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医療概論Ⅰ

医療哲学、科学哲学、医療倫理、医学史、構造構成医療学

だいだいの丘クリニック院長

旭川医科大学客員教授
阿部 泰之

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本講義で扱う問い
• 思想史としての医学・医療とは
• 「病気」とは何か
• なぜ人は人をケアするのか
• 「科学的」とはどういうことか
• 自律を尊重するとはどういうこと
• 死とどう向き合うか
• 意見が対立したらどうしたらいいか

→「知識」では解けない医学・医療が孕んでいる問い

第1回目の講義では、思想史や科学史を追いながら、医学や医療が辿ってき
た道、過去の問題点、そして現在も続いている問題点について考えました。
第2回目は「病気」とは何かについて考えました。診断基準が決まっていて、
それに当てはまるのが病気で当てはまらなければ病気じゃないだけなんじゃ
ない、という簡単な線引きができるものではないことはわかりましたね。ま
た、この講義に底流している構造構成主義についてもその一部を知ることが
できたはずです。
第3回目は「なぜ人は人をケアするのか」について考えました。人がケアをす
る本質的な理由が様々あることを学びました。
第4回目は「科学的とはどういうことか」と題して、主客問題、疑似科学との
線引き、EBMについて考えました。
第5回目は、主に医療における、それも人生最終段階の意思決定を縦軸として
自律、そして相手を尊重することの本質について考えました。
第6回目のテーマは、死とどう向き合うかです。死は誰もにいずれは訪れ、誰
でもその概念は知っています。でも誰もその経験は語れない。そうした矛盾
を孕んだものに、患者の死を通して医療者は向き合わざるを得ません。そん
な死について考えていきます。

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医療において哲学を使う
• 真理に近づく努力 物事を俯瞰する
• 現象を等価に扱う
メタ視点
• 自他の世界観・主義を意識する
• 根本はなにか考える 異質なものを
• 言葉にこだわる 認める余裕

「考え方」を身につければ余裕ができる
すると、自分自身や周りの人、医療が変わる
医療概論Ⅰ全体を通して皆さんの医師として考え方
の基盤ができれば何よりです

繰り返しますが、今回はオンライン上でのやりとりですので、より皆さんの
自発性が問われています。私のスライドを見て覚える必要はありません。そ
れよりも、自分自身で考え抜いてみる、それをしなければ、よき医師への道
は遠くなる、それくらいに思ってくれて構いません。頭から煙が出るかと思
うくらい考えてみてください。正解を出すのが目的ではありません(ちなみ
に哲学のテーマのすべてに正解がないわけではありません、現時点での一番
正解にちかい解答を出そうと哲学者は日夜考えているわけですから。だた、
時として問い自体が間違っていることがあったり、人間の認識の限界を超え
るような問い:例えば神は存在するか等のこともあります)。
繰り返しますが、自分自身で“考え抜いた”経験が大切です。この講義を活か
すも殺すもあなた次第です。

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医療哲学

死とどう向き合うか?

死と向き合いたくない人もいるでしょう。それはむしろ自然なことです。
しかし、皆さんのほとんどは医師になります。そしてほとんどが臨床医、つ
まり患者さんを直接診る人になります。
臨床医であれば、遅かれ早かれ必ず、患者の死を経験します。そのとき先頭
に立っているのは皆さんです。見送る家族を押しのけてという意味ではない
ですよ。医療行為のほとんどが、医師の決断から始まっており、医師の指導
のもと行われることになっているからという意味です。
消化器内科が専門の医師のところに、目がかすんで困るという患者が来たと
きに、それは専門外ですから眼科を紹介しますね、ということはできます。
しかし、死にゆく患者を前にして、私は死は専門外なので診ませんとは言え
ません。自分が死の床についていると想像してみてください。担当になった
医師がまだ皆さんのように若い医師だったとしましょう。その医師に「どう
して人は死ななきゃいけないんでしょうね」と話しかけてみました。すると、
その医師は「私はまだ若いので死とか考えたことないんですよねえ」と言い
ました。担当医替えてほしくなるでしょう?そして、少なくとも現代日本に
おいては、仏教の四苦(四苦八苦の四苦ね)である生老病死は、ほとんどす
べて医療の関係する中で起きています。死を診る、死を観ることは、もはや
医師の大切な役割のひとつなのです。だから、「死」というものについて、
真剣に向き合って考える作業は、医師になる者にとっての義務だと私は考え

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ています。この講義がその機会になれば幸いです。

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• 自らの死にどう向き合うか

• 死へ向かう人にどう向き合うか

• 死別者にどう向き合うか

「死」がどんなものかについて語ることはできません。なぜなら自らの死を
経験した人がいないからです。
臨死体験は?と考えるかもしれませんが、それはそれで面白いテーマではあ
ると思いますが、最終的に死に至っていない以上、死そのものとは言えない
でしょう、あくまで臨死体験という現象について語ることになってしまいま
す。
そこで、本講義では死に関連した次の3つのことを考えていきたいと思いま
す。まずは、自らの死に対してどう向き合っていくか(生きている間に)、
いわゆる死生観と言っていいと思います。次に、死へ向かう人、死にゆく人
にどう向き合うかということです。医師になれば、もしくは学生の間でも身
近な人を含め、私たちは多くの死にゆく人と関係を持ちます。その人達にど
う向き合い、私たちに何ができるのか考えたいと思います。そして、大切な
人を亡くした人(=死別者)、とりわけ家族をなくした遺族に対してどのよ
うに接するのがいいのか、医療者として何ができるのかについても考えたい
と思います。

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自らの死にどう向き合うか(死生観)

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なぜ死は恐いのか

• 自分の存在が亡くなるという根源的な恐ろしさ?

• 完全な自分のコントロール外であるという事実ゆえ?

• 周囲の人の悲しみ、やり残したことへの後悔による?

• 死の間際に苦しむのではないかという未来の想像?

• 死後の世界にも苦しみがあるという確信?

