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織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチートだったの

で、王国を作ることにしました

森田季節

タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト

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︻小説タイトル︼
 織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチートだったので、王国
を作ることにしました

1
︻Nコード︼
 N8486DN
︻作者名︼
 森田季節
︻あらすじ︼
 ※2017年11月15日GAノベルから書籍版2巻が発売にな
ります! よろしくお願いいたします!

少年アルスロッドは、﹁職業﹂を神殿から授けられる日を心待ちに
していた。
この世界では大人の仲間入りをする日に剣士や魔法使いといった﹁
職業﹂を与えられる。その中でも、最強と言われているのが魔法剣
士だ。
少年は弱小領主の次男坊で、しかも領主の座を継いだ兄には最前線
に出され、いつ戦場で命を落としてもおかしくない立場にいた。魔
法剣士になれば、この現状を変えることができるかもしれない。か
つての英雄もみんな魔法剣士だった。
だが、少年に与えられたのは、魔法剣士でもなければ戦士のような
ありふれた職業でもなかった。織田信長という神殿の人間すら了解
しない謎の職業だった。
しかし、この職業、なんと戦闘はトップレベル、小都市を大商業都
市にしたりする内政力や、軍隊統率力なども高いという自分が国を
作って覇王になるためにあるようなものだったのだ!

2
少年は、やがて自分が兄を倒して領主の地位につくこと、さらには
王になって国を作ることを決意する。それこそが自分の大切な人や
民を守る近道だと悟ったのだ。
1 魔法剣士を求めて︵前書き︶
新連載はじめました! よろしくお願いします!
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1 魔法剣士を求めて
 領主階級に産まれたけど、それで恵まれていると思ったことはな
かった。
 理由は自分が領主の次男に産まれたからだ。
 すでに十歳上の兄が領地の継承権は持っていたし、自分はさらに
妾腹の子だった。その母親は俺が三歳の時に妹を産んだ時の予後が
悪くて死んでしまったし、領主の父親も自分が十歳の時に病死した。
 おかげで俺は腹違いの兄に徹底して迫害されて、この数年間を生
きてきた。
 向こうは正統な領主で、俺は家臣の一人として扱われた。小さな
村の半分を与えられただけで、そのうえ近隣の領主との戦争になれ
ば、まだ大人の仲間入りを果たしてもいないのに、そこに駆り出さ

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れた。
 でも、そんな不遇の日々も今日で終わる。
﹁アルスロッド様、やけに機嫌がいいですね﹂
 俺に服を着せてくれているお付きのラヴィアラに言われた。正装
は自分一人だけでは着ることができないのだ。背中側にいくつもボ
タンがある。
﹁そっか、ラヴィアラにもわかるんだな﹂
﹁当然ですよ。このラヴィアラ、十七年近く、アルスロッド様のそ
ばで仕えていたんですから!﹂
 ラヴィアラは数少ない俺の家臣、というか幼馴染みたいなものだ
った。
 エルフの血が入っている娘で、そのせいで耳がとがってて、きれ
いな金髪をしている。
めのとご
 乳母子といって、俺に乳をあげて養育してくれた女性︱︱つまり
乳母の娘に当たる。歳も一緒なのでほとんど家族みたいなものだっ
た。
 逆に言えば、ラヴィアラが乳母子であること自体が俺の身分の弱
さをさらけ出してるんだけど。
 この土地でエルフの身分はあまり高くない。正室の子である兄と
の差をつけるためにエルフの血を引く人間を乳母にされたのだ。も
ちろん、そんなことでラヴィアラを避けるようなことはしないが。
﹁今日、やっと俺は大人の仲間入りを果たせる。そして、職業を授
けてもらえる﹂

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 この国では長じて大人になると、職業をもらうことになっている。
 神官は神の声を聞いて、その人間の適性を知ることができるのだ。
 といっても、その職業で一生働いて、食っていけるというわけで
はない。たいていの場合、その適性は一般人よりちょっと優れてい
るといった程度のものでしかないのだ。
 つまり、農民の息子が﹁お前は戦士の職業である﹂と言われても、
少し腕っ節が強いだけで、それで戦士となって生きていくことはほ
ぼ無理というわけだ。一応、職業によって能力のボーナスがつくこ
とがあるので、戦争に徴発された時には役立つかもしれないが。
 領主の場合も、戦士に向いてると言われたから領主をやめて戦士
になるということはまずありえなくて、戦闘で活躍する領主を目指
すだけだろう。こういったところから、神殿で授けられる職業は﹁
適性職業﹂といって、実際の仕事とは別に呼ばれることも多い。
 しかし、稀に人生を左右するような非常に強力な職業がある。
 その一つが、魔法剣士だ。
 魔法と剣術、その両方に秀でた、いわば英雄のためにあるような
職業で、実際、過去に王朝を建てた者はみんな魔法剣士の職業を持
っていたという。
 魔法剣士になっておおいに活躍すれば、俺をいじめる兄もこっち
を認めざるをえなくなるだろうし、武名が広がれば今は傾いている
とはいえ、中央の王家から直々に仕えるように命令が下るかもしれ
ない。
 ほとんど何の権利も与えられず、生きるか死ぬかの戦争ばかりや

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らされる小領主の次男坊という立場から抜け出せるかもしれないの
だ。
 それ以外にも賢者とか、僧侶とかいった職業でも勉強のために王
都に出ると言って、今の土地を離れるチャンスはある。優秀な賢者
や僧侶になれば、魔法を使って活躍できるので、兄も認める可能性
はそれなりにある。
 だから、俺が浮かれているのは当然なのだ。
﹁必ず魔法剣士になってやる﹂
 そのために、これまで魔法に関する書物を読み、剣のほうもそれ
なりに鍛えてきた。自分から魔法剣士に近づくためだ。
﹁ラヴィアラとしては、賢者になって研究機関に入ってほしいです
が。今のサーウィル王国は﹃百年内乱﹄の途中ですから⋮⋮。はい、
服の着付けは終わりましたよ!﹂
 ラヴィアラが元気な笑顔で俺の正面のほうにやってきた。
﹁戦わずにすめばいいんだけど、戦わないと周辺の領主に滅ぼされ
るしな﹂
 三百年続いたサーウィル王国は王家の力が弱まり、各地の領主が
互いに土地を奪い合う内戦状態に陥っていた。俗に﹃百年内乱﹄と
呼ばれている。やたらと戦争に出ないといけないのもそのせいだ。
﹁戦うにしろ、平和を望むにしろ、力があって困ることはないだろ﹂
﹁はい、アルスロッド様が聡明なのはよく存じあげておりますから
⋮⋮。どうか、アルスロッド様の未来に栄光が待っていますように﹂
 手を組んで祈ってくれるラヴィアラの頭を俺はそっと撫でた。

7
 そして、俺はラヴィアラとともに領内にある神殿に向かった。
﹁子爵の弟君アルスロッド様ですな、さあさあ、こちらへ﹂
 領内の神殿に対する資金援助は領主の仕事だから、神官の俺への
扱いも悪くはなかった。
 老齢の神官に神像の前に連れていかれる。
こうべ
﹁そこで頭を垂れていただきとうございます。そして、わたくしが
神からアルスロッド様にあったご職業をお伝えいたします。目を開
けてよいと言うまでは、じっと瞑目しておいてくださいませ﹂
﹁うん、よろしく頼む﹂
 離れたところから見守っているラヴィアラの視線を感じた。
 さあ、頼むぞ、魔法剣士と言ってくれ!
1 魔法剣士を求めて︵後書き︶
2話目は早目にアップします! 今日のうちに3話目までアップす
る予定です。
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2 聞いたことのない職業
 さあ、頼むぞ、魔法剣士と言ってくれ!
 これで、俺の人生が決まる!
 神官も神の声を聞いているのだろうか。長い、長い沈黙があった。
こういう無言の時間は長く感じるものだろうけど⋮⋮⋮⋮。
 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
 それにしてもやけに長くないか?
﹁な、何でしょうか、これは⋮⋮? 神よ⋮⋮?﹂

9
 老齢の神官が妙なことを口走った。
 もしかして、そんなとんでもない職業が神託として降りたのか?
 滅多にないことだが、大魔法使いや大賢者のような、その職業の
上位交換バージョンみたいな職業を言い渡されることもある。そう
なると、関係する能力の成長が大幅に上昇して、立身出世の可能性
も必然的に高くなる。悪いことじゃない。
﹁間違いないということですな⋮⋮。神を疑うようなマネをしたこ
と、お許しくださいませ⋮⋮﹂
 やはり神官は信じられないと驚いていたのだ。
 よし、俺の未来がここから開ける!
﹁目を開けてくださいませ﹂
 俺は目を開いて、神官のほうを向いた。
﹁俺の職業は何でしょうか?﹂
﹁アルスロッド様のご職業は︱︱︱︱オダノブナガでございます﹂
﹁オダノブナガ?﹂
 一度も聞いたことのない職業名だった。というか、何をする職業
なのか見当もつかない。
﹁すいません、そのオダノブナガというのは、どういった職業なの
でしょう⋮⋮?﹂
﹁そこまでは神も教えてくださいませんでした⋮⋮。ですが、間違
いなく職業は織田信長であると⋮⋮﹂

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﹁そんなバカな! 何をするかわからない職業が向いていると言わ
れても目指しようがないじゃないですか!﹂
 俺はうろたえた。この日をずっと待ちわびていたのに⋮⋮。魔法
剣士を目指して、努力もしていたのに、オダノブナガだなんて⋮⋮。
﹁これは何かの間違いです! もう一度俺の職業を神に尋ねてくだ
さい!﹂
﹁神を疑うことはできません。とはいえ、わたくしも不安になって、
神に聞いたことのない職業ですが合っていますかと確認をいたしま
した⋮⋮。問題はないということでした。変更することはまかりな
りません﹂
 そんな⋮⋮。
 俺はオダノブナガという職業を背負って生きていかないといけな
いのか。
 そもそも何語なんだよ⋮⋮。意味がまったくわからん。﹁干物の
商人﹂みたいな意味で、﹁オダのブナガ﹂ということなのか? オ
ダもブナガもわからんから、結局手がかりにもならない。
﹁と、とにかく⋮⋮アルスロッド様にはオダノブナガという職業の
加護が与えられます。その加護に沿った生き方をすれば安寧と発展
が約束されましょう﹂
 テキトーなこと言いやがって⋮⋮。オダノブナガに沿った生き方
って何なんだよ⋮⋮。言葉の意味もわからないんじゃ、沿いようが
ないだろ⋮⋮。
﹁まさかと思いますが、兄上にイヤガラセをするよう、言われただ
なんてことはないですよね?﹂
 俺の兄はこの土地の領主だ。神官といえども、その兄には逆らえ

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ない。祭礼にかかる多額の金など、領主が援助しないと立ち行かな
いからだ。完全に領主と癒着している神殿も珍しくない。
﹁それだけはありえません! わたくしは神の言葉を正しくお伝え
しただけのことでございます﹂
 ウソを言っているわけではないようだ。だからといって、オダノ
ブナガが何かさっぱりわからないけど。
 よほど意気消沈していたのか、ラヴィアラのところに行くと開口
一番、﹁元気を出してください﹂と言われた。
﹁元気なんて出るわけないだろ⋮⋮。俺の適性職業はオダノブナガ
だぞ⋮⋮﹂
 そしたら、ラヴィアラにぎゅっと抱きつかれた。
﹁ラ、ラヴィアラ⋮⋮?﹂
﹁こ、こうしたら、元気出ますか⋮⋮? ほら、人って抱きつかれ
るとちょっと安心するって言いますし⋮⋮﹂
 ラヴィアラも俺のことをかなり心配してくれてるのは、よくわか
った。
﹁つらかったですよね⋮⋮。せっかく、この日のために努力してき
たのに⋮⋮﹂
﹁ありがとう、ラヴィアラ。気持ちもまぎれたよ﹂
 悔やんでも何も結果は好転しない。せめて前向きにならないと。
﹁職業を知って、俺も大人になったんだ。子供みたいにうじうじし
ていられない。今から切り替える﹂
﹁アルスロッド様、ご立派です﹂
﹁それに、オダノブナガが恐ろしくチートな職業かもしれないから
な﹂

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 兄が治めるネイヴル城に行って報告したら、げらげら笑われた。
﹁はっはっは! まさかそんな謎の職業になるとはな! せっかく
魔法剣士を目指していたらしいのに、残念だったな!﹂
 ムカつくけど、﹁オダノブナガだってすごい職業だぞ﹂とか言え
ないのが、つらいところだ。
﹁この私が職業を言い渡された時は戦士だった。ごく普通の職業だ
と思ったが、オダノブナガよりはマシだったな。神に感謝せねばな
らぬ﹂
 とりまき連中もくすくす笑っている。
 呑気なものだ。どうせ、ネイヴル領は小さな勢力にすぎない。西
部のミネリア領とまともに戦えば滅ぼされる恐れだってある。とい
うか、実際にそれなりにピンチなのだ。
 領主階級に産まれてうれしいと思ったことがない理由の一つはそ
れだ。
 大領主ならともかく、中小の領主は政治判断を一度でも間違える
と、殺されてもおかしくなかった。それなら、そういった恐怖から
無縁の農民でもやったほうがよかったかもと思うこともあった。
﹁そういえば、戦士として戦場に出た初陣で、兄上は大敗されたの
でしたっけ﹂
 兄の顔が赤くなった。わかりやすい奴だ。
 この兄は決して戦争は強くない。むしろ、戦士なくせにまともに
敵を倒した経験もないはずだ。
﹁た、他人のことをとやかく言うな!﹂

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 鏡を見て、そのセリフを言ってくれ。大人げないから、父親の代
から仕えている家臣の中には、顔をしかめている者もいた。無能だ
とわかってるんだろうな。
 職業はその実力が高くなるにつれて成長ボーナスがあるが、戦士
の場合は自動的に攻撃力と防御力がその時のものに二割増しになる。
 戦士と認められた人間は、一対一なら職業が戦士でない一般人と
戦って負けることはほぼないのだが、ガイゼルはよほど剣技の鍛錬
などをサボってきたんだろう。
﹁しかし、アルスロッドよ、お前も大人になったことは確かなのだ。
それ自体はめでたいことだな﹂
﹁ありがとうございます、兄上﹂
 やっと兄らしいことを言ってきたな。
 しかし、そこでまた兄はいやらしく笑った。
﹁そこでだ。早速、ミネリアの連中が攻めてきている城の大将とし
て、出向いていってもらいたい。小さな砦だが、我が所領を守る重
要拠点だ。死守するように﹂
﹁ナグラード砦のことですか?﹂
 あそこはまさしく最前線だ。下手をすれば戦死する。
﹁そういうことだ。士気を高めるためにも、領主の弟であるお前が
行くのは理にかなっている。ミネリアの連中を追い払え。おめおめ
逃げ帰って、砦を奪われるようなことがあったなら、大将としての
責任を取らせるからな。それが職業を言い渡された大人というもの
だ﹂
 つまり、逃げ帰っても処刑されるということだ。

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 砦にいてもいずれ戦死する。
 逃げても処刑される。
 いきなり絶望的な状況に俺は立たされた。
﹁返事をしろ。お前は私の家臣に過ぎぬのだぞ。領主の弟だからこ
そ、やらねばならぬことがあるのだ。父上より受け継いだネイヴル
領を守るために、命を懸けて戦ってこい﹂
 たしかにネイヴル領を守ることが俺の役目ではある。
 領主は領民と領地を命懸けで守らねばならない。それが領主の仕
事というものだ。
 やってやる。そして、生き残ってやる。
﹁わかりました。すぐにナグラード砦に参ります!﹂
2 聞いたことのない職業︵後書き︶
本日11時頃にもう一度更新予定です!
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3 砦の陥落危機と特殊能力
 自分の屋敷に帰ったら、すぐにラヴィアラが兄の仕打ちにキレた。
﹁あまりにもひどすぎます! ナグラード砦に行ってこいだなんて
! 最初からアルスロッド様を殺すのが目的みたいなものじゃない
ですか!﹂
﹁しょうがないさ。砦を守らないとまずいのは事実だし、それなら
領主に近い者が行くほうが士気が高くなるのは事実だ﹂
﹁それなら、領主様本人が行けばいいんです! そこに行かないの
は戦争が怖いからなだけじゃないですか! どうせ砦が落ちたらネ
イヴル領も危険にさらされるんですよ!﹂
 それは、まあ、そのとおりなんだよな。

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 バカな兄に余計なことを言って怒らせてしまった。本当にバカだ
から、ついやり返してしまった。
﹁あの、いっそ、敵であるミネリア領に内通いたしませんか?﹂
 ラヴィアラの瞳は真剣だった。真剣だけど、危なっかしい話題だ。
﹁お前な⋮⋮。もし、ここに兄の間諜でもいたら、どうするんだよ
!﹂
﹁領主は家臣に恩情をかけるからこそ、家臣に慕われるものです。
その恩情がなく、卑劣な仕打ちをするだけなら、家臣にも見放す権
利があります。それに﹃百年内乱﹄の時代において、裏切りなど珍
しいことではないはずです!﹂
 ラヴィアラはどうにか俺を生かそうと必死になっているんだ。そ
れぐらい、ナグラード砦の防衛戦は激しい戦いだ。川のすぐそばの
段丘に立っているから攻め込まれづらいとはいえ、度重なる攻撃を
受けて、いつ失陥してもおかしくない。
﹁アルスロッド様、こんなところで死んだら何にもなりません! 
それに敵のミネリア領側もネイヴル領の領主の弟が裏切ったとなれ
ば、それを旗印に使えると考えるはずです! ミネリアの家臣とい
う立場で、このネイヴル領を治めることすら夢ではありません!﹂
 ラヴィアラの言葉に俺の心もちょっと揺れそうになった。
 たしかに上手く立ち回れば、自分の地位をかえって高めることす
らできるかもしれない。
 だが、そこによろよろと妹のアルティアが入ってきた。
﹁お兄様、お帰りなさい⋮⋮﹂
 俺にあいさつするなり、アルティアはせき込んだ。昔から病弱な

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のだ。
﹁アルティア、しんどいなら無理して出てくるな﹂
﹁でも、砦に行くという声が聞こえたもの⋮⋮。そしたら、当分の
間、会えない⋮⋮﹂
 俺はため息をついた。
﹁ラヴィアラ、やっぱり裏切る作戦はナシだ。アルティアを連れて
いけない。もし裏切ったらアルティアは︱︱﹂
﹁そうですね⋮⋮。見せしめにアルティア様のお命が⋮⋮﹂
 おそらく最初から兄のガイゼルは俺が裏切れないことぐらいわか
っていたのだ。
 アルティアを危険にさらすことなど俺にはできない。
 かといって、病弱なアルティアを不衛生な砦に連れていくなんて、
火のついた屋敷に押し込めるのと大差ないだろう。だいたい、どう
して病弱な妹を連れていったのかと糾弾されたら、弁明のしようが
ない。
 砦に兄の息がかかった人間が皆無と考えるほうがおかしいし、怪
しい動きをしてもすぐに報告されてしまうだろう。
﹁やはり、俺が行くしかない。俺が行って勝てばいいんだ﹂
﹁ですが、砦に詰めているのはせいぜい二百五十人です⋮⋮。敵の
兵力はおそらく二千ほど⋮⋮。百人ぐらいはアルスロッド様も連れ
ていけるでしょうが、どちらにしろ心もとない数です⋮⋮﹂
 だいたい攻める側は籠城側の三倍の兵力が必要だと言う。
 逆に言えば、二千の敵を防ぐには七百ほどの兵はほしい。かとい
って、兵士が倍も詰めれば疫病が発生する恐れも高くなるし、兵糧
も多くいる。少数精鋭で防げるならそのほうがいいという言い方も

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できる。
 問題は少数で守っていると常に余裕がないということだ。
 極度の緊張感で長く戦争を続けることはほぼ不可能だ。どこかで
気がゆるんだところを落とされかねない。少なくとも敵を押し返す
ようなことは絶対にできない。
﹁心もとなくてもやるしかない。それが俺の仕事なんだ﹂
 どうか、オダノブナガがすごい職業でありますように⋮⋮。

 俺とラヴィアラを先頭に、百二十人の兵士がナグラード砦を目指
した。
 ミネリア領との境界である川のこちら側の岸にある砦だ。
 たしかに俺の着任とともに戦意は一時的に上がった。兵士たちは
自分たちが見捨てられてないと認識したらしい。
 自分たちが捨て石だと思った途端、兵士は逃げ出したり、裏切っ
たりするから、その点は大事だ。誰だって喜んで死んだりはしない。
 けど、敵の攻撃は散発的に続いていて、予断はまったく許さなか
った。それどころか、そろそろ敵が総攻撃を仕掛けてくるという話
すら出ていた。
 これまで砦を押さえていた城将シヴィークと秘密裏に話をした。
﹁実は、砦への登攀路を確実に敵の工作兵に作られていまして⋮⋮
いずれ、連中が一気に攻め入ってくるかと思われます⋮⋮。それが
いつかはわかりませんが﹂
﹁そんなことになったら、この砦は持つと思うか?﹂

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﹁砦自体は頑強です。だからこそ、ここまでもっています。ですが、
かなり兵士は疲れきっております。一度門を突破されると⋮⋮﹂
 状況は思っていた以上に悪い。
 むしろ、だから俺が入ったってことだろう。俺が来たせいで、砦
が延命すればそれはそれでいいし、俺が死んでも兄は個人的にうれ
しいんだろう。くそ、兄のガイゼルにはいつか復讐してやる!
 しかし、その前に俺が生き残らないといけなくなった。
 まさに俺が城将シヴィークと話をしていた日の夜のこと。
﹁敵が攻めてきたぞ!﹂
 そんな声が飛んできて、跳ね起きた。
 やはり、敵は一気にこちらの砦を落とすつもりか!
 だが、そこで絶対にありえてはならないことが起こった。
﹁門が開いているぞ!﹂﹁かんぬきはどこだ!﹂﹁門のつけ金まで
外されている!﹂
 門が使い物にならなくなっていた。
 こちらの門が開いたということは、敵に寝返っていた兵士がいた
ということだ。
 こちらは数では負けている。門の中まで入り込まれたら、終わり
だ!
﹁ラヴィアラ、絶対に俺から離れるな! まずは状況を把握するか
らな!﹂
﹁はい! エルフの母から教わった回復魔法を使いますから、アル
スロッド様もラヴィアラから離れないでくださいね!﹂

20
 ラヴィアラは俺より少しだけ早く生まれているから、年齢的には
もう職業を手にしてもいい歳だが、まだ神殿に行っていない。主君
である俺より先に大人となるのを気をつかったのだろう。年齢的に
結婚してもいいのに、まだなのもおそらくそのせいだ。
 とはいえ、職業を持っていないとしても、すでにラヴィアラは十
分な力を持っていた。個人的に魔法を習得していたのだ。エルフは
魔法に秀でいている者の割合が高いので、おそらくそのせいだろう。
弓矢の腕もかなりのものだ。
 すでに砦の敷地内にかなりの敵兵が入ってきていた。鎧に書いて
ある紋章がモロに隣のミネリア領のものだった。
﹁一度、敵が入ってきているってことは、おそらく総攻撃だろう。
夜襲の意味もあるから全員じゃないとしても五百人は攻めてきてる
恐れはある﹂
﹁五百人! そんなの勝てませんよ!﹂
 中には攻撃魔法を使えるのか、かまいたちで敵兵の体に切り傷を
つけている者もいたが、多勢に無勢だった。夜に攻められたという
こともあって、ただでさえ、こちらの兵士は動きが遅い。
 もし、ここに魔法剣士でもいれば一人で敵を次々に倒して、事態
を打開できるかもしれないが、そういうのは軍記物の世界の話だ。
 常識的に考えれば、このまま城は落ちる。
 城将シヴィークが俺のところにまでやってきた。すでに革の鎧に
弓矢が刺さっている。

21
﹁残念ですが、もはやこれまででございます。全員で討ち死にする
しか⋮⋮﹂
 たしかにもう撤退も間に合わないか。
 あまりにもあっけない人生だった。それこそ大人になったばかり
なのに、まだ一か月も経ってないぞ。
 あっけなさすぎて、悲しみすら起こらない。だから、弱小領主の
次男坊なんて嫌だったんだよ。
 なんとか、ラヴィアラだけでも逃がしてやりたいけどな。
﹁ラヴィアラ、お前は逃げろ。お前ひとりぐらいなら、なんとかな
る。男の兵士には絶対に捕まるなよ。お前、すごくかわいいから﹂
﹁こんな時にかわいいと言うのやめてくださいよ⋮⋮﹂
 ラヴィアラは泣いていたが、それでもまだ諦めていなかった。
﹁ラヴィアラは戦いますからね。それがアルスロッド様に仕えてき
たラヴィアラの仕事です!﹂
﹁じゃあ、お前を助けるにはどうしたらいいんだよ?﹂
﹁敵を全部追い払ってください﹂
 いたずらっぽくラヴィアラは言った。
 そんなことできるわけない。冗談みたいなものだ。
 けど、その時。
 なぜか根拠のよくわからない自信みたいなものが湧いてきた。
 ︱︱これぐらい、乗り越えられる。なにせ、お前は覇王になる可
能性を秘めた職業を手にしているのだからな。
 内なる声とでも言うようなものを聞いた気がした。
 まさか、オダノブナガという職業は⋮⋮そんなとんでもないもの
なのか?

22
 俺は剣を抜いた。
 重い鎧を着こんでいる暇はないが、その分、動きやすくはある。
﹁ラヴィアラ、じゃあ、お前を守ってやる。よく見とけよ﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮! それでこそ、アルスロッド様です!﹂
 一瞬、ラヴィアラはあっけにとられていたが、それでも俺に笑み
を見せてくれた。
 剣術はそれなりに習ってきたんだ。あっさり死ぬことはないさ。
 敵に向かって飛び出す。
 その瞬間、また内なる声が聞こえた。
 ︱︱特殊能力︻覇王の力︼発動。身体能力、戦闘中に限り、二倍
に。
 特殊能力というのは、その職業についてかなりの技量を積まない
と手に入らないもののはずだ。職業が何かもわかってない人間が使
えるわけがない。まして、二倍なんて無茶苦茶だ。すぐに常人が超
人になる次元の変化じゃないか⋮⋮。
 しかし、たしかにそう聞こえた以上はそれを信じるしかない。
 頼むぞ、職業オダノブナガ!
23
3 砦の陥落危機と特殊能力︵後書き︶
明日も複数回更新予定です! よろしくお願いします!
24
4 謎の職業大活躍
 本当にウソのように体が動いた。
 相手が革の鎧を着ていようと、鉄の鎧を着ていようと、隙間をめ
がけて、次々に刺し貫いていく。
 その動きにまったくの無駄がない。
 明らかに俺の意思で動いてるのに、俺の体じゃないみたいだ。
 おそらくだけど、職業の持つスペックに俺の心が追いついていな
いんだろう。こんな戦闘体験、はじめてだからな。
 立て続けに十人の兵士を斬り殺した。おかげで、その周辺は少し
だけ安全になった。
﹁アルスロッド様、ここまで剣、上手くなっていたんですか⋮⋮﹂
﹁俺も信じられないけど、とにかくこのまま突っ込んでいくからな

25
! 最前線に出る!﹂
 職業オダノブナガが魔法剣士に匹敵するものだと信じて、向かう。
 こっちを攻め落とすのが目的なんだから、敵はいくらでもいた。
けど、はっきり言って、どいつも動きが遅くて、とても当たるよう
な気はしなかった。
 ︱︱当然のこと。覇王を止められるのは覇王たる資格がある者の
み。織田信長を殺した明智光秀も三日天下とはいえ、天下を取った
のだから。
 やっぱり内なる声がするな。職業に関係する声なのだろう。別に
意識を乗っ取られる気配とかはないから、何でもいい。
 多分、どっか異世界の英雄の名前か何かなんだろう。感覚的にわ
かってきた。
 まあ、いい。今、必要なのはここから生きて帰ることだけ。
 俺はラヴィアラのそばに行って、いたわるように肩を叩いた。
﹁ここで待ってろ。下まで降りてくる。絶対に戻ってくるからな﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮﹂
 ラヴィアラは少しだけ戸惑っていたようだが、わかったと言った。
多分、もっと俺のそばで戦いたかったんだろう。
 さらに進撃。
 門へと続く階段を駆け上がってくる連中に飛び込んで、次々に斬
り捨てる。倒れた敵に当たって、その敵がまた倒れる。よし、上手
く雪崩れみたいになってくれてるな。

26
 すでに五十人は殺してるだろうな。あと、数倍殺せば敵も怖気づ
くだろう。このままじゃ無理だと思わせられればこちらの勝ちだ。

 それぐらいなら、十二分にやれそうだ。体に疲れはまったくない。
﹁門に上がってくる奴らはこのアルスロッドがつぶす! お前たち
は砦に入り込んだ者を皆殺しにしろ!﹂
 その声に浮足立っていた兵士たちも生気を取り戻しだした。
﹁そうだ、やれるぞ!﹂﹁アルスロッド様がついておられる!﹂
 よし、頼むぞ。敵の数が増えなければ、殲滅することもできるは
ずだ。
 俺は門の前で敵を斬り殺す。
 向こうは階段を上がってくるので、時には蹴り倒す。
﹁なんて、乱暴な戦い方をする奴だ!﹂
あっこう
 攻めきれない敵のほうが悪口を吐いた。
 乱暴? 知るか。命懸けの戦いにルールも何もあるか。そっちだ
ってこっちの兵士を裏切らせてただろ。
 後ろの門が閉まる音が聞こえた。なんとか応急処置をして門を修
理できたらしい。
 あとは前方の連中を一掃すればひとまず状況は打開できる。
 こっちから突っこんでいく。
 俺の職業の力、見せてやる。
 どこに剣を突けば殺せるかがよくわかる。

27
 どけ、凡百たち。
 俺はこれでも子爵の血を引く男︱︱いや、覇王の力を受け継ぐ男
だ。
 敵の悲鳴が続く。とにかく、続く。
 剣を振るうたびに血しぶきが飛び散る。
 魔法で火の玉を飛ばそうとする奴のところには、その前に近づい
て刺し殺した。
 槍で突こうとする奴はその上に飛び乗って、そこからジャンプし
ながら首を斬った。
 俺一人の力で、だんだんと戦況が変わっていく。
 数えてないからわからないが、俺一人で百五十人は殺したと思う。
 これで、敵を追い返すぐらいのことはできたんじゃないか。詳細
はわからないが、確実に職業のおかげだろう。でないと、二十人も
斬ったところで殺されていた。
 砦のふもとまで来た。もう、ずいぶんと敵が逃げ腰になってきて
いるから、ひとまずこれで砦に戻れそうだな。
 しかし、そこで聴き慣れた声が耳に入った。
﹁ま、まだやれますからね⋮⋮﹂
 ラヴィアラが門の外に出て戦っていたのだ。
 しかも、敵に囲まれて、服もずいぶん破れている。かなり無茶を
したらしい。弓矢が得意なのに、わざわざ接近戦を仕掛けている証
拠だ。
﹁アルスロッド様のところまで参るんですから⋮⋮﹂

28
 バカ! 砦で待ってろって言ったのに! あいつも待ってるって
言ったのに!
 しょうがないか。
 俺が産まれた時から、少しだけ大きな赤ん坊のあいつが隣にいた
んだもんな。
 俺は剣を持って、全力で突っ込んだ。
﹁ラヴィアラに手を出すなっ!﹂
 こんなところでラヴィアラを失ってたまるか!
 敵兵がラヴィアラに襲いかかろうとする前に︱︱
 俺は思い切り、剣を横に薙いだ。
 ︱︱特殊能力︻覇王の矜持︼発動。自分の所有物を守ろうとした
時、攻撃力が二倍に。
 さらに二倍って⋮⋮またチートな特殊能力が生まれてるな⋮⋮。
 それなりに剣を練習してきたけど、つまり通常の四倍の威力かよ
⋮⋮。
 力の影響が強すぎるのか、振るった剣が赤く発光している︱︱と
思った時には、敵兵の体が胴体から半分になっていた。
 背負うもののなくなった胴体から下が、ゆっくりと倒れていく。
﹁四倍って、やっぱりありえないよな⋮⋮﹂

29
 残っていた敵兵も露骨に恐怖を顔ににじませていた。その時点で
こっちが勝ったようなものだが、ラヴィアラを守るために万全を期
させてもらう。
﹁ひえぇ⋮⋮ば、化け物がい︱︱﹂
 そのまま、残りも斬り殺した。斬れ味が少し鈍っていた。今の特
殊能力は本当に一時的にしか効果がないらしい。一撃でも充分なも
のだけど。
﹁ラヴィアラ、大丈夫か?﹂
﹁アルスロッド様⋮⋮すいません、どうしてもアルスロッド様を一
人にするのが怖くて⋮⋮﹂
﹁まあ、説教は後だ。よかったな、無事で﹂
 そっと、ラヴィアラの背中に手を伸ばした。
 あったかい。ちゃんと生きてる。ラヴィアラを守ることができた。
﹁よかった⋮⋮アルスロッド様が生きてて⋮⋮﹂
 逆にラヴィアラに生きててよかったと泣かれた。
﹁おいおい、危なかったのはそっちだろ⋮⋮﹂
﹁だって、一人で門の外に出て門閉めろって⋮⋮もう、殺されちゃ
うんじゃないかって⋮⋮不安で不安で⋮⋮﹂
 言われてみればそうか。普通に考えれば一人で出ていくだなんて
自殺行為だもんな。
﹁悪かったよ。せっかくだし、落ち着いたら、回復魔法をかけてく
れ﹂
 ぽんぽんとラヴィアラの背中を叩く。

30
 あれ、でもさっきの特殊能力、﹁自分の所有物を守ろうとした時﹂
とか頭によぎったような⋮⋮。
 そっか、俺にとって、ラヴィアラは幼馴染であって、所有物なの
か⋮⋮。
 妙に恥ずかしくなって、それを隠すようにさっきより強く抱き締
めた。
﹁アルスロッド様、痛いですよ﹂
﹁ラヴィアラを失いたくない﹂
﹁ラヴィアラがどこにも行くわけないじゃないですか﹂
4 謎の職業大活躍︵後書き︶
次回は昼過ぎに更新予定です。よろしくお願いします!
31
5 一夜砦
 俺とラヴィアラは砦に﹁凱旋﹂した。
 砦のほうでも敵は全滅していたらしく、もう殺気立った空気はな
くなっていた。
﹁ミネリアの連中を追い散らしてやった! 砦のふもとまで敵の死
体であふれかえっているぞ!﹂
 俺が剣を掲げると、野太い声が響いた。
 大きな歓声だ。その声を聞いて、やっと一息つける気がした。
 さて、あまりゆっくりしていられない。城将シヴィークと今後の
話をしておかないとな。厳密には俺が今の城将なんだけど、城将の

32
ほうが呼びやすい。
 城将が最敬礼をしてから俺のほうにやってきた。
﹁このご活躍、すぐにネイヴル城の子爵様にお伝えいたします。証
人はこの砦の兵士すべてでございます!﹂
﹁いや、俺だけではどうなっていたかわからない。みんなの勝利だ﹂
﹁敵は確かに全滅させました。現在、死体を外の川に捨てていると
ころです。置いておくと、腐敗しますので﹂
 砦の裏手は川へと続く断崖なので、その点は便利だ。
﹁ありがとう、城将、ちょうど今後の相談をしないとなと思ってい
た﹂
﹁城将はアルスロッド様でございます。私のことはシヴィークとお
呼びください﹂
﹁わかった、シヴィーク。軍議のほうを開こう﹂
 砦の中でも一番奥まったところにある部屋で、俺とシヴィーク、
それにラヴィアラを交えて、三人で話をする。
﹁今回は防戦できたけど、正直、防戦しただけだ。本質的な解決に
はまだなってない。むしろ、敵の土地を奪うぐらいのことができな
いときつい﹂
 こちらのネイヴル領と敵のミネリア領の間には、横に長い川が流
れている。川の流れ自体はそう速くはないが、こちらの砦がある東
側は大きな段丘になっている。向こうの丘はさほど高くはなくゆる
やかだ。
﹁敵も対岸に砦を築いていますからな。この砦の敵を撤退させない
と、状況を好転させるのは難しいかと⋮⋮﹂

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 シヴィークが地図に指を落とす。この人物は歴戦の将だ。その人
物が言っているのだから、間違いないだろう。
 たしかに川の対岸にそれなりの数の軍隊を置かれたのでは、常に
危機が去らないことになる。
 ラヴィアラは困ったような顔をして、地図の川のあたりをにらめ
っこしていた。きっと、何か策がないか考えているのだ。ラヴィア
ラは昔から策を練るのが好きだった。
﹁夜襲をこっちからかけますか? 川は夜も流れる音がしています
から、行軍の足音は消されてまず聞こえないと思います﹂
 なるほど。たしかに川は音を消してくれる。敵がやったことをや
り返すというわけだ。しかし︱︱
﹁敵の籠城中の砦を落とせるだけの兵力がこちらにはありませんな
⋮⋮﹂
 向こうだって砦を作って守っているのだ。そんなに大きな砦では
ないから、軍隊のすべてを収容しているわけではないようだが、そ
れでも、その拠点のおかげで長期的な攻撃ができている部分はある。
 砦に入りきれてない軍隊がいわば攻撃用に追加で徴集した連中と
いうことだ。
﹁相手に打撃を与えるか、あるいは都合が悪い状況を作れればいい
んですけどね⋮⋮。ラヴィアラは思いつけないです⋮⋮﹂
 ラヴィアラの頭でもなかなかいい方法が出てこないらしい。
 しかし、またしても俺の頭に声が聞こえたような気がした。
 ︱︱案ずることはない。覇王の経験をお前は共有する力を持って
いるのだ。

34
 直感的に、奇抜な策を思いついた。
 実現可能性がどれだけあるかはわからないが、ある程度の工作兵
を出せばできなくはないかもしれない。
﹁なあ、名案というか奇策を思いついた﹂
 俺はラヴィアラとシヴィークの顔を順番に一瞥した。
﹁聞いてくれ。敵のノド元に邪魔でしょうがないものを作ってやる﹂
 話の反応は思った以上によかった。できるわけがないとか、無理
だとか言われると思ったのだが。
﹁それぐらい意外性のあることをやらないと、戦局を覆すことはで
きぬでしょうな。やりましょう!﹂

 決行は二日後の夜だった。
 敵がもう眠っているだろうという時間に川を渡る。
 このまま砦を急襲しようとすれば、向こうもすぐに気づくだろう
が、そんなことはしない。
 目指すは敵の砦の北側にある丘だ。
 襲われることもなく、無事に到着することができた。
 あとは、せっせと土を掘る。
 とくに敵が攻めてくる方向である南側を壁のようにして攻められ
ないようにする。
 もし、攻めてきたら、弓兵で高台から攻撃するつもりだったが、
動きはないようだ。
﹁いいな、みんな! 時間との勝負だ! 朝になった時点である程
度できてないと話にならないからな! 指示はすべてこの俺が出す

35
! 今は俺にすべてを預けてほしい!﹂
 兵士たちは全力で働いた。
 正直、考えていた以上にみんな真剣に動いてくれている。
 きっと、俺が一人で最前線に出たからだ。残っている兵士たちは
俺のためなら死ねると思ってくれている。
 これまで信頼のおける仲間と呼べるのは一緒に育ったラヴィアラ
ぐらいだった。兄からは
まともな兵力すら与えられなかった。
 それがこの砦に来て、ちょっと変わった気がする。
 俺、もしかすると、兵や将を扱う素質があるのかもしれない。
 それとも、これもオダノブナガという謎の職業のせいだろうか?
 オダノブナガというのが英雄の名前だとしたら、英雄的なカリス
マ性があるのかもしれない。
 やがて夜が明けて、空が明るみはじめる。
﹁みんな、ありがとう。どうにか間に合った﹂
 敵の砦の北側に一夜にして、俺たちの土の砦ができていた。
 そう、これが俺の作戦だった。
 敵のすぐそばに砦があれば、こちらはそこに軍隊を駐留させられ
る。
 向こうもうかつなことはできないし、なにより敵の土地にこちら
の砦があるわけだ。放ってはおけないだろう。
 とはいえ、まだ気は抜けない。すぐに敵が攻めてくるかもしれな
い。それに、緊急で作った砦だ。攻め込んできた敵を弓矢や槍で狙
えるような構造にしたが、それも未完成な部分が多いから、朝にな
っても作業は続行しないといけない。

36
 ︱︱よくやったぞ。これぞ、覇王の計略。一日にして敵の土地に
砦を築けば、相手の意気をくじき、混乱を誘える。この力、存分に
使え。
 また、声が聞こえた。
 ためしに、こちらから聞き返してみる。
 なあ、あんたはオダノブナガって英雄なのか?
 ︱︱いかにもオダノブナガは覇王の名。だが、今はただの職業名
にすぎぬ。ただ、お前がその覇王の職を継ぐ素質を持っているから
職として力を貸しているだけだ。お前を操る権利も力も持たぬから
安心せよ。
 意思疎通ができる職業って何なんだ? イレギュラーもイレギュ
ラーだけど、信じてもいいだろう。疑ったところで、適性職業を消
す手段なんてないしな。これが悪魔なら、もう対処法ゼロだろ。
 ︱︱覇王も若き頃はうつけ者と嘲られた。それでも、名だたる英
雄となった。お前にだって、それはできる。
 その言葉、信じさせてもらうとしよう。
 兵士があわててこちらに連絡を入れに来た。
﹁敵が攻め込んでまいります!﹂
 そこまでは予想どおりだ。
﹁よし、みんな死守するぞ! 敵は浮足立ってる! 勝機はある!﹂

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5 一夜砦︵後書き︶
次回、新しい砦を守って戦います!
38
6 籠城大勝利
﹁よし、みんな死守するぞ! 敵は浮足立ってる! 勝機はある!﹂
 俺の声に反応して、威勢のいい声が上がる。
 俺たちは今、間違いなく一丸となっている。放置するわけにいか
ないから、とりあえず攻めてきているだけの敵に負けたりなんてし
ない。
﹁ここはラヴィアラに任せてください!﹂
 ラヴィアラは砦の突き出た部分にあるちょっとした塁壁に身を隠
し、少し顔を上げては次々に弓矢を放っていった。
 弓矢を受けた敵兵が倒れていく。
 ラヴィアラの弓矢の技術は相当なものだ。エルフには弓にすぐれ

39
た者が多い。
 一方で、敵の弓矢は塁壁のおかげで跳ね返されて、ラヴィアラに
までは届かない。
 正面まで来たものの、そっちの側は切り立った崖になるように作
っている。とても登るわけにはいかず、足を止めていると、こちら
の矢に撃たれる。
 敵が弓矢や魔法の火球を撃ってきても、塁壁を破壊するまでの力
はない。
 こっちの砦はすべて土でできてるからな。火を放って燃やすこと
すらできない。建物を壊すこともできない。こじ開ける門すらない。
シンプルだからこそ、敵は攻めあぐねる。もっとも、建物を作る時
間なんて最初からなかったが。
 やがて、横から登れる道があるとわかって、敵が攻めてくる。
 けど、それも想定の範囲内。
 わざとスロープ状にジグザグに道を作っているから、高いところ
から槍や弓矢でいくらでも狙撃できる。
 最初に上がってきた十人の敵兵はすぐに全員、命を落とした。こ
ちらの拠点から攻めてくるのが丸見えなのだ。しかも道が細いから
数を任せて突っ込むこともままならない。
﹁このような土の砦が機能するか不安だったのですが、こうも役に
立つものなのですな﹂
 老将シヴィークも舌を巻いていた。
﹁直感的に土の砦でどうにかできると思いついたんだ﹂
 作戦を出していた時、俺の頭にはなぜか土の砦だらけで戦争をし

40
ていた世界のことが頭に浮かんだのだ。
 これはオダノブナガという英雄の知識や経験なのかもしれない。
 その世界では土に高低差をつけるだけで、十二分に敵を防げる砦
になっていた。百人の兵で千人の敵を防ぐこともそう難しいことで
はなかった。
 たしかに敵兵が空を飛ぶわけではないのだから、土だろうと、そ
れを工作するだけで、いくらでも厄介な砦にできる。
 本来、城というものは相手より地の利で優勢に立つための場所で
しかなかったのだ。時間があれば石の城を作ればいいが、そんな時
間をかけずとも防衛拠点は作れる。
 強引に特攻をかけて、ついに敵の一部がスロープ状の道を進みき
って、砦の本体に入ろうとしていた。
 なかなか剛の者だな。死線をかいくぐって、攻めてくるところは
買ってやるぞ。
 しかし、その敵もすぐに青ざめた。
 そいつの進んできた道は砦に続いていないのだ。
 間には大きな深い溝があって、飛び越えることなど絶対にできな
い。
 足踏みしているうちにラヴィアラがその兵士を射殺した。
 こちらの兵士は木の板を掛けることで別の場所から移動させる。
敵がメインの道と思っているところは最初から途切れている。
﹁この土の砦、シンプルなようで、ものすごく技巧的ですね。ラヴ
ィアラ、びっくりしました﹂
﹁俺もびっくりしてるぐらいだ。道の工夫をするだけで、こんなに
有利になるものなんだな﹂

41
﹁少なくとも力押しで攻められてるうちは絶対に負けませんよ。だ
って、こっちの兵士はみんな元気なままですもん﹂
 ラヴィアラが後ろに目をやる。
 たしかにケガ人すらほぼ出ていなかった。
 こちらは圧倒的に有利な状態から戦うことができている。死の恐
怖も実質的な危険も激減しているのだ。
 一方で、敵の死傷者はすでに百人を超えていると思う。まず、こ
ちらの正面に来てしまった連中が次々に撃たれて、スロープから攻
めようとした敵も各個撃破されている。
 こんなところにこちらの砦ができているだなんてミネリアの連中
は誰も思ってなかった。考えてもない敵に強引に向かっていっても、
死体の数が増えるだけだ。上手くこちらの砦を落とす計略などまっ
たく立っていないだろう。
 結局、敵はほとんど何の戦果も得られずに撤退していった。
とき
 俺たちは鬨の声をあげて、勝利を祝った。
﹁この作戦はたしかに俺が考えた。だが、君たちの勇気がなければ
何も形をみなかった。礼を言う!﹂
 俺の言葉で、さらに兵士たちは盛り上がった。

 俺たちネイヴル側が優勢ということで、兄ガイゼルも援軍を送っ
てくれた。
 これで元のナグラード砦と対岸砦の両方を守ることができる。敵
の土地に砦を作ったことは兄も書状の上では激賞して、﹁言葉にで
きないほどの功績である﹂と書いてあった。

42
 兄にとって俺が活躍してるのは楽しくないかもしれないけど、敵
方の脅威が大幅に減ったのは間違いないから、そこはうれしいだろ
う。
 ミネリア側もこちらを一気に滅ぼすことは諦めるしかなくなった
ようで、ぴりぴりした戦争状態は一度落ち着いた。はっきり言って、
敵は死者を出しすぎたのだ。作戦を根本から考えざるをえなくなっ
たのだろう。
 俺も兄ガイゼルから帰還命令を受けた。あくまで、俺は緊急時の
助っ人だったので、当然と言えば当然だ。ラヴィアラと一緒に所領
に戻る。
﹁アルスロッド様に敬礼!﹂
 最後に老将シヴィークが兵士全員に俺に礼をさせた。
﹁あなた様は希代の英雄です! ネイヴルはあなた様のおかげで守
られました!﹂
﹁俺が英雄なら、お前たち一人ひとりも英雄だ! 胸を張ってこの
ネイヴルのために戦え!﹂
 最後にちょっとかっこつけたことを言ってやった。
 帰還中、ラヴィアラに言われた。
﹁ラヴィアラはアルスロッド様のことなら何でも知ってるつもりで
したけど、その想像を三段階ぐらい上回る戦果を上げられましたね﹂
﹁そうだな。なにせ俺の想像も三段階上回ってたからな﹂
 最初は戦死も覚悟してたのに、敵を押し返すことができた。
 けど、ラヴィアラは少し不満があるらしく、かわいく頬をふくら
ませていた。すねている時の態度だ。

43
﹁何か問題があったか?﹂
﹁こんなにとんでもない力を持っているんでしたら、ラヴィアラに
教えてほしかったです! ラヴィアラに隠し事をするだなんてひど
いです!﹂
﹁だから、俺も想像できてなかったんだから、しょうがないだろ。
すべては職業のおかげだと思う﹂
﹁例のオダノブナガですか?﹂
﹁そういうこと﹂
 俺は馬上でうなずく。
﹁魔法剣士なんて目じゃない。これはきっと最強の職業だ﹂
6 籠城大勝利︵後書き︶
新しい砦を守り切りました。次回は明日更新します。明日からアル
スロッドの領地で新展開入ります。
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7 勢力急成長︵前書き︶
日間10位に入りました! ありがとうございました! 今回から
領地を広げていきます。
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7 勢力急成長
﹁まずは、お前の職業をバカにしたことを素直に謝罪しよう⋮⋮。
職業による力の上昇などなくても、お前は立派に役目を果たした。
ま、間違いなく一門の中でも最高の功績だ⋮⋮す、素晴らしい⋮⋮﹂
 ネイヴル城で再会した兄ガイゼルはやっぱり顔は笑ってはいなか
った。ずっと、いびっていた相手が功績をあげすぎたせいだろう。
 それは結果的に愚かでない者をバカにしていた自分に見る目がな
いということになる。つまり、ガイゼルのプライドが傷つけられた
のだ。ざまあみろと思う。
 ここでガイゼルを怒らせるメリットは全くないので、一応下手に
出ておくが。

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﹁危急の砦に領主の弟を派遣するという手を打たれたのは、領主た
る兄上。これは兄上の計算が見事に当たったものです。亡くなった
父上もきっと称賛されているに違いありません﹂
﹁そ、そうか⋮⋮。まあ、そういうことになるな⋮⋮﹂
ねいしん
 あっさりガイゼルは喜んでくれた。こうも単純だと佞臣もさぞ、
扱いやすくて楽だろうな。
﹁さて、お前の功績に対して、褒美を与えねばならん。これまでは
ハルト村という小さな村の半分ほどしか所領を与えてなかった。そ
の村全部と両隣の村もやる。都合三村の領主だ。それと男爵位もや
ろう。村の名をとって、ハルト男爵と名乗るがいい﹂
﹁ありがたき幸せ。なお、いっそうネイヴルのために戦う所存です﹂
 男爵の位は子爵と違って世襲できない。なので、ぽんぽん褒賞と
してあげても問題ないのだ。あと、どのみち、小領主のうちは子爵
だから、子爵の位を分与する権利を持ってない。
 それにネイヴル子爵自体が土地として一郡ともう半郡を領してい
る程度の小領主でしかないのだ。
 サーウィル王国は、各地域を県という行政単位で区切っている。
その県の中にだいたい十前後の郡がある。
 基本的に、県の半分以上程度の土地を有している領主が伯爵位を
持っていて、一郡程度の土地しか持っていない領主は子爵位でとど
まっている。
 なので、ネイヴル子爵家なんてのは、吹けば飛ぶとまでは言わな
いが、いつ滅ぼされてもわからない勢力なのだ。

47
 本音を言えば、兄をとっとと追放して、自分が子爵の地位を継ぎ
たい。兄が嫌いというのもあるが、単純に凡庸な人間を領主にして
いると、砦の死守みたいな命令を持ちこまれて、こっちの命が危う
くなるからだ。
 しかし、すぐに反乱を起こして勝つのはいくらなんでも無理があ
る。それに大義名分がない。
 ︱︱焦ることはないぞ。覇王となるにも、まずは下地を作らねば
ならんからな。最初の県を手に入れることは骨が折れるが、五県を
十県にすることはたやすい。いずれ、時が訪れよう。覇王も尾張全
土を手中にするのは今川義元を倒したさらに後だった。
 心の声もそう言ってきたので、それを信じることにしよう。固有
名詞の意味はよくわからないけど。
 けど、こいつ、本当に無害なんだろうな。なんか、こういう囁い
てくる悪魔の話を子供の頃に読んだ気がするぞ⋮⋮。
 ︱︱残念だが、そういう力を持ってはおらんのだ。せいぜい、お
前が覇王になるのを見て楽しむことぐらいしかできぬ。
 どうも、人を露骨に騙すようなことはしなさそうなので、そこは
大丈夫か。
 俺は兄との会見を終えて、新たに手に入った土地の支配に乗り出
すことにした。
 村三つといっても、領主としては知れているが、これまでよりは
まともな扱いを受けたので、よしとしよう。
 自分の屋敷に戻った俺は、まず妹のアルティアの元を訪ねた。

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﹁お兄様、まさか、また出会えるとは思ってなかったよ⋮⋮﹂
 妹に会ったらすぐに号泣された。
﹁おいおい、俺のこと、信用してないのかよ﹂
﹁だって、とても助からない作戦だったから⋮⋮﹂
 アルティアの態度は大げさなのじゃなくて、まったく妥当なもの
だった。それぐらい、俺は危ない橋を渡って、渡りきった。
﹁これからはもう少しお前を安心させてやれると思うよ﹂
﹁はい⋮⋮お兄様⋮⋮﹂
 病気がちな妹のためにも、もっと風通しのよいところに引っ越し
たいな。
 そうか、その手があるな。
 俺は表向き、妹の療養を兼ねてという届け出をして、屋敷を村の
高台に変えた。
 地元での俺の評判もかなり上がっていたので、工事はすこぶる順
調に進んだ。
 妹のためを思ってというのは事実だけど、同時に高台にすること
で防衛機能を大幅に高めることができた。いざとなれば、ここに立
てこもれば、戦うこともできる。
 新しい建物は乾いたすがすがしい風が吹いて、アルティアも喜ん
でくれた。体調も以前よりよくなっているように思う。
 それと、建物が完成した頃、もう一つ朗報が届いた。
 砦をともに守り抜いた老将シヴィークが俺の屋敷にやってきた。
﹁砦が安定してきたので、ほかの者と交代して戻ってまいりました﹂
﹁久しぶりだな。また再会できてうれしいぞ﹂
﹁それで、もしかないますならば、アルスロッド様の与力として仕

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えたいのですが﹂
 あくまでもシヴィークは領主に仕える身だ。厳密な意味では領主
のその家臣である俺に仕えることはできない。なので、与力という
形で、家臣の俺を補佐する役目につきたいというのだ。有力な家臣
にはこういった与力がいてもなんらおかしくない。
﹁わかった。俺のほうは問題ない。兄上にお前から申し出てくれ﹂
﹁ははっ! ありがたき幸せであります! この老骨シヴィーク、
アルスロッド様のために死ぬ覚悟です!﹂
 許可は無事に降りて、シヴィークが実質的な俺の家臣となった。
それはさらに俺の評判を高めてくれた。シヴィークも長らく砦を守
り抜いていて、人望が厚かったのだ。
 シヴィークとともに長らく戦っていた者たち数人も、俺のところ
に来てくれた。武勇を好む者にとって、今の俺に仕えることは価値
あることと映ったようだ。
 周辺に住む剣士の中には、俺の家臣になりたいという者も増えて
きた。領主と直接の主従関係がない者は問題なく、自分の家臣に組
み込むこともできる。
 また、ラヴィアラのツテで、ラヴィアラの親戚などが俺の与力と
して仕えることになった。俺の活躍を聞いて、彼らも俺を頼ろうと
思うようになったらしい。
 とくにラヴィアラの母方に当たるエルフ一族が俺を支持してくれ
たのが大きい。ほかのエルフもそれに続いてくれて、郡内のエルフ
の勢力はほぼ俺の下についたようなものだ。

50
 そういったことが重なったせいで、俺の勢力はこのネイヴル領に
おいて、領主の兄ガイゼルの次点と言えるまでに大きくなった。
 もともと、中小の領主に仕える家臣だからな。村を三つ持ってい
ればかなり大きいほうだ。そこに複数の同輩が家臣のようにやって
きたのだから、俺の影響力が強くなったのは当然だった。
7 勢力急成長︵後書き︶
次回は夜の更新予定です! よろしくお願いします!
51
8 街道に市を︵前書き︶
帰宅して見てみたら日間2位にあがっていました! 本当にありが
とうございます!
52
8 街道に市を
 先日、狩猟のついでに俺の屋敷に来た兄ガイゼルをもてなしてや
ったら、かなり引きつった表情をしていた。
 おそらく、俺に仕える家臣が多いことを見たせいだろう。
﹁弟よ⋮⋮なぜ、これほどにも家臣がいるのだ⋮⋮?﹂
﹁すべてはナグラード砦を守ったことに起因するものです。周辺の
土地からも武勇に自信のある者がぜひ雇ってほしいとやってまいり
まして、それを繰り返していたら数が多くなってまいりました﹂
﹁こ、こんなに多くの家臣を養うのは大変ではないのか⋮⋮?﹂
﹁たしかに。ですが民が増えたことにより、これまで休耕地になっ
ていた土地を農地として使うことができるようになり所領の収穫高

53
はかなり増えそうです。それにより土地を増えた家臣にも分配する
ことができました﹂
﹁そ、そうか⋮⋮。だが、お前はあくまでも領主である私の家臣だ
からな⋮⋮。あ、あまり分をわきまえぬことはするなよ⋮⋮﹂
 勝手に言ってろ。そんなこと守るわけないだろ。
﹁しかし、先日の砦防衛も、危うい場面がいくつもありました。も
し、自分に今ほどの兵力があれば、より一層簡単に敵衆を討ち果た
すことができました。ネイヴル領を守るため、この兵力はきっと必
要になります。どうか、ご理解ください﹂
﹁うっ⋮⋮。そうか⋮⋮。それもそうだな⋮⋮。よし、今後も忠勤
に励むようにな⋮⋮﹂
﹁はい、弟が兄を助ける、これこそ天国の父上もお喜びになる道か
と存じます﹂
 昔と比べると俺にも余裕が出てきたので口がまわるようになって
きた。今後もとことん兄を追い詰めてやろう。
 しかし︱︱こんなことを続けていれば、猜疑心の強いあの兄はど
うせ何か手を打ってくるだろう。
 それはわかっていたので、事前に兄が俺のことをどう思っている
か、探らせていた。
 早速、一報が入った。
 行商人としてネイヴル城に入っている間諜が報告してきた。
﹁子爵はアルスロッド様に対して怯えていらっしゃる様子でござい
ます。とくにまだ自分の子もいないので、今、自分が殺されたら子
爵の地位を奪われるのではないかと不安になっておられるようです﹂

54
﹁そうか。わかってはいたことだが、本当にそういう気持ちを隠せ
ない男だな﹂
 まだ俺が砦から戻ってきて九か月ほどしか経っていない。つまり
俺が職業を得て正式に、大人の仲間入りをしてから一年も経ってな
いわけだ。俺も、こうも、状況が変わってくるとは思っていなかっ
た。
 俺は歴史書もたくさん読んでいた。武名をあげた軍人が独立した
王朝を打ち立てるのはよくあることだ。カリスマ性のある者のもと
に人は集まってくる。逆に戦争の弱い兄は、本質的に人の信頼を受
けづらい。
﹁兄の妻のところには安産成就と名高い神殿の護符でも贈ってやろ
う。今後も、情報収集を続けてくれ﹂
 商人は下がっていった。
 こっちが怪しい動きを起こしているわけでもないから、土地を召
し上げるなんてことは言い出せないだろうし、おそらく近いうちに
俺を殺そうとしてくるはずだ。
 ガイゼルの性格はよく知っている。このまま平然と俺が台頭する
のを待つことなどできない。
 だが、その時こそ、最大の好機だ。
 それまではできるだけ自分の評判を高めておく。
 俺は一族の墓の整備などを積極的に買って出た。ネイヴル家︱︱
土地と同じ名前を姓に持つ一族だ。
 別に一族の俺が墓を綺麗にしてはいけない法などない。でも、外

55
から見れば、さも俺がネイヴル家の後継者であるように見えるだろ
う。もちろん、表面上は忙しい当主に代わってという立場でやって
いるが。
 そんな折、また心の声が何か言ってきた。
 ︱︱今のうちに商業振興策をやっておいたほうがいい。貧乏人の
覇王などはおらんからな。試すには小さなところからやったほうが
よい。
 金が入って、困ることはない。でも、具体的にどうすればいいん
だ。
 ︱︱商人の出店税を無料にしろ。街道に立つ市の規模がきっと大
きくなる。
 市の出店には税を納めねばならないのが、それまでの常識だった。
ネイヴル城下のように商業組合のほうにも金を払う必要まではない
が。
 それでは領主側は儲からないんじゃないのか?
 ︱︱利益のうちから一部を上納させるシステムに変えればいい。
 税を払わずにトンズラされそうだけどな。
 ︱︱儲けが出るなら、商人も素直に払うさ。儲かる話を税をケチ
ってだいなしにしたくはないはずだ。ろくに儲けのない奴はが一人
二人払わなくても害はない。税は金のあるところから徴収したほう
がいいのだ。

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 オダノブナガの言うことを信じてやろうか。
 俺は自分の領地中に、﹁市や店で物を売る出店税はすべて無料に
する。商人でも農民でも売りたいものを好きに出してよい。ただし
上がった利益のうち一割を支払うように﹂という布告を出した。
 効果がすぐにあった。
 見回りで街道沿いにできる市を見てみたら、明らかに今までより
規模が大きくなっていた。
 そうやって人が増えると、それに付随して、酒を売る者だとか弁
当を売る者だとか、新たな商売に乗り出してくる者も増える。市の
規模は加速度的に大きくなっていった。
 ちょうど俺が職業を得て、一年ほどになる頃、ラヴィアラとまた
見回りに出た。
﹁ラヴィアラ、こんな活気のある市、見たことがないですよ!﹂
 そのにぎやかな様子に、ラヴィアラは心底驚いていた。
﹁まだネイヴル城下と比べると小さいけど、仮設の市としてはネイ
ヴル最大級かもしれんな﹂
﹁母方であるエルフたちも薬草を売ったりしてますし、獣人の行商
人も以前よりずっと増えてますね。これは街道の市というより、ほ
とんど都市ですよ!﹂
﹁城下の商人も、ここに出店をはじめるところが増えてる。失敗し
ても出店に金がかからないから、経済的損失もないからな﹂
﹁本当に大成功と言っていいですね﹂
 今のところ、売り上げもちゃんと納められている。支払ってない
のがばれれば、営業権を剥奪されるので、利益が上がっているとこ

57
ろほど、真面目に払おうとする。むしろ、今の市は金を払ってでも
出店したい土地になっている。
﹁でも⋮⋮⋮⋮これ、子爵を刺激しますよね⋮⋮﹂
 少し声を潜めてラヴィアラが言った。
﹁ああ、間違いなくな﹂
 そろそろガイゼルは動いてくるぞ。
8 街道に市を︵後書き︶
明日も2回更新を目指します! 兄の領主と対決します。
58
9 ネイヴル城包囲︵前書き︶
日間1位になれました! 本当にありがとうございます! これか
らもしっかり更新します!
59
9 ネイヴル城包囲
 俺は以前にも増して、兄ガイゼルの居城であるネイヴル城の様子
を探った。
 ネイヴル城は平地にある城で、周囲を二重の水堀で覆っている。
城下もそれなりに豊かだ。
 その結果、思った以上に早く様子が伝わってきた。
 また、行商人に化けた間諜が俺のところに報告に来た。
﹁申し上げます。子爵はアルスロッド様を殺そうと計略を立ててい
るとのこと。その内容ですが、自身がご病気と偽り、そのうえで領
主の座を譲るとアルスロッド様を呼び出すつもりでございます﹂
﹁そうか。ならば、間違いないな﹂

60
﹁と申しますと⋮⋮?﹂
 間諜は俺の態度にきょとんとしていた。
﹁すでにネイヴル城にいたほかの家臣から同様の情報を聞いている。
ガイゼルの取り巻きの中にも今回は性急すぎて危ういと言っている
者が割といるらしい。だから、情報がこっちにもれてきた﹂
 取り巻きもすぐに倒れてしまう領主に頼むわけにはいかない。ガ
イゼルがそれだけ見限られてきているということだ。
 あと、父親の代から仕えてきているような者たちの中には、ガイ
ゼルの能力を疑問視している者もけっこういた。そういった者の中
にも報告してきたのがいる。能力を疑問視も何も、本当に能力がな
いんだけど。
﹁アルスロッド様、ネイヴル城に行くのを留めておいて正解でした
ね﹂
 ラヴィアラがほっと胸を撫で下ろしていた。
﹁少なくとも護衛なしでガイゼルと顔を合わすのは気味が悪かった
からな﹂
 暗殺計画が入る前から怪しい気はしていた。商業的にも、こっち
の市が繁盛しているせいで、これまで以上に目の敵にしてるだろう
しな。
 間諜は下がらせた。ここからは作戦会議に入る。といっても、ラ
ヴィアラと二人で話をするだけだが。
 乳母子のラヴィアラは同じ人間に育てられた仲、腹心中の腹心だ。
大切な話はまずラヴィアラに打ち明ける。ランタンがほのかに灯っ
ているだけの暗い部屋だった。

61
﹁病気と偽って、城内で暗殺ですか。実に、こっちに都合のいい展
開になってきましたね﹂
 ラヴィアラが不敵に笑った。
 戦乱の世だ。ラヴィアラもただ、やさしいだけの女性じゃない。
﹁正直、俺もそう思ってた。これで、本当に病死してもらえる﹂
 領主を殺せば、簒奪者のそしりをまぬがれない。だが、自分から
病気と喧伝してもらえれば、こっちはそれを見届ければいいってこ
とになる。
﹁ただ⋮⋮あんな人とはいえ、実の兄を殺すことになるアルスロッ
ド様はおつらいでしょうか⋮⋮﹂
 たしかに血縁関係にあるのは事実だけど、ここで変に情をかけれ
ばこっちが殺されるかもしれない。
 ︱︱そうだ。兄弟であろうと敵は倒さねばならん。そうでなけれ
ば覇王にはなれん。
 また、声が来た。
 オダノブナガも親族を殺したのか。
 ︱︱弟を殺した。といっても、先に仕掛けてきたのは向こうだぞ。
 じゃあ、今回と似てるな。とはいえ、あのガイゼルが素直に領主
の座を譲るわけがないだろうから、いずれ雌雄を決することになっ
てただろうけど。
﹁問題ない、ラヴィアラ。俺の親族はもう妹のアルティアだけだ﹂
﹁わかりました、ラヴィアラもアルスロッド様の全力を尽くします
ので﹂
 決意を示すラヴィアラ。

62
 そんなラヴィアラとふっと目が合った。
 思わず、俺はラヴィアラの顔に手を伸ばした。
﹁アルスロッド様⋮⋮﹂
 ラヴィアラは照れたような顔になる。
﹁あのさ⋮⋮俺はネイヴル領の領主になるつもりでいる。悪いけど、
ラヴィアラを正室の地位に置くわけにはいかないと思う。でも⋮⋮
俺はお前のことが⋮⋮﹂
 砦でラヴィアラを救った時に、はっきりと自覚した。
 俺はラヴィアラを自分の物だと思っていたし、もっと自分の物に
したいと願っている。
﹁きっと、ラヴィアラは産まれた時からアルスロッド様に仕える運
命だったんです。だから、こうなることも運命だったんでしょうね。
それに、この命は一度、アルスロッド様に助けていただいています
から﹂
 その日、俺はラヴィアラとはじめて愛し合った。
 乳母子のラヴィアラは俺の姉代わりであり、幼馴染であり、家臣
であり、戦友だったけど、これで愛人にもなった。
 敵がこっちをおびき出す作戦を立ててくれているのはありがたか
った。屋敷の防備にそこまで神経質にならなくていい。

 やがて、ガイゼルが病気であるという連絡がネイヴル城から正式
に届いた。
 俺は病気をいたわる使者を丁重に送ったが、自分からは決して出

63
向かなかった。
 むしろ、ガイゼルと距離を置いている家臣を中心に、こちらへ引
き込む工作を行った。
 すでに軍事力の面では、ガイゼルを凌駕していると言ってよかっ
た。ガイゼルの軍は結局、家臣から集めたものでしかない。その家
臣の一部がこちら側についているのだ。しかも、こちらは精強で知
られているシヴィークなどの猛者がいる。
 そして、ついに病気がよくならず危篤に近いので、領主の座を譲
りたいという連絡が来た。そのために城に来いと。
 当然、呼び出したうえで俺を殺すつもりだろう。
﹁時は来たな﹂
 俺はシヴィークの軍などを含む五百の兵でネイヴル城を訪れた。
 相手方が困惑しているのはすぐにわかった。こんなに兵士がいた
のでは作戦を決行しづらいからだ。
 ガイゼルに仕える者が困惑していた。俺は兵士を連れて、城に出
向くなどと言ってなかったからだ。
﹁男爵殿、この兵はいったい、どういうことですかな⋮⋮﹂
﹁兄上を継いで、領主となるのに、少数の供を連れてというのはあ
まりにも恥ずかしいこと。兄上の顔にも泥を塗ってしまいますので。
威儀を整えるため、兵を連れてまいりました﹂
﹁し、しかし⋮⋮﹂
 そこにラヴィアラが進み出た。今日もラヴィアラは俺のそばにい
る。あまり危険に巻き込みたくはなかったけど、来ると言って聞か
なかった。

64
﹁よく御覧ください。どの兵士も着飾っていますよね。戦争のため
の兵ではなくて、男爵を権威づけるためのものですよ﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮。ですが、この兵の方は堀の外側で⋮⋮﹂
﹁いいえ、この兵は男爵の付き添いです。堀を渡った城の前にて待
たせてもらいます﹂
 ラヴィアラがそう言い張って、相手も折れた。五百の兵は城の建
物の真ん前で止まる。
 俺は自分の周りも武勇に優れた者で固めて、城内に進んだ。
 もしかしたら、もう決行は無理だと諦めるかもしれないが、どち
らにしろ、ネイヴル領の支配権を継承させればそれでいい。
 すでに兄が危篤であるという旨は各地に伝えている。向こうがそ
う言ってきたから伝えただけのことだ。
 素直に病気を理由に領主権を譲ってくるなら、引退ということで
命ぐらいは助けてやってもいい。けど、すべては今からのなりゆき
次第だ。
 さあ、どう出る、ガイゼル?
 もう、お前の城は占領したようなもんだ。
 お前が生き残る道は病気ということで、地位を譲って、どこかに
静養するぐらいしかないぞ。
65
9 ネイヴル城包囲︵後書き︶
次回は夕方ごろに更新する予定です!
66
10 領主権奪取︵前書き︶
日間1位ありがとうございます! これからもしっかり更新します

67
10 領主権奪取
 ガイゼルは臆病だ。自分の真ん前で暗殺を決行することはない。
 襲うとしたら、通路を進ませているあたりで、襲ってくるはずだ。
﹁いました!﹂
 ラヴィアラがナイフを素早く壁のほうに投げていた。
 胸を貫かれた暗殺者の一人が壁から倒れてきた。
﹁なぜ、暗殺者がいる! まさか、俺を殺すつもりか?﹂
 わざとらしく大声を出した。これで暗殺者は出てくるしかないだ
ろう。
 案内役も剣を抜こうとしたので、その前に斬り殺した。

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 ︱︱特殊能力︻覇王の力︼発動。身体能力、戦闘中に限り、二倍
に。
 悪いけど、お前たちとは動きが違うんだよ!
 すぐにその場は乱戦になった。といっても、こっちはそれに備え
た人員で来ている。衣服も鎧を内側に着込んでいた。
 圧倒的にこちらが有利だ。
﹁アルスロッド様、こちらは大丈夫です! ここは子爵の元へ!﹂
 ラヴィアラが敵と応戦しながら叫ぶ。
 たしかに、ここでガイゼルに逃げられると面倒なことになる。
﹁わかった! でも、お前も来い!﹂
﹁えっ⋮⋮?﹂
﹁お前を守る時、俺はもっと強くなるんだよ!﹂
 ︱︱そうだ。それぞ覇王の意気。そのまま突き進むがいい。
 心の声からも応援を受けた。
 言われなくてもやってやる。
 俺とラヴィアラはガイゼル目指して走った。
 ガイゼルの前にも敵がいたことはいた。
 しかし、ザコもいいところだった。
 ︱︱職業ボーナス。立ちはだかる敵を威圧し、能力を20%減退
させる。ただし、自分に自信のある敵には効果がない。

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 なるほど、こんな効果もくれるのか。
 これで職業が戦士の人間でも、強い一般人程度のスペックにまで
引き下げられる。
 相手は明らかに俺の前に来ると委縮する。
 びくついて武器もまともに握れなくなる。
﹁邪魔だ! 覇道の前に立ちふさがるな!﹂
 火の粉みたいに容赦なく振り払う。
 職業オダノブナガの正しいふるまいがわかってきた。
 この職業は覇王として生きれば生きるほど、俺の力を強化する。
 今の身体能力は明らかにたんなる兵士のそれを超えている。
 しかも、今の俺はラヴィアラを守ろうとしてもいた。だから、あ
の特殊能力も付く。
 ︱︱特殊能力︻覇王の矜持︼発動。自分の所有物を守ろうとした
時、攻撃力が二倍に。
 正真正銘、ラヴィアラは俺のものだ。今は胸を張ってそう言える。
 剣を一閃すれば、敵の武器が吹き飛ぶ。
 もう一薙ぎすれば、敵の首が吹き飛ぶ。
 俺は負けない。負けるはずがない。
﹁暗殺を考えていたぐらいだから、敵の数はたいしたことないです
ね! このまま行きましょう!﹂
﹁そうだな! まあ、絶対に逃がさないけどな!﹂

70
 裏口はすでにこちらの軍人で固めさせている。ほかにも逃げ道を
作っているかもしれないが。あるいは変装でも正面から逃げようと
するだろうか? 
 そして、子爵の部屋の前で守っている兵士二人を斬り殺して、中
に押し入った。
 ガイゼルは病人の格好をして、ベッドでふるえていた。
﹁兄上、このようなつまらぬ策を弄しても何も変わりませんよ﹂
﹁違う⋮⋮これは何かの間違いだ⋮⋮。私は何も知らない⋮⋮。弟
の暗殺を考えたりなどしていない⋮⋮﹂
 ︱︱卑屈者め。声を聞くだけで耳を洗いたくなるわ!
 心の声が吠えた。
 覇王にとってみれば、こういう土壇場で身を取り繕おうとする奴
は一番許せないのだろう。
﹁では、ご病気というのは本当なのですか?﹂
﹁そ、そうだ⋮⋮。今、ここでお前にネイヴル領を譲る! たった
今、お前がネイヴル領主だ!﹂
﹁それは大変ありがたいこと。謹んでお受けいたします﹂
 俺はその場で跪いた。
 ガイゼルがナイフを握ったのがわかった。
﹁くそっ! 死ねえっ!﹂
 ガイゼルがナイフを振り下ろす。
 最期までクズだったな。

71
﹁覚えておけ! 領主に反逆する者は死罪なんだよっ!﹂
 ︱︱ズドオォォォォォン!
 俺は剣をガイゼルの心臓に突き立てた。
 ガイゼルはナイフをその場に落とした。
 一撃で絶命させた。
 生き延びられるチャンスを与えたつもりだったけど、そういうこ
とがまったくわからない奴だったな。
﹁お見事な一撃でした、アルスロッド様﹂
 ラヴィアラが笑って言った。
﹁いえ、子爵様ですね﹂
﹁そういうことだな。といってもネイヴル子爵の領土は一郡半だ。
まだまだ狭すぎる。ミネリアは一県を支配していて、伯爵を名乗っ
てるのに﹂
 もっと、大きくならないとやっていけない。
 まずは周囲の似たような規模の勢力を叩きつぶしていくか。
 そこにシヴィークが入ってきた。
 ということは、敵の鎮圧は無事にすんだということだ。
﹁刺客はすべて殺しました。もう、敵の動きはないかと﹂
﹁わかった。こちらも片付いた。賊が出たので、安全がわかるまで
子爵の部屋に近づかぬように言っておいてくれ﹂
 その後、ネイヴル子爵ガイゼルは今わの際で弟のハルト男爵アル
スロッドに地位を譲ったということが各地に伝えられた。

72
 ガイゼル派だった連中はまさか病気がウソであったとは言えない
だろうし、これで決着はついた。もし、まだ従う気がないのなら、
一つずつつぶしていけばいい。
 俺は晴れて、ネイヴル子爵の地位を継承した。
 ひとまず祝いとして、領内一円の税を一時的に安くしてやった。
これで、民衆も俺を歓迎してくれるだろう。

 混乱が収まった四日後、ネイヴル城の清掃も終わり、俺は城に入
った。
 暗殺者の騒動は他領の者がネイヴル家の断絶を狙ったものとして
説明された。死にそうだったガイゼルだけでなく、後継者のアルス
ロッドも殺そうとしたのだ︱︱ということになった。
 アルスロッドを騙し討ちにしようとしたガイゼルをアルスロッド
が逆に殺したのだと言える勇気がある者は誰もいないだろう。
 俺が領主の席に着く。
 一段低いところでは、新しい家臣団がずらっと並んでいる。俺に
従っていた者もかなり含まれている。多くが生き生きとした顔にな
っていた。ネイヴルの新しい時代がはじまるのだ。
﹁俺はネイヴルを維持するのではなく、もっと発展させていく。一
言で言うとだな、覇王を目指す﹂
 その言葉にあっけにとられている者もいれば、くすくす笑い出す
者もいた。
﹁おかしくなどないぞ。俺は十分に覇王になる素質は持っているつ

73
もりだ。村半分の領地から、ここまでのし上がった。兄が存命の時
から兄に次いで領内第二位の勢力にはなっていた﹂
 俺の言葉に冗談だと思って笑ってしまっていた者は恥じ入るよう
な顔になった。
 まあ、笑っていた理由もわかるから、怒ったりはしない。
﹁よく見ていてくれ。いつのまにやら、領地が十倍の広さになって
いるからな﹂
 もっとも、十倍なんてつまらないものを目標にはしていないけど
な。
 俺は国を興すつもりでやるぞ。
10 領主権奪取︵後書き︶
領主目指す編は、領主になったので終了です! 次回から領土拡大
を目指します!
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11 魔王なるもの︵前書き︶
今日も日間1位! 本当にありがとうございます! まだまだ走り
続けたいと思います!
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11 魔王なるもの
 俺が領主になった直後はしばらく庶務で忙しかった。
 まず、代替わりになったので所領保護の書状を、家臣や領内の神
殿などの施設に送らないといけない。
 これまでは前領主のガイゼルの名で所領保護を約束していたので、
俺のアルスロッドの名前で出しなおさないといけないのだ。
 まあ、これは内容のチェックをすればいいだけなので、事務的に
やればいい。
 ただ、人と会うのは、どうしても時間をとるし、気疲れもする。
 いろんな人間が新領主にあいさつに来るので、これを迎え入れな
いといけないのだ。これはこっちの都合ばかりで合わせられないし、

76
外交使節をむげに扱うと失礼にもなる。
 ちなみにラヴィアラも側近としていつも横にいたので、同じよう
に疲れていた。
﹁あ∼、肩がこりますね⋮⋮。アルスロッド様⋮⋮﹂
 ラヴィアラは肩をしきりに押さえていた。俺とラヴィアラしかい
ない時になると、少しラヴィアラも素を出す。気心知れない家臣が
たくさんいる場だと、どうしても俺の側近として力を入れてないと
いけないからな。
 ちなみにラヴィアラは正式に妻としては迎えていない。立場上、
政略結婚は必須なので、あまりおおっぴらにラヴィアラと婚儀を挙
げてしまうと、その不都合になるからだ。あと、寂しい話だが、ラ
ヴィアラはハーフエルフだから正室にすると言うと、身分的に好ま
しくないと言い出す奴もいるだろう。
 とはいえ、領主なんだから愛人が何人かいても咎められることは
ない。もう、俺も十八歳だし、むしろ子供がいないままのほうが問
題なぐらいだ。早く、ラヴィアラとの間に子供もほしいと思う。
﹁しょうがないだろ。こういう面倒な仕事も領主のつとめだ﹂
﹁子爵になったから、もっと華々しい生活ができるかと思ったんで
すけど、そうでもないんですね⋮⋮。ああ、十代でこんなに肩がこ
るなんて⋮⋮﹂
﹁なら、肩でももんでやろうか。今はほかに誰もいないし、俺の威
厳も損なわれないだろ﹂
﹁えっ、アルスロッド様がですか!? 畏れ多いです!﹂
 ラヴィアラは赤面して手を横に振った。

77
 ある意味、妻でもあるんだけど、ラヴィアラは臣下の立場は崩さ
ない。
﹁なんで今更肩をもむのに、照れてるんだよ。ほら、貸してみろ﹂
 ちょっと強引にラヴィアラの肩に手をやった。想像以上に固くな
っている。
﹁お前、どれだけ緊張しながら、俺の政務に付き合ってるんだ⋮⋮
?﹂
﹁だって、いつどこアルスロッド様のお命を狙う賊が潜んでいると
も限らないじゃないですか⋮⋮。あっ、そこ、効きますぅ∼﹂
 ラヴィアラも肩をほぐされて、だいぶリラックスしてきたらしい。
 ちょっと、イタズラしてそのハーフエルフ特有の、エルフほどと
がってはないけど、確実にとがってる耳に息を吹きかけてみる。
﹁ふぅ﹂
﹁あっ、やめてください⋮⋮ラヴィアラ、本当に耳は、ダメ、ダメ
なんですぅ⋮⋮﹂
 ラヴィアラがへたりこんでしまった。足にも力が入らないらしい。
想像以上に効果がありすぎた。
﹁悪い。ここまでとは思わなかった⋮⋮﹂
﹁こ、こういうのは、ダメですよ⋮⋮。よ、よ⋮⋮夜まで待ってく
ださい⋮⋮﹂
 顔を赤らめてそう言うラヴィアラを見てたら、こっちまで恥ずか
しくなってきた⋮⋮。
﹁わかった⋮⋮。夜にな⋮⋮﹂
 まさか、ラヴィアラとこんな関係になるだなんて、月日が経つの
は早いと思う。数年前まで一緒に勉強したり、剣や弓の練習をして
いたのに。

78
 と、そこに家臣があいさつに来た者がいると伝えてきた。
﹁筆頭神殿の神官殿がごあいさつにいらっしゃいました!﹂
 筆頭神殿というのは、領内で最も重要な神殿と領主が認めた神殿
のことだ。郡の中にもいくつも神殿はあるので、その統制のために
も筆頭神殿から第五神殿まで大きな神殿には格付けを行っているの
だ。
﹁わかった。通してくれ﹂
 あいさつに来たのは俺にオダノブナガという職業を与えたあの神
官だった。もさもさの白いヒゲをたくわえている。
﹁お久しぶりでございます。神官のエルナータでございます。まさ
か、子爵様まで出世なされるとはあの時は思っておりませんでした﹂
﹁兄上が病気になられたのでな。めぐり合わせなだけだ﹂
 表面上はガイゼルは病死したことにしている。わざわざ兄殺しの
汚名を着ることもない。あの世にいった兄も、弟を殺そうとして逆
に殺されたということを後世に広められるよりはマシだろう。
﹁オダノブナガという職業は有用に働いておりますでしょうか? 
私も託宣を述べた立場として心配しておりました﹂
﹁それなら何の心配もいらんさ。むしろ、感謝しているぐらいだ﹂
 この職業のおかげで領主になれたようなものだ。
﹁はい、それで少しお時間をいただければ、オダノブナガという言
葉について音声診断をいたそうかと思いました﹂
 音声診断というのは名称の音の響きで行う一種の占いだ。
 ︱︱ふん、くだらぬ。占いなどで何かがわかれば、戦争で負ける

79
者などおらぬはずだ。縁起をかついだ出陣ばかり、どこの大名もし
ておったはずだからな。
 心の声が文句を言った。たしかに一理あるな。戦争はたいがい、
どこの領主も運がいい日や時間を意識して出陣する。それで勝てる
なら負ける人間はいないことになる。
 人の名前を付ける時も明らかに不吉とされる音声にはしないはず
だから、その論理でいくと、不幸な人間はいないことになる。だが、
現実には戦死した人間も若くして病死した人間も無数にいる。
 けど、このオダノブナガについてどんな結果が出るのかは素直に
興味があった。
﹁よし、やってみてくれ。何時間もかかるわけではないだろうし﹂
﹁かしこまりました﹂
 神官エルナータは床に布を敷いて、その上に砂を方陣状になるよ
うに垂らした。それからオダノブナガという名前を中央に書く。
﹁どういった結果になるんでしょうかね?﹂
 ラヴィアラも興味深そうにその様子を見守っている。ラヴィアラ
は自分のことより俺のことにいつも興味があるのだ。
﹁おお、これは⋮⋮なんということだ⋮⋮﹂
﹁どう、なされた? そんなに奇妙な結果が出たのか?﹂
﹁オダノブナガという音は、いわば魔王なるものを意味します⋮⋮﹂
﹁魔王? それはモンスターを統べて世界を支配するとかいう、あ
の魔王か?﹂
 この世界にはゴブリンやオークといった亜人もいれば、精霊のよ

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うなものも住んでいるし、ビヒモスやクラーケンといったモンスタ
ーもいる。だが、モンスターを支配する魔王の存在は伝説にはなっ
ているが、実在は確かめられてはいない。
﹁はい⋮⋮。戦士とか魔法使いといった職業名で言えば、魔王と呼
ぶのが一番適切でしょうか⋮⋮。気を害してしまったら申し訳ござ
いません⋮⋮﹂
 ︱︱魔王か。その神官、なかなか見る目があるではないか! た
しかに魔王を戯れで名乗ったこともあったな!
 心の声が笑った。
 俺も思わず、笑ってしまった。
﹁あの、何がおかしいのでしょうか⋮⋮?﹂
﹁いやいや、それは吉報だと思ったのだ﹂
 ラヴィアラは俺の気持ちがわかっているらしかった。
﹁魔王といえども、王の内ですからね。ネイヴルの領主にとどまら
ず、王を目指していらっしゃるアルスロッド様にはふさわしい職業
です!﹂
﹁そういうことだ。まあ、せいぜい魔に染まらぬように仁政を志す
さ﹂
81
11 魔王なるもの︵後書き︶
今日も二回更新を目指したいです。夕方か夜かまだ怪しいですがも
う一度更新します!
82
12 最強の射手︵前書き︶
まだ日間1位にいれてうれしいです! これからもしっかり更新し
ます!
83
12 最強の射手
 やっぱり、オダノブナガは特別な職業だった。
 魔王も王には違いないだろうだラヴィアラも言ったが、そのとお
りだ。
 王という言葉の入った職業を授けられることなど前代未聞だろう。
王朝の力が強い世が世なら、それだけで不敬として罰せられたかも
しれない。
﹁あの⋮⋮いくら衰えているとはいえ、王家は現在も続いておりま
す⋮⋮。あまり滅多なことを申されませんように⋮⋮﹂
 神官エルナータは気が小さいのか、俺を諫めた。ここで調子よく、
きっと王になれますと言われたほうが信頼できなくなるし、これで
いいけどな。オダノブナガがどういう職業かはっきりとはわかって

84
ないだろうし。
﹁ああ、案ずるな。俺は王家を守り立てる機会を与えられれば、是
非そうするつもりだ。まだ、郡単位の領主でしかないからずいぶん
と先のことになるが﹂
 傾いた王家を守るためといって、そこで実権を得ていくのも、か
つての王朝簒奪の常套手段だ。とはいえ、そういうことをやると、
周囲の領主を刺激するから、もっと力を確固たるものにしないとい
けない。
 と、その時、案を一つ思いついた。
﹁そうだ、ラヴィアラ、お前、まだ大人としての職業を授けられて
ないよな?﹂
﹁ずっとのびのびにしていましたね⋮⋮。あまり落ち着いた時間が
とれませんでしたので﹂
 俺の立場が激変したので、側近のラヴィアラも時間を確保しづら
かったというのは事実だ。
﹁ちょうど神官殿がいるのだ。城の礼拝堂で問題なければ、そこで
職業を授けてもらえばいい﹂
 神官エルナータも﹁礼拝堂が整っていれば広さなどは関係ありま
せん﹂と言った。そりゃ、村の小さな礼拝堂で大半の農民は職業を
授けてもらっているのだから当然だ。
﹁はい。どうか、いい職業になりますように⋮⋮﹂
 こうして、俺たちは礼拝堂に移動した。
 また、オダノブナガみたいな変な職業になったりするんだろうか。
まあ、そう立て続けに起こらないよな⋮⋮。もし、オダノブナガと

85
敵対する領主の名前でも授かったらややこしいことになるし。
 俺の時と同じように儀式は進む。儀式といっても、ラヴィアラが
跪いているところに神官が託宣を告げるだけのことだ。
﹁ラヴィアラ殿の職業は⋮⋮⋮⋮射手です﹂
﹁なんだ、思った以上に普通ですね﹂
 ラヴィアラが率直な感想を言った。
﹁いえ、射手はそこそこ珍しい職業なのですが⋮⋮﹂
﹁オダノブナガと比べれば、全然普通ですよ﹂
 そりゃ、世界で俺しかいないだろうからな。
 ずっと、ラヴィアラは弓で活躍していたのでまっとうな職業と言
える。
﹁射手は戦闘時の、弓矢の攻撃力が通常の30パーセントアップ、
さらに命中率も大幅に上昇すると言われております。まず、はずす
ことはありえなくなりましょう﹂
﹁なるほど。早速、的で試してみたいですね﹂
 善は急げとばかりにラヴィアラは城の庭に設けた練習場で、的め
がけて矢を撃つことにした。
 こころなしか、弓を構えるラヴィアラの体から金色のオーラみた
いなものが見える。
﹁すごいです。心が落ち着いているのに、気合いだけは静かに入っ
てくる感じ⋮⋮。間違いなく、これまでにないコンディションです﹂
 そして、矢を放つ。

86
 ︱︱ズドオォォォン!
 ただの矢とは思えないような音がした。
 矢はたしかに的の中心に当たっている。かつ、その周辺にいくつ
もの亀裂が入っていた。普通の矢ではありえないような威力が宿っ
ていたらしい。
﹁なんだ、これ⋮⋮。刺さったら即死ってことか⋮⋮?﹂
 すごいというより、怖いような威力だ。
﹁ラヴィアラにもまだよくわからないんですが⋮⋮﹂
﹁射手は、集中力と技量が両方備わっていると、体の魔力が矢に上
乗せされて、ダメージが三倍になると言われています⋮⋮。あくま
でも、一流の射手にしか起こらないボーナスなので、この私も目に
したことはないのですが⋮⋮﹂
 神官も怯えているレベルだった。
 つまり、もともとラヴィアラの力は一流でそこに職業がついたか
ら、チート級になったってことか。
﹁もう少し試してみますね﹂
 今度は違う的にラヴィアラは矢を放つ。
 ︱︱ズヴァァァァァァン!
 的に刺さった途端、明らかに的が弾け飛んだ。
﹁爆発魔法みたいな効果が出たぞ!﹂
 明らかにただの弓矢が発しない力が出ている。
﹁たしかに、攻撃魔法を使ったことなんてないのに、回復魔法を行
使した時のような感覚がありました⋮⋮。魔力が宿っていたようで

87
す⋮⋮﹂
 力を込めすぎたのか、少しラヴィアラは肩で息をしていた。
 それでも、とんでもない破壊力には違いがない。
 ラヴィアラは幼い時から弓矢を習っていた。しかも大人として職
業を得るのが結果的に遅くなったので、職業ボーナスなしでも戦闘
で戦えるように力を磨かないといけなかった。
 その分、職業を得たブーストで一気に強くなったのだ。
﹁ラヴィアラ、すごいぞ。これなら戦場でいくらでも戦えるな﹂
﹁はい! 今後もアルスロッド様のそばで一緒に戦いますからね!
 どんな敵だろうと撃ち抜きます!﹂
 神官がいたけど、俺はラヴィアラの頭を撫でてやった。
 もしかすると、天下無双の射手を俺は手にしたのかもしれない。
﹁ラヴィアラは立派な大人の仲間入りを果たせて、うれしいです﹂
 もしかすると、ラヴィアラはちゃんと大人として認められてない
立場に不安みたいなのを感じていたのだろうか。
﹁もう、お前は領内すべてのエルフとハーフエルフを統括していい
ような力を持ってる。心配するな。尊大なぐらい、堂々としていろ﹂
 それに、本当にありがたい戦力が増えた。
 政務をこなしている間も領土拡張のことを忘れていたわけじゃな
い。
 これで近くにある似たような規模の領主を次々と叩きつぶすこと
ができそうだ。
 ︱︱そのとおりだ。まずは近場の敵を一つずつ片付けていくがよ
い。

88
 オダノブナガもそう言っているし、間違いないだろう。
 魔王でも覇王でもいいが、俺は王になるからな。
﹁ラヴィアラ、しばらく毎日、弓矢の練習をしておけ。いずれ、本
番で使うことになる﹂
﹁ということは⋮⋮﹂
﹁まずはネイヴル子爵史上最大の版図を目指す﹂
12 最強の射手︵後書き︶
次回は明日午前中に更新予定です!
89
13 隣国侵攻︵前書き︶
3日目の日間1位ありがとうございます! あと、週間1位にも入
れました! ありがとうございます! まだまだ更新します! 今
日も2回更新目指します!
90
13 隣国侵攻
 俺は兵を招集すると、東に向けて進撃した。
 ネイヴル子爵家︵つまり、この俺、アルスロッド・ネイヴルの立
場だ︶は、郡都ネイヴルのあるネイヴル郡と隣のヒージュ郡半分を
所有している。 残りのヒージュ郡とそれに引っ付いているキナー
セ郡を持っているのがマール子爵家だ。
 代々、こことは緊張関係にあった。たいていの場合、近接した領
主は領土問題で対立するものだ。ずっと蜜月の関係が続くほうがお
かしい。まずは、ここを滅ぼす。
 攻める理由は何でもいいが、代替わりをしたのにあいさつに来な
かったのが無礼ということにしておく。

91
 こちらが出す兵力は四百。もう少し上積みすることはできたが、
これぐらいのほうがいいのだ。
 この程度の兵力なら、敵は不仲な隣国︵厳密には国ではないが、
この時代の領主は独立国みたいなもの︶との小競り合いだと思うだ
ろう。
 ちょうど平地で両軍がぶつかることになった。
﹁シヴィークとラヴィアラに百人ずつ兵をつける。とっとと敵をつ
ぶしてこい。まだ、俺が出るほどでもないだろう﹂
﹁はっ! ナグラード砦の地獄の日々と比べれば、これぐらいたや
すいことです!﹂
﹁アルスロッド様と離れるのは少しだけ寂しいですけど⋮⋮撃破し
てすぐに戻ります!﹂
 二人ともやる気だった。
 そのやる気のとおりになった。
 敵の部隊は開始間もなく、どこからともなく飛んできた矢に大将
を射られて、混乱に陥った。しかも、矢のはずなのに、大将の体は
巨石で体を貫かれたようになって、即死していた。
 確実に射手の職業で大幅にパワーアップしたラヴィアラだな。
 安全と思われるようなところからラヴィアラは一撃を放つことが
できる。本来ならほぼ当たらないような一撃も、大将に刺すことが
できた。
 敵の兵士は滅多にいないような大魔法使いがこちらにいるのでは
とおののき、農民の徴集兵らしい連中から逃げ出そうとした。指揮

92
者がいなければ、兵など烏合の衆だ。
 そこにシヴィークの歴戦の部隊が突っ込んだのだから、ほとんど
戦争というより鹿狩りみたいなものだった。敵の大半はこちらと戦
うことより逃げることを優先しているのだから、戦いにすらならな
い。
﹁ラヴィアラの弓、さらに精度が増しましたよ!﹂
 なかば敵軍が消滅したあとに、ラヴィアラが戻ってきた。
﹁やっぱり、お前だな。あとで褒美をやる。そうだな、俺の領内の
エルフとハーフエルフの統率権をお前にやろうか。これだけの武勇
を見せれば、文句を言う奴もいないだろう﹂
 ラヴィアラの身分を上昇させるのも、かねてからの願いだった。
俺だけじゃなく、ラヴィアラも偉くなってほしい。
﹁アルスロッド様、ありがとうございます!﹂
﹁礼は戦争が終わって、俺が褒美をやってからでいい。次は敵領主
の一族を撃ってみろ﹂
﹁わかりました! ラヴィアラ、はりきっちゃいます!﹂
 論功行賞もほどほどに、俺たちは兵を進めて、ヒージュ郡全域を
占領した。
 どうせいつもの小競り合いだと思っていた敵はこちらの攻めを防
衛できるだけの守りをヒージュ郡の砦には施してなかった。なので、
キナーセ郡に撤退するしかなくなった。
 キナーセ郡にはマウストという川に面した商業都市がある。ここ
を奪われると、敵は致命傷になるので、その前の平野部に布陣して
きた。
 ここでどうにかして俺たちの侵攻を止めようということだろう。

93
敵の子爵もやってきた。領主が来なければ士気も上がらないからだ。
 今のところ、すべて作戦どおりだ。城を落とすのは時間がかかる
が、平野部で戦うなら、一日で決着がつく。
 敵は平野部にある小高い丘にマール子爵の当主が居座る形になっ
ていた。
 あまりにも当たり前のことだが、高いところにいるほうが戦争は
圧倒的に有利だ。弓矢や投石で狙うにしても、上から下に撃つほう
が速度が増して、威力が出る。
 軍議の場でもこれを一気に攻めると多くの犠牲者が出てしまうと
いうことで、多くの者が尻込みした。それが自然な反応だ。
 しかし、なぜか、俺はかえって胸が高鳴るのを感じた。
﹁まさか、敵はこっちが正面から丘に上がってくるとは思っておら
んだろうな。だからこそ、思ったよりも当主周辺の守りの層は薄い﹂
 ︱︱お前はやはり素質があるな。好機がいつかということをわか
っておる。
 オダノブナガが感心してくれた。
 ︱︱今川義元を討ち取ったのもこんなところだった。あの時は雨
のおかげで敵も油断していたのだろうが、今のお前にはその分、職
業の力がある。
 あの職業ボーナスだな。
 オダノブナガという職業は立ちはだかる敵の能力を20%減退さ
せる力を持っている。覇王としての有様に敵が委縮するのだ。

94
 さらに特殊能力︻覇王の力︼で戦闘中のすべての能力が二倍にな
る。
 はっきり言って、剣豪でも領主の前にいない限り、俺を止めるこ
とはまず無理だ。
﹁俺がここは攻め込む﹂
 はっきりとそう宣言した。
﹁いくらなんでも危険です!﹂﹁ご自重ください!﹂
 そんな声が出る。それはそれで家臣として必要な言葉だ。気にせ
ず行ってくださいと言われても困る。
﹁そうだ。危険だ。だからこそ、敵も俺が来るとは絶対に思ってい
ない。連中には俺とまみえる度胸などないのだ。戦う気力のない者
など何人おっても意味はない。まして、実際のところ、兵力をたい
して割いてはいないときている。攻めないのがもったいないぐらい
だ﹂
 言葉にすればするほど、勝てると確信が湧いてきた。
﹁地理的には敵のほうが有利だ。逆に言えば、我々が丘まで登って
しまえばただの乱戦で、地の利などない。いいか、俺が丘までたど
り着くまで盾で俺の身を全力で守れ。あとは俺が敵の子爵を討ち取
ってやる。誰か、盾の役目をする者は?﹂
 すぐにラヴィアラが手を挙げた。
﹁ラヴィアラ、お前はもっと離れたところから、俺の援護をしてく
れ。乱戦ではお前の弓が活きない﹂
﹁わかりました⋮⋮﹂
 不服そうにしてるけど、これはしょうがない。

95
 村を領していた頃に俺のところに士官に来た者が挙手してきた。
こいつらはそもそも自分の力で一旗あげたい連中だからな。
﹁よし、お前たちの武勇を買った! 敵の連携が取れない夜を狙っ
て決行する!﹂
 正直なところ、わざわざ危険をことやるにはそれなりの意義がな
いといけない。
 この戦争にはそれだけの意義があった。
 ここで俺が敵を討ち取れば、俺の武名はこれまでと比べられない
ほどに拡散する。それは砦を防衛したという領内近辺の評判にはと
どまらない。
 優秀な戦士というのは、指揮官もまた戦士としての力を兼ね備え
ていると思わなければ、ついてはこない。ここで俺がフォードネリ
ア県随一の領主であるということを見せつければ、後々までもその
武名は残る。
 だからこそ、絶対に成功させないといけないし、成功させる。
 俺の目的は王になることだ。それこそが俺だけでなく、ラヴィア
ラも民もみんな幸せにするのに、一番近い。
 この王国では今、いくつもの小さな衝突が毎日のように起きてい
る。それは事実上、異なる国である領主が無数に分かれているから
だ。所領を広げれば、その土地の内部では小競り合いも起きない。
 俺が平和状態を築いてやる。 96
13 隣国侵攻︵後書き︶
次の更新は夜になりそうです。よろしくお願いします!
97
14 隣国制圧︵前書き︶
ぎりぎり日間1位をキープしていました︵13点差ですが⋮⋮︶。
ありがとうございます! 週間1位もありがとうございます!
98
14 隣国制圧
 そして、夜になった。
 空気でわかる。敵の気持ちは弛緩している。
 マール子爵家はかなりの間、本格的な戦争はしてこなかったはず
だ。本格的な戦争ばかりだと、大敗した時に滅亡の危機に瀕するか
ら、よほど勝つ自信がなければみんなそういったものは避ける。
 とくに俺の土地から見て東側には中小の領主が多い。ミネリア領
みたいな一県レベルを支配する伯爵位を持つ者もほぼいない。だか
らこそ、どこも本格的な戦争を避けて、どうにか自分の土地を守る
ことだけは果たしてきたのだ。

99
 自分のところはそちらを全力で攻めないから、そちらも見逃して
くれ︱︱そんな暗黙の了解を多くの領主が守ってきた。
 そんなことを続けていても、いずれミネリアみたいな大きな勢力
に滅ぼされるだけだ。ルールというのは力が伴っているからこそ、
価値を持つ。一匹のカマキリが大きな牛にルールを押し付けようと
しても踏まれれば、ひとたまりもない。
﹁今から作戦を行う。朝には笑顔で再会できることを祈っているぞ﹂
 俺のいる部隊は敵の子爵がいる丘の上を目指す。
 もちろん、物見の兵はいるだろうし、敵もこちらに気づいて、矢
を撃ちかけてきた。
 これは大きな盾を掲げたこちらの兵が防ぐ。
 だんだんと俺たちは敵の側に接近する。
 距離が近づいてくると、敵も槍や剣に持ち替えて、防ごうとする。
弓矢で追い払えるものではないと判断したらしい。
 いよいよ、乱戦のはじまりだな。俺の前のほうで斬り合いがはじ
まる。
 敵には地の利はあったが、こちらが攻めてくると想定してなかっ
た分、おろおろとしている。そして、俺たちに丘にまで上がられだ
している。
 ここから先は攻めていると感じている側が心理的に有利になる。
 俺がいたあたりも乱戦に巻き込まれだした。もう、敵の子爵がい

100
るところまで、そう距離はない。
﹁よし、お前たち、よく弓矢を防いだ! あとは自分の身を守るこ
とを考えていろ!﹂
 俺は盾の壁から飛び出す。
 そして、剣を持って、突っ込んでいく。
 至近距離までくれば、味方に当たる矢はほぼ使えない。剣での勝
負なら、今の俺ならほぼ負けることもない。
 一人一人、確実にこちらを攻撃してくる奴を斬っていく。
 まだ、こちらの素性に気づいてない奴も多いな。かなり敵の大将
まで迫っているし、名前を出してもいいか。味方の士気を高める効
果のほうが大きい。
 それに俺はここではっきりと英雄になっておく必要がある。
﹁お前ら! 俺の名はアルスロッド・ネイヴル、ネイヴル子爵だ!
 そちらの子爵を出せ! ここで雌雄を決しようじゃないか!﹂
 敵兵もさすがに俺が来てることに気づけば目の色を変えた。俺を
殺せば大きな手柄になるからだ。
 とはいえ、恐怖心はない。
 これは自分で決めてやったことだからだ。
 こっちは平常心だ。一方で、向こうは落ち着いてなどいられない。
一つずつ、ゴールに近づいていけばいい。
 俺を無理に狙おうとする分、大将を守る陣形も崩れている。もう、
どうとでもなる形だ。もちろん、俺以外にも攻め込んでいるこちら

101
の兵が敵を押し込んでいる。丘の上まで上がってしまえば、敵と互
角以上に渡り合える。こっちの兵は覚悟を決めて参加してる連中ば
かりだからな。
 マール子爵との間にある敵を順番に斬っていく。俺と相対すると、
敵の能力は自動的に下がる。職業のボーナスだ。だから、よほど秀
でていないと、俺に勝つことなんてできない。
 そして、ついてにマール子爵の前にいる最後の一人を刺し殺した。
月明かりのおかげで視界は開けている。
 俺の動きは軽快だ。息もほとんど上がっていない。
﹁さあ、マール子爵、一騎打ちをいたしましょう﹂
 相手の子爵は四十歳ほどの中年男だ。俺を見ただけですでに怖気
づいている。
﹁どうして⋮⋮お前がこんなところに⋮⋮﹂
 ︱︱やはり、ザコか。お前と同じ領主とは思えんな。覇気という
ものがまったくない。これでは好機があろうと逃がしてしまうわ。
 心の声が言うとおりだな。最初から戦おうという意思がない。俺
を殺して名を上げようという気持ちすらないのだ。
﹁くそ⋮⋮ここは逃げ⋮⋮﹂
 なんと敵は俺から背を向けて逃げ出そうとする。
 それは考えてもなかった。もう、子爵の地位なんて自分から捨て
てほしいレベルだ。
 その子爵の足に矢が刺さる。
 そのまま、マール子爵が転倒する。

102
 大きな矢は足を貫いて、地面にまで刺さっていた。完全に敵は地
面に打ちつけられていた。

こわゆみ
﹁ネイヴル子爵の腹心、強弓のラヴィアラ! 臆病な子爵に一射を
放った次第! 夜闇の中といえ、油断めされるな!﹂
 遠くからラヴィアラの声がする。助かった。では、ゆっくりと自
分の役目を果たさせてもらおうか。
 剣を勢いよく横に薙いだ。
 俺はマール子爵の首を背後から一撃で斬り落とした。
 すぐにその首を取る。誰もその首を奪いにも来ないから、たいし
て部下からの尊敬も集めてないんだろう。
﹁マール子爵の首を取ったぞ! 俺たち、ネイヴル子爵の勝ちだ!﹂
 その声を聞いた敵方陣営はあわてて逃げ出していった。そこを背
後から俺の兵士たちが背中から斬って、突いていく。
 やはり、小競り合いが当たり前になっていたから、全力で敵が来
た場合の対処策がなかったらしい。この様子だと、似たような勢力
は軒並み勢力下に置けそうだな。
 ︱︱ああ、なつかしい。信長の時代を思い出すわい。
 オダノブナガも何かにひたっていた。きっと、オダノブナガも破
竹の勢いでザコを一掃する時期があったのだろう。

103
 当主の子爵が討たれたことで相手方は、機能不全に陥り、そのま
ま抵抗も見せずに降伏した。
 一族には、ひとまずある程度の土地を与えて、家臣に組み入れる
ことにした。完全に滅ぼしてしまうと、ほかの領主が徹底抗戦をし
てくる恐れがある。
 こうして、俺はヒージュ郡とキナーセ郡も完全に支配下に組み込
むことになった。都合三郡を支配したわけだ。ネイヴル子爵として
の最大版図はこれにてあっさり実現した。
 といっても、これですべてが終わったわけではない。
 俺が単身で敵に突っ込んでマール子爵の首を取った、そう各地に
喧伝させた。
 勇名を馳せて損をすることはないからな。また、武人が仕官した
いとやってきてくれるなら、そのほうがいい。
 これで俺の武力を恐れて、周囲の領主が自分から従ってくれれば
最高だが、別にそうでなくてもこっちから滅ぼさせてもらう。面従
腹背ということもあるし、はっきり力で制圧しておくほうが安全で
はある。
 ネイヴル城に戻ると、また祝いに来る者が後を絶たなくなった。
 こればっかりは面倒でもどうしようもないな。
 その日も四回、会見の時間をとることになった。
﹁さすがに肩が疲れてきたな⋮⋮﹂
﹁じゃあ、肩もんであげましょうか?﹂
 ラヴィアラが楽しそうに言ってきた。
﹁でも、耳に息は吹きかけるなよ﹂

104
﹁自分の時だけ、勝手ですね⋮⋮﹂
14 隣国制圧︵後書き︶
一族の最大版図を実現しました。さらに土地を広げて、いきます!
 明日も二回更新を目指します!
105
15 大国との会談準備︵前書き︶
日間2位、週間1位ありがとうございます!︵朝10時50分現在︶
 今回から前回、砦で戦ったミネリアとの話になります。
106
15 大国との会談準備
 俺はそのあとも周辺の小領主を次々につぶしていった。
 もともと、どんぐりの背比べだった勢力のうち、一か所が急成長
すると、一方的な戦いになる。
 これは数字で表現すると、わかりやすい。
 各領主の勢力が6から8までの三つの数字の間に収まっていると
する。ただし、数字が大きいほうが常に勝つとは限らず、だいたい
力は拮抗しているとする。
 そこで7の勢力が8の勢力を吸収して15になると、そこに単独
で勝てる勢力は全くいなくなる。
 二か所目、三か所目の攻略は正直言って、マール子爵家を滅ぼす
時より、はるかに楽だった。

107
 まず、調略でこちらの味方になる敵方の家臣を増やしておく。こ
ちらの攻撃を恐れる家臣は割合、あっさりこれに乗る。そこを攻め
ると、裏切りが出て、簡単に敵は壊滅する。
 仮に事前に敵がそのことに気づいて、家臣を粛清したとしても、
敵の力を殺ぐことができるから、こっちには有利に働く。
 結局、フォードネリア県の十二郡のうち、七郡をマール子爵家を
倒してから半年で支配するようになった。
 もう、規模としては伯爵を名乗れなくもない立場なので、傾いて
いる王家に伯爵号使用の許可を求めて、金を送った。
 こういう体面も重要だ。たとえば、伯爵からの服属命令なら立場
的に従いやすくても、同格の子爵の命令ならプライドから首を縦に
振れないという領主だっているだろう。
 地方領主というのはつまり、田舎貴族。田舎にいようと貴族は貴
族だから、面子にはこだわりを見せる者が多い。だからこそ、実力
だけでなく、形式面でも上にならないといけない。
 伯爵を名乗ってよいという王家からの許可はあっさりと出た。
 これで県の名称をとってフォードネリア伯爵と名乗れないことも
ないけど、県全域を支配しているわけじゃないから、ネイヴル伯爵
のほうが据わりはいいだろう。県の名前をつけると、残ってる勢力
を刺激することにもなる。
 伯爵になって、しばらくのうちは新たに入った領地の整備に時間
をかけることにした。

108
 まず、ネイヴルを中心に商業を発展させたい何箇所かで出店税が
無料の場所を作った。地元の市でやった時と同じシステムを各地に
増やしたのだ。
 さらに商業組合に加入しなくても出店できるようにシステムも変
えた。
 オダノブナガいわく、これは﹁ラクイチラクザ﹂というらしい。
邪教の呪文みたいな発音の言葉だが、この場合の﹁ザ﹂というのは
商業組合のことだという。
 商業組合からは当然のごとく反発を受けたが、領主の命令である
ということで強引に押し通した。
 商業組合も大昔に成立した時は、商人を保護するためのものとし
ての価値もあったが、だんだんと既得権益を守るための団体になっ
てしまった。結果として、新たな商人の参入が難しい商売が増えて
きたのだ。
 それに、組合があるせいで、物の値段も高めに設定されてしまう
ということにもつながる。
 こういったテコ入れで、まず都市が発展した。郡都ネイヴルの人
口が増えてきているのを明らかに実感するし、税収も確実に増えて
きている。都市が発展することは、俺の国︵領内には、ネイヴル家
が定めた法が通用するのだから、もう国と言っていいだろう︶にも
プラスになる。
 遠方の商人も俺のところにやってくるようになった。金になると
目をつけたのだろう。こっちとしても、もっと金を落としてくれる
ならありがたい。
 都市が豊かになっていく中で財務官僚も雇うことにした。

109
﹁伯爵様、ごきげんうるわしゅうございます﹂
 俺の前で、犬耳のワーウルフの男が頭を下げていた。
 ファンネリアという大商人だ。もともと油を中心に商っていて、
そこから富を増やして様々な品目を扱うようになっていったらしい。
﹁うむ、領地も広くなって、俺だけだと管理ができないからな。よ
ろしく頼むぞ﹂
﹁はい。わたくしとしても、商業組合を廃止していただけたおかげ
で、商売がしやすくなります。これからは組合に属するような小規
模な商人が何かをやる時代ではなくなっていくはずです﹂
﹁同意見だ。だから、お前を雇った。頼むぞ﹂
﹁はい、おそらくですが、川に面した港町の中で、もっと発展させ
られる場所があるように思います。少し調査をさせてくださいませ。
大きな船で交易をする時代がいずれやってくるかと考えています﹂
﹁わかった。場合によっては、港の改修にも金を出す﹂
 しばらくはファンネリアに商業の管理をさせておく必要があった。
 というのも、西側の大国との関係を考えないといけない状況にな
っていたからだ。
 俺が砦を死守した時に戦った、ミネリア領だ。
 カルティス伯爵家が代々、ブランタール県を支配している。その
中でも最大の都市がミネリアなので、ミネリア領と呼ばれている。
 現在、ミネリアとの戦争状態は一時休戦となってはいる。だから
こそ、こちらもその隙に勢力を広げたのだが、いいかげん向こうも
気になってきただろう。

110
 そしたら、向こうからちょうど使者がやってきたのだ。純粋な家
臣というわけではなく、神官だった。使者として神官を利用すると
いうことは、どこの国でもよくやる。
 使者が来るなんてことは長らくなかったから、城内はピリピリし
ていた。
 とくにラヴィアラが﹁お前は何をしにきたんだ﹂とでも言い出し
そうな顔で、使者をにらんでいる。ただし、使者である神官のほう
はそういうのに慣れているのか、割合と堂々としていたが。
﹁このたびは、子爵が伯爵位を取得したことのお祝いに参りました﹂
﹁そうか、それはうれしい。伯爵の先輩にそう言ってもらえるとは
な﹂
 いきなり喧嘩腰になったら、田舎者丸出しだ。鷹揚に応じる。
﹁現在、ミネリアは北側に兵を進める準備をしております。そこで
休戦と言わず、もっと強い同盟関係をネイヴルと結びたいと考えて
いまして。一度、伯爵同士で会談することはできないでしょうか?
 場所は両国の国境近くの神殿で行うというのはいかがでしょう﹂
 なるほどな。提案する内容を聞くだけならまともなものだが。
﹁アルスロッド様、騙し討ちの計略かもしれません。ご注意くださ
い﹂
 ラヴィアラがすぐに注意を促した。それぐらいの懸念は俺もある。
 一方で、相手の使者は表情に笑みを張り付かせている。なかなか
慣れた奴だ。
﹁疑いになられるのも無理はないかもしれませんね。ご判断はお任
せいたします。ただ︱︱﹂

111
﹁こちらも同盟を結んだほうが西側に意識を払わずに済むからあり
がたいかもしれないな。ミネリアに今、攻められると、東のほかの
領主を倒す兵力を割けなくなる﹂
 俺は相手の話をさえぎって言った。
﹁お話が早くて、助かります﹂
 場合によっては、こっちを攻めてもいいのだぞという脅しだ。
 まだ国力ではミネリアのほうが明らかに大きい。面積でも相手が
倍ほど大きくて、人口や兵力もあっちが上だ。長らく、一県を支配
していたから、俺の領地より求心力もあるだろう。
 つまるところ、敵︵少なくともこの使者︶はまだ俺を舐めている
わけだ。
 どうにか伯爵位を得ただけの成り上がり者程度にしか見ていない
だろう。
 そのことはラヴィアラもすぐにわかったらしく、険しい顔をして
いた。
﹁ネイヴルとアルスロッド様を侮辱しに来たんですか? こっちか
ら攻めこんでもいいんですよ?﹂
﹁もしも、戦争となったら、ネイヴルの近隣の領主と同盟をして戦
争せざるをえませんな。おそらく、全方位からの攻撃に耐えうるほ
どの兵力はとれないでしょうから﹂
 ぐぬぬ、という顔にラヴィアラはなる。
 けど、実はそのラヴィアラの態度がありがたくもあった。それと、
使者の態度も。
﹁わかった。ミネリアの伯爵と会談をさせていただこう﹂
 俺は会談の日程を決めて、使者を帰した。

112
 そのあと、ラヴィアラと二人きりになった時にいろいろと言われ
た。
﹁アルスロッド様、どうしてあのような話をお受けになったんです
か? 表面上は丁寧でも相手は尊大でしたよ﹂
﹁だから、いいんだ。これで会談で逆の印象を与えることができれ
ば、相手はこちらを侮っていたことを恥じる。ミネリアを引き込む
こと自体の価値はあるからな。まだミネリアと争う時期じゃない﹂
﹁ですが、アルスロッド様を侮っている者の印象をどうやって変え
るんですか?﹂
﹁いくつか手はある﹂
 俺はにやりと笑った。
﹁まずは連れていく軍隊を徹底的に鍛える。肉体的ではなく、統率
的な面でな﹂
 これまでの軍隊は大半がぞろぞろと雑兵の集まりみたいに歩いて
いた。あれでは寄せ集めのようにしか見えない。
 だが、もし、それが足並みを完全に揃えてやってきたら、雰囲気
はまったく異なる。
﹁そんなこと、短期間でできるんですか?﹂
﹁できる自信はある。俺は負け惜しみを言う人間じゃないからな﹂
 実は新しい特殊能力を獲得したのだ。
 ︱︱伯爵ランクの領主になったため、特殊能力︻覇王の道標︼獲
得。指揮を受けている兵士の信頼度と集中力が50パーセント上昇。

113
15 大国との会談準備︵後書き︶
本日も2回更新目指します! 夜に更新予定です!
114
16 親衛隊を組織する︵前書き︶
1万5千点を突破しました! 本当にありがとうございます!
115
16 親衛隊を組織する
 ︱︱伯爵ランクの領主になったため、特殊能力︻覇王の道標︼獲
得。指揮を受けている兵士の信頼度と集中力が50パーセント上昇。
 この特殊能力を使えば、短期間でも限られた数の軍隊の統率力を
高めることはできるはずだ。
 ただ、特殊能力だけに頼るのはよくない。
 あくまでも職業のボーナスは元の能力に加算される。未熟な者が
どんなボーナスを得てもその効果は小さい。今回の場合、まず兵士
たちがある程度でもやる気になってくれないと、せっかくの特殊能
力も薄れてしまう。

116
 そこで、俺は親衛隊というものを組織することにした。
あかぐまたい
 さらに、これに赤い布を腕や鎧に巻いた赤熊隊、同様に白い布を
しろわしたい
巻いた部隊である白鷲隊と名前をつけた。
 これで彼らが特別な存在であると遠くからでもわかるし、そこに
抜擢された側も誇りを持ち、やる気にもなる。
 この二つの部隊はまず、こちらから選抜し、かつ、厳しい訓練に
耐えられる者だけというただし書きつきで志願者を募った。すぐに
兵士たちが集まった。特別な者になりたいという欲望は誰しもが持
っている。そこを上手くついた形だ。
くろほろ
 ︱︱これはまるで黒母衣衆と赤母衣衆のようであるな。なんとも
興味深い。
 心の声もこれと似たものを知っているらしい。あくまでも、これ
は俺のオリジナルだけど。
 ︱︱なるほどな。この覇王がお前の職業に選ばれた理由がわかっ
た。
 せっかくだから、聞いておいてやるよ。いったい、その理由って
いうのは何なんだ?
 ︱︱おそらく、世界が異なっても似たような考えや発想を抱く者
は、現れるのだ。お前は織田信長に近い発想を自然と出している。
これまでも事象もすべて完全に織田信長と同じではないが、似通っ
た部分がある。だから、お前が得た職業がオダノブナガだったわけ
だ。すべては偶然ではなく必然だったのだな。
 たしかに歴史書を読んでも、まったく違う国で似たようなことを
考えた人間がいることがわかる。
 もっとも、だからといって自分に似た人間が職業になるのは謎だ

117
けど。職業は神が授けるものだから、人間が理解しようとすること
自体、畏れ多いかもしれないが。
 ︱︱お前は神を信じているのだな。あまり神を信じすぎて、足下
をすくわれたり、心のほうを巣食われることがないようにな。もっ
とも、この世界ではある程度はやむをえんか。
 今日の心の声はどうも冗長だが、これは機嫌がいい証拠らしい。
このまま、やればいいだろう。
 さてと、実際の訓練をやるか。
 俺は赤熊隊と白鷲隊を集めた。
 みんな、俺が支給した布を巻きつけて、厳しい顔をしている。も
ちろん、厳しいといっても俺を非難してる顔じゃなくて、気合いに
満ちた顔だ。
 俺はナグラード砦の作戦だけではなく、マール子爵の首を取った
ことでも名を馳せている。近隣の県で随一の英雄になったことは間
違いない。だから、俺の実力を侮っているような者はここに一人も
いない。
 伯爵の身分と武勇がつりあっているのは気持ちがいいな。
 たいてい、偉くなるほど、直接の戦闘体験は減ってしまう。
 常に最前線にいるわけにはいかないから当然だが、それがエスカ
レートすると兵士の気持ちが理解できなくなってきたり、戦場での
判断を誤ったりする。
 つまるところ、貴族化しすぎると、人間は兵士ではいづらくなる
わけだ。
 その点、俺はさんざん戦場で嫌な思いもしてきた後に強くなった。

118
戦争の苦しみも絶望もちゃんと把握している。
﹁いいか、俺は小領主の次男の立場から砦を守り抜いて功名を立て
て、今の伯爵の地位まで上り詰めた。だが、何分、急なものだった
から、兵士の鍛錬が伯爵の格に見合うものではなくなっている。こ
れは俺にとっての恥でもあるし、君たちにとっての恥でもある﹂
 俺は居並ぶ軍隊の前で声を張り上げる。
﹁そこで、今日から君たちにきびきびとした伯爵の親衛隊らしい動
きを身につけさせる。これはただ、儀礼的なものではない。乱れの
ない動きは敵の領主を恐れさせ、我々の力が本物であると示す。ど
うか、耐え抜いてもらいたい﹂
﹁﹁うおおおっっっ−!﹂﹂
だいおんじょう
 大音声で声が響く。
 聞いていて、すがすがしい。よく短時間でここまで来れたなと思
うが、感慨にふける暇はない。
 おそらく、今後、一県や二県を支配しているような勢力と戦わな
いといけない時も来る。そういった連中に勝てる力を手にしないと、
結局は滅ぼされてしまう。
﹁まずは行進からだ! だらだらと歩く兵士よりも、王都を練り歩
く儀仗兵のほうが強く見えるのは道理だからな!﹂
 俺は徹底的に行進の練習をさせた。それがミネリアと会談する時、
最も重要な武器になると確信していたからだ。
 相手は大勢力。そんな相手が注視する部分が軍隊の強さだ。
 といっても、腕っぷしがいいかどうかなんてものは見た目ではわ

119
からない。
 しかし、軍隊の動きに見事な統率がとれているかどうかはすぐに
わかる。そんな軍隊を持つ勢力はほぼ確実に強いものに見える。
 まして、俺は一度ナグラード砦で相手に辛酸を舐めさせている。
その結果が偶然ではないと思い知らせることができれば、必ず会談
はこちらに有利に運ぶ。
 おおかた、ミネリアは俺という新興勢力がたいしたことはないと
いうことを見て、安心したいのだ。
 使者はこっちを連携して攻撃することもできると脅していたが、
それは裏を返せば、こっちだってミネリアの周辺勢力と提携するこ
とができることを意味している。
 数年のうちに一県の半数以上の郡を支配するようになった勢力を
黙殺はできまい。気味が悪いことは確かなはずだ。だからこそ、向
こうはまだまだ恐れるほどの敵ではないと思いたい。同盟という形
で押さえこめれば、なおいいと考えている。
 そんなにあっさりと思惑には乗らないからな。むしろ、ミネリア
を利用して、こっちが大きくなってやる。
 一週間も続けて、訓練をすると、親衛隊の動きは見違えるものに
なった。
 それは、まるで王国全盛期の王の近衛兵のようだ。当然ながら、
特殊能力︻覇王の道標︼の影響もあるが、もともと兵士たちがやる
気になっていることも大きい。
 その様子をラヴィアラにも見させてやった。

120
﹁あまりにも素晴らしいです⋮⋮。ラヴィアラ、息を呑むほどです
⋮⋮﹂
 思わずラヴィアラは口を押さえて、感動を示していた。
﹁これをミネリアに会談の場で見せつけてやる。あいつらの驚く顔
を見て、溜飲を下げてやろうぜ﹂
16 親衛隊を組織する︵後書き︶
次回は明日の更新になります。帰宅が遅いので、朝方に更新予定で
す。
121
17 会談はじまる︵前書き︶
週間ランキング1位、本当にありがとうございます!
122
17 会談はじまる
 そして、会談の日がやってきた。
 場所はナグラード砦から川︵ナグラード川や、国境川と呼ばれて
いる︶を渡ったところにある、その地域で中心的な神殿で行われる。
 神殿は建前上はどこの領地にあろうと、その領主の固有の持ち物
ではなく、王国教会の物、あるいはもっと極端に言うと神の物だ。
だから、会議でも多用される。
 もちろん、領主の迎賓館などが使われる場合もあるが、ミネリア
領の中心地は遠いから、そんなものはこのへんにないだろう。
 相手の土地でやるから、ルールとしては向こうがこちらをもてな
すことになる。ということは相手の領主も先に土地に入っている。

123
 俺たちは川のこちら側で一度休憩をとった。小さな村の村長の屋
敷に俺は詰めている。そこまでは予定どおりだ。
﹁あの⋮⋮アルスロッド様⋮⋮そろそろ出発しないと予定時間に遅
れるのでは⋮⋮﹂
 俺が出発命令を出さないことを不審に思ったラヴィアラが部屋に
入ってきた。
﹁まあ、ゆっくりしていけ、ラヴィアラ﹂
 俺はテーブル横の椅子を勧めた。ラヴィアラもそこに座る。
﹁もしかしてですけど、これってわざとなんでしょうか? 予定よ
り遅れて行くことで、こちらの態度が上であるかのようにアピール
するとか﹂
 ラヴィアラの考えもそれなりに鋭い。でも、もっと別の目的があ
る。
﹁俺たちが遅れて神殿に入って、すぐに会談がはじまるわけじゃな
いよな。旅装をそこから解くからさらに遅れる。つまり、相手はこ
っちの軍隊をじっくり観察する時間ができる﹂
﹁なるほど⋮⋮﹂
﹁それと、遅れたという設定のおかげで、もう一芝居打てる。まあ、
それは向こうに着いたら、わかるさ﹂
 そして俺たちは時間として一時間弱ほどずれて、出発をした。
 当然、会談場所の神殿にも一時間弱のずれで到着する。
 ミネリアの領主、エイルズ・カルティスがこちらの軍隊の動きを
見ていることは放っていた密使から聞きおよんでいる。
 だからこそ、非の打ち所のない行進で神殿に向かった。今日が本

124
番だからな。みんな、気合が入っているのがわかる。
 ︱︱うむ。見事だ。これを見た敵の領主はきっと怯えるだろう。
 覇王もご満悦らしい。
 敵じゃない。まだ戦う時期じゃないからな。
 ︱︱この覇王は美濃の国主、斎藤道三との会見の際、わざと雑兵
のような兵を用意して、自分も汚い格好で歩いた後に、正装で出向
くことで相手を驚かせた。こちらを侮っていた道三は略装でやって
きて、威風堂々と正装をしている覇王を見て、肝をつぶしたのだ。
だが、先にこちらの威容を見せるという手もある。お前も間違って
はいない。
 相手を威圧する点では同じだからな。
 ザッ、ザッ!
 たんなる足音も揃えば、それなりの力を持つ。
 神殿の関係者やミネリアの家臣と思われる者たちが、あっけにと
られて、俺たちの行進を見ているのがわかった。
﹁なんと整然とした部隊だ⋮⋮﹂
 こっちに聞かせてばいけない声まで聞こえてきた。
 特殊能力︻覇王の道標︼で今の兵士の信頼度と集中力は1.5倍
になっている。王家お抱えの兵でもこれだけの行進はできないはず
だ。
 俺は無事に神殿には到着した。
 しかし、もう一芝居ある。効果は小さなものだが。
﹁皆の者、ご苦労だった﹂

