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はじめに

 
 
昼の顔、夜の顔
 
私は「ZEN」に憧れて日本に来ました。「禅の修行を本格的にしたい」という思いに燃えて、最初に日本を訪れ
たのは一九八七年、日本がバブルのさなかだったころです。
その当時の日本では、外国人は誰であれ「イロモノ扱い」をされていました。高校を卒業したばかりの私が街を歩
けば「アメリカ人だ~!」と子どもに指をさされ、何度も何度も若い女の子たちに握手やサインを求められました。
嬉しいような嬉しくないような、複雑な体験でした。
私の思い描いていた日本人への幻想はことごとく打ち砕かれてしまいました。はるばる海を越え山を越え、日本の
大地に足を着けた瞬間にゼンの世界が肌で感じられると勝手に想像していた私が目の当たりにしたのは、ゼンのゼの
字にも興味を示さない日本人の姿でした。朝は漫画片手に器用に居眠りするサラリーマンの間で満員電車に揺られ、
夜はワンレンボディコンに扇子を持ちハイヒールで街を闊歩する女性たちに目を奪われるような毎日です。
同じ人種と思えないほど、日本人の「昼の顔」と「夜の顔」は違っていました。どちらの顔も、私が想像していた
「日本の顔」ではありませんでした。
 
ジャパンアズナンバーワン
 
原宿で声をかけてきた若者から、電車で隣の席に坐ったおじさん、日曜日の朝に公園を散歩しているおじいさんに
至るまで、私は機会さえあれば彼らから「日本の心」を聞き出そうとしました。
ところが、彼らは禅のことなど眼中にない様子でした。禅ばかりではありません。お茶や生け花、能や尺八、武士
道といったネタを振っても、話は一向に盛り上がりません。
しかしバブルまっただ中を生きる彼らは、私に幾度も、自信満々な顔で言うのです。
「どうだ、日本はすごいだろう!」
水をさすのは申し訳ないと思いながら、ついつい聞き返してしまいました。
「すごさって……日本のすごさって、いったいなんですか?」
聞かれたおじさんは唖然としていましたが、彼らの考えている「すごさ」と私の求めていたものは、あまりにもか
け離れていました。
一九八〇年代の終わりごろまで、日本が二一世紀のリーダーになり得るのではないかと欧米でも噂されていたのは
確かです。
アメリカの学者の書いた『ジャパンアズナンバーワン』(TBSブリタニカ)は、日本でバカ売れしました。外国
のえらい学者からも評価される日本がすごくないはずはない、と日本の誰しもが思っていました。
いや心の奥底では、大事なものを見失っているかもしれないという疑問を抱えている人も少なくなかったはずで
す。だからこそ、絶えず外国人に「ナンバーワン」と言い続けられたかったのでしょう。しかし、外国人に褒めても
らわなければならないような国が、果たして本当に「すごい」と言えるのかどうか……。
 
京大生として再来日
 
ヒッチハイクして京都にも行ってみましたが、お寺は観光客を相手に拝観料をとるばかり。有名な本山の門を叩い
ても、どこの馬の骨かわからない外国人青年を相手にしてくれるお寺を見つけることはできませんでした。
そこで私はいったんドイツに帰って、大学で日本語を勉強してから出直すことにしました。日本語さえ話せたら、
いや読み書きまでできれば、本来の日本文化をもう少し読み取れるのではないかと思っていたからです。
そして一九九〇年、私は再び京都を訪れました。このときは京都大学で学ぶ「研修生」という肩書きでの来日でし
た。
夏休みは京都の田舎のお寺で過ごしました。充実した夏休みが終わろうとするある日、私はお寺での生活に後ろ髪
を引かれ、和尚さんについ、こぼしてしまいました。
「あと半年間、留学生としての期間がありますが、大学でただ遊んでいるよりも、禅寺で本格的に修行をしたほう
が身のためという気がするのですが……」
あんたい じ
「それなら 安 泰 寺を紹介しよう。兵庫県の日本海側にある。ぼくも若いときに修行したところだ。行ってみなさ
い」
そのようにして安泰寺と私のご縁ができました。一九九〇年の秋のことです。「ようやく本場で禅が学べる!」、
そんな期待で私の胸は膨らみました。
 
雲水とビザ
 
京大に留学していたころは、ビザの取得には苦労しませんでした。何しろ「京大」というブランドがあるわけです
から、留学期間の在留資格を得ることにはなんの問題もなかったのです。しかし、安泰寺に本格的に入門するにあ
たって、神戸の入国管理局でビザを書き換える必要がありました。
私の中では、「単なる大学院生からいよいよ一人前の雲水※1に昇進だ!」と思っていたのですが、どうやら管理局
の役人の目にはそうは映っていなかったようです。
「留学が終わったのなら、ドイツに帰るのが筋ではないですか? 日本の企業に採用されるような人材であれば、
就労ビザの取得も可能ですが……。しかし日本の山の中で修行となるとどうでしょうね……いや、仏教を学びたいな
らタイやミャンマーのような、アジアの国でやったほうがいいのではないでしょうか?」
そんなことを言われつつも管理局でだいぶ粘った末、私はめでたく「文化活動ビザ」を取得できる運びとなりまし
た。
「文化活動ビザ」とは、日本特有の文化や伝統技芸を学ぶ者を外国から受け入れるために設けられた在留資格で
す。
正直言って私は京都あたりでお茶の稽古をする若い外国人女子と同類にされるのが嫌でしたし、仏教の元祖と言え
ば、菩提樹の下で坐禅を組んだ釈迦というインド人ですから、「日本の禅」といえども、「それが果たして日本特有
の文化と言えるかどうか?」との疑問も持ったのですが、日本に長期滞在するためには、ビザがなくてはなりません
から、そんなことにこだわって文句を言っている場合ではありませんでした。
 
ビザの更新
 
ビザには期限がありますので、年に一度、ビザの更新の申請をしに一日かけて遠い神戸の入国管理局に行かなけれ
ばなりません。
三度目の申請のときでした。
「君の修行はまだ終わらないのかい? 文化活動の期間は最長でも二年間が原則なのだが」
「いや、修行は一生続くものです。入門してから一〇年、『まず黙ってやり続けることじゃ!』と師匠に言われて
おります」
「そんなバカな! 医師になるにも弁護士になるにも、一〇年かからないだろう。どうして禅修行ごときに一〇年
もかける必要があるのか」
役人のこの一言で私はどれだけ幻滅したことか。「一人前の医者になるのに一〇年はかかる。それなら、禅の修行
はさらにかかるはずだ」と自国の文化や精神性に対して自信を持ってほしかった。「日本の禅マスター」について学
び、自分もいずれ認めてもらうのにどうして一〇年が長すぎると言えるのでしょうか。
ショックを受けつつも、私は京都で学生生活を送っていた時分に知り合った、アメリカ人の路上ミュージシャン、
ジョンのことを思い出しました。彼は、日本に来てかれこれ一〇年が経とうとしていましたが、三年おきに宗教ビザ
を更新していると話していました。路上ミュージシャンなのに、どうして「宗教」なのか、最初は不思議に思いまし
たが、彼はアメリカの田舎の教会の出身で、実は「宣教師」として入国していたのです。
私は尋ねました。
「アメリカ人の友達で宗教ビザを持っている人がいます。ぼくの活動も『文化活動』より『宗教』に当てはまると
思います。三年間有効の宗教ビザの申請はできませんか」
「いや、それはできない。宗教ビザは外国の宗教団体から派遣された人に与えるものなのです。あなたのように日
本の宗教団体に属している人には与えられません」
宗教の自由が保証されている日本ですから、当然、宣教師にはビザを与えるべきでしょう。しかし禅を学びに来る
外国人より、キリスト教を売り込みに来ている宣教師を優遇するのは、考えてみればおかしな話です。
「外国の宗教が認められて、国産の禅が認められないのはなぜですか?」
理屈っぽい私は言いましたが、問答無用でした。
「であるなら、修行の必要性を証明する書類を作ってもらえ!」
私はいったん安泰寺に帰りました。
 
形が大事
 
師匠には「布教できるようになるには、最低でも一〇年間の修行を要する」と一筆書いてもらいました。師匠はそ
れを手渡しながら私にこう言いました。
「日本では形が大事なんだよ。書類の中身より、おまえの出方が問題だ。気晴らしのつもりで神戸に行ってはいけ
ないよ」
時間と交通費をかけて何回も入国管理局に出向いたのですから、何も気晴らしのつもりでやっていたわけではあり
ません。しかし、傍から見ればそう見えていたのでしょう。薄汚いTシャツとジーパンは私のよそ行きスタイルでし
たが、言われてみればそのへんのバックパッカーのような格好です。これで「修行は一生もの」と威張っても、説得
力がありません。
次回の「神戸旅行」では駅のトイレで作務衣に着替え、足には白い鼻緒の下駄を履いて入国管理局を訪れました。
このときほど申請がスムーズに進んだことはありませんでした。なるほど、師匠の言う「おまえの出方が問題」と
はこういうことだったのかと納得しました。
 
フレキシブルな対応
 
日本在住九年目のとき、私は安泰寺を離れ大阪城公園でホームレスをやっていました。ブルーシートのテントに住
みながら、毎朝、お堀の上で坐禅会を開いていたのです。
そのときも、案外とすんなり文化活動ビザを更新することができました。それはひとえに、師匠が身元保証人に
なってくれていたおかげです。ホームレスの生活をしながらも師匠の教えを実践していたので、それも一種の文化活
動として認められたのです。わらじを履いて、破れ衣で入国管理局に現れたときは「さすがだな」と係の方に褒めら
れたくらいでした。
その一年後のビザ更新のとき、私の肩書きは「ホームレス」から「寺の住職」へと変わっていました。私が大阪城
公園で暮らしていた冬、安泰寺の師匠が除雪中に不慮の事故に遭い、亡くなったのです。
「おまえが一番ヒマそうだから、春まで留守番してくれ。それまでに寺の後継者も決まるだろう」
まわりからそう言われていた私は、桜が咲く頃には再び大阪で坐禅会を再開できると簡単に考えていました。しか
し気がついたら寺の後継者は自分に決まっているではないですか。ブルーシートの雲水から、禅僧の指導者へと立場
が一転したのです。
ところが、ビザ更新時、「師匠がいないなら日本に滞在する資格はない」と係の方に言われてしまいました。これ
まで修行が「文化活動」として認められていたのは、師匠がいたからだと言います。「文化活動ビザ」は指導者に与
えるものではないのだそうです。
「そうは言っても、住職の私がいなければ寺での修行生活は成り立ちません。文化活動ビザがだめなら、就労ビザ
を申請できないでしょうか」
「どうだろう。『住職』というのは、わざわざ外国人にやってもらわなければならないような職業ではないから
な。ちなみに、給料は?」
「ありません」
「仕事でないなら、就業ビザは発行できない」
実は、安泰寺には檀家がないため、修行僧はもちろんのこと住職も給料がありません。きつい、厳しい、汚いとい
う「3K」がぴったりの安泰寺の労働ですが、給料がなければ「仕事」として認められないと言います。
「わかりました。ドイツに帰って、坐禅道場でも開きます」
「そのお寺の住職の代わりをやってくれそうな日本人はいるのかい?」
「いや、それはいないでしょうね。なにしろ、給料すら出ないお寺ですから」
「それじゃ、もう少し考えてみよう……」
しばらくして、係の方がまた出てきました。
「今回は特別に、三年有効の宗教ビザを与えよう」
私の活動が初めて公に宗教として認められた瞬間です。
ルールが絶対だというドイツ人の目から見れば、ときと場合に応じて主張を変える日本人はいい加減と言えばいい
加減かもしれませんが、このときほど日本人のフレキシビリティーに感謝したことはありませんでした。
 
日本にただいま!
 
住職になってから、私はホームレス時代に知り合った大阪の女性と結婚しました。その後、外国人の弟子も数人で
きたので、今度は私が彼らの日本での保証人を務めることになりました。そして二〇〇八年、ようやく日本での永住
が許可されました。
日本への再入国で指紋が確認されるのは今も変わりませんが、そのときの私の気持ちは「失礼します……」ではな
く、「ただいま!」です。
 
 
 

1 禅宗の修行僧のこと
曲げないドイツ人 決めない日本人 ドイツ人禅僧が語る日本人の才能 ………… 目次

はじめに

昼の顔、夜の顔

ジャパンアズナンバーワン

京大生として再来日

雲水とビザ

ビザの更新

形が大事

フレキシブルな対応

日本にただいま!
第1章  多文化共生を考える

多文化共生は可能か?

ドイツの移民問題

対岸の火事

「多」と「共」は完全には共存できない
タバコを吸う人、吸わない人

宗教の問題

教会の鐘

言葉の問題、恋愛の問題

多文化共生の四つのパターン

エックスクルージョン・セパレーション

鎖国もセパレーション

インテグレーション・インクルージョン

理想の共生

安泰寺の問題

言語は文化を強制する

安泰寺の共生ルール

修行者の増加

強いほうが勝つ
壁はいらない

師匠の教え

共生の覚悟
第2章  性格の違いと人間関係

顔に出さない日本人

怒らない日本人が『怒らないこと』に金を出す

中身もそうとは限らない

遅刻の言い訳

「お元気ですか?」「いや、最低です」

嘘をつくメリット

怒りを小出しにする

嘘も方便

嘘もまことも人それぞれ

ドイツ人の嘘

ドイツ人に義理人情やしがらみはあるか?
絆はどこからしがらみになるか

計算する日本人

義理人情のないドイツ人

イラク戦争に反対したドイツ、賛成した日本

一方的に助け、助けられる欧米社会

ヒッチハイクにも気をつかう日本人

縛られている日本人

言葉にも表れる人間関係

おれはキャプテン

縦の関係が落ち着く日本人

宅配便をお隣さんに配達する

ウエットな日本人、裏のないドイツ人

ドイツ人も空気を読む

気候と似ている人間関係
相互に助け、助けられる日本人

ウエットな空気が好きな私

ドイツ人は根暗?

わざと乗り遅れる

人も車も保守的

変わらない街並み

落ち着きがいいのが大事

明るすぎる日本

無常にさからう

環境にもうるさい

ドイツ人は暗いのかもしれない

何もかも捨てられない
第3章  自由と民主主義

日本人に主体性はあるのか?

パーティーは自分が開く
主体性を否定する日本の敬語

主体性を重視するドイツ人

一貫した私

SNSにも違いは表れる

ステッカー文化

TPOで自分を使い分けない

子どもにも合わせない

主語がない

考えは違っているのが当たり前

議論と民主主義

ディスカッションはスポーツ

仏教的には成り立たない

中道を目指す

ヒットラーはなぜ生まれたのか?
自由からの逃走

戦後ドイツ

不安な時代

日本は複雑

民主主義の次の道
第4章  時間の使い方とライフスタイル

日本の朝は遅い?

パン屋さんが開いていない

学校は日の出前に始まる

帰宅が遅いと機嫌がよい

日本人の居眠り

横にならないと眠れない

朝遅い自覚がない

安泰寺は早寝早起き
朝遅いから後手後手になる

がんばる日本人はえらいのか?

テンションの差

がんばる日本人

安息日に働いてはいけない

日本人の愛情

「がんばっている」はけなし言葉

早く帰るのが美徳

日本の「内と外」、ドイツの「私と他者」

温かい挨拶の理由

「内と外」という概念

赤の他人には不親切

自分か他者か

他者は平等
ドライだからオープン

安泰寺での理想像
第5章  ドイツ人が驚く日本人の柔軟性

ドイツ人は天命を探し続ける

乗り越し精算機

行き先を決めるドイツ人、決めない日本人

岩をぶっ壊す

ドイツのフレキシブルな大学制度

長いインターン

会社を変わるのは当たり前

職業は天命である

運命の人を探す

最善か無か

妥協しない禅僧

マルチタスキングは日本人の才能である
部屋の数だけあるテレビ

オンなのかオフなのか

気にしない日本人

聞き流せないドイツ人

おれの邪魔をするな

マルチタスキング

運転も集中して真剣に

昔の安泰寺

ハンデを負うドイツ人

ドイツ人は日本で車にひかれそうになる?

日本で運転を覚える

日本人の運転はルーズ

ルールは絶対

ぶつかっても進め!
日本の美徳

ドイツ人はなぜ原発全廃止を決断できたのか?

ドイツの原発全廃止

原発もオンかオフかのドイツ

原発もファジーな日本

理想が先か現実が先か

理想と現実の折り合い

理想の追求
第6章  野性的なドイツ人

ドイツ人は「かわいい」を理解できない

ドイツ人はロック好き

アイドルが理解できない

ミニクーパーは女性向け

かわいくなれないドイツ人

磨かれた文化
お洒落しないドイツ人

ワイルドなファイター

ドイツ人はお金を使わない

質素が美徳

タクシーで来るのは日本人だけ

資源も大切に

お金をかけるのは合理的な理由があるとき

ドイツ人は「内なるイノシシ」を解放したい

二〇〇〇年前から野蛮人

ドイツの全裸文化

野生と家畜

ドイツ人はバーベキューが好き

時間を売るという感覚

サラリーマンのリタイア後
内なるイノシシを解放する

安泰寺での内なるイノシシ

十牛図

ブタとイノシシ以前に戻る
第7章  宗教と悟り

『火の鳥』を語る

ドイツにおもしろい宗教漫画はない

善悪がファジーな『火の鳥』

『ブッダ』より仏教的な『火の鳥』

日本人は死ぬとどこに行くのか?

ドイツ人の食卓

多彩な日本の食卓

主食と宗教

精神的主食

死後の世界
不思議な日本人の死後観

お盆にはどこから

自動的に極楽行き

成仏

ファジーな死後観

ルーズなよさ

宗教観もファジー

いざとなると無宗教

一神教的な無宗教

寛容な無宗教

拠り所の喪失

ご先祖様も人間

心にも主食を

ドイツの仏教、日本の仏教
仏教は哲学の一つ

禅のインパクト

チベット仏教の隆盛

危機が生んだ飛躍

日本仏教のチャンス

悟りとは何か

悟りたい

ベルリンでただ坐る

悟りは迷い

生命欲が欲望の根源?

苦しみそのものが涅槃

浄土真宗はまさに悟り

私は悟っていない

苦しみのカラクリ
比較をやめる、欲が落ちる

生死即涅槃

あとがき
 
 
 
編集協力/中田亜希
校正/髙柳涼子
本文DTP/大谷佳央
第1章  多文化共生を考える
多文化共生は可能か?
 
 
ドイツの移民問題
 
今ヨーロッパで一番課題になっているのは移民の問題です。移民はヨーロッパ全体に多いのですが、ドイツでは特
に多いのです。
私はこの四年間、ドイツに帰っていないので、ニュースを通して耳に入る情報のみですが、ニュースによると二〇
一五年だけでも、二〇〇万人近い移民がドイツに入国したのだそうです。※1
ドイツの社会情勢は近年不安定になっていますが、その原因の一つに、移民が増えていることが挙げられていま
す。窃盗やレイプ事件が日々、報道されるようになり、ドイツ国内では、治安に不安を持つ人が増えています。
メルケル首相は、移民が来るならば拒否はできないと言っています。しかし、移民受け入れに対する反対運動が強
くなるとともに、右翼国家主義が強くなり、メルケル首相の所属するドイツキリスト教民主同盟(Christlich-
Demokratische Union Deutschlands)内ですら、「もう少し制限をかけて、移民受け入れをストップしたほうがいいの
ではないか」という声が出ています。しかしメルケル首相は自分の主張を譲りません。移民がたとえ一〇〇万人単位
で来ても、やればできると言っています。
二〇一六年の一一月に予定されているアメリカの大統領選挙では、不法移民対策などでメキシコ国境沿いに壁を築
くとするトランプ氏が人気を集めています。彼はドイツのメルケル首相のような考え方を批判しています。
 
対岸の火事
 
日本は今のところ、移民の問題については対岸の火事です。しかし、ゆくゆく日本にも移民が入国する可能性がな
いとは言えません。
逆に、来てもらわないと、日本の高齢者問題、少子化問題はなかなか解決できないでしょう。現に介護の現場で
は、インドネシアやフィリピン、ベトナムから、もっと介護士を呼ぼうじゃないかという話もあります。
これから日本でもドイツと同じようなことが起こるかもしれないのです。日本人の血を引いていない、日本で育っ
ていない、日本語の話せない人が日本に住むようになる可能性があります。
 
「多」と「共」は完全には共存できない
 
理想の社会はどんな社会でしょうか。
「多文化共生」が提唱されるとき、多くの場合は「様々な文化、様々なアイデンティティーの人が一緒に、仲良く
暮らす」という発想が背景にあるのではないかと思います。
昔のアメリカ社会では、白人と黒人が別々に暮らすようなこともありましたが、これはあってはいけないことであ
ると、二一世紀の欧米の社会では考えられています。もともとその国の中にいた者も、外から入ってきた者も、一緒
に暮らさなければいけません。
ところが、そう簡単にはいきません。
「多文化共生」というとき、まず考えなければならないのは、「多文化」の「多」に重点を置くか、「共生」の
「共」に重点を置くかです。「共」ばかり強調してしまえば、文化の多様性は失われてしまいますし、「多」ばかり
重んじてしまえば、「共生」の方で問題が生じてしまいます。はっきり言えば、「多文化共生」の「多」と「共」は
一〇〇パーセント共存できないのです。
一つの大きな丸が社会全体だとすると、その丸の中に、赤色の小さな丸も、黄色の丸もある。青色の丸も緑色の丸
もあって、みんなそれぞれ違いを尊重しながら協調する社会が、私は理想の社会だと考えます。みんなが灰色の小さ
な丸になって同じように存在するのは無理ではないかと思うのです。
 
タバコを吸う人、吸わない人
 
一つの例を挙げてみましょう。社会にはタバコを吸う人と吸わない人がいます。今の社会では、日本でも欧米で
も、堂々とタバコを吸える場所はどんどん少なくなっています。私もタバコを吸いませんので、ありがたいという
か、私にとっては住みやすい社会になりつつあります。
おり
東京では 檻 みたいな囲いの中にサラリーマンが立って、動物園のサルのようにタバコを吸わされています。見てい
てかわいそうになるくらいです。
これも一つの共生のモデルです。タバコを吸えば、吸わない人にとって迷惑だから、檻みたいなものを作って隔離
する。レストランや喫茶店でも、吸える場所をどんどん少なくする。電車でも喫煙できる車両は少ししかありませ
ん。喫煙できる飛行機は、もうほとんどないでしょう。タバコを吸う人の肩身がどんどん狭くなっています。
しかし、これでは喫煙者が少しかわいそうではないでしょうか。タバコを吸う人の立場を考えると、本当はもう少
し、そういう人たちのためにもスペースを作らなくてはいけないと思います。五〇年、一〇〇年前は「吸う人は勝手
に吸えばいい、吸わない人は吸わなければいい」という考え方でした。それで煙のない場所がなくなってしまい、自
動的に吸わない人の居場所がなくなってしまっていた。それがいいとはもちろん思いません。
しかし、今の制度は、ちょっと行きすぎてはいないかと思うのです。どこででもタバコを堂々と吸えるようにはし
なくとも、もう少し、吸えるスペースを作ってもよいのではないかと思います。
 
宗教の問題
 
ヨーロッパで問題になっているのは宗教です。ドイツでは、人権の一つとして、「人は自分の信じる宗教を信仰し
てよい。それについて誰にも何も言われない。特に国家権力に宗教のことで干渉されない」という権利が保証されて
います。
しかしこの権利は現実問題、どこまで保証されているでしょうか。例えばイスラム教徒の女性がスカーフで顔を隠
してよいのかどうか。それは人権なのか、逆に人権に反しているのか。学校給食で、豚肉を出してよいのかどうか。
ドイツでは昔から豚を食べる文化がありますが、そうするとイスラム教徒が給食を食べられないということになって
しまいます。
 
教会の鐘
 
まちなか
ドイツに行くと、 街 中 でよく鐘の音が聞こえてきます。ドイツの教会は昔からの伝統で、一五分おき、教会によっ
ては三〇分おき、一時間おきに鐘を鳴らします。
大きな街など、教会がたくさんあるところでは、それぞれの教会が競い合っているかのように、多重に鐘が鳴り響
きます。鐘の音を日本からの旅行者はうるさいと感じるかもしれませんが、ドイツ人の感覚からすると、教会の鐘は
騒音ではありません。昔から続く文化であって、ドイツ人はこれを聞くと心が落ち着きます。無宗教の人も、特に違
和感は感じていません。
ドイツ人にとって教会の鐘の音は、鳥の鳴き声のようなものです。いろんな鳥が同時に鳴いていても、「どうして
こっちの鳥が鳴いているときに、別の鳥まで鳴くのだろうか」と苦に思わないように、鐘の音に関しては、いくつも
の教会の鐘が同時に響き合っても、苦になりません。日曜日ですと「これからミサをやりますよ」という合図の鐘
が、みんなだいたい同じ時間帯に鳴り出しますが、全然うるさいと思いません。
それが夜中にも鳴っている場合は、「夜ぐらいは止めてくれ、眠れないじゃないか!」と住民から苦情が出て、稀
に教会が止める場合もありますが、「今までだって夜の一二時にも、深夜の二時にも三時にも、鳴らしていたんだ。
宗教の自由だ!」と止めない場合のほうが多いのです。
しかし、移民が増えると状況は変わるかもしれません。もしイスラム教徒が、「おれたちはこれまでアラブでやっ
ていたように、ドイツでもミナレット※2から一日五回、アザーン※3を流したい」ということになると、これは問題に
なると思います。ドイツ人はモスクからアラビア語が聞こえたなら、それは邪魔だと思うからです。でもそれを言い
出すと、「じゃあ教会の鐘はどうなんだ!」ということになって、これからは鐘も鳴らしてはいけないという法律が
できるかもしれません。教会の鐘はドイツの文化だからいいけれども、モスクから流れる音楽については許さない、
と言うのはおかしいからです。
私が育った南ドイツでは、昔は、どこの小学校にも教室の後ろの壁に、十字架がかかっていました。「十字架は宗
教の自由に反しているのではないか」という反論はありましたが、「いやそうじゃなくて、これは文化です」という
ことになっていました。
しかしその後、イスラム教徒の子どもが顔を隠して学校に来たときに、「それはだめです。学校の中では顔を見せ
なくちゃいけない」「だったらこの十字架はどうなんだ?」と議論になって、今は、教室の後ろの壁の十字架は外さ
れています。
学校の中にはいかなる宗教も持ち込んではいけない。学校の外ではどんな宗教を信じてもいいけれども、学校の中
には持ち込まないでおこうというのが、最近のドイツの風潮なのです。
ですから街の中でも、教会の鐘がいずれ響かなくなる可能性はゼロではありません。
 
言葉の問題、恋愛の問題
 
もちろん問題になるのは宗教だけではありません。多文化共生の最初の壁は言葉の壁です。
ドイツ人にはトルコ人の二世が大勢いて、最近は三世もいると思いますが、問題になっているのは、なかなかみん
なドイツ語が喋れないことです。二世、三世は、ドイツに生まれた子どもなのですが、家ではトルコ語を喋っていま
す。ですから、学校に入ったときにドイツ語がなかなか話せません。それではもちろん、ドイツ語の授業にもついて
いくことはできません。「ならば、トルコ語が話せるスクールアシスタントをつけましょう」という人もいれば、
「ドイツの学校なのに、どうしてバイリンガル?」という反論もあります。
恋愛の問題もあります。トルコ人の家庭に育った者と、ドイツ人の恋愛の感覚は違います。そうすると、ドイツ人
とトルコ人が恋愛関係になったときに、当の二人がいろいろなトラブルを乗り越えなければいけないだけではなく、
それぞれの家族が乗り越えなければいけない問題が出てくるのです。
ドイツでは、恋愛は本人どうしの問題であって、家族が口を挟まないのが原則ですが、トルコなど、ほかの文化で
は、そうとは限りません。ですから、宗教、恋愛、食事、生活と、本当に様々な問題が起きるわけです。
異なる宗教、言語、恋愛観、家族観を持つ人々が同じところで一緒に住み、生活をするということは、同じ車両に
タバコを吸いたい人と吸わない人が一緒に坐っているのと同様の問題が起きるということなのです。
 
多文化共生の四つのパターン
 
異質な者が同じ社会の中で生活するときの、いくつかの「共生パターン」を考えてみましょう。「エックスクルー
ジョン(exclusion)」「セパレーション(separation)」「インテグレーション(integration)」「インクルージョン
(inclusion)」という四つのパターンに分けて考えてみます。
 
エックスクルージョン・セパレーション
 
「エックスクルージョン」とはかつてのアメリカや南アフリカのような社会です。白人のみがその社会に参加でき
ていたのです。いわゆる「有色人種」は完全に差別されていて、ちゃんとした社会人として認められなかった世界で
す。日本にあった部落差別も、「エックスクルージョン」の典型的な例といえるかもしれません。
「セパレーション」はそれより一歩進んで、建前としては差別的な意識はないけれども、とにかく違う者は分けて
おいて、それぞれの社会をセパレートする、という形式です。
奴隷制度をなくし、表面上はあらゆる人の平等を称えてきたアメリカでも、「エックスクルージョン」がだんだん
「セパレーション」に変わりました。黒人も学校に行けるようになりましたが、それは黒人専用の学校です。住む地
域も別ですし、かつては公共のトイレまでが「white」と「colored」に分かれていました。
エックスクルージョンとセパレーションは、程度の違いはあれ、どちらも差別的です。その裏には「それぞれの人
にはそれぞれのものを」という理屈があります。トイレの例は考え方によってはエックスクルージョンではないとも
言えます。
日本では黒人、白人の問題はありませんが、JRなどの鉄道では、ラッシュアワーや深夜に、女性専用車両があり
ます。これはある意味ではセパレーションです。差別に当たるかどうかはわかりませんが、むしろ、痴漢の被害に合
わないために、女性が男性と同じ車両でなくてもいいように、セパレートされているのです。女性だから必ずそこに
乗らなくてはいけないというセパレートではないけれども、男性は入ってはいけません。それは差別ではなくて区別
だと考えられます。必要に応じて区別しなくてはいけないのです。
トイレは当たり前のように、女性と男性の区別があります。私が安泰寺に来たころは、まだこのあたりの駅ではト
イレには男女の区別がなく、男性も女性も同じトイレを共有していました。男性がトイレで用を足していると、後ろ
を女性が通るのです。その当時の日本では、それを誰も問題だと思っていませんでした。
一〇〇年前に遡れば、日本では混浴が普通だったくらいです。今の男女は、エックスクルージョンはしませんが、
セパレートはする。トイレは別々にする。そうしていることを、特に誰も問題にしていません。
 
鎖国もセパレーション
 
「セパレーション」の別の例として、日本の鎖国があります。その当時の日本は世界には口出しもしない、関わり
もしない、そのぶん口出しもされたくないというポリシーを取っていました。そして中国とオランダ以外の国との外
交を拒否していました。
オランダ人も自由に国内で行動ができたのではなく、長崎の出島にはオランダ人街がありました。そこにはおそら
くオランダ人だけが住んでいて、オランダの風習があって、オランダ人の自治体のようなものがあったのではないか
と思います。
今も日本にある米軍の基地も、日本国の法律が適用されないという意味では、まったく「セパレート」です。
しかし、完全にセパレートの状態で、人々が共生するというのは無理です。一つの社会の中に住む以上、ある程度
統一された学校教育と公共の環境が必要です。そして、「共生」するためには、価値観・人間観・世界観もある共通
の基盤の上で立っていなければ、成立しないはずです。休日の過ごし方もばらばら、恋愛観もばらばら、男女関係も
ばらばら、仕事に対する姿勢もばらばら、ということになると、どこかでギクシャクしてしまいます。
 
インテグレーション・インクルージョン
 
「インテグレーション」になると、異質な者たちは「異質な者たち」として、多数派を占める人たちの社会に組み
入れられます。異質な者たちも、多数派の価値観・人間観・世界観を共有し、多数派の文化に、平等かつ自由に参加
できる状態になります。
しかし、「異質」という認識がまったく消えているのではなく、差別も皆無とはいえません。むしろ、異質なもの
がもっと大きなものに統合されてしまった、という形です。
そして「インクルージョン」の時点で、ようやく「統合する側」「統合される側」という違いもなくなり、それぞ
れの人々は完全に平等かつ自由な社会人として同じ土俵で関わり合あい、同じ社会を形成します。これが「インク
ルージョン」の理想です。
しかし多くの理想がそうであるように、この理想にも多くの無理があります。また、完全に平等かつ自由な社会が
実現すれば、文化のバリエーションは失われてしまいます。
 
理想の共生
 
私が理想とするのは、完全な「インクルージョン」ではありません。そうではなくて、それぞれの持ち味(色・文
化)を保有し、「セパレーション」と「インクルージョン」の両方を合わせた「インクルーシブなインテグレーショ
ン」が理想ではないかと思います。
なぜかといえば、完全な「インクルージョン」という社会には、多様性なんてあり得ないと思うからです。それで
はグレー一色のグローバル人しか住めない社会になってしまいます。そういう社会は一見、一番平等かつ自由に見え
ますが、一番排他的でもあります。グレー色以外の人、つまりグローバル化されていない人はそこに住めないからで
す。
例えば、同じ日本人ならみんなが典型的な日本人でなければならないというルールがあったらどうでしょうか。同
じ考え方を持って、同じ宗教観を持って、同じ人権の上に立っている。善悪についての判断もだいたい同じ。そうい
う社会は、ある意味では理想だけれども窮屈で息苦しくもあります。
そうではなくて、大きな丸の中に、小さな丸もある。赤い丸もあれば青い丸もある。しかし、小さな丸は、境界線
がはっきりしていなくて、アメーバのようにやわらかくて、その間には他と行き来できるような真っ白い空間、いわ
ばフリースペースが残されている。そういう世界が理想ではないかと思うのです。みんないろいろな宗教を信じてい
て、恋愛観、男女観、人生観もいろいろだけれども、お互い尊重しながら違いを認めている世界です。
私だけではなく多くの人がこれを理想だと思うでしょう。電車の車両でいえば、喫煙と禁煙の間にカーテンは引か
れていない。引かれていないけれど、タバコを吸う人は、吸わない人に気をつける、吸わない人は吸う人にも自由を
与えるという世界です。
しかし現実問題、ある人の自由は別の人の束縛になります。大きな丸の中に、小さな丸がいろいろあって、小さい
丸に壁はないけれども、境界が点線になっていて風通しはいいという状態をどう実現させるかは非常に難しい問題で
す。
 
安泰寺の問題
 
安泰寺では私が住職になってから外国人がよく来るようになりました。かつては、日本人が二、三人しかおらず、
ほとんどを外国人が占めていたという時期もありました。ところが今は、日本人の方が多いのです。二〇一六年三月
現在、アメリカ人が一人、中国人が一人、私がドイツ人。外国人は三人しかいません。日本人は六人います。
外国人が減った理由の一つは、三年前から、安泰寺が受け入れのポリシーを変えたことです。三年前まではメルケ
ル首相のように、安泰寺も、「来るならどうぞ来てください」というポリシーでした。来る者拒まず、去る者追わ
さ む
ず。条件としては特に何もない。ただみんなと同じスケジュールで朝起きて、坐禅をして、食事をして、作務をす
る。同じ生活をみんなと一緒にするならば、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいいというポリシーでした。
ところがそれで一番大きな問題になったのは、長期滞在する人が少ないことでした。二、三泊しかしない人もいれ
ば、二、三週間いる人もいる。二、三ヶ月間いる人もいる。しかし一年を超える人はいませんでした。「いつ来ても
いいし、いつ帰ってもいい」とうポリシーだったので、どちらかというと、世界一周旅行の一コマとして立ち寄る人
が多かったのです。そういう人たちは安泰寺をゲストハウスのように利用して、長ければ半年ぐらい滞在していまし
た。
私が安泰寺の住職になって最初の三年は、冬は、私とあと一人しかいませんでした。しかもその一人は毎年違う人
でした。一年目は若い日本人、二年目は別の若い日本人、三年目はポーランド人。四年目はようやく何人かで冬を越
したのですが、やはり一年経つと、ほとんどの人が入れ替わってしまいました。夏になると、旅行者が一〇人以上来
るのですが、秋になって寒くなるといなくなるのです。
そうすると、春になって、畑を耕して種を植えて、田植えをする時期になったときに、私以外、誰も農作業のノウ
ハウを持っていないということになります。それでは毎年私がゼロから手取り足取り農作業を教えなくてはいけませ
ん。これは私にとっても、安泰寺にとっても、大きな問題でした。
 
言語は文化を強制する
 
もう一つの問題は、いつの間にか安泰寺の共通語が英語になっていたことです。せっかく安泰寺まで来て修行をす
るならば、外国人にはもっと積極的に日本語を覚えてほしいと思いました。
安泰寺の中では英語が通じたとしても、いざというときに困るという現実問題もあります。例えば怪我をして入院
したときに、病院の先生も看護師さんもなかなか英語を喋りませんから、通訳が必要になってきます。役場に外国人
登録をしに行っても英語が通じなくて困ることになるわけです。
ふ りゅうもん じ
いくら禅が不 立 文 字の宗教だと言っても、言葉はコミュニケーションの基本です。ペラペラの日本語は期待して
いませんが、最低限の日本語を覚えていないと、やはり共生することはできないのです。
英語が主流になると、英語のできない日本人は、日本人だけでグループを作ってしまいます。外国人は外国人だけ
でグループを作ってしまって、休憩時間も英語で喋っている。日本人は日本人だけであちらで固まって喋っている。
と、そのような状態になります。それでは困ります。
タバコの例で言えば、吸う人と吸わない人の間にカーテンが引かれて、行き来できなくなった状態が生まれていま
した。それは安泰寺ではちょっとまずい。だから安泰寺の場合は、タバコの例で言えば、「禁煙の人が多いならば全
部禁煙にしてしまおう」という方針に変えてしまったのです。
言語というものはそれ自体が、すでにある文化圏に属しているものですから、皆が同じ言葉を学び、同じ言葉でコ
ミュニケーションを取るということは、発言者全体に、あるコミュニケーションスタイルを強制することにもなりま
す。したがって、「安泰寺の共通語は英語」を公言してしまうと、それは「安泰寺における人間関係も、西洋的・ア
メリカ的人間関係である」ということとほぼ同意義になります。それもまずい。
 
安泰寺の共生ルール
 
ですから今から三年前に、三つのルールを作りました。
一つめは、来るなら最低三年間。半年では短すぎます。ましてや二、三週間では単なる経験で終わってしまいま
す。半年でも一年でも短い。一年経ってようやく安泰寺での生活の、全体のつながりや、農作業の全体が見えてきま
す。
二年経てば初めて人に教えることができるようになります。だから最低三年はいてもらわないと、次の人たち、後
輩たちへのバトンタッチができないのです。
これが一つめのルールです。来るなら旅行者としてではなく、お客さんではなく、ここの長期参禅者、修行者とし
て来てほしい。出家得度するかは別です。来るなら安泰寺の一員として最低三年間は実際に働いて、次の人にバトン
タッチできるようにしてもらうことにしました。
二つめは、最低限の日本語を勉強してくるということ。日本語能力試験には五段階のレベルがありますが、最低、
下から二番目程度のレベルを満たしなさいというルールを作りました。下から二番目のレベルは、そんなに難しくは
ありません。日本語を少しぐらいは喋れる、漢字の読み書きはできなくても、ひらがななら少しぐらいは読める、そ
の程度です。
最低限の日本語の挨拶などを勉強してこないと、初めからコミュニケーションが英語になってしまいます。そうす
ると、日本語を学習しないのです。半年経っても、一年経っても、三年経ってもずっと日本語が喋れません。その一
方で、日本人の英語がどんどん上達していきます。
最低限の日本語を学んでから来ると、少しずつでも新しい単語を覚えて、上達していくことができます。だからこ
れを二つめの条件としました。
三つめの条件は、年齢制限を設けたことです。一八歳から四〇歳までの人しか受け入れないことにしました。以前
は、親から無理やり修行してこいと言われた中学生の面倒をみたこともありました。六〇歳、七〇歳の人が来ていた
こともありました。
リタイアしてから仏教を学びたいという志を持っている人は多いですし、団塊世代がリタイアして暇を持て余して
いる時代なので、その人たちの気持ちもわかるのですが、安泰寺では対応するのが難しいのです。
安泰寺での自給自足の生活は、肉体労働がハードなので、六〇歳、七〇歳ではきついのです。私は今年で四八歳に
なりましたが、四八歳でもかなりきつい。一二月の半ばからお彼岸まではお寺が雪で閉ざされているので、いざとい
うときに病院にも行けません。ですからこの年齢制限を設けたのです。
 
