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,3の啓示 1
97
技術報告
奈良大仏の鋳造技術と 2,3の啓示
宅当・*
石野 で
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キーワード:大仏,青銅鋳物,甑,中子削り,接合技術
明することができた.得られた成果は 1 956年の「鋳物」
1. はじめに 誌以来折にふれて論文 6)7)や著書 8)-11) 1
;
:発表した.
筆者は 1956年 5月「東大寺大仏の鋳造について」と題 本報告では,筆者が行ってきた奈良大仏の鋳造技術とそ
する小論を,本学会の前身日本鋳物協会第 50回講演大会 の背景に関する調査研究の結果を,これまでの発表に最近
で報告し周年 1
1月号の会誌「鋳物」に発表した 1) の成果を含めて記述し,さらにこの巨大鋳造物製作から得
これは,東大寺要録,続日本紀などの古文献の解読と, られた啓示の 2
,3を論述しよう.
奈良大仏より約 500年後に鋳造され, ほとんど創建当時
2
. 奈良大仏建立の背景
のまま現存する鎌倉大仏実体の観察に基づく推論を主体と
している. 40年余り前である. 2
.1 当時の社会情勢と聖武帝
えぞ
.翌 1957年 2月,文化財保護委員会から依頼され,鋳造 神亀元年 (
724
) 聖武帝 24才で即位,蝦夷反乱す.
工学研究者の立場で鎌倉大仏の調査に参加し,成分分析や 天平 4年 (
732
) 干害と台風で農作物不作.
顕微鏡組織検査を行い,各段の鋳継ぎの状況を仏体の内外 天平 6年 (
734
) 4月と 9月に大地震おこる.
壁から観察するなど,鋳造技術に種々の角度から検討を加 天平 7年 (
735
) 天然痘大宰府地方(福岡県〉に流行.
えることができた.その後,奈良大仏についても,各部位 天平 9年 (
737
) 天然痘まん延し,藤原武智麻自ら光明
から採取した試料が同委員会から提供され,成分分析を行っ 皇后の兄 4人病没.
た.また平岡定海師(元東大寺管長)の御配慮で, 1968年 このように天平の始めは,天災・天然痘のまん延・蝦夷
今ぬぐ
8月以来数回東大寺大仏お身拭いの行事に参加し,仏体内 の度重なる反乱が続き,対外的には朝鮮半島に統一国家を
部を観察し,鋳継ぎの様子や頭部螺髪の取付け状況などを 作っていた新羅と緊張関係にあった.さらに天平 1
2年に
うまかい
調査した. は天然痘で死んだ藤原字合の長男で天皇のおいに当る藤原
これと前後して, 1966年には桶谷,香取らと雑誌「金 広嗣が反乱を起こすなど,世の中は非常に乱れていた.
属」誌上で「大仏さま鋳造, 3つの論争点」をテーマに討論 聖武帝はうち続く災いを除き,国家の安泰をとりもどす
し2)3), 1979年には NHK(日本放送協会)のテレビ番組 には仏教の力に頼るよりほかに方法はないと考え,天平
「歴史への招待一東大寺大仏建立」に堺屋,杉山とともに 1
3年国分寺建設の詔を出され,各地に国分寺,国分尼寺
こんじゅじ
出席し,大仏建立の動機,建立事業のスケール,鋳造技術 が造られるようになった.天平 5年良弁開基の金鍾寺は
などについて話し合う機会を得たの. 整備されて大和(奈良県)の国分寺となり,次第に総国分
さらに, 1988年には奈良県立橿原考古学研究所が東大 寺的性格を持つに至った.大仏が建立される東大寺の前身
寺大仏殿西廻廊隣接地の発掘調査を行ったが,この調査で である.
