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第10課_自らの選択
第10課_自らの選択
(自らの選択)
見ると聞くとで Trăm nghe 大学では、3 年
は大違い không bằ ng mắ t 生から 4 年生に
thấ y かけて、就職活
動で大変だと聞
いていたが、見
ると聞くとでは
大違い。
キャリア キャリア)とは、 Nghề nghiệp; 入学時から早々 彼はセミプロと
個人が生涯を nghề; sự nghiệp と、キャリアガイ してキャリアをス
通じて積み重ね ダンスが始まっ タートさせた。
ていく職業経験 た
やスキル、知識
のことを指す。
ガイダンス 案内」や「指導」 Sự chỉ đạ o; sự 入学時から早々 特に発射の後
「助言」といった hướ ng dẫ n; chỉ と、キャリアガイ のガイダンスま
人々が方向性や đạ o; hướ ng dẫ n ダンスが始まっ たは支配を前提
行動計画を決 た として
定するために得
る情報やアドバ
イスを意味する
英語表現であ
る。
適性 性格や性質が、 Năng lự c キャリアとは何 仕事に対する適
その物事に適し かに続いて、自 性
ていること。ま 分が何に向いて
た、その性格や いるのかを知る
性質。「—を見 適性検査
る」「—に欠け
る」
検査 [名](スル)ある Sự xem xét kỹ, キャリアとは何 私は空港の税
基準をもとに、 sự kiểm tra, sự かに続いて、自 関で身体検査を
異状の有無、適 thanh tra 分が何に向いて 受けた
不適などを調べ いるのかを知る
ること。「所持品 適性検査
を—する」「適性
—」
進路 進んで行く道。 Con đườ ng tiến その結果を基に 私たちは子供の
行く手。「敵の— thân して、自分の向 進路のことで悩
を阻む」「台風 き、不向きを知 んでいた。
の—」⇔退路。 り、進路を決め
よと耳にタコが
できるほど言わ
れた。
耳にタコができ 「たこ」は「胼 Nghe phát chán その結果を基に
る 胝」と書き、角質 tai して、自分の向
化した厚い皮膚 き、不向きを知
を指す。同じこと り、進路を決め
をうんざりする よと耳にタコが
ほど何度も聞か できるほど言わ
されて参った、と れた。
いった意味の表
現。耳たこ。
エントリーシート 催しへ参加する Mẫ u đơn, đơn 2年生が終わる ジムは最初、コ
際に、必要事項 xin việc ころには、エント ウイチが言った
をあらかじめ記 リーシートの記 「エントリーシー
入して主催者側 入方法やら志望 ト」という言葉の
に提出する用紙 動機のまとめ方 意味が分からな
のこと。特に就 やらと、指導は かったが、コウイ
職活動における どんどん進み、 チが見本を見せ
応募用紙を指す 落ち着いて考え てくれたのでそ
ことが多い。 る暇もない。 れが英語で
「entry blank」を
意味することが
分かった。
自らの選択
大学では、3 年生から 4 年生にかけて、就職活動で大変だと聞いていたが、見ると聞くとでは大
違い。入学時から早々と、キャリアガイダンスが始まった。キャリアとは何かに続いて、自分が何
に向いているのかを知る適性検査。その結果を基にして、自分の向き、不向きを知り、進路を決
めよと耳にタコができるほど言われた。2年生が終わるころには、エントリーシートの記入方法や
ら志望動機のまとめ方やらと、指導はどんどん進み、落ち着いて考える暇もない。
入社試験の本番に向けて、いよいよだなという気持ちで私なりに準備を進めた。しかし、いざふ
たを開けてみると、届くのは不合格通知ばかり。一度や二度でやすやすとは決まらない、甘えず
頑張れという教員に励まされて、エントリーシートを出し続けた。それでも成果が上がらず、落ち
込む一方の自分の周りで、「内定もらった」という声がちらほら聞かれ始める。嫌気が差し、「会
社は人を見る目がない」とか「政府の不況対策がなってない」と、思わしくない結果を人のせい
にした。あげくは、こんな思いを続けるくらいなら、就職活動など程々に、海外に行ってボランティ
アでもと考え出す始末だった。
たかだか 20 数年の人生だが、高校であれ大学であれ、自分なりに苦しみながら、進路の選択
をしてきた。自らの人生だから、自分に一番良い選択をしなければ悔やむことになると言われ、
そうしてきたつもりだ。しかし、ふと本当に自らの選択だったのだろうかと思い始めた。これまで
は、何をいつまでにと、先生や家族の描いた作業工程に従って進んできただけではないのか。
就職にしたところで、自らの人生だからと、立ち止まり真剣に選択をしようとしてきたとは言えな
い。
真正面から自らの人生と向き合い、自分ができること、できないことを見極め、自分に何が適切
なのかを判断する。その判断に基づいて自らの人生にとってふさわしい道を選ぶのでなければ、
選択とは言えない。当然、選択には大きな不安が伴う。じゅうぶんな判断材料を持っているのか、
選択を間違ったらどうなるのか。そうした不安が、決断を鈍らせ、選択を遠ざける。
これまでの自分は、不安を恐れて、選択を避け、安全な道を選んできた。いろいろな制限がある
からと言い訳をし、周りが言うからと人のせいにし、心の折り合いをつけてきた。そうではなかっ
たか。今、自分は、人生の大切な岐路に立たされていると思う。社会へ出れば、もっと難しい選
択を強いられる場面があるに違いない。その度に、言い訳を用意し、責任転嫁の相手を見つけ、
安全運転を続けるのか、それとも自らが選択をした自らの人生を生きるのか、どちらを選ぶか、
今迫られているのだ。
まとめ
筆者の予想と違い、大学に入るとすぐに就職活動のための準備が始まった。そして、それに追
われて、落ち着て自分の将来を考えることがないまま、就職活動に入り、いくつか入社試験を受
けた。試験の結果は思わしくなく、就職活動に嫌気がさし始めるが、そんな時期に、これまでの
自分の選択を振り返り、「自らの選択」を遠ざけていたことに気づく。そして、筆者は、今が大切
な人生のさろで、これからも同じような安全運転で生きていくのか、それとも、自らの人生を生き
るのかという選択を迫られている。