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シャーフィイー学派に従った

清め、礼拝、斎戒

著者 Tashfeen Ekram (高名なイスラーム学者に従ってシャーフィ


イー派法学、アシュアリー派神学、クルアーン学、ハディース学,
アラビア語学などを学んでいる学生。医師でもある。)
翻訳:アイユーブ 糸賀 智徳(しがない日本人ムスリム。)
目次

前書き p2

信条 p3

浄化 p6

礼拝 p13

斎戒 p22

終わりに p26

付録 p27

1
前書き
慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において。
この簡潔な著作の目的は、シャーフィイー法学派に従って礼拝と斎戒の有効性の基本を提
供することである。この本は、礼拝と断食において何が要求されているか、有効な方法で
礼拝と断食を確立する必要のあるすべての人にとって理想的である。預言者(祝福と平安
あれ)は言われた「知識を求めることは全てのムスリムの義務である」(ティルミズィ
ー)。しかし、ムスリムとして生まれた私たちの多くは、おそらくそれを見ることによっ
て両親から礼拝を学んだが、礼拝の基本が行われていることを確認するために同様のテク
ストを読むことが重要である。礼拝は難しい任務を意味しないが、全生涯をかけてでさえ
も学び続けることが要求される。それは本質的に習得できるものではないが、学び続けね
ばならない。それが預言者の教友たちの道であった。礼拝の終着点は個人的に、そして直
接に我らの主と対面することである。しかし、この対面のためには、我らの主が命令した
であろう規定を学ぶ必要がある。これは仕事や学校で話をする時と同様である。服装の寸
法、話の長さ、使用する言語の種類などについての見込みがある。これは上司や教師によ
って定められるであろう。同様に、我らの主はその偉大さにふさわしい方法で相対する
規定を定められたのである。

シャーフィイー学派
ここに提示された清め、礼拝、そして斎戒の裁定はシャーフィイー学派とその一次情報源
の理解、主にクルアーンとスンナに従っている。預言者は仰った「私が礼拝するように礼
拝せよ」(ブハーリー)。しかし、さまざまなクルアーンの節と礼拝に関するハディース
は我々の裁定を実に困難にしている。四つの法学派(マーリキー、ハナフィー、シャーフ
ィイー、ハンバリー)の学者たちが一次情報源を研究し、従うべき簡潔な規則を定式化し
たことは大いなる祝福である。他の学派同様、シャーフィイー学派の規則は一個人の成果
ではない。たとえイマーム・ムハンマド・ブン・イドリース・アッシャーフィイーであっ
ても、彼の学派はその死後の命名である。裁定は、前任者の研究を分析し、それらを洗練
させた後代の学者たちのものである。この本で述べられた裁定は、それが一次情報源に基
づくことを確証するため、幾世代にわたって徹底的な検証を経てきた。このために、浄化
と礼拝の項目のいくらかの裁定に、クルアーンとハディースの該当する一節が付された。
裁定は、たった一つの証拠に基づくことはほぼない。しかし、それらの証明は、我々が愛
する預言者の道をたどっていることを保証するものである。

2
信条
広く知られたハディースにおいて、大天使ジブリールが教友に宗教について教えを授け
ていた預言者のもとに来られた。その時、大天使は信仰について尋ね、アッラーの使徒は
答えられた。「それはアッラー、その天使たち、その諸啓典、その預言者たち、そして終
末の日と、善悪ともに定められた運命であると証言することである。」(ブハーリー、ム
スリム)この答えは、短い成句のなかの明瞭で深遠な、そして広大な意味について知らさ
れていた方の高貴な語りによってもたらされた。この記述はムスリムが知り、完全な信仰
のため信じる必要のあるすべてが含まれている。

至高なるアッラー
アッラーは唯一で、何物も彼に似ない。彼は至大であり、我々が理解しうる万物に対して
比較や類似を超越している。彼は完全であり、創造者であり、何事においても万全者であ
る。彼は私たちと私たちの行為を創造する。普遍的な意味で、我々は彼の完全性を証言
し、彼の不完全性を否定する。もし我々がこの原理を遵守するならば、我々は誤った信念
から保護されるだろう。神学者たちは彼の属性を、クルアーンとスンナから自体的属性、
肯定的属性、否定的属性という三つの大まかなカテゴリーに分けた。

自体的属性:存在

肯定的属性:生命、知識、意思、権能、見る、聞く、話す

否定的属性:無始、無終、唯一(他に匹敵するもののない)、自存(存在に他者を必要と
しない)、被造物に対して絶対的に類似しないこと

他のクルアーンとスンナに表される属性もこれらに帰結する。
例えば、慈悲と許しは彼の意思に含まれる。もしアッラーの意思が罪を洗い流すことであ
れば、彼の意思は許しとして現れる。同様に、罪を罰することとして現れたときは、彼の
怒りは意思に属する。人間の想像と思考はアッラーの壮大さと彼の完全な被造物との相違
を包括的に理解することはできない。我々はクルアーンやハディースを読むとき、この精
神を保持するべきである。とりわけ彼の手や顔といった箇所は、我々が見知っている文意
とは確実に異なっている。最後に、我々のアッラーについての信条と知識は、彼の喜びを
求め、彼の身許に近づこうとする望みを刺激する。彼は我々の健康や食べ物を楽しみたい

3
という願望を、永遠の幸福への切符として創造する。我々は感謝して、彼が最も祝福した
このような願望を利用するべきである。

預言者たち
預言者とは、アッラーが彼の宗教と唯一性に呼び招くために派遣された人間である。彼
らは世界に向けたアッラーのみ使いであり、それゆえこの世でもあの世でも高い地位を有
する。彼らは我々と同類であり、外見でも内面でも質的に我々と並び立つべきである。彼
らは罪から守られ、彼らの言葉はすべて真実である。彼らの使命は、彼らが授かった言葉
を宣べ伝えることである。彼らは外見と内面においてすべての高貴な性質を持っており、
すべての堕落した習性から自由である。彼らはその気高い風貌によってのみならず、言葉
と証明によっても人々を真理へと呼び招く。これらの性質は次のように要約することがで
きる。無謬、誠実、信頼、啓示の伝達、そして知性。これらに反対する性質は不可能であ
る。最後に、われらの預言者ムハンマドは全人類に派遣された最後の預言者であり、彼の
後に他の預言者は現れない。

諸啓典
また、モーセの律法、ダビデの詩編、イエスの福音、そしてムハンマドのクルアーンなど
少数のアッラーの啓示の書を授かった預言者たちがいる。これらの書にはアッラーの言葉
が含まれており、すべて人々にアッラーの唯一性を認めさせ、証言させるために人々を呼
び招いた。しかしクルアーンだけはアッラーの啓示が加筆から守られている。そして最後
の書である。他の書はすべて人間によって加筆され、クルアーンによって廃棄された。

天使たち
彼らはアッラーが彼への崇拝のために光から創造したものである。彼らはアッラーのすべ
ての命令に従う。これらはある特定の任務、たとえば我々の善悪問わずすべての行為を記
録するため、のためにつくられた。彼らのなかで最も知られているのはムハンマドにクル
アーンを伝達したジブリール(ガブリエル)である。

終末の日
全世界と万物は終末の日に死なされ、復活させられ、すべての行為を清算される。この日
には我々は主の前ですべての行動を尋ねられる。我々の行動は天秤によって計算される。
もし善行が重ければ、楽園が我々の永遠の住処である。さもなければ、信仰者は犯した罪
を償うまで火獄で焼かれ、しかるのち楽園に入る。

4
定命
良いことも悪いことも、すべての出来事をアッラーは意思し、予定し、知る。我々はこれ
を信じ、どのような方法でなされるかについて疑問を持たない。しかし、我々は卑屈な態
度にならず、どんな時も善行をするように努める。我々は自分自身の行動を選択する行為
責任が与えられている。だから、我々は自分たちの選択に疑問を持つだろう。我々は生活
と人生の時間においてアッラーが命じた祝福されたよい行為をする高貴な意図を持たねば
ならない。すべては神聖なる智慧によって命じられる。

(訳者付記。シャーフィイー学派では、行為の法的裁定は
①義務(ワージブ、ファルド):その義務性を信じることと、それを行為することが強制
され、行えば来世において報奨があり、行わなければ罰がある。ある一連の行為のうちの
義務行為を放棄すれば、その行為は未完である。
②推奨(スンナ、ムスタハッブ):それを行為することが奨められ、行わなくても罰はな
い。ある一連の行為のうち推奨行為を放棄しても、その行為は有効である。
③許容(ムバーフ):行ってもよいし、行わなくてもよい行為。
④忌避(マクルーフ):行っても罰はなく、行わないことが奨められる行為。
⑤禁止(ハラーム):行うことで罰があり、行わないことで報奨を得る行為。
以上の五段階に分類される。)

