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344 人工知能学会誌 26巻4号(2011年7月)

I 特 集 1 「主観性とパ ー スペクティブ」

言語に現れた主観性と間主観性
一生態心理学の観点から 一
Linguistic Manifestations of Subjectivity and Intersubjectivity
-From the Perspective of Ecological Psychology-

本多 神戸市外国語大学
Ak涵 Honda Kobe City University of Foreign Studies.
honda@inst.kobe-cufs. ac. jp, http://hornepage2.nifty.corn/honda-akira/

Keywords: self perception,jointattention, zero expression, first-person pronoun, point ofview.

1. 本論の概要 2. 言語に現れた主観性

本論は, 言語に現れる主観性と間主観性について. 生 2·1 環境の知覚と自己知覚の相補性


態心理学の観点から検討することを目的とする. その過 生態心理学では, 環境の知覚には知覚者自身の自己知
程で浮かび上がるのは. 主観性が間主観性と相互浸透し 覚が伴うと考える. これは[Gibson79, p. 141]の次の言
合っているということである ” · 葉に集約されている.
本論ではまず.主観性を取り上げる. 生態心理学では. (1)世界を知覚することは, 同時に自己を知覚する こ

環境の知覚に知覚者自身の自己知覚が伴うと考える. こ とである ·
れは言語における主観性と視点. あるいは言語表現のパ これは別の言葉で言えば.「環境の知覚と自己の知覚
ースペクティブ性を考えるうえでの理論的な基礎を与え の相補性」ということになる. これについて, 図1で考
てくれる. すなわち.「世界を知覚する こ とは. 同時に えてみよう. この絵はErnstMach[マッハ71, p. 16]に
自己を知覚する こ とだ」というGibsonの言葉に並行す よる自画像であり,[Gibson79, p. 113]が「視覚的自己
る形で.「世界を語る こ とは. 同時に自己を語る こ とだ」 (visualego)」と呼んでいるものである. こ れは, Mach
といえることになる. 自身の左目に見えた光景を描いたものである. 右端に描
また生態心理学では. 他者の知覚にも自己知覚が伴う かれているのはMachの鼻であり. 中心に伸びているの
と考える. これは間主観性に関わる問題である. 本論で は脚である. この絵には部屋の様子が描かれているのみ
はこれに関して. 環境内の事物の知覚が他者の知覚にガ で. Machの顔は描かれていない. それではこれがどの
イドされる場合があり. それが言語現象として現れる こ ような意味で.「自画像」であり.「自己」であるといえ
とを示す. これは. 主観性が間主観性に支えられている るのだろうか.
ことの 一 端である. 確かにこの絵には, Mach自身の姿あるいは顔は描か
次に. 間主観性が関わる現象として. 英語における れていない. しかし姿(顔)が見えなくても. この図か

人称代名詞Iの習得を取り上げる. 人称代名詞は「自 ら. Machの顔が部屋の中のどの位置にあって. どの方
己」を表現するものであり. 一見極めて「主観的」と見 向を向いていて. 何を見ているかを. 我々は容易に知る
える. しかしその習得には「他者の視点の取得」という こ とができる. その意味で, この絵はMach自身を表現
間主観的な能力が関わっていることが知られている. す した絵. すなわち自画像ということができる. 人間の視
なわち,「自己」の表現という 一見「主観的」と見える 野には身体によってつくられる境界があり.その境界が,
ものが.実は間主観性に基礎づけられている こ とになる. 見える範囲としての視野を画定するとともに 見ている
最後に. 本論が認知言語学における事態把握論ないし 自身のありかを知覚者に教えるわけである.したがって,
視点論に対して生態心理学の観点から理論的な基礎を提 こ の絵には, 部屋の中のあり方についての情報と, その
供するものであるということに言及する. 部屋のあり方を知覚しているMach自身についての情報
が合わせて含まれているのである.

* 2 to perceive the world is to coperceive oneself.


*l本論はまた,1本多08]において提起した問題に対する著者自
身の回答としての意味合いももつ.
言語に現れた主観性と間主観性一生態心理学の観点から一 345

(
3) ◇自殺はイヤ
運転中に眠くなり,通りがかりの岸壁で車を止めて
仮眠した. どのくらい時間がたったか,ふと目を覚
ますと車が海に向かって前進している! 反射的に
ブレーキを踏み込んだ. と,冷静になって見回すと,
なあんだ,隣の車がバックしていたのである.ああ,
よかった.
『毎日新聞』 2005年 1
1月 27日(日曜版;投稿欄)
これは Gibsonが「視覚性運動感覚」と呼んでいる現
象である.
これらの例において知覚されている知覚者自身は,情
報処理過程を経て概念的・反省的に認識されているわけ
ではない.生態心理学ではこのことを自己が「直接知党」
されているという.

