「悲観主義 + 楽観主義 = 実存主義」 - 前期メルロ=ポンティの問題構成

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2024 年 3 月 9 日

実存思想協会 研究会(春)

ペ シ ミ ズ ム オプティミズム
「悲観主義 + 楽観主義 = 実存主義」
前期メルロ=ポンティの問題構成

鳥居 千朗

凡例

・《》は、意味上のまとまりを明確化するために用いられ、引用符と区別される
、、、、 ...
・ゴマ傍点は引用原文内の、丸傍点は引用者による強調を意味する
・訳書からの引用は、引用者の判断で適宜訳語を変更している場合がある

はじめに

本発表は、M. メルロ=ポンティ〔1908–1961〕の 40 年代の政治・実存論的テクスト、主に


『意味と無意味』
(1948)における「ペシミズム」
「オプティミズム」1「不幸な意識」
「悪霊」
の語の用法を網羅的に確認・確定させ、それとともに当時の彼が抱懐していた反ペシミズム
的な実存主義の実像と困難を明らかにするものである。ここに挙げた一連の語は一般的に
は彼の思想の鍵概念とはされていないが、現在、フランス語でなされるメルロ=ポンティ研
究の最前衛を担うサントベールは、2000 年代初頭より、
《ペシミズムとオプティミズムの特
異な絡み合い》という論理こそが、メルロ=ポンティ思想の根幹を理解させるものだという
ペ シ ミ ズ ム オプティミズム
解釈方向を打ち出している2。そして、その証示ともいえる「悲観主義 + 楽観主義 = 実存
主義」と題された 1947 年の草稿は、近年のダリシエ/松葉による 40 年代未刊草稿群の出
版(2022)によって、比較的容易にアクセスできるようになった。このような系譜の中で、

1
pessimisme / optimisme の対概念は通常、
「悲観主義」や「厭世観」、
「楽観主義」や「楽天主
義」、
「最善観」などと訳されるが、今回はメルロ=ポンティがこの語にどのような意味の負
荷を与えているかを改めて計測するために、特にこだわりが無い限り一貫して片仮名で表
記する。
2
Saint-Aubert2004 : p.313
1
発表者はメルロ=ポンティ思想の根本的なモチーフとしてペシミズムの問題を取り出す、と
いう研究課題を進めている3。その道程では、有名とは言えない上記の語の意味をまず逐語
的に確定させることが不可避の課題となる。そしてこれらの語の実際の用例は、政治哲学的
テクストに集中していた。また、彼の政治哲学はしばしば前期の『ヒューマニズムとテロル』
(1947)から後期の『弁証法の冒険』
(1955)へ転回を遂げたとされることも踏まえるなら
ば、全時期に渡って一貫した語法を拙速に前提する前に、後期の議論を理解するためにも不
可欠な前期の用語法の整理を丹念に行う必要があるだろう。その成果として本発表は、40 年
代のテクスト群に見られる用語法のぶれを印づけ、後期との連続と非連続を測るための一
つの準拠点を見出すことになる4。
第一節では、メルロ=ポンティが反ペシミズム的実存主義の彫琢を目指していたことの証
ペ シ ミ ズ ム オプティミズム
左として、未刊草稿「悲観主義 + 楽観主義 = 実存主義」を紹介する。第二節では、その具
体的な試みである「方法的オプティミズム」の問題構成を『意味と無意味』の中に読み取る。
第三節では、この思想が「オプティミズム」であり得る論理的根拠を解明し、当時のメルロ
=ポンティの企図を理解する。第四節では、他方でこの企図を座礁させかねない別のシナリ
オ、「不幸な意識」と「悪霊」が同時期のテクスト群に並存していたことを示す。最後に結
論に際して、当初の枠組みから逸れるような「オプティミズム」と「ペシミズム」の用法が
存在することを指摘し、後期テクストの読解方法を考える。

第一節 反ペシミズム的実存主義をめざして

メルロ=ポンティは、サルトル、ボーヴォワールらとの圧倒的な相互影響関係の元で、彼
らとは異なる実存主義思想を抱懐していた5。とりわけその特徴は、実存主義をあくまでペ
シミズム克服の論理として彫琢するところにあると言ってよい。1947 年 3 月のスカンジナ
ヴィア講演「実存の哲学における道徳的・政治的葛藤」に込められた彼の意図が、現地の日
刊紙の記事で明かされている。その見出しは、
「「私は絶望の哲学の話がしたいのではない」
メルロ=ポンティ教授は語る」という印象深いものだった6。「絶望の哲学」ということで想
定されているのは、ヤスパースやハイデガーの「絶望」と「死」の思想であり、なによりも、
当時絶大的な波及力を持っていたサルトルの、自由ながらも孤独で希望を持たない主体の

