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僕らは螺旋を上るように歳を重ね、ふとそ

の下の螺旋を覗く

松井勇人

目次

岳物語 2

俺の人生はズタボロだった。 4

3浪した。 5

SFCの入試はこれだから困る 9

「予備校の湿っぽい廊下で、あの娘を見つけた」 10

初めて外の世界を見せてくれた 12

代ゼミ7校舎に通った 14

大名古屋のとん焼き 17

何者かになりたかった。 20

絶対王者 22

絶対弱者 23

歩けども歩けども我が偏差値上昇せず。じっと赤本を見る。 25

俺は、比較可能なデータの上位に来ることだけが自分らしくなることだと思い込んでいた。 27

ホントは立派なことなんて誰も聞きたくないし、誰も話したくもないんじゃないか。 29

「かんじんなことは、目に見えないんだよ」 34
「キテレツの勉三さんは甘いぞ」、親友は俺にこう忠告した。いったい俺たちは何のために浪人したの
か。 37

大学 vs 浪人 40

カオナシの時間 43

人は鳥を殺した 44

二浪目の成人式 50

僕は定期的に壊れる 53

僕らは螺旋を上るように歳を重ね、ふとその下の螺旋を覗く 56

かつての生徒、G.TとS.Tの兄妹に捧げる。

岳物語

・・・君のいない世界など夏休みのない八月のよう・・・
                       - RADWIMPS ”なんでもないや” -

令和最初の八月は夏休みのない八月になりそうだ。
八十八夜も過ぎて、木々が夏らしく茂っている。五月晴れの今日は、久しく再開された御前崎のパシ
フィックカフェに来てみた。いつもの夏と同じように、静岡で最も南にあって太平洋を一望できる席の
一つに座らせてもらう。そして、なんともなしに高校時代の夏に読み耽った、『岳物語』について思い
を馳せていた。

椎名誠さんをはじめて知ったのは、中学三年の時だ。キリスト教徒の母が近くの23歳のTさんに、僕
の個人研究をお願いして週一回聖書のレッスンを受けていた時のことだった。

「これ、椎名誠さんの小説にあったセリフだよね」

Tさんは何かの拍子でそんなことを言った。

彼は教会の方針から大学を出ておらず、車いじりが趣味だった。カローラ・レビンという名車に乗り、
十代の頃には夜な夜な峠を攻めていたのだと話してくれた。愛知県のキャンプ場とか、兄弟が住む
軽井沢にも泊めてもらって何かと思い出深いのだ。

なにか説得力があったのだ、彼の言葉には。キャンプ場の貸しテントの中でアルミ缶にガスライター
のガスを詰めて簡易ランタンを作って見せてくれた時には、彼の兄貴に「ねぇ、だからそういうことしな
いで」と怒られていた。

だけどもそのキリストの兄貴は、「何でヤメロヤメロって言うんだろうね。嫌だね」、と話していた。僕も
「うん、、」と答えざるを得ない。なんというか、内から湧き出る冒険心を抑えられない人なのだった。
そんな所に僕は、何とも言えない生命力とか統率力のようなものを感じていたような気がする。

世間一般のものさしで測ったら正しくはない。ただ、彼には突き進まなければならない独自の世界が
あって、その世界の中で彼はどうしてもそれをしなければならなかった。Tさんの行動の一つ一つ、持
ち物の一つ一つにはそんな主人公のかけらのようなものが詰め込まれていた。

僕は学習塾を始めるまでは極めて大人しい性格をしていた。夏休みに入っても浮いた話など一切無
かったし、そもそも40くらいになるまで女の子と話ができる人間じゃなかった。
キリストの兄貴が話題に出してくれた椎名誠さんの本は、高校に入ってから思い立って地元の安間
書店で立ち読みすることにした。『ハーケンと夏みかん』が一番気になったけれども、この『岳物語』は
夏休みの課題図書になっていて、結局こちらの方を半ば強制されたような形で読むことになる。

本の中には、常に理想の世界がある。岳少年はご存知の如く野性味あふれる冒険少年。当時の私
のこんな風に生きたかった、が、まさしくそこにあった。理想世界と言っても、悲しみも苦しみもある、
のだけれども、、、あるのだけれども明らかに、、、明らかにだ、、、こんな風に悲しみたかったし苦し
みたかった、俺は。

それがあった。

時代はいつしか昭和から平成になったし、さらに、もう、、令和にまで進んでしまった。夏休みも最後
の部活も甲子園もオリンピックも、全ての夢を奪われた少年たちは果たしてどんな本に助けられて、
自分たちの世界を作り直してゆくのだろうか。

・・・・君のいない世界など夏休みのない八月のよう・・・・

またうちの塾に岳たちが来る。俺が夢を叶え過ぎたから、あいつらの夢まで吸い取っちまったのかも
しれない。

そんな風に、ふと思う時があるのだ。

俺の人生はズタボロだった。

話せば少し長くなる少し長い話を聞いて欲しい。
俺は今でこそやたらと目立つ人間である。初めて出席した年一で催される母校立命館の新春パー
ティーでは、「お前が一番目立ってた。いいぞ!」と先輩から声をかけていただいたり、逆に地元の信
金さん主催の創業者パーティーでは、はしゃぎ過ぎて面倒臭がられたりした。

兎に角である。どこに行っても一番目立つ。

はっきり言おう。黙っていても一番目立つ自信があると。とにかくオーラが面倒臭いくらい溢れている
のだ。自分から「激烈バカ」とか「男塾塾長」とか名乗らせてもらっているのだけれど、そのくらいだか
らウザさ加減も推して知るべしである。だからこんな私を受け入れてくださっている皆々様方には、感
謝しようが無いくらい心から感謝せねばならないのだ。

ただ、今はそちらの話ではなくって、問題は、そう、私が6年間もの間ずっと引きこもりだったという方
なのだ、聞いていただきたいのは。これは良く言われるようにサボっていたとか甘えていたということ
ではなくって、本当に心を病んでしまったものだから、風呂にも便所にも行けずにベッドでずっと横に
ならざるを得なかったのである。

引きこもりのこの辺りの事情は本当に理解されていないものだ。例えば俺が睡眠障害専門クリニック
に行った時にも、実に病気の専門家であるはずの医者という職業のものから、「鬱は甘えだ。お前は
甘えている。今すぐ甘えるのを止めて働きに出ろ」と凄まじい形相で説教をされた。もちろんその時私
は医者に、「今までのように丁寧に対応して頂くか、それとも鬼の形相で怒鳴り付けられるか、好きな
方を選べ」と選択してもらって、丁寧に対応頂いたのだった。

この話は良いネタになったから、頭に来る話ではあったんだけれども医療費分の価値は十分にあっ
たと思っている。そして同時に、人が人を理解する難しさについても痛感させられた。

そんなこんなで俺の人生はズタボロだった。そう言っても過言ではないのである。
3浪した。

1974年生まれ。この年代は呪われているのかもしれない。受験をしてみればまさに受験戦争の真っ
只中。正直な話、俺など北海道から沖縄まで探しても入れる大学が一つもなかった。

就職活動をしてみれば就職超氷河期。死ぬほど勉強して3年浪人して、ある程度名が通った大学を
卒業してみても、内定をもらったのは大学を卒業した後の4月であった。

そして職がないからと会社を起こしてみたら、未曾有の人材難である。

もはや何をしても裏目にしか出ない。そう、それが魔の1974年生まれの持つ業(ごう)なのである。

流石に少しだけ自慢をさせて欲しいと思う。

小学校時代は学校で一番足が早かった。いや、本当は二番目だったのだが、「俺が学校で一番早
い」というオーラを出していたら、みんな騙され「松井が一番早い」ということになったのだ。

実は本当に一番早かったのは飛田という奴で、先生などは割合とはっきり「アイツは飛田に敵わな
い」と言ってしまっていたのだが、俺のオーラは先生の真実の言葉などよりも遥かに強大で、その程
度では微塵の揺らぎも見せなかった。だからみんな学校で一番早いのはいったい誰なのか、混乱に
混乱を極めることとなった。

45歳の今になっても地元の仲間に会うと、「なぁ、松井と飛田ってさ、本当はどっちが早かったんだ
よ?」と、聞かれる。30年以上経っても未だに騙されているかつての少年たちを、俺は心から愛して
いる。
そしてはっきり言おう。3人や4人ではなく、全員騙されているということを。この事実は長らく秘密に
されてきたが、86年に静岡県袋井市立高南小学校でかのオーラが発せられて以来35周年になる
今年の夏を記念し、特別公開の運びとなった。

小6になって突如として速くなったことで、マジでモテにモテまくった。それまでの陰キャネクラ人間の
皮をあっさりと脱ぎ去り、校内ナンバーワン俊足スポーツ男に生まれ変わっていたのだから、さもあり
なんといったところか。

俺はその時こう学習した。実力で評判をねじ伏せる快感こそが、この世に存在する至高の快感であ
ると。

そうこの世は実力こそが全て。俺はそんなドヤ顔イキり人間に成長していった。

そんなドヤ顔イキり人間も中学陸上部に入っていきなり身の程を知る羽目になる。あの全国放送「天
才たけしのスポーツ大賞」で優勝したリレーメンバーが隣町の小学校からやってきたのだ。気力だけ
で闘っていた俺だったから、その圧倒的実力差に敗北というものを認めざるを得なかった。

思えば小学校時代のソフトボールでも、俺が小6になった瞬間に別の地区からいいピッチャーが2人
もうちの町に引っ越してきた。ノーコンだった俺は呆気なくエースを陥落させられたのだ。そう。これも
魔の1974年生まれの宿命だろう。

静岡県立大学大学院の岩崎邦彦教授の名物授業では、こんな問いかけがある。

「日本で1番高い山は富士山。では2番目に高い山は?」
「世界で1番高いビルはドバイのブルジュ・ハリファ。では2番目に高いビルは?」

「正解は山梨の北岳、そして東京スカイツリーです」

マーケティングの超人気教授である岩崎先生が言いたいのは、2番では絶対にダメだということだっ
た。2番目は誰も思い出さない。イメージに無いから選ばれようがないという話だ。蓮舫など岩崎教授
の本を全て買って読むべきだろう。ついでに俺の本も。
ということで1位から陥落した俺は、最早足の速い奴だということすら忘れ去られる存在に甘んじるこ
ととなった。さらに言えば生意気なくせにクソ真面目で大人しい俺は、イジメの格好のターゲットにま
で成り下がっていた。

高校に入ったくらいから喋れなくなってしまったし、人が何とも怖くてできるだけ自分の殻から出なくて
いい方法を探りに探り続けた。しかし黙々と、どういった実力をつけてまた小学生の時のように人生
大逆転してやろうかと、考えに考え続けた。