2・2 環境の表現と自己の表現の相補性
以上のような現象と並行する現象は,言語にも広範に
図 1 マッハの自画像 見られる.
(
4)a
. 男は部屋のドアを開けて,中に消えた.
次に,以前放送されていたカメラ付き携帯霞話のコマ b
. ドアが開いて,男が入ってきた.
ーシャルのストーリーを紹介しておこう. (c
f.[Talmy0
0))
(
2) 若い女性が遊園地の観覧車に乗っている.両手で これらの文は単独で示されたら,一見無視点的に書か
ピースをし,満面の笑みをたたえながら一人で写っ れた状況の「客観的な」描写に見えるかもしれない.が.
た映像が彼女の父親のもとに送られる. このようにペアで提示することで,実はそうではないこ
彼女は父親に話しかける. とが明らかになる.
「ね,私一人だけでしよ,心配しないで.」 これらの文に登場して部屋のドアの近くに姿を見せて
それを見た父親がつぶやく. いる人物は一人だけである. しかし, ドアの近くに実
「いったい誰が撮ってるんだ! ?
」 は少なくとももう一人.人物がいるはずである.それは
父親が受け取った写真に姿が写っているのは,確かに 当たり前のように思われるかもしれないが,話し手であ
彼女一人である. しかしその写真からはそこに,姿こそ る
. しかも,この例に関してより重要なことは, a
.の文
見えないものの,彼女のほかに少なくとももう一人,人 とb
.の文とで話し手の立ち位置が違うということであ
がいることがわかる.それは,その写真を撮った人物で る.つまり. a
.では話し手は恐らく部屋の外にいるが,
ある.その人はまた,彼女の頻に幸せな笑みを浮かべさ b
.では中にいる可能性が高い.それが.この二つの文か
せることができる人物でもある. らわかる.つまりこの二つの文には,部屋のドアをめぐ
これらはいずれも,環境の知党と自己の知覚の相補性 る一人の人物の行動だけでなく,それを観察する話し手
の現れである.知覚者が環境を知覚する際,知覚される の存在と,その立ち位置が表されている* 3. つまりこれ
環境についての情報は,同時にその環境を知寛する知覚 らの文は,述べられた出来事についての情報と,それを
者自身についての情報と合わせて取り込まれる, しかも 知覚し,言語に表現している話し手自身についての情報
このことがあらゆる知覚現象に関して成り立つ. これが (述べられた出来事との空間的な位置関係において捉え
生態じ理学の主張である. られた話し手自身のあり方についての情報)が表現され
そしてカメラ付き携帯電話のコマーシャルの例では, ているわけである.
知覚者(撮影者)について伝えられる情報は二重である. (
4) は同一の出来事を記述した文であるが,表現形式
第ーは,女性と対面して座っているという空間的な情報 は異なる.その異なりには話し手の立ち位置の違いが対
である.そして第二は,その知覚者が女性の顔に幸せな 応しているわけである.
笑みを浮かべることができる人物であるという.対人的 (
5) 先生,本多君が授業サボって仙台屋でパン食べて
ないし社会的な情報である. ました!
自己知覚は,ここまで取り上げてきたようなスナッ これに対しては次のような返答が成り立つ.
プショット的な瞬時の環境の見えだけでなく,時間の中
で展開する見えの変化にも伴う. *3 これは.[浜田 0
4,浜田 0
9]のいう,「視点としてのみの参加」,
「三人称的臨場」に相当するものである.
346 人工知能学会誌 26巻 4号 (
201
1年 7月

