You are on page 1of 69

世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊 もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2024年4月1日 第180号(初版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通
けの って
番地
に届
きま

eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(64):Philip Larkin : Going:生きること…page11
3 コーボー・ベーシックスkobobasics(25):伝統(3)……page16
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(13):分解された日常……page 27
5 日本一極国家論(続 )(18):古代帝國論 I……page 31
6 散文思索塾(12):円錐形の内部と外部の関係(2) ……page 40
7 サンチョ・パンサを求めて(33):ひょっこりひょうたん島……page 49
8 SFで思考するための本棚(13):.....page
9 私の本棚(57):タミム・アンサーリー著『イスラムから見た「世界史」』……page 52
10 カフカの箴言(27): 否定と肯定、課題と所与 .....page 63
11 ショーペンハウアーの箴言(22): 音楽と建築様式……page 64
12 糞尿と性愛の文学 生殖器・排泄器同一社会論仮説 (3):1。古事記の中の糞尿と性愛/
1.1神武初代天皇の皇后(きさき)の出生譚(2):待て次号:岩田英哉…page
13 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(41):5.60 猿田彦(2)/5.61星
座とトポロジーの関係(2)/5.61 ……page
14 東 イツ回想記(8)…page96
15 鹿島日記(5)…page59

・本誌の収蔵機関…last page
・編集方針…last page
ド
もぐら通信

ニュース&記録&掲示板

(NRB: News・Records・Bulletin)
The best tweets of the month
もぐら通信
もぐら通信
もぐら通信
もぐら通信

【安部公房】覗き覗かれる匿名の男たち『箱男』紹介
文学系マジシャン 生
https://www.youtube.com/watch?v=MPNsmQojCfM
もぐら通信
もぐら通信
もぐら通信

2024年3月31日 仙川安部公房生誕100周年祭 鳥羽先生と読む 読書会 第5回


『砂の女』その2

仙川 安部公房生誕100周年祭に向けて徐々に盛り上 りをみせている 「鳥羽


先生と読む安部公房」読書会、第5回の 案内 す。 前回『砂の女』 は ス
トに ーター・ スナー先生をお迎えし、フリートーク形式 文学と演劇の両
方から魅力を大解剖し、類をみない素晴らしい会となりました。 40人超の
参加 あり、通常の「参加者同士 自由に語らう」読書会スタイルとはいか
期待に添えない方もいらっしゃったかもしれません。

第5回は『砂の女』その2とし、改めて「多様な読みをつくりあ る場」とし
たいと思います。 この機会に安部公房を知ってみたい、読ん みよう、という
方も大歓迎 す!

また、安部公房生誕100年を記念して、3月5日より リ日本文化会館にて、安
部公房生誕100周年記念講演会&映画上映会 行われています。 鳥羽先生によ
る講演会、映画「砂の女」も満席。 仙川安部公房生誕100周年実行委員会の発
起人山口さんと、鳥羽先生 現地からレ ートしてくれています。

仙川も、夏の生誕100周年祭に向け、更に盛り上 って行きましょう!! https://


www.mcjp.fr/ja/kobo-abe-et-la-france-ja

お申込みはこちら↓↓↓ https://sengawa-abekobo.peatix.com/
ご
ペ
が
で
ゲ
が
が
ご
ポ
が
で
が
パ
が
で
で
げ
で
ゲ
ご
ず
もぐら通信
もぐら通信 ページ11
巻頭詩
(64)
Going・生きること

フィリップ・ラールキン
翻訳:岩田英哉

【原文】

There is an evening coming in


Across the elds, one never seen before,
That lights no lamps.

Silken it seems at a distance, yet


When it is drawn up over the knees and breast
It brings no comfort.

Where has the tree gone, that locked


Earth to the sky? What is under my hands,
That I cannot feel?

What loads my hand down?

【和訳】

生きること

ある日暮がやつて来て、それは
幾つもの畑を横切つて、これまで一度も見たことのな
い夜で
ランプの灯りなど一つもない夜だつた

それは遠目でみると絹のやうにすべすべしてゐるやう
にみえるが、しかし
膝と胸にと引き上げられて私の体を覆ふときには
それは何の慰めにもならないのだ。
fi
もぐら通信
もぐら通信 ページ 12

この地球といふ星を空に鎖でしつかりと繋いでゐたあの樹木は
どこに行つてしまつたのだ?私の両手の下には何があるのだ?
何も感じることのできないでゐる此の私の両手の下には

両手を高く掲げたいのに、私の両手に重いものを載せて地面へ
と垂らしてしまふものは一体何なのだ?

【解釈と鑑賞】

あなたは何語であれ外国語を翻訳して理解する時には、意味形
態といふ言葉を思ひ出すとよいでせう。言葉は生き物であり、
有機体なのです。

意味は目に見えないがしかし其の語一語には形態があるので
す。GoingはGoといふ動詞が活用して生まれた動詞の一形式
で、まあ、いはば安部公房流にいへば一語の意味が変形してー
動詞の場合は此れを活用と呼んでゐる。わたしたちの日本語は
接続の品詞が語末に動詞であれ名詞であれ付くので文法の規則
の名前が異なるが、ドイツ語では名詞の変形の場合は格変化と
いふー、別の意味形態を有するか又は其の意味を発揮すること
になる。たとへば、洗ふといふ動詞を考へると、手を洗ふとい
ふのと脳味 を洗ふといふのとでは、意味が異なり、即ち意味
形態が異なり、即ち文脈が異なるのです。これで意味形態とい
ふ言葉の意味が理解されるでせう。私は此の文脈次第で連絡し
てゐる無数の意味の連鎖を、概念連鎖といつてゐます。やまと
ことばにいふコト・タマです。

さて、Goなどといふ意味の範囲の広い動詞は、その分だ使ひで
のある言葉ですから、日本語に訳しながら、一体此の、学校の
英文法で教はつた形式上は現在進行形と同じ形式の動名詞と呼
ぶGoingといふ言葉を何と和訳したらよいものかと、あれこれ
考へながら本文の詩を一行一行翻訳して行きました。上から下
へと頭から訳し降ろして来て、途中の行の訳次第でまた上の方
の語の訳を変へ、全体を見渡したあとで上の方の訳を変へたら
再た下の訳が変はる、といふことを何度か繰り返したのは、題
もぐら通信
もぐら通信 ページ 13

名のGoingのGoといふ動詞の原形の持つ意味と其の動名詞の形
式の持つ意味の範囲が余りに広かつたからです。そして結局、
このやうな題名となつた。

第一連の、

幾つもの畑を横切つて

とある一行は、この話者が実際に農夫であるととるのもよし、
また隠喩・メタファととるのもよし、Goingの意味形態即ちあ
なたの想像する文脈に従つて自由に考へて構はない。意味形
態。目に見えない言葉の意味にもまた生物と同じく形態がある
のです。何故なら、言葉の意味とは有機体であつて、あなたが
読みてとして生きてゐるのと同様に読むことによつて言葉もま
た生きてゐるからです。一人の言葉の意味もまた多様であり多
彩であり、つまり多義的なのは、これが詩だからです。散文の
一行は一意でなければ散文にはなりません。

第二連の、

膝と胸にと引き上げられて私の体を覆ふときには

とある一行は、一日の疲れのあとに、夜寝床に入つて掛け布団
を足元から自分の体に仰向けになつて引き上げるところを想像
して下さい。掛け布団とは書いてゐないし、其れとあるので、
それは掛け布団ではなく夜がさうやつて自分の体に引き上げら
れるのだ、といふ表現になつてゐる。布団も重いので、次に続
くやうに、

それは何の慰めにもならないのだ。

しかし、

それは遠目でみると絹のやうにすべすべしてゐるやうにみえる

しかし、
もぐら通信
もぐら通信 ページ14

近目で見ると、一日の終りの日暮の夜の到来は、このやうに見
える。

第三連は、これを読むと農夫であるか、または何か宇宙的な或
る感覚を以て毎日仕事をしてゐる、さう書き手である詩人の心
象風景と宮澤賢治ならいふかも知れない宇宙感覚があるのかも
知れないと思ふ。

樹木は、「この地球といふ星を空に鎖でしつかりと繋いでゐ
た」背の高いしつかりとした植物であつたのに「どこに行つて
しまつたのだ?」

しかし他方、私は寝床に横になつてゐて樹木のやうに夜は立つ
てゐるわけではない。夜であれ、しかし昼であれ、さう此のや
うに今横になつてゐるとして、私の胸に置いた両手は何も感じ
ることができない。だから、だつたら、「私の両手の下には何
があるのだ?何も感じることのできないでゐる此の私の両手の
下には」。私の此の体は私のものであり、私なのか?

それ故、最後の連は、次のやうに訳した。

「樹木のやうに「両手を高く掲げたいのに、私の両手に重いも
のを載せて地面へと垂らしてしまふものは一体何なのだ?」

地球を此の詩人はEarthと表記して語頭を大文字にしいてゐます
ので、和訳したやうに「地球といふ星」としました。単に地面
といふだけの意味ではない。もし地面といふ意味ならば、偉大
なる大地とでも訳すことになるでせう。勿論、文脈次第、意味
形態次第、即ち言葉の使ひ方次第、用法次第ですが。
ロシアの文学・者は、その古典を読むと、ユーラシア大陸を
「母なる大地」と呼んでゐる。ゴーゴリはさう呼んでゐた。あ
るいは、さう呼んでゐたと知つたのは、ロシアの批評家ベリン
スキーのゴーゴリに関する評言の一部であつたかも知れない。
さう、ゴーゴリはロシア語で執筆して、自分の故郷の国、日本
人がクニと呼ぶ其のクニと同じ国を、我が祖国ウクライナ、と
呼んでゐた。今のウクライナをみるとゴーゴリは悲しむだら
う。
もぐら通信
もぐら通信 15
ページ

みづからを大空と大地の間に垂直に立つ樹木でありたいといふ
心を表すのに、詩人はGoingと書いた。訳しやうがないので、
私は、生きること、とさうしました。果たして、私たちは今こ
のやうに生きてゐるか。あなたの両手は何かを感じてゐるか。

ブリテン島といふ島に住んでゐて、この詩人は大陸に渡らず
に、こんなEarthを感じることができたのか。略歴を読むと、
1922年生まれのイギリス人で、grammar schoolの後オックス
フォード大学で教育を受けたとあります。大陸に渡つて住んだ
気配は、ない。
もぐら通信
もぐら通信 16
ページ

コー ー・ ーシックスkobobasics
(24)
伝統
(3) 岩田英哉

伝統について安部公房が意見を述べてゐる作品には、全集を検索すると表立つては
次のやうなものがあります。

1。『二十世紀の文学』(全集第20巻、55ページ)
2。『隣人を超えるもの』(全集第20巻、385ページ)
3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)
4。『伝統と変容』(全集第27巻、144ページ)

上記四つのエッセイや講演を通覧して安部公房の伝統観をまとめたい。

***

2。『隣人を超えるもの』(全集第20巻、385ページ)
さて、このエッセイ『隣人を超えるもの』の骨子を、章立てに見出しが無いので、
章ごとに此処で箇条書きにすると、次の通りです。下記1については記述の通り。

1。第一章:眼に見える伝統と眼に見えない伝統
2。第二章:伝統と言語の関係
3。第三章:個人と組織と隣人の関係
4。第四章:伝統と方法の関係

以下、上記2より章ごとの概略をまとめますと、安部公房の伝統観が、

3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)
4。『伝統と変容』(全集第27巻、144ページ)

といふ此の残り二つのエッセイに行く前に明らかになりますので、よりよくこれら
二つのエッセイを理解するための、以下を肥やしと致しませう。

2。第二章:伝統と言語の関係
安部公房は此の章では、「何故「伝統」というものが問題にされなくてはならない
のか」といふ問ひを立てて話を始めてゐる。「その戦術的な意味も分からないわけ
ボ
ベ
もぐら通信
もぐら通信 ページ17

ではない」と続けてゐるので、この時文脈は既に政治の世界である。政治の世界と
は国会議事堂や政党の話ではなく、日常生活に集ふ人間の、それも日本人の話であ
り、この伝統と言語の関係を話しながら、人間一般と日本人といふ個別の人間およ
び党派性の三つの論点を往復し行き来しながら論旨を展開してゐる。この論旨の展
開の途上に登場する語彙は次の通り。

