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ページ番号︓0000009406 更新⽇︓2019年10⽉21⽇更新

平成13年(2001年)

平和宣⾔

今世紀初めての8⽉6⽇を迎え、「戦争の世紀」の⽣き証⼈であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない、「平和と⼈道の世紀」にするため、全⼒を
尽すことを宣⾔します。

⼈道とは、⽣きとし⽣けるものすべての声に⽿を傾ける態度です。⼦どもたちを慈しみ育(はぐく)む姿勢でもあります。⼈類共通の未来を創(つ

く)るため和解を重んじ、暴⼒を否定し理性と良⼼に従って平和的な結論に⾄る⼿法でもあります。⼈道によってのみ核兵器の廃絶は可能になり、
5 ⼈道こそ核兵器の全廃後、再び核兵器を造り出さない保障でもあります。

21世紀の広島は⼈道都市として⼤きく⽻ばたきたいと思います。世界中の⼦どもや若者にとって優しさに満ち、創造⼒とエネルギーの源であり、⽼
若男⼥誰(だれ)にとっても憩いや寛(くつろ)ぎの「居場所」がある都市、万⼈のための「故郷(ふるさと)」を創(つく)りたいと考えていま
す。

しかし、暦の上で「戦争の世紀」が終っても、⾃動的に「平和と⼈道の世紀」が訪れるわけではありません。地域紛争や内戦等の直接的暴⼒だけで
10 なく、環境破壊をはじめ、⾔論や映像、ゲーム等、様々な形をした暴⼒が世界を覆い、⾼度の科学技術によって戦場は宇宙空間にまで広がりつつあ
ります。

世界の指導者たちは、まず、こうした現実を謙虚に直視する必要があります。その上で、核兵器廃絶への強い意志、⼈類の英知の結晶である約束事
を守る誠実さ、そして和解や⼈道を重視する勇気を持たなくてはなりません。

多くの被爆者は、そして被爆者と魂を重ねる⼈々は、⼈類の運命にまで⾃らの責任を感じ、岩をも貫き通す堅い意志を持って核兵器の廃絶と世界平
15 和を求めてきました。被爆者にとって56年前の「⽣き地獄」は昨⽇のように鮮明だからです。その記憶と責任感、意志を、⽣きた形で若い世代に伝
えることこそ、⼈類が21世紀を⽣き延び、22世紀へ虹⾊の橋を架けるための最も確実な第⼀歩です。

そのために私たちは、広い意味での平和教育の再活性化に⼒を⼊れています。特に、世界の主要⼤学で「広島・⻑崎講座」を開講するため私たちは
努⼒を続けています。⾻格になるのは、広島平和研究所等における研究実績です。事実に基づいた学問研究の成果を糧(かて)に、私たち⼈類は真

実に近付いてきたからです。

20 今、広島市と⻑崎市で世界平和連帯都市市⻑会議が開催されています。21世紀、⼈道の担い⼿になる世界の都市が、真実に導かれ連帯することで核

兵器の廃絶と世界平和を実現するための会議です。近い将来、この会議の加盟都市が先頭に⽴って世界中に「⾮核⾃治体」を広げ、最終的には地球
全体を⾮核地帯にすることも夢ではありません。

わが国政府には、アジアのまとめ役として⾮核地帯の創設や信頼醸成のための具体的⾏動、ならびに国策として核兵器禁⽌条約締結の推進を期待し
ます。同時に、世界各地に住む被爆者の果してきた役割を正当に評価し、彼らの権利を尊重し、さらなる援護策の充実を求めます。その上で、核兵
25 器廃絶のための強い意志を持ち、憲法の前⽂に則(のっと)って、広島と共に「平和と⼈道の世紀」を創(つく)るよう、強く要請します。

21世紀最初の8⽉6⽇、私たちは今、⽬の前にある平和の瞬間(とき)を、21世紀にそして世界に広げることを誓い、すべての原爆犠牲者の御霊
(みたま)に⼼から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2001年(平成13年)8⽉6⽇

広島市⻑ 秋葉 忠利
現在地 総合トップページ > 平和宣⾔ > 平成14年(2002年)

ページ番号︓0000009405 更新⽇︓2019年10⽉21⽇更新

平成14年(2002年)

平和宣⾔

57年前、「この世の終り」を経験した被爆者、それ故に「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」と現世の平和を願い活動し
てきた被爆者にとって、再び⾟(つら)く暑い夏が巡ってきました。

⼀つには、暑さと共に当時の悲惨な記憶が蘇(よみがえ)るからです。

それ以上に⾟(つら)いのは、その記憶が世界的に薄れつつあるからです。実体験を持たない⼤多数の世界市⺠にとっては、原爆の恐ろしさを想像

5 することさえ難しい上に、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』やジョナサン・シェルの『地球の運命』さえも忘れられつつあります。その結果、「忘

れられた歴史は繰り返す」という⾔葉通り、核戦争の危険性や核兵器の使⽤される可能性が⾼まっています。

その傾向は、昨年9⽉11⽇のアメリカ市⺠に対するテロ攻撃以後、特に顕著になりました。被爆者が訴えて来た「憎しみと暴⼒、報復の連鎖」を断

ち切る和解の道は忘れ去られ、「今に⾒ていろ」そして「俺の⽅が強いんだぞ」が世界の哲学になりつつあります。そしてアフガニスタンや中東、
さらにインドやパキスタン等、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に⼥性・⼦供・⽼⼈等、弱い⽴場の⼈たちです。

10 ケネディ⼤統領は、地球の未来のためには、全(すべ)ての⼈がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだと述べま
した。その枠組みの中で、⼈類共通の明るい未来を創(つく)るために、どんなに⼩さくても良いから協⼒を始めることが「和解」の意味なので

す。

また「和解」の⼼は過去を「裁く」ことにはありません。⼈類の過ちを素直に受け⽌め、その過ちを繰り返さずに、未来を創(つく)ることにあり
ます。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが⼤切です。だからこそ私たちは、世界の⼤学で「広島・⻑崎講座」を開設しようとし
15 ているのです。

広島が⽬指す「万⼈のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と⼈道の川には理性と良⼼そして共感の船が

⾏き交い、やがて希望と未来の海に到達します。

その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ⼤統領に広島・⻑崎を訪れること、⼈類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が⼈類に何をもた
らすのかを⾃らの⽬で確認することを強く求めます。

20 アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「⼈類を絶滅させる
権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市⺠が持っているからです。

⽇本国憲法第99条は「天皇⼜は摂政及び国務⼤⾂、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定していま

す。この規定に従うべき⽇本国政府の役割は、まず我が国を「他(ほか)の全(すべ)ての国と同じように」戦争のできる、「普通の国」にしない
ことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・⻑崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝

25 え、明⽇の⼦どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。

その第⼀歩は、謙虚に世界の被爆者の声に⽿を傾けることから始まります。特に海外に住む被爆者が、安⼼して平和のメッセージを世界に伝え続け

られるよう、全(すべ)ての被爆者援護のための施策をさらに充実すべきです。

本⽇、私たち広島市⺠は改めて57年前を想(おも)い起し、⼈類共有の記憶を貴び「平和と⼈道の世紀」を創造するため、あらん限り努⼒すること
を誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に⼼から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2002年(平成14年)8⽉6⽇

広島市⻑ 秋葉 忠利
平 和 宣 言
しゃくねつ
今年もまた、58 年前の灼 熱 地獄を思わせる夏が巡って来ました。被爆者が訴え続けて来た核兵器
や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変り、
黒い雨が降り出しそうな気配さえあります。
ひん
一つには、核兵器をなくすための中心的な国際合意である、核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕し
5 ているからです。核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研
究を再開するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策が最大の原因です。

しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言
かじ
動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです。また、米英軍主導
のイラク戦争が明らかにしたように、
「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように
けんでん
10 喧伝されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声
ぬぐ
をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭え
いま
ぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未だに見つかっていません。
すべ だま
かつてリンカーン大統領が述べたように「全ての人を永遠に騙すことはできません」。そして今こ
くらやみ くらやみ
そ、私たちは「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ」という真実を見つめ直さなくてはなりま
やみ やみ ほか だれ
15 せん。「力の支配」は闇、「法の支配」が光です。「報復」という闇に対して、「他の誰にもこんな
思いをさせてはならない」という、被爆者たちの決意から生まれた「和解」の精神は、人類の行
く手を明るく照らす光です。

その光を掲げて、高齢化の目立つ被爆者は米国のブッシュ大統領に広島を訪れるよう呼び掛けて
います。私たちも、ブッシュ大統領、北朝鮮の金総書記をはじめとして、核兵器保有国のリーダ
20 ーたちが広島を訪れ核戦争の現実を直視するよう強く求めます。何をおいても、彼らに核兵器が
極悪、非道、国際法違反の武器であることを伝えなくてはならないからです。同時に広島・長崎
の実相が世界中により広く伝わり、世界の大学でさらに多くの「広島・長崎講座」が開設される
ことを期待します。

また、核不拡散条約体制を強化するために、広島市は世界の平和市長会議の加盟都市並びに市長
25 に、核兵器廃絶のための緊急行動を提案します。被爆 60 周年の 2005 年にニューヨークで開かれ
る核不拡散条約再検討会議に世界から多くの都市の代表が集まり、各国政府代表に、核兵器全廃
を目的とする「核兵器禁止条約」締結のための交渉を、国連で始めるよう積極的に働き掛けるた
めです。

同時に、世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やス
30 ポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を
ろう
容認する言辞は弄せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶さ
せるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。
ひょうぼう
また「唯一の被爆国」を標 榜 する日本政府は、国の内外でそれに伴う責任を果さなくてはなりま
せん。具体的には、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする新・非核三原則を新たな国
35 是とした上で、アジア地域の非核地帯化に誠心誠意取り組み、 「黒い雨降雨地域」や海外に住む被
すべ
爆者も含めて、世界の全ての被爆者への援護を充実させるべきです。

58 年目の 8 月 6 日、子どもたちの時代までに、核兵器を廃絶し戦争を起こさない世界を実現する
すべ み たま ささ
ため、新たな決意で努力することを誓い、全ての原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げま
す。

2003 年(平成 15 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
「75 年間は草木も生えぬ」と言われたほど破壊し尽された
いま なきがら
8 月 6 日から 59 年。あの日の苦しみ ゆうめいさかい こと

を未だに背負った亡骸――愛する人々そして未来への思いを残しながら幽明界を異にした仏たち
にのしま かえ

が、今再び、似島に還り、原爆の非人間性と戦争の醜さを告発しています。
いま ご い

残念なことに、人類は未だにその惨状を忠実に記述するだけの語彙を持たず、その空白を埋める だ み ん むさぼ

5 べき想像力に欠けています。また、私たちの多くは時代に流され惰眠を貪 り、将来を見通すべき
理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。

その結果、米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、
核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。また世界各地における暴力と

報復の連鎖は止むところを知らず、暴力を増幅するテロへの依存や北朝鮮等による実のない「核
10 兵器保険」への加入が、時代の流れを象徴しています。

このような人類の危機を、私たちは人類史という文脈の中で認識し直さなくてはなりません。人
間社会と自然との織り成す循環が振り出しに戻る被爆 60 周年を前に、私たちは今こそ、人類
み ぞ う ま

未曾有の経験であった被爆という原点に戻り、この一年の間に新たな希望の種を蒔き、未来に向
つく

かう流れを創らなくてはなりません。

15 そのために広島市は、世界 109 か国・地域、611 都市からなる平和市長会議と共に、今日から来


つく
年の 8 月 9 日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」にすることを宣言しま すべ

す。私たちの目的は、被爆後 75 年目に当る 2020 年までに、この地球から全ての核兵器をなくす


という「花」を咲かせることにあります。そのときこそ「草木も生えない」地球に、希望の生命
が復活します。

20 私たちが今、蒔く種は、2005 年 5 月に芽吹きます。ニューヨークで開かれる国連の核不拡散条約
再検討会議において、2020 年を目標年次とし、2010 年までに核兵器禁止条約を締結するという中
間目標を盛り込んだ行動プログラムが採択されるよう、世界の都市、市民、NGOは、志を同じ
くする国々と共に「核兵器廃絶のための緊急行動」を展開するからです。

そして今、世界各地でこの緊急行動を支持する大きな流れができつつあります。今年 2 月には欧
25 州議会が圧倒的多数で、6 月には 1183 都市の加盟する全米市長会議総会が満場一致でより強力な
形の、緊急行動支持決議を採択しました。

その全米市長会議に続いて、良識ある米国市民が人類愛の観点から「核兵器廃絶のための緊急行
動」支持の本流となり、唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果すよう期待します。

私たちは、核兵器の非人間性と戦争の悲惨さとを、特に若い世代に理解してもらうため、被爆者
30 の証言を世界に届け、
「広島・長崎講座」の普及に力を入れると共に、さらにこの一年間、世界の
子どもたちに大人の世代が被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開します。

日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつ ただ

つある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市
長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のため世界のリーダーとなり、大きな
つく

35 うねりを創るよう強く要請します。さらに、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に
即した温かい援護策の充実を求めます。