(
6) そうですか.ところで君は b
. Thei nt
erper sona
ls el
f,whichappearsfrom
a
. なぜそのことを知ってるんですか.君も授業サ e
arl
iestinfancyjustasthee c
olog
icalsel
fd o
es,i
s
ボって仙台屋に行ってたんですか. s
pec
ifiedbys peci
es-sp
ecif
ics i
gnalsofemotiona
l
b.本多君の話しかしませんね.そんなに本多君の rapportandcommunication:Iamtheperson
ことが気になりますか. whoi se ngage
d ,here,inthisparticu
larhuman
つまり (
5) には,「本多君」についての情報だけでな interc
hange.
く,話し手自身が「どの辺りにいて(視座)」,「何を見 c
. Theextendeds elf..
.
ていたか(注視点)」* 4 という情報が埋め込まれている d
. Thep rivat
es elf
...
わけである. e
. Thec onceptu
a lsel
for'self
-conc
ept'...
また誰かが誰かに対して,(7
a) のように呼びかけて [N
eisser88,p.36
]
いたら,二人は息子とその親である可能性が高い.また ここまで検討してきた自己に相当するのは,第一のエ
(
7b)のような表現を使用していたら,話し手は店員など, コロジカルセルフと第二のインタパーソナルセルフであ
組織に所属して客に対応する立場の人物である可能性が る.前者は対象との空間的な位置関係において捉えられ
高い. た自己に相当する.本論では便宜上これを「主観的自己」
(
7)a
. 親父,おふくろ と呼ぶ後者は対象との対人的ないし杜会的な関係にお
b.お客さん いて捉えられた自己に相当する.これを便宜上「間主観
「親父」,「おふくろ」には,話し手についての情報を 的自己」と呼ぶ
明示的に伝える要素は含まれていない. しかし,明示さ (
2) のカメラ付き携帯電話のコマーシャルに即してい
れていないにもかかわらず,指示対象との関係から見た えば,送られたその写真において,撮影者は主観的自己
話し手のあり方がわかる.「お客さん」の場合も同様で と間主観的自己の両面で表現されている.撮影者は,女
ある.つまりこれらの表現には,呼びかけの対象となっ 性と空間的に対面して写真を撮っているという点で,主
ている人物についての情報だけでなく,その人物を認識 観的自己のレベルで表現され,女性の顔に幸せな笑みを
し,呼びかけを行っている話し手自身についての情報(対 浮かべさせることができる人物であるという点で,間主
象となっている人物との対人的ないし社会的な関係にお 観的自己のレベルで表現されているわけである.
いて捉えられた話し手自身のあり方についての情報)と
が,合わせて表現されているわけである. 2・4 共同注意と自己の直接知覚
以上を (
1) にならってまとめれば,次のようになる. 主観的自己と間主観的自己の関係については,事物に
(
8) 世界を語ることは,同時に自己を語ることである. ついての知覚に伴うか他者についての知覚に伴うかの違
これは,言語表現が本源的にパースペクテイプ性をも いはあっても性質としては同一であるから,同一の自己
つ,視点依存的なものであるということを生態心理学 の二側面に過ぎないという主張と,別種の自己と認める
の観点から原理的に把握したものということができる. べきであるという主張とがある [
Nei
sse
r93
b].この問題
また,「事態に対する話し手の捉え方」を問題にすると に対しては,発達論的な観点からのアプローチが有益で
いう認知言語学の問題意識に認知科学的な基礎づけを与 あると考えられる.すなわち,生後間もない頃には間主
えるものでもある. 観的自己と主観的自己が相対的に独立して存在するが,
やがてこの二つは統合されると考えられるのである.統
2・3 N
eis
serの「5種類の自己知識」論 合を引き起こすのは,いわゆる 9か月革命による共同注
上のような,「姿の見えない自己」,「音形をもたない 意の能力の発現である.共同注意とは,短く規定すれば,
形で表現される自己」について,自己概念全般との関連 「他者と一緒に同じものに注意を向けること」である.
で捉えているのが,[Neisser8
8] の提唱する「5種類の 赤ちゃんは,生後 2 3か月になると.他者と見つめ
自己知識」論である* ・
5 合い,微笑み合ったりするなど,他者との社会的な関係
(
9)a. Thee c
ologi
calselfistheselfasp ercei
ved を取り結ぶようになる.ここで〈乳児〉〈ひと〉という
withrespecttotheph y
sicalenvironment: T 二項からなる社会的な関係が成立する.この転機は「2
amt hepersonherei
nt hi
splac
e,engagedi nthi
s か月革命」と呼ばれることもある.生後半年頃になると,
part
icul
aracti
vit
y. 赤ちゃんは〈もの〉に注意を向けるようになり,〈乳児〉〈も
の〉という二項関係が成立する.この時期の赤ちゃんに
とって,〈もの〉との関係は〈ひと〉との関係を基盤と
*4本論では「視座」を「状況をどこから見るのか」ということ
を捉えた概念として用い.これを「何を見るのか」という見ら しながらも,それとは相対的に独立している.例えばこ
れる対象を捉えた概念としての「注視点」と区別する[松木 9 2, の時期の赤ちゃんでは,他者の真似を通しての学習は成
佐伯 78
].なお「視点」は両者をともに含む用語である.
立しない.携帯電話をもってもしゃべるまねをするわけ
*5[板倉 99
,佐々木 9
3] に,この概念についてのわかりやすい紹
介がある. ではなく,触る・なめるなどのような汎用的な動作をし
言語に現れた主観性と間主観性一生態心理学の観点から一 347