ー伝統ー民族感情ー民族ー国民性ー保守思想ー非国民ー反民族的ー階級ー日本語の
乱れー

この概念連鎖のうち、保守思想と日本語の乱れ以外は「」付きですから、所謂世に
云ふ何々といふ書き方です。これらの概念連鎖を行きつ戻りつしながら吟味する安
部公房の主張の骨格は実に明確です。これらの話はみな日本語といふ言語との関係
では、上記の言葉を意味もよく考へることなく生活してゐれば、所謂伝統に反し、
民族感情を無視し、国民性を ろにすれば非国民と呼ばれ、反民族的だと呼ばれ、
マルクス主義者からは同じ日本人としても階級を肯定しないといふ理由で、いづれ
にせよ即ち保守思想にせよ左翼思想にせよ、「民族」とか「国民性」とかといふ「言
葉にたいしてもっている弱さ・臆病・恐怖・不安――それを頭から「くだらねエ」
といってみても、自体はまったく克服されないだろう。」ここで、この日本人の心
理を逆手にとる日本共産党などの「民族問題の提起の仕方がでてくる。」が、しか
し問題の本質は語彙にあるのではなく、「言語とは単語や語彙ではなく、言葉の構
造体である。たんとは、そのほんの一部に過ぎないのだ。」だから、「こうして言
語を伝達のための全体的な構造体としてとらえれば、言語が乱れるなどということ
はそう簡単にはいえないはずなのだ。」
従ひ、安部公房の主張は、伝統との関係で言葉の問題を論ずるためには、新仮名
や旧仮名といふ文字の問題や発声するお喋りの発音から話を始めるべきなのではな
く、「まだ文字にも、あるいは喋り言葉にすらなっていない言語構造を、その全体
としてとらえるところから出発すべきなのだ。くりかえしていうが、言語ほど変え
にくく、乱しがたく、伝統的なものはない。言語論争などは、まず言語構造を科学
的に把握したうえでなされなければならないのである。」といふものであり、この
主張は最晩年の一連の『もぐら日記』を読んでも、チョムスキーの言語学を論ずる
ところを読めば、全く首尾一貫して変はらないことが、ここで良く判ります。安部
公房の主張は正当な主張です。日本人の弊はいつも、言語構造といふ言語論理の問
題を情緒的且つ感情的に対処しようとすることです。これではいつまでたつても日
本語の構造は理解できない。このあとに、「日本的な思考法などと、よくいわれ
る」事柄について例を幾つもあげてゐるが結局安部公房の結論は、当然といへば当
然のことで如何にも安部公房らしい主張だが、「われわれは、日本人独特の発想法
というものを考えるよりも、むしろ普遍性の側に立つべきだろう。」何故なら「経
済法則というものがすでに、国家とか民族の枠を超えて、国際的に考えなければな
もぐら通信
もぐら通信 18
ページ

らない段階に入っている。枠はますますとりはらわれて、国際的に共通な問題意識
の方が優先されなければならない時代なのである。」といふ、この安部公房の要求
には、私は日本語の言語構造を安部公房の好んだチョムスキーの変形生成文法に基
づく著作『統辞論』にある日本語論での著者の疑問に答へる形で、既に『安部公房
とチョムスキー』で日本語の言語特性である二重性・両義性・冗長性を、また『散
文思索塾』にては話法との関係で持つ日本語の言語特性を同様に二重性・両義性・
冗長性によつて、日本語といふ個別言語の持つ一見すれば特殊・個別な言語の持つ
世界普遍性と其れ以外の特に西欧米のアングロサクソン語族の特殊性の違ひを明解
に結論としてを述べた通りです。

いづれにせよ、安部公房の言語に関する志と主張は正しい。いふべきことは、ここ
でも安部公房の主張の根底にある論理は、特殊の中に普遍を求めよといふことであ
つて、経済法則の国際的応用の例を出したからといつて日本の外部の言語法則に従
ふのが正しいと主張してゐるわけではないことである。安部公房はみづからを日本
語の作家だと或るインタヴューで明言してゐる作家です。

しかし何故通俗的な水準での「保守思想」が流行るかといへば、その根底にあるの
は、平俗に私がいへば村八分される恐怖であり、安部公房がいへば「われわれが意
識しない内部にある民族的な怖れ、それは民族という連帯からはじきだされる怖れ
なのである。」だから、「その恐怖感のなかで、われわれは、読者的なもののなか
を流れているのではない、作者から作者への流れとしてとらえられた、眼に見える
かたちでの「伝統」を口にすれば、その人間は許される。民族的なものを媒介とし
たときそれが一つの免罪符となるという構造によりかかって、たとえば大衆の党た
らんとする共産党は民族問題をとりあげる。しかし、われわれは、この構造そのも
のに冷酷な眼を向ける必要があるだろう。」

この安部公房の国民感情の分析は二十一世紀の今もなほ有効です。

3。第三章:個人と組織と隣人の関係
ここで安部公房は最近書き上げて発表した小説『榎本武揚』に対して「安部公房も
歴史小説に転向した」といふ世上の批判から話を始める。安部公房の読者にはいふ
までもないが、この小説は幕臣が敵方の明治政府に寝返つた男の話でもなければ、
明治政府に取り立てられて幕府を否定した男の話でもなく、二項対立を否定して超
越論として存在する第三項としての人間の生き方を描いたものです。ここでわかる
ことは、日本人の議論は実は議論にはならずに、いつも二項対立のいづれかの極端
を選ぶことになつて政治の議論が終始するといふ悪弊に陥つて、勝てば官軍、負け
れば賊軍といふ結果を受け入れて、敗北の美学などといふ慰めの言葉を発明するの
である。これでは、西欧米の感情論抜きの論理一方の二項対立論に勝てるわけがな
もぐら通信
もぐら通信 19
ページ

い。といふわけで、それでは日本の国はいつまでも賊軍であり賊国で来たのであら
うな。特にこの八十年は。此処で私はまた怒りたいのであるが、さうすれば文学の
世界を外れるので、また文学の道に戻ります。

さて、安部公房が此処で伝統といふものと此の第三項としての超越論的人間の関係
を考へる場合に持ち出して批判する概念が、忠誠概念です。榎本武揚は此の忠誠概
念を壊すことを考へたに違ひないといふのが、安部公房が「『榎本武揚』という小
説を書くにあたっての、これがぼくの仮説だった。」何故そのやうな仮説が建てら
れたかとけたかといふと、この前段に次の言葉があるからです。

「榎本武揚という人は、維新の動乱期を、これまた一つの動乱期であったヨーロッ
パで過ごし、ブルジョアジーが封建制にうちかつ最後の段階を見ている。そういう
彼の眼には、日本の明治も勤王と佐幕の対立としては映らなかったはずである。そ
のような発想自体が、おそらくかれには困難であったろう。ヨーロッパで封建制が
崩壊し、近代国家が形成・完成されてゆくプロセスを目撃してきたかれにとって、
日本に帰ってなすべきことは、山があるから登るのだというようなかたちでの忠誠
概念を壊すことであったにちがいない。」

要するに、超越論者としての日本人が大陸と島嶼国家の二つの地域で二種類の動乱
期を経験して確信した「山があるから登るのだというようなかたちでの忠誠概念」
では人間は生きていけないと考へたといふこと、それならば新しい概念を生きてゆ
くために第三項を創造しなければならないといふことを安部公房はいつてゐるので
す。
しかし、このやうな文章を書ける日本人は恐らく数少ないだらう。私は此処でも
安部公房満年齢で1歳の時に日本を離れ大陸の奉天で十六歳まで生活したといふ事
実を想起せざるを得ないし、この連想は当たつてゐるでせう。恐らく当時の大日本
帝国の帝都東京に来て安部公房少年は驚いたに違ひない。何しろ奉天の方が東京よ
りも遥かにヨーロッパ的な幾何学的に街区の整理されたバロック様式の石造りの建
造物の並ぶ大きな都会であつたからである。

さて、安部公房は何故こんな仮説を立てたのか、その意図を次のやうに語つてゐ
る。

「この仮説によって、ぼくは、忠誠概念というものは非常に相対的なものであり、
われわれの組織はこれを媒介としなくとも可能なのではないかということ、つま
り、連帯のための万能接着剤としてもちだされる忠誠概念に批判を加えようとし
た。反忠誠、裏切り、転向さえをも内包することのできる組織、さらにいえば転向
という概念そのものを否定し、不可能にする組織だって可能だろう。」と考へたか
もぐら通信
もぐら通信 ページ20

らである。転向といふ言葉は左翼・マルクス主義者が一種のマルクス主義を棄教し
た者を呼んだ用語であるが、ここで、安部公房の立場は右でも左でも、保守思想で
も共産主義思想でもない、発想がそもそも超越論であることが判ります。

このやうな超越論的組織論が此処から始まります。いふまでもなく、組織は人間個
人の集合ですから、安部公房の後者則ち個人の分類は、組織との関係では、次の二
つに分類されます。

(1)他人
(2)隣人

しかし、これは別々にゐるのではない。個人の心の中に並存してゐる。少し長い引
用になるが、安部公房の国家と天皇と藩主への忠誠心の理解は正しい。さう私は思
ふので引用します。江戸時代と明治時代の以前と以後を考へるときに、この安部公
房の理解が一つの規準・クライテリアになります。もちろん、江戸時代と明治時代
は層をなして堆積してゐる。眼を覚ましたらその日から突然に明治時代になるわけ
ではない。これはマルクス主義に限らぬ共産主義的論理一般の考へかたの大元で
す。歴史は断絶しない。層をなしてゐる。安部公房は実によく歴史のことも考へ
た。一般論として国家といふ人間最大の組織と国家の最高権力者と人間個人との関
係を、個別には日本の国といふ国家と天皇と藩主と人間個人との関係を。私は此の
問題を別途『日本一極国家論』の中の「古代帝國論」として地球的規模での文明論
としての普遍・地域および一般・個別を巡る考察の枠組みは完成してゐますので、
追つて稿を改めて読者の知見に供したい。まづは安部公房の引用を。安部公房の概
念といふ概念の、言葉の使ひ方は正しい。安部公房は、対照的な作家である三島由
紀夫もそうですが、しかし日本語をいつも正しく使つてゐる。これが、本物の作家
です。

「これは『他人の顔』という小説のなかでも書いたのだけれど、ぼくらのなかでは、
「他人」という概念と「隣人」という概念とが並存している。われわれは、共同体
内部の人間を「隣人」としてとらえ、外部の人間を「他人」としてとらえる。そし
て、「他人」は敵であり、「隣人」は味方だ。キリスト教だったあら、「他者もま
た隣人である」というわけで、「隣人」概念を「他者」もおよぼし、その垣根をこ
わそうとする。動乱後の明治天皇と政府がとったテクニックも、これによく似てい
る。つまり「敵ながら天晴れ」といふ考え方。明治以後は天皇と国家への忠誠とい
う概念が生まれてきたが、それ以前には藩主にたいする忠誠しかなかった。『思想
の科学』という雑誌に載った聞き書きで面白いものがあった。九州の田舎に行く
と、天皇なんてものはまったく知らないのみならず、島津の殿様以上に偉い人が日
本にいるなどということは想像もできないような人々がまだいたらしい。徳川様と
もぐら通信
もぐら通信 ページ 21

いう偉い方もいるそうだけど、それは向こうの方を支配している人で、ここはやっ
ぱり島津の殿様が、といふ考え方。このような状態のなかから、明治政府は一挙に
国家概念をつくらなければならなかった。天皇についての知識のまったくないとこ
ろから、天皇イメージを人工的につくりさなければならない。そこで、何が必要
だったか。それまでは各々の殿様に忠誠をつくしていた連中――とりわけそれが勤
皇と佐幕に分かれていた場合など、かれらはおtが害にはげしく憎み合う敵同士だっ
た。これを統一するためには、忠誠の対象が敵の殿様だったとしても、ともかく忠
誠をつくしたということによってゆるされる。すなわち「敵ながら天晴れ」という
考え方が必要だった。」

この「敵ながら天晴れ」といふ感情が如何に広く、知られることなく以外にも深く
労働組といふマルクス主義者である筈の幹部たちの感情のあり方にも根を下ろして
ゐるかを、安部公房が或る共産主義国を訪問したときに、その前に訪問してゐた彼
ら日本人代表団であつた九州からの日本人の男たちの行状の酷さ、つまり日本国内
にしか通用しない理屈と感情の、といふことは強情な、さういふ意味では無礼な態
度のことを、安部公房が同国の歓待側に尋ねられて回答に窮したといふ話が続き、
この話は面白いのですが、省略して先に話を進めます。早い話が、このエピソード
の教訓は、日本人の間では外来のイデオロギーは最新のもので盲信すべきものだ
が、そのイデオロギーの盲信者がそのまま大陸に行くと本場に来たといふので感激
の余り、相手の国を誤解した上で、モロに日本人の国内での生活感情が、外国は日
本ではないのに、剥き出しになつてしまふといふ一席のお粗末。わたしはかういふ
日本人の団体を、当時の西ドイツの都市で何度か眼にしたことがあります。この醜
態と辛辣にいへば醜態は、当時の冷戦時代の東西のイデオロギーとは何の関係もな
い。本来日本人にはイデオロギーなどどうでもよいのです。ただ、自分の感情を正
当化してくれる正しさうな理屈が欲しいのです。これをやると、私の日本人観察で
は、必ず党派を組む。ドイツ語でdie Parteilichkeit/ディ・パルタイリッヒカイトと
発音してみるとまことにそんな感じがする。徒党といふ党を感情で組むのである。
ドイツの政治学者カール・シュミットのいふ政治の定義、政治とは敵と味方を区別
することである、といふ区別を論理ではなく感情で行ふことになつて、村八分が起
きる。ここには西欧流の民主主義はそもそも最初から、ない。だから、日本人は議
論も討論も対話も下手糞である。Talkは好きだがspeechは苦手だ。日本人には西欧
流の民主主義は無理だ。だとしたら、どうする家康?

