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松本卓也
I. フロイトの発見(1)ヒステリー症状がもつ意味——『ヒステリー研究』(1895)
・ カタルシス法(お話療法)
: ヒステリー症状の発端となった事件を、催眠療法下で語らせることによっ
て、症状からの解放が起こる。
・ Ex. 症例アンナ・O:
「グラスをつかって水を飲むことができない」という症状があった。催眠下で、
「嫌
いな女性がグラスで犬に水を与えていた」という過去の出来事を語ると、その症状は消失した。——「田
舎では、…私は夕方に訪れた。その時間帯に彼女が催眠下にあるのを知っていたためである。私は彼女
から、私の前回の訪問以来溜め込んでいる幻想の蓄積すべてを奪い去った。…そうすると彼女は完全に
落ち着き、翌日には愛嬌があり、御しやすく、勤勉で、陽気でさえあった。2 日目になると、だんだん
と気まぐれになり、手に負えなくなり、不愉快な様子となり、それが 3 日目になると一層ひどくなるの
であった。…この手続きについて、彼女は「お話療法 talking cure」という的確で真面目な名前や、
「煙突
掃除 chimney sweeping」というユーモラスな名前を考案した。/…夕方の催眠下において、偶然に、促さ
れてしたわけではない語り尽くしによって、すでに長い間続いていたある障害が初めて消失したとき、
私は非常に驚いた。それは夏のひどく暑い時期で、患者はのどの渇きにたいへん苦しんでいた。という
のも彼女は、理由を言うことはできぬものの、突然飲むことができなくなったからである。彼女は欲し
くてたまらない水の入ったグラスを手に取るのだが、グラスが口唇に触れると、水恐怖症患者のように
グラスを押しやるのであった。…この現象が約 6 週間持続したとき、彼女は一度催眠下で、自分が決し
て好きではなかったイギリス人の女性家庭教師について悪口を言ったことがあった。そのとき彼女があ
りとあらゆる嫌悪の身振りをしながら語ったのは次のような話であった。彼女がその家庭教師の部屋を
訪れたところ、そこで女の飼う小さな犬が、あの吐き気をもよおすようなけだものが、グラスから水を
飲んでいたというのである。彼女は失礼なことはするまい、と考えて何も言わなかったのだという。彼
女は、自分の中に詰まったままになっている怒りを更に力強く表現した後、飲みたいと言い、何の制止
もなく大量の水を飲み、グラスを口唇につけたままで催眠から目覚めたのである。この障害は、このや
り方でもって、永久に消失した。」(
『ヒステリー研究』
、フロイト全集第 2 巻より)
・ 症状の象徴的な意味: 症状は、表象の象徴的な加工によって形成されている。
・ このような象徴的な加工を逆から辿り解読すること(解釈)によって、症状は了解可能なものになり、
さらには症状は解消される。(⇒教科書 41 頁)
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II. フロイトの発見(2)夢がもつ意味——『夢解釈』(1900)
・ 夢には意味があり、夢の内容はある欲望を成就させようとするものである。
・ 夢のなかに現れている内容(顕在内容)は、夢の素材(潜在内容)を、夢作業によって加工したもので
ある。
(⇒教科書 84-85 頁)
・ ヒステリー症状の解釈と同じように、夢の顕在内容を解釈することによって、夢の潜在内容と、潜在内
容を顕在内容へと加工した夢作業(夢工作)を明らかにすることができる。
・ 「ある男性患者は、…次のような夢を見ました。特別な形をしたテーブルを囲んで、自分の家族の何人
かの成員が、座っている、云々。彼には、このテーブルから思い付くことがありました。このような家
具を、ある家庭を訪問したときに見たことがあったのです。それから彼の思考は次のように続きました。
この訪問先の家庭では、父と息子の間に特別な関係がありました。そしてまもなく、彼自身と彼の父親
