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Bài 1:

以下は、ある大学のホームページに掲載されたお知らせである。

橋山大学> 在学生へのお知らせ

2016.6.20
学生生活に関するアンケートについて
すでにお知らせしているとおり、現在、以下の専用ウェブページで学生生活に関するアンケートを実
施しています。
学生生活アンケート http://www.hashiyama-u.ac.jp/20160601.html

6月24日を締め切りとして回答をお願いしていますが、現在のところあまり多くの回答が得られていま
せん。そこで、一人でも多くの皆さんの回答を得るため、回答期間を6月30日まで延長します。未回
答の皆さんはぜひ積極的に回答してください。
結果は、7月中旬に専用ウェブページ上で公開します。

ご協力よろしくお願いします。
学生課

Câu hỏi:

アンケートについて、このお知らせで最も伝えたいことは何か。

1) 7月中旬に専用ウェブページで結果を公開するので、見てほしい。
2) 締め切り日を延長したので、多くの人に回答してほしい。
3) 未回答の人は、6月24日までに回答してほしい。
4) すでに回答した人も、もう一度回答してほしい。

Bài 2
ものを作る過程は、本当に楽しい。『完成したときの喜び』とよく表現されるけれど、①それは違うと僕
は思う。そもそも、ものを作って感じることの一つは、『完成した』という瞬間がいったいいつなのかわ
からない、という事実である。②完成したことがわかるのは、誰かに頼まれて作っているもの、つまり依
頼された仕事である、そういうものは、これなら引き渡せる、要求された水準を満たしているだろう、と
いう鏡界線がぼんやりとでも設定されているから、そこが『完成』になる、そしてこの場合は、労働から
解放される喜びがあるし、達成感もあるだろう、レース(注1) でゴールをするのと同じだ。あそこまで走
りなさい、というルールがあらかじめ設定されているからだ。
しかし、自分が初めて作るもの、自分が自分の欲求で作り始めたものは、そういったゴールがはっきり
としていない、このことは、ものを作る場合以外でも同じである、たとえば、研究がそうだ。知りたいこと
を知ろうとする行為は、作りたいものを作ろうとする行為と限りなく似ている。好奇心(注2) に從って、こ
つこつと進む過程は、本当にわくわくして楽しい。けれど、どこまで進んでも、『やった!』といった達
成の瞬間は訪れない。ゴールなんてどこにもない。ただ、過去を振り返って、『ああ、だいたいあのとき
が、完成した時期になるかな』というくらいの『一段落』が見えるだけである。

(森博嗣『創るセンス工作ん思考』による)

(注1) レース:競争
(注2) 好奇心:新しいに対する興味

Câu 1:

. ①それとは何か。
1) ものを作る過程は本当に楽しいということ
2) ものが出来上がったときはうれしいということ
3) もの作りを頼まれたときは喜びを感じるということ
4) ものを作るときも完成したときもうれしいということ

Câu 2:

. 筆者によると、②完成したことがわかるのはどのような場合か。
1) 相手に引き渡す期限が設定されている場合
2) 相手によってレベルが設定されている場合
3) 自分が納得するレベルを設けた場合
4) 自分が決めたルールに從って仕事を終えた場合

Câu 3:

. ものを作ることについて、筆者が言いたいことは何か。
1) 依頼されたのもを作るときは、完成までの時間が楽しい
2) ものを作るということは、完成後に振り返る時間が楽しい
3) どんなものを作る時でも、完成があるから過程が楽しい
4) 自分が作りたいものを作るときは、完成ではなく過程が楽しい"
BÀI 3
幸福は人生の目標である。それだけに一体どういうものが「幸福」なのか知るのは、それを追及する
前提として深刻な 課題であると思う。あるとき、若い人が、私に向かって「幸福というのはあるのか」と
深刻そうな顔をして聞いたことがある。
彼は人間の欲望(注1)というのは無限に続くものであるから、幸福感まではなかなか到達しないのでは
ないかというの だ。なるほどそういえるかもしれない。人間が進歩する動物であるならばなおさらのこ
とだ(注2)。
でも、私は幸福は存在すると思っている。趣味に例をとっても、ある人は野球することをあげ、他の人
達は読書や映画、 音楽とそれぞれに主張する。登山や魚釣りという人もいるだろう。このように趣味
は人によってさまざまだが、同様に幸 福についても人によっては考え方がまちまちだ(注3) と思う。
「幸福とはどのようなもの?」と聞かれたら「裕福(注4)になること」と答える人もいるのだろう。また、「社会
的な地 位に到達する」のを幸福だと考えているかもしれない。逆にそのような裕福とか社会的地位を
否定して、「心の豊かな人」 になることが幸福だと思っている人もいると思う。思想や感情、さらには生
活様式さえ異なる人間のことだ。幸福につい ての考え方に、差があってもいいのではないか。ただ同
じく裕福を主張しても、多くの人の幸福を願って慈善事業に協力 する人もいれば、一方には「がめつ
い奴」の看板を背負って生きてるような人(注5)もいる。他人になんといわれようと、 その人はそれで結
構幸福なのだ。人間は自分のために生きるのだから、他人に迷惑さえかけなければこれでもいいの
である。
しかし、私はスタートの段階ではそれでもいいが、いつまでもそのままの考えから進歩しないのでは
困ると思う。私自身としては、別の生き方をとる。
幸福というものについて、これだといい切れる考えはまだ私も持っていないが、私は「会社での仕事も
楽しく、家庭で の生活も楽しい、つまり一日二十四時間を楽しく過ごすこと」が幸福だと思っている。
言葉はすこぶる(注6) 平凡だが、この内容は非凡だと自負して(住?)いる。それと、自分の幸福な状態
が「他人の目にも楽しく、心も楽しませる」ものでありたいとも私は思う。
(本田宗一郎『得手に帆あげて』による)

(注1) 欲望:欲しいと強い望む気持ち
(注2) なおさらのことだ:ここでは、ますますそうだといえる
(注3)まちまちだ:それぞれ違っている
(注4) 裕福:金持ち
(注5)「がめつい奴」の看板を背負って生きてるような人:けちで欲張りな人
(注6) すこぶる:非常に
(注7) 自負する:自分自身に自信や誇りを持つ

71. 若い人が「幸福というのはあるのか」と聞いたのはなぜか。
1)今まで何をしても幸福感に到達することができなかったから
2) 幸福についての考えにはいろいろあり、何が幸福かわからなくなったから
3)人間の欲はなくならないので、いつまでも幸福感が得られないと考えたから
4)人間の欲はそれぞれ異なるので、幸福についての考え方も異なると考えたから
72. 筆者はスタートの段階ではどうすればいいと述べているか。
1) 自分が幸福だと思えることをすればいい。
2) 他人と同じ程度の幸福を目指せばいい。
3) 社会的に評価されることをすればいい。
4) 「心の豊かな人」になることを目指せばいい。
73. 筆者の目指している幸福とはどのようなものか。
1) 会社や家庭よりも、社会全体を優先する。
2) 一日二十四時間を、自分や家族のために大切に使う。
3) 常に楽しい生活を送り、その生き方を周りの人に認めてもらう。
4) 会社でも家庭でも楽しく過ごし、その姿が周りの人も楽しませる。 "

BÀI 4:
旅先で、すばらしい風景や名所旧跡(注1) に出合ったとき、わたしも人なみには感激する。しかし、①
その感動はながつづきしない。すぐに退屈してしまう。
私の勤務先は巨大な公園のなかにある。歩いて出勤することもおおい。『すばらしい環境のなかを
通っての出勤で、うらやましいですな』といわれる。ところが、わたしにとって、歩きなれた道は退屈で
ある。緑の自然を楽しむより、街中の雑踏(注2) を歩くほうがおもしろい。
自然の風景や名所旧跡は静的である。いつ出かけても、おなじ景色にめぐりあえる。背景の自然は
季節ごとに変わっても、滝とか、お寺など、風景の主人公はあまり変化しない。そこで、絵はがきがつ
くられる。
そこへ行ったことのない人へ、自分の感動を伝える手段として、風景や美術品の絵のはがきは発生し
た。しかし、投函する(注3) ためではなく、②個人的コレクションとして、絵はがきを集める人が、案内
おおいのである。ときどき、ながめたり、人に見せたりして、旅の追体験をし、イメージを固定化するの
だ。
絵はがき型の人間にたいして、市場型とでもいうべき人びとがいる。私は市場型人間の典型だ。見知
らぬ土地へ出かけたら、観光名所は省略しても、市場へは足をはこぶ。
食文化の研究をしているので、市場は情報源として大切な場所である。市場はその土地の『生きた食
物図鑑』である。そんな職業意識をはなれても、市場はおもしろい。売り手と買い手の駆け引き(注4)
など、人びとのふるまい(注5) を見ていたら、退屈することはない。市場は『生活のショーウインドー』な
のである。

(石毛直道『食べるお仕事』にとる)
(注1) 旧跡:歴史上の出来事があった場所や、歴史上の物が残っている所
(注2) 雑踏:人がたくさんいて込み合っている所
(注3) 投函する:ポストに入れる
(注4) 駆け引き:自分に有利になるように相手とやり取りすること
(注5) ふるまい:行動

66. ①その感動はながつづきしないとあるが、それはなぜか。

1) 筆者は、勤務先の環境がよく、美しい風景を見なれているから
2) 筆者は、街中の風景が好きで、古いものや自然に興味がないから
3) すばらしい風景や名所などは、いつもおなじで変化が感じられないから
4) すばらしい風景や名所などは、すでに絵はがきになっていて珍しくないから

67. ②個人的コレクションとして絵はがきを集める目的は何か。

1) 実際に見て感動した景色などを、そこに行っていない人に送るため
2) 自分が訪れた場所の季節の変化を、イネージできるようにするため
3) 訪れた場所の風景や名所などを振り返り、はっきりと記憶に残すため
4) 旅先で集めたものを保存しておいて、多くの人たちと情報を交換するため

68. 市場型人間は何のために市場へ行くのか。

1) 市場で人びとの生き生きとした様子を観察するため
2) 市場で実際に売られている食物の記録をとるため
3) 見知らぬ街の市場で珍しいものを見つけるため
4) 絵はがきのような市場の風景を自分の目で見るため"

BÀI 5
"イヌの散歩をしていると、最近ではイヌも挨拶の仕方を忘れてしまったのではないかと思ってしまいま
す。集団行動を経験したことがあるイヌ、もしくは(注1) 、飼い主からイヌらしい教育を受けて順位制(注
2) を感じることができるようになったイヌは、道でほかのイヌにすれ違い近づいたときには挨拶らしい
ことをします。ところが、集団行動の経験もなく、家でも甘やかされて育ってイヌは。現代のヒト社会の
ように挨拶をしないように見えます。挨拶をするイヌが、ほかの挨拶なしのイヌに対して威嚇する(注3)
ことが観察されます。ところが、この挨拶犬が子イヌと遭遇したときには、子イヌが挨拶をできなくても
威嚇をしないことが多いのです。挨拶犬にとって子イヌであるというシグナルがなんなのかわかりませ
んが、とにかく子イヌと成犬とを区別したうえで挨拶のあるなしを判断しているようです。

イヌの挨拶行動は、生得的(注4) あるいは習得的(学習的) のどちらでしょうか?順位制にしたがった


行動ができるようになったイヌでは、イヌ社会での経験がなくてもある程度の挨拶行動ができることか
ら、生得的であるといえます。また、より儀式的な挨拶行動が円滑に(注5) 実行されるためには、ほか
のイヌとの集団生活があったほうがよいことから、習得的な部分もあるといえるでしょう。

(針山孝彦『生き物たちの情報戦略------生存をかけた静かなる戦い』による)

(注1) もしくは:または
(注2) 順位制:上下関係にもとづいてできた順序の決まり
(注3) 威嚇する:ここでは、ほえて相手を怖がるせる
(注4) 生得的:生まれたときから持っている
(注5) 円滑に:スムーズに、滑らかに

63. この文章によると、挨拶をしない、またはできないイヌはどれか。
1) 子イヌと成犬を区別できないイヌ
2) 挨拶をしない親イヌに育てられた子イヌ
3) 他のイヌと一緒に生活をしたことがあるイヌ
4) イヌ社会の経験も飼い主による教育もないイヌ

64. この文章によると、どんなイヌがどんなイヌにほえて、怖がらせるか。
1) 挨拶できるイヌが挨拶しない成犬に
2) 挨拶できるイヌが挨拶しない子イヌに
3) 挨拶できないイヌが挨拶する成犬に
4) 挨拶できないイヌ挨拶する子イヌに

65. 筆者は、イヌの挨拶行動についてどのように述べているか。 。
1) イヌ社会での経験より飼い主の教育があったほうが、スムーズにできる。
2) イヌ社会での経験は必ずしも必要ではないが、あればスムーズにできる
3) イヌ社会での集団生活と飼い主の教育によって初めて習得できるものだ
4) イヌ社会での集団生活を経験することによって始めて習得できるものだ"

BÀI 6:
"秋森山は高さ約600メートルで、頂上まで約4キロメートルの穏やかな登山道が続いています。途
中、動物の姿に見える犬岩や猿岩、舞台のように大きく平らな岩を探しながら登る楽しさがあります。
登山道では、四季を通じて様々な植物を楽しめるほか。春から初夏にかけては多くの野鳥を観察す
ることもできます。
秋の紅葉は格別で、山全体に鮮やかな景色が広がります。そのため、この時期には多くの登山客が
訪れています。

CÂU HỎI:

この案内から、秋森山についてどんなことが分かるか?

1.高さ600メートルの山の頂上に大きく平らな岩がある。
2.登山をしながら、いろいろな形の岩を見ることができる。
3.四季それぞれに異なる野鳥を観察することができます。
4.登山道が穏やかなため、いつも多くの登山客が訪れています。

BÀI 7:
"美味しい食べ物や美しい景色。お金や健康や愛。そういったものでは得られない持続的幸せ。それ
を得るための必要条件は、「困難」です。困難のないところに、持続的幸せはないのです。

困難というものが全くなかったらどうなるか、ちょっと想像してみてください。欲しいものは何でも手に
入れる。したいことは何でもできる。すべての欲求が何の苦もなく満たされる。嫌なことは一切(注1)し
なくてもいい。すべてが思い通り。そして、あらゆることが順調にいく。だから、困ったな、どうしたらい
いだろう?」と思うことなど、皆無。つまり、問題はまったく起こらない…

「わ、いいな。そうなりたい」と思う人もいるかもしれません。

確かに、短期間ならこういう境遇(注2)も悪くないかもしれません。しかし、来る日も来る日も(注3)そう
だったとしたら?間違いなく、退屈するようになるでしょう。そして、やがて耐えられなくなるはずです。

なぜなら、そこには自分の能力を発揮する機会が全くないからです。自分の能力を発揮するべきこと
が、何も起こらないのです。これほどつまらないことはない。それが毎日続いたら、まちがいなく退屈
し、耐えられなくなるでしょう。

そう、私たちが能力を発揮できるのは、困難(問題)に出会った時です。そのときはじめて、能力を発
揮する機会が与えられる。
そして、自分の能力で困難を乗り越えることができたとき、面白さやよろこびを感じるのです。それは、
何かからただ動的に得られる面白さ・喜びとは異なり、自分の力で獲かく得とくする面白さ・喜びで
す。また、それは、「やったー」という達成感と、さらに、「自分にはやれば出来る力があるんだ」という
感覚 ―「自己効力感」-をともなった面白さ・よろこびです。

これが積み重なって、生の充実感と持続的幸せがもたらされる(注5)

持続的幸せは、困難にぶつかりながら、自分の能力で何とかそれを乗り越えようと能力しながら生き
ていくことによって得られるものなのです。つまり、持続的幸せが得られるかどうかは生き方の問題な
のです。

(注1)一切:全く

(注2)境遇:状況

(注3)来る日も来る日も:ここでは、この先ずっと

(注4)受動的に:ここでは、自分から何も

(注5)もたらされる:得られるCâu 1:

Câu 1: 困難が全くない状態について、筆者はどう述べているか。

短期間であっても、生活に飽きてしまうだろう
短期間であれば、嫌なことも嫌でなくなるだろう
長く続くと、退屈な生活に耐えられなくなるだろう
長く続くと、欲しいものは何なのかわからなくなるだろう。

Câu 2:

筆者は困難をどのようにとらえているか。

自分の能力を生かす機会になる
自分の能力を試すために必要だ
自分の能力で乗り越えられないことはない
自分の能力だけで乗り越えようとしなくてもいい

Câu 3:

筆者によると、持続的幸せを得るにはどうすればいいか。

自分の能力に自信がなくても、主体的に生きていく
困難を経験し、克服しようとしながら生きていく
困難にぶつかっても、困難だと思わずに生きていく
あらゆることに面白さや喜びを見付けながら生きていく

BÀI 8:
以前、高校の教え子たちと話していて①ふと気づいたことがある。疑問に感じるこ との幅の広さ、疑
問の大きさの違いだ。「とうして?」「なぜ?」という問いは、 人間にとって、だれもが持ち合わせるごく当
たり前の心のはたらきだと思ってい た。しかし実際には、その広がり、対象範囲が人によってまったく
異なるのだ。
(中略)

疑問とは、「興味の現れ」にほかならない(注1)。なにごとにも無関心な生徒は、会話もじつに淡白(注
2)である。他者とのコミュニケーションにも興味がな い。興味がないから、疑問も起きてこない。

私はというと、物心ついたとき(注3) から好奇心旺盛な(注4) 子どもであった。「このおもちゃの内部は


どうなっているんだろう?」そう思ってばらばらに分解しては、元に戻せなくて泣いていたものである。

自分を取り巻く(注5) 社会で起きるあらゆること、たとえば学校の授業で先生が 教えたり、指導する内


容にだって「なんで?」と思っていいのだ。会社の上司の指 示にも「なんで?」と思っていい。親の髪に
も「なんで?」と思っていい。 問題 は、「なんで?」だけで思考が終わってしまうことだ。②それではダメ
だ。とい うのは、「なんで?」だけで終わってしまうと、その後に「反抗」「反感」の感情が心に渦巻いて
(注6)しまうだけだからである。「なんで?」に始まり、そこから「どうしてそうなるの?」「本当にそうなの?」
と、自分なりに考えを極めて(注7) いく作業が大切であり、そこに成長の鍵がある。

(山本博「持続力」による)

(注1) ~にほかならない:ここでは、~と同じだ
(注2) 淡白: 「淡泊」とも書く
(注3) 物心ついたとき: 世の中のことが何となく分かってきたとき
(注4) 好奇心旺盛な:いろいろなことに興味を持つ
(注5) 自分を取り巻く: 自分の周りの
(注6) 感情が心に渦巻く: ここでは、感情で心が乱れる
(注7) 考えを極める.ここでは、徹底的に考える

60. ①ふと気づいたこととは、どんなことか。

1) どんなことにも疑問を持たない高校生が増えている
2) 高校生の疑問の範囲が狭くなっている。
3) 疑問の対象は世代によって異なる
4) 疑問の範囲は人によって異なる

61. ②それではダメだとあるが、なぜか。

1) 反発する気持ちを表現しなくなるから
2) 反発する気持ちが生まれるだけだから
3) 疑問が大きくなってしまうだけだから
4) 疑問を持たなくなってしまうから

62. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1) 疑問に感じたことを深く考えることが成長につながる
2) あらゆることに疑問を持つことが考えを広げる
3) 疑問を探し続けることが成長の鍵である
4) 疑問を持つことは「興味の現れ」である。

BÀI 9:
小説家で自作解説をする人がたまにいる。ぼくは『ちょっとな.......』と思う。なぜそんなに思うの
かと言うと、一つは『ぼくの自由に読ませてよ』と言いたいからだ。もう一つは自作解説ができるほど言
いたいことがはっきりしているなら、なにも小説などという回りくどい(注1) 表現形式をとる必要はなかっ
たではないかと思うからだ、はじめから評論を書けばよかったのだ。
小説は言葉を使ってこの世界に似せたイメージを作る表現形式である、世界はそれ自身では主張を
持たないから、ぼくたちは小説を『自由』に解釈でくる。それが小説を読む楽しみだ。ところが、評論
はそうではない。古典的名著ともなれば評論でもさまざまな解釈が競われるこどがあえうが、ふつうは
評論の主張ははっきりしている。『自由』に解釈すれば『誤読』となることが多い。
では、ぼくたちはなぜ評論を読むのかと言えば、それは自分の知らないことやわからないことを、知り
たいしわかりたいからだ。それが知的な虚栄心(注2) というもので、これがなくなったら精神的な『老
人』である。精神的な『若者』は、友人が本を読んだと聞けば、たとえ自分が読んでない本であっても
『読んだよ』と答えるものだ。そして、あわてふためいて(注3) 本屋さんが図書館に行って、わかっても
わからなくても一晩でそれを読んで、翌日には涼しい顔をして『そう言えば、あれはたいした本じゃな
いね』なんて言ってみるものだ、そんなふうにして、ぼくたちは教養を身につける。
ぼくは『教養』という言葉を二つの意味でとらえている。一つは知識の量で、これは多ければ多いほ
どいい。しかし、これは少し古風な教養のとらえ方である、現代ではあまりに多くの情報があふれてい
るからとても追いつけない。その上に過去のことまで知っていなければならないとしたら大変だ。もち
ろんそのための努力は大切だが、限りがある。そこで二つめの教養の意味が必要だと考えている。そ
れは、物事を考えるための座標軸(注4) をできるだけたくさん持つことだ。『たくさん』とは言っても、ぼ
くたちの思考方法にはその時代ごとに流行があるから、これは無限というわけではない。ぼくは、その
時代に必要な思考方法を身につけることを第二の教養、そして現代の教養と呼んでおきたい。この
現代の教養を身につけるために評論を読むのである。
(石原千秋『未来形の読書術』による)
(注1) 回りくどい:直接的でなくわかりにくい
(注2) 虚栄心:実際以上によく見せたいと思う心
(注3) あわてふためいて:とてもあわてて
(注4) 座標軸:ここでは、基準

71. 筆者によると、小説は読者にとってどのようなものか。
1) イメージの世界の作家の解説どおり読むもの
2) 作家の作り出した世界から主張を読み取るもの
3) 作家が描いた世界を表現どおり解釈するもの
4) 作家が表現した世界を好きなように解釈するもの
72. 精神的な『若者』とはどういう人か。
1) 教養があるのにないふりをする人
2) 教養があると思われるように評論を読む人
3) 知識のないことを恥ずかしいと思わない人
4) 知識の不足を自覚して評論を読む人
73. 筆者の言う第二の教養とは何か。
1) 多くの知識を身につけていること
2) 時代に沿った考え方ができること
3) 将来の状況を予測するような考え方ができること
4) 流行に右左されない知識を身につけていること"
BÀI 10:
真の(注1)プロと呼ばれる人たちは、他者評価ではなく、自己評価の中に生きています。彼らは、周り
の人がいくら認めても自分で認められなければ自信を持ちません。逆に他人が認めなくても、自分が
正しいと思えることに自信を持っています。
他者評価に一喜一憂して(注2) いる状態では、本当の意味で自信を獲得したとは言えないでしょう。
(注1) 真の:本物の
(注2) 一喜一憂する:喜んだり心配したりする

Câu hỏi: 真のプロについて、筆者はどのように述べているか。


1) 自己評価と他者評価が一致したときに自信を持つ。
2) 自己評価も他者評価と同じように重視している。
3) 自分で自分を認めることができれば自信が持てる。
4) 他人に自分が認められればさらに自信がつく。

