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特集論文

マルクスにおけるジェンダーと家族
衽衲 後年の共同体研究がもつ可能性の一つとして

浅川雅己 札幌学院大学

I
はじめに Federiciの
『資本論』
批判

本稿では,マルクスの
『資本論』以降のジェエンダー 限られた紙幅と時間の中で本稿が取り上げることが
と家族に関する研究について考察する。『資本論』
にお できるのは,Federici が提起する論点のうちの次の 2 点
けるジェンダーと家族の取り扱いについては,Sylvia である。
(1)
マルクスは,
「家事労働を自然な欲望を純
❖1) ❖4)
Federici による批判的論及 がある。また,『資本論』 粋に満たす古い活動であると理解している」 。(2)

刊行後のこの分野でのマルクスの理論的営為について ルクスにとって,
「家事労働は,工業労働と比較して,
❖2)
は,Heather Brown の研究 を無視することはできない。 すぐに工業化の進歩に取って代わられる古風な形として
❖5)
Federici はその論文の冒頭で Brown の論文に言及して 現れた」 。つまり,(1)
家事労働を,歴史貫通的で
いるものの内容を検討したようには見受けられない。お 自然必然的な活動とみなし,
(2)
しかし,それは工業
そらく,常に運動の先頭に立ってきた Federici の旺盛な 化を通じて否定されて消滅していくとみなした,この 2
実践的関心からすれば,マルクスの理論形成の足取り 点においてマルクスは間違っていたということである。
を慎重にたどるBrown の研究が単純なマルクス擁護に
しか見えなかったのかもしれない。 1「家事労働」
は,歴史貫通的で,自然必然的か
Federici は,マルクスの歴史の唯物論的把握,資本 論点(1)
に関連して,Federici は,家事労働の形態
「ジェンダー,人種, 的包摂という議論を転換している。
主義的蓄積と価値創造の分析が,
階級」
の関係の把握に強力な武器を提供したと指摘し 「資本主義的発展の第 1 段階では,女性の生殖
❖3)
ている 。また,それにもかかわらずフェミニズム運動 活動は資本主義的生産に
(マルクスのターミノロ
がマルクスを利用してきたその仕方は,フェミニズム運 ジーでは)
形 態 的に
組 み込まれたにすぎない。
動をマルクスが描いたものとは,違った方向に導く結果 すなわち,労働市場の独自のニーズに適合するよ
になったという。つまり,Federici は,フェミニストの側 うにリシェイプされていないまま,労働市場に貢献
❖6)
もマルクスを十分に理解し使いこなしてこなかったと している可能性がある。

考えているのである。その一方で,以下に見るように 「マルクスのように歴史に関心を持つ強力な理論
Federici 論文では,
『資本論』
におけるマルクスの限界が 家は,家事労働が,自然な欲望を純粋に満たす
指摘されている。Federiciとしては,マルクスに沿って進 古い歴史を持つ活動であると理解しているが,実
みながらマルクスを超えることが必要だと考えているの 際にはその形態は,労働の,歴史的に独自な形
であろう。問題は,のり越えの対象としてのマルクスが, 態であり,生産と再生産の,支払い労働と不払い
果たして
『資本論』
のマルクスでよいのかということで 労働の分離の産物であって,先資本主義的な社
ある。 会,一般的にいえば,価値法則に支配されていな
❖7)
い社会には存在しない。

この考え自体は非常に興味深いものである。機能と
しては,かねてから存在した再生産労働が,資本に
よって形態的に包摂されたという見解である。生産機

[特集論文]
マルクスにおけるジェンダーと家族 029
能から切り離され労働力再生産に特化したが,「第 1 段 のために必要な家族労働をも自分の自己増殖の
階」
では,再生産労働としての機能的な内容は従前の ために奪い取ったかがわかる。また恐慌は,特別
ものを引き継いでいたというわけである。 な学校で労働者の娘たちに裁縫を教えるために利
Federici は,マルクスが,こうした形態転換を見逃し 用された。全世界のために糸を紡いでいる働く娘
ていて,機能的にも形態的にも家事労働を固定的にし たちが裁縫を習うために,アメリカの革命と世界恐
❖9)
かとらえていないと批判する。しかし,Federici 自身が 慌とが必要であるとは!」 。
取り上げている
『資本論』
からの引用によってわれわれ マルクスは,料理や裁縫の教育が女性を対象に行わ
が確認できるのは,マルクスによって引用される証人た れたことを直接的に批判しているわけではない。これだ
ちの表現がどうであれ,マルクス自身は,ほぼ一貫して けを見れば,
「消費のために必要な家族労働」
が,女
家族機能の担い手については,きわめて中立的な表現 性によって担われるべきもの,そうであるのが「自然」