修行者の増加
 
安泰寺は、一五年前はメルケル首相のように「どうぞ皆さんいらっしゃい」というスタンスだったのですが、近年
は、「ちょっと待てよ。来るなら条件がありますよ」ということにしたというわけです。
ありがたいことに、ルールを作り、ハードルを上げたことで、安泰寺に滞在する人は増えました。現時点で参禅者
は九人。春からはさらに七、八人、増える予定です。
安泰寺に滞在する人がなぜ増えたのか、その理由は簡単です。本気で修行をしたいと思っている人が、本気で修行
できるようになったからです。
本気で修行をしたい人が安泰寺に求めているのはゲストハウスではありません。「いつ来てもいい、いつ帰っても
いい」という時代も、私の気持ちとしては、本気でここで修行をしたいと思っている人に来てもらいたかったのです
が、本気の人がいざ来てみると、そこにはゲストハウスのような雰囲気ができあがっている。だから、真剣な人ほ
ど、すぐに帰ってしまっていたのです。
今はハードルが高くなったからこそ、「それなら行こう、それなら長くいよう」という人が増えています。
日本語を勉強してからこいと言っても、実際、なかなか喋れない人はいます。それでも、「英語は世界共通語なの
だから、英語で喋って当たり前」ではなくて、自分が日本語を学ばなければいけないという空気を作ったのはよかっ
たと思っています。
冬は毎日ダルマトーク(法話)があります。私が喋る場合もありますが、輪講制で、一人ひとり交代交代で、みん
なが発表します。
道元禅師の書物について学び、発表することが多いのですが、日本語がわからない人の場合は、どうしても英語の
テキストを使うことになります。そうすると、日本人までがその人に気をつかってしまいます。この日本で、原文が
日本語で書かれている道元禅師のテキストについて勉強しているわけですから、当然日本語でやればいいと思うので
すが、聞いている人の中に英語しか話さない人がいるからということで、みんな、ブロークンイングリッシュでやっ
てしまっていたのです。
しかし今年の冬は、全員が日本語で発表できるようになりました。アメリカ人もがんばってやっています。中国人
も片言の日本語で喋っています。みんなが日本語でできるようになって、ようやく修行道場らしい雰囲気ができてき
ました。
 
強いほうが勝つ
 
安泰寺では「欧米スタンダードでいくか、日本スタンダードでいくかを特に決めないで、その場その場で、フレキ
シブルにやろうじゃないか」としたこともありましたが、今までの経験からいうと、放っておくとどうしても欧米ス
タンダードになりやすい傾向がありました。
例えばコミュニケーションについて。同じ釜の飯を食べ、以心伝心でもなんでもいいから、参禅者どうしがきちん
とコミュニケーションをとり、切磋琢磨すること。これこそ多くの参禅者にとって、今の安泰寺では一番大きな公案
であり、一番大変な修行です。
欧米型のコミュニケーションは、「私」と「あなた」がそれぞれ山頂に立って遠いところから叫び合うようなも
の、あるいは、直球のキャッチボールのようなものです。一方で、日本人のコミュニケーションは自分の足元に深い
井戸を掘って、共有できる水脈を互いに探ろうとするやり方です。
山頂で叫び続けている欧米人の参禅者は「どうして日本人から返事が返ってこないのだろうか? おれが投げた
ボールはどこへ行ってしまったのか?」と不思議に思っている。一方、黙々と井戸を掘り続けている日本人は「どこ
まで深く掘れば、やつらに伝わるのだろうか……」とため息をついている。
この場合、日本人は外国人が「おーい」と叫んでいるのは聞こえますし、叫んでいる内容も理解できます。しかし
「押しが強いのはいいこと、主張が強いのはいいこと」と教育されている欧米人に、日本人の暗黙の了解は通じませ
ん。
ですからケースバイケースで、「欧米人にもときどきは空気を読んでもらおうじゃないか」、「日本人にもときど
きは直球を投げてもらおうじゃないか」と思っていると、結局は直球のキャッチボールに統一されていき、井戸掘り
の作業がなくなってしまうのです。
喫煙と禁煙、どちらでもいいことにすれば、結局みんながタバコの煙を避けられない状態になってしまうのと同じ
です。違う文化が共生すると、強いほうに弱いほうが負けてしまうのです。色の丸のたとえで言えば、赤も青も黄色
も負けてしまい、グレーの一人勝ちです。
これは理想の「インクルーシブなインテグレーション」ではなくて、グレー一色のインクルージョンです。完全に
灰色の社会です。でも本当は嫌だなと私は思います。多様性を保つためには、ある程度のセパレーションも必要だと
思うのです。
煙草を吸う人と吸わない人がそれぞれ、気持ちよく同じ電車に乗ってもらうためには、「禁煙車」と「喫煙車」を
ハッキリとセパレートすることが一番簡単です。「そんな差別なんかしないで、皆で仲良く乗ろうじゃないか」と
いっても、うまくいきません。「吸いたい人は勝手に吸えばいいし、吸いたくない人は勝手に吸わなければいい」と
いうのであれば、それでは従来の喫煙車と同じです。「それじゃ、禁煙者の迷惑を考えて、電車に乗っている間だけ
煙草を遠慮してもらおう」というのは、「全車禁煙」を意味します。かといって、「禁煙車」と「喫煙車」だけを分
けても、レストラン、トイレ、通路と様々な場所があり、そこを喫煙してよい場所にするか、禁煙にするか、という
問題が多々残ります。
 
壁はいらない
 
しかし、セパレーションが必要だと言っても、アメリカのトランプ氏が言っているような壁までは作ってほしくは
ありません。国と国の間にも、ましてや国の中にも壁はいりません。
アメリカではゲーテッドコミュニティ(Gated community)といって、お金持ちの住んでいる地域があります。そ
このマンションのまわりにはフェンスがあって、フェンスの前には警備員が立っています。部外者は自由に出入りで
きません。ドイツではこのような光景を見たことがありませんが、下手をしたらこれからできるかもしれません。
私たちが住んでいる社会は電車と違い、終点に辿り着くまで同じ車両で過ごせるわけではありません。家庭で過ご
す時間、学校で学ぶ時間、友だちと遊ぶ時間、会社で働く時間、通勤している時間、買いものをしている時間、それ
ぞれの時間と空間に創造される「プチ社会」がそれぞれ絡み合いながら存在しています。だから、完全にセパレート
もできなければインクルージョンもできないのです。
多様性をセパレートによってある程度守っていながら、きちっとしたルールと寛容性の両方を持つ、インクルーシ
ブな社会を作ること。これは難しいことですが、そういう配慮がこれからの多文化共生には必要になってくると思い
ます。
 
師匠の教え
 
安泰寺という「プチ社会」では、私や参禅者はどのように共生しているでしょうか。共生すべきでしょうか。
私が師匠から学んだもっとも大事な教訓は「安泰寺をおまえが創る」と「おまえなんかどうでもいい」の二つで
す。安泰寺という「プチ社会」には各々が責任を持って関わらなければいけません。関わらなくてもよいと言う人
は、ここに一人もいないというのが、「安泰寺をおまえが創る」という言葉の意味です。
ところが、一〇人が一〇人でばらばらに、それぞれの個人的な安泰寺を創り上げてもらっても困ります。一〇人が
一〇人で力を合わせて、一つの安泰寺を創るためには、各々が「自分を忘れる」こともできなければだめなのです。
これは社会全体についても言えることだと思います。大人なら誰でも積極的に「社会創り」に関わっていなければ
なりません。なぜなら、「自分の社会」だからです。ところが、そのためには自己主張ばかりではだめで、むしろ自
分を抜きにして、関わらなければなりません。
多文化共生を考えた場合も、共生すべきそれぞれの文化の社会人は、一つの社会を創り上げるために、それぞれの
文化から得たものを活用しながら、それぞれ自分の文化を手放し、忘れることもできなければなりません。
そこで生まれてくる新しい社会と文化は、願わくは一つの「グレー色」の、グローバル一色のものではなく、それ
ぞれの文化の色合いを残していながら、それをすべて抱擁できる、普遍的かつ寛容な母胎です。
 
共生の覚悟
 
ドイツの移民の話に戻ると、メルケル首相の志を私はすばらしいと思いますが、それに疑問を持つ人の気持ちもよ
くわかります。
これから日本でも問題になってくるかもしれない移民問題に対して、私もどう考えればよいのかわかりません。自
分の中でも葛藤のようなものがあります。
自分の国では食べものもない、住むスペースもなくて、死ぬかもしれない人に向かって、「日本には食べるものが
ある。日本だったら空き家がたくさんあって住むスペースもたくさんある。だからいくらでも来てください」と言い
たい気持ちはあります。なぜなら、自国では殺されるかもしれない人たちに対して「ここは日本ですから、ここはド
イツですから来ないでください」とは言えないと思うからです。
しかし「どうぞ来てください」と言うと別の問題が起きます。ですから、来る側にも覚悟がないといけないと思う
のです。
それはどういう覚悟か。安泰寺で言えば、ここに来たならば、ここに骨を埋めるとまでは言わないけれども、日本
語も覚えて、お寺の一員としてきちんと修行するという覚悟です。
移民であれば、その国に移住したいという以上、その国の文化について学び、その社会に適応しようという覚悟に
なるでしょうか。自分の宗教を捨ててまで、ということはないでしょうが、相手にも異なる宗教観があることを認め
る必要はあります。
こうすればうまくいきますよ、という結論は私にはありません。ただ、安泰寺の流れとしては、「ルールはありま
わ き あいあい
せん。仲良く和気 藹 々 とやりましょう」というゲストハウスの雰囲気から、少しルールがある方に流れを変えたこと
で、うまくいき始めているところです。
今の安泰寺はいわば禁煙車です。喫煙者から「おれたちにも少し配慮してくれ!」と言われたときに、どう対応す
るか。今の安泰寺に生じている様々な現実問題の多くは、これに類しています。自分たちで学び、考え、アイデアを
出していきたいと思います。
 
 
 

1 参考URL

  http://www.faz.net/aktuell/politik/fluechtlingskrise/fluechtlinge-erhoehen-zahl-der-zuwanderer-in-deutschland-2015-14137465.html

  http://www.sz-online.de/nachrichten/fluechtlinge-bescheren-deutschland-einen-zuwanderungsrekord-3353090.html

  http://www.welt.de/newsticker/news1/article153521079/Statistikamt-registriert-fuer-2015-zwei-Millionen-Zuwanderer.html

2 ミナレット モスクに付随する塔

3 アザーン 礼拝への呼び掛け
第2章  性格の違いと人間関係
顔に出さない日本人
 
 
怒らない日本人が『怒らないこと』に金を出す
 
日本に来て驚き、疑問に思ったのは、アルボムッレ・スマナサーラ長老の『怒らないこと』(サンガ)が、なぜあ
んなにバカ売れしたのかということです。
怒っている日本人はどこにもいません。私は怒っている日本人を見たことがなかったのです。
ドイツ人はしょっちゅう怒っています。自分が応援しているサッカーチームが負けたからといって、試合のあと
で、負けたほうのファンが、勝った方のファンと殴り合いをする。鬱憤を晴らすために電車を壊したり、ビール瓶を
赤の他人の家の窓に投げたりする。平和のためのデモでも警察と殴り合う。別に殴り合わなくてもいいと思うが、殴
り合う。
要するに、表向きには、ドイツ人はいつも怒っているように見えて、日本人は誰も怒っていないように見えるので
す。だからあんなに落ち着いている日本人が、なんで『怒らないこと』という本に金を出すのか、本当にわかりませ
んでした。
 
中身もそうとは限らない
 
日本人はいつも平和そうです。しかし平和そうに見えるからこそ、逆に内心では怒っているのだとのちにわかりま
した。外国人が日本に来ると、日本人はいつも微笑んでいるという印象を受けます。だから日本人は明るくて、いつ
も楽しいのかと思ってしまいます。外国人にはそう見えるのです。けれども、本当は困っているから笑っていると
か、英語が通じないから笑っているとか、日本人にもいろいろ事情がありました。
要するにそう見えるから中身もそうだとは限らないのです。日本人はストレスを感じていないのではなく、本当は
ストレスがあるのだけれど、それを感じさせないようにいつも抑えているのです。
むっとしていても、顔に出しません。むっとしていても、「お元気ですか?」と聞かれたら、「はい、元気です」
と答えます。「怒っているようだけど、どうしたんだ?」と聞いても、「いや、別に怒ってないよ」と言葉に表しま
せん。
ドイツ人であれば、本当に怒っているのであれば、「こういう理由があって、むっとしているんだ」と答えます。
ドイツ人は感情を表現していいということになっています。ですからむっとしていれば、むっとしている顔をしま
す。疲れたら顔に出しますし、怒っているときも顔に出します。
 
遅刻の言い訳
 
遅刻したときに日本では「すみません、申し訳ありません」とまず謝らなければなりませんが、ドイツでは遅刻し
た理由を説明します。相手も「謝るぐらいなら、まず理由を説明してほしい」と思っています。謝ることは必ずしも
いいことではないと考えられているからです。
電車が遅れて遅刻したのならば、ドイツ人は自分が悪いとは思いません。「自分はいつも通りの時間に家を出た。
ちゃんと電車が動けば間に合ったのだから自分は悪くない」。日本人だって、こういう状況であれば自分が悪いとは
思わないでしょう。でも日本では「すみません」と謝らなければいけません。
しかしドイツで「すみません、申し訳ありません」と言えば、「おまえはなんで謝っているんだ!」ということに
なります。本当は悪いと思っていないのに、悪かったと言うことは、逆に人間としては、信頼できないやつだと判断
されてしまうのです。
むしろ「こういう理由でこうなってしまった。結果的にあなたに迷惑をかけることになってしまったけれども、自
分のせいではないんだ。おれだって迷惑がかかったんだ!」と言ったほうがいいのです。
日本人から見れば、「遅刻した上、言い訳までするなんてなんてやつだ。とにかく頭を下げて謝れば済む話なの
に」と思うでしょう。
しかしこの場合、どちらのほうがストレスがたまるでしょうか。悪いと思っていないのに謝らなければいけない日
本人のほうが、どちらかというとストレスがたまるのではないかと思います。
 
「お元気ですか?」「いや、最低です」
 
私の妻は日本人なのですが、昔、『三時間で覚えるドイツ語』というようなテープかCDを持っていました。普通
の外国人が初めてドイツ語を覚えるときに使うような教材です。
その教材では、「お元気ですか?(Wie geht es Ihnen?)」というフレーズに対して、いくつかの答えがありまし
た。「ありがとう、元気です(Danke, gut.)」「まあまあです(Es geht so.)」それから、「いや、最低です
(Miserabel.)」という言葉が出てくるわけです。それが、普通の外国人がドイツ語を学ぶ教材に出てくるのです。
確かにドイツではそう答える場合があります。本当に今日は最低だと思えば、「お元気ですか?」と聞かれて、
「いや、今日は最低です。あまり元気じゃない」と言います。
自分の気持ちをストレートに表現するから、ドイツ人はストレスがたまりません。人の裏を読む必要もありませ
ん。だから人とのコミュニケーションも全然疲れません。疲れる人も一部にはいるかもしれませんが、日本人ほどは
疲れないのです。
 
嘘をつくメリット
 
でも、元気じゃなくても「元気です」と言ったほうが、うまくいく場合だってあると思います。元気じゃないとき
に「元気?」と聞かれて、「いや、最低だよ」と言うと、相手まで元気がなくなってしまうからです。
人は楽しいから笑うのではなくて、笑うから楽しい、悲しいから泣くのではなくて、泣くから悲しい、とも言いま
す。だから「元気かい?」と聞かれて「元気です」と言うと、元気が出る場合だってあるのです。そこで「最低で
す」と言うと、さらに落ち込むことにもなります。
ですから、日本人のように自分の気持ちを抑えるのもいいことだと思います。自分の本心を隠して、自分の気持ち
じゃないことを出すことによって、本心が変わることだってあるからです。
 
怒りを小出しにする
 
しかしあまりそれをやりすぎると、ストレスがたまって自分を殺してしまうこともあるでしょう。怒りはときどき
出すのがよいのではないかと思います。
ドイツ人はまるで蓋のない鍋です。すぐに湯気が立つ。そうではなくて、圧力鍋のように、ある程度ためておい
て、シュッシュッと怒りを小出しに表すと、全体的にうまくいくのではないかと思います。
圧力鍋の安全弁が壊れていて、いつまでも怒りをためておくと、いつか爆発してしまいます。日本人がキレるのは
そういうことでしょう。日本では「あれだけおとなしい人がなぜ急に」ということがよくありますが、ドイツ人はす
ぐ怒るから、日本人みたいに、急にキレて驚くということはありません。ドイツ人の場合はキレっぱなしです。
日本人はキレる前にシュッシュッと自分の本当の気持ちを表すことが大事ではないでしょうか。
 
嘘も方便
 
仏教では「嘘をついてはいけない」という戒律がありますから、「元気がないのに元気だというのは嘘だ、やって
はいけない」ということになりますが、先ほど述べたように、嘘が本当になる場合もあります。元気じゃないけど
「元気だ!」と言った瞬間に元気が出るならば、これはもう嘘ではありません。
ましてや大乗仏教で考えたならば、相手のためを思ってついた嘘ならば方便になり得ます。だからそれが必ずしも
悪いわけではないと思うのです。
元気についてはかわいいものですが、お医者さんが患者さんを診て、「この人はあと三ヶ月で死んでしまうかもし
れない」と診断したときに、これを告知したほうがいいのか、しないほうがいいのかはよく問題になることです。
「言わないと嘘になるけれども、言うと患者さんは余計に落ち込んでしまうのではないか。そうすると、せっかく
さい ご
の 最 期の三ヶ月間が、ものすごく暗い三ヶ月になってしまうのではないか」とお医者さんは思います。「きみは三ヶ
月経ったら死ぬんだ」と言う言葉を聞けば、そのショックで次の日に死んでしまうかもしれません。だから、嘘でも
「きみは一〇〇歳まで生きるんだよ」と言ったほうが相手のためになるんじゃないかと悩むのです。「きみは一〇〇
歳まで生きるんだよ」と言われて、余命が三ヶ月から一年まで延びることもあるでしょう。
実際に医学はまだそれほど発達していないのですから、「平均すれば三ヶ月までしか寿命がない」という症状で
あっても、実際のところ、三年、五年生きる可能性もあります。逆に三ヶ月は命があると思っていたのに、一週間も
持たない場合だってあるのが現実です。
 
嘘もまことも人それぞれ
 
恋人どうしならば、恋人には自分を一〇〇パーセント理解してほしいし、相手のことも理解したいでしょう。だか
ら恋人から「元気か」と聞かれたら、「今日はいまいち。頭にこういうことが引っかかっているんだ」と、自分も言
いたいし、恋人がその状況なら、恋人もガードを外してそのように言ってほしいと思います。
しかし、他人だったらそこまで正直にならなくてもいいんじゃないかと思います。むしろ日本人のように、本当は
最低な気分だけど「元気です」と言ったほうがいいかもしれません。相手は自分の「最低だ」という本心なんか聞き
たくないでしょうし、そこまで打ち明ける必要もないから、嘘でもいいから元気だと言ったほうがよいのではないか
とも思います。
正直に言われたいかどうかは人それぞれです。嘘をつかれて嬉しい人もいれば正直に言ってほしい人もいます。場
合によっては嘘をついたほうがいいということもあるでしょうし、相手との関係性にもよります。
先ほどのお医者さんと患者さんの場合でも、お医者さんと患者さんの間にどれだけの信頼関係があって、わかり
あっているかにもよって、告知するかしないかは変わるでしょう。仏教的に考えた場合でも、そう結論づけてよいの
ではないかと思います。
 
ドイツ人の嘘
 
ちなみにドイツ人がまったく嘘をつかないかというと、当たり前ですが、そんなことはありません。
ドイツ人はみんなが赤だと言ったら、「おれは青だ」と言い、みんなが右だと言ったら「おれは左だ」と言いま
す。みんながAランチをとったら、「おれはBランチだ!」と主張します。要するに日本人とは真逆の行動をとるの
です。それを日本人が見たら「ドイツ人って、すごい信念を持っているんだなー」と感じるかもしれません。
でも実際はそうではないのです。ドイツ人だって、本当はAランチでもBランチでもよかったのですが、意地でB
ランチにしただけなのです。日本人からドイツ人を見ると、自信満々に見えるかもしれませんが、自信がないからこ
そ、自信があるような態度を取っているのです。
ドイツ人は自分の頭で考える能力を持たなければならないと小さいころから教育されます。もし自分の考えがなけ
れば、嘘でもいいから、「おれは絶対こう思う。譲らないぞ!」と自信がある姿を演じなければいけません。
ドイツでは主体性があって、私というものがあって、自分の意見があって、主張がないと、同じ人間の仲間として
認められないから、無理にでも、ときには自分の意見がなくても、「これはこうだ! おれはおまえらとは反対のこ
とを思っているんだ!」などと主張しなければならないのです。
本当はみんなと同じことを思っていたとしても、無理にでも「いや、私は違うぞ!」と言わないと、相手にされな
い側面があるのです。そういう文化なのです。
ただ本当はドイツ人だって、自信があるかどうかはわかりません。「本当に自信があるのか」と本人に聞くと、
「いや、本当は全然自分に自信がないんだ」と言います。演じているところがあるからです。
『怒らないこと』を読んでいる日本人が、全然怒っていないように見えるのと同じことなのです。つまり「猫を
被っている」わけですね。ドイツ語にも「羊の皮を被ったオオカミ」という表現がありますが、実際のドイツ人はむ
しろオオカミのふりをしている子羊が多い。見た目はマッチョマンでも、ガラスの心を持っていたりします。日本人
の皆さん、優しくしてくださいね。
 
 
 

ドイツ人に義理人情やしがらみはあるか?
 
 
絆はどこからしがらみになるか
 
日本人が大切にしているつながりや絆は、どこからしがらみ、束縛になっているでしょうか。
みんなが縁起でつながっている、みんなが同じ空気を吸って同じ命を生きている。仏教的に見て、それは正しいこ
とですが、日本ではそれが悪用されているのではないかと思うことがあります。日本人は、義理、絆を逆手に使っ
て、人を操っている。要するに人間に紐がついているように思うのです。仏教ではそもそも「絆」という字は束縛と
して解釈されており、否定される節があります。
 
計算する日本人
 
皆さんご存知の「お布施」という行為があります。仏教の考え方では、お布施は喜捨です。喜んで捨てるもの、と
いう意味です(厳密に言えば、喜と捨は別々の意味がありますが)。
喜捨というのは喜んで捨てるものですから、手放して、見返りを期待しないのが本当のお布施の精神ですが、日本
では戒名料のように、料金として解釈される場合もあれば、「これだけお布施をしたんだから、これくらいの見返り
があるだろう」と、お布施する側が思う場合もあります。喜捨なのに計算がある。紐がついているのです。
昔は選挙の前にお金を配ったり、お酒の一升瓶を配ったりして、「あの人からもらっちゃったから、票を入れない
わけにはいかない。本当はこの人の政策に賛成しているわけではないけど、いつもお世話になっているから」とい
う、義理、しがらみもあったようです。裏があって紐がついている一升瓶ですから、これはよいこととは言えないで
しょう。
では夏のお中元やお歳暮はどうでしょうか。クリスマスプレゼントほどではないにしろ、いつもお世話になってい
る人に対する純粋な感謝の気持ちが、ちょっとはあると思います。
でもまったく計算抜きで贈るわけでもないでしょう。「あの人はいつも三〇〇〇円ぐらいのものをくれるから、こ
ちらも三〇〇〇円ぐらいのものを贈らなければいけない」とか、お葬式のときも、「おばあちゃんが亡くなったとき
はこれくらいもらったから、これくらいは返さなくちゃいけない」とか。そういう頭が働きます。
 
義理人情のないドイツ人
 
こういった義理人情的な考え方は、ドイツにはあまりありません。「それはそれ、これはこれ」、「こうすべきだ
と思ったときは、そうすべきだ」というのが、ドイツ人のポリシーです。「お世話になっている、お世話になってい
ない」ということは関係ないのです。
例えば今、メルケル陣営はシリア人の難民を受け入れていますが、それは「今までシリアに大変なお世話になった
から」というわけではなくて、「困っている人を助けるべきだ」という考え方があるからです。
すべきことはすべき、やってはいけないことはやってはいけない。たとえ今までお世話になった人から頼まれたと
しても、悪いことであれば、はっきりと「今まではお世話になったけれども、これはできない」と言います。
 
イラク戦争に反対したドイツ、賛成した日本
 
イラク戦争のとき、日本は戦争に賛成しましたが、ドイツやフランスは反対しました。ドイツやフランスも、もち
ろんNATOの中でアメリカと同盟はありますが、いくら同盟国だからといって、アメリカが行う悪いことに、私た
ちは参加しないと決定したのです。
日本の政治家の中にも、「このイラク戦争には大義がない」と言っていた人はいました。しかし、「これが本当は
正しくないとわかっているけれども、いつもアメリカにはお世話になっているし、これからもお世話になることがあ
るだろうから、少々悪いことであっても手伝おう」というのが大方の日本人の考え方です。
欧米人から見ると、これはちょっと気持ち悪いことです。
 
一方的に助け、助けられる欧米社会
 
「ベン・フランクリンの効果(Ben Franklin effect)」という法則があります。「一〇〇ドル貸してもらいたいとき
に、誰に頼むのが最善か」、という問題を解くための法則です。
借りる候補はAさんとBさんの二人。Aさんには昨年、自分が一〇〇ドルを貸した。しかしまだ返してもらってい
ない。そのAさんに、「一〇〇ドルが必要になったから、返して欲しい」と頼むべきか。
それともBさんに借りるべきか。Bさんには昨年、自分が一〇〇ドル借りている。しかも自分はまだその一〇〇ド
ルを返していない。そのBさんに「悪いけれども、もう一〇〇ドル貸してくれないか」と頼むべきか。
ベン・フランクリンは「Bさんに借りなさい、同じ人にもう一度借りるのが正解だ」と言います。自分が貸した一
〇〇ドルを返してくれない人が、自分に貸すはずはないと言うのです。日本人なら、そう思わないでしょう。大多数
は「まだ借りがある」というAさんに一〇〇ドルを返してもらおうと思うのではないでしょうか。
つまり、これはある意味では、日本人なら当然だと思う「前回助けてもらったから、今度は自分が助けよう」、あ
るいは「以前は自分が助けたのだから、今度は助けてもらえるはず」、という考え方とは真逆です。「助ける人は、
一方的に助けるでしょう」、ということなのです。
欧米に行くと、実際にそういう人はたくさんいます。ボランティアが好きで好きで、別に返してもらおうという思
いはまったくなくて、とにかく奉仕をするのが好きな人。そういう人は、一方的に奉仕し、与えることに、何の疑問
も持っていません。奉仕作業をすること自体が喜びなのです。
逆にもらう人は、もらうことにまったく疑問を持っていません。生活保護で生活しているドイツ人はたぶん日本よ
りもずっと多いと思いますが、それについて疑問を持っていない人がほとんどです。「自分は収入がないから社会か
ら生活保護を受けたって当たり前じゃないか」という考えです。
ホームレスも堂々としています。インドでもそうですが、欧米でも、ホームレスは「おれは食うものがないから食
べものをくれ、金をくれ」と堂々とやっています。
与える人は、与えっぱなしで疑問を持っていない。もらう人はもらいっぱなしで疑問に思わない。だからベン・フ
ランクリンは、「お金が必要なら、以前もらった人からさらにもらいなさい」と言うわけです。
日本はひょっとしてそうではないと思います。生活保護を受けている人もいますが、どちらかというと遠慮がちで
「できればもらいたくない、人の世話になりたくない」と思っている人が多いのではないかと思います。
 
ヒッチハイクにも気をつかう日本人
 
ヒッチハイクをする人も日本ではあまりいません。日本人はヒッチハイクをすると、相手に悪いと思うし自分も気
をつかう。だから、電車で行くお金があれば、普通は電車で行きます。
しかしドイツ人にとってヒッチハイクはごく普通のことです。私は留学生時代、京都から安泰寺の接心※1に行くと
きは、いつもヒッチハイクで行っていました。もう二五年前のことですから、外国人自体が珍しかったのか、指を出
せばすぐに乗せてもらえました。乗せてくれた人は、本当は安泰寺のずっと手前の福知山までしか行かないのに、厚
意で安泰寺まで送ってくれたこともありました。食事をおごってくれたこともありました。
私が「食事をおごってくれ」とか「安泰寺まで送ってくれ」と頼んだわけではないのですから、私は「ああ、あり
がとう」と自然に受け取ります。ドイツ人は遠慮という言葉を知りません。向こうが勝手にやってくれることだか
ら、と受けとります。
でも日本人だったら遠慮するでしょう。あまりやり慣れないヒッチハイクを、万が一やった場合であっても、食事
をする場面になれば、「ガソリン代の代わりに自分が食事代を出そうか」などと空気を読んで、気をつかってしまう
のではないでしょうか。「安泰寺の前まで送ろう」と言われたら、「いやいや、そこまでは申し訳ないです」と遠慮
するのではないでしょうか。
ドイツ人は遠慮しません。逆に拾う人も「おれはそこまでしか行かないから」と、そこで降ろします。「そこから
先は自分で行きなさい」「腹が減ったら自分で買いなさい」と、あっさりしています。
そこがドイツ人と日本人の大きな違いです。ドイツ人も人助けはしますが、感覚が違うのです。「いつもお世話に
なっているとか、つながっている命だから助ける」という感覚ではなく、「自分が助けたい」とか、「どうせ同じ方
向に行くのだから、一緒に乗っていけば、喋り相手にもなるし、乗せてやろう」という感覚で助けます。
だけれども何の見返りも期待しないし、自分がやりたい以上のこともしません。もらっている方も、もらうことに
気をつかいません。「あのときお世話になったからお返ししなくちゃいけない」、「この前あの人が海外旅行に行っ
たときにお土産をくれたから、今度はお土産を渡さなきゃいけない」という気づかい、面倒くささはドイツ人には
まったくありません。
もらったらもらいっぱなし。あげたらあげっぱなしです。それについて何の疑問も持っていないのです。義理人情
という概念はドイツ人にはありません。
 
縛られている日本人
 
日本人は会社でも自分の役割、肩書きという紐に縛られていると感じます。「おれはこの部で、この役職だから、
別の部の仕事に口は出さないし、出せない」と思っています。ドイツでは、そんな紐には縛られません。役職はある
けれども、自由に動けるスペースが広い。だから部署に関係なく自由に言い合うことができます。
日本の場合はむしろ自分の居場所が決まっていて、上もいて下もいて横も決まっているほうが、安心します。自分
の持ち場がどこからどこまでかきちんと決まっているほうが、空気も読みやすいし、居心地がいいのです。
 
言葉にも表れる人間関係
 
これは言葉にも表れています。ドイツ人が日本の会社に新入社員で入ったとしたら、おそらく、「なんでこの上司
に丁寧な言葉を話さなければいけないんだ! 上司は自分に対してフランクに喋っているのに、平等ではないとは
いったいどういうことだ!」と腹を立てると思います。
ドイツ語にもカジュアルな言葉と丁寧語がありますが、カジュアルな意味の「あなた」を表す「Du」を使うなら、
双方が「Du」を使います。丁寧な意味の「あなた」を表す「Sie」を使うならどちらも「Sie」を使います。大人どう
しで、片方が「Du」を使って、片方が「Sie」を使うということは絶対にありません。ボスに対して従業員のほうは
「Sie」で、ボスは従業員に対して「Du」ということはあり得ないのです。
日本だったら当たり前のように、下の人は上の人に対して丁寧語を使って、上の人は下の人に対してフランクな言
葉を使います。それはドイツ人の感覚からすると「みんな平等なはずなのに、なぜ本来望むべきではない上下関係が
あるのだろうか」と理解できないのです。
ドイツ語の言葉遣いで上下関係があるのは、学校の先生と生徒だけです。先生は生徒を「Du」で呼び、生徒は
「Sie」で答える。これが唯一の例外です。家庭ではお母さんと子ども、お父さんと子どもは「Du」どうしです。家
庭では「Du」、他人になると「Sie」。そして親しくなるにつれて、ある日から「じゃあ、Duにしましょう」と同意
の上で、お互いに「Du」を使うことになるのです。
 
おれはキャプテン
 
縦のつながりを大事にするということは、組織が硬直するということにもつながります。
キャプテンが指示を出せばそれに従って動くけれども、各々が「おれがキャプテンだ」という気持ちがないのは日
本人です。例えば、戦争のときに、日本のある部隊のリーダーが戦死してしまったら、残りの部員は、統一できずば
らばらになってしまいます。
けれどもドイツの場合、一応キャプテンは決まっているけれども、キャプテンではない者も、みんな普段から「お
れはキャプテンだ」という気持ちでやっています。だから、同じ状態がドイツの部隊で起こったら、話し合ってすぐ
に次のリーダーが決まります。それはみんなが今までも「おれはリーダー」という気持ちだったからです。さっと空
いたスペースを埋めることができるのです。
そもそもリーダーと言っても、日本に比べてドイツではそれほど存在感はありません。みんなよりちょっとだけ上
の存在ではありますが、基本的にはだいたいみんな平等という横のつながりの意識で動いています。
日本ではリーダーの存在が大きくて、みんながリーダーと縦の関係で紐づいているわけですから、いなくなってし
まうと、残りの者がばらばらになってしまうのです。
 
縦の関係が落ち着く日本人
 
日本人からすると、全員が横一列の関係というのは、ドライすぎて逆に落ち着きません。縦の関係も加わることに
よって安心が得られるのです。
日本の会社では強い上下関係があり、欧米人の目から見れば上の人は下の人を奴隷のように使っているという一面
がありますが、実は親が子を守るように、ボスは部下に対して、責任を感じている場合が多いと感じます。
部下のほうも、子どもが親を敬い、弟が兄を立てるように、上司を敬っています。その分、困ったときには助けて
もらうという関係ができています。同僚はみんな兄弟のようにつながっています。
よく言えば、日本人は会社の中にいれば、相手を他人だと思っていないのです。大きな家族だと思っています。
その感覚はドイツ人にはありません。みんなが平等でフレンドリーで握手を交わしますが、ゴマすりをするような
極端な気のつかいかたもしなければ、守り、守られている感覚もありません。ある程度は気をつかいますが、日本人
から見れば概して冷たいように映るかもしれません。
 
宅配便をお隣さんに配達する
 
日本では、いろんな見えない紐が張られていますし、縦の関係もあります。細かい空気の流れも読まなければいけ
ません。相手の気持ちも複雑に読み取らなければなりません。「そう言っているけれども、本当はこうじゃないか」
とか、「心の中はでは、どう思っているのかしら」とか、複雑なのです。
ドイツに住んだことのある日本人に、「ドイツでは宅配便を隣の家の人に配達されたことがあった。ドイツでは隣
の家も、自分の家という感覚があるのか?」と尋ねられたことがあります。
この深読みこそが、日本的な思考です。
むしろ日本のほうが「向こう三軒両隣」で、みんなが紐でつながっている感覚があると思います。江戸時代には五
家族で一組という、五人組の制度がありました。今は制度としてはありませんが、慣習としては残っていて、組でゴ
ミ当番をまわしたり、運動会で一つのチームを結成したりしています。ですから、日本のほうが「うちも隣も同じ
家」という感覚は強いのではないかと思います。
ドイツの郵便屋さんが宅配便を隣の家の人に配達するのは、ただ、「二度も三度も行くのが面倒くさいから、隣の
人に頼んでみよう」と思っただけのことです。隣の人もピンポンされたらしょうがないから、それを受け取る。別に
隣の人に渡すことは手間ではないから、隣の人が帰ってきたら渡しに行きます。
頼まれたお隣さんだって、別に断ったっていいのです。「隣の人のことは知らないし受け取れない」、と言えば郵
便屋さんも「ああ、そうか」と思うだけ、また別の隣の人をピンポンするでしょう。断れば郵便屋さんがショックを
受けるのではないかなどと気にする必要はありません。郵便屋さんはどうとも思っていないのです。深く考えていま
せん。
日本人はそうはいきません。お隣さんの荷物の受け取りをお願いされたら、「ひょっとしてうちと隣を同じ家とみ
なしているのではないか?」と、深読みするのです。
 
ウエットな日本人、裏のないドイツ人
 
ドイツではそんな難しい深読み、気持ちの絡み合いはありません。ですから他人ともすぐにオープンになれます。
オープンだから気をつかっているというわけではないのです。たいして気はつかっていませんし、空気も読んでいま
せん。言いたいことは言うし、相手の話も聞く。終わりなら終わり。普通にしているだけです。
複雑なコミュニケーションゲームもありません。「笑顔で明るそうに振る舞っているけれど、本当は寂しいのでは
ないだろうか?」などと、いちいち裏を読むようなことはしません。
日本ではコミュニケーションするときに、いろいろ気をつかわなければなりません。だから電車の中でぐっすり居
眠りしている人が多いのではないでしょうか。電車の中ぐらいはウエットなコミニケーションをちょっと休憩した
い。電車の中でもコミュニケーションをとることになったら、疲れる。会社でも空気を読まなくちゃいけないし、お
客さんと接しているときも気をつかわなきゃいけない。だから電車の中ぐらいは、気をつかいたくなくて居眠りして
いるのではないかと思います。
 
ドイツ人も空気を読む
 
私があるとき講演会で、「日本人は空気を読むけれども、ドイツ人にはそういう文化はありません」と言ったとき
に、日本人の聴衆から反論が出ました。「ドイツはサッカーが強い。空気が読めなかったら、サッカーで勝つのは無
理ではないか」と言われたのです。
確かにそうです。ドイツ人だって、空気を全然読まないわけではありません。しかし、空気の濃さが違います。よ
く言えば、ドイツでは風通しがいいのです。サッカーチームも風通しがいい。
日本は悪く言えば、空気が重い。日本の空気は、空気というよりもどろどろとした液体のようです。下手をすると
身動きがとれません。日本人は空気を読んでいるけれども、いろんなことにとらわれすぎています。それが束縛にも
なっています。
ドイツには複数のパイプの絡み合いはありません。ドイツ人は自由に動きたいと思う人種です。動き回れるスペー
スがあります。空気はその場を自由に流れています。
日本人はあれほど気をつかい、団体を大事にするのに、不思議なほどチームスポーツが強くありません。マラソン
とか水泳とか、一人でできるスポーツは強いのです。野球は強いけれども、それはピッチャーとバッターの一対一の
戦いだからかもしれません。マウンド上にいるチームと、ベンチに坐っているチームのそれぞれの役割がはっきりと
しています。
バレーのようにネットがあって内と外がはっきり分けられているものはまだしも、サッカーのように、敵と味方が
絡み合って、どこが内でどこが外かわからないスポーツは弱いのです。弱いのは今言ったような原因があるからと思
います。
ドイツのサッカーチームでは、フォワードでもディフェンスをする場合がありますし、ノイヤーというゴールキー
パーは一番前まで行ってシュートすることだってあります。みんなが自由自在に動いているのです。
日本だったら、ディフェンスはディフェンスと決まっています。それを超えて動くと、「おまえはフォワードじゃ
ないのに、なぜシュートするんだ」ということになる。フォワードは逆に、「おれの役割はシュートすることだ。な
ぜおれがディフェンスしなくちゃいけないんだ」と思っている。
日本人はドイツ人のようにフレキシブルになれないし、フレキシブルになることがいいとも思っていないのです。
 
気候と似ている人間関係
 
日本人は四季の移り変わりを大事にしますが、ドイツにだって四季はあります。しかし、ドイツ人は日本人ほど四
季を気にしていません。
なぜ気にしないか。私は、その理由の一つは湿気がないからだと思います。ドイツの冬は寒いのですが、湿気がな
いからそんなに寒くは感じません。夏はそもそも日本より涼しいのですが、たまにある暑い日にしたって、カラッと
しているからそんなに暑くはありません。だから、春になって夏になっても、あまり気づきません。梅雨もないので
季節が身にしみてこないのです。
人間関係も気候と同じではないかと思います。ドイツのカラッとした空気と、日本の梅雨のような、濃いという
か、ウエッティーというか、そういう空気とでは、同じ空気を読むにしても読み方が違うように感じます。
ドイツ人だって、人にまったく気をつかうことがないというと嘘になります。ドイツ人も相手のことを考えること
はありますが、日本人よりも、もっとカラッとしているのです。
 
相互に助け、助けられる日本人
 
しかし、パイプが絡み合っていてウエッティーである日本が全面的に悪いのかというと、そうではないと思いま
す。日本人がしがらみや義理人情で「あのときに助けてもらったから、今回はこちらが助けなければいけない」と思
うのは、非常に大事なことでもあると思います。
田舎の村では、まだこのような習慣が残っているところもあると思います。村の誰かが亡くなったら、みんなが助
け合って料理をしたり、葬儀の準備をしたりして助け合う。いつ誰が誰に、どんな形で助けられたかは覚えていない
けれども、同じ村の者なんだから助け合うのは当たり前、そういった文化が、日本にはあります。
「日ごろから他人にお世話になって生きているのだ。気づいていなくても、本当はお世話になっているはずなの
だ。自分はそれを忘れているだけだから、とにかく他人に対してできるだけのことをしようじゃないか」という姿勢
は、ドイツ人が見習うべき文化でもあると思います。
 
ウエットな空気が好きな私
 
多くのドイツ人は日本に来ると「今までは自由に飛べたのに、急に鳥が水の中に入って飛べなくなってしまった」
と感じます。
しかし逆に、日本人がドイツに来てほっとする場合もあります。「今まではしがらみに縛られて身動きが取れな
かったけれども、こんな自由な広い空があったのか!」と感動するのです。空気を読む必要がない開放感を感じるの
です。日本人で日本に帰らなくなった人を、実際、私はけっこう知っています。人それぞれだと思います。
私は個人的に、この日本的な、義理人情で気をつかい合う人間関係がけっこう好きです。日本に来てこの日本的な
人間関係を苦に思ったことはありません。むしろドイツに帰ると何かが足りない、と思ってしまいます。
それは空気で言えば湿気のようなものが足りないのです。すぐに誰とでもフレンドリーな会話が始まりますが、日
本のようなウエットな空気はありません。実家に戻って親と会っても、ウエットな感じはしません。何かが足りない
なあと思うのです。「それはそれ、これはこれ」ではない日本のほうが好きなのです。
私は昨年、家を買いました。安泰寺は山奥にあるので、冬になると雪が深く、子どもが学校に通えなくなります。
昨年までは海に近い、浜坂という駅の近くに空き家を借りて妻や子どもが暮らしていたのですが、昨年の秋、近所の
人から、「一〇万円でいいから、うちの家を買ってくれない? 築年数は七〇年以上でボロボロの家だけれども、つ
ぶすのに一〇〇万かかるから、ネルケさん買ってくれない?」と言われて、初めて家を買うことになりました。
一〇万円で買った家でも妻や子どもが住むのですから、ご近所さんに挨拶に行かなくてはいけません。しかしどこ
まで挨拶をするべきなのか。向こう三軒両隣はもちろん挨拶しなければいけないけれども、その先はどこまで挨拶し
なければいけないのだろうか?
わからないからいろんな人に「この前の場合はどうだったか?」と聞いてまわったり、「この人は会長だから行か
ないわけにはいかない」、「この人に挨拶したら、やっぱりこっちにも行かなくちゃいけない」、「でもここまで行
くわけにもいかないだろう!」と悩んだりしました。しかしそれは別に苦ではなかった。
引っ越しの挨拶のときに渡すものについても、なかなか決まりませんでした。クリスマスでも誕生日でもそうです
が、ドイツでは買ったものよりも、一番評価されるのは、自分が作った手作りのものです。ドイツ人はむしろそれを
好むし、ありがたいと思います。
しかし、日本ではいろいろと悩まなければいけません。「高すぎるものを渡すと、向こうも受け取れないだろう。
しかしあまり安いものもどうだろう」、じゃあどうしようと、一〇〇〇円ぐらいのタオルだとか、洗剤だとか、石鹸
だとか、いろいろいろいろ考えます。
「ビールのセットはどうだろう。あ、でもあの人はビールが飲めないから、ビールはまずい、別のものにしよう」
「でもリンゴは腐るね」と、そんなふうに、ずーっと一日中考えて、ようやく、「じゃあ、これを買おうか」とな
る、私はそんな日本が好きなのです。
 
 
 

ドイツ人は根暗?
 