• 「恐くない」という人も存在する

たいていの人は死は恐ろしいものでしょう。
道外から来られている学生もいると思いますので(私もそうでした)余談で
すが、意外と臨床で大切なtipsを教えておきます。
知っている人もいると思いますが「こわい」は北海道弁で「だるい」「倦怠
感」のことを言います。臨床的な感覚で言うとだるいよりも、もっと症状と
しては重いときに使っている印象です。だから、こんなコミュニケーション
エラーが生じます。例えば終末期の人に話をしていて、こちらとしては(死
ぬことが)こわいですか?と聞いたのに、相手はだるさのことを聞かれたと
思ったり、その逆に患者さんがこわいと言ったので、だるさのことだと思っ
ていたら、死を恐れていることを伝えた重要な開示だったということもあり
ます。特に臨床に出たら「こわい」の使い方には注意しましょう。
さて、なぜ死は恐ろしいのでしょうか。私なりにざっとその理由を挙げてみ
ました。人それぞれの理由がありそうです。誰かが対応が必要なほど死を恐
れているとして、その人がなぜ死を恐れているかがわかれば、対応のしよう
もあるというものです。よくあるのは、がん患者で、死が近づくほどどんど
ん痛みが増して苦しみもがいて死ぬのではないかと恐れている人がいます。
私が関わっている限りは、そういうことにはさせませんと答えます。現在が
んの痛みを和らげる方法はたくさんあり、いわゆる「痛み」に関してはなん
とかしてあげられる自信があるからです。その人の死への恐怖が解決できる

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ものなのか、解決できないものなのか、判断するために「なぜ」死を恐れて
いるのか探索することは大切です。一方で死を怖がっていない人もいます。
実際にこれまでの学生の中にも幾人かいました。まだ実感がないから怖くな
いという人もいましたし、死後の世界は何かしらあるだろうと思っているか
ら怖くないと考えている人もいました。私の義父母はキリスト教の一派の敬
虔な信者ですが、彼らは本当に死を怖がっていません。義母は数年前に亡く
なりましたが、最後まで死を怖がる様子はありませんでした。そういう意味
では宗教の役割は大きいですね。

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死を恐いと思うデメリット

• 精神的苦痛そのもの
• 過度に防衛的になり積極性を欠く
• 石橋を叩いて渡る

• ニヒルな人格が形成される
• 一寸先は闇

• 自己保存に執着した行動

死を恐い、恐ろしいと思うことのデメリットをまず考えてみます。
恐ろしさは基本的につらい感情ですので(例外はあります、例えばジェット
コースターや、お化け屋敷を好むなど)、精神的苦痛そのものです。
また死を恐れ、過度に防衛的になれば、積極性を欠く行動しかできなくなる
かもしれません。例えば、車に轢かれて死んでしまうかもしれないから道を
歩けないという人がいたら、大きく生活の質を損なうでしょう。これほど顕
著になると精神医学的には強迫性障害や恐怖症の診断がつくレベルです。
常に一寸先は闇と思って暮らしている人がいたとすると、いずれその人は、
どうせ人間は死んでしまうのだから何をしても意味がないというようなニヒ
リズムに至ってしまうかもしれません。
死を避けたいと強く思っている人は、わずかな調子の悪さでも病院にかかる
ことを繰り返すかもしれませんし、今回のCOVID-19に関連した騒動において
は、他人のことを顧みず、マスクや消毒液を一番先に買い占める人になって
しまうでしょう。
あくまで「過度に」ですが、死を恐いと思うと数々のデメリットがあること
がわかります。

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死を恐いと思うメリット

• 自分や他人の命を大切にする
• 有限の生を意味あるものにしようと努力する
• 優しさ、慈愛を身につける
• より健康に生きようとする
• ・・・

では、死を恐いと思うことにメリットはないでしょうか。
死が先にあることを知っているからこそ、自分や他人の命を大切にする気持
ちが生まれるというものでしょう。
そして、有限の生を意味、意義あるものにしようと努力することでしょう。
そのプロセスの中で、優しさや慈愛を育んでいくのではないでしょうか。
死を避けようとすることが上手く働けばより健康に生きることに活かせるで
しょう。
このように、死を恐いと思うことはデメリットばかりではなく、メリットも
ありそうです。

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エピクロスによる死の理解
• 死が我々を消滅させるのというのであれば、我々は死を恐れる必要
はない
• 私が存在する時には、死は存在せず、死が存在する時には、私はも
はや存在しない
• もしも、死が我々を襲いながら、我々を存続させておくとすれば、
我々は墓のかなたにおいても地上にあった時の自分と全く同じ自分
を見出すであろう
エピクロスの園:アナトール・フランス

エピクロスは、快楽主義者(元来の快楽主義は放埓に快楽を貪るようなもの
とは違い、どちらかというと清貧的な思想です。気になる人は調べてみてく
ださい)として有名ですが、その背景にあるのは彼なりの自然思想です。一
次的感覚を信頼し、それに従い平成の心を保つことが人の幸せだということ
を追求しました。それゆえ(「感覚」を何より信頼していたので)、死につ
いてエピクロスはスライドのように説明しています。簡単に言うと、死ねば
感覚がなくなり何も感じないはずだから死は恐くない、ということ。さらに、
もし死んでも感覚が残っていると主張する人がいたとしたら、死にながら感
覚が残っている、つまり生きているのと同じだから、やっぱり死は恐くない
と言っているのです。
なるほど、なかなか面白いロジックではあります。

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ダーウィニズムによる死の理解

• 死を恐いと思うのは、生命体が種を保存するための妥当な感情
• 1人の人間といえど、種を存続させるためのDNAの運び屋にす
ぎない
• このようなロジックで死の恐怖が忘れられたとしても、人生の
他の側面におけるイキイキとした生は損なわれるのではないか

生粋のダーウィニストであれば、死の恐怖および、死についてこのように答
えるでしょう。
死の恐怖は種の保存のための妥当な本能的感情である、人間といえど生命体
のひとつの種でしかない、今生きているひとりの人間も、人間という種存続
のためのDNAの運び屋にすぎない。これもロジックはわかります。

しかし、エピクロスの考え方にせよ、ダーウィニストの考え方にせよ、こう
したロジックで死の恐怖を克服したとして、同時に人生の生き生きとした
「生」が損なわれるような気がしてなりません。少なくとも、私たち医療者
が、死にゆく患者の前で、これらのロジックをさもありげに展開したとして、
その患者の心が救われるとは到底思えません。

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仏教における死
• 仏教はなぜ生まれたのか
• 釈尊が人生の無常、はかなさを感じ、菩提樹の下で悟りをひらいた
• 常に偏らない精神(中道)で生き、宿命である生・老・病・死の真実を見
出し、煩いや苦悩から逃げることなく直視することで、やがて全ての苦し
みから解放される(悟り)とした

• つまり「死」という苦痛も涅槃に至るための思考のネタである
• 釈迦自体は死後の世界については語るのを拒んだという
• 浄土宗などは死後の世界として浄土を置く

ほとんどの宗教は死を大切なテーマのひとつにしています。これは持論にす
ぎませんが、死の恐怖が多くの宗教の発生理由なのではないかとすら思って
います。その証拠に多くの宗教が、死後の世界を説明する物語を用意してい
ます。宗教全体を語るほどの知識は私にはありませんが、死ということに焦
点を当てて、仏教とキリスト教を見てみることにします。
仏教はお釈迦様、ゴータマ・シッタルーダが人生の無常、はかなさを感じ、
菩提樹の下で悟りをひらき、その教えが広がっていったものと理解されてい
ます。宗派によっていろいろ違いはあるでしょうが、中道の精神を大切にし、
宿命である生老病死を直視し受け入れていくことで、やがてすべての苦しみ
から解放される(≒悟り)という考えは共通項であると思います。言ってみ
れば、仏教にとっては死という苦痛も涅槃に至るための思考のネタなのです
ね。お釈迦様自体は、死後の世界の存在については語るのを拒んだと言われ
ています。また、自分を偶像にするな、教えを文書にするなとも言っていま
した。現在ある浄土という考えや、仏像、経典などは後に仏教が広がってい
く過程で付加されたもののようです。