3
例えば拙論「メルロ=ポンティのペシミズム論」(2023)を参照。
4
本発表で立ち入ることはできないが、これは松葉祥一が暗示している、
「極端な主観主義」
と「極端な客観主義」の結合という議論をどう位置づけるべきか、という問題を解くための
準備にもなる。『メルロ=ポンティ』読本(2018)に収められた松葉の諸論考を参照。
5
Saint-Aubert2004 : p.89
6
Dalissier2022 : p.242
2
哲学、
「挫折」の思想7である(InéditsI291)。本来の実存主義は、人間実存の不条理を徹底的
、、、、、、、、、、、
に記述したうえで、しかし「これらの葛藤を引き受け、挫折や不条理の単なる肯定を乗り越
える」
(ibid.)ものだという。道徳的人間同士の調和した世界といった旧来の理念的価値は、
人間相互の無理解や暴力という現実の無秩序によって崩壊し、もはやそれらを素朴に信じ
ることはできない。しかしこの絶望からなおも芽生えてくる独特な和解への道筋を捉える
ペ シ ミ ズ ム
ところにこそ、実存主義の真価がある。この講演の最初の準備原稿の題は「悲観主義 +
オプティミズム
楽観主義 = 実存主義」8であり、以上のようなメルロ=ポンティ本人の意図を最も簡潔に凝
縮した形で伝えてくれている。
それでは、ここで形式的にのみ述べられている、ペシミズムへのオプティミズムの接木と
は、一体いかなる事態なのか。それは反ペシミズム的実存主義と言ってよいだろう9が、も
ちろん単にオプティミズムへ先祖返りするというのではない。次節で、この問題構成の具体
的展開を公刊著作の中に見ていこう。

第二節 「方法的オプティミズム」のシナリオ

1945–48 年の諸論文を収めて出版された『意味と無意味』(1948)は、その大部分が政治
論や実存主義に関わるものである。そして序文冒頭の「没理性の経験は、簡単に忘れ去られ
てはならない。理性の新たな観念を作る必要があるだろう」
(SNS8=1 頁)という宣言に表れ

7
もちろんサルトル自身も、自らの実存主義が決して「ペシミズム」ではなく、むしろ「オ
プティミズム」と呼ばれるべきものであるとの釈明をしている(サルトル 1946 : 38,62,81
頁,サルトル 1944 : 143 頁)
。しかしこれは自由の刑に処されていることをペシミズムとも
オプティミズムとも呼びうるということであって、のちに見るメルロ=ポンティの「意味の
刑に処されている」
(PhPxiv=I22 頁)ような「方法的オプティミズム」とは質の異なるもの
だと思われる。また、メルロ=ポンティは「実存主義論争」
(1945)や「現実とその影」序文
(1947)にてサルトル哲学に「オプティミズム」の語を宛ててもいるが、これらはあくまで
サルトル哲学をメルロ=ポンティ化している作業現場である(Saint-Aubert2004 : p.41, 佐野
2019 : 第四章第三節)。後期サルトルの文学論にまで続く挫折の問題の一貫性については澤
田 2024 を参照。
8
この草稿の性格については、Dalissier2022 : pp.227–244 に詳しい。
9
このような消極的な規定に留めたのは、同じカトリック的背景を持つマルセルの実存哲学
との比較を念頭に置いているためである。マルセルは自らの立場を明確に「愛 amour」や「希
望 espérance」という語で規定しているが、メルロ=ポンティの方は、絶えず「愛」に注目す
ることはあっても(川崎 2022 : 第九章)
、自らの思想を表現するものとして「希望」という
語を用いたことは恐らく一度も無い。この差異には興味深いものがある。マルセルのプログ
ラムについては京都大学文学研究科の鳥尾理沙氏に示唆を受けた。
3
ているように、その諸論考を貫く論理は、《世界が無意味に陥った地点から新たな仕方で意
味が立ち上がってくる》というシナリオである10。まず、世界が無意味に陥る、ということ
は、世界が素朴に理念的価値を保っていた状態(オプティミズム)から、それらの価値が信
用を失い、機能しないものとなった状態へ移行する、ということである。これは、「戦争は
起こった」(1945)の中で、第二次大戦下にフランス人が体験した独軍による占領の出来事
に準えて11叙述されている。

戦争は諸々の誤解と偶然とから生じるのであり、忍耐と勇気があれば誤解の方は一掃
し偶然の方は厄介払いすることができる、と教えられていた〔……〕このオプティミズ
ムの哲学は、人間社会を、常に平和と幸福に備えている意識の総和に帰していたが、実
のところこれは、辛うじて勝利国となった国の産み出した哲学であった
(SNS(guerre)246=203 頁)

戦前のフランスの若者は、カント流に、いかなる人間も本来は自他の自由を尊重し世界平和
を希求しようとしている平等な理性的存在者なのだと考えていた。しかし戦中・占領下にあ
っては、フランス人がこのような道徳意識を持ち出してドイツ人にも分け隔てなく接しよ
うとすることは、直ちに、ドイツ軍の侵攻への加担という客観的意味を持たざるを得ない。
ここでは自他の内面や精神に基づいて行為する合理主義的な「純粋道徳」は失効し、自分の
国籍は何か、相手の国籍は何か、当の行為がどのような外的結果と客観的意味を伴うか、に
よって態度を変えるような「民衆の健全な不道徳主義」(SNS(guerre)259=215 頁)が支配す
る。そしてこの出来事は同時に、かつて素朴に理性的人間のコスモポリタニズムを信奉でき
ていたのは、単に自分たちが他所の戦争や貧困に巻き込まれていない恵まれた社会的条件
の元に生きていたからなのだということを教える。
「自分の肯じられない企てから身を遠ざ
けてやましくない意識を都合するのに十分な余暇と才能と財産」
(ibid.)を持っている一部
の人間だけがオプティミズムに与ることができる。かたやこの社会的下部構造が整備され
ていない環境を生きる者にとっては、合理主義的道徳など空虚な謳い文句でしかない。この
ような現実が露呈したことで、理念的諸価値に満ちた世界は瓦解し、その下から、物質的条
件を巡って剥き出しの暴力が相剋する相対主義的な「地獄」12が台頭する。