 
わざと乗り遅れる
 
日本人は新しいものをすぐ手にとりますが、ドイツ人はまず距離を置いて遠くから眺め、躊躇してからそれに近づ
きます。
私が一〇代のころ、初めてCDが出ましたが、年配の人はもちろん、私たち高校生ですら、「いや、レコードでい
い、そんなCDなんていうものには乗っからないぞ! 資本主義の会社が金儲けのためにCDを出したけれども、お
れたちは今まで通りレコードでいいんだ!」と思っていました。
ドイツ人は新しいものに乗っからない、ファッション、流行りに乗っからないのが格好いいと思っています。日本
人のように「みんなが同じタイミングで同じ波に乗るのが格好いい。乗り遅れたら格好悪い」のではなくて、逆に乗
り遅れたほうが格好いいのです。いつまで自分は待てるかと。
ドイツ人はレトロ大好きです。私は未だに一〇年前のガラケーを使っています。これが格好いい。こんなものを
使っている日本人はもういないと思います。妻だってスマホです。私は逆に、いつまでスマホを使わないでガラケー
を使い続けられるか、楽しみにしています。未だにスマホを持っていないぞというのが、自慢、プライドです。それ
を使い続けられるか、楽しみにしています。未だにスマホを持っていないぞというのが、自慢、プライドです。それ
はドイツ人からしたら、決して珍しいことではありません。
ドイツ人でも最近はスマホの人が多くなっていますが、日本よりは、割合は少ないと思います。ドイツの地下鉄に
乗ると、スマホを持っている人も見かけますが、その人たちは誘惑に負けてしまった人たちです。特にある程度の大
人ですと、あえてそれに抵抗するのです。あえて、買わないぞと。
「フェイスブックもツイッターもやらないぞ!」という人はたくさんいます。インターネットは使えるけれども、
あえて「インターネットには負けないぞ、乗らないぞ、アカウントなんて作らないぞ」という人が多いのです。日本
人でそんな人はあまりいません。逆にいくつもアカウントを持って、それこそいろいろなアイデンティティーを持っ
て使い分けて楽しんでいます。
 
人も車も保守的
 
なぜドイツ人はそうなのか。その理由は、ドイツ人特有のアイデンティティーを大事にする精神に起因していると
思います。
ドイツ人は、「私は会社に行っても家庭にいても変わらないぞ。一〇年前の私も、一〇年後の私も変わらない
ぞ!」と、一貫したアイデンティティーを大事にします。だから、新しくCDが出たからといって、今まで持ってい
たレコードを捨ててCDを買うこともないのです。買ったら、自分のアイデンティティーが変わってしまうからで
す。だから自分が住む家も古いままのほうがいいと思っています。
それだけではありません。車にもはっきりしたアイデンティティーがあります。BMWにはBMWのアイデンティ
ティーがあって、これを簡単には変えません。ベンツにはベンツのアイデンティティーがあります。私が日本に来て
もう二五年になりますが、ベンツの形は来た当初からほとんど変わっていません。
日本の車メーカーは、いろんな車を出しています。私は白いバンに乗っていますが、どのメーカーも同じような白
いバンを出しているのは不思議なことです。マツダも出していれば、スズキも出している。ホンダもダイハツも出し
ている。どれもほとんど同じように見えます。バンだけでなく軽自動車も同じようなものを出しているし、乗用車も
同じようなものを出しています。
一つのメーカーが頭をひねっていろいろなものを出していますが、それらを見ていてどこの会社のものなのかが
まったくわかりません。まったくアイデンティティーが感じられないのです。
ドイツ人から見たら、それは会社として格好悪いことです。ベンツにはベンツの味みたいなものが必要だと考えま
す。
だから、ドイツの車メーカーにはコーポレートデザインというものがあって、わざわざデザイナーに高いお金を
払ってデザインしてもらっているのです。デザイナーは、ベンツのアイデンティティーをデザインします。ベンツは
こういう会社で、こういうイメージがあるから、こういう形に表すのだとはっきりデザインしています。それは絶対
BMWとは見間違わないデザインなのです。だからコーポレートデザインなのです。
 
変わらない街並み
 
街にしてもドイツ人は絶対に街の風景が変わらないように努めます。
古い街並みの残る京都では、清水寺などががんばって、高層ビルが建たないように運動をしていましたが、ドイツ
ではわざわざ運動をしなくても、スカイラインが変わってはいけないことが法律で決まっています。
私が一〇年ぶりにベルリンに帰って統一ベルリンを見たときも、壁はなくなったのに、ベルリンのスカイラインは
まったく変わっていませんでした。
アレキサンダープラッツには前から背の高いテレビ塔がありますが、別に渋谷とか新宿のような高層ビルは新しく
できていませんでした。ベルリンが首都になって東西ドイツが統一したという、あれだけの歴史的な変化がありなが
ら、中心部はほとんど変わっていなかったのです。
昔住んでいたところもまったく変わっていませんでした。東のほうは確かに少しきれいになったかもしれません。
けれども、それだけ。ドイツ人からすると、それは当たり前。変化しないのが当たり前なのです。
一方の日本では、京都などの古い地域を除けば、どこの地方に行っても、そこが仙台なのか鹿児島なのかがわかり
ません。駅前にはまったく同じような商業施設があって、コンビニがあります。伝統を大切にする日本ですが、新し
く変えていくことにあまり躊躇はないようです。
 
落ち着きがいいのが大事
 
ドイツでは家屋も新築よりも古いほうがいいとされています。そのほうが居心地がいいと感じるからです。ドイツ
語に「Gemütlichkeit」という独特の単語があります。英語にも訳しづらい単語なのですが、日本語で言えば「落ち着
きがいい」という意味になるでしょうか。ドイツ人は「Gemütlichkeit」を大事にする民族なのです。古ければ古いほ
ど落ち着きがいい、新しければ落ち着きが悪いと感じます。
家だけでなく、ものについても同じです。ドイツ人から見ると、新品のものよりも誰かが使ったあとがあるほう
が、使いこまれている感じがして古くて格好いいと思うのです。
日本では、成人式で女の子が持つような小さくてきれいな和装用バッグが、リサイクルショップでとても安く売ら
れています。ドイツ人から見ると、「え、そんなに安く売っているの?」と思うのですが、日本人はあまり買いませ
ん。縁起が悪いのか、人の使ったものをあまり使いたくないようです。
 
明るすぎる日本
 
あかりもそうです。日本人から見たら「なんでそんなに暗くしているんだ」と思うぐらい、ドイツでは空港も駅も
暗いのです。家では冬になるとロウソクのあかりでディナーを食べます。ドイツ人にとっては昔から変わらないロウ
ソクのあかりが、一番落ち着きがいいからです。
ドイツの家には暖炉があります。ドイツ語では「Kamin」と言います。薪を火で焚くことのできるファイヤープレ
イスのことです。大きな家にはたいていあります。家の中で火を焚いてそれを眺めると、非常に落ち着きがいいので
す。
まき
安泰寺の 薪 ストーブは暖房用ですが、ドイツの暖炉は部屋を温めるためのものではありません。ヒーティングはガ
スや電気でとりますが、遊びというか、自分の落ち着き、「Gemütlichkeit」を作るために、暖炉を作る人が多いので
す。もちろん暖炉は古ければ古いほどいいとされています。
そういう意味ではアメリカ人とも全然違います。アメリカ人はクリスマスになると、プラスチックのツリーをLE
Dの電球でデコレーションしますが、ドイツ人から見たら「えっ!? そんなことをしたら、せっかくのクリスマスが
台無しじゃないか! プラスチックのツリーに、電気のロウソクをつけて何が楽しいのか?」と思うわけです。やっ
ぱりツリーは昔ながらの本物であってほしいし、ロウソクはロウソクであってほしいのです。
 
無常にさからう
 
仏教から見れば、無常が当たり前ですが、ドイツ人から見れば、無常はなるべくないほうがいいのです。
ドイツのものは丈夫だという評価があります。なかなか壊れません。もちろん日本製品もそれほどすぐ壊れるわけ
ではありませんが、ドイツ製品ほど丈夫ではないと思います。ドイツの製品は、一〇年、二〇年、長ければ三〇年、
四〇年も使い続けられるように、という前提で作られています。
日本の製品は、そもそもそういう前提では作られていないのではないでしょうか。五年もたてば買い換えるであろ
うという前提なのではないでしょうか。新しいモデルが出れば、これを使い続けるバカはいないだろうという気持ち
で作っているように思います。
私も未だにドイツ人っぽいところがあります。なるべく一つのものを長く使い続けたいですし、いらないとわかっ
ていても、なかなかものを捨てることができません。車の形も家の形も変わらないのがいいと思います。伝統もなる
べく変えたくないし、古いものを残したい、捨てたくないのがドイツ人なのです。
 
環境にもうるさい
 
日本には「もったいない」という言葉がありますが、ドイツ人に比べれば、割とすぐになんでも捨ててしまおうと
します。欧米人は日本を「ワビサビ」の文化だと思っていますが、実際に来てみると「ワビサビ」どころか、どこも
かしこも「ピカピカ」です。街中はもちろんのこと、田舎でもあまり古いものを古いままにしておきません。本当は
五〇年でも一〇〇年でも持つはずの伊勢神宮を、大工の技術の継承のためか、社殿を常にフレッシュにするためか知
りませんが、躊躇なく二〇年ごとに壊していることにもそれが表れています。
てん ぞ
安泰寺で昔、ドイツ人と日本人が喧嘩をしたことがありました。ドイツで育った 典座 ※2が、日本人がカビの生え
た割り箸をカマドで燃やしたことで怒り、大喧嘩になったのです。
普通の日本人は割り箸を一回使ったら捨てますが、安泰寺では何回も何回も洗って使い続けます。けれどもさすが
にカビが生えて、黒い点々ができると衛生的にも悪いですから、日本人はカマドに火をつけるために、この古くなっ
た割り箸を使ったのです。
それでドイツ人の典座はえらい怒って、資源の無駄遣いだと言いました。「この割り箸を作るために南米の森が伐
採されたんだ! おまえがそれを無駄にするから、また南米で一本の木が切られるじゃないか。カビが生えたって、
木なんだから、金属のタワシでこすれば、もう一回ぐらいは使えるじゃないか!」とまくし立てたのです。そういう
頭がドイツ人にはどこかにあります。
新しいものを作るには、資源が必要です。割り箸一本だって木でできていて、どこかの森林が伐採されて作られた
ものなのです。漫画本もそうです。
ドイツではどこでも環境にうるさいですし、環境主義を掲げる緑の党も強い。ドイツ人は環境を破壊してはいけな
いと思っていますから、なるべくものを捨てませんし、新しいものもほどほどにしか生産しません。
樹木も非常に大事にします。街の中の道路を広くするために、並木を切る計画があると「いや、木を切っちゃいけ
ない。木は命だ」と、必ず反対運動が起こります。下手をしたら人間よりも樹木を大事にしている人もいるかもしれ
ません。日本人はそこまでではないと思います。
 
ドイツ人は暗いのかもしれない
 
うつ病になる人の特徴に「不要なものをため込む」という傾向があるのだそうです。うつ病の人は、金があっても
使わない、ものも捨てられない、そして強い執着心がある。だからものを捨てられないドイツ人は、国民性として
は、うつぎみというか、暗いのではないかと思います。日本人もタイの人などに比べると暗いところがあると思いま
すが、ドイツ人はさらに暗い。イタリア人、スペイン人と比べるとなおさら暗いと思います。
「ドイツ人は後ろ向きな性格である」とも言えます。ものを簡単に捨てられるのは、悪く言えば無駄遣いですが、
手放しても新しいものが入ってくるのだと思える、前向きな精神を持っているということの表れでもあります。
電球があればロウソクはもういらない。CDがあればもう昔のレコードはいらない、スマホがあればガラケーはい
らない、そう思えることは明るいことです。
ドイツ人が古いものを大事にするということは、息を吸って、いつまでも吐けない状態と同じです。息を吐けば、
きれいな空気が吸えます。ドイツ人も吐いて新しい空気を吸えばいいのに、そうしないのです。
ベンツの形も三〇年もたてば少しぐらい変わってもよさそうなのに、それができません。ものも捨てられません。
捨てればいいのに、いらないものまでずっと大事にします。ものを手放したら二度と返ってこないと思う暗い性格な
のです。
だから私の実家もそうですが、地下室もあれば、天井裏にもスペースがあって、私の子どものときからのおもちゃ
とか、父のおもちゃとか、祖父母が使っていたものが未だに保管されています。これから使う予定はまったくないの
に、いつまでも保管するわけです。
父親が学生のときに読んでいた週刊誌だとか、私が子どものころに買った漫画本だとか、そういったものまで置い
てあります。置いておくスペースがあるというのもありますし、ドイツは湿気が少なくて、保管しやすいというのも
ありますが、「これを捨ててしまうと、二度と戻ってこない。取り返しがつかない。もし万が一、これをもう一度見
たいと思ったときに、捨ててしまうと見られないんだから、捨てない」という暗い執着心のほうが強いのではないか
と思います。
 
何もかも捨てられない
 
昨年の秋に購入した浜坂の一〇万円の家は、一〇年ぐらい前まで持ち主のおばあさんが住んでいました。おばあさ
んは亡くなったのですが、そのお子さんはもうその家はいらないということで、譲っていただいた物件です。
家はおばあさんが使っていた当時のままになっていて、箪笥の上にはトラやニワトリなどの干支の置物がたくさん
残っています。古い掛け軸や壺もあります。おばあさんが着ていたのであろう、古い着物もたくさん残っています。
それを私は捨てられないのです。もちろんそんな古い着物は着ないし、縁起物の干支のトラもニワトリもいらない
のですが、心苦しくて捨てられないのです。それでドイツの友達に送ってみたり、安泰寺の庭にトラの置物を置いて
みたりと、一人でいろいろやっている。
おばあさんの家には五〇年前の夏の祭りでもらった竹製のうちわもありました。虫が穴を開けてボロボロになって
いるけれども、「ああ、昔の人はこんなうちわを作っていたのか」と思うと捨てられません。心がこもっている気が
して捨てられないのです。
ドイツ人は、自分のものは当然捨てられないし、他人のものでも捨てられません。戦前の写真とか人の写真はさら
に捨てられません。人様の写真なんだから本当はいらないのですが、捨てられない。歴史があるものは、ドイツ人と
しては捨てられないのです。
しかし妻に聞くと「もうそれはいらない。捨ててしまえ!」と言う。いらないものを手放せば、楽になります。頭
ではわかっているつもりですが、そうすれば夢の中に「もったいないばあさん」が現れそうです。ああ、悩み多き私
です。
 
 
 

接心 三日から一週間に及ぶ、集中的な坐禅修行

典座 台所の責任者
第3章  自由と民主主義
日本人に主体性はあるのか?
 
 
パーティーは自分が開く
 
ドイツでは主賓がパーティーを開くのが当たり前です。バースデイパーティーも歓迎会も送別会も、自分で計画し
て準備をします。パーティー当日は「今日はぼくの誕生日だからケーキを食べてください!」と笑顔でもてなしま
す。パーティーを開催したい人はする、したくない人はしません。
ドイツ人に「あのときお世話になったから、返さなきゃいけない」という発想はないので、しょっちゅうパー
ティーに呼ばれても、自分では決して開催しないという人もいます。開催する人も、自分の好きでやっているのです
から、「おれは何回も何回もあいつをパーティーに呼んでいるのに、あいつはなんでおれを呼ばないんだ!」と根に
持つことはありません。
日本では、パーティーの主役のために、みんながお金を出し合って、食べものやケーキを用意しますが、ドイツ人
から見ると、「なぜ主役が主役を演じていないのか?」と不思議に思います。「主役であるはずなのに、どうしてお
客さんなのか? お客さんじゃないでしょう。主役でしょう!」と言いたくなるのです。
 
主体性を否定する日本の敬語
 
日本でもう一つ不思議なのは、例えば自分より偉い人、例えば学校の先生が帰ろうとしているのを見たときに「先
生は、お帰りになるのですね」と言うことです。「先生は、もう帰るつもりですね」とは言いません。先生が帰るつ
もりで外に出ていたとしてもそう言ってはいけないことになっています。
偉い人は「お帰りになる」、「おやすみになる」。死ぬときも「お亡くなりになる」と言います。
ドイツの感覚からすると、日本語の敬語はその人の主体性を否定しています。その人は自分の意思で帰っているの
に、まるでこの人に主体性がないかのように「あなたはもうお帰りになるのですね」と言うのです。
ドイツでは偉い人であればあるほど、その人には主体性があって、自分の意思で行動していると考えます。それは
言葉にも現れます。だから「お帰りになる」とか、自分が何かをするときも「させていただく」などの表現は使いま
せん。
日本ではPTA会長になった場合でも「今年はPTAの会長を務めさせていただくことになりました」と本人が言
うわけです。PTAの会長の場合は、自分の意思でなっていない可能性もありますが、例えば町長選で勝ったときに
も「今度、町長を務めさせていただくことになりました」と言います。自分の意思で町長選に出たのに、そう言うの
です。
安泰寺に入門した日本人も、よく「今日から安泰寺で修行させていただくことになりました」と挨拶をします。自
分の意思で来たはずなのに、まるで自分に主体性がなく、気がついたら安泰寺にいた、と言いたいかのようです。
そういうときに私は皮肉って「何も私はきみに修行をさせるつもりはないよ。自分自身にそのつもりがなければ修
行はできないよ」と言いますが、そういう人に限って二、三日経つと、今度は、「帰らせていただくことになりまし
た」と言い出します。自分の意思で、自分の勝手で帰るのに、帰らせていただくと言うのです。
日本人は何事においても、「私が自分の意思でやった」という自覚はあまり持ちたくないし、人にも持たせたくな
い。むしろ気がついたらそうなっていた、というのが望ましいようです。昨日までは雨が降っていたけれども、今日
気がついたら晴れていた。昨年まではあの人が町長だったけれども、今年は私がさせていただくことになった。天気
が変わったように、自然にそうなった、と思いたいようです。
 
主体性を重視するドイツ人
 
誕生日の場合でも、自分でパーティーを開かなければ誰も祝ってくれないというのは、日本人としては寂しいこと
です。自分は何も心配しなくてもみんなが祝ってくれる、呼んでくれるのが、一番いい。
日本では主役であっても、その人に自分でパーティーを開催させるのは失礼なことなのです。あくまでもお客さん
のように、まわりの人が神輿に乗せるのがベストという意識があります。
でもドイツ人からすればそれは逆に窮屈です。「おれの誕生日だから、パーティーをするかしないかは、おれの一
存で決めることだ!」という頭があります。
私の父が六〇歳になるときに、父が所属している教会の牧師がみんなを集めて、父に内緒でバースデイパーティー
を企画したことがあります。みんなでご馳走を用意して、誕生日の朝、父の家のピンポンを鳴らしました。
わざわざそこまでしてくれたのだから、さすがの父も顔に出さないようにがんばっていましたが、実はとても怒っ
ていました。「おれのせっかくの六〇歳の誕生日を台無しにしやがって!」とカンカンだったのです。
私の父親は、人を呼んでパーティーをすることが嫌いな人でした。父は三七歳で妻を亡くしていましたが、六〇歳
の当時、ガールフレンドがいました。「六〇歳の誕生日は、自分の彼女と二人でドライブにでも行きたかったのに、
車に乗る前にあいつらが来て、せっかくのデートが台無しになった!」と怒ったのです。日本人とは逆です。
日本では主体性がないほうが落ち着きます。みんなとつながっていて、みんなが作ってくれるこの波に乗っかって
いる感じが気持ちいいのです。しかしドイツでは自分の主体性がなくなり、自分が思うように身動きが取れないの
は、もっとも窮屈な感覚なのです。
だから自分がパーティーするかしないかは、本人が主体性を持って決めます。したかったらする。したくなければ
しない。だからそこで、みんなが内緒で企画してくれて、「きみのためにパーティーを企画したよ!」と言うと、逆
に不満に思うのです。「そんな余計なことをするな。おれのせっかくの誕生日なのに!」となってしまいます。
 
一貫した私
 
ドイツの場合、この「主体性」というものが、非常に重要視されています。「私は私で、あなたはあなた」。ここ
で線を引きます。ドイツ人から見ると、日本語には一人称というものが複数あるのも不思議です。私、わたくし、ぼ
く、おれ、わし。
同じ人が自分を呼ぶのに、かしこまったときには「わたくし」になり、友達といるときは「ぼく」になる。威張っ
ているときは「おれ」になる。
つまり日本人は、ケースバイケースで、その場に応じて、違う自分の役割が出てくるのです。相手やグループが変
わると全然違う私になります。
会社では上司や部下という役であったのが、家に帰ればお父さんという役、お母さんという役になりますし、小学
校のときの友達といると、昔の「◯◯くん」「◯◯ちゃん」に戻ってしまいます。
学校にいるときの校長先生と、家に帰って子どもと遊んでいる校長先生は違います。幼なじみの友達と居酒屋で騒
いでいる校長先生は、いつもの校長先生だとは思えない様子で楽しんでいます。ドイツ人から見ると、日本人はこう
も変わるものかと驚きます。
この感覚は、ドイツ人にはそれほどありません。ドイツ人もまったく変わらないというわけではありませんが、ど
ちらかというと一貫した私を重視します。会社にいても、家にいても、友達といても、それほど変わることがありま
せん。「私は私」だから、日本人ほど相手に合わせません。
要するに、ドイツ人には主体である私というものが一つしかないのです。アイデンティティーというものがはっき
りしています。それは相手とは関係がありません。
日本人は相手次第で自分が変わり、自分次第で相手が変わるというのは当たり前なので、結婚パーティーも結婚
式、披露宴、二次会と何回にも分けてやります。家族のための私が、家族のための結婚式をして、会社の私が、会社
の同僚のための披露宴をする。幼なじみの友達を呼んで、二次会を行う。
そういう結婚パーティーをドイツでは聞いたことがありません。「私」の結婚式は一回しかないわけですから、そ
こに家族も、会社の同僚も、幼なじみもみんな呼びます。バースデイパーティーの場合でもいろんな人が来ます。
 
SNSにも違いは表れる
 
日本人は相手によって自分が変わりますから、フェイスブックを使いづらいと感じる人も多いようです。あまりに
もいろいろなグループの人とつながりすぎると、どのグループに対して、どのような発言をしていいかわからなくな
るからです。結果、人の投稿を見るだけになる人が出てきます。
ドイツ人の場合、自分は一貫した自分ですから、フェイスブックで発信することにあまり躊躇はありません。公式
の発言もすれば、プライベートの写真も載せる。そのことにあまり疑問を持ちません。
日本人はツイッターのアカウントを複数持ち、使い分けている人が多いと聞きます。人によっては携帯も使い分け
ています。家族用の携帯があり、仕事用の携帯があるのです。
あるいは名刺もいくつか使い分けています。仕事用の名刺と趣味用の名刺。お坊さんの場合は兼職といって、お寺
の住職もやっているけれども学校の先生もやっているという人がけっこういます。そうするとお寺の住職をやってい
るときは、学校の先生の名刺は使わずに、お寺用の、住職用の名刺を使うのです。その人がロータリークラブの会長
をやっているときは、ロータリークラブの名刺を持つ、そのようなことが起こるのです。
それはドイツでは絶対にあり得ないとまでは言いませんが、私は聞いたことも見たこともありません。
そもそもドイツ人は名刺を出して自分の肩書きを見てほしいという気持ちはあまりなく、自分自身を見てほしいと
思っています。
日本ではおれの世界と、ぼくの世界と、私の世界が別々にありますが、ドイツはどこでも「私は私」の世界ですか
ら、自分の全部を見てほしいわけです。ですから名刺を何枚も作って、TPOで使い分ける必要がないのです。
 
ステッカー文化
 
ドイツには、自分の車にいろんなステッカーを貼る文化があります。「私はドイツキリスト教民主党です」とか
「社民党です」、「緑の党です」とか、「原発反対」とか「イラク戦争には反対だ」とか「賛成だ」とか。そういっ
たステッカーを車にベタベタと貼ります。
もちろんその車で仕事にも行くし、買いものにも行きます。ですから、この人はこういう政治的立場なのか、原発
反対なのかと、車を見れば、誰でもわかります。
学校の校長先生も自分の車にステッカーを貼ります。社民党なら社民党、緑の党なら緑の党。それは個人の自由で
あって、先生という立場で、車で通勤したとしても、問題にはなりません。日本人だったら誰もそんなことはしませ
ん。そんなことをすれば、その車で仕事に行けなくなってしまいます。
 
TPOで自分を使い分けない
 
以前、ドイツにギド・ヴェスターヴェレというゲイの外務大臣がいました。ヴェスターヴェレ氏は、配偶者の男性
を堂々と外遊にも連れて行っていました。日本ではひょっとして、まだそこまでの自由はないのではないでしょう
か。そういうことは自由だし、あってもいいけど、黙っておいたほうが賢明だ、という認識がありそうな気がしま
す。
しかしドイツではまったく問題になりません。「それの何が悪いんだ」ということになるのです。
ドイツ人は自分をTPOで分けないのです。家族のグループか、友達のグループか、公式のグループかで分けませ
ん。いちいち分けて考えるのが面倒くさいということもあるし、「私は私」という一貫したアイデンティティーがあ
ると思っているから分けないということもあります。
日本人は相手によって自分が別々にあるわけです。それは自分と相手はつながっているという感覚があるからだと
思います。
しかし、ドイツ人は自分と相手はまったく別のものだと考えます。「私は私、あなたはあなた」。ですから、私と
いうものが、TPOで変わる必要がそもそもないのです。まったく変わらないわけではないけれども、日本人ほどは
変わりません。線引きが明確なのです。
 
子どもにも合わせない
 
ドイツ人は相手に合わせることがないので、赤ちゃんに対しても、日本のように赤ちゃん言葉で話しません。です
から、ドイツの赤ちゃんは日本の赤ちゃんよりも、話せるようになるのが少し遅いのです。
日本の赤ちゃんがある程度言葉を使える年齢になっても、ドイツの赤ちゃんはまだ喋りません。しかし、喋り出す
と、割と始めから高度なドイツ語で喋ります。
日本では、自分のことを自分の名前で呼ぶ人も多いと思います。中学一年生の長女が自分のことを「めぐ」という
と、女の子らしいかわいらしさを感じないでもありませんが、小学六年生の長男までが、未だに家では自分を指して
「ひかる」と言います。「私」や「ぼく」ではないのです。そして次男の名前は「いずみ」ですが、お母さんから
「いーたん」と呼ばれているので、自分でも自分のことを「いーたん」と言います。私とかぼくという意識はなく
て、要するにお母さんの目を通して自分を見ているのです。みんなが自分を「いーたん」と呼ぶなら、自分は「いー
たん」であると。
ドイツではあまりそういうことはありません。三歳、四歳で喋り始めると、一人前に「Ich(私)」と言います。自
分のことを自分の名前で呼ぶことはほとんどありません。ドイツの子どもは、喋るのは遅いけれども、喋り出した時
点でこちらが「Ich(私)」で、向こうが「Du(あなた)」だという意識がはっきりあるのです。
 
主語がない
 
日本人は話すときに主語を言わないことすらあります。
お腹が空いたとき、日本人は「お腹が空いたね」とよく言いますが、ドイツ語だと「Ich habe Hunger.」で、「私は
お腹が空いた(きみはどうか知らないけど)」という意味になります。
日本では「お腹が空いたね」と主語を言わずに、相手と気持ちを共有しているわけです。「今日は暑いね」「嬉し
いね」という表現も非常に多い。
「自分はこうだ」「きみはどうだ」、ではなくて、気持ちを共有する日本の文化、私はこういう日本のコミュニ
ケーションがけっこう好きです。嫌いではありません。
 
考えは違っているのが当たり前
 
ドイツでは家族であっても、妻の考えていることと、夫の考えていることは別々であっていいと考えられていま
す。むしろ違っていたほうがいいのです。
子どもと親にしても、人生観も世界観も違っていて当然、という前提があります。だから食卓ではディスカッショ
ンをします。「イラク戦争についておまえたちはどう思っているのか?」とか、「原発をきみたちはどう思っている
のか?」と、お父さんやお母さんが子どもたちに聞きます。すると、子どもたちは一人前のつもりで、いろいろと意
見を言います。子どもには子どもの頭があって、子どもの世界がある。そこに親が口を挟む権利はないのです。
子どもの意見は決して、家庭の食卓だから言えるけれども公の場では言えないというような意見ではありません。
車のステッカーと同じで、おれは原発に反対だとか、移民に反対だ、メルケルに反対だ、とかいろいろ言うことに、
あまり躊躇がありません。少しぐらいは躊躇している人もいるかもしれませんが、日本人から見たら、躊躇はないに
等しいと思います。
小学五、六年生になると、クラスでディスカッションをします。先生はあまり口を挟みません。ディスカッション
の目的は、全員が教科書通りの答えに到達することではなく、クラスの全員が自分の頭で考えて、自分らしい意見を
持つことです。「私はこうだと思う、みんなと違う考え方がある」、それを自分の言葉、自分にしかできないような
表現で述べられるようになることがゴールです。
つい先日、日本の文化庁が「漢字の細部に違いがあっても誤りとはみなさない」という指針案を発表しました。例
えばこれまで「天」の文字は上の線のほうが下の線よりも長くなければいけないとはっきり決まっていました。しか
しどちらが長くても短くても、今後は間違いとはみなされないようにしよう、という方針になったのです。
ドイツではそもそもそんな決まりはありません。ドイツの学校教育はみんなを統一するためではなく、各々が自分
の頭で考えて、自分の主張をして、自分にしかできないような主張を引き出すためにあるのです。
 
議論と民主主義
 
ですから、ドイツでは議論が始まるとなかなか終わりません。ああでもない、こうでもない、となかなか収まりま
せんので、最終的には多数決です。日本人だったら多数決をして決めるよりは、みんながよしというまで話し合うほ
うがいいと思うかもしれません。
でもドイツではそんなことをやっていたら終わりません。だからある時点で、「これ以上話し合っても決まらない
から」と多数決で決めるのです。負けたほうは悔しいけれども、これは民主主義でいこうと決めたのだから、次回は
負けないようにまたがんばります。
政権もだいたい四年、八年で代わります。右がやったなら、今度は左ががんばって、今度は左の主張でいく。右が
負けたなら、右も悔しいから今度の選挙で勝つようにまたがんばります。
日本人はあまり自己主張しませんし、納得しなくても人に譲ります。むしろ九九回譲って、一回だけちょっと言う
のが日本人。日本人はあまり政権交代も望まないので、ずっと自民党なら自民党のまま。自民党はどちらかというと
マニフェストのような誓約は最低限にして、全部の声を聞いて、みんながいいように、満足するようにとやっていま
す。もちろん日本人の中にもそれに反対している人はいますが、多くはそれで落ち着いています。
日本人は、二つの政党が戦って、今回はこっちかな、次はあっちかな、ということを望んでいないのです。弁証法
のように、テーゼがあってアンチテーゼがある、それでその次の段階に行くのではなくて、まっすぐに、あまり揺れ
ることなく、みんなで話し合いながら進んで行くことを望んでいるように思います。
 
ディスカッションはスポーツ
 
テレビを見ていても、ドイツでは、日本のようなグルメ番組や、芸能人が温泉に入って「気持ちいいなあー」と連
発するような番組はありません。
私もそうなのですが、グルメ番組を見ていても、どこがおもしろいのかさっぱりわかりません。自分が食べてもい
めし
ない 飯 を芸能人が食っているのを見て、何が楽しいのか。自分が入ってもいない温泉に芸能人が入っているのを見
て、何が楽しいのか。
ドイツのテレビは一般人と政治家が議論し合って喧嘩するという番組ばかりです。そういう番組のほうが視聴率が
いいのです。日本にも『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系列)という番組がありますが、ドイツでは討論番組が
ゴールデンタイムに流れる人気の番組です。
討論して、喧嘩し合っているのを見ているとワクワクします。討論番組では、もう最後まで議論が噛み合っていな
くて結局は結論も出ないのですが、その喧嘩がドイツ人はものすごく好きなのです。議論をサッカーマッチみたいな
気持ちで見ているのです。
飲み屋で飲むときも議論します。日本人ですと、そういう場では宗教や政治の話をしないことが暗黙の了解になっ
ていますが、ドイツ人は遠慮なく話します。酒を飲みながら、日本人が見たら「あいつら、喧嘩しているんじゃない
か?」と思うような勢いで、ああでもないこうでもないと話し合います。結論が出なくても楽しいのです。
もしスポーツのない人種がサッカーや野球を見れば、喧嘩をしているように見えるのではないかと思います。私も
初めてプロレスを見たときには、「えっ、こんなことがあっていいのか」と驚きました。
ドイツの場合、議論はスポーツのようなものです。それを知らない人から見ると喧嘩みたいだけれども、やってい
る人からすれば、サッカーの試合のようなもの。あるときは自分が勝つし、あるときは相手が勝つ。
もちろん勝つほうが嬉しいけれども、負けてもしょうがない。「私の意見」をガンガン言って、負けたならば「次
回はがんばろう!」というのがドイツ人の考え方じゃないかと思います。今度は負けないように、ああ言われたらこ
う言おう、といろんな理論武装をして準備しておくだけです。
 
仏教的には成り立たない
 
しかしドイツ人が何よりも大事だと思っている「私の意見」というのは、仏教的に考えると無理なことです。なぜ
かというと、私が「私の意見」だとか、「私の頭」で「私の考えたこと」と言っているものは、たくさんの要素の影
響を受けているからです。
遺伝子の影響も受けていれば、親から受けた影響もあります。学校で受けた教育の影響もあるでしょう。微妙な天
気のずれの影響ですら受けています。それなのに「これはおれの意見だ。これはおれの知的財産だ!」というのは無
理な話です。
子どもに原発の是非を論じさせたって、一二、三歳の子どもから出てくるのは、たまたま親から聞いた話とか、た
またまテレビで聞いた話でしかありません。
ですから、ドイツ人が「私はこう思います」というのは半分嘘だと思います。私の意見は、ゼロから生み出したも
のではないのです。縁起の中の話なのです。仏教的に考えれば私の思いなんて幻なのです。
 
中道を目指す
 
しかし、逆に自分を投げ出し、手放しすぎると、まったく主体性がない状態で、ただまわりに影響されて生きるこ
とになります。特に日本人はそういう集団主義が多いのではないかと思います。
「会社での会議でなぜこれを決めたのか」と聞いても、「いや、ただなんとなくそのときの空気で決まった」と言
います。「きみが決めたのか」と聞いても、「いや、ぼくは決めていません」と言う。みんなが「本当はぼくは賛成
じゃなかったけれども、そういう雰囲気だった、そのときはそういう空気だったのだ」と言うのです。
政治の世界でも同じです。首相が自分の意思で決めたのではなくて「まわりにいろんな意見があったから、なんと
なくそのときの空気で決まった。結局誰が決めたのか、誰に責任があるのかはわからないけれども、気がついたら、
決まっていた」ということになりがちです。
第二次世界大戦のときも、政治家や軍の幹部には、本当は戦争に反対だった人もいると言われています。しかし、
日本は気がついたら戦争をせざるを得ない状況になっていました。戦争は一つの極端な例ですが、こういうことは、
日本にはよくある話です。
ドイツ人の「私はこう思います」というのは半分嘘だと思いますが、日本人のように「ぼくは特に意見がありませ
ん。ぼくはみんなの意見でいいと思います」というだけでは、「なぜこの決断が導き出されたのか」ということがわ
からなくなります。「気がついたらそういう空気があったのだ」ということになってしまうのです。
 
私は日本に来て、落ち着きがいいというか、暮らしやすいと感じています。そんなにいつも無理に自分の主張をし
なくていいですし、黙っていても通じ合う場合がありますし、相手が自分の話を聞いてくれるからです。ドイツで
は、相手の話を黙って聞いていると「なぜ何も言わないんだ。おまえはどう思っているんだ!」と責められますが、
日本では別に責められません。非常に落ち着きがいいと感じます。ドイツにはこういうコミュニケーションはないの
です。
しかし日本人にも、ある程度は自分の頭を持ってほしいのです。自分の思考があって、幻でもいいから、それに対
する責任みたいなものを持ったほうがいいのではないかと思うのです。
仏教的に考えると、突き詰めればそれは幻だということになるでしょうが、「おまえの拠り所はおまえしかない」
とも言われているのですから、私が自分の目で見て、頭で考えて、正しいかどうか判断した上で、この私が実践して
確認するということは大切なことではないかと思うのです。
 
 
 

ヒットラーはなぜ生まれたのか?
 