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キリスト教における死

• 死は終わりではない
• 神から原罪が赦され、永遠の安息を得る
• 最後の審判を受け、復活の日まで天国で過ごす
• 新約聖書には天国/地獄はないようだが、後に行き先として、
天国、地獄、煉獄などの区別が生まれるようになった

キリスト教については仏教以上に知識が乏しいのですが、一応間違いのない
ところだけをお話しします。
キリスト教において死は終わりを意味しません。神から現在が赦され、永遠
の安息を得る通過点です。
そして復活の日まで天国で過ごすと考えられています。新約聖書には天国/
地獄という区別はないようです。
仏教と同じく、後に広がっていく過程で、天国や地獄、煉獄などの区別が生
まれるようになったと考えられます。

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アイヌのこの世/あの世観

・この世とあの世は全く同等の価値を持つ
・この世で死ねば、地下のあの世に行く
・あの世でも人は狩猟をし、コタン(集落)を作り、この世と変
わらず家族と暮らしている
・魂は循環しており、「死ぬこと」は「終わり」ではない

だいぶ前にアイヌの死生観について調べる研究をしました。実際にアイヌの
人にお会いしてインタビューをしました。
まだ和人の影響を受けていなかったアイヌの文化では、この世とあの世は全
く同等の価値を持つものとして考えられていたそうです。
この世で死ねば、地下にあるあの世へ行く、あの世でも人は狩猟をし、コタ
ンを作り、家族と暮らしている。あの世で死ねばこんどはこの世に戻ってく
る。
そうやって魂は循環しているので、「死」は終わりを意味していないわけで
す。あくまで通過点、なんなら引っ越すくらいの感覚でしょうか。
ただ、この世で悪人となれば、あの世では湿地帯に住むことになるなど、ペ
ナルティもあるとのことでした。
いずれにしても、魂(人間に限らない)が循環しているという考えが、アイ
ヌ文化の様々な面で軸になっています。

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アイヌのこの世/あの世観

• 無理にこの世の命を引き延ばすこと
⇒あまり意味がない
• 魂を早くあの世に送ること
⇒生命を軽んじたことにはならない

• 生死の境界を上手に越えることが重要
• それを見守る役目=シャーマン

魂は循環しており、死は通過点なので、この世の命を無理に引き延ばすこと
はあまり意味を持ちません。魂を早くあの世に送ることも、生命を軽んじた
ことになりません。ちょっと引っ越しの日程が早まったようなものですから
ね。
ただ、その引っ越しは現代の引っ越しのような軽々しいものではなく、魂が
あの世とこの世の間を行き来するには、相応の儀式が必要になります。その
儀式を司っていたのがいわゆるシャーマンです。魂の循環を見守る特別な能
力がシャーマンには備わっていると信じられていました。イオマンテという
アイヌ語を聞いたことがある人は多いと思いますが、あれは狩猟で捕ってき
た熊(神聖な動物)の魂をちゃんとあの世に送る儀式です。アイヌ語のイコ
インカルは助産の意味、ウェプンキネは看取りの意味で、それはシャーマン
の役割でした。イコインカルもウェプンキネも、ともに「見守る」という意
味も持っています。まさにシャーマンは魂が境界を乗り越えるところ全般を
見守っていたわけです。

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アイヌの人の死生観
この世


生 死

生まれ変わる者 あの世
留まる者

ちょっと絵にかいてみました。
このような鏡写しの死生観をアイヌは持っていたと考えられます。
向こうにいっても今と同じような世界が用意されているというのは、安心で
すね。

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文化による死の捉え方
「祖先崇拝」が残るような地域では、自分の存在を独立した個別
のものと考えず、むしろ、多くのものからいのちを受け継ぎ、そ
して別のものにそれを渡していく媒介的なものと考える傾向にあ
る。
このような人々にとって死は個の終わりではなく、世代が受け
継がれる節目にすぎない

波平恵美子:いのちの文化人類学 新潮社より

アイヌから見たら侵略者である和人の文化にも、特徴的な死のとらえ方があ
ります。祖先崇拝が色濃く残っているような地域では、自分を独立した個別
(個人:個人という概念が西欧から入ってきたのは明治時代以降でしたね)
のものとは考えておらず、むしろ、多くのもの(食べ物や自然のエネル
ギー)から命を受け継ぎ、それを後世に渡していくという媒介的なものと考
える傾向にあったそうです。このような人達にとっては、死は個の終わりと
は考えず、世代が受け継がれる節目にすぎません。ダーウィニストとは別の
出発点から、同じロジックに落ち着くのはちょっと興味深いなと思います。

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死を恐怖することは構造
• 理由はひとつではない
• 死の恐怖も志向相関的に構成され続ける構造である
• 生物学的な側面
• 社会的な側面
• 宗教的な側面
• 文化的な側面
• スピリチュアルな側面
• ・・・

• 構造の見極めが大切

さてさて、哲学者によって、宗教によって、文化によって、様々な死のとら
え方があることがわかりました。でも、昔から人間はやはり死の恐怖をなん
とかしようとしてきたことも分かった気がします。皆さん、または皆さんが
相対するであろう、死にゆく患者が考える死や死の恐怖もそれぞれでありま
しょう。そして、理由はひとつではなく、様々な要素が入り混じった構造と
して捉えるしかなさそうです。しかし、これまで見てきたような思考の整理
をできれば、目の前の患者の死の恐怖に少しは手を差し伸べてあげられるか
もしれない。そう思えたのならば、皆さんの死生観は、少し厚みを増したと
言っていいのではないかと思います。

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死へ向かう人にどう向き合うか

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死の恐怖を克服するべきか

• 来るべき死を受け入れるべきなのか
• 死を恐れるのは悪いことなのか

• 死の恐怖を構造として捉え、その方向が負に向いているようで
あれば(死を恐がることのデメリットが勝っていれば)その捉
え方を変化させたりする必要があるのかもしれない