に徹しているということである。 ものとされているようにも見えなくはない。だが,マルク
「家族の特定の諸機能,たとえば子供の世話や スは,『資本論』
に先立つ
「61-63 草稿」
でつぎのように
授乳などは,まったくやめることはできないので, 述べている。
資本によって徴用された家庭の母は多かれ少なか 「労働者の賃金がそれに費やされるところの不生
れ代わりの人を雇わなければならない。裁縫やつ 産的労働またはサーヴィスは,わずかしか残らな
ぎ当てなどのような家庭の消費に必要な諸労働は, い。ことに,労働者が彼の消費費用を
(料理,家
既製商品の購入によって補わなければならない。 の掃除,たいていは修繕さえも)自分で心配する
❖10)
したがって家事労働の支出の減少には,貨幣支 場合にはそうである。

出の増大が対応することになる。それゆえ労働者 「誰でも自分の生産的労働または生産的労働の
家族の生産費が増大して,収入の増大を帳消しに 搾取のほかに,生産的でなく部分的には消費費用
する。その上,生活手段の利用や準備における節 にはいる多くの機能を果たさなければならないだろ
約と合理性が不可能になる。公認の経済学によっ う。(本来の生産的労働者は,こうした消費費用
ては隠蔽されているこれらの事実については,工 を自分で負担し,自分で自分の不生産的労働を
❖11)
場監督官や
児童労働調査委員会
の報告書, しなければならない。
)」
特に
公衆衛生に関する報告書
の中に豊富な資 「消費のために必要な労働」
衽衲「61-63 草稿」
の「消
❖8)
料が見いだされる。
」 費費用」
の「費用」
は労働力支出の意味である衽衲は,
「家族の特定の諸機能」
が「やめることができない」
も 基本的には労働者本人によって担われるものとされて
のであるという指摘は,Federici が言う再生産機能の いる。資本主義の現実が女性たちにこの役割を負わせ
「形態的包摂」論と矛盾しない。ここで示されているの てきたし,生産的労働の搾取のために彼女たちをそこ
は,家族の在り方の変化に応じて再生産機能の担い手 から遠ざけた後も,状況が変われば,再び彼女たちに
が変わりうるという事実である。 その役回りが押し付けられることになる。しかし,マルク
「ドクター・エドワード・スミスは,アメリカの南北戦 ス本人はそれを当然のこととしていたわけではないので
争に伴った綿業恐慌のあいだ,綿業労働者の健 ある。
康状態についての報告をするため,イギリス政府 以上のことは,キリスト教的,ゲルマン的家族形態を
によって,ランカシャーやチェシャーなどに派遣さ 絶対的なものと捉えることを批判した大工業論の一節と
れた。彼は特に次のように報告した衽衲恐慌は, 照らし合わせるなら,一層はっきりするだろう。
労働者を工場の雰囲気から締め出したことは別と 「資本主義制度の内部における古い家族制度の
して,衛生上ほかにもいろいろな利点をもっている。 解体が,どれほど恐ろしくかつ吐き気をもよおすも
労働する女性たちは,今では,自分の子供たちを のに見えようとも,大工業は,家事の領域のかな
ゴッドフリーの強心剤(一種のアヘン剤)
で毒する代 たにある社会的に組織された生産過程において,
わりに,授乳するために必要な暇を見いだした。 女性と男女の年少者・児童とに決定的な役割を割
彼女たちは料理を習う時間を得た,と。不幸にも, り当てることによって家族と両性関係とのより高度
この料理術は,彼女らに食べ物がない時に与えら な形態のための新しい経済的基礎をつくり出す。
れた。しかし,これを見ても,いかに資本が消費 家族のキリスト教的ゲルマン的形態を絶対的なもの

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と考えることは,ともかく相互に一歴史的発展系列 Kevin Anderson や Heather Brown,斎藤幸平などによる
をなしている古ローマ的形態,あるいは古ギリシア 一連の研究は,マルクスがその理論的営為のほとんど
的形態,あるいはオリエント的形態を絶対的なも の側面について
『資本論』
段階での自分の到達点に決
のと考えることと同 様に,もちろんばかげてい して満足していなかったことを示している。Federici によ
❖12)
る。
」 るマルクス批判は,このことを事実上無視している点に
いうまでもなくこれは,短期的に見れば,性別分業 おいて,一面的であるといわざるをえない。本稿の後
家族の解体は,一面においては,
「家事労働の支出の 半でこの点を明らかにしよう。
減少には,貨幣支出の増大が対応する」
とか,「資本 以上,Sylvia Federici によるマルクス
『資本論』
批判を,
が消費のために必要な家族労働をも自分の自己増殖 われわれの問題関心という限られた観点からではある
のために奪い取った」
といった不利益を労働者家族にも が,紹介してきた。Federici が批判の対象にしている
たらす。しかし,そのことを通じて新しい両性関係を構 『資本論』
におけるジェンダーと家族に関するマルクスの
築するための経済的基盤も獲得されるのだという長期 理論的到達点の一端は,やはり,大工業論での次の
的展望を示している。性別分業家族は,その解体過程 一節に凝縮されているといってよいだろう。煩をいとわ
で,労働者階級に様々な不利益をもたらすとしても, ず再度引用を示そう。
長期的には解体され,新しい両性関係に席を譲るべき 「資本主義制度の内部における古い家族制度の
ものと捉えられているのである。 解体が,どれほど恐ろしくかつ吐き気をもよおすも
のに見えようとも,大工業は,家事の領域のかな
2 性別分業家族の再構築と復活 たにある社会的に組織された生産過程において,
次に Federici によるマルクス批判の論点(2)
について 女性と男女の年少者・児童とに決定的な役割を割
検討しよう。もし,Federici の言うようにマルクスが家事 り当てることによって家族と両性関係とのより高度
労働とその担い手について,自然必然的で歴史を通じ な形態のための新しい経済的基礎をつくり出す。
て変わることない固定なものと捉えていたのなら,なぜ 家族のキリスト教的ゲルマン的形態を絶対的なもの
工業化を通じてそれが簡単にかつ完全に消滅しうると と考えることは,ともかく相互に一歴史的発展系列
考えることができたのだろうか。そこに矛盾なないのだ をなしている古ローマ的形態,あるいは古ギリシア
ろうか。 的形態,あるいはオリエント的形態を絶対的なも
Federici 自身は,この点については詳細に論じていな のと考えることと同様に,もちろんばかげている。