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浄化(タハーラ)
預言者は言われた。「礼拝の要点は清めである」(ティルミズィー)彼はまた言われた。
「清めは信仰の半分である」(ムスリム、ナサーイー、ティルミズィー)礼拝を行うにあ
たり、どのように清めをすればよいのかを理解するために、我々は最初に清めの原則的な
手段である水の分類について知らねばならない。


清めに用いる水は純度を保ち、変質せず、未使用でなければならない。つまり水道水は清
めに使用できる。

1.使用済みの水:ウドゥーであれグスルであれ、清めの目的で使用された水は不純な水と
考えられる。

2.不純な水:水は二つの方法で不純となる。⑴少量の水に不純物が入った場合。⑵216
リットル以上の大量の水に不純物が入った場合、色・味・臭いの三つの性質のうちどれか
が変われば不純な水と考えられる。

3.変質した水:水は色・味・臭いの三つの性質がある。もし水が何かと混ざり、もはや本
来の水といえない場合は、変質した水と考えられる。たとえば、もしオレンジジュースが
水の中に落ち、これらの性質のうちひとつがわずかに変わったなら、それは水といえ、清
めに用いることが可能である。しかし、正確に言えば「もとは水だったオレンジジュー
ス」としか表現しようのない場合は、その水はもう清めには用いることができない。どん
なものが水に混ざった場合でも、三つの性質を顧慮して水は変質したと評価すべきであ
る。

汚物(ナジャーサ)
汚物は、除去する必要性の度合いに応じて三つに分類される。

1.軽度な汚物:母乳だけで育てられた2か月未満の男児の尿は軽度な汚物と考えられる。
軽度な汚物が付着したものを清めるには、付いた箇所を水でこするだけでよい。

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2.中度の汚物:この分類には以下のようなものを含む。血液、尿、糞、吐しゃ物、屠殺さ
れていない動物の羽、毛、他の部位【注①.裁定によれば、羽、毛、他の部位は、それが屠
殺されていないことが確かでない限り清浄である】、そしてアルコールである。上のよう
なものは、ある物と接触があった場合にのみ、どちらも水による清めが必要となる。もし
こういうことが起きたら石鹸のようなものを使ってでも、色、におい、味などの汚物の痕
跡を洗い流さなければならない。純粋な水を一度でも痕跡を除去することに使ったら、そ
の箇所は清められたと考えられる。特定の例を挙げれば、尿が染みた布地は蛇口の下に置
かれ、水が跳ね返らない程度の量で洗い流す必要がある。尿に接触した少量の水もまた、
仮に尿の性質が移ったと感知できなかろうと汚水であると考えられる【注②.不浄な個所
と接触した水にも同様の裁定が適用される。その箇所が不浄な場合、流れ落ちた水も同様
である】。不浄な場所をこすり、石鹸のようなものできれいにする。もはや尿の性質が取
り除かれたなら、その布地は清められたと考えられる【注③.不浄な個所を洗った後の流
水は、前述のとおり使用済みとみなされる】。もし洗っている過程で水に浸された場合、
余分な水分をしぼって最後の洗浄をする必要がある。

3.重度の汚物:犬と豚に由来するものすべて、その毛、血液、尿、糞、そして肉は重度の
汚物と考えられる。重度の汚物が付着したものはすべての痕跡を除去しなければならな
い。痕跡が除去できたら、その場所を7回水で洗い、一回は濃い泥水で洗浄しなければな
らない。たとえば、犬の糞が付着した一片の布地がある場合まず、泥水の入った容器を用
意しなければならない【注④.一度振ると水が濁って見えるほどの量の土であるべきであ
る】。最初に糞の痕跡、その色、そのにおい、その味を石鹸のようなものを使ってでも布
地から除去する。まだ不浄なので、一回は泥水で洗浄し、あとは水でその場所を7回洗い
流す。この過程ではねた水がつかないよう気を付ける。汚れた場所に接触した水もまた不
浄だと考えられる【注⑤.汚物の影響を受けた個所と接触した水は、それが接触した個所
の裁定に従う。たとえば、犬の尿がついていて、泥水で一回洗浄された場所を例にとる。
その時は、もう一度清浄な水で洗う。影響を受けた個所に水を流せば、その効果が適用さ
れ、その場合は普通の水で残り 5 回洗浄する必要がある。したがって、他の個所がすでに
洗浄に使用済みの水と接触した場合は、その場所を新たに 5 回洗浄する】。

結論
汚物が除去された箇所は、もともと清浄である。だから汚物の付着に気づいた箇所だけを
洗えばよい。その箇所が単なる疑いか可能性の場合は、それが不浄であると考えるには不
十分である。汚物は水分が汚物と清浄な個所の両方に現れたときにのみ、清浄な場所に移
される。加えて、水分が移動可能でなければならない。もし水分を含んだ汚物が清浄なも
のと接触し、判別可能な水分を残さない場合、汚物は移動しておらず、それは清浄なまま

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である。したがって、清浄なものが、水分を含まないあらゆる種類の汚物に接触した場合
は、清浄なものは清浄なままである。特定の例によれば、幼児が這ってきて、その口の周
りに吐しゃ物が付着していて、また自分から 5 フィート先の敷物の上に吐しゃ物が付着し
ていたとするならば、吐しゃ物が付着した場所と幼児の顔と、ほかの明らかに不浄な個所
だけを掃除すればよい。他の個所を清める必要はない。注意として、幼児の口内は、吐し
ゃ物の量を考慮し、過度の困難がある場合は洗浄せずともよい。しかし顔の周りとそれ以
外の場所の吐しゃ物は洗わねばならない。

小浄(ウドゥー)
小浄は 6 つの不可欠行為(アルカーン)によって構成される。

1.意図(ニーヤ):意図は全ての行為の開始と同時に行わねばならず、その前後であって
はならない。小浄の開始は顔面の洗浄の最初の一瞬であり、その意図は、小浄が有効と
なるために、その間ずっと保ち続けなければならない。しかし、小浄の期間全体におい
て、自分がしている動作に集中するよう努力することは、自らの創造主を求めるために
好ましいことである。意図の場所は精神であるが、精神の集中と、意図を明確にするこ
とを助けるために舌で発話することが推奨される。礼拝の準備の時に小浄を行う時、い
くつかの種類の有効な意図がある。その一つは「私は礼拝のために清めを意図しまし
た。」繰り返すが、これは発話することは必要でないものの、その思考で精神を満たし
たままにする。意図は複雑な作業を意味しないが、自分が何の動作をしているのかを、
つまり主を崇拝することをはっきり意識することが要求される。

2.顔面の洗浄:小浄における最初の外面的行為は顔面の洗浄である。「洗浄」は、したた
り落ちるほど十分な量の水を使用することであると定義され、小浄の 4 つ目の義務事項で
ある撫でることと対比される。洗浄は多量の水を必要とせず、その使用が過剰とならない
よう注意すべきである。手に水をすくい、顔面にあて、全体に広げるだけでよい。最小の
義務は一回洗うことである。顔面の範囲は洗浄を正しく行うため知らねばならない。顔面
の上限は生え際である。生え際が後退している場合は、一般的に想定される生え際の場所
から始める。生え際が元の場所より下にある場合は、髪の全体と通常の生え際より下方に
ある皮膚を洗う必要がある。顔面の横の範囲は、両耳の起点である【注⑥.医学的には、
この部分は耳珠と呼ばれ、小さな隆起軟骨組織である】。顔面の下限は、あごの下端であ
る。顔全体の部位をおおうように洗う必要がある。分厚いひげを持つ者は、外側だけを洗
えばよい。分厚いひげとは、下の皮膚が、会話するために着座している相手から視認でき
ないような程度である。薄いひげの場合は、毛全体とその下の皮膚の洗浄が必要となる。

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3.両腕の洗浄:指の先端から肘までの 1 回の両腕の洗浄。肘は、二つの骨の突起部分まで
である。爪の間に、肌に水が到達することを妨げる泥が残っていないよう気を付けるべき
である。一回の洗浄だけが義務である。繰り返すが、肘より上の腕全体を洗浄するべきで
ある。

