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2015年9月22日~10月10日

疎密波動
玉藻 力

はじめに
陸軍遺伝子研究所のテトラへドロンで、調整者プロジェクトの実験体No.0こと、玲
は生を受けました。玲はDNAの塩基配列を5%操作されています。小脳は肥大化し、筋
力も瞬間的に増強できます。
幼いころから殺戮兵器となるべく、ブルーベレーの隊長に育てられます。試練とも言
える訓練で白兵戦にめっぽう強くなります。言語に長け、策士でもあります。兵器や武器、
毒物に通じています。
代理母は日系人と聞かされたころから生活に疑問を感じはじめ、隊長以下を気絶させ
て軍から脱走します。玲はルーツを訪ねるため、日本へ飛びます。いつしか「サイコパス
ハンター」と恐れられるように。
日本では、精神障害者に良心のかけらもない精神病質、いわゆるサイコパスが含めら
れています。精神に障害は起きません。不安定になるだけです。精神病では断じてなく、
脳の病であります。確かに、どのような病気にも軽い、重いがあります。国やこころない
医師によって精神障害者の烙印を押しつけられた方々のうち、世の中で立派に働いていら
っしゃる人を挙げればよいでしょう。
それでも、納得できないのであれば、「精神とは何か」についてお考えになってみてく
ださい。
サイコパスの定義はあいまいです。
しかしサイコパスとは、

『健康な体で生まれながら、自らの欲にまかせ、ひとりよがりでわがままな考え方をゆが
ませ続けたもののことをいう』

と私は考えています。

-1-
サイコパスとかかわらないのは難しいかもしれません。
(1)近づかない。
(2)冴えわたる勘で弾く。
(3)なるべく一人にならない。
(4)悪意や偽りの善意に敏感になる。
(5)そして肝心なのは、周りの人が兆しを逃さないこと。
が大切だと思います。

カントの教えるように、健やかな精神は生き抜こうとする力である。と私は信じていま
す。それを支えるのは、ものやことを大切にする気持ちだと思います。
おわりに、はありません。

常備軍は、時とともに全廃すべし(カント)

(アイデア出ないんでしょ。どうせまだまだ売れないんだから。貸しにしとくわ)
玲のやつがうるさいので。いや、失礼。
「日記をひと晩、貸してもいいわ」
そう言ってひとり旅の帰りに渡す。
「湘南新宿ラインを2回で制覇したの。やっぱり東海道はいいわ。さすが小田急と東急を
いじめてるだけあるのね」
と紅潮している。
(そりゃ、うそだ。君はこの前、俺が送り迎えした高崎から赤羽までしか乗っていない。
横須賀線回りで東海道本線周りだし。京浜急行も忘れないで。切磋琢磨だよ?)
「鉄子だったかな」
「なにぶつぶつ考えてるの?」
「い、いや」
僕は親友が一週間も予約してくれた東池袋のゲストルームで不意の来客に佇む。意味が
あり、僕に伝えたかったとは思う。理解力のなさもあり、なにもわからない。今はただ、
このメモみたいな断片を小説にしてみよう。たおやかな字を遠い目で見たミミズの舞い踊