10
酒井 2018
11
この占領体験は、実際にメルロ=ポンティに大きな衝撃を与えたという側面と、しかし同
時に元々彼が構想していた実存主義思想のよき例証がそこに投影されただけだ(Saint-
Aubert2004 : pp.86–89)という側面の両方を意識しておく必要がある。
12
cf. サルトル『出口なし』。
「地獄」の思想史について、ショーペンハウアーの角度から要
約したものとして、鳥越 2022 : 第十章を参照。但し、ショーペンハウアーが地獄の源泉を

4
しかし単にこの暴力的世界を措定して終わるならば、それは絶望を誇示するだけである。
メルロ=ポンティは「マルクス主義をめぐって」
(1945)の中で、この立場を次のように代弁
し、「シニック」な「ペシミズム」と呼んでいる。

正義とか真理といったものは、意識たる限りの人間はその源泉を己の内に有している
と思っているのだが、実は法廷や書物や伝統に基づくものなのであり、従ってそれらの
ものと同じように脆弱である〔……〕世界や我々の人生は気違いじみた喧騒であり、そ
の上に壊れやすいが貴重ないくつかの形式が現れてくるのだ(SNS(marx)182=151 頁以
下)

諸々の人間的な諸理念・諸価値は、無秩序な事実が氾濫するだけの現実世界の中からたまた
ま生じただけのものであって、自然の流れに任せれば、それらはただ解体されていくだけで
ある。要するに、「オプティミズム」が《事実は理念に容易に包摂される》という世界観で
ある(cf. PhP456=II287 頁)のに対し、
「ペシミズム」とは《理念は事実に還元される》とい
う世界観である、と定式化してよいだろう。俗に日本の言説空間では、前者が「平和ボケ」
と呼ばれ、後者が「現実主義」を標榜する自称保守層に対応すると考えれば理解しやすい。
さてメルロ=ポンティは、この相反する立場をそれぞれ「原理的オプティミズム optimisme
de principe」と「原理的ペシミズム pessimisme de principe」と命名し、それらを共に退ける自
...
らの「方法的オプティミズム optimisme méthodique」13を提出する(SNS(marx)208=173 頁)。
これは、現実の暴力と下部構造が露呈した地点から、ただそれを確認するのではなく、むし
......
ろこれを教訓として、もう一度新たな仕方で理念的諸価値を実現しようとする実践的態度
である。「価値とはこれを存在のなかに引き入れる経済的・政治的下部構造なしには名目だ
けにとどまり、価値とさえもならない」
(SNS(guerre)268=222 頁)という認識は、価値の全
面的放棄を意味しない。むしろこれは、《理念的諸価値は具体的な生活の実態によって裏付
けられたときにこそ、真に実現する》という認識によって、望ましい世界の実現へ一歩近づ
いたことを意味する。結局のところ、一部の地域の人間だけが恵まれた生活とそれに支えら
れた自由平等な世界を享受していても、それは他の地域の人間にとっては自分たちを見殺
しにし、場合によっては搾取してくる脅威という客観的意味を持たざるを得ないのだ。この

身体に求めるのは、これを利己的な意志の客観化と解釈しているからであるのに対し、サル
トル/メルロ=ポンティの場合は、身体性とは《ひとは常に他者から見られざるを得ない》
ことの謂いだからである。ここでは例えば、何らかの努力によって自らの意志や欲望を否定
するに至ったとしても、客観的意味の暴力からは逃れられない。
13
後 年 の ゲ ル ー 宛 書 簡 ( 1951 ) に は 、「 方 法 的 合 理 主 義 rationalisme méthodique 」
(ParcII(Guéroult)46=148 頁)という表現も見られる。この二つを重ねてよいとすれば、これ
は同テクストで言及されている「良き両義性」の解明にも繋がるものと考えられる。
5
状況が変わらない以上、何度でも戦争は繰り返されるのだから、この認識を忘却して閉じこ
もったとしても意味はない。人間的諸価値を説得力ある形で実現するためにこそ、物質的条
ヒューマニズム
件という非人間的次元の論理に付き合い、生活の制度を普遍的に整備していく「反人間主義
ヒューマニズム
的人間主義」14の実践が要請される。ただ言葉でだけ「自由」を唱えるのではなく、生活実
態として「実効的自由」(SNS(guerre)254=211 頁)が成立するような諸条件を整えなければ
ならないのだ。このような考えのもとで、メルロ=ポンティはマルクス主義15を引き寄せつ
つ、方法的オプティミズムの論理を開陳する。

いつの日か労働とか家族とか祖国といった言葉を好意的に語ることができるようにな
るには違いないにしても、それは予めこれらの価値が、自らそれを維持するのに役立っ
てきた曖昧さから革命によって浄化された上でのことであろう。
〔……〕新しい未来の
基礎を据える以外に、救われるに値するものを過去から救い出すことはできないのだ。
(SNS(marx)207=173 頁)