125
 俺は凛とした顔で兵士たちに向き直る。
﹁だが、白鷲隊の一部で予定時間に遅れる者があり、結果として到
着が遅れることとなった。過失を自覚している者は出てこい﹂
 そんな事実はない。もちろん、すべて芝居だ。
﹁はっ! 自分であります!﹂
 そこに物怖じすることなく、一人の青年兵士が出てくる。
 俺はその兵士の前に立って︱︱
 パシィンッ!
 小さく顔をはたいた。
﹁次はないと思え。今後は気をつけるように。もし、戦で遅れた場

合は首を刎ねることもあるからな﹂
﹁はっ! わかりました!﹂
﹁元の場所に戻れ﹂
 兵士は表情も変えずに、空いたところに入った。
 全部が全部、作り話だ。
 遅刻者に厳正な態度をとる指揮官、過失を怯えずに報告する兵士。
軍に統制が取れていることは十二分に見せつけられただろう。この
芝居まで見ているかはわからないけどな。
 ラヴィアラが遅刻させた意味がわかったという顔をした。
 それじゃ、会見の場に臨もうか。
 俺が部屋に入ると、もうエイルズ・カルティスは待ち構えていた。
まだ四十歳前の男で、目はらんらんとしている。英雄と言うと言い
きょうゆう
すぎだが、梟雄という言葉は似合うかもしれない。彼の代でさらに
領地を広げている。

126
 これまで会ってきた未来への見通しもない小領主とは顔つきがま
ったく違う。
 つまり、この男はもっと領土を広げ、自分の土地を豊かにする意
図を持っているというわけだ。それが自然に顔にも現れる。
 俺の背後にはラヴィアラと老将シヴィークがついている。
 一方でエイルズ・カルティスの後ろにも二人の幹部らしい男がつ
いていた。
﹁遅刻してしまい申し訳ありませんでした、ミネリア伯。慣れない
土地で時間の配分を読み誤りました﹂
 俺は席につく前に形通りの謝罪をした。
 これまでにない独特の緊張感が部屋に漂っている。これだけの格
の人間と出会ったことはなかったからな。
 ︱︱やはり、義父であった道三に似ている。顔はこの男のほうが
ずいぶんと男前だがな。雰囲気というものがこうも近いとはな。
 心の声は外野だけに好き勝手言ってるが、俺はそこまで気楽には
過ごせないな。ただ、悪い緊張感じゃない。むしろ、心地いいぐら
いだ。
﹁まあ、その椅子にかけてくれ、ネイヴル伯﹂
 人数分の椅子がテーブルの手前で空いていた。
﹁それでは、座らせていただきますね﹂
﹁ネイヴル伯、ここには本当に側近しか連れてきておらん。なので、
率直にお話ししよう。あなたの軍隊が遅れて来るというので、ちょ
うどゆっくりと見物させていただいた﹂
﹁いやはや、にわか仕込みなので、恥ずかしいですね﹂
 俺の顔は笑っているが、目までは笑っていない︱︱はずだ。豪放

127
磊落な英雄もいるだろうが、俺はそういうタイプではない。
﹁むしろ、にわか仕込みだとしたら、そのほうが気味が悪い。ナグ
ラード砦の我々の敗戦は、やはり偶然ではなかった。君は戦の天才
だ。正面切って戦うのは御免こうむりたい﹂
 俺は慎重に相手の真意をうかがうことにした。今のところ、悪い
印象は与えていないはずだ。
﹁ミネリアと戦いたくないのはこちらも同じです。気が合いますね﹂
﹁もし、君が凡庸ならとっとと取り除いておきたかったのだが、そ
もそも凡庸なら伯爵位を得ることもなかっただろう﹂
 ラヴィアラとシヴィークの体にふっと殺気が宿る。
﹁暗殺者のご用意でも?﹂
﹁ここで君を倒すのは難しい。仮にそれができたとしても、こちら
も殺されてしまう。となると、やはりしっかりと手を結ぶのが最善﹂
 それに対して、まだ相手には余裕がある。
﹁正室はまだ迎えていないな、新伯爵﹂
﹁はい。何分、ずっと戦続きでしたからね﹂
﹁娘を正室にもらってくれ﹂
128
17 会談はじまる︵後書き︶
結婚の話を出されました。次回に続きます!
129
18 正室を迎える︵前書き︶
一週間、日間3位以内に入れました! 本当にありがたいです! 
これからもよろしくお願いします!
130
18 正室を迎える
﹁娘を正室にもらってくれ﹂
 実のところ、そう言われることは予想していた。ただし、会談が
上手く運んだ場合という前提があっての話だが。
﹁こんな成り上がり者でよろしいのでしょうか?﹂
﹁伯爵の妻が伯爵の娘であって何の問題がある? 悪い話ではない
と思っているのだが、どうか?﹂
 ちらっと、左右に座っていた家臣二人を見た。
 ラヴィアラが少し寂しそうな顔をしていた。ラヴィアラは長らく
俺の妻も同然だったからな。こっちも心苦しくはあるが、きっとラ
ヴィアラもわかってはいただろう。
 ラヴィアラは小さくうなずくと、

131
﹁アルスロッド様、是非、ご正室を迎えるべきです。今、両家が手
を結ぶのは大切なことですから﹂
 と毅然とした態度で言った。あくまで家臣に徹してくれたのだ。
 もし俺もラヴィアラもただの庶民なら、ラヴィアラをこんなに苦
しませることもなかったんだろうけどな。ラヴィアラも浮気をする
なと堂々と言えたはずだ。
﹁伯爵、一つことわらせていただきたいのですが、こちらも立場上、
子がいないわけにはいきません。正室を大事にするつもりではあり
ますが、側室を抱えることも許していただきたい﹂
﹁案ずることはない。こちらも愛人に産ませた子供が何人もいる。
跡継ぎの子供がいないせいで、内乱が起こることもある。それを思
えば、子供を作ることも、国を守るための立派な仕事だよ﹂
 エイルズ・カルティスに愛人が多いことはよく知れていた。ただ、
彼の場合、滅ぼした領主の娘などもそこに含まれていて、多少の危
うさはあったが。その子供がエイルズを一族の仇と認識する恐れが
まったくないとも言えない。
﹁では、もし、伯爵のご息女がそれに納得していただけるならば、
俺は喜んで受け入れさせていただきます﹂
 俺の言葉に対し、エイルズ・カルティスは大きくうなずいた。
﹁わかった。では、直接聞いてみることにしよう﹂
 そして、ぱんぱんと二度、手を叩いた。
 後ろの扉が開いて、ドレスを着た少女が出てきた。

132
 年の頃は十五、六。ブロンドの父親とは違って、なめらかな黒髪
をしていた。東方の女の血でも流れているのかもしれない。
 ずいぶんと勝気な表情をしていて、自信にあふれているように見
える。可憐ではあるけれど、華奢ではない。荒野に咲いた一輪のひ
まわりみたいな少女だった。
 少女は大きな瞳で俺のほうを見つめた。
﹁エイルズ・カルティスの娘、セラフィーナ・カルティスよ﹂
﹁お会いできて、光栄です﹂
 俺は立ち上がって、礼を述べた。今は俺も伯爵だが、向こうは生
まれながらにして伯爵の娘だった。気位が高いかもしれないから、
下手に出ておく。
 すると、セラフィーナは俺の前までゆっくりと歩いてくると、俺
の手をぎゅっと握った。
﹁わたしのほうこそ、光栄だわ。あなたは間違いなく英雄だから﹂
﹁それは買いかぶりすぎでしょう﹂
﹁わたし、英雄の妻になるのが夢だったの。そのほうが人生、きっ
と面白いでしょう?﹂
 そして、にっこりと本当にひまわりが咲いたみたいに笑った。
﹁信じてくれなくてもいいけど、あなたがわたしの国に砦まで築い
て暴れまわっていた時、あなたと結婚する予感がしていたの。ミネ
リア以外でもっと暴れてちょうだい。それでわたしを楽しませて﹂
﹁そうですね。あなたが俺の妻になるなら、それは夫として当然の
責務だと思っていますよ﹂
﹁ええ。そうでなきゃ、逃げていくか、あなたを殺すから﹂

133
 挑発的にセラフィーナは言った。ラヴィアラがムッとしていたの
を気配で感じたけれど、正直なところ、俺はこの少女と長くやって
いけると思った。もちろん、殺されることなんてこともなくだ。
﹁俺を殺したら後悔することになると思いますよ。だって、英雄と
いうのはそんなにたくさんいるものじゃないですから﹂
﹁アルスロッド・ネイヴル、やっぱりあなたは面白いわ。ちなみに
わたしの職業は、聖女なの。かなり珍しい職業よ。自分のそばにい
る人間の幸運を三十パーセント引き上げると言われているわ。あな
たにはもっと運が向いてくるはず﹂
 幸運というのは、変化の度合いがわからないが、おそらく信じて
いいんだろう。職業による力は昔からずっとそう言い伝えられてい
る。
﹁あなたの職業は何なの? わたしが話したんだから教えてくれて
もいいわよね?﹂
 オダノブナガですと答えてもわかってもらえないよな。
﹁あなたはよくご存じのはずです。無論、英雄ですよ﹂
 セラフィーナの目を見つめて、言った。
 ほんの一瞬だけど、セラフィーナが照れたように顔を赤くした。
 セラフィーナは顔だけを父親のほうに向けた。
﹁お父様、わたし、この人と一緒にネイヴルへ行くわ。これまで育
ててくれてありがとう﹂
 エイルズ・カルティスはずいぶんといろんな意味を含んだような
ため息をついた。

134
﹁新伯爵、セラフィーナは見てのとおりの性格だが、頭はいい。親
の欲目ではなく、君には似合うと思っている﹂
﹁はい、娘さんを幸せにできるように努力いたしますよ﹂
﹁こちらとしてはじゃじゃ馬の嫁ぎ先が決まって、うれしくもある
のだがな。どうか上手くやってくれ﹂
 こうして、ネイヴルとミネリアの会談は無事に終わった。
 同盟は婚儀が決まった時点で、成立したようなものだ。
 両勢力はお互いに不可侵を誓い、利害が絡まないところに侵攻し
ていく。
 交易の便宜も図る。通行許可証を持っている商人に関しては、相
手勢力の土地でも馬を貸し出したり、街道の宿に優先して泊めるな
ど保護を加える。
 正式な婚儀は一か月後、会談と同じ神殿で行われた。そこで俺は
一か月ぶりにセラフィーナと出会ったのだが、思わずこう言ってし
まった。
﹁かわいいな﹂
 花嫁のドレスを着たセラフィーナ。そのドレスを着るために産ま
れてきたと信じたくなるほどよく似合っている。
 彼女の陽性なところが、さらに増している。
﹁あなたのためにかわいくなったのよ、旦那様﹂
 セラフィーナは俺の前で、くるくると回ってみせた。ドレスがひ
らひらと舞う。
﹁この国で一番幸せにしてね。聖女の力は愛している人により強く

135
働くの﹂
﹁そうだな。俺の運をさらに開いてくれ﹂
 セラフィーナが俺に抱き着いてきた。
﹁お世辞じゃなく愛してるわ、旦那様!﹂
 村半分の領主だった頃は、政略結婚なんてろくなものじゃないと
思っていたけど、これも悪くないかもしれないな。
19 妻は本当に才媛です︵前書き︶
週間1位本当にありがとうございます! これからも精進します!
136
19 妻は本当に才媛です
 伯爵家同士の婚儀ということで、式典は盛大に行われた。向こう
の土地からやってきた神官や修道女が、聖歌を歌い、俺とセラフィ
ーナを祝った。
 もちろん、純粋な愛だけの関係ではないと痛いほどによくわかっ
ていた。それでも、俺はつい涙ぐんでしまった。あまりに式典が素
晴らしかったからだ。
 二人がどれだけ愛の強さと式典の出来・不出来は違う。それに俺
とセラフィーナを結ぶ糸も決して弱いものじゃないとは思う。
﹁もう、旦那様、涙もろい英雄なんて似合わないわよ﹂
 セラフィーナに指摘されてしまったが、

137
﹁そう言う君も泣いてるじゃないか﹂
 むしろ、俺よりずっとはっきりと涙を流していた。
﹁だって、うれしいんだから仕方ないじゃない⋮⋮﹂
 これで後世の歴史家が二人は政略結婚だから愛し合っていないと
書いたら、そいつは見る目がないということになるな。
 義父になるエイルズも娘が喜んでいるのを見て、情にほだされた
ような顔をしていた。愛人の子を含めれば、何人いるかもわからな
いぐらい子沢山でも、そういう気持ちになるらしい。
 式典が終わったあと、俺は妻になったセラフィーナをネイヴル城
に連れて帰った。
 ただ、セラフィーナは本当に利発な女だった。慣れない新居でお
どおどしたりする前に、城の間取りなどを見て、すぐにこう言って
きた。
﹁このお城は旦那様の格に適さないわ。少し狭すぎるわね。この規
模では城自体の敷地には千人が籠もることもできない。城下町を守
る外側の堀も伯爵に見合うような大きなものにするべきよ。家格の
問題だけでなくて、戦う相手もいずれ大きくなっていくかもしれな
いんだから﹂
 俺はほかの家臣もいたけれど、セラフィーナの頭をその場で撫で
た。
﹁君の見立ては正しい。いずれ、城の増築、あるいは拠点を移すこ
とは考えていたんだ﹂
 ネイヴルも悪い町ではない。俺の故郷なわけだし、愛着もある。

138
 だけど、所詮は郡を治めていた小領主の城下町だ。内陸にあるの
で、利便性がいいとも言えない。俺が支配するほかの土地とも移動
に時間がかかる。
﹁ちなみに、セラフィーナ、もし拠点を移すとしたら、どこがいい
?﹂
﹁旦那様の領土も見ていたけど、マウストという大河に面した都市
がいいわ。交易に便利だし、築き方次第では城の背後を川そのもの
にして堀の代わりにできる﹂
 もう一度、セラフィーナの頭を撫でた。
﹁俺は君が庶民の娘でもお前と結婚しようとした﹂
﹁旦那様もそこがいいと思っていたのね﹂
﹁そういうことだ﹂
 マウストは滅ぼしたマール子爵家の商業都市だ。俺も目をつけて
いた。とくにフォードネリア県は海には面していないので、海洋に
出るにはこの川を下るのが一番速い。
﹁俺がフォードネリア伯を名乗れる頃には、本格的に移すことを考
える。まずは同じ県に残っている勢力を一掃するつもりだ﹂
﹁そうね。英雄は戦争でしか示せないものだから﹂
 そこに家臣がやってきて、﹁目を通していただきたい書類がたま
っていまして⋮⋮﹂と遠慮がちに言ってきた。ただでさえ婚儀で城
を留守にしていたから、いつも以上に残っているのだろう。
 これだと、セラフィーナに俺がじきいきに城や町の案内をするわ
けにはいかないな。
 なにせ、かつてと比べても領土の広さがまったく違うので、政務
にかかる時間も長いのだ。

139
﹁わかった。俺は仕事に戻る。誰か、我が妻にこの城を紹介してく
れないか﹂
 誰かいい人材はいないだろうか。セラフィーナに説明する役だか
ら、女のほうがいいが⋮⋮。
 ラヴィアラと目が合ったが⋮⋮やめておいたほうがいいな。
﹁ラヴィアラなら、別に気にしませんよ⋮⋮。公私の区別ぐらいは
つきます⋮⋮﹂
 そう言ってくれるのはうれしいし、俺もラヴィアラがセラフィー
ナに意地悪をするとは思ってない。でも、人選として適正かという
と、疑わしいし、何よりもっと根本的な問題がある。
﹁あのラヴィアラというエルフの血を引く娘が、旦那様の愛人なの
ね。弓の達人だけあって、引き締まった体をしてるじゃない﹂
 挑発的な目でセラフィーナがラヴィアラを見つめていた。
 そう、セラフィーナがラヴィアラを敵視しているようなのだ。
 すでにだいたい性格はわかっているが、セラフィーナは対抗心が
強い。もしかすると兄弟姉妹が多くて、自然と競い合うような環境
で育ったせいかもしれない。
﹁あなたも旦那様に負けず劣らず、勇猛な人間として通っているわ
よ﹂
﹁お褒めにあずかり、光栄です、伯爵夫人﹂
﹁でも、胸ならわたしのほうが大きいわね。倍は差が開いているわ﹂
 ラヴィアラの顔が羞恥で赤くなった。
 たしかにラヴィアラは胸に関してはあまり大きくない。本人も多
分、気にしているのだ。

140
﹁お言葉ですが、伯爵夫人⋮⋮これはラヴィアラが射手であるため、
胸が邪魔にならないようにきつく押さえているだけです⋮⋮﹂
 ラヴィアラの公式見解ではそうだけど、実際はそんなにない。俺
はよく知ってるけど、ここで言うべきことではないから黙っていよ
う⋮⋮。
﹁と言われているけど、旦那様はあの子の胸の大きさもご存じでし
ょう? 真相はどうなの?﹂
﹁聞くなよ!﹂
 セラフィーナの顔を見て、わかった。
 これ、わかってて言ってるな⋮⋮。
 おてんばというのは間違いないようだ。
﹁そうね。ほかに家臣もいるものね。腹心の者に恥をかかせてはい
けないわね。旦那様は伯爵の立場をよくわかっているわ﹂
 居合わせたほかの家臣たちがくすくすと笑っていた。ラヴィアラ
に近いはずのエルフの家臣まで笑っていたから、ラヴィアラが胸を
気にしていることはかなり出回っていたネタなのだ。
 でも、俺はもっと違うところで感心していた。
 このやりとりだけで、家臣とセラフィーナの距離が一気に縮まっ
ている。
 セラフィーナは妻とはいえ、あのミネリアから来た娘だ。ミネリ
アとの戦争で肉親を失っている者だっているかもしれないし、そも
そも政略結婚で向こうから乗り込んできているわけだから、うろん
な目で見る者がいて当然だ。
 だけど、セラフィーナは冗談を言うことで、雰囲気を簡単にやわ
らげてしまった。これでセラフィーナは冗談の上手い伯爵夫人とい

141
うポジションを手に入れたのだ。
 ちらっと、セラフィーナが俺のほうに目をやった。
 どう? なかなかいい手でしょとでも言いたげな目だった。
 俺の妻は思っていた以上に才媛かもしれない。
 その中で、ラヴィアラだけが真っ赤になっていたが。ラヴィアラ
にとったら、体よく生贄にされたようなものだった。
﹁伯爵夫人⋮⋮もう少し立場を考えてお言葉もお選びになられるべ
きかと⋮⋮﹂
﹁伯爵夫人だなんて堅苦しい言い方はしないでけっこうよ。セラフ
ィーナと名前で呼びなさい。旦那様のことをわたしより詳しく知っ
てることは否定できないしね﹂
 ちょっとラヴィアラは毒気が抜かれたような顔になった。
﹁あなたが旦那様を何度も助けてきたこと、それぐらいはわかって
いるし、認めているわ。これからもよろしくね﹂
﹁わかりました⋮⋮セラフィーナ様⋮⋮﹂
 ここで、お高く止まったりせずに相手にも花を持たせてもやる。
人心掌握が上手いな。上手すぎて怖いぐらいだ。
﹁じゃあ、これからもよろしくね、ラヴィアラ﹂
 セラフィーナの笑顔を見ながら、俺は思った。俺も転がされない
ように注意しないと。
142
20 親衛隊始動︵前書き︶
自身初の月間5位入りを果たしました! 週間1位ともどもうれし
いです! これからもしっかり更新していきたいです!
143
20 親衛隊始動
 それでセラフィーナの案内を誰にさせるかという話に戻るのだが、
やっぱりラヴィアラ以外のほうがいい。
 愛人に妻の案内を頼むというのもおかしい気がするし、ラヴィア
ラは俺の腹心なわけで、俺が忙しいならラヴィアラだって忙しいに
決まっている。
 と、そこに適任者がやってきた。
﹁お兄様、案内ならこの私がやるから﹂
 アルティアがゆっくりと歩いてきた。昔と比べるとかなり元気に
なっていて、今回の婚儀にも出席できたほどだ。俺が村半分の領主
だった頃には考えられないほどの回復ぶりだ。

144
 たしかにセラフィーナがネイヴル家に嫁いだと考えれば、アルテ
ィアとも親族同士だ。おかしなことはない。
﹁わかった。じゃあ、アルティアに頼もう。お願いするぞ﹂
﹁はい、お兄様、私もセラフィーナさんといろいろお話ししたかっ
たし﹂
﹁よろしくね、アルティアさん﹂
 セラフィーナも丁寧に頭を下げた。アルティアもそんなに友達が
多いほうではないし、これでセラフィーナと仲良くできたらいいな。
﹁アルティアさん、子を授かるのに霊験のある聖者の廟はこのあた
りにあるかしら?﹂
﹁えっ⋮⋮子供⋮⋮? ないことはないと思うけど⋮⋮﹂
 そのやりとりが聞こえてきて、また家臣の中で笑いが起こった。
 はっきり言われると恥ずかしいな⋮⋮。子供ができないのも困る
んだけど⋮⋮。
﹁き、気を、と、取り戻して、政務に参りましょう⋮⋮﹂
 ラヴィアラもちょっと動揺してるな。それを言うなら、気を取り
直してだろ。取り戻してどうするんだ。
﹁そうだな。ラヴィアラの言うとおりだ﹂
 それからラヴィアラは小声で俺にだけ聞こえるように言った。
﹁ラヴィアラも、アルスロッド様の赤ちゃんほしいんですが⋮⋮﹂
﹁そのうち、できるさ。焦るのもおかしいだろ⋮⋮﹂
 たしかに伯爵の後継者がいないままというのは、あまりいいこと
じゃないのだ。でも、まあ、こればっかりはしょうがないんだよな。

145
 政務に集中したのは本当だ。たまっていた仕事をこなして、夕方
には次の攻撃対象を決める軍議を行った。ラヴァイラやシヴィーク
だけでなく、セラフィーナも同席させている。
 俺はテーブルに地図を広げながら話をする。
﹁次に攻めるべきは南にある聖堂郡だな。ここはほかもう一郡を領
している聖堂騎士団というのがいる。実質はそこの団長が世襲制に
なって、そいつが権益を握っている﹂
﹁聖堂郡︱︱ああ、フォードネリア大聖堂がある郡ね﹂
 そのセラフィーナの言葉で正解だ。
 フォードネリア県の中でも最大の神殿である大聖堂があるため、
そこは古くから聖堂郡と呼ばれていた。古来はそこがフォードネリ
ア県の政治の中心でもあった。
﹁ここを取れば、フォードネリア県の統一も目前だ。絶対に屈服さ
せてやる﹂
﹁こちらが動員できる兵力を考えればまったく問題ありません。そ
うラヴィアラは確信しています﹂
 胸を張って、ラヴィアラが言った。
﹁私も老骨の経験からして、恐れることもないかと﹂
 シヴィークも同意した。
 ︱︱そのとおり。とっとと滅ぼしてやれ。そもそも、こちらがこ
れだけ巨大化しているのに、まともな外交努力を果たそうともして
ないような奴が強いわけがない。大きな敵と戦うという発想を持っ
ておらぬのだ。
 オダノブナガの声も納得のいくものだった。

146
 せめて、ほかと同盟して戦うなり、こちらと同盟を結ぼうと画策
するなり、やるべきことがあるはずだ。大きな勢力と対峙するとい
う意識がないままの連中なのだ。大聖堂を守っているという誇りだ
けで数百年続いているような者たちだ。
﹁数の上でも、戦力でもこちらが上だな。けれど、わずかに気がか
りなことがある﹂
 俺の言葉が不吉だったのか、みんながこちらを心配そうに見つめ
てきた。
﹁ああ、負けることは万に一つもない。しかし、勝ち方にも俺はこ
だわらないといけないんだ。俺は野火ではなくて、伯爵だからな。
戦った後に何も残らないというのでは困る﹂
﹁土地の略奪はこれまでも兵に禁じてきたかと思いますが。ラヴィ
アラも配下のエルフに狼藉は働かせてきませんでしたよ﹂
﹁ああ、そういうことではないんだ。まあ、こちらにも対処策はあ
る。俺はわずかな気がかりを消せるようにしておく。それで、こっ
ちの完全勝利は確実だ﹂
 俺はその軍議の後、ほかの人間と個人的に作戦の確認を行った。
 これについては、あまり広まらないほうがいいので、極力隠して
おく。
 ︱︱なるほど、お前たちもラッパを使うのか。
 心の声が変なことを言ってきた。
 ラッパ? なんで楽器が出てくるんだよ。
 ︱︱楽器ではない。ああいう連中をラッパというのだ。しっかり
と用意をしておいたのは偉いぞ。手駒は多いほうがよいからな。
 それについては否定はしない。

147
 力押しで押し切ることは多くの問題も生んでしまう。今はもっと
効率よく勢力を広げておきたかった。
 俺はまず聖堂騎士団に、伯爵にあいさつに来るよう書状を送った。
 連中も貴族階級という扱いだが、団長が子爵に準じるものとされ
ている。だから、伯爵よりは下ということになる。服従を誓うなら、
頭を下げにやってきて然るべきなのだ。
 頭を下げるなどということは考えてなかったが。
 聖堂騎士団は書状を無視した。成り上がりの伯爵をどう扱えばい
いか、古臭い者たちにはわからなかったのだ。それにこちらに屈服
すれば、フォードネリア大聖堂に関する権益も取り上げられる。と
ても認められないだろう。
 俺は七百の兵で聖堂郡に進撃した。
 今回の目的の一つに赤熊隊と白鷲隊がどれだけ働くかを見ること
があった。
 よく統率のとれた部隊が、どういう活躍をするのか。そこを見極
める。
 結果は上々だった。
 それぞれ五十人ずつからなる赤熊隊と白鷲隊は敵をほぼ壊滅させ
た。敵のほうが倍程度はいたはずなのに、乱雑な敵軍は手も足も出
なかった。
 陣の中、俺のそばに控えているラヴィアラも上機嫌で戦況報告を
聞いていた。
﹁敵は連携がちっとも取れていませんね。昔ながらの一人ずつが武
勇を誇るような戦い方ですが、その割には技量も未熟です﹂

148
﹁騎士団は実のところ、独立した弱小領主の連合体だからな。統率
のとれた動きはできないんだ﹂
 ︱︱なるほどな。伊賀の地侍みたいな手合いというわけか。
 オダノブナガが何か言っているが、イガというのは地名なのだろ
うか。
 さて、初戦はこちらの優勢だ。
 このまま攻撃を続けさせてもらおう。
21 親衛隊の隊長︵前書き︶
日間7位、週間4位、月間5位、ありがとうございます! これか
らもしっかり更新していきたいです!
149
21 親衛隊の隊長
 さて、初戦はこちらの優勢だ。
 このまま攻撃を続けさせてもらおう。
 俺はその後も聖堂騎士団にじわじわと打撃を与えていった。
 正面から戦えないと判断した敵は、小さな丘の砦にこもるような
こともしたが、こちらは着実に砦を一つずつ破壊していった。
 村に陣を張った俺は、赤熊隊の隊長と白鷲隊の隊長を呼んで、褒
め讃えた。
 赤熊隊の隊長はオルクス・ブライト、赤ら顔で赤髪の蛮族じみた
容貌の男だ。まさしく、赤熊隊という名前にふさわしい。
 一方で、白鷲隊の隊長はレイオン・ミルコライア、エルフ出身の

150
軍人で、もともと三十年近く傭兵をしていて、俺が三村の領主にな
った時に仕官してきた。この男も鷲のように鋭い目つきをしている。
﹁お前たちの活躍で、この戦いは順調に進んでいる。今後も油断せ
ずに武功を挙げていってくれ﹂
﹁はっ! もったいなきお言葉! オレたちが必ず伯爵様に勝利を
お渡しいたします!﹂
 オルクスはよく届く大きな声で叫ぶように言った。
﹁白鷲隊の名を汚さぬように、戦い抜く所存でございます﹂
 レイオンのほうは静かにそう言った。
﹁あの、ところで伯爵様、オレにはわからぬことがあるのですが﹂
 豪放なオルクスが尋ねた。その態度にレイオンが﹁お前、伯爵様
に対して聞き方というものがあるぞ﹂と顔をしかめた。
﹁かまわん。オルクス、言ってみろ﹂
﹁へい。どうして、戦場に財務官僚のファンネリアがおるんですか
? 商人風情が陣中にいて何もやることなどねえと思うんですが﹂
 たしかにここには財務官僚でワーウルフのファンネリアが同行し
てきてはいた。名指しされても、ファンネリアは控えている場所で、
笑みをそのまま浮かべていた。
﹁ファンネリアも家臣だ。家臣がいても問題ないだろう。それに武
力を持った商人だって過去にいくらでもいた﹂
﹁へい。それはわかっております。でも、ファンネリアはそういう
山賊的な商人とも違うでしょう?﹂
﹁というわけだが、ファンネリア、お前から何か言葉はあるか?﹂

151
 ファンネリアはその場でうなずくと、
﹁大きな戦争となると商人は付きものですから。長く対陣すれば、
兵士も物を買わねばなりません。遊女や芸人の手配も商人がやりま
す。なので、わたくしが来ておるのです﹂
﹁そんなことぐらい知ってるさ。そういう仕事なら、伯爵の官僚も
務めるあんたじゃなくてもっと格の低い商人でいいんじゃないかと
思ったんだけど、まあ、あんたが現場主義なんなら、それでいい﹂
 オルクスはファンネリアがあまり好きではないみたいだけど、立
場が違うのでしょうがないんだろう。
 ぶっちゃけ、ファンネリアには重大な任務があるのだが、それは
あまり口外できない。ファンネリアがその役を果たさずに勝てるな
らそれはそれでいいのだ。
 ︱︱と、そこに斥候の兵が入ってきた。
﹁申し上げます! 聖堂騎士団のほうに動きがありました!﹂
﹁ふん! どこを攻めてこようと踏み潰してやるぜ!﹂
 オルクスが怪気炎をあげた。その態度にまたレイオンがはしたな
いという顔をした。わざと俺が性格の違う人間を隊長にしたのだ。
お互いにほどほどに競い合ってくれれば、刺激にもなるからな。
﹁それが⋮⋮敵は立てこもっておりまして⋮⋮﹂
 斥候の顔色が曇った。
﹁どこの丘だ? 赤熊隊で一気に叩くぜ!﹂
﹁⋮⋮丘ではありません。大聖堂です⋮⋮。フォードネリア大聖堂
です⋮⋮﹂

152
 その言葉にオルクスもレイオンもあっけにとられた顔をした。
﹁やっぱり、そう来たか。なりふりかまっていられなくなったとい
うことだな﹂
 俺はため息をついた。
﹁フォードネリア大聖堂を焼けるものなら焼いてみろということだ
な。連中を攻めた過程で大聖堂に被害が出れば、こちらは県を支配
する者としての資質を問われることになる﹂
﹁あいつら、大聖堂を守るのが名目のくせに、その大聖堂にこもる
ってどういうことなんだ! 結局、大聖堂より我が身が大事なんじ
ゃねえか! セコい奴らだな!﹂
 オルクスの言葉ももっともだ。本当に大聖堂が大事なら、その手
前で戦えばいい。つまり、あいつらは大聖堂を人質にしているわけ
だ。
 ︱︱なるほどな。騎士団とかいう連中も少しは頭を使いおるでは
ないか。
 オダノブナガはむしろ、そのやり方に満足しているらしい。敵が
策士のほうが面白いのだろう。
 ︱︱覇王ならばまとめて焼き討ちという手もとりたいところだが、
今のお前が悪名を馳せるのはよいことではないな。評判が落ちれば、
天下をとるのが遅くなる。
 心配しないでも、もっときれいな手をとるさ。
﹁伯爵様、どういった手をとりましょうか⋮⋮? 白鷲隊はいざと
なれば、大聖堂に踏み込むつもりでございますが⋮⋮。伯爵様への

153
忠義のほうが大事でございますので⋮⋮﹂
 レイオンも隊長らしい発言をした。もう、親衛隊は十二分に活躍
している。ここから先は別の手を使う。
﹁すぐに攻めていくのは得策ではない。ひとまず、降伏の勧告をし
ておこう。すぐに大聖堂を攻めるような人間と思われるのは俺も心
外だ﹂
 その場は一度、解散とした。
 そのうえで俺はファンネリアを自分が詰めている屋敷に呼んだ。
﹁騎士団がどうして長く続いているか、よくわかった﹂
 歴史書によれば、過去にも三度ほど聖堂騎士団は似た作戦で相手
を撤退させていた。一番新しいものでも百年ほど前の例だから、向
こうも多用はしたくないようだが、その余裕もなくなっているのだ
ろう。
﹁教えのために戦うというのは、所詮口先だけですからね。彼らも
領主でしかないのです﹂
﹁あの部隊を使うぞ。大聖堂に入ること自体はたやすいだろう。お
そらく、実際に大聖堂の中にいる敵は少なく、ほとんどは前で槍で
も持って座っているはずだ﹂
﹁はい。もちろん。そのためにわたくしも来たのですから。ところ
で﹂
 ファンネリアがとぼけたように言った。たしかにその続きはどう
でもいいような話だった。
﹁名前はどうしましょうか? 何か呼び名があったほうがいいので

154
すが。わたくしもずっと影の連中とかいった言い方しかしておりま
せんでした﹂
 ふっと、名案が浮かんだ。
﹁ラッパにしよう﹂
﹁ラッパですか?﹂
﹁そうだ、耳元でラッパを鳴らされれば驚くだろう? あいつらは
敵を驚かすための存在だからな﹂
 オダノブナガも俺の言葉を聞いて、きっと笑っているだろう。
21 親衛隊の隊長︵後書き︶
らっぱ すっぱ
ちなみに、作中で出てきたラッパとは乱破のことです。素破などの
ほうが有名かもしれませんが、忍者を意味する言葉の一つですね。
ファンタジーなんで厳密性を求めてもしょうがないのですが、忍者
という言葉が戦国時代にはなかったはずなので、こういう表現を使
用いたしました。ウィキで見たら、戦国時代当時から﹁忍び﹂とい
う言葉はあったようですね。 155
22 ラッパの活躍
﹁では、ラッパと呼ぶことにしましょう。ラッパたち、入ってこい﹂
 すっと、いつのまにかファンネリアの横に三人のワーウルフが並
んで、俺の前に平伏していた。
 これが今回の秘密兵器だった。
﹁商人をやっていると、はっきり申しまして、命を狙われることも
一度や二度ではありませんのでね。極論を言ってしまえば、殺され
ずに大きく成長したのがよい商人、道半ばで殺されてしまうのは悪
い商人というわけです﹂
﹁だから、身を守る特殊部隊を雇ったというわけだな﹂

156
﹁いえ、厳密には逆でございます。わたくしも元はといえば、影の
一族でありました。ただ、そうやって影に徹して情報を集めている
と、どこの土地で何が足りないのかといったこともよくわかるよう
になります。足らないところに物を持っていけば、儲かるのは自然
の理。それに年をとれば、第一線で影をつとめるのは難しくなりま
すので﹂
﹁なるほどな。ファンネリアの言うとおりだ﹂
 ファンネリアに限らず、商人がなんらかの軍事力を持っていると
いうのは、そう珍しい話ではなかった。傭兵を常時雇い、事実上の
軍団を持っているような者もいる。
 ただ、ファンネリアのように裏方の仕事に徹した暗殺者集団を持
っている者は少ないだろうが。
 ︱︱なるほどな。シノビに似たものがこの世界にもあるのか。土
地が変わっても人間が考えることは同じであるな。
 心の声の土地も同じようだったらしい。暗殺者がいない世界とい
うもののほうが想像が難しい。
﹁いいな。騎士団の幹部は大聖堂の内部にこもっているはずだ。こ
の幹部を一人二人以上殺せ。そうすれば、最低でも六人減ることに
なる。それだけ消えれば、連中はまったく機能しなくなる﹂
 聖堂騎士団は原理上は騎士の合議で物事を決めることになってい
る。団長が権力を持っているといっても、すべての騎士団を自由に
動かせるというほどではない。構成員である騎士の数は二十程度。
あとは騎士の一族や郎等たちから成る。

157
 だから、そこから六人が消えれば、残りの連中は戦うことを諦め
るはずだ。おそらく、恐怖で大聖堂を守っている場合ではなくなる
だろう。
﹁それで、行動はいつに?﹂
 ラッパたちは一言もしゃべらない。声を出すのはファンネリアだ
けだ。
﹁すぐにでもと言いたいところだが、交渉はもう少し続けてみよう。
騎士団と大聖堂の関係を話し合いで切り離すことができれば、それ
はそれでいい﹂
 こちらとしては、聖堂騎士団を滅ぼせばいいのであって、大聖堂
の権益を奪う意義はあまりないのだ。大聖堂自体には軍事力がない
ので、どのみち俺に真っ向から逆らうことはできない。
 翌日、俺は相手方に書状を送った。内容は以下のとおりだ。
・大聖堂に立てこもることにより、大聖堂が荒れることはよろしく
ないので、大聖堂の外側での争いを望むこと。
・フォードネリア大聖堂の経営に必要なお金は伯爵として拠出し、
保護を加えること。
・大聖堂で戦争を行おうとすることは、神々を軽んじる行為であり、
きっと神罰が下るだろうこと。
・降伏した騎士に関しては寛大な処置をすること。
 敵はとくに何の返事もよこさなかった。わかっていたことだ。
 こちらの目的は、大聖堂を傷つける意図はない、大聖堂とは上手

158
くやっていきたいと繰り返し伝えることだ。聖堂郡がこちらの所領
になるのは確定しているようなものだ。だから、大聖堂とはきれい
な付き合いがしたい。
 そして、膠着状態が一週間ほど続いた。
 その間に、大聖堂の内部に関する情報も入ってきた。やはり、騎
士の中でも有力者である七人が大聖堂の中にいて、そのほかの者は
兵を率いて大聖堂の周囲を取り囲んでいる。
 時は来たな。
 俺はファンネリアに命令した。
﹁やれ﹂
﹁わかりました﹂
 いつのまにか、ファンネリアがうなずいたそばに三匹のオオカミ
が並んでいた。
﹁そうか。ワーウルフの暗殺者というのはそういうものなんだな﹂
﹁オオカミになったほうが潜入はずいぶんと楽になりますので。す
でに敵の配置も確認済みです﹂
﹁よし、いい報告が来るのを期待する﹂
 夜明けの頃には三人が帰ってきた。ファンネリアとともに並んで
いる。
﹁団長以下七人の騎士を殺しました。多少、大聖堂が血で汚れたよ
うですが、連中も神像を抱いて眠るようなことはしておりませんし、
許される範囲内のことでしょう﹂
 これで残りの騎士が結束して戦うようなことも、まずありえない
だろう。次に殺されるのは自分たちだと思うはずだ。

159
﹁よくやった。さて、朝になったら、もう一度書状を送るとしよう。
おそらく、以前とは反応が違ってくるはずだ﹂
 しかし、それより先に動きがあった。
 大聖堂の神官など関係者たちが俺のところに保護を求めてきたの
だ。
 神官長は自分たちが騎士団になかば拘禁されていたこと、騎士の
多くが死んでいることに気づき、そのまま逃げ出してきたことを伝
えた。
 これで聖堂騎士団には大義名分すらなくなった。連中は大聖堂を
守るためという理由すら、もう持たないのだ。
 結局、残った騎士のうち数人が逃亡し、最後まで残っていた者は
投降した。俺はこちらの勧告に従わなかったことと、神官たちに対
する無礼を理由に、連中の所領をすべて剥奪して、一部を大聖堂の
所領に充てた。
 こうして騎士団が持っていた聖堂郡ともう一郡も俺の支配下に入
ったわけだ。フォードネリア県にある十二郡のうち九郡が俺の領地
だ。一県の支配も現実味を帯びてきた。
 なお、死んだ騎士たちは、公的には神罰が下って謎の死を遂げた
ということにしておいた。どうせ騎士団は消滅していて、異議を唱
える者もいないので、これが公式発表になる。
 ただ、それでは納得しない者も当然いる。
 支配下に入った土地の残務処理で、数日聖堂郡に残っていた日の
夜、二人きりの時にラヴィアラに言われた。
﹁アルスロッド様、暗殺者などをいつ、雇っていたのですか?﹂

160
 本当に神罰が下ったとは、さすがに考えないよな。
﹁いつのまにかだ。こういうのは表沙汰にならないほうが意味を持
つんだ﹂
﹁ラヴィアラにも教えてくれないんですか?﹂
 寂しげに言われると、教えてしまおうかなという気にもなるけど
⋮⋮。
﹁ラヴィアラは俺のすべてを知っておきたいだけだろ。それって、
家臣としての判断じゃないよな?﹂
﹁それは、そうですね⋮⋮﹂
 じゃあ、私情をはさむのはナシだな。
﹁答えを教える代わりだ﹂
 俺はラヴィアラにキスをして、その体を抱き寄せた。
161
22 ラッパの活躍︵後書き︶
だいぶ、領地も増えてきました。次回もしっかり書きます!
162
23 フォードネリア伯に︵前書き︶
月間4位になりました! 月間ランキングの記録を一つ更新できま
した! ありがとうございます!
163
23 フォードネリア伯に
 大聖堂に攻め込まずに、奇策で攻略したことで、ほかにもメリッ
トがあった。
 聖堂郡を離れる前日、神官長に大聖堂に招かれた。
 俺は側近など数人だけを連れて、大聖堂に入った。その中には親
衛隊の隊長二人もいる。仮に刺客がいても、十二分に撃退できる力
がある。
 神官長以下、大聖堂の人間が勢揃いして、俺を迎えてくれた。
﹁先日は、大聖堂をお救いいただき本当にありがとうございました。
しかも、大聖堂自体を攻めるという選択を最後まで行なわず、ご辛

164
抱強く耐えてくださったこと、いくらお礼を言っても足りません﹂
 神官長はテンネーという男だ。もともとの出自は王都近隣に住む
王家重臣の三男という。若い頃から僧籍に入り、五十年以上、各地
の神殿で働き、六十歳を過ぎてからフォードネリア大聖堂の神官長
をつとめている。
﹁いえ、伯爵として当然のことをしたまでです。これまでネイヴル
伯を名乗ってまいりましたが、以前からフォードネリア県全体の安
寧を夢見てきましたので﹂
﹁もはや、県のすべてに伯爵の威勢がとどろいたも同然。フォード
ネリア伯を名乗っていただいても何の不遜もございますまい﹂
あゆついしょう
 神官長テンネーの言葉は、阿諛追従のケがなくもなかったが、俺
の勢力がほぼ県全域を狙えるほどに広がっているのは事実だ。
 あと、残っているのは県の北東部にある三郡のみだ。一家では一
郡にも及ばない狭い土地を支配している中小領主が合計八家集まっ
ている。
﹁フォードネリア伯を名乗るかどうかは居城に戻った時に考えてお
きます。まだ県すべてを支配したわけでもありませんので。それで、
今回はどういったご用向きで﹂
﹁伯爵の武勇は神に仕える者でもよく聞き知っております。そこで
その武勇に華を添えるものをお渡しすることができればと思いまし
て﹂
 神官長は部下に目で合図をした。すぐに部下が細長い木箱を持っ
てきた。
﹁これは、何ですかね?﹂

165
﹁お開けください。伯爵に献上いたします﹂
 俺が開くと、そこには極端に長い一本の槍が入っていた。
 まるで槍自身が光を放っているかのように、まばゆくきらめいて
いる。
わざもの
 見ただけでわかる。これはよほどの業物だ。
 破邪の意味、あるいは戦勝の意味を込めて、有力な家が、武器を
奉納することはよくあった。大聖堂になら、最高品質の武器を持っ
ていてもおかしくない。
 といっても、これは神が持つことを考えて作っているので、普通
の人間が持つには長すぎるが。
﹁神に捧げられたものをいただくというのは⋮⋮﹂
﹁そんなことをおっしゃらず、ぜひ、一度手にとってみてください。
伯爵には伯爵らしい力の象徴が必要です﹂
 たしかにサマにはなるかと思い、勧められて、俺もその槍を取っ
た。
 初めて持ったものとは思えないほどに手になじんだ。
 ︱︱おお! これぞ王者にふさわしい武器だ! この槍を試すた
めだけに戦を起こしたいほどだ!
 オダノブナガ、お前にも武器のことがわかるのか。
 ︱︱武具に興味がない武人などおらぬだろうが。とはいえ、収集
するとなると、茶器のほうが好きだったがな。茶器のほうが面白み
がある。
 茶器? えらく覇王らしくない趣味だな。
 ︱︱そんなことはないぞ。むしろ、茶を楽しむのは自分がもたら

166
した平和の象徴だ。鎧姿で王に即位する者はいない。覇王はいつか
武器を捨てねばならんからな。本人が戦に明け暮れているというこ
とは、いまだ覇王ならずということだ。
 意味はわかるが、少し悲しくもあるな。戦うことは戦うことで面
白いし。
 そんなことより、オダノブナガは気になることを言っていた。
 お前はこれを武器と認識しているのか?
 ︱︱妙なことを聞くな。これはまごうかたなき槍ではないか。
 ひらめくものがあった。
﹁本当にいただいていいんですか?﹂
﹁はい。実のところ、もう少し大聖堂内の騎士が横死するのが遅け
れば、こういった貴重な武具を持ったまま逃げられる恐れもありま
した。今の我々で大聖堂の持ち物を守ることすらかなわないのです。
それならば、フォードネリア伯に献上するのがよいと思いました﹂
﹁ありがたく、ちょうだいいたします﹂
 俺は恭しく、礼をした。
 この槍には記念品以上の意味がある。

 俺はネイヴル城に凱旋した。
 城に戻ったら笑顔でセラフィーナに歓待されるかなと思っていた
のだが、セラフィーナはむしろ泣き顔だった。

167
﹁もう! 旦那様! こんなに長い間、独りぼっちにしないでよ⋮
⋮。寂しくて、寂しくて、たまらなかったわ!﹂
 セラフィーナは俺の胸に飛び込むと、ぽかぽかと力をこめずに胸
を叩いた。怒っているんじゃなくて、口で言ってるように寂しいと
いうのが本心だろう。なんだか妻というより、妹が増えたような感
じだ。
 周囲も俺とセラフィーナを、仲睦まじい伯爵夫婦として温かく見
ていた。戦争では冷徹なぐらいなほうがいいけど、妻の前では俺も
やさしくありたい。
﹁戦争も仕事なんだからしょうがないだろ﹂
﹁だって⋮⋮軍人であるラヴィアラさんは連れていったでしょう⋮
⋮。きっとラヴィアラさんと楽しんでたんだわ⋮⋮﹂
 俺はちょっとまずいと思った。ラヴィアラのほうを見たら、やっ
ぱり顔を赤くしていた。
﹁それは⋮⋮まあ、戦争が一段落した時に、ほどほどにだ⋮⋮﹂
﹁やっぱり。旦那様、あくまでも正室はわたしなんですからね﹂
 そこに妹のアルティアが顔を出してきた。ちょっと、ジト目にな
っている。
﹁お兄様がいない間、セラフィーナさんはお兄様の無事を祈ってた
からね。奥さんのことを大事にしてあげてね﹂
﹁ああ、わかった⋮⋮﹂
 いつのまにか妹と妻の仲がやけに密接になっている気がする。年
齢も近いしな。
 その数日後、俺はあの大聖堂で手にした槍を手にして家臣一同に
相対した。

168
﹁俺はこれまでネイヴル伯を名乗ってきた。だが、大聖堂も無事に
守ることができ、神官長より県の名であるフォードネリア伯を名乗
るべきとのご教示を受けた。そこで今日よりフォードネリア伯とし
て臨むこととする﹂
 異議を唱える者はいない。
 俺は鷹揚にうなずく。
﹁それでは、フォードネリア伯として最初の仕事を行いたいと思う﹂
 どこからか﹁ついに県を統一するべき時ですね!﹂などといった
声がかかる。
 結論から言うと、違うな。そんなことは後回しでいい。
﹁このネイヴルから、川に面した港町マウストに城を移す﹂
169
23 フォードネリア伯に︵後書き︶
次回から、マウスト﹁遷都﹂編に入ります。
170
24 城と槍︵前書き︶
今回から、﹁水の城﹂築城編になります、といってもずっと話はつ
ながってるのですが⋮⋮。
171
24 城と槍
﹁このネイヴルから川に面した港町マウストに城を移す﹂
 俺ははっきりとそう宣言した。
 わかってはいたことだが、何人か戸惑っている者がいる。顔を見
ればわかる。
 ずっと慣れ親しんだ土地を離れるのは名残惜しい。それは人間な
ら当然、抱く感情だ。
 しかし、そんな気持ちより優先しないといけないものがある。
﹁ネイヴル城はあくまでも俺が一郡と半郡の領主でしかなかった時
代の拠点に過ぎない。これから雄飛する時にここは小さすぎる。主
要な街道からもずれている。そこでキナーセ郡のマウストに移る。

172
そこに今の倍以上はある城を築く﹂
 すでに重臣数人には城を移すことは説明していたので、彼らは驚
きも見せていなかった。セラフィーナはこの場にはいないが、寝室
で話していたら、﹁正しい選択よ﹂と喜んでいた。
﹁その⋮⋮拠点を替えるのは県をすべて統一してからでもよろしい
のではないでしょうか⋮⋮。県が安定すれば、自然と資材を集める
ことも容易になるかと⋮⋮﹂
 ジルドネという俺の祖父の代から実に四代に渡って仕えている老
家臣が言った。
 その忠義は買うが、悪いが先見の明があるとは思えない。別にジ
ルドネの責任ではない。昔はそのように仕えていればよかったのだ。
﹁どのみち、いつかはここを離れないといけない。それに軍資金を
集めるためにも、早くマウストに移ったほうがいいのだ。あそこは
なんといっても、川に面した港町だからな﹂
﹁それでしたら、ネイヴルにも多くの作物が入ってきて、にぎわっ
ているではありませんか。財政難にあえいだ記憶はジイもほぼあり
ませぬ﹂
 俺が笑うより先にオダノブナガが笑っていた。あんまり笑われる
とうるさいんだけどな。
 ︱︱この老人はごく当たり前のことすら理解しておらんようだな。
農業を中心にして得られる金額と、商業都市を押さえて入ってくる
金額では、桁からして異なってくる。すでに商業都市としてそれな
りに有名なマウストというところを、拠点にし、さらに発展させた

173
ほうが金になるに決まっているだろうに。
 まったく、そのとおりだよ。
 老人には金を稼ぐ必然性というのがよくわかってないんだ。残念
ながら百年も二百年も安穏と領主をしていて安全という保証は誰も
してくれない。
 少しずつだが、小領主は大きな勢力に吸収される流れになってき
ている。
 隣のミネリアだってこの二十年ほどの間に、自分に従わない領内
の家臣たちを滅ぼして、じわじわと外部に勢力を広げられる状態を
作ってきたのだ。
 無論、ジルドネのように考えが古いままの者もいるかもしれない
が、そういう者はいずれ滅ぼされる。
 あと、マウストに拠点を移したいのは、県の統一より先のことを
俺が考えているからだ。川を下っていけば、北のナグーリ県に出ら
れる。ミネリアと協調関係を保ちつつ攻めるにはちょうどいい方向
だし、ナグーリ県には海に面した港町がいくつかある。
 大規模な戦争なら大半は民から徴集した兵になってはしまうが、
軍事力だけなら前回、親衛隊が活躍したように、職業軍人的な者の
ほうが強い。
 そして、親衛隊の数を増やして、質を維持するには、それなりの
金がかかる。今後、俺が大国化していくには、もっと金を集めるシ
ステムが必要で、そのためには都市を押さえていくしかない。
 それと、城の移転はふるいの役目を果たしてくれるかもしれない
な。

174
﹁ジルドネ、たしかにお前のような老人には引っ越しは荷が重いだ
ろう。なので、ネイヴルに残っておってもよいぞ﹂
﹁いえ⋮⋮ジイはそういった意味で申したのではなく⋮⋮﹂
 俺のやり方に否定的な者はついてきてもらわないほうがいいかも
しれない。
 もっと素晴らしいアイディアを提示してくれるならありがたいけ
ど、たいていは否定するだけの者だからな。
﹁ネイヴルもネイヴル家の故地であり、苗字の由来の地でもある。
心配せんでも、ここが大事な土地でなくなるわけではない。城もつ
ぶすわけではないから、守ってもらわないといけない。どうぞ、残
ってくれ﹂
﹁いえ、ジイはマウストよりもこの土地が︱︱﹂
 ドンッ!
 俺は槍を床に打ち付けた。
 空気が静まりかえる。
﹁お前はこの県の中でネイヴルよりよい拠点になりそうな場所がな
いかと、これまで考えたことが一度でもあったか?﹂
﹁あ、ありません⋮⋮﹂
﹁では、一県単位で土地を領しているような領主の城を見てまわっ
たことがあるか?﹂
﹁ありません⋮⋮﹂
﹁根拠のない諫言は流言飛語と同じだと心得ておけ﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮﹂

175
 ジルドネは折れた。
 ラヴィアラがそれでよいのだというふうにうなずいていた。ラヴ
ィアラには俺の計画も細かく伝えている。本当によき理解者だ。
 ︱︱新しいことをやろうとすると、必ず反発する者が現れるのも
どこでも同じなのだな。
 オダノブナガもそうだったのか。
 覇王と言ってる奴が、保守的なわけがないが。
 ︱︱伝統というものには間違いなく価値がある。覇王も使える時
はそれを最大限に使おうとした。世間の評判にも気をつかった。だ
が、伝統もまた利用するものだ。何も考えずに守っていけばよいも
のではない。
 ご高説痛み入るよ。あんたの考えは参考になるのが多い。
 もしかすると、職業オダノブナガの最大のボーナスは、このアド
バイスかもしれない。
 オダノブナガがどこかの世界で覇王と呼ばれる存在になったのだ
としたら、俺は覇王から直接意見を聞いているのだ。
 間違いなく、この世界のどんな賢人からありがたいお話を聞くよ
りも価値がある。
﹁お前たちが不安なのはある種、当然だ。こんな広い土地を持つ領
主に仕えたことなど、ないのだからな。常識もおのずと変わってく
る。俺がやろうとしているのは風変わりなことではなくて、現実主
義的なことだ﹂

176
 威厳は見せても、怖い君主と思われるのはよくないので、俺は笑
みを浮かべてみせる。
﹁そう心配するな。いくらなんでも一日や二日で引っ越すわけでは
ない。ただ、マウストの地理ぐらいは今から勉強しておいてくれ。
それと、もう一つ考えていることがあるので、ここで話しておく﹂
 俺はもう一度、槍を床に突きつける。
 ただし、さっきほどの力は込めない。威圧するのが目的ではない
からだ。
﹁この槍は、大聖堂からいただいたものだが、実に長い。三ジャー
グを超える﹂
 一ジャーグは長身の男一人の背丈に匹敵する。一ジャーグの男と
言えば、自動的に立派な巨体の人間とわかる。
 つまり、大男三人分以上の長さを誇る槍というわけだ。
﹁実に威風堂々としていますが、やはり神に奉納したものですな。
武器には長すぎまする﹂
 家臣の一人がそんなことを言った。
﹁たしかに常識から考えると長いな﹂
 俺はほくそ笑む。
﹁だからこそ、この長さの槍を量産する。この槍を扱う部隊を作る
つもりだ。名づけて三ジャーグ隊﹂
177
25 伯爵にふさわしい城
﹁だからこそ、この長さの槍を量産する。この槍を扱う部隊を作る
つもりだ。名づけて三ジャーグ隊﹂
 何人か冗談だと思ったらしく、笑っている家臣がいた。
 たしかに俺もこの世界の兵法やら剣技やらを学んできたが、三ジ
ャーグの槍を使う部隊も戦術も存在しないだろう。
﹁伯爵はユーモアのセンスもお持ちなのですな。いよいよ、稀代の
名君と言えましょう!﹂
﹁悪いが、ふざけたつもりは毛頭ないぞ。とはいえ、誰でも軽々と
これが使えるとまでは思っておらん。オルクス、ためしにこれを振
ってみろ﹂

178
 呼ばれて赤熊隊の隊長であるオルクス・ブライトが出てきた。丸
太みたいな足と腕をしていて、ここまで見た目から軍人とわかる男
も少ない。
 オルクスは槍を振り上げては、目の前に振り下ろすということを
何度か繰り返した。
 わずかばかり、体が揺れるが、扱えなくもないようだ。
 振り下ろされるたびに﹁おおっ!﹂という声が上がる。長い分、
迫力も段違いだ。演武とは違う面白さがある。
﹁さすがに普段の槍より倍ほど長いので、姿勢を保つのが難しいで
すな!﹂
﹁それでも練習すれば、お前はどうとでもなりそうだな﹂
﹁ですな! 赤熊隊にはオレが徹底的に教えこませます。オレだけ
使えても三ジャーグ隊と呼べませんからな。それに槍隊は数が多く
なくては意味がありませんので﹂
 やはり、根っからの軍人だ。話が早い。
 槍隊というのは密集形態を作り、そこで一斉に振り下ろすからこ
そ脅威となる。それで敵に接近を許す前に槍の威力で殴り倒すこと
ができる。
 もし、敵の守りが薄いと思えば、みんなで突き刺しにいってもい
い。
 どのみち、逃げ場がないぐらい固まるのが基本なのだ。でないと、
槍と剣で接近戦になると、間合いに入られた時点で、槍はどうしよ
うもなくなってしまう。

179
 長い分、隙も多くなってしまう。これは技術以前に構造上の問題
だ。
﹁もし、この長さで、槍の密集形態をとれれば、攻めるにも守るに
も恐ろしい部隊になると思わないか? 騎馬すらこんなものを越え
て分け入ることはできまい。馬の頭をかち割るのも容易だ﹂
﹁いかにも! それに見た目だけでも敵軍はおののきましょう! 
必ずや、この化け物みたいな槍を使いこなしてみせますぜ!﹂
 神官長からこの槍をもらった時に思いついたのだ。
 神が使うために作られたこの武器を人間が扱ったらどうなるかと。
 たしかに人間の体には限界がある。五十ジャーグの槍など持ち上
げることもできなければ、鍛冶師が造ることさえできないだろう。
 けれども、三ジャーグぐらいなら慣れれば使用することはできる。
そして、偉大な力を発揮してくれるはずだ。
 そこに不安げな顔をして、家臣が手を挙げた。
﹁わたくしの所領の民は非力で、とてもそんな槍を自在に動かせる
自信がありません⋮⋮﹂
﹁そんなことは承知している﹂
﹁ですが、その三ジャーグを超える槍を普及させるのでは?﹂
﹁まずは親衛隊︱︱つまり、職業軍人に当たる者にやらせてみるの
だ。農民の徴集兵すべてに使わせる気はないから安心しろ﹂
 この槍は重い。だからこそ、腕力があって、かつ、厳しい訓練に
耐えた者たちだけでないと連携もとれない。動きがばらばらな槍の
部隊など、敵にこじあけてくれと言っているようなものだ。

180
 ︱︱アルスロッドよ。やはり、お前は覇王と似たことを考えるな
さんけんはん
! 面白い、本当に面白いぞ! 覇王が用意した三間半の長槍戦法
と同じである!
 それは奇遇だな。でも、長い武器が上手く使えれば戦争が有利だ
って考えるのはどこでだって同じだからな。戦争には普遍性がある
ってことだ。
 ︱︱まったくもってそのとおり。だからこそ、お前が正解を引き
当てておるのがわかって、覇王も楽しいのだ!
 正解と断言してくれるようなら、三ジャーグ隊は価値を持ちそう
だな。

 さて、ここからしばらくは武器をとらない仕事だ。。
 俺はフォードネリア県に残っている独立勢力に、懇切丁寧な書状
を送った。
 内容は要約すると︱︱これまで不届き者や大聖堂をないがしろに
する者を討伐することで忙しかったが、そちらも片付いた。今後と
も仲良くしていこう︱︱といったもの。
 言うまでもなく、口だけのものだ。外交の言葉を全部鵜呑みにし
ているような領主は、とっとと神官にでもなったほうがいい。
 それでも、表面から残存勢力を刺激するのは愚かなことだ。一つ
一つの勢力は弱くても北のナグーリ県のレントラント家に助けを求
められると厄介だ。
 レントラント家は代々ナグーリ県を支配している伯爵家だ。戦争
がそう強いイメージはないが、ナグーリ県は人口の多い港湾都市を
いくつも持っている。軍事動員力がこちらより多いのだ。

181
 誇張かもしれないが、かつて一度の戦闘だけで五千以上の兵を動
員したという話もある。かき集めれば、用意はできるかもしれない
が、ほかの場所の防衛にも人員は割かないといけないわけだから、
一か所に五千というのは破格と言える。
 傭兵を個別に持っている港町などからも兵を集めたのだろう。
 今、こちらが一度の戦争で動かせる数は三千足らずといったとこ
ろだろう。といっても総力戦を行う必要性がないので、それだけの
兵を集めたことはない。敵を倒すのは数百も兵がいれば、事足りて
いた。
 病気と偽っている兄のところを訪れる時には、五百の兵を用意し
たが、あれはデモンストレーションだ。こちら側についた家臣たち
から集められるだけの者を集めた。
 仮にこの県の統一が成っても、動員できるのは四千に届くかどう
かではないだろうか。実際は、それをさらに分散させないといけな
い。
 もっとも、兵力の勘定の前にやらないといけないことがある。
 俺はマウストの町に行き、城の設計について確認をしていた。
 なにせ、この県ではかつてないような巨大建築物になる。現地に
直接向かって、指示を出すぐらいでないと、まともに完成する保証
もない。
﹁いいか? まず、城の北は川に面するようにする。むしろ、川の
水を城のまわりに引き入れて、あたかも水に浮かぶような城にして
くれ﹂

182
 設計のために集めた関係者は信じられないといった顔をしていた。
﹁水に浮かぶような城ですか⋮⋮? たしかに防御機能は高いです
が、この設計図ですと城下とつながってないような気がするのです
が⋮⋮﹂
 今回の設計の総監督とでも言うべきオルニスが困惑したように言
った。もともと、マウストの塩商人をしていた男だ。
 すでに俺の勢力は小さな子爵の時代のもとは違う。だから、譜代
の家臣だと理解が追いつかないことが多い。商人や他家の家臣だっ
た者などを幅広く登用している。
﹁別にこれでいける。これと同時に既存のマウストの町にも水路を
引くからな。その水路を使って、城のほうに直接向かえるようにす
る。もちろん、すべて船というわけにもいかないから、城下と城下
を結ぶ橋も設けるが﹂
﹁これは、大工事になりますよ⋮⋮﹂
﹁どれぐらいかかる?﹂
﹁三年は要するかと⋮⋮﹂
﹁一年以内にやれ﹂
 オルニスが絶句した。
 まあ、やったことのない大工事なのだから尻込みしてしまうのも
やむをえないか。
﹁わかった。では俺も陣頭指揮に立とう﹂
﹁わ、わざわざ伯爵様が立たれるのですか!?﹂
﹁城は、俺の家のようなものだ。自分の家ができる現場に来てもお
かしくはないだろう?﹂

183
 もっと具体的な勝算があった。特殊能力︻覇王の道標︼だ。労働
者の集中力と信頼度も1.5倍になるとしたら、短期間で形にする
ことは無理ではない。
﹁こちらでも善処いたします⋮⋮。しかしながら、とてつもない費
用がかかる城になりますな⋮⋮﹂
﹁財務官僚のファンネリアからは可能だと言われている。これから
どんどんマウストに人間も集まってくるしな。今のマウストの人口
はいくらだ?﹂
﹁千二百人ほどです﹂
﹁県都となれば、六千人ほどの規模にはなる予定だ﹂
﹁五倍でございますか!?﹂
 いちいちおおげさに驚く奴だな。
 それぐらいの人が集まらないようじゃ、富も集積できないんだ。
184
26 町作りと吉報︵前書き︶
2万5千点を超えました! 本当にありがとうございますっ!
185
26 町作りと吉報
 大規模土木工事だったが、マウスト城築城は順調に進んだ。
 といっても、城だけを作ろうとしたわけじゃない。城下も同時に
改造する。
 富に関しては、同業者組合を停止して、誰でも市を出して、店を
構えることを許した。
 過去に自分の領地だった三村やネイヴルでやったように、利益を
上げた者から税をとるというシステムに大きく切り替えたのだ。
 組合があると、そこに所属しないと店を出せない︵もちろん加入
に審査や金がいる︶。そのうえ、価格調整なども内部で行うから、
もっと安く流通するものも高くつく。

186
 これは業者を保護するのにはいいし、その組合から結局は領主も
金を取れた。
 けれど、これが役立つのは都市の規模が大きく変わらない時期ま
でだ。
 もともとマウストを県都にするという布告はしていたし、人口は
どっと増えていった。そうなれば、商売をしたい者も増えるし、店
や市場の数も増やさないとやっていけない。そういう都市に発展を
阻害する組合は必要ない。
 組合からの反発はあったが、﹁俺はいわばマウストの侵略者だ。
前の領主のやり方は踏襲しない﹂と一蹴した。

﹁それにもともとこの地で営業をしていた連中は、その経験が必ず
利益を持つ。組合に納める額が減った分、得をしたと思ってくれ。
儲けた分は、税として払ってもらうけどな﹂
 組合に反発するだけの力はない。すごすごと引き下がっていった。
 税は貧しいものから取ろうとしても上手くいかないし、取れる額
も知れている。それなら儲けさせて、そこから大きくいただく。
 入った金で、また労働者を雇う。
 ある程度は農民を徴発したりもしたが、従来より多目に賃金は支
払った。
 これもマウストという都市だからできることだ。もともとの人口
が多いから、本拠地にすれば、ネイヴルよりはるかに多くの富を吸
い上げられる。

187
 労働者が増えると、その労働者目当てに商売をしようとする者が
また増える。上手い循環を作れているはずだ。
 そういったことを続けていると、一つ、また力を授かった。
 ︱︱特殊能力︻覇王の見通し︼獲得。都市や交易に関する経済感
覚がオダノブナガ並みになる。酩酊など意識混濁下でない限り、常
時発動。
 なんだ、これ⋮⋮? これって、能力なのか⋮⋮?
 ︱︱説明をしておいてやろう。
 また、オダノブナガが声を出してきた。
 ︱︱お前の言うとおり、これは能力というより、お前に対する評
価だな。お前の先見の明がこの覇王と遜色ないものと認めたわけだ。
なので、とりあえず特殊能力ということにして、お前に授けた。
 もしかして、この特殊能力って、お前が勝手に作成してるのか⋮
⋮?
 ︱︱そうだ。なにせ、この職業は例外的なもので、この世界にお
前しかおらんらしい。なので、職業のほうも試行錯誤なのだ。
 どんな特殊能力だよと思うが、オダノブナガなりに俺を評価して
くれているんだろう。

 完成までとなると時間がかかるが、俺はそれを待たずにマウスト
に正式に引越した。ひとまず、マウスト近郊の丘に仮の拠点を置い
た。

188
 これから移り住む水に浮かぶ城とはかなり違った趣だが、この仮
の拠点も悪くない。
 ここからだと町が発展していく様子がよく見えるからだ。
﹁どこにいたのかと思ったら、こんなところに来てたのね、旦那様﹂
 セラフィーナが俺の横に並ぶ。ちょうど心地よい風が吹いていた。
﹁遠目で見たからといって完成が早まるわけではないが、やはり楽
しいんだ﹂
﹁わかるわ。それにしても、よい時期に築城を開始したわね。県を
統一してからだと、他県の大領主を刺激してやりづらくなってたと
思うわ﹂
﹁だな。県の各地から人員を集められるのも大規模な戦争をしてな
いからだ﹂

 俺は風でたゆたうセラフィーナの髪を手で梳いた。
 ミネリア領で会った時より、セラフィーナはずっと美しくなった
と思う。
﹁今の旦那様が一番かっこいいわ。どこから見ても恥ずかしくない
大領主だもの﹂
﹁奇遇だな。俺もセラフィーナがこれまでで一番かわいく見えてた﹂
﹁女は愛する殿方がいると、美しくなるのよ﹂
 今、ここには二人しかいないので、自然と言葉も甘いものになる。
﹁実はね、旦那様、今日は重大な報告があって、居場所を探してい
たの﹂
﹁重大な報告?﹂

189
 少し、俺は身構えた。
﹁よくない話じゃないだろうな?﹂
﹁逆よ。すごくいい話よ﹂
 いったい何だろう。
﹁セラフィーナの父が大勝したとか?﹂
 そう言うと、セラフィーナはわざとらしく頬をふくらませた。
﹁旦那様とわたしの間の話よ﹂
 そうなると、自然と答えはしぼられてくる。
 まさか、まさか⋮⋮。
﹁こ、子供ができたのか?﹂
 はにかみながら、セラフィーナはうなずいた。
﹁でかした、セラフィーナ!﹂
 俺はすぐにセラフィーナに抱きついた。
 跡継ぎがいないことが多少、不安だったのだ。しかし、その不安
もこれで解消された。
﹁男の子だろうか、女の子だろうか﹂
﹁まだわかるわけないでしょ。でも、どちらにしても王になっても
恥ずかしくないように育てるつもりよ。旦那様が王になると私は信
じているんだから﹂
﹁そうだな。県一つだなんてもので満足したりはしないからな﹂
 こんな戦争だらけの時代を俺の手で終わらせてやる。
 十代なかばの俺はいつ戦争で死ぬかとびくびくしていた。あんな
みじめな思いをする人間を出ないようにするには、誰かが王国を統
一しなおすしかないのだ。

190
 おそらく、そのためには大きな戦争をいくつも経験することにな
るだろうが︱︱やってやる。
 県一つの領主で俺は終わるつもりはない。
﹁じゃあ、しばらくはセラフィーナは静養してないといけないな。
くれぐれも健康には気をつかってくれ﹂
 お産が悪くて死ぬ女も珍しくない。出産は命懸けだ。
﹁心配しないで。わたしの職業は聖女よ。赤ちゃんにも加護がある
はずよ﹂
﹁セラフィーナの体だって心配だ﹂
 あとで県の神殿で片っ端から祈りを捧げさせないとな。
 でも、今から心配ばかりしてもしょうがない。今は喜ぶべき時だ。
﹁早速、重臣に伝えておこう。くれぐれもセラフィーナに心労をか
けることがないようにって⋮⋮⋮⋮そうか、重臣と言えば⋮⋮﹂
 まずラヴィアラの顔が思い浮かんだ。
 子供ができたこと自体は間違いなくうれしいが、あいつに言うと、
微妙に当てつけっぽいんだよな⋮⋮。
 ラヴィアラとの間にはずっと子供ができていない。どこまで本当
かわからないが、エルフという種族の血が入っていると、子供がで
きづらいという話もある。エルフは人と比べると、若い時期が長い
から、人間ほど子供ができても困るということだろうか。
 それでも言わないわけにはいかないな。ラヴィアラを呼ぼう。

191
27 おめでた中のおめでた
 俺は領主の執務室にラヴィアラを呼びつけた。

 こんこん、とラヴィアラがノックしたのがわかった。ノックの音
で誰かすぐにわかる。本当に長い仲なのだ。両親もとっくの昔にな
くしている俺にとっては、きっと人生で一番長く一緒に過ごしてい
る人間だ。
﹁ラヴィアラ、入ってくれ﹂
﹁いったい、どういったご用件でしょうか? 用水路の整備は予定
どおり進んでいます。町が川沿いにあると、土掘りが上手いドワー
フの労働者が入ってくるのでいいですね﹂

192
﹁ああ、仕事の件ではないんだ⋮⋮。そうだな、そこに立っていて
くれ⋮⋮﹂
 座ったまま言うのはラヴィアラに失礼な気がして、俺も政務用の
机から立ち上がった。
 ラヴィアラの真ん前に立つ。
﹁あらためて思ったんだけど、いつ、俺ってラヴィアラの背を抜い
たんだろうな?﹂
﹁何ですか、いきなり⋮⋮。そうですね、十二歳の頃まではラヴィ
アラのほうが大きかった気がしますね﹂
 ラヴィアラはもしかしたら、俺以上に俺のことを覚えているかも
しれない。
﹁あの頃はまだアルスロッド様、弓矢もあまりお上手ではなかった
ですね。剣の練習でもだいたいこちらが勝ってましたね﹂
﹁おい、余計なこと言うな﹂
 目を合わせて、二人で笑った。
 今は領主と家臣の関係というより、幼馴染の関係のほうが強い。
﹁でも、そのあたりからぐんぐんアルスロッド様は強くなられたん
ですよね。体もそれに合うように大きくなって、二年もすると、ラ
ヴィアラは剣だとまったく勝てなくなりました﹂
﹁その代わり、お前はそこから弓矢に一点特化させて、とんでもな
い弓使いになったんだけどな﹂
 ラヴィアラと話しているだけでやさしい気持ちになる。ラヴィア
ラがいなかったら、俺はきっとここまでやってこれなかっただろう。

193
﹁それで、いったい何のご用だったんでしょうか?﹂
 ラヴィアラが大きな瞳で首をかしげる。
 ここはちゃんと伝えないとな。別に恥ずかしいことじゃないんだ
し。
﹁いずれ、発表することではあるんだけど、お前には先に伝えてお
きたかった﹂
﹁はい、ありがとうございます、アルスロッド様﹂
﹁用件を言う前から、礼を言わなくてもいい⋮⋮﹂
 わかっている。間違いなくラヴィアラはおめでとうと言うはずだ。
少しも寂しそうな顔を見せたりなんてしないだろう。
 でも、ハーフエルフは子供ができづらいのは本当なのだろうかと
心の隅で悩んだりしないだろうか。
 そのことがラヴィアラの夫として気がかりだ。
﹁ほら、言いづらいこともあるかもしれませんが、言ってください
よ、アルスロッド様﹂
 よし、覚悟は決めた。
﹁あのな、ラヴィアラ、セラフィーナとの間に、子供ができた。お
めでたというやつだ﹂
﹁ほ、本当にですか!﹂
 ラヴィアラが大きな瞳をさらに見開いた。かなりの衝撃だったら
しい。

194
﹁こんなウソをつくわけないだろ。さっき、聞いたばかりなんだ。
性別もわからないが、今の時点での跡継ぎ候補ということになるな﹂
﹁そうですか。とても、とても、よかったです。ラヴィアラもとて
もほっとしています﹂
﹁ラヴィアラにまでそんなに心配されてたのか﹂
 言ってしまえば、どうということはない。気分も楽になった。
﹁これで、ラヴィアラも言いづらかったことが言えます⋮⋮﹂
﹁えっ!? どういうことだ、それ⋮⋮﹂
 そんな話、聞いてないぞ。いや、言いづらかったことと言われた
んだから、聞いてるわけはないのだが。
 ラヴィアラが俺に隠し事をしてるなんて考えられないのだけど。
俺は俺でラヴィアラの癖から性格までほぼ完璧に把握してるつもり
でいた。
 まさかとは思うが⋮⋮間男なんているんじゃないよな⋮⋮?
 ラヴィアラの美貌は文句なしだ。ラヴィアラの母親、つまり俺の
乳母に当たる女性もエルフの中でも昔からその美をうたわれてきた。
 俺とラヴィアラの関係を知らない家臣はまずいないと思うが、誘
惑に負けて言い寄る男がいることがないとは言い切れない。
﹁申し上げますね⋮⋮﹂
 ラヴィアラの顔がそこで、かぁっと赤くなった。
 だけど、顔は罪の意識を感じているようなものじゃなくて、むし
ろとてもうれしそうだった。
﹁実は、ラヴィアラもつい先日、アルスロッド様のお子様を授かっ

195
たみたいで⋮⋮﹂
 一瞬、何を言われたかわからなかった。
﹁え、え、え⋮⋮? 子供⋮⋮? じょ、冗談じゃないよな⋮⋮?﹂
﹁こんな冗談をつくわけがないじゃないですか﹂
 さっき俺が言ったような言葉でラヴィアラに笑われた。
﹁ありがとう、ラヴィアラ!﹂
 思わず、俺はラヴィアラに抱きついた。
 セラフィーナに続いて、ラヴィアラも! こんなにおめでたい日
はもうないんじゃないか!
﹁先日、体調を崩したことがあって、お母さんに話したら、それは
子供ができた症状だと言われまして⋮⋮﹂
 ラヴィアラの声には安堵のようなものを感じる。
﹁本当にすぐに報告したかったんですが、正室であるセラフィーナ
さんへの当てつけになるんじゃないかなと思って黙っていたんです
⋮⋮。あの方がアルスロッド様との赤ちゃんがほしいと望んでいる
のも知っていましたから⋮⋮﹂
﹁なんだ、結局、みんな気をつかってたってことか﹂
 妻が複数いるとこういうことになるのか。でも、もうそんな憂い
も関係なくなった。
﹁ラヴィアラ、主君として命令する。必ず、元気な赤子を産んでく
れ。そして、お前も健康に生きて、その子を育てること。わかった
な﹂

196
﹁はい! その主命、果たさせていただきます!﹂
 今、この領地の中で、俺より幸せな人間はいないんじゃないだろ
うか。
﹁それと、セラフィーナの子供のほうも乳母も、ラヴィアラ、お前
がやってくれないか﹂
﹁はい、喜んで!﹂
﹁あとは、仕事のほうも疲れるようだったら休んでくれ。子供とお
前のほうが大事だからな﹂
﹁もうしばらくは大丈夫ですよ。少なくとも、マウスト城で政務が
行えるようになる頃までは働けますから﹂
 後日、俺はセラフィーナと側室のラヴィアラが懐妊したことを家
臣たちに伝えた。
 しばらくはお祝いの使者がひっきりなしに来た。あまりに数が多
くて、全部を二人に合わせると疲れさせてしまうので、俺が対応す
ることにした。
 領地が広がったせいで昔よりあいさつに来る人間の数も増えたし、
とくにマウストの町が大きく変わろうとしているので、そこで利権
を手に入れようとする商人の姿も目立つ。
 なんというか、父親は父親で仕事が増えるものだな⋮⋮。 197
28 南側の問題
 お祝いの使者の応対をしたり、各地の神殿に安産祈願の祈祷をさ
せたりする一方で、マウスト城の建設もかなり進んでいた。
 すべての施設を作るのには、まだまだ時間がかかるが、主になる
建物はほぼ完成しつつある。
 その間、余計な抗争などがないように、周辺勢力ともできるだけ
穏便に対応した。県に残っている独立した小領主たちも大半は懐妊
のお祝いなどに来たので、向こうも気にしているのだろう。
 現状、最も怖いのはナグーリ県のレントラント家だが、頼りにな
る老将シヴィークなどに国境が接するあたりには城を築かせて、こ
れに対応させている。ひとまずは平和な状態が続いている。

198
 そんな中、フォードネリア県南部にあるオルビア県から領主の使
者が来た。
 オルビア県は県全域が山ばかりの急峻な土地で、そのため、一円
的な権力が成立せず、盆地ごとに別の勢力がいるような状態だった。
だが、尚武的な気風の民が住まう土地で、戦争となると、なかなか
に強い。

 やってきたのは直接にはこちらと領地を接していないタクティー
郡・ナーハム郡の二郡を領する子爵の使者だ。郡と同じ苗字のナー
ハム家が支配している。
 ナーハム家の使者は猫耳の獣人だった。猫耳の獣人には定住地を
持たず、流浪の商売をしているようなものもいるので、おかしなこ
とはない。もちろん、そのまま武将や家臣として登用されて、使者
の役目をつとめる者もいる。
﹁このたびは両者の間に軍事同盟を結ぶことができればと思って、
参上いたしました﹂
 使者はなかなか堂々としていた。使者の質が悪ければ、領主自体
が侮られるので、誰を派遣するかは大事な問題だ。
﹁今、ナーハム家は二郡の領主ですが、ほかの盆地に攻めこみ、だ
んだんと勢力を広げております。フォードネリア伯と同じように、
わずか十八歳のブランド・ナ−ハム様が国力を充実させている最中
です﹂
﹁そういえば、そなたの土地の子爵殿は十二歳で家督を継いでから、
ご立派な活躍を続けているようだな﹂

199
 ブランド・ナーハムの名前は俺も聞き知っている。山がちで統一
の難しいオルビア県の統一に向けて動いているという。
﹁おそらく、今後、フォードネリア伯は北に向かって攻めていきた
いと考えていらっしゃるはず。さすれば、王都までの道もやがて開
け、たとえばですが、摂政や宰相として名を轟かせることもできま
すので。なので、南の守りを固めたいというお考えではないかと推
察いたします﹂
 俺は具体的な返答はせずに、ほくそ笑んでいた。
 いい読みをしているじゃないか。
 東方にある王都を目指すにはナグーリ県を奪って、そこから進む
のが一番楽ではある。というか、ナグーリ県を支配すれば、動員兵
力は急増する。
 大きな兵力がないと王都近辺の勢力が妨害をしてきた場合、倒す
ことができない。王都近辺は農業の先進地帯であり、結果的に地方
と比べて人口も多いのだ。つまり、兵力も多い。
 王都の隣の県はもし統一ができれば、一県だけで一万を超える軍
を出せるとかいう話もある。実際は一つの勢力にまとまってないが、
それだけの力を持っている連中が同盟してくると、王都への道は閉
ざされる。
﹁たしかに、王朝を支えることができれば光栄なことだが、だいそ
れた話だな﹂
 わざわざ本心を言う必要はないので、きれいごとを口にする。
﹁現在、王朝はなかば分裂状態にあります。それを統一すれば、天
下の功臣ですし、あるいは王となることを推薦されることだってな

200
いとは限りません。あくまで、個人的な見解ですが﹂
 王家のほうから、王家を譲り渡してくれるか︱︱そうなれば最高
だが、いまだそんなことに成功した領主はいない。
﹁そなたのお世辞として受け取っておこう。俺は王位を望むなどと
いう無礼なことは考えたこともない﹂
 ︱︱ウソをつくな。王になると言っておったではないか。
 心の声は黙っててくれよ。本音と建前だ。
 ︱︱すまん、すまん。覇王もわかっておる。それに、こういうの
は状況も大事であるしな。覇王ですら当主になった頃は十三代将軍
の義輝公の助けになれれば程度にしか思っていなかった。
 たしかに王が英明だとどうしようもないな。
 ︱︱本格的に天下を狙えるかと思ったのは、義輝公が殺されて、
その弟を都に送り込む算段がついてからだ。それすら、ゆっくり時
間をかけて、将軍権力をじわじわと奪っていったのだ。身分の上で
将軍と同等以上になるまでは、将軍を殺せる機会があっても、絶対
にそうせず、追放した後でさえ、その子供を将軍に据える計画さえ
立てた。
 つまり、慎重にしろってことだな。
 余計なことをして妬まれても面白くない。想いはできるだけ心の
中と、話すとしてもせいぜいラヴィアラとセラフィーナの間ぐらい
にとどめておこう。
 使者には同盟を考えておくと言って、ひとまず帰らせた。南側は
進路にも考えてなかったので、どちらかといえば二の次にしていた。

201
 実のところ、よさそうな案はあった。
 ただ、それを提示するのを少し戸惑っている部分もある。
 少し散歩でもして考えようと思い、中庭に出た。
 そこではセラフィーナと妹のアルティアがエアーボールという遊
びをしていた。
 木のラケットで、球を落とさないように打ち合うゲームだ。真ん
中にネットがあって、これより奥に入れないといけない。
 ちょうど、アルティアがネット前でジャンプして、セラフィーナ
の陣地に球を落とした。上手くブロックが決まった形だ。
﹁アルティアさんは強いわ﹂
﹁頭脳派だからね。ここにしか返せないというところに打てば、次
の防御が上手くいくから﹂
 アルティアはちょっとドヤ顔をしていた。
﹁おいおい、セラフィーナ、子供がいるんだから、無理はしないで
くれよ⋮⋮﹂
﹁あまり出歩けないから、少しだけ運動をしているの。アルティア
さんみたいに跳ねたりはしていないから安心して﹂
 たしかにセラフィーナは汗もかいていない。どうやら、ほとんど
同じ場所から動かずにゲームをしていたらしい。
 アルティアのほうはかなり活発に動いていたのか、汗をかいてい
る。
﹁アルティアも、すっかり元気になったな﹂
 最近は大病を患うこともなくなり、顔色もいい。

202
﹁はい、これ以上、お兄様のご迷惑にはなれないから﹂
﹁別にお前が迷惑だなんて思ったことはないぞ﹂
 アルティアは唯一の親族と言っていい存在だ。親戚はほかにもい
るが、本当に心を許せるとは言えない。親戚は伯爵の地位を奪うこ
とも可能な存在だからだ。
﹁だって、まだお兄様の元にいるんだもの﹂
 やっぱり、アルティアも領主の娘だなと俺は思った。
 いい心構えだと思う一方で、寂しくもある。
 アルティアは胸に手を当てて、毅然とした態度で言った。
﹁政略結婚で、どこかに嫁ぐ準備はできているから﹂
29 妹を嫁がせる
﹁政略結婚で、どこかに嫁ぐ準備はできているから﹂
 アルティアの瞳を見つめた。病弱で触るだけで溶けてしまいそう
な少女の姿はもうなかった。
 どこに出しても恥ずかしくない伯爵の妹だ。
 こんな強い目ができるようになったんだな。
﹁実は、ちょうど俺もお前の婚儀について考えていた﹂
﹁ナグーリ県のレントラント家かな? 当主の嫡男も三十歳ぐらい
のはず﹂
 この場で話すことはわからないが、別に隠さないといけないこと

203
でもないか。
﹁それはないな。いつか、ナグーリ県に俺が攻める可能性もあるか
らな﹂
 基本的に敵国から来ていた妻は離縁されるが、そのまま夫や子供
と一緒に戦争に参加することもある。そのまま、運命を共にする者
もいたはずだ。
 アルティアを送り込めば、ナグーリ県は確実に油断するだろうが、
妹を騙し討ちの道具に使うのは避けたい。
﹁とすると、セラフィーナさんのご実家?﹂
﹁そうだな。それで同盟をさらに強化するという考え方もできるが、
発展性という意味では微妙だ。現時点で両者は信頼関係を築けてい
る﹂
 それにしてもアルティアもよく周辺情勢を把握しているな。
﹁なら⋮⋮オルビア県のナーハム家? ブランド・ナーハムという
貴公子がいるとか﹂
﹁当たりだ。お前をやる価値があるかどうか考えていた﹂
 アルティアはしばらく、思案していたようだったが、やがて、ラ
ケットで左手をぱんぱんと叩きながら、
﹁よい球かどうかは叩いてみないとわからない﹂
 と謎かけみたいなことを言った。

204
﹁嫁ぐ価値があるかどうか、その人を呼び出して見てみたらいい﹂
﹁血は争えないというか、アルティアさんも旦那様みたいな性格ね﹂
 セラフィーナがあきれ半分、評価半分といった感じで言ったが、
言いたいことはよくわかる。
﹁それで、どういう理由で呼ぶ? まさか品定めしてやるから来い
とは言えないからな。間には戦争中ではないとはいえ、違う領主の
土地もある﹂
﹁エアーボールを伯爵の妹としないかというのは?﹂
 アルティアは球を拾うと、俺のほうに向けて、ラケットで軽く打
った。
 俺はそれを右手でキャッチする。なかなか重いボールだ。
﹁私、エアーボールは強いよ﹂
 思わず声を出して笑ってしまった。
﹁わかった。アルティアの案に乗ろう! ブランド・ナーハムを呼
んでやろう﹂
 そうだ。アルティアのためにわざわざ来るぐらいの気概がないよ
うな奴に、どうして嫁にやらないといけないのだ。それだけの覚悟
は見せてもらおう。
﹁旦那様は戦略は冷徹なのに、アルティアさんには甘いのね﹂
﹁かわいい女には男は甘くなる。そうでない男は聖職者にでもなっ
たほうがいいな。たとえ、神殿でどんな職業を言い渡されてもな﹂

205
 ブランド・ナーハムに書状を送ると、すぐに行くという連絡が来
た。
 途中、通過する領主にはかなりの額の通行料を払って、穏便にこ
ちらの所領に入ってきた。
 そして、マウストの丘にある仮の城で会見することになった。
﹁はじめまして、ナーハム郡など二郡の子爵、ブランド・ナーハム
と申します﹂
 噂のとおり、ブランドという男はなかなかいい目をしていた。
 なんとも抜け目がないというか、顔を見合わせただけで利発であ
ることがわかる。ただし、英雄の相というよりは、一人の将といっ
た印象が強いが。
﹁子爵はいったい何の職業であると神殿で言われたのかな?﹂
﹁盗賊だと言われております。これまでも敵の守りが薄いところに
兵を送って勝ったことが何度もありますね﹂
 盗賊は状況判断力が通常の人間より三十パーセント上がり、さら
さと
に素早さが五十パーセント上がると言われている。機に敏い人間と
なるのも納得がいく。
 もっとも、盗賊と言われる前からこの男は頭角を現していたはず
だが。年齢的に、職業を言い渡される前から当主として戦争に出張
っていたはずだ。
﹁なるほど。貴族に盗賊という職業が似合っていると言うと、侮辱
に聞こえるかもしれないが、あなたの天職と思う﹂
﹁自分もそう考えています。それで妹君はどちらに?﹂
﹁庭で待っているので、今から案内いたそう﹂

206
 アルティアとブランド・ナーハムとのエアーボールの試合は、ブ
ランド・ナーハムの勝ちに終わった。スポーツで判断するのは多少
横着だが、その動きが実に素早いのは間違いない。
 この機動力で敵を倒していったんだろう。
 試合の後、ブランドは俺の前まで来て、頭を下げた。
﹁どうか、妹君を我が妻に迎えたいのです。このような美しい女性
は、オルビア県にはいません。さらに領主の妻にふさわしいほどに、
凛とした表情をされていらっしゃいます﹂
 向こうから言ってくるとはな。最初から目的がわかる程度には敏
いということか。
 アルティアの顔を一瞥した。
 もう、気持ちは固まっているらしかった。
﹁わかった。ただし、妹のためだけという理由で、兵を貸したりは
しない。君は俺が喜ぶような餌を常に用意するようにつとめてくれ﹂
﹁ありがたきことです!﹂
﹁それと、アルティアを泣かすようなことはしないでほしい。もう、
アルティアは普通の人間以上に苦労をしてきた。俺も楽をさせてや
りたいんだ﹂
﹁はい! お約束いたします!﹂
﹁妹は後日、こちらから送り届ける。ご心配なきよう﹂
 こうして、ナーハム家との同盟は成立したのだった。

207
 ︱︱あのブランドという男、浅井長政のような青年武将であるな。
所領の広さが大名と呼ぶべきかどうかの境目程度なのも似ている。
お市も幸せそうにしていたのだが。
 今回のオダノブナガはどこか感傷的だった。
 あんたも妹を嫁に出したんだな。領主なら当然か。
 ︱︱その浅井長政に裏切られて、窮地に陥ったのだがな。帰る場
所を失うところだった。あとで、滅ぼしてやったが。
 おい、じゃあ、妹はどうしたんだよ⋮⋮。
 ︱︱その時は娘ともども助け出した。ただ、ずっと悲嘆に暮れて
いたな。
 俺は絶対にそんなことがないようにする。
 ︱︱まあ、せいぜい気をつけておけ。
 その日の夜、俺はアルティアと二人、月を見ていた。
 人払いもして、庭に設けたテーブルで、お茶を飲む。
﹁本当に月がきれいな夜だね、お兄様﹂
 アルティアはわずかに口を開いて、嘆息しているようだった。
﹁そうだな、お前が嫁ぐことを喜ぶべきなんだろうが、どうしても
素直にそう思えない。俺は悪い兄かもしれないな﹂
﹁ううん、そんなことがあるわけがない﹂
 アルティアが強い声で言った。

208
﹁お兄様が心を砕いてくれなかったら、私はもう死んでいたと思う。
私がよくなったのは、高台の屋敷に引っ越してからだし﹂
﹁俺も、お前がいなかったら兄のガイゼルの言いつけで砦の守備な
どしなかった。きっと、ミネリア側に降って、今頃、せいぜいそこ
で一部隊を率いる程度だったさ﹂
 そうだ、アルティアがいなかったら、砦を守ることに命を懸ける
こともなくて、全然違う人生が待っていた。俺が伯爵になっている
のもアルティアのおかげだ。
﹁私がお兄様の妹でなかったら、お兄様のところに嫁ぎたかったな﹂
 冗談めいた声でアルティアが笑った。
﹁俺も、ぜひお前みたいな女なら娶りたかったよ﹂
﹁これまで、育ててくれてありがとう、お兄様﹂
﹁その分、幸せにならないと承知しないからな﹂
 その後、アルティアを部屋まで送り返す時、胸に抱きつかれた。
 アルティアが泣いているのがわかった。
﹁好きなだけ泣いていいぞ﹂
 寂しいのは兄も妹もお互い様だ。
 俺は静かに妹の未来が幸せであることを願った。
 お前はいつか、王の妹になるんだからな。待ってろよ。
209
30 本拠完成と侵略戦
 アルティアが嫁いでいった後、俺はそれまで以上にマウストの都
市開発にいそしんだ。
 想像以上に人口が増えていて、当初の予定より、町の範囲を広げ
ないといけなくなっていた。
 その対策として、今、俺が政務をとっている丘の城の付近まで都
市を拡大することにした。
 ただし、そのあたりまで水路を細かく通すことは現実的に難しい
ので、大きな横の水路で川側と区切って、川寄りを川町、丘側を丘
町とすることにした。大きな目で見れば、一つの都市だし、二つの
都市が並んでいるという見方もできる。

210
 そして、城を作り出して九か月ほどで、ついに俺はマウスト城に
移った。
 普段は城下と橋でつながってもいるが、それを落とせば、完全に
川の中に浮かぶ要塞となる。
 まず、俺は家臣団を新しい城の大広間に集合させた。
 ネイヴル城とは比べ物にならないほどに広い空間だが、それでも
家臣の数も増えているので、そうゆったりとしているようには見え
ない。
﹁諸君、今日からここが我々の政治、経済、その他すべての中心と
なる。まだ慣れない部分もあるだろうが、いずれ愛着も湧くだろう。
少なくとも普請でネイヴル城に負けているところはどこにもない﹂
 恭しく家臣団は俺の言葉を聞いている。
 少しずつおなかのふくらんできたラヴィアラ。
 老将として長らく俺を支えている老将シヴィーク。
 隊長オルクスを筆頭にした赤熊隊。
 同じく隊長レイオンを筆頭にした白鷲隊。
 精鋭を率いる部将ノエン。
 ワーウルフの財務官僚、ファンネリア。
 マウストの商人上がりのオルニス。

211
 その他、各地から集まってきた者たちで家臣団は成り立っている。
ネイヴル家代々の重臣もいることはいるが、数の上で多数派という
ほどではない。
﹁では、一つ、俺の目標を語るとしよう。まだ、誇大妄想と笑って
もらってかまわない。ただ、その妄想を実現するつもりではいる。
俺がわずか三つの村しか支配してなかった時から、これだけの土地
を手にするつもりでいた。やることはそれと大差ない﹂
 少し間を空けてから、俺はとうとうと話す。
﹁現在、王家は混乱の極みにある。王統は二つの系統に分かれ、そ
の両方に有力な重臣や豪族がついて、何度も王都の奪い合いを演じ
ている。このサーウィル王国で暮らす者として、実に嘆かわしく思
う。そこで︱︱﹂
 俺は一人ずつの顔を見ていく。
 どうやら誇大妄想と思う奴は誰もいなさそうだ。
﹁︱︱王都に入り、傾いている王家を立て直す手伝いをする。王の
そばで仕えて、国の混乱を取り除く﹂
 おそらく、半分ぐらいの者が王を傀儡にして権力を握ると考えて
いるのだと思っているだろう。
 近いが違う。
 俺は自分の王国を作るつもりでいる。
 無論、簡単な道ではないが、俺が家を継いでからすでに領土は六
倍程度になっている。

212
 今からさらに領土を六倍にすることができれば、それに打ち勝て
る勢力はそんなに多くはないだろう。
﹁そのために君たちには全力で働いてもらいたい。厳しい課題も出
すつもりだが、褒賞も出せるだけのものを出そう。一郡と言わず県
を封土にする者もこの中から現れてもおかしくない。そのつもりで
働け。では、最後に声でも合わせるか﹂
 俺はあの長い槍を取った。大聖堂からもらったものだ。
 その槍で床をどんと叩く。
﹁我らに栄光あれ!﹂
﹁﹁栄光あれ!﹂﹂
 声が新しい城を満たした。
 ︱︱特殊能力︻覇王の霊気︼発動。この職業の者が覇王たる居城
で、覇王として振る舞っている間、その親族も含めて老化が極端に
遅くなる。
 また、何か手に入ったらしいな。
 親族ということは妻もそうなるのか。セラフィーナやラヴィアラ
の美貌を保てるならありがたいことだ。
 ︱︱若々しさが保てるのだから、もっと喜べ。張り合いのない奴
だ。
 そんなものよりは領土を広げるほうが大切だ。まずは県の統一だ
な。北の残り三郡を手に入れる。

213
 ︱︱小領主が多く集まっているところであるな。お手並み拝見と
いこうか。
 高見なのかどうかはわからないが見物しておいてくれ。
 俺は赤熊隊・城鷲隊の親衛隊およびシヴィークやノエンが指揮を
とる精鋭部隊を集めた。
﹁俺の配下に入っていない三郡の中に、協力的でない子爵がいる。
これを攻め滅ぼす。はっきり言っておく。徹底的にやれ。砦の中に
いるような者は一人も生かして出すな﹂
﹁伯爵、ご確認よろしいでしょうか?﹂
 ノエンが尋ねた。三十代なかばの脂が乗りきった武人だ。
﹁今回の敵は村落の近くにあるため、近隣住民も逃げ込んでいる可
能性があり、兵士との区別が困難です。その場合は︱︱﹂
﹁砦にいる者は殺していい﹂
 あっさりと俺は返答した。
﹁すでに領主だけでなく、村落にも伝えている。﹃砦の中にいる者
は皆殺しにする。これは脅しではない﹄と。これでもまだ砦に籠も
るならば、戦闘員とみなす﹂
﹁わかりました。その確認ができれば、それでよいのです﹂
 ノエンがうなずいた。
﹁それで、砦を落とす方法ですが、じっくりと囲んで敵の消耗を狙
いますか? 定石であればそういう戦略になりますが﹂

214
﹁何のためにお前たちを集めたと思っている? 力押しで攻めて、
落とせ﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮﹂
 ノエンは今度は少し恐れたように、うなずいた。
﹁まだお前たちは俺の意図を理解しかねているようだから、説明す
るぞ。初戦の敵を一気に全滅させれば、後ろで控えている敵はどう
なる?﹂
 老将シヴィークが一歩、前に出ながら言った。
﹁恐怖して、多くの者はとても戦えないと思います。農民からかき
集めた兵であれば、逃亡を企てるでしょう﹂
﹁そういうことだ。初戦で力の差を見せつければ、敵はすぐに服従
する。これは希望的観測だが、初戦が上手く決まれば、もう戦はな
いまま、敵領主を平定できると思っている﹂
 だから、多少の無理をしてでも、最初の砦を叩きつぶす。
 俺の勢力がこれまでの領主と質的に違うということを思い知らせ
る。
﹁それに、戦争を長引かせると、もっと厄介な敵を呼び込むことに
なるからな。それは勘弁願いたい﹂
﹁ナグーリ県のコルト・レントラントですな﹂
 やはり、シヴィークは経験が豊富だから、頭の回転も速い。
﹁そういうことだ。連中は領主の救援を名目にこちらに兵を出して
くる﹂
 もともと残り三郡の領主はナグーリ県のレントラント家とも友好
的だった。それが小領主の安全保障だった。

215

﹁俺は最初から小領主を滅ぼして県の統一をすることなど目的にし
ていない。目的はナグーリ県のレントラントを滅ぼすことだ。今回
の戦は︱︱その第一段階にすぎん﹂
 この言葉に兵士たちも驚いているようだった。
31 小領主の滅ぼし方
﹁俺は最初から小領主を滅ぼして県の統一をすることなど目的にし
ていない。目的はナグーリ県のレントラントを滅ぼすことだ。今回
の戦は︱︱その第一段階にすぎん﹂
 この言葉に兵士たちも驚いているようだった。
 しかし、その中で一人、白鷲隊の隊長レイオンが﹁さすがです﹂
と声を上げた。エルフ出身の軍人だ。
﹁伯爵様の目は誰よりも先を見ていらっしゃいます。だからこそ、
どこまでもお供したいと思えるのです﹂
﹁そうだ。ついてきてもらわないと困る。必ず、勝利をもたらして

216
くれ﹂

 俺は兵を敵領主の砦に寄せた。
 さほど高くない小山に敵は陣取っている。数は百人いるかどうか
だろう。
 砦と言っても、本格的な石の要塞には程遠い。石塁のようなもの
が丘の周囲にあるが、それを越えれば、砦の中に入りこめる。
﹁力攻めでも、お前たちの能力なら問題なくやれるな。さて、最初
に突っこむのは誰にするか﹂
 言うまでもなく、最初に力攻めを行う兵が一番危険も多い。
﹁ここはお任せください!﹂
 ノエンが声を上げた。
﹁先日は、伯爵の気持ちを理解することができず、醜態をさらしま
した。それをすすぎたいと思います﹂
 なかなか見込みのある奴だな、と俺は思った。
 元は俺が滅ぼした他家に仕えていた将だが、なかなかにひたむき
な性格だ。
﹁よくぞ言った。では、やってみるがいい。ただ、少しばかりヒン
トをやる﹂
 俺は城の守りが薄いところをいくつか説明した。
﹁︱︱というわけで、北側からなら砦に取り付くことも容易だ。こ
の砦は南からの敵を防ぐことを考えて作られている。南から攻めら
れて持ちこたえられなかったら、本拠地のある方角の北へ逃げるこ

217
とが想定されている。無論、そちらのほうが道はゆるやかだ﹂
﹁すぐにそこまで見通されるとは、さすがです⋮⋮﹂
 ほかの将も驚嘆していた。
﹁敵の身になって考えれば、すぐにわかる。後はお前の番だぞ、ノ
エン﹂
﹁はっ! 必ず敵を粉砕してみせます!﹂
 ノエンの兵はすぐに砦の裏手へと回りだした。
 俺たちは砦の南側に集まって、敵の注意を引き付けておいてやる。
 やがて、ノエンの部隊が砦に入りこんだらしい。砦のほうから大
きな悲鳴が聞こえ出す。
﹁よし、シヴィーク、敵はこちらに逃げてこようとするだろう。道
をふさいで、殲滅する﹂
﹁御意! 誰一人として生かしては砦から出しません!﹂
 敵兵の一部が砦からの逃亡を図って飛び出してきた。小領主だし、
忠誠心に厚い部隊などもろくにいないだろうから、おかしくはない。
 悪いが、ここで全員死んでもらう。
﹁弓矢の用意をしろ。出てくる敵兵がいれば、矢を射かけろ!﹂
 逃げ場がないと思った敵兵は一目散に強引にこちらの包囲から脱
出しようとする。
 もはや戦うという気持ちより逃げるという気持ちのほうが強い。
 それでも、俺は包囲をゆるめず、敵兵を討ち取っていく。

218
 やがて、砦から煙が上がった。ノエンがやったらしい。
﹁勝利は決した! さあ、勝利を完全なるものにするために、もう
ひと働きだ!﹂
 圧勝とわかり、﹁﹁おおっ!﹂﹂という味方の明るい声が上がっ
た。
 結局、本格的な戦闘に入ってから数時間で戦は終わった。
 戻ってきたノエンの体は土で汚れいてたが、ケガはないようだ。
﹁伯爵、敵の大将を討ち取りました。領主の弟だった男です。命乞
いをしていたようですが、かまわず斬りました﹂
﹁それでいい。まったく、この期におよんで命乞いとは、本当に情
けない奴だな﹂
 わざわざ砦に入った者を皆殺しにすると通告しているのに、その
うえで落城間近になって命乞いか。
﹁この者たちは戦を舐めているようです﹂
 白鷲隊の隊長レイオンが言った。
﹁この時代とはいえ、ずっと血で血を洗う殺し合いがあったという
わけではないのでしょう。なんだかんだで小領主同士もちつもたれ
ずでやってきたはずです。本当に恐ろしい戦乱を知らないのですよ﹂
﹁レイオン、お前がかつて傭兵をやっていたな﹂
﹁はい、そういう甘い考えの領主も多かったです。まともな武功を
挙げたこともない領主も珍しくありませんでした﹂
﹁どうやら、そのとおりのようだ。だが、そんな旧弊は俺にはどう
でもいい。これからも厳格にやっていく﹂

219
 ︱︱そう、それでいい。覇王の道に立ちふさがる者は踏み潰して
いけばいい。
 そういえば、オダノブナガもじっくり戦うのは嫌いそうだな。
 ︱︱戦は覇王の力を示す最も効果的な機会であるからな。覇王は
ほぼ包囲戦を行ったことはない。長く時間のかかった戦いでは、籠
城側を倒しても、人は攻め手の強さを感じぬ。まして、城を落とす
のを諦めれば、被害が少なくとも、敗北という事実になる。時間も
かかる。
 俺も同意見だ。一気に倒せる敵なら、そのようにやったほうがい
い。
 ︱︱まあ、これで狭い領国だが、一つ手に入ったな。愚かな領主
は今更ながらに砦の全滅を聞いて、恐怖して、せいぜい降伏を申し
出てくるだろう。愚者には勇気も宿らん。玉砕覚悟で土地を守り抜
く覚悟など絶対にない。
 そうだな、敵の反応が楽しみだ。

 やがて敵の領主が降伏を申し入れてきたので、俺は陣へ出頭する
ように命じた。
 見るからに使えない男だった。武人とはとても呼べないほどに腹
も出ている。田舎に引きこもってまともな政治的駆け引きもしたこ
とがないのだろう。
 何かの役に立つかとも思っていたが、これではどうしようもない

220
な。
﹁伯爵、これまでの非は認めますので、どうかお許しください⋮⋮
どうか、どうか⋮⋮﹂
﹁わかった。俺も鬼ではない。許してやろう。そなたたちとは直接、
矛を交えてはいないからな。皆殺しの対象ではない﹂
﹁ありがたき幸せ! 必ず、この土地で伯爵のために身命をとして
励みます!﹂
﹁何を勘違いしている?﹂
 俺は冷たい声で言った。
﹁この土地は俺の家臣に治めさせる。お前の一族はネイヴル近郊の
村で農民として生活しろ﹂
﹁そ、そんな! 許すとおっしゃられたではありませんか⋮⋮﹂
﹁だから、命は助けてやっただろう? 案ずるな。お前の家臣たち
はこちらでもらい受けて、再編制する﹂
 トップがこんなのなら、家臣の忠誠などないに等しい。これでと
くに反発も起こらんだろう。
﹁そいつを連れていけ﹂
 親衛隊の中でも腕っ節の強い連中が﹁元﹂領主の腕を取って、引
っ張っていった。
 さて、残りの小領主もつぶしていくか。

221
32 フォードネリア県統一
 さて、残りの小領主もつぶしていくか。
 俺はほかの小領主にも最後通告を行った。
 大意は以下の通り。
<今回、領主を一つ滅ぼしたが、それは伯爵に対して戦争を行った
からである。負けた者が怯えて降伏を申し出るのは味方になるとい
う意思ででも何でもない。だから、所領を取り上げたのだ。無論、
早く伯爵に仕えることを明言した者にはそれなりの待遇で召し使う。
一戦交えるというなら、止めはしないが、先祖伝来の土地を失って
よいという覚悟がある者だけがやるといい。戦とはそもそも命を懸

222
けるものなのだから、どうして土地すら惜しむことがあるだろうか。

 すぐに四領主が人質を連れて服属を申し出てきた。
 これで残るのは三箇所だけか。このまま叩きつぶす。
 ただし、まともな戦争には結局ならなかった。
 まず、領主単位では抵抗する気があっても、家臣がそれについて
こないということが起こった。
﹁伯爵にお仕えするべく、出頭いたしました!﹂﹁主君を見限って、
参上いたしました!﹂
 そんなことを言って、俺のところに来る家臣が続出した。
 わかってはいたことだが、領主の家臣もまた小さな領主に違いな
い。自分の身を守るためには、主君から離れることも選ぶだろう。
 俺はそういった連中を丁重に扱うことを約束した。
 これで俺に従えば得をするという情報が広まれば、平定はさらに
楽になる。
 ついには、こんなことまで起こった。
 ノブン家という子爵に仕える筆頭の家臣が俺に臣従を示しに来た。
﹁我が家は元々ノブン家の分家でありまして、百年ほど前からその
職をつとめてまいりました﹂
﹁ほう、そのような立場で主家を捨てるとは相当なお覚悟がおあり
のようだ。俺も実にうれしく思う﹂
 この言葉に偽りはない。そんな重臣が領主を捨てたとなれば、ほ
かの家臣も必ず動揺する。これ以上の抵抗を諦める者も増えるに違

223
いない。
﹁この平定が成れば、そなたにはそれなりの褒賞を与えることもや
ぶさかではない。戦わずして敵の股肱の臣がいなくなったのだから
な﹂
﹁はっ! ただ、やはり伯爵に仕えるお気持ちを形で現さねばと思
い、手土産を持ってまいりました﹂
 その男はなかなか上機嫌だった。よほどいいものを用意してきた
のだろう。小領主の重臣で、そんな名宝を持っているとも思えない
が、たしかに横に控えているそいつの従者が何か箱を持っている。
﹁これをご覧ください﹂
 従者が箱を開けた。
 その中には首が入っていた。それも一つではなく二つだ。
﹁臣従の誓いとして子爵とその嫡男の首を斬ってやって参りました
! すででにノブン家は滅んだようなもの! これこそ、わたしな
りの臣従の証拠の品でございます!﹂
 おい、オダノブナガ、いるか?
 ︱︱お前、自分から覇王を呼ぶとは何様だ。まあ、大目に見てや
るがな。覇王は面白い人間には優しいのだ。
 俺はこいつをぶっ殺してやりたいんだが、俺の考えはどこか間違
っているか?
 ︱︱実は、覇王も似たようなことをしたことがある。武田という

224
おやまだ のぶしげ
大大名が滅ぶ直前、その重臣である小山田信茂が主家を裏切ったと
報告に来たのだ。その者たちには死んでもらった。
 だよな。
﹁そなたに一つ、質問したいことがある﹂
﹁はっ、どういったことでございましょうか? ノブン家の土地に
ついてでございますか?﹂
﹁頼まれてもないのに自分から主人を殺すような奴を、家臣として
召し抱えたいと思うか?﹂
 その男の顔が青くなった。
﹁いえ、わたしの主人はあまりにも愚かであったためにこういった
ことを行ったまでで⋮⋮決してわたしが不忠というわけでは⋮⋮﹂
﹁お前の忠義に興味はない。ただ、俺は信用することができないと
言っているんだ。︱︱︱︱やれ﹂
 そばにいた白鷲隊の隊長レイオンが即座にその男を斬り殺した。
続いて、従者も。
﹁こんなことで歓心を買えると思っていること自体が俺に対する侮
辱だ。敵の敵であれば、すぐに信用されるとでも思ったか!﹂
 俺はその後、兵を進めて、実質滅んでいたノブン家および残り二
家も滅ぼした。
 こちらの兵が近づくと、多くの砦や城では城兵が脱走を試みて、
ほとんど自滅していった。俺に刃向かった砦は皆殺しに遭うという
噂がかなり広まっていたためだ。

225
 ならば、最初から個々の砦での防衛戦など試みなければいいと思
うのだが、城将たちも表面上は領主に抵抗するなどと言って、結局
怖くなって怖気づくのだろう。領主はきっと戦ってくれると信じて
作戦を立てるが、計画は見事に崩壊する。
 犠牲を厭わずに力攻めで一つ砦を落としたことで戦争の数がかな
り減って、かえって犠牲者も減ったと思う。
 やはり、従来のようにじっくりと攻めることには弊害も多い。
 勝ち目がないとわかっている相手でさえ形式的に籠城して戦おう
とするようになるし、小競り合いのようなものは何度も起こるから、
なんだかんだで犠牲者やケガ人も増えていく。
 まして、遠方まで出向くと兵糧の用意も必要になる。
 ついに、最後まで俺に抵抗していたフォードネリア県最北の領主
の居城に迫った。
 さすがに領主の居城だけあって、ここは堅牢で、力攻めは難しい
ので、数日は敵を囲みながら様子を見ることにした。
 それと、隣接するナグーリ県から援軍が来るかどうかも見極めて
おきたかったというのもある。
 籠城というのはどこかから援軍がやってくることを前提とした戦
術だ。ただ、守るだけでは絶対に勝てないのだから。
 間諜の報告によれば、すぐにナグーリ県から兵が来ることもない
ということだった。今更、こちらが県を統一することまで妨げるの
は無理と考えたのだろう。
 じわじわと包囲網を縮めていくと、結局、敵は条件次第で降伏し

226
たいと言ってきた。
﹁そちらの領主一族が投降するなら、兵の命は助ける﹂
 敵の使者にそう伝えると、向こう側も受諾したらしく、領主一族
が城を出て、こちらにやってきた。
 これにより、俺のフォードネリア県統一は完成した。
 次は北にあるナグーリ県を攻める番だな。
33 敗者の人材登用
 フォードネリア県での争いが終わったので、俺は宿舎に一日とど
まって、重臣と会議をした。
﹁まず、今回の戦でのみんなの活躍をねぎらわせてくれ。華々しい
成果の数々だった﹂
 一同も勝利の後だから、実に気持ちよさそうだ。戦勝後は酒を飲
むことも認めているから、赤ら顔の者もいる。赤熊隊のオルクスな
んかはもともと赤ら顔なので、酒のせいかどうかよくわからないが。
﹁とくにノエンは的確に初戦を勝利で飾ってくれた。あれで、そこ
からの戦争がずいぶんと楽になった。まともに立ち向かう敵もかな

227
り減っただろう﹂
 ノエンもなかなか誇らしげな顔をしている。
﹁それで、投降した敵一族の処遇だが、主戦論者が誰だったか確認
したうえで、領主ともども処刑するつもりでいる。残りの者はこち
らの軍に編制する。女子と子供などはセラフィーナのところに移し
て、世話をさせる︱︱つもりではいる﹂
 籠城を選んだということは徹底抗戦の意図があったということだ
から許さなくてもおかしくはないが、そこから先は家臣たちの反応
を見て決めようと思っていた。
 最後に戦ったのはマイセル・ウージェという小領主だが、ほかの
領主と比べれば、多少の骨はあった。将として使えそうなら、使っ
てもいい。
﹁意見がある者がいれば、何でも言っていいぞ﹂
 赤熊隊隊長のオルクスが﹁へい﹂と手を挙げた。
﹁何人か敵の中に動きがいいのがいました。赤熊隊に加えてくだせ
え。そこそこ兵の練度も高かったですよ﹂
﹁わかった。補充はお前が好きにしていい﹂
 次にノエンが手を挙げた。
﹁恐れながら、マイセルという子爵はそれなりに気骨のある男。お
許しいただければ、我が旗下に加えて、将として使いたいのですが﹂
﹁そうか、お前が申し出てくれて、ある意味ちょうどよかった﹂
 俺の計画と上手くリンクする。

228
﹁ノエン、お前マイセル・ウージェが立てこもっていた北ヶ丘城の
城将とする﹂
 北ヶ丘城というのは、通称だ。まさにその城が県の北の端に近い
丘に位置しているからだ。その丘から北を望むと、段丘の下にナグ
ーリ県が見える。
 かなり重い役目だからか、少しノエンもたじろいだような顔をし
た。
﹁ここが俺たちの次の戦いで、最も大事な場所の一つであることは
言わなくてもわかるだろう? ナグーリ県のレントラント家と戦う
には、ここをしっかりと押さえておく必要がある。敵は必ず、近い
うちに攻めてくる。こちらが想像以上に早く、県を統一したから、
事態の深刻さにも気づいただろう﹂
 おそらく、これまでのスピード感なら、もっとゆっくりでも救援
が間に合うと連中は考えたのだろう。あるいは、救援が無意味と思
って、最初から見殺しにするつもりだったか。
 どちらにしろ、次はナグーリ県との戦いになる。
﹁なので、この北ヶ丘城には重臣を入れたい。だが、親衛隊である
赤熊隊や城鷲隊を俺から離しておくのはおかしいし、ラヴィアラに
は腹に子がいる。シヴィークも︱︱﹂
﹁私は歳とはいえ若い者にはまだ負けぬぐらい動きますぞ。ナグラ
ード砦の日々と比べれば、この土地ぐらい天国みたいなものです﹂
 先に言われてしまって、俺は苦笑いした。
﹁それはわかっているが、まあ、俺も親がいないからな、年配者に
は孝行をしたいんだ。どうせ、また戦争に出ないといけなくなる。
それまではマウストで休んでいろ﹂

229
﹁すべては、伯爵に従います﹂
 シヴィークは堅苦しくうなずいた。
 ちなみに、シヴィークの息子︱︱小シヴィークと俺は呼んでいる
︱︱ももう三十代で、同じように俺に仕えているが、親父の堅苦し
いところにはへきえきしているようだ。
﹁というわけでだな、ノエンにひとまずこの三郡の全権を任せる。
アメとムチでしっかり統治してくれ。どうせ、そのうち鎧に身を包
むことになるだろうが﹂
﹁伯爵の信頼にお応えできるように尽力いたします⋮⋮﹂
 ノエンは深々と頭を下げた。
 重責なのは間違いないが、その分、気合いを入れてやってくれる
だろう。
 シヴィークが老齢なのは事実だし、今後のことも考えて、使える
将の数は増やしておきたいのだ。
﹁よし、では、せっかくだし、マイセル・ウージェ子爵も呼んでこ
ようか﹂
 しばらくして、その場にマイセル・ウージェが引き出された。
 思った以上に若い男だ。まだ二十のなかばぐらいだろう。入って
きた時から神妙な表情をしていた。
﹁伯爵に逆らった責任を取って死ぬ覚悟はできています﹂ 
﹁一つ質問したい。この勝負、最初からそちらに勝ち目などなかっ
たはず。なぜ、降伏しなかった? あるいはほかの一部の領主がや
ったようにナグーリ県に逃亡するということもできた﹂

230
 領主の家臣まで含めればナグーリ県のレントラント家を頼みに落
ちていった者はそれなりの数にのぼる。
﹁私は代々、この土地を治めてきました。それを合戦もせずに明け
渡すということはできませんでした。領主というのは命を賭けてそ
の土地を守るから、民よりも偉いのです。すぐに逃げ出すような者
が民を支配していたというのは恥ずべきことです﹂
 なるほどな。骨のある人間であることは確かだ。
﹁気に入った。そなたはそこにいるノエン・ラウッドの下で将とし
て働け。子爵の地位は一度、召し上げるが、働き次第ではこれまで
以上の土地を手にすることもできるだろう﹂
 マイセルという男は意外な表情をしていた。
﹁逆らった者は当然、殺すと思っていたのですが⋮⋮。この遠征で
は、そのような戦いをしていたはず﹂
﹁それは相手による。役に立つ者がいれば取り立てるし、無能であ
れば殺す。それだけのことだ﹂
 ︱︱そうだ、そうだ。利用価値がある間は武将は使ったほうがい
い。松永久秀が一度裏切っても覇王は許したぐらいだからな。まあ、
久秀にはもう一度裏切られたのだが⋮⋮。
 また、オダノブナガが何か言っていた。
 ︱︱荒木村重も許すつもりだったのだが、かたくなに拒否したの
だよな⋮⋮。どうして、あんなに裏切るのだ⋮⋮。
 おい、あんたの愚痴なんて興味ないぞ。
 ︱︱と、とにかく使える者は使え。でなければ広くなってきた領
土を治めることはできんからな。
 そこはそのとおりだな。

231
﹁このマイセル・ウージュ、ご温情に感謝して精一杯励みます﹂
﹁温情ではない﹂
 俺は笑って言った。そこまで甘くはない。
﹁使えると思ったから使うだけだ。だからこそ、ここからはお前が
自分の価値を示す番だ。自分の存在理由をしっかりと作れよ﹂
34 人質だった女
 マウスト城に戻った俺はナグーリ県の情報収集につとめた。
 空き時間はできるだけ、どのようにレントラント家と戦うべきか、
考え続けた。
 この考え事は政務中よりも、妻の部屋で休んでいる時のほうがは
かどる。政務を一度切り離せるからだ。
 なお、妻がいる区画には男は俺と一部の人間しか入れないことに
なっている。小さな後宮みたいなものと言えなくもない。
﹁旦那様ったら、また地図とにらめっこなんだから﹂
 テーブルで地図を広げている俺にセラフィーナがそんなことを言
った。

232
﹁しょうがないだろう。これまでにない規模の戦争になるんだから﹂
 自分が県を率いる領主になって、それと同格の相手と戦うのは次
が初だ。
 もしも失敗すれば滅亡の憂き目にも遭う。
﹁仕方ありませんよ、セラフィーナさんも我慢してください﹂
 そこにラヴィアラがお茶を運んできてくれた。ラヴィアラもこん
な小間使いのようなことをしなくてもいい立場なのだが、昔からこ
ういうことには気が利く性格だ。
﹁二人とも、おなかがふくらんできたな。できれば子供が産まれる
前にレントラント家を滅ぼしたいんだが﹂
﹁アルスロッド様、いつになく気合いが入ってますね﹂
 ラヴィアラがお茶を入れてくれながら、言った。
﹁けれど、いくらなんでもあと数か月のうちに県を一つ取るだなん
て、いくらなんでも難しいんじゃないですか?﹂
﹁だろうな。ミノという隣の国を取るのは、オダノブナガさえ時間
がかかったと言ってたし﹂
﹁オダノブナガ? 職業のことですか?﹂
﹁あっ⋮⋮今の話は気にしないでくれ﹂
 オダノブナガと会話しているということはあまり表に出さないよ
うにしている。たいていの人間は信じられないだろうし。
﹁俺は本気だぞ。でないと、子供と戦争と両方考えないといけなく
なるからな。でも、だいたい、作戦もついたかな﹂
 俺はナグーリ県の地図に一箇所チェックをつける。

233
 向こうが攻めてくる前にこちらが有利な状況を作ってやる。
﹁本当ならもっとわたしも旦那様のために尽くしたいんだけど、今
は赤ちゃんが大事だから何もできないわね﹂
﹁それはラヴィアラもです﹂
 二人は顔を見合わせて、﹁ねえ﹂と言っていた。
 なんか、最近、セラフィーナとラヴィアラの距離が近くなってる
気がする。立場が近いからだろうか。
﹁でも、旦那様⋮⋮わたしも少しは旦那様のために心を砕いてるの
よ﹂
 なぜか心苦しそうにセラフィーナが言った。
﹁わかってるよ。君が俺のことをずっと見守ってくれてることは。
君は職業どおり、俺にとっての聖女だ﹂
﹁ううん、もっと具体的なことなの。ラヴィアラさん、お願い﹂
 そう言われるとラヴィアラは部屋を出ていった。いったい、何だ?
 そして、ラヴィアラは女の子を一人連れて戻ってきた。年齢は十
五歳頃だろうか。ピンク色の美しい髪をしていた。
 セラフィーナの侍女にしてはドレスが豪華すぎる。かなり上の身
分だと思うが、いったい誰だ?
﹁はっきりとお会いするのは、これが初めてかと存じます﹂
 鈴が鳴ったような、きれいな声だった。
﹁どちらの娘さんかな? 家臣にあなたのような美しい方がいれば、
すぐに噂になっただろうが﹂
﹁わたくし、マイセル・ウージュの妹、フルールと申します﹂
 あっ、北ヶ丘城の領主の妹か。

234
﹁わたくしは、二年前までレントラント家の元で人質として暮らし
ていました。なので、内情も少しはお伝えすることができるかと存
じます﹂
﹁それはありがたい。ぜひ、いろいろとご教示願いたいですね﹂
﹁はい、わたくしもそのつもりでございます﹂
 本当に礼儀正しい人だと思った。自分が亡国の姫ということで遠
慮もあるのかもしれないが。
 セラフィーナが俺とフルールの間に入ってきた。
﹁ウージュ家の娘さんが送られてきた時に、この人はきっと旦那様
の力になると思ったの。まず、とても頭がいいし、それに心根のほ
うも信用ができるわ﹂
 フルールは胸に手を当てた。それは誓いを意味する仕草だ。
﹁ウージュ家を残してくださったご恩にわたくしは報いたいと思い
ます。それに、次のレントラント家との戦いで、きっとわたくしの
兄は最前線で戦うことになるはず。兄のためにもどうかよい戦にな
るようにしたいのです。そのためにお話できることはすべてお伝え
いたします﹂
﹁その気持ち、ありがたく頂戴いたします。では、早速、いくつか
質問してもよろしいか?﹂
﹁はい、どのようなことでも﹂
﹁レントラント家も戦の準備をしているだろうが、いつ攻めるのが
よいでしょうか?﹂
 わざと試すような質問をした。

235
﹁小麦の収穫時期と重なる頃合いがよいかと。徴発できる兵士の数
も減ってくるでしょうし。とくにナグーリ県の南側は農地が肥沃で、
しばらく人手がかかるでしょう。ただ、土地が広いので防御には向
きません﹂
 なるほど、たしかにすらすら言葉が出てくるな。
﹁では、敵が攻めてこないのは、いかなる理由と思われるか?﹂
﹁可能性はいくつかございますね。まず、彼らには自分の県を守る
という意識しかないから。まだ、ナグーリ県自体はまったく奪われ
ていません﹂
 ありえることだ。昔から、広い土地を持っていると、保守的にな
ることもある。
﹁次に、フォードネリア県で戦うのを避けたいから。農民を徴収し
た兵士は遠方に出向くのを嫌がるものです。まして、隣の県までは
るばる向かうとなると士気が下がる恐れもあります﹂
 それもある。だからこそ、俺は職業軍人を用意したかった。親衛
隊はそのための下準備だ。どんな季節でも戦える軍隊があれば、敵
が戦を避けたい時期に攻撃できる。
﹁最後に、最初から伯爵をおびき寄せて、叩く算段かもしれないか
ら﹂
 地図上のいくつかの砦にフルールは指を這わせた。
じょうさい
﹁敵の県の城砦はいずれも北寄りにございます。もし、ここまで攻
め込んでフォードネリア勢が大敗すれば逃げるのは非常に大変です。
その間に軍隊が崩壊するという恐れすらあります﹂
﹁フルールさん、あなたは本当に聡明な方だ﹂

236
 おそらく、人質とは言いながら本国にナグーリ県の内情を伝える
役目でもしていたのだろう。ただのカゴの鳥ではない。
 これは思った以上に大きな将を得られたかもしれない。
35 新しい側室と ナグーリ県攻め
 俺がフルールに感心していると、セラフィーナが地図をふさぐよ
うに立った。
﹁旦那様、ここはわたしの部屋よ。それはご存じかしら﹂
﹁ああ、気がきかなかったかな。悪い、悪い﹂
﹁そういうことじゃないの⋮⋮。軍議ならば、フルールさんの部屋
がいいかと思うんだけど﹂
 ちらっと、セラフィーナがラヴィアラのほうを見た。
﹁はい、ラヴィアラもそのようになさるのがよいかと⋮⋮﹂
 ラヴィアラも伏し目がちにそう言った。
 二人の顔を見て、意図は察した。

237
 城内の女性の部屋に城主である俺が行くということは、つまり、
そういうことだ。
﹁わたしもラヴィアラさんも身重で、あまり長々と語らうのも疲れ
てしまうし、今日はお休みさせていただきたいの。ナグーリ県のこ
とはわたしもわからないし、フルールさんと話すべきでしょう?﹂
 口ではそう言っているけど、セラフィーナの顔は寂しそうだった。
 おそらく、セラフィーナ自身がフルールを俺の側室に選んだのだ
ろう。俺もセラフィーナとラヴィアラのことを気づかって、追加の
側室を置いていなかった。
﹁フルールさんのご迷惑でなければ、もう少し聞きたいことはある
な﹂
﹁何も異論はございません﹂
 貴族の姫の手本のようにフルールは静かに答えた。
﹁それでは、どこを攻めるのがよいか、もう少し話をさせてもらお
う﹂
 部屋を移って、もう一つ質問をした。
﹁あなたの兄上はこのことをご存じということでよろしいのかな?
 あなたの兄上を怒らせるようなことになるのは避けたいのだが﹂
﹁伯爵家に嫁ぐことに反対する理由はないと別れる前に申しており
ました。それから、伯爵の奥方様に夜伽のことはうかがっておりま
す﹂
﹁では、セラフィーナの策にはまってみようか﹂