4.頭部を撫でること:頭部を一回撫でることが必要である。撫でることは洗浄と異なり、
湿った手で頭部をぬぐうだけでよく、水がしたたる必要はない。頭部の範囲は、縦は上述
の通り一般的な生え際の位置から、首筋のうなじまで。横の範囲は両耳の後ろの間。両耳
は頭部の一部とは考えられない。頭部の一部を撫でる範囲がわずかでも、必要を満たすこ
とになる。頭皮かその上の頭髪を撫でることができる。しかし、頭髪だけを撫でる場合、
頭髪が自然に頭部の範囲に収まるようにしなければならない。だから、頭部の範囲を超え
る長髪の女性は、頭髪の端を撫でることはできない。

5.足の洗浄:指先からくるぶしまでを含む両足を洗うことが必要となる。一回洗えば
必要を満たす。くるぶしより下を洗い、足全体が確実に洗われるようにすべきである。

6.順番:四肢を洗う順番は、上記で述べられた通りに守らなければならない。足を洗って
いる時に、腕を洗うのを忘れたことに気づいた場合、両腕を洗い、もう一度頭を撫で、そ
の後に足を撫でる。順番は維持しなければならないが、連続した四肢の洗浄の間隔は、必
要に応じて伸ばすことができる。

小浄の手順
小浄には、たくさんの推奨行為(スンナ)がある。以下はいくつかの重要な推奨行為を含
んだ、小浄の順を追った説明である【注⑦.「信仰する者たちよ、おまえたちが礼拝に立
った時にはお前たちの顔と両手を肘まで洗い、頭のところを撫で、両足をくるぶしま
で。」(クルアーン5:6)】。
① 小浄をバスマラ【注⑧.「ビスミッラーヒラフマーニラヒーム」と言うこと】から開
始する。
② 手首までの両手を 3 回洗う。
③ ミスワーク(歯磨き棒)を使い、歯をみがく【注⑨.ブハーリーのハディース「ミス
ワークは口を清めることであり、また主の祝福である」】。
④ 口と鼻を 3 回洗う。
⑤ 顔面の洗浄を始める時に意図を行う【注⑩.ブハーリーとムスリムのハディース「行
為は意図によってのみ判定される。全ては意図によって無効とされる。だから、アッ
ラーとその使徒を求めて旅をする者は誰でも、その旅路はアッラーとその使徒のため

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である。この世の利益や女性との結婚のために旅をする者は誰でも、その旅路はその
ようなことのためである。」】
⑥ 顔面を 3 回洗う。
⑦ 両腕を 3 回洗う。
⑧ 頭部を 3 回撫でる。
⑨ 両耳の外側と内側を 3 回撫でる。
⑩ 両足を 3 回洗う。
追加すべき重要な推奨行為は洗浄の間、その部位をこすること、左側の部位の前に右側か
ら始めること、できるだけ少量の水を使うこと、そして小浄の間の発話を避けること。

結論
化粧、マニキュアその他の水が皮膚に到達するのを妨げる物質の使用には気をつけるべき
である。だから、それらは小浄の時は除去される必要がある。純粋なヘンナ塗料はこの区
分に入らない。【注⑪.注意点として、昨今のいくつかのヘンナ塗料が、皮膚の上に層を
形成して障壁となる他の成分と混合していることがある】混合したヘンナ塗料が除去され
たら、肌の上に残った色は妨げとはならない。
上記の各部位の境界を少し超えたところまで洗い、必要な範囲を洗浄したことを確実にす
べきである。

小浄が必要となる事項
小浄が必要となる四つの事項が存在する。それらはまた、小浄が無効となる行為としても
知られる。
1.前後の秘所から出現したものすべて【注⑫.技術的には、精液が存在するだけでは清め
は必要とはならない。しかし実際には、一般的に精液の出現はそれが流出するような行為
とつながっている】。これは尿や、重いものを持ち上げる時に流出したもの、性行為によ
って流出したもの、そして女性器からの流出物。また糞便とおならも含まれる。

2.睡眠。単なる眠りは小浄を必要とする。ただひとつの例外は、直角で硬い壁にもたれて
眠り、放屁を防いでいる場合である。

3.前と後ろの二つの秘所に、手のひらで触れること。どちらかの秘所に手のひらで触った
場合、小浄はやり直さねばならない。男性の秘所は性器であり、陰嚢は含まない。女性
は、大陰唇として知られる性器の外唇である。後ろの秘所は糞便が出現する穴だけで、臀
部は含まれない。触れなければならないとき、これらの個所に障壁を設けて触れた場合

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は、清めは無効とならない。この裁定は、入浴中やおむつ交換の時など、他人の秘所を触
れる場合にも適用される。

4.潜在的に婚姻が可能であると考えられる異性と肌が触れたとき。その接触は肌でなけれ
ばならず、頭髪や爪が触れたのでは、小浄は無効とならない。母親、姉妹、叔母のような
婚姻不可親族と肌が触れた場合、小浄は無効とはならない。配偶者と肌が触れた場合、清
めは無効となる。【注⑬.クルアーン 4:43「おまえたちの誰かが厠から出るか、妻に触
れたのに水が見つからなかった時には、タヤンムム(土による清め)をせよ」】以下は、
触れると小浄が無効になる親族と、そうでない親族の一覧である。

清めが無効とならない女性親族
⑴ 母親 ⑵祖母 ⑶姉妹 ⑷兄弟の娘(姪) ⑸娘 ⑹両親の姉妹(叔母) ⑺祖父
母の姉妹 ⑻妻の母 ⑼他の結婚の娘
清めが無効となる女性親族
⑴ 妻 ⑵女性のいとこ ⑶叔父の妻 ⑷妻の姉妹 ⑸兄弟の妻 ⑹妻の兄弟の娘
清めが無効とならない男性親族
⑴ 父 ⑵祖父 ⑶兄弟 ⑷兄弟の息子(甥) ⑸息子 ⑹両親の兄弟(叔父) ⑺
祖父母の兄弟 ⑻夫の父 ⑼他の結婚の息子
清めが無効となる男性親族
⑴ 夫 ⑵男性のいとこ ⑶叔母の夫 ⑷夫の兄弟 ⑸姉妹の夫 ⑹夫の兄弟の息子

結論
しばしば、小浄の効果に不安と疑い(ワスワサ)が生じる。その状態に陥ったときは、小
浄は崇拝行為の一形態であり、それ自体は要求されていないことを想起すべきである。自
分が各部位を完全に洗浄したかわからない場合、自分を抑え、少量の水を使用し、数分で
完全な小浄を行うべきである。これで不安は解消できる。また、実際の疑問を学者に尋ね
るべきである。最後に、清めやイスラームのことを全く知らない人は、清めをしている他
の学識あるムスリムを観察することで、実際の手順について学ぶことができる。

大浄(グスル)
大浄は二つの不可欠行為によって構成される。

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1.意図:意図は洗浄の開始時に行わねばならず、その前であってはならない。有効な意図
は以下のようなものである。「大汚を除去します」あるいは「義務のグスルをします」

2. 水で全身を一回洗う:口の中、耳の内側、鼻の中など外部に露出していない部位は洗う
必要はない。尻と脇の下の割れ目を洗うよう注意すべきである。最後に、大汚と小汚
を除去するために身体のあらゆる部位を洗う。全身を洗浄した後に手のひらで秘所に
触れて洗う場合、礼拝の前に小浄を行う必要がある。この問題は、秘所を手のひら以
外の場所、たとえば手の甲やバスタオルなどの障壁を使って洗うことで解決される。

大浄の手順
以下は、推奨行為も含む大浄の手順である。
①バスマラから開始する。
②推奨行為も含んだ完全な小浄を行う。
③秘所から洗浄を開始する場合のみ、そこから大汚を除去する意図をする。
④秘所を洗う。
⑤残りの身体から大汚を除去する第二の意図をする。
⑥手のひらで秘所に触れないよう注意しつつ、残りの部位を洗う。下半身よりも上半身を
先に、左側よりも右側を先に洗うほうが良い。また各部位を三回ずつ洗うこと、洗浄の間
にこすること、分厚いひげを濡らすために指を使うことが推奨される。【注 14.厚いひげ
の内部を洗うことは義務である。その部位に水が到達しなかった場合、あごひげに指を通
してとかすことは、単なる推奨行為というより義務行為であると考えられる。)

大浄が必要となる事項
1.性行為:これは男性器の先端が女性器に挿入されることと定義され、射精の有無は関係
ない。肛門性交は禁止行為だが、それもまた大浄を必要とする。