俺は底偏差値のバカだったから、思いついた人生大逆転の方法もやっぱりバカだった。通っていた
高校はいわゆる進学校ではないけれど、ほとんど全員が大学へ行く。だから入ってくる情報も大学と
か偏差値の話ばかり。そして思ったのだ。

「東大とか京大は無理だ。だけど入試科目が少ない慶應のSFCならワンチャン行けるかもしれん」

と。

そして先生や仲間の話から、慶應に行けばまたあのドヤ顔イキり人間に戻ることができると確信した
のだ。

ちなみに進学校というのは、毎年東大へ行く生徒がいる学校のことを指すんであって、東大へ行く生
徒がいない学校は、いくらほぼ全員大学へ進学するとしても進学校とは呼ばれないのだ。

そんなクソのような基準は誰かに投げつけておいて、俺は慶應のSFCの一つ、環境情報学部を第一
志望に決めた。C.W.ニコルさんが大好きで、環境問題を学びたかったということもある。その辺は結
構優しいのである。

SFCというのは湘南(S)藤沢(F)キャンパス(C)の略で、1990年に慶應が新時代を切り開くために
新しく作ったキャンパスの名称である。正直なところ慶應と言っても東京からかなり離れた何もない田
舎にあるものだから、「SFCは慶應じゃない」とか「一緒にされたくない」という身も蓋もない正直な意
見が今でも慶應内部に溢れている。
しかし俺はと言えば、そもそも大学に行ける身分の偏差値ではないなのだから、2教科で上手くやれ
ば慶應ボーイというその美味しい話に、寺門ジモンの紹介する肉ほどに本能を掻き立てられ脳汁を
滴らせていた。

実力主義のところも良かった。「ITをこれだけ学べる」とか、「こんな起業家が出ている」とか、極めて
具体的だったのだ。今も当時もそうだが大学というものはパラダイスと言われ、何も学ばずに遊び呆
ける場所だとされているのだけれども、そこから脱却させる強い意図があったのだ。

「馬鹿にされる? そんなの俺の実力で黙らせてやるわ、片腹痛い!」

俺は実力バカ一筋だったものだから、SFCをコケにしてきやがる本家のおぼっちゃまどもを、磨きに
磨いたその腕で捻じ伏せ、勝利の雄叫びをあげられる瞬間を楽しみにしていた。その瞬間に溢れる
悪いしたり顔をどれだけ悪いしたり顔にしてやろうか、と、毎日イメージトレーニングを続け、磨きに磨
きまくった。

「SFCに入ったら見ていろ。俺がいる。学内全てに知らしめてやる」

と。

そして三年連続不合格だった。

SFCの入試はこれだから困る
1

突如として登場した上の英文は、2013年の慶應SFC総合政策学部の入試問題である。俺は今、冗
談抜きで全ての哲学書を英語で読むし、今でもアホほどTOEICの勉強をし続けている。しかしであ
る。上の文章のerratic「不安定な」という単語の意味がわからなかった。(他は全部分かるのであ
る)。

Weblio英語辞典によると、erraticという単語は英検一級以上の単語レベルがないと分からない単語
だ。もちろん分からなくとも全体の文意から推測して答えることはできる。、、、わけだけれども、これ
が分からないがために(3)の問題に「1」という解答を出すのに死ぬほどの不安感を覚えてしまうの
だ。

すなわち何が言いたいのかというと、大学受験レベル程度の英語のお勉強では、到底当時のSFC
の入試英語問題には太刀打ちできなかったのである。いくら3大予備校で英語の準備をしようとも、
高校の英文法をきっちりやろうとも、常に偏差値が70を超えていようとも、全く無理である。その程度
のものは楽々と終わらせ、あとは自分の好きなものを英語で楽しんでしまうような輩(高校生で!)で
なければ、絶対に不可能だろう。今の慶應文学部の問題なども、その気がある。

俺は本当に4浪しなくて良かったって、今になってしみじみ思う。2教科入試の闇の深さが実によく分
かるからだ。

1
https://storys.jp/story/2096?page=3 より。
「予備校の湿っぽい廊下で、あの娘を見つけた」

浜田省吾『19のままさ』より。

2浪目の2月の終わり頃、かなりの数の私立大学入試が終わり、代々木ゼミナールの南平寮からほ
とんどの受験生たちがいなくなっても、俺はまだ寮にいた。まだ一つも合格していなかったからだ。

男子寮だから、みんな退去していく時に漫画だとか使い終わった参考書だとか、エグいエロ本なんか
を全部捨てていく。そこに『冬物語』という浪人生活を描いた名作漫画が捨ててあった。

全巻そろっていたその『冬物語』に釘付けになり、俺は読み耽った。気づくと15時。実にこの日は立
命館大学の入試、最終試験に申し込みする日のリミットだった。銀行振り込みを忘れていた俺は、あ
えなく3浪決定の運びとなったのだ。

すまん。父よ母よ。なんてバカなんだ俺は。

流石にこの話は40歳を過ぎた時はじめて、大河内にだけこっそりと伝えることができた。そのくらい
申し訳ないと思ったものだ。

ちなみに当時はまだバブルの名残があって、うちの家族もカネの心配をした試しなどない、いい時代
だった。狂った時代でもあったけれども、同時にその狂気に助けられもした。

例によってまだ親には伝えていないのだが。

「浪人ってなんだと思われますか?」
2
P.F.ドラッカーの訳者、上田惇生先生の後継者であられる井坂康志先生に僭越ながら僕の本 の出
版記念インタビューをしていただいた時に、こう問うてもらった。井坂先生も1年間浪人されておられ
る。そしてなんとも言えないあの「浪人」という時間に、大きな影響を受けられたのだという。

ラグビー日本代表が地元袋井のエコパスタジアムでW杯の歴史的勝利を飾ったその日だった。僕が
水道橋の明治大学で井坂先生からインタビューをしてもらっていたのは。

自己紹介で「静岡県の袋井市出身、今まさに日本代表が戦っているエコパスタジアムがある地から
来させて頂いたんです」と先輩諸氏に語りかけると、まあまあの割合の輩がスマホばかり見るように
なってしまったのだった。

しかしラグビーに負けるかと俺は会場で相当の爆笑を取った後、はたと思ったのだった。

「あ、浪人って何かっていう井坂先生の質問にちゃんと答えてなかったっけ!」

と。

その時、俺は明後日な答えをしてしまっていたのだ。今思うと、井坂先生が少し残念そうな表情を浮
かべていたのは、そのせいだったと感じている。

その時間は極めて重要な意味を持っている。だけれども、なぜかうまく表現することができないの
だ。いつでも重要だった。今現在においても浪人という時間の存在は。でも、いつもうまく表現できな
いのである。

初めて外の世界を見せてくれた

もしかして、初めて外の世界を見せてくれたのが受験というものだったのかもしれない。悪友の大河
内に連れられて、あいつの第一志望だった早稲田大学の見学に行った時のことが忘れられない。テ

2
『14歳のキミに贈る起業家という激烈バカの生き方』ごま書房新社 のことである。
レビでしか見たことがない大隈講堂とか、高田馬場駅、大学のキャンパス。目の前にあるそれに触
れた時、明らかに俺は窓の外に出た気がしたのだ。

テレビという窓を通してしか触れることがない世界。受験という鍵を手に入れれば、俺自身がそこか
ら外に出ることができる。言葉にするとすれば、そんなイメージだろう。

「なんとも面白いものだな」

俺はそんな風に感じたのだけれども、だからと言って勉強に身が入るかと言えば、そんなことは全く
なかったのだった。

そのうち高3の正月が過ぎ受験の季節になると、センター試験になる。センターを受けたとしても偏差
値35の成績ではどうともなるものではないが、担任の小粥(おがい)先生の勧めで試しに受けること
にした。

「俺、どこ受ても合格するはずないっすよ」

「まぁ、確かに今の成績だと厳しいわな」

「だもんで先生は大学受けてみろっておっしゃるけど、、、」
「完璧に金の無駄だって思っちゃうんです」

「うん」

「大学1箇所受けるにつき受験料だけで3万円かかっちまうし、」
「センターにしても高いっすよね」

「まぁそうなんだけどね、」
「何事も経験してみないと分からないから」
「受けてみた方がいい。何か掴むことがある生徒らも多いんだ」

「むしろ3万ずつ捨ててる気がするんですけど」
「捨てるくらいならくれないかなぁ」

「駄目だww」

俺の小金稼ぎ作戦は功を奏さなかった。

センター試験を受けてみると、驚くべきことに数学Ⅰだけは相当分かった。センター対策問題集のよ
うな冊子を一応勉強していたのだが、数Ⅰの試験問題の全てのパターンがそこから出ていたから
だ。もし時間無制限で、じっくり取り組むことができるのなら全問正解できる感じであった。もちろん限
られた時間内だから実際の正答率は6割か7割くらいだったと記憶している。

センター試験というものは、実は自己採点である。自分で国語は○○点、数学は○○点、といった風に
学校や予備校に申告し、合格判定を出してもらう。

俺は冗談で、数Ⅰが満点だったと学校と友達に報告した。
もちろん、想定では一瞬で

「そんなはずねぇだろww」

みたいなツッコミが返ってくると思っていたのだけれども、全員クソほど真剣になっている大学受験の
最中だったから、

「げ!マジ!!スゲェら!!」

ということになってしまった。
学校にもジョークをかましたのが悪かったのかもしれない。
そしてまぁまぁのヤンキーみたいな奴にしても、

「松井さん、数Ⅰ満点だっただか?」

と、まるで剃刀を見るようなビビった目つきで俺を見てくる。こんなチャンスは滅多に巡ってくるもので
はない。
だからその時、俺は死ぬほどのキメ顔をして、

「ああ、、」

と呟いて見せた。

驚くべきことに廊下を歩いていても、近隣のクラスの女生徒が俺の顔を見て噂をするのだ。

「ねぇ、あの人、センター数Ⅰ満点だったんだって」
「えぇ!? 凄い!」

俺は死ぬほどのキメ顔をして、トイレまで歩いて行った。

「勉強っていいな」

私は心底そんな風に感じ、同時に小粥先生に心の中で感謝することができた。

代ゼミ7校舎に通った

まず、俺が通った代ゼミを概観させて頂きたいと思う。

現役:代々木ゼミナール浜松校
1浪:代々木ゼミナール名古屋校
2浪:代々木ゼミナール立川校
   代々木ゼミナール池袋校
  代々木ゼミナール代々木本校
  代々木ゼミナール原宿校
3浪:代々木ゼミナール浜松校
一見、7校舎に在籍していたように見えるけども、現役と3浪目は同じ浜松校であるので実際は残念
ながら6校舎である。

