You are on page 1of 16

城戸幡太郎の幼児教育思想と ﹁技術﹂のとらえ方に

ついて
神 田 伸生
はじめに 態がこのように機能しなくなってきたことを意味する。
 このような﹁家庭及び地域社会の教育力の低下﹂がも

一59一
 集団保育の意義は子どもをとりまく地域社会と家庭の たらした幼児教育の一般的傾向について、筆者は次のよ
機能の変化を主要な契機としてとらえ直されてきた。子 うに整理したことがある。
どもが住んでいる地域社会の生活や家庭での生活は、幼  ①社会や大人たちは、日常の自分たちの生活様式が幼
稚園や保育所での教育︵保育︶の土台となるものであ 児に価値ある﹁観察一模倣学習﹂の有効なモデルたり得
る。ところが、その土台となる﹁家庭及び地域社会の教 ないと考えるようになっている。②そのようなモデル
育力の低下﹂が今日指摘されている。かつて幼児は、地 は、目分たちと幼児の日常生活の場以外にあると考え、
域社会や家庭での生活を通して将来の生活に必要な多く 幼児が生活するのに必要な能力を養ってくれる場を選択
を学ぶことができた。幼児の身近なところに大人の﹁生 するようになってきている。③ところが、そのような場
活 ﹂ があり、その﹁生 活 ﹂ は モ デ ル と し て 将 来 の ﹁ 生 で行なわれる・﹁学習﹂は、大人にとっても、幼児にとっ
活﹂につながっていたからである。今日の﹁家庭及び地 ても日常生活と遊離しているだけに、再び日常生活の場
域社会の教育力の低下﹂とは、今日のわれわれの生活形 で﹁観察一模倣﹂を通して行なわれる機会は極めて少な
い。こうして大人の幼児に対するかかわり方は、たとえ 充、代替としてとらえるのではなくて、集団の中で幼児
それが﹁やり方を知ること﹂、 ﹁できること﹂に関する を保育することの意味を、幼児の生活している家庭や地
能力であろうとも、日常生活の文脈から離れ、モデル不 域社会の文化と関係づけてとらえようとしている。その
在のまま、幼児に何かをやるように指示したり、聞いた 関係づけの鍵となるのが城戸の﹁技術﹂に対する考え方
り、説明を受けたりする方法をとらざるを得ない傾向が である。本稿では、この﹁技術﹂に対する城戸の考え方
生じてきている。④そして、このような傾向は、社会や を中心にして城戸の幼児教育思想について検討していく
大人たちが幼児の成長について抱くイメージー幼児観1 ことにする。
を変えつつあるようになってきている。つまり、幼児の
成長の基準を、幼児の日常生活のモデルである社会や大 城戸の幼児教育の冨的論
人の日常生活、行為と切り離したところで、幼児がいか

一60一
に多くのことができるようになったか、知っているかと  城戸の幼児教育の目的論の特徴は、人間を社会、歴史
いう点におくようになってきている。そして、このよう 的存在と規定し、そこに人間の進歩、発達の源を見てい
な傾向が幼児の﹁熟﹂や特定の﹁○○教室﹂通いに拍車 こうとするところにある。これは、城戸と同時代にわが
をかけ、幼稚園や保育所での保育さえも歪めてしまうよ 国の幼児教育に大きな影響を与えた倉橋惣三が子ども自
うな傾向を生み出してきているω。 身の興味や自発性をもとにしながら子どもをとらえよう
 このような状況にあって、幼稚園や保育所での教育 としたのと対照的である。
︵保育︶をどのように幼児の﹁生活﹂や﹁遊び﹂と結び  人間の発達は具体的な社会的環境のもとで究明されて
つけてとらえ得るのか。この課題は大きな課題である。 こそ意味があると主張しながら、同時に城戸は、次のよ
本稿では、この﹁大きな課題﹂への糸口を城戸幡太郎の うに人間と他の動物との比較のなかに人間の発達の可能
教育思想を通して考えていきたい。 性の特殊的形態を見ていた。
 城戸幡太郎は、集団保育の意義を単なる家庭教育の補   ﹁苗一−、生物が高等になり、発達する に従って
生ま幻なから持一、てゐる本離をそのま㌧に完成するだけ あることを前提にしながら教育の意昧について考えるよ
,ではなく、今まで経験し得なかった新しい環境に対して うになってきている。城戸もまた上記のように、 ﹁人間
自らの 生 命 を 維 持 す る だ け の 順 応 力 を あ ら は し て く る の が動物と比べて保育の時期が長い﹂ことの意味を目覚的
である。そこに教育をする可能性が認められるのであっ にとらえながら、集団保育の可能性と必要性を追求して
て、人間が動物に比ぺて保育の時間が長いといふこと いるのである。
は、将来の新しい環境に処して行くだけの生活態度を養  まず集団保育の必要性についてであるが、当時、城戸
ふための教育期間を必要としてくることを示してゐるの は今日のわれわれが直面しているのと同じ﹁家庭教育の
である⑫﹂ 破綻﹂を見ていた。すなわち、当時﹁生産方法の変化に
 人間という動物が他の動物とは異なる特殊な適応形態 よる生活様式の変革﹂によって次のような事態が生じて
をとり な が ら 発 達 す る こ と 、 す な わ ち ﹁ 最 初 か ら 子 供 に いたと見ている。技術による職業の特殊化、職業生活の
与へられるものは単なる富然ではなく、歴史的に発展し 都会化、大量生産と大量消費による生活基準の一律化、