2.精液の出現:精子または精液が出現した場合、理由にかかわらず、大浄が必要となる。
したがって、夢精と自慰、後者は禁止行為である、は大浄を必要とする。

3.月経と産後の出血:出血が止まったら、大浄が必要である。月経の最小期間は 24 時間
で、最大期間は 15 日である。次の月経までの最小期間は 15 日である。産後の出血の最
大期間は 60 日である。月経と産後の出血、異常な子宮の出血に関連する裁定は、信頼
できる情報源から、より詳細に学ばねばならない。

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礼拝(サラー)
預言者(祝福と平安あれ)は仰った「礼拝は宗教の基礎である。それを放棄する者はまこ
とに、己の宗教を破壊したのである。」(ブハーリーとムスリム)。預言者(祝福と平安
あれ)は「最も良い行為は何か」と尋ねられた時「定刻内の礼拝である」と答えられた
(ブハーリーとムスリム)。最初に述べたように、礼拝は創造主と直接対話する時間であ
り、それゆえ諸規定を学ばねばならない。しかし、礼拝で肝心なのは、己の主を想起する
ことであるから、それらの諸規定を学ぶときにはこの視点を忘れてはならない。またハデ
ィースは述べる「礼拝が義務とされたのも、タワーフ(周回)とともに巡礼が命じられた
のも、他の儀礼も、ただ至高のアッラーへの服従を思い起こすためである」(アブー・ダ
ーウードとティルミズィー)。諸規定は手段であり、終着ではない。終着は、至高のアッ
ラーを思い起こすことである。

礼拝が義務となる事項
礼拝が義務となるには、以下の四つの状態が全て揃わなければならない。

1.イスラーム:ムスリムでなければならない。不信仰者は礼拝が義務とはならない。

2.知性:健全な理性を持っていなければならない。一時的であれ永続的であれ、理性を失
った者は、正気に戻るまで礼拝は義務付けられない。礼拝が免除される知性の喪失には、
昏倒、周期的発作、意識の喪失などがある。もしアルコール飲料の摂取など、罪によって
知性の喪失が起きた場合は、知性が戻った後で逃した礼拝をやり直すことが義務となる。

3 成熟:成熟は二つの理由による。第一は 15 歳になること。第二は個人の肉体的な兆候に
よる。男性にとっては射精で、ふつうは夢精による。女性にとっては、9 歳を過ぎた後の
月経の開始。15 歳の経過あるいは肉体的兆候のどちらかの印が見られた場合、礼拝は義務
となる。

4.清浄:女性は月経と産後の出血の状態であってはならない。どちらかの状態にある女性
の礼拝は無効である。実際は、それは無効であるばかりか禁止行為である。
礼拝の定刻に入った後でこれらの出血が始まり、完全な礼拝を行うことが可能な程度の十
分な時間が経っていた場合、その礼拝はやり直さなければならない。例えば、ズフルの礼

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拝の定刻に入ってから 5 分後に月経がはじまり、ズフルの礼拝にたった 4 分しかかからな
いとき、女性は月経の終了後にズフルをやり直さなければならない。
これらの出血が終わったら、その時点の礼拝は、定刻が終了する前に開始のタクビールを
行うだけの十分な時間がある場合に限って行わねばならない。加えて、出血がアスルかい
シャーの時間に終了した場合、逃したズフルとマグリブの礼拝はそれぞれやり直さなけれ
ばならない。

礼拝の条件
条件は、礼拝の一部ではないが、礼拝において要求される外面的要素と定義される。五つ
の条件がある。

1.小汚と大汚から儀礼的に清浄であること【注⑮.ハディースは述べる。「アッラーは清
浄な状態で行われた礼拝のみを受け入れられる」(ムスリムとティルミズィー、イブン・
マージャ)】

2.身体、衣服、礼拝中に直接接触する地表が汚物から清められていること。

3.キブラを向くこと:可能な限り誤差を小さくするよう努力しなければならない。キブラ
には胸を向ける。だから顔や下半身だけをキブラから逸らしただけでは、礼拝は無効とな
らない【注⑯.後述するような過剰な動作でない限り)】

4.定刻に入ること:五回の義務の礼拝において、定刻に入ってから開始しなければならな
い。礼拝の定刻は太陽の位置で決まる。【注⑰.ファジュルの定刻は地平線が日昇で白み
始めた夜明けに開始される。ファジュルの終了時刻は太陽の上端が地平線を越えたときで
ある。ズフルの定刻は南中過ぎからアスルの開始まで。アスルの開始時刻は、物体の影の
長さが物体そのものに加えて正午の影の長さを足したものと等しくなった時。アスルは完
全に日が没してマグリブの開始時刻になった時に終わる。マグリブはイシャーの開始によ
って終わる。イシャーは地平線から日没時の赤い明かりが消滅し、黄色と白の残光が見え
た時に始まる。イシャーはファジュルの開始によって終わる。】地域のモスクや
islamicfinder.com のような信頼できる情報源の礼拝時刻表に頼ることが可能である。【注
⑱.ラマダーンのファジュルにおいては、断食をより安全で事前に準備しやすくするた
め、計算角度を 18 度にするよう注意する必要がある。西洋で使われている時刻表は、ほ
とんどこれよりも遅い時間である。】

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⑤身体を覆うこと:男性にとっては、へそと両ひざの間全体が覆われなければならない。
その場所を確実に覆うため、へそと両ひざのごく小さな部分も覆われなければならない。
女性にとっては、手首を含む両手と顔面を除く全身が覆われなければならない。顔の範囲
は小浄の項目で説明したのと同じである。

礼拝の不可欠行為
不可欠行為(アルカーン)は礼拝に必須の要素である。もしそれを放棄すれば、礼拝は無
効となり、やり直さなければならない。不可欠行為のいくつかは、礼拝の全ラクアで要求
される。以下は礼拝の全ての不可欠行為の便覧であり、続いて推奨行為も含んだ礼拝の解
説である。それぞれの動作に関連する祈願(ズィクル)は付録で示す。

1.意図:前章で述べたように、意図を行うのは精神においてであり、発話は不要である。礼
拝を行うこと、礼拝の種類、義務かそうでないかを意図しなければならない。例えば、マグ
リブの義務の礼拝ならば、マグリブの義務を意図する。意図は礼拝の開始と同時でなければ
ならない。礼拝の開始は、最初のタクビールである。だから、タクビールの間に意図をしな
ければならない。

2.最初のタクビール:礼拝を始めるために、アッラーフアクバルと言う。それぞれの文字
を一字一句入れ替えずに発話するよう注意する。

3.開端章の読誦:クルアーンの最初の章である開端章をバスマラとともに、礼拝の各単位
で読誦せねばならない。集団礼拝の追従者も同様である。

4.屈身礼(ルクー):読誦に続き、両膝を両てのひらで握り屈身礼をしなければならな
い。一瞬でも、その状態でいなければならない。

5.直立(キヤーム):屈身礼に続き、たとえ一瞬でも直立の状態で静止しなければならな
い。

6. 第一の平伏礼(サジダ):次に、ひたいを地表につけて平伏する。両膝と両足の先を地
表につけ、両手を地面と平行に置く必要がある。一瞬でもその状態で静止しすべきであ
る。

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7.座位:そして平伏から体を起こして座位になる。座位は、体重を身体の後部にかけて臀
部を直接地表に置くか、折りたたんだ足に乗せることと定義され、一瞬でもこの姿勢のま
まであるべきである。

8.第二の平伏礼:これは第一の平伏礼と同様である。

9.信仰告白(タシャッフド)の読誦:これは最後の座位において読誦しなければならな
い。

10.アッラーの使徒(祝福と平安あれ)への祝福祈願:この祝福は最後の座位で読誦しな
ければならない。

11.最後の挨拶:礼拝は、アッサラームアライクムと言うことで終える。

12.順番:上記の順番を守らねばならない。不可欠行為を不注意でやり逃した場合、ただ
ちにそこに戻り実行し、それに続く不可欠行為を行わねばならない。

礼拝の手順の説明
これは重要な推奨行為も含んだ、礼拝の手順の説明である。

①礼拝の前に、ミスワーク【注⑲.ハディースは述べる「もし私が、共同体が過度の苦難
を負うことを恐れなければ、すべての礼拝の前にミスワークを使用することを命じただろ
う」(ブハーリー)】を使う。