そして、おそらくだけれども、上のように解説させて頂かなかったとしたら誰も浜松校に2回いたこと
に気づかなかったと思う。これは何の意味もないことだと思われるかもしれないけれども、実はそうで
もないのだ。裏技的な話になってしまって恐縮だけれど、履歴書も同じだからだ。

すなわち、俺は3年浪人したために履歴書に3年の空白期間がある。

平成5年3月 静岡県立袋井高等学校  卒業
平成8年4月 立命館大学 政策科学部 入学

色々な経歴とともに、こうして何のズルもなく超明白な形での空白期間が記入されているわけだが、
こちらからわざわざ話を振らない限り、こんなものには気づかれた試しがない。

面接で気を使ってもらって話題を振られないだけだろう、と思われるかもしれない。けれど違うのだ。
なぜなら入社後、先輩や上司に、

「俺、3浪じゃないですか?」

と聞くと、全員が全員、

「は? お前3浪もしたの?」
「履歴書に書いてあったっけ?」

と言われるからである。

時々、うちの塾の生徒にこう問われることがある。

「入試の面接で、謹慎を食らったことって正直に言った方がいいですか?」
「不登校だった時に、かなりの情緒不安定だったことがバレて不合格になったらどうしましょう?」
「今でこそ落ち着いてきましたけど、小学校低学年の時には友達を叩いたりしてたんです。プロの面
接官には分かってしまいますよね? 正直に言ってしまった方がいいですか?」

いやそんなことはない。まったく大丈夫なのだ。高らかに明記してあることですらスルーされるのだか
ら、隠しておきたいことなどバレるはずがない。真面目なやつに限って心配をするんだから気にする
な。それよりお前よりもヤバい奴らがかなり合格してしまう方が問題なのだ。自分の心配より人の心
配をした方がいい。

え? それでも迷惑をかけてしまったらどうしようって?

そう、迷惑をかけたら謝ればいいのだ。大切なのは失敗を避けることではなく、問題を切り抜けられ
ることだ。失敗しない自信じゃない。問題を起こしても何とかしてしまう自信。時代の転換点で大切な
のはそちらなのである。覚えておけ!

昔、『ジョジョの奇妙な冒険』にこんな台詞があった。

「見抜かれないイカサマはイカサマではない」

と。

同様に、

「見抜かれない3浪は3浪ではない」

のだ。

・・・あれ? もう少しでいい話になったんだけどなぁ。
大名古屋のとん焼き

1浪目、名古屋で。。。

とん焼きと言ってもあまりピンとこない方が多いんじゃないだろうか。しかしである。焼きとんと言って
みたらどうだろうか。

「いや、、やはりピンとこないわ」
「焼きとり、の『り』を『ん』と間違えちゃったんじゃない?」
「トンって豚だろう。焼き鳥の豚バージョンだと思うぜ」

三番目の方、ビンゴである。まさかとは思うが貴方が本場名古屋の方であったとしたら、この際ご容
赦をお願いしたい。名古屋人に説法などしてしまった自分という未熟者を素直に恥じたいと思う。

そう。大都会名古屋人となった18歳の俺は、歴史の例に漏れずその光り輝く闇に飲み込まれてゆく
こととなった。そして光さえをも飲み込んでしまうような超最大重場、それがとん焼きの「のんき屋」
だったのだ。

それは名古屋駅から400メーターほど北に行ったJRの大ガードをくぐった信号の先にある。あろうこ
とか、代ゼミ名古屋校と当時あった寮との中間地点に位置していたのである。

もちろん未成年だった俺は、酔っ払いのサラリーマンの如く大不良が集まるその重場を当初怪訝な
目つきで窺うだけだった。入ったら最後、危険極まりない吉田類のような輩にケツの毛まで抜かれ、
ぺんぺん草一本生えない男にされてしまう場所にしか思えなかったからだ。

「なぁ、ここのお店入ってみない?」
一人で入る勇気はない。しかし寮にいた元同じ高校だった仲間とならもしくは、あそこに入って生還す
ることも可能かもしれない。。。そんな淡い期待を抱きながら俺は秦(はた)を誘ってみた。

「何? やめておけ」

彼もまた高校では多少のやんちゃで慣らした強者であったが、あのただならぬ匂いが何らかの警笛
をやつに与えたのだろう。まさしく即答だった。やめるべきだと。

「松井は本当に洒落んならんぜ。帰ってくる途中の飲み屋さんあるじゃん。あそこで飯食うかって誘っ
てくるだぜ!」
「ハハハ! 勉強する気あるのかよ、こいつはよ」
「松井、ああいうところはガチでヤバいやつがいるもんで、やめた方がいいでな」

例によって俺の勉強の邪魔をしに部屋に遊びにきた秦と東(あずま)と田辺が、でかい声でだべり出
した。大人になって分かったことだが、こいつらの方が吉田類さんよりも多分ヤバい奴らだ。

しばし俺はこの3人、そして一人で黙々と勉強を続け名古屋大学の理系学部に合格して行った裏切
り者(?)ではないけども一克(いっかつ)と寮に帰った。

そして、いつも、そう、、いつもである。俺はのんき屋の前を通るたびに、羨望と欲望と涎が入り混じっ
た顔で、店の前で店主が焼くとん焼きを穴が開きそうなくらい見つめ続けていた。

「危ない。やめろ」

東は小さいけれども警笛が篭った鋭い声を発し、俺の袖をひいていつも通りの帰路に着かせたもの
だった。

そんなこんなで、俺ののんき屋への気持ちは日々高ぶりに高ぶりまくっていった。禁じられた女性へ
の恋にも似たその思いは、しかしある日突然に裏切られるハメになるのだ。

「あ~、美味かった。まじ最高だら、あそこは」
「なぁ、最高だよ。あの味知らないヤツなんて童貞と松井だけだよな」
「は? 夕飯でも食ってきただか?」

寮ではありがたいことに、朝飯と夕飯を食堂で提供してくれる。今思えばすごいけれど、3種類の定
食から好きなものを選ぶことができるシステムだった。ただし、味の方は・・・だったものだから、カ
レー定食ばかり食べるということも多々あった。

そして一週間カレーを食べ続けると手が明らかにカレー色に染まってしまう。俺たちはその色に身の
危険を感じて、他の定食に助けを求める。それが恒例だった。

勿論、飯だから美味いといえば美味い。だから俺はまた秦たちの話は、食堂のカレーの話だとタカを
括っていたのだ。

しかし、である。

「のんき屋、最高、、」

「は???」
「な、なに???」

「だからさ、のんき屋最高だって言ったんだよ」

「お前、まさかあの店に手を出したのか?」
「当たり前だろ? 行ってないのはお前と童貞だけだって言ってんだよ」

「貴様、裏切りやがったな!」
「は~? 知らんな」

奴のアミバのようなしたり顔に正義の北斗神拳を叩き込むべく、俺は速攻でのんき屋に向かった。し
かし、のんき屋は飲み屋にあるまじきことに、8時閉店だったのだ。

俺はふかしをこいて、

「あぁ、美味かったわ。俺の方があの店、お前よりも詳しいんだけどな」
と俺の部屋でまだ寛いでいる秦に語って聞かせた。

「つか、あの店、8時までだに」

・・・そう。ヤツもまた、のんき屋ののっぴきならないサポーターだったことを俺は迂闊にも忘れていた
のだった。

しかしである。秦もまた飲み屋童貞を喪失したばかりだったと見えて、俺たちは少し呆然としてそれ以
上エスカレートすることができなかったのである。

二人はのんきに真夜中まで、昔の話を懐かしく語り合った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

それではこの辺りで、この18歳飲み屋童貞喪失物語を閉じさせていただこうと思う。こののんきな場
所へと、またのお越しをお願いいたします。

何者かになりたかった。

1万字以上書いてきて今更だけれども、この小説には果たしていったい、何か目的といったものがあ
るのか。馬鹿な話だけれど俺はこの週末、そいつについて頭を悩ませに悩ませまくった。
ワンピースだったら海賊王になる目的がある。鬼滅の刃だったら鬼を倒していい世の中にすることが
それだ。だけれども俺の書いているものには、正直なところ目的らしいものが何もない。

「これって小説じゃなくって、エッセイじゃないんですか?」

と言われたとして、

「正直、俺もそんな気がしていた」

と吐かざるを得ないだろう。

え? 大学入試が目的じゃないかって?

嬉しいことを言ってくれるじゃないか。俺もそうしたいのは山々だけれども、実際そうしてしまったらど
うか。

「そこそこ真面目なヤツが3浪して立命館に合格」

では、あまりにインパクトが薄い、薄っぺらい、うすうす0.01mmなのである。小癪なことではあるが
そいつは自分でも認めざるを得ないではないか。

しかしである。信念を貫いてソイツにしたとしようじゃないか。目的というものを。だけれどもそうする
と、この本の主人公はそもそも頭がいいのか悪いのか、頑張ったのか頑張らなかったのか、超かっ
こいいのか、まるでダメなのかすら、さっぱり分からなくなってしまう気がする。それは小説として致命
的な気がするのだ。

昔、『別冊宝島 シナリオ入門』という本を読んだことがある。当時の大人気作家で、珍しく俺も好き
だった小説家の乙一がこの本を読んで小説家になったという伝説の書籍なのだ。そんな凄まじく大そ
れた触れ込みだったから読んだ。

残念ながら最近、乙一さんは当時ほど活動していないらしい。だから小説家志望の生徒などに、

「見ろ! この本を読んで天才乙一は乙一になったのだ」
と高らかに宣言したとしても、

「誰? それ?」

という反応が帰ってきやがる。そんな時に俺は乙一について熱く語る。語るのであるが、語りながら
俺はそもそも乙一についてそこまでは知らなかったことに気づくのであった。

しかしである。俺が引きこもっていて文章で飯を食ってやろうと闘志を燃やしていた時のことを想像し
ていただきたい。当時出会ったその触れ込みは、俺のエゴに強烈な火をつけてくれた。なぜかと言え
ば、真っ当な人間になれそうな気を起こさせるではないか。だからであるのだ。

そう。俺は真っ当な人間になりたかった。3年浪人したのも、11回転職したのも、8年間引きこもりを
したのも、全部そのためだったのだ。

絶対王者

高校卒業当時の俺は、真っ当な人間になるための方法をたった一つしか知らなかった。

こんなことを言ってしまうと大顰蹙を買ってしまうのは分かっている。しかし、分かっていながら敢えて
言わせていただきたい。

「大学に入らないと真っ当な人間になれない」

そう思ってしまっていたと。

いや、、、もしかして今でもそんなふうに思っている方は案外多いかもしれない。だとしたらすぐさま、
我が学習塾omiikoに入塾されたい。
冗談である。

今になって考えてみると、うちの塾のパンフレットを作ってくれたH女史は、京都大学の理系を卒業し
た才女であったのに引きこもりになってしまっていたし、中学の同級生でパシリだったOは昔から分数
の計算ができないけれども、今では地域の後輩から親のように慕われる大物になった。暴走族だっ
た中卒の望月さんは、何だかゴッドファーザーみたいになっているし、超エリートのTは振られてばか
りいる。