 
自由からの逃走
 
ドイツ人が「自分の頭で考える人種」だといっても、みんながみんな、いつも自分の頭で考えているわけではあり
ませんし、そうしたいと思っているわけでもありません。むしろ「おれについてこい!」という強いお父さんのよう
な人が現れると、すごく落ち着く、安心する、という人もいます。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という本には、「第二次世界大戦のとき、ドイツ人は自由から逃げた
かったのだ」ということが述べられています。
今のドイツ人は、自由に自分の意見を述べてディスカッションをして理性的に行動しますが、ヒットラーが登場す
る前も、ドイツ(当時はワイマール共和国)は自由に意見が言える国でした。
一九二〇年代、三〇年代は世界的に見て、経済状況が大変悪い時代でした。特にドイツは第一次世界大戦で負けて
いて不況な上に「これからどうなるのだろう」という漠然とした不安を抱えていました。みんなが自由に意見を言い
合ったけれども、どうもまとまらない。本来、自由を求めて戦っていたはずなのだけれども、どうもうまくいかなく
て、もう疲れてしまった。そういうときにヒットラーのような人物が現れて、「こうすればうまくいく」と単純なこ
とを言ったのです。
みんな自分の頭で考えるのがしんどいから、あえて自分の頭で考えるのを放棄して、ヒットラーに飛びつきまし
た。その結果、大変なことが起きたのです。ヒットラーは言論の自由があったからこそ誕生した人物であると言えま
す。
 
戦後ドイツ
 
戦後ドイツは自分の意見を自由に言い合える自由な国ですが、ワイマール共和国のときも言論の自由はあったわけ
ですから、そういう意味では、ドイツが根本的に戦前と変わったかというと、別に変わっていないと思います。た
だ、ワイマール共和国のときと同じようなことが絶対に起きてはいけないということで、国会の制度は変わりまし
た。
ワイマール共和国のとき、政党は一パーセントでも二パーセントでも票を集めれば国会に議席を獲得できる仕組み
になっていて、その結果、国会には小さな政党がたくさん集合することになりました。しかし、当たり前ですが、政
党が多ければ多いほど意見はまとまりません。だからこそ、ヒットラーのような人が誕生したのです。
その反省により、戦後のドイツは最低でも五パーセントの票を集めないと党の代表者が国会に入れない仕組みに変
わりました。要するにある程度大きな政党を作りましょうという方針になったのです。
それを受けてドイツでは、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)とドイツ社会民主党(SPD)が、長年に渡って二大
政党として君臨することになりました。やがてその中間に自由主義を掲げる自由民主党(FDP)というリベラルな党
ができて、あるときはドイツキリスト教民主同盟につき、あるときはドイツ社会民主党について、連邦議会のキャス
ティングボートを握る存在となりました。その後、一九八〇年代に入って、環境主義政党である緑の党が新たに誕
生、また、旧東ドイツの共産党の流れをひく政党も、ドイツ社会主義統一党から名前を変えて、現在も左翼党(Die
Linke)として存在しています。
二〇一三年にはドイツのための選択肢(AfD)というユーロ圏離脱を掲げる政党が誕生しました。この政党はイス
ラム教や移民に反対する右寄りの党です。「ドイツは今、未曾有の不安な時代に突入している。これから大変な時代
になるのではないかと、国民は不安を持っている。しかし既成の政党は、どこも解決策を持っていない。じゃあおれ
たちが」ということで立ちあがった政党です。
「ドイツはドイツのものだ。ユーロをやめてマルクに戻そう。ドイツにイスラム教はいらない。ドイツはキリスト
「ドイツはドイツのものだ。ユーロをやめてマルクに戻そう。ドイツにイスラム教はいらない。ドイツはキリスト
教の国だ。イスラム教徒に人権の大切さを教えるのは到底無理だから、移民を入れるのはやめよう。国境をしっかり
と守ろうじゃないか!」という政策を掲げて登場したドイツのための選択肢は、二〇一六年三月に行われた地方選挙
でも多くの票を集めています。
このように、ドイツキリスト教民主同盟、ドイツ社会民主党、自由民主党、緑の党、左翼党、ドイツのための選択
肢、この六つが、現在大きな党として政治の世界に存在しています。
二大政党のころと比べて、党の数は確実に増えています。党が増えればいろいろな意見が述べられていいという意
見もありますが、「下手をすると再び、ワイマール共和国のような状態が起きるのではないか、ドイツにもアメリカ
のトランプ氏のような人物が現れるのではないだろうか?」と警戒している人も多い。それが今のドイツの現状で
す。
 
不安な時代
 
ドイツの歴史は「ヒットラーのときは自由がなかったけれども、今は自由がある」という単純な歴史ではありませ
ん。ヒットラーが誕生する前も、言論の自由はありました。しかし言論の自由があればこそ、意見がまとまらずに、
単純なことを言うヒットラーが急に人気を集めたという歴史があります。
一〇〇年前よりはるかに今の世の中は複雑になっています。もちろん意見を自由に言い合える空気はありますが、
どうも議論がまとまりません。二大政党であるドイツキリスト教民主同盟も、ドイツ社会民主党も、人気は下がって
います。メルケル氏の人気も下がっています。
かといって、緑の党や自由民主党が何か言えるわけでもなく、何か非常に危ない状態になっているように感じま
す。
社会が複雑になっているからこそ自分の頭でじっくり考えたいという人も一部にはいますが、「そんな難しいこと
はできない。だから強い人物についていきたい」という人は、やはり今の時代も多いのです。
一〇〇人のドイツ人のうち、非常に理屈っぽいドイツ人が三〇人はいるかもしれませんが、その理屈っぽいドイツ
人だって、考えることに疲れることはあります。残りの七〇人は、そもそも候補者を雰囲気で選んだり、顔で選んだ
り、そもそも選挙に行かなかったりする人たちです。
どちらの人たちにしても、世の中が複雑になり、解決策が浮かばない時代になればなるほど、自己責任では何もで
きないから、自分の責任を投げ出して「誰か自分たちの代わりにやってほしい」という心理になるのではないかと思
います。
ですから、トランプ氏のような人が現れると、七〇人が一斉に動き出す可能性があるのです。今まで政治に関心が
なくて、選挙に行かなかった人が急に強い人物に惹きつけられ投票率が上がるという、トランプ現象がドイツでも起
きるかもしれないのです。
アメリカのトランプ氏の人気を見ていると「なぜあれだけ民主主義が根づいているはずのアメリカで、ああいうや
りかたの人が、あれだけの人気を得るのだろうか」と不思議に思います。特にアメリカ国内では不思議に思っている
人が多いと思いますが、まわりの国から見ていても不思議です。
しかしそれと同じようなことが、ドイツでも起こらないとは言えません。
ドイツでは、選挙の投票率はだいたい五割から八割程度ですが、もし「おれについてこい!」、という人が現れれ
ば、今まで選挙に行かなかった人や、ただそのときの雰囲気で選んでいた人、これまでと同じ政党に惰性で票を入れ
ていた人たちが一斉にその人に票を投じる可能性があります。強い人が出てきて、考えるのが嫌な人たちの気持ちに
マッチすれば、ドイツでも今のアメリカのような現象が起こるかもしれないのです。
 
日本は複雑
 
アメリカやドイツに比べて日本人は複雑です。強い人への憧れはありますが、いざというときには強い人を切ろう
とする傾向があります。
日本人は「みんなの気持ちを読んでほしい」という気持ちが強いからです。
アメリカ人やドイツ人は、みんなの気持ちを読んでほしいのではなく、「自分だけの気持ちを代表してほしい」と
思っています。
トランプ氏は決して「私はアメリカ人全員を代表します」とはアピールしません。アメリカにはイスラム教徒だっ
ているわけですが、トランプ氏は彼らまで代表するつもりはまったくなくて、白人だけが自分を支持してくれれば十
分だと思っています。彼に票を入れている白人も、「おれたちだけを代表してくれればいい」と思っています。
日本人はそうではありません。「私だけではなく、みんなの気持ちを読んでほしい」と思っています。それができ
ないことがわかると、「おまえはみんなの気持ちをわかってないじゃないか!」と声を荒げます。みんなの気持ちを
読むことなど、そもそも不可能なのに、そのように言うのです。
 
民主主義の次の道
 
アメリカ人やドイツ人は「私だけ」を代表してくれたらいいと思っていて、そのために一〇〇人のうちの五一人が
組を作ります。残りの四九人はどうでもいい。そして勝った五一人が国を仕切ることになるのです。
だからドイツでは日本と違って四年、八年経つと政権が変わるということがよくあります。ドイツキリスト教民主
同盟と自由民主党が組んで、五一パーセントを獲得して政権が四年続くと、次はドイツ社会民主党と自由民主党が組
んで政策をひっくり返します。以前は税金は上がったけれども福祉がよくなっていた。しかし政権が代わってそれが
逆になった。そんなことの繰り返しです。
しかしそれが行き詰まると危ない。そうじゃなくても、大きな改革が必要なときになると危ないのです。
 
アメリカでは「どうせ大統領はヒラリー氏になるんだろう」と、自分を安心させるために思っている人は多いと思
います。私も現時点ではたぶんヒラリー氏になると思っています。しかし、もしトランプ氏になったら今後はいった
いどうなってしまうのだろうかと思います。
ヒットラーを生んだのは民主主義です。民主主義という制度は、一〇〇年前にヒットラーで一度失敗しています。
もし今度トランプ氏が民主主義から生まれて大変なことになったら、民主主義はやっぱりだめだったのか、というこ
とになってしまいます。「パーフェクトな政治家はいないけれども、民主主義であれば、一番ましな人が選ばれるで
あろう」という幻想がつぶれてしまうのです。
民主主義に代わる制度はまだ見出されていません。中国のように強い党を作って、党の中でトップにたどり着いた
人にやらせるのがいいのか、それもあまりよくないかもしれません。かといってどうしたらいいのでしょうか。天皇
陛下にまたお願いするということも考えられないし。
第4章  時間の使い方とライフスタイル
日本の朝は遅い?
 
 
パン屋さんが開いていない
 
私が日本に来て強く感じたのは、「日本の朝は遅い」ということです。日本人は「自分たちが朝遅い民族だ」とい
う自覚はあまりないと思いますが、ドイツに比べれば、二時間くらい遅いと思います。
留学生として京都に来ていた当時のことです。朝の七時ごろ、焼きたてのロールパンを買い求めるためにパン屋さ
んを捜していましたが、ようやく見つかったその店の開店時間はなんと朝の一〇時。そして閉店時間もなぜか夜の一
〇時。ドイツでは考えられないことでした。
何しろドイツでは政府が飲食店以外の店の閉店時間を午後六時に決めていましたから、それ以降は何も買うことは
できないのです。おまけにドイツでは土曜日の昼から月曜日の朝までは、どこの店もシャッターを下ろします。
この法律の狙いは、店員を雇い主の搾取から守ることです。その分、平日の開店時間も早い。どんなに遅くても、
八時にはたいていの店は開いています。
ましてや焼きたてのロールパンをみんなの朝ごはんに間に合うように提供することが命だとされているパン屋さん
は、日が昇る前の六時ごろには開いています。
 
学校は日の出前に始まる
 
ドイツでは通学も出勤も、朝の六時ごろです。ドイツの六時といえばまだまだ外は真っ暗です。
実はドイツの日の出は日本よりかなり遅く、日の入りも遅いのです。例えばお彼岸のころの東京の日の出は五時半
ごろです。したがって、もし朝六時に出勤したとしても外はもう明るい(そんなに早く出勤する日本人はあまりいな
いと思いますが)。
一方、私が子どもの頃に住んでいた南ドイツの町では、お彼岸のころの日の出は七時半。東京よりも二時間も遅い
のです。遅い理由の一つは、ドイツにサマータイムがあることです。
ドイツでは毎年、三月の最終日曜日から一〇月の最終日曜日まで、時間が一時間、前倒しになります。ですから、
もしサマータイムがなければ日の出は六時半なのですが、時計が一時間前倒しになっているので、日の出の時間が七
時半にずれるのです。
そもそも東京より日の出が遅い上に、サマータイムもある。だから日の長い夏至のころを除けば、一年の大半、朝
の六時というのはまだまだ真っ暗な時間なのです。大人も子どもも暗闇の中、ひっそりと家を出ます。
学校の一時間目が始まるのは七時過ぎですから、そのころもまだ、外は暗い。学校は基本的には午前中だけ。お昼
前には六時間目が終わります。小学校も高校もそうです。
家に帰ってお昼ごはんを食べて、午後は全部自分の時間です。宿題をしてから友だちとサッカーなどをします。親
も出勤するのが早いので、暗くなる前には家に帰ってきます。
学校には給食もなければ、保健室もありません。ウサギ小屋もありませんし、部活にも日本ほど力を入れていませ
ん。したがって、子どもの健康管理をするのも、命の大切さを教えるのも、親であると相場が決まっています。
ドイツ人が理解している「親」の意味は単なる「保護者」ではなく、教育者です。それもあって、親はできるだけ
早く家に帰り、家にいる時間を長く取ります。
一方、日本人は明るくなってから家を出て、暗くなってから帰宅するのが当然です。ドイツとは真逆です。「早く
家に帰らねば!」という焦りはまったく感じません。
むしろ早く帰ると「あなたはなんでこんなに早く帰ってくるの?」と家人にガッカリされてしまいます。
 
帰宅が遅いと機嫌がよい
 
欧米には「人は人のオオカミなり」という諺がありますが、日本ではオオカミよりむしろ、「亭主、元気で留守が
いい」というオカミサンの存在が怖いのでしょう。
帰宅時間が遅ければ遅いほど、「よくがんばったわね!」とオカミサンの機嫌もよく、晩酌のお許しも得やすい。
「結果がすべて」の欧米と、「がんばるのが一番」の日本の差でもあるでしょう。
情けないですが、ネルケ家もそうです。私は三時四五分に起床し、二時間の坐禅をします。そのとき、妻と子ども
はもちろん、まだ寝ています。
坐禅のあと、私は家族とではなく、寺の修行者たちと朝食をいただきます。六時四〇分、寺の修行者たちの朝食が
終わり、応量器が片づけられると掃除が始まります。このあたりで家人はようやく布団から抜け出します。
子どもたちは朝ごはんを食べているときに、「遅いよ。スクールバスに間に合わないよ!」と妻から怒られていま
す。「あなたも何か言ってよ!」と、私までが責められています。
私が「夜はもっと早く寝て、朝はもう少し早く起きて、ゆとりを持って行動すれば?」と言うと、逆効果です。
「早く起きたって、だらだらするだけよ! 私だって早く寝たいけど、あなたが汚れた作業着で床を汚すから、掃除
も片づけも時間がかかるのよ、あなたのせいで!」と責められる。
どうやら、同じ屋根の下で生活していても、ドイツ人と日本人の時間の使い方、感覚は違うようです。また、私が
寝たあとの夜の時間は、妻にとってほっとできる唯一の時間帯のようですから、そういった意味でも「早寝早起き」
にはなれないでしょう。
 
日本人の居眠り
 
ドイツ人は早寝早起き。しかし、日本人は、夜寝るのが遅くて、睡眠時間も短い。だからなのか、日本では昼間に
ウトウトしている人がとても多いと思います。
ブリギッテ・シテーガさんという方が書かれた、『世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味が
あった!』(CCCメディアハウス)という本があります。一〇年ほど前に、ドイツで出版されて、日本語訳も二、
三年前に出た本です。
シテーガさんは日本学の先生をしている方です。この本は一般人のためにわかりやすく書かれていますが、元は彼
女の博士論文で、居眠りという現象を、けっこう深いところまで追究しています。
彼女の説によると、睡眠には三つのパターンがあるそうです。
一つめは欧米で当たり前とされている、夜に八時間ほどまとめて寝て、朝起きるパターン。
二つめのパターンはシエスタです。お昼に二時間も三時間も昼寝をするという文化です。シエスタは資本主義の影
響でなくなりつつありますが、昔のスペインやイタリアでは、昼間に何時間も休むのが当たり前でした。なぜなら地
中海のまわりは昼間暑くて、とてもじゃないけれども働けないからです。何もできないから寝てしまう。そしてシエ
スタの後は再び起きて活動します。その分、夜寝るのは遅い。
三つめのパターンは日本やアジア諸国のパターンです。夜寝る時間が遅くて睡眠時間は短いけれども、日中、機会
があればウトウトする。大学の講義中にも寝る。会社の会議中にも寝る。ちょっとでも時間が空いていたら寝る。坐
禅や瞑想の途中でも寝る。
私は日本に来て「瞑想中に寝る人がこんなにもいるものか!」と驚きました。ドイツでは瞑想中に寝る人をあまり
見たことがなかったからです。社会人経験がないので、会社の会議ではどうかわかりませんが、ドイツでは高校や大
学でも、授業中に寝ている人はいませんでした。
日本人のウトウトは最近に限った話ではありません。昔の江戸時代の浮世絵にも、居眠りしている人たちの姿が描
かれているそうです。夜遅くまで起きていて、昼間にウトウトするのは日本人のお家芸なのでしょう。江戸時代であ
れば、夜は夜這いしていたかもしれないし、俳句を書いていたかもしれません。
地中海沿岸の人たちみたいにまとまった昼寝はしないけれども、ケースバイケースで、機会があれば寝るという文
化が、日本も含む三つめのウトウトパターンなのです。
 
横にならないと眠れない
 
ドイツ人は電車の中でもウトウトしません。ドイツ人が電車で居眠りしない理由として「寝ていたら何か盗まれる
かもしれない」という不安も関係しているかもしれませんが(最近治安が悪くなっているので)、それはそもそもの
原因ではありません。
夏休みになるとみんな地中海に行ってビーチで寝ています。パラソルを立てて無防備に寝ています。ですからドイ
ツ人が家に帰って鍵をかけてからでないと寝られないとか、他人の近くでは安心して眠れないというわけではないの
です。
つまりどういうことか。私もそうですが、ドイツ人は横になって寝ようと思えば一日一〇時間でも寝ることはでき
ます。しかし、坐っている状態ではなかなか寝られないのです。坐って寝る習慣がないので、横にならなければ寝ら
れません。たまには坐ったまま眠れる人もいるでしょうが、眠れないドイツ人のほうが多いと思います。ビーチでも
坐って寝る人はいません。みんなちゃんと横になって寝ています。
だからドイツでは、電車の中でもほとんどの人が起きています。窓の外の景色を見る人もいれば、本を読んでいる
人もいれば、隣の人と会話を始める人もいます。
ドイツ人に言わせれば、寝るのだったら横になって気持ちよく寝たいのです。日本人のようにウトウト眠るのはあ
まり気持ちよくないのです。寝るのであれば、最低でも一時間、二時間、深く眠りたい。一〇分、一五分で目が覚め
て、ウトウトするというのは気持ちよくないのです。
 
朝遅い自覚がない
 
日本人は昔から農業をやっていた民族なのに、なぜ朝が遅いのでしょうか。農業は朝早く起きて、水遣りや、草取
りなど、いろいろな作業をしなければなりません。特に冬は日が短いですから、日が昇ったときに外に出ていなけれ
ば、完全に負けです。
理由を考えてみると、一つはドイツから見ると、日本はけっこう南にあるからかもしれません。日本をこのままの
緯度でヨーロッパまで持っていくと、南イタリアとかモロッコ、チュニジアのあたりになります。ですからドイツに
比べれば緯度はけっこう低い。夏は暑いから涼しい夜に遅くまで起きていて活動する。それで自然にちょっとずれて
しまったのでしょうか。
日本より南のタイなどでは、さらに夜行型で、夜になると市場が開きます。夜になるとみんな外に出て買いものを
したり料理をしたりして楽しんでいます。朝はたとえ店が開いていても、店のおじさんが寝ていたりします。日本以
上に「みんな午前中はいったい何をやっているの?」という感じです。
逆に北欧では寒すぎて、冬だと朝の三時、四時に自然と目が覚めてしまいます。体を動かさないと寒くてたまらな
い。だから朝早くから外に出て行動するようになったのではないかと思います。
 
安泰寺は早寝早起き
 
ネルケ家は早起きできなくて致し方ないにせよ、安泰寺は修行寺ですから朝が遅いというわけにはいきません。
私が安泰寺の住職になってまず変えたのは、寺の一日のスタートを七五分早めたことでした。そして、一日の作務
が始まる前の「作務ミーティング」を導入しました。
以前は夕方の「ティーミーティング」兼「反省会」はありましたが、作務を始める前の朝の段取り打ち合わせはあ
りませんでした。
ですからみんなが暗くなるまでアクセク働いて破れかぶれになっても、段取りが改善されることはなかったので
す。「効率が悪すぎる、無駄な苦労だ!」とイライラしつつも、ただひたすらがんばる、という効率の悪い状態がで
きあがってしまっていました。
た ぐるま
例えば田んぼの草取りの場合は、とにかく雑草がまだ見えないうちに田 車 を押して取り除くのがポイントです
が、ほかのことで忙しいと、どうしても「まだ見えないから、いいだろう」と高をくくってしまいます。今日やるこ
との段取りも、その日の目標の合意もないから、面倒な作業はみんな自然とパスしてしまっていたのです。
そして数日がたち、いざ雑草が稲の間で伸び始めると「大変だ、稲が負けそうだ!」と慌てて皆が手当たり次第に
田車を押し始めます。ところが、素人の目に留まるまで雑草が伸びればもう手遅れなのです。田車を押せば草ばかり
いた
ではなく、稲までも 傷 めてしまいます。その結果、真夏の炎天下皆が手で雑草をとるはめに……。
目的と段取り、効率を考えて作務を行わないと、後手後手になってしまうというよい例です。最後には、「今年の
収穫はだめだったけど、みんなでよくがんばったから、しょうがないなぁ」ということで自分たちにエールまで送っ
てしまいます。
がんばったのは別にいいのですが、スタート地点で狂ってしまっていたことに気づかなければいけません。それが
なければ、いくら「一生懸命にがんばろう」、「何とかせねば」といったところで、どうにもなりません。そのこと
を自覚して、先手を打つように思考回路を変えなければ、ただのガンバリズムで終わってしまうのです。
 
朝遅いから後手後手になる
 
第二次世界大戦のときの「竹やりで戦車に向かう」作戦もしかり。原発事故が起きたときも、丸一日は「大丈夫か
もしれない」とのんきに過ごし、天井が吹っ飛ぶのを見て、「やっぱり大変なことになってしまった、誰か命がけで
水をまいてくれ!」と、手遅れになって初めて本気になった。これは日本人の悪い癖でしょう。
この根性の元は、やはり、子どものころから早起きして一日の流れを自分の努力で決める体験をしていないことと
関係している気がします。起きていたら、日はもう昇っていた、朝ごはんを食べていたら、もう学校の時間だった。
学校が終わったら、日はもう沈んでいた。いつも時間に追われていた。管理されていた環境に身をおいていた……。
自主的に時間を使い、自分の時間を過ごした経験がないのです。
これでは「私の時間を、私が創造する。この一日は私のもの」という感覚も、「私の行動の責任は、私以外の誰に
もない」という考えもまったく育ちません。ですから、いざ「有事」のとき、誰もリーダーシップを取れないので
す。最後まで他力本願です。命を捨てる「救世主」が現れたときには、だいたいはもう遅いのです。悲しいことで
す。
 
 
 

がんばる日本人はえらいのか?
 
 
テンションの差
 
ドイツ人なら、会議に出席するならば、会議をする。でも日本人は、場合によっては、会議のときでもうたた寝を
しています。だからこそ、夜の八時、九時、一〇時まで仕事が続いているのでしょう。
ドイツ人は朝からテンションが高いから、夕方の五時にもなれば、ガス欠を起こします。日本人は中途半端にやっ
ているつもりはないでしょうが、ほどほどのテンションでしか仕事をしませんので、そう簡単にはガス欠を起こしま
せん。
それはいいこととも言えますし、逆に効率が悪いとも言えます。仕事がいつまでも続いているけれども、本当に進
んでいるかというと、進んでいないのです。仕事をしているかのように見せているだけではないかという疑いが生じ
ます。
 
がんばる日本人
 
安泰寺でも日本人を見ていて「いつまでも作務をしているが、本当に必要なことをやっているのだろうか」と思う
場面がよくあります。作務をチームでやっていると「もうやめようじゃないか」とは誰も言い出しません。そう言っ
て「おまえは怠け者だ!」と責められることを恐れているのです。
作務が午後三時までと決まっていれば、ドイツ人であれば、まだ終わっていなくてもそこでやめます。日本人は、
三時で終わっていなければ、まだ続ける。三時を過ぎても片づけをしたりしています。
ある意味では真面目にやっているのですが、それならなぜ最初から三時までに終わらせるように工夫しないのかと
思います。
「作務はこうしたほうが効率よくできるのではないか」、とアイデアを出すのも、どちらかといえばドイツ人など
の欧米人です。
丸太を運ぶときは、両肩に一本ずつ持っていけばいいのに、なぜか日本人は片方の肩にしか丸太をのせません。倍
の時間がかかるのに、なんで両肩にのせないのだろうかと思います。
ドイツ人だったら右肩にも左肩にも丸太をのせます。重いけれども、そうすれば二往復しなくて済みます。そうい
う考え方が日本人にはなかなかありません。「時間があるんだから、三時までに終わらなければ延長すればいいじゃ
ないか」と思っているのです。
日本人は真面目にがんばるし、残業もしてくれるけど、ちょっと働きが悪いと感じます。最初から無理をしないよ
うに、アクセルを全開にしないで、いつも五〇パーセントぐらい。もう少しアクセルを踏めば早く終わるのに、なぜ
なのだろうかと疑問です。
 
安息日に働いてはいけない
 
安泰寺はお寺ですが、休日というものもあります。しかし休みの日も日本人は何かこそこそとやっています。別に
やらなくてもいいようなことを、こそこそといつまでもやっているのです。
それは、「怠け者と思われたくない、がんばっていると思われたい」ということの表れです。本当は何の意味もな
いけれども、がんばっている姿を見せることに意味があると思っています。
ドイツ人から見たら、「休みの日になんで働くのか」と思います。
キリスト教、ユダヤ教の旧約聖書には、
「神様ですら、六日間働いて一日ぐっすり休んだ。だから人間も、シャバット(安息日)は仕事をしちゃいけな
い」と書かれています。
休む権利があるのではなくて、休む義務があるのです。オフするときは、ちゃんとオフしなくてはいけません。一
神教でも特にユダヤ教は厳しくて、シャバットには車すら乗ってはいけないとか、いろいろ厳しい規則があるらし
い。
ドイツはそこまでは厳しくありませんが、日曜日は商売をしてはいけないと決まっています。日曜日は休む日だか
ら、スーパーもデパートも開いていません。日曜日は仕事をする日でもなければ、買いものをする日でもないので
す。
だからその日は芝刈りもしてはいけません。芝刈りをしたら「日曜日なのに、隣人が芝刈りをした。休む日なの
に、うるさくて休めない!」と警察に通報されます。日本では考えられないことです。逆に日本人なら「日曜日でな
ければ時間がないから、今日こそ芝刈りしなくてはいけない」と思うかもしれません。でもドイツではだめなので
す。
 
日本人の愛情
 
一見、勤勉そうな日本人ですが、私が安泰寺で普段の日本人の仕事ぶりを見ていて「これは効率が悪いのでは?」
と思うことは、ほかにもあります。
掃除は終わっているのに余計なところまで磨いている。さっき一回拭いたのに、また同じところを拭いている。そ
のような掃除の仕方をするのは日本人だけです。
さん
ドイツ人から見ると、ただの時間つぶしにしか見えません。「普段使わないような障子の 桟 だとかを拭いてみた
り、埃が落ちていないところにはたきをかけてみたり何をやっているのだろうか。だったら休むか、しなくてはいけ
ない別の仕事を見つければいいじゃないか」と思うわけです。
しかし、日本人からすると、「埃は落ちていないように見えても、毎日掃除をするところはする」ということに
なっています。別に汚れているから掃除をするのではなくて、いつも自分の住むスペースをきれいに保ってかわいが
るため、自分が生活するスペースの「愛撫」という意味で掃除をしているのです。汚れていないけれども、とにかく
毎回拭いてあげる。効率や成果のための掃除ではなく、ある種の愛情表現として掃除をしています。
ドイツ人はやらなくちゃいけないことは完璧にやる主義だけれども、場所やものにたいする日本人のような愛情は
ありません。逆に日本人から見るとドイツ人のやりかたは愛情が足りていないように見えるかもしれません。
日本人はゴミを捨てるときですら、きれいに洗ってから捨てます。ドイツ人は分別には気をつかうけれども、捨て
てしまうゴミなのだからきれいにして捨てるなどということはしません。効率が悪いから。
日本人は捨てるときにすら、愛情があります。今までお世話になったものを手放して、新しいものを買うのだけれ
ども、そのお返しの気持ちでものをきれいにするのです。
いや、ドイツ人だって、まったく愛情がないかというとそういうわけではありません。朝、最愛の奥さんにチュー
をしてから仕事に行ったりとか、日本人がしないような感じで手を撫でたりとか、いろいろやっています。それでな
んの効率が上がるのか、なんの意味があるのかと問われると、何の効率も上がらないし意味もない。単なる愛情の表
現です。
日本人にとっては、愛情が男女の間でそういう形で表れることはないけれども、掃除や仕事に対して愛情が表れて
いるのかもしれません。
 
「がんばっている」はけなし言葉
 
「がんばることが一番。結果が出なくてもいいからとにかくがんばれ!」
日本の小学校ではたまに言われるフレーズですが、ドイツの学校では絶対に言われません。
例えば通知表。ほかに褒めることが何もない生徒ならば、先生は「彼はいつもよくがんばっている」と書きます
が、それを親が見ると、「そうか、うちの子はだめなのか」と理解します。「いつもがんばっている」ということ
は、結果が出せていないということなのです。ドイツでは「彼はいつもがんばっている」というのは、人をけなすと
きに使う言葉なのです。
会社をやめて、別の会社に就職したい、そのときに前に勤めていた会社の上司が推薦状を書かなければいけない場
合に、その部下のことが憎いなら「彼はよくがんばっている人です」と書くのです。
「彼はみんなが帰ったあとでも夜遅くまでがんばっている人です」と書かれれば、「彼は余程頭の悪い人なんだ、
能力のない人なんだ」ということになってしまいます。逆に「彼は少ない時間で、少ない労働で結果を出す人物で
す」と書くと、「ああ、なるほど。採用しよう」と理解します。
ドイツ人は「結果が出ないならば、がんばったって意味がないじゃないか」と思っています。「がんばらないで怠
けていて結果が出ないのはわかる。がんばったのに結果が出ないのはもっと悪い」とドイツ人は考えます。結果を出
さないのは悪いことだけれども、がんばって結果を出さないのはもっと悪い。
日本でも結果を出すことは大事だけれども、がんばったならば、結果が出なくても許される節があります。
ドイツではそれはないのです。「結果を出せ」と言われます。少ない労働で結果を出せたならば褒められます。い
かに少ない時間で、少ない手間で結果を出したか。それが自分の自慢にもなるのです。
 
早く帰るのが美徳
 
ですから会社から早く帰ることは美徳とされています。早く帰らない人は、仕事ができない人だと判断されます。
仕事ができていれば、五時前には帰れるはずだからです。
それができないというのは、段取りが悪いのか、がんばりが足りないのか、頭が悪いのか、いろんな原因が考えら
れますが、九時までオフィスに残る理由はないはずなのです。
頭がいいか、要領がいいか、能力があるか。頭がよくなければ、何かのノウハウ、何かの技術を持たなければいけ
ません。車屋だったら、土日も働いて車を修理するのではなくて、車屋としての技術をもって、金曜日の夕方四時ま
でに、一週間の仕事を終えられる腕が必要です。
ドイツ人が結果を出せなかった場合は、言い訳をします。「こういう原因があって結果を出せなかった」とはっき
り言います。「すみません。がんばったけれどもだめでした。次はもっとがんばります」ということは絶対に言いま
せん。「こういう原因があって、結果が出なかったけれども、その原因は自分ではなくて、こういうことにありま
す」と、長々と言い訳をします。
要するに、がんばったということは慰めにならないのです。がんばらなくてだめだったのなら、能力不足ではな
い。しかし、がんばったのに、できなかったならば、人間失格と言われたのも同然で、落ち込んでしまいます。
がんばる姿勢は見せなくていいのが、ドイツ。がんばる姿勢は見せなくていいし、見てほしくもない。ドイツ人は
結果を見てほしいのです。
 
 
 

日本の「内と外」、ドイツの「私と他者」
 
 
温かい挨拶の理由
 
私はドイツで会社勤めをしたことがないので実際の経験はないのですが、ドイツの会社では、朝、オフィスの一人
ひとりと目を合わせ、握手を交わしながら「おはよう!」という習慣があるようです。私が大阪のドイツ領事館に初
めて行ったときにも、領事に初めて会ったときには、当然ながら、目をしっかり見て、力のこもった握手をしまし
た。
ドイツだけでなく、ヨーロッパであれば、どこでも温かい挨拶を交わします。南ヨーロッパでは、男性と女性の場
合はハグをして、ほっぺにキスをします。東ヨーロッパになると、男性どうしでもハグをしてキスをする習慣があり
ます。まだ東ドイツがあった時代に、テレビのニュースで東ドイツの首相とロシアの大統領が、男性どうしでキスの
挨拶をしているのを見て「えっ!」と思ったことがありました。東ヨーロッパは非常に温かいのです。
握手をし、ハグをして「明るく、前向きに、仲良くしようじゃないか!」と表現することは、日本人から見ると、
非常によいことのように見えるかもしれません。もちろんそれは、ポジティブなことなのですが、本心が必ずしもそ
うではないからこそ、せざるを得ないということが多いのではないかと思います。
なぜこのような温かみのある挨拶をするのか、その一つの理由としては、ヨーロッパが昔から戦争の多い地域だか
らということがあります。多民族が一緒に生活しているけれども、本当に相手を信じてよいかどうかがわからない。
だから自分が武器を持っていないという証拠のために右手を出す。「私たちは友達ですよ」と示さなければ、あるい
はハグしてキスまでし合わなければ、「相手が本当は敵ではないか」という疑念が抜けません。
日本では「山の向こうの人が敵かもしれない」という疑念は昔からなかったと思います。相手を疑う気持ちがそも
そもないので、いちいち手を出して握手をして「愛してる! 友達だよね!」と確かめ合わなくていいのです。
キリスト教徒は「隣人愛、隣人愛」と言いながら、ずっと戦争をしていますが、逆に戦争ばかりしているから、愛
ということが前面に出てきているとも言えるのです。
 
 
「内と外」という概念
 
日本の会社では、毎日、相手の目を見ていちいち握手するなんてことはしませんが、それには、日本人の「内と
外」という概念も関係していると思います。
日本では内輪に対しては、明るく、ポジティブでいる必要がありません。家庭でもそうです。家庭は内輪ですか
ら、別に相手に気をつかう必要がありません。日本の場合は会社も内輪で、いわば大きな家庭のようなものですか
ら、同僚の間でもそんなに気をつかわなくていいのです。
ましてや上下関係で自分より下の人に気をつかう必要はありません。下の人は自分より上の人に気をつかう必要は
ありますが、逆のことはないのです。上司が部下の一人ひとりにわざわざ握手をしながら「おはよう! 今日もよろ
しく!」と愛を表現する必要はないのです。
でもこれが取引先になるとどうでしょう。もうそれこそ、満面の笑みで、前向きに、ポジティブに、相手に絶対に
不快感を与えないように、日本人は気をつかうのではないでしょうか。
スーパーのレジでもそうです。レジにいくら小銭がなくたって、お客さんが一万円札を出したら、どうにかしてお
釣りを出さなくちゃいけないし、レジに列ができたら、次々に、閉じていたレジが空いて、お客さんを待たせないよ
うにするのが日本人です。
 
赤の他人には不親切
 
日本人はお客さんや取引先には満面の笑みで親切。でもその割に、赤の他人にはフレンドリーではありません。自
分と何らかの形でつながっている他人には、ものすごく気をつかうけれども、電車でたまたま隣に坐っている赤の他
人には、あまり気をつかわないのです。
電車の座席も、自分が知っている人ならば譲るけれども、赤の他人にはあまり譲りません。この二、三〇年で変
わっているかもしれませんが、昔は電車の中で席の譲り合いをあまり見ませんでした。
赤の他人との間には義理人情の関係が成り立っていないわけですから、譲る必然性がない、要するに、「知らない
人に譲ったってなんになるのか」という気持ちなのでしょうか。それとも、逆に「ここで座席を譲ってしまったら、
相手に恩を着せることになりかねない。それでは申し訳ないから、居眠りのふりでもしよう」と、相手を気づかって
いるのでしょうか? いや、そこまで考えている日本人はあまりいないでしょうけれども、譲って断られたときの気
まずさや、譲ってその場に居続けるときの居心地の悪さなどを考慮して、譲ることを「遠慮」してしまう人も多いで
しょう。「遠慮」はもとより、「気まずい」とか「居心地悪い」といった概念を植えつけられていないドイツ人の私
には、そのあたりの計算がよくわかりません。
 
自分か他者か
 
日本では内と外をはっきり分けて、内に対しては気をつかわないけれども、外に対しては気をつかうという文化が
あります。家の中では気をつかわないけれども、家を出たら、お隣さんには他人行儀に、愛想よく挨拶する。そして
ことわざ
赤の他人は無視する。旅の恥はかき捨て、という 諺 もあるくらいです。
しかしドイツ人には、内と外という概念は日本ほどありません。ドイツではそもそも家庭の中でも割と他人行儀な
のです。同じ家族なのに、気をつかったりします。兄弟でも、みんなそれぞれの部屋があって鍵をかけるのが当たり
前、部屋を出てリビングに行けば、そこは共有スペースですから、そこではお互いに気をつかわなくてはなりませ
ん。
 
和辻哲郎が『風土』(岩波書店)という本の中で述べていますが、ドイツでは自分の部屋から一歩出たら、外の世
界なのです。自分の部屋では裸でいてもいいけれども、リビングに出たら、パジャマもだめです。家族でさすがに握
手はしませんが、けっこう他人行儀ではあります。
その一方で、お客さんには日本ほど気をつかいません。ドイツにも「お客さんは王様(Der Kunde ist König.)」と
いう言葉がありますが、誰も本心でそうは思ってくれません。ウエイターやウエイトレスは日本ほどお客さんに気を
つかいませんし、レジの人もお客さんにそんなによくしてくれません。
私がいたベルリンが特にひどいのかもしれませんが、レジで三〇分以上待ったことは何度もあります。特に土曜日
は最悪です。
ドイツのスーパーは土曜日の昼に閉店して、月曜日の朝まで開きません。ですから、土曜日の午前中に買いものに
行くと、レジで三〇分は待たされるのです。そんなときに「一〇〇ユーロしかないから、これでお釣りを」などと言
うものなら、「銀行で両替してもらってから、もう一度来なさい!」とレジのおばさんに怒られます。土曜日で銀行
が開いているわけがないのに……。
レストランでも長く待たされます。ウエイトレスもあまりやる気がありません。元気なときはいいのですが、ウエ
イトレスが最低の気分だと、お客さんにもそれが伝わってきます。
ウエイトレスのサービスも大雑把。ヨーロッパの中でドイツ人は几帳面という評判ですが、日本人と比べるとだい
ぶラフです。食事をテーブルに置くときも、飲みものを置くときも、日本ほど丁寧ではありません。コーヒーを置い
たときにちょっとこぼれるとか、日本ならあり得ないようなことが日常茶飯事です。
 