②適切な意図を作っている間に、完全に直立して開始のタクビールを発声する。

③開始のタクビールの間に両手を目の高さまで上げ、その後にへその上で右手を左手に乗
せて置く。

④直立しながら開端章を読誦する。

⑤クルアーンの他の章か少なくとも三節を読誦する。

⑥屈身礼に移る際、アッラーフアクバルと言う。屈身礼の間は、スブハーナラッビヤルア
ズィームと三回言うことが推奨される。

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⑦サミアッラーフリマンハミダフと言い、屈身から身を起こし、そのあとでラッバナーワ
ラカルハムドゥと言う。

⑧第一の平伏礼に移る。平伏に移る間にアッラーフアクバルと言うことと、平伏の間にス
ブハーナラッビヤルアァラーと三回言うことは推奨される。

⑨平伏礼から起き上がり、足が尻の下に置くようにして足を折る。

⑩第二の平伏礼をする。

⑪これで一ラクア目を行った。複数のラクアを行う場合は、開始のタクビールと意図を除
いて上記の④からの手順を正確に繰り返すべきである。

⑫三ラクア及び四ラクアの礼拝では、二ラクア目を完了して第二の平伏礼から起き上がり
座位になり、タシャッフドに続いて預言者への短い祈願を行うことが推奨される。そして
礼拝の残りのラクアを完了するために進む。

⑬最後のラクアの平伏礼を完了したら、座位になってタシャッフドと、より完全な預言者
への祝福を読む。

⑭最後のサラームによって礼拝を終える。

礼拝における男女の違い
男性と女性の礼拝における形式はとても似ている。しかしわずかな違いがある。最も重要
な違いは上記で述べた身体を覆うことに関するものである。全体的に、女性の礼拝に関す
る外形は、より収縮すべきである。だから、女性はわずかに小さい姿勢でいるべきで、屈
身礼と平伏礼の時は両腕を脇に、腹部を太ももに近づけるべきである。最後に、女性は男
性の前では小さな声で読む必要がある。

礼拝を無効にする事項(ナワーキド)
1.会話:二文字以上、他者と会話した場合は礼拝が無効となる。これは礼拝の一部ではな
い単語と成句にのみ適用される。

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2.過剰な動作:三回の連続した礼拝の一部でない動作を行った場合、礼拝は無効となる。
たとえば、手をあげた場合、一回の動作と考えられる。さらにもう一方の手を動かし、続
いて足を動かした場合、礼拝を無効とする。三回(およびそれ以上)の過剰と考えられな
い動作の間に静止することは、礼拝を無効としない。当然だが、平伏のために両手を動か
すことなどの礼拝の一動作は全て礼拝を無効としない。

3.食事:少量であっても、礼拝中の意図的な食事は礼拝を無効とする。不注意で食べ物を
飲み込んだ場合は、ゴマ粒ほどの大きさであれば許容される。

4.意図をやめること:礼拝中に意図を止めた場合、礼拝は無効となる。また条件付きで意
図を止めること、たとえば「もし某がやってきたら礼拝を止める」も無効とする。この場
合は、実際にその状況にならなくてもただちに礼拝は無効となる。

礼拝の主要な推奨行為
以下は礼拝の主要な推奨行為である。もしどれか、またはすべてを放棄しても、礼拝は有
効のままである。

1.最初のタシャッフドとその間の座位。これは三ラクアと四ラクアの礼拝にのみ適用され
る。

2.三ラクア及び四ラクアの礼拝における最初のタシャッフドの後の、預言者への短い祝福
祈願。

3. ファジュルの二ラクア目の、屈身礼から起き上がった後の直立時におけるクヌートの祈
願の読誦。預言者とその家族、教友への祝福まで含める必要がある。

礼拝の推奨行為
以下は礼拝を完全なものとする推奨行為である。もしどれか、またはすべてを放棄して
も、礼拝は有効のままである。

1.開始のタクビールの直前に小さな声で意図を発話すること。

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2.開始のタクビールをするとき両手を肩のすぐ上まであげ、開始のタクビールを終える時
は指先が両耳の上部につくようにする。指を少し広げ、手のひらを前に向けるべきであ
る。また同様の方法で、直立から屈身礼の姿勢になる時、屈身礼から起き上がった時、二
ラクア以上の礼拝において最初のタシャッフドから起き上がった時にも両手を上げること
が推奨される。

3.直立の姿勢の際に、右手を左手の上にし、へその上方に置く。最善の方法は、右手で
左手の手首の骨をつかみ、わずかに両手を身体の左側に寄せる。

4.礼拝の全ての態勢において、平伏する地点を凝視し続けること。【注 20.カーバ聖殿
の見える場所で礼拝する時は、カーバを見たほうが良い。一般的に、もし意識の集中と敬
神を助けるのであれば、目を閉じて礼拝することも許容される。最後に、タシャッフド読
んでいて、イッラッラー(アッラーのほかに)という言葉に到達したとき、指を上げると
ともに握っている指を見るべきである。】

5.開始の祈願と悪魔祓いの祈願を、開端章を読み、そのあとでアーミーンと言う前に読
むこと。

6.平伏礼に移る時、両膝を最初に地面につけ、続いて両手、そして額を付ける。指先の
先端をキブラに向けて置くべきである。鼻もわずかに地面につける。男性は両膝の間を広
げるが、女性は両膝を近づけるべきである。男性はまた、腹部を太ももから離し、女性は
近づけるべきである。

7.最初と三番目のラクアにおいて、平伏礼の後で直立の姿勢に移る直前、わずかな時間
を後述するイフティラーシュ座りの姿勢でいるべきである。そして両手を地面につけ、そ
れを使って立ち上がるべきである。

8.最後の座位において、タワッルク座り【注 21.もし忘却のサジダをする場合、平伏礼
の前はイフティラーシュ座りをし、その後でタワッルク座りをする。】をすることが推奨
される。これは尻を地面につけ、左脚が右足首から突き出るようにして、身体の下方で交
差させる。右脚は右の側に置き、右足を垂直にし、つま先は地面と平行にする。【注 22.
イラスト省略】

9.二つの平伏礼の間と、3 ラクア及びそれ以上のラクアの礼拝における最初の座位を含む
他の全ての座位において、イフティラージュ座りをすることが推奨される。これは、尻を

19
地面と平行にした左足の上に乗せ、右足は右の側に置き右足を垂直にし、つま先は地面と
平行にする。

10.最後の座位におけるタシャッフドと預言者への祝福祈願後、サラームの前に祈願する
ことが推奨される。クルアーンとハディースからの祈願が最善である。それは現世的なこ
とか、来世に関することであり、後者がより優れている。

11.サラームとともに礼拝を完結する時、頭部を左に、次に右に動かして完全な形式のサ
ラームを行う必要がある。頭部を左右に動かす時、左右にいる天使たちと一緒に礼拝して
いるムスリムたちへの平安を意図しながら行う。

12.クヌートを読誦している間、両手をあげる。クヌートは日々のファジュルの最終ラク
アと、ラマダーン最後の 10 日間におけるウィトルの礼拝において推奨される。苦難の時
には、全ての礼拝の最終ラクアにおいてクヌートを唱えることができる。しかし、祈願を
終えた後で顔や身体を手で撫でることは推奨されない。

義務の礼拝のラクア数
ファジュル:2 ラクア
ズフル、アスル、イシャー:4 ラクア
マグリブ:3 ラクア

推奨される礼拝
以下の礼拝を義務の礼拝に追加することが推奨される。

ファジュルの義務の礼拝 2 ラクアの前の 2 ラクア。


ズフルの義務の礼拝 4 ラクアの前後 2 ラクア。
マグリブの義務の礼拝 3 ラクアの後の 2 ラクア。
イシャーの義務の礼拝 4 ラクアの後の 2 ラクア。

また、イシャーの礼拝の後でウィトルの礼拝をすることが推奨される。1 から 11 ラクアま
での間の全てのラクア数で礼拝し、2 ラクアごとにサラームで分割することが推奨され

20
る。もし夜間勤行の礼拝(タハッジュド)を行うなら、最適な時間はウィトルの後であ
る。そうでなければ、最適な時間はイシャーの後である。

礼拝が禁止される時間帯
礼拝が禁止される時間帯は、

1.日昇時、太陽がその直径の長さ分だけ地平線を超えるまで。
2.太陽の南中時。【注 24:礼拝が禁止されるこの時間の例外は金曜礼拝である。】
3.太陽が黄色くなり始めてから日没まで。
4.ファジュルの礼拝後。
5.アスルの礼拝後。