従って、方法的オプティミズムとは、現実的条件が第一義であると考えることをペシミズ
ムから引き継ぎ、理念的諸価値を目指すべきものとして信じることをオプティミズムから
引き継いだものだと言うことができる。それは肯定的にせよ否定的にせよ何らかの世界の
宿命を措定するような原理論的な世界観ではなく、実践のモチーフである16が故に「方法的」

と言われるのである。しかしこの方法的オプティミズムの信は、世界の無意味を前にして、
単に明るい未来を空想する恣意的な希望からはどのように区別されるのだろうか。

第三節 「推定的合理性」:絶望することは禁じられている

方法的オプティミズムはただ無根拠に希望を持とうとする態度ではない。
『ヒューマニズ
ムとテロル』
(1947)の二つの結論部(HT101–105=144–148 頁,193–206=237–249 頁)にお
いて、メルロ=ポンティはこれを「推定的合理性 rationalité présomptive」として明晰に論じて
いる。まず、道徳や合理性を頼りにできず、全てが暴力同士の闘争でしかない相対主義的世
界では、ある個人が何か望ましい世界とその建設のための実践を構想しようにも、結局それ

14
Saint-Aubert2004 : p.124
15
このマルクス主義の問題は、二週間後(3 月 23 日)の日仏哲学会にて詳論する予定であ
る。本発表では紙幅の都合上割愛せざるを得ない。既存の研究の中では、西村 2004 が適切
に要約してくれている。
16
このような用語法は、ルカーチの著作や、サルトル対共産主義者(H. ルフェーブル等)
の論争といった文脈を共有したものだと思われる(ルカーチ 1923 : 103 頁以下注 1,
Poster1975 : ch.4)。
6
は何の正当性の保証もない一つの身勝手な意見に過ぎず、それを他者と共有しようとする
のは一つの暴力にしかならないようにも思われる。しかし、ひとがこのように認識するまさ
にそのとき、これは自己も他者も全員が共に参加している世界と歴史の全体についての一
........................
つの意見となり、他者に同意してもらえるということが必ず前提される。これは主体が明示
.........................
的に抱く命題的な信念ではなく、私が何かを考えるということを構成する仕組みそのもの
である。それ故、これを所謂「自己言及性のパラドクス」と短絡的に同一視しないように注
意しよう。相対主義的世界観を持つに至ったのも、「正しく考えようとの奇妙な要請」
(HT206=248 頁)を私自身が行使した結果に他ならないし、
「正しく考えよう」とはとりも
なおさず、
「自分自身を裁くために他者のうちに移行し」、「他者によって自分の意見を承認
させ、他者の前で自分の選択を正当化しよう」ということなのだから、実のところ、ひとが
孤独な沈思黙考のなかで、他者との合理的和解への信を意見としては失うまさにそのとき、
..
自らの生き方の実相としては、この信を遂行しているのである。そこから何度でも、異なる
主体同士で意見を共有し修正しあう、合理的な議論と相互理解の可能性が沁み出てくる。

意識の各々は他の意識と共にひとつの共通の歴史のなかに巻き込まれていると感じ、
他の意識たちを説得するために議論し、自分にとっての蓋然性と他の意識にとっての
蓋然性とを秤にかけて比較し、外的状況を介して他の意識たちと結びついている自分
に気付くことで、意識同士の論争が生じて意味を持ち得るような推定的合理性の大地
を開設するのである。
(HT103=145 頁以下)

各々の意見のいずれかがアプリオリに正しいと保証されているわけではない。各々は誤っ
た意見や偏狭な暴力でしかない可能性があり、ただそのことは、それが他者に理解され、修
正されることができるということの言い換えに他ならない。従って、意見内容としてどのよ
うなものを持つにせよ、我々は他者と共に調和した状態に与ることができるという信を何
、、、、、、、、、
度でも遂行し続ける。我々はこの信を捨てることが本性上できない。「世界を不調和に陥れ
、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、
かねないその同じ偶然性が、世界を無秩序の宿命から引き剥がし、無秩序のために絶望する
、、、、、、、、
ことを禁じている」(HT206=249 頁)。このある種不可避な信、という意味においてのみ、
「マルクス主義をめぐって」の中で「方法的オプティミズム」に付されている次の一節も理
解できる。

人間は、自分がそうでないものや自分が持っていないものを思い描いたり、いずれにせ
よそうしたものに敬意を払うというその能力によって定義され得るであろう。幾人か
の人間を一緒に生活させ、同じ一つの仕事を行うよう協力させさえすれば、直ちに彼ら
の共同生活から初歩的な諸規則や法の端緒が生れてくるものである。〔……〕人間はい
................
わば自分で望んでいるわけでもないのに文化を分泌しているのだ。
(SNS(marx)208=174
頁)

