You are on page 1of 56

ベトナム国家大学ハノイ校

日越大学
-------------

HOANG THI HONG NGA

小林信彦『うらなり』についての考察
――漱石作品の「オマージュ」として

専攻:地域研究プログラム日本研究専攻
専攻コード:8310604.01QTD

主指導教官 VO MINH VU 博士
副指導教官 齋藤希史 教授

ハノイ、2021 年
論文要旨

夏目漱石『坊っちゃん』は、発表されて以来原典だけでなくそれを翻案した作品も広く受
容されてきた。そのうち、小説における翻案は、他のジャンルの翻案に比べれば、はるかに
遅く出てきた。これまで、『坊っちゃん』の翻案小説を取り上げ、その原典との関係性につ
いて分析した研究は、管見の限りでは行われていない。

そこで、本論文では、『坊っちゃん』を翻案した作品である小林信彦『うらなり』を研究
対象とした。『うらなり』を選択するにあたって、注意したのは、語り手の変化、原典への
「オマージュ」として作者の心情、前半が原典と重なった内容で後半が原典の続編として描
かれるという構造である。本論文では、原典と比較しながら、『うらなり』はいかに原典を
継承しているか、いかに原典の枠を突破したか、また、漱石作品の「オマージュ」として
『うらなり』はいかに書かれたかを明らかにした。

まず、『うらなり』がいかに原典を継承しているかについては、『うらなり』前半では
『坊っちゃん』に書かれた内容がうらなりの新しい視点から書き直されていることが指摘で
きる。これらの内容は、原典に忠実に語られており、そこで読者に原典を想起させ、その連
想力で「オマージュ」作品の深みが増す。しかし一方で、うらなりからの視点は、物語の悲
劇性を強調した。『うらなり』前半が『坊っちゃん』と同じストーリーを語るが、『坊っち
ゃん』ほどの痛快さはなく、寂寥感が漂っているということが明らかになった。

また、『うらなり』がいかに『坊っちゃん』の枠を突破したかについては、『うらなり』
後半でうらなりの人生に登場する女性たちに関する物語と物語の終わり方が決定的に『坊っ
ちゃん』と異なるという点に注目した。女性のキャラクター造形が近代日本、特に明治時代
の妻像と母親像と密接に関連しており、マドンナという女性像も、近代社会に生きていた
人々を連想させるということが明らかになった。最後に、妻の死とうらなり自身の差し迫っ
た死で終わる『うらなり』の結末は、物語の悲劇を再確認し、原典の結末をも思い起こさせ
る。つまり、原典の世界を離脱したとしても、小林が『坊っちゃん』への「オマージュ」と
呼んだ『うらなり』は、常に原典を想起し、原典に向けて書かれた作品である。

このように、本論文では、『坊っちゃん』とその「オマージュ」作品として『うらなり』
との関係性を考察することによって、「オマージュ」作品の展開する方法、作者の思想、そ
の原典との継続性と離脱性の意味が明らかになった。
目次

序論 ................................................................................. 1
問題設定 ........................................................................... 1
先行研究 ........................................................................... 2
『坊っちゃん』に関する研究 ....................................................... 2
漱石作品の翻案に関する研究 ....................................................... 4
研究目的 ........................................................................... 5
研究方法 ........................................................................... 5
論文の構成 ......................................................................... 6
第1章 『坊っちゃん』と『うらなり』 ................................................. 8
1.1.『坊っちゃん』 ................................................................ 8
1.1.1.作者夏目漱石について ...................................................... 8
1.1.2.『坊っちゃん』のあらすじ ................................................. 11
1.2.『うらなり』 ................................................................. 11
1.2.1.作者小林信彦について ..................................................... 11
1.2.2.『うらなり』のあらすじ ................................................... 15
1.2.3.『うらなり』の登場人物 ................................................... 17
小括 .............................................................................. 20
第2章 『うらなり』前半における『坊っちゃん』との交差 .............................. 21
2.1.坊っちゃんに関する事件 ....................................................... 21
2.1.1.駅で坊っちゃんとうらなりの出会い ......................................... 22
2.1.2.学生の処分についての職員会議 ............................................. 25
2.2.マドンナ事件 ................................................................. 27
2.3.うらなりの送別会 ............................................................. 29
小括 .............................................................................. 30
第3章 『うらなり』後半における『坊っちゃん』からの離脱 ............................ 32
3.1.女性たちに関する話 ........................................................... 32
3.1.1.うらなりの見合い ......................................................... 32
3.1.2.うらなりの結婚 ........................................................... 34
3.1.3.マドンナとの再会 ......................................................... 36
3.2.結末について ................................................................. 38
3.2.1.卵事件 ................................................................... 38
3.2.2.終わり方 ................................................................. 39
小括 .............................................................................. 42
結論 ................................................................................ 44
参考文献(著者名五十音順) .......................................................... 48
付録 ................................................................................ 50
序論

問題設定

夏目漱石は、明治時代の日本文学における代表的な作家だとされている。作家自身の人生
のように、彼の作品は激動した近代日本に深く関わっていた。『坊っちゃん』(明治 39 年
(1906))は、日本がこのような近代国家へと大きく変貌を遂げた時期を背景に書かれた、
漱石1の初期作品の一つである。ところが、この小説は過去の価値観を保存するところにとど
まらず、時代を超えた価値のある作品になっている2。

百年余り前から発表されたにもかかわらず、現在に至るまで『坊っちゃん』は、原典だけ
でなく、映画や小説、舞台・ミュージカルなどその翻案作品3が広く受容されてきた。これら
の翻案作品は、多くの場合、元の内容を再現するのみならず、物語の新しい可能性を示して
いる。これは、一般的に定着していた『坊っちゃん』に新しい現代的な意味を与えるもので
ある。

その中、『坊っちゃん』から派生した最初の翻案作品と思われるのは、1917 年の岡本一平
の翻案マンガ『坊ちやん繪物語』で、最も作品の多いジャンルは翻案テレビドラマ(合計 15
作品)である。その次は、翻案小説(10 作品)で、以下、翻案映画と翻案マンガ(各 6 作
品)、翻案舞台・ミュージカル(5 作品)、翻案アニメ(2 作品)と続く4。

発表年とジャンルを見ると、これまでの『坊っちゃん』の翻案小説は比較的多いものの、
作品数がほぼ同じである翻案映画や翻案マンガに比べて、はるかに遅く作られた5。なぜ原典

1
本論文における作者や研究者の省略形は、夏目漱石を漱石と記し、他の作者や研究者の場合、姓
を記載する。
2
100 年以上前から発表されたにもかかわらず、『坊っちゃん』は「人に読み返す手間をかけさせ
る力がある」小説だと考えられている(大岡昇平「坊つちゃん」筑摩書房、1988 年)。また、
『『坊っちゃん』をどう読むか』(新潮社、2017 年)の中で、「漱石文学は現代の原型を書いた
のだから、それこそが私たちの「顔」を自分で見ることだ」と石原千秋は述べている。
3
翻案の作成については、著作権法第二条第一項十一号に「著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変
形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物」を二次的著作物と規
定されている。一般的には、これらの行為を行うために、著作権者の許可が必要となる。ただ
し、「著作者の死後七十年又は著作物の公表後七十年若しくは創作後七十年の期間の終期」に著
作権は消滅する。また、著作権法の観点から翻案作品を検討する場合、次の二つのことに注意が
重要である。第一に、創作活動では、既存のテキストを参照するのが一般的である。第二に、作
品の作り直しは、情報の受信者側から、作品の内容がより読みやすくなり、「短期的には望まし
い活動」である。そう考えると、本論文で取り上げる『うらなり』という作品は、著作権法に違
反していない、また、許容すべき作品であろう。(著作権法第二条第一項十一号、第五十七条を
参照、https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048。また、島並良「二次創作
と創作性」『著作権法学会』第 28 巻、2003 年、28 ページも参照。)
4
付録にある『坊っちゃん』翻案作品一覧を参照されたい。
5
『坊っちゃん』の翻案では、最初のマンガが 1917 年に、最初の映画が 1935 年に作られた。これ
に対して、最初の翻案小説は、1986 年に発表された。原典の発表後の時間を見ると、最初の翻案
1
と同じジャンルである『坊っちゃん』の翻案小説は、他ジャンルの翻案作品の後を追って発
表されたのだろうか。これについて小林信彦は、『坊っちゃん』の翻案小説を執筆した際、
次のような考えを述べている。

小林は、『坊っちゃん』の翻案作品についての最初のアイデアが出たのは、1970 年代から
と言っているが、それを完成したのは約 30 年後の 2006 年のことである。その理由として
は、「書くとしたら、文芸雑誌でなければ意味がないし、当時の文芸業界は今よりずっと閉
鎖的であった。それが悪いとは、いちがいに言いきれないが、暗く重い世界に、その小説を
さし出した結果は、目に見えていた。6」と述べている。小林が言う「その小説をさし出した
結果は、目に見えていた」というのは、当時『坊っちゃん』の翻案小説が高く評価されず、
読者に受容されない可能性があったのではないか。つまり、古典として位置づけられていた
漱石作品を翻案することは、その原典とは異なるジャンルでは許されたが、原典と同じジャ
ンルである翻案小説では、リスクが高く、受け入れが難しかったと言えるだろう。「当時の
文芸業界は今よりずっと閉鎖的であった」というのは、その翻案小説に対する閉鎖的な態度
であったと考えられる。

以下の先行研究でとりまとめるように、これまでは、『坊っちゃん』に焦点を当て、その
様々な読み方を示してきた研究が多いものの、その翻案、すなわち翻案小説について考察し
た研究はあまり存在していない。そこで、本論文は、『坊っちゃん』の翻案小説の一つであ
る小林信彦の『うらなり』を研究対象とし、漱石『坊っちゃん』の「オマージュ7」の特異性
がどこにあるのかを明らかにすることを目的とする。小林の『うらなり』を選択するにあた
って注意したのは、語り手の変化、原典への「オマージュ」として作者の心情、前半が原典
とほぼ同じ内容で後半が原典の続編として描かれる構造のある作品ということである。

先行研究

『坊っちゃん』に関する研究

従来、『坊っちゃん』に関する研究は数多く行われてきた。『坊っちゃん』の一般的な読
み方と言うと、「親譲りの無鉄砲」な性格の江戸っ子の坊っちゃん8が、「四国の中学校でこ
そこそ悪巧みをする教頭の赤シャツ一派と戦って、爽快に敗れて帰ってくる物語9」だと考え

マンガはその約 10 年後、最初の映画は 30 年後に作成された。最初の翻案小説は、80 年後に発表


された。つまり、『坊っちゃん』の翻案作品の中で、翻案小説は、最も遅く作られたジャンルで
ある。
6
小林信彦、「創作ノート」、『うらなり』文春文庫、2009 年、160 ページ。
7
「「hommage(オマージュ)」は〈敬意・尊敬〉を表すフランス語である。」(今野真二『盗作
の言語学 表現のオリジナリティーを考える』集英社新書、2015 年、20 ページ)。
8
本論文では、坊っちゃんという書き方は『坊っちゃん』の語り手を示す。『坊っちゃん』という
書き方は小説を示す。
9
(『坊っちゃん』の普通の読み方)新潮文庫カーバーの裏表紙に印刷された解説より(石原千秋
『漱石はどう読まれてきたか』新潮選書、2010 年、171 ページ)。
2
られている。しかし、石原千秋(2017)『『坊っちゃん』をどう読むか』の中で、それとは
違った読み方が集まった。以下に、石原(2017)を参考に先行研究をまとめる。

まず、丸谷才一「『坊っちゃん』のこと」10、吉本隆明「『坊っちゃん』」11、三浦雅士
「母に愛されなかった子――『坊っちゃん』」12などは、『坊っちゃん』における漱石の
「母」に焦点を当てこの小説を分析した研究である。また、いとうせいこう・奥泉光「ちょ
っと淋しい童貞小説『坊っちゃん』」13のように、『坊っちゃん』を「政治小説」とし、「コ
ミュニケーション不全がテーマ14」だと考えたこともある。同じく『坊っちゃん』が「政治小
説」であるという見方で、平岡敏夫「「坊っちゃん」試論 小日向の養源寺」15はこの小説を
「佐幕派の文学」と見做した。さらに、小野一成「「坊っちゃん」の学歴をめぐって」16は、
坊っちゃんは実際天才であり、自分を劣等生と語っているのは「語り手のトリックに引っか
かっていたことを浮かび上がらせた17」と指摘した。他にも、石原千秋「『坊っちゃん』の山
の手」18は、読者が坊っちゃんを「正義漢」としてもてはやすのは、「〈坊っちゃん〉に対す
る清の〈愛〉を模倣しながら〈坊っちゃん〉を見てしまう19」からだと述べた。

こうした「素直に楽しむ」一般的な読み方と違う『坊っちゃん』に関する多くの読み方が
提示されてきた。石原千秋(2017)も、これはこの 30 年ぐらいの傾向だと指摘している20。
近年の『坊っちゃん』の読み方の中で、特に興味深いのは以下の見解である。

それは有光隆司「「坊っちゃん」の構造--悲劇の方法について」である。有光21は、『坊っ
ちゃん』に記されるのは「遠山家の令嬢を中心に、教頭、古賀、堀田ら」をめぐる「大事
件」で、男(坊っちゃん)は「端役にすぎない」と言い、また、「男の認識をはるかに超え
た時空に」、「堀田や古賀らが演じる悲劇の世界」があると言う。

このように、有光は、小説『坊っちゃん』についてこれまでの観点とは極めて異なる見方
で作品を読み換えている。彼は、物語における「坊っちゃん」は語り手であり、主人公でも
あるという見方に別の可能性を提示した。つまり、実は「坊っちゃん」は、物語の「大事

10
丸谷才一『星のあひびき』集英社文庫、2013 年。
11
吉本隆明『夏目漱石を読む』、ちくま文庫、2009 年。
12
三浦雅士『漱石 母に愛されなかった子』岩波新書、2008 年。
13
いとうせいこう・奥泉光『漱石漫談』河出書房新社、2017 年。
14
石原千秋、前掲書、2017 年、6 ページ。
15
片岡豊・小森陽一編『漱石作品論集成 第二巻 坊っちゃん・草枕』桜楓社、1990 年。
16
同書。
17
石原千秋、前掲書、2017 年、7 ページ。
18
石原千秋『反転する漱石』増補新版、青土社、2016 年。
19
石原千秋、前掲書、2017 年、8 ページ。
20
石原千秋編『『坊っちゃん』をどう読むか』河出書房新社、2017 年、4 ページ。
21
有光隆司「「坊っちゃん」の構造--悲劇の方法について」『国語と国文学』第 59 巻、第 8 号、
1982 年、47-60 ページ。
3
件」における当事者ではなく、主人公でもない。彼は、うらなりと堀田らの悲劇を読者に伝
える傍役にすぎないのである。

しかし、なぜこのような読み方があるか、いかにこのような一般とは異なる見解が現れた
のだろうか。これについて、前田愛(1993)は以下のように述べている。

つまり、今まで文学作品を読解していくための中心的なコードであった物語、作中人
物、このコードをいったん消してみる、あるいは括弧にくくってみる、あるいは脱中心
化してみることによって、文学作品は新たな相貌を表しはじめる。(略)坊っちゃん自
身に注目して物語を辿るかぎりは、たしかに愉快な物語としてみえてくるわけですけれ
ども、その物語の周辺に配置されているさまざまな要素に注目することによって、『坊
っちゃん』という物語はまったく相貌を変えてくる、そういうことだろうと思います。22

これまで、『坊っちゃん』の内容をめぐって、数多くの研究がなされてきた。これらの研
究は、物語の「中心的なコード」以外の要素に注意を払うと、一般とは異なる読み方を発見
する可能性を示している。原典の「コード」以外の要素に注目するという意味では、それぞ
れの翻案作品は、原典に対する異なる読み方を示す場でもあると言える。つまり、ある作品
を翻案するときに、その翻案作者がどのように翻案を作成するかは、原典の読み方によって
異なる。翻案作者が原典のどのような要素(物語の「コード」またはそれ以外)を継承する
かによって、その翻案の内容が決まる。したがって、すべての翻案が原典を忠実に再現する
という「任務」を持っているわけではなく、その世界の別の可能性を示すこともある。『坊
っちゃん』の翻案作品は、このようにさまざまな原作の別の可能性を示している。

漱石作品の翻案に関する研究

漱石の翻案作品に関する研究については、同じジャンルの作品を原典と比較すると同時
に、それらを事例分析・比較する傾向が見られる。例えば、関恵実『続・漱石―漱石作品のパ
ロディと続編』や張暁敏「夏目漱石の翻案映画研究―家族関係を中心に―」が挙げられる。
関恵実(2010)の研究23は、〈続編〉という構造的分類を元に、パロディー作品に固有の〈喜
劇性〉とそれ以外の効果に焦点を当て、『吾輩は猫である』、『虞美人草』、『明暗』とい
う漱石作品から派生した作品を分析した。関の研究には、小説『坊っちゃん』から派生した
作品が含まれていないが、「真面目なパロディ」作品の位置を再考する必要性や、本編の結
末に関する続編を書きたいという作者の心情など、いくつかの注目すべき点が指摘された。