礼拝が禁止される時間帯の間、二種類の礼拝が禁止される。第一は、追加の報奨を得るた
め自発的に行う、特に理由のない「完全な任意」の礼拝である。第二は、礼拝者がなんら
かの理由によって行う礼拝、たとえばイスティハーラの礼拝や入斎(イフラーム)の状態
になる前に行う礼拝である。だから、タヒーヤトル・マスジドやスンナトル・ウドゥーの
礼拝、逃した礼拝のやり直しは許容されるが、イスティハーラや「完全な任意」の礼拝な
どの上述されている他の礼拝は許容されない。

礼拝で忌避される行為
以下は、礼拝を無効にはしないが行うことが忌避される諸行為の一部である。

1,必要なくキブラから顔面を逸らすこと。
2.視線を空に向けること。むしろ、平伏する地点を凝視すべきである。また両眼を閉じ続
けること。
3.それが集中を逸らす場合、食物のあるところで礼拝すること。
4.最後のラクアにおいて、サラームの前に祈願を行わないこと。
5. 小道と歩道での礼拝。

21
斎戒(サウム)
斎戒は顕著な崇拝行為であり、特別な地位を持つ。アッラーは神聖ハディースにおいて
「人間のあらゆる諸行為は己のためである。しかし斎戒はわれらのためであり、われらは
それに報奨を与えるであろう。」(ブハーリーとムスリム)。
またアッラーの使徒は仰った。「報奨を望む信仰とともにラマダーンの斎戒を行うものは
誰でも、その者の以前の罪は許される」(ブハーリーとムスリム)。

斎戒の義務
ラマダーン月(ヒジュラ暦 9 月)の斎戒は思春期に達し、理性があり、斎戒を継続する能
力【注 25:例えば、日中に薬を服用しなければ健康が悪化する人は免除されている。】の
ある全てのムスリムにとって義務である。ラマダーンはヒジュラ歴 8 月(シャアバーン)
の 30 日の終了か、新月の出現が観測されたときに開始される。ラマダーンの開始は裸眼
による新月の開始によって確定される。学者たちには月の開始を確定する計算方法につい
て異論がある。それは、新月がいつ現れるかを確定する際に役立つ。【注 26:預言者は仰
った「三日月を見るまでは斎戒を始めたり終えてはならない」(ブハーリー)】

斎戒の不可欠行為
斎戒は二つの不可欠行為がある。

1.意図。義務の斎戒の意図は斎戒に先立ち【注 27.任意の斎戒では、斎戒の二つの不可欠
行為を遵守する限り、意図をズフルの直前まで遅らせることができる。】、夜間(日没か
ら日の出まで)のどこかの時点で行わねばならない。それがラマダーンの義務の斎戒であ
ることを特定して意図しなければならない。最小の意図は「私はラマダーンの斎戒を意図
しました」であり、完全な形式は「至高なるアッラーのため、明日の斎戒を行い今年のラ
マダーンの義務を果たすことを意図しました。」である。上述のように、意図の場所は精
神であり、それは言葉として発声する必要はない。毎日の斎戒をする前ごとに意図を新し
くしなければならない。夜明け前の食事(サフール)を取るために起床することは意図と
して十分ではない。意図のし忘れを避ける実際的な方法は、斎戒を開始する時点で翌日も
斎戒する意図をするのを習慣とすることである。【注 28.予防的措置として、ラマダーン

22
月の開始時に全期間の斎戒を意図すべきである。イマーム・マーリクによると、これは有
効である。この方法ならば、マーリキー学派に従って斎戒は有効である。】

2.斎戒を破る諸行為を避けること。夜明け前(ファジュル)から日没(マグリブ)まで
の間、こうした行為を避けねばならない。夜明け前と日没の詳細は、礼拝の項目で記述し
た。

斎戒を無効にする行為
以下は斎戒を無効にする行為である。
1.口、鼻、耳、および秘所を通じて身体内に物質が到達することで、斎戒は無効となる。
したがって、喫煙と吸引は斎戒を無効にする。単にこうした開口部の外側に何かを接触さ
せるだけでは、斎戒は無効とはならない。たとえば、口内を清掃するためにミスワークを
使用することや、外耳道【注 29.外耳道は、小指を入れることができる程度と定義され
る。何かがこれより深く入った場合、斎戒は無効となる】に綿棒を入れただけでは斎戒は
無効とならない。しかし、ズフルの定刻になった後でミスワークを使うことは忌避行為と
考えられる。ズフルの定刻前であれば、浄化や礼拝のために行うことが推奨される。

2. 意図的な嘔吐は斎戒を無効とする。意図しない嘔吐は斎戒を無効としない。

3,性行為は、射精を伴わない場合でも斎戒を無効とする。単なる接吻(唾液の交換なし
で)や抱擁は、性行為と射精につながらない限り、斎戒の間でも許容される。性行為なし
の射精も斎戒を無効とする【注 30.これは男女の自慰も含む】。しかし、もし夢精した場
合は、斎戒は依然有効である。

4.悪露と月経は斎戒を無効とする。斎戒をしている日に出血が起こった場合、斎戒は無効
となる。その時点で、上記の斎戒を無効とする行為を避ける義務が免除される。実際は、
月経が始まったのに斎戒をすることは禁止行為である。言い換えれば、もしラマダーンの
間に月経が終了すれば、残った日数だけ上述の行為を控えることが推奨される。

斎戒を無効にしない行為
斎戒を無効にしない行為をすべて列挙することは不可能だが、以下は斎戒を無効とするあ
るものである。

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1.自分の唾液と、浄化のために口をすすぐ後に残る少量の水は、避けることが難しいので
許容される。しかし、口内と鼻腔内を洗浄するとき、その水の量が過剰とならないように
注意すべきである。

2.舌先で味見をした場合、それを飲み込まない限り斎戒は無効とならない。しかし忌避さ
れる。

3.痰(たとえば口からの液体)は、それが避けられない場合を除き飲み込むべきではな
い。

4. もし自分が斎戒をしていることを忘れて何かを食べてしまった場合、全部食べてしまっ
たとしても、斎戒は無効とならない。たとえば、道を歩いているとき、水分を断っている
のを忘れて水道の水を飲んでしまった場合、斎戒は有効なままであり、やり直しは必要と
されない。

4.昆虫や砂などの避けられないものが口の中に入り、摂取した場合、斎戒は無効とならな
い。

斎戒の推奨行為
1.日没とともに斎戒を破ること。しかし、日没が確信できない場合、それが確信できるま
で待機すべきである。

2.数個のナツメヤシ、最適なのは三つである、を食べることで斎戒を破ることは推奨され
る。もしナツメヤシがないなら、水が推奨される。

3.夜明けが始まる前に食事をとることが推奨される【注 31.預言者は仰った「夜明け前の
食事をすれば、大きな祝福がある。(ブハーリーとムスリム)」

4.陰口や嘘などの汚い会話を避けることは推奨される。もちろん、これらは斎戒をしてい
なくとも禁止行為である。しかし斎戒の間はより強調される。

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斎戒が免除される事項
1.旅行:81 キロメートル/50.33 マイル以上居住地から離れた時。しかし、旅行は日の出前
に始めなければならない。日の出の後に旅行するとわかっている場合は、斎戒が義務付け
られる。

2. 病気:もし斎戒の前か、その期間の間に病に倒れた場合、そして斎戒によって悪化する
か病気が長引く場合、四肢が切断した場合、および生命が失われる場合、斎戒をしないこ
とと中止することが許容される。一般的原則として、信頼できるイスラーム学者に相談す
べきである。この場合は、斎戒のみをやり直し、贖罪は必要とされない。しかし、可能で
ありながら、逃した斎戒のやり直しを次の年のラマダーン月まで遅延させた場合は、未達
成の斎戒ごとに贖罪を要求される。慢性的な疾患および加齢は斎戒を免除するが、やり逃
した斎戒ごとに償いが課される。

3.妊娠と介護:妊娠とその介護の期間は、母子にとって法的に許容された健康上の懸念が
ある場合、斎戒が免除される。単なる妊娠とその介護では斎戒は免除されない。信頼でき
る研究は、妊娠中に斎戒している女性は、斎戒していない女性と同様であることが示され
ている。【注 32.妊娠中の斎戒に関する多数の研究は、それが女性と子どもに害を与えな
いことを示している。たとえば『バーミンガムにおけるアジア人の妊娠中のイスラーム教
徒女性のラマダーンと出生時の体重』Arch Dis child 1990 octover ; 65 以下略】繰り返す
が、信頼できるイスラーム学者に相談すべきである。子どもの健康のために斎戒をやらな
かった場合は、逃した斎戒ごとに贖罪が必要である。母親のみ、もしくは母子の両方の健
康のためであれば、贖罪は要求されない。この二つの場合は、やり直しは義務のままであ
る。