一61
た人類の文化㈹﹂であり、そのような環境の中で育つこと そして母親が子どもに対して十分な養育時間をとれない
の意味を城戸は見てとっていた。今日、ポルトマンの 等々である。そしてこのような状況が﹁家庭を社会生活
 ﹁生理的早産説﹂は、人問の赤んぼうは﹁無能力﹂な状 の基本単位とすることを困難ならしめ﹂ていたと考えて
態で生まれてくるが、それは同時に人間がこれまで作り いたのであるω。
あげて き た 文 化 の 中 で 保 護 さ れ 、 育 成 さ れ て 人 間 と し て  このような現実の中で、城戸は単なる家庭の保育を補
生きる力を獲得し発展させる可能性をもった特殊な動物 うという意味ではなく、次のような目的を掲げて集団保
であることを明らかにしている。そこから今日われわれ 育の必要性を考えていた。
は、人間の子どもは、まず歴史的、社会的に規定される   ﹁幼児教育の目的は、将来の生活に十分目らを処置
人間特 有 の 生 活 形 態 の 中 で 生 き る 存 在 で あ る こ と 。 そ し  していくことのできる能力、即ち人間的、社会的知性
て、この存在は、社会の中で保護と指導が必要な存在で  を養って行かねばならぬのである⑥﹂
 ここでいう﹁人間的、社会的知性﹂の意味についてで も﹁個人的技能の酒養﹂から﹁社会的協力の訓練﹂を行
あるが、城戸は次のような人間像を想定していた。 なうためであると次のように述べているのである。
  ﹁人間が人間になるといふことは人間が社会的人間   ﹁子供に積木の家を造らすのは、家を造る道具が使
 即ち社会的共同生活において職能的義務を果し得る人  用できぬからで、鉋や鋸や物尺が自由に使へるやうに
 間になるといふことでなくてはならぬ。文化といふこ  なれば、実際に家を造ることもできるのである。しか
        唖㊥曲画画画㊥  画画画画㊥曲曲個
 とも人間の社会的協力を可能ならしむる職能的教養で  し、家に限らずどんな技術でも、技術が発達するに
 曲画㊥画曲画画画㊥宙宙画画画画画囲㊥個圃唖  田圃
 あり、かやうな意味で文化人とは教養ある人間である  従って一人だけの力ではできなくなるのである。そこ
 に、どうしても社会的協力といふことが必要となって
 画       田   宙   宙   ㊥   曲   田   宙   画   画   圃   田   ㊥   画   画   咀   宙   亜   唖   田   曲   面   画
 とい へ る ⑥ ﹂
 ㊥曲苗画  宙画曲苗㊥画画画画曲固圃画僅画画面個画
 城戸にとって﹁社会的共同生活において職能的義務を  くるので、幼稚園や託児所での手技は単に子供の個人
果し得る人間﹂とは、社会生活の中で問題を発見し、間  的技術を発達させるだけに止らず、一人だげの技能で
 画   画   ④   曲   届   国   曲   画   画   ㊥   ㊥   画   曲   画   画       固   宙   曲   宙   圃   画   癌   曲

一62一
題を解決できる能力1﹁技術﹂1をもった人間を意味  は完成することのできぬ仕事を与へ、これを子供同志
 宙   画   画   画   画   唖   画   曲   曲   画   画   画   画   唖   曲   画        曲   曲   曲   画   宙   ㊥   曲
し、それは同時に﹁共同的生活﹂の中での﹁社会的協  で協力して完成さすやうな訓練をすることが必要であ
 画   ⑮   唖   曲   曲   ㊥   苗   ㊥   画   画   岨   画   画   宙   曲   宙   画   曲   苗   ㊥   ㊥   曲   伺   哩
力﹂の能力1﹁技術﹂1をもった人間を意味している。  る。要するに保育における手技は道具の使用法を目的
﹁技術は問題解決の方法である。二一社会協力士いう  として個人的技能の溺養から社会的協力の訓練をな
ことは問題を解決する方法であり、われわれの知識は  し、仕事の完成を倦に楽しむといふ態度を養ってゆか
か㌧る方法によって体系づけられているω﹂。このように  ねばならぬのである㈹﹂
城戸は問題解決に必要な﹁社会的協力﹂も含めて﹁技  かくして、 ﹁人間的、社会的知性を養う﹂という城戸
術﹂を考えていた。とすると、城戸の幼児教育の目的と の幼児教育の目的論は、 ﹁社会的協力﹂を指導原理とし
する﹁人間的、社会的知性を養う﹂とは、このような二 つつ、この二つの﹁技術﹂を主要な保育内容一方法とし
つの﹁技術﹂にかかわる知性を養うことであるというこ て展開されることになるのである。
とができる。実際、城戸は、幼児に﹁手技﹂を教えるの
二 城戸の保育者の ﹁権威﹂論  らは撫子の花は咲かない。子供は果して草花のやうに
 運命づけられた遺伝的存在に過ぎないものであらう
 大正デモクラシー以来の﹁児童中心主義﹂の保育理論  か。もし、さうだとすれば児童から新しい社会の発展
が、確立すべき目的論を欠いたまま保育の方法論的側面  などは望まれる筈がない。 門児童から﹄の教育には、
          画   画   苗   画   圃   面
に焦点をあてられていたのに対して、この点でも城戸の  保母は子供から何を求められるかといふことと、保母
幼児教育論はきわだったものとなっている。城戸の幼児  は子供から何を求めるかといふこととが同時に含まれ
教育論の一つは、前述したように、目的を明確にしなが  てゐたのである。この﹃要求﹄といふことに新しい生
ら保育における保育者の積極的役割を明確にしているこ  活の様式も社会の発展も認められるのであって、要求
とにあるからである。例えば、倉橋惣三は対象としての  のないところには希望もなければ進歩もないのである
子どもに忠実であることを強調して、 ﹁幼稚園の保育  が、しかし保母が子供の要求にばかり応じてゐたので