7
この信を自覚的に引き受ける立場は、あくまで「推定的」に「合理性」を志向する、あくま
で「方法的」な「オプティミズム」なのである。絶望と闘争の「ペシミスティックな描写」
、、、、、、、
(HT111=151 頁)を確認して終わるのは「悪しき実存主義」(HT205=248 頁)とはっきり断
罪される。
「ヘーゲルにおける実存主義」
(1946)では、そのような「死のうちに暴力を掻き
立てる手段しか求めない、悲壮で甘い省察」の欺瞞が批判される。むしろ、その暴力の中に
.....
こそ実は和解への奇妙な「約束」があることを自覚し、それでは自分はいかにしてその約束
を果たそうとすべきかをこそ考え研究するような、
「死を生の一層鋭い意識に仕上げていく、
乾いて断固とした省察」が求められる。そのときにこそ「ペシミズムを捨てる」ことができ
る(SNS(Hegel)116–119=97–99 頁)。メルロ=ポンティはこのようにして実存主義を再定義す
るのであり、彼の場合はこの《いかにして》がマルクス主義の研究だった。

第四節 「不幸な意識」と「悪霊」のシナリオ

さて、以上が、我々の逃れ得ない信の構造に基づいた方法的オプティミズムの展望であっ
た。それはオプティミズムとペシミズムを有機的に統合した高次の立場、ないし実践のモチ
ーフであった。しかし同じ時期のテクストには、この前望的なシナリオを再び挫折に追い込
みかねない、別の筋道が伏在している。これは「不幸な意識」と「悪霊 malin génie」という
語の用法を追跡することで見えてくる。前者の語は、周知の通り、J. ヴァールが『ヘーゲル
哲学における意識の不幸』(1929)で取り沙汰して以来、超越的無限者との和解を希求する
悲劇的な実存の代名詞として有名である17。メルロ=ポンティ自身、これを「疎外された意
識であり、超越の面前に位置づけられながらも、超越から離脱することもそれを引き受ける
こともできない意識」
(HT72=115 頁)と定義しており、一般に、この境位をいかに脱するの
か、そもそも脱することができるのか否かによって、実存論的思想の性格が決まると言って
よい。従って、この語自体はメルロ=ポンティ思想の頻出する鍵語というわけではないが、
その用法を「ペシミズム」「オプティミズム」と共に解明しておくことは、彼の実存論的思
想を評価する上で重要だと思われる。また「悪霊」の方も、デカルトの第一省察に登場する
懐疑の頂点として有名である。これは「われわれの確証や決定の本来性についてつねに可能
な懐疑の表現」
(HT179n=223 頁注)と定義され、ここまで見てきた議論との関連で用いられ
ている。不幸な意識自体が、懐疑主義に飲み込まれた主体の在り様なのだから、この二つの
概念は強く絡み合っている。これら、共に乗り越えられるべき禍悪を意味する二つの合言葉
が、テクストのどの地点に憑依しているのかを確認することで、彼の反ペシミズム的実存主
義がどれほど望みのあるものだったのかを改めて考えてみよう。

17
ヴァールによる実存主義者ヘーゲル評についての理解は、水野 2022 に負う。
8
まず「不幸な意識」の第一の用法は、既に見た「ペシミズム」の類義語という最も無難な
ものである。
「ヘーゲルにおける実存主義」では、自他の相克に悩み、普遍性から引き離さ
れた己の有限性に打ちひしがれている境位が「意識とはすべて不幸なものである」
(SNS(Hegel)116=97 頁)と記述されており、この立場は、闘争の中から共存の萌芽を見出す
ことによって人類の実践の「歴史」
(SNS(Hegel)119=99 頁)へと転化され克服さるべきもの
と位置付けられている。要するにここでは、不幸な意識は方法的オプティミズムによって乗
り越えられたことになっている18。
しかし他のテクストを見てみると、
「不幸な意識」は第二の用法に転移している。
「信仰と
(1946)において、メルロ=ポンティは 30・40 年代当時のカトリック教会や信者が政
誠実」
治的傍観主義に終始していたことを批判し、キリスト教の思想構造そのものと、現実世界へ
の態度の取り方との関係を論じている。しばしこの議論を追ってみよう。まず、キリスト教
が神を個々人の内面のうちに求め、外的世界から切り離して「不死身」なものとして安置し
てしまうならば、地上の世界がどんな状況であれ神への帰依には一切関係がないことにな
り、静寂主義が帰結する。「完璧ということが世界のこちら側ですでに実現されているわけ
で、
〔……〕文字通り為すべきことは何もないことになる」
(SNS(foi)309=254 頁以下)。しか
しキリスト教にはもう一つ、受肉と三位一体の教義という豊かな可能性がある。即ちキリス
ト教は、〈父〉なる神が人の〈子〉イエスとして到来し、その〈聖霊〉が人間たちの間に引
き継がれるというように、理念的なものと事実的で個別具体的なものとが相即することを
認め、それによって人間たちの自発的活動を有意義なものとして促すこともできるのであ
る。この思想に基づくならば、神とは最早世界の外で既に完成されているものではなく、現
実世界の中で具体的に実現していくべきものとなる。「世界と人間とが初源の完璧からの無
.....
益な失墜であることをやめて、より偉大な完璧の必然的な契機となる〔……〕、
〈創造〉は、
人間が自由に神を認知し〈信仰〉を通じて神にこれを返す、ただその場合にしか完成されな
い。何ごとかが生じたのであり、世界は空しくはなく、為すべき何かが存在する」
(SNS(foi)311=256 頁)。今やキリスト教は、純粋な世界を観照して現実世界の喧騒を放置す
るようなことをせず、むしろ有限なる地上の活動に分け入って神の国を実現していこうと
する実践そのものが神への帰依となるのである。
この第二の帰結は、方法的オプティミズムの実践主義に対応すると考えられる。しかしこ
こではさらにシナリオの続きが語られる。メルロ=ポンティ曰く、本来あり得たはずのキリ
スト教の豊かな思想は、この《地上の有限性を媒介にした救済》という弁証法的綜合をあま