BÀI 11
以下は、自分の仕事として、さまざまな地域の課題に住民とともに取り組んでいる人が書いた文章で
ある。

よく考えてみれば幼稚園のころから僕はずっとヨソモノ(注1)だったような気がする。親が転勤族だっ
たため、おおむね4年に一度は転校生になる。クラスに馴染んできた(注2)なぁ、と思ったところに引
越しすることになる。幼稚園も小学校も中学校もふたつずつ通った。そのたびに転校生としてクラスを
ヨソモノの視点から観察する。誰がクラスのボス(注3)なのか。誰と仲良くなると仲間に入れてもらいや
すいのか。誰と誰は仲が良くて、誰とは仲が悪いのか。そういうことばかり読み取ろうとしていた。自分
でも嫌な小学生だと思っていたが、そうやって自分の立ち位置を見つけなければクラスの中に入って
のが難しかった。

いかも①同じことをしているような気がする。集落(注4)へ行っては、誰が権力者(注5)なのか、誰が
正しいことをしいっているのか、誰の意見が重視されているのか。誰と誰は仲がいいのか。そんなこと
を読み取ろうとしている。そして、4年くらい経ってらその集落からいなくなる。いまでも転校生のような
生活である。

そんな少年時代だったから、「出身地はどこですか?」と聞かれるのがつらい。どこも4年間しか住ん
でいないので、出身地は適当に決めるしかない。出生地(注6)は明確だが、僕の場合は生後2年間
しかその場所に住んでいない。もちろん当時の記憶はない。
だから「ふるさと」を持つ人に対する憧れがある。「いつかは地元に戻って働きたいと思っているんだ」
「出身地を元気にしたいと思っています」という言葉を聞くたびに②羨ましくなる。逆に、ふるさとを悪く
いう言葉を聞くのはつらい。「田舎だから」「何もないから」「足を引っ張り合う(注7)」「新しいことができ
ない」。せっかくふるさとを持っているのに、それを悪いいうのはもったいない。ふるさとはいい場所で
あってほしい。だから、その手伝いがしたいと思う。どこまで行ってもヨソモノだが、その立場から少し
でもふるさとがいい状態になるように努力したい。どの場所も、たくさんの人にとってのふるさとであり
続けるのだから。

(山崎亮『コミュニティデザインの時代』による)

(注1)ヨソモノ:よそから来た人

(注2)馴染む:慣れて親しくなる

(注3)ボス:ここでは、力を持った人

(注4)集落:ここでは、村のようなところ

(注5)権力者:ここでは、力を持った人

(注6)出生地:生まれた場所

(注7)足を引っ張り合う:成功するのをじゃまし合う

Câu 1 ①同じこととあるが、集団の中でどのようなことをしているのか。

1. 仲間になれるように努力すること
2. 仲間に入らないようにすること
3. 人間関係を観察すること
4. 自分と合う人を見つけ出すこと

Câu 2 ②羨ましくなるとあるが、なぜか。
1. 自分のふるさとには嫌な思い出しかないから
2. 自分にふるさとと呼べる場所がないから
3. 自分のふるさとの記憶はあいまいだから
4. 自分にはふるさとの良さがわからないから
Câu 3: 筆者の考えに合うのはどれか。
1. みんなが自分自身のふるさとをいい場所だと思えるようにしたい
2. ヨソモノであっても、受け入れてくれるようなふるさとをつくりたい
3. 誰にとってふるさとだと思えるような理想の場所をつくりたい
4. ふるさとのない人にも、ふるさとというものの良さを伝えられるようにしたい"

Bài 12

しばしば作文にはお手本のようなものが示されることがありますが、わたしは、これはナンセンス(注)
だと思います。
文書の形式的なことならばともかく、内容にまで触れて、このように「書くべき」とか、このように書けば
評価されるというマニュアルは大敵です。なぜなら、マニュアルには、あなたにしか書けないことをす
べて否定してしまうことにつながる可能性があるからです。自分に見えるもの、少しでも人とは違って
見えるもの、それにこだわりましょう。
(注)ナンセンス:意味がないこと

Câu hỏi: お手本のようなものによって、作文はどのようになる可能性があるか。

1. 誰からも高い評価を得られやすくなる
2.文書の形式にこだわりすぎたものになる。
3.自分の視点や主張が分かりやすくなる。
4.自分にしか書けないことが書けなくなる"

BÀI 13
以下は、企業の経営について書かれた文章である。
いろんな規則や罰則(注1)を作って、社員をがんじがらめにして(注2) ひたすら働かせるというタイプの
経営者も、まあ 今時は少ないとは思うが、まだいることはいる。①そういうやり方が間違っていると思う
のは、たとえそれで社員の労働 力を物理的に 100パーセント引き出すことができたとしても、そのか
わり精神面での労動力を捨てることになるからだ。
精神面での労働力というのは、たとえば創意工夫する(注3) 能力だ。強制的に(注4)仕事をさせるやり
方では、人の創意 工夫の能力を引き出すことはできないのだ。人間の心は、自由なときにその本来
の能力を発揮する。楽しんで、興味を持って何かをしているとき、人はいろんなアイデアを思いつく。
(中略)
そして、どんな仕事であろうとも、人間のする仕事には、この創意工夫の才能が重要な役割を果た
す。一日中、ひたす らネジを締める仕事であっても、だ。どうすれば不良品を減らせるか、どうすれば
作業効率(注5)を上げられるか。たとえばQC活動(Quality Control:品質管理のこと)を通して、作業
する人が自分たちで②そういうことを積極的に考えるようになるシステムを創り上げたからこそ、日本
の製造業は世界一になれたのだ。
そしてそういう能力を引き出すためには、従業員にとって、そこで働くことが本当の意味で自分のため
になるという環 境を作ることが欠かせない。
本人の幸せと会社の業績(注6)が一致すれば、愛社精神なんてものは自然に育つ。強制なんかしな
くても、従業員はプ ライドを持って心から会社のために働こうと思う。
(島田紳助『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する一絶対に失敗しないビジネス経営哲
学』による)
(注1) 罰則:違反したときに従わなければならない規則
(注2) がんじがらめにする:ここでは、縛る
(注3) 創意工夫する:新しいアイデアを考え出す
(注4) 強制的に:無理やり
(注5) 作業効率:ここでは、作業を進める速度
(注6)業績:仕事の成果
66. ①そういうやり方が間違っていると思うのはなぜか。
1) 社員からアイデアが生まれなくなるから
2) 社員のアイデアが採用されなくなるから
3) 社員の物理的な労働力が無駄になるから
4) 社員が会社を辞めたいと思うようになるから
67. ②そういうこととは何か。
1) 仕事の楽しみ方
2) よりよい仕事の仕方
3) 単純な作業を減らす方法
4) 世界一の会社になる方法
68. 筆者によると、経営者が社員の能力を引き出すために必要なことは何か。
1) 社員に自分の能力を高める方法を教えること
2) 社員に仕事に対してプライドを持つ大切さを教えること
3) 社員が集中して仕事に取り組める環境を作ること
4) 社員自身が働き続けたいと思える環境にすること

BÀI 14
今の子どもたちは、先生に問題を出され、先生から答えを教えてもらうことに慣れてし まい, 答えばか
りか疑間さえも見つけることをしなくなってしまったのではないか。知っていることが重要だと勘違い
し、問題と答えを覚え、知識を得たことで満足してしまって いる。それでは疑問を解く過程で味わう楽
しみや、何日もかかって答えにたどり着いた時 の喜びを味わうことができない。なんだか、かわいそう
な気がする。
(小菅正夫『文藝春秋』2006年11月臨時増刊号による)
Câu hỏi: 今の子どもたちについて、筆者はどのように考えているか。
1) 知識を得るための努力をしない。
2) 知識が豊富なので暴間を感じにくい。
3) 軽間を解く楽しみや喜びを知らない。
4) 疑問があっても答えが見つけられない。

(2) 以下は、上司が部下の中島さんに工場見学の受け入れ準備について指示したものである。
<工場見学受け入れ準備>
見学日時:12月18日(金) 10時~12時 見学者:池内日本語学校(20名)
●12月10日(木)までに見学当日使用の会議室Aの予約 ●
12月11日(金) 池内日本語学校(関口先生)との事前打ち合わせ 時間:11時~12時 場所:会議室B (予約
不要) 確認すること:見学者の日本語レベル見学者の日本語レベル会社案内パンフレットの言語(日
本語か英語か)
●12月17日(木)までに会社案内パンフレットの準備(20部)
●12月18日(金)9時半までに会議室Aの準備(テーブル、いす、会社案内パンフレット)

Câu hỏi : 中島さんが準備すべきこととして、合っているのはどれか?


1) 12月10日に見学者の日本語レベルを確認する。
2) 12月11日までに会議室Aを予約する。
3) 12月17日までに会社案内パンフレットを準備する。
4) 12月18日に会議室Bのテーブルやいすなどを準備する。

BÀI 14.5
動物は、ふつう常温のものを食べています。ところが、ヒトは冷めた料理はおいしくないというように、
常温の料理を好みません。むしろ、熱くした料理や、冷たくした料理を好みます。ヒトは、辛い味、強
烈な(注)におい、熱い、冷たいなど、あらゆる手段を使って、食欲を刺激する工夫をしてきたのです。
こうした言い方は、ヒトと動物のちがいを強調したものですが、べつの言い方をすれば、これが人の食
文化をつくってきたのです。

(栗原堅三 [うま味って何だろう】 による)


(注)強烈な:強い
Câu hỏi: これとは何か。

1) 常温の料理を好んで食べたこと
2) 食べたいと思えるように工夫をしてきたこと
3) 一人一人の好みに合わせて料理してきたこと
4) ヒトと動物とのちがいを意識して料理してきたこと

Bài 15
以下は、ある企業の経営者の考えである。
会社を大きくしていくためには、私自身、やはり自分ができないことがたくさんあるのは分かっていま
すから、いろいろとスタッフに要求していかなければ達成できないんです。自分じゃ到底できないこと
も、「できるはずです」と要求していかないと、私の能力 が組織の能力の天井(注1)になってしまいま
す。ですから、私がすべてのマネージャー に伝えているのは、「自分のことを棚に上げて(注2),スタッ
フに要求すべきことは要 求してください」ということです。

(日本放送協会・日本放送出版協会(NHK出版)編 『NHK仕事学のすすめ2010年 10-11月号』による)

(注1)能力の天井:能力の限界
(注2)自分のことを棚に上げて:ここでは、自分ができるかどうかに間係なく

CÂU HỎI:

筆者がマネージャーに言いたいことは何か。

1) マネージャーの能力を超えている仕事もスタッフにさせるべきだ。
2) マネージャーより能力の高いスタッフを集めるべきだ。
3) スタッフの能力に合わせて達成できることを要求すべきだ。
4) スタッフの能力の限界まで仕事をさせるべきだ。
Bài 16
最近、ある中学校が有名になりました。この学校は丘の上にあり、周りは急な斜面になっています。こ
の斜面は人が入りにくく、草取りができないため、草がたくさん生えて虫も増え、みんな困っていまし
た。
そこで、学校は①この問題を解決するために面白い方法を考えました。1年に2回、1か月ずつ羊を借
りてきて草を食べさせるのです。
去年の春、初めて4頭の羊が来ました。羊はどんどん草を食べたので、土地はすぐにきれいになりま
した。羊は秋にも来ましたが、②春とは違うことがありました。来た羊は春と同じでしたが、草が減るの
が遅かったのです。秋の草は少し硬くて食べにくかったようです。でも、しばらくすると土地はまたきれ
いになりました。
羊が来てよかったことは、③土地がきれいになったことだけではありません。近所の人たちが毎日羊
を見に来るようになり、ふだんは話す機会の少ない中学生たちとも次第に交流が生まれていったので
す。
みんな、次に羊が来るのを楽しみにしています。
(注)斜面:ここでは、坂のように二斜めになっている土地

①この問題とあるが、どのような問題か。
1. 中学校の周りの土地に虫がたくさんいるので、草取りがしにくいこと
2. 中学校の周りの土地が、入りにくくて草取りができないこと
3. 中学校の周りの土地の草が、いくら取ってもすぐ生えてきてしまうこと
4. 中学校の周りの土地に生えている草を、羊が食べてしまうこと
②春とは違うこととあるが、それは何か。
1. 羊が来るのが予定より遅かったこと
2. 羊が春ほど早く草を食べなかったこと
3. 来た羊の数が予定より少なかったこと
4. 春に来た羊とは違う羊が来たこと
③土地がきれいになったことだけではありませんとあるが、ほかにどのような効果があったのか。
1. 近所の人たちと中学生が、だんだん交流をするようになった。
2. 近所の人たちや中学生が、自分も羊が飼いたいと思うようになった。
3. 近所の人たちや中学生が、自分の家の庭の草取りをするようになった。
4. 近所の人たちと中学生が、羊との交流を一年中楽しむようになった。"

Bài 17
そもそも働くとは「得る」ことなのでしょうか。
私たちは働くとき、何らかの社会的役割を担って(注1)いて、その役割に応じた結果が求められま
す。そして、期待に応えたときに得られるものが報酬(注2)や自身の成長です。要するに、私たちは
働くとき「得る」前に求められているものを「与える」ことになります。仕事の本質(注3)は得ることでは
なく、自分に求められているものを人に与える、すなわち「人の役に立つ」ことなのです。

(山藤賢『社会人になるということ』による)

(注1)担う:持つ

(注2)報酬:ここでは、給料

(注3)本質:本来の性質

Câu hỏi 筆者によると、働くとはどういうことか。

仕事で得たものを人に与えること
自身の社会的役割を探すこと
社会から期待された役割を果たすこと
自身の成長を求めること

Bài 18 :
人生はいつも旅になぞらえられる(注1)。

人は人生という旅路を、地図もなく歩いている。誰(注2)しもそうだし、それが人間としては自然な姿
である。人生に地図などあるわけがない。なのに人は、人生の地図をもとうとするのが常だ。

暗闇の中を歩くのが不安で仕様がないのだ。迷ってしまった時の恐怖を想像したくないからだ。

そして自分の地図には、人生の設計図としてわがままな道程(注3)が記されている。三十歳までには
結婚し、三十五歳頃には二人の子どもをもつ。四十歳には課長になり、五十歳までには何とか部長
に昇進(注4)する。

(中略)
人生の地図に描かれた道を、その通りに歩むことができるなら、そんなに楽なことはない。一度も脇道
にそれずに、ただまっすぐに歩くことができるのなら、人は何も悩まなくても済むだろう。そんな人生を
送る人間は、おそらくこの世に一人もいない。もしそういう人間がいるのだとしたら、それはその人間
の人生ではない。その人生は他人から与えられたものに過ぎない。

五十歳の時には部長になっている。これは今という現在地から見た目標であろう。目標をもつことはも
ちろん大切なことだ。しかし、その目標へ辿り着く道は決して一本ではない。五十歳という現在地に
立った時、もし部長になっていなければどうするのか。一枚の地図しか持っていない人、あるいは決
して地図を書き変えようとしない人は、そこで人生の現在地を見失って(注5)しまうだろう。「今、自分
はこの場所にいるはずなのに、全く違う所に来てしまった」と、そんな思いにとらわれ(注6)てしまい、
行くべき道も見失ってしまうのである。

地図をもたない人生が不安であるならば、地図をもてばいいだけのことだ。しかし、その一枚の地図
にこだわってはならない。常に現在地を確認しながら、どんどん地図を書き変えていくことだ。

少し脇道に入ってしまったのなら、その脇道を歩いてみればいい。無理をして元の道に戻ろうとして
も、余計に迷うだけだ。脇道を歩いているうちに、いつの間にか元の道に戻ることもあるだろうし、また
別の大通りに出会うこともあるだろう。人生には数え切れないほどの道があることを知っておいたほう
がいい。今いる場所さえしっかりと認識(注7)できていれば、人はどんな道だって歩いていくことがで
きるものだ。

(立松平和『人生の現在地---まだまだ迷っているぞ、私は。』による)

(注1)なぞらえられる:たとえられる

(注2)誰しも:誰でも

(注3)道程:ここでは、道

(注4)昇進する:出世する

(注5)~を見失う:~がわからなくなる

(注6)とらわれる:縛られる

(注7)認識できる:わかる
Câu 1 筆者によると、なぜ人は人生の地図をもとうとするのか。

1. 行くべき道がわからないと不安だから
2. 人間として自然な姿だから
3. 早く目標に到達しないと不安になるから
4. 希望通りの人生を送りたいから

Câu 2 その人生とは、どのような人生か。

1. 他人と同じような道を歩む人生
2. 地図通りの道を歩む人生
3. 道に迷いながら歩んでいく人生
4. 地図に頼らずにまっすぐに歩む人生

Câu 3:
この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1. 人生は行き先を決めれば、道に迷わずに自身の力で歩んでいける。
2. 人生の可能性を広げるには、地図にない道を進むべきだ。
3. たくさんの地図を用意しておけば、人生で道に迷う心配がない。
4. 人生は現在地さえわかっていれば、新たな道を進むことができる。

Bài 19
人間はみんな「自分はこのような人間だ」というイメージを持っています。これを自己イメージといいま
す。ある人に会った人は、その人のイメージを持ちます。これを他者イメージといいます。継続的な人
間関係があると、相手のイメージが固定してきます。自己イメージと他者からの自分に対するイメージ
に乖離(注1)が大きいと、人間関係に障害が生じます。自分は無口だと思っているのに、他人からは
おしゃべりだと思われていたら、そこには誤解が生じているので、誤解した人間関係が生まれるので
す。

「自分は他人から誤解されやすい人間だ」と感じる人は、自己イメージと他者からのイメージに乖離が
あるのです。誤解はどうして生じるかというと、自分の方は自分の心の持ち方で判断しているのに対し
て、他者はその人の行動から判断しているからです。(中略)他人のことは、外から見えることでしか
判断できませんが、自分のことは、見えること(行動)と見えないこと(心の内)とによって、判断してい
るのです。誤解されやすいと感じている人は、だから、自分の行動と思いに乖離があるのです。思い
をそのまま行動に移せていないのです。ときには、思いと反対の行動をしていることさえあるのです。

思いが行動に移せていないときは、誤解されるだけでなく、ストレスが溜まります。ストレスは思いが伝
わらなかったり、発散(注2)できなかったりするときに生じるのです。自己イメージと他者からのイメー
ジの乖離を解消するには、自分の心に一致した行動を取るか、行動の方を自分がしたいからそうして
いるのだと認めることです。

(東山紘久『悩みのコントロール術』による)

(注1)乖離:離れていること

(注2)発散:外へ出すこと

Câu 1: 自己イメージと他者からのイメージについて、筆者の考えに合うものはどれか。

自己イメージと他者からのイメージが離れていると、人間関係に問題が起こる。
自己イメージは、他者からのイメージの影響を受けて変化する。
自己イメージは、他者からのイメージとは異なるものだ。
自己イメージと他者からのイメージは、人間関係の長さによって変化する。

Câu 2 筆者によると、他人から誤解されるのはなぜか。

自身の行動を他人の判断基準に合わせようとするから
自身の思いをそのまま行動に移してしまうから
自身と他人では判断基準が違うから
自身と他人の思いは反対の場合があるから

Câu 3:
筆者の考えに合うものはどれか。

自身の思いと行動を一致させれば、ストレスが溜まらない。
自身の思いと反対の行動をしたときに、ストレスが最大になる。
自身の思いを行動に移そうとすると、ストレスが溜まる。
自身の思いより行動を大切にする方が、ストレスが溜まらない。"
Bài 20:
以下は、小中学校での法教育について書かれた文章である。
すべての法律を小さいころから学習していくことは不可能なことですが、法的な考え方(リーガルマイ
ンド)を身につけることで、自分で考え・調べ、自分で解決する能力は格段(注1)に高まります。

法教育というとどうしても、「法律を教える」と考えがちですが、それだけが法教育ではないのは、言う
までもありません(注2)。クラスのみんなで、クラスの問題点を洗い出し、どうすれば解決できるのか。
そして、それを解決するため、また、再発させないためにはどのようなルールが必要か、ということを話
し合い、みんなで民主的に(注3)ルールを作っていくこともまさに法教育の一つの姿です。

さまざまなルール(法)は民主的に作られ、約束事契約は当事者(注4)の合意(注5)により締結される
(注6)といった、法の基本的なところを身をもって体験することができます。

また、新聞を多用し、時事的なニュースを使った法教育も効果があります。憲法改正、選挙の問題、
消費者問題などは、それだけを教えようとするとつまらないものですが、新聞などを使った旬の(注7)
話になると、子供たちの興味も惹きやすくなります。自分自身のことと考えることができるかどうかは、
理解のスピードに大きな差を生みますが、具体的な「今」問題となっている事例は、その点、すぐれた
教材となります。

(にへいひろし(二瓶裕史)『これだけは知っておきたい人生に必要な法律』による)

(注1)格段に:非常に

(注2)言うまでもない:当然だ

(注3)民主的に:ここでは、了解し合って

(注4)当事者:直接関係している人

(注5)合意:意思が一致すること

(注6)締結される:ここでは、成立する

(注7)旬の:今話題になっている
Câu 1: 法教育の一つの姿として、本文で挙げられている例はどれか。

クラスの問題について話し合い、必要なルールを決めること
身近な法律を取り上げて、易しい言葉で教えること
法律が必要かどうかについてクラスで話し合うこと
学校のルールがなぜ作られたかを調べること

Câu 2: 筆者によると、新聞を使うといいのはなぜか。

今問題となっていることは、自分のこととして考えやすいから
身近な問題だけでなく、社会全体の問題も扱っているから
問題点が簡潔にまとめられていて、早く理解できるから
憲法などの法の基本的なことが多く取り上げられているから

Câu 3: 小さいころから法教育をすることの利点について、筆者はどのように述べているか。

問題を解決する能力が身につけられる。
勉強の内容を理解するスピードが速くなる。
法律に興味を持つようになる。
法を守る人間に育つ。

Bài 21:
"以下は、ある会社で回覧された文書である。
2017年6月12日

社員各位

会計課長

三村株式会社製「はさみSB-A」の回収・交換について

三村株式会社より、「はさみSB-A」に欠陥が発見されたため全製品を回収し、交換を行うとの発表が
ありました。
会計課で調べたところ購入記録がありましたので、三村株式会社に交換を依頼します。つきまして
は、各課で「はさみSB-A」をまとめて会計課までお持ちください。

6月22日(木)に発送を予定しているため、必ず6月21日(水)までにお持ちください。

ご協力よろしくお願いいたします。

以上

「はさみSB-A」について、各課はどうするように言われているか。

すべてを、6月22日までに三村株式会社に発送する。
すべてを、6月21日までに会計課に渡す。
欠陥があるものを、6月22日までに三村株式会社に発送する。
欠陥があるものを、6月21日までに会計課に渡す。

Bài 22’

次の Aと B の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・ 2・3・4 から一つ選びな


さい。

「A」

かつては、演劇の公演は生で鑑賞することが一般的だったが、最近は、自宅で公演のビデオやDVD
を鑑賞する人が増えている。これらの映像は、何台ものカメラを使い、出演者の表情を近くから映した
りステージ全体をとらえたりしているので、会場に行かなくても十分に楽しめるというのだ。