22
前田愛、前掲書、115-116 ページ。
23
関恵実『続・漱石―漱石作品のパロディと続編』専修大学出版局、2010 年。
4
特に、派生作品の価値を再評価する必要があるポストモダンにおいては、極めて有意義な指
摘だと考えられる。

また、張暁敏(2019)は、漱石小説から複数映画化された作品を分析・比較し、それらの
制作当時の社会における家族関係を考察した。『坊っちゃん』の翻案映画については、現在
市販に流通している五作品を取り上げ、その家族関係、即ち「坊っちゃんと清の擬似的母子
関係24」における違いが当時の日本社会の男女間の力関係のためであると述べている。張の研
究は、文学的なアプローチを使用していないが、原典の「明治という時代の新しい形での男
女関係というものをテーマとして表している」ことに対して、漱石の翻案映画は、「家族の
物語として漱石の作品を再構築しようとしていた25」と指摘した。

以上、漱石作品の翻案に関する先行研究をまとめたが、前述したように、これらの研究は
同じジャンルの作品をグループ化し、それぞれを分析・比較する傾向にあるが、『坊っちゃ
ん』の翻案小説についての研究はほとんどない。特に、「オマージュ」という名の下に、原
典を描きなおす意識のある翻案作者が書いた作品についての研究は、管見の限りでは存在し
ていない。

研究目的

本論文は、次の二点を明らかにすることを目的とする。

第一に、漱石作品の「オマージュ」としての『うらなり』はいかに書かれたかを明らかに
する。そして、第二に、原典と比較しながら、『うらなり』の前半が『坊っちゃん』からど
のような連続性を持っているか、また、その後半がどのように原典の枠を突破したかを考察
する。

研究方法

上記の研究目的を達成させるために、本論文では、文学的アプローチを適用する。

まず、文学的なアプローチを用いて、原典とほぼ同じ「オマージュ」作品の内容と新しく
書かれた内容を比較・分析する。原典と同様の内容を描く部分の中で、代表的な出来事を選
び、登場人物の造形や対話内容の展開などから、『うらなり』が「オマージュ」作品として
どのように書かれたかを検討する。特に、この部分における『うらなり』の手法は、和歌で
の「本歌取り」という技法との類似点が見られる。本歌取という技法は、「先行の古歌(本
歌)の詩句を採り入れて詠むことで、連想力によって本歌の世界を髣髴させつつ、新たな世

24
張暁敏は、「坊ちゃんと清は血縁関係にはないが、本論文は清を女中であると同時に母あるい
は祖母と位置づけている。」と述べている。(張暁敏「論文の要旨」、「夏目漱石の翻案映画研
究―家族関係を中心に―」筑波大学博士論文、2019 年)。
25
張暁敏、前掲論文、202 ページ。
5
界と重層させることにより、深みや余剰を豊かにする方法26」だと定義される。また、「たゞ
古典に、殊に古の言葉に対する憧憬を感じつつあつたが故に、それに対する尊敬を失はない
範囲に於て、自己の力量を発揮すべく本歌どりと云ふ方法(略)27」と言われている。「本歌
取り」は韻文の分野の技術であり、古典文学に属しているが、原典への敬意を表す、原典の
世界を再現するという意味においては、二作品の物語のほぼ同じ内容を分析し、その役割を
検討することに、この技法を見いだすことができるのではないかと考えられる。

また、『坊っちゃん』の世界から離脱した『うらなり』を分析することにも、文学的アプ
ローチが適用される。具体的には、その後半における小林の独創によって描かれる代表的出
来事の内容を分析することに使う。ところが、この後半においては、激動する時代について
しばしば言及するとともに、作者が意図的に多くの新しい女性人物を登場させている。これ
は、『うらなり』前半に比べれば、後半でより目立つように示されているものである。これ
らの女性人物の描写が、作品で言及されている時代とどのような関係があるのか、あるいは
その時代の影響が女性の話を通してどのように示されているのかという問いが浮かぶ。そし
て、作品の舞台は明治後期と大正初期を中心に設定されているため、本論文では、社会学
的・歴史的視野からも、その時代背景及び思想、社会意識が作品にどのように反映されてい
るかを明らかにする。

論文の構成

序論と結論を除いて、本論文は以下の三章で構成されている。

第1章では、はじめに、本研究の対象となる原典と「オマージュ」作品の作者が誰である
か、作家としての彼らの文学作品の主題は何か、そして作品を執筆する理由は何かを明らか
にする。次に、二作品の関係性を考えるために二つの物語のあらすじをまとめる。その上
で、この二つの物語の内容に基づいて、「オマージュ」作品である『うらなり』における登
場人物について検討してみる。具体的には、『うらなり』に登場する人物は、『坊っちゃ
ん』の登場人物と比べてどのように違うか、どのように連続するか、この差異や連続性によ
ってどのような効果が発生するのかを明らかにする。

第2章と第3章では、第1章における考察を踏まえた上で、『うらなり』の構造にしたが
い、二つ部分に分け、『坊っちゃん』の「オマージュ」作品としてどのように書かれたかを
明らかにする。具体的に、第2章では、『うらなり』前半に出る坊っちゃんに関する事件、
マドンナ事件、うらなりの送別会という代表的な事件を通じて、『うらなり』前半部と『坊
っちゃん』との交差、とりわけうらなりの視点から、この原典とほぼ同じ内容がどのように

26
川名大「本歌取り/パロディー パロディーの毒をこそ」『俳句世界 6 パロディーの世界』雄
山閣出版、平成 9 年 8 月(関、前掲書、6 ページ)。
27
山路平八郎「本歌どりについて」『国文学研究』1940 年 12 月発行(名木橋忠大「本歌取り論の
近代」『文学部紀要 言語・文学・文化』第 115 号、2015 年、176 ページ)。
6
描かれているかを分析する。また、第3章では、まず『うらなり』後半の出来事を女性に関
する話とマドンナとの再会について検討し、これらの話が描かれている時代とどのように関
連しているかを分析し、その後〈卵事件〉と作品の終わり方について検討し、それによって
『うらなり』の思想を論じる。なお、〈卵事件〉は物語の最後に書かれるため、この物語の
結末の分析に含める。

7
第1章 『坊っちゃん』と『うらなり』

1.1.『坊っちゃん』

1.1.1.作者夏目漱石について

夏目漱石は、慶応 3 年(1867)に江戸牛込馬場下で生まれた。生後まもなく養子に出され
たことや小学校時代に転校を繰り返したことなどから、幼少期は浮き沈みが激しかった。明
治 21 年(1888)、第一高等中学校本科第一部に入学し、そこで大きな影響を受けることにな
る俳人・正岡子規と出会う。卒業後、松山中学教論となって松山に赴任した時期28があり、そ
こでの経験が漱石の最も愛読される小説の一つである『坊っちゃん』の題材にもなってい
る。

明治 33 年(1900)、漱石は文部省よりイギリス留学を命ぜられた。明治 36 年(1903)の
帰国後、第一高等学校講師兼東京帝国大学英文科講師となる。明治 38 年(1905)に処女作に
なる『吾輩は猫である』を『ホトトギス』に発表したことで、名を文壇に高めた。この年の
半ば頃から、教師か文学者かの二者択一に悩んむ。明治 40 年(1907)、一切の教職を辞し、
小説創作を中心とした文筆活動に入った。

専業作家となった漱石は、1日に原稿用紙 17 枚から 20 枚を書き、ほとんど一年に一作を


発表した。処女作『吾輩は猫である』の発表年(明治 38 年(1905))から未完の絶筆『明
暗』の発表年(明治 49 年(1916))にかけての 11 年間においては、20 以上の小説・小品を
執筆した29。漱石の作品は二つのグループに大別でき、一つはユーモア溢れる作品で、もう一
つは利己主義を批判する作品である。

漱石の小説の主題は、近代知識人の我執、個人主義、日本の近代化などである。

彼の小説の主人公は、そのほとんどが知識人である。たとえば、知識人の家に住む猫の視
点を通して世界を観察し、人間社会を描写する漱石の処女作である『吾輩は猫である』(明
治 38 年(1905))や、一人の江戸っ子が田舎の中学校で赴任し、そこで発生する紛争につい
て語る『坊っちゃん』(明治 39 年(1906))や作者の言う「非人情」の世界を描いた作品で
ある『草枕』(明治 39 年(1906))などの例があげられる。この三作品について、柴田庄一
(2008)は、「どちらも短編であるという点くらいで、その構想もストーリーの展開も、ほ

28
1895 年 4 月から 1896 年 4 月まで松山中学教論となって赴任した。(菊池明朗編『ちくま日本文
学全集夏目漱石』筑摩書房、2008 年、467-468 ページ)
29
小説・小品を中心に 1905 年から 1916 年にかけて、漱石は全 28 作品を発表した。(清水美知子
「夏目漱石の小説にみる女中像:『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を中心にして」『関西国際大
学 研究紀要』第 15 巻、55-67 ページ、2014 年、59 ページ)
8
とんど同じ作者の手になるものとは到底思えないほど、別個の個性を具えた作品30」と述べて
いる。これらの初期作品に限っても、漱石の小説は極めて多彩だと言える。

漱石が発表した中・後期作品31も、主に知識人像を物語の中心に置いている。倫理観と人生
観を追究した主人公を描いた『三四郎』(明治 42 年(1909))や『それから』(明治 42 年
(1909))、人間のエゴイズムや無力感を解析した『行人』(大正元年(1912))や『ここ
ろ』(大正 3 年(1914))などが挙げられる。初期に比べて中・後期に出てきた作品の内容
は心理分析や内面的傾向により深化したと言われている。この時期の創作によって、漱石は
明治時代の終わりに近代日本文学の頂点に立つ作家になった。

近代の知識人の主題と同様に、個人主義も漱石の中心的な思想と見なされている。国際関
係が複雑にからんでいた明治時代32においては、漱石は、人々が「自己本位」をつかまなけれ
ばならないと述べている。つまり、個性の発展に努めると、自信を持つようになるという。
これは彼の講演で何度も言及されており、最も有名なのは「私の個人主義」(大正 3 年)学
習院輔仁会でのことであった。さらに、「ある程度の修養を積んだ人でなければ」ならない
と主張している。なぜならば、「人格の修養の積んだ人」でなければ、個人の力を使うこと
は社会に害を及ぼしやすいからである。ただし、自分の個性を発展させると「同時に他人の
個性も尊重しなければならない」と語っている。「自己の所有している権力を使用しようと
思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない33」という。この個
人主義の観点から、漱石は、国レベルでは、各国が自国の強さのために他国に侵入するので
はなく、互いの独立を尊重する必要があると考えている。これは、漱石の反帝国主義の基礎
となる。

漱石は、この激動の時代に人間の主題に非常に興味を持った作家であると言える。そのた
め、近代日本も彼の作品のテーマの一つとなった。漱石は、日本の近代化が行われた明治時
代とともに成長した。柴田庄一の言葉を借りれば、「漱石自身は明治と満年齢が同じ34」であ

30
柴田庄一「夏目漱石と日本の近代-百年後の今日に語りかけられていること」『言語文化論集』
第 30 巻、第 1 号、2008 年、38 ページ。
31
漱石の執筆活動は、1907 年にプロの作家になる前と後の二つの主要な時期に分けられることが
多い。したがって、『坊っちゃん』などの 1907 年以前に書かれた作品は、漱石の初期作品とさ
れ、1907 年以降に発表された作品は、中・後期の作品と見なされる。中・後期の作品の中、つな
がりがあるやテーマに共通性がある小説は、三部作と呼ばれる。漱石の三部作は前期と後期があ
るが、前期三部作は『三四郎』(明治 42 年(1909))、『それから』(明治 42 年(1909))、
『門』(明治 43 年(1910))であり、後期三部作は『彼岸過迄』(明治 45 年(1912))、『行
人』(大正元年(1912))、『こころ』(大正 3 年(1914))である。
32
柴田庄一によれば、1868 年の明治維新に至るまで、日本は長らく鎖国を続け、世界の国々から
孤立していたから、国際社会に向かって国を開いた途端、大混乱に見舞われたとしても、無理の
ないところだったかも知れない。(柴田庄一、前掲論文 43 ページ)
33
夏目漱石、「私の個人主義」大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述(菊池明朗編
『ちくま日本文学全集夏目漱石』筑摩書房、2008 年)。
34
柴田勝二「夏目漱石と近代日本」佐倉市国際文化大学第 20 回講座、2018 年 11 月 10 日、1 ペー
ジ。
9
る。彼は、伝統的な文化価値を尊重する精神で、日本社会のあらゆる側面を変えている「洪
水」のような「近代化」を批判した。これを「皮相上滑りの開化」として批判的に捉えてい
た35。

近代日本に関して漱石が批判を向ける主な対象は、功利主義と帝国主義である。たとえ
ば、柴田勝二(2018)などに、彼の功利主義への批判は処女小説『吾輩は猫である』におい
てはっきりと読み取れると指摘されている。この物語の金田という人物の妻は、夫にはいく
つも会社を持っていると言っているが、苦沙弥から期待された反応が得られなかったので、
不満になってしまった。それから、無力な中学校の先生である苦沙弥は、金田に悩まされ
た。この話について、柴田勝二は、「嫌なものであっても、功利主義的な資本主義国家とし
て明治日本が展開していったという潮流自体は否定しないというリアリストとしての眼差し
が『猫』に流れてい36」ると述べている。つまり、漱石は処女小説の中から、この日本の激動
の時代を冷静に認識し、この時代の功利主義に対する批判的な見方を表した。

『吾輩は猫である』の発表後から間もなく出された小説『坊っちゃん』も、漱石の近代日
本に対する批判をはっきりと示している。この小説の登場人物とそれが発表された時期との
関係を論じた研究がなされてきた。たとえば、柴田勝二はこの物語に登場した人物について
次のように興味深い解釈をしている。坊っちゃんが近代日本であり、彼の敵方の赤シャツが
ロシアになり、またうらなりは坊っちゃんの「裏」で、もう一人の坊っちゃんだということ
である。「坊っちゃんが山嵐と組んで赤シャツを成敗する終盤の展開はまさに日露戦争」で
ある。そして「その前の展開として、うらなり君が赤シャツに婚約者のマドンナを奪われる
という事態」は「日露戦争の起点となったともいえる三国干渉の比喩として受け取られ」
る。結果的には、「坊っちゃんは赤シャツとの戦いに勝」つが、「追い出された」。したが
って、「日本が日露戦争に勝ったところで、国際社会の覇権の構図に変化は生じないし、日
本が世界の最強国になった訳でもない」ということを連想できる37。柴田勝二の見解は、『坊
っちゃん』の内容や登場人物を明治時代の日本に結びつけている。このように、小説の最後
に坊っちゃんが赤シャツに勝って、爽快で東京に帰ったということは、この時期の日本の勝
利は、外から見れば、爽やかに見えたが、実際には内に敗北を隠していた。とにかく、これ
を通して漱石がこの時期の近代日本に対する批判的な見方をしたということができる。

こうして、浮き沈みの激しかった明治時代に生涯を送っていた漱石は、ペンを使って時代
の色が満ちあふれる作品を作った。小説『坊っちゃん』自体は、その時代の色があふれた初
期作品の一つである。以下、この小説のあらすじを簡潔にまとめる。

35
柴田庄一、前掲論文、43 ページ。
36
柴田勝二、前掲論文、4 ページ。
37
柴田勝二、前掲論文、8-9 ページ。
10
1.1.2.『坊っちゃん』のあらすじ

『坊っちゃん』は、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」(第一節。以
下、節の数字のみ表記する)という有名な一文から始まっている。

小さい頃から坊っちゃんは損ばかりしていたので両親に疎んじられた。そして、兄とも仲
が悪かった。しかし、清という下女だけは大変可愛がってくれた。清は、坊っちゃんのこと
を心がきれいで、まっすぐで良い性格だとほめて、将来は立派な人になると信じていた。坊
っちゃんの母は早く死に、数年後に坊っちゃんの父も亡くなってしまった。坊っちゃんは兄
にもらった六百円を学資にして物理学校に入学した。

