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金融政策

❶ 通貨

通貨の種類と役割

▶通貨の種類 通貨とは、財(生産物)やサービスの交換(流通)の手段として使

われる貨幣 (お金)のことである。通貨の種類には、現金通貨と預金通貨の 2

つがある。

現金通貨 ▶紙幣(紙のお金) ▶硬貨(コイン)

預金通貨 銀行に預けているお金

▶普通預金…いつでも自由に出し入れできる預金

▶当座預金…現金の代わりに小切手や手形で支払いを行うための預

金。 取り引き金額が大きい企業の取り引きで使われる。

▶通貨の役割 通貨には次の 4 つの大きな役割がある。

① 通貨の尺度…商品の価値をはかる基準となる。 つまり、商品の価値は価格となっ
て示される。
② 交換の手段…商品の交換の仲立ちをする。
③ 価値の貯蔵手段…いつでも商品と交換できる価値を保存する。
④ 支払いの手段…代金の後払いや税金の支払いなどに使われる。

通貨制度

▶金本位制度 金本位制度とは、金を通貨の基準とする制度で、国が保有する

金の量に応じて、金との交換が保証された兌換紙幣を発行する制度のことであ

る。世界で最初に金本位制度を採 用したのはイギリスで( 1816 年)、日本も


1897 年に採用した。

金本位制度には、次のような長所と短所がある。
長所 ・通過料が安定するため、通貨価値が安定し、インフレがおこりにくい。

・国際取り引きを金で行うと、自動的に国際収支の均衡が保たれる。 (国際

収支の自動調節作用)

短所 ・通貨量の調節が難しく、景気や物価の変動に対応できない。

▶管理通貨制度 管理通貨制度とは、国がもっている金の量に関係なく、政府や中央
銀行など が通貨量を決定し、金との交換が保証されていない不換紙幣を発行する制
度のことである。 1929 年の世界恐慌後、各国は不況対策のために、通貨量を増や
す必要に迫られ、金本位制度 から管理通貨制度へと移行した。 管理通貨制度には、
次のような長所と短所がある。

長所 ・通貨量の調節がしやすく、景気や物価の変動に対応できる。

短所 ・景気対策で通貨が大量発行されやすいため、インフレがおこりやすい。

❷ 金融
金融とは何か
金融とは、企業・家計(個人)・政府の間で行われる資金の貸し借りのことである。
資金の 貸し借りは、銀行などの金融機関を通して行われる。金融機関は、預金など
の形で家計や企業 から資金を集め、資金を必要とする企業や家計などに貸し出す。
資金の使用に対して借り手が 貸し手に支払うお金を利子(金利)という。

銀行の役割
▶三大業務 銀行には、主に次のような 3 つの業務がある。
① 預金業務…個人や企業から資金を預かり、利子を払う。
② 貸出業務(融資業務)…企業や個人に資金を貸し出し、利子をもらう。
③ 為替業務…給料や年金などの受け取りや公共料金の支払いなど、お金を送金した
り受け取っ たりする。

▶信用創造 銀行には、多くの預金者から預金を預かると、預金者がいつでも現金を
引き出せ るように、その一部を支払準備金として残して、その他を企業などへの貸
し出しに回す。貸し出された資金は取り引きに使われ、支払いを受けた取引先の企
業によって、別の銀行に預金さ れる。それがまた貸し出される。これをくり返すこ
とによって、預金額の何倍もの貸し出しを 行うことができる。これを信用創造とい
う。
❸ 日本銀行と金融機関
日本銀行の役割
国の金融・通貨政策の中心となる銀行を中央銀行といい、日本では日本銀行がそれ
にあたる。 中央銀行に対し、民間の銀行を市中銀行という。
日本銀行には次の 3 つの大きな役割がある。
① 唯一の発券銀行…紙幣(日本銀行券)を発行する唯一の銀行である。
② 銀行の銀行…市中銀行から一定の割合の預金を預かり、その預金を他の金融機関
に資金とし て貸し出す。
③ 政府の銀行…政府にかわって税金など国のお金を管理する。また、国債の発行や
外国為替の 決済処理を行う。

日本銀行の金融政策
日本銀行は、国内に流通する貨幣量(マネー・サプライ)を調節することで、物価の
安定と 景気の調整をはかる金融政策を行っている。すなわち、好況の時には通貨量
を減らし(金融引 き締め)、不況の時には貨幣量を増やす(金融緩和)政策をとる。
金融政策を行うための手段として、次の 2 つがある。

