You are on page 1of 5

霧はやがて消える――エミー・カーマイケルの信仰詩

どんな悪いおとずれも恐れることをしない一人の人がいた。

なぜなら、彼女の心は主に信頼して揺るがなかったから。

そして主を信頼する彼女の心は、とこしえに神のあわれみの内にあった。

しばしば主は、暗闇の中に輝く光のように立ち上がられた。

困難の中から彼女が呼びかけると、主は彼女を引き上げ、祈りに答えてくださっていた。

主は常に憐れみ深く、愛にあふれ、義なるお方であられた。

それで彼女はこう申し上げていた。

「だれが、わたしたちの神、主のようでありましょう。主は高い御位に座し、身を低くし
て天と地をご覧になられます」と。

でも今、彼女はひとりきりで立っている。

大いなる霧を見つめながら。

広大な山あいが彼女の前にひろがっている。

でも、そこはいつも霧。
下の谷間にある小さなわだち以外、どんな道も見えない。

とってもさみしいーー。彼女は思った。

そしてしばしの間、ただ立ちつくしていた。

今まで味わってきたどんな苦しみよりも耐えがたく感じる

この孤独感と心細さをじっと見つめ、耳にしながら。

その時、やわらかに、彼女の内で声が聞こえてきた。

ある時には落胆させるような、

またある時には心を引き上げるような声が。

「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」
(詩篇73:26)

「私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立って
います」(詩篇38:11)

「しかし私は絶えず、あなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえ
られました」(詩篇73:23)

「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるの
か。』と私に言う間。」(詩篇42:3)
 

「わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。」(詩篇38:15)

「わがたましいよ。なぜ、お前は絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」(詩篇42:1
1)

「私の道は主に隠れ、、」(イザヤ40:27)

「私の道はすべて、あなたの御前にあるからです。」(詩篇119:168)

「神、その道は完全、、、この神こそ、、私の道を完全にされる」(Ⅱサム22:31,
33)

「主がかわいた地を通らせたときも、彼らは渇かなかった。」(イザヤ48:1)

主が丘陵を通らせるなら、彼らは気落ちしてしまうかしら。

彼女はまた霧の方を見た。

そこに輝きがあった。

 
彼女はひとりでないことを知った。

神が彼女の避け所、また力。

苦しむとき、そこにある助けであるから。

主は彼女の歩む道の近くにおられ、ご自身の恵みを彼女に示された。

その恵みは心を慰めるものだった。

彼女はもはや恐れなかった。

なぜならおぼろげな山あいは、主にとっては開かれた道であるから。

主は彼女の希望をくじくようなお方ではなかった。

だから、次の数歩が見えていれば、それで十分だった。

主が彼女の前を行かれ、

彼女が歩んでゆけるよう足跡を残してくださるはずだから。

そして次のことも彼女にとって確かなものだった。

彼女のつき従っているお方の目は、霧を突き抜け、

道の終わりまで見通しておられる。

だから、混乱し、迷うようなことは決してない。

 
するとその時、一つの歌が彼女に与えられた。

歩きながら彼女は歌った。

「あなたは私を多くの苦しみ、そして悩みに会わせなさいました。でもあなたは私を再び
生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」(詩篇71:20参)

「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこお
どりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」(詩篇28:7)

「私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな』と仰せられました。主よ 。
あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。」(哀
歌3:57-58)

「私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。」(詩篇71:
8)

こうして彼女が歩き、歌っていると、他の人たちの耳にーー立ち込める霧のせいで彼女に
はこの人たちのことが見えていなかったけれど、その歌声が聞こえてきた。

そしてそれによって彼らは慰められ、旅を続ける勇気が与えられた。

 ーーそう最後まで従い続ける勇気が。

Amy Carmichael, Figures of the True(私訳)

You might also like