他者は平等
 
しかし電車の中で年をとっているおばあさんがいたら、自分が知っている人かどうかに関わらず、ドイツ人は席を
譲ります。
新幹線や飛行機でも隣の人とよく喋ります。日本人であれば、隣に坐っている赤の他人のおじさん、おばさんと、
いきなり会話をすることはまずないと思いますが、ドイツ人なら、みんな会話をします。
例えば日本からドイツまで飛行機で行くときには、一〇時間もお隣さんが隣に坐っているのだから、会話の一つ、
二つでもしないと、逆に「この人はなんなんだ」ということになります。赤の他人だけれども、たまたま隣に坐った
以上は、人間どうしのコミュニケーションをとらなければならないのです。
いつもお世話になっているとか、これからお世話になるといったことはまったくありません。この一回限りの長時
間の飛行機の旅だけれども、天気の話をしたり、日本人だったら絶対にしないような、移民の問題や、原発の問題に
ついても話します。宗教の話などの深い話に発展する場合もあります。
相手が異性であっても話をします。日本だったら、私が飛行機や電車で若い女性に声をかけることはなかなかでき
ません(おじさんであっても話しかけられません)。しかしドイツでは当たり前のように、「きみはどこまで行くん
だ? へえ、そこにはなんの用事があるんだ? ぼくはあっちまで行くんだけれども」と普通に話をします。
空港で入国するときでも、「きみのこのスーツケースは洒落ているね」と、警察官が友達のように話しかけてきま
す。作務衣で電車に乗ると、「きみは空手家なのかい?」などと、友達でもない人から聞かれます。
本を読んでいる人を見れば「きみ、なんの本を読んでいるの? おもしろいの? ぼくも読もうかな」とか、「ぼ
くはこれを読んだことがあるけど、つまらなかったよー」とか、いろいろな話をします。日本人だったらそんなこと
で赤の他人に話しかける人はいないでしょう。
 
ドライだからオープン
 
日本人から見れば、こういった行動をするドイツ人はフレンドリーに映るかもしれません。
しかし、フレンドリーというよりは、オープンなのだと思います。なぜオープンかというと、ドライでもあるから
です。電車から降りたらそれで終わり。それからずっと年賀状を交わすわけでも、名刺を交換するわけでもありませ
ん。
日本は「内輪」と「いつもお世話になっているつながりのある人」と「赤の他人」がはっきりしていますが、ドイ
ツではそれほど違っていないのです。「自分以外の人は、みんな他人」なのです。
他人にはある程度は気をつかうけれども、この人は内輪だから気をつかわなくていい、この人はお世話になってい
るお得意さんだからペコペコする、この人は赤の他人だから無視してもよい、という三段階には分けられていなく
て、「他者は他者」、それだけです。
自分の親から、たまたま電車で隣に坐っている赤の他人に至るまで、自分ではない以上、みんな「他者」という意
味では平等なのです。オフィスでもそうだし、家庭でもそう、電車でもそう。平等だからどこででもフレンドリーに
話します。しかし、日本人がお客さんに気をつかうほどの気はつかいません。
 
安泰寺での理想像
 
安泰寺では、日本的な「内と外」、ドイツ的な「私と他者」のどちらを理想としているでしょうか。
そうりん
安泰寺では外国人と日本人が一つの 叢 林 として一丸となって修行するのが理想です。実際の修行者を見ていると、
日本人はグループを作りがちで、「私たちは安泰寺で修行をする団体である」という内輪のような意識を持ちやす
い。外国人はグループを作らず一人ひとりが「安泰寺でおれの修行をやる」という「私」の意識が強いのではないか
と思います。
しかし、禅寺としては、日本的な「内と外」、ドイツ的な「私と他者」の善し悪しはまったく問題になりません。
仏教に「自他一如」という言葉があるように、私も他者もなく、内も外もないのが理想なのです。
人間は我という幻を持っています。「私」というものが幻であるにもかかわらず、その幻に支配されているという
現実は禅寺にもあるわけですけれども、我という幻を見破って、それに支配されないという状態が理想なわけです。
道元禅師は『正法眼蔵随聞記』の中で「自分を忘れて、ただ他に従うこと」と言っています。「他に従う」という
ことは、この文脈の中では、まわりの人、師匠や先輩の指導などに従って動くということです。自己中心的に動くの
ではなくて、自分のわがままを手放して、ただ全体に従っていく。安泰寺の中で、「私」が「私の修行」をしてしま
うと、いつまでたってもまわりが見えてきません。
ですから安泰寺では、「内と外」と「私と他者」のどちらがいいということではなくて、つながりの中で生きなけ
ればならないのです。
しかし、つながりの中で生きなければならないとはいえ、つながりに甘えて、自分の主体性を棚に上げてしまうの
もよくないのです。主体性を持ちつつ自分を投げ出さなければなりません。
一時間の坐禅にしたって、自分が坐ろうと思わない限りはできません。隣の人が居眠りしたから自分も居眠りして
しまうのでは修行にならないのです。ですから他に従うと言っても、結局は「私」がするしかないのです。お釈迦様
も「自己の拠り所は自己のみ」とおっしゃっています。
無我なのだけれども、結局拠り所はこの私しかないという逆説の中で、修行をしなければなりません。それができ
ないと、安泰寺で五年、一〇年の修行をしていざ山を降りたときに、筒から抜けたヘビのように、簡単に元に戻って
しまいます。元の木阿弥なのです。
第5章  ドイツ人が驚く日本人の柔軟性
ドイツ人は天命を探し続ける
 
 
乗り越し精算機
 
どれほどの日本人が電車に乗ってから行き先を変えるのでしょうか。ドイツになくて日本にあるもの、それは電車
の乗り越し精算機です。日本人はこれを本当に必要としているのでしょうか?
私は乗り越し精算機にお世話になったことはありません。だから、ドイツにはないけれども、「これがあれば便利
だな」と思ったこともありません。
みどりの窓口まで行く時間がないようなとても急いでいるときであれば、一〇〇〇円だけ入れて、一〇〇〇円分の
切符を買って、実際に着いたらそこで足りない分を払うことはあるかもしれません。そういう意味では精算機は必要
かもしれませんが、時間に余裕があれば、最初から目的地までの切符を買います。
東京では地下鉄に乗ってから、「銀座に行こうと思っていたけれども、渋谷にしよう」ということがあると聞きま
す。銀座に行こうとした人が途中で渋谷の用事を思い出した。今だったらスマホで連絡が取れるから、実際に電車に
乗ってから行き先が変わるということもあるのかもしれません。そういう時は、乗り越し精算機で追加料金が払える
のは確かに便利です。しかし、最初の目的地の手前で降りることになった場合は、どうするのでしょうか。途中でこ
ろころ行き先を変える日本人には乗り越し精算機のほかに、払い戻し精算機は必要ないのでしょうか?
ベルリンにも、東京ほど複雑ではありませんが、いろいろなところに行ける地下鉄があります。しかし、私自身は
電車に乗っている最中に、「ああ、やっぱりこっちじゃなくてあっちに行きたい」と、行き先を変えようと思ったこ
とは一度もありません。ベルリンのクーダム※1に行きたいときは、クーダムまでの切符を買って、クーダムで降りま
す。途中で何があろうが絶対に変えません。
 
行き先を決めるドイツ人、決めない日本人
 
ドイツ人は、途中で行き先を変えない。日本人は意外と気軽に変える。その一つの例が、乗り越し精算機に現れて
いるわけですが、仕事の現場でもこれを実感することがあります。
例えば、会社で何か新商品を作ろうという企画を立てた場合、ドイツ人は動き出すまでに、かなりの時間がかかり
ます。ああでもない、こうでもないと考えて、ディスカッションをします。でも一回決まったら、その通りに進まな
いとだめで、融通がききません。
一方、日本人はフレキシブルです。日本人ももちろんミーティングをして決めますが、ドイツ人から見ると、けっ
こういきなり始める印象があります。「まずやってみようじゃないか」と行動を開始します。うまくいくかどうかは
わからないけれども、まずやってみて、そして案外気軽に、途中で変えるのです。
本を出す場合だったら、出版社の人が「とにかく書いてください」と言ってきます。でも途中で、「これじゃだめ
だから、違う内容にしましょう!」と言うのです。割とよくあることです。
ドイツだったら、はっきりした企画書があって、その時点で契約書にサインをして、お金の半分は前払いでいただ
いて、その企画書の通りに書かなければいけません。期日までに書けないと契約違反になります。
日本は割とフレキシブルで、その日までに書けなかったら、二週間延ばそうということになります。契約書は下手
をすると最後までありません。本屋に本が置いてあるのに、まだ契約書がないこともあります。
 
岩をぶっ壊す
 
ドイツでは「決まったことは動かせない」という文化が確かにあります。電車の精算機に関して言えば、ドイツに
もあったほうがいいと思ったことはありませんが、まずやってみて問題にぶつかったら、解決策を探そうじゃないか
という日本人の姿勢は見習いたいものです。
ドイツ人は問題があったら、まっすぐこれを突き抜けて行こうとします。岩にぶつかったら、岩をどかすか、壊さ
なければいけないと考えるのです。自分がまっすぐ進むと決めたならば、そこに岩があろうが、壁があろうが、それ
をなくさなければ、進めません。
日本人は柔軟に、水が流れるように、右に行ったり左に行ったりして岩を避けます。まわり道をして別の道を探す
こともあります。いつでもやり直せるというか、途中で方向を変えて修正できるということは確かにあると思いま
す。
 
ドイツのフレキシブルな大学制度
 
ドイツではグルンドシューレ※2が四年で終わって、その後は、ギムナジウム※3とハウプトシューレ※4とレアル
シューレ※5に進路が分けられます。
一度、ハウプトシューレに入ってしまうと、あとで修正してギムナジウムに行って、大学に進むということはなか
なか難しい。そういう意味では、学校教育にもドイツ流の「途中で行き先を変えない」という考え方が表れていま
す。一〇歳の時点で人生の路線、生き方が決まるのです。
しかしそれに対して日本がフレキシブルに路線、生き方を変えられるかというと、実はそうでもありません。日本
人はいったん大学に入ると、それ以降の進路変更が難しくなります。同じ大学の中で学部を変えることも難しけれ
ば、途中で別の大学に変えることもあまりありません。
しかしドイツでは「最初は哲学を専攻したけれども、心理学を知りたい」と思えば学部を変えることは簡単にでき
ます。三〇歳になって初めて、「おれはやっぱり医者になりたい」と思ったら、それまで物理を勉強していた人が医
学部に入るというのも、よくあることです。
途中で大学を変えることも別におかしなことではありません。日本では東京大学から地方の大学に転籍したり、そ
の逆というのはあまり考えられないと思いますが、ドイツではベルリン自由大学に入学したけれども、途中でハンブ
ルク大学に行くとか、さらにそれからボン大学に移るなどということも問題なくできます。
それができるのは、ドイツの大学には入学試験がないからです。試験がないので、高卒の資格さえあれば、誰でも
大学に入ることができます。
ただし、入るのは簡単でも、卒業するのはちょっと大変です。私が学生をしていた二五年前は、最低でもマスター
までいかないと卒業できませんでした。卒業までの年数は特に決まっておらず、六年でマスターを修了する人もいれ
ば、一〇年、二〇年かかる人もいます。
「入るのが簡単でも出るのが難しい」というのは、マラソン大会を想像すればわかりやすいかと思います。マラソ
ンにはフルマラソン、ハーフマラソン、一〇キロ、三キロ、といろいろな部門がありますが、フルマラソンを走りた
いと思えば、誰でもフルマラソンにエントリーできます。エントリーは自由。走れるかどうかは、スタートを切って
からの話です。
ドイツ人から見ると、日本の大学は「このタイムじゃないとフルマラソンに出られません。あなたは東大に入れま
せんよ」と、エントリー時点での条件が非常に厳しい。しかし不思議なのは、厳しい条件のためにみんな猛練習を積
むのに、いざスタートを切ると四年間、ダラダラと遊びながら歩いていることです。誰も走りません。
ドイツでは誰でも大学というスタートラインに立つことができます。しかしスタートを切ると、その後は一生懸命
に走ります。
実際に走りきれるかどうかは、本人次第。結局三〇歳、四〇歳まで大学に在籍していたけれども、結局卒業できず
にドロップアウトする人もいます。その人にフルマラソンは無理だったということです。最初はフランス文学を勉強
してみたけれども自分に合わないから、法学部に入り直す。法学部で何年か勉強したけれども、それも合わない。こ
ろころ変えたけれども、結局何も卒業せずに中退してしまう人は日本より余程多いと思います。
 
長いインターン
 
就職する前のインターンの期間も、ドイツでは非常に長いのです。日本人のように、二二歳でバリバリ社会人一年
生として働く人はあまりいません。
私の親もようやく三〇歳で就職しました。私が生まれたのは両親が三〇歳のときですが、それまでは大学生でし
た。私のまわりでも三〇歳、四〇歳まで大学に行って勉強している友達は普通にいました。
とはいえ、そんな年齢まで大学生でいて、中年になってからようやく就職するのでは、社会全体にとっての損失で
す。
日本やアメリカのように二二歳で使える若い人材を社会に送り出そうという声は、最近のドイツでも聞こえてくる
ようになりました。会社や世の中にとってはそのほうがいいのではないかということで、本人にとっていいかどうか
は別として、ドイツの大学の制度は変わりつつあります。アメリカや日本のように「大学を四年で卒業できるように
しましょう」という動きが始まっているのです。
 
会社を変わるのは当たり前
 
会社に入ってからの考え方もドイツと日本では大きく異なります。特に昔の日本の考え方では、「この会社のサラ
リーマンになったら、定年まで働く」という文化があったと思います。 パナソニックならパナソニック。日立なら日
立で一生働くという終身雇用制です。
一方、ドイツではあくまでも就職は一つの通過点です。それは自分のキャリアの踏み台にすぎません。ボッシュに
入ったけれども、途中でシーメンスに替わって、いずれはベンツでも仕事をするというのは当たり前のことです。
それを会社も当たり前だと思っています。今は雇っているけれども、いずれはほかに行ってしまうかもしれないと
思っている。ですから才能がある社員がいれば、早い段階で給料を上げて、その人を逃がさないようにします。
日本の場合は会社は家族です。ですからそれを途中で変えるというのは、子どもが思春期に入って「私は新しいお
父さんが欲しい!」と隣の家に移るようなもの。とても非常識だと考えられています。
つまり大学や、職業に関していうと、むしろ日本よりドイツのほうが路線を変えやすい部分もあるのです。グルン
ドシューレを一〇歳で卒業する時点で、「おれは将来、肉体労働者でいいんだ。親もそうだったし、おれもそれ以上
は才能がない」あるいは、「いや、おれは医者か弁護士になりたい」と決めなくてはいけないのは事実ですが、むし
ろ大人になってからは、日本よりドイツのほうがフレキシブル。キャリアが変えやすいという面があると思います。
 
職業は天命である
 
なぜドイツ人は大学を変えたり、学部をころころ変えたり、会社をどんどん変えたりするのでしょうか。弁護士を
目指していたけれども、途中から医者を目指すというのは、ドイツ人にはあまり違和感がありません。いろいろ挑戦
してみた人は逆に評価されるという節もあります。それはなぜでしょうか。
その理由は、職業というドイツ語の意味に関係しています。職業はドイツ語で「Beruf」と言います。「Beruf」に
は天命という意味があります。神様が定めた自分の定めです。
ドイツ人にとっては、職業と定まった天命がマッチするのが理想なのです。神様は自分が生まれる以前から「この
人は弁護士にしよう」とか「この人は医者になってもらおう」と決めていたはずで、それを自分で見つけたい気持ち
がドイツ人にはあります。
しかし、問題は神様が天命を教えてくれないことです。だから、「弁護士が自分の天命だと思っていたけれども、
どうも違うのではないか」と疑問に思って「ひょっとして医者じゃないか? 私の定まった天命は医者だ!」と医者
に路線を変えてみたりします。哲学が好きで始めたけれども、「哲学は自分の天命ではないようだ。本当は芸術家が
天命じゃないだろうか?」と考えて、絵を描き出す人が出てくるわけです。
職業は天命ですから、会社に関しても、たまたま就職できた会社でいいという考えはドイツ人にはありません。日
本人は別に天命だとは思っていませんから、たまたまパナソニックに就職できたら、パナソニックで一生働きます。
パナソニックも世界的に有名な大企業だから、まあパナソニックにいようと思うのです。別に日立でもよかったけれ
ども、パナソニックでがんばろうと思うのが日本人です。「ひょっとしたら私の天命は日立だったんじゃないか?」
と思っている人はまずいないと思います。逆に日立に合格したとしたら、もうずっと日立なわけです。
 
運命の人を探す
 
男女関係にもそれが表れています。ハリウッド映画やグリム童話もそうですが、だいたいどんなストーリーにも、
運命の出会いがあります。「この人じゃないとだめだ。自分はこの人に出会うためにこの世に生まれてきたんだ!」
という強い男女観があります。
こういう男女観があるからこそ、離婚も多いのです。結婚して二、三年経つと、「いい人なんだけど、私の運命の
人じゃなかった……」と、ころころ変わります。そしてまた運命の相手を探します。
「生まれる以前から決まっていた運命の相手ではないようだけれども、まあ多少歯車がかみ合わなくたって、柔軟
に修正しながら妥協し合い、我慢し合おうか」という発想はありません。
そこまでいろいろ天命どうこうを考えると、「この人が運命の相手だ」と思うのに、時間がかかるのではないか、
晩婚になるのではないか、と思われるかもしれません。しかし、日本人と比較してドイツ人の結婚がそれほど遅いと
いうこともありません。ティーンネイジャーほど、「この人が天命の人だ!」という幻想を持ちやすいものです。だ
から、早く結婚して、子どもを産む人も少なくありません。
 
最善か無か
 
ベンツの工場見学をしたとき、壁には「最善か無か(Das Beste oder nichts.)」と書かれていました。無というの
は禅の考える無ではなくて、ゼロ。無価値なものという意味です。
最善のものを作り出すか、もう最初から何もしないか。この場合はベンツという車の商品について言っています
が、自分の人生においても、同じです。七〇パーセントでも八〇パーセントでもだめ。結婚相手も八割、九割の相手
はだめで、一〇〇かゼロしかないのがドイツ人です。
結局のところ、ドイツ人には妥協するという才能があまりないのです。多数決で決まったことには従うけれども、
妥協はしたくありません。
多数決をして手を上げて、五一対四九だったら五一の勝ち。勝ったほうに従うというのはドイツではよくあること
ですが、日本人はむしろ全体の空気を読んで、みんなが少しずつ譲り合うほうがいいと思っています。
しかしドイツ人は譲ることも妥協することもできません。自分の就職にしたって、結婚にしたって、譲りたくない
のです。自分に合った、完璧にマッチしたものを欲しがります。日本人みたいに、ちょっとだけ角度を変えるとか、
ちょっとだけここで回り道をして、元に戻るというような妥協ができないのです。ゼロか一〇〇かなのです。
しかし、仏教の考え方からすると、完璧に自分にマッチするものを手に入れるということはあり得ないことです。
そもそも私というものがないのだから、私にぴったり合うものもあるわけがないのです。私に世界がマッチすること
もあり得ません。だから、いつまで経っても、ドイツ人は「ああでもない、こうでもない」と運命のものを探し、迷
い続けているのです。
しかし、そんなドイツ人でも年をとって大人になれば、一〇〇パーセント自分にマッチするものはないということ
になんとなく気づき出します。
 
妥協しない禅僧
 
私は禅僧として生きていくと早い段階で決めました。それしかやりたいことがなかったからです。安泰寺で修行し
ている途中で挫折したこともありますし、もう自分には無理かもしれないと感じたこともありますが、ほかのことを
しようとは思いませんでした。「これが無理だったら何をやったってだめだ」、という確信に近いものがあったから
です。
それこそ岩には何回もぶつかりましたが、そこで「あっ、あそこにも魅力的な道がありそうだ。行ってみよう」と
いう気持ちにはなりませんでした。そうではなくて、「この岩が動くまでは、押してみよう」と取り組んだのです。
それは日本的な妥協とは違います。「坊主は自分の天命じゃないかもしれないけど安定した生活ができるかもしれ
ないからやり続けよう」と妥協したわけではありません。「天命かどうかはわからないけれども、この岩を突き抜け
てやろう!」という強い意志があったと思います。
それが持てなくなったときに、ドイツ人は躊躇することなく路線を変更するのです。
 
 
 
マルチタスキングは日本人の才能である
 
 
部屋の数だけあるテレビ
 
私が日本に来て驚いたのは、狭い家なのに、テレビが部屋の数だけあるということです。リビングにはもちろんあ
りますし、台所にもあります。お母さんが朝ごはんを作っている横でもテレビが流れています。それぞれの寝室にも
あります。
私のドイツの家には、テレビが一台しかありませんでした。実家は三階建ての大きな家ですが、テレビは一台だけ
です。そのテレビは、普段はついていません。
テレビを見るときは、家族全員がテレビの前に集まります。夜、八時になると「tagesschau」という一五分間の
ニュース番組が始まります。八時一五分からは映画があったり、ディスカッション番組があったりします。いろいろ
流れるけれども、それらをみんなで集まって見ていました。
食事をしながら見ることはないし、作業をしながら見ることもありません。見るときは、集中して見ます。テレビ
の話題について、家族で話し合うこともあります。
だけれども日本では、いつもリビングのテレビがついて、食事をしているときも、テレビが流れているのです。
ホームステイ先のファミリーのお母さんは、テレビが流れている台所で料理をしていました。料理をしている間、
ずっといつも見ているわけではありませんが、何かおもしろいことがあると、さっとテレビに気が振り向くのです。
 
オンなのかオフなのか
 
あの状態というのはいったいオンなのかオフなのか、その中間なのでしょうか。みんなで会話をしながら、食事を
楽しみながら、一つのインプットとしてのテレビがあるのでしょうか。日本人にとっては、テレビも風景の一つなの
でしょうか。オンになったりオフになったり、よくわかりません。
ドイツ人からすると、テレビを見るなら集中して見たいし、見ないなら邪魔になるだけです。仕事をしているとき
は消します。私が本を書いているときに、もし横で妻がテレビをつけたら邪魔になって集中できません。けれども日
本人なら逆に、そういう雑音があったほうが落ち着くという人もいると思います。
ドイツ人の感覚ですと、腕のいい寿司屋の板前さんは、寿司を握っているときは集中していると考えます。だから
私は寿司屋にはテレビがないと思っていたのです。しかしどこの寿司屋にもだいたいテレビがあります。板前さんも
ときどきテレビを見ますし、平気でお客さんと喋りながら寿司を握っているのです。
 
気にしない日本人
 
私は昔から禅に興味があったので、最初に日本に来たときには大徳寺や龍安寺を見に行きました。どこもそうだっ
たというわけではないのですが、枯山水の石庭などを見に行くと、ところによっては石庭の説明のナレーションが
テープで流れていました。「石庭はいつ誰によって作られて、どういう意味があって……」と女性の声がテープで流
れて、石庭を案内してくれます。
あの案内は、ドイツ人からしたら「うるさい」の一言です。静かに石庭を見に来ているのに、なぜそこにテープの
音声が流れているのか。
店の外まで大音量の音楽や宣伝を響かせる日本の薬局。ホームセンターもそうですし、スーパーもうるさい。それ
ぞれの店が、店の中でも外でも繰り返しテープを流しています。
店で流しているのが大事な情報や優しい音楽だったらまだしも、ただの自分の店のコマーシャルであることがほと
んどです。その店で今ショッピングしているのはわかっているのだから、いちいち店の名前を連呼されなくてもいい
と思う。
お客さんとして行ってもうるさいのに、そこで働いている人の気持ちを考えるとかわいそうでたまりません。朝か
ら晩まであれを聞いていなくてはいけないのです。いつもお客さんのことを考えて丁寧なサービスをしている日本人
なのに、どうしてこんなうるさいのかと思います。よくもそういうふうに自分を苦しめたり、お客さんを苦しめたり
するものか……。
そういう店はドイツだと誰も行かなくなり、間違いなくつぶれてしまうでしょう。
 
聞き流せないドイツ人
 
日本人は雑音をなんとも思っていません。禅的に解釈すれば、聴覚をありのままに受け入れているとも言えます。
しかしドイツ人にそういう才能はありません。隣の家の芝刈り機の音を、単なる雑音として聞き流すドイツ人はなか
なかいないのです。微細な音でも、雑音は騒音に聞こえてしまいます。
日本では選挙になるとみんな「よろしくよろしく」と叫んでいますが、ドイツでそんなことをすれば、「おれが休
んでいるときにうるさい。そんな選挙運動をするような人にだけは、おれは票を入れないぞ!」となるはずです。
ドイツでは掃除機をかけるときも気をつけなければいけません。私のようにドイツ人と日本人が一緒に暮らしてい
て問題になるのは、私が原稿を書いているときに妻が掃除機をかけると、ものすごく邪魔だということです。
「おれが今仕事をしているのに、なんで掃除機をかけるのか!」と怒鳴りたくなりますが、妻からすると「なんで
掃除機をかけているだけなのにそんなに怒るのよ。そのまま仕事を続けなさいよ! 私はなんの邪魔もしませんし、
あなたが原稿を書く邪魔にはなっていませんよ」と言う。しかしこちらからしたら「いや、集中したいんだから騒音
を出すなよ」と思うわけです。
ドイツ人は日本人のように、オンでもないしオフでもないし、いろんな雑音を受け止めながら、受け流しながら
ファジーにやることをやる、ということがまったくできないのです。
 
おれの邪魔をするな
 
坐禅をするときも、最初のころはやはり雑音が気になっていました。ベルリンの道場でも、交通の音が聞こえてく
ると、気になってイライラしていました。
最初に安泰寺に来たころは、安泰寺の山の静けさが毎回の楽しみでした。そのころは留学生として京都に住んでい
ました。当時の京都の街もそんなにうるさいところではなかったのですが、やはりいろんな雑音が耳に入るので、静
かな山の中で坐禅ができることが楽しみだったのです。
しかしあるとき安泰寺に来てみたら、安泰寺の付近で地滑り対策の工事が行われているではないですか。ダムを作
るためにトラックが近くを通り、騒音を出しています。
日本人はそれをあまり気に留めることなく、ぐっすりと居眠りをしているのですが、私はものすごくイライラして
「おれがここで坐禅に集中したいのに、なんで工事のトラックが通ったりするんだ!」と憤慨していました。
今は、こういうことがあります。接心になると、安泰寺では朝の四時から二一時までの間に、五時間の坐禅を三回
きんひん
繰り返します。五時間の坐禅の間にトイレに行きたい場合は、 経 行 ※6の時間に、ちょっと外のトイレに行ってきて
もよいことになっているのですが、そのとき、人によっては廊下をバタバタと音を立てて歩いたり、ガシャーンと音
を立てて扉を閉めたりするのです。
それを聞くと、やっぱりイライラします。「くそお!」という気分になります。マインドフルネスが足りないとい
うのもありますが、「おれの邪魔をしやがって!」という気持ちが強いのです。
もし日本人の堂頭※7だったら、「廊下を歩くときには、音を立てないように気をつけましょう。静かにしましょ
う」と言うのではないかと思います。それは自分が集中できなくてイライラするから指導するというよりも、マイン
ドフルネスのポイントだから言うと思うのです。静かにするのも修行で、音を立てるのはよくないから指導する。
しかし私の場合は逆です。人の修行のことはどうでもよく、音が聞こえると自分がイライラするから指導するので
す。
 
マルチタスキング
 
マルチタスキングという言葉がありますが、ドイツではマルチタスキングは悪いこととされています。いろんなこ
とを同時にすることはよくないという考え方があります。

特に瞑想をする人であれば、呼吸を観るときは、呼吸だけに集中をして、食事をするときは、ただ噛んで噛んで、
それに集中すべきだと言われています。経行をするときは、ただただ足の裏の感覚に集中します。
日本人はコーヒーを飲みながら仕事をするそうですが、ドイツ人は仕事のときは仕事をする、コーヒーを飲むとき
は仕事のスイッチをオフにしてコーヒータイムを同僚と楽しみます。
もしコーヒーを飲みながら仕事をしていれば、「仕事をしているのにコーヒーを飲んでいる場合じゃないだろ
う?」と言われてもおかしくありません。「コーヒーを飲んでもいいんだけれども、それだったらちゃんと休憩し
て、ティールームのティーテーブルでお茶なりコーヒーなりを飲んでからデスクに戻りなさい」というのが普通の感
覚です。
アメリカ人はそういう意味では日本人と似ています。私は大学時代に、臨済宗のお寺で一年間ぐらい修行をしてい
ました。そのときに、福島慶道老師の通訳としてアメリカに行ったのですが、どこの大学の学生も、大きなマグカッ
プを持って教室に入ってきて、コーヒーを飲みながら老師の話を聞いていました。
ドイツではあり得ないことです。ドイツも今ではアメリカナイズドされているかもしれませんが、三〇年前、教室
にコーヒーを持ち込む人はいませんでした。もちろん先生も同じです。ゼミのときは勉強する。講義のときには先生
の話を聞く。そのときにはコーヒーを飲まない。ましてやものを食べることはありません。
 
運転も集中して真剣に
 
運転するときでも、ドイツ人は日本人ほど運転席の横のドリンクスタンドに飲みものを置いて、飲みながら、とい
うことはありません(アウトバーン※8だから危ないというのもありますが)。
ドイツ人はカーナビも使いたくないのです。なぜなら運転に集中したいからです。カーナビが横からいろいろ言っ
てくるとうるさくて運転に集中できません。真剣に運転しているのに、カーナビに「右に曲がれ、左に曲がれ」と言
われると、うるさくてたまらない。迷ったならば、パーキングエリアで止まって、地図を見るなりカーナビで調べる
なりします。両方を同時にはできないのです。
私も車にカーナビをつけていません。どこかに講師として呼ばれて行くときは、グーグルマップで調べて、道を頭
にインプットします。音楽に関しては音痴ですが、方向音痴ではないので自信があります。一度、グーグルマップで
調べて頭に入れれば、迷うことはありません。
一昔前のカーナビだと、自動的にアップデートされないという不都合もあります。以前、古いカーナビがついてい
る車で運転したことがありますが、ある道を前にしてカーナビが「ここで右に曲がれ」と言いました。でも実際には
目の前に新しい道路ができているらしい。こういうとき、私の場合は一〇〇パーセント自分の直感を信じます。いく
らカーナビが右に行けと言っても、「ここを真っ直ぐ行ったほうが早そうだ。この道はたぶんつながっているから
こっちに行こう!」と判断します。
妻と一緒に車に乗っていると「ちょっと! カーナビがこう言っているんだから!」と言われますが「いやいや、
こっちのほうが早いぞ」と言って、その通り進む。それでだいたい合っている。たいていカーナビに勝つのです。だ
からカーナビが特に必要ないという事情もあります。
昔の安泰寺
今の安泰寺は禁煙ですが、私が来た当初は、私の師匠も私の先輩も、ほとんどみんなタバコを吸っていました。 
さらに一代さかのぼると、私の師匠の師匠の代では、みんな夜のティーミーティングのときも、タバコをふかしな
がら「今日はこんなことがあって、明日はこんなことをする」と話していたそうです。
さ れい
坐禅のときはさすがにタバコを吸っていなかったそうですが、茶 礼 という、普通だったらかしこまってお茶をいた
だきながらいろいろ挨拶をしたり相談したりするその席ですら、タバコを吸っていたらしい。私が来たときにはさす
がにそれはなくなっていたけれども、過去はそうだったと言います。
てん ぞ
私の師匠の代になってからも、いま考えるとあり得ないことですが、 典 座をしながら、つまり料理をしながらタバ
コを吸う人がいました。タバコ片手にかまどで料理をしていたのです。
その様子を見かねた私の師匠が、「タバコを吸ってもいいけれども、料理のときは料理に集中しなさい、区切りの
いいところで休んで、外で五分、一〇分休んでタバコを吸いなさい」と指導しました。ドイツ人からしたら、「そん
なことぐらい、言われなくてもわかることじゃないか!」と思いますが、その人の感覚では、料理とタバコは同時に
どちらかしかできないものではなかったようです。
 
ハンデを負うドイツ人
 
寿司屋の板前さんがお客さんと喋りながら、また、テレビで流れていることに注意しながら、同時に寿司が握れる
のはすごい才能だと思います。仕事をしながらでも、おいしくコーヒーが飲めるというのはある意味才能だと思いま
す。
ドイツ人にはそういう才能がないのです。仕事をするときは仕事をする。コーヒーを飲むときはコーヒーを飲む。
仕事をオフにしないと、落ち着いてコーヒーが飲めないのです、
ですから、ある意味では、それがスムーズにできる日本人はすごい才能を持っていると思います。テレビが流れて
いる部屋で仕事ができないドイツ人は、むしろすごいハンデだと思うのです。ドイツ人は、仕事をオフにして初めて
テレビをオンにできます。仕事をオンにするためには、テレビをオフにしないとできません。
経行にしたって、禅の場合は呼吸に合わせて一歩を踏み出します。だからもちろん足の裏の感覚も感じなくてはい
けませんが、同時に呼吸も観察しなければいけません。前の人、後ろの人との間隔も意識する必要があります。マル
チタスクの才能が必要です。
ましてや車を運転するときにはハンドルも握っていなければいけないし、前も見ていなければなりません。バック
ミラーも見なければ危険です。ラジオで交通情報が流れたら、それも同時に情報処理しなければ安全に運転すること
はできません。
日本人は「欧米人に比べて切り替えが下手だ」と悩んでいるかもしれませんが、それは美徳でもあると思います。
オンでもない、オフでもない、すべてに開かれた状態で、仕事ができるのはすばらしいことだと私は思います。
 
 
 

ドイツ人は日本で車にひかれそうになる?
 
 
日本で運転を覚える
 
私はドイツでは運転免許を取りませんでした。まわりはだいたい日本人と同じように一八歳になったら免許を取っ
ていましたが、私はそのころから禅僧になろうと思っていて、ゆくゆくは仙人のような生活をするのではないかと
思っていたので、運転免許は一生いらないと思っていたのです。
しかし、日本に来て、実際に安泰寺で生活を始めてみたら、車がないとどこにも行けません。山の中でもトラク
ターを動かしたり、トラックで丸太を運んだりしなければなりません。運転免許がないと役に立たないということに
気づいて、日本で免許を取りました。
 
日本人の運転はルーズ
 
日本人は交通法に則って運転をしていると思いますが、割とルーズです。日本人自身にルーズだという自覚がある
かどうかわかりませんが、ドイツ人から見ると、非常にルーズです。
日本の交通法では「左方優先」というルールがありますが、それを知らない日本人は意外に多い。
私は日本に来た当初、自転車に乗っていてひかれそうになったことが何度もあります。車に乗っている人は当然、
交通ルールを知っていると思っていましたが、知らないのです。
優先道路が決まっていない交差点では、実際は相手の出方を伺いながら、たまには左から来た人が先だし、たまに
は右から来た人が先ということが起きています。多くの日本人が気にしているのは、右とか左とかに関係なく、曲が
るほうの人が止まって、まっすぐ行く人は先に行くということです。
自転車と自動車の関係も、日本では微妙なところがあります。自転車も車両なので、交通法では車と対等なはずで
すが、自転車が止まって自動車を通すことが多い。割と適当です。
ドイツで在学中のころ、日本人の先生から「東京では車より自転車のほうが早い」と言われ、その理由として「車
は赤信号で止まらなければならないから」と聞いて、びっくりしたことを覚えています。
横断歩道の規則も相当ルーズです。私は日本に来て、何回もひかれそうになりました。なぜかというと、横断歩道
なのに、車が止まらないからです。ドイツ人の私は、車が来ていても、横断歩道だから躊躇することなく進みます。
ところが、車は自分が優先だと思っていて止まらないのです。
免許を取るときには、「まず渡る人を確認する。渡ろうとする人がいれば、止まる。いなければ、進む」と学んで
いるはずですが、歩行者が待ってくれるだろうと思って、止まらない。それで間違って歩行者が進むと、ひかれそう
になるのです。どうしてなのでしょうか。ぶつかれば、痛いのは歩行者の方だ、とわかっているのでしょう。
警察官がそこに立っているときだけ、ちゃんと停止します。近くの保育所の前の横断歩道もそうです。普段は子ど
もたちが横断歩道の前で待っていても、車はスピードを落とさないけれども、たまに警察官が朝の八時前後にパト
カーをそこに止めると、あら不思議、みんなちゃんと停止します。
 
ルールは絶対
 
ドイツではそんなことは絶対にありません。横断歩道では車が必ず止まります。相手が歩行者であれ、自転車であ
れ、こちらがベンツに乗っていたとしても関係ありません。必ず止まります。
赤信号を無視すれば、車だけではなく、自転車であれ歩行者であれ厳しく注意されて罰金を取られます。なにし
ろ、ルールはルールですから。
ドイツでは車も自転車も交通規則は一緒です。自転車専用のレーンがなければ、車も自転車も一般道路を走りま
す。自転車で歩道を走ろうものなら罰金を取られます。
ドイツは日本と逆で右側通行ですから、信号機も優先道路もない交差点では右方優先です。子どもでも一般道路を
自転車で走っていますから当然知っています。そのルールは絶対です。相手が自転車であってもルールはルールだか
ら、必ず車は止まります。ところが自分が正しいと思ったときには進む。相手をひいても進みます。
ハンドルを握れば人が変わるということはドイツではよくあることで、特にアウトバーンでは昼間は一六〇キロぐ
らい、夜中になるとみんなさらに出して二〇〇キロぐらいで飛ばしますが、どんなにスピードを出していても、交通
ルールは絶対的に守ります。
追い越したら、すぐ右側の車線※9に戻りますし、いつまでも戻らないと後続の車にライトを照らされます。
日本の高速道路では、追い越しは右側からでなければいけないのに、右が混んでいるからといって左から追い越す
人がよくいます(本当によく見かけます)。しかし、もしドイツでそんなことをしようものなら、追い越されたほう
はイライラして、いつまでもアクセルを踏んで、その人を追いかけ続けます。
「おまえ、おれを間違って追い越したな! 追い越してはいけないときに追い越しやがって!」となって、アウト
バーンでハリウッド映画のようなカーチェイスが起こったりするわけです。
ドイツ人にとってルールは絶対です。譲り合うとか、相手の出方をうかがうとか、そういう気持ちはありません。
ぶつかっても絶対に行くのです。
だから私は日本の横断歩道で車が止まらないで当然のように行くと、ものすごく腹が立つのです。自分は歩いてい
るのだから止まるのは別になんともないし、一秒、二秒のロスでしかないけれども、「おれの権利を、あいつが奪い
やがった!」とすごく腹が立つのです。
 
ぶつかっても進め!
 
私は日本で運転するときも、横断歩道では必ず止まりますが、日本人の子どもたちは、なかなか横断歩道を渡って
くれません。自分のために、まさか車が止まってくれているとは思わないので、渡らないのです。たぶん親や学校の
先生に、「車が見えてきたら待ちなさい」と教えられているのでしょう。
日本人は、横断歩道では「右を見て、左を見て、もう一度右を見て、いなければ手を挙げて渡りなさい」と教えら
れています。ドイツ人からすると、それはおかしい。車がいないのを確認したら、もう手を挙げる必要はないし、
「車が来ているのなら、手を挙げて渡れ!」というのが、ドイツ人の考え方です。
「ぶつかったら怪我をするけれども、おまえには横断歩道を渡る権利があるのだから、そこで権利を譲っちゃいけ
ないよ。ぶつけられたらおまえが痛いんだけれども、ぶつかる覚悟で行け!」とドイツでは教えられます(みんな
ルールを守るのでぶつかる人はいないのですが)。
だから私は日本で何回も何回もひかれそうになったけれども、それでも止まろうとは思いません。ルールは絶対だ
からです。
ルールは絶対的に守ればスムーズにいくのです。譲り合い、思いやりの精神はドイツ人にはありません(特にアウ
トバーンでは)。
日本人は「ルールはこうだけれども、ぶつけるぐらいだったら、ブレーキを踏もう。ぶつけるよりも譲ろう」とし
ます。しかし、ドイツ人はぶつけてでもルールを通さなくちゃいけないという頭があります。
 
日本の美徳
 
日本人の心の美しさ、これをバカにするつもりはありませんし、ドイツ人が見習わなければならない点はたくさん
あると思います。
ドイツではルールが絶対ですから、騒音問題でも警察沙汰になったりします。日曜の昼間に芝刈り機を使うことな
ど、原因は些細なことがほとんどです。人間関係でも、自分が正しいと思ったら譲らない。議論がいつまでも続く。
友達どうしでもそう。夫婦でもそうです。
自分ではそれが決して「ドイツの国民性の美点」とは思いません。むしろ、「ぶつけられるくらいなら、道を譲ろ
う」という日本人の柔軟性・現実性も見習いたいと思います。
しかし日本では、譲り合いや思いやりを、多くの場合、強者が弱者に無理やり要求しているのではないかと感じま
す。正義より命、それにも一理あるでしょうが、正義もルールも法も何もないから、場当たりに振る舞い、よく言え
ば臨機応変、悪く働けば命まで落としかねないのが日本なのです。
 
 
 

ドイツ人はなぜ原発全廃止を決断できたのか?
 