しかし、生の公演を鑑賞することの良さの一つに、自分の視点で楽しめるということがある。ビデオや
DVDの映像は他人の視点で切り取られたものなので、自分が本当に見たい部分だとは限らない。私
はやはり生で、好きな出演者の姿を追い続けるなど自由に鑑賞するのが面白いと思う。

「B」
先日、劇場で演劇を鑑賞する機会があった。久しぶりに生で鑑賞して、会場でしか得られないものが
あると気づいた。それは出演者と観客との一体感から生まれる感動だ。出演者の素晴らしい演技を
見て、観客が泣いたり笑ったりする。

観客が出演者に声援を送ることもある。このように会場が一つになったときの感動は、その場にいる
人にしか得られない特別な感動だろう。

最近は、多くの公演がインターネットやDVDなどで自宅でも鑑賞できるようになった。自宅で鑑賞する
ほうが楽だと言って、生の公演を鑑賞しない人も増えている。しかし自宅での鑑賞では、演技の素晴
らしさは分かっても、会場の一体感は感じられない。私はあの感動を味わうため、またぜひ生の公演
を鑑賞したいと思う。

最近の演劇の鑑賞のしかたについて、AとBで共通して述べられている変化は何か。

1. 生で鑑賞するだけでなく、自宅でも鑑賞する人が増えている。
2. 自宅で鑑賞するのを好む人が増えている。
3. 生で鑑賞しなければ楽しめないという人が増えている。
4. 自宅で鑑賞しても生で鑑賞しても同じだという人が増えている。

生で演劇を鑑賞することの良さについて、AとBはどのように述べているか。

1. AもBも、思いがけない発見があることだと述べている。
2. Aは自身の視点で鑑賞できることだと述べ、Bは出演者と観客との一体感を味わえることだと
述べている。
3. AもBも、会場独特の緊張感が伝わってくることだと述べている。
4. Aは見たいものを自由に鑑賞できることだと述べ、Bは出演者の演技の素晴らしさが実感でき
ることだと述べている。

Bai 23
以下は、ある図書館に届いたメールである。
村中市立南図書館 ご担当者様

自習室をいつも利用している者ですが、お願いがあってメールしました。
最近、大声で話しながら作業をしているグループが増えており、自分の調べものに集中できず困って
います。図書館の資料を利用して調べものをしているようなので、注意することもできません。グルー
プ用の自習室を別に作るなどの対処をしていただくことはできないでしょうか。

ご検討どうぞよろしくお願いいたします。

鈴木正子

Câu hỏi:
このメールを書いた人は、自習室のどのような問題を指摘しているか。

図書館の資料を使わずに作業しているグループがあること
利用者がグループで調べものをしていること
グループ用の自習室を適切に使用していないこと
話しながら作業しているグループが多いこと"

Bài 24
笑顔がこころと体の健康に大事な役割を果たしていることが、多くの研究からわかってきている。笑顔
はこころの健康指標(注)になる。笑顔が出るのは、それだけ幸せだと感じているからだ。

一方、笑顔になると幸せだという気持ちがわいてくるということもわかっている。同じ漫画を、意図的に
笑顔を作って読んだときと、厳しい顔をして読んだときとでは、笑顔で読んだときの方が面白いという
評価が高くなる。つまり笑顔になると、入ってくる情報がプラスの方面に偏るのだ。

(大野裕日本経済新聞2015年4月3日付夕刊による)

(注)健康指標:健康の程度を示すもの

Câu hỏi:
笑顔について、筆者はどのように述べているか。

幸せだと感じていなければ、笑顔にはなれない。
笑顔でいれば、周りの人にプラスの印象を与える。
作った笑顔であっても、幸せな気持ちになれる。
自然な笑顔は、作った笑顔よりも幸せな感情を伝える。"

Bài 25:
以下は、コーヒー豆の販売会社から届いたはがきである。
東京都橋谷市南 3-15-8-302

マリア・スミス 様

ーーーー割引フェアのご案内ーーーー

いつも「野田コーヒー」をご愛飲くださいまして、ありがとうございます。

コーヒー豆を定期購入されているお客様に、お得な割引フェアについてご案内いたします。

当社ではこの冬、新商品「冬の味わい」を発売します。定期購入をされているお客様には、この商品
を15%割引の特別価格でご提供いたします。購入を希望される方は、10月中にご予約ください。

なお、すでにご案内しておりますとおり、定期購入をされているお客様は、その他の全商品がいつで
も1的割引でお求めいただけます。あわせてご利用ください。

商品の詳細・ご注文方法につきましては、裏面をご覧ください。

このはがきで紹介されている割引サービスについて正しいものはどれか。

1. コーヒー豆を定期購入している人は、10月中だけ「冬の味わい」を10%割引で買うことができ
る。
2. コーヒー豆を定期購入している人が10月中に「冬の味わい」を予約すれば、15%割引で買うこ
とができる。
3. 「冬の味わい」を10月中に予約すれば、その他の商品をすべて15%割引で買うことができる。
4. 「冬の味わい」を買った人は、10月中だけその他の商品をすべて10%割引で買うことができ
る。"
Bài 26
2000年から2001年にかけて、全国紙として有名な新聞が、基本の活字を少し大きなものに変えまし
た。地方紙も同じだったと思います。高齢者人口の増加が原因でしょうが、新聞を読む人の総数の中
で、老眼鏡(注1)を必要とする人の割合が増えたからです。

新聞だって「お客様は神様」でしょうから、その「神様」のニーズに沿って紙面を変えるということは、と
うぜんのことです。その案内の記事では、これまでの活字と新しい活字を比較して、いかに見やすく
なったかがしめされていて、わかりやすく納得できるものでした。そして、各社ほとんど同じことを書い
ていたと思いますが、紙面の大きさは変えないわけだから、「文字が大きくなった分、文字数を減らさ
ねばなりません。そこで、記事は要点をおさえ(注2)簡略化して適切化をはかる(注3)」というような説
明になっていました。なるほどと思う一方、①これまではそうでなかったのかなとも思いました。

大きな活字の本も出まわるようになってきました。とくに辞書は同じ内容で同じデザインで大きな版
(注4)のものが出て、老眼鏡なしでも利用できるとありがたがられています。ただサイズが大きくなった
分、大きく重いという欠点もありますが、その快適さに換えられないという人には②問題になりません。

(光野有次『みんなでつくるバリアフリー』による)

(注1)老眼鏡ろうがんきょう:年をとって近くが見えにくくなった人のための眼鏡
(注2)要点をおさえる:要点をつかむ
(注3)適切化をはかる:適切になるようにする
(注4)はん版:ここでは、サイズ

Câu 1: 新聞の文字が大きくなった理由は何か。

1. 文字を大きくすることで要点がわかりやすくなること
2. 小さい文字が読みにくい高齢の読者が多くなったこと
3. 紙面に余裕ができるように記事の表現を簡略化したこと
4. 高齢者から情報を絞ったほうがよいという意見があったこと

Câu 2 ①これまではそうでなかったとは、どういう意味か。

1. 以前の紙面は活字の大きさを内容ほど重視していなかった。
2. 以前の紙面は高齢の読者のニーズに十分こたえていなかった。
3. 以前の紙面は重要な情報が簡潔にまとめて書かれていなかった。
4. 以前の紙面は読者が納得できるほど詳しく説明していなかった。

Câu 3 ②問題になりませんとあるが、何が問題にならないのか。

1. 本を軽くするために活字が小さくなったこと
2. ろう老がん眼きょう鏡を持っていないと少し読みにくいこと
3. 活字が大きくなって情報が少しだけ減ったこと
4. 文字が拡大されて辞書が以前より重くなったこと"

Bài 27
①面接の準備をする作業は自分自身を見つめ直すいいきっかけになると私は思います。自分って要
するになんなんだろう?何が人と違って、どこが優れているんだろう?普段は自分自身のことをそこま
で考えないでしょうが、面接に臨む(注1)ためには、自分で自分を的確に語れるようになっていなくて
はダメです。それも短い的確な言葉に絞り込まなければなりません。

新聞記事をよく見てください。太い大見出しというのは10文字以下です。あれがニュースです。世界
中に起きていること、国会で起きていること、大きな事件、それらをたった10文字以下で表現している
のです。

一日の国会でどれだけたくさんの論戦が戦わされていることでしょう。その事実だけを列挙(注2)して
も新聞にはなりません。すべてを書かれても、読み手はそのすべてを受け取ることもできません。そこ
で記者が膨大な事実の中からニュースと判断されるものを探し出し、たった一言でまとめてしまう、そ
れがニュースであり、大見出しなのです。

(中略)

面接で自分を語るということは②自分自身を見出しにするということです。自分の人生という長く膨大
な時の流れと経験の数々、その都度(注3)、心に去来した(注4)ありとあらゆる(注5)思い、それを
たったヒトコト(注6)で表現するのです。ヒトコトなんかじゃ語れないことは分かっています。でも、ヒトコ
トで語らなければならないのです。

(黒石祐治「メッセージを高める黒石の法則」による)

(注1)面接に臨む:面接を受ける
(注2)列挙する:並べる

(注3)その都度:そのたびに

(注4)心に去来する:ここでは、心に浮かぶ

(注5)ありとあらゆる:すべての

(注6)ヒトコト:普通「一言」と書く

①面接の準備をする作業について、筆者はどのように考えているか。

1. 人とは違う優れた能力を発見することにつながる
2. 自分のことをありのままに語れるようになる
3. 自分の本当にしたいことが見えてくるようになる
4. 自分のことをよりよく知ることにつながる
面接と新聞の共通点は何か。

1. 伝えたいことを選んで簡潔に伝えなければならない
2. 相手が何を知りたいかを考えて伝えなければならない
3. 実際にあったことだけを伝えなければならない
4. できるだけ多くのことを正確に伝えなければならない
②自分自身を見出しにするとあるが、どういうことか。

1. 自身の経験を時の流れに沿って分かりやすく説明する
2. これまで生きてきた自分について短く的確に語る
3. 自身にとっての大きな出来事をまとめて説明する
4. これまでの人生で感動したことを印象的に伝える"

Bài 28:
これはビジネス文書に限ったことではないのだが、何であれ文書を書いていると、少しばかり緊張感
を覚えるものだ。書きながら、頭の中でこんなことを考えている。
この書き方でいいのかな。

これ、ひどく下手な書き方じゃないだろうか。

これでわかるかな。 テキスト

そういう気がしきりに(注1)して、ちょっとしたプレッシャーになっている。だからこそ、文章を書くのは
苦手だ、と思っている人もいるのじゃないだろうか。

しかし、その逆もまた真である。文章を書く面白さとは、そういうプレッシャーを感じながら、なんとか諸
問題をクリアして、一応のものを書き上げることにあるのだ。

テレビゲームが楽しいのと同じ理屈(注2)である。あれは、攻略する(注3)のが簡単ではない様々な
障害をかわしながら(注4)、次々に問題を解決していって、なんとかクリアしていくところが面白いので
ある。むずかしいからこそ、うまくやったときに楽しいのだ。

文章を書くのも、①そういうことである。これでいいのかな、と一抹いちまつの(注5)不安を抱えなが
ら、なんとか書いていくってことを楽しまなければならない。

別の言い方にすると、文章というものは、書く人に対して、うまく書いてくれ、と要求してくるのである。
なぜなら、文章とは人と人とのコミュニケーションの道具だからだ。この例外は、自分だけにわかれば
いいメモと、絶対に他人に見せない日記だけである。

それ以外の文章は、必ず、書く人間のほかに、②読む人間がいて完成されるのだ。そして、書いた人
の伝えたかったことが、読んだ人にちゃんとわかってこそ、文章は役をはたしたことになる。

(清水義範『スラスラ書ける!ビジネス文書』による)

(注1)しきりに:何度も
(注2)理屈:ここでは、考え方
(注3)攻略(こうりゃく)する:うまく解決する
(注4)かわしながら:避けながら
(注5)一抹の:ほんの少しの

筆者は、文章を書くときに何がプレッシャーになっていると述べているか。
1. このまま最後まで書き上げられるか不安だという気持ち
2. 読む人が期待する書き方をしているかという気持ち
3. 自分は字を書くのが下手だから嫌だという気持ち
4. 書きたいことがうまく書けているかという気持ち

①そういうことであるとはどういうことか。

1. 様々な障害をクリアしていくことがむずかしい。
2. プレッシャーを忘れ、いろいろ考えるのが楽しい。
3. 苦労して問題を片付け、課題を仕上げるのが楽しい。
4. 不安を抱えたままでは問題を解決するのがむずかしい。
②読む人間がいて完成されるとはどういうことか。

1. 文章の価値を決めるのは読み手の存在だ。
2. 文章が成立するには読み手の存在が必要だ。
3. 文章は人に読まれることでよりよいものになる。
4. 文章は読み手の要求にこたえることでできあがる。"

Bài 29:
つぎの文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。
皆さんは寄付をしたことがあるだろうか。異常気象で食べる物が不足して困っている人や、地震で家
を失った人のためにわずかながらもお小遣いから寄付した経験を持つ人は多いだろう。その寄付に
対する考え方に、今、新しい動きが起こっている。

ある会社では、社員食堂で低カロリーの定食を食べると代金の一部が寄付金となって途上国(注)の
子供たちの食生活を支援する、というシステムを取り入れている。社員としては体調管理につながる
だけでなく、人を助けることができ、会社としては社員の健康を支えながら社会貢献ができるので、社
員にとっても会社にとっても一石二鳥というわけだ。

また、「寄付つき」の商品を販売する企業も増えている。特定の商品を買うと売り上げの一部が寄付さ
れるというもので、他の商品と比べるとやや値段は高いが、商品を買えば、同時に寄付できるという手
軽さが消費者に歓迎され、売り上げを伸ばしているという。

これまでの寄付はわざわざ募金の場所へ足を運んだり、銀行からお金を振り込んだりしなければなら
ないものが多く、社会貢献に関心はあっても寄付をするのは面倒だと実際の行動には移さない人も
少なくなかった。そこに目をつけたのが新しい寄付の形で、これまでと比べ手軽に寄付できるようにな
り、社会貢献がしやすくなった。さらに、企業にとっても自社のイメージの向上や売り上げの増加など
メリットの多い取り組みとなっている。

このように寄付は慈善のためというばかりでなく、寄付をする側にもプラスになる活動としてとらえ直さ
れ始めている。

(注)途上国:経済成長の途中にある国
Câu 1:
社員食堂で低カロリーの定食を食べることがどんな良い結果につながるのか。

1. 社員の健康が守られ、社会の役に立つことにもなる。
2. 社員に定食代の一部が返金され、寄付をする余裕ができる。
3. 会社で寄付が日常のことになり、食生活に対する意識も高まる。
4. 会社は社会の役に立つことができ、食堂の経費の節約にもなる。
この文章では、これまでの寄付にはどのような問題があったと述べているか。

1. 寄付をする方法があまり知られていない。
2. 寄付をすることが社会的に評価されにくい。
3. 寄付をするのに手間がかかるシステムである。
4. 寄付をするためには経済的に余裕がなければならない。

この文章における新しい寄付とはどういうものか。

1. 企業が社員や消費者の意思にかかわりなく積極的に行うもの
2. 企業が慈善(じぜん)事業のためではなく利益(りえき)を上げるために行うもの
3. 社員や消費者が手軽に寄付ができて企業側にも利点があるもの
4. 社員や消費者が気がつかないうちに社会貢献に参加できるもの

BÀI 30
つぎの文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。
皆さんは寄付をしたことがあるだろうか。異常気象で食べる物が不足して困っている人や、地震で家
を失った人のためにわずかながらもお小遣いから寄付した経験を持つ人は多いだろう。その寄付に
対する考え方に、今、新しい動きが起こっている。

ある会社では、社員食堂で低カロリーの定食を食べると代金の一部が寄付金となって途上国(注)の
子供たちの食生活を支援する、というシステムを取り入れている。社員としては体調管理につながる
だけでなく、人を助けることができ、会社としては社員の健康を支えながら社会貢献ができるので、社
員にとっても会社にとっても一石二鳥というわけだ。

また、「寄付つき」の商品を販売する企業も増えている。特定の商品を買うと売り上げの一部が寄付さ
れるというもので、他の商品と比べるとやや値段は高いが、商品を買えば、同時に寄付できるという手
軽さが消費者に歓迎され、売り上げを伸ばしているという。

これまでの寄付はわざわざ募金の場所へ足を運んだり、銀行からお金を振り込んだりしなければなら
ないものが多く、社会貢献に関心はあっても寄付をするのは面倒だと実際の行動には移さない人も
少なくなかった。そこに目をつけたのが新しい寄付の形で、これまでと比べ手軽に寄付できるようにな
り、社会貢献がしやすくなった。さらに、企業にとっても自社のイメージの向上や売り上げの増加など
メリットの多い取り組みとなっている。

Câu 1:
社員食堂で低カロリーの定食を食べることがどんな良い結果につながるのか。

1. 社員の健康が守られ、社会の役に立つことにもなる。
2. 社員に定食代の一部が返金され、寄付をする余裕ができる。
3. 会社で寄付が日常のことになり、食生活に対する意識も高まる。
4. 会社は社会の役に立つことができ、食堂の経費の節約にもなる。

Câu 2:
この文章では、これまでの寄付にはどのような問題があったと述べているか。
Từ trước đến nay, quyên góp gặp phải vấn đề như thế nào ?

1. 寄付をする方法があまり知られていない。
2. 寄付をすることが社会的に評価されにくい。
3. 寄付をするのに手間がかかるシステムである。
4. 寄付をするためには経済的に余裕がなければならない。

Câu 3:
この文章における新しい寄付とはどういうものか。

1. 企業が社員や消費者の意思にかかわりなく積極的に行うもの
2. 企業が慈善(じぜん)事業のためではなく利益(りえき)を上げるために行うもの
3. 社員や消費者が手軽に寄付ができて企業側にも利点があるもの
4. 社員や消費者が気がつかないうちに社会貢献に参加できるもの

BÀI 31:
外の世界に触れずにいると、人はそれまで与えられてきたひとつの価値観を持ち、そこから脱出しよ
うとしないことが多い。固定した価値観を持ってしまう。少なくとも、自分の狭い体験のみによって価値
観を築いていく。

だが、読書をして教養を身につけることで、自分という一人の人間の経験や考えを中心にしながら
も、それを絶対視せず、ものごとを相対化しつつ考えることが可能になる。

確かに、初めのうち、新たに本を読むたびに新しい価値観に触れ、自分の価値観がぐらついてくるこ
とがあるだろう。読んだ本のすべてに感心し、自分の考えが曖昧になってくるわけだ。あれこれと知識
が増えてしまって、何を信じればよいのかわからなくなってくる。

だが、多くの本を読むうち、そのような時期は過ぎていく。だんだんと特定の本に感化されるように
なってくる。そして、それに対立する本に反発を感じるようになってくる。すなわち、だんだんと自分の
考えが明確になっていく。

そうなると、本を読む前の固定的な価値観とは異なってくる。狭い自分の体験だけから判断するので
はなく、反対意見も踏まえ、別の考え以下は、ある作家が書いた文章である。人に対して好き嫌いの
感情を持つことは誰にもあることだ。それを否定することはない。だが、好きな人とばかりつきあってビ
ジネス生活を送ることははっきり言って不可能なのである。

分析してみると、好きな人とはつまり話が合う人で、自分と考え方が似ているケースが多い。そして、
嫌いな人とは考え方が合わない人がほとんど。嫌い、もしくは(注1)考え方が合わない人は、自分と
は違う発想をしているわけで、じっくり話を聞いてみると、面白い見方、魅力ある発見を教えてくれるこ
とがある。
私自身、取材をしていて、最初は「感じ悪いな、こいつは」と思った人物が話をしていくうちに、「なる
ほど」といった情報を教えてくれたことがある。そうすると、取材が終わったころには、「この人はいい人
だ」と判断を変えてしまうのだから、人間の好悪の感情なんて実にいい加減なものだ。

初めての人に会ったときは好き嫌いの感情を抜きにすること。素直に人を見て、話を聞いて、そして、
面白い話を聞くことができたら相手に共感する(注2)。そうすると人は謙虚になっていく。なんといって
も仕事に役立つヒントをもらったわけだから、相手を尊敬するようになる。それが続くうちに人は出会っ
た相手を尊重し、関係を大切にする人間に変わっていく。そういった人間になってしまえば、他人か
らも信頼されるし親しまれるだろう。

(注1)もしくは:または

(注2)~に共感する:〜と同じように感じる

嫌いな人と話すことについて、筆者はどのように述べているか。

1. 自身の考え方の間違いを指摘してくれるので、話したほうがいい。
2. 好き嫌いの感情を持つのは当然なので、積極的に話す必要はない。
3. 話す機会が増えるにつれて、だんだん考え方が似てくる。
4. 話してみると、自身とは違う見方や発見を得られる。

筆者が取材の体験を通してわかったことは何か。

1. 相手に対する好き嫌いの感情は人それぞれだ。
2. 話を聞くうちに、どんな相手もいい人だと思えるようになる。
3. いい人だと思って話せば、相手から役立つ情報が得られる。
4. 相手に対する好き嫌いの感情は変わることがある。

筆者の言いたいことは何か。

1. 初対面のときの感情を大切にしなければ、相手といい関係を築けない。
2. 初対面のときは相手に好き嫌いの感情を持たないほうがいい。
3. 謙虚な態度でつきあっていれば、相手から尊敬されるようになる。
4. 相手から信頼されるには好き嫌いの感情を素直に表すことが必要だ。"
BÀI 32
"個性の重視ということが注目されるようになって以来、「子どもの興味を尊重し、一人ひとりの子ども
が興味を持つこと、『やってみたい』と言うことを好きにやらせることが、個性の重視である」という解釈
が広がりました。しかしその結果、社会生活上のしきたり(注1)や習慣を教える機会を失ったと悩む教
師と、好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったということはないでしょうか。個性の重視
とは、「二人と同じ人間はいない、つまり人は一人ひとり異なる存在である。だから、一人ひとりが異
なった興味や価値観を持つのは当然である」という考え方を肯定する人間観を意味しているのです。

(中略)

子どもの興味や関心は日々変化する可能性があります。しかし、なんらか(注2)の形でその対象を知
る機会がなかったなら、興味を持つこともないのです。小学生はまだまだ経験の幅が狭いものです。
ですから、おのずと(注3)興味や関心を持つ対象も、非常に限られた範囲のものになります。さまざま
なものに興味を持つのを待つばかりでなく、興味が持てるように、さまざまな体験ができるようにするこ
とが大切です。

(渡辺三枝子『キャリア教育――自立していく子どもたち』による)

(注1)しきたり:昔からの決まり

(注2)なんらかの:何かの

(注3)おのずと:自然と

好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったとあるが、筆者はどこにその原因があると考え
ているか。

1. 個性の意味についての解釈が定まっていない点
2. 個性の重視ということが注目されている点
3. 教師が社会生活上のルールを教えていない点
4. 個性の重視ということが間違って解釈されている点

筆者は、子どもの個性を重視するとはどのようなことだと言っているか。

1. 他人との違いが大きいほうがよいとする
2. それぞれの望むことを自由にさせる
3. それぞれの興味や価値観を尊重する
4. 他人より優れた点を高く評価する

子どもの教育について、筆者が言いたいことは何か。

1. 子ども自身が見つけた興味や関心に注目し、それを集中して経験させたほうがよい
2. 子どもの興味や関心は変わりやすいので、注意深く観察することが必要だ
3. 子どもの興味や関心が広がるように、多様な体験の機会を与えることが重要だ
4. 子どもの自主性を尊重し、自身で新しい興味や関心を見つけ出すのを待つべきだ"

