
(Sartre1937: p.86=242 頁)
の全重量を返したのであった」 。
58
Bimbenet2004: pp.12seq.
59
問題となっているのは、一般に考えられる狭義の観念論ではなく、自らの正当性=権利を完全
に保証しようとする超越論的思考態度そのものなのだ。このことを、メルロ=ポンティの文体と
いう観点から簡単に示してみよう。例えば「もしもわれわれが全面的に意識だったなら、われわ
れは自分のまえに、世界、われわれの歴史、その個別性において知覚された対象を、透明な諸関
係としてもつはずであろう」
(PhP76=I119 頁)などの主知主義に宛てられた一節は、《主知主義
はそう考えている(=観念論である)》ということではなく、
《主知主義の思考方法(=超越論的論
証)では、このように振る舞っていることになってしまう。そしてこれは当の主知主義者達も承
.. ..
服し得ぬことであろう》という意味で、つまりは代弁としてではなく、診断として解釈すべきで
ある。従来の解釈はこれらを主知主義者が自他共に認めるものとして、即ちメルロ=ポンティは
ただ代弁しているだけのものとして解釈してきたが、本稿はあくまで、主知主義者が意図せず陥
っている状態として、即ちメルロ=ポンティによって裏側から摘発されたものとして解釈する。
どちらの解釈をとるかによって、批判対象は大きく変化する。即ち、前者の場合は主知主義者が
明確に意図して語っている世界観が問題となるが、後者の場合は主知主義者の根本的な思考態
度が問題となるのである。その場合、当然ながら、根底に置くものを「意識」と言う代わりに「身
(佐野 2019)や「原初的契約」
体」や「時間」や「ゲシュタルト」や「居住と脱出の弁証法」 (川
崎 2022)と呼び変えたとしても、主知主義の枠内に収まっている可能性が出てくるわけである。
..
マディソンであれば、伝統的な哲学の語彙が用いられているだけで『知覚の現象学』を「意識の
哲学」と見做すに十分であると考えるであろう(Geraets/MADISON1981: p.287)が、超越論的な
土台を何という名前で呼ぶかが問題なのではないということは、メルロ=ポンティ自身によって
明確に注意されている(PhP72=I114 頁,73seq.=I116 頁以下)

60
メルロ=ポンティは興味深くも正当に、20 世紀の具体的なものの哲学が、カントの超越論哲学
「〈点 O の知覚は O 点にある〉という考
によっても基礎づけられるという事実を指摘している。
えは、ベルグソンにではなく、カントにこそ遡るべきであろう」
(SC215=297 頁)。Geraets1971:
pp.87seq.も参照。

27
的主観性を「無」へと表現しなおしたのがサルトルの「自我の超越」および『存在と無』で
あったことは言うまでもない。
そうだとすれば、メルロ=ポンティが批判しようとしているサルトルと徹底的な主知主義
の共通した特徴は、「無〔=主観〕とは何ものでもないものである」という同一律から導か
れる首尾一貫した論理を厳密に保持することによって、全てを理解し全ての問題を用済み
にするということである。これが観念論と呼ばれるとすれば、自らの身体性や有限性を理解
...............
しない観念論ではなく、どうしてそれらが問題になるのかが理解できない観念論なのであ
る(PhP427=II246–248 頁)61。そこには、一般に「観念論」と言われる際の或る種の具体的
なイメージやリアリティ、葛藤も最早ない。「観念論と実在論の二律背反は消えてしまう。
〔……〕観念論と反省の痙攣は、消えうせてしまう」(VI82seq.=82 頁以下)。不幸な意識
が悲劇的で強迫的であったのに対し、それを超え包もうとする超越論的な欺瞞的救済は安
静なのである。これは実のところ、懐疑主義に対して合理主義が、経験論に対して主知主義
が最初は解決策として登場していたのと等しい。超越論的論証は、文字通り全てを知るので
はなく、全てを問題でなくするという迂遠な仕方で主知主義となる。それは最初、当の二者
択一を乗り越えるものとして現れたが、これは決してそれが中立的な第三項だからではな
く、当の対立を維持したままただ合理主義と主知主義の極を一方的に激化し、この中に全て
を包み込んだものであったからだ。主知主義が不条理な哲学に対する仮初の解決策であっ
たように、超越論的論証は主知主義と不条理な哲学との対立に対する仮初の解決策であり、
隠蔽された主知主義なのである。

61
このように、
『知覚の現象学』において批判されている主知主義が、一般的な意味での観念論
ではなく、超越論主義のことなのだということは、メルロ=ポンティがフィンク「現代の批判」
(1933)を引証していること(PhP40n=I72 頁)からも理解できる。メルロ=ポンティは主知主義
批判を二段階に分けて行っており、第一の批判(PhP34–46=I64–80 頁)は初歩的な主知主義(≒
心理学、観念論)に、第二の批判(PhP46–51=I80–87 頁)は徹底的な主知主義(=超越論哲学)に
向けられているが、フィンクは第一の批判の論拠として利用されている。フィンクは当該論文の
.......
中で、新カント主義の思想が結局は意識の構造と経験の次元を分離した上で後者を前者に解消
しようとする、世界内部の領域区分を問題にする心理学的な哲学でしかないことを語っている
、、
(Fink1934)
。これに対して、現象学の言う意味での「事象」を、経験も意識も全てを含む「形式

的」(Fink1934: S.14=18 頁)なものとして理解することで、超越論的現象学を実証科学に対して
、、、、、、
も観念論に対しても基礎的な学問として、 (Fink1934: S.43=57 頁)
「世界を超え出て制限を脱する」
学問として位置づけるのである。このような議論は、初歩的な主知主義に対しては有効だが、そ
れ自体、あらゆる認識の可能性の条件を扱う一つの超越論的論証へ向かっていくものである。そ
のような進路をとった場合には、今度はこれが第二の批判の対象になるであろう。メルロ=ポン
ティとフィンクの「志向的分析」の間に隔たりがあることについては、Saint-Aubert2005: ch.5 §3
を参照。

28
かくして、サルトルと徹底した主知主義が同じ不死身の哲学であることは理解された。し
かしそもそも、それらの立場が語る交流が「見せかけ」だと言っても、その意味は「同一律
の徹底した首尾一貫性だ」ということなのであってみれば、一体これの何が問題なのかは未
だ見えてこない。これは誉め言葉ではあっても、批判になり得ないように見える。メルロ=
ポンティが依然としてこれらの立場を退けようとしているのだとすれば、それはどのよう
な根拠を持った批判なのだろうか。続く第三節でこれを解明することによって、まさにこの
自己完結性と包括性、首尾一貫性そのものにこそ、罠があるということが判明するだろう。