18
ま た 、「 マ ル ク ス 主 義 と 哲 学 」( 1946 ) に は 「 悪 霊 」 の 簡 略 な 用 法 も 見 ら れ る
(SNS(MarxPhi)227=188 頁)
。そこではむしろ、普遍的なものを自動的に実現する理性の狡
知のオプティミズムが、個人の意識を背後から支配する悪霊に準えられている。この事実は、
悪霊がペシミズムともオプティミズムとも見なし得ることを示している。それ故にこそ、そ
れはペシミズムとオプティミズムを統合した地点にも憑りつくことができるのである。
9
りにも強く受け止めたカトリシズムの思想の歴史によって凝固させられてしまった。カト
リック教会は、人間の躓きや罪の遍歴を通じてこそ、計り知れない神の恩寵に与れるという
ことを既に知っている立場であるが故に、人々がこの道から必要以上に逸れていくのは全
くの時間の無駄でしかない、と感じざるを得ず、パターナリスティックに人々の行動を指示
するようになる。どれほどの放蕩も、回り回って結局は救済に至るのだから。

人間を強制するのは心をそそることであるばかりでなく、急を要することである。人間
が探し求めるのに無駄な時間を費やすことはわかっていて、その間に事物の裏側では
無限の〈知〉がすでに一切のことを意のままにしているのだから。このようにして愛は
........................
残酷へと変化し、〔……〕キリスト教は不幸な意識の新たな形態となるのである
(SNS(foi)314=259 頁)。

ここでは、先ほどの第一の用法とは異なって、方法的オプティミズムが再び不幸な意識に陥
る可能性が語られていることになる。しかもそれは、方法的オプティミズムの弁証法的性格
そのものが毒素となって、自らを石化させるのである。第一に、推定的合理性の不可避の前
望的な信は、その純遂行的性格が忘れられれば、即座に容易に、個々人のその都度の不信や
絶望を前もって禁圧することへと反転する。どんな絶望も、結局は合理性への信なのだから。
第二に、事実上の下部構造と理念的諸価値を同時に重視する実践主義的態度は、現時点にお
いて理念を代表しているような特定の主体をあてにするという仕方で遂行されるほかない。
ところがその代表者が当の理念から逸脱した行動をとるようになった場合、正しいかどう
かも分からなくなってしまったその主体を、そうかといってただ不純さのために切り捨て
ることもできない、という恐るべき葛藤の内に立たされることになる。不純さは、理念と事
実の相即ということで、原理としては既に織り込み済みなのだから。これはメルロ=ポンテ
ィ自身が同時代のソ連に対した関係であったし、実際、
「真理のために」
(1946)では、この
点においてカトリシズムとマルクス主義とが重ねられている。

1917 年以来、マルクス主義は一つの祖国を持ち、世界のある地域に具現されている。
この瞬間から、共産主義者はマルクス主義をその肉体においても精神においても同時
に擁護せねばならなくなった、ちょうどスペインのカトリック教徒が、可視の〈教会〉

その聖櫃、聖職者と、万人の心と人間関係のなかに打ち建てられる不可視の〈教会〉と
を同時に擁護せねばならなかったように。〔ところが〕両者は必ずしも調和しないので
ある。(SNS(vérité)276=228 頁以下)

10
ここには、受肉の政治学とでも言うべきものがある 19。カトリシズムは、イエス=キリスト
の誕生以来、マルクス主義は、ロシア革命の実現以来、理念とその事実上の代表者とをどち

らも切り捨てられないという、歴史的渦の中に巻き込まれている。例えば戦後西側諸国がソ
連との戦争を準備していたような状況では、ソ連を攻撃する言説は西側陣営に恰好のお墨
付きを与え、当の代表者もろとも、理念を現実に建設する可能性を歴史から消滅させること
になるかもしれない。このような葛藤は、我々の日常生活の端々でも垣間見られることがあ
るだろう20。たとえ今のところ代表者が理念に照らして誤っているように思われても、それ
は事実的現況の中で上手く根を下ろさんがためかもしれない。この譲歩に原理的な限界は
無く、やがて気が付けば、現実がどうあろうとその代表者を肯定するだけの思考の死に陥っ
ている、という可能性さえある。その極端な例は、当の理念の実現のために自らの命を差し
出すことを迫られたときである。『ヒューマニズムとテロル』には、このような恐怖の治世
への懸念も多く書き留められている。

..
中世は終わっておらず、歴史はまだ悪魔的なものたることをやめていない。歴史は悪霊
を自分自身から排除しておらず、〔……〕疎外と超越が残存する点において、党におけ
る反対派のドラマ、それは少なくとも形式的には教会における異端のドラマである。
〔……〕教会には摂理的意味を、プロレタリアートとその指導には歴史的使命を認め、
生起することはすべて神もしくは歴史の論理によって許容されているということを承
認したが故に、党や教会の判断に反対して個人が自分の感情を最後まで貫くことはも
はやできないからである。(HT73seq.=116 頁)