 
ドイツの原発全廃止
 
日本では東日本大震災の際、とんでもない原発事故が起きました。チェルノブイリに次ぐとかチェルノブイリと同
等だとか、それほどの規模の事故でした。
しかし、それにもかかわらず、現状、日本では原発問題にいまだ決着がついていません。原発が一時期全部止まっ
て、現実的にはそれでも間に合っていたのに「じゃあ、やめてしまえ」という結論にならないのです。
一方で、ドイツでは「二〇二二年までに全廃止する」という決着がついています。ドイツも日本も経済大国で、安
い電力を必要としているのは一緒ですが、ドイツは早々にこのような決断をくだすことができたのです。
その違いはどこにあるのでしょうか。
 
原発もオンかオフかのドイツ
 
原発問題のような場面でも、ドイツ人の頭には、オンかオフしかありません。ドイツにも日本と同じようにあちこ
ちに原発がありますが、まず大きく違うのは、原発の立地です。
ドイツでは原発が、特にライン川のような大きな川の近くにたくさんあります。大きな高速道路のすぐ側や、ある
いは人口の多い都市の近くにもあります。ドイツの原発はとかく人目につくところにあるのです。日本人の感覚から
すると「なんでこんな目立つようなところに作るのだろう?」と疑問を持つのではないかと思います。
ご存知のように、日本では東電はわざわざ福島に原発を作り、関電は関西ではなく、北陸の福井県、それも山の陰
の目立たないところに作っています。
それなのに、なぜドイツでは、いざというときに大変なことになるような、大都市の近くに原発を作るのか。その
答えは簡単です。「ドイツは原発が安全だという前提で作っていた」からです。
「これは安全だ! 大丈夫だ!」とドイツ人がスイッチをオンにすると、ケルンやフランクフルトに近かろうが、
大勢人が住んでいようが、ライン川の近くだろうが、安全なのだから作ります。むしろ街の近くのほうが送電するの
が簡単なのだから、それで何が悪いという頭になります。
しかし、福島の原発事故を見て、原発が完璧に安全ではないことがはっきりした。ドイツだってまったく地震がな
いわけではないし、九・一一のときのようにテロリストが原発に飛行機ごと突入させる可能性もある。それでドイツ
は「安全でない原発なんて全部やめてしまえ!」と決断したのです。これがオンかオフかのドイツ流です。
 
原発もファジーな日本
 
一方の日本は、ドイツと同じように「これは安全です」と言っておきながら、なぜか東電は福島に、関電は北陸に
原発を作っています。安全なのだったら東京ディズニーランドの横に作ってもよかったし、大阪USJの近くに作っ
てもよかったはずですが、わざわざ福井に作っている。しかもあまり見えないところに作るのです。私は福井県の小
浜で修行をしていたことがありますが、原発は小浜からも見えない、山の後ろに隠すように立っていました。
安全だったら隠す必要はないのに、なんであんな遠いところに作るのでしょうか。大阪まで送電するのに、何も福
井で作る必要はありません。大阪に作ったほうが効率はいいはずです。東電だって東京のお台場でよかったはず。
しかし、東電も関電もそうしないのは、万が一のことを考えているからです。
東日本大震災のとき、東電は「想定外だった」と言っていましたが、それは一〇〇パーセント嘘だと思います。事
故を想定した上でこそ、福島や福井に作っているのです。決して想定外ではありません。ちゃんと万が一のことを想
定した上で「悪いけれども、あなた方の田舎で、原発を作らせてもらえないか。これだけ補助金をあげますから」と
そのような考えでやってきたのが日本です。
このようなことは、ドイツでは絶対にできません。スイッチはオンかオフかだけですから、安全か安全ではないか
だけです。安全ならどこに原発を作ってもいいはずですし、危険なら田舎といえども作ってはいけないということに
なります。安全だろうけれども、万が一のことを考えて「たぶん何も起こらないだろうけれども、悪いからお金をあ
げます。これで我慢してください」というファジーな政策はドイツではあり得ません。
日本では、原発のある地域にはお金が流れるということもあって、原発がある町の人の中には喜んでいる人もいる
くらいです。町に仕事ができて、大きな体育館ができて、文化ホールができた。病院もできた。ほかの町では病院も
つぶれて学校も廃校になっているけれども、自分たちのところだけは原発のおかげで潤っている。
原発がある街に講師として呼ばれて行ったことがありますが、その町自体に反原発の人はあまりいませんでした。
原発の恩恵を受けて、みんな得をしているわけですから、万が一のことは考えずに、メリットを享受するほうを重視
するのです。
だけれども、そのお金は、隣町までは、あるいは県境を越えたところまでは流れません。ですからそういった原発
から少し離れたところで反原発運動が起こるという、おかしな事態が起きているのです。
 
理想が先か現実が先か
 
ドイツと日本の文化をごく単純に比較すれば、ドイツは男性的で日本は女性的だと言えると思います。男性は理想
を追いかける生きものだけれども、女性はそれと比べると現実的。なぜなら家庭に入り、子どもを産むと経済面を心
配しなくてはいけなくなるからです。必然的に女性にとっては現実が第一になって、夢は二の次になります。
男性はややもすれば、まず夢があって理想があって、現実はそのあと。現実は妻に押しつけて、自分は夢に生きが
ちです。
その違いは原発問題でどう表れているでしょうか。
ドイツは原発全廃止を決定しましたが、その際に、現実にできるかどうかまでは考えていません。「風と太陽のエ
ネルギーだけで生活する世界のほうがすばらしい」という理想をまずはっきりさせておいて、「できるかどうかはわ
からないけれども、とにかく理想としては原発がないほうがいいのだから廃止してしまおう。現実はあとからそれに
近づけよう、近づけることはできるはずだ」と決断したのです。
ですから、約束した二〇二二年に、完全にドイツが原発を止められるかどうかは、現段階ではわかりません。いざ
となったら電力をフランスから買わなくてはいけなくなるかもしれない、ロシアのプーチンからガスを買わなければ
いけなくなるかもしれない、あるいは原発を再稼動しなければならないことになるかもしれない、それはわかりませ
ん。できなかったらしょうがない。
けれども、「とにかくやめます」、というその理想の方針だけはすぐに立てます。お父さんが立って歩き出して、
お母さんがそれにがんばってついていくようなものです。
日本では関西と関東で周波数が違うために電力の売買が簡単にはできませんし、ましてやアジア大陸から電力を買
うということも現時点ではできません。ですから、「原発をやめます」と宣言することがドイツよりも難しいという
事情はあると思います。
しかし、それ以上に日本では「まずは現実を見ろよ!」という雰囲気のほうが強いのではないでしょうか。「現実
がこうなのにやめますとか、そんな夢を言ったらだめじゃないか」と言って、日本人は理想論に水をさす。夏は暑い
からクーラーをつけたいし、冬は寒いのを我慢したくない。三・一一のあとはしばらくエスカレーターも止まったか
ら階段を使っていたけれども、やっぱりエスカレーターが動くと嬉しい、そういう現実があります。
だったら「やめます」ではなくて、まず現実的に何が可能かを考えて、理想を現実に合わせようじゃないか、と考
えるのが日本です。ドイツとは逆です。
 
理想と現実の折り合い
 
安全なら街の近くでも原発を動かし、安全じゃないなら全部やめようとするドイツ。日本は原発問題でもファジー
そのもの。原発は必要だけれども東京都内には作ってほしくない。万が一の場合を考えたうえで、安全神話を語るの
ですから、よく言えば現実的なのが日本です。日本人には現実に適応して何が悪いという気持ちがあるのです。
しかしドイツ人にそういった考え方はありません。現実も大事だけれども、理想に合っていない現実ならば、この
現実を変えなくてはいけないという思いがあります。理想に合わない現実は変えなくてはいけない、変える義務があ
る、現実に支配されてはいけないという思いが頭にあるのです。「現実を見つめたうえで、次の現実を作ろう。明日
は自分たちの手で作ろう」という気持ちが強いのです。
ドイツ人は理想を掲げて、現実を理想に合わせたい。日本人は現実があって理想は二の次。
一概にドイツがいいとか日本がいいとか軍配をあげることはできませんが、現実ばかりを見ていると、そこに進展
はないと思います。そうかと言って理想ばかり追求しすぎると、かつての共産主義のように、無理に現実を塗り替え
て、その嘘が言えなくなった時点で崩壊するということになるでしょう。理想のない現実はつまらないけれども、現
実の見えていない理想は危険が漂います。
安泰寺も、ここに移転した四〇年前には「ここから世界を変えよう!」という理想がありました。京都の街中から

兵庫の山奥に寺を移転させて、もう一度、中国の禅僧のように「一日作さざれば一日食らわず」という理想を追求し
ようとしていたのです。「日本の仏経界に大革命を起こそう、世界のモデルになろう!」という大きな理想を掲げて
みんながんばっていました。しかし一〇年も経たないうちに、これは無理だということに気づいて、ほとんどの人が
山を降りてしまいました。
およそ一〇〇年前、「新しき村」という集団が日本に生まれました。武者小路実篤とその同志により、理想郷を目
指して宮崎県に作られた村ですが、その村も、「この新しい村から新しい共生のモデルを作ろう」としていました。
しかし、このようなユートピアを現実世界でやろうとすると、なかなか難しいところがあります。この村だけでは
なく、ほとんどのユートピア的なものは理想を実現できずに縮小していってしまう傾向があるのです。
 
理想の追求
 
私がドイツから日本に来たのもまさに理想の追求です。
一五年前までは、本気で死ぬまでホームレスで雲水をしようと思っていました。しかし、ホームレス雲水だってそ
れも多くの人に支えられてやっているだけであることに気がつきました。自分一人が粋がっても、この世界を変える
ことはできないことにも気づいたし、自分の理想というものも、他人から見ればたいしたものではないということに
も気づきました。
もちろん家族を持った今はいろいろな現実問題があります。また安泰寺の住職になったことで、自分のことだけ考
えていればいいというわけにもいかなくなりました。安泰寺で生活している人たちのことまで考えなくてはならない
のですから、理想だけではやっていられません。
理想が高ければ高いほど、現実世界で継続的にやるのは難しい。かといって、理想のない現実も人間としてつまら
ない。折り合いをつけるのは非常に難しい問題だと思うのです。
 
 
 

1 正式名は「クアフュルステンダム(Kurfuerstendamm)」。ベルリンにあるショッピング街

2 小学校のこと

3 大学進学を前提とした中等教育機関

4 職人になるための職業教育を行う学校

5 看護師、消防士、警察官や鉄道員になるための職業教育を行う学校

6 歩く瞑想のこと

7 禅寺における住職のこと

8 ドイツの自動車高速道路のこと。速度無制限区間がある

9 ドイツは右側通行なので、速い車が左を走る
第6章  野性的なドイツ人
ドイツ人は「かわいい」を理解できない
 
 
ドイツ人はロック好き
 
ドイツと言えばベートーベン。ドイツにはクラシック大国というイメージがあるかもしれません。しかしドイツ人
は、クラシックよりも、ロックを好む人のほうが実は多いということをご存知でしょうか。
私も若いころからクラシックにはあまり興味がありませんでした。友達の中にはクラシックが好きな人もいます
が、どちらかというとロックとかパンクやヘビメタが好きな人が多いのです。
古いものを大事にするドイツ人が、なぜクラシックではなくロックを好むのか。それは、ドイツ人は自分にも強い
個性を求めているし、音楽の歌手やバンドにも個性を求めているからだと思います。
ドイツではロックはある程度アクが強いものだと思われています。みんなと同じような曲を作るミュージシャンは
売れません。個性があって、アクの強いものでなければ、まず売れない。
ベートーベンも出た当時は、アクが強かったかもしれません。私は、クラシックがあまり好きではありませんが、
ベートーベンだって、一〇〇年、二〇〇年前のロックみたいな部分があるとは思います。特にモーツアルトと比べる
とそうでしょう。モーツアルトはポップで、ベートーベンはロック。モーツアルトは軽くて明るくて、ベートーベン
はヘビー。
しかし、今のドイツ人のイメージとしては、クラシックの音楽は磨かれている、あまりにも磨かれすぎていて、ア
クが抜けてしまっている。炭酸が抜けたコーラみたいなイメージです。
ポップ好きとロック好きの割合を考えてみても、それが明確です。ドイツ人でもポップが好きな人はいますが、
ロックの好きな人のほうが圧倒的に多い。ロックには個性があって、ポップには個性が少ない、なんとなくポップの
ほうが、炭酸が抜けているイメージがあるからだと思います。
二〇年ほど前にデビューした、「ラムシュタイン」というドイツのバンドがあります。世界的に売れていますが、
これがまさに「ゲルマンのロック」という感じです。アクが強くて格好いいのです。
 
アイドルが理解できない
 
日本人に人気のある音楽はなんでしょうか。アイドルでしょうか?
アイドルというものはドイツにはありません。アメリカでは最近、『エックス・ファクター』という番組があっ
て、大人たちの手で一人の歌手を作り上げるというプロジェクトをやっています。ソングライターがいて、デザイ
ナーがいて、スタイリストがいて、チームを作って共同作業でアメリカンアイドルを作り上げるというような内容で
す。
そのような番組がアメリカにはありますが、ドイツにはありません。AKB48のようなアイドルもいません。日
本のアイドルは完全にアクが抜けてしまっています。だからこそ、日本では好かれているのでしょうが、子どもをデ
ザインして、コスチュームを着せて、踊らせておいて、おじさんたちが握手を求めて並ぶというのは、ドイツ人から
見たら「なんだこれは」とちょっと気持ちが悪くなってしまいます。
 
ミニクーパーは女性向け
 
二、三年前に、箱根で開催されたヨガイベントに講師として呼ばれたことがあります。そのイベントのスポンサー
はミニという車のメーカーでした。もともとミニはイギリスの会社ですが、BMWが買い取ったので、ミニの日本支
店のボスやスタッフもみんなドイツ人で、彼らドイツ人スタッフもこのイベントに来ていました。
彼らはミニクーパーを芝生に置いて、ヨガに来た人たちに車を見てもらってできれば買ってほしいという思いで、
スポンサーになったわけです。
私も同じドイツ人ですから、一緒にそのスタッフと話をしていたのですが、彼らが「このイベントでは非常に驚い
ている」と言うのです。
ドイツでミニクーパーというと、女性向けの車というイメージがあります。BMWやベンツに比べるとかわいいか
らです。小型だし丸いし、フォルクスワーゲンのビートルともまた違う、かわいいイメージがあります。
ドイツではBMWやベンツが普通で、大学生でもベンツに乗っているぐらいですから、車といえばごついのが普通
です。だから、かわいくて丸いミニクーパーは、ドイツではもっぱら女性が買って乗る車なのです。奥様が買いもの
で使うような車というイメージです。
だからこそ、ヨガイベントには女性がたくさん来るからということで、彼らはスポンサーになったのですが、どう
も日本では違うようだと言うのです。女性よりも男性のほうが興味津々で、買いたいと言っている。ヨガイベントに
来ている、数少ない男性が、ミニクーパーのまわりに集まって「これかっこいいなあ!」と言うと。
ドイツ人から見たら、ミニクーパーはかわいいものであって、女性のものなのですが、日本ではそれよりもっとこ
ぢんまりしていてかわいい軽自動車がいくらでもあるから、それに比べれば、ミニクーパーはまだちょっとごつい、
まだ男性っぽいイメージの車なのです。 
ロックもある意味では音楽のベンツのようなものです。アイドルはかわいい軽自動車。本当の個性はないけれど
も、とにかくかわいい存在なのです。
ちなみに、ベンツの作るスマートも小さい車ですが、ドイツではかわいい車とはみなされていません。燃費もいい
し、場所もとらないし、環境にやさしいというイメージがあります。若い人や緑の党に共感するような人たちが乗り
そうな車です。どちらかといえば、軽自動車ではなく、プリウスのイメージに近いでしょうか。燃費がよくて、排気
ガスが少なくて、スペースもとらない車がいい、という人が乗る、合理的な車です。独り身ならば乗る人が結構多い
のではないかと思います。あれだけ小さい車ですから、ベルリンのような街中では、駐車場を見つけるのも簡単で
す。
スマートでもアウトバーンは走れますが、スマートでアウトバーンに乗って通勤したいとはあまり思いません。や
はりアウトバーンは、大きい車で飛ばしたい。スマートは街乗り用の合理的な車というわけです。
 
かわいくなれないドイツ人
 
日本人が好きなアイドルやJポップ、車には、「かわいさ」があります。
私の感覚では、日本で報じられているほど、欧米で「クールジャパン」という言葉はあまり聞きませんが、世界各
地に日本好きがいるのは確かで、アニメ好きがいるのも確かです。日本の「かわいい」という概念は注目されていま
す。
ドイツにも日本の「かわいい」好きはいますが、ドイツ人の女の子が日本風にコスプレをしても全然かわいくあり
ません。ドイツのデュッセルドルフでは「Japan-Tag(日本の日)」というお祭りがあって、日本好きのドイツ人が
大勢コスプレをしますが、アニメキャラのコスプレをしたドイツ人の女の子たちは、背も高いし、ものすごく堂々と
しています。
本人たちも、自分たちがかわいくなりきれていないことを、自覚していると思います。それは、身体の作りの問題
だけではありません。日本人とは仕草も表情も違えば、目つきも違うからです。日本人じゃないとかわいさが打ち出
せないのです。
若いころから堂々と自分の主張をしたほうがいいという空気の中で育つと、急に「かわいくなれ!」と言われて
も、無理な話です。日本人が突然「自己主張しろ!」と言われても、できないのと同じです。
日本人のように「いい子でいなさい。かわいい子でいなさい」と幼稚園のときから言われると、かわいくしようと
思っていなくても、自ずとかわいくなってしまいます。ドイツ人から見たら、普通の日本人でもみんなかわいく見え
ます。
日本では、工事現場ですら、ウサギやカエル、鹿などをあしらった「ゆるキャラ」が鉄のバリケードをかわいく
彩っています。実際にそこで作業している人の労苦をいたわるというより、その工事でご迷惑を被っているかもしれ
ない通行人へのお詫びでしょうか。ドイツにはそもそも「ゆるキャラ」というものはありませんが、そこまで気をつ
かって工事現場をかわいく見せようという発想も絶対にありません。
 
磨かれた文化
 
かわいい文化に関して言えば、フランス人のほうが馴染みはあります。だからといって、それはドイツ人に比べて
フランス人の自己主張が弱いということではありません。そうではなくて「文化が磨かれているから、かわいい文化
にも親和性がある」のです。
イギリスには「understatement」という文化があります。日本もそうですが、あえて、自分が一〇〇点をとったと
しても五〇点としか言わないような、自分を小さく見せるという文化です。じゃあイギリス人にはプライドがないか
というとそうではなくて、いかに「understatement」が上手にできるかというのが一つのプライドなのです。
日本人だって、謙虚な態度をとっているから本当に謙虚かというと、そうではないと思います。「わたくしめ」と
か、「はばかりながら」とか、「さようでございますか」とか、そういう言葉を使う人のほうが鼻につくことだって
あります。
わたくし
「いや、自分では何もできないこの 私 が、みんなに支えられて生かされて生きている。親の世話になり、学校の
先生のお世話にもなり、会社の上司やまわりの人たちのお世話になって、家庭では妻に支えられて、ようやくここま
できました!」などというセリフは、日本の大人の常識を持っていればこそ、言えるわけです。「いや、おれは自分
の力で生きているんだ!」と言えば「きみはまだまだ子どもだね(笑)」ということになります。
 
お洒落しないドイツ人
 
日本やイギリスやフランスにはそういう磨かれた文化がありますし、地中海のまわりの国々も歴史が長くて文化が
磨かれています。
ドイツ人はあまりファッションに気をつかいませんが、南のほうに行けば、女性はメイクをするし、ファッション
にも気をつかってお洒落をします。ヨーロッパではフランス人とイタリア人がお洒落だとされていますし、スペイン
の女性もお洒落だと思います。
たまに私は京阪神方面で托鉢することがあります。清水寺の三年坂に立っていると、日本人観光客も通れば、外国
人観光客も通りますが、一〇〇パーセントではないにせよ、だいたいどこの国の人なのかがわかります。
特にわかりやすいのはドイツ人です。男性も女性も、まず眉間に皺が寄っているし、女性は女性らしさをアピール
していません。南欧の女性は、フランスもそうですし、アングロサクソンもそうですが、女性には女性らしさのよう
なものがあります。ドイツ人は、もちろん十人十色ですが、全体的にあまり女性らしさを感じさせないのです。
それがなぜかと考えると、一つはドイツ人の女性があまりメイクをしないから、ということがあると思います。メ
イクをする人もたまにはいますが、基本的にノーメイク。メイクをなぜしないかというと、ドイツ人から見ればメイ
クは嘘だからです。「お元気ですか?」と聞かれたときに「今日は最低です」と正直に言ったほうがよいとされてい
るのと同じ理由です。「しわしわの顔を見せて何が悪い」、という思いがあるのです。
 
ワイルドなファイター
 
ひょっとすると、ドイツは南ヨーロッパより文明の歴史が短いということも関係しているかもしれません。ローマ
帝国があったころ、ドイツ人はまだみんな森に住んでいて、鹿を追いかけて、鹿肉を生でかじって食べていたのでは
ないでしょうか。
あるいは中世、ずっと戦争が続いていて、ペストという疫病が流行ったことも関係しているかもしれません。そも
そもドイツはローマ帝国ほどの歴史もない上に、やっと文明が始まろうとしたら、戦争と病気ばかりという歴史でし
た。
地中海のほうは自然にも恵まれていて、昼寝をしていても作物が育ちます。文明の歴史も長い。そうするとゆとり
ができるわけです。ゆとりができると文化が育ちます。
ドイツの冷たい森の中では毎日自然と対決しているようなものです。ほかの国とも戦争ばかりです。そういうワイ
ルドな風土では、なかなかお洒落にまで気が回りません。紳士もグルメも育ちません。メイクどころではありませ
ん。
逆にそこにダンディーな人が現れたら、「おまえは何を考えているんだ。サバイバルが問題なのに、お洒落をして
いる場合じゃないだろう!」と言われかねません。
 
 
 

ドイツ人はお金を使わない
 
 
質素が美徳
 
日本と同じように、ドイツは第二次世界大戦で負けました。戦後は、日本国内よりもものがなかったかもしれませ
ん。特にドイツの冬は厳しいですから、ものがない。山に行ってフキノトウを取ることも、タケノコを掘ることもで
きません。だから、みんな少しのパンと水だけで我慢していました。
私の祖父母は実際に戦争を大人として体験しています。父と母は戦争が終わったときには七歳で、実際に戦っては
いないけれども、物心がついたときには食卓には何もありませんでした。その何もない食卓で、少ないパンを噛んで
噛んで我慢するのが美徳とされていたのです。
今はドイツのスーパーにもたくさんものがありますが、贅沢をしたり、グルメをしたりすることは、あまりいいこ
ととはされていません。
だから、日本人のように、「子どものころに、まずおいしいものを食べさせて、おいしい味をわかってもらお
う!」という考えはドイツ人にはありません。むしろそんなことをすると、大人になっても贅沢になってしまうか
ら、すべきではないこととされています。
お金がいくらあっても節約をすることが美徳なのです。きれいな服を買うお金があっても、あえて地味な服を着

る。みんな同じパーカーを着て、同じジーパンを穿く。女性もあまりお洒落をしない。それが美徳なのです。
 
タクシーで来るのは日本人だけ
 
安泰寺にタクシーで来るのは日本人だけです。最寄り駅から安泰寺までは、片道六〇〇〇円かかります。平日なら
駅からバスも出ていますが、最寄りのバス停から山道を四キロも登ることになります。
日本人は「重い荷物を背負って、山道を四キロも歩くのはしんどそうだ。下手をすると、途中で雨が降るかもしれ
ないし、クマに出会ったらどうしよう」と思う。だから日本人は六〇〇〇円を出してでも、タクシーに乗って来るの
だと思いますが、「修行をしに来るのに、なんでタクシーに乗るんだ。四キロの山道をリュックを背負って、クマに
出会ったら退治しようという気持ちくらいがなければ、ここでは務まらないだろう」と、ドイツ人の私は思うわけで
す。ケチということもあり、六〇〇〇円を出してタクシーに乗るなんてことは、絶対に考えられません。 
土日のバスがないときには、日本人の参禅者ではあり得ないことですが、駅から四時間かけて、山道を歩く人もい
ます。リュックを背負って、あるいはスーツケースを持って。
旅行に行くときも、自分の手で空港まで荷物を運びます。日本だったら、宅配便で荷物を空港まで送る人も多いと
思います。旅が終わって空港に着いたならば、今度は家まで荷物を宅配便で送ります。二〇〇〇円かかったって、手
ぶらで行けるなら、構わないと思うわけです。
しかしドイツ人だったら「二〇〇〇円も使うくらいだったら、持てばいいじゃないか。どうせ今から家に帰るんだ
から、二〇〇〇円をかけて荷物を別に送る必要はないんじゃないか」という発想になります。
楽したいという気持ちはありますが、金をかけてまで楽をしたいという気持ちはない。それがドイツ人なのです。
 
資源も大切に
 
日本人はスキーやスキー靴を持ちやすくするためにバッグに入れて運ぶそうですが、そのような光景をドイツでは
見たことがありません。
「スキーはたいして重くないし、それを重く感じるならスキーに行くな!」というのがドイツ人の考え方です。好
きで登山する人がリュックを重いと感じないように、好きでスキーに行くわけですから、それを重いと感じないので
す。楽をしてスキーに行きたいという思いがそもそもありません。楽がしたいのなら、最初から家にいればいいので
す。
よく言われるように、日本人はスポーツジムに行くときにもエスカレーターに乗ります。ドイツにもエスカレー
ターはありますが、日本ほどは使いません。私が一〇年ぶりに南ドイツのチュービンゲンに帰ったとき、私が子ども
のときにあったエスカレーターがなくなっていました。節電のためです。
また、信号機までなくなっていることにも驚きました。以前イギリスにしかなかったロータリー式のラウンドアバ
ウト※1は、今はドイツでも至るところに作られています。車を運転するときは信号の場合より気をつけなければなら
ないのですが、やはり節電のために切り替えられている。
ドイツ人には、資源を使って、エネルギーを使ってまで楽をしようというのはあまりないのです。「これをこうし
たら、もっと合理的」というときには楽な道に行きますが、わざわざ手間ひまをかけてまではしません。
妻はスマホにかわいいウサギの耳のついたピンク色のケースをつけていますが、それもドイツでは絶対に見かけま
せん。かわいいかもしれないけれども資源の無駄遣いではないかと思うだけです。
ドイツ人はスマホのプラスチックのケースには絶対お金をかけないし、服にもお金をかけないし、食事にお金をか
けるものじゃないという考えもあるので、外食もあまりしません。
デパートで商品をいちいち包んでまた袋に入れて、丁寧にお辞儀をして渡すこともしません。その袋だって資源の
無駄遣いなのだから、そんなものはいらないのです。
 
お金をかけるのは合理的な理由があるとき
 
ドイツ人はお金があるのだったら、車や家に使います。
お金をかけるのは、合理的な理由があるときです。ベンツもBMWも高いけれども、安い車を五年おきに買い換え
るぐらいならば、長持ちする車を買いたいと思います。高速道路に乗ったら二〇〇キロは出して走りたいから、ス
ピードが出ない車は買う価値がありません。
大きな車でアウトバーンを高速で走るのにも、当然大事な資源が使われていますが、ドイツ人はそういうときだけ
はあまり深く考えていないのです。というか、このときは通勤の時間を節約して、早く家に帰りたい一心です。だか
ら、車と家には金をかけます。
家に入ったら「Gemütlichkeit」が大事です。落ち着きが必要だから、家は厚い壁のほうがいいですし、いろんな部
屋もほしい。仕事をするための部屋が必要だし、食事をするための部屋もいる。人の数だけ寝室もいる。日本だった
らすごいマンションのような家に、普通にみんな住んでいます。そういうことにはお金をかけるのです。
ドイツ人は、単に首から下で、「これがほしいから買っちゃった」とか、「これを食べたいから食べちゃった」と
いうことはあまりありません。まず頭で何がしたいか、何がほしいかを考えます。単に新しいからとか、最近発売さ
れたから、などの理由で買ったり食べたりしようとは思わないのです。
数年前に、バーガーキングが真っ黒なハンバーガーを売り出したことがありました。日本人だったら、「真っ黒な
ハンバーガーは食べたことがないから食べてみたい!」、と思うかもしれませんが、ドイツ人だったら「真っ黒でも
胃袋に入ったら一緒でしょ」と思うだけです。
 
 
 

ドイツ人は「内なるイノシシ」を解放したい
 
 
二〇〇〇年前から野蛮人
 
日本人や、ほかのヨーロッパの民族に比べると、ドイツ人はきれいさとか格好よさでは負けてしまうとわかってい
ます。質素で野蛮なのです。
東欧のハンガリーやポーランド、チェコなどは、ドイツから見てもあまり格好よくありませんが、ドイツより南と
西に行くと、みんなお洒落。そういった国の人たちからドイツを見ると、やはりドイツ人は野蛮に見えるらしいで
す。
ゲーテはイタリアに旅をしたとき、アルプスを越えたところで「文明化された世界が見えてきた!」と思ったそう
です。それはなぜかというと、イタリアの言葉の感じからして、違っていたからです。
ドイツ語は森の中でずっと戦っていた民族の言葉ですが、イタリア語はラテン語がベースになっています。長い歴
史があって、文明化された世界の言葉だとゲーテは感じたわけです。ドイツ語は、ほかの民族から見ると、怒ってい
るような、喧嘩しているような言葉ですが、イタリア語はそうじゃないし、フランス語もそうではありません。
イタリアやギリシャを中心とした地中海はドイツで「文化のゆりかご」とも言われています。今の欧米の文化の
ルーツはそこにあります。
ガイウス・ユリウス・カエサルという、二〇〇〇年以上前のローマ帝国の政治家がいます。彼の有名な著作の中に
『ガリア戦記』というラテン語で書かれた著作があります。ドイツではラテン語を学ぶ子どもがまだ多いのですが、
私も学校で何年かラテン語を学びました。そのとき、『ガリア戦記』を教科書として読んだのです。
『ガリア戦記』の内容は、ローマ人の自分がいかにフランスで勝ったか、という話が中心ですが、ゲルマン人のこ
とも書かれています。
ゲルマンのほうにはまだそのころ森しかなくて、もちろん「ゲルマン帝国」なんていうものもなかった時代なので
すが、ローマ帝国はゲルマンのほうではあまり勝っていなくて、「ゲルマン人は強いんだ、只者ではないんだ!」
と、いろんなエピソードが描かれています。
例えば、ゲルマン人たちが住んでいた森の中には三種類の動物が住んでいたと『ガリア戦記』は伝えています。
オーロックスという巨大な牛と、角が一本しか生えていないトナカイ、そしてエルクというヨーロッパの鹿です。ゲ
ルマン人たちはそれらの野獣を獲物にしていたそうです。
「象よりすこし小さめ」だというオーロックスについては、捕まえて、その角をぽっきり折って、パーティーのと
きの酒杯代わりに使ったとか。
エルクについては、膝に関節を持たないため、立ったまま木にもたれて寝ると書いてあります。なぜなら一回倒れ
ると、立ち上がれないからです。それを利用して、ゲルマン人はエルクを獲ったそうです。木に切り込みを入れてお
いて、エルクが木にもたれたら、木ごと倒れるように仕掛けていた。
「ゲルマン人は、象のようなオーロックスやエルクを捕まえるような、そんな怖い連中だ。だから、ローマ人の私
たちですら、到底勝てないのだ」と『ガリア戦記』には書いてあります。
つまり「ドイツには文化がないが、野蛮で、ずる賢い頭と体力だけはある」という話は今に始まったことではない
のです。二〇〇〇年前から延々と、「アイツらは恐ろしい、かなわない」そう言われ続けてきた。日本人から見て野
蛮なだけではなく、南ヨーロッパの人たちから見ても昔から「文化の面では負けないけれども、あいつらのバカ力だ
けには勝てない」と思われてきたのです。
移民問題が議論になる前は、ギリシャの借金をどうしようかという話ばかりがヨーロッパでは議論されていました
が、ギリシャ人としては腹が立っていたと思います。「ゲルマン人はずるいから金儲けが得意。お金はたくさん持っ
ているけど、文化らしいものは何もない。なんで西洋の文明の源であるギリシャが、文化のない、ごついだけのドイ
ツにいろいろな注文をつけられなくちゃいけないんだ!」と、ものすごく腹が立っていたはずです。
 
ドイツの全裸文化
 
ドイツ人は昔から野蛮で体力だけの民族だと思われてきました。しかし、自分たちがそれを嫌だと思っているかと
いうと、決してそうではありません。いつも、隙があれば野性に戻りたいと思っています。
日本にあってドイツに絶対にないのは、カプセルホテルです。ドイツ人はカプセルホテルでは落ち着いて寝られま
せん。サウナで、仮眠をとるのも無理です。
ドイツにも探せばサウナはありますが、日本のサウナとは全然違います。
私は日本で暮らすようになってから、初めてドイツのサウナに行きました。妻と行ったのですが、驚いたのは、お
じさんもおばさんもみんな全裸だったということです。全裸で、同じサウナに坐っている。日本でも昔は混浴が普通
だったと言われていますが、今はそういう風習はありません。ですからドイツのサウナに行くと驚くのです。
エフカーカー
ドイツには「 F K K 文化」というものがあります。Fは「Frei(自由)」、一つめのKは「Körper(身体)」、も
う一つのKは「Kultur(文化)」です。つまり、自由に解放された身体の文化、簡単に言えば全裸文化のことですが、
これがドイツでは今から約一五〇年前から流行っています。
ドイツでは、一九世紀の半ばに、二〇世紀で言えば、六〇年代の波のようなものが、一度起きているのです。ルド
ルフ・シュタイナーの「人智学」もそうですし、ニーチェのようなモダンな思想もあの時代に生まれました。それま
で考えられなかったような、変わった個人たちを中心としたオルタナティヴな文化が流行って、菜食主義もその頃か
ら流行り出しました。ある意味では、二〇世紀のヒッピーたちがやっていたカウンターカルチャーは、一九世紀の焼
き直しでしかないと言えます。
一九世紀のその波の中から、FKK文化も生まれました。「人間は裸で生まれる。ほかの動物もみんな裸なのに、
なんで人間がわざわざ自分を服で縛っているのだろうか。身体は服を着るとそれに縛られる。冬は仕方がないけれど
も、夏は裸でいようじゃないか!」という発想です。全裸が自由の表現だというのは、日本では探してもあまりない
のではないかと思います。
 
野生と家畜
 
ドイツの街の中ではさすがに全裸になる人はいませんが、自然のあるところで、服を脱いで、あまりお洒落でもな
いTシャツと短パンで過ごすことに魅力を感じるドイツ人はたくさんいます。上半身裸というスタイルも決して珍し
くありません。ホテルに泊まるよりは、夏はキャンプをしてみたりして、ゲルマン人が昔やったであろう、二〇〇〇
年前のような生活の真似事をします。
ドイツ人は理性的な頭を持っていますが、野生動物に憧れているのです。自然との一体感が、何よりも好きなので
す。
ドイツ人だって、一年の大半は普通に会社勤めをして、社会人として働いていますが、そこには窮屈な、自分が檻
に入れられた家畜のような感覚があります。その感覚が強いから、いつも「ここから出たい! この檻から出たい!
 檻をぶっ壊して外に出たい!」と思っているのです。
 
ドイツ人はバーベキューが好き
 
それが、地味な形で表れているのがバーベキューです。もちろん家ではレンジでチンしたものも食べますが、休み
の日に、肉の塊を庭でバーベキューして食べることで、家畜の生活から解放されて、しばらくの間は野生に戻った気
分を味わえるのです。
日が長くなると、外に出て木の下でキャンプファイヤーをすることもあります。夏はサマータイムがありますか
ら、夜の一〇時まで明るい時期もあります。六月になれば、夕方外でビールを飲んでも寒くないですし、日本と違っ
て蚊もそんなにいないので、虫に刺されることもなく、外の時間を楽しめます。地中海のビーチに行くのも好きです
し、山に入ってキャンプをするのも楽しい!
ドイツ人はニンジンも丸かじりしたいのです。「ウサギでもないのに、なんでニンジンを丸かじりするんだろう?
 ニンジンは生じゃおいしくないだろうに」と日本人は思うかもしれませんが、ドイツ人の感覚では、むしろ生のほ
うが自然の味。だから、野生に戻ったという充実感を感じるわけです。
リンゴの皮も剥きません。私はブドウの皮を剥いて食べる人を、日本に来て初めて見ました。ドイツ人には、ブド
ウの皮を剥くという発想はまったくありません。
 
時間を売るという感覚
 
日本人にはそういった野生の血はあまり流れていません。農耕の歴史が長いからなのか、そもそも平和で戦争の歴
史があまりなくて、狭い土地に長く暮らしている影響なのかわかりませんが、よく言えば文明化されているから、人
と短い距離で仲良く暮らすことが苦にならないのでしょう。
ドイツ人は会社勤めをしていても「ここから出たい!」と切望していますが、日本人は毎日仕事に行くのに、そん
なに苦しみを感じていないように見えます。六〇歳でリタイアしたあとですら、お金はあって年金もあるのに、また
仕事を探してみたりします。
学生でも、親がちゃんと仕送りをしてくれているのにバイトを探します。お金がほしいというのもありますが、バ
イトをするとバイト仲間ができて、居場所もできるというのが大きいのでしょう。「自分の時間を売って働いている
のだ」という感覚は少ないのではないかと思います。
ドイツ人からすれば、バイトは時間を売るという感覚です。だから、少ない時間でたくさんお金がほしい。そうい
う目線でバイトを選びます。バイトの最中は自分が売ってしまった時間だから、本当の自分は、そこでは生きていま
せん。バイトが終わって初めて自分の人生が始まるのです。
しかし日本人はそうではなくて、自分の人生を豊かにするために、バイトをしたり、パートをしたり、仕事を見つ
けたりしているのです。
 
サラリーマンのリタイア後
 
ドイツのサラリーマンはリタイアすると、自分の趣味に生きます。旅行に行ったり、庭の手入れをしたり、映画を
見たりします。教会に行ってボランティア活動を始めてみたりもします。
私の父親もしょっちゅう旅行をしています。あるいは街の演劇場やオペラ座やコンサートホールに行ったりもして
います。
ドイツ人の中にも、仕事がなくなったことをネガティブに受け止める人はいるかもしれませんが、私のまわりには
そういう人はあまりいません。「定年を迎えてやっと自由になった。自由になって、ようやく自分のやりたいことが
できるようになった。今まで行けなかった旅行にも行けるようになった~!」と嬉しく思っている人がほとんどで
す。
日本人のサラリーマンでも、自分の仕事を不満に思う人は多いと思いますが、仕事があるからこそ、人生が豊かに
なるという考えもあるのではないでしょうか。経済的に支えられているだけではなくて、自分の居場所がそこにある
という意味が大きいのではないかと思います。
だから、日本人は仕事が終わっても急いで家に帰りません。むしろ家には怖いカミさんが待っているわけですか
ら、「奥さんにまた不平不満を言われるぐらいだったら、同僚と飲みに行こうか……」とだらだら過ごして、なかな
か家に帰らないのです。ドイツ人にはそれはありません。
 
