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一ツ橋小学校事件 - Wikipedia 23/07/09 2:19 AM

一ツ橋小学校事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一ツ橋小学校事件(ひとつばししょうがっこうじけん)とは、1988年から1989年に
かけて、高知市立小学校の教諭が部落解放同盟高知市連絡協議会(解同高知市協)
から人権侵害を受けた事件。高知市一ツ橋小事件とも呼ばれる。

目次
1 経緯
2 落書の犯人について
3 参考文献
4 外部リンク
5 関連項目
6 脚注

経緯
1988年1月から同年4月にかけて、高知市立一ツ橋小学校の周辺の電柱などに「エ
タせんこうしね」などという差別落書が発見された。そして同校には、被差別部
落出身者を父親に、高知市教育委員会同和教育課長を夫に持つ女性教諭Oが勤務して
いた(ただしO教諭自身は部落出身ではなかった)。これに対して解同高知市協(森
田益子議長)は、高知市教育委員会と共に、この落書に書かれた教師はO教諭である
と決めつけ、"部落民としての誇りを持てば苦しみがなくなる"と同教諭に部落民宣
言を強要。同教諭がこれを拒絶すると、解同側は同教諭のプライバシーに関わるビ
ラをばら撒いた上、同教諭とその身内を"部落民なのに部落民宣言を拒む差別者であ
る"と『解放新聞』紙上や街宣車で中傷し、同教諭とその一族の人格権を侵害した。

1989年7月18日、同教諭は部落民宣言を強要されたことによる人格権侵害とプライバ
シー権侵害ならびに名誉毀損の損害賠償を求め、解同高知市協ならびに森田益子議
長を高知地方裁判所に提訴。一方、解同高知市協らの側でも、同教諭がこの事件を
報道機関に報じさせたことは名誉毀損にあたると主張して反訴をおこなった。

第3回口頭弁論の直前、同教諭は夫を病で失ったが、夫の通夜の晩、解同は朝倉地区
解放会館で一ツ橋小学校事件の裁判劇を上演した。この劇は、解放同盟員女性の演
じるO教諭が法廷で発狂し、暴れて床を這いずり回り、解同幹部演じる裁判長から
「つまみ出せ」と命じられ、警官によって法廷から引きずり出されるという内容
だった[1]。

高知地裁は、1992年3月30日、解同の意を体した高知市教委が同教諭に「部落民宣
言」を強要した事実を公に認定し、プライバシー侵害について解同高知市協ならび
に森田益子議長に60万円の損害賠償を命じた。一方、解同の反訴は全面棄却され
た。1994年8月8日、高松高等裁判所における控訴審でもO教諭側が全面勝訴。この判
決は、1997年3月、最高裁で確定した。

落書の犯人について
この事件の発端となった差別落書について、O教諭は、

1. 解同が、落書を書いた犯人の特定ではなく、書かれた者の調査のみを命じたこ
と。
2. 落書事件が起る前から、森田益子がO教諭の夫に対して"奥さんに部落民宣言を
させよ"と要求していたこと。
3. 落書の犯人が捕まっていないにもかかわらず、解同が被害者をO教諭と断定して
いること。
4. 1988年1月から同年4月にかけて3回にわたり連続発生した落書が、解同によるO

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一ツ橋小学校事件 - Wikipedia 23/07/09 2:19 AM

教諭への部落民宣言の強要開始以降、急に止まったこと。
5. 森田益子が実行したように他人のプライバシーをビラでばら撒く行為は、発想
が差別落書と共通していること。

などの根拠により[2]、解同が解放教育の推進を目的として自ら仕組んだものと疑
い[3]、法廷でもそのように発言した。この点につき、高松高裁判決は「被告ら解同
が原告に部落民宣言をさせることを意図して、本件落書きをした疑いがある旨の発
言をしているが、以上一連の事実経過のもとにおいて、そのような疑いをいだくこ
とは、一般にありうることであり、原告がそう疑ったことは、無理からぬことであ
る」と述べた。

参考文献
部落問題研究所編『「解同」は何をしてきたのか』(部落問題研究所、1994年
ISBN 4829810394)p.38
小笠原政子『真実から逃げることなく──一ツ橋小・人権侵害事件の真相
──』(部落問題研究所、1989年 ISBN 4829815183)
小笠原政子『花の育たぬ里もなし──一ツ橋小事件とわたし──』(部落問題
研究所、1995年 ISBN 4829815256)

外部リンク
全国商業教育研究協議会「高知の人権裁判」
(http://shoukyoukyou.fc2web.com/kouti.html)

関連項目
解同高知市協「差別手紙」事件
滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件
立花町連続差別ハガキ事件
部落問題

脚注
1. ^ 『花の育たぬ里もなし』p.113
2. ^ 『花の育たぬ里もなし』pp.148-149
3. ^ 「今回の事件は落書き事件が発端となっておりますが、私は落書きそのもの
が貴女達の考えに同調しない私に対する仕返しとしてデッチ上げられたものと
当初から思っております」(1988年9月2日付、森田益子宛のO教諭の書簡。『真
実から逃げることなく』p.98)

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カテゴリ: 高知県の歴史 | 戦後の事件 | 部落解放同盟 | 被差別部落 | 人権侵害

最終更新 2009年7月8日 (水) 03:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


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