歴史の裁きによる処刑をも甘受するような極端に至ってしまえば、最早自分自身の思考と
判断は全面的に信頼し得ないものとなり、不可知で全能な運命の力を追慕するだけになる。
方法的オプティミズムが普遍的価値の実現可能性を勝ち取り、世界を不可解な無秩序とし
て観望するペシミズムを乗り越えたはずが、その行き先に再び「相次ぐ譲歩や不幸な意識の
ロマン主義的ゲーム」としての「政治的生活」(HT165=207 頁)という暗雲が立ち込める。
少なくとも、ロシアの地はこの暗雲に覆われてしまっていた。「悪霊は〔……〕現実的思考
(HT179n=223 頁注,cf. PhP408=II221 頁,50=I85
の経験によって乗り越えられねばならない」

19
メルロ=ポンティはこれを 50 年頃に『世界の散文』の第二部以降で展開しようと構想し
ていたが、実現することはなかった(ParcII(LetRup)145=30 頁)

20
例えば、2023 年 6 月に轟孝夫がハイデガーの技術論を用立てて「原子力も「クリーン・
エネルギー」も変わりはない」という、政治的次元を超脱した発言していること(轟 2023)
には、当然、極めて政治的な意味がある。これに対し、ハイデガー的な思想に共感しつつも、
現行の原発政策への疑念から、
「クリーン・エネルギー」の推進に誠実に妥協しようとする
人々を想定することもできるだろう。
11
頁)と推定的合理性の自覚が繰り返し呼びかけられるが、それが最終的に我々を不幸な意識
から解放された地点へ連れていってくれるのか、同書の中では曖昧なままである (cf.
.......
HTxxxiv=31 頁)。
「革命の国でさえ歴史の終点にあるわけではない。 〔……〕下部構造がいつ
.........
か構築されない限り、不幸な意識はありうる」 (HT73=115 頁)。或いは当時の時点では、例
えば西欧諸国や合衆国での革命の連鎖によって、事態が早期に好転する見込みもあったの
かもしれない。しかし少なくとも、西側陣営の勝利による「歴史の終わり」が謳われる今か
ら回顧的に見るならば、この一節は、誠実に生きようとする限り、不幸な意識からの脱却が
永遠に不可能であること21を吐露しているようにしか読めない。さもなくば、誠実さを捨て
て自己欺瞞に閉じこもるか、である。ただ、メルロ=ポンティの持ち場はロシアではなくフ
ランスである。ソ連の現状がどうあれ、フランス知識人にはフランス知識人が果たすべき実
践の責務があるし、それ以外にやりようがあるわけでもない(HT193–206=237–249 頁)22。
『ヒューマニズムとテロル』は、もう一度自分自身の足元へ注意を促すことによって、方法
的オプティミズムの持ち込み先が残っている可能性を暗示し、幕を閉じている。

結論に代えて:第二の「ペシミズム/オプティミズム」

以上、本発表は、『意味と無意味』の諸論文等に展開された、40 年代メルロ=ポンティの
政治・実存論的哲学における「ペシミズム」「オプティミズム」
「不幸な意識」「悪霊」の用
語法を確定させた。その作業を通じて見えてきたのは、ペシミズムの懐疑を克服する実存主
義という「方法的オプティミズム」のシナリオと、これが一層冪を高めた懐疑主義的な位相
に陥り得るという「不幸な意識」や「悪霊」のシナリオとが並存していることだった。本発
表がやってみせたように、二つのシナリオを順番に繋げて一本のシナリオとして理解する
ことにもそれなりの根拠があると思われるが、メルロ=ポンティはこの暗い経過が必然的な
ものであると一度でも確言しているわけではない。最後に触れたように、方法的オプティミ
ズムを直ちにソ連と同一視するようなことをせずに、各人の立場毎に課せられた問いとし
て誠実に受け取るならば、第一のシナリオの企図もより開かれた読解へとバイパスさせる
ことができるだろうし、今日の我々が現実世界を生きるにあたっても大きな意義のある思
想的糧をそこから汲み取ることができるだろう。
いずれにせよ、今回取り上げた語は、どれも後年のテクスト群に再登場するものである。
ここで整理された道具を元に、特に『弁証法の冒険』
(1955)や『シーニュ』
(1960)などを

21
cf. M. フィッシャー『資本主義リアリズム』
22
恐らく、フランス知識人としての活動の内に、彼独自の政治を見出すことが可能である。
この点については別の機会に論じてみたい。
12
読解していくことで、彼の実存論的思想を厳密に評価することができるようになるだろう23。
これに関して、重要と思われる事実を一つ指摘しておきたい。『弁証法の冒険』には「ペシ
ミズム」と「オプティミズム」がある程度頻出する(e.g. AD305–307=287–290 頁)が、これ
を今回解明した語義と同一視することには一度待ったをかけなければならない。というの
も、後年の用法は、何らかの宿命論的な世界観というよりも、共産党などの政治主体が政策
の路線を決める際の情態性のことを指しているからである。それは《積極的に介入する姿
勢》と《放任的な姿勢》といった程度の意味になっている。ここには、用法と文脈の観点か
ら言ってズレがあると言うべきである。
『意味と無意味』の時点では、一か所だけ、
「真理の
ために」に後年付された注(1948)の中にこの用法が見られる。