三年経った後、坊っちゃんは四国辺のある中学校で数学の教師として赴任した。初めて会
った時、教師達にいろいろなあだ名を付けた。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はう
らなり、数学の教師は山嵐、画学の教師は野だいこである。初めて教場へ行った直後、この
新しい赴任先は悩みに満ちたものだと坊っちゃんは発見した。天麩羅を 4 杯、団子を 2 皿食
べたこと、浴槽で泳いだことなどを生徒たちに知られ、冷やかされた。特に、宿直の晩に、
生徒集団がバッタを捕まえて、蒲団の中に入れたことで、坊っちゃんはまともに腹を立て
た。このバッタ事件は騒々しかったので、学校は寄宿生を処分するための会議を開いた。会
議では、校長と教頭は、生徒に寛大であるべきだという意見を発表した。坊っちゃんは抗議
したかったが話すのが苦手だったので十分反論できなかった。堀田だけが生徒たちに厳罰に
処しなければならないと述べた。その結果、生徒たちは一週間学校を離れることが許されな
いという罰を受けた。また、この事件の後、坊っちゃんは教頭がうらなりの婚約者マドンナ
を奪うつもりであることなど、うらなりの苦境を知った。坊っちゃんはうらなりを気の毒に
みて、さらに好意を持った。

日露戦争の祝勝会の日に、山嵐と坊っちゃんは、師範学校と中学校の喧嘩に巻き込まれ
て、新聞にこの喧嘩の首謀者だと書かれてしまい、山嵐はその責任を取って辞表を出させら
れた。しかし、これはすべて赤シャツの陰謀だと気づいて、山嵐と坊っちゃん二人はついに
赤シャツと野だいこの芸者遊びの帰りを取り押さえた。坊っちゃんはその日のうちに中学校
に辞職表を郵送し、翌日に清の待っている東京へ帰った。

東京に帰った坊っちゃんはある人の周旋で街鉄の技手になって、清と暮らした。しかし、
清は間もなく肺炎にかかって死んでしまったので、坊っちゃんのお寺へ埋められた。

1.2.『うらなり』

1.2.1.作者小林信彦について

小林信彦は、1932 年に東京の日本橋で生まれた。1955 年に早稲田大学文学部英文科を卒業


し、宝石社から発行されるサスペンス小説や奇妙な味の小説などの特集で人気になった『ヒ
11
ッチコック・マガジン』の編集長を創刊から務めた後、作家として独立した。本名のほか、
中原弓彦、ウィリアム・C・フラナガン、三木洋、有馬晴夫、類十兵衛、スコット貝谷などの
筆名も用いた。

小林は、大衆文化に関するエッセイ、コラムから小説まで様々な作品を創作した。その中
で注目に値するのは、1972 年に中原弓彦というペンネムで発表した『日本の喜劇人』であ
る。小林は、この作品で第 23 回芸術選奨新人賞を受賞し、これを発点として作家業を始め、
『オヨヨ大統領』シリーズなど、ユーモアのある小説で人気を博した。

『うらなり』は、小林が 2006 年 2 月に『文學界』に掲載した小説である。この小説の内容


を説明する前に、まず、小林とその原典となる夏目漱石の『坊っちゃん』との関係を述べた
い。『うらなり』の「創作ノート」で小林は、『坊っちゃん』を初めて読んだのは、小学校
六年生のころだったと言っている38。小林の『坊っちゃん』に対する初めての印象は、「〈な
んだか子どもっぽ〉くて、『吾輩は猫である』の方が、ずっと面白かった39」というものであ
った。「『坊っちゃん』のユーモアは、やや幼稚に感じられた40」からである。また、この小
説のクライマックスで、悪王の赤シャツ、野だいこに復讐する時、読者から見れば、「半殺
しぐらいにはして欲しいのだが、生卵をぶつけて殴るぐらいでは、すっきりしない41」。その
ため、『坊っちゃん』を評価しなかったと述べている。

それにもかかわらず、小林によると、彼が『うらなり』を書きたくなったのは、「小説
『坊っちゃん』が日本でもっともポピュラーであり、エドウィン・ミュアいうところの〈フ
ラット・キャラクター〉に充ちているからであった42」とのことである。 エドウィン・ミュ
アが言う〈フラット・キャラクター〉は、E.M.フォースターが『小説の諸相』(1927)という
本で提唱したものである。フォースターは、 キャラクターを、フラット・キャラクターとラ
ウンド・キャラクターに分ける。フラット・キャラクター(平面的な人物)とは、性格が一
貫し、物語の中で性格が変わったりすることがないキャラクターである。わかりやすいシン
プルな特徴を持つため、彼らが登場しただけで、すぐに読者にわかる。坪内祐三は、「主人
公の坊っちゃんをはじめとして、赤シャツや山嵐らの登場する『坊っちゃん』はまさに
「〈フラット・キャラクター〉に充ちている」わけだ43」と述べている。これに対して、〈ラ
ウンド・キャラクター〉(立体的な人物)とは、「劇的発展」して行くタイプの人物であ
る。漱石の後期作の主人公はこのタイプだ。

38
小林信彦、「創作ノート」、『うらなり』文春文庫、2009 年、161 ページ。
39
同書 161 ページ。
40
同書 161-162 ページ。
41
同書 162 ページ。
42
同書 163 ページ。
43
坪内祐三、「解説」、『うらなり』文春文庫、2009 年、194 ページ。
12
それでは、うらなりはどうだろうか。坪内祐三によれば、うらなりは、フラット・キャラ
クターではなく、ラウンド・キャラクターでもない。実は、第三のキャラクターであり、極
めて現代的なキャラクターである44。つまり、うらなりは「キャラクターのない人物(特性の
ない男)45」である。明らかに、うらなりは、物語の発展に従う「劇的発展」して行くキャラ
クターではない。 『坊っちゃん』では、うらなりが登場する時間は長くないため、ストーリ
ーが進むにつれてキャラクターに大きな変化が見られるわけはない。一方、うらなりは、登
場するたびに、「大変顔色の悪」く、「恐れ入った体裁で」、静かに行き来しているように
見えるという、かなりシンプルな特徴を持っている。しかし、坊っちゃんや堀田のように他
人の注目を集めやすいのと比べると、これらの特徴を、フラット・キャラクターとは言えに
くいだろう。つまり、彼は「特性のない男」であり、第三のキャラクターであるとより確か
に言うことができる。

「特性のない男」であるうらなりと比べ、坊っちゃんは、確かにフラット・キャラクター
であろう。坊っちゃんが現れるたびに、プンプン怒っているのではないと、皮肉を込めて何
かを嘲笑している。坊っちゃんは松山のすべてに不満を持っているようであるが、不思議な
ことに、彼はうらなりを否定せず、逆にいつもこの「蒼い顔をしている」男に好意を持つ。
小林はこの奇妙な点に気づき、他の作家と相談する際、次のように言った。

「ぼくの考えでは、坊っちゃんの行動は、うらなりから見たら、まるで理解できないの
じゃないかと思うのですよ。不条理劇みたいですね。その、うらなりの視点から見た
〈坊っちゃん〉を書いてみたいのですよ。46」

このように、小林は、うらなりから見ると、坊っちゃんの行動は理解不能に見えると述べ
ている。彼が『うらなり』を書きたかった理由はこのことにあった。しかし、序論で述べた
ように、アイデアが浮かんでから実際に作品を書き始めるまでは、短い過程ではなかった。
以上の話は、1970 年代のことである。だが、小林が『うらなり』を書き始めたのは、2006 年
9 月 25 日、書き終えたのは 12 月 11 日である。最初のアイデアが出た約 30 年後に『うらな
り』が完成した理由として、作者は、『うらなり』が高く評価されず、読者に受容されない
恐れがあったと言っている。作者自身は『うらなり』への要求レベルが高い、そのため、こ
の作品を発表するまで 30 年以上かけて構想を練っていたと言えよう。

44
同書 195 ページ。
45
同書 195 ページ。
46
小林信彦、「創作ノート」159 ページ。
13
では、小林はどのような小説を書きたかったのか。「創作ノート」で述べていることか
ら、以下の二つの主要なことに要約できる。第一には、小林が有光隆司(1982)の論文を参照
し、『坊っちゃん』という小説は、広く信じられていたような〈痛快な青春小説〉ではな
く、むしろ〈喜劇の底にある悲劇〉の小説だと考えた。単純な性格を有する坊っちゃんの
「認識を超えた奥に暗い世界がある47」からだ。これは、次のように細かい部分で表現されて
いる。例えば、坊っちゃんが清をたずねるとき、「北向きの三畳に風邪を引いて寝てい
た。」(一)、あるいは、清が停車場で坊っちゃんを送りに行くとき、「窓から首を出し
て、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。」(一)小林によれ
ば、このようなことは不吉なものであり、坊っちゃんの不安を示している。つまり、悲劇を
隠している。

『坊っちゃん』の魅力と言える、痛快な語り口が目立つため、その悲劇は薄れているよう
に見える。しかし、そのような〈喜劇の底にある悲劇〉の部分が含まれていることは否定で
きない。特に、坊っちゃんが爽快に教頭と吉川の悪者を殴り、東京に戻った後、間もなく清
は亡くなってしまった。このような結末は〈痛快な青春小説〉終わりだろうか。むしろ、
〈喜劇の底にある悲劇〉の小説である。

第二には、小林は「物語を作る側としてのぼくは、この物語の構造が、誤解をおそれずに
いえば、必ずしも、坊っちゃんという人物(観察者プラス参加者)を主人公と(?)しない
ことに気づいていた。有光氏の小論文を読んだのは、自分に自信をつけるためだった。48」と
述べている。つまり、この物語における坊っちゃんの役割を考えると、彼は、堀田、うらな
り、教頭、遠山の女の間で緊張した状態を提示するだけである。これが物語の「大事件49」で
ある。したがって、「坊っちゃん」はこの物語の主人公ではない。真の主人公は「特性のな
い男」のうらなりである。

このような理由で、小林は『坊っちゃん』のストーリーをうらなりの視点から見て描き直
し、「愛すべき初期漱石作品へのリスペクト」を表す小説を作った。『うらなり』は小林が
『坊っちゃん』が「悲劇」であることを証明してみたところだとも言えるだろう。坪内祐三
の言葉を借りれば、「「喜」すなわちコミックリリーフを演じるのが主人公たる坊っちゃん
で、「悲」を演じるのが堀田と古賀、すなわち山嵐とうらなりだ50」ということになる。

『うらなり』は、小林のもっとも成功した作品の一つであると考えられている。この小説
で彼は第 54 回菊池寛賞を受賞した。選考を行った日本文学振興会による受賞理由欄には「純
文学、エンターテイメント、評伝、映画研究、コラムなど多方面にわたってすぐれた作品を

47
同書 168 ページ。
48
同書 170 ページ。
49
有光隆司、前掲論文 52 ページ。
50
坪内祐三、「解説」190 ページ。
14
発表し、その文業の円熟と変わらぬ実験精神によって「うらなり」を完成させた51」とある。
ちなみに、菊池寛賞は、1958 年から文藝春秋の創業者・菊池寛が日本文化の各方面に遺した
功績を記念するための賞であり、受賞者は、文化活動一般において、1 年間に最も清新かつ創
造的な業績をあげた人・団体、もしくは永年に多大な貢献をした人・団体である52。このよう
に、小篇『うらなり』の完成は、小林の執筆活動における重要な時点と見なすことができ
る。『うらなり』は、『坊っちゃん』への「オマージュ」作品として、小林の実験精神で書
いたものである。この作品によって、彼は 2006 年の文化活動の分野での貢献者として認めら
れた。

以下では、『うらなり』のあらすじを、その原典となる『坊っちゃん』の内容と比較する
ため、簡潔にまとめていく。

1.2.2.『うらなり』のあらすじ

『うらなり』は、題名で示されるように、その語り手・主人公がうらなりである。この物
語は前半がうらなりの視点で描く『坊っちゃん』のストーリーで、後半がその後のうらなり
の人生である。注意すべきは、この物語で語られるのは、実際にたった二日の出来事であ
る。初日はうらなりが堀田に会うために東京に行く日で、次の日は二人の別れの日である。

この小説はうらなりが銀座四丁目の角に立って堀田を待つ場面から始まる。二人を近くに
置くことは、対抗するイメージを出す。堀田が主導的、積極的に行動する一方、うらなりは
受動的、消極的である。二人は、30 年前に中学校で教師をしている時と変わらないような性
格を持っていると描写されている。話している途中、うらなりは堀田と「いっしょにいた、
同じ数学教師の名を想い出そうとしていた」が、「二人が同時に職を辞したときいているの
で、たずねない方が無難な気がした。」(『うらなり』第 1 節。以下、節の数字のみ表記す
る)

その後は 30 年ほど前の中学校にいるときのことが回想される。ある日、うらなりが温泉に
行くと、来たばかり数学教師である坊っちゃんに会った。その時、坊っちゃんはうらなりの
顔色がよくないと見て、「顔が蒼いから病気だと思った」、「酒を飲むんじゃありません
か」(2)など言っていた。うらなりは坊っちゃんのことを迷惑だと思った。そう考えるの
は、どこかで坊っちゃんが「うらなりのようだ」と話したのを耳にしたからである。しか
し、坊っちゃんはうらなりに好意を持ってくれているらしかった。裏表がありそうな坊っち
ゃんの言動に対し、うらなりは不信感を持った。

51
「菊池賞受賞者一覧」『日本文学振興会』
https://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/award/kikuchi/list.html(2021 年 08 月 30 日)
52
「各賞紹介」『日本文学振興会』
https://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/award/(2021 年 08 月 30 日)
15
その後の話は、『坊っちゃん』の内容と重なるのだが、うらなりの視点から観察されたこ
とが語られている。以下、主な事件を時間の流れに沿って記す。

 天麩羅・温泉・バッタ事件
 学生の処分についての職員会議
 坊っちゃんの引っ越し
 マドンナ事件
 うらなりの送別会

延岡に行ったうらなりは、坊っちゃんと堀田が赤シャツと野だいこに乱暴をして、辞表を
出したと聞いた。しばらくしてから、マドンナは大阪の富豪に嫁いでいると告げられた。う
らなりは姫路に移ってから、母に見合いをすすめられたため、「油揚」の媒酌人の紹介で三
回見合いに行った。一回目は、「生気が感じられなかった」(5)、二回目は、「覇気がかん
じられない」(5)という理由で断られた。三回目は、「女性にはこれが見合いであるのを知
らせていなかった」ので、「すべての料理をきれいに食べて帰って行った」(5)。

その後、うらなりは、行きつけの居酒屋の勘定場にいる娘と付き合い始めた。女は「ひと
り娘で、片足を少しひきずるようにしているのもわかった」(6)。しかし、油揚のことばを
通して、「あちらは結婚を考えてい」るようだが、うらなりの方はただ「付き合いと思っ
た」(6)とわかった。そのため、足の悪い女と会うことは二度となかった。

結局、うらなりは三十代半ばになって、遅い結婚をした。結婚相手は、うらなりが勤める
学校の校長が列車で出会った初老細士の十八才の長女である。年齢のせいで母と妻の間は円
満とは言えない。うらなりは「心は妻の側に揺れていたから、母を裏切ったような気持ちが
残った」(6)。

数年を経て、うらなりは土地の雑誌に随筆を載せたことで、ラジオ局に呼ばれた。大阪放
送局でラジオ出演をした一週間後、マドンナの手紙をもらった。彼女の名前は、遠山多恵子
である。うらなりは手紙に書いてある電話番号に電話をかけ、マドンナと話した。二人は、
神戸にある古いホテルで合うと約束した。約束した日に、二時間ほど経ってマドンナが来
た。彼女は相談したいことがあると言ったが、うらなりの反応を見てやめた。ホテルでお茶
を飲んだ後、うらなりは彼女を食事に誘ったが、断られた。

明治、大正、昭和と時代が移り、友人や知人が次ぐ次となくなっていき、うらなりの妻も
悪性インフルエンザで急逝した。

(ここでうらなりの回想が止まり、話が現在の時間に戻った。)

ホテルのメイン・ダイニング・ルームでうらなりは堀田に中学の教頭を殴った事件(卵事
件)を聞いた。堀田は、「今になってみれば、勝ったのはあいつら―校長、教頭、吉川の三
16
人です。あいつと私、あなたを加えた三人は、敗者でした」(8)と言う。卵事件の後、マド
ンナは赤シャツを袖にして、大阪へ行った。赤シャツは「冷静さを失って周囲に当り散らし
た」(8)。昔のことを聞かれて、うらなりの気持ちは複雑になった。

プラットホームで立ち話をしてから、うらなりはもう一軒行くことを誘われるが、堀田の
体力を考慮して、「結構です」と述べる。だが、堀田は「もう少し話しましょう」(8)と言
う。しかし、うらなりは、妻の死後、連日の深酒をやめられなくなって、肝硬変を悩んでい
るとは告げられなかった。

1.2.3.『うらなり』の登場人物

小林は「創作ノート」で「『坊っちゃん』のプロットを一切いじらないようにした53」と述
べている。『うらなり』の内容を見ると、『坊っちゃん』の筋だけではなく、キャラクター
の描写も変化していない。以下、『うらなり』の登場人物について考えてみたい。