BÀI 33:
"現代は、時間がどんどん加速されているとも言われます。何事にも「早く、早く」とせかされ(注1)、時
間と競争するかのように忙しさに追われていることを、大人たちはこういう言い方をしているのです。い
つも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の間隔が短くなったような気分で追い立てられて
(注2)いるためでしょう。それをエンデ(注3)は『モモ』という作品の中で「時間どろぼう」と呼びました。
ゆっくり花を見たり音楽を楽しんだりする、そんなゆったりした時間が盗まれていく、という話でした。い
つも何かしていないと気が落ち着かない、現代人はそんなふうになっています。

その一つの原因は、世の中が便利になり、能率的になって、より早く仕事を仕上げることがより優れて
いると評価されるようになっているためと思われます。競争が激しくなって、人より早くしなければ負け
てしまうという恐れを心に抱くようになったためでしょう。「時間は金なり」となってしまったのです。

しかし、それでは心が貧しくなってしまいそうです。何も考えずにひたすら決められたことをしていて
人生が楽しいはずがありません。ゆっくり歩むからこそ、道ばたに咲く花に気づいたり、きれいな夕日
を楽しむ気分になれるのです。私たちは、時間を取り返し、もっとゆったりした時間を生きる必要があ
りそうですね。

(池内了『時間とは何か』による)

(注1)せかされる:急がされる
(注2)追い立てられる:ここでは、何かをしないではいられない気持ちにさせられる
(注3)エンデ:ドイツの児童文学者

時間がどんどん加速されているとはどういうことか。
1. しなければならないことが多くて時間が短く感じられる。
2. 何かに夢中になっていると一日の時間が短く感じられる。
3. 作業能率が上がって一日の仕事の時間が短くなっている。
4. 技術の進歩によって仕事にかかる時間が短くなっている。

いつも何かしていないと気が落ち着かない原因を筆者はどう考えているか。

1. 何もしないと心が貧しくなってしまうと感じること
2. 早く何かを仕上げないと他の人に勝てないと思うこと
3. 失った時間を取り戻さないと競争に負けてしまうと思うこと
4. 奪われた時間を取り戻さないと人生を楽しめないと感じること

筆者は、時間の使い方についてどのように考えているか。

1. 時間は貴重なので、休むときにも能率的に過ごしたほうがよい。
2. 忙しい中にも、のんびり過ごす時間をできるだけ持ったほうがよい。
3. 人生を楽しむためには、ひたすらゆっくり時間を過ごしたほうがよい。
4. 人との競争に勝つためには、時間をもっと有効に使うようにしたほうがよい。

BÀI 34:
"僕は学校が好きだった。毎日わくわくしながら学校に通ったものだ。学校にはいやな奴も大勢いた
が、好きな友達がそれ以上沢山いたからである。向こうは僕のことをどう思っていたのかは分からない
が、構わなかった。僕はかってに彼らのことを友達だと思っていたのである。

友達を作る、とよく言う。あの頃先生や親は僕によく「いい友達をいっぱい作りなさい。」と言っていた。
僕は彼らがそう言うたびに①「それは違う。」と心の中で反発(注1)したものだった。友達は作るもの
じゃない、と今でも思っている。友達を作るなんて第一友達に対して失礼だと思った。第二に作った
友達は偽物のような気がしたのだ。

僕は友達は作るものではなく、自然に出来るものなのだと思う。僕にも友達が出来なくて辛い時期が
あったけれど、僕は決して友達を作ろうとはしなかった。つまり無理して誰かに合わせたりしてつきあう
ことはなかったのだ。僕はいつも自然にしていた。大人になってから、ああ、あの頃あいつは僕の友
達だったのだな、と思い知らされた(注2)奴もいた。その頃は喧嘩ばっかりしていたからである。後に
なってそうやって分かる友達もまたいいものだ。
(中略)

大人になった今、僕は学校を失ってしまった。毎日楽しみにしていた学校はもうない。社会にでてか
ら今日まで、僕は孤独に仕事をしてきた。それでも一生懸命仕事がやれたのは、ふりかえると僕には
素晴らしい仲間たちが大勢いたからなのだ。②彼らと過ごした自然な日々は、僕の人生において大
いなる大地となっている。そして僕はそこからすくすくと伸びる一本の木なのだ。僕の根っこは彼らと
繋がり、僕は空を目指している。

(辻仁成『そこに僕はいた』による)

(注1)反発する:反抗して、受け付けない

(注2)思い知らされる:強く思わされる

①「それは違う。」とあるがどういうことか。

本当の友達は、決して意図的に作るものではない
いい友達を作ることは、それほど簡単なことではない
互いに友達だと思えなければ、本当の友達とは言えない
新しく友達を作らなくても、すでに友達は十分にいる

②彼らとは誰のことか。

一緒に仕事をしてきた人たち
人生で出会ったすべての人たち
学校にいた頃に出会った友達
学校や仕事で繋がっている友達

大人になった筆者にとって、友達とはどのような存在か。

今も一緒にいて多くの経験を共にしている
今でも心の支えになってくれている
そばにいて見守ってくれている
孤独になったときこそ思い出される
BÀI 35
"他人にわかるようにおしえることは、実は大変むずかしい。自分がよくわかっていないと相手にわから
せることはできないからだ。「何かを学ぶもっともよい方法は、それをおしえてみることだ」。こういった
人がいるが、まさに至言(注)だろう。とすれば、一見理解したようでいて実はまだあいまいさがのこっ
ているーーこんなときには、他人におしえようとすることにより、逆に、自分の知識の不完全さに気づ
かせ、よく自分で考えなおしてみることを動機づけることになるだろう。これは、知識を安定したものに
するのに役立つ。

(波多野誼余夫•稲垣佳世子『知的好奇心』による)

(注)至言だろう:ここでは、その通りだろう

この文章で筆者の言いたいことは何か。

1. 他人におしえてもらうことは、効果的な学びにつながる
2. 他人におしえてもらうことで、学ぶ動機が高まる
3. 他人におしえることは、自分自身の学びにつながる
4. 他人におしえることで、おしえるむずかしさを学ぶ"

BÀI 36
"①会話の技術は、運転技術とよく似ています。ボーッと運転をしていると、事故を起こしかねません。
たとえば、数人で楽しく盛もり上がっているときに、いきなり入ってきて、自分の話を始める人がいま
す。あれは、高速道路に加速しないで進入してくる車のようなもので、本人は気づかなくても、入った
途端にクラッシュ(注1)して入るのです。

グループに加わりたいときは、まず黙だって話を聞くことです。②うなずきながらエンジンを温め、他
の車と速度を同じくして会話に加わると、流れにうまく乗ることができます。
そのうえで、自分の話ばかりしないように注意すること。人は誰でも、自分の話をしたがっているので
すから。会話は、ボールゲームのようなものです。サッカーでもバスケットボールでも、ひとりでボール
を独占していたら、次からは遊んでもらえなくなります。

みんなで話しているとき、自分がどれだけ話をしたのか、常に意識していることも必要です。特に、大
勢で話しているときは、発言しない人により多くの意識を配ってください。おとなしい人は無視されが
ちですが、同じ場にいることに敬意を払って、その人にも(注2)話を振らないと。

つくづく思いますけれど、会話ほど、個人のレベル差が大きいものはありません。充実した会話をした
いのであれば、それなりの準備や練習は必要なのです。私は練習することで得るものは大きいと思い
ますよ。その中に、人生を変える出会いや幸運が(注3)潜ひそでいるのではないでしょうか。

(斎藤孝「できる人」の極意!による)

(注1)クラッシュする:衝突事故を起こす
(注2)話を振る:話す機会を与える
(注3)潜んでいる:隠れている

①会話の技術は、運転技術とよく似ていますとあるが、この文章ではどんなところが似ていると述べて
いるか。

運転で他の車に注意が払える人は会話でも他者に敬意が払えるところ
会話も車の運転も技術が高ければ仲間と楽しい時間を過ごせるところ
会話も車の運転のように他者とペースを合わせることが求められるところ
車の運転で事故を起こさない人は会話も同じように慎重に進められるところ

②うなずきながらエンジンを温めとあるが、ここではどういうことか。

人の話に軽く返事をしながら車のエンジンを温めること
自分の話を聞いてもらいながらグループの話も聞くこと
まずは人の話を聞きながら会話に加わる準備をすること
静かに自分の話しをしながら次の話題に移るのを待つこと

みんなで会話をしているときには、どのような注意が必要だと述べているか。

自分の発言量を意識しながら、おとなしい人にも話してもらうようにすること
発言が少ない人やおとなしい人の話をよく聞き、それに答えるようにすること
ふだん発言しない人も、みんなの話をよく聞いて会話に参加するようにすること
おとなしい人も、大勢で話すときは意識して他の人に話しかけるようにすること"

BÀI 37
ものを作る過程は、本当に楽しい。『完成したときの喜び』とよく表現されるけれど、①それは違うと僕
は思う。そもそも、ものを作って感じることの一つは、『完成した』という瞬間がいったいいつなのかわ
からない、という事実である。②完成したことがわかるのは、誰かに頼まれて作っているもの、つまり依
頼された仕事である、そういうものは、これなら引き渡せる、要求された水準を満たしているだろう、と
いう鏡界線がぼんやりとでも設定されているから、そこが『完成』になる、そしてこの場合は、労働から
解放される喜びがあるし、達成感もあるだろう、レース(注1) でゴールをするのと同じだ。あそこまで走
りなさい、というルールがあらかじめ設定されているからだ。
しかし、自分が初めて作るもの、自分が自分の欲求で作り始めたものは、そういったゴールがはっきり
としていない、このことは、ものを作る場合以外でも同じである、たとえば、研究がそうだ。知りたいこと
を知ろうとする行為は、作りたいものを作ろうとする行為と限りなく似ている。好奇心(注2) に從って、こ
つこつと進む過程は、本当にわくわくして楽しい。けれど、どこまで進んでも、『やった!』といった達
成の瞬間は訪れない。ゴールなんてどこにもない。ただ、過去を振り返って、『ああ、だいたいあのとき
が、完成した時期になるかな』というくらいの『一段落』が見えるだけである。
(森博嗣『創るセンス工作ん思考』による)
(注1) レース:競争
(注2) 好奇心:新しいに対する興味

60. ①それとは何か。
1) ものを作る過程は本当に楽しいということ
2) ものが出来上がったときはうれしいということ
3) もの作りを頼まれたときは喜びを感じるということ
4) ものを作るときも完成したときもうれしいということ
61. 筆者によると、②完成したことがわかるのはどのような場合か。
1) 相手に引き渡す期限が設定されている場合
2) 相手によってレベルが設定されている場合
3) 自分が納得するレベルを設けた場合
4) 自分が決めたルールに從って仕事を終えた場合
62. ものを作ることについて、筆者が言いたいことは何か。
1) 依頼されたのもを作るときは、完成までの時間が楽しい
2) ものを作るということは、完成後に振り返る時間が楽しい
3) どんなものを作る時でも、完成があるから過程が楽しい
4) 自分が作りたいものを作るときは、完成ではなく過程が楽しい

BÀI 38
"小説家で自作解説をする人がたまにいる。ぼくは『ちょっとな.......』と思う。なぜそんなに思う
のかと言うと、一つは『ぼくの自由に読ませてよ』と言いたいからだ。もう一つは自作解説ができるほど
言いたいことがはっきりしているなら、なにも小説などという回りくどい(注1) 表現形式をとる必要はな
かったではないかと思うからだ、はじめから評論を書けばよかったのだ。
小説は言葉を使ってこの世界に似せたイメージを作る表現形式である、世界はそれ自身では主張を
持たないから、ぼくたちは小説を『自由』に解釈でくる。それが小説を読む楽しみだ。ところが、評論
はそうではない。古典的名著ともなれば評論でもさまざまな解釈が競われるこどがあえうが、ふつうは
評論の主張ははっきりしている。『自由』に解釈すれば『誤読』となることが多い。
では、ぼくたちはなぜ評論を読むのかと言えば、それは自分の知らないことやわからないことを、知り
たいしわかりたいからだ。それが知的な虚栄心(注2) というもので、これがなくなったら精神的な『老
人』である。精神的な『若者』は、友人が本を読んだと聞けば、たとえ自分が読んでない本であっても
『読んだよ』と答えるものだ。そして、あわてふためいて(注3) 本屋さんが図書館に行って、わかっても
わからなくても一晩でそれを読んで、翌日には涼しい顔をして『そう言えば、あれはたいした本じゃな
いね』なんて言ってみるものだ、そんなふうにして、ぼくたちは教養を身につける。
ぼくは『教養』という言葉を二つの意味でとらえている。一つは知識の量で、これは多ければ多いほ
どいい。しかし、これは少し古風な教養のとらえ方である、現代ではあまりに多くの情報があふれてい
るからとても追いつけない。その上に過去のことまで知っていなければならないとしたら大変だ。もち
ろんそのための努力は大切だが、限りがある。そこで二つめの教養の意味が必要だと考えている。そ
れは、物事を考えるための座標軸(注4) をできるだけたくさん持つことだ。『たくさん』とは言っても、ぼ
くたちの思考方法にはその時代ごとに流行があるから、これは無限というわけではない。ぼくは、その
時代に必要な思考方法を身につけることを第二の教養、そして現代の教養と呼んでおきたい。この
現代の教養を身につけるために評論を読むのである。
(石原千秋『未来形の読書術』による)
(注1) 回りくどい:直接的でなくわかりにくい
(注2) 虚栄心:実際以上によく見せたいと思う心
(注3) あわてふためいて:とてもあわてて
(注4) 座標軸:ここでは、基準

71. 筆者によると、小説は読者にとってどのようなものか。
1) イメージの世界の作家の解説どおり読むもの
2) 作家の作り出した世界から主張を読み取るもの
3) 作家が描いた世界を表現どおり解釈するもの
4) 作家が表現した世界を好きなように解釈するもの
72. 精神的な『若者』とはどういう人か。
1) 教養があるのにないふりをする人
2) 教養があると思われるように評論を読む人
3) 知識のないことを恥ずかしいと思わない人
4) 知識の不足を自覚して評論を読む人
73. 筆者の言う第二の教養とは何か。
1) 多くの知識を身につけていること
2) 時代に沿った考え方ができること
3) 将来の状況を予測するような考え方ができること
4) 流行に右左されない知識を身につけていること

BÀI 39
"イヌの散歩をしていると、最近ではイヌも挨拶の仕方を忘れてしまったのではないかと思ってしまいま
す。集団行動を経験したことがあるイヌ、もしくは(注1) 、飼い主からイヌらしい教育を受けて順位制(注
2) を感じることができるようになったイヌは、道でほかのイヌにすれ違い近づいたときには挨拶らしい
ことをします。ところが、集団行動の経験もなく、家でも甘やかされて育ってイヌは。現代のヒト社会の
ように挨拶をしないように見えます。挨拶をするイヌが、ほかの挨拶なしのイヌに対して威嚇する(注3)
ことが観察されます。ところが、この挨拶犬が子イヌと遭遇したときには、子イヌが挨拶をできなくても
威嚇をしないことが多いのです。挨拶犬にとって子イヌであるというシグナルがなんなのかわかりませ
んが、とにかく子イヌと成犬とを区別したうえで挨拶のあるなしを判断しているようです。
イヌの挨拶行動は、生得的(注4) あるいは習得的(学習的) のどちらでしょうか?順位制にしたがった
行動ができるようになったイヌでは、イヌ社会での経験がなくてもある程度の挨拶行動ができることか
ら、生得的であるといえます。また、より儀式的な挨拶行動が円滑に(注5) 実行されるためには、ほか
のイヌとの集団生活があったほうがよいことから、習得的な部分もあるといえるでしょう。
(針山孝彦『生き物たちの情報戦略------生存をかけた静かなる戦い』による)
(注1) もしくは:または
(注2) 順位制:上下関係にもとづいてできた順序の決まり
(注3) 威嚇する:ここでは、ほえて相手を怖がるせる
(注4) 生得的:生まれたときから持っている
(注5) 円滑に:スムーズに、滑らかに

63. この文章によると、挨拶をしない、またはできないイヌはどれか。
1) 子イヌと成犬を区別できないイヌ
2) 挨拶をしない親イヌに育てられた子イヌ
3) 他のイヌと一緒に生活をしたことがあるイヌ
4) イヌ社会の経験も飼い主による教育もないイヌ

64. この文章によると、どんなイヌがどんなイヌにほえて、怖がらせるか。
1) 挨拶できるイヌが挨拶しない成犬に
2) 挨拶できるイヌが挨拶しない子イヌに
3) 挨拶できないイヌが挨拶する成犬に
4) 挨拶できないイヌ挨拶する子イヌに

65. 筆者は、イヌの挨拶行動についてどのように述べているか。 。
1) イヌ社会での経験より飼い主の教育があったほうが、スムーズにできる。
2) イヌ社会での経験は必ずしも必要ではないが、あればスムーズにできる
3) イヌ社会での集団生活と飼い主の教育によって初めて習得できるものだ
4) イヌ社会での集団生活を経験することによって始めて習得できるものだ"

BÀI 40
"以前、高校の教え子たちと話していて①ふと気づいたことがある。疑問に感じるこ との幅の広さ、疑
問の大きさの違いだ。「とうして?」「なぜ?」という問いは、 人間にとって、だれもが持ち合わせるごく当
たり前の心のはたらきだと思ってい た。しかし実際には、その広がり、対象範囲が人によってまったく
異なるのだ。
(中略)

疑問とは、「興味の現れ」にほかならない(注1)。なにごとにも無関心な生徒は、会話もじつに淡白(注
2)である。他者とのコミュニケーションにも興味がな い。興味がないから、疑問も起きてこない。

私はというと、物心ついたとき(注3) から好奇心旺盛な(注4) 子どもであった。「このおもちゃの内部は


どうなっているんだろう?」そう思ってばらばらに分解しては、元に戻せなくて泣いていたものである。

自分を取り巻く(注5) 社会で起きるあらゆること、たとえば学校の授業で先生が 教えたり、指導する内


容にだって「なんで?」と思っていいのだ。会社の上司の指 示にも「なんで?」と思っていい。親の髪に
も「なんで?」と思っていい。 問題 は、「なんで?」だけで思考が終わってしまうことだ。②それではダメ
だ。とい うのは、「なんで?」だけで終わってしまうと、その後に「反抗」「反感」の感情が心に渦巻いて
(注6)しまうだけだからである。「なんで?」に始まり、そこから「どうしてそうなるの?」「本当にそうなの?」
と、自分なりに考えを極めて(注7) いく作業が大切であり、そこに成長の鍵がある。

(山本博「持続力」による)

(注1) ~にほかならない:ここでは、~と同じだ
(注2) 淡白: 「淡泊」とも書く
(注3) 物心ついたとき: 世の中のことが何となく分かってきたとき
(注4) 好奇心旺盛な:いろいろなことに興味を持つ
(注5) 自分を取り巻く: 自分の周りの
(注6) 感情が心に渦巻く: ここでは、感情で心が乱れる
(注7) 考えを極める.ここでは、徹底的に考える

60. ①ふと気づいたこととは、どんなことか。

1) どんなことにも疑問を持たない高校生が増えている
2) 高校生の疑問の範囲が狭くなっている。
3) 疑問の対象は世代によって異なる
4) 疑問の範囲は人によって異なる

61. ②それではダメだとあるが、なぜか。

1) 反発する気持ちを表現しなくなるから
2) 反発する気持ちが生まれるだけだから
3) 疑問が大きくなってしまうだけだから
4) 疑問を持たなくなってしまうから

62. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1) 疑問に感じたことを深く考えることが成長につながる
2) あらゆることに疑問を持つことが考えを広げる
3) 疑問を探し続けることが成長の鍵である
4) 疑問を持つことは「興味の現れ」である。"
BÀI 41
"チンパンジーと同じ程度の知能を持つゴリラに、挨拶行動の種類が少ないのは、ゴリラは一頭のオス
と数頭のメスよりなるまとまった(注1)小集団を作り、集団のメンバーが離れ離れになって生活すること
がないからであろう。それに反して、チンパンジー社会では、集団から受ける束縛(注2)が小さく、個
体の行動の自由度が大きいので、相互の個体関係を友好的につなぐために、挨拶行動が発達した
のであろう。

(河合雅雄「サルの目ヒトの目」による)

(注1)まとまる:一つになる

(注2)束縛:ここでは、制限

この文章によると、挨拶行動がよく見られるのはどのような集団か。

メンバーの数が少ない集団
メンバー間の関係が友好的な集団
メンバーが集まって行動する集団
メンバーの行動の制限が少ない集団

BÀI 42
"物を買う、という行為は、この国ではなぜかあまり褒められない行為のようにうけとられています。「浪
費癖」だとか「衝動買い」だとか「無駄遣い」だとか、そういう言葉に表現されるように、必要以外のもの
を買う人間はあまりかんばしい評判を得られません。しかし、以前から思っていることなのですが、物
を買う、ということは、決してただお金を浪費し虚栄心を満足させるだけのことではないような気がする
のです。

何かいやなことがあって、むしゃくしゃした気分を抑えるためにショッピングをする人がいます。必要の
ないものにお金を遣うなんて愚かしい行為だと理性的な人は言うでしょうが、それでも人間の精神の
バランスをとるために費用をかけたと思えば、①それはそれでいいんじゃないでしょうか。
人間は大人になって死ぬまでの間、お金のことで苦労しながら生きてゆきます。生まれながらにして
無限の富を与えられた人は別ですが、ほとんどの人はお金の苦労というものでエネルギーをすり減ら
すことになります。そんな中で一瞬ふっと、お金のほうが主役で、自分はそれによってふり回されてい
るつまらない存在のように感じられることがあります。

お金のことで苦労し、血と汗を流している人ほど、どういうものか無駄遣いすることがあるのです。一
見、逆のようですが、②それはお金に対する人間性のささやかな反抗とでもいえるんじやないでしよう
か。お金を浪費する、やけっぱちになって紙屑のように遣う、そのことでもって、こちらのほうが主人な
んだぞ、お金に使われてるんじゃないぞ、と心の中でうっぷんを晴らしているのかもしれません。お金
に復讐することで人間性を回復しようとしているのです。

①それはそれでいいんじゃないでしょうかとあるが、どういうことか。

ショッピングで必要なものを買ってもいい。
何かいやなことがあってもいい。
むしゃくしゃした気分を抑えなくてもいい。
必要のないものにお金を遣ってもいい。

②それは何を指しているか。

お金のことで苦労している人が、無馬太遣いをすること
お金のことで苦労している人が、無駄遣いをしないこと
お金で苦労しないお金持ちが、無駄遣いをすること
お金で苦労しないお金持ちが、無駄遣いをしないこと