一63一
は:一特に対象本位に、実に対象本位に計画されてい  は子供の要求水準は高められないω﹂
くべきもの㈹﹂であることを主張したが、城戸はこのよう  ここで、城戸は﹁子ども本位﹂に保育は計画されるべ
な﹁児童中心主義﹂の教育を次のように厳しく批判して きものではなくて、 ﹁子ども﹂から﹁何を求めるか﹂を
いる。 同時に含めて考えることの必要性を訴えている。 ﹁子ど
  ﹁児童中心主義の教育では児童から新しい生活の様 も本位﹂に子どもを見る見方は﹁子ども﹂の要求水準を
 式を 発 展 せ し め よ う と す る 。 新 し い 社 会 の 発 展 は 次 の 高められないばかりか、結局のところは子どもを﹁運命
 時代を作る若き子供達の心の裡に約束されてゐると考 づけられた遺伝的存在﹂と見ることにつながりはしない
 へるのが門児童から﹄を標語とする近代の教育であっ かと指摘しているのである。
 た。しかし、子供は子供達自身から何を自由に発展さ  ﹁子どもの要求水準﹂を高めること、それにはとりも
 すことができるであらうか。子供を園に生ふる花の如 なおさず、子どもをして﹁子供の生活環境を改造し﹂、
 く観るのは美しい思想ではある。しかし朝顔の種子か ﹁新しき生活様式の教育的組織化﹂の場である幼稚園や
託児所の中で然るべき目的に沿った保母の指導が必要で の必要性を社会に要求すること。②﹁国民の生活力を酒
あると城戸は考えていたのであるω。 養する﹂という見通しに立って、就学前教育の目的につ
 幼児の保育に対してこのような役割をはたす保母は、 いて再考すること。③﹁職能的義務﹂を自覚し、それを
同時に次のように﹁保育の社会的、文化的意義を理解﹂ 遂行するだけの保母としての主体的力量を身につけるこ
し得る﹁職能的教養﹂が必要だと城戸は考えていた。 とが課題として求められているのである。そして、この
 ﹁保母とは単に生計をたてるための職業的身分ではな 三つの保育者に求められる﹁力量﹂は、城戸が中心とな
く、社会的共同生活をなすために必要な一つの職能的義 って設立された﹁保育問題研究会﹂の取り組むべき主要
務である﹂。この﹁職能的義務﹂を果たすため保母は な課題でもあったのである。
﹁職能的教養﹂を必要とする。すなわち﹁保育に関する  保母はこのように保母としての﹁識見﹂に基づいて社
知識﹂と﹁職責を果たし得る識見﹂を合わせもっていな 会と子どもたちに積極的に要求する﹁職能的義務﹂を担

一64一
ければならない。 ﹁識見としての教養﹂をもつためには った存在として位置づけられるが、それは同時に子ども
﹁一一一子供を通じて見られる国民の社会生活に対する たちに次のような権威を担うべき存在でもあると城戸は
洞察と子供を通じて現われる自己の職責に対する反省が 考えていた。
認められねばならぬ﹂し、 ﹁保育の社会的、文化的意義  保母の権威は﹁子供が家庭の生活から社会の生活に入
を理解﹂していなければならないのであるo2。 るときに求められる新しい権威である﹂。この権威は、
 ﹁幼稚園や託児所だけに閉篭められ﹂たり、 ﹁幼稚園 ﹁家庭とは全く違った新しい形態のうちで認められる権
令による保育に拘束され﹂ることなく、広い文化的、社 威で⑮曲一この新しい生活形態によって十分に発揮され
会的視野に立って問題を発見し、それを理解することを ねばならぬ﹂権威である。すなわち﹁親の家庭的権威﹂
社会に要求する力量が保母に求められているわけであ に基づいた行動から、子どもたちを﹁社会的権威﹂に基
る。 づいた行動へと移行させる役割を保母は担うべきである
 かくして、①就学前教育の必要性と、その制度的改革 と城戸は主張しているのである。
  ﹁子供達に対する保母の権威は社会的権威として、 三 城戸の幼児教育の方法論
 すべての子供達に認めさせねぱならぬが、それには目
 分の権威だけを絶対の権能として示すのではなく、一  城戸の幼児教育方法論の特徴は、これまで述べてきた
 人だけではできぬものが互に力を合せてやればでき ように幼児教育の目的を明確に規定し、保育の組織者と
 るといふ子供達同志の共同精神のうちに示さねばなら しての保母の指導性を重視しながら保育を考えているこ
 ぬ。保母に対する敬愛が同時に友達に対する敬愛とな とにある。ここではこれまで述べてきたことをもとにし
 り、完成に対する悦びが協力に対する悦びとなるやう ながら城戸の幼児教育方法論について説明を加えていく
 に訓練することが保母としての権威を示すことであ ことにする。
 る。そしてかやうな社会的権威には尊厳と敬愛との関  保育内容についていうと、 ﹁人間的一社会的知性を養
 係が認められるのであって、命令と服従との関係の如 う﹂ことを幼児教育の目的として掲げる城戸は、この