ソ連の影響範囲にある国々に関しては、ソ連はオプティミスティックな路線をとり、こ
れらの国々にかなり大幅の自治を許していた〔……〕。だがそれ以来、西欧が戦争装置
の下ごしらえをしていく間に、ソ連はペシミズム、純然たる権威、命令的態度に復帰し
た(SNS(vérité)303n=250 頁注)

この意味でのペシミズムとオプティミズムは、方法的オプティミズムのあとの政治的生
活において改めて問題となるものだと考えられる。実際、先ほど見られたカトリシズムとソ
連の窮状は、理念の自動的な成就を確信する悪しきオプティミズムと、人間たちの自発的な
活動を信じない悪しきペシミズムとのキメラだと理解することができる。それはつまり、一
度果たされたペシミズムとオプティミズムの統合態が、倒錯的に反転した姿であり、一つの
新たな局面なのである。このような見取り図の元で、メルロ=ポンティ思想全体の展開をも
見定めていかなければならない。

※本研究は JSPS 科研費 JP 23KJ1340 の助成を受けたものである。

23
マディソンはメルロ=ポンティの哲学をキルケゴール的な不幸な意識の哲学と判定した
(Madison1981 : p.336n3)。これに対し佐野は不幸な意識を乗り越える実践を中後期の文学
的言語の内に求め(佐野 2019 : 167 頁以下)、川崎は中期以降の「祈り」としての表現の倫
理に進展を見出した(川崎 2022 : 第十一章第五節)
。ただし、この極めて政治論的な問題の
行方を政治論以外のところに求める場合には、その連続性を極めて丁寧に跡付ける必要が
あるだろう。
13
参考文献

※各項末尾()内の数字は原著初版の出版年

川崎唯史『メルロ=ポンティの倫理学』ナカニシヤ出版,2022.
酒井麻衣子「『意味と無意味』——生まれつつある意味」
『メルロ=ポンティ読本』松葉祥一
ほか編,法政大学出版局,2018.111–122 頁.
佐野泰之『身体の黒魔術、言語の白魔術』ナカニシヤ出版,2019.
J. -P. サルトル「実存主義について」(1944)
——,
「実存主義はヒューマニズムである」
『実存主義とは何か』伊吹武彦ほか訳,人文
書院,1996.
(1946)
澤田直「サルトルにおける「挫折」への執着」
『サルトル研究 エレウテリア』創刊号,日
本サルトル学会,2024.31–51 頁.
E. de Saint-Aubert, Du lien des êtres aux éléments de l’être, J. Vrin, 2004.
M. Dalissier, « Introduction », ( dans M. Merleau-Ponty, Inédits I ), 2022.
轟孝夫「原子力も「クリーン・エネルギー」も変わりはない」現代新書,講談社,2023.
https://gendai.media/articles/-/111908?page=1&imp=0 (2024/02/29 閲覧)
鳥居千朗「メルロ=ポンティのペシミズム論——現象学は人を救うか」
『哲学の門』5,日本
哲学会,2023.4–18 頁.
鳥越覚生『佇む傍観者の哲学』晃洋書房,2022.
西村高広「「下からの説明」を超えて:メルロ=ポンティと「ある種の史的唯物論」
」『メタフ
ュシカ』35,大阪大学大学院文学研究科哲学講座,2004.115–126 頁.
M. フィッシャー『資本主義リアリズム』S. ブロイ・河南瑠莉訳,堀之内出版,2018.
M. Poster, Existential Marxism in Postwar France : From Sartre to Althusser, Princeton Univ. Press,
1975.
G. B. Madison, "Concerning Merleau-Ponty: Two Readings of His Work", The Phenomenology of
Merleau-Ponty, Ohio Univ. Press, 1981.
水野浩二「「不幸な意識」と感情の弁証法——J. ヴァールの「ヘーゲル論」をめぐって——」
『札幌国際大学紀要』53,札幌国際大学,2022.11–20 頁
(PhP)M. Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception, Gallimard, 1945.
=『知覚の現象学』Ⅰ, Ⅱ, 竹内芳郎, 小木貞孝訳, みすず書房, 1967, 1974.
(SNS)——, Sens et non-sens, Les Editions Nagel, 1966.
=『意味と無意味』滝浦静雄ほか訳,みすず書房,1983.
(InéditsI)——, Inédits I (1946–1947): Conférence en Europe et premiers cours à Lyon, éd. par
M. Dalissier et S. Matsuba, Edition Mimésis, 2022.

14
(HT)——, Humanisme et terreur: Essai sur le problème communiste, Gallimard, Paris, 1947.
=『ヒューマニズムとテロル:共産主義の問題に関する試論』合田正人訳,みすず書房,
2002.
(ParcII)——, Parcours deux: 1951–1961, Edition Verdier, 2000.
=「メルロ=ポンティの一未公刊文書」
『言語と自然 コレージュ・ドゥ・フランス講義
要録』滝浦静雄・木田元訳,みすず書房,1979.
=『サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡——決裂の証言』菅野盾樹訳,みすず書房,
2000.
(AD)——, Les aventures de la dialectique, Gallimard, Paris, 1955.
=『弁証法の冒険』滝浦静雄ほか訳,みすず書房,1972.
G. ルカーチ『歴史と階級意識』城塚登・古田光訳,白水社,1991.
(1923)

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