閑話休題

そこで、安部公房の結論は二人の対談で三島由紀夫に述べた通りに「隣人の撲滅」
であると次のやうに語ります。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 22

たとへ「人間を非常に孤独な状態におとし入れるかもしれない」が、しかし「われ
われは、隣人をキリスト教的に拡大して行って他者に及ぼすのではなく、むしろわ
れわれの内にある隣人思想を抹殺することによって、他者との直接的なコミュニ
ケーションをはからねばならない。」

隣人思想が「他者との直接的なコミュニケーションをはからねばならない」と考へ
るほど他者との間を遠ざけて、唯一絶対神を媒介にして隣の人との間接的なコミュ
ニケーションをとらざるを得なくするといふ此の安部公房の理解も正しい。何故な
らキリスト教の教義では、隣の人との意思疎通も絶対的な唯一神を通してしか意思
疎通のできないトポロジーであるからです。これは修辞学にいふ換喩の世界で、人
と人はただ隣り合つて其処に物理的にゐるだけで、常に媒介者が中心に一つあると
いふ意思疎通の接続の世界だからです。図で再度示すと次のやうになります。最初
に全体図を示してトポロジーの種類を示し、そのあとでstar型と呼ばれる一神教の
トポロジーを示します。以下『安部公房とチョムスキー(8):7. 一神教と大地
母神崇拝をtoplogyで読み解く』(もぐら通信第81号より)。ダウンロードは:
https://www.scribd.com/document/378468883/第81号-第四版

1。全体:トポロジーの接続の種類

2。個別:スター型のトポロジー:一神教の共通のトポロジー
もぐら通信
もぐら通信 23
ページ

4。第四章:伝統と方法の関係
以上のやうに三つの章を閲して来て、最後の章立てでは、冒頭に安部公房の結論を
提出してゐます。

「労働組合や平和運動でも、隣人意識によって組織してゆくかぎりでは、いまの
代々木共産党と同じことになってしまう。隣組ではなく、近代的な組織であるな
ら、他者を直接に組織しなければならない。他者の組織、それがさっきいった、忠
誠心を必要としない組織なのである。」

この理想の組織が誕生するためには、次の二つのことを、日本の伝統概念につき、
安部公房は批判します。
もぐら通信
もぐら通信 ページ24

(1)日本の伝統にはメトーデ・方法がないこと
(2)歴史に没するといふ存在として生きる人生観のこと

(1)日本の伝統にはメトーデ・方法がないこと
だから、「従来の伝統には、伝えるシステムがない。」「これが、伝統主義者が近
代を憎悪し、保守的になることの理由なのである。自然科学についていえば、三島
由紀夫によると、事実が変われば消え、まちがっていることが分かればなくなって
しまううのだから、自然科学には伝統がありええないということになる。ぼくはそ
うは考えない。技術は否定されても、方法は残る。自然科学の伝統は文化伝統とは
異質の、伝統意識によらない伝統だといえるだろう。」

わたしは安部公房と同じ意見である。この考へが、西欧の哲学の伝統的な考へ方
で、方法が古くなつても方法論は残るのです。これが安部公房のいふ自然科学の伝
統は文化伝統とは異質だといふ意味です。この方法論を論ずるのが西欧の哲学で、
その基礎は西欧が古代ギリシャのプラトンとアリストテレスに学んだ哲学と論理学
です。しかし、日本の学者は此の伝統の考へ方を輸入しなかつた。近代150年余の
明治・大正・昭和・令和の時代には哲学研究者はあまたゐたが、哲学者はまことに
少ない。だから、前号の『私の本棚』で紹介した「人類生存の大法則」の中で著者
の糸川英夫博士は、この言葉は紹介しなかつたが、日本には科学はなくて技術だけ
がある、科学が理解されないと静かな声で嘆いてゐる。実は人文科学の基礎も科
学・サイエンス・学問なのである。ドイツ語で人文科学のことをdie
Gesteswissenschaft/ディ・ガイステスヴィッセンシャフトといひますが、これを訳
せば精神科学または人間の精神に関する知識の体系といふ意味です。知識の体系の
基礎は哲学であり論理学であつて、この後者の論理学は自然科学と共有してゐる人
文科学の基礎で、全く同一の同じ論理です。前者即ち自然科学は数字と記号で物事
の本質を表し、後者即ち人文科学はは文字と記号で同じ本質を表す。まあ、私はそ
れでは人に伝へるのには足りないので、数字も入れ、図も表も入れてなんとか、言
語の観点から、物事の本質を伝へようとしてゐる次第です。

(2)歴史に没するといふ存在として生きる人生観のこと
ここから先は安部公房の人生観であり作家観察だと思つて引用に耳傾けて欲しい。
実は、この人生観は私の人生観と全く同じです。安部公房が伝統と伝統伝授のため
の方法論との関係で引用するのは、幕末に活躍した、しかし榎本武揚ではなく、勝
海舟の処世です。これは更にしかし、消しゴムで書くといつた安部公房の処世で
す。右も左も、そもそも、ないのです、このやうな人生観のもとでは。

「勝海舟は、仕事をしとげたあとの人間がしなければならないことは、まず自分の
足跡を消すことである。名前も過去も一切消してしまうことであると言っている。
これは心がまえとしてだれにでももてるものではない。ふつうの人間はAという仕
もぐら通信
もぐら通信 25
ページ

事をしたら、A という足跡と名前を残そうと思う、残るのが当然の報酬だという考
え方をする。ところが勝海舟は、あの人間はあれだけの仕事をしていながら、足跡
をたどることができない、何一つその人間の記念すべきものは残っていない、だか
ら立派な男だったというような批評の仕方をする。この精神こそ必要なのだ。勝海
舟の榎本批判も、まさにこの点にあったのである。
私小説はおのれの生活の作品化である。私小説の作家はだいたい登場人物をかね
ている。これといわゆる左翼作家とはひじょうによく似ている。一見対立している
ように見えるけれども、創作態度においては、生活の作品化という点で共通性を
もっている。作品を残すなら、勝海舟のように、いかにして己を抹殺するか、生活
を抹殺するかということの方がむしろ困難ではあるが必要なことだ。」

これが実は歴史との関係での、安部公房の存在概念だといつていいのです。存在に
なるとは透明人間になるといふことだからです。人の眼には見えないが(例:箱
男)、しかし確かに人々の間に遍在して生きてゐるので、何人もの《箱男》が存在
してゐる。あの隅この隅、あの 間この 間に。

私は日本の歴史を振り返るときに、いつも此のやうな人間の一人で、藤原不比等と
いふ人物を思ひ出す。最初の息子は察するところ非常に父親に似て優秀な若者で、
敵に命を狙はれるほとであつた、父親は息子を留学僧にして唐へと逃したが、帰国
後にやはり敵に暗殺された。私は此の父と子の人生を談山神社の立て札の説明で知
つたのかも知れない。壮絶な親子の人生である。それで大宝律令を世に残し、明治
維新を生き延び今に至るまでの生命を此の立法は保持してゐる。わたしは此のこと
に気づいた時ー三十代の後半であつたー法律とは誠に人の世に眼には見えねど本質
的に重要なものだ、時代と時間を超えて生きる法文を政治家と官僚は書かねばなら
ず、制定するならそのやうな日本語の文章でなければならないと知つた。だから、
私はこのやうな立法のための言語能力のない政治家を批判し官僚を批判するのであ
る。言語能力とは、私の考察によれば人間の最高の能力の二つのうちの一つであ
る。ほかのもう一つの人間の能力とは、苦しむ能力です。

さてまた、古いものを墨守することはとても大切なことだといふことを私は知つて
ゐる。日本の歴史を見て身近な文物をみれば実にさうである。しかし、墨守するだ
けでは伝統は方法論も方法も生み出すことはない。墨守とは何か?である。これを
考へると、次のやうな安部公房の、そして人によつては辛辣と思へる私にとつても
の常識の言葉となる。安部公房の読者ならば、誰もがかう思ふだらう。

「(略)ぼくはすべての古典がくだらないといっているのではない。面白いもの
は、もちろんたくさんある。しかし、それは伝統だから面白いのではない。面白い
から面白い、それ以上のことをつけ加える必要はない。そうでないと、近代がもた
もぐら通信
もぐら通信 26
ページ

らしたいろいろな矛盾、表面と内部との不徹底で裏腹な関係を否定するために、逆
に前近代に照明をあてるという思考方法が現れても、すぐ「伝統」というストレー
トな問題提起の仕方につながっていってしまう。「伝統」というひとつの罠――こ
れをむしろ、ともすれば、われわれそこに引きずりこみがちな、危険なものとして
考えてみることこそ、「伝統」にたいするわああれわれの今日的な、そして有効な
姿勢ではないかと思う。」

3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 27
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(13)

分解された日常
岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 ページ28

この垂れた札の名前がそのまま主題である「分解された日常」の姿です。何故日
常が分解されて此のやうにあるのかといへば、それは個別のものに人間が名前を
つけて呼ぶからです。それならば一体なにをどうしたら此の日常に全体性を取り
戻すことができるのか?といふ問に答へる安部公房の答へは、この写真そのもの
が答へてゐるのでせう。

曰く、ヒモとヒモの間の 間から向かうの闇を覗きなさい、箱男のやうに、と。
世界は 間であり差異である、これは空間の差異であつて、どうやらモノの名前
はヒモにぶら下がつてゐるからには、言葉の意味もまたモノに応じて差異が生ま
れてゐると言ひたいのであらうか。そして、さう思つてみると、確かにさうであ
る。何故なら、言葉の意味もまた差異であるからだ。

一体、リースとは何か、リースとネコ車の関係は何か、リースとネコ車が関係す
るとすれば、ネコ車によく似たものは水中ポンプと新品の脚立だ。バリケードも
リースしてもよいだらう。コンベアーもリース品になり得るだらうね。といつた風
もぐら通信
もぐら通信 ページ 29

に連想を働かせて、安部公房はみづから撮影した写真の中の を構成要素に分解し
ながら同時にそれぞれの関係を分類して行く。それが、このエッセイーの収められ
てゐる全集の二段組の上段のすべてである。

それなら下段には何が書いてあるのか。

それは、この店が電話帳による職業分類に名前の載るやうな首尾一貫した商品を取
り扱つてゐる専門性のある店ではなく、逆に多数の職業人の職種を対象にしてゐる
店であると考へれば、さう、「たぶん、腑分けのしかたを変えれば、品物によって
ではなく利用者の職種によって分類することにすれば、ちゃんと専門店になってく
れるせいだろうか。」則ち、

この店は、専門性と一般性の間に存在してゐる、中間に第三者として在る店なので
ある。則ち、名付けやうのない、名前のない、従ひ夜に存在してゐる存在の店なの
である。

さうして、安部公房の結論はかうである。

「ここで扱われている商品を一とまとめにしてみると、すぐにある見馴れた情景が
構成されるのに気付く。道路工事の作業現場だ。作業に必要な小道具一式が、一つ
の店にまとめて置かれていたわけである。」

「道路工事がいくら日常的風景でも、日常の素材までが日常的であるとはかぎらな
いのだ。」といふ此の論理の、日常の風景と其の日常が分解されて素材となつた日
常の構成要素との関係を換骨奪胎して等価交換してみせる安部公房の手品の手腕
を、この写真家は次のやうに締め括つてゐる。恰も此の作家の書いた小説の世界の
やうである。

「ある日常は中空から現れ、べつの日常はマンホールの下からやってくる。」

「ある日常は中空から現れ」るといふ日常は《飛ぶ男》であり、「べつの日常はマ
ンホールの下からやってくる」といふもう一つの日常は《方舟さくら丸》といふこ
とかも知れない。
前者の男は単に弟と呼ばれ、後者の男は此れも単にモグラと呼ばれてゐる。

ところで、あなたの名前は何といふ名前ですか?

と、このやうに相手に問ひ、また自問自答するだけで、わたしたち読者はたちまち
『S・カルマ氏の犯罪』の迷宮といふ閉鎖空間の箱の中に、名前を失つて、さ迷つ
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

てゐる。
この閉鎖空間から脱出するためには神話的Y子といふ二重性を備へたイザナミの
カミをイザナギのカミは必要とする。《キ》は《ミ》を必要とする。
『飛ぶ男』は未完の遺作だが間違ひなくイザナミのカミが最後に、『方舟さくら
丸』の最後にもイザナミのカミが、それぞれの異名で主人公を救出する。このやう
に考へれば、表通りの大作はみな『砂の女』も『他人の顔』も『燃えつきた地図』
も『箱男』も『密会』も『カンガルー・ノート』も、二重性を備へたイザナミのカ
ミのそれぞれに変形したが故に異なる名前で呼ばれてさうであることにあなたは気
づく筈です。《砂の女》だけがオルフェウスの冥界の妻なのではない。如何。これ
が、安部公房の世界です。安部公房は前衛なのではなく、最初から実に古典なので
す。
もぐら通信
もぐら通信 ページ31
日本一極国家論(続篇)
古代帝國論 I・II

岩田英哉

I 古代帝國論 I:全体の提示
この古代帝國論を現下の国際情勢に関する次の文章から始めます。これは『日本
一極国家論(続 )GAMECHANGE理論(16)』の「4.1.8 日本国家核ミ
サイル保有論7:核戦争回避のための核戦争惹起論:如何にして米中間に第三次
世界大戦を直接惹起させて、両国を滅ぼすことができるか」(もぐら通信第169
号)の最後の結論部の再掲です。ここから本論に入ります。
そして、この古代帝國論の下敷きになり論の基礎になつてゐる論考は『縄文紀
元論』と『安部公房とチョムスキー』です。必要に応じて、この二つの論考から
の資料も引用して再掲します。

この古代帝國論の生まれる切つ掛けは、いふまでもなく2022年2月24日に勃発し
たロシアの云ふ特別限定攻撃によるウクライナ侵攻といふ両国の戦争であり、同
時に此れがイギリス・アメリカの軍産複合体およびこれを支持する両国の政治勢
力と国際金融資本の総体としてある俗称Deep State・地下国家または地底国家と
呼ばれるグローバリズム勢力によるウクライナを利用しての、これらの勢力の仕
掛けたロシアへの、ロシアの豊かな国家経営に資する天然資源を強奪するため
の、代理戦争であるといふ事実です。この結果、西欧米諸国の意図を裏切り其の
国際的政治力と経済力が一気に傾き、日本の無能な政府は其の渦中にあつて此の
間自国の舵取りができず、しかし其の間同時並行して、西欧米日以外の此れも俗
称西側勢力の衰退を尻目にして、ロシアのプーチン大統領が少なくとも二十年を
かけて準備してきた国際的連携のネットワークが機能して此の文明間ネットワー
クに急速に経済力と、従ひ政治力を興隆させることになつたといふ事実が、この
古代帝國論の背景にあります。少なくとも二千五百年前の古代に戻るので帝國と
表記します。