第三節 問いかけの消滅と端緒の無知

前節では、従来過小評価されてきた主知主義の射程を解釈し直し、それが原理的に論駁不
可能な哲学であることを示し、その地点で超越論的論証とサルトルと主知主義が合流する
ことを指摘した。本節と次節では、いよいよこれらの立場にどのような問題があるのかを明
らかにする。原理的に不死身である哲学は、いかにして批判され得るのだろうか。主知主義
が「学びつつある意識」に対し無理解に留まるというあの論点に戻ろう。この批判は、徹底
した主知主義に対しても変わらず適用されるものである。それでは、主体の有限性や受動性
も全て理解できてしまうはずの徹底した主知主義は、どのような意味でこれを取り逃がす
というのだろうか。
先ほど見たように、徹底的な主知主義は全ての問いを解消し、哲学を完成させる。経験一
般の可能性の条件は、自らの未知や有限性、受動性といった事象も、全てを超越論的に構成
しているのであり、それらの事象を語ることができるのも、この条件があってこそである。
だとすれば、そのような不死身の哲学の外部に出ようとすることは端的に言って不可能だ。
なぜならその外部こそ、この超越論主義の内部からしか思考できないからだ。しかし、メル
ロ=ポンティはどの時期においても、この蟻地獄を抜け出す可能性を探求し続けている。そ
のとき、絶対的な不死身の哲学そのものが持つ相対性が示される。

...........
だが、このことはまた、その哲学が、それの肯定するもの——それは一切を肯定するの
. ..........
だ——によって画定されたり判別されることはありえず、ただ、まさに一切であろうと
...................
するその意志の故に脇に取り残されるもの によってのみ画定ないし判別されるという
ことを意味する。脇に取り残されるものとは、言いかえれば、当の哲学者によって語ら
れているものとは異なるものとしての、語っている哲学者の状況であり、
〔……〕世界
を生きる働きと、彼がその働きを表現するために持ち出す諸々の存在性や否定性と、の
... ..
間に隔たりをもたらす限りでの哲学者の状況である。もしこうした残余を考慮に入れ
るならば、もはや生きられるものと無矛盾性の原理との同一性ということはなく、まさ
........
しく思考としての思考は、生きられている一切を再現するなどとうぬぼれることはで
きない。(VI120=124 頁)

29
無矛盾性の原理によって全ての現象を覆いつくし、一切を肯定するが故に、どこからも論
駁することができないような思考は、まさにその一切を肯定すること自体によって排除さ
れているものを拠点にしてのみ、批判され得るという62。それではその外部に残された「状
況」とは何か。まさに、我々は一切を肯定できてはいない(はずだ)、我々には知らないこ
とがある(はずだ)、という我々自身の境遇である。それも、《我々には知らないことがあ
..... .
る》という意味(=知)、へと括弧入れされていないような、端的な無知の状態である。も
ちろん、このように言うこと自体、矛盾している。端的な無知の状態とは《端的な無知の状
.....
態》という意味であって、これを端的に端的な無知の状態と理解することは、独断であるど
..........
ころか、言葉の誤用であり、超越論的論証に対する——端的な無知なのである。従って、不
死身の哲学がただ一つだけ消滅させることのできていない問いがある。即ち、《私はどうし
てこの超越論的主観性を見出すまでそのことに無知でいられたのか》という問いである。

...... . .......
〔主知主義的〕分析はこのようにして、自分自身の端緒 commencement というただ一つ
.......
の問題を除いて、すべての問題を抑圧してしまう。〔……〕知覚の有限性、視点への意
識の内属——こうしたすべてが、自分自身に対する私の無知 ignorance へと、反省しな
.. ......
いというまったく否定的な私の能力へと還元されてしまうわけだ。だが、それではこん
....... ................ 、、、、
どはこの無知は、一体どのようにして可能となるのか。無知は断じて存在するものでは
ないと答えることは、探求する哲学者としての私を抑圧してしまうことになるだろう。
(PhP48=I82 頁)

これこそ、全てを理解する不死身の哲学が、唯一取りこぼしているものである。《知らな
いことがある》という有限性を、或る種の素朴な次元において捉えることで初めて、何かを
新たに学び知るということ、即ち主体と世界の交流において主体の営為が具体的に成就す
ることを認めることができる。そしてこの学びつつある意識こそが、当の不死身の哲学その
ものの「端緒」であるということは、同種の議論が展開される他の箇所(PhP209=I294 頁,
423=II241 頁)を見れば一層よく理解される。全てがその中で生じるはずの超越論的主観性
は、私がそのことを学び、理解するや否や自らの過去も含めて全てを覆い尽くすことになる
が、しかし、それに気が付くまでは、まだどこにもなかったのである。

62
「古典的合理主義に始まる客観的思考が無効になるのは、その思考が何を内容とするかとい
う点においてよりも、その思考の身を飾っている教条的な形式の点においてである。これに伴っ
て、経験の方も、思考のために新たな内容をもたらす機会のことを言っているのではなく、むし
ろ、新たな態度をもたらし、問いかけに権利を与える機会のことなのである」(Bimbenet2004:
p.26)。バンブネは、本稿がこれから示そうとしている問いかけとしての思考をポリッツァーの
心理学論とマルセルの「神秘」から跡付けている(Bimbenet2004: pp.20–27)

30
もし私がすでにこの主観を知っているとしたら、すべての哲学書は無用であろう。とこ
ろが、やはり真理は開示される必要があるのだ。したがって、現象の裏面では神がつね
に自己を考えつづけていたとしても、自己自身のうちに神を認めたのは、やはりこの有
限で無知な私なのである。
(PhP412=II226 頁)

たとえ超越論的主観性が不死身であり、一切の論駁が不可能な普遍的真理であったとし
ても、私がそれを特定の哲学書という文化的所産から学び取るまで、そのことに無知でいる
ことができたということ63は確かである。そうである以上、《私は超越論的主観性である(=
端からそうであった)》と文字通りに主張することはできないことになる。それでもなお不
死身の哲学が正しいのだとするならば、少なくともその主張を行う者は、自身が自身につい
て語っていることを、それを語っている自身と一致させる理論の義務を放棄しているのだ
と言わなければならない64。
こうした主知主義の唯一の欠陥は、サルトル哲学にも同様に指摘される。サルトルの議論
は、自らの正当性を必然化・無時間化することによって、懐疑主義と合理主義のアポリアを
解決したというよりも、《そんな問題は最初から存在しなかったのだ》と言っていることに
なるのである65。それは結局、「反省のいかなる結末も、反省を行っている者を遡及的に巻
きぞえにするものではありえないし、その者についてわれわれがもっていた観念を変える
ものでもないという〔主知主義的〕反省哲学の根本定式を、再確認するだけ」
(VI99=101 頁)
である。ここには学びの創造性が一切無い。不死身の哲学は、あくまでも知の獲得という過
程を無時間的なものとし、そこに一切の創造性を認めないために、《学びの前後で何かが質
.........
的に変化した、思考が変質する運動があった、と感じるとすれば、それは単なる錯覚だ》と
いう論理を用いる。しかしこう言ったところで、結局《誤解や錯覚や無知とは単なる誤解や
錯覚や無知でしかないのであって、何ものでもないのだから、これ以上考えるに値しない》
と言っているのと同じである。これは我々の誤解や錯覚や無知を説明しているどころか、た
だ消滅させているに過ぎない(PhP44seq.=I76 頁以下,388=II195 頁)。結局それは、「反省

63
そして恐らく、超越論的主観性という観念などと一切出会うことのないまま生涯を全うした
人間が無数に存在することもまた確かである。
64
「あたかも超越論的主観の存在を確言する権利を得るためには、みずからその主観になるこ
とは不必要であるかのようである」(PhP75=I118 頁)。