死にゆく患者が特に病院にいる際、医療者からよく聞く言葉があります。
「あの患者さんは死を受け入れていない」「まだ死の受け止めが十分ではな
い」、だから問題だ、「先生、ちゃんと説明してくれました?」。この言葉
を聞くたび、私は居たたまれなくなります。死は多くの人にとって恐怖です。
そしておそらく人生最大の恐怖です。それを前にして、すべての人がその恐
怖を克服し、まるで悟ったようにして死んでいかなければならないのでしょ
うか。死に怯え、死にたくないよと泣きながら死んでいくのは「悪い」こと
なのでしょうか。けしてそうではないと私は思います。それもその人の生き
方であり死に方と考えてあげられる余裕をこちらが持たなければいけません。
医療者側の理想に近づけることと、本人の望む状態にギャップが生じうるこ
とを理解しないといけません。また、これは覚えておくとよいと思いますが、
わりと多くの人が死を前にして、病気の進行のことなんてまるで聞いていな
いように振舞うことがあります。そうすると、さきほどのように「ちゃんと
説明していない」「ちゃんと理解していない」とされるわけですが、それは
精神医学的には否認という現象です。否認は防衛機制のひとつと考えられて
おり、心が壊れてしまうのを防ぐ自己防衛の現れです。目の敵にするような
ものではありません。
メタ視点で考えることができれば、その人の死の恐怖を構造として捉え、そ
れが全体として、少し未来のその人のためにならないと判断したのであれば、

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多少の介入を検討するくらいがバランスのとれた考え方のような気がします。

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無視されるという死の体験

• 最大のいじめは「無視」
• 他者から自分の存在が承認されていないという感覚
• 自分の存在がなくなってしまうという点では、自分の死に近い
体験
• 他者からの承認が死の恐怖を和らげてくれるのかもしれない

これはどこかにも書きましたが、一番ひどいいじめは「無視」です。
それは、いじめられている側が、誰からも存在を承認されていない、そうし
た感覚になるからです。もしくはそうした感覚にさせるためにそうするので
す。
自分の存在がなくなってしまうという点では、死に近い体験です。生きなが
らの死、それが「無視」といういじめです。
そうなのであれば、誰かひとりでも、その人の存在を承認するということが
その人を救う第一歩になるでしょう。
そこから導き出せるのは、いじめに限らず、他者からの存在の承認が死の恐
怖を和らげることになるかもしれないということです。

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死の恐怖の根源的部分

• 論理では解決不能かも
• 最期に死の恐怖を拭い去るのは、もっとエロース的、身体感覚的な
ものかもしれない

宗教家の説法<愛する人との抱擁
哲学者の論理<手を握ってもらうこと

⇒非言語的な他者承認?

死の恐怖の根源的部分(本能的部分?)は、ロジックでは解決が不可能なの
かもしれません。
臨床で患者をたくさん看取ってきた経験からだけで言いますが、最期に死の
恐怖を拭い去ってくれるのは、もっとエロース的で身体感覚的なものかもし
れないと思います。
死を前にして宗教家の説法を聞くよりも愛する人との抱擁のほうがどれだけ
その人の心を癒すでしょうか。哲学者の死に対する論理を反芻するよりも誰
かに手を握ってもらうことがどれだけ安心感を与えるでしょうか。私は抱擁
や手を握る、手や足をさする、肩に手をおく、顔や頭をなでるといったこと
を、もちろん、その人との関係性やタイミングを計ってのうえですが、意図
して行います(女性に行う場合には必ず女性看護師が隣りにいるときにして
います)。それは非言語的な他者承認なのではないかと考えているからです。

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他者承認の原理

• 「他者」と「私」はもともとは理解しあえない存在、しかし、
お互いがかけがえのない相手として存在を承認しあったとき、
お互いが「他者」に対面し応答する「私」としてはじめて生起
する 阿部泰之 ナニコレ?痛み×構造構成主義

• 他者承認は人間関係の本質であり、生と死の本質でもある

他者を承認するということが人間関係やコミュニケーション、および医療や
ケアの領域全般において最も重要な(ベースに置くべき)原理と考えます。
レヴィナスの他者論からの引用改変になりますが、上記を他者承認の原理と
呼んでいます。
「他者」と「私」の区別は“違う”ということです。今見えている世界の色、
形、それから得られるイメージ、それを見て抱く感情、世界に対しての働き
かけ、それらすべてが違います。もともと、同じ人間だと思えているだけで
奇跡みたいなものなのです。しかし、ただの同種の生物というところを超え
て、お互いがかけがえのない相手として、その存在を承認し合ったとき、お
互いがお互いに対する他者として応答している「私」が初めて浮かび上がっ
てくるのですから、他者なくして私なし、私なくして他者もなしなのです。
あなたをかけがえのない存在として承認してくれる人は何人いますか?あな
たに小言ばかり言ってくる人だって、逆説的にあなたの存在を強く承認して
くれています。承認の多さ、大きさがその人の幸せと比例しているというの
は言い過ぎでしょうか。

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やはり他者承認がポイント

• 死の恐怖は自分の存在が脅かされることにより起こり得る
• 自分の存在は他者からの承認によってもたらされる
• 脅かされた存在を承認することによって救い出す

死の恐怖は自分の存在が脅かされるときに起こりえます。自分の存在は他者
からの承認によってもたらされるものです。とするのであれば、脅かされた
存在を十二分に承認することで死の恐怖から救い出すことも可能なのではな
いか、そんなふうに私は“考えたい”のです。
モダニズム的な医学・医療は、機械論的に人間を見る仕組みです。つまりか
けがえのない人として患者を承認しない仕組みです。患者はそのような存在
を承認されないような環境におかれ、承認されないまま亡くなっていきます。
もちろん、そうではない医療現場もたくさんありますし、ご家族が承認の役
割を十分になってくれる場合も稀ではありません。しかし逆に、家族なんだ
から熱心に看病するはずだ、するべきだという観念は、医療者の偏った価値
観だということも知っておかなければいけません。家族の在り方は本当に
様々です。さあ、周囲から存在承認が薄い患者さんがいたとき、あなたは、
その人をかけがえのない存在として承認してあげられるかけがえのない存在
になれますか?ぜひなっていただきたいと思います。

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やはり他者承認がポイント
• 宗教はそれをやってきた
• 「神」という生きているうちも死後にもその人の存在を承認してくれる者
を創造している

• スピリチュアルケア
• 言語的・非言語的に「あなたは大切な存在である」という承認を行う

• ディグニティセラピー

他者の存在承認、宗教はそれをやってきたと言えそうですね。神や仏という
ものを通してですが、生きているうちも、死後にもその人の存在を承認して
くれる者を、宗教は創造しています。宗教の信者が抱く安心感はそこに根源
があると言い切ったら怒られそうですが、私はそんなふうに考察しています。
宗教ではなくても「お天道様が見てるんだぞ」みたいな言いっぷりも同じか
もしれませんね。
少し医療寄りのもので、同じように存在承認を行う方法がいくつかあります。
今回はその中でもスピリチュアルケアとディグニティセラピーについて紹介
することにします(スピリチュアルケアは何かの技法というよりも、もう少
し大きなカテゴリーになり、スピリチュアルケア⊃ディグニティセラピーと
いう理解が適切かと思います)