①五分刈り

「五分刈り」は、東京から赴任してきた若い数学教師である。彼は、原典の主人公である
「坊っちゃん」だ。「五分刈り」というのは、古賀によって付けられたあだ名である。ここ
で注目すべき点は、原典としての『坊っちゃん』においても「オマージュ」作品としての
『うらなり』においても主人公が他のキャラクターにあだ名を付けたことである。『うらな
り』においてあだ名は、原典と同様、主に人物に対する初対面の印象に基づいて付けられて
いる。ただし、それだけにとどまらず、語り手の「うらなり」は別の理由も述べている。そ
れは「先方が私を「うらなり」と表現したのなら、「五分刈り」と呼んでもいいだろう。む
ろん、彼の表現に比べると、機知に欠けているのだが、私には当意即妙の才はない」(3)と
いうものである。これは、五分刈りの付けたあだ名「うらなり」に対する「仕返し」とも言
えるだろうか。興味深いことに、臆病で謙虚な性格を持つ古賀先生も人を「仕返し」をした
のだ。作中で「五分刈り」が登場するのは堀田との会話の場面と古賀の回想の場面に限られ
る。しかしながら、彼は二人の会話中でたびたび言及され、古賀の回想中にも頻繁に現れ
る。古賀は、五分刈りが理解できないほど自分に好意を持ったと回想する。

②古賀

古賀は、松山における中学校の英語の教師である。彼のライフストーリーは、大きく二つ
の部分に分けられる。前半部は、幼少期から延岡への転勤を余儀なくされるまでである。こ
の部分は第 2 節から第 4 節までで、内容が原典と重なっており、作者は古賀の視点で原典の
物語を再現している。後半部は、松山を去った後の古賀の人生の一部である。この部分は、

53
小林信彦、「創作ノート」181-182 ページ。
17
第 5 節から第 8 節までで、作者が新たに創作したものである。このストーリー全体を見る
と、古賀の容貌や性格が原典のロールモデルから進化したことがわかる。『坊っちゃん』で
は内気で気が弱い性格を持った人物として描かれている。語り手になった『うらなり』で
も、古賀は自分を語る際に「おそるおそる」、「臆病な私」、「自信がない」などと語って
いる。ところが、『うらなり』では古賀は臆病な性格だが、深い内省と鋭い観察力を持つ人
物としても描かれている。また、原典と大きく異なるのは、第 7 節で遠山の女との数十年後
の再会に彼女の誘いを拒絶したということである。その面では、古賀は完全に悲観的に、受
動的に運命を受け入れられたわけではないと言える。

③堀田

堀田は、原典では数学の教師である。しかし、『うらなり』では数学の教師というより
も、主人公古賀の仲間として描かれている。正義感が強く、古賀からの信頼も得ている。古
賀が謙虚すぎて、あえて声を上げられずに苦しんでいるとき、何度も古賀を助ける。しか
し、彼の強いまっすぐな個性は性格の穏やか過ぎる古賀にとって助けになると同時に、教頭
と校長に狙われる原因にもなっている。

④教頭と吉川

教頭と吉川は、原典で描写されているように悪役の代表である。教頭は、文学士で、女の
ような優しい声の持ち主でもある。彼は、中学の教師は社会の上流に位するものだから、物
質的な快楽よりも、釣りに行くとか、文学書を読むとか、高尚な精神的な娯楽を求めなくて
はいけないと言っているが、芸者と親しくして、家賃九円五十銭の堂々たる一軒家に住んで
いる。そして、古賀の婚約者を横取りにすることを目的として、校長と共謀して古賀を延岡
に追いやろうとした。

吉川は、画学教師である。教頭の腰巾着のような男である。常に「芸人のような羽織を着
て、扇子をぱちぱち鳴らしている」(2)。つまり、芸人のスタイルを持っている。五分刈りと
同じく江戸っ子だが、性格は江戸っ子の「五分刈り」と全く共通点が見つけられない。

⑤三人の校長

『うらなり』においては、三人の校長が登場する。最初の校長は、松山の中学の校長であ
る。後者の二人は、古賀が松山を離れた後に出会った校長である。第一の人は、「五分刈
り」に「狸」というあだ名を付けられた。あだ名のとおり、この校長は老獪で狡猾な性格を
持つ。古賀の母親の増給の頼みをきっかけに、古賀が地元の人かどうかを考慮せず、彼を遠
くの延岡に転任させ、反論できないように圧力をかけた。この校長は、第 2、3、4 節に登場
する。

18
第二の人は、第 6 節と第 7 節に登場する校長である。古賀が家を建てるように商工関係の
翻訳の仕事を紹介する。

第三の人は、第 7 節に登場する校長である。古賀に同人誌のようなものを手伝ってもらっ
ていて、短い連載を頼んできた。

このように、松山における狡猾な校長を除いて、古賀が後で出会った校長は彼の仕事とキ
ャリアを助けるのに役立った。

⑥女性たち

『うらなり』における女性たちは、この物語に多くの色をつける。女性たちは、原典で
は、極めて薄く描かれているか、登場しない。しかし、『うらなり』ではだれもが主人公の
古賀の人生に影響力があり、特別な役割を持っている。

マドンナ

最初の女性は、マドンナである。原典では、彼女のフルネームはよく知られない。他の人
物は、「遠山の女」や「マドンナ」と呼んでいる。『うらなり』においては、「遠山多恵
子」という名前がある。また、語り手が坊っちゃんである原典とは異なり、『うらなり』で
は、彼女がより多く登場し、他のキャラクターとのセリフも増えた。 彼女は第 2、3、5、7、
8 節に登場する。第 2 節では、彼女は古賀の子供のころからの遊び仲間として登場する。彼女
は成長して、美少女になる。二人の家族は二人が将来結婚するだろうと見る。しかし、彼女
は繁栄と富を望むので、古賀が困難な状況に陥ると、教頭と交際し始める。その後、教頭、
吉川と堀田、「五分刈り」との争いがあった後、彼女はもはや教頭との交流を辞める。そし
て、古賀と再会して数十年後、古賀と親しく話をしようとしたが、彼の冷淡な反応を見て、
やめる。古賀が言うように、彼女は敏感な女性である。

古賀の母親

『うらなり』においては、古賀の母親が彼のすべての不幸の源として描かれている。第 3
節では、父親の死後、母親が見たことがない人を信頼したため、父親の会社の株を失ってし
まう。それ以来、古賀親子は、古賀の給料でしか暮らせなくなる。これが遠山の女が古賀か
ら徐々に離れた理由でもある。また、この節において、古賀の母親が校長のもとに行き、彼
の給料を上げるように頼むということがある。それをきっかけに、校長は古賀を延岡に転任
させた。その後、古賀が結婚したとき、母親と妻の仲が円満ではないので、別棟に暮らすこ
とになる。古賀は、徐々に母親から離れていくが、母親が急性心筋梗塞でなくなった後、後
悔する。

19
油揚

油揚は、第 5、6 節に登場する古賀の媒酌人である。古賀の結婚の仲立ちを担当するが、三


回の見合いはすべて失敗した。一回目は、古賀が「生気が感じられない」という理由で断
る。二回目は、「覇気が感じられない」という理由で相手が断りを入れてきた。三回目は、
女性にこれが見合いであるのを知らせていなかった。彼女は、全ての料理をきれいに食べて
帰って行った。油揚のおかげで、古賀は女性にもてないと思った。

古賀の妻

古賀の妻は多く登場しないが、物語全体を通して古賀の心の中に姿が見え、存在感が強
い。性格は、マドンナの反対のように描かれている。古賀の言葉で言うと、穏やかな女であ
る。彼女は、象を見るのが好きなのに、家事で忙しいので、行く機会がない。また、現代の
女性とは全く違って、どこかに連れて行ってくれとか、何かを買ってくれと言ったことがな
い。妻が亡くなった後、古賀は連日の深酒をやめられなくなる。

小括

本章では、漱石と小林の経歴、『坊っちゃん』と『うらなり』のあらすじ、『うらなり』
の登場人物について述べた。二作家の経歴については、限られた範囲では本論文で詳しく説
明することはできないため、その主題と本論文の研究対象となる作品の執筆理由に焦点を当
てた。一言で言えば、『うらなり』が書かれたのは、坊っちゃんの行動がうらなりの視点か
ら見れば理解できないと感じ、その観点から『坊っちゃん』を書き直したいと、小林が考え
たためである。

『坊っちゃん』と『うらなり』は、四国にある中学校を舞台する点で共通している。しか
しながら、『うらなり』では、うらなりがこの「不浄な地を離れ」てからの新しい舞台も導
入される。そのため、以上にまとめたように、『うらなり』は『坊っちゃん』と内容が重な
っている部分もあり、『坊っちゃん』の世界から離別する部分もある。

『うらなり』に登場する人物については、新登場の女性人物を除けば、『坊っちゃん』か
ら出てきた人物のキャラクターは変わらない。新しく登場する女性たちの話に関しては、第
3章でさらに詳しく述べるが、女性たちはうらなりの人生に大きな影響を与える人物であ
り、また彼女たちの描写は、制作当時の社会の規範に深く関わっている。

なお、二作品で同じく登場する人物が描かれるが、各作品でそれぞれの人物の名前は同じ
ではない。本論文では、二作品について論じるが、次のような書き方にする。「坊っちゃ
ん」、「うらなり」、「マドンナ」をあだ名で記す。残りの人物は本名(「堀田」、「吉
川」)または肩書き(「校長」、「教頭」)で記す。

20
第2章 『うらなり』前半における『坊っちゃん』との交差

第1章で述べたように、うらなりから見ると坊っちゃん(五分刈り/男)の行動は理解で
きないので、うらなりの視点から『坊っちゃん』を書きたいというのは小林が『うらなり』
を執筆した動機であった。また、小林は、坊っちゃんはむしろ観察者プラス参加者であり、
必ずしも主人公でない54と述べている。これらの理由で、小林はうらなりを主人公にした物語
を作り出した。うらなりが語り手でありながら主人公である物語は、うらなりという人物の
人生についての話だとも言える。その話が語られている場面は、大きく分けると二つある。
一つは、うらなりが四国に居住する場面で、もう一つは、彼が四国を去った後の場面であ
る。『坊っちゃん』の内容と比べると、前半はうらなりの視点で描く『坊っちゃん』のスト
ーリーで、後半はその後のうらなりの人生となっている。

四国に住み、中学校で英語を教えていた間、うらなりの生活は、主に学校とマドンナと呼
ばれる少女を中心に回っていた。『坊っちゃん』では、婚約者を奪われただけでなく、遠く
の延岡にも転勤させられたことから、うらなりは気の毒な人物であると言う印象が強い。
『うらなり』では、自分の言葉で語るとき、彼は自身を「おそるおそる」、「臆病」などの
言葉で語る。このような性格を持つうらなりの視点から見れば、周りの出来事はどのように
描写されるのだろうか。

本章では、『うらなり』前半における『坊っちゃん』とに共通する主な事件から、この二
作品に重なる世界はいかに描かれたかを明らかにする。具体的には、原典としての『坊っち
ゃん』と対照しながら、うらなりの視点から、坊っちゃんに関する事件、マドンナ事件とう
らなりの送別会について分析を試みる。

2.1.坊っちゃんに関する事件

坊っちゃんに対するうらなりの印象を一言で表すと、「理解できない」ということであろ
う。うらなりの視点で語られる物語の中で、その「理解できない」という言い方が度々繰り
返されている。例えば、次のような記述が挙げられる。

しかも、彼は私に好意を持ってくれているらしいから、世の中、わからないものだ。
(2)
はっきりいって、男には理解できない部分があるし、私を困惑させる。(2)

54
小林信彦が『うらなり』で言及する中心的事件(例えば、マドンナ事件、うらなりの転勤、堀
田の退職など)から見れば、坊っちゃんはむしろ観察者兼参加者であり、必ずしも主人公でない
と言える。
21
腹が立った理由も早口に語ったが、息を切らせて喋るせいか、話があちこちに飛ぶせい
か、私には完全に理解できなかった。(2)

五分刈りがなぜ私に同情的なのかはいまだにわからない。(4)

堀田は先に辞表を出せといわれていたらしいから、かっとなるのもわかるが、五分刈り
がなぜやめたかは理解できない。(5)

創作ノートに書かれているように、小林は、坊っちゃんの考え方や行動を完全に理解でき
ないうらなり55というキャラクターを造形した。この「理解できない」理由を検討するには、
まず二人物の性格について考える必要がある。小林は、『うらなり』は「愛すべき初期漱石
作品へのぼくのオマージュ56」だと言い、『坊っちゃん』に描かれている人物の性格をそのま
ま使用し、『うらなり』にそのキャラクターを再生した。具体的には、坊っちゃんは、常に
自分を江戸っ子だと認識し、よく考えずにしばしば大胆な行動をしている人物だと描かれて
いる。これに対して、うらなりは、真面目な青年であり、臆病で大胆不敵な行動はできない
人物だと再生されている。前者は、相手の落ち着きのある正直な性格を称賛し、相手に好意
を持っている。後者は、自分を「居ても居なくてもいい男」(2)で、称賛されるようなもの
が何もないと思っているので、常に相手の言葉や行動を疑っている。この坊っちゃんとうら
なりの関係は矛盾に満ちた関係であると言っても過言ではないだろう。

このような矛盾は、小林によって創作された。小林は、うらなりの観点から、坊っちゃん
の行動は「理解できない」、「信じられない」と考えた上でその後の話を発展させた。発展
された話は、坊っちゃんについてうらなりの考えと感情の話である。このことから、小林は
主要なプロットとキャラクターの特徴を維持することで、漱石作品へのリスペクトを示して
いることが窺える。しかし、そのままプロットとキャラクターを維持し、原作を書き直すだ
けでは、評価されることは難しいと言える。そこで、『坊っちゃん』の世界を再現する際
に、小林は『坊っちゃん』にはなかったうらなりという人物の疑いを付け加えた。

以下では、うらなりの視点から坊っちゃんに関連する二つの主要な出来事を選択し、それ
らを『坊っちゃん』と比較しながら、その特徴を明らかにする。

2.1.1.駅で坊っちゃんとうらなりの出会い

『うらなり』では、坊っちゃんとうらなりが駅で偶然合うことが二回ある。一回目には、
二人しか登場しない。そして、二回目の出会いには、坊っちゃんとうらなりだけでなく、マ
ドンナや教頭も登場する。これに対して、『坊っちゃん』では、駅での出会いが一回しか描

55
小林信彦、「創作ノート」159 ページ。
56
同書、186 ページ。
22
かれていない。駅で電車を待つときに、うらなりは、坊っちゃん、マドンナと教頭三人と偶
然出会っている。このように、『うらなり』においては、小林はこの部分の内容を書き直
し、二部分に分けた。ここで二作品の交差を明らかにするために、二人の人物しか登場しな
い場面を分析する。

『うらなり』における一回目の遭遇では、次のような会話がある。

「あなた、治療にきているんですか」
男ははっきりとした声で言った。
「いえ、それだけでは……」
「そうですか。顔が蒼いから病気かと思った」
ずいぶんな物言いである。
「酒を飲むんじゃありませんか」
「ええ……」
「そりゃ気を付けられた方がいい。なんだか大儀そうに見えますぜ」
「いえ……」
と答えるだけで終ろうとしたが、こういう人物には説明的に話さなければと思い、
「これという特病もないのですが……」
「そりゃ結構です」
「あなたはだいぶ御丈夫のようですな」
「病気の方で逃げて行くのでしょう。それに、二十四やそこらで病気持ちってのも、冴
えない話じゃありませんか」(2)

以上の会話で、坊っちゃんが一連の軽々しい言葉を使いつつ、過度に関心を持つことは、
うらなりに不快感をもたらしている。一連の質問で、坊っちゃんはうらなりに無思慮な印象
を残す。うらなりへの「不思議な好意」、うらなりへの過度な関心、うらなりについての無
思慮な質問までは、うらなりから見て、すべて「理解できない」ものになった。この点にお
いて、『うらなり』での「理解できない」という特徴を強調している。

『坊っちゃん』における、駅での坊っちゃんとうらなりの出会いは次のとおりである。

「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」
「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫のようですな」

23
「ええ瘠せても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。(七)

以上は基本的に駅で偶然出会った二人の新しい同僚教師の間の会話である。この二つのテ
キストの会話について考えると、いくつかの類似点が見られる(下線部)。小林自身も、
『うらなり』の執筆に関して、創作ノートで、『坊っちゃん』のプロットをいじらないよう
にしたと述べている57。これは漱石への敬意からである。