65
サルトルは、メルロ=ポンティが反感を抱いていた当時の主知主義的な講壇哲学の姿を次のよ
うに描写している。
「彼らは、そのような問題は成立しないとか、問題の立て方がわるいとか、
あるいは——これは当時はやりの妙な言い回しであったのだが——「回答は問題の中にふくま
(Sartre1961: pp.305seq.=160 頁)
れている」とか答えたものである」 。メルロ=ポンティにとって
は、サルトル自身がこうした身振を反復してしまっているように見えたのだろう。

31
する者と反省以前のものとの間の距離をしつらえることができない」(VI122=125 頁)が故
に、世界へ問いかけ、新たなことを学び獲得していくことができないのである。だからこそ
メルロ=ポンティは、この自らの端緒たる誤謬や無知、素朴さを忘れた不死身の哲学に抗し
て、次のように言う。「しかしながら、その誤謬は、動機のある誤謬であり、本物の現象に
支えられているのであって、その現象を顕在化させることこそ、哲学の任務である」
(SC233=322 頁)

以上のように、不死身の哲学には、自分自身が無知から出発していたことを理解できず、
全ての問いと一緒に学びも消滅させてしまうという欠点があった。しかしこのことだけで
は未だ、不死身の哲学に対する批判の根拠としては不十分である。というのも、メルロ=ポ
.......
ンティによるサルトルへの批判を思い出すならば、それは、不死身の哲学が哲学を死に追い
..
やることを告発するものであったからである。全てを理解し(たつもりになり)、あらゆる
問題を解消するだけでは、哲学を死なせるとまで言えるだろうか。この批判の意味を明らか
にするためには、以上のような不死身の哲学の理論的欠陥に加えて、ある種の実践的欠陥、
即ち現実世界に生き、思考し、或いは哲学に触れる我々自身にとって不死身の哲学がどのよ
うな脅威となって襲い掛かるかということを把握しなければならない。続く第四節でこれ
を扱い、不幸な意識を脱却するための準備として不死身の哲学を描像する作業の最後とし
よう。

第四節 哲学と思考の死

不死身の哲学は、自らを永遠化した首尾一貫性によって、全ての問題を消滅させる。これ
が不死身の哲学の理論的欠陥である。しかしそもそも、ある理論が全てを理解することその
ものを告発するのは、学問そのものの否定になってしまうのではないか。不死身の哲学の相
対性は、言わば褒められた相対性ではないのか。否、本節でメルロ=ポンティによるサルト
ル批判の議論をさらに追跡していくと、むしろ事態は真逆であることが明らかになる。即ち、
不死身の哲学こそは重篤化した不幸な意識であり、思考そのものの放棄でさえあること、そ
れ故に、これを脱却する道こそが、学びつつある意識を、学問そのものの定義を成してさえ
いるだろう思考の生を奪還し、むしろ哲学を蘇生させるものであることが明らかになるだ
ろう。
サルトル哲学が存在と無の相互前提性を抽象的に定式化するものであることは既に見た
が、メルロ=ポンティはこれを「悪しき弁証法」と言い換えている。即ち無は何ものでもな
い、純粋な否定なのだから、存在に対する否定でありかつそれ自体の否定であり、結局は存
在と一致する、というわけである。これが存在と無の相互前提性の弁証法的表現である。そ
れは全く形式的な「推論」によって、否定的媒介が存在との統合に至る論理を必然的な形で
実現する。しかしメルロ=ポンティによれば、これは結局のところ一切の運動を消滅させて
いるのであり、弁証法としては破綻しているのだという。曰く、本来の弁証法とは本質的に

32
運動であり、世界と主体とが一緒になって絶えず自己変形していく〈存在〉そのものの在り
方、「存在に接触しながらの思考」(VI126=130 頁)
、或いは「呼びかけと応答、問題と解決
の諸関係を辿り直し、その関係に従う術」(VI128=131 頁以下)である。しかし悪しき弁証
法はこの運動ということを抜きにして、高次の綜合を必然的なものとして一挙に説明し、
「ただちに弁証法的であろう」
(VI129=132 頁)としてしまう。世界と主体という反対物の
和解を説明できる理想的な理論の振りをしながら、かえって最も巧妙で最も悪質な仕方で、
不動の無為に押し込められた主体と、そんな主体などに関わりなく自動的・必然的に進行し
て い く 世 界 の 摂 理 と の 分 離 を も た ら し て し ま う の で あ る 。「 弁 証 法 に は 罠 が あ る 」
(VI128=131 頁)

〈存在〉の在り方であったものが、悪霊 malin génie となる。哲学者は、おそらく真の


「おお、弁証法よ!Ô Dialectique」と言
哲学は哲学を馬鹿にするはずだと気づいたとき、
うのだ。ここでは弁証法は、ほとんど不特定な人間のようなものであり、皮肉なことに、
われわれの期待を笑いものにするような世界の呪われた運命、われわれを戸惑わせ、お
まけにわれわれの背後でそれ自身の秩序や合理性をもっているような狡猾な力になっ
ている。したがって、それは、単に無意味の危険であるだけではなく、もっと悪いこと
、、、、
に、物にはわれわれがそれに認めうるのとは異なる別な意味がある、という保証にもな
っているのだ。
(VI128=132 頁)

悪しき弁証法は、自分では理論として完成したつもりになっているが、その実態は、主体の
どんな合理的な認識も背後から常に無効化し得る全能を有した「弁証法」という名のデカル
トの悪しき神の親類を讃嘆するという不条理な世界観である。というのも、今やいかなる否
定も、即ち存在から離脱しようとするいかなる試みも、その意図を必ず裏切る摂理がこれを
必然的に存在へと合流させるからである。それは、哲学の知の極致を僭称しながら、結局の
ところ我々のあらゆる具体的思考、あらゆる哲学的思考を無意味なものとして無みするこ
とである。主体はこれまでで最も深い無為と非創造性に取り残される。最も恐るべきは、こ
のような形での主体と世界秩序との分断は、単に主体を無意味に突き落とし絶望させると
いうのではなく、むしろその絶望さえ許さないという点である。主体が世界との分断を見出
し無意味を感得すれば、まさにその否定性自体を利用して、弁証法という「不可抗なものの
決定」
(VI128seq.=132 頁)が主体と世界の綜合を実現してしまう。その帰結は自らの救いを
確信した幸福でもなければ、自らの救われなさを嘆く絶望でさえない、「シニシズム」
(VI129=132 頁)である。

33
このように不死身の哲学は主体から思考と探究を奪い、これを深刻な無為の状態に置く
ということは、1950 年代半ば以降の政治哲学を参照すると一層よく理解できる66。メルロ=
ポンティの歴史論には澤田(2012)が「歴史の病理学」67と呼ぶものがあり、或る歴史的境
位を不幸な意識の態度と重ねるような論調が見られるのである。
『シーニュ』
(1960)序文で
は、当時、ソ連体制の様々な矛盾が露呈するにつけ、マルクス主義革命の理念に落胆してい
ったフランス知識人の態度の内に同じ悪しき弁証法が看破されている。彼らは、かつて希望
を見出していた弁証法的革命運動に失望しつつも、そこから完全に離反することも、かとい
ってそれを追認することもできないでいる。結果として彼らは、マルクス主義理論を云々す
ることをやめて非マルクス主義者達と交流しながら、そのこと自体を歴史の弁証法的過程
の一エピソードとして理解し留飲を下げる、という手管を見出すことになる。いま哲学とし
てのマルクス主義を否定することで、やがてそのこと自身を否定する時代を呼び寄せ、最終
的にはいつか実際のマルクス主義革命を実現することに繋がるのだ、というわけである。