-2-
り。解読がふさわしい。
「玲には書き終わってから見せればいい」
のだから。

「夜勤明けだけど、週末のお休み。久しぶりだわ」
さっさとごはんにシャワーね。少し眠ったら、スマートフォンで見つけたあの宿へ。
初めは箱根にしようと思ったのだけれど、高いところが多いのよね。年の瀬も近いから時
期が悪いし。小田急のロマンスカー(登録商標)のパノラマ席もだめだったしなあ。あ、
これだと名古屋鉄道の○Rに引っかかるかしら。東伊豆は混む感じがするし、修善寺は目
が飛び出るし。
といふわけでいざ、湯河原。陸軍のときに夏目漱石と芥川龍之介を読んでいたしね。日
本語のペーパーバックはなかったから、The Nile ジャパンの Candle 版でこころが震動し
たわ。
「あれは声や風のような縦波だったのかしら。それともお日さまや星のような横波」
急ぐ旅ではないけれど、いつもとはちがうことをしてみよう。少し待つわね。船堀駅か
ら急行の都営新宿線に乗って。
「都営線でただ一つの千葉囲い。なんか愛人みたいだわ。そんなこと言っちゃいけないか。
私はごめんです」
くすくす。都営新宿線と京王線は1372mmの珍しい狭軌で東京ゲージこと、馬車軌
間。新幹線の標準軌とあまり変わらないような気がするけれど。63mmだけ狭いのね。
なんか発電所の発電機のつくる周波数と同じ臭いがするわ。
「でも、女が詳しいと笑われるかな」
(そんなことないです)
「そう。聞いてくれるなんて偉いのね?」
(えらいです。笑)
旅は、地下の轟音もそんなエオルスの花(か)なでる音に変えて運ぶのかもしれない。
「船堀と荒川放水路と東大島は地上で橋なの?篠崎から江戸川を通って本八幡に行くと地
底旅行」
いつもはあまり気にしなかった。なぜ?きっと、全線が開通して30年も経っていない
し、工期に追われてお金がなくなったからね。あ、締め切りやノルマはないか。

-3-
「馬喰横山で総武線の快速に」
降りましょう。ちょっと待って。横須賀線は東海道本線じゃないし。
ぷし。ぷしゅーっ。どん。ぎゅっ。
「あ、閉まっちゃった」
うーん。ウイーン。ダッタン。韃靼。ゴオーッ。
まあ、いっか。次は橋本行きね。やっぱり、初志貫徹でロマンスカー(登録商標)。岩
本町でひいこら階段上って神田川を渡り、日比谷線から北千住の青いロマンスカー(登録
商標)も悪くないわ。
「もうすぐ玉藻が最近うろつけなくなった神保町」
ここまで来たら新宿で当たるも八卦当たらぬも八卦。展望席にこだわらず、さがみで小
田原やあさぎりの乗り入れだっていいじゃないの。どっちにしろNRに乗り換えだし、御
殿場線は東海道本線だったのだから。くじ引きの確率は北海道も銀座も同じだし。私にも
ロマンスがほしい。ここのところ嫌な事件が多すぎる。疲れるわ。地下鉄のがたがたがっ
たん、という振動が玲を深淵に導く。
「はっ!」
明大前。ここはおっぱい教授が年寄りの冷や水で問題を横流しした学校ね。もう、終点
でいいわ。芦花公園は女の意気地を見せつけてやれなかった『不如帰』が私もつらかった!
「あら。いやだわ。玉藻が箸にも棒にもかからなくて受けられなかった電気通信大学ね」
かつての二期校だけれど、日本JBMの創立時の新人数が第1位だった。
「土日はあっちへ乗り換えると東京競馬場。あいつ、九尾の狐からもらったって言ってる
けど、昭和の白い閃光からだわ。そうに決まってる」
玉藻の小さいころは夢のニュータウンだった。高度経済成長の時代を支えた土曜日のな
い幽霊街。
「少しさみしいわ」
「あ、あれ都立大学ね。都立大学前はどうなってるのかしら。平成の大合併で公立大学法
人首都大学東京か」
長い。長すぎる。学部も微妙なネーミングだわ。杜の都とかに遷都したらどうなるの。
少子化や人口の減少がそうさせたのかな。反対側は渋谷の専門学校が出世したカワサキ学
園大学か。be動詞とボーダーフリーの線引きできないのがねえ。ノーコメントにしまし
ょう。