るし φ な
大仏鋳造に用いられたと推定される炉の一部,溶解原料で これより先,天平 1
2年河内の知識寺で本尊の慮舎那仏
ある地金や鉱石及び創建当時の様子を記録した多数の木簡 像に感銘され,自らもこのような仏像を作って人々の心を
などが発見されたの.筆者も依頼されてこの調査に加わっ 和らげ,仏恩を広めたいと思われたのが,大仏建立の直接
た.解読された木簡の記述から,これまで推測する点の多 の動機であろう.天平 1
5年 (
743
)10月大仏建立を発願
かった鋳造の実体がかなり明らかになり,使用した原料地 する詔を出された.続日本紀巻 15に記さな 認には, f
金や鉱石の種類なども知り得た. 「置合那仏の金銅像ー躯を造り奉る.国の銅を尽くとて
かたち い
このような経緯を経て,奈良大仏の鋳造技術,使用地金 象を舘,大山を削りて堂を構へ,広く法界に及ぼして朕が
とその溶解法,及び当時の採鉱・精錬,工業技術,土木建 智識とす」
設事業などと大仏建立技術との関連性について,かなり解 「夫れ,天下の富を者つは援なり.天下る議も有つは朕
1年 9月 24日 原 稿 受 理
平成 1
権 近餓大学名誉教授 Pro
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1
98 鋳造工学 第 7
2巻 (
200
0)第 3号
表 1 奈良大仏建立の頃のわが国鉱工業.
さいこう せいれん
工業技術上の発明や建設土木事業 採鉱精錬などの面の発展
工業技術上の発明 改良
さいのい ら ゆ l
.
.t.iんの くるま
斉明 4 年 (658年) 僧智総,指南車(磁石を利用し常に南を指す てん じ ぇ包ごの〈 に らえるつ , "えるみ"
ようにした方向指示車)をつくる。 天智 7 年 (
668年) 越後国,燃土(石炭)・燃水(石油)を献上。
てん じ
天武 3年 (
ろうこ 〈
斉明 6年 (
660年) 中大兄皇子,漏刻(水時計〕をつくる。 674年) 対馬国, 銀を献上,圏内産銀のはじめである。
むつ
てんじ みずうす や てつ
天智 9 年 (
670年) 水碓をつくり冶鉄す。(水車を動力として炉 天武 5 年 (
676年) 砂金を陸奥と対馬で産出。
いよの《 にうわ しろがね M がね
に風を送り,製鉄を行う)。 持統 5 年 (
691年) 伊予国宇和君s
より白銀緋(鉱の古字で未精錬
きJみのみやっこほん じち ゐ ず 拡かり
天 智 10年 (671年) 黄書造本実、水集(水準器)を献上す 。 こ の の金属の意)を献上。
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, /~!tのく にす必ヲの"こ いせの
常陸備前伊予 日向四国は朱沙,安芸
橋梁造船・築城などの土木工事 なが と り"せいぷん』の〈にしんし a
長門二国 は 金 青 緑青,豊後国は真朱を献上,
化ち維明
2 }冗 2
大山臼斉
年年年
年年年
AUτkυ
氏u a U F O
氏υ n U F O
僧道登,字治橋をかける 。 対馬国に金を精錬させ る
。
あきの〈に くだ り せ ん
天武 8 年 (
679年) 難波宮に羅城を築く 。
を行わせたことも明らかになった.
I 仏体鋳造 2年 1か月,補鋳と仕上げ 5年,仏体表面の塗
東大寺要録 13)などの記録から大仏建立の各作業と歴年 金 5年などの歳月が費やされている.仏体各位置の成分
月との関係を整理して表 2に示した.塑像製作 1年 2か月, 分析値を表 3に,お身拭いの際筆者が写した大仏内壁の写
真を図 2-4に示した.
4
. 大仏鋳造からの啓示
我が国古代の鋳造技術からは.ガス抜きや可縮性を助け
るため鋳型に籾殻などを混ぜる,土の模型を削って中子と
ま ね
する,異土を焼いて永久鋳型を作る,など現在もその考え
方は数多く導入・利用されている. しかしここでは鋳継ぎ
を繰返して鋳造を完成させた巨大鋳造物の製作過程に絞っ
て,それから受ける啓示を考えてみよう.
4.
1 合せ湯の技術
奈良大仏の鋳造では,最下段蓮華座下部で約 1 00tの溶
湯を同時に鋳型内に注入した.当時の溶解炉「甑Jは溶解
量 1t程度と推測されるので,土手の上には 100余基の炉
が準備され,同時に溶解と鋳込みが行われた.この技術は
図 1 大仏 6段自の鋳込み(想像図). 500年後の鎌倉大仏はもちろん,大型党(ぼん)鐘の鋳造
表 2 奈良東大寺大仏建立の歴史.