結局のところ、と彼らは言う、正統〔共産主義政党〕とともに破産したのは教条主義で
.................
あり、哲学であるのだから。真のマルクス主義は哲学ではなかったのであり、われわれ
はこの真のマルクス主義をあくまでも守らねばならない。それにこれは、スターリン主
..............
義も反スターリン主義も、また人々の生活全体も、いっさいを理解するものである。お
..... .................
そらくいつの日か、信じ難いような紆余曲折を経たあとで、プロレタリアートは、普遍
的階級としてのみずからの役を見出し、目下のところ歴史的な担い手も歴史的な衝撃
力も持たない、この普遍的・マルクス主義的批判を、身をもって引き受けるであろう、
と……。(S13=I8 頁)

66
クワントや円谷は後期メルロ=ポンティが哲学を政治から切り離したと考えている(クワント
1966: 141–144 頁,円谷 2014: 第七章)が、これは全く根拠が無い。例えば円谷が論拠にしてい
る『シーニュ』序文冒頭の叙述は、直接メルロ=ポンティ自身の述懐だというわけではなく、む
しろ政治と哲学の関係を一層よく考えることを提起するものである。こうしたことは金田 1996:
237–242 頁が適切に指摘するところである。クワントは生前のメルロ=ポンティがその都度の時
局に答えて論文を頻繁に発表していた様子、それによって多方面の人々から「人生に誠実」な哲
学者という印象を持たれていた様子を報告してもいる(クワント 1966: 144 頁以下)が、これは
メルロ=ポンティは 1959 年まで積極的に論説の寄稿や署名、
最晩年まで変わらぬものであった。
団結運動に参加していた(金田 1996: 238 頁,262 頁注 3)のであり、或る思想家の晩年に隠居の
相を見るのは一般に回顧的錯覚であると言えよう。それが夭折の思想家であるならばなおさら
である。

67
澤田 2012: 161 頁.またサルトル的な政治哲学の態度は『知覚の現象学』において扱われてい
る分裂症の典型たるシュナイダーと重なることが、Smyth2014: p.143 によって指摘されている。
木田 1984: 276–284 頁の「実存的歴史理論」も参照。

34
即ち、自分の思考や信念がもはや信じられなくなったときの或る種の対処法として、悪し
き弁証法が立ち現われる。ある定立が否定によって媒介されることは必然である。そしてそ
の否定もまた否定によって媒介され、当初の定立と綜合されて高次の理念を実現すること
もまた必然である。この抽象的定式が振りかざされるとき、革命を実現するための行動は全
く恣意的となり、弁証法的歴史過程の中で全てを理解することができるようになる。そして
それは紛れもなく、一切の思考の放棄である。いかなる新たな出来事も、たとえマルクス主
義の理念に反するように見える出来事であっても、弁証法的宿命に寄与するものとして理
解・解消され、何ら新たな思考を触発することもないからである。「慰めになるとはいえ、
罪無しとは言えない。それは彼らの内で、また彼らの周りで開かれたままであった議論を再
び閉ざし、今まさに課されている諸々の問いを窒息させてしまうからである」
(S14=I9 頁)。
悪しき弁証法は結局、有無を言わせぬ宿命をただ肯定し思考を放棄することなのである。そ
してこれは、本稿第一章で見られたような、自らの過去に閉じ込められたまま生き、想像上
でこれを反復しながら、未来を創造できずにいる抑圧状態そのものである68。
また『弁証法の冒険』(1954)は当時のサルトルやボルシェヴィズムの政治哲学を批判し
たものであるが、ここにも同様の悪しき弁証法への洞察があり、より体系的で詳細な説明も
なされている69。メルロ=ポンティによれば、彼らの政治哲学は「たえずたがいに相手を支
え合っている極端な客観主義と極端な主観主義との混淆物」
(AD128=117 頁)によって特徴
づけられる。即ちそこでは、自動的・宿命的に進行するマルクス主義革命の過程たる即自的
な歴史という観念と、その過程をひたすら加速させるために革命の理念を一方的に押し付
けるだけの独立した政治的主体という態度が、素早く入れ替わりながら現れるのである
(AD128–130=118 頁以下, 305seq.=288 頁以下)
。これは結局、歴史の弁証法的運動を出来合
いのものとして取り扱うことで、宿命論的な静観の態度に立ち、世界各地で今まさに起きて
いる様々な個別の問題に耳を傾けることをしない、無為の態度なのである70。上述のフラン

68
合理主義的な大文字の「歴史」を措定することが、シュナイダー的な失認・抑圧、世界からの
意味の喪失と類比的であることについては澤田 2012: 94–102 頁を参照。
69
サルトルへの具体的な批判は澤田 2012: 第二部第二章に詳しい。サルトルの「究極的なボル
シェヴィズム」は「共産主義がもはや真理や歴史哲学や弁証法によってではなく、それらの否定
によって正当化される段階」
(AD148=137 頁)と定義されているが、既に見たように、弁証法の
否定とは悪しき弁証法のことに他ならず、以下の議論を見れば、サルトルへの批判とボルシェヴ
ィズムへの批判は最終的に一致することがわかる。

70
これは、注 27 で述べたことと同様、サルトル流のアンガジュマンの態度と矛盾しない。メル
ロ=ポンティがサルトルのような一種の反射的アンガジュマンから距離を取っていたこと、また
サルトルはあらゆる哲学的問いを用済みにし、あとはただ諸々の政治的行動があるだけだ、と考
えていたことについては、ParcII(LetRup)140–158 を参照。

35
ス知識人の詭弁と同じように、ここでもマルクス主義革命を「不断の否定」や「自己止揚
Selbstaufhebung」(AD133=122 頁)という名の空虚な装置と化することで、一切が説明可能
になり、一切の問題が消滅するのである。今や一切の行動が許された抽象的な主体は、世界
に対して働きかける運動の具体的な媒介を何も持たない71。これが悪しき弁証法の陥穽なの
だ。不死身の哲学にして哲学の死、自己完結した「官製の批判 la critique officielle」
(AD302=285
頁)である。

歴史の終わりとか永続革命などにおいて弁証法を完成させるという主張、自己自身に
対する異議申立てである以上もはや外部から異議を申立てられる必要がなく、要する
にもはや外部というものをもたないような一つの政体において弁証法を完成させると
いう主張なのである。〔……〕それこそは死の一つの理念化である(AD301=284 頁)