238
 そのまま、俺はフルールを抱いた。
 フルールが献身的で健気であることがすぐにわかった。小領主の
もとに産まれて、いかに一族の土地を守るべきか考え抜いてきたの
だろう。
﹁フルール、ウージュ家は俺に従っている限りは安泰だ。それを約
束しよう﹂
﹁はい、どうか、一族をよろしくお願いいたします﹂
 一族の命運がその小さな肩にかかっていると思って長年生きてき
たのだろう。少し、フルールの表情は硬い。
 俺はその頬に手を当てた。
﹁もっと、楽しそうな顔をしたほうがいい。君は自分のことを亡国
の姫とでも思っているかもしれないが、君が笑っていることを咎め
る人間はここにはいない﹂
﹁ありがとうございます。こんなにやさしい言葉をかけられたこと
は、もう何年もありませんでした⋮⋮﹂
 これまでの不安な少しは解けたのか、フルールはぎこちなさが少
し残る表情で笑った。
﹁そう、その顔のほうがかわいい﹂
 俺はフルールの髪を撫でながら、胸にかき抱いた。
 数日後、俺はフルールを正式な側室に定めた。

 ナグーリ県を攻める策は整った。
﹁まず、先遣隊で敵地の内奥にあるサウラ砦を落とす。山が迫って
いる谷あいの土地だ。その近くで決戦ということになる﹂

239
 俺は徴兵の命令を県全域に伝えると、兵が集まる前から親衛隊な
どの一部だけで北上した。
 途中、ノエンが治める北ヶ丘城に入った。ここが俺の県の最北端
と言っていい。
﹁やけに少数でいらっしゃいましたね⋮⋮。隣県を攻めるからには
全軍で来るのかと⋮⋮﹂
 ノエンは少々面食らっているようだった。
﹁どうせ、ここを拠点にして、兵が集まってくる。小さな砦を落と
していくのに大軍は必要ない。むしろ、ゆっくりしていれば後詰の
兵を出される﹂
 多くの兵がいるのはそこから先の話だ。まずは砦を落としていか
ないと話にならない。
 北ヶ丘城の副将のような立場のマイセル・ウージェもその場に参
上した。
﹁妹に目をかけていただき、ありがとうございます﹂
 その気概に満ちた顔を見て、一族の再興を懸けていることがよく
わかった。戦功を挙げるぞという気持ちが伝わってくる。
﹁妹さんのおかげで、背中を押された。この戦、必ず勝つ。そなた
も先遣隊に加わってくれ。ここはノエン一人で充分だ﹂
 七百ほどの兵で俺たちはナグーリ県に侵入した。
 途中、いくつか敵の砦を攻略していった。
 どこもフォードネリア北部の小領主の侵入を防ぐ程度の意味しか
なかった小型のもので、ほとんど開け放しに近かった。完全にもぬ
けの殻だったところもある。

240
 元の砦にこちらを止める機能がないのは当然だ。県一つを持って
いるような勢力は本来想定されていなかったのだから。
 問題は、砦の補修や改造がなされてないことだ。
 ということは、領土の隅でこちらを防ぐ意図を敵は持っていない
らしい。
 進んでいるうちに遅れてきた兵などが俺のところに加わって、こ
ちらの総数は千人ほどになった。
 そのうえで、ナグーリ県中央部の奥まったところあるにサウラ砦
を落とした。小高い山の上にある砦だったが、ここもほとんど戦わ
ずに敵兵は逃亡した。
 ここからが真剣勝負だ。
 俺は親衛隊たちと軍議を開いた。
﹁この先、峠をいくつか越えれば、ナグーリ県北部の平野部に入る。
そうすれば、一気に敵の本拠モルカラ城にも突っ込める﹂
 モルカラ城は海に面した港町だ。ナグーリ県は北部が海と接して
いるから港が多い。
﹁ただ、この峠を抜けるまでに、いくつも砦がある。明らかに砦の
密度も数もこれまでの比ではない。改修工事も大々的にやっている
ようだ。これの意味はわかるな﹂
 白鷲隊のレイオン、赤熊隊のオルクス以下がうなずいた。
﹁敵は我々をここで孤立させて滅ぼすつもりということですね。こ
の砦の裏側に敵が回り込めば、挟み撃ちという格好になります﹂
﹁レイオンの言うとおりだ。過去にもこういった作戦がこの地で使

241
われたことがある﹂
﹁もし、このまま無理に進もうとしても、砦でそれぞれこちらが消
耗して、疲れて平野に出た頃に、向こうの本隊が叩くってことです
な。それで後ろに逃げても、別働隊が回り込めばこちらを待ちかま
えることができますな﹂
 オルクスが手で顔を押さえながら言った。
﹁そういうことだ。まあ、敵はもうちょっと多くの兵がこの砦に詰
めてくると思ってただろうが﹂
 大軍が入ると逃げ場がなくなるような土地だ。なので、多くを意
図的に後方支援に回した。これで、敵の別働隊を撃破させることが
できる。
 俺も考えて、行動している。一気に敵を滅ぼす。
 ︱︱やけにはりきっているな。まあ、敵の居城が内陸部にあるわ
けでもないし、手は打てそうだ。美濃攻めより容易い。
 そうなのかもな。あんたがいるんだから、俺はあんたよりとっと
と隣国を滅ぼしてやるさ。
 俺はオダノブナガに言った。
242
35 新しい側室と ナグーリ県攻め︵後書き︶
次回、本格的に敵を攻略します!
243
36 砦を連続奪取
﹁それで、我らが先発部隊はどうやって攻めて行くんですかい? 
じっとしていればジリ貧ってことになりそうですが﹂
 オルクスが思案している時はヒゲを手で触る癖がある。
﹁谷の道を進んでいくと、先にある砦に構えている敵に襲撃されま
すぜ。無視して無理に押し通るわけにもいかねえし、これは少々骨
が折れますな﹂
 そう、このサウラ砦はちょうど谷沿いにある程度入ったところに
ある。
 敵はこちらを閉じ込めて、包囲殲滅を狙っているのだ。
 状況だけを見れば、敵はこちらがまんまと罠にはまったように感

244
じているだろう。
 敵領主のコルト・レントラント、それなりに頭が回る男だ。
 動員できる兵力なら向こうのほうが多い。ここで大打撃を与えて
から、本格的に俺の県に攻めることでも考えているんだろう。
 ︱︱そういえば、覇王が生きていた時代もそういうことがあった
すえ
のう。毛利元就は陶が率いる大内の軍を厳島に誘い出して壊滅させ
てから、それからゆっくりと大内の領土まで攻め込んで滅ぼしおっ
たわ。
 まあ、俺はそうなるつもりはないがな。
 この状態をぶち破ってやる。
﹁マイセル、地図を﹂
 マイセルが広げたのは周囲の山や谷だけを拡大したものだ。
﹁実はこのサウラ砦から、敵の砦があるところまで進んでいく間道
をいくつか事前に見つけている。尾根伝いの道をやたらと切って、
降りるしかないように見せかけているが、山伝いに回りこめる﹂
 そのあたりは間諜とフルールの情報を頼った。
﹁敵の作戦は砦を一つ一つ落とすのに、こちらが消耗することを前
提にしている。早々とこれを攻略できれば、勢いを保ったまま、平
野部に雪崩れこめる﹂
 俺は一同の顔を見た。
﹁ここから先の砦が堰の役目を果たしているなら、事前に破壊して

245
おけばいい。そして、後から来る後方部隊と合流して、平野部に出
れば︱︱俺たちの勝ちだ﹂
﹁意図はわかりますぜ。でも、砦を落としてまわるって、そりゃ、
また命知らずなことですな﹂
﹁お前たちなら、これぐらいのことはやれるはずだ﹂
 この兵たちは︻覇王の道標︼の影響を受けている。信頼度と集中
力が50パーセント上昇している状態だ。
 そのうえで、間道から攻め込めば、さほどの被害もなく落とせる。
 それに特殊工作部隊のラッパも用意している。
 あいつらに秘密裏に活動をさせれば、さらに状況はこちらに有利
になる。
﹁わかりやした! ここで武勇を見せなきゃ、男じゃねえ!﹂
 オルクスが叫んだ。
﹁その意気だ。俺も付き合ってやるから、全力で落とせ﹂
﹁さすがに伯爵が向かわれるのは危険では⋮⋮﹂
 レイオンは躊躇した。そこで止めてくれるのがレイオンの仕事だ。
﹁お前たちが守ってくれることを俺は知っている。だから、何も恐
れてはいないさ﹂
 レイオンの顔も完全に戦場のものになった。
﹁何があろうと、白鷲隊は伯爵をお守りいたします!﹂
 ︱︱特殊能力︻覇王の道標︼がランクアップ! 信頼度と集中力
が二倍に。さらに攻撃力と防御力も三割増強。

246
 おっ、さらにボーナスが増えた。
 とんでもなく優秀な部隊になったな。
﹁まず、一つ目の砦だ。これは谷の道を攻める敵と戦うことを想定
しているから、中腹に作られている。つまり、もっと上から回りこ
める。上から精鋭が入ってくれば、すぐに落とせる。行くぞ﹂
 翌日。こちらは昼にわざと谷筋の道を通ろうとして、砦から降り
てきた敵と軽く交戦した。あくまで谷筋を行くと思わせるためだ。
 そして、夜。俺たちは尾根道を進む。
 ところどころに赤いリボンがついていて、迷わないようにしてい
た。ライカンスロープのラッパが事前にオオカミの姿になって道を
調べてくれていたのだ。
﹁ここはオレたち赤熊隊にやらせてくだせえ。二十人もいれば事足
りますぜ!﹂
 俺は隊長のオルクスに任せることにした。
 赤熊隊はハシゴを砦の後方から降ろすと、次々に砦の中に侵入し
た。
 すぐにいくつもの悲鳴が聞こえてきた。
 俺もハシゴで砦に下りる頃には、オルクスの﹁これで十五人目の
首だぜ!﹂という声がした。
 はっきり言って、俺の親衛隊は訓練の量が違う。少数でもとてつ
もない力を発揮する。
 三十分後には敵はほぼ全滅し、城将が降伏した。

247
﹁ほかの砦について知ってることを話せ。でなければ、殺す﹂
 拷問はラッパが詳しいので、彼らに任せた。すぐに敵は砦につい
て、吐いた。
 事前にこちらが調べていた情報とのズレがほぼないので、ウソを
言っているということもないだろう。
 敵が拠点にしている砦は後二つ。
﹁今日のうちにもう一つ、もう二つ、砦を落とせる。このまま行く
ぞ!﹂
 次の砦はラッパが忍び込んで、内側から門を開いた。
 俺がかつてナグラード砦に派遣された時に使われた手だ。砦は強
固だから意味があるのだ。多数の敵兵が入り込めば砦はもう血で血
を洗う地獄と化す。
 その砦から次の砦まではまた尾根道が遮断されていたが、迂回路
を通ればどうということはなかった。このあたりの山の道はすでに
把握している。
 この砦にはラッパが火を放って撹乱戦術を行った。あとは、そこ
に力攻めを仕掛けるだけだが︱︱
﹁ここはお任せください﹂
 マイセル・ウージェが凛々しい顔で言った。
﹁わかった。籠城で降伏しただけでは戦い足りないだろう。存分に
やれ﹂
 マイセル率いる部隊はひるまず敵に突っ込む。
 敵もこの砦を失陥すると、谷での時間稼ぎの計画が完全に破綻す
るから、必死に守ろうとする。

248
 俺も砦に踏み込んで、味方を鼓舞した。
﹁いいか! ここを落とせば峠も抜けられる! 大きな風穴を空け
られる! 必ず勝て!﹂
 俺も三人を斬った。
 戦闘中の俺は特殊能力︻覇王の力︼が発動する。戦闘能力は通常
時の二倍。悪いが、雑兵で勝てるわけがない。
 意地と意地のぶつかり合いはこちら側に軍配が上がった。
 ほぼ制圧が終わったなと思った頃、マイセルが戻ってきた。
﹁城将を討ちました﹂
﹁よくやった。ナグーリ県を手に入れたら、必ず領地を加増してや
る﹂
 最後の砦を落とした時には、もう朝もすっかり明けていた。実に
十二時間以上戦ったはずだ。突撃する部隊を切り替えていたとはい
え、移動も含めてくたくたになった。
 それでも、一日足らずの時間で敵の砦三つを落とせたのは本当に
大きい。
 谷筋の道は完全に通路として開けてやったぞ。
 兵に存分に休息を与えた後、俺たちは峠の出口に当たるところに
陣城を作った。
 ここで、後方から来る味方の部隊と合流して、敵の本体とぶつか
ってやる。

249
36 砦を連続奪取︵後書き︶
﹁チートな飼い猫のおかげで楽々レベルアップ。さらに獣人にして、
いちゃらぶします。﹂の表紙や口絵が発表されました! 11月1
5日、GAノベルさんから発売です。よろしくお願いします!
http://syosetu.com/userblogman
age/view/blogkey/1541269/
250
37 レントラント平野の戦い
 兵に存分に休息を与えた後、俺たちは峠の出口に当たるところに
陣城を作った。
 陣城とはわずかな防御陣地の地形だけを持った遠征時の拠点だ。
今回は俺たちがしばらく逗留するから、屋根のついた小屋ぐらいは
作ったが。
 ここで、後方から来る味方の部隊と合流して、敵の本体とぶつか
ってやる。
 やがて、シヴィークが率いる後方部隊が到着した。
﹁伯爵を背後から回り込もうとする敵がいましたが、これも打ち破

251
りました。こちらのほうが数も多かったので自慢にもなりませんが﹂
 シヴィークもいい歳だが、戦となると活き活きとしていた。
﹁でかした。さあ、ここからが大勝負だが、せっかくだし、調略を
仕掛けるか﹂
 峠を突破したことで、敵の本拠地モルカラを含めた海沿いの土地
で、アルスロッド・ネイヴルの軍が迫ってきたという情報が流れ出
しているだろう。
 状況が極端に悪化していることで、必ずナグーリ県では不安が醸
成されている。ここを狙う。
 ちょうどいい人脈もあった。
 俺はマイセル・ウージェを呼んだ。
つて
﹁君の名義で、伝手のある将に降伏を呼びかけてくれ。降伏すれば
領地の安堵は保証する。書状にはすべて俺もサインを入れる﹂
﹁承知いたしました。ナグーリ県で人質だった頃に知り合った将は
何人かおりますので﹂
﹁思った以上に敵は浮き足立っている。やれるはずだ。今日もこん
な密書が来たからな﹂
 俺は川沿いの港町を管理している総督からの密書を見せた。町で
の略奪を行わないでほしいという嘆願だ。同時にこちらに金品が届
けられている。
 ︱︱ああ、寺社禁制みたいなものだな。敵に略奪を行わない禁制
を求めるということは、敵に通じている行為の一つと認識されかね
ん。もう、敵方の足並みは揃わんようになっておるようだ。
 オダノブナガの言っている言葉で間違いはないだろう。

252
﹁どこかの港町で蜂起する者が出てくれれば、それで決着はつく。
どこかいい相手はいないか?﹂
﹁県の北東部にいるヴァード・レントラントはレントラント家なが
ら、本家とは仲が悪いはずです﹂
﹁よし、すぐに使者を送ろう。今の所領に加えて追加で二郡を加増
すると伝える﹂
 考える前にやったほうが速い。一か所でも裏切ってくれれば、こ
ちらが有利に運ぶ。
﹁しかし、使者を送って、書状を届けるにはそれなりの危険があり
ます。無事に届くでしょうか⋮⋮?﹂
﹁それなら問題はない。ラッパを使う﹂
﹁ラッパ?﹂
﹁俺の軍の影を担う者たちだ﹂
 果たして調略の効き目はじわじわとだが、出てきた。
 敵の本拠であるモルカラ城から遠い地を治めている領主がちらほ
らと俺の軍門に降るようになってきた。敵に対して、容赦のない攻
撃を行ってきたことを連中は恐れだしたのだろう。
 間諜によると、コルト・レントラントも兵士を集めるのに、思い
のほか手間取っているという。
 一つには小麦の収穫時期とぶつかっているからというのもあるだ
ろうが、こちらの攻めが予想以上に速かったので、恐怖を感じてい
る家臣が出始めているのだ。
 戦闘を直接行わなかった将に関しては、俺は原則生かしている。
逆に言えば、矛を向けてきた者は一部例外を除いて殺すという方法
を県の三郡を攻める時から行っている。

253
 負けた時のことを考えて、直接干戈を交えたくないと思っている
のだろう。
 その間、打って出るべきだという意見もあったが、俺はむしろ、
敵を待ち受けるほうを選択した。ただし、何もしないというわけで
はない。じわじわと陣地となる丘を選んでは、そこに小さな付け城
を築く。
 付け城というのは、短時間で作れるちょっとした防御陣地だ。敵
が攻めてきた時、その高台から攻撃できれば、有利に戦える。そう
いうものをとにかく大量に作った。
 そして、ついにコルト・レントラントは四千五百の兵を率いて、
俺たちの前に布陣した。
 場所はくしくもレントラント平野という、敵の一族が生まれ出た
土地だ。
 もう、負ける気はしなかった。
 なにせ、最高の一報がすでに前日俺たちのところに届いていたの
だ。
 ヴァード・レントラントがこちら側について、敵の本拠モルカラ
城を攻めると通告してきたのだ。
 これで、最悪、一日目に追い返されたとしても、俺たちは峠の砦
に立てこもる。
 消耗戦になっている間にモルカラ城が攻められることになれば、
コルトは危機的状況に陥る。
 あとは、さらに味方の士気を高めてやるだけだな。

254
 決戦前、俺は兵士たちに対して、こう告げた。
﹁いいか。俺はフォードネリア伯としてお前たちをここまで率いて
きた。一方、敵もナグーリ伯として俺に対峙している。どちらが自
分の命を懸けるに値する人間か、お前たちはよくわかっているはず
だ﹂
 俺の手にはあの三ジャーグ槍が握られている。
 オダノブナガという職業のおかげか、俺のカリスマ性は以前にも
増して高まっている。
﹁すでに敵は敗れているも同然だ。だからお前たちのやることは勝
つことではない。圧勝することだ! フォードネリアという土地の
名前を全世界に轟かせろ!﹂
 歓声が沸く。
 俺は槍を突き立てる。
﹁今こそ、この三ジャーグの槍で訓練した成果を見せてやれ!﹂
 さらに大きな声が俺を包んだ。
 こちらが動員した数は三千人。はっきり言って、敵よりも少ない。
 それでもこちらの兵は負ける気がしていない。実際にそうなるだ
ろう。
 まもなく、それが証明される。
 開戦。敵は数に物を言わせて、突っ込んでくる。
 あるいはすでに一族で裏切者が出た話を聞いているかもしれない。
ならば、余計に早く俺たちを倒さないといけないだろう。
 こちらの軍は高所を皆、保っている。付け城をさんざん築いてき

255
たのだ。
 そこから長い槍を振るう。
﹁なんだっ! この槍は!﹂﹁長すぎるぞ!﹂
 槍で頭を砕かれた兵たちが次々に倒れていく。
 付け城にこもっている者たちはこの三ジャーグ槍をずっと訓練し
てきた。
 敵の出鼻ははっきりとくじかれる。もはや、ここは敵の領土では
ない。俺が改造した俺のための土地だ。無数の付け城を攻略できず
に敵兵の死者が増えていく。
 やむなく、敵の将が撤退を告げる。
 今だ。
﹁赤熊隊、白鷲隊、およびノエン隊、シヴィーク隊、ノエン隊から
独立したマイセル隊、すべて攻め込め! 突き殺せ!﹂
﹁﹁うおおおっ!﹂﹂
 野蛮人のような声とともに、俺たちは敵に殺到した。
 初めて本格的な平原での戦いに三ジャーグ槍の部隊が活躍した。
この日のために、槍の量産と訓練を続けてきたのだ。この部隊がい
れば国すら盗れる。
 結果はすぐに現れた。瞬時に敵は壊滅した。
 逃げ出そうとする者が相次いでいるのがわかった。
 農民兵も傭兵も命が惜しい。
 総大将のコルト・レントラントは命からがら逃げていった。
 多数の敵将を討ち取り、俺たちは完全勝利した。

256
37 レントラント平野の戦い︵後書き︶
別作品ですが、11月15日にGAノベルさんから発売する﹃チー
トな飼い猫のおかげで楽々レベルアップ。さらに獣人にして、いち
ゃらぶします。﹄の表紙や口絵が発表されました! 下記の活動報
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38 王家のお尋ね者を探す
 総大将のコルト・レントラントは命からがら逃げていった。
 多数の敵将を討ち取り、俺たちは完全勝利した。
 宣伝という点から見ても、その勝利の影響は大きかった。
 日和見を決めていたレントラント家配下の者たちは、主を見限る
ことになるだろう。
 俺は追撃の手をゆるめずに、そのまま北上した。
 コルト・レントラントは古い城に籠城したが、その数はおそらく
三百人程度だった。勝ち目がないと判断した者たちが急速に抜けて
いったのだろう。
 きっと、すでに本拠が親戚に攻められているという情報も入って

258
いるはずだ。
﹁繁栄を誇ったレントラント家がこうもあっさりと滅ぶとは、歴史
の運命とはいえ、物悲しいですな﹂
 城を囲んでいる最中、シヴィークがしみじみと言った。
﹁まさか、老骨が生きているうちに滅亡を見ることになるとは﹂
﹁俺はシヴィークが生きているうちに自分の王国を興すつもりだぞ。
まあ、県が一つ増えれば、やることも山積みだから、外征はしばら
く止まるだろうから、その間はゆっくりしていてくれ﹂
﹁こうもずっと戦っておると、ゆっくりするのが一番難しいかもし
れませんな﹂
 コルト・レントラント以下一門と重臣たちは降伏を潔しとせず、
大半が自害した。
 俺の軍はそのまま敵の本拠であるモルカラ城に向かったが、ここ
でもすでにレントラント家の者が降伏しており、裏切ったヴァード・
レントラントから俺に引き渡された。
 事前に降伏を申し伝えていた者を除いて、多くの一門の首をはね
た。
 家臣団はけっこうな数が直前にこちら側についていたが、あまり
にも直前に裏切って、仲間の首を差し出してきたような者はむしろ
不忠として殺した。
 なお、女は戦争に関わっていたわけではないので、許した。
 こうして、俺はフォードネリア県に続いて、ナグーリ県も手に入
れた。

259
 フォードネリア県を統一してから、半年も経っていない電撃作戦
だった。

 領土が大幅に増えたせいで、政務量がおかしなことになった。
 ナグーリ県は海に面しているから港町も多く、さらにマウストに
も面しているナグーリ川下流にもいくつか川港がある。こういった
都市について把握するだけでも、とんでもない時間がかかる。
﹁ファンネリア、早速、都市の規模、物産、今後の発展可能性など
を調べて、報告してくれ﹂
﹁わたくしとしましても、これは一朝一夕ではいかないかと⋮⋮﹂
 財務官僚をもってしてもかなりきついらしい。
﹁幸い、ナグーリ県の財務関係者はほぼ生存している。そういう者
とも協力して進めてくれ。それと、空いた土地の把握もしないとい
けないな⋮⋮﹂
 うれしい悲鳴だが、大変なことには変わりはない。
 領土が大幅に増えたので、恩賞も与えることにした。
﹁赤熊隊の隊長オルクス・ブライト、白鷲隊の隊長レイオン・ミル
コライア、お前たちの武功に対してナグーリ県の中から一郡を与え
る。ノエン・ラウッドは正式にフォードネリア北部三郡のうち二郡
の領主とする。マイセル・ウージュは北ヶ丘城のある郡の支配は認
められないが、北部三郡のメナル郡一郡をを領土としろ﹂
 その他、もろもろ恩賞は続くが、基本はこのあたりだ。

260
 マイセルはとくに一郡の子爵に復帰できたわけで、実にうれしそ
うだった。
﹁今、言った者はすべて子爵を名乗ってよい。王家にも子爵を名乗
っていいか一応打診をしておく﹂
﹁伯爵、今の王家は落ちぶれてますし、別に確認なんてしなくても
いいと思いますぜ﹂
 オルクスは権威にこだわらない性格なのでそういうことを言う。
﹁今だって、王を目指す従弟とやりあってる状態で、王家の中でさ
え一枚岩になってねえですし﹂
 そう、代としては一世代前の兄弟での争いが今も続いているのだ。
兄を追い落とした弟が次の王になり、その兄の息子がまた王に返り
咲き、弟の息子がまた王位を手にしようと各地をさまよっている。
﹁ああ、俺が子爵叙任の確認をとるのは各地を流浪なさっているハ
ッセ様のほうだ﹂
 多くの者がぽかんとした。
﹁あんな、いつ暗殺されて死ぬかわからないお人から許可を得ても
意味がないでしょうよ。空手形もいいところですぜ﹂
﹁ハッセ様が王になれば、空手形ではなくなるだろう?﹂
 俺はほくそ笑む。
﹁ハッセ様を王にするために俺は王都に乗りこむつもりだ。ハッセ
様を王にし、俺はそうだな⋮⋮摂政にでもなって王を支えるとしよ
う﹂

261
 最初に反応したのは、オダノブナガだった。
 ︱︱実によい! そうだ、まずは都を押さえねば話にならんから
な! この覇王も最初は足利将軍家を支えるつもりで本当に都に入
ったのだ。義輝様はなかなか立派なお人だったからな。結局、数年
で将軍を支えるのに飽き足らなくなったわけだが。
 まあ、傀儡をとりあえず守り立てておくっていうのは、国を乗っ
取る常套手段だからな。乗っ取りが時期尚早なら、堅実に摂政をや
ればいいんだし。
﹁俺はハッセ様の王統のほうが王にふさわしいと考えている。ハッ
セ様の従兄に当たる今の王の政治は周囲の寵臣をかわいがり、庇護
者の大物貴族の機嫌をとるものでしかない。ここはハッセ様に王に
なっていただくべきだ﹂
﹁流浪のお人なら担ぐのも軽そうでいいですな﹂
 オルクスも俺が何を目指しているかはわかったようだ。
 二県を手に入れた。これで一万近い軍隊を用意することも可能に
なってきた。
 もちろん、留守番がいないというのも困るから、王都に持ってい
ける軍の数はもっと少なくなるだろうが、目標を立てるぐらいの権
利はあるな。
 ナグーリ県から東に進み、そこから内陸に入っていけば王都には
入れる。
 いくつか県を通過しないといけないが、不可能ではない。
﹁ひとまず、ハッセ様をお探し申し上げよう。今はたしかナグーリ

262
県の東隣のイクト県の神殿に隠れていらっしゃるとか聞いている。
ハッセ様を探し出して、保護するところからはじめようか﹂
 ナグーリ県の東側には海に面しているシヤーラ県と内陸に面して
いるイクト県がある。イクト県は内陸な土地柄もあって、小さな勢
力に分かれていることもあり、おたずね者が身を潜めるにはちょう
どいい。
 しかし、そんな政治的な策を本格的にやる前に俺の身辺に大きな
変化が起こった。
 子供が産まれた。
39 長男と長女
 子供が生まれる時、男はそこに立ち会うことはできない。出産に
関しては女がすべてを取り仕切るのだ。
 そのため、俺は早く朗報が来いと祈りながら、政務を行っていた。
ある意味、政務があってちょうどよかった。必要以上にやきもきせ
ずにすむ。
 実のところ、子供が無事に産まれるかどうかより、母体が健康か
どうかということのほうが気にかかっていた。
 夕方の頃だった。セラフィーナの侍女が走って政務室に入ってき
た。
﹁お産まれになりました! 男の子です!﹂

263
﹁そうか! 母体は、母体は大丈夫か?﹂
﹁はい⋮⋮奥方様も疲れは見えますが、出産にともなう常識的な範
囲のものです。お子様をご自身でお抱きになるぐらいのことはでき
ておりますし﹂
﹁ならば、すべてよし!﹂
 俺は政務机から立ち上がった。
﹁あの⋮⋮奥方様も今はお疲れですし、もう少しだけお待ちいただ
けないでしょうか⋮⋮? お子様も産まれたばかりの時は体調が急
変することもございますので⋮⋮﹂
﹁むっ⋮⋮そうか⋮⋮。わかった。そちらがいいように取り計らっ
てくれ﹂
 どうやら、俺が興奮しすぎて、少し侍女がひるんだようだ。慣れ
ない男が赤ん坊を落としでもしたら大変だとでも思ったんだろう。
﹁仕事がたまっているのは事実だからな。あとで見に行く。セラフ
ィーナの準備ができたら教えてほしい﹂
 そして、あらためてセラフィーナと対面することになった。
 ベッドで寝てはいたが、たしかに顔色も悪くなかった。
﹁旦那様、わたし、頑張ったわ﹂
﹁ああ、これで後継者の心配もなくなったな﹂
 俺はセラフィーナの手を握った。
﹁後継者になれるかは、まだわからないけれどね﹂
 そこはセラフィーナはリアリストだ。

264
﹁旦那様はもっともっと偉くなるから。それを継げるだけの人材に
この子がなれるかはまだわからないもの。もしかしたら、たとえば
ラヴィアラさんの子供のほうが賢いかもしれないし﹂
﹁母親は自分の子供を跡継ぎにしたいものだと思ってたけどな﹂
﹁わたしはまず英雄の妻でありたいのよ。後継者を誤って、国が傾
くだなんてことはしたくないわ﹂
﹁君みたいな聡明な妻を持って、俺は幸せだ﹂
 子供も抱いてみたが︱︱
﹁男か女かよくわからないものだな﹂
﹁それはそういうものよ﹂
 と笑われた。
 しばらく領内は祝賀ムードに包まれていた。
 いろんな人間がここぞとばかりにあいさつにも来るし、相変わら
ずそれの応対で大変だった。
 もっとも、俺としてはもう一つ、気に掛かることが残っていたの
だが。
 セラフィーナから遅れること二か月、今度はラヴィアラの子が産
まれそうということになった。ハーフエルフは普通の人間と違って
子供が母体にいる時間も長いと聞いていたから、スケジュール的に
はおかしくはなかったのだが︱︱
﹁どうやら、逆子のようで、少し苦労されているご様子です⋮⋮﹂
 侍女がそんなことを言ってきたので、いても立ってもいられなか
った。
﹁ラヴィアラのほうは大丈夫なのか? どうなんだ?﹂
﹁必ずラヴィアラ様だけでもお助けいたしますので⋮⋮﹂

265
 俺はがらにでもなく、マウスト城下にある神殿に行って神に祈っ
た。
 どうか、すべてがつつがなくすみますようにと。
 こういう時、男は祈ることしかできないからな。
 ︱︱お前も、こんな敬虔な側面があるのだな。
 うるさいな、職業は黙っててくれ。
 ︱︱この覇王も神仏にすがりたい場面は何度かあった。だがな、
結局、神仏はすがる対象でしかないのだ。最後は人間が切り開いて
いかねばならん。とはいえ、母子健康はたしかに祈るしかないこと
だな。存分に祈れ。この覇王も祈ってやろう。
 まさか、職業に励まされるとはな。
 こんなことを神官に告げたらどういう反応をされるだろうか。
 俺のそばにいる神官はかつて俺にオダノブナガという職業を授け
てくれたエルナータだ。俺の出世に伴って、マウストの地にまで来
てもらった。彼からすれば、職業を授けたのは神であって、彼自身
ではないことになるのだろうが、こういうことは縁起を担ぎたい。
 神像の前で祈っていると、誰かがその横に並んだ。
 伯爵の横に並ぶとはずいぶんと不敬なふるまいをする者だなと思
ったが、すぐに思い違いだとわかった。
﹁セラフィーナ、君が来るとは聞いてなかった⋮⋮﹂ 
﹁ええ、言ってないもの。でも、わたしが神から賜った職業は聖女
なのよ。ここに来てしかるべきだとは思わない?﹂
 そう言うと、セラフィーナはひざまずいて、真剣に祈りを捧げは
じめた。

266
 古語から成る神への言葉が紡がれていく。それはセラフィーナの
専門的な教育と、高い教養を示している。
 あらためて、セラフィーナの高潔さに心を打たれた。
 セラフィーナはプライドの高い人間だったけれど、それに見合う
だけの努力をずっと続けてきたのだ。
 やがて、セラフィーナの言葉は終わった。最後に神像に頭を下げ
た。
﹁わたしは旦那様の身近な守り神に︱︱女神になりたいの﹂
﹁本当に君が妻でいてくれて、よかった。ここが神殿でなかったら、
今すぐ抱きしめたいぐらいだ﹂
 聖女の祈りはしっかりと神に聞き届けられたらしい。
 マウスト城に戻ると、ラヴィアラの出産報告が侍女によって届け
られた。
﹁女の子がお産まれになりました!﹂
﹁ラヴィアラは、無事なのか?﹂
 ラヴィアラは幼い頃に両親を亡くした俺にとって、唯一の肉親も
同然だった。
 侍女は破顔して言った。
﹁はい、ラヴィアラ様はよくご辛抱なさいました!﹂
 俺は心底ほっとした。
﹁もしかすると、戦よりも気をもんだかもしれないな﹂
 俺は来年の領内の税を引き下げる旨を発表した。ナグーリ県の民

267
の心もつなぎとめておきたかったし、ちょうどよいタイミングだっ
たかもしれない。
 あとでラヴィアラと対面した時、二人で泣きながら抱き合った。
﹁俺の子供を産んでくれてありがとうな﹂
﹁ラヴィアラもアルスロッド様の子供が産めて本当に幸せです⋮⋮﹂

 そして、俺が二人の子供の父親になった頃、政治的にも大きな動
きが起きた。
 王族のハッセの身元がわかり、俺のマウスト城にやってきたのだ。
39 長男と長女︵後書き︶
次回から新章に入ります。次は王都入りを目指します!
268
40 皇太子と臣下の礼
 そして、俺が二人の子供の父親になった頃、政治的にも大きな動
きが起きた。
 王族のハッセの身元がわかり、俺のマウスト城にやってきたのだ。

 俺の前に現れたハッセは居心地の悪そうな顔をしていた。
 年齢的には俺より少し上の二十五歳のはずだが、もっと老け込ん
でさえ見える。
 理由は単純だ。
 ハッセには爵位がない。
 本来、王の従弟で、しかも父親が王位にあったぐらいなのだから、

269
王国の先例で考えれば公爵位を与えられ、役職としても副王ぐらい
に任じられてもいい立場なのだが、今の王であるパッフス六世はハ
ッセを罪人という扱いにして、すべての爵位などを取り上げた。
 パッフス六世からすれば、従弟の血筋を絶やすことで自分の系統
が王位を継ぐことを確実なものにしたいのだ。
 無論、素直にその罪人にされたという事実を認めて死ぬほど、ハ
ッセもお人よしではないが、流れ者という立場が彼を多少卑屈にし
ているのだろう。
 彼の父親である前王グランドーラ三世が甥のパッフスに攻められ
て、王都を退いたのは十二年前。なので、実に十二年、ハッセも流
浪していることになる。グランドーラ三世は王都を追われて三年後
に病死した。
﹁フォードネリア伯、そなたが私の支援をしてくれると聞いて、こ
の地までやってきたのだが⋮⋮それは本当であろうか?﹂
﹁むしろ、お疑いになられる理由をお聞きしたいですな。どうして、
﹃皇太子殿下﹄を騙さねばならないのでしょうか?﹂
 俺はわざと、皇太子という表現を使った。
﹁皇太子? 私がか?﹂
﹁そうですとも。考えてもみてください。今の王の治世になってか
ら十余年、サーウィル王国に平和だった時があるでしょうか? ど
こもかしこも戦ばかり。王都が焼け野原になっていないのが奇跡的
なほどです﹂
 国が乱れているのは事実だ。ダメな点はいくらでも挙げられる。

270
﹁王都でも主導権争いで、宰相が更迭されたり、大臣が暗殺された
りといったことが続いております。これは王の下につく者も皆、自
分の権益を伸ばすことばかり考えていて、民をおもんぱかっていな
い証拠です。腐った木を柱にして小屋を建てても、その小屋はすぐ
につぶれます。造り変えるしかありません。となると︱︱﹂
 俺はハッセに強い視線を向けた。
﹁︱︱王になるのは皇太子殿下しかいらっしゃいますまい。サーウ
ィル王国を建て直すために、どうか王位におつきくださいませ。こ
のアルスロッド・ネイヴル、殿下に身命をなげうって尽くすつもり
でございます﹂
 ハッセの目に火がついたのがわかった。
 この男も、王になることを夢見たことはあるはず。そこに火をつ
けることは決して難しくはない。
 いくら、王の地位が揺らいでいようと、王になりたくないと思う
者などほぼいない。
﹁わかった。私も今の王の振る舞いには我慢ならないものがあった
のだ。必ず、自分が王になってサーウィル王国を再び立派な国にし
てみせる!﹂
﹁その心意気でございます。それでは早速ですが、皇太子でいらっ
しゃることを内外に知らしめましょう﹂
﹁というと?﹂
﹁皇太子殿下の下に各地の諸侯が集まり、臣下の礼をとれば、その
威光が輝くはずです﹂
﹁なるほど!﹂

271
 ハッセの目の炎がいよいよ燃え上がる。
 ずっと、明日をも知れぬ日々を過ごしていたはずだ。それが諸侯
を束ねるような儀式を行えるなら、喜ぶに違いない。
﹁まずは各地の諸侯にマウスト城にあいさつに来るよう書状を出し
ましょう。こちらも添え状を出します﹂
 言うまでもなく、マウスト城に各地の領主たちが集まれば、俺の
威光も輝く。少なくとも、もし王都を奪還すれば、俺は摂政につく
立場だとみんな思うだろう。
 もっとも、この儀式を滞りなく行うのはなかなか難しいけどな。

 まず、セラフィーナが難しい顔をした。
﹁旦那様がやりたことはよくわかるわ。でも、わたしのお父様の立
場も考えて﹂
 セラフィーナの父親、つまり俺の義理の父であるエイルズ・カル
ティスも俺と同盟を結んでいる間、攻勢を続けて北に領土を広げて
いた。
﹁もし、マウスト城のハッセ様にあいさつをすれば、それは旦那様
の下についたように見えかねないわ。たしかに純粋な領土の広さな
ら、旦那様のほうが今は広くなっているけど⋮⋮﹂
﹁そうだよな。君に頼むというだけでは足りないか﹂
 とはいえ、このあたりの地域で極めて有力な領主であるエイルズ・

272
カルティスが赴くかどうかで印象は全然変わる。なんとしても来て
ほしかった。
﹁相当な手土産がいるわね。でなければ、病気だとでも言って、来
ないと思うわ﹂
﹁わかった。それでは手土産を用意する﹂
 あっさりと俺は言った。
 そして、すぐに書状を義父に送った。
 エイルズも条件を呑んでくれたらしい。

 ハッセがマウスト城に来て五か月後、諸侯を集めた儀式は行われ
た。
﹁私こそは次の王につく者である。このことには疑いようもない﹂
 マウスト城に来たのは、アルティアが嫁いだブランド・ナーハム
がいるオルビア県の領主、元々ハッセが隠れていたイクト県の領主、
あとはエイルズ・カルティスの支配するブランタール県などだ。と
ても全国から領主が来たというほどではない。
 それでも、俺とエイルズだけでも三県以上を支配しているわけで、
やってきた領主の県だけを見ればその数は十県近くにもなる。
 とくにイクト県やエイルズと隣り合っている土地の領主などは、
ここに来ないことを理由に攻められることを恐れて、多くが顔を出
している。
 これで隣国などで誰が俺に従って、誰が逆らうつもりかもよくわ
かる。

273
 今の王に歯向かう勢力としては無視できない規模なのは間違いな
い。
 そして、手土産がエイルズに渡される。
﹁エイルズ・カルティスにはこれまでの忠節を賞して、皇太子とし
て侯爵の位を授ける。一門にもそれぞれ爵位を授ける。並びにエイ
ルズを王国西部鎮撫総督に任ずる。逆賊を討ち果たすように!﹂
 エイルズは﹁ありがたき幸せ﹂とその地位を受け取っていた。
 そう、身分を俺より上にしたのだ。さらに侵略戦争の大義名分も
与えてやった。
 当然、王国はそんなもの認めないが、どうせ、ここまで攻めてく
る余裕は王にもないから関係ないことだ。
 さてと、ここから皇太子殿下を率いて、東に向けて攻め込んでや
るか。
274
41 ドワーフの女騎士
 エイルズ・カルティスがマウスト城に来たので、ついでに会談も
行った。
こうこうや
 彼も孫を抱いている時は好々爺といった顔をしていたが、俺と二
きょうゆう
人きりになった時はさすがに梟雄と言っていい空気をそこに座って
いるだけで、にじませた。
﹁いくらなんでも、こうも早くにレントラント家を滅ぼすとまでは
考えていなかった。君の才能は末恐ろしいな﹂
﹁地形を見て、峠を一気に抜くことができれば、形勢はこちらに向
くと判断しました。砦を攻略できるかどうかは、賭けのような部分
もありましたが、敵も油断しているだろうし、分のいい賭けと判断

275
しました﹂
﹁そう、そこが君の恐ろしいところだ﹂
 エイルズは苦笑した。以前に会った時より幾分白髪が増えている。
﹁こちらにも決断力というものはある。重臣といえども疑わしき者
を粛清して、反乱を未然に防いだこともある。そこは自分でも自信
はある。だが、君は戦争そのものが恐ろしいほどに強い⋮⋮﹂
 苦笑はしているが、三割ぐらいは本当に恐れているという顔だっ
た。
﹁かつて、ナグラード砦を死守した時もそうだった。君は戦自体に
天才的な能力を発揮する。それがなければ、ナグーリ県で調略を働
いても早くても五年はかかっただろう。それを戦争という武器を使
うことで、あっという間に討ち果たした⋮⋮﹂
﹁俺は、自分は神の加護に恵まれていると信じて行動することにし
ています。なぜなら︱︱﹂
 俺はテーブルの酒を少しばかり飲んだ。
﹁国を作れるだけの英雄なら、最初から神に守られているはずだか
らです。それぐらいの運がなければ、道半ばで終わってしまうでし
ょう﹂
﹁国を作る、か⋮⋮。あながち、世迷言でもないな⋮⋮﹂
 ふぅ⋮⋮とエイルズはため息をついた。
﹁こちらの、息子や娘たちの土地を奪わないでやってくれ。セラフ
ィーナ以外の子供たちもかわいいのだ﹂
﹁お義父様は西側に勢力を広げてください。俺も西には決して兵を
出しません。妻の父親を俺もむげには扱いません。これは本心です﹂
﹁心得た﹂とエイルズは言った。

276
 実質、この場で、俺はエイルズの上に立った。

 ハッセが皇太子を名乗ったことは、王都でもかなり問題になった
らしい。
 王朝のほうではハッセのところを訪れた領主の爵位や領地を取り
上げる決定を下した。ただし、言うまでもなく実行力はない。
 大義名分は失ったけれど、大義名分というのは相手と勢力が拮抗
している時にしか意味を持たない。現在、俺の周囲で俺と正面切っ
て戦える領主など存在しないから、脅威にはならない。
 そもそも、今のパッフス六世が謀反人側だった時期にはグランド
ーラ三世から地位を取り上げられていた。つまり、王の命令すら今
は相対的な価値しか持っていないのだ。
 理由は単純だ。
﹁︱︱王統が二つに別れていては、勅令も空しいですね﹂
 側室のフルールが言った。俺のところに届けられた皇太子を引き
渡せという書状を読んでいた。
 フルールの膝の上で俺はまどろんでいた。
 ハッセを担いで、領主を集めるという大仕事をしたので、少し休
息がほしかった。
﹁そうだな。王ににらまれた領主は、もう片方の王統をかつぐこと
で状況を打開することができる。そんなことが続けられたから、王

277
権の権威はさらに下がった。いわば、自業自得だ﹂
﹁神殿もあたふたとしていますね。とくに王家の平安を祈祷するこ
とで、荘園支配などを保証されてきたような神殿は伯爵様につくか
どうか、迷っているようです﹂
﹁お前のおかげで、神殿の所領の整理は大幅に進んだ。ありがとう
な、フルール﹂
 フルールの事務能力は実にすぐれたもので、いくつもの神殿の神
官に会い、状況を細かくまとめてくれた。どこの神殿が味方で、ど
こが敵かもよくわかる。それで保護するところと、そうする必要が
ないところもわかる。
﹁伯爵のお役に立ててうれしいです﹂
 俺は起き上がると、フルールを抱き寄せた。
﹁そんな他人行儀な言い方はやめろ。お前も妻の一人だ。二人きり
の時はあなたとでも呼べばいい﹂
﹁ありがとうございます、あ、あなた⋮⋮﹂
 セラフィーナもラヴィアラもまだ出産後の疲れが残っている。顔
を見せてはいるが、どうしてもフルールのところを訪れることが増
えていた。
 あと、色に溺れてるわけじゃない。フルールは政治感覚に鋭いと
ころがある。それは本当に参考になる。
﹁そういえば、ハッセ様のご家臣の中にとても優秀な方がいました。
ハッセ様とそのご家族が不自由なく暮らせるように、ずっと心を砕
いておられたようです。ドワーフ出身の方のようですが﹂
﹁ドワーフ? そんな者はいたか?﹂
 フルールは俺とは違う目で人間を見ている。

278
 ドワーフというと、すべてがそうではないが、どうしてもヒゲ面
の戦士を想像してしまう。中には造園を専門にした、有名な作庭家
などもいるが。
﹁あっ、男ではなく、女人なのです。ただ、女官ではなく、あくま
で女騎士として仕官されているようです。たしか、ケララ・ヒララ
とかいった方かと﹂
﹁ドワーフは変な名前をつけるな。だが、わかった。一度、会って
みよう﹂
 ただし、実のところ、半信半疑だった。
 というのも、ハッセに仕えている家臣でそんな優秀な者がいると
は思わなかったのだ。もし、能力があれば、もっと別の仕官先を見
つけそうなものだ。よほど、目をかけられた騎士なのだろうか?
 だが、その女を呼びつけた時、俺は実に意外な印象を受けた。
﹁参上いたしました。ハッセ様の近衛騎士、ケララ・ヒララと申し
ます。出自は西部の寒村の徴税請負人でございます。四代前から武
人として中央に出、私はハッセ様とともに育ちました﹂
 ドワーフの女というと、小柄な者が多い印象だったが、俺と大差
ないほどの身長だ。肌はドワーフ特有の褐色肌だが、その声も挙措
も家柄のいい貴族の子弟と比べても見劣りしない。
﹁そなたはハッセ様が流浪の身でいらっしゃった時も王族にふさわ
しいように、行事などを差配していたと聞く。その故実などをうか
がってもよいか?﹂
﹁承知いたしました。では、まずは一月の年頭の儀でございますが

279
︱︱﹂
 よどみなくケララは年中行事について説明をはじめた。驚くべき
は、ただ式次第を暗記しているといったものではなく、行事の由来
も、過去の先例も記憶したうえで、何を省略して、何で補えばいい
かまで話してみせたのだ。
﹁︱︱ということで、この儀礼には家臣に剣を下賜いたしますが、
その歴史は百年ほどしかさかのぼりませんので、より古式を採用し
て、省略いたしました。次に︱︱﹂
﹁いや、もういい。よくわかった﹂
 この女の賢さがな。
 ケララか、この女を召抱えたいな。俺にはいなかったタイプの臣
になる。
41 ドワーフの女騎士︵後書き︶
新しい女性キャラの登場です。よろしくお願いします!
280
42 皇太子兼伯爵の家臣
 ケララか、この女を召抱えたいな。俺にはいなかったタイプの臣
になる。
﹁ケララ・ヒララ殿、もし可能であれば、俺にも仕えてはくれない
か。なにせ、俺は数年前まで田舎の小領主でな。故実にうといのだ。
なので、伯爵として守らねばならないことが何かもわからぬ。自分
の恥だけならよいが、下手をすると皇太子に恥をかかせかねん﹂
 こういうのは半分は本心を入れるのがいい。故実に詳しい人間を
家臣に加える価値は充分にあった。
﹁私などでよいのであれば﹂

281
 よし、さすがフルールだ。見る目がある。今後、偉くなるうえで
儀式を適当に扱うわけにもいかないからな。
 戦が強いだけの田舎者と思われれば、決してプラスにはならない。
王都に入った時、王朝貴族たちの信頼を得られないことになる。
 歴史上も、蛮族めいた将軍が王都を占領したことなどはあるが、
儀式を無茶苦茶にしたせいで、王朝貴族や王都近辺の領主たちに嫌
われ、結局没落したということが何度かある。
 ︱︱どうも、いけ好かんな。この女。
 オダノブナガは嫌な顔をしているようだ。といっても、顔は見え
ないが。
 ︱︱この女は、光秀と同じにおいがする。あいつも教養人で頭も
よかったが、最後は元将軍を選んで、この覇王を裏切りよった。も
っとも、光秀はもうかなり老け込んだ歳で、こんな若い女ではなか
ったが。
 ああ、お前を裏切った人間に似てるのか。
 ︱︱裏切ったも何も、光秀は本能寺で覇王を討ったのだ。
 ホンノージ? 地名か何かか。まあ、このオダノブナガは好き勝
手し放題という印象があるから、裏切る奴も出てくるんだろう。
 ︱︱気をつけろよ。そもそも、故実に秀でているような人間はす
べて保守的なのだ。保守的な人間というのは、お前みたいな変革者
とどこかで相容れなくなるぞ。
 それは客観的事実としてわかるので、気はつけることにしよう。
神殿への祈りを欠かさない奴が、王朝も何も滅んで新しくなるべき

282
だなどと言うことはまずないと思う。
﹁では、ケララ、君に俺からも所領を与えよう。俺だけに仕えろと
いうような無茶は言わないから、心配しないでくれ﹂
﹁ありがとうございます﹂
 丁重に礼をしたが、ケララは微笑みはしなかった。
 一人の人間が複数の主君を持つことはありえないことではないの
で、問題はないだろう。もし、皇太子の愛人ということであれば、
さすがにまずいことになるが。
 念のため、確認してみるか。それで皇太子に恨まれるのはバカら
しいし。
﹁ところで、一応聞いておきたいのだが、俺にも仕えたことで、皇
太子が妙な勘繰りをするということはないな? もし、そなたと皇
太子の間が深い仲であるというなら、俺は近づかないようにするが﹂
﹁それなら、ご心配におよびませんので。皇太子はドワーフに手を
つけたりなどしません。王家の者はエルフやドワーフといった者に
子を産ませるべきではないと初代の王から代々伝えられております﹂
﹁なるほど。つまらぬことを聞いてすまなかった﹂
 懸念が消えて、ひとまずよかった。
 そのあと、俺は空き時間にはケララからいろいろと儀礼や学問を
習った。
 俺も最低限の教養は学んできたとは思うが、それは田舎領主が学
べる範囲の教養だ。
 ケララは王都で最高水準の教養を幼い頃から叩き込まれていたら

283
しく、亡命先でも学者などが一緒だった。おそらく、今では学者と
して名を成すぐらいの知識を持っている。
 無論、それは空き時間のことだが。
 侵略も着々と計画している。

 まず、触手を伸ばしたのは、東部のイクト県だった。
 ここは大きな領主がいない。小領主の一部はハッセに礼を言いに
来ているから、ハッセの権威を利用して、俺も利用できる。
 問題は、ハッセに頭を下げに来なかった領主たちだ。こいつらを
一つずつ崩していく。
 一方、東部でも海側のシャーラ県は三分の二ほどの土地をアント
ワーニ家が支配している。
 有力な伯爵の一つではあるが、俺の敵というほどではない。とい
うのも、ここは有力な子爵がほぼ独立した力を持っているのだ。こ
ういう連中はちょっと足並みを乱してやれば、どうとでもなる。
 イクト県の遠征は幾分、ゆっくりとやった。
 理由はナグーリ県をしっかりと自分の所領に作り変えていくため
に時間が必要だったためだ。
 あまりに急速に土地が広がりすぎると、支配機構が無茶苦茶にな
る。
 将来のことも考えて、港町の支配を着実に行っていく。港町はす
べて俺の直轄地にすることで、富を集約させる。その富で、親衛隊
の規模を増強させて、最強の軍隊を作っていくのだ。
 ハッセ皇太子が正式に誕生してから一年ほどをかけて、イクト県

284
全域もほぼ支配下に置いた。
 また一歩、王都に近づいた計算だ。
 俺はラヴィアラと二人で今後の行軍について話をした。
 というのも︱︱
﹁そろそろ、ラヴィアラも戦場に復帰したいです!﹂
 ラヴィアラの熱烈な希望があったからだ。
 そう、この一年、ラヴィアラは自分の娘の母と、セラフィーナの
息子の乳母という役割をずっと果たしてきた。それが最優先事項で
あるということは、ラヴィアラもよくわかっていたから、その職責
を果たしてくれていた。
 しかし、あくまでもラヴィアラの本職は射手だ。戦に出るという
意識は常にあったらしい。
﹁ラヴィアラは時間があれば、ずっと弓の練習を怠らずにしてきま
した。戦があれば、すぐにお力になれると思います!﹂
﹁俺もお前の実力を疑ったりなんてしてないさ。ただ、戦となると、
子供とも別れないといけないしな⋮⋮﹂
 いくらなんでも、戦に一歳数か月の子供二人を連れていくわけに
もいくまい。
﹁それは⋮⋮その時だけ、ほかの方に面倒を見ていただくというこ
とで⋮⋮﹂
﹁自分の妻を進んで戦場に連れていきたいとは思えないが、そこは
さが
武人の性か⋮⋮﹂
 自分から進んで危険な作戦をやってきた俺が止める権利もないな。
 でも、そこでただでは転ばないのが俺だ。一つ、いい案を思いつ

285
いた。
﹁わかった。次の戦には出てくれ。オルビア県での戦いだ。敵もた
いして強くない﹂
﹁あれ、海沿いを東へ攻めるんじゃないんですか?﹂
﹁シャーラ県攻めもあるが、その前にブランド・ナーハムに貸しを
作っておく。いくつもの領主が連合して対抗しようとしているらし
い﹂
 南側を盤石にしたうえで、東を攻める。
﹁そこで、ケララというドワーフの女も指揮官として使ってみよう
と思う﹂
43 アケチミツヒデという職業
﹁そこで、ケララというドワーフの女も指揮官として使ってみよう
と思う﹂
 重要な戦争ばかりだと、能力が未知数の人間を実戦投入するタイ
ミングがなくなるので、こういう地味な戦争も意味がある。
 極論、三千や四千の兵を率いて布陣するだけでも敵への威圧にな
るし、ブランド・ナーハムもありがたいだろう。
﹁ああ、あの学者騎士と呼ばれる方ですか﹂
 少し、ラヴィアラが冷たい目をした。
﹁もしかして、妻にしたいと思っていらっしゃいますか? ああい
うタイプの方は後宮にいませんからね﹂

286
﹁おいおい、俺は別に好色な男じゃないぞ⋮⋮。そりゃ、ラヴィア
ラのところだけに入りびたるってわけにはいかないけど﹂
 セラフィーナの部屋も、フルールの部屋も、そしてラヴィアラの
部屋も足が遠くなったと思われないようにちゃんと訪れている。も
っとも、三人とも本当に美しいから、通うのは苦痛じゃないが。
 歴代の王で、後宮に通って体を壊した者や政務をかえりみなくな
った者も知っている。そういうことはないように気をつかっている。
﹁す、すいません⋮⋮。ラヴィアラだってアルスロッド様の立場も
わかっています。フルールさんもこの方なら間違いないと思って、
ラヴィアラとセラフィーナさんで選びました⋮⋮。ですが、あまり
女性が増えるのは寂しくはありまして⋮⋮﹂
﹁心配しなくても、ケララとは何もない。ただ、あいつの実力は買
っている﹂
﹁そういえば、アルティア様もお子さんに恵まれたらしいですね。
女の子だったとか﹂
 今度は俺が微妙な顔をした。
﹁もし、俺が生まれながらの王だったら、絶対に修道院に入れてい
ただろうな⋮⋮﹂
﹁アルスロッド様も、ラヴィアラと負けず劣らず身勝手ですね﹂
﹁なんだと。おしおきが必要だな﹂
 俺はさっとラヴィアラの脇腹に手を入れた。
﹁アルスロッド様、そこ、弱いんですって⋮⋮。あっ、こそばゆい
です! ダメですって! あははっ! はははっ!﹂
 知ってるさ。長い付き合いなんだからな。

287

 俺は三千五百の兵を率いて、南に兵を進めた。
 ブランド・ナーハムと合流するのではなく、むしろ、ブランドが
挟撃されないようにオルビア県北西部の領主連合を攻撃するという
形だ。
 オルビア県は山深い土地だが、それはここでもそうで、ゲリラ戦
術を使われると、なかなか厄介だ。
﹁ケララ、お前に三百の兵をつける。それで戦ってみろ﹂
﹁承知いたしました﹂
 まずはお手並み拝見といこうか。
 近衛兵というのは本来、多くの将兵は指揮しない。ただ、俺の陣
営に入っている以上は、場合によっては何千の兵を率いることすら
ありうる。それができるか見極めたい。
 一方で、ラヴィアラは俺が許可を出すと、山野に踏み込んでいっ
た。エルフの血なのか、森に入って戦うような争いだとかえって燃
えるらしい。そんな強敵じゃないし、大丈夫だと信じよう。
 しばらくすると、ケララが涼しい顔で戻ってきた。戦場とは思え
ないほどに落ち着いているな。まるで書物でも読んでいる時のよう
な表情だ。
 凛々しいというのとも違う。将というより文官に近い空気だ。と
いっても、大軍を扱う人間になると、粗暴な山男みたいな人間もち

288
ょっと合わないのだが。
﹁やけに戻ってくるのが早いな。上手くいかなかったか?﹂
﹁敵将三名を討ち取りました﹂
﹁ほう! 短時間にしてはよくやったな!﹂
 なかなかの成果じゃないか。山間部での戦いだし、敵を全滅させ
るようなことはほぼ無理だ。その中では十分な活躍といえる。
﹁もしかして、そなたの職業は戦争で活躍できるものか?﹂
 考えてみれば女騎士なのだから、剣士だとか将軍だとか、そうい
った職業であってもおかしくはない。
﹁いえ、私はそういった特別な才能は持ち合わせておりません。で
すので、古今の兵法書などに基づいて最善と思える手段をとったま
でです﹂
 相変わらず冷静沈着な女だ。
﹁ある意味、そなたの戦い方として適切だな。まだ、いけるか?﹂
﹁はい。私は主命に従うまでです﹂
 結局、ケララはさらにそこから敵の将を五人以上討ち取る活躍を
見せた。
 久々に戦場に出たラヴィアラ以上の活躍だった。もっとも、ラヴ
ィアラはどちらかというと単独行動がメインなので、単純比較して
もしょうがないところもあるが。
 敵の領主にはかなりの大打撃を与えたし、こちらの被害もほとん
どない。ブランド・ナーハムも感謝するだろう。作戦としては大成
功だった。

289
 とくにケララの実力がよくわかった。
 派手なことはできないが、堅実に敵を倒していけるところは評価
に値する。これなら大軍を預けても大きな失敗はしないだろう。
﹁今回の戦、一番の活躍だったぞ﹂
 戦勝してマウストに戻る途中、馬上で隣り合ったケララに言った。
﹁そう言っていただけると光栄です﹂
 そういえば、聞いていないままだった。
﹁ケララ、お前の職業はいったい何なんだ?﹂
﹁実は⋮⋮かなり特殊な職業で、信じていただけないことが多いの
ですが⋮⋮﹂
 そこでケララはほんのわずかに顔を曇らせた。
 この女でも困った顔をすることがあるんだな。
﹁お前の言葉を疑ったりなどしない。言ってくれ﹂
﹁はい、どういう意味かもわからないのですが、アケチミツヒデと
⋮⋮﹂
 どきりとした。
 そんな名前をどこかで聞いたような⋮⋮。
 ︱︱覇王の勘はやはりよく当たるな。
 そんなところで自分を褒めるなよ。
 ︱︱アルスロッドよ、気を付けろ。この女はお前を裏切るかもし
れんぞ。なにせあの明智光秀が職業なのだからな。
 けれど、かえって、俺は面白くなってきたと思った。

290
 そのアケチミツヒデを乗りこなしてやるよ。
 なにせ、ずっとオダノブナガが使っていた重臣なんだろ? 利用
価値は無茶苦茶高かったって証拠だ。
﹁そのアケチなんたらの声は聞こえるのか?﹂
﹁いえ、職業に声などあるのですか? ただ、有職故実に関する知
識が三倍になるというものでしたが⋮⋮。おそらく、今はついえた
儀式をつかさどる役職の名前か何かなのでしょう⋮⋮﹂
﹁そうだな、声など聞こえるわけないよな﹂
 俺のオダノブナガとは根本的に違うらしい。
 ︱︱やはり、職業になっても自我を持っているのは覇王ほどの男
しかできないようだな。
 そんなところでも自分を褒めるんだな⋮⋮。
291
44 自分だけの家臣に
 マウストに戻ると、俺は皇太子のハッセのところを訪れた。
 皇太子用に城に別邸を建てている。こちらでハッセの家族は住ん
でいる。
 ちなみにハッセは重臣の娘を側室として娶っていた。といっても
正室ではないということになっている。いずれ王となるまで正室は
置かないということらしい。
﹁皇太子の近衛騎士であるケララのおかげで、よい戦いができまし
た。ありがとうございます﹂
﹁ケララか。あやつは頭でっかちなだけの女であるぞ。ドワーフは
仕事は勤勉というが、勤勉すぎて息が詰まる﹂

292
 あまりハッセはケララを重んじてはいないらしい。
﹁息が詰まるというより、いかにも近衛騎士という体つきをしてい
て、顔も美しく、息を呑むほどです﹂
﹁伯爵はお世辞が上手だ。そんなにご執心なようなら、正式に家臣
としてお譲りしよう﹂
﹁ありがたき幸せ。すぐに領地を与えて、子爵として遇しましょう﹂
 はっきり言って見る目のない男だな。でも、おかげでよい将を手
に入れることができた。
 ケララは女性なので、城の妻がいる区画にも入ることができる。
おかげで、女性が行う年中行事などもかなり整備することができた。
体裁だけなら王城なみのことができる。
 それと、ケララの表情が凛々しいと侍女などの間で黄色い声が上
がっていた。たしかに青年騎士の雰囲気も持ち合わせているからな。
皇太子に仕えていただけあって、清潔感がある。
 そんなケララを呼んで、次の戦争について話をした。
﹁次はシャーラ県に攻め込む。アントワーニ家はそう恐れてはいな
いが、かの地には手なずけたい有力諸侯がいる﹂
﹁ニストニア港を押さえているニストニア家ですね﹂
 すぐにケララは答えた。これぐらいのことはわかっているな。
﹁そうだ。ニストニア家は有力な海軍を有している。近隣の勢力と
協力すれば二百も舟を操ることもできるという。それで海上交通を
支配している。俺は出自が海のない県だから、海軍に乏しい﹂
 ニストニア家はぜひとも手に入れたい。

293
﹁陸から攻めて滅ぼすことはできるだろう。だが、ニストニア家が
滅べば海軍もちりじりになる。無理に陸の指揮官を海で使っても海
の連中もついてこん。ここはニストニア家を引き抜きたい﹂
 アントワーニ家の影響力はないことはないが、ニストニア家は独
立した勢力だ。これまでは無視を決めこんでいるが、引き込めない
ことはない。
 黙って、ケララはその話を聞いていた。たしかに無表情ではある
から、ハッセは辛気臭いと思ったのだろう。ただ、特殊な職業を授
かっている者同士、俺は親近感が湧いていた。
﹁このニストニア家は港を領しているだけあって、それなりに潤っ
ているはずだ。海から文物も入るから、田舎貴族とは価値観も違う。
これをお前が接待で落とし込んでくれ﹂
﹁接待で、ですか?﹂
﹁そうだ。お前ほどの文化人はこの土地にはおらん。もしかすると、
アケチミツヒデという職業のおかげで王都の者と比べても随一かも
しれん。最高の文化水準をニストニア家に見せつければ、彼らはと
てもかなわぬと思う﹂
﹁承知いたしました。王をもてなすかのような最高のものを用意い
たしましょう。こちらにお越しいただくことさえかなえば、必ず満
足させてみせます﹂
 そう、ケララはうなずいた。
﹁ああ、お前が失敗をするとは思っていない。それと、もう一つ、

294
用件がある。少し、こちらに来てくれないか﹂
 黙って俺のところに来たケララの口に、さっとキスをした。
﹁伯爵は物好きでございますね﹂
﹁そんなことはない。皇太子はお前に興味がなかったらしいが、実
にもったいない。俺はお前に落とし込まれた﹂
﹁皇太子はドワーフの出自を嫌がっていらっしゃるのでしょう。全
盛期の王家の近衛騎士に、エルフやドワーフ、その他の獣人などは
含まれていませんでしたから﹂
 キスをされた後も、ケララは表情は変えなかったが、
﹁その奇妙な職業のことで、バカにされたことがなかったか?﹂
 こう言うと、ケララがわずかに顔をゆがめた。
﹁はい⋮⋮。ずいぶん白い眼で見られました⋮⋮。職業で得られる
効果も戦場に不向きの物でしたので、騎士になるべきではないとも
何度も言われましたね⋮⋮。たしかに剣や弓で豪傑のように活躍す
るほどの力はありませんので、間違いでもございません⋮⋮﹂
 ケララは冷めた性格なのではなく、周囲の環境の中でそのように
育ってしまったんだろう。
 いくら故実に秀でていても、自分は騎士という意識もあったから、
余計に自分を誇ることもできずにいた。
﹁俺も、職業がいわゆる異形のものでな。職業を授かった直後は兄
やその取り巻きにバカにされた。悔しかったが、そこでは言い返す
こともできなかった。力を見せつけてやるしか、そういう連中を見
返すことはできないからな﹂

295
 だから、見返してやった。イクト県を含めれば、三県にもわたる
大領主になってやった。
﹁俺に仕えろ、俺に尽くせ。お前の名前が千年先も歴史書に残るよ
うにしてやる﹂
﹁ありがとうございます﹂
 ケララはわずかに笑顔をにじませて、言った。
 その後、ケララを抱いた。
﹁相手を楽しませる方法も⋮⋮多少は学んでおりますので⋮⋮﹂
 そう顔を赤らめたケララにかなり奉仕された。
とりこ
 その一夜で、俺はその褐色のドワーフ女の虜になっていた。
﹁ラヴィアラにケララとは何もないと言っていたのに、これじゃ、
ウソになっちゃったな⋮⋮﹂
﹁お話になられた時点では真でございましたのですから、欺いたこ
とにはならないはずです﹂
 添い寝しているケララに言われた。
296
45 海辺の領主をもてなせ
 ニストニア家の当主、ソルティスは奥方と娘を連れてきていた。
 息子は所領に置いてきたというから、暗殺されて家が絶えること
を恐れたのだろう。
 かといって、一家でどうぞと言われていて、自分しか来ないわけ
にも行かない。だから、女は連れてきたというわけだ。たしかに女
は暗殺されない可能性が一般的に高い。
 俺はケララと共に、ソルティスとあいさつをした。奥方や娘はラ
ヴィアラに案内を頼んでいる。
﹁遠方からわざわざお越しいただきありがとうございます。ニスト

297
ニア家とは仲良くいたしたいと思っておりましたので。隣にいるの
は家臣のケララです﹂
 ケララも一礼をした。
﹁いえ、こちらこそ、伯爵と皇太子殿下にお招きいただき光栄です
⋮⋮﹂
 ソルティスの表情は硬い。というより、むしろびくびくしている
ような印象さえあった。
﹁俺は隠し事が嫌いなタチなので思っていることを話しますが、命
を狙われているのではと思われていたのではありませんか?﹂
﹁そ、そのようなことは⋮⋮﹂
 あまりにも俺が率直に言ったので、向こうもあわてたようだ。
﹁それは無用な心配です。なぜなら我が身は皇太子殿下に仕えてお
ります。その殿下の顔に泥を塗るようなことは絶対にできません。
もし、そんなことをすれば、周囲の領主たちはみんな、去ってゆか
れるでしょうから﹂
﹁なるほど。それは、そうだ⋮⋮﹂
﹁まずは殿下にお会いいただきたい。その後で、城をケララと一緒
にご案内いたします﹂
 ハッセも皇太子としての態度がずいぶん板についてきたらしく、
鷹揚としていた。
 対面の部屋の調度類も高価なものを取り揃えている。たんに皇太
子と名乗っているだけではないということを感じさせるものだ。
 その場にはハッセの七歳になる娘もいて、堅苦しい場もなごんだ。

298
 さて、これで儀礼的な仕事は終わった。後はケララのエスコート
に従うだけだ。
﹁ケララ・ヒララと申します。それでは、まずはこのマウストとい
う街がよく見える城の最上階にご案内いたします﹂
 最上階の展望施設からは、水路が何本も通っているマウストの景
色がよく見えた。
﹁まるで、王都のごとくご立派な城下ですな⋮⋮﹂
 ソルティスはあらためてその景色を見て驚いているようだった。
﹁王都のようというのはおおげさですが、お褒めにあずかり光栄で
す。おそらく人口は一万は超えているかと思います﹂
﹁一万を⋮⋮。それは、やはり大都市ですな⋮⋮﹂
 俺の支配領域が広がるに連れて、人口も加速度的に増えていた。
﹁皇太子殿下をお迎えするには、それなりの格式が必要ですので。
どうにかその体裁が整って、ほっとしております。では、ケララ、
次の場所に案内してくれ﹂
﹁はい。承知いたしました。それでは武具の部屋に﹂
 ケララが向かったのは、今回のために作った武具のコレクション
ルームだ。
 領土が広がったことで、領内に大きな神殿がいくつも含まれるこ
とになった。そこには、戦勝祈願などで最高品質の武具が奉納され
たりする。そういったものを集めてきたのだ。
 床も精緻な紋様の絨毯を敷いている。武具の装飾もあわせて、実

299
に鮮やかな部屋だ。
﹁なんと⋮⋮。こんなに大量のものを⋮⋮﹂
﹁オレの本業は、所詮軍人ですので。家臣にも無骨者が多く、絵画
だじゃく
や骨董品ばかり集めると、惰弱になったと文句を言われますので﹂
﹁王宮にもこのような部屋はないかと思います⋮⋮﹂
﹁王宮には届かないまでも、殿下のために離宮と呼べる程度のもの
は揃えないといけませんからな﹂
 それから先も、ケララは丁重にソルティスをもてなした。
 とくに食事の席では山海の珍味を取り寄せて、様々な種類の酒を
並べた。
 ケララが酒をソルティスに注ぐ。
﹁各地の酒をご用意いたしました。味の違いをお楽しみください﹂
﹁うむ、ありがたいことです﹂
 だんだんとソルティスの緊張も解けているようだった。
﹁それと、今から王都から来た踊り子の舞をご覧いただきます。前
にご注目ください﹂
 カラフルで艶かしい衣装の女たちが、見事な舞踊を披露する。
﹁ケララ殿、それと伯爵、このような贅沢をしたことは、生まれて
この方ありません。これが王侯と肩を並べる者の力なのですな﹂
 ソルティスもだんだんと力の違いを理解してきただろう。
 しかし、肝心なものが一つ残っていた。
﹁明日ですが、兵の行進練習をご覧ください。皇太子殿下を王都に

300
お送りするために、我が主アルスロッドは心を砕いております﹂
 ケララは王都のきれいな発音でそう言った。
 そして翌日。
 ソルティスは城の高みから、俺の親衛隊の行進と演武を見せつけ
られて、本当に足をふるわせていた︱︱という。
 というのも、俺も間近で演武などを見ていたからだ。俺がいるほ
うが、兵のやる気も上がるからな。ソルティスの話していたことは、
すべてケララから聞いた。
﹁ここまで軍隊というのは規律正しい動きをさせることができるの
ですか⋮⋮?﹂
 そう、ソルティスは言ったという。
﹁これには秘訣がございます﹂
﹁秘訣?﹂
﹁我が主は幾度も戦場を駆け巡り、武功を挙げてきた人間です。数
で劣りつつも敵を倒したことも一度や二度ではございません。その
ような者に率いられ、戦うことは、戦士にとっては誇りそのもので
す。ですから、彼らは練習といえども、おろそかにはしないのです﹂
 ソルティスは息を呑んだらしい。
﹁それと、殿下をお送りする王都への道の途中に、シャーラ県があ
るそうです﹂
 まさにニストニア家がある県だ。
﹁もしも、ニストニア家の方々のご協力があれば、我が主も心安い
かと思います﹂
 それが脅しであるということはソルティスにもわかったはずだ。

301
 だが、ケララのもてなしはそういった反感を買うようなものでは
ない。
 そこで、ケララはしっかりと頭を下げた。俺が聞いた報告ではそ
うだ。
﹁臣下として身勝手なことを申しますが、どうか、アルスロッドに
力をお貸しいただけないでしょうか?﹂
 ソルティスは俺に会いたいと言った。そして、俺と合流した際に、
シャーラ県に入る時は道案内をすると約束したのだ。
﹁皇太子殿下のためのご決断、ありがとうございます﹂
 俺はソルティスの手をしっかりと握った。
 これで戦わずして、ニストニア家と海軍が手に入った。
 次は本格的にアントワーニ家を攻めるぞ。
302
46 古い軍隊と新しい軍隊
 状況が整ったので、皇太子のハッセに、シャーラ県および王都ま
ぐぶ
での道沿いにある県の領主たちに、自分に供奉せよという命令を出
させた。
 シャーラ県の領主はアントワーニ家を含めて大半が、俺に侵略さ
れてたまるかとこれを蹴ってきた。それでいい。この戦で、シャー
ラ県を統一してみせる。
 親衛隊の人数もかなり増えてきていた。
 赤熊隊と白鷲隊だけでは部隊がふくらみすぎているので、黒犬隊
も増設した。

303
 黒犬隊の隊長にはブランタール県出身の軍人、ドールボーを起用
した。ライカンスロープの男で、槍術の道場をもともと開いていた。
その後、白鷲隊に入って、三ジャーグ槍を誰よりも先に使いこなし
た。
﹁お前たちはオレの兵ではない。これから王になられるお方の兵だ。
俺はあくまでも司令官だ。そのことを胸に刻んで戦うように﹂
﹁﹁おおっ!﹂﹂
 よく揃った声だ。やはり、俺は戦場が好きらしい。さすがに最前
線に出るわけにはいかなくなってきたが。
﹁皇太子に刃向かう者は血祭りに上げろ! 武功には必ず報いてや
る!﹂
﹁﹁おおっ!﹂﹂
 こちらが強兵ということがわかっているのか、シャーラ県側は小
さな砦などを放棄して、アントワーニ家の本隊のところに合流させ
る手を取った。各個撃破されてはどうしようもないと判断したのだ
ろう。
 敵の中にはシャーラ県のほかにもほかの県から援軍が来ているそ
うだ。でないと、数が多すぎる。兵力はこちらが八千、向こうは六
千五百。かなりの援軍が入っているだろう。
 逆に言えば寄せ集めの軍隊ということだ。足並みを乱してやれ。
 俺はすぐには仕掛けない。

304
 数で劣っている相手も対陣する。
 そうして、にらみ合いが起こっている間、敵の領主に対して、裏
切った場合にその労に応える旨の書状をとにかく送った。
 とくにアントワーニ家の重臣筋と、独立している中小領主だ。
 本当に裏切るかどうかは、この際どうでもいい。疑心暗鬼に陥っ
てもらうのが目的だ。隣の連中が寝返るのではないかと考えながら
戦えば、兵は自然と弱くなる。
﹁アルスロッド様、珍しく今回は待ちの姿勢なんですね﹂
 ラヴィアラに不思議そうに訪ねられた。
﹁お前、俺が気が短いとでも思ってるのか?﹂
﹁少なくとも、籠城している敵をじっくり攻めることはしないでし
ょう?﹂
﹁俺たちが待っている間にほかの部隊は攻めてるから問題ない。相
手はそのうち待てなくなる﹂
﹁あっ、そうでしたね。海からの攻撃もあるんでした﹂
 そういうことだ。八千というのは陸路からの兵だ。
 ソルティス・ニストニアがアントワーニ家の海上拠点、トービエ
を攻めている。
 トービエを落とせば、そこを拠点に北上して、アントワーニ家の
居城である俗称、県中城に迫ることができる。
 海上作戦でニストニア海軍が負けることはまずないから、トービ
エを失陥させることまではほぼ確実にできる。
 そしたら、アントワーニ家は居城に戻るしかなくなる。

305
 だが、こちらの大軍を前に全軍撤退なんてことはできない。
 一度、正面からぶつかって、こちらを退かせるしかないと判断す
る。
 そこを叩きつぶす。
 にらみ合うこと四日目、トービエが落ちたことを伝令が伝えてき
た。
 俺はすぐに各将を集めて、軍議を開く。
﹁敵は攻める以外に手がなくなった。突撃を行うだろうから、まず
弓兵は付け城から集中して敵に射かけろ。その後に精鋭部隊は槍で
ぶつかっていけ。この勝負、敵が戦力と兵力を同じものと考えてい
る限り、負けることはない﹂
 一般に、戦力は兵力が大きいほうが強い。
 だが、兵士一人ひとりの能力を訓練と武器で高めていけば、兵力
以上の戦力を生み出すことができる。
 そして、兵力で劣るにもかかわらず、勝ち続けるなら、敵はこち
らの軍を恐ろしい者とみなす。
 ︱︱楽な戦だな。負ける要素などない。
 オダノブナガが声をかけてきた。
 はっきり言って、王都に入るまでの間に苦労するつもりはない。
むしろ問題なのは王都に入ってからだ。敵だって、そこでやっと連
携して攻めることを考えるだろう。

306
 王都にたどりつくまでは、結局、どこの領主も、他人事なのだ。
ほかの領主が王に近づいて初めてそれを除かねばならないと利害が
一致する。
 通路の敵を倒すだけなら、俺に勝てる者は残ってない。
 ︱︱そうであるな。まあ、お前の部隊の強さを見せてやれ。
じゅうりん
﹁敵が退いたら、そのまま蹂躙しろ。向こうの当主の首を取った者
には三郡やろう﹂
 威勢よく将たちは答えた。

 そして、予想通り、敵は正面から攻め込んできた。
 なんとか、俺たちが退却すれば
 ︱︱敵は組織的な戦いを十分にやっていない。部将が個別に指揮
をとって、ばらばらに動いているだけだ。あんなものではどうしよ
うもあるまい。
 オダノブナガが喝破していた。つまり、そういうことだ。
 敵の軍隊は古い。だから、新しいものに敗れる。
 高台にある付け城にいるラヴィアラが﹁全軍撃ちなさい!﹂と叫
んでいた。
 それと同時に赤い大きな旗を下す。
 同時に矢が一斉に射かけられる。

307
 遠方まで飛んだ矢が攻めこんでくる敵の数を削る。
 それが三度ほど続いたら、槍隊が正面から突っ込む。
 三ジャーグの長い槍が敵の脳天を破壊する。
 仮に重い鉄兜をかぶっていようと、兜ごとへこませて、その場に
転倒させる。
 敵の勢いが止まれば、後は純粋に数が多いこちらが完全に有利に
なる。
 戦局は一方的なものになっていた。
﹁ケララは小領主の部隊を意図的に狙ってるな﹂
 そいつらが後ろに下がれば、ほかの敵兵も我先にと下がろうとす
る。指揮は利かなくなる。
 ノエン・ラウッドやマイセル・ウージュの部隊も敵を順調に追い
やっていた。
﹁さてと、敵の総大将の首、とれるかな﹂
 ︱︱戦場にて、総大将が戦死する可能性は極めて低いものだ。あ
まり期待せんほうがいいぞ。
 情報提供、ありがとうな。
 結局、アントワーニ家率いる敵軍は完全に潰走して、居城に戻った
 しかし、とても防備ができないということで、これも捨てて南の
隣県を頼って、逃げていった。
 残りのシャーラ県内の抵抗勢力を駆逐して、俺はこの県も統一し
た。

308
46 古い軍隊と新しい軍隊︵後書き︶
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309
47 侯爵拝命とラッパの総帥
 残りのシャーラ県内の抵抗勢力を駆逐して、俺はこの県も統一し
た。
 この戦争の殊勲者は海上作戦を行ったソルティス・ニストニアだ。
隣接する二郡と飛び地数か所にわたる所領を与えた。
 俺はマウストに戻ると、シャーラ県を平定したことを皇太子ハッ
セに報告した。
じょうなん
﹁後は王都までに立ちふさがるのはメルヤ県と城南県のみです。メ
ルヤ県はメルヤ家、城南県はサンティラ家を中心に有力な領主が集
まっています。それでも、我々の敵かといえば、たいしたことはあ
りません﹂

310
 王都の周囲は東西南北、四つの県があって、王都と共に、王国で
も有数の人口過密地帯となっている。
 ただ、一つの勢力が県全体を支配しているということはなくて、
たいていの場合、王家とかかわりの深い重臣層が所領を少しずつ与
えられて、ばらばらに支配している。
 昔は、大領主が大規模な反乱を起こすという前提がなかったので、
重臣はそこまで多くの土地を与えられてなかったのだ。大領主の反
乱はほかの大領主と王の直轄軍で倒すことができた。
 だが、各地の領主がまったく王の言うことを聞かなくなり、直轄
軍の将たちも自立傾向を示すようになると、王家の軍事力はほぼゼ
ロになってしまった。
 つまり、王家は有力などこかの領主に頼って、その体裁を保って
いる。
﹁でかした! 王都に入るのは時間の問題となってきたな!﹂
 シャ−ラ県を統一したことで王都への道のりは大幅に近づいた。
﹁現在、城南県の各領主に味方につくよう働きかけております。こ
れで味方が増えれば、一息に王都に入ることも可能でしょう﹂
 王都は軍事的に守備がしづらいのだ。かつては城塞都市のように
なっていたはずだが、人口増加とともに、その外側にも人が住むよ
うになって、城塞の一部が破壊されたりしている。
 かつても城塞の外側で守備をして、それで防げないなら、とっと
と地方に逃げるというのが、これまでの数代の王のあり方だった。

311
 もし仮に王城で徹底抗戦をしようものなら、王都は壊滅する。そ
のような判断をした者を王都に住む者は王とは認めないだろう。
﹁もはや、こちらが勝ったようなものだな。従兄弟のパッフスは王
位を譲ってきたりせんものか。無駄に臣民の命を落とさせるべきで
はない﹂
 すでに王になった気でいるな。だが、おそらく王になる分には問
題はないだろう。
﹁今のところ、まだ王は全力でこちらの兵を防ぐつもりのようです﹂
﹁ふん、往生際の悪い奴め⋮⋮﹂
﹁ですが、それはあくまでも王の意図でしかありません﹂
 俺はいくつかの書状を王の前に出した。
﹁じわじわとこちら側に降ろうとしている者が増えています。こう
いった者が増えれば、やがて王も諦めて遠方の領主を頼って逃げる
でしょう﹂
﹁うむ! よきかな、よきかな﹂
﹁ぜひとも、この流れが加速するように、褒美や所領安堵をちらつ
かせて、こちらに寝返るように仕向けましょう。一方で、王にも、
ご譲位いただけるようにお願いをいたすつもりです﹂
﹁そうか、そうか!﹂
 本当に上機嫌だな。王になることが現実になりつつあるからしょ
うがないか。

312
﹁だが、褒美であれば、まず、そなたに与えねばならんな﹂
﹁それはありがたきことです﹂
﹁もはや、これだけの県を支配している領主は辺境地帯以外ではそ
なた程度しかおらん。伯爵ではなく、いいかげん侯爵を名乗られよ﹂
 たしかに、敵対する相手を威圧するためにも、侯爵になるのは効
果的な方法かもしれない。
﹁わかりました。謹んで拝命いたします﹂
﹁それと、また、おめでただそうだな。側室殿がご懐妊されている
とか。よいことだ﹂
 フルールがおめでただと先日告げられた。
 兄と姉のようにすくすく育ってくれればいいが。
﹁では、王家に伝わるままごと道具をやろう。木で緻密に作ってい
るから、野菜も料理も本物を縮めたようだぞ﹂
﹁それも、ありがたくいただいておきますね﹂
 俺はフォードネリア伯からフォードネリア侯という呼び名に変わ
った。城下などでは、水に囲まれた城に住んでいるから、水城侯な
どとも呼ばれているらしい。
 あと、もう少しやらないといけないことはある。
 俺が夜に城の裏庭に出ると、十匹を超えるオオカミが集まってき
た。
 別にペットではない。もっとも、子飼いと言えなくもないが。
 ラッパの者たちだ。多用しているうちに、次第に数が増えてきた。

313
今ではファンネリアから離れて俺の直轄の将となっている。
﹁シャーラ県の中小領主たちが俺に服従する気があるのか探ってこ
い﹂
 オオカミの一匹、とくに毛並みのいいものが前に出してきた。
﹁いいぞ。しゃべってかまわない﹂
 そう言うと、そのオオカミは獣人に姿を変えた。
 まだ若い女のワーウルフだ。髪は邪魔だからか、肩に少しかかる
程度のところで切り揃えている。
﹁なんだ、ヤドリギ?﹂
 本名は俺も知らない。
﹁明らかに不要と判断できる者は始末してもかまいませんか?﹂
﹁ただし、二人までだ。いや、むしろ先に膿は出してしまったほう
が安全か⋮⋮。好きなようにやれ﹂
﹁御意﹂
 ヤドリギは短く言った。
﹁おそらく、シャーラ県の者たちはまだ自分の置かれている立場を
理解しておりません。もし、メルヤ県からの軍勢が来れば、そちら
に従おうと思っているでしょう﹂
﹁だろうな。王都に入る前に沈静化させておきたいところだ。誰か
治めるのによい者はいないか?﹂
﹁その県が最前線ということであれば、シヴィーク殿がよいかと﹂
﹁そうか、考えておく﹂

314
 いつ、戦火が起こるかわからないところのほうがあいつの性にも
あっているか。たしかに間違ってはいないし、シヴィークなら妬む
者もいないだろう。
 ヤドリギはオオカミに戻ると、各地に散っていった。
 皇太子はすぐにでも王都に行きたいだろうが、マウストへの帰り
道で反乱が起こってはまずいことになるからな。
 その後、俺はシヴィークをシャーラ県五郡を有する子爵に任命し
た。
47 侯爵拝命とラッパの総帥︵後書き︶
また、新キャラが出てきました。そろそろ王都を視野に入れて動き
ます!
315
48 王都支配のための下準備
 その後、俺はシヴィークをシャーラ県五郡を有する子爵に任命し
た。
﹁あまり平和な土地よりはこういうところのほうがよいかと思って、
お前に任すことにした。ネイヴルと同じぐらいに平定してくれ﹂
﹁はて、五郡も余っている土地はシャーラ県にはないかと﹂
 たしかに五郡に海軍を有するソルティス・ニストニアの所領を足
すと、ほとんど余りはなくなる。
﹁服属している領主の一部の土地を移す。所詮、小領主だ。どうと

316
いうことはない。むしろ、反抗してくれたほうが話は早い﹂
﹁なるほど、それなら私が行くのが正しいかと﹂
﹁そうだな。本拠のほうは小シヴィークに任せておけ。いいかげん、
小シヴィークもうるさい親から離れたいだろう﹂
 小シヴィークもいい歳なのだが、親父がまったく引退せずに元気
にやっているので、家長という感じがないのだ。
﹁かもしれませんな。メルヤ県に逃げたアントワーニの残党にも気
をつけます﹂
 もちろん、それも考えたうえでの人選だ。
﹁しばらく地ならしをする時間になりそうだ。性急に王都に入るの
は怖い。王都の人間からすれば、俺は訳のわからんなり上がりの若
造でしかないだろうしな﹂
 まだ、俺は二十歳を過ぎて少し経ったばかりの人間だ。
 何をしでかすかわからないと気味悪がられる。
 気味悪がられるだけならいいが、それで反抗を誘発するのは少々
困る。
 ︱︱正しい判断だ。木曽義仲も期待に反して都の評判がよくなく
て、破滅しおった。上洛する時はよく考えておくがよいぞ。
 また聞いたことのない人間の名前を出されたが、俺の世界でも大
軍で王都を陥れたが、二か月で奪還されて滅亡した将軍がいた。
 食糧を確保していなければ、大軍で攻め込んで王都を奪っても、
王都で略奪をするしかなくなる。住民をごっそり敵にまわしては統
治などできない。

317
 ︱︱そういうことだ。まだお前は覇王の半分も生きておらん。ゆ
っくりとやれ。あわてた者ほど滅ぶのも早い。
 慎重論を言ってくる覇王というのもおかしな話だが、王だろうと
魔王だろうと、自分の権力は長く持ちたいだろう。

 シヴィークがシャーラ県に入る前に服属していた小領主の二人が
変死した。
 ラッパが殺したとしか考えられない。
 そいつらは地元に籠城して反乱を起こしたので、そのままシヴィ
ークを遣わして、鎮圧した。代々、その土地を守っていること以外
に何も面白みのない連中だ。
 メルヤ家の兵が何度かシヴィークのほうを攻めたが、いずれも小
競り合いという感じだった。
 この次に攻めとるべき土地についてもヤドリギから聞いた。
 その時のヤドリギはワーウルフの踊り子の姿をしていた。
 城にいて、おかしくない格好ということだろう。それに踊り子の
姿なら、そのまま旅芸人の一座に入って各地を巡ってもなんら不自
然ではない。
﹁メルヤ家は家臣団の力が強いということはご存じですね﹂
﹁ああ。連中の合議制で決めるのを旨としているな。それを法によ
って明文化しているほどだ﹂

318
ろっかく
 ︱︱なんだ、六角のような連中だな。
 オダノブナガも心当たりがあるらしい。家臣に牛耳られている領
主ぐらいどこにでもいるだろう。
﹁統制を図ろうとするメルヤ家当主のザイラン・メルヤと家臣団が
反発しているそうです。ザイランはどうやら侯爵に従うほかないの
ではないかと考えているようです﹂
 まあ、県一つを押さえているだけの状態で、俺に勝てるとは思わ
ないだろうな。
﹁こちらとしてはアントワーニの者たちを差し出してもらえれば、
悪いようにはしない︱︱と伝えておいてくれ﹂
﹁御意﹂
﹁ああ、家臣団に見つからないようにではなく、家臣団にも見つか
るように伝えておけ﹂
﹁御意﹂
 そうすれば、根も葉もなかろうが、連中は揉める。
 揉めれば、こちらに旨味が出る。
 戦争以外でも敵を屈服させる方法はある。
じょうさい
﹁それと、城西県にあるオルセント大聖堂に忍び込んだ者がいるの
ですが、あそこの大僧正はこちらに味方するのもやぶさかではない
と﹂
 城西県は実質、オルセント大聖堂が支配していた。領主は個別に
配されてはいるが、ほとんど力を持たない。
﹁そうか。いよいよ、王都入りのための準備も考えないといかんな。
そのために勉強もせねば﹂

319
 王都のことを何も知らないのでは政治を行えない。
﹁そういったことは何も知りませんゆえ﹂
 ヤドリギがぺこりと頭を下げた。
﹁かまわん。適材適所だ。ケララに頼む﹂
 それから先、半年ほどは表面上、俺は落ち着いていた。
 ただし、自分ではサボっていたわけじゃない。ケララを呼んで、
王都の儀式や政情、王都の人間の価値観に至るまで詳しく訪ねた。
 王になるのはを名乗っている皇太子ハッセだが、政治を行うのは
この俺だ。
﹁よくもここまでご熱心に学ぼうとされますね﹂
 俺がノートまで取っているものだから、ケララも驚いているよう
だった。とはいえ、ほとんど顔には出さないが。
﹁田舎者と思われたくないんだ。まず、無力な連中にバカにされる
のは腹が立つし、評判が落ちれば、出ていったパッフス六世を呼び
戻す流れが起きかねない﹂
 過去、王都を支配した権力者だけならけっこうな数になるが、安
定して十年持ちこたえた者となると、話は変わってくる。
 その原因は王都に対する無理解だ。
 王都というのは、ほかのどの都市とも違う。まず、人口が三万と
も四万とも言われている都市はほとんど例がない。ほかにも複雑な
しがらみが凝縮しているようなところがある。
﹁わかりました。私も全力で知識をお伝えいたします﹂

320
 ケララは決して嫌な顔をしない。たしかに皇太子が真面目一辺倒
と言っていたのもわからなくはないが、だからこそ俺は安心も信頼
もできた。
 家臣をどう使うかも君主の腕の見せどころだ。
﹁では、王都の商業についてお話しいたしますね﹂
﹁ああ、いや、今夜はもう勉強はいい﹂
 俺はケララのほうに近づいて抱き寄せた。

 ケララを抱いた翌日、俺は三人目の父親になった。ちなみに女の
子だった。
 フルールは気丈な女だが、それは出産にもあらわれるらしくて、
立ち会った者の話だと、ほとんど苦しい顔をしていなかったという。
 そして、祝いの内々の行事を行っている時に、動きがあった。
 隣のメルヤ県で内乱が起きたというのだ。
 チャンスが巡ってきてくれたな。
321
49 王都を視野に入れる
 俺が庭に出ると、さっとオオカミがやってきた。そして、オオカ
ミはラッパのヤドリギに姿を変えた。
﹁メルヤ県を支配していた伯爵、ザイラン・メルヤが重臣の一人を
専横を理由に粛清、それに対して、重臣たち数名がザイランを攻撃、
ザイランは居城を脱出して交戦中です。ザイランを支持する者もい
るため、県は両陣営に分かれています﹂
﹁すぐにシヴィークにそのことを伝えてくれ。そしてザイランのも
とには、アルスロッドはお前を保護する用意があると言ってほしい﹂
﹁おそらく、ザイランはアントワーニ家を保護している手前、こち
らにつけないと思われます﹂

322
﹁なら、重臣の側と組んで戦うと言っておけ﹂
 選択肢などないということを理解させてやる。
 俺は軍隊がいつでも動けるように指示を出しておいた。
 そして、ついにザイランがメルヤ県回復のために兵を出してほし
いと使者を送ってきた。
 重臣団はザイランの弟であるサルホーンを傀儡の君主として立て
た。ザイランに対する攻撃は徐々に強くなっていて、進退窮まって
きたようだ。
 時は来たな。
 俺はすぐに皇太子ハッセのところに出向いた。
﹁今こそ、お力をお貸しください。いよいよ王になるべき時が近づ
いてきました﹂
 ハッセはすぐに俺に作戦を呑んでくれた。

 そして、マウストから一万の軍勢が出撃した。
 ただし、総大将は俺ではない。
 皇太子ハッセだ。
 すぐ横に俺がいるが、あくまでも総大将は皇太子がやる。
﹁よいな! 伯爵であるザイラン・メルヤを追った奸臣たちを取り
除くのだ! メルヤ県は王都からも近い。そんな近くでこのような
混乱が起こっているのを見過ごすわけにはいかん! この私に従わ
ない者は王家に逆らう者である!﹂

323
 皇太子ハッセも久しぶりの戦場ということで声は硬くはあったが、
自分の目標が近づいているだけあって、表情は生き生きしていた。
 ここで皇太子が出てくれば、現在の王は重臣たちのほうに加勢せ
ざるをえなくなる。
 事態はメルヤ県だけの問題ではなくなるのだ。
 今回の先鋒は黒犬隊隊長ドールボーに任せた。
 容赦なく叩きつぶせと言っていた。
 敵はサンティラ家などから増援が来ているとはいえ、せいぜい五
千、一方でこちらは一万、さらにザイランの部隊も加えるとさらに
数で増す。
 敵は籠城策はとらず、平野に打って出てきた。
 五千人で籠城することはさすがにできないだろうから、やむをえ
ないのだろう。
 それにゆっくり拠点の城で籠城していれば、その間にザイランに
巻き返しを図られる。
 俺はここで王都までの敵をすべて取り除く。それだけのことはで
きる。
 黒犬隊の隊長ドールボーは一度敵とぶつかるとわざと退き、敵の
隊列が伸びるように仕向けた。
 そして、側面からも攻撃を仕掛けて、殲滅する作戦をとった。
 ワーウルフらしい素早い攻撃だ。
 まず、最初はこちらの勝ちと言ってよかった。敵は結局、いくつ
かの城に分かれて防御する策に移行した。敵の士気はある程度下が

324
った。
﹁この調子だと、戦闘は長引きますかね?﹂
 その夜、ラヴィアラに言われた。俺が居所にしている屋敷の部屋
だ。テーブルには地図が戦略用の地図が置いてある。
﹁そんなことはないさ。今頃、別動隊が敵の居城目指して動いてる﹂
﹁別動隊? そんなの、ラヴィアラも聞いてませんよ⋮⋮﹂
﹁うん。あえて言っていない。軍の周知の事実になってしまうと、
敵にも知られるからな﹂
﹁とはいえ、ラヴィアラぐらいには言っておいてくださいよ⋮⋮﹂
﹁いくつか理由があるんだ。自分が真打ちだと思ったほうが兵士も
やる気になるしな。今頃、シヴィークが二千の兵を率いて、迂回戦
術を取りながらメルヤ県の北部を荒らしている﹂
 ラヴィアラは、そこで﹁あっ!﹂という声を上げた。
﹁そういえばシヴィークさんのところを経由せずに今回、軍を進め
ましたよね⋮⋮。土地の経営に専念させるのかなと思ってたんです
けど⋮⋮﹂
﹁今、敵の居城は多くの兵が出払って中途半端な状態だ。ここを急
襲して落とす﹂
 俺は地図の上のコマを両側から動かして、敵のコマに近づけた。
﹁そして、ここに出ている敵軍もシヴィークとともに粉砕する。メ
ルヤ家は実質、これで滅亡だ﹂
 ザイラン・メルヤはせいぜい傀儡として生きていてもらおう。

325
 俺は自軍のコマを奥へと進めた。
﹁これはメルヤ県をどうこうする戦争じゃない。そろそろ王都を取
るぞ。こちらにつく者もある程度増えている。機は熟した﹂
 この半年は俺に味方する者を調略で得る期間だった。その成果が
いよいよ出る。

 翌日から俺の軍は、敵のこもる城を一つずつ着実に攻略していっ
た。
 最初に落ちた城の兵士は例によって皆殺しにした。
 事前に降伏しない者には容赦しないということを見せつける。
 敵に恐怖心を植え付けて、やる気を奪う。一方で、ハッセには皇
太子に逆らう謀反人であるとしきりに言わせて、さらに敵の立場を
危うくさせる。
 このままいけば、ハッセが王になりそうであるということも連中
はわかっているだろう。そのハッセに敵対していれば、奴らの立場
はいよいよ悪化する。
 そんな中、早馬の使いが俺の陣にやってきた。
 メルヤ家の拠点であるドクト城がシヴィークの攻撃で陥落して、
当主を自称していたサルホーンは王都へ脱出したという。
﹁バカが。せめて自分たちの軍のほうに脱出すればいいのに。飾り
にそんな気概もないか﹂
 俺はその日、シヴィークが敵の居城を撃破したことを伝えた。

326
﹁黙っていて悪かったな。だが、あの老兵は俺がナグラード砦にい
た頃からの戦友なんだ。王都に真っ先に入る栄誉を与えてやりたか
った﹂
 王都という言葉に諸将が色めき立つ。
﹁こんな県は前座だ。俺は皇太子を王にするため、王都を目指す!﹂
49 王都を視野に入れる︵後書き︶
今回で49話です。次回で50回目を迎えます。皆様のおかげで続
けてこれました! 次回もよろしくお願いいたします!
327
50 王都に迫る
﹁こんな県は前座だ。俺は皇太子を王にするため、王都を目指す!﹂
﹁うおおおおっ!﹂という大きな声が起こる。長らくみんなには我
慢させてしまっていたからな。
﹁いつになったら、王都を狙うのかと思った者もいただろう。俺は
ゆっくりと力をためていた。シャーラ県はシヴィークが目を光らせ
てわずかのうちに見事に安定させた。もはや、危ぶむ要素もない!
 今日、明日で敵の残党を滅ぼしてやるぞ!﹂
 といっても、メルヤ家の重臣団にはもはや奉じる者もいないため、
投降する者が続出した。

328
 一方で、最後まで抵抗する者もいたが、きっちりと玉砕してもら
った。死ぬ気であるのなら説得も詮無いことだ。
 残党はアントワーニ家の者と一緒に王都のほうに逃げていったら
しい。ずっと逃げ続けないといけないというのも大変だな。
 二日後には俺は焼け落ちたドクト城の城下に入った。
 城跡に仮の小屋を建てて、ここの城将を決めることにした。後背
を守る重要な役目だ。
 俺は居所にラヴィアラを呼んだ。
﹁できれば俺はここをお前に守ってもらいたいんだけど﹂
﹁アルスロッド様、ラヴィアラにわがままを言わせてください﹂
 ラヴィアラの顔を見たら、これはもう絶対に折れることはないな
とすぐにわかった。
﹁ラヴィアラの言いたいことはだいたいわかるけど、一応教えてく
れ﹂
﹁ラヴィアラは、アルスロッド様と王城に入城したいです! こん
な記念すべき日は二度とないんですから!﹂
 やっぱりな。そう言うと思った。
﹁俺の目標は入城することじゃないぞ。お前も知ってるだろ﹂
 王になること、それが俺の望みだ。
 全部言う必要もない。
﹁それでも、ラヴィアラはアルスロッド様の横でこの喜びを分かち
合いです。この城を守るのがいかに大事かはわかっていますけれど
⋮⋮﹂

329
 俺はため息をついた。
 実のところ、俺もラヴィアラと分かち合いたかった。
﹁親衛隊はせっかくだから全部連れていってやりたいしな。ノエン・
ラウッドにやらせるか。あいつは攻めるより守るほうが得意だし﹂
 次に俺はケララを居所に呼んだ。
﹁王都に入るにあたって恥ずかしくないように、確認をとらせてく
れ。皇太子殿下に恥をかかせるわけにもいかないからな﹂
﹁承知いたしました。まずは略奪を厳禁する旨を徹底するのが肝要
ですね﹂
 俺はちょっと拍子抜けした。
﹁そんなのはどこの土地を奪った時でも同じだ。もっと威儀に関わ
ることを教えてくれ﹂
﹁はっきりと申し上げますが、よろしいでしょうか?﹂
 少し俺は気おくれしそうになったが、﹁隠さずに言え﹂と伝えた。
 これでひどいダメ出しが来たら、さすがの俺でも落ち込むぞ。
﹁侯爵はすでにマウストでも威儀を意識なさってこられました。あ
の通りに進めば、なんら問題ないでしょう。もはや、侯爵は摂政と
して国を差配して誰も咎められないほどご立派です﹂
 俺はあっけにとられた。
ねいしん
﹁ケララ、俺はお前に調子のいいことを言う佞臣の役割は期待して
ないぞ﹂
﹁私も佞臣になる勉強はしておりませんので、わかりかねます﹂

330
 そんな言葉を馬鹿正直にケララは言った。
ちょう
﹁どんなことを言っても、お前への寵は薄れることはないぞ﹂
﹁くどいようですが、私は臣下として申しております。妻として申
してはおりません﹂
 よく、こんなに表情を変えずにこんなにうれしいことを言ってく
れるものだ。
﹁わかった。俺はお前を信頼している。ウソではないと信じよう﹂
﹁ありがとうございます。私も侯爵に変わらぬ忠節をお約束します﹂
 それでは周辺の領主に皇太子に供奉するように命令を送るぐらい
で、ひとまずとどめるか。それで、誰が味方で誰が敵か明らかにな
る。
 俺は城南県に進軍した。
 何人かの領主がすぐに俺のところに馳せ参じた。
﹁ご足労ありがたいことだ。とはいえ、俺に頭を下げても意味がな
いぞ。礼は皇太子殿下に頼む。君たちは皇太子殿下に仕えるのだか
らな﹂
 城南県の最大勢力はサンティラ家だったが、すでに敵は戦意を喪
失していたらしく、家臣や一族が続々と降ってきた。これではまと
もな戦争すら行えないだろう。
 もはや、防戦が不可能ということは王都でもわかっていたのか、
王であるパッフス六世は一族たちとともに落ちていったという。今

331
後も王を名乗り続けるだろうが、王都を留守にしているという時点
で、印象は最悪だ。
 ハッセは無事に皇太子から王になれそうだな。
 なってもらわないと困る。
 俺はわずかな抵抗勢力を蹴散らして、城南県をあっさりと解放し
た。
 もう王都への道に障害物はなくなった。
 もう、戦争らしい戦争もなさそうだったので、マウストから正装
用の衣服を取り寄せた。それなりに着飾って入城を果たしてやろう。
 俺もうれしいけど、それ以上にうれしい人間がいた。
 皇太子ハッセその人だ。
﹁すべては侯爵のおかげだ。なんと礼を言っていいかわからん⋮⋮。
ありがとう、ありがとう⋮⋮﹂
 号泣されて俺も扱いに困った。
﹁皇太子殿下、感動するのは王都に入ってからでもよいのでは⋮⋮﹂
﹁いや、ひとまず今の感謝の気持ちを伝えておこうと思ったのだ。
もちろん、王都に入ってからも感謝はする。摂政の地位も約束しよ
う⋮⋮﹂
 その言葉は、俺も聞き逃せなかった。
﹁摂政の地位、なにとぞよろしくお願いいたします。王国の平和の
ためにも、ぜひともその地位につきたいと考えておりますので﹂
﹁うむ、決して約束を違えることはしない﹂

332
 長かったが、ついにここまで来た。
 いや、そう長いというほどではないか。摂政まではそう苦労せず
に来れたな。
51 新王の即位と新摂政
 俺は抵抗勢力のいなくなった王都に一万三千の兵で入った。
 先頭はシヴィークの部隊だ。
 生まれながらの領主でもなんでもなかった俺には乳母子のラヴィ
アラしか、生え抜きの臣下というものがいなかった。それ以外で最
も長く俺に仕えてくれたのがイヴィークだ。
 なので、その栄誉にあずからせてやろうと思った。
 そのあとに親衛隊の者たちが続いて、俺の馬の番になる。
 ︱︱特殊能力︻覇王の風格︼獲得。覇王として多くの者に認識さ

333
れた場合に効果を得る。すべての能力が通常時の三倍に。さらに、
目撃した者は畏敬の念か恐怖の念のどちらかを抱く。
 能力が三倍!? いよいよ、無茶苦茶な強さになってきたな。そ
んな指揮官、どこの国にもいないだろう。
 しかし、摂政となるからには、それぐらいのほうがいいのかもし
れないな。
 俺がこの国を動かしてやるぞ。

 見物人が道の両側には集まっている。王都だけあって、その数も
生半可なものではなかった。ひそひそと声が聞こえてくる。
﹁あれがアルスロッド・ネイヴル様か⋮⋮﹂﹁なんとも精悍な若者
だ﹂﹁戦争の天才らしいな﹂﹁いやいや、むしろ領地をおおいに富
ませたというぞ﹂
 評判は上々だ。入城にもそれなりに気をつかっているからな。
 俺の後ろからは明らかに豪華で物々しい馬車がやってくる。
 そこに皇太子ハッセと家族が入っている。あまり王族を庶民に見
せるべきではないし、暗殺者が弓矢でも射ってきた場合、俺なら防
げてもハッセは無理だ。だから、馬車に入れてしまうことにした。
 王城では事前に確認をとっていたが、城に残っていた家臣たちが
平伏して俺たちを迎え入れた。
 どちらの王統にも強く結びついていない官僚や役人、貴族たちも
いる。彼らは純粋にハッセを新しい王と認めたというわけだ。

334
 それとパッフス六世ににらまれていて、隠れていたような連中も
その中には含まれている。ハッセの父親だったグランドーラ三世の
時代に活躍していた者も復権できると思って戻ってきているのだ。
 ハッセはその日はなかば儀式的に城に入った。

 翌日、ハッセは朝から全国で最も権威のある王都のサーウィル大
聖堂にて、即位式を行った。
せんしょう
 扱いとしては、パッフス六世は王位を僭称していただけで王では
なく、父親グランドラー三世のあとを継いだということになる。
 こうして、新王ハッセ一世が誕生した。
 ︱︱やはり上洛するというのは楽しいものだな。覇王も京に入っ
た時は実に得意だった。
 オダノブナガもいつも以上に楽しそうだ。
 だけど、お前は何度かピンチにもなってるんだろ。そうならない
ように気を付けたいとこだ。
 ︱︱少なくとも、そう遠からずお前はハッセとかいう王と対立す
るだろう。王は王で権力を握りたいだろうからな。その時、どう対
処するかでお前の命運も決まってくるぞ。
 そりゃ、いつまでも蜜月が続くってこともないか。
 ︱︱しかし、この覇王の時とは少し様子が違うところもあるな。
パッフスとかいう前王が生きている。となると、ハッセという者は

335
よしひで
お前を頼らざるをえんだろう。覇王の場合は、義栄という前の将軍
があっさり死んだからな。
 そうか。俺がパッフス側につけば、それだけでハッセは危機とい
うわけか。
 そこは意識しておこう。カギになるかもしれない。
 王の即位に関する祝賀会などが終わった翌日、俺は摂政に正式に
任命された。
 この地位は、王家が力を失ってからは王家をバックアップした有
力者に与えられてきた。もちろん、ネイヴル家でそんな地位につい
たのは初だ。
﹁サーウィル王国の発展のために力を尽くします﹂
 そこはウソは言ってない。
 ただ、その発展した国をいつかはいただくというだけのことだ。
﹁摂政殿、望みがあればなんなりと言ってほしい。早く、王として
願いをかなえてやりたいのだ﹂
 新王は実に楽しそうだ。
﹁では、いくつかの都市を直轄領として賜りたいですね﹂
 富を自分のところに集める。そうすれば、自然とほかの部分も上
手くまわるはずだ。
﹁わかった。それと、新しい領主の任命についてなのだが、私の案
を見てくれぬか?﹂
﹁はい、それこそ摂政のつとめですから﹂
 思った以上にハッセと彼の親の代から仕えてきた者が交じってい

336
た。
 この男、自分の立場をわかってないな。
﹁陛下、もっと戦争や政務で長らくお仕えしてきた者を優遇すべき
ですね。今になって戻ってきた者は、もしも陛下が王都を追われる
ようなことがあった時、ついてくるでしょうか?﹂
﹁なるほど⋮⋮。摂政殿の言うとおりであるな⋮⋮。しかし、あま
り摂政殿の臣にばかり土地を与えるわけにもいかぬのだ⋮⋮﹂
﹁ですが、王都近辺に信頼できる者を配置せねば、パッフス殿が攻
めてきた時、危険です。今は平和な時代ではありません。戦時体制
ということをご理解ください﹂
﹁そ、そうか⋮⋮。言われてみれば⋮⋮。戦争に覚えのない者が近
くにいても壁にもならぬな⋮⋮﹂
 新しい領主の配置はかなり俺に都合がいいように変えられそうだ。
 ハッセを納得させるような言葉が自然と頭に浮かぶ。これも︻覇
王の風格︼とかいう力のおかげかもしれない。
 今、王都の民は多くが俺を覇王だと認識している。決してハッセ
じゃない。
 ほかにも、いくつか重要な問題の諮問を受けた。俺はつらつらと
それに答えていった。
 立場上、国政を無視することはできないので、しょうがない。自
分の権益を強めることと上手く両立していかないとな。
 しかし、その中に、少々意外なものが混じっていた。
﹁あなたのおかげで、私は王になれ、あなたを摂政にすることもで
きた。あらためて礼を言うぞ﹂

337
﹁いえいえ、最初からそれを目指してここまで来たのですから﹂
 いったい何を言うつもりだ?
﹁なので、これで心置きなく縁談を口にすることができるようにな
った﹂
﹁縁談?﹂
﹁物ごころついた時には、もう流浪の日々を送ることになった私の
妹がいてな。十三歳になる。この子を摂政殿の正室にしていただけ
ないだろうか﹂
 えええっ!?
52 妻に相談する
 俺は正直言ってすごく困惑した。
﹁陛下、私にはすでにセラフィーナというエイルズ・カルティス侯
爵の娘を正室としております⋮⋮。ですので、妹君を正室にするな
どというのはできない相談です⋮⋮﹂
﹁侯爵の娘だろう? こちらは王の妹だ。今の奥方より地位だけな
ら間違いなく高い。流浪の最中は、この妹をどこの馬の骨ともわか
らぬ男にやらねばならんのかと悲しい思いもしておったのだが、こ
れで心置きなく摂政殿の妻にしてやれる。亡き父王も喜んでおられ
るだろう﹂

338
 新王は完全にこの話を進める気だ⋮⋮。弱ったぞ⋮⋮。
﹁私の妹を妻とすれば、摂政殿は私の義理の弟。あなたにはぜひと
も王家の親類となっていただきたいのだ﹂
 それは、たしかにうまい話でもあった。
 もし、その妹との間に子供が産まれれば、それは王族の血を引く
者だ。新しい王朝を開くうえで、かなり強い大義名分になる。
 少なくとも、王家に適当な人間が誰もいないとなれば、王になっ
てもなんらおかしくない。正統性は確保される。自分が王朝を簒奪
してないと言い張ることも可能だ。
 けど、セラフィーナがどんな気持ちになるだろうか⋮⋮。
 うれしいわけがない。政治的決断だけで妻を不幸にするのはしの
びない。
 こういった場合、定石としては元の正室が側室ということに形の
上ではなるというのが通例だ。
 ただし、明らかに妻の実家と敵対するような縁組であった場合は、
事実上の縁組解消となって、離縁ということになったり、母方の実
家が娘を送還したりする。
﹁陛下、妹君がまだ十三歳というなら、そう焦る必要もありますま
い⋮⋮。職業を授かる儀も行っておられぬはず。それからでも遅く
はないかと⋮⋮﹂
﹁私が王になっておらず、くすぶっているままならそうしたが、い
まやあなたも摂政。婚姻関係を結んで、お互いに結束するのは自然
なことと思うが﹂

339
 どうしよう。相手のほうが正論だ。
 しかも、場合によっては王家を力ずくで滅ぼす恨みも買うことな
く、国を乗っ取れる。俺の目的にも近道になる。
 とはいえ、セラフィーナにどう説明すればいいんだ⋮⋮。あいつ
は自分の子供を王にしたいだろうし。むしろ、そうじゃない妻なん
ているだろうか。
﹁と、とにかく⋮⋮陛下は王位についたばかりで、こちらも摂政に
なったばかり⋮⋮。性急にやる必要はありません⋮⋮。王都近辺に
はまだまだこちらを快く思わぬ者も多いですし、そちらの平定を終
えてからでも遅くはないでしょう﹂
 これは事実だ。いきなり王都に攻めてくる奴はいないにしても、
様子を見ている者も、前王のパッフス六世派の者もいる。
﹁そうかもしれんな。だが、考えておいてほしい﹂
﹁むしろ、陛下こそ、ご正室をお迎えになることを考えるべきです
よ﹂
 ハッセには妻も子供もいるが、流浪の途中に家臣の妹や身を寄せ
ている先の領主の娘を妻としていたため、正室というには身分が低
かった。
﹁そうであるな⋮⋮。だが、そなたの娘はまだ幼すぎるし、妹殿は
嫁がれておるな。さて、誰がよいだろうか⋮⋮﹂
 よし、ひとまず話をそらすことはできたな。
 近いうちにマウストからセラフィーナも王都に来ることになって

340
いる。
 そこでさりげなく言ってみて、反応を見るか⋮⋮。

 俺がしばらく王都を離れられないので妻のセラフィーナが女官を
従えてやってきた。
 フルールはまだ子供が産まれて間もないので、マウストで休んで
いてもらうことにした。
 摂政の妻ということで、セラフィーナはこれまでで最も豪華なド
レスを着飾っていた。
 現在、この国の女でセラフィーナ以上に権力を持っている者はい
ないはずだ。
﹁摂政になってる旦那様はさらにかっこよく見えるわ﹂
 会うなり、そう褒められた。
﹁もしかすると職業のボーナスのせいかもな。カリスマ性みたいな
のも身分が上がれば上がるほど、この職業は高くなるみたいなんだ﹂
﹁どう、旦那様? これなら王都でも笑われないかしら?﹂
﹁今のセラフィーナを笑える勇気のある奴なんて誰もいないさ﹂
﹁それもそうね。わたし、王都に来るのは夢だったの。故郷はあま
りに王都から離れていたから。帝王学を習ってはきたけど、田舎で
使うのと王都で役立てるのとは意味が違うからね﹂
﹁セラフィーナ、早速だけど君に伝えておきたいことがあるんだ。
政治の話だ﹂
﹁ええ、ぜひ聞かせてほしいわ﹂

341
 俺はその夜、セラフィーナの部屋を訪れた。
 まずは、新王に反抗的な領主を滅ぼす計画や、直轄領になった都
市の総督に誰を派遣するかといったことを話した。
 ある程度、答えが決まっていることでも、セラフィーナはこちら
にない視点の提案をしてきたりするから、なかなか意味があった。
 とくに女官たちから見た評判といったものは情報としてありがた
い。それはつまり、俺の示した人物が優雅で洗練されてるかどうか
の指標になる。
 王都近辺の都市となると、力を持っている商人も数寄者や芸術家
肌の人間が多い。
 そこに無骨な人間を総督として任命しても、商人たちがバカにし
て心から従わない危険もある。
﹁故実に秀でているなら、ケララという子が一番ね。テーブルマナ
ーも完璧だわ。だけど、一都市の総督をやらせるにはもったいない
人材よね﹂
﹁そうだな。商人出身のファンネリアにも聞いておくか﹂
 そして、頃合いを見計らって、俺は例のことを切り出した。
﹁実は、陛下からこういったことを言われたんだ⋮⋮。純粋に、君
の意見を聞きたい﹂
 セラフィーナは話を聞く間、とくに表情を変えたりはしなかった。
﹁正直、正室には君がいるわけだし、俺も勘弁してほしいと思って
いるんだけど﹂
﹁どうして、そんなに悩むことがあるのかしら﹂
 毅然とした態度でセラフィーナは言った。

342
 だよな。とっとと断れと思うよな。
﹁ぜひ、迎え入れるべきじゃない! 権力が舞い込んでくるのよ!﹂
 セラフィーナは俺の手をつかんで言った。
﹁えっ!? いいのか⋮⋮?﹂
﹁わたしは英雄の妻になりたいと言ったはずよ。側室でも英雄の妻
には代わりはないし、わたしの力が衰えるわけではないでしょう?
 むしろ、その十三歳の娘を操縦するぐらいの気持ちでいるわ﹂
 やっぱりセラフィーナは豪傑肌だな。
53 王の妹、ルーミー
 本当にうれしかったし、だからこそすべて懸念点は話そうと思っ
た。
﹁でも、その娘と子供が産まれれば、君の子供が王になれないかも
しれない﹂
﹁前に言ったはずよ。わたしの子供が王の器じゃないなら王にしな
くていいって﹂
 迷わずにセラフィーナは言った。
﹁わたしは旦那様が英雄になるための道を応援する、そのつもりで
嫁いでるから。そしたら、どちらが正しいかなんて明らかのはずよ﹂

343
 そう言われてしまえば、答えはもう決まっていたと言ってよかっ
た。
﹁そうだな。まだ前王のパッフスを支持する連中は王国内に広範に
いる。そいつらを倒すまでは今の王と結びついてるほうがいい﹂
 摂政として権力を握った者ならいくらでもいる。
 ただ、これをずっと維持できた者になると、ほぼいないと言って
よかった。
 この摂政を追い落とそうとする奴らが、どうしても結託するから
だ。とくに従来の摂政は自前の軍事力が知れていたから、各地で蜂
起されると、すべてに対処することができなかった。
﹁わかった。王には妻として迎える準備があると言っておく﹂
﹁うん、そうであるべきよ。でも、今日は︱︱﹂
 セラフィーナは俺に体を預けてきた。
﹁わたしを愛してほしいな。王都に攻める作戦の間、ずっと待って
いたんだから﹂
 俺はセラフィーナをきつく、きつく抱き締めた。
﹁わたしが十三歳の小娘なんかに負けるわけがないわ﹂

 俺が妹を妻にする用意があると言うと、ハッセは想像以上に喜ん
でいた。

344
 そして、その妹、ルーミーと一度引き合わすと言われた。
 そういえば、ルーミーなんていう娘と会った記憶はない。それも
そのはずで、なんでも修道院に入れられて勉強をしていたらしい。
 もし、王になるのが絶望的だったらそのまま尼にさせるつもりだ
ったようだ。
 たしかにハッセのそばにいれば命を狙われる恐れもなくはないが、
ずっと修道院で勉強している分には安全だ。
 しかし、結婚といっても、子供と言っていい年齢だし、形式的な
ものだろうな。もしかしたら、大人びた娘なのかもしれないけど。
 気位の高い、ものすごく高慢な女なんじゃないかと俺は少し不安
だった。
 もし、娘が兄の王に文句を言えば、俺の立場も悪くなりかねない
し。
 会見用の部屋の席に着くと、俺は相手が来るのを待っていた。
 外で護衛が詰めているが、部屋の中では二人きりになる。
 だが、予定の時間になってもなかなかルーミーは現れない。
 おかしいな⋮⋮。それともわざと遅刻して、自分のほうが上だと
アピールするつもりか?
 ︱︱なあ、摂政よ。何か人の気配を感じるぞ。間違いなく、誰か
が部屋におる。
 オダノブナガは気配の察知もできるらしい。たいした職業だ。
 まさか、刺客か? 俺は剣に手をかけた。一人や二人の刺客なら

345
返り討ちにできる程度の能力が俺にはある。
 ︱︱いや、殺気でないのは明らかだ。
 ふと、カーテンが揺れた気がした。
﹁そのカーテンにどなたか、いらっしゃるな?﹂
 そう言うと、そのカーテンからきれいに髪を結いあげた少女が顔
をのぞかせた。
﹁あらら、ついにばれてしまいましたね﹂
 にっこりとその少女は笑って、こちらにすたすたと歩いてきて、
頭を下げた。
﹁ごきげんよう、摂政様。新王の妹、ルーミーと申しますわ﹂
 少なくとも、俺にびくびくしているという様子はないみたいだ。
 俺も席を立って、あいさつする。
﹁はじめまして、摂政をつとめさせていただいております、アルス
ロッド・ネイヴルです﹂
﹁うわあ⋮⋮殿方って大きいんですのね⋮⋮﹂
 まるで珍獣でも見たように言うと、ルーミーは背伸びをして、俺
との背を測ろうとした。ちなみに俺のほうが頭一つ分以上、高い。
﹁別にことさら大きいつもりはないですが。むしろ、姫が小さいの
かもしれませんね﹂
﹁あと、殿方はみんなヒゲ面なのかと思っていたんですが、摂政様
はそうではないんですね。むしろ、あごがつるりとしていて清潔で
す﹂

346
﹁ええ、ヒゲは鬱陶しいので剃るようにしていますが﹂
 変なことを言う奴だなと、ちょっと面白くなった。
﹁修道院にいると、殿方と出会うことはめったにないもので、おっ
かなびっくりだったのですわ。それでカーテンごしに様子を見てい
たんです。もし、オークやオ−ガみたいな方だったら逃げ出そうと
思っていましたの﹂
﹁そういう連中はもっと北方や辺境にしか住んでおりませんから、
ご安心ください﹂
 世間ずれしてないというのが会話からすぐにわかった。まさしく
お姫様らしいと言えばそうだ。
﹁それに、摂政様は過去に幾度も戦争で武功を重ねた方と言います
から、ずいぶん野蛮な方ではないかと思っておりましたの﹂
 俺は少し声を出して笑った。なんて、正直な人なんだ。
﹁野蛮というのは否定いたしませんよ。人を殺したことも何度もあ
ります。修道院の教えからしたら、とんでもない悪党かもしれませ
ん﹂
﹁そんなことはありませんわ﹂
 少女は首を横に振った。
﹁わたくし、瞳を見れば、その人が悪党かそうではないかはわかり
ますの。摂政様の瞳は澄んでおりますわ。ですから、摂政様は善人
です﹂
﹁善人ですか、それはうれしいですね﹂
﹁なので、合格です﹂
 いきなり、ルーミーはぎゅっと抱き着いてきた。

347
﹁あなたは怖い人でも悪い人でもないみたいですから、あなたのと
ころに嫁ぎますわ。よろしくお願いいたしますわね﹂
﹁俺が化けの皮をかぶっているかもしれませんよ﹂
﹁いえ、瞳を見れば、それぐらいわかりますわ﹂
 これは、新しい妻とはしばらくおままごとでもするほうがいいか
もしれないな。
 妻ができたというより、妹ができたみたいだ。
﹁ねえ、ところで摂政様、ご質問なのですが﹂
 がばっとルーミーは顔を上げた。
﹁はい、なんでしょうか?﹂
﹁摂政様はやっぱりこの王国を乗っ取られるつもりなのです?﹂
 とんでもないことを直球で聞かれた。
﹁わたくしは修道院でこの国の行く末を見ておりましたわ。そした
ら、どうもそうなる雰囲気をぷんぷん感じましたの。修道女の方々
もそのようにおっしゃっておりましたし⋮⋮﹂
﹁俺は王に歯向かう敵を倒していくことしか考えていませんよ﹂
 また、満面の笑みでルーミーは抱き着いてきた。
﹁ありがとうございますわ!﹂
348
54 試験をやってみる
 その後、ルーミーをセラフィーナに紹介した。
 ルーミーはセラフィーナにも、物怖じせずにいくつも質問を浴び
せたりして、セラフィーナを少し困惑させていた。
 正直、あのセラフィーナがたじたじになる姿なんて見たことがな
かったので、傍目に新鮮ではあった。本人にとってみたら大変だろ
うが。
 二人きりになった時、セラフィーナは愚痴をこぼした。
﹁小娘とは聞いていたけど、ああいう子が来るとは思わなかったわ
⋮⋮﹂
﹁そうだな。あんなに純真な人間とは考えてなかった﹂

349
﹁わたしにはあの子が妹にしか見えないわ﹂
﹁奇遇だな。俺にもそう思えた。アルティアとは全然違うタイプだ
けど﹂
 セラフィーナは、ふぅとため息をついた。
﹁旦那様はあの子を妻にしないといけないのよ。なかなか骨が折れ
るかもね﹂
﹁君がいろいろ教育してやってくれ﹂
 正直なところ、王都を手に入れたことで業務量は激増している。
 周辺の情勢だって落ち着いているとは言いがたいし、縁組を喜ん
でいる余裕もない。
﹁わかったわ。でも⋮⋮出家していたわけじゃないとしても修道院
に入っていた、あんないたいけな子でしょ。初夜のことを教えるの
は、罪悪感があるわね﹂
﹁そういうのは⋮⋮もっとずっと先でいい⋮⋮﹂
﹁でも、嫁ぐのに早すぎるという歳でもないとは思うけど﹂
こし
 そりゃ、政略結婚なら十歳にも満たない少女が輿入れすることだ
ってある。
 でも、妻と見れるかと言えば、また別の話だ⋮⋮。
﹁あら、旦那様のほうが照れちゃってるのね﹂
﹁君に変なところを見られたな﹂
﹁けど、安心したかも﹂
 セラフィーナは俺に体を近づけてきた。

350
﹁正室の座は明け渡すけど、旦那様のことを一番に想ってるのはわ
たしだから⋮⋮﹂
 少し憂いを帯びた瞳。
 セラフィーナも苦しい決断だったのだとあらためて感じた。
﹁少なくとも、君に注ぐ愛の総量が減ったりはしないと誓う﹂
 俺はセラフィーナが安心できるように自分の胸に近づけた。

 摂政になって、第一にやるべきことは何か、ラヴィアラとケララ
に諮問した。
 ちなみに二人とも、俺が摂政になるのとほぼ同時に所領が加増さ
れ、名誉職的な地位も与えられている。
﹁ラヴィアラは人材育成だと思います﹂
﹁差配する土地が広がりました。代官や総督には側近を置くとして
も限りがあります。使える者は拾い上げるべきかと﹂
 ケララには事前に聞いてもいたし、だいたい答えはわかっていた
が、ラヴィアラも似たことを答えた。
﹁わかった。優秀な者はどんどん登用しよう。まあ、形式上、王家
に仕える者となるだろうけどな﹂
 摂政はあくまでも王の補佐をする役目だ。最初から露骨に王家の
支配地域を牛耳るのはあまりよいことじゃない。
﹁提案してもよろしいでしょうか﹂ケララが口を開く。﹁都市の支
配に関しては、その都市の商人を役人として使えば、土地に詳しい
ので効率がよいかと思われます。無論、商人側に立ったことばかり