▶公開市場操作(オープン・マーケット・オペレーション)
日本銀行が金融市場において、市中銀行と国債・手形などの有価証券(お金と同じ価
値を持 つ証券)を売り買いすることによって、国内に流通する通貨量を調節する。

好況の時には有価証券を市中銀行に売る売りオペレーションを行い、市中銀行の通
貨を吸収 して通貨量を減らす。不況の時には有価証券を市中銀行から買う買いオペ
レーションを行い、 通貨量を増やす。

▶支払準備率操作(預金準備率操作)
市中銀行は、預金の一定の割合を日本銀行に無利子で預けるように法律で義務付け
られてい る。この一定の割合を支払準備率という。
日本銀行は支払準備率を上げ下げすることによって、国内の流通する通貨量を調節
する。好況の時には支払準備率を引き上げることで貸し出しを減少させて、通貨量
を減らす。不況の時 には、支払準備率を引き下げることで貸し出しを増やして、通
貨量を増やす。

好況時(インフレ) 不況時(デフレ)

公開市場操作 売りオペレーション 買いオペレーション

支払準備率操作 支払準備率を引き上げ 支払準備率を引き下げ

結果 通貨量が減少 通貨量が増加

『公定歩合操作』
日本銀行が市中銀行へ資金を貸し出すときに発生する金利(公定歩合)を上げ下げす
ることによって、国内に流通する貨幣量を調節する。好況時には公定歩合を引き上
げ ることで貸し出しを減少させて、通貨量を減らす。不況時には公定歩合を引き下
げる ことで貸し出しを増やして、通貨量を増やす。
1990 年代の金融の自由化によって、日本銀行が市中銀行の金利を調節できなくな
ったため、現在は行われていない。

❹ 今日の金融問題
金融の自由化
1980 年代以降、日本は金融機関の国際競争力を強化するため、金利の自由化や金融
業務の 自由化をすすめていった。

▶金利の自由化 これまで、どの銀行でも同じ金利という金利規制が行われていたが、
1994 年 に普通預金金利が完全に自由化された。
▶金融業務の自由化 金融機関の間の規制を取り除き、競争を取り入れることを金融
業務の自 由化という。国際競争が激しくなった 1990 年代後半から、フリー(自由)
・フェア(公正)・ グローバル(国際化)を原則とする金融制度の大幅な改革(金融ビ
ッグバン)が打ち出された ことで本格化した。

戦後の日本経済
❶ 経済の民主化
第二次世界大戦後、日本はアメリカを中心とする連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ)の占領下におかれた。GHQ は、日本経済の民主化を進めるため、次のよう
な改革を行った。
▶財閥解体
財閥は軍部と強く結びつき、日本経済を独占していた。そのため、GHQ は、1945
年に財閥解体を命令し、翌年、財閥の本体である持株会社(親会社)を解散させた。
1947 年には支配下の企業を分離・独立させ、企業の自由競争を進めるため、独占禁
止法を制定した。
▶農地改革
日本の農業は、土地を持たない貧しい小作人が地主に支配される寄生地主制(地
主・小作制度)がとられていた。そのため、GHQ は農地改革を行うように命令した。
1946 年に自作農創設特別措置法が制定され、地主の土地は国に買い取られ、小作人
に安く売り渡された。農地改革は 1950 年までにほぼ終わり、これによって自分の
土地(自作地)をもつ自作農が大幅に増えた。
▶ 労働の民主化 1945 年から 47 年にかけて労働三法 1 が制定され、労働者の権利
が保障された。
❷ 経済復興
第二次世界大戦後、物不足によって激しいインフレとなり、物価は 100 倍近くに上
がった。そのため、日本政府は 1946 年に金融緊急措置令を出して、預金の引き出
しを制限するなど通貨量の縮小をはかった。しかし、効果は一時的なものだった。
また、日本経済を支えていた重化学工業の生産は大幅に落ち込んだ。このため、政
府は経済を立て直すために、1946 年に傾斜生産方式 2 を採用し、資材・資金・労働
力を石炭や鉄鋼などの国の経済を支える産業に集中させた。しかし、資金を集める
ために日本銀行引き受けの国債を大量に発行し、日本銀行が通貨を大量発行したた
め、さらにインフレが進んだ。
そこで、1948 年、GHQ は経済安定 9 原則を命令し、アメリカの銀行家であるジョ
セフ・ドッジの指導の下、インフレ対策(金融引き締め)や日本経済の自立化のため
の政策が行われた。これらの政策をドッジラインという。
これによって、インフレの進行は止まったが、逆に激しいデフレになり、中小企業
の倒産や失業者の増加など、深刻な不況になった(ドッジ・デフレ)。