ここにおいて、元来は歴史の具体的運動を捉えるはずだった「弁証法」は、今や抽象的で
恣意的な自己否定の定式へと「防腐処理」
(AD99=89 頁)を施され、歴史や現実に対する「探
求の精神を麻痺させてしまう」
(ibid.)。
《いつの日か信じられない仕方で達成されるだろう》
という仕方で弁証法を信頼し認証することで希望を得ようとする姿は、これ以上ない不信
と絶望の証しであり、しかもそれを隠蔽しなければいけなくなっている深刻な状態なので
ある。
「弁証法をもはや信じないということと、それを未来に置くこととは同じことである」
(AD143=132 頁)
。マルクス主義革命が実際に進展する機運が見られれば、
「これぞ弁証法
だ」(Ô Dialectique)と言い、革命に背くような現実が見られれば、「これぞ弁証法だ」(Ô
Dialectique)と言う。
「たえず用心をしていなければ保持できない」
(AD99=89 頁)この態度
をメルロ=ポンティが記述するとき、本稿第一章で触れた常同症という病理的事象が念頭に
置かれていることは明らかである。それは、
「ただ病者が、自分の行為が持つ一見したとこ
ろの首尾一貫性が崩れてしまいそうな状況を全て遠ざけることによって設えられた環境、
選別された環境においてしか維持され得ない」
(SC219=303 頁)。悪しき弁証法が固持する普
遍性は、経験の全てを包括することによって外部を無くしているというよりは、自らの現在
の可動域にまで経験を狭小化することによって外部を抹消し、自らの端緒を忘却している
だけの、「見かけだけの統一性」
(ibid.)でしかないのだ。
以上で、不幸な意識を滞りなく克服すると思われていた不死身の哲学は、結局は世界と交
流する具体的手掛かりも、一切の思考も喪失した、重篤な不幸な意識に陥っていることが明
『見えるものと見えないもの』における「悪しき弁証法」が 40, 50 年代の政
らかとなった。
治哲学に、そして最初期のルサンチマン論にまで淵源することは、サントベール(2005)の

71
「行動は一種の魔術的な「フィアット」なのである。この自由は決して地上に降り立つことは
ないし、どんな事実性に結びつけられることもない。それは、鎖につながれた奴隷にさえふさわ
(クワント 1966: 370 頁)
しい判断の自由である」 。

36
指摘する通りである72。本稿のこれまでの歩みを要約しておこう。
『知覚の現象学』で記述さ
れた不幸な意識を克服する論理は、従来は超越論的論証と解釈されてきた。しかしこれは、
『見えるものと見えないもの』において批判されるサルトルと同じものであり、メルロ=ポ
ンティの立場ではあり得なかった。それは全てを理解する主知主義の不死身の哲学であり、
まさにその全知によってあらゆる無知や問題を消滅させ、歴史的・個人史的次元においても、
一切の思考を放棄した深刻な無為と非創造性の状態に押し込められてしまうものであった。
ここまでの記述を踏まえれば、メルロ=ポンティが不死身の哲学を批判する際、一貫して
提示していた命題は、《問いと思考を消滅させてはならない》というものであることが分か
る。不幸な意識の葛藤であれば、まだ問いと思考があっただろう。しかし不死身の哲学に取
り込まれてしまっている今や、いかにしてここから身をもぎ離すかを思考しなければなら
ない。不死身の哲学は外部なき哲学とはいえ、手掛かりは既に第三節で用意されていた。問
いかけと思考は、まさに自らの端緒たる学びつつある意識の無知や素朴さの内に眠ってい
る。終章で、メルロ=ポンティが示す、不死身の哲学と不幸な意識を脱却する道が明らかに
なる。それはとりもなおさず、哲学の始まりを奪還し、死した哲学を蘇生させることである。

終章 思考することは滑稽である

ここまでで、メルロ=ポンティの著述の中に、不幸な意識とその克服、という問題系が存
在しており、従来その解決法と見做されてきたものが、実際は隠蔽された主知主義として、
不幸な意識の内に回収されるものでしかなかったことが、彼自身の記述から明らかにされ
た。それでは、その冪を高めた不幸な意識から真に脱却する道としてメルロ=ポンティが示
すものは何であろうか。以下本章で、これを「問いかけとしての思考」として解き明かして
いく。メルロ=ポンティの後期思想に着目した従来の研究によっても、サルトル哲学への批
判から「問いかけとしての思考」が導入されることは紹介されてきた73。しかしそれでは、
一体どのような論理的根拠で以て問いかけとしての思考が導出されるのか、という点につ
いては十分に論じられてこなかったと言える。これに対して本稿は既に、サルトルの不死身
の哲学を『知覚の現象学』における主知主義の議論と照合して理解しているが故に、
『見え
るものと見えないもの』における問いかけとしての思考の導入も、これらの議論に照らし合
わせて、その根拠を解明することができる。これが本稿に残された最後の課題である。
この課題に取り組むために、本章の作業は、問いかけとしての思考の形式的特徴の解明に
集中する。即ち、問いかけとしての思考の内実的特徴——実際にどのような手順で、どのよ
うな道具を用いて遂行されるか——には紙幅を割かず、むしろ問いかけとしての思考がど

72
Saint-Aubert2005: p.111
73
Barbaras1991: 2e partie ch.4.

37
のような根拠に基づいて不死身の哲学を打破し、どのような理念を志向して始動するのか、
という側面を扱う。もちろん問いかけとしての思考の実行可能性を十全に理解するには両
面の解明が必要74だが、しかしそれには『見えるものと見えないもの』の存在論的議論の全
面的参照が不可欠となるし、またそうした内実的特徴の研究は既に豊富な蓄積がある75。本
稿は、まず何より問いかけとしての思考が不死身の哲学に抗する根拠を明らかにすること
が必要であるという積極的な理由からも、形式的特徴の研究を優先する。まずはメルロ=ポ
ンティの著述から、
「問いかけとしての思考」を奪還するプロジェクトの概観を取り出そう。
メルロ=ポンティは、哲学が不死身になり、全てを理解する理論となってしまうこと自体
を批判する。マディソン(1973)の言葉を借りるならば、今や観念論のみならず、哲学その
ものの条件が問いに付されていると言えるだろう。しかしそれは決して哲学の放棄や神秘
的な沈黙へ誘うのではない。 「メルロ=ポンティは我々に、 〔……〕より通りやすく、より先
、、
の見える「もう一つの経路」を示している。その道は〔……〕杣道ではない——つまり、ど
、、、、
こにも続かない道 a road leading nowhere ではない」76。彼はむしろ、不死身の哲学が哲学の
死であることを指摘することで、そこから哲学を取り戻す具体的な道を示そうとしている
のである。全てを理解する哲学の何が問題であったかといえば、まさにそのことによって問
いが失われ、思考の運動と生が失われることであった。従って、これに対してメルロ=ポン
ティが示すオルタナティブは、まさしく「問いかけとしての思考」としての哲学である。

、、
〔……懐疑主義のように〕解体 défaire しようとするの
哲学は、世界との我々の関係を、
ではない。かといって、
〔不死身の哲学のように〕それについてもはやそれ以上何も言
うことがないような〈存在〉の直接的・包括的確認 constatation で終わるのでもない。
......... . .....
〔……〕哲学は依然として問い question なのであり、世界と物に問いかけ interroger、わ
れ わ れの 面前 での それら の 結晶 化を 捉え 直し、 反 復な いし 模倣 するの で ある 。
(VI136=140 頁)