い。おそらくマルクスが矛盾を犯していると考えているの これはあくまでも展望でしかないし,この見通しその
であろう。 ものが正しいとしても,この展望に逆行するような性別
確かに,産業革命の初期段階には,性別分業家族 分業の再構築という歴史的事実を無視し,この展望を
は危機に瀕していたが,工場法による女性労働の規制 語ることに終始する者があるなら,Federici の批判から
や男性ブレッドウィナーモデルにもとづく福祉政策などに われわれが抜き出した二つの論点のうち,特に第二の
よって再構築された。それをマルクスが完全に予見でき 論点,性別分業家族の再構築による復活を理論化でき
なかったことも事実だろう。先ほどの大工業論からの引 ないという批判が当てはまることになる。果たして,マ
用でもわかるように,
『資本論』
では当面の再構築によ ルクスはどうなのだろうか。当時の状況として,性別分
る復活よりも,より長期的なプロセスとして,一夫一妻 業家族の再構築は,まだ本格化してはいなかったとい
的家族形態と女性の労働市場からの排除が克服されて うことを割り引くとしても,この長期的展望を語ることだ
いく可能性に光が当てられていたことは間違いない。 けで満足していたのだとしたらFederici のマルクス批判
Federici は,マルクスが,性別分業家族が工業化を は正当であるといわざるをえない。しかし,マルクス自
通じて解体され衰退していく傾向に目を奪われ,それ 身も,『資本論』時点での両性関係や家族に関する自
が再構築される可能性を見ていないと批判する。マル 分の見解に満足していたわけではなかった。だからこ
クスの存命中は,性別分業家族が再構築される可能性 そ,マウラー,メーン,コヴァレフスキー,モルガンなど
は潜在的なものにとどまっていたので,確かに,マルク の研究を精査することでこの問題に解答を与える努力
スは性別分業家族の再構築の可能性については,そ をしたのである。
れを十分に見通すことができていたといえない。しかし, また,Federici の批判とは別に,「一歴史的発展系列

[特集論文]
マルクスにおけるジェンダーと家族 031
をなしている古ローマ的形態,あるいは古ギリシア的形 れによってマルクスが家族を固定的なものとはとらえて
態,あるいはオリエント的形態」
という章句にもわれわ いなかったことを示している。
れは着目せざるをえない。ここには明らかに,単線的 「マルクスは,古代社会を研究しながら氏族(Clan)
な歴史発展論が顔をのぞかせている。このような歴史 を実在の社会制度として発見することができず,そ
把握はどこまで正しいのか,問題があるとすれば,マ れゆえに家父長的家族を社会の基礎的単位とみ
ルクスはそれをどこまで自覚し,どの程度まで克服する なしていた研究者たちをいたるところで非難してい
❖16)
ことができたのか。 る。」
次に,われわれは,Heather Brown,青柳和身など Brown は,その具体的な例として,モルガン・ノート
を参照しながらこれらの点を検討することしよう。 の二つの箇所を取り上げている。一つは,氏族組織を
創造上の産物とみなすグロートへの批判である。
「しかし,ゲンスには共通の儀式と超人的な祖先
II があった
(それは奇妙ではありませんか,グロート
モルガン
『古代社会』
に関するノート 先生!),それらは祝福された存在だった
(謙虚な
ゲンス〔Humbler gentes〕の部分に関しては,それは何
1 マルクスにとって家族は,非歴史的なものだったか ともまさに奇矯です。違いますか,グロート先生!)。
Brown は次のように述べている。
「フェミニストの多く スキームと観念的な
(先生,観念的ではなく肉体的,
は,家族についてのマルクスの見解を,固定的で,権 ドイツ語の Fleischlich です)基 礎はすべて同じで
威主義的で,非歴史的な生物学的決定論の傾向を持 あった」