では、原典の内容と重なった部分は、「オマージュ」作品でどのような役割を果たすのだ
ろうか。序論で述べたように、『うらなり』の手法は、和歌の本歌取り技法に近いと考えら
れる。このような原典と同じ内容は、先行の本歌の詩句のように、「オマージュ」を読んだ
際に原典を彷彿とさせつつ、「深みや余剰を豊かにする58」。これらの要素が「オマージュ」
に登場することは避けられないが、オマージュ(翻案)作者の意図に応じて、異なる形式で
描かれる。オマージュ作品の話は、読者が原典を知っているはずだとして、原典に依拠しな
がら展開されていることが多いが、同様の内容を詳しく繰り返さない場合もあれば、関連の
詳細を描くことで、原典における核心の事件を思い出せる場合もあり、さらに翻案の作者が
原典にあるストーリーを自己流で書く場合もある。

『うらなり』の場合、小林は原典にあるストーリーを自己流で書くことにした。「『坊っ
ちゃん』は短いから、といって油断はできない。『坊っちゃん』の細かい筋は読者が知って
いるはずだ、と考えるのはやめよう59」と小林は述べている。具体的には、各登場人物の出会
い、マドンナ事件、うらなりの送別会などの中心的事件について、原典とほぼ同じ内容は、
うらなりの視点から書かれている。ただ、バッタ事件、天ぷら、そばなどの細部は、省略さ
れる。実際、原典としての『坊っちゃん』が広く知られているところでは、「オマージュ」
作品の読者がその原典を読んだことがない可能性は低いだろう。しかし、原典の中核的な事
件を再現する必要がない、すなわち読者が漠然とこれらの詳細事件を記憶しているとすれ
ば、物語の筋が理路整然として分かりにくくなる可能性がある。

ところが、「オマージュ」作品を執筆するに際して、このすでに原典にあるプロットをど
のように書くかは問題になりうる。このような場合においては、通常二つの書き方がある。
一つは原典をそのまま使用する方法であり、もう一つは原典の内容を再設定し、原典の作者
のスタイルを模写する方法である60。小林はこの出会いを描くために後者の方法を採用して、

57
同書 181-182 ページ。
58
川名大「本歌取り/パロディー パロディーの毒をこそ」(関、前掲書、6 ページ)。
59
小林信彦、「創作ノート」183 ページ。
60
関恵実、前掲書「一次テクストにある部分から続編を始める場合」に関する次の見解を参照。
「このように、一次テクストにある部分から続編を始める場合、①一次テクストをそのまま利用
24
まずは駅での偶然の出会いを二回に分けて内容がスムーズに繋がるように加工しながら、人
物の関係や状況に合わせて新しい台詞を追加した。次に、小林は原典の作者の文体模写を利
用することによって、各人物の会話と内面の考えをその人物の性格と合うように構築しよう
とした。概して、この駅における偶然の出会いから見れば、作者は原典の主要なプロットを
維持するために取り組んでいると同時に、人物の性格をより明白に表現するために会話の内
容を加工することを工夫している。また、このような加工によって、読者はまったく新しい
視点で『坊っちゃん』を読むことができる。『うらなり』の記述を踏まえれば、真面目で臆
病な英語先生のうらなりのにやにや笑いは、必ずしも同意の表明ではなく、むしろ心からの
不快感の表現として読み取れるだろう。

2.1.2.学生の処分についての職員会議

『坊っちゃん』の主人公に関連する注目すべき出来事は、寄宿生を処分するための教師会
議である。この会議において、新しく来た教師である坊っちゃんをからかった生徒に対して
寛大に取り計らうべきだという意見を聞いた後、坊っちゃんは立ち上がって抗議した。『う
らなり』において、このプロットは、うらなりの記憶に再現されており、次のように描かれ
ている。

問題の男が立ち上がった。さっきから苛々していたから、不思議ではない。まずいこ
とを口にするといけないな、と私は思い、そう思ったことに驚いた。
反対です、と男は言った。どうも言葉が出てこないらしい。こまかいところは忘れた
が、生徒が悪いのです、あやまらせないと癖になる、いっそ退校させたら、といったこ
とを早口で述べ、「失礼な。新しくきた教師だと思って……」と詰まったように言っ
て、着席した。(略)(2)

温順で臆病な性格を持つうらなりは、処分会議の弱者である坊っちゃんに奇妙な同情を持
っており、坊っちゃんがまずいことを言わないのを密かに望んている。彼の静かな観察者の
視点は、この処分において、江戸っ子である坊っちゃんは気短でけんかっ早いだけでなく、
抑圧され、弱い立場に陥ることをより明確に読者に伝える。

また、注目すべきは、処分会議で坊っちゃんの行動を観察した時、うらなりの内面の考え
が描かれることである。『うらなり』の主人公は、世間知らず、せっかちな性格を持つ坊っ
ちゃんとは対照的に観察力のある思慮深い人物である。彼は坊っちゃんが落ち着いていない
ことを観察し、坊っちゃんが不適切なことを言ってしまうのではないかと推察し、そしてそ

する、②一次テクストの内容を自己の書く続編作品へとスムーズに繋がるように加工し、一次テ
クスト作者の文体模写を行う、という二つの方法がある。」(38 ページ)。
25
の考えに驚いた。繰り返して言えば、『うらなり』の前半は、うらなりの視点から語られた
『坊っちゃん』のストーリーである。このように、うらなり自身が観察者・語り手であり、
そしてその物語の中心になる人物でもある。そのため、ユーモラスあふれる物語である『坊
っちゃん』の筋は、うらなりの視点から見て、より深遠になったと言える。うらなりが悲劇
を演じす男なので、彼の視点は、その話の悲劇を読者により見えさせた。これは、「オマー
ジュ」作品が呼び起こし、原典よりも発展させたところである。

『坊っちゃん』における坊っちゃんの行動と台詞は、次のようである。

(略)おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案
も出来ないうちに起ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあ
とが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢な、処分は大嫌いです」とつけたら、職員が
一同笑い出した。「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくっちゃ、癖に
なります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って…
…」と云って着席した。(六)

『うらなり』の寄宿生処分会議で坊っちゃんが立ち上がって意見を述べる部分と『坊っち
ゃん』を比較すると、人物の行動や台詞にいくつの類似点が見られる(下線部)。これらの
二つの部分に対する全体的な印象は大きく異なる。上記のように、これは語り手の視点と深
く関わる。軽薄で世間知らずなキャラクターの坊っちゃんの観点からは、彼の怒気、皮肉、
そして話すのが苦手なことから来る彼の無力感が見られる。一方、恥ずかしがり屋で慎重な
キャラクターのうらなりの視点からは、主人公の代わりに、不安感や緊張感が感じられる。
この場合、坊っちゃんの発言は、滑稽ではないが、やや気の毒に思われる。これは、「うら
なりの視点から『坊っちゃん』の悲劇を証明する」という小林の意図と合致している。

このように、うらなりの視点から物語を語ることで、その「悲劇」を表現することがより
簡単になる。その理由としては、うらなりの人生において、いかなる状況でも彼が気の毒な
青年であり、いかなる時期でも深い悲しみの中にあるように見られる人物だからである。う
らなりの人生については後で検討するが、『坊っちゃん』が喜劇を演じる男の視点から語ら
れる悲劇的な物語であるとすれば、これに対して『うらなり』は悲劇を演じる男の視点から
語られる悲劇的な物語であると言えるだろう。そのため、『うらなり』という物語では、喜
劇を演じる男が登場した時でも、『坊っちゃん』ほど笑わせたり面白がらせたりすることは
ない。

26
2.2.マドンナ事件

マドンナ事件というのは、以下の一連の出来事を示す。うらなりは父親の死後、父が遺し
てくれた財産を人に騙されて減らしてしまったことで、子供の頃からの遊び仲間である婚約
者(遠山の女、マドンナとも呼ばれる)に遠ざけられるようになった。その時から、教頭も
遠山家に出入りし始めた。教頭はうらなりの許嫁のマドンナを奪うために、彼を延岡に飛ば
した。『坊っちゃん』においては、このマドンナ事件が、堀田と坊っちゃんの和解、そして
二人が教頭と吉川を待ち伏せて退治した卵事件、その後の二人の辞表提出までのすべての出
来事の要因となっている。

『うらなり』においては、小林はマドンナ事件を次のように設定する。

寄宿生の処分会議で坊っちゃんは教頭がマドンナに
1 逢っていることを言う

うらなりは幼なじみから婚約者になるマドンナとの
2 関係を回想する

3 うらなりの父親の死後、遠山家に遠ざけられ始めた

うらなりの母親が校長にうらなりの増給を頼むことが
4 延岡に飛ばされる原因になる

堀田は校長と教頭の元にうらなりの転勤を検討しに
5 行く

(駅でのうらなり、坊っちゃん、マドンナ、教頭の偶
6 然出会い)マドンナは母親がうらなりの手紙を
燃やしたと言う

図 1 マドンナ事件

上記の事件のうち、①、⑤、⑥だけが原典にあるものだ。②、③、④は、原典において明
確に説明されていなかった、うらなり・マドンナ・教頭の間の関係を明らかにするために小
林によって創作された追加のプロットである。①、⑤、⑥は未解決のパズルへ読者の好奇心
をかき立てるもので、②、③、④はそのパズルに対する小林の答えだと見なすことができ

27
る。①、⑤、⑥は、和歌の本歌のようなものであり、その原典から取り入れることで、新た
な世界が現れる。ここでは原典の世界が「オマージュ」作品の基盤になり、その世界はオマ
ージュの世界と重なりながらも、新しい世界をより深遠にする。『うらなり』を読むと、坊
っちゃんが会議で腹が立って「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」と聞いたことで教頭
が「苦しそうに下を向」いて、うらなりが「蒼い顔をますます蒼くした」ことや、坊っちゃ
んが宿のお婆さんにマドンナの話を聞かせられたこと、または、湯に行く駅で坊っちゃんが
偶然にうらなり、教頭と遠山の親子と出会ったことが思い浮かんでくるだろう。こうして、
読者の本能のような自然な連想力を喚起することで、『うらなり』で描かれるうらなり・マ
ドンナ・教頭の三角関係やマドンナの美しさなどの話が、原典の世界を髣髴とさせるのであ
る。

このマドンナ関連の事件においてプロットをどのように発展させるかが重要である。この
追加の書き込みには、次の二つの主要な機能があると考える。

第一に、マドンナ事件は、うらなりに直接関係する事件である。言い換えれば、うらなり
は、この事件の主人公である。そのため、その話を聞いただけの坊っちゃんとは異なり、う
らなりはその話に直接参加する人であり、その事件の当事者である。したがって、その物語
を明確かつ合理的に認めるためには、うらなりの語りが必要だ。当事者のうらなりの視点か
ら語られることで、原典の一見理解しがたい関係がより明らかになる。

第二に、うらなりの人生の悲劇は、これらの追加された出来事を通してより明らかにな
る。『坊っちゃん』においては、読者はうらなりが教頭に婚約者を奪われ、僻遠の地に飛ば
されたことが分かるだけである。これに対して、『うらなり』においては、作者小林はこの
人物の完全な人生を子供から大人まで描き出した。その描き出された人生では、うらなり自
身の弱く、臆病な性格が彼の悲劇の原因になるだけでなく、その苦しみの背後には彼の人生
で最も重要な女性の姿が見られる。彼の家庭が経済的困難を抱えるのを見て、彼を遠ざける
人もいれば、よく相談しないで、彼を校長と謀って延岡に飛ばした人もいる。要するに、こ
れらの追加された出来事は、〈痛快な青春小説〉だと信じられている『坊っちゃん』の深部
における悲劇である、うらなりの人生の悲劇を強調する。

このように、影響力の観点から見ると、マドンナ事件は、この「オマージュ」作品の中心
的事件と見なすことができるだろう。自分の短編小説を「愛すべき初期漱石作品へのオマー
ジュ」と呼ぶにあたり、小林自身は、もともとフランス語で敬意・尊敬を意味する「オマー
ジュ」という言葉に執着したのかもしれない。ある作品に敬意を表するときは、そのストー
リーのメインプロットを変更しないのが一般的であるため、追加される出来事が重要にな
る。なぜかというと、新しい視点で書いたとしても、原典とほぼ同様の内容を書くだけでは
読者の興味を引かないからだ。そこで、小林は極めて重要な出来事であるマドンナ事件を整
理したことで『うらなり』の独自性を強調した。
28
2.3.うらなりの送別会

『うらなり』の第 4 節全体では、うらなりの送別会の日が描かれる。送別会の日の朝に
は、最初『坊っちゃん』と同様に、坊っちゃんの下宿で堀田と坊っちゃんが話をする場面が
ある。ここで、二人は堀田の免職やマドンナ事件について話し合い、教頭と吉川への憎しみ
を表した。その後、二人は送別会が行われる場所に行った。開会後、全員が順番に立ち上が
ってうらなりへの感想を発表した。教頭の発言は次のとおりである。

(略)次の教頭までが同じような言葉を連ね、優しい声で、
「この良友を失うのは、実に、自分にとって大いなる不幸であります。」
とまで述べた。
私は人を憎んだり、恨んだりすることのすくない人間と自分を思っている。今度のこと
だって、結婚相手と思っていた女を奪われ、生れた土地を離れるという最悪の事態を招
いたからこそ、堀田に打ち明け、少々じたばたしたのだが、みっともない真似をしたと
思わぬでもない。私はもう身動きができず、黙って延岡に行く。その覚悟がわかってい
るはずなのに、教頭は〈良友〉の一語で、さらに私を打った。動けなくなった蛙の頭を
石で一撃するに等しい。それでも私はありがたそうな顔をしていなければならないの
だ。(4)

『坊っちゃん』においては、坊っちゃんは教師全員の想いを聞いた後、「うらなり君はど
こまで人が好いんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や、
教頭に恭しくお礼を云っている。それも義理一遍の挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つ
きや、あの顔つきから云うと、心から感謝しているらしい。」(九)と思う。これに対し
て、『うらなり』においては、うらなりはそのように「心から感謝している」ことはない。
語り手の言葉で、彼は自分の気持ちを表す機会がある。言い換えれば、うらなりの視点を通
して、読者は主人公のうらなりの感情をよりよく理解できる。婚約者が奪われることと、遠
くに転勤させられることより、教頭の〈良友〉の一語が彼を打った。この教頭がうらなりに
与えた苦痛を考えると、うらなりが延岡に行かなければならないことを、良い友達を失うよ
うに言ったのはからかいである。これは、おそらくうらなりにとって最も悲惨なことであ
り、最大の悲劇でもあろう。

『坊っちゃん』においては、教頭である赤シャツの発言は次のように描かれる。

(略)ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。この良友を失う
のは実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った。しかもそのいい方がいかにも、
もっともらしくって、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始め
29
て聞いたものは、誰でもきっとだまされるに極ってる。マドンナも大方この手で引掛け
たんだろう。(九)

内容に関しては、『坊っちゃん』と『うらなり』はかなり類似した部分がある(下線
部)。教頭の嘘をついた発言は聞き手であるうらなりと坊っちゃんを不快に感じさせた。し
かし、その感情には、語り手の視点に関する相違点がある。語り手が坊っちゃんの場合、教
頭のスタイルに対する皮肉と嘲笑が見られる。語り手がうらなりの場合、彼の悲惨さと無力
感が強調される。うらなりの視点は、すでに暗い物語をより悲劇的にする。小林が行ったう
らなりの視点から『坊っちゃん』のストーリを書くことは、〈ヒューモラス小説〉だと大き
く信じられた作品が悲しみが溢れるように変わるという、読者に異世界を開く実験だと言え
よう。

原典におけるうらなりの「存在」に関して、小林はうらなりがあまり出てこないことに気
づいた。彼は「創作ノート」の中で、「106 ページは、うらなりの送別会だから、物語の時間
としては、彼はもっとも長く存在する。しかし、この送別会は吉川の独擅場であり、この人
物の狂気が弾けるのが目について、中心であるはずのうらなりはほとんど出てこない。うら
なりは〈不在〉によって〈存在〉を示す人物であるのに、読者ももはや慣れてしまってい
る。61」と述べている。このように、原典においては、うらなりの送別会は彼の最後の舞台で
あり、また、その後うらなりは「納得がいかない62」ほど消えてしまう。これに対して、「オ
マージュ」作品においては、その場面は、四国の悲しい物語の終わりであり、うらなりの人
生の新たな始まりになった。ここで注意すべきは、『うらなり』を、四国から離れる前後の
二つの部分に分けると、この送別会は『うらなり』のストーリの転轍点になるということで
ある。その後のストーリは、前半とは異なり、『坊っちゃん』のストーリーから離脱し、
「かなりの作家的力量が問われる63」ことになる。この『うらなり』後半は、送別会終了時か
ら始まる『坊っちゃん』の続編とも言えよう。