74
具体的には、
『世界の散文』や「間接的言語と沈黙の声」における芸術論・言語論と、
『見える
ものと見えないもの』における間接的存在論、フロイト的「重層決定」、そして本稿では触れら
れなかった、学びの現象における言語の役割等を合わせて論じることが想定される。
75
Madison1973: pp.183–203, Barbaras1991, Barbaras1997, 円谷 2014: 第九章.またこれを知覚との
関係から解き明かしたものとして富松 1991 がある。

76
Madison1973: pp.274, 189seq. 但し、マディソンに倣って「メルロ=ポンティにとっては、言葉
(Madison1973: p.275)とまで言い切れるかどうかは分か
が語るのではない。人が語るのである」
メルロ=ポンティにおける人間の特権性の消滅については Bimbenet2004: ch.III に詳しい。
らない。
また後期ハイデガーが形而上学と〈存在〉論を截然と分けるのに対し、ニーチェとメルロ=ポン
ティは常にこの区別を攪乱するということは、Chouraqui2014: pp.115–125.が語るところである。

38
このように、メルロ=ポンティはここで、本稿が扱ってきた、
《懐疑主義から不死身の哲学へ、
そして問いかけとしての思考へ》という道程を要約している。実際、現存する『見えるもの
と見えないもの』遺稿群の内、少なくとも生前に執筆された第一部77に限定すれば、同書の
主旨は、このような様々な哲学の形態を潜り抜けて、最終的に問いかけとしての思考を取り
出すことに他ならない。メルロ=ポンティによれば、哲学は素朴な問いかけから始まり、そ
の歩みの中で、自らの問いかけの形態を変化させていく(VI142–149=147–154 頁)78。即ち、
....
(an sit)という問い(VI19seq.=13 頁以下)
まず懐疑主義的な《世界は実在するのか否か?》
は、これまで見てきたように、超越論的論証によって「世界とは私が見ている当のものであ
....
る」という第一の回答を得、
《そもそも世界や真理や錯覚とは何か?》(quid sit)という問い
へ逆転する(VI20seq.=15 頁以下)
。最早世界が実在するか否かという問題は解消され、それ
らの事象が我々にとって意味することを記述する哲学が始まるのである(VI48–52=45–49
頁)。メルロ=ポンティはこの段階を「反省哲学」と一括しているが、この中には、素朴な観
念論から、超越論的現象学79、そして究極はサルトルの弁証法までが含まれる。しかしこの
「最後の転身 avatar」
(VI135=138 頁)に至って、問いかけとしての哲学は決定的な局面を迎
える。完全無欠の基礎づけが果たされ、自らの長い道程が「完成」
(ibid.)するとき、ついに
「哲学は問いであることを止め」(ibid.)
、死んでいるのである。
かくして、不死身の哲学の全知を潜り抜けて今呼び求められる問いかけとしての哲学の
....... .........
第 三 形 態 は 、《 私 は 何 を 知 る か ? 〔 何 や か ん や 知 ら ぬ が 80 〕》( que sais-je ) で あ る
(VI170seq.=177–179 頁)81。この定式はもちろんモンテーニュ的な懐疑から借用されたも
のだが、その意味は「必ずしもモンテーニュが言ったのと同じではない」(ibid.)と注意さ

77
生前に執筆された本論部分は、
「見えるものと自然(哲学的問いかけ)」の表題の元にまとめら
れる、
「問いかけと反省」
、「問いかけと弁証法」
、「問いかけと直観」の章に加えて、
「絡み合い—
—交叉配列」という断章のみである。有名な「肉の存在論」等の議論は第二部以降で展開される
予定であったが、それもこの問いかけとしての思考を前提としているのである(cf. 井原 1997)

78
(quid sit)しか取
以下で示される問いかけの諸形態について、マディソンは《~とは何か?》
り扱っていない(Madison1973: p.202)

79
デュポンは、
『知覚の現象学』ではまだ曖昧な扱い方に留まっていたフッサールの超越論的現
象学が、『見えるものと見えないもの』では明確に批判対象となっていることを指摘している
(Dupont2004: pp.130–133)

80
滝浦・木田による訳注、および英訳者リンギスの解釈に依拠する(VI 邦訳 444 頁以下)。

81
とはいえ、メルロ=ポンティは「〈存在〉とは何か」
、「世界とは何か」という表現を変わらず用
いており、必ずしもこの第三の形態が《~とは何か》という第二の形態と排反であると考えてい
るわけではない。

39
れているように、単なる不可知論の極致ではない82。そして当然、それ自体は不死身の哲学
に回収されてしまうような「私は何も知らないことを知っている」という知の命題でもない。
むしろこの問いかけは、一つ問い答えるごとにまた新たな問いが生まれるようなその問い
に乗って、具体的事実を一つ一つ思考の手掛かりにしながら、《何か知らないが、とにかく
~なのではないか?》と、自身が未だ知らないはずの事柄にまで足を踏み入れていくことが
、、、、、 、
できるような、積極的な知の運動、「問い知ること question-savoir」
(VI171=178 頁)である
83
。「ひとはただ自分の知っていることについて、いわばそれを誇示するために語るだけで
はなく、自分の知らないことについても、それを知るために語る」
(VI139=143 頁)。この運
動は、どのような論証や答えによっても原理的に乗り越えられない。何故なら、疑問形こそ
が「何かを思念する一つの原本的な仕方」
(VI171=178 頁)であり、
「我々と〈存在〉との関
係に固有の叙法」(ibid.)だからである。今や、問うことこそが、何かを知る唯一の仕方で
ある。不幸な意識において失われていた学びつつある意識は、この問い知ることにおいて新
たな定式を獲得したと言えるだろう。
それではこの問いかけとしての思考は、一体何を問い、学んでいくのか。即ち不死身の哲
学から脱するにあたり、問いかけとしての思考は何の問いを鍵とするのか。それは、我々自
身が生きている現実の驚異であるとされる(VI138–141=142–145 頁) 。これは、別の箇所で
、、
は「あるとは何か?qu'est-ce que le il y a ?」
(VI171=178 頁)という存在そのものへの驚きと
しても表現されているが、しかしもしもこれを常に既に前提されなければならない事実性
の認識として抽象化してしまうならば、再び超越論哲学の《~とは何か?》へ舞い戻ってし
まう。メルロ=ポンティがここで呼び求めているのは、そうした絶対的事実の確認ではなく、
むしろ極めて卑近で日常的で具体的な個々の問いを通じて、我々が生きている尋常ならざ
る現実を露呈させることである。メルロ=ポンティはクローデルの『詩学』からの引用によ
って、その問いが極めて身近なものであることを示している。

時折、一人の男が頭をもたげ、辺りを嗅ぎ、耳を澄まし、眼をこらして、自分の位置を
探る。彼は考え、ため息をつき、そして肋骨のそばのポケットから懐中時計を取り出し
、、、、、、、、、 、、、、、、、
て、時計を見る。私はどこにいるのか、そして今は何時なのか、かくの如きが、われわ
れから世界へ向かって発せられる汲めども尽きせぬ問いなのである(VI140=144 頁)

82
もっとも、メルロ=ポンティはモンテーニュを単なる不可知論者として断じているわけではな
い(S(LecMon), 重野 2008)