この世界の多極化と呼ばれる政治・経済現象の最初の指摘者は、今は無くなつて
しまつたスイスのクレディ・スイス証券本社の若いアナリストでしたが、当時そ
の分析レポート中に、これから始まる世界的な経済現象を『Breton Woods III』
と呼んでゐたので此の名前を借用して此れを図解にして表したものを再掲して、
この論の前提として示します。この古代帝國論はいふまでもなく、核ミサイル保
有論の延長にある国家論です。

「今までの核戦争の危険性の可能性から蓋然性を通り現実への移行とは、少数者
の核保有国が少数で核ミサイルを保有してゐたことにより、しかもこれらの核保
有国の代理戦争といふ形をとつて地域的戦争の起きるたびに喧伝されプロパガン
もぐら通信
もぐら通信 ページ32

ダされてきたも のである。このプロパガンダの悪用をする悪徳の主要な国家は、
アメリカであり、ア メリカを支配しようとして来たイギリスである。このアング
ロサクソン族国家以外の 極が複数生まれれば、この二国および二国に同盟しまた
は連携する朋友国家の核を巡る権力も、その力のみならず、軍事力に関係して有
る経済力も従ひ政治力も相対化され て、アングロサクソン語族の中心圏域として
の権力は相対的に衰えて、この旧勢力は他の圏域との関係で力の低い所で均衡点
を見出すことになる。日本は現下の、この2022 年2月24日以後に起きたウクライ
ナ戦争以後の多極化を一層戦争の無き方向へと進めることと、日本の国を複数圏
域座標軸の一極として新たに独立独自に国家自体が圏域である国家を建てるこ
と、この二つを進めることが21世紀のこれからの国家方針 だといふことに、核と
の関係で考察すれば此れが日本国家一極国家論の軍事的側面だといふことに、な
る。この考察をし権力の執行可能性・蓋然性・現実性を吟味して其の権力を行使
する専門家が政治家と呼ばれるべきであり、またその優秀な参謀でありスタッフ
であるものたちが霞ヶ関の官僚と呼ばれるべきものたちであり、日本のシンクタ
ンクらその他言論人の共有すべき国家構想の基本軸が、これである。今のところ
私の観察によれば、この複数の分極する圏域には次の二つの型・タイプがある。

(1)地域・民族型または文明単位型の圏域
例を挙げれば、ロシア枢軸、中華枢軸、サウジOPEC+枢軸、イギリス・アメリカ
などのアングロサクソン圏域、それにヨーロッパ地域などが、これに当たる。
ヨーロッパ は西欧と東欧に分けて別の文明単位として考へる。今ウクライナで起
きてゐる紛争または戦争は、ここでハンチントンの用語を使へば、ヨーロッパ域
内での文明の衝突である。即ち、一つの圏域の中でも文明の衝突は起きるといふ
ことである。さうであれば即ちまた、一つの圏域内での複数の異なる文明間の調
和もまた成り立つ可能性があると考へることもできる。この調和を実現するのは
対外的な一国の国際政治である。 繰り返すが、外交は内政の延長であることを想
起願ひたい。 また、ロシアと中国の枢軸を中心にその他ユーラシア大陸諸国のま
とまる一大圏域 をユーラシア圏域と呼ぶことができる。「経済・エネルギー連合
相関図」を次ページ に再掲する。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 33

ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/717586481/経済-エネルキ
-ー連合相関図-v9-核付き

この分類による圏域は其の地域の歴史があり、既に何千年にも亘る文明としての文脈
があり今に至つても一つのまとまりがあるといふことに正直な圏域である。ハンチ
ン トの論じた「文明の衝突」は、この分類の型を論じたものである。しかし、果た
して 此の分類は衝突一方の文明分類なのであらうか?この衝突を回避する最大の問題
が核戦争を如何に回避するかといふ目的のための此の核戦争惹起論である。

(2)機能的に地球を横断・縦断して交易し連携または連合する型の圏域
例は、BRICKs。19世紀20世紀のアングロサクソン圏域に対抗する新たな勢力とし
ての圏域である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ34

(3)その他のこれから勢力圏域図が明らかになる圏域
上記(1)と(2)の二つの型に応じて、アフリカ大陸と中南米大陸の諸国がそれぞ
れの歴史に応じ文明のあり方に応じた圏域をこれから生み出すことであらう。上記
(2)の機能連合型圏域に所属することが同時にあり得る。これらの圏域は、今はグ
ローバル・サウスと呼ばれてゐるが、いづれ上記(1)または(2)あるいは(1) および(2)
の圏域形態をとるであらう。これに、独自圏域通貨の発行といふ因子・ elementが
加はる。並行して大陸 猾国家の地位低下、文学的にいへば没落が始まる。」

説明が前後したが、圏域といふ用語の一番大きな概念は、文明圏を一つの単位とす
る地域であり、この下に下位用語として政治圏・経済圏または政治圏域・経済圏域
がある。何故なら、世界の多極化とは、文明圏ごとによる多極化だからであり、そ
れ故に古代帝國を考察することによる今後の国際的な政治と経済の動向を読むこと
が出来るといふのが私の目論見だからです。
ハンチントンの文明論は大陸型文明の分類による文明論であることが、対比的に
日本・古代帝國を置いた時に日本は海洋型文明であり海洋型国家であることが『縄
文紀元論』を元にして、それぞれに判明します。これについては後述します。

ここで、上記の圏域分類をしましたから、西欧米の近代国家と称する国家が如何な
るものであつたのかを考察した私の結論を申し述べて先々の論の大事な里程標の一
つとしたい。

II 古代帝國論 II:近代国家と帝国の関係
この標題は、もう少し厳密にいへば、西欧の近代史の中のnationと呼ばれる国家と
古代帝國の関係について、といふ意味です。

西欧の近代といふ時代と古代帝國の関係を論ずると、次の二つの国家の関係を論ず
ることになります。ここまで論じて来ると、わたしのいふ古代帝國とは文字通りの意
味の古代ー古代とは何かといふ問題は後述しますが、ここでは取り敢へず2500年か
3000年位前の大昔のといふ漠然とした感じで捉へくれて結構ですー、その古い時代
の帝国を古代帝國と呼ぶことにしますが、同時に世界史上に存在した諸帝国の意味
に加へて、概念としての古代帝國といふ意味にもなつてゐるし、これは古代帝國のモ
デルであるとも理解して下さつて結構です。即ち、一つの帝國は其の傘下に多くの王
国を擁してゐる、これが帝國といふ概念である。

1。近代「以前」:諸王国と一つの古代帝國
2。近代「以後」:国民と国家、および一つの又は複数の帝国
もぐら通信
もぐら通信 ページ 35

上記の二つのことを次のやうに、一種の定型的なひと纏まりのものとして以後簡潔
に対比をすることにします。

1。近代「以前」:王国と古代帝國
2。近代「以後」:国民国家と帝国

話が前後しましたが、この場合の近代とは次の私家版年表の18世紀以降現代の21世
紀最初の四半期に至るまでの時間の長さを指すものとします。

ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/708529375/西欧-欧州近世史
の時系列分類

ですから、この年表でいふと私のいふ近代とは、近代・modern2以降の時代を指し
ます。広義には、近代・modern2を延長して、現代2・contemporaryである今の此
の2024年までとしてもよいのですが、しかし、私の時代認識および世紀認識は、
2022/02/24付で勃発したプーチンの戦争で一線を画して時代と世紀を明確にそれま
での時代と世紀とは分けて考えへるといふ考へですので、やはり、狭義の意味の近
代・modern2に近代の適用範囲を留めせう。
もぐら通信
もぐら通信 36
ページ

1。近代「以前」:王国と古代帝國
2。近代「以後」:国民国家と帝国

この近代「以前」と近代「以後」の国家の遷移・変遷・変化を、フロイトは自分の
個人精神分析学を文明に応用して、次のやうに上記に述べた私の見解の正しさをオー
ストリア人として支持してくれてゐます。この言葉はアメリカの国際政治学者のケネ
ス・ウォルツ著『Man, the State and War』の最終章「Chapter VII. SOME
IMPLICATIONS OF THE THIRD IMAGE: Examples from Economics, Politics,
and History」の冒頭に著者の掲げたフロイトの著作である『Civilization, War and
Death』からの引用した英訳の一行です。

【原文】
So long as there are nations and empires, each prepared callously to
exterminate its rival, all alike must be equipped for war.

【拙訳】
国民国家および諸帝国がある限り、これらそれぞれの国家は其の競争する敵を絶滅
するために無慈悲な備へをするといふことになり、同類の国家はみな、戦争のため
の武装をしなければならなくなる。

これまでの古代帝國論と此のフロイトの文明と戦争と人間の死に関する一行を上記
のやうに読んでの私の結論をいふと、

1。近代国家であるnationと呼ばれるstateはヨーロッパに存在した帝国を絶滅するた
めにあつた。
2。これは、ヨーロッパに国民国家であるnationといふstateおよび王国と呼ばれる複
数の下位国家であるstatesを擁する帝国ー従ひ良く判ることは、帝国はstatesを擁し
てゐてもnationsを擁することはないといふことであるー、この二つの国家の戦争の
歴史であつたといふことである。といふことは、
3。国民国家たるnationとは、国際貿易で経済的に富裕になつた商人階級の上位層ま
たは富裕層が中心となつてつくつた国家・nationである以上、マルクスのフランス語
で名付けた此のbourgeois・ブルジョワ階級の経済力を背景にしてまた基礎に置いた
一大勢力がつくつた国家だといふことである。この国民国家は、歴史の示す通り
に、ヨーロッパ以外の地球上の他の有色人種の国家を植民地として其の富を強奪
し、収奪と搾搾取の限りを、文字通りに無慈悲に・callouslyに、同類の近代国家同
士の間の戦争のみならず、大いに、徹底的に尽くしたといふことである。即ち、
もぐら通信
もぐら通信 ページ37

4。近代「以後」の時代は、それまでの近代「以前」の時代とは異なり、それぞれの
西欧諸国が帝国・empireといふ国家のあり方を否定して、帝国のもとにあつた全て
のkingdomsをstatesに改造してnationを帝国から独立させようとした過程であると
いふことができる。ただし、此の場合問題は、既に述べた通り、西欧には近代「以
前」には帝国はなく、キリスト教といふ宗教があるだけであつたといふことは西欧
の今の大混乱を理解するためには大事な知識である。この地域にはキリスト教とい
ふ宗教があるだけで、宗教を基礎にした帝国といふものが、ビザンチン帝国のあつ
た東欧とは異なり、生まれなかつたといふことである。しかし、この事実に対して
他方、ドイツの諸王国の王たちが勢力を他の王国に持つてドイツ地域を統一するこ
とができるやーと、理論的に形式的に整理をして解りやすくすることにしようー、イ
タリアのバチカンの教皇が其の王を神聖ローマ帝国の皇帝に叙任するといふ千年の
歴史をドイツは経験して有してゐるといふことである。しかし、これはドイツ地域の
皇帝であり、今風にいへばドイツ国内の諸王を束ねただけの皇帝であつた。ここに
西欧と東欧に跨るドイツといふ国家の、今のウクライナ・ロシア戦争に至るまでの
歴史的な、そして国家としての不幸の一番大きな原因がある。さう私は考へてゐる。
王は同格の王のいふことをきかない。ロシアのプーチンは、このやうな本当の意味で
の、in the true sense of the wordでの帝国、はつきり言つて偽の帝国たるEUに対
抗してゐるのである。従ひ、EUといふ欧州の西欧と東欧を束ねるといふ意識は歴史
的に見て、何が原因であれ、当然に滅びる。ドイツ国民は自分たちのnationが帝国
たり得ないといふ窮屈と、屈辱的な地位であるがEUといふ偽の帝国の支配下にある
ことに耐えられないのである。ドイツに焦点を当て、ドイツの千年の歴史といふ視点
からみると、宗教と帝国と王国とドイツの関係は、さういふことになる。まとめる
と、近代「以後」は、

1。国民国家・nationが王国・kingdomを駆逐する歴史であつた。しかし、他方
2。複数のkingdom・王国を支配する帝国・empireへの夢は強国には常にあつた。
そして、
3。国民国家が看板だけの何も実のない帝国・主義を植民地主義としてヨーロッパの
外部の地域に拡大した。
4。大日本帝国のやむを得ず戦つた大東亜戦争、これには太平洋を舞台とした日米戦
争も含まれるが、この大東亜のための、アジアの諸国全体の植民地解放の戦争は、
上記のやうなヨーロッパ流の帝国と王国の衰退と、その代はりに台頭した偽帝国
(例:ナポレオン皇帝の帝国)への意志を有する国民国家・nationsが此れに入れ替
はつた西欧米の歴史の中で遂行された大日本帝国の戦争であつた。従ひ、このやう
に言語論理で考へると、
5。本当の意義に於ける帝国・empireの名に値する帝国は、日本帝國即ち当時名乗つ
てゐた大日本帝国しかなかつた。大陸のアジアには王国はあつたが、帝国はなかつ
た。ここで再度帝国と王国の定義を再掲すれば、
もぐら通信
もぐら通信 ページ38

帝国の定義
帝国とは、皇帝・emperorと英語では呼ばれる最高権力者の出自が神話に起源を有
するものが統治してゐる国家である。この国家は英語でempireと呼ばれる。以上の
考察によれば、empireはstateではない。複数のstatesを擁して統治する国家であ
る。

