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「場面」
「意識」 「形式」の運動 について
「内容」
蒲 谷 宏
キー ワー ド
待遇 コ ミュニケーション、待遇 コ ミュニケーシ ョン教育、
人間関係、場、意図、 きもち・なかみ・かたち
1.は じめ に一 一 問題 提起
コ ミュ ニ ケ ー シ ョン、特 に 「待 遇 コ ミュ ニ ケ ー シ ョンJに 関す る研 究 や教 育
/学 習 にお け る重 要 な観 点 と して、〈ど うい う関係 にあ るだ れ とだ れ が コ ミュ
、くどうい う文脈 ・状況において コ ミュニケー ションす
ニケー ションするのか〉
るのか〉 、くどうい う意識 ・目的を持 って コ ミュニケーシ ョンす るのか〉
、〈どう
い う意味 。内容 を伝 え合おうとして コ ミュニケー ションするのか〉 、〈どうい う
方法 ・形式 によって コ ミュニケー ションするのか〉
、 といったことが挙げ られ
るだろ う。 これらは、それぞれが コ ミュニケー ションを考 えるための重要な枠
組 み となるものではあるが、当然 のことなが ら、実際の コ ミュニ ケー シ ョン
は、それ らすべ てが絡 み合 い なが ら成立するものである。言い換 えれば、くだ
れ とだれが、 いつ どこで、なんのために、なにを、 どの ように コ ミュニ ケー
ションするのか〉とい うことになるわけである。
そ してさらに重要な ことは、「コミュニケー ション主体」 自身が こ うした枠
組みを認識 しつつコ ミュニケーションを行 うとい うことである。つ まり、 これ
らの枠組みは、「コミュニケー ション主体Jの 認識 において、それぞれが連動
したもの となっているのである。
しか し、 この当然 のことが、研究において 自覚的 に捉え られているのか どう
か、また、教育/学 習の実践 において も自覚的に反映されているのかどうかに
ついては、未 だ課題が残 ると言 わざるを得ないだろ う。
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「形式」を重視すべ きか、「内容」 を
日本語教育においてもよく議論 となる 〈
重視すべ きか〉
、く「場面」 か ら入るべ きか、「形式」か ら入るべ きか 〉等 々、あ
るものを他 との比較 において捉え、 どちらを重視すべ きなのかを問うとい うよ
うな論点 は、実際の コ ミュニケーションにおいてはすべ てが関連 し合 っている
とい う事実か らすれば、ほとんど意味がな く、多 くは不毛な論争に陥 つて しま
うと言え よう。
しか しなが ら、 この種 の議論 が今 なお絶えない ところを見 ると、それは、
くだれ とだれが、 いつ どこで、なんのために、なにを、 どの よ うに コ ミュニ
ケーションするのか〉とい う観点 ・枠組みがあまりにも自明な ことであるがゆ
えに常識的な前提 として片付 けられて しまい、必ず しもそれらが、「 コ ミュニ
ケー ション主体Jに おける 〈
「場面」 (「 人間関係」 十「場」)、 「意識」、「内容」、
「形式J〉 といった枠組 み として、研究上 明確 に位置づ けられ ていないか らな
のではないだろ うか。 しか も、それらすべ てが連動 してい るとい う、 これ も自
明のことが、言語研究 ・言語教育研究の上で、正当に捉 えられてこなかったこ
とにも起因するのではないか と思われるのである。
本稿 では、「待遇 コ ミュニケー シ ョンJの 研究や教育/学 習 を考 えてい く上
「場面」 (「 人間関係」十「場」)、 「意識J、 「内容J、 「形
で重要な枠組み となる 〈
式」〉のそれぞれが常 に連動 しつつ コ ミュニケー ション行為が成立 しているの
だ、 とい う点を再認識す る必要があることを述べ ようとするものである。
2.基 本的な枠組み再考
まず、「待遇 コ ミュニケー ション」、「待遇 コ ミュニケー シ ョン教育」 を考 え
てい くための基本的な枠組みについて、再整理 してお きたい と思 う。 なお、こ
こでは「言語」に よるコ ミュニケーションを中心に記述す ることになる。
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立するからである。「待遇 コミュニケーション教育」における「コミュニケー
ション主体」 も「学習者」だと言えるのであるが、教師や、教育/学 習のその
他 の支援者 たちも、それぞれが「コミュニケーション主体Jと してコ ミュニ
ケーション行為 を行うことになる。
「コミュニケーション主体」は「表現主体」 (「 話 し手J「 書き手」)と 「理解
主体」 (「 聞き手」「読み手」)と の総称であるが、客観的には一人の「コミュニ
ケーション主体」が、「表現主体」、
「理解主体」 となって「や りとり」 を行い、