83
「進化という大いなる芸術家、
〔……〕それは個々単独の生けるものであり、自らが出会う個
別の諸問題と自らが即興で応じる個別の諸行動の偶然性の中で、順々に自らを全体化していく
(Bimbenet2004: p.257)
よう促される者のことである」 。バンブネは 1957–1958 年の「自然」講義
を基に、飽くなき問いかけの存在論をベルクソンの『創造的進化』から整理している。

40
これらの問いを受けて、もしも自らの生を他の場所や太陽の位置との関係に置くことで
満足してしまうならば、この問いはある種の相対的な答えの元に沈静してしまうだろう。し
かしここからさらに、《それではその空間はどこにあるのか?》、
《その時間自体はいつのも
のなのか?》と問い進めていけば、今や、我々が当たり前に生きている現実が恐るべき謎に
包まれたものであることがうっすらと見えてくる。
「世界そのものはどこにあるのか?」
「私
は本当は何歳なのか?」
「なぜ私は私であるのか?」
「私であるのは、本当に私だけなのか?」
といった「ほとんど常軌を逸した問い」
(VI141=145 頁)が、我々の生そのものに向けて発
せられ、この謎を解きほぐすと同時にさらに炸裂させる。別の箇所の言葉を借りるならば、
問いかけは今や「無知というヒュドラ」
(S(LecMon)260=II87 頁)として、次から次へと増殖
していき、抹消不可能なものとなる(VI160=166 頁)。
そして、こうした我々の生の謎への問いかけの具体例が『知覚の現象学』で実行されてい
ることに注意することで、この問いかけが不死身の哲学を突き破って出てくる仕方も理解
される。本稿第二章で見たように、
「首尾一貫した超越論的観念論」
(PhPvi=I9 頁)の元では、
主体の有限性や受動性、或いは他者の存在といったことも、全く問題ではなくなるというこ
...
とであった。従って、ここから脱却する方途は、まさにこれらのものを問題化すること、即
ち汲み尽くし得ない矛盾として表現し直すことである。メルロ=ポンティは、単に観念論に
対し他者の実在論を説くのではなく、他者の問題を消滅させたはずの超越論的観念論を踏
.......
まえた上で、なおも不可能なはずの他者の問題を立てることにこそ意義を見出している。

〔超越論的観念論を構築したはずの〕フッサールにとっては、周知のように他者の問題
がはっきりと厳存しており、〈他我〉とは一つの逆説なのだ。
〔……〕
〈対自〉の展望—
—私に向っての私の視界および他者自身に向っての他者自身の視界——とは別に、
〈対
他〉の展望——〈他者〉に向っての私の視界および私に向っての〈他者〉の視界——が
.... ......... .........
存在するのでなければならない。もちろん、これら二つの展望は、われわれ各人におい
. .................. 、、、、 、、、、、、、、、 、、、
て、単純に並置されていることはあり得ない。なぜなら、もしそうだったなら、他者が
、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、
見るのは私ではなく、私が見るのは他者ではない、ということになってしまうだろうか
、、
らだ。〔そうではなくて、
〕私は私の外部であり、他者の身体は他者自身である、という
のでなければならない。
(PhPviseq.=I10 頁)

超越論的主観性によるあらゆる意味の構成という原理に則る場合、
「対自」という事象も「対
他」という事象も、それぞれかようなものとして私に感得されていれば、即ち《あの人は私
と同様の人間であり、他者である》という意味が私にとって構成されていれば、他者が成立
するには必要十分だということになる。他者というのも一つの意味として意識に受け止め
られなければ成立せず、また全ての事象がそうだからである。これは決していわゆる独我論
、、、、、、、
ではない。しかし、メルロ=ポンティはこのような問題の処理を拒絶する。
「もしそうだった
、、 、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、
なら、他者が見るのは私ではなく、私が見るのは他者ではない、ということになってしまう」。

41
確かにそうだが、超越論的観念論の立場からすればそれは全く問題ではないということに
なろう。このような違和感さえ、私の意識との相関においてのみ理解されるからでる。しか
しメルロ=ポンティはあくまで我々自身の肌感覚に合った記述に固執する。我々の生きてい
る現実は、言わば「私は私の外部であり、他者の身体は他者自身である」とでも記述されな
ければ正当な表現を得たことにはならないようなものであるはずだ、というのである84。

.............. .
多くの意識が、大勢で演ずる独我論という滑稽劇 ridicule をたがいに上演し合っている
わけであるが、この状況をこそわれわれは了解しなければならない。われわれはこの状
況を現に生きているのだから、それを解明する手だてもあるにちがいないのだ。
(PhP412=II227 頁)

84
ここでメルロ=ポンティは、『デカルト的省察』になぜ第五省察があるのか、という問題に切
り込んでいると理解して差し支えないだろう(PhP427=II246–248 頁,PhP49seq.=I84 頁以下)。
しばしば、超越論的現象学においては他者論が問題になると言われるが、これは本来あり得ない
ことである。超越論的観念論においては、他者は全く問題にならない(PhP51=I87 頁, 75=I118 頁)。
.......
それ故メルロ=ポンティは、フッサールがこの不可能なはずの他者問題を提起しているという非
一貫性を評価しているのである(cf. S(PhOmb))。川崎は、メルロ=ポンティの主知主義批判がフ
ッサールをも相手にしているという従来の見方に疑問を呈し、むしろ主知主義的でない仕方で
フッサールを解釈することこそがメルロ=ポンティの意図であると指摘している(川崎 2018: 92
頁)。しかしより厳密に、メルロ=ポンティはそもそも一つの真のフッサールを取り出そうとはし
ていないと言うべきであろう。
『心身の合一』講義(1947)や「モンテーニュを読む」(1947)

「哲学を讃えて」講演(1953)におけるマルブランシュ、ビラン、ベルクソン、モンテーニュの
扱い方と同様に、ここでもメルロ=ポンティは一人の哲学者の内に矛盾する二つの視点があるこ
とを肯定的に評価していると考えられる。それでは実際にメルロ=ポンティは自他の交流につい
てどのような記述的表現を与えているのか、という問題設定も当然可能であり、これが従来の、
屋良 2003、酒井 2020 をはじめとする所謂「メルロ=ポンティの他者論」研究である。
「自己と他
者の神秘的な合一」を基礎に据える「平和的」な思想というステレオタイプや、これに対する正
面からの諸反論、或いはメルロ=ポンティ他者論の通時的な深化を主張する研究等がある(酒井
2020: 20–24 頁,39–48 頁,253–261 頁)ものの、本稿がここで示しているような、そもそも他者
を論じるとはいかなる事態なのか、という次元をこそメルロ=ポンティが問題にしていること(cf.
VI109–116=111–119 頁)を示した先行研究は無い。この観点から見たときメルロ=ポンティの思
想は、他者論というよりもむしろ他者論論として意義があると言える。例えば「平和的コミュニ
オン」というステレオタイプに抗して「非人格的次元における原初的交流〔……〕は平和か暴力
(酒井 2020: 48 頁)と言っ
かという二者択一に対しては中立的、あるいは両義的な状態である」
たとしても、これが他者の超越論的論証の内に収まっているとしたら、それ自体が他者の抹消に
なるのだと言うべきであろう。注 38 も参照。
42
..... ....... ...
一方で私の意識が唯一のものでありながら、しかも同時に、それが複数あるというのでなけ
......
ればならない。「大勢で演ずる独我論」、
「私は私の外部であり、他者の身体は他者自身であ
る」、これらの記述的命題は端的に言って、矛盾している。超越論的観念論に基づけば、こ
のような蒙昧な矛盾は解消されるだろう。それ故、不死身の哲学があらゆる問題を消滅させ、
我々の思考の生を途絶えさせようとするとき、メルロ=ポンティが我々の生きる現実を取り
戻し、息絶えることのない思考の生を駆動させるために用いる鍵は、この「滑稽」とさえ言
えるような矛盾そのものなのである85。「問題は今こそそのありったけの困難さを伴ってあ
らわれてきている」
(PhP412=II227 頁)のでなければならないのである。
かくして、
《私は何を知るか?〔何やかんや知らぬが〕》を自らの態度とし、我々自身がそ
れであるような矛盾を問うことによって、それを学び知りながらさらに増幅させる、このよ
うな問いかけとしての思考は、その矛盾という通路によって、不死身の哲学を打破する。世
界を前にした無為に留まる不幸な意識や、全てにアクセスできる素振りを見せながら結局
は思考を停止させてしまう超越論的解釈に反して、メルロ=ポンティが描いていたのは、
『見
えるものと見えないもの』においてだけでなく『知覚の現象学』以来、この思考だったので
ある。これこそが、懐疑主義を潜り抜けつつ、不死身の哲学をも打開して尚も進み続ける、
メルロ=ポンティの思い描いた、滑稽ながらも生ける哲学である。