王国の定義
王国とは、王・kingと呼ばれる最高権力者の出自となる祖先が人間であるものが統
治してゐる国家である。この国家は英語でkingdomと呼ばれる。

以上の考察によれば、kingdomはempireからみれば、stateである。ローマ帝国をみ
るとよい。このstateを帝国下の州・stateと呼ぶなら呼んでもよい。古代ローマ帝国
を模したアメリカ合衆国は、これであつて確かになるほど、United States of
Americaとみづから名乗つてゐる。しかし偽の帝国であつたアメリカが一つの帝国
であるといふ云ひ方は隠喩・メタファに過ぎない。その代はりに、アメリカ人の深
層心理を洞察すれば、キリスト教といふ宗教の上にあつた西欧といふ帝国を欠いた
中世と呼ばれる時代への憧れが非常に強力に彼らアメリカ人の思想の根底に隠れてゐ
る。ディズニー・ランドのあの御伽話の中世の城擬きが、それを象徴してゐる。さ
て、そして、アメリカは実際には州・statesと呼ばれる小さい国々を擁して統治する
国家ではあるが、帝国の名の下に複数のstatesを擁して統治する国家ではない。さら
に説明すれば、nation・国民国家はstateと呼ばれ得る。しかし、nation・国民国家
は上位国家を持たない独立国家である。今のヨーロッパにあるEUが、このやうに、
偽の帝国だとして、国民国家・nationsが、この覇権に満足するわけはないのである。
歴史的には、さうである。歴史は繰り返し、ヨーロッパから戦争と戦乱のなくなる
ことが、かういふわけで、ない。このやうなヨーロッパとアメリカといふ国家群に
対しては、わたしたち日本人は国家の外交上、消極的な態度でゐることが賢明であ
る。

わたしの洞察によれば、これも『日本一極国家論』に既に書いたが、このやうな理
由によつて、アメリカといふ古代ローマ帝國を模した偽の帝国国家のー 個人の、で
はない、国家の、であるー深層心理は、日本帝国が真の古代帝國であるが故に、そ
れに加へて有色人種に対する差別意識からーこの憎悪に至るまでの有色人種差別意
識は私たち日本人には理解することができないがー非常に憎悪を持ち、わたしたち
の国を憎んでゐるといふことである。さうでなければ、広島・長崎への原爆の投下
および日本全国の都市に爆弾を落として無辜の民を大量虐殺するなどといふ悪魔の
所業はできる筈がないのである。
もぐら通信
もぐら通信 39
ページ

以上の歴史的ヨーロッパの理解と、アメリカといふヨーロッパの、特に西欧の鬼子
としての250年程度の歴史しか持たない国家へのこのやうな理解を前提に、以後の論
考の中で、日本帝國の国家像と国家基本戦略を明らかにして提示したい。

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ40

散文思索塾
(13)
思索とは何か
円錐形の内部と外部の関係(2)

岩田英哉

さて、以上で、ひとまづの、言語論理と物理論理の一致についての解説を終はります
が、この間三木成夫著『内臓とこころ』と題した講演録をまとめたものを読んで私の
言語からの論点を共有した記述があつたので、あなたに自分の身体・体と言語の関係
を再度考へもらひ、そのあともう一つ、私がトーマス・マンの超短編を読み解いてペー
ジの余白に描いた円錐形の図形を示して、この章を終へることにします。今しばしお
付き合ひを下さい。このかたの本は『胎児の世界』(中公新書)を以前読んだことが
あります。これで二冊目ですが、やつと生物形態学と言語機能論即ち言語学のうちの
意味形態論を、生命といふ意義に於いて、一つにすることができた。

言語の起源が吃りであるとは明言してはゐませんが、同じことを、講演でもあります
から、聴衆に言葉をつくして私よりも多分解り易く説明してゐます。わたしたちの共
通項は「根源の類似」に着眼して説明してゐることです。言語の話法・モードと遺伝
子の「根原の類似」を説明したのに対して、この著者は身体の五つの感覚と言葉の発
生の、やはり繰り返しの語感の持つ「根原の類似」を語つてゐる。

「言葉の起源

ここで皆さんにひとつ人間の言葉がどうして生まれたか――言葉の発生について考え
てみましょう。もちろん私は言語学などといった専門のことはなにも知りません。ま
るきりの門外漢ですが、ただこの言語音声の持つ独特の ヒビキ については、以前か
ら気を付けてました。そしていろいろと、この ヒビキ のことについて教わるので
す。一般に「語感」と呼ばれていますが、どんな言葉にも、その言葉の響きのなかに
は、独特の感触が籠っている。一方また、その言葉で表そうとするものの すがたか
たち にも、それぞれの感触がある。そして、これら両者の間にはもう理屈を超えた
「根原の類似」があるのです。さきの「ナ・メ・ク・ジ」……この音の響きをひとつ
皆さん心ゆくまで味わってください。ここには、この小動物の持つ、 すがたかたち
の、なにか心憎いまでの表現がありはしませんか……。「ナメる・クジる」というこ
の語感。そして、あのぬらっとしたからだの持つ独特の感触……いかがですか。
よくだれそれはなにに似ている、といって、その面影を他のものにたとえることが
あります。ふつう引き合いに出されるのは、顔の知られた人間か動物ですが、時に
もぐら通信
もぐら通信 41
ページ

は、植物から岩石までが出てくる。こんな時、そのたとえがピッタシであれば、ほん
とに両者のおもかげは完全に重なり合うものです。いま申しました「根原の類似」が
そこにあるわけですが、こうしたたとえを「象徴」と、ふつう呼んでいます。
この場合もちろん、すべてがうまくゆくとは限らない。いいたとえが見つからない
ことのほうが多い。ここで、なにかないか?と考えを廻らす。ひとつの思考形態とい
うわけですが、クラーゲスは、この思考形態をズバリ「象徴思考」と名付けた。あの、
さきほどの「……なんといったらいいか」という、まさにあれですね。小学校の唱歌
にも出てきます。「なににたとうべき……」.
だいたい人間の思考と申しますと、あとでも述べますが、例の抽象的に把握する
「概念思考」のことをいいます。ところが私ども日常なにか目論見を持っている時を
除いて、つまり、ただぼんやりと、漫然とものを考えている時は、だいたいこの「象
徴思考」です。
これは、しかし考えてみれば、人類にとってはまことに起源の古いもので、これな
くして言葉は生まれなかった。いいかえれば、あの一歳半からの「ナーニ」「ナーニ」
が、まさにこの思考の夜明けだったということになる。いやそれどころか、あの指差
しのカタコトが生まれた時が、じつはこの思考のヨチヨチ歩きの初めだったというこ
とになるわけです。いいかえれば、あの時に申しました「指示思考」は、裏を返せば、
この「象徴思考」にほかならなかったのです。
大和民族は、まさに世界に冠たる象徴思考の民族です。かれらはとくにこの「ヒビ
キ」を大切にします。その日常用語を見ましても、ほとんどこれです。よく聞いてく
ださい。「ヨチ・ヨチ」というヒビキ。ちょうどこの年頃ですよ。これがたとえば、
「ヨタ・ヨタ」となってごらんなさい(笑声)。わずか「タ」と「チ」の違いで何十
年も歳をとる(笑声)。これが「ヨロ・ヨロ」となるとまた格別です。あの「ヨロメ
キ」の響きは、一時、日本列島を風靡した。まだあります――「テク・テク」「スタ・
スタ」「トボ・トボ」「ノロ・ノロ」「ボチ・ボチ」「サッ・サッ」……いつの間に
か歩くことからの動作のほうに移っている。「ヨロ・ヨロ」が「ヨレ・ヨレ」になっ
てごらんなさい(笑声)。ホンのちょっとした ねいろ つまり音色(オンショク)の
違いによって、情況はまるきり違ってくる。
いま「音色(オンショク)」と申しましたね。音の色調。ところが、この「色調」
はどうですか?色の調べ要するに「音色」です……この関係は万国共通です。tone
colorとcolor tone……やっとわかってくれましたか(笑声)。
私たちの目でみるものも、耳で聞くものも、すべて大脳皮質の段階では融通無碍に
交流し合っております。(略) 」

この三木さんといふ解剖学を専攻し、この本の他の章での説明を読むと生物の形態学
の学者でもある方のいふことは、私が言語の方面から人間の思考論理・思考形式と言
語の起源を論じて来た結論と、これも全く一致してをります。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 42

Color tone or tone colorなどといふ意味の内部と外部の等価交換を私はしばしば位


相幾何学・topologyといふ数学用語を借用して説明して来ましたし、これが個別ので
あれ地球全体の規模であれ言語の問題として起きる時には、これはパラダイム・シフ
トとカタカナでいふならば時代と時代の狭間の急激な価値の転換の時代であり、今ま
で部分であつた物事が今度は全体となつて今まで全体であつたものを部分として含む
ことになると、これまでも諸処で説明して来た通りの同氏の解説です。このところで
聴衆が笑い声をあげて笑つてゐるのは、読んでゐて楽しいし、素晴らしい人たちだ。

その位相幾何学的な時代の位相の転換が言葉の意味の等価交換によつて起きるとい
ふことを、この著者は「私たちの目でみるものも、耳で聞くものも、すべて大脳皮質
の段階では融通無碍に交流し合って」ゐると説明してゐます。あなたの頭脳と頭脳以
外の身体の細胞の総体を以て思考し・書き・発声し・話すことはみな、そのまま宇宙
と直接繋がつてゐる。自然と直接繋がつてゐる。特に「大和民族は、まさに世界に冠
たる象徴思考の民族です。」私はこの日本人の言語能力の創造する日本語と日本の世
界を、従ひ、隠喩・メタファ以上の隠喩・メタファの世界と呼んで来たのです。この
事実は古事記と祝詞に事実として残つてゐるどころか、今も祝詞は日本中の神社で御
祓ひの所作とともに唱へられてゐる。この隠喩以上の隠喩といふ言語的事実を知るが
故に、私は日本語でものの名前を名付けて呼んだら、それが其のままカミであるとい
つたのです。ムスビとハラヒの関係は別途稿を改めます。同じことを、三木さんとい
ふ方はおつしやつてゐる。古事記は子供のときから子供達に読ませるべきです。さう
すれば、子供達がどれだけ無駄な悩みを悩むことなく人として健やかに育つことか。

既に何度も読者には掲げた図ですが、時代の遷移と概念の、意味の包含関係の、等価
交換による言葉の格の上下の逆転の図、言葉の意味の内部と外部の等価交換を示した
図を再掲します。私は此の事実をソフトウエアのエンジニアたちの読んでゐるOS
(Operating System)と呼ばれる基本ソフトウエアのマニュアルを読んで知りました。
コンピュータの世界の中心にあるソフトウエア産業といふ最新の産業のマニュアルに
は、マニュアルの作成者の知らぬままに、しかし実に生き生きと、過去の繁栄を極め
て衰退して行つた例へば印刷業、繊維産業等々といつた過去の産業の用語がそのまま
使はれてOSの説明がなされてゐたからです。なるほど、かうやつて言葉は時代の変化
を映すのか。それなら、言葉を観察すれば時代の先が読めるのだな、とさう思つたの
です。この認識と得た知識は正しかつた。
もぐら通信
もぐら通信 43
ページ

ですから、このあときつとまた私が書くことになる意味形態といふ言葉も、ここで一
緒に覚ゑて下さい。言葉の意味もかうして生命現象の一つとして有機体なのであり、
自分の意志を有して増殖する生命体なのです。ですから、言葉が一度自己増殖の意志
を発揮し始めると、私たち人間はそれを止めることができないのです。トーマス・マ
ンといふドイツ語の作家は、その評論の中で言語に関し、作品が自己増殖するのだ
と、複数回、明言してゐます。その時間は執筆の時間でもありますから、その朝の午
前の時間を神聖なる午前と呼んでゐました。この言葉の自己増殖については、安部公
房も別の言葉で言及してゐましたし、三島由紀夫の十代の詩の数々を読むと、まさし
くさうだとしかいひやうのないものを私は感じます。安部公房の言葉でいへば、作家
は書いてゐるのではダメで、何かに書かされてゐるのでなければいけないのです
(『二十世紀の文学』全集第第20巻、81ページから82ページ)。これが作品となる
言葉の自己増殖といふことです。少なくともこの二人は同じ経験を有してゐる。しか
し其の採用する方法は全く、伝統を巡つての議論で明らかな通りに、正反対であつ
た。

この言語の自己増殖といふ有機体の持つ機能の現れる姿・形を意味形態といふので
す。ですから、形態とは機能と働きの有機的な集合であり全体でありますから、三木
さんといふ方は、一つは概念思考といひ、もう一つは象徴思考と呼んでゐます。です
から、ここで思考の分類を次のやうにすることができます。

思考の分類(意味形態の視点)
1。概念思考
2。象徴思考(または指示思考)
もぐら通信
もぐら通信 ページ 44

[註1]
この指示思考とは、まさに日本語の持つ象徴的な言語の本質であり、具体的には日本語の象徴的・記
号的・符牒的な用語法であるアレ・ソレ・コレといふ言葉のことである。このやうな文脈を高度に共
有してゐる象徴性の高い言語から生まれる文化を西欧米の言語学者たちはHigh Context Cultureと云
ひ(以後「高度・文脈共有文化」と呼ぶことにする)、他方正反対にアングロサクソン語のやうに一々
分解して其の文脈を共有しなければならない象徴性の低い言語による文化をLow Context Culture(以
後「低度・文脈共有文化」と呼ぶことにする)と呼んでゐる。