351
言う危険もありますが﹂
﹁そうだな。ファンネリアみたいな財務に明るい者がいれば使って
はいきたい。まだまだ軍人も必要だが、こちらのやり方に従わない
者なら取ってもしょうがないし﹂
 現在、俺がもっている軍隊は全国規模で見ても最も統率がとれて
いる自信がある。
 だが、現在の数のままでは全国をとれない。人員を補充する間に
有象無象が増えてくる。そういうのをまともな兵にしていく必要は
出てくる。
﹁それにしても、まだまだ役人は必要だな﹂
 今度はラヴィアラが手を挙げた。なぜか、一瞬、ケララをにらん
だけど。何か対抗心みたいなものがあるのか⋮⋮?
﹁神官の方であれば知識もありますし、そういった方を使うのはど
うでしょうか?﹂
﹁なるほどな。悪い発想ではないか﹂
 金の勘定や折衝の能力はまず文字が読める層が必須だ。そのあた
り、神官連中なら最初にクリアしている。
 だが︱︱
﹁神殿もいくつか派閥があるからな⋮⋮。上手く使わないと危ない
ことになるな⋮⋮﹂
 ︱︱ならば、科挙とかいうのを試してみるか?
 オダノブナガが変なことを言った。
 なんだ、そのカキョっていうのは? 何のことかさっぱりわから

352
ない。
 ︱︱わかるように言えば、紙の試験だ。試験をやらせて成績のい
い者を登用する。といっても、やったことはないぞ。海を隔てた国
でやっていたという方法だ。上手くいけば、お前に直結する官僚層
を作れるかもしれん。上手くいくかの保証まではできんがな。
 いや、それは面白いかもしれないな。
 試験の成績だけなら、縁故も何もない。純粋に能力が高い奴が、
少なくとも試験でいい点が取れる奴がわかる。
 よし、やってみよう。それ一つで致命的な問題になるとも思えな
いしな。
 最後の問題に﹁何か提案できる策を書け﹂とでも入れれば、いい
アイディアをいただけるかもしれないし。
﹁二人とも、一つ、思いついたぞ﹂
 職業が考えたことは、俺が思いついたことと同じだ。
﹁王都で試験をやる。その試験で役人の一部を決める。参加は自由
だ。出題範囲は経典の有名どころと、金勘定に関する問題。それと
地理と歴史の知識、ついでに古典の教養も入れるか﹂
﹁えっ⋮⋮? 試験ですか⋮⋮!? まるで大学みたいですね⋮⋮﹂
 ラヴィアラはぽかんとしていた。
 たしかに大学みたいかもしれない。
﹁ずいぶん変わった方法ですね⋮⋮。前例がないので、なんとも言
えませんが⋮⋮﹂
 ケララはこういう新しすぎることには混乱するらしい。

353
 しかし、俺はどのみち新しい政治体制を作るつもりではあるから
な。
﹁やるぞ。どうせ、代々、家を継いでるだけの貴族層に役人をやら
せても信用できんし、逆に貴族層でも賢い奴がわかればそいつを使
ってやれる﹂
 こうして、俺の一存で官吏登用試験が決まった。
55 王の妹との結婚式
 官吏登用試験の発表が町などの掲示板で行われると、かなりの反
響があったらしい。
 成績がよければ誰でも役人するというのは、相当異様な内容だろ
う。
 もちろん、身分が低ければ教育機会も少ないから合格は難しいだ
ろうが、理論上はたとえば、神官としては下級だが賢い人間などが
役人になれる可能性がある。
 一方でなかば世襲的に役人などの地位を保っていた王都近郊部の
中小地主みたいなのからは不満が出た。

354
 その不満に対しては、こう答えた。
﹁試験でいい点をとってくれれば、何の問題もなく採用する﹂
 世襲制だけでは、人間の質を維持するのに限度がある。
 完全な実力主義というのも大変だが、ほどほどに流動性があるほ
うがおそらく社会も活発化するだろう。
 というか、俺の家臣団自体が譜代の家臣なんてものはそんなに多
くない。
 これは当たり前で、元のネイヴル家の領地にいた家臣の数など知
れているのだ。領土が爆発的に広がっているのだから、いろんな人
間を吸収するしかない。
 新王ハッセからも﹁こんなことをして上手くいくのだろうか⋮⋮﹂
と不安そうなことを言われたが、まあ、変なことをしてほしくない
という感情はわかる。
﹁陛下、これまで王は何度も王都を追われてきました。それはなぜ
かといえば、既存のシステムに寄りかかっていたからです。そのシ
ステムが不完全であるから、敵勢力に敗れてしまったのです﹂
﹁なるほど⋮⋮。それは正しいかもしれんな⋮⋮﹂
﹁なので、まずは優秀な人間をふるいにかけて見つけるべきです。
極論、陛下に忠誠心があると言ってるだけの輩よりは、仕事ができ
るけれども裏で舌を出している輩のほうが、陛下の役には立ちます﹂
﹁そんな、いつ寝首をかかれるかわからないような者を使うのは︱
︱﹂
﹁もし、本気で忠義に厚い者ばかりなら、陛下が隠遁生活を送って
いる時にそばに来ていたはずですが﹂

355
 ハッセは黙ってしまった。
 それが答えだ。大半の領主は結局、王家を見限っている。王家を
滅ぼすほどの気概もないが、かといって本気で没落している側につ
くつもりもない。
﹁必ずや、王都近辺の土地を大きく発展してみせます。それこそパ
ッフス様たちの勢力の成長を防ぐ術なのです﹂
 あくまでも、ハッセのためと言っておく。
﹁わかった。それと、妹との婚儀の日程だが⋮⋮﹂
﹁はい。そちらも進めていますので﹂
 ルーミーには同じ女子のケララが勉強係、セラフィーナがもろも
ろの教育係ということになった。
 たまに顔を出しているが、ルーミーはなかなか勉強熱心なようだ
った。
 その時も熱心に古い本に目を通していた。
﹁摂政様、古典の本がほしいのですが、数が少ないのか見つからな
いのですわ。ご存じないでしょうか?﹂
 言われたのはかなり専門的なものだった。俺も読んだことはない。
﹁ルーミー様は実に優秀ですよ。修道院での基礎が実によくできて
おります﹂
 ケララもかなり感心しているようだった。
﹁ルーミー様は素直なの。だから、飲み込みも早いのよ﹂
 横にいたセラフィーナも同意していた。
﹁あとは、少し世間知らずなところがあるけど、そこはわたしが教
育するわ。旦那様の妻として恥ずかしくないようにね﹂
﹁わかった。期待してる﹂

356
 セラフィーナが俺の期待を裏切ることなんてないからな。

 そして、三か月後。
 俺はルーミーとの結婚式を挙げた。
 さすがに王の妹と摂政との婚儀ということで、参加人数もかなり
の規模にのぼった。
 とくに地方領主などは、この婚儀を祝わなければ、敵と認定され
かねないので必死なのかもしれない。
 婚儀の前に着飾ったルーミーとあらためて会った。
﹁あっ、摂政様。いえ、今日からは、あなた、とお呼びしたほうが
よろしいかしら﹂
 王城の庭に咲いている花がすべて恥ずかしくなって顔を隠すほど
の、美少女がそこにいた。
 ティアラも宝石がちりばめられていて、実に豪華だ。しかし、悪
趣味ということではなく、ちゃんと清楚さを表現することすらでき
ていた。
﹁おかしいな。もっと、あなたは子供っぽいところがある方だと思
っていたのだけど、こんな立派な貴婦人になっているとは﹂
﹁わたくし、セラフィーナ様とケララさんにたくさん教えていただ
きましたわ。今、わたくしが輝いているとしたら、お二人のお力の
おかげです﹂
 ほがらかにルーミーは微笑んだ。
﹁弱ったな。あなたがそうもかわいいと、俺がほかの王の家臣から

357
嫉妬されてしまいます﹂
﹁お上手ですこと。わたくしもあなたにふさわしい人間になれるよ
うに努力してきたのですわ。無学な人間で恥をかいてしまうのはこ
ちらですから﹂
 奥でセラフィーナも笑っていた。
 どう、よくやったでしょとでも言いたげだ。
 これで王都での俺の権力はもう一段階上がったな。
 もっとも、今はそんなことより、この美しい娘を妻にできること
を素直に神に感謝しよう。
 ︱︱覇王にも感謝してもよいのだぞ。この覇王がいなければ、領
主の弟という立場で終わっておったかもしれんからな。
 いきなり口をはさんできたな。わかってるよ、お前にも感謝して
る。
 たしかに、俺が神に感謝するというのも、ちょっとおかしいか。
﹁では、行こうか。ルーミー﹂
 俺はルーミーの手を取った。
﹁はい、あなた。わたくし、よき妻になりますわ﹂
 俺はゆっくりと婚儀を神に誓う役割の神官のほうへと歩いていっ
た。
 正式な婚儀の席では、二人がくちづけを交わすことになっている。
神官がくちづけをするように言った。

358
﹁あなた、うれしいですわ﹂
﹁君も必ず幸せにする。これはそのための誓約のキスだ﹂
 キスの瞬間、俺は王家と婚姻関係で結びついた。
 王という権力にも一歩近づいたと言っていいだろう。
56 官吏登用試験終了
 官吏登用試験は当初の予定よりもずっと多くの参加者が現れた。
 会場には試験官として、学者たちを配備している。ズルをする奴
が現れないとも限らないからだ。
 もともと王都では学者身分の試験は開始されていたから、試験の
形式自体はそれに準じた。参加者の数が文字どおり桁違いなので、
会場の数は増やされることになったが。
 試験当日は俺もケララやラヴィアラと会場の視察を行っていた。
 悩んでペンを鼻に乗せているような若者もいた。
﹁皆さん、悪戦苦闘してらっしゃいますね﹂

359
 他人事のようにラヴィアラが言った。
﹁ちなみに問題はこんなのだ。ラヴィアラは解けるか?﹂
 ラヴィアラはすぐに険しい顔になった。
﹁まったく、わかりません⋮⋮﹂
﹁俺の生え抜きの家臣でよかったな。今から仕官するとなると大変
だったぞ﹂
 そうだとしても、ラヴィアラなら弓の腕前を披露して、そっちで
仕官しようとしただろうが。
﹁こんなの、わかる人がいるんですか、ケララさん?﹂
 ラヴィアラが嘆息しながら尋ねた。ケララは淡々とした表情をし
て、問題用紙をラヴィアラから受け取った。
﹁うろ覚えの場所もありはしますが、多分ですが七割ほどは答えら
れるかと思います﹂
 ケララは自分を大きく見せようとするところがないから、七割と
いうのも正直な意見だろう。
﹁これが七割⋮⋮。やはり、頭の出来が違いますね⋮⋮﹂
 ラヴィアラはしょんぼりしてしまった。
﹁これじゃ、アルスロッド様にあきれられてしまいます⋮⋮﹂
﹁別にあきれないから安心しろ。親衛隊の中には文字もまともに書
けない奴も混じってる。適材適所だ﹂
﹁そうです。それに、ラヴィアラさんも利発ですよ。ただ、私は昔
からこういった教育を受けてきたから、得意なだけです﹂
 王家に近い立場の家臣にとっては、教養は必須だからな。あまり

360
に粗野な者が王のそばに仕えていると、王の品格自体が疑われてし
まう。
﹁なんだか、慰められてしまいましたね。けれど、こんな難しい問
題を解ける人なんてどれだけいるんでしょうか? これを千人や二
千人ができるとは思えません﹂
﹁二千人も新規に官吏を必要とはしてないから、大丈夫なんだ。五
十人も選ぶことができれば、第一回としては上々だ﹂
 役人にまったく教養がない奴がつくと、支配される側とあつれき
を起こすことがよくある。そもそも、基礎的な知識があったほうが
業務もまわしやすい。
﹁ですね。それに商人階級も最近は裕福になって、経済学だけでな
く、古典なども学ぶ人も増えました。子弟を大学に通わせる人も多
いですし﹂
﹁ケララと話をしていると、話が早くて助かる﹂
 そのとおりだ。これまで、役人と距離があった層から能力のある
者を選び出して、俺の配下につける。厳密には王の下だが。
﹁国を動かすには武人だけじゃダメだからな。必ず、官僚層がいる。
その官僚層を作る第一段階にする。でないと、国作りの時に困るだ
ろ﹂
 国作りという言葉の時だけ、わずかに声を強くした。
 俺が主導する国をいつか作ってやる。
 むしろ、もうそこまで進むしか俺に未来はない。少なくとも、ネ
イヴル家に未来はない。

361
 過去も、中途半端に覇権を握った者は暗殺されたり、反乱軍に負
けて没落したりして、消えていった。偉くなりすぎたがゆえに目の
敵にされるせいだ。
 一方で、今の王朝は軍閥やら大領主やらの力を借りないとやって
いけないとはいえ、長く続いている。それは彼ら初代の王が王国を
はっきりと作るところまで休まずに仕事をしたからだ。
 摂政でとどまっていれば、いつか俺を倒そうとする奴に負ける。
俺の目の黒いうちは大丈夫でも、二代目で持つかどうか。
 ︱︱正しい判断だな。覇王のいた世界でも、次の代になったら、
いきなり反乱が起きたようなことがある。代替わりというのは隙が
生まれるからな。秦の始皇帝が死んだら、もう国は機能しなかった。
平家だって清盛があと十年生きてれば、もう少し戦えたかもしれぬ。
 相変わらず、あんたの単語は全然わからないけど、言いたいこと
はよくわかるよ。
 まだ子供も幼いけれど、どうせなら跡を継がせてやりたいしな。
﹁アルスロッド様、今日はとくに遠い目をしていらっしゃいますね﹂
 ラヴィアラに指摘された。
﹁まるで、何十年も先の行く末のことを考えていらっしゃるようで
すよ﹂
﹁まさにそんな先のことを考えてたんだよ﹂
 ラヴィアラは、﹁ほえぇ⋮⋮﹂と呑気な声を出した後、﹁摂政に
なると大変ですね﹂と言った。

362
 摂政じゃなくても、俺はそれぐらい考えてたけどな。
 現実可能性は別として、領主なら一度は考えるはずだ。
 自分の国家を作りたいものだな、と。
 そのチャンスをこうして手に入れられたんだから、有効活用させ
てもらう。

 試験結果は二日ほどで出た。
 七割が正解だった者は約八百五十人中、三十八人だった。
 ひとまずちょうどいい数だろう。そこから二次試験として面接を
課した。
 一応、すべて摂政の俺が顔を見た。ほかにもケララと財務官僚の
ファンネリアなどを呼んでいる。俺がわからない範囲のことをカバ
ーしてもらうためだ。
﹁国を富ますにはどうするべきだと思うか? 何を言おうと罰する
ことはないから好きなように答えてくれ﹂
 わざと抽象的な質問をしてみた。
・経済を大きくするべきです。
・土地を開発し、農地を増やすべきです。
・早く戦争を終わらせて、戦争にかかる費用を抑えるべきです。
 なかなかバリエーション豊かな意見が出た。妥当性は別として、
はっきりと意見が言えた奴は通すことにした。

363
 その中にこんな意見を言う奴がいた。
﹁私が作った武器を使えば、戦争に勝てます。狩りも便利にできま
す﹂
 ひげ面で目のらんらんとした中年男だった。
56 官吏登用試験終了︵後書き︶
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364
57 銃を作った男
﹁私が作った武器を使えば、戦争に勝てます。狩りも便利にできま
す﹂
 ひげ面で目のらんらんとした中年男だった。
 学者というより技術者といった顔つきだ。新しい攻城武器を誰か
が考えたとしても、おかしくはない。
 あらためて、名前を確認した。
 オルトンバという名前だ。変な名前だなと思ったら、ドワーフか。
そういえばかなり背が小さい。ドワーフは大人でも背が低い者が多
い。ケララはいろんな血が入っているからなのか、かなり長身だが。
﹁それは、どのようなものだ?﹂

365
﹁はい、名前は銃と申します。火薬の力で金属の筒から、硬い小さ
なボールを飛ばして、敵を撃ちます﹂
﹁弓矢とはどのように違う?﹂
﹁まったく違います。風の影響も受けづらいですし、殺傷能力も高
いです。それに熟練者になるまでの時間も、弓矢よりはるかに短い
かと。ただし湿ってしまうと着火しないので、雨に弱いのですが﹂
 ファンネリアの犬耳が少し動いた。金になるとでも商人の嗅覚で
気づいたのだろうか。
﹁わたくしはファンネリアと申します。その武器、どうして作ろう
と思ったのですかな?﹂
﹁私んとこのドワーフ集落は、よく山賊の略奪を受けることがあり
ましてね、だいたい撃退してやるんですが、男衆だけで夜も見張り
をするのは大変です。そこで、女衆や子供でも戦えるような武器を
作れぬかと考えました﹂
 オルトンバは話を続けていく。
﹁私の本職は鍛冶なんですが、集落では昔から火薬を使った威嚇や
攻撃は行っていました。山仕事で火薬は割合よく使っていましたの
で。それで、これを使って、何かできないかと考えたのです﹂
 俺も俄然、興味が湧いてきた。
﹁最初は全然上手くいきませんでした。暴発して死にかけたことも
あります。しかし、どうも私の職業はがこれに向いてたらしくて、
開発が大幅に進展しました﹂

366
 職業という言葉を俺は聞き逃せなかった。
﹁待ってくれ。お前の職業はいったい何だ?﹂
﹁はい、かなり特殊なものなので、信じていただけないかもしれな
いのですが︱︱クニトモシュウというものです。どうも、鍛冶に関
する職業らしいです﹂
 ︱︱国友だと!?
 覇王が吠えた。
 おい、ノブナガは何か知ってるのか?
 ︱︱国友というと、鉄砲鍛冶の土地だ。つまりな、銃という武器
を作っていた場所だな。
 ノブナガの世界にその銃って武器があるのか。それは強いのか?
 ︱︱強いも何も、その鉄砲でこの覇王は騎馬軍団を壊滅させたこ
とがある。騎馬軍団は接近しなければ戦えぬ、そこを鉄砲で各個撃
破していったわけよ。鎧すら貫いて敵は絶命した。大将首もいくつ
も取ったわ。
 そんなものがあるなら、とっとと教えろよ⋮⋮。俺の職業なんだ
ろ⋮⋮。
 ︱︱教えたところで、覇王も作り方を一から指導できるほどには
詳しくないぞ。だいたい口頭で言っても伝わりきらぬだろう。
 それもそうか。俺だって、剣を自分で作れと言われたら、それは
無理だと答えるだろう。

367
﹁わかった。オルトンバ、お前は採用とする。ただ、役人というよ
りその銃というものが気になる。それを俺たちに指南してくれ﹂
﹁御意です。では、この場でお願いするというのもおかしいのです
が、私の集落の徴税管理人をもっとまともな奴にしてくれないでし
ょうか⋮⋮? あまり素行のよくない奴で、税を取り立てに来た時
には必ず宴会を開くことを要求して、それも別の税みたいに負担に
なっております⋮⋮﹂
﹁それも心得た。お前の働き次第では、税を半分免除する集落にし
てやってもいい。今度、鉄砲とやらを持ってきてくれ﹂
 俺はオルトンバが出て行ったあと、にやにやしていた。
﹁さすが王都近辺は人口が多いだけあって、不思議な職業の者もい
るな﹂
﹁そうですね、私もアケチミツヒデという面妖な職業だったので、
他人事ではないというか、親近感は覚えます﹂
 そういうケララは真顔だが、これは仕事の時の顔だろう。
 面接は数日に分けて行われたので、翌日の面接後にオルトンバに
もう一度来てもらった。
 たしかにオルトンバの持っていたものは、金属の筒だった。
 弓矢の的を用意してほしいと言うので、俺は早速屋外の弓の修練
場に連れていった。
﹁今日はよく晴れていますし、上手く成功するかと思います﹂
﹁うん、どういうものか見せてくれ﹂
 一般の弓兵の訓練と同じ距離をとらせた。オルトンバいわく、も
っと遠方でも狙えると言っていたが、弓と同じ条件にしたほうが、

368
違いもわかるというものだ。
﹁私はあくまで鍛冶なんで、狙いを定めるのはあまり得意じゃない
んですが⋮⋮それでも、これだけ近ければ、大丈夫だと思います﹂
 後ろの縄に火をつけると、オルトンバは筒を的に向けた。
﹁ああ、そうそう、おっきな音がしますんで、耳はふさいでおいた
ほうがいいかもしれませ︱︱﹂
 ︱︱パアァァァン!
 オルトンバが言い終わる前に甲高い音が鳴った。
 耳の奥で音がキイイイインと変に響いている。神殿が悪魔の仕業
だとがなりたてそうな代物だった。腰を抜かしている者までいた。
 だが、大事なのは、その結果だ。
 的の隅に親指ほどの穴が空いていた。
 兵士が調べると、その奥の固めた土にとがった弾が刺さっていた。
﹁どうでしょうか? 今の倍、離れても十分に致命傷になる傷は負
わせられます。なんなら、鎧を置いて試していただいてもけっこう
です﹂
﹁オルトンバ、お前の集落の税、今年から半分でいい﹂
 俺はその場で言い放った。
 この武器が手に入ることと比べれば、安い買い物だ。

369
57 銃を作った男︵後書き︶
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370
58 変な薬商
 オルトンバには銃の製造と改良を行うように命じておいた。
 なんで改良まで含んでいるかというと、オダノブナガがこう言っ
たのだ。
 ︱︱これは正真正銘の銃であるが、もっと効率をよくすることが
できるぞ。こういった火縄と弾の分離式では手間が一つ増える。
 それなら答えも全部教えてくれと思ったのだけど、ちょくちょく
この覇王は出し惜しみをする。
 ︱︱そこから先はドワーフという者に考えさせてくれ。覇王も細
かな作業工程までをすべて熟知しておるわけでもないしな。しかも、

371
この世界は魔法というほかの概念もある。
 まあ、あまり口うるさすぎるのも面倒だしこんなものでいいだろ
う。現状、とくに困った点はないし。
 そして、オルトンバの件がすんだあと、脳内にこんな報告が来た。
 ︱︱特殊能力︻覇王の見通し︼がランクアップ! 都市や交易に
関する経済感覚がオダノブナガ並みになるのに加え、優れた能力を
持った人物を認識することができる。酩酊など意識混濁下でない限
り、常時発動。
 ありがたいけど、これ、面接の前から獲得したかったな⋮⋮。
 それならどの人物に才能があるか、すぐにわかっただろうに。
 ︱︱それは順序を勘違いしておる。これは獲得に見合うだけのも
のをお前が発揮したことで追認のように与えているのだ。お前が覇
王を職業としていても、何もせずに生きておれば、追加の能力は何
も得なかっただろう。
 なるほど、レベルアップのためには経験を積まないといけないっ
てことだな。
 たしかに職業が付与されただけで、とんでもない能力を発揮され
たら、歴史が無茶苦茶になる。
 数年に一人、農民から英雄になる器のものが現れて、反乱でも起
こされると大迷惑だ。
 けど、これでここから先は変わった才能を見逃さずにすみそうだ。
身分の高い者はある程度目がいくけど、庶民みたいな層に天才が眠
っているかもしれない。

372
 とくに今回みたいに試験をやれば、身分の低い者も採用する可能
性がある。そこに貴族や領主層の価値観を覆すような大物が混じっ
ているなら、見極めておきたいところだ。
 そして面接の続きが行われた。
 一次試験でかなりしぼりこんでいるわけだから、そこから優れた
才能を見分けるというのは、むしろ難しい。ある意味、ここに残っ
ている時点でそれなりの頭はあるというわけだからだ。
 そして、その日の三人目。
 頭に角が生えた女が現れた。
﹁ヤーンハーン・グラントリクスと、申します﹂
 ゆっくりとした口調で、竜人の女がしゃべった。それだけで、空
気がどことなく穏やかなものになる。
﹁さすが王都の試験だな。いろんな人種がやってくる。竜人種はず
っと西方の土地の出身と聞くが。たしか、元はこの大陸の出身でも
ないとか﹂
﹁はい。私も七十六年前にこの土地にやってきて、薬の商売をはじ
めました。今では王都に進出して大陸に六店舗を経営しております
ぅ﹂
 見た目はまだ二十代ほどだが、竜人もエルフ同様長命というから、
そのせいだろう。
﹁この試験を通ってきたぐらいだから、故実にも秀でているという
わけだな。それで、どうして役人になろうと思った?﹂
﹁そうですね∼、長い人生、いろんなものを見聞したほうが面白い

373
と思ったからです﹂
 面接とは思えないぐらい、のんびりした態度だが、商売人として
は相当優秀なはずだ。見た目の雰囲気に騙されたりしないぞ。
﹁あとは∼、私の考えているお茶の思想を広めたいな∼と﹂
﹁お茶の思想?﹂
 変なことを言い出す奴だと思った。
 しかし、その時、どこを見てるかもわからないようなヤーンハー
ン・グラントリクスの目が大きく開かれた。
 竜人の瞳は大きい。自信と決意みたいなものがその瞳に宿ってい
ると思った。
 俺の体がびくんと跳ねた。
 ︱︱特殊能力︻覇王の見通し︼が稀有な才能を発見しました! 
タイプ:特殊技能
 なるほど、自分の直感を強化してくれるわけだな。
﹁お茶というと、友達や仲間うちで語らい合うためのものなのでは
ないか? そこにお茶菓子を置いて、昼食の後や夕食の後にリラッ
クスして話し合う﹂
﹁そういうお茶もよいとは思います。ですが∼、そこには心という
ものがありません。ただ、鳥がさえずっているようなもの﹂
 財務官僚のファンネリアの顔がちょっといらだった顔をした。フ
ァンネリアがこういう表情になるのはかなり珍しいな。

374
﹁摂政様の前で、あまり煙に巻いたようなことを言うのは感心いた
しませんな﹂
 同じ商人であるはずなのに、ファンネリアとはそりがあわないの
か。
﹁そんなつもりはありません。私は真面目です。お茶はもっと精神
を落ち着け、自己と向き合う時間を提供してくださいます﹂
﹁ならば、もう少し具体的に教えていただきたいところですな。あ
なたも商人なのであれば、心がどうとかあいまいなことをおっしゃ
るのはやめるべきです﹂
 なるほど、ファンネリアからすれば、こういう雲をつかむような
ことを言う奴は信用できないのか。信用できない奴と仕事をするの
は難しいからな。
﹁それを語ることは無理ですね。言葉で語れるようなものではあり
ません﹂
 ファンネリアはむっとしていたのか、犬耳に当たるものがぴんと
立っていた。
﹁摂政様、この商人はどうにもうさんくさいです。あまりこういっ
た手合いを信用されないほうがよろしいかと﹂
﹁まあ、待て待て﹂
 俺はファンネリアを手で制した。
﹁ヤーンハーン、もしかして君は特殊な職業を与えられたことがあ
るんじゃないか?﹂
﹁よくお気づきですね﹂
 またヤーンハーンはほんわかした空気に戻った。

375
﹁実は、私はほかの大陸から渡ってきたので職業を授けられるのは
ずっと先で、実はつい二十年前のことなんです﹂
 では、もう成人してのことなのか。
﹁いまだにそれが何かかわからないのですが、センノリキュウとい
う職業なんです。いったい何語でしょうか?﹂
59 お茶の儀式
﹁いまだにそれが何かかわからないのですが、センノリキュウとい
う職業なんです。いったい何語でしょうか?﹂
 ヤーンハーンの顔はとぼけているようではなかった。
 俺もそれが何かはわからなかったが、俺やケララに近いものであ
ることは察しがついた。
 ︱︱はっははははは! そうか、利休までおるのか! だいたい、
この世界の職業とやらが読めてきたぞ!
 やっぱり、オダノブナガが知ってる名前か。
 ︱︱どうも、覇王の時代の人間がこの世界の職業として機能して

376
おるようだ。どういう仕組みかはわからぬが、同時代に生きた者し
か職業になっておらぬから、そういうことなのだろう! これは猿
とか信玄とかいろいろとやってくるかもしれんな。
 職業が猿って意味不明だけど、どういうことなんだろう。猿神み
たいなのがいた世界なんだろうか。
﹁念のため聞くが、そのセンノリキュウというのが自分の心に話し
かけてくるようなことはなかったか?﹂
﹁そういったことはありませんね∼。ただ、私にはなぜかこの不思
議な職業が私に語りかけてくる気がしてはいるんですよ。お茶のこ
とをこの世界に伝えなさい、伝えなさいと﹂
 ぼんやりした内容だったのでまたファンネリアが顔をしかめた。
一方でケララは無表情なままその言葉を聞いているので、どういう
気持ちでいるかはよくわからない。
﹁わかった。ぜひ、お前の言うお茶の心とやらを教えてもらおう。
どういった準備がいる?﹂
﹁普段着で私の屋敷に来ていただければご案内いたします。と申し
ましても、摂政様ともなれば、豪華なお召し物になるとは思います
が﹂
﹁あの⋮⋮摂政様、騙し討ちということもありえます。あまり出向
くのは⋮⋮﹂
﹁ファンネリア、俺は剣にも覚えがある。なんならラヴィアラも同
席させれば守ってくれるさ﹂
 よくわからないものは、ひとまず試してみなければ始まらないか
らな。

377
 約束の日が来るまで俺は個人的にヤーンハーンと、あの女が広め
ようとしているお茶についてラッパに調べさせた。
 ラッパの数も拡充させたので、こういうことにも活用できる。ど
ちらかというと、市中で活躍させるようなものは、軍事訓練をそこ
まで受けていない二軍に当たるものだが。
 報告にはわざわざヤドリギが二階にある俺の寝室にまでやってき
た。
 窓を開けておけば、壁伝いに入ってくる。
﹁今日は使用人の格好なんだな﹂
 城内で働くメイドの姿をヤドリギはしている。犬耳が目立つが、
ほかにもワーウルフのメイドはいるはずだし、そこまでおかしくは
ない。
 ここまで目つきの悪い使用人は少々使い勝手が悪いだろうが。
﹁見た目が弱そうな者に化けるのが基本です。相手に侮りの心が生
まれれば、そこにつけこむことができます﹂
 ずっと、頭を下げてひざまずいたまま、ヤドリギは報告してくる。
﹁その考え方は嫌いじゃない。それで何かわかったことはあるか?
 それと頭を上げていい。工作員が礼などにこだわるな﹂
﹁御意﹂と短く答えると、ヤドリギはベッドに座った。ベッドから
だと、部屋の中がよく見渡せる。敵が来た場合に対処しやすい位置
ということだろう。
ちゃしき
﹁ヤーンハーンは茶式と呼ばれるお茶の会を何度も開いています。
彼女の立場から商人の中ではかなり普及しているようです。前王の

378
役人中にも参加者は多くいました﹂
﹁ならば、やはりサロン的なものか﹂
 それなら、これまでの茶会と大差ないが。
﹁それが非常に狭い部屋でホストと客の二人が向き合って茶を楽し
むという、極めて儀式的なものです。部屋も茶式のためだけに作っ
た奇妙なもののようです﹂
﹁ふうん。たしかに宗教的なことをヤーンハーンも言っていたな﹂
﹁そういえば、摂政様は宗教をお信じではないようですね﹂
 珍しく、ヤドリギのほうが俺に質問をしてきた。
﹁おそらくだけど、俺の職業は熱心に何かを信仰すると能力が落ち
そうなんだ﹂
﹁御意。ただ、庇護者ではないと判断しますと、オルセント大聖堂
が敵に回るおそれもありますので、その点だけご留意ください﹂
﹁肝に銘じておく。それと、既存役人の身辺調査も進んでいるか?﹂
﹁順調です﹂と言いながらヤドリギがうなずく。﹁やはり、前王へ
の内通者が一定数いるようです﹂
 そのうち何割かは両勢力と手を結んでおこうとする奴だろうが、
そのうち、手を下すとするか。
﹁じゃあ、ヤーンハーンの茶式に顔を出さないと、本当のところは
わからないな。これで今日の話は終わりだが︱︱﹂
 ふっと、魔が差した。
 俺は近づいて、ヤドリギの肩に手を置いた。
﹁ラッパは夜伽の手練手管も知り尽くしているのか?﹂

379
﹁もっとほかにお美しい姫君がいくらもいるかと思いますが﹂
 まったく動揺を見せないヤドリギを見ていると、かえってものに
したいと思う気になった。
﹁もし、お前が自分のことを美しいと認識してないとしたら、お前
は自分のことだけはよくわかっていない﹂
﹁お任せいたします。何をお望みでしょうか?﹂
﹁その、言いにくいんだが、実のところ⋮⋮セラフィーナやラヴィ
アラには頼めないようなこともあるんだ⋮⋮﹂
 ヤドリギは小さくうなずいた。
﹁そういうことなら構いませんが、ずっと落ち着いているので興ざ
めかもしれませんよ﹂
 長らくヤドリギと夜を共にしたいと思っていたので、その念願が
かなった。
﹁どうでしたか?﹂
 氷のように冷たいヤドリギに言われた。
﹁女に翻弄されるのもなかなか悪くないな。まあ、英雄色を好むっ
てやつだ﹂
 といっても、そこまで破目ははずしてないはずだけどな。子供が
増えると、それ自体が政治問題化するし⋮⋮。
 夜風が入ってきて頭は冴えていた。
 眠れないし、もう一仕事しておくか。
 いずれ、摂政となってから最初の大きなことをやる。
 茶式はその前の遊びだな。

380
60 信長と出会う
 茶式の席にはラヴィアラほか重臣の武官を数人連れてきた。
 あと、ケララは過去に王都で暮らしていた頃から経験があるらし
く、落ち着いていた。それなら最初からケララに聞けばよかったな。
 ヤーンハーンは茶式を行う部屋に控えているので、順番にそこに
入っていくらしい。
 俺が入ろうとすると、ヤーンハーンの家人が﹁剣やナイフなどす
べての武具は入室前に置いていく決まりですので﹂と説明をしてき
た。
﹁武具を置いてアルスロッド様がまともに任官もする前の者と会う

381
など危険です!﹂
 ラヴィアラが後ろで文句を言った。ラヴィアラがそう言うこと自
体は当然だし、それがラヴィアラの仕事だ。ここではっきり言って
もらわないと意味がない。
 ラヴィアラは妻であり、姉であるような女性だ。それはこれから
も変わらない。
 その言葉を俺が素直に聞くかどうかはまた別だけどな。
﹁ここは相手の言葉に従うことにする。それにヤーンハーンだって
自分の命も惜しいだろう。それにヤーンハーンが前の王といまだに
つながっているという疑いもない﹂
 ここには俺に仕える者が何人も来ている。俺が死んだとなれば、
ヤーンハーンの一族は誰一人として生きてはいられないはずだ。
 無論、ラッパを使ったりして、最低限相手が何者かも調べていた。
ヤーンハーンに前王と利害関係もない。
﹁わかりました⋮⋮。ただし、危ないと思ったらすぐに脱出してく
ださいね⋮⋮﹂
﹁ラヴィアラの忠義をこんなところで再確認できて俺もうれしい﹂
﹁昔からアルスロッド様は無茶をしがちなんです﹂
 俺が褒めたのが不意打ちになったのか、顔を赤らめながらラヴィ
アラが答えた。
﹁それは否定しないけど、ラヴィアラもたいがいだったぞ。俺が助
けなかったら、討ち死にしてたこともある﹂
﹁そ、それは⋮⋮家臣として当然のつとめですから⋮⋮﹂

382
 小さな扉を開けると、俺は面食らった。
 扉の幅程度しかない極端に狭い部屋だ。奥行きもたいしたことは
ない。牢屋でも、ここまで狭苦しいところはないだろう。
 その部屋の中央をさらに壁と接続されているテーブルがふさいで
いる。
 テーブルの下でも潜らないと向こうにはいけないだろう。
 そのテーブルの両側に椅子が置いてあり、奥のテーブルにヤーン
ハーンが座っていた。
たいとう
 最初に会った時の春風駘蕩とした空気とは違い、何かの名人のよ
うな一本、柱の通ったようなものがある。
﹁ようこそ、おこしくださいました。さあ、おかけになってくださ
いませ﹂
 テーブルの上には茶器が置いてある。茶式というぐらいだから、
お茶を飲むんだろう。
 俺はその席に腰を下ろす。
﹁不思議な部屋だな。ここで神官が告解でも聞いたら、ちょうどい
いかもしれない。ほかは座ってお茶を飲むぐらいしかできんな﹂
﹁はい、まさしくそうです。茶式というのは茶を使って心の修行を
するものですから、雑多なものは邪魔になります﹂
 ヤーンハーンはお茶をコップに注いだ。
 不気味なほど緑色の飲み物だった。
﹁なんだ、これは。毒にしか見えない色だが﹂
﹁お疑いになるようなら先に飲みましょうか﹂

383
﹁いや、いい。先に解毒剤を服用していれば防げることだ﹂
 ︱︱茶の湯か。まさか、この世界で緑色の茶を出す者がいるとは
な。
 オダノブナガの反応からすると信じていいんだろう。
 俺はそのお茶を口に入れた。
 色に忠実というか、苦いような、甘いような独特の味だった。
 ただ、不快な味でもない。
﹁心静かにお茶を味わってくださいませ。この茶式用に作った製法
のお茶でございます﹂
 素直にホストに従って、その変な味のお茶を飲む。
 驚くほど、音というものが聞こえてこないことに気づいた。
 たしかに心が静まる。
 ただ、お茶を飲んだだけなのに、なぜか神殿で行う瞑想法に近い
ことをしている気がした。大きな政治的決断の前に、これをやると
ちょうどいいかもしれない。
 心がどうというだけのことはあるな。たしかに茶会とはまったく
違うものだ。
 すうっと、何かに引きこまれるような⋮⋮。
 いや、これは本当に引きこまれているのか?
 自分が自分の内側に入っていくような、奇妙な感覚があった。
 まさか、本当に毒を盛られ︱︱︱︱

384

 気づくと、変な場所に倒れていた。
 変としか言いようがない。床か大地かも判然としない地面は真っ
白で、そのうえ白い霧がずっとかかっている。
﹁おいおい、これが死後の世界だとしたら笑えないな﹂
 摂政になって気が大きくなっていただろうか。ラヴィアラやほか
の武官が敵討ちぐらいはしてくれただろうが、まだ子供も幼いし、
また国が乱れることになるな。
﹁死後の世界ではないから笑ってもよいぞ﹂
 後ろから声がしたので振り返る。
 そこには、初対面のはずなのにそうと感じない不思議な男が立っ
ていた。
 表情が俺の現し身であるかのように似ている。髪の色だけは黒い
が、ほかはおおかた俺と一緒だ。年齢はよくわからない。ずっと年
上のようにも同じ程度のようにも見える。
 服装もどこの国のものかわからないが、ずいぶんと派手だ。かな
り高貴な身分なんだろう。
﹁お前は何者だ? それとここはどこだ?﹂
 俺は立ち上がりながら聞いた。
﹁よくもまあ不遜な口の聞き方だ。とはいえ、お前はそれで一貫し
ていたから腹も立たぬがな﹂
 その男は実に楽しそうな表情をしていた。

385
﹁我こそは、覇王織田信長だ。そして、アルスロッド、お前の職業
だ﹂
 衝撃的なことを男はさらりと語った。
﹁茶というのは、人間を極端に内省的にする効果があるからな。そ
れでお前は自分の内側に入り込みすぎたのだろう。とはいえ、利休
の茶でもそこまでのことにはならんかったはずだがな。薬を入れた
か? あるいはこの土地の茶は、日の本のものと違うのか﹂
 信じられないようなことを、平然とオダノブナガはしゃべり続け
る。
 たしかにヤーンハーンという竜人は薬の商人だから麻薬のような
ものでも入れていたのかもしれない。
 しかし薬臭い味はしなかった。立場上、毒に似た味のものをわざ
と食べて、毒を覚えるというようなこともしたことがある。
﹁にわかに信じがたいな。けど、ほかに、ここがどこでお前が誰か
という説明を思いつかないのも事実だ。お茶のせいというのも因果
関係としてはわかりやすい。少なくとも、昨日食べた夕食のせいと
考えるよりははるかに可能性が高い﹂
 にやにやと男は笑った。何者も恐れないような、不遜な笑い方だ
った。
﹁この覇王を職業にしただけのことはあるようだな。頭の回転が速
い﹂ 386
61 職業との対話
﹁この世界の誰一人として、職業と向き合うことになるとは思って
なかっただろうな﹂
 俺はあらためてオダノブナガという男を見つめた。やはり、どこ
となく俺に面影が似ている。
 異なる世界の住人と血がつながるわけがないから、完全に偶然だ
ろうが。
﹁そうなのだろうが、別にありえぬことでもないだろう? なにせ
この世界では職業というのは神が授けるものということになってお
るはずだ。神との対話ぐらいなら、この土地の坊主もウソか本当か
は置いておくにしても、やっている﹂

387
﹁ならば、その神が授けた職業とも対話していいだろうって言うの
か? もともと、職業に人格なんてないんだ。戦士も僧侶も商人も、
それは純粋な職業名であって人の名前じゃない﹂
﹁一般的にはな。だが、ここにはミツヒデとかリキュウとか明らか
に人名を職業にしておるのがほかにもおる。例外ではあるんだろう
が、アルスロッドよ、お前は例外の側である﹂
﹁だな。そう考えるしかない﹂
 もともと肝は据わっている性格だ。現状を全部受け入れることに
する。
﹁しかし、アルスロッドよ、お前、覇王によく似ているのう。なか
なか男前ではないか﹂
﹁それは俺を褒めてるようで、自分を褒めてるだろ。まあ、エイル
ズ家は美男美女は多かったというからな﹂
﹁血筋など、どうでもいい。覇王が言いたいのは、もっと心根の部
分である。お前の面構え、天下を取るつもりの顔をしておる。そん
な顔の人間は日の本でもまったく見ることがなかった。つまり覇王
が唯一無二であった﹂
 俺もだんだんと楽しくなってきた。この男とは話が合いそうだ。
﹁当たり前だ。俺は王の摂政で終わるつもりはない。いつかは自分
の国を作る。さすがに時間はかかるだろうがな。まだ俺には大義名
分もないし、それに民が新しい王朝を求めてない﹂
 民の空気を無視して、王朝を作ったところで、敵対する者を燃え

388
上がらせるだけだ。今はまだ早い。
﹁であるな。この覇王も今のお前みたいな立場には立った。けれど
も、ここでとどまってしまっては、三好長慶や細川高国と大差ない。
それでは一時、権力を握っただけだ﹂
 また聞いたことのない名前が出てきたが、おそらく異世界で王を
補佐する立場に立った者だろう。
﹁この覇王、ここからじわじわと自分の権力を高めて、ついに将軍
を超越したところまで上り詰めた。ここからが長いぞ﹂
 この国に俺の先輩は一人もいない。
 ただ、オダノブナガだけが先輩になってくれる。
﹁なあ、覇王。せっかくこうやって対話することになったんだ。せ
っかくだし、聞かせてくれないか﹂
﹁悪いが、事細かに覇王の業績を語ることはせんぞ。傍観するぐら
いのほうが楽しいからな﹂
 そんなところだけ、こいつ、空気読むんだよな。ずっと自慢話を
聞かされてもたまったものじゃないが。
﹁じゃあさ、覇王になった時の気分だけでいい。それを教えてくれ﹂
 俺はいつか、その地位をつかむ。
 案外空しいのかもしれないが、それならそれでいい。頂点たるも
のの空しさを心行くまで味わってやる。
 ふいにオダノブナガが寂しげな顔をした。
﹁実を言うと、この覇王も知らんのだ﹂

389
﹁はっ? なんで覇王が覇王たる気持ちを知らないんだ? 誰かに
洗脳でもされてたのか? それとも権力を息子にでも押さえられて
たのか?﹂
﹁この覇王が権力を確立した直後、謀反が起きて、死んだ。以降の
歴史はたいして知らん。四十九日がすんで、気づいたら職業になっ
ておった。四十九日の間に、謀反人の光秀も死んだけどな。ザマア
ミロ﹂
 俺はちょっと唖然としていた。
﹁あんた、覇王って自称してるけど、覇王じゃなくないか?﹂
﹁そんなことはない! あくまで覇王だ! 九分九厘覇王だったか
ら、もう覇王みたいなものだ!﹂
 てっきり自分の王朝を作って何十年も権力の座についてたと思っ
てたけど、失敗してるじゃん⋮⋮。
 そして、けっこうムキになってるな。負けず嫌いの性格だったら
しい。
﹁だ、だからこそだ⋮⋮お前にはちゃんと覇王の地位についてほし
いのだ⋮⋮。どうせだからお前が頂点に立つところを見届けて、自
分の溜飲を下げたくもある。光秀、死んだからちょっと溜飲下がっ
たけどまだ足りん﹂
﹁そんな、親が果たせなかった夢を子供に託すみたいなこと言われ
ても﹂
 親近感湧いた分、威厳が落ちた。
﹁それぐらいいいだろうが。どのみち、お前の夢は王朝を築くこと

390
だ。目的は一致しているならば、お前はお前の目的に向かって進め
ば、結局同じことになる﹂
﹁それはそうか﹂
 俺は嘆息する。
 覇王といっても、やっぱり人間だ。神みたいな存在じゃなくて、
もっとどうしようもないほどに人間臭い。
﹁オダノブナガ、あんたの顔を見れて、ほっとした﹂
﹁どういうことだ? ゴブリンみたいなのだったら嫌だなとでも思
っておったっか?﹂
﹁あんたが俺の職業になったのには意味がある。俺とあんたで似て
るところがあったから、あんたは俺の職業になった。野望も何も持
たない庶民がお前を職業として授かることは絶対になかった﹂
 俺は運命だか、神だか、何かに導かれてるってことだ。それの確
信が持てた。
﹁おそらく、アケチミツヒデを職業にしてるケララも、リキュウを
職業にしてるヤーンハーンも何か元の人物と通じる要素があったん
だろう。だから、職業にできた。すべてはつながってるんだ﹂
﹁なるほど。やっぱり、お前は覇王ぐらいに頭がまわるな﹂
 だから、それ、自分を褒めてるだけだろ⋮⋮。
 もっとも、覇王にそう言われて悪い気はしなかった。この男、愚
かな者には平然と愚かと言うタイプだし。
﹁よいな。覇王になれよ。お前にはその格がある﹂
 職業に言われなくてもなってやるさ。

391

﹁︱︱ょう様、摂政様﹂
 呼びかけられていることに気づき、目を開いた。
 ヤーンハーンが目の前にいた。
﹁ずいぶんと深く瞑想をされていらっしゃいましたね。こんなに早
く、茶式の境地に入っていただけるとは思っていませんでした。感
服です﹂
﹁いや、俺もずいぶんいい体験ができたよ﹂
62 妻たちのサロン
 ヤーンハーンの顔を見るに、たしかに俺に対して一目置いている
という顔になっていた。
おそ
 それは摂政だから畏れ敬うという態度とは、また異なっていると
思う。
 もっと真理を知っている者に対する敬意を感じさせる。
 芸術家は古今、相手が権力者というだけでは本当に屈することが
ない。美を解さない権力者は美の前では使用人程度の意味しか持た
ないからだ。
 だからこそ、真の覇王になるには美の本質も知らなければならな

392
い。偉大な王たちは、審美眼も備わっていて、相当なコレクション
を持っていたはずだ。
 その予行演習にはからずもなったかもな。
﹁ところで、ヤーンハーン、このお茶の中に薬を入れたりはしてい
ないか?﹂
﹁いえ、そんなことは決してありません。たしかに薬商をやってい
るとはいえ、麻薬を入れるようなことは茶式への冒涜に当たります
ので!﹂
﹁そうか。疑ったわけではないんだ。それならそれでいい﹂
 薬の力だけであんな体験ができるとも思えないしな。もしも薬に
そのような効果があったとしても、俺が特殊な職業を持っていると
いう事実はどちらにしろ奇跡の領分だ。
﹁また、大きな決断をしなければならない時など、この茶式とやら
をやらせてくれ﹂
﹁はい、政治家の方も多くが利用されてきましたよぅ﹂
 竜人の女はほがらかに微笑んだ。
﹁わかった。ところで、そなたはずいぶんと多くの王都の政治家と
も会ったことがあるかと思うが︱︱﹂
 俺は王都の支配を固めていくうえで何が必要か聞いてみた。
﹁これはあくまで商人の言葉ですがぁ︱︱﹂
 ヤーンハーンはゆっくりと、けれど、なかなか興味深いことを答
えた。
 やはり、ただの者ではないな。政治家としてもこの竜人の女は優

393
秀だ。
﹁ヤーンハーン・グラントリクス、いずれ重用させてもらうことに
なると思う。よろしく頼むぞ﹂
 その後、ラヴィアラたちも茶式に出たが、﹁苦いし、よくわかり
ませんでした⋮⋮﹂と渋い顔をしていた。
﹁エルフは草花には通じていそうだと思ったけどな﹂
﹁だからといって苦いものを好むわけではありませんよ⋮⋮﹂

 官吏登用試験の結果、正式に第一弾の役人が確定した。
 多くは政権の末端に位置する役人として働くことになる。
 そして、彼らを派遣すると同時に早くも第二回の試験についても
準備を進めていた。ケララとラヴィアラに手伝ってもらっている。
 ケララは問題の選定。ラヴィアラはどっちかというと雑用だが、
その代わり、武具について詳しいので、そういった問題をあえて出
すために知恵を借りている。
﹁こんなに何度も試験をしなくてもいいんじゃないでしょうか? 
そこまで役人を増やさなくても、政権は機能していると思いますが。
昔からの役人もある程度残っていますし﹂
﹁ラヴィアラ、俺は昔ながらの政権を維持するためだけに役人を増
やそうとしているんじゃない﹂
﹁摂政がお選びになった官僚が増えれば、相対的に摂政の影響力が

394
王城に置いても、増すことになります。摂政はそういったことをお
考えなのかと思います﹂
 ケララがあっさりと真相を見抜いた。
 ラヴィアラはバカにされたような形になったと思ったのか、ちょ
っとむすっとしていた。
﹁どうせ、ラヴィアラは武人ですよ﹂
﹁そう、すねるな。ケララに悪意がないのはお前もわかるだろ﹂
 ラヴィアラの頭を撫でて、なだめた。
 もし、摂政が変わったからといって、新摂政が新しい政策をいく
つも打ち出せば必ず不満が出る。その不満は政権の不安定化に直結
する。
 歴史をひもといてみても、急進的な政策を実行したせいで、多く
の反発を招き、あっさりと滅亡した政権はいくつもある。
 たとえば税金が増えるような変革は民衆ですら猛反発する。そん
なものを喜んで受け入れる者はいない。ほかにも王都周辺の貴族の
利権と対立するような政策もまずい。
 そもそも人間というのは保守的なので、変化そのものを嫌がるこ
とも多い。今の王であるハッセなんてその最たるものだろう。
 では、どうやって俺の権力を拡充していくかといえば、俺を支持
する人間の割合と数を増やしていけばいい。
 既存の役職や制度そのものには変更を加えない。けれど、ちょっ
とずつそこの担当者を俺の息がかかった者に変えていく。

395

 ハッセやその取り巻きたちは制度が変わったりしてないから、安
心している。これまで摂政についた有力な貴族のように、あくまで
も王朝を庇護しつつ、権力を保っている者と考える。
 気づいた時には俺がすべてを操作できるような形にする。
 試験であれば、採用するのは俺の故郷の人間というわけでもない
から、同郷者の優遇という批判すら来ない。
 前王が何も仕掛けてこないままということもありえないだろうし、
早目に勢力を固めておくぞ。
 と、そこにルーミーとセラフィーナが入ってきた。
﹁あっ、本当に試験問題を考えてらっしゃるんですわね﹂
﹁お姫様が見学に来たいということで連れてきたわ﹂
 セラフィーナが何か企んでるような顔で笑っていた。
﹁これはこれは妻たち、何かご用かな﹂
 わざと大仰に、冗談めいたふうに言った。
 それにしても俺の奥方も立場のせいとはいえ、増えてきたな。
 出産後、マウストで休んでいるフルールを除けば、妻が揃ったこ
とになる。ケララは正式に側室ということにはなっていないが、そ
のことは公然の秘密になっているし。
﹁そうね、あなたはこんなに美しい奥方をはべらせて実に幸せ者だ
わ。お姫様ももっと美しくなっていく年頃だし﹂
﹁はい、わたくし、摂政様の隣に並んで恥ずかしくないようになり
ますから!﹂

396
 ルーミーはセラフィーナと手をつないで楽しそうに笑った。ルー
ミーもセラフィーナになついているらしい。
﹁しかも、今日はマウストからも奥方が一人お越しになったわ﹂
 後ろを向いてセラフィーナが目くばせする。
 フルールが遠慮がちに入ってきた。
63 妻たち一堂に集まる
 フルールが遠慮がちに入ってきた。
﹁まさか、フルールまで来ていただなんて﹂
 産後、疲れてマウストに残っていたはずだった。王都までは遠い
から当然の判断だ。
﹁はい、セラフィーナ様のお計らいで⋮⋮﹂
 フルールは気丈な娘だが、その時も俺を出し抜く形になったよう
で、ちょっと戸惑った顔をしていた。夫に連絡しないというのは反
則といえば、反則だからだ。
﹁黙って話を進めてごめんなさい﹂

397
﹁別に怒ったりしてないから気にしなくていい。どうせ、セラフィ
ーナの悪巧みだろう﹂
﹁悪いことではないから悪巧みはおかしいわ。ただ、企てただけの
ことよ﹂
 セラフィーナは楽しそうに笑っていた。
 実のところ、こうやって俺を翻弄してくれるような妻がいて、ほ
っとする。
 身分が高くなればなるほど、こちらを恐ろしい者と考えて、距離
をおくものが増えてくる。
 摂政にもなると、こっちが死刑執行官でもあるかのように怯えて
いる者も珍しくない。こちらとしてはそんな態度をとられるほうが
よほどイライラするのだが。
 俺はまず、長旅だっただろうフルールをそっと抱きとめ、あざや
かなピンク色の髪をなでた。
﹁子供はどうだ? 元気にしているか?﹂
﹁はい、女の子でした。今は乳母に預けております。少しうるさい
ぐらいでマウストの乳母は手を焼いているようですが﹂
﹁そうか、マイセルにはまだ子供がいないようだけど、気が早いが、
ウージュ家を将来的には継がせてもいいかもしれないな。もちろん
摂政家の娘としても大切に育てるつもりだが﹂
﹁まさに気が早いですよ。まだまだ情勢は予断を許しませんから。
前王の動きも気になりますし﹂
 そう言っていたけれど、フルールもほっとしたような顔をしてい
た。

398
﹁本音を言いますと、わたくしも王都に来たかったんです。だって、
あなたがいるところで歴史がまわっているんですから。歴史が動く
のを見ていたいんです﹂
﹁本当に、フルールは気丈だな。男だったら立派な武将になってい
たのに﹂
 この子にもウージュ家の血が受け継がれている。みずからの領地
を代々守り抜いてきた誇り高き血統だ。
﹁だったら今から戦士になる訓練を受けてもよろしいですよ。男し
か戦士になれないなどという法はありませんから﹂
﹁戦死されると困る。それは勘弁してくれ﹂
 周囲から笑い声が起こった。
 さて、もうセラフィーナの悪巧みの目的がわかったぞ。
﹁こうやって、妻が一同に会する場を作りたかったというわけだな、
セラフィーナ﹂
﹁ご明察ね。だって、ずいぶん、政治のほうにご執心で奥方を考え
る時間がとれなくなっていたようだから﹂
 くすくすとセラフィーナは笑う。その後ろからお菓子を持った女
官たちが入ってきた。
﹁せっかくですし、後宮でサロンを開いてもいいんじゃないかなと
思ったの。お姫様もほかの奥方にちゃんとごあいさつをされたいそ
うだし。かといって、ラヴィアラさんもケララさんも武官なので、
なかなか時間もとれないし﹂

399
 ケララは名前を呼ばれて、少し照れ隠しのように顔をしかめた。
ケララはまだ妻と厳密には定めていない。武官が妻というのは少し
おかしなことだからだ。妻というより愛人と考えている者もいるか
もしれない。
 現状、公式にはケララはヒララ家の当主の武官という扱いだ。完
全に妻ということにすると、武官とバッティングしてしまうわけだ。
 ラヴィアラも似たところがあるのだけど、こちらは乳母子という
ことで、武官であり俺の一門というような立場なので、そのあたり、
なあなあにしたところがある。
 あと、セラフィーナはわざと後宮と言ったが、それは王しか持た
ない者なので、本当は不敬に当たる表現だ。いくらなんでも妻の冗
談を密告する者はいないだろう。
 ルーミーもあらたまったような顔をしていた。
﹁はい、わたくし、ぜひ皆様と仲良くしたいと思っておりますの。
フルールさん、あなたのすぐれた洞察力はセラフィーナさんからも
お聞きしておりますわ!﹂
 さっと、フルールの手をルーミーはとった。
 二人が並ぶとルーミーのほうが妹のように見える。
﹁はい、今後ともよろしくお願いいたしますね。お姫様とは身分が
違いすぎて恥ずかしいですが﹂
﹁そういう話はなしにいたしましょう。摂政家を支える役目はみん
な同じなのですから﹂
 ルーミーが天真爛漫な微笑をたたえた。

400
 その横で、ケララとラヴィアラが運ばれてきたお菓子をお皿に分
けたりしていた。
 こうして、みんなが並んでいるのを見て、
 俺の妻はみんな頭が切れる人間ばかりだなとあらためて感心した。
 摂政家を支えてもらうというのも、言葉だけのものとは思ってい
ない。妻同士が外交を行うことも有史、珍しくない。最低でも交渉
の線が広がることはありがたいことだ。
﹁なかなか、感じ入っていらっしゃるようね。私のアイディアも悪
くないでしょう?﹂
 セラフィーナはどうだといわんばかりの顔をしている。
﹁そうだな。たしかに政務ばかりに気をとられていたし、たまには
こういう時間もいい﹂
﹁お仕事は今日はとりやめにしてね。みんなでお菓子を食べながら、
語らいましょう﹂
﹁まだ子供たちも小さいけれど、いずれ、ここに呼ぶことができた
らいいな﹂
﹁そうね。本音を言うと、私の子供にあなたの跡を継いでほしいけ
れど、そこはなりゆきだわ。どうせ、もっと子供も増えるだろうし﹂
 牽制するように、セラフィーナが俺を上目づかいに見つめてきた。
﹁ま、まあ、成り行きだな。そういうのは⋮⋮﹂
 それから、セラフィーナは背伸びをしてぼそぼそと耳打ちしてき
た。
﹁お姫様との初夜はまだなのよね?﹂

401
 こんなところで言うな。
﹁まだだ。そういうのはもっと後でいい﹂
﹁だからって、あまり愛人を作ってややこしいことにしないでね﹂
﹁それはだいじょ︱︱︱︱ほどほどにする﹂
 ヤドリギのことがあった手前、強くは出られなかった⋮⋮。
63 妻たち一堂に集まる︵後書き︶
次回は1月1日の更新予定です。来年もよろしくお願いいたします

402
64 お姫様と接近した
 セラフィーナの主催した妻たちとの宴はなかなかいいものだった。
 そういえば、みんなが顔を合わす機会を作れていなかったし。
﹁もう少し、落ち着いてくれば、郊外の渓谷で水遊びなんてことも
できるんだけどな﹂
 ラヴィアラの耳がピクリと動いた。
﹁おわかりかと思いますが、それはお控えいただいたほうがいいで
す。屋外では暗殺者の行動を止めきれません。まして渓谷ともなる
と、すべての道を遮断することも難しいですし﹂
﹁わかっている。少なくとも妻たちを危険にさらすようなことはし
ないさ﹂

403
﹁ところで、今後の外交日程ですが、大きなものが控えていますね﹂
﹁オルセント大聖堂との会見だな﹂
じょうさい
 城西県を支配しているオルセント大聖堂は事実上、王都近辺で最
強の勢力だ。
﹁動員できる信者の数は王都近辺だけで二万、全国の拠点からかき
集めれば、十万にもなるというな﹂
﹁しかも、強引に徴兵された農民兵と違って、信仰のために戦う者
たちは精神面において屈強です。以前は軍事訓練もさほど受けてい
ませんでしたが、どんどん軍隊の質も武器の質も上がってきている
といいます﹂
﹁今のところはこっちの味方だが、さて、どうなるかな﹂
 俺はゆっくりと葡萄酒を口に入れた。甘いものの後に食べたから
か、苦く感じた。
 連中は信仰に関係ない戦いは行わないと表向きは言っている。実
際、王同士の争いにも手を貸すことはしなかった。それを続けてく
れればいいんだが。
 ︱︱坊主には絶対に心を許すな。あいつらは自分たちは正しいと
いう顔をしてはいるが、その実、裏で無茶苦茶なことをやっている。
それなら、堂々と無茶苦茶なことをやった覇王のほうがよほど誠実
というものだ。
 いや、それが誠実とは言わないと思うけど⋮⋮オダノブナガの言
いたいこともわかる。

404
 宗教勢力というのは一種の貴族であり領主というのは、どこの世
界でも大差ないんだろう。純粋な信仰のための団体だと思っていた
ら痛い目を見る。
 とくにオルセント大聖堂はもともと異端派に由来しながら、強大
化し、大きな権力を得た者たちだ。しかも、大僧正の地位は宗祖の
一族が代々継いでいる。
 もともと、宗教の新しい動きは人口が多い都市部で起こる。とな
ると、人口が固まっている王都近辺でそういったものが生まれるの
も当然の流れだ。
 かつて、王統同士の争いの際に、モナ派という神殿の武闘派を王
家が動員して、対立する貴族を滅ぼしたことがある。
 しかし、その後、モナ派は王都内部に自警団のようなものを置い
やく
て、王都を扼するような行動に出た。
 数か月とはいえ、王都の警察権をモナ派が握るという極めて特殊
な事態になったのだ。ほかの信仰を持つ商人などが殺されたりした
という。
 結局は有力貴族がこれを弾圧したが、あれは相当危険な兆候だっ
た。モナ派は今ではもう少しおとなしくなっているとはいえ、宗教
勢力との関わりは慎重にやらないといけない。
﹁ちょっと、ラヴィアラさん、今だけは政治の話はダメよ﹂
 俺が難しい話をしていると思って、セラフィーナが咎めてきた。
﹁これは息抜きの場なのよ。武官の顔をするのはナシ﹂
﹁とはいっても、ラヴィアラはそれが仕事ですから⋮⋮。羽目を外

405
すのはあまりエルフは得意ではないんです⋮⋮﹂
﹁はいはい、言い訳もナシ! どこかで息抜きをしなきゃ、摂政に
重要じゃない日も、暇な日もないんだから、疲れて倒れてしまうわ
!﹂
 それも一理あるといえばあるよなと俺はセラフィーナの言葉を聞
いていた。
﹁ほら、ラヴィアラさんももっと飲んで。まるで悪魔の背徳の宴み
たいな気持ちで楽しみましょう﹂
﹁いえ、それはまずいですよ⋮⋮。いろんな神殿から怒られます⋮
⋮﹂
 まったくだ⋮⋮。そんな風紀が乱れたことまで、こっちは願って
ないからな⋮⋮。
だいたい、摂政の評判が悪くなる。
﹁わかってるわよ。でも、真面目なだけでなんとかなるっていう発
想だと足下をすくわれるわ。敵対する領主ではなくて、もっと別の
ところから﹂
 セラフィーナもふっと真面目な顔になる時がある。
﹁たとえば、それはどこだ?﹂
﹁王が新しくなった。しかも、摂政の本拠から商人が入ってくる。
商人の中で利害の対立はじわじわ起こってるわ。自分がいた県でも
そういう動きがあったことがあるの﹂
 その三秒後には、セラフィ−ナはまた笑いながらルーミーにお酒
を飲ませにいった。

406
﹁ほら、お姫様、今日は無礼講よ。少しぐらい酔っぱらっても罪は
ないわ﹂
﹁わたくし、修道院時代から、お酒は飲むべきではないと教わって
いましたので⋮⋮﹂
﹁心配いらないわ。十歳すぎたら、もう大丈夫よ。すぐに気持ちよ
くなるわ﹂
﹁おいおい! 強引に飲ますな!﹂
 俺が止めに入ると、ルーミーがぎゅっと抱き着いてきた。
﹁摂政様、お酒はまだ怖いですわ⋮⋮﹂
﹁うん、俺がいる限りは無理に飲ませないから安心してくれ。セラ
フィーナ、こういうのは教育とは言わないぞ。変なことをするなら、
教育係を解任して、フルールに任せるからな!﹂
﹁そうね。以後、気をつけるわ。でも、感謝してもほしいものね﹂
﹁ん? どういうことだ?﹂
 こういう時、セラフィーナは素なのか、何か考えてるのか判断が
難しい。
﹁ほら、お姫様との距離が近づいたみたいだから﹂
 俺にひしと抱き着いていたルーミーは、たしかにこれまでとは違
う恋する娘の顔になっていた。
﹁殿方の体はこんなにがっしりとしているのですわね⋮⋮。お兄様
の体はもうちょっとぶよぶよしていたのですが⋮⋮﹂
 ハッセと比べられるのはどうかと思ったが、たしかにそれぐらい
しか男の体を見たことがなくてもおかしくないな。長らく修道院に
入っていたわけだし。
﹁長く、武人として戦わないといけなかったから、自然とこういう

407
体になるんだ。陛下が武人のような体にならないのも、また必然な
んだよ。王が何度も戦場に出なければならないという事態は好まし
くない﹂
﹁そ、そうですわね⋮⋮。しかし、どうして摂政様にひっついてい
ると、安心するというより胸が苦しくなるのでしょうか⋮⋮﹂
 俺はその頭にぽんと手を載せた。
﹁それはきっと修道院では学ばないことなんだと思う﹂
 ゆっくりとこの正妻との距離は縮めていこう。
 奥でセラフィーナがドヤ顔していたのが、ちょっとイラっときた
けどな⋮⋮。
64 お姫様と接近した︵後書き︶
新年最初の更新なんで、ちょっとほんわかした回にしました。そろ
そろ久しぶりに合戦書きます!
408
65 食えない大僧正
 その日、王城はものものしい空気に包まれていて、何も知らない
人間でも息苦しさを覚えるほどだった。
 俺の最初の仕事は簡単だ。摂政として、王の横に控えていればい
い。
 その先に古来からの重臣層が突っ立っている。そういう連中か、
俺に敵愾心を持つ者か、おもねって取り入ろうとする者かに大半が
分類できた。
 結論から言えば、どっちもつまらない連中なので、なんの興味も
ない。むしろ、無能であることを向こうから教えてくれるだけあり
がたいと言える。

409
 残りの少数が、実力と有能さを合わせ持っている奴らだ。
 そういうのは、少し連中と付き合っていれば、すぐにわかった。
俺の職業柄、優秀な人間かどうかはほぼ完全にわかる。それに、ケ
ララという目利きがいてくれてもいる。それで外すことはまずない。
 使える重臣層を取り込みつつ、ほかの無能はだんだんと排除する。
だんだんと俺が信頼できる者の数を増やしていく。王家を乗っ取る
下準備はそれでできる。
﹁摂政殿、今日の会見、上手くいくだろうか⋮⋮?﹂
 王のハッセはどうも腹芸ができるタイプではないらしい。帝王学
を学ばないといけない時に放浪していたのだから、しょうがないの
かもしれない。
﹁王より偉い者はこの国のどこにもいないのですから、堂々とふん
ぞり返っていたらいいんです。たとえ、宗教界の大物であろうとそ
こは変わりません﹂
 鷹揚に答える俺にハッセはうなずくしかなかった。
 そこに入ってきたのはオルセント大聖堂のカミト大僧正だ。
 中央の政治の行く末に最も影響を持つ男だ。
 年齢は五十歳を過ぎているはずだが、年のいった目ではない。少
なくとも純粋に神に奉仕する者には見えなかった。晩年に形だけ神
の道に入った武人のようである。
﹁オルセント大聖堂は陛下と長く友愛の関係を結びたいと思ってお

410
ります。つまらない品でありますが献上したいものがございます﹂
 大僧正が持ってきたのは西方にしかいないとされている貴重なタ
べっこう
カや、西海でしかとれないカメを使った鼈甲の彫刻や、乳白色をし
た磁器などが含まれている。
 ハッセは無邪気にそれを喜んで受け取っていた。
 まあ、俺が小言を言って機嫌を損ねることもないだろう。水は差
さないでおこう。
 ハッセは代わりにオルセント大聖堂に布教権と、一部の都市にお
しんぜい
ける神税徴収権を認めた。
 布教権は王の代替わりごとにあらためて認可される必要があるが、
これは名目的なことにすぎない。王の許可を得るまで布教活動をし
ていない神殿などない。
 神税とは、寺院の復興や修理の名目で集められる税金のことだ。
教団にとって大きな収入源になる。
 王と大僧正の会見があった日の夜。
 俺は宴席にカミト大僧正を招いた。俺の側はラヴィアラとケララ
が同席し、大僧正側も側近二人が参加している。
 こちらの仕事のほうがはるかに重要度は高い、向こうもそれはわ
かっているだろう。
﹁若き摂政とお会いする日を楽しみにしておりました。この百年で
もあなたほど若い歳で権力を握った方はいらっしゃいませんからな﹂
 大僧正は表面上、好々爺のように笑っている。

411
﹁権力を握ったつもりはないのですが。陛下が王になる力添えをし、
王になられた後はそれを補佐する、王家に仕える者としては当然の
ことですよ﹂
﹁そうでしたな。摂政は王をないがしろにすることなく、政務に励
んでいらっしゃいます。それは疑いようもありません﹂
﹁それにしても、大聖堂は西側との貿易を上手にやっていらっしゃ
るようで﹂
 あの献上品の数々は交易で手に入れたものばかりだ。逆に言えば、
王都に入る前に城西県のオルセント大聖堂領でそういったものが止
まっているのだ。
 言うまでもなく、大僧正はオルセント大聖堂の影響力を王に誇示
するためにああいったものを贈った。
 思った以上に王都近辺の富は城西県に集まっている。
 オダノブナガが﹁サカイに物がたまるのと同じだ﹂と言っていた。
サカイというのは境界ということなのだろうか。たしかに境界は交
易の場になりやすくはあるが。
﹁あれは、敬虔な信者たちが寄進してくれたものです﹂
 お互いに言葉を選んでしゃべっているのがわかる。
﹁では、これからも青二才の摂政を補佐していただけると助かりま
すよ﹂
 俺が杯を挙げると、大僧正も杯を挙げた。
 建前としてはお互いに相手を認める形で宴席は終わった。
﹁不気味な人でしたね﹂
 ラヴィアラが宴席がはけた後に漏らした。

412
﹁本心は枝の先ほどもしゃべっていませんでした。脅しすらかけて
こなかったし、仲良くしようとという意志表示も見せない。あそこ
まで何のメッセージも出してこない方は珍しいです﹂
 俺もそのラヴィアラの言葉に同意する。それから、ラヴィアラは
﹁こんなに成果がないなんて﹂と嘆息した。そこだけが俺と違う意
見だった。
﹁成果がないということがわかった。はっきり言って、それは収穫
だ。わからないままよりずっといい﹂
 敵か味方か早いうちにあぶりだすことにするか。
 俺はノエンとマイセルに部隊がすぐに動けるように調練しておく
ように命じることにした。
 それと、ある程度信頼できる王の直轄軍の一部を王から借りた。
王に敵対する敵を倒す範囲では、これも利用できる。
 翌月、俺は王都近隣の県のいくつかの都市の税の徴収権を王から
獲得し、そこに息のかかった人間を派遣した。意図的にオルセント
大聖堂に近しい都市をいくつか入れている。
 都市としては俺に支配される形になるから反発は予想されたが、
この時点でのはっきりした動きはなかった。
 では、次にどうやって動くかだな。
 二か月後、俺は王に歯向かった者を匿っているとして王都の西側
の領主を攻める兵を出した。摂政の俺みずからが出る本格的なもの
だ。

413
 先鋒をつとめるノエン・ラウッドには意図的に城をすぐに攻め落
とさないように命じた。
﹁あの⋮⋮どうして、ゆっくりと攻めないといけないのですか⋮⋮
? 摂政が弱兵と噂されますよ⋮⋮﹂
﹁侮ってもらわないと、ずっと猫をかぶられるかもしれないからだ﹂
66 大聖堂を誘い出す
﹁侮ってもらわないと、ずっと猫をかぶられるかもしれないからだ﹂
﹁猫をかぶるというのは、どの勢力のことでしょうか⋮⋮?﹂
 ノエンは周囲にほかに敵になる勢力がいないと考えているのか、
よくわかっていないようだった。
﹁いずれ、はっきりする。相手が都市の利権を守る者ということを
示さないといけないなら、今が好機だからな﹂
 変な話、どっちでもよかった。ここで何も起きないならこちらが
安定して勢力を広げるだけだし、攻められたとしても致命傷にはな
らない。

414
 そして、早馬が俺の陣に来た。
﹁申し上げます! オルセント大聖堂が摂政を討つ兵を挙げたとの
ことです!﹂
﹁よし、来たな!﹂
 思わず、手を叩いて快哉を叫んだ。
 ラヴィアラが﹁どうして喜んでるんですか! 挟撃の危険もあり
ますよ!﹂と文句を言ってきた。反乱の報にはしゃいでいるのでは、
おかしいと思われてもしょうがないか。
﹁ラヴィアラ、以前、お前は大僧正を不気味だと言ったな。結論か
ら言えば、全然そんなことはなかった﹂
﹁ど、どういうことです? ちゃんとお話になってくれないとわか
りませんよ。ラヴィアラだけじゃなく、ほかの家臣もそうだと思い
ます!﹂
 たしかにあっけにとられている家臣の顔がいくつか見えた。もち
ろん、話はするけどな。
﹁言葉のほうで大僧正は意思を隠し通していた。しかし、あの男は
結局、合理的な策をとった。だったら、あいつが何をしてくるかは
結把握できる。変な話、何をしてくるかわからん奴より、よっぽど
扱いやすい﹂
 俺は陣の地図に棒を置く。
﹁なあ、オルセント大聖堂の力が強いのは、なぜだと思う? まさ
か信心の力が強いからなんてことはないだろう?﹂

415
 ラヴィアラに顔を向けてみる。あまり、妻を試すような真似はよ
くないかもしれないけど。
﹁ええと⋮⋮お金があるからではないですかね?﹂
﹁つまりはそういうことだ。じゃあ、なんで経済力がオルセント大
聖堂にはあるのかというと︱︱﹂
 俺はぽんぽんと都市の名前が書いてあるところを棒で指していく。
﹁都市の商工業者と都市そのものから、あそこはずいぶん信仰され
ている。もちろん、それなりのお金がオルセントに入る。その原因
はいくつかある﹂
 今度は領主の名前が書いてあるところを棒で指す。
﹁王都周辺部には強大な領主がほぼいない。昔から王都近辺の土地
は権利が錯綜していて、小領主ばっかりだからな。そいつらも政治
的に失脚すると、あっさり土地を取り上げられたりする﹂
﹁となると、都市は領主に保護を求めたって、何の役にも立たない
ということですか﹂
﹁そう、ラヴィアラの言うとおりだ﹂
 ラヴィアラはそれだけで少しうれしそうだった。この顔に出すぎ
るところは治したほうがいいんだけどな⋮⋮。
﹁じゃあ、王都近辺で力を持っているのはオルセント大聖堂という
わけだな。領主権に関しては城西県しか持っていないけど、周辺の
県も影響下にある。前に俺が税の徴収権をもらった都市も息がかか
ってるところが多い﹂

416
﹁それって大聖堂を思いきり挑発してたってことですか!?﹂
 ラヴィアラの耳がいつも以上にとがったように見えた。
﹁まあ、そうなるな。土壇場で裏切られるぐらいなら、先にあぶり
出そうと思った。王都のそばでそんな大きな力を行使されてるとや
りづらくてしょうがない﹂
 オルセント大聖堂を最低でも管理下に置けないことには王都周辺
を押さえたことにすらならない。王都周辺にも力が行き届かない摂
政なんて話にならないだろう。
﹁しかし、オルセント大聖堂は表面上はすぐに反発はしなかった。
領主権を持ってるわけでもない都市の政治に口を出すのはやりづら
かったんだろう。あるいは、今戦うのは無理と思ったか﹂
 この時点ではまだ大僧正の動きが予測できない。
 そこで俺を攻めやすいようにお膳立てをした。
 わざわざオルセント大聖堂が兵を出せば挟撃できる位置に出兵し
た。
 王都周縁の前王の与党をつぶしていけば、俺の権力は安定化する。
オルセント大聖堂はより反抗しづらくなる。
 あまりじっとしていれば、ほかの都市からの信用も失って、摂政
の俺になびく都市や商工業者が増えかねない。
 最も適切な時期にオルセント大聖堂は俺に兵を出した。
 大僧正は軍事戦略に関して、まともな頭を持っているってことだ。
 けど、それだけならどうってことはない。
 ︱︱ったく、なかなか大きな博打を打ちおって。これで坊主ども

417
にやられたら、お前の権力は瓦解するかもしれんのだぞ。
 オダノブナガはあきれているらしい。坊主に心を許すなって忠告
したのはそっちじゃないか。
 ︱︱それにしてもここまで思いきりケンカを売りにいくとは思わ
んかったぞ。もう少し、王都の権限を吸収してからでも遅くなかっ
た。面従腹背でやることだってできただろうに。
 そこはほら、俺って根っからの武人なんだよ。
 本音を言うと、途中から兵力が増えすぎて、力で押しつぶす戦い
ばかりになって、飽きてきたのだ。
 一見、互角に見える戦いに勝っていくから面白いんだ。十倍の兵
で囲めば、そりゃ砦は落ちる。けど、そこに将の質は関係ない。
 ︱︱その点はまったく同意しかねる。覇王が命懸けで戦ったのは
桶狭間と金ヶ崎と、まあ⋮⋮まだなくもないが、少ないな。
 それでいいんだよ。俺はアルスロッドであって、オダノブナガじ
ゃないんだから。
 ︱︱ふん。どうせ、こうなったらお前は言うことを聞かんのだろ。
討ち死にだけはするなよ。覇王はこんなところで終わるつもりはな
いからな。
 それは俺だって同じだ。摂政が最終目標でここまで来てない。
しんがり
 ︱︱ここは西側領主の側に殿を置きつつ、王都に全力で逃げ帰れ。
坊主どもも王都を焼き討ちにする覚悟はないだろ︱︱

418
﹁よし、ノエン、兵士を五千やるから敵領内の町に入って、俺たち
の側に軍事協力させろ。協力しないなら殺して、焼け﹂
 ︱︱おい! なぜ、退かない!
 今回の表向きの目的は王都西側の清掃活動だ。敵を滅ぼしてから、
王都に﹁凱旋﹂する。
 ノエンは﹁はっ! とことんやらせていただきます!﹂と顔を輝
かせた。この男も最近、見せ場がなくて寂しそうだったからな。権
威より戦場がほしい者が俺の幕下には何にもいる。
﹁俺は違う街道から攻め入る。大聖堂の連中が味方になろうと関係
なしに滅ぼされるということを見せつけてやる。ついでに見せしめ
の意味で都市のいくつかは叩き壊してもいい。今回はどこが敵でど
こが味方かをはっきりさせる戦いだ﹂
67 進軍続行
 俺の言葉に将たちの目の色も変わっていた。
 この戦いで負けたらどうなるだろうと危惧している者ももちろん
いる。
 けれど、祭りの前日のように、やる気に満ちている者も多い。
 ラヴィアラなんかはわくわくしている側だ。今にも弓矢をどこか
に打ち込みそうなぐらいだった。
 俺たちは謀略でのし上がったというより、眼前の敵を一つずつ打
ち倒して、ここまで来た。戦場でしか咲けない花みたいなものだ。
﹁アルスロッド様、ラヴィアラは弓の部隊を率いて、存分に活躍し

419
てみせますからね! 戦場に出ないと腕がなまりますから﹂
﹁ああ、もちろん、大将首をとってきてくれ。でもな︱︱﹂
 俺はラヴィアラの前に行くと、ぽんぽんと軽く肩をかき抱くよう
にした。
﹁絶対に生きて戻ってこい。お前は母親だからな﹂
 ラヴィアラの顔が途端に神妙なものになる。
 娘のことを想ったんだろう。それが親として自然な反応だ。政務
中は毅然とした姿勢でいるが、時間があれば娘のそばにいてやって
いることを俺は知っている。
﹁子供には両親がいたほうがいい。とくに俺たちの子はどうしたっ
て権力争いに巻き込まれるからな﹂
﹁はい。セラフィーナさんの男の子ともども立派に育ててみせます
からね﹂
﹁あと、ラヴィアラには、もっと子供を産んでほしいし⋮⋮﹂
﹁アルスロッド様、そういうことはこの場で言わないでもいいじゃ
ないですか!﹂
 ラヴィアラが顔を赤らめて抗議する。その後ろで、諸将の大きな
笑い声が響く。
 すまんな、ラヴィアラ。戦の中で、下卑たことを言って場を盛り
上げるのも、常套手段だからな。ここは大目に見てくれ。
﹁では、せっかくですので、ラヴィアラからも一つアルスロッド様
に要求があります﹂
 ここで、こんなことを言えるのが乳母子のラヴィアラらしい。俺

420
が成長したのと偉くなったのとで、ラヴィアラの姉の立ち位置は薄
れつつあるけど、まだたまに姉らしさが顔を出す時がある。
﹁アルスロッド様はもっとお子さんとの時間をとってください。激
務なのはわかりますが、お願いします。近頃は、﹃パパはどこ?﹄
とお子様がお尋ねになったりする時もあるんですよ﹂
﹁うっ⋮⋮。今、それを持ち出すか⋮⋮﹂
 自覚はないことはなかった。ただ、どうしても政務を優先してし
まっているところがあった。
﹁今、道を誤ればお前たちもみんな路頭に迷いかねないだろ。これ
は摂政としてやるべきことをやっていただけで⋮⋮﹂
﹁はい、そうですね。ですが、母親だけに任せていると、父親の言
うことをまったく聞かない子に育ってしまいますよ。そうなった時
に文句を言われてもラヴィアラは一切関知しませんからね﹂
 また大きな笑い声があがる。ラヴィアラに俺まで生贄に巻き込ま
れてしまった。
﹁じゃあ、この戦が終わったら、考えることにする﹂
﹁はい。約束を違えないでくださいね?﹂
﹁摂政に二言はない。俺の後継者になっていく者たちだからな﹂
 大聖堂を叩けば、多少の余裕は生まれるはずだ。そうだな、三年
ぐらいは平和が来るだろう。それぐらい持ってもらわないと困る。
 息子と娘が物心つく頃には前王の勢力は別として、国の東側はあ
る程度平定しておきたいところだ。さて、どうなるかな。

421
﹁よし、俺と共に進む者たちは徹底して戦え。進軍するぞ!﹂
とき
 鬨の声をあげて、俺たちは大聖堂から背を向けて動いた。

 大聖堂の情報収集ももちろん怠ってはいない。移動中、ラッパか
ら小刻みに連絡を受けていた。
 俺の予想どおり、大聖堂は俺の悪政を指弾して、俺が攻め入って
いる領主と挟撃する手筈らしい。
 王都には王のハッセがいるが、それには弓を引きづらいだろう。
連中が倒したいのは王じゃなくて俺だからもちろんそうなる。
 反乱軍が王都を長く占拠すれば、間違いなく王都の市民から不平
不満の声が上がる。これは歴史の必然だ。どうしたって、力で王都
を制圧するしかないから、市民の自由は抑圧される。
 それがゆきすぎると、市民は反乱軍の追討部隊を熱望する。その
土地の住人を敵にまわしたら、戦局は大幅に不利になる。
 カミトとかいう大僧正はその程度のことは絶対にわかっているは
ずだ。なので、俺をつぶすことしか考えてない。
 といっても、滅ぼせるとまでは思ってないだろう。自分たちに有
利な講和条件を引き出せれば、大聖堂側の勝ちだし、彼らに味方す
る都市も納得させられる。
 俺はそんな単純な手打ち式をやるつもりはない。
 反抗的な大聖堂派の都市に攻撃を仕掛けて、大聖堂が戦うしかな
いようにする。
 徹底した争いになれば、俺は勝つ自信はある。

422
 ︱︱お前はうつけ者だ。お前はうつけ者だ。もう一回言ってやる
ぞ。お前は覇王が若い時以上のうつけ者だ。
 行軍中、やたらとオダノブナガに言われた。頭に語りかけてこら
れるので、なかなかうるさい。
 あんただって、宗教勢力には手を焼いたんだろ? あいつらは領
主と違う論理で動いてるところもあるし、変な結束力も経済力もあ
る。
 ︱︱わかっている! 一向宗のほうが武田よりもよっぽど面倒だ
った。あいつらは民を一丸にして向かってくるからな。領主はそこ
まで民を純粋に戦に向かわせるほどの力は持っておらん。なにせ、
死を恐れんようにしておるんだから、無茶苦茶だ。戦争というのは
死を恐れる者同士でやることであるのに、その法を連中は破ってお
る。
 やっぱりよくわかってるじゃないか。
 敵は強い。だからこそ、先手を打つ。
 都市というほどの規模もない、周囲を環濠で覆った町が俺たちの
前に立ちふさがった。
 木の橋もすべて上げて、守りに入っているが、濠自体は狭い。ほ
とんど溝のようなものだ。
﹁さて、先駆けは誰がやる? 完全に俺たちに歯向かうつもりだか
ら、容赦はしなくていい﹂
﹁ここはやらせてください!﹂
 真っ先に声を上げたのは、親衛隊の一つ、黒犬隊の隊長ドールボ
ーだ。

423
 ワーウルフの男で顔には無数の傷跡がついている。もともとブラ
ンタール県出身のゴロツキ同然の身だったが、そこから仲間を集め
て傭兵稼業をやるうちに実力をつけてきた。
 その傭兵たちが途中から俺に仕えるようになり、直属の部隊にな
った。そこに兵士の補充をして黒犬隊にした。そんな経緯から、親
衛隊の中でも自立性が高いと言えば高い。もっとも、俺を見限るメ
リットなんてまずないだろうが。
﹁その代わり、金品のほうも奪えるだけ奪わせてほしいんですが。
長らく礼儀正しくしないといけない戦いが多かったもんで﹂
 まともな軍人というよりは悪党の顔だな。出自からして、そりゃ
そうか。
﹁ああ。今までよく我慢してたな。ここは好きなだけ暴れていい﹂
 俺としても、こいつらの本領を一度目にしておきたかった。
424
68 環濠都市破壊
﹁ああ。今までよく我慢してたな。ここは好きなだけ暴れていい﹂
 俺としても、こいつらの本領を一度目にしておきたかった。
﹁ありがとうございます。私の部下も喜びます﹂
﹁お前ら、親衛隊の品格を汚すような真似はあまりするなよ﹂
 白鷲隊の隊長レイオンが眉をひそめた。性格的に絶望的なほどに
合わないだろうな。まだ、赤熊隊のオルクスとのほうが話が弾むだ
ろう。オルクスは豪放だが、残忍なところはない。
﹁私はあなたに仕えているんじゃなくて、あくまでも摂政様に仕え
てるんです。それに品格を無視したほうがいい場合だって戦場には

425
あるんですよ﹂
﹁お前な! あとからできた部隊のくせに!﹂
 レイオンも優美な戦いを心がけてはいるが、本人は割と激情的で
はある。
﹁やめておけ、レイオン。親衛隊にはそれぞれ違う性格を与えてい
る。白鷲隊が最も活躍する局面もあれば、そうじゃない時もある。
それだけのことだ﹂
﹁わかりました⋮⋮。出すぎた真似をいたしました⋮⋮﹂
 あっさりとレイオンも頭を下げた。
﹁よし、では黒犬隊、逆らう連中に地獄を見せてやれ﹂
 ドールボーはすぐさま姿をオオカミに変化させる。部下のワーウ
ルフもオオカミに姿を変えていった。中にはドールボーと長らく戦
ってきた者も含まれている。
﹁ウゥ⋮⋮ガウガウ!﹂
 ドールボーが唸り声をあげる。これはオオカミらしい声を出して
いるんじゃなくて、符丁の意味がある。だいたい、ろくでもないも
のだ。
 オオカミたちは濠を適当にめぐって、一番街の側の塀が低いと思
われるところにジャンプして、よじ登る。
 敵が槍でこれを討とうとした頃には、すでにオオカミたちが入り
込んでいる。中にはジャンプ一回で濠を越えて、中に入った者もい
た。
 すぐにいくつもの悲鳴が聞こえてきた。戦うことになんらためら

426
いがない奴らは強い。
﹁かなり殺しているみたいだな。外に待機してる側は橋の前で待つ。
いや、その必要もないか﹂
 一度、黒犬隊が踏み込めば、むしろ外に逃げられないだけ悲惨な
ことになる。
 やがて、いたるところから火の手が上がった。
﹁やっぱり、荒っぽい連中ですね﹂
 俺のそばにいたラヴィアラも味方の優勢を素直に喜べないらしい。
﹁あれはもう奪ったか、ここにはめぼしいものがないという合図だ。
あいつらはとにかくすぐに焼くからな。それで攻め込んだ場所が黒
くなるから黒犬隊と名付けた﹂
﹁あまり敵にまわしたくない人たちです﹂
﹁そういうのを味方に入れておくことが大事なんだ。相手が嫌がる
ことをやるのが戦争だからな﹂
 途中、もはや打つ手がないと観念した武装した住民たちが塀を越
ちまた
えて、濠のほうに飛び出そうとした。完全に内部は殺戮の巷になっ
ているんだろう。
 ただし、もちろん逃げるのを許すつもりなんてない。
 ラヴィアラが﹁撃ちなさい!﹂と味方の部隊に命じた。
 矢がほとんどまっすぐ飛んで、敵に次々突き刺さった。
 橋まで引いて、待ち構えてたってことは徹底抗戦の意思は明白だ。
もし、俺たちが素通りすれば、背後から襲われていただろう。

427
﹁ラヴィアラ、容赦はするな。初戦で見せしめにするのは戦のしき
たりだ。別に罪に感じる必要もない﹂
﹁ご心配にはおよびません。ラヴィアラもその覚悟はありますから。
それに、どのみちもうたくさん人を殺していますから、報いを受け
るなら、今更何も変わりませんし﹂
 気丈にラヴィアラは答えると、また矢を発した。
 その戦はわずか一時間ほどで終息した。
 内側から黒犬隊が徹底した攻撃を加えた。ただし、ドールボーい
わく、小さな町なので、奪えるものも知れていたという話だったが。
﹁長引くと、面倒な戦だった。すぐに終わって助かった﹂
﹁速さが身上なのは私も同じでしたので。奪えるだけ奪ったらすぐ
に殺す。あるいは殺してから奪う、このどちらかです。のんびり物
色していれば、命を狙われます﹂
﹁本当にお前は傭兵出身といっても、盗賊寄りの傭兵だな﹂
 敵の生き残りはほぼなし。環濠の周辺は俺の軍に囲まれていたの
で、逃げ場などなかった。
 町の名前はメセといったらしい。今日、その名前が地図から消え
たな。
 このことを敵方の都市に広めておけとラッパに命じた。
 大聖堂につくか、俺につくかとことん迷ってもらう。
 まあ、すぐに大聖堂を見限ることは小領主も都市もできないだろ
うが。それでも、あと、二か所ほど焼き討ちにすれば降伏するとこ
ろも出てくる。

428
﹁よし、どんどん進むぞ。とにかく、力攻めでいく。防戦する暇も
ないと思わせる。ノエンの別動隊におくれをとることなく、けりを
つける!﹂
 最低限の論功行賞が終わったら、俺はすぐに兵を進軍させた。
 途中の都市や城は大半が俺に反抗するつもりでいる。これを片っ
端から落として、ノエンと合流してこの地方の平定を完了させる。
 ︱︱お前はどうしてこんな賭けみたいなことをやるのか、覇王に
はさっぱり理解できん。もし、平定にてこずったら、大聖堂の信者
たちがやってくるぞ。距離からして二日のうちにあらかた平定でき
んと手遅れになる。
 二日あれば、どうにかできる。どうせ敵はザコばかりだし、王城
に戻ったって、そこを攻められる。俺が防戦したって事実は作りた
くないんだ。それで勇気づけられる敵方の勢力ができる。
 最初に滅ぼした町からせいぜい五千ジャーグほどの距離にある小
領主の城も力攻めで、一気に落とした。この戦いには白鷲隊のレイ
オンを前に出した。領主一族を殺して、先へ急ぐ。
 その次の都市は武装を行わず、こちらを通してくれた。
 流れはそれなりに来ている。やれないことはない。
 次に待ち受けているのは、このあたりの有力領主二人の連合軍が
こもっている砦だ。
 数は千五百ほど。砦は木と石、それとの混成だが、それなりに規
模は大きい。

429
 ここを落とせるかどうかでそのあとの命運も決まるかな。
 もちろん、簡単に落とすつもりでいるけどな。
 オダノブナガという職業の恐ろしさ見せてやる。
69 軍人摂政アルスロッド
﹁これを力攻めで落とすのは難しいです﹂
 従軍していたケララは俺に臆することなく、そう言った。俺の空
気を読んで、攻めましょうと言われるよりこちらのほうがよほどあ
りがたい。
﹁背後は切り立った崖になっていますので、攻められるのは正面か
らのみ。そこから弓矢を射かけられると、砦の大きさからしても短
時間での攻略は常識的にはつらいかと思います﹂
﹁ケララ、常識をを守るなら、そもそも俺はここまで攻めていない﹂
﹁心得ております。摂政のそばで仕えておりますから﹂
 ケララは胸に手を置いてうなずいた。

430
﹁ですので、常識はずれの武功を見せていただくしかないかと。そ
れが無理であるならば、早々と撤退するべきです﹂
﹁摂政が武功を立ててはならないという法はないからな﹂
 俺は、ゆっくりと馬を兵たちのほうに返す。
﹁いいか、お前たち。今から俺はこの砦を一時間で落とす。今、こ
の国を動かしているのが誰なのか、はっきりと思い知らせてやる!﹂
 この声は自分を味方を鼓舞するだけじゃない。自分を盛り上げる
ためだ。
﹁これは俺のためへの奉仕にあらず。王国のための戦いだ! いた
こわっぱ
ずらに前王や大聖堂におもねる小童どもをすべて打ちのめす!﹂
 戦争中は将として冷静に、同時に兵を熱狂させねばならない。で
なければ兵は強者にはならない。
﹁命を懸けられる者は声を上げろ!﹂
 オオカミを土地という土地から集めたようなものすごい声が轟い
た。
 ︱︱特殊能力︻覇王の風格︼発動。覇王として多くの者に認識さ
れた場合に効果を得る。すべての能力が通常時の三倍に。さらに、
目撃した者は畏敬の念か恐怖の念のどちらかを抱く。
 ︱︱特殊能力︻覇王の道標︼発動。自軍の信頼度と集中力が二倍
に。さらに攻撃力と防御力も三割増強される。

431
 これで兵の運用を誤らない限り、勝てる。
﹁では、策を決めたいと思う。将たちは集まってくれ﹂
 俺は陣を仮に置いた村の屋敷で簡潔に策を話した。
﹁ラヴィアラ、お前の職業は射手だな﹂
﹁はい! アルスロッド様と一緒なら百発百中です!﹂
﹁自分の部隊に職業が射手の者は何人いる?﹂
﹁王都に入ってから、増強しましたので三十人はいます﹂
 それだけいれば問題ない。
﹁わかった。ラヴィアラはこちらに矢を射かける砦の連中を順番に
射殺しろ。下から見上げる攻撃は難しいが、お前の技術ならやれる
はずだ。一射一殺のつもりでやれ﹂
﹁承知しました﹂
 ラヴィアラの顔から笑みが消える。ただし悲観的なものじゃない。
冷たい炎が胸に灯っているのを俺は感じる。
﹁その間に俺はみずから突っ込んでいって、砦に侵入する。お前が
はずしまくれば、俺も死ぬ。この命、お前に託す﹂
﹁はぁ。もうちょっと安全な橋を渡ってほしいですけど、アルスロ
ッド様はこういうお方ですからね﹂
 その横でケララは黙って、聞いている。
﹁ケララ、お前は部隊を率いて、裏に回りこめ。崖になっていると
いっても、砦の連中は逃げ道を用意はしてるはずだ。前から攻めら
れれば逃げ出そうとする奴が出てくる﹂
﹁それを殲滅すればよろしいのですね?﹂
﹁話が早い。それでこの戦、完勝できる﹂

432
 さあ、勝負に出るか。オダノブナガ、俺なりの天下の取り方を見
せてやる。
 精鋭を率いて、俺は砦の正面の坂に立つ。
つ づ ら
 九十九折りになった坂の上に城門がある。何度も折りを作ってい
るのは、上から弓矢で狙いやすくするためだ。
 けど、向こうがこちらを射れるなら、その逆ができるのも道理の
はず。
 ふっと、兄に命じられてナグラード砦に入った時のことを思い出
した。
 あの時は逆に砦を落とされかけたから、命懸けで一人で敵を追い
払うしかなかったな。
 それと比べれば、こんなに味方がいる。ずいぶんと難易度は下が
っているじゃないか。
﹁よーし、行くぞ! 摂政の力を見せつけてやるからな!﹂
 俺は馬を駆る。坂を突き進む。
﹁我こそはサーウィル王国摂政、アルスロッド・ネイヴル! 賊軍
を討ち果たしに来た!﹂
 その言葉に城兵が表情を失っているのがわずかに見えた。俺が直
接来るということが理解できなかったに違いない。
 自分が安全であると思い込むことは今にも沈む船に乗っていると
同じ︱︱これは何の兵法書に書いてある言葉だったか。
 砦に詰めているからしばらくは持つだろう、そう信じきっている
なら、そこを突き崩す。

433
 城兵が弓矢を構える。
 ラヴィアラ、やれ。やってくれ。
 弓矢を放とうとしていた城兵の顔面に長い矢が刺さった。
 城兵はゆっくりと後ろに倒れる。隣にいた兵士の顔がこわばる。
﹁これが摂政の射手の実力です! 次に射抜かれたい人は誰ですか
?﹂
﹁よくやった、ラヴィアラ!﹂
 続けざまに弓矢が飛ぶ。こっちはなかば決死隊だから、弓矢を受
けて落馬する者もいるが︱︱それよりさらに多く、敵の城兵が射ら
れている。
くるわ
﹁もっと弓兵を用意しろ!﹂﹁こちらの郭の弓兵が足りません!﹂
 狼狽の声が砦から響く。弓兵がいなければ、こちらは容易に城門
までたどり着くからな。
 もたついているうちに、こちらの先駆けの兵士たちが城門にたど
り着く。
 魔法を使えるものが火球で城門に火をつける。その横から、脚立
を置いて中に侵入する者が出てくる。
 今の俺の部隊は、オダノブナガの特殊能力で大幅に強化されてい
る。
 そうだな、十五人も入ってしまえば、俺たちの勝ちだ。
 しばらく身を守りながら待っていると、内側から城門が開いた。

434
 味方が開いたのか、敵が俺を殺しに出てくるのか。どっちにしろ、
好機には違いない。
 開いたのは、自軍のほうだった。
﹁摂政様! どうぞ、お進みください!﹂
﹁わかった! 俺が政治家ではなく、軍人であること、とくと見て
いろ! 全軍突き進め! 壊せるものはすべて壊せ!﹂
 俺に続いて兵士が雪崩れ込む。
 ︱︱やりおったな。賭けに勝ちおったわ。
 オダノブナガ、賭けっていうほどのことじゃないさ。あんたの世
界には職業なんて概念はなかったんだろ。
 自分の能力と味方の士気がおおかたわかれば、算段はつく。
 この時点で勝負自体はあった。本当に一時間で城も落ちるだろう。
 あとは、俺個人がどれだけ武勇を見せられるかだな。
435
70 敵将の首
 三ジャーグの槍を持った兵士達が一斉に、槍を敵に振り下ろす。
 ぐじゃ、と骨を砕く音がして、敵が倒れていくのが見える。兜が
大きく陥没していた。

 これだけの長さの槍となると、重さも相当なものだ。それをしな
らせてぶつければ、兜ぐらい十分に破壊できる。
 そして、さらに敵の攻撃の範囲外から攻められるほどに長い。
﹁よし、俺もやらせてもらわないとな﹂
 俺が抜いたのは一見すると分厚さを感じる剣。
﹁うおおお! これはまた古い剣ですなあ!﹂

436
 赤熊隊の隊長オルクスが野太い声で叫ぶ。近くで転戦していたら
しい。赤熊隊はほかの親衛隊と比べても個人の武勇を優先して選ん
でいる。

﹁これはな、摂政が継承してきたものなんだ。名前を﹃打ち正義﹄
という﹂
 打ち、というのは剣で打つように叩くものだからだろう。
﹁ほう。摂政など何度も政変で入れ替わってきたのによくもまあ、
残ったもんですなあ﹂
 そう、しゃべりながら三ジャーグ槍を振って、オルクスは敵を吹
き飛ばした。それこそ、三ジャーグは敵兵が宙を舞ってほかの敵の
ところに落ちた。
﹁オルクス、お前、なかなか鋭いじゃないか。そうなんだよ、俺も
最初は本当かと疑った。仮にそんなものがあっても、とっくに紛失
しているだろうと思った。けど、調べてみて、事情がわかった﹂
 俺は軽く、その古剣を振る。思ったよりも手になじむのが早い。
﹁摂政の大半はまともに前線になど出ないだろう? とくに平和な
時代の摂政は従軍経験すらなかったかもしれない。その結果、王都
の摂政が継承する蔵に置かれたままになっていたってことだ﹂
﹁つまり、その剣が戦場で活躍するのははじめてってことですかい
?﹂
﹁いいや、それがわずかに刃こぼれの痕もある。大昔は使われもし
たんだろう。久しぶりに人間を斬ることになりそうだ!﹂

437
 俺は砦の中心部へと走る。
﹁オルクス! お前もついてこい! とっとと敵に引導を渡す!﹂
﹁ここを押さえているのはサルカイって小領主でしたな。摂政とも
あろうお方が、こんな小領主一人斬らなくてもいいんじゃないです
かい?﹂
 オルクスも息を切らさずに走ってくる。砦の内部はほとんど平坦
地で、動きやすい。
﹁そういう考え方もできる。けど、砦の支配者を摂政がみずから斬
ったとなれば、士気はどうしたって上がるだろ? とことん上げて、
大聖堂にぶつかってやる﹂
 これはそのための前哨戦だ。
﹁わかりやした。それじゃ、オレは補助に専念しまさあ!﹂
 両手で剣を持って、道をふさごうとする兵士にぶつける。兵士が
吹き飛ぶ。後ろからオルクスが槍で首をざくっと突く。
﹁うん、リーチがもうちょっと長けりゃもっといいんだけど、そん
なに悪くもないな﹂
 まず敵の槍の攻撃を回避しつつ、距離を詰めてから、剣を振るう。
 振ってしまえば、敵は威力を殺す手段もないから、その場に倒れ
ることになる。死ぬことはなくても、骨を折るぐらいの衝撃はあり
そうだ。
 そろそろ、声を上げていこうか。
 俺は剣を振り上げて、叫ぶ。
﹁国王陛下に逆らう賊ども、よく聞け! 我こそ摂政のアルスロッ
ド・ネイヴルだ! お前らの首をかき切って、陛下の御前に並べて

438
やるからなっ! 戦う勇気のある者はここまで出てこい!﹂
 守っている敵はぽかんとしているようだった。摂政が名乗りまで
あげて来るとは考えてなかったか。
﹁この剣は摂政が代々拝領する古剣である。だが、代々の摂政は惰
弱ゆえ、これを使う機会がないままでいた。俺は国の安寧を妨げる
賊がいる限り、これを振り続ける!﹂
 味方から、声が上がる。こんなことを言ったのは敵を挑発するた
めじゃない。味方をやる気にさせるためだ。
 敵にも骨がある奴がいた。﹁摂政の首をとれ!﹂とこちらに向か
ってくる一部隊がいた。
 俺はちらとオルクスの顔を見た。一緒に突き進むぞという合図だ。
﹁オレは死ぬとしたら戦場と決めてますんでな。そのためにはこう
いう場所に出てこなきゃなんねえ。お引き立ていただきありがとう
ございますってことで!﹂
﹁生きて戻ったら、今度、ヤーンハーンの茶式を学べ﹂
﹁いやいや、ああいうのはオレには向いてないんで⋮⋮﹂
 本気で嫌そうな顔をしたな。
﹁うおりゃああああっ! 赤熊隊の隊長ことオルクス・ブライトだ
ぜっ!﹂
 オルクスが前に出て、三ジャーグ槍を強引に振るう。密集して攻
めてきた敵がそれで散らされる。
 俺はそこに﹃打ち正義﹄を叩きつける。
 いつのまにか、俺の近くに﹁摂政様を守れ!﹂﹁隊長を守れ!﹂
と赤熊隊の者たちが集まって、攻め寄せていった。

439
 誤算だったな。最初からこいつらの士気は高すぎた。むしろ、命
懸けの戦場を俺と同じで楽しんでいる。
﹁おい! 敵の総大将キンダ・サルカイの首だけは置いておけよ!
 俺がやるからな!﹂
 そんな注意を発しながら、砦を順々に攻略していく。
 低いはしごを使ったわずかな高まりが砦で一番高い、主廓に当た
る場所らしい。大将もそこにいるんだろう。敵の密度からもおおか
たの見当がつく。
 俺たちの軍はそこに殺到していく。敵側の士気は全体的にさほど
いいとは言えないし、後ろから逃げ出そうとしている奴らもいるよ
うだが、総大将がいるところだけは例外らしかった。それなりに応
戦している。
 実力はどうということはないけどな。順調に悲鳴があがっている。
 赤熊隊とともに乱戦の中に入っていると、中で一人明らかに鎧が
上質の中年男がいた。
﹁お前がキンダ・サルカイだな?﹂
 男は絶望した顔になっていた。まさか、こんなにすぐに砦に攻め
こまれるとは思ってなかったと書いている。
﹁間違いないようだ。今更遅いがはっきりと申し上げておく。常識
的な戦いしかできないなら、俺はこの年で摂政にまでなっていない﹂
﹁うおおおあああっ!﹂
 瞳孔を開いて、悲鳴みたいな声をあげて、その男が剣を持って攻
めかかってきた。

440
 俺は剣を思いきり打ち当てる。
 敵の剣が舞う。
 その間に、俺は剣を振って、男の首を飛ばした。
71 平定完了、軍を引き返す
 その間に、俺は剣を振って、男の首を飛ばした。
﹁反逆者を討ち取ったぞ! この砦はこれにて陥落したっ!﹂
 雄たけびが各所で上がる。これでもう、敵軍は戦う心がくじけた
だろう。これでまだ戦えるならたいしたものだが。
 敵兵は俺たちが攻めた正面とは逆の側から落ちていく。やはり、
脱出ルートがあったらしい。
 けど、そこにはケララの軍勢が控えているけどな。
 俺のもとに将が集まってくる。ラヴィアラも額に汗をにじませな

441
がら戻ってきた。
﹁アルスロッド様、お疲れ様でした! これでアルスロッド様のお
力が王都近辺にも喧伝されることになりますよ! この摂政がどれ
だけ強いかみんな思い知ったでしょう!﹂
﹁終わったような顔をしているが、まだ終わってないぞ。とくに弓
兵はまだ一仕事ある﹂
 敵に戦う気力がないからといって、こっちが戦わないということ
にはならない。
﹁砦の逆側に弓兵を置け。ケララに逃げ道をふさがれて、また砦に
逆戻りしようとする敵兵がいたら射殺する。今度は高台からの攻撃
だからよく狙えるだろう﹂
﹁アルスロッド様は容赦がないですね。すぐに用意いたします﹂
﹁俺に立ち向かおうって気を萎えさせないといけないからな。この
先で立てこもられてはたまったもんじゃない﹂
 ケララによる地上からの矢の攻撃を受けて、逃げ出そうとした兵
士たちは射殺されて、斜面に近い脱出路から転げ落ちていた。道が
狭いから戻れる者もそうそういない。そういった珍しい者だけをラ
ヴィアラの部隊が射殺する。
﹁さて、あまりゆっくりしている時間はない。ノエンの別動隊と合
流する﹂
 俺はすぐに軍の進行を再開した。大変だが、これは往路だ。 
 復路はもっと疲れるものになる。
 ここにいる者全員が王都に帰りつけるようにしたいところだが、
さてさて、どうなるかな。

442

 それ以上、俺たちに抵抗する領主は存在せず、無事にノエン・ラ
ウッドが動かしていた五千の軍とその地方最大の都市で合流した。
 建物を一つ接収して、将を集めて、早速ノエンから戦果を聞く。
﹁小さな集落で二か所ほど交戦しましたが、完勝しました。敵の首
も披露できますが﹂
﹁あとでいい。これからが本番だ。服従の姿勢を見せている領主層
から人質はとっているな?﹂
﹁はい、そこはぬかりはありません。もちろん客人のように丁重に
扱っています﹂
 ならば問題はない、話はすぐにオルセント大聖堂の側に軍を引き
返すことに移った。
﹁敵はどこで待ち構えているでしょうか?﹂
﹁向こうは大軍だ。広い土地でなければ戦えん。それと、俺たちに
王都に戻られると、向こうもやりづらくなる。まさか、王都を焼き
尽くすわけにもいかんからな。となると、だいたいの見通しはつく﹂
 ソレト川というかなり幅のある河川がある。その付近の平野部で
ぶつかることになるだろう。
﹁ノエン、お前の軍の疲労具合はどうだ?﹂
﹁少し休めば、どうということはありません。まだまだやれますよ。
むしろ、戦勝で意気が上がっているぐらいです﹂
﹁それならよかった。本番で力が出せないとなると大変だからな﹂
 まだラッパからの最新情報は届いていない。俺はケララに問う。

443
﹁こちらの兵は合流して、一万三千。大聖堂はいくらだ?﹂
﹁周到な準備をしていたとも思えませんから、今すぐなら一万五千
もいないかと思います。ただ、大至急、周囲から信者を集めている
でしょうから、ゆっくりしていれば二万は確実に超えるでしょう。
二万五千といったあたりになるかと﹂
﹁だいたい、こちらの倍か﹂
 将の中には二倍の敵兵と聞いて顔を曇らせる者もいた。おいおい、
二倍ぐらいで恐れるようじゃ、俺の下では働けないぞ。そう思って
あらためて見てみれば、案の定、王都に来てから仕官することにな
った者だった。
﹁お前、何か言いたそうだな。罰したりすることはないから、好き
なことを話せ﹂
﹁倍の数を相手にするというのは危険です⋮⋮。ここは国王陛下か
ら休戦の提案を出していただくというのがよいのではないでしょう
か⋮⋮。国王陛下に堂々と逆らうということは大聖堂もやりづらい
はずです﹂
 ︱︱ほう、なかなか頭がまわる奴ではないか。朝廷や将軍はそん
なふうに使う価値があるからな。あながち間違ってはおらん。ここ
はこれを選べ。
 オダノブナガも考えることはなかなか堅実だな。
﹁お前の案も一考に値するな﹂
﹁ありがたき幸せでございます!﹂
﹁だが、その選択肢をとるつもりはない。このままぶつからせても
らう﹂
﹁なっ⋮⋮。敵は倍、しかもこちらは行軍で疲れもたまっているは

444
ず⋮⋮。危うい結果になりかねません⋮⋮。そのような賭けに出る
のは危険です⋮⋮﹂
 大聖堂と戦うのがよほど怖いのか、その将はふるえあがっている。
王都近辺に拠点があった者ほど、その力は身にしみてよくわかって
いるということだろう。
﹁一つ訂正しておこう。賭けになど俺は出ているつもりはない。十
二分に勝てる、そう踏んでずっとやっている。もし、本当に賭けな
ら、そのうち何度かは失敗して俺はこの地位にいない﹂
 俺は笑いながら、その男を見下ろした。
﹁摂政というのはそんな匹夫の勇だけでやれるほど簡単なものでは
ない。聖職者には自分たちの領分に帰ってもらう。これ以上、槍や
弓を持ってくちばしをはさまれるのは終わりにする﹂
 オダノブナガからもさんざん話は聞いている。宗教勢力は領主以
上の強敵だ。少なくともつけあがらせないようにしておく必要があ
る。
 俺は誰よりも偉くなるつもりでいる。王を目指すということはそ
ういうことだ。ずっと、大僧正の顔色をうかがう摂政や王など話に
ならない。
﹁さ、さしでがましいことを申してすみませんでした⋮⋮﹂
 とはいえ、倍の敵と正面から当たる気持ちもない。
 小細工は仕掛けないといけないな。まあ、仕掛けられるだけの人
材はこちらにはある。
﹁心配するな。本当に腹を立ててはいない。むしろ︱︱﹂

445
 国王を使って和睦しろという意見のおかげで、いい案が出てきた。
﹁感謝しているぐらいだ。これからも俺を怖がらずに意見を言って
くれ。俺はお前の味方だからな﹂
72 大戦の布石
 会議の終わったあと、俺はケララを呼び出した。人払いはしてい
る。
﹁いったい、どういったご用件でしょうか? なにやら密命のたぐ
いであるかのような気がしますが﹂
﹁ご明察。これは一言で言えば、ケララの立場でしかやれないこと
だ﹂
﹁それはあまりにも私を買いかぶりすぎかとは思いますが、そう言
っていただけたことはうれしいですね﹂
 うれしいとは言っても、ケララはそれで笑みを漏らしたりはしな
い。ケララは徹底して無事人であり、政治家だ。稚気のようなもの
を見せることは本当にない。それこそ同衾した時ですら、ほんの微

446
妙な違いが見えたぐらいだ。
﹁少し勘違いしているな。ただの世辞でこういう表現を使ったわけ
じゃないぞ。仮にここにお前とまったく同じ能力の人間がもう一人
いたとしても、この仕事はお前にしか頼めなかった。お前がこれま
で生きてきた人生に深い意味がある﹂
﹁私は愚鈍ですので、もっと具体的に教えていただきたいのですが﹂
 わずかにケララが頭を下げた。
﹁悪かった。少々、名案と思ったので、もったいぶりすぎた。では、
話をたっぷりと聞いてくれ﹂
 ケララは俺の話を聞いている間もやはり表情は変えなかった。口
をはさむのは無礼であると教育されてきた結果もあるのかもしれな
い。
﹁そのような大役、私に果たせるでしょうか? これは謙遜ではな
く、あくまでも自覚なのですが、私は交渉力があるほうとは思えま
せん。このように面白みのない性格ですので。そういう反省もあっ
て、教養は身につけたのですがあまり変わりませんでした﹂
 俺としては、そうやって朴訥に自己評価を下すケララこそ面白い
んだがな。
﹁お前の懸念もわからなくはない。ならば、こういう言い方を陛下
に対してしてくれていい﹂
いただ
 俺は自分が戴く王のことを想像しながら想像しながらしゃべる。

447
﹁まず、陛下の武勇を示すことにより、民の信望が集まります。本
格的に鎧に身を固めて戦場に出た王は長らく出ていないので、みな
陛下をこれまで以上に偉大な存在と考えることでしょう﹂
 とはいえ、こんなことは賢いケララなら、どのみち話しただろう。
王を持ち上げることに何者の許可もいらない。なので、大切なのは
もう一つ目だ。
﹁これが上手くいけば、摂政に対して貸しが作れます。摂政も陛下
に頭は上がらなくなります。これまで摂政が王都を支配していると
思っていた者も、そんなものは思い違いであったと気づかれること
でしょう。それこそ、陛下の価値を高める一手です︱︱と、こうい
うことを伝えてくれ。足りないなら俺をもっと悪く言ってくれてか
まわない﹂
 ケララの口元がわずかに動いた。俺の提案に多少なりとも動揺し
ているらしい。
﹁そのように摂政様を貶めるのは気が引けますが⋮⋮そのように話
せば陛下が乗り気になるとは思いますね⋮⋮﹂
﹁だろう? 実際、俺も今はむしろ王に借りがほしいのだ。俺が檻
の外の虎だと思われたくない。疑念を持った王がほかの勢力と結び
つかれると厄介だからな﹂
﹁うけたまわりました。摂政様のお覚悟、よく理解いたしました﹂
﹁王に頭を下げるだけで、目下、最も危ない勢力に打撃を与えるこ
とができるなら安いものだ﹂
 計画は伝え終わった。

448
﹁悪いが明朝にでも、変装したうえで、王都に戻ってくれ。成功す
ればこちらの完勝になる﹂
﹁最善を尽くします。けれど、どうか上手くゆかなかった場合の策
もお考えいただければと思います。私に摂政様の人生すべてをゆだ
ねられては、その重さにつぶれてしまいますから﹂
 俺はケララに近づいて、左腕だけで軽くケララの肩を抱いた。
﹁むしろ、お前たちの未来は俺が支えてやる。だから、今は俺を信
じてくれ。絶対に立派な国家を作ってやる﹂
 それをやろうと考えてるのも、できるのも俺だけだ。

 一夜明けて、俺は全軍をソレト川が作る平野のほうに進めた。王
都からは一日程度の距離のところだ。
 ︱︱いいな、ぬかるみのある土地だけは気をつけろよ。石山も攻
める時に地面が悪くてずいぶん苦労したし、戦死者も出した。
 けど、それは城攻めだろ? 今度は会戦だ。攻めあぐねるなんて
ことにはならないさ。
 ︱︱馬鹿者。その分、敵の半数ぐらいの兵しか今は用意しておら
んではないか。こんなことなら、最初からもっと動員して遠征に出
るべきだったのだ。覇王も桶狭間を除けば、大半は大軍で確実に圧
倒する戦い方をしてきたものだ。
 そのやり方が正しいのはわかってる。安全に、安全に事を運ぶほ
うがいいだろうさ。けど、それだと手に入らないものがあるだろ。
 ︱︱伝説を作りたいとでも言うんだろう。呆けた奴め。こっち以

449
上のうつけ者だ。
 オダノブナガもだいぶ俺のことを理解してくれてきているじゃな
いか。
 数で圧倒して、今回ばかりは手も足も出ないだろうと見えたアル
スロッドが敵を叩きつぶせば、多くの者が俺を軍神疑いなしと思う。
 この男に従うのも致し方なし、そう強く認識させる。それには善
政を敷くとか言った、地道なことだけじゃダメだ。幸か不幸か、戦
乱だらけの世の中だからな。
 ︱︱神格化の大切さはわかっているが、せめてそういうのは鉄砲
が大量生産できてからにすればいいのに⋮⋮。
 愚痴りながらもオダノブナガは折れてくれたらしい。
 俺はゆっくりと兵を進めた。途中、俺に属している領主たちから
だんだんと兵士を徴集した。ここで、拒否するのは危険と判断した
連中は俺が負けるのではと恐怖しつつも、ちゃんと参加してくれた。
 ここで忠誠心を確認することもできるから悪いことじゃない。
 おそらく大聖堂の側、カミト大僧正はこちらが勝つ見込みがない
から、のんびりやってきていると話しているだろうな。そう見えた
っておかしくはない。
 結局、四日もかけて俺はソレト川の岸辺に布陣した。
 俺たちの川の向こう岸には大聖堂側の軍が集まっている。
 途中で兵を集めてきたけど、それでも数は敵が一万ほど多いらし
い。

450
73 反摂政連合軍
 すでに敵の兵力の中身は割れている。
 大聖堂が直接指揮する兵士は半分程度。
 そのほかは俺を快く思ってなかった王都周縁部の小領主と、軍隊
を持っている都市の集まりだ。
 中には俺が来たことで所領を追われた者たちも復権をかけて、か
なり戻ってきているらしい。そういう連中はおそらく大聖堂で匿わ
れたりしていて、その時を待ちわびていたんだろう。
 あるいは、そういう連中が摂政と戦えと大聖堂を煽った面もある
かもしれない。王都近辺の連中にとって、この土地の支配者は、表
になったり裏になったり、くるくるひっくり返っているという意識
があるからだ。それだけ王統が移ろいやすかったし、摂政なんても

451
のはもっと早く没落した。
 一時的に摂政が出てきても、どうせすぐに別の奴に交代する。そ
う考えていたって、なんらおかしくない。過去の歴史に学べばそう
いうことになる。今回も王ではなくて、摂政に対する戦いというこ
とになっているはずだ。
 そんな連中がそう深くもないソレト側の対岸にいる。
﹁一言で申し上げますと、反摂政派の連合軍ということですね﹂
 白鷲隊の隊長レイオンは敵将の布陣図を見ながら言った。
 俺たちの足下には、大きな地図が置いてある。中央には川の図。
着色の暇がないから、青や緑にはなっていない。
 その図を見下ろしながら、将が全員立って、話をする。俺も同じ
ように立っている。全員立って、地図を囲めば身分差も気にしなく
ていいという側面もある。
﹁へん、たいしたことないですぜ。相手は大半民衆の連中でしょう
? こっちはそれなりの数、職業軍人で固めてるんです﹂
 赤熊隊のオルクスが八重歯を見せて笑う。それをすぐにレイオン
がにらみつけた。
﹁民衆といっても、大聖堂の信者たちは武芸を好むような連中ばか
りだ。弱兵であれば、ほかの領主を圧倒することなどできん。それ
にこちらだって全体の七割や八割が純粋な兵士というわけでもない。
お前のようなおごる者が最初に滅ぶのだ!﹂
﹁いいんだぜ、強いなら強いほうが。強い奴とでなきゃ武功も挙げ

452
られねえからな。それにどんだけ強くたって、連中には武人の覚悟
ってもんがねえ。長いもんに巻かれてるだけだ﹂
 抽象的な表現だったからレイオンがまた否定するかと思ったけど、
レイオンはまだ口をはさまない。
﹁武人としての意地って言ってもいいかな。これを持ってるのは、
うちの摂政様ぐらいのものなんだ。これがあるかぎり、敵の数が多
かろうが、勇猛だろうがこっちが勝つ。オレもそこを信じてずっと
戦ってきてんだ﹂
﹁持ち上げてくれたところ悪いが、俺も闇雲に戦ってるわけじゃな
いからな⋮⋮。意地だけじゃなくて合理的にやってるんだ﹂
 武勇だけで勝てたら苦労しないぞ。まあ、オルクスみたいな豪傑
がそう信じてくれる分には問題ないけど。
 地図には大聖堂軍という大きなくくりがあるが、それの布陣があ
いまいになっている。敵軍の細かな配置まで確認できてないところ
がある。大聖堂軍は半数以上を占めるから、これは少々困る。
 まあ、これもそろそろわかるが。
 作戦会議の中に、ヤドリギがぬっと入ってきた。足音もしないの
で、気づいてなかった将がびくっとしていた。今回はオオカミにな
らずに最初からライカンスロープの姿だ。
﹁例の軍は問題なく動きそうです﹂
 ヤドリギの報告に俺は少し表情をゆるめた。
﹁わかった。だったら、俺も思い切りやれる﹂
﹁それと、こちらに戻る途中に大聖堂軍の部隊指揮官も確認しまし
た﹂

453
 さらさらとヤドリギは名前を書き連ねていく。
 案の定、大聖堂軍の中にも領主の名と思しきものが並んでいる。
 敵は混成部隊だな。落ち延びてきた奴をそのまま登用しているわ
けだ。
﹁よし、お前たち、今から布陣の最終確認をするが、大聖堂軍の中
でも大物だけを狙え。外様は放っておいていい。こいつらが一番強
い﹂
﹁それは普通は逆なんじゃないですかい?﹂
 オルクスが腑に落ちないという顔をした。
﹁通例はザコを攻撃して、敵陣を乱すのが自然なやり方ですぜ。わ
ざわざ強いのにぶつかっちゃ、苦戦するだけだ﹂
﹁苦戦ならいい。負けなければいいんだ。援軍がここに来るからな﹂
﹁援軍? アルティア様が嫁いだブランド・ナーハムでも来るんで
すかい? 向こうのほうの土地からじゃ遠すぎる気が﹂
﹁まさに遠すぎる。マウスト城から軍を出すのも、今回みたいなの
だと間に合わないしな﹂
﹁だったら、このあたりはもう何も残ってないと思うんですが﹂
﹁そんなことはないさ。とっておきのが来る。とにかく守れ。援軍
が来た途端、こっちが優勢になるから、そこで攻めるだけ攻める﹂
 どうせ、援軍の行軍はゆっくりだろうから、それなりにしのがな
いときついだろうな。ここはケララにすべてをゆだねるか。
 ︱︱明智光秀を職業にしている女にこんな重大事を託すお前はう
つけだ。

454
 オダノブナガにまた、うつけ呼ばわりされた。うつけってこいつ
の口癖なのか。
 そこに急ぎの使いが入ってきた。
﹁申し上げます! 敵軍が攻撃の準備に入っております! 川を渡
って、こちらを叩くのが目的かと!﹂
 兵糧ももったいないだろうし、向こうは先に動く。俺が逃げ帰れ
ば、カミト大僧正としたら勝ちなのだ。それで政治的地位で俺より
上に立つ。都市からの信頼も損なわずにすむ。
﹁わかった。みんな、よく守れ。とにかく足止めしてくれれば、そ
れでいい﹂
 さて、正念場だ。
 収穫のために、とことん種をまいておこう。
﹁断言してやる。この勝負、守り抜けば、こちらの勝ちだ﹂

 やがて大聖堂が指揮する精強な部隊が突っ込んできた。
 これを俺たちの軍は長い槍で防ぐ。おおかた、川の中心よりわず
かにこちらというあたり。川の流れはせいぜい膝下。
 槍を固めれば、そうそう突破はできない。とにかく、敵が退くま
で守る。
 どうせ撤退してもすぐに次の部隊が攻めてくるが、これも守る。
 死者だけなら、攻め込む敵軍のほうが多いが、それでも攻撃はや
まない。

455
 好きなだけ来い。むしろ、主力は疲弊してくれたほうがありがた
いんだ。
74 援軍到着
 大聖堂直属の兵は意気軒昂でかなりてこずった。
 守りを何重にもしているから、潰走するまでには至らなかったが、
攻撃を受けたところはかなり死傷者を出している。さすがに著名な
将が戦死するほどではないが、俺の側についた領主の中で死んだ者
がいた。
 ちゃんと死ぬまでついてきたな。あとで子供でも取り立ててやろ
う。
 俺は陣を動かずに様子を見守る。報告を受けるにとどまる。うか
つに俺が出ていって、逃げ帰ったりすると、取り返しがつかない。
﹁今回はアルスロッド様も守勢なんですね﹂

456
 ラヴィアラが不安げに戦況の確認をしている。消耗の多い部隊に
背後の部隊から兵を送るためだ。
﹁無理に突っ込むのはもっと後でいいからな。防戦のつもりと思え
ば、大僧正も一気に決着をつけようとはしない﹂
 あいつの目的は俺を滅ぼすことじゃない。少なくとも、今回の戦
いで滅ぼすつもりはない。俺が退けばいい。それで大僧正の名前は
上がる。王都周辺に君臨する第一人者は大僧正ということになる。
 うかつに全軍で突っ込んで、もしこちらに策でもあって、自軍が
壊滅するとシャレにならない。だから、確実にこちらを追い詰める
ような戦略をとる。あいつは必ず堅実な手をとる。
 先が読める奴は怖くはない。
 有能なだけの指揮官なら、俺は負けない。
 本当に怖いのは、強い信念で自分を固めている奴と、感覚だけで
行動する天才肌の武人だ。こういうのは戦い方を変えないとやって
いけない。
さと
 幸い、王都周辺は理に敏いタイプの奴が多い。それなら俺はやれ
る。
 夕方になり、敵軍はやっと完全に去っていったが、翌日もまた渡
河を狙って攻めてきた。こちらは文字通り、水際で止める。もっと
も、本当に渡河する意図を持っているかはかなり怪しい。
 相手としてはこっちから撤退するぐらいが、ちょうどいいんだろ
う。それでこの地域の盟主たる立場を見せつければそれでいい。
 その日のうちに来るだろうと思ってた援軍は来なかった。

457
 やっぱり、ちんたらやってるな。
 出発が遅いのか? まともに兵を組織できないというのはありう
る話だ。まさか、おじけづいたなんてことはないだろうな? ある
いは数が少なくて恥ずかしいからまだ出てこないとか。
 一応ヤドリギに確認してみたが、必ず援軍は来ると繰り返しただ
けだった。たしかにヤドリギまで疑っては作戦を立てること自体が
できなくなる。
 ︱︱あ∼あ、明智光秀を信じたお前の失敗かもしれんな。光秀だ
からな∼。
 あんただって、そのアケチミツヒデを重臣に使ってたんだろ。人
のことばかりバカにするなよ⋮⋮。
 俺は平気な顔で、必ず援軍が来るから持ちこたえろと繰り返した。
 大丈夫だろうかと思っている顔もちらほら見えたが、赤熊隊のオ
ルクスを筆頭に親衛隊の人間は俺の言葉を信じきってくれていた。
ありがたい。
﹁ただ、できれば三日目には援軍が来てほしいところですけどね。
そろそろ向こう側につこうかと思う奴が出てくるかもしれませんぜ﹂
﹁ある意味、忠誠心を示すいい機会にはなりそうだけど、あんまり
粛清ばかりする奴にはなりたくないし、無難に済んでほしいところ
だ﹂
 三日目は俺も兵士を率いて、防備に出た。
﹁いいか。しのぐだけでいい! 敵の首をとることは考えるな!﹂
 敵軍の勢いもこれまでより強い。これは勝てると考えたのだろう。
あるいは、俺の側にまったく戦意がないことが明らかになったとで
も考えたか。