-4-
私も日本に来て3年かあ。こんど25になります。四捨五入で、いやあねえ。そろそろ
三十路かな。変わるのかしら。理想の結婚の幻想も現実の妥協へ。そうそう。玉藻も後輩
の女の子に「○○さん25だよね?」「玉藻さん。私まだ24です」と言われて関東平野
で初めてのダイアモンドダスト。なんてデリカシーのないことを言ってたっけ。
「いつもタクシーの運転ばかり。いやになっちゃう」
仕事のためよ。大義でも私怨でもないと思う。
日本の鉄道は車窓すら世界一なのね。橋本からは相模線で南十字星を見紛う夏の夜空
がぴったりの茅ヶ崎へ。
「たまには無計画な慎重さに欠ける生活もいいかな」
次の電車を確認して。まあまあ時間があるから、ひまつぶしをしよう。キリマンジャロ
のコーヒーを飲みながら、苦みと渋みのあるいぶし銀の旅路を練るの。
「!」
これは東京の雲取山と同じ。いいえ、弱い者いじめではいっしょだけれど、なに不自由
なく育って自分が神にでもなったかのようだわ。あの男は古に詠んだり小説を書いたりし
て女性や読み手を気にかけているところが少しあった。この男は、まるでちがう。

障害・・・・障がい・・・・ムダムイミ・・・・正義・・・・正論・・・・放射線技師・
・・・αβγとビッグバン・・・・死4四・・・・くくく苦9九・・・・・・・・・正四
面体と球なら完全さ完璧よ

「気分が悪くなるわ。完全とか完璧なんてないのよ。日光の逆柱も知らないのかしら。横
浜線の車内か」

大学病院か23区。最低でも多摩か相模原が。なつかしい京王線。橋本駅と聖蹟桜ヶ丘駅
か。俺が。この俺が相模湖!相模湖はこわい。人間が造ったから。軍医で・副学長の・・
あいつだって・・・薬害エイズ事件で・・・・おとがめなし・・・・・俺だって・・・・
・・くっくっくっ・・・・・・・

行ってしまったわ。まだ大丈夫と言い聞かせよう。相模線のほのぼのとした素朴さに少
し救われる私がいる。いい人も多い、でも。思うだけなら自由か。

-5-
「東海道はなんとなくだけど、晴れの印象があるのよね」
みかんと葉っぱ色の電車が走っているからかしら。それとも、第1回東京オリンピック
に合わせて突貫工事した東海道新幹線と東名高速道路の仲好し小好しかな。もう、山ね。
あっちへ移動しよう。
「こんにちは」
ちょこっと笑え。暑くなくても汗ふくふりして開けちゃえ。ごめんなさい。おじさま。
今は窓の開かない電車も多いから運がよかったわ。少しだけれど、山の香りとその間隙を
つく海の薫り。すき間に近づける。周りの視線など、もうどうにでもなれと。はじめてか
もしれない。これらの風は。
「私の顔と手のひらを強く撫でる」
後れ毛が揺れ、元の静けさになるのね。鉄道は惰行運転が多いわ。目をつむると落ちる
ような感覚が。現代では人もものも走りすぎるトロッコ、なんて言いすぎかしら。
日向のまぶしい晴れの想いと、蔭で魔の潜む褻の思想がないまぜになる玲であった。
山は私を吸って穏やかな森に包んでくれる。海は私の鼓動を呼んで低い海鳴りに変える。
地球の振動。でも、山も海すら荒ぶる。私のこころ、荒まないで。
私はサイコパスを消し続けている。命令でもないのに。自ら選んだ。それがよかれと。
兵器として育てられた私の罪滅ぼしに。正義と正論の押しつけなの?九竜に言われたけれ
ど、ある意味では殺めているのかもしれない。そのものを否定している。治らない。治せ
ない。私も人間。つくられた。人を裁いているつもりはない。やっぱりそれも罪かしら。
だから!私の生き方は自然ではないの?ものやことの自然な流れ。控えめに自分をにじま
せてみたい。どうしたらいいの。誰か教えてください。お願いっ!
「お嬢さん。顔色が悪いですよ」
「え?あ、あの。貧血です」
軽く笑っとけ。
(か、かわいい。ハーフかな?)
「湯河原駅。やっと着いたわ。かなり遅れちゃったけど。13時を回ってるから4時間く
らいかな。おなかすいた」
駅の標高はだいたい30mで、NR東日本のATOSの終端ね。お隣は昔日の栄光を取
り戻したい熱海駅でNR東海だから。東京圏輸送管理システム。東京と圏はない。直訳だ
と、[独立の分散させた輸送作業制御網機構]ね。東京の一極集中で失敗したので。意訳な