概念思考については、これまでも概念連鎖といふ言葉でお伝へして来ました。それで
は象徴思考とは何かといふことを、今度はトーマス・マンの超短編に描かれた夜と光
の世界のこととして以下に図示します。この短い単行本で一枚二ページの裏表に書か
れた散文詩または詩的散文は『Vison』と主題され、副題に「Prosa-Skizze」即ち「散
文による写生」といはれてゐます。Visionとは日本語に上手い相当語がないのです
が、単に幻想といふものではなく、Viーといふ語構成の要素の意味は、生命であり眼
に見えるといふ意味ですから、眼に見えた命といふ意味になるでせう。それがヴィ
ジョンといふわけです。今Webster Onlineで確かめましたが間違つてゐません[註
2]。

[註]
和訳しませんが、Webster Onlineによればvision の意味は次の通り:
1
a: the act or power of seeing : SIGHT
b: the special sense by which the qualities of an object (such as color, luminosity, shape, and
size) constituting its appearance are perceived through a process in which light rays entering
the eye are transformed by the retina into electrical signals that are transmitted to the brain via
the optic nerve
2
a: something seen in a dream, trance, or ecstasy
especially : a supernatural appearance that conveys a revelation
b: a thought, concept, or object formed by the imagination
c: a manifestation to the senses of something immaterial look, not at visions, but at realities
― Edith Wharton
3
a: the act or power of imagination
b
(1): mode of seeing or conceiving
(2): unusual discernment or foresight
a person of vision
c: direct mystical awareness of the supernatural usually in visible form

4
a: something seen
b: a lovely or charming sight
もぐら通信
もぐら通信 ページ45

電燈・ランプの象徴思考・指示思考のスイッチ

この図が、トーマス・マンの18歳のときの超短編を私が読みながら図に転じたもの
で、三木さんといふ方の言葉でいへば「象徴思考」へのスイッチが入つて、詩的散文
としての「概念思考」が円錐形の姿で生まれたことの事実を示す図です。
私は此の十八歳のマンの書いた作品をこのやうなものだと理解したのは三十歳の時
で、当時の東ドイツから帰国して大学院の修士課程の二年に復学し、大学の図書館で
トーマス・マン全集を朝から晩まで専ら読み耽つてゐたときに、ふとーこれが「象徴
思考」であり超越論のスイッチの入る契機ですー手にしてゐた私の所有してゐる、全
集とは別のしかし同じフィッシャー書店から出て日本でもヨーロッパでも持つて歩い
てゐたマンの短編集の単行本の最初の作品が此れで、これが遂に今に至るまで私の文
学上の一大事件でした。マンのその後の総ての作品は長編も含めてみな、この小さな
短編の上に載つて「既に」「そもそも」「最初から其のやうになつて」完成してゐる
ことを読み始めてすぐに理解したからです。だから、この時以来、私はもはやマンの
全作品を読まずともよくなつたのであるが、しかしやはりマンの文章の旋法と韻律、
即ち文章の話法の持つメロディーとリズムに魅了されて全作品をどんな範疇の文章で
あれ舐めるやうに読みたいと思つてゐるのである。

さて、この図がなにを意味するかといへば、上掲の写真の左のページの絵をみて下さ
い、男の眼が夜の闇の中にゐてランプの電気のスイッチを入れて光の円錐形の中で起
きる出来事を見てゐる姿です。マンの超短編はただこれだけを過不足なく散文的に、
しかし詩の精神を以て、書いたものです。この円錐形の頂点に闇に隠れてゐるスイッ
もぐら通信
もぐら通信 ページ46

チが象徴思考のON/OFFのスイッチです。

アインシュタインが二十世紀になつて、このやうな、私と同じ問ひを、マンと同じ問
ひを、ショーペンハウアーと同じ問ひを、インドの古代の僧侶たちと同じ問ひを、古
代ギリシャのプラトンと同じ問ひをたててゐる。この問は時間を超越してゐる。従
ひ、正解すれば、その解もまた時間を超越してゐる。

問:月が存在するから私の眼に月が見えるのか?それとも私が月を見るから月が存在
するのか?
答:相対性原理の理論を発表したアインシュタインは、量子力学が登場するまでは、
上記の前半の問に対して此れを肯定してゐたでせう。何故なら、唯一絶対神はサイコ
ロを振らないといつてゐるから。しかし、そのあとは後者の答へに転じたのではない
でせうか。

私事ながら、私は三十歳の時に理解してから此れを自分の日本語に和訳するのに二十
年間を要した。朝夕の通勤電車の中で立ちながら分厚い単行本の此の2ページを行き
つ戻りつして日本語としての均衡・バランスをとるために自分の中に納得する語彙を
探し続けたのである。さうして或る晩、帰宅途上の電車の中で一気呵成に、さう一瞬
で、翻訳は完成した。私は帰宅後に翻訳に着手はせず、一晩眠つた次の朝に筆を執つ
て和訳の日本語を書いた。もう文章の全体はできてゐたので躊躇することなく澱みな
く筆は走つた。しかし、できたものは、これが私の翻訳能力の限界であつた。実に拙
い翻訳なのであつたから。この話をしたら見せてほしいといはれて見せたのは、恥ず
かしかつたが、著名な三島由紀夫研究家であり三島由紀夫全集の監修の委員長である
田中美代子さんにであつた。もう他の人には誰にも私は見せたいとは思はない。この
訳業の完成のあと七日経つて、私は私の中に私の語彙の体系が生まれてゐることに気
づいた。

私は闇の中にゐて光の中の世界をみてゐることを確信させた此の『Vision』といふ作
品には、三木成夫さんのいふ赤ん坊の使ふやうな「根原の類似」の用語が頻出する。
同様に、私の愛読するショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』にも毎
ページにと云ひたい位に「根原の類似」の用語が頻出する。

ちなみに、この象徴思考のスイッチをON にするのは、一神教の場合には唯一絶対神
であり、OFにするのも此の神である。しかし、三つの今ある地球上の大きな一神教
のいづれをも此の神と日本語で和訳されてゐる何者かの本体の名前は名付けてゐない
といふことが、これら三つの一神教に共通することです。だから、彼らのGodはGod
ではなく、神は神ではない。日本人は此の事実に目を向けるべきです。さうすれば、
一神教も西欧の近代国家の哲学もなにも難しくはなく、恐れる必要もないのです。後
もぐら通信
もぐら通信 ページ 47

述します。

ここで、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの語る哲学の定義の一つを紹介します。
それは次のやうな定義です。リュディガー・サフランスキー著『ショーペンハウアー
と哲学の野蛮な時代/或る伝記』(『Schopenhauer und die wilden Jahre der
Philosopie/Eine Biographie』;Hanser版)の裏表紙に印刷してあるショーペンハウ
アーの言葉です。

【原文】
Eine Philosophie, in der man zwischen den Seiten nicht die Tränen, das Heulen
und das Zähneklappern und das fürchtbare Getöse des gegenseitigen Mordens
hört, ist keine Philosophie.

【拙訳】
ページとページの間に、涙のない、ウオーウオーといふ咆哮のない、そしてガチガチ
と歯噛みする音の聞こえない、対立するもの同士の殺し合ふ恐ろしい擾乱の音の聞こ
えない哲学など、哲学ではない。

ヘーゲルの哲学は結局「根原の類似」の言葉で書かれてゐなかつた。だから、あれは
哲学ではないとショーペンハウアーは言ひ、主著の中で複数回詐欺師ヘーゲルと罵倒
の限りを尽くしてゐます。弟子のニーチェも同じです。ニーチェは曰く、ヘーゲルは
神学者・テオローグであつて哲学者・フィロソファーではない。と、さう言つてゐる。
私もさう思ひます。師匠のショーペンハウアーは一行二行で罵倒をしてゐるのに、弟
子になると丸々1ページをヘーゲルの罵倒に費やしてゐる。あいつは哲学者ぢやな
い、神学者だ。見よ、歴代の名だたる歴史に残る本物の哲学者を、デカルトを、ライ
プニッツを、アリストテレスを、プラトンを、みな独身で生涯を通した、一体どこに
結婚して幸せな家庭をもつて大学の教授にまで立身出世をしたやうなそんな哲学者が
一人でもゐるか?ゐない!、見よ、この俺を、そして何よりもソクラテスを、あつい
けねえ、ソクラテスは妻帯者だつた、がしかし、あの女は悪妻だからソクラテスは独
身者と同じだ!といふ屁理屈をこねてまでも此のやうな具合に綿々と悪罵痛罵の限り
を尽くしてニーチェはヘーゲルを罵倒する言葉を書き連ねてゐる。ニーチェの言葉も
文字としては印刷はされてゐないが「根原の類似」の言葉で書かれてゐる。だから、
日本人には、いささか扇情的なほどに、原始的な感じで訴へる力があるのです。安部
公房もニーチェの言葉の持つ「根原の類似」に殺(や)られた。だから、安部公房の
文体は常に語感に、生理的感覚に訴求する。だから、安部公房の初期作品には、子供
向けのラジオ・ドラマの題名に『キッチュ クッチュ ケッチュ』(1957)とか『ひ
げの生えたパイプ』(1959)の始まりの歌の作詞の出出しが「スパッ スパッ フ
ウ/スパッ スパッ フウ」だつたり、翌年は『くぶりろんごすてなむいーどろぼう
もぐら通信
もぐら通信 ページ 48

ねずみのお話』(1960)だつたりするわけですし、エッセイでも『ゲジゲジのよう
に』(1960)とか、有名な小説『砂の女』の前段階に書いた短編小説に『チチンデ
ラ ヤパナ』(1960)とか、ラジオ・ドラマの『お化けが街にやって来た』の冒頭で
は水の流れに子供達が「プカプカ」とか「パチャパチャ」とか言つてゐるのですし、
さうなるとセリフの「おいおい、おじさん」や「ち、ちがうんだ!」までもが同じ理
解の上に成り立つてゐる。そのほかには、時間の順不同で挙げれば、小説『デンドロ
(1991)とか、ミュージカル・コメディのシナリオ『パップ・ラップ・ヘップ̶̶
愛の法則』いつたやうな作品の題名が第三十巻の索引を眺めるとみることができる。
特に安部公房の一番苦しい時に、上述の「根原の類似」の言葉を使つて書いた子供向
けのラジオ・ドラマやミュージカルの脚本・シナリオを書くことは、安部公房の命を
本当に救つた。詳細は『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)に論じまし
た。ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/253560708/もぐら通信-
第29号

結局、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、これらの一神教に共通してゐること
は、シナイ山の上でモーゼの前に出現した名付けられない・名前のない存在、さう、
存在としかいひやうのない存在、即ち再帰的な存在といふ存在である何かを直接呼ば
ずにゐる、そのやうな名前、一種の符牒・符号・象徴の音で其の御名を呼び、呼んだ
ことにしてゐるといふことです。ですから、実は、彼らのGodはGodではないので
す。神は神ではない。神といふ名前は符牒であり記号であり符号であつて、それ以外
の何ものでもない。この論証は更に後述します。

しかし、これに対して、私たちの日本語といふ言語は、日本語で其の名を呼ぶと、そ
れが存在になり、カミになるといふ言語特性を備へてゐる。この言語特性が日本語持
つ二重性・両義性であることは繰り返し申し上げた通りです。三島由紀夫の文化防衛
論のいひ方をすれば、本物と複製の識別を私たちの言語はしないのです。従ひ、日本
語はそれ自体で象徴的な言語です。象徴的な言語であるとは、このやうなことなので
す。わたしたちの世界は隠喩以上の隠喩の世界です。あるいは、安部公房流に、隠喩
「以前」の隠喩の世界だといつてもよい。即ち、超越論の世界です。最初からそもそ
も二項対立無用の第三項として在る隠喩以上の隠喩の世界、隠喩「以前」の隠喩の世
界です。AはA と等価であり、AはA であり、A はAである。これがズレてBでもCで
もDでも同じである。Bは実はC でありDは実はE であり……、実は御隠居は水戸の
御老公であり、遠山のきんは遠山の金四郎であり、本郷猛は仮面ライダーである……
フランスの文化人類学者レヴィ・ストロースは同じ此のメビウスの環の構造を次のや
うに記号化して有名な著書『野生の思考』の第三章に書いてゐます。この記号化され
た文化を有してゐるのは、三つのネシアとわたしの名付けたメラネシア・ミクロネシ
ア・ポリネシアと其の周辺の海域にある島々、私たちの遠津親、すなはち遠い港にゐ
る祖・おやたちの海の上での夜と昼の世界です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ49

日本人は此の事実に目を向けるべきです。さうして、この世界普遍的な言語論理の上
で且つ宗教的な此れも普遍的な事実の上で、そして前で、日本人のあなたには日本語
の一行をどうか、何物をも怖れることなく、日本にゐやうが外国にゐやうが、自分自
身に自信を以て書いてほしいのです。これが、私のこころからの願ひです。

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ 50

サンチョ・パンサを求めて
(33)
ひょここりひょうたん島

岩田英哉

これは私が小学生のころNHKで毎日放映してゐた人形劇です。何かの拍子にネッ
トで見つけたので一度論じてみたいと思つた次第です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010621

上の写真にゐる人形たちが此の漂流して海を彷徨ふ、上からみると瓢箪型の島に
住む登場人物たちで、名前も独特なら、その独特な性格を演じ分けてゐる声優た
ちも当時有名な役者たちである。真ん中に立つてゐる金髪の女性は今もご健在で
「徹子の部屋」で活躍してゐる黒柳徹子さんであつた。左端のシルク・ハットを
かぶつてゐるドン・ガバチョの声は藤村有弘、右から二番めの海賊のトラヒゲは
熊倉一雄などなど皆芸達者なひとたちであつた。

この脚本を書いたのが、後の直木賞作家で戯曲家の井上ひさしで、これはまこと
に素晴らしい人形劇でした。以下紹介文を転載します。

「ひょっこりひょうたん島
作家の井上ひさしさんが2010年4月9日、75歳で亡くなった。
もぐら通信
もぐら通信 ページ51

かつて、無名の若手作家だった井上ひさしの名前を一躍有名にしたのが、児童文
学の山元護久と組んで脚本を担当した連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』
だ。