つものと考えている。私(ブラウン)は,少なくともある程 マルクスは,グロートの主張を提示したうえで,そこ
❖13)
度まで,マルクスのモルガン・ノート が,変化しうる に批判的なコメントを織り込んでいる。さらにこの引用
制度としての家族というダイナミックな見解をある程度ま から少し後に次のように指摘している。
❖14)
で指示していることを証明しようと思う」 。 「単婚家族の始まりとともに,血統上の結びつき
Brown がその重要性を指摘しているモルガンからの は遠い過去のものとさ
〔氏族を指すと思われる衽衲浅川〕

次の抜粋は,Federiciを含む人々の,マルクスが家族を れてしまったので,それは,神話的虚構に映し出
固定的なものとみなしていたという主張が少なくとも一 されたものとしてあらわれる。それゆえに実直な俗
面的であることを示している。 物たちは,仮想的な系譜が実在の氏族を生み出
「現代の一夫一妻婚家族について。まさに過去に したと結論付けたし,いまもなおその結論を固持し
おいてもそうであったように,それは社会が発展す ている。

るにつれて発展し,社会が変化するにつれて変化 つまり,グロートらは,個別的家族が最初のものであ
しなければならない。それは社会制度の産物であ り,それがのちに結合して氏族が成立したと考えている
り……両性の平等が得られるまでは,なおより一 が,マルクスはそれが転倒した考えであると批判してい
層の改善がされうると想像されねばならない。文 るのである。これは,以前われわれが取り扱ったマウ
❖17)
明の絶え間ない進歩を仮定して,一夫一妻婚家 ラーからの抜粋ノート (1868)」
(以下,「マウラー・ノート と表

族が遠い将来において,社会の要求にこたえるこ で,ゲルマン民族は,はじめ散居状態にあってのち
記)

とができないとしても,一夫一妻婚家族の後にくる に防衛等々の必要から共同体を形成するに至ったと主
❖15)
ものの性質を,予言することはできない。
」 張するメーザーやキンドリンガーに対するマウラーの批
引用の前半は,一夫一妻婚家族それ自体の
「改善」 判を,マルクスが肯定的にとりあげていたことを想起さ
の可能性の指摘とも読め,必ずしも一夫一妻婚家族自 せる内容である。
体が歴史的で非永続的なものだと主張しているわけで 「メーザーとキンドリンガーは,土地の耕作が,マ
はないが,後段ではっきりと一夫一妻婚家族がほかの ルク牧地に囲まれた各ホーフ,個別的なホーフか
ものにとってかわられる可能性が指摘されている。 ら始まったというたわごとを振りまいている。より大
Brown は,自らの主張の根拠として,こうしたマルク きい安全管理のために,中世の後半までに以前の
スのノートの個々の断片の解釈に拠るだけでなく,それ 切り離された耕地マルクに散乱している住居を村に
らを通じてマルクスのノート作成の動機を明らかにし,そ 集中させた。耕地マルクは,村落マルクに投げ込

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❖18)
まれたのだ衽衲と。」 このように一夫一妻婚やそれに対応した小家族の散
つまり,マルクスは,本稿で
「マウラー・ノート
(1868)」 居という状態を,人類の初期状態に投影する議論に対
と呼ぶものを作成した時からすでに,個別的な小家族 して,
「モルガン・ノート」
におけるマルクスがすでに批判
を人類の最初の状態とする考えを批判していたので 的な見方に立っていたことが確認できるのである。
ある。
話を
「モルガン・ノート」
に戻そう。Brown は,一夫一 2 性別分業家族の形成とその行くえ
妻婚家族を固定化する見解に対するマルクスによる批 父系氏族から家父長制へ
判の例をさらにもう一つ上げている。それは,バッハ 産業革命により危機に瀕しながらも,復活を遂げた
オーフェンに関するものである。 性別分業家族の生命力の強さの秘密を知るためには,
「ギリシアの一夫一妻婚家族は,未開の上位段 そもそもそれが形成された要因を知る必要があるだろう。
階 以 前のものではないだろう。極めてプラグマ しかも,近代的な労働者階級の性別分業家族の形成
ティックで,きわめてドイツ流の学校教師然として 要因を正しくつかむには,そこからさらに歴史をさかの
バッハオーフェン自身がこの事実を取り扱っている。 ぼって先行する家族諸形態の歴史について考察する必
この点は以下の叙述に見て取ることができる: 要がある。その際,決定的に重要となるのが,氏族制
ケクロプスの時代以前には,子供達には母親し の解体衽衲家族の個別化衽衲と,それに伴う両性の地
かおらず,父はいなかったので;彼らは単系だっ 位の変化衽衲家父長制の成立衽衲である。
た。いかなる男性にも排他的に拘束されることなく, 家父長制の成立について,Brown はつぎのように述
女性たちはいかがわしい
(!)子供だけを産んだ。 べている。
ケクロプスが
(!)
この状況を終わらせた
(!)無法な 「初期の社会で起きた家族の個別化と形態転換
(!)性的結合を婚姻の排他性に引き戻し
(!),子 についての彼の一般的議論に加えて,マルクスは,
供たちに一人の父親(!)
と一人の母親(!)
を与え, モルガンの家父長家族とその奴隷制との関係の扱
そして,単系から双系にした
(父系出自による単系 いに多くの焦点を当てている。モルガンは,家父
❖19)
にした!)」 長制家族の特徴について詳細に叙述する一方で,
このマルクスによる摘要とそれへの書き込みについて 家族のこの形態が彼の発展の一般理論とどのよう
Brownは次のように指摘している。 に関連するかについてはほとんど論じていない。
「マルクスは,ここでバッハオーフェンの記述のあ マルクスはモルガンがこの点に触れた二,三の箇所
ちこちにエクスクラメーションマークを付けることに を指摘し,彼自身の変化の理論の概要を含むもの
❖20)
よって疑問を呈しているようにみえる。マルクスは, へとこの議論を拡張している。