た後,飽きると投げ出す,といった行動をする.ただし,
同じものでも放置されているものではなく,現に他者が
手にしているものに興味を示したりはする.
やがて生後 9か月頃から 1
2か月頃の時期に,赤ちゃ
んは他者の行為の模倣を始める.電話を手にすると,耳
に当ててしゃべるまねをするなど.電話にふさわしい行
為をする.また.指さしなどが機能するようになる.す
なわち,他者と一緒に同じものに注意を向ける共同注意
が発現する.この変化は「 9か月革命」と呼ばれること
もある[大藪 0
4,Tomasello9
9,やまだ 87,やまだ 0
5].
以上を自己知覚に関して読み換えれば,生後 2 3か
月頃に間主観的自己が成立し,それとは相対的に独立な
ものとして生後 6か月頃に主観的自己が成立する.両者
は 9か月革命を経て統合されることになる.この間主観
的自己と主観的自己が統合されて成立する自己を,著者 図2 (
lla
) における話し手にとっての〈見え〉
は「匝接知覚される自己」と呼んでいる.共同注意の能
力が発現した後に関していえば,主観的自己と間主観的 (
11a
) の話し手にとっての視野をそのまま再現する形
自己は「直接知覚される自己」のもつ二つの側面という で図示したものが図 2である.この中に.話し手自身の
ことになる. 姿は含まれていない.このことを反映して,言語表現と
共同注意は.他者を介して事物と関わり合い,事物を しての (
11a
) には,話し手を明示的に指示する音形の
介して他者と関わり合う関係である.これは.主観性と ある要素は含まれていない. しかし,この図から,話し
間主観性が相互に支え合うということである. 手が実際に食卓に座ってヴァネッサに対面する位置にい
ることが知覚できる.同様に,言語表現としての (
11a
)
2・5 言語に現れた(間)主観性 は.話し手が実際に食卓に座った位置からヴァネッサを
直接知覚された自己の言語における現れ方は,次のよ 見ているという印象を与えるものになっている.
うにまとめることができる. この議論は,(4
) のような一人称代名詞の有無が問
(
IO)a
. 世界を語ることは同時に自己を語ることで 題にならない場合にも適用される.(4) にあげた例が話
8
ある.(= ()) し手についての明示的な表現を含まないにもかかわらず.
b
. 言語において,音形をもった形式によって表現 話し手の位置についての情報を含む文になっているのも.
できるのは,話し手の視野の中に含まれるものに 同様のメカニズムによる.( 4) の場合に主に問題になる
限られる. のは話し手の空間的な位置であり,その意味でこの場合
C
. 知覚における直接知覚される自己は視野の中に には直接知覚される自己のもつ二側面のうち,主観的自
あるものではない. したがって,音形のある言語 己のほうが主に問題になるといえる.それに対して (
7)
形式によって明示的に指示することはできない. では直接知貨される自己のもつより対人関係的な側面,
すなわち知覚における直接知覚される自已に相当 すなわち間主観的自己のほうが問題になるといえる.
する言語表現の形式はゼロ形である.
このことを,次の (
Ila
) で確認しておこう. 2・6 間主観性に埋め込まれた主観性
(
11)a
. Vanessai
ssi
tti
nga
cro
sst
het
abl
e. 言語現象には,主観的自己と間主観的自己の効果が別
b
. Vanessai
ssi
ttinga
crossthetab
lefromme. 個に存在し,なおかつ両者が共同していると認められる
(cf
.[Langacker8
5,Langacker9
0]) ものがある.
Langackerの指摘以降よく知られているように,( I la) 例えば,不祥事を起こした生徒の親が学校に呼び出さ
では,話し手が実際に食卓に座った位置からヴァネッサ れて,教師に対していう発話としては,次の (
12a
)が
を見ていると感じられる. したがって,この文はヴァ 自然である.一方,同じような詫びの言葉を教師に対し
ネッサが目の前にいるかのような印象を与える文にな てではなく(仲の良い)隣家の住人に対して述べる場合
る.これに対して (
llb
) では,話し手が実際の食卓と には,( 1
2b) のほうが自然になる.
は別の位置から状況を眺めているという解釈が可能に (
12)a
. 申し訳ございません.家庭でも十分,指導い
なる.そこで,例えば話し手が自分の写った写真や映 たします.
画を見ながらそれについてコメントしている場合には, b
. ごめんなさいねえ.二度としないようにきつく
(
lla
) は使うことができず,( l
lb) だけが適格となる 言い聞かせますから.
[Langacker8
5,Langacker9
0]. (
12a
) で「指導する」が指示する行為と,( 1
2b) で「言
348 人工知能学会誌 26巻 4号 (2011年 7月