一6δ一
 きものは認められないのであるω﹂ ﹁知性﹂にかかわる内容として﹁技術﹂を想定する。こ
 このように城戸は、保母の﹁権威﹂を新しい生活形態 の﹁技術﹂という意味を城戸はしばしぱ﹁文化﹂という
−集団保育−の中で﹁子供同志の共同精神のうちに示さ 意味と同義に使用している。たとえば﹁文化心理学の方
ねばならぬ﹂ ﹁権威﹂であると規定した。 ﹁社会的権 法﹂について次のように言うのはその例である。
                個   曲   画   画   画   曲   苗   田   曲
威﹂が保母の保育活動に付随する単なる﹁権威﹂ではな   ﹁一二文化心理学の方法は、文化を自然に対する
 人間の生活技術と考え、技術の発見と発達の過程を条
 曲   曲   画   曲   ㊥   値   画   苗   曲   画
く、保母の指導のもとで集団自体が子どもたちにとって
﹁社会的権威﹂として目覚的にとらえられるように組織  件発生的方法によって研究しようとする。そして技術
するため保母に与えられた役割であるとしたとき、城戸  の発達は、道具の発達と緊密な関係があり、人間がい
のこの﹁権威﹂論のうちに集団保育に果たす保母の役割  かにして道具を発見し、これを生活のため、いかに利
の原型を見ることができると考える。  用するかを人間の行動を通じて理解しようとするω﹂
 ここでは﹁文化﹂と﹁生活技術﹂とは同義であるが、
城戸が﹁技術﹂というとき、多くはこの﹁生活技術﹂11 らば、教育内容の中核になるのは﹁技術﹂でなければな
﹁文化﹂という意味で考えられている。すなわち城戸に らないと城戸は考えるのである。
とって教育内容として﹁技術﹂をとりあげるということ  では幼児教育の中での﹁技術﹂の指導とはどのような
は﹁文化﹂をとりあげ、 ﹁生活﹂をとりあげることにつ 内容と方法を通して行なわれるのであろうか。
ながっているのである。そしてこの﹁文化﹂や﹁生活﹂  城戸は保育五項目−遊戯、唱歌、談話、観察、手技−
は、 ﹁技術﹂を通してわれわれの社会生活のなかに﹁表 は﹁教材ではなく、子供が社会生活を営むに必要な機能
現﹂されていると城戸は考えているのである。 を示したもので﹂、 ﹁子どもの社会的訓練に役立たせる
  ﹁技術は人間が生活の資源を開発する方法として発 ように、その方法を研究せねばなぬのである﹂と述べ
 達したもので、人間の知識は技術を通じて発展し、人 て、保育五項目の意義を﹁社会的協力﹂という指導︵方
        田   画   画   画   曲   画   面   画   画   曲   曲   画   曲   個   画        画
 曲㊥画苗曲画圃岨㊥画画田面画曲㊥圃個曲固
 類の文化は技術を通じて表現されるのである。知識が 法︶原理に収鮫させてとらえようとしている。むしろ城