「表現行為」「理解行為Jを 繰 り返す ことになるわけである。単 に、「話 し手」
がいて「聞き手」がいて、 と対峙させるような設定の仕方では、
「表現主体」、
「理解主体」が固定的に捉えられてしまうおそれがあ り、またコミュニケー
ション行為の実態を正確に捉えたものではな くなる点に留意する必要がある。
と呼ぶことにすると、「理解意図」には、①基本的な「理解主体 く理解意図〉
J
Jと があることになる。
と、② 「表現主体 〈理解意図〉
「意図Jに 関 して最 も多 い誤解 は、「表現意図」 の一種 である「理解主体
Jと 、「理解意図Jの 一種である「理解主体 〈理解意図〉
く表現意図〉 」 との混
Jで あつて、
同である。「理解主体Jが 推測する意図は、「理解主体 〈表現意図〉
」ではない。
「理解主体 〈理解意図〉
「意識」 として特 に重要になるのは、「場面Jに 対す る意識であり、それは
「待遇意識」あるいは「待遇意図Jと 呼ぶ ものである。「意識」 は当然のこと
ながら「内容Jや 「形式Jに も関わるものとなる
2.6「 きもち」「なかみ」「かたち」の連動
「意識」、「内容」、「形式」 は、実際の授業な どでは、「きもち」「なかみ」
「かたち」 とい う平易な用語で呼んでいる。「コミュニケーション主体J(「 話
し手」「聞き手」「書 き手」「読み手」)が 、ある「場面」 において、「きもち」
「なかみJ「 かたちJを 連動 させつつ「 コミュニケーション行為」を行 うとい
うことは、基本的な枠組み として、教師も学習者も押 さえておく必要があるだ
ろう。
以上述べてきたことをまとめると次のようになる。
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ロ手」「話題の人物」
① 「人間関係」 「自分J「 オ
だれが だれに (だ れと) だれのことを
② 「場J 時間的位置「文脈」 空間的位置「状況」
いつ どこで
∞ の総称 として「場面」
③ 「意識」……。「きもち」 「意図」「待遇意識」
どうい う気持ちで なぜ ・何のために
「なかみJ
④ 「内容J… …。 「題材J「 内容J
何 について 何 を
「かたちJ
⑤ 「形式J… …。 「言材J「 文話J「 媒材化J(含 む非言語行動)
どういうコ トバで どうい う文章・談話で どのように
3.「 人間関係」「場」「意識」「内容」「形式」の連動をめぐって
3.1「 待遇 コミュニケーション」研究・教育のあり方
2章 において述べてきた、「場面」 (「 人間関係」「場」)「 意識」 (き もち)「 内
容」 (な かみ)「 形式」 (か たち)と い う枠組みがすべて連動 しているとい う点
は、「待遇 コミュニケーション」の研究 ・教育研究 ・教育のすべ てにおいて重
要な意味 を持つことになる。
本来は、これらのどれが欠けてもいけないのであって、冒頭にも述べたよう
に、「きもち」か「かたち」か、「なかみ」か「かたち」 か、「場面」か「かた
ち」か、などを問題にすることはあまり意味のない論点である。いずれもが必
要であ り、いずれが欠けてもコミュニケーション行為は成 り立たないからであ
る。
教育/学 習における「導入」 として、「場面」 から入るか、「 きもち」から入
るか、「なかみJか ら入るか、「かたちJか ら入るか、 とい う点 は重要な論点 に
はなるが、それは、それぞれの教育/学 習環境 によつて決まって くることだと
言え よう。 ただ し、 どこか ら入ろうと、結局 は、「五本の柱」 がそろわなけれ
ば意味がないのである。「人 間関係」「場」「意識J「 内容J「 形式Jの 真 の連動
が実現す るか どうかが、「待遇 コ ミュニケー ション」 の教育/学 習 のか ぎとな
る。
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学習者 は、自らこの 5つ が連動することを認識 し、その認識 に基づ くコ ミュ
ニケー ションを実践 してい く能力 を持 ち、それを高めてい く必要があ り、教師
は、それを支援 してい く必要がある。それ は、教材、教授法、指導方法な どと
も深 く関係 して くるだろ う。
「待遇 コ ミュニケーション教育」 として考 えてお く必要がある ことは、 この
5つ の枠組 みをどのようにして連動 させ られるのか、学習者は この 5つ の枠組
みの認識 をどのようにして持てるようになるのかとい うことであ ろ う。
「人間関係Jの 認識、「場Jの 認識、「意識」 (き もち)の 認識、「内容」 (な
かみ)の 認識、「形式J(か たち)の 認識 のそれぞれが、それぞれに大 きな課題
になるが、それらをとにか く「一体」 として扱 ってい くことが何 よりも肝要な
のである。
例えば、従来 もよく行 われてきた「面接」 の練習 は、形式的な練習 に陥 りや
すい とい う危険性があ りつつ も、実際には多 くの学習者か ら支持 されるもので