東京オリンピック開催と同じ1964(昭和39)年に放送が始まった『ひょっこり
ひょうたん島』は、漂流する島が舞台の、奇想天外な物語。子どもの視点で社会
や権威を風刺するセリフの面白さが大人にまでファン層を広げ、大ヒット。1969
年までの5年間で、1224回放送された。
今回は、いまも語り継がれる伝説の人形劇を、誕生の舞台裏も含めてご紹介しよ
う。

火山爆発で大海をあてもなくさまよい始めた「ひょうたん島」の住民に、個性豊
かな珍客たちが加わり、漂流の先々で想像もつかない大事件に巻き込まれる夢と
冒険の物語。NHKで初めて棒で操る人形が登場。物語の奇抜さから、放送開始直
後は視聴率もふるわなかったが、やがて時代とマッチした感覚とポップな音楽、
抱腹絶倒のストーリーで人気が爆発、最高視聴率40%を記録した。(1224話/
作: 井上ひさし/人形: ひとみ座/音楽: 宇野誠一郎)」

過去の名作とは小説に限らず、書かれた時代を先取りして象徴的な働きを後世に及
ぼしてしてゐるものですが、この漂流するひょうたん型の島といふのも、何か今
の日本を象徴してゐるかのやうに、今思ふと、思はれる。もつとも此の島の住民
はみな元気一杯で奇妙奇天烈な人間たちで破茶滅茶で、当時の日本人のエネル
ギーを時代も時代で爆発させてゐるといふ思ひがします。

「物語の始まりは…
ある日、ひょうたん島に遠足にやってきたサンデー先生と5人の子どもたち(天才
小学生の博士、いつもお腹をすかせたテケ、力持ちのダンプ、男勝りのチャッピ、
小悪魔的なお嬢様のプリン)。
ところが、火山の大爆発でひょうたん島が本土から切り離され、大海を漂流。サ
ンデー先生と子どもたちは島に残されてしまう。
そこに空から傘のパラシュートでギャングのダンディが、いかだで海賊のトラヒゲ
がやってくる。さらに、テレビ画面からドン・ガバチョが飛び出し、トラヒゲが
盗んできた金庫からは医者のムマモメムが現れた。」
この紹介文を読むと、まさしくSFにいふメタ・フィクションの人形劇です。
もぐら通信
もぐら通信 52
ページ

こうして、漂流するひょうたん島で暮らすことになった個性的な面々は、ライオ
ン王国、南ドコニカ、アンコロピン王国、クレタモラッタ島、カンカン王国といっ
た架空の国々をめぐり、行く先々で大騒動を巻き起こしていく……

かうしてみると、今の日本人の忘れてゐるものは、やはり笑ひとユーモアと、これ
を日常で生み出すための生命力・ヴァイタリティといふことでせうか。各自ご研
鑽下さい。
もぐら通信

もぐら通信 ページ53
私の本棚
(57)
タミム・アンサーリー著
『イスラムから見た「世界史」』
(訳者は小沢千重子)

岩田英哉

この本を紹介する理由は二つあります。あなたにも是非手に取つて読んでもらひた
い。

1。ひとつは、これが西欧の近代国家の書いた通称世界史などではなく、イスラム
の世界史から見た世界史であるといふこと。従ひ、西欧世界史は、世界史の一部に
過ぎないといふことのよくわかる本であること。

2。もう一つは、日本もまた日本の世界史から見た世界史を書くべきであるといふ
こと。これが、私の言ひたいことなのである。日本史から見た世界史ではなく、日
本の世界史からみた世界史を書くのだ。そのための紹介なのです。即ち、世界史は
文明圏によつて異なつてゐることを明らかにして、西欧世界史の位置を相対化する
ことです。そのために日本人は、日本世界史を書くべきである。

そして、もし三つ目の理由を挙げれば、
もぐら通信

もぐら通信 ページ54
3。何故、八大文明論ー論中文明の数は出入りがあるので此処ではさう呼んで措
くーを著したハンチントンが、日本を其の文明の一つに名前を挙げたのかといふこ
との理由が、その文明論には特に明確な日本文明の特徴が列挙されてゐるわけでも
ないのにさう断定できたのか、その理由、即ちこの学者が文明論を書くに当たって
事前準備に何をしてゐたのかのわかる逸話が「はじめに」と題した序文に書かれて
ゐるからです。

膨大な内容の紹介をするために紙幅を割くよりも、この著者の書いた序文に上記三
つのことが書かれてゐるので、その三つのことを書いてゐて必要があれば本文を参
照するといふ順序で此の書評を書き進めたい。アフガニスタン人はペルシャ語が読
めるのだ。

1。近代西欧諸国家の歴史は、地球的な規模では世界史の一部に過ぎないといふこ
とについて

この著者は歴史好きな子供であつたが、その子供時代の話を引用します。

「はじめに

私はムスリムの国アフガニスタンで生まれ育った。それゆえ、幼い頃から語り聞
かされ、その後自分でも読むようになったムスリム版の世界史の物語は、欧米の子
どもたちが日頃耳にしているそれとは似てもに似つかぬものだった。けれども、少
年期においてさえ、そうした読書経験によって私のものの見方が形づくられること
はなかった。なぜなら、私はもっぱら娯楽として歴史を読んでいたからであり、お
まけに退屈な教科書を除いては、ペルシア語で書かれた子ども向けの歴史書にはた
いしたものがなかったからだ。私が読める範囲では、面白い本はみな英語で書かれ
たものだった。
私の最初の愛読書はV・M・ヒルヤー[一八七五∼一九三一]という人物が著し
た『子どものための世界の歴史』(Child s History of the World)』だった。これ
はすこぶる面白い本だったが、何年もののちに大人になってから読み返してみる
と、驚くほどヨーロッパ中心的な歴史叙述で、無神経な人種差別に満ち満ちた代物
だった。子どもの時にこうした特徴に気づかなかったのは、なんといってもヒル
ヤーが巧みな語り手だったからだ。」(同書017ページ)

かうして、この聡明な読書好きの子どもは長じて後に此の著作の第一章を「ミドル
ワールド」と名付けて、次のやうに書き始めることになる。この叙述のものの考へ
方は、私のいふ、一体だれが日本はアジアの一国だといつたのだ?極東とは日本人
は歴史的に呼んでゐないが、一体だれが日本を極東の一国と呼んだのだ?といふ問
に対する答へと、この著者の答へは同質・同値・等価である。次のやうに著者は書
くのです。わたしたちは此のイスラムの問ひを共有すべきだ。
もぐら通信

もぐら通信 ページ55

ちなみに、次の引用に著者のいふ「ミドルワールド」とはイスラム文明圏のこと
で、その命名の理由は「ここはまさに地中海と中華世界のあいだに位置しているか
らだ。」(同書016ページ)

この命名の理由でお判りの通り、著者はその名は使はぬが、今風にいふランド・パ
ワーとシー・パワーといふ分類を自然に且つ当然に使ひ分けてゐるのは、この地域
が前者は支那と古代より呼ばれるランド・陸地と、後者は地中海とこれも古代より
地中海と呼ばれるシー・内海の二つの間にあるからです。後者について次のやうに
書いて此の第一章が始まつてゐる。

「二つの世界――地中海世界とミドルワールド

イスラームが誕生する以前に、大西洋とベンガル湾のあいだに二つの世界が出現し
た。これらはそれぞれ、一方は海路、他方は陸路からなる交易ルート網のまわりに
形成されていた。」

重要なことは、この一行が海洋視点で記述されてゐることである。海洋と海洋の間
に陸があるといふ発想です。日本を取り戻す?さうしたいならば、日本人はまづ此
の視点を取り戻すべきです。日本列島は海と海との間に浮かぶ島嶼国家であるとい
ふ認識を取り戻すべきである。アジアも極東も、西欧の大陸型国家の名付けた陸地
中心の、それも西欧中心の命名であるからです。だから、アラビアの船乗りは、ア
ラビアン・ナイトの船乗りシンドバッドを思ひ出すまでもなく、優れた帆船を持
ち、優れた操舵技術と海象の知識を有してゐた。海象は、陸地から空を仰ひで読む
気象に対応して、海上の船の上から仰ひで読む気象と海上の海流の象をさう私が今
呼んでみたのです。古事記の冒頭にあるやうに、海の上で読む気象即ち海象の世界
が高・天の原の夜の世界であり、私たち日本人の世界です。しかし、西は西、東は
東、ミドルワールドはミドルワールドである。この著者の属するミドルワールドは
ベンガル湾の海から更に東の方向にある太平洋の海には、生活の中心意識はないや
うである。そしてそれが当然なのだ。京都の人の生活圏に北海道はない。引用を続
けます。

「古代の海上交通路を見れば、地中海が世界史の中心だったことは一目瞭然だ。と
いうのは、まさにこの地域で、ミュケナイ、クレタ、フェニキア、リュディア、ギ
リシア、ローマなどの多彩で活気に満ちた初期文化が遭遇し、混淆していたから
だ。(略)この広大な内海が紡ぐ物語にほかの集団が登場するようになり、さまざ
まな集団の運命が織り交ぜられて、一つの世界史の萌芽が生まれた。こうした状況
の中から、「西洋文明」が出現したのだ。」(同書035ページ)

ここで著者は目を海洋から陸地に転ずる。
もぐら通信

もぐら通信 ページ56
2。もう一つは、日本もまた日本の世界史から見た世界史を書くべきであるといふ
ことについて

「一方、古代の陸上交通路を見ると、当時の世界のグランドセントラル駅はインド
亜大陸、中央アジア、イラン高原、メソポタミア、エジプトを結ぶ陸路の結節点だっ
た。これらの道路はペルシア湾、インダス川、オクソス川[アムダリア川の古
名]、アラル海、カスピ海、黒海、地中海、ナイル川、紅海などの川や湖や海で画
された地域を縦横に走っていた。この地域がやがてイスラーム世界となったの
だ。」(同書036ページ)

そこで、著者は此のイスラム文明圏に正しい名前のつけられてゐないことを次のや
うに率直に書き出す。この百六十年弱の日本の歴史家の歴史で此のやうに正直な一
行を書いた歴史家はゐるのか?と私は歴史家に尋ねたい。世界史家ばかりではな
く、むしろ日本史家に尋ねたいのである。わたしが執拗にいふところの、一体だれ
がコロンブスを発見したのだ?とか、極東などない、日本から見たら西欧がユーラ
シア大陸の極西であらう主張してゐることと同じ質のことを著者はアラビアの文明
圏域の人間として次のやうにいつてゐる。

「残念ながら、この第二の地域全体を表す共通の用語は確立されていない。その一
部は中東と通称されているが、一部だけを特定の名称で呼ぶと全体像が曖昧になっ
てしまう。しかも、中東と(Midel East))というのは西ヨーロッパを基点とした呼
称であり――たとえばイラン高原を基点とすれば、いわゆる中東は実際には中西
(Midel West)ということになる。それゆえ、私はインダス川からイスタンブルに及
ぶこの地域全体を「ミドルワールド(Middle World)」と呼ぶことにする。なぜなら、
ここはまさに地中海と中華世界のあいだに位置しているからだ。」(同書036ペー
ジ)

「残念ながら、この日本列島に関する地域全体を表す共通の用語は確立されていな
い。その一部は極東と通称されているが、一部だけを特定の名称で呼ぶと全体像が
曖昧になってしまう。」

このやうに読み替へれば、私たちが実は虚構の地域に明治維新以来ゐることに直ち
にあなたは気づく筈だ。それまでは唐天竺であつたが、これのどこが悪い。

日本の大学と学術界の問題は、このイスラムの著者のいふ通りで、西欧近代諸国が
ユーラシア大陸を東遥かに見て名付けた「極東」とか「東アジア」とか「北東アジ
ア」とかいふ用語を不用意に、無反省に、鵜呑みにし盲信して使つてゐることであ
り、これで国際的な政治および経済の分析ができるかといへば、自国の立場に立つ
た分析などできないといふことに無知・無自覚であることだ。特に国際政治に関す
る分析に於いてさうである。私が執拗に、日本はアジアの国ではないと主張するの
は、この故である。一体だれがアジアなどと呼んだのだ?その概念と適用範囲をい
もぐら通信

もぐら通信 ページ57
へ。私が当時の東ドイツ側にあつたブランデンブルク門の前に立つて遥か東を眺め
て、なんとか想像できたのはモスクワまでであつた。その先のユーラシア大陸の全貌
などとても想像できたものではない。茫漠たる世界である。

今ロシアの勝利の決まつたウクライナ戦争も、ウクライナ国家の立場になり且つロシ
ア国家の立場の両方に立たねば分析はできないものを、一点情報だけの感情論的判断
や道徳論的判断では、この戦争に限らず国家間や文明間の衝突の真の原因を理解する
ことはできないのである。一点情報といふのは、私がウクライナ戦争に際して名付け
た情報の分類の一つで、その時点での情報のことである。ここには少なくとも大陸の
戦争ならばそこまでに至るまでの一千年の歴史を知らねば論評できないものを、政治
家にしてからが浅はかなその場限りの反応でしか一点情報では応へることができなか
つた。当時のほとんど全てのマス・メディアに氾濫した情報は一点情報および短絡的
な一時的な反応情報であつた。この原因を日本の学術界のあり方にあると、私は言語
人間として、ここでも先づ言ひたいのである。千年の前史を知つて論評したら、これ
は線情報を知つてゐるといふことになり、これを面に拡大すれば、ここでやつとラン
ド・パワーとシー・パワーの話になつて、俗にいふ地政学の登場となり、他方海洋の
話ならば私のなづけて後述する海政学と地勢・地形図学の出番となるのだ。海政学と
地勢・地形図学については別途『日本一極国家論』のなかの一部門「古代帝國論」で
論じます。私の名付けた地勢・地形図学は従来の地政学と私の名付けた海政学の統合
学であるのかも知れない。