い聞かせる」が指す行為とは,現実には全く同種の行為 には,視座の移動が必要となる.そこで話し手は自分自
であり得る.ある行為を「指導する」と捉えるか「言い 身を観念的に分裂させて,そして姿としての自分が視野
聞かせる」と捉えるかの違いは,事物に対する捉え方の の中に含まれる位置に移行するわけである.これは,[三浦
違いである.そして,事物に対する捉え方の違いに伴っ 8
3]が「自己の観念的な分裂・移行」と呼び,[Langacker
て,自已についての捉え方の違い,すなわち主観的自己 8
5 、 displacement と 呼 ぶ 認 知 プ ロ セ ス で あ る .
] か“
のレベルでの自己の捉え方の違いがある.ところでこの, [
Lan
gac
ker8
5]はこれを図 3のように示している.
(
12a
) の「指導する」と (
12b
) の「言い聞かせる」の この図の G は現実の位骰にいる話し手, G'は仮想的
違いは,聞き手の違いに同期している.すなわちここに な分裂・移行を経た話し手である.この displacement
は,異なる他者についての理解と,それに対応して成立 によって.話し手は自分自身を姿として視野の中に捉え
する自己知覚の違い,すなわち間主観的自己のレベルで ることができ,その,姿として見える自身を,音形をも
の自己の捉え方の違いがある. つ一人称代名詞で指示することができるわけである.ま
すなわち,( 1
2) では,主観的自己と間主観的自己が とめると. 1
(3) になる攀
それぞれ独立に認められ,なおかつ両者が共同している. (
13) 一人称代名詞は,(観念的な分裂・移行を経た)
事物に対する捉え方が他者によってガイドされている例 知覚・認識者の視野の中に含まれる自己をその指示
である. 対象とする表現形式である.
言語にはこのような事物に対する捉え方が他者によ (
cf
.[Langacker8
5,三浦 8
3])
ってガイドされている例が広範に存在する[本多 0
6]*6. この議論を踏まえて. l
(lb
) (再掲)を考えてみよう.
(
llb
) Vanessai
ssi
tti
nga
cro
sst
het
abl
efromme.
3
. 言語に現れた間主観性 Langackerもいうように,この文は話し手が現場にい
なくても使うことができる.それは.この例においては
3・1 一人称代名詞の認知構造 話し手の視座が食卓から離れており,ヴァネッサと自分
ところで脅話し手自身の表現として一般に知られてい 自身をともに姿として視野の中に見ることができる位置
るのは,前章で検討したゼロ形ではなく,一人称代名詞 にいるためであると考えられる.このときの話し手にと
であろう.それでは,一人称代名詞は,本論の枠組みで っての視野をそのまま再現する形で図示するならば,図
はどのように位置付けられるのだろうか. 4のようになる.
いうまでもなく,一人称代名詞は音形をもつ言語要素 この中には, ヴァネッサの姿 (
V) に加えて話し手自
である.( 1
0) によれば,言語において,音形をもった形 身の姿 (
S) が含まれている.そしてそれを明示的に指
式によって表現できるのは,話し手の視野の中に姿とし 示する音形のある要素として,一人称代名詞の meが使
て含まれるものに限られる. しかし通常.話し手自身は 用されている.このように,話し手の視座が本来の位置
話し手の視野の中に姿として含まれるものではない.視 である食卓から離れており,自分自身を姿として捉えて
野の中に姿として話し手自身が含まれるようにするため いる場合に用いられるからこそ,( l
lb) は話し手が自分

の写った写真や映画を見ながらそれについてコメントし


-G

ている場合にも用いられるわけである.
l


ヽ(
,
'
︱︱
¥l'





.ヽ



- ’

``
図3 [
Lan
gac
ker
85]の “
dis
pla
cem
ent
"

*6聞き手とは無関係の第三者の存在も事物の捉え方に影響する.
それを実験室環境で示した研究として [Tversky09]があげられる. 図4 (
llb
) における話し手にとっての〈見え〉
言語に現れた主観性と間主観性一生態心理学の観点から一 349