何がどう真っ当かなど、全く分かったもんじゃないのだ。大学とかじゃない。だけど昔の俺はそれしか
ないと思い込んでしまっていた。

というか、他のことを考えることが一切できなかったのだ。流石は偏差値35だけのことはある。

確かにである。『耳をすませば』の天沢聖司さまのように、突然「バイオリン職人になる」といって渡欧
してしまう人生を見守らねばならないとしたら、あまりに安定感に乏しくて不安でたまらなくなる。そい
つは分かる。だけども大企業に入って安定するかと言えば、もうそうでもないじゃないか。

ちょっと前に悪友大河内から

「会社起こすなんて危ないだろ。失敗して自殺する人の話も聞くぞ」

と忠告されたけど、

「電通入ったって自殺するか」

という話に落ち着いた。

そう。今、俺たちは何をすれば真っ当に生きられるのか、訳が分からなくなってしまったのだ。

それじゃぁどうするかっていうことは各自で考えてもらうしかないわけだけども、俺はアホアホマンだっ
たから慶応に入れば全て解決すると思っていた。一応断らせていただくけど、今の俺は偏差値35で
はない。少なくとも36はあるだろう。
偏差値さえ上げれば自分を取り戻せると愚かにも思い込んでしまった俺は、浪人地獄の泥沼に嵌ま
り込んでいくわけだ。諸兄姉には俺がどこで人生を誤ったのか、ご指摘いただければありがたく思
う。

絶対弱者

そしてである。浪人1年目。名古屋で出会った最大最強のキャラが秦という男であった。奴は入寮当
時偏差値50程しかなかったわけだけれど、俺は奴に、鬼滅の刃の無残さまの如くの絶望的な差を
感じさせられていたのであった。

代ゼミへの登校初日の夕方、寮で会った秦は俺にこう言った。

「女の子と友達になっちゃった。三重の名門○○高校でミス○○高校だったんだって」
「他にも男でめっちゃいい奴2人とも友達になったぜ」

「な・な・な・な・な・な・ななななななななななな・ななななななな・・ななな・ななななななななななな・
な・ななななななななななな・なななななな・なななななななななな・な・な・な・な・なな・な・ななななな・
ななななななななななな・ななな・ななななななななななな・ななな・ななななななななななななななな
なななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな
なななな・なな・なななな・な・なななななななななななななな・なな・・なななな・ななな・なな・なななな
なななななな・何だと!」

もちろんこの俺の声は、心の中だけで発せられていた。

勉強はもちろん俺よりもできる。その上、超かわいい女の子ともすぐに友達になりやがった。更なるこ
とにイカした仲間とも一緒にいて強そうじゃないか。秦は一人でいても男らしくて押しが強いから、小
癪なことに何をしても俺よりも上だったのである。

情けない話だが、俺は奴に勝っているものを探しに探しまくった。
「俺の方が足が速いかな・・・」
「いや、もう高校生じゃないから誰も走らないわ」
「これ却下だ」

「俺の方が痩せてるか・・・」
秦はまぁまぁのデブだったのだ。今は俺のがデブだが。

「モテなきゃ何の意味もない」
「これ却下だ」

「他には・・・」
「何もない!」

「お、お、お、俺は何も持っていない男だ」

絶対的弱者の烙印を自分自身に押してしまった俺は、全くもって何の必要もない目に見えないその
烙印からの超強大な圧力に、激烈な汚辱感を感じさせられているのだった。そして、あまりに中二病
的な、そう、あまりに中二病的なその苦悩の重石を自らの両肩へとわざわざセッティングし、余計勉
強が捗らない、さらなる闇の底の底の泥沼の、さらにその奥底の奈落へと沈んでいったのだった。俺
は「自滅の刃」とも言うべき呪われた刀を腰にある鞘ではなく、自分の喉元に突き刺しながら生きて
いた。そうだった。

笑ってほしい。この阿呆な人生を。

ちなみにあと二人の高校の同級生、東と田辺は俺よりも偏差値が低かったが、俺より威張っていた。
なんで人は偏差値じゃないと気づかなかったのか。これも偏差値が低かったせいなのだろうか。
歩けども歩けども我が偏差値上昇せず。じっと赤本を見
る。

同じ高校出身で同じ代ゼミに通う浪人生なのだけれど、生活スタイルはまるで違う。

田辺は代ゼミの目の前にあったパチンコ店ジャンボに入り浸っていたし、東はイケメンだったから寮
で出会った他校生の卒アルから、女の子に電話をかけまくっていた。秦は割合としっかり勉強してい
たけれども、如何せんリア充だから時々寮を抜け出してジュリアナとかマハラジャ(ディスコの二大巨
頭)に遊びに行って、人生をエンジョイしまくっていた。ちなみに俺は陰キャだったから連れていっても
らえなかったのである。

田辺がいた私立文系基礎クラスの生徒らに至っては、代ゼミよりジャンボへの出席率の方が高いと
いう専らの噂だったけれども、そいつは噂ではなく真実だった。

お金が足りなくなると、田辺は真剣に「俺にはパチンコ貯金がある」と言い、「こいつはどこまで本気な
のだ」と俺たちは語り合ったものだけれど、その数十年後、俺の実の母が株で1億8千万円を完璧に
溶かしてしまうとは、当時、夢にも思っていなかったのである。すなわち、俺に近いほど馬鹿具合が
上昇してゆく。そんな法則がある。

東はイケメンでナンパっぽかったのだが、女の子への電話は口の立つ友人に頼んでいた。消灯され
た夜、代ゼミの寮にあった暗がりになった公衆電話から友達を拝み倒して電話をかけてもらい、女の
子と話をつけてもらう。

その間、ヤツは

「お願い、上手く行って!」
「上手く行って!!」

と、まるで敬虔なイスラム教徒のようにカーペットに頭を擦り付けながら何か得体の知れぬものに祈
り、朗報を待っていた。
「あんなしょうもないやり方で女を口説けるかよ」

俺は田辺らとそう話していたけれども、しばらくしたらヤツは東欧と日本のハーフ美女(しかも超絶)を
ゲットしていた。まさしく松蔭先生が語るが如く、至誠にして動かざるものは、いまだこれ有らざるな
り、であろう。何に対してであろうが、真剣な祈りが持つ強大な力というものはこれ程のものなのかと
思い知らされた。これはガチで俺も見習うべきかもしれない。それだけ本気でなければ、運命の人な
ど口説けまい。

ちなみにクリスマス前には名古屋のホテルを取るからと言って

「松井、ちょい一緒に来て。一人じゃ怖いもんで」

と、一緒に名古屋中のホテルの空きを探しに行かされたことは思い出に深い。ホテルのクラークが俺
を見て怪訝そうな顔をしていたけれども、あれは俺と東のカップルがクリスマスに使うホテルを探して
いたと思ったからだろう。

19になっても彼女はいない。東の彼氏だと間違えられたにも関わらず、実際はアイツのモテぶりに
度肝を抜かされるばかり。俺にはデメリットしかないクリスマスデートの準備に振り回され勉強時間を
半日フイにする。まさに5重苦6重苦のいい面の皮であった。

・・・一方の東は大満足そうなホクホク顔をしていた。

俺は、比較可能なデータの上位に来ることだけが自分ら
しくなることだと思い込んでいた。

俺は当時からずっと長い間、比較可能なデータの上位に来ることだけが自分らしくなることだと思い
込んでいた。2位より1位の方が偉いし、3浪より現役の方が偉いと。
貧乏より金持ちの方が偉いし、居酒屋より料亭の方が偉い。
農家よりITの方が金持ちだし、しまむらよりゴディバの方が金持ちだ。
静岡よりフランスの方がマブいし(眩しいし)、関口宏より中森明菜の方がマブい。

こう見てみると、なにか如何にも感覚が昭和だという感じがしてきた。とは言っても今の大学生にした
ところで、戦コンとか外銀とかに血眼になっているそうだから、時代は変わっても受け継がれる意思と
いうものは変わらないものだ。

とにかくである。俺は、是が非でもナンバーワンになりたかったのだった、、、のだが、実際は今も貧
乏だし、3浪したし、大学院を中退した最初の就職先は居酒屋さんの現場だった。そんなヤツがNo.1
ブランドじゃなきゃ自分になれないと思っていたのだから大変である。「偏差値の最前線にいるはず
の本当の自分に追いつかにゃぁ」と、遠州弁を自在に操りながら馬鹿馬鹿しいほどの努力を空回りさ
せていた。

確かに3浪というと大概の方から、「どんだけ遊び狂ってたんだよ」と思われてしまう向きがあるが、
俺は至って真面目に勉強をしていた。バカたから成績が伸びなかっただけである。

だが、どんなにダメ頭だろうがトリ頭だろうがハゲ頭だろうが、代ゼミのカリスマ講師について3年も
浪人すれば、相当の点数を取れるようになる。それがカリスマのカリスマたる所以であろう。流石で
ある。そこに痺れる、憧れる。

おかげさまで、俺は3浪目にもなると偏差値70を切ることはなくなった。駿台の慶應模試では小論文
で全国8位、苦手だった英語も好きだった小論文も成績優秀者の項目にガンガン載るようになった。

まぁまぁ凄いではないか!と思っていただけるかもしれない。しかしである。偏差値の最前線にいる
はずの自分自身の方なのだけれども、その姿形が、一切見えてこないのだ。それどころか恥ずかし
い話だけれども、俺自身が死ぬほど偉そうになってしまったので誰からも相手にされなくなったの
だった。

転職11社、就職試験での落社数推定5000社以上とはそんなところから来ているのだ。人は能力だ
けでは生きてゆけない。なにかマイナス方面にやたらと説得力がある話だが。。。
例えばこんなこともあった。地元の会社だけれども、いつ上場してもおかしくない会社法上で大企業
に分類される、歴史のある超がつく優良企業を受けた時の話を聞いてほしい。

筆記試験の点数だけは鬼のように良かった俺は、面接でこう言われた。

「松井くん。正直に言うよ」
「創業以来、うちの会社では君のような優秀な人物を採用できたことがない」
「ここまではっきり言うのもなんだが、優秀過ぎてこちらの方がビビっていると言っていい」
「ハハハ、でも本当の話なんだよ」