一66一
 人間の知識である限り、知識には人間の生活要求が表 戸が﹁教材﹂として想定しているのは、人間の﹁生活技
 現されているのであって、その要求がみたされるとこ 術︵文化︶﹂を規定している﹁道具﹂である。だから城
 ろに知識の技術的能力が認められるので、技術は問題 戸は、 ﹁教育が生活技術の方法を教へる方法であるとす
 解決の方法であるo石﹂ れば、教育の発達は道具の使用を教へると同時に、教育
 したがって城戸にとって、教育内容として﹁技術﹂を の方法として新しき道具を使用し工夫することにあるω﹂
とりあげるということは同時に﹁生活﹂をもとりあげる とまで述べているのである。
ということにつながる。すなわち、教育内容として﹁技  このように﹁道具﹂の中に﹁生活技術﹂が反映されて
術﹂をとりあげるということは、 ﹁文化﹂と﹁生活﹂と いると考える城戸は、遊ぶという目的に対して、相対的
を同時にとりあげることにつながるのである。かくして に﹁自由﹂であるはずの﹁道具︵遊具︶﹂に関しても、
﹁技術﹂が人間の生活要求−問題解決の方法であり、 次のように﹁遊びの道具﹂によって﹁遊び﹂を﹁生活
﹁教育が生活技術の方法を教える方法であるOf﹂とするな 化﹂し﹁技術化﹂することが可能であり、またそうしな
ければならないと考えている。 活化され、技術化されて行くのである﹂からであるω。
 子どもの社会生活は遊びの形をとる。しかし、それは  このように城戸は子どもが遊びに使用する道具を﹁単
﹁纏りのない遊び﹂であって、 ﹁それに纏りをつけて正 なる官能訓練としての玩具㈱﹂とする見方を否定し、 ﹁道
しい形態を与え、その内で楽し。く遊ぶことのできるよう 具﹂がそれらの機能を通して、子どもの生活を﹁技術
にしてやる﹂ことが必要であるω。そのためにはまず子ど 化﹂する手段として考えるべきだという。なぜなら、
もの遊びの﹁道具の機能﹂によって﹁生活化﹂し、 ﹁技 ﹁道具﹂は、子どもが遊びに必要な道具であるばかりで
術化﹂するよう導かなければならないのである。 なく、 ﹁彼等の生活技術を発展さすための道具﹂でもあ
 大人が、道具の発明と利用によって﹁生活技術﹂を発 るからである。
展させ、.生活の要求を満足させてきたように、 ﹁子供の  道具の使用を通して子どもの生活そのものを﹁技術
場合でも、それを満足さすための技術のための道具が必 化﹂しようとする城戸はさらに、この発展形態として

一67一
要﹂である。子どもの模倣遊戯は、大人の生活の中から ﹁個人的技術の発達﹂から﹁社会的協力の訓練﹂■を考え
子どもが興味をもって真似る生活であり、 ﹁将来彼等が ている。すなわち、道具を自由に使いこなす﹁個人的技
大人になれば自然に必要を感じてくる社会生活の形態﹂ 術の発達﹂は、 ﹁技術﹂の発達とともに二人だけの技
をとる。したがって、この遊びに使用される道具は、 能では完成することのできぬ仕事を与へ、これを子供同
﹁子どもの生活に必要な道具であり﹂、 ﹁彼等の生活技 志で協力して完成さすやうな訓練をすることが必要であ
術を発展さすための道具として考えてやらねばならぬ﹂ る﹂というのである伽。
のである。  かくして、たとえば、保育所における﹁手技﹂の役割
 たとえば、 ﹁ままごと﹂や﹁汽車ごっこ﹂に使う鍋や も次のように﹁社会的協力のための生活技術﹂へと発展
釜、汽 車 は そ れ ら の 機 能 を 表 現 し 得 る も の で は な く て は されなければならないと考えていた。 ﹁保育における手
ならない。なぜなら﹁これらの道具を使用して遊ぶこと 技は道具の使用法を目的として個人的技能の極養から社
によって、子供の遊びはこれらの道具の機能によって生 会的協力の訓練をなし、仕事の完成を僧に楽しむといふ
 ︶
態度を養ってゆかねばならぬ﹂とω。  一 城戸の﹁技術﹂のとらえ方について
 ︵
 このように城戸は子どもが生活や遊びの中で使用する  城戸は人間の歴史の発展を生産技術の発展と対応した
道具の意義をものに対する技術と、子ども同志の共同的 ものと考えている。そして、人間を社会、歴史的存在と
技術とを統一させてとらえようとする。なぜなら幼稚園 して規定し、そこに人間の進歩、発達の源を見ていこう
や託児所︵保育所︶の任務は﹁何よりもまず子供の自然 としたのであるから、彼が教育の内容一方法の中核とし
である利己的生活を共同的生活へと指導して行く﹂こと て﹁技術﹂を位置づけたのは当然の帰結であったといえ
にあると考えたからである。 る。しかし、城戸の﹁技術﹂のとらえ方については、中
 このように﹁人間的、社会的知性を養う﹂という城戸 内敏夫がいうように﹁教師の主体の内部にかくれてみえ
の幼児教育の目的論の展開は、一方では、城戸のいう ないままになってしまう制度や教材の世界を外化し、可
﹁教師︵保母︶の社会的権威﹂に基づく﹁社会的協力﹂ 変的なものとして相対化伽﹂する道を切り開いた一方で、