この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

いやなことがあったら、買い物をして精神のバランスをとったほうがいい。
お金にふり回される人生にならないよう、お金の遣いすぎに注意すべきだ。
お金を浪費するのは、お金より自分のほうが主役だと言いたい気持ちがあるからだ。
お金を遣えば人間性が回復できるのだから、買い物にもっとエネルギーを注ぎたい。
BÀI 43
物を買う、という行為は、この国ではなぜかあまり褒められない行為のようにうけとられています。「浪
費癖」だとか「衝動買い」だとか「無駄遣い」だとか、そういう言葉に"
"今の若い人は、ある程度完備した科学社会に生まれている。携帯電話もカーナビ(注1)も当たり前
になった社会である。発展の過程を見ていない彼らは、どういった原理でそれらが機能しているのか
を知らない。知らなくても、その恩恵を受けることができる。充電さえしていれば、誰とでもいつでも連
絡がつくと信じている。電波がどんなもので、どのような設備によって成り立っているのかを知らない
人が多い。十数メートルしか離れていない場所なのに、携帯電話が通じなくなることがあるなんて、考
えてもいないだろう。

こういった「科学離れ」については、昔から問題意識があった。だから、子供たち向けに科学を教育す
るシステムをいろいろな形で模索(注2)してきた。けれども、僕が感じることが一つある。そういう教育
をしているのは、科学が好きな人たちだ。だから、口を備えてこう言う、「科学の楽しさを子供たちに
知ってもらいたい」と。この言葉を聞くたびに、「楽しさ」を押し付けている姿勢を感じずにはいられな
い。

読書の楽しみを知ってもらいたい。スポーツの楽しさを感じてもらいたい。他の分野でも、こういった
姿勢は根強い。しかし、科学の場合は、そんな悠長な(注3)問題ではない、と思うのだ。読書やス
ポーツが嫌いな人は、それをしなくても良いだろう。楽しみは、ほかにいくらでもある。しかし、科学を
避けることは、この現代に生きていくうえではほとんど無理なのである。(中略)もはや(注4)、好きとか
嫌いで片付け(注5)られるものではない、ということだ。

(森博嗣「科学的とはどういう意味か」による)

(注1)カーナビ:自分の車の位置を知らせながら道案内する措置

(注2)模索する:探し求める

(注3)悠長な:のんびりした

(注4)もはや:今ではもう

(注5)片付ける:済ます
筆者は、今の若者をどのように見ているか。

1. 科学が発展した社会に生まれたので、携帯電話などの機器のない不便さを知らない
2. 科学の発展過程を知らないため、携帯電話などの機器の進歩が実感できない
3. 科学社会で育っていても、携帯電話などの機器の原理を知らないで使っている
4. 科学に感心がないので、携帯電話などの機器を十分に活用していない

僕が感じることが一つあるとあるが、何を感じているか。

1. 「科学離れ」を防ぐには、科学の楽しさを教えることが大切だ
2. 科学が好きな人たちだけが、科学の楽しさを教えられるわけではない
3. 科学教育は、科学の楽しさばかりを強調している
4. 科学の楽しさは、子供が簡単に理解できるものではない

筆者の考えに合っているのはどれか。

1. 現代科学を無理に好きになる必要はない
2. 科学が読書やスポーツより楽しくないのは当然だ
3. 現代わ科学とかかわらずに生きていくことはできない
4. これからは科学嫌いをなくさなければならない"

BÀI 44
"人間とは不思議なもので、年をとってもいろいろな新しいことを経験したいという気持ちがある。例え
ば自分で茶わんを作ってみるとか、ピザを焼いてみるとか、さまさまな新しい挑戦がある。

しかし、当然のことながら、それがうまくいくことは少ない。茶わんはぜんぜん丸く作れないし、ピザは
おいしくない。だが、それを恥ずかしく思う必要はないのだ。最初からうまくできるなら、世の中のさま
ざまな学校や修業は必要ないことになる。初めはうまくいかないのが当たり前なのだ。

それなのに、家族の者に「変な形」、「まずい」などと言われると、「もう二度と作らない」と思ってしまう。
初めての挑戦には、周りの人々の理解と応援も必要なようだ。
新しい挑戦とあるが、筆者はこれについてどう思っているか。

1. 周りの人々に理解されない場合は、初めからやらないほうがいいと思う。
2. 初めはうまくいかないのが当然なのだから、できなくても恥ずかしく思うことはない。
3. 年をとってから新しいことに挑戦する場合は、周りの人々の応援があるので、うまくいくはず
だ。
4. 初めて挑戦することは、まず学校に行ったり一人で練習したりしてから、人の前でやったほう
がいい。

BÀI 45
"私はどちらかと言えば根が楽天的だが、昔は営業の強烈なノルマ(注1)に苦しんだこともある。そうい
う日々の中から①いつしか身につけたことのひとつが「幸せ感のハードル(注2)を低くする」だった。
たとえば、あと一歩のところで契約が結べなかった日、会社に戻ってしょげかえる(注3)代わりに「あの
社長と一時間も話せるところまできた」と自分の成果を見つけて評価する。そうやって一日を締めくく
れば(注4)、明日への活力も湧いてきた。

仕事そのものも、「仕事は趣味や遊びとはちがう。仕事はお金をもらうのだから、楽しくないことがあっ
ても当たり前」と思ってやってきた。②そこを基準にすれば、少々のことは当然のこととして受け入れら
れるし、何かいいことがあったときは「お金をもらいながらこんな気持ちを味わえるなんて」と幸せ感も
倍増する。

どうせ人生の一定の時間を仕事に費やすのなら、その時間が楽しいと思えるほうがいいに決まってい
る。それに楽しいと思ってすることは、何とかスムーズに運び成果もあがるものだ。こうして好循環が生
まれてくる。

人は楽しいから笑顔になるのだが、「まず笑顔をつくると、それによって楽しい気持ちが湧いてくる」と
いう研究結果があるという。これにならえば、充実感を得られる仕事を手にするには、楽しめる仕事を
探すのも大事だが、小さなことでも楽しめるようになることも意外にあなどれない(注5)ポイントだ。

(高城幸司『上司につける薬!-マネジメント入門』による)

(注1)強烈なノルマ:厳しい条件で課される仕事

(注2)ハードル:ここでは、基準
(注3)しょげかえる:ひどくがっかりする

(注4)締めくくる:終える

(注5)あなどれない:軽視できない

Câu 1:

①いつしか身につけたことのひとつの例として近いものはどれか。

1. 強いチームが相手で試合に勝てなかったけれども、得点を入れることができたのでよかったと
考える
2. パーティーの準備をするのが大変だったけれども、みんなが喜んでくれたのでまたぜひ開きた
いと思う
3. ピアノの先生には何も言われなかったけれども、自分ではうまくひけなかったので次はもっと頑
張りたいと思う
4. 何かを買おうと思っていたわけではないけれども、ちょうど気に入った服が見つかったのでよ
かったと考える

Câu 2:

②そことは何か。

1. 仕事はうまくいかなくて当たり前だということ
2. 仕事をすれば何かいいことがあるということ
3. 仕事には苦労があるものだということ
4. 仕事ではお金をもらうのが当然だということ
BÀI 46
"日本の消費者は世界一、(注1)目が肥えている」という言葉には2つの意味がある。第1は機能や味
などへの要求水準が高いこと。第2には、わずかな傷も許さないなど見た目へのこだわりだ。

消費者は後者のこだわりを捨てつつある。それでは消費者は嫌々「傷物」に目を向け、我慢して買っ
ているのか。必ずしもそうではない。

衣料品や家具などでは中古品市場や消費者同士の交換が盛んだ。再利用でごみが減り、環境にも
いい。商品の傷も前の使用者の(注2)ぬくもりとプラスにとらえる(注3)感性が若い人を中心に広がっ
ている。

(注4)規格外の農産物も似ている。ごみになるはずのものを安く使い、エコロジーと節約を両立させる
ことに、前向きの価値を見いだしているのではないか。不ぞろいな野菜は、むしろ手作り品を思わせ
る長所。消費者の新たな価値観に、企業がようやく追いついてきた。

市場が広がれば、(注5)粗悪品や不良品が出回る可能性も高まる。なぜ安いのか。本来の価値は損
なわれていないか。企業の責任は重い。消費者にも「厳しい月」をきちんと持つことが求められる。

(注1)目が肥えている:よい物を見慣れていて、物の価値がわかる
(注2)ぬくもり:あたたかい感じ
(注3)感性:感じ方
(注4)規格:基準
(注5)粗悪品:粗末で質が悪いもの

以前と比べ、消費者はどのように変わったか。

1. 商品の機能や味を重視しなくなった。
2. 商品の機能や味を重視するようになった。
3. 商品の傷などの見た目を気にしなくなった。
4. 商品の傷などの見た目を気にするようになった。

筆者は、消費者の意識の変化をどのようにとらえているか。
1. 少しぐらい質が下がっても、安いほうがいいと考えるようになった。
2. ものに対する要求水準が下がっで、どの商品にも価値を認めるようになった。
3. 多少問題があっても、環境のために我慢するほうがいいと思うようになった。
4. 今まで問題があると思われたものにも、違った価値があると思うようになった。

追いついてきたとあるが、企業がどうなってきたのか。

1. 見た目にこだわらなくなった。
2. 環境への責任の重さを感じ始めた。
3. 消費者の厳しい目を意識するようになった。
4. 消費者の意識の変化をくみ取るようになった。

BÀI 47

"以下は、これから就職する人に対して書かれた文章である。

好きなことをしてもお金にはならない、というのが普通の考え方です。一日中ただ好きなゲームをして
いてよい、などという職業はありません。でもじつは自分の「好き」をきわめるとかならずそこにだれか
ほかの人のニーズがあって、仕事があるということを覚えておいてください。

(中略)

いまは人々の「好き」が多様化しつつある時代です。食べ物の好みや服の好みだけではありません。
細かいライフスタイルのちがいに人々が価値を見いだすような時代です。カタログにないもっとちがう
商品はないだろうか?これとあれの中間のサービスはないだろうか?といったぐあいです。

これまで大きな企業が機械的にマーケティングをして提供してきたような「売れる商品」「売れるサービ
ス」では対応しきれないようなモノ、サービス。これを「ニッチ(すき間)」とよぶことがあります。いまはま
さにこのニッチが広がりつつある時代です。

こうしたニッチに気づくことができるのは、何かが「好き」な人です。自分の好みを突き進めていくと、そ
こに何かの不足を感じる。その不足がじつはほかの人も欲しがっていた何かかもしれない、というわけ
です。

何かを好きな人ほど、何かに不足を感じている人ほど、それを仕事に変えていくことのできる可能性
があります。
筆者によると、「いま」はどのような時代か。

1. 人々がこれまで好きではなかったものにも価値を感じるようになっている。
2. 人々が自身の価値観に合ったものを捜し求めるようになっている。
3. 人々のライフスタイルのちがいがわかりやすくなっている。
4. 人々がお金で買えないものを欲しがるようになっている。

好みを突き進めた人がニッチに気づくことができるのはなぜか。

1. ほかの人より先に時代の変化を感じ取れる可能性があるから。
2. ほかの人から自身が知らないことを教えてもらえる可能性があるから。
3. 自身の持つ情報が、ほかの人に不足している情報かもしれないから。
4. 自身の感じる不足が、ほかの人が感じる不足であるかもしれないから。

この文章で筆者が言いたいことは何か。

1. 好みが多様化しているのでいろいろな仕事ができる。
2. ほかの人が思いつかない仕事を探すほうがいい。
3. 好みではない仕事でもいつか好きになる。
4. 好きなことでも仕事に結びつく。

bài 48
「鉛筆でかいたのになぜ消えないの。」

小学校の写生大会で、画用紙に鉛筆で下書きをし、水性絵の具で色をぬった後、下書きを消しゴム
で消そうとしたのに消えなかったときに思ったことだ。不思議だと思うと同時に、絵が思ったように仕上
げられずがっかりした。

この疑問に対する答えを、最近、あるホームページで見付けた。そのページには、まず普通の鉛筆
は消しゴムで消せるのに、なぜ色鉛筆は消せないのかという説明が書いてあった。
その説明によると、それは普通の鉛筆と色鉛筆の芯の材料が異なっているためだそうだ。鉛筆は黒
鉛と粘土から、色鉛筆は顔料とロウ(油分)からできている。黒鉛と顔料は、色の元になるものである。
紙に書かれた文字の状態をそれぞれ簡単に説明すると、前者は細かくくだかれた黒鉛が紙の表面
にくっついている状態であり、後者は顔料が紙の中に油とともにしみ込んでいる状態だそうだ。した
がって、表面にくっついているだけの黒鉛は、消しゴムでこすることで、紙から引き離すことができる。
一方、しみ込んだ顔料は引き離すことができない。

そして最後に、鉛筆の下書きが水性絵の具で色をぬった後に消せない理由が説明されていた。鉛
筆の下書きが消せないのは、水性絵の具を溶かすのに使う水のせいだそうだ。この水が、色鉛筆の
芯の油分と同じ役割を果たすという。水も油も紙にしみ込みやすいのだ。

がっかりしたとあるが、なぜか。

1. 鉛筆の下書きが消せなかったから
2. 鉛筆で絵が上手にかけなかったから
3. 不思議だと思ったことの理由がわからなかったから
4. 水性絵の具で思ったように色がぬれなかったから
普通の鉛筆で書いた文字を消しゴムで消すとは、どうすることか。

1. 紙の中にしみ込んだ黒鉛を、紙から引き離す。
2. 紙の表面にくっついた黒鉛を、細かくくだいて見えなくする。
3. 紙の中にしみ込んだ黒鉛を、さらにしみ込ませて見えなくする。
4. 紙の表面にくっついた黒鉛を、紙から引き離す。
水性絵の具で色をぬった後に、鉛筆の下書きが消せないのはなぜか。

1. 黒鉛が細かくくだかれていて取り除けないから
2. 絵の具で黒鉛が紙の表面にくっついたから
3. 黒鉛が油分と同じ働きをしていたから
4. 水によって黒鉛が紙にしみ込んだから"

bài 49:
"近年、おもちゃメーカーが大人に向けおもちゃに力を入れ、売り上げを伸ばしている。少子化に伴
い、マーケットを大人にまで広げる必要性が出てきてという事情もあるが、この売り上げの伸び方はそ
れだけだは説明できない。その裏には、大人に「おもちゃを買いたい」と思わせたおもちゃメーカーの
戦略がある。

子供のときに欲しいおもちゃをすべて買ってもらえたという人はいないだろう。買ってもらいたかった
のにという思いを忘れられず、今でもおもちゃに思いを寄せる大人は意外と多い。おもちゃメーカー
はそこに注目した。しかし、大人が子供向けのおもちゃを買うことには抵抗があると同時に、物足りな
さも感じる。大人向けのおもちゃには、大人が買いたくなる工夫が必要だ。例えば、鉄道模型には特
殊な素材を使用し、完成後にインテリアとして飾ることができる。組み立て式のミニギターは組み立て
後に本格的な演奏も楽しめるし、色使いが落ち着いたカードのゲームは気持ちをリックスさせる。この
ように、大人向けのおもちゃには単におもちゃとして遊ぶだけけはない他の魅力がある。

また、大人向けのおもちゃは高いものが多い。高くしたほうが価値があると考えられて人気が出ること
さえある。一般的におもちゃメーカーは商品価格をあまり高く設定できないものだが、大人向けのおも
ちゃならできる。おもちゃメーカーにとっては魅力的なマーケットである。

そこに注目したとあるが、何に注目したのか。

1. 子供の時に遊んでいたおもちゃを大人が欲しがっていること
2. 子供の時にあまりおもちゃで遊ばなかった大人が多くいること
3. おもちゃへの思いを持ち続けている大人が多くいること
4. おもちゃの中には大人でも楽しめるものがあること

大人向けのおもちゃには、、どのような工夫があるか。

1. 遊ぶ目的以外の違ったよさが感じられるようにしてある
2. 何度でも飽きずに遊べるようにしてある
3. 大人にあわせた高度な遊びができるようにしてある
4. 2つ以上の遊び方ができるようにしてある

メーカーにとって大人向けのおもちゃマーケットの何が魅力的なのか。

1. 価格を高くしても売れる点
2. 工夫が多ければ多いほど売れる点
3. 子供向けのおもちゃと同様に多く売れる点
4. 昔と同じおもちゃを作れば売れる点"
bài 50
"次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

問題を抱えた状態は、なにも苦しいことばかりではない。たとえば、なにかものを作っているときのこと
を考えてみよう。

小説でもマンガでも音楽でもゲームでも椅子でも、なにかを作っている最中には、なにをしていても
作っているもののことを考えたりすることがある。「あそこはどういうふうにしよう」とか「ここはもっと改良
の余地がある」だなんて、そのものに夢中になっているとき、人は問題が解決されずに問題としてとど
まっている状態を楽しんでいる。

この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1. 問題を考えることに夢中になっているとき、人はその状態を楽しんでいる。
2. 人は、問題を自分の力で変えたり、改良したりできたときに、喜びを感じる。
3. 人は、なにかを作っているとき、その完成を楽しみにして取り組んでいる。
4. 問題があっても、なにかほかに夢中になれることがあれば、苦しいことが減る。

bài 51
"しばしば作文にはお手本のようなものが示されることがありますが、私は、これはナンセンス(注)だと
思います。文章の形式的なことならばともかく、内容にまで触れて、このように「書くべき」とか、このよう
に書けば評価されるというマニュアルは大敵です。なぜなら、マニュアルには、あなたにしか書けない
ことをすべて否定してしまうことにつながる可能性があるからです。自分に見えるもの、少しでも人とは
違って見えるもの、それにこだわりましょう。

(注)ナンセンス:意味がないこと
お手本のようなものによって、作文はどのようになる可能性があるか。

1. 自分の視点や主張がわかりやすくなる。
2. 自分にしか書けないことが書けなくなる。
3. 誰からも高い評価を得られやすくなる。
4. 文章の形式にこだわりすぎたものになる。"

bài 52
下の文章は、企業のあり方についての本を出版した人が、その本の内容を紹介したものである。

最近、企業の不祥事(注1)が相次いでいますが、問題を起こす企業には共通点があると思います。
それは「社員を大切にしていない」ということです。「社員を大切にする」とは、給料が高いとか、福利
厚生(注2)を充実させるということではなく、仕事を通じて成長できるとか、仲間と協力して物事を成し
遂げる達成感が感じられるといったことです。問題のある企業はこれらをないがしろ(注3)にし、利益
だけしか見ていないのです。

ただ、ここ数年、社員を大切にしながらも業績(注4)を上げている企業が増えています。「社員を大切
にするなどと甘いことを言っていたら、経営は成り立たない」と言われる中で、なぜそれが可能なの
か。その条件を探ることが、本書の執筆理由です。

そこで一つ明らかになったのは、通常とは異なるリーダーの姿です。多くの場合、非常に優れたリー
ダーがいて、社員はただ従っていれば業績が良くなるということが想定されますが、社員を大切にし
ながら業績を上げる企業のリーダーはそうではなく、社員を主役にするのです。私はこれをスポン
サーシップと名付けましたが、そこでは社員がどんどん力をつけ、育っていきます。

(柴田昌治「リーダーシップからスポンサーシップへ」『フォーブス』2007年9月号による)

(注1)不祥事:社会に迷惑をかけるような失敗や間違い

(注2)福利厚生:企業が従業員やその家族のためになるように作った制度や施設

(注3)ないがしろ:軽く考えること

(注4)業績:仕事の成果や実績
それは何を指しているか。

1. 問題を起こしても経営を成り立たせること
2. 高い給料を払って、福祉を充実させること
3. 社員が仲間と協力して仕事を達成すること
4. 社員を大切にしながらも業績を上げること

筆者がここで重視している「企業の優れたリーダー」とは、どのようなリーダーか。

1. 強い指導力で社員を引っぱり、どんどん業績を上げることのできるリーダー
2. 社員に高い給料を払い、福利厚生を充実させることを第一に考えるリーダー
3. 社員の自主性を尊重し、社員が働きながら伸びていけるようにするリーダー
4. 教育に十分時間をかけ、社員が成長してから働いてもらおうとするリーダー

bài 53
始発駅に電車が入ってきて、やがてドアが開くと、ホームに並んでいた客たちは目の色を変えて座席
になだれ込む。このホームで並ぶという道徳を守らせているものは損得の判断、つまり知性だと言え
る。ホームのような場所で利己的に振る舞うことによる身の危険を知性はよく知っている。だから、私
たちはホームで行儀よく並ぶ。ドアが開くまでは我慢して並ぶのである。 しかし、ホームで並ぶことと
電車で席を譲ることとは本質的に違う。自分の利益を考えて席を譲るのではないし、「お年寄りに席を
譲りましょう」という指示に従って譲るのでもない。言葉のない何かしらの内なる声に引っ張られ、人は
自発的に席を譲るのである。それは共同体に道徳をもたらす元の力であり、この力にはまだ言葉がな
い。この力は、「人間が生きていくには共同体が要る」という事実から生まれている。この力は潜在的
ではあるが、抽象的ではない。そこから知性を越えた「仲間を助けよう」という本能的な欲求が突然生
じるのである。群れの中に生まれ落ちた人間という知性動物の倫理の原液が正にここにある。
「ホームで並ぶことと電車で席を譲ることとは本質的に違う」とあるが、筆者はどのように違うと考えてい
るか。 前者は知性的、後者は本能的 前者は本能的、後者は知性的 前者は利己的、後者は利他
的 前者は利他的、後者は利己的 それはとあるが、何を指しているか。 知性 損得の判断 内なる
声 倫理 倫理の原液とあるが、その説明として正しいのはどれか。 個人の心の中にある社会の役
に立ちたいという欲求である。 人を含む生き物が自分の身を守ろうとする自己保存の本能である。
人間という知性動物がもつ、集団に適応しようとする欲求である。 集団を作ってしか生きていけない
人間の心に潜む助け合うの欲求である。
"これは僕の個人的な意見だが、「悩み」と無縁の幸せは存在しないと思う。ものづくりでも「悩み」はと
ても重要で、悩みをどう解決するか、どう昇華(注1)させるかが、作った成果、物の存在感や主張に直
結する。

その観点で言うと、最近の日本の製品には「悩み」が見えない。悩みに取り組まずに切り捨ててしまう
からだと思う。日本人は「シンプル」に強いあこがれを持っているが、いつの頃からか「要素が少なくて
単純なことがシンプルだ」という誤った思い込みを抱いてしまっている。だから重要なものを切り捨て
てしまって平気なのだ。

そういう思いつきと勢いだけで作られた商品を「チューインガム商品」と僕は呼ぶ。作られたものが
薄っぺらで、すぐに味がなくなって捨てられるからだ。

日本人の多くは「日本文化の神髄(注2)はシンプルさだ」と思っているようだが、僕は完全には同意
できない。日本文化にはいろいろな相反(注3)する要素が複雑に絡みあって、それらを生かしたまま
歴史の中で洗練された結果、一見シンプルに見えているだけなのだ。その深い部分を理解できず
に、切り捨てて単純化したものを簡単に製品にしているから味が出てこない。

日本文化と同様に、切り捨てではなく洗練によってシンプルに見えるものは、ヨーロッパのブランド商
品などにもよくある。内在していた相反する要素がうまく噛み合って(注4)いるから、シンプルに見える
だけなのだ。

要素が少なくて単純なものと、洗練によってシンプルに見えるものを比較すると、内包されている複雑
さが全然違う。しかも後者には、作った人たちのいろいろな悩みも見える。最初のうちはうまく隠され
ていて見えないが、使っているうちに「あ、こうやって悩んで、それでその結果こういう処理をして、そ
れでこの製品ができてきたのか」ということがわかってくる。だから奥が深い商品が生まれ、使ってい
てもいろんな側面が次々と現れてくるので飽きが来ないのだ。