そして俺は面接で落とされたのだった。

・・・・どぅ~いうこぅ~と~?!!??
・・・・・・・・どぅ~~い~うこぅ~~と~~~~?!!??
・・・・・・・・・・・・ど~ぅ~~?!!??~い~う~~こ~ぅ~~~~~?!!??~と~~~~~~
~~~~~~~~亜qwせdrftgyふじこlp;@~~~~~~?!!?!!??!!???!ふじ
こ!?

ほんの少しでいい。
俺の変態ぶりを理解していただけたであろうか。

いや、、もっと分かって欲しい。あなただけには私のことを。。。

ホントは立派なことなんて誰も聞きたくないし、誰も話し
たくもないんじゃないか。
冒頭からタイトルに反して極めて立派な話を引用させて頂くけれど、ちょっと聞いて欲しいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

孟子さまはおっしゃった。
「気持ちを尽くしてことに当たる者こそが、自分の性(サガ)を知ることができる。そして性(サガ)を知
ることこそが、天命を知ることなのだ」

と。

ぼくらは大人になると、立派なことばかりを口にして、ほんとうの自分の気持ちを見つめられなくなっ
てしまう。そうじゃない。ほんとうの気持ちを見つめて、ぼくらの持ち味を世界にぶつけてみること。そ
いつが天に仕えることなのだと孟子さまは言っている。

気持ちってランク付けすることができない。だからほんとの気持ちをしっかりと見つめれば、自分と誰
かとをいちいち比べなくってすむのだと言うのです。

「いつでも、どこにいたとしても、重要なのは外の世界の誰かが言ったこととか、言いそうなことなん
かじゃないのだ。そうじゃない。自分本来の『気持ち』に目を向けることなのである。それが他者との
比較を超えた基準、すなわち儒教の究極、身を修め続けることなのだから」

ファミレスで小説を書いていれば、可愛いウェイトレスさんから憧れの目で見てもらえることもある。で
もそうじゃない。俺がそれを書くことが好きかどうか、そっちが問題なのだ。ウェイトレスさんに気を取
られそうになったら、自分の気持ちを見つめなければ。

まだ若い男が小さな祠に祈りを捧げていれば、たまには奇異の目で見られることもある。でもそうじゃ
ない。俺が本気で祈っているかどうか、それが問題なのだ。奇異の目に気を取られそうになったら、
自分の気持ちを見つめねば。

「志を立てる者とは、こうであらねばならぬ」(孟子)
俺はそう考えている。

(『孟子』私訳、一部追加)

【参考】
内野熊一郎(1962)『孟子 新釈漢文大系4』明治書院
小林勝人訳注(1968)『孟子 上下』岩波文庫
金谷治(1966)『孟子』岩波新書

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そしてここからが本題なのだが、先日、掛川で開かれた友人の戸田佑也さんのイベントに伺わせて
もらった。通常、俺がイベントに参加するとやたらくたらと目立ってしまうので、しっちゃかめっちゃか
になってしまう。大迷惑なので、俺は自分が主宰するイベント以外には、よっぽどでなければお邪魔
しないようにしているのである。

しかし今回は、戸田さんだから大丈夫だろうと思って出席させてもらった。

戸田さんはUFJ系のシンクタンク出身で掛川の若手起業家の騎手と言っていい方だ。エリートなんだ
けれど飾らない親しみやすい話し方をしてくれるから、俺は一発で彼を好きになった。言っておくが、
恋をしたわけじゃない。

そのイベントには、

「好きなことを仕事にする」

というタイトルが付いていた。誰だって好きなことを仕事にしたい。しかし、そのためにどうすればいい
かを分かっている人は、ほとんどいない。

じゃぁどうする??
ということに沢山のヒントをくれるイベントだった。登壇者は、高久書店の我が高木店長。三年以内に
一部上場を目指すという起業家の甲賀さん。世界を股にかけてカジノで全財産をすり続けた凄腕起
業家の島津さん、といった面々である。さすがは戸田さんの連れてこられた方達だけあって、恐るべ
き濃厚キャラしかいなかった。

「俺たちは立派なことばかりに気を取られてしまって、好きなことに無頓着すぎたんじゃないのか」

イベントではそんなことを考えさせられたのだった。

例えばである。作文にこんなお題が出たとするではないか。

「大切だと思うことを書いてください」

中高生、もしくは俺たち大人は、それに対して何を書こうと思うだろうか。

家族・挨拶・学び・友達・・・お金・会社・学歴・・・子供・地球環境・格差是正・貧困問題・・・

なんというか、立派なことを書かねばならないと思ってしまう、そんな気がする。

もちろんそれも超絶に重要である。重要であるけれども、立派なことなんて本当はも聞きたくないし、
話したくもないんじゃないか。

初っ端から孟子を熱く引用したヤツの言葉とはとても思えないけれど、孟子に至るには段階がある、
松井はそう考えているんだと捉えて頂けれは幸いである。

そこで俺の悪友Aが無謀すぎる恋をしてしまった時の話を聞いてほしい。
Aは中学の時に出会ったBさんのことを40歳で自分が結婚するまでずっと好きだった。Bさんは学校
中の憧れの的みたいな存在だったのである。

Aの伝説は尋常ではない。

まず、高校の時に勇気を出して初めて電話をして誘った初デートが、「泊まりでスキーに行きましょ
う」だったのだ。

好きー!にもほどがあろう。断られて当然だと思うわけだが、奴はその誘いを断られた時、ガチで半
泣きだった。

俺たちは一人で告白するのが怖いから仲間3~4人連れ立って、同じ公衆電話でめいめい好きな女
子に告白をしたのだ。

これは高校に入ったばかりで彼女が欲しくてたまらなかった時代のことである。どうか許してほしい。

Aの告白の最中、電話ボックスの隣で聞き耳を立てていた俺たちだったが、「スキーに行きましょう」
のくだりが出た瞬間に、ニヤケ顔を一変させ顔面をひきつらせる。軽く血の気が引いた俺らは、アゴ
で相槌を打ち「あいつは大丈夫か?」と、会議を開いた。

この時、俺だけが告白に成功したことは、付け加えねばならないだろう。

また、携帯メールが出始めた時のことである。Aは恐るべきことに、○○○docomo.jpとか、○○○au.jpと
かの○○○に、Bさんが使用しそうな考えられる全ての組み合わせを組んでメールを打った。

好きだったのである。どうか引かないでほしい。

恐るべきことだが、AのメールはBさんに届いていた。後日、Bさんに直で聞いたから間違いない。そし
てこれほどの根性を見せられると、もう感動すら覚えたと語ってくれた。しかし別段、二人の関係に変
化はなかったし、そもそもAは返信をもらえなかったのだった。
さらに中学の時にAは、「Bさんの家の前まで行こう」としばし俺たちを誘った。洗濯物を見たいがため
である。しかしBさんはもう心得ていて、パンツを外に干すことは無かった。

これは俺としても残念だった。
しかし、Aは、こう言った。

「なあ、Bさんってパンツ履いてないのかなあ?」

そして俺たちは会議を開いた。

僭越だが、ここで諸兄姉には冒頭の孟子を思い起こされたい。

「気持ちを尽くす者こそ、自分の性(サガ)を知ることができる。そして性(サガ)を知ることこそが、天
命を知ることなのだ」

とあったではないか。

Aは自らのサガをよく知ることとなった。奴は今、可愛らしい奥さんをもらって、地元で1番の会社で好
きな仕事に没頭している。

俺は思う。

自分になることとは、誰かに心を捧げることだ、と。

立派な一般論を語ったところで自分にはなれない。それより激烈に馬鹿だろうが恥ずかしかろうが、
好きな人に裸でぶち当たっていったAの方が、人間としての深淵に到達しているのではないだろう
か。
いや、やっぱり違うかもしれない。

「かんじんなことは、目に見えないんだよ」

子供の頃には見えていたのに、大人になると見えなくなるものがある。

誰しも、そんな話を聞いたことがあるはずだ。しかしそれって一体なんなのだろうか。大人になってし
まったら、作家たちですら、なかなかそいつを見つけられないでいるではないか。

偉そうな哲学を語ったって、ノーベル賞級の数式を使ったって、歴史上のどんな独裁者だって、そい
つを見つけることはできなかった。だって、彼らはあさってな場所を漁りまくっているのだから。

だからここで少し、誰の中にもある子供の気持ちを、くだらないと捨て去られてきた大人たちが作った
浅はかなゴミ箱から拾い上げてみようじゃないか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。」

『星の王子様』のキツネはそう言った。

目に見えないものは幻想なんだよ。なるほど。だからだ、自分自身ってものは幻想に過ぎないって考
えた方がいい。だって、人って他の人は見ることはできるけれど、自分自身を見ることなんて、鏡でも
ない限り不可能じゃないか。それに、その鏡だって、ほんとうのことを映してくれてるかどうかは分か
らない。
ぼくたちは現実を見ろって、ずっと教えられてきたような気がする。成績に優がいくつあるかとか、運
動会で1等賞をいくつとったかとか、お年玉をいくらもらったか、とかがたいせつだって。

恋をする方法とか、おとぎ話の書き方とか、夢のかたり方とかってのには、てんで晒されてこなかっ
た。だからモテなくなっちゃったんだって。おれがブサイクなのは関係ない。きっと、教育が悪かった
んだ。

だけど思う。優の数とか、1等章の数とか、お小遣いの額とかより、あの子が好きとか、野球選手に
なりたいとか、月に行きたいとかの話をしている時の方が、自分らしいんじゃないかって?

「それよりもっと地理や歴史や、算数や文法をやりなさい」

あいつらはいったい、にんげんの世界じゃない、どんな世界を作ろうとしているんだ?

AIとか、ロボットとか、科学者が支配する世界なのか?

おぉぉぉぅぉ~!
超ステキやんけ!!!

おれ、勉強がんばろうかな。

じゃない。
じゃない。
そうじゃない。

そいつらを倒すのがぼくたちの役目じゃないかよ。

この間、掛川城の下にあるカレー屋さんの「ジャンカレー」さんでシルバーズ・レイリーに会ったんだ。
そう、海賊王の船の副船長だった、あのレイリーだ。
おれは言われたんだ。

「資本主義の時代はもう終わる。これからはな、音楽主義の時代だ」

って。その日の宴は盛り上がりに、盛り上がったね。

次の日は二日酔いだった。
だけど、そのまた次の日におれは考えたんだよ。

現実を見ろって言ってる奴らが、果たして何してきたのかって言えば、、、

戦争したりとか、お金を巻き上げたりとか、おじいさんを騙したりとか、