3・2 一人称代名詞と他者の視点の取得 具体的には,図 5のような状況で,子供に,「今太郎


Langackerは [Langacker0
7}において,英語の Iの意 君には太陽が見えているね.それでは,おじちゃんには
味構造が間主観性 (
int
ers
ubj
ect
ivi
ty).特に他者の視点 何が見えているかな?」と聞く. このとき太郎が「ハー
の取得を基盤にしていることを明示的に主張している. トが見えてる」と答えることができるかどうかと,一人
その基盤を本多の言葉で要約すれば.次のようになる. 称代名詞 Iの習得が相関しているわけである.
(
14) 私はあなたを見る主体であると同時に,あな つまり,一人称代名詞の認知的な基盤としての視座の
たに見られる客体でもある.そして私は擬似的に 移動は心理的な実在性をもつといえるわけである.
(
sim
ula
tio
nによって),あなたの目を通して私自身を また,このような視座の移動は,単なる空間移動の
見るということを行う.つまり,私は私自身を見る 能力と想像力に基づく別の視庫への移動ではなく,対人
主体であると同時に私自身に見られる客体でもある. 的ないし社会的な能力に基づく他者の視座への移動であ
る.単なる空間移動の能力と想像力に基づく別の視座へ
の移動であれば,自己鏡映像認知の達成と一人称代名詞
の習得が相関するはずであるが,実際にはそうでない.
それを端的に示すのが, 自閉症の人に見られる人称代名
詞の使用の障害である.自閉症の人は自己鏡映像を自
'
‘/
‘,
,,
,,
, `
‘‘‘
‘‘‘
‘ 己の像であると認知できる場合であっても,人称代名詞
c
hil
dse
est
hes
un a
dul
tse
esah
ear
t の使用に障害を示す場合がある [Loveland9
3]*7. これ
は,一人称代名詞を支える視座の移動が,単なる空間移
T
hec
hi
ldi
sas
k 加t
叫 “W d
oest
heo
the
rpe
rso
nse
e?
" 動の能力に基づく別の視座への移動ではなく,対人的な
いし社会的な能力に基づく他者の視座への移動であるこ
図5 [
O'G
rad
y05]による [
Lov
ela
nd8
4]の実験の解況図
とを示している* 8.
そして Langackerのいう「自分自身を他者の目を通
これは自分自身を他者の視座から見ることが一人 して見ることのシミュレーション」は,「自分自身にと
称代名詞の認知的な基盤と考えるものである.ただ っての見えとは異なる見えをシミュレーションするこ
し Langackerの 議 論 は 思 弁 に 基 づ い た も の で , 経 験 と」を自分自身の姿に対して適用することで可能になる.
的な根拠は提示されていない.次節では, Iにおける 他者の視座への移動には他者についての理解が必要で
displacement と他者の視点の取得についての経験的な あり,他者の理解には相補的に自己の理解が伴う.つま
根拠を紹介する. り Lovelandの知見は,一人称代名詞の成立基盤とな

る視座の移動の原点にあるのが,事物との関連で知覚さ
3・3 言語習得からの根拠 れる主観的自己ではなく,他者との関連で知覚される間
Iの認知的な基盤としての視座の移動は単なる言語学 主観的自己であることを示唆する.間主観的自己が視座
者の思弁にとどまるものではなく,子供の一人称代名詞 の移動によって対象化され,視野の中に姿として存在す
の習得の研究に基づく発達心理学的な根拠がある. るようになったものを指すのが一人称代名詞である.
[Loveland8
4] は,子供の言語発達過程における一・ ただし,間主観的自己が対象化されたものと主観的自
二人称代名詞の獲得と視点現象の関係を調査している. 己が対象化されたものは実体としては同一人物であり,
それによれば,人称代名詞の獲得に先立って,子供は次 なおかつ 2・4節で述べたようにこの二つの自己は,すで
のことを理解しなければならない. に生後 9か月から 12か月の時期に「直接知貨される自
(
15)a
. 環境を見るときの視座は一つではなく,無数 己」として統合されていると考えられるため,一人称代
にあり得ること. 名詞は間主観的自己だけと対立するのではなく,主観的
b
. 他者は子供自身とは異なる観察点にいるものな 自己も含めた直接知覚される自己全般と対立することに
ので,他者にとっての環境の見えは自分にとって なる.
の環境の見えとは何らかの形で異なるというこ
と.特に
. 自分には見えないものが他者には見えている
1 *7 [Keenan04]は,自己鋭映像認知の達成と一人称代名詞の習得
が相関していると主張している. しかしその議論は,自己鏡映
場合があるということ. 像認知が達成される時期と [ Im
ben
s-B
ail
ey98] で報告された一
2
. 自分に見えているものが他者には見えていな 人称代名詞の習得の時期が重なっているということを指摘する
にとどまっており.具体的に個々の子供達に関して両者の相関
い場合があるということ. を確認しているわけではない. したがって,その主張は十分な
[Loveland8
4]は,子供がこれについて理解している 根拠があるとは言いがたい.
*8 [
Osh
ima
-Ta
kan
e96] は年長のきょうだいの存在が一人称代名
度合いと,子供が一・ニ人称代名詞を正しく理解・産出
詞の習得を促進することを示している.この研究も.一人称代
できる度合いとが相関していることを示した. 名詞の習得が間主観性に基盤をもつことを支持している.
350 人工知能学会誌 26巻 4号 (2011年 7月