内なるイノシシを解放する
 
ドイツ人は、どこか野生動物へのノスタルジーを自分の中に残しています。理性的と言われるドイツ人ですが、自
分の中には野生動物がいて、それをたまには解放したいと思っているのです。
ドイツ人がよく使うドイツ語の表現に、「Die Sau rauslassen.」というものがあります。「羽目をを外す」という
意味ですが、「Sau」はイノシシのことで、「自分の内なるイノシシを解放する」というのが語源です。
ドイツ人はたまに羽目を外さないと生きていけませんから、バーベキューでビールを飲んで騒いで暴れます。それ
も「Die Sau rauslassen.」ということなのです。イノシシを解放している。放し飼いにする。たまには内なるイノシ
シを放し飼いにしないとやっていられません。
オクトーバーフェストというビール祭りで、ドイツ人がみんな椅子の上に立って歌って乾杯するのも、「Die Sau
rauslassen.」の表れです。いつもおとなしい人ほど、大声で歌い、乾杯します。いつもイノシシを檻に入れちゃっ
て、無理に品のいいブタの真似をしているから、たまには「おれはそんな品のいいブタじゃなくて、イノシシなんだ
ぞ!」というところを見せたいのです。
日本人とは感覚が違うと思われるかもしれませんが、実は日本人も、内なるイノシシの解放をしていないわけでは
ないと思います。日本人には日本人の別の発散方法があると思います。コスプレをしてみたりとか、ツイッターで複
数のアカウントを持って、違う自分を演じてみたりとか。
日本に来た外国人が見てびっくりするのは、コンビニエンスストアの小学生の目にも触れるようなところに、とん
でもない雑誌や漫画本があることです。「あれだけ平和な日本人なのに、誰がそんなものを読むんだ?」と疑問に思
いますが、それは日本人の内なるイノシシの解放になっているのでしょう。いつも行儀良く、自分を抑えて暮らして
いるからこそ、そういうところに捌け口を求めているのだと思います。
ドイツの場合は発散がわかりやすい形で表れているのです。サッカーマッチだったり、ビール祭りだったり。日本
ではもう少し暗くて根の生えた形になって表れている。それぞれの国民が、自分たちに合っているものを見つけてい
るのだと思います。
 
安泰寺での内なるイノシシ
 
安泰寺でも、ドイツ人である私は、内なるイノシシを解放したいと思っているでしょうか。
ドイツ人がアイデンティティーの拠り所としようとする「本当の私」は、仏教的に考えれば無我なわけですから、
存在しないものです。だから、ドイツ人である私が自分の内なるイノシシを安泰寺で解放したいと思っているかとい
うと、それはまた話が全然違ってくるのです。
そもそも禅修行の目標はなんでしょうか。宗教全般にわたって言えることかどうかわかりませんが、宗教の一つの
ねらいは、もっとも正しい生き方をすることだと思います。
よく言われるのは「いい子を演じるのではなくて、ありのままの自分を、ありのままに生きること」です。ですか
ら、そういう意味では、修行道場では品のいいブタではなくてイノシシのままでいいはずです。
ただ、実際の修行道場では、安泰寺でもそうですが、いろんな決まりがあって、ありのままの、内なるイノシシの
解放はできません。坐禅の時間で言えば、寝てもいけないし、動いてもいけない。実際には内なるイノシシは寝たい
し、動きたいし、腹が減れば食いたい。しかし、坐禅中に立ち上がってはならないのです。内なるイノシシを手放し
てしまわなければいけません。
かといって、品のいいブタを演じるということにもなりません。
禅でいえば、ブタとイノシシに分かれる以前のところに戻ろうとすることが、究極のねらいです。キリスト教でい
えば、アダムとイブが禁じられた木の実を食べる以前のところでしょう。
木の実を食べてしまったときから、アダムとイブは自分たちの全裸の姿が気になったらしい。これが本来なら自然
の姿であるはずなのに、それがもう恥ずかしいのです。じゃあこれを隠さなくちゃいけないということになります。
それで「イノシシのままじゃだめ、品のいい豚でいなくちゃ」と、そういうことになってしまった。キリスト教のい
う「善悪」の由来はそこだと思います。
禅のねらいは、隠すべきところを大っぴらに見せるようなことではなく、それ以前に立ち戻ることです。ブタもイ
ノシシもまだいなかったところに戻るのです。そうすれば、別に品のいいブタを演じる必要もなくなるけれども、あ
えて内なるイノシシを解放する必要もなくなります。なぜならこのイノシシが、もうどこを探してもいなくなってい
るからです。
 
十牛図
 
じゅうぎゅう ず
禅の世界に 十 牛 図という話があります。十牛図に描かれている牛は、人間の本来の姿を表しています。
十牛図の最初の絵では、牛飼いが、何かを探しています。けれども、自分でも何を失ったのかがわからない、まだ
気づいていないという状態です。
次の絵では、牛飼いが牛の足跡を見つけて、「私が探しているのはあの牛だったのか。どうやら、あっちのほうに
行ったらしい」、と気づきます。でもまだ牛自体は見えていません。
ある日、牛飼いはようやく牛を発見します。「ああ、これだ。私が探していた本来の私はこれだったのか」と気づ
きます。でもその時点では、探している自分と、向こうに見えている牛、つまり日常の私と本来の自分は別々にある
状態です。
次で、牛飼いが牛をようやくつかまえます。でもようやくつかまえたその牛は、先ほどのたとえで言えば、まだイ
ノシシのままですから、暴れています。ようやく掴んだその本来の自分は、日常生活には適応できていないのです。
その牛におとなしくなってもらうために、まずは飼い馴らさなければなりません。禅の修行でいえば、ようやく
「見性した!」と思ったあとも、何年も何年も修行をして成熟させなければ、牛飼いがその牛の上に乗れるようには
ならないということです。
品のいいブタと、イノシシが一つになって仲良くなったところまでいくと、牛飼いは牛と一緒に生活できるように
なります。
しかしある日、この牛が消えてしまいます。本当の私だと思っていたイノシシがだんだんおとなしくなって、ブタ
に限りなく近くなったと思ったら、ある日突然いなくなっているのです。これは孔子の言う「心の欲するところに従
のり こ
えども 矩 を喩えず」という状態でしょうか。「したいこと」と「すべきこと」の矛盾がなくなっている状態です。
次の絵には、牛飼いもいません。何も描いていない絵があるだけです。それは般若心経でいう「色即是空」の世界
です。物事が二つに分かれる以前の、無分別の状態です。
その次の絵には梅の花など、自然の絵が描いてあります。こちらは「空即是色」で、空の状態から、新たな命が芽
生えていくわけです。
ひじり
最後の一枚には、山にこもっていた 聖 が街に出て、多くの衆生のために笑いながら働いている絵が描かれていま
す。ほかの人にもこういう気づきを持ってもらうために、聖は普通の人間として当たり前に生活をするのです。
十牛図は今でも禅の修行のねらいを説明するために使われている話です。ブタを演じるということではないけれど
も、内なるイノシシを飼いっぱなしするわけでもない。二つに分かれる以前のところに戻り、そこから新しい力を発
揮させるのだという話です。
「本来はブタもイノシシもどこにもいないんだ。本来の私というものも、本当はなかったんだ。自己を拠り所とす
るといえども、その自己なんて、結局天地いっぱいのもので、私だけのものではないのだ」ということに気づくため
には、十牛図で描かれたような段階が必要です。
かせ
現実的には、外からはめられた 枷 もあれば、内なるイノシシもあります。ずっとこの枷の中では生きていられない
から、たまにはこれを外して、自分の内なるイノシシを解放させることも必要です。
しかしただそれを繰り返しているだけではいけません。修行をしてイノシシとブタのハイブリッドみたいなものを
見つけて、それをしばらく飼い馴らして、さらに進んで「ああイノシシもブタも本当は嘘だったんだ」というところ
までいくのが禅修行のねらいなのです。
 
ブタとイノシシ以前に戻る
 
安泰寺にはあまり来ませんが、何年かお寺で修行をして得度して、お袈裟と衣を身につけて、どこか田舎のお寺の
住職になって、安定した生活をしたいというタイプのお坊さんも世の中にはいるのではないかと思います。
それはまさに、住職さんというブタを演じる人、ブタを演じるために修行をする人です。お袈裟のつけ方を覚え
て、頭を剃って、足袋を履いて、畳の上でいかに上品に歩いて、お経をありがたく読めるかを修行する、ブタを演じ
るためのテクニックを修行する人です。
安泰寺では農作業ばかりやっているので、あまりそういう品のいいブタになるための修行はできません。かといっ
て、みんなが安泰寺で自分の素っ裸をさらけ出して、イノシシを解放するだけでは、修行道場としては成り立ちませ
ん。そういう人がいれば、私は注意します。裸ではなくて、服は着ますし、動いちゃいけないときは動かないし、寝
ちゃいけないときは寝ない。それが安泰寺の規則なのです。安泰寺ではみんな、ブタとイノシシに分かれる以前に戻
ることを目指して坐禅や作務をやっています。やっているはずです。
もちろんどこまで進んでいるか、それぞれ段階は違います。「自分が探している牛がそもそもどこに行ったのか」
ということすらわからない人もいれば、「おれはこの牛をつかまえたぞ!」というつもりになっていて、まだ全然飼
い馴らせていない人もいます。いろんな人がいると思います。
段階は様々ですが、みんながゆくゆくは、「イノシシもブタもいなかった」、というところに行き着くことが、安
泰寺の修行のねらいです。
 
 
 

1 三本以上の道路を円形のスペースを介して接続したドーナツ型の交差点。すべての車は一方向に進み、行きたい方向の道路に出て行くことができる
第7章  宗教と悟り
『火の鳥』を語る
 
 
ドイツにおもしろい宗教漫画はない
 
私が日本に来て、初めて古本屋で手に取った漫画が、『火の鳥 鳳凰編』(講談社ほか)でした。これは今でも好
きな漫画です。深い内容だなと思います。ドイツではこんなに楽しく読めて、笑えるけれども、深く考えさせられる
ような漫画は目にしたことがありませんでした。
ドイツでは今でこそ、アニメを見ている人もいますが、私が学生だった三〇年前はまだ日本の漫画もアニメも紹介
されていませんでしたし、アニメといえば子どもが見るディズニーアニメぐらいでした。お隣のフランスには小学
五、六年生が読む『タンタン』という漫画があり、おとな用のSF漫画もあるにはあったのですが、長いものはなく
て、だいたいオールカラーで四八ページの短いもの。日本と違って白黒の漫画というものはドイツにもフランスにも
なかったのです。
ドイツには、仏教漫画どころか、聖書の漫画もありませんでした。聖書は映画になることはありますが、子どもの
ための聖書の漫画や、イエスの物語というのを、私は見たことがありません。近年は、日本の漫画界の影響もあっ
て、少しドイツの漫画事情も変わってきているのかもしれませんが、少なくとも私の耳に、ドイツやヨーロッパにお
もしろい宗教漫画があるという情報は未だ入ってきていません。
ドイツには、手塚治虫の『ブッダ』や『火の鳥』のように、多くの人たちに読まれていて、ある程度深さもあるよ
うな宗教漫画はないのです。
 
 
 
善悪がファジーな『火の鳥』
 
さて、『火の鳥 鳳凰編』を私が好きな理由というのは、善悪が非常に日本的でファジーだからです。ヨーロッパ
には、なかなかこのような物語はないのではないかと思います。
が おう
『火の鳥 鳳凰編』には主人公が二人います。一人は我 王 という、片腕しかない男性。かわいそうな生い立ちだけ
れども、それを差し引いても悪いことばかりして生きている悪役。
あかねまる
その我王が、ある日もう一人の主人公である 茜 丸 に出会います。茜丸は、非常に才能があり、期待もされている
ぶっ し
仏 師です。我王は、茜丸に出会った途端、彼から何をされたというわけでもないのに、「自分が傷を負っているか
ら」という、ただそれだけの理由で、茜丸の腕に傷をつけてしまう。
そこから先は、二人は別々の人生を生きていきます。我王は散々悪いことをするけれども、ある時点で、自分を反
省して、少しずつましなほうに進んでいく。何の理由もなく腕を傷つけられた若い青年、茜丸も、そのあとがんばっ
て、仏師としてたくさんのすぐれた仏像、作品を作っていきます。
物語の最初は、茜丸が善玉で、我王が悪玉というような設定なのですが、それが途中から複雑になってくるのが、
この物語のおもしろいところです。
茜丸は、腕を傷つけられる前は、自分の才能にちょっと自惚れていて、自分に酔ってしまっていたところがあっ
た、ということで、非常にいい人で、好青年なのだけれども、途中からは悪玉のような扱いもされている。しかし、
完全な悪玉というわけでもない。
我王のほうは、物語の途中で、親鸞の悪人正機説のように、自分の悪さに気づく。その点では、善玉のような感じ
になっている。しかし、完全な善玉というわけでもない。我王のやっていることだけをみれば、やはり善人になった
とは言えない。複雑なのです。
私はこの漫画のそこがいいと思いました。善と悪がはっきりしていないところが魅力なのです。ハリウッド映画
だったら、最初から善と悪は決まっています。「こいつは正義で、あいつは敵だ」とはっきりしている。いい人と悪
い人が戦って、いい人が勝つ。これが明確ですが、『火の鳥 鳳凰編』の場合、善玉、悪玉がいったい誰なのかが、
よくわからない。絡み合っているのです。
日本の子どもに人気のあるアンパンマンの場合であれば、アンパンマンが善玉で、ばいきんまんが悪玉であると決
まっている。しかし、アンパンマンですら、最後は、ばいきんまんも友達になります。アンパンマンもドキンちゃん
もばいきんまんも一緒に歌う。ばいきんまんは悪いやつなんだけれど、「みんな仲間じゃないか、私たちの中に入れ
ましょう」と言って、ばいきんまんまで仲間にする。あれはけっこう日本的だと思います。
我王と茜丸の場合はもっと複雑で、そもそもアンパンマンが誰なのかわからない。最初は茜丸がアンパンマンで、
我王がばいきんまんのようだけれども、途中でそれが逆転してしまうというのがおもしろい。日本的なファジーその
ものです。そういう曖昧なところ、はっきりした線引きがないところに、魅力を感じました。
 
『ブッダ』より仏教的な『火の鳥』
 
『火の鳥』は、鳳凰編のほかにも、いろんな作品があります。SFがあったり、古代の話やファンタジーがあった
りと、いろいろですが、共通しているのは、みんな火の鳥を探し求めていることです。
火の鳥は、永遠の命を表しています。『火の鳥』の漫画では全編通して、人間の「永遠に生きたい」という願いが
テーマになっていて、「どんな犠牲を払ってもいいから、火の鳥を捕まえたい」とみんなが切望している。しかし、
火の鳥は捕まえられない。あるいは捕まえたとしたら火の鳥は死んでしまうのです。
禅でいえば、悟りたいと思って坐禅をするけれども「悟りたい、悟りたい」と思っている間は、悟りが逃げてしま
うのと同じです。下手をして、「悟った! 見性した!」と言って、それを掴んでしまうと、その悟りは死んだ悟り
なのです。幸せも同じことです。追い求めれば追い求めるほど、逃げていく。
仏教的に言うならば、今、私たちは苦を生きている。苦というのは「満たされない」ということです。いつも苦し
んでいるわけではないけれども、どこかで満たされていないという気持ちがある。今はインターネットがありますか
ら、欲しいものはなんでも検索してクリックすれば、Amazonか楽天が送ってくれます。しかし、クリックした時点
では快感を覚えたとしても、いざダンボールが届いて開けてみると、もううんざりなのです。「ああ、この程度のも
のだったのか!」と。
二五〇〇年前に、釈尊はすでに気づいていました。楽天があってもAmazonがあっても、人間は満たされることは
ないということに気づいていた。人間は、大昔からいつも「まだ何かが足りない」と思っていたのです。
 
『火の鳥』は同じ手塚治虫の『ブッダ』(講談社ほか)よりは、仏教のにおいがしないかもしれませんが、『ブッ
ダ』よりも、さらに仏教的な深い意味があると思います。『ブッダ』もおもしろいのですが、どちらかというなら
ば、私は『火の鳥』のほうが好きなのです。
 
セイント
ちなみに日本で人気のある『 聖 ☆おにいさん』(講談社)は、妻が一時期買っていたので、私も最初の一冊、二
冊を読んだのですが、あまりピンときませんでした。昔、『ガロ』(青林堂)という月刊誌がありましたが、私はあ
れに載っているようなドロドロとしたアクの強い作風が好きなのです。手塚治虫の漫画もアクが強いというか、じっ
くり見ていると、コマの隅っこにいろいろ仕掛けがあったり、手塚治虫の自虐的な自画像があったりして、読んでい
て発見がある。一方で、『聖☆おにいさん』はスラスラと読めてしまう。私はかなりじっくりと、一コマ一コマ読む
のが好きなので、手塚治虫の漫画のほうが好きだというわけです。
 
 
 

日本人は死ぬとどこに行くのか?
 
 
ドイツ人の食卓
 
日本では、夜ごはんが一日の中で一番大事で豪華なごはんです。数も量もバラエティーに富んでいます。
やくせき
私が安泰寺に来た当初は、安泰寺でも 薬 石 ※1が一番豪華でした。朝はおかゆに一品、お昼は作業服のまま、丼で
麺類をいただきます。夜はごはんに味噌汁におかず二品。朝はおかずが一つしかないのに、夜は二つあるので一番豪
華なのです。
接心の日は一日の大半を坐禅に費やします。坐禅三昧と言えば聞こえはいいのですが、実際には「くたびれる」と
か、「食べることしか楽しいことがない」とか言って薬石のおかずが三品になっていました。一日中ずーっと坐禅し
かやっていなくて、身体もそんなに動かしていないのに豪華になっていたのです。※2
ドイツでは日本と違って、夜ごはんが豪華というイメージはありません。ドイツには「朝は王様のように食べ、昼
は皇帝のように食べ、夜は乞食のように食べなさい」という諺があります。ドイツ人の感覚としては、夜食べるより
も、これから仕事をしようという朝に食べたほうが健全だという感覚があるのです。
朝はパンまたはオートミールをしっかり食べます。お昼には温かいものが出ます。お昼ごはんこそ、一番豪華であ
るべきで、みんなで集まって食べるものと決めている人が多いのです。
今でも多くのドイツの学校はそうだと思いますが、六時間目がお昼前に終わり、子どもたちは家に帰ったらまず、
お母さんのごはんを食べます。たいていは「Eintopf」というシチューみたいなものを一つの皿によそってパンと一緒
にお昼ごはんとして食べます。ジャガイモと肉が同じ皿に乗っていて、その肉のソースをジャガイモと一緒に食べた
りすることもよくあります。
お父さんも、昼の休憩に職場が近い場合は家に帰ってお昼ごはんを食べます。職場が離れていて無理な場合は帰れ
ませんが、昔は職場と家はそんなに離れていなかったので、家で家族と食べることが多かったのです。みんなが学校
から帰って、職場から帰って、家で昼ごはんを一緒に食べる。それが本来のあり方だという文化です。
夜は家族それぞれだと思いますが、基本的にはパンをちょっと食べるだけ。夕食用のパンに、ソーセージを載せた
り、チーズを載せたりして食べる程度です。フランスのようなコースメニューは食べません。お客さんを呼んだ日
は、いろいろ食べることもありますが、基本的には質素です。
質はそこそこだけれども、朝と昼は量をけっこう食べる。夜は控える、というのがドイツの食卓です。
 
多彩な日本の食卓
 
ドイツでは例えばお医者さんでも、弁護士さんでもだいたいそんな食生活です。日本人からすると、「お金がある
のにどうしてそんなに貧しい食事をするのか」と思われるかもしれません。日本から見たら非常に貧しい食卓です。
たぶん日本の刑務所のほうがおいしい食事が出ているのではないかと思います。
ドイツ人の食卓には、お皿が一つしか置いていないことが普通なのです。ドイツの食事はバラエティーがなく、一
種類のものをたくさん食べるスタイルです。
黒パンなら黒パンしか食べません。毎日その黒パンを食べる人もいれば、「おれはオートミールがいい」と言っ
て、毎日オートミールを食べる人もいます。しかしオートミールの上に黒パンを乗せて食べる人はいません。黒パン
とオートミールをごちゃ混ぜにする人は絶対にいないのです。
日本の食卓はそうではありません。主食の白いごはんもあれば、お味噌汁もあります。甘いおかずもあれば、酢の
ものもあれば、塩辛いものもあります。唐辛子がきいたものもあります。もちろん、毎日同じおかずを食べるわけで
はなく、春夏秋冬に合わせて、旬のものを楽しみます。日本の食卓にはいろんなものがあって、自分の好みだけを食
べるのではなく、全部ありがたくいただきます。
この食卓のあり方は、ドイツと日本の宗教観にも通じるところがあるのではないかと思います。一皿しかないドイ
ツは一神教。なんでもいただく日本は宗教に対しても懐が深いように思います。
 
主食と宗教
 
昭和四〇年前後、日本人は平均して一日に二合ほど、米を食べていたそうです。今の日本人のおよそ倍です。今で
も、摂取するカロリー自体はそれほど変わっていませんが、主食の量がどんどん減っています。※3
安泰寺の食卓でも、主食の玄米の割合は最近減っています。その分、おかずの割合が増えています。
明治生まれの宮沢賢治は「一日に玄米四合食べたい」と言っていました。実際に食べたかどうかはわかりません
が、玄米四合と、あとは味噌と野菜を少しだけ。
それは一神教のドイツ人からすると、共感できるあり方です。玄米四合でもいいし、黒パン一斤でもいいし、それ
さえしっかり食べていれば、あとは「自分が何をするか、どっちに向かって、どっちの神様に向かうか、人のために
何ができるか」、ということに集中できます。本来あるべき姿だと思います。
宮沢賢治は日本人にしては宗教にこだわりのあった人だと思います。なにしろ、最愛の妹が亡くなったときに、お
葬式が真宗式だったという理由から参加しなかったと言われているのです。普通の日本人だったら、禅宗のお葬式で
あろうが、真宗であろうが、日蓮宗であろうが、自分の家族が死んだときは当然線香を立てるけれども、宮沢賢治は
それをしませんでした。
すなわち、この玄米四合というのは、単に最低限の食事をするという意味ではなかったと思うのです。それだった
ら玄米を三合でも二合でもよかったのですが、宮沢賢治は四合必要でした。
要するに玄米をしっかり食べたら、ほかにおかずはそんなにいらないということの表れです。宮沢賢治は心の主食
がしっかりあったから、食事にしても一品あればほかに目移りすることがなかったのではないでしょうか。宗教にこ
だわりのあった宮沢賢治ならではの食べ方ではないかと思います。
 
精神的主食
 
昭和四〇年ごろに比べて主食が減っているのは食卓の話だけではありません。精神的なことについても同じことが
言えると思います。
日本には仏教もあれば神道もあってキリスト教もあります。哲学も心理学もあります。全部ケースバイケースで、
その都度、その都度、ありがたくいただこうじゃないかという文化があります。
しかし、いろんな心の栄養となるものはありますが、結局これだという芯のようなものがありません。多くの日本
人には精神的な主食がないから、「これもありがたい、これもご利益があるかもしれない」と目移りするのではない
かと感じます。
もし本当に心から「阿弥陀様が救ってくださる」と思っているならば、神社に初詣に行く必要もなければ、坐禅す
る必要もありません。あっちにもこっちにも手を出す必要はないのです。
「お葬式を友引の日にやるのは縁起が悪い」と言いますが、お釈迦様はそんなことは一言も言っていないのですか
ら、仏式でお葬式をするならば、友引であろうが仏滅であろうが、いつでもいいはずです。なんでそんなことを気に
するのでしょうか。昔はひのえうまの年になると、急に出生数が減っていました。なぜそのようなことを気にしてい
たのでしょうか。
日本では占いも人気があります。「細木数子先生がこんなことを言っていた」、と気にしたり、動物占いというも
のがあったり、血液型占いがあったりします。
血液型の性格判断は、最初はドイツの医者が言い出したことでしたが、これがナチスの思想と結びついてユダヤ人
差別につながりました。だから今は絶対、ドイツで血液型で人を判断してはいけないことになっていますが、日本人
は平気で血液型占いに興じています。
しかし、占いが好きな日本人は、本気で占いを信じているわけではありません。つまみ食い程度なのです。本気で
結婚相手を動物占いで決める人はいませんし、血液型占いも本気で信じているわけではありません。でもなんとなく
気にしているのです。
 
死後の世界
 
日本人の精神的主食の少なさは死後観にも現れています。
ドイツのみならず、キリスト教圏、イスラム教圏では同じだと思いますが、無神論者ならば、死んだら終わりで
す。一神教を信じる人であれば、永遠の天国か、永遠の地獄に行きます。
誰が天国に行くか、誰が地獄に行くかの教えに関しては、宗教によって微妙な違いはあるにせよ、根本的には神を
信じたならば天国に行けるということになっています。
神を信じた人が、いいことをしたならば、なおさら天国に行けます。少々悪いことをしたとしても、悔い改めて、
神を信じれば許してもらえて天国に行くことができます。逆に神を信じない人、ましてや悪いことをした人であれ
ば、地獄に行くと教えられています。
せいぜい八〇年程度の限られた間に起こした罪でしかないのに、一回地獄に落ちたら、永遠に地獄です。カトリッ
れんごく
クの場合は 煉 獄 というのがあって、そこでは限られた時間苦しむと、ようやくその後天国に行けることになっていま
ろくどう
すから、これは輪廻転生の中の 六 道 の地獄にちょっと似ています。限られた時間、罪滅ぼしをするシステムです。
 
不思議な日本人の死後観
 
日本の死後の世界についての考え方はとても不思議です。いろんなものが入り混じっています。私のまわりのお坊
さんに聞いても、死後のことはよくわからないと言う人ばかりです。お坊さんたちは別に死後のことについて特に問
題にしてもいませんし、こだわってもいません。「死ねばわかるんじゃないか」と言う人も多い。
一応、仏教の中には輪廻転生説があります。しかし、文字通り輪廻転生を信じている人は、日本では少ないのでは
ないかと思います。お坊さんですら、信じている人は少ないように感じます。
輪廻転生を文字通り解釈すれば、死後、自分は虫に生まれ変わる可能性もありますし、餓鬼道に落ちる可能性もあ
ります。あるいはしばらくの間は天国で神として生きるかもしれません。天国での寿命が尽きたら別の世界に生まれ
せ が き
変わります。実際にお寺でも施餓鬼という供養をやることがあります。餓鬼を供養するのです。
 
お盆にはどこから
 
輪廻転生が本当ならば、お盆にはどこからご先祖様が帰ってくるのでしょうか。おじいさんもおばあさんも、どこ
かで別の生命に生まれ変わっていればそちらでの生活に忙しいでしょう。そうなると魂が帰ってくるはずはありませ
ん。輪廻転生を信じてしまうと、お盆にご先祖様が帰ってくるとは言えなくなってしまい都合が悪いのです。
そうではなくて、普段、日本人は、「ご先祖様はあの世にいる」と考えています。だから、お盆にご先祖様が帰っ
てくるのです。お盆のときにはあの世からこの世に帰ってきます。多くの日本人はあの世みたいなものがどこかにあ
ると思っているのです。
えん ま
ではあの世は何なのでしょうか。あの世には 閻 魔様がいて、裁きがあって、地獄みたいなものがあるということ
は、多くの日本人が共通して想像したことがある世界ではないかと思います。あるいは昔の神話を見ていると、イザ
ナギノミコトの妻が地獄のような黄泉の国に落ちたという話が出てきます。それは欧米の地獄に近い世界観でもあり
ます。
けが
だから、死というものは 穢 れであって、ありがたくないものだと、多くの日本人は感じています。あの世は、どう
いうところかはわからないけれども、何か気持ちの悪い、本当は行きたくないという感覚があります。
 
自動的に極楽行き
 
しかしその一方で、死ねばみな仏とも言います。特に浄土真宗は「死ねば自動的に極楽に行けるのだ」という教え
です。しかし、浄土真宗ではなくても、死んだら阿弥陀様のような存在が世話をしてくれていると思っている日本人
は大勢いるようです。
その感覚は、「神様さえ信じていれば天国に行ける。毎週日曜日にミサに行って、教会の税金さえ納めていれば、
自動的に天国に行ける」と考える欧米人の感覚と似ている部分があると思います。
しかし、もし極楽に行くのであれば、死んだら「おめでとうございます」と言わなければいけないはずです。喜ば
しいことなのですから。しかしその場合でも「ご愁傷様です。お悔やみを申し上げます」と言います。「極楽に行く
のなら、悔やまなくていいのではないか」と思うのですが、悲しみます。
死後、極楽に行くのであれば、死は穢れではないはずです。おじいさん、おばあさんが極楽へ行ったならば、あり
がたい話なのに、そこが曖昧です。
「じゃあ欧米人は人が亡くなっても悲しまないのか」と思われるかもしれません。いや、欧米人もみんな泣きま
す。キリスト教もイスラム教もそうですが、信心深い人が死んだら、天国に行ったはずなのに、みんな泣いてしまい
ます。喜んで天国に送ればいいのに、やっぱり人間の気持ちとしては、それはないのです。
一神教の場合でも矛盾しているのですが、日本人は、よりファジーです。極楽を本当に信じているのであれば、ご
先祖様は極楽にいるわけですから、やはりお盆には帰ってこないはずです。親鸞さんは帰って来ないと教えています
が、真宗であっても、ご先祖様にはお盆には帰ってきてほしいと思っている人もいます。ですから、帰ってくること
にしているお寺もあるくらいです。
 
成仏
 
「成仏した」とお坊さんが言うこともあります。信者さんも言うことがありますが、死んだくらいで成仏するもの
ではないことは、みんなわかっているはずです。
ぼん ぶ
お釈迦様だって、菩提樹の下で悟られて成仏したわけですから、私たち 凡 夫が死んだくらいでは成仏できない、仏
になれないのはわかっているはずなのに、「成仏した」と言ってみたりもするのです。
昇天した、天に昇ったと言うこともありますね。
永眠したという表現をする人もいます。去年の暮に、あるお坊さんから「母が永眠したので、年頭の挨拶は控え
る」という旨のハガキが届きました。それを受け取った私は「えっ、成仏したんじゃないの? せっかく目が覚めた
はずなのに、永眠してどうするの?」と思いました。
極楽浄土に行った場合であっても、そこで眠っているはずはないでしょう。仮にもし永眠しているのならば、お盆
だって寝ていて帰ってこないはずです。それともお盆だけ目を覚まして、帰ってくるというのでしょうか。
 
ファジーな死後観
 
辛いときは「地獄」、お風呂に入れば「極楽」。日本人にとっての死後の世界は西方浄土か、浄瑠璃か、天国か。
それとも黄泉の国か。そもそも、死後はあるのか。何もなくなるのか。亡くなれば、みんな仏。しかしお盆にはちゃ
んとお里帰りをする。ご先祖様は、今も見守っている。袖すり合うも他生の縁……。
日本人の死後観は非常にわかりづらいのです。ドイツ人からしたら「え、いったいなんなの?」と思ってしまいま
す。理解できないのです。矛盾だらけです。
お葬式で商売をして飯を食っているお坊さんですら、はっきりした死後観がありません。建前としての教えすらあ
りません。曹洞宗の公式の教えとして、死んだらこうなりますよという建前すらないのです。
どうもファジーだけれども、日本人はここを「突き詰めて考えよう、はっきりさせよう」とは思っていないようで
す。曹洞宗の宗務庁でも、「私たちは責任を持って、曹洞宗として公式の立場をはっきりさせよう」とは思っていま
せんし、檀家も特に期待をしていません。
ドイツ人からするとこれは不思議です。ドイツで神学を勉強した牧師、神父なら、死んだ後の天国、地獄につい
て、自分のはっきりした考えがあります。「これは教会の立場ではこうなりますよ」と必ず言うことができます。
でもお坊さんからそういう話は聞いたことがありませんし、曹洞宗の立場もわかりません。もちろん、私自身も死
んだらどうなるかわかっていません。
まき げん
道元禅師だって、「 薪 が燃えたら灰になって、再び薪にならない。人も死ねば、再び生まれることはない」と 現
じょうこうあん
成 公 案 というテキストの中で言っておきながら、晩年には三界の業、つまりこの世と来世と再来世に続く業の話を
したり、菩薩としてずーっと生まれ変わって衆生のために働きたいという気持ちを表したりしていました。道元禅師
の場合ですら、生まれ変わりを信じていたのかわかりづらいのです。
 
ルーズなよさ
 
しかし「そういうルーズさがあったっていいじゃないか」と私は思います。なぜなら本当のことは誰にもわからな
いからです。インドに行ってヒンズー教徒に聞いたら、輪廻転生が絶対正しいと言うかもしれませんが、向こうが証
拠を持っているわけではありません。
「私は前世を覚えている」と過去の記憶を語る人がいたり、「来世、おまえは犬として生まれ変わるであろう」な
どと未来を予言したりする人もいるけれども、本当かどうかは、自分が死んでみないとわからないのです。
自分が死んでみないとわからないことについて、「絶対にこうだ」という思想、主義は持たないほうがいいと私は
思います。日本のこういうファジーな死後観は、またそれでいいじゃないかと思うわけです。白か黒かというファ
ジーでない欧米の考え方よりも、ちょっとグレーっぽくて「どっちなのかなー」という日本的な死後観のほうがいい
のではないかなと感じます。
不思議ではありますが、考え方によっては、それも日本のすばらしい価値観だと言えましょう。
 
宗教観もファジー
 
そもそも日本人は死後観だけでなく、宗教観もファジーです。宗教学に興味を持っているドイツ人の高校生たちと
日本の宗教について話をしたときに、「日本には仏教もあれば神道もあって、数は少ないけれどもキリスト教徒もい
ると聞く。日本人はどういう割合で、どの宗教を信じているのか?」と聞かれました。非常に難しい質問です。
「日本人の八〇パーセント、九〇パーセントは、いざとなれば菩提寺のお墓に入るから、そういう意味では、八〇
パーセント、九〇パーセントは仏教徒であると言える。お彼岸にもお墓参りをしたり、仏壇にお供えものをしたりす
る」と説明すると、「じゃあ、残りの一〇パーセント、二〇パーセントは神道なのか。キリスト教なのか。どうなん
だ」と聞かれました。
私は「そうではない。残りの一〇パーセント、二〇パーセントではなくて、この八〇パーセント、九〇パーセント
の日本人も含めて、多くの日本人はお正月には神社にお参りして、神様にもお祈りするのだ。地域にある神社の祭り
にも参加する。家にも仏壇の横に、あるいは別の部屋に神棚があったりするのだ」と説明しました。
これはドイツ人からすると大変不思議なのです。「えっ、仏教徒なのになぜ神道? 違う宗教なのに」と思いま
す。仏を信じているのか、神様を信じているのかというと、そこを分けていない。ということをまず説明しなくては
なりません。
 
いざとなると無宗教
 
「じゃあ、いざとなったらどっちなのか」と尋ねられました。これも難問です。例えば「結婚」という、いざとい
う場面では意外とチャペルも多いのです。初詣は神社に行くけれども、結婚式はチャペル。お葬式はお寺。
私が結婚したのは日本ですから、そのときはまず町内の役場に婚姻届けを出して、あとでドイツ領事館に行って、
ドイツでも登録してもらうための手続きをしました。
ドイツでは、婚姻を登録するときに生年月日や両親の名前などが必要なのですが、それ以外に、「自分の宗教は何
か」ということも登録しなければいけません。日本では絶対に聞かれない項目です。
最初に私が宗教を聞かれて「Ich bin Zenbuddhist.(私は禅仏教徒です)」と答えました。ドイツ領事館の方が「な
るほど」と言い、妻に「じゃあ、あなたも禅仏教徒ですか」と聞くと、妻は「いや、私は無宗教です」と言う。妻
も、もちろん実家に帰れば仏壇の前で線香を立てたりもするし、神社にもお参りするけれども、いざとなると無宗教
だという意識なのです。
私は妻とはさすがに教会では結婚式を挙げていませんが、妻の妹はやはりファジーな宗教観で、チャペルで結婚し
ました。だけど、やはりいざとなると無宗教だと言うのです。
 
一神教的な無宗教
 
ドイツにも無宗教の人はいますが、ドイツで無宗教の人というのは「神様を否定する人、宗教を否定する人」で
す。「おまえが宗教を信じているのは間違いだ!」と無宗教の人までが一神教の人のような頑固な頭を持っていま
す。「おれは無宗教だ。おまえも宗教を捨てるべきだ。宗教を信じるのはあほらしいことだ。神を信じることはとん
でもない間違いだ! 人類全体が無宗教になればもっと幸せになるはずだ。なんでこのことにみんな気づかないんだ
ろう!」と、無宗教なのに、一神教の人のようながんばりを見せます。
 
寛容な無宗教
 
日本人の無宗教はそうではなくて、仏教も神道もキリスト教も、全部ありがたくいただきます。こだわりのない、
すばらしい寛容な心の無宗教だと思います。
欧米社会に対して、完全に日本が勝っているのは、宗教に対する寛容性です。人によっては日本人の宗教観を、
ルーズだとか、無宗教だとか言いますが、日本人はすべて受け入れる寛容な心を持っています。あらゆる宗教をやわ
らかく受け入れて、アク抜きするような技術を持っています。
日本にはキリスト教徒も一、二パーセントいると言われていますが、日本人のクリスチャンを見ていても、欧米の
クリスチャンより余程まっとうなクリスチャンだと感じます。
欧米では、キリスト教徒は非常に排他的です。日本のクリスチャンもいろいろですが、日本の無宗教者と同じよう
に、非常に寛容です。例えば日曜日は教会に行くけれども、いざ死ぬと、お寺のお墓に入るクリスチャンだってたく
さんいます。欧米ではまず考えられない話です。あるいはその逆で、先ほど述べたように、お墓はお寺にあるけれど
も、結婚式はチャペルで挙げるという日本人もとても多いのです。
それはいい加減とかルーズというよりも、欧米社会が学ばなければいけない寛容性です。一神教の人もそういう態
度を学ばないと世界は平和にならないと思います。キリスト教徒やイスラム教徒もこのような寛容性を学ぶことがで
きたら、世界中が平和になることでしょう。
 
拠り所の喪失
 
さて、死後観も宗教観もファジーな日本人は、震災などのいざということが起こったとき、いったい何を頼るので
しょうか。
東日本大震災では共同体も壊れました。原子力発電所は爆発しているみたいだけれどもテレビでは学者さんが「大
丈夫、大丈夫」と言っている。大丈夫じゃなさそうだけれど、何を信じるべきなのかがわからない。「早く逃げなさ
い!」という情報もインターネットに流れている一方で、「いや、大丈夫だ。ふるさとに残りましょう」という意見
もある。「逃げたら卑怯だ!」という圧力もある。
いつもの日本だったら、テレビのニュースは信じていいし、まわりの人を信じて生きていれば大丈夫だという空気
があります。実際に戦後から六〇年以上、それでやってきました。しかし、ある日突然津波がやってきて、原発が爆
発して、共同体も信じられない、誰を信じればいいかわからない、という事態になってしまいました。
一神教徒であれば、当然のことながら、このようなときに頼るのは、神様になるわけです。イスラム教徒ならば、
アラーになりますし、ユダヤ教徒ならば、ヤハウェになるわけです。キリスト教徒なら、父なる神、もしくは息子で
あるイエスが拠り所になると思います。無神論者なら、正義。もしくは人権。人によりますが、そういったものを最
終的な拠り所にするでしょう。哲学者なら、理性や「智」を拠り所にするかもしれません。
しかしいざというときに、「神様!」とか「仏様!」「阿弥陀様!」と叫ぶ日本人は少ないのではないかと思いま
す。
 