458
 疑心暗鬼になるのを必死にこらえた。
 何があろうと不安な顔を俺は見せちゃダメだ。俺への信頼がゆら
げば、兵士にかかっている職業オダノブナガのボーナスも消える。
兵士たちには覇王の下についていると思ってもらわないといけない。
 けど、大軍が来るなら、連中もその動向ぐらいつかみそうなもの
だ。これだけ平然と攻撃してくるってことは、やはり何も援軍が来
てないってことじゃないのか?
 くそ、せめてケララでも来てくれれば⋮⋮。
 ︱︱そして三日目の正午前。
 ヤドリギが俺のすぐそばに現れた。
﹁援軍が到着しました﹂
﹁到着? いったい、どこにだ?﹂
 喜び半分、失望半分っていうのが正しい。俺たちのところには来
てないのだから、戦場に到着したってわけじゃないはずだ。
﹁背後です。敵の背後に国王陛下率いる四千五百の援軍が到着いた
しました﹂
﹁は⋮⋮⋮⋮はっはっはっはっは!﹂
 しばらく間をおいて、俺は大笑した。
﹁そうか、そうか! わざわざ後背をつくように軍を動かしなさっ
たか! それなら時間もかかるな﹂
﹁はい、あまり目立たぬように領主たちにも集合場所も王城ではな
く、戦場の裏手に設定したとのこと﹂
 けれど、さっきの疑心暗鬼がもう一度来た。

459
﹁敵の後背か。まさかと思うが、摂政を討つなどと申されてはいな
いよな?﹂
 だとしたら、俺は本当に破滅だぞ。後ろ盾がいなくなれば、俺は
地元に落ち延びるぐらいの道しかなくなる。それだって無事にすむ
かはなんとも怪しいものだ。
 表面上はハッセを丁重に扱ってきたが、俺が力を持っているのは
事実だったからな。政治システムまではいじらなかったが、気に入
らないと思われていても不思議はない。
 それにケララはもともとハッセの臣だ。
 今こそ俺を殺す好機だとでも言ったとしたら⋮⋮。
 アケチミツヒデというのはオダノブナガを裏切るようにできてい
るのだとしたら⋮⋮。
 俺はヤドリギの目を見た。
 妙に時間を長く感じた。
 ゆっくりとヤドリギが口を開く。
﹁百に一の誤りもなく、摂政様へのお味方です。むしろ、もはや王
家の御旗を立てて、攻め寄せておられます!﹂
 万感の思いで俺はうなずいた。
﹁わかった! 今から反撃に出る! 大聖堂軍を叩きつぶすぞ!﹂

460
75 王との挟撃作戦
﹁わかった! 今から反撃に出る! 大聖堂軍を叩きつぶすぞ!﹂
 立ち上がって、そう叫ぶ。
﹁いいか! 今から全軍で攻め込む。川を渡って大聖堂軍に攻めか
かる! 数合わせの小領主は放っておいていい!﹂
 その声に、周囲の者たちの空気も変わる。
 ラヴィアラが目をうるませて、そこにやってきた。
﹁ついに来たんですね! アルスロッド様が待っていた好機が! 
もう待ちくたびれましたよ!﹂
 どうして泣きそうになることがあるんだと思ったけど、ほかの者
たちの顔も見てわかった。

461
 みんな、俺が攻めると決めた時は勝てるということを心と体に叩
きこまれてるんだ。
 だから今回も勝てる、そう信じることができて安心したんだ。
 その判断は間違いじゃない。間違いじゃないということをこれか
ら証明しに行く。
﹁この戦いは今から俺たちの優勢に変わる。向かい風は追い風にな
った! それでも細心の注意で攻めろ。敵はこのあたりじゃ一番の
大物だ!﹂
﹁うおおおっ!﹂
 叫びが俺の鼓膜を震わせる。
﹁アルスロッド様、一つ質問があります!﹂
 ラヴィアラが俺の前に出てくる。
﹁もし、大僧正が陣の中にいた場合、どうすればよいでしょうか?﹂
 神官は聖職者だから、表面上は軍人ではない。形の上だけ出家し
た武将などは軍人としてしか見られないが、大僧正ともなれば誤り
なく聖職者ということになる。
 本来は非戦闘員であり、殺害してはいけないことになっている。
﹁ラヴィアラ、いくら大聖堂の軍とはいえ、カミト大僧正はこんな
死臭漂う土地にいらっしゃるはずはない。彼も国家より公認された
大僧正、自軍の勝利をオルセント大聖堂の中にて御祈願されている
だろう。こんなところに軽々しく出て来られることなどない﹂
 実のところ、俺も大僧正がいるかどうかの確認はできていなかっ

462
た。ヤドリギが持ってきた敵軍の詳細配置図を見ても、大僧正の名
前はない。
 だから、別にこう行っても問題はないだろう。
﹁なので、この地に大僧正などはいないはずである。もし、神官の
装束を着ている者がいても、容赦なく斬り殺せ﹂
 味方の士気が上がるのを肌で感じた。
﹁そんな者は神官にあらず! 将がこちらを欺くためのものだ! 
仮に大僧正と名乗る者がいても首をとってよい!﹂
﹁わかりました! ラヴィアラ、たしかに承りましたっ!﹂
 大きな声でラヴィアラが答える。もう、走って俺のそばから離れ
ていった。
 よし、俺も出ていかないとな。
 ︱︱うむ! 愉快! 実に愉快!
 オダノブナガが吠えていた。
 ︱︱一時はどうなることかと思ったが、クソ坊主どもを斬れるな
ら、その苦渋の日々もすべて耐えしのべるというもの! 斬れ! 
斬れ! 斬れ!
 盛り上がってるところ悪いけど、八割方、大僧正は来てないと思
ってるぞ。あれは盛り上げるための方便だからな。
 本当に大僧正が死んだらどうなるかな。最低でも、収拾はまった
くつかないことになるだろう。それが俺にとって吉と出るか、凶と
出るか怪しいところだ。

463
 もしオルセント大聖堂が一つにまとまらないなら俺の勝ちで、も
し結集して俺を殺すことに血道をあげられたら俺の負けというとこ
ろか。おそらく遠国の連中も引き込んで大包囲網でも築いてくるだ
ろう。
 じゃあ、なぜ、兵を焚きつけたといえば︱︱総大将というものは
ほぼ戦死しないのが定石と知ってるからだ。
 もしも大僧正がいても、連中は全力で守るだろう、どのみちこち
らから逃げるぐらいはできるだろう。ならば、こっちの軍の士気を
上げたほうが確率としては得だ。
 ︱︱別に理屈ぐらいは知っている。こっちは覇王であって、阿呆
ではないぞ。それでもだ。坊主の頭目をぶっ殺せとはなかなか言え
んかったからなあ⋮⋮。お前が言ってくれてすっきりしたというの
はある。
 いや、オダノブナガ、俺はあくまでもこんなところに大僧正はい
ないはずだ⇒だから大僧正っぽいのがいても殺してもいい︱︱って
論理だからな。大僧正を見つけて殺せとは言ってないぞ。
 ︱︱そんなもの、同じだ! お前は坊主の勢力を破壊しに向かう
のだろうが!
 そうだな。だって、これだけ強いのが聖職者だから軍人ではない
だなんて不公平だろ。戦場に出てきたからには、全員平等だ。
 俺が兵を出す直前、馬が自陣に入ってきた。
 乗っていたのは、ケララだ。
﹁馬上から失礼いたします。ケララ・ヒララ、任務を完了いたしま

464
した!﹂
﹁もう一日早くしてほしかったな。寿命が縮んだらお前のせいだ﹂
 やっと軽口を叩く余裕ができた。
﹁陛下が乗り気になりすぎました。デモンストレーションではなく、
本当に軍を率いて、大聖堂の軍と戦うつもりになったせいで行軍が
慎重になりました﹂
﹁そうみたいだな。まさか、背後にいきなり出現するとは思わなか
った。向こうは動揺しているか?﹂
 ケララは首を縦に振ってから、
きょうく
﹁とくに小領主の寄せ集めは恐懼し、兵を引いて、逃亡を図った者
が出ているようです﹂
﹁やはりな。治める土地が小さいと、心も小さくなる﹂
 王に弓を向ける勇気など伝統ぐらいしかとりえのない連中にでき
るわけがない。奴らは新参の俺と戦う気はあっても、王権そのもの
とぶつかることなど最初から考えてなかった。
 だから、ハッセを出してくれば戦局はこっちに傾くと判断した。
 大聖堂の連中だって王権に真っ向から盾突くつもりはなかっただ
ろう。だから、今の足並みは無茶苦茶のはずだ。今回の指揮官が誰
か知らないが、王など殺してかまわんとは絶対に言わない。
﹁敵軍の半分はもう戦意を喪失している。残り半分を駆逐する。そ
れで俺たちの凱旋になる!﹂
 ハッセには後で心からお礼を言わないとな。向こうも自分の存在

465
感を認識できて一石二鳥だ。王の力を奪うのはもっと先でいい。ま
ずは俺自身を摂政として鍛え上げないことには話にならない。
76 博打の結果
 川に攻め込んでいっても、前日までとの違いをはっきりと理解し
た。
 風向きが変わったと言ったが、まさしくそういうものだ。
 戦場は空気に支配されている。勝つと確信している兵士たちと、
敗れるかもと不安になっている兵士たちがぶつかれば、必ず前者が
勝つ。
 これまでは大半の戦闘で最初から俺が有利なように進めていたか
ら、この変化をそこまで認識していなかった。こうも変わるものな
のか。

466
 昨日までならまだ立ち向かっていた、いや恐れずに攻め込んでき
ていたはずの敵軍があっさりと背中を向ける。
 そこを俺たちの軍が追う。
 戦場が命を懸けた追いかけっこに見えてくる。否、それが戦場の
本質なのか。
 ︱︱特殊能力︻覇王の風格︼発動。覇王として多くの者に認識さ
れた場合に効果を得る。すべての能力が通常時の三倍に。さらに、
目撃した者は畏敬の念か恐怖の念のどちらかを抱く。
 俺の軍が勝利を確信してくれたおかげだな。
﹁このまま行くぞ! 陛下に摂政の軍が腰抜けだと思われぬように
腹に力を入れろ!﹂
 声を張り上げながら進軍する。そろそろ川を渡り切る。ようやく、
本格的に敵の陣地を攻める番になった。
﹁そうだ! 王様が大聖堂を攻めてくれてるんだ!﹂﹁こっちは正
義だ! 負けるわけがねえ!﹂﹁みんな大聖堂は苦々しく思ってん
だ! ぶっつぶせ﹂
 そうだろうな。オルセント大聖堂の力をかさに着て威張ってる奴
らもたくさんいたはずだ。その連中に対して憎悪を募らせてた奴も
多いだろう。
 この戦いで、大聖堂派はつぶしてかまわない存在になった。人間
の意識が変質してしまえば、もうこちらのものだ。
 川の先では敵軍は想像以上に混乱していた。王は静観を決め込む

467
と思っていたんだろう。長らく、王が軍事的に直接誰かの肩入れを
することはなかったからな。
 王の軍の動きを把握してるケララも近くに侍らせていた。どのみ
ちケララ隊は今回はほかの将につけていたから、すぐに部隊は率い
ることができない。
﹁ケララ、この戦、最大の功労者はお前だ。よく、陛下をそそのか
してくれた﹂
﹁陛下は昔から、変わりたいと思っておられました。自分こそ王と
なって、王家中興の祖になるのだと﹂
﹁その陛下のお気持ちを読み取り、引きずり出したお前はやっぱり
偉い﹂
 アケチミツヒデという職業だったか。そんなもの気にせず、登用
して本当によかった。
﹁おそらく、これまでのすべての王が自分の名をもっと深く残した
い、活躍したいと思っておられたはずです。しかし、動く勇気を持
つことができなかった。軽々しく動くには、代々の王に戦場の経験
が足りませんでしたので﹂
﹁それをお前は説き伏せたわけだな﹂
﹁自分だけでは不安でしたので、ご正室のお力もお借りしました﹂
﹁あっ﹂と思わず俺は声を上げた。
 妻のことなど、戦場ですっかり忘れてしまっていた。そうか、と
くにルーミーにとったらこれほどまでに戦争を恐ろしく感じること
もそうなかっただろうな。
﹁ご正室はなんとしても兄である陛下に軍を出してもらうと息巻い

468
ておられました。そのお心も陛下を動かしたかと﹂
﹁わかった。王都に帰還したら、めいっぱいルーミーを抱き締めて
やる。むしろ、それしかできないのが歯がゆいぐらいだ﹂
﹁一日中、ご正室のお部屋で二人でお過ごしになられれば、一番の
恩返しになるかと﹂
 政務の量を考えると、なかなか同意しづらいところだけど︱︱
﹁考えておく﹂
 俺たちの軍は大聖堂軍の奥深くに攻め入っていく。ここまで入り
込めるということは、もう、向こうに防御の意思がないということ
だ。
 罠ということもないだろう。取り囲むにしても、ここまで兵の気
持ちが散っていては実現させようがない。
﹁おそらく、同盟者たちが先に撤退したせいで、軍全体に混乱が生
じたのでしょう。浮足立っているのがわかります﹂
﹁そうだな。この調子だと、まだ大物が残っているかもな﹂
 敵の真っただ中に進むが、相手に戦意がないのだから危険はほと
んどない。
 そして、やがてその男の顔を見つけることができた。
 カミト大僧正、本当にここに来ていたか。
 周囲の連中が﹁軍人ではない! 神官だ!﹂としきりに叫んでい
る。立場上、第一に退散するということもできず、しかも勝手に逃
げ出す頼りにならない仲間がいて、貧乏くじを引いた状態だ。
﹁大僧正、お気分はいかがです?﹂
 俺は馬に乗ったまま、傲然と言ってやった。

469
 向こうは魂が消えいったような目をしていたが、それでもどうに
か心を持ち直したようで、息を呑んで大僧正らしい顔つきになった。
﹁摂政、ここで愚僧の首を奪うおつもりか?﹂
﹁戦場にあなたがいらっしゃった以上、そうしても文句を言われる
筋合いはないが︱︱﹂
 俺はその顔をにらみつけた。これからもやり合うことになる顔だ
からだ。
﹁︱︱今回は生かしてやる。あなたがここで死ねば、あなたの失態
は信者から忘れ去られ、代わりに俺に憎しみを向けるようになる。
あなたはせめて陛下にはその非を詫びていただく﹂

 忌々しそうに、大僧正は歯ぎしりした。少なくとも敬虔な神の奴
ぼく
僕の顔じゃない。
﹁それと、もう一つ理由がある﹂
 そちらのほうが理由としては大きいかもしれない。
﹁あなたは俺を殺そうとまでは考えていなかった。せいぜい、こち
らに痛い目を見せて権威を失墜させてやろうというぐらいの気持ち
でこの戦に臨んだ。だから、こちらも生かしてやる﹂
﹁わかった。ご温情感謝する﹂
﹁次からは戦場に来る時は殺すつもりで来ることですな。この次は
言い訳を認めませんからな﹂
 やがて大僧正は馬に乗せられて撤退していった。
﹁摂政にしてはやさしいご判断ですね﹂
 ケララの言葉が本心じゃないことはわかっていた。それぐらいの

470
政治的判断はできる。
﹁大聖堂にとったら、大敗して生き恥をさらすより自分が死んだほ
うがいいことぐらい、あの男も知っている。それができない男だ。
武人でないからか、それとも次の代を担う者がまだ出てきていない
のか﹂
 今回の博打は俺の勝ちだ、大僧正。
﹁これで俺の、いや、俺と陛下の権威は確立されたな。王都周辺部
は大聖堂のそばを除けば、おおかた俺のほうになびくだろう﹂
 やっと、まともに摂政の力をふるえるよ。
77 妻のもとに帰ってきた
 敵が退散していったあと、俺は国王のところに出向いて頭を下げ
た。
﹁陛下のご臨幸のおかげで、賊徒はすべて逃げていきました。すべ
ては陛下のおかげであります﹂
 俺は心からこう言っている。これで俺の求心力は大きく高まった。
 もちろん、王の権威も高まるわけだけど、それで俺が損をするこ
とはない。今の俺に必要なのは王であるハッセと上手くやることだ。
﹁よいよい。摂政は妹と結婚した義弟である。義弟の危地を救うは
当然のこと。まして、罪もない摂政を陥れようとする大僧正が敵で
あればなおのこと﹂

471
 ハッセも上機嫌のようだった。王として久方ぶりの出陣。しかも、
その結果は大勝利と言っていい。これで納得がいかないということ
はないだろう。
﹁今回の遠征で、いくつかの反逆的な領主を滅ぼしました。その領
主権はぜひとも活躍した者たちに与えてくださいませんか﹂
﹁そうであるな。考えておこう﹂
﹁それと、大聖堂側が持っていた都市の支配権をいくつか、いただ
けませんか。大聖堂にも罰を与える必要がありますので﹂
﹁わかった。没収を考えよう。まあ、詳しい話は王都に戻ってから
にしようではないか﹂
 俺はもう一度ハッセに頭を下げた。
 大聖堂との権力争いは俺が勝った。都市も自然と俺になびいてく
るだろう。
 ︱︱よくもまあ、こうも無理をしたものだ。
 オダノブナガは素直に褒めてはくれないらしい。
 ︱︱時間をかけさえすれば、もっと着実に勢力を広げることもで
きただろうに。じゃが、退屈せんという点では間違いないな。
 当然だ、俺は王になるまで止まる気はないさ。全国を支配下に置
くからな。摂政なんて地位だけじゃ話にならない。
 ︱︱しかし、これで本格的に全国の連中と戦う破目になったがな。
これからはお前に天下をとらせるかと思う者が同盟を結んでやって
くるわ。
 どうせ、いつかは戦うんだから、気にしてないさ。

472
 ︱︱まあ、せいぜい準備をしておけ。ひとまずは⋮⋮鉄砲を量産
しろ。絶対に量産しろ。それがお前の天下を支えることになる。
 あんた、前にもそう言ってたな。わかった、信じてやってみる。
 さすがに大聖堂もすぐに反撃には出られないから、平穏もやって
くるはずだ。少しばかり、内政に時間をとるか。

 俺たちは意気揚々と王都に凱旋した。
 物凄く久しぶりに王都に戻ってきた気がする。戦は長く感じるか
らな。
 まず戻ってやったことは、妻の部屋を訪れたことだ。
 むしろ、セラフィーナがそうしろとすぐに伝えてきた。従わなか
ったら何を言ってくるかわからない。
 正妻ルーミーの部屋に入ると、すでに妻たちが集まっていた。
﹁あなた、いらっしゃい。命の取り合いでずいぶんお疲れになった
でしょう﹂
 幹事役はセラフィーナだ。みんな、美しく着飾っている。円卓を
囲むように座って、お茶を楽しんでいたようだった。
﹁ああ、生きた心地はしなかったけど⋮⋮ここはここで落ち着かな
いな⋮⋮﹂
 いつもは着飾ったりしないラヴィアラやケララも今日は姫君とい
った格好でそこに座らされていた。落ち着かないのは俺だけじゃな
くて、仮装させられているほうも同様らしい。
 ケララはとくに胸のあったドレスでそわそわしていた。

473
﹁セラフィーナ様のご指示でこのような姿をするようにと言われま
して⋮⋮﹂
 ケララが弁解するように言った。
﹁けして武官をやめたいと思っているようなポーズではございませ
んので⋮⋮﹂
﹁そんなことはわかっている。妻の冗談に付き合わせて悪かったな﹂
﹁あらら、それはおかしいわよ﹂
 にやにやとセラフィーナが小悪魔的に笑っている。
﹁だって、ケララさんだって妻の一人なんだから、旦那様を迎えて
もらわないとね∼﹂
 ケララの顔がわずかに赤くなった。ケララの場合は正式に妻とは
せずに武官として戦ってもらっているのだが、その分、こんなふう
にセラフィーナにからかわれることになる。
 セラフィーナなりに歓迎しているということも、なんとなくわか
るんだが。
﹁もう、ケララさんも後宮に入るべきよ。こっちはいつでも待って
るから﹂
﹁そしたら、戦場に出られなくなりますので⋮⋮﹂
 このあたりのところは難しい。地方領主の娘が、いざという時、
城で武装して戦うぐらいは普通にあるだろうが、摂政の側室が戦う
となると、それは異様なことと思われるだろう。
 それを言うと、ラヴィアラも似たところがあった。

474
﹁ラヴィアラもこういうのは、ちょっと⋮⋮。嫌というわけではな
いんですが、もう少しシックなほうがよかったかなと⋮⋮﹂
 ラヴィアラはピンク色のごてごてしたドレス姿だった。こんなの
が戦場に現れたら、一周して神の兵でもやってきたのかと思って、
恐れるかもしれない。
﹁ラヴィアラ、よく似合ってるぞ﹂
﹁アルスロッド様、それ、褒めていることになっていませんからね
?﹂
 そのやりとりをお茶を飲みながら、静かにフルールが笑っていた。
 できれば戦場の疲れはフルールみたいなおしとやかな妻と、のん
びりとくつろぎながら癒したいのだけど、セラフィーナがいる限り
は無理だろうな。
﹁あれ、もしかして、ケララさんも摂政様の妻に当たるのでしょう
か⋮⋮?﹂
 ルーミーはそのあたりのことがよくわかっていないらしい。うん、
まだルーミーには少し早い。
﹁そのことはあまりお気になさらなくてけっこうですよ﹂
 セラフィーナがまたくすくす笑っていた。
 ずっと立ったままなのもおかしいので、俺は空いている席につい
た。
﹁おかえりなさいませ﹂
 フルールがきれいな声でそう言った。
﹁わたくしもうれしいですわ。今度ばかりは摂政様も危ういと聞い
ていましたから﹂
 ルーミーの声は感極まったようにふるえていた。

475
 ああ、心配をかけすぎてたな。
 妻の顔を見て、珍しく俺は反省した。自分一つの命ってわけじゃ
ないんだ。妻を路頭に迷わせるわけにはいかない。
﹁俺もみんなのところに戻ってこられて本当によかったと思ってる﹂
 そのあとは政務も一度止めて、妻たちとなごやかなお茶の時間を
楽しんだ。
 こういう時間もたまにはいいよな。
78 妻のサプライズ
 そのあと、セラフィーナの顔にまたにやついた笑みが浮かんだ。
 今度はどんな悪だくみをしてるんだ? どうせ悪だくみをしてる
こと自体は確実だろう。
﹁旦那様、きっと戦乱が続いてお疲れよね?﹂
﹁そうだな。戦争の間はいつ殺されるかわからないって状況で生き
てるからな。神経がぴりぴり張りつめてるかな﹂
﹁そういうのはよくないわ。張った糸はゆるめておかないと、ぷつ
んと切れてしまうわ。それはケララさんやラヴィアラさんに尋ねた
ほうがいいかしら?﹂
﹁そ、そうですね。私の場合は、趣味に時間を使うことにしていま

476
す。王都であれば観劇を楽しんだりとか﹂
﹁ケララさんに同じくですね。ラヴィアラは校外の原っぱを走って
気分転換をしたりしますね。都市の生活はどうも慣れないんで⋮⋮﹂
 二人の性格がよく出ている答えだ。
﹁そうよね。だから、旦那様も帰ってきたからには骨休みをしない
といけないわ。妻が休ませようとしないと、どんどん働こうとしち
ゃうんだから﹂
 言い返そうとして言葉に詰まった。そういう部分もなくはないな。
﹁そもそも一日が短すぎる。摂政の仕事は多いんだから、どれだけ
時間があっても足らない﹂
﹁だからって限度というものがあるわ。休まないとダメ﹂
 セラフィーナも俺のことを心配してくれているんだな。もし過労
で倒れたとなると、止めておけばよかったと後悔するだろうし、気
が気じゃないんだろう。
﹁わかった。もう少し時間は︱︱﹂
 セラフィーナが俺の前に立って、アイマスクを出してきた。
﹁少しこれをつけて。大丈夫。悪いことはしないから﹂
﹁いまいち信じられないけどな⋮⋮﹂
﹁摂政様、セラフィーナさんのことを信じないのは夫婦としてよく
ないことですわ﹂
 ルーミーに正論でやりこめられてしまった。

477
﹁そうそう。よくないわよね。旦那様、妻のわたしを信じてくれな
いと泣いちゃうわ﹂
 俺は素直に身をゆだねることにした。まさか、地獄に連れていか
れるってことはないだろう。
 アイマスクをされて、どこかに引っ張っていかれているのはわか
る。そんなたいした距離じゃないと思う。
 セラフィーナの手は俺より冷たいのか、ひんやりとしている。そ
の手はセラフィーナが今の地位についても何も変わってない。
 やがて、何かやわらかいところに体を横たえる形になった。
 これ、おおかたベッドだろうな。そうでなければ長い椅子か。
﹁そのまましばらくじっとしていて。ズルをして目を開けないでね﹂
﹁ズルがわかったら、セラフィーナが怒るからな﹂
 ばたばたと音がするから、何かやっていることは確かなんだろう。
少なくとも、俺の体に触れてくるようなことはない。
 それと、話し声みたいなのもした。セラフィーナだけってことは
ないんだろう。
 なかなか寝心地のいいベッドなので、このまま眠ってしまいそう
だ。
﹁じゃあ、アイマスクをはずすわよ、旦那様﹂
 その声に、俺はようやく瞳を開けた。
 天蓋付きのベッドに俺はいた。それはいいんだけど︱︱その中に
妻たちがずらっと入っている!

478
 とくにセラフィーナとラヴィアラはいつのまにか夜着に着替えて
いた。フルールもケララも巻き込まれた形で、とくにルーミーは赤
い顔をしていた。
﹁おいおい! これはなんだ!﹂
﹁ほら、絵画であるでしょう。かつて、悪徳の限りを尽くしていた
古代の王の生活を描いたものが﹂
 そういうエピソードは神話の中にたしかにある。後宮ではしゃい
だ王だっているだろうが︱︱
﹁俺はこういうことは望んでないぞ⋮⋮。節度というものはわきま
えてきたはずだ﹂
 だいたい、何人もの妻を相手にしただなんてことが広まったら、
印象も悪くなるぞ。
﹁わかっているわよ。ご心配なく。あくまでも、これはこういう遊
び。絵画に扮したごっこ遊びね﹂
﹁そ、そうか⋮⋮﹂
 多少ほっとした。
﹁ほら、気が張り詰めているという話はしたでしょう。たまには羽
目をはずさないとよくないと思って、こういうことを考えたの。だ
って、旦那様は妻と話してる時でも政治のことを考えてるからね﹂
 ここで、それが摂政の生き方だって答えたらダメだよな。
﹁わかった。セラフィ−ナ、今はとことん、お前にもてあそばれる
ことにする﹂
 一瞬、セラフィーナの顔が本当に安堵したものになったように見
えた。
 今回の戦は心労をかけすぎたな。

479
﹁そうそう。ゆっくり楽しんでいってね﹂
 セラフィーナは俺を神話に出てくる暴虐の王の名前で呼んだ。
 そのあと、俺は左右に何人も妻を並べて、添い寝をするという変
な経験をした。
 ルーミーがはっきりと恥ずかしがっているのが、ひどいかもしれ
ないけど、面白かった。
 修道院の生活と比べたら違いすぎるからな。こんな話をしたら、
修道院の尼さんはひっくり返るだろう。そのあと、悪魔でもとりつ
いたはずだと除霊を試みるかもしれない。
﹁ルーミー、嫌だったら先に抜けていいぞ?﹂
 ルーミーは俺の足のあたりで足を崩して座っていた。
﹁い、いえ⋮⋮わたくしも摂政様の妻ですから⋮⋮妻としてできる
ことをいたしますわ﹂
 そのけなげな瞳を見ていたら、言わないといけないことを思い出
した。
﹁君が陛下を説き伏せるために力を尽くしていたことは聞いている。
本当にありがとう﹂
 妻がいすぎるけど、身内だ。別にいいだろう。二人きりになる時
間を用意するより早く言ったほうがいい。
﹁いえ、それぐらいしかできませんでしたから⋮⋮﹂
﹁きっと、君の行動で歴史は劇的に変わった。五十年後、君は絶対
に顕彰されてるだろう﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
 面映ゆそうにルーミーは笑った。

480
 ほかの妻たちもその様子を見て、なごんでいるようだった。
﹁ねえねえ、わたしには特別な言葉はないの?﹂
 セラフィーナがすり寄ってくる。
﹁お前はもう少し羞恥心を持つべきだな。あとは、ルーミーにあま
り変なことは教えないように、重ねて言っておく⋮⋮﹂
79 戦後の交渉
 ハッセ一世が王都に帰還してから三日後。
 王の命で、王都内にあるオルセント大聖堂系列の神殿五箇所の活
動禁止令が出された。
 兵士たちが勅令の写しを持って神殿にやってくると、中にいる信
徒や神官を外に追いやって、扉を封鎖する。禁止令が解かれる時期
は未定。
 ちなみにこれは俺の入れ知恵ではなく、王であるハッセのほうか
らやると言ってきたのだ。さすがに直接戦ったのは俺だったし、俺
にもその旨を伝えてきたが。

481
 大聖堂派に対するわかりやすい報復だが、神殿の破壊までを行わ
なかっただけ賢い。もし、これで徹底的に大聖堂派を除こうとすれ
ば、連中は結集してもう一戦交えようとしたかもしれない。
 そうなると、次の戦がどうなるかわからない。大聖堂はなりふり
かまわず前の王統勢力に助けを求めるだろう。
 現時点で、命運をかけた戦いなんてものに踏み切らせるメリット
はない。ここは甘やかせておくべきだ。
 俺はこの禁止令で十分だと伝えた。
 ハッセは﹁本音を言うと、神殿の一つや二つ壊してやりたいが、
王都が混乱するのでやめにした﹂と話した。
 俺も﹁ご賢察です﹂と調子を合わせておいた。
 急進的な動きは必ず強い反発を生む。まだ、反発を問題なく押さ
え込むには俺の権力は危うさがある。
 いずれ大聖堂とはぶつかるだろうが、その時に俺が勝てばそれで
いい。
 凱旋から十日後、王都にオルセント大聖堂の使者がやってきて、
王に刃向かうことになってしまった謝罪と、大聖堂派神殿の解放を
嘆願してきた。ここには俺も顔を出すことになった。
 質問はケララとヤーンハーンにやらせておいた。ヤーンハーンを
加えたのは、場がなごむかなと思ったからだ。茶式に詳しいこの竜
人の女は、普段はのんびりとしている。とても成功した商人とは思
えない。
﹁それでは、どうして大聖堂側は今回の∼、その、戦いをですね、

482
起こされたのですかぁ?﹂
 ヤーンハーンにはいつも以上にゆっくりしゃべれと言っておいた。
﹁そ、それは⋮⋮摂政が攻めた領主の中に我らの教えを信奉する者
が何人もいたため、それを救済するためです⋮⋮﹂
 都市や税の利権を守るためとはこいつらも言えないだろう。無難
な落としどころだ。
﹁なるほど。でも、摂政が攻めた領主はいずれも国からの弾劾状や
降伏勧告などを無視されていて、道理に背いたように見えますが∼、
これはどういうことですかぁ? 道理に背こうと信者であれば救う
のであれば、そこには正義というものはないのではぁ?﹂
 ヤーンハーンはのんびりしているようで、どこを指摘すればいい
かよくわかっている。大商人というのは交渉のプロということだ。
﹁いえ⋮⋮決してそのようなことはなく⋮⋮﹂
﹁道理のない者を応援しているということはぁ、正義に照らし合わ
せるようなことをしてないということですねぇ? あなたたちは負
けたからとりあえず謝りに来たけど、行為については反省などはな
い。そう考えてよいですか?﹂
﹁違います、違います⋮⋮。あれはですね⋮⋮領主たちも間違って
はいたのですが、それに対する罪が苛酷すぎると思ったので、それ
を軽減しようということで⋮⋮﹂
 使者のほうも責め込まれて、たじたじといった感じだった。
 ヤーンハーン、なかなか使えそうだ。
﹁なるほど。その部分はわかりましたぁ﹂
 使者のほうがほっとした顔になる。

483
﹁ですが︱︱調べていくと、どうも大聖堂さんは収入のために軍を
起こしたように見えるのですねぇ。やはり、お金のほうが信仰より
大事ということなんですかぁ?﹂
 なにやら、資料をヤーンハーンが出してきた。まるで素で敵をや
りこめにいく。このあたり、敵もすごくやりづらいだろう。
﹁そんなことはありえません⋮⋮﹂
﹁そちらのカミト大僧正がとある都市で行った祈祷とそれに対する
お布施の金額など、利権がからんでいるように見えてしょうがない
んですがぁ﹂
﹁いえ、きっと都市の信仰が厚く、多くを喜捨しただけで⋮⋮﹂
 そのあとも、使者は冷や汗をかきながら、弁明していた。想像以
上にヤーンハーンが資料を集めていて、不自然と思ったことは歯に
衣着せずに質問していくせいだ。そのくせ、弁明を聞いている時は、
ヤーンハーンはよくあくびをしていた。
 使者は自分たちの信仰が間違ってないことを表明しつつ、自分た
ちが戦ったことは間違いだったと言わないといけない。それは一種
のダブルスタンダードだが、そう言うしかない。自分たちは信仰な
どどうとも思ってないとは絶対に言えない。
 そんな当たり前のことにヤーンハーンは首を突っ込んでくる。
 いつのまにやら話は神学論争のようなものになった。というか、
ヤーンハーンは経典にも相当に詳しいことがわかってきた。具体的
な名称がいくつも飛び出てくる。
﹁︱︱ということで、オルセント大聖堂がおっしゃっていることは、
異端に当たるのではないでしょうかぁ? 異端というより、本来の
教えに矛盾していると思うのですがぁ﹂

484
﹁そんなことはありません⋮⋮。たとえば⋮⋮その、少し度忘れた
したのですが、とある経典に⋮⋮﹂
 ︱︱ああ、どっかの宗派の坊主を苦しめてやったことを思い出し
たぞ。これも法難と言うのだろうかな。
 オダノブナガもこういうことをやったことがあるのか。
 ︱︱それ専用の場を設けてだぞ。謝罪に来た奴にこんな話を吹っ
かけるのは聞いたことがない。
 これもヤーンハーンの個性というわけかな。
 ︱︱覇王としては坊主が懊悩しているのを見るだけでも、胸がす
くからよいがな。坊主どもはウソつきだ。一方で、その竜の角が生
えてる女は正直者だ。本当に神がおるのか知らんが、もしおるなら
正直者に勝たすだろう。
 なるほど、それもそうだ。正義は俺たちだ。
 一応、使者の弁明は認められて、オルセント大聖堂は賠償金を王
に支払いつつ、かなりの数の都市から手を引くことを認めた。
 これでやっと俺も王都周辺部に力を伸ばせると言っていい。
485
80 面白き世
 大聖堂の使者に対するイヤガラセが終わったあと、俺はヤーンハ
ーンの屋敷に行って、例の茶式というものをやった。
 極小と言っていいほどに狭い部屋に入り、そこでテーブル越しに
ヤーンハーンから渡された緑色の茶を飲む。言ってみればそれだけ
なのだが、茶会とはまったく違う、不思議な緊張感がある。あるい
はヤーンハーンは宗教の秘儀をヒントにしたのかもしれない。
 前回はいつのまにかオダノブナガとの対面なんてことになったん
だよな。あれがどうして起こったのかよくわからないけど。
﹁いかがでしょうか?﹂

486
 茶式の時のヤーンハーンはずっと大人びた雰囲気をまとわせてい
る。艶美な妖しさではなく、むしろ聖女のような高潔さに近い。
﹁前回よりおいしいと感じるようになった。口の中に残っていた垢
を腹に流し込んできれいにしてくれるような気がする﹂
﹁それはよかったです。接待側としてもうれしいですね﹂
 一息ついて、やっと本題に入ることになる。
﹁今日の仕事を見て思った。お前は趣味人の商人で終わるには惜し
い。俺の覇業の手伝いをしてくれ﹂
 この異国出身の女は必ず、役に立つ。
﹁はい、そのつもりで試験も受けたわけですから﹂

 ヤーンハーンも自分が淹れたお茶を飲む。やけに様になっている
ように見えるのは、センノリキュウという職業が関係しているのだ
ろうか。
 王都に来て、はっきりわかったことがある。
 類例がない特殊な職業を持っている人間はたいてい、有益な、そ
れも常識外れの力を持っている。
 クニトモシュウという職業を持っていたドワーフのオルトンバ、
アケチミツヒデという職業のケララ。こういう連中をもっと集めて
いきたい。
﹁私は面白い世を見てみたいのですぅ。だから、この国に渡ってき
ました。一言で言えば、この国が荒れていたからです﹂
﹁物好きだな﹂
 俺の目までは笑っていなかっただろう。なにせ、俺の考えとまっ

487
たく同じだったからだ。
 きっと、俺もこの世界に退屈していたのだ。いつ滅ぶとも知れな
い小領主の一族に生まれて、戦々恐々と一生を過ごすのがバカらし
かった。それは農民よりは夢があるかもしれないが、とても面白い
とは言えない。
 それなら、危険があろうと、王の地位を目指しにいってもいいだ
ろう、そう思って生きてきた。
 薬商のヤーンハーンが王になろうとはしないだろうが、考えは似
ているはずだ。
﹁今、この国で最も世を面白くしてくれる人物は、アルスロッド・
ネイヴルだと考えたので、ここに参った次第です。あなたの目指す
道はほかの誰とも違っていますので﹂
 二人しかいない空間だからこそ、ヤーンハーンは俺を摂政とは呼
ばない。ここでは対外的な地位などは不要になる。
﹁よくわかっているじゃないか。少なくとも、だらだらと傀儡と権
力者が移り変わるだけのゲームは終わらせるつもりだ。厳密にはそ
こから先のプランはできてないけど、まあ、俺が王になっただけで
もこの国は変わるだろ。ああ、﹃この国﹄はその時、もう滅んでる
な﹂
﹁はい。そして、茶式はそんな新しい世界にこそ合うものです。こ
れは古い何かの真似事ではありませんので﹂
 ヤーンハーンはよその土地からこの国に移ってきたと言った。
 つまり、本質的に過去に興味がない人種だ。
 何かを成し遂げる時、そういう者のほうが信頼がおける。俺は過
去をつぶしていくことになるだろうから、過去にこだわる者は必ず

488
恐怖する。
﹁ヤーンハーン、お前は政治がわかるか?﹂
﹁わかるかと問われると返事に困りますがぁ、外から来た者なので、
外側から動きが見えると言えば見えます﹂
 よし、合格だ。
﹁お前を本格的に重用すると思う。お前を見つけ出せた試験はやっ
ぱり意味のあるものだった﹂
﹁はい、褒美にはぜひ茶式を広めることにご協力を﹂
﹁お安い御用だ﹂
 そのあと、新たに俺に従属した都市や、俺がつぶした領主の土地
に対して誰を派遣するかといった話をした。
 ヤーンハーンは役人の名前をいくつも出して、案を出した。なか
にはつい先日、試験に受かったばかりの者も多い。非公開の情報で
はないが、どうしてそれだけのことがわかるのかと聞いた。
﹁王都で商人を営み、茶式というサロンを開いておりましたら、人
脈はできますからねぇ。これぐらいであれば、どうということはな
いです﹂
 俺はいよいよヤーンハーンがほしくなった。
﹁なあ、お前には夫はいないのか?﹂
﹁そうですねぇ。まずは商人としての仕事を楽しもうと思っていま
したので、惚れた惚れられたという話はないままですねぇ﹂
﹁俺の妻になるか?﹂
 もし、ヤーンハーンが﹁後宮﹂にいたら、円滑にその場を取り仕

489
切ってくれるのではと思った。セラフィーナは賢い女だが、性格の
ゆえか少し強引なところがある。一言で言うと、危なっかしいのだ。
﹁うれしいお話ですが、そうなると商人のほうをできなくなってし
まいますからねぇ﹂
 やんわりと断られてしまった。冗談の一つとでも受け入れられて
しまった。
﹁ただ、愛人と言うのであれば、それはその時の空気次第というこ
とになるかと﹂
 表情を変えずにひょうひょうとした態度でヤーンハーンは言う。
﹁食えない女だな﹂
﹁お茶は飲むものですからねぇ﹂
ねや
 ヤーンハーンとは閨でも、いくつか政治的な質問をした。茶式で
の質問が具体的で差し迫ったものだとしたら、そこでの話はもっと
長い目で見た問題だ。
﹁数年はゆっくりとするべきだと思いますよぅ。権力というのは固
めるのに数年はかかりますから﹂
﹁お前の言うとおりだ。参考にする﹂
 すぐに大軍でどこかを攻めねばならないということもないし、三
年ほど、様子を見てみるとするか。
 もっとも、休むわけじゃない。
 次の種をしっかりと撒くのだ。
 収穫の時期が今から楽しみだ。

490
81 故郷に墓参り
 夏の盛りが過ぎた頃、。
 俺は一族発祥の地であるフォードネリア県のネイヴル郡に里帰り
をした。
 ネイヴル城は自分が想像したよりもずっとみずぼらしくて、俺は
あきれてしまった。
﹁なあ、ラヴィアラ、俺たちの本拠地はこんなに小さかったのか?﹂
﹁ラヴィアラも貧相に感じますね⋮⋮。もっと大きな城だと思って
いたんですが⋮⋮﹂
﹁もっと郷愁ぐらいは湧いてくるものだと思ってたけど、それすら
ないな﹂

491
﹁それは当たり前ですよ。だって、アルスロッド様がこの城の城主
だった期間はそんなに長くないですもの。思い出はむしろ、もっと
小さな屋敷のほうにあるんじゃないですか?﹂
 ラヴィアラの言葉にそれもそうだと思った。
﹁ついでにそちらも寄りますか?﹂
﹁いや、いい。それよりも一族の墓に詣でるつもりだ﹂
 ケララが﹁故郷を大切にする行い、ご立派です﹂とおべっかでは
ない調子で褒めてくれた。顔もどこかうれしそうだった。
﹁ああ、ケララみたいな人間が素直に喜べることをやろうと思った
んだ。少し俺は進みすぎたからな﹂
 飛び出した者は嫌がられる。出る杭は打たれるからな。俺の敵な
んていくらでもいるだろう。
﹁なので、せめて故郷をないがしろにしてないとアピールするつも
りで来た﹂
﹁わざわざおっしゃらなくても、けっこうです。それに摂政様は楽
しんでいらっしゃるようですし﹂
 ケララには見抜かれているようだ。
 俺は郡単位の小領主の城を眺めて、不思議と落涙していた。
﹁よくもまあ、こんなところから、国を差配するところまで来れた
ものだ。いや、もっとひどいところからスタートしたのか﹂
 もはや、今の俺の軍団に、このネイヴル郡出身の者はほとんどい
ない。大半はその後に勢力を伸ばしてから入ってきた者だ。つまり、
譜代の家臣もいない。ここに郷愁を感じる者もろくにいないはずな
のだが︱︱
 なぜか、鳴き声が聞こえてきた。

492
﹁ケララ、お前までどうして泣いている?﹂
 いつも冷静沈着なケララが女官みたいに涙を流していた。
﹁なぜでしょうね。摂政様のお気持ちが伝わってくるからでしょう
か。長くつらい戦いだったでしょう﹂
 ほかにも何人か泣いている者がいる。自分以外の人間に泣かれる
と、どうにも照れくさいな。
 俺は家臣たちに体を向けて、言った。
﹁みんな、これまでずっと、俺に仕えてきてくれたこと、心から感
謝する。まさか、俺もこんなところから、摂政の地位にまで上り詰
められるとは思っていなかった。落ちる寸前の小さな砦に立てこも
った時は、あっさり死ぬのかとも感じた﹂
 ほどよく日が当たる。気候のせいもあって、俺はこの数年で一番
穏やかな気持ちになっている気がした。
﹁どうにか生き延びた後は、必死に強くなろうと戦ってきた。やれ
るだけのことをやったし、汚い手も使った。だが、ようやく報われ
たようだ。すべてはお前たち、支えてくれた者たちのおかげだ。俺
一人ではここまで来れなかった﹂
 摂政としては異例だろうが、俺はゆっくり頭を下げた。
﹁ありがとう。そして、これからもよろしく頼む﹂
 誰からともなく、﹁こちらこそ!﹂といった声が上がって、同じ
ような声がいくつも重なっていく。
 俺は自分勝手な男だとは思うが、できれば家臣たちと一緒に戦っ

493
ていきたい。
 翌日、俺たちはネイヴル家歴代の墓地に参った。
 きれいに管理は行っているが、どれもさして大きな墓ではない。
領主の家格からして、そこまで豪勢な墓を作ることは許されていな
かったのだ。半円のありふれた墓だ。遠征の最中に墓の横も何度も
通ったが、これと同じような小領主の墓をしょっちゅう見てきた。
 今回はあくまで墓参なので、家臣だけでなく、妻たちもすぐそば
にはべらせている。
 とくにルーミーは正室なので、すぐ隣に来てもらっていた。もう
片側にはセラフィーナとフルールが控えている。
﹁一族の方々、摂政の地位にまで俺はたどりつきました。歴代で何
代目でしたか。十六代目でしたか。また、俺の代から家が発展する
ように尽くす所存です﹂
 俺の言葉に合わせて、周りの人間も祈りを捧げている。
 しばらく、静かな音のない時間が続いた。
﹁あの、お墓ももっと立派なものにできますけれど、そういたしま
せんの?﹂
 ルーミーが尋ねてきた。王族出身者にとったら、このような墓は
信じられないのだろう。
﹁せめて墓碑を長く刻めるものにいたしませんか? そうすれば、
長くネイヴル家を顕彰することもできますし﹂
﹁いいや、これはこれでいいんだ、ルーミー。あまり墓を飾りすぎ
るのは不吉だとも言われているしな﹂
 俺は首を横に振って、その提案を断った。

494
﹁それにもっと先にやることがあるからな。西のほうでは飢饉が起
きているというし。それで贅沢するのもよくないだろう﹂
 収穫前の時期は、食糧が一番払底する頃合いだ。とくに最近は飢
饉が頻発している。
﹁ですが、それは摂政様の所領の外側ですわ。前王とつるんでいる
ような者たちの領内でのことですわ﹂
﹁摂政は、この国家全体のことを見なければならんのでな。摂政と
はそういうものだ﹂
 ルーミーは、﹁あっ⋮⋮﹂と声を漏らす。
﹁さすが、摂政様ね。職分をよくわかってらっしゃるじゃない﹂
 セラフィーナが俺のほうに体を寄せてきた。
﹁そうよ。今があがりではないんだから。あなたはもっと上を目指
さないといけないの。お墓のことなんて、そこから考えればいいの
よ﹂
﹁まあ、そういうことだけど、あんまり言わなくていい⋮⋮﹂
 祖先の墓なんてものは俺が王になった時に、またどうとでもする
さ。
495
82 居城に凱旋
 墓参りの後、領内を馬車で巡回すると、領民が沿道で俺を歓迎し
てくれた。
﹁セラフィーナ、これはお前が何か計画してたな﹂
﹁わたしではないわ。フルールの仕事よ﹂
 フルールがこくとうなずく。
﹁わたくしはしばらく王都のほうに赴くことがありませんでしたの
で。それで少しでもマウストやネイヴルのことを見ておこうと思っ
たのです﹂
﹁お前がそうやって目を行き届かせていてくれて、本当にありがた
いよ﹂

496
 フルールが王都にすぐ来れなかったのは、出産があったからだが、
それがいいように運んだらしい。
﹁あと、計画というほどのことではありません。ネイヴル郡では摂
政様の故郷ということで税も安くなっていましたし、慕われるのも
当然かと﹂
 元も子もないことを平然とフルールは言ったので、俺は笑った。
﹁そうだな。税を安くしてくれる領主ほど、素晴らしい領主はいな
いよな﹂
﹁無論、もともと摂政様の人気は高かったのもあります。あれだけ
戦争に強い若い領主が信頼されないわけないでしょうから﹂
﹁フルールのいいところは必ず理由をつけてくれるところだな。た
だのおべっかではないとよくわかる。マウストの留守もよく守って
くれていたな﹂
 俺がマウスト城を空けている間、その統治の一部はフルールにや
らせていた。
 もちろん、公的書類の大半は、領主である俺の名前で出してはい
るが、実務的な判断はフルールに任せていた部分もある。それだけ
フルールは聡明な人間だ。妻という立場でなければ、文官として使
いたかった。
﹁託されたことはわたくしなりに力を尽くしましたが、そのせいで
不満を持つ方も多くいたとは思います。女が政治をするなと思われ
ている方も皆無ではないでしょうし﹂
 そう口にしているフルールの顔は笑ってはいない。あくまでも、

497
すべては役人としての立場でフルールはしゃべっている。不快に思
われていてつらいとか、そういう話ではない。
﹁そういうことを思う者は俺が直接やったところで、別の理由で文
句を言ってくる。気にすることはない。だいたい、当主の不在時に
妻が代行するのは昔からの習いだ。俺が決めたことではない﹂
﹁はい、そのとおりですね。少なくとも八百年前のサムルー辺境伯
正室の事例までさかのぼれます。以降、ざっと年代記をめくってみ
ても、十例以上見つかりました﹂
 一応、前例があるか確認していたのか。不遜かもしれないけど、
俺の妻になって正解だったなと思う。小さな子爵の一族として生き
ても、その能力を発揮できる場がなかっただろう。
﹁ありがとう。マウスト城に戻るのが楽しみだ﹂
 ネイヴル家の本貫地を視察した後は、居城のマウスト城に行く予
定だ。そこに各地の領主が集まって、俺を讃えることになっている。
 しばらく、王都のほうにかかりきりになってしまったから、その
引き締めのためというのもある。
 かつて摂政になったものの、そのあと没落した有力者は地元のほ
うがおろそかになって足下をすくわれた例も多い。気持ちはわから
なくもない。摂政といえば、家臣としての頂点と言っていい。権力
だけならしばしば王を上回る。
 そのまま王都での生活にはまってしまって、自分の拠点のことを
忘れてしまう。忘れていると、必ず地元で新たに何か企む者が出て
くる。そういう時代だ。油断をして許されることなどない。
﹁マウスト城については変わりはないと思いますが︱︱﹂
 フルールは少し言葉を選んでいるようだった。

498
﹁周辺の領主たちは摂政様に恐怖を感じている者も多いかと。誰も
このような強大な権力者に従うということを長らく経験しておりま
せんので﹂
﹁わかった。少し慎重にやらせてもらおう﹂

 ネイヴルの土地を後にすると、俺はマウスト城を目指した。
 マウスト城下での歓迎は言うまでもなく、こちらのほうが上だっ
た。さすがにみすぼらしく入城するわけにはいかないから、式典の
ようにさせた。王都で活躍して帰ってきたわけだから、凱旋そのも
のだ。
﹁発展はしているけど、まだまだ王都ほどではないな﹂
 俺は城下を馬で歩きながら、つぶやく。
﹁いつか、このマウストを王都より発展した都市にしてみせる。そ
して、新しい王都、少なくとも副都ぐらいには﹂
﹁恐れながら、遷都を断行して国民の信頼を失い、そのまま滅びた
政権もございます。あまりお勧めはいたしません﹂
 ケララがそう諫めてきた。
﹁言ってみただけだ。それにすべては陛下がお決めになることだし
な﹂
﹁そうですね。もしも、陛下がマウストを王都にするとおっしゃっ
た場合はまた一行いたしましょう﹂
 ケララも王のことを出したら、黙ってくれた。
 久方ぶりにマウスト城に入った俺は、予定の日を待った。

499
 主に周辺の領主たちが続々と俺のオルセント大聖堂への勝利を寿
ぎに集まってくる。
 領主の数は小さいものも含めて四十人ほどだった。思ったよりも
多い。
 とくに、妹のアルティアの夫であるブランド・ナーハム、セラフ
ィーナの実家であるエイルズ・カルティスなどは、なかば俺の一門
も同然の立場だ。それに見合うだけの地位も与えてきたと思う。
 あとはフルールの兄であるマイセル・ウージュも一門と言えば一
門だ。こちらはあくまで俺の将にすぎないが。
﹁みんなにこのように戦勝を祝ってもらって、摂政としてこんなに
光栄なことはない﹂
 領主たちが並ぶ前に出てきて、俺は席について、鷹揚にそう言っ
た。
 ただ、どうも面白くない顔をしている者がいるのが目についた。
 それはブランドだった。どうして、アルティアの夫がそんな顔に
なる?
﹁義兄、このたびの輝かしい勝利は本当に偉大だとは思います。で
すが⋮⋮その⋮⋮妙に椅子が高すぎるのではないでしょうか?﹂
﹁椅子? ああ、摂政になったから、その格に見合ったものに変え
たんだ。俺も摂政として振る舞わないと、王権を軽んじていると見
なされかねんからな﹂
 まだ、ブランドは納得していないらしい。
﹁はい。しかし、これでは⋮⋮自分たちは義兄の同盟者ではなく、
家臣ということに見えはしませんか⋮⋮?﹂

500
 ああ、そういうことか。
 ブランドの言いたい意味がわかった。
83 妹との再会
 つまり、ブランドはこう考えているわけだ。
 あくまでも自分たちは同盟者であり、主人と家臣という関係では
ないと。
 たしかに、どれだけ所有する土地や兵の数に開きがあろうと、俺
とブランド・ナーハムの間に主従関係は成り立たない。我々は全員
が独立した領主だ。
 では誰に従うのかといえば、無論、王だ。今ならハッセ一世の下
に全員が並んでいることになる。
 だから、ブランドの不満には根拠がある。俺が摂政だろうと、俺
を主とみなす必要性はない。それは思い上がりだというものになる。

501
 フルールが懸念していたこと、すごくよくわかった。
 ここにいる﹁同盟者﹂たちは俺が主人として振る舞うのではない
かと神経質になっているのだ。
 この者たちは、皆、独立した領主として生きてきた。はっきりと
誰かの下についたことはないわけだ。
 戦争で屈服したことはあっても、大きな領主になかば臣従に近い
同盟を迫られることがあったとしても、形式的には彼らは王だけを
主といただいて、誇り高く生きてきた。
 しかし、そこで俺が摂政なんていう、この土地では前例のない者
になって戻ってきたから、疑っているのだ。
 俺が自分たちを支配するんじゃないかと。
 正解だ。
 俺はお前たちを支配して、自分の軍事力に組み込むつもりでいる。
それぐらいのことができないと、前王が逃げた西の領主たちと戦え
ない。
 これから先、起こるのは王国の東西の激突だ。西側の領主は前王
を必ず旗印にして、ハッセをつぶそうとしてくる。それが正念場で、
大聖堂との争いは前哨戦だった。
 ︱︱やはり、こういうややこしいことになったな。摂津や播磨の
連中がとった行動とまったく同じであるわい。
 オダノブナガも経験してるよな。力で従わせようとすると、こう
いうことになるもんな。

502
 ︱︱ちなみに多くの者が覇王に反旗を翻しおった。手を焼くこと
もあったが、一つ一つ叩きつぶしてやったわ。そもそも、戦ってよ
いものとダメなものの区別もつかぬ阿呆どもを生かしておいてもし
ょうがないであろう?
 結果的に背中を押される形になったな。
 アルティア、妹のお前には悪いけど、ブランドが弓を引いてくる
なら、俺はお前の夫を殺す。
 もちろん、そうならないなら、それに越したことはないけど、ブ
ランドの目を見ていたら、それは難しいように思える。
﹁義兄、質問に対するお答えをいただけませんか?﹂
 もう一度、さっきよりは強い声でブランドは言った。
﹁無論、我々も義兄と共に戦う所存ではございますが、我々の土地
は義兄の土地ではありません。それをどうかご確認いただきたいの
です﹂
 その瞳は、俺に似た青年領主のものだ。決して、自分の土地を守
ればそれでいいってものじゃなく、あわよくばもっともっと外に出
たいと願っている男の顔をしている。
 だからこそ、俺の下では働けないだろう。
 俺の義父に当たるエイルズ・カルティスとその同盟者たちも不安
そうに俺の顔をうかがっている。
 やっぱり、誰かの下につくことはみんな勘弁願いたいらしいな。
 俺は弁明するように、手のひらを領主たちに向けた。ただし、あ
わてたような態度はとらない。あくまでも俺は摂政だからだ。お前

503
らとは違う。
﹁心配なさらなくても、俺は貴君らの土地に欲を出すようなことは
ない。むしろ、貴君らの土地を守ることこそ、陛下に仕える摂政の
役目だ。我々は陛下だけを主に持つ﹂
 その言葉にやっとブランドは安心したように息を吐いたが、目は
まだこちらを慎重に見つめていた。
﹁今後、陛下の名のもとに戦争に従事することもあるかと思う。そ
の時はぜひとも協力をお願いいたしたい﹂
 それでその場は収まった。けれど、ほぼ確信が持てた。
 いずれ、俺たちはここの何人かと殺し合うことになる。
 国を統一するために、かつての仲間を滅ぼしていかないといけな
い。でなければ、前王を中心に結集した統制のとれた権力は手に入
らない。
﹁今回は、貴公の妻もこちらにいらっしゃっているか?﹂
﹁はい。ぜひ、お兄様にお会いしたいと楽しみにしていました。今
は庭を案内していただいているかと﹂
 ブランドの表情もさっきよりはゆるんだ。
﹁俺もぜひ会いたいと伝えてくれ﹂

 アルティアは城内の俺の部屋にまでやってきた。
 周囲はラッパが厳重に監視しているので、ナーハム家の間諜が仮

504
にいたとしてもこっちにまでは入って来られない。
 アルティアの髪は以前に会った時より伸びていて、より女っぽく
なったように見えた。
﹁嫁ぐ前は小娘といった雰囲気だったのにな﹂
﹁私も女盛りだから。もう、娘もいるよ﹂
 くすくすとアルティアは笑った。アルティアを妻にもらったブラ
ンドは本当に果報者だ。それだけの価値を俺もブランドにあると見
ていた。ただし、少々価値がありすぎたかもしれない。
 しばらくはアルティアと思い出話をした。といっても、俺とアル
ティアの思い出はここじゃなくて、ネイヴルの土地でのものばかり
だから、兄妹で旅先の土地にいるような気がしなくもない。
﹁なんだか変な気分。お兄様が摂政だなんて。国中がお兄様にひれ
伏してるだなんて﹂
 アルティアはおいしそうにお茶を飲んで、笑っている。
﹁そう、ひれ伏していかないといけないんだ。もっとはっきりとな﹂
 そこで俺の表情は硬くなる。
﹁アルティア、どうかお前の夫を俺の下につくようにしてくれ﹂
 俺はアルティアに懇願するように言った。
﹁ブランドは俺の下につくことは楽しくないだろうけど、それを拒
否するようなら俺はいつかあの男を殺さないといけないかもしれな
い。そうなれば、お前を悲しませることになる﹂
 危うい駆け引きだ。もし、アルティアがこのことをブランドに漏

505
らして警戒させることも十二分に考えられた。
 それでも、話したのはアルティアが俺に従ってくれると思ったか
ら︱︱でもないな。
 俺は妹を裏切るようなことをしたくないんだ。
 血のつながった妹にぐらいは本心を告げておきたかった。これか
ら、俺はきっともっと誰も信じられなくなる。そういう立場になっ
ていく。
 しばらくアルティアは黙っていたが、やがてゆっくりとうなずい
た。
﹁私の命はお兄様がいなければ、もっと早く尽きていた。だから、
お兄様の気持ちには沿いたい﹂
84 妹の決意
﹁私の命はお兄様がいなければ、もっと早く尽きていた。だから、
お兄様の気持ちには沿いたい﹂
 ほっとするにはまだ早かった。アルティアの言葉は終わってはい
ない。
﹁けど、それでも夫がお兄様に逆らおうとするなら⋮⋮その時は私
なりに決断するから。私はナーハム家の女でもあるから﹂
 しっかりとアルティアは俺の瞳を見据えている。
 自分の言葉に一切のやましい点はないと主張しているような目だ。
 俺はついつい、声を出して笑ってしまった。

506
﹁もう! お兄様、そこで笑うのはおかしい﹂
 茶化されたと思って、アルティアはむくれてしまった。無理もな
いか。
﹁悪い、悪い。それでこそ、俺の妹だ。血は争えないな。俺の兄も
もうちょっとこの気概があればよかったのに﹂
 摂政の俺を前にしても一歩も引かないか。
 そして、他家に嫁いだ人間の立場として、その受け答えが正解だ。
それぐらいでないと、かえって適当なことを言っているように見え
てしまう。
﹁アルティア、お前にははっきり言っておく。俺はこの国を統一す
る。それで一年の間に国のどこでも争いが起こらないような時代を
築いてやる﹂
﹁夢みたいな話﹂
﹁俺が摂政になったのも夢みたいなものだろ﹂
 アルティアはそれは認めると思ったのか、こくんとうなずいた。
﹁そのためにはこのあたりの領主たちにも従ってもらわないダメな
んだ。悪いようにはしない。少なくとも俺は自分のためについてく
る奴を粗末に扱ったことはない。ブランドは俺の義理の弟だ。俺に
尽くしてくれるなら三県ぐらいの所領は与えてやる。だから︱︱﹂
 俺は自分の胸に手を当てて、言った。
﹁絶対に夫を俺についてこさせろ。それが信じられるように、俺は
これからも覇業を続けていく。十年後には俺は国の頂点に立ってる﹂

507
 アルティアは席を立ちあがった。
﹁摂政様、今日はご歓待、真にありがとうございました。このアル
ティア、光栄の至りです﹂
 かしこまった口調でアルティアはそんなことを言ったが、すぐに
声をたてて笑った。
﹁お兄様はなんにも変わってない。いつもどおり身勝手で、いつも
どおり乱暴で、でも、そんなお兄様が摂政になったということは、
この国の歴史がそんなお兄様を望んでいたということ﹂
 アルティアは俺に近づくと、軽く頬にキスをしてきた。
 親族間なら、おかしくない範囲でのスキンシップではある。
﹁お兄様、王になって。その時に、私がどんな立場になっているか、
そもそも生きているのかもわからないけれど、お兄様は王になるべ
きだと思う。お兄様は誰の下にいても窮屈だから﹂
﹁ああ、わかったよ﹂
 俺も立ち上がって、アルティアを抱き締めた。
 なんて無茶苦茶な兄妹の語らいだろう。ごく普通のよもやま話は
到底かなわないらしい。
﹁お兄様は私にとっての自慢のお兄様だから。問題点は一つしかな
い﹂
﹁なんだ、その問題点って﹂
﹁女の人に手が早いこと﹂
 妹に言われると、けっこう威力があるな⋮⋮。
﹁それはだな⋮⋮ほら、世継ぎがいないとまずい立場だからだ⋮⋮。

508
別に俺が好色ってわけじゃない⋮⋮﹂
﹁好色というのとはちょっと違うけど、能力のある女の人だと思っ
たら、すぐに惹かれるから﹂
 これ、どこまで知られてるんだろ⋮⋮。
﹁ケララさんは確実だし、あと、連れてきてる部下に対する視線で
もわかる。ヤーンハーンっていう人とはなんかあった﹂
﹁お前、それ、本当にわかってるのか? 間諜でも使ってるのか?﹂
﹁お兄様のことはよく知ってるから。昔は言い寄る立場にいなかっ
ただけ。今は摂政だから容赦がない﹂
 妹の眼力が鋭すぎる。
﹁以後、気をつける⋮⋮﹂
 実行できるかわからないけど、そう言うしかないだろう。
﹁お兄様、それともう一つお願いがあるんだけど﹂
﹁なんだ? 遠慮せずになんだって言ってくれ。お前が今更遠慮す
ることもないだろうけど﹂
﹁ラヴィアラさんとも話がしたい。ラヴィアラさんはお姉ちゃんみ
たいなものだったから﹂
 なるほどな。それはごもっともな話だ。
﹁実はな、護衛役ということで、もう来てもらっているんだ﹂
 部屋のタンスがきぃーと音をたてて開いた。
 そこに涙目のラヴィアラが立っている。
﹁アルティア様、お久しぶりです! こんなに美しくなられて!﹂
 そして、すぐにラヴィアラはアルティアをぎゅっと抱きしめた。
それはそれは強い力で。

509
﹁ラヴィアラさん、これからもお兄様を見守っていてあげてね﹂
﹁もちろんですとも! ラヴィアラ、一生をアルスロッド様に捧げ
ますから!﹂
 横で聞いていると、どうにも変な気分だな。
﹁多分、お兄様はこれからも妻を増やしていくと思うけど我慢して
ね﹂
﹁え、あ⋮⋮はい⋮⋮そこは諦めてます﹂
 諦めるってどういう意味だ⋮⋮。
﹁なあ、せっかくだし、酒を開けないか? こんな日だし、いいだ
ろ﹂
 その後、俺たち三人は積もる話をした。その部屋だけ、すべてが
昔に帰ったような気がした。
 きっと、こんな時間はもう二度と過ごせないだろう。全員が十年
後も二十年後も幸せに集まれるなんて、奇跡のようなことが何度も
起こらないと無理だろう。
 そんなことも忘れてしまえるように、俺たちは楽しくその時間を
過ごした。
 今だけはみんな十年前に戻ろう。
510
84 妹の決意︵後書き︶
今回で、摂政編は終了です。次回から新展開に入ります!
511
85 残党狩り︵前書き︶
今回から新展開です。なにとぞよろしくお願いします! 天下統一
を目指します!
512
85 残党狩り
 俺がオルセント大聖堂を破った日からちょうど五年後のその日︱︱
 俺は王国西部に逃げていたサンティラ家の残党と交戦していた。
 もちろん、縁起のいいその日に戦闘を終わらせるように仕向けた
のだ。すでに連中がどこで命脈を保っていたかはとっくに知れてい
た。
 自分が出るまでもないが、せっかくだし前に行くか。
﹁赤熊隊・白鷲隊は俺に続け! オルクスとレイオン、準備はいい
な?﹂
﹁もちろんですぜ!﹂と赤熊隊の隊長、オルクス・ブライトが叫ん
で俺の馬の左に並ぶ。腕はますます太くなって、振るう剣ももはや

513
剣なのか斧なのかよくわからないほどだ。
﹁すでに白鷲隊も体を温めております!﹂
 右からは白鷲隊の隊長、レイオン・ミルコライアがやってくる。
エルフ出身のこの軍人はオルクスと対照的な理知的な風貌だ。
 しかし、そのせいで変な話もよく聞く。
﹁なあ、レイオン﹂
﹁はい、どういたしました?﹂
﹁お前は最近、宮廷の女官とずいぶん浮名を流しているという噂だ
が、あれは本当なのか?﹂
﹁あ、あれは⋮⋮その⋮⋮﹂
 明らかにレイオンは言いづらそうだ。
﹁どうやら図星か。お前はあまりそういう趣味はないと思っていた
が。別にそんなことで罰したりはせん。ただし、陛下の娘を惚れさ
せるようなことはするなよ。十二だったか、十三だったか、ちょう
ど恋に焦がれる年頃だ﹂
﹁申し訳ありません⋮⋮。その⋮⋮自分は言い寄られるとどう断っ
てよいかわからず⋮⋮﹂
 だいたい察しはついた。
 平時の際は白鷲隊は宮廷の警護などに当たっているからな。それ
で女官に声をかけられているんだろう。レイオンはもう六十歳近い
はずだが、エルフであるせいで青年の美貌を保っている。
 それと傭兵上がりで死地を何度もかいくぐっているから、目つき
もそこらの放蕩息子とは違う輝きがある。

514
 もっとも、老いてないという点なら俺も似たようなものだけどな。
 職業オダノブナガの特殊能力の一つに︻覇王の霊気︼というのが
ある。
 この職業を持っている者が居城で、覇王として振る舞っている間、
その親族も含めて老化が遅くなるというものだ。俺は王ではなくて
摂政だが、これの恩恵を授かっているらしい。
﹁レイオン、お前が言い寄られる理由の一つは結婚してないからだ。
いいかげんミルコライア家を継ぐ人間のことを考えろ﹂
﹁大昔、自分の暮らしていた集落の娘と結婚したのですが、死別し
ました。それ以降⋮⋮傭兵として土地を転々としたので、再婚もし
ておりません⋮⋮﹂
 身軽なほうがいいというのはわかるけどな。それでも隊長格には
全員子爵の位までは与えている。別に名誉職ではないのだから、そ
このところも真面目にやってくれ。
﹁オルクス、お前には子供は何人いる?﹂
 逆側にいる赤熊隊の隊長に声をかけた。
﹁十二人おりますぜ。長男と次男は赤熊隊の中で大活躍でさあ!﹂
﹁ということだ。これに関してはオルクスのほうが偉い﹂
 いつもオルクスにめくじらを立てているレイオンが恥じ入った顔
になった。
﹁も、申し訳ありません⋮⋮﹂
いっぱし
﹁お前らも一端の領主なのだ。ちゃんと結婚しろ﹂
﹁養子候補であれば何人かおりまして、家は存続できるような形に
なっておりまして⋮⋮﹂
﹁バカか。お前のことを好いている女官が何人もいるんだから、そ
の中から選べ。異様に相手の家の身分が高いのでなければどうにか

515
してやる。いつまでも傭兵の気分でいるな﹂
﹁御意であります⋮⋮﹂
 力なくそう言ったレイオンをオルクスが笑い飛ばした。
﹁よし、レイオン。サンティラ家当主の首を獲れ。敵の左翼から攻
めろ。こちらは逆から進む﹂
﹁はっ! しかし、城南県で覇権を握った一族も最期はせいぜい千
五百の兵しか率いて戦えないというのも無常なことですね﹂
 俺が答えようとする前に頭の中の職業オダノブナガが何か語って
きた。
 ︱︱いつの世も次代の趨勢を理解できぬ者というのは一定数いる
のだ。俺に従う以外の未来などどこにもないのに、あえて死ぬまで
無意味な反骨を貫く。当然、一族は滅んで路頭に迷う。何に対して
筋を通しているのかさっぱりわからん。
 でもさ、オダノブナガ、尻軽にすぐに主を替える奴よりはマシだ
ったりするんじゃないか?
 ︱︱場合による。滅ぶ直前に主を替えるなら信用などできるわけ
がないが、ずっと流れを見誤っている、いや、流れを見ようともせ
ん奴はタダの無能である。それは忠節を尽くしているとかそういう
次元ではない。
 それには同意する。このサンティラって家もバカすぎてどうしよ
うもない手合いだ。ぺこぺこ頭を下げていれば、猫の額ぐらいの土
地は与えてやったのに。
﹁レイオン、サンティラのバカ共が死ぬ前にどういう態度をとるか
よく見ておけ。そこでも武人の顔をしているか、びくびくふるえて
降伏するかどうかで、そいつの格がわかる﹂
﹁心得ました。ということは生け捕りにしたほうがよろしいですか

516
?﹂
﹁命乞いをしているようなら、一応連れてこい﹂
﹁承知つかまつりました!﹂
 レイオンの白鷲隊が敵のいる小高い丘に突っ込んでいく。乱戦に
及ぶ中では敵の布陣は悪くないが、多勢に無勢だし、そもそも多少
の地の利でどうこうできる戦いじゃない。
﹁オルクス、俺たちも行くぞ﹂
﹁手柄立てまくりますよ!﹂
 そろそろ背後から黒犬隊が攻撃を仕掛けているだろう。そこに突
っ込む。
 ちょうど俺たちがぶつかる少し前から敵の右翼が混乱しはじめた。
 猟犬たちが咆哮を上げながら敵兵を噛み殺している。
﹁ワーウルフ部隊はきっちり効いたな﹂
 あれは黒犬隊ドールボーの部隊だ。攻撃はとにかく粗野だが、こ
ういう時には使い勝手がいい。
﹁この勝負、完全に決着はついた。敵の連中は最悪、まだ退けると
思っていただろうけど、もう退路なんてないんだ﹂
 ここから先は狩りだな。 517
86 サンティラ家滅亡
 ここから先は狩りだな。
 敵は見事に浮足立っていた。後ろはオオカミの姿をとっているワ
ーウルフの攻撃で壊乱していて、前からはこちらの軍隊が攻めてく
る。千だか千五百の部隊では、もう勝ち目などないだろう。
﹁摂政の大将、オレにはどうしても敵が何をやりたいのかよくわか
らんのです﹂
 オルクスがデカい声で言った。戦闘中だから声は大きくないとい
けないが、それにしても大きすぎる。
﹁こんな中途半端な数の兵力で野戦を仕掛けて何ができます? そ
んなの殺されておしまいですぜ。まだ砦を固めてガチガチに守って

518
いれば応援も来るかもしれねえし、そんなのが期待できないにして
も、まだヤケクソで逃げるなり、自分に縄でもつけて出頭するなり
すればいい﹂
﹁つまり、非合理的すぎるというわけか。人間の何割かはこういう
何も考えてない生き物だ。命が懸かっていてもそうだ﹂
 もし、本気で全力で各地の領主たちが生き残るために争えば時代
はもっと変わっていたと思う。
 たしかに乱世ではあるが、あらゆる場所で毎日戦乱が起きている
わけではない。百年、領地を守っている者も多い。基本的に人間は
この時代においても保守的だし、その中には選択した結果じゃなく、
ただ、その状態を続けているだけの奴も含まれる。
 今回のサンティラ家はそういう者たちだ。未来を考えたこともと
くにないわけだ。成り上がり者の俺が攻めてきたからとりあえず刃
向かって、そして負けて本領を手放して逃げていった。
﹁こういう連中は徹底して叩きつぶす。やるぞ﹂
﹁へいっ! どっちかというと、近頃平和だったんで、ちょうどよ
いです!﹂
 たしかにこの五年はその前と比べればマシだった。大戦と言える
ようなものは起こらなかったというか、起こさなかったというか。
﹁多分、それもまた崩れるけどな。もっとヤバい状態になると思う
ぞ﹂
﹁望むところですぜ。戦争がなきゃ、オレとかは商売あがったりだ。
そっちのほうがはるかにヤバい。体が動く間はなんか斬ってなきゃ
な!﹂

519
 俺は剣を抜く。三ジャーグ槍は馬に乗ってだと邪魔になる。
 オルクスも分厚い剣で、突っ込んでいく。
﹁サンティラの残党共、その場でひざまずいていろ! 摂政アルス
ロッド・ネイヴルみずから、お前らを討ちに来てやったぞ!﹂
 この声を聞いて、首を取ろうとやってくるかと思ったら逆だった。
﹁人殺し摂政だ!﹂﹁この国最強の人間だ!﹂﹁逃げろ、逃げろ!﹂
 兵士たちが血相を変えて逃げようとしていく。俺の噂はどんどん
尾ひれがついているらしい。もはや、戦っても絶対に勝てない悪魔
とでもみなされているようだ。
 とはいえ、大きくはずれてもないけどな。
 ︱︱特殊能力︻覇王の風格︼発動。覇王として多くの者に認識さ
れた場合に効果を得る。すべての能力が通常時の三倍に。さらに、
目撃した者は畏敬の念か恐怖の念のどちらかを抱く。
 ︱︱特殊能力︻覇王の道標︼発動。自軍の信頼度と集中力が二倍
に。さらに攻撃力と防御力も三割増強される。
 この二つの特殊能力がオダノブナガという職業のおかげで付与さ
れている。
 俺は普通の人間では永久に出せないスペックで戦闘ができる。は
っきり言って負ける気はしないというか、負けようがない。
 逃げるといっても、どうせ逃げる場所もろくにないから、敵兵は
走ってぶつかって転んだりしていた。面倒だから雑兵まで斬るつも
りはないが、大将首もこの調子だとないだろうか。

520
 すでにオルクスは敵の中に突っ込んで、敵の首をばんばん吹き飛
ばしている。
﹁弱いぞ! 弱っちいぞ! 戦う気もないのに、こんなところにい
るんじゃねえぞ!﹂
 まったくだ。戦場に来たからには殺す気で、せめて死ぬ気でいろ
と思う。そのどっちでもないなら最初から来なければいいのに、何
も考えてないからこんなところまで出てきてしまう。
 俺は敵を探すのに苦労する有様だった。俺の周囲の連中が先に敵
を討ってしまうし、そもそもみんな逃げていくので戦いづらい。
 途中で俺は馬を止めた。
﹁これは、もう無意味だな。勝っちゃってる﹂
 ほぼ同時に敵左翼のほうから﹁サンティラ家の当主を捕えました
!﹂﹁摂政の勝利! 王国の勝利!﹂という声が響いてきた。
﹁もう、終わっちゃったんですかい? 戦った気すらしてないんで
すが﹂
 オルクスが不満げな顔を隠しもせずにやってきた。少なくとも勝
者の顔ではない。
﹁終わったものは終わったんだ。しょうがないだろ。そのへんの雑
兵を捕まえても売り物にもならんぞ﹂
 これが地方の戦いなら労働力として連れて帰るなんてこともやっ
ているかもしれないが、王都も俺の本拠のマウスト城も人はどんど
ん入ってくるから労働力には事欠かない。
 そこに犬の耳をした男が歩いてやってきた。黒犬隊のドールボー
だ。相変わらず、表情は酷烈だ。ただ、下卑てるというのとも違う。

521
真剣に生きる方法をずっと考えて生きてきた者の目をしている。
 もう、これはこいつの生きた証みたいなものだから、死ぬまで変
わらないだろう。
﹁将と思しき者に噛みついて三人ほど捕えてまいりました。どうし
ますか?﹂
﹁連れて帰る。しかし、王都にまで運ぶ必要もないか﹂
 俺の前にサンティラ家の者たちが引き出されてきた。後ろ手に縄
をかけられて、なんともみじめだ。
 ここまで来ると、何人かが助けてくれと声を出した。どうやら宮
廷の誰それと縁戚だから助けてくれなどと言っているらしい。
﹁レイオン、こいつらは命乞いはしたか?﹂
﹁はい。自分からひざまずいておりました。負傷したところを捕え
た者はおりません﹂
﹁わかった。全員、首を刎ねろ﹂
 誰もそれを止めようとしなかった。それがふさわしいと判断した
んだろう。
﹁サンティラ家の方々、誠に申し訳ないが、我が軍は有能な者はい
くらでも取り立ててきた。しかし、無能な見方を取り立てる空きは
永久にない。本当にそういう連中は敵以上に味方に損害をもたらず
のでな﹂
 首を斬る担当のところに連中は連れていかれた。
 これで、サンティラ家は正式に滅亡した。

522
 五手先、六手先が読めないならともかく、一手先もわからぬので
はどうしようもない。
87 妻に疑われる
 簡単な戦後処理を終えて、王の側に属している町まで戻ってきた。
本日はここに泊まる。王都からもかなり離れているので、ゆっくり
と戻るつもりだ。
 部屋に入ると、ソファに倒れ込んだ。なんだかんだで戦場は疲労
がたまる。命のやりとりをしているわけだからな。じゃあ、前線に
出なければいいという話だが、前に出たほうが軍隊全体の士気が上
がるので、出ないわけにもいかないのだ。
 オダノブナガはそんなに前線に出るタイプじゃなかったはずなの
に、少しおかしいだろという気もするが、戦うのは楽しいから別に
かまわない。宮廷でずっと暮らすのも息が詰まる。

523
 同じ感想の人間はほかにもいるようだ。
﹁アルスロッド様、お疲れ様でした!﹂
 ラヴィアラが威勢よく部屋に入ってきた。今回はラヴィアラは最
前線には出なかったが、従軍はしていた。
﹁久々の戦争でほっとしましたよ。どうもお城の中でおしとやかに
するのは性に合わないんで⋮⋮﹂
﹁そう言うと思ってたよ。俺も同意見だ。最近はあまり戦争もない
しな﹂
﹁もっとどんどん攻めに出るわけにはいかないんですか、アルスロ
ッド様?﹂
 ラヴィアラは不服そうに口をとがらせた。
 俺が小領主にすらなれていなかった時代から、ラヴィアラとの関
係は何も変わってない。
﹁攻めなきゃいけない時もあれば、固めなきゃいけない時もあるん
だ。摂政としてのつとめも果たさないといけないからな。ずっと戦
争してると陛下に何をしてるんだと思われる﹂
 摂政に就任し、オルセント大聖堂を打ち破ってからは、静謐が王
都周辺におとずれた。というよりも、王都近辺で俺に逆らう勢力が
それで消滅してしまったわけだ。
 もちろん、ずっと外に出ていけば俺の勢力を気に入らない奴もい
るだろうけど、ずっと外に出続けていたら、態勢を整えられなくな
る。
 なので、オルセント大聖堂を叩いて屈服させてからは、こちらか

524
ら遠征するようなことも避けていた。むしろ、王都付近に勢力を扶
植するほうが重要だった。
 俺はラヴィアラをソファに座らせて、その髪を撫でた。
﹁アルスロッド様、まだ政務の時間ではないんですか?﹂
 まんざらでもない顔でラヴィアラは言う。
﹁遠征に出ている時はその限りじゃない。出張っている間の政務も
ヤーンハーンに任せている。あいつが上手くやってくれるだろ﹂
 俺がこの五年で一番の成果を上げたのが、役人の入れ替えだ。試
験をやって新規に人材を大量に集めた。
﹁新しい方々は本当にお仕事熱心ですよね。役人の質が上がったと
いう話はよく聞きます﹂
 新しいという表現にはちょっと語弊があるけどな。第一期の者は
もう五年やっている。
﹁単純に俺が集めた連中は頭がいいんだ。ヤーンハーンもやり手の
薬商だからな。既得権益だけで跡を継いだ愚か者どもとはわけが違
う﹂
 ラヴィアラは俺のほうに顔をうずめてきた。長い付き合いでも飽
きないものだと思う。
﹁ずいぶんと古い人たちを追放なされましたね﹂
 新人が活躍できる場を開けるために、じわじわと邪魔者を取り除
いていった。
﹁罪状はこれまでの職務怠慢だ﹂
 もし、大聖堂と戦っているところで罷免を繰り返したら危なかっ
たかもしれないが、基盤ができてからならどうということはない。

525
﹁陛下に不審に思われないようにはしてくださいね﹂
﹁わかってるさ。これは俺と陛下の権力の奪い合いじゃない。陛下
の権力自体にはほとんど手をつけてない。実際、統治機構自体の改
変なんて全然してないからな。人がすげ代わってる分にはなんとも
思ってないさ﹂
 どうせ、現在の王︱︱ハッセ一世に忠実な人間は役人として残っ
てはいなかったはずだから、王の権力には影響がない。誰が王にな
ろうと、事務処理をするためだけに残っている出来損ないの官僚み
たいなのが王都付近にはたくさんいた。
 俺はそういうのを一人ずつ、丹念に自分の手駒に置き換えていっ
た。
 おかげでそうそう権力が揺らぐことはないし、ちょっと王都を留
守にしても仕事が滞ることもない。
﹁このままアルスロッド様の権力が安定したまま、国土を統一でき
たらいいんですが﹂
 ラヴィアラの髪からは香水の香りがする。遠方由来のかなり高い
しゃし
品だ。王都には奢侈品もずいぶんと入ってくる。
 まさしく、俺たちにとってはこの世の春ってことだろうな。
﹁でも、まだまだ戦いは続くぞ。それは間違いない﹂
﹁それはそれでかまいません。ラヴィアラ、命に代えてもアルスロ
ッド様をお守りいたしますから﹂
 ラヴィアラは俺の体に腕を絡めてくる。これはその気になってる
な⋮⋮。
﹁ラヴィアラだけにできることとなると、そういうことしかありま
せんからね。ライバルはどんどん増えていくでしょうし⋮⋮﹂

526
 少し、ぎくりとした。
 ラヴィアラはそういうことをかなり気にするからな。
﹁ここ最近は色恋は控えているはずだが。陛下から妹君を妻に迎え
た手前、どんどん側室を増やすなんてこともできないし﹂
 それは本当だ。ルーミーが正室になってからは、表向きは妻の数
は増やしてない。五年そうやって平穏を守ってるんだから、問題な
いはずだ。
﹁ヤーンハーンさんが二年前に産んだ男の子は、アルスロッド様と
の子だという噂ですが﹂
 うっ⋮⋮。それはそうだな⋮⋮。
 ヤーンハーンとは完全に愛人関係にある。茶式を二人でやってい
る間に、俺のほうが惹かれていった。それに商売を一人で仕切って
いる女というのにも興味があった。ほかの領主の娘たちとは違った
価値観を持っていて、率直に言って、面白い。
 こちらで引き取るという話もしたが、ヤーンハ−ンは自分の跡継
ぎにすると言っていた。単身、こちらの国に渡ってきて、結婚もし
てなかったようだから、それはそれでちょうどよかった。
﹁きっと、側室にはしてなくても愛人は作っているんじゃないかな
とラヴィアラは疑っています﹂
 ラヴィアラの疑惑の声が刺さってくる。
 これは、ちゃんと気をつけよう⋮⋮。 527
88 次の対戦の計画
 そこでこんこんと扉がノックされた。そのノックの音で誰かおお
かたわかる。
﹁悪いな、ラヴィアラ。まだ仕事で誰かが入ってきてもいい時間だ﹂
 すっとラヴィアラも体をほどいた。少しばかり不満そうだったけ
れど。
 扉を開けると、ケララが立っていた。
﹁例の北方攻略作戦の試案ができましたのでお持ちいたしました﹂
﹁それはご苦労なことだけど、遠征中に持ってくるものではないだ
ろ﹂
 ラヴィアラが不満げな顔になってもいるので、そう言った。

528
﹁完成次第、すぐに持ってこいと言われましたので﹂
﹁そうだな。悪かった。渡してくれ。ラヴィアラもいるし、ちょう
どいいや。ちょっとその話をしようか﹂
 その試案はありていに言うと、まだ俺たちになびいていない北方
の領主を服属させるための計画だ。もちろん、表面上は王になびい
ていない領主を服属させるわけだが。
 現状、王の権力がおよんでない地域は大きく二つに分かれる。
 一つは西方。これは前王のパッフス六世が逃げた土地なので、今
後とも戦わないといけない強敵と言える。もっとも、西方も一枚岩
ではない。いくつかの有力諸侯同士で覇権を争っている。
 一方で、北方はそもそも王都から離れすぎていて、どうしても文
化的に後進地域となりがちだ。そのせいか、まだいくつかの有力諸
侯に統合される前の段階で小勢力が飴玉に群がるアリみたいにうじ
ゃうじゃと集まっている。
﹁計画としては、北方では比較的有力なオルトラ家を討つ。とっと
と降伏するか、徹底抗戦してくるかはわからん。それでも、ここを
つぶせば、ほかの弱小領主は諦めて投降してくるだろう﹂
﹁悪くない計画かと思います﹂
 まったく笑わずにケララが言った。愛想がないとよく陰口を叩か
れるが、たしかに書夢中は笑わないな。
﹁あの⋮⋮根本的な質問なのですが⋮⋮よいですか?﹂
 ラヴィアラが手を挙げる。

529
﹁順番からいけば、西方の強敵を攻めるべきじゃないんでしょうか
? どちらかといえば、北方の領主は離れていますし、ほかの王を
いただいているわけでもいませんし⋮⋮﹂
﹁そうですね。ラヴィアラ様のおっしゃることもわかります。どう
考えても脅威は西方ですから﹂
 ケララの落ち着いた態度が、またラヴィアラは気に入らなかった
らしく、少し苦手そうな顔になった。これは相性の問題だ。ケララ
はいかにも王都出身という雰囲気の女武官だからな。
﹁その顔だとラヴィアラさんはすべてご存じなんですね。あ∼あ、
いつもラヴィアラはおいてけぼりを食ってる感じです﹂
﹁そんなことはありません。ラヴィアラ様はご立派ですし、摂政様
にも大変愛されているかと思います。少なくとも私よりは﹂
 末尾にどうも引っかかるところがあった。そんな話をした覚えは
ない。
﹁そ、そうですかね⋮⋮。たしかにアルスロッド様はラヴィアラの
部屋を訪れてくれる回数のほうがずっと多い気はしていますけど⋮
⋮﹂
 そこでマウンティング取ろうとしないでくれ。すごく、やりづら
い!
﹁はい、もう少し⋮⋮私も夜も摂政様と語らうことができればと思
っているのですが。愛想の悪い性格ですから、遠ざけれているのか
もしれませんね﹂
 ケララはそっけなくはあるが、この言葉には明らかにトゲがある。
おかしいな、ケララはそういうことを気にする性格じゃないと思っ
てたんだが⋮⋮。

530
﹁あれ、ケララ、今のは初耳だぞ﹂
﹁わざわざお伝えするようなことではありませんので。これの計画
を続けましょう。私から話してもよろしいですか? もし、誤りが
あれば訂正をお願いします﹂
﹁わかった。説明を頼む⋮⋮﹂
 ケララは持ってきていた地図を広げると、それを棒で指示してい
った。
﹁このように摂政様の本拠であるマウスト城から我々は軍を進めま
す﹂
﹁ですよね。進路を見てもおかしなところはないです。でも、それ
だとラヴィアラの疑問の答えにはなってないですよね﹂
 そう、北方の領主を攻める理由は答えられていないままだ。
 そこでケララはつつつと棒の場所をマウスト城に近い領主のあた
りに動かした。
﹁セラフィーナ様の父であるエイルズ・カルティス、摂政様の妹君
の嫁ぎ先であるブランド・ナーハムあたりがこれを機に、兵を起こ
す可能性があります﹂
﹁まさか、本当に⋮⋮?﹂
 ラヴィアラの顔が険しくなる。いつか、そういう戦いが起こるか
もとは伝えていたが、具体的にいつになるかということはラヴィア
ラも考えてなかったと思う。
﹁そういうことだ。本当の敵は俺の本拠に比較的近いところにいる、
心から服属しきってない連中なんだよ。こいつらはあわよくば俺を
滅ぼしてしまおうと考える。結局、俺を同盟者とは思ってはいるけ
ど、俺の下につくのは嫌ってわけだな﹂

531
﹁だから、西方を攻めている間に大きな反乱が起こるぐらいなら、
先に北方を攻めて、そういう連中を飛び出させるということですね
? そのほうが戦乱の規模からいけば安全だから﹂
 やっぱりラヴィアラも賢いじゃないか。状況判断はすぐにできる。
﹁無論、これは予定というか、﹃最悪の場合﹄を前提にしています。
摂政様の親戚筋の一族が反乱を起こさないなら、それはそれであり
がたいことです﹂
﹁周囲に自分を見ている人間がうじゃうじゃいるのに、堂々とテー
ブルの金貨を盗む奴はいない。しかし、ほかに誰もいないなら、そ
うっとかすめ取る奴はいる。一言で言えば、俺は親戚を試すんだ。
俺を殺すなら今だぞってな﹂
 俺を快く思ってないことぐらいはほぼ確実だとラッパからの情報
でわかる。
 だからといって、反乱を起こすとは限らない。たいていの主君は
部下から全幅の信頼を集めてるわけじゃないだろう。気に入らない
ながらも仕えていることのほうが多いかもしれない。
 なので、そこは試してみないとわからない。
﹁意味はわかりました。ですが、今、アルスロッド様を殺せば、そ
のあたりの土地も大混乱ですけどね。メリットがあまりあるとは思
えませんが﹂
﹁まあ、そんなに未来を考えて生きてる奴だけじゃないからな﹂
 俺は新しい時代を作るつもりだけど、そんな気概もない奴でも妨
害ぐらいはできる。

532
89 戦勝報告
 サンティラ家を滅ぼした俺は王都まで戻ってきた。凱旋というほ
どのことじゃないが、多少の歓迎はあった。
 帰還すると、俺は真っ先にハッセ一世陛下のところに戦勝のあい
さつに行った。侮っているとわずかでも思わせたくない。
 ハッセ一世も愚鈍な人物とはいえ、それなりに治世も長くなって
きて、鷹揚とした態度はそれなりに王らしくなってきた。
 そもそも、長いサーウィル王国の歴史で、すべての王が有能なん
てことはなかったはずだ。優秀じゃなくてもある程度はつとまるよ
うに官僚機構が整えられているのだ。
﹁また、王国は統一に近づいたな。摂政殿のおかげだ。これからも

533
兄弟で事を運んでいこうではないか﹂
 ハッセが言った兄弟というのは、俺がハッセ一世の妹を正室とし
ているからだ。だから、俺は王の義弟ということになる。
﹁まだ君も二十代だ。これから十年、二十年と二人で国を作り直し
ていけば、いつかは統一もかなうだろう﹂
﹁そうですね。あくまで、これは自分の希望的観測ですが︱︱五年
ほどで全土の統一を果たすことができればと思っております﹂
 もともと、王都に入ってから落ち着いた時、十年ほどで統一がか
なえばと思っていた。つまり、その折り返し地点には入ったという
ことだ。
﹁五年か。それは本当に楽しみだ。そうなれば、自分も中興の君主
として名を残せる悪いことではないな﹂
 しみじみとハッセは言った。中興の祖となるか、サーウィル王国
最後の君主となるか、微妙なところだな。
 とはいえ、そこまでこの王は疑いを抱いてはいないようだ。これ
からも騙し抜けるなら、それに越したことはない。
 その信用を得るためにこの五年を使ったと言ってもいい。
 ひたすら、戦争に繰り出すことになれば、軍を率いる者に権力は
次第に集まる。それが何を引き起こすかと言えば、俺を野放しにす
る不安につながる。実際、過去にも戦争を行って勝ち続ける中で、
王から離反したり、追放したりできるだけの力を得た者はいくらで
もいる。
 けど、早い段階でそれをやっても王都周辺での地域権力にしかな
れない。どれだけ大義名分を集めても、遠方の領主から見れば、た
だの権力の簒奪者だからだ。全国を支配できるだけの力は保てない。

534
 そして、いずれほかの敵に敗れて、中央から地方に落ち延びてい
って、どこかで殺されるというのが一つのパターンになっている。
 なので、王と二人三脚でまずは統一を行うのが正しい。
 そう、オダノブナガも言っている。
 ︱︱いいか? 上にいる権威は使えるうちは使え。覇王も足利義
昭は鬱陶しかったが、最後まで殺すことはしなかった。本当なら追
放するだけでも面倒だから、あまりやりたくなかったのだがな⋮⋮。
息子を次の将軍にしようと言ったのに、拒否しおるし⋮⋮。
 わかってる。お前と同じ轍を踏む気はない。
 ︱︱その言い方は気に入らんな。下手に使った覚えはない。義昭
より身分が上になるまで覇王はあいつを完全につぶすようなことは
一度もしていない。
 だとしても、包囲網とか作られてただろ。やっぱりまずいところ
はあったんだ。わざわざ敵を作るようなことはごめんだ。
 オダノブナガがげらげら笑った。頭の中で響くので、まあまあ迷
惑だ。
 ︱︱ウソをつけ。お前は本質的に戦が好きでたまらん男ではない
か。北方に軍を送るのも、自分の親類と戦いたいからではないのか
? お前は戦える者とは片っ端から矛を交えたいのだ。
 それは微妙なところだな。まったくないとも言えないかもな。
 ミネリア領の長、エイルズ・カルティスはいわば、俺が最初にあ
こがれた武将であり、最初に俺が対峙した壁だ。ネイヴル家が滅ぶ

535
かどうかってところまで追い詰められて、俺もその力に目覚めたみ
たいなものだし。
 エイルズ・カルティスも四十代なかばのはず。放っておけば、や
がて肉体的にも精神的にも衰えていく。戦えるなら今かもしれない。
 ︱︱勝手にやれ。妻から心底憎まれるかもしれんし、案外、何も
言ってこんかもしれんし、微妙なところだが。
 オダノブナガも義父の城を落としたことがあるから、そのあたり
は何かしら感傷的な部分もあるらしい。とはいえ、義父を殺した人
間の子を追放したはずだから、名分的には何の問題もなかったはず
だが。
 戦勝報告はまだ続いていた。
﹁それで、摂政殿、一つ質問なのだが﹂
 王が少し遠慮がちに言った。
﹁はい、いったい何でしょうか?﹂
﹁ルーミーとは仲良くやっているか? 兄として妹のことが気にな
るのだ。あれも世間知らずで、しかも十三歳の時に輿入れしたから、
心得違いのことも多いのかなと⋮⋮﹂
 なるほど。そういう話か。ある意味、王も妹を気づかう余裕が出
てきたということかもしれない。会った当初は零落して、自分が王
になることしか頭になかったからな。衣食足りて礼節を知るという
ことか。
 これに関しては色よい返事ができるので、俺のほうもほっとした。

536
﹁では、陛下に率直にお話いたしましょう﹂
 俺は真面目くさった顔になる。
﹁う、うむ⋮⋮﹂
﹁妻となった頃は稚気の残るところもありましたが、あれから五年
以上が経ち、実のところ、こうも美しくなられるとは思ってもみま
せんでした。これが王族の血ということでありましょうか﹂
 ハッセがほっとした顔になった。
 と、カーテンからさっと出てくる者があった。殺気はないから恐
怖もない。誰かいるのはわかっていたし。
﹁ああ、よかったですわ。わたくし、どきどきしておりましたの﹂
 ルーミーがさっと姿を現した。ほっとしたという顔で胸をなでお
ろす。まさしくなでおろすという表現がしっくりくるほど、大きい
胸なのだが。まさか、こんなに成長するとは思わなかった⋮⋮。
 今のルーミーを王都で一番美しいと宮廷詩人か誰かが言っていた
が、あながち間違いじゃない。歳を重ねて自然と美しさが増して、
そこに知性の光と生来のやさしさが混じっている。まさしく、理想
的な姫君と言っていい。
 でも、こうやって兄に意見を聞かせるあたりは昔から変わってな
い気もするが。
﹁ルーミー、あまり陛下にご迷惑をおかけしないようにな﹂
﹁あら、あなたは戦争はあらゆる手段を使っても勝たねばならない
と、いつしかおっしゃっていたはずですが﹂
 そうやって笑う時、出会った頃の少女の雰囲気がちょっと香る。

537
 ダメだな、政略結婚のつもりでいたはずなのに、俺のほうが入れ
あげてしまっている。これじゃ、セラフィーナにも笑われるぞ。
90 セラフィーナの迷い
 その日はルーミーと時間を過ごした後、夜にセラフィーナの部屋
に行った。
 セラフィーナと初めて出会った時、彼女は十五、六だったかと思
う。あれか何年も過ぎたけれど、彼女の見た目はほとんど変わって
いない。
 オダノブナガという職業のおかげだ。妻がみんな美しいままでい
てくれる。これは本当にオダノブナガに感謝しないといけない。
﹁あら、わたしでいいのかしら? 今夜は正室と過ごしたほうがい
いんじゃない?﹂
 椅子に腰かけているセラフィーナにくすくすと笑われた。勝気な
態度はいつになっても変わっていない。

538
 でも、俺がここに来た理由もきっとセラフィーナはおおかたわか
っているだろう。
﹁セラフィーナ、俺は国家を統一するために戦うつもりだ。お前も
そのことは理解してくれていると思う﹂
﹁当たり前でしょう? わたしは王となるような男と結婚したいと
嫁ぐ時にも話していたはずよ﹂
 セラフィーナは俺のほうに寄りかかってくる。すぐに挑発的なこ
っちを試すような目つきになるところは、昔のままだ。
﹁そのために、お前の家も一族も滅ぼすことになっても、お前は納
得してくれるか?﹂
 彼女から少し体を離して、俺は言った。
﹁お前の父親であるエイルズ・カルティスが俺に反旗を翻す可能性
がある。その時は俺は全力でそれにあたる。ブランタール県がいつ
裏切るかわからない状態では今後の計画も危うくなる。まして義父
に裏切られたとなると、ほかの奴らも離反するかもしれない﹂
 セラフィーナの表情も少し硬くなった。
 すぐには言葉も出てこない。俺は辛抱強く待った。それにどうい
う返事が来ようと俺がすることは決まっているのだ。
 うっすらとセラフィーナの瞳に涙がたまった。
﹁不思議ね。昔はあなたが王になるなら、何を犠牲にしたってかま
わないと思っていたのに、いざ、その時が来るととても怖くなるの。
もしかすると、知っている人もみんな死んでしまうのかなって⋮⋮﹂
 俺は黙って、セラフィーナを静に抱き締めた。

539
 それが俺のできる精一杯のことだとわかっていた。
 残念ながら、どんなにセラフィーナが悲しんだところで、裏切り
者が出た場合の処遇をゆるめることはできない。だから、俺は何も
言わないでいるしかなかった。
 しばらく、セラフィーナは俺にもたれるようにして泣いていたと
思う。華奢な体つきなのは知っているけれど、それにしても軽い。
まるで砂糖菓子のようで、このまま溶けていってしまいそうだ。
﹁あくまでも、義父が俺に矛を向けた時の話だからな。謀反の疑い
をかけて殺すような真似は絶対にしないと誓おう﹂
 そんなことをしたら俺に従ってくれている連中まで、俺を信用で
きなくなる。その先は地獄だ。誰も俺についてきてくれなくなるだ
ろう。
 自分に従う者を絶対に守る、その保証はあったほうが絶対にいい。
﹁いいえ。きっと、わたしの実家はあなたを攻撃するわ。あなたが
作る新しい世界を受け入れられるほど柔軟じゃないの﹂
 セラフィーナは俺から離れると、部屋のカギのかかった化粧箱の
ほうに向かった。
 そこから出してきたのは、化粧道具などではなく、場違いな手紙
だ。
﹁あなた、これを読んで﹂
 渡された手紙にすぐに目を通した。
﹁俺を家をあげて歓待したいと書いてあるな。だから、セラフィー
ナもその時には戻ってこいと﹂

540
﹁歓待するというのはカルティスの家の隠語で、打ち滅ぼすという
ことよ。見つかった時のリスクを減らすための小細工ね﹂
 おおかた、見かけ上はなんでもない実家からの連絡に紛れ込ませ
ていたんだろう。ほかのありふれた内容のものと一緒に入っていれ
ば、まずばれることもない。
﹁情報を送れといった催促もわたしのところにいくつも来てるわ。
きっと、本当にやる気だと思う﹂
﹁教えてくれてありがとう。やっぱり、お前は俺の一番の理解者だ﹂
 セラフィーナのくちびるにキスをした。
 それで少し、セラフィーナは心を決めたのか、椅子に腰を下ろし
た。
﹁あのね、どうせ答えはわかっているけど言うだけ言っておくわね﹂
﹁ああ、好きにしてくれ。君にはその権利がある﹂
 てっきり、実家を攻めないでくれとか、家族の命を助けてくれと
かだと思っていた。
 でも、それは甘かった。もっとセラフィーナが情熱的な人間だと
いうことを忘れていた。
﹁わたしを内通のかどで殺して﹂
 微笑みながら、セラフィーナはそう言った。
﹁そしたら、旦那様も心置きなくカルティスの家を攻められるはず。
わたしがいれば、あなたの判断が鈍るかもしれない﹂
 矛盾した感情に決着をつけるために、そんな方法をセラフィーナ
は思いついたらしい。

541
 俺はため息をついた苦笑した。怒る気にもなれない。
﹁君の職業は何だ?﹂
﹁聖女、だけど⋮⋮﹂
 自分のそばにいる人間の幸運を三十パーセント引き上げる︱︱そ
れが聖女という職業の能力だ。
﹁そういうこと。君は俺にとっての聖女だ。自分を守護してくれて
いる聖女を殺すような人間は救いようのないバカだ。俺はそこまで
愚かに生きるつもりはない。人生は一回しかないからな﹂
﹁離縁して追い返したりもしないの⋮⋮?﹂
﹁君ほど魅力的な人間と離縁するほど、俺は愚かじゃないんだ。こ
れからも俺のものにしておきたい﹂
 なんで妻を本気で口説き落としているのだろうと思ったけれど、
セラフィーナを失いたくないという気持ちにウソはなかった。
﹁わたしがたった一人の妻ならその説得力もあるのにね﹂
﹁同盟関係のために、ほかの側室を連れてきたのはセラフィーナの
ほうだろ。フルールを見繕ってきてくれてありがとうな﹂
 こんな軽口を叩ける程度に張り詰めた空気はゆるんでくれた。そ
れとセラフィーナの言葉で一つ、策を思いつけた。
﹁セラフィーナ、悪いんだが、また一人妻を増やすことにしたい﹂
﹁はいはい。いったい、誰?﹂
﹁海軍を持つソルティス・ニストニアの娘が、ちょうど年頃のはず
なんだ﹂
 大きな軍事作戦の前に、もう一つ地固めをしておくか。

542
91 縁談を持ちかける
 ソルティス・ニストニアは俺が海側に勢力を広げた際に協力して
くれた有力諸侯だ。
 もともと強力な海軍を有していたが、シャーラ県の統一作業の中
で、さらに勢力を強めることになった。
 海港を持っている領主は、同じ面積の土地を持っている内陸の領
主よりはるかに経済力で上をいく。シャーラ県全域を支配させると
いうようなことは裏切りのリスクなどもあるから行わせてはいない
が、それでも飛び地を含めると、かなり領地になる。少なくとも、
ニストニア家としては全盛期と言っていいだろう。
 そのソルティスの娘、ユッカとは実は一度会ったことがある。
 俺がソルティスと同盟を結ぶ際に、家族をマウスト城に招いた。

543
ソルティスは自分たちがマウスト城で殺された場合に備え、息子を
居城に残したうえ、家族でやってきた。その中に娘のユッカもいた
のだ。
 あれから何年もたっているから、ユッカも十代なかばにはなって
いるはずだ。俺の権力が周囲を覆っているから、とくにほかの領主
との提携を考える必要もなかったのか、まだ結婚相手も決まってい
ないはずだ。
 次の戦は海上からも大軍を運びたい。そのためにはニストニア家
との結びつきは強固にしておきたい。とくにニストニア家はもとも
とその土地を支配していた、俺にとっては外様の家臣だ。裏切られ
ない保険は多いほうがいい。
 まずはその話をするためにソルティスを王都に招いた。
 名目はソルティスがいまだに子爵のままだったので、伯爵位を与
えるから参られよというものだ。これはすぐに叙任の許可を王から
出してもらった。
 その叙任の宴席の後に、俺はソルティスを開いている部屋に呼び
出して、その話を行った。
 もてなしのためにセラフィーナ、フルール、ケララを呼んだ。ラ
ヴィアラは今回は呼んでいないが、勝手にやってきた。ルーミーは
俺の子供たちと遊んでいるらしい。
﹁︱︱というわけで、あなたの姫君を妻にいただけないだろうか。
何人目の妻をめとるつもりだと言われると、返す言葉もないのだが
⋮⋮。そこは、その両家の結びつきのためと考えていただきたい。
こちらの娘も息子もまだ幼すぎるしな﹂

544
﹁旦那様は色好みですから、何人いてもかまいはしないよね﹂
 セラフィーナが本音か冗談かわかりづらいことを言った。半分は
本音だろう。
 一方、フルールは落ち着いた表情で、ソルティスの減ったカップ
に追加のお茶を注いでいた。
﹁こう言ってはなんですが、周囲の領主の家に嫁がせても嫁がせな
くても協調関係に、現状、大した違いは生まれません。それなら、
いっそ摂政様のところに姫君を嫁がせるというのは、悪い選択では
ないかと思います﹂
 フルールはいつも理詰めで動いている。中小領主のウージュ家を
存続させるために心を砕いてきたせいもあるんだろう。後先を考え
なければ、中小領主はあっという間に滅ぼされてしまう。一つの失
敗が即滅亡につながってしまうからだ。
﹁あの⋮⋮お話自体は光栄なのですが⋮⋮まったく違う次元で気お
くれするところがありまして⋮⋮﹂
 ソルティスは白髪が混じりはじめてはいるが、まだニストニア家
の当主をつとめている。まだ、息子はすべての権限を委譲できるほ
ど長じてはいない。
﹁はて、それはいったい何でしょうか?﹂
 フルールが笑わずに尋ねる。ここにフルールを連れてきたのは、
話を詰めることなら、フルールほど得意な人間がいないからだ。下
手な官僚ほどよほど役に立つ。
 ちなみにラヴィアラは純粋に見学しているという体でそこに座っ
ていた。どうも、ラヴィアラが昔から純朴なところがあるというか、

545
田舎者っぽさが抜けきらない。王都から見れば、ケララ以外は全員
田舎者だ。
﹁その⋮⋮口にするのも恥ずかしいのですが⋮⋮摂政様の奥方様た
ちの容貌を見るに、こちらの娘ではまったく力不足というか⋮⋮﹂
 どうやらソルティスの顔から察するに、ふざけている様子でもな
いようだ。
﹁息子はまだ家督は継がせておりませんが、もう妻をめとらせ、私
にも孫が生まれております。なので一族が続くことに不安はないの
ですが、それゆえ、娘の幸せを考えると、夫に愛されるような結婚
をさせたいのです﹂
﹁なるほど。摂政様の側室になっても、ほんとに形だけの側室とい
うのでは、姫君がかわいそうということですね﹂
 フルールの言葉にソルティスは﹁さようです﹂と恐縮しながら答
えた。
 俺はちょっと意外な感じを受けた。
 ソルティスが家族の幸せを純粋に願っていることがよくわかった
からだ。
 それ自体は不思議な感情でもない。むしろ、ごく自然のものだと
言ってもいい。だが、俺はそんな感情を長らく置き忘れていた。忘
れたというわけじゃないかもしれないが、そういうことをまともに
考えたことがあまりなかった。
 もし、俺の子供たちが成人する頃になったら、俺もそんな気持ち
を抱くのだろうか。それとも、オダノブナガという職業のおかげで、
老いがなかなか来ない俺はずっと今みたいな気持ちでいるんだろう
か。

546
 俺はどう答えるか迷った。たしかに、俺は結婚で恵まれていたと
思う。
 ずっと姉のように接してくれていたラヴィアラも、セラフィーナ
も、フルールも、みんな本当に美しかった。ルーミーも天使のよう
な見た目に成長したし、愛人であるケララにもヤーンハーンにもヤ
ドリギにも、それぞれ妻たちとは違う魅力があった。
 今になって、取るに足らない娘を側室に迎えても、その娘を愛せ
るかどうかと言われると、わからないところはあった。
 それで娘を粗略に扱っているという話がソルティスのほうに聞こ
えて、印象が悪くなってしまえば本末転倒もいいところだ。
﹁わかりました。ご懸念ももっともかと思います。それでは娘さん
と一度お会いさせていただけませんか? マウストの城をご案内し
た時のように、王都をご案内いたします﹂
 ソルティスもこれには同意してくれた。
 彼の退室後、ケララに﹁これは北方への侵攻作戦は延期ですか﹂
と言われた。
﹁そこは、そう遠くないうちにやる﹂
547
92 普通の姫との出会い
 ソルティスの娘、ユッカは思ったよりも早く王都にやってきた。
俺がソルティスと会談をしてから、十二日後だ。早馬でもすぐに出
して、本領に連絡したのだと思う。
 ソルティスも渋っていると思われるのは嫌だったのだろう。変な
ところで気をつかわせてしまっているかもしれない。
 どんな気持ちでユッカと出会っていいのかよくわからないので、
俺はヤーンハーンと茶式を行って、気を静めることにした。
 なお、茶式の間は今では王城内の敷地に作られている。わざわざ
毎度、ヤーンハーンの邸宅を訪れるのは面倒だからだ。立場上、暗
殺者などにも気をつけねばならないし。

548
 お茶をいただく間は余計なことは話さない。茶式そのものはれっ
きとした儀式だ。そこをいいかげんに扱ってはヤーンハーンから咎
められてしまう。
 濃い緑色の茶をゆっくりと飲み干す。
 今日の茶は少しばかり渋い気がしたが、案外と俺の精神状況を反
映しているのかもしれない。
﹁迷いがあるようですね。見ればすぐにわかります﹂
 俺が飲み終わると、ヤーンハーンが言った。
 茶式の際のヤーンハーンの表情は、まさしく宗匠とでもいう表現
がふさわしい。この道の大家であるという空気を全身から発してい
る。
﹁ソルティスの娘と会うのだ。どうも見合いの席のようで気がそぞ
ろになる﹂
 お茶を飲み終わったので、この狭い空間で何かしらの相談をして
もよいというわけだ。
﹁なるほど。何度繰り返してもその都度に迷い、惑う。それこそが
色恋というものですからね﹂
﹁一般論ではそうだが、まさか自分もこういう気持ちになるとは思
わなかった。これはどうするべきなのだろうか。ヤーンハーンの答
えを聞きたいと思ってな﹂
 ヤーンハーンは少し目を細めて、かすかに笑みを見せた。役人と
しても優秀なのだが、今の表情に役人的な部分はまったくない。
﹁見合いの席のようだと思うのでいらっしゃれば∼、いっそ見合い

549
のように振る舞ってしまえばよいのではありませんか∼?﹂
 間延びした声がヤーンハーンが答える。
﹁お心がそうなっているのであれば、その心に無理に逆らわずに流
されてみるのもよいかと思うのです。どうでしょうか? なにせ色
恋に型にはまった正解などはありません。型にはまろうとすればす
るほど、失敗してしまうものでしょうから∼﹂
 その言葉はすとんと俺の心に落ちた。
﹁わかった。お前の言葉に従ってみよう﹂
﹁はい。政治的に振る舞わないというのもまたよいかと﹂
 にこりとヤーンハーンは言った。

 そして、ユッカと対面することになった。
 俺がいる部屋にユッカに入ってきてもらう形をとった。俺の部屋
にはケララにいてもらっている。いきなり一対一では相手が緊張す
るかもしれない。
 やがて、扉が開いた。俺も息を呑んだ。俺と相手と果たしてどち
らが緊張しているだろうか。
 さて、どんな顔かと見ようとしたが、顔は見れなかった。
 ユッカは両手を前に出して、かばうようにして顔を隠しているの
だ。
 なんだか、捕らえられた罪人のようだと思った。

550
﹁す、すいませんです⋮⋮。私、こういうことに慣れていないもの
で⋮⋮﹂
﹁慣れていらっしゃる方はいませんよ。深呼吸をなさってはいかが
でしょうか﹂
 ケララが的確なアドバイスをしてくれた。
 本当に深呼吸をしてから、ユッカはその手をはずした。
 珍しい水色の髪をした女だと思った。瞳の色も同じように青い。
 どこか、人形めいた雰囲気があるけれど、決して美しくないなど
ということはない。ずいぶんとおしとやかなお姫様だ。
﹁お美しい髪ですね﹂
 言ってから、少々類型的な褒め方すぎたかなと反省した。
﹁これは⋮⋮数代前の先祖がほかの大陸の商人の娘と恋仲に落ちた
とかで⋮⋮﹂
﹁ニストニア家は海を支配していらっしゃいますからね。そのよう
なこともあるのでしょう﹂
﹁ですね⋮⋮。とても緊張します⋮⋮。心臓が飛び出そう⋮⋮﹂
 びくびくしているユッカはかわいらしいというより、放っておけ
ない印象を与えた。
﹁ユッカさん、席にお座りください。お茶をお入れしますが、どう
いったものが?﹂
 ケララがユッカをエスコートしてくれる。
 そのあと、いくつか彼女のことについて質問したが、そう体が丈
夫でもないので、ほとんど外に遊びに行ったりしたこともないとい
う。それこそ、幼い頃、マウスト城に行ったのは珍しいことだった

551
とか。
 本音を言うと、この少女は世間と言うものを本当に知らないのだ
ろうと思った。
 これまで俺が出会ってきた女は、自分の運命を自分で切り開くと
いうような力があったけれど、ユッカにはそういう前に出ていく意
志というものがない。
 ただ、ユッカのような姫が普通なのだろうというのもわかってい
た。セラフィーナみたいな勝気な性格をはしたないと言う男も女も
珍しくないだろうし、フルールのように一族の命運を握るような立
場にならないと備わらないものもあるだろう。
 ごく普通に、大切に育てられればこんな娘になる。そして、本来
の役割どおり、政争の道具に使われる。
 そういう意味では、俺も普通の恋愛をしてこなかったことになる。
 普通の恋愛か。できるとしたら、それも悪くないかもしれないな。
﹁あの、ユッカさんは何か夢や願い事のようなものはおありですか
?﹂
 お見合い式で、彼女にいろんなことを聞いてみる。できるだけ摂
政という地位は忘れてしまおう。そんなものがあると、いよいよ普
通の恋愛なんてできなくなる。
﹁夢ですか。ええと⋮⋮﹂
 ユッカはう∼んう∼んと思案している。セラフィーナに聞いたら、
すぐに王者になることとかそんなことを大上段に構えて言うところ
だ。
﹁ユッカさん、すぐに思いつかないなら、無理におっしゃらなくて

552
もよいですよ。考えないと出ないということは、ないということで
しょうから。人間、常に何か夢を持っているというほうが珍しいの
です﹂
 ケララのフォローはどこか俺への皮肉みたいに聞こえた。たしか
に俺やセラフィーナのほうが少数派なのだ。
﹁あっ、摂政様が異常だという意味ではありませんので。それはそ
れで大変ご立派なことです﹂
﹁わざわざ言わなくていい。わかるから﹂
 ケララの目が笑ってないから、判断が難しいところだ。
﹁あっ、そうだ、そうだ。夢といえば、これがありました﹂
 ユッカの中で何か思い出したらしい。
93 弱い者の強さ
﹁あっ、そうだ、そうだ。夢といえば、これがありました﹂
 ユッカの中で何か思い出したらしい。
﹁私、元気な子供を産んで、育てたいんです﹂
 それは少なくとも俺は想定してない答えだったし、ケララもちょ
っとけげんな顔をしていた。
﹁なぜ、そのようなことを?﹂
 わからなければ、とりあえず聞いてみればいい。お見合いならそ
ういうふうに進めるだろう。

553
﹁私って、その⋮⋮とても平凡な人間ですから⋮⋮あっ、卑屈にな
ってるわけじゃないんです。でも、きっと事実だと思うんです。摂
政様やケララ様を前にしても、自分とは違う世界にいらっしゃると
私にはわかります⋮⋮﹂
 ちらっとユッカは俺とケララのほうを見て、それから下を向いた。
﹁別に私はすぐれた人間などと思ったことはありませんが﹂
 真顔でケララが言う。こいつ、こういうところは天然だな。かえ
って、ユッカが困るだろ。だいたい、すぐれてなかったら、俺は重
臣として使ってない。
﹁私は武功を立てたこともありませんし、賢い姫でもありませんし
⋮⋮ほんとに領主の娘でしかないんです。セラフィーナ様やフルー
ル様のお話などを聞くたびになんてお強い方々なのだろうと思って
まいりました﹂
 ユッカの声に力はない。けれど、必死に本心を紡ごうと努力して
いるのはよくわかった。
﹁ですが、私なんかじゃそんな方々のように活躍することはできま
せん。しかも、体も強くはありませんし。最低限の礼儀作法をお城
で学んだぐらいで、ほんとにそれ以外は何も持ってないんです。姫
は一族の外交官であれなんてことわざもありますが、私にはそれだ
って務まらないでしょうし⋮⋮﹂
 言葉をつづけると、だんだんとユッカの言葉は悲観的になる。こ
れはこの子の性格によるものだろう。

554
﹁ですから、それだったら、私の子供に託そうかなと思うんです﹂
 わずかにユッカが顔を上げた。
﹁私は立派な人間としては生きていけないけど、産まれた子供を英
雄に育てあげることはできるかもしれません。そしたら、私の生に
も意味ができるなって思うんです。それに私は人の弱さも教えられ
ますから、かえって強い人間に育てられることもあるかなって⋮⋮﹂
 その時、ユッカの表情がぱっと花開いたように明るくなった。
 たしかにそれは母親のように、慈愛に満ちたものだと思った。
 その笑顔は本当に魅力的で、同時にとてもほっとするようなもの
だった。
 もし、俺がしがない庶民で、しがない庶民のまま生きていくこと
が許されたとしたら、俺はこんな妻と一緒に生きていきたいと思っ
ただろう。
 もっとも、ユッカが平凡だとしてそれは能力の面であって、容貌
のほうは平凡だなんて言えば罰が当たるものだが。そのまま、聖人
の挿絵に使えそうなほどに、美しさとやさしさが備わっている。
 この子を幸せにしてやりたいと反射的に思った。
 いや、それじゃまだ摂政的な偉そうな部分が残ってるな。この子
と一緒に幸せになりたい。それで、つまらないことで共に笑いあえ
るような関係になれたら、俺の心も休まるんじゃないだろうか。
﹁大変、利他的な素晴らしい内容ですね﹂
 ケララがどこか面接官のような言葉で褒めた。
﹁いえ、この夢はちゃんと利己的でもあるんです﹂

555
 それをすぐにユッカはひるがえした。
﹁私、体がとても弱いですから、子供を産めるか、産んでもその子
が大きくなるまで生きていられるか、あまり自信がないんです。だ
から、私の夢は、私が子供が大きくなるぐらいまで見守っていられ
るという願いも含んでいるんですよ﹂
 その時のユッカの儚げな笑みはいよいよ人形じみていた。
 むしろ、彼女を元にして高価な人形が製作されたようにすら感じ
られた。
 ︱︱なんとも頼りない女であるな。
 おい、こんな時に出てくるなよ。覇王でも場違いだ。
 ︱︱だが、よくわからん魅力がある。こういう女もたまにはよい
のではないか。
 同感だ。やっぱり俺の職業だけあって気が合うな。
 彼女は自分が弱いことを知ってる。きっと、腹が立つぐらいはっ
きり知ってる。それは見方を変えれば、すごい強さだ。弱さを知っ
ている者は大きく間違わない。強いと勘違いしている奴よりも何倍
も強くて利口だ。
﹁こ、こんな答えでよろしいでしょうか⋮⋮。ごめんなさい、つま
らない話で⋮⋮﹂
 またユッカの表情が自信なさそうなものに変わる。
﹁いえ、大変興味深かったですよ。隣で聞いていたケララもきっと
そう答えるはずです﹂
﹁はい。私もまだまだだなと感じました。精進いたしたいです﹂
 顔が笑ってないので、どこまで事実を述べているかは怪しいが⋮

556
⋮。
﹁また、こちらからお父上の伯爵にはお伝えいたしますので。本日
はありがとうございました﹂
﹁あ、はい⋮⋮。あの、摂政様⋮⋮﹂
 ユッカは立ち上がりながら、不安げに懇願するように俺の目を見
た。
﹁きっと、私のようなつまらない女は愛人になさることもありえな
いかと思いますが⋮⋮どうか、父とニストニア家はよろしくお願い
いたします⋮⋮﹂
 その態度がやけに猫背気味で笑ってはいけないのかもしれないけ
れど、俺は笑いそうになってしまった。
﹁何の心配もいりません。私は王国に忠誠を尽くす領主をないがし
ろにすることはありませんから﹂
 彼女が出ていったあと、ケララといくつか感想を話し合った。
﹁お前はどう思う? 恨んだりせんから正直にすべて話せ﹂
﹁あのような姫君は嫌になるほどたくさん見てまいりました。戦乱
が続く時代に生まれてこなければ、もう少しわかりやすく幸せにな
れたでしょうね﹂
﹁陛下と一緒に遍歴を続けたお前らしい意見だな﹂
 戦乱の時代だろうと、それに向かない人間は当然出てきてしまう。
そういう人間は戦乱にたいてい食い物にされて死ぬ。

557
﹁だが、俺はただの弱い人間に彼女は見えなかった。だから、彼女
に俺なりの幸せを見せてやろうと思う﹂
 ゆっくりとケララはうなずいた。
﹁まあ、摂政様が妻を迎える話を反古にするとは思っていませんで
したが﹂
﹁待て⋮⋮。お前、俺を好色だと言いたいだろ⋮⋮﹂
 俺はちゃんと妻たちを誠実に扱ってるつもりだぞ。
﹁最低でも、お前を不幸な目に遭わせたりはしていないつもりだ﹂
﹁そ、そうですね⋮⋮﹂
 少し恥ずかしそうにケララは言った。
﹁できれば、もっと貪欲に愛されてもよいなと最近思ってはまいり
ましたが、それでは均衡が崩れてしまいますね⋮⋮﹂
 ケララは意外と独占欲が強いとだんだんとわかってきた。
558
94 新しい側室と北方侵攻
 俺はすぐにソルティス・ニストニアに娘のユッカを側室としたい
と伝えた。
 それでも彼は信用できない部分があったらしく、わざわざ俺に確
認にやってきた。
﹁あんな娘でよろしいのでしょうか⋮⋮? もし、ニストニア家に
釘を刺すためだけであれば、無理に娶らなくてもけっこうです。断
られたからといって、こちらはなんとも思いませんので⋮⋮﹂
﹁いや、俺は彼女に心底惚れたのだ。どうか、ご心配なきよう。そ
れと、俺は義理で妻を選ぶつもりはない。唯一の不安は彼女の体が
そう強くはないことだが、それはどうにもなるまい。神官に祈祷で

559
もさせるぐらいなら、俺が全力で祈ろうか﹂
 今なら、ソルティスが不安な理由もおおかたわかる。
 薄幸に見える娘がただの政略結婚で愛もないところで消費される
のがかわいそうなのだろう。それなら、あまり力はない男でも、い
い家庭を築かせてやりたいと思っているのだ。
﹁伯爵殿、俺は彼女を本当に好いている。俺なりに幸せにしてみせ
る。決して形式的なものだと思わないでほしい﹂
 俺は真面目な顔で、はっきり宣言した。
 ただ、俺のところに来たユッカはユッカで、まだ信じられないと
いう顔をして、﹁こんな私でよろしいのでしょうか⋮⋮?﹂と親と
同じようなことを聞いてきたが。
﹁あなたは自分の魅力に気づいてないのです。それ以上謙遜なされ
ては、あなたを選んだこちらにも失礼になりますよ﹂
﹁あうぅ⋮⋮ごめんなさい⋮⋮。私なんかが摂政様の側室になるだ
なんて⋮⋮﹂
 しばらくユッカは緊張していたので、俺が何度も強張っている体
を撫でて安心させないといけなかった。
 なお、セラフィーナは、後で俺にこう漏らした。
﹁男は、自分の知らないタイプの女に興味を持つものよ。まるで美
食家のようにね﹂
 ずいぶんな言い方だけど、そう間違ってはないかもしれない。
﹁よくわかってるじゃないか。仮にセラフィーナによく似た女がい
ても、セラフィーナにはかなわないだろうからな﹂

560
﹁それは口の悪さではわたしに勝てるものがないということかしら﹂
 ユッカとこんなやりとりをすることは一生ないだろうけど、それ
はそれでいいだろう。
﹁それじゃ、新しい側室に二度目のマウスト城をじっくり見せてあ
げるといいわ﹂
﹁とはいえ、さすがに今回は俺も忙しいから、その暇はないな。子
供と遊ぶ時間も取れないぐらいだ﹂
 そう、ニストニア家とのつながりも太くなったし、ついに北方作
戦を具体的に進める。
 これが成功すれば国の半分は俺のものになる。
 その後で、西側の前王の籠もる有力領主をつぶせば、俺の天下だ。

 俺はマウスト城に軍隊を集めていき、初夏の頃、ついに軍を北へ
発遣した。
 マウスト城の留守居役は老将のシヴィークにやらせている。口は
もうろく
達者で耄碌はまったくしていないが、さすがに足腰はガタが来てい
る。ヒゲも髪も真っ白でどこか神殿で祀っている神格のようですら
ある。
﹁シヴィークが死んだら大々的に葬ってやろうと思っているんだが、
なかなか死なないからな﹂
﹁アルスルッド様、失礼ですよ﹂
 ラヴィアラに咎められた。

561
﹁しかし、たしかにあまり長生きされすぎると、もう孫が活躍する
世代になってしまって、お子さんの小シヴィークさんも大変かもで
すね﹂
﹁お前の言ってることだって似たようなものだろ﹂
 長らく俺の功業を助けてくれたシヴィークも、さすがにもう戦場
の最前線には出せない年になってきた。俺が最初に王都に入った時
に先頭を任せたのが大きなものでゃ最後の仕事だろうか。本人はま
だまだやるつもりみたいだから、今回の仕事を任せた。
﹁そのあたり、どうなんだ、小シヴィーク﹂
 俺は行軍中の小シヴィークに尋ねた。小と言っても、俺より年上
だ。もう四十歳近いだろう。
﹁早く私が武功を挙げて、親父を安心させないといけませんね﹂
 小シヴィークはシヴィークと比べると常識人で、武人という雰囲
気もない。ただ、地味ながら父親同様、長らく俺に仕えてきてくれ
た。仕えた期間を考えれば、シヴィーク一家はラヴィアラに次ぐは
ずだ。
﹁心配するな。お前が 武功を挙げたところで、シヴィークは隠居
しようとかは思わない。生涯、戦場を駆け巡らないと納得せんさ﹂
﹁そうだとは思いますが、それでは最期は必ず戦場で骨をさらすこ
とになります﹂
﹁しかし、すでに七十年以上は生きたのだろう。なら、好きなよう
に死なせてやるべきかもなという気もしている。それであいつが恨
むこともないだろうしな﹂
﹁陛下、一族からすると冗談では︱︱﹂
 小シヴィークの言葉はそこで止まった。俺の表情が冗談に見えた