本日私たちは、被爆 60 周年を、核兵器廃絶の芽が萌え出る希望の年にするため、これからの一年 すべ

間、ヒロシマ・ナガサキの記憶を呼び覚ましつつ力を尽し行動することを誓い、全ての原爆犠牲
み た ま ささ

者の御霊に哀悼の誠を捧げます。

2004 年(平成 16 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
み た ま ゆうめい さかい

被爆 60 周年の 8 月 6 日、30 万を越える原爆犠牲者の御霊と生き残った私たちが幽明の界 を越え、


どうこく とき

あの日を振り返る慟哭の刻を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら
努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意を
とき すべ

する、継承と目覚め、決意の刻でもあります。この決意は、全ての戦争犠牲者や世界各地で今こ
とき

5 の刻を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。
ほか だれ

その主旋律は、「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や
そろ なんじ

法律が揃って説く「汝 殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なか
んずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要が
あります。9 年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の みちしるべ

10 意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21 世紀の世界を導く道標です。

しかし、今年の 5 月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシ
ア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国
が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マ
あ な た まじな

15 スコミを通して「核兵器が貴方を守る」という偽りの呪 いを繰り返してきました。その結果、反
論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。ま
わがまま たの

た、国連では、自らの我儘を通せる拒否権に恃んで、世界の大多数の声を封じ込めています。

この現実を変えるため、加盟都市が 1080 に増えた平和市長会議は現在、広島市で第 6 回総会を開


き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議
20 や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織や NGO そして多くの市民と
の協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に
懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して
行動するための、具体的指針を作ることです。

まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10 月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器
25 のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネー
ブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由
が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。

さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020 年までに核兵器の廃絶を実現するための具
体的ステップを 2010 年までに策定するよう、期待します。

30 同時に私たちは、今日から来年の 8 月 9 日までの 369 日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付


け、世界の多くの国、NGO や大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多
様なキャンペーンを展開します。

日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器
廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化し
35 た被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
すべ

被爆 60 周年の今日、
「過ちは繰返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全ての原爆
み た ま ささ

犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げます。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

2005 年(平成 17 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
げ ん せ

放射線、熱線、爆風、そしてその相乗作用が現世の地獄を作り出してから 61 年――悪魔に魅入られ
すべ すべ

核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全ての国が奴隷となるか、全ての国が自由とな
るかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵
器の攻撃目標であり続けて良いのか、と問うことでもあります。
5 一点の曇りもなく答は明らかです。世界を核兵器から解放する道筋も、これまでの 61 年間が明確に
示しています。
だれ

被爆者たちは、死を選んだとしても誰も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めま
さいな ひ ぼ う は

した。心身を 苛 む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗・中傷を撥ね返
ほか だれ

して「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界
10 の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。
「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダー
たちはその声を無視し続けています。10 年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法裁判
もう ひら

所による勧告的意見は、彼らの蒙を啓き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはず
でした。
すべ
15 国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、
「全て
すべ

の国家には、全ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述
べているからです。
核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しか
し、この 10 年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私た
20 ちはそうした反省の上に立って、加盟都市が 1403 に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠
実な交渉義務」を果すよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020 ビジョン(核兵
器廃絶のための緊急行動) 」の第二期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して
都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジ
ェクト」に、取り組みます。
25 核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これ
まで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な
立場から市民の生存権を守ることにあります。
この取組の先頭を切っているのは、米国の 1139 都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会
で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しま
30 した。
のろい

迷える羊たちを核兵器による 呪 から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私
たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め

起つ時が来たのです。
日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉
35 義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法
を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本
位の温かい援護策を充実するよう求めます。
いま

未だに氏名さえ分らぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた
すべ み た ま ささ

名簿を慰霊碑に奉納しました。全ての原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げ、人類の未来の安寧を祈っ
40 て合掌致します。

2006 年(平成 18 年)8月6日

広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
あさなぎ せんこう ごうおん

運命の夏、8 時 15 分。朝凪を破る B-29 の爆音。青空に開く「落下傘」


あ び きょうかん
。そして閃光、轟音――静寂
――阿鼻叫喚。
まなこ ただ

落下傘を見た少女たちの眼 は焼かれ顔は爛れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は
つ つぶ

天を衝き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉
うらや

5 や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を 羨 むほどの「地獄」でし
た。
こうじょうせんがん

14 万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌等、様々な疾病に
襲われ、今なお苦しんでいます。

それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解
10 されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。

しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思い
は他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ
み ら い えいごう

被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません。

こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、
ひん

15 核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、
未だに、力の支配を奉ずる 20 世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけ
でなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。

しかし 21 世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治
が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器
20 の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、
え い ち

市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智を基に、市民の声で国
際政治を動かそうとしています。

世界の 1698 都市が加盟する平和市長会議は、


「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を
元に、2020 年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。

25 我がヒロシマは、全米 101 都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆


体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」
プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国
際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギー
の市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年
30 10 月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、 「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の
意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。

唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広
める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府
は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノ
35 ー」と言うべきです。また、
「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が 74 歳を超えた被
爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆 62 周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市
み た ま ささ

長の御霊に心から哀悼の誠を捧げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに
誓います。

2007 年(平成 19 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
の う り よみがえ

平均年齢 75 歳を超えた被爆者の脳裡に、63 年前がそのまま 蘇 る 8 月 6 日が巡って来ました。


「水を
下さい」
「助けて下さい」 「お母ちゃん」―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、
だれ

顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰にもさせない」ための決意を新たにする日です。
さいな ぜんぼう

しかし、被爆者の心身を今なお 苛 む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌は
5 解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、
原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」とい
う真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年 11 月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理
10 を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条 すべ

約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全ての国家が負うことを
明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界
の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数
15 を擁する自治体組織、 「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不
拡散条約は 190 か国が批准、非核兵器地帯条約は 113 か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出し
た核廃絶決議は 170 か国が支持し、反対は米国を含む 3 か国だけです。今年 11 月には、人類の生存
を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を 2020 年までに実現するため、世界の 2368 都市が加盟する平和市


20 長会議では、本年 4 月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核
保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の
2015 年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方
向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。
25 また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的
な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士
が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言
えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府
30 へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」
や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援
護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8 下院議長会議が開かれます。開催地広島から、
「被爆者の哲学」が世
界に広まることを期待しています。
み た ま ささ

35 被爆 63 周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げ、長崎市
と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓い
ます。

2008 年(平成 20 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから 64 年、どんな言葉を使っても言い尽せな いま むしば

い被爆者の苦しみは今でも続いています。64 年前の放射線が未だに身体を蝕 み、64 年前の記憶が昨


よみがえ

日のことのように 蘇 り続けるからです。
いま

幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未だに解明され
5 ていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、 「黒い雨降雨地
域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の
ほか だれ

壁を取り払い、 「こんな思いを他の誰にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、
2020 年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。

今年 4 月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世
10 界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみ
ならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、 「廃
絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
こた

それに応えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。こ
の点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて
ますます

15 2020 年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々高
まる日本国憲法に凝縮されています。

全世界からの加盟都市が 3,000 を超えた平和市長会議では、


「2020 ビジョン」を具体化した「ヒロシ
もら

マ・ナガサキ議定書」を、来年の NPT 再検討会議で採択して貰うため全力疾走しています。採択後の


すべ

筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑
20 惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015 年までの核兵器禁止条約締結を目
すべ

指す交渉開始、そして、2020 年までの全ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開か
れる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。
2020 年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、
また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならな
25 いからです。
核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委
員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020 年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。

対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を
尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ば
つく

30 し、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創る必要
があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市 100、そして、人口の多い都
市 100、計 200 都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。
み た ま ささ

被爆 64 周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げ、長崎市と
こんしん

共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身の力を振り絞る
35 ことをここに誓います。

最後に、英語で世界に呼び掛けます。

We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.

2009 年(平成 21 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利

(注)英語部分の訳は次のとおりです。
私たちには力があります。私たちには責任があります。そして、私たちはオバマジョリティーです。
力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。
平 和 宣 言
つら

「ああ やれんのう、こがあな辛 い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65 年前の


み た ま

この日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊と共に、
だれ

改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰 にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする


8 月 6 日を迎えました。
5 ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、
今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を
乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、
世界の行く手を照らしています。
今年 5 月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。
すべ
全会一致で採択された最終文書
10 には、核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、
大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め
新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が
4000 を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内 3 分の 2 にも
ひら
上る自治体の主張こそ、未来を拓くために必要であることが確認されました。
15 核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長として
この 式典に初 めて参列 して下さ っている 潘基文閣 下のリー ダーシッ プの成せ る業です し、
オバマ大統領率いる米国連邦政府や 1200 もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を
与えました。
また、この式典には、70 か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGO や市民代表が、被爆者や

20 その家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲み、参列されています。核保有国としては、これまで
ロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を
動かす最大の力になりつつあります。
とら

こうした絶好の機会を捉 え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願を
25 そのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、
人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に
つぶ

目を瞑っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の
すべ
法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての
き め
30 被爆者に肌理細かく優しい援護策を実現すべきです。
し ん し

また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ、 「核兵器ゼロ」の世界を
つく
創り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を 2020 年に開くことが可能になります。 すべ

核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全 ての国に
核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
35 私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した
「2020 核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020 年までの核兵器廃絶
つく

のため更に大きなうねりを創ります。
み た ま ささ
最後に、被爆 65 周年の本日、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げつつ、世界で最も我慢強き すべ

人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全 ての被爆者が
40 「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、
私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

2010 年(平成 22 年)8月6日


広島市長 秋 葉 忠 利
平 和 宣 言
66 年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。
かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿があり
ました。当時 13 歳だった男性は、打ち明けます。――「8 月 5 日は、中学 2 年生の私にとっては
久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経つ
5 のも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後
だったのです。」
ところが、翌日の 8 月 6 日午前 8 時 15 分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊され
てしまいます。当時 16 歳だった女性の言葉です。――「体重 40 キロの私の体は、爆風に 7 メートル
吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、
10 この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕
の皮膚が 5 センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、
右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた。」
原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け
合おうとしました。――「突然、『助けて!』
『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こ
15 えてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、
体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはでき
ない。…『ごめんなさい』…。」
それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも
助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち
20 続けている人も少なくありません。
被爆者は、様々な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を
願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から
心温まる多くの支援を受け、この街を蘇らせました。
その被爆者は、平均年齢 77 歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器
25 廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうでは
ありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、
次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。
私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝え
たいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が 2020 年までの核兵器廃絶を目指すよう、
30 長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前
核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取組を強力に進めて
ほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための
国際会議の開催を目指します。
今年 3 月 11 日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66 年前の広島の姿を彷彿させるもので
35 あり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。
そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者を
はじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。
そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の
40 一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー
政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでい
ます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ
細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。
45 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、
「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和
の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

平成 23 年(2011 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
1945 年 8 月 6 日 8 時 15 分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や
慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無く
なっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで
見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死が
5 あちこちにあった。」――それは、当時 20 歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりに
した広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る
子どもたちの姿も消えてしまいました。
そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒に
トラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮が
10 むけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさん
でトラックに積んだ。」――この当時 13 歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、
声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の
母親など、正に生き地獄だったのです。
当時 16 歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7 歳だった弟は、被爆直後に全身
15 火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして 13 歳の弟と 11 歳の妹が亡くなりました。唯一生き
残った当時 3 歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、
その年の暮れまでに 14 万人もの尊い命が失われました。
深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、後障害や
偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、
20 核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと
共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。
広島市はこの夏、平均年齢が 78 歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという
人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより
多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。
25 世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、
是非とも広島を訪れてください。
平和市長会議は今年、設立 30 周年を迎えました。2020 年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は
5,300 を超え、約 10 億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年
8 月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の
30 市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国を始め 10 の非核兵器国に
よる「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、
必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。
2011 年 3 月 11 日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類に
とって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする
35 被災者の皆さんの姿は、67 年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず
訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。
あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、
「核と人類は共存できない」と
いう訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと
安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国として
40 ヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られる
ことをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、
原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨
降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。
私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
この広島を拠点にして、
45 被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに
誓います。

平成 24 年(2012 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
「あの日」から 68 年目の朝が巡ってきました。1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分、一発の原子爆弾に
よりその全てを消し去られた家族がいます。 「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているち
さ く れ つ い の ち

ょうどその時、原爆が炸裂。無情にも喜びと希望が、新しい『生命』とともに一瞬にして消え去って
しまいました。」
5 幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、
生涯を通じ家族を持てず、孤老となった被爆者。
と た ん
「生きていてよかったと思うことは一度もなかった。」
と長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消えることはありません。
生後 8 か月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。その女性は結婚はしたものの 1 か月
後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に「『あんたー、被爆しとるん
10 ねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー。 』と離婚させられました。」放射線の恐怖は、時に、人
い わ

間の醜さや残忍さを引き出し、 謂れのない風評によって、結婚や就職、
出産という人生の節目節目で、
多くの被爆者を苦しめてきました。
さいな

無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み
続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」
15 に挑んできています。
か っ と う