和暦 西暦 事 項
2
4の金制il
てんαa
B
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う
天平 12 740 2月 7白星義美呈苛向通話議 議
はつがん
を拝し大仏建立を発願。
おうみの〈に Lが . . の み 9 み ことのり
天 平 15 743 10月 15日近江国紫香楽宮で大仏建立の詔を出
。 10月 19日大仏建立のため紫番楽で寺地を
す
こ着手。
開く。僧ち基,弟子をひきいて動量 l
19 747 9月 29日大仏本体の鋳造開始。
本 体 鋳 造 約 2年 1ヵ月
この年.大仏殿建築の準備にも着手。
てん,"う ι
aうほう
天平勝宝元 749 10月 24日大仏本体の鋳造完了。
大正鵬
建鋳約幻
約取制約
4 叶 カ5
仏 白
年け月年
築造
殿の仕
12月大仏の奴髪 966個の鋳造開始。
髪と
い〈 わえ い~ ;
与え
2 750 1月大仏の鋳加(補鋳)・鋳凌(仕上げ)開始。
J
17
3 751 6月大仏螺髪の鋳造と頭部への取付け完了。
この年,大仏殿完成。
4 752 I2月大仏銅座の鋳口(蓮井への彫刻)開始。
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叫山
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凶 川会 終
ム町わ。
ば仏補
日日仏
融行了
ト 9 大
円月円月四月
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⋮
開鋳
地⋮鋳
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蓮 弁 の 彫 刻 約 4年 5ヵ月
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7
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光背 〔
木造)っくり I
「一一一一 天平宝字 7
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763
l
東大手縦揺員住ふ光背づくり(木造)に着手。
そ
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:
.
約 8年 一一→ 宝亀 2 771 この年,実忠大仏殿高I
柱 40本を補強, 大 仏 光
J
背完成。
《に信かの " ら "
5 774 I10月 3日大仏建立の技術の総 CIfJ圏中公麻巴没。
2
00 鋳造工学 第 7
2巻 (
200
0)第 3号
表 3 奈良大仏の仏体分析結果, %
.
No 採取位置 Cu S
n P
b As F
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i Mn N
i B
i S
b Au Ag
1
i
1Ii
l 部(額) 87.7
9 4.
24 3.
07 4.
55 0.
10 0
.04 T
r Tr
. 0.02 0.
13 0
.00
088 0
.15
14
2 左 自 の 犠 91
.54 4.
15 2.
97 .05
1 0.
08 0
.22 T
r Tr 0.02
3 胸 古H 91
.52 4.
00 2.
56 .2
1 0 0.
12 0
.07 0
.04 0.
05 0.
14 0.
06
4 左側乳附近 94.
13 2
.15 .85
1 .6
1 2 0.
08 0
.02 Tr T r 0.03 0.
08
5 右 側 乳 附 近 9 2.
93 .6
1 0 3.
41 .8
1 1 0.
03 Tr
. Tr 0.04 0.
02 0.
14 0
.00
636 0.
0998
6 右 肩 部 93.48 2.
91 2.
61 0.
53 0.
05 0.
02 0
.01 Tr 0.02 0.
05 0
.00
209 0.
0488
7 左 肩 日
部 91 16
. 2.
81 2.
72 2.
94 0.
20 0.
01 Tr T r
. 0 .
01 0.
08 0
.00
184 0.
0709
8 左 腕 左 側 上 部 94 .
22 .83
1 0.
92 2
.11 0.
13 0.
08 0
.23 Tr 0.14 0.
09
9 左腕右 側下部 8 4.
96 3.
93 8.
21 0.
30 0.
09 . Tr
Tr .
1
0 左 腕 上 日
制 9 3.
55 2.
34 .82
1 0.
96 0.
10 0.
02 Tr T r 0.
03
1
1 背部下の入口 1m上 $ 93.
57 .43
1 0.
57 2.
91 0.
16 0
.22 Tr T r 0.
16 0.