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全人的苦痛(Total pain)
身体的苦痛
痛み
他の身体症状
日常生活動作の支障
精神的苦痛 社会的苦痛
不安 全人的苦痛 経済的な問題
いらだち 仕事上の問題
うつ状態 Total Pain 家庭内の問題
スピリチュアルペイン
生きる意味への問い
死への恐怖
PEACE project 緩和ケア研修会
自責の念 プレゼンテーション資料より引用改変

苦痛をこのように整理する考え方があります。身体的苦痛、精神的苦痛、社
会的苦痛、スピリチュアルペイン、これらの苦痛が合わさったTotalな苦痛と
してみましょう、というものです。この中でもスピリチュアルペインに相当
する部分が、ここまでやってきた死の恐怖であったり、存在が脅かされたと
きの根源的な苦痛に相当します。

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宗教にできて医療にできないこと

• 『赦し』
• 医療者でも、身体の苦痛を和らげ、一時の慰めや精神的な面のケ
アをすることはできる
• しかし、その人の業や宿命、存在を「赦す」ことはできない
• これは宗教、すなわち神にしかできないこと
• 仏教は少し違うかも

スピリチュアルな部分のケアは、医療でも少しずつ取り入れられているとこ
ろですが、医療の枠組みではどうしてもできないことがあります。
それは『赦し』です。『許し』ではなく『赦し』。人間としての業や宿命、
原罪を赦すということです。
これは神様にしかできません。医者が、いくらあなたを『赦します』といっ
ても赦された気にはならないでしょう。
仏教はどちらかというと自身の内面との向き合い方を説きますが、キリスト
教はその人を見ている神の存在を強く意識させるとことがありますね。
これまで無宗教であった人が、死の間際になってキリスト教の洗礼を受けた
い(つまり入信したい)と言って、病棟に神父さん(カトリック)や牧師さ
ん(プロテスタント)をお呼びしたことが何度かあります。その人達の胸の
内は残念ながらわかりませんでしたが、ひょっとすると、『赦し』を求めて
いたのかもしれませんね。

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医療(医師)にできて宗教にできないこと

• 『治療』
スピリチュアル
• 身体的苦痛や精神的苦痛が前景に立つ ペイン

• 特にシビアな身体的苦痛は 社会的苦痛
他の苦痛をマスクすることがある
• その治療、症状緩和は 精神的苦痛
医師にしかできないこと
身体的苦痛

Total painは臨床上は並列では語れません。このような順に現れる傾向がある
と私は思っています。
想像してみてください。がんの痛みでのたうち回っているあなたに、「きっ
と来るべき死に怯えておられるのですね、しばらく手を握っていましょう」
といって、医師が優しく手を握ってくれた。「いやいや、手握らなくていい
から、はやく痛み止め使って!」って言いたくなりますよね。
抗がん剤の副作用でゲーゲー吐いているときに、看護師がやってきて「何か
悩み事でもありますか?」と聞いてきたら、「悩みはこの吐き気だよ!」と
言いたくなりますよね。
とりわけ、シビアな身体症状を、まず医療の力である程度満足できるところ
までコントロールするのは、医師になる皆さんの大切な仕事です。だって、
祈ることで痛みはよくなりませんから。症状緩和さえやればそれで僕の役割
は終わりというのでも困りますが、逆にスピリチュアルなことばかりに目が
いって、必要な症状緩和ができない医師はもっと困ります。

28
WHOの定義(1989)

• スピリチュアルとは、人間として生きることに関連した経験的
一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言
葉である
• 多くの人々にとって「生きていること」が持つスピリチュアル
な側面には宗教的な因子が含まれているが、スピリチュアルは
「宗教的」と同じ意味ではない

WHOのスピリチュアルの定義を挙げておきます。
少なくとも、宗教的と同じ意味ではなく、より包括的な言葉です。

29
スピリチュアルペイン

• 「宗教的」「霊的」「魂の」「実存的」など、多くの意味が含
まれ、一語では言い表せない
• “スピリチュアルペイン”が使用される
• 日常でも意識されることがある
• 自分が生まれてきた意味は?
• 自分の人生の役割は?
• 死んだらどうなるのか?

スピリチュアルというと、テレビで霊が見えますとか聞こえますとか出てき
ますが、そういったものではありません。スピリチュアルぺインは、宗教的、
霊的、実存的など様々な訳がありますが、どれも一語では言い表せていませ
ん。そのため、緩和ケア領域ではスピリチュアルぺインとそのまま使用され
ています。スピリチュアルぺインはどういうことでしょうか?患者さんの言
葉としては、「何故、私ががんになったのですか」や「もう、終わりにして
ください」「死んだらどうなるのですか」といった問いかけ、訴えです。例
示しましたが、実際には個別性が高く、個々の患者さんで訴えは異なります。

30
スピリチュアルペイン

自分の存在を問うことに関連した苦痛

「生」への問い 「死」への問い
• 私はどうして生まれてき • 人は死後いったい何処へ
たのだろうか 行くのだろうか
• 私の人生にどんな価値が • 死後に罰せられるのでは
あったのだろうか ないか

スピリチュアルペインを「自分の存在を問うことに関連した苦痛」と考える
と少しイメージしやすくなるかもしれません。
そして、さらに「生」への問いと「死」への問いの2つに分けて考えると、
もう少しイメージしやすいかもしれません。
「生」への問いには「私はなぜ生まれてきたのか」といった、生まれてきた
ことに対する問いかけや、「自分の人生を振り返ってみて、どんな価値が
あったのだろうか」といったこれまでの人生に対する問いかけなどがあり、
後悔や罪悪感といった感情が含まれる苦痛です。
一方、「死」への問いとしては、「人は死んだらどこへいくのか」、「死後
に罰せられるのではないか」といった死後の世界についての問いかけがある
のではないかと思います。
こういった生きる意味への問い、人生の苦難への問い、罪責感、死後の世界
への問い、希望についての問い、けっして見捨てられない真の愛を求める叫
びなどがスピリチュアルな苦痛と呼ばれるものに含まれます。

31
スピリチュアルケア

• スピリチュアルケア⊃スピリチュアルペインに対してのケア
• もっとも簡単にいえば「相手の存在を大切にする」こと
• つまり、スピリチュアルペインが現れていない人にでもスピリ
チュアルケアは成り立つ
• しかし、スピリチュアルペインが現れている人に行えば、より
“身にしみる”ケアとなる