悩みを避けて切り捨てた「もの」ゃ「ひと」には、そういう面白みが存在しない。

(奥山清行『ムーンショットデザイン幸福論』による)

(注1)昇華する:一段と高度なものにする

(注2)神髄:中心となる本来の性質

(注3)相反する:互いに対立する
(注4)噛み合う:ここでは、ぴったり合う

ここでの重要なものとは何か。

1. 悩み
2. 思い込み
3. 強いあこがれ
4. シンプルさ

筆者は、日本文化をどのようなものだと考えているか。

1. 単純に見えて実は複雑なもの
2. 要素が少なくシンプルなもの
3. 洗練されていないが深い味があるもの
4. 単純であるが飽きが来ないもの

ものづくりについて、筆者はどのようなことが必要だと言いたいのか。

1. できるだけ作り方を複雑にしていくこと
2. 深く考えながら対立する要素をうまく合わせていくこと
3. 迷いながらも複雑に絡みあった要素をうまく切り捨てていくこと
4. あまり悩まずにシンプルさを求めていくこと"

bài 54

"小説家になりたい人には「好きな作家のものを全部読む」という読書法をすすめる。好きな、というの
は、自分に合っている気がして読みやすく、しかも楽しいというものだ。

いろんな作家をちょっとずつ読む、というのでは、あまり身につくものがない。ベストセラーになってい
る話題作をせっせと追いかける、というのは①もっとよくない。

ベストセラー(注1)になる小説は、とりあえず何かいいところがあって売れているのだから、読めば参
考になるではないかと言うかもしれないが、それを読んで参考にしている人がたくさんいる、ということ
なのだ。みんなが狙っている方向で、自分もやってみるというのでは、目立つこともないわけである。
(中略)

ひとりの作家(あなたにとって、不思議に肌合い(注2)がよくて楽しめる小説を書く人)の全小説を読
んでみるのは、知らず知らずのうちに、その作家の「小説作法」を感じ取ることである。この人は小説
を、このように構成するのだ、そこが心地(注3)いいのだ、とわかることである。この人は人間心理を、
このように描写する(注4)、この人の社会観はこうである、なんてこともわかる。

②それがわかれば、似たようなものを書くところまであと一歩、なのである。特別にマネして書こうと
思っていなかったとしても、書くものは自然と、その作家の作風(注5)と似たものになり、初心者が書
いたにしては完成度が高いものになるだろう。

こう反論する人がいるかもしれない。小説を書いて世に発表したいという願望は、自分というものを世
間に知らしめたい(注6)ということであって、つまり自己表現欲から出てくるものだ。それなのに、他人
の作品をマネているのでは、自分の表現にはならないのではないか。

自己表現欲ことは、確かにその通りである。しかし、慌てないで順に段取りを踏んでいこうではない
か。いきなり自分らしさを出したいと考えるのではなく、まずは世間が振り向いてくれるレベルのものが
書けるよう、上達する必要があるのだ。

私の書くものには価値があるのだから、世間が注目しなければならない、と思い込んでしまう人が案
外いるのだが、それではなかなか読んでもらえない。

だから、まずはうまく書けるようにならなければいけない。

そのための訓練として、ある作家を熟読(注7)しているというのは、大変に有効なのである。

(清水義範「小説家になる方法」による)

(注1)ベストセラー:ここでは、最も売れている本

(注2)肌合いがよい:ここでは、自分の感覚に合う

(注3)心地よい:快い

(注4)描写する:表現する
(注5)作風:作品に表れた特徴

(注6)知らしめたい:知らせたい

(注7)熟読する:意味を考えて、よく読む

①もっとよくないとあるが、なぜか。

1. 話題作は次々と変わるので、共通の特徴がつかめないから
2. 話題作となる理由はさまざまなので、参考にならないから
3. 話題作ばかり読んでも、作品の本当のよさがわからないから
4. 話題作を参考にしても、他者と似た作品にしかならないから

②それとは何か。

1. 話題作を書いたいろいろな作家の小説作法
2. 話題作をたくさん書いたひとりの作家の小説作法
3. 自分の好きな多くの作家の小説作法
4. 自分の好きなひとりの作家の小説作法

筆者によると、小説になりたい人がまず目指すべきことは何か。

1. 自己表現欲を従って、完成度の高いものを書くこと
2. 自分らしさが伝えられるようにうまく書くこと
3. 世の中の人に読んでもらえる段階まで上達すること
4. 自分が書いた作品に自身を持って、世に発表すること"

bài 55
"今までは、どちらかというと、どんな心持ちで勉強や仕事をしていったほうが幸せだろうかという視点
で考えてきましたけれど、そうではなくて、社会の制度のあり方として、どんなものがよいだろうかという
点を考えてみます。
ひとつの提案は、もう少し進学のプロセスを変えてはどうか、少し大胆にいうと高校からダイレクトに大
学へ進学するのを原則禁止して、いったん社会に出て働くことにしてはどうか、ということを考えてい
ます。

よく言われていることですが、日本の大学は、大学入試のゴール地点になってしまっていて、そこで
何を学ぶのか、そこでどんなことを身につけるのかという意識がかなり希薄です。いっぽうでは、大学
を出てから働き始めた多くの人が、大学時代にもっと勉強をしておけばよかったと後悔したり残念
がったりしている姿をよく見かけます。①これはとてももったいないことだと思います。

このようなことを言うと、ならば、大学でもっと勉強をさせるようにすればいいじゃないか、それは大学
でちゃんと教えていない君たち教師の責任じゃないか、というお叱りを受けそうですし、たしかに②反
省すべき点は多々あると思います。けれども、現状では大学生がなかなかやる気を持てないという面
もあるように感じています。

それは、実社会で実際の仕事などを経験してみないと、その学問の重要性や必要性を実感できない
という面があるからです。とくに経済学のような学問はそういう傾向が強いように思います。

①これはとてももったいないこととあるが、何がもったいないのか。

勉強できる環境では勉強の必要性に気づけず、卒業後に気づくこと
苦労して大学に入っても、大学の勉強が合わない学生が多いこと
本当に勉強したがっている卒業生が、大学に入り直せないこと
在学中の学生が、後悔している卒業生の姿を見ることができないこと

②反省すべき点は多々あるとあるが、反省するのはだれか。

大学生
大学の教師
叱っている人
大学を出てから働き始めた人

筆者が大学進学について提案をしているのはなぜか。

大学進学者の数を少なくするため。
大学の授業をもっと深い内容にするため。
大学生がやる気を持てるようにするため。
大学に入ってから後悔しないようにするため。"

bài 56
"私は食べ物については好き嫌いが多いが、研究テーマや人間関係についてはあまり好き嫌いがな
い。ところが、いろいろな人と話をしていると、意外に好き嫌いがあるという人が多い。この研究は嫌い
とか、この人は好きじゃないとかよく耳にする。しかし、どんな研究にも視点を変えれば学ぶところは
必ずあるし、人間も同様に、悪い面もあればいい面もある。やって損をするという研究は非常にまれ
であるし、つきあって損をするという人間も非常に少ない。

科学者や技術者であるなら、発見につながるあらゆる可能性にアンテナを伸ばすべきで、そのため
には、好き嫌いがあってはいけないように思う。研究の幅や、発見につながる可能性を大きく(注1)狭
めてしまう。

ところで、(注2)そもそも好き嫌いとは何だろうか?

自分の研究分野は、理系であることには間違いない。しかし自分でも、理由があって理系の道を選ん
だとは思えない。単なる偶然の積み重なりの結果なのだ。

「自分の好みや(注3)得手不得手で選んだ」とあとから言うのは、その偶然の選択に何らかの理由を
与えないと、あとで悔やむことになるからだと思う。たとえば、理系の道を選んで思ったような成果を上
げられなかったとき、「なぜ文系の道を選ばなかったのか」と思うような後悔である。遠い過去にさかの
ぼっていちいち後悔していては、その時点の目の前の問題に力を注げず、前向きに生きていくことは
できない。

そう考えると、好き嫌いや感情というものは、偶然の積み重なりで進んでいく人生を自分なりに納得す
るためにあるようなものと言えるのではないか。好き嫌いや感情は、無意識のうちに、自分を守るため
に、自分を納得させるために、都合よく持つものなのだろう。

感情や好き嫌いは(注4)元来人間に備わっているもめであるというのは間違いないが、人間は、十分
な理由がないまま行った自らの行動を、納得し、(注5)正当化するためにも、感情や好き嫌いを用い
る。人間は、他の動物にはない、そんな感情や好き嫌いの利用方法を身につけているのかもしれな
い。
(注1)狭める:狭くする
(注2)そもそも:もともと
(注3)得手不得手:得意不得意
(注4)元来:初めから
(注5)正当化する:ここでは、間違っていなかったと思う

好き嫌いがあってはいけないと筆者が考えているのはなぜか。

1. どんな研究であっても、役に立つ新しい発見につなげられるから
2. どんなことでも、自分の研究に役立つものがあるかもしれないから
3. 好き嫌いで判断することによって、悪い面に気づきにくくなるから
4. 嫌いなことには、自分が気づかない重要なことが隠されているから

筆者は,どうして理系に進んだのか。

1. 文系が得意ではなかったから
2. 自分の気持ちに従ったから
3. 特に嫌いではなかったから
4. たまたまそうなったから

筆者は、好き嫌いとは人間にとってどのようなものだと考えているか。

1. 自分がこれからとる行動を決める時のきっかけになるもの
2. 自分が前向きに生きていくために意識的に利用しているもの
3. 自分の研究や仕事がうまくいくように普段は抑えているもの
4. 自分の行動や選択が間違っていなかったと思うために用いるもの"

bài 57

"戦後日本の経済は、奇跡とも言えるような発展を遂げてきた。それはなぜか。夢が あったからであ
る。豊かな暮らしをしたい。アメリカに追いつき、追い越したい。そん な夢があったからこそ、国民全
体が一生懸命努力をしたのだ。( 日々の食事に 困っていたとしても、着るものも満足になかったとし
ても、常に日本人は明日を夢見てい た。いつか、すばらしい生活ができるようになる。いつか、すば
らしい時代がやってくる。 その夢があればこそ、貧しいながらも眼の輝きだけは失っていなかったの
である。
(江口克彦「上司の哲学」による)

Câu hỏi:

(….)に入る言葉として、正しいのはどれか。

1 ところが

2 ところで

3 たとえ

4 たとえば

bài 58

"現在の子どもたちにとって、より大切なのは協調性を身につけることではないだろう か。周囲の人間
と協力して何かをするという能力は生きていくうえで、とても大事であ り、1それは少子化が進む現代
社会では、意識的に教えなければ身につかないものだか らである。

昔であれば、家族に兄弟が多かったので、けんかをしたり仲直りをしたりしながら、 何か一つのことに
協力し合うという経験が、自然にできたし、家の外でも、さまざまな 年齢の近所の子どもたちと遊ぶ中
で、力を合わせて何かをするという機会に数多く出 会ったはずだ。

しかし、子どもの数が一人以下の家庭が中心になった現在では、2そのような場がほ とんどないので
ある。近所の子どもが家に来ても、テレビゲームをやっているのでは、 協調性など身につくはずがな
いだろう。

個性の尊重という教育も必要ではあるが、せっかく子どもたちが集まる場があるのだ から、学校では、
ぜひ子どもに協調性を身につけさせてもらいたいものである。

(アルフレッド アドラー「子どもの教育」による)

Câu 1:「それ」は何を指すか。

1 協調性
2 コミュニケーション能力

3 生きていく能力

4 環境に適応する能力

Câu 2:「そのような場」とは、どのような場のことか。

1 学校の遊びの場」

2 協力して何かをするというような場

3 個性を生かせるような場

4 子どもが集まるような場

Câu 3:

この文章で筆者が最も言いたいことはどれか。

1 少子化が進む現在、個性を尊重する教育はとても重要だ。

2 協調性を身につけるためには、まず個性を尊重しなければならない。

3 子どもにとって、周囲の人々と協力して何かをするという能力は、とても大事である。

4 子どもに協調性を身に付けさせるのは学校の責任である。

bài 59

"多くの人は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球をしている。それなのに、 財産やお金
よりも大切な、自分のいのちのために全力投球している人は少ない。なぜそ の大切ないのちのため
に、時間と財産を提供しないのか、そして安全に確保されたいの ちを思い切り有効に使おうとしない
のか。自分のいのちを自分で格調高く保つための勉 強を、めいめいがもっとしなければならない。

(日野原重明「いのちの言葉』による)
Câu hỏi :

筆者が一番言いたいことはどれか。

1 財産や名声や地位のために全力を尽くすより、自分の身の安全を確保したほ 「うがいい。

2 人は何よりも大切な命をもっと有効に充実に生きるべきだ。

3 いのちは一度しかないのだから、もっと格調高い勉強をしたほうがいい。

4 自分の時間と財産を大切な命のために投入し、自由に好きなことをやったほうがいい。"

bài 60
実は母親自身も、「きょうはちょっと脈が早い」とか、「頭が痛い」とか、「肩がこった」 とか、「最近ちょっ
と腰痛だけど、背骨がずれているのではないか」とか、しょっちゅう自分の健康を気にしている。そし
て、お母さんの楽しみは、近くによいカイロプラク ティック(注)の先生を見つけて通うことであったり、あ
るいは、どこかの健康教室の話 を聞くことである。新聞でも健康欄は欠かさず見ている。

(小此木啓吾「困った人間関係」の精神分析』による) (注)カイロプラクティック:骨を正しく治すこと

Câu hỏi:

文章の内容と合っているものはどれか。

1 母親は頭痛や腰痛がきっかけで、健康教室に通うようになった。
2 母親は背骨がずれていると言って、よくカイロプラクティックのお医者さんに診てもらったりする。
3 新聞の健康欄に目を通すのが母親の楽しみである。
4 母親は健康を気にしていて、よくお医者さんに診てもらったり、新聞の健康欄 などをチェックしたり
している。"

bài 61
自分の痛みを痛みとして感じ、悲しんだり苦しんだり怒ったりすることは決して悪い ことではない。そ
れをどの程度、人に見せるのかはともかく、誰でも心の中ではいろい。 ろな痛みを感じていて当然
だ。ところが、人の痛みを痛みとして「認めない」人もいる。 C男さんは、誰かが落ち込んでいるのを見
ると、「そのくらいのことで、なんだ」とイライラする。自分のほうがもっとたいへんだ。自分のほうがもっ
とつらい思いを味わって いる。自分のほうがもっと疲れている。それなのに...というわけだ。

(斎藤茂太「なぜか「人の心をつかむ人」の共通点」による)

Câu hỏi:

文章の内容と合っているものはどれか。

1 自分の痛みは常に人の痛みより重く、切実に感じられるものだ。
2 自分の心の痛みを人に見せることによって、ストレスが解消できる。
3 自分の痛みを痛みとして感じるのはいいが、同時に人の苦しみも認めるべきだ。
4 落ち込んでいる時こそ、人と痛みを分かち合うことを忘れてはならない。"

bài 62
十年ほど前に、ある私立大の教養ゼミで、当時盛んだったリゾート開発について話し 合った時のこと
だ。一人の学生が富山から来ていると言うので、私は「富山は海はきれい だし、後ろに北アルプスも
あって、とてもいいところじゃないか」と話しかけると、その 学生は「でも何も遊ぶものがないんです」と
答えた。(中略)

かつて子どもたちは、学校から帰るとカバンを学校に放り出し、夕方まで近所の空き 地で遊んだもの
だ。このごろ家の中でのパソコンゲームなどが主となり、戸外で遊ぶこ とが少なくなっているらしい。

三年前、二十年ぶりに尾瀬ヶ原を訪れ、年配の女性が多いのに圧倒された。育児や家 事から解放さ
れた年配の女性が元気に山を歩く姿を、そのときは好ましく感じた。しか

し、やはり、若者の自然離れには愛いを覚えざるを得ないのである。 1自然を楽しむことが少なくなっ
たのは、子ども、若者だけでなく、その親の世代でも 同様であろう。世代を越えた自然離れは、( 1 )客
が減って閉鎖したスキー場が 出ていることにも現れている。

限りなく続く砂浜、一面の草原、深い森。2そうした場所で、ゆったりとした時間を 過ごすことは、思い
がけない動植物との出会いもあったりして、貴重な経験になるはず だ。しかし、残念なことに、四季
折々、弁当を作って里山などに遊びに出かけていく家 族の姿を見かける機会は、間違いなく減って
いる。

(朝日新聞夕刊2002年9月18日による)

Câu 1:

( )の中に入れる言葉として正しいのはどれか。

1 やはり

2 だから

3 たとえば

4 つまり

CÂU 2:

「そうした場所」とは何か。

1 近所の空き地

2 客が減って閉鎖したスキー場

3 開発されたリゾート

4 砂浜、森、草原など自然が美しい場所

CÂU 3:

筆者が一番言いたいことはどれか。

1 リゾートの開発により、きれいな自然が失われていくのが残念だ。

2 もっと自然との触れ合いを大切にしてほしい。
3 リゾートの開発と若者の自然離れは密接な関係にある。

4 時代の変化とともに人々が自然離れするのもやむを得ない。"

bài 62

自分ってどんな人間だろう。そう考えるとき、必ず、自分が所属する会社や学校、そ れに家族や友人
たちの顔が思いうかぶのではないでしょうか。人間は社会的な生き物で す。周囲の人たちとの関係
によって、自分自身の立場を確認し、自分自身を高め、成長 させるだけでなく、生活を充実させるた
めに、ほかの人たちに働きかけていくもので す。その意味でいえば、人は人間関係によって育まれ
ていくといっていいでしょう。

(町沢静夫『「こころ」を癒す心理学』による)

[55]

筆者が一番言いたいことはどれか。

1 自分自身がどんな人間なのかは家族や友人によって決められる。
2 人間はだいたい会社や学校のことを考えた上で、自分の立場を決める。
3 人間は社会的な生き物で、いろいろな人間関係の中で生きているのだ。
4 人間は自分の生活を充実させるために複雑な社会関係の中で働いているの

bài 63

"NHK 放送文化研究所は、ことわざが正しく覚えられているかどうかについて、東京 100キロ圏の16


歳以上の男女1800人に調査を行い、その結果がまとまった。(数字はパー セント)

「情けは人のためならず」という言葉の意味は、人に親切にしておけば、それがいつか 自分にかえっ
てきてよい報いがある。この正解率は37.1で、「人に情けをかけると、相手 のためにならない」が53.3と
トップだった。「人に情けをかけると、ろくな結果にならな い」が7.4。誤解が正解を上回った顕著な例
で、誤解が定着しつつあるといえる。

1「気の置けない人」の意味は、気楽につきあえる人。だが正解は46.1で、「油断のでき ない人」の51.1
を下回った。「油断」派は10代、20代で6、7割を占め、若い世代では誤用 が主流になっている。
2「犬も歩けば棒にあたる」とは「余計なことをすると災難にあう」と「なんかしていれ ばいいことがある」
という正反対の解釈があり、両方とも正解とされる。前者が17.4、後 者が37.7だったが、「人生は先のこ
とがよくわからない」という新解釈が41もあり、最大 だった。ほとんどの人が知っていたことわざだった
が、解釈はまちまちで、ことわざとし ての存在意味に疑問が生まれる結果だった。

調査をしたNHKでは、「ことわざへの関心は予想していたほど低くはなかったが、解 釈にゆれが多
かった。生活のなかで耳から聞くことが減ってきたからでしょうか」と話し ている。

(斉藤純男「ことわざ一ゆれる解釈」による)

[60] 調査の結果によると、大半の現代人に捉われている「情けは人のためならず」という言葉の意味
はどれか。

1 人に親切にしておけば、それがいつか自分にかえってくるだろう。
2 人に情けをかけると、相手のためにならない。
3 人に情けをかけると、ろくな結果にならない。
4 人に親切にしすぎると、その人のためにならない。

61
1「気の置けない人」という言葉のもともとの意味はどれか。

1 遠慮せずに付き合える人
2 油断のできない人
3 目立たない人、
4 気が合わない人

62
2「犬も歩けば棒にあたる」の新解釈に合うものはどれか。

1 余計なことをすると災難にあう。
2 なんかしていればいいことがある。
3 人生は先のことがよくわからない。
4 どんなことも頑張りさえすれば成功できる。
bài 64

"国際宇宙ステーションは、地球から約 400km離れたところを回る巨大な有人実験施設 である。宇


宙では、地球から運ばれる水はコップ1杯 30~40万円に相当するほど高価なも のとなるが、2008 年
に、ステーションで使用した水をリサイクルする装置が設置された。 再生された水は飲料水や実験の
ほか、酸素を作り出すのにも使われる。いずれ装置が完全 に機能すれば、地球から新たに水を運ぶ
ことも不要になる。

Câu hỏi:

再生装置が完全に機能すると、国際宇宙ステーションで使われる水はどうなると述べているか。

1 実験や酸素を作るときには地球から運ばれた水が使用される。

2 使用後の水はリサイクルされ、再生装置からすべて供給される。

3 飲料水は地球からの水を使用し、ほかは再生装置から供給される。

4 地球から運ばれる水と再生装置で作られた水の両方が使用される。

bài 65
木を植えることはいいことだ。われわれは無条件にそう考えがちだ。 でも、乾燥地帯に木を植えれ
ば、少ししかない水が吸い取られる。悪くすると地下水が枯 れ、川の流量も減る。

よく考えてみれば当たり前のことだろう。しかし、森林の役割を直視するあまり、自然 の循環を忘れた
「植林神話」が世界に広がっているそうだ。

(伊藤智章「窓」2008年2月26日付朝日新聞夕刊による)

CÂU HỎI :

「植林神話」とはどのようなものか。

1/ 乾燥地帯の地下水を増やすには、環境に適した木を植える必要があると考えること

2/ 自然界の水の施策を考慮して、場所を選んで木を植えたほうがいいと考えること
3/ 自然界における森林の役割に注目し、木を植えるのはいいたことだと考えること

4/ 乾燥地帯での森林の役割を見直して、木をどんどん植えるようと考えること"
"bài 66

社内にばかりいると、ビジネスマンとして(注1) 人脈も広がらない。そこで、セ ミナーや勉強会、講演会


などに出かけて自己を磨いている人も多いはずだ。しかし意 外と、あまりメモもとらず、「聞きっぱな
し」という人も多いのではないだろうか。

話を聞いているときは「なるほどなあ」と思っていても、それを的確にメモしてな ければ、あとになって
「あの話は何だったっけ」ということになる。人間は忘れやす い動物なのだ。 では、こういうときのメモ
はどうすればいいか? 基本的なことは、話の内容をいちいちすべてメモしまい、ということである。(注2)
漫然と聞いて、話したことをすべてメモしていたら、(注3)核心が見えなくなる。そ こで、自分の仕事や
ライフスタイルに関係すること、本当に興味のあることしかメモ しないのである。

(坂戸健司『メモの技術」による)

昔、ある大学者が、尋ねてきた(注4)局郷の後輩の大学生に、学 教授のこ とばをノートにとるのは(注


5)感だと訴えた。いまどきの大学で、ノートをとってい る学生はいないけれども、戦前の講義といえ
ば、一字一句ノームはるのは常識であった。 教授も、筆記に(注6)便なように、一句一句、ゆっくり話し
たものだ。

その大学者はそういう時代に、全部ノートするのは結局頭によく入らないという点に 気付いていたらし
い。大事な数字のほかは、ごく要点だけをノートに記入する。その方 がずっとよく印象に残るというの
である。 字を書いていると、そちらに気をとられて、(注7)内容がおるすになりやすい。