一68一
を指導原理としつつ、他方では、 ﹁社会︵文化︶﹂の発 ﹁空白領域を残す﹂こととなった。その﹁空白頒域﹂に
展をもたらした﹁技術﹂を主要な内容として展開されて ついて中内は次のように述べている。
いるのである㈱。   ﹁教育技術という技術では対象︵子ども︶の﹃う
 ち﹄と技術のもつ﹃そと﹄との間にギャップがある。
四 城戸の幼児教育論の聞題点  子どもは、押せば必ずむこうへ動くというものではな
 い。反対にでてくることもある。普通の物的技術では
 いままで一、城戸の幼児教育の目的論、二、城戸の保  一﹂うはいかない。そこでは両方ともが門そと﹄なのだ
育者の﹁権威﹂論、三、城戸の幼児教育の方法論につい  から。そういう領域では、技術を従来の物質概念でつ
て検討してきた。ここでは、いままでの検討をもとにし  かんでいたのでは空白領域をのこすことになり、その
ながら城戸の幼児教育論の中に見られる問題点について  空白が他方では、その生気論的、目的論的概念の成立
検討していきたい。  に場所を与えるということにもなる㈱﹂
 ここで中内が述べているのは、 ﹁教育技術﹂について  この引用には、なぜ教育において﹁技術﹂が重視され
であるが、 ﹁技術﹂の概念を﹁目的﹂に対する﹁手段﹂ なければならないかという城戸の考え方が表われている
として想定し、これを﹁物質﹂化してとらえようとする と考える。すなわち、これまで述べて養たように、城戸
城戸の﹁技術﹂・概念は、 ﹁目的﹂に対する﹁主体﹂の役 は人間の歴史の発展を生産技術の発展としてとらえてい
割を結 果 的 に 軽 視 す る − ﹁ 空 自 領 域 ﹂ を 残 す ー こ と に な た。そのうえで、人間を社会、歴史的存在として規定
らないだろうか。そのことがここで中内が指摘している し、そこに人間の進歩、発達の源を見ていこうとしてい
城 戸 の﹁教育技術﹂の と ら え 方 に お け る ﹁ 対 象 ︵ 子 ど た。そして、人間の﹁文化﹂や﹁生活﹂は、 ﹁技術﹂を
も︶の﹃うち﹄﹂と﹁そと﹂との﹁ギャップ﹂を生じさ 通してわれわれの社会生活のなかに﹁表現﹂されている
せる原因となっていると考えられる。 と城戸は考えていた。その城戸が教育の内容として﹁技
 ﹁技術﹂の概念を﹁目的﹂に対する﹁手段﹂として想 術﹂をとりあげ、 ﹁現代の技術をできるだけ早く利用す

一69一
定し、これを﹁物質化﹂してとらえようとする城戸の ることのできるよう教育の方法を工夫しなければならな
﹁技術﹂に対する考え方は、結果的には、 ﹁対象︵目 い﹂と述べるのは、当然の帰結である。
的︶﹂に対する﹁道具﹂や﹁教具﹂の役割を強調するこ  また、教育を﹁生活技術の方法を教える方法︵﹁技
とになるが、このことについて城戸は次のようにいう。 術﹂︶芭であると考える城戸にとって、 ﹁教育の発達は
  ﹁ 教 育 は む し ろ 文 化 史 的 節 約 で あ る と も い え る の で 道具の使用を教へると同時に、教育の方法︵﹁技術﹂︶
 あって、子どもに手技を教える場合にも、現代の技術 として新しき道具を使用し工夫︵﹁技術化﹂︶すること
 をで き る だ け 早 く 理 解 し 利 用 す る こ と の で き る よ う に にある控と考えるのも当然の帰結である。しかし、 ﹁道
 教育の方法を工夫しなければならない。それにはまず 具を使用し工夫すること︵﹁技術化﹂すること︶㈱﹂で、
 道具を自由に扱いこなせるように訓練することが必要 はたして﹁現代の技術をできるだけ早く理解し利用する
 で、いかなる道具が使用できるかによって、いかなる こと﹂ができるであろうか。いや、そもそも教育方法の
 事物が製作されるかがきまるのである㈱﹂ ﹁技術﹂を考えていくうえで、このようなとらえ方は有
効なとらえ方といえるのであろうか。 いかと考えるのである。
 確かに﹁道具﹂は対象︵目的︶に対する技術的行為を
 ︶
規定し、その重要な構成要素であるに違いない。カナヅ  二 城戸の﹁遊び﹂のとらえ方について
 ︵
     ︶
チはクギを打つのに適したように作られ、その意味で  本節の一で筆者は、城戸の﹁技術﹂に対する考え方に
    ︵
は、クギを打つ行為をも規定している。しかし、 ﹁道 は、 ﹁主体のはたす役割1﹃目的論﹄的契機1が軽視さ
具﹂の遣具︵﹁技術﹂行為を規定する一つ︶たるゆえん れているのではないか﹂と指摘した。このことと同様の
は、その対象︵目的︶とのかかわりによって規定される ことが城戸の﹁遊び﹂のとらえ方にもいえるように思わ
ことも確かであろう。われわれは﹁道具︵カナヅチ︶﹂ れる。すなわち、遊びは、遊ぶことそれ自体が目的とさ
を思いうかべるとき、同時に﹁目的︵クギを打つ、鉄砲 れる活動であり、その意味では﹁道具︵手段︶﹂は、
に見立てる︶﹂をも思いうかべているはずである。逆 ﹁目的︵主体の意図︶﹂によって規定される活動である