ある。筆者が担当 している「口頭表現」 や 「敬語 コ ミュニケー ション」 クラス
の実践 においても、面接 ・イ ンタビュー練習 は、多 くの場合学習者 からの評価
が得 られる練習 となっている。
これは、何 を意味 してい るのかと言 うと、面接練習 は、形式重視 の授業にな
りがちだと思われている反面、実 はこの 5つ の枠組みの「連動 ・一体Jが 実現
させやすい ものだとい うことである。
「面接」 において、「人間関係」は明確 である。面接官 として面接 を担当す
る者、入社 ・入学 ・入会な どの面接 を受ける者 として立場 も役割 も自覚 しやす
い。「場」 の状況 も雰囲気 も明 らかである。それらに伴 って、「 きもち」 も作 り
やす い。入社 したい、入学 したい、入会 したい、な どの「意 図」 も明確 で あ
り、それを実現す るためにコ ミュニケー ションしているのだとい うことも自覚
しやす い ものである。何 を言 えばよいか とい う「内容」 も、「相手」か らの質
問 に対す る 自分 の考 えを述べ ることで 自分がどうい う人間であるかを伝 えると
い う趣 旨もはっきりしている。そ して、面接の種類にもよるが、多 くの場合 に
は面接 とい う「場」 にふさわ しい「形式」 を用 いる、適切な敬語 を用 い、面接
にふ さわしい態度 をすることなども含 め、なぜそ うい う「形式Jに なるか も理
解 しやすい。
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以上のように、 5つ の枠組みの「連動 ・一体」が無理な く実現 できるとい う
点で、「面接 ・ イ ンタビュー」 は、本質的に「待遇 コ ミュニケー ション」 の練
習 として成立 させやすい ものなのではないかと思 う。 もちろん、ただ単に、面
接試験対策 とい うことであ った り、形式的な面接練習 を して しまった りする
と、型 どお りのことしか表現で きず、「 自分 は面接 を受ける必要がない」「敬語
で表現す るのは難 しい し、嫌だ」などとい う反応 を引 き起 こ し、真の コ ミュニ
ケーシ ョン練習 からは遠 ざかって しまう。
ここで述べ たいこ とは、「面接Jが 「待遇 コ ミュニ ケー シ ョンJと して最 も
ふ さわ しい形態 だなどとい うことではない。「待遇 コ ミュニケー ションJと し
て必要な ことはほかに もた くさんある。「面接J以 外 にも重要な「待遇 コ ミュ
ニケー ションJと しての練習が必要であるにもかかわらず、その他 の練習が必
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何 であるのかを知 っているのに、それを質問 してい ることが不 自然なのであ
る。 これは何 ですか、 と尋ね る以上、「これJが 何 であるかが知 らないか ら知
りたい、あなたが知 っているなら教えてほしい、 とい う「意図」 を持 つている
はずである。それがないから不 自然なのである。知 りたい とい う「意図Jが あ
るなら、「これ/そ れ/あ れは何ですか」 は 自然な表現 として用 い られるので
ある。授業においても、例 えば学習者の持ち物などで教師が本当に知 らない も
のについて、それを手 にして「これは、何ですか。
Jと 尋ね るのは、知 らない
ものを知 りたいので教 えてほ しいとい う「意図」 を実現するための質問 になる
とい う点でよ り自然 であると言えるだろ う。 しか し、 もちろん、教師が次 々と
学習者 の持 ち物について「これは何 ですか」 と質問 し続けたとしたら、それが
か りに本当に知 りたいことであっても、不 自然なコ ミュニケーションになって
固別′
い く。普通そんな ことは しない、か らである。 しか し、「イ 性」 までを考え
れば、あ り得 ることなので、少な くとも質問するとい うのはわか らないこ と、
知 りたいことを尋 ねるものだ、 とい う意味 での 自然 さは実現できてい ると言え
るだろ う。
次 の問題 は、知 っていることを尋 ねないか、 とい うことだが、そうい うこと
も実際にはあ り得 ることである。知 つていることを確認 のために尋ね る、相手
が知っているか どうかを試す、 とい うことは、例えば、わか っていることで も
親が幼 い子供 に対 して「これはなあに ?」 などと尋 ねるように、あ り得 るので
ある。 しか し、 もしそのことが「意図」になるのであれば、教師は「 これ」 が
何 であるのかを知 つているわけだから、用 い るべ き「表現形式」は「 これは何
ですか」 ではな く「これは日本語 で何 と言い ますか」 であろ う。そうすれば、
本 を持 ちなが らで も、「 自然な」表現 になるのである。教師が教師 としての役
割 を果たすべ く、学習者に対 して、その習得状況 を確認す るために、実物 を示