• スピリチュアルケアはケアの基本(真髄)である

スピリチュアルケアは、スピリチュアルな部分に対するケアということです
ので、必ずしもスピリチュアルペインに対しておこなうケアを指してはいま
せん。
スピリチュアルケアを一言でいうと「相手の存在を大切にする」ことです。
相手の存在を大切にすることは、誰にでも、少なくとも医療者が相手にする
患者さんには全員に行われたほうがいいわけですから、スピリチュアルペイ
ンが現れていない人にでもスピリチュアルケアは成り立ちます。
ただし、スピリチュアルペインが現れている人に対して行えば、より身に染
みる、心に染みるケアとなることでしょう。
スピリチュアルケアは、すべてのケアに常に底流しているものであり、より
日常的なものと考えるほうがいいのかもしれません。

32
こんな例を出しましょう。
皆さんが担当になっている70代の女性、肺炎の治療後で寝たきりが⾧かった
ため、廃用症候群になっており、身の回りのことは人に頼らざるを得ません。
皆さんが病室を訪れると、その患者さんが喉が渇いたと言いました。そこで
皆さんは、病棟備え付けの紙コップに水を100ml入れて、「はい、お水です
よ」と言って手渡しました。
一連の行為に何も問題はないように思えます。でも、私ならこうします。そ
の患者さんのオーバーテーブルには、いつもこのマグカップが置いてありま
す。これは、患者さんの孫がおばあちゃんが早く元気になるようにと、旅行
先で買ってきたものです。私は、このマグカップを使うことの許可を得たあ
と、(他ならぬ)このマグカップに100mlの水を入れて「このマグカップで飲
めばきっと元気になりますね」と言って手渡しました。
機械論的身体観で見れば、100mlの水分が体内に入った以上のことはなく、上
記2種類の行為に何ら違いはありません。でも。どちらの行為がその人にあな
たのことを大切に思っていると伝わったかというと?言うまでもありません。
スピリチュアルケアは、何も特別なものばかりではなく、このように日常の
コミュニケーションの中で行うことができるものです。そして、それができ
る医療者のことを、たいてい「善き(良き)医療者」と言います。

33
ディグニティ―セラピー

• Dignity:尊厳
• チョチノフ博士、カナダの精神科医
• がん終末期の患者に対して、人生を振り返り、周りの人に伝え
ておきたいことを録音、逐語録をもとに面接者が家族に遺す文
書を作成する
• 日本でも行っている施設があるが、なかなか普及しない

医療の技法として行われているスピリチュアルケアをひとつ紹介しておきま
す。
カナダの精神科医チョチノフ博士(日本にも何度か来られておりセミナーに
行ったことがあります)が開発したディグニティセラピーというものがあり
ます。
主にがん終末期の人に対して、その人の人生を振り返り、伝えたいこと、遺
しておきたいことなどを面接者が引き出して録音し、逐語録をもとに家族に
遺す文書を作成します。で、ここからが大事なのですが、それを患者の病室
で家族に渡すところまでやって完了したことになります。
この患者の前で家族に渡す(もしくは患者自身が家族に渡す)ことがすごく
大事だと私は思っています。自分の思いや想い、メッセージが“今ここで”渡
されたと思えることが、まさに命のバトンをつなぐような、そんな感覚。そ
れが、患者の尊厳を保つことになるのではないかと思います。

34
事例 Aさん

• 53歳 男性
• 肺癌 多発骨転移
• がんの進行とともに、下肢痛・呼吸困難が増強、歩行困難と
なり入院

仮想事例を立てて、皆さんがこの場面でどう死と向き合うのか考えることに
しましょう。
53才の男性、まだまだ働き盛りです。しかし、肺がんが見つかり、多発の骨
転移も出現しています。遠隔転移があるのでStageはⅣです。(StageⅣ=終
末期とは限りません)がんの進行とともに、下肢の痛み、呼吸困難が増強、
おそらく脊髄圧迫に伴う麻痺が進行して歩行困難となっており、入院となり
ました。
皆さんが、担当医となり、そうですね、入院して3日ほど経ったということに
しておきましょうか。

35
「先生、早く死なせてくれ」

本日、その患者さんの病室を皆さんが一人で訪ねました。
すると、患者さんからは衝撃的なこんな言葉が発せられました。

「先生、早く死なせてくれ」

さあ、どうしますか?患者さんは早く死にたいみたいです。自律を尊重する
ならその通りにするのがよい?
でも、日本ではいわゆる安楽死は認められていませんので、本当に患者さん
の言う通りにしたら、殺人罪に問われるでしょう。
またあとで来ますね、といって逃げだしたらいい?患者さんの信頼を失って
もいいならそうしたらいいでしょう。
そんなこと言わないで頑張りましょうよって励ましたらいい?それも同じよ
うに患者さんの信頼を失うことになるでしょう。
では、どうしたらいいのでしょう。

36
患者さんはあなたを選びました

• あなたに分かってほしい
• ドキッとしても、言葉・思いを受け止める
• 傾聴する(きちんと聴く)
• 解決できる問題かどうかを判断する

まず知っておいてほしいのは、患者さんに死にたいと言われたら、チャンス
だと思ってほしいということです。
とりあえず皆さんはその時点で選ばれた人です。選ばれた一人ではないかも
しれませんが、魂の叫びを患者さんは少なくともあなたに言ってもいいんだ
と思ってくれたのです。
それは、あなたになら話せる、あなたに分かってほしいと思ったからです。
一瞬ドキっとすると思いますが、そこで逃げ出さず、横に座って、患者さん
の思いを聞いてください。
そのうえで、少しだけ俯瞰した視点ももって、この患者さんの言っている死
なせてくれは、ひょっとして解決してあげられる原因から出た言葉なのでは
ないかとちゃんと評価もしてください。痛みが強くて、こんなことなら死ん
だほうがましと思っているのかもしれない。抑うつ状態で思考の変容があっ
てそう言っているのかもしれない。
痛みやうつ状態は、治療の可能性があるものです。死にたいという言葉の裏
にあるものが何かを探索することが大切です。

37
スピリチュアルペインが表出されたら

• 安易な励ましやアドバイスをしない
• 解決可能な苦痛に対処する
• 相手が自分で答えを見いだすのを待つ
• 今、この瞬間、存在していることの意味を心を
こめて伝える
態度・姿勢
あなたの
孤独に で示す
存在は大切
しない

この患者さんのようにスピリチュアルペイン様(痛みや抑うつ状態は純粋な
スピリチュアルペインとは言えない)のもが表出されたら、安易な励ましや
アドバイスは無用、いや、禁忌だと思ってください。死の恐怖、これまでの
人生への後悔といった、根源的な苦痛に対して、他人が出せる答えなどあり
ません。あくまでその人が担うしかないのです。私たちにできることは、ま
ず解決可能な問題があるなら、それに対処する。そして、その人が自分で答
えを見出すのを待ったり、多少ですが、答えが出せるようなサポートをする
ことです。そして、忘れちゃいけない、かけがえのないあなたが今ここに存
在しているという存在の承認をすることです。物理的にも心理的にもスピリ
チュアルにもその人を孤独にしてはいけません。