-6-
ら、<分散型の電車で運ぶしくみ>かな。どちらもよくないわねえ。間をとって『ひとびT
Oの全体の交通 TM』なんてどうかしら。大きく出たかな。どこかの群馬県の細田市長
みたいに「必ず商標をとる!」なんて尻尾を巻いて逃げるのもいやね。
「あら。いやだわ」
玉藻は日昇グループがお客さまで「俺を男にしてくれた」なんて感動していたから。A
TOSのおはなしは、またこんど。
「すてきな駅ね」
改札口より高くなって山の懐に。天気がよければ海も見えるのかしら。あっちが広重の
ガイドブックで名高い箱根湯本。左に行くと芦ノ湖ね。すぐ向こうが真鶴で国道が大渋滞。
新幹線はほとんど地下だけれど、この先でぐうっ、と曲がる。南極からぶーんって、アジ
アにしわを寄せたちっちゃいインドみたいな伊豆半島が本州にぶつかってできた火山三兄
弟の一つ。湯河原火山。その恵みに今、私が。
「日本だわあ」
えーと、万葉公園の足湯で一息ついて。白石と黒石は外せないわ。黒猫の猫伸びみゃあ
と紀州犬のわん。なんて袖の振り合いも期待しちゃう。早起きできたら朝市の野菜でジュ
ースなんて。
「やっぱり降っちゃったけど、水も滴る。なんちゃって」
あら、この強い雨の中で女子サッカー。大会なのかな。桃色に白く横断幕が2枚。
「こっちの女性の監督は、テントから出て押されてる選手といっしょに濡れまくり。尊敬
しちゃう」
愛しているのね。サッカーも生徒も。あっちの傘さしてひとりぼっちはおやじ馬?では、
お湯と水の煙る湯河原で一句。

湯河原のいずみは伊豆の衝突であまたのこころ和む月かな
湯の川原上州たぬきと見紛うははるかな想い母娘さるなり

「二句だけどいいわよね」
誰。いずみは温泉じゃないとか、月が見えないとか、上州の狸は茂林寺で十分だとか、
柳に幽霊じゃあるまいし、親子の情感などわかるまい。いいんです。この前、草津とか伊
香保に行ったんだから。母性本能はあるもの。この子たちは私の雰囲気なの。

-7-
「障害者!」
くふふ。まったくあいつらときたら、なにを考えているのか。今は慣れたが。怖い思い
をさせやがって。都知事も『人格ないな』と発表している。新聞と週刊誌は読んでおくも
のだな。【障がい者】と書いても意味は同じだし、当てる漢字は害しかないし。 <障碍子
者><障内者><被偏見者><不自由者>なんてどうだろう。「体の不自由な人」はいいのか。<
頭より先に体が動かない人><こころや体に響かない人><聞こえないふりの人><見て見ぬふ
りの人>はまずいのか。健康でもそんな奴はあふれているのに。<障該者>とかはお役人が
好きそうだな。もっとわかりやすく<障介者>または<障解者>で。読みは清音だからたおや
かじゃないか。
「だいたいオリンピックはドーピングだらけだから」
クローン人間も参加できる『ドーピングピック』とかパラリンピックはいいとしても、
サイコピックはないんだよなあ。これは差別と偏見。いじめにつながる。英語だと聞こえ
はいいが、精神の無秩序やら知恵の遅延。しょせんどこの国も同じさ。
「まあ、どうでもいいや」
笑いの止まらない塩梅聖。大東亜帝国大学医学部看護学科を卒業して4年目だ。とある
障害者の施設で働いていたこともある。在学中は診療放射線技師の試験に挑戦し、3回落
ちる。元上野大学医学部助教の酢脳豊教授のつくったテキストを同じ臭いで敏感に感じ取
り、狂信していた。あの前橋十八人殺しだ。豊は自ら整形し、なまくらが功を奏したのか。
ごくわずかの人間にしか本性を知られていなかった。学生からは『下総のお岩石』と呼ば
れていた。
「おっ、交流回路」
今の高校生は10人に1人しか物理をしないからな。感心な子だ。午前中だから予備校
生かな。学生かな。ああ、放射線技師の。大変なんだね。ほかの問題は。うーむ。あれか
ら30分もマーク式の同じ問題を。選択肢は6つしかないし、まとめにある交流の波形を
見てもねえ。ちらりと半導体の問題が見えた。広く浅くなのかな。まあ、医者は物理を知
らない人が多いし。頑張ってね。交流電源と抵抗しかないから
「一つだけ√2がある4番」
だよ。計算は三角関数の積分だけれど、自動で○して塗り絵しないと。
「ちっ」