辛く厳しい境遇の中で、被爆者は、怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤し続けてきました。
後障害に苦しみ、「健康が欲しい。人並みの健康を下さい。 」と何度も涙する中で、自らが悲惨な体験
をしたからこそ、ほかの誰も「私のような残酷な目にあわせてはならない。 」と考えるようになって
きました。被爆当時 14 歳の男性は訴えます。
「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有
20 するならば戦争を避けることは決して夢ではない。 」
被爆者は平均年齢が 78 歳を超えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有
し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多く
の被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。
そのために、広島市は、平和市長会議を構成する 5,700 を超える加盟都市とともに、国連や志を同じ
25 くする NGO などと連携して、2020 年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約の早期実現に全力
を尽くします。
世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続
けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類
の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。ヒロシ
30 マは、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地
でもあります。また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける
非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。
今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオ
バマ大統領は核兵器の追加削減交渉をロシアに呼び掛け、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、
35 日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵
器を廃絶する上では障害となりかねません。ヒロシマは、日本政府が核兵器廃絶をめざす国々との連
携を強化することを求めます。そして、来年春に広島で開催される「軍縮・不拡散イニシアティブ」
外相会合においては、NPT 体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。また、国内外
の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雤体験者の実態に応じた支援策の充実や「黒
40 い雤降雤地域」の拡大を引き続き要請します。
この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続い
ています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。
そして、
日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行するこ
とを強く求めます。
45 私たちは、改めてここに 68 年間の先人の努力に思いを致し、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な
世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。

平成 25 年(2013 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
や と き

被爆 69 年の夏。灼けつく日差しは「あの日」に記憶の時間を引き戻します。1945 年 8 月 6 日。一発の原
お さ な ご

爆により焦土と化した広島では、幼子からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その
年のうちに 14 万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞い
てください。

5 建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約 6,000 人。当時 12 歳の中学生は、


「今も戦争、原爆の傷跡
は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、
自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者
も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。

「水を下さい。
」瀕死の声が脳裏から消えないという当時 15 歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼
ま ゆ げ ま つ げ

10 けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛や睫毛は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重
傷者に水をやると死ぬぞ。
」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かって
いれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。
せ い ぜ つ

あまりにも凄絶な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。
「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の
15 隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤク
ザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。

また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時 6 歳の国民学校
1 年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者と
の交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作ってい
20 く努力を怠らないこと」の大切さを。

子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくす
ためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違
いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。

ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を
25 共に歩むことを願っています。
せ い さ ん

人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも
自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇
を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝
え、考え、行動しましょう。

30 私たちも力を尽くします。加盟都市が 6,200 を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を


中心に国連や NGO などと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器
の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020 年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁
止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。

今年 4 月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長
35 崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被
爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならな
い「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼
と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。

唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲
40 法の崇高な平和主義のもとで 69 年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、
今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するととも
に、来年の NPT 再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役として NPT 体制を強化する役割を果
たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に
寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、 「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。

45 今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世
界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

平成 26 年(2014 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
ふるさと

私たちの故郷には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や
建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分、その全てが一発の原子爆弾で
破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万と
いう人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない 14 万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中
5 国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。
生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分か
り離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。
ふるさと

「広島をまどうてくれ!」これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫び
10 です。

広島県物産陳列館として開館し 100 年、被爆から 70 年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドー


ムを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います。

しかし、世界には、いまだに 1 万 5 千発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに
陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの
15 事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広
がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えて
ください。

当時 16 歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。
20 思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない。 」と訴えます。当時 12 歳の男性は「戦争
は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ。」と強調
します。

辛く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心
には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

25 人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるので
す。私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなり
ません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取組も始まって
います。共に大きなうねりを創りましょう。

被爆 70 年という節目の今年、被爆者の平均年齢は 80 歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に
30 広め、次世代に伝えるための取組を強化するとともに、加盟都市が 6,700 を超えた平和首長会議の会長として、
2020 年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を
持って全力で取り組みます。

今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょう
か。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎
35 にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く
取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメ
ッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被
爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければ
40 ならないという確信につながるはずです。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を
議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦し
んでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強
く求めます。

45 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶
と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核
兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。

平成 27 年(2015 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広
島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含
め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに 14 万もの尊い命を奪いました。

辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭い、心身に負った深い傷は今なお
5 消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、
「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。
ふさ つ
当時 17 歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞ぎ、異臭が鼻を衝き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でし
た。
」と語ります。当時 18 歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、
水を求めて泣き叫ぶ人がいました。 」と振り返ります。

10 あれから 71 年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのもの
を破壊しかねない 1 万 5 千発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故
が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福
な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与え
15 られた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください。
」との訴えを受け止め、
更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指
し努力を重ねなければなりません。

今年 5 月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保
有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない。」と訴えまし
20 た。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお
存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの
「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。

今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思い
を基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7 の外相が初めて広島に
25 集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実
験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これ
は、正に「連帯」に向けた一歩です。

為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」
を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請しま
30 す。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみ
を共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

被爆者の平均年齢は 80 歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者
の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の 7 千を超える都市で構成する
平和首長会議は、世界の各地域では 20 を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となっ
35 て、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動
を開始できるようにしていきます。

この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共に
リーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現
する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、
40 日本政府には、平均年齢が 80 歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々
の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎と手を携え、世界の
人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成 28 年(2016 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
皆さん、72 年前の今日、8 月 6 日 8 時 15 分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったか
を思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇
しかばね
の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の

屍 。その間をぬって、
髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝 がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めて
や け ど
5 さまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。 「絶対悪」である
むご
原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など
心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。
ほの
このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄
むご あ
めかす為政者がいる限り、いつ
何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。

10 それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。
しの
15 歳だった被爆者は、「地獄図の中で
亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人
一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への
一歩ではないでしょうか。
」と私たちに問い掛けます。

また、17 歳だった被爆者は、
「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も
15 早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。 」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々の
ものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行って
いただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して
20 他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理
することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が 72 年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず
自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器
を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

25 今や世界中からの訪問者が年間 170 万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、


被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の
核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を
訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場で
あり続けます。

30 その広島が会長都市となって世界の 7,400 を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、


核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年 7 月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く 122 か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、


核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を
更に前進させなければなりません。

35 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と
非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が 81 歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の
影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を
拡大するよう強く求めます。

40 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久
平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成 29 年(2017 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
73 年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとして
いました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8 時 15 分、
目もくらむ一瞬の閃光。摂氏 100 万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。
立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。
つぶ
「熱いよう!
5 痛いよう!」潰 れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。
「水を、水を下さい!」息絶え絶えの
うめ うな
呻 き声、唸 り声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で
むしば
降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身を 蝕 み続け、
今なお苦悩の根源となっています。
さくれつ
世界にいまだ 1 万 4 千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂した
10 あの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。
年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。 20 歳だった
被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。
世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。
15 核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、命を大切にし、地球の破局を
避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献した ICAN がノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まり


つつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、
各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。

20 同じく 20 歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。
過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで
地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めた
とき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝え
なければなりません。核兵器の廃絶に向けた取組が、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって
25 「継続」するようにしなければなりません。

核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の
秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険
極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核不拡散条約)に義務づけられた
核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取組を
30 進めていただきたい。

私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望して
います。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を
醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の 7,600 を超える都市
で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

35 日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を
体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を
果たしていただきたい。また、平均年齢が 82 歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に
苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を
拡大するよう強く求めます。

40 本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎、そして世界
の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成 30 年(2018 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への
動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した
私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、
私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。
5 特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも 1945 年 8 月 6 日を
体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

当時 5 歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。
づ いだ あ し ゅ ら
「おかっぱの頭から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に」
また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も
10 耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。 」という惨状を 18 歳で
体験した男性は、 「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、
もう私たちだけでよい。 」と訴えています。
生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。
「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止める
15 ことができると信じています。」という当時 15 歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいの
でしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例が
たくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を
経て、こんな言葉を残しています。
20 「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」
現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や
主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。
そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和
な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。

25 そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのため
にも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に
向き合っていただきたい。
また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話に
かじ
よって、核軍縮に舵を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。
30 今、広島市は、約 7,800 の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有して
もらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の
為政者には、核不拡散条約第 6 条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない
世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の
35 思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器
のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が 82 歳を
超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の
苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆 74 周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
40 核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と
共に力を尽くすことを誓います。

令和元年(2019 年)8月6日
広島市長 松井 一實
平 和 宣 言
1945 年 8 月 6 日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、
「75 年間は草木も生えぬ」と言われました。
しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
もが
今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠いていますが、この
脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

5 およそ 100 年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかっ


おとしい
たため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に 陥 れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二
次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。

こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義
に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

10 原爆投下の翌日、 「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。
大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という
惨状を体験し、 「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時 13 歳で
あった男性の訴え。
昨年 11 月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信された
15 ローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命
を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきで
あることを示唆しています。

20 今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、
平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、
「人類の未来のため
の教訓だ。
」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現
に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

ところで、国連に目を向けてみると、50 年前に制定された NPT(核兵器不拡散条約)と、3 年前に成立した


25 核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みである
にもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能さ
せるための決意を固めるべきではないでしょうか。

そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT 再検討会議に
おいて、NPT で定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に
30 頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・
批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の
人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が 83 歳を超えた
被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り
35 添い、その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

本日、被爆 75 周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器
廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に
力を尽くすことを誓います。

令和2年(2020 年)8月6日
広島市長 松井 一實
2007年 (平 成 19年 )
長崎平和宣言
「この子 どもたちに何 の罪 があるのでしょうか」
原 子 爆 弾 の炎 で黒 焦 げになった少 年 の写 真 を掲 げ、12年 前 、就 任 ま
もない伊 藤 一 長 前 長 崎 市 長 は、国 際 司 法 裁 判 所 で訴 えました。本 年 4
月 、その伊 藤 前 市 長 が暴 漢 の凶 弾 にたおれました。「核 兵 器 と人 類 は共
5 存 できない」と、被 爆 者 とともに訴 えてきた前 市 長 の核 兵 器 廃 絶 の願 い
を、私 たちは受 け継 いでいきます。
1945年 8月 9日 、午 前 11時 2分 、米 軍 爆 撃 機 から投 下 された1発 の
原 子 爆 弾 が、地 上 500メートルで炸 裂 しました。
猛 烈 な熱 線 や爆 風 、大 量 の放 射 線 。
10 7万 4千 人 の生 命 が奪 われ、7万 5千 人 の方 々が深 い傷 を負 い、廃 墟
となった大 地 も、 川 も、亡 骸 で埋 まりました。平 和 公 園 の 丘 に建 つ 納 骨
堂 には、9千 もの名 も知 れない遺 骨 が、今 なお、ひっそりと眠 っています。
「核 兵 器 による威 嚇 と使 用 は一 般 的 に国 際 法 に違 反 する」という、 19
96年 の国 際 司 法 裁 判 所 の勧 告 的 意 見 は、人 類 への大 いなる警 鐘 でし
15 た。2000年 の核 不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議 では、核 保 有 国 は、全
面 的 核 廃 絶 を明 確 に約 束 したはずです。
しかしながら、核 軍 縮 は進 まないばかりか、核 不 拡 散 体 制 そのものが
崩 壊 の危 機 に直 面 しています。米 国 、ロシア、英 国 、フランス、中 国 の核
保 有 5か国 に加 え、インド、パキスタン、北 朝 鮮 も自 国 を守 ることを口 実
20 に、新 たに核 兵 器 を保 有 しました。中 東 では、事 実 上 の核 保 有 国 と見 な
されているイスラエ ルや、イランの核 開 発 疑 惑 も、核 不 拡 散 体 制 をゆる
がしています。
新 たな核 保 有 国 の出 現 は、核 兵 器 使 用 の危 険 性 を一 層 高 め、核 関 連
技 術 が流 出 の危 険 にさらされてい ます。米 国 による核 兵 器 の更 新 計 画
25 は、核 軍 拡 競 争 を再 びまねく恐 れがあります。
米 国 をはじめとして、すべての核 保 有 国 は、核 の不 拡 散 を主 張 するだ
けではなく、まず自 らが保 有 する核 兵 器 の廃 絶 に誠 実 に取 り組 んでいく
べきです。科 学 者 や技 術 者 が核 開 発 への協 力 を拒 むことも、核 兵 器 廃
絶 への大 きな力 となるはずです。
30 日 本 政 府 は、被 爆 国 の政 府 として、日 本 国 憲 法 の平 和 と不 戦 の理 念
にもとづき、国 際 社 会 において、核 兵 器 廃 絶 に向 けて、強 いリーダーシッ
プを発 揮 してください。
すでに非 核 兵 器 地 帯 となっているカ ザフスタンなどの 中 央 アジア諸 国
や、モンゴルに連 なる「北 東 アジア非 核 兵 器 地 帯 構 想 」の実 現 を目 指 す
35 とともに、北 朝 鮮 の核 廃 棄 に向 けて、6か国 協 議 の場 で粘 り強 い努 力 を
続 けてください。
今 日 、被 爆 国 のわが国 においてさえも、原 爆 投 下 への誤 った認 識 や核
兵 器 保 有 の可 能 性 が語 られるなか、単 に非 核 三 原 則 を国 是 とするだけ
ではなく、その法 制 化 こそが必 要 です。
40 長 年 にわたり放 射 線 障 害 や心 の不 安 に苦 しんでいる国 内 外 の被 爆 者
の実 情 に目 を向 け、援 護 施 策 のさらなる充 実 に早 急 に取 り組 んでくださ
い。被 爆 者 の体 験 を核 兵 器 廃 絶 の原 点 として、その非 人 道 性 と残 虐 性
を世 界 に伝 え、核 兵 器 の使 用 はいかなる理 由 があっても許 されないこと
を訴 えてください。
45 爆 心 地 に近 い山 王 神 社 では、2本 のクスノキが緑 の枝 葉 を大 きく空 に
ひろげています。62 年 前 、この2本 の木 も黒 焦 げの無 残 な姿 を原 子 野 に
さらしていました。それでもクスノキはよみがえりました。被 爆 2世 となるそ
の苗 は、平 和 を願 う子 どもたちの手 で配 られ、今 、全 国 の学 校 やまちで、
すくすくと育 っています。時 が経 ち、世 代 が代 わろうとも、たとえ逆 風 が吹
50
き荒 れようとも、私 たちは核 兵 器 のない未 来 を、決 して諦 めません。
被 爆 62周 年 の原 爆 犠 牲 者 慰 霊 平 和 祈 念 式 典 にあたり、原 子 爆 弾 の
犠 牲 になられた方 々の御 霊 の平 安 をお祈 りし、広 島 市 とともに、核 兵 器
の廃 絶 と恒 久 平 和 の実 現 に力 を尽 くしていくことを宣 言 します。
2007年 (平 成 19年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2008年 (平 成 20年 )
長崎平和宣言
あの日 、この空 にたちのぼった原 子 雲 を私 たちは忘 れません。
1945年 8月 9日 午 前 11時 2分 、アメリカ軍 機 が投 下 した一 発 の原 子
爆 弾 が、巨 大 な火 の玉 となって長 崎 のまちをのみこみました。想 像 を絶
する熱 線 と爆 風 、放 射 線 。崩 れ落 ちる壮 麗 な天 主 堂 。廃 墟 に転 がる黒
5 焦 げの亡 骸 。無 数 のガラスの破 片 が突 き刺 さり、皮 膚 がたれさがった
人 々が群 れをなし、原 子 野 には死 臭 がたちこめました。
7万 4千 人 の人 々が息 絶 え、7万 5千 人 が傷 つき、かろうじて生 き残 っ
た人 々も貧 困 や差 別 に苦 しみ、今 なお放 射 線 による障 害 に心 もからだも
おびやかされています。
10 今 年 は、長 崎 市 最 初 の名 誉 市 民 、永 井 隆 博 士 の生 誕 100周 年 にあ
たります。博 士 は長 崎 医 科 大 学 で被 爆 して重 傷 を負 いながらも、医 師 と
して被 災 者 の救 護 に奔 走 し、「原 子 病 」に苦 しみつつ「長 崎 の鐘 」などの
著 書 を通 じて、原 子 爆 弾 の恐 ろしさを広 く伝 えました。「戦 争 に勝 ちも負
けもない。あるのは滅 びだけである」という博 士 の言 葉 は、時 を超 えて平
15 和 の尊 さを世 界 に訴 え、今 も人 類 に警 鐘 を鳴 らし続 けています。