す ことで、 これはもちろん本であるとい うことはみんな知っているね、ではこ
れは日本語 では何 と言 うか知 つているかな、あるいは、昨 日教えた ことを覚え
ているかな、 とい う「内容」 と「形式」 をもって尋 ねてい る、 とい うことであ
れば問題ないのである。
つ まり、自然であるかどうかとい う「 自然 さ」 についても、 5つ の枠組みが
連動 してい るのかどうかが、その基準にな りうるのではないかとい うことであ
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る。その コ ミュニケーション行為 において、5つ の枠組みが運動 していれば 自
然 であ り、そうでなければ、 どこかで不 自然 さが出て しまう、 とい うことであ
る。「 自然 さ」 の 問題 は、 もちろん「形式」 だ けの 問題 ではな く、 また「意
図」 の有無 だけの問題でもないか らである。
批判を受けやすい「不 自然」なロールプレイの練習 においても、それが不 自
然 だ と感 じられるのは、 5つ の枠組 みが連動 してい ない場合 であることが多
い。「 コ ミュ ニ ケ ー シ ョン主 体」 であ る「学習者J自 身 に、「人間関係」 や
「場Jに 対す る認識が持 てない場合、表現 したい とい う「 きもち」がない場
合、「なかみ」が考 えられてい ない場合、「かたちJが わかっていない場合、そ
の ロール プレイが不 自然 になる、つ まリコ ミュニケー ション練習 として成立 し
得 ないの も当然であろう。
4.お わりに一―今後の課題
以上、「待遇 コ ミュニケー ション」 の研究や教育/学 習 を考 えてい く上で、
「人間関係J「 場J「 意識J「 内容J「 形式Jの 5つ の枠組みが常 に連動 しつつコ
ミュニケーシ ョン行為が成立 してい ることを再認識 しなければならない、 と述
べ てきた。 こ うした′
点が重要であることは認識 されつつ も、あまりにも当然の
枠組みであるがゆえに、実際 には必ず しも適切に生かされてこなかったように
思 う。 しか し、実は、「 自然」 な コ ミュニ ケ ー シ ョンとい う問題 に も深 く関
わっていることであ り、 このことは、 日本語教育/学 習の初級から超上級 まで
のあ り方 にも大 きく関係 して来ることだと言 えよう。
今後 の課題 として残 されてい ることは、「待遇 コ ミュニケー ション」 に関す
る研究 としては、それぞれの枠組み 自体 をさらに解明 してい くことである。特
に、それぞれが どう「連動」 しているのかとい う点 に関す る実態 は、必ず しも
明 らかにはなってい ない。「待遇 コ ミュニケー ション教育」 に関す る研究 とし
ては、「 自然 さ」 の追究である。言 い換 えれば、真 のコミュニケー シ ョンとは
何 か、そ して、それが実際の教育/学 習 において成立す るために、 どのような
方法があ り得 るのかを追究 してい くことである。 これらはすべ て、今後 の教育
/学 習の実践 において検証 されてい くべ き課題であると考えている。
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参考文献
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研究教育セ ンター紀要』13
蒲谷宏 (2002)「「意図」 とは何 か―一 「意図Jを どのように捉 えるか一―」『早稲 田大
学 日本語研究教育 センター紀要』15
蒲谷宏 (2003)「「待遇 コミュニケーシ ョン教育」 の構想」『講座 日本語教育』第39分 冊
蒲谷宏 (2004)「「 日本語教育Jに おける「文法Jの 教育 を問 い直す―一 「〈言語 =行
為 〉観」 に基づ く「 日本語教育」の立場か ら一一」『国語教育研究』24 早稲 田大
学国語教育学会
蒲谷宏 (2005)「「敬語表現」 における「個別性」 と「一般性」J『 表現 と文体』明治書院
蒲谷宏 (2006)「 日本語力の基本的な考え方」『月刊国語教育』2512 東京法令出版
須賀和香子 ・金東奎 ・高木美嘉 ・田中奈央 ・田中美樹 ・蒲谷宏 (2005)「「待遇 コ ミュニ
ケーシ ョン教育Jと しての「コミュニケーション活動型授業」 に関する報告一一早
稲 田大学 日本語研究教育 セ ンター「 日本語 5β 6β Jク ラスの実践 か ら一― J
『待遇 コ ミュニケーシ ョン研究』 3
早稲 田大学大学院 日本語教育研究科 (2004∼ 2006)『 早稲田大学 日本語教育実践研究』
創刊号 ∼ 4号
早稲 田大学待遇 コ ミュニケー シ ヨン研究会 (2003∼ 2005)『 待遇 コ ミュニケー ション研
究』創刊号 ∼ 3号
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