-8-
見てんじゃねえよ、おやじ!
どこの学校かな。置いた。
「!大東亜帝国大学医学部」
そうか。誰がつくって誰が教えているのだろう。今、入れ墨が見えた。
「くそっ。今年も。勉強は時間の、人生の無駄だった」
中学のとき、いや高校のときだったか。小学生で乗った地震体験車だったかな。あのと
きの障害者。激しい揺れ。叫び声。笑いをこらえるやじ馬どもの密度。太陽がやけにまぶ
しかった。どの地震だったのか。ガタガタか、それともグラグラか。その恐怖にパソコン
とスマホの光、そしてヘッドライトを見たすぐ後の鮮血のテールライト。食肉加工センタ
ーのくすんだ赤が重なる。気分が悪い。反吐が出る。
「久しぶりに犬猫でも狩るか」
聖は振動にこころが揺り動かされているような気がしていた。しかしながら、光や主要
動の横波ではなく、横波のように無理して絵に描くとわかりにくくなる疎と密のくり返し。
そう、音または初期微動の縦波に異常な感応を示すようになっていた。感度が跳ね上がっ
たのは、大人のわがままな都合で甘えが許されなくなる大学3年の10月1日であろう。
なぜ?それが聖の人生のすべてなのだ。

「温泉にゆっくり入ったし、疲れが取れたかしら」
ほらあ。こんなにいい天気。窓からはちょうどよい湿気とともに、灰色だった霧を払う
光が私に入る。
「横浜で途中下車の旅にしようかな。ベイブリッジと中華街にも」
江ノ島電鉄も乗ってみたいわ。藤沢から鎌倉までとことこと乗り、鶴岡八幡宮で宗像三
女神に交通安全を祈願しないと。また大船に戻ればだいたい東海道でいいでしょ。
「なら、青春のびのび18きっぷね」
技術を除けば、日本国有鉄道が誇るサービスの金字塔だわ。私の青春は戦闘の鍛錬、閉
所暗所高温多湿高圧減圧の訓練、毒物とその薬理学の暗記、言語の習得、心理学に催眠術
やまがまがしい誘惑術。傷と紫のあざの日々だった。
「日本は軍隊までの力がないからまだいいわね」