「核 兵 器 のない世 界 に向 けて」と題 するアピールが、世 界 に反 響 を広 げ


ています。執 筆 者 はアメリカの歴 代 大 統 領 のもとで、核 政 策 を推 進 して
きた、キッシンジャー元 国 務 長 官 、シュルツ元 国 務 長 官 、 ペリー元 国 防
長 官 、ナン元 上 院 軍 事 委 員 長 の4人 です。
20 4人 は自 国 のアメリカに包 括 的 核 実 験 禁 止 条 約 (CTBT)の批 准 を促 し、
核 不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議 で合 意 された約 束 を守 るよう求 め、す
べての核 保 有 国 の指 導 者 たちに、核 兵 器 のない世 界 を共 同 の目 的 とし
て、核 兵 器 削 減 に集 中 して取 り組 むことを呼 びかけています。
これらは被 爆 地 から私 たちが繰 り返 してきた訴 えと重 なります。
25 私 たちはさらに強 く核 保 有 国 に求 めます。まず、アメリカがロシアととも
に、核 兵 器 廃 絶 の 努 力 を率 先 し て始 めなければ なりませ ん。世 界 の核
弾 頭 の95%を保 有 しているといわれる両 国 は、ヨーロッパへのミサイル
防 衛 システムの導 入 などを巡 って対 立 を深 めるのではなく、核 兵 器 の大
幅 な削 減 に着 手 すべきです。英 国 、フランス、中 国 も、核 軍 縮 の責 務 を
30 真 摯 に果 たしていくべきです。
国 連 と国 際 社 会 には、北 朝 鮮 、パキスタン、イスラエルの核 兵 器 を放
置 せず、イランの核 疑 惑 にも厳 正 な対 処 を求 めます。また、アメリカとの
原 子 力 協 力 が懸 念 されるインドにも、NPT及 びCTBTへの加 盟 を強 く促
すべきです。
35 我 が 国 に は、被 爆 国 とし て核 兵 器 廃 絶 のリーダ ーシ ップをと る使 命 と
責 務 があります。日 本 政 府 は朝 鮮 半 島 の非 核 化 のために、国 際 社 会 と
協 力 して北 朝 鮮 の核 兵 器 の完 全 な廃 棄 を強 く求 めていくべきです。また、
日 本 国 憲 法 の不 戦 と平 和 の理 念 にもとづき、非 核 三 原 則 の法 制 化 を実
現 し、「北 東 アジア非 核 兵 器 地 帯 」創 設 を真 剣 に検 討 すべきです。

40 長 崎 では、高 齢 の被 爆 者 が心 とからだの痛 みにたえながら自 らの体 験


を語 り、若 い世 代 は「微 力 だけど無 力 じゃない」を合 言 葉 に、核 兵 器 廃 絶
の署 名 を国 連 に届 ける活 動 を続 け、市 民 は平 和 案 内 人 として被 爆 の跡
地 に立 ち、その実 相 を伝 えています。医 療 関 係 者 は、生 涯 続 く被 爆 者 の
健 康 問 題 に真 摯 に対 応 しています。
45 来 年 、私 たちは広 島 市 と協 力 して、世 界 の 2,300を超 える都 市 が加
盟 している平 和 市 長 会 議 の総 会 を長 崎 で開 催 します。世 界 の都 市 と結
束 して、2010年 のNPT再 検 討 会 議 に向 けて核 兵 器 廃 絶 のアピール活
動 を展 開 していきます。国 内 の非 核 宣 言 自 治 体 にも、長 崎 市 が強 く呼 び
かけて活 動 の輪 を広 げていきます。
50 核 兵 器 の使 用 と戦 争 は、地 球 全 体 の環 境 をも破 壊 します。核 兵 器 の
廃 絶 なくして人 類 の未 来 はありません。世 界 のみなさん、若 い世 代 やNG
Oのみなさん、核 兵 器 に「NO!」の意 志 を明 確 に示 そうではありません
か。

被 爆 から63年 が流 れ、被 爆 者 は高 齢 化 しています。日 本 政 府 には国


55 内 外 の被 爆 者 の実 態 に即 した援 護 を急 ぐよう重 ねて要 求 します。
ここに原 子 爆 弾 で亡 くなられた方 々の御 霊 の平 安 を心 から祈 り、核 兵
器 廃 絶 と世 界 恒 久 平 和 の実 現 に力 を尽 くすことを宣 言 します。
2008年 (平 成 20年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2009年 (平 成 21年 )
長崎平和宣言
今 、私 たち人 間 の前 にはふたつの道 があります。
ひとつは、「核 兵 器 のない世 界 」への道 であり、もうひとつは、 64年 前
の広 島 と長 崎 の破 壊 をくりかえす滅 亡 の道 です。
今 年 4月 、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大 統 領 が「核 兵
5 器 のない世 界 」を目 指 すと明 言 しました。ロシアと戦 略 兵 器 削 減 条 約
(START)の交 渉 を再 開 し、空 も、海 も、地 下 も、宇 宙 空 間 でも、核 実 験
をすべて禁 止 する「包 括 的 核 実 験 禁 止 条 約 」(CTBT)の批 准 を進 め、核
兵 器 に必 要 な高 濃 縮 ウランやプルトニウムの生 産 を禁 止 する条 約 の締
結 に努 めるなど、具 体 的 な道 筋 を示 したのです。「核 兵 器 を使 用 した唯
10 一 の核 保 有 国 として行 動 する道 義 的 な責 任 がある」という強 い決 意 に、
被 爆 地 でも感 動 がひろがりました。
核 超 大 国 アメリカが、核 兵 器 廃 絶 に向 けてようやく一 歩 踏 み出 した歴
史 的 な瞬 間 でした。

しかし、翌 5月 には、国 連 安 全 保 障 理 事 会 の決 議 に違 反 して、北 朝 鮮


15 が2回 目 の 核 実 験 を強 行 しました。 世 界 が 核 抑 止 力 に 頼 り、核 兵 器 が
存 在 するかぎり、こうした危 険 な国 家 やテロリストが現 れる可 能 性 はなく
なりません。北 朝 鮮 の核 兵 器 を国 際 社 会 は断 固 として廃 棄 させるととも
に、核 保 有 5カ国 は、自 らの核 兵 器 の削 減 も進 めるべきです。アメリカと
ロシアはもちろん、イギリス、フランス、中 国 も、核 不 拡 散 条 約 ( NPT)の
20 核 軍 縮 の責 務 を誠 実 に果 たすべきです。
さらに徹 底 して廃 絶 を進 めるために、昨 年 、潘 基 文 国 連 事 務 総 長 が積
極 的 な協 議 を訴 えた「核 兵 器 禁 止 条 約 」( NWC)への取 り組 みを求 めま
す。インドやパキスタン、北 朝 鮮 はもちろん、核 兵 器 を保 有 するといわれ
るイスラエルや、核 開 発 疑 惑 のイランにも参 加 を求 め、核 兵 器 を完 全 に
25 廃 棄 させるのです。
日 本 政 府 はプラハ演 説 を支 持 し、被 爆 国 として、国 際 社 会 を導 く役 割
を果 たさなければなりません。また、憲 法 の不 戦 と平 和 の理 念 を国 際 社
会 に広 げ、非 核 三 原 則 をゆるぎない立 場 とするための法 制 化 と、北 朝 鮮
を組 み込 んだ「北 東 アジア非 核 兵 器 地 帯 」の実 現 の方 策 に着 手 すべき
30 です。

オバマ大 統 領 、メドベージェフ・ロシア大 統 領 、ブラウン・イギリス首 相 、


サルコジ・フランス大 統 領 、胡 錦 濤 ・中 国 国 家 主 席 、さらに、シン・インド
首 相 、 ザ ル ダ リ ・ パ キ スタ ン大 統 領 、 金 正 日 ・ 北 朝 鮮 総 書 記 、 ネタ ニ ヤ
フ・イスラエル首 相 、アフマディネジャド・イラン大 統 領 、そしてすべての世
35 界 の指 導 者 に呼 びかけます。
被 爆 地 ・長 崎 へ来 てください。
原 爆 資 料 館 を訪 れ、今 も多 くの遺 骨 が埋 もれている被 爆 の跡 地 に立 っ
てみてください。1945年 8月 9日 11時 2分 の長 崎 。強 力 な放 射 線 と、数
千 度 もの熱 線 と、猛 烈 な爆 風 で破 壊 され、凄 まじい炎 に焼 き尽 くされた
40 廃 墟 の静 寂 。 7 万 4 千 人 の死 者 の 沈 黙 の叫 び。 7 万 5 千 人 もの負 傷 者
の呻 き。犠 牲 者 の無 念 の思 いに、だれもが心 ふるえるでしょう。
かろうじて生 き残 った被 爆 者 にも、みなさんは出 会 うはずです。高 齢 と
なった今 も、放 射 線 の後 障 害 に苦 しみながら、自 らの経 験 を語 り伝 えよ
うとする彼 らの声 を聞 くでしょう。被 爆 の経 験 は共 有 できなくても、核 兵 器
45 廃 絶 を目 指 す意 識 は共 有 できると信 じて活 動 する若 い世 代 の熱 意 にも
心 うごかされることでしょう。
今 、長 崎 では「平 和 市 長 会 議 」を開 催 しています。来 年 2月 には国 内 外
のNGOが集 まり、「核 兵 器 廃 絶 ―地 球 市 民 集 会 ナガサキ」も開 催 します。
来 年 の核 不 拡 散 条 約 再 検 討 会 議 に向 けて、市 民 とNGOと都 市 が結 束
50 を強 めていこうとしています。
長 崎 市 民 は、オバマ大 統 領 に、被 爆 地 ・長 崎 の訪 問 を求 める署 名 活
動 に取 り組 んでいます。歴 史 をつくる主 役 は、私 たちひとりひとりです。指
導 者 や政 府 だけに任 せておいてはいけません。
世 界 のみなさん、今 こそ、それぞれの場 所 で、それぞれの暮 らしの中 で、
55 プラハ演 説 への支 持 を表 明 する取 り組 みを始 め、「核 兵 器 のない世 界 」
への道 を共 に歩 んでいこうではありませんか。