との関係にも、同じことが当てはまるということに、彼は思い至りました。すなわち、テーブルは、こ
の並行関係の印として夢の中に取り込まれていたというわけなのです。/…私たちは、夢の中のどんな
ものをも、偶然であるとかどうでもよいものであるというふうには説いていません。むしろまさにその
ように些細で、理由のないような細部を検討してみることで、解明がもたらされるであろうと期待して
いるのです。さらに、皆さんはひょっとすると、夢工作が「自分の家でも、その家と同じように事が運
んでいる」という思考を、テーブルという選択肢を通して表現していることにも、怪訝の念をお持ちか
もしれません。しかし、当該の御家族が「ティッシュラー〔=家具職人〕
」という名前をお持ちだという
ことを聞けば、皆さんにも事の次第が明らかになるでしょう。夢見た人は、自分の親族を、テーブルを
囲んで席に着かせることによって、これらの人々もみんなティッシュラーさんですよ、と言っていたわ
けなのです。
」(『精神分析入門講義』
、フロイト全集第 15 巻、118 頁)
III. フロイトの発見(3)失錯行為がもつ意味——『日常生活の精神病理学』(1901)
・ 通常、言い間違いや書き間違い、ど忘れなどの失錯行為は、偶然(たまたま)起こったものとされ、重
要なものとはみなされない。しかし、精神分析ではこれらの失錯行為のなかに無意識が一時的にあらわ
れていると考える。
・ Ex.「失策行為に固有のこの意味は、いくつかの事例についてははっきりそれと分かり、見まがうべきも
ないと思われます。議長が国会の冒頭に開会でなく閉会の宣言をするのについて、この言違いが生じた
当時の事情を知るだけに、私たちはこの失錯行為はそれなりに意味深長だと考えたく成るのです。会を
開いてもろくなことはあるまい、できることならただちにまた閉じてしまいたいと考えていた。この意
味を暴き出す、つまりこの言い違いを解釈するのは私たちにとって何ら難しいことではありません。あ
るいはまた、ひとりの夫人が別の夫人に向かって、いかにも感心したという調子で「この新しい素敵な
アウフプッツェン
帽子はきっとご自分でお手入れなさったんでしょうね」と言おうとした、
「プッツェン」のところを「パ
ッツェン」と言ってしまうとき、世の科学精神が何を言おうと、私たちにはその言い違いから「この帽
パ ッ ツ ェ ラ イ
子はやっつけ仕事ね」という言葉が聞き取れます。」(『精神分析入門講義』、フロイト全集第 15 巻、29
頁)
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IV. フロイトの発見(4)——自由連想法
・ 催眠による患者の支配や、治療者への依存の問題 ⇨ 催眠療法の放棄
・ 患者の意識をたもったまま、思いついたことについて何でも話をさせる
⇨ 前額療法 ⇨ 自由連想法
・ 症例エミー・フォン・N夫人(『ヒステリー研究』)
: ヒステリー性の摂食障害。フロイトとの治療(催
眠など)のなかで、エミーは早くから幼児期の記憶について語った。フロイトは、エミーの話にあらわ
れる表象に対して「それは何に由来するのですか?」といった質問を繰り返したが、エミーはフロイト
に「自分が言うべきことを言わせておくままにするように」と注文をつけた。
・ 「精神分析において、私たちは、ヒステリーの諸症状とは、情動的に強調されている体験の残渣、すな
わち想い出であることを証明することができます。個人の意識には、これらの症状がそういった体験の
残渣や想い出であることは分からないし、これを揺り動かして放散するすべもなく、その形式は外傷と
なった出来事の固有の細部によって規定されています。
「抑圧」を取り除くことで無意識の素材の一部が
ふたたび意識化され、そのせいでそれが持つ病因的な影響力が滅失することになり、これによる治療効
果があると、私たちは期待しているのです。心的なエネルギーの個々の遷移はそれぞれの強度に応じて