小括

本章では、駅で坊っちゃんとうらなりの出会いと学生の処分についての職員会議を含む坊
っちゃんに関する事件、マドンナ事件、うらなりの送別会という四つの事件を分析したこと
で、『うらなり』前半と『坊っちゃん』との交差を考察した。これらの事件は、すべて原典
としての『坊っちゃん』に書かれた内容であるが、『うらなり』ではうらなりの新しい視点
から書き直されている。『坊っちゃん』への「オマージュ」としての『うらなり』におい
て、これらの事件は、原典に忠実に語られており、メインプロットは変更されていない。し

61
小林信彦、「創作ノート」180 ページ。
62
同書 170 ページ。
63
坪内祐三、「解説」190 ページ。
30
かしながら、坊っちゃんとはほぼ正反対の性格のうらなりというキャラクターの視点で語ら
れたため、これらの話はそもそも原典には描写されていない、または多く注目などされない
ことを喚起させる意味がある。それは苦しみ、悲劇である。うらなりの視点から作品を書く
ことによって、小林は、この物語における人物の人生の悲劇を強調するという表現の傾向を
決定したと言える。そのため、同じ物語、同じ内容であるが、『うらなり』は、『坊っちゃ
ん』ほどの笑わせたり面白がらせたりすることはない。

また、和歌の本歌(古歌)が新しい詩句に採り入れられるのと同じように、原典の内容
は、「オマージュ」で再現されている。本歌取りの技法と同様のこの技法によって、二作品
の重なっている内容は、読者に原典を想起させ、その連想力で「オマージュ」作品の深みを
増すことができるだろう。例としては、坊っちゃんが駅でうらなりに偶然出会った話を読ん
だとき、坊っちゃんが熱心に話し掛けるが、うらなりが「恐れ入った体裁」を見せたという
原典に描かれている状況が思い浮かぶし、うらなりがマドンナに遠ざけられる話を読んだと
き、原典に語られている彼女の美しさに驚いた坊っちゃんの気持ちや、うらなりに対する坊
っちゃんの哀れみなどが頭に出てくるだろう。これらは、読者の本能のような自然な連想力
によって再現された内容である。その結果、「オマージュ」作品は、原典からの「深みと余
剰64」がある。

64
川名大「本歌取り/パロディー パロディーの毒をこそ」(関、前掲書 6 ページ)。
31
第3章 『うらなり』後半における『坊っちゃん』からの離脱

四国で居住した時期とは異なり、うらなりがこの暗い地を去った後のストーリは、全て小
林の独創によって描かれる。この小説の後半は、うらなりの人生についての続編だとも言え
る。この後半でうらなりの人生についての物語には、多くの女性が登場する。四国での生活
が学校とマドンナという女を中心に回っていたとしたら、四国を去った後の人生は、新しい
女性を中心に回る。新しく登場する女性たちは、うらなりが見合いで出会った人々、彼の
妻、彼の母親である。そして四国を去った数年後には、マドンナも再びうらなりの前に異な
る姿で現れる。

本章では、まず、なぜ新しく女性たちがうらなりの人生に登場させられたのか、それはど
のような意味を持つかを明らかにする。また、最後の第 8 節で、故郷を離れて 30 年を過ごし
た後、東京で堀田と再会した際、うらなりが 30 年前の卵事件について堀田に尋ねることに注
目して、なぜうらなりは堀田にその話を聞いたのか、その事件はうらなりの人生で何を意味
するのかを検討することも本章の目的の一つである。そして、小林がこの物語をどのように
終わらせたか、『坊っちゃん』の「オマージュ」作品としてのこの結末の特徴を考えること
を目的としている。

3.1.女性たちに関する話

『うらなり』が『坊っちゃん』の世界から離脱した第 4 節から第 8 節までは、小林はしば


しば時代・政治に関連する出来事について言及している。例えば、明治天皇の死、大正天皇
の即位などのような時代の変化が描かれる。これは、原典の『坊っちゃん』とほぼ同じ内容
を描くストーリーの前半では、ほとんど言及されていない。それで、(後半のハイライトに
なる)女性たちの描写としばしば言及される時期とは何らかの関係があるか。ここでは、近
代日本、特に明治時代の母と妻に関する規範などを見た上で、うらなりの母と妻の二人の登
場人物に示されたその時代の影響について考えてみたい。それから、30 年以上後のうらなり
との再会におけるマドンナに関して、後半でよく描かれた明治日本の話には、この再会の意
味は何か、うらなり・マドンナ・教頭の複雑な関係はどのようなものかを分析してみたい。

3.1.1.うらなりの見合い

しばらくして新しい場所に到着したうらなりは、母親から見合いをすすめられた。しか
し、幼い頃からマドンナのような美人を見てきたため、なみの女は物足りないという気持ち
があった。油揚というあだ名で呼ぶ媒酌人の勧めで、三人の女と見合いした。しかし、三回
の見合いはすべて失敗した。三人の女は「生気がない」や「覇気がない」などの理由で断り
を入れてきた。三回の失敗した見合いを通して、うらなりは自分が女性にもてないと信じる
ように至った。

32
婚約者を奪われたり、出身地から遠く離れた場所に移されたりした後、うらなりはどのよ
うな人生を生きたのだろうか。堀田が望んだようにすぐに新しい場所で充実した生活を送れ
たのだろか。それとも、彼の人生の一連の悲劇は続き、しばらくの間彼を惨めにしたのだろ
うか。この物語においては、小林は新しい女性たちを登場させたことによってそのうらなり
の悲劇溢れる人生をさらに悲劇として描き続けた。

女性に魅力がないといううらなりの考えに戻るが、カフェの女給は、このうらなりの考え
はおかしいと指摘した。うらなりは、これらの言葉を忘れられないと語った。

「だいたい、『もてなかった』という人は嘘つきよ。嘘つきか、思い込みの激しい人だ
と思うわ。被害者意識が強いとかね。女に冷めたくされたとか、相手にされなかったと
いう一瞬一瞬を、後生大事に抱え込んでいて、そのことしか考えないのよ。好かれた時
も必ずあるんだけれど、その人が相手の女に興味を持たなかっただけなの。で、もてな
かったというだけで、さっぱり忘れているの。どうでもいいことは、さっさと忘れちゃ
うのよ、男は......」(6)

以上で述べたように、うらなりは見合いで合った女性たちに自分が女性にもてないと思っ
たほど苦しめられた。このカフェの女給の注意は、彼を目覚めさせた。女給が指摘した思い
込みの激しいことや被害者意識が強いことは、うらなりの人生において重要なポイントであ
る。これはまた、彼の女性についての基本的な考えを変えるための出発点であり、彼の人生
の痛みを和らげるための出発点でもある。

うらなりの人生を二つの主要な部分に分けると、四国での最初の部分は、二つの大きな失
敗を体験した。一つが女性に関連する失敗であり、もう一つが職業に関連する失敗である。
四国を去った後の人生は、彼がこれらの挫折に立ち向かい、それらを克服するための部分で
ある。三人の女性に関する失敗は、うらなりが過去の失敗に向きあい始め、自分自身を反省
し始めるところであると考えられる。うらなりがデートや見合いですぐに成功したとした
ら、それは理解できないことだ。一連の見合いでの失敗と自分への疑いのあるこの困難な期
間を経験する必要がある。この点から考えれば、『うらなり』は『坊っちゃん』におけるう
らなりの人生の円滑な継続であると言える。

前述したように、『うらなり』の後半のストーリは、うらなりの送別会の終了という時点
から始まり、『坊っちゃん』から離脱している。いわば『坊っちゃん』の続編だと言えよ
う。関恵実は『続・漱石―漱石作品のパロディと続編』で、「続編を書く場合、続編の作者は
一次テクストの続きを書くと同時に続編の作者としての主題を書くことが多い。一次テクス
トの続きを書くこと自体が主題となることもあるが、その部分のみで作品が評価されること

33
は非常に困難といえる(略)65」と述べている。つまり、作品が読者の興味を引くために、ほ
とんどの続編の作者は新しい主題を独創している。小林も例外ではない。小林は、『うらな
り』において、原典である『坊っちゃん』の主題と異なり、うらなりというキャラクターの
人生をテーマにしている。うらなりの人生の物語は彼の送別会にとどまらず、何年も後まで
続く。物語の空間は高校のある松山の土地だけでなく、延岡、姫路などの新しい空間にも広
がる。その時、うらなりは元々のうらなりではなく、故郷を離れた新しい人生を生きてい
く。

実際、新しい人物の視点から「オマージュ」作品を書くこと自体は、原典とは異なる主題
を開く可能性が高いのではないかと考えられる。『坊っちゃん』が江戸っ子である坊っちゃ
んが「四国の中学校でこそこそ悪巧みをする教頭の赤シャツ一派と戦って、爽快に敗れて帰
ってくる物語66」のに対し、『うらなり』は四国に居住する時期からこの地方を去った後の時
期までうらなりの人生の物語である。このように、『うらなり』のはじめから、原典とほぼ
同様な内容であろうとその原典の続きであろうと、原典とは異なる主題があるのが決まって
いた。これは、この「オマージュ」作品の「新しさ」を表す点でありながら、この作品が退
屈な道を進む可能性を下げるポイントでもあると言える。

3.1.2.うらなりの結婚

女性たちに関わる苦しい体験の後、うらなりは結婚できた。結婚相手は、穏やかな美人で
ある。象を見るのが好きなのに、家事で忙しいので、行く機会がない。また、モダンガール
とは全く違って、どこかに連れて行ってくれとか、何かを買ってくれと言ったこともない。
性格は、マドンナの対照的な人物のように描かれている。このような妻は、女性に関わる多
くの苦しみを経験したうらなりの理想的な妻像と見なすことができるだろう。

ところが、この結婚は、うらなりと彼の母親の関係に存在する問題を明らかにした。母親
は父親が遺してくれた財産を人に騙し取られたことに責任のある人物であり、校長にうらな
りの増給を頼むことで、うらなりを校長に謀って延岡に転勤させた人物でもあった。母親は
うらなりが四国を離れた後、また何度もうらなりの見合いをすすめたが、すべて失敗してし
まった。これらの事件から見れば、母親は伝統的な母親像だと言える。このような母親は、
うらなりの妻とは仲良くならないだろう。うらなりは義母と嫁の関係について次のように語
っている。

年齢のせいもあって頑なになった母と妻の間は必ずしも円満とは言えなかった。妻が
夜中に漏らす忍び泣きから、私は事態を祭した。自尊心の強い妻は私にすべてを語るの

65
関恵実、前掲書 47 ページ。
66
(『坊っちゃん』の普通の読み方)新潮文庫カーバーの裏表紙に印刷された解説より(石原千
秋、前掲書 171 ページ)。
34
を好まなかった。
(略)母が急性心筋梗塞で逝ったのは、その年の暮れである。私の心は妻の側に揺れて
いたから、母を裏切ったような気持が残ったが、しかし、どうしようもなかった。今と
なっては、もう少し母の面倒を見られれば、と思わぬでもないが、結局は同じことだっ
たと思う。(6)

うらなりの母親の死に対する考えは、坊っちゃんの母親の死に対する感情と同じように描
かれている(下線部)。『坊っちゃん』においては、母親が死んだときに坊っちゃんは「そ
う早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って
帰って来た。」(一)と思った。小林はこの点を、原典から「オマージュ」作品のプロット
へとスムーズに繋げている。坊っちゃんの場合は、母親の愛は主に兄を贔屓にするものであ
るのに対して、うらなりの場合、母親の愛は彼に多くの問題を招く。しかし、いずれの場合
でも、母親が亡くなったとき、息子は母親の面倒見をすればよかったのにと望むだろう。

以上に述べたとおり、ここでうらなりの母親と妻をこのような対照的なキャラクターとし
て造形することに関しては、近代日本の母と妻がどのような人物であったか、またその時代
の影響が物語に登場する二女性にどのように反映されているのか、つまり小林の設定と当時
の女性に関する規範は、どのように関連しているかは、疑問になる。以下、当時の社会が求
めていた女性像を考察した上で考えてみたい。

当時の女性に関する社会的規範について言えば、簡潔に表すと「家庭型家族」と「良妻賢
母」という二つの概念が注目に値する。牟田和恵(1992)によれば、「家庭(ホーム)型家族」
は「子供中心で優しい母親が核となる家族」であり、社会の発展の核、国家の礎であるとみ
なされ67」ていた。そして、当時の日本婦人は「政治を理解する妻と母とを、夫の良き相談相
手として、子供の良き教育者として要求し68」ていた。

このように、近代日本において、母・妻の役割は国家的観点からとらえられていた。夫と
相談しながら、子供を教育する、つまり自分の一生を子供の育てに献身するという優しい女
性の品格が賞讃されていた。当時の規範から見れば、明治時代のうらなりの母親は典型的な
母親ではなかっただろうが、大正時代の人として登場した彼の妻は「良妻賢母」であったと
いうことが判断できよう。言い換えれば、うらなりの母親は理想的母親とは言えないが、彼
の妻はその理想的な妻・母親とは言える。具体的に言うと、うらなりの母親については、自
分の人生を子供に献身するということでは、「近代的思想」として相対的に当てはまるが、
「賢母」かと言えばそうではない。うらなりの母親は相談せずに勝手に行動してしまうこと

67
牟田和恵「戦略としての女――明治・大正の「女の言説」を巡って」『日本のフェミニズム 3
性役割』(新編)、 岩波書店、2009 年、50 ページ。
68
同書、52 ページ。
35
で、間接的にうらなりをだまし、家族を困難な状況に陥らせたのである。それに対して、う
らなりの妻は、大好きな象を見に行く時間がなくなるほど家事で忙しくて、しかも義母と気
が合わないものの、文句を言ったこともないことから、近代社会が求めていた母親像・妻像
を満したと言えよう。

このように、原典の続きでうらなりの母と妻の対照的なイメージが近代日本の社会的規範
に基づき造形されていると考えられる。つまり作者は、当時の社会的規範を、物語の後半に
主人公の人生に新しく登場する女性たちに反映している。次に、うらなりの人生における特
別な役割を演ずる一人の女性マドンナについての考察を通じてマドンナという女性像と当時
の社会との関係性を検討してみる。

3.1.3.マドンナとの再会

前述のように、四国を離れた後の時期は、うらなりが女性関連の失敗をし、過去の失敗を
克服するための期間と言うことができる。理想的な妻と結婚することは、その挫折が克服で
きたことをあらわす出来事である。そして、女性に関わる心の痛みを完全に安堵するのに、
苦しみの起源であるマドンナという女に再び会うのは重要な意味がある。

四国を離れて数年後、うらなりは校長の手伝いをもらい、次第に事業で成功を収め始め
た。マドンナは、大阪ラジオでうらなりが出演したラジオ番組を聴いた。彼女はうらなりに
連絡し、神戸の古いホテルのロビーで会うと約束した。この場で、当初、彼女はうらなりの
家庭のことを尋ねたが、うらなりは答えなかった。

「うちは子供がいないのよ。おたくは?」
私は家庭の話をしたくなかった。
「相談したいことって何ですか」
私はゆっくりと言った。からかわれているように思えたからだ。恨んでいるわけではな
いが、この女のために故郷を離れることになり、それから様々なことがあった。
(略)
「相談しようと思ったけど、やめるわ。いやな話、聞きたくないでしょ?」
「あなた次第じゃないでしょうか。止めたって、喋りたいことは喋る人でしたよ、あな
たは」
「そうだったわね」
彼女は苦笑を浮べた。
「じゃ、やめよう」(7)

36
さらに 40 分間座ってお茶を飲むのは、うらなりにとって苦痛であった。ホテルを出て、マ
ドンナは食事に誘うが、うらなりは拒否した。この再会の後、「ようやく過去から自由にな
ったという実感が湧いてきた。幻想は消えていた。」(7)とうらなりは思った。

この時点で、小林は数年前の四国で起こった物語の結末を書き終えたと言える。ここで
は、うらなりは、もはや故郷から離され、婚約者を奪われた気の毒な青年ではない。過去の
気の毒な青年は、円満な家族を持ち、安定した仕事がある男になった。彼は、女性と事業に
関連する過去の二つの失敗を完全に克服したと言える。もしここで物語が止まれば、うらな
りの人生の話は、おそらく充実した人生と言うことができるだろう。