06 0
.00
817 0.
1657
1
2 上部入口附近 事 9 3.
10 2.
45 0.
60 3
.14 0.
28 0.
01 Tr T r 0.
12 0.
08 0
.00
886 0.
1414
1
3 左 膝 下 部* 9 2.
78 .77
1 0
.49 2.
99 0.
30 0.
15 Tr T r 0.
13 0.
08 0
.00
236 0.
1421
1
4 斜右後膝の高さ 91
.76 3.
65 .93
1 2.
43 0.
10 0.
01 Tr. 0.07 0.
02 0.
07 0
.00
420 0.
0783
建時(11-13)の平均
車I
J 93.
15 1
.88 0
.55 3
.01 0
.25 0
.13 T
r. T
r 0.
14 0
.07 0.
00646 0.
1497
図 2 奈良大仏の内壁(1) (正面:倉リ建当時のか所と思
われる.) 図 3 奈良大仏の内壁 (
2) (背面:補強の木組みと鉄の
釣でつないでいる)
にも広く利用された.例えば 1614年に鋳造された方広寺
鐘(約 4
5t)は,地中に穴を掘って据えつけられた直径 3
.8 子を示す写員が現存するが(図的,この場合も鋳型を中心
m,高さ 5m程度の円筒形の大きな鋳型上部に設けた・湯だ に放射状に設けられた樋に沿って,多数の甑が見られる.
まりから,東西南北に 4本の樋(とい)をわたし,各樋に 4
.2 接合技術
34基づつの甑と踏輔を配置するといった大がかりな鋳込 奈良大仏の鋳造は,下から順次鋳込みを繰返したので:
み作業が記録されている 11)14) また 1934年京都の鋳物師 当然先に鋳込まれた部分と次に鋳込もうとする部分の接合
高橋才治郎が口径 2.8m,重さ 4
5tの大党鐘を鋳造した様 が問題になる.鎌倉大仏内壁を観察すると図 6に示す 3種
奈良大仏の鋳造技術と 2,3の啓示 2
01
耐lE (1)
(2)
図 4 奈良大仏の内壁 (
3) (目の部分:目は銀鍍板を用
L
F(
3)
匡~l長から t均込んだ自日分
い
, くさびで止めている.)
図 6 3種類の接合法(左は垂直,右は直角に継ぐ場合).
図 7 鎌倉大仏内壁(肩部)に見られる巧妙な接合法
敬の念を覚える.
4
.3 積層鋳造によるシェル構造物
奈良大仏は,土の塑像を削って中子とし,下から順に鋳
継いでゆく積層鋳造方式がとられ,完成した鋳仏は像高
図 5 大党鐘(重量 45t
,口径 280cm)の鋳造(1934年横 16m余と巨大だが,中空で肉厚約 5.5cmの薄いシェル構
浜) 造である.
(株)クボタが開発したアルミ鋳物パネル(カーテンウオー
類の方法(香取はこれを「鋳がらくり法」と呼んだ 15)) が ル)を外被とする建築様式は, 1 964年建設の千代田生命
認めら れる.奈良大仏では最も簡単な(1)の場合すなわ ビル(図 8
)に始まり, 1968年にはドイツミュンへンの
ち先に鋳込まれた部分の先端を挟み込むように,後の溶湯 BMW本社ビルにも採用されるなど,急速に世界の建築界
を流し込む方法しか使われなかったので,建立後天災や戦 に広まり,画一化された建築物に個性と記念性を持たせ
火で度々損傷したのだろう. 500年後の鎌倉大仏は,力の た 16) 工法をみると 1階ごとにコンクリートを流し込み,
かかり具合を考え,巧妙に 3種類の鋳がらくり法を駆使 打継いで高層ビルを完成させ,鉄筋コンクリートを骨格と
していることが図 7の大仏肩部内壁でも明らかである.そ してアルミ鋳物パネルで外側を覆っている(図 9
). 大仏鋳
のためほとんど創建時のままの姿で現存している.奈良大 造にみられる積層鋳造によるシェル構造は,このアルミ鋳
仏に学び,新しい接合法を習得した先輩たちの努力には畏 物のカーテンウオールで固まれた現代建築を生み出した源
2
02 鋳造工学 第 7
2巻 (
200
0) 第 3号
図 8 アルミ鋳物ノ fネル(カーテンウオール)を外被とし
た建築(千代田生命ビ Jレー1,964年)
屋山
所所
﹁
所コ式
報酬
上香石
甲賀山作所
料制設独自対
達制ら繕
関る関
山山山
調拍け営
寺薬仁院
機--れ機
材何単開
﹂ │L
担
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伊賀山作所
田上山作所
先大
関営
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高嶋山作所
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造東大寺司
造仏所鋳所
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絵所事 木工所
造物所造瓦所
「事務所(政所)一一一『荘園管理機関が付属する 足庭作(現場)
管理機関寸
し雑務所(大炊厨所)
紙打殿 装i
演所 写経所
写経機関一写経所 熱紙所 経堂(経所)
紙屋 助経所 i京 大 川 i
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r絵 0 0所 jとし、う表現をする場合がある る。ただし、写続所別 2 1は造石山
{問中嗣人「造東大寺司造悌所のー研究J
より) 院;v
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'Jが萩I.T:
図1
0 天平宝字 6年 (762年)頃の造東大寺司の機構.