財政政策

❶ 財政の機能と政策
政治の仕組みと役割

財政とは、国や都道府県・市町村などの地方公共団体の経済活動のことで、税金・

公債など の収入(歳入)を、公共事業・社会保障などの支出(歳出)に回す仕組みの

ことである。 財政の役割には、次の3つがある。

資源配分調整機能 道路・港・公園・警察・消防など、民間の企業が供給しにくい 公共

財を供給し、資源配分の調整を行う。
(公共財の供給)

所得再分配機能 国民の所得(収入)の格差を小さくするために、累進課税制度 (所得

に応じて税率を上げる制度)を採用し、社会保障給付を 行って、低所
(所得の格差の調整)
得者に所得の再分配をする。

景気調整機能 財政政策によって、景気の動きを調整する。好況の時には通貨 量を

減らして需要(景気)を抑え、不況の時には通貨量を増や して需要
(経済の安定化)
(景気)を上向きにする。

財政政策

景気の動きを調整する財政政策には、次の2つがある。

▸フィスカル・ポリシー(補正的財政政策)好況の時には、公共投資などの財政支

出を減ら したり、増税を行うことで、通貨量を減らして需要(景気)を抑える。不

況の時には、公共投 資などの財政支出を増やしたり、減税を行うことで、通貨量

を増やして需要(景気)を刺激する。

フィスカル・ポリシーは、日本銀行の行う金融政策と組み合わせて行われることが

多く、こ れをポリシー・ミックスという。

▸ビルト・イン・スタビライザー(財政の自動安定化装置) 財政には、累進課税制度
と社 会保障給付によって、自動的に景気の動きを安定させる仕組みがある。 好況の
時には、国民の所得が増えるが、累進課税で自動的に税率も増える。また、失業者
が 減るので、自動的に社会保障給付も減る。こうして、通貨量は減少し、需要(景
気)が抑えら れる。不況の時には、所得が減るが、累進課税で自動的に税率も減る。
また、失業者も増える ので、自動的に社会保障給付も増える。こうして、通貨量は
増加し、需要(景気)が上向きに なる。

❷ 日本の財政構造
国の予算
国の予算とは、一定期間(会計年度)における国の歳入(収入)と歳出(支出)の計画の
こ とである。日本では会計年度(4 月 1 日から翌年 3 月末まで)ごとに毎年、内閣が
予算案を作 成し、国会の承認を得て成立する。また、予算への追加や修正を行った
ものを補正予算といい、 これについても内閣が修正予算案を作成し、国会に提出し
て議決を経なければならない。
国の予算には、一般行政にかかわる一般会計と、国が特定の事業を行う場合などの
特別会計 がある。

歳入と歳出
一般会計の歳入には、租税(税金)や公債金(国債などの借金)があり、歳出には、社
会保 障関係費や国債費(国債などの借金の返済)、地方財政費(地方交付税交付金)な
どがある。

長引く不況による税収入不足などから、公債金は歳入のほぼ半分を占めるようにな
り、それ によって、歳出に占める国債費も増大している。また高齢化による社会保
障関係費も増加して いる。
租税の仕組
租税には、国に納める国税と、地方公共団体に納める地方税があり、直接税と間接
税に分けられる。 直接税は、個人が納める所得税や企業が納める法人税など、税を
納める義務のある人が負担する税である。間接税は、消費税など商品やサービスの
価格に含まれている税で、税を納める人と負担する人が違う人が違う税である直接
税と間接税には、次のような長所と短所がある。