原 子 爆 弾 が投 下 されて64年 の歳 月 が流 れました。被 爆 者 は高 齢 化 し
ています。被 爆 者 救 済 の立 場 から、実 態 に即 した援 護 を急 ぐように、あ
らためて日 本 政 府 に要 望 します。
60 原 子 爆 弾 で亡 くなられた方 々のご冥 福 を心 からお祈 りし、核 兵 器 廃 絶
のための努 力 を誓 い、ここに宣 言 します。
2009年 (平 成 21年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2010年 (平 成 22年 )
長崎平和宣言
被 爆 者 の方 々の歌 声 で、今 年 の平 和 祈 念 式 典 は始 まりました。
「あの日 を二 度 と繰 り返 してはならない」という強 い願 いがこもった歌 声
でした。
1945年 8月 9日 午 前 11時 2分 、アメリカの爆 撃 機 が投 下 した一 発 の
5 原 子 爆 弾 で、長 崎 の街 は、一 瞬 のうちに壊 滅 しました。すさまじい熱 線 と
爆 風 と放 射 線 、そして、燃 え続 ける炎 ……。7万 4千 人 の尊 い命 が奪 わ
れ、かろうじて死 を免 れた人 びとの心 と体 にも、深 い傷 が刻 みこまれまし
た。
あの日 から65年 、「核 兵 器 のない世 界 」への道 を一 瞬 もあきらめること
10 なく歩 みつづけ、精 一 杯 歌 う被 爆 者 の姿 に、私 は人 間 の希 望 を感 じます。

核 保 有 国 の指 導 者 の皆 さん、「核 兵 器 のない世 界 」への努 力 を踏 みに


じらないでください。
今 年 5月 、核 不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議 では、当 初 、期 限 を定 め
た核 軍 縮 への具 体 的 な道 筋 が議 長 から提 案 されました。この提 案 を核
15 兵 器 をもたない国 々は広 く支 持 しました。世 界 中 からニューヨークに集 ま
ったNGOや、私 たち被 爆 地 の市 民 の期 待 も高 まったのです。
その議 長 案 をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中 国 の核 保 有 国 の
政 府 代 表 は退 けてしまいました。核 保 有 国 が核 軍 縮 に誠 実 に取 り組 ま
なければ、それに反 発 して、新 たな核 保 有 国 が現 れて、世 界 は逆 に核 拡
20 散 の危 機 に直 面 することになります。NPT体 制 は核 兵 器 保 有 国 を増 や
さないための最 低 限 のルールとしてしっかりと守 っていく必 要 があります。
核 兵 器 廃 絶 へ向 けて前 進 させるために、私 たちは、さらに新 しい条 約
が必 要 と考 えます。潘 基 文 国 連 事 務 総 長 はすでに国 連 加 盟 国 に「核 兵
器 禁 止 条 約 」の検 討 を始 めるように呼 びかけており、NPT再 検 討 会 議 で
25 も多 くの国 がその可 能 性 に言 及 しました。すべての国 に、核 兵 器 の製 造 、
保 有 、使 用 などのいっさいを平 等 に禁 止 する「核 兵 器 禁 止 条 約 」を私 た
ち被 爆 地 も強 く支 持 します。

長 崎 と広 島 はこれまで手 を携 えて、原 子 爆 弾 の惨 状 を世 界 に伝 え、核


兵 器 廃 絶 を求 め てきました。 被 爆 国 である日 本 政 府 も、 非 核 三 原 則 を
30 国 是 とすることで非 核 の立 場 を明 確 に示 してきたはずです。しかし、被 爆
から65年 が過 ぎた今 年 、政 府 は「核 密 約 」の存 在 をあきらかにしました。
非 核 三 原 則 を形 骸 化 してきた過 去 の政 府 の対 応 に、私 たちは強 い不 信
を抱 いています。 さらに最 近 、NPT未 加 盟 の核 保 有 国 であるインドとの
原 子 力 協 定 の交 渉 を政 府 は進 めています。これは、被 爆 国 自 らNPT体
35 制 を空 洞 化 させるものであり、到 底 、容 認 できません。
日 本 政 府 は、なによりもまず、国 民 の信 頼 を回 復 するために、非 核 三
原 則 の法 制 化 に着 手 すべきです。また、核 の傘 に頼 らない安 全 保 障 の
実 現 のために、日 本 と韓 国 、北 朝 鮮 の非 核 化 を目 指 すべきです。「北 東
アジア非 核 兵 器 地 帯 」構 想 を提 案 し、被 爆 国 として、国 際 社 会 で独 自 の
40 リーダーシップを発 揮 してください。
NPT再 検 討 会 議 において、日 本 政 府 はロシアなど41か国 とともに「核
不 拡 散 ・軍 縮 教 育 に関 する共 同 声 明 」を発 表 しました。私 たちはそれに
賛 同 すると同 時 に、日 本 政 府 が世 界 の若 い世 代 に向 けて核 不 拡 散 ・軍
縮 教 育 を広 げていくことを期 待 します。長 崎 には原 子 爆 弾 の記 憶 と爪 あ
45 とが今 なお残 っています。心 と体 の痛 みをこらえつつ、自 らの体 験 を未 来
のために語 ることを使 命 と考 える被 爆 者 がいます。被 爆 体 験 はないけれ
ども、 被 爆 者 たちの 思 いを受 け継 ぎ、 平 和 のために 行 動 す る市 民 や 若
者 たちもいます。長 崎 は核 不 拡 散 ・軍 縮 教 育 に被 爆 地 として貢 献 してい
きます。

50 世 界 の皆 さん、不 信 と脅 威 に満 ちた「核 兵 器 のある世 界 」か、信 頼 と協


力 にもとづく「核 兵 器 のない世 界 」か、それを選 ぶのは私 たちです。私 た
ちには、子 供 たちのために、核 兵 器 に脅 かされることのない未 来 をつくり
だしていく責 任 があります。一 人 ひとりは弱 い小 さな存 在 であっても、手
をとりあうことにより、政 府 を動 かし、新 しい歴 史 をつくる力 になれます。
55 私 たちの意 志 を明 確 に政 府 に伝 えていきましょう。
世 界 には核 兵 器 廃 絶 に向 けた平 和 の取 り組 みを続 けている多 くの
人 々がいます。長 崎 市 はこうした人 々と連 携 し、被 爆 地 と心 をひとつにし
た地 球 規 模 の平 和 市 民 ネットワークをはりめぐらせていきます。

被 爆 者 の 平 均 年 齢 は 76 歳 を越 え、 この 式 典 に 参 列 できる被 爆 者 の
60 方 々も、少 なくなりました。国 内 外 の高 齢 化 する被 爆 者 救 済 の立 場 から、
さらなる援 護 を急 ぐよう日 本 政 府 に求 めます。
原 子 爆 弾 で亡 くなられた方 々に、心 から哀 悼 の意 を捧 げ、世 界 から核
兵 器 がなくなる日 まで、広 島 市 とともに最 大 限 の努 力 を続 けていくことを
宣 言 します。
2010年 (平 成 22年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2011 年 (平 成 23年 )
長 崎 平 和 宣 言

今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、
私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住
民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰るこ
とができるのかもわかりません。
5 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線
の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかった
か、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどん
な社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきていま
10 す。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会へ
の転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めるこ
とが必要です。

福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話を
15 いつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使
われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による
放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを
20 攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはず
です。
世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・
ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす
25 凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょ
う。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強
い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠く
へ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ
人々を生むことになります。
30 そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器
はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器の
ない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目
標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立な
35 ど一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核
実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器
のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際
40 社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向
けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを
強く推進していくことを求めます。
日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えま
す。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア
45 非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態
に即した援護の充実をはかってください。
長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州
本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄
まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
50 「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さ
な原爆展を開催してください。世界の街角で被爆の写真パネルを展示してくだ
さい。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪を
つなげていきましょう。

1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。
55 その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希
望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援して
います。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた
方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を
60 訴え続けていくことをここに宣言します。

2011年(平成23年)8月9日
長崎市長 田上 富久
2012年 (平 成 24年 )
長 崎 平 和 宣 言

人間は愚かにも戦争をくりかえしてきました。しかし、たとえ戦争であっても許
されない行為があります。現在では、子どもや母親、市民、傷ついた兵士や捕
虜を殺傷することは「国際人道法」で犯罪とされます。毒ガス、細菌兵器、対人
地雷など人間に無差別に苦しみを与え、環境に深刻な損害を与える兵器も「非
5 人道的兵器」として明確に禁止されています。
1945 年 8 月 9 日午前 11 時 2 分、アメリカの爆撃機によって長崎に一発の原
子爆弾が投下されました。人間は熱線で黒焦げになり、鉄のレールも折れ曲
がるほどの爆風で体が引き裂かれました。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭
をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきま
10 した。その年のうちに約 7 万 4 千人の方が亡くなり、約 7 万 5 千人の方が負傷
しました。生き残った人々も放射線の影響で年齢を重ねるにつれて、がんなど
の発病率が高くなり、被爆者の不安は今も消えることはありません。
無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核
兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか。
15 昨年 11 月、戦争の悲惨さを長く見つめてきた国際赤十字・赤新月運動が人
道的な立場から「核兵器廃絶へ向かって進む」という決議を行いました。今年 5
月、ウィーンで開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」準備委員会では、
多くの国が核兵器の非人道性に言及し、16 か国が「核軍縮の人道的側面に関
する共同声明」を発表しました。今ようやく、核兵器を非人道的兵器に位置付
20 けようとする声が高まりつつあります。それはこれまで被爆地が声の限り叫び
続けてきたことでもあります。

しかし、現実はどうでしょうか。
世界には今も 1 万 9 千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは
数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。広島、長崎
25 に落とされた原子爆弾よりもはるかに凄まじい破壊力を持つ核兵器が使われ
た時、人類はいったいどうなるのでしょうか。
長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃
はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりま
せん。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。そ
30 して、すでに私たちはその方法を見いだしています。
その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008 年には国連の潘基文事
務総長がその必要性を訴え、2010 年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の
最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具
体的な一歩を踏み出すべきです。
35 「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の
陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の
創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東
アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。
政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核
40 兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮
すべきです。
今年 4 月、長崎大学に念願の「核兵器廃絶研究センター(RECNA)」が開設
されました。「核兵器のない世界」を実現するための情報や提案を発信し、ネッ
トワークを広げる拠点となる組織です。「RECNA」の設立を機に、私たちはより
45 一層力強く被爆地の使命を果たしていく決意です。

核兵器のない世界を実現するためには、次世代への働きかけが重要です。
明日から日本政府と国連大学が共催して「軍縮・不拡散教育グローバル・フォ
ーラム」がここ長崎で始まります。
核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれ
50 ました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考え
に基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理
解教育にも力を注いでいきます。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放
射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。
55 長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。日本政府は被災地
の復興を急ぐとともに、放射能に脅かされることのない社会を再構築するため
の新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください。
原子力発電所が稼働するなかで貯め込んだ膨大な量の高レベル放射性廃棄
物の処分も先送りできない課題です。国際社会はその解決に協力して取り組
60 むべきです。

被爆者の平均年齢は 77 歳を超えました。政府は、今一度、被爆により苦し
んでいる方たちの声に真摯に耳を傾け、援護政策のさらなる充実に努力してく
ださい。
原子爆弾により命を奪われた方々に哀悼の意を表するとともに、今後とも広
65 島市、そして同じ思いを持つ世界の人たちと協力して核兵器廃絶に取り組んで
いくことをここに宣言します。

2012 年(平成 24 年)8 月 9 日


長崎市長 田上 富久
2013 年 (平 成 25 年 )
長 崎 平 和 宣 言

68 年 前 の今 日 、このまちの上 空 にアメリカの爆 撃 機 が一 発 の原 子 爆
弾 を投 下 しました。熱 線 、爆 風 、放 射 線 の威 力 は凄 まじく、直 後 から起 こ
った火 災 は一 昼 夜 続 きました。人 々が暮 らしていたまちは一 瞬 で廃 墟 と
なり、24 万 人 の市 民 のうち 15 万 人 が傷 つき、そのうち7万 4千 人 の方 々
5 が命 を奪 われました。生 き残 った被 爆 者 は、68 年 たった今 もなお、放 射
線 による白 血 病 やがん発 病 への不 安 、そして深 い心 の傷 を抱 え続 けて
います。
このむごい兵 器 をつ くったのは人 間 です 。広 島 と長 崎 で、二 度 までも
使 ったのも人 間 です。核 実 験 を繰 り返 し地 球 を汚 染 し続 けているのも人
10 間 です。人 間 はこれまで数 々の過 ちを犯 してきました。だからこそ忘 れて
はならない過 去 の誓 いを、立 ち返 るべき原 点 を、折 にふれ確 かめなけれ
ばなりません。