一70一
に、 ﹁目的︵クギを打つ、鉄砲に見立てる︶﹂ことを思 ともいえる。しかし城戸の﹁遊び﹂のとらえ方には、
いうかべるとき、その﹁道具﹂として、 ﹁丸いガラスで ﹁遊び﹂における過度の﹁道具︵手段︶﹂への傾倒が見
できた皿﹂を思いうかべ、それでクギを打ったり、鉄砲 られるのである。たとえば、 ﹁この頃︵二歳頃︶から子
に見立てるようなことはしないはずである。この意昧で どもの自由な活動を通じて経験を豊かにしてやらなけれ
   面   固   個   画   画   田   画   唖   田   苗   曲   画   画   苗   曲   圃   ㊥   哩   画   ㊥   面   個
は、 ﹁道具﹂及びその行為︵﹁技術﹂︶は、 ﹁目的﹂に ばならないので、とくに子供のための生活道具、すなわ
画   画   個   田   個
よって規定されているともいえるのではないだろうか。 ち玩具が必要となってくる㈹﹂と述べる一方で、 ﹁遊具は
城戸の﹁技術﹂のとらえ方には、このような﹁技術﹂に 子どもの生活を技術化していく伽﹂ことを強調する。
対する主体のはたす役割1﹁目的論﹂的契機1が軽視さ  城戸の子どもの遊びにおける遊具、玩具に対する視点
れているのではないかと考えるのである。そして、この の置き方は、大人の生活における﹁技術﹂に対する﹁道
ことが結果的には中内が指摘するように、 ﹁教育技術﹂ 具﹂のはたす役割と同様の視点に立っている。たとえば
における﹁空白領域﹂を残すことになっているのではな 城戸は、大人の生活にはたす﹁道具﹂の役割と対応させ
て次のように述べる。 らえきれるわけではない。先にも述べたように、遊び
   曲圃画画画画固㊥  個苗曲宙曲曲曲曲o岨㊥宙
  ﹁おとなの生活でも、生活の要求を満足させるに は、遊ぶことそれ自体が目的とされる活動であり、その
 ㊥  画曲㊥田曲㊥曲画㊥画画㊥画曲岨㊥唖  田倒宙圃
 は、それに関する生活の技術が必要となり、技術は道 意味で、遊びにおいては、モノ︵﹁道具﹂聰﹁遊具﹂や
 具の発明と利用とによって発達していくのである。子 ﹁玩具﹂︶は﹁主体︵目的︶﹂によって規定された活動
 宙   ㊥    曲       画       ㊥       画       画       曲       田       画       画       画       画       曲       曲       曲       画       曲       画       苗       曲       曲
 どもの場合でも、それを満足させるための技術のため であるからである。 ﹁遊具﹂や﹁玩具﹂が遊びにはたし
                 ㊥   圃   画   個   曲   曲   ㊥   曲
 の道具が必要となってくる。一般に子どもの玩具ある ている﹁機能﹂だけでは遊びの意義をつかむことはでき
 曲画画曲画         ④曲画画曲㊥田㊥曲画
 いは遊具は、このような意味で子どもの生活に必要な ないのである。
 道具であるが、ことに模倣遊戯に使用される遊具は、  このような城戸の遊びのとらえ方は、結果的に遊びに
 画   唖   曲   画   画                        曲   宙   血   ㊥   苗   曲   曲   曲   曲   ㊥   ㊥   苗   苗
 彼らの生活技術を発展させるための道具として考えて おける虚構性の軽視につながっていく。
 曲   哩   画   画   画   画   画   画   田   曲   曲   倒   ㊥   固   個   国   哩   曲   画   ㊥   宙   田   固   個
  ﹁一画一門ままごと﹄には﹃ままごと﹄のための遊
 画   曲   ㊥   曲   曲   ㊥   曲   画   曲   個  ︶
 やらなければならない㈹﹂
 このように城戸は、子どもの﹁遊戯︵遊び︶﹂にはた  具が、 ﹃電車ごっこ﹄には門電車ごっこ﹄のための遊

一η
す﹁玩具﹂や﹁遊具﹂の関係を、大人の﹁生活要求﹂に  具が必要になってくる。それらに必要な遊具は、たん
はたす﹁技術﹂と﹁道具﹂との関係と同一線上でとらえ  なる官能訓練としての玩具であってはならないので、
ようとする。しかし、このような子どもの遊びにおける  小さいながら鍋や釜は鍋や釜としての機能を、汽車は
﹁玩具﹂や﹁遊具﹂のとらえ方は、先に指摘した﹁技  汽車としての機能を表現し得るものでなくてはならな
術﹂にはたす﹁道具﹂の役割と同様の問題点があると指  い。子どもはこれらの遊具を使用して遊ぶことによっ
摘できる。つまり、遊びにおける主体のはたす役割1  て、子どもの遊びはこれらの遊具の機能によって生活
   曲   画   曲   曲   面   画   曲   画   曲   個   画   画   田   唖   個   曲   冊   ㊥   固   ㊥   ㊥   個
 囲⑮㊥圃曲苗画㊥㊥㊥画⑮咀画画︶
﹁目的論﹂的契機ーが軽視されているのである。遊びに  化され技術化されていくのである㈱﹂
おける主体とモノ︵﹁道具﹂糀﹁遊具﹂や﹁玩具﹂︶と  ここには﹁玩具﹂や﹁遊具の機能﹂による遊びの﹁生
の関係は、城戸が人間の﹁文化﹂や﹁生活﹂の中ではた 活化﹂や﹁技術化﹂への視点はあるが、 ﹁ままごと﹂や
していると考えた﹁技術﹂と﹁道具﹂のような関係でと ﹁ごっこ﹂に特有の﹁ふり﹂や﹁見立て﹂といった虚構
性の意義や遊び自体の意義を認めようとする視点はない 言い切るためには、本稿の四で指摘したように残された
のであ る 。 ﹁空白領域﹂も多いのである。
 本稿の四で指摘した問題点の他に、城戸のように想定
おわりに する﹁技術﹂の枠組で﹁制度﹂や﹁組織﹂を説明するこ
とができるかどうかという間題がある。なぜこのことが
 本稿では、城戸幡太郎の幼児教育思想を手がかりとし ﹁間題﹂になるかといえば、本稿でも述べたように、城
て、幼稚園や保育所での教育︵保育︶をどのように幼児 戸は﹁社会的協力﹂をも﹁技術﹂として考えているから
の﹁生活﹂や﹁遊び﹂と結びつけるのか、その糸口を見 である。そして、 ﹁遊び﹂がそうであるように、 ﹁組
つけ よ う と し た 。 織﹂や﹁制度﹂への主体の参加のあり様によって、その
 城戸は幼児教育の目的として﹁人間的、社会的知性を ﹁内容﹂の意味するところも異なってくると考えるから