しか、してこなかったじゃないかって。

だって、自分自身って幻想だもん。現実を見ちゃって、幻想を見ることができなくなってりゃ、自分が
何をたいせつにすればいいのかってことが、ぜんぜん分からなくなっちゃう。夢とか希望とか救いと
か恋とかは、ぜんぶ幻想(自分)の中にしかないんだから。

だから歌う。音楽を鳴らし、詩を書いて、話をするんだ。自分自身のたいせつなものが、いったいなん
なのかってことを、ちゃんと心の目で見すえるために。

えっ? 心なんて幻、だって?

幻を捉えるために、音楽や詩や物語があるんだぜ。夢とか希望とか救いとか恋とかの、自分の中に
しかない幻を現実が捉えられるかよ。

だもんで、幻想(心)を語れなかったら、人間じゃない。人間じゃなくて、自分自身を見失った、略奪の
モンスターになっちまう。

はるか昔の中国にいた、いにしえの大賢者、孟子。この亜聖は、世界を「覇道」の世の中から「王道」
の世の中に変えようとした。
略奪が上手い奴が支配者にのし上がる、覇道の世界じゃない。思いやりがあって、みんなに好かれ
てる奴が王となる、王道の世界だ。

そんな、思いやりの世界を作ろうとした。それをおれたちが、いまから、つくるんだ。

だから、幻想(心)を捉えるべきなんだ。現実じゃなく。
音楽を奏で、詩を書き、愛を語り合うんだ。
データや、カネや、成績で人を罵るんじゃなく。

人が人でいられるように
幻を心に描いて、冒険へと乗り出せ。

ほんとうの己であるために

現実を捨てろ

「キテレツの勉三さんは甘いぞ」、親友は俺にこう忠告し
た。いったい俺たちは何のために浪人したのか。

どこかのサイトで読んだのだけれど、浪人文化のようなものを初めて作ったのは代ゼミだったらしい。
今はもうほとんど消えて無くなってしまったその化石のような文化だけれども、そいつがどのようなも
のだったのか、少しだけでいいので説明させて欲しい。
そう、そうだ、、、そいつのことだけは、、覚悟して聞いていただきたいのだ。この夏、その、夏にふさ
わしい話として聞いて欲しいのだ。。。

俺が見たその闇は、こんな息苦しい、いや、、生き苦しい暗がりだった。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・

何かとてつもなく鬱屈とした根暗野郎の集団が、切れかけの蛍光灯が点滅する予備校の自習室の、
薄暗くジメジメとした病的な雰囲気の下で誰とも”一切”の口も利かずに、目を血走らせながら机の上
の参考書を睨みつけ、もがいてももがいても理不尽に理解不能な赤本と、そして、よせば良いのに
言いつけ通りに模試を受けてしまう馬鹿正直な男に生まれてきてしまった業から返却されたE判定の
データとを突き合わせて、その圧倒的な現実から投射される絶望を超える絶望すなわち生ける地獄
を、人間失格という文学的背徳の美しきそれでいて恥辱的文化の漂う優位性に酔いしれた何か、そ
う、その何かへと、この世ならざるものへと変換させてしまうものがあの男たちなのであるが、そのよ
うな人ならざる身分となった者たちはしかし日々見せつけられる己の無能さという無限の重荷に耐え
きれず未成年でありながら酒に手を染め悪酔に悪酔を重ね、どこにいようが、そういついかなる時で
あろうが常に苦悶の中の苦悶の表情を浮かべ顔をしかめながらも、自らの優越感のために偏差値と
いう存在し得るはずがない敵と闘うことだけは取り憑かれたように忘れることはない彼らなのではあ
るが、それでいて勝てるはずがないその宿敵を例の濁ってしまった心と血走ってしまったその目で凝
視しようと努めようとするもののそれもかなわぬ夢であるため人としての悪手に悪手を重ね、だがし
かしその事実を自らが認めることなど到底出来ないわけで、されども両の手で頭を抱え込みながら
机に伏す、という程度のことでかの者たちの宿命が終結を迎えるはずもないのであり、明らかに合格
する可能性などあるはずもない東京大学への入学を夢見た哀れな受験の隷奴らは、入学してすらい
ない、それどころか永遠に入学すること叶わないであろうこのいにしえから脈々と続く日本帝国最高
学府に入ってしまうというあり得ない妄想を振りかざし他者を痛めつけようとするのであるが、それは
「東大卒以外、人ではない」という浪人的、あまりに浪人的な、あの死の淵のニーチェですら恐れ慄
(おのの)く伝説にまで昇華された狂気の言葉をぶつぶつと呟き、その捻(ねじ)れるほどに頭を垂れ
させられた歪(いびつ)な優越感を、さらなる暗黒的狂気のレベルにまで練り上げてしまうことからも
たらされる呪われた悪魔の刃の返す刀で自らより弱く悲しい低偏差値の者どもを罵(ののし)り蔑(さ
げす)み、そして返される刀で自らより強く傲慢な高偏差値のものからは罵(ののし)られ蔑(さげす)
まれるという恐怖と狂乱がもたらす歪んだ妄想に取り憑かれ、その実力を冷静に鑑みて自分自身よ
り低い偏差値のものなどには出会うはずがないというひた隠しに隠し続けたのにも関わらず代ゼミの
誰もに直感的に見破られてしまう悲しき、あまりに悲しき事実そして、その歴史的にも語り継がれるで
あろう寂しき現実が現象化させてしまう臆病という魔物に男どもはあまねく襲われるそのことで、この
世の全ての存在から逃げ惑わねばならなくなってしまう阿呆な男どもこそがまさにあの神話で語り継
がれる代ゼミが創造した浪人文化の担い手であり、迷語に迷語をこねまくる狂気の獣であり、

その名を予備校生と云ふ。

まさに賽の河原を地で行く、浪人文化という暗黒の魔境に足を踏み入れられること。そいつが、無謀
にも俺の中である種の冒険心を掻き立てていたのだ。

実際、かつての代ゼミ名古屋校の二階だか三階にあった便所には、「○○子の電話番号。すぐに股を
開く。000ー✖︎✖︎✖︎ー♂♂♂♂」などといった卑猥な落書きと同時に、

「東大に入れない奴、今すぐ代ゼミを辞めろ」
「↑東大に入れなかった奴、今すぐ代ゼミを辞めろ」

とかいった、頭がいいのか悪いのか分からない魔境的なセリフで溢れていた。

そう、俺が浪人するときに、こう忠告してくれた友がいた。

「キテレツの勉三さんは甘いぞ」

と。
「東大一直線? 馬鹿なんじゃね?」
「俺がそんな奴らに負けるはずがないだろう」
「お前は俺を甘く見ている」

「未熟者」
「その程度の認識で浪人ができるか」
「お前は本当の浪人を知らない」

奴は俺と同じ現役高校生だったが、どういうわけかそれを知っている風だった。何か予言めいた言葉
で忠告をするその真剣な眼差しが、嘘ではないことを俺に確信させたのだった。

あいつは本当の俺の強さを知らない。

現役生らしい無謀さで、俺は親友の言葉を意に介さなかったが。

しかしそうではなかった。俺が考えるその恐怖と奴が知っていた恐怖とでは、まさに次元そのものが
違ったと言っていい。

真におそるべきは何だったのか。それは浪人という響きから感じられる例の汚さや醜さではなく、そ
の豊潤な、あまりに豊潤な芳しき香りを漂わせる深淵が発する僥倖そのものであった。

ご存知の通り、俺もかの呪力に取り憑かれた一人となり、暗闇の奥のその奥の、深海の奥底に溜ま
るあの酒、すなわち世の言葉で言うところの涙という美酒の中毒と化してしまったのであった。

信じるか、信じないかは、あなた次第。
大学 vs 浪人

大河内が1、2回生を過ごしたのは同志社の京田辺キャンパスといって、どちらかと言えば京都より
も奈良の方が近いところだった。

「俺の下宿の部屋ってさ、カトちゃんケンちゃんごきげんテレビの部屋みたいな感じだぜ」
「半地下の場所にあって、寝る所もなんか上の方にあるんだ」

カトちゃんケンちゃんごきげんテレビは、加藤茶と志村けんがドリフの後釜でやっていた番組である。
探偵役の二人が住んでいたのは秘密基地めいた部屋で、加藤茶が寝ていたのは当時まだ珍しかっ
たロフトだった。

「下宿の近くに酒蔵があって観光ガイドにいっつも載ってるんだ」
「なんていうか、歴史ある雰囲気なんだけどとてもモダンと言うか・・・、デートするには最高の雰囲気
だ」
「大学じゃぁ、体育の授業でゴルフがあったんだぜ。松井もゴルフってものを一回やった方がいいか
もしれないな」

「打ちっぱなしなら親父と一緒に行ったことあるぜ」
「ちがうちがう。本物のゴルフコースだ」

大河内から聞く大学は完全なる異世界だった。テレビで見るような部屋と、観光ガイドに載る綺麗な
地域に住んで、ブルジョアがするスポーツである、まさかのあのゴルフさまを学校の授業などで嗜ん
でいるのだ。

「なぁ、彼女出来た?」
「どうだろうな、彼女って言えるやつなら何人かいるような気がするけど」
「は? どういうこと? 意味がわからないけど」
「うん、分からないだろうな」
「松井も同志社レベルの大学に入れば分かるかもしれない・・・」
これはまだ僕が浪人で、電話で交わした会話だ。当時90年代前半は、まだバブルの残り香があった
時代。女子大生がブランドもののバックを日替わりで持ち歩いたり、高学歴・高身長・高収入のいわ
ゆる3高(さんこう)が持て囃されていた古き良き時代だった。

夏休みに僕は東京の代ゼミの寮から、大河内は京都の下宿から帰ってきた。

「ちょっとこの曲聞かせてくれよ」

家に遊びに来たあいつは、何時になく真剣な表情でそんなことを言った。おもむろにお気に入りの曲
が入ったカセットテープを取り出して、僕のステレオコンポで『夏の日の1993』というヒットソングをか
けた。今でもカバーされることがあるclassの名曲だ。

「なんだこの甘ったるい曲! 俺は今、戦っているんだぜ」

浪人だった僕はその軟弱な曲をすぐに止めようと、ステレオコンポに手を伸ばした。

「待て、待ってくれよ!」
「これだけはどうしても聞かせて欲しい!」

突然懇願をする大河内の表情に、僕も驚いて一緒にclassの名曲を聞かざるを得なかった。そして曲
を聴きながら何かを思い出しているヤツの目線は、夏の日を誰か知らない人と真剣に過ごした俺が
知らない大学生大河内を映し出していたのだ。

「なにかあったのか?」
「は? どういうこと?」
「だから、この夏になにかあったのか? って聞いてるんだ」
「ふっ」

「なんだ『ふっ』って」
「なにかあったフリをしやがって」
「はぁ? フリじゃね〜よ!」

「てことは、なにかあったんだな!」
「んぁ」
「・・・・・・」
「んぁふうっ」

「『んぁふうっ』?」

俺はそれ以上聞くことをやめた。

俺が新宿の満員電車で参考書と戦っている最中に、ヤツは「んぁふうっ」なことをしていたというの
か? 

そらから俺は、1993年夏の日の大河内に捧げるこんな歌を書いた。

「大天使ルシファルが堕天使に落ちるハイスピードで、俺もまた禁断の恋へ落ちてゆきたい」