「ちきしょう。ついてないぜ」

-9-
相模湖からの電車賃もバカにならないのに。それもこれもあいつらのせいだ。ギャンブ
ルは運だ。貧乏神に憑かれたらおしまい。今月の金もあまりないな。あそこはだめだから、
あの店に寄って帰るか。
「写真は素人が芸術をつくることもある。ずいぶんちがうじゃねえか」
もう、ヒトがいい。自然では生きていけない。役立たず。この前、議長に手紙を渡して
許しをもらった。横浜から遊びに来た精神科医は、お供を4人も連れて1分だけ診察し、
1週間もただになる措置入院にしてくれた。裁判所も同じだろう。三権分立など形だけだ。
「だから、いいんだよ!」
シャブはまずかったかな。でも、どうせ薬と更生プログラムの再教育でなんとかなる
と思っている。やれ精神科だ心療内科さ神経科の公私混同。「俺の話を聞け!」と怒鳴り
散らす医者もいた。
「あの薬たち。ふ。麻薬じゃねえか」
「この波。見つけたわ」
ちょっと人が多いわね。あ。
「いてえな。気をつけろ!」
ちっ、店に入る前なら。いい女だった。
「いやん。転びそう」
パンプスが。そんなふしぎなことがあるの。
「いけない。見失った」
おそらく、横浜線。
「欲のはけ口が足りないな」
色じゃなく、憤怒の。義憤の。お前たちは大罪人なのだ。聖は関内駅のロッカーに入れ
たどどめ色のリュックサックを取りに行く。静脈の血の感じがお気に入りだ。包丁たちの
きらめきが聖にはわかった。

施設は把握している。結束バンドはナイロン製がいい。だが、数が多い。どうするか。
決行は日付が変わってからだ。津山では正装して道具たちを理路整然と並べ、仮眠をとっ
たという。寝て練れば、ヒトラー閣下の天啓が。
「おっと。遊び疲れたか」
まあいい。午前様だ。親父は新婚のときからだったからな。釣った魚には。

- 10 -
心地いい。泣け。わめけ。叫べ。逃げられまい。俺のつくり出した阿鼻と叫喚の地獄絵
図。日本では津山以来。くくく。いかん。声が漏れちまう。
「犯行はいつも静かに迅速に」
ポーカーフェイスの無表情の方が怖いだろう。恐ろしいな。現代の生き地獄。そうさ、
地獄は現にある。
「ねえ」
「なんだ。縛り忘れた奴が」
「公園で素振りの練習かな。ぼく」
「なに!」
家の近くの公園だった。風でブランコの鉄が軋む。
「お前は」
「最近はママどころかお姉ちゃんや妹にも甘えちゃうぼくが多いのよねえ。わがままが通
らないと他人やものとかことのせいにする」
「ああ、新聞とかの。ヘイトクライム?優生??」
ははは。ははっははーっ。と高く笑う。丑三つ時に響いた。これも疎密の波だ。
「俺が代弁してやろう。殺したかった」
からだ。ぼく、こわかったんだ。背中の入れ墨の龍虎が守ってくれるんだ。俺は選ばれ
た救世主。そう。めしあなんだもん。
「障害なんて税金の無駄ムダ!」
みんなだってそう思うでしょ。生活保護は正当だもん。群馬なんてパチンコしてるもん。
お手紙まで出したんだから。
「差別と偏見のないヒトなど、いないのだよ」
否定するがいい。論理で。直感でしたのだ。
「君のため、大日本帝国のために」
鬼退治さ。土蜘蛛なのだよ。負け犬だもん。
「ねえ」
「なに?ママおっぱいひもじい聞いて悪くないもんのぼく」
「精神障害と障がい者。アル中にシャブ。えっとー、措置入院って知ってる?」
「わかってるわ」
「じゃあ、ママだけにゆうね?」