日 本 政 府 に、被 爆 国 としての原 点 に返 ることを求 めます。


今 年 4月 、ジュネーブで開 催 された核 不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議
15 準 備 委 員 会 で提 出 された核 兵 器 の 非 人 道 性 を訴 える共 同 声 明 に、 80
か国 が賛 同 しました。南 アフリカなどの提 案 国 は、わが国 にも賛 同 の署
名 を求 めました。
しかし、日 本 政 府 は署 名 せず、世 界 の期 待 を裏 切 りました。人 類 はい
かなる状 況 においても核 兵 器 を使 うべきではない、という文 言 が受 け入
20 れられないとすれば、核 兵 器 の使 用 を状 況 によっ ては認 めるという姿 勢
を日 本 政 府 は示 したことになります。これは二 度 と、世 界 の誰 にも被 爆
の経 験 をさせないという、被 爆 国 としての原 点 に反 します。
インドとの原 子 力 協 定 交 渉 の再 開 についても同 じです。
NPTに加 盟 せず核 保 有 したインドへの原 子 力 協 力 は、核 兵 器 保 有 国
25 をこれ以 上 増 やさないためのルールを定 めたNPTを形 骸 化 することにな
ります。NPTを脱 退 して核 保 有 をめざす北 朝 鮮 などの動 きを正 当 化 する
口 実 を与 え、朝 鮮 半 島 の非 核 化 の妨 げにもなります。
日 本 政 府 には、被 爆 国 としての原 点 に返 ることを求 めます。
非 核 三 原 則 の法 制 化 への取 り組 み、北 東 アジア非 核 兵 器 地 帯 検 討
30 の呼 びかけなど、被 爆 国 としてのリーダーシップを具 体 的 な行 動 に移 す
ことを求 めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されて
います。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」
35 を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在す
る限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組む
ことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その 90%以
上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっ
40 と早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のな
い世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題とし
て、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。
核 兵 器 のない世 界 の実 現 を、国 のリーダーだけにまかせるのではな
く、市 民 社 会 を構 成 する私 たち一 人 ひとりにもできることがあります。
45 「政 府 の行 為 によって再 び戦 争 の惨 禍 が起 ることのないやうにする」と
いう日 本 国 憲 法 前 文 には、平 和 を希 求 するという日 本 国 民 の固 い決 意
がこめられています。かつて戦 争 が多 くの人 の命 を奪 い、心 と体 を深 く傷
つけた事 実 を、戦 争 がもたらした数 々のむごい光 景 を、決 して忘 れない、
決 して繰 り返 さない、という平 和 希 求 の原 点 を忘 れないためには、戦 争
50 体 験 、被 爆 体 験 を語 り継 ぐことが不 可 欠 です。
若 い世 代 の 皆 さ ん 、 被 爆 者 の 声 を 聞 いた こ と が あ り ます か 。 「 ノ ー モ
ア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」
と叫 ぶ声 を。
あ なた 方 は 被 爆 者 の 声 を直 接 聞 く こ と が できる最 後 の 世 代 です 。 68
55 年 前 、原 子 雲 の下 で何 があったのか。なぜ被 爆 者 は未 来 のために身 を
削 りながら核 兵 器 廃 絶 を訴 え続 けるのか。被 爆 者 の声 に耳 を傾 けてみ
てください。そして、あなたが住 む世 界 、あなたの子 どもたちが生 きる未
来 に核 兵 器 が存 在 していいのか。考 えてみてください。互 いに話 し合 って
みてください。あなたたちこそが未 来 なのです。
60 地 域 の市 民 としてできることもあります。わが国 では自 治 体 の 90%近く
が非 核 宣 言 をしています。非 核 宣 言 は、核 兵 器 の犠 牲 者 になることを拒
み、平 和 を求 める市 民 の決 意 を示 すものです。宣 言 をした自 治 体 でつくる
日 本 非 核 宣 言 自 治 体 協 議 会 は今 月 、設 立 30 周 年 を迎 えました。皆さん
が宣 言 を行 動 に移 そうとするときは、協 議 会 も、被 爆 地 も、仲 間 として力
65 をお貸 しします。

長 崎 では、今 年 11 月 、「第 5回 核 兵 器 廃 絶 -地 球 市 民 集 会 ナガサキ」


を開 催 します。市 民 の力 で、核 兵 器 廃 絶 を被 爆 地 から世 界 へ発 信 しま
す。

東 京 電 力 福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 の事 故 は、未 だ収 束 せず、放 射 能
70 の被 害 は拡 大 しています。多 くの方 々が平 穏 な日 々を突 然 奪 われたうえ、
将 来 の見 通 しが立 たない暮 らしを強 いられています。長 崎 は、福 島 の一
日 も早 い復 興 を願 い、応 援 していきます。
先 月 、核 兵 器 廃 絶 を訴 え、被 爆 者 援 護 の充 実 に力 を尽 くしてきた山
口 仙 二 さんが亡 くなられました。被 爆 者 はいよいよ少 なくなり、平 均 年 齢
75 は 78 歳 を超 えました。高 齢 化 する被 爆 者 の援 護 の充 実 をあらためて求
めます。
原 子 爆 弾 により亡 くなられた方 々に心 から哀 悼 の意 を捧 げ、広 島 市 と
協 力 して核 兵 器 のない世 界 の実 現 に努 力 し続 けることをここに宣 言 しま
す。
2013 年 (平 成 25 年 )8 月 9 日
長崎市長 田上 富久
2014 年 (平 成 26 年 )
長 崎 平 和 宣 言

69 年 前 のこの時 刻 、この丘 から見 上 げる空 は真 っ黒 な原 子 雲 で覆 わ


れていました。米 軍 機 から投 下 された一 発 の原 子 爆 弾 により、家 々は吹
き飛 び、炎 に包 まれ、黒 焦 げの死 体 が 散 乱 する中 を多 くの市 民 が逃 げ
まどいました。凄 まじい熱 線 と爆 風 と放 射 線 は、7万 4千 人 もの尊 い命 を
5 奪 い、7万 5千 人 の負 傷 者 を出 し、かろうじて生 き残 った人 々の心 と体 に、
69 年 たった今 も癒 えることのない深 い傷 を刻 みこみました。
今 も世 界 には1万 6千 発 以 上 の核 弾 頭 が存 在 します。核 兵 器 の恐 ろ
しさを身 をもって知 る被 爆 者 は、核 兵 器 は二 度 と使 われてはならない、と
必 死 で警 鐘 を鳴 らし続 けてきました。広 島 、長 崎 の原 爆 以 降 、戦 争 で核
10 兵 器 が使 われなかったのは、被 爆 者 の存 在 とその声 があったからです。
もし今 、核 兵 器 が戦 争 で使 われたら、世 界 はどうなるのでしょうか。

今 年 2月 メキシコで開 かれた「核 兵 器 の非 人 道 性 に関 する国 際 会 議 」


では、146 か国 の代 表 が、人 体 や経 済 、環 境 、気 候 変 動 など、さまざまな
視 点 から、核 兵 器 がいかに非 人 道 的 な兵 器 であるかを明 らかにしました。
15 その中 で、もし核 戦 争 になれば、傷 ついた人 々を助 けることもできず、
「核 の冬 」の到 来 で食 糧 がなくなり、世 界 の 20 億 人 以 上 が飢 餓 状 態 に
陥 るという恐 るべき予 測 が発 表 されました。
核 兵 器 の恐 怖 は決 して過 去 の広 島 、長 崎 だけのものではありません。
まさに世 界 がかかえる“今 と未 来 の問 題 ”なのです。
20 こうした核 兵 器 の非 人 道 性 に着 目 する国 々の間 で、核 兵 器 禁 止 条 約
などの検 討 に向 けた動 きが始 まっています。
しかし一 方 で、核 兵 器 保 有 国 とその傘 の下 にいる国 々は、核 兵 器 に
よって国 の安 全 を守 ろうとする考 えを依 然 として手 放 そうとせず、核 兵 器
の禁 止 を先 送 りしようとしています。
25 この対 立 を越 えることができなければ、来 年 開 かれる5年 に一 度 の核
不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議 は、なんの前 進 もないまま終 わるかもし
れません。
核 兵 器 保 有 国 とその傘 の下 にいる国 々に呼 びかけます。
「核 兵 器 のない世 界 」の実 現 のために、いつまでに、何 をするのかにつ
30 いて、核 兵 器 の法 的 禁 止 を求 めている国 々と協 議 ができる場 をまずつく
り、対 立 を越 える第 一 歩 を踏 み出 してください。日 本 政 府 は、核 兵 器 の
非 人 道 性 を一 番 理 解 している国 として、その先 頭 に立 ってください。

核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」がありま
す。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日
35 本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守
る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵
器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の
500 人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げて
いきます。
40 核 戦 争 から未 来 を守 る地 域 的 な方 法 として「非 核 兵 器 地 帯 」がありま
す。現 在 、地 球 の陸 地 の半 分 以 上 が既 に非 核 兵 器 地 帯 に属 しています。
日 本 政 府 には、韓 国 、北 朝 鮮 、日 本 が属 する北 東 アジア地 域 を核 兵 器
から守 る方 法 の一 つとして、非 核 三 原 則 の法 制 化 とともに、「北 東 アジア
非 核 兵 器 地 帯 構 想 」の検 討 を始 めるよう提 言 します。この構 想 には、わ
45 が国 の 500 人 以 上 の自 治 体 の首 長 が賛 同 しており、これからも賛 同 の
輪 を広 げていきます。

いまわが国 では、集 団 的 自 衛 権 の議 論 を機 に、「平 和 国 家 」としての


安 全 保 障 のあり方 についてさまざまな意 見 が交 わされています。
長 崎 は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫 び続 けて
50 きました。日 本 国 憲 法 に込 められた「戦 争 をしない」という誓 いは、被 爆
国 日 本 の原 点 であるとともに、被 爆 地 長 崎 の原 点 でもあります。
被 爆 者 たちが自 らの体 験 を語 ることで伝 え続 けてきた、その平 和 の原
点 がいま揺 らいでいるのではないか、という不 安 と懸 念 が、急 ぐ議 論 の
中 で生 まれています。日 本 政 府 にはこの不 安 と懸 念 の声 に、真 摯 に向 き
55 合 い、耳 を傾 けることを強 く求 めます。

長 崎 では、若 い世 代 が、核 兵 器 について自 分 たちで考 え、議 論 し、新


しい活 動 を始 めています。大 学 生 たちは海 外 にネットワークを広 げ始 め
ました。高 校 生 たちが国 連 に届 けた核 兵 器 廃 絶 を求 める署 名 の数 は、
すでに 100 万 人 を超 えました。
60 その高 校 生 たちの合 言 葉 「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一 人 ひ
とりの人 々の集 まりである市 民 社 会 こそがもっとも大 きな力 の源 泉 だ、と
いうことを私 たちに思 い起 こさせてくれます。長 崎 はこれからも市 民 社 会
の一 員 として、仲 間 を増 やし、NGOと連 携 し、目 標 を同 じくする国 々や国
連 と力 を合 わせて、核 兵 器 のない世 界 の実 現 に向 けて行 動 し続 けます。
65 世 界 の皆 さん、次 の世 代 に「核 兵 器 のない世 界 」を引 き継 ぎましょう。

東 京 電 力 福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 の事 故 から、3年 がたちました。今
も多 くの方 々が不 安 な暮 らしを強 いられています。長 崎 は今 後 とも福 島
の一 日 も早 い復 興 を願 い、さまざまな支 援 を続 けていきます。

来 年 は被 爆 からちょうど 70 年 になります。
70 被 爆 者 はますます高 齢 化 しており、原 爆 症 の認 定 制 度 の改 善 など実
態 に応 じた援 護 の充 実 を望 みます。

被 爆 70 年 までの一 年 が、平 和 への思 いを共 有 する世 界 の人 たちとと


もに目 指 してきた「核 兵 器 のない世 界 」の実 現 に 向 けて大 きく前 進 す る
一 年 になることを願 い、原 子 爆 弾 により亡 くなられた方 々に心 から哀 悼
75 の意 を捧 げ、広 島 市 とともに核 兵 器 廃 絶 と恒 久 平 和 の実 現 に努 力 する
ことをここに宣 言 します。

2014 年 (平 成 26 年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2015 年 (平 成 27 年 )
長 崎 平 和 宣 言

昭 和 20 年 8月 9日 午 前 11 時 2分 、一 発 の原 子 爆 弾 により、長 崎 の
街 は一 瞬 で廃 墟 と化 しました。
大 量 の放 射 線 が人 々の体 をつらぬき、想 像 を絶 する 熱 線 と爆 風 が街
を襲 いました。24 万 人 の市 民 のうち、7万 4千 人 が亡 くなり、7万 5千 人
5 が傷 つきました。70 年 は草 木 も生 えない、といわれた廃 墟 の浦 上 の丘 は
今 、こうして緑 に囲 まれています。しかし、放 射 線 に体 を蝕 まれ、後 障 害
に苦 しみ続 けている被 爆 者 は、あの日 のことを1日 たりとも忘 れること は
できません。