4
. 事態把握論および視点論に対する意味合い ◇ 参 考 文 献 ◇

本論は,言語学における視点論に対して生態心理学の [Gibson7 9]Gibson,J .J.:TheEcologicalApproacht oVisual


Perception,HoughtonM i
ffli
n,B oston,MA. ( 1979), (古崎敬・
観点から理論的な基礎を提供するものである.特に「事 古崎愛子・辻敬一郎・村瀬曼訳:生態学的視覚論:ヒトの知覚
態把握」[池上 1
1lおよび「認知モード」[中村 0
3, 中村 世界を探る.サイエンス社 ( 1985))
[浜田 0 4] 浜田寿美男:セミナー発達心理学 7 3, 季刊発達. V ol.
04,中村 06,中村 09]の議論と関連をもつ.「主観的把握,
99,2004年夏号. p p.113-118 ( 2
004)
客観的把握」[池上 1
1]あるいは「 Iモード, D モード」(中 [浜田 0 9] 浜田寿美男:私と他者と語りの世界:精神の生態学へ向
村)の区別は,一人称代名詞の生起の有無と相関している. けて, ミネルヴァ書房,京都 ( 2009)
[本多 9 4]本多啓:見えない自分.言えない自分:言語にあらわれ
そこで本論は,これらの議論と接点をもつことになる. た自己知覚現代思想 V ol.22,No.1 3
,p p.168-177 ( 19
94)
本論では,一人称代名詞を支える視座の移動の背後に [本多 0 5]本多啓:アフォーダンスの認知意味論一生態心理学から
見た文法現象東京大学出版会,東京 ( 2005)
他者の視点を取得する能力があることを璽視している. [本多 0 6]本多啓:認知意味論,コミュニケーション,共同注意一
すなわち本論は,間主観性を明示的に取り入れた議論と 捉え方(理解)の意味論から見せ方(提示)の意味論ヘー.語
用論研究. V ol.8,p p
.1 -13( 2006)
なっている.
[本多 0 8] 本多啓:書評:『ことば・空間・身体』.言語. V ol.37,
また,「客観的把握」「D モード」の議論においては, No.1 0,p.117 ( 2008)
一人称代名詞が生起する場合,認知主体による事態把握 [池上 1 1] 池上嘉彦:日本語話者における〈好まれる言い回し〉
としての〈主観的把握〉.人工知能学会誌, V ol.2 6
,No.4 ,pp.
は「事態」ないし「認知の場」の外に出たところから行 317-322 ( 2011)
われるとされている.一方本論は,一人称代名詞が生起 [Imb e
ns- B
a iley98]I mbens-Bailey,A.andPan,B .A.:Pragmatics
ofs elf-andother-referenceinyoungchildren,Social
する場合に,認知主体は必ずしも「事態」の外に出る必 Development,V ol.7,No.2,p p.219-233 ( 1998)
要はないと想定している.本論では.一人称代名詞の使 [板倉 9 9
]板倉昭二:自己の起源一比較認知科学からのアプローチ,
金子書房 ( 199 9
)
用を可能にする条件は,話し手が自分自身を観念的に分
[Iwasaki0 9
]Iwasaki,8 .
-Y.:A CognitiveGrammaraccountof
裂させて,そして姿としての自分が視野の中に含まれる timemotion'metaphors':A viewfromJapanese,C ognitive
位置に移行することである.この位置は「事態」の外側 Linguistics,Vol.2 0
,No.2 ,pp.341-366 ( 2
0 09)
[Keenan0 4]Keenan,J .P
.,G allup,J.,GordonG .,andF alk,D.:
であってもよいが,姿が見える位置でありさえすれば, TheFacei ntheM irror:HowWeKnowWhoWeA re,E cc
o,New
外側に出なくてもよいわけである”・ York ( 200
4 ). (山下篤子訳:うぬぽれる脳ー「銚のなかの頻」
と自己意識 NHKプックス ( 2006))
視点と主観性の問題は,近隼特に時空間メタファー 膚廣9 7
]園廣哲禰:理想の同語辞典.大修館書店.東京 ( 1997)
との関連で多く論じられている [
Iwa
sak
i09,Moore06,鍋 [Langacker8 5]Langacker,R .W .:ObservationsandS pe
culations
onS ubjectivity
,i nHaiman,J .e d
.,I conicityi nSyntax,p p.
島 08,篠原 08a,篠原 09].例えば[篠原 08a,篠原 09]は「さ
1 09-150,JohnBenjamins,Amsterdam ( 1985)
き」の時間表現としての用法の分析において,[割廣 9
7] [Langacker9 0]Langacker,R .W .:Subjectif
ication,CognitiveLin-
を踏まえた「眺望的視点,客観的視点」の対比を導入し guistic
s,V o
l.1 ,No.1 ,pp.5-38( 199
0)
[Langacker0 7]Langacker,R .W.:ConstructingtheMeanings
ている.同様の対比を[鍋島 08] は「 Sモード」と「 0 モ o fPersonalPronouns,i nRadden,G .e d
.,AspectsofMeaning
ード」と名づけている.これらの概念は完全に同一とい C onst
ruc t
io n
,JohnBenjamins,Amsterdam ( 20 0
7)
[Loveland8 4]Loveland,K A .:Learningaboutpointsofview:
うわけではないが,背後にある洞察は大まかに見れば同 S pati
alp erspecti v
eandthea cquis
it io
no f、 I/
You',Journalof
じと考えられる.そしてこれらに対する生態心理学の立 ChildLanguage,V ol.11,pp.535-556 ( 1
98 4
)
場からの基礎づけを,本論は与えることになる* 10. [Loveland9 3]L ove land,KA.:Autism,a ffordancesandt hesel
f,
[ Neisse
r9 3a,p p.237-253]( 1 9
93)
[マッハ 7 1] マッハ・エルンスト,須藤吾之助.廣松渉訳:感覚