- 11 -
「あれ?措置入院はゆったかな。脳はぜんぜんわかんないから、精神障害にして蓋すると
楽でしょ。病院も警察へ営業に行くし。アルコールなんて一滴飲んでも再発するんだよ。
ぼくこわいっ!麻薬もだいたいおんなじ」
「珍しく短く言えたの。偉いね?バカラとパチンコと場外で吸われて安いお店に行った。
写真の魔術ね」
「ぼくはずっとえらいもん。なぜ、それを」
「あら。お店を出るとこ見たもの。女の勘よ」
「鎌をかけやがって。小娘が」
「2つしか変わらないし」
「お得意の勘か」
「これ」
「俺の財布。いつの間に」
「あなただけが神の世界。矛盾と二律背反に満ち満ちているのね」
「下々のカスとクズがなにを言う」
「せっかくだから、ATOSのおはなしね」
「うん。ママ」
「ATOSはね。日本の東の方で階層のある光のネットワークなの。アナログのヒトの脳
や、この世界と比べるのは乱暴かもしれない。どこかに障害が起きて駅の装置が切り離さ
れても、列車は動くのよ」
「俺には関係ない」
「そんなことないわ。いきもの、言葉、人生に無駄なんてない。と私は信じている。送電
線もネットワークだから、今は停電の復旧も早いでしょ。脳に障害があると、ほかの部分
が補うの。部分と全体を分けることはできないわ」
「知ったようなことを」
「私はわかるための努力を惜しまないの。わからなかったとしても」
「お前、女のくせにエリートの臭いがするな。くっさい。障害者も嫌いだが、おフランス
気取りのエリートは大きらいだ。神に選ばれた最良の人類はぼくだもん。ぼくの人生のじ
ゃまするな。みんな消えろ。いなくなれ!」
「お前!あら、私としたことが。これは男に言うセリフ。もとい。ぼく」
「ダレダ、お前は。おれはこれから犯すのだ。いい女。横須賀の薫り」

- 12 -
「まあ。香りとのちがいがわかるなんて、おりこうさん。当たらずとも遠からずかな」
「お前を犯す暇はない」
「なあに。妄想じゃなくて、本当に42人も殺めて死にゆくの。相模の十九人殺しがいい
とこね。この前の似非怨恨の権化こと、津山の。まちがえた。雲取三十人殺しの睦雄ちゃ
ん未満。似非の怨恨ですらない」
「どうしてそんなことがわかる」
「さあ?いっしょに考えようか」
「ふざけるな!俺は2年だけ牢に入り、国から英雄としてサラリーマンの生涯賃金をもら
うのだぞ」
「そう。無視してあげればいいのかな。ぼくの生きざまを」
そろそろいいかしら。
「ほら、右の包丁をよくご覧」
「なぜ緋色の文字が。不死」
「ころさず、よ」
「左手の出刃はどうかな」
「げんそう?」
「妄想。というの」
「おしりに隠れたお刺身包丁なんてどうかしら」
「絶対絶命だと。はーっはっははあ。誰がだよ」
「絶体絶命よ。お勉強が足りないのかな。世の中の。続きは?」
「確立とVRへの誘い。まさか!さっきの触角。あの陶酔と恍惚の静かなる高揚感と幸福
の至高が。俺の創造した女子高生乃至又は且つ女子校生の故意に侵した絶対不可侵領域。
そんな。失われた時間と交通機関と関内歓楽街。こんなことなら、若い女にしておけばよ
かったのにぃ!ならば。こんどはこいつを」
「すごみも利かないのね。確率はむずかしいから。さそい、じゃないわ。それだとアリさ
んよ。難しい漢字好きなくせに。ふふ。あら、笑いはあなたの十八番ね。幻聴から幻覚へ
ゆらぎ、幻視をいざなうの。今はかりそめの想像のつくる現実の感覚かしら?」
「お前との遭遇は真実。ゲームは終わりだ」
「ふぅーん。私とぼくが会うのは2回目よ。接触を入れれば3回目だけど」
「意味わかんない」

- 13 -
「わかんないことないでしょ。お勉強やお仕事から逃げて、ゲームでひきこもるのは得意
なんでしょ。玉藻も神話とか競馬とかデビルガ。あぶない危ない。覚えられたから、悪い
ものじゃない!ってゆってたけど」
「お前!こ、この俺を。コケに。おっと。まろび転びつに。俺は風船じゃないから、斜面
を転がっても早くない」
「そうね。私が坂道の下で風下だもの。いい気分でしょ。あ、こけつまろびつよ。速いが
ふさわしいかもね?」
「これは。傾いた世界」
「ちがうわ。偏ったでしょ?自分へ、自ら」
そろそろ壊れちゃったかな。さくっ、と行きますか。