バッハオーフェンの記述の少なくとも三つの問題点 Brown が指摘している箇所で,マルクスはまず,モル
に着目している。
」 ガンの文章を次のようにパラフレーズして紹介している。
三つの問 題 点とは,以 下のとおりである。第 1 に, 「おそらく家族は,
(南スラブ人のように)
近親の諸
人類初期の社会を近代的な慣習や法を基準として評価 家族からなっていた共同の世帯に庇護を求めた。
することの不当性である。「いかがわしい子供」,「無法 奴隷制が制度になったとき,これらの世帯が次第
❖21)
な性的結合」
という言葉につけられたエクスクラメーショ に消滅したのであろう。

ンマークがそれを表している。第 2 は,一夫一妻婚が そのうえで,次のようにコメントしている。
子供たちに一人ずつの父母をもたらしたというバッハ 「一夫一妻婚家族は,その独立した孤立的存在
オーフェンの理解に対する批判である。Brown は,一 が可能となるためには,どこにおいても家内階級〔a
人の子どもが一人ずつの父母を持つのは常にそうであ を前提していた。そもそもこの階級は,
domestic class〕
❖22)
ることを指摘し,マルクスにとって,一夫一妻婚がもた どこにおいても直接に奴隷であった。

らしたものは子供に対する父親の関与の強化だったと マルクスのこのコメント関して,青柳[2012]に極めて重
述べている。第 3 に,一夫一妻婚が子どもたちを双系 要な指摘がある。
出自氏にしたというバッハオーフェンの考えが批判され 「この場合の奴隷とは動産奴隷としての家内奴隷
ている。マルクスは,カッコ内に書き込まれているように であり,家族をもたず,次世代人口の再生産能力
男性出自への移行を指摘している。 を欠如した一代限りの階層である。マルクスの評

[特集論文]
マルクスにおけるジェンダーと家族 033
注は,家父長制的一夫一婦婚家族の成立段階で かによって,氏族はカースト形成に少しずつきっか
は,小経営の上昇と没落という経済的対立をもた えけ与えることができないだろうか? この時,異な
らす要因ではあるが,それだけでは直接的生産者 る氏族の間での交婚の禁止は,同じ氏族のなか
が剰余労働負担と次世代再生産労働との両者の での交婚
〔の禁止〕
という太古の原則を全く逆にす
❖26)
労働を負担する被支配階級としての小経営者に転 る。」
化するための十分な条件とはなりえないという認識 Brownは,このコメントを次のように解釈している。
❖23)
にもとづくものであったと言ってよい。
」 「ここでマルクスは,次のような可能性を指摘して
つまり,彼ら自身が他人の所有物であるような
「動産 いる。氏族婚のシステム,それはそもそもすべての
奴隷としての家内奴隷」
は,自分自身を維持再生産す 氏族の間の平等を確証するものだったが,他の部
る基盤を持たないがゆえに,彼らから剰余労働を搾取 族の征服の際にそれが反対物に転化する可能性
する側にとっても,安定的な階級基盤とはなりえないと である。もし,征服された部族が征服した側の婚
いうことである。 姻関係に完全に統合されなかったとすれば,一つ
〔ソロンによって導 入された 民 衆 の 4 つ 階 級
「 ないしはそれ以上の氏族が社会的に劣位に置かれ,
classes 区分のうちの〕第 1 階級の大土地所有の耕 他のクランからは 婚 姻の対 象とみなされなくな
❖27)
作者すなわち直接的生産者となりうる第 4 階級の る。」
労役者
(テーテス)
が土地保有権をもたず,僕婢 マルクスは,短いコメントを残しているだけで,十分
や動産奴隷に転化して,最終的に次世代人口を な理論的展開がなされているわけではないから,その
消滅させるような一時的階層にすぎないとしたら, 真意を正確にとらえることは難しい。しかし,Brown 自
大土地所有にもとづく第 1 階級の存在自体も,僕 身は引用していないが,マルクスが同じ摘要に付した
婢や動産奴隷の供給状況に依存する過渡的存在 次のコメントは,Brown の解釈がおおむね妥当であるこ
形態であり,したがって社会において支配的な経 とを示しているといってよいだろう。
❖24)
営形態に成長することはできない。
」 「男は,自分の氏族のなかでは婚姻できず,別
家畜や土地の相続規則の変更を被相続人の欲望か の兄弟胞族あるいは従兄弟胞族のなかの氏族とな
ら説明することは,少なくとも十分に説得的とは言えな らできるというように理解すべきである。だが,氏
い。自分の死んだ後のことについての関心は人によっ 族の血縁者の間の順位の違いが生まれるや否や,
て濃淡があっただろうし,そもそも,遺産の処分権は被 これは氏族原則と矛盾することになり,氏族がその
❖28)
相続人たちの専権事項ではなかったのに,なぜにわか 対立物のカーストに転化しうる。