『うらなり』においては、うらなりとマドンナの話は、中心的な事件として位置付けられ
ているが、その原典においては、単なるサイドストーリーである。だが、『坊っちゃん』に
おいて、マドンナは〈謎〉としての女として描かれている。マドンナは、坊っちゃんとたま
たま出会う短期間しかに現れなかった。周りの人々は彼女の美しさに憧れており、彼女につ
いて噂を言い、彼女をマドンナと呼んだ。こうした若い美しい女がその「西洋風」のニック
ネームを与えられたということも奇妙なことだ。「狭苦しい鼻の先がつかえるような所」と
言われる松山のような田舎で、なぜ、美少女を「マドンナ」と呼んでいたのか。それは、
人々が西洋のイメージを若さと美しさに連想していたことを意味するのではないかと考えら
れる。その連想は、物語に登場する教頭も、西洋作家の名前や西洋に関連する直喩を指す言
葉を使う習慣があることにつながるだろう。西洋に由来したものが好まれることは明らかで
あり、西洋は美しく豪華なので、西洋風の特徴を追加すると、何かより意味のあるものにな
ると想像できる。『うらなり』で造形されたマドンナのキャラクターもその特徴に当てはま
ると考えられる。豪華な生活、大都市の雰囲気を望んでいるマドンナは、より煌びやかな生
活に人々の念望を表すキャラクターである。このような特徴は、近代日本の傾向であり、漱
石が批判を向ける主要な対象の一つである功利主義に属する。

うらなり・マドンナ・教頭の三角関係について論じる際、千石隆志(1988)は、マドンナ
を「ひたすら忍従を強いられていく女ではなくて、自由に活発々と己を解き放っていこうと
する新しい女」で、うらなりを「古く賀すべき伝統的土着」とした上で、マドンナ争奪戦と
は、うらなりが象徴する「伝統的土着から」赤シャツをその典型とする「ハイカラ近代の纂
奪を意味していた」という69。

第1章で述べたように、『坊っちゃん』の出来事や登場人物について、日露戦争中の日本
を表す坊っちゃん、ロシアを表す赤シャツなど、近代日本に関連する比喩的な意味を持って
いるという見解が示されてきた。それで、うらなり・マドンナ・赤シャツの三角関係は、近

69
千石隆志「作品論『坊っちゃん』」『国文学 解釈と鑑賞』昭和 63・8(松井忍「激石初期作品
におけるマドンナ」『近代文学試論』16-29 ページ、1996 年)。
37
代日本の現象の一つとしても解釈できる。抵抗できない当時の日本の「伝統的土着」(うら
なり)は赤シャツ、いわばハイカラ近代あるいは西洋の強力な略奪に敗北した。

このように、小林は功利主義に対する批判という観点においては、漱石と同じであると言
える。マドンナは煌びやかな生活を望み、婚約者の困難な家計という理由で、彼を遠ざけた
が、その後の彼の成功をみて、また連絡を取った。こうした小林の反功利主義が端的に表れ
ているのが 30 年以上後の二人の再会である。その再会では、マドンナがうらなりからの返事
すら受けず、再会は楽しくない雰囲気の中で終わった。うらなりを、強力な略奪力に抵抗で
きず、運命を受け入れて去っていく敗者である「伝統的土着」として、またマドンナを、豪
華な生活の魅力に引き込まれ、その「伝統的な価値」を裏切る人物ととらえると、何年後の
結果は「伝統的土着」は夫婦円満であり、幸せな結婚生活を送っているが、それを裏切る人
物は望むように生きていないことを表現する意味になるだろう。

小林は、日本の近代化による過渡期を経た数十年後の昭和時代に生まれた作家であり、明
治・大正期を経験していない。だが、『うらなり』では、当時の近代日本への批判が溢れた
のは、後世である小林が日本近代の絶え間ない激動を真に目撃した漱石への敬意を表し、漱
石の批判意識を継承したことを示したことだと言える。

3.2.結末について

3.2.1.卵事件

『坊っちゃん』の最後に書かれている、うらなりが四国をしばらく離れていたときに発生
する卵事件は、『うらなり』の最後にも描かれる。そこでは、堀田と坊っちゃんの二人は、
教頭と吉川を待ち伏せ、殴った。「卵事件」と言われるのは、坊っちゃんが袂の中の卵を吉
川の顔に叩きつけたためで、地方で「卵事件」と呼ばれた。『坊っちゃん』を読んだ読者に
とっては、悪役が殴られ、懲らしめられることから、堀田と坊っちゃんの方が勝者だという
認識は確かにあるであろう。しかし、30 年後の再会でうらなりと話すとき、堀田は「今にな
ってみれば、勝ったのはあいつら――校長、教頭、吉川の三人です。あいつと私、あなたを
加えた三人は、敗者でした」(8)と言う。この発言は、『うらなり』という物語の重要な思
想だと言ってもいいだろう。

作者の小林が創作ノートで述べたように、坊っちゃんの認識さえも超えた暗黒の世界が奥
深くにある。うらなりと堀田の二人は、教頭の〈強者の権利〉により、物語の中心から排除
される。簡単に言えば、赤シャツ対うらなりと堀田の対決のドラマで、うらなりと堀田は
〈挫折〉していく70。各人物の状況をより具体的に言えば、うらなりは婚約者を奪われ、故郷
を離れることを余儀なくされる。堀田と坊っちゃんは辞表を出し、四国を去った。これに対

70
小林信彦、「創作ノート」168 ページ。
38
して、教頭は権力者であるため、この対決のドラマではそれほど害はないようである。この
観点から、堀田は三人が敗者であり、教頭らが勝者であると言える。

この対決についての堀田の結論は、一般とは特に異なる見方を示唆している。その発言
は、ある意味で、うらなりの悲劇的な人生を描く『うらなり』の思想を再確認した。教頭と
吉川のような悪者を相手にしたうらなりのための最後の戦いでさえ、勝利とは言えなかった
のである。

『坊っちゃん』の読者は、堀田と坊っちゃんが一緒に教頭と吉川を殴りつけて、爽快に去
っていくことを敗北のようには考えられない。これは語り手の坊っちゃん自身に注目して物
語を辿るからではないかと考えられる。そして、『うらなり』を読むとき、坊っちゃんより
も真面目な堀田とうらなりの視点から見ると、別の見方でその話を解釈できる。ここから、
この事件またはこの物語全体における坊っちゃんの役割は何かという疑問が頭の中に出てく
る。それらの出来事が彼とは直接に関係がなく、さらに彼がそれらの事件の主人公ではない
ためである。小林が言ったように、実は坊っちゃんは「観察者プラス参加者」であり、結局
二次的な役割しか演じないのではないだろうか。近年の研究で『坊っちゃん』の物語がさま
ざまな視点から読み直された。世間知らずの江戸っ子らしい坊っちゃんの視点からではな
く、落ち着いた堀田、または運命を受け入れるうらなりの視点から見れば、物語がそのよう
に解釈されることは理解できる。

『うらなり』の最後に卵事件が描かれたことは、原典の『坊っちゃん』のことを想起させ
る。『うらなり』は、『坊っちゃん』の世界を離れたとしても、最後の事件を通じてその原
典との密接なつながりを保っている。それは、小林の『うらなり』を「漱石の愛すべき初期
作品へのオマージュ」として位置付けると考えられる。

3.2.2.終わり方

『続・漱石―漱石作品のパロディと続編』における、関恵実「終結の分類」では、終結研究
の方法として、マリアンナ・トゴヴニック『小説の終結』(1981)とジョン・ガーラック
『結末へ向けて』(1985)を挙げている。関はトゴヴニック、ガーラックが分類した結末の
あり方を次のようにまとめている71。

トーゴヴニック『小説の結末』
①環状終結……作品の末尾がその起首と呼応して、全体からみると大きく円を描いてい
る場合

71
関恵実、前掲書 24-25 ページ。
39
②平行結末……末尾の部分が書き出しだけでなく、小説の中途のあちこちの部分と呼応
している場合
③不完全結末……小説を終えるのに必要な要素が一つまたはそれ以上欠けている場合
④切線結末……小説が終わりに近づいたところへ新しい人物やテーマが出て来る場合
⑤接続結末……作品の末尾に新しい小説へ続く明らかな意思表示がある場合

ガーラック『結末へ向けて』
①問題解決……小説の中心テーマとして提起された問題が、末尾において解決される
②自然終結……死、眠り、至福感など人間活動の「自然な終わり」を画する
③対立物への到達……出発点から判然と異なった到達点へ小説が進行し、そこで終わる
④教訓の顕示……物語の末尾にエピグラム的な教訓が入れてある
⑤間隔設置……小説の末尾で、時間が未来へ飛んで「後日談」になったり、語り手が変
わったりする場合

両者の研究対象により、トーゴヴニックは弱い終結の分類、ガーラックは一般的な終結の
分類を行っているのだが、漱石『坊っちゃん』はどの分類に当てはまるのだろうか。

その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄
関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹っ
て死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っち
ゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりま
すと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。(十一)

『坊っちゃん』は、清の死を結末とするとガーラックの②自然終結だと言える。この終わ
り方は、終結感の弱いものではない。なぜかと言うと、人物の死ほど明確に終結感を表すも
のはないと考えられる。『坊っちゃん』の場合において、それは主人公の死ではなく、主人
公にとって存在感が大きい人物の死である。さらにその出来事は主人公坊っちゃんが新しい
生活を送っていきたいと思って「不浄な地を離れ」、東京へ着いた後で起こったのである。
その後まもなく発生した清の死は、坊っちゃんに大きな打撃を与えただろう。したがって、
この終わり方は、突然だが、終結感の強いだと言える。

では、原典の終わり方に対して、『うらなり』の終結をどのように捉えば良いのか。『う
らなり』の最後は、堀田がうらなりをプラットフォームまで送り、立ち話をする場面であ
る。

40
プラットフォームで少し立ち話をしてから、もう、ここらで結構です、と私は遠慮がち
に言った。楽しくはあるが、彼の体力、熱気に押し切られそうである。
「いや、もう少し話しましょう」
会津っぽはびくともしない。
私は、肝硬変を病んでいるとは告げられなかった。妻の死後、連日の深酒をやめられ
なくなっているのだった。(8)

『うらなり』の末尾の部分は、うらなりが妻の死後、連日の深酒で重病になったことを描
いている。この短い二文は亡くなった妻の姿だけが有意義であるうらなりの苦しみがあふれ
る人生を要約する。『坊っちゃん』では、彼が最後に登場したのは、故郷を離れて遠く場所
への転任を余儀なくされたところである。その後の出来事は、うらなり自身と深く関わって
いたものの、彼は完全に姿を消してしまった。この物語においては、うらなりは、小林が述
べているように、「〈不在〉によって〈存在〉を示す人物である72」。物語の中の時間とし
て、うらなりが最も長く登場するのは、彼の送別会の時である。彼は時代に押され、悪い人
物にだまされたばかりであった。これに対して、『うらなり』においては、彼は、自分の病
状を堀田に言わずに一人で苦しんでいる。これは積極的だとは言えないが、とにかく彼自身
の選択である。この点について、「オマージュ」作品には、原典の世界からの離脱を見るこ
とができる。

ところが、このような違いは主に語り手の交代によるものだと考えられる。原典において
は、坊っちゃんが語り手であって、彼が松山中学校を出て、元同僚に会う機会がなくなった
時期に物語が終わる。物語の最後は、清が亡くなり、墓は坊っちゃん家の寺へ埋められたと
ころだ。このように、坊っちゃんはこの物語において単なる観察者だと言うものの、語り手
は坊っちゃんである。この語り手の役割は、主人公(うらなり)の人生の話が明らかにされ
ていないときに物語を終わらせたのである。つまり、坊っちゃんが語り手である原典におい
ては、四国を離れた後のうらなりについては語られない。対して、「オマージュ」作品にお
いては、うらなりが語り手であり、語られる話は大まかにうらなり自身の完全な人生の物語
である。すべての空間にうらなりの姿があり、ここでは彼は自分を表現する機会がある。そ
の話の中で、うらなりは人生で困難に直面したとき、何度も酒に目を向けた。妻が亡くなっ
た後も、また「連日の深酒をやめられなくなっている」。ここで、語り手としての役割は、
うらなりに自分の感情を自然に表現させた機会を与えた。そして、結末は必然的に出てく
る。

72
小林信彦、「創作ノート」180 ページ。
41
ここで『うらなり』の結末が、『坊っちゃん』の結末を思い出させてくれることは注意に
値する。『坊っちゃん』においては、坊っちゃんが東京に帰って間もなく、清が肺炎に罹っ
て死んでしまう。『うらなり』においては、物語の冒頭と最後で妻の死が二度言及される。
一回目は、うらなりがモダンガールとは違った穏やかな性格をもつ妻を思い出す時である。
二回目は、妻の死後の連日の深酒を考える時である。いずれの作品にしても、結末で主人公
はきわめて親しい人を失って、孤独になる。この点において、『うらなり』の結末は、本編
『坊っちゃん』との関連性・連想性が高い。

では、なぜ小林は妻の死とうらなり自身の差し迫った死で『うらなり』を終わらせること
を選択したのだろうか。召使をしている清とうらなりの妻との間に何か関係性があるのだろ
うか。

前述のように、清とうらなりの妻は、主人公に無私の愛を持つ唯一の女性として描かれて
いる。清は坊っちゃんが「真っ直ぐでよいご気性」を持ち、「立派な玄関のある家をこしら
えるに相違ない」と信じている。土居健郎(1994)73や宮野光男(2001)74などにつとに指摘され
ているところだが、清の坊っちゃんへの愛は偏愛である。親の愛が少ない幼少期に、清の偏
愛は坊っちゃんにとって「つまらない」、「気の毒」なものだった。これに対して、うらな
りにとって、妻は彼に苦しみを与えない唯一の女性であった。うらなりの人生の物語に登場
する人物は、多かれ少なかれ彼に悩みを与えた。妻は自己犠牲し、家族のために生きた人物
であった。あらゆる事件において、妻はうらなりに無私の愛を捧げた。このように、主人公
にとって重要な意味のある二人の女性の死を描くことでそれぞれの主人公の悲しみで物語を
終わらせたのが二作品の共通点である。このことは、この物語の悲劇性を表現する方法だと
言えよう。繰り返して言えば、『うらなり』は小林が『坊っちゃん』が悲劇であることを証
明するものであり、その物語の中ですでに存在する悲劇が明らかになるだけでなく、新しい
悲劇も展開される。

本編と同様に、うらなりの肝硬変と妻の死で物語を終わらせることは、完結の印象のある
終わり方だと言える。小林は、『うらなり』を漱石へのオマージュと呼んでおり、漱石作品
への敬意の念をもって終わらせた。

小括

本章では、うらなりの人生に登場する女性たちに関する語、卵事件、物語の終わり方を分
析した上で、『うらなり』後半における『坊っちゃん』からの離脱を考察した。『うらな
り』後半での事件は、小林の独創によって描かれている。その独創によって、後半は前半と

73
土居健郎『漱石の心の世界―「甘え」による作品分析』弘文堂、7-19 ページ、1994 年(張、前
掲論文 68 ページ)。
74
宮野光男「『坊つちゃん』を読む―清はどこへ行ったのか」、佐藤泰正『漱石を読む』笠間書
院、34-52 ページ、2001 年(張、前掲論文 68 ページ)。
42
比べれば、時代の色が濃くなっている。以上の分析によって、女性のキャラクター造形が近
代日本、特に明治時代の妻像と母親像と密接に関連していることが明らかになった。うらな
りを悩ませた母親は、その時代の規範に合うとは言い難いものであったが、彼の理想と思わ
れる妻は、近代社会が求めていた女性像を明確に反映した。別の女性人物のマドンナも、近
代社会に生きていた人々を連想させる。この女は、豪華な生活を望み、伝統的な価値を裏切
る女として描かれている。この点においては、小林が原典作者の漱石と同様にこの時期の傾
向に属する功利主義を批判する見解が見られる。

『うらなり』の結末において、30 年前以上に起こった卵事件は、うらなりの悲劇的な人生
の再確認として繰り返された。この話はまた、爽快に勝ったように見えた戦いが実際に敗北
したということを明らかにしている。堀田、坊っちゃん、うらなりが最終的に敗者である。
これは語り手の視点が変わらないと理解することが難しいと考えられる。主人公の坊っちゃ
ん自身だけに注目し物語を辿るかぎりは、痛快な物語としてしかとらえないからである。

最後に、妻の死とうらなり自身の差し迫った死で『うらなり』の終わりが必然的に出てく
る。この結末は、坊っちゃんが爽やかで東京に戻った後間もなく可愛がってくれる唯一の清
が亡くなるという原典の結末を思い起こさせている。つまり、原典の世界を離脱した後も、
小林が『坊っちゃん』へのオマージュと呼んだ『うらなり』は、常に原典を想起し、原典に
向けて書かれた作品である。

43
結論

『うらなり』は、主人公であるうらなりによって回想される形で進行している。この物語
で語られるのは、実際にはたった二日の出来事である。初日はうらなりが堀田に会うために
東京に行く日で、次の日は二人の別れの日である。本論文では、この物語の構造をたどっ
て、『うらなり』がいかに書かれているかを考察した。以下では、序論で示した論点を改め
て整理しながら、漱石作品の「オマージュ」として『うらなり』の特徴を考えておきたい。