原 子 爆 弾 は戦 争 の中 で生 まれました。そして、戦 争 の中 で使 われまし
10 た。
原 子 爆 弾 の凄 まじい破 壊 力 を身 をもって知 った被 爆 者 は、核 兵 器 は
存 在 してはならない、そして二 度 と戦 争 をしてはならないと深 く、強 く、心
に刻 みました。日 本 国 憲 法 における平 和 の理 念 は、こうした辛 く厳 しい経
験 と戦 争 の反 省 の中 から生 まれ、戦 後 、我 が国 は平 和 国 家 としての道
15 を歩 んできました。長 崎 にとっても、日 本 にとっても、戦 争 をしないという
平 和 の理 念 は永 久 に変 えてはならない原 点 です。
今 、戦 後 に生 まれた世 代 が国 民 の多 くを占 めるようになり、戦 争 の記
憶 が私 たちの社 会 から急 速 に失 われつつあります。長 崎 や広 島 の被 爆
体 験 だけでなく、東 京 をはじめ多 くの街 を破 壊 した空 襲 、沖 縄 戦 、そして
20 アジアの多 くの人 々を苦 しめた悲 惨 な戦 争 の記 憶 を忘 れてはなりません。
70 年 を経 た今 、私 たちに必 要 なことは、その記 憶 を語 り継 いでいくこと
です。
原 爆 や戦 争 を体 験 した日 本 、そして世 界 の皆 さん、記 憶 を風 化 させな
いためにも、その経 験 を語 ってください。
25 若 い世 代 の皆 さん、過 去 の話 だと切 り捨 てずに、未 来 のあなたの身 に
起 こるかもしれない話 だからこそ伝 えようとする、平 和 への思 いをしっかり
と受 け止 めてください。「私 だったらどうするだろう」と想 像 してみてくださ
い。そして、「平 和 のために、私 にできることは何 だろう」と考 えてみてくだ
さい。若 い世 代 の皆 さんは、国 境 を越 えて新 しい関 係 を築 いていく力 を
30 持 っています。
世 界 の皆 さん、戦 争 と核 兵 器 のない世 界 を実 現 するための最 も大 き
な力 は私 たち一 人 ひとりの中 にあります。戦 争 の話 に耳 を傾 け、核 兵 器
廃 絶 の署 名 に賛 同 し、原 爆 展 に足 を運 ぶといった一 人 ひとりの活 動 も、
集 まれば大 きな力 になります。長 崎 では、被 爆 二 世 、三 世 をはじめ、次
35 の世 代 が思 いを受 け継 ぎ、動 き始 めています。
私 たち一 人 ひとりの力 こそが、戦 争 と核 兵 器 のない世 界 を実 現 する最
大 の力 です。市 民 社 会 の 力 は、政 府 を動 かし、 世 界 を動 かす力 なの で
す。
今 年 5月 、核 不 拡 散 条 約 (NPT)再 検 討 会 議 は、最 終 文 書 を採 択 で
40 きないまま閉 幕 しました。しかし、最 終 文 書 案 には、核 兵 器 を禁 止 しよう
とする国 々の努 力 により、核 軍 縮 について一 歩 踏 み込 んだ内 容 も盛 り込
むことができました。
NPT加 盟 国 の首 脳 に訴 えます。
今 回 の再 検 討 会 議 を決 して無 駄 にしないでください。国 連 総 会 などあら
45 ゆる機 会 に、核 兵 器 禁 止 条 約 など法 的 枠 組 みを議 論 する努 力 を続 け
てください。
また、会 議 では被 爆 地 訪 問 の重 要 性 が、多 くの国 々に共 有 されました。
改 めて、長 崎 から呼 びかけます。
オバマ大 統 領 、そして核 保 有 国 をはじめ各 国 首 脳 の皆 さ ん、世 界 中
50 の皆 さん、70 年 前 、原 子 雲 の下 で何 があったのか、長 崎 や広 島 を訪 れ
て確 かめてください。被 爆 者 が、単 なる被 害 者 としてではなく、“人 類 の一
員 ”として、今 も懸 命 に伝 えようとしていることを感 じとってください。
日 本 政 府 に訴 えます。
国 の安 全 保 障 は、核 抑 止 力 に頼 らない方 法 を検 討 してください。アメ
55 リカ、日 本 、韓 国 、中 国 など多 くの国 の研 究 者 が提 案 しているように、北
東 アジア非 核 兵 器 地 帯 の設 立 によって、それは可 能 です。未 来 を見 据
え、“核 の傘 ”から“非 核 の傘 ”への転 換 について、ぜひ検 討 してください。

この夏 、長 崎 では世 界 の 122 の国 や地 域 の子 どもたちが、平 和 につ


いて考 え、話 し合 う、「世 界 こども平 和 会 議 」を開 きました。
60 11 月 には、長 崎 で初 めての「パグウォッシュ会 議 世 界 大 会 」が開 かれ
ます。核 兵 器 の 恐 ろしさを知 ったアインシュタインの訴 えか ら始 まったこ
の会 議 には、世 界 の科 学 者 が集 まり、核 兵 器 の問 題 を語 り合 い、平 和
のメッセージを長 崎 から世 界 に発 信 します。
「ピース・フロム・ナガサキ」。平 和 は長 崎 から。私 たちはこの言 葉 を大
65 切 に守 りながら、平 和 の種 を蒔 き続 けます。
また、東 日 本 大 震 災 から4年 が過 ぎても、原 発 事 故 の影 響 で苦 しんで
いる福 島 の皆 さんを、長 崎 はこれからも応 援 し続 けます。

現 在 、国 会 では、国 の安 全 保 障 のあり方 を決 める法 案 の審 議 が行 わ


れています。70 年 前 に心 に刻 んだ誓 いが、日 本 国 憲 法 の平 和 の理 念 が、
70 今 揺 らいでいるのではないかという不 安 と懸 念 が広 がっています。政 府
と国 会 には、この不 安 と懸 念 の声 に耳 を傾 け、英 知 を結 集 し、慎 重 で真
摯 な審 議 を行 うことを求 めます。
被 爆 者 の平 均 年 齢 は今 年 80 歳 を超 えました。日 本 政 府 には、国 の
責 任 において、被 爆 者 の実 態 に即 した援 護 の充 実 と被 爆 体 験 者 が生 き
75 ているうちの被 爆 地 域 拡 大 を強 く要 望 します。
原 子 爆 弾 に より 亡 く なら れた 方 々 に追 悼 の 意 を捧 げ、 私 たち長 崎 市
民 は広 島 とともに、核 兵 器 のない世 界 と平 和 の実 現 に向 けて、全 力 を尽
くし続 けることを、ここに宣 言 します。

2015 年 (平 成 27 年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2016 年 (平 成 28 年 )
長 崎 平 和 宣 言

核 兵 器 は人 間 を壊 す残 酷 な兵 器 です。
1945 年 8月 9日 午 前 11 時 2分 、米 軍 機 が投 下 した一 発 の原 子 爆 弾
が、上 空 でさく裂 した瞬 間 、長 崎 の街 に猛 烈 な爆 風 と熱 線 が襲 いかかり
ました。あとには、黒 焦 げの亡 骸 、全 身 が焼 けただれた人 、内 臓 が飛 び
5 出 した人 、無 数 のガラス片 が体 に刺 さり苦 しむ人 があふれ、長 崎 は地 獄
と化 しました。
原 爆 から放 たれた放 射 線 は人 々の体 を貫 き、そのために引 き起 こされる
病 気 や障 害 は、辛 うじて生 き残 った人 たちを今 も苦 しめています。
核 兵 器 は人 間 を壊 し続 ける残 酷 な兵 器 なのです。
10 今 年 5月 、アメリカの現 職 大 統 領 として初 めて 、オバマ大 統 領 が被 爆
地 ・広 島 を訪 問 しました。大 統 領 は、その行 動 によって、自 分 の目 と、耳
と、心 で感 じることの大 切 さを世 界 に示 しました。
核 兵 器 保 有 国 をはじめとする各 国 のリーダーの皆 さん、そして世 界 中 の
皆 さん。長 崎 や広 島 に来 てください。原 子 雲 の下 で人 間 に何 が起 きたの
15 かを知 ってください。事 実 を知 ること、それこそが核 兵 器 のない未 来 を考
えるスタートラインです。

今 年 、ジュネーブの国 連 欧 州 本 部 で、核 軍 縮 交 渉 を前 進 させる法 的


な枠 組 みについて話 し合 う会 議 が開 かれています。法 的 な議 論 を行 う場
ができたことは、大 きな前 進 です。 しかし、まもなく結 果 がまとめられるこ
20 の会 議 に、核 兵 器 保 有 国 は出 席 していません。そして、会 議 の中 では、
核 兵 器 の抑 止 力 に依 存 する国 々と、核 兵 器 禁 止 の交 渉 開 始 を主 張 す
る国 々との対 立 が続 いています。このままでは、核 兵 器 廃 絶 への道 筋 を
示 すことができないまま、会 議 が閉 会 してしまいます。
核 兵 器 保 有 国 のリーダーの皆 さん、今 からでも遅 くはありません。この
25 会 議 に出 席 し、議 論 に参 加 してください。
国 連 、各 国 政 府 及 び国 会 、NG O を含 む市 民 社 会 に訴 えます。 核 兵
器 廃 絶 に向 けて、法 的 な議 論 を行 う場 を決 して絶 やしてはなりません。
今 年 秋 の国 連 総 会 で、核 兵 器 のない世 界 の実 現 に向 けた法 的 な枠 組
みに関 する協 議 と交 渉 の場 を設 けてください。そして、人 類 社 会 の一 員
30 として、解 決 策 を見 出 す努 力 を続 けてください。

核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中で
す。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいま
す。
今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集
35 してください。
日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存す
る立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法
制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジ
ア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく
40 知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英
知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。
核 兵 器 の歴 史 は、不 信 感 の歴 史 です。
国 同 士 の不 信 の中 で、より威 力 のある、より遠 くに飛 ぶ核 兵 器 が開 発され
てきました。世 界 には未 だに1万 5千 発 以 上 もの核 兵 器 が存 在 し、戦
45 争 、事 故 、テロなどにより、使 われる危 険 が続 いています。
この流 れを断 ち切 り、不 信 のサイクルを信 頼 のサイクルに転 換 するた
めにできることのひとつは、粘 り強 く信 頼 を生 み続 けることです。
我 が国 は日 本 国 憲 法 の平 和 の理 念 に基 づき、人 道 支 援 など、世 界 に
貢 献 することで信 頼 を広 げようと努 力 してきました。ふたたび戦 争 をしな
50 いために、平 和 国 家 としての道 をこれ からも歩 み続 けなければなりませ
ん。
市 民 社 会 の一 員 である私 たち一 人 ひとりにも、できることがあります。
国 を越 えて人 と交 わることで、言 葉 や文 化 、考 え方 の違 いを理 解 し合 い、
身 近 に信 頼 を生 み出 すことです。オバマ大 統 領 を温 かく迎 えた広 島 市 民
55
の姿 もそれを表 しています。市 民 社 会 の行 動 は、一 つひとつは小 さ く見
えても、国 同 士 の信 頼 関 係 を築 くための、強 くかけがえのない礎 となりま
す。

被 爆 から 71 年 がたち、被 爆 者 の平 均 年 齢 は 80 歳 を越 えました。世
界 が「被 爆 者 のいない時 代 」を迎 える日 が少 しずつ近 づいています。戦
60
争 、そして戦 争 が生 んだ被 爆 の体 験 をどう受 け継 いでいくかが、今 、問
われています。
若 い世 代 の 皆 さん、 あなたた ちが 当 たり 前 と 感 じ る日 常 、例 えば、お
母 さんの優 しい手 、お父 さんの温 かいまなざし、友 だちとの会 話 、好 きな
人 の笑 顔 …。そのすべてを奪 い去 ってしまうのが戦 争 です。

65 戦 争 体 験 、被 爆 者 の体 験 に、ぜひ一 度 耳 を傾 けて みてください。つら
い経 験 を語 ることは苦 しいことです。それでも語 ってくれるのは、未 来 の
人 たちを守 りたいからだということを知 ってください。
長 崎 では、被 爆 者 に代 わって子 どもや孫 の世 代 が体 験 を語 り伝 える活
動 が始 まっています。焼 け残 った城 山 小 学 校 の校 舎 などを国 の史 跡 とし
70 て後 世 に残 す活 動 も進 んでいます。
若 い世 代 の皆 さん、未 来 のために、過 去 に向 き合 う一 歩 を踏 み出 して
みませんか。

福 島 での原 発 事 故 から5年 が経 過 しました。長 崎 は、放 射 能 による苦


しみを体 験 したまちとして、福 島 を応 援 し続 けます。
75 日 本 政 府 には、今 なお原 爆 の後 遺 症 に苦 しむ被 爆 者 のさらなる援 護
の充 実 とともに、被 爆 地 域 の拡 大 をはじめとする被 爆 体 験 者 の一 日 も早
い救 済 を強 く求 めます。
原 子 爆 弾 で亡 くなら れた方 々に心 から追 悼 の意 を捧 げ、 私 たち長 崎
市 民 は、世 界 の人 々とともに、核 兵 器 廃 絶 と恒 久 平 和 の実 現 に力 を尽 く
80 すことをここに宣 言 します。

2016 年 (平 成 28 年 )8月 9日
長崎市長 田上 富久
2017 年 (平 成 29 年 )