情動生活に影響を及ぼすが、心的な過程とはこういった選移の継起のことなのだと解する点で、私たち
の見地は力動論的な考え方です。ヒステリーの症状は「転換」によって、すなわち心的な興奮を身体的
な神経支配に変換することによって成立しますから、今、挙げました後のほうの点は、ヒステリーに関
してとりわけ重要な意味を持っています。/最初期の精神分析による検査や治療は、催眠術を援用して
行われました。催眠術が放棄されたあと、患者が普段どおりの意識状態でいる「自由連想」の方法がそ
れに取って代わりました。こうすることで、精神分析をそれまでよりもはるかに多くのヒステリーの症
例、あるいはほかの神経症、さらには健康な人々に適用することが可能になりました。半面、自由連想
の中で現れてくる素材からそれに相応する結論を導き出すために、特別な解釈技法を鍛え上げることが
必要になりました。
」(「精神分析の基本原理ともくろみについて」
『フロイト全集』11 巻、270-1 頁)
V. フロイトの発見(5)——エディプスコンプレクス
・ エディプスコンプレクスの発見は、誘惑理論の放棄からすぐ後の、1897 年 10 月 15 日に位置づけられる。
この日、フロイトは友人フリースに宛てた手紙で、自分自身が母親に惚れ込み父親を憎んでいたことに
気づいたことを報告する。さらにそれをエディプス王の物語になぞらえ、神経症および人間一般の性的
発達における基本的な事態として捉える。つまり、彼は自己分析からエディプスコンプレクスを発見し、
それを神経症一般の成因論に据えたのである。
・ 『精神分析入門』におけるフロイトの書き方。たえず自説に対する批判を想定しながら進められる「説
得」? むしろ、読者を神経症の患者のように取り扱い、彼らに嫌気を起こさせるつもりで講義を行う
こと。それは、彼にとって無意識とは、嫌悪を催すような拒絶、つまりは自分自身における裂け目とし
て初めて露わになるものにほかならないからである。つまり、まずはそれを拒絶し、後にその拒絶(抵
抗)をされた対象をほかならぬ自分に関係するものとして引き受け直すというプロセスが、精神分析に
「入門」するためには何よりも重要である
・ 患者(分析主体)がつよく拒絶しているものが患者自身にもっとも関係しているということがしばしば
みられる。たとえば、フロイトは症例ドラを扱う論文「あるヒステリー分析の断片」のなかで、ドラが
他者に対して行っている非難が、実はドラ自身に対してもっともあてはまる(?ラカン「メタ言語はない」
、
「〈他者〉についての語らいのなかで、あなたのことが問題になっている(de Alio in oratione, tua res agitur)
」)
・ フロイト自身が、自分の無意識に対する拒絶を「真理」として引き受けることによって、精神分析を発
明し、さらに展開させることができた──「お前の友人に対してなされた批判は、お前自身にも同じよ
うに降りかかってくるだろう。いやもうすでに部分的には降りかかっているではないか、と。そうする
と私は夢思考での「彼」を「われわれ」に置き換えてよい。つまり「そうとも、君たちは正しい、われ
われ二人のほうが気が狂っているのだ」ということになる。この「《私のことが問題になっているのだ》
(mea res agitur)」ということを、私に否応なく思い知らせることがらが、夢の中には言及されている。」
(『夢解釈』
)
・ 精神分析の起源としてのオイディプス。
「声は 1 つでありながら、4 本足、2 本足、3 本足となるものは
何か?」というスフィンクスの問いかけに対して、
「それは私である(=私のことが問題になっている)
」
と一人称で答える代わりに、
「それは人間(=人間一般)である」と答えてしまうという愚をおかし、後
に自分の父を殺害した犯人を捜索するなかで、ほかならぬ自分自身がその犯人である(=私のことが問
題になっている)ことにようやく気づくことができた当の人物としてのフロイト=オイディプス