5
. 結 の分析.法政大学出版局,東京 ( 1971)
[松木 9 2]松木正恵:「見ること」と文法研究, 日本語学. V ol.11,
No.9 ,pp.57-71 ( 1992)
以上本論では,生態心理学の観点から言語に現れる主 [三浦 6 7]三浦つとむ:認識と言語の理論 1,2,勁草書房,東京 ( 1967)
[三浦 8 3]三浦つとむ:言語過程説の展開.勁草書房 ( 1983
),
観性と間主観性を検討し,主観性が間主観性と相互浸透
([三浦 6 7]を「三浦つとむ選集 3」として再刊したもの)
し合っていることをみた. [Moore0 6]Moore,K E .
:S pace-to-timemappingsandtemporal
c oncepts,CognitiveL inguistics,Vol.1 7,No.2 ,p p.199-244
(2006)
[鍋島 0 8] 鍋島弘治朗:現実と理想のメタファー一主観性および身
体性との関連から.[篠原 0 8b,2 1
3-25 2]( 2008)
[中村 0 3] 中村芳久:言語相対論から認知相対論ヘ一脱主体化と 2
つの認知モード. 日本エドワード・サピア協会研究年報. V ol.
1 7
,p p.77-93 ( 2003)
[中村 0 4] 中村芳久:主観性の言語学:主観性と文法構造・構文,
*9 逆に [La
nga
cke
r85
,p.1
43]自身は di
spl
aceした先の話し手 (
G') 中村芳久(編),認知文法論 I I,pp.3 -51,大修館書店,東京 ( 2004)
の位置は事態内(現実の話し手 ( G
) の位置の直近を含めた on [中村 0 6
]中村芳久:言語における主観性・客観性の認知メカニズム,
s
tag
e_t
) にあると述べており.それは図 3にも表されている. 言語. V ol
.3 5,No.5 ,pp.74-82 ( 2006)
*10 本論の議論に基づく時空間メタファー論についてのより詳し [中村 0 9] 中村芳久:認知モードの射程.坪本篤朗,早瀬尚子.和
い議論は別の機会に譲りたい. 田尚明(編),「内」と「外」の言語学,開拓社.東京 ( 2009)
言語に現れた主観性と間主観性一生態心理学の観点から一 351

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09) および他者と関わる関わり方の現れとしての言語の
[佐伯 7 8]佐伯肺:イメージ化による知識と学習,東洋館出版社, 姿を明らかにしていく試みに携わる. 日本認知言語
東京 ( 1978) 学会, 日本認知科学会などの各会員.
[佐々木 9 3]佐々木正人:認知科学の新しい動向〈エコロジカル・

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