562
かったからだろう。
﹁小シヴィーク、俺は親父の足腰が弱っているとは思っているが、
指揮の能力が落ちているとまでは言っていない﹂
 そのことは小シヴィークにはっきり理解させておく必要がある。
﹁留守居役をつまらない人間に任せるか? 留守居役がただの名誉
職だと考えているのか?﹂
﹁いえ、決してそのようなことは⋮⋮。まして、今回の留守居役は
最悪、戦闘になる可能性もありますから⋮⋮﹂
﹁そういうことだ。体の動きが悪いならそれが必要ない重職をやっ
ているまで。お前も自分の仕事に励んでくれ﹂
 小シヴィークは恥じ入ったように﹁はっ!﹂と叫んだ。
 シヴィークほどの力はないが、この男も年の割には若い。もう一
度伸びる時もあるかもしれない。今後の功績次第ならシヴィーク家
全体がネイヴル家を守る一翼を担ってくれるかもな。
﹁それと、お前の息子は何歳だ﹂
﹁嫡子は十三になります﹂
﹁戦場に出れるかどうかという歳だな﹂
﹁どうにも臆病者なもので⋮⋮﹂
 俺の横にいたラヴィアラが﹁少しばかり臆病なぐらいのほうが安
心できます﹂と俺に忠告するように言った。
 俺はたしかに前線に出すぎだな⋮⋮。
 俗に北方と言われる地域は東西で一セットずつ県が縦に並んでい
る形をとっている。もともと、異民族がほかの大陸から移り住んで
きていたとも言われ、県の割り振りも中央ほど錯綜してはいない。

563
 そのうち、まず、北方の入口と言われるマチャール県のマチャー
ル辺境伯家を攻める。
95 鉄砲作戦
 俗に北方と言われる地域は東西で一セットずつ県が縦に並んでい
る形をとっている。もともと、異民族がほかの大陸から移り住んで
きていたとも言われ、県の割り振りも中央ほど錯綜してはいない。
 そのうち、まず、北方の入口と言われるマチャール県のマチャー
ル辺境伯家を攻める。
 マチャール辺境伯家ははもともとはマチャール県の南半分を支配
しているほどだったが、やがて北部の領主たちも屈服させ、さらに
西側のミズルー県の一部にも支配領域を延ばしている、大勢力だ。
 とくに前王の王統と結びついて、ミズルー県の伯爵の地位も与え
られている。それ自体は大義名分であって、現地の領主は従う気は

564
ないが、大義名分としては二県を支配しても問題ないというわけだ。
 そして、前王の王統と仲がいいということは、今の王のハッセ一
世には反抗的というわけだ。遠方だから直接的な関係はなかったが。
 攻勢を前に俺たちは砦に入って、重臣会議を開いた。地図を囲ん
で、皆、椅子に座ったり、立ったりしている。俺は椅子が小さくて
落ち着かないので、立っていた。
 各種親衛隊の隊長に、ラヴィアラ、ノエン・ラウッド、フルール
の兄であるマイセル・ウージュ、小シヴィーク、ケララ・ヒララた
ちが集まっている。
 王国の官吏たちは原則、戦場には連れてきていないので、これが
俺の軍事基盤ということになる。
 ただ、逆に言えば、進軍中の地域には軍勢催促をあまり行ってい
ないということだ。
﹁摂政様、やはり軍勢はもっと大々的に集めるべきだったのではあ
りませんか? 無論、勝てるとは思っておりますが、この戦いがマ
ウスト城主の私の戦いとみなされかねません﹂
 ノエン・ラウッドがそう発言した。この男も壮年だが、まだ気持
ちは若い。
﹁そういう見方もあるな。だが、やる気のないのを混ぜて、兵の質
が下がるほうが問題だと思った。敵の領主も大軍にものを言わせる
戦闘をするわけでもないしな。北方は馬が強いことで有名だ。馬で
突っ込んでくるぞ﹂
 びくびくしている弱兵の集まりだと、馬で攻め立てられただけで

565
敗走してしまう。もし、前線の連中が逃げたらそれで後続も崩れて、
おしまいだ。
﹁とはいえ、せめて一門であるはずのエイルズ・カルティスとブラ
ンド・ナーハムは⋮⋮﹂
 その二人の名前を出すと、ノエンの言葉も弱くなった。
 触れてよいかと悩んでいたのだろう。
﹁一応、言うだけ言っておいたのだがな。どちらも敵対勢力が領内
に出たので、それを退治せねばならんそうだ﹂
 体調不良が理由では名代を出せと言われるからな。口実としては
悪くない。
﹁それと、ノエン、すでに過ぎ去ったことをああだこうだ言うのは
軍議ではない。まったく無意味だ。この状況でできることをお前は
考えろ。どうやってマチャール辺境伯サイトレッドを討つか考えろ﹂
 俺の言葉にノエンは﹁すいません⋮⋮﹂と頭を下げた。
 敵軍とこちらの軍の間には川が流れている。大河ではないが、そ
れなりに流れが速い。大きなポイントはこの川を先に一気に渡るか、
あるいは渡らずにじっと待つかだ。
 ためしに話をさせてみたが、意見はばらばらだった。敵が精強な
ので待つべきだとか、こちらが遠征しているのだから待ってどうす
るとか、いささか観念的すぎる。
 最近戦争がないから、みんな頭がなまってしまっているのではな
いか。以前はもっと生き残ることに必死だったはずだ。
 実は、最初から方針は決まっていた。もちろん、もっといい案が

566
出ればそっちに鞍替えするつもりだったが。
﹁お前たち、もうないか?﹂
 その声にずいぶん後ろから手が挙がった。
 それはドワーフのオルトンバだった。
 重臣の一部から、あれは誰だという視線が向けられる。俺の重臣
は所領などから言えば、完全に実力のある領主になってしまってい
るからな。そういうのもあまりいいことじゃない。偉かろうと貧民
だろうと、槍で心臓を突かれれば死ぬのだから。
﹁ここは待つべきかと思います。それで簡易の柵を作って待ち構え
ておれば、騎馬部隊の勢いを割くことができます﹂
﹁多少、勢いを割いてもその時点で攻められてるんじゃないのか?
 どこで攻撃に転じるんだよ? そこまで攻められてるんじゃどっ
ちみち終わりだろ?﹂
 赤熊隊のオルクス・ブライトが苦情を申し立てた。
 たしかに普通に考えれば、そう受け取られてもしょうがない。柵
で待ち構えるといっても、それが機能する時には敵の騎馬軍団が襲
ってきているのだ。
﹁そこを鉄砲で狙い撃ちます﹂
 オルトンバは鉄の筒を一つ取り出した。
 最初に見たものと比べると、かなり形も改良が加えられている。
﹁ああ、やけに大量に作っていましたねえ、それ。ラヴィアラも試
したことありますけど、弓矢より強いとかいう話で、ちょっと複雑
でしたけど﹂
 弓使いのラヴィアラにとったら自分の仕事を奪うかもしれないそ

567
の武器は素直に喜べないのだろう。
﹁この鉄砲は鎧もなんのそので貫通します。柵の後ろで撃てる者か
らどんどん撃っていけば、どうにかなります。敵が至近距離にいれ
ばいるだけ、殺傷能力も上がりますし﹂
﹁ふん、そんなの子供騙しじゃねえのか?﹂
 オルクスみたいな武闘派にとったら、それは懐疑的に見えるらし
い。たしかに戦場でまだ本格的に活躍したことはない武器だ。単純
に俺が大きな戦いをしてなかったというのもあるし。
﹁いえ、オルクスさん、これがなかなか恐ろしいんですよ﹂
 そこで鉄砲の価値を認めたのは、オルトンバではなくてラヴィア
ラだった。
﹁弓矢よりはるかに命中率が高いんです。ほんとに悪くないですよ﹂
﹁あれ、ラヴィアラちゃんが肩を持つのか⋮⋮。射手の言葉となる
と⋮⋮こっちが分が悪いな⋮⋮﹂
 オルクスは女の意見には弱いのだ。
 そのあと、オルトンバは具体的な鉄砲の戦術について説明した。
 いくつも柵をアトランダムに設置して、騎馬兵の部隊が集団で動
けなくする。
 そして、個別に前に出てきた騎馬兵を鉄砲で各個撃破していく。
 これで大きく攻撃力を失い、弱体化する。しかも騎馬兵の中には
敵の重臣も多いので上手くいけば戦闘続行自体を不可能にできるほ
どのダメージを与えられる。
 これは鉄砲作戦で、決まりだな。

568
96 晴れる日を待つ
 ︱︱ほう、武田勝頼に手痛い傷を与えた時のようになりそうであ
るな。
 オダノブナガもこれで大勝した経験があるんだったな。
 ︱︱もっとも、あれは敵が攻めざるをえない状態に持ち込んだ時
点でこちらの勝ちだったのだがな。力押しで突破口を開けばいいと
こちらの守りを甘く見た武田の失態だ。あやつら、信玄の亡霊に悩
まされおったのよ。信玄晩年は輝かしいようでじわじわ武田が八方
ふさがりになりはじめる歴史そのものだ。
 タケダが何者か知らないけど、鉄砲が威力を発揮したことは間違
いないみたいだから、俺はこれに乗る。あんたも賛成なんだろ。

569
 もう、鉄砲でマチャール辺境伯の軍を待ち構えるのはほぼ確定し
ていた。
 家臣たちもこれで圧勝だというムードが出来上がりつつあった。
﹁よし、オルトンバだったか? とことん、その鉄砲の実力を見せ
てくれ! 赤熊隊も見届けてやるからよ!﹂
 オルクスもすっかり鉄砲肯定派になっていた。
﹁はい、私も長らくこれの改良をやっておりましたんで、一世一代
の晴れ舞台だと思っております。ただ⋮⋮少しばかり懸念がありま
して⋮⋮﹂
 今になって、オルトンバの顔色が悪くなった。
﹁おい、オルトンバ、どういうことだ?﹂
 俺も懸念の話は聞いていないぞ。
﹁どうも雲行きが怪しいんです。いや、雨がすでに降りだしてます
かな。北方は春頃は雨の日が多くてですな、雨の中では火がつかな
いもんで﹂
 そう、まさに外からは雨の音がしとしとと聞こえていた。雲も分
厚いし、いつやむかわかったものではない。
﹁ラヴィアラ、お前は天気も詳しかったか?﹂
 自然の現象についてはエルフはかなりのたくわえがある。
﹁はい⋮⋮ううん、最悪、二日以上続くこともあるかもしれません
ね⋮⋮。それぐらいには空も重たいです。これだけ重たいと、なか
なか光が差してこないかと⋮⋮﹂

570
 つまり、鉄砲が使えるまでは粘るしかないということだ。
﹁ああ、そういうことかよ! わかったぜ! オレが前に出て、マ
チャールとかいう連中を止めてやるぜ!﹂
 オルクスが吠えた。
﹁こっちが攻めて攻めて、それで晴れたらさっと引けばいいんだよ
! そしたら連中はごっそりこっちに攻めてくるだろ。そこを鉄砲
ぶっ込んでくれればいいんだ﹂
 オルクスはやけくそのように言っていたが、それが一番現実的な
方法だ。雨が止むまで向こうに出張れるかは天気からしても怪しい
が、まずはこちらが攻めないと時間は稼げない。
﹁よし、前に出たい者はいるか? 相当、危険はともなうが、川を
渡って、向こうに一撃を浴びせてくれ。もちろん、それなりの褒美
は出すつもりだ﹂
 これにはオルクスに続いてノエンとマイセルが進言した。
﹁別に怖くはないです。これまでも、そんな戦いばかりしていまし
たからね。むしろ、こちらが日常だと思い出しましたよ﹂
﹁ノエン殿と同意見です。摂政家の一門として、このマイセル、命
懸けで奉公いたします﹂
 うん、攻撃力としては申し分ない。こいつらが蹴散らされるなら、
どのみち撤退するしかないだろう。
﹁よし、まずは先鋒の部隊が進め。鉄砲を扱う兵は完璧に使いこな
せるように確認作業をしておけ。運悪く外し続けたら、そいつが死
ぬからな﹂

571

 こうして、俺とマチャール辺境伯サイトレッドとの戦いがはじま
った。
 敵の数はおよそ六千だという。こちらにはおよばないものの、辺
境伯などと名乗っている割には、かなりの軍勢の数だ。周辺の領主
もマチャール辺境伯に実質、服属しているわけだ。
 こちらの数は一万ほど。マウスト城に一定の兵を残しているし、
王都にも兵は置いておかないといけない。その他、ニストニア家も
周辺の監視に当たらせるため、むしろ兵士を貸しているぐらいだ。
﹁遠征となると、まだまだ超大軍で圧倒というわけにはいかないん
ですね﹂
 砦でラヴィアラは静かに自分の出番を待っている。今は鉄砲を触
っていた。
﹁敵も平原で素直に正面からぶつかってくれないしな。大軍であれ
ばいいって問題じゃない﹂
﹁でも、二万ぐらいは問題なく動員できたんじゃないですか? ア
ルスロッド様の今の力なら遠方でもいけたはずです﹂
﹁そりゃ、動員はできるさ。でも、動員できる期間が大幅に短くな
る﹂
 俺はパンをちぎって、口に入れた。あまり上等なパンじゃないか
ら口の中がすぐに渇く。
﹁長期戦になった場合、とても食糧が足りなくなる。それで現地調
達だなんてことになれば、恨みを買って俺の敵が増えるだけだ﹂
﹁あっ、なるほど⋮⋮﹂

572
 ラヴィアラの鉄砲をいじる手が止まった。
﹁俺たちは王国の兵なんだ。それが略奪をしまくるわけにはいかな
い。小領主同士の小競り合いとは次元が違ってるんだ。背負ってる
ものが全然別になってるんだよ﹂
 戦争にきれいも汚いもない。
 それは事実だが、事実を口外して許されるかはまた異なる問題だ。
 王国の軍隊が農村を襲うようになれば、北方はそれこそ一枚岩に
なって、王国に歯向かうだろう。それだけは避けないといけない。
﹁やっぱり、アルスロッド様はたくさんのことを考えていらっしゃ
いますね﹂
 ラヴィアラの笑顔はずっと昔から何も変わらず、俺を勇気づけて
くれる。
 最近だと、少しずつ娘がラヴィアラに似てきているなと思う。娘
が成人する頃には王女様と呼ばれるようにしてやりたい。これだけ
人を殺してきてなんだが、自分の子供は本当にかわいい。
﹁本音を言えば、俺も目の前の敵をひたすら倒すだけっていうほう
が楽なんだけど、そういうわけにもいかないんだ﹂
﹁それは大丈夫ですよ。アルスロッド様は策略を考えるのもお好き
ですから﹂
 ずいぶんな言われようだ。
﹁それとな、一万の兵にしたのはもう一つ理由がある。小回りが利
かないと、反乱が起こった場合、反転できないからな。裏切ってく
れるのはいいが、その瞬間、万事休すじゃ困る﹂

573
 その言葉にラヴィアラの顔が曇った。
﹁セラフィーナさんのご実家は、本当に攻めてくるんですかね⋮⋮
? 戦わないといけないんですかね⋮⋮?﹂
﹁ラヴィアラ、俺たちは目の前の敵を倒すことだけ考えていればい
いんだ﹂
97 騎馬隊との闘い
﹁ラヴィアラ、俺たちは目の前の敵を倒すことだけ考えていればい
いんだ﹂
 その言葉にラヴィアラも﹁ごめんなさい﹂と謝った。
﹁今頃、仲間たちが死闘を演じてる。鉄砲が使えるまでの時間稼ぎ
だ。そんな時に、全然違うことを考えてちゃいけない。この戦いが
俺たちの勝ちになるように考えておかなきゃダメだ﹂
﹁そうですね。ラヴィアラも頑張ります!﹂
 オルクス、ノエン、マイセル、いずれも長らく一線で戦ってきた
勇者たちだ。そう簡単にやられるとは思ってはないが、敵は川を渡
った先にいる。

574
 消耗した上でホームグラウンドの敵と戦うわけだから、それなり
につらい戦いになることは覚悟しないといけない。
 敵地に入ったら、とにかく持ちこたえてくれればいい。あまり縦
に長くなると危険も高くなってくる。とはいえ、オルクスなんかは
飛び出そうではあるんだよな。
 雨はそれなりに強い。とても、鉄砲が使える天候ではなかった。
 ︱︱まったく辛気臭い顔をしておるな。お前にしては珍しいでは
ないか。
 オダノブナガは堂々と構えてるな。自分が戦場に出ないのは不安
なんだよ。
 ︱︱お前は覇王になるべき人間なのだから、どかっと構えておれ
ばいいのだ。これまでの前にばかり出る戦い方がおかしいのだ。逃
げ帰っているのとは訳が違うのだぞ。
 理屈じゃわかってるよ。もっとも、実際に戦闘に出たくなるよう
な力をくれたのは、そっちだけどな。
 ︱︱別に覇王みずから職業というものを決めたわけではない。む
しろ、職業にされて迷惑を感じてるぐらいだ。まったく明智光秀も
千利休も職業になっておるんだからな。これで、今回のマチャール
辺境伯とかいう奴の職業が、武田信玄だったりしたら、笑えんとこ
ろだ。

575
 少し、気になることをオダノブナガが言った。
 そのタケダシンゲンというのについて、教えてくれ。過去にも何
度か言ってたとは思うけど。
 ︱︱なんだ、現金な奴だな。とはいえ、職業が人間に意地悪する
という法もないか。よかろう。武田信玄というのは、山がちな土地
で生まれた英雄だ。とにかく、不気味なほどの戦上手だったな。大
軍すべてではないが、一部の精鋭はたしかに騎馬に乗って戦ってお
ったらしい。
 しばらくタケダシンゲンについて聞いていたが、どうも敵のマチ
ャール辺境伯サイトレッドに近いものを感じる。
 ︱︱もっとも、政治構想に関しては、覇王のほうがはるかに高邁
であったわ。信玄の勢力拡大政策は晩年、じわじわ行き詰まりつつ
あった。仮にあいつが長く生きて息子の勝頼に譲らなかったとして
も、近い状況にはなっただろう。やはり、覇王のほうが三枚は上手
だったな。
 政治構想は知らないけど、実力者ではあるんだな。
 突っ込んでいった仲間たちは大丈夫だろうか。
 しばらくすると、あまりよくない一報が入った。
 ワーウルフのラッパ、ヤドリギが報告のために現れた。
 まだラヴィアラがいたので、驚かせてしまったが、しょうがない。
それぐらい、急な話ということだ。
﹁敵軍にオルクス様たちの部隊が苦戦しており、退却せざるをえな
くなっております﹂
﹁なるほど。つまり、晴れるまでは後詰の軍団を用意しないといけ

576
なそうだな﹂
﹁敵の中で屈強なのは、マチャール辺境伯サイトレッドの妹、タル
シャという者です。といっても歳が離れていて、まだ二十一という
ことですが﹂
 そういえば、女の軍団長がいたとは思うが、それがそこまでやる
とは思っていなかった。
﹁もともと、有力家臣の子供を婿としてとっていましたが、三年前
にその婿が死去してからは、婿が率いていた軍団の一つを管理して
いるようです﹂
 まさか辺境伯ではなく、その妹にまでやられたので話にならない
な。
 まだ雨脚は強い。今から攻められると、防御が間に合わない。
﹁アルスロッド様、このラヴィアラが出ます!﹂
﹁わかった。頼む。でも、妻だけに任せるわけにはいかんからな﹂
 俺はその場ですっくと立ち上がる。
﹁俺も出よう。敵に一発喰らわせて尻込みさせれば目的は果たせる﹂

 川の水は相当、冷たかった。
 やはり、北方まで来たのだなと実感させられる。ここと比べれば
王都ははるかに南だから、この温度には慣れない。先制攻撃に出た
側が力を発揮できなかったとしても、しょうがないだろう。
 俺はわずか四百の軍を率いて攻め込んでいる。あくまでも、味方
の軍を支えるためだ。一度持ち直せば、どうにか踏みとどまれる程

577
度の力はある。今回はそばにラヴィアラもいる。
﹁ラヴィアラ、敵に必要以上に近づく必要はない。とにかく弓矢で
射れ﹂
﹁はい、わかりました!﹂
 ラヴィアラの目はこれまでにないほどに真剣だ。
﹁ただ、本当にこの人がついてくる意味はあったんですかね?﹂
 それとドワーフのオルトンバが従軍しているのだ。鉄砲を水に濡
らさないように気をつけて川を渡っている。
﹁一丁使う程度ならなんとか。それに実戦で少しは使わないと良さ
もわかってもらえませんから﹂
 まさか、こんな機会で使うことになるとは思わなかったけどな。
 ちょうどノエン隊が敵の猛攻を受けているところに俺たちは合流
した。
﹁ノエン・ラウッド、一時的に加勢に来た!﹂
﹁あっ! かたじけない! これ以上の恥は見せられませんので全
力で応戦します!﹂
 これで味方の士気は一時的に上がるはず。しかし、それだけじゃ
追い返すにはまだ足りない。
 幸い、敵は速攻を旨とするのか、軽装で射ちやすい。
 早速、ラヴィアラが弧を描いた弓を放つ。
 きっちりとその弓が敵兵の一人の胸を貫く。
﹁ラヴィアラの弓の精度は恐ろしいですよ。職業が射手なのは伊達
ではありません!﹂

578
 また、次の一射も敵兵の一人に刺さった。ほかの弓兵も矢を放っ
て、敵の猛攻を押さえ込む。
﹁よし、ここはどうにかなりそうだな。ノエン、もうしばらく支え
ろ! 俺たちはオルクス隊のほうに向かう!﹂
 オルクス隊は最も多くの兵で構成されている。ここで食い止めら
れるなら、どうとでもなる。俺たちはラヴィアラたちともに横に移
動する。
 たしかにこちらもオルクス隊本隊はかなり乱戦になっていた。ハ
チの巣をつついてしまった男のように壮絶な攻撃を浴びている。
﹁大元を絶たないとダメだな﹂
﹁ラヴィアラがやりますよ、アルスロッド様﹂
98 鉄砲の真価
﹁大元を絶たないとダメだな﹂
﹁ラヴィアラがやりますよ、アルスロッド様﹂
 ラヴィアラの弓矢はまた後方の敵兵を落馬させた。
 しかし、今度の敵兵は数が多い。一時的な攻撃では、その動きを
弱めるのも難しそうだ。
﹁俺が出れば三十人は斬り殺せると思うけど﹂
﹁危険です! それに矢が撃てなくなります!﹂
 ラヴィアラに止められた。そうなんだよな。飛び道具を使う以上、
俺が最前線に立つわけにはいかない。

579
 じゃあ、俺の役割は何かというと、仲間の士気高揚だ。
 すでにオルクス隊から、オルクスの﹁ここは死んでも退かんぞ!
 退いたら一生の恥だ!﹂という野太い声が聞こえてきた。俺が来
たことが伝わったのだろう。ものすごくわかりやすい奴だ。
 ︱︱まったく、無茶をしおって。こんな危ない戦場に自分から来
るとか⋮⋮。どうなっても知らんからな。いや、絶対に討ち死にす
るなよ。
 覇王の言うことももっともだけど、一度も前に出ないのは俺らし
くないんだ。
 ラヴィアラの攻撃はそれなりに効いてはいた。付近の敵を率いて
いた辺境伯側の将も、多くの兵が斜めからの弓矢で倒れたことを認
識しただろう。
 ただ、今後は攻撃を分散できる程度に敵に数があった。
 敵の将が﹁あの弓兵部隊にかかるぞ!﹂という命令をしたようだ。
とはいえ、実のところ、北方言語でほとんど聞き取れなかった。お
そらく辺境伯などの一部の高官を除けば、王都語をしゃべることも
できないと思う。
 敵の数は百五十ぐらいか。たしかに将は騎馬で突っ込んできて、
それに歩兵が追従するという形だ。
﹁あっ! 皆さん! 敵の武将を狙ってください!﹂
 ラヴィアラもこれには焦った。矢を射かけるが、敵将も極端に頭
を下げて、これをしのぐ。かなりのやり手らしい。
﹁まずいな⋮⋮。完全に突っ込んでくるぞ⋮⋮﹂
 俺も剣の鞘に手をかける。白兵戦は多少危険はあるが、それで切

580
り抜けるしかないか。
 しかし、俺の前にオルトンバが進み出た。
 すでに手には鉄砲がある。雨にぬらさないように体を大きく前に
傾けていた。
﹁これだけ距離が近づいているならやれます。敵将がどれかもわか
りましたし。私がやりますよ﹂
 たしかに性能を試すには絶好の機会だ。
﹁わかった。やってみろ。真横で見守っていてやる﹂
﹁アルスロッド様、あまり過信しないでくださいね!? はずした
ら敵が来ますから!﹂
 ラヴィアラが注意する。その言葉ももっともだ。まあ、その時は
その時だ。存分に戦ってやるさ。
﹁こんな無理な姿勢の撃ち方でも私はできますんで﹂
 そして、耳を圧するような轟音が響いた。
 あまりにもとんでもない音なので、自分が死にでもしたのかと勘
違いするほどだったが、まったくそんなことはなかった。
 敵将が落馬して、すぐに動かなくなった。
 鉄砲が一発で仕留めたのだ。
 何か敵軍がわめき出した。自分の大将が死んだのだから、それも
しょうがないだろう。どうやら、まだ何が起きたのかよくわかって
いないらしい。

581
﹁そうだ⋮⋮皆さん、一気に撃ってください!﹂
 ラヴィアラたちの弓がそこでまた射かけられる。前にいた敵兵が
ばたばた倒れる。
 形勢が逆転する瞬間というものをたまに戦場で見る時があるが、
まさしくそれだった。
 鉄砲一本、大きく流れが変わった。
 攻撃する兵士を供給していた敵部隊の大元がこれで崩れ、オルク
ス部隊もだんだんと状況を好転させつつあった。
 ひとまず、俺が来た意味はあったというわけだな。
 それから先、三回ほどオルトンバは鉄砲を放ち、それぞれ雑兵で
はないと思われる兵士を射殺していた。弓矢よりはるかに遠方まで
その弾は届く。
﹁やはり、雨のせいで点火に時間がかかりますね。一斉に使うには
晴れた日でないと不向きです﹂
﹁それでも、手練れの者なら使えなくもないとわかった時点で十分
だ﹂
 オルクスが一度敵兵を追い払ったようなので、雨がやむまでしの
げと伝令を残して、俺たちは再び、あの冷たい川を渡った。
 その後、夕暮れになって、敵兵が一度、兵を陣まで退いたという
連絡と、それに合わせてオルクス隊たち前線に出た部隊もこちら側
に戻ってくるという連絡が同時に来た。ひとまず、初日は食い止め
た。
 もう一つ、大きな変化があった。
 雨が夜になる前に上がったのだ。かなり強い雨だったから、その

582
分雲が過ぎ去るのも早かったのか。
﹁明日の朝には、もう晴れていると思います﹂
 そうラヴィアラが胸を張って言ってくれた。
﹁わかった。明日はいよいよ鉄砲の真価を見せる時だな﹂
 オルクスたち前線部隊が戻ってくると、俺は連中をねぎらってか
ら、後方に下がらせることにした。
﹁本当はあっちで夜営するぐらいの気持ちでいたんですけど、ちょ
っと兵の疲れ具合からして、それは無理だなと判断しました。明日、
また敵が攻めてくるまでしのぎたかったんですが﹂
﹁もし、それをやるとしても、被害も大きくなるからな。敵が退い
たうちに戻るなら問題ない。明日、敵が川のこちら側にうかうかや
ってきてくれれば、それでいい﹂
﹁けど、あっさり来ますかね? 敵も怖さは今日のことで、よく知
ったはずですぜ﹂
﹁そこは上手く餌を撒く。マチャール辺境伯も今回の戦をわかりや
すく勝ったことにしたいはずだ。現状だと、向こうに従ってる諸侯
たちも大丈夫かといぶかしんでるだろうしな﹂
 俺は夜のうちに川よりかなり手前のところで防衛線を張る。それ
も意図的にかなり脆そうな防衛線だ。
 これなら、一気に突破して俺の首を狙える、そう思わせないと意
味がない。

 もしも、誘いに乗らないなら、相手をおびき寄せるためだけの部
隊に川に渡らせて、引っ込ませる。

583
 少なくとも、俺たちは負けてない。敵の実力もおおかたわかった
し、次で決めればいいさ。
 そして、長い夜が明けた。
 辺境伯の軍、待ってるぞ。
99 鉄砲の恐怖
 その日の早朝は、気温が上がったせいか、わずかに靄がかかって
いたが、日がのぼってくるにつれて、それも消えていった。
﹁本当に最高の快晴だな、ラヴィアラ﹂
﹁はい、勝ってさらに最高にしましょうね!﹂
 陣の中で俺たちはそんな話をした。たしかに、これで負けたら最
低の快晴になるからな。
 さすがに早朝から敵はやってこない。さて、待ち受ける準備はで
きたけど、ちゃんと来てくれるかな。
 地形的に背後に兵を置いて前に突っ込ませるということもできな
い。覇王はそういう手がとれたらしいが、そこまで覇王の時と同じ

584
じゃないからな。
 この日、一番忙しいのはオルトンバだろう。柵の前に控える兵た
ちの様子を見て回って、鉄砲を正しく撃てるかどうかの確認をして
いた。ちなみに柵は兵がいないかなり前方にも設置されている。敵
軍の速度を落とすことができれば。それだけ鉄砲で狙う側も楽だ。
 そこにヤドリギが姿を見せてきた。それを見越して俺も付近には
ラヴィアラしか置いていない。
﹁マチャール辺境伯サイトレッドは自分も含めて渡河して攻めこん
でくるように決めました﹂
﹁わかった。連絡ご苦労。ずいぶん息が切れているようだから、休
んでいろ﹂
 涼しいというより冷たい顔をしているが、それでも何度も顔を合
わせているから、急いでやってきたのはわかる。
﹁近くにおりますので、何かあったらお呼びください﹂
 そう言って、ヤドリギは姿を消した。
 さて、大勝負になりそうだな。
﹁ラヴィアラ、お前は鉄砲を撃ちやすい場に移動しておけ。敵はい
ずれ来るぞ﹂
﹁はい、手前からどんどん撃ち殺しますから!﹂
 射手という職業が鉄砲にどう機能するかはわからないが、少なく
とも武器としての目的はまったく同じだから、どうにかなるんじゃ
ないか。
 そして、やがて低い音が遠くから響いてきた。

585
 敵軍が川の浅いところからやってくる。さすが、地の利はあると
いうか、どこから渡るべきか心得ているらしい。
 そして、川を渡り終えたあたりから、昨日聞いたような轟音が響
いた。
 付近の小高い丘で待ち構えていた部隊が高みから鉄砲を撃った。
 何人か倒れる者が出たか、少し遠すぎてわからないが、どっちで
もいい。本番はもっと先だ。
 俺はオルトンバの横について様子を伺うことにした。敵の狙いは
俺だろうし、俺のところに大物がくれば、それだけオルトンバが狙
いやすい。
﹁いけそうか?﹂
﹁視界良好ですし、晴れてもいますんで、申し分ないですな。すで
に効き目は上がっているようです﹂
 もう、すでに銃撃の音は何度も響いていた。そして、だんだんと
悲鳴のようなものも聞こえてきていた。
 まず、引き寄せるまでは離れた高台からの狙撃が中心だ。どこか
ら撃たれているかわからないから、敵兵の恐怖心を煽る。
 そして、その攻撃を乗り切って近づいてくる連中に対して、柵の
内側から鉄砲を向ける。
﹁さあ、お前たち、とことん撃て!﹂
 俺が号令するまでもなく、撃てとは命令しているが、景気づけに
叫んでやった。ちなみにしっかり耳は手でふさいでだ。
 轟音のあとにはばたばたと馬に騎乗した敵の武将クラスが倒れて
いく。無論、雑兵にも銃撃は加えられる。
 なかには恐怖心を抱いて足を止めそうになる者もいたが、これに

586
も鉄砲は火を噴く。
﹁なんだ、この武器は!?﹂﹁止め方がわからん!﹂﹁あまり近づ
くな!﹂
 そんな声が聞こえだす。見たことのない武器で攻撃される恐怖心
は並大抵のものじゃない。説明のできない事態に出くわす時、人間
の思考はたいてい濁る。そここそ狙い目だ。
 丘の茂みに隠れるようにして、ラヴィアラも狙撃しているのが見
えた。かなり距離が開いているはずなのに、騎馬兵をきっちり射殺
している。
 だが、やはり圧巻なのはオルトンバで、一発撃つごとにかなり遠
くの兵を削っている。そのせいか、こちらの手前の柵を突破しよう
とする敵兵もいなくなってきた。無理をして突撃をかけた者がこと
ごとく倒れているからだ。
 敵の騎馬軍団の勢いは完全に殺した。
 その時点で、この戦い、俺の勝ちだ。
 敵の勝利条件はこちらの防御網を突破することしかない。だが、
それが可能な攻撃力はおそらくもうほとんど残っていない。
 相手の最大の敵は恐怖心だ。不安を胸に抱きながら突っ込むこと
はできない。
﹁いいかげん、敵の攻撃はやんだか。ならば、俺が全軍率いて掃討
してやるか﹂
 まだ、辺境伯を見ていない。おそらく、前に出ていた将の討ち死
に率が高すぎて、出られなくなったのだろう。
 しかし、そんな辺境伯側の中で、こちらに突っ込んでくる部隊が

587
ある。周囲の仲間たちは倒れていくが、大将格の者はまだ馬から落
ちてはいない。
﹁我こそはマチャール辺境伯サイトレッドの妹、タルシャ・マチャ
ールである! アルスロッド・ネイヴル、覚悟するがいい!﹂
 そうか、勇壮と知られていた妹だな。波打った髪をなびかせなが
ら、走ってくる。
 オルトンバの鉄砲がそのタルシャの馬を撃つ。馬は倒れるが、そ
れでも、跳び降りると、そのまま俺のほうに向かってくる。
 血がたぎるのを感じた。
﹁お前たち、あの女武将は撃つな! 俺が直々に相手をする﹂
 どうせ、この戦、俺たちの勝ちだ。ならば、少しぐらい遊んでも
いいだろう。
 俺は剣を抜いてタルシャの前に立つ。
﹁名前を呼ばれたから出てきてやったぞ。どうして負け戦で突っ込
んできた?﹂
﹁ぬかせ! たとえ負け戦といえども、こんなところで退いたら、
どのみち我が一族はおしまいだ! ならば、背を向けずに戦ったほ
うがマシだろう!﹂
﹁なるほど。間違いとも言えないな﹂
 マチャールの剣はとにかくまっすぐで、迷いがない。ここに来る
ような奴の剣だ。
﹁敵であるのが惜しいほどの剣だな﹂
﹁どうやら、我が職業は高名な武人かもしれんのだ。シンゲンとい
うのだが﹂

588
 シンゲン? それ、覇王が言ってた奴じゃないのか!?
 ︱︱よし、アルスロッドよ、全力で戦え! そしてなんとしても
勝て! この覇王も一対一で信玄に勝ったとい気分を味わいたい!
 勝手なこと言うな! でも、まあ戦わないって選択肢はもちろん
ないけどな。
 それと、完全に対等な状態なんてものはない。ここまで来る時点
でこの女は疲弊している。
 俺は剣を思い切り横に薙いだ。
 それで、タルシャの剣が弧を描いて飛んでいった。
99 鉄砲の恐怖︵後書き︶
じわじわと99話まで来ました。次回100話です!
589
100 構想を持つ者
 俺は剣を思い切り横に薙いだ。
 それで、タルシャの剣が弧を描いて飛んでいった。
 勝負はあった。誰もがそう思っただろう。
 しかし、それでもタルシャの目はまだ死んでいない。この目をし
ている人間には絶対に油断してはならない。
 すぐにせいぜい半ジャーグ程度しかないような短い剣を抜いた。
﹁アルスロッドよ、お前はなんとしても倒す! そうすれば我が一
族は今よりはるかに雄飛する!﹂
﹁雄飛? 抜かしてくれるじゃないか。悪いけど、お前たちの領地
は天下を取るには遠く離れすぎている。そんなところからじゃ何も

590
できん﹂
﹁天下を取ることはできなくとも、三県や四県を支配することはで
きる。我の構想は数県を支配する大領主たちによる連邦国家だ!﹂
 そう叫んでタルシャはこちらに短剣で斬りつけてきた。
 短剣とは思えないほどの威力と衝撃を感じた。
 ただ、それ以上の衝撃は︱︱
 俺以外に構想を抱いて語れる奴がこの国にいたんだな、という部
分だった。
 それが現実的に可能なのかはわからないが、少なくとも地方の大
領主にとったら一番うまみがあるのは、そういう大領主同士の分割
支配だろう。実際、小さな領主はいくらでも飲み込んでいけるだろ
うが、それもどこかで限界を迎える。
 俺はその大領主たちを力でねじ伏せて統一を成し遂げるつもりだ
が、その手前で止めてしまえばいいと思う者がいたとしても不思議
はない。
﹁アルスロッド! お前の力はたしかに強大だが、所詮お前一代で
築き上げたもの! お前が死ねばまた世は乱れる! ならばつけ入
る隙ぐらい、いくらでもできるっ!﹂
 その言葉は決してつまらない幻想ではない、そう俺が一番よく知
っていた。
 だから、この女は全力で俺を殺しに来ているわけだ。
 別に自分の領地を守るためだとか、そんなわかりやすい目的のた
めじゃない。

591
 頭の中では、オダノブナガが絶対に手を抜くな、こいつは目的の
ためなら親も追い出すし、子も殺す奴だと叫んでいた。わかる。目
的のためにほかを捨てられる奴は強い。
 俺も全力で剣を振るう。
﹁気に入ったぞ、タルシャ!﹂
﹁ほざけ! 今から我が殺してやる!﹂
﹁お前は俺の下につけ! お前の真価はこの先の人生にある!﹂
 無論、タルシャは﹁舐めるな!﹂と短剣を俺に突きつけてくる。
 けど、その剣の威力が落ちたのを俺は感じた。
 こいつの目的を俺は包みこんでしまえる、そう、直感的にわかっ
たのだろう。
 だから、その剣を突きだした手をさっとひねり上げた。
﹁くっ、あっ⋮⋮﹂
 剣が地面に落ちる。これで完全に無力化した。
﹁武器も持たない女は斬れんからな。捕虜になってもらうぞ﹂
﹁勝手にしろ。ただし、無礼な振る舞いがあれば、すぐに舌を噛み
切ってやる⋮⋮﹂
 それぐらいに憎まれ口を叩いてもらえるほうが俺としても張り合
いがある。
 そこから先は一方的だった。
 敵の側の士気が確実に落ちている。
﹁姫様が捕えられた!﹂﹁ここは退けっ!﹂
 そんな悲鳴に似た声が聞こえる。やはりな。シンゲンという職業
は味方の結束を大幅に高める効果でもあるんだろう。マチャール辺
境伯の強さは辺境伯本人ではなく、優秀な武将を抱えていたことに

592
あったようだ。
 勝負は鉄砲を使ったこちらの大勝で終わった。マチャール辺境伯
サイトレッドは一度、軍隊を自分の居城まで後退させるよりなくな
った。このままでは全滅すると踏んだのだろう。正しい判断だ。
 ラヴィアラは﹁すぐに追いかけて滅ぼしましょう!﹂と進言して
きたが、俺はそれは断った。
﹁その必要はない。今回はここで砦でも築いて守っていればいい。
少なくとも、もう挽回は無理だ﹂
﹁ですが、まだラヴィアラたちは敵には勝ちましたけど領地は奪っ
ていませんよ?﹂
﹁今回の敵の主だった死傷者のリストだ。これを見てくれればわか
る﹂
 ラヴィアラがその数に驚愕しているのがすぐにわかった。
﹁指揮官クラスがこんなに死んでるだなんて⋮⋮﹂
﹁鉄砲で片っ端から撃ち果たした。まさか、家がことごとく断絶だ
なんてことはなくて、子なり弟なりが家を継ぐだろうが、だからと
いってまともにそいつらが機能するには気の遠くなる時間がかかる、
むろん、歴史はそんなに待ってはくれんさ﹂
 とりあえず、マチャール辺境伯についているだけの小領主は、こ
こにいてはもたないと見限って、こちらに走ってくるだろう。
﹁しかも、こっちには﹃人質﹄がいる﹂
 すでにタルシャとは口約束ではあるが、こちらから有益な条件を
提示していた。
﹁お前が俺の将として働いてくれるなら、マチャール辺境伯爵家は
存続させる。お前の構想とはずれるだろうが、俺の下で数県の大領

593
主として残れる可能性も与えてやる﹂
 勝ち戦の宴会を抜け出して、俺は捕虜となっているタルシャのと
ころに行った。
﹁悔しくはあるが、それしか手はないようだな⋮⋮。まさか、お前
の下につくことになるとは⋮⋮﹂
 タルシャはまだ忌々しい表情をしていたが、そこで吹っ切るよう
な深い溜息をついた。
﹁委細承知した。将として遇するというのであれば、早くそちらの
将に周知してくれ﹂
 切り替えが早いな。この女もまだ戦いたいという気持ちはあるん
だろう。
 こうして、ひとまず遠征は成功に終わったが、本番はむしろこれ
からだった。
 宴の翌日、早馬が俺のところにやってきた。
 伝令には事前に青いたすきをかけさせていたので、すぐにわかっ
た。その色を見ただけで何が起きたか知れるようにするためだ。
﹁ミネリアの領主、ブランタール県のエイルズ・カルティスとオル
ビア県のブランド・ナーハムが相次いで挙兵いたしました!﹂
 義父と義弟が勝負を挑んできたというわけだ。
﹁それと⋮⋮財務官僚のファンネリアまでが同調したようで⋮⋮マ
ウスト城付近の領主の中にも通じていたものが⋮⋮﹂
 ファンネリアはワーウルフでもともと商人から取り立てた男だ。
 俺はそこで舌打ちした。エイルズかブランドか、それともファン
ネリアの側か、どこが最初に仕掛けたかわからないが、徹底してつ

594
ぶすつもりか。
﹁すべて叩き潰してやる。そのためにこんな遠方までわざわざ出て
きてやったんだからな﹂
100 構想を持つ者︵後書き︶
皆様のおかげで100話まで続けることができました! ありがと
うございます! 次回以降もよろしくお願いいたします!
595
101 故地に誘い込む
 翌日、俺は諸将を集めて、ブランタール県のエイルズ・カルティ
スとオルビア県のブランド・ナーハムが反乱の兵を挙げたことを告
げた。
 驚きの声はほとんど上がらなかった。
 そのうち、こうなることをみんなわかっていたということだ。
﹁詳しい状況と、裏切った者の数はわからないが、領主の数だけは
それなりにいるかもしれんな。俺に牛耳られることを楽しく思わな
い奴が多かったということだ﹂
 予想はついていたとはいえ、非常事態ではある。みんな、神妙な

596
顔をしている。下手を打てば、こちらの存亡に関わることだからだ。
﹁アルスロッド様、それでどういった作戦をとられるつもりですか
?﹂
 ラヴィアラが尋ねてくる。
﹁ちょっと待ってくれ、考える﹂

 考えるというより、相談だ。オダノブナガ、案があれば聞かせて
くれ。
 ︱︱そうだな。エイルズ・カルティスはミネリア郡からネイヴル
郡に入るだろう。連中はとしてはお前の故地を支配することで、自
分たちが優勢だと喧伝したいはずだ。そのうえで、マウスト城を狙
う。ここを落とせばお前は帰るところがなくなるからな。
 まあ、それはそうだろうな。こっちが負けてるというような印象
を与える、義父のエイルズならそうするだろう。
 ︱︱ただ、幸い、我が方の軍勢は精強だ。遠征自体も成功してい
る。撤退というよりは転戦だと多くの者が思えるだろう。つまり、
途中で邪魔が入らなければ、敵の本拠に侵入できるだけの力はある
し、防衛に当たれるだけの兵もお前は用意していた。
 ああ、そのために留守居役も信頼できる奴にやらせているからな。
 もとより、こちらは守るのではなく、攻めるつもりだが、問題は
どこを攻めるかだ。
 しっかりおびき出してやるか。

597
 俺は諸将に向けて顔を上げた。
﹁みんな、聞いてくれ﹂
 全員が固唾を飲んで俺のほうを向いている。
﹁これは別に降って湧いたような話ではない。むしろ、この機会を
待っていたと言ってもいい。義弟のブランド・ナーハムの一派、な
により義父のエイルズ・カルティスは俺に不満を抱いていた。なの
で、準備は万端整っている。問題とするは、どこで叩くかだけの違
いだ﹂
 これは枕詞だ。大切なのはここから先だな。
﹁一刻も早くマウスト城に帰還いたしましょう! あそこを乗っ取
られては国中が閣下が滅んだと誤解いたします!﹂
 将の一人が叫んだ。たしかに本拠に戻るというのは定石ではある。
しかし、幸いというべきか、今回は無理に定石に従う必要もない。
﹁マウスト城については何も心配はしていない。あそこはシヴィー
クが守っているからな。あの老いぼれも足は弱くなっているが、指
揮だけならまったくもうろくしていない﹂
 もしかすると、今頃自分の出番とばかりにはりきっているかもし
れない。まして、マウスと城の周辺でも裏切る者が出たらしいし、
いよいよ楽しんでいるんじゃないか。勝つとわかっている戦には燃
えない男だからな。
﹁ニストニア家からも側室を娶って、防衛態勢は強化している。王
都のほうも守備兵が十分にいるから、すぐにはどうということもな
い。よって︱︱我々は義父を攻めることができる﹂

598
﹁アルスロッド様、敵とはどこで戦うつもりなんですか? 本拠で
あるミネリア郡にまで入るんですか?﹂
 ラヴィアラも当然それが気になるよな。
 俺は笑いながら、こう言った。
﹁フォードネリア県ネイヴル郡、俺が生まれ育った土地だ﹂
 みんなの顔を見るに、かなり意外な提案だったらしい。
 すぐにそれなら敵の本拠を目指すべきではとか、マウスト城に戻
ったほうが安全ではないかといった声が出た。
﹁敵の本拠は間違いなく堅固だろう。一方、ネイヴル郡なら俺が勝
手知ったる場所だ。そして、守りに向かないこともよく知っている﹂
 俺は確信を持って言った。
﹁ネイヴル城は要害でもなんでもない。あんなところに入ってしま
った敵は俺たちの軍勢を止められない。あそこを奪取してくれたな
ら願ったりかなったりだ﹂
﹁えっ⋮⋮。でも、お城が荒らされてしまうんじゃ⋮⋮﹂
﹁ラヴィアラ、俺の故郷はあそこでもあるけど、マウスト城でもあ
るし、王都でもある。仮に焼け落ちてもいくらでも復興してやるさ﹂
 この戦い、新しいものと古いものとのぶつかり合いだ。
 ここで古いものに押し戻されてしまうようなら、俺もそれまでと
いうことだ。
﹁おそらく、ネイヴル郡に入るまでに妨害もあるだろうが、そうい

599
う連中は徹底して叩きつぶせ。中途半端に勝ち馬に乗ろうとする連
中になんて価値はない!﹂
 俺の言葉にようやく部隊の意気が上がってくる。そんな中に俺の
真ん前に出てくる奴があった。周囲の者が止めるが聞かずにそのま
ま出てくる。
 マチャール辺境伯サイトレッドの妹、タルシャだ。
﹁その戦、我も参加したいのだが。敵側につくつもりはないから安
心してもらいたい﹂
﹁ああ、かまわんぞ。それで、勝ったら何を望む?﹂
 まさか、望みもなしにそんなことを言い出すほどけなげでもない
だろう。そんな純情な人間でないということは顔を見ればわかる。
﹁父親に代わってマチャール辺境伯に我がつく。それこそ、我が家
を保つ最善の策だ﹂
 俺の職業が﹁やっぱりシンゲンだな。親父を追い出さねば筋が通
らん﹂と笑っていた。俺もこの女の意気を見て同じように笑いたく
なった。
 将というのはこうでなければ面白くない。
﹁わかった。信頼できる兵を貸してやる。活躍、期待しているぞ﹂
﹁無論だ﹂
﹁さて、ただ、戦の前にタルシャには大事な仕事がある。マチャー
ル辺境伯が確実に撤兵したか、確認してくれ﹂
 まだ南で何が起きたか把握してないと思うし、被害が甚大だから
追手も出せないと、そこが確認できないと、進軍できない。

600
 タルシャは首を縦に振った。
しんがり
﹁問題ない。仮に無謀にも攻めてきても、殿軍を一千も出せばそれ
で倒せる程度には弱っている﹂
102 シンゲンの力を持つ女
 俺たちが兵を引き返して進んでいくうちに、続報が次々に入って
きた。
 アルティアの夫であるブランド・ナーハムはマウスト城のほうに
接近して、こちら側の領主と交戦中であるとか、裏切った財務官僚
のファンネリアが自分の側の数を増やそうと調略に動き回っている
とかいった情報だ。
 少なくとも報告が来る限りでは、敵もまだまだ状況が整っていな
いし、すぐにこちらを席巻するというほどの力はないようだ。
﹁もし、蜂起して失敗したら家の存続もままなりませんからね。情

601
勢がはっきりしてくるまでは大半の領主は日和見を決め込むと思い
ます﹂
 移動中、ケララが落ち着いた口調で説明した。
﹁これがかつての領主間の争いであれば、裏切りは日常茶飯事でし
たし、たいていの場合、頭を下げれば許されていました。しかし、
摂政様は裏切った者に関しては容赦をしておりません。領主たちも
それが恐ろしいのでしょう﹂
﹁当たり前だ。俺は私兵ではなくあくまでも王国の軍隊を指揮して
いるんだ。陛下に弓を引いた賊軍にはそれ相応の報いを受けさせる、
それだけのことだ。俺の勝手なルールを運用するわけにはいかない﹂
 最初から敵対している者には降伏の機会は与えてきたが、味方と
してありながら裏切った者は許すことはしない。
﹁それと、ファンネリアはどうしてこのタイミングで動いたんだ?
 たしかに最近はあまり重用していなかったが﹂
﹁王都に入って以来、摂政様が商人出身の者を利用することも多く
なったので、居心地が悪くなったのでしょう。ラッパも結局は摂政
様の直轄になってしまいましたし﹂
﹁そういえば、ヤドリギたちも俺がもらってしまったな。しかし、
あれを手放すことに同意したのはあいつだぞ。無理矢理奪ったわけ
でもない﹂
 ケララは少し言葉に迷っていたが、
﹁先を見通せなかったということは、商人としてその程度の器だっ
たということではないでしょうか﹂
 と言った。

602
﹁まったくだ。そして、逆らってはならない人間に対して牙をむい
た点も最悪だな﹂
 途中、もっと邪魔が入るかと思ったが、ケララの言う日和見を決
め込んでいるというのは本当らしく、領主たちは大半が俺に好意的
なだけでなく、こちらを丁重に扱おうとした。うかつなことをここ
でやる意味はまったくない。正しい対応だ。
 おかげでほぼ戦いもなく、ネイヴル郡のほうに近づくことができ
た。まだマウスト城もシヴィークの指揮のもと、落ちずにしのげて
いる。
 オルビア県の領主、ブランド・ナーハムは本来なら完全にオルビ
ア県を制圧したうえで、余裕があればマウスト城さえ接収するつも
りだっただろう。しかし、抵抗する勢力が多く、手を焼いているう
ちに好機を逸した。
 というより、好機など最初からなかった。敵に備えられてしまっ
ているなら奇襲は価値を持たない。俺のことが気に入らなかろうと
勝てるかどうかわからない戦いに乗ってはいけなかった。
 ブランド・ナーハムはフォードネリア県の北部でとりあえず防御
を試みることに決めたようだ。
 背後から攻められるとややこしいことになりそうな手だが、後背
を突くことは去就を決めかねている領主たちにはできないから、そ
こは問題なかったらしい。
 ブランドの最大の弱点は野望がありすぎて、それ相応の力も持っ
ていたことだろう。何県も領有するだけの英雄になりたいという意
識がどこかにあった。

603
 だが、俺が摂政となって、新しい政治秩序を作ってしまえば、同
じように服属している周辺領主を滅ぼすわけにはいかなくなる。気
概のある青年領主だからこそ息苦しかったというわけだ。
 しかし、お前のやったことは失敗だ。
 俺は味方したいという者たちの兵を糾合し、ひとまず一万五千で
ブランドに対峙した。
 一方で、ブランド側はエイルズの援軍もあるだろうに、七千ほど
だった。
 ︱︱浅井長政はやはり何重にも運が悪かった。しかし、武士とし
て兵を出してしまった以上は責任はとらねばならない。
 オダノブナガもそういう事例はたくさん見てきたんだな。俺もだ
いたいわかる。せめて俺より十年ほど早く生まれてきてたら、もう
少し立場も変わっただろうに。
 おそらく、ここで勝つことはブランドも考えてはいない。エイル
ズと合同して、ネイヴル郡で迎え撃つつもりだ。
 だからこそ、ここでは使える戦力を試す場にさせてもらう。
 俺はタルシャを決戦前の宿所︱︱といっても小さな小屋みたいな
ものだ︱︱に呼び出した。
﹁本当に護衛もいないのか。もし、我がお前を殺そうとしたらどう
するつもりか﹂
﹁その時は俺も剣を抜くし、だいたい敵側につくつもりなどないと
言ったのはお前だ。味方の
言葉を信じられるかどうかは俺が決める﹂

604
 つまらないことのように俺は言った。
﹁はぁ⋮⋮。我が夫もその程度の気骨があれば、死なずにすんだだ
ろうに﹂
﹁男に飢えているなら、相手をするが﹂
 戦場では卑猥な冗談はよくあることだ。殺し合いをした仲だから、
今更、気をつかう間柄でもない。
たか
﹁気が昂ぶっていたとしても、それは戦場で静める﹂
﹁前線に立つなら兵を貸してやるが、平原だから策を立てて攻める
のは難しいぞ﹂
﹁必要ない﹂
 きっぱりとタルシャは言った。
﹁我が指揮をすれば、あっさりと敵を討ち破ることができる。敵軍
を徹底的にのしてやろう﹂
 まったく、強気な女だ。もしかすると、これも職業のせいか? 
いや、逆だな。シンゲンみたいな性格だったから、そういう職業に
なったのだ。職業はその人間の人格に由来するものだ。
 二千の兵を率いたタルシャは本当に縦横無尽の活躍を見せて、ブ
ランド側の前線の兵を叩きつぶした。
 敵はもとから指揮が上がってなかったせいもあるだろうが、あっ
という間に敗走していった。
 ︱︱やはり、女とはいえ、シンゲンを職業に持つ者だな。この程
度の敵では簡単に倒してしまうか。
 オダノブナガも好敵手とまみえたような調子だった。気持ちはわ
かる。大物の気持ちは大物しかわからないだろうしな。

605
102 シンゲンの力を持つ女︵後書き︶
活動報告に今あっきアップいたしましたが、書籍化が決定しました!
詳しくは活動報告をごらんください! アルスロッドのイラストも
載っております!
606
103 次の辺境伯
 戦勝の論功行賞の場でもタルシャは讃えたが、その日の宿所に俺
はタルシャを呼んだ。
﹁よくやってくれた。直接見ていたわけじゃないが、いくつもお前
を褒める声を聞いたぞ﹂
﹁どうということはない。風のようにすぐに決断し、攻める時は炎
のように激しく攻め、動きは雷ほども速くやる。これを徹底すれば、
弱兵は簡単に圧倒できる。戦争の基本としか言いようのないことだ﹂
 自慢するでもなく、タルシャは落ち着き払っている。ここまで徹
底した武勇に秀でた女を見たのは初めてだ。ラヴィアラも立派な武
人だけど、将というよりは一人の射手という面が強い。

607
﹁たしかにお前だけなら、それだけの実力を見せることもできるだ
ろうけど、今回はそれよりはるかに難しいはずだ。なにせ、お前が
動かした兵士はお前の直属の者でもなんでもないからな﹂
 すべて借り物で、敵軍を圧倒し続けるのは、慣れ親しんだ仲間で
戦うよりはるかに難しい。。
 たしかに数でもこちらが押していたとはいえ、数の優位だけであ
そこまで兵を活躍させることはできないだろう。
﹁つまり、すぐに兵の資質を見抜いたか、兵をわずかな間に完全に
タルシャの軍勢に変えたか、どちらにしても恐ろしい才能だ﹂
﹁ああ、それか⋮⋮﹂
 少しタルシャは言いづらそうに口澱んだ。
﹁ほら、職業には特殊能力というものがあるだろう⋮⋮。我の場合、
﹃人は城﹄だったかな⋮⋮。なんかもっと長い名前だったが忘れた
⋮⋮。それのせいで指揮されている兵の能力が、二倍になるはずな
のだ⋮⋮﹂
﹁やっぱり、特殊な職業の効果は大きいな﹂
 それなら、大勝の理由も説明がつく。
﹁あと、﹃風林火山﹄というのもあって、これは自身の力を高める
ものだが⋮⋮とにかく、これのおかげでそうそう負けることはなか
った⋮⋮。いわば、反則みたいなものだな⋮⋮﹂
﹁別に恥じることではないだろ。自分の持っている力で戦って何が
悪い。俺だって自分の職業の特殊能力はさんざん使わせてもらって
いる﹂
﹁だが、それで勝つのは当たり前という気もしていてな﹂

608
﹁だが、お前は俺に負けた。勝負というのはそういう何があるかわ
からないものだ﹂
 俺の言葉に、むっとタルシャはこっちをにらんできた。
 自分では卑下するくせに、俺が言ったら怒るのか。ただ、どうも、
ただ怒っているだけでなくて、どうも照れているようにも感じられ
る。
﹁実は⋮⋮昂ぶった心を戦場で静めようとしたのだが、どうにも敵
がザコでな⋮⋮あれではとても静まらないのだ⋮⋮﹂
﹁それで、俺に静めてほしいということか?﹂
 しばらくタルシャは黙っていたが、ためらいがちに口を開いた。
﹁実は我は多淫な質のほうで⋮⋮。お前が望むなら抱かれてやらな
くもない⋮⋮﹂
﹁摂政が前言を撤回するわけにはいかないからな。こっちもお前が
望むなら構わないが﹂
 この言い方は少しいたずらがすぎただろうか。こっちから、タル
シャに近づいて、背中に手を伸ばした。
 そこから先は話が早かった。タルシャのほうから唇を差し出して
きた。
 まあ、部屋に呼び出した時点で、俺の意図も見透かされていたか
もしれないが。
 自分から多淫だとか言っただけあって、たしかに何度もタルシャ
は求めてきた。ちょっと俺のほうが疲れそうになるぐらいだった。

609
 それにベッドの中ぐらいでしかできない話もある。落ち着いた後、
タルシャと北方政策についての協議をした。
﹁タルシャ、お前の父親がマチャール辺境伯を自分から手放して、
お前に譲ってくれる可能性はあるのか?﹂
﹁それははっきり言ってありえないだろうな。父上も一代で大幅に
辺境伯の地位を高めた傑物だ。権力欲も強い。娘の我が言っても無
意味だろう。まして我は本来の継承者でもないからな﹂
﹁なら、お前が兵を率いて、父親を追い出せ。そして、マチャール
辺境伯を継げ。切り取り次第というやつだ。兵はこちらで貸してや
る﹂
 ベッドの中でタルシャはけげんな顔をした。
﹁仮にそれができたとして、我がお前から独立したらどうする気だ
?﹂
﹁タルシャ、お前は賢いからわかっているはずだ。王都から離れた
ところで力を持っても、限界がある。お前自身が、辺境伯という地
位にこだわるのがそれを証明している﹂
 最初からタルシャに天下を取る意識はない。俺の出身地と比べて
もはるかに難易度が高いだろう。
﹁あと、お前なら信頼できると思った。これは直感だからはずれる
かもしれないが、俺は女を見る目はあるほうだ﹂
 そう言って、俺はもう一度、タルシャの体を抱いた。

 その後の情勢は俺が思い描いたとおりになった。
 エイルズとブランドは俺のネイヴル家の墓の近くに部隊を置いた

610
り、ネイヴル城を接収して、そこを拠点にして待ち構えていた。兵
の数は約二万。次第に増えてきたこちらの兵の数とほぼ同じだ。
 一方で、マウスト城から打って出られないように、そちらも自分
の息子を大将にして、五千の兵を送って、これを留めている。
 さすがエイルズだ。ほかの領主からも兵を募ったとはいえ、これ
だけの数を揃えられるのだから、たいしたものだろう。
 ネイヴル城を奪ったというのも皮肉が利いている。これで、摂政
の俺を否定したというポーズにもなる。
 もっとも、そういう余計なことに目がいってしまったことが、お
前たちの敗因だ。
 この勝負、本拠のマウスト城を落とせなかった時点で、勝負はあ
る。
 何度も激戦を戦い抜いた俺の兵が、ネイヴルの土地で負けるわけ
がない。
 事実、ラヴィアラがいつもより明らかに生き生きとしていた。
﹁どうしてでしょうか。気持ちがすごく盛り上がっています。大事
な戦いなのに、楽しんじゃいそうなんですよ﹂
﹁それが故郷ってものだからな。ラヴィアラ、お前はエイルズの一
部隊を森に連れていって、殲滅したい。できるか?﹂
 まずはエイルズに打撃を与えて、ここから出ていってもらう。そ
れで俺の勝利はほぼ揺らがなくなる。
﹁はい、エルフしか知らないような小道もいくつもありますからね
! 今は違う場所に住んでいても決して忘れませんよ!﹂

611
103 次の辺境伯︵後書き︶
前回発表いたしましたが、7月にGAノベルさんより書籍化されま
す! よろしくお願いします!
612
104 アウェイユの森
 エイルズ・カルティスのの先鋒はモータイという重臣の男だった。
 長らく、エイルズとともにミネリア領と呼ばれたブランタール県
とその外側で活躍し続けた人間だ。つまり、向こうもこの戦い、絶
対に勝たねばならないとわかっているわけだ。
 こちらは部隊の三分の一ほどをラヴィアラの故郷とでも言えるア
ウェイユの森に配置した。大将である摂政の俺もそちらにいると情
報は流している。
 ついでに尾ひれもつけておいた。
 いわく︱︱

613
 ネイヴル城を奪われた摂政アルスロッド・ネイヴルは乳母子のラ
ヴィアラの故地である森の前に布陣して、ここで功臣のエルフたち
とともに自害するつもりである。
 なにせ、アルスロッドは若い頃、一族の中でも相手にされていな
かったせいで信頼がおけるのは乳母子方のエルフたちばかりなのだ。
いよいよ、あの男も覚悟を決めたのだろう。
 すでにアルスロッド側では裏切り者も出ていて、全軍でカルティ
スとブランドの兵にまでぶつかる余裕がなくなっている。そこで一
万四千の兵から二千を割いて、森に向かったのだ。
 ︱︱そんなところだ。
 もちろんウソもウソだ。俺はこんなところで死ぬつもりなどない
し、味方の士気も低くない。だいたい、一万四千ではなく、敵とほ
ぼ同数の二万の兵力もある。
 大事なのはこちらが勝てそうにないと思ったうえでの行動だと認
識してもらうことだ。
 ︱︱摂政のほうから、こんな小細工をきかせるというのはお前ら
しいな。
 オダノブナガは少し意外そうらしい。
 ︱︱ワシは用意できる以上は相手を圧倒できるだけの数を用意し
て、ずっと戦ってきたからな。寡兵が勝つこともあるが、割合から
すれば、当然兵力が多いほうが有利だ。自分からわざわざ賭けに出
る意味などない。

614
 そりゃ、俺も五万の兵を使えれば別だけど、あいにく、そうでも
ないんでな。だいたい、向こうも俺が五万の兵を動かせる時にはい
い子にしてるだろうさ。
 そして、ほぼ同数の兵をぶつければ、死傷者も増える。
 どうせなら、少ない犠牲で華麗に勝ちたいところだ。まだ、俺が
やらないといけない覇業は続いているから、俺が強いという﹁神話﹂
を作れるなら作ったほうがいい。
 ︱︱わかった、わかった。好きなだけやれ。どうせ︻覇王の道標︼
でお前の軍団は相手を圧倒できると思うがな。
 それでもリスクはあるからな。森のほうがより安全だ。
 俺が森の前で陣取っている間に、ラヴィアラとその一族たちは森
でいろいろと画策していた。
 アウェイユの森はまさしくラヴィアラのふるさとだ。一応、姓と
いうとアウェイユということになる。もう、俺も長らくラヴィアラ
としか呼ばないから、普段は忘れそうになっているけど。
 やがて、ラヴィアラが楽しそうに戻ってきた。
﹁準備ができました! 徹底的にやりましたよ!﹂
﹁よし、さすがラヴィアラだ。本番もよろしく頼むぞ﹂
 ここ最近で一番、ラヴィアラは楽しそうだ。
﹁はい! やっぱりこうやって森を駆けるほうがラヴィアラには合
ってるんだなと思いました。王都もマウスト城もラヴィアラにはや
っぱり気詰まりなんです。こうやって森で働いていると、木々が語

615
りかけてくるんですよ﹂
﹁なんだ、戦場になるところでポエムでも詠むのか?﹂
﹁ポエムじゃありません。エルフにとっては木々が語りかけてくる
のは本当なんです。草花も風も、全部語りかけてくるんです。その
声に従えば、負けることなどありませんから﹂
﹁そこはラヴィアラを信じることにするよ。なにせ、俺の姉も同然
の人間の言葉なんだからな﹂
 俺より少し早く生まれたラヴィアラの背中を見て、俺は育ってき
た。
 そのラヴィアラを側室にしているわけだから、因果なものだとは
思うが、おかげで今もずっと一緒にいられている。
﹁ラヴィアラもアルスロッド様を信じてずっとやってきましたから。
今回もよろしくやりますよ。存分に暴れてやります!﹂
 後ろでほかのエルフや射手の面々もやるぞという生気に満ちた顔
になっていた。
 さてと、あとは敵が来るのを待つだけだな。
 エイルズ・カルティス側のモータイの軍は五千でこちらに対する
ようだ。これだけあれば一気に打倒できると踏んだわけだろう。
 こちらは形式的に、セラフィーナを仲介にして和睦できないかと
いう打診を敵の陣に行った。
 要請はあっさり却下された。いくらカルティス家の娘を通しても
ダメだということだ。

616
 受諾されても俺のほうも守る気などなかったが。こっちが弱腰に
なっていると見せるためのポーズでしかない。
 それにセラフィーナはカルティス家の娘だろうと、俺の妻だ。も
う、カルティス家をつぶす決心もついている。
 これで敵は俺を殺そうと全力で向かってくるだろう。森にでも逃
げ込まれると厄介と考えるだろうし、とっとと捕らえるぐらいのこ
とはしたいはずだ。
 昼前、モータイの兵が突撃を開始した。
 手筈どおり、俺は兵をゆっくりと下がらせていく。あくまでも敵
に押されているように見せかけながらだ。
 敵側の﹁押せ、押せ!﹂﹁どうせ狭い森だ! 入られても怖くな
どない!﹂といった声が聞こえてくる。狭い森か。たしかに森林が
どこまでも広がっているなんて代物ではないな。
 でも、そうでないと困る。あまり森が深すぎても警戒されてしま
うし。罠というのは見え見えでは意味がない。
 エイルズ・カルティスの部将ならこう考えるはずだ。
 仮に森に逃げたとしても罠を張れるだけの十分な時間もないし、
どうということはないだろう、強引に押しても問題なくこちらで叩
きつぶせるはずだ、と。
 さあ、攻め込んでくれ。
﹁皆さん、森へ!﹂
 ラヴィアラが軍を先導して、森へ引き入れる。俺もそれに続いて
いく。

617
 敵もこれを追って、森に足を踏み入れてくる。
﹁もう、火をつけるか?﹂﹁馬鹿野郎! 先行している味方が戻れ
なくなるぞ!﹂
 そんな声も聞こえてくる。そうそう。一緒に中に来てしまえば、
森ごと焼き討ちなんてこともできないだろう。
 そして、敵軍が十分に森の中にきたあたりで、逆襲がはじまる。
 どこからともなく飛んできた弓矢で敵がばたばたと倒れだした。
105 ラヴィアラとの思い出
 どこからともなく飛んできた弓矢で敵がばたばたと倒れだした。
﹁くそ! 敵だ!﹂﹁どこにいる?﹂
 敵兵が足を止めて、飛んできた場所を探すが、無駄だ。
 実のところ、俺にすらそれはわからない。
 ぱっと見、とても矢がまっすぐ飛んできて自分に刺さるようなと
ころがあるようには思えない。周囲は無数の木で覆われていて、と
ても視界が広がっているところなどないのだ。
 しかし、それでも矢を撃てるのが、ラヴィアラとその部隊だ。

618
 ラヴィアラの射手という職業、そして自分の故郷という地の利。
 エルフという弓矢に長じた種族。
 ここはラヴィアラたちが世界で最も活躍できる空間だ。ここにま
で入り込んだら、もう勝ち目などない。
 それに罠もしっかりと張っている。
 森に走り込んでいた敵兵が穴に落ちた。悲鳴が聞こえるからそれ
でわかる。
 落とし穴は何箇所も作っている。ただし、たいして深くはない。
 浅かろうと、それでバランスを崩して穴にはまれば、矢を射かけ
られて、殺される。
 さてと、今のところ、順調にいっているな。ラヴィアラと合流す
るか。
 ラヴィアラは小高い木の上に立っていた。
 一見、とても登れないように見えるがちゃんと、周囲の木の幹を
使っていけば比較的容易にそこにいけるようになっている。
 せっかくなので、俺もそれを試してみた。多少危なっかしいとこ
ろもあるけど、そんなに体は重いほうじゃないから、ちゃんとたど
りつけた。
﹁あっ、ここまで来たんですか? 落ちないでくださいね?﹂
﹁意外と体が覚えてるな。大昔もここまで登ったことあったよな﹂
 アウェイユの森は俺にとっての遊び場の一つでもあった。ネイヴ
ル城は居心地が極端に悪いし、挙句ハルト村なんて郊外の無理に飛
ばされるし、欝々とした時はラヴィアラに森に連れていってもらっ

619
た。
 木の上からは戦局がなんとなくわかった。
 敵の困惑の声が聞こえてくるのがわかる。少しずつ、兵の数を減
らしているようだ。きっちりと迷い込んでくれている。
﹁エルフは本当に優秀だな。もう、敵のほうは指揮もとれてない﹂
﹁エルフの森にそのまま突っ込むだなんて、愚の骨頂ですよ。アウ
ェイユの森のエルフがことさら優秀とは思いませんけど、森の戦い
方を知らない人がどれだけ来てもいいカモですね﹂
 兵の数も多いし、これぐらいなら押し込んでいけば、どうとでも
なる︱︱そういう甘えが敵にはあったんだろう。
 それに摂政を逃がすと、面倒なことになるという思いもあったは
ずだ。自分たちは賊軍だから、早々と勝利をつかまないといけない。
流浪中の前王はいるけど、自分たちで保護しているわけでもない。
大義名分にも程遠い。
﹁アウェイユの森を背後から攻めてきている連中もいるだろうけど、
そっちも大丈夫か?﹂
きりぎし
﹁はい、入り口を切岸のようにして、人工の崖にしていますから、
突破不可能です。高所から矢を射かけられて、さんざんな目になっ
ているはずです﹂
 エイルズ・カルティスも本当に細心の注意を払えば、森を攻める
ことなどしないはずだ。
 だが、その余裕がない。
 どうにかできるという希望的観測にすがって、俺を攻めた。

620
 俺はすでに勝つことを諦めている。
 森とはいえ、数で圧倒している。
 俺の側に十分な準備ができる時間はなかった。
 いくつもの情報を都合よく集めて、勝てると思い込む。
 それこそが一番大きな罠だ。
﹁さてと、モータイはどこにいるかな。安全策をとるなら、森には
入らないだろうけど﹂
﹁入っていますよ。摂政を殺せば、一生ものの武功ですよ。たとえ
危険があっても首を突っ込みたくなるでしょう﹂
﹁だな。俺もラヴィアラの読みに賛成だ﹂
 やがて笛がピューピューと鳴り響いた。
﹁この鳴らし方だと、敵将を殺したってことか。さすがにモータイ
じゃないだろうが﹂
﹁あっ、モータイらしい将がいますね﹂
 ラヴィアラがそう言ったが、どこにいるのか、とてもわからない。
﹁本当か? 兵が動くのぐらいはわかるけど、一軍の将が混じって
いるのなんて全然わからないぞ⋮⋮﹂
﹁ああ、少し遠すぎて、わかりづらいかもしれないですね。ですが、
間違いないです﹂
 そして、ラヴィアラは弓矢をさっと構える。
 横にいるだけで熱さを覚えるほどのオーラをラヴィアラから感じ
る。
﹁さてと、死んでくださいっ!﹂

621
 それは鉄砲をぶっ放したと錯覚するほどの威力だった。
 矢がわずかな木の隙間を縫うように走り︱︱
 遠くの何者かにたしかに突き刺さった。
 さらに一発、続いてもう一発。
 弓矢は木の幹に決して阻まれることなく、何かの肉を次々と貫い
ていく。
 やがて﹁モータイ子爵が撃ち殺されたっ!﹂といった悲痛な声が
響いた。
﹁ねっ? アルスロッド様、本当にいたでしょう?﹂
 いたずらっぽくラヴィアラは微笑む。
﹁やっぱり、お前は弓の天才だな﹂
 射手という職業をここまで極めているのはラヴィアラぐらいだろ
う。
﹁知らない森ではこうはいきませんよ。でも、ここだけは特別です。
アルスロッド様との思い出もいくつもありますから﹂
 そのラヴィアラの顔は幼い頃に追いかけていた姉じみたあの表情
に近かった。
 なのに、そこに違う感情が混じってしまうのは俺が大人になった
証拠なんだろう。
 戦場では場違いかもしれないけれど、俺はそっとラヴィアラとく
ちびるを重ねた。

622
﹁また、お前に子供を産んでほしいな﹂
﹁エルフってなかなか子供はできないんですけど、頑張りますね﹂
 モータイが死んだこともあって、敵軍はいよいよ混乱し、多数の
死傷者を出した。
 エルフの森で敗残兵になるなんて、生き地獄も同然だ。落人狩り
を徹底してやられるだろう。
 俺は自軍の兵を集めて、こう言った。
﹁無事に敵の出鼻をくじくことができた。今から、主戦場のほうに
戻るぞ。俺の留守を預かっている連中をねぎらってやらんとな!﹂
106 義弟との戦い
 主戦場のほうでは小シヴィークやケララの部隊が中心を固め、側
面からはノエン・ラウッドとマイセル・ウージュが遊撃隊として攻
撃を仕掛けるという態勢をとっていた。
 俺とラヴィアラたちが戻るところにラッパの者が状況を伝えに来
た。見た目はただの猟犬か何かに見える。ワーウルフのラッパたち
は本当に機転が利く。
﹁現状、戦局は一進一退、いえ、まだ本格的な争いにはなっていな
いかと﹂
﹁やはりな。全力で叩きつぶすような手は取れないと思ってた﹂

623
 俺はほくそ笑む。このまま行けそうだ。
﹁小シヴィークやケララたちにすぐに戻ると伝えておいてくれ。今
から一気にネイヴル城を攻略する!﹂
﹁御意﹂
 ラッパのワーウルフはさっと散っていくように、俺の馬から離れ
ていった。
﹁アルスロッド様、どうして長引くとお考えだったんですか? 敵
はネイヴル城を押さえているし、気もはやっていると思ったんです
けど﹂
﹁ラヴィアラ、ネイヴル城が攻め込まれたことはあるか?﹂
﹁少なくとも、ラヴィアラやアルスロッド様が生まれてからは、今
回が初めてです﹂
 つまり、ネイヴル城に籠もっている状態で攻められたことは一度
もない。
﹁あのな、ネイヴル城は守るには一郡半の領主の城としては強固だ。
少人数の敵を追い払うぐらいのことは、なんとでもなる。けど、小
領主が籠城する時はつまり守り抜くことしか考えてない時だろ﹂
﹁そうですね。滅亡を回避するためにお城に籠もりますよね﹂
 なら、もう答えは出た。
﹁ネイヴル城に中心となる部隊を置いちゃったら、圧倒的に攻めづ
らいんだよ。俺たちの部隊も離れた丘にいるから、先に攻めたほう
が、最初は大きな被害を出しやすい﹂
﹁あっ、そうか! 攻撃用の陣地としてはネイヴル城は中途半端な
んですね!﹂
 ラヴィアラの頭にはネイヴル郡の地形が今、思い浮かべられてい

624
るだろう。
﹁そういうことだ。エイルズとブランドはネイヴル城を奪えば自分
たちが有利だと見せ付けられると思って、あそこをとっただろう。
けど、そこを拠点にして、まずいと感じたはずだ。これじゃ攻めら
れないってな﹂
 小領主の目的は天下を取ることじゃなくて、自分の土地を守り抜
くことだ。
 防御には向いていても、攻めにはまったく不向きだ。俺がマウス
トに拠点を移した理由の一つもそれだ。
 ︱︱なるほどな。自分の故郷を犠牲にしたわけか。よく考えつく
わい。しかし、たしかにずっと尾張で閉じこもってはおれんかった
しな。お前の考えはわからんでもないぞ。
 オダノブナガ、犠牲は表現が悪いな。あくまでも俺は奪われた故
郷を奪回しにいくんだからな。
 ︱︱どうやら、エイルズ・カルティスという男についた小領主の
中には、日和見主義の者もずいぶんおるようだな。そのせいで、思
い切った攻撃もできなかったと見える。そして別働隊になったお前
の首をはねることができんかと森に攻め寄せた。
 そういうことだな。
 俺が到着すれば風向きは変わる。
 けど、ちょうど戻った時には、敵軍がかなり攻撃を仕掛けていた。
﹁ブランド・ナーハムの軍だ!﹂﹁くそ! オルビア県の田舎者が
!﹂
 そんな声が味方のほうから聞こえていた。

625
 なるほどな。このままではまずいと思って、ブランドが果敢に攻
め寄せてきたか。あいつも若い野心家だからな。戦わないといけな
い時はわかっている。
 小シヴィークはそつなく指示は出しているが、敵の猛攻で少し押
されそうにはなっている。こういうのは堅実なだけではなかなか難
しいところもある。
 味方を酩酊状態にするというか、波に乗らせないといけない。
 だんだんと俺の到着を理解した兵の目の色が変わる。︻覇王の道
標︼の効果で、兵の実力が一段階変わるのだ。
﹁小シヴィーク、待たせたな﹂
﹁あっ、摂政閣下! お疲れ様でございます!﹂
 防戦していた小シヴィークはほっと嘆息していた。その奥ではケ
ララの姿も見える。
﹁ここからは、こちらの番だ。ネイヴル城に向けて攻め込むぞ!﹂
﹁城を落とされるのですか?﹂
﹁あんな小さな城に全軍を籠城させるバカはおらんだろ。城の周囲
を攻められた時点で敵は退却する﹂
 まずはブランドを追い返さないとな。
 もしかすると、あいつとまみえられるかもしれない。
﹁お前たち、王国の摂政は無事に謀反人を討ち取って戻ってきたぞ
! 次はブランドを南の山の中で追い返す! 俺の手伝いをしてく
れる者は声を上げろ!﹂
﹁﹁うおおおおっ!﹂﹂

626
 野太い声が響いた。
 ︱︱特殊能力︻覇王の風格︼発動。覇王として多くの者に認識さ
れた場合に効果を得る。すべての能力が通常時の三倍に。さらに、
目撃した者は畏敬の念か恐怖の念のどちらかを抱く。
 よし、問題ない。義弟に実力の差を見せ付けてやる。
 俺の指揮を得た軍は攻勢をかけていたブランド軍に突っ込んでい
った。
 それでブランド軍の勢いが止まる。そうなれば、周囲の軍勢はこ
ちらのほうが多い。簡単に追い返すことができる。
﹁お前たち、退くな! ここで摂政を騙る反逆者を倒さないと、サ
ーウィル王国はアルスロッドの者になるぞっ!﹂
 ブランドが騎乗で雄々しく叫んでいた。職業が盗賊にしては正面
から攻めすぎたな。
﹁義弟、ずいぶんな物言いじゃないか!﹂
 俺はブランドの前に出ていく。
﹁ア、アルスロッド⋮⋮﹂
 初めて会った時よりは老けてきているようにも思えたが、まだブ
ランドは若々しい目をしていた。むしろ、俺が職業の効果で老化が
遅いからおかしいのか。
﹁俺は裏切り者のために妹を送ったわけではないぞ、ブランド﹂
﹁裏切ろうとしているのはお前だ! このブランド・ナーハム、決
してお前の家臣になると言った覚えは一度もない!﹂

627
 ︱︱やはり浅井の時と同じだ。
 オダノブナガは少しばかり寂しそうに言った。
 ︱︱その気持ちはわからんでもない。だが、ワシの家臣となるこ
とを受け入れた者しか生きてはいけんのだ。覇王と並び立つ者がい
ては、覇王たりえんからな。
﹁お前は俺の家臣ではなく、王の家臣だ。勘違いするな﹂
﹁ほざけ! お前の目論見ぐらいすぐに見抜ける!﹂
 盗賊という職業の力か。さっと、ブランドが駆け抜けて接近して
くる。手に持っているのは短剣だ。刺し殺そうという腹か。
 でもな、お前とは格が違う。
 お前は英雄になれるほどの格ではない。せいぜいが一県を支配す
るのが限界だ。
 剣を振って、ブランドの短剣を弾き飛ばした。
628
107 最も簡単な戦い
 剣を振って、ブランドの短剣を弾き飛ばした。
 ブランドは一瞬驚いていたが、そこでぼやぼやしているほどの愚
か者ではない。すぐに身を退いた。
 オダノブナガのおかげで、戦場での身体能力は頭抜けているんだ。
少しばかり、ちょこまかと近づいたぐらいじゃ止められない。
 ブランドが退いたことで敵軍は撤退する流れになっている。
 そこに轟音が響く。
 鉄砲が逃げる者の背中を撃ち抜いていた。
 形勢は完全にこちらの側に傾いた。あとは俺が狩る側だ。

629
 といっても、ここで連中を全滅させるのは無理だ。まずはネイヴ
ル郡を奪還しただけでよしとしないといけない。俺のマウスト城を
攻めている敵の別動隊を滅ぼすほうが順序として先になる。
﹁おケガはございませんか?﹂
 さっと、ケララが俺のそばにやってきた。
﹁問題ない。それよりもさらに攻め込むから、部隊を整えておいて
くれ。どこから攻めればいいか、すべて頭に入っている﹂
﹁まるで、自分の領土だから弱点を知っているというより、昔から
滅ぼすべき土地だったというようなおっしゃりようですね﹂
 ケララは俺の自信に満ちた言葉が意外だったらしい。
﹁そのとおりだ。俺はネイヴル城を落とすことを考えて生きないと
いけない時期があったからな﹂
 いつか兄と戦うべき時が来る、それを俺は覚悟していた。結論か
ら言えば、兄の側が墓穴を掘って、自分から俺を招き入れて殺され
たわけだが。
﹁この土地に思い出はある。しかし、それで剣が鈍るようでは話に
ならない。敵を討つ﹂
 俺の軍は、敵のブランドの軍が撤退するのに合わせて追撃を行っ
た。
 とはいえ、ブランドを殲滅するのが目的ではない。経路はそのよ
うにはとっていない。
 どこから攻め込めば、敵の後ろに回れるか、さらに奥へと侵入で

630
きるか、すべて予習はできていた。じわじわと敵を後退させていく。
 密使を送って、ブランドが拠点にしているオルビア県の態度を決
めかねている小領主に対して、俺の側につくよう要請した。具体的
にはブランドの領内で軍事行動を起こせと記している。
 すでにエイルズ・カルティスとブランド・ナーハムの計画は失敗
したとはっきりと書いた。おそらくポーズだけでも、ブランドの領
土を攻めてくれるだろう。それで十分だ。ブランドは山深いオルビ
ア県に引っ込むしかなくなる。
 その日の夜、俺は郡内の村に逗留したが、もはや敵の退勢は決定
的だった。敵の中からは脱出した小領主も現れはじめているらしい。
こちらに出頭してきた者もいるほどだ。
 ラッパの代表であるヤドリギが俺の部屋に入ってきた。
﹁エイルズ・カルティス、ブランド・ナーハムの部隊はそれぞれ本
拠へ戻っていっております﹂
﹁ネイヴル城はどうなっている、ヤドリギ?﹂
﹁信頼できる将に城を任せて、その間に逃げていく作戦のようです﹂
 捨て石か。かわいそうに。
﹁小シヴィークにネイヴル城は三千の兵で囲ませるか。ほか東に進
んで、マウストのほうに向かう。俺の家臣で裏切った者がいるから
な。そいつらは必ず、処刑する。リストはあるか?﹂
 ヤドリギは役職名と名前とを列挙していった。
 一言で言うと、官吏に当たる者が多い。
 王都で試験をして、優秀な者が増えたからな。活躍の場を奪われ
た者が俺に反抗したということか。

631
﹁自分たちが無能であることをよくわかっているじゃないか。マウ
スト城を守っている年寄りのほうのシヴィークに挟撃する旨を伝え
てくれ﹂
﹁承りました﹂
﹁それと⋮⋮タルシャに部屋に来るように呼んでおいてくれ。それ
と、一時間ほど経ったら、ケララを、さらに一時間経ったらラヴィ
アラを﹂
 激しく戦った日は体がやけに熱くなる。
 タルシャは昂ぶった心を戦場で静められない時に誰かを求めると
言った。俺の認識はむしろ逆で、戦場に出るから心は昂ぶってしま
う。
﹁あまりお体を酷使するべきではないと思いますが﹂
﹁もはや正念場は過ぎた。俺はそう考えるが﹂
﹁同意します。では、言われたとおりに取り計らいますので﹂
 俺はちらっとヤドリギの瞳を見つめた。
﹁時間があるなら、お前も俺の相手をしてくれないか。正念場だっ
たというのは本当だ。このままではまったく寝付けそうにない﹂
 その夜は自分の中でも異常だった。
 ラヴィアラには﹁女性のにおいがしすぎます﹂と叱られてしまっ
た。

 翌日、俺はマウスト城のあるキナーセ郡に向けて兵を出した。
 といっても、すぐに城に入る気はないし、入れるとも思っていな
い。その間に取り残された敵軍がいる。

632
 どうして取り残されたかといえば、この連中はそもそもマウスト
の周囲で働いていた官吏や捨て扶持で保護されていた旧領主たちの
集合体なのだ。だから、エイルズ・カルティスもどうでもいいと判
断したのだろう。
 大将こそエイルズ・カルティスの子息であるダッカールだが、エ
イルズがこの部隊でマウスト城を落とせると考えたかははなはだ怪
しい。
 あくまでも牽制が目的で、大軍で俺のいる部隊を叩くしかないと
考えていたのではないか。
 俺が布陣時にはダッカールとその側近たちはすでに逃げ出したと
連絡が入った。乗せられた者たちはみんな正式に見捨てられたらし
い。
﹁敵将はすべて殺せ。ただし、降伏した場合は生け捕りでいい。情
けをかける必要はない﹂
 マウスト城からシヴィークが兵を出したこともあり、あっさりと
敵軍は壊滅した。俺が戦った中で最も簡単な戦だった。なにせ、戦
う前から敵が崩れているのだから。
 官吏が多かったからか、生け捕られて俺のところに引っ立てられ
た者の数は想像以上に多かった。俺はそいつらを引き連れて、マウ
スト城に戻った。
 ここまで膿を出すつもりはなかったのだが、出てしまったものは
しょうがない。
 数だけではかなり多くの者を処刑することになった。

633
 ︱︱有能な者がいれば、また使えばいいのだが⋮⋮あまりそうい
う者もおらんな。
 そういうことなんだ、オダノブナガ。
107 最も簡単な戦い︵後書き︶
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634
108 義弟を攻撃
 俺を裏切った者の中にはファンネリアの顔もあった。
 長らく財務官僚として活躍して、俺にラッパをくれたワーウルフ
だ。
﹁まさか、お前までこんなことをやるとはな。そこまで冷遇したつ
もりもなかったんだが﹂
﹁王都にいらっしゃってからは、すっかり忘れられてしまったと感
じておりました⋮⋮﹂
 ファンネリアは悄然として言った。
﹁だとしたら、お前の力が及ばなかったせいだ。王都にはもっと優
秀な者がいくらもいた﹂

635
﹁あなた様にラッパを渡してしまったのが運の尽きですな。あれを
手元に持っていれば、どうとでもなったものを﹂
 諦めたようにファンネリアは笑った。それはそのとおりだろう。
﹁勝負のしどころを失敗すれば商人は破産するしかない。お前らし
い終わり方だ﹂
 ファンネリアもほかの者と同じようにマウスト城下で首を斬られ
た。
 ︱︱お前もワシと同じようによく裏切られるな。だが、これも覇
王になるための試練のようなものだ。お前の権力が強まれば強まる
だけ不安に思う者も増えるからな。
 オダノブナガが言いたいことはわかる。まあ、抵抗勢力が出てく
るのは想定済みだ。
 マウスト城に入ると、城を守っていたシヴィークをあらためて賞
した。
﹁お前がマウスト城で持ちこたえてくれたから、俺はこの城に帰っ
てくることができた。本当によくやってくれた﹂
﹁いえ、私も人生最後の大仕事と思って、懸命に働いた次第です﹂
 本人の言葉のとおり、シヴィークは以前見た時より、縮んだよう
に見えた。もう、孫が家督を継いでもおかしくない年齢だ。そろそ
ろ限界だろうか。
﹁お前の希望を聞くが、まだ引退せずに現役でやるか? それとも
隠居するか?﹂

636
﹁そうですなあ。わがままを言わせてもらえれば、邪魔にならぬ程
度に働かせていただきたいなと思っております。なにせ、隠居して
何をすればよいかも予定がありませんし﹂
 シヴィークは笑いながら薄くなった頭をかいた。
﹁たしかにお前のような男は、戦陣の中にでもいるほうがかえって
長生きできるのかもな。わかった、武神のように遇してやる。それ
と、褒美の目録だが、ラヴィアラ、目録を﹂
 ラヴィアラが笑顔で、シヴィークに目録の紙を渡した。それを読
んだシヴィークの口が驚きで開いた。
﹁なっ! オルビア県のタクティー郡・ナーハム郡と言うと、ブラ
ンド・ナーハムの所領ではないですか⋮⋮﹂
﹁そういうことだ。あいつは俺が滅ぼす。少なくともあいつは俺を
滅ぼすつもりだからな。近日中に兵を出す。あいつに返してもらわ
ないといけないものもあるしな﹂
 妹のアルティアを必ず引き取る。それとアルティアの子も。幸い、
娘だったから殺す必要もない。
 俺はその日、ブランドに向けて書状を送った。降伏勧告などでは
ない。そんなものを許すつもり自体が俺にはない。
 妻と敵対するからには、こちらに送り返すようにというものだ。
これは古来から嫁いだ女の国が敵となれば行われているものだ。別
に無礼ではない。
 それとラヴィアラは直接アルティアに向けて、手紙を書いた。俺
のと一度に送るためだ。
 内容は、摂政のところに来れば何も心配いらない、両家が敵対し

637
てしまったことは悲しいことだがどうかここは戻ってきてほしい、
決してナーハム家に殉じるようなことは考えないでほしい、といっ
たもの。
 そこに書いてあることは、俺の意見とまったく同じだと言ってい
い。ただ、摂政の地位にある者があまり自分の言葉で弱音を吐くわ
けにはいかないのだ。
 俺はラヴィアラが持ってきた書面を確認して、﹁うん、問題ない﹂
と許可を出す。
﹁ラヴィアラの手紙の中でぐらい、アルスロッド様の気持ちを入れ
てもよかったんじゃないですか?﹂
﹁次にアルティアと出会った時にいくらでも口で語ってやるよ﹂
 王になるのも難しいものだな。どんな強敵と戦うより、こたえる
かもしれない。
 けど、きっとアルティアの命と引き換えに王になれるなら、俺は
その道を選ぶだろう。
 国が統一されれば、はるかに世界は平和になる、多くの命が救わ
れる︱︱そんな言い訳を探して。
 書状の返事は到着してから一週間経っても来なかった。
 その間に俺はオルビア県に攻め込む準備を進めていた。
 わかってはいたことだが、黙殺されたな。ブランドも愚かな男じ
ゃない。直接対決しかないなと理解しているだろう。
 俺はでブランドの領地、山深いオルビア県に二万の軍を動かした。
 ブランド、お前は俺が倒す。お前の英雄への道はここで終わりだ。

638
 兵を進めだした当初から、投降者が相次いだ。
 それに、オルビア県の小領主もすぐにこちらにつくことを表明し
た。王と摂政に刃向かうブランドを討つと口だけは達者に言ってい
た。
 もっとも無意味な加勢ではない。オルビア県の土地勘はあまりな
い。地理を教えてもらえるのは僥倖だ。
 ブランドも峠などをいくつも砦に改造して、俺に抵抗してきた。
その執拗さはさすがと思った。まだ、ブランドは諦めてはいない。
俺をどこかで退治できないかと本気で考えている。
 だからこそ俺も負けていられない。それに応じるように全力でつ
ぶしにいく。
 いくつもの方向から砦に乗り込んで、確実に落とす。
 敵の城を攻めるのは、一種の根比べだ。先に音を上げたほうが負
ける。負けるだけならいいが、命を失うこともある。
 俺の将も一人一人がずいぶんと成長している。だから、大半の砦
は配下に任せていれば、勝負はつく。おかげで想像以上に早く敵の
本拠にたどりついた。
 のぼるだけでも一時間近くはかかるだろう山上にいくつもの建物
が並んでいる。この城はそうそう落とせないだろう。それに落ちな
かったから、ナーハム家はここまで残ったんだろう。
 それでも俺はこの城を落としてやる。
639
108 義弟を攻撃︵後書き︶
GAノベルの制作作業もかなり進んでおります! そろそろ情報を
アップしますので、もうしばらくお待ちください!
640
109 山城総攻撃
 俺はブランドの城がある山の周りを厳重に兵で囲んだ。
 ︱︱ほう。お前がじっくり城攻めをするとは珍しいではないか。
ワシもそういうことはめったにやらんかったからな。
 オダノブナガは基本的に先手必勝で一気に城を落とす作戦を得意
としていた。俺もその点は大差ない。待つ戦いをしたことはほとん
どない。
 しかし、今回は少しやり方を変える。
 厳密には、変えるしかないと言ったほうが正解に近い。

641
 このブランドの城はとにかく険しい。
 すでに一部の投降者などから城の縄張り図は知っていた。もとも
とブランドは同盟者だったわけだし、その時点での情報はある。
 ただ、それを見るにつけても、この城は本当に堅い。いくら一部
で投降する者がいても、その程度で崩れていったりはしない。
 表面上はどこにも穴はないように思える。
 なので、まずは城を囲む。
 こうすれば城のもろいところがわかる。
 容器のどこに穴が空いているかわからなければ、それを水につけ
てやれば、その場所が明らかになる。
 各方面から散発的な攻撃を行わせ、そのうえで情報を集める。
 いくつか目星はつけていたが、縄張り図という平面からだけでは
正確なことはわからない。それ以上のことは踏み込んでいくしかな
い。
 そして、五日間粘って、結論が出た。
 城の正面でも搦め手でもない。その側面だ。
 ちゃんと登攀可能な場所も見つかった。これなら数百人で乗り込
むぐらいのことはできる。
 ここに俺が指揮をとって突っ込めば決着はつけられるんじゃない
か。
 もっとも、その話を軍議で行ったら当然ながら少なすぎると反対
されたが。

642
﹁アルスロッド様、いくら自信がおありでも敵はまだ三千人は城に
こもってますよ!﹂
 ラヴィアラはこのままでは絶対に行かせないという立場らしい。
 ほかの将たちも、当然だが俺が進むことは承服しない。もっと、
厳重に包囲戦をやるしかないと主張する者も多い。
 たしかにこれまで倒してきたようなつまらない敵とは意味が違う
し、そこまでしないといけない必然性も薄い。このまま囲んでいけ
ば、敵の士気もどこかで落ちてくるだろうというのもわかる。
 ノエン・ラウッドとマイセル・ウージュはこの城は数千の規模の
兵で守ることはもともと想定していないので、いずれ食糧不足で飢
えに悩まされる、それまで耐えればいいと主張した。妥当な意見だ。
 でも、その方法はとりたくなかった。
﹁アルティアに惨めな思いをさせてやりたくはないんだ。それと、
ブランドにもな﹂
 半年間の籠城の末、ついに降伏したところを処刑だなんていうの
はあまりにも残酷だし︱︱そもそもそんなに時間をかけたくはない。
 俺の夢はブランドを殺すことでも、領内の反逆者を倒して治安を
回復することでもない。今やっているのは天下統一のために膿を取
り除くことだ。つまり、地ならしみたいなものだ。
 俺が妹の名前を出したからか、配下も反論がしづらい空気になっ
た。
 これはよくないことをしたな。身内の名前を出してしまえば意見
を言いづらくなる。
﹁とはいえだ、みんなの言いたいことはよくわかる。そこで、改定

643
案を俺のほうでも出させてくれ﹂
 もともと、いくつが手は用意していた。
﹁各方面から総攻撃を仕掛ける。そうすれば、敵はどこも手を抜け
なくなる。そのうえで俺の部隊も弱いところを突く。つまるところ、
みんなで血祭りに挙げようというわけだ﹂
 さらに細かい内容を話したが、直後にラヴィアラが、
﹁これなら了承いたしましょう!﹂
 と完全に上から目線の言葉を使ったのが決め手になった。すぐに
﹁すいません、口がすべりました⋮⋮﹂と謝って、笑いを誘ってい
た。まったくの姉の立場で言っていたな、今。
﹁よし、これでいこう。みんなで勝ち鬨をあげてマウスト城に帰る
ぞ!﹂
 俺の声に諸将が﹁おう!﹂と答えた。
 そして、俺たちは一斉に攻撃を開始する。
 すぐにこちらの総攻撃に敵も気づいたようで、気合いを入れなお
しているのがわかった。
 とはいえ、すぐに城が落ちるとはまだ思っていない。常識的に考
えれば、これだけの規模の城はすぐには落ちない。だが、常識に身
をゆだねるのは油断と紙一重だ。
 総攻撃といっても、大半の部隊には城内に突撃する意図はない。
多くの部隊はカムフラージュのために存在している。
 その間に精鋭部隊が側面に回り込む。

644
﹁さあ、行け! もう城の中は目の前だ! 最初に入り込んだ者に
は褒美をとらせる!﹂
 俺が叫ぶ。もっとも、褒美の話などなくても、ここまで来た連中
は敵の中に平気で突っ込んでいくだろうが。
 側面にも石塁は張り巡らされているが、正面や搦め手と比べれば、
明らかに低い。これぐらいなら乗り越えて先へ、先へと進むことが
できる。
 最初の一人や二人は矢をぶすぶすと受けて落下していく。最前線
は命懸けだ。
 だが、やがて、俺の兵士が石塁の上に立ち、中に入り込んでいく。
 そこで流れが変わる。敵が動揺しているのを感じる。
 落ちることなどないと思っていた城が、崩れていく。
 これはおそらく本格的に敵が入ってきた場合のことを想定しきれ
ていない。
 俺はゆっくりと味方についていけばいい。俺が城内に入った時に
は、十分に俺の兵はブランドの兵をかき乱していた。
﹁さあ、このまま進んでいくぞ! 城門を開けて味方を引き入れて
やれ! 今日でこの城を終わりにしてやる!﹂
 口ではそういうが、この城は広い。堅実に攻略していけばいい。
 もっとも、ブランドはやはりただの将ではなかった。
 また空気が変わる。
 殺気だったものが混ざる。

645
 ブランドが単身で俺のほうに剣を持って、向かってきた。
﹁アルスロッド、覚悟!﹂
 俺もその前に自分から飛び出る。
﹁手間が省けたぞ、ブランド!﹂
110 お前を許さない
﹁手間が省けたぞ、ブランド!﹂
 剣をブランドに向ける。
 鉄砲隊がブランドに狙いを定めようとするが、動きに間に合わず、
数発が後ろにはずれていった。
﹁諦めろ。ブランドの盗賊は盗賊だ。飛び道具はまず当たらないと
思え﹂
 ブランドもその程度の自信がなければこちらまで向かってこない
だろう。
﹁アルスロッド、お前ならどうせ自分から乗り込んでくると思って
いたぞ! ここでお前を倒せば、再びこの国は長い戦場の時代に逆

646
戻りする!﹂
 ブランドの剣は大きく屈曲したものだった。名のある将なら嫌が
るような邪道のものだ。もっとも、この時代に邪道も正道もないが。
 その剣を俺も受ける。たいした剣ではない。ただ、特徴があると
すれば、一般の剣より少しばかり厚いことか。
﹁今の言葉ではっきりした。お前は全部を元に返したいんだな﹂
 こんなわかりやすい抵抗勢力がいるとは思わなかった。
﹁それで、お前は世を戻して何をするつもりだ?﹂
 俺も逆に斬りつける。
 きしんだような音が響いた。しっかりとブランドも受け止めてい
る。すぐに攻撃に移るが、その型は完全な我流だ。まさに職業が盗
賊なだけはある。力だけを信奉してのしあがってきた者の剣だ。
﹁簡単なことだ。世が乱れに乱れれば、自分のような者の活躍機会
は増える。それこそ、あんたのように摂政の地位にだってついて、
あらゆる領主をあごで使うこともできるかもしれない!﹂
 ブランドはにやりと笑って、舌を出して上唇を並べた。
 この男も梟雄という言葉が似合う。荒れ地でだけ咲くまがまがし
い花のような人間だ。
﹁だが︱︱﹂
 そこでブランドが目の色を変えて、果敢に斬りつけてくる。
﹁︱︱お前のような男に世界を構築されなおされてしまえば、行き
場がなくなる! 下げたくもない頭を下げるしかなくなる!﹂
﹁なんだ、それでは不満か﹂
 やっと、本心が聞けたと思った。まあ、わかってはいたが。

647
﹁当たり前だ。この俺はお前のような男になるのだ! 先を越され
てたまるか!﹂
 そうだ。ブランドも天下を取る覇王になりたいのだ。
 しかし、覇王の席は一つしかない。十も二十も覇王が並び立つこ
とはありえない。
 ならば、その覇王をどかすしか夢をかなえる方法はない。
 ︱︱浅井長政よりもこの男のほうがいい瞳をしておるな。しがら
みも何も知らないという生き方だ。ワシは好きだぞ。
 お前が好きかはどうでもいいんだよ。
 ︱︱だからといって、お前に盾突くなら叩きつぶすしかないがな。
 そういうことだ!
 実のところ、この戦い、負けるとは思っていなかった。
 俺の後ろから何本も槍が突き出される。
 三ジャーグ槍を持った部隊が城への進入路ができたことでどんど
ん入り込んできたのだ。
﹁悪いが、ブランド、俺はお前と一対一で戦う約束などはしていな
い。俺が先に城に入るのは、味方を鼓舞するためだ。
 特殊能力︻覇王の道標︼は指揮する味方の信頼度と集中力が二倍
になり、さらに攻撃力と防御力も三割増強される。
 この兵を押し入れることができれば、俺の勝ちになる。
 やむなく一度、ブランドは引いた。
ぶすま
 槍衾を突破するには個人の力量だけでは無理だ。

648
 とはいえ、またすぐに俺の首を取りに来る。それしかブランドに
勝ち目はないからだ。 でも、ここでブランドを殺すわけにはいか
ない。
 盗賊のブランドはすぐに俺の側面に回り込もうとする。俺がこの
城に入り込んだように。そういう敵をかき乱す能力は盗賊は圧倒的
に高い。そして、槍部隊は乱戦では特定の一人のために動きを変え
るのに時間がかかる。
 俺も前に出る。
﹁くそっ! アルスロッド、覚悟っ!﹂
 強い殺気を感じる。俺がアルティアの兄だなんてことはもう一切
考慮していない。その意気やあっぱれだと思う。
 同時に腹が立った。
 俺は剣でブランドの剣を押さえて、大きく肉薄する。
 そして、拳で顔を殴りつけた。
﹁このバカ野郎がっ!﹂
 ふらっと、ブランドの体がそれでよろめく。脳が揺れているんだ
ろう。だが、こんなところで倒れられたら困る。俺はブランドの薄
手の服︱︱動きを重視してとにかく軽装だ。槍すら防げないだろう
︱︱の胸ぐらを突かんで再び引っ張り上げる。
 さらにまた殴る。
﹁お前はどうしてアルティアがいるのに裏切った? お前の事情な
んて知るか! アルティアの将来を台無しにしやがって!﹂
﹁それは申し訳ないと⋮⋮思ってい⋮⋮﹂

649
 言い終わる前にブランドの髪を引っ張って、地面に叩きつけた。
 これで、この戦いは終わったようなものだ。
 少なくとも戦争という意味では。
 ちょうど俺に駆け寄ろうとする兵たちが足を止めた。それ以上や
ると、殺してしまうと言おうとしたのだろう。俺もそれがわきまえ
ている。まだ死んでもらっては殴った意味がない。
﹁いいか、ブランド、全軍にお前の命で降伏するように伝えろ。そ
れと、アルティアと娘たちは保護するからこちらに引き渡せ。お前
らの処遇はそのあとで決める﹂
﹁わかりました⋮⋮﹂
 ブランドは血のたまった口で、了承の意を示した。歯も何本か折
れているだろうが、まだ命があるだけマシだろう。
 この場でお前を殺さないのは、アルティアの無事を確かなものに
したいからだ。捕虜にする理由はそれだけだ。温情ではないからな。
﹁俺はお前を認めていたから、アルティアを妻にやったんだ。仮に
俺を殺して成り上がれるほどに強くなったのなら、まだ墓の中で笑
って許してやれただろうよ。でも、お前は勝ちの目の薄い賭けに出
て負けた﹂
 勝てなければ覇王でも何でもない。ただの負け犬だ。後世の歴史
書はお前の実力などまったく評価せずにお前が敗れたことだけを強
調するだろう。
 覇王というのは先見の明もなければ話にならない。
 奇跡を信じて死地を探すような真似をしたことを俺は死ぬまで許

650
さない。
﹁お前は覇王になるには実力不足だったんだよ、ブランド﹂
110 お前を許さない︵後書き︶
活動報告に7月15日発売の1巻の表紙をアップしています! よ
ろしければご覧ください!
651
111 妹との再会
 戦争はブランド・ナーハムが捕虜となったことで、終結に向かっ
た。ナーハム家のほかの親族たちも抵抗を諦めて、降伏を申し出て
きた。
 降伏した将たちの検分などの任務をこなしたあと、俺は夜に指揮
官クラスの者が入っている居所の一つに顔を出した。
 その中でもものものしく部屋を兵士たちが見張っている部屋に俺
は向かう。
 俺を見た兵士たちが最敬礼で出迎える。
﹁任務ご苦労。とくに変わりはないな?﹂
﹁はっ! 何も異常はございません!﹂

652
 兵士たちの顔が強張っているのがわかった。もしも異変があれば
首が飛ぶ立場の者たちだ。緊張するのも当然か。
 あるいは俺の表情がそれだけ、ぞっとするようなものだったのか。
少なくとも、笑ってはいない。かといって憤ってもいないはずだ。
どちらかといえば、どんな顔をしていればいいのか迷っているとい
うのが本音だった。
 部屋に入ると、ラヴィアラとアルティアが話をしているところだ
った。
 アルティアの子供である娘二人は部屋の隅で遊んでいた。
 アルティアがすぐに俺の顔に目をやった。俺が来ることは予想は
ついていただろうけど、アルティアもどんな表情を浮かべるか迷っ
ているようだった。
 ゆっくりとアルティアは椅子から立ち上がり、それから丁寧に体
を折り曲げるようにおじぎをした。
﹁摂政殿下⋮⋮このたびは私と娘たちの命を助けてくださいまして、
本当にありがとうございました﹂
 作法としておかしなところはない。ナーハム家に嫁いだ以上、ア
ルティアもナーハム家の人間として振る舞うのが筋なのだ。
 ただ、あまりうれしいものではないというのが本音だな。
 娘二人はじっと俺のほうを、どこか怯えるように見つめていた。
その二人からしたら俺は父親を倒した仇なのだからそれもしょうが
ない。
 ラヴィアラは言葉は発しなかったが、胸の前に手を置いて、祈る

653
ように見つめていた。
﹁アルティア、今は妹として俺に接してくれればいい。ここにいる
のは、お前と俺と娘とラヴィアラだけだ﹂
﹁うん、そうだね﹂
 アルティアは頭を上げた。表情はまだ変わらなかった。
 俺はゆっくりとアルティアに近づいて、その肩に手を置く。以前
のアルティアと比べ物にならないほど、しっかりとした芯のような
ものを感じた。これが母となったことによる強さだろうか。
﹁俺のことを恨んでるか? いや、こういう言い方はズルいか。理
由はなんであれ、お前の夫を打倒したのは俺だ。好きなだけ恨んで
くれ﹂
 こんなことは﹃百年内乱﹄のならいだ。子殺しも親殺しも珍しく
ないし、俺だって兄を手にかけた。
 どこかの神官が、近親間の憎悪から領主が逃れられないのは、民
ごう
を守るという義務を果たせないがゆえの業であると言っていたはず
だ。
 たしかに親族での殺し合いは領主間よりはマシだろう。だからと
いって、民として生まれたかったはわからない。そこにはそこでい
くつもの苦しみがある。
 アルティアが俺の顔を見上げる。
 困っているといった様子だった。
﹁わからない。お兄様にどんな気持ちでいればいいのか、私もよく
わからない。怒るのが先なのか、謝るのが先なのか﹂
 奇妙な会話だったけれど、久しぶりにアルティアと会話ができる

654
ことが場違いかもしれないけど、うれしかった。
 怒るというのはナーハム家当主の妻としての立場で、謝るという
のはナーハム家当主に嫁いだアルスロッド・ネイヴルの妹という立
場だろう。後者の視点から見れば、アルティアは夫の反乱を止める
ことができなかったことになる。
 でも、こんなのは明確な答えなどない。だからこそ、古来、数多
くの悲劇を政略結婚は生んできた。正解があれば悩むことだってな
い。機械的に振る舞えばいいのだから。
﹁俺が発する命令は一つだけだ。絶対に自殺なんてしようとするな﹂
 俺は兄としてアルティアを守る。その義務がある。
﹁娘を育てる義務がお前にはある。だから、生きろ。俺をいくら恨
んでもいいから、それだけは守ってくれ。その娘二人も俺の姪だ。
絶対に保護する﹂
﹁うん、わかった。ありがとう﹂
 ぎゅっとアルティアは俺の腹のあたりの服をつかんだ。
﹁夫は、殺されるんだね⋮⋮?﹂
 できるだけ感情を表に出さないようにアルティアは言う。
﹁俺を殺そうとした者は生かすことはできない﹂
 事務的に、そう俺は言った。
 居城を落とされて領主が生き延びるだなんてことはありえない。
あとはどのように死ぬかの区別ぐらいだ。
﹁磔はやめてあげてほしい。どうか、摂政の家臣の咎ということで、
死を賜うという形に⋮⋮﹂

655
 磔であれば明確に罪人として処刑したことになる。自殺ならば、
非は問うことになるが、罪人という扱いとは違う。
﹁その願いは聞き届けよう﹂
﹁夫が死ぬ前に会わせてくれる?﹂
﹁それも了承した﹂
 アルティアはもともと考えていただろう自分の願いが聞き入れら
れて、ほっとしたようだったが、その目には代わりに涙がたまって
いた。
 そっとアルティアが俺の胸のほうに飛び込んできた。
 そのまま胸でアルティアが泣くにまかせた。
 難しいな、オダノブナガ。
 ︱︱なんだ、お前のほうから話しかけてくるだなんてどういう風
の吹き回しだ。
 俺は覇王になるべくやるべきことをやってきた。今回だって何も
間違ってるとは思ってない。
 ︱︱当たり前だ。摂政に弓を引く奴、まして謀反を起こした者は
絶対につぶさねばならん。放っておけば殺されるのはお前だからな。
 けどさ、兄としては妹を幸せにできないわけで、全方位幸せって
いうのは難しいな。
 ︱︱ほかの誰かを不幸にする覚悟がなければ覇王など目指さんこ
とだ。とはいえ、お前の気持ちはよくわかる。たばかりではないぞ。

656
いち
本当によくわかる。ワシもお市を泣かせたからな。
 そうだよな。お前も乱世の申し子だもんな。
 ︱︱空いた日の夜にでもじっくりと一人酒と行こう。ワシも参加
さかずき
してやる。浅井長政のドクロの盃を思い浮かべながらな。
 あんた、全然懲りてないじゃないか⋮⋮。
 ︱︱妹を泣かせた罪はワシだけじゃなく、裏切った側にもあるの
だ。そいつは許さん!
 ああ、なんというか、少し気分が晴れた。
111 妹との再会︵後書き︶
GAノベル、7月15日ごろ発売です! なにとぞよろしくお願い
いたします! 女性キャラの紹介を今、活動報告でやっております
ので、未読の方はそちらもどうぞ! ほんとにどのキャラもキュー
トです!
657
112 悪女と聖女
 ブランド・ナーハムはアルティアと娘と話をした後、独房で首を
吊って、自害した。
 ほかの男の親族や重臣たちも謀反の参加に積極的だった者は処刑
し、それに異議を唱えていた者や、不利を悟って事前に密告に来て
いた者たちを登用することにした。
 約束どおり、ブランド・ナーハムの根本の所領だったオルビア県
のタクティー郡・ナーハム郡はシヴィークに与えたが、年齢的にシ
ヴィークの直接統治は難しい。シヴィークの重臣を代官として置い
て、ナーハム家の旧臣を適宜使いながらの統治ということになる。
 とはいえ、まともに民政を考えるのはもう少し後になりそうだ。

658
 これで謀反人の半分はつぶした。残りはミネリア領のエイルズ・
カルティスだけだ。
 もっとも、危機的状況は俺がマウスト城に戻った時点でなかば過
ぎ去っている。ブランドも早期に討ったことで、今からのんびりと
反乱に回る領主が出てくる確率はほぼない。
 ユッカが側室になって姻戚関係にあるニストニア家は周辺の小さ
な反乱をほぼ制圧しているし、王都のほうでも王のハッセ自身がま
た挙兵して、反乱軍の芽を摘んでいた。
 軍事力としてはハッセのことはあまり考慮に入れていなかったが、
うれしい誤算だ。考えてみれば、俺が倒れたら、ハッセの権力も崩
壊する可能性が高い。現時点では俺たちは間違いなく運命共同体な
のだ。
 とはいえ、あまり王が兵を率いてその指導力を強めていくと、い
ずれ俺と対立するかもしれないが、今は反乱を鎮めるのが先だ。
 そして孤立しつつあるエイルズ攻めの前に俺は王都から妻の一人
を呼び戻した。

﹁今になって、わたしと相談することなんて何もないでしょう﹂
 セラフィーナは俺と顔を合わせると、ふぅ、とわざとらしくため
息をついた。

659
﹁今後、ミメリア領の者が罰を受ける時、その嘆願を行って、最も
効果があるのは、摂政の側室であるセラフィーナだからな。それに
セラフィーナのいないところで残酷な刑を連中に課して恨まれるの
は御免こうむりたい﹂
 セラフィーナは椅子に座ると、横を向いて、わざとらしく右のて
のひらで顔を支えるようにした。
﹁そのことならすでに話しているはず。わたしは旦那様のために戦
うわ。わたしは英雄の妻として、この世界が変わっていくのを見た
いと言った。その気持ちに変化はないし、それが理解できない実家
が滅んでもしょうがないと思ってる。湿っぽいことは、わたし、嫌
いなの﹂
 同じことを蒸し返されて、それに実家が滅んでいくのをそばで見
るのが気に入らないってわけか。セラフィーナらしくはある。
﹁じゃあ、本音を話す。これでセラフィーナがムッとするのか、さ
すがだと褒めてくれるのか、判断ができなかったんだ﹂
﹁ああ、本題はちゃんとあるのね。ぜひ聞かせて、聞かせて﹂
 途端にセラフィーナが乗り気になって顔をこちらに向ける。不満
顔だったのも、案の定、演技だったらしい。
﹁カルティス家をひっかきまわすに足る奴に、セラフィーナから﹃
密書﹄を送ってくれないか?﹂
 俺は率直に目的を告げた。
﹁君が送ってくれれば、俺が送るよりも効果があるかもしれない。
なにせ、セラフィーナが勝気な性格だってことは、実家の総意だろ
うからな﹂
 つまり、内通者を作り出すのに、セラフィーナの力を借りるのだ。

660
 敵の内部で裏切りを起こさせて弱体化を図るのは戦争の常套手段
だ。まして、状況的に俺の側が圧倒的に有利になっている今なら、
それはよく効く。
 しかし、仮に俺やその家臣の名前で内通を求める書面を作っても、
どこまで信用されるかわからない。あとで、そんなものは知らない
と内通者を殺すことは容易だ。戦争が決着してしまえば、どうせミ
ネリアのカルティス家は滅亡しているのだから、話が違うと逃げ戻
る場所もない。
 ならば、セラフィーナの立場から、あなたを助けるために尽力し
ているから、どうかこのようにミネリアのカルティス家を裏切って
くれと書いてもらうほうが説得力がある。
 セラフィーナは、﹁ふふふ﹂と最初小さく忍び笑いしたかと思う
と、とても楽しそうに笑い出した。
﹁いいわ、旦那様! そうこなくっちゃ! 力押しでも勝てる敵を
さらに確実に叩きつぶす、そういった気持ちでなければ、全国を支
配することはできないものね!﹂
﹁ひとまず失望されてはいないようで、ほっとした﹂
 俺がやろうとしていることは、妻まで妻の本家を倒すために全力
で利用しようということだ。そこまでするかと言われたら、俺も謝
らないといけない。
 しかし、何もかも杞憂だったらしい。
﹁そうよね。わたしの実家が滅んでもまだ天下は収まっていない。
西側の前国王を奉じている連中を倒さなければ統一もままならない。

661
それなら、一兵でも損なわずに勝たなければいけないわ。今回のこ
とだって過程なんだから﹂
 力強く、セラフィーナはうなずいた。
﹁任せて。実家だからこそ、手玉にとってあげるわ﹂
 そうやって笑うセラフィーナを見て、俺は思った。
 セラフィーナを妻にできて、本当によかったと。
 俺は座っているセラフィーナの後ろにまわりこんで、そっと腕で
包んだ。
﹁もし、セラフィーナのことを悪女だとか書く歴史家がいたら、俺
が全部ぶっ殺してやるからな﹂
﹁当たり前でしょう。私の職業は悪女じゃなくて、聖女なのよ﹂
 得意げにセラフィーナは言った。俺、本当に言い出すまで不安も
あったんだけど、そんな心配していたのがバカみたいだ。人間とし
ておかしいと言って、抗議のために神殿にでも引きこもられてもお
かしくない策を提案した自覚はある。
 むしろ、生き生きと協力してくれるあたり、セラフィーナはなん
というか、変わっている。
﹁エイルズがセラフィーナの嫁ぎ先がなくて悩んでいたと言ってい
たのを思い出したよ﹂
 常識だけでは、セラフィーナを理解してやることはとてもできな
いから。
﹁そうかもね。でもね、変な言い方だけど、わたしは旦那様に本当
に感謝しているのよ﹂
 俺の手を両手でセラフィーナはつかんだ。

662
 さっきの快活な様子とは違った、やさしい手だ。
﹁どうせ自分の一族に幕を下ろすなら、自分の手でやりたいの。け
じめとしていいし、どうせ一族を滅ぼしたことを将来悔いちゃうこ
とだって、人間だからあるでしょ。それなら他人任せにする部分は
減らしたいのよ﹂
 セラフィーナが俺のほうを向く。
 セラフィーナだってもちろん心の痛みはある。それを乗り越えて
きただけなんだ。
 静かに、俺たちはくちづけをした。
 妻を癒すのは夫の役目だ。
112 悪女と聖女︵後書き︶
GAノベル発売日が近づいてきました!
特典情報と新たな挿絵を活動報告に発表しました! ご覧ください

663
113 ミネリア攻略
 カルティス家のミネリア領の中核を占めるブランタール県、この
県についに俺は大軍で兵を送り込んだ。
 総勢三万五千。周辺の領主たちもそれぞれの側からブランタール
県に攻め入っている。早いところではすでに戦端は開かれている。
こちらの兵力は加わる者が増えるだろうから、さらに多くなっても
不思議はない。
 途中、俺が初めてオダノブナガという職業の力を借りたナグラー
ド砦も過ぎて、ブランタール県のほうに入る。
 あの頃は、このブランタール県に出兵して、カルティス家を討つ
だなんて、夢にも思い描けなかった。それぐらい、俺のネイヴル家
とカルティス家の力の差は大きかった。ナグラード砦の戦いの後、

664
俺はやっと三つの村を支配する男爵になったぐらいだ。
 横を行くラヴィアラも、なつかしそうな表情を浮かべていた。
﹁あの砦でラヴィアラが死にそうになってた時、アルスロッド様が
助けに来てくれたんですよね﹂
﹁あの時は無事だったからよかったけど、もう、ああいうことはや
めてくれよ⋮⋮。がむしゃらだったから、意外と覚えてはないんだ
けど﹂
﹁ですね。今と違いすぎて現実感がないです﹂
﹁けど、打倒ミネリアは昔のネイヴル家は酒の席でよく叫んでたか
らな。それが本当になるんだ。変な気持ちだな﹂
 酒宴の場では妄想みたいなことをしゃべるのも許される。仇敵ミ
ネリアのカルティス家を滅ぼして大国になってやろうじゃないかと
昔は音頭をとったものだった。
 もう、それは夢でも何でもない。
﹁ラヴィアラ、容赦はするな。セラフィーナからも許可は得てる。
むしろ、これで中途半端なことをやったら、あいつはきっと怒る。
思いつきの温情には何の価値もないってな﹂
﹁そうかもしれませんね。セラフィーナさんもセラフィーナさんな
りに今頃、戦っているのだと思います﹂
 こちらの先鋒はマチャール辺境伯サイトレッドの妹、タルシャに
やらせた。タルシャの果敢に踏み込む戦闘の姿勢はこちらの意気を
上げるのにちょうどよいと思ったからだ。
 それにタルシャ自身に、このブランタール県で親類がいるなどと
いうことは距離的にもありえない。なので、ためらう要素がない。

665
 別勢力の土地とはいえ、友好的だった期間もそれなりにある。土
地も接している。俺の土地とミネリア側で仲間や血縁になった者は
俺以外にも多いはずだ。どうしたって手心を加えたくなる。それが
自然だ。
 そのしがらみを断ち切りたかった。
 ブランタール県ではいくつも城が築かれて、こちらを待ち構えて
いたが、どこも本格的な普請のものとは言えなかった。兵力からし
て防ぎきれるとは考えていないのだろう。
 あくまでも敵は本拠の周辺で蹴りをつける算段のはずだ。それま
ではこちらの兵を疲弊させることに徹して、おそらく本拠と周辺の
大きな支城などに詰めている兵を繰り出して、包囲を行う。
 もっとも、それは希望的観測の世界だ。内陸部にまで俺たちを入
れる時点で危機的ではある。もっと手前の段階で俺たちを追い返す
選択をとれないぐらいに力の差があるということだ。
 以前の戦闘であれば、こうやって敵の土地に攻め入れば、牛馬も
人も奪い尽くしていただろうが、摂政の正規兵はそんな野蛮なこと
はしない。通過する町などでも乱暴は働かない。軍紀は確実に守ら
れている。
 なぜならこれは従来の領主同士の争いとは意味合いが違うからだ。
 こちらは王に任命された摂政の軍隊。つまり官軍であり、敵は賊
軍だ。目的も敵の富を手に入れることではない。反逆者を倒すため
だけに、この兵は興されている。
 順調に兵は進む。やがて敵の本拠であるブランタール城が見える

666
ところまでたどりつくだろう。
 ︱︱そういえば、ブランタール城を見たことはなかったな。道三
のいた稲葉山城とどちらが堅牢か見てみたいものよ。
 イナバヤマ城がどんな城か知らないが、ブランタール城は平野部
の独立峰にある、堅固な城だぞ。すぐ後ろに川が流れていて、それ
ほり
が濠の役目もしてるし。
 ︱︱長良川みたいなものがあるのだな。いよいよ稲葉山城に近い。
 粛々と兵を進めて、俺はブランタール城が遠くにのぞめるあたり
まで到着した。あまりに接近すると、全軍が城から突撃してきた時、
乱戦になって、もしもということもある。少し離れたところから様
子を見る。
 この目で見たブランタール城は見事に山の上に壮大な建築物が尾
根伝いに並んでいた。まともに攻略しようとしたら、大量の死者を
出すことは確実だ。
 悪いけど、オダノブナガ、これを力攻めで落とす気はないぞ。も
っと上手くやるからな。
 やがて動きは出るはずだ。
 日中、両陣営に大きな動きはなく、夜となった。

 俺の軍は無数のかがり火を焚いて、その中でばさばさと旗を振っ
た。
 山の上のブランタール城からも見えるだろう。
 さあ、どういう反応が出るか。

667
 やがて、山上のブランタール城から、火の手が上がった。
 それに気づいた兵士たちから﹁放火か?﹂﹁城が燃えているぞ!﹂
と声が上がる。寝ていた者たちもすぐに起き出した。
 しかもその火の手は一つではない。二つ、三つ、さらに四つ。尾
根伝いの建物の数か所から起きている。連続した動きと見ていいだ
ろう。
﹁セラフィーナ、ありがとう。首尾よく運んでるらしい﹂
 セラフィーナはとくに自分と仲が良かった若い将たち数人に密書
を送っていた。成功すれば本領安堵。絶望的な状況下で、その密書
にすがるという選択をしたらしい。
﹁さてと、準備はできたな。みんな、夜襲をかけるぞ!﹂
 俺の声に一斉に威勢のいい声が返ってくる。
﹁とはいえ、今回はブランドを討伐した時のように突っ込まなくて
もいい。武器庫も食糧庫も火はついている。我々はパニックを増幅
させてやればそれでいい。遅くとも五日も対陣していれば音を上げ
てくる﹂
 俺の言葉は当たった。
 その日のうちに城は落ちなかったが、密書を受け取っていた数人
の将が城を出て、俺のほうにやってきた。
﹁もはや、ブランタール城は兵糧も焼け、馬も逃げ、矢も尽きてお
ります。降伏勧告には応じるしかありません﹂
 将の一人が言った。
﹁そうだな。ここは鷹揚に構えさせてもらうぞ﹂

668
113 ミネリア攻略︵後書き︶
明日がGAノベル1巻公式発売日です! すでに一部店舗で並んで
いるところもあるようです! ラヴィアラやセラフィーナほかヒロ
インもかわいいイラストになっています! ぜひよろしくお願いい
たします!
669
114 聖女のやさしさ
 ブランタール城の火の手はその後も断続的に上がった。
 裏切りが広がっている。エイルズ・カルティスの敵は、自分たち
の側にいるわけだ。
 そして、それから二日後。
 ついに、降伏の交渉に使者が城から降りてきた。
 使者は白い服を着ていた。服従と死を意味する色だ。もう、勝ち
目はないと判断したのだろう。
 使者は﹁いかなる罰でも受けるつもりが主君はございます﹂と頭
を下げたまま答えた。

670
﹁では、俺の言葉にも正直に答えてもらってよいか?﹂
 交渉に移る前に気になることを聞いておこうと思った。
﹁はい、いかなることでありましょうか?﹂
﹁この反乱、エイルズとブランドたちだけが仕組んだものか? そ
れとも、ほかに黒幕がいるのか?﹂
 これだけ大掛かりな作戦だ。もっと、ほかに携っているものがい
たのではないか。
 オダノブナガもかつて包囲網をかけられたと言っていた。そんな
ものが俺にも動いていなかっただろうか。
﹁包み隠さぬことで、罪がやわらぐのであれば⋮⋮﹂
 使者の目の色が変わった。
﹁まずは話を聞いてからだな﹂
﹁城西県のオルセント大聖堂と、西の王でございます⋮⋮﹂
 西の王というのは、前王のパッフス六世のことだ。西方の土地に
逃げている。
 そこに俺が一度、戦ったオルセント大聖堂も一枚噛んでいたとい
うわけか。
﹁もともと、西の王は今回のためにいくつも密書を領主たちに出し
ておりました。いずれ、摂政が従わぬ領主のために北伐に出るから、
その時に一斉に蜂起せよと⋮⋮。マチャール辺境伯サイトレッドも
それに従うつもりであったかはわかりませんが、あのあたりの領主
も知ってはいたでしょう﹂
﹁なるほどな。俺が遠征に行っている間に帰る場所を奪う計画か﹂

671
﹁とはいえ、従うかどうかは各領主の裁量にゆだねらておりますか
ら、兵を出さなかった者も多かったでしょう﹂
﹁まあ、密書なんざ焼き捨ててしまえば、到達した証拠も残らない
からな。大半の連中は日和見主義で動くだろう﹂
 とはいえ、心の中に冷たい風が吹いた気はした。
 事前に準備をしていたから、大事に至らなかったが、一歩間違え
ば帰るべき場所を失うところだった。
 俺の力が万全になればなるほど安全ということにはならない。俺
の力が万全になるから、それに逆らおうとする者も出てくる。
﹁さて、おぬしらの領主の処遇だが、少しこちらの者と話し合って
最終的に決めたい、そこで待ってくれ﹂
 俺は宿営地の後方に向かった。
 接収中の町の中でもひときわ立派な評議会の石造りの建物に入っ
ていく。
 そこでセラフィーナが仮の暮らしを営んでいた。
﹁お疲れ様、旦那様。おおかた、こちらの勝利と考えて間違いない
ようね﹂
 セラフィーナ俺に笑いかけて、﹁おめでとう﹂と言った。
 無論、セラフィーナは俺の側だ。だから、その言葉に間違いはな
い。とはいえ、彼女にそう言わせることの心苦しさは事がここに至
ってもある。俺にだって人の心はあるのだ。ずいぶん人を斬ってき
ても、それで心が消えるわけじゃない。
﹁今、降伏の交渉をしている最中だ。君の父親は限界だと感じ取っ
たらしい﹂
﹁そう。ならば、わたしたちの勝利ね。再び、この地も平和になる

672
わ﹂
﹁それで、どういう条件にするか、セラフィーナにも意見をうかが
いたいと思っていた﹂
 つまらない慈悲の心を起こしてしまっているだろうか。
 それとも、かえって妻を苦しめることになるだろうか。
 どちらにしても、俺はそうすることを選んだ。それが俺のやり方
だ。
 しばらく、俺とセラフィーナは見つめ合っていた。
 とはいっても、険悪な空気ではなく、セラフィーナは城の中にい
るように微笑んでいた。俺を責める視線も、つらそうにしたりする
こともなかった。
 俺は、あらためてセラフィーナの職業が聖女だということを思い
出した。
 セラフィーナはずっと俺を支えてくれている。いつまでもセラフ
ィーナは俺の味方なのだ。たとえ、一族が滅ぶ瀬戸際に来ていたと
しても。
﹁意見も何もこんなわかりやすい反逆者を生かしておく理由などな
いわ。せいぜい、決めるのはどう殺すかぐらいのものでしょう?﹂
﹁たしかに、領地の半分を没収する程度ではすまないが、たとえば
敵が逃げてしまったというのであれば、それを追いかけるかどうか
の判断はまた別個に下す﹂
 セラフィーナは城の作りもよく知っているだろう。﹁ああ﹂と小
さく声を出した。
﹁城の搦め手に当たるところを空けてあげれば、そうね、北に向か

673
って落ちていくことはできるでしょうね﹂
﹁全員が逃げるのは無理があるが、エイルズとそのお供ぐらいなら
脱出できるだろう。混乱しているところに俺たちは乗り込んで、俺
たちは報復の形で城に残っている主だった者を処刑する。それでミ
ネリア領は平定されるし、父親の命も助かる。どうだろうか?﹂
 悪くないアイディアだと思った。これなら、これなら覇道とセラ
フィーナの気持ちをともに守れると考えていた。
 セラフィーナは俺の手をそっと包んだ。
﹁旦那様はやさしい人間なのね。わたしのせいで気をつかわせてし
まっているわ﹂
 それから、セラフィーナは首を横に振った。
﹁もし、将としてエイルズが生き残っていれば、また面倒なことに
なるわ。殺したほうがいい﹂
 エイルズとあくまでも敵を呼ぶようにセラフィーナは言った。
﹁これ以上の情は無用よ。わたしも心を決めてる。この先、旦那様
とたどり着く場所が地獄だとしても﹂
 セラフィーナは俺の手の甲に軽くキスをした。
﹁旦那様となら、怖くはないし、望むところだわ。だから、早く天
下を統一して﹂
 俺は強く、強くセラフィーナを抱擁した。
 知らない間に涙が流れていた。
﹁ありがとうな﹂
﹁こんなの乱世のならいじゃない。どうということはないわ﹂

674
114 聖女のやさしさ︵後書き︶
昨日、GAノベル1巻発売となりました! おまけエピソードも入
れております! よろしくお願いします!
675
115 義父を滅ぼす
 俺は使者に対して、こう言った。
﹁こちらが名を上げた一族、家臣たちの自害によって、城兵の命は
助け、ほかの者の再仕官も検討する。あくまで案だから、そちらが
飲むかどうかは自由だ。このまま殺し合いを続けてもいい﹂
 使者はわかってはいただろうが、俺の家臣が差し出した名簿を見
て、さすがに顔を曇らせた。
﹁こうなれば、カルティス家は断絶でございますな﹂
﹁戦争とはそういうものだ。お前たちだって知っているはずだ。も
う少し、反乱に非協力的な者がいれば助命してやろうとも思ったの
だがな。さすがエイルズだ。一丸となって俺を倒そうと動いたから

676
な﹂
﹁それでは、持ち帰らせていただきます⋮⋮﹂
 使者はこの短時間でやせてしまったように見えた。
いち る
 きっと、ああいう奴は一縷の望みにすがってしまうんだろうな。
残念だが、そういう形にはならない。
 翌日、条件を飲む旨をエイルズ側が使者を寄越してきた。この時
点で、事実上、ミネリアは滅亡が決まった。
 主な一族や主戦派の人間たちがゆっくりと下りてきた。
 首吊り台が並べられて、そこで関係者たちが首を吊っていく。
 刑が執行される前にエイルズと話をする機会があった。
﹁どうせ、娘は処刑をするべきだと言ったのだろう?﹂
﹁それで正解です﹂
 エイルズは﹁さすが、あのおてんば娘だ﹂と笑った。
﹁自分はここで死ぬが、幸い、子種はたくさん残した。自分の子孫
たちはそれこそ、摂政の子の中にもいる。一族はそれなりに繁栄す
るだろう﹂
﹁あなたは名将だったが、最後の最後で道を誤りましたね﹂
﹁そなたと同じ時代に生まれたことを後悔しておるよ。そなたがい
なければネイヴル家など、とっとと滅ぼしていたものを﹂
 そこで時間になった。
 エイルズも首吊り台で命を落とした。
 セラフィーナは遠くで、そうっと一族が滅ぶところを見届けてい

677
た。出てこなくてもいいと言ったのに、目をそらしたくないとセラ
フィーナが言ったのだ。
 ラヴィアラはセラフィーナ以上に悲しげな顔をしていた。
﹁きっと、セラフィーナさんは一族の滅亡を背負おうとしているん
です。それが自分の宿命だとでも思っているんじゃないでしょうか。
本当に気丈な方です﹂
﹁ラヴィアラもあいつがつらそうだったら、助けてやってくれ。あ
いつ、俺の前だと必要以上につらい顔を見せないようにするかもし
れないからな﹂
﹁はい。アルスロッド様の大切な方はラヴィアラにとっても大切で
すから﹂
 三日ほど、城の明け渡しや生き残った将の仕官先の確認などで滞
在したあと、俺はマウスト城に引き返した。
 反乱鎮圧が一息ついて、俺は久しぶりに子供たちと時間を過ごし
た。
﹁おじい様が殺されたのですね﹂
 まだ、子供だが教育を受けて聡明に育っている長子は寂しげだっ
た。セラフィーナの子だから、エイルズは祖父に当たる。
﹁これが乱世だ。こんなことがずっと続くべきだと俺は思ってない。
そうだな⋮⋮お前が職業授与式をやる頃には全国を平定して、こん
なことがもう起きないようにしてやる﹂
﹁はい、父上﹂
 こくとうなずく姿にまだ怯えが見てとれた。
 俺はその髪をつかんでくしゃくしゃにする。
﹁案ずるな。俺は自分の子供をひどい目に遭わすようなことはしな
い。お前が弟や妹と殺し合うことも絶対にさせない。俺が生きてい

678
る限り、それは約束する﹂
 俺もセラフィーナもずいぶんと業を背負ってしまったから、なら
ば、せめてすべてを解放するぐらいまで背負ってやろうじゃないか。

 ほかの王都に近い土地でも小規模な反乱はいくつか起こったが、
俺が優勢になっているという情報が広まる中で、勝手に鎮まってい
ったというのが実情だった。どちらにつくか迷っていた領主たちが
勝ち馬に乗って、攻め込んでいくからだ。
 王都に戻る途中、ニストニア家に寄って、俺の側でずっと戦って
くれたことに礼を述べた。
﹁ニストニア家が周囲を牽制してくれたおかげで混乱は広がらずに
すみました。王国の摂政として厚く御礼を申し上げます﹂
 ソルティス・ニストニアのほうも俺が姿勢を低くしているような
ので、恐縮しているらしかった。かなりの実力者の割に全体的に小
心者の男だ。
 しかし、それが幸いして、ここまで生き残ってこれているとも言
える。中途半端な勇気は身を滅ぼすことになる。
﹁いえいえ、摂政閣下はいまや娘のユッカの夫でもあります。摂政
閣下のために戦うのは当然のこと。それに、この周囲の土地ではほ
とんど大きな反乱もありませんでしたし﹂
﹁それはニストニア家が間違いなく、俺の与党とほかの者たちがみ
なした結果です。未然に争いを防いでくれる方は、歴戦の将軍より
よほど功績がありますよ﹂

679
﹁そう言っていただけるならありがたいです﹂
 ソルティスはため息をついた。
﹁大きな反乱も収まったし、このタイミングで、私も家督を息子に
継がせましょうかな。あまり長く家督を持っていても、息子に煙た
がられるかもしれませんし﹂
﹁そうですな。でも、いずれまた大きな争いは起きますから、その
後でもいいかもしれませんね﹂
 ソルティスは目を白黒させた。ソルティスの価値観では、もう、
この一帯は落ち着いたということなのだろう。それ自体に間違いは
ないが。
﹁西側を平定しなければいけません。前王がまた世を乱そうとして
いるので、これを討たねばなりませんから﹂
 王国統一に向けて、もう一仕事だ。
 俺はニストニア家を経由して、途中で合流した軍隊たちとともに
堂々と王都に入った。
 反乱軍鎮圧を王都の市民にアピールする。
 ちなみにラッパたち間諜の話によると、市民の反応は様々らしい。
 やはり摂政は最強だという意見もあれば、親族も容赦なく殺すの
は世の常とはいえ恐ろしいといった意見もあるという。どちらも事
実を言っているにすぎないから、しょうがない。
 幸い、西の前王を擁する連中とは、血のつながりが何もないから、
そこのところは気楽だ。
 ︱︱いよいよここまで来たといった感じだ。

680
 オダノブナガが嘆息していた。
 ︱︱あとは西に攻め込むだけというところで、ワシは明智光秀に
殺されたからな。お前もケララという女に注意しておけよ。
 まあ、あいつの場合は絶対大丈夫だろ。
 でも、ねぎらうぐらいはしておいてもいいかもしれないな。
115 義父を滅ぼす︵後書き︶
造反鎮圧編は今回でおしまいです。次回から新展開に入ります。
またGAノベル1巻、先週発売になりました! よろしくお願いし
ます!
681
116 アケチミツヒデとの対峙
 その日は王都に入るのも遅かったので、王には使者だけ送って、
後日、あいさつにうかがうと告げて、少しゆっくりとすることにし
た。
 俺は自分の部屋にケララを呼びつけた。
﹁本日はどういったご用件でしょうか?﹂
 丁寧に頭を下げるケララ。どれだけ高官になっても、こういった
挙措は何も変わらない。
﹁一つ、今日は故実に秀でているお前に尋ねたいことがある。まあ、
椅子にでも座ってくれ。立ち話ですますようなことでもない﹂

682
 静かに椅子を動かして、ケララは着席する。
﹁かつて、王を経験した者を王族でもない者が討つことは許される
ことか?﹂
 ケララがさっと顔を上げて、俺の目を見つめた。
﹁つまり、前王のパッフス六世を殺めるということですね﹂
﹁そういうことだ。俺は摂政として陛下に歯向かう者を倒す使命が
ある。これまでは取るに足らない身分の者だったが、その点で悩む
ことはなかった。しかし、いかに陛下を苦しめる存在とはいえ、前
王はやんごとなき身分だったお方だ。小領主出身の俺が討ってよい
のか?﹂
﹁少し、失礼いたします﹂
 メモ用の紙にペンでさらさらとケララは名前を書き出していった。
それは殺された王の名前のリストだとすぐにわかった。
﹁過去に王が戦死した事例は五例です。その中で二例は次の王朝に
取って代わられたので、滅亡時のことです。残り三例はそもそも相
手も王を名乗っていたので、家臣が殺したという例ではありません。
なお、かつて王だった方が殺された例はありません﹂
 たしかに前王が流浪の身になっていたなどという話は過去には聞
いたことがない。
﹁そうか。ちなみに前王を殺すことは可能だろうか? それができ
ないなら、捕縛するよりほかに手がない。まあ、捕縛して王都まで
連行した時点で、陛下はおそらく処刑を命じるだろうが﹂
 自分の王位を脅かす一族はすみやかに根絶やしにしようとするだ

683
ろう。過去の対立からしても、生かすとは思えない。甘く見積もっ
ても、まともに生活もままならない離島に流すといったところか。
﹁摂政が独自に兵を動かすと多少怪しいところがあります。が、摂
政とはつまり陛下の代行者です。なので、結局は陛下が前王を倒す
ことになり、問題にはならないと考えられます﹂
﹁なるほど。陛下に追討を命令されたなら、かまわないということ
だな﹂
﹁はい。陛下からの命に従わないというほうがはるかに問題として
は大きいでしょうし、これで不忠となることはありえません﹂
 俺は力強くうなずいた。ちょっとしたつっかえが一つ取れた。
﹁よし! ならば、早く陛下の治世を確立するためにも逆賊を討た
ないといけないな。今度の敵は大物だが、必ず仕留めてみせる!﹂
 だが、そこでわずかにケララは顔を曇らせた。
 俺はそれを見逃さなかった。
﹁ん? 何か俺の言葉におかしな点でもあったか?﹂
﹁いえ⋮⋮たいしたことではありません﹂
﹁ウソをつけ。お前が懸念を持っていることはすぐにわかるぞ。言
ってみろ。どうせ、ほかに誰もいないのだから。なんだったら、こ
の場で神に誓おうか?﹂
 まだケララは迷っていたようだが、やがて観念したように口を開
いた。
﹁その⋮⋮閣下は本当に国土の統一を行ったあとも、サーウィル王
国の秩序を守ろうとなさるのでしょうか⋮⋮?﹂
 俺の表情から笑みが消えた。とはいえ、怒っているわけではない。

684
 慎重にその先を見極めたい。
﹁言っている意味がよくわからんな。国土が統一されることこそ、
王国の秩序の回復だろう。国内で反乱が起きているほうが異常なの
だ﹂
﹁もし、閣下が摂政として前王とその一味を滅ぼせば、閣下に対抗
できる勢力は王国から消えます﹂
 その先をしぼり出すようにケララは言った。
﹁その時、閣下は王国を譲られてもおかしくないような立場にいら
っしゃるのではと⋮⋮﹂
 ケララはうつむいていた。ケララにしては、明らかに取り乱して
いる。いつも冷静沈着なはずのあのケララとは思えない。
﹁もっと、はっきり言えばいい。王国の簒奪者になるつもりなのか
? そういうことだろう?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
 だいそれたことなので、ケララは声を落とした。
﹁では、逆に尋ねる。お前は俺が王になるべきと思うか、それとも
ならないべきだと思うか?﹂
 俺のほうから本心を答える義務はない。あくまでもケララは俺の
家臣だ。俺に従わねばならない。
 ケララの顔がさらに下を向く。とても視線を合わせられないとい
った様子だった。
 ︱︱おい! どうしてこんな危ないことをする!