(外出避比古『思考の生理学』による)
(注1)又旅人のつながり

(注2)寝然と:あまり注意しないで、なんとなく、

(注3) 桜花:一番大切な部分

(注4) 同期の:同じ出身地の

(注5)患だ:ばかだ

(注6)便なように:便利なように

(注7)内容がおるすになりやすい:内容に注意が向かなくなりやすい

Câu 1:

Aは、なぜメモをとることを勧めているのか。

1 話の内容を忘れないようにするため

2 話の内容に集中できるようにするため

3 話の内容に興味が持てるようにするため

4 話の内容を聞き落とさないようにするため

Câu 2:

AとBで共通して述べられていることは何か。

1 メモやノートに話の内容のすべては書かないほうがよい。

2 聞いたことをすべてメモやノートに書くと記憶に残りやすい。

3 印象に残ったことだけを後でメモやノートにまとめるとよい。
4 メモやノートを的確にとれば話に関心が持てるようになる。"
"Lại tiếp tục một bài đọc so sánh hai đoạn văn nhé cả nhà^^

bài 67

次の人とBの文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びな さ
い。

自分の中にある固定観念(注 1)、思い込み、価値の枠(わく)組みを組み替えたり、転換することはなか
なか難し い。特にスポーツ選手は、「始めた以上はやり通せ」ということを常に言われて育っていく。
その考え方が染(しみ ついて、なかなか疑うことができない。途中変更することは目標をあきらめること
で、いけないことだと思い込んで

いる選手も多い。

でも、本当に一つの目標を固く決めつけて死守する(注2) 必要があるのだろうか。

(中略) もちろん、真(ま)面(じ) 目(め)に一本の道をつきつめる(注3)ことも大切だろう、でも、どうしてもう


まくいか ない時には、少し視点をずらしてみたり、大(だい)出くたん)(注4)に組み替えたりしてみること
も、また大切な方 法ではないかと思う。

【為末大「遊ぶ」があちー「ホモ・ルーデンス」で、君もべ!」による)

最近のスポーツ選手に目標をたずねると「世界で活躍(かつやく)したい」という答えが多く返ってくる。
世界的な 大会やチームで活躍(かつやく)する選手が増えた結果だろう。だが私が指摘したいのは、
目標が大きすぎたり遠すぎ たりするために、しなければならないことが具体的にイメージできず、途
中でやる気を失ってしまう選手が多いこと

大きな夢を実現するには、長期間にわたる日々の努力が欠かせない。意欲を持続させるためには、
少しずつでも前 に進んでいると感じられる達成感が必要だ。日様が大きすぎてするべきことが見えな
くなってしまった時には、今の 自分に一番必要なことを考えて日様を見直してほしい。
(注1) 歴定観念簡単には変わらない考え

(注2) 死守するここでは、最後まで守る

(注3) つきつめる:最後までやる

(社4) 大(だいいくたん)に:思い切って

Câu 1:

スポーツ選手の目標の持ち方について、AとBはどのような場合が多いと述べているか。

1.AもBも、あいまいな目標を立てる場合が多いと述べている。

2.AもBも、一つの目標を目指し続けなければならないと思い込んでいる場合が多いとかべている。

3.0は日様を変えてはいけないと信じている場合が多いと述べ、Bは大きすぎる目標を立てる合が多
いと述べ ている。

4.Aは目標達成にこだわりすぎている場合が多いと述べ、Bは世界で活躍する選手と同じような目標
を立てる場 今が多いと述べている。

Câu 2:

A とBが共通して重要だと考えていることは何か。

1. 確実に達成できる目標を立てること
2. 小さな日から着実に達成していくことに。
3. 先に進めなくなった時には目標を修正すること
4. うまくいかなくても最初の目標をあきらめないこと。
bài 68

次の人とBの文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びな さ
い。

A/
自分の中にある固定観念(注 1)、思い込み、価値の枠組みを組み替えたり、転換することはなかなか
難し い。特にスポーツ選手は、「始めた以上はやり通せ」ということを常に言われて育っていく。その
考え方が染しみ ついて、なかなか疑うことができない。途中変更することは目標をあきらめることで、
いけないことだと思い込んでいる選手も多い。

でも、本当に一つの目標を固く決めつけて死守する(注2) 必要があるのだろうか。

(中略) もちろん、真面目に一本の道をつきつめる(注3)ことも大切だろう、でも、どうしてもうまくいか な
い時には、少し視点をずらしてみたり、大胆(注4)に組み替えたりしてみることも、また大切な方 法で
はないかと思う。
【為末大「遊ぶ」があちー「ホモ・ルーデンス」で、君もべ!」による)

B/

最近のスポーツ選手に目標をたずねると「世界で活躍(かつやく)したい」という答えが多く返ってくる。
世界的な 大会やチームで活躍(かつやく)する選手が増えた結果だろう。だが私が指摘したいのは、
目標が大きすぎたり遠すぎ たりするために、しなければならないことが具体的にイメージできず、途
中でやる気を失ってしまう選手が多いこと

大きな夢を実現するには、長期間にわたる日々の努力が欠かせない。意欲を持続させるためには、
少しずつでも前 に進んでいると感じられる達成感が必要だ。目標が大きすぎてするべきことが見えな
くなってしまった時には、今の 自分に一番必要なことを考えて目標を見直してほしい。

Câu 1:
スポーツ選手の目標の持ち方について、AとBはどのような場合が多いと述べているか。
1.AもBも、あいまいな目標を立てる場合が多いと述べている。

2.AもBも、一つの目標を目指し続けなければならないと思い込んでいる場合が多いとかべている。
3.Aは目標を変えてはいけないと信じている場合が多いと述べ、Bは大きすぎる目標を立てる合が多
いと述べ ている。
4.Aは目標達成にこだわりすぎている場合が多いと述べ、Bは世界で活躍する選手と同じような目標
を立てる場 今が多いと述べている。

Câu 2:

A とBが共通して重要だと考えていることは何か。
1. 確実に達成できる目標を立てること

2. 小さな日から着実に達成していくことに。
3. 先に進めなくなった時には目標を修正すること
4. うまくいかなくても最初の目標をあきらめないこと。

BÀI 70:

大人になってからの勉強で、なかなか理解が進まないことの大きな原因の一つが、実は、復習をちゃ
んとしな いことにある。学生時代の勉強は、いやでも復習がカリキュラムの中に織り込まれている(注1)
ので、知識が 定着しやすくなっている。これに対して、大人になって自分で勉強するときには、意し
て復習の機会をつくらない と、一回本を読んだだけで「もうわかった。大丈夫」と思い込んでしまいが
ちになるのだ。 脳の特性(注2)として、日や耳から入った情報をいったん溜めておいて、その中から
必要のないと思 われる情報を自動的に脳の奥底にしまい込んでしまう。では、どこで、「必要な情報」
と「無用 な情報」をより分けている(注3)のかというと、同じ情報がくり返し入ってくるかどうかということで
ある。 この間隔は一カ月と言われており、すなわち、一カ月の間で最低二回繰り返して頭に入れるこ
とで、 「必要な情報」だと脳が認識し(注4)、知識が定着していくのである。逆に言えば、一度頭に入
れて覚えたつもりでも、一カ月の間に繰り返し情報が入ってこなければ、いずれは「無用な情報」とし
て脳がどこかに片付てしまうのだ。 この結果、いったん覚えたはずの知識が、しばらくすると記憶の
中から掻き消えて(注3) しまったようにな り、実際に試験をしてみるとまったく思い出せないということ
が起こる。そこで、「年をとって記体力が弱くなった」 とか、「できていたはずなのに」と落ち込んでしま
うけれど、実際には老化のせいでも何でもなく、単に復習をして いないだけだということが多いのだ。
《和田秀樹『10代からの勉強法 やる気・集中力をどう高めるか」による) (注 1) (お)り込まれる:ここで
は、入っている (注2)特性:ここでは、特徴的な働き (注3)より分ける:ここでは、分類する (注)認識す
る:ここでは、判断する (注5) 掻(か)き消えるなくなる (66).筆者によると、学生時代のほうが知識が
定着しやすいのはなぜか。 大人より記憶力が優れているから 大人と比べて「わかった」という思い込
みをしないから. 学校では一度学んだことを繰(く)り返し勉強するから 学校では覚えたほうがいい知
識だけが数えられているから.. . (67) 筆者によると、一カ月以内にどうすれば知識が定着していく
か。 得た情報をすでに持っている情報と関連づける。 得た情報をもう一度思い出して整理する。 得
た情報と関係のある情報を繰(く)り返し頭に入れる。 得た情報と同じ情報をもう一度頭に入れる。
(68). 筆者の考えに合うのはどれか。 大人が勉強する場合には、意識して復習を取り入れることが大
切だ。 大人が知識を習得するには、学生時代より多く復習しなければならない。 復習を習慣にすれ
ば、老化による記憶力の衰(おとろ)えを防ぐことができる。 一度忘れてしまった知識でも、復習すれば
思い出すことができる。
"飲み物を買いに飲料売り場に行くと、商品が多様になっていることに気づく。これらの中から消費者
に自社の製 品を選(せん)沢くたく)してもらうため、メーカーは味はもちろん、ボトルにもこだわってい
る。 あるメーカーが、仕事中に飲んでもらうことをねらって緑茶の新製品を開発した。仕事中によく飲
まれているコーヒ 一の代わりになるように、味は通常より濃くした。また、ボトルはペットボトルではな
く、コーヒーに多く使われる 金属製のものとし、香りが楽しめるように飲み口を広くした。ボトルの色使
いは濃い緑や黒や金などにして、味の濃 さや高級感を表現した。これらの努力が実り、ひねらいど
おりに好調な売れ行きを見せているという。

この例のようにメーカーがボトルにもこだわるのは、消費者にボトルの材質や形の好き嫌いがあるとい
う事実があ るからだ、茶のボトルに関するのある消費者調査の結果を見ると、金属製ボトルに対し
て、60 歳未満の人は高級感 を感じ好印象を持っているが、60歳以上の人は抵抗を感じ、ペットボト
ルのほうを好むことがわかった。しかし、ペ ットボトルを好むといっても、その形や色については意見
が分かれた。60歳以上の男性は見慣れた形や色のペットボ トルの評価が高いが、同年代の女性は
日新しい形や色のペットボトルに好感を持っていた。 年代や性別によってこのように好みが分かれる
以上、既に多様な商品が並ぶことになるのはもっともなことだろ

Câu hỏi:

(63).のねらいどおりに好調な売れ行きを見せているとあるが、どのような人たちによく売れているの
か。

1.仕事中にコーヒーを飲んでいた人たち

2.高級なコーヒーをよく飲んでいた人たち

3. 他とは違う緑茶製品を求めていた人たち"
BÀI 71

市場競争は、誰にとっても厳しいものである。市場で生き残るためには、市場競争という規律付 けに
従っていく必要がある。競争が大好きという人もいるかもしれないが、競争させられるのは嫌だ、という
人も多 いだろう、競争から逃れて、安心できる生活をしたいという人も多いはずだ。それでも市場競
争という仕組み を私たちが使っていくのは、市場競争のメリットがデメリットよりも大きいからである。よ
り豊かになれること、 誰にでも豊かになるチャンスがあることが大きなメリットである。

(大竹文雄『競争と公平感」による)

(53). 筆者の考えに合うのはどれか。

市場競争によって安心できる生活が保証される。
市場競争によって豊かになる機会が与えられる。
市場戦争がなければ豊かな生活は送れない。
市場競争に参加しないで生きることはできない。

BÀI 72

"森はいつも独特な香りに包まれ、さわやかに感じられるが、それはある物質の効果によ るものだ。そ
の物質は、木々が動けない体を守るために自ら作り出すもので、木につく虫 や菌の増加を防いだ
り、落ち葉や枯れ木が腐ったときなどに生じる嫌なにおいを消 したりする働きを持っている。さらにそ
の物質には、人間の神経を安定させる効果もある という。私たちが森林に入るとリラックスした気分に
なるのは、このためだ。

(注)調者: 非常に小さくて目に見えない生物

[55] ある物質の働きについて、この文章からわかることは何か。

1 人間の持つ嫌なにおいを防ぐ。
2 人々の気持ちを落ち着かせる。
3 落ち葉や枯れ木を渡りにくくする。
4 木々がもともと持っているにおいを消す。"
BÀI 73
練習のための練習”が行われているというチームがたくさんあります。練習は本番の 試合のために存
在すべきものです。本番で最高の実力を発させるためにすることを、練 習と呼びます。すなわち、休
養することが試合にとって、今、最もするべきことだとすれ ば、休養こそ勝つための練習といえるとき
があるのです。休養はサボることではなく、時 として練習なのです。

(社秀一『スラムダンク勝利学』による) |

56]筆者は、試合で実力を出すために何が大事だと述べているか。

1 “練習のための練習”をすること

2 練習でも最高の力を出すこと。

3 必要であれば休養を取ることは

4試合の前に休養を取ることで、

BÀI 74

“練習のための練習”が行われているというチームがたくさんあります。練習は本番の 試合のために
存在すべきものです。本番で最高の実力を発させるためにすることを、練 習と呼びます。すなわち、
休養することが試合にとって、今、最もするべきことだとすれ ば、休養こそ勝つための練習といえると
きがあるのです。休養はサボることではなく、時 として練習なのです。

(社秀一『スラムダンク勝利学』による) |

56]筆者は、試合で実力を出すために何が大事だと述べているか。

1 “練習のための練習”をすること

2 練習でも最高の力を出すこと。

3 必要であれば休養を取ることは
4試合の前に休養を取ることで、"

BÀI 75

一口にはもう一つの役割があります。相手を攻撃する道具としての口です。相手に噛みつ いて攻撃
する。そのためにはやはり口は一番前にとび出ていて、しかも固くなければいけ ません。一番前にと
び出ていて固い、それが普通の動物の口の特徴なのです 。

ところが、人間では、直立歩行をするようになって、口の役割が変わりました。なぜな ら、食べ物をつ
かむということは、直接口を使うのではなくて、手でできるようになった からです。食べ物を手でつか
んで口のところまでもってくることによって、口は必ずしも ( )。人間の口が進化(注2)の過程でだんだ
ん引っ込んできたのはそのためです。 さらに、直立歩行で手が自由になったために、相手への攻撃
も手を使ってできるようにな りました。その結果、攻撃の道具としての口の役割もだんだん失われてき
ました。必ずし も固い必要はない。柔らかくてもいい。こうして、口の周りがどんどん柔らかくなってい
ったのです。

(原島博『顔学への招待』による) (注1)哺乳類:子を乳で育てる動物 (注2)進化:生物が発達によって長


い間に変化すること。

Câu 63

人間以外の哺乳類の口について述べているのはどれか。

1) ロは顔の中で一番固いが、人間と同じように進化して引っ込んできた。

2) - 相手を噛んだり食べ物をつかんだりするため、口は固く前に出ている。

3) 食べ物を他の動物より早く口に入れるため、口が一番前に出ている。

4) 進化の過程でロが必ずしも相手を攻撃する道具ではなくなってきた

Câu 64:

( )に入る文として適当なものはどれか。

1)一番前にとび出ていなくてもよくなりました
2) 固くて引っ込んでいなくてもよくなりました

3) 相手を攻撃するためのものではなくなりました

4) 食べるためだけに使うものではなくなりました

Câu 65

人間の口が変化した理由について、正しく説明しているものはどれか。

1) 人間の口の周りは動物と比べて柔らかく、攻撃の道具にならなかったから

2) 直立歩行で手や足を使って相手を攻撃することができるようになったから

3) 哺乳類は手を使って食べるようになり、口でつかむ必要がなくなったから

4) 食べ物をつかんだり相手を攻撃したりするとき手を使うようになったから

BÀI 76
書き込みに関して注意すべきことをいくつか挙げておきます。

一つは、詳しく線を引いたり、きれいに記号をつけたりすることに気を取られないでほしい、ということ
です。

色つきのボールペンや蛍光ペンなどを使って、本や資料に、きれいに線を引いたり、書き込みをいれ
たりしている人を見かけますが、こういう人に限って、内容は頭に入っていないものです。

あくまでも大事なのは、文章を素早く正しく理解することです。書き込みはフリーハンド(注)でスピー
ディーに出できればよいのです。あとで自分が読み直したときに理解できればよいのですから、それ
以上の丁寧さはムダ以外の何物でもありません。

(注)フリーハンド:定規などの器具を使わないで書くこと
筆者の考えに合うものはどれか。

1. 書き込みは雑にしてはいけない
2. 書き込みには集中力が必要だ
3. きれいな書き込みができる人は、文章もよく読める
4. 文章理解より書き込みに力を注いではいけない"
BÀI 77

私たちは、食べるためばかりでなく、便利で快適な生活を送るため、知らず知らずのうちに多くの生き
物の命を奪っています。しかしこのことは、日常生活のなかで実感としてもつことはすくないでしょう。
人が生き物の命の尊さをわかるには、逆説的になる(注1)かもしれませんが、生き物の命をあやめて
いる(注2)という「実感」をもたなければならないでしょう。そうした過程を経なければ、いのちの尊さな
どということはわからないのではないでしょうか。

(松浦秀俊『川に親しむ』による)

(注1)逆説的になる:矛盾しているように見える

(注2)あやめる:殺す

そうした過程とはどのようなことか。

1. 生き物とともに、便利で快適な生活を送る経験をすること
2. 実際に生き物を殺しているということを心から強く感じること
3. 食べるためには、多くの生き物を殺すことは当然だと考えること
4. 多くの生き物の命を奪っていることに気づかないまま生活すること"

BÀI 78
「話し言葉」の最も重要な特徴は、声を使うところにあるのではなく、聞き手が目の前にいるというとこ
ろにあります。話し手と聞き手は、親しい関係の場合もあれば、初対面の人、行きずり(注1)の人の場
合もありますが、少なくとも両者は、そこがどんな場所で、どんな状況であるかについて、一定の共通
認識(注2)を持っています。同時に、相手がどういう人であるかについても、ある程度はわかります。

(中略)
ところが「書き言葉」になると、たとえ親しい相手への手紙でも、あちこちで説明が必要になります。自
分しか読まないはずの覚え書きでも、時間がたつと書かれた状況がわからなくなりますから、「あとで
読み返すかもしれない自分」への最低限の配慮(注3)はしておかなくてはなりません。説明するという
のは、「自分には言葉にしなくてもわかっていること」を、わざわざ言葉にする作業ですから、とても
やっかいです。でも、そこがきちんとできていないと、誤解が生じて取り返しのつかない(注4)結果に
なることもありえます。面とむかって(注5)の話なら、相手が気を悪くすれば急いで謝ることもできます
が、手紙だと、怒らせたことに気づかないまま関係が切れる恐れすらあるのです。

ですから、「書き言葉」においては、文字の読み書きという知識に加えて、自分が書いたものを読む
相手がどんな情報を必要としているかを推測する(注6)力、そして、その情報を、どんな言い方、どん
な順序で提供すれば、わかってもらいやすく、誤解が生じにくいかを考える力が、いかに(注7)大きな
意味を持つかが分かっていただけると思います。

(脇明子『読む力が未来をひらくー小学生への読書支援』による)

(注1)行きずりの人:たまたま出会った人

(注2)認識:理解

(注3)配慮:気配り

(注4)取り返しのつかない:もとに戻せば大変な

(注5)面とむかって:対面して

(注6)推測する:ここでは、想像する

(注7)いかに:どんなに

BÀI 79
人間の心理にはハロー(後光)効果といって、最初に受けた印象を強めていく傾向があります。例えば
お会いした時に清潔な印象をうけると、その人の部屋が本当は汚かったとしても「部屋はいつもきれ
いに片づいているに違いない。人間関係もきっとさわやかでしょう」などと、こちらが勝手にその人のよ
いイメージを重ねていきます。
反対にだらしない印象を受けると、部屋の中をピカピカにしていても「家の中も汚いだろう」と悪い印
象を重ねてしまうようです。

(岩下宣子「実践 マナー塾」2009年4月18日付日本経済新聞による)

Câu hỏi :

筆者はハロー効果をどのように説明しているか。
Tác giả đang mô tả thế nào về hiệu ứng hào quang

1. 新しいイメージを次々に重ねてことで、最初の印象は次第に変化していく。
2.
3. 初対面のときに受けた印象は、その後に持つイメージに影えい響きょうを与えていく。
4.
5. だれとでもよい関係を築いておけば、初対面の人にもよいイメージを与えられる。
6. 最初に悪い印象を与えてしまっても、その後の付き合いでイメージは変えられる。

BÀI 80
"写真家の北井一夫さんから教えてもらったことでもあるのだが、僕は写真は50.50の表現物だと思っ
ている。カメラを間に置いた向こう側とぼくとの表現性が、フィフティ.フィフティ(注1)の割合で成り立っ
ている。つまり100パーセント僕の表現だと恐れ多くていえないのだ。向こう側が表現しているものをカ
メラでサッと横取りして(注2)いるにすぎないでも一方で、その表現だと認めてカメラを向ける僕がいる
からこそ、向こう側の表現が生かされて像に結実する(注3)わけだ。

(注1):フィフティ.フィフティ:50対50、半分ずつ
(注2):横取りして:奪う
(注3):~~に結実する:~~として完成する

筆者は写真をどのようにとらえているか

1. 写真家が写される側に刺激されて表現したもの
2. 写真家が主体的に対象を選んで表現したもの
3. 写真家が対象を偶然にとらえて表現したもの
4. 写真家が写される側と共に表現したもの"

BÀI 81
たとえば、「走る」ことは、一見単純で誰にでもできる運動ではあるが、「速く走る技術」となると、なかな
か①身につけることが難しい。教えられたように走るフォームを改善することが簡単ではないからだ。

誰でもできる運動なのに、なぜその改善が難しいのだろう。

実は、普段慣れている動作ほど、その動作に対する神経支配がしっかりとできあがっているからだ。
運動の技術やフォームを改善することは、その運動を支配する(注1)神経回路を組みかえることにな
るので、そう簡単にはいかない。

コーチは、腕の振り、膝の運び方、上体の前傾の取り方など、フォームを(注2)矯正しようと指導し、
指導を受ける(注3)ランナーも指摘された体の動きの修正に意識を向けてトレーニングするのが普通
である。しかし、動作の修正には多くの時間と繰り返しが必要であり、またその効果が上がらないこと
も多い。そして、トレーニングの効果が上がらない人は、「運動神経」が良くないということになる。

②この場合、運動技術の修正は、「運動の神経回路を修正する」ことであると考えることによって、解
決の(注4)糸口がみつかる。

スポーツ技術や「(注5)身のこなし」の習得には、神経回路に直接的に刺激を与えるようなトレーニン
グ上の工夫が必要である。

工夫をいろいろと重ねるうちに、「動作をイメージし、それを体感する」ことが、運動の神経回路を改善
するのにきわめて有効であることがわかってきた。

(注1)神経回路:ここでは、神経をつなぐ仕粗み
(注2)矯正する:正しくなるように直す
(注3)ランナー:走る人
(注4)糸口:きっかけ
(注5)身のこなし:体の動かし方

「連く走る技術」はなぜ①身につけることが難しいのか。
走るフォームは一度固定されると変えられないから
走るフォームを指導する方法があまり改善されていないから
走るための神経の仕組みはすでにできていて変えにくいから
走るための神経の仕組みは他の動作とは違う特殊なものだから
②この場合とはどんな場合か。