▲租税の種

長所 短所

直接税 ▸累進課税が採用され、高所得者ほ ど ▸職業の種類によって所得額を

多くの税金を負担するため、所得 格差 確に知 ることが難しいため、同


(所得税など)
による公平が保たれる。 程度の所得で も税額に差がある

▸働いて収入が増えても税金で

られる ため、労働意欲が低下す

る。

間接税 ▸所得に関係なく、同じ負担を負う。 ▸低所得者ほど所得に対する消

の割合 が大きくなり、税の負担
(消費税など) ▸国が安定した税収入を得られる。
重くなる逆進 性が生じる。
直間比率の見直し
国税の直接税と間接税の割合(直間比率)を見ると、日本は直接税の割合が高く、直
接税中 心の税制をとってきた。
しかし、累進課税による重税感や労働意欲の低下、高齢化にともなう労働者の減少
や社会保 障費の増加などから、直間比率の見直しがすすめられている。
1989 年に導入された日本の消費税は、現在 8%であり、これは先進国中では低い水
準である。 2015 年には 10%に引き上げられる予定になっている。
公債とは
公債とは、国や地方公共団体が資金不足を補う目的で、借金をするために発行する
国債や地 方債のことである。
国債発行の原則
国債には、道路や港の建設などの公共事業にあてる建設国債と、一般会計の歳入不
足にあて る赤字国債(特例国債)がある。しかし、国債の発行は、法律によって厳し
い制限が設けられ ている。国債の発行は原則として禁止されているが、建設国債は
例外的に認められている。た だし、赤字国債は、会計年度ごとに財政特例法という
法律を制定して発行されている。また、国債発行時の日本銀行による引き受けは原
則的に禁止れている。国債は民間金融に売り、そこ から一般投資家へ売るとい市中
消化の原則がある。

国債乱発の問題点
国債を大量に発行すると、次のような問題が起こる。

▸インフレの可能性: 国債の返済のため通貨が大量発行され、インフレになる可能
性がある。
▸財政の硬直化: 国債の返済のために国債費が増加すると、社会保障関係費などに
回せる予算が減り、行政サービスの低下を招く。

▸クラウディング・アウト(押しのけ効果): 国債の大量発行によって政府が民間か
ら資金を調達すると、金利が上がり、民間が投資できる資金が少なくなる。

▸世代間の不公平: 国債は将来の世代が返済することになり、世代間の不公平が生
じる。

日本の国債依存度と残高:
建設国債は、1963~64 年のオリンピック景気後の不況をきっかけに、1965 年から
発行されるようになった。赤字国債は、第 1 次石油危機後の 1975~89 年、1994 年
以降毎年発行されている。
このように財政赤字を補うために、毎年赤字国債が発行され、国債依存度(一般会計
に占める国債発行額の割合)は、2012 年に 50%近くにもなっている。また、2013
年度末の国債残高 (国の借金の量)は約 750 兆円になる見込みとなっている。これ
は、日本の国民1人あたり約 590 万円の借金をしていることになる。日本の GDP に
対する債務残高は、先進国の中でも最も高い。

戦後の日本経済
❶ 高度経済成長
‣特需景気 1950 年に朝鮮戦争がおこると、アメリカ軍から日本の民間企業への注文
が急増し、繊維製品・金属・機械などの生産と輸出が増加した。その結果、日本で
は特需景気がおこって、ドッジデフレによる不況から抜け出した。そして、1952 年
には国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行ともいう)へ加盟し
て、国際経済に加わることになった。
‣高度経済成長 1950 年代後半から日本は大型景気を迎え、日本経済は急速に成長し
はじめた。1960 年には、池田勇人内閣が 10 年間で国民の所得を 2 倍に増やすとい
う国民所得倍増計画を発表し、豊かな生活を実現するために努力しようとする国民
の意欲を刺激した。海沿いには工業地帯が形成され、鉄鋼・造船・石油化学などの
重化学工業が発展した。その後も、好景気が続き、日本の国際競争力は高まって、
輸出が増加していった。このような日本経済の発展と輸出の増加に対して、アメリ
カや西ヨーロッパ諸国から批判が高まった。そのため、輸入制限をなくすなどの貿
易の自由化をはじめ、1964 年には経済協力開発機構(OECD)に加盟して、外国企
業による日本企業への投資などの資本の自由化が義務付けられた。これによって、
日本は先進国の仲間入りを果たし、1968 年には GNP がアメリカに続いて世界第 2
位となった。このように、日本経済は 1955 年から 1973 年の第 1 次石油危機まで
の間、年平均約 10%の経済成長を続けた。これを高度経済成長という。

‣高度経済成長の要因 高度経済成長の国内的・国際的要因には、次のようなこ
とがあげられる。
★国内的要因: ① 国民の貯蓄率 1 が高まったこと
➡銀行から企業に大量の資金を供給することができた。
② 企業の設備投資が活発であったこと
➡特に重化学工業を中心に大規模な技術革新が行われた。
③ 良質な労働力が多くあったこと
農村から若くて教育水準の高い労働者が都市に入ってきた。

④ 政府が企業優遇政策を行ったこと

➡低金利政策や法人税率の引き下げなどにより、企業が大量の資金を使え る

ようにした。

★国際的要因 ① 円安の固定相場であったこと
➡1 ドル=360 円という円安によって輸出が増加した。
② 石油を安く・安定的に輸入できたこと
➡エネルギー供給は石炭から石油、水力発電から火力発電へと移り、重化 学