685
 オダノブナガが頭の中で叫ぶ。
 ︱︱こんな危険な試し方があるか! この場で斬りかかられても
文句は言えんようなことをお前はしているぞ! どうして核心に触
れるのだ! この女が過去の秩序を正しいとする性格だったら終わ
りだ!
 オダノブナガ、たしかにアケチミツヒデって奴は守旧的な奴だっ
たかもしれないし、ケララもその要素がなくはないけど、それだけ
で人間は裏切ったりはしない。
 それはこれまで生きてきたなかで感じ取った確信だ。
 オダノブナガだって昔のあり方を重んじるためだけに、アケチミ
ツヒデが自分を殺したとは信じてないだろ? 人間はもっと利己的
だ。大義だけじゃ動かない。
 ︱︱それはそうだが⋮⋮危険があることには変わりはないぞ。
 このまま、疑ったままケララを使うのが嫌だったんだ。
 なにせ、ケララは俺の妻の一人だからな。
﹁ケララ、どうだ? これは家臣に対しての諮問だ。お前の意見を
言ってくれればいい。様々な意見があって当然だからな﹂
 ケララの頬から汗がぽとりと落ちた。
﹁私は⋮⋮この世界の平和のためなら⋮⋮王となることも可である
と考えます⋮⋮﹂
 ついに、ケララはそう答えた。

686
﹁その答えにウソはないな?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
 ゆっくりとケララは顔を上げた。
 決意に満ちたような目だった。
117 ケララの衷心
﹁﹃百年内乱﹄はいまだ終わりを見せてはいません。その間に、戦
乱と飢えで命を落とした民の数は、とても数えきれないでしょう。
もはや名前ではなく、量で考えねばならないほどです﹂
 沈痛な憂いがケララの顔ににじんだ。
﹁たしかに、その責をすべて王家に帰するのはおかしいかと思いま
す。全国の領主たちが一丸となり、王室を盛り立てれば、少なくと
も戦乱が訪れることまではありませんでしたから。とはいえ⋮⋮国
を治められないなら、その座から離れるのも、王の役目⋮⋮。その
ように、三百年前の﹃王家治要﹄にも出ております﹂
 その書名は聞いたことはないが、ケララのような知識人にはよく

687
知れた書物なのだろう。
﹁もともと、私は今の王家が再び世を統べることを望んでおりまし
た。それこそが王家に仕える者として当然のことですので﹂
﹁だが、それでは、やはり限界があるということだな﹂
 ケララはゆっくりとうなずく。
﹁ハッセ陛下が国家を統一した時、必ず摂政閣下⋮⋮アルスロッド
様を放ってはおかないでしょう。それほどまでにアルスロッド様の
力は強く、犯しがたいものになっています。蜜月はアルスロッド様
がどのようなお気持ちであっても崩れ去ります⋮⋮﹂
 わざわざ、ケララが俺の名前を呼んだのは、それ相応の覚悟の現
れということだろう。たいてい俺は臣下から摂政とか閣下と呼ばれ
ている。名前で呼んでいるのは、幼馴染のラヴィアラぐらいのもの
だ。
﹁そして、アルスルッド様がいなければ⋮⋮その身分が何であろう
とアルスロッド様という個性がいなければ、国家は再びちりぢりに
乱れてしまいます⋮⋮﹂
﹁ならば、俺が王になったほうがマシということだな﹂
 結論をケララの口から言わせるのは可哀想だったので、俺が言っ
た。
 ケララはうなずくだけでよかった。
﹁ただ、これは、あくまでも世のためということを、お忘れなきよ
う﹂
 釘を刺すようにケララは言った。

688
﹁私はラヴィアラさんのような忠臣とは少し違います。もし、アル
スロッド様がかえって世を乱すためと判断したならば、弓を引くこ
ともありましょう﹂
 わずかに、ケララの声はふるえていた。もとより覚悟がなければ
このような言葉は吐けない。とはいえ、それでも平常心でいること
も難しいだろう。
 俺は席を立ち上がって、ゆっくりとケララの後ろに回り込んだ。
 そして、その両肩に手をぽんと載せた。
﹁絶対素晴らしい世界にしてやる﹂
 そう、口で誓うのが俺にできる今のすべてであって、最善のこと
だと思った。
 ケララの後ろに来ているからもちろんその顔は見えない。それで
も、ケララの気持ちは伝わってくると思った。
 テーブルにケララの涙が一粒落ちた。
﹁はい⋮⋮。どうか、私を裏切らせないでください⋮⋮﹂
 左手で、ケララはさっと目元をぬぐった。
﹁ここ最近、自分が怖くなるのです。夢で、どこかの宿所に入って
いるアルスロッド様を兵を差し向けて討っている⋮⋮。そういった
夢を見ることが増えてきて、怖くなってたまらなくなることもあり
ます⋮⋮﹂
﹁それはきっと、お前の職業のせいだろうな。アケチミツヒデとい
う職業だったか﹂

689
 ケララの職業はかつてオダノブナガを殺した家臣の名前だという。
それがケララの心に知らず知らずのうちに影響を与えてしまってい
るとしても、おかしくはない。
﹁もし、恐ろしいなら私を殺していただいたほうがいいかと思いま
す﹂
 生真面目な性格だから、ケララは本気でそう言っているのだろう。
﹁実直なように見えるかもしれませんが、私のどこかには破滅願望
のようなものが潜んでいる⋮⋮不気味な夢を見るたびにそう感じま
す。きっと、私がいなくてもアルスロッド様の統一事業に支障はな
いでしょうし⋮⋮﹂
 俺は後ろからゆっくりとケララに腕を回した。
﹁お前みたいに優秀な将を使えないような奴は、どのみち摂政にも
王にもなる器じゃない。俺はお前がどんなじゃじゃ馬でも乗りこな
してみせるからな﹂
﹁わかりました。ですが、私も言うべきことは言いました。処断な
されたい時はそのようにしてくださればけっこうですので⋮⋮﹂
﹁それより今はお前を抱きたい﹂
 俺は率直に自分の欲望を口にした。
﹁こんな話をした後にですか⋮⋮?﹂
﹁お前を乗りこなしてみせると言っただろう。それに憂いを忘れる
には、快楽がいい特効薬になる。これは冗談じゃなくて、本当のこ
とだぞ﹂
 ゆっくりと俺の腕をほどいてケララは立ち上がると、それでは失
礼いたします。
 俺のほうに寄りかかって、くちびるを求めてきた。

690
 そこからは場所を移動して、逢瀬を楽しんだ。楽しんだというよ
り、ケララのほうも不安をかき消すように必死にこちらを求めてき
た。
 ずいぶん激しいやりとりの後、俺たちは同じベッドで横に並んで
いた。
﹁このような調子なら、あなたはいつでも暗殺されてしまいそうで
すね﹂
﹁まさか。心が許せる者としかこんなことはしないさ。下手をする
と、陛下よりよほど刺客に怯えないといけない立場なんだからな﹂
 ベッドの中でケララの手を握った。
 この手が俺を討つことはきっとないだろう、となぜか無条件に思
った。
 なにせ、裸の付き合いをしてるんだからな。今更、不満を隠して
ブスリとナイフを刺すだなんてこともないだろう。不平があれば、
言ってくればいいんだから。
﹁私、ケララ・ヒララはアルスロッド摂政閣下のために衷心より励
むつもりです﹂
 ベッドのケララの横顔を見て、確信した。
 ケララは俺のことをちゃんと愛してくれている。今回の話もその
裏返しみたいなものだ。
 そう考えたら、ケララのことがいとおしくなった。
﹁ケララ、もう一度だ﹂
﹁私は疲れました⋮⋮﹂
﹁衷心より励むんだろ?﹂

691
 俺はまたケララの褐色の肌に抱き着いた。
 こんな心のまっすぐな家臣を持てて、俺はこれまで以上に満足し
た。
 そして、この家臣を俺に差し出したハッセって男を王にしてるよ
うじゃ、この国ももたないだろうとも思った。
 やはり、俺が王になるしかない。
 それこそ、この国のためだ。
118 王の参戦希望
 俺は武官たちを従えて、王であるハッセの前に拝謁した。
﹁無事に反乱を平定して、王都に帰還いたしてまいりました。留守
の間、心配をおかけしてしまったかもしれませんが、もはやこの王
都が落ちるおそれはわずかばかりもありません﹂
﹁うむ。義弟殿の勝利を信じておったぞ﹂
 王の周囲にいる君臣たちも俺と王を交互に見ている。王につく家
臣もかなり俺の息がかかった者を増やせているとはいえ、当然、王
のお気に入りもいるし、すべてがすべてそうというわけにはいかな
い。
﹁すでにご存じかもしれませんが、今回の反乱、やはり前王のパッ

692
フス六世が仕組んだものであるようです﹂
﹁やはり、そうなのだな。あの愚か者め⋮⋮。無駄なあがきをしお
って⋮⋮﹂
 ハッセにとって従兄にあたる前王パッフス六世は、不倶戴天の敵
に当たる。そもそも、ハッセの父親が王である地位をパッフス六世
に奪われている。
 表情を見ただけでも、ハッセが強い怒りをにじませているのがわ
かった。
いただ
﹁それで今後の平定計画ですが、前王を戴く西側の領主たちをつい
に滅ぼしにかかることになるでしょう﹂
﹁いよいよか!﹂
 ハッセが意気軒昂な声をあげた。久々にサーウィル王国を統一で
きるかどうか、それにかかっているのだ。
 もし、統一が成し遂げられれば、ハッセは名目上は秩序を回復し
た者ということになる。そのまま王国の歴史が続けば、中興の祖と
して仰がれることは確実だろう。そこに夢を見ないはずがない。
 とはいえ、浮かない顔の家臣団もいる。
 あいつらが俺を危険視しているのは明らかだ。このまま、俺が事
実上の将軍として、王国を平定すれば、当然俺にかかる権力はさら
に大きくなる。
 その時、俺がどういう行動に出るのか。連中はそのことを憂えて
いるのだ。
 不安は正当なものだが、まさか何の根拠もないのに、俺を除こう
などと動くことはできまい。俺がいなければ、世界はさらに乱れる。
俺がいないことで、前王が西から攻め上ってきたら何をしているか

693
わからない。
 連中にとって、俺は王朝に対する毒薬かもしれないが、、その毒
薬抜きでは前王という病魔を食い止めることもできない。痛しかゆ
しといったところだろう。
﹁前王にすりよる西側の有力領主、タルムード伯・サミュー伯らを
討ち滅ぼし、王国の再統一を行う︱︱その総仕上げに我々は入るこ
とになるでしょう。無論、多くの兵と兵糧が必要になります。その
調達を行うために、臨時税を付加することをお許しいただきたい﹂
 俺は恭しくハッセに向かって頭を下げた。﹂
 次の戦いは長丁場なだけでなく、極端に大規模なものになる。そ
のための準備も入念にやらないといけない。
 とくに大きな会戦で手痛い敗北でも喫しようものなら、旗色が一
気に前王側になびきかねない。
 俺だってあっさりと自分が勝利できるとまでは思っていない。何
万の兵を出す戦で失敗して、滅んだ者も多い。よほど慎重にやらな
いと。
 ハッセは鷹揚にうなずいた。
﹁いちいち、義弟殿の言うことはもっともだ。この戦い、万全に万
全を期す必要がある。なにせ、長らくばらばらになっていた秩序を
元に戻すのだからな。この私も万感の想いでいる﹂
 王都での凱旋パレードのことでも考えているのだろうか。だとし
ても、王として自然なことだ。責めるには値しまい。
 ハッセはとくに優秀な王というわけではない。それは何度も顔を
合わせてよくわかっている。

694
 かといって、歴代の王の中で飛びぬけて凡愚というほどでもない。
平和な時代なら、この程度の者でも、どうとでもなっただろう。
 王というのは英雄とは違う。国の頂点にいて、政治が大きく悪く
ならないように気を配るぐらいで十分なのだ。少なくとも悪法を並
べて、王都近隣の民が嘆いただなんて話はない。王たる仕事ぐらい
はやれている。
 問題は、今が偉大な指導者を必要としている時代だったというだ
けのことだ。
 乱世を終えるには俺みたいな者が必要になる。
 だから、俺は見返りとしていずれ国をもらう。
﹁ところで義弟殿、次の統一の戦役に向けて、一つお願いがあるの
だが、よいか﹂
 ハッセが尋ねてきた。
﹁はい。いったい、どのようなことでしょうか?﹂
﹁その戦役、この私が軍隊を率いて戦いに出たいのだが、よろしい
か?﹂
 少しばかり俺は不快な顔をしそうになったが、押し隠した。一言
で言うと、邪魔だと思った。
﹁なるほど。王として鼓舞していただけるなら、この俺もありがた
いかぎりです。多くの諸将もさらに勇み立つでしょう﹂
﹁いや、義弟殿には次の戦役は休んでいただこうかと考えている﹂
 最初、言葉の意味がよく理解できなかった。
﹁やはり、国を一つにまとめ上げるのは王である私が出るべきだと
思うのだ。そうでなければ、誰が私を王と認めるだろう。この王都
で腰を下ろしているだけが王ではない。民のために戦ってこそ、尊
敬を集めることもできるのではないか?﹂

695
 このハッセの発言に場がざわついた。臣下たちの多くも考えてい
ない言葉だったようだ。
﹁陛下、次なる戦いは決して簡単なものではありません。必勝を期
して臨まないとならないものです。どうか、ここは戦を長らく続け
てきたこの摂政の身に任していただけませんか?﹂
﹁言いたいことはわかる。だがな、王として戦わねば、その⋮⋮不
安もないではないのだ﹂
 ハッセはあきれたような顔をした。誰かに罪をなすりつけるよう
な印象を受けた。
﹁私の周囲には、このまま義弟殿が活躍していくと、いずれ民の多
くが義弟殿こそが王たるべきだと考えるのではと案ずる者もいるの
だ。言うまでもなく、義弟殿は私を裏切ったことなど一度もないと
いうのに﹂
 何人かの者がうつむいた。まさか理由を王に口にされるとは思っ
てなかったんだろう。
﹁別に義弟殿にその気がなくても、民というのは戦の強い者を応援
するからな。ならば、有終の美を私が飾れば、王家も安泰だ︱︱そ
う考えているわけだ﹂
﹁なるほど。承知いたしました⋮⋮﹂
 どうも、面倒なことになってきたぞ。
﹁まあ、準備にはまだまだ時間もかかりますし、ゆっくりと決めて
いけばよろしいでしょう﹂
 ひとまずそう言って、俺はその場で議論になるのを避けた。

696
118 王の参戦希望︵後書き︶
GAノベル1巻発売中です! よろしくお願いいたします!
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119 正妻との一夜
 俺はその日、久しぶりに正妻であるルーミーのもとを訪れた。
 長く、従軍していたから、ルーミーと会う機会もなかった。それ
に今日は王であるハッセと面会してきたばかりだし、ここで違う妻
のところに行くというのは、外聞が悪い。
 それに、ルーミーになら愚痴を言えると思ったのだ。
﹁まったく、お兄様にも困ったものですわね﹂
 先にルーミーのほうから言われてしまった。
 そう、ハッセが自分が総大将になるなどと変なことを抜かしたの
だ。
 ルーミーはペットである長毛種の猫を膝に載せて、撫でている。

698
どこかの地方からの贈り物だ。摂政とその妻ともなれば、贈られて
くるものだけでも、とんでもない量になる。
 とはいえ、今更、追加の富を求めるような身分でもない。だから
こそ、貢納を試みる側も、こういった不思議なものを贈って、歓心
を買おうとするのだ。
 その猫は少なくともルーミーがいたく気に入って、あやしている。
とくにまだルーミーには子供がいないから、余計にその猫をかわい
がるのかもしれない。
﹁お兄様も戦をまったくしてこなかったわけではありませんわ。何
度か命を狙われて、剣や槍を取ったこともございます。しかし、別
にお兄様の武勇で生き延びてきたわけではありません。すべては運
がよかったから﹂
﹁運がよいことも王の重要な条件だ。不運であれば、とても生きて
などいけないからな。一度も誰からも命を狙われたことのない王な
ど、古今いないだろう﹂
 俺のほうからルーミーの兄を非難しなくてよくなったのは、幸い
だ。むしろ、弁護にまわる。
﹁しかし、お兄様はなぜだか自分に武勇があると信じている節がご
ざいます。もちろん、あなたに勝てるなどとはつゆとも思っていま
せんけれど、あれでも生涯負けなしには違いがありませんので﹂
 ルーミーは飼い猫を胸にかき抱いた。猫は暴れたりせず、おとな
しくしている。すっかり、ルーミーをみずからの主であると認めて
いるようだ。あるいはルーミーを母親とでも考えているのだろうか。
 たしかに今のルーミーほど母性を感じさせてくれるような妻はほ
かにいない。修道院で育てられたルーミーには慈愛の精神が宿って

699
いる。
 もし、俺が王になれば、ルーミーは王妃︱︱つまり、国母とも呼
ばれる立場になる。国母という言葉がルーミーにはよく似合うだろ
う。
 いや、しかし、このままルーミーに子が生まれなければ、王妃と
してセラフィーナが立てられるのだろうか?
 後宮の争いも歴史上、何度も繰り広げられてきた。
 王妃が王の死後、その愛妾を殺したとか、その逆で愛妾から王妃
の座にのぼりつめた者がほかの妻たちの一族を滅ぼしたとか⋮⋮。
気分が悪くなるような話がいくつも転がっている。
 正直、俺はそんなことは絶対に繰り返したくないと思っている。
王にもなる前で、気の早い話かもしれないが、自分が愛した人間が、
悲劇的な目に遭うことはなんとしても避けたい。
﹁中興の祖として活躍したいという陛下のお気持ちもわかる。だが、
次の戦はまさしく天下分け目ということになるかもしれない。戦慣
れしてない陛下が前に出るのは困る。それこそ、もしも身に何かあ
れば⋮⋮﹂
 俺は言葉を濁したが、これで伝わらないことはありえないだろう。
 もしも王のハッセが落命することでもあれば、前王は自分こそ王
だと意気を上げるだろう。空気が完全に向こうが王だというものに
変わりかねない。
﹁そうですわね。お兄様にお子はいらっしゃいますけれど、娘が二
人、さらにまだ物心もついてない息子が一人、王位継承として、な
んとも心もとないところですわ﹂

700
﹁まったく、そのとおりだ。陛下には自重していただきたいところ
だよ﹂
 そう、ハッセが死ぬと王権の所在は途端に不安定になるのだ。
 いくら、俺に支えられているだけの存在とはいえ、まだハッセが
成人だから、この王権を認めている領主も多い。もし、これが幼帝
に変われば話はまったく変わってくる。
 幼帝自身に権力はない。その外戚が有力者であればいいが、家柄
が古いだけの没落しかかっている貴族の娘だ。とても、力があると
は言えない。
 なので、ハッセが戦争の矢面に立たれるのは、今の俺にとって、
いや、王国にとって百害あって一利なしなのだ。
 ︱︱弱いのに、戦には出ようとする。まったく、足利義昭とよく
似ておるわい。義昭も兄には似ず、どうにも弱かった。
 オダノブナガが担いでいた奴も似た感じだったのか。
 ︱︱弱いおかげで助かりはしたがな。とにかく、強情な男だった。
 強情という点ではハッセも厄介かもしれないな。
﹁ルーミー、次の戦の準備までかなり時間がある。その間に陛下を
説得する役目をお願いしたいんだが﹂
 笑顔でルーミーはうなずいた。
﹁ええ。わたくしもお兄様は王都で静かに暮らすのが幸せだと信じ
ておりますから。戦になど出るべきではありませんわ。もしものこ
とがありますから﹂

701
 ひとまずの話はついた。
 ここから先は夫と妻の時間だ。俺はルーミーの肩に手を伸ばす。
﹁あやすのは猫から俺に変えてくれないかな。ずいぶん、ご無沙汰
でお前の肌も忘れてしまいそうだ﹂
﹁どうせ、戦の途中でも遊んでおられたのでしょう?﹂
 心当たりがまったくないわけではないので、俺もちょっと言いよ
どんだ。たとえば、マチャール辺境伯サイトレッドの妹、タルシャ
とか⋮⋮。
﹁あら、やっぱり。お恨み申し上げますわ﹂
 冗談めかした調子で言うと、またルーミーはうなずいた。
﹁そういう方に嫁いだのが運の尽きですわ。今はわたくしを愛して
くださいませ﹂
 ルーミーは本当に美しい娘に成長した。体つきだけでなく、品の
よさみたいなものが染みついている。まさしく極上の女だと思う。
 死ぬまでに一度、こんな女を抱きたいと考える男は多いだろう。
 そんなルーミーを独り占めにできるのだから、摂政という地位は
恵まれていると思う。危険も覚悟で続けるだけの価値はある。
 ベッドの中で疲れて眠っている間に、ルーミーに抱きつかれてい
た。
﹁そういえば、あなた、お伝えしておかないといけないことがあり
ましたわ﹂
﹁こんなところでか?﹂
 いったい、なんだろう?

702
120 茶室での密談
﹁そういえば、あなた、お伝えしておかないといけないことがあり
ましたわ﹂
﹁こんなところでか?﹂
 いったい、なんだろう?
 俺はルーミーの髪を撫でながら言った。暗い部屋でもルーミーの
白い裸体はよく見えた。
﹁あなたが帰還する数日前、安産の神様の神殿でお参りをしており
ましたの。そこで、お告げを受けましたわ。今日ならきっと子供を
授かることになると﹂
 俺はルーミーをもう一度抱き寄せた。

703
﹁正妻で子供がいないことを気にしているのなら、心配しなくてい
い。俺はそんなことでお前を疎んじたりはしない﹂
 セラフィーナの生んだ息子がすくすく育っているのを見て、ルー
ミーにも焦りがあるのかもしれない。
﹁心配しているわけではありませんわ。ただ、きっとあなたの子を
わたくしも授かるはずと言っているだけです﹂
 ルーミーは笑っていた。そう、不安になっていたりするようでは
ないみたいだが。
﹁神殿から薬草もいただきましたし﹂
﹁あまり、怪しいものは服用するなよ⋮⋮﹂
 子供のことより、ルーミーのことが気がかりだ。
﹁大丈夫ですわ。きっと、玉のように美しい赤ん坊が生まれます﹂
 確信したようにルーミーは言った。
﹁あなたと王家の血を引く赤ん坊が﹂
 その言葉が妙に頭に残った。
 ルーミーの娘なら、それは王であるハッセの甥か姪か。

 そして、しばらく後。俺が政務に追われつつも、軍事動員の大規
模な計画を立てていた頃のこと。
 俺はルーミーにこう打ち明けれた。
﹁本当に懐妊したようですわ。つわりというのでしょうか。そうい

704
った兆候が最近ありますの⋮⋮﹂
﹁本当か? 気にしすぎで勘違いしたりしているわけではないんだ
よな?﹂
﹁あなた、これは殿方にはわからないかもしれませんが、間違いあ
りませんから。わたくしを信じてくださいませ﹂
 俺はルーミーを抱きとめて心の底から喜んだ。
 それと同時に、一つの策を思いついた。
 まだ不安定なうえに、危険も多い手だが、策は策だ。

 俺はヤーンハーンのところを訪れた。
 名目は茶式を行うため。無論、そちらも作法に則って、丁寧に行
う。俺の茶式の腕もそれなりに上がってきたと思う。
 ヤーンハーンは俺にとっての一種の政治顧問だ。とはいえ、いく
つもの方策を提示するようなことはしない。俺が、ヤーンハーンに
話し、結局は俺自身が決める。ヤーンハーンは賢者のように、それ
となくほのめかす。
 商人も将も、本質的に運否天賦の部分を避けられない。
 どれだけ計画をしても完璧ということはない。圧勝のつもりが、
流れ矢で死ぬこともある。積み荷でいっぱいの船が沈んで、途端に
多額の借金を抱えることもある。
 だからこそ、商人出身のヤーンハーンと話をしていると、自然と
腹が据わる。
 俺は茶式で出た茶を静かに飲む。腹の中に茶が流れていくのをた

705
しかに感じる。
﹁美味いな﹂
﹁それはどうも﹂
 ヤーンハーンは目を細めて笑った。
﹁戦争で使う街道の選択ででも悩んでいるのでしょうか∼? 今、
考えごとをしているとなると、それぐらいしか思い当たりませんが
∼﹂
 間延びした声でヤーンハーンは言う。わざわざそんなことを出す
ということは、それが理由だとは思ってないということだろう。
﹁ここで話すことは密談だと考えていいな?﹂
﹁言うまでもなく。商人は信用が第一ですし。茶式での言葉は外に
漏らすのは禁じられていますので﹂
 少しばかり、俺は間を開ける。
 音を殺して、間者がいないか、動きを探るのだ。できうる限り、
慎重になったほうがいい。
﹁陛下が次の遠征では総大将として戦いたいとおっしゃっている﹂
﹁そのようですねえ。古来、王とは兵を率いる者。それも道理かと﹂
 ヤーンハーンの目がもう少し大きく開く。
﹁だとしても、陛下に優秀な軍師がいないのであれば、作戦立案は
摂政がなさればよろしいかと。それで、これといって不便なことは
ないはずです。今の摂政に大切なのは、負けないことではないです
か? 何をするにしても、まずは天下を一つにしてからのはずです
よ﹂
 これは俺が国の簒奪を前提にしている発言だ。

706
﹁それなんだが、たとえば、あくまでもたとえばの話だが︱︱﹂
 俺はじぃっとヤーンハーンの瞳を見据えた。
﹁陛下が戦死しても、こちらが戦で勝てる見込みというのはどれぐ
らいあるだろう?﹂
 ヤーンハーンが唾を飲んだのがわかった。
 一呼吸置かないといけないような質問だったからだろう。
 俺はこう聞いたわけだ。
 王をこの戦で除き、かつ、戦で勝つことはできないだろうかと?
 もしも、その策が成功すれば、俺は完全にサーウィル王国を牛耳
ることになる。王は誰になろうと間違いなく幼年であり、王国統一
の立役者は健在とあらば、もう、それは必ずそうなる。
﹁私は戦争の専門家ではありませんので、細かなことまではわかり
ません。だとしても、危険が大きすぎます。それで勝てればよいで
すが、もし前王の勢力に追われるようなことにでもなれば⋮⋮﹂
 やはり、前王の支配が正しかったのではないか、そう多くの者が
考えることになるかもしれない。それほどまでにこの手は恐ろしい。
 次々に味方が前王のほうに寝返ったら、摂政である自分も終わる。
﹁しかし、首尾よく運べば、俺の権力はさらに強くなる。いや、も
っとはっきり言おう。俺より偉い者は国でいなくなる﹂
 当然、王は俺ではない者が継いでいるだろう。
 だとしても、それは死んだハッセのまだ幼い子供だ。何もできは
しない。その母方の親にも力はない。
 となれば、俺が国のすべてを差配するしかない。もし、俺がいな
ければ王国は大混乱に陥る。そんなことは誰も望まない。王国がせ
っかく一つに治まったのだ。戦争に倦んでいる者たちは、それを維

707
持しようと思う。
 それと、もう一つ、大きな切り札があった。
 むしろ、それがなければ、こんな話を真面目に考えることもなか
っただろう。
﹁ルーミーが懐妊した。俺の血と王家の血を引く子供が生まれる﹂
121 皇太子を決める
﹁ルーミーが懐妊した。俺の血と王家の血を引く子供が生まれる﹂
 俺の言葉に、ヤーンハーンも驚いたのか、思わずうつむいた。
﹁少なくとも、まだそのお子が王位につく形は整っておりませんよ
⋮⋮﹂
﹁そんなことはわかっている。ただ、王家の血がつながる可能性が
高くなったというだけのことだ﹂
 無論、ハッセの子供が全員死ねば、直系の血筋は断絶するからル
ーミーの夫、つまり妹婿の子供が王位につけるという話も出るだろ
うが、さすがに疫病でも上手い具合に流行ったりしない限り、そん

708
なことにはならないだろう。
 それに、そんなものが流行したら、俺の子供や妻だって、被害に
遭いかねない。
﹁まあ、それはそれとしてだ。陛下はいまだに戦で総大将をつとめ
るつもりでいらっしゃる。その陛下が戦死なさった時に立て直す方
策を考えるのは、必要なことだ。念には念を入れないといけないか
らな﹂
﹁そうですね⋮⋮。王が欠けたことを覆い隠せるほどの戦果があれ
ば、問題はないということになりますでしょうかね﹂
 少し、ヤーンハーンも落ち着きを取り戻してきたようだ。
﹁たとえば、前王も戦死したとなれば、今の王統に問題はないとい
うことになりませんか?﹂
 俺は、自分の顔に笑みが宿るのに気づいた。
﹁王朝共倒れか。それなら、ハッセの子供が王位について、王家は
存続するな﹂
 悪い話じゃない。当然、危険も大きいが。
 それに、こちら側だけが決めてどうこうできることじゃない。
 前王が前線に出てこなければ、討ち取ることだって不可能だ。
 しかし、前王が前線に出たくなる餌というと︱︱
 ハッセが前に出ていることか。
 ありえない話ではないな。

709
 だが、よほど上手にやらなければ俺が仕組んだように見えるとま
ずい。
 王に納得してもらうのが一番早いか。

﹁お兄様は、本当に強情ですわ⋮⋮﹂
 少しずつ身重になっている印象を受けるルーミーが俺の前で嘆い
た。
﹁王家の栄光を取り戻してみせるとそればかり⋮⋮。危険だと言っ
ても、それは理解していると⋮⋮。こういうのは理解しているとは
言いませんわ。自分に酔ってしまっているのです⋮⋮﹂
﹁ルーミー、こうも陛下にずっと逆らっていては、こちらに二心が
あると思われかねない。俺もそろそろ折れるしかないかなと思って
いる﹂
﹁えっ?﹂
 俺の言葉が予想できていなかったのか、ルーミーは不思議そうに
こちらの顔を見つめていた。
﹁そうですわね⋮⋮。あなたが総大将に出ることを王家を狙う意志
があると思っている方もいらっしゃるかもしれませんし⋮⋮﹂
 はっきりと口に出す者はいないが、そう考える者は必ずいるだろ
う。軍の大権を手にしている者は、ほかを抑え込むだけの力を持つ。
﹁とはいえ、身が危うくなることもある。そのことを説明して、ご
理解いただいたうえで、決めていただこうと思う。俺ほど、戦場で
危ない橋を渡ってきた摂政もいないからな﹂

710
﹁はい⋮⋮。どうか、心変わりをしてくれればいいのですが⋮⋮﹂
 心変わりしたならしたで、そのままやるだけだ。
 あらゆる事態を想定して、計画を立てる。

﹁義弟殿、何度言われても、私は戦争に出るつもりでいるからな!
 この伝統ある王国を復興するのに、最初から最後まで玉座にふん
ぞりかえっているわけにはいかん。この手で剣を取らなければ、後
世の者たちは私を臆病な王と嘲笑するであろう﹂
 俺のほかにも多くの臣下に諫められて、だんだんとハッセも意固
地になってきているようだ。
﹁必ずや、戦場で兵を指揮し、華々しく勝利を飾る! この混沌と
した時代に終止符を打つ!﹂
 意固地になるのもやむをえないか。危険だからやめろという反対
派と、危険なのはわかっているというハッセとの間では溝が埋まる
わけがない。水掛け論が続くだけだ。
﹁そのお気持ちの強さ、感じ入りました﹂
﹁そなたの気持ちもわかるが⋮⋮むっ、ついにわかってくれたか?﹂

﹁そこで、陛下が前線に出た場合のことを前提として、計画を練り
たいと思います。ただ、さんざんくどくど言われて耳が痛いかと存
じますが、戦場では不測の事態も生じます。その戦場をこの摂政ほ

711
ど知る者はいません。こちらの説明を聞いて、それでも構わないと
いうことであれば﹂
﹁そうか、そうか! ぜひ話を聞かせてくれ!﹂
 わかりやすいほどにハッセは喜んでいる。
 ほかの廷臣はざわついている。俺がハッセを行かせるとは考えて
もいなかったようだ。
﹁戦場での心得もそうですが、留守のほうにも気をつかわねばなり
ません。細心の注意を払ったうえでご出発くださいますよう﹂
﹁うむ! まったくそのとおりだな!﹂
﹁そこで、まずは皇太子を事前にお立てください。まだ、跡継ぎを
誰にするか、はっきりと定められてはおられませんので﹂
 俺は静かにそう言った。
﹁だが、まだ私の子供は皆、幼い。決めるにしては早すぎるのでは
?﹂
﹁戦場に出るとなれば、命を落とすことすらあるということです。
もし、陛下がお亡くなりになり、次の王になる方が誰かすら決まっ
ていなければ、王国は大混乱をきたします⋮⋮。それはお子様の身
すら損なうことにつながりかねません⋮⋮﹂
 その言葉にハッセも神妙にうなずいた。
﹁そうだな⋮⋮。義弟殿の言うとおりだ。私が死んだ途端に、国の
先行きが不明になれば、パッフスこそが王だと思う者が出てきかね
ん⋮⋮﹂
﹁そういった最悪の事態を防ぐためにも、戦場に出向かれる場合は、
必ず皇太子をお決めになられてからにしてほしいのです。そして、

712
陛下の身に何かあった際にも、すぐに皇太子が即位し、それを臣下
が支える形をとっておくようにすれば、国は簡単には傾きません﹂
 俺の言葉に感心したような声を出す臣下もいる。
 この提案自体はまっとうなものだし、直接は俺の利益になること
でもない。無用な疑いを減らすことができれば、それでいい。
﹁わかった。それでは皇太子だが、長子のアトムズにする﹂
 こうして、まだ三歳にもならない幼子のアトムズが皇太子になる
ことと決まった。
122 皇太子の儀
 皇太子の儀はおごそかに行われた。
 もっとも、皇太子本人は何が何だかわかってないようだったが。
まだ二歳だから仕方がない。
 儀式はこれまでの疲弊していた王家のものとは思えないほど、豪
華なものだった。俺が各地を平定して、税などもかつてよりは国庫
に入るようになっている。
 王のハッセとしても、俺としても、これで国家の権威を高めるこ
とができるのは悪い話ではない。王家に力があると見せつけること
が今は重要だ。
 これで、ハッセが戦場に出る可能性は一段と上がったわけだ。少
なくとも、ハッセが戦死した時の混乱は最小限に抑えられる。

713
 とはいえ、さすがにハッセを死に追いやる計画までは進んでない。
 それは事が運びそうであれば進めるというだけのこと。現状、俺
とハッセはまだ運命共同体だ。国家を統一しないことには、新しい
王朝だって開けない。
 しかし統一が終わったあとに、王家を奪うことが許されるかとい
えば、そこは難しくはある。
 国中から簒奪者だと思われれば、あらゆるところで歯向かう者が
出てくる。だとしたら、かえって厄介だ。
 ならば戦時下で王が死んだほうが、話を都合よく取り計らいやす
いという面はある。戦時下であれば、強力な指導者が必要だからだ。
 ここは先輩である職業に聞いてみようか。
 オダノブナガ、お前の場合はどうやって王を追放したんだ?
 ︱︱お前のほうから質問があるとは珍しいな。
 そのせいか、オダノブナガは少し上機嫌だ。
 ︱︱ワシの国は極めて特殊でな、いわば王は元からいて、その下
に将軍がいるのだ。その将軍が実質上は王として君臨しているとい
う形式をとっていた。
 なるほど。軍事政権ってことか。よくある話だ。
 ︱︱足利将軍はたいして独自の軍事力を持たんから、軍事政権と
いうのとも、ちょっと違うんだが、まあ、将軍が軍人の頂点に立っ

714
ているということは間違いないな。官位も軍人の中で一番高い。あ
あ、官位は権力を持ってない王のほうから授けるわけだ。
 ああ、そっか。それならその将軍より官位で上に立てば大義名分
が立つな。将軍より偉いという形になれば、従う必要がなくなる。
 ︱︱やはり、お前は頭の回転が速いな。大正解だ。だから、政権
をとる時はあまり頭を悩ませなくてよかったのだ。いずれ、自分の
ほうを朝廷は上の官位に置くだろうと思っていたからな。将軍の足
利義昭より偉くなった時点で、ワシに幕府を開く権利が生まれる。
 客観的な官位が別個にあるというのは、たしかにわかりやすくて
いい。
 自分が仕えていた者より偉くなってしまえば、もう裏切りでも何
でもなくなる。
 ︱︱もっとも、そうなる前に義昭はワシに反抗して余計なことを
何度もしおったがな⋮⋮。鬱陶しくはあったが、かといって殺して
しまえば外聞は間違いなく悪くなる。それだけは避けたかった。将
軍殺しをした奴は過去にもおったが、やはりそこから先、栄達でき
た例はない。
 このオダノブナガは破天荒なようで、その実、慎重派だ。だから
こそ、話を聞く価値がある。
 ︱︱いいか? 今こそ外聞はくどいほどに注意しろ。謀反人に手
を貸すということを、人間は無意識のうちに避けたがる。自分の側
が悪と思われることを喜んでやる奴はめったにおらん。王を降ろす
こと自体は簡単だ。問題はそこから先だ。なんだってそうだろう?
 茶碗を割るのは楽でも、掃除は時間がかかる。

715
 胸に刻んでおくよ。たしかに次の一手はよく考えて打たないとな。
 これまでは西側の前王を担ぐ勢力を滅ぼせばいいのだと、漠然と
考えていた。
 しかし、それでハッセがサーウィル王国の﹁中興の祖﹂となって
しまうと、そこから王位をもらうのは難しくなる。
 ︱︱この国にも禅譲という概念があれば楽であったのにな。もっ
とも、日本にもなかったから贅沢は言えん。
 ゼンジョウっていうのはどういうシステムだ?
 ︱︱皇帝⋮⋮まあ、王だな。王が自分の徳は足りないとして、王
にふさわしいと見込んだ者に平和裏に王の地位を譲り渡す行為だ。
建前の上ではな。たいてい、軍人が権力を持ちすぎて譲るしかなく
なる。で、譲った後はだいたいもともと王だった一族はぶち殺され
る。
 そりゃ、そんなもの放っておいたら、いつ反対勢力に担がれるか
わからないものな。
 ︱︱そういうことだ。それでも、制度として存在していると人間
が知っていれば、その制度をとることに違和感はないだろう。しか
し、このサーウィル王国だったか? そこでその前例を誰も知らな
いのでは手は使えんな。
 なるほどな。
 次はどういう策を立てたものか。
 たんに西征の軍を出すよりも必要な手があるかもしれない。幸い、

716
本拠のマウスト近辺は謀反人を倒したおかげで、今ほど平穏な時期
はない。いっそ、マウストで考えてもいいな。
 儀式の最中、俺は上の空でいろいろと思いを巡らせていた。
 王となるのに最も速い道はどれか。
 王となるのに最も確かな道はどれか。
 俺だけが王になってもしょうがない。
 俺の一族が代々、王となってこの国を継いでいける形をとらない
と、たんなる乱世の一代の梟雄で終わってしまう。それではエイル
ズ・カルティスと同じだ。
 最終的に勝たなければ、周りの者を何人も不幸にするだけになっ
てしまう。
 ふと、隣のルーミーが悲しげに兄であるハッセを見ているのがわ
かった。
 ハッセのほうは息子が皇太子になる日ということで、感極まって
涙目になっているが、それとルーミーの表情はずいぶん意味合いが
違う。
﹁どうした、ルーミー? 華々しい式典じゃないか。そんなに憂い
顔になるのはよくないぞ﹂
﹁わかっていますわ。ですが⋮⋮これでお兄様は戦場に出られるよ
うになってしまいました﹂
 結果的にルーミーの願いを守れないことになってしまったな。
﹁陛下の願いを断り続けることは摂政の立場としてできなかった。
許してくれ﹂
﹁はい。すべてはお兄様が自分で決めたことではありますわ⋮⋮。
でも、わたくし最近、だんだんと怖くなってきているのです⋮⋮﹂

717
 ルーミーは俺の横にぴたりとくっつくと、俺以外の誰にも聞こえ
ないような声で言った。
﹁あなたが⋮⋮王家など滅んでしまえばいいと思っているんじゃな
いかと⋮⋮﹂
123 正妻と側室
﹁あなたが⋮⋮王家など滅んでしまえばいいと思っているんじゃな
いかと⋮⋮﹂
 とくに驚いたりはしなかった。ずっと俺が考えていたことだった
からだ。王に仕える家臣の中にもそれを危惧している者はいくらで
もいるだろうし、王の耳に入れている者だって何人もいるだろう。
 俺がこの国で最大の軍事力を有している、その事実は揺らがない。
それは裏を返せば、俺が裏切ったら王国は今のままではいられない
ということだ。
 ことわざに、トラを飼う老人というものがある。トラが外を向い
ている間は老人は安泰だ。しかし、トラが老人のほうを襲えばひと

718
たまりもない。
 問題はそのことをルーミーが初めて俺に口に出したことだった。
 俺は妻を愛しているし、幸せにしたいと思っている。そこに誤り
はない。
 しかし、王の妹であるルーミーが王家の存続を願うなら、俺の目
的とはまったく相容れない。
 ずっと昔からわかっていたことだ。結婚が決まった時からわかっ
ていた。その時はせいぜい小娘を利用してやればいいぐらいに考え
ていたから、罪悪感みたいなものもなかった。
 でも、月日が経つにつれて、俺もルーミーを深く愛してしまって
いたし、それはきっとルーミーのほうもそうなのだ。
 すべてが幸せに収まる答えは最初からこの世界のどこにもない。
 どちらにしろ、俺は摂政という強すぎる地位に立ちすぎた。仮に
このまま衷心から王に仕えたとしても、危険視されることはありう
る。ナンバーツーとはそういうものだ。
 俺が天寿を全うできても子供たちの代になって、誅戮の憂き目に
遭うかもしれない。
 もう、引き返すことはとっくにできなくなっている。
 俺は手でルーミーをそばに寄せた。
 みんな儀式と音楽に集中しているから、会話は聞こえないだろう。
﹁めったなことを言うものじゃない。俺は摂政としてやるべきこと
をやっている。陛下もそれはご存じだ。その証拠に、一度も兵権を
取り上げようとなさったことなどない﹂

719
﹁はい、あなたは実に忠実にお兄様にお仕えなさっていますわ。わ
たくしもそこを疑ったことは一度もありません﹂
 ルーミーの声はふるえていた。
﹁ですが⋮⋮あなたが心の奥底で王家など滅んでしまえばいいと考
えているとしたら⋮⋮そう想像するととても怖いのです⋮⋮。わた
くしはどうすればよいのでしょうか⋮⋮?﹂
﹁ルーミー、あまり憂鬱でいると、おなかの子に障る。もっと明る
いことを考えろ﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮﹂
 それきり、ルーミーは黙った。これは一度、真剣に話し合うしか
ないな。
 今、王都にいると、ルーミーはかえって落ち着かないだろう。こ
こはよい機会だし、ルーミーが出産するまではマウストに戻ること
にしようか。
﹁ルーミー、王都よりはマウストのほうが気候もいい。しばらく、
あちらに戻ろう。俺もついていく﹂
﹁ですが、摂政としての政務もあるでしょうし⋮⋮﹂
﹁俺がここで摂政として活躍すれば、ルーミーはまた不安になって
しまうだろ。なら、少し暇をもらって、お前のそばにいてやる﹂
 ルーミーは俺の胸に顔を押し付けて、泣いていた。
﹁ごめんなさい。ご迷惑をおかけして⋮⋮﹂
﹁気にするな。お前の悩みに俺も寄り添えてなかった﹂
﹁これがあなたのわたくしへの愛ということもわかるんですわ。あ
なたがわたくしを愛してくれていることを疑ったことはありません。
だから、だからこそ⋮⋮わたくし、王家の娘として怖くて⋮⋮﹂

720
 もし、俺がルーミーの立場だったら、どうするのが最善なんだろ
うかと思った。
 なかなか答えは出なかった。

 俺はその夜、そのことをセラフィーナに相談した。
﹁旦那様も罪な人ね﹂
 ふふっとセラフィーナは笑った。俺の職業の効果のせいもあるの
か、俺に嫁いだ頃から容姿はまったく変わっていない。いや、むし
ろ今のほうが妖艶さが増しているかもしれない。
﹁しょうがないわ。乱世だもの。女は泣くものよ。わたしだって泣
いてきたのだし﹂
 まさにセラフィーナは実家が滅んだばかりだった。だからこそ、
セラフィーナに聞きに来たのだけれど、他人事のように明るく振る
舞っている。
﹁まだ、泣くぐらいどうということはないじゃない。男は泣くどこ
ろか、首を斬られるんだから﹂
 セラフィーナはリアリストだなと改めて思った。
﹁それはそうだけど、どうせなら自分の妻を泣かしたくはないだろ。
ルーミーは木石じゃないし、俺だって木石じゃないんだ﹂
﹁旦那様はあの子を愛しすぎてしまったのよ。もっとあっさり捨て
てしまえばよかったのに﹂
 わざと、きつい表現をセラフィーナは使った。こういう挑発っぽ
いことをセラフィーナはよく言う。

721
﹁まあ、あの子があんなに美しくなるんじゃ、愛したくなるのもわ
かるけどね﹂
﹁そう言われると、俺は何も言えなくなる。お前に聞くんじゃなか
ったな⋮⋮﹂
 こっちは真剣だったのに、すっかり茶化されてしまった。それで
気がまぎれることも多いから、腹も立たないが。セラフィーナとも
長い付き合いだ。
﹁すでにマウストに戻ることは決めているんでしょう? だったら、
それについてわたしが言うことはないもの。そして、きっと彼女も
いつか実家が滅びるのを見ることになるのよ。あなたにそんなこと
を言ったということは、あの子も鈍いようでいて、薄々感づいてい
たのよ﹂
﹁まあ、そういうことになんだろうな﹂
 事実として、どこかで割り切らないといけないことはわかってい
る。結局は気持ちの問題でしかないのだ。
﹁でも、マウストに今、戻るというのは悪いことではないかもね﹂
 セラフィーナはそこで表情を少し硬いものに変えた。
﹁何か策があるのか?﹂
﹁ここで旦那様の価値を高めてやりましょう。旦那様が王の座を狙
っていると思ってる奴らに見せつけてやるのよ。摂政アルスロッド
がいないと、この国が何もできないということを教えてやれば、頭
を下げて旦那様に戻ってきてくださいと言いに来るわ﹂
722
124 妻との友情
 そこまで言われて、セラフィーナの意図が読めた。
﹁つまり、俺がマウストに引き籠っている間に西征を王とその仲間
にやらせてしまえっていうことだな﹂
﹁もちろん、旦那様抜きでは軍の数も知れてるから、前哨戦しかで
きないし、敵のほうも何万という軍は用意して来ないと思うけど﹂
 ハッセだけで操れる王国常備軍と周辺諸侯の兵はどれだけ過大に
見積もっても、二万は超えないだろう。それもあくまでも全軍でそ
れだ。王都に一兵も残さずに進撃することはできないし、緊急事態
でもなければ、半分強の動員しかできないだろう。

723
 だとしたら、敵もそれに抗するのに足りるだけの兵しか出してこ
ない可能性は高い。敵の本拠ははるか後方なわけだし、いきなりい
ちかばちかの総力戦は挑まないはずだ。
 セラフィーナもそのあたりのことはよくわかっている。俺も間違
っているとは思わない。
﹁だからこそ、マウストから安心して見ていられるじゃない。一度
の敗戦で危急の事態になるということもないだろうし﹂
﹁そこで王国軍が連敗続きなんてことになれば、そりゃ、俺のあり
がたみがわかるだろうけどさ、もし俺抜きで王国軍が勝ち進んだら、
その時はどうするんだよ﹂
 前哨戦からハッセが苦戦続きになるという根拠はとくにない。
 敵が複数の小さな城砦で時間稼ぎに出ることだってある。後方に
中心となる軍を置き、それまでに敵の消耗を強いる時に使う手段だ。
その場合、表面上は途中までハッセ軍の連戦連勝ということになる。
 そうなると、かえってハッセに権威と権力が集まることにもなる。
 しかし、セラフィーナは落ち着いていた。
﹁それならそれでいいわ。なにせ旦那様の兵は一人も損なわないわ
けでしょう? ゆっくりと力をためておけばいいのよ。今後の計画
を練るには十分な時間がとれるわ。危険人物と思われないし、ちょ
うどよくないかしら?﹂
 なるほど。王位簒奪の志がないと見せるには悪い手ではないか。
 そして、マウストでルーミーと語り合うこともできる。
﹁ありがとう。マウストに戻るのに気持ちが前向きになった﹂

724
﹁そうよ。これは撤退ではなくて、攻勢なの﹂
 くすくすとセラフィーナは笑ったあと、俺の手をとった。
﹁今夜は帰らないで。正妻が身重な間はわたしが正妻代理よ﹂
 妖艶な挑発するような目が俺に向けられる。
﹁わかった。元正妻を愛することにするよ﹂
 俺はセラフィーナを自分のほうに引き寄せた。俺に身を任せた時
のセラフィーナは驚くほどに軽い。
 そのまま二人でベッドに入った。今日のセラフィーナは俺の肩に
少し爪を立ててくる。飼い猫がじゃれているようだと思った。
﹁古来、王以上の権力を持ちながら失脚した人間はいくらでもいる
わ。ここからが大事なところよ。誰もが旦那様を注視しているわ﹂
﹁そうだな。俺はとにかく牙の生えてないトラだということをアピ
ールしないといけない。暗殺だっていつも気をつかってる﹂
﹁西方作戦がどうなるかわからない間に暗殺しようってバカはいな
いと思うけどね。ただし、前王の息がかかってる暗殺者は除くけど﹂
 俺もセラフィーナと同じことを考えていた。仮にハッセの周辺人
物が俺を恐れても、まだ俺を殺すことはできない。そんなことをす
れば、前王派が勢いを盛り返す。
﹁旦那様は、自分の協力者を増やす準備をしておけばいいわ。マチ
ャール辺境伯サイトレッドの妹も妻にしたでしょう? ずいぶんと
奔放な子みたいだけど﹂
﹁タルシャだな。あいつは根っからの武人だ。北方人の性質なのか、
血の気が多い﹂
 捕虜にしたようなものだったけれど、やけに息があって、軍団の
一つを担当させてもいいぐらいだ。その程度には俺も信任している。

725
﹁ああいった勢力をしっかりと抱き込みなさい。そしたら、最悪、
王家を奪うことはできなくても、そちらに独立国を作れる。前王派
と今の王がつぶしあって疲弊しちゃえば、新国家を打倒する力は残
ってはいないわよ﹂
 本当にセラフィーナはぺらぺらと構想を口にする。とても閨房の
話じゃないなと俺は苦笑する。
﹁もうちょっと、ベッドの上では艶っぽい話題にできないものか﹂
﹁私は覇王の妻になりたいのよ。その夢は今だって何も変わってな
い。いいえ、むしろ、夢が近付いてきて、わくわくしているぐらい﹂
 ぎゅっとセラフィーナは俺に抱き着く力を強めた。
 俺もそれに合わせて、腕に力を込める。
 でも、多くのことを語るセラフィーナがまだ口にしてない話題が
あった。
 このまま話さないのもいいかと考えたが、それは不誠実な気がし
た。政治のことをセラフィーナに隠したことはない。
﹁ルーミーに子供が生まれたら、セラフィーナの子供を王にするの
は、難しくなるかもしれない﹂
 数年先の政治状況はわからない。俺すらわからないのだから、国
民のほぼすべてはさっぱり読めないだろう。だから、そんな未来を
語るのはあまり建設的ではないかもしれないが︱︱
 もしも俺が王家を簒奪した時、王だったハッセ一世の妹婿という
立場をとる可能性はかなり高い。
 ルーミーの子供は王家の血を間違いなく引いている。セラフィー
ナとの間の長男よりも、はるかに説得力のある後継者になる。

726
﹁痛いところを突かれたわね﹂
 セラフィーナは寂しそうに笑った。ただ、その様子はどことなく、
本気ではないようにも見えた。
﹁私もね、本音を言えば、自分の息子を王にしてあげたいわよ。で
も、そんな革命が成り立つと考えるほど、お人よしでもないのよね。
いっそ、もっとわがままで周りが見えない性格だったらよかったん
だけど﹂
﹁すまない。嫌な話かもしれないけど、セラフィーナにはすべて話
しておきたかったんだ﹂
﹁かまわないわ。その代わり、私はこれからも旦那様のすぐそばで
覇業をずっと見続けておくからね。ルーミーやラヴィアラさんより
ももっと近くで﹂
 俺はセラフィーナとの間に、友情のようなものをずっと感じてい
る。それはこれからも変わらないだろう。
727
125 帰郷の打診
 俺はハッセのところに出向いて、居城であるマウストに戻りたい
旨を告げた。
 ハッセだけでなく、その近臣たちももざわついている。摂政とい
う肩書とはいえ、国家を支える将軍が王都を留守にしたいと言って
いるわけだ。しかも、征西の話が本格化しようというこの時に。
﹁義弟殿。ど、どうして⋮⋮こんな時期にマウストに行かねばなら
んのだ⋮⋮? 何か不満に思うことでもあったのか⋮⋮?﹂
 ハッセも不安を隠しきれないようだった。この様子だと、ルーミ
ーは何もハッセには告げていないのだろう。
 やはりルーミーは俺を心から愛してくれているとわかった。

728
 俺に逆心ありとハッセに告げ口することだってできたし、そうで
なくても、マウスト帰還の予定ありと伝えるぐらいのことはできた。
 そういったことを何もしていないということは、あくまでも俺の
妻として従ってくれているということだ。
 乱世に不似合いなほどに、いや、俺に不似合いなほどにルーミー
は貞淑な妻だ。
 だからこそ、ルーミーを幸せにできるように、俺も全力を尽くし
たい。
﹁理由は簡便でございます。我が妻が懐妊いたしております。そし
て、気候的にマウストは川からの風が吹き、ずっと王都よりも温暖
な土地です﹂
 こんな時、自分から理由を聞いてしまうあたりハッセは王として
甘い。言い訳のための理由などいくらでもこしらえられる。結局は
自分が安心できるということ以上のものは得られない。
﹁それに、今の王都は征西を前にして、どうしても殺伐としており
ます。そんなところに我が妻を置いておけば、心も落ち着かず、母
子ともに決してよいことにはなりません。今は静かなマウストに連
れて帰りたい、そのそばで見守ってやりたいのです﹂
 この言葉にはわずかばかりの作り事もない。ルーミーのためを思
えば、俺はこの王都から離れないといけない。戦争のことなど頭に
のぼらない土地で過ごすこと、それこそルーミーが思い煩わない最
善の策だ。
﹁そ、そうか⋮⋮。ルーミーは体が丈夫なほうでもないしなあ⋮⋮。
義弟殿の気持ちもよくわかる⋮⋮﹂
 実の妹の体調を心配されれば、ハッセも強くは出られないだろう。

729
﹁しかし、征西の日取りも決めねばならないのに、義弟殿が王都に
いないのは不便であるな⋮⋮﹂
﹁それならば、前々からおっしゃられていたとおり、陛下が先頭に
立ち、指揮をとられるのがよいかと。王家の本格的な再興のために
も、ぜひとも兵をお進めくださいませ﹂
 ハッセが参戦希望をずっと言っていたのはここにいる誰もが知っ
ている。
 これで断ることはもうできないはずだ。
﹁我が身は陛下の臣下であるにもかかわらず、戦場に出すぎたため
に、信が置けないと一部の方から疑れておるようです。古来、軍人
が反乱を起こしたことは数知れず⋮⋮。となると、その疑いも筋は
通っております。そこで私が疑いを晴らすには戦地に出ずに謹んで
おくのがよいかと判断いたしました﹂
 一部の近臣の表情が青ざめていた。このせいでハッセから責めら
れたらどうしようとでも考えているのだろう。どうやら、俺のほう
から戦場に出るのを辞退して、ましてマウストに閉塞するとまでは
読めていなかったようだ。
﹁それは⋮⋮一般論だ⋮⋮。王である私も含め、義弟殿が裏切るだ
などと本気で信じてはいない⋮⋮﹂
﹁それは無論です。しかし、摂政という地位はあまりにも力が強す
ぎますから、ほかの方から専横に見える部分もあったやもしれませ
ん。その反省のためにも、マウストに少しばかり戻るのも悪くない
かと思い至りました。幸い、官僚層は前王の時代よりはるかに充実
しております。摂政一人が欠けたところで、政務が滞ることなどあ
りません﹂

730
 俺のほうは絶対に譲らない。まさか、これでマウストに戻ったら
謀反だなどと言い出す奴はいない。俺に向けて兵を王都から出せば、
前王の側は笑いが止まらないからだ。
 そうなれば、最悪、俺が前王と結ぶ危険すら出てきてしまう。征
西前から分裂するような真似はどんなに俺が嫌いな奴でも選べない。
﹁わかった⋮⋮。考えてみればルーミーの身の上がなにより気がか
りだ。ただでさえ修道院育ちで争いと無縁の妹が、今の王都にいる
ことはあまりよいことではないな⋮⋮。マウストへの帰国を許可す
る⋮⋮﹂
﹁はっ。ありがとうございます!﹂
 この様子だと、俺を遠ざけろと進言した近臣を、ハッセは遠ざけ
るだろうな。ここで俺がマウストに戻ってしまうのは軍事力として
は後退になる。その責任をハッセはとらせるだろう。
﹁言うまでもないことですが、もしも王家に危機があれば、すぐに
お呼びつけください。加勢いたします﹂
 俺は頭を下げながら、そうっと笑っていた。
 ハッセ、お前だけでどこまでやれるかせいぜい試してみてくれ。
 この戦いはお前の王家の威厳を取り戻すものでもあるが︱︱
 失敗すれば、その威厳をまったく喪失するものでもあるんだ。
 王家に対する信任が減れば減るほど、俺の株は自動的に上がる。
お前が王としてはふさわしくないと近臣たちまで考えだしたら、い
よいよサーウィル王国は終わりだ。

731
 ︱︱ふん。足利義昭が幕府を再興できなかったように、この男も
何もできんさ。戦争を知らない者が伝統だけで認められるような平
和な時代ではないのだ。
 俺の職業は早々とハッセの失敗を予言していた。
 まあ、ハッセが勝つならそれはそれでいいさ。いずれ戦わないと
いけない前王派がそれだけ弱くなる。俺にとってマイナスだけとい
うわけでもない。
 どのみち、マウストでもやるべきことはある。
 エイルズ・カルティスやブランド・ナーハムといった謀反人たち
を倒して、俺の直轄地も増えてるしな。その経営を本格化させてお
きたい。それと、遠隔地のほかの領主たちとも仲良くなっておくに
越したことはない。王都ではやりづらいそんな政策もマウストから
なら、容易にできる。
 とくにマチャール辺境伯とは、改めて厚誼を結べないか打診して
みよう。
 使えるカードはとことん増やしておく。
﹁マウストの地から、王が将軍として活躍することを祈っておきま
す。サーウィル王国に幸いあれ!﹂
 思って思いないことを俺は高らかに言った。
732
126 マウストへ向けて出発
 俺は自分の家臣団をそっくりそのままマウストに移動させること
にした。
 王国の官僚は形式上は国に仕える者たちなので、王都を動くこと
はできないが、多くは俺の家臣も同然の者たちなので、王都を離れ
てもその情報は逐一手に入る。
 ちなみに俺が王都を離れる数日前に、ハッセが近臣数名を解任し
た。全員、俺が裏切る可能性があるなどとして警鐘を鳴らしていた
者たちだ。
 だが、俺がマウストに戻ることで王国の軍事力の後退は避けられ
ず、その責任を取らされて、失脚した形だ。
 俺としては、敵の数が減ったことと違いはないから、悪い話じゃ

733
ない。
 たしかに、俺の軍団が抜けると、王都の軍人の数はかなり寂しい
陣容になってしまった。数もさることながら、長らく戦ってきたの
は俺だけなので、活躍してきた将の大半も俺の家臣というわけだ。
 それがいなくなるのだから、王都に詰めているのは王の常備軍ぐ
らいしかいない。戦争時には周辺の領主から兵を募るだろうが、ど
ちらにしろ、猛将などはそんなところにはいない。
﹁王都から離れていくと、空気が美味く感じるな﹂
 俺は隣を馬で随従しているラヴィアラに軽口を叩いた。
﹁感じるというより、本当においしいんですよ。というか、王都の
空気はほこりっぽくてひどいものです。マウストもアウェイユの森
と比べたら、たいしたことはないですけどね﹂
﹁そうか。エルフからすると、そんなによくわかるものなんだな⋮
⋮﹂
 これは聞く相手を間違えたかもしれない。
﹁今後、王国はどのように展開すると思いですか?﹂
 今度はラヴィアラの逆側にいるケララが俺に尋ねてきた。
﹁むしろ、ケララはどう考える? お前の考えが聞きたい﹂
 ケララは小さく一礼してから、
﹁征西をまったく行わないということは不可能でしょうから、出兵
はするでしょう。規模のほうはまだなんともわかりませんが⋮⋮小
さなものとはいえ、敗北を認めたくはないでしょうから、それなり
の人員を用意しようとはするかと⋮⋮﹂

734
﹁だろうな。だから、しばらくは王都は表面上は静かだ。西側の領
主がどれぐらい前王の与党か慎重に見極めようとするだろう﹂
 今、形式的にはサーウィル王国はハッセが当然、王を名乗ってい
る。そして、反乱軍が西側に盤踞しているということになっている。
 だが、それは王都側からの視点であって、前王のパッフス六世は
あくまでも自分が王であり、西側に遷都したと主張している。
 内心でどう思っているかは知らないが、そう言わなければ周囲の
領主に兵を興させて、ハッセと対決する理由がなくなってしまう。
 だから、正確には王国領土の中に、王を名乗る者が二人いる状態
になっているわけだ。
 そして西側の領主たちは前王を担ぐことでおおかた同意している。
少なくとも、俺の軍門に降る気はないはずだ。
 となると、どちらが先に仕掛けるかの話になってくる。
 一言で言えば、勝利の確信がなければ前王のほうは王都のほうに
は攻め込んでこない。東に行けばそれだけ勢力はハッセが有利にな
るし、兵糧も多くかかる。
 その代わり、王都から攻めてきた軍が奥地に来れば来るほど西側
の領主は地の利を生かして迎撃がしやすくなる
 。向こうの策略としては、ほどよくハッセの王都の軍勢を伸びす
ぎた状態にさせて、引き返せなくしたうえで、奇襲などを踏まえて
殲滅することでも狙っているだろう。
 そうやってハッセの軍が壊滅すれば、前王になびく領主も増えて、
勢力図が塗り替わる。
﹁前王も大博打に出られるような肝の据わった人間じゃない。最低
でも王都のほうでも俺が軍を動かすことが前提になってたから、予
定が変わっただろう。しばらくにらみ合いが長引く﹂

735
﹁その間にやれることはやっておきたいですね!﹂
 元気よくラヴィアラが言った。
﹁これまで直接支配ができてなかった土地もしっかりと手綱を握っ
ておきましょう! そしたら今の王も前王も怖くないです!﹂
﹁もちろん、やるべきことはやるつもりだ。そのための帰還だから
な。いや、そのためだけってわけじゃないが⋮⋮。ルーミーにはゆ
っくり休んでもらいたい﹂
 ルーミーは揺れの少ない馬車の中で侍女とともに過ごしている。
 今、マウストに向かうことに複雑な気持ちでいるだろう。その気
持ちをほぐせるのは俺だけだ。
 マウストに着いたら、ルーミーと話し合おう。
 ずっとルーミーをだまし続けることはもうしたくない。
 もっとも、それでルーミーが離縁する、反逆者として訴えるなど
と言ってきたら、俺は︱︱
﹁アルスロッド様、場合によってはラヴィアラが嫌な仕事は片付け
ますから﹂
 真面目な顔でラヴィアラは言った。
﹁きれいごとだけでここまでやってきたわけじゃありませんから。
これまで、アルスロッド様に立ちはだかる女性はほとんどいません
でしたが︱︱﹂
﹁ラヴィアラ、それ以上は言わなくていい﹂
 俺は厳しい顔で、ラヴィアラを制した。
﹁すいません⋮⋮。出すぎた真似をしました⋮⋮﹂
﹁いや、ラヴィアラの気持ちはわかる。覇王っていうのは、きっと

736
その国で一番人を殺した人間だからな﹂
 最低でも、ルーミーが暴れたりすれば、それ相応の措置はとらな
いといけなくなる。
 でも、このまま国家簒奪の意図がないとルーミーに思い込ませる
のは難しいだろう。もう、ルーミーもその危惧を無視できなくなっ
てきている。
﹁妻のことは、夫がどうにかする。そうでなければ、それこそ、そ
んな腑抜けな夫、離縁されて当然だ﹂
 こんなこと、この百年間で無数に起こってきたことのはずだ。つ
まり、何人もの男も女も経験してきたことだ。俺だってこれを乗り
越えてみせる。
﹁閣下、どうか、天下の大業と色恋を天秤にかけたりなさいません
ように﹂
 ケララにまで釘を刺されてしまった。
﹁虚実入り乱れる世界だからこそ、こういう時は誠実になったほう
がいいんだ﹂
737
126 マウストへ向けて出発︵後書き︶
2巻発売が決定いたしました! 発売月はもう少し経ってから発表
しますが、極端に先にはならないです!
738
127 正妻との真剣勝負
 マウスト城に俺が入ると、すぐに周辺の領主が慶賀の使節を遣わ
してきた。
 連中は﹁折衝閣下のご正室のご懐妊、誠におめでたい限りです﹂
と言った。
 ずいぶん話が広まるのが早いなと思ったが、どこの領主だって生
き残るのに必死なのだ。王都に担当者の一人でも置いているだろう
し、王国最大の権力者を寿ぎに来るのも当然んことだ。
 そういった使節にルーミーは笑顔で応対していた。俺は体に障る
から休んでいろと言ったのだが、
﹁使節の方とお会いするのも妻のつとめですわ﹂

739
 と言って折れなかった。こういう気丈なところは案外、セラフィ
ーナに似ていると思う。
 というか、俺の妻はみんなタイプは違っても、気は強い者ばかり
だな。もしかすると、自然と俺はそういう女に惹かれるのかもしれ
ない。
 川のそばの居城に戻ったといっても、仕事がなくなるわけじゃな
い。むしろ、久しぶりに居城に戻ったからこそ、業務は多かった。
 修道女など女子の任免に関しては、フルールに業務の一部を任せ
ていた。フルールは妻というより吏僚といったほうが近いかもしれ
ない。冷静に仕事を淡々とこなしていく。その事務能力はとても高
いはずなのに、ほとんどしんどそうな顔をしない。
 仕事の関係上、フルールとは同室でそれぞれ政務をとることもあ
る。その日もお互いに領内用の書類を作っていた。
﹁摂政様、そろそろマウスト城のほうにご正室の家政機関を置いて
もよいかもしれませんが﹂
 わずかな休憩時間中、俺がお茶を飲んでいると、フルールが言っ
た。
 王や大領主の正室、跡継ぎといった立場の人間は、自分を頂点と
したいわば小政府を作る権限がある。個人が所有する土地や権利を
持つ寺院などの管理を行わないといけないからだ。
 ルーミーも王妹という立場だから、俺とは別に自分の所領を持っ
ている。ただ、今まではほかの官僚や俺の部下の力を借りたりしつ
つ、自分一人で対応していた。

740
 しかし、身重になってくれば、それだって難しくなるだろう。と
なれば、しっかりとした家政機関を作って、そこで事務処理を行っ
たほうがいい。フルールはそのことを言っているのだ。
﹁そうだな。ただ、その前に俺が妻に直接話そうと思う﹂
 マウスト城に帰還して数日、ルーミーと二人きりになれてはいな
い。
 仕事がたまっているというのも事実だが、それを理由にしてお互
いに会うのを先延ばしにしているようなところもあったかもしれな
い。
 もっとも、ばたばたとした状態のまま、ルーミーと相対するわけ
にいかないのだけれど。
﹁ご正室は心が清らかすぎて、苦労なさっているようですね﹂
﹁それではまるでフルールの心が濁っているようではないか﹂
﹁少なくとも、自分は摂政様の側室となった時、これで我が家は存
続できるかもしれないと安堵いたしました。家のことを真っ先に考
えたのです﹂
 自嘲気味にフルールは笑った。
﹁フルールの魂胆がどうだろうと、お前は俺に尽くしてくれたし、
俺はフルールのことが大好きだけどな。最初の夜、手を交わしたこ
とはいまだに記憶にあるぞ﹂
 あの時、フルールが幸せそうに微笑んでいたのだって、忘れては
いない。俺は記憶力がいいんだ。なんでもオダノブナガも一度聞い
たことはたいてい忘れなかったという。本人が言っているので、ど
こまで本当かはわからないが。
﹁昼間からそういったお話はよくありませんよ﹂

741
 ふふふっとフルールは口を押さえて笑う。
 こんな軽口が叩けるぐらいには、俺とフルールの距離は近い。
 ルーミーともこんな関係になれたらいいのだけど、フルールとル
ーミーではあまりにも立場が違うか。滅亡寸前の領主の娘と、傾い
ているとはいえ王の妹。求めるものが同じわけがない。
﹁今夜、ルーミーと話をしたいと思う。出産が近づけば、ルーミー
も余計に疲れるだろうから﹂
﹁それがいいでしょうね﹂
 事務的な表情でルーミーはうなずいた。

 その夜、俺は正装して、ルーミーのもとを訪れた。
 つまり、妻の部屋に入るというより、王妹のところに参上したと
いう体だ。正装だから、帯剣もしている。
﹁あなた、やけに今日はものものしいですわね﹂
 寂しげに笑いながら、ルーミーは俺を迎え入れた。
 侍女も人払いされているから、部屋には二人しかいない。
﹁ルーミー、今日はとても大切な話があるんだ。どうか、心して聞
いてほしい﹂
﹁わかりましたわ。お聞かせくださいませ﹂
 俺たちは互いにテーブルをはさんで座った。
﹁俺はこの国を真に平和なものに変えたいと望んでいる。それも一
年や二年ではなく、何百年も続くような平和だ﹂

742
﹁ご立派なお考えですわ﹂
 ルーミーにはまさに王族の風格があった。それは長らく、この国
を統べる立場にいた者の血がなせるものだと思った。今の王より、
よほど王らしい。
﹁それを実現するために、俺はルーミーの子供に王位についてもら
いたいと考えている﹂
 俺はじっと妻の瞳を見つめて言った。
 妻もその目をそらしたりはしなかった。
﹁それは、新しい王朝を開くということでしょうか?﹂
﹁俺を超える力を持つ者はサーウィル王国にいない。俺がこの国の
頂点に立って、新しい王朝を開く。平和のために。これにはルーミ
ーの協力が必要なんだ﹂
﹁どう聞いても、それは謀反に聞こえますわよ﹂
﹁謀反じゃないさ。俺がこの国を統一すればいいだけのことだ﹂
 なおも、俺たちはじっと見つめあったままでいた。
 目をそらしたほうが負け、そんな気がした。
﹁それでは、お兄様はきっとろくな目には遭わないのでしょうね﹂
﹁俺は妻の幸せのために戦いたいんだ。義理の兄の幸せの優先順位
は妻より下がる﹂
﹁で、では、もしも⋮⋮﹂
 そこでルーミーはついに視線をそらした。
 その目に涙がたまっていた。
﹁もしも、わたくしがこのことをお兄様に報告すると言ったらどう

743
するのですか? そしたら⋮⋮あなたはわたくしを殺すしかなくな
りますわ⋮⋮。妻の幸せのためと言っていたあなたは、とんだウソ
つきに⋮⋮なりますわよ⋮⋮?﹂
﹁その仮定に意味はないな。俺の妻は兄より夫のほうを愛している、
そう確信があるからな﹂
 俺は立ち上がって、ルーミーを後ろから抱き締めた。
﹁俺の妻は俺の幸せを願ってくれてる、だから利害は一致してる。
そうだろ?﹂
 ルーミーは俺の胸に顔をうずめて、長い間泣いていた。
﹁あなたのことをもっと憎んでいれば、歴史も変わったかもしれま
せんのに⋮⋮﹂
﹁王を産んでくれ、ルーミー﹂
128 気力のやりどころ
 その日、ルーミーと話し合ったことで、わだかまりはすべて解消
した。
 もちろん、ルーミーの中から悩みが払拭されたわけではないだろ
う。何かあるごとに苦しむこともあるだろう。それでも、ルーミー
は道を選んだ。
 俺についてくると誓ってくれた。
 もっとも、後日、セラフィーナ、ラヴィアラ、それにフルールが
揃っているところに呼び出されたが。
﹁アルスロッド様、ルーミーさんからお聞きしましたが、今回のこ
とは軽率ですよ。結局、ルーミーさんが言うことを聞いてくれなか
ったらどうするつもりだったんですか!﹂

744
 セラフィーナも表情からして似た思いを抱いているようだ。俺の
やり口が正面突破に近いものだったからだろう。
﹁どうもしないさ。その場合は王に釈明でもしないといけなかった
だろうな。まあ、ルーミーを幽閉ぐらいはしても、どうせ、そこま
ですれば情報は伝わるだろうし結果は同じだな。なら、幽閉もせず
に王都に帰らせたほうがマシか﹂
﹁旦那様、まさか本当に善後策をまともに講じていなかったの⋮⋮
?﹂
 セラフィーナもあきれた顔をしている。
 一方で、フルールは無言で涼しい顔をしていた。俺が何をするか
わかっていたんだろう。
﹁逆だよ。俺が軽率なほどにありのままを話したから、ルーミーは
俺と添い遂げる覚悟を決めてくれたんだ﹂
 もし、自分が愛さなければ、この男は破滅するかもしれない︱︱
そう思わせた時点で俺の勝ちだ。
 ラヴィアラは苦笑いを浮かべて、﹁それは反則ですよ﹂と言った。
どうやら理解を示してくれたらしい。
﹁ほんとに⋮⋮。何人も妻がいるくせに、よくそんなに愛されてい
る自信があるわね⋮⋮﹂
 額を押さえて、セラフィーナはわざとらしく嘆息した。こちらも
納得はしてくれたようだ。
﹁もっとも、摂政様は謀反を訴えられたら訴えられたで、前王とよ
しみを結んで、王都を挟撃するぐらいのことはしたと思いますが。

745
その場合、王都はあっさりと陥落したと思いますよ。そこから先の
展開はややこしいですが、前王を打倒するぐらいのことはできるで
しょうし﹂
 フルールが俺の弁護をしてくれた。
 おおかた、それで合っている。
 ルーミーにすべてを委ねたようだけど、実のところ、マウスト城
に戻った時点で勝算はいくらでもあった。
 仮にルーミーから謀反人と訴えられても、俺は前王を担ぐ側に乗
り換えることで、のうのうと戦争を続けて、ハッセを容赦なく追い
出した。
 もちろん、それは俺の当初の構想からずれはする。最善とは言い
がたい。でも最悪というほどじゃない。選ぶ価値が十二分にある道
だ。
 そして、なにより最終的にはルーミーの意志を尊重できた。
 あとは俺がルーミーをほかの妻同様、幸せにできるように全力を
尽くせばいいだけだ。
﹁改めて考えてみれば、アルスロッド様は戦場でも無茶をするのが
習慣になっていましたもんね。それが戦場以外の場所で発揮された
だけと思えば、よくわかります﹂
﹁ラヴィアラ、ご理解ありがとう。やっぱり、乳母子だけあるな﹂
﹁褒めてはいませんよ。あきれているんですからね﹂
 でも、たしかに俺は堅実すぎる策より、少しリスクのあるものを
選ぶところがあるかもしれない。
 とはいえ、完全に安心な方法など、この戦乱の時代にどこにもな
いのだが。何もせずに、田舎で逼塞していても戦死の危機は常にあ

746
った。
 どこかで勝負に出る必要はあって、あとはその勝負で勝てる確率
を高くしていくことしかできない。事前に勝利が確定してから戦う
というわけにはいかない。
﹁わたしとしては、あの子が正妻を下りてくれても、それはそれで
面白いかもと考えなくもなかったけど、そうはいかなかったわね﹂
 いたずらっぽく、セラフィーナが言った。それ、何割かは本心だ
ろう。
﹁妻同士、仲良くやってくれよ﹂
﹁わかってるわよ。でも旦那様がわたしやほかの奥さんばかり愛し
てしまうと、正妻様がまた心変わりするかもしれないし、難しいと
ころね﹂
 こうなると、セラフィーナの言いたい放題だ。
﹁昨夜なんて、わたしのところに来たあとに、ラヴィアラさんのと
ころに言って、最後はフルールさんの部屋を訪れたようじゃない。
英雄色を好むとは言うけれど、贅沢が過ぎるんじゃない?﹂
 その言葉にラヴィアラとフルールが顔を赤らめた。それはそうだ。
わざわざ人がいる前で話すことじゃない。
﹁ラヴィアラのあとにフルールさんのところにまで行ってらしたん
ですね⋮⋮。アルスロッド様、げ、元気すぎます⋮⋮﹂
﹁たまたまだ⋮⋮。俺も胸のつかえがとれて、そういう気分になる
日もあったんだよ⋮⋮。それに、王都と違って自分の城なら気も楽
だし⋮⋮﹂
 もっとも、さすがにその時はやけにたかぶっている時ではあった。
 戦場から遠ざかったところに身を置いている分、気力が妙なとこ

747
ろにまわるらしい。政務をとっていても、落ち着かないと感じるこ
とがあるぐらいだった。

 翌日もケララを自室に呼んで、新たな直轄地の支配について、具
体的な話をした。
 俺自身の動員兵力は過去最大のものになっていた。軍団も追加で
作らないといけないほどだ。
 そのポストに誰を配置するかといったこともケララと話し合った。
ケララは将と吏僚の間にあたるような存在なので適任なのだ。
﹁カルティス家に長らく仕えていたこの人物を登用するのが、やは
りよいかと。カルティス家と関わりがなかった方を配置しても部下
がどこまで動いてくれるかわかりませんので﹂
﹁そうだな。まだカルティス家の時代をここの連中は引きずってい
るだろうしな。そこは遺臣を丁重に扱うのがいいか﹂
﹁さて、一段落いたしましたね﹂
 ケララとしては仕事が終わったつもりだったようだが、俺のほう
は違った。
﹁あの、ケララ、悪いんだが、体のほうもお願いしていいかな⋮⋮﹂
 うつむきながら、ケララは﹁御意のままに⋮⋮﹂と言った。
 そのうち、この気持ちも静まるだろう⋮⋮。
 事が終わったあと、ケララがいつもの堅苦しい表情で言った。
﹁それと、摂政閣下、北方問題の件ですが﹂
﹁ああ、それも話し合わないといけないな。また別に時間を設ける
つもりだったんだが︱︱ちょうどいいか﹂

748
128 気力のやりどころ︵後書き︶
現在、GAノベル2巻の作業中です! お待ちください!
749
129 新しい辺境伯
 俺はケララと﹁北方問題﹂について話し合った。
﹁︱︱というわけだが、ケララ、お前はどう思う?﹂
﹁あっ、はい⋮⋮﹂
 どうも、照れたようにケララは視線をそらした。
﹁その⋮⋮夜伽のあとに、すぐに政務に切り替えられるというのは、
さすがですね⋮⋮﹂
 そういう反応を改めてされるとこちらも気恥ずかしくなる。
﹁お前なあ⋮⋮そもそもこの議題を夜伽のあとに持ち出してきたの
はお前のほうだぞ。先に切り替えたのはお前だ。責任を俺になすり
つけるな﹂

750
 もともと、北方についての話は違う機会にする予定だった。いく
ら俺だって、政治の話の合間に愛人との情事をはさんだりはしない。
それはものの順序を著しく逸脱している。
﹁いえ⋮⋮あくまでも私は直轄地についての話が終わった次に、こ
の話をしようと思っていたんです。そこに、摂政閣下が体のほうを
お求めになられたので⋮⋮﹂
 ずいぶんとケララは赤面している。どうも、以前よりもケララは
女らしくなったというか、純粋に感情が豊かになってきた気がする。
 もしかして、それだけ俺に惚れてくれたということだろうか。そ
れはそれで男として悪い気はしないが。
﹁わかった。俺の負けだ。だから、話を元に戻させてくれ﹂
 俺は笑って言った。
﹁それで、この計画を聞いて思うところはあるか? お前の率直な
意見を聞きたい﹂
 大きく物事を動かす時は、信頼のできる少数の意見を確認すれば
事足りる。
 つまらない者は事が動くこと自体を恐れて、まともな判断が下せ
なくなる。また、定見のない者は単純に多数派のほうに流れてしま
う。
﹁悪くないかと思います。向こうがよほど強情でなければの話です
が﹂
 ケララはまた重臣の表情になっている。やはり、ケララこそよほ
ど切り替えが早い。
﹁そうだな。すべては相手のある話だ。しかし、今のうちに北方を

751
完全に掌握しておくに越したことはない。選択肢が大きく増えるか
らな﹂
 ハッセが征西でどんな結果を出そうが、俺が北方まで支配してし
まえば、国は作れる。もはや、サーウィル王国の摂政という地位す
ら必要ではなくなる。
﹁ありがとう。ここから先はタルシャを呼んで話を詰めていく。お
前のお墨付きももらったし、当事者に計画を話そう﹂
 だが、タルシャという名前を聞いて、ケララはわずかに眉をひそ
めた。
﹁まさかと思いますが、また夜伽ですか⋮⋮?﹂
﹁違う! もう、そちらのほうは十分に満足した。⋮⋮とはいえ、
タルシャのほうがどう思うかはよくわからない⋮⋮﹂
 俺はタルシャの性情を思い浮かべた。
 何事も貪欲で精強で、王都の人間が想像する通りの勇ましい北方
人をそのまま型に流し込んで作ったような女だ。
 ただ、王都の人間が考える北方人と一つだけ違うところがある。
北方人は野蛮ではない。むしろ、誇りを王都の人間よりはるかに大
切にする。
 もっとも、これだけ権力者がころころ変わった王都で誇りを元に
筋を通していれば、そいつはどこかで滅んだだろうから、結局は土
地柄の問題なのかもしれないが。
 そして、俺の部屋に入ってきたタルシャはすぐにこちらに迫って
きた。
﹁気持ちを静めないと政務の話もできそうにない⋮⋮。アルスロッ
ド、頼む⋮⋮﹂
 この女は異常なほどに情熱的だ。まさしく、一族の血を正しく受

752
け継いでいる。
﹁わかった。お前が話を聞いてくれないとどうしようもないからな。
気が済むまでやってくれ﹂
 俺はタルシャと長々と愛し合った。
 いっそ、これでタルシャに俺の子ができてくれれば、戦略はいい
ように運ぶが、それはどちらでもいい。
﹁それで我への話とは何だ?﹂
 ベッドの中で、鼻と鼻がくっつきそうな距離で、タルシャが尋ね
てくる。仮に密偵が紛れ込んでいても、こんなところで密談をして
いるとは思われないだろう。
﹁タルシャ、お前の父親であるマチャール辺境伯サイトレッドに、
辺境伯をお前に譲れと通達を出した。いや、むしろ譲ったという通
達だな﹂
 俺は小さく、首を横に振った。
﹁サーウィル王国の人事としては、すでにお前をマチャール辺境伯
に任命した。タルシャ・マチャール、お前が現時点のマチャール辺
境伯だ﹂
﹁また、ずいぶんと突然の話だが、吉報はどこで聞いてもよいもの
だな﹂
 タルシャはいかにも英傑といった表情で凛々しく笑った。間違い
なく、王都の貴婦人が浮かべる態度ではない。この女は生まれなが
らにして軍人だ。
﹁しかし、前にも話したとおり、父親は素直に我に地位を明け渡し
てくれるとは思えんぞ。父親は乱暴だが、自分の力で土地を守って
きたという自負がある。それに女である我をどこかで軽んじている

753
面もある﹂
﹁わかっている。だから、お前の力で奪い取れ。前からの約束どお
り兵は貸す。いや︱︱俺も向かう﹂
 にやりと俺は笑って、タルシャを胸にかき抱いた。
﹁マウストに戻ったことで、俺も時間が取れるようになった。助っ
人ぐらいはできるさ。それなら親父を追い出すぐらい、すぐにでき
る﹂
﹁そうか。我のためにそこまでしてくれるか﹂
 タルシャのほうも笑いながら、俺に抱きついてくる。
﹁我は史上最強の、いや、史上最高の名君のマチャール辺境伯とな
る! それを今ここで誓おう! 我にとっては今の父親の土地では
狭すぎる!﹂
﹁そうだ。もっともっと広げてもらわないと困る﹂
 タルシャにはシンゲンという職業が宿っている。
 それは土地を守って汲々とするような者の職業ではないはずだ。
﹁北方は丸ごと全部お前が支配するつもりでいろ。それで、俺が信
頼できると思ったら、俺に兵を貸せ。一緒に天下も取るぞ。ダメだ
と思ったら、その時は俺に槍を向けろ﹂
﹁お前と戦う気はうせた。心配するな﹂
 タルシャは俺の胸の中でくすくすと笑った。その日聞いたタルシ
ャの声で一番やわらかいものだった。
﹁我はお前のことが好いた。好いた男と殺し合うのはおかしなこと
だからな。アルスロッド、お前がたとえ一兵だけになっていても、
我はお前の味方をしてやるぞ!﹂

754
﹁俺に不幸があるとしたら、お前がマチャール辺境伯になったらし
ばらく離ればなれになることだな﹂
 こんなに俺を愛してくれている女と別れるのはつらいものだ。
﹁だから、今のうちにもっと愛し合うぞ!﹂
129 新しい辺境伯︵後書き︶
現在、GAノベル2巻の作業を進めております! 2巻はかなり内
容ぎっしりでお送りします! ぜひよろしくお願いいたします!
755
130 新辺境伯の進撃
 俺はすぐに領内の者たちに北方侵攻の兵を準備させた。
 軍事行動の目的は新しいマチャール辺境伯タルシャを送り込むこ
とだ。
 いきなりのことで戸惑っている者も多かったが、俺は粛々と用意
をさせた。
 そこまで大軍にならずとも勝機はある。なぜなら、新しいマチャ
ール辺境伯は傀儡でもなんでもなく、父親以上の英雄だからだ。
 表向きは陛下が征西を企図している間に北方にまで完全に王国の
力が及ぶように兵を送るというものだ。
 これはおかしなことではない。当初から北伐そのものは実行され

756
ていて、それが謀反で一時中断していただけだ。だから、摂政の思
いつきである軍事行動にはならない。
 もっとも、兵を送るのがとりやめになる可能性もまだ残っていた。
タルシャの父親であるサイトレッドが素直に娘への譲位を認めた場
合だ。
 その時は堂々とタルシャが本拠地の城へ入城すればいい。
 結局、サイトレッドは期限までに何の連絡もよこさなかった。俺
と戦う意思があるということだ。オダノブナガはこうなることはわ
かりきっていたと言っていた。
 ︱︱信玄の親父もずいぶんな乱暴者でな、甲斐を統一し、信濃に
も領地を広げようとしたが、その矢先に信玄に追い出された。信玄
一人の独断でそんな計画は達せられないから、多数の支持をとりつ
けていたわけだ。
 だろうな。クーデターっていうのは、味方がそれなりにいないと
維持しようがない。
 軍事的に不利な状況でのクーデターはすぐに鎮圧される。最低で
も旧体制と同等の軍事力は必要になる。同等でもまだ危うい。人間
というのは保守的なものだから、何かが変わること自体を普通は避
けたがる。
 ︱︱ワシはこの世界の状況を聞いただけだが、サイトレッドとい
う男も似たところがある。戦争は強いが、民政が粗雑だ。おそらく、
家臣団からの評判はそんなによくはない。外から侵略者が来れば手
を取り合って戦うだろうが︱︱

757
 それが由緒正しき伯爵の娘なら、そっちにつこうとするってこと
だな。
 ︱︱先に言うな。まあ、そういうことだ。念には念を入れて、サ
イトレッドの悪政を糾弾する書状をタルシャの名前で北の領主とサ
イトレッドの家臣たちに送り付けておけ。敵の数が減るかもと思え
ば安いものだろう?
 ありがとうな。それはいい案だ。俺としても、戦いは長引かない
ほうがうれしい。
 長々と戦争をしていれば王都から変な目で見られるし、そもそも
自軍の兵が疲弊する。それで征西に加わる選択肢をとれなくなった
ら本末転倒だ。
 俺はタルシャを少し北の砦にまず移動させていた。
 自然とそこに北方の領主たちが馳せ参じた。タルシャの実力を評
価する者は多い。ついに立ったかと激賞する領主もいたという。

 やがて、そこにサイトレッドの下から抜け出して加勢する者が加
わるようになる。
 その数がじわじわと増えてきたあたりで、俺も七千の兵を連れて、
援軍としてタルシャに合流した。
 兵力はタルシャとそこに参集した者を含めて二万強になっていた。
﹁面白いようにみんなが集まってきてくれる。まるで、辺境伯にな
ったようだ﹂
 俺に会った時、タルシャはとんちんかんなことを言った。
﹁違う。お前はもうマチャール辺境伯なんだ。今から戦う敵はそれ
に抗う逆賊だ﹂

758
 タルシャは自分の間違いに気づいて、からからと笑った。
﹁ああ、ならばいよいよ負けるわけにはいかないな。辺境伯になっ
た初戦が負けというのは困る。いや、我は最初から負ける気などな
いがな﹂
 ついに本格的にタルシャは辺境伯を譲らない父親を攻めるために
出陣した。
 途中、侵攻を防ごうとする敵もいないわけではなかったが、まさ
に鎧袖一触、ほとんど自軍に被害を出さないままに叩きつぶした。
 後ろでその様子を見物しながら、俺は笑っていた。
 俺の攻め方が鋭い刃で切り裂くように進むものなら、タルシャの
戦い方は巨大なハンマーで粉々に打ち砕くようなものだ。
 兵の使い方が上手いし、将一人ずつもタルシャのために全力を捧
げようという気になっている。先天的なカリスマ性のようなものが
ある。
 馬の尾がついた鞭をさっと振って、タルシャは指揮をとった。そ
の姿は実に絵になる。
 これがシンゲンって職業の力なんだろうな。独自性みたいなもの
はないが、やたらと采配が安定している。いつ攻めれば最大の戦果
が上がるか、熟知している。
 タルシャがマチャール辺境伯領に入った頃には、多数のマチャー
つど
ル家の重臣たちがそこに集うことになった。
﹁私たちはあくまでもマチャール家に仕える身。正式にマチャール
辺境伯の代替わりの命があった以上は、それに従いまする﹂

759
 宿老の男が彼らを代表して言った。
﹁ああ、我は最強のマチャール辺境伯となる。そなたたちもよろし
く頼む。父親のような強権的な政治をするつもりもない。不満があ
ればなんなりと言ってくれ﹂
 タルシャはやさしい笑顔で、彼らを受け入れた。
 その時点でサイトレッドとの戦力差は決定的なものになっていた。
 サイトレッド側についているのは、一族間で対立していて、敵対
する側がタルシャ側に行ってしまったような者ぐらいだった。それ
はいわば消極的な参戦理由で、サイトレッドが勝てると本気で感じ
ている者はろくにいないようだ。
 家臣団も自分の主君を守るよりもまずは自分の一族を守ることが
重要だ。勝ちの目が薄いなら病気だなんだと言い訳をして、出兵を
渋る。
 タルシャは次々に砦を落として、サイトレッド側を着実に追い詰
めていった。
 前回の俺の攻撃で敗戦を喫したことも尾を引いているんだろう。
もはや北方の領主層の盟主とサイトレッドはみなされていない。
 辺境伯領に入ってから五日目、重臣たちの説得もあり、サイトレ
ッドは降伏し、娘にその地位を譲ることを正式に認めた。サイトレ
ッドは王命に歯向かったということで、領内の神殿に軟禁されるこ
とになった。
 お前は領主の器ではないと周囲に示された人間の末路は寂しいも
のだ。
 でも、敵が娘だったのがせめてもの救いだろうな。

760
130 新辺境伯の進撃︵後書き︶
GAノベル2巻の作業を現在進めております! よろしくお願いい
たします!
761
131 タルシャの決意
 タルシャはマチャール辺境伯の拠点であるウルヒラ城に入り、諸
将をねぎらった。
 この時、ようやく伯爵身分にふさわしい姿で姿を現した。
﹁この引きずるマントはどうも落ち着かないものだな⋮⋮。いずれ、
慣れるのだろうか﹂
 皆が息を呑んだ。
 気品と美しさと勇ましさをすべて兼ね備えたような、理想的な若
い君主がそこにいた。
 列席していた俺も感嘆した。
﹁摂政閣下、貴殿のおかげでこの地位につくことができました。な

762
んと礼を言ってよいか﹂
 タルシャが頭を下げる。
 これまで俺のことを呼び捨てにしていたのに、ちゃんとそう呼べ
るんじゃないか。
﹁王国はあなたを支えることを誓いましょう。北方の安寧のため、
一層の奮戦を期待いたします﹂
﹁承知いたしました。心置きなく征西にご出発なされるよう、陛下
にお伝えください﹂
 形式的な会話だが、タルシャも俺も楽しんでやっていた。その役
になりきるというのも、それはそれで面白いものだ。
﹁それで、新辺境伯、婿にはどなたを迎えるおつもりでしょうか?﹂
 冗談半分で俺は言った。
﹁まだ、この地位についたばかりで、そこまで頭はまわりません。
ただ、かなうとすれば︱︱﹂
 タルシャは俺の目を見て、笑った。
﹁息子でも娘でも、摂政閣下のような強い子供が生まれればよいな
と思っております﹂
 俺たちの関係をおそらく知らないだろう、重臣たちからも笑い声
が漏れた。
 これは、タルシャ、本気だろうな。
﹁摂政閣下、本日はお疲れでしょう。ごゆっくりとお休みください﹂
 その夜は、なかなかタルシャに離してもらえなかった。
﹁まともに戦もできないままだった。このようなつまらぬ戦の連続
では、我の昂ぶった心を冷ますことができない⋮⋮﹂

763
 賓客をもてなす部屋に入っていた俺のところにタルシャがやって
きたのだ。
 居城に入った日から、こんなことをやっているとあまり知られる
べきではないと思うが、タルシャは気にせず、俺の体にぴたりとへ
ばりついている。
 このあたり、タルシャは自分の信念にも、欲望にも、忠実だ。あ
る意味、わかりやすい生き方だと言える。
 やってることもやたらと激しくて、愛し合っているというより、
一生懸命子作りしているという印象だ。
﹁いや、お前の性格は知ってるけど、さすがにどうにかならないの
か? ずっと俺がそばにいるわけにもいかないし⋮⋮﹂
 俺はあくびを噛み殺しながら言った。いいかげん、寝かせてほし
い。移動が多くて疲れている⋮⋮。
﹁なんなら、お前と真剣での勝負するのでもいいのだぞ? それで
も昂ぶりは収まるからな。しかし、それではお前が命を落としかね
ないだろう?﹂
 自分が勝つ前提か。まったく、とんでもない女領主だ。
﹁俺としても、お前を辺境伯にした日にお前に死なれたら、何もか
も無茶苦茶になる。そんなバカな話を受けられるか﹂
﹁だろう? だから、こうでもするしかないのだ﹂
 文句を言っても聞かないだろうから、俺は嘆息で返した。
 少なくとも、信じられる人間に北方を任せることはできた。俺の
側に流れは大きく傾いている。
﹁それに⋮⋮⋮⋮どうせなら、我の跡継ぎはお前との子供がいい﹂
 しぼり出すように、ゆっくりとタルシャは言った。

764
 言葉にするのはためらいがあるのか。変なところだけ奥ゆかしい
な。
﹁辺境伯はたんなる善人ではつとまる役職ではない。わずかでも弱
味を見せれば、乗っ取られる。命も奪われる⋮⋮。だから、お前の
子ぐらいでないと、きっと断絶するだろう。だから、だから⋮⋮﹂
 そういえば、オダノブナガがシンゲンの子供について話をしてい
たことがあったな。
 まさにオダノブナガはシンゲンの息子を倒して、その一族を滅ぼ
したのだ。
 しかも、シンゲンの息子は、オダノブナガの子供との縁組ができ
ないか模索していたという。
 もしかすると、無意識のうちにタルシャは俺を求めているのかも
しれない。
 もちろん、はっきりした答えなんて出ない。ただ、俺がタルシャ
のことを好きだという事実があればそれでいい。
﹁わかった。じゃあ、しっかり俺の子を生んでくれ﹂
 何度目かわからない抱擁をタルシャとした。
﹁けど、絶対に出産の時に命を落としたりするなよ。俺は自分に関
わった女を不幸にしたくないんだ﹂
 セラフィーナの職業である聖女の加護も遠方のタルシャにまでは
届かないだろう。出産時に死ぬ女の数は決して少なくはない。それ
はいくら戦場で武勇を誇っても、ありうることだ。
﹁生きるさ。ここで死んだら、お前の計画だけでなく、我の一族の
歴史も閉じてしまうではないか。血族でとてもまとめあげられる者

765
はおらんしな﹂
 タルシャは今、マチャール家の盛衰の責任すべてを自分の両肩に
かけている。
 それはどんな強く見える人間にとっても、過重な負担のはずだ。
ある種、安定した時期の王などよりはるかにつらくて難しい。
 俺にとったら、計画は総仕上げに着々と近づいているけど、タル
シャにとってみれば今がはじまりなのだ。
 大海原での舵取りを任されて、そして、タルシャは俺に賭けるこ
とにした。
 俺を選んでくれて、ただ、うれしかった。それ以外の感情は今の
自分には浮かばなかった。
﹁タルシャ、必ず、お前を幸せにしてみせる。お前と俺の子の血筋
が何百年も続くようにしてやる。もうちょっと待っていてくれ﹂
﹁当たり前だ。アルスロッド、新しい王になれ。くだらぬ王朝にと
どめを刺すのはお前が最もふさわしい﹂
 戦友の俺たちはベッドの上で覚悟を語ったあと、一緒に声を上げ
て笑った。
﹁まずは近隣の領主たちを我に完全に服従させる。北の地で、お前
に刃向かう者は一人も出さない。後方の心配は無用だ﹂
﹁ありがとう。でも、本音を言うと、お前、もっと戦って暴れたい
だけじゃないのか?﹂
 タルシャは笑っていたから図星だったらしい。

766
131 タルシャの決意︵後書き︶
GAノベル2巻は11月発売です! それ以降も、アルスロッドの
天下統一までは本でもやっていけるかと思いますので、よろしくお
願いいたします!
767
132 フルールの予言
 マチャール辺境伯になったタルシャは約束どおり、そのあと、周
囲の領主たちを改めて、自分への服従を迫っていった。
 タルシャの快進撃はマウストの俺のところにすぐに届けられる。
 政務室の堅苦しい空気が苦手な俺は、フルールの部屋に来て、ほ
とんど名前も知らない田舎領主から人質を差し出させたという書状
を読んでいた。
﹁辺境伯は大変順調なようですね。ほとんど休まず働いているかの
ようです﹂
 フルールがたおやかに微笑んだ。フルールの部屋に来ているのは、
彼女が並みの軍師などよりはるかに政治感覚に鋭いからだ。

768
﹁ちょうど、今は代替わりの直後。自分の実力が卓抜したものであ
ることを見せつけねばならない時ですしね﹂
﹁そういうことだな。舐められたら、面倒なことになるからな。と
はいえ、タルシャの武勇を知らない奴は北部にはいないと思うが﹂
﹁ミズルー県の支配はまだ進んでいませんでしたから、このままそ
ちらも勢力圏に収めるつもりなのでしょう。北部二県の平定はそう
時間を置かずにすみそうですね﹂
 サーウィル王国北部は大きく、東側のマチャール県と西側のミズ
ルー県に分かれる。どちらも王都付近の県と比べるとはるかに面積
が広い。
 かつて異民族が住んでいたこともあり、行政機構の進出が遅れた
ことと、山がちで人口が少なかったことに起因する。
 もともとマチャール辺境伯はマチャール県の中でも人口が多い︵
つまり、王都にまだ近い︶南部のウルヒラに拠点を持っていた。今
でも居城はウルヒラ城であることは変わらない。
 それは同じ県の北部の支配までは十二分には行えていなかったこ
とを意味する。
 そのマチャール県北部や隣のミズルー県にまで影響力を及ぼしは
じめたのは、ようやくタルシャの父親サイトレッドの代からだ。
 サイトレッドが俺に反抗的だったのも、自分が北部領主の盟主に
なれば勝てるという自信があったからだろう。
 しかし、支配地域を広げる中でサイトレッドは、ずいぶんと無茶
をやったらしい。これはサイトレッドだけに限ったことではないが、

769
整備されてない権力機構を強引に作り出せば、どうしても敵は出て
くる。
 そこに、武勇で知られたタルシャがマチャール辺境伯を名乗って
突っ込んできたことで、決着はついた。多くの領主たちは俺に負け
たサイトレッドを見限ったのだ。一緒に従ったままでいれば滅ぼさ
れる危険も出てくる。
﹁ここまで急がなくてもいいんだけどな。まだ、王の征西はできて
ないままのようだし﹂
 王であるハッセ自身は乗り気だったようだが、そこからの動きは
遅々として進んでいなかった。俺が将をまとめて引き上げたのがい
まだに響いているのだ。
﹁仮に陛下が総大将をつとめるとしても、副将にあたる武官が数名
は必要となります。そのような人材は王都近辺にはいらっしゃいま
せん。皆、何かと理由をつけて、辞退しているようです﹂
﹁王の取り巻き連中は、まあ、そんなものだ﹂
 王都の情報は主にヤーンハーンから届けられる。彼女は厳密には
王朝に仕える官僚の立場だから、王都を離れていない。もっとも、
そのあたりは建前であって、俺についてきた官僚も当然いるが、ヤ
ーンハーンの場合は商人の顔も持ち合わせているから、王都は離れ
られないのだ。
 ヤーンハーンの報告によれば、ハッセは征西計画がまったく具体
化しないことで、かなり業を煮やしているらしい。弱腰の家臣たち
を怒鳴りつけているが、それでも兵の集まりが悪いので動けないと
いう。

770
﹁しかし、いくらなんでも遅すぎます。王の近臣の方々はむしろ、
どうにか戦争を避けようとしているかのようですね﹂
 やはり、フルールは鋭いと思った。
﹁事実、避けたいんだろう。極論、王の取り巻きにとったら、国土
の再統一なんてどうでもいいんだよ。まともに王都から出たことさ
えないようなのだって珍しくない。連中は王じゃなくて、王都に引
っついているネズミみたいなものだ﹂
 流浪の状態だったハッセは官僚機構も家臣団も持っていない。王
都に入った時に、前王派にいじめられていたハッセの父親が王だっ
た時代に栄えていた連中を登用したのだ。
 そいつらにとったら、王統が前王に変わらなければ、勝利条件は
満たされていることになる。むしろ、戦争が連続して起きて、王統
が転覆するようなことになったら大変だ。前王がやってきたら、連
中はみんな失業することになる。
﹁ああ、彼らは権力を握っていられれば、それ以上は望まないので
すね﹂
﹁フルールのウージュ家みたいに家の存続に全力を注いだような者
たちとは考え方が違うんだ。俺の家もそうだったが、俺たちはあく
までも軍人だった。でも、王の取り巻きの大半は剣も弓矢もまとも
に扱ったことがない文民だ。戦って勝ち取るという考え自体がない
のさ﹂
 もう、そんな事なかれ主義の連中がやっていける時代は終わろう
としているのに、あいつらはまだそれにしがみつこうとしている。
 無能というよりも、それ以外の生き方を本当に知らないのだ。
﹁だから、摂政閣下を遠ざけたかったのですね。彼らにとったら、

771
革命が起こっては大変なことになりますから﹂
﹁うん、連中に取ったら、前王より俺のほうがむしろ怖いんだろう
よ﹂
 前王が返り咲いても、鞍替えできるかもしれないが、俺が王国を
作ってしまったら、そこではどうなるかわからない。
﹁フルール、膝枕をしてくれないか。今日は少し疲れた﹂
﹁はい、どうぞ、閣下﹂
 俺はフルールの膝の上でまどろむ。今、マウストは本当に平和だ。
もし、王都もこんなにのんびりとしているなら、それを続けるほう
がいいと思う者もいるかもしれない。
﹁でも、争いは起こりますね。きっと、彼らの思惑とは関係のない
ところで﹂
 予言するようにフルールが言った。
﹁二つの勢力があるところで接しているのであれば、いずれ、そこ
で軍事衝突が起こります。その戦いに陛下の側の領主が負ければ、
見殺しにはできなくなります﹂
 俺はフルールの瞳を黙って見上げた。
 だろうな。小領主の娘として辛酸を舐めたフルールにはそういっ
た感覚がわかる。
﹁できれば、もう四か月待っていてほしいんだがな。それぐらいは
もつだろう﹂

772
132 フルールの予言︵後書き︶
GAノベル2巻は11月発売予定です! よろしくお願いいたしま
す!
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133 タルシャの子
 タルシャからの戦勝報告はそのあとも続き、ひとまず北部二県の
制圧は完了しそうだった。
 あいつはゆるやかな同盟ではなく、あくまでも自分を頂点にした
政治秩序を北部二県で作ろうとした。それはほぼ成功した。
 正しい判断だ。小領主がそれぞれ生き残っていける時代はもう終
わりと迎えつつある。
 俺も、滅んでいったエイルズ・カルティスもブランド・ナーハム
もそのことを知っていた。だから、自分の力が及ぶ範囲を広げよう
とした。
 あいまいな同盟者は俺が裏切られたように、どこで違う動きをす

774
るかわからない。安全のために、みずからが強大化するのが一番早
い。
 しかし、そんな戦勝報告の中に、異質な書状が混じることになっ
た。
﹁子供ができた、か⋮⋮﹂
 タルシャは妊娠しているらしい。俺の子供だと書状には書いてあ
った。
 セラフィーナには﹁旦那様の子供で国を埋め尽くすつもり?﹂と
からかわれた。
﹁それは言い過ぎだ。言い訳をさせてくれ﹂
﹁どうぞ。どんな言い訳が来るのかしら﹂
 もう、セラフィーナも一族が滅んだ傷も癒えたのだろうか。ある
いは、このやりとりもセラフィーナなりの仕返しなんだろうか。
﹁俺よりも女にだらしない王も、子供が多かった王も古来いくらで
もいる。最低でも俺は名前も覚えていない町娘の子供なんてものは
作ってない。ほかの大領主だってみんな似たようなものだ﹂
﹁それは、旦那様が女好きでない証明には何もなってないわ。さら
なる女好きがいたというだけのことよ﹂
 マウスト城の中でセラフィーナだけが俺をこんなふうにからかっ
てくれる。
 なんというか、セラフィーナの前でだと、摂政という重い殻を脱
げる気がするのだ。
﹁ああ、俺は女好きだ。でも、女嫌いな男のほうが少ない。それは
よほど偏屈の神官とかそういうのだろうさ﹂

775
﹁あらあら、今度は居直ったわ。まあ、でも、タルシャって子も後
継ぎができてほっとしてるんじゃないかしら。⋮⋮いや、それは言
い過ぎね。子供は生まれるまで不安になるものだから﹂
 そのあたりの気持ちは女ではない俺にははっきりとはわからない
が、気味の悪さもあるだろう。俺ができるのは、どうか清潔な環境
で出産して、母子ともに健康であることを祈るだけだ。
﹁書状にも、もしもの時に備えて次の辺境伯を定めておくと書いて
あった。なにせ、父親がマウストにいるわけだからな。ちゃんと、
俺に協力的な親類を選ぶらしい﹂
 通常は、君主が死んだ場合、配偶者が家長代行をつとめる場合が
多い。その権限は君主の血を継いでいない婿や嫁の立場でも変わら
ない。
 しかし、今回はタルシャは結婚はしていないので、話はややこし
くなる。
 家臣団が俺をマチャール辺境伯と信任してくれれば、一応、話の
上では矛盾はなくなる。だが、それは家臣団の気持ちとしては難し
いところだだろう。
 婿として土地に入ってきてもいない奴、しかも自分たちの主君を
勝手に妊娠させた奴だ。そのあたり、タルシャはフォローはしてい
るだろうけど、かなり特殊なケースにはなる。ひとまず、血縁の中
から次の辺境伯を決めておくほうが無難ではある。
﹁彼女、やけに荒っぽい人間だと思っていたけど、そのあたりの手
続きは、むしろ慎重ね。見直したわ﹂
﹁タルシャは大領主の器量を持った女だよ。それは間違いない。俺
の子供だと喧伝することが最も効果的だと考えたわけだ﹂

776
﹁あら、まるで自分の子供ではないみたいな言い方ね﹂
 どこかセラフィーナは不満そうな顔になる。
﹁だって、後継ぎが必要なのは事実だし、あいつの立場なら愛人を
作ることぐらいはできるだろ? どうせ、証明はできないんだし、
俺との子だと言い張ればいいわけだし⋮⋮﹂
﹁旦那様は政治家でも軍人でもあるけれど、女心のほうはちっとも
わかってないのね﹂
 セラフィーナがわざとらしくため息をついた。これは本当にあき
れた時の態度だ。
﹁あの人は旦那様を心から愛していたわ。そりゃ、政略のことを思
えば愛人を作るのは悪くない策だけど、あの人はきっとそんなこと
してない。旦那様の子よ﹂
﹁やけに自信満々だな⋮⋮﹂
﹁わかるわよ。同じ人を愛した者同士なんだから﹂
 ちょっと、ドヤ顔でセラフィーナは言った。そう言われたら、俺
はもう絶対に否定できない。
﹁だいたい、自分の力で生き抜いてきた人ほど、打ち負かされた相
手に惚れてしまうものなのよ。それほど興味をそそられる人間なん
て、そうはいないでしょう? その興味が恋というものよ﹂
﹁恋にしては、すぐに体を求められたんだけどな﹂
 最初はタルシャは体の中に獣でも飼ってるのかと思った。
﹁それだけ情熱的ということよ。けっこうなことじゃない。まっ、
旦那様の子が北国でも元気に育つことを祈っておきましょう﹂
 職業が聖女らしく、セラフィーナはそっと目を閉じて、手を組ん
で、祈りを捧げた。

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 言葉づかいは人を食ったものだけど、その実、セラフィーナはと
てもまっすぐな性格をしている。
 職業と人格はある程度、関連する。もしも、ほかの誰かの幸せを
願うようなことができない人間だったら、セラフィーナは聖女だな
んて職業を手にすることはなかっただろう。
﹁セラフィーナ、まだまだお前に苦労をかけると思うけど、よろし
く頼むな﹂
﹁言われなくても、旦那様を支え続けるわよ。覚悟してなさいね。
まだ何十年も支える予定なんだから。王になる前の期間なんてほん
のちょっとでしかないわ﹂
 俺は女好きかもしれないけど、少なくとも女運には恵まれている
と思った。
﹁セラフィーナ、愛してるぞ﹂
﹁どうせほかの妻にも言ってるんだろうけど、悪い気はしないわね。
これでわたしを愛さないんだったら罰が当たるというものだわ﹂
 セラフィーナは上機嫌に笑った。
 どうにか西のほうで動きが起こる前に、北方が収まった。
 さて、マウストでできる準備を進めておこうか。
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133 タルシャの子︵後書き︶
2巻は11月発売です! よろしくお願いいたします!
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134 職業の秘密
 タルシャには懐妊祝いの使者をすぐに出した、使者に託した手紙
には夫として自分が行けないのが残念だと書いてある。俺の正直な
気持ちだ。
 だが、マウストを長く留守にできるほど、俺は暇じゃなかった。
 自分の支配が及ぶ土地の戸籍調査をさせている。どれぐらいの兵
を動員できるのか、現状ではよくわからない土地も多い。領主の自
己申告でもいいが、わざわざ多く言う奴はいないから、数を知って
いる必要はあった。
﹁表面上は内政をやっているように見えていて、ちょうどいいです
ね﹂

780
 俺の仕事を手伝っているラヴィアラが言った。
﹁そうだな、王都には土地の経営に着手していると思ってもらって
いるほうがありがたい。だいたい、警戒を解くためにマウストに戻
ってきてるんだから、そうでなきゃ困る﹂
﹁もちろん、表面上ですけどね﹂
 ラヴィアラは楽しそうに笑った。とても政治の話をしているよう
な雰囲気はなくて、もっとほがらかだった。
﹁これで、アルスロッド様の軍隊はますます強くなりますよ。そう、
王国最強にして最大規模の軍隊に! アルスロッド様が戦えと言え
ば、どんな敵でも滅ぼす軍隊に!﹂
﹁本当にそうなってたら、もう悩むことは何もないんだけどな﹂
 楽観的なラヴィアラと比べると、俺のほうは我ながらずいぶん慎
重だなと思う。
 最強のはずの立場でありながら、足元をすくわれた奴は過去に何
人もいる。どこかに落とし穴が会ったり、足りないものがあったり
する。
 なにせ、オダノブナガだって天下まであと一歩ってところで死ん
だんだしな。
 ︱︱わざわざ、そこでワシのことを持ち出すな。うっとうしい奴
め。
 職業のほうから苦情が来た。
 ︱︱だが、本当にもう少しというところで死んだのは事実だ。と
いうか、謀反など反則だ。謀反や暗殺のおそれを完全に消すことは