一72一
養う﹂ことを目的として掲げていた。そして、この﹁知 である。
性﹂にかかわる内容として﹁技術﹂を想定した。なぜな  本稿の四で指摘した問題点、及びこの問題について
ら、わ れ わ れ の い う ﹁ 文 化 ﹂ や ﹁ 生 活 ﹂ と は 、   ﹁ 技 術 ﹂ は、稿を改めて検討することにしたい。
を通して﹁表現﹂されていると城戸は考えたからであ
る。この意味では、城戸は﹁教師の主体の内部に隠れて
見えないままになってしまう制度や教材の世界を外化
し、可変的なものとして相対化㈹﹂する方同があることを
示した と い え る 。
 しかし、 ﹁文化が教育の内容であり、教育は子どもの
発達を可能にする方法であるとすれば、子どもと文化と
教育の関係は子どもの文化を発達させる方法である慨﹂と
( )

 注 14 城戸幡太郎﹃文化心理学の探究﹄、国土社、一九七
 ○年、二一頁、傍点は筆者
( )

ω 神田伸生﹁教育とは何か﹂、関口義一神田伸生他 脆 城戸幡太郎笥生活技術と教育文化﹄、賢文館、一九
 ﹃保育者のための教育原理﹄、専門教育出版、一九八  三九年、七一頁、傍点は筆者
 六年、四八頁 )
16 同前、一四六頁
X X
⑦ 城戸幡太郎﹃幼児教育論﹄、賢文館、一九三九年、 17 同前、一四六頁
 二四頁 18 城戸幡太郎﹃幼児教育論﹄、賢文館、一九三九年、


㈹ 同前、一七三頁  一七一頁


ω 同前、二二七頁 19 同前、一七二∴一七三頁

X x X X
⑥ 同前、二五頁 20同前、一七二頁

一73一
⑥ 同 前 、 八 ○ ∫ 八 一 頁 21 同前、一七五頁
ω 城戸幡太郎﹃生活技術と教育文化﹄、賢文館、一九 22 同前、一七五頁
 三九年、七一5七二頁 23 城戸は、城戸の想定する﹁技術﹂の範を﹁生産技


㈹ 城戸幡太郎﹃幼児教育論﹄、賢文館、一九三九年、  術﹂にとり、 ﹁技術H労働手段説﹂の立場をとりなが
 一七四∫一七五頁、傍点は筆者  ら、ここで述べている﹁技術﹂については、 ﹁生産技
⑨ ﹃倉橋惣三選集第一巻﹄、フレーベル館、ニハ頁  術﹂とも﹁生活技術﹂とも述べている。しかし﹁生産
( )

!0 城戸幡太郎﹃幼児教育論﹄、賢文館、一九三九年、  技術﹂では覆いきれない側面が﹁生活技術﹂にはある
 七一頁  と考える。

( )

11 同前、七五頁 脳 中内敏夫﹁生活教育論争における教育科学の概念1
X X
12 同前、八一5八三頁  城戸幡太郎﹃教具史観﹄の論理と心理﹂、 ﹃日本の教
13 同前、七九頁  育科学﹄、日本文化科学社、一九七六年、六一頁

25 同前、五九頁
X

26 城戸幡太郎門幼児教育への道﹄、フレーベル館、一

 九八○年、二四七頁

27  ︵ ︶内は筆者
X X X

28 ︵ ︶内は筆者
29  ︵ ︶内は筆者
30 城戸幡太郎﹃幼児教育への道﹄、フレーベル館、一

 九八○年、二一二四 頁 、   ︵ ︶ 内 と 傍 点 は 筆 者

31 同前、二四六頁
X X X

32 同前、二四五5二四六頁

一74一
33 同前、二四六頁
脳 中内敏夫﹁生活教育論争における教育科学の概念−

城戸幡太郎﹃教具史観﹄の論理と心理﹂、 ﹃日本の教
育科学﹄、日本文化科学社、一九七六年、六一頁
( )

肪 城戸幡太郎﹃幼児教育への道﹄、フレーベル館、一
 九八○年、二一頁

You might also like