に彼らが相続権者を指定する権限を得ていったのだろ ともあれ,ここで最も重要なことは,Brownが言うよう
うか。そこには当人たち以外の,当該社会において支 に複数の要因を認めることによってマルクスは,女性抑
配的な意思が働いたと考えるほかはない。相続の規則 圧の原因を私的所有に還元するという誤りを免れている
の変更は,被搾取階級の恒常的再生産の契機として という点である。
❖25)
位置づける必要がある 。世帯の再生産の物質的基 「エンゲルスと対照的にマルクスは,氏族内の対
盤である土地をはじめとする生産手段の分割相続は, 立の発展を理解するうえで多くの要因が重要であ
持続的な世帯の再生産を不可能にする。被搾取階級 ると考えている。これらの対立は,氏族の初期に
の安定的な再生産のためには,分割相続を排除して一 おいてすら存在している。氏族が全く未発展で
括相続を実現しなければならなかったのである。 あったとしてもである。初期の共同体的社会は,
ここから,ジェンダーやセクシャリティをめぐる対立と 社会的対立という点で全く問題がなかったわけで
❖29)
階級対立は,分かちがたく結びついていたことがわか はない。

る。しかし,それはエンゲルスが考える,私有財産の 「マルクスとエンゲルスの比較によってわかる最も
成立が女性抑圧の原因であるといったような単純な関 重大な相違は,おそらくエンゲルスの議論がより決
係ではない。 定論的であるということだろう。マルクスはしばしば,
マルクスは,氏族社会の内部での社会的対立の発 ある発展の偶然的な性質に注意を促し,社会的,
展の可能性について,次のようなコメントを残している。 経済的力に加えて,人間の活動が社会的条件を
「氏族の原則に征服がどのように付け加えられる 変える可能性を指摘しているが,エンゲルスは,

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第一義的に社会的・経済的な力が社会の変化を 妻や子供の賃労働が補助的賃労働として参加しつ
説明しうるものとみている。したがって,エンゲル つある家族であり,第 13 章の夫の労働力の価値
スは,決定論的で単線的なフレームワークの中に 分割が行われる際に前提とされている家族と同様
とどまっているが,それに対してマルクスの定式は, の現存している家族であるが,この家族は
古い
❖32)
結果における大きな多様性と,人為の,特に女性 家族制度
と捉えられている。

の,はるかに大きな役割を認めるものとなってい そのうえで,マルクスの理解の問題点を次のように指
❖30)
る。」 摘している。
ここで Brown は,マルクスがエンゲルスのような極端 「機械制労働の発展によって短期的に消滅するは
な還元主義的な決定論からまぬがれていること,そして ずの家族的分業と性別分化的労働市場が,
『資
その結果,単線的な歴発展論を事実上のり越えている 本論』第 1 巻執筆後 1 世紀半近く経過し,機械制
ことを指摘している。あとの点については,別の箇所で 労働が高度に発達した現代においても存続してお
モルガンが例外的な現象として軽視していた家父長制 り,次世代人口再生産を含む労働力再生産のた
的家族の成立をマルクスが一夫一妻婚家族への移行の めの性別分業とそれによる私的家族的労働の一体
過渡期として重視していることを述べ,モルガンの単線 性を通じた労働者家族の私的利害は長期的に存
的な歴史的発展論にマルクスが束縛されていないことを 続していることである。身体的能力差による生理
❖31)
指摘している 。 学的分業にもとづく労働者家族の性別構造の短期
さて,歴史上の時間的な経緯と議論の運びがずれて 的消滅論は,資本主義の短期的消滅予測とも関
しまっているため,読者の理解を困難にしているかもし 連していたと考えられるが,性別分業の長期持続
れないので,ここで改めて歴史的経緯を整理しておこう。 性を説明できず,したがって生理学的分業論は歴
❖33)
部族間の戦争と,時にその結果として生じる征服の 史的実態に適合していない。