奈良大仏の鋳造技術と 2,3の啓示 2
03
じて人々に親しまれてきた.とくに奈良大仏は鋳造物とし 5) 東大寺,奈良県立橿原考古学研究所:東大寺大仏殿
て世界ーを誇る大きさと重量を持ち,再三の天災や戦火で 西廻廊隣接地の発掘調査報告(1988・3 )
大きく損傷したが,現在も奈良東大寺の本尊直舎那仏とし 6) 石野亨:金属 35( 196
5)9・1 5,82
7) 石野亨:総合鋳物 1 6(1975
)1 2,14
て存在し,記録も数多く残されている.
8) 石野亨:鋳造技術の源流と歴史(産業技術センター)
筆者は鋳造工学研究者の立場で,この大仏の鋳造技術の
(19
77)
解明を試みて来たが, これまでの調査研究の成果と大仏建 9) 石野亨:図説日本文化の歴史 ( )奈良(小学館)
3
立から受けた啓示について論述した. (1979)105
1988年の発掘調査ののように,今後も新しい事実が発 10
) 石野亨:奈良の大仏をつくる(小峰書庖)( 19
83)
見され, 1200年前の技術がさらに明らかになることを期 11
) 石野亨:鋳物五千年の足跡(日本鋳物工業新聞社)
待したい. (19
94)
1
2) 大仏発願の詔の訓読は岩波書店版新日本古典文学大
なお,東京芸術大学美術学部関係の鋳金技術者と美術史
系「続日本紀J( I
I)(1990
)431による
研究者の方々が, 18年に及ぶ研究成果を 350頁の大著 1
3) 筒井英俊校訂東大寺要録(図書刊行会)( 19
71)
「東大寺大仏の研究」として 1997年に出版された 20) 興味 1
4) 石野亨:鐘をつくる(小峰書底)( 1984)52
のある方はぜひ一読されることをお薦めする. 1
5) 香取秀員:続金工史談(桜書房)( 1943)106
文 献 1) 村野藤吾:CAST((株)クボタ発行誌)1(
6 1967)23
) 石野亨,若林洋一 :鋳物 28(
1 1956)847 1) 新日本古典文学大系「続日本紀 J(
7 1
)(岩波書庖)
2
) 桶谷繁雄,香取正彦,石野亨:金属 36( 19
66)2・1
, (1989)127
33 1) 三上隆三:朝日選書「貨幣の誕生 J(朝日新聞社〉
8
) 長崎誠三:人と金属と技術の昭和史(アグネ技術セ
3 (1998)119
19
ンター)( 9
8)157 1) 真殿統:JACTNEWS515(
9 1999)33
4
) 堺屋太一,杉山二郎,石野亨:歴史への招待第 7 2
0) 前田泰次,西大由,松山繊夫,中津圭之介,平川晋
19
巻東大寺大仏建立(日本放送出版協会)( 8
0)133 吾:東大寺大仏の研究(岩波書庖)( 1997)