38
死別者にどう向き合うか

死別者とは、大切な人の死を経験した人のことを言います。日本語には遺族
という言葉もあり、私も使いますが、家族の範囲や形態が多様化している現
在、いわゆる血のつながりのある人だけを家族といっていた時代は医療現場
ではとうに終わっています。

39
病いによる共同体の変化

家族 家族 遺族

患者 患者

健康 病い 死別

ここまでは死にゆく人、患者さんのことについて考えてきました。
しかし多くの場合、その患者さんを大切に思っている、家族(血族のみを表
していませんよ)がいます。今度はその家族に目を向けてみることにします。
患者が病気になると、患者を含む家族の構造が変わりゆきます。役割も変わ
るし、金銭的な面でも変化があるでしょう。
そして、患者さんが亡くなると、患者さんへのケアはそれで終わりになりま
すが、遺された家族の構造は当然のことながら変化しながら続いていくわけ
です。
それが良い方向へ向かっていけばいいですが、そうではないとき、医療の力
が必要となるときがあります。死別者のケア、英語ではビリーブメントケア
と言います。

40
死別者のサポート

• 死別を体験した人との関わりは、最も構造構成的な考えが発揮され
る場面

• 人間も日々構成され続けている構造

• 様々なものを得、失くしながら毎日違う自分を構成しなおしている

• 人間変わることができる
• 志向相関的観点を持てば変えることができる

死別者のケアは、最も構造構成的な考えが発揮される場面です。人間も日々
構成され続けている構造です。
様々なものを得て、失くしながら毎日違う自分を構成しなおしているような
ものですから。
そういう意味では人間変わることができるんです。もしくは、どんな志向性
によって形作られてきた死別の苦しみなのかを知ることができれば、死別者
の苦しみを、苦しむその人を良い方向へ導くことすらできるかもしれません。

41
死別者の苦痛
• 死は、死別者にとっては死別のつらさ、社会的問題など苦痛の
始まり
• 配偶者の死
• 死別後の死亡率の上昇
• 死別後のうつ病罹患率の上昇

• 死別反応=悲嘆
• 正常心理(むしろ必要なもの)
• 複雑化して生活に支障を来すことがある

死は亡くなった人にとっては、(現代的解釈でいえば)「終わり」を意味し
ますが、死別者にとっては、死別のつらさ、社会的問題など苦痛の「始ま
り」です。
こんなデータがあります。配偶者の死後、遺された配偶者は死亡率が上昇し
ます。特に男性。後を追うようにというのは、データ上も示されていること
なのです。
そして、これはおそらく皆さんの想像通り、うつ病罹患率も上昇します。
じゃあ、うつ病になって自殺とかしちゃうから死亡率が上がると思いますよ
ね。でも、それが違うんですよ。
心筋梗塞や脳梗塞、肺塞栓症、脳出血等々で亡くなります。生活習慣病の成
れの果てです、すべて。特に高齢の男性が妻を亡くしたら、その後の生活は
どうなると思います?そう、生活が乱れる。家事ができないから。それで、
生活習慣病が悪化するのではないかと考えられています。一人やもめの男性
のための料理教室を死別者のケアとしてやったというのを聞いたことがあり
ます。すごくリーズナブルな介入ですよね。ちなみに、私は料理、洗濯、掃
除、裁縫もできます。
死別者が起こす身体や心の反応を悲嘆といいます。それらの多くは正常な悲
嘆です。しかし、中には医療を必要とする複雑化した悲嘆(複雑性悲嘆)も
あります。

42
死別者のケアは必要

• 死亡率が高い 男性で40%上昇
• 精神疾患罹患率が高い 死別1年うつ病15%
• 自殺率が高い
• 援助を求める遺族のうち うつ病40%
• 予防は難しい。Postventionの仕組みが必要
Parkes, C. & Weiss, R. 1983
Ishida et al.,2011

死別者の悲嘆の多くが正常心理だとはいえ、ケアは必要です。ただ、そうい
う場、対応する人がほとんどいないのが、日本の現状です。
さきほども取り上げたように、配偶者死別後の特に男性の死亡率が高くなる
のは問題です。精神疾患罹患率も高くなり、自殺率も少々上昇します。
援助を求めて病院などに来る遺族のうち、うつ病は40%というデータもあり
ます。死別者の40%がうつ病という意味ではありませんよ。援助を求めてこ
ない死別者がいるわけですからバックグラウンドには。もう援助が必要と
思ってきた人は相応の状態にあるということです。
死別の悲嘆を予防することは現状難しいです。ある種の良き別れを目指すこ
とは重要ですが、それで死別悲嘆が和らぐかと言われるとわからないという
現状です。
だから、予防preventionよりも、後からのケアpostventionの仕組みのほうが
大事だと言われています。

43
遺族外来
• 2011年に開設
• 全国で2番目

• 完全予約制
• 年間10名程度の来院
• 初回無料
• 白衣は脱ぐ
• 半数はうつの治療
• 半数は初回のみで終了

死別者も苦しんでいる。でも、患者さんがなくなれば、その家族との縁も
ぷっつりと切れてしまう。本当は死別者にも手を差し伸べたいのに。
そんな状況を鑑みて、2011年に遺族外来を開設しました。日本で最初に遺族
外来を始めた大西秀樹先生の指導を少しだけ仰いで作りました。(このよう
に、一般向けにはわかりやすく死別者ではなく遺族という言葉を使っていま
す)
大西先生が2番目だというので、確かでしょう。そんなにたくさんの人が来る
わけではありません。それは元々織り込み済みでした。だって、大学病院に
わざわざ遺族ですが、診てもらえますかと言って電話で予約して来るのって、
相当ハードル高いですよ。それでも、世の中にこういう取り組みがあるんだ、
遺族が遺族として語れる場所が少なくとも2か所はあるんだということ、今後
ますます大切になっていくよというメッセージを出す意味で今も続けていま
す。
初回無料、白衣を脱いで対応というのは、来られた遺族が患者とは限らない
からという私のこだわりです。診察券を作ってしまえば、患者になってしま
いますから。
先ほどのデータが示していたのと同様に、外来に来られる方の半数近くはや
はりうつ状態です。そういう方はあらためて「患者」になっていただいて、
うつ病の治療をしています。