お前は生きとし生けるいのちをわからず、生きることも死ぬことすらできない。冥界の邪
な神サイコーはお前の母。闇で狂う熱の魔神パススがお前を使う父。汝は外道の象徴サイ
コパスなり。

「ふ。なんだそのざれ言は」
「戯れ歌じゃないわ。古代インドの呪法に科学を入れてみたの」

カーラ アーカーシャ エーシャハ エッシャー エントロピー


(時間 空間 此れ 位相幾何学をヒントにした『滝』 変化容量)
カーラ アーカーシャ エーシャハ エッシャー エントロピー
(ときなの。入れものよ。エッシャーと熱力学第二法則だもの)

「それはサンスクリット語!特にエントロピーが。こいつが耳に脳に障る」
「あら、よくご存じで。これは平均化かな。後の祭りとか無二の一球とか」
「俺は笑いのヨーガもしている。人生は一度切り。うれしいじゃつまらん。楽しいことだ
けでいいじゃないか。女だって若いだけで」
「通りで。笑いすぎてこころがすっ飛んだのね。それは中年以降よ。ぼく」
「ごたくはいい。来い!」
「もう。終わってるわ」

- 14 -
「寝言は帰ってから言え。帰れるならな。お前、どこかで見たような」
「あら、いやだわ。やっと気づいたの。関内よ。ぼくからぶつかってきたの。そうやって、
女性にも悪さしてきたのね」
「なんだ。と」
「人混みでうまくいかなかったのよ。横浜線からはずうっ、といっしょ。ね?」
「つけられていた?いない。あごの下に」
「これで貴様の生き方は終わりだ。漆黒の闇のらせん階段に溶け、白蛇のよぢりに生まれ
変われ」
「あ。なんかおでこ、あついかも」
玲の黒龍と白龍を撚った精神波は、蛇腹の伸縮を伴って縦波に過敏な聖を襲う。聖の
左脳は右脳を助ける機能のみを残して失われた。どこかの施設で聖らしき男を見かけたと
いう風が吹く。

玲はしあわせそうには・・・はは・・・ははっ・・・あはは・・・ひゅうと規則正しく
間欠泉みたいなよだれを流して笑う聖がぼやけ、へたりこむ。
「この前は大丈夫だったのに。なかなか慣れないわ。この反動。脳だって体なのに」
戦いは簡単でも自分との闘いは楽ではない。
「寒いけど、まどろませて」
さて、ここからだとかなり遠回りになるけれど、また茅ヶ崎に出ようかな。明日は夕方
からだし。歌川広重の『東海道五十三次』が無料のアプリで見られるのよね。
「北斎の緻密と奇抜もいいけど、浮き世の縮図は」
「あ、玉藻にメールしよう。古典も大切だけど、現代だって。あいつ、『過去の亡霊』ば
っかりだから」
ふわぁ。寝不足だわ。メールの送信を予約して。あれっ?このシリーズはずっと続くの
かしら。いやあねえ。

(参考文献)
1 家族八景(筒井康隆・新潮文庫)
2 眠れる美女(川端康成・新潮文庫)

- 15 -
3 佇むひと(筒井康隆・角川文庫)
4 永遠平和のために(カント・岩波文庫)
5 道徳形而上学原論(カント・岩波文庫)
6 アタルヴァ・ヴェーダ讃歌(辻直四郎訳・岩波文庫)
7 十津川警部 あの日、東海道で(西村京太郎/ジョイ・ノベルス)
8 メカ屋のための脳科学入門(高橋宏知・日刊工業新聞社)
9 電気鉄道ハンドブック(電気鉄道ハンドブック編集委員会・コロナ社)
10 明暗(夏目漱石・青空文庫)
11 トロッコ(芥川龍之介・青空文庫)

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