いや、そんなことが、できるはずがないではないか。俺はペコパではない。
あの日ステレオコンポの前に現れたエロスの大河内は、俺の中のタナトスを目覚めさせたのだ。

「俺には学問がある。エロスとは違うのだよエロスとは」

ルサンチマンの囚われとなった俺は合理性を365度転覆させ、さらなる浪人の闇へと潜ってゆく心を
決めてしまった。

カオナシの時間

海辺のホテルに一泊して、真夏の少年時代に思いを馳せていた。近くに住む同級生といつも連れ立
ち、何の変哲もない毎日を過ごしていた、、、のだけれど、、、のだけれども、、あの何の変哲もない
日々より良い日々を送ることは生涯ない。そんなふうなことを考えていた。
引きこもりだった時にもそう思っていたし、会社を起こして何の不足もないような今になってもそう思
う。かのスティーブ・ジョブスですらそうだったらしいから、どうやら大人が本当に夢見ているものは、
王様とかこの世の支配者とかではなくって真夏の少年に戻ることなんだろう。

恋だっていつしか、少年の頃のように燃えることはなくなってしまったし、香港で100万ドルの夜景を
見た時だって、かつてカブトムシを見つけたあの時ほどには心が動かなかった。

時代はスターダムにのし上がった人間をもてはやしているけれども、本当は誰もが僕の夏休みに帰
りたいのだ。それなのに巷には怪しい人間が溢れて、如何なる方法を使って貴女をモンローのように
してあげましょうかとか、如何に貴方だけを稼げる男に変えて見せましょうか、とか、風俗スカウトの
オンパレードだ。

本物になりたいという僕たちの思いは、皮肉なことに世界を紛い物に作り替えてしまったのかもしれ
ない。

そう言えば、僕らは子供の頃からこんな風に教えてもらってきた。

一流大学に入れば本物になれる。
大企業に入れば本物になれる。
お金を稼げば本物になれる。

有名な人物になれたら本物なのだ。
エライ肩書きを得られたら本物なのだ。

と。

目指してきた全てのものが色あせてゆく。どれだけ夢中になろうが集めた服のスタイルがいつか古
臭くなってしまうように、世界のステータスの全部が輝きを失った土塊(つちくれ)へと戻ってゆく。

僕らの生きている今は、そんなカオナシの時間だった。
人は鳥を殺した

人は鳥を殺した。
さえずりを殺した。
音楽を殺した。
だから、自分自身を殺した。

永遠に殺した。
("The power of Myth"より。私訳)

「音楽をやる奴らってさ」
「どいつもこいつも悩んで、悩んで」
「苦しんで、苦しんで」
「世間から外れちまった」

「ここにいる奴らは全員そうだ」
「じゃなきゃぁ来やしないだろ」
「こんなところ」

「俺もそうだし、お前もそうだよ」

「鍵盤やドラムを叩いてるだろ」
「人を叩きたいのに」

「ギターを泣かせてるだろ」
「自分が泣きたいのに」

「他人も泣かせてる」
「・・・歌で、な」
「泣いてもらってるんだ」
「自分じゃ、泣きたくないからさ」

「ハハ」
「さみしいなぁ・・・」
「俺たち」

クリスマスが過ぎた夜。ジャンカレーでシルバーズ・レイリーと再会した時、そんな話をした。僕は
佐々木閑が語ってくれた仏教の話を思い出していた。

「病気や怪我、生まれによって」
「世間では誰にも受け入れてもらえない人がいる」
「誰にも受け入れられない人たち、彼らの受け皿なんです、仏教は」

「・・・」
「仏教と似てますね」
「音楽って」

ライブの爆音で、レイリーに聞こえているかどうかは分からない。
でも、かまわず話を続けた。

「音楽とか酒場って、救いだったんですね」

「・・・」
「この店は特にそうだ」
人は、なぜ文章を書く。

力を手に入れるためか、金を稼ぐためか。

僕が最初に自分から文章を書き始めたのは、小学6年のときだった。

当時、不況で父が勤めていた工場が閉鎖され、車で一時間ほどかかる工場へ転勤となった。しかし
父は、近代化されたその工場には向いていなかった。

同じ家で暮らしているのに、数ヶ月も声を聞かなくなった。鬱になり、会社に通えなくなる。二階で床
に伏せたままの日が続いた。

「勇人、お母さんがいないあいだ、家にいてね」
「お父さん、首を吊るかもしれないから」
「そういう病気だから、、」
「勇人、頼んだでね」

父の容体と僕の元気とは関係がないと思っていたのだけど、知らぬ間にショックを受けていたのだろ
う。だんだんとクラスの輪から外れていった。いつの間にか皆僕から離れていく。毎日一人で給食を
食べた。

「永田君の日記を読みたいと思います」

ある日、ふと担任の上沢先生が友達の日記を読んだ。

「ぼくはこの間、悪いことをして怒られて、罰として家の外に出されました。蚊と格闘すること数時間、
『うるさいから入れ』と言われ、家に入りました」

『これに懲りたらもう悪いことはしないように』

「そう言われましたが、あのくらいで怒るなんて大人気ないと思いました」
「お父さんとお母さんは内心、心配していたようです。でも次はムヒを持って、ずうっと外にいてやろう
と思います」

「心配するお父さんと、かゆい僕との根性比べをします」

クラス中が爆笑。なんて魅力的な文章なんだと思った。永田君は”ながしゅーちゃん”と呼ばれていた
けれど、次の日から僕は、ながしゅーちゃんをお手本にして日記を書くようになった。

面白く書けたら上沢先生に読んでもらえた。
師匠が良かったからだろう。笑いを取れた。

「お前、面白いよな」

だんだんとクラスに馴染めるようになったのである。
とても嬉しかった。

そのうち、家にも友達を呼べるようになった。
しかし、小六男子だから、ぎゃーぎゃーと騒ぐ。

「ねぇ、ハット、二階行っていい?」

ハットとは、かつての僕のあだ名だ。
しかしまずい。

・・・二階には首をつりそうな親父が寝ているのだ。

「いかん」
「なんで? いいじゃん」
「お父さんが病気で寝てるで、いかん」
「ハットのお父さんって、病気だっただ?」
「うん」
「分かった、行かない」
しかし、何人かは約束を完全無視して二階へ上がり、父に話しかけていた。

「おじさん病気なの?」
「う〜ん、そうだよ」
「感染る?」
「感染らないよ」

「本当?」
「本当」

「本当に?」
「本当」

「本当に本当?」
「本当に本当だよ」

「本当に本当に本当?」
「本当だけど・・・」
「もう下に行って」
「遊んできなさい、ゴホゴホ」

友達がうるさかったからか、父は起き上がるようになり、会社にも通えるようになった。

父を助けようと働きに出た母は、「日生のおばちゃん」として頑張ってくれた。実に浜松地区で十位に
入る成績を上げ、しばらく我が家はバブル経済を謳歌するようにもなった。

だから三浪しても平気だったのである。

人間万事塞翁が馬

悲しみに突っ込んでいった”ながしゅーちゃん”、親父に突撃した友たち。文章とか笑いとか自分自身
とか、音楽にしてもそんなところから生まれるのだろう。
神話も音楽も文章も、悲しみをいとおしみ、うつくしむ。慈悲から生まれるのだ。

僕は、一人でいるのが寂しかったから文章を書いた。それが原点である。

ただ、誰にも相手にされなかった僕自身を、僕は好きだった。

悲しみのきわからは、神話が生まれる。傷ついた寂しそうな野良猫とか、みじめに負けたボクサー、
薄汚れた駐車場の看板、もちろん苦しみの最中にいる自分自身も。

なにやら、肉体の輪郭から立ち上るモヤのようなものが見えるのだ。哀愁であったり、寂しさが形を
持った蒸気のような、どういうわけか手を取りたくなってしまうなにかがある。悲しみのきわというもの
には。

人は悲しみを殺した。
涙を
音楽を殺した。
だから、自分自身を殺した。

永遠に殺した。

人の住処は、悲しみという海の中なのかもしれない。悲しみの海に住む魚は、空の鳥に憧れすぎて
しまった。海を離れたら生きてはいけないのに、調子に乗って飛び跳ねて、陸地に乗り上げ干からび
る寸前。

僕は、一人でいるのが寂しかったから文章を書いた。友達の真似をして。

深海の祈りは、きっと神に届く。悲しみの中で神話と音を、そして宴とを神に捧げようではないか。

文章を書く。ながしゅーちゃんの真似をして。
あなたは悲しみの海の中で、どんな祈りを捧げるだろうか。僕たちは見よう。そのきわから立ちのぼ
る神話を。

祈りは物語となり、神に届く。きっと仲間をつくる。

人は悲しみの海で神に祈る。
そんな魚。

二浪目の成人式

74年生まれの僕の成人式は94年1月15日。三浪したものだから、当時は二浪目だった。

センター試験の日でもあった。当時はセンター試験も成人式も、1月15日に行われるのが通例だっ
た。

私立大学は3教科での受験が普通だけれど、国立大学はセンターで5教科すべてを課す。国立を受
けるほどの器用さはなく、私立も2教科で受験した僕はセンターを受けることはなかった。

成人式でも地元静岡に帰るつもりはなかった。当時代ゼミ代々木本校の地下にあった自習室で、一
日中勉強をした。それが僕の成人式。

「神が憐れんで合格させてくれるのでは」

そんな期待を込めての一日だったが、結局、夜間以外のどの大学にも受からなかった。

上京した当初は青梅市に住んだ。新聞奨学生をしながら立川の代ゼミに通わせてもらった。人間関
係も仕事もうまくいかなかった。考え事をしているからか、配達ミスを毎日出した。だから周りの人間
に軽蔑された。
配達地域が遠かったものだから、配達ミスの新聞を届ける行き帰りだけで一時間はかかる。気ばか
り焦って勉強に手が付かないのだから、何時間かかろうと成績に変わりはないけれども。

どれだけ注意しても必ずミスをするから、情けなくて部屋で頭を抱えて泣いた。どんなに気をつけても
ミスが無くならなかった。どうしようもなく、ただ自分の無能さを嘆くしかなかった。

それでも青梅市の風景は美しかった。静岡とさほど変わらない住宅やお店が並ぶだけだったけれ
ど、朝日に映える街並みも、夕焼けに染まる子供たちも息をのむほど鮮烈だった。

今でもまたあの町をバイクで走りたい。そう思っている。

GWを過ぎて新聞配達を諦め、京王線の南平駅近くにある予備校の寮に入れてもらった。新宿まで
一時間かかり、朝は暗いうちに出発する。東京ではそれが当たり前だと聞いて驚いた。

予備校の講師陣は一流どころがそろっていた。旺文社のラジオ講座を担当している先生、受験生必
携のベストセラー参考書を書かれている先生、年収一億を超えている先生が何人もいた。

教え方も情熱も見たことがないレベル。彼らに憧れて、彼らのようになりたかった。河合塾で物理の
講師をされていた田原真人さんに最近聞かせていただいたのだけれど、当時は全共闘にいた方が
本気で日本の教育を変えるために予備校を選んだのだそうだ。迫力はそこから来ていた。