44
遺族ケアの実際
• Cさん 50代女性
• 30年前に11か月の次男、13年前に母親(癌)、8年前に父親(癌)、
4年前に兄(病気)、1年前に⾧男(事故)で亡くした
• 「ただ生きているだけ。なぜ生きていくのかわからない」
• 「忙しくしていないとやっていられないが、がんばっても無駄」
• 夫、舅、姑がいるが、再婚であり、悲しみを共有できる関係にはない
• 食事は1日1回、体重は一時やせたが、現在はもとに戻っている
• 自身も腎症あるが、あえて通院を中止していた
• なんとなく体がだるい、食欲はないが困っていない

多重の死別体験をされた方です。
その中でも大きかったのはお子さんを亡くされたことです。いわゆる逆死で
すね。これほどつらいことは人生の中でもそうそうないでしょう。
身の回りの多くの人を次々となくしていき、なぜ生きているのかわからない
と言って外来に来られました。
周囲に家族はいるものの、心理的には孤立していました。おそらく本人の
パーソナリティーの問題もあると判断しました。腎症を患っていましたが、
悪化して死ねたらいいという気持ちも少しあり、通院は中止している状態で
した。

45
遺族ケアの実際
• 元来吸ってなかったが、⾧男が置いていった煙草を吸うようになった
• 道外にいた⾧男は9月に帰ってくる予定だった。9月になると旭川空港
へ迎えに行って、1日中ぼーっとしている
• ⾧男の事故は、自分の教育が悪かったという自責の念がある
• この世に未練はないが、死んだら(自死)舅も含め周囲がゲラゲラ笑
うだろう。だからそういう死に方はしたくない
• 周りから「子供が死んだのに案外元気」と言われてつらい
• 遺族外来を居場所として、空港へ来たついでに寄ってもらうことに

特徴的だったのは、亡くなった息子さんが9月に帰ってくる予定だったため、
9月になると、旭川空港へ迎えに行って1日中ぼーっとしているというエピ
ソードでした。彼女は、これは異常なのかと私に聞きました。私は異常では
ないと答えました。故人が廊下を通った気がするとか、故人への思慕の念か
ら、約束の場所へ通い詰めるとか、様々ですが、これらの多くは正常悲嘆と
して解釈できます。日常生活が破綻しているかどうかが、複雑性悲嘆との境
界線です。
周囲の人からの言葉に傷ついてもいました。(本人のとらえ方の偏りも多少
あったとは思います)
空港へ行くことは否定せず、その帰りに外来に寄ってもらうことにして、ひ
とつの居場所を提供することにしました。
案外ないのです。遺族が遺族としてちゃんと悲しんだり、つらさを出せたり
する場所が。

46
遺族への望ましい/望ましくない行動

望ましい 望ましくない
• 状況を良く知る人が労いの言葉をか • どうして(病気に)気付かなかったのか
ける • 看病の負担が減ったことをプラスに言う
• 気遣う電話や手紙、メール、訪問 • あなただけがつらいのではない
• 葬儀、法要の手配などを手伝う • 元気を出しなさい
• 感情を吐き出す場所 • 思ったより元気ね
• 当事者同士のサポート • お金のことについて聞く
• 傍にいること

石田.遺族に対する周囲の望ましい言葉と働きかけ(J-HOPE2付帯研究)2013に追記

遺族の調査からは、遺族が勇気づけられる言葉と、傷つく言葉がどのような
ものかわかってきています。
少なくとも、皆さんが医師になった折には、右側のような言葉を死別者にか
けないようにしてください。
案外いるんですよね、お金のこととか無神経に聞く人が。保険金いくら入っ
たの?とか、遺族年金もらえるの?とか。

47
遺族ケアの実際

• Dさん 50代女性
• 一年の間に母、父、祖母を亡くした
• 職業はヘルパー
• 仕事を生かして、介護、看取りはきちんとやれたという自負
がある
• しかし「どうにも疲れてしまった」

この方も1年間のうちに、母、父、祖母を次々となくされた方です。
職業はヘルパーで、終末期の人の世話もかなり経験されてきた人であったの
で、実際の介護、看取りまでは亡くされた3名ともに十分なことはしてあげら
れたと言っていました。
でも、最近になって「どうにも疲れてしまったんです」と言って遺族外来を
受診されました。

48
遺族ケアの実際

• 疲労感、食欲がない
• もの忘れ、判断力の低下、計算ができない
• 趣味で楽器をやっていたが、したくない
• うつ病と診断し、抗うつ薬投与
• 1か月で症状は軽くなった
• 職場の理解があり、半年かけて徐々に仕事に復帰した
• (1年経って、抗うつ薬止めたら再燃し、再開した)

よく話を聞いてみると、疲労感だけではなく、食欲不振であったり、もの忘
れのような症状、判断力の低下、計算ができなくなった、趣味で音楽をやっ
ていたが、まったく興味がなくなったなどの“症状”があることがわかりまし
た。(うつ病の診断基準に当てはまるような症状がたくさんあります。調べ
てみてください)うつ病(中等度うつ病エピソード)と診断し、抗うつ薬を
投与、およそ1か月で症状はだいぶ軽くなり、職場の理解もあったので(ここ、
うつ病治療でとても大切なところ、職場によっては「完全に治ってから復帰
しろ」みたいなところがあり、そういうところではうつ病が再燃しやすい、
なぜなら職場に原因があったりするから)、半年かけて徐々に仕事に復帰し
ました。1年経って抗うつ薬をやめたら再燃したので、再開しています。

49
遺族ケアの実際

• 仕事復帰後
• 「最近、利用者さんの心の動きに敏感」
• 「なんだか涙もろい、いい意味で」
• 「心のケアについてもっと勉強したい」

• こころの動きに敏感になって、人生の気づきを得た!
• Post-Traumatic Growth:心的外傷後成⾧の好例

仕事復帰後、以前よりも涙もろくなったが、利用者さんの心の動きに敏感に
気が付けるようになったといい、心のケアについて学べるセミナーなどがあ
れば、ぜひ行きたいと言うようになりました。つまり、うつ病にかかり、そ
れを克服したことで、心的に、人間的に成⾧することが彼女はできたのです。
これは、心的外傷後成⾧の好例です。
PTSD:post-traumatic stress disorder 心的外傷後ストレス障害は聞いたこと
があると思います(詳しくは自分で調べてくださいね)。その逆もあり得る
わけです。人生の中のストレスや障壁をバネにして、人間として一段、二段
と成⾧することが。人間は変わることができる。そのきっかけは、むしろ心
に大きな傷を負ったときかもしれないのです。

50
死別を経験することは

新しい自分を生きなおすこと

なのかもしれない

死別を経験することは、「新しい自分を生きなおすこと」なのかもしれない
なと遺族外来をやっていると私は思うのです。

51
絵本を書きました

絵本作家である私ですが、喪失とそこからの新たな出発を書いた絵本も出し
ています。
機会があれば読んでみてください。大学の図書館にはあります。また、絶版
になったので中古ですが、amazon等でも売っています。

52

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