影響は,ある種の婚姻カーストの形成を通じて氏族的 この批判は極めて説得的なものである。性別分業が
原則を弛緩させる。氏族社会に社会的対立が芽生え 筋力等々の身体的な要因にもとづくものであるならば,
始めるが,これはのちにみられるような経済的な格差・ それは技術学的な対応によってのり越え可能となるはず
対立ではない。しかし,婚姻規則の変化や氏族間ある であった。しかし,技術の目覚ましい発展にもかかわら
いは同一氏族内の世帯間の近親関係の複雑化は,財 ず,性別分業は解消されてはいない。
貨の生産と人間の再生産の在り方にも変化を及ぼすこ とはいえ,機械の導入によって,それまでの性別秩
とになる。氏族的共同経営やそれが事実上解体した後 序が一時的であれ攪乱されたことは事実である。
もしばらくは存続したであろう氏族的関係に基づく相互 マルクス自身には,それを実現させる時間的な余裕
支援は次第に衰退し,経営規模の格差とそれに基づく がなかったものの,
「モルガン・ノート」
で獲得した知見
支配隷属関係が生まれる。そして,最下層の諸世帯を から,マニュファクチュアやそれ以前の小経営における
大規模経営のための労働力の供給源として位置づける 男性による技能形成の独占は,生理学的要因に還元
ために,その人口の持続的再生産が可能となるように できないという理解を引き出すことは可能である。財産
所有権や相続規則の変更が行われたのである。 管理と生殖強制の権利に経営の指揮権が加わり技能
形成の機会を優先的に獲得できた。そうした条件が失
賃金労働者の
「古い家族制度」 われ,一時的に従来の性別秩序が動揺をきたしたにも
青柳[2013a]は,『資本論』
でのマルクスの,賃金労働 かかわらず,別の基礎の上に性別分業家族が再建さ
者の家族形態の歴史的変遷についての認識を次のよう れたのである。問題は,この別の基礎がどんなもので
に整理している。 あるかということであろう。
「家族制度としては,土地を占有する前近代的家
父長制家族,土地から分離した近代的労働者に 賃金労働者の
「新しい家族」
はありうるか
おける親権を前提とする
古い家族制度,および 「古い家族制度」
が生理学的分業に基礎を置き,機
親権の経済的基礎を廃棄する新しい労働者家族と 械が生理学的分業を廃棄するのであれば,
「古い家族
いう三形態が家族の発展段階として想定されてい 制度」
は終わりを迎え,それに代わる
「新しい家族」
が形
る。第 18 章の家長が存在する労働者家族とは, 成される。しかし,実際には,
「古い家族制度」
が生理

[特集論文]
マルクスにおけるジェンダーと家族 035
学的分業に基礎を置くという考えは誤りである。では, ろう。
賃金労働者の
「新しい家族」
はありえないのか。この問 この点に関して,青柳[2013b]では,ベーシック・イン
題に解答を与えるためには,逆に,機械導入によって, カムの導入に基づく脱家族経済的変革による私的所有
一時的にはあたかも解消に向かうかに見えた性別分業 の廃棄と個人的所有の実現を通じた脱階級社会として
がなぜ復活したのかを考察することが有効である。 の社会主義への移行を展望している。本稿では,この
復活の要因の一つは,すでにみたように,被搾取階 展望について検討する余裕はもはやないが,この展望
級の人口的再生産の必要性にあった。しかし,これは の前提になっている次の認識を確認することは重要で
事柄の一面にすぎないという見方もある。 あろう。
例えば,Jane Humphriesは,女性労働者の労働市場 「第二次大戦以降の社会保障制度の整備と女性
からの撤退は労働力の価値分割による生活水準の低下 労働の一般化は,労働力の再生産を家族単位か
に抵抗するうえで,女性たち自身にとっても有効な戦略 ら個人単位に分解する傾向を強めているが,その
❖34)
の一つだったと主張している 。各々の家族からの 発展によって労働力の価値が個々の労働者の再
労働力供給を絞り込むことによって賃金の低下を防ぐこ 生産費として規定されるようになり,労働能力のな
とができるというのである。しかし,別稿ですでに指摘 い社会成員や未成年者や高齢者にたいする社会
❖35)
した ことであるが,一般的な賃金水準が低い状況 保障制度による個人単位の所得保障が実現される
でそれを上昇させるために,労働者階級が男性稼ぎ主 ようになれば,労働力の価値規定が家族単位で
以外の労働力を労働市場から引き揚げることが,戦略 総括される必要性がなくなっていく段階である。こ
的に有効であるとは考えにくい。なぜならそのような行 の場合の家族関係は,エンゲルスのいう
経済単
動は,少なくとも短期的には生活水準のさらなる低下を 位
としての個別家族が止揚された関係となる。そ
もたらすからである。われわれは,むしろHumphries が の場合の労働力の価値規定は狭義には労働者個
あげる女性の労働市場からの撤退の,もう一つの戦略 人の再生産費として,広義には賃金総額プラス社
的意義に着目する。 会保障費=労働者階級の再生産費として貫徹さ
❖36)
Humphries は,(1)家族の中でただ一人の賃金稼得 れることになる。