哲学は、自分があらゆる知識にさし向ける問いを、自分自身にもさし向けねばならぬで
あろうし、したがって哲学は、自分を無限に二重化してゆくことだろう。こうして哲学
............................ .
は、〔……〕それが自分の意図にあくまで忠実にとどまるまさにそのかぎり、それは自
...................
分が一体どこに行くかをけっして知らない、 (PhPxvi=I25 頁)
ということになるだろう。

結論

『知覚の現象学』に描かれる不幸な意識の脱却のドラマ、これは実存論的具体性と理論的
正当性の両方の要件に答えるものでなければならない。前者のみであるならばこれは無根
拠な物語に留まり、後者のみであるならば我々の現実に対しなんらの効力も持たないもの
となるだろう。本稿は、この各面から行われた先行研究を踏まえることで、片手落ちになら
ない論理がメルロ=ポンティの記述の内に存在することを証明したものである。
そのためには、メルロ=ポンティが批判している「主知主義」を可能な限り巨大なものに
解釈し直すことが重要であった。従来はこれが過小評価されてきたが故に、一方で実践論的
解釈は単なる理論的論証の否定に、他方で超越論的解釈は隠蔽された主知主義に終始しか

85
メルロ=ポンティの思想において、我々の生きている矛盾を発見すること、そしてこれを解消
しようなどとしないことこそが重要であるという見方は実川 2000 が主張するものである。

43
ねないものだったのである。これを踏まえて、メルロ=ポンティの批判はこれらの相対的な
立場全てに向けられているものだと解釈することができるならば、そのときこそメルロ=ポ
ンティの企図は正当に遂行されていたことになる。そして本稿は実際にこの解釈が可能で
あることを、その端緒だけでも証明できたと信じる。これが果たされるなら、実存論的問題
と理論的考察が相反するものではなく、むしろ一体になり得るものだということ、そして憎
悪や絶望に閉ざされ、世界と没交渉になった主体がこの絆を結び直していく道程が決して
思考の放棄に終わるものではないこと、これらのことを語るものを、我々はメルロ=ポンテ
ィの思想という一つの所産から受け取ることができるようになるだろう。今後のさらなる
研究によって、
『知覚の現象学』の諸記述を問いかけとしての思考への道程として解釈し直
し体系的理解を与えること、また後期思想における存在論、言語論を有機的に取り込むこと
によって、問いかけとしての思考の内実を明らかにすること、これらが展望として見込まれ
る。
最後に、以上のことを示すために本稿が実行した個々の作業を改めて要約しておこう。無
為と非創造性に支配された生の態度は、メルロ=ポンティによって懐疑主義と合理主義、経
験論と主知主義の共謀的二者択一として整理され、これを如何に乗り越えるかが争点とな
った。実践論的解決が無根拠に留まるのに対し、超越論的解決は一見、不備の無い論証であ
る。しかし後者は実のところ、メルロ=ポンティが終始批判し続けていた不死身の哲学の主
知主義だったのであり、彼が採った道はこれらのいずれでもなかった。メルロ=ポンティが
求める問いかけとしての思考は、不死身の哲学の全知の裏をかき、我々の矛盾した生を糧に
問い、学び、思考し続ける、生きた哲学である。偽りの救済に立つ不死身の哲学を打破する
問いかけとしての思考こそが、結果的に、疎外された主体を世界との応酬へもたらすのであ
る。結語に加えてもう一つ付言するならば、この常軌を逸した粗削りな問いかけは、決して
人間的世界や世俗的世界に収まるものではなく、その彼方へはみ出していく。本稿が用意し
た観点から、メルロ=ポンティ思想における宗教的なものの意味を解明していくことができ
るだろう。彼はモンテーニュを読解する中で、生きられた謎としての人間像を彫琢していく。

キリスト教の教えの中で彼が守っているのは、無知の誓願である。〔……〕奇怪なもの
の場所を確保し、われわれ人間の運命が謎に満ちたものであることを知っているとい
う点で、宗教には価値があるのだ。その謎について宗教が提出する解決は、いずれもわ
..........
れわれの怪物的条件とは相容れない。問いかけとしての宗教は、回答を伴わないかぎり
において根拠がある。それは、われわれの狂気のありかたのひとつであり、われわれの
狂気は、われわれにとって本質的なものなのである。人間の中心に、自己満足した悟性
ではなく、自己に驚き呆れる意識を置くならば、われわれは、事物の裏面に対する夢想
を消し去ることはできないし、あの、彼方の世界への言葉なき祈願を圧し殺すこともで
きないのである。(S(LecMon)257=II82 頁)

44
謝辞

本論文が書きあがるまでには、多くの時、多くの場所、多くの物、そして多くの人の助力
があった。まず、哲学書のまともな読み方も分からない状態に始まり、講義や演習、面談を
通して六年間ご指導いただいた杉村靖彦先生、授業や面談に限らず、学会や諸制度に関して
もお助けくださった伊原木先生、重ね重ね、お礼申し上げます。また、日頃からお世話にな
っている先輩方からは、勉強方法や行動の指針を学び、そして多くの思考の糧をいただいた。
とりわけ、この大学院の二年間は同期の三名と共に切磋琢磨し、お互いに思索と研究と生活
を深め合う環境を持つことができた。本論文の内容の多くも、この中で用意されたものであ
る。お世話になった同学の皆様に感謝申し上げます。これまで触れた全ての人から流れ着い
たここに、この紙片は存在する。最後に、これまでこの世に生まれ、そして死んでいった魂、
生まれることができなかった全ての魂に。

45
参考文献

※各項末尾()内の数字は原著初版の出版年

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※同文献の内、ジェラーツによる部分を引用する際は「GERAETS/Madison1981」
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