工業が進んだ。

③ IMF・GATT 体制のもと、自由貿易の利益が得られたこと

❷ 高度経済成長の結果
‣産業構造の高度化 高度経済成長は、第 1 次産業から第 2 次・第 3 次産業への大規
模な労働力の移動を引き起こした。これを産業構造の高度化という。そのため、農
業人口の減少や高齢化、農村人口が急に減る過疎化や都市人口が急に増える過密化
が問題となった。また、大企業と中小企業、工業と農業の所得の格差が深刻化した。
そのため、政府は 1961 年に農業基本法を制定し、農業と他の産業との格差を正そ
うとした。
‣消費革命 高度経済成長によって国民の所得が増え、大量消費の時代を迎えた。
1950 年代広範囲は、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれ、一般家庭
に電化製品が広まった。1960 年代後半には、カー(自動車)・クーラー(エアコン)
・カラーテレビが 3C とよばれ、一般家庭に広まった。このように国民の生活水準
は大きく向上した(消費革命)。
‣公害問題 高度経済成長が進む一方で、公害が多発し、大きな社会問題になった。
特に、四日市ぜんそく・イタイイタイ病・水俣病・新潟水俣病は四大公害病と言わ
れ、被害者側は企業を相手に裁判を起こした。そのような中、政府は 1967 年に公
害対策基本法を制定した。1971 年には公害対策や環境保護を行うために環境庁がお
かれ、企業優先から国民の福祉優先へと政策が変わっていった。1970 年代に四大公
害病裁判はいずれも被害者側が勝訴し、企業側は賠償金を支払うことになった。
❸ 高度経済成長の終わり
‣ドル・ショック 貿易赤字が続いていたアメリカでは、1971 年にニクソン大統領が
金とドルの交換を停止したドル・ショック(ニクソン・ショック)。その後、日本や
西ヨーロッパ諸国は、1973 年に固定相場制から変動相場制へと移行した。以後、円
高が急速に進んで、輸出が落ち込み、円高不況となった。
‣第 1 次石油危機(オイル・ショック)1973 年に第 4 次中東戦争 2 がおこると、石油
輸出国機構(OPEC)は石油の輸出制限と価格引き上げを行った。そのため、原油価
格が大きく値上がりし、第 1 次石油危機がおこった。第 1 次石油危機後、世界経済
は物不足による物価上昇によって、不況下でのインフレ(スタグフレーション)にな
った。日本でも激しいインフレが起こり、国民生活に深刻な影響が出た。安い石油
に支えられていた日本の経済は大きいな打撃を受け、貿易は赤字となり、1974 年に
は前年度より実質 GNP が減って、前後初のマイナス成長となった。こうして、日
本の高度経済成長は終わった。西側諸国は、このような世界的不況に対応するため、
1975 年にフランスで第 1 回の主要先進国首脳会議(サミット)を開いた。

戦後の日本経済③
❶ 安定成長(低成長)の時代へ
1979 年には、イラン革命 1 をきっかけに第 2 次石油危機が起こった。2 度にわたる
石油危機によ って世界経済は大きく落ち込んだが日本経済は他の国よりも早く不況
から抜け出した。 その要因としては、①政府が大量の赤字国債を発行し、財政支出
を拡大したこと、②鉄鋼・石 油化学・造船など資源を大量に使う産業から、電子機
器(テレビ・VTR など)や自動車など省資 源・省エネルギー型産業へと移行したこ
と、③各企業が人員を減らすなどの減量経営によってコ ストを減らし、国際競争力
を回復して輸出を増やしたこと、などがあげられる。 こうして、1984 年ごろまで
経済成長率が年平均 4~5%の安定成長の時代を迎えた。
‣貿易摩擦: 日本の自動車や電子機器が主な貿易相手国であるアメリカや西ヨーロッ
パ諸国に大量 に輸出され、日本の貿易黒字は増加した。一方で、アメリカや西ヨー
ロッパ諸国が貿易赤字にな ったことで、貿易摩擦問題がおこった。