どうしても勉強をしなければならないのに、どうしても手につかなかった。寂しくなって酒を煽ったりポ
ルノに手を出したりするけれど、一向に落ち着かないし成績も上がらない。階段を転がり落ちるよう
に何もかもおかしくなっていった。

気晴らしに新宿の街を歩いた。何時間も何時間も。しょんべん横丁と呼ばれる飲み屋街や、日本一
有名な書店の紀伊国屋書店のあたりを。現役の時に大学受験で泊まった新宿中央公園のホテル、
そのとき寄ったラーメン屋にも入ったりした。

クズになった自分を捨てて、やり直したかったのだ。
誰ともしゃべらず、ひたすら一人だけで歩く。危なそうなところを通っても、若かったから走って逃げれ
ばなんとかなると思った。誰とも話さないものだから危険は極端に少ない。東京を離れるまで人と目
を合わさなかった。

自習室で勉強に身が入らなくなると、昼頃から歩き回る。

「クズ」

そう思うのだけれど、なんともならない。いつの間にか夕暮れになり、それから新宿高層ビル群のあ
たりを目指す。オレンジ色に染まった文化女子大学のそばを通り、都庁のあたりに抜ける。かと言っ
て、誰とも会いはしないが。

時間までに寮に帰らねばならないのだけれど、夜も歩き回る。いかがわしい駅の裏の本屋に入り、
やるせないサラリーマンたちに紛れて惨めな自分を隠そうとした。

悩んで寮の部屋で叫んだり、気味の悪い本を捨てたりするものだから誰も声をかけない。それでも絶
対に合格しなくてはならないと思った。手に付かない勉強をなんとかこなそうと歯を食いしばる。

成人式を過ぎれば状況も好転する。

そんな淡い期待を抱いていたが、そこから取り憑かれたように酒に溺れてしまった。はじめて自分で
アル中を疑ったのがあの頃だ。

槇原敬之の92年のヒットソングに『遠く遠く』という名曲がある。


同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
『元気かどうかしんぱいです。』と
手紙をくれるみんなに

成人式の日、一本の電話もなかった。
「間違っていたんだろうな」

酩酊しながら、街の華やぎを呪った。

これが本当の私。

僕は定期的に壊れる

昨日は磐田グランドホテルに泊まった。外界と自分とを完全に隔離させ酒を浴びるように飲み、すべ
て欲望のまま一人だけで過ごす。本を書いていたときは、それこそ毎週末おなじように壊れた。

自宅のある袋井市と磐田市は隣り合わせだから、別段磐田のホテルに泊まる用などはない。ただ、
温泉付きの豪華なホテルに、Go to トラベルに似た県の補助を使って2800円で泊まれる。これはもう
静岡県が俺に壊れろと言っているようなものだ。

そんなわけで昨夜は、A女史のメッセージにしっかりと返信できなかった。そのあと本気で怒られるこ
とになって平謝りに謝ったわけだが、これは俺ではなく静岡県が悪いのではないか。

そして夜が明けた今日の昼は「火の国」という焼肉店の食べ放題にした。Go to イートに似た静岡県
のクーポンが余っていたのだけれど、痛風上がりで焼き肉食べ放題に行ったこと、これも静岡県のせ
いではないだろうか。

「一人焼肉か〜」

4年前に同じような話をして生徒にそうつぶやかれた。一人が好きなのに一人では寂しくてたまらな
いムゲン地獄の炎で焼くカルビとホルモンとタンは、実のところ恐ろしく美味い。ムゲンに食える。

壊れるための日の俺には珍しく、昨日は夜中の12時くらいまではまともだった。
井坂康志先生の『Drucker for Survival』やミンデルの『Dreaming body』を読み、学会誌に載せてい
ただいた自分の論考を読み返したりしていた。遥奈さんが深海ラジオで仰っていた『フェノミナン』とい
う映画も見た。

『フェノミナン』は、主人公ジョージが37歳の誕生日に強烈な光に晒され突如として天才化する話だっ
た。いつも振られてばかりいる冴えない中年男が天才になる。病気のポルトガル人の通訳のために
20分でポルトガル語をマスターしたり、地震を完全に予知したり、エネルギーとコミュニケーションをと
ることで物体を自在に動かしたりする。

だが周りの人間は次第に彼を怖がり、敬語を使うようになる。さらにはやたらと難癖をつけるように
なったりもして、ジョージの生活は壊れてゆく。

類まれな力で人に尽くしたいとする彼の思いは、逆に認められず疎まれることで人を呪うものへ変
わってしまう。

1996年に上映されたそれほど有名ではない映画を、なぜ若い遥奈さんが知っているのかは不明だ
けれど、彼女の紹介してくれる映画はいつも僕自身が主人公なのではないかと錯覚させるほど、僕
に似た主人公が登場する。

やはり壊れているのだろう。

仏教学者の佐々木閑は、最近はじめたYouTubeで釈尊のこんな言葉を紹介していた。

「実際の世の中の動きは、我らが幸せになろうと努力をすると、その努力を打ち壊す形で動いてゆく」

「それでも幸せになろうと努力をするなら、さらに恐ろしい絶望に晒される」
「どうすればいいかと言えば、なにも求めないことだ」
「何かを実現したいという欲求を放棄することによって、本当の安楽が訪れる」

「仏教は、何かを為したくとも何もできなくなってしまった人々、メインストリームから外れてしまった
人々の受け皿として存在している」
「極貧者や終末期の患者などの受け皿として。普通の人を対象とした教えではない」
「通常の者には分からなくともいいのだ」

そんな仏教に嵌るのだから、俺はやはり救えない奴なんだろうとつくづく思う。

しかしだ。なにも得るものがなくてもせねばならないこととは、なんなのだろうか?

P.F.ドラッカーは自らを「書く人」と規定していた。それは彼が書くことに最も時間を使っていて、何より
も理想を追求できたからだ。

「ドラッカーは生涯で40冊の本を書いた」という話が好きだ。膨大な数を書いたという事実が好きな
のではなく、ある種、師匠のドラッカーが40冊書いたなら、3冊原稿を書き終えた僕も残り37冊で打
ち止めと分かるからだ。

残り時間を使って書くべきことはなにか。

こんな、真剣に自分を振り返ることができたときに背中に走る生命の断末魔のような戦慄がたまらな
い。いかにも生きている気がするではないか。気味が悪いこともまた生命の特徴なのだ。

「計画はリスクを作り出し、リスクを引き受ける」

ドラッカーはそう言う。

計画は狂気を映し出しているべきだ。優等生が先生の顔色を見て発する健全な模範解答などでは
なく、あなた自身の死の誓約が顔を出した、人がゾッとして顔を背けるなにかが含まれているべき
だ。そうでなければ、プランなど立てる価値がない。

「汝自身を知れ」

ギリシャのアポロン神殿に刻まれ、ソクラテスが一生傍に置いた言葉である。ならば僕らが死をかけ
て実行する、常軌を逸したプランとはなにか。

あなたは、いつ死ぬのだろうか。
ソクラテスの彫刻は、死にざまを知れと言っている。

僕らは螺旋を上るように歳を重ね、ふとその下の螺旋を
覗く

「僕らは螺旋を上るように歳を重ね、ふとその下の螺旋を覗く」

僕が大好きな遥奈さんの番組に『深海ラジオ』というものがある。2020年7月18日(土曜日)放送の回
で、彼女はそんな言葉を呟いた。大学の大先輩との飲み会の後だったから、意識は幾分か朦朧とし
ているまま。それでもそんな靄(もや)を切り裂く詩人の言葉は、僕の意識をたびたび正気へと引き戻
すのだった。

『僕は本気だった』

ラジオでかかった彼女の曲の名前である。苦悩というものは堂々めぐりのように時空を超え、何度も
何度も僕を悩ませてしまう。そんなように感じられてしまうのだと、番組に送られてきた繊細な、あまり
に繊細なメッセージには綴られていた。

「私は私と出会い、瞬間々々、別れを繰り返します」

彼女はそうコメントした。

「感情が生まれるたびに、私たちは生まれ変わっている。感情が生まれることこそがその証。もし全く
同じ自分でしかいられないのだとしたら、感情はそのうち完全に停止してしまうでしょう」

と。

ならばもし、私が私と別れることができず、死ぬこともできなかったとしたらどうだろうか。
螺旋階段の下で腐り果て、うじ虫をはびこらせながら悪臭を放ち、、それでも階上の私が、亡くなった
私自身のことを忘れられずこちらに呼び寄せようとするのなら。

神話にあるではないか。イザナミを追って黄泉の国に赴いたイザナギは、醜い姿を見られたかつて
の妻イザナミに呪いをかけられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これからは、あなたの国の人を、一日に千人ずつ殺します」
「それならば、地上では一日に千五百人ずつ子供が生まれるようにするよ」

イザナギは答えました。

こうして二人は別れ、地上の世界と黄泉の国とは、永久に行き来できない石のとびらでふさがれ
ました。しかしそれからというもの、亡くなる人よりも生まれる人の方が多くなり、地上の人は次第に
3
増えるようになったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我らは自分自身に呪われるがゆえに、新たな世界を創造してゆけるのだ。

ならば見たくはないだろうか、さらに多くの呪いというものを。

見るなと言われたものを見、
言うなと言われたことを言い、
聞くなと言われたことを聞けば良い。

3
【参考】
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend2/html/010/st14.html
神話の時代より我らはそう生きることを宿命づけられているではないか。

プロメテウスは神の世界から火を盗み、人類に文明をもたらした。もちろん神からは激怒されるこ
とになるのではあるが。

浪人、変人、馬鹿。

我らは自身の純度を上げることにより、真っ当な馬鹿になれる。旧世界の怪物から恨まれ疎まれ
ようが、新世界さえ作り上げてしまえば我らこそが官軍なのだ。気にすることはない。

僕は本気だった。

無感情な退屈野郎に用はない。
感情を殺して生き長らえるより、神を激怒させる歴史の主役であれ。

安全地帯に収まるのではなく、泥沼に根を張り異世界とさえつながる蓮の花を咲かせるのだ。

かなしいかな。
もっとも軽蔑すべき人間の時代が来る。
自分自身を軽蔑することのできない人間の時代が。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

僕らは、壊れた人間が好きだったのだ。

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