第一に、『うらなり』前半が、うらなりの視点で『坊っちゃん』の世界をいかに再現して
いるかについては、この前半においては、語り手の変化の効果と、二作品の交差で重なった
内容を書き直す方法を明らかにすることができた。前者については、語り手の変化によっ
て、悲劇が底に流れているという新しいニュアンスがストーリーに加えられた。具体的に
は、原典における語り手の坊っちゃんが「まじめにおかしな話をする75」ことは、この小説の
痛快さの一つと言えるが、それに対して、『うらなり』においては、語り手がうらなりに変
わると、笑わせたりする効果がなくなり、その代わりに寂寥感が目立つようになっている。
本論文では、『うらなり』前半については、坊っちゃん、マドンナ、うらなりの三人人物に
関する四つの代表的な事件を考察したが、うらなりが現れるいかなる話でも、彼の人生にお
ける恨み辛みが強く感じられる。これは、小林が『坊っちゃん』をその世界の奥に隠れてい
る悲劇の物語として捉える意図と一致している。

後者については、『うらなり』前半における『坊っちゃん』との重なった内容が、『坊っ
ちゃん』の世界を想起させ、『うらなり』の深みを増す。原典の既存の内容を書き直すこと
には、リスクとメリットの両方がある。リスクとしては、書き方が巧妙に行われなければ、
「オマージュ」作品がたんなる原典を書き直すものになり、読者に受容される可能性が低い
ということである。またメリットとしては、原典の核心の事件を語る際に、その詳細に説明
する必要がなくなり、読者が内容を把握できるということである(原典が広く知られている
『坊っちゃん』の場合は、読者が原典を読んでいない、あるいはその内容を全然知っていな
い可能性は低いだろう)。だが、『うらなり』の場合は、小林はたんなる『坊っちゃん』の
書き直しに終わるリスクを巧みに回避し、この重なった内容を通して読者の連想を呼び起こ
し、さらに物語の深みと余剰を増やしたと言える。詳しく言えば、『うらなり』において、
小林は、うらなりの視点からストーリを語り、合理的に各要素を付加および捨象し、マドン
ナ事件などのような、原典では明らかにならなかったことなどを明確にした。それと同時
に、自然に読者の本能的連想力により、この重なり合う要素はまた、作品の豊かさを呼び起
こすことができる。

75
有光隆司、前掲論文、51 ページ。
44
第二に、『うらなり』後半が『坊っちゃん』の世界からどのように離脱したのかについて
は、この後半においては、歴史的な文脈での女性たちに関する話と物語の終わらせ方を明ら
かにすることができた。女性たちに関する話については、『うらなり』後半における女性た
ちの造形は、小林の最も創作性を表すと言っても過言ではない。その理由は、原典を想起さ
せるその前半や以下に述べる結末とは異なり、女性たちに関する話はほとんど小林によって
独創されたからである。特に、『坊っちゃん』などの漱石作品は、男性によって書かれた男
性の物語と見なされることが多い。これに対して、『坊っちゃん』の「オマージュ」作品
は、女性の話に関することを語っている。『うらなり』後半に多く登場する女、母親や妻、
つまり女性像は、当時の規範に基づいて造形されたと結論付けることができた。言い換えれ
ば、小林は歴史的な文脈に配慮を加えたことで、後半の女性たちを描写した。

物語の結末については、第3章で述べたように、約 30 年後のうらなりと堀田の会話で繰り
返された卵事件と、妻の死とうらなり自身の差し迫った死を描く結末は、『坊っちゃん』の
内容を喚起させるとともに、うらなりの人生の悲劇を再強調した。一言で言えば、これは完
結の印象が強い終わり方である。また、結末のあり方を通して、原典における坊っちゃんの
真の役割についても新しく読み換えられる。具体的には、四国の舞台におけるマドンナ、堀
田、うらなり、教頭が関わる根本的な「大事件」では、坊っちゃんは中心人物ではなく、観
察者兼参加者にすぎないという読み方である。これは、坊っちゃんだけに注目し、物語を辿
るかぎりは、理解できない見方である。

第三に、小林信彦が「オマージュ」と言っているのは、具体的にどのようなことなのか。
小林の「オマージュ」作品の最大の特徴としては、原典の世界を継承し連続させることが重
視されると言える。第1章から第3章で述べたように、継承する特徴には、物語の主な出来
事、明治時代に対する漱石の思想、原典の世界を離れてもそれを思い出させる機能などが挙
げられる。これらの特徴は、「オマージュ」作品とその原典の密接な関係性を示している。

ところが、「オマージュ」というのは、創作性の要素を追加せずに同じ物語を書き直すこ
とを意味するものではない。『うらなり』後半のストーリーは、原典で書かれた内容と同じ
前半から巧みに連続しており、「オマージュ」作品の独自性を表現すると同時に、読者に原
典を思い起こさせた。小林が『うらなり』について言った「オマージュ」の意味はこのこと
である。

以上見てきたように、「オマージュ」作品の決定的な意味は、それが原典の世界をどのよ
うに継承したか、また原典の枠をどのように突破したかにある。翻案作品を研究する際に
は、その原典との関係を分析することに焦点を当てることが一般的である。それで本論文で
は、二作品の関係性を明らかにし、原典への「オマージュ」の忠実さを究明した。それだけ
でなく、「オマージュ」作品の展開する方法、二作者の思想や特定の時期における基準につ

45
いても論じた。この近代文学の代表作『坊っちゃん』を新しい現代的視点から考えたこと
で、その作品の新しい容貌を発見することができるという結論に達した。

ところが、「オマージュ」作品が原典と比較されることは避けられない。関恵実が言った
ように、「模倣のお手本となる一次テクストと模倣作品を並置することで、模倣作品の稚拙
さが強調され、一次テクストとは似ても似つかないものであると読者に判断されてしまう76」
ように、『うらなり』は、「オマージュ」の作品として、まだその原典に依存していること
が見られる。しかし、おそらくこれは、「オマージュ」作品の限界である。結局のところ、
小林が「オマージュ」と呼んだ実験で『坊っちゃん』の意義を保ちながら、粘り強くその世
界を再現したこと自体は評価に値すると言えよう。

なお、本論文では、十分に研究されていない『坊っちゃん』の「オマージュ」について考
察を行ったが、以下の課題が残っていると考えている。

第一に、本論文は『坊っちゃん』の翻案小説の一作品に範囲を絞っただけである。しか
し、『坊っちゃん』の翻案小説は、付録に『坊っちゃん』翻案作品一覧で示したように、
1986 年から現在に至るまで、次々に発表されてきた。生まれが遅いにもかかわらず、『坊っ
ちゃん』の翻案小説は比較的数量が多いジャンルである。今後、『坊っちゃん』の翻案小説
の特徴を明らかにするために、各作品を合わせてそれらの共通点と独自性を考察する必要が
ある。

第二に、本論文では、うらなりのキャラクターについて詳細に議論する機会がなかった。
第1章と第3章で述べたように、うらなりと言う人物は「特性のない男」と見なされてい
る。また、ポストモダニズム文学はそのようなキャラクターのない人物を主人公として描写
しなければならないと坪内祐三77が言ったように、筆者はうらなりのキャラクタータイプの造
形に極めて興味がある。影が薄そうに見えるうらなりの恨み辛みは、いつの時代でも繰り返
されている悲劇ではないかと考えられる。この点についても、別稿で改めて論じることとし
たい。

第三に、各人物間の関係、特に第3章における女性たちに関する話ついて考察したこと
で、家族というテーマが「オマージュ」作品としての『うらなり』の著しい課題であること
が分かった。しかし、本論文では、この課題について詳しく究明することはできなかった。
うらなりの伝統的な家庭型、この伝統的な家庭における女性たちの役割、またはこのような
家族における個人の幸福感など、『うらなり』の家族のテーマをめぐる問題を探求すること
がまだ可能であると考え、これを今後の課題としたい。

76
関恵実、前掲書、39 ページ。
77
坪内祐三、「解説」195 ページ。
46
最後、第四に、序論で翻案作品に関連する著作権の問題について少し触れたが、本論文は
『坊っちゃん』とその翻案小説の関係性を文学的観点から究明することに焦点を当てたた
め、この点については詳しく説明できなかった。ところが、現代日本においては、翻案作品
の制作活動に積極的な傾向が見られるため、『坊っちゃん』をはじめ、翻案作品に関する著
作権の問題について今後詳しく知りたい。

47
参考文献(著者名五十音順)

一次資料
1. 小林信彦『うらなり』文春文庫、2009年
2. 菊池明朗編『ちくま日本文学全集 夏目漱石』筑摩書房、2008年

二次資料
1. 天野正子、伊藤るり、井上輝子、伊藤公雄、上野千鶴子編『日本のフェミニズム 3 性役
割』(新編)、岩波書店、2009年
2. 有光隆司「「坊っちゃん」の構造--悲劇の方法について」『国語と国文学』第59巻第8
号、47-60ページ、1982年
3. 石原千秋『漱石はどう読まれてきたか』新潮選書、2010年
4. 石原千秋『反転する漱石』増補新版、青土社、2016年
5. 石原千秋編『『坊っちゃん』をどう読むか』河出書房新社、2017年
6. いとうせいこう・奥泉光『漱石漫談』河出書房新社、2017年
7. 大岡昇平『小説家夏目漱石』筑摩書房、1988年
8. 片岡豊・小森陽一編『漱石作品論集成 第二巻 坊っちゃん・草枕』桜楓社、1990年
9. 今野真二『盗作の言語学表現のオリジナリティーを考える』集英社新書、2015年
10. 島並良「二次創作と創作性」『著作権法学会』第28巻、28-36ページ、2003年
11. 『漱石作品論集成第二巻坊っちゃん・草枕』桜楓社、1990年
12. 『漱石全集』第27巻、岩波書店、1997年
13. 清水美知子「夏目漱石の小説にみる女中像:『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を中心に
して」『関西国際大学 研究紀要』第15巻、55-67ページ、2014年
14. 柴田庄一「夏目漱石と日本の近代-百年後の今日に語りかけられていること」『言語文化
論集』第30巻、第1号、37-46ページ、2008年
15. 柴田勝二「夏目漱石と近代日本」佐倉市国際文化大学第20回講座、2018年11月10日、
1-12ページ
16. 関恵実『続・漱石―漱石作品のパロディと続編』専修大学出版局、2010年
17. 張暁敏「夏目漱石の翻案映画研究―家族関係を中心に―」筑波大学博士論文、2019年
18. 名木橋忠大「本歌取り論の近代」『文学部紀要言語・文学・文化』第115号、165-182ペ
ージ、2015年
19. 前田愛『文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)』増補版、筑摩書房、1993年
20. 松井忍「激石初期作品におけるマドンナ」『近代文学試論』16-29ページ、1996年
21. 丸谷才一『星のあひびき』集英社文庫、2013年
22. 三浦雅士『漱石 母に愛されなかった子』岩波新書、2008年

48
23. 吉本隆明『夏目漱石を読む』、ちくま文庫、2009年

インターネット
1. 日本文学振興会
https://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/(2021年08月30日)
2. 著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048(2021年08月30日)

49
付録

『坊っちゃん』翻案作品一覧

表1 『坊っちゃん』の翻案映画

順 映画の名 製作年 監督 制作

1 『坊つちゃん』 1935 年 山本嘉次郎 P.C.L 映画製作所


(現在の東宝)

2 『坊っちゃん』 1953 年 丸山誠治 東京映画

3 『坊っちゃん』 1958 年 番匠義彰 松竹

4 『坊っちゃん』 1966 年 市村泰一 松竹

5 『坊っちゃん』 1977 年 前田陽一 松竹、文学座

6 『坊っちゃん』 2016 年 鈴木雅之 フジテレビジョン

表2 『坊っちゃん』の翻案テレビドラマ

順 ドラマの名 製作年 制作

1 『坊っちゃん』 1954 年 日本テレビ

2 『坊っちゃん』 1957 年 日本テレビ

3 『坊っちゃん』 1960 年 NET(現テレビ朝日)

4 『坊っちゃん』 1962 年 NHK 総合テレビ

5 『坊つちやん』 1965 年 フジテレビ

6 『坊つちやん』 1966 年 NHK

7 『坊つちやん』 1968 年 毎日放送

8 『坊つちやん』 1970 年 NET

9 『坊つちやん』 1970 年 日本テレビ

10 『新・坊っちゃん』 1975 年 NHK

11 『新 坊っちゃん』 1987 年 フジテレビ

50
12 『坊っちゃん‐人生損ばかりの 1994 年 NHK
あなたに捧ぐ-』

13 『坊っちゃんちゃん』 1996 年 TBS

14 『坊つちゃん』 2016 年 フジテレビ

15 『‟くたばれ”坊っちゃん』 2016 年 NHK BS プレミアム

表3 『坊っちゃん』の翻案アニメ

順 アニメの名 製作年 制作

1 『坊っちゃん』 1980 年 フジテレビ

2 『坊っちゃん』 1986 年 日本テレビ

表4 『坊っちゃん』の翻案舞台・ミュージカル

順 作品 製作年

1 夏休み特別企画「坊っちゃん」 1987 年

2 アイ・ラブ・坊っちゃん 1992 年

3 『赤シャツ』 2001 年

4 ミュージカル『坊っちゃん!』 2006 年

5 明治芸能祭『坊っちゃん』 2018 年

51
表5 『坊っちゃん』の翻案マンガ

順 マンガの名 製作年 作画

1 『坊ちやん繪物語』 1917 年 岡本一平

2 『漫画坊つちやん』 1918 年 近藤浩一路

3 『坊っちゃん』 1964 年 水島新司

4 『坊っちゃん』 1980 年 モンキー・パンチ

5 『BOCCHAN 坊っちゃん』 2007 年 江川達也

6 『坊っちゃん♥』 2016 年 大和田秀樹

表6 『坊っちゃん』の翻案小説

順 小説名 発表年 作者

1 『その後の坊っちゃん』 1986 年 羽里昌

2 『たけしの新・坊っちゃん』 1986 年 ビートたけし

3 『宇宙の坊っちゃん』 1986 年 かんべむさし

4 『牢屋の坊っちゃん』 1997 年 山田風太郎

5 『坊っちゃん殺人事件』 2003 年 内田康夫

6 『謎とき・坊っちゃん 夏目漱石が 2004 年 石原豪人


本当に伝えたかったこと』

7 『坊ちゃん忍者幕末見聞録』 2004 年 奥泉光

8 『うらなり』 2006 年 小林信彦

9 『鹿男あをによし』 2007 年 万城目学

10 『贋作『坊っちゃん』殺人事件』 2010 年 柳広司

52
謝辞

本論文は、日越大学日本研究プログラム修士論文として提出したものである。本論文の作
成にあたっては、多くの方々のご指導・ご支援をいただきました。

Vo Minh Vu 先生の終始熱心なご指導に感謝いたします。Vu 先生には、論文テーマの設定、


文章の書き方などを研究の初歩から論文作成までの長きにわたって温かく見守ってください
ました。限られた参考資料で研究をしていたベトナムでは、Vu 先生には多くの研究書をご紹
介・ご注文をしてくださいました。先生のご支援がなければ、本論文を完成させることがで
きなかったと思っております。先生のご指導・ご支援に言葉では言い切れないほど感謝の意
を表したいです。

齋藤希史先生の優しくわかりやすいご指導に感謝いたします。齋藤先生には、文学的なテ
キストの考察方法、参考文献の提示など、細部にわたるご指導をいただきました。論文の方
向性に戸惑った際には、先生のご助言のおかげで、研究を続けて完成させることができまし
た。先生の穏やかな励ましの言葉は、自信のない私をやる気にさせました。心よりありがた
くお礼申し上げます。

岩月先生に、適切な論文の作成方法を学び、研究者としての真摯な態度を理解することが
できました。また、合同で開かれたゼミナールにおいて、Hai Linh 先生、Phuong Thuy 先
生、Thu Giang 先生、伊藤先生、清水先生に大変貴重なご意見をいただきました。厳しく暖か
くご指導をしてくださった先生方に深くお礼申し上げます。

適切なご助言を賜り、また丁寧にご指導してくださったチューターの飛田さんには、論文
の原稿を校閲するでけでなく、論文を書くための色々な研究資料をご紹介してくださいまし
た。飛田さんの親切なご指導に厚くお礼を申し上げます。

ゼンショープログラムのご支援で、この 2 年間、経済的な心配なく、勉強に専念すること
ができました。直接相談したことなく、会ったこともありませんが、毎月の手続きを行って
いただいた先生方がいらっしゃると思います。先生方に心から感謝申し上げます。

最後に、常に私を応援してくださった家族や友人に感謝いたします。また、本論文を完成
するにあたっては、ここにすべてのお名前を記すことができない数多くのご支援をしてくだ
さった方々にお礼を申し上げます。

53

You might also like