斎戒のやり直し
旅行や月経などの有効な理由であれ、食事の摂取など無効な理由であれ、逃した全ての義
務の斎戒はやり直しが必要となる。ラマダーン月の斎戒は次の年のラマダーン月が来るま
でにやり直すべきであり、そうでなければ贖罪が課される。【注 33.性行為によって斎戒
を破ることは、より重い食材が課される。以下略】

25
結論
斎戒はとても徳の高い行為であり、その報奨はアッラーのみがご存じである。上記の裁定
は斎戒の外面的要素と、斎戒を有効にするための必要事項についての議論である。しか
し、ただ飢えるだけであれば、斎戒の要点を外していることになる。斎戒は霊的浄化を意
味する。上記の外面的行為の本質は、精神の有害な習性の放棄と、より高尚な霊性を得、
創造主とつながることを助ける手段である。斎戒の間、創造主が嘉するような行為をし、
斎戒によって最大限の報酬を得るために従事しなければならない。

終わりに
この短い著作の目的は、読者が比較的早期に浄化、礼拝、斎戒についての通説に達するこ
とができることである。他の多くの裁定と推奨行為は意図的に簡潔なものとした。礼拝と
その他の崇拝行為についての知識を追加する他の書籍やネット上の学術サイトが
情報源として存在し、それによってよりアッラーの身許へと近しくなる。(以下略)

26
付録:祈願集

1.清め

儀礼的洗浄を始める前に言う。

ِ‫الرحِ ي ِْم‬
َّ ‫ن‬ِِ ٰ‫الرحْم‬
َّ ‫للا‬
ِِ ‫( ِبس ِِْم‬ビスミッラーヒッラフマーニラヒーム、慈悲あまねく慈悲深きアッラー
の御名において)

または
ِ‫( ِبس ِِْم اللـ ِِه وِ الـحِ ْمدِ للـ ِه‬ビスミッラーヒワルハムドゥリッラー、アッラーの御名において、賞賛
はアッラーに帰す)

清めの後で、
ِ‫أن مح َّمداِ عبْدِه ورسوله‬ ِ ِ‫لَّ للاِ وحْ ده‬
َِّ ِ‫ وأ ْشهد‬،‫ل ش ِريْكِ له‬ ِ ‫ل إلهِ إ‬ ِْ ‫(أ ْشه ِد‬アシュハドゥ アッラー イラーハ イッ
ِ ‫أن‬
ラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ。 ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン
アブドゥフ ワ ラスールフ、かれに並ぶものなきアッラー以外に真に崇拝すべきものはな
く、ムハンマドは彼のしもべであり、使徒であることを証言します)

そして
ِ‫مِن ْالـمتط ِه ِرين‬
ِ ‫ي‬ ِ ‫(اللَّه َِّم اجْع ْلنِي مِنِ التَّ َّوابينِ واجْ ع ْل ِن‬アッラーフンマジュアルニー ミナッタウワービーナ
ワジュアルニー ミナルムタタッヒリーン、アッラーよ、私をよく悔悟する者に、そして
よく(心身を)清める者として下さい。)

2.礼拝

開始の唱名
‫للا أكب ِر‬
(アッラーフアクバル、アッラーは至大なり)

開始の祈願は以下である。

27
ِِ ‫ ومماتِي للَّـ ِِه ر‬،‫ ومحْ ياي‬،‫ ونسكِي‬،‫إن صالتِي‬
(‫ب‬ َِّ ،‫ض حنِيفاِ وما أنا مِنِ الـم ْش ِركين‬
ِ ‫واألر‬
ْ ِِ ‫و َّج ْهتِ وجْ ِهيِ ِللَّذِي فطرِ السَّمـوا‬
‫ت‬
ِ‫ وأنا مِنِ الـم ْسلِمين‬،‫مِرت‬
ْ ‫ و ِبذلِكِ أ‬،‫ ل ش ِريْكِ له‬،‫)) العالمين‬
ワッジャフトゥ ワジュヒヤ リッラズィー ファタラッサマーワーティ ワルアルダ
ハニーファン ワ マー アナ ミナルムシュリキーン。インナ サラーティー、ワ ヌ
スキー、ワ マフヤーヤ、ワ ママーティー リッラーヒ ラッビルアーラミーナ、ラー
シャリーカ ラフ ワ ビザーリカ ウミルトゥ ワ アナ ミナルムスリミーン。
「私は天地の創造主に、多神教徒ではなく純正な信者として顔を向けました。私の礼拝、
献身行為、生、そして死は並ぶ者なきお方である全世界の主アッラーにこそ捧げられま
す。私は実にそのように命じられ、そして帰依した者たちの 1 人です。」

悪魔祓いの祈願は以下である。

ِ‫الر ِج ِيم‬
َّ ‫ان‬ َّ ‫(أعوذِ ِباللـ ِِه مِنِ ال‬アウーズ ビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム、私はアッラ
ِِ ‫شيْط‬
ーに、呪われるべきシャイターンからのご加護を求めます)

開端章。

1-1.慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において。

1 ِ
ِِ ‫الرحِ ِيم‬
َّ ‫حْمن‬
ِِ ‫الر‬
َّ ِِ‫ِبس ِِْم للا‬

1-2.称賛はアッラーに帰す、諸世界の主に

2 ِ‫ب ْالعالمِ ين‬


ِِ ِ‫ْالح ْم ِد للِِ ر‬

1-3.慈悲あまねく慈愛深き御方、

3 ِ‫الرحِ ِيم‬
َّ ‫مـن‬
ِِ ْ‫الرح‬
َّ

1-4.裁きの日の主宰者に。

4 ِ‫ِين‬
ِ ‫مالِكِِ ي ْو ِِم الد‬

1-5.あなたにこそわれらは仕え、あなたにこそ助けを求める。

28
‫إِيَّاكِ ن ْعبدِ وإِيَّاكِ نسْتعِينِ ‪5‬‬

‫、‪1-6.われらを真っすぐな道に導き給え‬‬

‫الصراطِ المستقِيمِ ‪6‬‬


‫اهدِنــــا ِ‬

‫‪1-7.あなたが恩寵を垂れ給うた者たち、(つまり)御怒りを被らず、迷ってもいない者た‬‬
‫。‪ちの道に‬‬

‫ضالِينِ ‪7‬‬
‫ب علي ِه ِْم ولِ ال َِّ‬
‫ير المغضو ِِ‬ ‫صراطِ الَّذِينِ أنع ِ‬
‫مت علي ِه ِْم غ ِِ‬ ‫ِ‬
‫‪短い章‬‬