781
誰もできん。くそっ! くそっ! もう一度やり直せれば光秀に狙
われないように立ち回れたのに!
 まあ、そればっかりは無理だな。来世で別人になることはあって
も、同じ人生をやり直せるってことはない。
 ︱︱そうか、そういう考え方もあるかもしれぬな。
 オダノブナガが何か思い至ったらしい。
 ︱︱同じ人生は二度はやれぬ。それはまさに真理だ。しかし、逆
に言えば、ワシはその人生の記憶を使って、こうしてお前の中で生
きている。いや、心臓が動いておるわけでも、手や足を自由に使え
るわけでもないが、意識としては残っておる。
 だな。たまにうるさいって思うぐらいだ。おおむね、感謝してる
けどさ。
 ︱︱つまりな、ワシは事実上、お前という体を借りて天下統一の
夢をやり直そうとしておるのかもしれん。だから、職業としてこの
世界に現れたのではないか? いや、きっと、そうだ。その程度の
未練は死ぬ時にあったからな。
 神様が出てきたりでもしないかぎり、証明のしようがない仮説だ
が、言いたいことはわかる。
 それなら、オダノブナガが俺の職業として存在している理由もわ
かる気がするのだ。
 人口の割合からすれば、いくらオダノブナガが意思を持ったまま
職業となっても、地位がないに等しい農民や町人の職業になる確率

782
のほうが圧倒的に高い。そして、農民の地位から王国を作るのは領
主として王国を作るのより、はるかに難しい。
 ︱︱とすると、光秀が裏切らないのも腑に落ちる。あやつはワシ
を討ったことを悔いたはず。それで一族滅亡ということになったの
だからな。あそこでワシに謀反を起こさず、粛々と働いていればと
思ったとしてもおかしくはない。
 とすると、次は職業として出てきた時も、忠実な家臣となれる地
位で復活してくるだろう。
 なるほど、ケララが俺に心から仕えてくれるのは前世に俺の職業
を裏切った負い目や反省があるからということか。
 説としてはなかなか魅力的だ。繰り返すが、証明不可能なので、
仮説にとどまるけど。
 ︱︱うむ。これで間違いない。信玄を職業に持つ女がお前に戦い
を挑んだのも、信玄が一度ワシと一戦交えたいと思っていたからだ
し、その力を見て、屈服したというのもわかる。信玄は自分が最強
だとは思っておったが、その次に強いのはワシと考えていたからな。
自分が勝てなかった時点で、お前に従うことにしたのだろう。うん、
筋が通る。
 オダノブナガはやたらとご満悦そうだった。俺には元の本人たち
のことまではわからないのでなんとも言えないが︱︱
 ある特定の世界の、さらに特定の時代の人間が職業として、この
時代に集中的に生まれているのは確かだ。
 戸籍調査の際に、過去の戸籍も確認のため、見る機会があった。
土地によっては職業を記入しているものもあったのだ。剣士、魔法
使い、農夫、牧人、どれもありふれた名称ばかりだった。

783
 こんな謎の人名らしき職業は過去のものには記載されていない。
庶民より記録が残りやすい領主階級のほうでも、過去に変な職業の
者がいたという資料はない。
 だから、これはこの時代に特有の現象である可能性が高い。
﹁︱︱様、アルスロッド様﹂
 ラヴィアラに呼ばれていた。
﹁ああ、悪い、考え事をしていた﹂
﹁アルスロッド様、たまにぼうっとしていることがありますよね。
いえ、ぼうっとというのは違うか。外の言葉も聞こえないほど、集
中しているっていうか﹂
 ラヴィアラにも職業と話ができるということは言っていない。同
じことを経験している者はまだ会ったことがないし、にわかに信じ
がたいだろう。
﹁ヤーンハーンさんがいらっしゃったそうです。王都の情勢をお伝
えに来たのかと﹂
 そういえば、ヤーンハーンもセンノリキュウとかいう職業を持っ
ていたな。
 ︱︱利休はなかなか面白い奴だったぞ。悟っているようでもあり、
もっと企んでいるようでもあった。ああいう食えない奴がいるとな
かなか愉快だ。
 そんな奴らを近くに置いておくから、謀反なんかも起こったんじ
ゃないかと思うが、結果論を言ってもはじまらないだろう。
﹁わかった。すぐに会う用意をしよう﹂

784
 マウスト城にも茶室を作っている。
134 職業の秘密︵後書き︶
2巻は11月発売です! よろしくお願いいたします! 今から地
図の打ち合わせで出版社行ってきますw
785
135 マウスト城の茶室
 久しぶりに再会したヤーンハーンはまさに商人然とした、ゆった
りとした布を羽織っていた。
﹁ご無沙汰しております、摂政閣下﹂
 大人びた笑みで、ヤーンハーンは会釈する。
﹁王都のほうはどうだ? いや、いきなりそんな話をするのは無粋
というものだな。ぜひ、お前に見せたいものがあるんだ。案内しよ
う﹂
 俺が連れていったのは、おもちゃのように小さな茶式専用の部屋
だった。
 入口はとくに低く、かがまないととても入れない。

786
 中には、テーブルがあり、ホストと客人が相対するようにできて
いる。
﹁俺も茶式を広めるために作らせてみた。お前の感想を聞きたい﹂
﹁実に素晴らしいです﹂
 すぐにヤーンハーンはかがんで、茶室の中に入っていった。
﹁なるほど、なるほど。内部もよくできていますね∼。ただ、少し
きず
ばかり豪華すぎるのが玉に瑕ですが。もっと材料も質素なほうがい
いんですよ∼﹂
﹁職人が粗末に作るのを恐れたせいだ。俺に罰せられるのでは思っ
たんだろう。事前にあまり立派にしすぎるなと言っておいたのだけ
どな﹂
﹁それでも茶式はできます。一席設けましょうか。お茶の用意も持
ってきていますので﹂
 俺も、もとよりそのつもりだった。そのために作ったようなもの
だ。
 ヤーンハーンは静かにお茶の準備を進めた。凛然とした空気が狭
い茶式を支配する。
 王都の外で飲むこの緑色の苦いお茶も悪いものではなかった。
﹁お茶の味、変わったかな﹂
﹁お茶は一期一会ですから。その場その場で違う味がするのでしょ
う﹂
 茶式の時のヤーンハーンには商人的なすれた部分はない。修道女
と会っているような気持ちにさせられる。
 こうもまとっている雰囲気を変えられるというのは、ヤーンハー

787
ン自身の能力とも言えるが、この狭い茶室の効果もあるんだろう。
ここに入ることで、気持ちのリセットが自然と図られる。
﹁お味はどうでしょうか?﹂
 ヤーンハーンは絵の中の母親のように、落ち着いた表情をしてい
る。
﹁苦い。けれど、嫌な苦さではないな。ほっとする味だ﹂
﹁それはよかったです﹂
 静かに、まるで彫像のようにヤーンハーンは微笑んだ。
 少しばかり、音のない時間に部屋が包まれる。それも不快な沈黙
ではなかった。
 心についた垢をそぎ落としてくれるような沈黙。
﹁さて、それで王都のことをお話ししてもよろしいでしょうか?﹂
﹁ああ、ぜひ詳しく教えてくれ﹂
 ようやく、本題に入る。もっとも、茶室の中では、本題は茶式を
行ことなのかもしれないが。
﹁ついに征西の計画が具体化しましたよ。総大将はやはり陛下が、
副将には結局、王の親類に当たる公爵・侯爵の筋から三名﹂
 それから先も、ヤーンハーンは情報をどんどん開陳していった。
気味の悪いほどにつまびらかな軍事情報だ。
 これだけのことがヤーンハーンの耳に入っている時点で、王は機
密の扱いが下手なことだけは確かだ。より本格的な作戦まで敵にも
れたらどうするつもりだろう。
﹁領主層が嫌がっていたのは知っていたが、結局、王族でどうにか
形式を整える羽目になったってことだな。これなら失敗したところ
で、責任は副将クラスに押しつけられる﹂

788
﹁そう、負けた場合も王族の中で尻ぬぐいをすると領主層に伝える
ことで、動員を了承させることにしたようですね﹂
 落としどころとして、そのようにするしかなかったんだろう。王
族であれば、王が懇願すれば、ずっと抗い続けることもできないだ
ろうし、ある意味、王と運命共同体の部分があるから、前王と戦う
ことにもモチベーションが湧く。
﹁厭戦気分の領主を並べるよりはまだマシな配置だ。マシなだけだ
けどな﹂
﹁では、この戦、勝てないと見てよいでしょうかね?﹂
﹁敵がさらなる腰抜けの可能性もあるが、王軍の指揮官は素人の集
まりもいいところだ。初戦で敗退したら、もう戦う気力は萎えるだ
ろう﹂
 最初の一回で勝てばどうとでもなる、それはおそらく敵方もわか
るんじゃないか。そして、それぐらいなら不可能なことじゃない。
﹁精鋭を正面にぶつけて、敵の出鼻をとことんくじく。できれば将
の首一つでも二つでも取る。それだけの戦果を挙げられれば、やむ
なくついてきた大半の領主はもうダメだと思い込む﹂
﹁ちなみに、王軍はどうにか二万二千、敵はカルク子爵を核にした
連合軍で一万。倍は陛下のほうが多いですが﹂
 俺はにやっと笑った。
﹁倍以上の数で負けてみろ。ハッセの軍は一気に瓦解するぞ﹂
 さて、そろそろ進軍経路も考えておかないといけないな。
﹁王軍が負けて戻ってきた時はまだマウストに残っていればいい。
しかし、ハッセが死んだ時点で、すぐに軍を王都に進める﹂
﹁やはり、閣下は陛下に死んでほしいのですな﹂

789
﹁別にそうは言ってない。前王の派閥が力を持ちすぎるのは怖くも
ある。どっちがいいかはなんともわからない。ただ︱︱すべての可
能性を考えて行動するだけだ﹂
 征西の時期もヤーンハーンから確認した。
 まだ月日はある。どうやら、ちょうどルーミーが出産した少しあ
とというところだった。
﹁いよいよ、大きな戦いになりますね﹂
 ヤーンハーンが俺の瞳をじっと見据えた。
﹁三年後、閣下は王になっているか、あるいは墓の下か、どちらか
でしょう﹂
﹁王になれていることを祈っているさ。しかし、祈っているだけで
はどうにもならないからな﹂
 茶室の中だったけれど、知らないうちに手に汗がにじんできてい
る。
 俺もそれなりに気がはやっているらしい。
 陛下、俺もある意味、遠方で戦っていますから、どうか思いきり
敵にぶつかっていってください。そうしなければ、敵のほうからぶ
つかっていきますよ。
 信頼できぬ者を前に出さない、兵法の基本をどうか思い出してく
ださいませ。
790
136 妹の強さ
 城の庭園を歩いていると、花を植えているアルティアとその娘二
人を見かけた。
﹁いい? 毎日、水をあげるんだよ。そうしたら、きれいな花が咲
くからね﹂
 アルティアがそう言うと、大きいほうの娘が﹁約束する﹂とうな
ずいていた。
﹁花か。大きいのが咲けばいいな﹂
 娘二人のほうは俺の顔を見て、さっとアルティアの後ろに隠れる。
まだ怯えられているようだ。とはいえ、父親の仇として憎まれるよ
りはマシかな。いや、憎まれるぐらいのほうが気も楽なのかな。

791
 そういえば、俺はさんざん人を殺してきたから知らないところで
もたくさんの人間に恨まれているはずなんだが、そのことはほとん
ど意識にのぼったことがなかった。
 だからこそ、ずっと戦争を続けてこられたのかもしれないし、そ
こで罪悪感をいちいち覚えるような奴はこの時代を生き残れないの
かもしれない。
 一方で、アルティアのほうは、どこか吹っ切れたように見える。
俺にも昔のような笑みを向けてくれた。
﹁お兄様、忙しいはずなのに、うろちょろしていていいの?﹂
﹁必要な指示はもう出したからな。今はゆっくり戦局の動きを見守
ればいい。あと、もう一つ見守らないといけないものもあるしな﹂
 アルティアが目を細めた。
﹁ルーミーさんの出産だね﹂
﹁そうだよ。初産はとくに怖いんだ﹂
﹁うん、お兄様よりはルーミーさんの気持ちもよくわかるつもり。
きっと戦場と同じぐらい大変﹂
 その言葉は誇張ではないんだろう。まさに、そのように出産を表
現している古書もあったはずだ。
﹁俺が痛みを分かち合えればいいんだけど、残念ながらそんな魔法
はないみたいなんだよな﹂
 せいぜい痛みをやわらげる薬と魔法があるぐらいだ。
﹁体の痛みはね、まだ我慢できるんだよ。割り切ることができるか
らね﹂
 アルティアは少し遠い目をした。

792
﹁ル−ミーさんはきっと実家の運命のことも考えて戦ってる。そっ
ちのほうがずっと大変﹂
 その言葉をアルティアが言うと重みがある。実家と嫁ぎ先の違い
はあるが、それがなくなるというのをアルティアは経験している。
﹁でも、しょうがないんだよ。それが女の戦い方だから﹂
 アルティアは微笑むと、俺の胸元に花を一輪差した。
﹁お兄様は争いがなくなるためにこのまま戦えばいいんだよ。私み
たいに泣く人もいるだろうけど、そのたびに立ち止まっていたら何
にもならないから﹂
﹁別に俺はお前に許してもらえるとは思ってない﹂
 理由はあった。だけど、理由があったなら夫殺しを許せるという
ことにはならないだろう。
﹁許すとか恨むとかそういうのは、お兄様にとっては些細なことな
んだよ。だから、そんなことは考えなくていい﹂
 そして、力強くアルティアはこう言った。
﹁それは王の考えることじゃないから﹂
 俺が知らないうちにアルティアは本当に強くなったと思った。
 なんだろう、二児の母親になったからだろうか。とにかく、昔の
病弱な面影はどこにもない。国母と言われても違和感がないほどに、
堂々としている。
﹁王になって、お兄様。小事に気をとられて大事をおろそかにする
ことを今の私は最も恐れてるよ。王になるために立ちふさがる奴が
いたら、いくらでも殺せばいい。ほかに方法なんてないんだから﹂
 それはまさしく命令も同じだった。

793
﹁もし、これで王になれなかったら、その時は私はお兄様を恨むか
ら。天下が取れないのなら、私の夫に殺されていればよかったじゃ
ないかって思っちゃうからね﹂
 ああ、死者の人生を俺は背負って生きてるってわけか。
 だからこそ、俺が目的をまっとうしないと殺した死者の存在意義
がなくなってしまう。
 そんな考え方をしたことは一度もなかった。
﹁わかった。絶対に王になるから少しだけ待っていてくれ。もう、
そう時間はかからないと思う﹂
 アルティアはにっこりと笑った。
 俺の答えは悪くないものだったらしい。
﹁それとね、ついでだからもう一つ言っておくけどね、お兄様は女
の子を弱いものだと思いすぎだよ。きっと戦争の基準でばかり考え
てるからなんだろうけど。だから、あまり過保護にならなくていい
から﹂
 今度は兄に注意する妹の顔になった。
 使用人がこんなことを言ってきたら処罰対象だが、妹の言葉なら
傾聴しないといけない。
﹁考えてみて。セラフィーナさんもフルールさんも、すっごく強い
でしょ。肝が据わってるでしょ。ちゃんとお兄様を愛してくれてい
るでしょ﹂
 そこまで言われたら、俺も深くうなずくしかなかった。
﹁まったくだ。普通の庶民みたいな波風立たない生き方を誰もして
きちゃいないんだよな﹂
 俺の周りには女も男も強い奴しか残っていない。そうでなければ、

794
途中で脱落していたはずだ。覇業は一人だけでは成し遂げられない。
最後の最後で俺は自分の妻や家臣たちを信じないといけない。
 そこを信じきれなければ、きっと足下をすくわれる。
﹁アルティア、お前が妹であることを俺は誇りに思う﹂
﹁うん、私は王の妹だから﹂
﹁抱き締めていいか?﹂
﹁どうぞ、お兄様﹂
 俺はゆっくりと一歩近づいて、アルティアの体をかき抱いた。
 昔みたいに華奢な体だった。じゃあ、強くなったのは心のほうだ
けなのか。
﹁お兄様、あったかいな。あと、ちょっと力が強すぎる﹂
﹁今は我慢してくれ。王になる男の命令だ﹂
 くすくすとアルティアが笑った。俺もそれに釣られて笑った。
 おどおどしていたアルティアの娘二人もぽんぽんと俺の足を触っ
てきた。少しは信用されてきただろうか。
 お前たちも強くなれよ。お母さんのように。
 俺はお前たちが嫁ぐ頃には、夫が戦争で命を落とすことがないよ
うな時代を作ってやる。この約束は絶対に果たす。
 アルティアと別れたあと、オダノブナガが話しかけてきた。
 ︱︱ワシの妹によく似ておる。気丈だ。そんじょそこらの腰抜け
武士よりはるかに立派だ。
 覇王の妹なら驚きもしないさ。

795
 ︱︱そうだな。お前も王になれ。そして妹の娘を全員幸せにして
やれ。
 今日はオダノブナガとよく意見が合った。
136 妹の強さ︵後書き︶
11月にGAノベル2巻が出ます! よろしくお願いいたします!
796
137 妻の出産を待つ
 いよいよ王都では、国王ハッセが出兵するかという頃。
 ついにルーミーが産気づいた。
 俺はアルティアとラヴィアラを連れて、マウスト城下にある神殿
で祈りを捧げた。
 目の前では、神官たちが火を焚いて、安産の祈祷を必死に唱えて
いる。
 同じような節回しの祈祷がずっと続いているせいか、だんだんと
酔ったような、夢見心地のような気分になる。
 俺は両手を組んで、ぼうっとその様子を見つめていた。

797
 両側ではアルティアとラヴィアラが同じように手を組んでいる。
 安産の祈祷ではあったが、俺はもっぱらルーミーが無事であるこ
とばかりを考えていた。極端な話、死産でもいいと思っていた。
 男子が生まれるか、女子が生まれるか、どちらがいいのか。自分
の中でも迷いのようなものがあった。それに、そんな政治的な判断
はルーミーの体を気づかうことより、不純である気がした。
 一時間ほどにもおよぶ祈祷の声が消え、代表の神官が﹁終わりで
ございます﹂と言った。終わりというのは俺たちが参加する祈祷が
という意味だ。祈祷そのものは出産が終わるまでずっと続けられる
ことになっている。
﹁わかった。俺たちは別室で少し休憩してから帰る。いや、出産が
終わるまで戻るべきではないかもしれないな。城がばたばたするの
はあまりいいことじゃない﹂
﹁アルスロッド様、とにかく行きましょう。ここは火を焚いたせい
で熱いです⋮⋮﹂
 ラヴィアラにそう言われて、俺たちは早々にそこから退出した。
 ︱︱お前は存外、信心深いところがあるな。
 オダノブナガはいかにも神を信じていなさそうだ。
 俺だって本気で信仰しているわけじゃない。でも、こうやって祈
りを捧げることしかできないことだってある。ルーミーの代わりに
誰かが生むわけにもいかないんだ。

798
 ︱︱そうだな。運というものに神意がおよぶと考えるなら、ワシ
もそれなりに神のことを考えておったかもしれん。
 だろ。すべてが計画どおりには運べば苦労はしない。もっとも、
俺の計画がこの場合、何なのかはよくわからないけど。
 ルーミーには﹁王を生んでくれ﹂とは言った。しかし、﹁男子を
生んでくれ﹂とは言ってない。男か女かで計画にも変化は起こりう
るはずだが、あまりそこまでは考えないでいた。
 ︱︱まあ、こんな時ぐらいは妻の無事だけを考えればいいだろう。
ワシだって戯れに自分から魔王を名乗ったこともあったが、所詮は
人の子よ。本当に神であれば、謀反程度で死ぬこともなかったわい。
 最近、お前が丸くなった気がする。気のせいかもしれないけど。
 ︱︱それは、お前の立場が昔のワシに近づいてきたせいだろう。
大名の一つや二つつぶす方策ならすぐに授けられる。だが、ここか
ら先は結局はお前が決めるしかない。ワシはワシでお前に託す。ワ
シに夢を見せろ。
 俺は思わず、ほくそ笑んでいた。職業というより、オダノブナガ
は戦友だ。
 その点では、職業としゃべれないケララやタルシャはつまらない
だろうな。いや、俺が異常なだけだから、それをつまらないとか面
白いとか考えるのがおかしいのか。
﹁お兄様、楽しそうだね﹂
 廊下を歩いている時に、アルティアに指摘された。

799
﹁俺たちが悲愴な顔をしてもしょうがないだろ。むしろ、妻を笑顔
で迎えられるような準備をしているんだ﹂
﹁そうだね。きっと、出産は無事にすむよ﹂
 アルティアの言葉が本当になればいいな。
﹁ええ。なにせ、アルスロッド様の子供を生んだ人で、死産だった
人は誰もいないですからね。このまま記録を更新し続けますよ﹂
 ラヴィアラが冗談めかして言った。
 妹の前でそう言われると、多少の気恥ずかしさがある。
﹁あの子は、ラヴィアラのほうに似てきたな。耳もエルフっぽく尖
っているし﹂
 ラヴィアラと俺の間にできた娘は小ラヴィアラと呼んでいる。母
親のように元気な子供になってほしいという願いからつけた。
﹁でも、両親どっちに似てもあちこち動き回るような子にはなると
思いますから、その点ではあまり変わりありませんよ﹂
﹁まあ、おしとやかな子に育つことは期待してないから大丈夫だ﹂
﹁いえ、そんな、きっぱりと言われると微妙な気持ちになるんです
が⋮⋮﹂
 アルティアがくすくすと笑った。
 別室に入ると、俺たちはとりとめもない話をした。それこそ子供
時代に戻ったような、どうでもいいことをたくさん話した。
 昔は子爵の地位を継ぐことさえ考えになくて、俺たちは兄の家臣
のような気分で生きていた。
 領主の家柄だから、大人になれば厄介ごとや争いに巻き込まれる
ことはわかっていたけれど、それはあまり考えないようにして過ご

800
していた。
 アルティアは体が弱くて、森を遊びまわるようなことはできない
から、俺とラヴィアラが一緒にアルティアの部屋に行っては、とっ
てきた木の実を見せたり、森の話を聞かせたりした。慎ましやかな
日々だったが、あれはあれで悪くなかった。
 あれからずいぶん時間が過ぎた。
 三人ともが親になって、俺とラヴィアラの間にも娘がいる。過去
の俺たちが今の話を聞いたら、信じてくれるだろうか。きっと無理
だろうな。
 よもやま話を二時間もしていた頃だろうか。
 取次の次女が使者の到着を告げた。
 使者の表情が喜びに満ちていたので、朗報だとすぐにわかった。
﹁申し上げます! 元気なお子様がお生まれになりました!﹂
﹁うむ。早馬、大儀であった﹂
 俺は鷹揚に言ったつもりだったが、笑みを隠しきれなかったよう
に思う。
﹁それで、男か、女か?﹂
﹁姫でございます﹂
﹁そうか。女子か﹂
 今は王位継承権の順番などを考えるのはやめにしよう。
﹁悪いが、城に戻って、﹃ありがとう﹄と伝えてくれ。母子が落ち

801
着くまでは俺からは近寄らないようにする﹂
 使者が去ったあと、俺は椅子に座って、ふうと深く息を吐いた。
﹁ある意味、戦三つ分ぐらい続けてやったような気分だ﹂
﹁話を楽しんでいたようでいて、それだけ気にされていたんですね﹂
 ラヴィアラに言われた。
﹁当たり前だ。ラヴィアラの子が生まれる時もこんな気持ちだった
さ﹂
137 妻の出産を待つ︵後書き︶
次回から新展開です。征西に向けてようやく動き出します︵遅くて
すいません⋮⋮︶。
さて、11月発売のGAノベル2巻のイラストが続々と手元にやっ
てきてます! 2巻もとっても素晴らしいのでぜひお手にとってく
ださい!
802
138 征西の開始
 ラヴィアラなどと比べると、もともと姫として育てられたルーミ
ーは体力がないせいか、しばらくベッドに臥せっていた。とはいえ、
体そのものは健康で、いずれまた元気になるだろうということだっ
た。
 俺が出産後、最初にルーミーのもとを訪ねた時も顔色は悪くなか
った。
﹁わたくし、頑張りましたわ﹂
﹁それは俺もよく知っている。でかした。王族の血を引く娘の誕生
だ﹂
﹁でも、あなたは本当は、男子ならもっとよかったと考えているん

803
ではありませんこと?﹂
 少し、俺をからかうようにルーミーは言った。
﹁それがな、そんな気持ちは本当になかったんだ。お前と赤子が無
事であることだけを心から願っていたよ。証人ならいる。ラヴィア
ラとアルティアに聞いてみればいい﹂
﹁わかりました。あなたは、策を弄しはしますけれど、心根はまっ
すぐな方ですから、わたくしも疑ったりはいたしません﹂
 ルーミーの顔はもう、母親のものになっていると思った。
 女は子供を生むと、顔つきが変わる。ただ、俺にはそう見えるだ
けかもしれないが。
﹁あとな、娘だろうと王族の血を引く人間には変わりはない。なん
ら問題はないさ﹂
 どのみち、ここから先は俺の政策は流動的になるわけだし。ハッ
セの征西がどうなるかで、出方も変わる。
﹁王都の情勢はわたくしも伝え聞いております。ちょうど、そろそ
ろ出兵がはじまった頃でしょうか﹂
﹁そうだな。敵はカルク子爵という、ちょうど前王派の勢力圏の入
口に当たるところの領主だ。そこに前王派が集まって一万ほど。ま
あ、前哨戦といったところだな﹂
 敵の主力であるタルムード伯・サミュー伯の大領主は、距離があ
ることもあって、あまり兵を出してはいない。むしろ、深くまでハ
ッセたちが攻め込んでくるのを、手ぐすね引いて待っているといっ
たところだろう。

804
 前王派のタルムード伯・サミュー伯が根拠としているタルムード
県もサミュー県もサナド海峡という海を越えなければならない。事
実上、巨大な島だ。そこに上陸してしまえば敵の根拠地で戦うしか
ない。征西軍のリスクもかなり高くなる。
﹁実兄である陛下のことも不安かもしれないが、今は自分の回復を
考えろ。出兵する連中も王だけは絶対に死守せねばならないといけ
ないと思っている。ケガをすることだってないだろうさ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
 妻の前ではウソをつかないように努めた。
﹁まさか、こんなところで王を戦死させるほど征西軍も無能の集ま
りではないだろう。変な話、負けたとしても王が生きていれば大半
の者にとったら、どうということはないのだ。前王派がすぐに王都
に攻め込んでくることはまずありえない﹂
﹁それと、娘の名前を決めないといけないのですが﹂
 これは俺はもう決めていた。
﹁ルーミーでいいと思う﹂
﹁わたくしと同じ名前ですか?﹂
 ルーミーは少しきょとんとしていた。それは考えに入ってなかっ
たのだろうか。
﹁なにせ、王家の血を引く娘だぞ。王族の子女の名前をつけるべき
だ。かといって、俺がかつての姫の名前などを使うとなると畏れ多
い。俺でも不敬だと思う。なら、使っても何も言われない王族の子
女の名前には、何が残っている?﹂
 ルーミーは楽しそうに笑った。
﹁そのとおりですわね。わたくしが自分の名を娘につけても、誰か

805
らも文句は出ませんわ﹂
﹁だろう。あと、白状すれば、俺は名前をつけるのが苦手でな⋮⋮。
娘の場合は妻と同じ名前にしたいんだ⋮⋮﹂
 ラヴィアラの娘の時もラヴィアラと名付けた。どこにでもいる庶
民の名ではないのだ。歴史上、ずっと残り続ける名前になるから、
おいそれとつけられない。
﹁あと、ずいぶんいいかげんにつけた例を知っていてな。そういう
のを踏襲してはいけないと思っているんだ﹂
 ルーミーは何が何だかわからないという顔をしていた。わかるわ
けがないから、それが正しい反応だ。
 ︱︱それはワシへの当てつけか?
 オダノブナガがむっとした声で言ってきた。
 そうだよ。自分の娘に﹁犬﹂とかそんな名前をつけてただろう。
呪術的な意味でもあったのかもしれないけど、なんで娘の名前が﹁
犬﹂なんだ。
いみな
 ︱︱ワシの国では諱を呼ぶことはほとんどなかったのだ。どうせ、
官職や官途名やらで呼ぶのだから、どんな名前だって大差はない。
それと、男子にも変な名はつけたが、それは幼名だ。成人したらま
ともな名前をつけている。
 そのあたりの名前の価値観はオダノブナガの世界とは、相当違う
みたいだけど、それでも犬なんてつける奴はいなかっただろ。
 ︱︱それは、まあ、そうだな。
 じゃあ、やっぱりこいつのセンスは何かおかしい。いやセンスの

806
問題じゃないな。それがおかしいことをわかっていて、つけている
んだから。
 とにかく、俺は自分の娘に犬と名付ける勇気はない。それこそ、
王妹を妻にしてそんな名をつければ反逆の意志ありと思われる。
 ︱︱たしかにそうだ。そこはルーミーという名にするべきだな。
 オダノブナガもあっさり納得してくれた。

 その頃、毎日、早馬が俺のところにやってきていた。
 理由は明白だ。戦時状況を詳しく確認するためだ。
 ただ、本当に重要な情報はラッパのほうからやってくる。こちら
のほうが確度も高い。
 その日の夜はヤドリギが俺の部屋にやってきた。ヤドリギ直々と
いうことは、何か戦局に動きがあったのだろう。
﹁しゃべっていい。むしろ、雄弁に語ってくれ﹂
 跪いていたヤドリギが﹁御意﹂と短く言った。
 俺が初めて出会った頃からヤドリギの容姿はまったく変わってい
ない。ずっと若いワーウルフの女のままだ。実年齢はわからない。
﹁戦況ですが、いよいよ王軍とカルク子爵の前王派が衝突いたしま
した。兵力では王軍が倍ほどかと﹂
﹁そのはずだ。敵が一万で王軍が二万と少しか﹂
﹁それで、戦況なのですが、敵の守りが堅く、王軍は攻めあぐねて
おります。いくつかの砦を攻めていますが、攻城戦に慣れている将

807
が少ない様子で﹂
 いかにもありそうな話だな。平原でぶつかるならともかく、砦を
落とすとなると、数だけというわけにはいかない。将の判断が必要
になる。
139 大戦の準備
 いかにもありそうな話だな。平原でぶつかるならともかく、砦を
落とすとなると、数だけというわけにはいかない。将の判断が必要
になる。
 そして、まともな将など、王族から副将クラスを選んだハッセの
軍隊にいるわけがないのだ。
 しかも、ハッセはほとんど孤立無援で流浪していたから、股肱の
忠臣なんて者もいない。数を集めたデモンストレーションぐらいは
できても、本格的に敵と戦うとなると、難がありすぎる。
﹁その調子だと、十中八九、ハッセは敗北するだろうな。戦い方が
わからない者を敵の倍以上集めてもどうしようもないだろう﹂

808
 敵もその程度のことはわかっているのか。それとも、敵の数が多
いから守りを固めたのか。
 まあ、どっちでもいい。これでハッセの能力がたかが知れている
ということが明るみになれば、後々俺にとっては有利になる。
﹁で、ハッセはどうするつもりだ? 無理に攻め立てるつもりか?
 あっさり尻尾を巻いて退散しそうか?﹂
 重要なのはここだ。どこで撤退するかによって、被害もまったく
変わってくる。おおかたの戦況ぐらいなら一般的な早馬の使者でも
伝わる。
 王の判断の次元にまでくると、ラッパの力が必要になってくる。
 俺ならすぐに退く。もちろん、退き方を考えないと追撃のおそれ
もあるが、今回は兵の質が悪すぎて硬直しているのだ。ならば、力
攻めを繰り返しても、死者が増えるだけだ。まともな将がいればい
いのだが、ないものはないと、諦めるしかない。
﹁ほぼ確実に、無理な攻めを続けるかと思います。最初の遠征で負
けたという記録を王は残したくないでしょう﹂
﹁ならば、ただの敗戦ではなくて、大敗になるな﹂
 俺はほくそ笑んだ。
 自分から権威を失ってくれるなら、俺にとって好都合だ。
 さらに、俺に援助を求めるなら、多くの領主は俺を次の王にふさ
わしい男だとみなすだろう。
﹁もっとも、すぐに摂政閣下に援軍を求めるかは不明です。それこ
そ、自分が無能だと示すことと大差ないですから、なんとか閣下抜
きでの解決を図るでしょう﹂

809
﹁それでいい。それでいい﹂
 傷口をどんどん広げていってくれ。そして、打つ手がなくなって
から、俺を頼れ。
 となると、俺が対峙するのはそれなりに意気軒昂な前王派の軍と
いうことになるだろうな。相手にとって不足はない。そこで俺が負
けるようなら、どのみち、王の座を狙うどころの話ではない。
﹁ヤドリギ、今後は王軍の動向よりも、前王派についての情報を集
めてくれ。敵と初めて当たる時には、まるで知己のようにすべてを
知り尽くした状態で戦えるようにしたい﹂
﹁御意﹂
 そう言うと、さっとヤドリギは窓から外に抜け出ていった。庭を
一匹のオオカミが走るのが見えた。
 マウスト城に戻るのは博打の要素もあった。これでハッセが活躍
しすぎると、俺の天下が遠のくリスクもあった。
 しかし、俺は今のところ、博打に勝っているようだ。
 俺は力を蓄えつつ、最善の状態で王を助ける側として参戦すれば
いい。

 俺は早速、新規の兵の軍事訓練を本格的に行いはじめた。
 三ジャーグ槍は扱うのに、それなりの準備期間を要する。だが、
一度覚えてしまえば、それから先は実に楽だ。具体的には、戦争が
楽になる。

810
 近くに敵を寄せつけないですむ武器はそれだけで強い。
 誰だって死の危険を感じたくはないからな。それをうれしがるの
は、俺ぐらいのものだ。だいたい、名のある武人はそのあたりの価
値観が常識から欠落している。
 それと、さらなる遠距離武器のほうの量産も行っている。
 ドワーフのオルトンバに作らせていた鉄砲だ。
 俺は自分用の鉄砲で木の的を撃った。
 しっかりと的に穴が空いた。以前より精度が上がっていると思う。
結局は慣れだ。弾がもったいないが、慣れていけば当たる率も格段
に上がる。
 俺の横では鉄砲を考案したオルトンバが立っている。
﹁うん、悪くないな。どこを改良したのかよくわからないが、性能
としては申し分ない﹂
﹁ありがとうございます。以前のものより軽量化を行っております。
また、雨天時でも使用しやすいように雨除けをつけました﹂
 そのあともオルトンバは長々と説明を行った。鉄砲のことをしゃ
べるとなると、楽しくてしょうがないのだ。典型的な技術者と言え
るだろうか。
﹁それでだ、オルトンバ、この鉄砲を合計三千挺用意したい。間に
合うか?﹂
﹁三千、ですか⋮⋮﹂
 オルトンバの表情も少し固まった。それなりの数だということは
俺も理解している。
﹁これまで作ってきた旧型のものも数には含めていい。合計三千だ。
それだけあれば、間違いなく前王派の連中にも勝てる﹂
 少しの間を置いて、オルトンバは分厚い胸を叩いた。

811
﹁わかりました! 必ず間に合わせます! すでに量産できる体制
は整っておりますので!﹂
﹁よく言ってくれた。これで、準備は万全だな﹂
 この鉄砲という武器は、レベルの低い魔法なんかよりはるかに危
険で、殺傷力がある。
 三千の鉄砲を使えば、戦一つは確実に取れる。
 まずはタルムード伯とサミュー伯の領地の手前までを俺がすべて
奪う。
 そこから先は長引くかもしれない。敵もそれなりの覚悟と守りで
のぞんでくるだろう。場合によっては、俺が直接乗り込んで、敵を
仕留める。
 それで前王派を掃討できれば、俺に対抗できる勢力は消える。
 あとは、王の地位をいただくだけだ。
﹁できれば陛下には残り一か月ほど粘ってもらいたいところだ﹂
﹁なるほど。摂政閣下が全力を尽くすのにも、その程度の期間が必
要ですものな﹂
 オルトンバには俺の真意が伝わっていないようだ。
﹁そう考えてもらってもいい﹂
 一か月もハッセがだらだら戦った後に撤退するとなれば、王の威
信はずいぶん下がるだろう。王都に戻る兵の服も砂ボコリで汚れて
いるだろう。
 再び、自分が軍を率いるとは言えず、俺に助けを求めるだろう。
 どのみち、俺は自分から参戦するわけにはいかないのだ。

812
 ハッセが助けてくれと言ってこなければ、王位を奪いに来た摂政
に見えてしまう。
 だから、とことんやるだけやって、諦めてくれるのが一番いい。
140 手のついてない妻
 ハッセが音をあげて、俺に救援を求めるのを待つべきなんだろう
けど、ゆっくり手をこまねいているのは俺の性格に合わなかった。
 ただ、次の作戦の前に解決しないといけない問題があった。
 一言で言えば、家庭内の問題だ。
 こればっかりは俺が動かないと解決しそうにない。
 俺は側室であるユッカの部屋を訪れた。
﹁あっ⋮⋮。摂政閣下⋮⋮。散らかっている部屋ですみません⋮⋮﹂
 まだユッカは俺に慣れてないというか、マウスト城での生活にも
慣れていなかった。

813
 ニストニア家という、現在では伯爵である領主の娘であるはずな
のに、どこかあか抜けないところがある。これは生来の性格による
ものだろうか。同じ領主の娘でも、セラフィーナとはえらい違いだ。
 まあ、側室になってから日が浅いというせいもあるかもしれない。
あまりにも露骨な政略結婚だったし、俺もあまりユッカのところを
訪れてはいなかった。もちろん、軍事作戦などで忙しかったという
のもあるが。
 その時も自分が部屋の主人であるはずなのに、ずいぶんと隅のほ
うに寄って、小さくなっていた。
﹁ユッカ、君は別に使用人じゃないんだ。もっと、リラックスして
くれていいんだが。俺の顔はそんなに怖いかな。別にオークやオー
ガの顔をしているってことはないつもりなんだけど﹂
﹁いえ、そういうわけじゃ⋮⋮﹂
 どうも、この子のおどおどした様子を見ると、嗜虐心を誘うとい
うか、いじめたくなってしまう。俺はそういう心を押し殺した。
﹁それとも、あまりにも人を殺してきた男のそばに来るのは怖いか
?﹂
﹁ち、違います⋮⋮。そんなことはないです⋮⋮。ただ、恐縮して
しまって⋮⋮私なんかが、末席とはいえ、摂政閣下に側室として仕
えているだなんて、いまだに実感が湧かなくて⋮⋮﹂
 とにかくユッカは自分に自信がない。それも度を越している。
 もっとも、わからなくはない。今、歴史は激変している。その中
でどう生きていけばいいのか、見当がつかないという人間がいたっ
て不思議じゃない。道を誤れば、自分の身も、一族も、すべてが滅

814
んでしまうのだ。数百年前の安穏とした時代の領主たちよりはるか
にストレスも多いことだろう。
 ただ、大半の人間は怖くないふりをしているか、鈍感でそんな意
識すらないかのどちらかだ。
 とはいえ、ずっと妻がこれでは俺も困る。なにせ、今後もユッカ
には不安な日々が待っているはずなのだ。俺がお行儀よく摂政をや
っているなんてことはありえない。最低でも戦地に出ていくことに
なる。
 だからこそ、早くけじめをつけておきたかった。
 もちろん、ニストニア家との政治的な問題もあるが、それよりも
妻との関係のほうが大事だった。
 俺はゆっくりとユッカのほうに近づいていった。
 なぜか、ユッカは席を離れて壁のほうに逃げていく。
 それを俺が追いかける格好になる。
﹁どうして、逃げるんだ、ユッカ⋮⋮?﹂
﹁その⋮⋮すいません⋮⋮﹂
 そのまま、ユッカの真ん前の壁を、強く押す形になった。
﹁ひゃっ!﹂
 これでは俺が悪漢じゃないか⋮⋮。
﹁ユッカ、そんなに俺が怖いなら、こちらも離れるしかないだろう
が、夫が近づくと逃げ出すというのは、少しひどいんじゃないか⋮
⋮?﹂
﹁すいません⋮⋮男の方にはまだ慣れていなくて⋮⋮。いえ、それ
だけではありませんね⋮⋮。ほかの奥様たちにも、気後れしてしま
って⋮⋮﹂

815
 ユッカはウソなどつけない性格だから、結果的にすべてを自分の
口で語ってくれた。
 俺の妻となってからも、ユッカはほとんど自室に引きこもってい
た。
 最初はセラフィーナなども何度か誘いだそうとしたようだが、﹁
思ったよりもガードが堅くて、やりづらいわ﹂と俺に言ってから、
あまり誘わないようになってしまった。
 単純に自分とウマが合わないと感じたのだろう。たしかにセラフ
ィーナとユッカの性格はちょうど真逆と言ってよかった。
 しかも、悪いことに、婚姻自体が俺の北方遠征直前だったことも
あり、婚約が成立したあとも、俺はあまりそばにいなかった
 そのせいで、ユッカは妻たちや侍女のサロンの中でも、孤立して
しまっていたのだ。いや、孤立してしまっていたという表現は正確
じゃない。ユッカ自身が孤立を望んでいた部分も強い。ニストニア
家でもほとんど外に出ることはなかったはずだ。
﹁まさに、それを解決しに、俺は来た﹂
 俺はユッカの瞳を見ながら言った。
﹁解決、ですか⋮⋮?﹂
﹁ユッカ、ここには君と俺以外誰もいない。だから、はっきりと言
うぞ。俺は君と愛し合いたい﹂
 ユッカがびくっと体をふるわせた。
 そう、俺とユッカは婚約はしたものの、ずっと愛し合う関係にな
かった。

816
 実のところ、これはそう珍しいことじゃない。政略結婚というの
は、家の都合だけでなされたものも多い。一番ひどいものになると、
結婚翌日に妻を塔に幽閉した領主なんかもいる。
 けれど、それがいいわけがない。
 側室にまったく手をつけないとなると、本当に政略のためだけに
相手を利用したと言われてもしょうがない。
﹁言い訳をさせてもらうと、俺はとても忙しかった。しかも、君は
君で引っ込み思案で、おそらく俺のことを恐れている面があった。
だから、俺はそれなら無理をしなくてもいいかと、ずっとこのこと
を後回しにしていた﹂
﹁いえ、それは摂政閣下は悪くありません⋮⋮。私もほかの奥様た
ちの美貌にとてもかなわないし、摂政閣下がいらっしゃらないのも
当然だと考えていました。それで安心してもいました﹂
 それが真相なんだと俺も思っていた。
 セラフィーナのような外向的な性格の女と比べると、内気なユッ
カには華がなかった。
 でも、それは美しくないというのとは違う。ただ、美しさの種類
が違うだけだ。
﹁もし、許されるなら﹂
 俺はそっと、ユッカの手を自分の両手で包んだ。
﹁今夜、君を抱きたい。妻として﹂
 まったく経験がないのだろう。ユッカの困惑した瞳が俺を見つめ
返している。
﹁怖いというなら、無理強いはしない。君を苦しめたら何にもなら

817
ないからな。ただ、このまま時間を空けてしまうと、君がもっと不
安になってしまうかと思った。また、俺は長く戦地に出ていくだろ
うから﹂
 俺はゆっくりとユッカの返答を待った。
141 ユッカとの初夜︵前書き︶
コミカライズが決定いたしました! ありがとうございます!
818
141 ユッカとの初夜
 俺はゆっくりとユッカの返答を待った。
 待つことすら俺はほとんどできていなかったなと思う。それぐら
い、ユッカに時間を使うことができていなかった。
 ユッカが俺の側室になった時、すでに何人も妻や愛人がいた。俺
自身、ユッカの面倒を見ている場合ではなかった。北方作戦の直後
に、同盟相手に裏切られた。正念場だった。結婚当初から蜜月の時
間はなかった。
 そして、ユッカはユッカで、ほかの妻たちを見て気恥ずかしくな
ったのか、ほとんど表に出てこなかった。
 そして、じわじわと時間が過ぎてしまっていた。

819
 このままでいいわけがない。後から入ったとはいえ、妻をほった
らかしにしてしまっていた。
 ユッカはなかなか口を開かなかった。
 視線は合っているけれど、だんだんとユッカの目が泳いでくる。
 やはり、ユッカは気が小さい。いや、俺が特殊な人間たちと付き
合いすぎていたせいだろう。こんなことを突然言われて、言葉が出
てこないのは自然だ。
 本当に、ユッカは身分を別にすれば、ごく普通の女の子なのだと
思った。こんな子はかつて、俺が田舎の村を領していた時は何人も
いた。それが領主になっていくうちに、視界に入らなくなっていっ
た。
﹁怖いなら、手をつないで庭を散歩するだけでもいい。それも嫌な
ら、そうだな⋮⋮一緒にお茶を飲んでくれるだけでもいい。君が幸
せになれることを何かやろう﹂
 俺も自分がやけに必死になっているなと思った。
 本当に恋をした一少女を必死にくどいてるみたいだ。
 違うな⋮⋮。俺、これ、本当にユッカという少女に恋をしている
んだ。
 今までは俺は領主だった。誰かを愛することはあっても、恋をす
ることってなかった。相手が振り向いてくれることは、なかば規定
事項であって、誰かを振り向かせることに必死になるだなんてこと
はなかった。
 俺はユッカという少女に振り向いてもらおうとしている。それは
初めてのことなんだ。

820
 きっと、町や村の男は惚れた女をこんなふうに口説くんだろうな。
それで許しを得たり、こっぴどく振られたり⋮⋮まあ、そんなこと
を繰り返しているんだろう。
 ︱︱あっはははは! これから天下を取ろうという男が、何をし
ている! お前ももう年齢は三十歳に近いだろうが。どうして、そ
んな女に心から懸想しておるんだ! 十四、五の若造のようだな!
 職業のオダノブナガにまで笑われた。まあ、恋焦がれるだなんて、
王を目指す人間がすることではないと言われればそれまでだ。
 ただ、俺は自分の妻を幸せにしたいんだ。
 そして、この子を形の上では側室にしたのに、放っておいてしま
った。
 その穴埋めをどうにかしてしようとしていた。
 ︱︱お前の当初の考えはおかしなことではなかった。ニストニア
家にも兵を出させるために、今のうちにシャーラ県のほうに出向い
ておこうという魂胆だったな。間違いではない。顔を出せば、ソル
ティス・ニストニアもお前と一蓮托生という気になる。シャーラ県
は王都からも近いからな。目付役としても正しい。
 オダノブナガが俺の頭の中で解説を続ける。
 ︱︱だが、そこでお前はニストニア家のこの側室の娘のことが気
にかかった。そしたら、この娘のことで、頭がいっぱいになってお
るではないか。そりゃ、側室との仲もよいと義父に報告できるに越
したことはないが、お前は摂政だぞ。そんなこと、相手は気にはせ
んわ。

821
 だから、妻を幸せにしたいと言ってるだろ。
 俺は不幸な女をできるだけ作りたくない。なのに、自分の側室に
目が届いてないだなんて、お笑い草だ。
 ユッカはもう一度、俺の顔を上目遣いで見て︱︱
﹁ふふふっ! 摂政閣下、おかしいです!﹂
 そう言って、声を出して笑った。でも目には涙がにじんでいた。
﹁私なんて、しがない領主の、つまらない娘ですよ。セラフィーナ
様やルーミー様やラヴィアラ様やフルール様の美貌にだって、ちっ
ともかないません。なのに、なのに⋮⋮あなたは、こんなに真剣に
私のことを見つめてくださるんですよ⋮⋮﹂
 ユッカは俺の胸に体を預けた。
﹁不束者ですが、私を愛してください⋮⋮。何もわからないですけ
れど、やれる限りのことはいたしますから⋮⋮﹂
﹁ありがとう、ユッカ﹂
 俺はぎゅっとユッカの体を抱きしめた。軽い体だと思った。

 そのあと、ユッカと初夜を迎えた。本当に遅すぎる初夜だ。
 ユッカも大変そうだったけれど、最後はベッドの中で俺の手を握
ってくれた。
﹁私、小生意気かもしれませんが、摂政閣下の強さの秘訣がわかっ
た気がします﹂
﹁秘訣?﹂

822
 ユッカは微笑んで言った。
﹁私なんかのために、あんなに真剣になる殿方なんて、同じ立場の
方でもほかにいないですよ。もう、損得を超えてるじゃないですか。
損得を超えて、何かを成し遂げようとすることなんて、普通の人間
にはできませんから﹂
﹁ああ、そういうことか﹂
 一人の女を愛することに、こんな局面で一生懸命になる摂政は過
去にさかのぼってもいないかもしれない。
 ただ、一点、気に入らないことがあった。
﹁ユッカ、﹃私なんか﹄っていう表現はもう使うな。これは摂政と
しての命令だ﹂
 俺は少しだけ硬い声で言った。
﹁君も十分に美しい。そんなつまらない言葉で自分を卑下するな。
君は摂政の妻の一人だ﹂
﹁⋮⋮はい、以後、気をつけたいと思います⋮⋮﹂
 ベッドの中でユッカは俺の胸にもう一度、顔をうずめた。
﹁あなたに愛されて、幸せです。本当に、本当に⋮⋮﹂
 時間がかかったけれど、俺たちは正しく愛し合えたと思う。でき
れば、これからもこの関係がずっと続いてくれればいい。
 明日はニストニア家のところに向かう予定だけれど、少しぐらい
眠りが浅くなってもいいだろう。
 その晩、俺はもう一度、ユッカを求めた。

823
141 ユッカとの初夜︵後書き︶
ガンガンGAさんにてコミカライズが決定いたしました! 詳しい
ことは昨日アップした活動報告をごらんください! また今月発売
のGAノベル2巻のイラストなども公開していきたいです!
824
142 ニストニア家を訪ねる
 俺はニストニア家の本拠であるシャーラ県のニストニア港を訪れ
た。横にはユッカも並んでいる。
 マウストから船に乗ってそのまま海伝いに行けば、さほど時間は
かからない。潮に上手く乗ったせいもあって、その日の夜にはニス
トニア港に着くことができた。
﹁摂政閣下、長旅お疲れ様でした﹂
 伯爵のソルティス・ニストニアが俺を迎えに来た。夜遅い時間だ
が、摂政を迎えないわけにもいかないということだろう。手間をか
けさせてしまった。
﹁婿殿と呼んでくださってもかまいませんよ﹂
 俺の冗談に、﹁いえいえ、畏れ多い⋮⋮﹂とソルティス・ニスト

825
ニアは手を横に振った。
﹁征西軍のほうがあまりかんばしくないとお聞きしているのですが、
おそらく伯爵なら詳しくご存じかと思いまして﹂
 表向きはこう言ったが、ソルティスもバカではない。おおかたの
目的は察しているだろう。
﹁今夜は遅いですので、お休みになられてはいかがですかな。寝不
足では頭も働きませんので﹂
﹁お言葉に甘えさせていただきます。それと、伯爵﹂
 俺は笑みを作って言った。
じっこん
﹁あなたの娘とは入魂にさせていただいております。ユッカは大事
な妻の一人です。彼女の幸せは俺が保証いたします。ご安心くださ
い﹂
 そう言って、俺はユッカの肩に手を置いた。
 ソルティスは少し呆けたような表情をしていたが、しばらくして
から、
﹁ありがとうございます。摂政閣下のご寵愛をいただけるとは、娘
は幸せ者です﹂
 と言った。口ではそう言っていたが、ほっとしているのがわかっ
た。
 政略の道具とはいえ、自分の子供のことが気にならない親はいな
い。

 翌日、俺はソルティスに人払いをさせて、今後の相談を行った。
 ソルティスは俺が摂政になる前からの、俺の与党だ。これまでも

826
忠実に俺に従ってくれた。かなり深いことを話しても問題はないだ
ろう。
﹁征西の件ですが、やはり俺抜きでは難しいようですか?﹂
﹁結論から申し上げれば、そういうことになります。陛下のお力だ
けではやはり限界があったのかと。いえ、陛下一人の責ではありま
せん。兵は弱兵で、将もまったくの経験不足⋮⋮。あれでは勝てる
ものも勝てません⋮⋮﹂
 俺の認識と同じことをソルティスは語った。それだけ俺の情報集
積能力が高いということだ。
﹁カルク子爵は別に籠城戦の名人というわけでもないはず。なのに、
攻めあぐねているとなると、やはり征西軍の能力面の問題でしょう
ね。俺は陛下のお疑いを晴らすためにも、居城に引っ込んでいます
が、声がかかればすぐに駆けつけるつもりです﹂
 ソルティスはゆっくりとうなずいた。
﹁摂政閣下が動けば、こんな敵は、ものの数ではないでしょう。ひ
とまず二県ほどはすぐに制圧できるでしょう。もとより、海峡より
手前で苦戦するつもりなど摂政閣下にはないとは思いますが﹂
 海峡というのは、サナド海峡のことだ。その先にタルムード伯・
サミュー伯という二大巨頭が控えている。
﹁はい。そして、伯爵にもこの戦いには、ぜひとも手を貸していた
だきたいのです﹂
 ソルティスの表情が硬くなる。とはいえ、別に不快だという意味
ではない。それぐらいのことを求められるのは、承知しているはず
だ。
﹁無論、ご助力いたします。ただ⋮⋮今回は戦場の位置からしても、

827
海軍を出すことはできません。あまり我が軍が役に立つかと言われ
るとわかりませんが﹂
﹁最前線に出てくれなどとは申しません。しかし、伯爵が大軍で参
戦すれば、ほかの領主たちも俺の下に馳せ参じようとするはずです﹂
 ソルティスの目の色が変わった。俺の目的が読めたということだ。
 王であるハッセの征西時には動かなかった領主たちが、摂政の俺
が戦線に現れた途端、一斉に動いたとなれば、周囲に与える印象は
どうなるか。
 俺こそが王国の指導者だと、あらためて思い知るだろう。
 しかし、領主一人一人の忠誠心を試してもしょうがない。大半の
領主は臆病だ。道を誤れば滅ぶのだからそれもしょうがない。
 逆に言えば、大領主が率先して合力したとなれば、駆けつけない
わけにもいかない。
﹁なるほど。私は去就を迷っている者を先導する役を果たせばよい
というわけですな﹂
﹁陛下の征西に兵を貸さないような不届き者も伯爵が積極的な軍事
行動に出たとなれば、必ず協力するでしょうから。敵を直接叩くの
は、こちらの精鋭部隊でやります。すでに征西も長引き、敵軍の情
報も入ってきております。攻略は可能です﹂
 ヤドリギから敵についての内情は仕入れている。兵糧に余裕はな
いらしいし、後方部隊を攪乱すれば、そのうち隙ができる。籠城に
しては兵力が多いからな。
 今は征西軍を倒して士気も高揚しているだろうが、ひとたび食べ
るものがないという事態に直面すれば、そんな気持ちも萎える。
﹁私のほうからも、摂政閣下にお力を借りるべきであると陛下に進

828
言しておきましょう。引き際を陛下もきっと探していらっしゃるは
ずですからな﹂
 俺は思わずほくそ笑んだ。
 それはありがたい。少なくとも、俺が兵を出しましょうかと言う
より、よほどハッセも首を縦に振りやすい。
﹁なにとぞよろしくお願いいたします。お互い、王国の安寧のため、
力を尽くしましょう﹂
﹁そうですな。それには摂政閣下の力が欠かせません﹂
 俺とソルティスは椅子から立ち上がると、しっかりと握手をした。
 そして、さらっと俺は言った。
﹁どうか、伯爵はエイルズ・カルティスやブランド・ナーハムのよ
うに、俺を裏切らないでくださいね﹂
 途端に、ソルティスの顔が青くなったのがはっきりとわかった。
俺は笑っているつもりだったが、笑っているからこそ怖いというも
のもあるのだろう。
﹁誓って言いますが、俺は自分のためについてきてくれた人間を切
り捨てたことは一度もありません。恩義には必ず応えます。ニスト
ニア家もさらに発展させてみせます。どうか、道を誤らないでくだ
さい﹂
﹁はい⋮⋮。決してそのようなことは⋮⋮。だいたい、摂政閣下を
裏切って誰につくというのですか⋮⋮?﹂
﹁それもそうですね。杞憂でした﹂
 おそらく、それで俺のまとっていた空気から殺気が抜け落ちただ
ろう。

829
﹁今後ともよろしくお願いいたします﹂
 ニストニア家は間違いなく、俺のために働いてくれるだろう。
143 摂政進軍
 ニストニア家との連携を確認すると、俺はすぐにマウストに戻っ
た。
 船旅だが、隣にはユッカがいる。二人でベッドに座っていた。船
が大きく揺れる時はすぐにベッドに横になれば、酔いでもつらくな
い。
 そんなに船に乗ったこともないほどに箱入り娘だったはずなのに、
酔いには強い。これも港を押さえている領主の一族の血だろうか。
﹁その⋮⋮私をあんなに愛してくださったのは、この同盟のためだ
ったんですか⋮⋮?﹂
 言葉に力はないし、うつむいているけれど、わずかに非難のよう
なニュアンスが込められている。

830
﹁まあ、何の関係もないと言えばウソになっちゃうな。ユッカはど
こかの村の田舎娘じゃなくて、伯爵家の娘なんだから﹂
 俺はユッカの肩を抱き寄せて、言った。
﹁だけど、俺の気持ちはユッカに伝わってと思っている。そりゃ、
俺には何人も妻がいるけど、だからって、それがユッカを愛してな
いことにはならないだろ﹂
﹁はい⋮⋮それはわかっています⋮⋮﹂
 ユッカのほうも俺に体を預けてきた。
﹁お父さんに会う機会を作ってくれたこと、感謝いたします。もし
かしたら、運が悪かったら二度と会えないかもしれないですから﹂
﹁それはユッカが考えていたことか?﹂
﹁いえ、お父さんと二人で話をした時に、そう言われました。これ
から、かつてない大きな戦いが起こるから、自分では読み切れない
ところも多いと﹂
 ユッカを連れていったのは、まあ、そういう意味合いもある。
 当然、俺は勝つつもりだ。それだけの用意もしてきた。だからっ
て、敵が無為無策で来るわけではないし、思いもよらないことで勝
敗が逆転することもある。
 戦史を開けば、わずかな手勢が奇跡的に敵を打ち破ったような話
はいくつも残っている。
 何があるかはまだわからない。まして、俺の味方をした者が途中
で殺されることだってある。オダノブナガの弟の中にも、従軍中に
敵に殺された者がいた。重臣の中にも戦死者は幾人もいた。被害の
ない統一事業などない。

831
 俺ができるのは、そのリスクができるだけ小さくなるように努め
ることだけだ。
 ︱︱なんだか、ずいぶんと感傷的で悲観的ではないか。
 オダノブナガ、こういうのは、少しばかり悪く考えているほうが
いいんだ。希望的観測だけで動くのは大将のやり方じゃないだろ。
 ︱︱まあな。結局は、やってみんとわからんからな。それに覇王
というものは孤独なものだ。お前もその孤独が板についてきたな。
成長した証しだ。覇王から王まであと一歩だぞ。
 褒め言葉として受け取っておくよ。
 俺がマウストに戻って二週間後、ついに王国からの使者がやって
きた。
﹁申し上げます。陛下率いる征西軍は賊軍カルク子爵フォース・モ
レーシーの攻撃を受けて、あえなく撤退することになりそうです⋮
⋮。このままでは賊軍が勢いづいてしまいます。なにとぞ、今の征
西軍と入れ替わりで指揮を執っていただけないでしょうか⋮⋮?﹂
 使者は泣きそうな表情でそう説明した。それが演技なのか、そこ
まで追い詰められているのかどちらかはわからない。
﹁それは陛下たちはお逃げになられて、こちらで率いた兵だけで戦
えということでよろしいですかな?﹂
﹁は、はい⋮⋮。食糧もあまり残っておりませんので⋮⋮できる限
り自弁でお願いいたしたく⋮⋮﹂
 ぎりぎりまで粘ったツケが完全にハッセに来ているな。
 その分、こちらの思い通りにやらせてもらう。

832
﹁なるほど。委細承知いたしました。ただし︱︱﹂
 俺は﹁ただし﹂という言葉の語気を強める。
﹁︱︱この件は火急の問題。この摂政アルスロッド・ネイヴルが大
将軍として結集させた兵をすべて指揮いたします。陛下のご聖断を
仰ぐ時間もありませんので。それでよろしいですな?﹂
 使者はたじろいだ。
 そのようなことを自由に認められるだけの権限がないのだろう。
 かといって、ここで条件がこじれて、俺が兵を出さないというこ
とは絶対に許されないだろう。それこそ、使者が帰るべき場所がな
くなってしまう。
﹁はい。緊急事態であれば、それもやむをえないかと⋮⋮。大軍を
率いることができるのは、もはや我が国で摂政閣下ぐらいしかいら
っしゃいませんので⋮⋮﹂
﹁では、すぐに軍の編制にとりかかります。そう時間はとらせませ
ん。ご安心ください﹂
 すでに兵糧の準備はできている。当然、兵を動かす準備も。
 まずはカルク子爵フォース・モレーシーを滅ぼすか。

 三日後には俺は先遣隊を小シヴィークを大将にして、出発させた。
 その後ろから俺の主力部隊および、ほかの領主たちの軍が合流す
る。
 オルビア県はすでに完全に俺の支配下なので、オルビア県の街道

833
を通る。ここは小勢力が跋扈していたせいで、山がちなうえに街道
の整備も遅れていたが、この日のために、道として機能するよう整
備をさせていた。
 俺がカルク子爵に対峙する場所に陣を構えた時には、すでにハッ
セは撤退しており、名代を務める王族の一人がいるぐらいだった。
侯爵の地位を持っているが、それも形だけの男だ。
﹁このたびはご助力感謝いたします⋮⋮。敵方は籠城から断続的な
攻勢をかける方針に切り替え、こちらに打撃を与えてきました。そ
の攻撃で征西軍の士気も下がり、総崩れの恐れも出てきたため、摂
政閣下にお越しいただくないと会議の末、決定いたしたのです﹂
 そのなで肩からは、とても戦場に慣れていないのが一目瞭然だっ
た。損な役回りをやらされてこの男も大変だろう。
﹁陛下のために戦うのは当然のこと。賊軍を叩きつぶしてみせます
ので、ご安心くださいませ﹂
 征西軍は尻に帆をかけて王都へと撤退していった。
 さてと、あとは自由にやらせてもらうか。
 俺は早速、軍人を集めて、会議を開いた。
﹁さて、敵の砦、どうやって落とす? こう聞いてはみたが、俺の
方針はもう決まっている。正解が出せるかお前たちに尋ねる﹂
 静かに手を挙げたのはケララだった。
﹁まずは待ちましょう。そして、また敵が攻撃を仕掛けてきた時に
攻め入り、一気に討ち果たします。問題がないようであれば、その

834
まま敵の城に攻め上りましょう﹂
﹁ちなみに、なぜ、そう考える?﹂
﹁籠城戦をやっていた敵が城を出ての攻撃に転じてきたということ
は、おそらく兵糧が残り少なくなってきた証拠かと。早いうちに敵
軍を追い返したい腹のように見えます。栄養状態の悪い兵であれば、
しっかりと備えて撃退すれば問題はないかと﹂
﹁やはり、ケララは優秀だな。俺も同意見だ﹂
144 敵子爵生け捕り
 ずっと籠城で征西軍をしのいで十分な戦果をあげていた前王派の
カルク子爵側が、ここ最近、征西軍めがけての攻撃を敢行しはじめ
た。
 ということは作戦を変えないといけない理由があったと考えるべ
きだ。
 別に急速に征西軍が増強されたわけではないから、理由は籠城側
に求めないといけない。
 それはずばり、食糧事情が悪化したからだ。
 事実、ラッパからの報告でも突撃してきた兵が征西軍の兵糧を奪
ったとか、荷台を攻めたとか、そんな話が入っている。無論、兵糧

835
への攻撃自体は、飢えてなくても敵への打撃になる行為だが、賊軍
がやけにやせ細っているという報告も一緒に入っていれば、ほぼ間
違いない。
﹁陛下は惜しいことをされた。もっと腰を据えて、意地でも動かな
ければ、敵が音を上げたかもしれない。しかし、あまりにも弱兵の
集まりであったがゆえに、敵の攻撃がそのまま効いてしまった。こ
うなると、攻める気力もない兵士たちは、敵に怯えるようになる。
とても対陣を続けることはできない﹂
 そこで俺にお呼びがかかったというわけだ。
﹁ほどよく敵を弱らせてくれていて、ありがたいですね。これなら、
籠城を続けさせるだけでもこちらで勝てますよ。後背地は敵に襲わ
れる心配もないので、当面はこちらは兵糧で困りませんし﹂
 ラヴィアラもこの戦いは楽な一戦だとわかっているので、実にあ
っけらかんとしている。
﹁たしかに籠城だけでも勝てる。だが、それだと印象はあまりよく
ないな。どうせなら、ここは城を力で落としたい。そのためにも敵
には出てきてもらったほうがいいのだが、まあ、そこは相手のある
ことでもあるので、出てくるのを願うだけだな﹂
﹁兵糧を積んだ車をおとりに置いておきましょう﹂
 ケララがそう進言した。俺はそれをすぐに採用した。

 はたして、三日後、カルク子爵フォース・モレーシーの軍が本城

836
からまとまった数、攻めてきた。
 兵の動きで栄養状態はおおかたわかる。決していいものじゃない。
﹁全体的に軽装の者が多いですね﹂
 目のいいラヴィアラにはその様子が遠くからでもよくわかるらし
い。
﹁強襲してすぐ引くからというのもあるだろうけど、重い鎧はつけ
てられないってことだな。騎兵がいないのは、おそらく馬を食った
からだろう﹂
﹁それじゃ、いきますか。弓兵用意!﹂
 ラヴィアラの号令一下、弓兵が兵糧付近を的にして待ち構える。
 そこに敵が攻め込んでくる。
 弓の連射で敵兵が次々に射られて倒れる。
 そもそもが無茶な攻撃だ。こちらが守りを固めていれば、どうと
いうことはない。征西軍がやられたのは、すぐに怯えて背中を見せ
たからだ。敵が弱くても後ろを向けば絶対に勝てるわけがない。
 こちらの攻撃はなかば作業だった。近づいてくる者に矢を浴びせ
て殺す。
 そのうち、突撃の勢いも落ちてきた。いよいよ、連中はいい的に
なった。鉄砲を使えばもっと効率的だっただろうが、使うまでもな
い相手だ。
﹁かなり弱っていますね。これではゾンビですよ﹂
 自分でも敵を射殺しながらラヴィアラが言った。射手のラヴィア
ラの弓矢から逃げられる者はほぼいない。もっとも、別に狙いを定
める必要もない状態だ。敵側にはまともな将などいない。

837
﹁生きたままゾンビにさせるよりは殺してやったほうが慈悲がある
というべきだな。さて、攻め上るか。親衛隊三部隊、用意はいいか
?﹂
 すでに赤熊隊オルクス・白鷲隊レイオン・黒犬隊ドールボーは出
撃を控えている。
 大きな声が上がったので、﹁攻め込め!﹂と俺は命じた。
 こちらの弓矢で大きな犠牲を出している敵軍にこちらの軍が向か
って、飲み込んでいく。弱兵に力を与える突撃の威力も、一度弓矢
で足踏みさせてしまえば、あとはひょろひょろの死に損ないが集ま
っているだけだ。
 一気に蹂躙がはじまった。ほぼ出てきていた敵軍は壊滅した。
 だが、これで攻撃は終わらない。むしろ開始と言っていい。
 敵の一部が本城の中に逃げ戻っていく。
 その中にドールボー率いる黒犬隊の工作部隊が紛れ込んでいる。
 あいつらは砦や城に穴を空ける専門家だ。そのためにはあらゆる
手段を考えている。
 こちらの軍が敵の本城めがけて攻め立てる。
 その最中、敵の城の中から火の手が上がり、城門が開かれる。
 黒犬隊がしっかりと役目を果たしたらしい。こんなふうにドール
ボーはいくつも城塞都市をこじ開けて略奪を繰り返してきた。その
知識は戦場の城を落とすのにも当然使える。
 あとはそこに軍隊を送り込むだけだ。
 俺の職業の特殊能力︻覇王の道標︼のおかげで信頼度と集中力が
二倍に、さらに攻撃力と防御力も三割増強された軍隊を。

838
 徹底的にやれ。俺の強さを前王派にも、そして王都に逃げ帰った
連中も知らしめないといけない。
 勝負はあっけなくついた。
 さしたる時間をおくこともなく、カルク子爵フォース・モレーシ
ーを生け捕りにしたという報が入った。
 オオカミ姿のヤドリギは俺の真ん前に来ると、さっと姿をワーウ
ルフのそれに戻して、そのことを語った。今回はすぐに討ち取らな
いように事前に言っていたのだ。
﹁わかった。ひとまず拷問して、知っている情報をすべて吐き出さ
せろ﹂
 前王派の詳しい策を俺たちはまだ把握していない。それは前線で
守る者から聞くのが早い。
﹁御意。ラッパに伝わる方法ですぐに口を割らせてみせます﹂
﹁頼むぞ。俺はほかの砦を落とす。まあ、そちらもそう時間もかか
らないだろう﹂
 本城が落ちたことで、ほかの砦からも投降者や脱走者が増え、平
定作業は交戦から一日でおおかたついた。
 どうということのない戦いだった。
 もっとも、こんなところで苦戦しているつもりなど、もとよりな
い。
 これでさらに西へ進むことができるようになった。このまま征西
を進める。
 俺がやるのは前王派を壊滅させることだ。

839
144 敵子爵生け捕り︵後書き︶
GAノベル2巻、11月15日頃発売です! よろしくお願いいた
します!
840
145 二面作戦
 カルク子爵フォース・モレーシーが拷問を受けて語ったところに
よると、もともと今回の戦いではハッセ率いる征西軍を撤退に追い
込むことまでが計画であったらしい。
 それぐらいなら、征西軍の半分の兵力で十分に可能だと前王派は
考えた。
 それはそこまでおかしな計算ではない。事実、籠城する敵と戦う
にはその三倍の兵力があるのが望ましいとされる。
 征西軍は籠城側の倍ほどしかなかったし、散発的な戦闘でも籠城
側が勝っていた。
 ただ、問題があったとすれば、思った以上に征西軍が強情でなか

841
なか撤退を行わなかったことだ。
 これはハッセが面子にこだわったこと、そもそも引き際がわかる
ような優秀な将もいなかったことと、いろいろ理由があるが、結果
的に籠城側にとっては兵糧の備蓄が尽きてくるという問題を生じさ
せた。
 籠城するにしては軍隊の数も多い。あまりに長期戦になると苦し
くなってくる。
 それで、征西軍への攻撃に転じて、これが奏功し、ハッセも撤退
を決めた。
 だが、そこに俺が新しい兵を引き連れて、やってきたことで、籠
城する前王派は窮地に立った。
 そういった報告を俺はヤドリギから聞いた。宿営地にしている村
の村長宅で俺は安楽椅子に座っていた。村の一部はハッセの征西軍
が撤退する時に少しばかり荒らしたらしく、殺伐としている。一応、
俺は保護を加えたし口約束だが、村を荒らしたものを処刑すると言
っておいた。その連中はもう王都に向かっているだろうが。
﹁なるほどな。敵の主力がしばらくはいないことを確認できただけ
でも重畳だ﹂
﹁はい。やはり海峡を渡ったタルムード伯領・サミュー伯領で決戦
を行うつもりのようです﹂
 ヤドリギが小声で答えた。
 敵の本体はずっと奥にいて、それまでは延々と小さな砦などでこ
ちらの軍の出血を強いる策だ。各地には当然それぞれの領主がいる
から、そいつらをつぶしていくことはできても相当な時間がかかる。

842
 そこを途中で叩けそうなら叩くし、それが無理なら部隊を伸ばさ
せてサナド海峡を渡ったところで叩く。まあ、こちらが予想してい
た戦略とほぼ変わらない。
 あとは、具体的な敵の名前や規模を知っている限りで聞き出させ
た。といっても、前線を任されていただけの領主はそこまで詳しい
ことを把握していたわけではない。やはり、現地に入ってみないこ
とには細かいことはわからない。
﹁それで、カルク子爵はどうなっている?﹂
﹁拷問中に舌を噛み切って死にました﹂
 まあ、元々殺すつもりだったので、死んだことに関してはとくに
思うところはなかった。
﹁お前がそんなミスを犯すとは信じられないな。おおかた、情報を
聞き出し終えたから、わざと自殺できるように仕向けたんだろう﹂
﹁実を申しますと、そうです﹂
 まったく笑みを浮かべずに、ヤドリギは淡々と答えた。
﹁わかった。当面の作戦はなんら変わらんからな。このまま、敵の
砦を落として、こちらの城将を配置しつつ、進軍する。できれば海
峡の手前まで行きたいが、そこまでは無理でも二県は制圧したいな﹂
 支配して、すぐにこちらが撤退した後に敵に取り返されては意味
がない。確実にこちら側の領土を増やす。撤退時に安全に行軍でき
るようにも拠点は押さえていきたい。
﹁しばらくは強敵はいないと思います。海峡までは大きな領主もい
ませんので。だからこそ、前王もタルムード伯・サミュー伯という
大領主を頼ったはずです﹂

843
﹁そうだな。まあ、海峡までは楽な仕事だが、どうせだから王に対
して点数を稼いでおくか。それと、別動隊のほうはどうなってる?﹂
 その別動隊に関してはとくにハッセたちにも伝えていない。あく
までも今回の作戦指揮はすべて俺に一任されているから問題はない。
だいたい摂政というのはそういう立場の人間だ。
﹁ソルティス・ニストニアはほかの領主と合わせて六千の兵で西進
しています。とくに敵となるような勢力もないので、平定は順調か
と﹂
 俺は鷹揚にうなずいた。
﹁ならば、ひとまず気になるところはないな。下がっていい﹂
 小さく一礼して、さっとヤドリギは姿を消した。
 ソルティス・ニストニアにはエイルズ・カルティスが支配してい
たブランタール県から西に向けて前王派の敵を攻撃させている。こ
れで、効率よくこちらの支配領域を拡大できる。
 早い段階で面のレベルで王国の︱︱いや、俺の支配領域を増やす。
 軍事作戦の途上で手にした土地は、ひとまず俺が自由に差配する。
その先には前王という宿敵がいるのだから、王のハッセも認めるし
かないはずだ。あくまでもこれは戦時下の緊急措置だ。王のお伺い
に及んでいる時間はない。
 そして、俺はこの土地をがばっと私物化する。俺の領土のように
扱う。
 できれば、前王派が滅んだ後も。
 そうすれば、王国の大半は俺の支配下にある。王家に禅譲を迫る
ことも、ルーミーの娘の婿にハッセの息子を選ぶことも可能になっ

844
てくるだろう。
 この戦いは前王派との戦いだけじゃない。俺が王になるための戦
いだ。
 ︱︱今のお前はいい顔をしている。そうでなくてはならん。
 オダノブナガがいるから、一人になってもあまり一人という気に
はならないな。
 ︱︱覇王とは孤独なものだ。しかし、覇王はそれを楽しむ余裕が
なくてはならない。なにせ世界で自分一人しか見られない景色がず
っと広がっているのだからな。
 もちろん、そのつもりだ。
 俺は王になる。サーウィル王国はハッセを最後に終わる。まあ、
王国名を変える必要はないが、後世には次の代から王朝の名前とし
ては別物になるだろう。
 そんな中、俺は王のハッセに宛てた直筆の手紙をしたためる。
 内容は、無事に賊軍を撃破し、土地を解放したというもの。さら
に、その北部の賊も攻略中ですと書いてある。このまま、海峡まで
は土地を解放すると書いたが、そこはなかばリップサービスの部分
もあると読んだハッせは思うだろう。
 けど、俺はそれを本気でやるつもりだ。

845
145 二面作戦︵後書き︶
2巻、二日前に発売になりました! よろしくお願いいたします!
846
146 支配地域が倍増
 俺はカルク子爵を滅ぼした後も進撃を続けた。
 もともと、いくつかの領主がカルク子爵のところに集まって防戦
していたこともあって、しばらくはほぼ抵抗もない。
 俺がやったのは戦争をすることというより、占領した町や村に所
領安堵の書状を書いて渡すことだった。あとはとても抵抗できずに
降伏してきた領主はひとまず人質をとって、自軍に引き入れた。
 この土地はあくまでも通過する場所ではなくて、俺の所領に引き
込むところだ。それなりに丁重に扱う。
 たしかに地図を見ても、有力な領主がほとんどいない。まず伯爵
クラスの大物が滅多にいない。大半が一郡を持っているかどうかの

847
子爵クラスの領主だ。伯爵を名乗っている者でも内部に自立性が高
い領主を抱えていて、大きな力をふるえない、中度半端な者がかな
り交じっている。
 俺はそういった連中のうち、抵抗する者は徹底して叩きつぶして
見せしめにした。
 幸いというか、見せしめにできるほどに俺の軍隊はやはり強力だ
った。ノエン・ラウッド、小シヴィーク、マイセル・ウージュとい
った将たちも長年の戦いで、優秀な指揮官に育っていた。たいした
戦いを経験していない小領主など、物の数ではなかった。
 途中から俺は南の海岸沿いに兵を動かした。海岸沿いには、栄え
ている港町も多い。こういった都市を攻略して、自分の支配下に組
み込んでいくのだ。
﹁アルスロッド様、あまりにも簡単に進んで、張り合いがないです
ね﹂
 ある日、逗留先の領主居館でラヴィアラにそんなことを言われた。
 窓からは海の先を行く帆を張った船がいくつも見える。海伝いに
前王派の有力者も攻めてこれるはずだが、そういった動きもない。
﹁まあ、そう言うな。こんなところで苦戦しているようだと、逆に
ここから先が困る﹂
 こちらの攻めは順調に来ている。このままなら最低でも、サナド
海峡に面したヤルグーツ県の東、ビルグンド県までは領することが
できるだろう。
﹁しかし、こちらの海はやけに穏やかですね。波が静かです。まる
で湖みたいです﹂

848
 ラヴィアラにとってはなじみのない風景なのだろう。ということ
は俺にとっても同様だ。
﹁このあたりは島が多いからな。その島が一種の内海を作って、強
い波が来ないように防波堤になっているんだ。だから、貿易用の船
もたくさんやってくる。違う大陸の船だってやってくるらしい﹂
﹁へえ⋮⋮ラヴィアラにとっては信じられないような世界です。ネ
イヴル郡からほとんど出ずに一生過ごすかもって思ってたぐらいで
すから﹂
﹁たしかに、ほんの二代、三代前はそうだったんだよな﹂
 あらためてラヴィアラが言葉にしたのを聞くと、遠いところまで
来たなと愕然とする。
 田舎領主は自分の所領の周辺をうろちょろして死んでいく、それ
が少し前までの常識だった。せいぜい、王都に多少近い領主が王に
あいさつに行くとかその程度のことだ。
 こんなに遠く離れたところまで軍を動かす者は長らくいなかった。
ましてネイヴル家が海に面した所領を獲得するとかいったことも親
だって想像もしていなかっただろう。
﹁やがて、この国すべてが俺たちのものになる。それぞれ、領主は
任命しなきゃならないだろうけど形式上は俺が王になれば、全部俺
のものだ﹂
﹁こうやってアルスロッド様と一緒に世界を旅して、そのとんでも
なさを実感してますよ﹂
 ラヴィアラはわざとらしくため息をついた。
﹁本当にとんでもない人の奥さんになったものですね。エルフが海
を眺めてるんですから。磯の香りを嗅いでいるんですから。ラヴィ
アラの一族で海を見た人って、多分いないんですよ﹂

849
﹁じゃあ、このあたりの港町の地名を姓に変えるか?﹂
﹁嫌です。アウェイユの森の一族ということに誇りを持って、アウ
ェイユ家を名乗ってラヴィアラは名乗り続けます﹂
 ラヴィアラは子供みたいに頬をふくらませた。
﹁作戦を立てるのは時間がかかったけど、いざ動き出したらすぐだ
ったな﹂
 前王派の掃討作戦は極めて順調だ。最終的には、敵の本拠地でど
う戦うかというものになる。
﹁王様が戦下手で助かりましたね。これで一気にサナド海峡まで進
軍されちゃうと、アルスロッド様の取り分が大幅に減っちゃってま
したよ﹂
 ラヴィアラの言葉はよくわかる。まあ、でも、もしもを語っても
意味がないも言える。
﹁俺が進軍したから、怖気づいて従った連中も多い。もし、ハッセ
が動いたら、また話は違ってたと思う。それこそ、どこかで戦死し
た可能性も捨てきれない﹂
 ハッセを殺せば前王派にいる以上、立身出世は約束されたも同然
だ。しかも、征西軍の士気が上がらず、長旅で疲労もしているとな
れば、敵も好戦的になる。
 俺がこれだけスムーズに動けたのは、一つは信賞必罰を徹底して
いることだ。以前からとっていたやり方だが、反抗した者を容赦な
くつぶして、従ってきた者は土地の支配権を認める。
 こうやって、俺に逆らう気が起きないようにすれば、兵はとくに
邪魔されることもなく、先へ先へと進める。
 それに俺の中核の常備兵は庶民から駆り集めた軍隊じゃない。職

850
業軍人だから、士気が低下することもない。もちろん、庶民からの
兵もそれなりにいるが、そういった者たちは主に後方支援だとか、
直接戦闘と関係ないところで使っている。
 このままサナド海峡までの県を支配領域に組み込めれば俺の勢力
範囲は実質、倍以上になる。
 それだけの土地を持っている勢力はほかにいない。前王派を倒し
さえすれば、俺に逆らえる勢力は残っていないことになる。
 天下はかなりそばまで近づいている。
 だが、焦るな。俺の勢力が増しているのは誰の目から見ても明ら
かだ。あまり出すぎた真似をすれば、王都のほうから余計なことを
される恐れもある。あくまでも、俺はサーウィル王国の摂政として
振舞うべきだ。
﹁さてと、いいかげん、客人が到着する頃合いなんだがな。まあ、
せっかくだしのんびりしていくか。港町の風情を一日ぐらい味わっ
てもいいだろ﹂
851
147 摂政の胆力
 翌日、客人がやってきたことを使いの者が告げた。
﹁シャーラ伯ソルティス様がお見えになられました﹂
﹁ああ、知っていた﹂
 ソルティス・ニストニアの動向はもちろん、ラッパたちからも聞
きおよんでいる。といっても、今更裏切られることはありえないか
ら、本当に場所を確認していただけだが。
﹁この土地で最も格式ある神殿を会見の場にしている。俺の義理の
父と言ってもいい立場の方だ。丁重にもてなしてやってくれ﹂
 俺は神殿の一室を会見用に仕立てさせていた。ねぎらいの意味も

852
あるから、酒も用意してある。
 ソルティス・ニストニアは長い遠征で多少の疲れは見せていたも
のの、表情はほどよい緊張感と高揚感で凛々しく仕上がっていた。
 勝ち戦が続いていたからだろう。勝っている間は疲れもさほど感
じないと昔から言う。逆に激戦の末に、土地でも奪われたものなら、
心のほうまで折れてしまう。矢傷もないのに退却してから数か月の
うちに死んだ将は過去にたくさんいる。
 資料には憤死と書いてある場合もあるが、むしろ悶死と言うべき
だろう。
﹁シャーラ伯、無人の荒野を行くがごとき掃討戦、お見それいたし
ました。報告を聞いているだけでも小気味よいぐらいでしたよ﹂
﹁前王派がもともと摂政閣下の軍だけに当たるようになっていただ
けのことです。私が北側から侵攻するとはほとんど考えてなかった
でしょう。すべては閣下の計略のおかげです﹂
 俺はソルティス・ニストニアのグラスに葡萄酒を注いでやった。
﹁計画を考えはしましたが、敵を打ち破ったのはシャーラ伯の功績
です。存分に誇ってください。おそらくニストニア家はじまって以
来の軍功となりましょう﹂
﹁将来、軍功にしてもらえるのも、今後次第ですがね﹂
 少し、ソルティスは表情を硬くした。
 別に戦勝を祝うためだけにここでソルティスが合流したわけでは
ない。
﹁まずもって、戦況はこちらの思うがままです。ひとまず、手に入
れた土地は実効支配いたします。税の取り立てなども俺が派遣した
徴税吏にやらせます﹂

853
﹁つまり、今回奪った土地はすべて摂政閣下の領地にしてしまうと
いうことですな﹂
 俺はわざとらしく首を横に振った。
﹁いえ、あくまでも借りているだけです。なにせ、国家の威信を懸
けた大きな戦いの最中ですからね。いつ前王派が攻めてくるかわか
らない土地を力のない領主に支配させておくのは危険すぎます﹂
 俺の意図はソルティスもわかっているだろう。ただ、﹁そうです
な。何もおかしなことはございません﹂と答えた。
﹁サナド海峡までの県を閣下とその派閥で押さえれば、海峡より西
の前王派以外の土地の多くは勢力範囲となりますな。間違いなく、
ほかのどの領主も太刀打ちできない所領規模でしょう﹂
﹁はい。王都から東側の領主たちもいずれ完全に従わせるつもりで
す﹂
 この国のすべての軍事力を手にすることができれば、あとはどう
とでもなる。
﹁ただ⋮⋮国王陛下はこの件を内心どのようにお思いでしょうか⋮
⋮﹂
 ソルティスの顔が曇った理由も俺にはよくわかる。
﹁内心ということは本音という意味ですな。一言で言って、楽しく
はないでしょう﹂
 隠すまでもなく、俺はすぐに認めた。
﹁自分が敗退した相手をあっさりと摂政が倒して、しかも前王派か
ら解放した土地を手放さない。前王派を倒してはほしいけれど、こ
れはこれで邪魔だ、目の上のたんこぶになる、そうお考えになられ
るでしょう﹂

854
﹁だとすると、陛下はどのような手に出るでしょうか⋮⋮? まさ
かとは思いますが⋮⋮閣下を討ちたいというようなことも⋮⋮﹂
﹁おおいにありえるでしょうね。人間の気持ちというのは割り切れ
ないものですから﹂
 俺は豪気に自分の葡萄酒のグラスを干した。
﹁しかし、その時はその時です。もし、陛下がこちらの命を狙って
いるならば、抵抗せざるをえません﹂
 怯えるでもなく、かといって腹を立てるでもなく。ただ、摂政と
してあるべき姿で接する。同盟者だろうと、義父だろうと、余計な
情報を与える必要はない。誰のためにもならない。
﹁ですな。いくら忠臣とはいえ、自分から首を差し出すのは死後の
安寧でも約束されているのでないかぎり、無体なこと﹂
 ソルティスも慎重に言葉を選んでいる。これまでも、誰につくべ
きか正しく判断して土地を守ってきた男だ。不用意に、俺の側につ
くと漏らすようなことはしない。
 そんなことをすれば俺に言質をとられる。ソルティスも間違いな
く自分に味方すると主張できる。それはソルティスにすれば選択肢
の一つを削り取られるのと同じだ。
 けど、この駆け引きはなかなか面白い。摂政ともなれば、こんな
戦い方もあるだろう。剣や槍を振り回すだけではない。
﹁まあ、シャーラ伯、仮定の話を重ねても仕方ありませんな。我々
は陛下のために前王派を海峡の手前まで一掃する、それだけのこと
です。すでに税の臨時徴収についての計画は官吏に立てさせていま
す﹂
﹁承知いたしました。その計画に沿って、私も摂政閣下のために働
かせていただきます﹂

855
 ソルティスが協力を申し出てくれた。これで今日の仕事は終わっ
た。
﹁よろしくお願いいたします﹂
 俺は握手のために手を差し出す。すぐにソルティスはその手を握
った。
﹁ただ、くどいとは自分でもわかっているのですが︱︱俺のためで
はなく、国王陛下のためということはお忘れなきよう﹂
 筋は絶対に通す。表面上は俺は正真正銘の忠臣であり続ける。
 ハッセと戦うことになった時、俺に非がないほうが望ましい。
 もし、ハッセが理不尽な攻撃を仕掛けてきた時、サーウィル王国
の歴史も閉じる。
 ソルティスはどこか諦めが混じったような調子で嘆息した。
﹁やはり、摂政閣下はご立派です。若年でその地位まで上り詰めた
だけのことはあります。娘を側室に出して正解でした﹂
﹁俺もよい妻を手に入れられて幸せです。どうか、この幸せが長く
続けばよいと思っています﹂
﹁あなたのような胆力がある男がもっと早く世に出ていれば、戦乱
の時代もずっと短くなっていたでしょうに﹂
 それは違うな、とオダノブナガがつぶやいた。俺もそれに同意し
た。
﹁いいえ、世が乱れていたから俺が出てこられたのです。もし、太
平の世なら俺はただの領主の弟でしたよ﹂

856
148 占領地政策
 支配地域の管理についてはすでにケララやヤーンハーンほかの者
たちに様々な状況を想定しての試案を出させていた。
 そのうえで現地の統治に関してはケララに任せることにしていた。
総指揮権は俺にあるが、民政すべてを俺が裁くのは限界がある。そ
れに俺はあくまでも敵を追い払うために出張っているので、さも領
主のように振る舞うというのはまずい。
 その﹁建前﹂の確認のために、ケララを呼んだ。
﹁︱︱というわけで、今回、統治下に入れた三県の監督は任せる。
まあ、何かまずいことがあったら俺に相談しろ。とくにそんなこと
もないと思うけどな﹂
 海沿いの三県は俺が、内陸のソルティスが侵攻した県はソルティ

857
スが名目上、実効支配することに取り決めていた。そのほうがやむ
なくやっているという空気が出る。当然、裏では俺とソルティスは
つながっている。そもそも、俺に助言を求めてきたのはソルティス
だ。
﹁御意にございます。粛々と進めていきたいと思います。不安材料
があるとすれば、敵方の土地だったので、どこで反乱が起こるか読
み切れないところでしょうか﹂
 たしかに農民や都市の住人に交じって、敵方の将がいないともか
ぎらない。潜伏場所は無限にあると言えた。
﹁反乱の処置はお前の一存に任せる。敵は陛下に逆らう逆賊だ。好
きなように裁いていい﹂
﹁はい。そのように取り計らわせていただきます﹂
 もはや、ケララの瞳に俺が新しい国を築くことへの戸惑いや疑念
といったものはない。完全に俺の忠実な部下になってもらった。
 ︱︱あの明智光秀を手なずけおったか。よくやるわ。
 オダノブナガもあきれと評価がない交ぜになったようなことを言
っている。
 ︱︱まあ、それもワシの時の教訓が生きておるからだがな。ワシ
だって最初からあいつが裏切ると知っていれば、もっと違う手を打
てた。後世から見れば失敗だろうが、あの程度の油断はどこの大名
だってしておった。ああ! あれを全部ワシの落ち度のように言う
輩が必ず出てくるだろうと思うと、腹が立つ!
 勝手にキレないでくれよ。混沌としていた国を統一の手前まで持

858
っていったんだから、お前は間違いなく覇王だよ。あと、覇王が未
来の小者に何か言われるかなんて気にすることないだろ。
 ︱︱それはそうだがな⋮⋮所詮、過去の人間を評価するのはその
瞬間、瞬間に生きている人間だけだぞ。一つの過ちで愚者のように
言われるのは胸糞悪いわい。画竜点睛を欠くという言葉があってな、
最後の一点を失敗するのは、それはそれは痛恨事なのだ。
 言いたいことはわかる。まあ、俺もそこは注意しておくよ。
﹁ケララ、お前が占領地を支配している間に俺は海峡の手前のもう
一県︱︱ナルグスト県を奪う。そのうえで、そのナルグスト県の東
部、王都側に拠点を築くつもりだ﹂
 俺は地図の上に手を置く。ヤグムーリという内陸の都市だ。
﹁前王派と戦うには東すぎるうえに、海から離れているように思え
ますが︱︱東からの備えも兼ねてのことですね﹂
 ケララにはすでに意図は伝わっている。
﹁そういうことだ。もしもということもあるからな。万一、王都側
から攻撃を受けた場合、十分に持ちこたえられる場所でないといけ
ない。それに、ここからならニストニア家や辺境伯のタルシャから
北回りの航路で物資を送ってもらえる﹂
 すでに俺は自立に向けた動きを進めていた。
 南側の海は前王派だけでなく、王都からも軍船が入ってくる危険
がある。だから、より奥地に拠点を作ることにした。
 無論、前王派を攻撃するためでもあるが、ハッセが俺に恐怖を抱
いた場合でも、適切に対処できるようにしている。
﹁たしかに、すでに閣下を超える勢力は王国内にありません。陛下

859
が最大の敵と考えるおそれが皆無とは⋮⋮言いづらい状況にはなっ
ています﹂
 俺はゆっくりとうなずいた。今の時点で俺が前王派を討滅して、
そのまま軍事的に占領したら、国の過半は俺の持ち物になる。王都
の東側の勢力はまだ俺に直接なびいてないとはいえ、王都を陥れる
に十分な軍事力にはなる。
 だから、ハッセも海峡を渡って、前王派に攻め込めと催促するよ
うなことはしていない。
 最近来る書状も、体に気をつけろとか中途半端ないたわりのもの
が増えている。
 それと、それらの書状には占領地にひとまず総督を王都より送り
たいと書いていた。
 俺はその部分をまだ混乱が収まってないからと言って、拒否して
いる。
 俺の言葉もすべてがウソではない。戦争に不慣れな事務手続きし
かしたことのない総督が来ても、旧勢力の反乱一つであたふたして
しまうだろう。とても任せられない。
 だが、第一の問題は俺の実効支配にとって、そんな外から来た奴
は邪魔でしかないからだ。
 占領地はいずれ俺が完全に支配する。ハッセが納得するまでは俺
が手に持ち続ける。
﹁ナルグスト県への侵攻は小シヴィークとマイセル・ウージュに二
方向から行わせていたが。あくびをしながらやれと言い含めてある﹂
 どうせ、ナルグスト県の領主の中に俺の軍団を追い返せるだけの
者はいない。それにタルムード伯・サミュー伯といったサナド海峡

860
きょとうぶ
より先の、いわゆる巨島部を治めている連中もそこまでして、ナル
グスト県を守ろうとはしないはずだ。労力の割に効率が悪すぎる。
﹁どうせすぐにとれる県ではあるが、まあ、ゆっくりとやらせても
らう。正直、兵を損ないさえしなければ、どうでもいい。むしろ、
俺がヤグムーリに拠点を構える前に終わらせられても困る。数ある
戦の中に、敵を倒すなという戦が一つぐらいあってもいいだろ﹂
﹁まるで拠点をヤグムーリに移しでもするかのようですね﹂
 ケララは冗談など言うタチではないから、何割かは本当にそう考
えているのだろう。
﹁さすがにそこまでの意図はない。マウストは俺の愛すべき城だ。
ヤグムーリなんて、縁もゆかりもない土地に引っ越すのは陛下に命
じられても嫌さ﹂
 俺はすぐにケララの言葉を否定した。
 ただ、そこで俺は少し遠い目をした。
﹁でも、これから先、ヤグムーリから動けないことはあるかもな﹂
﹁過去にも、防衛を命じられた城で奮闘しているうちに、主君が降
伏してしまい、ほかの領主からその城の城主に任命された例などが
ありますね﹂
 これがケララ以外の言葉なら皮肉かと思ったかもしれないが、ケ
ララはまったく俺をバカにする意図はない。
﹁それじゃ、ケララの行政手腕に期待する。俺は小シヴィークの激
励にでも向かう。ヤグムーリまでは攻めてもらわないと計画が滞る
からな﹂
 そこで、ふいにケララが珍しく冗談の側に近いことを言った。

861
﹁遠征中で女の肌がほしくなる頃ではありませんか?﹂
﹁そうだな。それでは少し夜伽を頼もうかな﹂
 俺はケララの出発前に、ケララを抱いた。昔と比べると、お互い
に相手のことがよくわかるようになっていると思った。
149 キタノショウ城を作る
 小シヴィークの軍は敵方の領主たちを一つずつ確実に排除してい
き、ヤグムーリ城に籠もるヤグムーリ氏もさほどの時間も置かず降
伏させた。
 ナルグスト県の敵の士気はさほど高くない。すでにいくつもの自
分たちの側の県が蹂躙されていて、とても自分たちが急に勝てると
は思えないのだろう。
 しかも、前王派の主力の兵も温存のためか、本格的な援軍を送っ
てくる様子はない。見放されたと考えてもおかしくない。そして、
それは事実と言っていい。
 前王パッフスはすでに王都のある本大陸の維持を諦めて、海峡を

862
はさんだ巨島部側の支配を深化させる方針に転換している。巨島部
を一つの国家と見立てて、亡命政権を維持するつもりだ。
 それ自体はそんなに悪い選択肢ではない。もし、ハッセの王国軍
を数回にわたり、追い返すことができれば、巨島部のほうは独立国
という意識が広く共有されることはありうる。かつて、巨島部のほ
うが別の国だったこともある。
 それに巨島部の二大諸侯、タルムード伯・サミュー伯は自分たち
の土地を守ることに血道を上げているはずで、パッフスもそれを無
視することは立場上できない。
 俺の攻撃で本大陸側の自分たちの味方が駆逐されていっている時
点で、その方針は確定されたはずだ。
 もっとも、そんな前王派の都合は俺には関係のないことだ。
 俺は小シヴィークに案内されながら、ヤグムーリ城を見学した。
といっても、小さな城だから、たいして時間もかからない。
﹁敵はすぐに降伏したので、縄張りなども破壊されずにそのまま残
っております。あまり技巧的なものとも言えないのですが、おそら
く前時代からたいして変化もしてないのでしょう﹂
 小シヴィークは父親の老将シヴィークと比べると、あまり覇気の
ようなものがない。ただ、無能というわけではなく、自分の職務を
忠実にまっとうしていた。
 二代目というのは、えてえしてこういう行儀のいい人間が多くな
る。もしかすると、親が無茶をしているのを見て育ったから、堅実
な性格になるのだろうか?
﹁なつかしいな。ネイヴル城もせいぜいこの程度の規模だった。土

863
塁も低かったし、まともに敵と戦うことを想定していない縄張りだ
ったな﹂
﹁自分は閣下の故地を貶める意図はありませんので⋮⋮﹂
﹁わかっている。ここも、故地もたいした城でなかったのは事実だ。
とはいえ、このままでは話にならない。まず、こもれる人数が少な
すぎる﹂
 ︱︱いっそ、ここを安土城のようにできれば楽しいのだがな。
 アヅチ城っていうのは、オダノブナガの居城だったっけ?
 その自慢話は過去に何度も聞かされている。あまりにもこの世界
の城と雰囲気が違うらしいので、具体的なイメージはできないが、
このオダノブナガの趣味なら派手だろうということは想像がつく。
 ︱︱安土城はそれは、それは豪華絢爛なものだった。あの時代、
日本一の代物であっただろうな。焼けてしまって実に不憫だ。せめ
て、あのまま残っていれば、ワシの偉大さもより後世に残っただろ
うに。ああ、惜しい、惜しい。
 悪いけど、そんな人に見せつけるような城を作る気はないぞ。今
から作るのは、戦争のための軍事拠点だからな。
 ︱︱わかっている。安土城の知識がお前にそっくりそのままあっ
ても、そんなものを今から作ることはないさ。なにより時間がない。
 城というのは大きく二種類ある。
 といっても、軍事的な意味合いのない城は存在しない。ただ、大
領主や王城はある種の首都の要素を持つ。そこが戦争だけでなく、
政治の中心になる。

864
 俺のマウスト城や王城は、そういうところだ。庶民がお姫様がダ
ンスをしているところをイメージするほうの城と言えばいいだろう
か。もちろん、きらびやかに、立派にするのが基本になる。
 どんなに質実剛健を謳う領主でも、そこはケチってはいけない。
権威の象徴は目立たなければ意味がない。ボロボロの衣服でダンス
パーティーに入ってくれば、それはただのマナー違反の変人なのと
同じだ。
 そして、今から作る城は純粋に軍事的にすぐれたものであればな
んだっていい。敵を寄せつけず、敵を多く殺せれば、どれだけ不格
好でもかまわない。そんなことは覇王であるオダノブナガも百も承
知でいる。
 ︱︱しかし、よい城は作りたいものだな。安土城は無理でも越前
の北之庄城ぐらいはどうにか作れるのではないか。
 キタノショウ城? またよくわからない地名が出てきたと同時に、
頭に久しぶりに能力追加の声が響いた。
 ︱︱特殊能力︻覇王の縄張り術︼獲得。築城の際にオダノブナガ
の知識やセンスを流用できる。
 あっ、これは便利なものかもしれない。
 脳内によくわからない城の名前のリストが浮かぶ。中からためし
に選択すると、その城の基本的なデータが表示された。
 そこには、石造りの城は全然ない。大半が土で、それでを穴を掘
ったり、道をふさいだりして対抗している。
 俺はその中からキタノショウ城を選択する。

865
 見たことなどあるわけじゃないのに、俺の頭にその城の構造が流
れこんできた。
 はあはあ。西側は大河をそのまま濠に使っているのか。これはナ
グラード砦と同じ発想だな。攻め手が一箇所減るからどこの世界で
も効果的だろう。
 だが、何より目を引くのは、要塞のようにそびえる高層建造物だ。
塔ほどの高さはないが、石垣はかなりの高さで広がっているし、よ
ほどの数がないと見上げただけで圧倒される。
 悪くないな、キタノショウ城とやらを作ってやるか。
 ︱︱当たり前だ。ここは北陸を押さえるための大事な点だからな。
敵はすぐに行詰まるはずだ。まあ、これを落とせるにはよほどの権
力がないと不可能だろう。
 よし、オダノブナガの知識で、最高の軍事施設を築く。
 俺は小シヴィークに言った。
﹁工作部隊をできるかぎり用意してくれ。あと、大きな石も早目に
集めたい﹂
﹁石造りの城になさるのですね。では、石工を呼んできましょう﹂
﹁厳密には、少し違うんだが、まあ、石工はいてくれていい﹂
866
150 新生ヤグムーリ城︵前書き︶
150話まで来れました! これも皆様のおかげです! ありがと
うございました!
867
150 新生ヤグムーリ城
 まず、行ったのは何よりも濠を掘ることだった。
 ヤグムーリ城は川のそばに建ってはいたが、その川はたいした深
さも広さもなかった。そこで、城の位置自体を下流のほうに少し動
かし、川自体も掘り下げることにした。付近のほかの川も流路を付
け替えて、城の横を流れる川に合流するようにした。
 とはいえ、こんなことは誰でも考えつくことだ。オダノブナガの
知識も必要ない。
 川が大きくなってきたら、巨大な石を船で持ってこさせた。それ
を集めてどんどん石垣をこさえていく。
 最初、この計画にはラヴィアラが無理だと主張していた。

868
﹁アルスロッド様、石は順調に集められても、石工の数が足りませ
んよ。石をきれいな四角にするには、どうしたって時間がかかりま
すから⋮⋮﹂
﹁ラヴィアラ、石を平たくする必要はないんだ。それでも丈夫な石
垣は作れる﹂
﹁えっ? どういうことですか?﹂
﹁これはラヴィアラよりも石工に話したほうがいいんだけどな﹂
 オダノブナガの知識の中には石垣に関するものもあった。
 その石垣はなんとも奇妙なものだった。ごつごつした石をそのま
まどんどん積み重ねているのだ。今にも崩落しそうだが、巨石と巨
石の間には小さな石がはさまり、まるで接着剤のような役割を果た
す。
 それで三ジャーグほどまでの高さまでは石を積み上げられる。石
の組み方にはコツがあるが、最低でも俺はそれをオダノブナガの知
識で把握していた。
 ということは、オダノブナガは石の積み方の次元で興味を抱いて
いたということだろう。そうじゃなきゃ、そんなことは石工に任せ
っぱなしにしていそうなものだ。
 ︱︱ワシが近江に侵攻した時、そこで見事な石垣をいくつも見た。
六角の観音寺城を落とした時も優美な石組に感動すら覚えた。近江
は比叡山お抱えの穴太衆もいたし、石に関する考えがはるかに先行
していた。
 オダノブナガは説明が好きだ。ある種、子供のようになんにでも
興味を持つ。そして、それをほかの誰かに披露したがる。披露され
る対象は俺しかいないが。

869
 ︱︱ワシは思った。この石を高く、高く積んでいけば土塁よりも
はるかに頑丈な城が作れると。土でできた土塁はどうしても経年劣
化で低くなったり、角度が丸くなってきたりする。だが、石ならそ
そり立つ塁が作れる。何度も直角に曲がるしかない通路を城の中に
用意できる。敵を殲滅する、とても落としようのない城ができると
思った。
 お前の考えはぜひとも採用させてもらう。たしかに石で固められ
た城を見たら、敵兵も意欲を失うよな。
 俺は石垣について得た知識をラヴィアラにそのまま伝える。ラヴ
ィアラは半信半疑だったが、できはじめてきた石組みを見て、俺が
言っていることが正しいと理解したらしい。
 それは石工たちも同じだった。小さな石をくさびのように入れ込
んでいくことで、大きな石は動かなくなる。石を磨くような時間は
大幅に短縮される。
﹁本当に石が動かなくなっています⋮⋮。しかもこの高さの壁がず
っと続いていたら⋮⋮とても城の中心部まで攻め込めませんね﹂
 ラヴィアラは石を触りながら、石垣を見上げていた。
﹁しかも、この上に弓兵や鉄砲兵が立てば、敵を容赦なく撃ち放題
ですね﹂
﹁さすが、ラヴィアラだ。そのとおり。好きなだけ敵の脳天を撃ち
抜いてくれ﹂
 この城は敵を殺し尽くすための迷宮みたいなものだ。この中に入
っていれば、枕を高くして眠れるだろう。
﹁それでも、もしも本当にピンチになったら、横の川に船を下ろし

870
てそれで逃げる。今後、この城が征服の拠点になることまでは間違
いない﹂
﹁本当によくできていますね。ですが、なによりも驚くべきは⋮⋮
着工して一か月ほどしかまだ経っていないことです⋮⋮﹂
 そう、築城の速度そのものが早い。これは多数の人間を使える俺
の特権みたいなものだ。
﹁まだ戦時中だからな。三か月ほどで完成させる予定だ。一生落ち
ない城を作ってやる﹂
 途中、敵の妨害などもとくになく、三か月で、新生ヤグムーリ城
は完成した。
 城が完成を見た日には小さいながらも控えている将たちと宴会を
開いた。
 すでに石が壁のようにそびえる城として、名前が広まっているら
しい。白鷲隊のレイオンが教えてくれた。親衛隊たちは常に俺のそ
ばにいる。
﹁もう、やるべきことはやった。このヤグムーリ城から俺は征服地
を管理していく﹂
﹁遠からず、それも実現していくでしょう。ただ、懸念点があると
すれば⋮⋮﹂
﹁おいおい。縁起でもねえこと言うなよ。レイオンは心配性すぎる
んだ﹂
 赤熊隊のオルクスが揶揄した。
﹁この城を落とせるような敵の名前が思いつくか? 懸念なんてね
えよ。前王派も近いうちに攻略できるさ。それとも船に乗って海峡

871
を渡るのが怖いか?﹂
﹁そんなことを恐れてはいない! 私だって前王派に負けるとは思
っていない。だが、閣下の力が強くなりすぎれば、危機感を抱く者
も出てくるだろう﹂
 レイオンの視線は自然と王都のほうを向く。
﹁しかも、そのための拠点がこうも頑丈だと、最大の敵が閣下だと
思う者が出てくることだってある。少なくとも、国王陛下の軍隊が
この城を落とすことは不可能だろう﹂
 レイオンはある程度、ぼかしていたが、その意味するところは明
白だった。
﹁だから、レイオンはおおげさなんだって。今の王様が閣下を恐れ
たところで、閣下を攻撃したら、閣下は前王派にくっつくだけだ。
敵に回す余裕自体がねえよ﹂
 俺は二人の親衛隊の会話にあまり首は突っ込まなかったが、もし
もの時には備えておこうと考えていた。
 動いてくるとしたら、思ったよりも早いはずだ。俺の支配が確立
してからでは遅いと思うだろう。そう吹き込む奴ぐらいは出てくる
だろう。
 もしかすると、次の山場が俺が王になるための試練だろな。

 そして、ヤグムーリ城築城のあと、二週間後。
 オオカミが部屋にすっと現れる。
﹁ヤドリギか。人の姿になってしゃべっていい﹂

872
 ヤドリギが珍しく、顔に緊張感をにじませていた。それだけでよ
ほどの重大事があったとすぐにわかった。
﹁国王陛下と前王が手紙のやりとりをしていることが発覚しました﹂
﹁ほう。それで前王が巨島部のほうを手放してくれるならありがた
いな。ほぼ統一も成るわけだ﹂
﹁その密議の主要議題は大きくなりすぎた鷹をいかに処分するか、
です﹂
 ついに動いてきたか。
 最大の敵が俺に変わったらしいな。
﹁鷹か。なかなかいい動物に例えてくれたな﹂
 肥えすぎた豚と言われたら、少しむっとしたかもしれない。
151 摂政挟撃計画
﹁それで、鷹の処分の方法は決まったのか﹂
 俺と話しているうちに、またヤドリギの表情はいつもの冷静なも
のに戻っていた。
﹁いえ、なにぶん重要なことですので。それに、鷹を処分したあと
の、戦後処理で陛下と前王は真っ向から利害が対立します。そこの
調整にてこずっているようです﹂
 俺は声を出して笑いたくなったが、そこはこらえた。
﹁この期に及んで、起きてもない未来の利益のために、時間を消費
する。なんとも王族というのは優雅で呑気なものだな﹂

873
 その優雅さのためにお前たち王家は滅ぶのだ、そう思った。
﹁ただ、現状からして、海峡に近い数県を前王に譲ることで、決着
とするのかと思います。あるいはさらに前王が譲歩して、巨島部の
みを別の国とするか、いずれかでしょう﹂
 ヤドリギはさらに続ける。伝えないといけないことが多いせいで、
饒舌な人間に変わったようだった。
﹁前王と向こうの領主は自分たちに危機が迫っているとひしひしと
感じているでしょうから、その危機を回避できるなら妥協もやむを
えないと考えるかと﹂
﹁そうか。ちなみに陛下を焚きつけた者たちの名前はわかるか?﹂
 ヤドリギは数人の王の取り巻きの名前を出した。いずれも取り巻
きとしての価値しか持たない者たちだ。なにせ王都の行政権は俺の
息がかかった役人が握っている。王の取り巻きが甘い汁を好きなだ
け吸える時代ではなくなっている。
﹁連中からしたら、俺はうっとうしいだろうからな。だが、結果と
して、正しい注意勧告ができているではないか。取り巻きとしては
合格点だ﹂
 俺をこのまま信用して、ハッセにゆっくりしていろと言っていた
ら、それはどうしようもないバカだ。
﹁陛下も最初は耳を貸そうとはしませんでした。あまりその可能性
を考えたくなかったようです。ですが︱︱﹂
﹁俺の占領地政策を見ていて、恐怖を感じはじめたということか﹂
 将軍が現地で好き放題にやることぐらいは昔からのならいだ。俺
だけが極悪人なわけではない。戦時下で権力を握っていないと、敵
と戦うこともできない。いわば、必要悪だ。

874
 もっとも、それで俺の勢力下に入る土地面積が王都の過半に達し
ているとなると、話は違う。
 マチャール辺境伯のタルシャと、前王派を駆逐しているソルティ
ス・ニストニアが俺の側につくのがほぼ確実な情勢では、今の王で
あるハッセの影響力が及ぶ範囲はごくごく小さい。
 もし、前王派が消滅して、巨島部まで俺が直接支配を行ったら、
大義名分など何もなくても、兵を出して、王都を陥れることが可能
になる。それだけの力になる。
﹁わかった。ただ、鷹は好きなように空を羽ばたくことができる。
手から放してしまった時点でもう遅いぞ。鳥籠に自分から戻る鷹は
いないだろう﹂
﹁マウスト城にいらっしゃる奥方様たちとお子様たちはどうなされ
ます?﹂
 その言葉に俺の表情も少し固まった。
 知らないうちに自分のことだけ考えていた。たしかにヤグムーリ
城がすぐに落ちることはないだろう。王都から遠すぎる。守りも強
靭だ。
 だが、かなりの数の兵が抜け出ている今、マウスト城のほうの守
りは弱い。
 しばらく、俺は沈黙していた。
﹁もし、挟み撃ちが現実になったら、前王派の軍隊は海峡を渡って、
攻め寄せてくる。となると、ここから離れると一気に前王派に土地
を取られる⋮⋮﹂

875
 まるで自分を納得させるためであるかのように言葉を紡いだ。
﹁マウストに戻ったとしても、挟まれている間にハッセを殺すわけ
にはいかない。そしたら、俺を逆賊だとする者がさらに蜂起しかね
ない⋮⋮。かといってハッセを幽閉するだけでは、その間に勢いづ
いた前王派とぶつからないといけない分、不利だ⋮⋮﹂
 王になるための最善の方法はなかば決まっていた。
﹁マウスト城に戻る前に俺が巨島部に渡るべきだ⋮⋮﹂
 その間にマウスト城がどうなるかは考えたくなかった。
 戦場の常識に照らせば、女を殺すことはないはずではある。しか
し、俺が逆賊ということになっていれば、逆賊の妻だ。どういう扱
いを受けるか、不安な部分はあった。
﹁妻たちに手紙を送る。マウスト城が攻められるかもしれないと。
場合によっては降伏してもいいと伝えておく﹂
﹁御意にございます﹂
﹁ただ︱︱しばらくは戦ってくれとも書いておく。フルールにセラ
フィーナ、腰抜けの兵に攻められても守り通せるぐらいの才はある
さ﹂
 最後に俺は軽口になった。
 それはなかば祈りに似ていたが、俺の本心でもあった。
 存外、彼女たちなら、当主代行として采配を振るえるとでも言っ
て喜んだりするんじゃないだろうか。
﹁巨島部に渡る準備を進めておく。ソルティスにも連絡を入れてく
れ。ケララが支配している土地でも反乱が起こるかもしれないし、
俺の電撃作戦で前王派を撃破するのが一番効率がいい﹂

876
 一度、守りに入ったら、そのまま付け入る隙を与えることになる。
ここは攻撃の手をゆるめてはいけない場面だ。
﹁承りました。どうか、摂政閣下の武運が開けますように﹂
﹁ヤドリギ、ラッパのお前は祈らなくていい。現実だけに向き合っ
てくれ﹂

 すでにヤグムーリ城の準備はできているが、ここでゆっくりして
いる時間は結局、取れそうにない。
 いずれ、ハッセとも戦うことになるとは思っていたが、前王と手
を結ぶことはあまり考えていなかった。そこまでなりふりかまわな
いというのは予想外だった。
 マウスト城からはすぐに返書が来た。
 妻の名前が順番に書かれてある。基本の内容は同じで、自分たち
のことは心配するなというものだ。
 ただ、セラフィーナのところだけ少し違っていた。
 絶対にこの城は落とさない。梟雄の娘としてむしろ王都を落とし
てやると書いてあった。
﹁まったくセラフィーナらしいな﹂
877
152 予想外の訪問者
 俺は正式に使者を王都に向かわせた。使者といっても陛下の治世
を寿ぐためではない。詰問使だ。
 巨島部にいる前王と同盟して、摂政アルスロッドを攻撃する作戦
が聞こえてきたが、その真相はどうなっているのかというものだ。
 いきなり攻撃に出るのはあまりよろしくない。それではこちらが
悪者になる。大義名分は手に入るならできるだけ手に入れておいた
ほうがいい。俺の職業も口を酸っぱくして言っていることだ。
 天道に背くようなことはするな︱︱そんな表現をオダノブナガは
する。

878
 この場合の天道というのは最高神のようなものらしい。オダノブ
ナガの世界は最高神というものが曖昧のはずだが、そういう概念が
必要になってきて、天道というものが作られたらしい。
 ︱︱天道というのはたしかに最高神と解釈できんこともないし、
そう思っておる者も多かったが、そのように受け取ると何の意味も
ないぞ。それはまやかしだ。
 オダノブナガがまた話に絡んできた。職業をやっていると暇なの
だろう。俺以外の誰ともしゃべれないというのは、よくよく考えて
みれば、なるほど不幸だろうなと思う。自慢話を聞いてくれる幇間
の一人でもいてくれれば、ずいぶん面白かっただろうに。
 ︱︱天道の正体というのは、神聖なものでもなんでもない。あれ
は世間の外聞よ。つまり、民衆の気持ちの総体だ。神聖どころか俗
も俗。
 お前の言いたいことはわかる。わかるけど、なんというか、王を
目指す者が覇道を行くどころか、世間の外聞を気にしないといけな
いというのは、皮肉なものだよな。
 ︱︱そう言うな。世間から見放された者には誰もついていこうと
は思わん。ワシも気をつけてはいたつもりだったが、詰めを誤った。
天下が近づきすぎて、かえって小さなところが見えなくなった。
 くどくどとオダノブナガが言ってくる意味ぐらい俺にもわかる。
 俺にとっての詰めがここだからな。
 そのためにハッセを問いただすための使者まで王都に送った。使

879
者にとったら嫌な役回りだがな。最悪、殺されるおそれすらある。
 もっとも、嫌な話だが、使者が害されたのなら、俺の側に天道は
微笑む。いや、天道がハッセのほうから顔を背けると言うべきか。

 そして、使者が最短で戻ってくる日になった。
 どういう回答が来るにしても俺も緊張はする。そのせいか、ヤグ
ムーリ城の中にある仮の居所で何杯もお茶を飲んでいた。
 まさか謀反を起こしていると弾劾しての宣戦布告はないと思って
いるが、ハッセがどういう動きに出るかはまだ読めないところがあ
る。
 と、俺の部屋にラヴィアラが飛び込むように入ってきた。
﹁失礼いたします、アルスロッド様!﹂
﹁そういうのは入ってから言うべきことじゃないぞ。それで、いっ
たい何だ?﹂
﹁今のうちに、マウスト城からこちらに奥方様たちを連れてきまし
ょう! 今ならまだ間に合います!﹂
 ああ、合点はいった。まだ王都側が俺を切り捨てる前に妻を安全
なところに連れてくること自体はまともな手だ。提案されてもおか
しくはない。
 この調子だと、じっとしていられなくて進言に来たというところ
だろう。ラヴィアラにとってみれば、ほかの武官以上に妻とつなが
りが強いから心配になるのもわかる。
 しかし、素直に受け入れるわけにはいかない。
﹁ラヴィアラ、今、俺が妻たちをこのヤグムーリ城に連れてくれば、

880
それこそ俺が反乱を企てている動かぬ証拠だと言われる﹂
 妻子を自分のところに連れてくるのは、古今東西、反乱前の将が
行う手だ。それほどわかりやすい証拠もないだろう。
﹁わかってはいます。けれど、このままだと皆さんに危険が⋮⋮﹂
 俺はラヴィアラのくちびるに人差し指を当てた。
 黙れという意思表示だ。
 臣下というより妻にするしぐさだが。指はすぐに離す。
﹁うかつに、妻がマウスト城を出ていけば、そこを狙われかねない﹂
 はっとしたような顔にラヴィアラはなる。
﹁外と比べれば、マウスト城のほうがまだマシだ。もちろん、安全
だとは言えないけどな﹂
﹁そうですね⋮⋮。すでに王様がアルスロッド様を攻めるつもりで
いるなら、マウスト城も警戒されていますよね⋮⋮﹂
 俺はうなずいてこたえた。
﹁今はまだ待つ段階だ。あくまで、一番嫌な時間だよ。戦場に出る
ほうがよほどわかりやすいし、割り切れる﹂
 俺は自分でラヴィアラ用に茶器をとった。
﹁あっ! そんなの、ラヴィアラがやりますよ!﹂
﹁別にいい。妻にお茶をいれるだけだ。お前も一杯飲んで落ち着け。
まだ朝方だから酒よりはお茶でいいだろ﹂
 ラヴィアラも熱いお茶を飲んで、ふぅーとため息をついた。あた
たかいものは気持ちを静めてくれる。ヤーンハーンもそう言ってい
た。お茶はもともと薬としての意味を持った飲み物だったはずだ。
﹁先ほどは取り乱してすいませんでした。ラヴィアラも、皆さんの

881
ことが心配で⋮⋮。とくにセラフィーナさんやフルールさんは⋮⋮﹂
﹁わかっているさ。俺だって最善を尽くす。それこそ王国を作るの
と同じぐらいにな﹂
 そんな俺の居所を焦ったようにノックする音が響いた。これは俺
の近習の一人だな。音でわかる。
﹁大丈夫だ。入ってこい﹂
 すぐに近習が駆け込んできた。これは使者が戻ってきたと考えて
いいだろう。
 けれど、近習の返答は予想外のものだった。
﹁申し上げます! ご正室のルーミー様がお見えになられました!﹂
﹁なっ? ルーミーが?﹂
﹁すぐにお会いになりたいとのことです! お迎えしてもよろしい
でしょうか?﹂
 俺は﹁通してくれ﹂と言うのがやっとだった。
882
153 烈女の行動
 久しぶりに対面したルーミーの表情はゆがんでいた。
 そして、俺の顔を見るなりに涙を流しながら、胸に飛び込んでき
た。
﹁あなた、聞いてくださいませ! 聞いてくださいませ!﹂
﹁どうしたんだ、ルーミー。なんだって聞くから話してくれ﹂
 こんな情熱的なルーミーを見たことはなかった。ラヴィアラなん
かよりはるかに感情をコントロールできていない状態だ。
﹁わたくし⋮⋮使者の方から兄があなたを攻めるかもしれないとい
う話は聞きましたの。ほかの奥方も同じですわ﹂

883
﹁ああ。胡乱な話が間諜から伝わっていてな﹂
 マウスト城にももしもの際に備えろという通達はすでにしてある。
セラフィーナやフルールは十分やる気だ。骨のない将に任せるより
よほど頼りになる。
 だから、その話をもちろんルーミーも聞かされているはずだ。
﹁それで、わたくし⋮⋮兄である陛下のところに単身、乗り込んで
きましたの。その噂は本当なのかと?﹂
﹁えっ!?﹂
 そのルーミーの言葉に俺はあっけにとられた。
 ルーミーの表情は悔しさと怒りとが混ざったような顔をしていた。
その怒りは王都の兄に向けられている。
﹁ルーミー、君は出産してまだそんなに日も経ってないはずだ。体
のほうは大丈夫だったのか?﹂
﹁それどころではありませんでしたわ。少なくとも今に至るまで病
気になったりはしていません﹂
 たしかに病人がこんなに感情を表に出すことはないだろう。
﹁わたくし、陛下と一対一でお話しいたしましたの。陛下というよ
り、兄と妹の立場で話し合いたいと言いましたわ。兄も同意してく
ださいました﹂
 俺の頭に困惑しているハッセの顔が浮かんだ。まさか、向こうも
妹が来るとは思っていなかっただろう。
﹁それで、兄は言いました。このままだとあなたを止められる者が
王国に誰もいなくなる。そしたら、前王を滅ぼしても結局、サーウ
ィル王国は滅ぼされてしまうかもしれない。その前に手を打つこと
も考えている、と﹂

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 それはまさしく俺を追討する予定だという情報だった。
﹁情報はまだ公にはなっていませんわ。逆賊追討の勅命が下ったわ
けでもありません。今、そんな勅命が出たと広まれば、あなたは前
王の側に鞍替えするかもしれませんしね。。ですが︱︱このまま兄
のために仕えてもろくな未来が待っていないことはわかってしまい
ました﹂
﹁ルーミー、君はどうやってここまでやってきたんだ?﹂
﹁兄にこう言ってやりましたわ。夫のところに向かうと。殺すなら
どうぞ追手を差し向けろと。我が子はマウスト城で乳母が世話をし
ている。何も恐れるものはないと﹂
 強い瞳でルーミーはそう言った。
 きっとハッセの前でもそんな顔で気持ちを伝えたのだろう。
﹁その結果、追手が来ないまま、このヤグムーリ城までやってこら
れたということですか⋮⋮?﹂
 部屋にいたラヴィアラが呆然とした顔で尋ねた。
﹁はい、そうですわ。兄もわたくしを殺すのは気が退けたのでしょ
う﹂
 当然だといった顔でルーミーは答える。
 俺は思わず、噴き出してしまった。
﹁ルーミー、君は俺の正室にふさわしい女性だ。こんな烈女を妻に
持てて、俺は本当に幸せだ。いや、運命というものはふさわしい女
性を連れてきてくれるんだろうか﹂
 妻が王に直接問いただして、俺を攻める意思があるという言葉を

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聞きだしてきてくれた。これで俺がやるべきことは定まった。
 まったく、ハッセという男はやはり王になる器ではなかったな。
 ルーミーに余計なことを話した挙句、そのままにしてしまうのだ
から。あいつは最悪の手を打った。ウソを突き通すことも、冷徹に
妹を処断することもできなかった。
 もう、サーウィル王家は終わりだ。王としての質が低すぎる。そ
んな無能な王が統治できる時代ではない。
﹁ありがとう、ルーミー。俺も腹が据わった。心置きなく、成すべ
きことを成すことができる﹂
 俺はもう一度ルーミーを抱き締めた。
﹁長旅で疲れただろう。今日はゆっくりと休め。この城は近いうち
にこの国最大の堅城になる。俺が留守の間でも一兵たりともは入っ
てはこれない﹂
﹁はい。わたくしも役目を果たせてうれしいですわ﹂
 ルーミーは心からほっとしたという顔になっていた。緊張感の糸
が切れたようだった。
﹁ほかの奥方と比べると、わたくしは何もできないままでしたから。
これでお役に立てたでしょうか﹂
﹁ああ、これ以上ない大功だ﹂
 その直後、王都から俺宛ての使者がやってきた。
 内容は摂政の不実を疑うようなことはありえない。これからも前
王を攻めるために全力を尽くせという無難なものだった。
 つまり、公式には俺を挟撃する作戦は隠し通しておきたかったん

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だろう。
 でも、ハッセは自分の妹には本心を語ってしまった。
 しかも妹を俺のところにまでやってしまった。殺す勇気がなかっ
た。
 もっとも、ルーミーが不審な死を遂げた時点で、もう俺をつなぎ
とめるものはなくなってしまうわけだが。
 どこまでもハッセが暗愚で助かった。
 俺はすぐに臣下を集めて、会議を開いた。
 議題はたった一つだ。
﹁巨島部に渡って、タルムード伯領に攻め入る。前王を滅ぼす。ず
いぶん待たせてしまったが、いよいよ動けそうだ﹂
 俺の声に血の気がはやった将たちが勇ましい声を上げる。
 とくに赤熊隊の隊長、オルクス・ブライトなんかは﹁やっと巨島
部の連中をぶっつぶしに行けるんですね!﹂とおもちゃでももらっ
た子供みたいに喜んでいた。親衛隊は戦争がないと失業してしまう
からな。
 俺が兵を出さないと、ハッセも俺の追討軍を出しづらいだろう。
 好きなようにしてくれればいい。お前がもたついている間に前王
側をつぶしてやる。
﹁俺が出ている間、このヤグムーリ城を攻めようとする者も出てく
るかもしれん。この城は、ケララを占領地から戻して守らせる﹂
 オダノブナガが渋い顔をしたのがなんとなくわかった。アケチミ
ツヒデを職業に持つ女だからな。そいつに城を任せて渡海するだな
んて、自殺行為のように映るかもしれない。

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﹁それと、もう一人、我が妻ルーミーに守ってもらう﹂
 俺の言葉は冗談に聞こえたらしく、とくにオルクスなんかはげら
げら笑っていた。白鷲隊のレイオンにたしなめられていたほどだ。
﹁なかなかいい案だと俺は思っているんだがな﹂
 ルーミーを裏切るようなことをケララは絶対にしない。目付役と
しては完璧だ。
 なにせ、どちらも俺を愛してくれている女なんだから。
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。

織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチートだったの
https://ncode.syosetu.com/n8486dn/

2017年12月19日11時59分発行
で、王国を作ることにしました

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PDF小説ネット発足にあたって
 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
たんのう
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。

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