ミドルワールドの地域を描いた地図が掲載されてゐますので転載します。地中海側の
地図と陸地側の地図の両翼にイスラム文明圏が手を広げてゐると想像して下さい。さ
うすると、イスラムの世界がLandとSeaの両方に跨る文明圏であることの意味がよく
想像され得ます。この点に於いて、海洋型国家である日本の国と国家の持つ性質上の
共通性を共有してゐる。日本の文明もイスラム文明にならへば海洋型のミドルワール
ドである。

わたしのつくつた地勢・地形図学、または此の意義に於ける地政学では、アラビア半
島の地形と其の位置とともに、その半島が砂漠といふ緩衝地帯にあることによる地域
特性または文明特性があるといふ理解になるが、この理解は正しいか。この緩衝地帯
一般には、砂漠のほかには、山脈と海があります。日本は海といふ緩衝帯に囲まれた
島嶼国家である。これに対して、緩衝帯の中にある文明圏もあつて、恐らくある筈の
アフリカ大陸の砂漠を除けば、オアシス都市間ネットワークのある砂漠緩衝地帯が此
の著者の云ふミドルワールドである。スイスのアルプス山脈には山脈で、村落間ネッ
トワークがミドルワールドとして存在してゐます。ならば、海洋にも海がー海洋には
海洋の分類があるー緩衝帯としてある以上、この緩衝帯である海の上に散在する島嶼
にも港間ネットワークによる島嶼間ネットワークが存在するのです。しかしながら環
太平洋造山帯・火山帯の取り囲む太平洋の海は大きすぎてとてもミドルワールドとは
呼ぶことが、やはり、できませんが、それでも無理にいへば、太平洋はユーラシア大
陸と南北中米大陸のミドルワールドであるといふことはできます。
もぐら通信

もぐら通信 ページ58

イスラム世界を理解しようとすると上掲図を必要とすることが判りませう。あとは
言葉の数を省略して、地図のみを上げますので、一緒に地図の下に書かれてゐる文
章を読んで、一部の文章ながら、想像を逞しふして下さい。これは、西欧近代諸国
家がどのやうに海路・陸路を辿つて他の文明圏に至つたかを示してゐます。
もぐら通信

もぐら通信 ページ59

更に、今この現下、ハマスとイスラエルとの間の戦争の起きてゐる地域の地図を掲
げます。下にある文章から汲み取つて下さい。
もぐら通信

もぐら通信 60
ページ
もぐら通信

もぐら通信 ページ61
著者は、広報戦争にイスラムは此の時には敗北したと書いてゐて、この問題は今日
の只今この時に至るまで、西欧米・近代諸国家と其のほかの国々の抱へてきた大き
な問題の一つです。日本もまたイスラム諸国に劣らずに、広報戦争に敗北し続けて
来て今日に至つてゐる。教育の現場を広報戦争といふイデオロギー戦争の現場にし
ては決してならないのである。かうして、今の日本のマス・メディアの問題を解決
しない限り、日本を取り戻すことはできないといふのが、読者である私の感想の一
つです。
それなら、イスラム諸国と組んで広報戦争を地球的な規模で展開するか?わたし
はすべきだと思ふ。この場合の敵は、西欧米である。そんなところと軍事同盟に加
担したり(NATOの問題)、日米安保条約(明治時代と同じ不平等条約)など維持
してゐてよいのか?こたへはともに否、である。広報戦争で人は死なない。マス・
メディアの会社が潰れて社員が路頭に迷ふことはあるかも知れないが、なに大した
ことはないのだ。東京にゐれば、コンビニが一杯あるから、そのゴミ箱を漁れば中
国人の食べ残した残飯が打ち捨てられてゐるであらうから、立派な幕内弁当とか秋
田小町といふ名前の美しいおにぎりなど幾らでも食へて餓えることはないからであ
る。

3。ハンチントンの事前準備
何故ハンチントンが、日本を世界文明の一つの文明に名前を挙げたのかといふこと
の理由が、以上の文面と同じ序文に書かれてゐます。

著者が「九歳か一〇歳の頃に、アフガニスタンを旅行中のアーノルド・トインビー
[一八八九∼一九七五]が、私の住むラシュカルガーという小さな街を通りかかっ
た。近所に歴史好きの幼い本の虫がいるという噂を聞いて、トインビーは私をお茶
に招いてくれた。そういう次第で、私はこの血色のよいイギリスの老紳士と同席す
ることになった。トインビーから優しく問いかけられても、私はおずおずと言葉少
なに答えるのが精一杯だった。この偉大な歴史家について気づいたことはただ一
つ、ハンカチを片方の袖口に入れておくという奇妙な癖だけだった。
けれども、トインビーは別れるときに、ヘンドリック・ヴィレム・ヴァン・ロー
ン[一八八二∼一九四四]の『人間の歴史の物語(The Story of Mankinid)』[日
高六郎・日高八郎訳、岩波少年文庫]をプレゼントしてくれた。この本はタイトル
からして私を興奮させた̶̶「人間」全体が一つの物語をもっているんだ、僕も人
類が共有している一つの大きな物語の中に僕を位置づけてくれるかもしれないぞ、
と。私はこの本を貪るように読んで、おおいに気に入った。それ以来、この西洋版
の世界史物語は私の歴史観の骨格となった。以後に読んだ歴史書や歴史小説はすべ
て、この骨格に肉づけをするにとどまった。その後も学校ではもったいぶったペル
シア語の歴史教科書を学んでいたが、それは試験に通るために読んでいただけで、
終わるとじきに内容を忘れてしまったものだ。」(同書018ページ)
もぐら通信

もぐら通信 ページ62

この段落を読んでの私の推論はかうである。

問:一体何故トインビーは特段の根拠を挙げることなく、日本が一国で一文明と断
じたか?
答:トインビーといふイギリス人は間違ひなく、直かに日本に来て庶民の生活を観
察したのである。さうして其の時にこのイスラムの聡明な少年のやうな日本の男の
子や女の子と実際に言葉を交はしたに違ひない。幕末・明治に来日したイギリス人
の書いた資料も読んでゐたに相違ない。

しかし、私は、トインビーにも、ほかの文面について述べたやうな論拠を示してほ
しかつたと思ふのである。そしてもつと日本の文明についてイギリス人からみると
何故何が文明であることの根拠であるのかを述べてほしかつたと思ふのである。

この大部の著作の以上の如き序文の此のあとの部分は最後まで、著者がイスラムの
人間としてアメリカに行き、テキサス州での世界史の教科書つくりに携はつた経緯
が書かれてゐて、これは日本人にも興味深いものがある。結論をいふと、イスラム
文明を教科書に記述することについては公平・冷静な議論が関係者といつもできて
ゐたにも拘らず、著者である「私の見解はほとんど賛同を得られず、少数意見とい
うより謬見とみなされかねなかった。こうした事情で、最終的にできあがった目次
では、イスラームが中心的なテーマとなる章は全三〇章のうちの一章だけとなっ
た。その章が含まれる部のほかの二つの章は、「コロンブス以前の南北アメリカ大
陸の文明」と「アフリカの古代王国」と題されていた。
ちなみに、この教科書でさえ従来のものに比べたら、イスラームに関する記述の
割合が増していたのだ。前回の教科書販売シーズン中に最も売れた世界史教科書
は、一九九七年度版の『過去への視点 (Perspectives on the Past)』だった。この
教科書は三七章で構成されているが、そのうちイスラームに言及した章はわずか一
章で、(「中世」と題された部に含まれる)その章でさえ、半分はビザンツ帝国を
扱っている。」(同書010ページ)(傍線は原文傍点)

要するに、これが今も変はらなぬアメリカ人の世界観なのではないか。たとへ
9.11の後であつても、である。要するに、アメリカ人はイスラムといふ文明圏につ
いて無知なのであると、私たち日本人は心得るべきである。それ故に非道なるアメ
リカによる対アラビア半島外交政策だといふことが、これだけの量の序文を読めば
よくわかる。この本の一読を是非お薦めします。上記の、イスラムとビザンツ帝国
の違ひも知らぬアメリカの歴史家たちについての記述のあとにすぐ次のやうな文章
が続いてゐる。これで書評は終はりにします。反転して問ふ、わたしたち日本人は
アメリカを、否、アメリカ人の地球上の世界に関する知識の偏在と偏向をどれだけ
知つてゐるのか?と。
もぐら通信

もぐら通信 ページ63

「要するに、二〇〇一年九月一一日まで一年にも満たない時点において、これら歴
史教育の専門家たちの一致した見解は、イスラームは相対的に重要でない現象であ
り、その影響力はルネサンスのずっと以前に廃れていた、というものだった。も
し、私たちの教科書の目次を額面どおりに受け取ったら、イスラームが今でも存在
するとはとても思えないだろう。」(同書020ページ)

ヨーロッパでルネッサンスが可能であつたのは、イスラム文明から古代ギリシャ・
ローマ帝国の文献をその間イスラム文明が保管して継承してゐて、これをヨーロッ
パに地中海の或る島を通りイタリアを経由してヨーロッパ人が学んでラテン語に翻
訳して伝はつたからだといふことを、イスラムは高度に優れた洗練された文明であ
つたのだし今もさうだといふことを、今こそ世界一極絶対支配の崩壊した、ヨー
ロッパの鬼子たるアメリカは、知るべきときなのである。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 64
カフカの箴言

(25)

否定と肯定、課題と所与

岩田英哉

【原文】

Das Negative zu tun, ist uns noch auferlegt; das Positive ist uns schon gegeben.

【和訳】

消極的なこと、否定的なことをすることは、わたしたちに、これから、課せられる
のであるが、これに対して、積極的なこと、肯定的なことは、わたしたちには、既
に、与えられているのである。

【解釈と鑑賞】

これも何を言ひたいのでせうか。

含みの多い一行です。

もし今言へることがあるとすれば、否定はまづなによりもまづ、肯定を前提にして
ゐるといふこと、肯定がなければ否定といふ言葉の形式はないこと、この常識をカ
フカは仕事をしながら思つたのではないでせうか。
カフカは今の企業でいふなら社長室長といふ地位に保険会社で就いてゐましたの
で、会社員としては組織も俯瞰でき、最高権力者のこともよく知り、あるいは何か
の事故が顧客にあつて保険の交渉に接して此の短い文の一行を書いたのかも知れま
せん。わたしも会社員の時代には、よくこのやうな箴言めいた一行が仕事をしなが
ら、こころに浮かびましたから。

思考論理の問題としても、カフカの此の一行の論理は正しい。そして、日本人には
このやうな論理的な生活のあることが、なかなか理解しがたい。だから、カフカの
作品は難しく見えるのではないでせうか。だから逆に、余りに暗示に富んでゐるか
のやうに見えてしまふ。

あなたも日々、課題と所与を、肯定と否定で考へてみては如何でせうか。即ち、
課せられてこれから取り掛かる問題と既に与へられてゐる何かとを比較検証しなが
ら、それぞれの肯定と否定の答へを考へてみる。
もぐら通信

もぐら通信 65
ページ

ショーペンハウアーの箴言

(21)

音楽と建築様式

岩田英哉

【原文】

Architektur ist erstarrte Musik.

【和訳】

建築様式は、凝固した音楽である。

【解釈と鑑賞】

これもまた、 釈不要の箴言ではないでせうか。

即ち、音楽は立体的な構造を備へてゐるといふことでせう。そして、時間の中を流
れてゐる。しかし、建築は時間の中に立つてゐながら、さうではない。

フェノロサ・アーネストが日本にやつて来て、奈良の薬師寺東塔の建築様式をみ
て、凍れる音楽だといつたアメリカの美術史家は、このショーペンハウアーの箴言
を読んでゐたのかも知れず、あるいはさうでなければ、だれが起源にせよ、ヨー
ロッパとアメリカで太平洋の距離にも拘らず共有されてゐた様式・styleに関する評
言であつたのでせう。日本人がヨーロッパとアメリカの文明と文化の文脈に無知で
あつたことが判ります。

ショーペンハウアーは、その主著『意志と表象としての世界』の中で(第三巻)、
繰り返し、音楽は宇宙の根底の音であり(特にバスの音は)、説明不可能で、従い
自明であるほど人間に宇宙の本質を語りかける藝術だと述べてをります。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 66
縄文紀元論
Topology
(40)
5.55 息栖神社(2)/

岩田英哉

5.55 息栖神社(2)
5.55.1 猿田彦大神について(2)

書きたいことが一杯あつて筆が追いつかない。しばし待たれよ。次号まで。
で
もぐら通信

もぐら通信 ページ 67

東 イツ回想記

(7)

吾輩は熊である

岩田英哉

これは終はりにします。私事は忘却の中へ打ち捨てむ。
ド
もぐら通信

もぐら通信 ページ 68

鹿島日記

(5)

岩田英哉

もう終はりにします。私事は忘却の中へ打ち捨てむ。
もぐら通信

もぐら通信 69
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1. も ら通信は、安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜 を見出すもの す。

2. も ら通信は、安部公房という人間とその思想及 その作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3. も ら通信は、安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、
その共有を喜 とするもの す。

4. 編集子自身 楽しん 、遊 心を以て、も ら通信の編集及 発行を行うもの


す。
ぐ
ぐ
ぐ
ぐ
ぐ
び
が
で
で
び
び
び
ぐ
で
び
で
び
で

You might also like