練習に十分な時間が取れない場合
練習の効果がうまく現れない場合
走り方の改善に集中できない場合
コーチの指導が理解できない場合
筆者によると、「速く走る技術」を身につけるにはどうすればよいか。

速く走る動きを頭に描いてその感覚を体で感じるようにする。
神経の仕粗みに直接刺激を与えるためにいろいろな走り方を試す。
頭で考えるよりも、何度も練習を重ねて体で覚えるようにする。
コーチの指導を受けながら走り方の修正に全神経を集中させて走る。"
BÀI 82

以下は、絵本の選び方について述べた文章である。
たいへん有効な一つの方法は、絵本を見るとき、子どもと同じやり方、つまり、字は読まず、絵だけで
物語を追っていくというやり方で、絵本を見ていくことです。わたしも、新しい本を手にしたときは、か
ならずこのやり方で見ることにしていますが、そうすると、いろんなことが、とてもよくわかってきます。

字にたよらず絵だけ見ることは、わたしたちの心を、必然的に(注1)、単純で具体的な考え方のレベ
ルにとどめて(注2)くれますし、当然のことながら、絵の中に意味をさぐろうとする心の働きを強めてく
れます。そうして見ていくと、絵それ自体が何かを語りかけてくれる場合と、文を読んでからでなけれ
ば何の意味ももたない。いわば装飾的な(注3)働きしかしていない場合とが、実にはっきりしてきま
す。絵が何かを語りかけてくれないものは、ほんとうの意味では絵本とはいえないので、こうして見て
いくと、体裁(注4)は絵本でも、①絵本とは呼べないものが少なくないことがわかってきます。(中略)

また絵だけを丹念に(注5)見ていると、絵のもつ雰囲気も調子も、文と合わせ見るときより、よくわかる
気がします。そして、それをつかんだあとで文を読むと、絵と文の関係がしっくりいっている(注6)かど
うかが、はっきりわかります。登場人物の服装とか、背景(注7)とかの具体的な事実が、文と絵で違っ
ていることがいけないのはもちろんですが、絵全体の調子やムードが、物語のそれと合わないのは、
絵本としては、②大きな欠点です。

(松岡享子・東京子ども図書館『えほんのせかいこどものせかい』による)
(注1)必然的に:ここでは、必ず

(注2)~にとどめる:~のままにする

(注3)装飾的な:飾りのような

(注4)体裁:形式

(注5)丹念に:細かく注意しながら

(注6)しっくりいく:よく合う

(注7)背景:ここでは、後ろの景色

筆者によると、字を読まないで絵だけで絵本を見るとどうなるか。

絵の中から意味を見つけようとする
字を読むより感動できる
字を読むより物語がよくわかる
絵を見て自由に物語を作ろうとする
①絵本とは呼べないものとはどのようなものか。

絵がないと、文の意味がわからないもの
絵と文の意味が合っていないもの
絵だけでは何も伝わってこないもの
絵と文を一緒に見ても、面白くないもの
②大きな欠点とは何か。

絵の雰囲気や調子がつかみにくいこと
物語としてあまり感動を与えられないこと
絵の具体的な部分が、絵全体と合っていないこと
絵と物語の、雰囲気や調子が異なること"
"交際、付き合い、コミュニケーション、愛、会話――どのような呼び方をしてもいいけれども、人が動
物とふれ合っていて、最も重要でありながら忘れがちなのは、可愛いという気持ちにつき動かされる
あまり、こちらの方が積極的になり過ぎ、相手に表現させるのを忘れることだ。

猫だって犬だって甘えたい。

“好き”という気持ちを伝えたい。

ゴマンと(注)付き合い、やっとそれがわかったのだから、私は相当に鈍い。

(畑正憲「ムツゴロウの動物交際術」による)

(注)ゴマンと:非常にたくさん

動物との付き合いを通じて、筆者が何がわかったか。

1. 動物とも人と同じように接したほうがいいこと
2. 動物に積極的に気持ちを伝えたほうがいいこと
3. 動物にも気持ちを表現させたほうがいいこと
4. 動物と純粋な気持ちでふれ合ったほうがいいこと"

BÀI 83

客は、自分が好きな本を並べている本屋にであったとき、いい本屋だと思う。だが、その本はすでに
もっているからもう買わない。だからその本は売れないのだが、客は自分の好きな本を置いてくれて
いるその本屋に、他にも面白い本があるだろうと期待して何度も足を運び、別の本を買ってゆく。数
字上は売上ゼロ冊の本がこうして店の売上げに貢献していることを考慮せずに棚をつくっていけば、
本屋は魅力のない空間になってしまう。

(石橋毅史『「本屋」は死なない』による)

魅力ある本屋の姿勢として、筆者の考えに合うのはどれか。
1. 売れない本はできるだけ置かないようにする
2. 売れない本がなくなるように客の好みを調べる
3. 売れない本にも興味をもってもらえるよう工夫する
4. 売れない本も役割をもっていることを理解する"
BÀI 84

私たちはなぜ観光をしたくなるのでしょうか。細かい条件にこだわらないで大胆に述べるならば、それ
は「変化」を求めるということです。私たちの感覚は同じ刺激を受け続けていると、その強さ、性質、明
瞭性などはしだいに弱まります。著しい場合には刺激の感覚が消失することもあり、こうしたことを感
覚の順応といいます。風呂の湯の熱い温度や腕時計をつけた時の違和感など、初めは鮮明な感覚
であっても数分もしないうちに減衰してしまいます。同様のことが日々の体験についてもいえるでしょ
う。(中略)よく言えば慣れてくる、悪く言えば飽きてくるのです。そこで人は新たな刺激、つまり日常に
存在しない感覚や感動を求めるのです。そのために新しい刺激をもたらすための「変化」が必要にな
ります。変わった珍しいコトやモノを手に入れても、日常生活がベースになっていたのでは「変化」は
日常の一部分にしかなりません。より劇的な「変化」を求めるには自らが「変化」の中へ入る、すなわち
日常と離れた場所へ移動することでそれは達成されます。自分の家の近所へ移動した程度ではそれ
ほどの変化は得られません。遠くへ離れれば離れるほど、見知らぬ町並みや自然の風景、聞きなれ
ない言葉や音楽、初めての味や香りなどが立ち現われてくるのです。外国で異文化に接するとき、こ
の「変化」は最大になり、自分自身を除く周囲のすべてが「変化」した状態となるのです。

(堀川紀年・石川雄二・前田弘編『国際観光学を学ぶ人のために』による)

こうしたこととは、どのようなことか。

強弱の違う刺激を受けていると、その違いを感じなくなること
刺激を受ける回数が減ると、その刺激に反応しなくなること
同一の刺激を受けていると、その刺激を感じにくくなること
与えられる刺激が弱まると、その感じ方も弱まること

筆者によると、なぜ人々は観光したいと思うのか。

日常生活の良さを再確認するために「変化」が欲しいから
新しい自分に生まれ変わるために、「変化」が必要だから
日常生活の中に「変化」を取り入れたいから
日常生活では感じられない「変化」を求めるから

以下の例のうち、旅行者にとって「変化」が最大になるのはどれか。

文化の異なる国へ、一人で初めて旅行したとき
文化の異なる国へ旅行してから、日常へ戻ってきたとき
文化の異なる国へ、知人と旅行したとき
文化の異なる国へ旅行することが、自身の日常になったとき

BÀI 85
"ぼくはいつも思うのだが、視覚にとらえたものをただ単に描いても、決して絵画にはならない。視覚
のかなた(注1)にかくされているものをとらえて、それを画面に定着させたとき、はじめて絵画が誕生
する。絵画とは目の前の自然を心のなかに消化し、それをもう一度吐きだす作業によって生まれるの
だ。そうすることによってはじめて普遍的な(注2)美の世界が出現するのだと思う。だから芸術というも
のは、理屈(注3)では解決できないものなのだ。理屈を超えたところに本当の美がある。

(石本正『絵をかくよろこび』による)

(注1)かなた:向こう

(注2)普遍的な:広くすべてのものに共通して見られる

(注3)理屈:論理的な説明

筆者が考える絵画とはどのようなものか。

目の前にあるものをできるだけ現実に近づけて描き表したもの
目の前に存在しないものを想像しながら描き表したもの
目で見たものを心のなかに感じ取って描き表したもの
目で見たものを想像力で補い美しく描き表したもの"
BÀI 86

日本ではよく、「若者はもっと個性を発揮すべきだ」とか、「個性を磨くべきだ」などと言われます。けれ
ど私は、そういう言葉にはあまり意味がないと思っています。
また、日本では「個性」という言葉が主に人の外観に関して使われることにも、私は違和感(注1)を
持っています。たとえば、「個性的なファッション、個性的なヘアスタイル」は、「人がアッと驚くような奇
抜(注2)なスタイル」であることが多いでしょう。

(中略)

このように考えると、「個性=人より目立つこと」と、多くの人が錯覚(注3)しているのではないかと思い
ます。

でも、根本的なことを言ってしまえば、この世に生まれた人間は一人残らず全員、それぞれの個性を
持っています。だから、誰かに「磨きなさい」と命令されて、義務のように磨く必要などないのです。

あなたが生まれ持った個性は、明らかにあなただけのものです。世界中に、あなたと同じ個性を持つ
人など誰一人としていないのですから、「他の人はどうかな?」とキョロキョロすることは不必要だし、他
人の真似をする必要もありません。真似しようとしても真似できないのが、個性というものなのです。

あなた自身が「楽しい、面白い、不思議だ、ワクワクする、ドキドキする」と感じ、心から求めているもの
を優先すれば、それでいいのです。「磨く」とか「発揮する」などと意識しなくても、自分が本当に好き
なもの、興味があることに気持ちが向かっていけば、自分の世界がどんどん広がっていく。それが本
当の意味で「個性を磨く」ということです。

(今北純一『自分力を高める』による)

(注1)違和感:ここでは、なにか違うという感じ

(注2)奇抜な:珍しくて目立っている

(注3)錯覚する:勘違いする

日本人が使う「個性」という言葉について、筆者はどのように述べているか。

人によって使い方がさまざまだ。
意味がないと思っている人が多い。
本来の意味とは違う使い方がされている。
主に若者に対して使われている。

個性について、筆者の考えに合うものはどれか。

人より目立つことで発揮できるものである。
人間なら誰でも持っているものである。
他人には理解できないものである。
ファッションを通して主張できるものである。

筆者によると、本当の意味で「個性を磨く」とはどのようなことか。

自分が好きかどうかより、個性的に見られるかどうかを優先すること
自分の心に従って、関心があることを追い求めること
どんな物事にも、楽しさや面白さを見つける努力をすること
周囲の意見を参考に、無理なく自分の世界を広げること"

BÀI 87

自分を出せない」と言う人が多い。本当はこんなことを思っているのに、それを口に出せない、表現で
きないのが不満なのである。

①こういう人が強く惹かれるのが、「ありのままの自分」という言葉である。心のことや人間関係に関す
る本などを読んでみても、「ありのまま」でふるまうこと、生きることがどれほどすばらしいかと書かれて
いるので、ますますそれに憧れてしまうようである。

けれども、人は、他の人との関係を生きる限り、つまりこの社会の中で生きる限り、「ありのままの自分」
でいることを制限されるのはやむを得ないことなのである。(中略)

好むと好まざるにかかわらず、社会を維持するために秩序が必要であり、その結果、そこに生きる
個々人がさまざまに制約を受けるのは当たり前のことと考えなければならない。

私たちは小さい頃から②「社会的な自己」というものを形成していく。こういう場面ではこのようにふる
まわなければならない、といったことを学習させられる。校長先生の前ではこのようにしていなさい、初
対面の人の前ではこのようにふるまいなさい、と。このようなことを学習していないと、つまり「ありのま
ま」でいると、社会に適応できない仕組みになっているのだ。
しかし、その社会的な自己、さまざまな場面でいろいろな自分を出すことが、何か嘘の自分であるか
のように思ってしまう人もいるわけだ。そこには何かしら勘違いがある。人と人の関係には必ず役割と
いうものがあって、その役割を学び、生きることこそが必要不可欠なのである。

(すがのたいぞう『こころがホッとする考え方』による)

①こういう人とはどのような人か。

言いたいことを伝えられないことが不満な人
言いたいことを理解してもらえないことが不満な人
思いを表現しなければならないことが不満な人
個性的な表現ができないことが不満な人

②「社会的な自己」とはどういうものか。

どんな場面でも自分らしさが出せる自分
社会のために役に立つことができる自分
場面に応じて適切な態度をとれる自分
自分より他の人の思いを尊重する自分

「ありのままの自分」について、筆者はどのように考えているか。

人との関係を保てるなら、「ありのままの自分」でいることが許される
「ありのままの自分」を知らなければ、社会の中で自分の役割も分らない
「ありのままの自分」でいては、社会の中で役割を果たすことができない
「嘘の自分」を演じるよりは「ありのままの自分」でいたほうがいい"

BÀI 88

この冬の3ヶ月間、私は会社の仕事でアメリカに行っていました。私は日本料理の店にはまったく行き
ませんでした。外国にいる時は、その国の料理を食べたいと思っているからです。ところが、3週間
経った12月の終わりの頃、なぜか正月は日本料理を食べたいという気持ちになってきました。日本人
の友だちの奥さんに、材料はどこへ行ったら買えるのか聞いてみました。そういうのをまとめて売って
いるスーパーがダウンタウン(注)にあるから、今から頼んでおくといいと教えてくれました。
これには本当にびっくりしました。15年前、まだ学生だったころの冬休みにここへ遊びにきたとき、日
本料理の店に行かなければ、正月の料理は食べられなかったのです。それが今、安い値段で簡単
に買えてしまうのですから、これは大きな変化です。

この15年の間に何があったのでしょうか。ここに住んでいる日本人が増えたのでしょうか。それとも、日
本料理の人気が高くなったのでしょうか。どちらも正しいように思えるし、どちらも違うような気もしま
す。とにかく、正月に日本料理が食べられたのは、嬉しいことでした。

(注)ダウンタウン:下町。商業地域。

そういうのとありますが、どういうものか。

日本人の友だちの奥さんに頼んだもの
アメリカの料理に使うもの
正月の日本料理に使うもの
ダウンタウンのスーパーにあるもの
この15年の間に何があったのでしょうかとあるが、筆者は何に対してそう言っているか。

アメリカのダウンタウンにスーパーができた理由
アメリカに住んでいる日本人が増えた理由
アメリカで日本料理の人気がますます高くなる理由
アメリカでも日本料理の材料が簡単に買える理由
この文章の内容と合っているのはどれか。

日本人の友だちの奥さんが正月の日本料理に使うものを買ってくれた。
アメリカでも正月の日本料理が食べられるようになってびっくりした。
アメリカでは日本料理の店に行かなくても日本料理は食べられるようになった。
最近都市の中心部に住む日本人が増えるにつれ、日本料理の人気は高くなった。

BÀI 89
"心理学者で立正大学特任講師の内藤誼人さんも、就寝(注1)直前の勉強を勧める一人。では、日
中の勉強は無駄が多いだけかというと、「そんなことはありません」と内藤さん。眠る前以外にも、記憶
をするのに効率的(注2)な時間帯があることが分かっているそうです。
以前、アメリカの教育心理学者が、小学5、6年生を対象に、記憶力や理解力が時間帯によってどう変
わるかを調べる実験を行ったことがあります。その結果、計算や暗記などの作業効率は、午前10時と
午後3時くらいがピークでした。

午前8時の成績を100とすると、同10時に160まで上昇。その後、午後1時に98まで下がり、同3時には
103に上がるという曲線を描いたそうです。

「午前と午後に一度ずつ効率の上がる時間帯に、最も集中して勉強すれば効果的。もちろん個人差
はあるので、自分のリズムをきちんと把握(注3)し、ノッてい(注4)時間帯を見つけることが大切です」

1日に5時間勉強し、1時間に50個ずつ覚える。そんなやり方は、非効率極まりない(注5)。絶好調(注
6)の時間帯に2倍のノルマ(注7)を課し、それ以外は軽く流す。タイミングをとらえた勉強法が、記憶
力を高めるのです。

「能率の波は、自分で意識的にコントロールすることもできる。自分が勉強する時間帯に、最も頭の働
きが良くなるよう習慣づけられればベスト」と内藤さん。タイミングを待つだけではなく、自分から作り出
す“攻めの姿勢”が求められるのです。

(読売新聞2011年11月18日付朝刊による)

(注1)就寝:寝ること

(注2)効率的な:ここでは、効果が上がりやすい

(注3)把握する:ここでは、つかむ

(注4)ノツている:ここでは、調子が良い

(注5)~極まりない:非常に~だ

(注6)絶好調の:非常に調子が良い

(注7)ノルマ:ここでは、しなければならない勉強の量
アメリカの教育心理学者の実験結果について合っているのはどれか。

午後3時ごろの方が午前10時ごろより成績が良い
午前10時ごろの方が午後3時ごろより成績が良い
午後1時ごろの方が午前10時ごろより成績がよい
時間帯が遅ければ遅いほど成績が上がる

この文章によると、効果的な勉強法とはどのようなものか。

勉強の量と時間を毎日一定にする
調子の良い日に集中して勉強する
頭の働きが良くなる時間に勉強する
毎日勉強することを習慣づける

“攻めの姿勢”とは何か。

能率を上げたい時間帯に能率のピークが来るようにする
能率のピークに活動できるように生活の時間を調節する
日中に能率のピークが来るように自分の生活を変える
能率のピークをできるだけ長く保てるようにする"
BÀI 90

美術館に皆展示してあるものに正解は一つもない。その作品をどう観るかはまったくの自由だ。

もちろん、その作品を制作したアーティストの意図は存在する。しかし、それは決してただ一つの正解
ではない。作者も考えていなかったような見方や、読み方ができることが芸術作品の魅力なのだ。優
れた作品は作者の意図を軽々と超えて、観客の心のなかで多様な気づきを生み出していく。多様な
解釈ができることは、優れた美術作品の条件だと言ってもいい。

しかし、日本人は、この「答えがない」ことが苦手なのだ。「美術は難しい」「絵はわからない」という声
をよく聞くのは、多くの日本人が美術や絵の見方に「正解」があると表いるからである。欧米ではこうし
た声は聞かれない。「美術は好きじゃない」「絵には興味がない」という人はいる。しかし、「わからな
い」ものだと思っている人はあまりいないのではないかと思う。

ただし、「絵が変わらない」と当惑気味につぶやくのは大人たちだけだ。子供はそんなことは言わな
い。
美術館で子供たちは、それぞれのやり方で作品を受け止める。(中略)

面白いと思えばハマる。思わなければ忘れてしまう。子供たちと美術の最初の出会いはそれでいい
のだと思う。

筆者は、どのような芸術作品が優れていると述べているか。

観る人が自由に解釈できる作品
観る人が共通の解釈を持てる作品
作者の意図が観る人の解釈を超える作品
作者の意図が明確で素直に解釈できる作品

筆者によると、日本人の大人が美術を難しいと感じるのはなぜか。

決まった見方があるのに自由に観ようとするから
見方に正しい答えがあるはずだと思っているから
誰も正しい見方を教えてくれないから
見方がいろいろあって選べないから

子供と美術の出会いについて、筆者はどのように考えているか。

絵がわからなくても大丈夫だ。
絵がわかったという実感が大切だ。
優れた作品に多く触れたほうがいい。
興味を持ったものを観ればいい。

"BÀI 91

"日本の大学生はコピーをとる機会が多い。コピー代は大抵1枚10円で、決して高くはない。けれども、
枚数が多いため、大学生にとってはそれなりの負担になる。コピー代が安くすめば、もう少し余裕の
ある学生生活が送れるかもしれない。

このような事情を実感していた①大学生たちが5人集まって、無料でコピーがとれるコピー機を大学に
設置する会社を始め、好評を得ている。
では、彼らはどうやってコピー代を無料にしたのか。それは、企業からの広告料を利用しようというア
イデアから始まった。仕組みはこうだ。まず、この会社は広告を出してくれる企業を募集し、広告料を
もらう。そして、その企業の広告をコピー用紙の裏面に印刷し、大学に設置した無料コピー機にセット
する。学生がこのコピー機を使うと、コピー用紙の表には学生のとったコピーが、裏には企業の広告
が載る。つまり、コピー用紙が企業の広告にもなるというわけだ。この会社は、このようにして得た広告
掲載料を、無料コピー機の経費にあてているのだ。

この仕組みは、広告を掲載する企業にとっても②利点がある。学生向けの広告を、学生に対しての
み効果的に出せるのだ。ちらしと違って読まずに捨てられることのないコピー用紙なら、学生が広告
を見る可能性が高い。実際に若者向けの商品を主力とする多くの企業が広告を載せているという。

学生のアイデアを生かしたこのような会社は、今後も増えていくだろう。

①大学生たちは何を目的として会社を作ったか。

1. 大学生にコピー代の節約を意識してもらうこと
2. 大学生が多くのコピーをとれるようにすること
3. 大学生のコピー代の負担を少なくすること
4. 大学生向けの情報をコピーを使って提供すること
この会社では、どうしてコピー代を無料にできるのか。

1. 学生が払うべきコピー代を、広告費として後から企業に請求できるから
2. 企業の広告が描かれたコピー機を、企業から借りられるから
3. 広告が掲載されたコピー用紙を、企業から提供してもらえるから
4. 企業から受け取る広告掲載料を、コピー機の経費として使えるから
②利点とあるが、この文章からわかる企業にとっての利点は何か。

1. 対象を大学生に絞り込めるので、効果的に広告を出せる
2. 広告に対する学生の反応を、今後の商品開発に生かせる
3. ちらしより捨てられにくいので、広告を出す回数が減らせる
4. 大学生を通して、他の人にも広告商品を宣伝できる"
BÀI 92

ルール」はなぜあるのでしょうか?
スポーツを理解するために最初に確認しておきますが、〝スポーツは人間が楽しむためのもの〟で
す。これが出発点です。決して「世の中に無ければならないモノ」でもなければ、生きるためにどうして
も「必要なモノ」でもありませんが、楽しむためのモノであり、その〝スポーツで楽しむ〟ために「ルー
ル」があるのです。

そして、ルールのもとで勝敗を競いますが、このことが楽しくないのであれば、スポーツをする価値は
ありません。

(高峰修『スポーツ教養入門』による)

筆者の考えに合うのはどれか。

ルールはスポーツで楽しむためのものだ。
スポーツはルールを理解してから始めるべきだ。
スポーツを通して、ルールの重要さが理解できる。
ルールのないスポーツにも価値がある。
"
BÀI 93
「最新の意味が、辞書に載っていない。」とはよく言われることである。保守的すぎる、と。辞書は、そ
の点、小回りがきかない。けれども、最新の意味を辞書に載せたとたん、その意味が消えてしまったら
どうだろう。その辞書は、もう使われもしない古い意味を載せていることになる。だから、辞書の編者
は、新しい意味が、日本語の中に、きちんと定着するかどうかを見極めている。保守的というより、慎
重だと言ってほしい。

「最新の意味が、辞書に載っていない。」とあるが、なぜか。

新しい意味が将来残るかを注意深く判断しているから
新しい意味がどのように変化するかを考えているから
新しい意味をどう説明するかをじっくり考えているから
新しい意味は時間がたつといずれ消えると思っているから"

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