者が家族賃金を受け取り,他の世帯構成員の活動は 以上は,中川[1994]の見解の紹介として提示されて
資本家の管轄外であり,使用価値の創出に向けること いるのだが,ここに,われわれがこの項で提起した問
ができる場合と,(2)労働可能な全世帯構成員が就労 題に対する回答の一つが示されている。すなわち
「経
し,家族賃金の総額を彼らがそれぞれ断片的に受け取 済単位
としての個別家族が止揚された関係」
としての
るケースを比較して,この仮定の下では,どちらも同じ 賃金労働者階級の
「新しい家族」
の形成の可能性が示
家計収入を得るが,第 1 のケースでは,労働者家族の 唆されている。そして,重要な点は,この
「新しい家
生活水準がより高くなり,第 2 のケースでは,資本に提 族」
は,資本主義の枠内での賃金労働者の家族という
供される剰余価値がより多くなると述べている。これは, 限界にはとどまらないであろうということである。
すでにみた
『資本論』
での家庭の消費に必要な諸労働 「両性の対等な協業関係とそれによる両性の人間
についてのマルクスの指摘と基本的に同じ事柄である 的発展のための
適当な諸関係
は,第二段階の
が,Humphriesは,世帯内生産を強化する戦略は,個 労働力再生産機構とその労働様式によって,孵
別家族の生存という限界づけられた目的の追求にとど 化
しつつあると考えられるからである。このような
まるものではなく,労働者階級全体の
「凝集力」
の強化 認識を含む中川氏の第二段階論は,排他的経済
というより高度の目的に寄与しうると主張する。 単位としての一夫一婦婚家族の形成による私的所
この主張は,19 世紀のイギリス労働者階級について 有と階級社会の形成という晩年マルクスの歴史認
は,ある程度当てはまるのかもしれない。しかし,それ 識と共通する階級社会観を前提として,私的家族
が今日の労働者階級にも妥当するのかというと,それ 的労働力再生産の脱家族化による社会化にもとづ
は率直に言って疑わしい。しかし,女性の労働市場か く新しい社会変革展望を示したものであり,生産
らの撤退という戦略にもはやそのような効果が期待でき 手段所有様式の権力的変革思想を脱却した新し
ないとしても,いやそうであるからこそなおさら,それに いポスト資本主義的社会変革構想の提起であると
❖37)
代わりうる新たな再生産戦略が提起されてしかるべきだ 言える。」

036 季刊 経済理論 第 57 巻第 3 号 2020.10


こうした展望の現実的な妥当性の検証は,われわれ されたことは,
『資本論』
をもって,マルクスの最終の到
にとっては今後の課題である。ともあれ,マルクスの抜 達点とみなすことが,検討を要する重要課題の見落と
粋ノートの検討を通じてこのような注目すべき提起がな しにつながることを端的に示しているといえるだろう。

❖1) Federici[2017]. 照されたい。


❖2) Brown[2012]. ❖18) Ebd., S. 496.
❖3) Federici[2017], p. 19. ❖19) Marx
[1972], p. 236.
❖4) Ibid., p. 28. ❖20) Brown
[2012], p. 154.
❖5) Ibid., p. 29. ❖21) Marx
[1972], p. 120.
❖6) Ibid., p. 28. ❖22) Ibid.
❖7) Ibid., pp. 28-29. ❖23) 青柳[2012]
, p. 40.
❖8) Marx[1962], S. 417. ❖24) 同上,p. 42.
❖9) Ebd., S. 416 . ❖25) 同上,p. 48.
❖10) Marx
[1977]
, S. 528. ❖26) Marx
[1972], p. 183.
❖11) Ebd., S. 614. ❖27) Brown
[2012], p. 174.
❖12) Marx
[1962]
, S. 514. ❖28) Marx
[1972], p. 183.
❖13) Marx
[1974]
, Lawrence Krader によって,解読,編集されたマル ❖29) Brown
[2012], p. 174.
クスの抜粋ノート。同書には,モルガンの著作以外に,John ❖30) Brown
[2012], p. 175.
Budd Phear, Henry Sumner Maine, John Lubbock の著作に関す ❖31) Ibid., pp. 168-169.
るノートも含まれている。また,このノートは,MEGA 第 IV 部 ❖32) 青柳[2013a]
, p. 85.
第 27 巻として刊行される予定である。 ❖33) 同上,p. 87.
❖14) Brown
[2012]
, pp. 151-152. ❖34) Humphries
[1977]
, p. 244.
❖15) Marx
[1972]
, p. 124. ❖35) 浅川[2015]
, p. 9.
❖16) Brown
[2012]
, p. 152. ❖36) 青柳[2013b]
, p. 145.
❖17) MEGA IV/18 所 収。あわ せて浅 川[2013]
,平 子[2013]
も参 ❖37) 同上,pp. 148-149.

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[特集論文]
マルクスにおけるジェンダーと家族 037

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