1950 年代末~ 繊維製品

1960~70 年代 鉄鋼

1960 年代末~ カラーテレビ

1970~80 年代 自動車

1980 年代~ 半導体・農産物

▲日米貿易摩擦品目の推移:
世界経済が落ち込む中、1980 円台からアメリカのレーガン政権によるレーガノミク
ス、イギリスのサッチャー首相によるサッチャリズム、日本の中曽根康弘内閣によ
る行政改革など、小さな政府を目指す新保守主義が台頭した。これによって行政サ
ービスや社会保障の民営化が進み、市場における様々な規制がなくなって経済の自
由化が進んだ。また、レーガン政権はインフレ対策として、高金利政策を行ったた
め、ドル高となり、輸入の増加で貿易赤字がさらに進んだ。特に自動車をめぐる日
本とアメリカとの貿易摩擦は深刻化していった。

❷ バブル景気
貿易摩擦問題の解決のため、1985 年に先進国の間で、為替レートをドル安・円高に
するプラザ 合意がなされた。その結果、円高が急速に進み、日本の輸出は落ち込み、
円高不況がおこった。 日本政府は円高不況対策として、公共事業費の拡大や減税な
どによって、国内の消費を増やす 内需拡大をはかり、公定歩合を 2.5%へ引き下げ
る超低金利政策などを行った。この超低金利政策 の下で大量の通貨が市場に流れ込
んだ、また、円高によって輸入原料が下がり、輸入産業に金余 り現象がおこった。
こうして生まれた余った資金は、株や土地などの資産購入に向けられた。そ の結果、
国内では 1986 年の終わりごろから株や土地の価格が急上昇し、それがさらに多く
の投資 をよんだ。
これによって利益を得た人々は消費を拡大させ、1986 年から 1991 年まで好景気が
続いた(バブ ル景気)。
また、余った資金は外国の資産にも投資され、土地や企業の買収、日本企業の海外
進出(多国 籍化)も進んで、1988 年末には対外資産残高は世界第一位となった。一
方で、円高によって競争 力を失った国内の製造業が、アジアを中心とする海外に工
場を移した。このため、日本の国内産 業が活力を失う産業の空洞化が進んだ。

❸ 平成不況
株や土地の価格の急激な上昇に対し、政府は 1989 年から公定歩合を段階的に 6%ま
で引き上げ て市場に流れ込む通貨量を減少させた。そのため、株や土地の価格は急
激に下がり、消費が落ち込んだ。企業の倒産が続き、大量に資金を貸し出していた
金融機関は不良債権 2 を抱えることにな った。これにより、バブル経済は崩壊した。

企業は、生き残りをかけて社員を減らすなどリストラ(組織の立て直し)を進めた。
このた め、失業者や非正規職員が増えて、就職難が発生した。
1997 年には消費税率が 3%から 5%になったことで、消費はさらに落ち込んだ。ま
た、同年にア ジア通貨危機がおこったことで、アジア向け輸出が減るなど、不況が
さらに深刻化した。これ以 降、金融機関の不良債権問題はさらに深刻になり、次々
と銀行が倒産した。政府は不良債権を処 理するため、公的資金(税金)の導入によっ
て金融システムの安定化をはかるとともに 1998 年に 金融監督庁をおいたが、不良
債権の処理はなかなか進まなかった。
このような中、1990 年代後半には、消費の落ち込みから物価が下がり続け、企業の
売り上げは 悪化した。そのため、企業は労働者の賃金を抑え、それがまた消費を落
ち込ませ、物価を下げ て、さらに企業の売り上げを悪化させるというデフレ・スパ
イラルになった(平成不況)。1990 年代からの 10 年以上にわたる長引く不景気の時
代を「失われた 10 年」ともいう。

❹ 世界金融危機
その後、アメリカや中国への輸出が増加したこと、小泉純一郎内閣の下で不良債権
が進んだこ と、企業のリストラによって体質を強化したことなどを背景に、2002
年頃より景気は回復しつつ あった。しかし、2006 年にアメリカで、所得の低い人
を対象とした住宅ローンを金融機関が回収 できなくなるというサブプライムローン
問題 3 がおこった。これによって、2008 年にアメリカの大 手投資銀行リーマン・
ブラザーズが倒産し、世界的な金融危機・世界同時株安(リーマン・ショ ック)がお
こった。
日本政府は景気対策として財政規模を拡大させ、歳出は増え続けた。そのため、国
債の発行額 も増えていった。また、この金融不安で、資金が日本円に集まり、円高
となった。輸出の落ち込 みによって失業者や非正規職員が増加し、消費が大きく落
ち込んでいった。また、企業は販売量 を増やすために価格の引き下げ競争を強いら
れ、デフレがさらに進み、現在も日本経済は不況か ら抜け出せないでいる。

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