‫。‪純正章‬‬
‫يم‬
‫الرحِ ِِ‬
‫حْمن َّ‬
‫الر ِِ‬
‫ِبس ِِْم للاِِ َّ‬

‫。‪1. 言え、「それはアッラー、唯一なる御方‬‬

‫قلِْ هوِ َِّ‬


‫ّللا أحدِ ‪1‬‬

‫、‪2. アッラーは、自存者‬‬

‫صم ِد ‪2‬‬ ‫َِّ‬


‫ّللا ال َّ‬

‫‪3. 彼は生まず、生まれもしない‬‬

‫ل ِْم ي ِل ِدْ ول ِْم يول ِدْ ‪3‬‬

‫」。‪4. そして彼には匹敵するもの何一つない‬‬

‫ول ِْم يكن لَّهِ كفوا أحدِ ‪4‬‬

‫。‪黎明章‬‬
‫يم‬
‫الرحِ ِِ‬
‫حْمن َّ‬
‫الر ِِ‬
‫ِبس ِِْم للاِِ َّ‬

‫‪29‬‬
1. 言え、「私は夜明けの主に守護を求めます。

ِ ‫ب ْالفل‬
1 ِ‫ق‬ ِِ ‫قلِْ أعوذِ ِبر‬

2. 彼が創造し給うたもの(被造物)の悪から、

2 ِ‫مِن ش ِِر ما خلق‬

3.また暗れ塞がったときの闇夜の悪から「、

3 ِ‫ومِن ش ِِر غاسِقِ إِذا وقب‬

4. また「結び目に息を吹きかける(呪術師の)女たちの悪(呪詛)から」、

4 ‫ي ْالعق ِِد‬ ِِ ‫ومِن ش ِِر ال َّنفَّاثا‬


ِ ِ‫ت ف‬

5. また「妬む者は妬んだ時の悪から(の守護を求めます)。」

5 ‫ومِن ش ِِر حاسِدِ إِذا حس ِد‬

人々章。
‫يم‬
ِِ ِ‫الرح‬
َّ ‫حْمن‬
ِِ ‫الر‬
َّ ِِ‫ِبس ِِْم للا‬

1. 言え、「私は人々の主に守護を求めます」

ِ ‫ب ال َّن‬
1 ِ‫اس‬ ِِ ‫قلِْ أعوذِ ِبر‬

2. 「(つまり)人々の王に」、

ِ ‫ملِكِِ ال َّن‬
2 ِ‫اس‬

3. 「(つまり)人々の神に。」

ِ ‫إِل ِِه ال َّن‬


3 ِ‫اس‬

30
‫」‪4. 「姿をくらますささやき(悪魔)の悪から‬‬

‫اس ْالخ َّن ِ‬


‫اسِ ‪4‬‬ ‫مِن ش ِِر ْالوسْو ِ ِ‬

‫」)‪5. 「(つまり)人々の胸にささやきかける者(の悪から‬‬

‫ور ال َّن ِ‬
‫اسِ ‪5‬‬ ‫الَّذِي يو ْس ِوسِ فِ ِ‬
‫ي صد ِِ‬

‫」。‪6.「(それが)幽精であろうと人々であろうと‬‬

‫مِنِ ْال ِج َّن ِِة وِ ال َّن ِ‬


‫اسِ ‪6‬‬

‫‪他の祈願‬‬

‫。‪屈身礼の時‬‬
‫)」。‪ (スブハーナ ラッビヤルアズィーム。「偉大なる私の主を称えます‬سبْحانِ ر ِبي العظِ ِيمِ‬

‫。‪屈身礼から起き上がったとき‬‬
‫للا لِم ِْ‬
‫ن حمِدهِ‬ ‫‪ (サミアッラーフ リマン ハミダフ。「アッラーは、かれを賛美する者の声‬سمِعِ ِ‬
‫」。‪をお聞きになる‬‬

‫‪ (ラッバナー ワ ラカルハムドゥ。「私たちの主よ、あなたにこそ賞賛あ‬ربَّنا ولكِ الحِ ْمدِ‬


‫)」。‪れ‬‬

‫。‪平伏礼の時‬‬
‫)」。‪ (スブハーナ ラッビヤルアァラー。「崇高な私の主に称えあれ‬سبْحانِ ر ِبيِ األعْلى‬

‫‪クヌートの祈願‬‬

‫وعافِنِى فِيْم ِْ‬


‫ن عافيْتِ‬ ‫ْت‬ ‫ى فِيْم ِْ‬
‫ن هد ي ِ‬ ‫الله َِّم ا ْه ِد ِن ِْ‬
‫ْت‬
‫ى فِيْما اعْطي ِ‬
‫اركِْ ِل ِْ‬
‫وب ِ‬ ‫ن توِلَّي ِ‬
‫ْت‬ ‫وتولَّ ِن ِْ‬
‫ى فِيْم ِْ‬
‫ى ولِ ي ْقض ِ‬
‫ى عليْكِ‬ ‫فِِا َّنكِ ت ْق ِ‬
‫ض ِْ‬ ‫ي ش َّرما قِضيْتِ‬
‫‪،‬وقِ ِن ِْ‬
‫ِز م ِْ‬
‫ن عاديْتِ‬ ‫ولِ يع ِ‬ ‫واِِ َّنهِ لِ يذِلِ م ِْ‬
‫ن واليْتِ‬
‫تبار ْكتِ ربَّنا وتعالي ِ‬
‫ْت‬
‫ْك‬ ‫واسْت ْغفِر ِ‬
‫ك وات ْوبِ اِلي ِ‬ ‫فلكِ ْالح ْم ِد على ما قضي ِ‬
‫ْت‬

‫‪31‬‬
‫ى آ ِل ِِه وصحْ ِب ِِه وسلَّ ِم‬ ِ ِ‫ي ِ اْلم‬
ِ ‫ي ِ وعل‬ ِ ‫وصلَّى‬
ِ ‫للا على س ِيدنا مح َّمدِ ال َّن ِب‬
アッラーフンマハディニー フィーマン ハダイトゥ。ワ アーフィニー フィーマン アー
ファイトゥ。ワ タワッラニー フィーマン タワッライトゥ。ワ バーリク リー フィーマ
ー アァタイトゥ。ワ キニー シャッラ マー カダイトゥ。ファインナカ タクディー ワ
ラー ユクダー アライク。インナフ ラー ヤズィッル マン ワーライトゥ。(ワ ラー ヤ
イッズ マン アーダイトゥ)タバーラクタ ラッバナー ワ タアーライトゥ。ファラカル
ハムドゥ アラー マー カダイトゥ。ワスタグフィルカ ワアトゥーブ イライク、ワ
サッラッラーフアラー サイィディナー ムハンマドゥ、 ワアラー アーリ ワサハビ
ヒ ワサッラム。「アッラーよ、あなたが導かれた者の中に私を導いて下さい。あなたが
護った者の中で私を護って下さい。あなたがその諸事を引き受けられた者の中で、私の諸
事をお引き受け下さい。そしてあなたが与えて下さったものにおいて私を祝福して下さ
い。そしてあなたが運命付けた悪から私を御護り下さい。あなたこそが判決を下されるお
方で、判決される者ではありません。あなたは、あなたが保護された者を辱めることはあ
りません。(そしてあなたから敵対された者は、権勢を得ることはありません)私たちの
主よ、あなたは祝福に溢れた崇高なお方です。それゆえ、あなたが定め給うたものについ
て称賛あれ。私はあなたに罪の赦しを請い、あなたに悔悟し戻ります。アッラーが、文盲
の預言者である我らの指導者ムハンマドとそのご家族に祝福をお与えになるように。」)

タシャッフド

‫ أشهد‬،‫ وعلى عبا ِد للا الصالحين‬،‫ السالم علينا‬،ِ ‫ السالم عليك أيها النبي ورحمة للا وبركاته‬،‫ت هلل‬
ِ ‫التحيات المباركات الصلوات الطيبا‬
‫للا‬
ِ ‫ن محمداِ رسول‬
ِ ‫ وأشهد أ‬،ِ ‫ل للا‬
ِ ‫أن ل إله إ‬
(アッターヒーヤートゥルムバーラカートゥッサラワーツッタイーバートゥリッラー、アッ
サラームアライカアイユハンナビーユワラフマトゥッラーヒワバラカートゥフ、アッサラ
ームアライナーワアラーイバーディッラーヒッサーリヒーン、アシュハドゥアッラーイラ
ーハイッラッラー、ワアシュハドゥアンナサィイディナームハンマダッラスールッラー、
「恵まれたる賞賛、善きものたる祈願はアッラーに(捧げられます)。預言者よ、あなた
の上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬
虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いことを証言し
ます。私はわれらの指導者ムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言し
ます。」)

32
預言者への祝福祈願

‫ى س ِيدِنا مح َّم ِد‬ ِ ‫ل س ِيدِنا مح َّمدِ كما صلَّيْتِ على س ِيدِنا إِبْراهِيمو إِ َّنكِ حمِ يدِ م ِجيدِ وب‬
ِ ‫اركِْ عل‬ ِِ ‫اللَّه َِّم ص‬،
ِِ ‫ل على س ِيدِنا مح َّمدِ وعلى آ‬
ِ ‫(وعلى آ ِِل س ِيدِنا مح َّم ِد كما بار ْكتِ عل‬アッラーフンマサッリアラーサィイデ
ِ‫ى س ِيدِنا إِِبْراهِيمِ إِ َّنكِ حمِ يدِ م ِجيد‬
ィナームハンマドゥ、ワアラーアーリムハンマドゥ、カマーサッライタアラーサィイディ
ナーイブラーヒーマ、インナカハミードゥンマジード、ワバーリクアラームハンマドゥ、
ワアラーアーリムハンマドゥ、カマーバーラクタアラーイブラーヒーマ、インナカハミー
ドゥンマジード、アッラーよ、我らの指導者ムハンマドとその家族の上に祝福を。あなた
がイブラーヒームとその家族の上に祝福を与えられたごとく。アッラーよ、我らの指導者
ムハンマドとその家族の上に恵みを。あなたがイブラーヒームとその家族の上に恵みを与
えられたごとく。この世界で、あなたこそ賞賛すべき尊厳なるお方。)

最後のタスリーム
‫للا‬
ِ ‫(السالم عليكم ورحمة‬アッサラームアライクムワラフマトゥッラー)

33

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