長 崎 平 和 宣 言

「ノーモア ヒバクシャ」
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験
することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願
いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
5 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵
器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える 122 か国の賛成で採択されたので
す。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・
ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々
10 や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と
勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000 発近くの核兵
器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核
兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵
15 器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」
にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに
活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。
20 核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NP
T)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果た
してください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持
25 たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約
の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争
被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する
政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念
30 と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体
的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。1945 年8月9日午前 11 時2分、今、私たちがい
るこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15 万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となり
35 ました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子
どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景があり
ました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして 72
年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、
いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生
40 き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人
間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、
心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

45 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとは
しません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、
心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たち
の未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れ
50 ていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせること
なく未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の 7,400 の都市が参
加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も
大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和
55 を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力にな
ることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。
そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という
言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は 81 歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近
60 づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救
済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまち
として、福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核
65 兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017 年(平成 29 年)8月9日

長崎市長 田上 富久
長 崎 平 和 宣 言

73 年前の今日、8月9日午前 11 時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆
弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生き
とし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃墟と化した街にはおびただしい数の
死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら
5 河口にまで達しました。15 万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に
深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なので
す。

1946 年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を
10 国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を
揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをも
たらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に
託したのです。
昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多く
15 の人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の
採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平
和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のな
い世界の実現を求め続けている証です。
しかし、第二次世界大戦終結から 73 年がたった今も、世界には 14,450 発の
20 核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使
って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い
懸念を持っています。
核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連
総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そし
25 て 50 年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」と
いう世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯
してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めま
す。
そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の
30 政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して
今、300 を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本
政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化
に導く道義的責任を果たすことを求めます。
35 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。
南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強
い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大
きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、
日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた
40 努力を求めます。
長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡く
なりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダ ー
に対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有し
ようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する
45 犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口
稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦し
みは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地
球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。
二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配
50 していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲
法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんありま
す。
被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの
55 戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思い
は共有できます。
長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりまし
た。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の
60 人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の
好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社
会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社
会の力で世界中に広げていきましょう。

東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さ
65 んを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引
き続き応援していきます。
被爆者の平均年齢は 82 歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害
に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていな
い「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
70 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核
兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続
けることをここに宣言します。

2018 年(平成 30 年)8月9日

長崎市長 田上 富久
長崎平和宣言

目を閉じて聴いてください。

幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
5 息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた

ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった

10 だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない

人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
15 だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……

これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾
20 により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自
分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならな
い、という強い思いが、そこにはあります。
原 爆 は 「 人 の 手 」 に よ っ て つ く ら れ 、「 人 の 上 」 に 落 と さ れ ま し た 。
だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、
25 その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中
です。
今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立
つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより
使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の
30 開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わら
せた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減
する条約(新START)の継続は危機に瀕しています。世界から核
兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、
核兵器が使われる危険性が高まっています。
35 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者
の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よ
りも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げ
ている人たちは大勢います。
40 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世
界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に
世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しま
した。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割
を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決し
45 て無力ではないのです。
世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのか
を知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続け ましょう。小さな信
50 頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなり
ます。
人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。そ
れは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして
55 無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そし
て、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち
一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起
こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいか
60 に非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成
立 か ら ち ょ う ど 50 年 を 迎 え ま す 。 核 兵 器 を な く す こ と を 約 束 し 、 そ
の義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い
出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、
65 核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けていま
す。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署
名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、
「 核 の 傘 」 で は な く 、「 非 核 の 傘 」 と な る 北 東 ア ジ ア 非 核 兵 器 地 帯 の
70 検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意
を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリー
ダーシップを発揮することを求めます。

被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、高齢化する
被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆
75 体験者の救済を求めます。
長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年 が経過し
た今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援
していきます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、長崎は広島と
80 ともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を
合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けること
をここに宣言します。

2019 年(令和元年)8月9日

長崎市長 田上 富久
長 崎 平 和 宣 言

私 た ち の ま ち に 原 子 爆 弾 が 襲 い か か っ た あ の 日 か ら 、ち ょ う ど 7 5
年 。4 分 の 3 世 紀 が た っ た 今 も 、私 た ち は「 核 兵 器 の あ る 世 界 」に
暮らしています。
ど う し て 私 た ち 人 間 は 、核 兵 器 を 未 だ に な く す こ と が で き な い で
5 い る の で し ょ う か 。人 の 命 を 無 残 に 奪 い 、人 間 ら し く 死 ぬ こ と も 許
さ ず 、放 射 能 に よ る 苦 し み を 一 生 涯 背 負 わ せ 続 け る 、こ の む ご い 兵
器を捨て去ることができないのでしょうか。

7 5 年 前 の 8 月 9 日 、原 爆 に よ っ て 妻 子 を 亡 く し 、そ の 悲 し み と 平
和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、
10 手記にこう綴っています。

私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がり
の下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨
の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴ
ロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに
15 焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎
年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってく
る。

被 爆 者 は 、こ の 地 獄 の よ う な 体 験 を 、二 度 と ほ か の 誰 に も さ せ て
は な ら な い と 、必 死 で 原 子 雲 の 下 で 何 が あ っ た の か を 伝 え て き ま し
20 た 。し か し 、核 兵 器 の 本 当 の 恐 ろ し さ は ま だ 十 分 に 世 界 に 伝 わ っ て
は い ま せ ん 。新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 が 自 分 の 周 囲 で 広 が り 始 め
る ま で 、私 た ち が そ の 怖 さ に 気 づ か な か っ た よ う に 、 も し 核 兵 器 が
使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、
取り返しのつかないことになってしまいます。

25 今 年 は 、 核 不 拡 散 条 約 ( N P T ) の 発 効 か ら 50 年 の 節 目 に あ た
ります。
この条約は、
「核保有国をこれ以上増やさないこと」
「核軍縮に誠
実 に 努 力 す る こ と 」を 約 束 し た 、人 類 に と っ て と て も 大 切 な 取 り 決
め で す 。し か し こ こ 数 年 、中 距 離 核 戦 力( I N F )全 廃 条 約 を 破 棄
30 し て し ま う な ど 、核 保 有 国 の 間 に 核 軍 縮 の た め の 約 束 を 反 故 に す る
動 き が 強 ま っ て い ま す 。そ れ だ け で な く 、新 し い 高 性 能 の 核 兵 器 や 、
使 い や す い 小 型 核 兵 器 の 開 発 と 配 備 も 進 め ら れ て い ま す 。そ の 結 果 、
核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“ 残 り 1 0 0 秒 ”。地 球 滅 亡 ま で の 時 間 を 示 す「 終 末 時 計 」が 今 年 、
35 こ れ ま で で 最 短 の 時 間 を 指 し て い る こ と が 、こ う し た 危 機 を 象 徴 し
ています。
3 年 前 に 国 連 で 採 択 さ れ た 核 兵 器 禁 止 条 約 は「 核 兵 器 を な く す べ
き だ 」と い う 人 類 の 意 思 を 明 確 に し た 条 約 で す 。核 保 有 国 や 核 の 傘
の 下 に い る 国 々 の 中 に は 、こ の 条 約 を つ く る の は ま だ 早 す ぎ る と い
40 う 声 が あ り ま す 。そ う で は あ り ま せ ん 。核 軍 縮 が あ ま り に も 遅 す ぎ
るのです。
被 爆 か ら 75 年 、 国 連 創 設 か ら 75 年 と い う 節 目 を 迎 え た 今 こ そ 、
核 兵 器 廃 絶 は 、人 類 が 自 ら に 課 し た 約 束“ 国 連 総 会 決 議 第 一 号 ”で
あることを、私たちは思い出すべきです。

45
昨 年 、長 崎 を 訪 問 さ れ た ロ ー マ 教 皇 は 、二 つ の“ 鍵 ”と な る 言 葉
を 述 べ ら れ ま し た 。一 つ は「 核 兵 器 か ら 解 放 さ れ た 平 和 な 世 界 を 実
現 す る た め に は 、す べ て の 人 の 参 加 が 必 要 で す 」と い う 言 葉 。も う
一 つ は「 今 、拡 大 し つ つ あ る 相 互 不 信 の 流 れ を 壊 さ な く て は な り ま
せん」という言葉です。
50 世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今 年 、新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス に 挑 み 続 け る 医 療 関 係 者 に 、多 く の 人
が 拍 手 を 送 り ま し た 。 被 爆 か ら 75 年 が た つ 今 日 ま で 、 体 と 心 の 痛
み に 耐 え な が ら 、つ ら い 体 験 を 語 り 、世 界 の 人 た ち の た め に 警 告 を
55 発 し 続 け て き た 被 爆 者 に 、同 じ よ う に 、心 か ら の 敬 意 と 感 謝 を 込 め
て拍手を送りましょう。
こ の 拍 手 を 送 る と い う 、 わ ず か 10 秒 ほ ど の 行 為 に よ っ て も 平 和
の 輪 は 広 が り ま す 。今 日 、大 テ ン ト の 中 に 掲 げ ら れ て い る 高 校 生 た
ち の 書 に も 、平 和 へ の 願 い が 表 現 さ れ て い ま す 。折 り 鶴 を 折 る と い
60 う 小 さ な 行 為 で 、平 和 へ の 思 い を 伝 え る こ と も で き ま す 。確 信 を 持
っ て 、 た ゆ む こ と な く 、「 平 和 の 文 化 」 を 市 民 社 会 に 根 づ か せ て い
きましょう。
若 い 世 代 の 皆 さ ん 。新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 、地 球 温 暖 化 、核
兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”
65 だ と い う こ と で す 。あ な た が 住 む 未 来 の 地 球 に 核 兵 器 は 必 要 で す か 。
核 兵 器 の な い 世 界 へ と 続 く 道 を 共 に 切 り 開 き 、そ し て 一 緒 に 歩 ん で
いきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「 相 互 不 信 」の 流 れ を 壊 し 、対 話 に よ る「 信 頼 」の 構 築 を め ざ し
70 て く だ さ い 。今 こ そ 、
「 分 断 」で は な く「 連 帯 」に 向 け た 行 動 を 選 択
し て く だ さ い 。来 年 開 か れ る 予 定 の N P T 再 検 討 会 議 で 、核 超 大 国
で あ る 米 ロ の 核 兵 器 削 減 な ど 、実 効 性 の あ る 核 軍 縮 の 道 筋 を 示 す こ
とを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
75 核 兵 器 の 怖 さ を 体 験 し た 国 と し て 、一 日 も 早 く 核 兵 器 禁 止 条 約 の
署 名 ・ 批 准 を 実 現 す る と と も に 、北 東 ア ジ ア 非 核 兵 器 地 帯 の 構 築 を
検 討 し て く だ さ い 。「 戦 争 を し な い 」 と い う 決 意 を 込 め た 日 本 国 憲
法の平和の理念を永久に堅持してください。
そ し て 、今 な お 原 爆 の 後 障 害 に 苦 し む 被 爆 者 の さ ら な る 援 護 の 充
80 実 と と も に 、未 だ 被 爆 者 と 認 め ら れ て い な い 被 爆 体 験 者 に 対 す る 救
済を求めます。

東 日 本 大 震 災 か ら 9 年 が 経 過 し ま し た 。長 崎 は 放 射 能 の 脅 威 を 体
験 し た ま ち と し て 、復 興 に 向 け 奮 闘 さ れ て い る 福 島 の 皆 さ ん を 応 援
します。
80
新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス の た め に 、心 な ら ず も 今 日 こ の 式 典 に 参 列 で
き な か っ た 皆 様 と と も に 、原 子 爆 弾 で 亡 く な ら れ た 方 々 に 心 か ら 追
悼 の 意 を 捧 げ 、長 崎 は 、広 島 、沖 縄 、そ し て 戦 争 で 多 く の 命 を 失 っ
た 体 験 を 持 つ ま ち や 平 和 を 求 め る す べ て の 人 々 と 連 帯 し て 、核 兵 器
廃 絶 と 恒 久 平 和 の 実 現 に 力 を 尽 く し 続 け る こ と を 、こ こ に 宣 言 し ま
85 す。

2020 年 ( 令 和 2 年 ) 8 月 9 日
長崎市長 田 上 富 久
長崎平和宣言
更新日:2021年9月8日 ページID:036984

令和3年 長崎平和宣言
長崎平和宣言

今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小
崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。
核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバク
5 ダンで、沢山の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。
原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。

小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実
を結びました。

10 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、
人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始ま
ります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。
一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの
15 核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能
のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意
志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。

日本政府と国会議員に訴えます。
20 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約
を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国より
も貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核
の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。

25 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を
直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米ロがさらなる
核兵器削減へ踏み出すことを求めます。

地球に住むすべての皆さん。
30 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、
危機を乗り越えるためには、一人ひとりが当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパン
デミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有していま
す。
核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選
40 ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人ひとりが声を挙げ、世界
を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記される
とすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まりま
45 す。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意で
あり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです。
この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確か
な道にしていきましょう。
長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実
50 を伝え続けます。

被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求め
ます。
東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向
かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
55 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意を捧げ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに
「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

2021年(令和3年)8月9日
長崎市長 田 上 富 久

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