ご先祖様も人間
 
東日本大震災のときに、福島の原発の近くに住んでいて、カバン一つで避難しなければならなくなった人たちの多
くが、まず仏壇の位牌をカバンに入れたと聞きました。日本人にとっての一つの拠り所はご先祖さまなのでしょう。
福島のふるさとに帰れない人はカバンに位牌を入れて避難し、いざふるさとに帰れたときには、まず仏壇にお線香
をあげて、お墓参りをする。日本のお寺やお坊さんは、「葬式仏教だ!」と悪口を言われていますが、ご先祖様を大
事にするのは悪いことではないと思います。おそらく多くの日本人にとっては、ご先祖様が拠り所として働いている
のでしょう。
しかしそれを本来の仏教という視点から見ると、やや違和感があります。
それはご先祖様といえども、ただの人間だからです。自分より一世代か、二世代先に生きていただけの人間です。
先祖といえども、結局は凡夫なわけですから、涅槃の代わりにはなりませんし、阿弥陀如来の代わりにも、大日如来
の代わりにもなりません。ご先祖様が拠り所というのは、ちょっと弱いのではないかと思います。
今ここで生きている自分を一滴の雨のようなものだと考えるならば、この雨は、ご先祖様という大きな雲から降っ
た雨だと考えられます。その雲の元をたどれば、大きな海になるでしょう。大きな海の水が蒸発して、そもそも空に
雲が初めてできたわけです。だから代々のご先祖様のおかげで自分があるという気持ちは理解できます。
一神教から見ても、ご先祖様の大切さは理解できるものです。一神教徒の場合は、そもそも神様という作り手が
あって、人間に命を与えたわけですが、一神教徒から見ても、お父さん、お母さん、そして代々多くのご先祖様が
あって、今この私がここに生かされているというのはもっともなことです。
しかし、一神教徒の場合は、お墓がなくても、仏壇がなくても、位牌がなくても最終的には「神様」という拠り所
が残ります。
 
心にも主食を
 
日本人にも自分の心の主食となるようなものがあってよいのではないかと思います。白米でも玄米でもいいのです
が、精神面で「自分の内側で何か支えとなるもの」があってよいのではないかと思うのです。
テレビでたまたま見た占い番組を信じるとか、墓の向きは南だとか北だとか、そういうことを気にするぐらいだっ
たら、自分自身の拠り所があったほうがいいと思います。血液型占いや細木数子先生が悪いということはなくて、別
に参考にしてもいいのですが、いざというときに、これだという頼れるものがないから、日本人はそういうものに気
を取られてしまっているのではないでしょうか。
ご先祖様を大事にするということが支えになっている日本人も多いけれども、ひょっとしてこの主食がちょっと少
なくなっている、あるいは消えかかっているのではないかと思います。主食が消えて、宗教のつまみ食いばっかりし
ている日本人が多いのではないかと思うのです。
「一神教がいい」とか、「親鸞さんのように、絶対的な阿弥陀仏を信じたほうがいい」とは、私は言いません。主
食は禅でなければいけないということはありませんし、テーラワーダ仏教のヴィパッサナーでも結構です。真宗の念
仏でもいいし、真言でも法華経でもなんでもいいのですが、いざというときに自分の支えとなるような主食がないと
まずいんじゃないかと思うわけです。しっかりした芯となるようなものを持ったほうがいいのではないかと思うので
す。
ドイツ人の禅僧としては、そう注文をつけたいと思います。血液型を気にしているようじゃ、日本人はまだまだで
す。
 
 
 

ドイツの仏教、日本の仏教
 
 
仏教は哲学の一つ
 
おそらく多くのドイツ人は、仏教を一〇〇パーセント宗教であるとはみなしていないのではないかと思います。
ドイツ人の頭の中ではどちらかというと、仏教は自己啓発の分野に近い。もし東大で仏教を学ぶとしたら「インド
哲学」という分野の中で、仏教を学ぶことになると思いますが、ドイツ人から見ても、仏教はインド哲学の中の、一
つの哲学だという認識があります。何かを信じなくてはいけない、ということは特になくて「自分を探す、自分を見
つける」、そういう哲学的な実践方法だと理解している人が多いのです。
ですから、キリスト教徒であっても、仏教に興味を持つ人はけっこういます。「宗教としては神様、イエス様なの
だけれども、それだけでは満たされないところがある。だから、仏教にもちょっと手を出してみたい、学んでみた
い」という気持ちです。自分の中に「仏教は別腹」という感覚があるのだと思います。
 
禅のインパクト
 
今から四、五〇年前ごろ、ドイツで仏教といえば禅でした。アメリカでは一九六〇年代に禅が流行り、ドイツでは
アメリカから五年ほど遅れてでしたが、やはり一九六〇年代、七〇年代には禅が流行りました。
「禅の究極のところは仏教ではない。禅のエッセンスは仏教から外しても大丈夫だ。禅の核心は、ブッダが菩提樹
の下で目覚めた悟りである。仏教というのはそのまわりにできた衣のようなものでしかない。仏教が箱なら、禅はそ
の中身。禅は本来裸だから、その裸の身体にどんな衣をつけたっていいし、衣を脱いだって構わない。裸そのままで
もいい。禅は裸である。だから、キリスト教のマントを着ていてもいいのだ」、という考え方が鈴木大拙さんによっ
て紹介されました。それによって、禅は、「宗教」というよりも「自分の生き方、考え方を整理するためのツール」
として受け止められたのではないかと思います。
 
チベット仏教の隆盛
 
その後、禅だけでなく、いろいろな仏教がドイツに紹介されました。
今のドイツで一番人気があるのはチベット仏教です。その理由としては、まずダライ・ラマの存在が挙げられま
す。一九八九年にノーベル平和賞を受賞してからもう三〇年近く経っていますが、いまもまだ強い影響力がありま
す。
私はチベット仏教についてあまり詳しくありませんが、チベット仏教は禅と比べると宗教のにおいが強いと思いま
す。お釈迦様の悟りの上に着せられた衣のようなにおいがします。少なくとも私の目から見ると宗教色が強いのです
が、同じドイツ人の中にも、そういった宗教のにおいのプンプンするカラフルな仏教に興味がある人が少なくないと
いうことでしょう。
キリスト教のカトリックとプロテスタントはほぼ同じ教義ですが、教会に入るとお香のにおいがしたり、儀式にも
力を入れたりしているのはカトリックです。
仏教の場合は、禅のほうはさっぱりしていて、プロテスタントに近いかもしれません。チベット仏教は、カトリッ
クのような雰囲気があります。
どちらがいいというわけではありませんが、やはりドイツ人の場合でも、仏教のエッセンスだけが欲しい人と、形
から、雰囲気から入りたいという人がいるのではないかと思います。
 
危機が生んだ飛躍
 
特にこの二〇年、三〇年、チベット仏教は世界でがんばっています。ダライ・ラマの影響もありますが、それ以上
に一人ひとりのお坊さんが世界各地でがんばっていることも大きいと思います。
もう六〇年前のことになりますが、チベット仏教は、中国から圧力がかかって、亡命しなければならなくなるとい
う、大変な危機がありました。
お坊さんたちはまずインドに出ました。そして、インドから世界中に散らばりました。散らばった先で、生活を営
んでいかなければいけませんから、世界中の人たちのニーズに合うような布教の仕方を、自分たちで積極的に考えな
くてはなりませんでした。
日本の仏教は、明治維新で廃仏棄釈があって、ちょっとがんばらなくてはいけないという時期はありましたが、チ
ベットほどの危機ではありませんでした。ましてや外国まで出なければいけない、という必要もありませんでした。
 
日本仏教のチャンス
 
今、日本では「お寺がみんなつぶれるかもしれない」と言われています。約七万七〇〇〇あるお寺のうち、三分の
一は既に空き寺になっているとも言われています。
しかし、これは日本にとっては大きなチャンスではないかと思います。こういうことでもないと、お坊さんたちは
「私たちは何がしたいのか? そもそもお寺に求められているのは何なのか?」ということを考えないからです。
お寺のほとんどがつぶれて「お坊さんでは生活できない」という事態になってはじめて、残っているお寺が「私た
ちは何ができるか」ということを考えるようになるのではないかと思います。
チベット仏教の僧侶たちが亡命先でどうすればその現地で役に立つことができるのかを一生懸命考えたように、
「お寺として残るなら何をしなければいけないのか。お寺が少ない都会に出て、新しくお寺をゼロから作ろうか」な
どと、日本の僧侶たちも考えなくてはいけない時代が来ているのです。実際に、そういう動きは少しずつ出てきてい
ます。
チベット仏教はチベットで布教活動ができなくなって、海外に出ました。チベット語ではなく外国語で、現地の人
にわかるような形で仏教を説かなければなりませんでした。
それと同じように、日本仏教も、ただ般若心経を棒読みするだけでは通用しない時代がきています。
日本人に、現代日本語で、「そもそもなんで日本に仏教があるのか?」「なぜ二一世紀にも仏教の存在価値がある
のか?」「次世代に、ブッダの教えを、自分たちの言葉でどう伝えるか?」という一番肝心なことを、僧侶が説明し
なければならない時期が来ていると思います。
 
 
 

悟りとは何か
 
 
悟りたい
 
鈴木大拙さんがなぜ世界的にあれだけ人気を呼んだのか。それは「悟り」という言葉が本の中に出てくるからだと
思います。
「悟りとはなんなのか、ということは言葉では説けないけれども、禅には悟りがある。それこそが核であって、ほ
かの教えや儀式は単なる衣にすぎない。悟りを掴むことは、二五〇〇年前のお釈迦様でなくても、インド人でなくて
も、日本人でなくても、その気になれば誰でもできる」ということが本には書いてあります。
私もドイツで坐禅を始めたころは、「悟りたい、悟りたい」と思って坐禅をしていました。
曹洞宗も臨済宗も禅宗ですが、臨済宗のほうでは「目標は見性すること」となっています。そして実際に、「見性
した」と自称している人もいます。探せば欧米にもいます。「おまえも、おれのもとで修行すれば悟れるぞ」と言う
ような指導者もいます。
私はドイツに住んでいたころから、いろんな道場で修行をしていましたが、高校生のときに、一、二年間、見性を
やすたにはくうん
強調している道場に通ったことがあります。そこは曹洞宗の 安 谷 白 雲 さんの流れをくむ道場で、曹洞宗と臨済宗の
ハイブリッドのような考え方でした。
安谷白雲さんは曹洞宗のお坊さんでしたが「やはり見性しなくちゃいけない」ということで、臨済宗的な主張をし
さんぼう
た方です。彼は鎌倉に 三 宝 教団という、宗教法人を設立されました。三宝教団は今でも細々と続いていますが、この
教団は、日本よりも欧米でのほうが有名ではないかと思います。特にドイツには三宝教団の道場がたくさんありま
す。私はその流れをくむ道場に高校生のときにしばらく通い、「見性しなくてはいけない」と言われてがんばったの
ですが、ついに見性できませんでした。
でも指導者はちゃんと見性した人でしたし、一人か二人、その指導者のもとで見性した人はいたと思います。「あ
の人は見性しているらしい」という噂を聞いたことがありました。
 
ベルリンでただ坐る
 
で し まるたいせん
大学生になってベルリンに引っ越し、そのベルリンで、今度はたまたま弟子 丸 泰 仙 さんの流れをくむ道場に行き
ました。
この道場ではまず坐る姿勢を徹底的に教えられました。坐禅も長い時間やりました。長ければいいというものでも
ありませんが、見性を強調していた道場の倍は坐っていたと思います。
指導者には、はっきりと「見性のための坐禅ではない」と言われました。「見性したいというのは、ロバが鼻先に
ぶらさがっているニンジンを追いかけているようなものだ。坐禅は悟るための手段ではなくて、むしろ手放すことで
ある」とも言われました。この道場での坐禅は、安泰寺と同じように、「ただ坐る」という坐禅でした。
ここでもやはり、坐禅をしても悟れる気配はまったくありませんでしたが、この坐禅を経験して、自分としては
「むしろこっちのほうが本物ではないか」と感じました。
 
悟りは迷い
 
その後、私はそのお寺の紹介で、安泰寺関係の人と出会うことができ、安泰寺にたどり着き、今に至るという道を
歩んでいます。
安泰寺では、道元禅師の教えをベースとした修行をしています。
しゅしょういっとう
道元禅師の三つの教えをご紹介しましょう。一つめは、 修 証 一 等 という教えです。
「悟りと実践は二つに分けることはできない。今ここで実践して明日悟るのではなくて、今ここの実践に、既に悟
りが現れているのだ。ところがそれを掴んでしまうと、距離ができてしまって、悟りは逃げていってしまう。悟りを
掴まず、今ここで、やることさえやっていれば、それが既に悟りの表現になっているのだ」という道元禅師の考え方
です。
「悟りは求めるものではない。悟るために坐るのではなくて、悟っているからこそ坐る。悟っていなければ、そも
そも坐禅をしようという思いが浮かんでこなかったのだ」というような逆説的なアプローチです。悟りのために坐禅
をするのではなくて、悟りのおかげで、今ここで坐禅ができているという考え方なのです。
二つめは現成公案に書いてある「悟りに大いに迷う衆生もあれば、迷いを大いに悟る仏がいる」という教えです。
「悟りを追い求めるのは大きな迷いである。それは衆生である私たちのスケベ根性なのである。仏は逆に、自分の
迷いに気づくのである。悟りというものがないわけではない。悟りとは、自分の迷いへの気づきなのである」
ですから、「おれは悟った!」という人が出てくるのは変な話なのです。仏ならば自分の迷いに気づいた人ですか
ら、「おれは悟った!」と言うはずはありません。悟った人なら、「私は仏ではない」と言うのです。「私は仏だ」
と思っている人がいれば、悟りに迷っている衆生の一人であって、凡夫にすぎないという話です。
ぎょう めいちゅう かくぜん う
三つめは、「知るべし 行 を 迷 中 に立てて、証を 覚 前 に獲ることを」という言葉です。
行というのは実践のことです。実践は、迷いの中でこそ始まると道元禅師は言っています。
六道輪廻の教えの中には、天国の話が出てきますが、今生で人間として生きている私が、仮に死んで天国に行けた
としても、そこで仏道を実践しようという思いがわいてくることはないと言われています。天上界は楽なのだけれど
も、楽だからこそ、仏道とは縁がないのです。
だから、仏教徒の目標は、決して天国、天上界に生まれることではありません。苦しみがあって、「私は苦しいん
だ!」という自覚があるからこそ、人間は「私は迷っている。なんでこんなに苦しいのだ! その原因はわからない
けれども、なんとかしなくちゃ」と思って仏道を実践することができるのです。
この句は「証を覚前に獲ることを」と続きます。証は悟りのことです。覚前の「覚」も、悟りのことです。悟る前
に悟りを得ている。これは逆説的な言い方ですけれども、要するに、実践しようとする思いは既に悟りだということ
です。しかしそれはその本人の意識にはのぼりません。本人は「おれは迷っている。この迷いはどこから来たのだ。
なんで苦しいのだ。苦しい、苦しい!」と思っているだけなのです。
私たちは、Amazonでクリックした商品が届いたとしても、箱を開けるといつも不満を覚えます。物足りない気持
ちが拭えません。「なんだ、こんな程度のものだったのか」といつも感じてしまいます。この物足りない思いはどこ
から来ているのか。
そのことに気づいたということは、既に悟りなのですが、本人は「悟った! 悟った!」とは言いません。そこで
もし「おれは悟った」と言うならば、Amazonで買いものをして欲しいものを手に入れて、「おー、こんなかっこい
い時計を手に入れた。おれは幸せだ!」と喜んでいるのと同じです。まだ本人は気づいていないかもしれませんが、
どうせ一週間も経てば「なんだ、これもそんな程度か」という思いに変わってしまいます。
しばら
その次に続くのが、「参学の人、 且 く半迷にして始めて得たり、全迷にして辞すること莫れ」です。迷いと悟り
は、表裏一体ということです。迷いに気づくとすぐに悟りがあるのです。悟りをあとから掴むのではありません。む
しろ迷いをどんどんはっきりさせておいて、迷いのカラクリをはっきりさせることが大事だというわけです。
 
生命欲が欲望の根源?
 
テーラワーダ仏教も大乗仏教も、出発点は苦しみです。苦しみの原因は何かというと欲望です。この欲望から解放
されれば、苦しみからも解放される。そのために八正道をはじめとする、いろいろな実践法がある。それは仏教共通
の教えだと思います。
苦しみの原因である欲望は何か。ひょっとするとテーラワーダ仏教ではもともとの欲は、生命欲そのもの、生きよ
うとするこの欲こそが根源であると教えているのではないかと思いますが、この欲からはなかなか自由になれませ
ん。
生命欲を断ち切るために自殺したいと思うのも一つの欲ですし、自分を殺すというのは殺生になるわけですから、
積極的に自殺を選ぶこともできません。しかし生命欲に走ってもいけません。むしろ少しずつ、少しずつ蛇口をひね
こんじょう
るように生命欲を減らして、枯れるような気持ちで死ぬことを目指します。 今 生 が無理なら来世、またお坊さんに
なって、またこの生命欲を減らして、カルマの種を減らして、ついに涅槃を得る。涅槃を得た人は死んで再び生まれ
変わることはないというオチになっているのがテーラワーダ仏教だと思います。
 
苦しみそのものが涅槃
 
しょう じ そく ね はん
大乗仏教がそれと違うのは、 生 死 即 涅 槃 と言って、この苦しみの世界はそのまま涅槃だったということです。つ
まり生命欲は問題ではないのです。むしろ、生きる大きな命をありのままに生きることが、そのまま涅槃になるわけ
です。生命欲を切り捨てるのではなくて、命をありのままに生きることが涅槃であると。
ではなぜこの世界で私たちが苦しんでいるのかというと、私たちが命をありのままに生きていないからです。もと
もとの問題は生命欲ではなくて、現実をありのままに見ていない「私」という思いです。命をありのままに生きてい
れば、それこそ悟りの世界なのです。
「天地いっぱいの命」という言葉があります。もともとは仏教用語ではありませんが、安泰寺の六代目の住職で
うちやまこうしょう さわ き こうどう
あった 内 山 興 正 老師や、その師匠の 澤 木 興 道 老師がよく使っていた言葉です。
「天地いっぱいの命」はまさに悟りの世界です。私たちは自分だけの命を生きようとし、「私さえよければいい」
という色メガネを通してしか世の中を見られないので、迷っているし、苦しいのです。
この「私だけがよければいい」という色メガネを外せば、自分が大いなる命に生かされているということに気づく
ことができます。これを強いて言うならば、見性とか悟りと言ってもいいと思います。
ひょっとすると、ふとした瞬間に「今色メガネを外している、大いなる命に生かされている」と気づくことはある
かもしれません。しかしそれを掴んでしまって、「私は見性した! 私は悟った!」というと、またすぐに自分に別
の色メガネを掛けてしまうことになります。
そもそもの問題が、命を「私の命、私の生と死」と見ていることなのに、今度は悟りまでそういう色メガネで見
て、同じカテゴリーに入れてしまうことになるのです。
「私は悟っているけれども、おまえは悟っていない」という思いが生じてくるならば、もうそれは悟りでもなんで
もないのです。「私の悟りなんてない。だけれども、大いなる命に生かされている」……そういう気づきを悟りと
言ってもいいのですが、本人は決して自分が悟っているとは言いません。
 
浄土真宗はまさに悟り
 
ですから禅のそういう考え方からすると、悟りという言葉すら使わない浄土真宗の親鸞さんはまさに悟っていると
言えます。
その境地を私の言葉でいえば、こうなります。「悟るためとか、救われるためとか、そういうつもりで念仏をして
いるわけではない。悟れるはずもなく、救われるはずもない私にできるのは、念仏だけだ。いや、念仏一つにして
も、私にはできない。私のほうから何かをつかもうという思いを手放して、阿弥陀如来の力によって念仏を唱えさせ
ていただくしかない」
禅から見ると、それはまさに無我の境地、無為の働き、つまり悟りそのものです。
 
私は悟っていない
 
「私は悟っている」と言う人には何人も会ったことがありますが、残念ながら誰一人にも感心したことがありませ
ん。そういう人には、なにかどこか引っかかるところがあるのです。
悟りを方便として使うことで、「努力せよ! おまえたちにもできるんだ!」という気持ちを与えたいと言うタイ
プの人もいます。よく言えば、悟りを方便として使っているのですが、私自身はそういう鼻の先のニンジンのような
方便は使いたくはありません。
悟りというのは、迷いの自覚です。「私は苦しいのだ、なぜ苦しいのだろう」という問題提起、これこそが悟りだ
と思います。それ以上求めたって、ただ悟りは遠くに逃げるだけだと思うのです。
「松影の暗きは月の光かな」という俳句があります。松影という私の影が暗ければ暗いほど、月が明るく照らして
いるという意味です。月は悟りです。悟りが明るければ明るいほど、「ああ、悟ったんだ!」という思いが生じるの
ではなく、影である迷いがくっきりはっきり見えてきます。「私はこの凡夫のメガネを通してしか現実を見ていない
んだ」ということがはっきりわかってくるのです。
もし、このメガネを外して「もっと広い空が見えた!」という思いが一瞬生じたとしたら、その思いが自分の意識
にのぼった時点で、もうすでに別の大きいメガネを掛けてしまっていることになります。
ですから「おれは悟っている」と言う人を、私はなかなか信頼できないのです。「おれは悟っているよ。おまえも
悟らせてあげるよ」などと言う人がいると、私はもう精神世界のトランプ氏のような人ではないかという気持ちにな
ります。これはちょっと危ないんじゃないかなと思うのです。
むしろ「私は迷っている」という人に会うと、「この人は何かに気づいているかもしれない、この人にちょっと学
ぶものがあるのではないか」と思います。
三宝教団の流れをくむ道場で修行していた高校生のときにはあまり感じませんでしたが、ベルリンに移って、あと
から感じたのは、道場の、その異様なにおいでした。みんなが坐禅中に「悟りたい、悟りたい、まだかな、まだか
な」と思っている。そのときは、それが普通で、「まだ悟っていないのはがんばりが足りないからだ」と思っていま
した。しかし、そこからちょっと離れて振り返ってみると、この「まだかな、まだかな」という姿こそ、迷いそのも
のだということが見えてしまったのです。
その道場の人たちも決して悪い人たちではなかったのですが、私の目から見たら、鼻の先のニンジンを追いかけて
いるような印象が残ります。
 
苦しみのカラクリ
 
迷いに気づき、迷いが生じるカラクリがクリアーになってくると、苦しみはいくぶん楽になっていくと思います。
苦しみ、つまり、物足りないという思いが自分自身から消えるわけではないのですが、「物足りないのだ、それが当
たり前なのだ」と思えるようになるからです。
悟りを得た釈尊も、晩年には「背中が痛い」などと言っているわけです。釈尊ですら背中が痛い。しばらく食べな
いとお腹も空いたことでしょう。それは仕方がないことですし、ましてやお釈迦様でない私のようなものは、夏にな
ると暑い、冬になると寒いと思います。
しかし、一番厄介なのは、その苦しみそのものではなく、そこにかかってくる、二重の苦しみのほうです。「私は
苦しいけれども、こんなはずはない! なんとかこの苦しみから自由になることはできないか。私を幸せにしてくれ
るものはないのか!」と思うことが厄介なのです。
ある人は甘いものを食べたらハッピーになると思う。ある人はAmazonからものが届いたらハッピーになると思
う。ある人は瞑想をして悟ったらすべての悩み苦しみが解決して幸せになると思う。しかしそれはあり得ないことな
のです。それは二重の苦しみの延長でしかないからです。
苦しみのカラクリがクリアーになればなるほど、「今自分は苦しいけれども、あちら側には、幸せや悟りがあっ
て、がんばったら手に入る」ということは嘘だとわかります。
そして、今の苦しみで落ち着くことができるようになります。今の物足りなさで物足りるようになるのです。物足
りなさはなくならないけれども、物足りなくたっていいじゃないかと思えるようになります。
苦しみから自由になるということは、苦しみがなくなることではありません。腹が減ればそれでいいじゃないか。
夏暑ければそれでいいじゃないか。あまりに暑ければ、扇子でちょっと自分に風を送ればいいじゃないか。ただそう
いうふうに対処すればいいだけだということがわかるようになることです。それが、苦しみから自由になるというこ
とだと思います。
私たちは願ってこの世に生まれたわけではありません。実際に毎日生きるのは楽しいことばかりではありません。
人生は物足りなくて、苦しいのです。しかし、苦しみをよくよく見て、「なんだ、こんな程度の苦しみだったのか」
と受け入れられるようになれば、普通に生きられるようになります。
まだ死んでいないからわかりませんが、死ぬことだって普通にできるはずです。みんな死んでいるわけですから。
人間を一番苦しめているのは「こんなはずはない、こんなはずではなかった」とか、「みんなが死んでもおれだけ
しょう じ
は死にたくない」というような気持ちです。それを手放しさえすれば、 生 死を受け入れることができるようになり
ます。受け入れることで解放されるというカラクリなのです。
 
比較をやめる、欲が落ちる
 
物足りなさを受け入れると「なんだ、一番大事なのはまず空気だったのか!」ということがわかります。でも意識
せずとも、私たちは一分間に何回も呼吸をしています。不思議だけれども、ちゃんと物足りているのです。呼吸が止
まったら大変ですが、未だに止まったことはありません。
次に大事なのは水でしょう。日本にいれば、山水もありますし、都会であれば蛇口をひねればどこででも水を得る
ことができます。公衆トイレであればただで手が洗えますし、水を飲むことだってできます。食べものについてはも
うちょっとがんばらなくてはいけませんが、少しがんばれば誰でも手に入れることができます。
そうやってよくよく見ていけば、いろいろなことはちゃんと間に合っているのです。今までいったい自分は何に悩
んでいたのだろうか、と気づくわけです。
隣の人が自分よりも大きな車に乗っているとか、友達が自分よりいいバッグを持っているとか、同僚の妻は自分の
妻よりきれいだとか、あいつの子どもは東大に受かったのにうちは私立かとか、そういう比較の中で生きているから
落ち着かないだけです。
比較をやめれば毎日ハッピーになります。そこまで言うと大袈裟かもしれませんが、「なんだ、悩みなんてない
じゃないか」と思えるようにはなります。物足りない毎日で、物足りるようになるのです。
余計な欲はどんどん落ちていきます。自分を見つめて自分が本当に必要なものは何かと考えると、今まで必要だと
思っていた多くのものはなくてもいいということに気づくことができます。
 
生死即涅槃
 
大乗仏教の考え方では、生命欲自体は否定する必要はありません。生命欲はあっていい。かといって、死ななくて
済むというわけではありません。もちろん死という現実は受け入れる必要があります。受け入れなくても死んでしま
いますが、受け入れたほうが楽に死ねます。
死んでからどうなるかは、私にはわかりません。
しかし、生と死が繰り返されるならば、その都度その都度、ありのままに生きればいいのではないかと思います。
それが生死即涅槃ということだと思います。生と死がなくなって、別の「涅槃」という状態があるのではないと思う
のです。
道元禅師の言葉で言えば、生死をありのままに受け入れたその瞬間に、「この生死が実は仏の命だった」というこ
とがわかるのです。「私たちが生きていたこの命は、実は仏の命だった。ここで呼吸している私は、実は仏の呼吸を
していたんだ。いや、仏が私を通して呼吸をしていたのか!?」ということに初めて気づくのです。
それを受け入れないから、呼吸するにも息苦しさを感じてしまいます。安泰寺でも坐禅中に呼吸困難になる人がい
ますが、息を吐いてもまたちゃんと仏が息を吸わせてくれるのだという落ち着きができれば、楽に吐いて吸うことが
できるようになります。
「生きては死んで、死んでは生きる」というサイクルも、受け入れれば、落ち着いた呼吸のようなサイクルになる
と思います。吐くときは吐く。吸うときは吸う。生死は苦しみのサイクルではないのです。
基本的には私も道元禅師と同じ立場です。ですから私は「悟りを得る」という言い方にはあまり賛成できません。
私自身は悟っていませんし、これから悟ろうとも思いませんが、悟りを手放すことで、悟りがまったく違う方向に
あるのだということがわかりました。そもそも掴むものではなかった、悟りは実践の中に現れているのだとわかりま
した。
日本人は日ごろ「悟り」や「修行」といった言葉をあまり口にしていません。ましてや「修証一等」のような難し
い概念を知っている人は少ないでしょう。しかし「心は形から」というと、日本人ならみんな理解します。子どもの
ころから学んでいる挨拶、掃除や食事作法にはすでに禅の悟りが表れています。遠路はるばる日本で、目も尻も青い
この私がこの実践方法に出会えて本当によかったと思っています。
 
 
 

1 薬石 禅寺での夜ごはんのこと

2 私が住職になってから、接心の間は二食に変えた。今は接心のときは朝の九時と午後三時にしか食べていない。二食とも質素なものを食べている

3 「米の消費に関する動向」より http://www.maff.go.jp/j/seisan/kikaku/pdf/data01.pdf
あとがき
 
 
私が日本に来た当初、小錦さんがまだ現役の力士でした。彼をテレビで見かけたとき、「すごい!こんなデカい日
本人もいるんだ!」と思わず言ってしまいましたが、「違うよ、あれは日本人じゃない。アメリカ人だ」と注意され
ました。
そのころの日本のテレビにはまだ外国人があまり登場しておらず、登場したとしても、置物のような感じで画面の
脇に坐っているだけでした。
ところが一九九八年に日本人と外国人が討論を交わす『ここがヘンだよ日本人』(TBS系列)というテレビ番組
が誕生。日本人から見れば当たり前のことを、外国人が「ヘンだ!」と指摘してみたり、逆に日本人が「そういうお
まえこそ、ヘンじゃないの?」と反論してみたりする斬新な内容に、人々は目を奪われ『ここがヘンだよ日本人』は
一躍人気番組となりました。
出演者の一人に、歯に衣着せぬドイツ人がいました。彼は自分の体験談を『イケてない日本―日本人のホントのと
ころ』(インターメディア出版/ノイマン・クリストフ著)という本にまとめましたが、日本での評価はいまいちで
した。それもそのはず、日本人を「陰気で、慇懃無礼で、成金で、閉鎖的で、拒否的で、理解しがたい」と形容して
いたからです。そんな本を日本人が手に取るはずがありません。
ところが、そのドイツ語バージョンである『Darum nerven Japaner(日本人がムカつく理由)』はバカ売れし、
『Darum spinnen Japaner(日本人がクルっている理由)』という続編まで発売されました。「一番ムカつくのは、著
者自身の視野の狭さだ!」と指摘する声もありましたが、ほとんどのドイツ人読者は日本人をこき下ろすことに快感
を覚えていたようです。その快感はドイツ語で「Schadenfreude」と言われています。それは他人の不幸を喜ぶ「恥
知らずの喜び」です。それで何の進歩があるでしょうか。
悲しいかな、ここ数年は日本でも他国を悪く言ったり、「日本が世界一」といばったりする風潮が強くなっていま
す。言うまでもありませんが、異文化どうしは切磋琢磨し合うものであって、勝ち負けを争うものではありません。
私は来日してから「日本が嫌なら、国に帰れ!」と言われたのは一度や二度ではありません。その原因は言うまで
さと ぜん ち しき
もなく、この私にあったはずです。辛いこともありましたが、今は私を 諭 してくださった 善 知 識 に感謝の念でいっ
ぱいです。融通の利かない私の文句に耳を向けて、いまだに辛抱強くつき合ってくれている日本の皆さんに「ありが
とう!」と言いたい。
この本の執筆にあたって、サンガの島影透社長のご提案と、編集部の様々なご指導をいただきました。最終的な構
成案は編集者の中田亜希さんに練っていただき、話の内容も彼女に引き出していただきました。この本は多くの方の
共同作業の結晶です。
私の本を読んで、「ずいぶんとドイツびいきだなー」とお感じになった読者もいるでしょう。そうです、私はまだ
ドイツ製の鉄の頭を手放せていません。いずれはこのすばらしい国ニッポンに骨を埋めることになりそうですが、そ
れまでは日本人のやわらかさに学び、私自身も少しでもフレキシブルになりたいと願っております。
どうか、末永くよろしくお願いいたします。
合掌
ネルケ無方
〔著者プロフィール〕
 
ネルケ 無方 (ねるけ むほう)
一九六八年、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。曹洞宗・安泰寺住職。一六歳で坐禅と出会い、一九九〇年に留学生として来日。兵庫県にある安泰寺に上山し、
半年間修行生活に参加。大学のドクターコースを中退し、一九九三年に安泰寺で出家得度、「ホームレス雲水」を経て、二〇〇二年より安泰寺堂頭(住
職)。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。著書に『裸の坊様』(サンガ新書)、『迷える者の禅修行』(新潮新書)、『なぜ日本人はご先祖
様に祈るのか』(幻冬舎新書)、『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』(ベスト新書)などがある。
サンガ新書068
曲げないドイツ人 決めない日本人
ドイツ人禅僧が語る日本人の才能
 
二〇一七年1月1日 電子版発行
 
著 者 ネルケ無方
装 丁 重原 隆
発行者 島影 透
発行所 株式会社サンガ
    〒一〇一−〇〇五二
    東京都千代田区神田小川町三−二八
    電 話 〇三(六二七三)二一八一
    FAX 03-〇三(六二七三)二一八二
    郵便振替 〇二二三〇−〇−四九八八五(株)サンガ
 
©Nölke Muhô 2016
 
本書の無断転載を禁じます。
Contents
1. はじめに
1. 昼の顔、夜の顔
2. ジャパンアズナンバーワン
3. 京大生として再来日
4. 雲水とビザ
5. ビザの更新
6. 形が大事
7. フレキシブルな対応
8. 日本にただいま!
2. 第1章 多文化共生を考える
1. 多文化共生は可能か?
1. ドイツの移民問題
2. 対岸の火事
3. 「多」と「共」は完全には共存できない
4. タバコを吸う人、吸わない人
5. 宗教の問題
6. 教会の鐘
7. 言葉の問題、恋愛の問題
8. 多文化共生の四つのパターン
9. エックスクルージョン・セパレーション
10. 鎖国もセパレーション
11. インテグレーション・インクルージョン
12. 理想の共生
13. 安泰寺の問題
14. 言語は文化を強制する
15. 安泰寺の共生ルール
16. 修行者の増加
17. 強いほうが勝つ
18. 壁はいらない
19. 師匠の教え
20. 共生の覚悟
3. 第2章 性格の違いと人間関係
1. 顔に出さない日本人
1. 怒らない日本人が『怒らないこと』に金を出す
2. 中身もそうとは限らない
3. 遅刻の言い訳
4. 「お元気ですか?」「いや、最低です」
5. 嘘をつくメリット
6. 怒りを小出しにする
7. 嘘も方便
8. 嘘もまことも人それぞれ
9. ドイツ人の嘘
2. ドイツ人に義理人情やしがらみはあるか?
1. 絆はどこからしがらみになるか
2. 計算する日本人
3. 義理人情のないドイツ人
4. イラク戦争に反対したドイツ、賛成した日本
5. 一方的に助け、助けられる欧米社会
6. ヒッチハイクにも気をつかう日本人
7. 縛られている日本人
8. 言葉にも表れる人間関係
9. おれはキャプテン
10. 縦の関係が落ち着く日本人
11. 宅配便をお隣さんに配達する
12. ウエットな日本人、裏のないドイツ人
13. ドイツ人も空気を読む
14. 気候と似ている人間関係
15. 相互に助け、助けられる日本人
16. ウエットな空気が好きな私
3. ドイツ人は根暗?
1. わざと乗り遅れる
2. 人も車も保守的
3. 変わらない街並み
4. 落ち着きがいいのが大事
5. 明るすぎる日本
6. 無常にさからう
7. 環境にもうるさい
8. ドイツ人は暗いのかもしれない
9. 何もかも捨てられない
4. 第3章 自由と民主主義
1. 日本人に主体性はあるのか?
1. パーティーは自分が開く
2. 主体性を否定する日本の敬語
3. 主体性を重視するドイツ人
4. 一貫した私
5. SNSにも違いは表れる
6. ステッカー文化
7. TPOで自分を使い分けない
8. 子どもにも合わせない
9. 主語がない
10. 考えは違っているのが当たり前
11. 議論と民主主義
12. ディスカッションはスポーツ
13. 仏教的には成り立たない
14. 中道を目指す
2. ヒットラーはなぜ生まれたのか?
1. 自由からの逃走
2. 戦後ドイツ
3. 不安な時代
4. 日本は複雑
5. 民主主義の次の道
5. 第4章 時間の使い方とライフスタイル
1. 日本の朝は遅い?
1. パン屋さんが開いていない
2. 学校は日の出前に始まる
3. 帰宅が遅いと機嫌がよい
4. 日本人の居眠り
5. 横にならないと眠れない
6. 朝遅い自覚がない
7. 安泰寺は早寝早起き
8. 朝遅いから後手後手になる
2. がんばる日本人はえらいのか?
1. テンションの差
2. がんばる日本人
3. 安息日に働いてはいけない
4. 日本人の愛情
5. 「がんばっている」はけなし言葉
6. 早く帰るのが美徳
3. 日本の「内と外」、ドイツの「私と他者」
1. 温かい挨拶の理由
2. 「内と外」という概念
3. 赤の他人には不親切
4. 自分か他者か
5. 他者は平等
6. ドライだからオープン
7. 安泰寺での理想像
6. 第5章 ドイツ人が驚く日本人の柔軟性
1. ドイツ人は天命を探し続ける
1. 乗り越し精算機
2. 行き先を決めるドイツ人、決めない日本人
3. 岩をぶっ壊す
4. ドイツのフレキシブルな大学制度
5. 長いインターン
6. 会社を変わるのは当たり前
7. 職業は天命である
8. 運命の人を探す
9. 最善か無か
10. 妥協しない禅僧
2. マルチタスキングは日本人の才能である
1. 部屋の数だけあるテレビ
2. オンなのかオフなのか
3. 気にしない日本人
4. 聞き流せないドイツ人
5. おれの邪魔をするな
6. マルチタスキング
7. 運転も集中して真剣に
8. 昔の安泰寺
9. ハンデを負うドイツ人
3. ドイツ人は日本で車にひかれそうになる?
1. 日本で運転を覚える
2. 日本人の運転はルーズ
3. ルールは絶対
4. ぶつかっても進め!
5. 日本の美徳
4. ドイツ人はなぜ原発全廃止を決断できたのか?
1. ドイツの原発全廃止
2. 原発もオンかオフかのドイツ
3. 原発もファジーな日本
4. 理想が先か現実が先か
5. 理想と現実の折り合い
6. 理想の追求
7. 第6章 野性的なドイツ人
1. ドイツ人は「かわいい」を理解できない
1. ドイツ人はロック好き
2. アイドルが理解できない
3. ミニクーパーは女性向け
4. かわいくなれないドイツ人
5. 磨かれた文化
6. お洒落しないドイツ人
7. ワイルドなファイター
2. ドイツ人はお金を使わない
1. 質素が美徳
2. タクシーで来るのは日本人だけ
3. 資源も大切に
4. お金をかけるのは合理的な理由があるとき
3. ドイツ人は「内なるイノシシ」を解放したい
1. 二〇〇〇年前から野蛮人
2. ドイツの全裸文化
3. 野生と家畜
4. ドイツ人はバーベキューが好き
5. 時間を売るという感覚
6. サラリーマンのリタイア後
7. 内なるイノシシを解放する
8. 安泰寺での内なるイノシシ
9. 十牛図
10. ブタとイノシシ以前に戻る
8. 第7章 宗教と悟り
1. 『火の鳥』を語る
1. ドイツにおもしろい宗教漫画はない
2. 善悪がファジーな『火の鳥』
3. 『ブッダ』より仏教的な『火の鳥』
2. 日本人は死ぬとどこに行くのか?
1. ドイツ人の食卓
2. 多彩な日本の食卓
3. 主食と宗教
4. 精神的主食
5. 死後の世界
6. 不思議な日本人の死後観
7. お盆にはどこから
8. 自動的に極楽行き
9. 成仏
10. ファジーな死後観
11. ルーズなよさ
12. 宗教観もファジー
13. いざとなると無宗教
14. 一神教的な無宗教
15. 寛容な無宗教
16. 拠り所の喪失
17. ご先祖様も人間
18. 心にも主食を
3. ドイツの仏教、日本の仏教
1. 仏教は哲学の一つ
2. 禅のインパクト
3. チベット仏教の隆盛
4. 危機が生んだ飛躍
5. 日本仏教のチャンス
4. 悟りとは何か
1. 悟りたい
2. ベルリンでただ坐る
3. 悟りは迷い
4. 生命欲が欲望の根源?
5. 苦しみそのものが涅槃
6. 浄土真宗はまさに悟り
7. 私は悟っていない
8. 苦しみのカラクリ
9. 比較をやめる、欲が落ちる
10. 生死即涅槃
5. あとがき
Landmarks
1. Cover
2. Table of Contents

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